Hatena::ブログ(Diary)

Eisbergの日記

2011-11-27

 福島県飯館村前田区、長谷川区長さんのスピーチ


今日、ベルリンにて、ブント(ドイツ自然•環境連盟)、ドイツ放射線防護協会、ベルリン日独平和フォーラムという三つの団体が共同で「福島県の人びとによる報告」と題する講演会を行った。


参加者は120人ほど。日本人もたくさん来ていた。非常に濃い内容だったので、そのすべてをここに記したいところだが、ひとまずは講演者の一人、福島県飯館村前田区区長である長谷川健一氏のスピーチ内容を紹介したい。大変印象深く心を打つスピーチであった。録音機などは持参しなかったので必死にディクテーションした。そのため、100%長谷川氏の言葉通りではないことをあらかじめお断りした上で、内容をできるだけ忠実に書き留めたものを以下に転載する。


 

 私は、福島第一原発事故のヒバクシャです。私の住む飯館村プルトニウムが降ったのです。放射能は目に見えませんが、もし見えるならば、私の体は今、ドイツの街を輝かせるクリスマスの飾りのように光っていることでしょう。


 事故が起こってすぐ、私は原発がおかしい、何かが起こっているのではと強く思いました。そして、新聞に三号機の爆発が発表された3月14日、私は慌てて村役場に飛んで行きました。「原発はどうなっているのですか」と問いただすと、「大変なことが起きている。空間放射線量が40マイクロシーベルトを超えている」という説明を受けました。驚いた私が部屋を出ようとすると、役場の人はこう言うのです。「誰にも言わないでくれ。村長に口止めされているんだ」


 しかし、私はすぐさま部落に帰り、言うなと口止めされたことなど気にせずに部落の人に危険を知らせました。翌朝、3月15日の朝、6時半に地区の人が続々と集まって来ました。そのとき、外は雨が降っていて、そのうち雪に変わりました。後でわかったことですが、ちょうどその頃、飯館村の放射線量は100マイクロシーベルトを超えていたのです。それを知らせてくれたのはジャーナリストの方です。大勢のジャーナリストが村に来ていたのです。私は、地区の住民に言いました。「外にはなるべく出るな。どうしても出なければならないのなら、マスクをしろ。肌を出すな。外から帰ったら玄関で服を脱ぎ、風呂に入るかシャワーを浴びるかしろ。畑の野菜を食べてはいけない。換気扇を回すな」と。そのとき、北西の風が吹いていました。飯館村原発からの放射能の風をまともに受けてしまったのです。


 私は、ジャーナリストをかき集め、訴えました。「飯館村を避難対象にしてくれ。どうか、それを報道してくれ」。しかし、それはかないませんでした。避難を希望する者がいるなら避難してもよいが、村は避難対象にならないと言われたのです。ですから、一部の人しか避難しませんでした。


 これは公式に発表された村の放射線量です。3月15日の午前6時20分のところを見て下さい。44.7マイクロシーベルト/時と書いてあります。ジャーナリストから知らせてもらった数値は100マイクロシーベルト以上です。なんという違いでしょう。公の発表は正しい数値ではないのです。嘘の報道をしているのです。


 そして、国や県から、専門家達が次々に村にやって来ました。みんな口々に、大丈夫だ、安心しろと言います。しかし、その少し後に、今度は別の大学の先生のチームがやって来て、村中の放射線量を測りました。先生は「おそろしい。こんなところに住んでいてはいけない。私達が集めたこのデータを村長のところへ持って行ってください。避難しなければなりません」と言いました。しかし、村長は「このデータは公表しないでくれ!」と叫んだのです。村長は村を守ろうとしました。村をゴーストタウンにしたくなかったのです。


 そのまま二ヶ月半もの時間が経過しました。避難せずに住み続け、子ども達を被曝させてしまいました。その後、村は計画避難区域に指定されましたが、その前日の4月10日には国の方から偉い学者がやって来て、安全だと言っていたのです。それなのに、翌日の11日になると、「危険だ!避難しろ」と突然言われ、村民は怒りました。


 私は酪農家です。この写真は私が事故後に牛乳を捨てているところです。毎日、牛乳を捨てました。村が避難の対象となったとき、牛は連れて行ってはいけないと言われました。私達は泣く泣く酪農を諦めることになりました。この酪農家の奥さんは、牛が乗ったトラックを「ごめんね。ごめんね」と言いながら追いかけました。そしてこの若者は、東京生まれで、どうしても酪農がやりたくて村へ移住して来た人です。飯館で10年間酪農をやって、ようやく軌道に乗ったとき、それを諦めなければならなくなりました。彼はそれが悲しくて泣いているのです。飯館村では、村人がみんなで力を合わせ、良い村作りに励んで来ました。日本一美しい村に推薦され、認められた村です。その村が放射能に汚染されました。


 そして、ある日、私がもっとも恐れていたことが起こりました。相馬市の同じ酪農家の友人が自殺したのです。この写真に写っているのは友人が亡くなる前に壁に書き残した言葉です。「原発さえなければ」と書いてあります。「2011年6月10日 1時30分 大変お世話になりました。私の限度を超えました。ごめんなさい。原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けずに頑張って下さい。仕事をする気力を無くしました」。時期を同じくして、隣の地区の102歳のおじいちゃんも自殺しました。南相馬市の93歳のおばあちゃんも「墓へ避難します」と書き残して自殺しました。こういうことが次々に起きたのです。これからも起こるでしょう。


 これは7月下旬の私の自宅の雨どいの線量です。27,62マイクロシーベルト/時と出ています。現在、村民はみな避難していますが、我々は24時間体制でパトロールしています。雑草が伸びきって、温室の屋根を突き抜けています。これが今の飯館村の姿です。


 私は、国が原子力を推進して来たのだから、国は事故の対策をきちんと取ることができるのだろうと思っていました。ところが、事故が起こって、今頃、どうやって除染をしたらよいかの実験をやっているのです。私達村民は、村に戻れるのかどうかもわからない状態です。でもただ一つ、はっきり言えることは、私は子どもや孫を飯館村へは絶対に返さないということです。飯館村の面積の70%は山です。家の周りや農地をいくら除染しても、山の除染はできませんから、山から放射能が移動して来るのです。我々は今から何年か後に、村を捨てる決断をしなければならないかもしれません。可哀想なのは子ども達です。子ども達は飯館村というステッカーを一生背負って生きて行かなければなりません。広島や長崎の被爆者とおなじように、差別を受けることになるでしょう。そんな差別の起きない社会を私達はなんとしてでも作っていかなければなりません。


 今回このようにしてドイツを周り、私はドイツは素晴らしい国だと思いました。なぜなら、福島の原発事故の危険をきちんと見極め、ドイツは脱原発を決めたからです。それにひきかえ日本という国は、こんな事故が起こってもなおかつ、原発を再稼働するという。それどころか、原発を輸出しようとすらしているのです。そんなことは絶対に阻止しなければなりません。これからは、日本人も声を大きくし、戦っていかなければならないのだと思います。

2011-11-26

ドイツのエネルギー転換にかかるコスト


先日、ベルリンの経済界を政治、学問、文化のそれぞれの分野に連結させ、総合的なコミュニケーションを図るためのフォーラム、Berliner Wirtschaftsgespräche e.V.にて、「エネルギー転換にかかるコストは?」と題されたパネルディスカッションが行われた。


パネリストは、ドイツ社会民主党のヴォルフガング•ティーフェンゼー氏(第一次メルケル政権にて内閣の連邦運輸・建設・住宅大臣を歴任)、緑の党副党首ベルベル•ヘーン女史、ドイツ経済研究所のエネルギー専門家クラウディア•ケムフェルト教授、産業界エネルギーロビイストのイェルク•ロートヘルメル博士の4名である。ディスカッションの前提は以下の通り。



 脱原発に向かうドイツで、エネルギー転換にはどれだけのコストがかかるのかということについて激しい議論が繰り広げられている。脱原発に懐疑的な専門家の中にはエネルギー転換は数千億ユーロを必要とするだろうと見る者もいる。脱原発により、再生可能エネルギーのみではなく、石炭やガスによる発電所も新設しなければならない。一般消費者の支払う電気料金も値上がりする。さらなる不安要因は、2010年から2023年までの間に産業界の電気料金負担額が41%も増大すると予想されており、これにより、特に多くの電力を消費する産業が大きな打撃を受けそうだ。現時点で3.5セント/キロワット時の電気料金は、6セント/キロワット時にまで値上がりすると推定されている。


これに対し、ドイツ再生可能エネルギー協会はこう反論する。調査の結果、2010年には再生可能エネルギーの推進により食い止められた環境破壊は金額にすれば84億ユーロにも上る。 そして、再生可能エネルギー推進は多くの国内企業の付加価値を高め、再生可能エネルギー産業だけでも37万人分の雇用を新たに生み出した。さらに、去年一年間でドイツのエネルギー輸入は金額にして74億ユーロ減少している。


実際にエネルギー転換にはどれだけのコストがかかるのだろうか?



一時間半に及ぶディスカッションの内容を正確に書き留めることが困難であるので、いくつか要点のみをここで紹介したい。まず最初に、緑の党のヘーン氏が「2012年4月に電気料金が値上がりするが、これは必ずしも脱原発に起因するものではない」と述べた。電気料金が高くなっている背景には資源価格が高騰しているという現実があり、また脱原発とは無関係に送電•配電網の新設が進んだことなどがある。


また、ヘーン氏は「2000年に制定された再生可能エネルギー法により、ドイツにおけるエネルギー供給の地方への分散が進んだ」と述べ、この見解は残る三人のパネリストに異論なく受けとめられた。ドイツの再生可能エネルギー法はEICネット:環境情報案内・交流サイトでは以下のように説明されている。


 地球温暖化防止、環境保全及び持続可能な発展のために、総電力供給における再生可能エネルギーの割合を2010年までに2倍以上にすることを目的に、2000年に制定されたドイツ連邦法。


 電力供給事業者に対する再生可能エネルギー買取義務とその買取価格及び期間、系統接続に関する費用負担者、2年ごとに政府が連邦議会に市場状況等について報告書を提出する義務等を規定する。対象エネルギー源は、風力、太陽光、地熱、水力、廃棄物埋立地や下水処理施設等から発生するメタンガス、バイオマスであり、最低買取価格及びその期間は、エネルギー源、規模、設置環境に応じて細かく定められている。


 2004年の改正では、総電力供給における再生可能エネルギーの割合を2010年までに12.5%以上、2020年までに20%以上にすること、大口電力需要者に対する優遇措置、風力発電施設に対する効率を重視した買取価格の設定、バイオガス発電施設や小型水力発電施設に対する買取価格の改善等が改正された。


この法律により、国民の誰もが電気を作り、売ることが法的に可能となった。そして、再生可能エネルギーの推進でこれまでに34万人の雇用が新たに生み出されている。(ドイツ政府が07.10.2010に発表した数字)これは大きな経済チャンスと捉えることができる。



エネルギーロビイストのロートヘルメル氏は電力多消費型産業への電気料金負担軽減措置の必要性を強く訴えたが、経済研究所のケムフェルト氏は「電気料金値上げが負担となるのはむしろ一般消費者だ。何故ならば、産業界はロビーを行うことができるが、一般消費者らはそうではない」と述べた。アルミ精練などに代表される電力多消費型産業はドイツ国内の電力消費の20%をも占めており、そうした企業は負担軽減措置の恩恵を受けている。しかし、一般消費者や中小企業はそうではない。緑の党ヘーン氏は「企業が生産する商品の価格のうち、約何%が電気料金なのか」とロートヘルメル氏に質問した。ロートヘルメル氏の回答によると、平均で5〜7%程度であるそうだ。


企業のスムーズな生産のためには安定した電力供給が保証されなければならないが、ヘーン氏はこの点について建設的な提案を用意していた。それぞれの企業の実情は様々であるから、「電力多消費型企業」とひとまとめにして議論するのではなく、企業ごとに賢い解決法を見いだすことが重要である。たとえば、緑の党はトリメット•アルミニウム社と交渉し、電気料金の負担軽減措置を受ける代わりに、その見返りとして電力消費量のピーク時に短時間の電力供給中断を受け入れるという協定を提案した。中断の日時は前もって予告し、企業の生産に混乱が生じないようにする。また、大手化学会社バイエルは独自のガス発電所を設置する。



環境保護という観点から考えると、ドイツ企業はエネルギー効率の面で世界でトップクラスにあり、模範的と言えるが、ドイツには交通や建築物のエネルギー効率の改善という大きな課題が残されている。とりわけ、建築物の環境への負荷を軽減するための政府による住宅リフォームプログラムは立ち後れている。ドイツには古い建築物が多いが、新築建築物に比べ、古い建物は3倍も断熱効果が低く、暖房に多くのエネルギーを要する。ドイツの二酸化炭素放出量の20%近くがエネルギー効率の悪い建物によるものであるとされる。社会民主党のティーフェンゼー氏によると、政府による建築物のリフォームプログラムは「環境への負荷を軽減し、雇用を生み出し、住環境を改善する」という三つの効果を同時にもたらすものであるが、政治において議論が不十分であり、2050年までにすべての住宅をゼロ•エミッションにするという目標が掲げられたにもかかわらず、そのための予算が削減されたため、現在、住宅のリフォームは年間でたったの1%すらも達成されていない状況だという。


このディスカッションをまとめると、脱原発によってドイツのエネルギーコストが上昇することは当面避けられないが、脱原発は同時に雇用を生み出し、経済を活性化させるため、全体としてプラスになるという肯定的見解の一致が見られた。ただし、政界からの参加者は野党のみであり、与党側からは誰も参加していなかったので、社会的にバランスの取れた議論というよりは政治色の濃い内容であったということを書き添えなければならない。

2011-11-20

 我が家のエコ暖房 ヒートポンプ


ドイツの一般住宅における暖房はセントラルヒーティングが一般的だ。一軒家の場合、地下室にボイラーなどの給湯器熱源装置が設置され、そこから熱が各部屋に送られる。台所や浴室のお湯も同じ熱源により供給される。暖房器具は窓の下に取り付けるラジエーターが主流だが、近頃は床暖房も普及している。


我が家は5年前に中古で購入した築25年の一軒家である。ヨーロッパの建物はほとんどが石造りで100年を超える耐久性があるので、築25年というのは特別古いわけではない。ただ、やはり建築から20年以上経てば補修は必要になる。私達が現在の家を購入したとき、暖房設備が老朽化していた。ドイツではもっとも一般的な石油ボイラーが熱源装置だった。配管その他を数千ユーロ投資して補修すればそのまま使用可能だったが、ボイラーの横に置いた6つの石油タンクのどれかから石油が漏れ出しているようで、家中に石油の匂いが充満して、どうも嫌だった。そんな事情で、どうせ投資するならばと思い切って石油ボイラーをやめて地下水を利用したヒートポンプを設置することにした。これは地中の熱を熱源として利用するヒートポンプの一種だが、地熱そのものを利用するよりもボーリングの本数が少なく済み、手軽である。


仕組みについては、こちらのサイトの説明がわかりやすい。


ゼネラルヒートポンプ ヒートポンプの仕組み


我が家の場合は庭に約27メートルの穴を二つ掘り、その一つから地下水を汲み上げている。地下水の温度は10.4℃。約1000リットル汲み上げられた地下水がコンプレッサーの中で圧縮され、7.4℃に冷却される。そこで放出された温度差3℃の熱がコンプレッサーの中で家の中の約100リットルの温水循環システムに伝えられる。このとき、「温度と圧力・体積は比例、圧力と体積は反比例する」というボイル•シャルルの法則に従って30℃の温度差になる。ラジエータを通ってコンプレッサーに戻って来る水の温度は約20℃であるので、それが50℃に暖まるという仕組みである。


ボーリングの深さはその場所の地質によるので一般的にどのくらいということは難しいが、我が家の庭の場合は前述したように地下水脈に当たるまでに27メートル掘った。汲み上げ用と排水用の二本のボーリングにかかった費用は6000ユーロほど。ヒートポンプはElco社製のAQUATOP 、機種は15esである。ヒートポンプ自体の価格は7000ユーロ。設置工事その他すべて合わせて1万7000ユーロほどの投資となった。石油ボイラーからヒートポンプに変えて、我が家の暖房費は約半減した。ただし、これはその家屋の断熱の度合いなどにもよるので、一般化は難しい。暖房費が半減というのも石油ボイラーを使っていた5年前と比較しての数字で、この数年、石油価格が高騰して「暖房費が急に膨れ上がった」と悲鳴を上げている人が多いので、実際の節約効果はもっと大きいはずだ。近所では我が家が一番乗りにヒートポンプを設置したが、最近、隣人達が次々と工事を始めている。


地下水利用型を含めた地熱ヒートポンプのメリットには、季節や天候に関わらず温度が安定していること、燃料の枯渇や価格変動の心配がないこと、二酸化炭素を排出せずクリーンであること、火を使わないので安全であることなどが上げられる。


f:id:eisberg:20111120140111j:image:w360


我が家の地下室に設置した温水タンクとコンプレッサー。

2011-11-08

 学校教科書に見るドイツの原子力教育


福島第一原発事故後、大規模な反原発デモが何度も繰り広げられ、いち早く脱原発を決定したドイツ。これほどまでに大きな事故が起きていながら脱原発への動きがなかなか大きくなっていかない日本と、自分の国で事故が起きたわけではないのに国民が強く反応し政治を動かしたドイツの違いを生み出したものは何だろうかと考え続ける毎日である。国民性の違い、社会構造の違い、歴史の違い(歴史的には日本と共通点も多いはずだが)、いろいろ思い当たる点がある。その中で最も根本的な相違を感じるのは学校教育だ。小学校から大学までの全教育課程において、与えられた情報の吸収に重点を置く日本の教育とは対照的に、ドイツの学校教育そして大学教育は、各人が物事に対して自ら考え、判断し、さらにはそれを行動に移す能力を養うことを目的としている。


ドイツと日本の教育について考察するとあまりに長くなるので、それは別の機会に譲り、ここではドイツの学校教育の中で原子力というテーマがどのように扱われているかについて紹介したい。


f:id:eisberg:20111107115352j:image:w360

これは、ギムナジウムと呼ばれる進学校(日本でいう小学校5年生から高校3年生までの一貫校)の9〜10年生の物理の教科書である。9、10年生というのは日本の学校のそれぞれ中3、高1の学年に当たる。この2学年分の物理の教科書の中に核物理(Kernphysik)が扱われている。A4版の教科書に細かい字でびっしり、この単元だけに28ページが割かれている。


それでは内容を見ていこう。


f:id:eisberg:20111107115420j:image:w360

最初の2ページは核物理の初歩である原子および原子核の構造の説明。


f:id:eisberg:20111107115539j:image:w360

次に、周期表、そして核種と同位体の説明。右ページは基本を踏まえた上での練習問題となっている。


f:id:eisberg:20111107115549j:image:w360

5、6ページ目は核分裂と電離放射線について。各物理学者ベクレルおよびマリー•キュリーの紹介。


f:id:eisberg:20111107115555j:image:w360

放射線測定機器の種類と使い方。


f:id:eisberg:20111107115603j:image:w360

放射線の種類(α線β線γ線)とその性質。


f:id:eisberg:20111107115610j:image:w360

崩壊系列と半減期


f:id:eisberg:20111107115621j:image:w360

放射線を使った技術の例として、考古学で使われる炭素14年代法を紹介。右ページは主に放射性核種の半減期に関する練習問題。


f:id:eisberg:20111107115627j:image:w360

環境中の放射線について。ここでは自然放射線と人口放射線の違いについて説明されている。右ページでは放射線障害について、内部被曝と外部被曝の違いや、人体において被曝の影響を受けやすい臓器、被曝障害の特徴などが説明されている。


f:id:eisberg:20111107115633j:image:w360

その次に出て来るのは放射線防護の方法についてである。右ページは核分裂の説明と連鎖反応の仕組みについて。


f:id:eisberg:20111107115639j:image:w360

そして、核分裂を利用した技術として原子力発電を説明する。見開き2ページの最後の部分には「すべての緊急冷却装置が機能しなくなったときにはどのようなことが起こるか」について言及されている。


f:id:eisberg:20111107115644j:image:w360

左ページは原子力発電以外の放射線の利用について。右は放射性廃棄物について。右下に放射性廃棄物の輸送に反対する住民デモの写真。


f:id:eisberg:20111107115649j:image:w360

さらに進んで、核爆弾の開発と利用について。マンハッタンプロジェクトの内容と、ロス•アラモスでの最初の核実験を終えた後、物理学者リチャード•ファインマンが母親に宛てた手紙から、以下が引用されている。「僕たちは宙に飛び上がり、大声で叫んで走り回り、お互いに肩を叩き合い、握手した手を激しく揺すって、おめでとうと言い合いました。すべて完璧に行った。ただ投下地だけが違う。次回はニューメキシコじゃなくてジャパンだ。僕たちはみんな自分達が成し遂げたことに対する誇りで胸がいっぱいだった。もうすぐ戦争を終わらせることができるかもしれない」そして、ヒロシマナガサキへの原爆投下について半ページほどの記述がある。


右ページにはドイツにおける放射能汚染地図と原子力発電所の所在地地図が掲載されている。(この教科書は少し情報が古く、地図上には旧東ドイツに二カ所の原子力発電が記されているが、現在、これらは動いていない)地図の下にはこのような学習課題が出されている。「身の周りのいろいろなものをガイガーカウンターで測ってみよう」「放射線源がどこにあるかを考え、線源を測定してみよう。(ヒント 病院や原子力発電所を訪問する。食品や家の中、森の中、学校などを測定してみよう)」「特に線量が高いところが見つかったら、先生に報告し、インターネットで情報を公開しよう」「測定結果をポスターなどにまとめて発表しよう」


f:id:eisberg:20111107115655j:image:w360

医療における放射線利用について。中立的な説明であるが、左ページ下にコラムとして、過去には放射線の危険がよく認知されておらず、ラジウムブームが起こり、ラジウム時計の製造に関わった工員の多くが癌を発症したことが書かれている。


f:id:eisberg:20111107115706j:image:w360

最後のページはまとめの練習問題である。その中に、チェルノブイリ事故がどのように起こり、どのような影響をもたらしたかについて、インターネットで調べなさい」「多くの原子力発電所では冷却水は中性子の減速剤としての機能も持っています。冷却水の温度が上昇すると水蒸気が発生し、減速機能がうまく働かなくなることがあります。このような現象が生じた場合、発電所の操業にはどんな影響があるかを考えなさい」というものもある。



以上が、ドイツの進学校で中学3年生、高校1年生が習う物理学の内容である。ただし、ドイツの教育の内容はそれぞれの州政府に委ねられており、さらに授業の進め方は担当教師の裁量に左右する部分が大きいため、ドイツの生徒がみな同じようにこうしたことを学ぶというわけではない。教師によっては核物理に重点を置かない場合もありえる。しかし、そうではあっても、核物理学が単なる理論学習に留まらず、人間社会でどのように利用されているか(来たか)、そして核の利用にはどのようなリスクが伴うのかについて学べるよう情報が公開されているという点で、ドイツの教育は日本とはあまりにもかけ離れていると言えないだろうか。


核事故が起こっても日本国民がすぐにはその危険を認識せず、原発を撤廃しようという運動をなかなか起こせないのは、ひとえに「知らない」からだ。ことは原子力だけに留まらない。歴史教育もまた同様で、国は国民に情報を公開して判断を促すということを避けている。「都合の悪いことは国民に知らせない」のが文部科学省のやり方なのだろうか。

2011-10-21

 形式的な贈答習慣をやめたい


3.11以来、原発事故に関することばかり書いて来た。今なお原発事故が最大の関心事であるとは言え、世の中それだけでもないので、他のテーマについても少しづつ書いて行こうと思う。


以前からずっと気になっていることがある。それは社会における贈答習慣である。私が住んでいるドイツでは一年で最も多くのプレゼントが交換されるのはやはりクリスマスで、その他には誕生日や結婚式などの個人的な節目を祝って物品を贈ることがあるが、日本のお中元やお歳暮に当たるものはない。強いて言えば、日頃お世話になっている人にクリスマスプレゼントを贈るのが日本のお歳暮の習慣に似ていると言えないこともないが、大抵の場合は少人数に限られ、その品もちょっとした物に留まることが多い。


しかし、子どもは別で、クリスマスや誕生日だけでなく、イースターだニコラウスだカーニバルだと、年中のべつまくなしに大人からプレゼントを貰う。そのほとんどはチョコレート菓子だ。キリスト教の行事のたびに親や祖父母などからお菓子を貰い、商店へ親の買い物について行けば「はい、坊や」と店員からお菓子を貰い、幼稚園や小学校でもお菓子を貰って来るという具合。山のように貰ったお菓子がなくなった頃には次の行事がやって来る。秋から春にかけては特にそのような行事が多い。さらに近年は、アメリカからの輸入文化でハロウィーンまで祝うようになり、子ども達は仮装して夜道に繰り出し、また袋いっぱいのお菓子を貰って家に帰る。


あまり頻繁にお菓子を貰うので、子どもの方はたいして有り難みを感じている様子はなく、そもそも飽食の現代、行事がなくても子どもは日常的にお菓子を食べているのであるが、それでもイベント時に何も貰えなければやっぱり不服そうにする。食糧が乏しくて特別な祝日でなければ甘い物を手にできななかった時代とは事情が違うのだから、そろそろこんなバカバカしいことはやめてはどうかと思うのだが、それを言うと「甘い物のないクリスマスなんて」「伝統なのだから」「子どもから楽しみを奪うのか」などという反論が返って来ることが多く、一向に考え直される様子がない。商品を売る側もなんとかして儲けようと、近頃はクリスマスシーズンに出回るチョコレート菓子が次第に巨大化していっている。そして買う方は必然性もないのに「今までもそうして来たから」という理由で買い続けるのである。


日本にはこのようなおまけ付きの宗教行事はほとんどなくて少しほっとするが、その代わり、大人同士はおびただしい数のプレゼントを交換し合っている。お年始、お中元、お歳暮の他に、出産祝い、引っ越し祝い、入学祝い、お見舞い、快気祝い、義理チョコ、本命チョコ、父の日、母の日、お土産、手土産、そして「お返し」というものまである。これらは必要なものなのだろうか。人々は物を贈り贈られることを本当に喜んでいるのだろうか。


私は一時期、家族とともに日本で生活したが、そのときにびっくりすることがあった。子どもを預けていた学童保育室で運営費作りのためのバザーがあり、各家庭からバザーに出す不要品を集めることになった。そのときに係の人が言ったのである。「各家庭、最低二点は出して下さい。新品のものに限ります」。新品の物を二つも寄付しろ、と言われたのだ。家に帰って何か出せるものはないかと家中引っ掻き回してみたが、バザーで売れそうな新品のものなどなかった。それで係の人に事情を話したら、「そんなことはないでしょう。どこの家にだって、不要品の一つや二つあるでしょう」と言われる。確かに、ごく平均的な日本人家庭であれば、お中元、お歳暮、結婚式の引き出物として貰ったタオルセットや食器セットなどが使われずに押し入れの奥にいくつも眠っているのかもしれない。しかし私達一家は日本滞在の年数が限られていたし、また夫が外国人なので、そのようなシステムには組み込まれずに過ごしていた。だから、我が家には新品の不要品は一つもなかったのである。


「新品のもの以外は受け付けません」と係の人は繰り返した。今の時代、100円ショップに行けばほとんどの物が100円で買えるのだから、同じくらいかそれ以上のお金を出して他人の手垢のついた物など買う人はいないのだという説明だった。それは事実なのだろう。物が売れないバザーなど実施する意味がない。しかし、何かがおかしい。みんな何故、要らない物を互いにせっせと贈り合うのだろう。


また、こんなこともあった。私の子どもがドイツで生まれたとき、日本の親類や知人の多くが出産祝いを送ってくださった。それはとても嬉しかった。しかし、日本にはお返しをするという決まりごとがある。祝いの品は実家の両親を通じて受け取ったので、両親に「なるべく早くにお返しの品を家に送るように」と言われた。ところがこちらは子どもを出産したばかりで、買い物になど行けないのである。これが日本であれば、誰か身近な人間が産婦の代理にデパートなどへ行って適当な品を選び、先方への配達を手配するということもできるのだろう。しかし、ドイツには「出産祝いのお返し」などという習慣はなく、デパートにもギフト商品は並んでいないし、ドイツ人の夫に買いに行かせたところで何を買ったらいいのか皆目見当がつかないであろうと思うと、頼むことはできなかった。事情が事情であるので、このときに限り日本式の「お返し」は勘弁被りたかったが、それでは間に立つ両親が肩身の狭い思いをしてしまう。かといって、先方が皆、お返しの品を喜ぶかどうかも甚だ疑問だった。とにかく「返した」という事実が必要なのである。どうにかこうにか大変な思いをして、首も座っていない赤ん坊を抱きながらようやく買い物をした日の記憶が今も蘇って来る。


子どもの頃読んだ「サザエさん」の4コマ漫画にこういうのがある。サザエさんともう一人の主婦が街角ですれ違い、「奥様、今年のお中元の品はお決まりですか?」と互いに聞きあう。「うちは○○円のサラダ油セットです」「うちは××円の石けんセット」などと言い合い、「じゃあ、差額200円ね」と片方がガマグチを開けて相手に小銭を渡す。詳細は忘れたが、だいたいそんな感じの内容だった。子供心に合理的だと感心した。しかし、実際にそのようなことをする人はいない。合理的なことは味気ないだとか、文化伝統を守ろうだとか言って習慣を変えることを嫌がる。私は「文化」とか「伝統」という言葉を聞くと、どうも胡散臭いものを感じてしまう。文化など必要ないという意味ではない。文化は私にとってもとても大切だ。それが人の心を豊かにするものである限り。だが、多くの場合、「文化なのだから」は何かをやめないための都合の良い言い訳として使われる。「文化だ」と言ってしまえば面倒くさい議論は不要になる。私は、無意味なことを惰性で続けるのが嫌いだ。


形式的な贈答習慣は私達の生活に不必要なだけではない。大量の不要品を作り出し、ゴミを増やす。おまけに、それらの「ゴミ」を生産するのにどれだけのエネルギーが消費され、どのくらいの二酸化炭素が環境中に放出されていることだろうか。この無駄な習慣をやめれば原発の一つや二つくらい簡単に止められるのではないだろうか。