2008-02-28
特売品には注意せよ
今日は駅前のスーパーで、洗濯用洗剤が特売だと広告で見て、開店前に駅に向かった。駅に着くと、開店の10時にはまだ早く、時間潰しに行きつけの本屋に行った。
マンガや文庫本を立ち読みしていると、もう開店の10時を30分過ぎていた。
目を付けていた、最近復刊された岩波文庫を1冊買って本屋を出て、スーパーへ向かった。
特売品コーナーを見ても、お目当ての洗剤がない。洗剤コーナーへ行ってもない。
しばし立ち止まって、店内を見回していた。
手の空いている男の店員が、見えた。
近寄って、声をかけた。
「今日の特売の洗剤が見当たらないんですが」
チラシを見せながら、確かに今日、2月28日の欄を見せた。
店員は、店の奥に確認に行った。
戻ってくると、わたしが持っているチラシを見せてくれないかと言う。
チラシは、今日の特売の部分だけが見えるように、折り曲げてある。
店員はチラシを開くと、
「ああ。このチラシは○○薬局さんのですね」
わたしは、店員に謝って、そそくさとスーパーを出て、すぐ道を挟んですぐの隣の薬局へ行った。
するとどうだろう。店の前にお目当ての洗剤が山積みされていた。
当然、わたしはそれを税込み205円で買った。
ご家族1品限りの特売洗剤を。
チラシには195円って書いてあったのに、税抜き価格だったのね。
2008-02-24
新潮文庫の100冊に寺山修司を
寺山修司著『両手いっぱいの言葉 413のアファリズム』を読んだ。「愛」で始まり「夢」で終わる52のキィワードから、413の名言・名文が並ぶ。
例えば、適当にページを開いてみた。読んでみる。
「ことばには重さはないけれど、愛には重さがあるのです。」
「どんな鳥だって 想像力より高く飛ぶことは できないだろう」
「希望は美しい、絶望も美しい。だが、両者をわけるものは、もっと美しい」
「歴史には何の目的もない。人類にも、何の目的もない。」
「歴史の敵は、現在である。」
「生が終わって死が始まるのではない、生が終われば死もまた終わってしまうのである。」
「地下にはガス、電気、鉄道と同じようにわれわれの血をも通わせることができる」
「賭博には、人生では決して味わえぬ敗北の味がある。」
「人は恋愛を夢みるが、友情を夢みることはない。夢みるのは肉体であるから。」
「夢の中は治外法権である。」
以上、本文より抜粋。
本をひとに勧めることはめったにしないのだが、この本には何かを感じた。
1時間30分もあれば読めるので、多くのひとに読んでもらうことを望む。
2008-02-22
松本清張『三面記事の男と女』
昭和38年から昭和45年までに発表された5編からなる短編集。精力に旺盛な男。男は時に、保身の為、出世の為、生活の向上の為、女を愛する振りをし、騙し、自己保身の為、女との破局を画策する。
ストーリは流れるように展開し、最後にどんでん返しが待っている。
主人公は、官庁の役人、企業の中間管理職だが、最後の一編のみ主人公が新興宗教の教祖になっていて、異彩を放っている。
昭和の武蔵野の風景を舞台に、男と女は密会を結び、体を合わせる。
『三面記事の男と女』とはよく付けられた題名で、正にこの5編の物語のモチーフは、三面記事を飾るものばかりだ。
作品の根底には当時の時事性が溢れ、社会の断面が切り取られた極上のミステリだと思った。男の業。女の性。巧みに描かれる簡易な文体に惹き込まれた。
実は、松本清張作品は映画以外は触れたことがなかったのだが、自分の中で、松本清張のイメージがひとつ形付けられた作品となった。
2008-02-21
Friedrich Gulda Op.90
深夜に聴くシューベルトピアノの旋律が、おれの心を深く刻む
Friedrich Guldaの
力強く、
時に、繊細な鍵盤の調べと旋律
華麗に舞う指の運びをおれは見たことがない
ジャケットのGuldaは前屈みになって
鍵盤に向かう
撫で付けられた髪と眼鏡
思慮深そうな顔
その内側に
どれだけの音楽への情熱を隠しているのか
おれは、その奏でられる音から
想像するしかない
朝が来るまでに
何回繰り返し聴くのだろう
やがて、雨戸を引く
東の空に明るみが差す
その時、おれはなんだか泣けてきて
生きていく希望を感じたんだ
バンド・オブ・ザ・ナイト
異端の作家中島らものロックとドラッグにどっぷり漬かったラリラリ小説。中島らもの作品にありがちな、他作品とネタが被っているのが、ストーリとしての新鮮味には欠けるが、この作品には何か怒りと哀しみが漂っている。
酒・睡眠薬・ドラッグ・咳止めシロップに浸かりながら、大島の家(ヘルハウス)に集うジャンキーの男と女。
トリップした描写に、20ページ近い関連性の無い、それでいて溢れだすアイデアに満ちた言葉とイメージの数々。ここは少々苦痛であったりする訳なんだけども、じっくりと読むと、その言葉から、ロックと大島と言う男の生き様が見えてくる。
妻(み)とのからみも、興味深い。おそらく大島なる人物は、限りなく実在の中島本人に近い。
ストーリは、ジャンキーだった大島が、印刷会社に勤め、辞め、ヘルハウスの日々、そして、コピーライターとして一歩を踏み出す。
そこに、酒・女・クスリがからんで、物語りの終わりには、ヘルハウスに集った仲間たちの悲惨な状況と死があり、コピーライターの師の不幸もある。
同じドラッグを扱った中島らも小説で直木賞候補にもなった名作『永遠も半ばを過ぎて』に較べれば、完成度は低いと言わねばならないが、この作品の根底に流れるロック的モチーフには共感するものが多かった。この作品は中島らも急逝の4年前、2000年に発行された早すぎた晩年の作品である。
町田康が解説を書いているが、本文中、町田町蔵(康)が出てくるのは興味深かった。