2006-04-23
後輩Mの死
職場の後輩のMが死んだ。自殺だという。理由は不明だ。病気で休職中の私は、Mの死を半年の間知らなかった。最近届いた、職場の互助会が発行する、会報のお悔やみの記事を見て、Mの死を知った。去年の十月十九日だ。なぜ死んだのか知るため職場の友人に連絡した。自殺だという以外のことは何も情報は得られなかった。Mとは、私が図書館で働いている頃、隣の建物の二階の高齢者福祉施設に新任職員として、赴任してきて、Mと知り合った。Mは利用者であるお年寄りの方にも好かれていた様子で、利用者からよく甘いものの差し入れをもらっていた。ちょっと小太りのMは、お腹の出具合を気にしながらも、差し入れの甘いものを残さず食べていた。そんなMに、私は太るんだから、残せばと、よく言った。そんな私にMは、太るの分かっているんですよねえと言いながら、ちょと困った顔をしたが、差し入れの甘いものを相変わらず残さず食べていた。その後、私は他の部署へ異動になり、Mとはしばらく会わなかった。その後Mも異動になり、またよく顔を会わせるようになった。Mの仕事は文書の印刷関係の管理だった。私は文書の印刷の仕事が入ると、Mに印刷機の使い方や製本の仕方を教わり、仕事で世話になっていた。Mは自席の建物の三階と印刷機のある別棟の一階とを始終往復していた。汗かきのMはよく顔をハンカチで拭っていた。はあはあと息を切らせたMに私はよく、どうした、息があがってるぞ、と冗談を交えながら声をかけ、世間話やMの愚痴、愚痴と言っても、たいした愚痴ではないが、話をよく聞いた。背の丈が180センチはある大柄のMが、弱気な声で、わかってるんですけどねえ、仕方ないですけどねえ、などと言うのを何度も聞いた。やがて私は病気で職場を離れ、自宅療養の身になり、Mとも会わなくなった。そこへ今回の訃報を目にし、少なからずショックを受けた。なんで誰も今までMの死を教えてくれなかったのか、私が職場にいればと、何度も自問自答した。聞けばMは、死の間際まで仕事に出ていたと言う。結婚もしてまだ日も浅かったので、Mの自殺の理由が分からなかった。私はMの携帯電話にメールを送ってみた。当然のように、メールは届かなかった。私はまだMの死を実感できていない。私の中ではまだ、Mが汗をかきながら、私と話をしているところしか想像できない。もう少し時間が必要なのだろう。病気がちな私が一日一年をベッドで過ごしている間に、Mは自ら自分の命を絶ってしまった。そのことに人生の悲哀を感じた。Mよ、元気にしているか。二度と顔を会わせることのできない人間に、声をかけたい衝動に強くかられた。2006-03-30
辞職
友達が仕事を辞めた。昨日のことだ。私には何の相談もなかった。私は何度も友達の携帯に電話をかけた。電話は通じなかった。だから友達が仕事を辞めた理由が分からない。私はその理由が知りたかった。何人かの共通の他の友達に聞いたが、誰もその理由を知らなかった。私は仕事を終えた後、友達の家に行ってみた。マンションの部屋は既に引っ越しが済んだ後だった。私はどうしたらいいのか分からずに、街を途方に暮れて、歩いた。見覚えのある女の人とすれ違った。私は咄嗟に彼女が誰なのかを思い出した。辞めた友達の彼女だった。私は彼女に声をかけた。彼女は一瞬怪訝な表情を見せたが、私が何者かを話すと、顔の表情は笑顔に変わった。私は彼女に友達のことを聞いた。彼女は、もう前に別れたから、知らないと言った。私は残念に思ったが、彼女からもう少し友達のことを聞きたかったので、一緒に飲まないかと誘った。彼女は、いいよと、頷いた。居酒屋に入り、とりあえず生ビールをジョッキで二つ頼んだ。ビールが届くと、声は出さずにジョッキを二つあてて乾杯した。私は、友達のことを考えていた。私は声に出して、どうしてなんだよ、小さく呟いた。それを聞いた彼女は、もしかしたら、と言って、口を開いた。もしかしたら、あそこかも知れない。何処のこと、聞き返すと、彼女は表情豊かに、言った。
「沖縄。前に口癖のように言ってた。いつか会社を辞めて、沖縄で民宿を開くのが夢なんだ。小さくても儲からなくてもいい、いつか沖縄の海のそばで民宿を開きたい」
彼女はそう言うと、ビールを大きく飲み干した。私はその話を、へえ、そんなこと言ってたんだ。あいつとはよく飲みに行ったけど、その話は初めてだな。半信半疑の声で、首を斜めにかしげた。
その後、小一時間程、居酒屋で飲んで、彼女と別れた。三月末のその夜は昼間の温かさとほど遠い、寒い夜だった。寒さに首をすくめると、私は電車には乗らず、タクシーで家に帰った。
それから四ヶ月経った。私と友達とはそのまま別れ別れになってしまい、その後顔を合わすことはなかった。そこへ一通のハガキが自宅へ送られてきた。友達からだった。そこには、俺はここにいる。いつでも歓迎するよ。話はその時に。南国の海が写されたその絵葉書には、そう書かれてあった。私は次の日、上司に夏休の申請を出した。期間は一週間、滞在先には、沖縄の住所を申請書に書いた。出発までの二週間がなんと長く感じられたことか。私は待つということがこんなにもどかしいものだったのかと、改めて感じた。
そして、やっと出発の日がやってきた。私は一週間前から荷作りされた鞄を手に、羽田空港までモノレールに乗って行った。見上げると、青く澄んだ空には、飛行機が飛んでいた。それを見て、もうすぐだ。そう自分に言い聞かせると、鞄を強く握った。空港のゲートが見えたのは、その時だった。
2006-02-20
エリコ
エリコが心配だ、と言って彼女は昼食を早めに平らげた。エリコというのは、彼女が飼っているウサギの名前だ。彼女は今入院中だ。が、三日に一度は一人暮らしのアパートに帰って、エリコに餌をあげている。そんな彼女を見て私は、誰か家族か友達に預かってもらえばいいじゃない、と言った。彼女は、あいつらみんな当てにならないから、とその一言で済ませてしまい、その話題はそれきりになった。あいつらと彼女は自分の家族や友達を指して言った。その言い方には幾分か、蔑みの感情が見て取れた。しかし、彼女は実際に現在入院中で、自分のことを他人に見てもらっている状態なのだ。それでも、人にはエリコを預けないというのは、飼い主のエゴではないのかと、私は思った。
彼女は家から帰ってきた。それを知ったのは、彼女が夕食のため、ホールに出てきたからだ。私はいつものように、声をかけた。彼女は下を向きながら、何か喋った。私は、いつもの彼女と違うものを感じ、どうかしたの、と、優しい声で、もう一度声をかけた。
「エリコが、エリコが、死んでた」
私は一瞬何も言えなかったが、ようやく声を出すことができた。
「そうなんだ、悲しいね」
私は彼女のエリコの世話の仕方を非難するようなことはしなかった。彼女は充分に自分の非を認めているようだった。
その夜は、彼女からエリコとの思い出についての話を聞いた。小さな頃から飼っていたらしい。エリコというのは、昔とても仲が良かった友達の名前だとのこと。私は、だからエリコを他の人に預けたくなかったのかなと思った。でもエリコは死んでしまった。だがそれを彼女のせいに誰ができよう。実際エリコのカゴには、水と餌はいつも充分にあった。ただ、一つ言えるのは、エリコは、彼女が入院してから、寂しかったんじゃないかなということだった。
その夜寝る前に、ウサギは寂しいと死んでしまう生き物だと、誰かが言った言葉を思い出した。私は、人間は、寂しいけれど、死なないのかなと、少し不思議に思った。なぜなら私は生きているから。いっそのこと、寂しければ死んでしまえればいいのに、そう考えながら、いつの間にか、私は寝息を立てていた。明日がまたいつものように朝日とともにやって来ることも考えずに、ただ眠っていた。
2006-02-02
散歩
雨の日に散歩に出た。梅雨入りしたばかりの平日に。その日会社は休んだ。気が乗らなかったから。理由にならない理由で私はよく会社を休む。近くの公園に行き、散歩道を歩く。これが私の習慣だ。なぜ会社を休むようになったかは自分でも分からない。ただ行く気にならなくなってしまった。そんな私を会社は必要としていない。それでも私の散歩は止まらない。雨の散歩道は、道の端には水が流れていて、道の真ん中を歩かなくてはならない。私は道の端を歩くのが好きだ。芝生と道の境い目をゆっくりと歩く。私は端っこや境い目にとても興味がある。多分私の境遇を、そこに置いているからだろう。私はその日、道の真ん中を歩かず、道の端を靴を濡らしながら歩いた。水に濡れた靴は初めのうちこそ気持ち悪かったが、そのうち心地よさに変わった。びしょ濡れになった靴をさらに濡らして歩く。さしていた傘を公園のベンチに立てかけて、捨てた。全身びしょ濡れになりながら歩いた。私に取り憑いていた憑き物が雨で洗い流されたように感じた。私は雨の中、傘もささずに笑いながら歩いた。明日は会社に行こう。そう思った。今からでも会社が私を必要としてくれるなら。まだ間に合うのなら会社に行きたいと思った。多分私が散歩するのは今日が最後になるだろう。そう思ったら、雨に濡れた緑がとても美しいものに思えた。
2006-01-29
ガラスの仮面に恋をして
最近ふと思うことがある。生きているうちに『ガラスの仮面』の最終回を読むことができるのだろうかと。何せ連載が開始されたのが、1976年だから、当時リアルタイムで読んでいた小学生は四十代半ばに年齢を重ねている。私は幾分遅れて読み始めた口なので、まだ四十の声は聞かないが、最近この物語は一体完結するのかという疑問に突き詰められることがある。人によっては、いっそのこと未完の大作で終わってしまってもいいという声を耳にしたことがある。ある人は完結のパターンには四種類あって作者の中で既に考えられていると聞いたこともある。またある人は既に、完結するラストの一ページは決まっていると私に話してくれた。一昨年の暮れには待望の六年ぶりに新刊である42巻が刊行された。その時は発行日が十二月二十五日だったこともあって、美内先生からのクリスマスプレゼントだと、両手を振って喜んだ。そして一年が経ち、熱心な読者たちは昨年の暮れに43巻が出るのではないかという噂や予想をして賑わった。なにせ当初連載していた雑誌『花とゆめ』にはもう何年も連載されておらず、単行本書き下ろしになっている。何せ先が読めない。しかしこの淡い期待はもろくも崩れ去った。以前は知人に、完結するのを見るまでは死ねないなどと、冗談まじりで話していたが、もう既に私の中でその言葉は冗談ではなくなっている。私も腹をくくる時がそろそろ来たようだ。だから私は断言する。もう『ガラスの仮面』が完結するのを見なくても私は死んでもいい。もうそろそろ片思いの時期に卒業する時が来たようだ。だからもう「紅天女」を演じる役者に選ばれるのは、マヤなのか亜弓なのかとか、速水社長とマヤが結ばれるのかとか、桜小路君がマヤにちょっかい出すのは嫌だとかいう次元の問題に左右されないよう心がけることにする。あくまでも心がけるのであって決心するのではない。この辺が往生際が悪いのだが、仕方がない。だって恋しちゃったんだもん。だから美内先生、どんどん新刊を出して、完結させて肩の荷を下ろしちゃいましょう。ちなみに「紅天女」は新作能として、国立能楽堂にて、二月二十四日、二十五日に演じられる。マンガの世界を現実が越えちゃいました。もう腹をかかえて笑うしかない。