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2008-03-07

ある詩人の休暇

京都に、ネットで知りあった女性の詩人がいる。
詩人と言っても、詩の雑誌に投稿して、掲載されるくらいのまだ詩人の卵だ。
その女性が結婚して、男の子を生んだ。
それ以来、女性の詩を見ることがなくなった。
なぜだろう、そんな問いが自分の中に生まれていた。
そんなある日、女性は自身のブログで、休筆宣言をした。
理由は、子育てに追われる日々で、余裕がなくなったということ。
そんな毎日の日常を詩に書こうと思ったが、そういった詩は女性の書きたいものではない、という理由だった。
その記事に、行きつけの本屋のご主人がコメントを入れた。
「今日、文庫になった茨木のり子の詩集『倚りかからず』を思わざるをえなかった。(中略)気持ちよく休養にエールを贈るべきはずなのに年甲斐もなく妙に取り乱してしまっている。今晩はこれ以上のの言葉を記すことができない」
わたしは、この記事とコメントを読んで、複雑な思いだった。
女性とご主人とは、詩を投稿する広場のような場処で、詩を書いていた。そこにわたしも加わるようになったのだ。
いつもご主人から、わたしの書く拙い詩に、批評や温かいコメントを頂いていた。
そこに、女性の休筆宣言である。
この詩広場(と呼ぼう)では、女性が一番積極的に詩を書いていた。
そんな女性を含め、わたしたちをサポートしていたのが、ご主人だった。
わたしは、ご主人にかける言葉がなかった。
女性には、活動再開のイメージがあり、しばらく充電すると言い残し、ブログの更新も止めてしまった。
今、女性がどう暮らしているのか、わたしは知らない。が、元気であればいい。そして今、詩広場は閉鎖されている。
皆、無言の沈黙を守っている。
だが、女性が執筆を再開した時、このわたしたちの詩広場が、彼女の居場所のひとつとしてあってほしい。
また、この詩広場の再開を望んでいるのは、わたしだけではなく、かつてそこに集い、詩を書き合った者、みんなが思っているんではないだろうか。
だが、この詩広場が閉鎖された理由も、主催しているご主人から伺っているので、心の中の感情は複雑に絡まるばかりだ。
だが、いつかまた、ここに集った、またこれから集う人たちとの出会いを楽しみにしている。


shiroyagiさんの投稿 - 15:10:50 - 0 コメント - トラックバック(0)

復職への遠い道

約三年間、休職していまた。
そして、来月の4月11日で、職場での籍がなくなり、退職となります。
が、約1ヶ月間のリハビリ出勤に成功すれば、職場復帰できます。
まだ、主治医からリハビリ出勤の許可は頂いていません。
今度の問診の3月12日に、許可をもらえなかったら、99%復職は不可能になります。
問題は、体調も心の調子もいいのですが、睡眠障害が最近酷いことです。
処方された眠剤では、3時間半しか眠れないのです。
次回の問診で、このことを主治医に告げたら、おそらくリハビリ出勤の許可はもらえないでしょう。
嘘をついて、5時間眠れています、などと言おうかなとも考えているのですが、
結果的に、リハビリ出勤に失敗したり、体調を崩してしまったりしたのでは、意味がありませんものね。
でも、できれば復職へのラスト・チャンスの切符を手に入れたいんです。
もう半分は諦めていることなのですが。
チャレンジせずに、退職したら、そのことを後で悔やみそうで・・・。


shiroyagiさんの投稿 - 06:10:11 - 0 コメント - トラックバック(0)

2008-03-06

ムージル『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』

文人古井由吉がオーストリア出身の作家ロベルト・ムージル(Robert Musil,1880-1942)の書いた中篇『愛の完成(DIE VOLLENDUNG DER LIEBE)』『静かなヴェロニカの誘惑(DIE VERSUCHUNG DER STILLEN VERONIKA)』を訳し、1987年に岩波書店から岩波文庫として発行されたものの今月の復刊。

去年読んだ作品のTOP3を選ぶとすれば、
『永遠も半ばを過ぎて』中島らも
『狐になった奥様』ガーネット
『夜の来訪者』プリーストリー
(五十音順)

こんな感じになる。早速だけど、今年のTOP1が出た。正にこの本。
柔らかい日本語と美しいひらがなが織りなす、これらの2作品は一見難解に思えるが、読み進めていくうちに、その文学世界に惹き込まれていく。
あらすじを語る意味がない小説に思われるので、全く省略。
わたしの言葉ではとても語れないので、本文から一部引用する。

P.72
そしてあの唯一の人にむかって、言いようのない恋しさを覚えた。彼もまた孤独であり、彼もまたここでは誰にも理解されぬことだろう。しかもあの柔和な心やさしさ、流れ動く形象に満たされた心やさしさのほかには、何ひとつ持たない。しかしこの心やさしさは病魔の霧煙のように、物たちのかたい衝撃を受けとめて、外側の出来事をすべて、大きな、おぼろげな、平坦な影のままにうち捨て、内側ではあらゆるものを、あの永遠な、不可思議な、あらゆる姿勢で落着く、孤独の平衡の中に漂わせる。

P.88
彼女の生涯が、過去も未来も、瞬間の絶頂に集まった。どうしてもできないことどもがある。なぜかはわからない。たぶん何よりも大切なことなのだろう、何よりも大切なことだとはわかっているのだ。しかしひどいこわばりが人生の上にのしかかる、硬いしめつけが、寒さの中の指のかじかみのような。

P.96
「・・・狭い畦道を越えていくときに似てるわ。獣も、人間も、花も、何もかも変ってしまう。自分自身もすっかり違ってしまう。そして首をかしげるんだわ、もしも初めからここに暮らしていたとしたら、わたしはこれを見てどう思うことかしら、あれをどう感じることかしらって。たったひとすじの境をまたぐだけでこうなってしまうなんて妙なことだわ。・・・・」

P.80,86にも感銘した文章があったが、わたしの根気が続かず、引用を止める。

『愛の完成』より



P.120
「人と人とは互いにこうもありうるのじゃなかというありさまを、あたしはぼんやり思い浮かべるの。人は互いに恐れをいだきあっているわね。あなたでさえときどき物を言うと、あたしに打ちかかる石のように冷たくて固くなる。それと違って、あたしが思っているのは、人と人がお互いの関係にすっかり溶けこんで、そのうえはもうかたわらによそよそしく立って耳を傾けたりしない・・・・どう説明してよいのか、わたしにはわからない・・・・・・あなたがときどき神と呼んでいるものは、そんなものだわ・・・」

P.124,154,165にも、深く共鳴した。

『静かなヴェロニカの誘惑』より

最近多く出回っている文庫本の活字と較べたら、活字が小さく、最初は読みにくく感じるかもしれないが、読み進めていくうちに、そんなことは全く気にしなくなる。理解できなくても、その美しい文章に酔うだけでも、この本に触れる意味があるのではないか。


shiroyagiさんの投稿 - 06:12:55 - 0 コメント - トラックバック(0)

2008-03-04

神を想う 『神の微笑』芹沢光治良

ぼくがこの本を手に取ったのは、裏表紙のあらすじに、主人公である芹沢が無信仰であり、一生の問いに、自らの宗教的体験を想い起こし、それが偶然の経験ではなく、神のはからいではないかと、自然に考えるようになった、と記されている。そこに興味を持って、この本を読んだ。

『神の微笑(ほほえみ)』は芹沢光治良(せりざわ こうじろう)が1986年、90歳から毎年書き下ろした「神シリーズ」の第1作。

「文学は、物言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」
「文学は、物言わぬ神の無言の要求に、一つの言葉を与えることだ」
「文学は、物言わぬ神に言葉を与えることだ」

芹沢自身の言葉に、芹沢は正直に向かい合う。
若くして結核を病み、無信仰な芹沢が、神を、神の存在を、信仰とは何かを、深く追求した芹沢文学の集大成。
フランスの療養所で、絶対療養を行いながら、親友たちと神について語り合い、宗教的体験に遭遇する描写は、目に浮かぶように奇跡的に思えた。
神をテーマに持ちながら、決して重くない文章はどこか素敵だ。
芹沢光治良は、1993年、96歳で老衰によりこの世を去った。


shiroyagiさんの投稿 - 22:23:34 - 0 コメント - トラックバック(0)

2008-02-28

『二十億光年の孤独』とぼく

行きつけの本屋がある。小さな本屋だ。ご主人とは顔見知りで、一緒に酒を飲んだこともある。
その店で先日、谷川俊太郎の第一詩集『二十億光年の孤独』を買おうとレジに持っていった。
「文庫になるなんて、思わなかったですよ」
「もうすぐ、死んじゃうからじゃない」
ぼくは、ご主人が谷川俊太郎の詩が嫌いなことを知っている。
「嫌いだからでしょう」
そんな会話が続く。
そして、ご主人が言うのだ。
「あなたにとって、孤独っていうのはどういったものなの」
ぼくは答えに窮した。
「あー、一人でいるのは嫌いじゃないし・・・」
ご主人はいつもこうなのだ。
こう言った具合に、質問というか、禅問答のような言葉をわたしに問いかける。
昔は、こう言った時、答えと言うか、自分の中で言葉のイメージが浮かび、咄嗟の質問にも、答えを窮せず答えられたのだが、年のせいか、なんなのか、最近こう言った問いに、上手く答えることができない。そこでぼくは言った。
「こういう問答って苦手なんですよ」
「じゃあ、ブログに書いてよ」
言うんである。そして今、こうやって、ご主人に向けて文章を書いている。
ちなみに、『二十億光年の孤独』は、昨日読み終えた。
この詩集の中の「二十億光年の孤独」という題名の詩は、こんな詩だ。

「人類は小さな球の上で・・・ときどき火星に仲間を欲しがったりする」

中略

「万有引力とは 
ひきあう孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕はくしゃみをした」

この詩集を読み終わって、考えた。
孤独って、なんじゃろ。
電子辞書を引いた。そこには、
「頼りになる人や心の通じあう人がなく、ひとりぼっちで、さびしいこと(さま)」
と、書かれてあった。
ナルホド、この辞書に拠って、考えると、まあ、ぼくは孤独ではないと考えた。
だが、質問は、あなたにとって、孤独って何、なんである。
直感で。ぼくは自分を孤独だとは思っていない。これが答えだ。
あまりにも安易で、陳腐な答えだなあと、我ながら思うが、これがぼくの精神年齢なんだから、仕方がない。
取りあえず今、自分が孤独ではないということに感謝しようと思う。
そしてぼくは、二十億光年とは言わないが、今まで自分が生きてきた時間の長さに欠伸して、横になろうとベッドに入った。
横になると、すぐに眠りは訪れ、ぼくは二十億光年の彼方へと夢見し、飛んだ。
今度、ご主人に会った時に、この話をしよう。
作り話が、多々入ってることも含めて。


shiroyagiさんの投稿 - 14:43:22 - 0 コメント - トラックバック(0)
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