2008-12-28
DIVA
風呂の中 ハミングの調べは香りハーブティ 心安らぐ日曜の晩
DIVAの高鳴りは 遠くこころまで響く
静かな眠り、導き給もう
夜よ 逞しくも光り輝く星達よ
宵の明星が我らが雲雀
さえずる声が聞えたらそっと 貴女の呼鈴を鳴らそう
2008-12-06
サティに想う
サティを聴きながら、君を想う。早朝のまだ陽の明けきらない冬の凍ったような静かな時間。君は言っていたね。どうにも落ち込んだ時、何を聴くかって言うと、サティのジムノペディ1番だって。
そうして今、ぼくはサティを聴いている。
君と出会って、もうそろそろ2年になる。初めて会った時はやっぱり冬で、君は黒のタートルネックを着ていた。背が小さい子だなあっていうくらいが、第一印象だった。
それから、君と何度か話すようになって、君が絵を描いたり、詩を書くことを知った。君の絵は、温かな暖色系の絵が多く、ぼくの張り詰めた気持ちを和らげてくれた。そんなことは一度も君の前で口にしたことはなかったけど、ぼくは君の絵に救われていたんだと思う。
そんな君が、出会って一年くらい経ってからだろうか、よく眠れないと言うようになった。仕事柄夜遅くまでパソコンと向き合っていたから、眠る前、深夜まで気が張っていたんだろう。ぼくは寝る前に、蜂蜜入りのミルクを飲むとリラックスできるらしいよ、と君の不眠を心配していたが、一向に君の不眠は快くなってはいかなかった。
ぼくはある日、君と心療内科を訪れた。軽い不眠症でしょうという医師のあっさりとした診断に疑いも持たず、軽めの精神安定剤と睡眠薬が処方された。
不眠は快くなったが、君の体に変調をきたし始めているのに、ぼくは気がついていなかった。
そして、突然君はぼくの前から姿を消してしまった。仕事場の事務所も、借りていたマンションも引き払い。
君が病院に入院していると知ったのは、君の親友の子と街で偶然出会った時のこと。ぼくは当然のように君の行方を知らないかと訊ねた。
最初は戸惑っていたが、貝のような重い口を、渋々と開いた。
ぼくは何とか、入院先の病院の名前を聞くと、その日面会のためその病院へと向かった。
意外とあっさり面会を許可され、ぼくは不安を抱えながら病室へとエレベーターに乗った。
そこで出会った君は、まるでぼくのことを気にかけないように振る舞っていた。意識的かはたまた無意識か、君は宙を眺めながら、ぼくと他愛もない話でお茶を濁すかのように時間を潰していく。
面会時間がもう過ぎようとしている。
ぼくは大事な話ができないまま、この限られた時間を無駄にしようとしていた。
「もう、時間だから」君が切りだす。「また、会えるのかな」やっとの思いで、その一言が言えた自分に一瞬安堵のため息が出る。
「あなたの思うままに」その表情と微かなほほ笑みに、ぼくはまるで聖母マリアのそれを見たかのように、救われた。
「また来る」そう言い残し、ぼくは椅子から重い腰を上げ、病室から出る。病室のドアを閉め廊下へ出ると、深い息が喉から洩れた。
ただその時は、また君に会えるというよろこびより、重く立ち込めた病室の空気から解放された思いの方が勝っていた。
それを後悔したのは、一週間後。もう一度病院へ面会に行った時だ。
見るからに、君の病状は芳しくなかった。呼吸も少し荒く、ベッドから上半身を起こしているのがやっとと感じられる君を見ているだけで、辛かった。ぼくはその日の面会を早々に切り上げ、君に別れを告げた。
もちろん、それが生涯における君との別離になろうとは思う間もなく。
その夜、病院から君が急変したとの連絡が入り、ぼくはタクシーで向かった。
神の残酷なことに、ぼくが病院へ着いた時には、君は事切れてた。既に冷たくなろうと生の気配を消しかけている君の胸にぼくの頬を当てる。
沈黙の中、海のざわめきのようなさざ波が聴こえる。ぼくは君と行った百合が浜の海を思いだしていた。そう、あれも冷たい真冬、身も凍るかのような身体を寄せ合ったあの冬。もう二度と温かな君のぬくもりに浸ることもできないことに、君の肌の冷たさにぞっと、鳥肌が立った。
あれから。サティはぼくにとって、かけがえのないものになった。
レコード屋で、知らないサティのCDを見つけると迷わず買った。でも何かが違うといつも思っていた。このサティじゃない。ぼくの探し求めているのは。そう。ぼくは君の幻影をサティに求めていたのだから。
それに気がつくのに、ぼくは永くの時を費やした。ぼくは今まで買ったサティのCDを全部売り払ってしまった。
それから随分長くサティを聴くことはなかった。
そんなある夜、日比谷の紅鹿舎で珈琲を飲んでいると、ジムノペディ1番がかかった。ぼくはそのサティとの邂逅が偶然のものではなく、何か運命的なものに感じられた。
紅鹿舎を出ると、レコード屋へと向かった。サティを買いに。サティを探すと、以前持っていたものばかりだった。その中で一枚知らないCDがあった。ジャケットが気に入った。白と黒の紙仕様のもので、眼鏡をかけたサティのイラストが表紙に描かれてあった。ぼくは元々ジャケ買いする性質を持っていたから、そのCDに強く惹かれた。それでも十分程悩んだだろうか。結局買うことにしたのだが、その心の内は不安だった。また、サティに違和感を感じてしますのではないかと。
それでもその晩は、家に帰ってサティを聴くのがなんだか愉しみで、早足で家路へと向かった。
どこか儀式めいたような神聖な思いで、封を開けプレーヤーにそっとCDを乗せる。
流れてくる音楽に身を委ねる。時は自由で美しく、時間の経つのを忘れ、身も心もサティに任せた。
ああ、サティっていう音楽は、こんなにも、ああ、こんなにも、陳腐な言葉を借りれば、美しいものだったのだなあ。感慨に耽った。
その夜はぐっすりと眠った。君がいなくなってから、君の残影がぼくに転移したかのように襲っていた不眠を忘れて。
ぼくは今、初めて君の影から出てきた太陽のよう、君の死を礎に、新しい人生の出発の予感を感じていた。
深い眠りの奥底にありながら。
2008-11-16
冬の枯れ間に
退院する景子は あの人のところで暮らすそうだ愛よりなお、わたしの激しい欲望は
それを許さない
にも係わらず、
元へ帰る景子に、わたしは引き止めの言葉さえいえず
また、一日中を 独りぽっちで過ごすであろう 毎日に
互いのこころの距離を感じずには、いられない
冬空立ちこめる雲に似て、景子は憂鬱ではなく 鬱だと小声で言う
季節の変わり目だから。言い訳するようで
銀杏並木にも、心を動かさない
いつもなら、どんぐりで悦ぶ景子の顔に笑顔が見られないのは やはり哀しい
この寂しき逢瀬さえ、ヴィーナスの心がわり映して
真剣に考えるなら こころもとない
けれど今、この一瞬を永遠に大切して
景子のやわらかな 弱き、紅葉のごとき左手を、この淡い身の内に感じていたいのだ
許される時間の限りに
2008-11-06
床屋で指名するってどうよ
ここ10年くらい、髪の毛は床屋で切っている。それまでは、美容院でカットしてもらっていた。けれど、やっぱり顔剃りがあるのがいいなあ、思ってリベラって床屋に入った。
その時、カットしてくれたのが、須藤くんって男の子で(名前は後で知ったのだが)、その日とても疲れていたぼくは、カットの途中で眠ってしまった。そんなぼんやりした頭の中で、ぼくはもう記憶にないのだけれど、須藤くんに随分きついことを言った。
言い訳になるのだが、その日は、とても疲れていたので、須藤くんに悪いって気持ちは起こらなかった。
ところが数日してから、須藤くんへの謝罪の気持ちでいっぱいになった。今度行く時に謝ろうと心に決めていた。
約1ヶ月後、またリベラへ行った。
その日、ぼくの髪をカットしてくれたのは、女の子だった。ぼくの気持は須藤くんに謝りたい、それ一心だった。思いきって、隣の客を相手している須藤くんに、「この前は、ごめんね。疲れてて、ひどい事言っちゃって」。
須藤くんは、「いいえ」、なんでもなさそうに言うと、また隣の客の髪を切り始めた。
ぼくは取りあえず、言うことは言ったって気持ちで、気分が軽くなった。
それから何回か、須藤くんに髪の毛をカットしてもらうようになって、話もよく合って、笑い話に切りがない。
最近では、須藤くんじゃなくちゃ駄目って感じで、店に入るとこっそり須藤くんに、「須藤くんに切ってもらえる?」と声をかけるのが習慣になっている。
当然というか、床屋さんなので、指名料は須藤くんには入らない。店長さんも、ぼくの行動に嫌な顔はしないでいる。
いつか、須藤くんが独立するようなことがあったら、ついていくからね。また、上はレーザー・カット、横は9ミリでお願いね。頼むよ、須藤くん。
2008-11-05
成長しないって約束じゃん
ここ何年も日本人の歌手は殆ど聴いていない。が、最近気になるシンガー・ソング・ライターがいる。川本真琴。
この名前を聞いただけで、いや、キモいって言うひともいるかもしれないけど、最近気になってYouTubeで動画を漁っている。
ファースト・アルバム『川本真琴』は、ファースト・シングル『愛の才能』が岡村靖幸作曲だったこともあり、ミリオン・ヒットとなった。
が、川本真琴自身の書く曲も詩も、岡村靖幸に負けない才能を持っていたと思う。
歌詞カードを読まないと、何を歌っているのか理解不能な言葉の破片。転調を繰り返す曲。実際、川本真琴の書く曲は殆ど5分以上の長さで、当時の歌謡曲の枠に収まっていない。歌番組などでは、オリジナルの長さを大幅にカットされている。
当時、歌番組での奇抜な発言で、アイドルや、不思議ちゃん的な存在に扱われ、川本真琴自身違和感を覚えていたと、後にインタビューで答えているが、そんな彼女のトラウマを垣間見ることにできるのがセカンド・アルバムの『gobbledygook』だ。
一曲一曲の楽曲はいいのだが、アルバムに一貫性が全くない。やむなく入れたのだろう曲と曲の間に、短いインストロメンタルが入っている。
前作のニュアンスを踏襲したスローな「微熱」「桜」があるかと思うと、ロック調の「ギミー・シェルター」が入っていたりする。
PVを見てみても、まるで別人を思わせる。
そんなセカンドは商業的にも成功しなかった。そして川本真琴は、ファーストを出した頃から、関係が悪くなっていた事務所を離脱。また、体調も崩していたという。
その後、川本真琴は芸能界の表舞台から姿を消し、別名ユニットを組んで、ライブ活動を中心に音楽活動を続けている。
そんな川本真琴を思う時、彼女はファースト・アルバムで、一生分の力を使い果たしてしまったようにも思われる。
未だ活動を続けている川本真琴には残酷なようだが、決して悪口で言っているのではなく、それ程、彼女の名前を冠したファースト・アルバム『川本真琴』が素晴しかった。
が、今後の川本真琴の音楽活動にも、期待している。