被爆者運動に早くから参加し、原爆資料館長も務めた高橋昭博さん(80)が2日亡くなった。精力的に証言活動を続け、国内外から広島を訪れる人たちに被爆体験を語り、核廃絶への鋭い視点を持ち続けた。関係者からは惜しむ声が相次いだ。【樋口岳大、加藤小夜】
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」(HANWA)の森滝春子共同代表(72)は「被爆との関わりを通して一生を生きてこられた方で人にも自分にも厳しく、核問題に鋭い意見をお持ちだった。HANWAの運営委員として、いろいろな意見を聞ける存在でもあり、本当に惜しい」と語った。
原爆資料館の前田耕一郎館長(62)は先月27日に病院に見舞い、「元気になったら証言をまたよろしくお願いします」と声をかけると、寝たきりだった高橋さんは首を縦に振った。「体に被害の痕跡を残しながらの証言は、聞く人にとってもインパクトが強かった」と語った。親交が深かった広島市立大広島平和研究所の田中利幸教授は「核被害者の痛みを世界に伝えていく非常に大きな役割を果たされた。感謝の気持ちしかない」。
広島市の松井一実市長は「本市の平和行政に大きく貢献され、被爆の実相と核兵器廃絶への願いを訴えてこられた。ご冥福をお祈り申し上げる」。前広島市長の秋葉忠利・広島大特任教授は「核兵器廃絶のため渾身(こんしん)の力を込め行動された姿は私たちの脳裏に焼き付いている。共に核のない世界の実現を祝えなかったことを心から残念に思う」とコメントした。
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被爆で大やけどを負った高橋さんは、右手人さし指に変形した黒い「異形の爪」が生えるようになった。はがれるたびに資料館に寄贈し、その一部が展示されている。先月27日、8個目の爪(長さ18ミリ、幅10ミリ、厚さ5ミリ)を寄贈。同14日に病院で入浴中にはがれたものだった。
毎日新聞 2011年11月3日 地方版