アジア・太平洋戦争中に旧日本軍の「慰安婦」にされた朝鮮人で、戦後移り住んだ宮城県女川町の自宅が東日本大震災の津波で流された宋神道(ソン・シンド)さん(89)が26日、被災後初めて西日本で講演した。慣れない東京で避難生活を送る宋さんは「生きているのもつらい」と漏らしつつ、「それでも二度と戦争はするなと言いたい」と繰り返し訴えた。
宋さんは朝鮮・忠清南道出身。「戦地で働けば一人で生きていける」とだまされ16歳で中国の慰安所へ。逃げると暴力をふるわれ、7年間も兵士の性の相手をさせられた。戦後、共に引き揚げた日本兵に置き去りにされ、女川町の在日朝鮮人男性と同居してきた。
男性の死後、独りで住んでいた自宅は、3月11日の津波で跡形もなくなった。高台に逃げて助かったが、残ったのは愛犬だけ。日本政府に謝罪と賠償を求めて宋さんが起こした裁判(2003年に敗訴確定)の支援者らが、津波のショックと避難所生活で弱った宋さんを東京に迎え入れた。
大阪市福島区で開かれたこの日の集会で、愛犬と離れて東京で独り暮らしを始めたつらさから、宋さんは「いっそ津波に流されりゃ良かった気もする」と涙を見せる場面もあったが、「それでも生きなけりゃと帰ってきた」。「戦争した補償は日本の国としてするべきだと言っても多くの政治家は無関心。どういうことだ」と怒りも見せ、支援者らは立法による問題解決と市民の理解を呼びかけた。(多知川節子)