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2005-02-25

万引き

本屋の主人は、万引きを発見した。店内のマンガコーナーで中学生らしき制服を着た女の子が、バッグの中に本を入れるのを目撃してしまったのだ。その中学生は、まだ他のマンガを読んでいる。もしくは第二の犯罪を試みているのかもしれない。主人はその中学生の行動を遠くから監視していた。が、一向に犯行に及ぶ様子がない。一冊のマンガを熱中して読んでいる。主人は、さっきバッグに入れたのは、錯覚だったのではないかと思った。よく見ればかわいい顔をした女の子だ。最近ジュースのCMに出ているアイドルによく似ている。主人は自分を疑い始めていた。この頃、疲れ気味で体はだるかった。店員にもつい当たってしまうことがあった。
気のせいだ、私の思い違いだ。そう思い、女の子から目を離そうと思った瞬間に、女の子の手が素早く動き、持っていたマンガをセカンドバッグに詰め込んだ。今度は見逃さなかった。主人は女の子の所に駆け寄り、小さな声で言った。
「今、バッグの中に、本を入れましたよね。バッグの中身を見せてもらえませんか」
女の子は一瞬体が固まったように、真っすぐに立っている。ちょっとすると体を主人の方に向けて言った。
「私、そんな事していません」
「なら、バッグの中身を見せて下さい。私はあなたがバッグに本を入れるのを見ていた。バッグの中身を見なくては信用できません。なんなら事務室に行きましょうか」
女の子は主人の方に手を出してきた。その手を主人のズボンの股間の辺りに置く。周りの人達から見えないように、体をくっつけ、股間にあてた手をゆっくり動かす。女の子は主人のペニスが硬くなったのをズボンを通して見逃さなかった。女の子は手を激しく動かす。ズボンのチャックを下ろし、隙間から手を入れる。主人の履いているトランクスが手に絡む。女の子はトランクスの腰の部分から、強引に手を入れ直接ペニスに触る。ペニスのカリの部分を、集中的に撫でる。主人は息を荒げているが、必死に何事も無い様に振る舞っている。主人が体を不自然に動かし、片手を本棚の上に置いた。主人が腰をかがめるような姿勢になった。女の子は、手で主人のペニスが強い鼓動に波打っているのを感じた。女の子はズボンの中から手を素早く引き抜き、その場を早歩きで立ち去って行った。主人は何も言えなかった。主人は店のトイレに駆け込み、射精の処理をトイレットペーパーでした。なんて娘だ。主人は興奮していた。今までの性体験の中で一番興奮した。主人はトイレから出ると、何事もなかったかのように仕事を続けた。
翌日、主人は暇ができると、マンガコーナーを見つめていた。女の人がマンガコーナーに立っていると、主人はなにげなく近くに寄った。主人は待っていた。主人はまた万引きされるのを待っていた。その動機は当初のものとは違い、性的な動機から来るものであった。それからだ、主人の客を見る目が、客を見る目ではなく、女を見る目に変わったのは。その事に気がついている人は、誰もいなかった。

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2005-02-24

喫茶店

男の行きつけの喫茶店は、雑居ビルの二階にあった。店内はとても暗く、読書などはできない。通い始めた頃は、テーブル席に座っていたが、いつの間にかカウンターに座る様になった。
この店は、マスターが一人でやっているようだった。もう十年近く通っているが、マスター以外の人間が、働いているのを見た事がない。通りから一本はずれたところにあるこの店は、いつも空いている。客が自分一人ということもよくある。だからマスター一人で、人手は足りるのだろう。
マスターとはオーダー以外に会話を交わしたことがなかった。無口なのだろう。そう思って、こちらから世間話を振る事もしなかった。また、無言の関係が心地よかった。
が、今日は違った。いつものようにブレンドを頼むと、マスターが、
「外は、まだ雨降ってますか」
今日は、朝方から小雨が降っていた。男が店に入った時には、もう既に止んでいた。
「いえ、もう止みましたよ」
暫し店内が沈黙に沈み、マスターがコーヒーをたてる音が、沈黙をさらに重いものにしていた。
男は思い切って言った。
「マスターが話すの、初めてですよ」
「すみません。無口なもので。ただ今日はなんだか人と話したくて」
「何かあったんですか」
「ええ、あったと言えば、大きな事がありました。もう十五年前の今日ですけど」
「ええっ」
「今日は亡くなった妻の命日なんです。自動車事故でした。運転していたのは私です。私がカーブを曲がりきれなくて、ガードレールに衝突しました。私は軽傷ですみましたが、妻は即死でした」
男は何も言わなかった。マスターが続けて言う。
「あの時、スピードさえ出していなければ」
マスターは、少し取り乱したように涙声になっていた。
男は何も言わずに、ブレンドの代金をカウンターに置くと、立ち上がった。
そして言った。
「私は妻に逃げられました。三年前の事です。今、妻がどこに住んでいるかも、生きているかもすら分からない。私は、失礼ですがあなたに同情する気にはなれません。あなたには愛した妻がいた。そして今も命日を大事に思っている。私は妻の誕生日も忘れた男です。あなたの話を聞く価値のない男です」
そう言うと、扉を開け、階段を下りた。
外は、小雨だった。男は肩を丸めて、街の雑踏の中に消えていった。

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同級生-2-

千鶴は園芸部に入部した。入学して二日目のことだ。園芸部に入ることは、入学前から決めていた。家がマンション住まいなせいで、今まで植物好きの千鶴は小さなプランタンか鉢植えで我慢するしかなかった。思いっきり植物を育ててみたい。ずっとそう思っていた。これで念願の夢が叶う。千鶴はうきうきする気分を隠せなかった。この学校の園芸部には特色がある。学校の花壇及び校庭全ての植物の管理を任されているのだ。この学校を受験する前に、園芸部の事を調べて分かった事だ。
千鶴には夢があった。校庭中を花一杯にする事だ。春はフクジュソウ、パンジー、シバザクラ、ナデシコ、クリスマスローズ、チューリップ、スイートピー、マツバギク、ミヤコワスレ、マーガレット、デージー、ルピナス、スズラン、ディモルホセカ、デルフィニューム、夏にかけて、アサガオ、ヒマワリ、シャクヤク、ポピー、バーベナ、カンパニュラ、アヤメ、マリーゴールド、ヒャクニチソウ、ニチニチソウ、エキノプス、キキョウ、秋には、コスモス、マリーゴールド、オシロイバナ、サルビア、ベロニカ、マツムシソウ、ムラサキツユクサと、挙げれば切りがなかった。
ただ、これだけはしたいというものがあった。
校庭の端からは端まで、ヒマワリを植えることだ。しかも大型のヒマワリを。千鶴はその光景を想像すると、うっとりするのであった。あともう一つ、アサガオだ。これは学校側が許してくれるか分からない。学校の校舎の屋上からネットを張って、その下にアサガオを植え、ネットを伝ってどんどん上に蔓を伸ばし、校舎がアサガオの花で一面になる計画だ。これができれば、もう千鶴は何も言う事はなかった。
そんな夢のような花畑を夢見ている千鶴は、クラスではおとなしいほうだった。おとなしいと言うか、所謂目立ったグループに属していなかった。千鶴はいつもマイペースだった。友達付き合いもするが、自分の世界を持っている。それを一番大事にしているようだった。そんな彼女を一部のクラスの女子は、変わり者と呼んだ。千鶴もその事は知っていたが、千鶴はそう言われても、へっちゃらな、自分を曲げない、一本の芯が通ったようなところがあった。そんな千鶴に魅力を感じたのが、有希だった。有希は所謂問題児だ。学校へは週に二三回しか来ない。髪は金に近い茶髪。噂では、暴走族に入っているとか、援助交際をしていると言われている。が、千鶴はそんなことは気にしなかった。ただ話していて気が合う。だから有希が学校に来た日には、いつも休み時間を一緒に過ごしていた。不思議なのは有希の方だ。有希のような茶髪の女の子は、何人かのグループを作って仲良しクラブを作っていたが、有希はそういう子には一切目も向けなかった。有希は学校では千鶴としか話さなかった。有希は千鶴に言った。
「植物見て楽しいのかよ」
「うん、楽しいよ。自分で種から育てるでしょ。そして苗になってだんだん大きくなる。そして花が咲くのよ。とってもきれいな。これがつまらない訳ないじゃない。ねっ、そうでしょ」
「わかんねえな」
「だったらゲーセンで、UFOキャッチャーしてた方が楽しそうだぞ」
「あはははは、有希って面白い。そのギャグ最高」
「ギャグじゃないつーの」
有希はあきれて、話題を他に移す。
「お前誰か好きな男とかいないの?」
「何よいきなり。そんなこと、いきなり聞かれて、答えられる訳ないじゃない」
「そう言うってことは、いるんだな」
「いないって、いない」
「嘘だ。その顔は、私は大好きな男の子がいます。その男の子に夢中ですって書いてあるぞ」
「もう、からかって。うん、いるよ。でも有希には言わない」
「なんで」
「なんでも。いつか有希に言う時が来るかもしれないけど、今は言わない」
きっぱりと言う。有希は知っている。千鶴がこういう態度をとった時は、てこでも動かない。
「わかった。もし私に教えたくなったら言ってくれよ。私も好きな男ができたら言うから」
「えっ、有希ってつきあってる人いるんじゃないの?」
「なんで?」
「なんとなく。色気あるし。それに・・・みんなが有希は遊んでるって言ってるし。怒った?」
「怒んないよ。みんなが私の事色々言ってるのは知ってる。でも私はみんなが思ってる様に遊んでなんかいないよ。学校休んでるのだって、遊んでる訳じゃない。したい事が見つからないだけだ。だから学校へも行く気になれない。それだけだ。千鶴だけには分かって欲しい」
いつも人を小馬鹿にしたような有希が、真面目な顔で言っている。千鶴は自分が恥ずかしくなった。顔が赤くなって目が熱くなった。思わず目が潤んでしまう。
「ごめんね。ごめんね。そんなつもりじゃなかったの。許して」
「気にしてないよ。バカだな千鶴は。すぐマジになる。まあ、そこが千鶴のいいところだけどさ」
笑って有希は言った。
「ねえ、有希。今日はお昼ご飯、何?」
「売店でパン」
「そっか、私はお弁当。一応自分で作ったんだ。明日から有希の分も作ってこよっかな」
「いいよそんなの。パンで十分だよ。好きな男にでも作ってやりな」
「また有希はそういう事言う」
千鶴は顔を赤くして、叫んだ。でもその顔は幸せそうだった。二人は一緒に昼食を食べ、昼休みを過ごした。有希は昼ご飯を食べると、気が変わったと言い残し、学校を早退してしまった。

shiroyagiさんの投稿 - 22:28:47 - 0 コメント - トラックバック(0)

レクイエム

モーツアルトのレクイエムが部屋中に流れている。誰が死んだのだ。私か。この部屋には私しかいない。が、私は生きている、と思う。ただ私が生きているというのは、妄想かもしれない。私はもう死の棺に横たわっている。モーツアルトのレクイエムは心地よいが、むしろ私は静寂を好む。あの力強い声で歌われると、心臓が弱まりそうだ。
早く死ね、お前の人生はもう既に終わった。十分贅沢と饗宴の貪りを尽くしただろう。
あのレクイエムの声に私は恐れる。私が民衆共に課した税金のせいで、そんなに責めるのか、私を。民衆達、だが、お前らは忘れている。私がお前達にどんなに慈悲を授けてあげたか。戦争の時、真っ先に宮殿を戦争の負傷者のための野戦病院にしたのは私だ。
忘れたか、民衆共。私は絶対的に、お前達民衆の前に君臨していた。なのに今の私の境遇はどうだ。暗い監獄の地下室に軟禁されている私。14才でこの王国の妃となってから、こんな虐げられた生活は初めてだ。お前達民衆は今までもこれからもずっと虐げられた人となろう。それが定めなのだ。世には決まり事がある。貴族が農民に、商人が貴族になることはできない。全てはその者の出生に帰する。分かったか。お前らは一生かかっても貴族の生活はできないし、することはない。はたまた私たち貴族も一生涯畑を耕す事はないだろう。分かったか。これが世の中の道理なのだ。
しかし、時代が変われば、全てが変わる事もある。身分、肩書き、財産、今まで何代にも渡って築き上げてきた、私たちにとって全てのものは、今崩れようとしているのかもしれない。
さあ、首を切れ。私の首を。それがお前がお前の上司から授かった命令なのだろう。ならば命令には従わなくてはならぬ。少なくともお前がその信念をもっているのならば。お前は私の首が切られたからと言って、世の中の何が変わると思うだろう。だが、本当に変わる事はあるのだよ。さあ、私はもう覚悟ができた。あとはお前の覚悟だけだ。お前が真にこの国を思うなら、私の首を落としなさい。そして自分が首を落としたと言いふらすのだ。お前はきっと英雄となろう。歴史に名を刻む者となろう。お前は名誉と富とを手に入れるべき人間だ。私はあえてお前のために汚名を着よう。そしてお前は偉大になる。お前の名は永久にこの国の歴史に残る王のとして刻まれるだろう。さあ、時は来た。雲雀が鳴いている。さあ、時は来た。もはや躊躇っている時ではない。その震えた刀を一気に私の首に降ろすのだ、力一杯。そうだ、
石の床には王妃の首が転がり、若者が一人、手を震わせながら刀を持っていた。若者は王妃の首を手に取り、唇に接吻をした。

shiroyagiさんの投稿 - 03:43:48 - 0 コメント - トラックバック(0)

スケーティング・パーク-2-

土曜日の朝、慶市は目を覚ました。前夜に遅くまで飲み会があり、アパートに帰ってきたのは、深夜二時過ぎだった。体はだるかった。ベッドサイドに置いた、スポーツドリンクを手に取り、最後まで飲み干す。だるい体をなんとか起こし、テーブルの上の煙草に手をやる。一服すると眠気も治まり、起きる気分になった。時計に目をやると十一時過ぎだ。いつも休みの日は、昼近くまで寝ているのが常だった。毎週金曜日は会社の同僚と居酒屋で飲み、そのあとキャバクラに行って、ピンサロに行くのが習慣だった。だからいつも帰宅が深夜になり、土曜日は朝が遅いのだ。
慶市は彼女と半年前に別れ、その後は、女気のない生活をしていた。と言っても、風俗は別だ。今、慶市がハマっていることと言えば、パチスロとキャバクラだろう。土曜日は、昼過ぎに家を出て、マックで朝食を摂り、パチンコ屋へ行く。適当なところでその後、サウナに行くのが、お決まりの土曜日のコース。帰りにビデオ屋により映画とエロビデオを借りて帰る。こうやって慶市の週末は終わっていく。こんな生活がもう半年続いている。彼女が欲しくない訳ではないが、どこかめんどくさい気持ちが先にたってしまい、そういう気分を妨げていた。だから水商売で手っ取り早く欲望を満たしていた。が、今日は気分が違った。先週行ったアイススケートが気になっていた。妙に楽しかった。昔インラインスケートをやった時の気分が甦ったようだった。よし久しぶりにインラインでもやるか、ブーツは車に積んである。どこか公園で滑ろう。そう決め、着替えを始める。ジーンズにTシャツに着替え、スニーカ−を履く。車に乗り込み、とりあえず朝食を済ませることにする。
いつものマックに行って、ハンバーガーを頬張り、コーラで流し込む。一息ついて、煙草を吹かしコーラを飲んでいると、またアイススケートのことが思い出された。確かに先週は楽しかった。それだけなのか、自分に問いかけるように考え込んでいた。インラインかアイススケートかどちらかにしよう。考えは変わっていた。今日も暑いしな。八月の猛暑は今日も気温を三十度以上に上げていた。よし、アイススケートに行こう。そう決めると、席を立ち上がり、トレーを片付け、店を出る。
車に乗り込みスケートリンクに向かわせる。リンクはここから約一時間位のところにある。カーステでCDをかけ、1枚聴ける位だ。調度いい。慶市はカーステのCDをエレファントカシマシに変え、宮本浩次の歌うロックに合わせて、車内で歌う。
スケートリンクに着くと、こないだと同じようにチケットを買い、中に入る。やっぱり寒い、が、気持ちいい。早速貸靴を借り、ブーツを履く。軽く体を動かして柔軟体操をする。行くか、颯爽とリンクに上がった。気持ちいい。何周か気持ちよく滑っていると、先週会った爺さんがいる。挨拶しなくちゃいけないかな、なんて事を考えていたら、向こうから話しかけてきた。
「あんた、また来たねえ」
「あっ、はい」
「がんばれよ。わたしみたいに年とったら、この先どれくらい上手くなれるか見えてるが、あんたはまだ若い。続けたらどんどん上手になるよ。そうだ、あんた、教室に入りなさい。そうしたら上手くなる。あんた教室に入りなさい」
「教室なんてあるんですか」
「あるよ。今日土曜日だろ。夕方から大人も習える教室やってるんだよ」
「そうなんですか。何教えてくれるんですか」
「何って、あんた、色々だよ。とにかく教室に入りなさい」
そうじいさんは言うと、また両手を広げて、すいすいと滑って行った。
慶市は滑りながら、教室か、教室ってどんなことするのかな。段々と興味が湧いてきた。確かに俺は結構上手く滑れるけど、それはスピード出したりすることができるくらいだ。このままじゃ壁にぶちあたるのは、目に見えている。俺はそういうのは嫌いだ。上へ上へ、前へ前へ、より上手く、より強くなりたい。よし教室ってのに行ってみよう。
慶市はリンクから降り、貸靴コーナーに行って、教室の事を尋ねた。すると、受付で、体験レッスン代千円を払えば、参加できると言う。受付に行って、教室の件を話すと、体験レッスンと書かれたバッジをくれ、五時から始まるから、五時前にリンクの売店前に来てくれと言われた。慶市は承知して、リンクに戻った。まだ五時まで三十分ある。それまで滑っていよう。滑っていると、さっきのじいさんがいたから、慶市は話しかけた。
「教室申し込んできましたよ」
「そうかね。そりゃよかった。あっと言う間に上手くなるからね。実はわたしも先生に習ってるんじゃよ。マンツーマンでな。じゃが、なかなかこの年だし上手くなれんよ。でもわたしだってこれでもスピンやターンを少しならできるんじゃよ」
「本当ですか。見せてくださいよ」
「あんた、見たいのかね。わかったよ、いいよ。じゃあ真ん中の方、行こうか。ここで回ったら危ないからね」
リンクの中央に行き、じいさんは、
「よく見てなさいよ。これがスピンじゃ」
爺さんは、ゆっくりと三回転位回った。
「どうだったね」
爺さんは聞いてくる。慶市は自分でもできそうだと思い、
「なんか自分でもそれくらいならできそうですけど」
無愛想に言った。
「なら、あんたやってみなさい。ほれ、そこで」
言われなくったってやるわい、慶市は心の中で言いながら、スピンをしようとして回ろうとした。その瞬間、あっと思ったら転んでいた。
「ほれ、見なさい。できないでしょ。ちゃんと習って練習せにゃできんのよ」
慶市は初めてだったからだと思い、もう一度チャレンジした。また転んだ。そしてまた転んだ。横から爺さんが、
「あんたにゃ、まだ無理だ。危ないからやめなさい。それより教室あるんじゃろ。それまで、基本中の基本、背筋を伸ばして姿勢よく滑る。あんたが今やるのはこれじゃよ。いきなりスピンやろうたってできんのよ。物事には順序ってものがあるのよ。わかった。でもあんた筋いいよ。転ぶの怖がってないもん。転ぶの怖がる人は駄目。体がこわばちゃって、まるで滑れないの。でもあんた怖がらないもんなあ」
爺さんと別れ、背筋を伸ばして、両手を広げて、目線をやや上の方に向け、一歩一歩の滑りが長くなるように滑る。そして右足と左足の滑っている距離が同じように滑る。これは言うのは簡単だがやるのは難しい。体全体に力が入っている。時計を見ると五時まで十分程ある。
一服するか。リンクを降り、自動販売機で紙コップのホットコーヒーを買い、啜りながら喫煙コーナーに歩く。煙草に火をつける。ふう、一息ついた。しかし、あのじいさんは何者かね。半分嫌気がさしたように考えていると、リンクであの爺さんがまた他の人にスケートを教えている。慶市は笑った。そうかあのじいさん誰にでも教えてるんだ。教えたがりなんだ。傑作だな。呆れ返ったように爺さんを眺めていた。
そろそろ時間だ。煙草を消し、指定の場所に行く。まだ、誰も来ていないようだ。慶市は手持ち無沙汰に、リンクで滑る人達を眺めていた。
そこへ派手なオレンジ色と黄色のジャンパーを着た若い女の人が二人現れた。ジャンパーの背中には、リンクの名前が入っている。この人達が先生なのだろうか。慶市は考えていた。若いじゃん、これも出会いってやつですか。スケートととは別の事を考えていたら、その女の人達が突然叫んだ。
「教室に参加する人は、こちらに集まって下さい」
慶市は、左右をきょろきょろしながら、女の人達の方へ歩いて行った。

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