2008-03-30
『ガブリエル』-亜紀ちゃんとぼく-part2-3
ぼくと亜紀ちゃんは、再び紅鹿亭を訪れた。ぼくの記憶を呼び戻すために。
紅鹿亭に入ると、中は薄暗かった。
店の奥の4人掛けのテーブルに、ぼくは通路側、亜紀ちゃんが壁側の席に腰を下ろした。壁は紅い煉瓦でできていた。
ぼくはなんだか落ち着かない気分で、セブンスターに火をつけた。
二口吸うと、煙草を灰皿に揉み消した。
そしてまた、セブンスターの箱に手を伸ばした。そんなことを繰り返していた。
先日と同じウエイトレスが、オーダーを取りに来た。
ハンバーグランチと半ライス、食後にバニラ・シャーベットと珈琲を頼んだ。
時刻は1時半。
平日であることもあってか客は、ぼくと亜紀ちゃん以外に、2組だけだった。
ハンバーグランチが運ばれてくるまでに、ぼくはセブンスターを一箱空けていた。
亜紀ちゃんはペシェを1本だけ吸った。
店内には、ドビュッシーのピアノ曲が流れていた。
ぼくがセブンスターの最後の1本に火をつけたと同時に、ハンバーグが運ばれてきた。
ぼくは、仕方なく一口だけ吸って、煙草を揉み消した。
ハンバーグの上には、目玉焼きが乗っていた。
ぼくはナイフで白身の部分を切り取り、フォークで折りたたんで口に運んだ。
次に、黄身をフォークですくって、一口で喉に流し込んだ。
同時に、ぼくは記憶を失った。
ぼくは、亜紀ちゃんの胎内にいる。そして今、灰色の分娩室の中で、産道を通って、この世に生まれ出ようとしていた。
亜紀ちゃんは、口に手拭いをくわえて、まだ男の子か女の子かも分からないぼくへの愛情を腹に力を込めながら、叫んだ。
「汝よ。何を躊躇う。今ここに神の栄光あれ」
その瞬間に、ぼくは亜紀ちゃんの体から頭を出した。
そしてその時、大天使ガブリエルがぼくに手を差し伸べ、ぼくは導かれるままに、結んでいた右手を開いて、ガブリエルと手で繋がった。
ガブリエルは言った。
「汝。一生神の御心のままに、白い山羊を従えて、天界の玉座に座るだろう。その女と共に」
そして、ガブリエルは去り、ぼくは亜紀ちゃんの胸の中ですやすやと眠りながら、乳を吸っていた。
白い病室には、西から夕日が差し込んで、ぼくを包み込み、亜紀ちゃんを照らし出していた。
つづく
2008-03-21
吉行淳之介『美少女』
吉行淳之介著、新潮文庫『美少女』を読む。読み易い文体に、男と女、時に女と女の関係が、複雑に絡み合う。
1章1章が短いので、空いた時間にも読める。が、内容がエロティックなだけに、電車の中で読むのは、躊躇われる。
その文章から、読み手の想像力をビジュアルに、赤裸々に映し出していく。
刺青のある女たちと城田祐一の織りなす、ミステリアスでサスペンスな384ページは贅沢で、刺激的だ。
吉行淳之介は、女を描くのが、すごく上手い。
やはり吉行自身の実体験が、その作品に美しくも軽やかに昇華されているのだろう。
吉行淳之介、肝臓癌により、1994年没。享年70歳。
2008-03-20
『花に溢れる新居』-亜紀ちゃんとぼく-part2-2
新居に移った亜紀ちゃんとぼくが一番困ったことは、玄関の表札だった。なぜかと言えば、ぼくには名前も戸籍も無かったからだ。
そこでぼくは、歌舞伎町のあるシンジケートを通じて知り合ったブローカーから、戸籍を2,000万円で買った。血統書付きだ。
これでぼくは、どっかの犬や猫、例えば、ゴールデン・レトリーバーやチンチラにコンプレックスを持たなくてよくなった。
そして表札に、新たなぼくの名字である、NHK連続テレビ小説『ちりとてちん』の徒然亭草若から取って、徒然と出した。
ぼくの初めての名前にしては、上出来だ。
この後ぼくは、何度も名前を変えていくことになるが、それは後の話。
取りあえず、家具を一式揃えた。
IKEA港北で、1日かかって選び、家に送ってもらった。
大変だったのは、家具を組み立てることだった。
ぼくは、取扱説明書なんて読まない人だったので、でき上がった家具、そう呼べるなら、まるで前衛芸術のオブジェのようだった。
何せ、複数の家具を一辺に組み立て始めたので、どれがどの部品だか、分からなくなっていた。
そこはぼくのやっつけ仕事で、強引な手腕を発揮したが、結果は日常生活を送るには、まるで、棋図かずおの家のようだった。
が、住んでみれば都とはよく言うもので、時が経つにつれ、意外と住み心地はよかった。
そして亜紀ちゃんはこの家を好きだと言ってくれた。
その言葉が何よりも、ぼくを励ました。
こうして、生活が始まった。
ぼくは毎日、生活費を稼ぐために、戸籍を買った時の残っている貯金で、毎日兜町に通い、株をやった。
買っては売り、売っては買った。
そうして3ヶ月後には、ぼくは一生働かなくもいい額の金を手に入れた。と言っても、ぼくと亜紀ちゃん、ふたりがつつましく生きていくのには十分な額だという意味だ。
そしてぼくは毎日、売れもしないし、売りもしない詩を書いて暮らした。
亜紀ちゃんは、何をしていたかと言えば、庭の手入れに凝り、色々な草花を植えていた。
ぼくは亜紀ちゃんが植える花の花言葉を調べては、亜紀ちゃんに教えてあげた。
時には、花言葉がない花もあったので、その時はぼくが勝手に創作して、「夢のあるゆとり」とか「蔑みの頬」などと、亜紀ちゃんに言った。
それを亜紀ちゃんは、たいそう喜んで、自分の花日記に書き留めた。
そんな時ぼくは、少しの罪悪感を感じたが、一晩寝れば忘れてしまうのだった。
こんな生活がぼくはいつまでも続くものと思っていた。
ところが、人生は時に皮肉に転機を人に与えるのだ。
つづく
2008-03-19
再会の詩-亜紀ちゃんとぼく-part2-1
ぼくは、亜紀ちゃんと再会した。日比谷の紅鹿亭。
ぼくが店に入ると、亜紀ちゃんが、まるで昔と変わらないように、ハンバーグランチを頬張っていた。
ぼくは亜紀ちゃんの隣のテーブルに腰を落ち着け、ウエイトレスに、
「隣の女性と同じものを」、頼んだ。
ぼくのテーブルに、ハンバーグと半ライスが運ばれてきた。
亜紀ちゃんは、まだぼくの存在に気がついていない。
もしかしたら、ぼくのことを忘れているのかもしれない。
またもしかしたら、その女性は亜紀ちゃんによく似た別人なのかもしれない。
仮に、その女性を亜紀ちゃんと呼ぼう。
亜紀ちゃんはまだ、ハンバーグを食べている途中だ。
ぼくは急いでハンバーグを食いにかかろうとした。
ところが横を見ると、亜紀ちゃんのハンバーグはなぜか、ハート型をしていた。
楕円形のハンバーグをハート型にしながら、食べていた。
ぼくは不思議に思った。
そこでぼくは、ハンバーグを星型に食べていった。
途中、亜紀ちゃんはぼくの奇行に気がついた。そして、自分の癖にも気がついた。
ぼくと亜紀ちゃんは、どこかで繋がっているようなものを、お互いが感じ合った。
それで、ぼくと亜紀ちゃんは、お互いのハンバーグを交換した。
ぼくがハート型、亜紀ちゃんが星型のハンバーグを食べた。
その時、奇跡、そのようなものがこの世にあるなら、起こった。
亜紀ちゃんは、星型のハンバーグを口にした瞬間、何かを掴んだ。
それは、例えば淡い想い出、走馬灯の哀しみ、歓喜の叫び、情念の雅だった。
そして、最後に何を思いだしたかと言うと、過去、絶対無比に愛した独りの男の名前だった。それは薔薇の名前だった。LEDに照らされた青い薔薇の花束。
その白い薔薇には、実は名前、学名さえもなかったが、花言葉を持っていた。
「待ちぼうけ。再会の詩。時の導くままに」
その名無しの男こそ、ぼく自身であることに、デザートのバニラ・シャーベットを口に含みながら、亜紀ちゃんは思いだしたのだ。
そして横にいる名無しのぼくに、
「お久しぶり。貴方に会うの。あれから何年経ったのかしら」
ぼくは即答で、「3年と2ヶ月」
それ以上の言葉は要らなかった。
紅鹿亭を出て、日比谷公園を散歩した。
セントパトリックスデイ。
ぼくと亜紀ちゃんは、その日の邂逅に、一篇の詩を詠んだ。
この冬 春ま近
貴方と出会った初めての場処
貴方と二度
初めての階段を登る
天上には猛々しくも神々の もののあはれ
わたしと言う名のぼくは言う
貴方はなんで、その花を
薔薇の景色の麗しき
花園に似た少女がひとり、土を造っている
ならばわたしは木を植えよう
ジャン・ジオノの名を与えらたわたしのぼくは
ふたりの故郷を作った
永遠の彼方にある
邪魔する者は月の影
太陽を知るアポロンの
イカロスは、冥界よりナルシソスに手を差し伸べた
この詩をふたりで詠んで、その日、ぼくと亜紀ちゃんは新しい家を手に入れた。
つづく
2008-03-17
Claude Debussyを聴きながら
Arturo Benedetti Michelangeliのピアノ。Claude Debussy『VIII.La Fille aux cheveux de lin Très calme et doucement expressif』素敵すぎです。
リピートする旋律
奏でる調べの音
繊細で軽やかに
美しいと言うには躊躇いを
ただうっとりと
夜の流れに
身を任せ
このピアノ
今宵、我が夜、更け往くか
いつしか、枕の耳の中
ただ幼児の
如く、すやすや
眠る。幸せ、浸る想いに腕の中
夜は朝へと明るみを待つ