今日は、ご尊師さまに入仏式をしていただいた一周年の記念日でありました。

昨日の事のように思いますが、御本尊様をお迎えして1年が経ちました。
同じ日に、総本山大石寺に行き御開扉を受けられて、本当に幸せです。
ただ、残念なのは、御報恩の個人折伏を成就しての登山ではなかった事です。
なんとか年内に結果を出して、来年の初登山で大御本尊様にご報告したいと思います。

妻の知り合いの学会員が、創価を辞めたいと言っているそうで、一日も早く脱会させたいと思っています。
いま一つ脱会をふんぎれないのは、紹介者が仲の良い友人である事、近所の学会員が辞めようとして、かなりつきまとわれたらしく、それに恐れをなしているそうです。
私の場合、法華講に入講したことでしつこい”追っ手”は来ませんでした。
脱会の内容証明、ニセ本尊返却、正宗寺院での勧戒、添書登山で、大御本尊さまへお目通りし、謗法を懺悔滅罪してからの、正しい御本尊の下付、法華講行事の参加などで今に至っています。

創価は、法華講をかなり恐れていますね。
創価班のころ、「妙観講とは法論するな」とよく言われていました。法論に負けるからという理由です。でも、内の支部の皆さんも、多分、創価と法論して負けるとは思えません。

創価学会からの脱会を考えてる方、法華講にご相談下さい。”追っ手”は間違いなく来ません。
法華講と聞くとビビッてるみたいです。
それから、法華講の信仰は、あくまで発心主義です。本人の自発的な発心で、役員以外の方はお寺に参詣し、行事、法要に参加しています。折伏も請願目標を立てますが、強制されるものではなく、本人の自由意志です。ですから、休日や一日のスケジュールまで把握され、がんじがらめで組織活動すると言う創価学会のようなカルト組織ではないので、本当に自由です。逆に言えば、本当の意味での本人の信仰心が必要です。

それから選挙もない。新聞啓蒙もない。財務のノルマもない。
ちまたで聞く創価学会批判への「擁護」を思いながら「苦笑い」して後ろめたい気になる事も無い。
堂々と、「法華講です」と言えるし、誰も「法華講」と聞いて変な顔をする人はいません。
日蓮正宗の信徒ですと言って嫌な顔をする人は誰もいません。嫌な顔をするのは創価学会員だけです。

それでも、この一年、創価で謗法を重ねてきた事からの後ろめたさが心にこびれ付いていました。
マインドコントロールから離れたつもりでも、創価だった過去が自分を臆病にさせていたと思います。
思えば、このブログも、自分の選択は間違っていない、法華講になって正しかったんだと自分に確認する為に綴って来たようなものです。
でも、最近、気づいたんです。
私はもう、創価学会員じゃないんだ。法華講員なんだと。(いまさらですが)
職場などでの世間話しで、たまに創価の話題になると何故か後ろめたかったのですが、もう関係無いと思えるようになりました。
そして、創価ともう関係ないんだと思うと、妙に嬉しくなるのです。また良かったと思え、安堵するのです。

今日の総本山は、多くの支部が支部総登山で参加されていました。数万人が参詣されていました。
とても天気に恵まれ、美しい富士山がその勇姿を見せていました。
本当に良い登山ができたと思います。