◇九州場所<千秋楽>
琴奨菊に敗れ、支度部屋で悔しそうに顔をしかめる稀勢の里=福岡国際センターで
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(26日・福岡国際センター)
横綱白鵬(26)=宮城野=は把瑠都にはたき込みで敗れ、13日目に決めた21度目の優勝を全勝で飾れなかった。取組前に臨時理事会を30日に開催することを決定、大関昇進を事実上決めた関脇稀勢の里(25)=鳴戸=は琴奨菊に渡し込まれ10勝5敗に終わったが、秋場所後の琴奨菊に続く2場所連続の大関昇進で、来年初場所は2010年夏場所以来の5大関となる。
ひと筋の涙が稀勢の里のほおをつたった。でも込み上げてくるのは大関昇進の喜びではなく悔しさばかり。ライバル琴奨菊に6連敗した直後の支度部屋だった。
「本当はきょう勝って(亡くなった)師匠にいい報告がしたかった」と後悔の念が先に立つ。
この日午前、審判部が30日に臨時理事会招集を決定、勝敗にかかわらず大関昇進が確実になった。その知らせは「場所に着いて聞いた」。朗報に一層、闘志を高めて臨んだライバルとの一番。しかし立ち合いで一気に攻め込まれ、腰から土俵にバッタリと倒れた。「足が全く出なかった。課題ばかり。やることはたくさんある」
今月7日、先代の鳴戸親方(元横綱隆の里)が急逝した。心の支えを失うというハンディを背負った15日間。目安といわれた33勝にあと1勝届かなかったが、今場所の10勝にはそれ以上の評価が与えられた。ファンにとっても待ちに待った魁皇以来11年ぶりの中卒たたき上げ大関の誕生だ。
17歳9カ月で十両、18歳3カ月で幕内に昇進。どちらも貴乃花(現親方)に次ぐ史上2位のスピード記録だったが、20歳で三役に上がってから足踏みが続いた。三役通過に22場所を要したのは大麒麟と並ぶ史上4位タイのスロー出世。
「普通のスポーツ選手はホップ、ステップ、ジャンプでいく。でも彼は4分の1ずつ。徐々に進歩していくタイプ」と父親の萩原貞彦さん(65)は息子を表現する。
稀勢の里が14、15歳の時、貞彦さんの経営する電気関係の会社が倒産した。当時、野球部で4番・エースで活躍。常総学院、藤代といった名門校からの誘いを蹴って相撲の世界に飛び込んだ。
「気持ちは野球と相撲が半々だったと思う。でも家庭の事情を考えたのでしょう。序の口から仕送りしてきた。場所手当の半分の数万円ぐらい。貴重なお金です」と貞彦さんは振り返る。
幼いころからプロ根性を染み込ませ、勝ち取った大関の座。が、同時に課題も鮮明になった。
「立ち合いがまだまだ。二の矢、三の矢もまだまだ。同じ相手に連敗していては、ここ一番で勝って星を積み重ねていけない。もう一人で甘えずにやるしかないから」
師匠が逝去した夜、大粒の涙を流し恩返しを誓った。そしてさらなる成長を期したこの日の涙。中学卒業時の文集に稀勢の里はこう綴っている。
「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」と。次なる目標は横綱。精進を続けていくことが何よりの供養になる。
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