2005-04-23
真夜中の弥次さん喜多さん
四月十九日、府中TOHOシネマズにて、しりあがり寿原作、宮藤官九郎監督、長瀬智也・中村七之助主演「真夜中の弥次さん喜多さん」を観る。しりあがり寿の傑作を、どうクドカンがどう映画化するか少し心配していたが、無用だった。長瀬智也、中村七之助が生き生きとスクリーンに映る。またクドカン組とも言えるお馴染みの俳優陣の他に今回は豪華なゲストが多数出演している。原作をすばらしい映画に仕上げたクドカンに拍手を送りたい。失声
景子は、あまりのショックで声を失った。その日から景子は部屋に閉じこもった。ご飯も食べずに一週間部屋に籠った。家人は景子をそのままにしておいた。ある日、あまりにも長い引きこもりに心配した母親が、景子の部屋のドアを開けた。景子は部屋の床に倒れるようにしていた。母親は景子の体を揺すった。返事はない。体はぐったりとして、軟体動物のようだった。母親は救急車を呼び、かかりつけの総合病院の精神科へ連れて行った。あいにく主治医はおらず、代診の医師が景子を診た。点滴を打たれた。母親は入院を希望したが、病棟が埋まっているとの理由で断られた。その間景子は一言も口をきかなかった。声が出なかったのだ。どうしても声が出なかった。幾つかの病院のパンフレットを渡され、その中から一つの精神病院を選んだ。その病院は緑に囲まれ、病室は純白のように美しかった。景子は車で、その病院へ運ばれた。病院に着くと、車椅子で、病室に運ばれた。景子は愕然とした。病棟が汚かったからだ。パンフレットの病室は新棟の病室だったのだ。「だまされた」と思った。だがそれを景子は口に出すことはできなかった。病棟の他の患者は動揺した。景子が運ばれた五病棟には、そんな重病患者はいなかったからだ。その後三週間景子はベッドに寝たきりだった。風呂は介助されて入った。景子が初めて車椅子で自力で、ホールに出てきた。景子は煙草が吸いたかった。景子は紙に「たばこをいっぽんうってくれませんか」と書いて、煙草を吸っている人に渡した。その人は、売るなんてとんでもない、煙草をくれ、周りの人達もみんな一様に、景子に煙草をあげた。景子は手に煙草をいっぱい持ちながら、礼を言いたかったが、それもできず、みんなにそれぞれ丁寧なお辞儀をした。
主治医の玉井が景子に言った。
「喋らないのは、君が喋ろうとしないからだ」
玉井は景子に厳しかった。ある日、玉井は景子に言った。
「このまま君が話そうとしないなら、僕は君をかわいそうな娘だと思ってしまうよ。医者が患者の事を可哀相と思う意味がわかるかい?僕は君の主治医を降りなくてはならない」
景子は紙に、「それでもなはせないんです」と泣きながら書いた。
ホールのみんなは景子をよく笑わせた。景子は時折、口の隙間から、声にもならない笑いをあげるようになった。
ある日、ホールのみんなが喋っている時に、突然景子は笑い声をあげた。驚いたのは周りのみんなのほうだった。その後、景子は日に日によくなっていった。景子の口は言葉を話すようになった。
それから、もう何年もの月日が経っているが、景子は入退院を繰り返している。しかし、今では主治医の玉井の事を「たまいっち」などとふざけた呼び方をしている。一階の外来で玉井を待ち伏せしていた景子が玉井を走って追いかけたこともあった。外来では景子は有名人だ。景子は今でも病院に入院している。時折無性に死にたくなったりもするが、景子が笑わない日は一日もなかった。それを誰よりも喜んでいるいるのは誰だろう。みんなが景子の幸福を祈った。
よき友、吉澤景子さんに感謝して
転院
景子はある大学病院の心療内科に入院していた。二人部屋だ。内科ということもあり、隣のベッドには肝臓を患った女性が入っていた。週に一回、医局長が内科の医師全てを連れて、内科病棟を全て回った。所謂大名行列というやつだ。景子はそれが嫌いだった。ある日の大名行列で医局長が言った。
「おかげんはいかがですか。お腹を診せてくれませんか」
景子は叫んだ。
「キャー、やめてー。見ないでー」
大変な大声だった。景子はそれ以来ベッドのカーテンをしっかり閉めた。景子のところには大名行列は来なくなった。隣の女性を診た後、医局長が言った。
「こちらは内科ではないので」
大名行列は去って行った。
ある日、景子は病棟を脱走した。内科なので閉鎖病棟ではなかった。屋上に上がり、走る電車を見ていたら、無性に電車が見たくなった。景子はパジャマのまま、外来の受付を走り抜け、門を目指して走った。突然後ろから何人かの人に羽交い締めにされ、引きずられながら、病室に戻された。
主治医に言われた。
「君は私の範囲外だ」
景子は転院を余儀なくされ、ある総合病院の精神科を受診した。そこの医師は煙草をくわえながら言った。
「君は、お姉さんが受診しているから、ここに来たの?」
景子はだまりこんだ。それから景子は病院へは行かず、一人部屋に引きこもった。
それからしばらくして、景子はある精神病院の閉鎖病棟に緊急入院した。初めてそこで景子は信頼できる医師に出会った。景子は今でも入退院を繰り返しているが、医師のことは信頼していた。景子にとって入院は苦痛ではなかった。静かで穏やかで、親切な病棟仲間がいた。景子の病状はいい方向に向かっていた。入院をすることもない日がいつか来るかもしれないが、今の景子も十分に輝いていた。とても話していて病人とは思えなかった。私は願う。景子が早く家に帰り、ご主人と一緒に幸せに暮らせる日が来ることを。ある晴れた桜吹雪が舞い上がる、風が強い午前中だった。
よき友、吉澤景子さんに感謝して
阿修羅城の瞳
四月十七日、TOHOシネマズ府中にて、滝田洋次郎監督、市川染五郎・宮沢りえ主演「阿修羅城の瞳」を観る。駄作に近いが、市川染五郎の演技と太刀振る舞いの鮮やかさが、なんとか映画を成立させている。このTOHOシネマズ府中、最近できた映画館なのだが、不便なこと極まる。建物のエスカレーターは、客に店を見させるため、各階で歩かせる建築になっている。映画館は、アメリカかぶれなのか、日本語の標識は一つもなく、全て、記号や図で表わされていた。一緒に映画館に入った老年の女性と「映画を観るのにこんなに苦労するとは思わなかったですよ」と共感し合う。最近流行りのシネコン初体験だっただけに戸惑った。しかし年輩の方にはやはり難しいものであり、配慮が必要であると強く思った。