2007-08-27
森見登美彦著『[新釈]走れメロス他四篇』を読んでみた。
五篇の名作文学を、自由な発想で書いてしまった、連作短編小説集。『山月記』中島敦、『薮の中』芥川龍之介、『走れメロス』太宰治、『桜の森の満開の下』坂口安吾、『百物語』森鴎外、これらを森見流にリメイク?しちゃった感じの本。
内、読んでいるのは、『走れメロス』『薮の中』のみ、勉強不足也。
全ての作品の舞台は京都。
『山月記』では、自分の文才に誇りを持つ斉藤の型破りで破天荒な生き様が、滑稽でもあり、泣けた。
『薮の中』は、大学の映画研究会が舞台。元恋人の男優と女優、その女優の現恋人の映画監督の鵜野の三人が、映画制作から発表までを、各主人公達の心理・立場を語った不思議な作品。
今度の『走れメロス』は笑える。
舞台は京都の大学。
大学の「詭弁論部」に席を置く、ふたりの若者の破天荒な友情物語。
今度のメロス(茅野)は謎の「図書館警察」署長との約束、一日後、「美しき青きドナウ」をかけながら、校庭でブリーフ一枚で踊らなければならなくなった。そんな約束を守る気がない茅野に追手の手がかかる。
その逃亡劇は京都の町を舞台に縦横に繰り広げられる。
そして、茅野は約束を・・・。そして茅野を待つ芹名の心境は。
THE SMITHの『SINGLES』がやけにスリリングに聴こえた一篇。
ミニー・リパートンを聴きながら読んだ『桜の森の満開の下』。
小説家志望の男が、ひとりの女と出会うことで人生が変わる。
女の言う通りすれば、男はどんどん成功していく。
しかし、裏腹に男の心中は虚ろで、男はもうその女の事しか書けなくなっていた。京都を離れ、東京に住むようになるが、京都への郷愁は消えない。
「哲学の道」の桜に、恐怖感を抱きながらも、取り憑かれている男が最後に取る行動は。
切ない一篇だ。
ELLIOTT SMITH『NEW MOON』を聴きながら読んだ『百物語』。
座敷に集まって百本の蝋燭を立てて、怪談を一つ語り終えていく度に、蝋燭を消していく百物語の話。
『山月記』の斉藤、『走れメロス』の茅野と芹名、『薮の中』の鵜野が現れ、この短編集の同窓会雰囲気が微笑ましい。
全篇、原作を読んでいなくても、十分に楽しめる、傑作連作短篇集だと思った。
特に、『山月記』の斉藤は、全篇に現れ、キー・パーソンのような役割をしていたりして、個人的にキャラクターに惹かれた。
まだこの森見登美彦、1979年生まれ。若き文士誕生か。
2007-08-24
プリーストリー作『夜の来訪者』を読んで
イギリスの小説家・劇作家・批評家ジョン・ボイントン・プリーストリー(1894−1984)作、戯曲『夜の来訪者』(An Inspector Calls)を一気に読んだ。と言いたいが、途中、なにやらと雑用。第二幕までで中断、第三幕から巻末まで、CD『NEXT JACQUES BREL』を大音量で聴きながら読んだ。
読み終わって、第一声。スゲー。
最近話題にもなっているようだが、わたしは行きつけの本屋の主人に勧められて読んだ。
戯曲なんて最近読んでいないし、何冊も読んでいない。バリ『ピーターパン』、イプセン『人形の家』、ミュッセ『戯れに恋はすまじ』くらいか。何度もチャレンジしようとした、シェイクスピアさえ読んでいない自分に今気づいた次第。
それでも、冒頭から全く違和感は無く、物語に惹き込まれた。
舞台は1912年のイギリス。
岩波分文庫の紹介文から引用すると、「裕福な実業家の家庭、娘の婚約を祝う一家団欒の夜に警部を名乗る男が訪れて、ある貧しい若い女性が自殺したことを告げ、(その場にいた)全員がそのことに深く関わっていることを暴いていく・・・。」
まあ、言ってしまえば、それだけの話なのだが、そこに、夫妻と娘と息子、娘の婚約者のそれぞれの地位・立場、その女性(エヴァ・スミス)との関わり方、物の考え方等で、ひどく複雑に絡み合う。
第二幕で、物語は見えたかと思ったが、大逆転に次ぐ大逆転。
そのまま、話が終わっても、全く遜色ない出来栄えだったと思っただけに、仰天。また、プリーストリーの手腕に感服。
この舞台は日本では、俳優座が主に公演しているらしい。
機会があれば、是非見たいと思う。
結末が分かっていても、この一家全員に襲う心理描写の波、そして大波・津波は必見か。
家族の意見の対立・不和は、(本当の結末がどうであれ)その後の家族の崩壊さえ示唆している。いや、もう既にお互いの信頼関係は無く、決壊寸前のダムのようだ。
この戯曲を読んでいる途中から、マーク・トウェインの『人間とは何か』を思い出し、読了後本棚を見ると、その本の隣には同じくマーク・トウェインの『不思議な少年』があった。
どちらも、『ハクルベリ・フィン』などのマーク・トウェインの明るい小説やイメージとは裏腹にペシミステックな人間観が現れた作品だ。
今三冊の岩波文庫の赤版が机の上に並んでいる。
最後に岩波文庫を読んだのはいつだったか、『山家集』か、いやあれはいつもカバンの中に入れていただけで、読了していない。そうだ。今カバンの中に入っているのは、『対訳ジョン・ダン詩集』だ。この文庫をカバンに入れてから、もう半年位経つか。いくら英語の勉強も兼ねて読み始めたとは言え、そろそろ新しい文庫をカバンの中に入れたいと思った。
昨日読んだ、糸山秋子著『逃亡くそたわけ』と言い、最近アタリが多いのはうれしい。
さて次は何を読むか。積ん読みした本の中から不思議と、これだと言う一冊が見つかるのは、幸せだ。
まだ残暑が続いているが、読書の秋はもうそこまで来ている。
2007-08-13
ある暑中見舞いに思ったこと
不覚にも涙してしまった。3年前、リンパ腺癌で死んだM君の父親からの手紙だ。
わたしは年に2回程、横須賀は追浜にあるM君の墓参りに行っている。
その時は必ずM君の実家に寄らせてもらっている。
猫と植物の多いM君の実家はわたしには居心地がいい。
はっきり言おう。
わたしはM君の両親に会うのが楽しみなのだ。
M君は次男だった。わたしも次男だ。
わたしは早くに父を亡くした。
そんなわたしにとって、M君の父親にどこか自分の父を重ねていた。
M君とはマンガの趣味が合った。
M君の部屋、本棚を覗くと、大友克弘や諸星大二郎のマンガがあった。
M君の生前には知らなかったことだ。
そんなM君の本棚を見て、わたしは微笑んだ。
音楽では、QUEEN好きなのはよく知っていたが、TOM WAITS やROLLING STONESも結構多かった。
M君とは学生時代、美術の研究会に入っていた時の友だちだ。
もっぱらM君は共同アトリエで、QUEENばかり聴いていた。
だから周りのみんなはM君と言えば、QUEENだよな、って言う雰囲気があった。
わたしはその頃も、そして今も、UKのロックやポップスを聴いているのだが、なぜかQUEENとは縁がなかった。
ただ一曲好きな曲があったが、曲名を知らずにに、20年近く過ぎてしまった。最近分かった。「Don`t Stop Me Now」だ。
そんなわたしが、誰も聴くことのなくなったM君のCDをもらうことになった。実は内心M君のコレクションには興味があった。
わたしは、『JAZZ』『A KIND OF MAGIC』を頂いて、何度目かのM君の実家を後にした。
それからM君の実家に行くたびに、何枚かのCDと数冊のマンガを持って、家に帰った。
ある人の縁で、QUEENを強く勧められて、1・2度しか聴いていなかったQUEENを聴いてみた。最初はわたしには少々ハード過ぎると思ったのだが、聴いているうちに、
励まされた。
以来、ファン言えるか分からないが、QUEENもフレディ・マーキュリーも大好きで、去年には新宿コマで、ロック・オペラ『WE WILL ROCK YOU』に行き、フレディ・マーキュリーの命日の11月24日には、新宿ミラノ1でのフレディ追悼イベントにも参加した。中野サンプラザと後誰だか2人司会がいて、みんなで『ライブ・アット・イン・ブダペスト』を観ようというものだ。その時は会場の皆がライブ気分で、歓声と拍手に絶えなかった。
わたしも皆と同じように興奮した。
そんなわたしがいたのは、全部M君のおかげなんだ。
もしM君とこの感動を一緒にできたなら、本当によかったと思う。
M君の父親からの手紙には、M君の墓前で撮った写真が2枚と便箋が2枚入っていた。
わたしの体の不調のこともご存知だったので、体の具合を心配されて、うつにはしじみのみそ汁がいいと書かれてあった。
そうそう。M君の家に行くと、もらって帰るものがもう一つあった。
植物。
わたしが庭いじりが好きなのを知って、M君の好きだったミヤコワスレを頂いたのが最初で、行く度に、アロエやカサブランカ・フリージャなどを頂いた。
わたしの家には、前からあるミヤコワスレとM君の家のミヤコワスレが一緒に植わっている。
そう言えば、前回伺った時には、こんなにと言う程に、ミヤコワスレが咲いていた。
近いうちに、残暑見舞いの返事を書き、また涼しくなったらM君の家に行きたいと思った。
M君とテニスでラリーした、あの日はもう戻らないが、せめてこの心の内だけには、あの光景と興奮を留めておきたいと思った。
暑い夏の午後、その暑中見舞いは届いた。
2007-07-29
ロンドン・パリ・トーキョー
今こんな事聞いていいのかな。あのさ。思ったんだけど、ぼくには君が必要かい。
そう思ったら、堪らなくなって、ぼくは君を置いて、ひとり旅に出たんだ。
ぼくの行く手には、様々な困難と試練が待っていた。
ぼくは力の限り、力を尽くして、壁にぶち当たっていった。
結果、まあ、今ではのほほんと暮らしている。
でも、君がいないんだ。
君の不在はぼくをひどく憂鬱にさせた。
ぼくは宛先のない宛名だけの絵はがきを一枚書いた。
ぼくは返事が来るものと、なぜか信じきっていたから、待ち続けたよ。
毎日、郵便の配達の時刻には、玄関で郵便配達夫が来るのを待っていた。
でも、当たり前だけど、郵便は来なかった。
それでも何故かぼくには、君がぼくのことを想い続けているという確信があった。ストーカー。精神的ストーカーかもしれない。それはここでは問題にしない。
ある日、君と共通の友人にあったんだ。
友人は、君がどうやらロンドンに留学したらしいと話していた。
らしい、と言うのは友人も君の居場所を正確には知らないならしかった。ぼくに言わなかっただけ。そうかもしれない。
でも、その話を聞いて、ぼくは君に会いに行かなくちゃ、って思ったんだ。
ぼくは一週間後、ヴァージン・アトランティックでヒースローに降り立った。忘れもしない。一月十四日。
ぼくは君の手がかりなんて何も持っていない。探しようがない。
ぼくはヴィクトリア駅で、深夜まで座り込んで、ホームレスと話したりしながら、時間を潰した。
ホームレスの男がよく煙草をくれと言った。その度に煙草をあげた。
日本での習慣で、携帯灰皿に煙草を揉み消したのを見た男は、Crazyと笑っていた。
ロンドンでは、あちこちガイドブックも持たずにあちこち歩いたが、よく煙草をくれと言われた。
断る理由もないので、いつも一本煙草をやり、火を付けた。不思議と二本三本欲しがる人はいなかった。きっと吸いたくなればまた、誰かにもらうんだろう。
ぼくは、パリで好きなミュージシャンのズッケロがライブをすることをしり、急遽パリに行くことにした。
Waterloo駅からユーロスターであっという間の2時間40分。
パリに着くと、街中にズッケロのポスターが貼られていた。
ライブは今日。ぼくはダフ屋でチケットを買って、ライブを観た。ズッケロの実力も然ることながら、フランスで人気に驚いた。
その晩は、北駅の近くのステーション・ホテルに泊まり、翌朝とんぼ帰りした。
正午。Waterloo駅。カフェ。
ボウイがキンクスのカヴァーをした『Waterloo Sunset』がi podから流れてきた。
急に君のことを思い出し、愛おしくなって、涙が出そうに、零れ落ちそうになった。
少し席の離れた老夫婦が、ぼくを見て、泣くんじゃない、って言っている風な身振りをした。錯覚かもしれない。
ぼくはエスプレッソを飲み干し、カフェを出た。
その晩はWaterloo駅の近くのホテルに泊まることにした。近所に生演奏をやるパブがあったのも理由の一つだ。
部屋で荷物を一通り、クローゼットに仕舞うと、汗びっしょりだった。シャワーを浴び、コークを一気で飲み干す。
夕方。早速例のパブに行った。
中年のおやじが、Rockを弾いて、歌っている。
店に来る客もいい感じだ。
しばらくボストンでビジネスを習っているという女の子と話していた。
女の子がぼくの指輪を見て、言った。
「本物?」
「偽物だよ。ぼく自身と同じくね」
女の子は苦笑していた。ぼくは左の中指にはめたアンティックのアメリカの高校のカレッジ・リングを見て、その指に煙草を絡ませた。
一服していると、7・8人の団体客が入ってきた。学生らしい。その中に東洋人の女の子がひとりいた。髪が金髪だったので、一瞬分からなかった。が、よく見ると、見覚えがある顔だった。
サキだ。
サキは君の親友だったね。
ぼくはサキの所に歩み寄った。
「よう。こんなところで会うなんて奇遇」
「あっ」
言った後、しまったと言う顔をした。
ぼくは確信した。
君と一緒に住んでいる。
後は、もう言うことはない。
翌朝君に会って、長く話し合った。
君はぼくの半身、ぼくに欠けたものを補ってくれる。
ぼくは自然体で君と話し、よく笑った。
ぼくは君とそれっきり別れて、東京に戻ってきた。
二週間後、君から絵はがきが届いた。
一年後戻るから、それまでお互いの気持ちが変わらなかったら、一緒に住もう、って書かれてあった。
そして今、一年を迎えようとしてる。
ぼくの気持ちは変わらない。
そして君は・・・。
2007-07-28
釣魚
夢にまで見た。あの頃の夢。それが今、何なんのか思い出せない。
男は魚釣りにでかけた。
で、今渓流で山女魚を狙っている。
糸の先に付けた、擬似餌。
そこから、伝わってくる魚影の匂い。
羽が、糸がぴんと張り、男は手応えを感じた。
釣れた。
小ぶりの15cm位の山女魚。
口に傷を付けないように、針を外して、魚籠に入れた。今日の第一匹目。
結局、その日は十匹釣って、宿に帰った。
宿で魚を焼いてもらう。
それが、夕飯の御膳に出てくる。いろり端で焼いた串刺しの山女魚にがぶりとかぶりついた。骨まで食った。
夕飯が終わると、宿の主人と、もうここは常連で十年は通っているのだが、主人と酒を飲みながら、話し込んだ。
主人は、幻の岩魚の話をした。
勿論今まで誰にも釣られたことがなく、誰もしっかとその姿を見た者はいない。
だが、その岩魚は確かにいて、体長が50cm位はあるという。
ここ一年位前から、ちらほらと噂を聞くようになったと言う。
その時男は何ともなしにその話を聞いていたが。
夜、布団の中に入って、目を閉じると、さっきの夕飯時の岩魚のことが頭を離れず、その姿形を想像しては、何やら胸が高鳴った。
結局朝まで眠れず、顔を洗い、髭を剃り、朝飯を食った。
「主人。昨日の岩魚はどこらへんに現れるんだい」
「止めときな。あの岩魚はなんか因縁があって、狙った釣り人がみんな不幸な目に遭ってる。昨日は酒が入ってつい口にしちまったけど、昨日の話は忘れるんだな」
男は主人にはその場で相づちを打っておいたが、どうしても諦めきれず、村の他の者に聞いた。大体情報を集めると、誰にもあの岩魚を狙いに行くとは告げずに、宿を出た。
男はそれっきり帰ってこない。生きているのか、死んでいるのか。一応川の底はさらったが、遺体は出なかった。捜索の結果、現場からは遺品の一つも見つからなかった。
もうその事件から十年近くなる。
宿の主人は他界し、村の者も随分変わった。
男のことを憶えている者は殆どいなかった。