Paper of Mr. Sindo

2008年11月更新


最近のコスタリカ評価について若干の問題

) コスタリカの非武装の内容について

まず、「非武装の国」として、最も賞賛されているコスタリカの現行憲法を見てみよう。コスタリカ憲法は、第12条で、次の通り規定している。

「常備機関としての軍隊は禁止される。

公共秩序の監視と維持のために必要な警察力を置く。

米州の協定によって、あるいは国家の防衛のためにのみ、軍事力を組織することができる。いずれの軍事力も常に文民権力に従属する。軍隊は、個人的であれあるいは集団的な形であれ、声明あるいは宣言を討議したり、発表したりしてはならない[i]」。

すなわち、コスタリカ憲法は、確かに常備軍の保持を禁止している。しかし、同時に非常時には軍隊を組織できることを規定している。憲法第147条によって大統領と閣僚によって構成される政府評議会が、国会に国家防衛非常事態の宣言、徴兵の承認を要請し、第121条によって国会の3分の2以上の賛成でそれは承認されることとなっている。つまり、非常時の軍隊は否定されていないのである。この点では、日本国憲法第9条の方が、厳格に遵守されるならば法規的には徹底していると思われる。この常備軍廃止の理念は、2000人の犠牲を出した、1948年の苦い内戦の経験からでたものである。その際コスタリカの国防、安全保障に関しては、米州機構(OAS)及び米州相互援助条約(リオ条約)に依存することを念頭に置いていた[ii]

それでは、コスタリカの「警察力」は現実にはどのようなものであろうか。国際的に定評のある英国・国際戦略研究所の『ミリタリー・バランス2000−2001』によれば、次の通りである[iii]

「総治安兵力(準軍隊)」8,400人 (人口の0.22%

市民警備隊       4,400  (戦術部隊、特殊部隊を含む)

国境警備隊       2,000

地方警備隊       2,000   小火器(軽機関銃、小銃)のみ

市民警備隊[iv]は、ロケット発射器90ミリをもっており、日本の警察(拳銃、ライフルなどの小火器)以上の装備をしている。地方警備隊は小火器のみである。また、治安、諜報、対テロ特殊部隊も存在している。多くの将校が、アメリカ、韓国、台湾、イスラエルの軍事学校で軍事訓練を受けているといわれている[v]

憲法制定後のコスタリカの国防、安全保障政策は、常備軍廃止を決めた当時の事情をその後も引きずっていくことになった。米州機構は、歴史的には米ソ対決の時代に(1948年4月)アメリカの西半球支配のために作られた集団安全保障機構である。同機構は、80年代まではアメリカの政策がほぼ全面的に実行された組織であった。現在はさすがにかつてのようなアメリカの一方的な支配が貫徹する場所ではなくなり、アメリカに対する反対意見も述べられたりしているが、依然として強い反共的性格を持っている組織である。それは、キューバを排除していること、オブザーバー諸国から中国、ベトナムなどが排除されていることからも理解できよう。また、昨年の同時多発テロ事件、今回のベネズエラのクーデター未遂事件では、米州機構を舞台としてアメリカ主導でアフガン報復攻撃支持、ベネズエラのクーデター派支持が推進された事実もある。同憲章第28条の集団安全保障の規定をどう考えたらよいのか、問題もあるように思われる。依然として冷戦時代のマイナス面をぬぐいきれていない組織といえよう。

リオ条約(米州相互援助条約)は、1947年9月結成された軍事条約である。アメリカの西半球支配の道具として利用されたことは、歴史が示している。コスタリカが、60年代以降、アメリカを除いて近隣の中米諸国には覇権主義的、侵略的政権が存在しないという国際環境の中で、非武装政策を維持できた条件は、自国の国防、安全保障をアメリカが主導する米州機構、リオ条約に依存したことと、いろいろな事例に見られるようなコスタリカの対米従属外交によってのみ可能であったといえよう[vi]。そうした対米従属性から、後で詳しく述べるが、中米紛争の際にはレーガン政権による反サンディニスタ反革命勢力であるコントラの出撃基地、支援基地の自国内設置を認めたのであった。また、同様の理由でパナマの民族主義政権打倒をめざす反政府分子の訓練基地も自国内に認めたのであった。この対米従属性は、現在も継続されており、中南米の左翼勢力の中では、歴代のコスタリカ政権の内外政策は、決して自主的、革新的とはみなされていないのである[vii]

現在、コスタリカの警備隊は、1999年に結ばれたアメリカとの麻薬取締協定に基づいて、米軍と大西洋、太平洋で共同パトロールを行っている。対麻薬対策でココ島(国立公園)の使用を米軍に認め、同島は、ほとんど軍事基地となりつつあることが懸念されている[viii]。最近では、本年10月、麻薬撲滅の口実による米軍の中南米への派遣計画「コロンビア計画」に基づいて、艦船15隻(7月の計画は38隻)をコスタリカに長期間寄港させたいという要請を、コスタリカ政府は最終的に認めることになった。その際、米軍の兵員がパスポートなし、ビザなしで自由にコスタリカ領内に入国できる処置が取られたことに対し、さすがにコスタリカ国内でも大きな論議を呼んでいる[ix]

なお、米軍の艦船の寄港は、7月コスタリカ国会で、コスタリカの憲法に抵触するのではないかという批判が提出され、国会で4日間激しい討議が続いた。その際、アリアス元大統領は、「別に他国の軍隊と戦う目的ではなく、麻薬取締の目的であるから、米軍の寄港は認めるべきである。もっと財政赤字などの重要な問題を討議すべきである」と発言している[x]。ここには、アリアス元大統領のアメリカに対する姿勢が如実に示されているように思われる。

ちなみに、中南米においては、1950年代以降この半世紀間、アメリカの権益を侵す政権と見られた民族的、あるいは革新的政権はすべて、この地域を「裏庭」=「勢力圏」と考えるアメリカによる直接・間接的(傭兵を使用)軍事介入あるいは干渉を受けており、キューバとベネズエラを除き政権は倒壊させられている。それらを列挙すれば、次の通りである[xi]  

1954年 グアテマラのアルベンス左翼政権、CIA(米中央情報局)支援の傭兵の進入により倒壊[xii]  
1961年 キューバのカストロ政権打倒をねらい、アメリカの傭兵がキューバのプラヤヒロンに侵攻するも、撃退され失敗に終わる[xiii]  
1964年 ブラジルの民族主義的グラール政権、CIAの支援を受けた軍部により打倒される[xiv]  
1965年 ドミニカのボッシュ民族主義政権、カーマニョ大佐を指導者とする民主勢力、米軍侵攻より掣肘される。国連で非難される[xv]  
1971年 ボリビアのトーレス左翼軍事政権、CIAの支援を受けた軍部クーデターにより倒壊する。  
1973年 チリ、アジェンデ政権、CIAと呼応したピノチェットの軍事クーデターにより倒壊。国際世論から非難される[xvi]  
1983年 グレナダのモーリス・ビショップ左翼政権、米軍侵攻により倒壊。国連で非難される[xvii]  
1989年 パナマ民族主義政権、米軍侵攻により倒壊。国連で非難される[xviii]  
1990年 ニカラグア、サンディニスタ政権、CIAの傭兵コントラとの長期干渉戦争により経済が疲弊し、選挙で敗北、下野する。アメリカの干渉ハーグ国際法廷で非難される[xix]  
2002年 ベネズエラ、チャベス左翼民族主義政権に対し、アメリカが支援したクーデター勃発するも失敗に終わる[xx]  

チョムスキーによれば、「米国は、その国の労働者の権利が抑圧され、海外からの投資条件が良好であるかぎり、その国の社会改革を許容する。コスタリカ政府は、この決定的な二つの義務をいつも遵守してきたので、ある程度の改革を許されてきたのである」[xxi]とコスタリカのこれまでの社会改革の性格を的確に指摘している。

こうした歴史的事実は、逆説的にいえば、中南米においてアメリカの干渉を受けない政権あるいは政策は、革新的、民族的ではないということである。歴史的にみると、中南米諸国の政府が、革新的な内外政策を実行しようとすると、アメリカの軍事介入を受けるので、みずからを武装して守らざるをえないという厳しい現実があるのである。国際世論に訴えて、非武装を貫き、非同盟に参加し、革新的政策を実行することは望ましいとしても、非現実的な考えとならざるをえない。コスタリカの場合はこうしたアメリカが憂慮するほどの革新的な内外政策を犠牲にし、かつ親米協調路線を維持してはじめて可能な非武装といえるかもしれない[xxii]

 

次のページへ / 新藤論文の目次へ


 

[i]コスタリカ憲法(スペイン語)よりの拙訳。第3項については、他の翻訳には誤訳が見られるが、正しくは、「声明あるいは宣言を討議したり、発表したりしてはならない」という意味である。  

[ii] 1949年憲法の制定過程については、竹村卓『非武装平和憲法と国際政治−コスタリカの場合』(三省堂、2001年)75−84ページ参照。

[iii] IISS, The Military Balance 2000-2001, Oxford Univ. Press, London , 2,000

[iv] コスタリカの警察法には、明らかに日本の警察法とは違った規定が見られる。それは、コスタリカの警察が、軍隊的な側面を持っていることから来るものと思われる。市民警備隊(Guardia Civel)の警備隊Guardia(グワルディア)という用語は、軍隊(Ejercito)と警察(Policia)の中間の強度をもつ「治安機関」である。警備隊(Guardia)は、中南米では歴史的にはかなりの重装備をもったり、軍隊そのものである場合もある。そうした語感をもつものとして市民警備隊がコスタリカ国民に捉えられていることを知る必要がある。すなわち、装備からしても性格からしても日本の警察力とは違ったパーセプションといってよいであろうか。

[v] Efraín Valverde y Nidia Aguilar, La barahunda de Costa Rica en Ginebra: Made in USA, http://www.rebelion.org/internacional

[vi] 中南米一般において、国民は、「北の巨人」に対して歴史的な関係から「ヤンキー」とか「グリンゴ」とか呼んで嫌悪感をもっており、その感情を吐露する場合が少なくない。しかし、政治の現実は複雑で、そうした感情をもちながらも現実の力関係あるいは利害関係でアメリカ政府との関係のあり方が決められている。コスタリカの場合もそうで、対米従属性と同時に時に対米批判がでてくる複雑な側面をもっており、対米関係を一面的に捉えてはならない。

[vii] 筆者は、最近キューバ人研究者、またプエルトリコ独立運動の活動家とコスタリカについて話す機会があったが、前者は、「コスタリカは、軍隊を持たないのではなく、アメリカがいざというときに守ってくれるので、持つ必要がない」と述べたし、後者は「コスタリカが軍隊を持たないといったからといって、現実のコスタリカの行動から見れば、中立でもなく、積極的な平和外交とはいえない」と厳しい批判を行っていた。こうした見解は、中南米左翼一般の見解と思われる。

[viii] Ibid.

[ix] Granma, Octubre 18, 2002.

[x] Nacionales, Julio 6, 2002.

[xi] アメリカのモンロー主義の史的展開については、岡部廣治「米国の『勢力圏』思想と革命ニカラグア−『モンロー主義の史的展開』−」『経済』1986年1月号参照。

[xii] グアテマラについては、岡部廣治「グァテマラの問題」(『歴史学研究』、第174号、19548月号)、Guillermo Toriello Garrido, Guatemala, Más de 20 Años de Traición, Ediciones Ciencias Sociales, La Habana, 1981を参照。なお岡部氏は、Richard H. Immerman, The CIA in Guatemala: The Foreign Policy of Intervention, University of Texas Press, 1982を推奨しているが、筆者未見。

[xiii] アメリカに支援された反革命軍のキューバ侵攻事件(プラヤヒロン侵攻)については、近年新たな公開資料にもとづいて研究がなされている。最新の研究は、Juan Carlos Rodríguez, The Bay of Pigs and the CIA, transulted by Mary Todd, Ocean Press, Melbourne, 1999, James G. Blight and Peter Kornbluh, Politics ofIllusion: the Bay of Pigs Invasion Reexamined, Lynne Rienner Publishers, Boulder, 1998などを参照。

[xiv] エドゥアルド・ガレアーノ『収奪された大地』大久保光夫訳(新評論、1986年)270−271ページ

[xv] トマス・J・マコーミック『パクス・アメリカーナの五十年』松田武・高橋章・杉田米行訳(東京創元社、1992年)243−244ページ。

[xvi] チリのピノチェットのクーデターの背景については、多くの書籍・論文が内外で刊行されているが、さしあたっては、岡倉古志郎・寺本光朗編『チリにおける革命と反革命』(大月書店、1975年)、Helios Prieto, Chile: Los Gorilas estaban entre nosotros, Editorial Tiempo Contemporaneo, Bueos Aires, 1973を参照。

[xvii] アメリカのグレナダ侵略については、岡知和『踏みにじられた“香料の島”−アメリカのグレナダ侵略―『文化評論』No.274,1984年1月号を参照。

[xviii] パナマのノリエガ国軍司令官の麻薬疑惑を利用したアメリカのパナマ侵攻については、拙稿『国際法を蹂躙したアメリカのパナマ侵略』世界政治90年2月下旬号、新原昭治『アメリカの戦略は世界をどう描くか』(新日本出版社、1997年)、小林志郎『パナマ運河』(近代文芸社、2000年)を参照。

[xix] 1980年代の中米情勢については、日本共産党出版局『中米―前進する民族自決の戦い』(1985年)、同時期の日本共産党中央委員会発行の『世界政治』に詳細な資料と論文が掲載されている。アメリカのレーガン政権によるサンディニスタ政権打倒政策については、さし当ってはノーム・チョムスキーの次の本が参考になる。Noam Chomsky, The Culture of Terrorism, South End Press, South End Press, Boston , 1988.  Noam Chomsky, Deterring Democracy, Hill and Wang , New York , 1992.  Noam Chomsky, Necessary Illusions: Thought Control in Democratic Societies, South End Press, Boston , 1989

[xx] アメリカに支援されたベネズエラの政界・財界・軍部・労働組合・マスコミ・カトリック教会が一体となってのチャベス打倒クーデター未遂事件については、拙稿「4月11日ベネズエラ・クーデター未遂事件」『アジア・アフリカ研究』、通巻363号、2002年第1号を参照。

[xxi] ノーム・チョムスキー『アメリカが本当に望んでいること』益岡賢訳(現代企画室、1994年)29ページ。

[xxii] キューバのフェリーペ・ペレス・ロケ外相は、本年4月コスタリカが、ジュネーブの国連人権委員会でアメリカが後押ししたキューバの人権非難決議に賛成に回ったのを受けて、記者会見で「もはやコスタリカに欠けていることがあるとすれば、それは、アメリカに併合を要請することだけであろう」と述べた(Granma, April 12, 2002)。この発言は、若干冷静さを欠いた発言にも思えるが、コスタリカの対米従属性の一面を指摘したものである。  

このページのトップへ戻る
このページのトップへ戻る
このページのトップへ戻る
このページのトップへ戻る

 

次のページへ / 新藤論文の目次へ