2005-05-30
選択
ボールが熱く感じるほどの暑い夏の日だった。武はボールを追いかけていた。最近武のサッカー熱は熱い。なにせミッドフィルダーのレギュラーの座がかかっていた。監督は武か、もう一人同学年の健司をミッドフィルダーにと考えていた。健司は武より上背もあり、体格もいい。そんなこともあり武の健司に対する対抗意識は並大抵のものではなかった。健司が練習後、自主練習していれば武も健司が帰るまで練習した。健司が新しいスパイクを買うと、武は新しいソックスを買うといった具合に、行ないは子どもじみていた。
実際武はまだ子どもだった。小学六年生。だが武のサッカーには未来が架かっていた。武は今いるクラブチームのシニアチームに行きたかった。それには厳しいセレクションを通らねばならない。武の母親の聡子も武を応援していた。週に四日、家から車で一時間かかるグラウンドまでの送り迎えを聡子が全てやっていた。練習中も武の動きから目を離さなかった。父親の宏はやはり小学生からサッカーを始め、サッカーで大学まで行った。そんな宏の影響を武は大きく受けた。忙しい宏と話す機会は少なかったが、宏が休みの日は、武は宏にべったりだった。その姿を見ると武がまだ小学生なのだと感じたが、ボールを追う姿は小さな獣を想像させた。
明日、レギュラーの座が決まる。監督は次の試合のレギュラーを明日発表すると公言していたからだ。武は健司に負ける気はしなかった。しかし決めるのは監督だ。武は生まれて初めて選ばれるという意味を考えた。今後、武の人生の中で何度選択されるという場面があるのだろう。受験、恋愛、就職、全てが競争であった。武はその全てに勝つことができるだろうか。私は武の叔父にあたる。私は武に想う。克てよ。何よりも自分に克て。そうすれば結果は自ずと認められる。武のことを考えた熱い夏の午後が終わろうとしていた。
夢
ああ人生がうまくいったらいいな。そんなことを考えていた学生時代のある夏の暑い日。家にいるとチャイムが鳴った。ドアを開けると何かのセールスの男ようだ。私は断ろうと思い、ドアを閉めようとした。「ちょっと待って下さい。あなたは今私が何かのセールスで、私を追い返そうとしていますね。でもちょっと待って下さい。私が何のセールスかわかれば、あなたは私を部屋の中にいれるでしょう」
私はうさん臭いと思いながらも、男の話に耳を傾けた。
「私はあなたに幸せを届けに来ました。あなたは若いのに大変苦労をされました。あなたは既に一生分の不幸を背負いました。これからはあなたに幸せになってもらいます。どうです、素晴らしい話でしょう?」
世の中にそんなうまい話がないのは今までの人生でよく分かっている。悪い人生は悪循環でさらに悪くなっていく。それが世の常だ。それがこの二十年間の人生で学んだことだ。私はセールスの男を追い返そうと、ドアを閉めようとドアノブを持つ手に力を入れた。その瞬間、男は私が当時片思いしていた女性に変身した。服装までその女性のものに変わっていた。そして言うのだ。
「私ずっと前から光一君のことが好きだった。もし光一君にその気があるんだったら、つきあって欲しいな」
私は何がなんだかわからなかたが、
「僕の方こそ優子さんが好きだった。君は高嶺の花で僕には手が届かない人だと思っていた」
「私も同じことを思っていたわ。他にきっとすてきなひとがいるって」
「コーヒーでも飲んで行く?インスタントだけど」
「うれしい。光一君の部屋に上がれるなんて」
優子は部屋に上がり、トイレを貸して欲しいと言って、トイレに入った。
出てくると、言うのだ。
「私、光一君と一緒に住みたいな」
「そんないきなり」
「でも正直な気持ちなの」
「ならその気持ちは僕にとっても正直な気持ちだ。結婚して欲しい」
「うれしい。一年間同棲して来年の今日、教会で式をあげましょう」
「子どもは二人がいいな。上は男の子で、下が女の子」
「名前は幸喜くんと夏希ちゃんがいいな」
「老後は二人で田舎に暮らしたいな」
「私はあなたより後に死にたいわ。あなたを最期まで見届けるの」
そして私は死んだ。最愛の妻優子と子の幸喜と夏希に看取られながら。暑い夏の日の午後だった。私は幸せだった。
クサガメ
早苗が手招きしている。なんだろうと思い、水槽を覗き込むと、金魚が水面に浮かんでいる。一週間前、光司と早苗は祭りに行き、金魚すくいをした。その時、一匹の金魚を家に持って帰った。翌日近所のペットショップで小さな水槽と金魚の餌を買った。その金魚が一週間で死んでしまった。空になった水槽は、寂しく玄関に置かれた。次の週末、光司と早苗はこの間のペットショップへ行った。早苗が言った。
「もう魚はいいわ」
「じゃあ何がいい?」
「そうね。亀は万年というから、亀がいいわ」
「いろんな亀がいるよ。最近では海外から輸入された珍しいのもいるからね。それとも昔からのゼニガメやクサガメかな」
「かわったのはいやだわ。やたらと大きくなって飼えなくなって、捨てたりするのはいやだもの」
「そうだね。じゃあクサガメはどうだい?」
「そうね。クサガメだったら安心ね」
光司は早苗が言った、安心という言葉にふっと笑った。その日、クサガメを一匹買って帰った。
二人の生活に会話が増えた。
「亀のご飯はあげたかい?」
「今日はずっと眠ってばかりいるな」
「昨日はほとんど食べなかったのよ」
二人の生活は亀を通じて、されるようになった。光司が会社から帰り、玄関を開けると、クサガメがばたばたとはしゃぐようになった。
「亀もなつくんだなあ。ちゃんと俺だって分かってるんだ」
「あら、餌をやってるのは私なのに」
「亀がこんなにかわいいのなら、もし俺たちの間に子どもができたら、どんなにかわいいだろう」
「そうね。死ぬほどかわいいに違いないわ」
「死ぬなんて言葉使うなよ」
「そうね。ごめんなさい」
二人はその夜愛し合った。そして子どもを授かった。その事を二人が知ったのは、三ヶ月後だった。二人はきっと亀が願いを叶えてくれたのね、と笑い合った。
クサガメは今でも水槽にいる。少し大きくなったような気がした。水槽が少し小さく感じた。二人は新しい水槽を買いに行こうと話し合った。今度の週末買いに行くことにしよう。二人は決めて、寝床に入った。光司は早苗のお腹をさすった。
「お前も大きくなれよ」
そう言って、早苗にくちづけをした。早苗は心から幸せだった。光司は電気を消した。寝室は夜の闇に包まれた。玄関でクサガメが動く物音がした。その音が一層夜の静けさを増しているように感じた。寝室は愛に満ちあふれていた。
途中
ようやく肩の荷が下りた。洋介はずっと続いていた取引先との仕事が一段落して、ホッとした。洋介は道ばたの自動販売機でコーヒーを買うと、一気に飲み干した。うまい。そう思いながら、缶を捨てた。タクシーを拾うおうと、通りを見渡した。空車のタクシーを探して、遠くを見た。その時だった。道の反対側を歩いている優子を見つけたのは。優子は洋介の別れた恋人だ。と言ってもつきあいは三ヶ月ほどで終わった。未練はない。声を掛けようか迷った。今日は仕事も終わって、特に用事はなかった。洋介は走った。優子、通りの反対側から叫ぶ。優子は振り向いた。「今そっちに行くから」
優子はとまだった表情で、歩道に立っていた。息を切らした洋介がやって来る。
「ひさしぶり。元気してた?」
「うん。洋介は?」
「仕事が忙しくて」
「そう」
「お茶でもしないか」
「今から?」
「そう」
「うーん。いいよ」
二人はその夜、よりを戻した。喫茶店で話して、夕方になったから居酒屋に行って、酔ったからラブホテルに行ってセックスをした。
「また会ってくれる?」優子が甘えた声で言う。
「ああ。いつでも」
「また。昔みたいになれるかな」
「なれるんじゃない」
どうでもいいと思いながら、洋介は生返事をした。
「私洋介と別れたこと後悔してるんだ。いつも仕事仕事で忙しくて、私のことかまってくれない。それで他の男の所に行ったけど、続かなくて」
「いいよ。もう昔のことだ。もう一回しようか」
二人は体を貪り合った。しかし二人は眠気と疲れに負けて夜の途中で愛の行為をやめるだろう。それと同じように二人の関係も、いつか途中で終わるのだろう。
異邦人
私は島国の生まれだ。今まで他の国の人を見たことがない。そんな私がある日、異邦人を見た。髪の毛は緑色。目は紫色。肌の色は灰色だった。そんな突飛な風貌であるにもかかわらず、彼は、異邦人は男だった。彼は美しかった。今まで恋の一つもした事がない私は一目惚れした。私たちは恋に落ちた。言葉は通じ合わなかったが、不便なことはなにもなかった。彼が何を考えているかは、彼の顔を見れば、一目で分かった。ある日、彼の目に曇りがあるのを見た。私は彼が何を考えているのか分からなかった。私は黙っていた。一週間黙り通して、その次の日、目で訴えた。彼の目には郷愁が満ちあふれた。私は全てを悟った。私は彼についていくと訴えた。彼は悲しそうな顔をして、首を横に振った。それでも私はついていくと頑として譲らなかった。
そして今、私は彼と彼の故郷にいる。そこは、土は赤く、空は緑色をした美しい所だ。そう美しい。私が育った島国よりそこは私を安らかにさせた。何より彼がいつもそばにいてくれたことが、私を心から安心させた。これが私の物語。これ以上語ることはない。