きょうは8月15日。言わずと知れた終戦記念日ですね。
8月はいろいろと忘れられない日があります。
8月6日、8月9日、8月15日…。どれも60年以上前の太平洋戦争でのできごとです。
それに加えて、航空ファンの私には、いや、その時を目の当たりにした人すべてにとって、忘れられない日が、1985(昭和60)年8月12日。
この日の18時56分、わが国最悪の、単独機としては世界最悪の航空事故が発生しました。
もう22年前ものことです。ということは、20代以下の方々はほとんどたぶんご存じでないと思うので、ウィキペディアの記事を張っておきます。→
こちらそんな私も、まだ幼い小学生でしたし、直接事故には関わっていないので、大口をたたく資格などないのですけど、それでも臨時ニュースを眠くなるまでずっと見続けていました。
とはいえガキンチョでしたから、最初、NHKの松平アナが「東京発大阪行き日航機の機影がレーダーから消えた」と第一報を伝えたのを聞いても、なんのこっちゃとピンと来ませんでした。壁一面に貼り出された乗客名簿をえんえん読み上げているニュースも、その当時はぼうっと見ているだけでした。
逆に、飛行機に乗りだすようになった今のほうが、20年前のことであるにもかかわらず、恐怖を感じます…。
2年前の20年目の時は、4チャンネルと8チャンネルで再現ドラマが放送されて、一部ではありますが見ました。(ちなみにその日の晩、夜行バスで東京へ旅行に行き、翌日晩、羽田から大阪伊丹行きの、事故機同様のジャンボ機で帰路につきました…。)
その後、NHKテレビで再放送された「クライマーズハイ」を見、いちど御巣鷹の尾根を訪ねてみようと思うようになったのです。
先日、事故から22年目の8月12日には多くの関係者が事故現場を訪れました。日本航空の社長さんも登山なさいました。→
社長あいさつまた、JAL社内でもこの事故を「過去から学ぶ教育」として啓発活動をし続けているようです→
こちら犠牲者のお一人、元タカラジェンヌの吉田由美子(芸名:北原遥子)さんのご遺族も、この日および今春に登山をなさいました。
→「宝塚プレシャス」内の
カテゴリと
春の登山記事です。
そして私も、昨年、行かせていただきました。
JMBサファイアを得るために、昨年はJAL系の便に50回乗せてもらったのですが、50回を迎える記念の旅先に、あえてここを訪れることにしました。
事故には直接関わっておらず、単なる物見遊山やんけとしかられそうですが、前述した再現ドラマにて、事故機の機長の妻役をしていた片平なぎささんが、墓標に向かって「これからも空の安全を見守ってください」とおっしゃるシーンがあり、私は、私自身が50回無事に乗れたことは、御霊が安全を守ってくださったおかげだと思い、おこがましくもお礼をお伝えしようと思った次第です。
御巣鷹の尾根がある群馬県上野村へは公共交通があまり発達しておらず、羽田からレンタカー借りて向かいました。上野村の手前にある埼玉県の秩父でホテルを予約したので、初日は秩父までドライブでした。
それで、東京初運転(→怖っ)。
夕方というか、11月でしたから4時頃には日もすっかり暮れて、そんな夜の東京の街中、クルマを走らせました。道が広かったので高度な運転技術は必要なかったですが、なんせ東京、どっぷり渋滞に浸かりました。環八通りをとりあえず「荻窪・高井戸」方面へ走らせたのですが、2時間たっても標識は「荻窪・高井戸」のまんま。
埼玉県に入ったのは夜8時過ぎで、飯能あたりからすっかり人里寂しい山道となりました。時々見える高架の橋桁は、どうやら西武線の線路みたいです。
秩父のホテルにたどり着いたのは10時を過ぎていました。ホテルの青空駐車場が満杯で、なのに私は駐車場どヘタなんで、めちゃめちゃ苦労したんです。駐車車両スレスレのところでハンドルを切り、よう擦れへんかったなて思うくらい(^^;)。結局満車で止められず、ホテルの人に言ってとなりのファミレスに駐車し事なきを得ました…。
翌日は秩父から秋深い山道を順調に走り、朝10時頃に、まずは村内の中心部あたりにある慰霊の園へ到着。

行った日がたまたま11月12日だったので、ちょうど月命日の法要が行われるところでした。心ばかりのお供物をしてお祈りさせていただき、付近の展示棟におじゃましました。当時の新聞記事や写真が飾られ、あらためて事故の大きさを痛感。
そして、無人販売されていた「鎮魂のしおり」を買うことに。中の遺影を見ると、前述の吉田由美子さんや、同じくこの事故で星となった大島九(芸名:坂本九)さんのお写真も。芸能界はじめ、当時の社会にとてつもなく大打撃を与えたことを、今さらながら感じました。
展示棟の入口付近に手書きで「土砂災害で通行止めのため、御巣鷹の尾根付近へは行けません」みたいなことが貼っていました。え、行かれへんの? ま、行けるところまで行ってみようと山奥の道を進みました。本当に山道って感じの狭い道で、こんなところに落ちたのかと、そしてこんな場所で救助活動があったのかと、運転しながら切なさがこみ上げてきました。
案の定、立て看板があって、そこから先は落石で通行止めとなっていました。

残念ですが、自然に逆らうわけにいきません。
ここでお祈りを。
「みなさんが空の安全を常に見つめてくださるおかげで、私は無事に50回搭乗を達成できる運びとなりました。ごく私的な願望成就で恐縮ですが、感謝を申し上げたくてここまでまいりました。本当にありがとうございました」
遺族の方々にとっては感謝していらんわって感じの失礼な話ですが、この事故が安全運航を認識するきっかけとなっていること、そして1985年8月12日を死ぬまで忘れないことが、航空ファンのはしくれである私のせめてもの供養だと思っています。
帰りは途中妙義山に立ち寄って、そこから下の道を走っていたんですけど、さいたま市あたりで大渋滞に巻き込まれました…。
そこで、途中から首都高速に乗っちゃいました。
初高速です(^^;)。
が、この高速にも渋滞情報。
「三宅坂から渋滞7キロ」
7キロかよ〜。つーか、三宅坂ってどこだよ〜。
思わず東京弁で嘆く私。
それでも、なんとかギリギリで返却でき、帰りの便に間に合いました。
帰り、すなわち50回目のフライトは18:30発のJL1525便。
あの時、123便として運航していた便です。
御巣鷹の尾根へ行こうと思った時から、帰りはこの便と決めていました。
当時はジャンボ機でしたが、時代の流れでジャンボは撤退し、この時は「スタージェット」と呼ばれるボーイング777-200でした。
何事もなかったのように離陸し、何事もなく大阪(伊丹)空港に到着。そして私は大きなトラブルに巻き込まれることなくサファイア達成。
この何事もないフライトには、安全を常時支えている人々がいることを、忘れてはならぬと、これを書いてあらためて感じます。
そして、あらためてお礼を…。
御巣鷹の御霊のみなさん、ありがとうございます。
今年も飛行機には乗り続けているので、これからも空の安全をお守りください。