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蛇の道はへび

 投稿者:那田尚史  投稿日:2011年11月30日(水)14時10分58秒
返信・引用
  私は法律の本を読むのが趣味みたいなところがあり、今メガネの度数が合っていないので余り読まないが、法律の解釈学とかを調べるのが好きだ。だから、本人訴訟で損害賠償金を取ったり、訴状に反論して勝ったこともある。今はだいぶ体調が戻ってきたとはいっても普通の人なら入院している状態だから、裁判の類は弁護士に委任している。若い弁護士だが、現場を知っているだけあって、さすがに良く分かっているので感心する。つまり法理論だけでなく、その適用に関して、これは不利のようだが有利だとか、理屈ではこうだが実際にはそれは最終手段として残したほうがいい、といった駆け引きに長けているわけです。

合気道の場合もきちんとした手順があって、毎日繰返さないと覚えられないぐらい複雑な動作をするが、師範いわく、実際に相手がかかって来たら要するに勝てばいい、とのこと。合気道は腕力は使わないで、下半身を鍛えて、体重移動や相手が逃げられない空間を探し逆関節をせめて行くが、私は剣道を若い頃からやっていたせいか、握力や腕の力が強い。本当はそれは邪道なのだが、とっさの時には手の力で投げてもいいらしい。

そんな感じで、裁判でも武道でも、結果的に相手に勝てばいいので、いくら正しいことを言っても、相手は嘘ばかりついてくるのだから、負けてしまっては何にもならないわけですね。

禅もそうですね。基本動作を繰返して身に染込ませたら、後は応用=工夫で、自分なりの形を作ればいい。

ダダイズムやシュルレアリスムは第一次大戦で大量殺戮があり、キリスト教道徳と信仰が役に立たないことに対する失望、嫌悪から出発しています。日本を含めて世界中で大災害や殺人、モラルの低下が進んでいる今、同じように宗教のあり方が問われ直す時期が来ていると思います。、
 

(無題)

 投稿者:那田尚史  投稿日:2011年11月28日(月)12時39分40秒
返信・引用
  悟ったと言っても痛い時は痛い、辛いと気は辛い、頭にきたら腹がたつ。人間ですから。ただ、機会があるごとに人を助けること。騙されないように気を配って。そんな感じかな。  

片目の猿

 投稿者:那田尚史  投稿日:2011年11月23日(水)14時41分19秒
返信・引用
  むかし むかし ある猿の 村が ありました この 猿村は 昔から

片目の 猿 ばかり 生まれていました 理由は 不明なんですが

この猿村に ある時 両目が あいている 猿が 生まれました

この猿は 小さいときから 自分は 両目が 開いていて とても おかしい

自分 は 何で 両目 が 開いているのか 悩みました

毎日元気が なく 親も 変だなーーと なやみつづけました

こんな生活 を 小さいときから 送っていると 性格も おかしくなり

自分 は この 片目の猿の村では 生きていけないと 感じ出しました



両目の猿は 悩み 続け この片目の 村 を 離れました

猿の 頭の中には どこの 猿村も 猿は 全て 片目 だと 思っていました

しばらく 旅を続けると 猿村 がありました 不思議な事に

この猿村は すべての 猿が 両目を 開いているでは ありませんか

よく話しを 聞いているうちに 自分が 生活しているうちに

両目 が 開いていることが 正常で あることに 気がつきました
_____________________________________

某サイトより引用。

面白い話ですね。私はどこかで読んだ記憶がありまた文章にしたことがあります。出典は今昔物語とのこと。
 当然、異状と正常の判断基準がテーマです。
私はブログに大道芸人やホームレスの易者の中に本物の霊能力を持った人たちに出会った話を書いています。
 彼らは時代と環境が違えば寺院の住職になったり、あるいは医者など、社会的地位を持った尊敬の対象になる立場で幸せに暮らしていたでしょう。坂本竜馬だって現代から見れば英雄ですが、当時の徳川幕府から見れば指名手配犯ですからね(だから竜馬暗殺ではなく、合法的な斬り捨てというべきです)。

ヤクザの中にも善人がいれば、警官、検事でも逮捕される人物がいる。事実は一つなのに有罪になったり無罪になったりする。

「裸の王様」の話も面白いですね。ファッシヨンにしても、美人美男の非普遍性にしても。
常識で考えろ、とよく言うけれど、その常識が時代と文化と環境の下では全く別物になります。

勝海舟は禅剣一如の達人で、維新後は明治政府の要職につき、いろんな言行録が出ていますが、庭番の爺やが勝御殿の庭の雑草を刈ろうとしたら「虫の住処がなくなるじゃないか。可哀想だから止めなさい」と言ったそうです。これは海舟が言ったから素晴らしい名言ですが、普通の人が同じことを言えば、変人、狂人と思われるでしょう。

だから「方便の風を吹かして、如来の蕾を開かせる」という対機説法が大事になってきます。皆さんもぜひ十牛図の9番目までは到達してください。10番目(入鄽垂手 にってんすいしゅ)は、その人の置かれた立場によって、必ずこうしなくてはダメ、というものではないでしょう。ちょっとアドバイスするだけで、人は苦しみから救われることもあります。合掌
 

久しぶりの投稿

 投稿者:那田尚史  投稿日:2011年11月21日(月)15時09分27秒
返信・引用
  朝は体が重くて頭がボ~っとしているし、夕方は晩酌をすると疲れてしまうし、昼間はいつものように書類作成でクタクタだし、しばらく投稿するタイミングがなかった。大病を繰返しているので、無理はしないことにしている。

とはいえ、この掲示板にもかなりの人がアクセスしてくるので、継続は力でなにか書かないといけないね。

いろんな被害者の体験談をネットで調べたり、また相談を受けて聞いて見ると、2重スパイ、3重スパイが多いですね。私のHPに直接乗り込んできて違法な嫌がらせを投稿したり、中傷のブログを立ち上げて攻撃してくる連中は下っ端の下っ端です。だから私も相手にしません。敵は本能寺にあり、ですね。

では来客があるので今日はこの辺で。今月は多忙で、全部こなせるかどうか?
 

続き

 投稿者:那田尚史  投稿日:2011年11月16日(水)19時31分37秒
返信・引用
  善悪と因果律の問題。
自問自答していましたが、質問するということはすでに答えが見えています、

今の私に言えるのは「諸行無常なるがゆえに、徹底して善を選ぶ」ということです。
以上です。
 

続き

 投稿者:那田尚史  投稿日:2011年11月13日(日)12時46分20秒
返信・引用
  「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候(そうろう)。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
是(こ)れはこれ災難をのがるる妙法(みょうほう)にて候」

これが良寛が地震被害に遭った友人に送った手紙の一説です。上の2行は諦観主義ですね。最後の一行は、災難をのがるる妙法、と書いているのですから、諦観主義の逆です。論理的には矛盾していますね。

私自身は万物一体の体験を繰返してきたので死ぬことは怖くありません。が、第三者が罪も無く死んでいく現実には激しい悲しみを覚えます。5年ほど前でしたか、よく行くスーパーの前の大通りで、傘を差した子供が、風に傘が飛ばされたのを取ろうとして大通りに飛び出したところ、大きなコンテナ車に轢かれて即死しました。母親の目の前です。
 長い間その場所に花束が飾られていたので、そこを通るたびに胸が痛みました。この事実について当時通ってた日蓮宗の住職に質問しましたが、納得できるものではありませんでした。

もしその母親が微笑禅の会員として、何故こんな悲劇が起こるのか、と聞かれたら何と答えればいいでしょう。とても良寛さんのような言葉は出ません。普通なら母親はショックの余り病人になるでしょう。戦争中、結婚したばかりの夫の戦死通知を受け取った妻が、その場で気が狂った、という話は何度も聞いたことがあります。先祖から受け継いだ業、と答える仏教者は多いでしょうね。または将来すばらしい幸福がやってくる前の試練、というかもしれません。宿業、宿命などなど・・・・・。

お前は見性したのに、こんなことも解決できないのか、と言われても仕方ないですね。私に出来ることは優れた心理カウンセラーのように、一緒に悲しむことぐらいです。そんな状態のときに、母親に「我も万物も一体。死んでも死なないものがある」と説いても無駄でしょう。

人災にせよ天災にせよ、嘆き苦しんでいる人に因果論を説いても無駄です。「何故息子はしんだのですか?」と問われて「傘を拾いにいった所に車が来たからです」と答えても意味がありません。とりあえずはその人の苦痛が楽になるように、現実的に効果のある方法を示すしかないですね。釈迦が毒矢の喩えをしています。ある人が毒矢に差された。そのときにどこから矢が飛んできて云々と解説するより、まずは毒矢を体から抜くことだ、と。

この問題は時々続けて考えていきます。ネットで「信仰 災害」等々で検索したら色んな人が書いていますが、納得できる答えは見つかりませんでした。
 

矛盾について考える

 投稿者:那田尚史  投稿日:2011年11月12日(土)19時45分53秒
返信・引用
  ご存知の通り、微笑禅の会は宗教ではありません。子供のような純粋な心になり、柳は緑、花は紅、と澄んだ心になって世直し、人助けをするための様々な心身の技術を獲得する会です。

それで、東日本大地震を含め、世界中で起きている異状としかいえない天災について考えてみます。東日本にはそれこそ生まれながらに悟っている人や善人も多数いたでしょう。なぜそういう人がああいう悲惨な目にあったのか? 善因善果、因果律というものが明らかに成り立っていません。

だから良寛禅師は、災難にあうときはあうがよく、死ぬときは死ぬがいい、と達観しています。それにしても、普通の人間には割り切れません。

一部には、アメリカの「地震兵器」のせい、という説が飛び交っています。地震を起こすプレートに原爆や強烈な電磁波を仕掛けて地震を誘発させた、という推理です。まあ、都市大空襲や原爆で民間人を焼き殺した国ですから、可能性はゼロではないかもしれません。今のところ私は情報量が少ないので判断保留にしています。

アメリカがやったことは国際法違反ですし、自然災害で罪も無い人が何万人も死ぬのは納得できない。いったい人間は何のために生まれてきたのか、なぜ正しい行為をしなければならないのか、善悪に関係なく死んでしまうという現実を見ると、諦観主義(諦める)になりますね。ま、もともとお釈迦様は諦観主義ですから、原点回帰ということかもしれませんが。

矛盾だらけでも、我々には祈り、行動することしかできませんが、微力でも菩薩行に努めるのみですね。水戸黄門のドラマのように勧善懲悪で終わらないのが現実です。中村天風がいたら何と答えるでしょう。
 

(無題)

 投稿者:那田尚史  投稿日:2011年11月10日(木)23時48分47秒
返信・引用
  夕食後少し寝て、いま起きました。体調はまずまずですね。

さて何を語りましょう。統合失調症の話でもしましょうか。
私は長年アヴァンギャルド系の映画の歴史と理論を大学で教えてきたので、知悉していますが、異様に統合失調症の学生が多いです。それで、専門学校でアートを教えている知り合いに聞いたら、毎年数人はいる、との返事でした。

前衛芸術は、売れる売れないを無視し、逆に大衆的で商業主義的表現に飽きた、あるいは嫌悪した一種のエリート主義です。だから、非常に感性が鋭いと同時に、どこか神経症的な人間が向いている分野だと思えばいいでしょう。私も国語,特に詩歌が得意で、高校の先生の解釈を理路整然と否定したり、研究者しか知らない文法理論を持ち出して教師を立ち往生させるのが趣味でした。(だから大学院終了後に故郷で静養していつの間にか塾になったとき、国語だけは教えることができませんでした。理屈抜きでで正解が分かったので)。一方で不良グループに参加したり、と、統合失調症ではありませんでしたが、鬱病と後日分かりました。太宰治、中原中也など大好きでしたが、二人とも現代医学では神経症とかボーダーラインケースだとか、アダルトチルドレンと言われています。病跡学ですね。中也の詩など、今読むと陰惨、悲惨であんなものに惹かれていてはいけないと思います。

そういえば、以前私が作っていたHPの愛読者から電話があり、「私は那田さんは統合失調症だと思っていたが、息子さんについて書かれた文章を見て違うと思った」等々何度か電話があり、相談相手になっていたのですが、私は体調が悪いのに5時間前後電話を続け、「具合が悪いので切る」といって切っても、またかかり、そのうち因縁をつけてきて、ある日警察が調査に来たので聞いてみると、その男が私が違法行為をしているというガセネタを流したとのこと。会ったこともない、と言ったら警察も驚いて帰ったことがあります。本人曰く、慶応大学卒業で真言宗のアジャリ、創価学会被害者とのことでした。

話がそれましたが、アーチスト志望者は作品の出来栄えと評価のことしか頭に無く、菩提心が無い人が多いわけです。こうなると「天狗」「野狐禅」のようになって、礼儀作法も知らない唯我独尊の世界に入ります。素質がもともと神経症的な上に、その傾向がどんどん増長していく。

私の知る限りでは、西洋医学では統合失調症は遺伝的なもので、廃人になるのを薬でどうにか遅らせることしか出来ない。根本治療は不可能とされています。が、知り合いの医者は、漢方薬と合わせると治るそうです。但しそのことを医学学会などで発表すると袋叩きにあうので公には言わないとのこと。私個人は、精神病より人格障害のほうが手がつけられないと思いますが。

では、今日はここまで。
 

(無題)

 投稿者:那田尚史  投稿日:2011年11月 9日(水)17時11分1秒
返信・引用
  五行歌のほうで、常連のかわせみ様から褒められ、調子に乗って投稿します。

さて、何を語ろう。

おぼろげに、無門関だったと思うが次のような公案があった。

禅僧二人が問答している。寺の旗が風に揺れていた。一人は「旗が揺れている」といい、一人は「風が揺れている」という。そこに師匠が現れ「お前たちの心が揺れているのだ」と言う。

でもね。この師匠の言葉だと唯心論になります。普通に解釈すれば。
その瞬間には、風と言う実体があり、旗と言う実体があったのは事実です。が、それを認識する主体があり、「風に旗が揺れている」という感想が生まれるわけです。

とすれば、2つの物質的実体があり、2人の客観的認識があり、それが揃って初めて「風に旗が揺れているという認識」が生まれるわけですね。この4要素のうち1つでも欠けていれば「風に旗が揺れている」という言語は成り立ちません。

ですからこの公案は「師匠が正解を言った」と解釈するのではなく、師匠が欠けている部分を補完した、と理解すべきでしょう。

この公案は単純なようで重要です。仮に人類が死滅したあとにネコだけ残ったとしましょう。そのときに富士山が爆発した。さてそれは現実でしょうか?認識主体はネコだけですよ。当然、爆発したとはいえません。
 

続き

 投稿者:那田尚史  投稿日:2011年11月 7日(月)20時25分11秒
返信・引用
  電話に出たあと、疲れて少し横になっていました。

愚痴っぽくなったので面白い話題を、と思ったのですが、学生の余りの馬鹿さの例を一言。
私は山形国際ドキュメンタリー映画祭用に「セルフドキュメンタリーの起源と現在」という評論を書いています。英訳もされましたし、北京総合大学の教授から要請があり、中国の電影芸術という学術雑誌にも中国語で紹介されました。

ところが、毎年必ずレポートにこの評論を丸写しして(コピー&ペースト、またはそのままコピー)提出する学生がいるわけです。ちゃんんと私の名前が載っているのだから、それぐらい確認すればいいのに・・・・・毎年いました。
 アジアからの留学生はほとんどシュルレアリスム関連の本の丸写しでしたね。

ま、そんな感じです。

さあ、中高生とチャットでもして寝ます。
 

以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  |  《前のページ |  次のページ》 
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