2008-05-10
『愛さえ音楽に』-亜紀ちゃんとぼく-part2-6
大人になったと言っても、まだぼくは15才だった。ぼくはピエロさんの援助で修道院から、あるミッション系の高校に通うことになった。
ぼくはそれまで、学校なんて行ったことがなかったから、学校ってどんなところなんだろうって、すごく興味があって、大辞林を引いて、「学校」を調べた。そこには、「1.一定の場所に設けられた施設に、児童・生徒・学生を集めて、教師が計画的・継続的に教育を行う機関。学校教育法では、小学校・中学校・高等学校・中等教育学校・大学・高等専門学校・盲学校・聾学校・養護学校および幼稚園を学校とし、ほかに専修学校・各種学校を規定する。→大学校2.転じて、広く学びの場をいう」と書かれてあった。
全然意味がわからなかった。大体、児童とか生徒とか学生の意味からして、よくわからなかった。でもぼくはそれ以上調べる気力がなくなってまい、ピエロさんにも聞きそびれて、入学式の日が迫ってきていた。
ある晴れた桜が満開の川の土手に、ぼくは紺色のブレザーを着て、立っていた。
ネクタイを結ぶ練習は、1週間前からしていたが、いつも出来が違っていて、下が長すぎたり、上が短すぎたり、首元の玉のような部分に割れ目ができなかったりで、1度も満足した出来栄えになったことがなかった。
そして今、ぼくは下が長すぎたネクタイを首に締め、下をグレーのパンツの中に押し込み、川面でネクタイの具合を神経質に確かめている。これでも30分もかかって、やっと締めたネクタイだ。
気がつくと、入学式の時間に遅れそうだった。左手首の初代G-SHOCKが、8時10分を示していた。
ぼくは駈け足で、時に早足で、丘の上の高校へと、急いだ。
学校に着くと、もう入学式が始まろうとしていた。
ぼくは、見知らぬ先生らしき30代半ばと思われる女性に引きつられ、ある列の一番後ろについて並んだ。
ぼくの息は少し上がっていて、呼吸を整えるのに3分ばかりかかった。
息が落着いて、ふと左横を見ると、色白の顔をした少し痩せた女の子が、前を向いて立っていた。
ぼくは、我知らず、しばらくその横顔をまじまじと眺めていた。
なぜかって。とってもなんだか惹かれるものを感じたから。
ぼくは母親を知らないし、修道院には女の人はいなかったから、女の人とこんなに近くにいるのは、初めてだった。
ぼくは、男と女の違いについても、全く無知だった。
ただ少し、その女の子をを見て、ぼくより柔らかそうな体をしているな、って思った。
ただ不思議だったのは、その女の子の前にいる女の子たちを見ても、何も感じなかったことだ。
ぼくはこの感情をどう胸の奥に仕舞おうか、考えあぐねた。
胸の奥がキュンとして、少しズキズキして、心が痛んだ。
それは後で気づくことになるのだけれど、恋というものだったらしい。
入学式が終わって、それぞれのクラスに担任の先生に引きつられていった。
担任の先生は、さっき入学式でぼくを連れ添ってくれた人だった。
名前を枦岡あいむと言った。変わった名前だったから、1度で覚えた。
その日から、枦岡先生はアイミーの愛称で呼ばれるようになった。
そして、入学式でぼくの隣に座った女の子は、クラスも一緒で、席も隣だった。
女の子の名前は、上の名前は知らないけど、亜紀と言った。
ぼくは、その日から、その女の子を亜紀ちゃんと呼ぶような、仲良しになった。
なんでか分からない。何か亜紀ちゃんには、懐かしい郷愁のようなものを感じて、何でも話せるような気がした。
実際、ぼくに親がいないことや、修道院から通っていることを亜紀ちゃんに話した。亜紀ちゃんはぼくの多分つまらないだろう話を、熱心に頭をうなずきながら聞いている。
その中で、ぼくは気がついたのだけれど、亜紀ちゃんはちょっぴり猫背だった。
でも、全然嫌な感じはしなくて、むしろ好感を持った。
亜紀ちゃんの猫背に気がつく度に、ぼくは背中を伸ばして、姿勢を正して、話した。
ぼくと亜紀ちゃんの会話は、滞ることも、澱みも濁りもなく、澄み切った泉のように、辺りの静けさを池に落ちた小石が波紋をつくるように、一定のリズムを保ちながら、いつまでも続いていった。
その波長の距離は、会う度に縮まり、短くなっていき、次第にお互いがお互いの存在を相必要とするほど、磁石の対極が引き合うように、惹かれ合っていった。
5月のゴールデン・ウィーク明け。
約1週間会わなかったことで、ぼくと亜紀ちゃんの心の距離はうんと近づいて、ぼくは亜紀ちゃんの心の扉を開ける決心をした。
さあ、どうやって。自分で言うのも憚られるけど、ぼくの純真な真心を亜紀ちゃんに届けよう。
心のドアをノックする切っ掛けと、その瞬間を窺う日々が1週間ほど続いた。
ぼくは土日で、Mac Bookのi Tunesで作ったCD-Rを亜紀ちゃんに渡した。
「これ聴いて欲しいんだ。ぼくの、ぼくの・・・・」
それ以上、言葉が出なかった。
亜紀ちゃんは、黙ってCD-Rを受け取ると、学校を早引けして、家に帰ってしまった。
その理由を知ったのは、次の日の火曜日の朝のこと。
きれいに澄み渡った空が広がる美しい朝だった。
ぼくはこの日を一生忘れないだろう。
学校に着くと、亜紀ちゃんはもう席についていた。
ぼくが教室に入ってくるのを待っていたように思われた。錯覚かもしれない。
「おはよう」
「CD聴いたよ。早く聴きたくて、早退しちゃった。最初の曲しか知らなかったけど、The Doorsの「Light My Fire」だよね。わたし、ドアーズ好きなの。「Touch Me」とかも好き」
「「The End」がコッポラの『地獄の黙示録』に使われてたのは知ってる」
「うん。マーロン・ブランドとマーティン・シーンね」
「マーティン・シーンってチャーリー・シーンのお父さんって知ってた」
「知らなかった。エミリオ・エステベスのお父さんだってことは知ってたけど」
「じゃあ、チャーリー・シーンとエミリオ・エステベスは兄弟ってことね。どっちがお兄さんかな」
ぼくは即座に、i Pod Touchを取り出し、Safariを開いて、ウィキペディアで調べた。
「ああ。エミリオ・エステベスがお兄さんだね」
「そうなんだ。エミリオ・エステベスって、やっぱりコッポラの『アウトサイダー』に出てたよね」
「うん。トム・クルーズもね。あの頃、YAスターとか騒がれてたって、雑誌で読んだことがあるよ」
「あっ、ごめんね。CDの話ね。すごくよかった。最後の『I was born in Londonderry...』って歌ってる人って誰なの」
「アイルランド出身のNeil Hannonのソロ・ユニット、The Divine Comedyの『Sunrise』、パリでやったLIVEのDVD見たことあるんだけど、あの曲のイントロで鳥肌立ったよ」
「いい曲だったなあ。声も透き通ってて、とても澄んでいるの。メロディも旋律も美しくって、わたしああいうの好き」
「うれしいな。The Divine Comedy気に入ってくれたひとに初めてあったよ。CD全部持ってるから、今度貸すね。まずは『A SHORT ALBUM ABOUT LOVE』かな」
言った瞬間、ぼくの顔が真っ赤に膨れ上がるのが自分でわかった。
亜紀ちゃんは、当然ぼくのサインに気がついたようで、「愛」という言葉にお互い赤面して、しばし沈黙した。
ぼくは取り繕って、The Divine Comedyってのは、イタリアのダンテの叙情詩『La Divina commedia』の英訳で、日本では『神曲』て呼ばれてる。修道院で、ピエロさんに勧められて読んだんだけど、すごく好きだった。ぼくは特にキリスト教徒ってわけじゃあないんだけど、天国篇でキリストやマリアに会うところなんか、胸が高鳴ったよ」
「わたしが好きなキリスト教文学って言えば、そうね、聖書は除くのね。ヨブ記、好きなんだけどな。じゃあ、ミルトンの『失楽園』とトルストイの『光あるうちに光の中を歩け』かな。『失楽園』はミカエルとかルシファーとか出てきて、天使と悪魔が闘うの。なんかファンタジー・ノヴェルを読んでるようで面白かったな」
「トルストイだったら、『悪魔』が好きだった」
「お互い、重ーい本読んでるね」
「そうだね。小さな頃はコミックばっかり読んでいたんだけど」
「例えば」
「手塚治虫から少女マンガから、幅広くね」
「わたし、山岸涼子が好き」
「重いね」
「うん。でもあの人が描く作品って人の心の闇を描いていて、好きなの」
「じゃあ、ぼくが一番好きなマンガ教えるね。手塚治虫の『ばるぼら』」
始業の鐘が、教室に大きく響き渡る。
「つづきは、Webで」
亜紀ちゃんが小さく笑ったのが、ぼくの心を温かく包む込んだ。
と、同時に、アイミーが教室に入ってきた。古典の時間だ。
つづく
2008-04-19
『ECHO』-亜紀ちゃんとぼく-part2-5
日曜日、朝起きると、横に亜紀ちゃんがいた。ぼくは眠い目をこすりながら、取り合えず、おはようの挨拶をして、亜紀ちゃんが作った朝ご飯、目玉焼きとソーセージにトーストにカフェ・ラテを平らげた。
ご飯を食べ終えて、亜紀ちゃんが皿を洗い、ぼくが皿を拭いた。
その後、修道院の中を掃除して、葡萄畑に遊びに行った。
天気は晴れ。絶好のかくれんぼ日和だった。
ぼくはひとりでしか、かくれんぼしたことなかったから、どんなにうれしかったことか。
ぼくが鬼になった。
数を30数えてから、亜紀ちゃんを探した。
いくら探しても、亜紀ちゃんは見つからなかった。
もう夕方になっていた。陽が暮れようとしていた。
「もういいかい」
ぼくは大きな声で叫んだ。
そしたら、どこか遠くの方で、もういいよ、と声が聞こえた。
ぼくは声がする方へ走ってみた。
葡萄畑の端に来ていた。
ぼくはもう一度、もういいかい、と言ってみた。
すると、まあだだよ、と遠くの方で声がした。
ぼくは諦めずに、耳をすまして、声がする方へと、足音を立てずに近づいていった。
そして、もう一度、もういいかい、と小さな声で言ってみた。
と、同時に、もういいよ、と亜紀ちゃんの小さくささやく声がした。
またその同時に、ぼくは、どこともわからない暗い場所にいた。
暗くてわからなかったけど、ぼくの左手を亜紀ちゃんの右手がしっかりと握っていた。
ぼくは、ここはどこ、と亜紀ちゃんに訊いた。
「ここは、宇宙の中心、神が宿る唯一の場処。そこに今わたしたちはいるの」
「なんで」
「運命だから」
「運命って」
「定められたこと。あなたの誕生日を教えるわ。19XX年1月1日、午前0時14分33秒。そして山羊座よ」
「ぼくは何を決められているの」
「この宇宙を救うのよ」
「救うって、何を」
「この世界には、苦しんだり悩んだりしているひとが大勢いるの」
「なんでぼくが」
「だから、定められたことだから。いずれわかるわ。そう。多分あなたが大きくなって、30歳くらいになったら、ある人と出会うわ。その人に導かれなさい。その時、また会いましょう」
その瞬間、ぼくはひとり葡萄畑の中で、膝を抱えて、しゃがみ込んでいた。
ぼくには、その日の記憶が全くなかった。
修道院からは、なぜかピンク・フロイドの『TIME』が流れていた。
ぼくはお腹が空いていたから、走って修道院へ帰った。
修道院では大騒ぎで、ピエロさんが大変心配していて、ぼくを見つけた途端にぼくを力いっぱいで抱きしめた。
痛いよ。ピエロさん、とぼくは言ったが力は弱まらず、なぜかぼくの両の眼から涙が流れた。
その夜、ぼくはパンとシチューをお腹いっぱい平らげて、横になり、36時間眠った。
朝起きると、ぼくは大人になっていた。
つづく
2008-04-13
2008-04-12
『時をかける少女、もしくは汚れなき悪戯』-亜紀ちゃんとぼく-part2-4
ぼくは生まれてすぐに、修道院の前に捨てられた。母親も父親も知らずに、そしてぼくの名前さえ分からずに。
そしてぼくの面倒は、修道院のピエロさんが世話してくれて、大きくなっていった。
ぼくはみんなから、坊や、と呼ばれていた。
ぼくはひとりでいるのが寂しくなくて、一人上手な子どもだった。
ぼくは毎日、修道院の側にある葡萄畑、一人でかくれんぼをして遊んでいた。
ぼくは、5才になっていた。
ある日ぼくは、修道院に屋根裏があるのを見つけ、階段で登っていった。
そこには暗がりの中、痩せ衰えたイエスの木彫り像が置いてあった。
ぼくはその日から、ピエロさんに頼んで、彫刻刀をねだった。
ピエロさんは、何に使うのかと訊いたが、ぼくは、ただ彫りたいんだよ、と応えた。
ピエロさんは、何かぼくの中に光るものを見つけたようで、日曜日、町の金物屋で彫刻刀とノミを一揃い買ってくれた。
ぼくはその日から毎日、ご飯以外の時間は木を彫って暮らした。
その内ぼくの中で、変化が訪れた。
ぼくは桂の木で、マリア像を彫るようになった。
最初は小さな手のひらに乗るくらいのを彫っていたが、半年経った頃に、ぼくと同じくらいの背のマリア像を彫り始めた。
そしてマリア像ができ上がった。ぼくの手は豆でいっぱいでガサガサだった。
ぼくが真っ先に考えたのは、屋根裏部屋のイエス像のことだった。
ぼくはピエロさんから、マリアがイエスの母親だってことは聞いていたから、イエスにマリアを引き合わせたかった。
もしかしたら、ぼくにママがいないのと、関係があったのもしれないけど、そんな自覚はまるでぼくの中にはなかった。
ピエロさんに頼んで、でき上がったマリア像を屋根裏に運んでもらった。
そしてぼくは、マリア像をイエス像の横に置き、ピエロさんに、一晩屋根裏で寝たいんだけどと、頼み込んだ。
ピエロさんはずっと渋っていたが、ぼくの根気に負けて、渋々オーケーした。
ぼくはパンと葡萄酒と寝袋を持って、屋根裏部屋に上がった。
部屋は暗かったので、ろうそくを灯した。
ぼくはそこで、一人でパンを噛りながら、イエスとマリアを見つめていた。
ぼくの食べかけのパンを、痩せ衰えたイエスの足元に置いた。
そしてぼくは寝袋で眠った。
真夜中、ぼくは小さな物音で目を覚ました。
寝袋の中から頭を出して、目を薄くあけると、イエス像が葡萄酒を飲みながら、パンを噛っていた。
ぼくは、そっとその様子を窺っていた。
イエスはマリアと小さな宴を開いているようだった。
そしてぼくはまた、眠気に負けて眠り込んだ。
早朝、ぼくは女の子の透き通るような声で起こされた。
「朝よ。もう起きなさい。ピエロさんが心配するわよ」
ぼくは目をあけた。
そこにはまるで、母親のような笑みを浮かべた少女がぼくの枕辺に膝を付いて座っていた。
「おはよう。わたしの名前は亜紀よ、よろしくね」
ぼくは取り合えず自己紹介して、また眠り込んだ。
つづく
2008-04-06
古井由吉『杳子・妻隠』
古井由吉著『杳子・妻隠(ようこ・つまごみ)』を読む。心に病いを抱える女子大生の杳子と山で出会った大学生の男の物語り。
話しは杳子が、病院へいくことを自ら決意するところまでを語る。
杳子と、かつてやはり心を病んでいた同居の姉との確執が深く、今は健康で子どもの母親である姉の存在が大きく杳子を圧迫する。
病気であることを、自分の内に微かに自覚しながらも、姉が勧める病院へは行かず、男と会う時以外は家に引き篭もり、風呂にも一週間入らない杳子。
杳子の行動と言葉が、心の中に抱える闇を、はかなくも映し出している。決して病いを美化することもなく。
男と杳子は時に身体を重ね合わせるが、杳子と男との関係とは何なのか。
結末、杳子の言葉がとても印象的だ。
P169「明日、病院に行きます。入院しなくても済みそう。そのつもりになれば、健康になるなんて簡単なことよ。でも、薬を呑まされるのは、口惜しいわ・・・・・」
P170「ああ、美しい。今があたしの頂点みたい」
こうして、杳子は病院へ行くことを心に決める。そして物語りは終わる・・・。
女子学生の心の病いを扱いベストセラーとなった、村上春樹の『ノルウェイの森』を、『杳子』を読んで1週間経って思い出した。
学生時代に読んだ時には、これが文学かと、憤りを抱いたが、最近は村上春樹作品を愛読している。特に、『レキシントンの幽霊』が好きだ。
『ノルウェイの森』は一度しか読んでいないが、また読み返してみたくなった。また『ノルウェイの森』の原型となった『螢』を再読してみたい。
ムージルの『愛の完成』を訳した古井由吉の芥川賞受賞作『杳子』。