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2005-04-15

泣き虫兎

兎はさびしいと死んでしまう動物だと聞いたのは、今つきあっている彼氏の雄次からだった。それを聞いて、私は幼い頃の思い出に還った。私は小さい頃、兎を飼っていた。その兎は三年くらい生きて、死んだ。死因は分からなかった。ただ雄次の話を聞いて、私はある種の罪悪感に襲われた。私が飼っていた兎は一羽だった。両親は共稼ぎで家には殆どいなかった。兎を飼い始めた頃の私には兎しか友達がいなかった。毎日学校から帰るとランドセルを置いて、兎と遊んだ。そんな生活が二年程過ぎた。ある日、学校のクラスに転校生が来た。私はその転校生と仲良くなった。しばらくするとその子の家で遊ぶ習慣ができた。家に帰ると真っ先にランドセルを玄関に置いて、その子の家に走った。そんな生活に馴染んだ頃、ある朝兎は死んでいた。丸くなって硬くなっていた。触るとその冷たさと硬さに驚きとともに、死骸という何か穢れたものを触ったような気がして、洗面所でごしごしと手を念入りに洗った。その日の放課後、転校生の子の家に向かう途中、泣いている女の子がいた。赤いランドセルをしたかわいい子だ。私は、
「どうしたの」
と、聞いた。
「おなかがいたいの」
その子は言った。
「うんちがしたいの?」
「うんちはしたくない。おなかがいたいの」
その子は泣きながら、言った。私はお腹をさすってあげようと、その子のお腹に手を当てた。ぞっとした。冷たかったのだ。そしてその感触は、今朝死んだ兎そのももだった。私は気が動転して、その子を置いて走り去った。
そんな思い出がある。だから雄次からその話を聞いた時はドキッとした。私がさびしくさせたから死んだのだと思った。でももう昔の事だ。記憶もあいまいになっている。私の思い違いかもしれない。そんな事を考えながら、通りをぼんやりと歩いていた。交差点の信号機の下に赤いランドセルをした女の子がしゃがんでいた。私はそんな事を考えていたせいもあってぎょっとした。声をかけようか、かけまいか、迷っていた。そしたらその子が立ち上がり、近寄ってきた。
「おかあさんがみあたらないの。わたし迷子かもしれない」
その子は言った。私はほっとして、
「じゃあ交番に行ってみようか」
その子の手を取って、交番に連れて行った。交番にはその子のお母さんが来ていて、お母さんに何度もお礼を言われた。別れ際、女の子が、
「おねえちゃん、じゃあね」
小さなもみじみたいな手を大きく振った。私もその子の頭を撫でてから、手を振って別れた。私はやっと子どもの頃の兎の思い出をよい思い出にすることができたような気がした。のんびりと商店街をのぞきながら、私は家に帰った。

よき友、吉澤景子さんに感謝して

shiroyagiさんの投稿 - 11:36:18 - 0 コメント - トラックバック(0)

汽笛

あなたはわたしに言った。きっとわたしを迎えにくるって。なのにもうあなたが外国へ行ってしまってから、四年が経つのよ。知ってる。わたしはカレンダーを毎日、この四年間見続けた。忘れた日は一日たりともなかった。なのにあなたは手紙の一枚もわたしにくれない。何故なの。わたしのことを忘れてしまったの。いいえ。そんなことはあるはずないわ。あんなにわたしたちは愛し合った。お互いを必要とし、お互いを求め合い、お互いが一緒にいることの大切さを一番に感じ合っていた。あなたと出会ってから、他のひととなんて、一度たりとも考えたことはなかった。ねえ、あなた。今どこでどうしているの。教えて。もうわたしはあなたなしでは死んでしまいそう。どうか教えて。

男は外国へ旅立った。新しい人生を歩むために。今までの過去を捨て、新しい国、友人、恋人、環境を求めて。男は二度と帰らない覚悟で旅立ったのだ。

わたしは待ちます。あなたが帰るのを。便りなんかいらない。あなたがその身ひとつでわたしの前に現れてくれれば、全てを許して、あなたとすべてを共にします。

男は恋を落ちた。外国の女だ。二人は愛し合った。その愛は二人の生命が分つまで続く真実の愛だった。そして二人はその通り、死が二人を分つまで愛し合って、男は女より先に、外国の地で死んだ。

わたしはもうどうしたらいいかわからくなってきました。決心しました。わたしはあなたを追って、旅立ちます。今日旅立ちます。もう汽笛がなりました。船の出航です。待っていてくださいね。いまわたしは行きます。あなたのいるところへ。もうすぐです。待っていてくださいね。

女は死んだ。男を残して十年前に。男はひどく落ち込んで、女の面影のあるこの国にいるのはつらいと、外国へ旅立った。もう随分まえのことだ。男と女の事を覚えている人はもうこの国にはいない。

shiroyagiさんの投稿 - 11:35:21 - 0 コメント - トラックバック(0)

絵本

本との出会いは、時に人との出会いと同じくらいに感動を呼ぶ時がある。一冊の本との出会いが、人生を変えるなどはよく聞く話である。私にもそれに似た体験がある。その体験談をこれから話したいと思う。それは三年前、行きつけの本屋で平積みにされた絵本であった。ぱっと目に入った瞬間、手に取っていた。最初の一行を読んだ途端、その本の世界に私は入り込んでいた。気が付いたらその絵本を読み終え、小脇に抱え、レジでその絵本を買っていた。その晩、何度も何度もその絵本を読み返した。読む度に世界は膨らみ、印象も変わっていった。最後に読み終え、私は溜息をついて目を閉じた。私はその絵本の登場人物になっていた。物語が進むとともに私も動いていった。物語が終わると、私も物語の中での自分の役割を終えた。ふう、また溜息をついた。私は知らぬ間に眠っていた。夢を見た。夢の中でまた絵本の物語が始まった。私もいた。朝起きると、そこはいつもの自分の部屋ではなく、絵本の世界だった。それがまた夢だという、所謂夢落ちではない。私は夢の世界に完全に入り込んでしまったのだ。そこで私は考えた。今までの自分は今どうしているのだろう。少し心配になってきた。お母さんは心配していないか。犬のゴディはどうしているか。友達のけいちゃんはどうしているか。無性に知りたくなった。そこで私は考えた。絵本を描こう。前の自分の世界の絵本を。そして一晩かけて完成させた。できあがった絵本を私は何度も読んだ。なつかしさや愛おしさに満ちあふれた絵本だった。私は知らず涙を流していた。そして泣きつかれて眠ってしまった。私は目を覚ました。いつもの部屋だった。私は起き上がると、机の上を見た。そこには二冊の絵本が並べてあった。さっきまでいた世界の絵本と今いる世界の絵本が奇麗に並べてあった。私はそれを見て、ああやっぱりあれは夢ではなかったのだと実感し、またそれは喜びでもあった。そしてちょっぴりあの世界もいいなと思った。私は前いた世界の絵本を手に取り、本棚の隅にしまった。それからその絵本は読んでいない。本棚にあるのかどうかさえ分からない。

shiroyagiさんの投稿 - 11:34:34 - 0 コメント - トラックバック(0)

過呼吸

彼女は過呼吸だった。ある日満員電車で突然過呼吸になった。彼女はその日ビニール袋を持っていなかった。彼女はパニックになった。左右上下を見渡し、何か袋がないか探した。なかった。誰か近くの人に貸してもらおうかと思った。できなかった。彼女はあきらめた。涙が溢れ出てきた。もうどうしていいかわからなくなった。その時彼女は常軌を逸した行動に出た。隣に立っていた青年の口に自分の唇をつけると大きく息を吸って吐いた。青年はびっくりしたがその唇をのけようとはしなかった。彼女のされるままに唇を貸していた。二人は次第に深いくちづけを始めた。二人は満員電車の中、うっとりと、そして激しく唇を奪い合った。周りの人達はそれを何事でもないかのように受け入れた。駅が近づき、アナウンスが流れた。駅に着き、扉が開いても二人は電車を降りようとはしなかった。
二人はその後、恋人になり、しばらくして夫婦になった。彼女は満員電車が怖くなくなった。なぜならいつも彼女の隣には夫が寄り添うように、彼女の手を強く握っていたからだ。

よき友、吉澤景子さんに感謝して

shiroyagiさんの投稿 - 11:33:33 - 0 コメント - トラックバック(0)

ラーメン

母が私に病院へ行けと言ったのは、木曜日の朝だった。私は勤めのための朝の準備で忙しく、いいかげんに頷いて、そのまま仕事に行った。連日の激務と睡眠不足で体は重かったが、気持ちは張っていた。体に異変が生じたのは午後三時頃だった。煙草を一服吸おうと喫煙所に行った。喫煙所は二階にある。私のオフィスは五階にあった。喫煙所には誰もいなかった。喫煙所で煙草に火を付け、煙草を深く肺に吸い込んだ。頭から何かが抜けて、体の下の方へ下がって行く。私は長椅子に腰掛けて、煙草を吸っていた。突然頭から血の気が一気に引いて行くのがわかった。椅子に座っているのも辛い。私はなんとか煙草の火を消して、長椅子の横に片手を付いた。頭をうなだれるように胸の近くに下げた。座っているのがやっとだった。しかしいつまでもこうしている訳にはいかない。なんとか立ち上がり、階段を一段一段ゆっくりと手摺に掴まりながら、上って行った。四階と五階の踊り場を過ぎたあたりで私はしゃがみこんだ。息は絶え絶えだった。ネクタイを緩め、朦朧とした意識の中でもう一度立ち上がって、歩き始めた。あともう少しだ。一段一段ゆっくりと手摺に掴まりながら上って行った。だが足はもつれていた。手摺を頼りになんとか食いしばっていた。が、力は尽きた。その場にへたり込んだ。手摺を片手に持ちながらしゃがみ込んでいた。何分くらいそうしていたろう。意識はなかった。そこに部長の声がした。
「田所君。どうしたんだ。気分が悪いのか」
あまり心配するようでない世間話をするような声が遠くで聞こえた。私は答えなかった。大きな声がした。
「だれか来てくれ。田所が倒れてるぞ」
上の方から、足音が幾つも聞こえた。私は両腕を羽交い締めにされ立ち上がり、両肩を支えられながら、足ををずるずると引きずって上った。応接室のソファーに、寝転がらされ、靴を脱がされた。係長が、眼鏡を外して、シャツの第一ボタンとネクタタイを取り始めた。私は急に感情が込み上げて来た。泣きながら、「すみません。すみません」何度も泣きじゃくりながら、涙声で言った。係長は、
「誰でも辛い時はある。そういう時は、みんな任せればいいんだ。気を使うことはない」
私の感情は徐々に収まって来て、涙が止まったが、大きな涙粒はまだ頬にも首筋にも残っていた。それを係長は男の手でハンカチで拭いてくれた。そして、
「使うか」
と、言ってハンカチを渡した。私は目尻に残った涙と首筋を拭いた。
「ほれ」
ティッシュケースが目の前に出された。それを私は五枚か六枚かティッシュを手に取り、何度も鼻をかんだ。そして何度も大きく息を吸って吐いて、気持ちを落ち着けようとした。
「どうだ。落ち着いて来たか」
係長が野太いそれでいて優しい声で言った。私は頷いて、「はい」と力弱く言った。
「しばらくそうしていろ。今日は仕事しなくていいから心配するな」
「でも」
「いいから。俺がやっておく」
「はい。わかりました」
また涙が出そうになるのを、なんとか堪えた。結局定時の退社時間までそうしていた。ちょと眠ったようだ。応接室のドアが開いた。係長だ。
「どうだ。もう大丈夫か」
「はい」
力強く答えた。
「ラーメンでも食って行くか」
「えっ、でも仕事が」
「いいから。今日は田所とラーメンが食いたいんだ」
係長は半ば命令するように言うと、
「荷物を持ってこい。行くぞ」
私はデスクの書類をそのままにして、バッグを持って、オフィスの入り口で待つ係長の所まで小走りで行った。
「どこにするか。竹の屋か鳳来軒か」
「どちらでも」
「今日は田所が行きたい所に行きたいんだ」
「じゃあ竹の屋で」
「よし」
係長はそう言うと、エレベーターの下りボタンを押した。
竹の屋は近かった。会社から五分とない。中に入ると、係長が、
「みそラーメンふたつ」
と注文を頼んだ。ラーメンはすぐに来た。ラーメンを食べようと顔を近づけると、眼鏡が真っ白に曇った。私は鼻をすすりながら、ラーメンを食べ続けた。


shiroyagiさんの投稿 - 11:32:39 - 0 コメント - トラックバック(0)
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