2005-02-28
同級生-4-
千鶴の好きな科目は国語と古典だった。教師が好きだった。現国の千葉先生は、まだ四十才位だ。いわゆる時代遅れな熱血教師。古典の丹波先生はおじいさんみたい。ひょうひょうとした話口調が個性的で魅力的だ。千葉は、文章の読解能力を重点的に教えた。一つの作品を取り上げ、じっくり文節ごとに分析していくことが多かった。千鶴はそういう分析みたいなことはあまり好きではなかったが、千葉がたまにする無駄話が好きだった。ファッションの話から時には女の子の話、千葉はおしゃれだった。見るからにちょっと高そうでデパートか何かで買ったような服を着ている。うちのおとうさんみたいに近くのスーパーで売っている服ではない事が一目で分かる。毎日違う靴を履いていた。ということは、五足は靴を持ってなくちゃいけないってことか。千鶴は考えて、はあ、私には無理と溜息をついた。千葉が教科書に載っていない自分で好きな文学の話をする時があった。千鶴から見れば古い作家ばかりだった。大江健三郎や石原慎太郎の本を熱く語る。自分らの時代は大江健三郎の文庫本をジャケットのポケットに入れ、ジーパンのお尻のポケットに雑誌の平凡パンチを差すのが、かっこよかったんだと、自慢げに話す。その感覚は千鶴には理解できなかったし平凡パンチなんて雑誌は知らなかった、ただ先生が楽しそうに青春時代の事を語っている姿が好きだった。だからテストもできるだけがんばった。成績は中の上くらいだったが、千葉に褒められたことが何度かある。千葉は月に一度自分で課題図書を出し、感想文を書かせる。それで、千鶴は評価Aを何度かもらっていて褒められた。が、課題図書に大江健三郎の「性的人間」や石原慎太郎の「太陽の季節」をいれるのはやめて欲しかった。好み出し過ぎだって言うの。しかもちっとも面白くなかったし。千鶴はどちらかと言うと、浅田次郎や宮部みゆきとかが好みだった。だからいかにも純文学です、みたいに主張している小説は食わず嫌いだ。でも学校で読まされる。だからバランスがよくなるのかな?なんて自分を納得させた。
古典の丹波先生も雑談が面白い。とても話上手な人だ。あまり口には出さないが、若い頃相当過激に学生運動をしていたらしい。確かに発言の端々にそれらしきものが、そう言われれば感じられた。でも千鶴はそんなことはどうでも良かった。古典が好きだった。古典の原文を読む事に快感を感じた。助詞や副詞の関係や決まり事を覚えるのは苦ではなかった。枕詞を幾つ言えるか、家で大学ノートに書き連ねたくらいの古典オタクだ。友達と話している時にも、突然、いとおかし、などと言うので、級友はさっぱり意味が分からず、ひいたことがあった。有希が、千鶴は本当に古典が好きだなあとあきれて言った事がある。千鶴は答えた。
「古典を読んでいると思うの、何百年前の人たちも私たちと同じように悩んだり、くだらない事で喜んだりしてたんだなって思ったら。とても気が楽になって。自分だけじゃないんだって、そう思ったんだ」
有希は難しくてよく分からないと言った。千鶴は有希に、有希みたいに何をしたらいいのか分からない人や行く所も自分の居場所もなく、悩んでいた人がいたってことよって言った。有希はそうか、私と同じか。ふーん、今度から古典の授業は出てやるかな。偉そうに言った。千鶴は私丹波先生のファンなんだからそういう傲慢な態度は許せないわと冗談ぽく言った。ああいうおやじが好みか?好きな男ってもしかして丹波の事か?違うに決まってるじゃない。私はこれでも心身共に健康な十五才の女の子よ。おじさんはかっこいいと思うけど、恋愛の対象ではないわ。有希が、でも女は精神年齢が男より上だから年上の男の方がうまくいくって言うぜ、真顔で言った。年の差にも限度があるじゃない。私と丹波先生とじゃ年四十才以上違うと思う。うちの親より年上じゃない。そんなの親が許さない。有希が、親が許せばいいのか。まだからかっている。千鶴はもう有希とは話さないと言ってそっぽを向いた。有希は許せ妹よ、なんて言っている。ちょっと先に生まれたからってお姉さんのつもり。だけど有希の口の悪いのには慣れている。売店のメロンパンで許してあげることにした。有希は仕方ねえなと折れて、二人は売店のある地下に歩いて行った。
幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門
2月28日、渋谷シアターコクーンにて、蜷川幸雄演出、堤真一、段田安則、高橋洋、木村佳乃、中嶋朋子出演、「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」を観る。藤原家に追いつめられた将門は、今までの記憶を失ってしまう。しかも自分は将門の敵で、将門を討ち倒すのが使命だと言う。そこに将門一門の面々が加わり、舞台は複雑に絡み合う。狂った将門に代わり、将門に成り切ろうとする、五郎演じる高橋洋。将門の腹心でありながら将門に複雑な感情を抱くその兄三郎演じる段田安則。将門一門に君臨する女帝的な存在をサディスティックに演じた木村佳乃。三郎の妹であり将門に弄ばれた女を中嶋朋子が悲しく宿命的に演じた。舞台の客席から突然役者が現れる等趣向をさまざまな細かい所に施している。舞台装置は、火と光を効果的に使った素晴らしいものだ。さすが蜷川ならではと感じさせる。話は狂った将門を中心にしたある種の喜劇。最期、将門の身代わりとして五郎が死に、将門は生き残る。将門伝説が不滅なものとなるために。一時間半と短い舞台でしたが、充実した時間を過ごせました。ちなみにアンコールは一切無く舞台が終わった瞬間、客は席を立ち上がり帰る準備を始めました。舞台の余韻を味あう事もなく。そして照明はこうこうと舞台と客席を照らしているのでした。ちなみにこの日は、千秋楽でした。2005-02-27
スケーティング・パーク-4-
慶市の会社はビルの五階にある。慶市は普段エレベーターで上がっていたが、月曜日出勤すると、迷わず階段を使った。週末のスケートで、いかに自分の体力が不足しているか、気づいたからだ。階段を二段抜かしで登る。オフィスに着くと、息が上がっていた。自席にどかりと座る。パソコンのスイッチを入れると、ポケットに手を入れ、煙草を探した。煙草を口にくわえると、一瞬ある思いがよぎった。煙草を手に取り、煙草の箱を握りつぶすと、ゴミ箱に入れた。今日から禁煙だ。慶市は心に決めた。慶市は本気だった、アイススケートに。食事もいままでは、昼はラーメンか牛丼だったのを、定食に変えた。体から改造しよう。これが上達の第一歩だ。慶市はそう確信していた。先輩や同僚から飲みに誘われると、ちょっと用事が、と言って断った。定期的な二時間程度の残業を終えると真っすぐ家に帰って、腕立て伏せと腹筋、スクワットを出来る限りやった。規則正しい食事と生活と運動のせいか、何となく体が軽く感じた。
一週間は規則正しく、何事も起こらず終わった。金曜日の夜、家に帰ると慶市は風呂に入ってビールを飲んだ。靴が欲しいな。呟いた。貸靴じゃない、皮で出来た本当の靴を。いくら位するのかな、慶市はパソコンを開き、インターネットで調べた。海外のものや国産のもの等色々あったが、値段はピンからきりだった。安い物は、靴だけで二万円位、ブレードが一万五千円位。説明を読むがピントこない。慶市はパソコンの画面から目を離し、いいや、リンクの店で買えばいいと考えた。
土曜日の朝、慶市は起きると、一週間分溜まった洗濯物を洗い、掃除をした。
そしてリンクへ向かった。
リンクの受付の横のPRO SHOPに入った。
「フィギュアスケートの靴が欲しいですけど」
店員は、どんなのが欲しいのか聞いてきた。慶市は自分が初心者であること。これから本気でやっていこうと思っていることなどを話した。結果、靴は上から二番目にいい国産生、ブレードはイギリス製の一番安いものになった。それでも値段は結構した。慶市は財布の中の金が足りるか心配だったが、ちょうど千円を財布の中に残して、支払う事ができた。靴にブレードを付けるから、受け渡しは一週間後になるとのことだ。今日が最後の貸靴だな、慶市は思って、リンクに入った。
リンクに上がって滑っていると、いつもの爺さんがいる。軽く挨拶を済ませ滑り続ける。慶市は今日も教室を受けるつもりだった。受付でレッスンチケットの回数券を買い、バッジをもらった。教室までまだ一時間ある。慶市は先週習った、ひょうたんをやった。恥ずかしかった。かっこ悪りいな、そう思いながらも我慢した。これも修行也。そのあとスネイクをやる。両足では上手くできるようになったが、片足になると全く駄目だった。上半身ばかりひねって、下半身がついてこない。慶市はあきらめ、リンクを降りた。ベンチに座ると、パーカーを羽織る。リンクでは滑っている時は暑いが、滑るのを止めると、途端に寒くなる。スポーツドリンクのペットボトルを買って飲む。値段が高い。今度からスーパーで買って持って来よう。
教室の時間だ。慶市は売店の前に行った。先生がもう来ている。
「あら、来たんですねえ」
ちょっと驚いたように言う。
「はい。靴もそこの店でさっき買いました」
「本当ですか?やる気満々ですね、がんばってください」
慶市は素直に笑って、頷く。
先週と同じように、ひょうたんから始まって、スネイクをする。スウィングロールは上手くできなかったが、気にしなかった。
今日はターンをしましょう、先生が言った。そう言って、滑りながらクルっと滑る向きを変え、バックで滑らかに滑って行った。これがスリー・ターン。ターンの一番の基本だと言う。みんなでやるが慶市は上手くできない。先生が言うには腰をひねって、もうこれが限界だというところに来たら、クルッと自然に回るのだと言う。が、慶市はつい力任せに回ろうとしてしまい、躓きそうになる。時間が来て教室は終わった。実りは少なかったが、慶市は段々と焦りのようなものがなくなって来ているのを感じた。マイペースでやればいい。そう思った。慶市は教室の後、一時間位、教室で習ったことの復習をすると、リンクを上がって、家に帰った。
2005-02-26
同級生-3-
勇作は憂鬱な学校生活を送っていた。友達は何人かできたが、パッとしなかった。何かに熱中できる訳でもなく、毎日学校帰りにゲームセンターか雀荘に通った。年が16才になったら中型免許を取り、バイクで峠を飛ばそうと思っていたが、勇作は三月生まれの早生まれだったので、免許が取れるのは一年先だ。勇作はこの一年何をしようかと考えていた。スポーツは嫌いではなかったが、球技は苦手だった。かといって陸上部はきつそうだし、柔道部や剣道部は自分の範囲外だ。後は文科系のクラブになるが、これだというものがなかった。勇作は帰宅部を一ヶ月続けたが、何かをやりたいという気持ちが、日に日に強くなっていった。ある日勇作は軽音楽部の部室のドアを叩いた。勇作は洋楽の特にイギリスのロックやポップスが好きだった。楽器はできなかったが、音楽を好きだと言う気持ちは誰にも負けないと思っていた。
部室の中に入ると、壁に貼られたポスターが真っ先に目に入った。SEX PISTOLSだ。イギリスの有名なパンクバンド。勇作も大好きだった。特に、「アナーキー・イン・ザ・UK」は、勇作の好きな曲、ベスト5に入る。このポスターを見た瞬間、勇作は入部を決意した。
「一年の阿部勇作です。入部させてください」
四五人、上級生が椅子に座って、喋っていた。その中の一人、髪を茶髪にしてジェルでボサボサに髪を立てた男が立ち上がった。
「何、入部希望?楽器はできるのかよ」
「いえ、何もできません。でもロックを好きな気持ちは誰にも負けません」
「へえ、言うじゃん。誰にも負けない。俺もロックを好きな気持ちにかけちゃあ誰にも負けねえ。部員の誰よりも。じゃあ、これからはどっちが一番ロック好きか決めなくちゃな」
勇作に微笑みながら、言った。
「歓迎するよ。ようこそ軽音学部へ、って、ダサイ名前だろ。俺たちも変えたいんだけど、学校が許さなくってよ。許してな」
「いえ、そんな」
「硬くなんなって。ここじゃあロックが好きな奴はみんな平等。歌と楽器が上手い奴が一番偉い。学年は関係ない。これがロックだろ」
勇作は感動した。
「俺、一番目指してがんばります」
「そう、その意気だ。そうこなくっちゃ、新入生入れる張り合いがないってもんよ」
「先輩名前は?」
「俺は高杉丈。ジョーって呼んでくれればいい。それにそう呼ばれるのが好きなんだ」
ちょっと照れた様に高杉は言った。
「ジョーさんは、ミュージシャンじゃ誰が好きなんですか」
高杉は何も言わず、腕を上げ、壁に指を指した。その先には、SEX PISTOLSのポスターがあった。
「ピストルズですか?」
「おっ、知ってるのかよ。うれしいね。俺が唯一この世で信用するのは、シド・ビシャスだけだ」
「自分もピストルズは大好きです。何度CD聴いたか分かりません。英語の歌詞を理解したくって、辞書引きながら暗唱しました。でもピストルズの歌詞ってスラングばっかで辞書に載ってなくて困りましたよ」
高杉は笑った。まあ、座れよ。高杉に言われ椅子に座る。他に四人いたが、勇作には無関心のようだ。みんなギターやベースを持ちながら、自分たちの話で盛り上がっている。勇作がみんなに無視されているのを気にしていると感じた高杉は、
「みんなマイペース、こういう奴らなんだ。悪い奴じゃない。そのうち仲良くなるよ」
勇作と高杉はロックの話で盛り上がり一時間程話していた。高杉が言った。
「で、お前楽器何やりたいの?」
「いや、特にないんすよ。今まで楽器にこだわり持って、音楽聴いてなかったから」
ふーん、高杉がにやりとした。
「じゃあ、ギターやってもらおうかな。うちのバンドは、俺がヴォーカル、あとベース、キーボード、ドラム、ギターがいる。だけど出来ればギタ−は二人欲しいんだ」
「はあ、弾いた事ないけどやってみます」
「やってくれる?ギターは古い誰も使ってないのが一本あるからそれを当分使うといい」
「いいんですか」
「いいよ。だって誰も使ってないんだもん。楽器がかわいそうじゃん。誰かが弾いてあげなくちゃさ」
高杉は壁のピストルズのポスターを見ながら言った。
「じゃあ、今日は帰ります。明日また放課後来ますんで」
「おう、休み時間や放課後はいつもここにいる。いつでも好きな時に来いよ」
「はい、ジョーさんありがとうございます」
「おう、またな」
勇作は部室の扉を閉めると、ガッツポーズをした。今日から俺もバンドマンだぜ。しかもギター。女の子にもてちゃうな。どうしよう、などとちょとハイ気味になった気持ちが思考を飛躍させる。勇作は学校を出て、ゲームセンターでシューティングゲームを一回やって家に帰った。
ピンサロ
男の恋の相手はピンサロ嬢だった。ユカリと言う。ユカリは店のナンバー1の女の子だった。容姿は純日本風な顔立ちに華奢な体つきの割には胸が大きい。のんびりとゆっくりおっとりと話すのが特徴だった。どこか人をなごませる雰囲気を持っていた。男はある日、会社の同僚とあるピンサロに行った。酔っていたせいもあり、店に入ると指名もせずに料金の七千円を払った。せまいボックスシートのソファーに腰を下ろした。酒が完全に回っていて頭を下げて、ぼんやりとしていた。そこに、
「こんばんはー、ユカリです」
可愛らしい声が聞こえた。男は顔を上げた。ハッとした。一目惚れとはこういう事を言うのだろうかと思った。かわいい、男は既にユカリと名乗るピンサロ嬢に夢中だった。男は決していままで風俗に行ったことがない訳ではない。キャバクラでスナックでピンサロで数えきれない程、遊んだ。だが男はユカリに恋をした。当たり障りの無い会話の後、プレイが始まった。男は乳首を舐められながら、声を上げそうになった。フェラチオになるともう男の理性は失われていた。酒の力と恋の盲目が男の快感を絶頂まで高める。男はイク寸前、愛してる、大きな声で叫んだ。ユカリはびっくりした。男はぐったりとした。ユカリがイッたばかりの大きな鼓動をしているペニスを、丁寧におしぼりで拭いてくれる。
「ありがとう」
男はユカリの目を見て言った。
時間がせまっていた。男は、また来るねと、言い、ユカリは、うん、と答えた。男は満足だった。
店の扉を開けると、男は何十年ぶりかでスキップをした。また来よう、心の中で決めた。
翌週の金曜日、男は同僚の酒の誘いを断って、先日のピンサロに行った。受付で、
「ユカリさん、お願いします」
「ユカリさんなら先週で辞めました」
店員はそっけなく言った。男は全身から力が抜けて、その場にへたり込みそうになった。力なく、じゃあいいです、と言い残し店を出た。
男は一人で居酒屋に入った。つまみは一切注文せず、日本酒を飲み続けた。男は酩酊していた。テーブルに肩肘を付き、手を頬にあてて、うたた寝していた。看板です、店員の声で起こされ、店を出る。十二月の夜は寒く、体の芯まで凍えそうだった。
男は家に帰りたくなかった。妻のいるあの家には。男はビジネスホテルに泊まった。風呂に入ろうと風呂にお湯を貯める。風呂の中で、男は泣いた。思い切り泣くと、気持ちが落ち着いて眠ってしまった。男は夢を見た。ユカリと二人で手をつないで、買い物をしている夢だ。そしてこの夢は男の最後の夢になった。男は眠っている間に浴槽に顔が浸かってしまい、溺死したのだ。
翌朝チェックアウトの時間になっても、出て来ないのを不思議がって従業員がドアをマスターキーで開けて、部屋に入って、溺死体が発見されたのだ。形だけの警察の事情聴取があった。男の溺死体を発見した従業員は、言った。死に顔がとても幸せそうで、とても死んでいる様には見えませんでした。