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2011.11.30
参加報告:朝鮮大学校創立55周年記念 抗議活動 in 小平市 【東京支部】前半
どんよりとした曇天の中、朝鮮大学校へ向かいます。
西武鉄道・鷹の台駅。
なかなか遠くへ出かけることはないので、駅についた頃にニコニコ生放送で様子を見てみると、抗議団は朝鮮大学校へ向かっている最中の頃でした。
要するにまたもや遅れてしまったということです。早めに出たはずなのですが、やはり地図だけではいけませんね。次回から素直に乗り換え案内を使います。。
急いで朝鮮大学校に向かい、無事合流。どうやらそれまでに創価学園の前でも一悶着あったそうなのですが(後に動画を見て知りました)、それも終わって朝鮮大学校前の抗議街宣の最中での合流でした。
その街宣の様子は、後の動画で確認できると思います。
それにしてもなぜ小平に朝鮮学校が建っているのでしょうか。
いろいろと調べた結果、やはり拉致問題と深く関わっていることが分かりました。
北朝鮮による拉致の際、その拉致実行犯が通ったルートに「大町ルート」というものがあります。ルート自体は他にもいくつかあるのですが、そのルートの分岐点担っている所があります。そこが小平市です。
参考webページ:大町ルート:拉致ルート
要するに、北朝鮮による拉致の中継地点、それが朝鮮大学校だったのです!
これで朝鮮学校(子供)と拉致は関係ないなんて朝鮮人の戯言は通用しなくなりました。
小平の朝鮮大学校を、拉致実行犯が中継地点として使っていたのですから。
それでは街宣の動画と、撮った写真を掲載します。今回は動画が多めの分、写真は少なめです。。
も動画はもっと他にもたくさんあるのですが、長さの都合上残りは次の記事にて紹介いたします。続いて写真です。


見ての通り朝鮮大学校前の抗議ではたくさんの人が詰めかけました。100人は超えていたように思います。
この拝啓にはやはりフジテレビのデモを無視することはできないでしょう。一度経験したことはなかなか忘れ難いものです。一旦外に出ると、もう外に出ずにはおられない。そういうものです。
ですからフジデモ・花王デモも、今も衰えること無く続いています。そしてその恩恵が、在特会他行動保守団体にも参加者の増員として受け止められたのでしょう。感謝いたします。
しかしその一方で「品がない」「上品にデモをやろう」という声もあるそうです。
一言申し上げるとすれば、怒ってる時に上品な言葉を使うか?「今から殴りますよ」と言って、喧嘩をするバカはいないということです。
確かに5年ほど前に端を発した「行動する保守」運動は平坦な道のりではありませんでした。
高校生である僕がこんなことを言うのも変な話ですが、実際に中学の頃は休みの日は毎日といっていいほど街宣の動画を見ていたのですから、少しは多めに見て下さい(笑)
既存の保守を否定することから始まったこの運動は、言い換えると右も左もわからない状況で己の信ずる信念だけで突き進むというある意味危険なものです。
しかしそうでもしない限り何も変わらない。既存保守の結果として今の日本があるのですから、その日本を変えるためには新しい方向へかじを切るしか無いのです。勿論地図などありません。
しかし、その後ろに道筋は残ります。運動がどのように進んできたかという結果、そして記録です。言い換えれば線路といえばわかりやすいでしょうか。
僕の前に道はない、僕の後ろに道はあるという詩をどこかで聞いたことがあります。そう思っていただければと思います。
そして、実際にその線路を既存保守の方が使い始めた。後を追い始めたのです。
私達のやり方が正しかったことの証明でもあるでしょう。
ただよく見ると、どうやら所々修正しながら後を追ってきているそうですね。まあそれでもいいんです。今までやってきたことが完璧だという証拠はない。
ただ、修正しすぎてまた意味のない綺麗事になってしまっている心配はありますが・・・
これ以上言うとただの自慢話になって会長に怒られてしまうかもしれませんので言いませんが、この行動する保守運動は保守陣営の先駆者としての役割を握っていると考えられるでしょう。
なんか似たような話をちょっと前に書いたような気もしますが、今回はこんな感じです。
残りの動画は次回の記事で。さらに12月は活動がてんこ盛りなので、その告知も行いたいと思います。
西武鉄道・鷹の台駅。
なかなか遠くへ出かけることはないので、駅についた頃にニコニコ生放送で様子を見てみると、抗議団は朝鮮大学校へ向かっている最中の頃でした。
要するにまたもや遅れてしまったということです。早めに出たはずなのですが、やはり地図だけではいけませんね。次回から素直に乗り換え案内を使います。。
急いで朝鮮大学校に向かい、無事合流。どうやらそれまでに創価学園の前でも一悶着あったそうなのですが(後に動画を見て知りました)、それも終わって朝鮮大学校前の抗議街宣の最中での合流でした。
その街宣の様子は、後の動画で確認できると思います。
それにしてもなぜ小平に朝鮮学校が建っているのでしょうか。
いろいろと調べた結果、やはり拉致問題と深く関わっていることが分かりました。
北朝鮮による拉致の際、その拉致実行犯が通ったルートに「大町ルート」というものがあります。ルート自体は他にもいくつかあるのですが、そのルートの分岐点担っている所があります。そこが小平市です。
参考webページ:大町ルート:拉致ルート
要するに、北朝鮮による拉致の中継地点、それが朝鮮大学校だったのです!
これで朝鮮学校(子供)と拉致は関係ないなんて朝鮮人の戯言は通用しなくなりました。
小平の朝鮮大学校を、拉致実行犯が中継地点として使っていたのですから。
それでは街宣の動画と、撮った写真を掲載します。今回は動画が多めの分、写真は少なめです。。
も動画はもっと他にもたくさんあるのですが、長さの都合上残りは次の記事にて紹介いたします。続いて写真です。
見ての通り朝鮮大学校前の抗議ではたくさんの人が詰めかけました。100人は超えていたように思います。
この拝啓にはやはりフジテレビのデモを無視することはできないでしょう。一度経験したことはなかなか忘れ難いものです。一旦外に出ると、もう外に出ずにはおられない。そういうものです。
ですからフジデモ・花王デモも、今も衰えること無く続いています。そしてその恩恵が、在特会他行動保守団体にも参加者の増員として受け止められたのでしょう。感謝いたします。
しかしその一方で「品がない」「上品にデモをやろう」という声もあるそうです。
一言申し上げるとすれば、怒ってる時に上品な言葉を使うか?「今から殴りますよ」と言って、喧嘩をするバカはいないということです。
確かに5年ほど前に端を発した「行動する保守」運動は平坦な道のりではありませんでした。
高校生である僕がこんなことを言うのも変な話ですが、実際に中学の頃は休みの日は毎日といっていいほど街宣の動画を見ていたのですから、少しは多めに見て下さい(笑)
既存の保守を否定することから始まったこの運動は、言い換えると右も左もわからない状況で己の信ずる信念だけで突き進むというある意味危険なものです。
しかしそうでもしない限り何も変わらない。既存保守の結果として今の日本があるのですから、その日本を変えるためには新しい方向へかじを切るしか無いのです。勿論地図などありません。
しかし、その後ろに道筋は残ります。運動がどのように進んできたかという結果、そして記録です。言い換えれば線路といえばわかりやすいでしょうか。
僕の前に道はない、僕の後ろに道はあるという詩をどこかで聞いたことがあります。そう思っていただければと思います。
そして、実際にその線路を既存保守の方が使い始めた。後を追い始めたのです。
私達のやり方が正しかったことの証明でもあるでしょう。
ただよく見ると、どうやら所々修正しながら後を追ってきているそうですね。まあそれでもいいんです。今までやってきたことが完璧だという証拠はない。
ただ、修正しすぎてまた意味のない綺麗事になってしまっている心配はありますが・・・
これ以上言うとただの自慢話になって会長に怒られてしまうかもしれませんので言いませんが、この行動する保守運動は保守陣営の先駆者としての役割を握っていると考えられるでしょう。
なんか似たような話をちょっと前に書いたような気もしますが、今回はこんな感じです。
残りの動画は次回の記事で。さらに12月は活動がてんこ盛りなので、その告知も行いたいと思います。
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