2009-05-03
ジョゼ日記 その5 猫かぶりと外猫さん
昨日、兄がうちにやって来た。ジョゼがうちに来て、初めてのお客さんだった。
その日のジョゼはいつになくおとなしくて、いつもの体育会系のジョゼとは打って変わっていた。
いつもは珈琲を飲んでいると、テーブルに上がるジョゼが床で寝そべっている。
兄「なんだ。おとなしいじゃん。いつもは暴れてるって聞いたけど」
ジョゼは、じっと様子を窺っている。
兄はトイプードルを飼っているので、ジョゼを犬のように扱っていた。
頭をぐいぐい撫で、主従関係を作ろうとする。
それでもジョゼは、遠慮したのか兄に反抗もせず、イヤそうに頭を撫でられていた。
その日のジョゼは、ジャンプ力も瞬発力もイマイチで、格好悪かった。
こんなジョゼを見たのは、本当に初めてだったので、かわいく思えた。
そして今朝、朝食をとっていると、ジョゼが鳴いている。
珍しいことなので、ジョゼの方を見ると、網戸の側にジョゼが座っていて、なんと近所でたまに見かける外猫さんが濡れ縁に座っていた。
わたしが近づくとしばらくして、のそりと去っていった。
夕方、珈琲を飲んでいると、またジョゼが鳴いている。
「あら。また来てるわよ」
わたしは、二階からiPhoneを持ってきて、シャッターを切った。
それがこの写真。
暗いけど、よーく見ると、手前にジョゼが座っていて、外猫さんが網戸の向こうに座っている。
外猫さんは、ジョゼに威嚇していた。
ジョゼのしっ尾は、丸く膨らみ逆立っている。
こんなジョゼを見たのは、昨日兄とご対面した時が初めてで、珍しい。
きっとこれから、毎日外猫さんはやって来るのだろう。
今我が家では、外猫さんに名前をつけようか、考えている。
多分色んなうちで、違う名前で呼ばれているんだろうな。
2009-04-30
木曜日の子どもたち
昨日読み終えたダンテ『神曲 地獄篇』に続き、「煉獄篇」を読み始めた。第三歌まで読む。
天使が出てきて、面白そうな予感がうれしい。
少し疲れたので、ベッドでエレファントカシマシ『昇れる太陽』を聴きながら、天井を見つめる。
入院中の景ちゃんのことを思い出した。
先日一度、絵はがきを出したのだが、また書こうと思った。
が、体が重い。
やっと起き上がり、オードーリー・ヘップバーンのポートレート写真のはがきを、絵はがきの束から見つける。
景ちゃんの大好きな女優で、先日映画館のロビーで景ちゃんに出そうと思って買ったものだ。
はがきのすみに簡単なイラストを描き、かんたんな一言を添える。
景ちゃんは先日の電話で、今本とか読めないって言っていたから、大きな字で短歌を一首つくった。
昼になり、階下で軽い昼食をとる。
疲れているが、天気もよいので、出かけることにした。
ポストにはがきを投函し、集配時刻を確認する。
三時五十分とある。
明後日には着くだろう。
その後、『神曲 天国篇』を買いに三晃堂に寄った。
ご主人が声を掛けてくる。
「あなたは、いつもと風景が違って見えることってありますか」
ご主人の問いは、いつも唐突だ。
わたしはいつも、答えに詰まる。
「では、ひとが違って見えることはありますか」
「それはあります。疲れているなとか、ナーヴァスになっているとか」
わたしは昨日の家人のことを思っていた。
「わたしが言おうとしているのと、ちょっと違いますね」
電話が鳴る。
わたしはその間、ご主人の問いを反芻する。
が、答えは出ない。
電話が終わる。
「じっくり考えてみます」
「いや。考えちゃだめで、感じなくてはいけないね」
「わたし、考えるの苦手で、感じるばかりですから。感じてみます」
そう言い残し、店を出て、駅に向かう。
電車に乗り、昨日見たかったKINKSのCDを探しにタワーレコードに入り棚を見ると、「SUNNY AFTERNOON」が入っている『FACE TO FACE』と「WATERLOO SUNSET」が収録されている『SOMETHING ELSE』が安く売っていたので買うことにした。
すぐに会計を済ませ、店を出て、ぴあのサイトで予約したエレファントカシマシのライヴのチケットをファミリーマートで引き換える。
その足で、ヨネザワへ行く。
店に着くと、まずセブンスターに火をつける。
めずらしく店内には三人の客がいて、みな中古レコードを漁っている。
わたしは目をつけていたレディオヘッド『AMNESIAC』を棚から出しカウンターに置いた。
清さんと緑茶のど飴を舐める。
清さんはのど飴をがりがりと齧る。
「清さんは、飴齧っちゃうほうですね」
「いや、この飴粉っぽいからくちびるがぬめぬめするからさ」
「抹茶がついていますからね」
その日わたしは昨夜の睡眠不足もあり、疲れていた。
清さんの声に頭が痛む。
それでも一時間ほど店にいただろうか。
わたしが帰ろうかなと思っていると、買い取りの客が入ってきた。
レコードを段ボールで抱えている。
中からは、ピンクフロイドの『狂気』が見えた。
ジャケットから『狂気』に入っている「TIME」が頭を過る。
わたしは帰る仕度を始め、しそ入り梅ぼしを口に入れ、疲れを抜こうと思った。
黄色のナップサックを背中に背負い、iPodでディバイン・コメディ『PROMNADE』を聴く。
家に帰り、KINKSを聴きながらベッドで横になる。
「WATERLOO SUNSET」をリピートで聴いていたが、気がつくと、家人がわたしの部屋を覗いていた。
いつ帰ってきたのだろう。
家人は今日、日本橋高島屋で浮世絵の展覧会に行っていた。
わたしは起き上がり、階下で珈琲をいれる準備をした。
すると家人がテーブルのわたしの席に何かシートのようなものを置いた。
わたしは近寄って、よく見てみた。
「下敷き。あっ、クリアファイルじゃん。あれ。猫の絵が描いてあるよ」
何やら数匹の猫の絵で二つの文字が描かれているようだ。
一文字は読めた。「た」と書かれている。
「下の字は何?」
「『こ』よ。古いの」
「古か。たこだね」
湯が沸き、珈琲をいれる。
今日の家人は昨日と打って違い、機嫌がよかった。
今日行った展覧会の話をする。
浮世絵がベルギーにたくさん渡っているらしい。
ベルギー所蔵の浮世絵展覧会に行ったせいか、ベルギーワッフルを買ってきていた。
それを、オーブントースターで温め、プレートに乗せる。
「明治屋で買ってきたの」
「どこの?」
「日本橋」
「日本橋なんて、随分行ってないなあ」
夕食を食べ、二階で今日買ってきたレディオヘッドを聴く。
疲れた身体に何やら心地よい。
このままベッドに入りたい気持ちを抑え、MacBookでネットサーフィンする。
もう寝てしまおうか、寝てしまおうかと思いながら。
なんだか空気が重い夜だった。
窓を開け外に出てみると、夜が雲に覆われ、重く立ちこめていた。
わたしはもう寝ようと思い、アプリケーションを全て終了し、MacBookを閉じた。
時刻は十一時を少し回っていた。
ベッドで仰向けになる。
わたしが眠る時はいつも、うつ伏せだ。
五分もしないうちに、自然うつ伏せに変わり、寝息を立てていた。
新しい季節へ
午前中、ベッドで寝ながら、河出文庫ダンテ『神曲 地獄篇』を読了。すごく良かった。
煉獄篇が楽しみだ。
もう買ってあるので、いつでも読み始められるのがうれしい。
昼ご飯を家で済ませて、一時頃家を出て、タワーレコードへ向かう。
予約していたエレファントカシマシのニューアルバム『昇れる太陽』を買って、すぐに店を出る。
後で、キンクスのCDを見ればよかったと後悔したが、後の祭り。
いつものように、行きつけのヨネザワへ行く。
清さんが笑顔で迎えてくれる。
取りあえずセブンスターに火をつけ、一服する。
清さんに、緑茶のど飴をあげて、一緒に舐めながら話す。
「芸術家には、こころの病いのひとが多いね。太宰治なんかもそうでしょ」
「太宰はバビナール中毒で精神病院に入院したことがありますよ。本人は相当ショックを受けていたようですが」
「太宰なんかは、人間が生きる究極まで行っちゃってたんなじゃいかな」
「そうですね。何度も自殺未遂して、よっぽど生きるのが辛かったんじゃないですかね」
「芸術家っていうのは、どっか普通のひとと違うんだよな。結局神さまに傾倒したりするじゃない」
「太宰も芥川や遠藤周作なんかもキリスト教に傾倒してましたね。不完全である人間が、何かを創造するのだから、ある意味神の領域に踏み入れるんだと思いますよ。そこに歪みが生まれ、心身のバランスが崩れる場合も多いんじゃないですか」
「そうだよな。芸術家って、物事を深く突き詰めすぎて、おかしくなるんだろうな」
「そのかわり、すばらしい作品を残したひとも多い訳で、そのひとにとっては、必要な苦しみだったのかもしれません。それがしあわせかどうかは、本人にしかわからないですけど」
「病気だった作家って誰か知ってる?」
「古くはゲーテは躁鬱病だったと言われているし、北杜夫もそうだし、
最近では原田宗典や絲山秋子なんかそうですよ」
「多いよな」
「多いですね」
「俺なんて本読むのが遅くて、ひとが三ページ読むところを、一ページしか読めないだ」
「いいんじゃないですか。字づらを追うだけで、中身が入っていないんじゃ、意味ないですから」
「もっと本が読みたいなあ。速読法できるひとが羨ましいよ」
「たくさん本を読んでいるひとでも、結局もっと読みたいって思っているんだし、宇宙的観点から人間の一生を見たら、たいして変わらないんじゃないでしょうか」
「俺、この年になって何を読んでいいのか分からないんだ」
「それは、今まで生きてきて、自分の好みや傾向は自分が一番知っているはずですよ」
「大きな本屋なんて行くと、何を買えばいいのか分かんないよな」
「そうですね。だからわたしは行きつけの小さな本屋にしか行きません。でも、大きな本屋でも、その中から一冊買うのは、何か縁があったんじゃないでしょうか」
そんな話しを延々としていた。
わたしは、ヨネザワへ行くと、何かしらCDを買うことにしている。
不景気な店を気遣う気持ちもあるし、ある意味、飲み物を飲み、煙草を吸いながら清さんと話した時間への対価として、金を払う。
今日は、半額になっている新譜のCDで、シャーラタンズとレディオヘッド、フーファイターズと悩んだが、結局フーファイターズに決めた。
今日は往きの電車が人身事故で遅れていたが、帰りには復旧していた。
ヨネザワを出ると、ディバイン・コメディ『PROMNADE』をiPodで聴く。
身体が自然に反応して、左右に揺れながら、鼻歌を唄う。
電車が最寄りの駅に着き、改札をPASMOで抜ける。
丁度バスが来ていて、乗り込む。
家に着き、普段着に着替え、いつものよう珈琲をいれる。
家人が、飼い猫のジョゼのことで悩んでいる。
ジョぜのよく言えば腕白、悪く言えば暴れん坊なこと。
キッチンを荒らされることに過敏にヒステリックになっている。
今朝泣きそうな声で、ジョゼに、なんでそういうことするのよう、訴えていた。ナーヴァスだ。
珈琲の時間も家人は無口で、ゆとりなく飲んでいるかと思ったら、飾り棚の片付けを始めた。
珈琲も途中なのに、せかせかと、忙しなく動いている。
わたしはしばらく家人を待っていたが、黙って席を立ち、カップとミルを洗いにキッチンへ向かった。
二階へあがり、今日買ってきたエレファントカシマシの『昇れる太陽』をBOSEのオーディオに入れる。
ヴォーカルの宮本浩次の声と言葉がこころに沁みいる。
アルバムを通して聴き終わる頃、ぴあのサイトでライヴのチケットを探す。
ZEPP TOKYOでライヴが五月の末にあり、まだチケットが余っていた。
少し悩んだが買うことにして、入力画面にスクロールする。
クレジットカードの番号の確認と、有効期限を選択して、実行する。
三十秒ほどして、ぴあから注文確定メールが届いた。
わたしは引換番号をメモして、メール画面を閉じた。
そして、風呂へ入りに階下へ降りる。
まだ家人は、片付けを続けているようだ。
わたしはそっと脱衣所に入り、服を脱ぐ。
湯槽に体を深く沈めながら、「桜の花、舞い上がる道を」をハミングする。
夕飯の後、ジョゼと一時間ほど遊んで、二階に上がり、『昇れる太陽』を聴き続ける。
五回はリピートしただろうか。
もう午前零時に近い。
そろそろ寝ようと思いながら、CDを頭から再生させ、こうしてMacBookでタイピングしている。
が、本当に眠る時間だ。
そろそろ、Macを閉じよう。
明日はチケットを引き換えに、ファミリーマートへ行くつもりだ。
寝る前に、セブンスターを深く一服する。
そして、ベッドサイドのランプを付け、部屋を暗くして、ベッドに入る。
iPhoneで、Twitterやお気に入りのサイトを見る。
すぐに欠伸が出てきて、iPhoneを電源コードにつなぎ、ランプを消す。
一日の終わりだ。そして、また新しい日の始まりである。
2009-04-28
時のはざまに
今日は風が冷たっかので、首に麻のスカーフを巻き、家を出た。駅への途中、郵便局で金をおろす。
いつもと違う道を歩く。
駅に向かう道は下りで、足取りは軽い。
iPodには、昨日から聴いているディバイン・コメディ『LIBERATION』が軽快なポップスを流している。
電車に乗る前、昨日も寄った三晃堂に立ち寄る。
ご主人と世間話をして、諸星大二郎の新刊があったので、購入。
電車に乗り、六つ目の駅で降りる。
バスに乗り、友だちとのランチの予定の店エル・ダンジェへ向かう。
バスが発車するのを待っていると、バス停に友だちの女性二人を見つけた。
わたしはバスを出て、声をかけた。
「三人だったら、タクシーで行きましょうか」
「まだ時間があるし、バスでいいんじゃない」
バスの一番後ろの席に三人で座る。
久しぶりの再会に少し気分が高揚し、三人でおしゃべりに耽る。
すると一つ前の席に、また今日会う予定の女性の友だちが座り込んだ。
わたしは声をかけ、
「偶然ですね。四人とも同じバスなんて」
四人で、歓談しながら五つ目のバス停で降りる。
エル・ダンジェはバス停の前にあった。
いつもは車で来るので、知らなかった。
見知った赤のドゥカッティが店の前に滑り込んで、止まった。
ヘルメット越しに友だちの男性に声をかける。
今日のメンツはこの五人。時刻は正午。
店に入り、リザーヴの席につく。
飲み物はクランベリー・ジュースを頼んだ。
口に含むと、ほんのり微かに甘く、赤い液体が透き通って、きれいだった。
コースのメインは魚を頼む。
全体的にさっぱりとした料理に、口と胃袋は満足する。
最後に本日のデザート、ミント・ゼリーのアイスクリーム添えを口に運ぶ。
ミントの味がすっきりとして、仄かに甘く、アイスに合う。
食後にエスプレッソをストレートで飲む。
口の中が苦みに包まれ、頭がリラックスするのを感じた。
結局、二時半まで歓談し、店を出た。
駅までの道を散歩がてら歩く。
何やら対鴎荘という森鴎外にまつわる建物があると言うので、探してみたがなかった。
三十分以上歩いただろうか。
わたしは、茶のローファーを履いていたので、足が痛くなった。
駅に近いカフェに入る。
ソファに身を埋めると、ため息がふうと出た。
カプチーノを頼み、乾いた喉を潤す。
文学、音楽、バレエなど芸術一般や時事、もっぱら世間話に耽る。
店内の音楽が少々大きく、みな大声で話した。
今日四月二十八日は、エレファントカシマシのニュー・アルバム『昇れる太陽』の発売日の前日で、わたしはタワーレコードで予約していたが、入荷は今日の夕方とのことだった。
時間があれば取りに行こうと思っていたが、ふと時計を見ると、予定の時刻をとおに過ぎていた。
「もうこんな時間ですよ。出ましょう」
会計を済ませ、カフェを出た。
夕方の風が冷たくて、身が縮んだ。
駅の改札近くで、またの再会を約束して別れた。
わたしは急行に乗り込んだ。
最寄りの駅で降り、階段を降りる。
バスが来ている。
小走りで、バス共通カードを差し込むと、バスが発車した。
四つ目のバス停で降り、家に向かう。
ポケットからフェリージのキーホールダーを出し、鍵を開ける。
家人はまだ帰っていないようだ。
わたしは、猫のジョゼと目を合わせ、キッチンで湯を沸かす。
沸騰する頃、家人が帰ってきた。
わたしはいつものように珈琲をいれて、家人が買ってきたあけぼのの栗最中を食べながら、珈琲で疲れを癒した。
その間に、風呂を沸かす。
珈琲を飲み終わる頃に、風呂が沸く。
わたしは、丹念に体を湯で流し、湯船に入る。
こうして、四十分ほど風呂に入るのが習慣だ。
湯槽に浸かりながら、痛んだふくらはぎを揉む。
足が軽く、温かくなり、疲れがすっと取れる。
湯船から出て、頭からシャンプーで洗う。
足の裏まで洗って、シャワーを全身に浴びる。
脱衣所で着替え、ダイニングに入ると、いつものようジョゼがわたしを待っている。
わたしは、ジョゼをかまいながら、冷蔵庫から沖縄バヤリースの四季柑入り果汁10%シークワーサーをコップに少し入れ、飲み干し、また冷蔵庫からトマトジュースをコップに注ぎ、二息で喉に流し込む。
ジョゼとボールで遊ぶ。
こうしていつもの夕方と夜の間が始まる。
この時間、ジョゼはいつも興奮気味で、ダイニングとキッチンを走り回る。
わたしの愛するジョゼ、家人、そして友人たち。
この楽しかった日に、よろこびを与えてくれる者たちに感謝せずにいられない。
友人とのまたの再会を想う。
このよき日をわたしは忘れないだろう。
譬え月日が流れ、ジョゼが寿命を全うしても。
このよき者たちに囲まれた輝かしく、歓びの日々を。
わたしは忘れない。
2009-04-27
春冷えた月曜日の午後に
行きつけの中古レコード屋がある。ヨネザワという。
そこのマスターの清さんとは仲良しで、いつも煙草を吹かしながら歓談に耽る。
今、新譜のCDが半額になっている。
わたしは、シャーラタンズとフーファーターズ、レディオヘッドのCDを狙っていたのだが、中古クラシックの棚を眺めていると、ワルター指揮マーラーのCDに『交響曲第5番』のアダージェットが入っているのを見つけた。
「清さん。このCDの5曲目、聴かせてください」
「いいよ」
BOSEのスピーカーが店内をアダージェットで充たす。
店内に流れるアダージェットに聴き入る。
ヴァイオリンの調べが美しい。
「きれいな曲だなあ」
「でしょう。ベジャール振り付けでジョルジュ・ドンがこの曲で踊っているんですよ。とてもすてきでした」
わたしは、今朝パン作りのボランティアでもらった塩パンを清さんにお裾分けし、「ちょっと『ねずみのこと』に行ってきます」と言い残し、先日久しぶりに行った「ねずみのこと」で、またカレーライスとコーヒーを頂いた。
一時間ほど、「ねずみのこと」で過ごしただろうか。
清さんと「ねすみのこと」のマスターと奥さんは仲がいい。
だが、わたしと清さんの仲を「ねずみのこと」さんはまだ知らない。
おそらく、五月末に「ねずみのこと」で開かれる南正人さんのコンサートで知られることだろう。
ヨネザワに戻ると、
「随分ゆっくりだったじゃない」
「まあ。あそこへ行くと、そうなっちゃうんですよ」
わたしはまた、中古クラシックの棚を見ていると、輸入盤のフルトヴェングラー指揮のベートーヴェン『第九』を見つけた。
「今度はこれの最終楽章をかけてください。合唱付きですよ」
第九の調べ、流れつつ。
「第二次世界大戦中のフルトヴェングラーの演奏はすさまじく良かったらしいよ」
「フルトヴェングラーは『音と言葉』って本も書いていているくらいだから、理論家だったんじゃんじゃないですかね。風貌も学者っぽいですし」
「かもしれないね。ノッポで痩せてて、神経質っぽしね」
清さんの携帯が鳴った。
何やら大声で怒鳴っている。
もめごとらしい。
これは長くなりそうだな。
感じたわたしは、苛つく清さんにセブンスターを渡し、煙草に火をつけて、目で合図を送り、店を出た。
電車に乗り、最寄りの駅で降りて、行きつけの本屋三晃堂に入った。
ご主人の顔を見た瞬間に、ああ、今日は疲れているなと思い、あいさつもそこそこに、目当ての本『さびしい文学者』の中公文庫を探したがなかった。
仕方なく、ご主人に声を掛けた。
週末には入荷するとの言葉で、わたしは、また来ると告げ、店を出てバス停に向かった。
バスは行ったばかりだった。
風の冷たい夕方、わたしは黒いブルゾンのジッパーを上げ、iPodでディバイン・コメディ『LIBERATION』を聴きながら、震えた。
今日は、「ねずみのこと」の二階がアトリエになる工事が始まっていて、慌ただしかった。
奥さんが、「音がうるさくってすみませんねえ」とわたしに詫びを言う。
家に帰り、今日は天気に似て、なんだか忙しない日だなあと思った。
習慣にしている珈琲を自分でペーパーからいれる。
家人とゆったりと時間をかけ、一杯の珈琲を愉しむ。
この時間が好きだ。
風呂に入る前のひと時。
猫のジョゼと戯れる時間。
ここがあるから、ここがわたしの一番の居場所だから、落ち着く。
眠るまでの短い時間、わたしは音楽を聴き、今読んでいるダンテの『新曲 地獄篇』を読み、DVDで『LIFE ON MARS』を英語字幕で観る。
明日は、友人たちと食事をする予定だ。
久しぶりに会う女性の方もいるので、楽しみ。
明日は今日よりもっと、冷えるらしい。
わたしは明日の服装を、紺のカジュアル・ジャケットにブルー・ジーンズ、茶のコットン・セーター、首には臙脂の麻のスカーフを巻こう。
なんとはないしに、考える。
鐘が零時を指す頃、わたしはベッドに入り、欠伸と共に眠りに落ちる。
きっと朝まで、ぐっすり眠ることだろう。
明日、よき日になるように、布団の温もりに包まれ、まどろみに戯れ、そして、気がつくと朝になっていた。