コミュニケーション(笑) [よしなしごと]
kasokenさんのモヒカン族と科学原理主義と云うエントリを読んだ。
ちなみにぼくはこのかたの著書を(自腹で買って)読んでいて、そのときのレビューはこちら。
で、この文章、
まぁそんなことはよくて。
なんのための、なにを目的とした
最後のところだけ反論しておく。ぼくは
ちなみにぼくはこのかたの著書を(自腹で買って)読んでいて、そのときのレビューはこちら。
「いわゆるモヒカン族と科学原理主義(ここでは疑似科学叩きに懸命な人としておく)は異なるクラスターだという感覚があるのだけど、自分にはその違いの要素が見いだせない」まずなんで
疑似科学叩きに懸命な人を
科学原理主義と呼ばなきゃいけないのか、なんのためにそう称するのかがよくわからない(でもどうしてもそうお呼びになりたいようで、
難しいから安易に使ってはいけないとか
いちおう、括弧付きにしておくとかしきりにエクスキューズをつけながら最後までお使いになっている)。よくわからないけれど、
科学原理主義と云うことばは(「科学教徒」とおなじく)漠然とした揶揄をこめてレッテルを貼る以外の用例をみたことがないので、
疑似科学叩きと云うフレーズと組にしておいてそう云うニュアンスをまずは漂わせておく、と云う、コミュニケーションをなりわいとするひとならではの高度な技巧なのかな、とも思う。ことばの用法に強烈な違和感を感じるんだけど、それはぼくがろくに空気も読めないコミュニケーション弱者だからだ、と云うわけ(でもぼくは自己認識では
科学原理主義でだけはないはず、なんだけどなぁ)。
で、この文章、
感覚があるの主語はだれなのかが読み取れなくてちょっと読解に苦労した。でもこれ、
感覚があるも
見いだせないも主語は自分みたい。要するに、自分はこう感じるんだけど、どうして自分がそう感じているのかだれか教えて、みたいな話なのかな。
まぁそんなことはよくて。
疑似科学が流行すると、専門家はひたすら批判するが、その試みは成功しているとはいえない。いや、だいたいの
専門家は
ひたすら批判するようなことはないんじゃないかな。むしろ、ほとんどの専門家は口を開かないと思う(なので菊池誠や天羽優子が目立つ結果になる)。それこそ
コミュニケーションの文脈を重んじて、空気を読んで黙っているのが、ニセ科学に接した時の科学の専門家にみられる一般的な態度なんじゃないかな。ある意味そのふるまいが専門家の専門性の源泉をみずからつきくずしている部分があるんじゃないか、とか思ったりもするけれど(その意味では自業自得)。
「科学原理主義」(いちおう、括弧付きにしておく)の人たちは、「啓蒙」なり「攻撃」なりを武器として「疑似科学を信じている人たち」に対応している。まったく意味がわからないのは、たぶんさっきも書いたようにぼくがろくすっぽ空気も読めない読解力に欠けたコミュニケーション弱者だからなんだろうな、とは思う。ただ、
「啓蒙」なり「攻撃」なりを武器とする、ってあたりはほんとうにわからない。
なんのための、なにを目的とした
武器なんだ? このひとの揶揄する
「科学原理主義」のひとたち(ここで何度も表明しているようにぼくはむしろ月の暗い部分に眷属を持つと自認している人間なのでとても不服なのだが、このかたの定義に準ずるとぼくもそこに含まれることになるのだろう)は、なにを目的に
「疑似科学を信じている人たち」に対応しているとお考えなんだろうか。
客観性あって初めて、自分の滑稽さを笑えたり、ユーモアが生まれますからね。そして、残酷なまでの客観性って実に痛々しいんだけど、その痛さを引き受けていない人は端から見ていると痛い。貧弱な読解力に鞭打って必死になって文脈を読み取ると、この部分はつまるところ
「科学原理主義」の連中は
客観性を欠いているので
痛いって云いたいんだろうな、とか思う。違うのかな? 違うとすれば、豊富なコミュニケーション能力を持っていて空気を読む能力に長けているひとには、この文章から違う意味が自明に読み取れるのだろうか。
最後のところだけ反論しておく。ぼくは
「科学原理主義」な輩かもしれないけど(くどいけどめちゃめちゃ不服ではある)、たとえばこのエントリのような、「空気を読まない」反論が傍目にとても「痛い」ことは自覚していますよ。コミュニケーション能力に長けた方々による、「痛さを自覚して黙れ」的な空気の醸成をあまり愉快に感じないので、黙っていられないだけで。
トラックバック 1
コミュニケーション・マネジメント(Chromeplated Rat 2011-11-28 19:32)
コミュニケーション、と云うことばの意味はまぁ、相互に情報を提供しあい、受け取りあうこと、と云うことでそうは外れてはいないのだと思う。ただまぁ、そこにはそのコミュニケーションの目的、と云うのもたぶんあって。
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<kasokenさんのモヒカン族と科学原理主義と云うエントリ>を、一応 読みましたが、何を云いたいのか?分かりませんでした。
<モヒカン族>は、非科学集団か?と、云うところで、まず、
何と比較しているのか?が、分かりませんでした。
(そのネタもとまで、辿る余力は、今、私にはありませんので、言葉のみの<クエスチョン>を、云っているだけですが・・・。)
「科学原理主義」の人間なんか、私は、誰を指しているのか、分かりませんが・・・、
新聞、ネット上で、<科学者>と称する者が、学術論文なり、
真の発見をした!と称して、発信する言は、
私は、ほとんど、信用していません。
「科学原理主義」の人間とは、そんな 皮相の科学者のことを 指し、
<モヒカン族>(差別用語でしかないが・・・)と云う
深遠の宇宙(:自然の仕組み)を知る人々(人種?)と、
比較して、何を論議しようとしているのか?が、そもそも、分かりませんでした。
(皮相な、コメント読みで すみません・・・。)
by mohariza (2011-01-20 23:28)
> moharizaさん
> 「科学原理主義」の人間なんか、私は、誰を指しているのか、分かりませんが・・・
ぼくもよくわからないんですが、このひとの定義上、ぼくなんかを指すようです。おいら呪術なやつなんで、猛烈な違和感を感じるんですけどね。
> 何を論議しようとしているのか?が、そもそも、分かりませんでした。
別に議論とかはしたくないんじゃないかな、とか思います。
おおむね最近使われるコミュニケーションと云う言い回しはバーバル・ノンバーバルを含めた非明示的な支配力の謂なので、コミュニケーターとしてそのあたりを発揮しようとしたのかな、みたいに推測しています。
by pooh (2011-01-21 00:21)
こんにちは、poohさん。
前から言っている「防衛戦」という話のたとえ話ができましたのでご紹介です。
軍事力も結構持っている大国Aがありまして、その国の隣に軍事力がそれほどでもない小国Bがあるんですね。でもって、小国Bが何をトチ狂ったのか大国Aに攻め込むわけです。大国は最初は侵略されているという事が分からなくて、対応が遅れるわけですが、侵略に気が付いたらそこは大国です。攻め込んだB国の軍隊の何倍もの兵力で、かなり差のある戦いをすることになります。
こういう経緯を考えずに「A国とB国が戦っている。A国がB国の軍隊を叩いている。」だけみますと、「さては、大国Aが小国Bを侵略しているのだな、A国の横暴に違いない」なんて思いこみ易い訳です(笑)。戦っているフィールドをよく見ると、それまでなんの問題もなくA国の領土で平和だった土地なんですけどね(笑)。
例えばドライヤーとか空気清浄機という工業の世界は、「マイナスイオンブーム」以前は、きちんと自然科学的な根拠を積み重ねて製品開発し、その自然科学的に根拠のある性能表示をきちんと行って販売してきた世界でした。つまり自然科学の領土でなんの不都合も無かった訳です。それがマイナスイオン」というニセ科学の侵略を受け、好き放題な売り文句で売られる「マイナスイオン製品」が出てきた訳です。だから自然科学的な考え方からの「根拠がないだろ」という反撃を受けた訳ですね。でも、「どのフィールドで批判が起きたか」を考えないで、力の強そうな自然科学が非力に見えるニセ科学を叩いている姿しかみないと、「強者が弱者を虐めている」としか見えない訳です。そして、その強者を批判するのに「大国の横暴」の代わりに「科学原理主義」なんて言い方がでるのだろうと思います。
by 技術開発者 (2011-01-27 16:44)
> 技術開発者さん
> 「どのフィールドで批判が起きたか」を考えないで、力の強そうな自然科学が非力に見えるニセ科学を叩いている姿しかみないと、「強者が弱者を虐めている」としか見えない訳です。そして、その強者を批判するのに「大国の横暴」の代わりに「科学原理主義」なんて言い方がでるのだろうと思います。
洒落にならないなぁ、と思うのが、その「科学原理主義」なんて云い方を平気でしているのが、ぼくらみたいな泡沫ブロガーと比較すると圧倒的な力を持っている著名な科学コミュニケータでいらっしゃる、と云う部分なんですよね。
そう云う強者が、言論によらないノンバーバルな部分でのコミュニケーションの意義を訴える、と云うのがどう云うことか。ぼくなんかからすると、あぁ、このひとは非明示のコンテキストを使って支配したいんだなぁ、みたいに感じられてしまうんですよね。
by pooh (2011-01-28 07:42)
こんにちは、poohさん。
>その「科学原理主義」なんて云い方を平気でしているのが、ぼくらみたいな泡沫ブロガーと比較すると圧倒的な力を持っている著名な科学コミュニケータでいらっしゃる
このあたり、私が皮肉で「日本人は学問を嫌い馬鹿にしている」なんて言う部分なんですけどね。実は現代社会において一番力があるのは大衆なんですね。そして大衆が支持するものが力を持つみたいに見える訳です。でもって、「良く考えられた意見」というのは、大衆のもつ一般的意見とは往々にして相反するものなんですね。大衆がその自分のイメージとは相反する意見に接した時に「なるほど、自分が抱いているイメージとは違うけど、よく考えるとそうだな」なんて、深い意見を考える事に喜びを見いだす面を持っていると、力を持つのは「よく考える者」になります。「自分のイメージと違うから排除」と自分のイメージに適合するものしか受け入れなくなると、力を持つのは「考えずに迎合する者」になります。或る意味で、現代において「圧倒的力を持つ著名な科学コミニュケーター」が「考えずに迎合する者」と成っているのは必然的とも言える訳です。
by 技術開発者 (2011-01-28 08:20)
> 技術開発者さん
> 現代において「圧倒的力を持つ著名な科学コミニュケーター」が「考えずに迎合する者」と成っているのは必然的とも言える
逆に考えると、その迎合が力の源泉、と云うことになるのかもしれませんね。
なんだかなぁ、とか感じますけど。
by pooh (2011-01-28 21:27)
kasokenさんこと、内田麻理香さんのWEBRONZAの2月2日掲載の記事も読みました。
・「科学リテラシー」って本当にいるの?
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2011012800009.html
この文章もとても歯切れが悪くて、
>「一般人にとって、科学リテラシーは必要か?」と改めて問われると、「無理してまで身につけることはないよね」とついつい思ってしまう。科学リテラシーを「責任ある市民としての必須事項」などとされてしまうことには、どうにも違和感を感じてしまう。
サイエンスコミュニケーターとしての悩みを書いているのだと思うのですが、どうも「科学リテラシー」についての認識が甘い様に思えてしまいます。
ニセ科学に基づいたホメオパシーなどのニセ療法に嵌ってしまわない様にするためにも、一般の人達だって「身を守る為に」科学リテラシーをある程度は身につけた方が良いと思うのですが、こういった視点に欠けているのではないかと危惧します。
ご自分の周囲に、ニセ科学・ニセ療法などの詐欺にあった被害者などがおらず、そういった悲劇を実際に見聞きした事が無いが故の、人生の明るい面しかまだ知らない無邪気なお嬢さんという印象が、(辛口ですが)どうしても拭えません。
実は私、ポスドクを続けるか少し迷った時に(36歳で大学院に修士から進学したので、博士を取得したのは41歳の時でした)、サイエンスコミュニケーターの募集に何件か応募してみましたが、いずれも書類選考で「40歳以上だと年齢が高すぎる。新しい事を覚えるには大変だろうし、イベントで立ち仕事が多いし体力的に大変ではないか」というのが主な理由で立て続けに落とされました。面接すらして貰えずさっさと門前払いされちゃいました。
まあ、おばちゃん博士よりも若くて大衆受けが良さそうな女性の方が「サイエンスコミュニケーター」の適格者なのでしょうねぇ。しくしく。(笑)
冗談はさておき、現在の日本でのサイエンスコミュニケーターの仕事は、採用する人事側としては、「科学についての造詣が深くて」きちんと理解した上で分かり易く正しく一般の人達に科学を伝えて啓蒙する能力が高い人かどうかよりも、まだ未熟でも仕事をさせていくうちに覚えていくだろうしそれよりも「イベントを盛り上げられる華やかさ」のある人を中心に考えられているのかなぁとも思います。
私の方は、華やかではないけれど、地道にブログなどで科学に関する誤解を解いて正しく伝えたり、健康に悪影響を及ぼしそうなニセ情報(ニセ科学)を批判していくことを通して、彼女達とは別途、社会に貢献していきたいと思っています。
by Katase (2011-02-09 03:05)
> Kataseさん
この記事、途中から優良なんですね。
> どうも「科学リテラシー」についての認識が甘い様に思えてしまいます。
いや(ご存知かもしれませんけど)ぼくもどちらかと云うと「科学リテラシー」を云々することについては以前から懐疑的なんですね。どちらかと云うとそれは常識の延長にあるもので、あらためて「科学リテラシー」なんて用語で読んで取りざたするべきものではないんじゃないか、みたいな感じで。
ただ、内田さんがそれを云うのはどうかな、とか思います。飯の種でしょ、天に唾してない? みたいな。
> 「サイエンスコミュニケーター」の適格者
いやまぁ、どんな資質が求められるのか、と云う部分については、雇用主の目的意識でしょうし。
ただ、いかにタレント性が高くても、はたして本筋に沿った業務ができるのか、と云うのはあるかと思いますけど。
> 彼女達とは別途、社会に貢献していきたいと思っています。
これからも、あてにしていますね。
by pooh (2011-02-09 07:40)
こんにちは、poohさん。
>どちらかと云うとそれは常識の延長にあるもので、あらためて「科学リテラシー」なんて用語で読んで取りざたするべきものではないんじゃないか、みたいな感じで。
なんていうか、言葉にすると言葉が一人歩きするような面はありますね。理科教育というのが一時期、とても実利的だった時代があるんですね。私が例として出すのは、「てこの原理」を教えるのに「力点、支点、作用点」なんてことは小難しくは教えないけど、校庭の大きな石を鉄棒と支えの石をつかって動かす事を沢山やらせることで、体感的に身につける様な話ね。
私はそういう実利教育を受けた訳では無いんだけど、なにせ育ったのが田舎でしょ、その当時は結構な土木工事を近所の人が集まっただけでやっちゃうような世界で育ったのね。水路一つ工事するのでも、てこや滑車は使えて当たり前、水準器をつかって傾斜を保てなきゃ水は流れない、なんてね。なんていうか、土木工事に限らず日常生活そのものが理科実験にあふれているようなものなんですね。普段に実利教育されて、学校で理屈をおさらいするような生活なんです。
「科学リテラシー」なんて言葉で言うからなにやらややこしいけど、専門家で無い人間に必要なのは、なんていうか、私が日常生活で体感していたような当たり前の合理性何じゃないかと思います。
by 技術開発者 (2011-02-09 08:47)
> poohさん、技術開発者さん
科学リテラシーなんて言葉が大仰だなというのは、ちょっと頷けるところもあります。以前にkikulogでも、科学者じゃないからニセ科学の見分けなんてとてもできないという意見に対して、この様な返事を書きました。
『科学的な論理思考をきちんと身につけていれば、怪しい物事に対しては懐疑的になり深入りする心配は減ると思います。
でもそれ以前に「怪しいものには気を付けろ」という生活の知恵の様なものもあるのではないかと思います。
世の中、オレオレ詐欺とかマルチ商法とか、胡散臭い投資話とか、不安を煽って物を売りつけたりする宗教まがいとか、怪しい詐欺の手口が山ほどあります。怪しげな話に迂闊に乗ってしまう前に、ちょっと待てよというストップをかける知恵は、そういった実例を知ったりして知識を得ることによって誰でも身につけて行くことが出来るのではないかとも思っています。』
なので、poohさんや技術開発者さんの認識と、それほど違っていない部分もあると思っています。
その「ちょっと待てよというストップをかける知恵」を補助するものとして、科学面の情報も入ってくると考えています。
by Katase (2011-02-09 12:40)
今晩は。
「常識」というもの自体が社会的文脈に依存して形成される概念であると思うので。
状況として、科学の言葉を濫用して他人を騙す愚か者どもが一定数存在し、時にマスメディアまでもが手を貸す、というのがある。そしてそれに対抗するためには「常識を変える」必要があり、「科学リテラシー」がそこに組み込まれねばならない、と論ずる、あるいはクローズアップするのは重要です。
と、言うか。
科学の知識は「習う」ものなのに、「身に着けていない」人が大半なのが問題で。本来それが「常識とされていくべき」なのに(だから教育に組み込まれる)出来ていない、と考えると、教育だったり社会的な重み付け(と言うか価値付けと言うか)だったり、をきちんと見る必要があるのでしょう。
しようとしているのに出来てない、て事でしょうから。
経験的に言うと、確率統計的な考えとかは、「常識」からはどうやったって出てきません(だから認知心理学的なバイアスの話になったりする訳で)。だけれど、大体の人は「習う」訳です。高校くらいで。制度としては常識的な知識として習得するのが期待されているはず、です。
だのに忘れたり軽視したり、あるいは、統計のウソを見抜いたり確率の問題の面白さを紹介する「大人向け」の本なりが一杯ある、ていうのは由々しき自体で※ そこには、科学の考えなんて身に着けなくとも良い、というようなある種の「教育」がなされている(きた)、のも背景としてあるのでしょう。
※それが、私のような「勉強をし忘れた」人間に対して極めて有用である、のは言うまでもありませんが。
by TAKESAN (2011-02-09 21:09)
があ。typo。
優良 → 有料
by pooh (2011-02-09 21:20)
> 技術開発者さん
> 言葉が一人歩きするような面はありますね。
そう云う部分はあるんです。なので、ぼくは例えばできる限り略語の利用は控えたいし、本来の意味を離れて別のニュアンスを持たされているようなテクニカル・タームの使用には慎重でありたい、とか思っています(とか云いながらすぐに「他力本願」とか使ってかも ひろやすさんに叱られたりしてますけど)。
> 専門家で無い人間に必要なのは、なんていうか、私が日常生活で体感していたような当たり前の合理性
ただ残念なことに、これは「日常生活で体感」できないと得られない(ヒューリスティックとして活用できるほど習熟できない)んですよねぇ。
by pooh (2011-02-09 21:20)
> Kataseさん
> 「怪しいものには気を付けろ」という生活の知恵
いや、結局、最終的にはニセ科学の問題と云うのはそう云うレイヤーにある話なんですよね。
> 「ちょっと待てよというストップをかける知恵」を補助するものとして、科学面の情報も入ってくる
ここに非常に同感します。で、そんなふうに考えれば、べつだんニセ科学を見分けるために要求される科学的な素養はそれほど多くはない、はずなんですよね。だいたいそうでなければ、ぼくなんかがこんなふうに何年間もニセ科学を論じる場所に居続けられるはずがないわけですし(^^;。
PseuDoctorさんの少し前のエントリに「科学者は権威主義者なの?」と云うタイトルのものがあって。
http://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.com/2011/01/s03-01.html
で、こちらのコメント欄に書こうとして、なぜか何回試みても書き込みできない内容なんですが(^^;。
科学は権威です。すくなくとも、ヒューリスティックとして利用可能な権威を提供する源泉として利用可能なシステムです。で、例えば最低限その権威のシステムがどのように構築されているのか、だけを知っていれば、その利用に当たってあまり間違うことはないんじゃないのか、みたいに思っています。「科学リテラシー」と云うのは、この水準の話じゃないでしょうかね。
by pooh (2011-02-09 21:22)
> TAKESANさん
まぁこれ、「常識」と云うことばの捉えかたでもあって。そこのところを無定義で使ってる、と云うのはあるんですけど。
基本的にはおっしゃるとおりだ、と思います。
> 「常識を変える」必要があり、「科学リテラシー」がそこに組み込まれねばならない、と論ずる、あるいはクローズアップするのは重要です。
このことそのものは同意です。
ただそれって、「科学リテラシー」みたいないかめしい用語を使わなければできないことでは、たぶんなくて。なんと云うかもうすこし、新しい用語を覚えずにもすむ方法で理解してもらえることのような気がするんですよ。
で、内田氏なんかはそのあたりを上手に話す必要のある商売なのに、なんだか逆に本義を曲げて受け手に媚びるような話し方をしようとする傾向が見えるように思うんですよね。
上記した「科学原理主義」と云う言葉の使い方といい、このかたについては(「科学」のつかない)リテラシーにそもそも問題があるんじゃないか、みたいに感じたりします。
by pooh (2011-02-09 21:28)
>>で、こちらのコメント欄に書こうとして、なぜか何回試みても書き込みできない内容なんですが(^^;。
ああ、それ多分書き込み自体は出来てますよ(笑)。あそこは承認公開制なんですが、PseuDoctorさんにコメント対応出来る用意が出来てからの公開になるみたいです。オレも一度書き込みしたんですが、少なくとも一〇日以上経ってから公開されたので、書いた本人がびっくりしました(笑)。
たしか以前、対応する余裕がないので意図的に書き込みが制限されるような仕様にしていると謂うようなことを仰っていました。全体構成が予め決定されていることなどを視ても、簡易ウェブツールとしてブログを採用しておられるのかな、と思います。
by 黒猫亭 (2011-02-10 10:18)
> 黒猫亭さん
> コメント対応出来る用意が出来てからの公開になるみたいです。
あぁ、なるほど。
まぁ、日頃お話を聞いていても、そうとう多忙な方みたいですもんね。ぼくもぼくでややこしい方に話を持って行ったりしてますし。
by pooh (2011-02-10 21:57)
済みません、Twitterでは色々と呟いているのですが、ブログまでは手が回らなくて(別にきくちさんの真似をしている訳ではないのです)。
でも、これはミステリなのですが、実は承認待ちのコメントは頂いていないのです。ですから、実際に書き込みは出来ていないという事になります。どうしてかは良く解りません。承認制にしている以外には特に制限をかけていない筈なのですが。不思議です。
余談ですが、Googleのブログにはトラックバックの機能が無いのですね。ちょっと不便ですが、その為だけに引っ越す気にもなれないでいます。
と、これだけで終わってしまうのも申し訳ないので、コメント頂く予定だった内容についても、少し書きます。
「科学が権威である」事と「科学者は権威主義者ではない」事は、特に矛盾せずに両立し得ると思います。ですので、科学者が権威主義者かどうかとは別個の問題として、科学の権威性について述べます。
ごく単純化して述べれば、科学そのものが権威たりうるのは、それが強力なツールであり、かつ、誰でもがそのツールを使いこなせる訳ではないからだと考えます。
例えるなら、古代社会における「火起こしの技術」に似ているのではないでしょうか。火起こしの技は有用で強力なので、それが一部の人達のものである場合には、それ自体が権威性を帯びていた事でしょう。
で、この場合、その権威に盲従して、起こされた火だけを便利に用いる、という態度も有り得ます。火の有用性は確実なのだから、それ以上は追求する必要は無いという態度ですね。また、その一方で、自ら行うかどうかは別にしても、火起こしのメカニズムを知りたいという欲求も有り得る訳です。
問題は、火起こしのメカニズムを解明する事が、権威性を高める方向にも低める方向にも働き得る事です。神秘のベールが剥ぎ取られる事によって権威は低下するかもしれない。しかし逆に、火を操る事に成功した人類の叡智と努力に思いを馳せる事によって、むしろ畏怖の気持ちが増すのかもしれません。
科学の立場からすれば、前者の権威は不要です。それは結局、未知の物に対する怖れでしかない。しかし後者の権威は必要でしょう。大袈裟かもしれませんが、人類の知的営為に対する畏怖の気持ちを失ってしまったら、我々は人間であり続ける意味が無いと思います。
という訳で、科学リテラシーとは、未知に対する畏怖を先人の営為に対する畏怖に入れ替えていく為に必要なものだと考えています(ただ「その目的を達成する為には、どのレベルまでの知識を要するか」などと具体的に考え始めると、これはこれで非常に難しい話になってしまうのですが)。
もう少し言えば、未知なる物に対する畏怖というのは、別の「未知なる物」が現れれば、容易くその座を奪われてしまう。それがニセ科学やオカルトだと思っているのです。
by PseuDoctor (2011-02-12 00:34)
> PseuDoctorさん
> 実は承認待ちのコメントは頂いていないのです。
ありゃりゃりゃ。2回書き込んだのに。
Googleにログインすれば書き込めるのかな。なんか今回いただいたコメントみたいなお話、うちだけで展開されるのもったいないのにな。
> 「科学が権威である」事と「科学者は権威主義者ではない」事は、特に矛盾せずに両立し得る
と云うか、あるシステムを活用するにあたって、ファンダメンタルに「○○主義者」になる必要なんかないんですよね。
> 火起こしのメカニズムを解明する事が、権威性を高める方向にも低める方向にも働き得る
以降にお書きのことを含め、これは「敬意」の問題なのかもしれないですね。儀礼的な意味合いではなくて、実利を伴う基準としての「敬意」(我ながらよくわかりませんけど)。
で、これはTAKESANさんがつねづねおっしゃっていることともつながってくるように思います。
> 科学リテラシーとは、未知に対する畏怖を先人の営為に対する畏怖に入れ替えていく為に必要なもの
ぼくは単純に、これに「科学リテラシー」と云う名称を充てることに疑問があるんですよね。もっと普遍性のあることがらのように思えるので。いじわるに云うと、これを科学リテラシーと呼ぶのは、科学コミュニケータと云う職業を成立させるためなんじゃないか、みたいに。まぁそれはそれでいいんですけどね。
> 未知なる物に対する畏怖というのは、別の「未知なる物」が現れれば、容易くその座を奪われてしまう。それがニセ科学やオカルトだと思っているのです。
これはとても強く強く同意します。
その意味では、あらゆる「原理主義」は危険だと思っています。
by pooh (2011-02-12 05:08)
こんばんは。
>Googleにログインすれば書き込めるのかな。
それは無いと思います。私もログアウトした状態で試してみて、出来ましたので。つくづく不思議です。
>ぼくは単純に、これに「科学リテラシー」と云う名称を充てることに疑問があるんですよね。もっと普遍性のあることがらのように思えるので。
そうですね。まず一般的な「リテラシー」があって、その中に「科学リテラシー」が含まれているのだと思います。わざわざ限定する意義は薄い様にも感じますね。
by PseuDoctor (2011-02-12 22:49)
> PseuDoctorさん
> まず一般的な「リテラシー」があって、その中に「科学リテラシー」が含まれている
そう、そうなると、まず「なぜリテラシーが必要なのか」と云う議論が先立つものとしてあるわけですよね。そこをすっとばして「科学リテラシー」を語ろうとすると、なんだか不必要に専門化された議論になってしまうようにも思います。
で、ある程度ポピュラーな議論をしようとするときにそう云う手法を選択してしまうのは、やっぱりそもそもそのひとのリテラシーに欠けた部分があるんじゃないか、みたいにも思ってしまうんですね。
by pooh (2011-02-12 23:26)