相変わらず広場では、何の思想も、根拠もないものたちが在日韓国・朝鮮人を批判し
差別的発言に終始している。
何をどう学び、調べた上でその様な発言が出来るのかは解らないが、余りの無知、
無思慮さに呆れ、ため息すらでる。
そこで今回は、拉致事件と日韓併合に於いての歴史について書いてみようと思います。
これまでの在日コリアンと日本社会の関係は、差別するマジョリティーと
差別されるマイノリティーの関係と、過去の植民地支配を責める側と責められる側
という不幸な二面性をもっていた。しかし近年、在日コリアンの世代交代が進み、
彼らが"恨"の意識を乗り越え、日韓・日朝の懸け橋になると同時に、
「閉鎖的な日本社会を多民族・多文化共生社会に発展させ」るキー・グループ的な存在
であるとの認識が、在日コリアンの側にも一部日本人の間にも強まってきつつあった。
今回のこの不幸な事件の顕在化で、在日コリアンのこうした未来に向けた可能性まで
われわれ日本の社会が摘んでしまっては、日本の社会の大きな損失になる。
しかし拉致事件顕在化後の日本社会の反応を見ていると、早くもこの恐れが
現実となってしまった。予想されたことだが、各地の朝鮮学校生徒への暴行や
嫌がらせが続発している。朝日新聞によると、その数全国で319件。
チマ・チョゴリのスカートの後ろ側を刃物で切り裂かれた例、停車中の電車から
ホームに突き飛ばされた例も報告されている。ひとつ間違えればとんでもない事故になる。
神奈川県では、朝鮮総連県本部に、「(朝鮮人の)学校を爆破する」など脅迫まがいの
電話が4件あり、緊張した在日コリアンの側は
集団下校や警察によるパトロールの実施などの対策をとった。
短絡的・情動的な反応で弱者を脅迫して悦に入っている救い難いバカは存在するが、
それにしてもこんな記事に出会うと一日本人としてまったく恥ずかしくなる。
アメリカやフランスが何かやっても、在日アメリカ人や
フランス人が迫害行為にあったという話は聞かないが、北朝鮮で何かあると、
何の罪もない在日コリアンの児童生徒が脅かされるという社会の卑劣かつ
情動的な反応は、いったいいつになったらなくなるのだろうか。
しかもこうした情動的な反応が一部救いがたい個人に見られるだけでなく、
社会に広く蔓延しているのではないかと思われることだ。
北朝鮮による日本人拉致問題を考えるときに、皆は重大な視点を欠落させて
しまっているのではないか。
上述の「拉致事件に対する在日韓国・朝鮮人の声明」がいうように、
今回の拉致事件については、拉致にかかわる事実関係の究明、生存者の意思に基づく
早期帰国の実現、拉致されたご家族への謝罪と補償、及び事件に関与した政府機関や
関係者の責任の明確化と厳正な処罰を実現するため、日本政府は粘り強く北朝鮮との交渉を
つづけていかなければならない。それは日本の国家主権を守るための正当な行為であるし、
また同じような国家犯罪を繰り返させないための予防策にもなるだろう。
しかし北朝鮮のこの国家犯罪を糾弾する行為は、実はそのまま日本人と
日本の社会にはねかえってきている。僕にはこの拉致事件が、60年前の日本国家による
朝鮮人強制連行と二重写しになって見える。
北朝鮮では、日本人の拉致事件は一般国民にまったく知らされていないらしい。
だが僕にはそれを笑えないし、非難もできない。かつて、日本の国家が行なった
巨大な集団拉致事件ともいえる朝鮮人強制連行をどの程度知っているのか。
今回の北朝鮮による拉致事件と比較にならないほどの多くの朝鮮人を日本に強制的
あるいは半強制的に連れてきて、日本の戦争政策遂行のための犠牲にしたことを、
どれほど知っているのか。またこうしたわれわれの国家が犯した犯罪がいまだ事実の解明も
充分でなく、したがって被害者への謝罪も補償も誠実になされていないことを、
どれほど知っているのか。そのことにどれほどの日本人が心を痛め、憤っているのか。
ここで、朝鮮人強制連行とは何であったのか、ざっと説明する。
そもそも、戦時中の朝鮮人強制連行には前史がある。
1910年、日韓併合条約によって朝鮮を植民地化した日本は、朝鮮を日本の食料不足を
補うための供給基地と位置づけ、「朝鮮殖民公社」を設置して本格的な植民地経営に乗り出した。
1910年代にまず行なったのが朝鮮農民から土地を収奪するための「土地調査事業」だ。
これは、土地の所有関係を近代的に整理するという名目のもとに所有者に土地の申告をさせる
制度だが、手続が煩雑で、文字や法律を知らない多くの農民は日本への反感もあり、
申告などしないものが多かった。この結果、申告されなかった土地は所有者のない土地
とされ、総督府の所有とされてしまった。また当時の朝鮮には入会地のように所有権の
確定していない土地がたくさんあったが、これらの共有地も没収された。
これらの土地は日本人の地主や会社に払い下げられ、短期間のうちに膨大な
日本人地主が朝鮮に発生した。
人口の80%を占めていた朝鮮農民の多くは土地を奪われ生活手段を失った。
また1910年には「会社令」により、朝鮮の会社設立が総督の許可制になり、
朝鮮人による経済活動が制約されていく。
さらに1920年代に入ると、朝鮮米を増殖させ、日本に輸入する「産米増殖計画」
が行なわれる。農地だけではなく、一次資源や産業も収奪し、朝鮮を完全に日本の
資源供給基地とする動きが加速されていく。生活の手段を奪われて食うに食えなくなった
朝鮮人たちは日本内地や満州、シベリアへ流出していった。
現在の北朝鮮の脱北者を連想させられるような悲惨な状況が、百年近く前、
日本の手で朝鮮半島に繰り広げられていたのだ。
日本が中国大陸を侵略し、戦局が見込み違いに膠着してくると、兵士の招集で
労働人口が不足してくる。朝鮮人の強制連行はこれを補う目的で段階的に進められた。
まず第1期は1939年(昭和14年)から1941年(昭和16年)までの大量採用期。
この時期には一応は「募集」という形式をとっていたが、実態は朝鮮総督府が割り当てた
地域に日本企業の募集人が出掛けて行き、募集を行なった。
この時期から、在日朝鮮人人口は急速に増加していく。
太平洋戦争がはじまると、戦局の拡大によりさらに労働人口は不足し、
炭鉱をはじめとする労働不足を朝鮮人によって補う必要が高まってくる。
1942年(昭和17年)になると、「朝鮮職業紹介令」が公布され、「朝鮮労務協会」
が設立されて官による斡旋が行われるようになる。同時に石炭統制会が募集地域割当ての
事務を代行し、「朝鮮労務協会」と連携して事業主の希望する募集地域、割当人員、
供出日程などを朝鮮当局と折衝した。官主導による本格的な強制連行の開始である。
さらに1944年(昭和19年)になると、朝鮮においても「徴用令」が適用され、
名実ともに強制連行の形態をそなえることとなる。
徴用は強制で拒否できるものではない。逃走すると、地元の駐在所へ連絡が入り、
配給が止められたり、兄弟たちは解雇や退学となったりしたという。これでは逃走もできない。
日本の敗戦時、こうして強制・半強制的に連行された人を含めた
在日朝鮮人は200万人を超えていた。
こうして日本に連れてこられた朝鮮人はどんな生活をしていたのか。
たとえば炭鉱などでは、朝鮮人鉱夫は病気でもなんでも強制入坑させられた。
反抗したり逃げて捕まったりすれば、拷問にあい、半殺しの目にあった。
構内で死ぬと、一応荼毘に付すが、葬式などしない。
つい最近読んだ本のなかにはこんな記述もある。
『私たち動員学徒よりもさらに過酷な労働に従事させられ、
虫ケラのように死んでいった人々、朝鮮徴用工たち。彼らは"蝋分解"と称する、
パラフィンの熱処理工場で働いていた。およそ二十キロの蝋の板をかついで
梯子を上がり、溶解炉に投げ入れる、常に半身を高熱に曝すため顔半分が化物のように
火ぶくれ、作業衣も片みごろが変色していた。
朝鮮人たちの食事は豆カスの煮たやつに湯だけという馬にも劣る差別を受け、
配給のタバコも日本人工員は日に五本、彼らは三本であった。そのタバコを十本、
二十本とためて私達の寮にやってくる、なんでもよいから食糧と交換してくれというのだった。
彼らと親しくなって聞いてみると、故郷の田畑で働いていたり家にいるところへ、
労務の役人と警官がやってきて、有無をいわせず内地に強制連行された。
女房子供に別れを告げる暇さえなかったものもあるのだ。――戦火の中に窮民の地獄を見た。』
「天皇制と靖国」現代書館 1976年刊、所収)
時代背景も状況も規模も違うが、僕には今回の北朝鮮による日本人拉致事件と、
戦時中の日本政府による朝鮮人強制連行が二重写しに見える。市民の側から見れば
、どちらもあってはならない事件である。どちらも繰り返してはならない悲惨な事件である。
そしてどちらも、事実関係の究明、拉致被害者への謝罪と補償、
事件に関与した政府機関や関係者の責任の明確化がなされていない。
国家による他民族の拉致がどれほどの悲劇を起こすか、日本の社会と日本人は
今回の北朝鮮の拉致事件でよくわかったことだろう。そうなら、
今回の拉致事件をけしからん、北朝鮮よ謝罪しろと叫ぶだけでは片手落ちである。
国家の非人道的な罪悪に対するその怒りの気持を忘れることなく、
60年前にこの国が行なった大規模な拉致事件についても遅まきながら思いをはせ
、その反省と誠実な事実関係の究明、補償が実現するような方向に認識と行動が
向かわなければ、韓国・朝鮮人の心の中に、おまえたち日本人も60年前に
もっとひどいことをしたではないか、という非難を呼ぶだけである。
今回の北朝鮮による拉致事件を、国と国の対立に終わらせてはならない。
どの国が行なったものであれ、このような国家犯罪を憎み、許さないという原則で
、われわれはものを考え、判断し、行動しなければいけない。そのためには、
今回の拉致事件の真相究明や責任の所在を明確にする動きを進めると同時に、
日本による朝鮮人強制連行にも事実関係の究明や責任の所在、誠意ある補償などの
実現のために、僕たちは努力していかねばならない。