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2009-03-30

さくら

三月末のある晴れた平日、桜が三部咲で、気持ちのいい日和だった。
妻と千鳥ヶ淵を歩く。
山種美術館が見える。
「入ろうか」
「ええ」
美術館の窓から桜の木が眺められる。
わたしと妻はソファに身を沈め、永いこと桜を眺めていた。
妻には桜の木に思い入れがあった。
桜は妻の実家の大きな庭に一本あって、わたしと結婚して家を出るまで、毎年その桜の木につぼみがつき、花が咲くのを楽しみにしていた。
妻が実家を去ってから、桜の木に花が咲かなくなった。
妻はそのことを気に病んでいた。
それ以来、妻は桜の花を見るたびに、大好きだった実家の桜を思い出し、心を痛めた。
妻に子が宿ったのは、三年後のことだった。
予定日は三月の末。
赤児は女の子で、無事予定日に生まれ、母子ともに健康だった。
その日の朝、実家の桜につぼみがついているのを、高校生だった義弟が見つけた。
義弟は妻が入院している産婦人科を訪れ、その旨を告げた。
妻は言った。
「これも何かの縁。神さまの思し召し。名前はさくらがいいわ」
わたしは妻の桜の木へ抱いていた罪悪感が解かれたのをよろこび、
「きみの好きに。さくら。素敵じゃないか」
さくらが生まれた記念に、庭に実家の桜の木を接ぎ木した。
その桜は、さくらが中学生から高校生になる年の三月の末、さくらの誕生日に花を咲かせた。
わたしも妻も、ちょっと反抗期ぎみだったさくらも、それを大きくよろこび、その日近所の和菓子屋で桜餅を買い、家で久しぶりの一家団欒を祝った。
あの日、心を痛めながら眺めた千鳥ヶ淵の桜が遠い過去のように妻の脳裏を走馬灯のように走り抜けた。
今ではそれもいい思い出。
妻は以前のように、桜を愛している。そして何より娘のさくらを溺愛した。それをわたしはやさしくよろこび、包み込む愛で応えた。

shiroyagiさんの投稿 - 23:09:05 - 0 コメント - トラックバック(0)

2009-03-29

猫コラム 1 ジョゼと出会って1週間に憶う

猫を飼うようになってから、思う。
自分って猫だなあ。
鼻の頭や耳の後ろ、背中を掻いたりする度に、これって猫の仕種だなあって思う。
猫を観察しているうちに、自分にそれを反映させて見ていたのだ。
猫は兎に角、面白い。
なんと言っても、見ていて飽きない。
しかも猫の機嫌がよければ、一緒に遊んでくれる。
友だちか、仲のいい弟のようだ。
我が家の猫ジョゼのお気に入りのおもちゃは、ねこじゃらしとボールだ。今日もボールでサッカーをして汗を流した。
猫はねこじゃらしで培ったジャンプ力で、我が家の台所や食事中のテーブルに軽々と上る。
落ち着いて台所の支度もできない。また、こっちは火が危ないから近づいちゃ駄目って、何度も叱るのに、まるで懲りない。
本当に、人間の子どもにそっくりだ。
一度痛い目に遭えば止めるのかななどと希望的観測を抱いているが、どうなんだろう。
もう少し大きくなれば、落ち着くのだろうか。
ジョゼは去年の11月3日に生まれたので、今5ヶ月弱だ。
動物病院のロビーの壁に貼ってあったボードで見たのだが、人間に計算すると9歳だと言うことらしい。
ぼくが9歳の頃と言えば、友だちといたずらばかりして、叱られていた。
ジョゼのことをバカにできない。
出会ってまだ8日。相撲で言えば中日。丁度折り返し地点だ。
我が家に君臨する大横綱ジョゼの暴れっぷりは、角界の暴れん坊将軍・朝青龍にも勝るとも劣らない。そう飼い主である自分が自負している。
そんなジョゼも疲れると、椅子の上にあがってすやすやと眠る。その姿を見ていると、ああジョゼも老猫になれば一日中こうやって眠っているのかと想像したら、目頭が熱くなってきた。
猫可愛がりとよく言うが、猫を飼うと言うひと誰もが、猫かわいがりするんだろう。
猫にまつわる慣用句は多い。
猫に小判。猫の手も借りたい。
これらの慣用句を見ると、どうやら猫は役立たずの生き物と古くから思われていたらしい。
だが、そこに猫の魅力を感じる。芸術と一緒じゃないか。
なくても生活には困らないが、ないと生活に張りがなく、甲斐がなく、つまらなく退屈だ。
そう考えると、猫の存在自体が芸術なんだと思ったりする。
多くの芸術家が猫をモチーフに作品を造り、また猫と共に暮らした芸術家は多く、猫の存在に自己の孤独を癒された者は多い。
もちろん猫は完ぺきな存在ではない。
いい所もあれば困ったとこもある。
猫を飼う者は、そのメリットとデメリットを身体と心で受け止めて、寛容な気持ちで猫を見守って欲しい。
ああ。長くなりすぎた。この辺で筆を置くことにする。
長いのは猫の睡眠時間で十分だ。猫は一日10時間眠るという。
shiroyagiさんの投稿 - 23:32:21 - 0 コメント - トラックバック(0)

2009-03-28

エッシャーに魅せられた男たち

オランダ出身のだまし絵で有名なM.Cエッシャーの絵の虜になった男たちの物語。
この本を読んで、2006年渋谷東急文化村で開催された「スーパー・エッシャー展」を見に行ったことを鮮明に思い出した。
当日は幸い、入場券を事前に購入していたが、当日券を買うのに1時間待ちの状態だった。
館内も超満員の状態で、活気に満ち溢れていたのが、走馬灯のように蘇る。
題名のとおりエッシャーの絵に魅せられた人々の情熱に満ちた群像劇ノンフィクション。
ファッション界ニコルとスプークスを立ち上げた甲賀、少年マガジンの大伴、日本で初めてエッシャー展の開催企画に尽力する新藤らを中心に、世界をまたに駆け、エッシャーの版画を巡る伝説が生まれる。

美術界の裏側と歴史、DCブランドの隆盛などが背景に描かれ、より事実が真実味を増す。
時間を忘れ結末へと向かって、ページを捲った。

エンターテインメント性にも溢れ、読む者を虜にするのは、エッシャーの「魔術」か。
エッシャーの名前を知らなくても、きっとエッシャーの絵をあなたはきっと見たことがあるだろう。
そんな人にも打ってつけの1冊。
美術が、エッシャーがもっと好きになる、理解できる最良の本。
shiroyagiさんの投稿 - 23:30:17 - 0 コメント - トラックバック(0)

2009-02-24

動物虐待に克てるのか

涙がこぼれ落ちた。
猫を飼おうと思い、知り合いから教わった猫の里親募集のHPを見ていた。
そこに、元飼い主などから虐待を受けた猫の写真があった。
胴体に針金を巻かれ、千切れんばかりの身体。
見た瞬間、嗚咽が止まらなかった。
気持ち悪かったからじゃない。
人はこんなにも、残酷な行いができるのか。
人はこのように、生きた生命のある生き物を弄ぶことができるのか。
人はだれも、ペットを可愛がろうと飼うのではないのか。
それとも、慰み物にしようと、猫を買ったり、公園で拾う輩がいるのだろうか。
あの写真を見た限り、この世界には、そういった人種が存在するらしい。
ぼくが無知だったのか。
ぼくが純粋だなんて、思わない。
けれども、あれは非道い。
よくある例えで、「あれは人間のすることじゃない」などと言うが、心からそう思った。
ぼくにはできない。
大体生きている猫にあんなことをするのは、正直言って怖い。
そう、怖くてできない。
動物が苦しむのを、悦ぶ人間がこの世には確かに存在する。
だが、動物を愛する人間もまた、そんな人間より多く存在することを信じる。
ぼくは、愛だとか、道徳だとか、美徳だとか、そんなことを言っているんじゃない。
ぼくはただ、人が人として、この生き物が無数に集うこの世界で、生態系の一部として、せめて、衣食住に関係ないところでは、他の生き物を殺したり犠牲にしたくはない。
そんな当たり前のことができない世の中なのか?
ならばぼくは、毎日悲しみと絶望の涙を流さなくてはならない。
それは、どうにも自分ではやりきれない。
ある人が言っていた。悲しみよりは怒りの方がまだマシだ。
だが、今日見て体験した事態に、悲しみに暮れ、怒りの感情さえ持てないぼくだった。
なんとも、やり切れない思い。
ただぼくにできるのは、一匹か二匹の猫を引き取ることぐらいなんだ。
分かってる。ぼくにできること。


shiroyagiさんの投稿 - 04:37:09 - 0 コメント - トラックバック(0)

2009-02-04

柔らかな夜

この胸の空漠 かつて激しく想いに満たされていたはずだ

思えば景子の声を最後に聞いたのはいつのことだろうか

未熟な果実を噛るかのよう ふたりの行方を探る拙いわたしの声が

自信なく 景子の様子ばかり窺っていた

年が暮れ、そして年が明けても独り部屋、想いを思いあぐねている

景子と交わしたぬくもりの柔さは今もなお わたしの奥で生きつづけているというのに

当てどもなくなく見知らぬ街を彷徨い

冬の街路樹は 葉の一つさえ付けず、見ているだけでも寒々しい。が、

わたしはこころを見透かされているようで、足ばやに道を往く。

景子の実を知ってしまったが故に 悲しみにこの身の寂しさは募るばかり

こころとこの身を焦がす寂寥、失うが故に哀しいと感じる心のかけら

わたしの底に残り火の如くくすぶっていたことに

喪失の深さを思わずにはいられない

そして景子に替わるものを考えるは、まるで虚しい心を見るようだ

深夜に布団に包まる時、その冷たさに、凍える故に思いだすのだ

わたしが愛したその温もりを

体温を交え赤児のように眠った あのわか葉の頃は

もう二度とは戻らないことが信じられず。

が、そろそと悟らねばならないのだ

季節が巡り巡っても

もうあの頃と同じようわたしには春の温かさは宿らない

そう悟った時、わたしの中の一番大事なものは逝ってしまい

一人 枯れ野を歩いている、寒ささえ感じず


shiroyagiさんの投稿 - 10:44:34 - 1 コメント - トラックバック(0)
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