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☆再度「殺せ!」コールと「人権擁護法案」を検証
「忠臣蔵」ほか口にせずとも愛され語り継がれる殺戮行為の歴史
いよいよ師走。
この平成23年も最後の月を迎えた。
当ブログの前エントリー「『殺せ!』コールと人権擁護法」に対する反響は上々である。
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51805066.html
同コメント欄
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51805066.html#comments
「殺せ!は正しいですね、利敵行為にもなりません。何も根拠の無いものを差別だとは言って通そうとする法案(※)です。
殺せと言おうが言わなくとも日本人は殺されてます。
殺せくらい言わなければ損でしょう。
仮にそれで在特会のその発言が利用されてとなった時に愛国者がとるべき道は殺せ発言を支持する事です」とする同盟ブロガー・みたいな実さんからの強力なエールをはじめ多数の賛同意見が寄せられた。
※人権擁護法案
やっぱりこのブログは筋が通っていると思いました。
そもそも日本社会の中で、言っちゃいけない言葉を作ろうという発想自体が同和の奴らの思う壺です。
勿論、例えば公道を卑猥な言葉を連呼しながら歩くなんて事は常識としてすべきではありません。
しかし、何なら言って良くて、何はいけない、何はグレーなんていう、よくマスコミで見られる不毛な議論ほどバカげたものはないです。
(後略)
Posted by 絶賛支持! at 2011年11月30日 11:34
他方、「殺せ!」コールをたしなめる反対意見もあった。「殺せコールは昔も今も一般日本人には受け入れられません」だとか「『殺せ』と言いつつ、法治主義の履行を求めるなどはもう欺瞞であり、パーソナリティーとしての一貫性すらない」といったもの。
死刑執行という職責を果たさない現法相・平岡秀夫について−
平岡秀夫大臣の真意も知らず、自己都合的にこれ以上平岡秀夫を責めるなら、俺がお前を成敗してやるよ。
Posted by SHIN at 2011年11月30日 00:32
−などなど。
そこで今回のエントリーでは「殺せ!」コールについて再度検証してみたい。ちょうど季節は12月。12月と言えば、日本人が愛してやまない「忠臣蔵」事件が想起される季節である。
忠臣蔵とは第五代将軍・徳川綱吉の治世下、元禄の武家時代に江戸城内で起きた大名同士の刃傷沙汰に端を発する。
刀で斬りつけたのは勅使饗応役(朝廷への接待役)を担っていた播州赤穂藩藩主・浅野長矩。斬りつけられたのは饗応役の指南を担っていた高家筆頭・吉良上野介。
テレビドラマや映画では吉良が散々なイジメ、嫌がらせの末、ついに耐えかねた浅野が斬りつけたという具合に、浅野イコール善、吉良イコール悪といったイメージが定着しているが、そうした経緯がどこまで事実なのか判然としておらず、仮にそうした事実があったとしても吉良が一方的に悪く、浅野が一方的に正しいとは言えない。
朝廷の接待役を担う浅野に大恥をかかせたところで、結局、責めを負うのは指南を努める吉良であるからだ。そのため、指南する者として接待役にあれこれと口うるさく指図することもあるだろう。そうした両者のやり取りが積もり積もった結果ではないか。いずれにせよ五万石の大名で、200名からの家来とその家族の生活が肩にのしかかっていた浅野としてはもう少し冷静な態度があって然るべきだったというのが客観的な評価である。
江戸城内での流血の刃傷沙汰の結果、幕府が下した裁定は、浅野は即日切腹で赤穂藩は取り潰し。吉良にはお咎めなしというものだった。これに異を唱えた旧赤穂藩の藩士ら47名が刃傷沙汰から約2年後の12月14日に吉良邸に討ち入り。見事、吉良の首級を獲る。
自らの実行によって幕府の裁き(今風に言うなら同列には論じられないが、最高裁の判決)を覆して、結果的には喧嘩両成敗を実現したのである。その後、赤穂浅野家は小規模ながらも再興、吉良家は取り潰しという逆転現象も生じた。
忠臣蔵事件については昨年の12月14日付のエントリーでも取り上げている。
「忠臣蔵」事件の日に朝鮮人からの襲撃そして防戦を振り返る(エントリー中盤より)
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51630832.html
江戸城内や公の場における大名同士の刃傷沙汰というのは浅野−吉良の間に限ったことではなく、それ以前にも頻発していた。ただ、いずれの場合も一方がその場で仕留められて、仕留めた側は切腹、御家断絶になるなど喧嘩両成敗が成立している。
しかし、浅野の場合だけは有名な「松の廊下」での周囲の制止もあり、相手を仕留め損ねた。ここで吉良が仕留められていれば何のことはない、ただの大名同士の刃傷沙汰として忠臣蔵事件も生まれず、歴史に葬られたことだろう。
浅野の刃傷沙汰と忠臣蔵事件は、大名同士の刃傷沙汰が相次ぐ中で起きなければならない「歴史上の必然」だったのかも知れない。
さて、この忠臣蔵ほか幕末の時代劇などは何度となく映画やドラマ、漫画になっているが、テレビの液晶画面というフィルターを通して観る「殺せ!」は良くて、自分たちが実際に直面する問題で当の自らが「殺せ!」は駄目だと言うのでは筋が通らない。
物語ではいくらかの脚色があるにせよ、劇画として繰り広げられている斬り合い、殺し合いは全て「事実」であり、そうした事実を経て時代は常に変遷を遂げてきている。
武家時代を経て近代国家となった現代、法治主義の下で「死刑判決」が確定しながら未だに生き長らえている死刑囚が何と100名をゆうに超えている。
法務大臣が放棄した死刑執行の職責について、死刑執行を要求するのもさっさと「殺せ!」というものに他ならない。
国が出来ない、やらないなら代わって国民が自らの手で「殺せ!」となるのは当然である。国家が国家として機能していないのだから。
治安も国土防衛も全て同様である。警察が凶悪な外国人犯罪者に発砲出来ないなら国民が自らの手で「殺せ!」となって、自衛隊が敵の侵略に反撃出来ないなら国民が自らの手で「殺せ!」となるのは当然だ。
不法滞在の外国人や不正な手段で正規の在留資格を得た不良外国人、北朝鮮の独裁者を崇める「敵性民族」の在日朝鮮人もまた然りで国としても追い出せないし、連中としても居座ったまま出て行こうとしないなら「殺せ!」しかない。
それを誰も言わないから、逆に日本人が追い出され、殺されかねない法案が次々持ち上がってきているのが実状である。
「殺せ!」なる過激なコールで「人権擁護法案」の呼び水になるとする綺麗事保守やアンチ勢力の指摘もあるようだが、当ブログでは単に同法案に反対を唱えたりはしない。
大いにやったら良いし強力に推進すれば良いし、何ならそのための手助けをしても良い。
先ごろ、ノルウェーでビル爆破や与党党員らへの連続射殺など大規模テロ事件を引き起こした極右青年、アンネシュ・ブレイビクについて検察からの報告書が裁判所に提出された。
同報告の中でアンネシュ・ブレイビクは「妄想の世界に生きていた」とされており、刑事裁判にかけることなく治療施設に拘束する見通しだという。
「イスラム教徒の侵略からノルウェーを守るため」「将来的に与党幹部となって移民受け入れを推進する者らを今の内に殺した」とするアンネシュ・ブレイビクについてその思想を「妄想」と結論付けることは、いかに現代の先進国が多文化・異民族との「共生」思想に支配されているかを物語っている。
本来的に現在こそ多人種・多民族が混生する異常な状況であって、それが到底上手くいっていないことは移民問題に苦しむ欧州の現実が物語っているではないか。
妄想から覚めるべきはアンネシュ・ブレイビクではなく、
彼を妄想の世界に生きると断罪した側のほうである。
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☆詳細決定! 「死刑執行」要求行動!
来たる12月8日に予定していた
東京・霞ヶ関の法務省前における抗議行動の予定が確定しました。
【主催】主権回復を目指す会
【場所】法務省(赤レンガ棟)前
【日時】平成23年12月8日 午前11時30分より
【連絡】有門大輔(090−4439−6570) 西村修平(090−2756−8794)
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『同和・カルト特権を許すな!ネット委員会』