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[29946] 【東方Project】東方短編集~幻想郷は今日も平和でした~【東方紅魔郷・東方地霊殿・東方風神録・東方神霊廟】
Name: 黒野茜◆baf26b59 ID:d2a47122
Date: 2011/11/30 03:42
文字通り、東方Projectの短編集です。
もとは『私が桶に入る理由』というタイトルで投稿していましたが、今回タイトルを変更して今後は全ての短編小説を此処に纏めて発表する事にしました。
基本的に、幻想郷の住人達が繰り広げる平和で馬鹿馬鹿しく、そしてほのぼのとして心温まれば良いのになぁ、というスタンスでいきたいと思います。
まあ、綺麗な幻想郷かな?

~完結した作品~
ヤマメとキスメの出会いの物語である『私が桶に入る理由』。
ドジっこ小悪魔の波乱と笑いに満ちた一日『小悪魔のすごく不幸な一日』。
早苗を取り戻すべく諏訪子はマミゾウ相手に戦いを挑む『幻想洩矢大戦ぽんぽこ』

他にも作品は投稿する予定ですので、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
では、どうぞ!

――――――――――――――――

※ この物語は、東方Projectの二次創作作品となっております。
キャラ崩壊、独自の解釈、オリジナル設定が盛り込まれておりますので、ご注意ください。



[29946] 私が桶に入る理由
Name: 黒野茜◆baf26b59 ID:d2a47122
Date: 2011/11/20 06:48
【序章 人生最悪最高の出会い】


「眩しいなぁ……」

 縦穴から零れる日差しを仰ぎ見て、ヤマメはポツリと呟いた。
彼女がこうして、地上付近まで訪れたのは何度目になるだろうか。
苔生す岩の香りも、もはや嗅ぎなれた物となっており、ジメジメとしたこの空気を居心地がよいと思っている自分自身に、彼女は思わず苦笑していた。

 見上げた指先から零れる陽光。
それを懐かしむように僅かに笑みを零すと、彼女は踵を返した。

 ここから先は通行止めだ。
未練がましい自分自身にそう言い聞かせ、彼女は縦穴をゆっくりと降りていく。

 地底の妖怪は、地上へは出てはならない。
という訳ではないが、少なくとも出ても良い事など無いだろう。

 地底は嫌われ者たちの楽園。
地上で忌み嫌われた、爪弾き者達が最後に行き着く場所。
あの苦渋の時代から幾星霜。
もはや当時を思い返し、地上を懐かしむ者など存在しなかった。

 ただ一人、彼女を除いては。

「はぁ……」

 ヤマメは一人、溜息を零す。
普段から快活で明朗な彼女にしては、その表情は曇って見えた。

「やっぱり一人じゃちょっと怖いんだよね」

 浮かべたのは、自虐的な渇いた笑み。
自らの勇気の無さを彼女は笑う。
外の世界を懐かしみ、その光に憧れていても、自分にはその僅かな一歩を踏み出す勇気もありはしない。
自らの臆病さ加減が、彼女はひたすらに可笑しかった。

 住み慣れた地底の大地へ足を着け、空を見上げながら名残惜しむように彼女は言う。

「誰かいないもんかねぇ……。一緒に外へ出てくれる奇特な妖怪は……ん?」

 その時だった。
不意に、ヤマメの視界に黒点が映りこむ。
それは地下を覗く太陽にできた、ほんの僅かなシミだった。
その動きを、彼女は注視して追う。

 そしてそれがやがて巨大になり、視界一面が覆われた時になって、ヤマメは漸く気づく。
『あ、やばい・・・・・・』、と。

「へぶぁ!?」

 それは超高速の衝突だった。
目を細めながら上を見上げていたヤマメの顔面目掛けて、巨大な木桶が砕けて破片を撒き散らすほどの勢いで激突していた。

「うぼぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあぁぁ…………」

 いったいどれ程の痛みだっただろうか。
単純に言えば顔で交通事故が起きたようなものであり、もしヤマメが妖怪でなければ間違いなく死んでいた。
鼻っ柱どころか正直、顔の何処が痛むのか判らないほどの激痛が走り、彼女は悶絶したままその場にうずくまる。

「……誰よ、こんな悪戯した奴は!」

 キレて辺りに怒鳴り散らすが誰もいない。
有るのはコロコロと転がる壊れた木桶だけ。
訳のわからない突然の理不尽に、ヤマメは呆然としたように立ち尽くしていた。

「あー、もうどっから持って来たんだか……」

 まだ少し顔が痛んではいたものの、ヤマメは一息吐いたのか桶の許へと歩を進める。
辺りに犯人らしき影はなかったが、正直とっちめてやらねば彼女の腹の虫が収まりそうに無かった。

「名前とか書いてないかな?」

 そんな事などありえないだろう。
彼女としても、もちろん判っていて言っている。
それでも何か犯人に繋がる証拠が無いかと、そのままヤマメは桶の中を覗き込み――――――、

「…………………」
「…………………」

 目と目が合った。
中にいたのは緑色の髪をツインテールにした可愛らしい少女だった。
その表情は傍から見てもわかるほどに赤みが差しており、ただでさえ小さな身体を更に縮こめていた。
なんというか小動物的な匂いを漂わせており、異様に愛くるしさを感じる。
とりあえず抱きしめたくなる衝動を抑え、ヤマメは尋ねる。

「……えっと、何してんの?」
「――――――ッ!!」

 瞬間、零距離顔面鬼火が炸裂していた。

「へぶぽぺらそげっぱッ!!?」

 いったいどれ程の痛みだっただろうか。
単純に言えば顔で爆発火災が起きたようなものであり、もしヤマメが妖怪でなければ(ry。

「うぐっ……いったいなんなのさ?」

 爆発により剥き出しの岩肌を数メートルもゴミ屑のように吹き飛ばされた彼女だったが、うつ伏せに倒れたまま如何にか弱々しくも面を上げる。
そのやや焦げ気味の愛嬌満載な素敵フェイスの先には、先ほどの壊れた桶から出てきた少女が顔面蒼白といった面持ちで佇んでいた。

「あ、あわわ……あわわわわ」
「ぐぅ……」
「―――――ッ!」

 ヤマメがどうにか起き上がろうとすると、壊れた木桶にインしたまま少女は脱兎のごとく逃げ出していた。
超絶理不尽なダブルコンボを噛ましてくれた少女に対して、ヤマメは一発しばき倒す所存だったが、如何せん体が言う事を聞かない。
いくら妖怪とはいえ、限界はあるのだ。
彼女が起き上がれずにいる間に、桶娘は遥か彼方へと姿を消し、その姿はもはや見えなくなっていた。

「本当に……いったいなんなのさ、アレ……」

 満身創痍のまま、ヤマメは呟く。

 これが二人の出会い。
地上の嫌われ者である土蜘蛛と、恥ずかしがり屋の釣瓶落としの出会い。

 ヤマメは後に、この時の出来事を振り返って言う。
私の人生の中でも、一番最悪で、一番最高の出会いだった、と。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


『第一章 黒谷ヤマメという妖怪』

 あの文字通り衝撃的な出会いから、数時間後。
黒谷ヤマメは独り、旧都への道を飛んでいた。

 結局、あのときの謎の桶娘の正体は判らずじまい。
怒りをぶつける相手もおらず、ただ顔に焦げ跡だけが残る結果となった。
ヤマメ的には言いようの無い虚しさだけを残した、嫌な事件だったとしか言いようが無い。

 ともかく、さっさと忘れたかった。
こういうときは酒でも呑むに限った。
ちょうど道中には、適当な飲み相手もいるのだから。

「おーい、パルスィー!」
「……爆ぜろ」
「なんで!?」

 相変わらず橋に独り佇んでいたパルスィに声をかけると、壮絶に嫌そうな顔と共に酷い暴言を返されたヤマメ。
彼女としては、謂れの無い言葉の暴力だった。


「あなたから素敵な出会いをしたような妬ましい臭いを感じるのよ」
「なんなのさ、それ……」

 橋の欄干に背を預けるようにして突拍子も無い事を言うパルスィに、ヤマメは疲れたように溜息を吐く。
あの出会いを妬ましく感じる奴がいるならば、そいつは紛う事なきドMである。
そんなヤマメの心を知ってか知らずか、パルスィは尚も言う。

「リア充爆ぜろ」
「誰がリア充なのよ、誰が」
「あなた以外に誰がいるって言うのよ。あっちこっちで誰彼かまわず口説き落としてるくせに」
「ヤメテ!? その誤解されるような言い方ヤメテ!!」
「ふん、どうだか。そう言いながらも今日も出会いがあったのでしょう?」
「いや、まあ有ったには有ったけど……。どっちかと言うと衝撃的な出会いと言うか何と言うか……」
「……? どういうことよ?」
「あー、実はさ――――――」
「爆ぜろ」
「まだ何も言ってないのに!?」

 散々だった。
まるで会話が通じない相手に、ヤマメは途方にくれるしかない。
彼女が項垂れた所で、ようやくパルスィは声をいつもの調子に戻して言う。

「呑みに行くのでしょう? 付き合うわよ」
「この捻くれ者ぉー……。判ってるなら最初から普通に付き合ってよ」
「私が捻くれ者なら、あなたは変わり者よ」

 そう返したパルスィの表情は、彼女にしては珍しく満足げで朗らかな笑みだった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「――――――という出会いがあったのよ」
「何よ、やっぱり可愛い女の子との出会いじゃない。妬ましい」

 旧都に位置するとある居酒屋にて、二人の少女は杯を酌み交わす。
店の名前は『怪力乱神』。
旧都での評判も上々で、書き入れ時ともなれば連日満席を誇る人気店である。
店のオーナーは……まあ、言わずとも判るであろう。

「……ふふ」
「なに笑ってんだ、ばか……」

 この店一番人気の地酒『大江山嵐』をちびちびと飲みながら、二人は会話に花を咲かせる。
その内容は愚痴を言ったり、それを笑ったり、それに拗ねてみたり。
この光景は店の常連客たちにも馴染みの光景となっており、一つの酒の肴になっているのだが、本人達は気付いていなかったりする。

「でもまあ、爆ぜろとは言ったけど、本当に顔を爆発させているとは思わなかったわ。橋の上で会った時の奇抜なアイシャドーは何かと思ったわよ」
「うっさいなぁ、もう。私だって好きでああなった訳じゃないわよ」

 両腕を枕にしたまま机に突っ伏して、ヤマメは頬を膨らませながら拗ねたようにパルスィを見る。

「でも本当、酷い目に遭ったわ……。あの桶娘、一度説教でもしてやらなきゃ気が済まないんだけど」
「で、そのまま口説――――――」
「だからしないっての!」

 ヤマメが新しい出会いを報告するたびに、パルスィの口から出るのは毎度こんな感じの言葉だった。
彼女と軽口を叩き合う友人となって久しいヤマメだったが、未だに何故彼女が自分の事をこんな風に言ってくるのかだけは理解できずにいる。
そしてそんなヤマメの様子に、パルスィはますます深い溜息を零す。
すると、そんな二人の背中に、馴染みのある声が掛かった。

「よぉ、ご両人。相も変わらず贔屓にしてくれてるみたいだな。アタシも混ぜてくんないかい?」
「あ、どうも姐さん。お先に楽しませてもらってますよ」
「アンタ、この店のオーナーでしょうに。客と混じって酒呑んでいいの……?」
「はははッ! 酒は楽しく呑むに限るんだ。細かい事は良いんだよ」

 彼女、星熊勇儀は豪快に笑いながら、そう言って二人の間に割って入る。
嫌そうな顔をしながら押しのけられるパルスィと、人懐っこい笑顔で席を譲るヤマメの姿が実に対照的だった。

「ちょっと、勇儀……。狭いんだけど……」
「ははは、照れるな照れるな」
「照れてない!」

 きっ! と睨みつけるパルスィの抗議の声も、勇儀はそよ風のように受け流す。
そしていつの間にやら手に持っていたのか、彼女愛用の巨大な杯を取り出していた。

 勇儀はそのまま一升瓶から酒を注ぐ。
すると一本丸々を空にするや否や、躊躇いもせずにそれを呷り呑んでいた。
杯に並々と注がれていた筈の液体が瞬く間に消えていく光景は、見慣れたものとはいえ二人に何とも言えない溜息を吐かせる。

「姐さん、相変わらず凄いね」
「酒の味わかってるのかしら……」
「失礼だなパルの字。最高に美味いぞ?」
「誰がパルの字よ!」
「ところでヤマメ。お前さん、またなんか有ったらしいじゃないかい」
「うげっ……。情報早いッスね、姐さん……」
「こら! なに人のこと無視して――――――」
「あー、はいはい。ちょいと静かにしておきな」
「ふむ!? ふむ~~~~~~~~~っ!!!?」

 突然、勇儀は脇に置いてあった酒瓶の封を切ると、騒ぎ立てていたパルスィの口の中へと中身を押し込んでいた。
余りに不意を突かれた事もあったが、それ以上にそもそも鬼の腕力に敵うべくもない。
『純米大吟醸・鬼隠し』という不吉な銘が打たれた酒が、目を回しているパルスィの中へと消えていくのに時間は掛からなかった。

 そしてぶっ倒れた彼女を放っておいて、勇儀はヤマメへと再び向き直る。

「で、どういうことがあったのか。アタシにも包み隠さず教えてもらおうかい?」
「あ、いや、その――――――」

 ヤマメは悟る。
勇儀は凄く友好的な笑顔を浮かべていたが、下手な事を言えば隣で撃沈している奴と同じ末路を辿る事になるであろう、と。
その証拠に、勇儀の右手には新たに一升瓶が握られていた。
それも二本。
間違いなく潰される量だ。

 一瞬、隣で潰れているパルスィと同じ末路を辿る自身の姿を幻視して、ヤマメは頬を引くつかせる。
ともかくこの場で誤魔化そうとするのは得策ではないだろう。
そもそも隠す事でもないのだから、と彼女は諦めたように溜息を吐いていた。

「本当に大した事じゃないんですよ? ただ、桶に入った女の子に物凄い勢いで突撃されたってだけなんですから」
「桶に入った?」
「ええ。なんか井戸に吊るして有るような釣瓶みたいなものに入ってて、緑色の髪を左右で結わっている小さな女の子でした」
「ふぅん……。で、その美少女とは何かあったのかい?」
「それ以上何も……。っていうかなんで美少女になってるんですか……」
「違うのかい?」
「いや、違わなくはないですけど……」

 言われて、ヤマメは自身の記憶を思い返してみる。
なるほど、たしかに美少女と言って差し支えは無いであろう。
二房に分けられた新緑のような翠色の髪に、あどけなさを残した円らな瞳。
少女の小柄な体躯や木桶に入ると言う仕草も相俟って、まるで小動物のような可愛らしさを醸し出していた。
なにせ彼女自身、初めは無性に抱きしめたくなる衝動に駆られていたぐらいだったのだから。

「………………ふむ」

 一人で何やらぶつぶつと物思いに耽っている様子のヤマメに、勇儀は得心がいったとばかりに小さく頷いていた。
すると彼女は、その表情を優しい笑みに変える。

「気になるんだったら、直接会って話をしてみるかい?」
「へ? 姐さん、もしかしてその子の事知ってるんですか?」
「んー、たぶんだけどね。ソイツの特徴を聞く限りじゃ、きっと釣瓶落としのキスメの事じゃないかねぇ」
「キスメ……」

 ヤマメは噛み締めるようにその名前を呟く。
そんな彼女を見て、勇儀は更に言葉を続ける。

「あの子の住んでる場所なら、この紙に書いてあるから訪ねてみな」

 そう言って渡されたのは、指の間に挟まれた四折りの小さな紙切れ。
それをヤマメが開いてみると、中には結構詳細な地図が画かれていた。
場所的には旧都の外れだろうか。
あまり人が寄り付くような場所ではなく、正直あのような幼子(まあ、妖怪である以上、見た目通りの年齢ではないだろう)が住居とするには余りに辺鄙に過ぎた。
そのことにヤマメは僅かな疑問を感じたが、ふとそれ以上に疑問に思うことが一つ。

「あれ? 訪ねてみなって、姐さんは一緒に来てくれないんですか?」
「なんでアタシも行くんだい?」
「いやだって、キスメちゃんと知り合いなんでしょ? 間に入って仲裁とかしてくれた方が助かるんですけど」
「はい? アタシとキスメは別に知り合いじゃないよ?」
「はい? んじゃなんで住んでる場所なんか知ってるんです?」
「そりゃお前さん、地底に住んでる可愛い女の子の居場所だったらアタシが知らない筈ないだろう」
「…………さいですか」

 何を当たり前のことを言ってるんだ? と本気で判らないと言ったような表情の勇儀に、ヤマメは諦めたように溜息を吐く。
ともあれ、名前と居場所を知れたのは彼女にとって僥倖であった。
受け取った地図を懐に仕舞い込むと、ヤマメは静かに席を立つ。

「なんだい。もういくのかい?」
「善は急げって言いますから。それに、姐さんに付き合ってたら潰れちゃって会うどころじゃないですよ」
「そうかい、そりゃ残念だ。でも、次は付き合っておくれよ?」
「はは……。お手柔らかに頼みます」

 苦笑いとも言える曖昧な笑みを浮かべ、ヤマメは居酒屋を後にした。
その後ろ姿を見送りながら、勇儀は杯に再び注いだ酒を飲み干す。
やがて、ヤマメの姿も雑踏に消える。

 ふっ、と。
勇儀は短く笑う。
そして視線を隣で潰れているパルスィに向けて、彼女は言う。

「アンタも大変だねぇ……。でもまあ、遅かれ早かれこうなる運命なんだろうさ。アイツはそう言う奴で、アンタもアタシもそんなアイツの事を気に入ってんだからね」

 苦笑とでも言うべき笑み。
しかし次の瞬間には、彼女は何時も通りに酒瓶を空けていた。
怪力乱神の宴は、まだまだ続く。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

『第二章 理由』

 人気の無い旧都の外れ。
いつであろうと余り寄り付く者もいない辺鄙な更地の真ん中に、その建物はポツンと置き忘れられたかのように建っていた。

 小ぢんまりとした簡素な造りの家。
この建物を見た者ならば、誰もがそんな感想を漏らすだろう。
そしてその裏手では、一つの小さな人影が古井戸の側でもぞもぞと何かをしていた。

 二房に分けられた翠色の髪と、円らな瞳をした少女。
華奢なその身を蒼白の着物に包み、キスメは独り黙々と作業をしていた。

 彼女の目の前には薬缶やかんやら杯やらダンボールやらといったガラクタが、山のように積み上げられていた。
その一つ一つを手にとっては繁々と眺め、彼女なりの拘りでも有るのか真剣な表情のままそれを被ったり中に入ったりを繰り返している。

 そして、その様子を建物の陰から窺う人物が一人。

「なにやってんだろ、あの子……」

 誰に言うでもなく、ヤマメはひとりごちる。
何しろ最悪の出会いをした後だ。
好意的に接しようとしても、出会い頭に逃げられる可能性のほうが高いと判断した彼女は、足音を殺してキスメの様子を窺う事にした。
飛べば恐らく妖気でバレるだろうし、これが最善の手段だっただろう。

 結果、彼女の目に飛び込んできたのはご覧の光景だった。
次々と新しいガラクタを身に纏うキスメの姿に、ヤマメは『なんかヤドカリみたいだなぁ……』などと益体も無い感想を抱く。
まあ、可愛い事に変わりは無く、寧ろ小動物っぽさが際立ったと評すべきだろう。

「はっ!? いかんいかん……」

 気づけば緩んでいた頬を引き締め、ヤマメは軽く両頬を叩いて気合を入れ直す。

 キスメは現在、ダンボールを被っていた。
しかも何か気に入ったのか、一向に出てくる気配が見えなかった。
あの状態では周囲の様子など殆ど見えてはいないだろう。
彼女に気づかれずに近づくには、絶好の好機と言えた。

(なんというか……。いい趣味センスしてるわね、あの子……)

 ヤマメがそっと歩を進めると、意外なほど簡単にキスメの背後を取る事が出来た。
どうやら伝説の幼兵は未だにこちらに気づいていないようである。

「や!」
「――――――ッ!!?」

 ただ一言声をかけると、ダンボールが大げさなほどビクンと跳ね上がった。

 面白いなぁ、とヤマメは笑みを零す。
そして恐る恐るといった感じでダンボールが持ち上がると、

「………………」

 中から驚きに目を見開いたキスメの姿が現れていた。

「探したよ、キスメちゃん。ちょっとお姉さんとお話し――――――」
「――――――ッ!!!?」
「しようか――――――って、早ッ!?」

 文字通り、一瞬だった。
ヤマメが再び声をかけるのと同時、キスメはダンボールを被ったまま天狗も斯くやと言わんばかりの速度で逃走を開始していた。
その影はあっという間に小さくなり、ヤマメは暫し呆然とするが、

「って、追いかけないと! 待ってよキスメちゃん!」

 慌ててヤマメもその後を追う。
もうだいぶ離されてはいたが、まだ追いつける距離ではあった。
もしここで逃してしまえば、次に会うのは更に困難を極めるだろう。
故に、ヤマメは全力でその後を追う。

 空を切り、風を裂き、凄まじい速度で二人は旧都郊外を滑空する。
幸か不幸か、人通りは全く無い。
追いつくのは難儀な作業となっていたが、衝突事故などの心配は殆ど無かった。

 だからこそ、キスメも全力で逃げられるのだろう。
今の彼女の姿はダンボールを被ったままであり、遠目に見れば低空飛行している正体不明の飛行物体に見えなくも無い。
しかも器用な事に、その状態のまま入り組んだ旧都の道を右へ左へと迷わず進んでいた。
恐らくは小さな隙間から覗き見てはいるのだろうが、それでもその捷さにヤマメは素直に舌を巻く。
その距離はなかなか縮まらない。
ともすれば、僅かな油断で振り切られてしまう鬼ごっこ。
互いに一歩も引かない、終わりの見えないチェイスゲーム。
それは文字通り、永遠に続くかのようにさえ見えた。

 だが――――――。

「――――――ッ!!?」

 ダンボールの中のキスメの表情が、驚愕の色に染まる。
突如彼女の目の前に、二人の人影が現れていたのだ。

 そう、幾ら旧都の外れといえども、通行人は確かに存在する。
にも関わらず、キスメは全力疾走をしていた。
必然、曲がり角から突然現れた相手に反応など出来るわけもなかった。

 激突まで、残り数秒。
相手は背を向けておりキスメには気づかず、キスメ自身も反応できないで止まれずにいた。
誰にも止められない。

 ただし。

「………………」

 ただ一人、この場にいるただ一人を除いて。

「――――――ッ!」

 事態を把握するや、ヤマメの行動は早かった。
彼女が自身の右手を伸ばすように翳すと、その先から蜘蛛の糸が投網のように射出されていた。

 幾重にも編みこまれた蜘蛛の糸。
それは高速で、しかし正確に獲物を捕らえる。

「ぐぅっ!」

 歯を噛み締め、ヤマメはその細腕に力を籠める。
いくらキスメが小柄とはいえ、あれほどの速度で加速していたならばその力は馬鹿にならない。
自分自身まで持っていかれないように、踏鞴たたらを踏みながらも懸命に彼女は堪え、そして。

「ああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 咆哮一閃。

 彼女が雄叫びと共に腕を振りぬくと、まるで反動で飛ばされたかのようにダンボールは弧を描いた。
放り出された紙箱は、少女と共に落ちてくる。
だから、ヤマメはまだ止まらない。

「~~~~~~っ! 間一髪、セーフ……」

 落ちてきた蜘蛛の巣塗れのダンボールに、そのままヤマメは飛びついていた。
ヘッドスライディングの姿勢のまま数メートルを滑ると、彼女はホッとしたように溜息を零す。
そしてダンボールの中から恐る恐るこちらを窺い、見下ろしている目の前の少女に向けて、疲れたように、されど笑みを零して言うのだった。

「とりあえず、もう爆発とかはやめてよ? 仏の顔も三度……は意味が違うけど、物理的に私の顔が痛いからさ」

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 その後、どうにかキスメによる『顔面・爆☆殺の刑』だけは免れたヤマメは、彼女の案内で自宅へと招かれる事となった。
といっても道中終始無言であり、少しでも近づくと近づいたのと同じ距離を高速で逃げられる為、お世辞にも友好的な関係とは言えなかった。
それでも彼女が脇目も振らずに逃げ出したり、問答無用で襲い掛かってきたりしない辺り、最初に比べれば遥かにマシなのではあるが……。
いずれにせよ、なんとも言えない気まずい空気である事に変わりは無かった。

 しかしそんな空気も、ある一つの出来事により吹き飛ぶ事となる。

「なん……だと!?」

 ヤマメという少女には奇声癖でも有るのだろうか。
彼女は招き入れられたキスメの自宅の中を見るや、まるで死神のような言葉を口走っていた。

 しかしながら、彼女が驚いたのも詮無き話でもある。
なにせ、案内されたのはあの小ぢんまりとした小屋ではなく、その側の古井戸。
最初は『入ろうとした所を後ろから突き落とす気だろうか』と内心びくびくしていたヤマメだったが、いざ降りてみれば其処には家財道具一式が置かれ、狭いながらも確かな居住スペースが存在していた。
井戸の底は空洞になっており、上からのぞいただけでは判らないようになっている。
まるで隠れ家のようだった。
例えるなら、子供の秘密基地である。

「キスメちゃんって、此処に住んでるの?」
「………………(こくこく)」
「上にある小屋に住もうとは思わないの?」
「………………(ふるふる)」
「……そっか」

 一言も発せず、身ぶりだけでキスメは答える。
その様子に、ヤマメは曖昧な笑みを返していた。
いい加減、少しはまともに会話をしてほしいものだ、と。

 だが、とりあえず一つだけ判った事もあった。
キスメという少女は、どうやら極度の恥ずかしがり屋という事である。
今も桶の代わりに入ったダンボールの中から顔の半分だけを覗かせたまま、彼女は頬を染めながら小さな体を精いっぱいに動かして感情を表している。
以前から彼女の事を小動物だ何だと感じていたヤマメだったが、殊ここに来て目の前の幼女がダンボールに入れられた捨て犬か何かに見えて来ていたぐらいだった。

 正直、これからする事はこの可憐な少女を苛めているような気分になりそうなので躊躇が無いと言えば嘘になるのだが、だからといって逃げる訳にもいかない。

 呼吸を一つ整える。
ヤマメは、覚悟を決めることにした。

「あのさ、一つ聞きたいことがあるんだ。お昼に縦穴で会ったときさ、どうしてあんなことしたの?」

 ヤマメは彼女にしては珍しく、瞳に剣呑な輝きを宿して言う。
その表情に気圧されたのか、キスメは答えを返してこない。
それでも懸命に何かを言おうとしているようなのだが、上手く言葉が出てこないのだろう。
結局、ますます身を縮こまらせていた。

 その様子にヤマメはやれやれと溜息を吐く。
どうやらこの少女に、これ以上何かを求めると言うのは酷かもしれない。
そう判断した彼女は、不意にその踵を返した。

「何をしたかったのかは判らないけどさ。すくなくとも相手によっちゃ大怪我するような事をアンタはしちゃったんだ。もう、あんなことはしない方がいい」

 私が言いたかった事はそれだけだからさ、と最後に彼女は付け加えた。

 黒谷ヤマメは古井戸の底を後にする。
キスメは、ただその背中を見送るしかなかった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 結局、何も言うことは出来なかった。
招き入れた自らの住処を去る女性の背を見送りながら、キスメは無力感に苛まれる。
ただ一言伝えるだけで良かったのだ。
私と友達になってください、と。

 だが彼女の口からは、その一言さえも出てこなかった。
喉が渇いたように張り付き、心臓は張り裂けんばかりに脈を打っていた。
世界がぐるぐると渦巻き、頭の中は真っ白になっていた。
何を言うでもなく、伝えるでもなく、訴えるでもなく。
何かが変わることもないまま、彼女と黒谷ヤマメを結ぶ糸は切れたのだった。

「………………」

 ヤマメが去った後、井戸から見える空を彼女は見上げる。
井の中の蛙には、外の世界は恐怖以外の何物でもなかった。
喧騒に包まれた、既知自分以外だらけの未知の世界。
彼女には、ただただそれが恐ろしかった。
けどそれと同時に、其処から覗く輝きに憧れた。

 だからこそ、彼女は勇気を振り絞った。
それはある噂を聞いたから。

 地上では嫌われている筈なのに、地下では愛されている妖怪の噂。
彼女は人気者で、彼女の回りはいつも誰かで賑わっていて、彼女の回りでは必ず誰かが笑っている。

 その噂を聞いたとき、キスメは思ったのだ。
彼女ならば、こんな私でも仲良くしてくれるのではないだろうか、と。

 それは、彼女にとっての精一杯だった。
黒谷ヤマメと接触して、彼女に想いを告げる。
ありったけの勇気を総動員して、一生の内でも二度とないぐらいの決断をした。
そして逸る気持ちを抑え、縦穴で地上の光を見つめていた彼女に突撃し――――――文字通り、突撃してしまっていた。

 最初、何をしてしまったのかが理解できなかった。
それでも聞こえてくる苦悶の声に恐る恐る彼女が外を覗き見ると、そこには顔を押さえて悶絶する黒谷ヤマメの姿があった。

 謝る?
当然だ。
悪い事をしたのは自分なのだから。
けれど。

 キスメにそれは出来なかった。
結局、彼女がしようとしたことはその場からの逃亡。
コロコロと桶を転がして、ヤマメがのた打ち回っている内にキスメは逃げる事を選んでいた。
臆病なことはわかっている。
卑怯なことはわかっている。
それでもこんな最悪の初対面で、黒谷ヤマメの印象には残りたくなかった。

 だが結局は、すぐに見つかる事になる。

『……えっと、何してんの?』
『――――――ッ!!」』

 結果は知っての通りだった。
謝るどころか、恥ずかしさやら恐怖やらで頭が真っ白になり、選んだ選択肢は最低の最低。
意味も訳も判らぬまま、気づけば至近距離で彼女に弾幕を食らわせていた。

 その後の事を、彼女はよく覚えていない。
気が付けば無我夢中で井戸の中へと帰ってきていた。

 冷静になってから、自分のとった取り返しのつかない行動に愕然とする。
そして今、最後に訪れた本当のラストチャンスにも、彼女は何も出来なかった。

 もう自分は、他者と接する事に向いていないのだと諦めたかった。
けれど――――――。

「……うぅ」

 キスメの頬を、熱い雫が伝う。
諦め切れなかった。
自分もあの、暖かな世界に居場所が欲しかった。
けれどそれすらままならない自分自身の性格に、彼女は行き場の無い感情をこうしてぶつけるしかなかった。

 桶の中が好きなわけじゃなかった。
それはただ単に、他者と接するときに一枚壁を設け、隠れる事で平静を保つための防御壁。
そんなものに頼らずとも、彼女は誰かと手を取り合い、言葉を交わし、肌のぬくもりを感じたかった。

 流れ落ちた雫が、桶代わりに入っているダンボールに染みを作っていく。
井戸の底に響く嗚咽。
少女はもはや、空を見上げすらしなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


『第三章 欲しいもの』

 古明地さとりは、ひとり地霊殿の廊下を歩いていた。
菖蒲あやめ色の癖毛に、水色のブラウスと薄紅のスカート。
傍から見るとスモックにも見えるような服装をした、年端も行かない幼い少女。
第三の目サード・アイと呼ばれる特殊な目を胸元に飾るこの少女の姿を見て、地霊殿の主だと一目で気づく者は恐らく殆どいないだろう。

 旧地獄の管理などと言う結構な大規模作業を司っている彼女だが、現在は大勢いるペット達のお陰でゆとりのある生活を送っていたりする。
さとりの役割は地霊殿の管理。
その全体を彼女一人で回す事は到底不可能であり、ペットであるお燐やお空に手伝って貰う事で上手く回っているのだ。
猫の手も借りたいほどと昔から言うが、実際に存外役に立つものであった。

 とはいえ、あっちこっちから送られてくる報告書に目を通したり指示を飛ばしたりと言う作業もそれなりにハードであり、彼女が寝室の扉の前に辿り着く頃にはすっかり疲れ果ててもいた。
寝巻き姿に着替えた彼女は、欠伸を噛み殺す。
そして寝室の扉をくぐると、こう言葉を始める。

「……で、貴女は何で当たり前のように私の部屋にいるんですか?」
「あ。おかえり、さとりー」
「ちょっと悩み事があるから考えに来た、ですか……」
「さすがさとり。話が早いねー」
「誰もここにいる事を許可してはいませんよ」
「あー、さとりの臭いがするー」
「ちょ! 人の枕に顔を埋めて何をしてるんですか!」
「あ、こら。折角さとり分を補充してるのに取ろうとしないでよ」
「何ですかさとり分って! って、説明しようとしなくていいです! 考えるの禁止!」

 年甲斐も無く、いや見た目的には相応ではあるのだが、ともかく一個の枕を巡ってぎゃあぎゃあと騒ぎ合う二人の妖怪。
同じベッドの上で互いに同じ枕を引っ張り合う姿は、見ていて微笑ましいものがある。
まるで仲の良い同窓の友のような二人。
だが、この光景もごく最近になって見受けられるようになったものだった。

「あー、もう。こうなったら……!」
「……へ? きゃあ!」

 突然、引っ張り合いをしていた筈のヤマメが力を緩める。
その突然の拮抗の崩壊に、不意を食ったさとりは寝具の上に尻餅をついて倒れていた。
そこへ、ヤマメは電光石火に襲いかかる。

「えへへ~……」
「ちょ、ちょっと! 何を抱きついているんですか!」
「あー、さとりの臭いがするよ~」
「こ、こら! 鼻を首筋に擦りつけ、ひゃうん!?」

 さとりの腕力で、土蜘蛛であるヤマメの腕力に敵う術などありはしない。
もはや成すがまま、さとりは思う存分にヤマメに堪能される事となる。
ぎゅっと抱きしめられて、頬をすりすりされて、髪の毛の臭いを嗅がれて、また抱きしめられて。
最初こそ抵抗していたさとりだったが、もう途中から無駄と諦めて、最終的には抵抗らしい抵抗はしなくなっていた。
まあ、頬が爆発しそうなほど朱に染まってはいたが。

「ふぅ~~~~~~~……。満足満足♪」

 そして一通りさとり分とやらを補給したのだろう。
背後からさとりを抱き竦めていたヤマメの口から、満足そうな声が漏れる。
その声音は何処か艶っぽく、恍惚とした響きが含まれていた。
そんな彼女の様子に、さとりはげんなりしたような溜息を零す。

「まったく、貴女という人は……。また何かあったのですか?」
「んー、まあ……。あ、あはは……」
「はぁ……」

 背後にある顔など見えはしないが、その表情は曖昧な笑顔を浮かべている事が容易に想像でき、さとりは心底呆れたように溜息を零す。
心を読むまでも無く、彼女が何かしら相応の悩みを持っている事は察しが付くというものだ。
徹底して嘘や隠し事が下手な友人に対して、さとりは努めて優しく語りかける。

「自分で言うのと私が読むの、どちらがいいですか?」
「……うん。自分で言う」

 彼女から返ってきた返答に、さとりは小さく笑みを零す。
そのまま彼女が無言で返事を待つと、ヤマメはポツリと呟くように語り出した。

「……私がいたんだ」
「はい?」

 投げかけられた第一声が余りに要領を得ず、さとりは思わず眉をひそめる。
だが、その言葉の意味を彼女はすぐに理解する。

「今日さ、昔の私に凄くそっくりな子を見付けたんだ」

 ヤマメのその言葉には、彼女らしい明るい快活さなど微塵も無かった。
暗く重い、陰鬱な響きが宿る。

「土蜘蛛だから嫌われて、土蜘蛛だから誰とも仲良くできないって考えていた……。地上にいた頃の私にそっくりなんだ」
「そう……」
「それで最後の勇気を振り絞ったと思うんだけどさ、結局上手くいかなかったみたいでさ……。すごく辛そうな顔してた……」
「それで……?」
「どうにかしてやりたい……」
「どうにかしてあげればいいじゃないですか」

 淡々と、平坦に。
古明地さとりは言葉を返していく。
けれど対照的に、ヤマメの声は震えていた。
全くもって彼女らしくない、驚くほどの弱々しさで。

「どうしてやればいいのか判らないんだ……」

 ぎゅっ、と。
抱きしめる力が少しだけ強くなる。

 ヤマメの胸中に、苦い思い出が去来する。
ただ土蜘蛛というだけで、ただその能力だけで、彼女は地上の居場所を失った。
偏見や迫害や差別なんていうものが、そこには純然と存在したのだ。

 そして行き着いたのが、地底の楽園、爪弾き者達の理想郷。
同じ穴のむじなである彼らにとって、ヤマメが土蜘蛛である事など関係なかった。
そこで彼女は漸く、土蜘蛛・黒谷ヤマメではなく、ただの黒谷ヤマメとして生きる事ができるようになっていたのだ。

 だが、あのキスメという少女は違った。
彼女はこの地底の楽園でも、未だに自分の居場所を見つけられずにいる。
彼女が何に囚われているかなど、心を読むことなど出来ないヤマメには判らない。

 でも、それでも。
黒谷ヤマメは、自らの内から湧き上がる衝動を抑え切れなかった。
だってあそこにいるのは、いつの日かの自分自身なのだから。

「どうしたらいいのかな、さとり……」

 背中越しに聞こえてくる友人の独白にも似た問いかけに、さとりは瞼を落とし思慮に耽る。
だが、それはほんの一瞬だった。
瞬きとも取れるような一瞬の思考で、彼女はただ一言、端的に答えを紡ぐ。

「もう答えは出ている癖に、何を躊躇っているんですか」

 ヤマメが一瞬、息を呑む音がさとりの耳朶に響く。
続けて聞こえてきたのは、ヤマメの苦笑混じりの声だった。

「言う事がきついなぁ、さとりんは……」
「言われて当然です。あとさとりんはやめてください」
「えー、いいじゃん。可愛いじゃん、さとりん」
「怒りますよ?」
「ごめんなさい……」

 さとりの声から熱が抜け落ちたのを感じ取って、ヤマメは素直に謝っておく事にした。
これ以上からかうと、間違いなく地獄を見る事になるのを悟るのだった。

 不意に、ヤマメは口元を柔らかく結ぶ。

「ありがとう、さとり……」
「お礼を言われるような事をした覚えはありませんよ」

 そっぽを向いたままのさとりに、ヤマメは苦笑で返す。
自身の過去の写し身を見ているようで、知らないうちに臆病に、そして腫れ物を触るようになっていた自分を彼女は笑う。
やるべき事など、きっといつもと変わらないのだろう。
その事実に気付けなかった自分を、彼女は笑う。

「それでも、ね。まあ、正直言えばまだ不安だけど……。本当にこれが正しい答えなのかな、ってさ」
「心が絡んだ問題に絶対の正解などありはしません。うだうだと考えるなど貴女らしくもないですよ」
「あははっ。やっぱり、さとりの所に来て正解だった」

 軽やかな鈴の音の笑い声をあげ、ヤマメはベッドから体を起こす。
ようやく彼女から解放されたさとりが振り返ると、そこには強い意志を宿した瞳があった。
一片の曇りもない。
迷いなど吹き飛んだのだろう。
そんなさとりの思考を肯定するかのように、ヤマメは力強い声で答える。

「行ってくる」

 ただ一言だけだった。
そのただ一言だけを告げ、彼女は振り返る事もせずにさとりの寝室を後にした。

 ヤマメの姿が見えなくなって、さとりは再び寝具に身を預ける。
さとりの羽のような体が、ゆっくりと沈んでゆく。
そして、ポツリと呟いた。

「眠気が飛んじゃいましたね……」

 背中から失われたぬくもりを補うように、彼女は今までぬくもりがあった場所へと身を埋める。
心臓の音は早鐘のように鳴り、頬はほんのりと朱が差している。
今までよく平静を装えたものだと彼女は内心自画自賛していた。
それだけ、ヤマメが鈍いというのもあるのだが。

「ずかずかと人の心に踏み込んでくる癖に、肝心なところでは臆病で鈍感なんですから……」

 枕を抱きしめながら、少女は拗ねたように言う。
とてもじゃないが、今夜は眠れそうにもなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ヤマメが古井戸を訪れた翌日の事。
キスメは一人、黙々と新しい新居とでも呼ぶべき木桶の代替品を探していた。
仮住まいにしていた段ボールは、結局使い物にならなくなっていた。

「………………」

 小柄な彼女は一人、山のように積み上げられたがらくた達を品定めしてゆく。
だがその表情は何処か気もそぞろで、昨日さくじつ見せた真剣な表情は影も形もなかった。
その瞳は紅く腫れぼったくなっており、ヤマメが帰った後、彼女がどんな風に過ごしていたのかは想像に難くなかった。

 そして、そんな彼女の前を見つめる影が一つ。

 その影が目の前に現れた事に、最初キスメは気づかなかった。
突然目の前に影が差し、キスメが見上げるとそこには黒谷ヤマメの姿があった。

「今日は逃げないんだね。よかった」

 ホッとしたような安堵の笑みを浮かべる少女の姿に、キスメは一瞬呆けたような顔をする。
なぜ目の前に彼女がいるのか、キスメには理解出来なかった。
彼女にとって、二人を結ぶ糸は疾うの昔に途切れていた。

 しかしそんなキスメの感情など無視して、ヤマメは当たり前のように彼女へと近づく。

「……っ!」

 それは恥ずかしがり屋が故に他人の動作に鋭敏なキスメが、全く反応できない程あっという間の出来事だった。
屈み込むようにしていた彼女のことを見下ろし、ヤマメは真剣な眼差しを向けていた。

 その瞳に吸い込まれそうな錯覚。
同時に、キスメは心が押しつぶされそうな感覚にも囚われていた。

 何を言えば良いのか判らない。
言いたい事は色々有るはずだし、言わなければいけない事も沢山あった。
だが彼女の口は渇いたように張り付いて、あうあうと言葉にならない音を漏らすばかり。
仕舞いには目尻に涙を湛え、ぎゅっと目を閉じて下を俯いてしまっていた。

 だが、

「これ、キスメちゃんにプレゼントしようと思って作って来たんだ」

 そう言ってキスメの目の前に置かれたのは、真新しい丈夫そうな木桶だった。

「最初に会ったとき、木桶が壊れちゃってたでしょ? 新しい木桶の代わりを探すのに苦労していたみたいだったから、私が作ってきちゃった。こう見えても大工仕事は得意だからさ」

 得意げにヤマメは胸を張る。
その誇らしげな表情を見上げているうちに、自然とキスメの涙は止まっていた。
怖いとか、悲しいとか、情けないとか。
そんな感情全部を差し置いて、驚きの方が前面に出ていた。

 そして続けてヤマメの口から出てきた言葉は、ただでさえ驚いているキスメのことを、更に驚かせるものだった。

「んで、その代わりって訳じゃないんだけどさ……。一個だけお願いが有るんだ。あのさ……、私と友達になってくれないかな?」

 照れくさそうに頬をぽりぽりと掻きながら、黒谷ヤマメはそう言った。

 その一言を理解するのに、一体どれだけの時間が掛かっただろうか。
永遠とも思える一瞬。
現実には僅か数秒しか経っていない筈なのだろうが、キスメにはそれが有り得ないほどに長く感じられていた。

「あ、う……。あ、あの……ッ!」

 爆発しそうなほど顔を赤くして、張り付く喉を引き離し、潰れそうな心を如何にか奮い起こす。
いま此処で言わなければ、きっと一生後悔する。
それだけは嫌だった。
持てる限りのなけなしの勇気を奮う。

 けど。

「………………っ!」

 キスメの頬を、大粒の涙がボロボロと伝う。

 肝心な時にまで何も発せない役立たずな口。

 最後の最後に与えられたオマケのオマケみたいな大チャンス中の大チャンスでさえ物に出来ない。

 流れた涙は、恐怖でも、悲しみでもない。

 悔しさ。

 諦めたくない。

 諦めきれない。

 一途なまでに強い渇望の想いの筈なのに。

 目の前の少女は全てをお膳立てしてくれた筈なのに。

 それでも尚、彼女には足りなかった。
始まりの一歩を踏み出す、ほんの僅かな勇気が。
そのほんの僅かな勇気を――――――。

「大丈夫、キスメなら出来るよ……」

 そっと膝を折り、キスメと目線を合わせるようにして、ヤマメは不意に、彼女のことを優しく、されど力強く抱きしめた。
二人の頬が触れ合い、伝う涙の冷たさが、温かなぬくもりに塗り替えられていく。

 心地のよい静かな温かさ。
普段は見せない凛とした優しさと共に、ヤマメは更に言葉を紡ぐ。

「昔さ、どうしようもなく臆病な妖怪がいたんだ。そいつは自分が土蜘蛛ってだけで誰かと仲良くなる事を諦めててさ、地底に流れ着いて周りの妖怪から声をかけられるまで、自分から動き出そうとしやしなかった。徐々に徐々にいろんな奴と触れ合ううちに、漸く自分がただ逃げてるだけだって気づいたんだよ。それもいろんな奴に助けられて、さ……。それからそいつは『何々だから』って理由をつけて諦める事を止めたんだ。けどそいつは、今でも時たま思うんだよ。地上へと続く縦穴から覘く大要の輝きを見て、あそこへ自分も行ってみたい。だけど、怖いって……。土蜘蛛だからって理由で嫌われていた頃に逆戻りするんじゃないかって怯えて、ただただ恨めしそうに空を見上げるだけなんだ」

 それは語りかける物語のようであり、少女の独白のようでもあった。
言葉のさす人物が誰かなど、聞けば誰でもわかる事だ。
それでもまるで童話でも語り聞かせるかのように、尚もヤマメは語り続ける。

「それに比べて、とある釣瓶落としはどうだい? 誰にも気に掛けられず、誰とも触れ合わず、誰の助けも借りてなんかいやしないのに、自分自身で新しい世界を手に入れようともがいていたんだ。土蜘蛛にとっての縦穴の外、釣瓶落としにとっての井戸の外。どっちも二人にとって大差ないはずなのにさ。だから、――――――」

 一度言葉を区切り、ヤマメはその言葉に全てを載せる。
それはあるいは憧憬であり、あるいは尊敬であり、あるいは親愛であり、あるいは激励だった。

「キスメ、あんたなら出来る。いい加減、泣き顔とか勘弁なんだ。私はキスメの笑顔が見たい……」

 その言葉に、キスメは胸が高鳴るのを確かに感じた。
心臓は相変わらず早鐘のようだが、いままでのような張り裂けそうな痛みは無い。
涙は頬を伝っていたが、その涙はとても温かかった。
喉は震えていたが、それは確かに言葉となっていた。

「わたしも……。わたしも……!」

 永久凍土を溶かすかのように。
長い氷河期が終わりを告げるように。

「わたしもヤマメの笑顔が見たい……! ヤマメと友達になりたい……!」

 その言葉を聴くと同時、

「うん、喜んで! よろしくね、キスメ」

 其処に在ったのは、暗い地底に在って尚明るい、太陽のような笑顔だった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 互いに笑顔を向け合い、抱きしめ合う少女達。
そしてそんな二人の様子を見守る、三つの影。

「これにて一件落着! なのかねぇ……」

 腕を組んだ姿勢のまま、建物の陰から二人の様子を窺っていた星熊勇儀は、苦笑気味に視線を移す。
視線の先には親指の爪をガジガジと噛みながら、なにやらパルパル言っている水橋パルスィの姿が。
その姿は傍から見ても判るほどに負のオーラとでも評すべきものが噴出しており、どこぞの厄神が狂喜乱舞してトリプルアクセルを決めそうだ、と益体も無い感想を勇儀は抱く。

「あの子が望んでいたものを教えてあげたのは、あなたなのかしら?」

 不意に、パルスィは口許から爪を外して言う。
その視線は未だに抱き合う二人に釘付けだったが。

「いいえ、私は何も言ってないわよ。ただ彼女が勝手にやっただけ……」

 この場にいたもう一人の人物、古明地さとりは曖昧な笑みを浮かべて言う。
正確に言えばヤマメの背中を押したのは彼女だったが、ヤマメならいずれ遅かれ早かれ同じ事をしていただろう。
そんなさとりの考えを知ってか知らずか、パルスィの瞳から剣呑な輝きは失われ、代わりに羨望とも諦観ともつかない感情がそこには宿っていた。

「そう……。てっきり私はあなたが心を読んでヤマメに教えてあげていたのかと思ったわ」
「そんな事をしなくても、彼女にはあの子の心が判るのだと思いますよ」
「でしょうね……。まったく――――――妬ましいったらありゃしないわ」
「ええ、本当に……」

 そう言って見つめる二人の眼差しに映っていた光景は、きっと僅かに違っていた。
さとりの瞳には、とある姉妹の姿が重なって見えていたかもしれない。
今はまだ遠くとも、近い将来そうなる事を望むが故の幻影が。

 だが、二人に共通したものもある。
妬ましい、などと言いながらも、その表情はひどく穏やかで、その瞳はとても優しい色をしていて、そしてそれでも僅かに、妬いている――――――。

「さて、そんじゃアタシらも行こうかね、ご両人」
「へ? きゃあ!?」
「ちょ、ちょっと! なに人のことをいきなり抱えあげてるのよアンタは!」

 そんな彼女達の様子に勇儀は満足そうに笑みを深くすると、突然二人のことをかかえる。
じたばたと暴れる二人の少女だったが、勇儀はまるで気に止めた様子もなく、そのまま旧都の方へと歩き出していた。

「フラれた者同士、ぱぁっと飲み明かそうじゃないか。二人とも、今日は朝まで付き合うよ」
「フラれたって何ですか! それと貴女が私達に付き合うのではなくて、私達が貴女に付き合うの間違いでしょ!」
「放しなさい! アンタなんかのペースに付き合えるわけ無いでしょ! あとフラれたってなによ!!」
「いいからいいから! 駄目になるまで付き合いな!」

「「この鬼ぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!」」

 あっはっは! と豪快な笑い声が、少女二人の悲鳴を掻き消して響く。
余談だが、実は勇儀にキスメを誘ってくるように予め言われていたヤマメが『怪力乱心』に辿り着いた頃には、既に屍が二つ転がっていたそうである。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

『終章 私が桶に入る理由』

 燦々と降り注ぐ陽光。
見上げれば際限なく広がる蒼穹に、ヤマメは意味もなく手を伸ばしてみる。
広げた掌をギュッと握り締め、恥ずかしさを隠すように、そのままポリポリと頬を掻く。

 そして、ふと呟く。

「いよいよ、か……」

 吹き抜ける風が、彼女の山吹色の髪を揺らす。
つい最近まで地底に籠もっていた自分が、まさか博礼神社の境内にいるなど、彼女自身が一番驚いていた。

 きっかけは地霊殿での怨霊騒ぎだった。
さとりがペットの管理をペットに任せるという杜撰な管理の結果起きたような事件ではあったが、実際はキスメ歓迎会で勇儀の酒に潰されたさとりが暫く動けなかったと言うのが真相であったりもするのだが、それはまた別の話である。

 ともかくあの事件以降、ヤマメの中で外の世界への憧憬はますます強まっていた。
地上から来た暴力巫女や強盗魔法使いなどに辛酸を味わわされたのは事実だったが、事件後の宴会で少なくとも、外の世界がそれほど恐れるものでもないと実感できていた。
地上の妖怪も地底の妖怪も、妖怪よりよっぽど妖怪じみた人間達も入り乱れての賑やかな宴会。
今でもはっきりと目に浮かぶ光景を目の前の景色に映し出しながら、ヤマメは賽銭箱へと賽銭を投げ入れる。
どうやら巫女は留守中のようだったが、まあ、これぐらいの感謝はしてやってもいいだろう、と。

 しかし一番の大きなきっかけと言えば――――――。

「ごめんヤマメ。待った?」

 背後から聞こえてきた声に、ヤマメは振り返る。
そこには桶に入った翠色の髪の少女がいた。

「ううん。私もいま来たとこだよ」

 自分で言って、まるでデートの前の台詞みたいだ、とヤマメは苦笑しそうになる。
実際には今日という日が待ち遠しくて一時間も前から境内でスタンバっていたのだから尚更である。
そしてそんなヤマメを見て、キスメは可笑しそうに小さくクスクスと笑う。

「そっか。ヤマメのことだから、てっきり一時間前から待ってるかと思った」
「見てたの!?」
「ううん。そうかな、って思っただけ。でも本当に待ってたんだ……」
「うぐっ、しまった……」

 どうやらヤマメの考えはキスメには筒抜けのようで、彼女と仲良くなって以降、ヤマメはどうにも頭が上がらないでいた。
キスメ自身もあの一件以降は別人のようになっており、相変わらず物静かでは有るものの、自分の考えや主張を隠さず真っ直ぐに口にするようになっていた。
彼女もまた、何か殻を破ったのだろう。

「けど、本当に良いの? 私の旅なんかに付いて来て」
「うん。ヤマメがいる所が、私のいる所だから……」
「そ、そっか……」
「どうしたの、ヤマメ?」
「いや、なんでもないよ……」

 まあ、少しばかりどストレートになり過ぎたきらいは有るが。
おかげさまで、最近ではヤマメの方が頬を染めて照れている事の方が多くなってきていた。
これでは以前と関係が逆である。

「それより……」

 誤魔化すように咳払いをひとつ。
ヤマメは襟を正すようにして、真剣な眼差しをキスメへと向ける。

「キスメはいつになったら桶に隠れないで済むのかね」
「ダメかな? 私は桶の中が好きなんだけど……」
「いやダメって事はないけどさ。前は仕方なく入ってるって言ってたじゃん。何? なんか桶の中が気に入るような理由でも出来たの?」
「この桶、ヤマメがくれた宝物だから……」
「あー……」

 真顔で臆面もなく言うキスメの姿に、薮蛇という言葉がヤマメの脳裏を過ぎる。
完全に弾丸ライナーで打ち返され、彼女は掌で目を覆うしかない。
『キスメは相当な天然たらしだ』という感想を抱く彼女だったが、さとりとパルスィが聞けば『お前が言うな』と言う事は確実であろう。

「そんなことより……。そろそろ行こう、ヤマメ」
「はぁ……。うん、了解!」

 溜息一つ。
だがキスメの言葉に、ヤマメはすぐに応える。
気持ちを切り替えるかのように、心持ち声を大きくして。

 そうして二人は、神社の階段を降りていく。
相も変らぬ、明るい笑顔のままで。



[29946] 小悪魔のすごく不幸な一日
Name: 黒野茜◆baf26b59 ID:d2a47122
Date: 2011/11/21 00:48
【パチュリー様を手伝って】

 吸血鬼の住む館、紅魔館。
その地下には、巨大な図書館が設けられている。
かび臭い臭いが立ち込める薄暗い室内。
日頃から人が立ち入ることの少ないその館の中を、一人の少女が歩いていた。

 清潔感漂う白いブラウスに、黒を基調としたベストとロングドレス。
背中まで届く洋紅色カーマインの髪をたなびかせ、少女は積み重ねた本を抱えるようにして運んでいた。
抱えた本に圧迫され、ふんわりとした服の上から彼女の体のラインが浮かび上がると、実は豊満な胸周りが強調される。
その童顔な容姿に相反して、どうやら彼女は着やせするタイプらしい。

「うう……、重いですぅ……」

 そう泣き言を漏らすこの少女こそ、紅魔館地下図書館の司書である――――――えーっと……。
名前は……、名前は…………。

「小悪魔ー! 早く頼んでた本持ってきてちょうだい」
「は、はいー!」

 そう、小悪魔だ。

 彼女は小悪魔である、名前はまだない。
立ち絵もない。
台詞もない。

 ついでに言うなら、運とかも。

「こぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 盛大にこけた。
主であるパチュリー=ノーレッジに呼ばれた彼女は、ほんの少し急ぎ足になった。
それは気持ち足を速めただけだったにもかかわらず、彼女は自らの足に自らの足を引っ掛けるという離れ業をやってのけたのだった。

 動かない大図書館ことパチュリー=ノーレッジは、その光景を呆然と見ていた。
処理落ちしたコマ送りの画像のように、いくつもの分厚い事典のような本達が弾幕のように降り注いでいた。
それはあまりに不意で、あまりに突然だった。
だから、彼女は反応できずに――――――。

「むぎゅ!!?」

 電話帳ほどの厚さがあるハードカバーが角から顔面へと突き刺さり、彼女は奇声とともに椅子ごと後ろへと引っくり返っていた。
続けざまに響く陶器を打ち割る音。
それはパチュリーがつい今まで口を付けていたカップが割れる音であり、必然、こぼれた液体は上から下へと降り注ぐ。

 ――――――つまり、現在進行形で悶絶している大図書館に向けて。

「――――――――――――――――――――――――っ!!!?? むきゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「パチュリーさまーーーーーーーー!!?」

 パチュリーはこの数ヶ月、彼女が未だ見せたことのないほどの速度で図書館の廊下を転がって行く。
そしてそのまま高速で本棚に激突すると、大量の魔導書が雪崩のごとく彼女を襲っていた。

「こぁぁぁぁぁ……」

 本の山の中から片手だけを生やした自分の主の末路に、小悪魔は顔面蒼白となって慄く。
自分のほんの僅かなドジが巻き起こした惨状に、彼女は愕然とするしかない。

 どうしてこうなった、という言葉が彼女の脳裏をよぎって行く中、静かに本の山が崩れ落ちる。

「こ~あ~く~ま~……っ!!」
「ひぃ!?」

 がくがくと震える小悪魔。
対するパチュリーは鬼の形相であり、膨大な魔力が奔流となって渦を成していた。
どうやら彼女のマスターはロイヤルフレアも辞さない構えのようであり、もし放たれれば辺り一面が焦土と化すだろう。

 短い人生(?)だった、と小悪魔はぎゅっと目を閉じ、見えてくる走馬灯に思いを馳せる。
だが不思議なことに、いつまでたっても身を焦がすような衝撃が襲ってこない。
恐る恐る小悪魔が瞳を開けてみると、そこには顔を蒼くしたパチュリーが幽鬼のような表情で机の前に立っていた。

「パチュリー様……?」

 声をかけても、返ってくる返事はない。
疑問に感じた小悪魔が隣から覗き込んでみると、そこに広がっていたのは紅茶に塗れた魔導書の数々。
どれもこれも貴重な品であり、この図書館で司書を務めている小悪魔もその価値は承知していた。

「あ、あの……パチュリー様?」
「出て行きなさい……」
「ああ、あの、ごめ……!」
「出てけぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
「こぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!?」

 咆哮とともに、すさまじい爆発音が館内に響き渡る。
辺りを染め上げるほどの強烈な真紅の光。
魔力によって引き起こされた灼熱の衝撃は、小悪魔のことを容赦なく図書館の外へと弾き出していた。

 紅魔館の廊下にゴミ屑のように転がる少女。
遠のいて行く意識の中、彼女は今日ほど自らの不運を呪った日はなかった。

「こぁ……」



 これは小悪魔と呼ばれる少女の、とある一日の記録。
紅魔館で司書をする少女の、喜劇的なまでに不幸な一日の出来事である。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


【お嬢様に助けを求めて】

「パチュリー様に怒られた……。パチュリー様に嫌われたぁ……」

 目尻に涙を湛えた半泣きの表情のまま、小悪魔は紅魔館の廊下をとぼとぼと歩いていく。
がっくりと肩を落とし、遠目からにも消沈しているのが分かる程、彼女は気落ちしていた。
心なしか、頭にある羽根型の髪飾りもしょんぼりと垂れ下っているようだった。

 つい先ほど起きた一瞬の惨劇。
その光景を思い起こして、小悪魔は自分で自分が嫌になる。
いくらなんでもアレは無い、と。
普段はそれなりに優秀であると彼女は自負していたが、たまに肝心な所でとんでもないドジをやらかしたりしてしまう。
そんな自分の生来の性分が恨めしかった。

「……どうしたらいいんだろう…………」

 けれど、そう落ち込んでばかりもいられない。
パチュリーに嫌われたまま、というのは彼女にとって耐えられない事だった。
この先ずっとこんな関係のままの未来を想像すると、また涙が零れそうになる。

 けど、それでは駄目だと彼女自身よく理解していた。
ごしごしと涙を袖口で拭い、小悪魔はせめて気丈に前を向いて歩こうと決めた。
機嫌を損ねてしまった主との関係を修復するためには、何をすればいいのか。
そのための手段を、小悪魔はいろいろと思案してみることにした。

「やっぱり、まずは謝らないと、だよね……」

 それは当然の帰結と言えるだろう。
悪い事をしたのだ。
次に起こすべき行動として、間違ってはいない。

 だが、果たして今謝って上手くいくだろうか。
小悪魔は少し想像してみる。


『パチュリー様! さっきはごめんなさ――――――』
『火水木金土符「賢者の石」!』
『こあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ――――――!?』


「次こそ殺されるかもしれない……」

 顔を蒼くして、小悪魔は恐怖に震えだした。

 今のパチュリーに素直に謝る事は得策ではない、と彼女は判断する。
いくら本人に悪気が無かったとはいえ、肉体的にも精神的にも相当な被害を与えていた。
特に本を大事にしているパチュリーにとって、後者の方は相当堪えた筈だった。
だからこそ、あれほどまでに激昂げっこうしていたのだ。

 となれば、時間を置くという手段も彼女は考える。
だが小悪魔としては一刻も早く関係を修復したかったし、その手段ではかなりの時間を費やしてしまう気がしてならなかった。
他に何か言い手は無いかと彼女は思索するも、成果は芳しくなかった。

 しかし、彼女はひとつだけ可能性を思いつく。

「そうだ……。もしかしてお嬢様なら……」

 脳裏を過ったのは一人の人物の姿。
紅い悪魔スカーレットデビルと称される紅魔館の主。
主であるパチュリー・ノーレッジの親友、レミリア・スカーレットの姿を彼女は思い返していた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 テラスの窓から差す日差しを遮る厚手のカーテンに覆われた部屋の中、紅魔館の主レミリア・スカーレットは優雅に午後のティータイムと洒落込んでいた。
人間の審美眼から言わせてもらえば、室内をもう少し明るくした方がより華やかな雰囲気なのだろうが、彼女は吸血鬼という種族である。
彼女にとって寝室も兼ねたこの部屋は、やはり仄暗い程度が心地よかった。

 ――――――だがそれにも関わらず、その表情は僅かに冴えない。

 当然、眩しいわけではない。
繰り返すことになるが、室内の明るさは吸血鬼である彼女好みに整えられていた。

 勿論、紅茶が不味い訳ではない。
彼女が口にする紅茶は全て、紅魔館のメイド長である十六夜咲夜が厳選したものなのだ。
不味いわけがない、不服などない。

 だがそれでもやはり、少女の表情は曇っていた。

「ふぅ……。退屈ね……」

 憂鬱な響きをこめて、少女はひとりごちる。
それは今日になって何度も口にした言葉だ。
机の下で手持ち無沙汰といった風に足を揺らすと、室内履きのスリッパがぺちぺちと間抜けな音を立てる。

「早く帰ってこないかな、咲夜……」

 この言葉も、いったい何度目だろうか。
気づけば、視線は壁に掛けられた時計に向けられていた。

 最近の楽しみは咲夜の淹れた紅茶を飲みながら、彼女と他愛もない談笑に興じる事だった。
レミリア・スカーレットという人物にとって、十六夜咲夜という人間は特別な人間といって差し支えない。
でなければ、レミリアは彼女を紅魔館のメイド長に任命したりはしないだろう。
そのぐらいには信頼していたし、気に入ってもいた。

 もともと咲夜という少女は、文字通り食い扶持ぶちを稼ぐために働いていた少女だった。
吸血鬼たるレミリアの目から見ても規格外である能力ゆえ、普通の人間からは煙たがられ、悪魔の屋敷に流れ着いた人間の少女。
普通の人間と仲良くなることを諦めた彼女を受け入れる場所は必然、人ならざるものの住まう地だった。

 レミリアはよく覚えている。
この屋敷に来たばかりのとき、咲夜が見せた光彩の欠けた瞳を。

「懐かしいものね……」

 お茶請けに用意されていたクッキーを一口かじりながら、レミリアは思いを馳せる。

 あの頃に比べれば、咲夜もだいぶ愛想が出てきた。
その事情ゆえに人間に心を閉ざしていた咲夜が社交性なんてものを身に付けたのも、ひとえにこの紅魔館の門番のおかげだろう。

 下手な人間よりよほど人間くさい変わった妖怪。
そのくせ裏表が無く、朗らかで人懐っこく気遣いができる。
自分には真似のできない人との接し方だ、とレミリアは思った。
紅美鈴という門番がいたからこそ今の咲夜があり、彼女とティータイムをするという楽しい時間がある。
そのことに感謝しつつも、どうして自分がその役を出来なかったのかと羨望とも嫉妬ともつかない感情を自覚して、彼女は薄く笑った。

 思えば、あの時からだった。
レミリア・スカーレットが、十六夜咲夜という人間に興味を抱いたのは。
五百年もの時を生きているレミリアにとって、十六夜咲夜の変貌はそれほどまでに衝撃的で、興味深く、そしてなにより見ていて面白かった。

 やはり美鈴に抱くべき感情は『羨望』でも『嫉妬』でもなく、一番は『感謝』であるべきなのだろう。
おかげさまで退屈せずに生きる事ができる、と。
永き時を生きる者にとって、退屈は最大の敵なのだ。

 だからこそ、彼女は言う。

「それにしても退屈だわ……。こんなことなら霊夢の所にでもお邪魔すればよかったかな?」

 ティーカップの中身を飲み干し、白磁の底を見つめながらレミリアは思う。
博麗神社に行けば、少なくとも退屈する事は無かった。
なにせあそこには、見ているだけで面白い人間がいるのだ。
それと最近、咲夜が結構仲良さそうにしている霧雨魔理沙もいるかもしれない。
普通の人間と仲良くなる事を諦めた咲夜が仲良くしている、自称“普通”の魔法使いだ。
まあ、果たして吸血鬼である自分や妹のフラン相手に互角以上に渡り合った人間を“普通”などと呼んでいいのかははなはだ疑問であるが――――、とレミリアは感想に付け加える。

 紅霧異変以降、レミリアを取り巻く環境は劇的に賑やかになったように思える。
しかし賑やかな時が楽しければ楽しいほど、こうして自ら一人の時には反動が大きいのもまた事実。
『以前はよく一人でお茶を飲む時間を平気でいられたものだ』と感じながら、彼女は当時の自分の姿を思い浮かべて溜息を零す。
どれだけ灰色の日々を送っていたのか、と。

 ともあれ、現状の持て余した暇を解決するのは急務だった。
かじりかけだった最後のクッキーを口の中に放り込み、彼女は暇つぶしは無いかと思案を始める。
頬杖をつきながら虚空を睨み、やがて一つの事を思い返す。

「そう言えば、霊夢に借りた漫画があったかしら」

 なんでも吸血鬼が主人公の漫画だとかで、東風谷早苗からの借り物だとレミリアは聞いていた。
以前から漫画を読むのは趣味ではあったのだが、最近は紅魔館のみんなと過ごす時間を重視してなんだかんだで読む機会を逃していたのだ。
これを機に手に取るのも、悪くない選択肢だった。

 書棚から一冊の本を抜き出し、レミリアは再び椅子に腰かける。
表紙をそっとなぞり、彼女は最初の一ページを開いた。
ぺらぺらとページをめくっていくと、赤いロングコートと大きな帽子が特徴の男が出てきた。
なるほど、こいつが主人公なのだろう。
彼女は誰に言うでもなく呟く。

 その後もページを捲り続けた。
そして、どれほどの時間が経っただろうか。
誰もいない室内で、レミリアは声を上げた。

「おまえにわたしはたおせない。化物を倒すのはいつだって人間だ。人間でなくては、いけないのだ!!」

 その声は室内に静かな余韻を残して響き渡った。
内からこみ上げる感動に身を震わせながら、レミリアは言う。

「これだ!」

 どれだよ! という突っ込みは野暮というものだろうか。
割りと真剣な表情で、彼女はとんでもない事をのたまっていた。

「 このカリスマ溢れる台詞を使えば、きっと私のカリスマも……!」

 どうやら作中に見られる独特の台詞回しが、彼女の琴線に触れたようだった。
最近、方々でカリスマブレイクとか言われている彼女だったが、内心では結構気にしていたのだろう。

 しかしその解決策を漫画の台詞に求める辺りが、なんとも彼女らしい。
果たして、その台詞で彼女の言うとおりカリスマが上がるかは疑問だったが、少なくとも今の彼女の姿からは、思春期の少年少女特有の見る者の目を生暖かくさせる痛々しい微笑ましさがあった。
だが、彼女がそれに気づくことはない。

「神槍『スピア・ザ・グングニル』!」

 彼女の力ある言葉とともに、その右手には真紅の光の槍が握られていた。
誇り高き貴族としての威厳や体面を守る為には、失われたカリスマを取り戻すしかないのだ。
そんな間違った使命感を胸に、彼女は決め台詞を口にする。

 目を大きく見開き、殺意を込めた射殺すような視線を作り、彼女は声高に叫んだ。

「お嬢様~! 相談したい事が――――――」
「――――――豚のような悲鳴を上げろぉッ!」

 謎の風圧が、小悪魔の前髪を勢い良くまくり上げる。
パチュリーとの仲を修復するための助言をもらおうとレミリアの許を訪れた小悪魔は、なぜか喉元に槍の切っ先を突きつけられていた。
それも物凄い罵声を浴びせかけられたうえ、レミリアが本気で殺しに掛かるときの吸血鬼の瞳で睨まれながら。

「あら、何か用かしら小悪――――――」
「失礼しましたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 勢いよくきびすを返すと、小悪魔は脱兎の如く逃げ出していた。
殺されると思った。
絶対に殺されると彼女は思った。
滂沱ぼうだの涙を流し、彼女は脇目も振らずに全力で館の廊下を駆けていく。

 一方、残されたレミリアは呆然とするやら苦笑するやら、なんともいえない微妙な表情を浮かべていた。
小悪魔が出て行った後の開いたままの扉を見て、彼女はひとりごちる。

「別にあの子に言ったわけじゃなかったのだけど……。あいかわらず間の悪い子ね、ほんと……」

 そして何事も無かったかのように、再び決め台詞の練習に入っていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


【妹様に遊ばれて】


 紅魔館の門番を務める紅美鈴という少女がいる。
普段は紅魔館の門を守るために当然、門の前に立っていることが多い彼女だが、今日は珍しく屋敷の中で仕事をしていた。
それも更に珍しいことに、彼女の姿があったのは地下大図書館だった。

 業務内容は破損した扉の修理。
何があったのかパチュリーは話してくれなかったが、扉が焦げてた事から弾幕ごっこでもやったのだろうと美鈴は当たりをつけていた。
そのとき見せたパチュリーの表情から、弾幕ごっこの相手にもおおよその見当は付いていたが――――――ともあれ、深く詮索する気もなかった。

 頼まれた仕事内容を、彼女は黙々とこなしていく。
壊れた扉は、幸い蝶番ちょうつがいがいかれただけだった。
これならば部品を交換するだけでどうにかなるだろう。
もしかするとドアごと新調しなければならない可能性も考慮していただけに、彼女はホッと安堵の息を漏らした。

 工具を用いて駄目になった蝶番を外し、美鈴は馴れた手付きで取り替えていく。
新品の部品に取り替えて扉が再び扉として機能するようになるのに、たいした時間は必要なかった。

「私、いちおう門番の筈なんですけどね……」

 美鈴は苦笑する。
思えば、最近は色々と雑事が増えた気がした。
紅魔館の門番はもちろん、パチュリーが本泥棒を撃退する際に壊した屋敷の修繕――――――。
それに庭の花壇の手入れと、レミリアが思いつきで暴れて壊した屋敷の修繕――――――。
あとはフランドールの遊び相手と、その遊びの最中に壊れた屋敷の修繕――――――。

「門番というより大工ですね、これじゃ……」
「そう思うのなら、本泥棒が入ってこないようにしてちょうだい」
「――――――ッ!?」

 突然背後に現れた気配に、美鈴は驚き蝶番ちょうつがいる。
そこにあったのは、図書館の主の憮然とした表情だった。

「お、驚かさないでくださいよ、パチュリー様~……」
「あなたが勝手に驚いただけでしょ。というか、あなた気が使えるんだから人の気配とか読むの得意じゃなかったの?」
「いや、なんかパチュリー様って気配が読みにくくて……」
「そうなの? なんでかしらね……」
「むしろこっちが知りたいぐらいなんですけどね……」

 唇に指先を添えて真剣な表情で思索するパチュリーに美鈴は苦笑して返す。
どうにも昔からこの魔法使いの気配だけは読みづらく、未だに簡単に背後を取られることが少し悔しかったりする。

「ああ、そういえばありがとう。まさかこんなに早く直してくれるとは思わなかったわ」

 不意にかけられた声に美鈴は笑顔を返す。

「いえ、これが私の仕事ですから」

 その表情は、飾り気の無い満面の笑みだった。
仕事に誇りを持ってる者が見せる、独特の笑みだ。
それを見て、パチュリーの瞳が一瞬だけ見開かれた。
それはあまりに一瞬で、ともすれば見逃してしまうようなものだったが、美鈴は見逃さなかった。

「小悪魔さんと何かあったんですか?」
「……別に何も無いわ」

 それは明らかな嘘だった。
さして興味も無い風に言うパチュリーだったが、その瞳には動揺の色がありありと浮かんでいる。
けれど、それを無理に聞きだしたりするつもりは美鈴には無い。

 やれやれといった感じに溜息を一つ。
それだけで何も聞かずに、彼女は荷物を纏めると図書館を後にしようとする。
開いた扉の向こう側から、美鈴はパチュリーへと声をかけた。

「それじゃ、私はこの辺で。他にも仕事が残ってますので」
「ええ、手間を取らせたわね」

 何事も無いかのように再び椅子に腰掛け、パチュリーは本に目を通したまま美鈴へと労いの言葉を送る。
そんな彼女の姿も、やがて扉に遮られ見えなくなった。

 ぱたん、と軽い音を立てて扉が閉まる。
紅美鈴は誰に言うでもなく、小さな声で呟いていた。

「本当にこの館の住人は、誰も彼も不器用なんですから」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 紅魔館の一角。
服が汚れることも気にせず床にへたり込み、小悪魔は荒く息を吐いていた。

 窓を拭いている妖精メイド、廊下を掃いている妖精メイド、花瓶の水を取り替えている妖精メイド。
時折、そんな妖精メイド達が怪訝そうな表情で小悪魔の事を見ていたが、彼女は気にも留めなかった。
額を伝う汗を拭い、汗で張り付いたブラウスの中へと手で風を送り人心地つく。
たいした距離など走ってもいないにも拘らず、一日中走り通したような疲労感に襲われ、彼女はがっくりとこうべをたれていた。

 すると不意に、小悪魔の目の前にタオルが差し出された。
それに気づいた小悪魔が面を上げると、心配そうにこちらの顔色を伺う妖精メイドの顔が視界に入ってきた。

「大丈夫ですか、小悪魔さん」
「あはは、ありがとうございます……」

 差し出されたタオルを受け取り、小悪魔は弱々しい笑みを返す。
彼女が受け取るのを確認すると、妖精メイドは一瞥して自分の仕事へと戻っていった。
余計な手間を取らせてしまったな、と小悪魔は少し申し訳ない気持ちになる。

「こぁ……。酷い目に遭いました……」

 ともあれ汗を拭き取ってホッと安堵の息を吐き、小悪魔はそっと目を閉じる。
天を仰いだまま顔にタオルを被せ、彼女は今日一日を振り返る。

 主と喧嘩してしまい、その仲裁をレミリアに頼もうと思ったら出会い頭に問答無用で槍を突きつけられるという稀有な体験をしてしまった彼女だったが、まだ諦めてはいなかった。
レミリアが駄目だったならば、他の頼りになる人に相談を持ちかけてみようと彼女は考える。

 他の下級悪魔はあまりこの手の相談事で頼りになる気はしなかった。
どうにも不真面目で悪戯っぽく、後先考えずに気ままに生きているような者が多いのだ。
小悪魔としては、もっと信頼できて、こういった相談に乗れるような人付き合いの巧い人に話を持ちかけたかった。

「やっぱり、あの人かなぁ……」

 とある人物の顔が思い浮かぶ。

 紅美鈴。
紅魔館の門番を務める気さくな妖怪。
小悪魔の主であるパチュリー・ノーレッジとも懇意こんいにしている彼女ならば、何か良い解決策を思いついてくれるのではないか。
そんな考えが彼女の脳裏をよぎる。

 それと同時、不意に声が掛かった。

「ねぇ、小悪魔。美鈴しらない?」

 突然掛けられた声に、小悪魔の肩がビクン! と跳ね上がる。
その声に聞き覚えのあった彼女は、顔に掛けてたタオルを慌てて取り払っていた。
勢いよく立ち上がると、襟を正して彼女は言う。

「あわわわわっ! すみません、妹様!」

 目の前にいたのは、果たして小悪魔の予想通りの人物だった。

 フランドール・スカーレット。
紅魔館の主、レミリア・スカーレットの妹で、『悪魔の妹』などという物騒な通り名を持つ少女。
彼女は見た目のあどけなさ通り、くすくすと無邪気で可愛らしい笑みを零す。
彼女の綺羅びやかな硝子水晶の羽が、その動きに合わせて小気味よく揺れる。

「かしこまっちゃって、変な小悪魔。別に私は気にしないのに」
「あぅ。妹様は気にしなくても私は気にするんですよ」

 小悪魔という少女は、元はと言えば十把一絡じっぱひとからげの下級悪魔だ。
それがたまたまパチュリー・ノーレッジという少女に仕え、その友人であるレミリアにも何かと良くしてもらってはいたが、妖怪としての格を考えると格下も良いところだったし、そもそも気弱で礼儀正しい彼女の性格的にも仕方のない対応だった。
親しき仲にも礼儀あり、である。

 しかし、フランドールはそれが面白くなかったのか、少し拗ねたように頬を膨らませると、じとっとした視線を小悪魔へと向ける。
向けられた三白眼に居心地が悪くなった小悪魔は、思い出したように話を逸らしていた。

「そ、そういえば、妹様も美鈴さんをお探しだったんですか?」
「へ? ああ、うん。あれ? ってことは、小悪魔も?」
「はい。私も美鈴さんに――――――」
「じゃあさ、私と一緒に遊ぼう!」
「――――――はい?」

 フランドールに言われた言葉の意味が理解できず、小悪魔は間の抜けた声で訊ね返していた。
確かに小悪魔は美鈴を探していた。
しかしそれは相談したい事があったから探していたのだ。
別に遊ぶために探していた訳ではない。
フランドールと話の前後が噛み合っていない事に彼女が戸惑いを隠せずにいると、対するフランドールはそんな彼女の変化に気づかずにいた。

「美鈴ったらひどいんだよ! 今日は私と一緒に遊んでくれるって言ってたのに、急にお仕事が入ったから後でって言うんだもん。わたし楽しみにしてたんだよ? 酷いと思わない?」
「え、ええ、まあ……」
「仕方ないから別の事して遊ぼうと思ったけど、一人で遊んでもつまらないし、妖精メイドと遊ぼうとしたら今日に限って誰も見かけないし……」
「へ? 妖精メイドでしたら、そこらへんで仕事を――――――」

 言って周りを見渡して、小悪魔は誰もいない事に気が付いた。
窓を拭いていた妖精メイドも、廊下を掃いていた妖精メイドも、花瓶の水を取り替えていた妖精メイドもいない。
それどころか、つい先ほど小悪魔にタオルを差し出してくれた妖精メイドの姿も見えなくなっていた。

 嫌な予感がした。
地味に不幸な星の下に生まれた、と不本意ながらも自負している彼女の本能が全力で警鐘を鳴らしていた。

「あのぉ……。つかぬ事をお聞きしますが……」
「なぁに?」
「いったい何をしてお遊びになられるおつもりなのでしょうか?」
「えへへ~♪ エクストリーム鬼ごっこ!」
「エクストリーム鬼ごっこ……?」

 聞こえてきた不吉すぎる単語に、小悪魔は記憶の辞書を紐解いてみる。
たしかそんなスポーツが書かれたルールブックを、彼女は図書館で読んだ記憶があった。

 脳裏に過っていくルールを、彼女は頭の中で反芻はんすうする。



 エクストリーム鬼ごっこ。
それは幻想郷にて強者が編み出した究極のスポーツの一種。
広大な敷地面積において圧倒的な力量差を持って執り行われる遊びであり、鬼となった人物は持てる弾幕の限りを尽くして子を周囲ともども破壊、殲滅していく競技である。
また子側は主にどれだけ長い間逃げ切れるかで得点を競い、最終的には鬼が飽きるまで逃げ切れば勝利となる。
しかしながらその競技の性質上、死者行方不明者が続出する危険な競技として知られており、鬼の執拗な追跡に耐えられるだけの屈強な猛者もさ、または死んでも生き返る事の出来る妖精の間でのみ行われる事が多い。



(それってただのリアル鬼ごっこじゃないですかぁ!?)

 顔色を真っ蒼にし、小悪魔は声にならない叫びをあげた。

 キラキラと眩い笑顔を向けてくるフランドールだったが、その実情は文字通りの“鬼”ごっこ。
さすが吸血鬼、と小悪魔は戦々恐々とする。
いくら彼女が魔界生まれの魔族とはいえ、正真正銘の阿鼻叫喚な地獄絵図に放り込まれて喜ぶ趣味は無い。

 しかし、現実は残酷である。
おののく小悪魔を無視して、フランドールはこう言った。

「それじゃあ私が鬼をやるね。三十秒数えるから、小悪魔はその間に出来るだけ遠くに逃げてよ……って、あれ?」

 ええ、あなたは“鬼”でしょうとも! という心の叫びと共に、小悪魔はフランドールの言葉を最後まで聞かずに逃げ出した。
風を切り、天狗も斯(か)くやという速度で彼女は真紅の絨毯を駆け抜けていく。
背後からは小悪魔の逃走を鬼ごっこ了承の合図と受け取ったのか、フランドールのカウントダウンが聞こえてくる。

 つい先ほどまで疲労でへたり込んでいた体に鞭を打つ。
死ねぴちゅれば疲労も何も有ったものでは無い。

 とにかく遠くへ。

 一歩でも遠くへ。

 天狗に匹敵するはやさを持つといわれる吸血鬼に一度追われれば逃げ場など無いことなど理解しているが故に、小悪魔はとにかく離れて身を隠すことにした。
相手はフランドール一人。
巧くいけば隠れてやり過ごすことも不可能ではないと彼女は算段を立てる。

 すると数え終えたのか、フランドールらしい天真爛漫な響きの声が聞こえてきた。

「よーし! それじゃあ行くよ! 禁忌『フォーオブアカインド』!」
「こぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」

 鬼の数が早速四倍になるという衝撃的な誤算に、不幸な少女の悲鳴が響く。
その後しばらく、屋敷には破壊音が木霊こだましていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

【咲夜さんに見つかって】

 十六夜咲夜。
冷たい月明かりを思わす銀の髪を持つ少女。
紅魔館の妖精メイド達を束ねるメイド長でもある彼女だったが、今は今日の仕事を終え、ちょうど自室に帰ってきたところだった。

 自室に帰ってきた彼女は、着ているメイド服を着替えることもなく、一直線にある場所へと向かう。

「疲れた……」

 そう呟いた瞬間だった。
彼女は自室のベッドにうつ伏せに倒れ込むと、沈み行く感覚に身を任せて瞳を閉じていた。
今なら泥のように眠れる。
そんな要らない自信が彼女にはあった。

「だめ……。せめて着替えないと……」

 ずしりと重たく感じる身体。
それをどうにか無理矢理動かして、彼女は自らの服に手をかける。

 ーーーーーーが、そこまでだった。

「だめだわ……。やっぱり少し休む……」

 そう言って、咲夜は仰向けに寝転がる。
窓から降り注ぐ日差しに目を細めながら、目を庇うように腕で覆っていた。
振り返るのはついさっきの出来事。

 今日はちょっとした厄日だった。

『小悪魔ー! どこだー!』

 それは咲夜がちょうど新作のブレンド茶を調合している最中のことだった。
そんな元気いっぱいの声とともに、フランドール・スカーレットが室内へと飛び込んできたのは。

 天真爛漫。
最近の彼女にはそんな言葉がよく似合うと思う。
そんな感想を抱きつつも、咲夜は突如乱入してきた闖入者に対していつも通りの礼節ある態度を心がける。

『おはようございます、妹様。そんなに大声を上げて、どうかなさったのですか?』
『あ、おはよう咲夜! あのね、小悪魔見なかった?』
『小悪魔ですか?』

 特性ブレンド茶を片付けつつ、彼女は尋ねられた質問に対しての答えを考えてみる。
結論から言えば見てはいない。
しかしながら、どうしてフランドールが彼女のことを探しているのか気になっていた。

 小悪魔は確かにお気に入りだ。
そこらの妖精メイドたちなどに比べれば、レミリアやフランドールからの信頼は遥かに高い。
しかしフランドールが探すべき人物ならば、どちらかといえば門番を務めるあの少女の方がしっくり来る。

 すると、そんな疑問に答えるように、フランドールは少し頬を膨らませながら言う。

『いま小悪魔と鬼ごっこしてるんだけど……。隠れちゃって見つからないの。かくれんぼじゃないのに酷いと思わない?』
『それは……』

 咲夜は曖昧な苦笑を浮かべる。

 むしろ小悪魔相手に吸血鬼が全力で鬼ごっこをしようとする方がよほど酷い。
そんな言葉を飲み込める程度には、十六夜咲夜は大人な人物だった。

『でも、小悪魔では妹様のお相手にはならないのでは?』
『むー……。たしかにそうかもしれないけれど……』
『美鈴はどうしたんです? 彼女なら喜んでお相手してくれると思いますわよ?』
『遊んでくれるはずだったのに、お仕事が入ったから後でって言われた……』

 思い出して更に拗ねたような声を上げるフランドールに、咲夜は優しい苦笑を浮かべる。
この自分より遥かに歳を重ねた子供のような少女に、何とも言えない可愛らしさを感じてしまう。

 しかし、そんな暖かな感情も次の一言で凍りついていた。

『そうだ! 咲夜も一緒に遊びましょ!』
『……え?』

 それは素敵な鬼ごっこへのお誘いだった。

 やってやれないことはない。
むしろ時を止めながら逃げれば楽勝だし、小悪魔が相手になるのに比べれば上手く子を“演じてみせる”自信はある。

 しかしながら、面倒くさいというのが本音だった。
そして何より、その鬼ごっこの果てに崩壊する屋敷の掃除が面倒くさい。
それに屋敷を壊せば必然――――――。

『咲夜?』
『……ああ、すみません妹様。確かにそれも魅力的ですけれど、それより一緒にお料理でもいたしませんか? 美味しいクッキーでも焼こうと思ってましたの』
『クッキー!?』

 キラキラと輝く無邪気な眼差しに、思わず咲夜も笑みを零す。

『美味しい紅茶もご用意いたしますし、素敵なお茶会などいかがですか?』
『行く行く!』
『はい。それじゃあ、一緒にキッチンへ行きましょうか』
『うん!』

 そう元気な声で了解をもらい、二人はキッチンへと向かったのだった。



 ……と、此処までは良かった。

 問題はその後。
キッチンへと向かう途中、フランドールがすれ違う妖精メイドの悉くをお茶会へと誘ったのだ。

 単純で無邪気な妖精メイドたちは全員がお茶会へと参加。
咲夜が焼き上げるクッキーの数が膨大なものへと膨れ上がったのだが、彼女達が気に留めるはずもない。

 しかもフランドール自身も純粋な好意から誘っているのだから、咲夜としてもその優しさに水を差すような真似はしたくなかった。

「疲れた……」

 それで、結局このざまである。

 ごろん、と再びうつ伏せになり、枕に顔を埋めたまま、咲夜は眠りに就くべきか逡巡しゅんじゅんする。

 可能ならば、眠りに落ちたい。
しかしながら、彼女はその誘惑を打ち払う。

 彼女にはやらねばならない事があった。

「……やるか」

 むくりと起き上がると、彼女はいつも着ているメイド服を脱ぎ始めた。
そして下着姿になると、自らの胸へと視線を落とし、そっと撫で下ろして溜息を零す。

「……小さくはない、わよね?」

 いろんな意味で、小さな悩みであった。
十六夜咲夜という少女は、別に特別胸が小さいわけではない。
ただ、この紅魔館においては少しばかり“持たざる者”に分類される。

 代表的なのが門番である紅美鈴。
本人は全く気にしてないようだが、暇な時間に武術の型を練習している彼女は声や表情以上にある一部が弾んでいた。

 次に図書館の主、パチュリー・ノーレッジ。
普段はシルエットのゆったりとした衣服に身を包んでいて判りにくいが、あれでかなり着やせするタイプだったりする。
一度、小悪魔の代わりにドレスの着付けを手伝ったときに見た光景は、咲夜にとって忘れがたいものである。

 そして最後に、なによりも小悪魔である。
紅魔館一行地下温泉慰安旅行にて入浴した際に見た彼女の姿は、まさに大悪魔だった。

 ついでに言うなら、この紅魔館で働く妖精メイドたちは何故か妙に発育がいい。
普通、妖精といえば子供のような容姿をしているはずなのに、彼女達はことごとくが人間の成人女性に近い体型だった。
それも、スタイルの良い方の部類である。

 唯一勝っている相手といえばこの館の主であるスカーレット姉妹ぐらいであるが、あれ相手に勝ち誇るのは全てに負けた気がして惨めったらしい事この上ない。
想像しただけで咲夜の目尻に涙が溜まっていた。

 ともかくだ。

 同僚どころか部下にまで負けている現状は、咲夜にとって少しだけ……ほんの少しだけ屈辱的なことなのだ。

 そう、別に他意は無い。
決して他意など無いのだ。

「別に、美鈴と比べて気にしてるわけじゃないけど……。やっぱり、見劣りするかしら……」

 そう思いながらも、結局は本音が駄々漏れであった。

 十六夜咲夜。
花も恥らう乙女の表情を浮かべながら、彼女は頬を僅かに朱に染める。

 この感情の説明を、彼女は未だに自分で答えられずにいた。

 恋慕なのか、親愛なのか。
何れにせよ、彼女の胸中に去来する思いは唯一つ。

 紅美鈴と、共に並び立てる存在でありたい。

 十六夜咲夜がまだ十六夜咲夜でない頃。
彼女にこの紅魔館という居場所を与えてくれたのは、間違いなく紅美鈴だった。

 およそ人間らしい感情を失いかけていた自分に、人間らしい温かさを与えてくれた妖怪。
もし彼女と出会わない運命など存在するならば、正直ぞっとする。
自分が自分であると誇りを持って言える現在いまをくれた彼女には、どれだけ感謝してもし足りない。

 そんな思いから始めたのが――――――、

「豊胸体操って……。はぁ……。我ながら情けなくて泣けてくるわ……」

 掌を胸の前で押し合わせる単純作業。
他にも腕を90度に曲げ地面と水平になるようにしたり、腕立て伏せやダンベル体操などなど……。

 どれもこれも、雨の日も風の日も異変の日も絶えず欠かさず続けてきた日課だった。

「……本当に効果あるのかしら?」

 しかし残念ながら、効果のほどは微妙だった。

 咲夜とて、自分でも板板しい努力だとは感じている。
というか、努力の方向が間違っているとも感じていた。
痛烈に。

 咲夜は自身の歩んできた道を振り返りながら思う。

 思えば、美鈴と釣り合う存在になるべく様々な努力をしてきた。
日々研鑽を積み、努力を惜しまず、気がつけば紅魔館のメイド長。
立場的にも美鈴の上司である。

 しかし、美鈴の中では未だに自分はあの時の幼子のままではないのだろうか?
そんな疑問が湧くのもまた事実だった。

「美鈴のばか……。少しは私の事、ちゃんと見てくれてもいいのに……」

 褒めて欲しかった。

 認めて欲しかった。

 けれど彼女は、いつも変わらず笑顔で敬語で誠実に言うのだ。

『うわー、すごいですね咲夜さん。私なんかとは大違いです』

 違うのだ。
大違いなどではない。
それでは駄目だ。
同じでありたかったのだ。

 何気にお揃いの三つ編みにしたり、胸の大きさを近づけようと豊胸体操や詰め物をしたり……。

 傍から見れば馬鹿馬鹿しい努力でも、十六夜咲夜には真剣な問題だった。

 思えば、彼女とお茶を飲んだのはいつ頃が最後だっただろうか。

 望んだ形は共にあること。
共に歩むこと。
共に並び立ち、共に時を楽しむこと。

 時を操れる自分自身の能力では、その一時すらままならない。
それがおかしくて、咲夜は思わず自嘲的な笑みを零す。

「なんて……。誰かに言える悩みでもないけれどね」

 そう、咲夜が呟いたときだった。


「くしゅん!」


 一瞬、静寂で世界の時が消えた気がした。

 咲夜の頬から血の気が引き、顔色が蒼白になる。

 そして、

「ザ・ワールド!」

 瞬間、世界が灰色になり全てが止まる。
その中にあって咲夜は止まらない。

 そして再び世界が動き出したとき、クローゼットは開け放たれ、中には恐怖の表情を浮かべる小悪魔の姿があった。

「こぁ!?」
「さて……、覚悟は良いかしら。こ~あ~く~ま~!」
「ま、ままま待ってください咲夜さん! 私は妹様から隠れていただけで別に咲夜さんの乙女な秘密なんて何も――――――」
「貴様見ていたな?」
「こあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」 

 小悪魔は自分の間の悪さ。
そして肝心なときに自分の髪の毛でくしゃみをしてしまうようなドジっ娘ぶりを呪う。

 絶体絶命とはまさにこの事だろう。
乙女の秘密どころではない。
咲夜の人には言えない恥ずかしい日課から、桃色な淡い想いまで包み隠さず脳内にインストール済みだった。

 殺される。
間違いなく殺される。

 小悪魔がそう確信した、その時だった。

「あの、咲夜さんに小悪魔さん? お二人で何をやってるんですか?」

 再び、時が止まった。

 下着姿の女性に刃物を突きつけられている美少女という何とコメントすべきか判らない構図。
それを目にした瞬間、紅美鈴が思ったのは『わけがわからないよ』だった。

 しかし、それは咲夜も同じだった。
自室に何故か美鈴が訪ねてきていて、しかもそんな訳の判らない光景を目撃されたのだ。

 ボッ、と。
さっきまでの怒りとは違うものが、咲夜の頬を一瞬で朱に染め上げていた。

「め、美鈴!? ちょ、あなたなんで!? ノックぐらい――――――」
「いや、ノックしたんですけど……。何か返事がない上に、小悪魔さんの悲鳴が聞こえてきちゃって……。なにかあったのかなぁ? と」

 わたわたと狼狽する咲夜。
結構あられもない格好なのだが、そこまで思考が回らないらしく、彼女にしては珍しく取り乱した態度だった。

 すると、そんな彼女のことを見て美鈴は一言。

「妹様から聞いてきたんですよ。皆にお茶を振舞ってたって。お疲れ様でした」
「へ?」
「それと、おかげで助かりました。妹様に館の中で暴れられたら、また屋敷の修繕に大忙しでしたから。ありがとうございます、咲夜さん」

 そう曇りのない笑顔を向けて、美鈴は今まで手に持っていたものを机の上へと置く。
それは湯飲みに入ったお茶と、いくらかの菓子類だった。

「あの、これは……?」
「私が作りました! まあ、咲夜さんのには及ばないかもしれないですけれど、ささやかなお礼です」
「あ、ありがとう……」
「どういたしましてです。さ、冷めないうちに一緒にいただいちゃいましょう。ほら。咲夜さんも、早く服を着ないと風邪を引いちゃいますよ?」
「へ? きゃああああ!?」
「こぁ……」

 言われて、咲夜は慌てて脱ぎ散らしていたメイド服に再び袖を通そうとする。
しかし慌てすぎている所為せいで、どうにも上手く着ることができない。
そんなこれ以上ないというぐらいに取り乱した咲夜の姿に、主であるパチュリーが外出するぐらい珍しい事ではないかと、割と失礼なことを小悪魔は考える。
彼女としても、怒涛の展開に呆然とするしかない。

 しかし、そんな彼女にも声が掛かる。

「小悪魔さん」
「こぁ!? な、なんですか美鈴さん!?」
「あはは……驚きすぎですよ。それより、ほら。今のうちに」

 そう言って、美鈴はくいくいと、指先で出口を指し示す。
つまりは咲夜が着替えに手間取っているうちに逃げろ、ということなのだろう。
ひょっとすると、この状況を作り上げたのも、そのための故意なのかもしれない。
美鈴らしい気遣いに、小悪魔は素直に感謝しておくことにした。

「あ、あの……。ありがとうございます」
「いえいえ。ああ、それより」
「こぁ?」
「パチュリー様がお待ちですよ」
「……え?」

 不意に、美鈴の口からその名前が出て、心臓がドクンと一際強く脈を打った。
小悪魔の顔色は明らかに変わっていた。
そんな判り易過ぎる少女に対して、美鈴は苦笑とも取れる、しかし優しい笑みを向けながら言う。

「何があったのかは判りませんし、詳しくは聞きません。けど、もし何か過ちを犯したなら、素直に謝ることです。誠心誠意。心の底から」
「ですけど……」
「大丈夫ですよ。信じてください」
「美鈴さんを?」
「違いますよ。パチュリー様を。それに、小悪魔さん。あなた自身をです」
「私自身を?」

 美鈴の言うことは、どこか遠まわしで、こちらの事を試す節がある響きを持っていた。
そしてその意味を、小悪魔は――――――。

「わかりました……!」

 そう言って、小悪魔は駆け出した。
目指すは地下図書館。
彼女のただ一人の主の許。

「美鈴……」
「へ? ああ、すみません。ちょっと利用しちゃいました」
「むぅ……」

 いつのまにか服も着替え終わった咲夜は、じとっとした視線を美鈴へと送っていた。
ここに来てようやく美鈴の意図を察したらしい。
要は、自分に会いに来たのではなく、小悪魔を探していたのだ、と。

 そして悪びれない美鈴に対し、彼女は面白くなさそうに頬を膨らませてそっぽを向いていた。
まるで子供のようだ、と美鈴は思う。

 しかし、そんな風に拗ねた彼女に対し、美鈴はいつも通りの穏やかな笑顔を向けて言う。

「小悪魔さんを探してたのは本当ですけど、咲夜さんに会いに来たのはついでじゃないですよ?」
「へ?」
「むしろ、こっちの方が本命だったりしますけどね……」
「え? え!?」
「いやぁ、最近は咲夜さんの方が偉くなっちゃって、こうして二人でお茶を飲んだりする機会もなんだか減っちゃってましたからね。実はすごい楽しみだったりするんですよ」
「あ、あの、美鈴? あなた、さっきなんて――――――」
「妹様からお話を聞いて、お茶会のいい口実かなぁ、って。あはは。ずっこいですね、わたし。あ、咲夜さんはお茶会いやでしたか?」
「そ、そんなことないわよ!」
「なら良かったです。ほら、咲夜さんも座ってください。お茶が冷めちゃいますよ?」

 柳に風。
咲夜の動揺など気にも留めず、美鈴は淡々とお茶の準備を進める。

 結局聞きそびれて、おとなしく席に着く咲夜。
表面上は平静を装っている彼女だったが、内心では嬉しさで頭がいっぱいだった。
よく見れば、微妙に唇の箸が吊りあがっている。

 こうしてお茶会を開くのは久しぶり。
彼女もそれを残念に思ってくれていて、そして今を楽しみにしてくれている。

 同じ気持ち。

 それが嬉しかった。

 そして紅美鈴という少女が、自分のことをちゃんと見てくれていたことが。

 そのことに、咲夜はホッと胸を撫で下ろし、

「そういえば、咲夜さん少し胸が大きくなりましたね。良かったじゃないですか、豊胸体操の効果が有ったみた――――――」
「ぶっ!!?」

 盛大に噴出した中国茶が、美鈴へと降り注いでいた。

 人とは、自分で思う以上に人に見られているものである。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


【美鈴さんに励まされて】

『大丈夫ですよ。信じてください。パチュリー様を。それに、小悪魔さん。あなた自身をです』

 そんな美鈴の応援の言葉を受けて、気付けば小悪魔は地下大図書館の扉の前に立っていた。
ロイヤルフレアで彼女ごと派手に吹き飛んでいた扉は、その面影を残さないほど綺麗に修繕されており、ともすれば今朝の喧嘩など無かったのではないかと小悪魔に錯覚させる。

 しかし、それは有り得ない。

 そうでなければ、彼女の心臓はこんなにも激しく鳴り響いたりはしない。

 胸が痛い。
この扉の先に、彼女の主がいた。

 出不精で、本の虫で、愛想はあんまり良くない。
けれど本当はとっても優しい人で、小悪魔は誰よりもその人が大好きだった。

 なのに今は、その人に会うのが怖かった。

「こぁ……」

 大きく息を吸う。
そして溜め込んだ物をゆっくりと息ごと吐き出してゆく。

 引っ込み思案な性格は承知の上。
それでも勇気を振り絞らなければならない。
今のパチュリーに会うのは怖い。
けど、それ以上に。

「パチュリー様とこのままなんて、もっと嫌です……」

 意を決す。

 まだ声は少し震えていたかもしれない。
足がすくむ。
指先が冷たい。

 それでも彼女は拳を握りしめ、ゆっくりと静かに、されど確かな力強さを持って扉を叩いた。

 コンコン、と。
静かな屋敷の廊下に、乾いた音が木霊する。

 返事は返ってこない。

 留守なのかもしれない。
でも、もしそうでないのなら……。

 言い様のない押し潰されそうな重圧に、心が軋む。
泣き出したくなる衝動をどうにか抑えるのに必死だった。

 もう一度。
もう一度だけ。

 臆病な心に誓約を懸ける。

 そして小悪魔は、再び扉を叩こうとして、

「はい。どちら様?」

 中から聞こえてきた声に、彼女はハッと面を上げる。

 聞き間違える筈がない。
パチュリー・ノーレッジの声だった。

「あ、あの、小悪魔です!」
「……小悪魔?」

 沈黙が流れる。
扉の向こうの様子は小悪魔には見えないが、返ってきたパチュリーの言葉には僅かな驚きの色が見えた。

 しかし、次の言葉が続かない。
 一瞬だったのかもしれない。
けど小悪魔には、それが千年にも万年にも感じられた。

「入りなさい」

 聞こえてきた声に、小悪魔は慌てて返事をする。

「は、はい! し、失礼します!」

 いそいそとドアを開くと、中では小悪魔の事を余所にパチュリーが本を読んでいた。
こちらの事を見もしない彼女に小悪魔が戸惑っていると、パチュリーの方が先に口を開く。

「何か用事があって来たんじゃないの?」

 不躾ぶしつけな問いだった。
その声は不機嫌そうで、視線は紙面のインクの跡を追ったまま。
まるで興味が無いといった風な抑揚を抑えた言葉遣いは、聞くものに何処か拒絶の意思を感じさせる物があった。

 だからこそ、小悪魔は言う。

「すみませんでした!」
「は?」

 それは突然の謝罪だった。
パチュリーは呆気に取られたような表情を小悪魔へと向けていた。

そんな彼女の事を余所に、小悪魔は尚も言葉を続けていく。

「さっきは私のドジでパチュリー様の大事な本を駄目にして本当にすみませんでした! あの、その……都合の良い話だとは自分でも思います! けど私、どうしてもパチュリーの下で働きたいんです! だから――――――」
「そこまでよ。それ以上言わなくても良いわ」
「ま、待ってくださいパチュリー様! お願いですから、私にもう一度――――――」
「そんなことどうでも良いから、向こうの方に積んである本を早く棚に直しておいてちょうだい。私がやると埃が舞って喘息が悪化しちゃうのよ」
「命じてくだされば本の整理でもお茶のご用意でもなんでもしますから――――――ふぇ?」

 間の抜けた声を上げて顔を上げる小悪魔に、パチュリーは優しく微笑む。

「だから、それをお願いしてるじゃないの。って、あなたなんて顔してるのよ」

 何を言われているのか理解できないといった小悪魔の表情に、とうとう堪えきれなくなったか、パチュリーはくすくすと可笑しそうに噴出していた。

 彼女は言う。

「さっきは私こそごめんなさい。あなたの言葉も聴かずに一方的に怒鳴り散らしたりして」
「そ、そんな! それは私が……」
「そうね。あなたが原因だわ。けど、私も少し大人気なかったわ。ちゃんと謝ろうとしている貴女のことを頭ごなしにしていたのは私が悪い」

 ぱたん、と軽い音を立てて本が閉じられる。
一拍の間をおいて、パチュリーは口を開いた。

「それにしても、まさかこうもストレートに謝られるとはね……。なんだか斜に構えて自分が馬鹿みたいだわ」
「その……美鈴さんが素直に謝れ、って……」
「美鈴が?」

 手を口元に当て、パチュリーは考える仕草を見せる。
そして何事か思い至ったのか、不意に彼女は笑みを零して見せた。

「あとで一緒にお礼を言いに行かなきゃね」
「はい!」

 小悪魔も笑顔で返す。
それ以上は、お互いに特に何を言うでもない。

 いつもどおり、パチュリーは本を読み漁る。

 いつもどおり、小悪魔は蔵書の整理に取り掛かっていた。



「えへへ……。美鈴さんには感謝です!」

 パチュリーの目の届かないところで、小悪魔は破顔する。
かちゃかちゃと食器が音を立てる中、彼女は一生懸命にお茶を入れていた。

 地獄から一転、天国にでもいる心地だった。
今日一日の不幸など、全て吹き飛んでいた。
それぐらい、パチュリーと仲直りできたことは彼女にとっての幸せなのだ。

 用意したのは熱い紅茶。
パチュリーの好みに合わせた小悪魔特製仕様のそれをお盆に載せ、彼女は主の下へと急ぐ。

 早く飲んでもらいたい。

 褒めてもらいたい。

 だが忘れてはならない。

 小悪魔という少女は、天性のドジっこなのだ。

「パチュリーさ、まッ!?」

 小悪魔は再び何も無いところで足をもつれさせる。
そして今朝見たばかりの光景が、スローモーションでリフレインする。
小悪魔の目の前では、背を向けたまま本に夢中になっていた。
このままでは三秒後には、今朝の再現が繰り返される運命だっただろう。

 しかし。

「こぁ?」

 気づいたとき、小悪魔はお盆を持って立っていた。
その上には紅茶が変わらず湯気を立てている。
美味しそうな香りだ。

 するとそれに気づいたのか、パチュリーが彼女のほうへと振り返る。

「あら、紅茶を淹れてくれたの? 気が利くじゃない。そこにおいておいて頂戴。あ、そっとよ? あなた、ただでさえそそっかしいんだから」
「は、はい」

 訝しむ小悪魔。
けれども結局、結論が出ることは無かった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「心配してきてみれば、案の定だったわね」
「確かにそうでしたね」
「ねえ、さっきのってお姉さま? それとも咲夜?」
「私は何もしてないわよ」
「私もですよ、妹様」

 地下図書館から地上へと続く道を歩きながら、フランドールは姉とメイド長相手にそんな会話を交わしていた。

 しかし、回答は明確な嘘。
その事に、彼女は少し不満げな表情を浮かべて言う。

「ぶー。ねえ、美鈴はどっちだと思う?」

 突然振られた会話に、美鈴は少し驚いた表情を見せる。
困ったような曖昧な笑顔を浮かべるも、彼女はしばし逡巡する仕草を見せて言う。

「そうですね……。たぶん、お二人ともではないですか? この屋敷の住人は、素直でない方ばかりですから」

 その言葉にフランドールがレミリアと咲夜の方を見ると、二人はふいっと顔を逸らしていた。
どうやら図星らしい。
そんな二人の態度が可笑しくて、フランドールはからからと小気味の良い笑い声を上げる。

「変な二人」
「私は普通ですよ」
「こら咲夜。さっさと主を裏切ってるんじゃないわよ。クビにするわよ」
「明日から妖精メイドたちの統制が大変そうですね」
「うー……」

 主からのジトッとした視線も柳に風、咲夜はしれっとした態度のまま。
一瞬で言い負かされた姉に、妹は哀れみの視線を向けていた。

「さすが“かりすま”」
「ちょっとこら! フランも少しは姉を敬いなさいよ!」
「なら、咲夜さんに口で勝てるようにならなければいけませんね」
「美鈴、あなたもクビにするわよ!」
「一ヵ月後には庭が荒れ放題で紅魔館は廃屋みたいになってそうですね」
「うー!」

 少し涙目になるレミリアの姿に一同は大声で笑い声を上げる。
いっそここまで笑われると、レミリアも清々しい気分になっていた。

「もういいわよ……」
「拗ねちゃったね」
「フラン!」
「きゃー、怒った! 逃げるよ美鈴!」
「え? ちょ、妹様!?」
「がおー!」

 レミリアが何かの怪獣でも表現したのであろう奇妙なポーズを見せると、フランドールは嬉しそうな悲鳴を上げて逃げ出していた。

 その後を慌てて追いかける美鈴。
そんな二人の様子にレミリアがやれやれと溜息を吐くと、隣に立っていた咲夜が口を開いた。

「さきほど、お嬢様は本当に力を使われたのですか?」
「あら、どうしてそう思うのかしら」
「もしお嬢様が何かをしたのでしたら、これ見よがしに自慢してそうなので」
「あなたが私のことをどう思っているのかよく判ったわ……」

 拳をわなわなと震わせ、レミリアはため息を零す。
頭痛でもするのか頭を抑えていた彼女だったが、不意に彼女は言う。

「確かに私は何もしていない。ただ、こうなる運命だっただけ」
「運命?」
「あなたが小悪魔を助けようとするだけよ」
「まあ、彼女のことは嫌いではありませんしね」
「素直じゃないわね」
「お互い様です」
「そうね……」
「お姉さまおそーい!」
「はいはい今行くわよ!」

 遠くから呼ぶフランドールの声。
レミリアと咲夜は、少しだけ歩みを速めていた。




[29946] 幻想洩矢大戦ぽんぽこ
Name: 黒野茜◆baf26b59 ID:d2a47122
Date: 2011/11/30 03:41
【プロローグ 嵐の前の】

 秋風そよぐ紅葉こうようさざなみ
色付いた季節の象徴に、妖怪の山は身を包んでいた。

「良い景色じゃ。それに茶も美味い」

 縁側に腰掛け、客人にと出された茶を啜りながら、二ッ岩マミゾウはポツリと言葉を漏らす。

 ほんの少し肌寒さを感じる。
そんな冬との境界の季節。
それは此処、守矢神社でも変わらない事だった。

「お茶はどうですか、マミさん?」
「うむ、とても美味いぞ。それに最近は寒さが身に染みるからの。体の芯から温まって心地よい」
「まだ秋ですよ。なんだかマミさん、おばあちゃんみたい」
「む……。まだまだ若いつもりなんじゃがの……」

 二ッ岩マミゾウと東風谷早苗。
命蓮寺に住む化け狸と、妖怪の山の風祝。
この二人がこうして仲良くお茶を飲む光景も、最近では珍しくなくなりつつあった。

 神霊異変以来の短い付き合いであるが、その様子はまるでおばあちゃんと孫を彷彿とさせる。

「そう言えば、どうですか?」
「どうですか、って何がじゃ?」
「こっちでの暮らしですよ。もう慣れましたか?」
「ああ、そのことか。そうじゃのう……」

 早苗の言葉に、マミゾウは湯飲みを置いて暫し逡巡する。

 幻想郷での暮らしと現代社会での暮らし。
当然ながら、その生活様式にはかなりの差異がある。

 マミゾウも、幻想郷に着いた当初は色々と戸惑いはした。

 何せ現代の暮らしが長かったのだ。
しかし幻想郷での時を逆行したような生活に感じたものは、困惑と言うよりも郷愁。

 だたただ懐かしい。
気づけばいつの間にか微笑んでいたぐらいだった。

「まあ、儂はもともと幻想郷に似たような生活も経験しておったからな。現代の生活に慣れてしまって多少の不便は感じたが、慣れるのに然したる時間は掛からんかったわい」
「あー、マミさんは長生きですもんね。私なんか普通に現代っ子でしたから、最初はご飯を炊くのにも苦労しましたよ」
「釜で飯を炊いたりなど、今の子は普通はせんからのぉ……」
「でも諏訪子様や神奈子様が色々と助けてくださって……」

 会話は弾む。
秋ではあったが花が咲き乱れていた。

 色々と二人は話した。

 幻想郷に来てからのこと。

 幻想郷に来る前のこと。

 話は尽きず、遠くまで聞こえるほどに笑い声が堪えない。
そんな中の良い二人の、幸せそうな会話。

 それを見つめる二対の双眸そうぼう

「あの女狐ぇぇぇぇぇ……ッ!」
「いや、あれ狸だから」

 袖を噛み千切らんばかりに噛み締め、血の涙を滂沱の如く流している諏訪子に神奈子は呆れたように溜息を吐く。
だが神奈子の見せた気の無い態度に、諏訪子はその小さな体を大きく動かして抗議してみせた。

「重要なのはそこじゃないの! なんであの狸が早苗とあんなに仲良くなってるのさ!」
「いや、理由までは判らないけどさ。まあ、別に良いんじゃないの?」
「良くない! なんで神奈子はそんなに平然としてられるのさ! このままじゃ早苗があの毒婦に……あああああああああああああああああッ!!!」
「毒婦って……はぁ」

 頭を抱えながら奇声と共にごろごろと転がり始めた諏訪子。
神奈子も諏訪子の早苗に対する溺愛振りは知ってはいたが、これには流石に苦笑しか零れなかった。
付き合いは長いが、こればかりは慣れない。

 ふと諏訪子が動きを止めた。

 次は何だろう。
何か嫌な予感しかしない。
そんな割と失礼だが的確な感想を神奈子が抱いていると、諏訪子は神奈子へと振り向いて言った。

「決めたよ神奈子。私、あの狸追い出す」
「はい?」
「見てろ、あの化け狸……。祟り神の恐ろしさ、目に物見せてやる……。くくくくくくくく……あーはっはっはっはっはっはっはっは!」

 嫌な予感が図に当たった。
神奈子が今後の事を考えると軽い頭痛が襲ってくる中、神社の境内には諏訪子の悪い高笑いが響き渡っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 諏訪子の密かなる開戦宣言から一週間後の事。
二ッ岩マミゾウは今日も守矢神社の境内へと続く階段を上っていた。

 手には風呂敷を持っている。
中に入っているのはよく熟れた旬の柿だ。
早苗のところへと遊びに行くお土産として、白蓮が持たせた物だった。

「しかし、思ったよりも緩いものじゃのぉ……」

 マミゾウは今、命蓮寺に居を構えている。
そのマミゾウが守矢神社に行く事に関して、命蓮寺の面々は意外と好意的だった。

 最初に早苗と出会ったとき、彼女は妖怪退治で信仰を集めていると言っていた。
そんな彼女と仲良くする事に、命蓮寺の面々が反対しなかったのがマミゾウには意外に感じられた。
それどころか白蓮に至っては寧ろ積極的に親睦を深める事を望んでいるぐらいだった。
だがまあ、彼女の理想が妖怪と人との友好というのを考えれば、寧ろ当然の行動とも言えた。
ただ一人、ぬえだけが不満そうだったが……。

「まあ、ぬえは後で飴でもやればよいかのぉ」

 ともあれ、東風谷早苗と二ッ岩マミゾウの交友関係は概ね歓迎されたものだった。
そして何より、マミゾウ自体が望んだ関係。
この交友は、何の障害も無く続くものだと思っていた。

 そう、この時までは。

「ようこそ、いらっしゃい」

 普段と違い、マミゾウを迎えたのはこの神社に住まう神の一柱・洩矢諏訪子だった。

 彼女はあどけない笑顔を浮かべながら歓迎の言葉を口にする。
しかし何故だろうか、その笑みにマミゾウは何処か違和感を感じていた。

「おや? 早苗はいないのかい?」
「早苗なら今は人里に買出しに行ってるよ」
「むぅ……。じゃあ日を改めたほうが良いかの」
「いやいや、遠慮しないで。早苗が帰ってくるまで、中で待ってるといいよ」

 せっかく訪れて、無駄足というのはマミゾウとしてもいい気はしない。 
住人である洩矢諏訪子が快諾の意を示している以上、断る理由も無かった。

「そうじゃの。うむ、そうさせてもらおう」
「どうぞ、ごゆっくり……」

 そのとき諏訪子が見せた一瞬の陰。
それにマミゾウが気づく事はなかった。

 諏訪子と別れ、マミゾウは独り居間へと向かう。
中へ入ると、そこには既に先客がいた。

 八坂神奈子。
この守矢神社に祀られている軍神だ。

 彼女は普段の外交モードではなく、親しみを持った響きをもって話しかけてきた。

「やあ、いらっしゃい」
「ああ、お邪魔するよ」

 コタツに潜りながら茶を啜っていた神奈子の対面に、マミゾウは腰掛ける。

 最近は寒さが少し身に染み始めていた。
一刻も早く温まりたい。

 その一心で、彼女はコタツに潜り込むと、


 ぷぅぅぅ……、という甲高いガスが抜けるような音が響いた。


「……は?」

 一瞬、何が起きたのか理解できず、マミゾウは呆然と言葉を漏らす。

 もしやと思い、自分が腰掛けた座布団を手に取る。
手でぐいぐいと押すたびに、間の抜けた音が何度も響く。

 ブーブークッションという玩具がある。
その詳細に関してここで説明するまでも無いほど有名なアレである。

 だが、マミゾウもそれなりに長い生を生きてはいたが、まさか現物をしかも幻想郷ここで見る事になるとは思わなかった。

 マミゾウはチラリと神奈子の方を見た。
すると、彼女は物凄い勢いで首を横に逸らしていた。

「これ、何じゃ?」
「さ、さあ、な、何だろうねぇ……」

 盛大にどもっていた。
その表情までは窺い知れなかったが、おそらく目も高速で泳いでいるだろう。

「儂、なにかしたかのう?」
「あ、いや、そうゆうわけじゃ――――――」

 と、不意に居間の襖が開く。

 諏訪子だった。

 手にはお盆を持ち、彼女は腰掛けてるマミゾウの前へと来ると、持ってきたものを彼女の席の前へと置く。

 その置かれた物を目にして、マミゾウは頬をひくつかせる。

「あの、これは……?」
「お茶漬けだよ?」
「いや、その……」
「お茶漬けだよ?」

 にっこりと笑顔のはずなのに、何故だろうか。
諏訪子の表情は、目だけが笑っていなかった。

 その異様な迫力に、マミゾウもたじろぐ。
だが、そんな彼女に対して更にお盆の上から物が置かれる。

 きつねうどんと稲荷寿司だった。

 諏訪子は言う。

「好きだよね、お揚げ?」
「は? いや、お揚げは別に……」
「好きだよね、お揚げ?」
「う、うむ……」

 そう言い残すと、諏訪子は席を立って再び襖の奥へと消える。
去り際にポツリと『女狐にはお似合い……』とか何とか聞こえた気がしたが、マミゾウには意味が良く判らなかった。

「その、なんだ……。すまないね、諏訪子が色々と……」

 呆然としているマミゾウだったが、横合いから不意に声が掛かる。
振り返ると、そこには済まなそうにしている神奈子がいた。

「ああ、いや、別に良いのじゃが……。儂、何かしたのかの?」
「アンタが悪いってわけじゃないんだよ。ただ、まあ、良ければ少し付き合って欲しい。そうすれば諏訪子も気が済むはずだからさ」
「まあ、構わんが……」

 とりあえず、出された茶漬けを口にしつつ、きつねうどんを啜り、稲荷寿司を食した。
どれも美味しいではあったのだが、炭水化物ばかりなのが不満に感じられたマミゾウだった。

「しかし――――――」

 言いかけて、言葉が詰まる。

 ふと、襖の方へと目を遣る。
すると、こちらを見つめていた瞳と視線が合った。

 一瞬、マミゾウはびくりと肩を震わせていた。
というか、本気で怖いほど目が血走っていた。
更に気のせいでなければ帽子までぎょろりとこちらを睨んでおり、なんかくぐもった声でぶつぶつと念仏のように『狸の癖になに普通に食ってんだよ』とか聞こえてきたが、マミゾウは全力で聞こえなかった事にして目を逸らす。

 すると突如、音を立てて襖が勢い良く開け放たれた。

「こら、そこの狸! なんでここまでされて普通にしてんのさ!」
「いや、そう言われてものぉ……」

 マミゾウのことを指差しながら、諏訪子は一人でぎゃあぎゃあと騒ぐ。

 普通にしてると言われても、ブーブークッションなんて笑って流すような冗談だし、実際きつねうどんと稲荷寿司は普通に美味かった。
茶漬けの意味は理解していたが、実際にやる奴がいた事に対する驚きの方が勝っていて、実感が湧かない。
総じて言うなら、マミゾウとしても事態が上手く呑み込めず困惑してるというのが本音だった。

「のう、諏訪子殿? 儂が何かしたのかの?」
「きぃーっ! この期に及んで惚けるとか!」
「別に惚けとらんのじゃが……」

 いい加減、少し面倒くさくなっていた。
マミゾウが助けを求めるように神奈子へと視線を向けると、彼女は申し訳なさそうに手を合わせて苦笑しているだけだ。

 ほとほと困り果て、マミゾウはどうしたものかと思案する。
すると、先に話を切り出したのは諏訪子のほうだった。

「おい、狸! 私はアンタが気に入らない!」
「おうふ……。またストレートに物を言うのぉ」
「だから私とこれで勝負して、負けたら二度とこの神社の敷居は潜るな!」

 そう言って、諏訪子はゲーム機を指し示す。
瞬間、テレビの画面が切り替わり表示されたのはなんとも懐かしいゲーム画面だった。

「テトリス?」
「あー、ごめん。おばあちゃんにはゲームなんて無理だったかな?」

 イヤミったらしい口調と顔付きで、諏訪子は露骨に挑発をかましてくる。
どうしたものかとマミゾウが神奈子へと視線を向けると、諏訪子の後ろで何やらカンペを出していた。

 曰く、

『これで満足するはずだから、相手をしてやって欲しい。負けても神社に入れるようにどうにかしておくから』

 神様からのお願いも神頼みと言うのだろうか。
そんな割とどうでもいい事を考えつつ、マミゾウは再び諏訪子に視線を移す。

 この見た目幼子な神様が何を思ってこんなしょうも無い行動を取っているのかは定かではなかったが、まあこれも一興だろうと彼女は思った。

「まあ、面白そうじゃからの。どれ、一勝負してみるか」
「ふふふ、約束は絶対だからね!」

 二人は互いにコントローラーを握って画面の前に座る。

 諏訪子は自信満々だった。
伊達に外の世界で過ごしていたわけではない。
訪れる人もいなくなった守矢神社で日がな一日ゲームをして過ごしていた彼女の真の実力を今こそ発揮するときが来ていた。

 戦いの火蓋は切って落とされた。



「うむ、儂の勝ちじゃの」

 そして十分後、そこには両手両膝を地面につけた諏訪子と、勝ち誇ったように笑みを零しているマミゾウの姿。

 意味が判らなかった。
諏訪子は唖然とした表情で画面を見つめていた。
結果は明らかだった。
諏訪子がもうどうにもならないほどブロックを積み上げている中、マミゾウは画面の半分以上が常に空いていた。
そんな圧倒的な実力差に呆然とする諏訪子を余所に、マミゾウは懐から煙管キセルを取り出すと、やや疲れたように言う。

「すまんが、ちょいと席を外させてもらうよ」

 マミゾウの姿が、居間の外へと消える。

「あーうー……」

 諏訪子は悄然とした表情で呟く。

 プライドなどボロボロだった。
散々嫌がらせをしても効果が上がらず、得意分野でも負けた。
早苗を取り返そうとしたのに、自分にはその力がまるで無い事に諏訪子は打ちひしがれていた。

「はあ、やれやれ……」

 不意に、諏訪子を影が覆う。
見上げると、そこにあったのは神奈子の優しげな顔だった。

「まったく、もう。ほら、鼻水拭きなって諏訪子」
「あう……。うー、子供扱いしないでよ神奈子!」
「実際やってる事は子供みたいなもんじゃないか。本当は判ってるくせに。こんな事をしても早苗はマミゾウと仲良くするのを止めないって」
「あう……それは、その……。神奈子……私……」

 片膝をついて諭してくる神奈子に、諏訪子は我慢していたものの堰が切れていた。
ぎゅっときつく抱きついて来る諏訪子を受け止め、神奈子はやれやれとその頭を撫でていた。

 するとえづいていた諏訪子が、不意に言う。 


「私、本気出す」


 その声が驚くほど冷たくて、神奈子は心臓が凍りつくような錯覚を感じた。

 瞬間、

「な――――――、」

 黒い物が溢れ出した。

 二人を中心として。
否、それは正確に言うならば、諏訪子を中心として。

 巻き起こった負の嵐の中心にて、諏訪子は言う。

「ごめん、神奈子も力を貸して」
「ちょっと、諏訪子あんたいい加減に――――――って何これ!? なんかにゅるにゅるって巻きついてきた!?」
「とりあえず、まずは本気でサービスを」
「誰に対するサービスだい!? って、ひゃあ!? ちょっと待って! そこは本当にマズイ! 洒落になってな――――――きゃああああああ!?」

 その言葉は途中で遮られた。
溢れ出た闇は悲鳴さえも呑み込み、八坂神奈子の姿は溶けるように闇へと沈み、そこには何も無く、静寂だけ残っていた。

 溢れ出ていた黒い何かは、まるで水溜りのように諏訪子の足元に湛えられたまま。

 やおら、諏訪子はその手をぎゅっと握り締める。
瞬間、黒い液体は弾けるように渦を成して巻き起こった。

「見ていろ二ッ岩マミゾウ……。これが私の――――――洩矢諏訪子の本気だよ……ッ!」

 纏わりつくような黒い粘性の液体を纏いながら、誰もいなくなった部屋の中で祟り神は一人嗤う。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 誰も居ない神社の境内に、少女は一人立っていた。

 細長い煙管キセルの先から、一筋の紫煙がくゆる。

 やはりというか、外の風は少し肌寒い。
何か羽織る物を持ってくれば良かった、とマミゾウは今更ながら後悔する。
強がって忠告も聞かずに出てきた今朝の自分をしばき倒してやりたい気分だった。
ぬえ辺りに聞かれたら、間違いなく『年寄りの冷や水』とか言われそうである。

「まあ、実際に口にしたら一辺シメてやるがの。くっくっくっ……」

 そんな風に可笑しそうに笑い声を漏らしながらも、その表情はやはりというか晴れない。

「本当に、儂が何をしたと言うのやら……」

 彼女の脳裏を掠めるのは、今日ここに来てからの洩矢諏訪子の奇行怪行の数々。

 正直どれもこれも取るに足らない悪戯みたいな嫌がらせだったが、そこには明確な敵意悪意が存在した。

 マミゾウは考える。

 その理由を――――――、

「教えてあげるよ、二ッ岩マミゾウ!」

 その声が、マミゾウを思考の海から引き上げた。

「――――――ッ!?」

 その言葉にえもいわれぬ不安を感じた彼女がその場を大きく跳ぶと同時、今まで彼女が立っていた場所が轟音と共に爆ぜ飛んでいた。
間一髪でそれを躱した彼女は、蹈鞴たたらを踏みながらも爆心地をキッと睨み付けた。

 やがて、その原因が姿を見せる。

「――――――なっ」

 マミゾウの表情が驚愕の色に染まる。
濛々と立ち上る土煙が晴れ、中から現れたのは洩矢諏訪子の姿。

 諏訪子は常と変わらずあどけない、そして少しだけ得意げで意地の悪い笑顔を浮かべていた

 ただし、


 肌の色が灰色になってて、身長が三メートルぐらいになってて、斧剣よろしくオンバシラを構えた、全身筋骨隆々のちょっと狂戦士チックな外見の八坂神奈子の服を着た化け物の肩にちょこんと座った姿で。


「なんじゃそりゃああああ!?」
「ふっふっふ! 私のミシャクジパワーを使えばこの程度造作もないんだよ!」
「い、いや、ちょっと待たんか! 突っ込みどころが多すぎて何処から突っ込めばいいのか判らんが、とりあえずまさかとは思うが……神奈子殿か、それ?」
「私の力を注ぎ込んだ今の神奈子はもはやただの八坂に非ず! 狂戦士としての力に目覚めたヤーサーカーに敵は無いよ!」
「神奈子殿……おいたわしや……」

 無い胸張って踏ん反り返るモリヤスフィールに付き合わされている神奈子に、マミゾウは同情を禁じえなかった。
今の彼女の見た目は荒々しい軍神と言えば聞こえはまだ良いが、端的に言えば女としては自殺もののクリーチャーである。

 思わず零れそうになった涙を拭い、マミゾウは再び洩矢諏訪子へと視線を戻す。

 彼女の視線に気づいた諏訪子は、吐き捨てるように言う。

「さあ、どうする? 今後二度とこの神社の敷居を潜らず、早苗にも近寄らないって言うんなら見逃してあげるよ」
「……もし断ったら?」
「『別に倒してしまっても構わんのだろう』とか言わせてやるんだから、このアチャゾウ!」
「アチャゾウって……。一文字も被っておらんではないか……」

 マミゾウは思わず溜息を零す。
詳しい理由までは判らなかったが、どうやら洩矢諏訪子にはそこまで自分を嫌う理由があるのだと彼女は判断した。
そしてその理由の原因には、東風谷早苗との事があるのだとも。

 判断に困った。
一方的かつ理不尽な感情をぶつけられ、確かに腹に据えかねたものが無いとは言わない。
しかし、相手は洩矢諏訪子。
マミゾウの脳裏に、先日の笑顔が一瞬よぎる……。

「のう、諏訪子殿。もういい加減に止めにせぬか?」
「なにさ。怖くなったの?」
「そういう事ではない。ただ、早苗はこんな事をしても喜ばない事ぐらいはお主も判るじゃろう?」

 マミゾウは言い放つ。
その一言に、諏訪子の顔色が変わった。
彼女は歯を噛み締める。
最後の最後で押し止めていた感情が、堰を切った。

「ごちゃごちゃ五月蝿いんだよ! 御託はもういいんだから!」
「諏訪子殿!」
「やっちゃえ! ヤーサーカー!」

 瞬間、獣の咆哮のような雄叫びが境内に響く。

「頼む、諏訪子殿! 考え直してはくれぬか?」

 八坂神奈子改め、狂戦士ヤーサーカーは臨戦態勢を取る。
それでもマミゾウは、応戦する事に躊躇(ためら)いを見せていた。

 殊ここに及んでも変わらぬマミゾウの態度に、諏訪子は苦々しげに言う。

「ふ、ふん! 戦うのが怖いなら怯えてればいいんだよ。たしかアンタって二ッ岩大明神だっけ? お漏らし狸にはお似合いだもんね!」

 諏訪子がそう口にした――――――瞬間だった。

「あ?」

 諏訪子は何か太い縄が引きちぎれる様な鈍い音を聞いた気がした。

「おい、ワレェ……。今何つった?」

 そう言ったのはマミゾウだった。

 それは恐ろしく底冷えするようなドスのきいた声音だった。
さっきまでの、というか普段の温厚なマミゾウを知っている者ならば耳を疑うような、まるで別人みたいな声音に諏訪子は恐る恐る口を開く。

「……あ、アチャゾウ?」
「ったく、この祟り神は人様の触れて欲しくないような傷口に刃物突き立ててグリグリ抉って塩塗るような真似をしよってからに……。一遍シメねばならんようじゃのう……」

 完璧に据わった人殺しのような視線が諏訪子を射抜く。

「もしかして……気にしてた?」
「ふん、誰があのような事を気にするか! あの程度の屈辱、呑み込めなくて何が任侠か。緊縛プレイに聖水プレイ? は、ワシを染めたければその三倍は持って来いというのじゃ!」

 その言葉と共に、マミゾウの背後に幾枚もの枯葉が舞い上がる。
そして次の瞬間には、それら全てが或いは剣に、或いは槍へと姿を変えた。

「ちょ、それアーチャー違い!」
「問答……無用じゃあ!!」

 号令一下、刃の弾丸が一斉に撃ち出される。
任侠王アチャゾウ狂戦神ヤーサーカーの凄まじく、そして馬鹿馬鹿しい戦いが此処に始まっていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 東風谷早苗は笑顔で境内へと続く階段を昇っていた。
時折、鼻歌を交えながら、その足取りはとても軽い。

「えへへ、今日はいいお肉が手に入りました!」

 弾むような声で早苗は言う。
今夜は豪勢にすき焼きにしようかと彼女は考えていた。
諏訪子様と神奈子様は喜んでくれるだろうか。
美味しいと言って食べてくれる二人の姿を想像すると、自然と笑みが零れる。

 そして、早苗は逸る心を抑えながら階段を登りきり、

「いけー! やっちゃえヤーサーカー!」
「ヴォオオオオオオオオオオオッ!!!」
「死にさらせぇぇぇえええええッ!!!」

 視界に飛び込んできたのは、荒れ果てた神社の境内と、マミゾウが神奈子っぽい何かと死闘を繰り広げていて、その後ろで諏訪子が声援を送っているという訳の判らない光景だった。

「なにこれ?」

 呆気に取られた早苗は、買い物袋を落として唖然とした表情で呟く。
だが次の瞬間には正気に立ち返ると、慌てて彼女たちを止めに入っていた。

「三人とも何をされてるんですか!」
「うわ!? 早苗!?」
「くっ! 危ないから下がっておれ早苗!」
「下がりません! なんでこんな喧嘩なんかしてるんです!」

 早苗は必死になって止める。
二人の間に割って入り、巻き込まれる危険も承知でマミゾウの腰に抱きついて、その動きを止めていた。
瞳にわずかに涙を湛えた彼女の姿に、マミゾウも諏訪子も動けずにいた。

「諏訪子様も神奈子様も、マミさんも……なんで喧嘩なんかするんですか……」

 そう、涙ながらに早苗は訴える。

 それを見て、諏訪子はバツが悪そうに言う。

「それはこの狸が……」
「まだ言うか、この性悪幼女!」
「何さ!」
「何じゃ!」

 だが、一度抜き放った矛はなかなか収められない。
いがみ合い、睨み合い、二人は互いに火花を散らす。

 しかし、その時だった。

「いい加減にしてください……」

 たった一言発せられたそれに、マミゾウも諏訪子もぎょっとした表情で早苗へと振り返った。

 早苗はとてもにこやかに笑っていて、それとは対照的にこめかみに浮かんでいた青筋がとても印象的だった。

「――――――奇跡トレース開始オン

 不意に早苗が囁くと、その手に光が集い、風景がぶれる。
集まっているエネルギーは一言で言えば異常であり、次の瞬間にはそれは一振りの豪奢な剣へと形を変えていた。

「ちょ、ちょっと待って早苗! それは色々とマズイ!!」
「というかお主そんな能力持っとらんじゃろうが!」
「ふっふっふ! 私のミラクルパワーを使えばこの程度造作もありませんよ!」

 早苗は勢い良く剣を振り上げると、その真名を叫ぶ。

約束されたエクス――――――」
「わー!? ちょ、早苗ごめんなさい!?」
「も、もう喧嘩はせん! じゃから!」

 うろたえ始めた二人に、早苗は華やいだ笑みを見せて言う。

「――――――勝利の剣カリバー!」

 絶対に許さないという、揺ぎ無き意思を籠めて。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 光の奔流が全てを薙ぎ飛ばし、神社の境内は戦場跡の様相を呈していた。

 空が黄昏に染まり、吹き抜ける風が寒い。
見上げた茜空に流れる雲を眺めながら、マミゾウは疲れたように言う。

「もういい加減に泣き止んだらどうじゃ?」
「あーうー……。早苗に……早苗に嫌われた……」

 大の字に倒れたまま、マミゾウは隣で突っ伏しながら号泣している諏訪子に声を掛ける。
二人とも服はあちこちが解れ、髪の毛などもちょっと愉快な感じに焦げ気味だった。

 けれど、諏訪子が泣いているのは体が痛むからではなかった。

『しばらく外で反省していてください! それまでみんなご飯抜きです!』

 そう吐き捨てるように言い残し、早苗はズタボロで打ち捨てられた諏訪子たちを振り向きもせずに母屋の方へと去っていった。

 一瞥もせず、大層憤慨しているのが見て取れた。
早苗に怒られた事が、諏訪子には何よりも堪えていた。

 その様子に、マミゾウはやれやれと溜息を零す。

「考えすぎじゃよ……。あの娘がお主のことを嫌いになるなど、絶対にありえぬことじゃ」
「あうー……なんだよ、判ったようなこと言っちゃって……。いつも早苗と仲良くしてるからって……。羨ましいんだよコノヤロー!」
「く、あははは! はぁ、やはりそれが理由じゃったか……。なんじゃ、早苗を取られるとでも思ったのか?」
「う、うっさいな……悪かったな、子供みたいに嫉妬して……」
「確かに年甲斐の無い仕返しじゃったな」
「うっさい!」

 少しだけ元気が出てきたのか、諏訪子は上半身を起こしてマミゾウと騒ぎあう。

 彼女の表情に僅かに生気が戻ってきたのを見て、マミゾウは笑みを零す。
ふぅっと息を吐き、彼女は全身の力を抜く。

 そして、

「儂が早苗と話しているとな、あの娘は嬉しそうな顔でいつもお主らの事を話しておったよ」

 その言葉を聴いた瞬間、諏訪子の目が僅かに見開かれた。

「……え?」
「なんじゃ、意外そうな顔をしおって……。色々聞いたぞ。幻想郷に来てからのこと、幻想郷に来る前のこと。その殆どにお主らの事が出てきおったよ。聞いていて、こっちの方が少し妬けるぐらいじゃった」
「あ、う……。そ、それって……」

 あの笑顔を見ていればマミゾウには判った。
東風谷早苗が、洩矢諏訪子と八坂神奈子をどれほど大切に思っているのか。

 それに……、そう。
だからこそ、彼女は一言も言ってないのだ。

『大嫌い』の一言を。

 諏訪子たちの騒動に怒りはしても、その一言だけは絶対に言わなかった。

「早苗……」

 諏訪子の瞳に、先ほどまでとは違う涙が溢れる。
それに今までの冷たさはなく、頬を伝うと不思議と暖かさを感じるもの。

 それを見て、マミゾウは優しく笑う。

「『しばらく外で反省していてください! それまでみんなご飯抜きです!』じゃったか……。ならば、もう十分じゃろう」
「え、でも……」
「早いうちが良いじゃろ。儂も一緒に謝るゆえ、さっさと行くぞ諏訪子殿」
「ちょ、ちょっと!」

 やおら起き上がると、マミゾウは諏訪子の手を取り引き起こす。
戸惑う諏訪子を引きずりながら、マミゾウ達は母屋へと戻っていった。

 その後、結論だけ言うと二人は許された。
渾身の土下座をする二人に掛けられた言葉は、

『一緒に境内の片づけをして、それから晩御飯にしましょう』

 というものだったそうな。




 ちなみに余談であるが、

「あの、そう言えば神奈子様は?」
「……あ」

 体積比で聖剣の一撃を一番モロに受けて吹っ飛ばされたヤーサーカーもとい、八坂神奈子。
妖怪の山の山中にて呆然としていた彼女を早苗たちが探し始めたのは、晩御飯ができあがり、いざ『いただきます』を言おうと食卓を囲った瞬間だった。


~あとがき~
 えー、どうもみなさん、お久しぶり、そうじゃない方ははじめまして。
どうも黒野茜です。
ヤーサーカーにモリヤスフィールに東風谷士郎と、終盤は終始TYPE ZUNのお話でしたが如何だったでしょうか?
正直、SSを書いていて此処まではっちゃけたことは今までございませんでした。
もともとは神霊廟のマミゾウと早苗の会話を見て『おばあちゃんと孫みたいで良いなこの二人』という思いから書き始めましたが、気付けば友人との会話で偶然生まれた化け物ヤーサーカーが題材となっておりました。
どうしてこうなったのかは、私にもわかりません。
もし少しでも楽しんでいただけたのであれば、神奈子様も体を張った甲斐があったというものでしょう。
えー、では今回はここら辺で。
ちょっとオンバシラに潰されてきます。


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