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銀行国有化と市場規制強化でEUの危機は回避できる
11/25(金)の報ステで欧州危機の報道をした際、古舘伊知郎が、「危機は必ず中心部へ来る」と浜矩子が言っていたと紹介した件があった。10/26のブリュッセルのEU首脳会議、11/3のカンヌのG20サミット、11/12のベルルスコーニ退陣、11/20のスペイン政権交代、11/24の独仏伊首脳会議と、この1か月間、欧州情勢が激動する中で、浜矩子がどう解説するか私は注目していたが、残念ながら浜矩子のテレビ出演を見る機会がなかった。古舘伊知郎が紹介した情報は、ありがたいことにネットの検索で引っ掛かる。11/20の毎日のコラムに寄稿していた。ここで浜矩子は、危機がドイツに及ぶことを見事に予言していた。エコノミストとして、ドイツ国債札割れの事態を看破した11/20の記事は秀逸で、情勢の進行を正確に捉えた慧眼は賞賛に値する。古舘伊知郎が、番組中に浜矩子の名前を出したのは、その洞察力に舌を巻いたからだろう。と同時に、愚にもつかないコメントしか出せない無能な三浦俊章に対する面当ての意味もあったに違いない。最近、報ステの力関係が微妙に変わってきて、古舘伊知郎が謙って下手に出るようになり、三浦俊章と五十嵐浩司が威張ってふんぞり返る態度になっている。代表選からTPPと続いた政治戦で反動・官僚側が勝利したため、朝日本社が強気に出て、古舘伊知郎を押さえ込み、再び反動側へ転向させる形勢になった。
寄稿したコラムの中で、ドイツとイタリアが、それぞれ過去に国内で格差を抱えた歪な通貨統合の経験を持ち、その後遺症に悩んでいる問題を指摘している点も、ユーロ危機分析の上での一つの歴史的考察として素晴らしい。もし、この記事が誰かの(英字記事の)参考でなく、本人のオリジナルであったとすれば、エコノミストの論考として白眉の秀作と言えるだろう。やはり、欧州経済を語らせたら、今はマスコミ論者の中で浜矩子の右に出る者はいない。だが、その浜矩子でも、各国の国債の危機がヘッジファンドの投機によって媒介されているのだとする批判的視点はなく、市場のフラットな取引の結果だとする認識での分析に止まっている。相場を動かし、マスコミを動かし、政治を動かし、危機を煽って暴利を貪っている金融資本への視線や告発がない。浜矩子のこの解説の前提においては、市場はあくまでスミス的な「神の見えざる手」の範疇と表象であって、NHKスペシャルで登場したような銭ゲバの投機家の集合体ではないのだ。また、投機資本とIMFが一体で、欧州各国の社会体制をより強烈に新自由主義化し、社会保障削減と労働規制緩和を押し進め、それによって資本の収益を極限まで上げようとしているなどという観点は、浜矩子には全くない。今日(11/27)、金子勝がサンデーモーニングに出演したが、やはり、ヘッジファンドの投機を抉る論点はなかった。
投機資本とIMFが一体で、ユーロ危機を意図的に煽っていると疑う見方は、田中宇が議論の中で示している。英米がユーロ壊滅に動いていると見る陰謀論の認識である。私は、田中宇と同じ見方ではないが、マスコミに出る著名な論者が、今回のEUの金融市場の動きについて、あまりにニュートラルでフラットな性格づけをのみ与え、投機資本の思惑というグリードな契機を最初から排除している点が気になって仕方がない。田中宇とは逆の意味で、マスコミ論者の認識にはバイアスがかかっている。新自由主義に無批判で無警戒な観念の下でEUの市場を捉えすぎているし、緊縮財政が必要だとする一般論を当然視しすぎている。金子勝でさえそう言っている。スペインの医療費無料制度にせよ、イタリアの派遣労働者の権利にせよ、これらは、2年前の日本の報道や世論の基準では、明らかに日本がめざすべき理想の方向であり、積極的なシンボルだった。キリギリスの表象で擬えられる悪性のシンボルではなかったはずだ。それ以上に、家計貯蓄率の問題が完全に捨象されている。ネットの情報を見ると、イタリアの2005年の家計貯蓄率はOECD中最高で、日本の3.5倍の11.6%という数字になっている。アリはイタリアで、キリギリスが日本。俗に、日本の国債(財政)が破綻しないのは、個人金融資産が1400兆円あるからだと説明されている。では、家計貯蓄率の高いイタリアはどうなのか。
エコノミストが説明しなくてはならないのは、その数字の詳細と比較だろう。家計貯蓄率が日本より高く、債務残高のGDP比が日本の半分のイタリアが、どうして「自力では返済が不能になる」国債金利水準の7%に達してしまうのか。イタリアの政府債務は、日本の5分の1の約204兆円(1.9兆ユーロ)である。つまり、イタリアの個人金融資産が210兆円もあれば、資産と負債はイーブンでバランスすることになる。イタリアの個人金融資産の数字がない以上、この議論を続けても無意味だが、日本で債務危機が起こらず、イタリアでそれが起こる理由説明として、国債を国内で消化しているかどうかという問題がある。個人金融資産が政府債務を上回っていても、日本国債が外国の金融機関に握られていたら、市場で売り浴びせられてイタリア国債と同じ目に遭うと言われている。このことは、逆に言えば、イタリアに日本の郵貯のような大型のパブリックな金融機関があり、そこが国債引受シンジケート団の中核になっていれば、市場で乱暴に売り買いされなくて済み、危機を煽られることもなかったという結論になる。そもそも、ムーディーズやS&Pなど格付け会社は、イタリア国債をずっと日本国債より上に位置付けてきたし、現在でも、日本国債よりスペイン国債の方がランクが上という不思議が続いている。怪しむべきは、格付け会社の格付けであり、ギリシャ危機から始まった金融市場における国債金利のフローティングである。
実際に、イタリアにも、そして欧州各国にも郵貯は存在する。近代日本の国家システムの制度設計は、常にヨーロッパ先進国をモデルとしてきたし、それは現在も変わっていない。が、欧州の郵貯は日本のように預金シェアが高くなく、金融機関として有力な存在ではない。その一方、イタリアには協同組合銀行(BCC)があり、国内の預金シェアの30%を占め、国内の金融機関中で最多の店舗数を有している。これは、農協から発展した金融機関だ。預金残高の情報はないが、これが日本の郵貯に相当すると考えてよいだろう。日本の郵貯は、国民の個人金融資産(1400兆円)全体の20%のシェアであり、こうして数字を並べれば、BCCがイタリア国債を引き受けるのに特に不都合はないように思われる。フランスでは、協同組合銀行の預金シェアが60%(40%という情報もある)。フランスのような経済規模の大きな国で、40-60%の預金シェアを持つ公的な金融機関が存在していれば、国債の消化に何の支障もないように想像するが、どうして国債がデフォルトになる道理があるのだろう。フランスの協同組合銀行、クレディ・アグリコル・グループの総資産は約1兆7308億ユーロ(約189兆円)である。先進国の金融機関として堂々たる規模で、まさに日本の郵貯そのものだ。先進国の中で、歳出に占める国債費の比率は最も日本が高いはずで、その点でも、フランスやイタリアやドイツの金融機関が自国国債の引き受けに四苦八苦する状況に首を傾げる。
そもそも、自国の国債すら引き受けられないほど破綻した銀行なら、先手を打って政府が国有化するのが当然ではないか。ペイオフで預金者保護を言い、拓銀や日債銀や長銀のように破綻させる。破綻させ、国有化し、債権を放棄させる。放棄させる債権には国債も含まれる。ギリシャ国債については、保有する銀行は50%を放棄させられたが、例えば、仏伊西の3国で同時に主要銀行を国有化し、銀行が保有する仏伊西の国債の全額を放棄させるのである。銀行が持っている他の資産(株式や債権、海外投資)を売却し回収すれば、資本を積み増して顧客のペイオフ分を充当することは可能だろう。荒療治であり、社会主義的な方法だが、国家を破綻させず、銀行を破綻させ、国民の社会保障を守る手段としてこのソリューションがある。90年代末の日本は、中途半端だったが、この方策を試行錯誤した。現状を見ると、EUはこの方向には全く関心がなく、国民を犠牲にして銀行を救済する選択で一貫している。市場の暴走に調整を委ね、市場に政策決定の主導権を与えている。銀行に痛みを強いず、国民に痛みを強いる策を採っている。しかも、その判断を欧州委員会が下し、各国の経団連がエンドースし、IMFがサポートするという構図になっている。そして、銀行に痛みを強いらせよと要求してデモしている市民に、世界のマスコミは、既得権益者だの、愚図だの、甘えているだのと言い、大宅映子的な偏見を正論化し、不当なレッテルを貼って蔑み貶めているのである。
金子勝は11/27の番組で、財政危機と金融危機はイコールだと抽象的に論じたが、銀行(市場)を破綻させて国家(国民)を救済する考え方は言わなかった。カネが足りない、公的資金が不足していると、そこまでは言う。であれば、ペイオフで預金者を保護して銀行を潰すしかないではないか。銀行に損をかぶらせ、銀行の出資者と債権者、すなわち投資家に泣いてもらうしかないではないか。各国の金融セクターを公共化し、市場から切り離すしかないではないか。そのことによって、各国の、例えば仏伊西の国債は市場で信用ゼロになる。一時的に市場価値がなくなる。海外の金融機関は運用する債券としては扱わなくなる。だが、それでも別に問題はない。日本のように自国の公的な金融機関が低利で引き受けられれば、日本のようにデフォルトなく国債と財政を回すことができる。本来、国民経済において財政と金融は一体なのだ。財政と金融は分離できない。どちらも国民生活のためにある。共通通貨を守り経済を統合するのなら、当然、統合プロセスを直進して政府も一本にするしかないだろう。問題は、その財政の統合をどういう原理で進めるかである。現在のように、市場主義(資本主義)で進めれば、重税と社会保障切り下げで国民生活も地域経済も疲弊するばかりだ。資本が第一ではなく国民が第一の金融と財政でなくては、統合を加速しても無意味である。銀行国有化、市場の規制強化、金融の公共セクター化という方向が出ないのは、残念であり、欧州市民社会に失望させられる。
トッドら左派の知識人は何をしているのだろう。
by
thessalonike5
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2011-11-27 23:30
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