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2009-06-17

咳きとくしゃみ

咳きを、英語で"cough"と書く。
日本語で発音すると、「コフ」になる。
わたしは、咳きをする度に、日本語の「咳き」より、英語の"cough"の方が、実際の咳きの響きに合っているような気がする。
また、くしゃみは、英語で"sneeze"と書く。
"sneeze"の場合、くしゃみの後、鼻をすする様子が、よく表れている。
また、「くしゃみ」は、女性の小さなくしゃみを連想されて、かわいらしく思う。
shiroyagiさんの投稿 - 22:18:35 - 0 コメント - トラックバック(0)

2009-06-12

ジゼルに憶う朝やけ

今日、目を覚ますと、雨戸の隙き間から、薄日が差している。
時刻を見ると、四時半だった。
そんなにはやく、日がのぼるのを知らなかった。
ベッドから起き上がり、雨戸を開け、煙草を一服しようと、外へ出てみた。
東の空に、橙色のお日さまが、滲んで光っている。
わたしは、まぶしい目で、見やりながら、セブンスターに火をつけた。
煙草の煙りで、太陽が揺れている。
こんな朝は、気持ちがいい。
わたしは、部屋に戻り、昨夜観た東京バレエ団の『ジゼル』を思い出しながら、主演上野水香の『白鳥の湖』をDVDで見る。
東京バレエ団は、コール・ド・バレエがすばらしくよくなった。
先日読んだ、同バレエ団の佐々木忠次『闘うバレエ』に書いてあったことは本当だった。
十年ほど前に、東京バレエ団の公演を観たことがあるのだが、その時には、何の感銘もなかった。
が、今回は心から、感動した。
一糸乱れね群舞が、白い衣装に身を包み、それはうつくしい。
上野水香目当てで、観に行ったのだが、あのコール・ド・バレエには、こころ動かされるものがあった。
佐々木忠次は、言っている。
東京バレエ団のコール・ド・バレエは、世界でも一流だと。
欧米のそれは、やはりダンサーの個性の強さが出てしまうせいか、ここまで、揃わないと言う。
また、佐々木忠次は、コール・ド・バレエに東京バレエ団の価値があるのだと言っている。
たしかに、身体的に見劣りのする日本人が、欧米で評価をされるには、並大抵のことではないだろう。
2007年に亡くなった世界的振付家モーリス・ベジャールは、東京バレエ団にために、二作のバレエを作っている。
忠臣蔵を描いた『ザ・カブキ』、三島由紀夫に材を取った『M』がそう。
どちらも、日本国内より、ヨーロッパで高く評価されている。
残念ながら、この二作は見逃しているが、機会があれば、ぜひ観てみたいと思っている。

窓から、差し込む朝の光りに包まれながら、モニタは、深夜、森の奥深く、白いバレエを映している。
『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『ジゼル』などの、白い衣装に身を包むバレエをフランス語で、バレエ・ブランシュ(白いバレエ)と呼ぶ。
青白い照明と黒を基調にした背景に、白い衣装がうす青く浮かんで、うつくしい。
モダンも好きだが、こういったクラシックもまた、よい。
さあ。モニタの中の白鳥たちが、クライマックスを迎えようとしている。
出かける時刻だ。
支度をして、この水無月の晴れ間に、気持ちよく。
陽射しは強く、朝は気温が低いが、どんどん上昇し、夏日の頃。
電車との気温差の激しいこの季節には、長袖が欠かせない。
今日は、電車の中、読みかけの室生犀星『女ひと』を読みあげたい。
日の光り、差すこの朝、この時間に、ふだんの憂さもなく、希望にもにた、ここちよいものを感じられるのは。

shiroyagiさんの投稿 - 06:51:55 - 1 コメント - トラックバック(0)

2009-06-07

『THE UNCOMMON READER』

アラン・ベネット著『やんごとなき読者』を読了。
昨夜、一気読みにて終了。
こんなに読書にハマったのは、昨年か、プリーストリー『夜の来訪者』、ガーネット『狐になった奥様』以来だと思う。
どれも、英国もの。
この『やんごとなき読者』は、エリザベス女王が、ふとした切っかけで、一冊の本を読むことで、読書の世界にどんどんのめり込むお話し。
女王が読書にハマることに、周囲の家臣は、戸惑いを憶え、迷惑をこうむる。
が、女王の読書は留ることなく、老年の彼女は、時を惜しむかのように、貪り読んでいく。
彼女の読書は、読むことに留まらず、ついに・・・。

英国という国における読書という行為、その地位は決して高くはない。
そういった背景を頭に入れ読んでいくと、またひと味違う読了感が得られることと思う。
大変おもしろく読んだと同時に、また英国における女王制度を深く考えさせるものだった。

shiroyagiさんの投稿 - 22:01:13 - 0 コメント - トラックバック(0)

2009-06-02

夏の散歩道

ねずみさんに行くと、よく会う外猫さんがいる。
すみれちゃんという。
みゃーと鳴き声が聞こえてくる。
「今日はどの子ですか」
「すみれ」
「いつも、すみれちゃんですね」
「甘えん坊なの」

一度だけ、すみれちゃんの姿を見させてもらったことがあるが、ほかの外猫さんより一回り体が小さくてかわいい。
もう何回か鳴き声を聞いているので、わたしもすみれちゃんのことが気になっている。

今日、ねずみさんに行ったが、すみれちゃんには会えなかった。
ちょっとさびしかった。
わたしは、カレーライスに野菜ジュース、食後にコーヒーを飲んだ。
森村泰晶『手の美術史』をコーヒーを飲みながら、見る。
カレーライスを食べている間、ご主人にこの本を見てもらった。
わたしが、カレーライスを食べ終わると、ご主人が、
「中々、面白い本ですな」
この本は、主に西洋絵画の名画、その手の部分だけを取り上げた本で、今日、三晃堂で買った。
三晃堂のご主人に、
「こんな宝物が、ひっそりと眠っていましたよ」
「この本を編集した森村さんは、自分がモナリザに成りきって、化粧も服装も成りきって、講演とかするだよ」
「心まで、成りきっちゃうんですか」
「そこまでは、わからないなあ」
「これって、フェチなんですかね」
「あなた・・・」
「あくまでも素朴な疑問なので、まともに受け取らないでください」

ねずみさんのご主人は、この本を見て、谷崎潤一郎が人間の部分、特に足に執着した話しをしてくれた。
話していると、お客さんが入ってきたので、話しは途中で留った。
わたしは、佐々木忠次『闘うバレエ』の読みかけを少し読んで、セブンスターを吸った。

帰りがけ、お勘定をぴったり払い、いつものように、ねずみさんで飼っている猫のための募金箱に小銭を入れると、ママさんが、
「いつもすみませんねえ」
「お賽銭箱って呼んでいるんです。猫神大明神にお参りしてるんです」
うれしく言った。

外へ出ると、とても空の高いきれいな青空がひろがっていた。
わたしは、iPodでQUEENの『CLASSIC QUEEN』を大音量で聴きながら、キヨさんがいるヨネザワへ向かった。
ヨネザワに入ると、キヨさんはカウンターの中で、居眠りしていた。
わたしは眠気覚ましにと、缶コーヒーを買ってきた。
キヨさんは、大げさに目をぱっちりと開け、目覚めたふりをしていたが、やっぱり眠そうで、目が赤かった。
しばらくおしゃべりしていたが、帰ろうとすると、
「ごめん。眠らせて」
椅子で丸くなり、腕を組み、しあわせそうに目を閉じた。

shiroyagiさんの投稿 - 22:42:05 - 0 コメント - トラックバック(0)

2009-05-27

画家さんとハヤシさん

ヨネザワに入ると、キヨさんが、
「このひとがハヤシさんだよ」
「名前は伺っています」
ハヤシさんの写真が載っているクラシック・カーの雑誌をきっかけに、雑談に変わる。
ハヤシさんはもう八十歳に近いらしいが、ピンクのシャツをおしゃれに着こなしている。
そんなハヤシさんは、実は大金持ちで軽井沢や草津に別荘を持っている。
とにかく話のスケールが大きい。
佐野洋子と友だちだとか。
さらに、佐野洋子のエッセイにハヤシさんのことが書かれているのか。
町田にある旧白洲邸の武相荘の館長が親類だとか。
ハヤシさんの交遊関係はとても広い。
ところでキヨさんは最近、近くのできた病院が入った高層ビルディングから吹くビル風に悩まされている。
外に出しているレコードが飛んでしまうのだ。
また、大きな風が吹いた。
キヨさんが、
「ああ。畜生め。あのビル風の野郎」
ハヤシさんが言う。
「電気を作ればいいじゃない」
「風力発電ですね」
皆で笑いあう。
「ハヤシさんは頭が柔らかいですね」
「キヨさんなんて、いっつもあの風に怒っているですよ。
風車を回してみるのも、風流じゃないですか」
「いいね」
「風車が回っている時は、営業中とか」
「じゃあ、始終吹いてるから、厭だよ。止んでるときが営業中の方がいいな」
そんな感じの会話がつづき、二時間は一緒に話していただろうか。
ハヤシさんは、これから会議に顔を出すと言って、店を出た。
「ずっと立ちっぱなしで、ハヤシさん、よく疲れないですよね」
「気が若いんだよ。元気だよあのひとは。俺もあんな風になら、長生きしてもいいな」
「そうですね」
ハヤシさんは、東京に来ると決まって、キヨさんのヨネザワとねずみさんのところと、シンちゃんの東華飯店に顔をだすらしい。
キヨさんが、
「うちに来る常連さんは、みんな行動がいっしょなんだよ」

最近、ヨネザワの常連のお客さんと仲がよくなることが多い。
画家さんもそのひとり。
今はJAZZに凝っているが、クラシックの知識も半端ではない。
鉄砲のように話して、煙草をがんがんに吸う。
画家さんは、レコードしか最近は買わない。
アナログの音にデジタルはやはり勝てないそうだ。
画家さんの画集を見させてもらったことがあるが、その女性像はフェルメールのそれ、例えば「青いターバンを巻く少女」を思い起こさせた。
画家さんは、朝一番にモーツァルトの交響曲第25番で、自分を奮い立て、カンバスに向かうという。
わたしは、その気持ちがよく分かった。
絵が描けない時は、利き手でない左手で、縦に横に線をただ引くらしい。
そうしていると、体にみなぎるものが溢れて、絵が描けると言った。
わたしは、作家の開高健が井伏鱒二に、書けない時はどうしたらいいか訊いた話を、画家さんにした。
井伏鱒二曰く、書けない時は、原稿用紙にいろはでもいいから、ただ書くのだと開高健に諭していた。
あるNHKのドキュメンタリで見たことを画家さんに話した。
画家さんも、納得していた。
わたしは画家さんが好きで、また会えるのを楽しみにしている。
レコードを毎日のように、あちこちで買っているので、きっと画家さんの絵は結構売れているのだろう。
今度、個展を開く時には、行ってみたいな、なんて思う。

shiroyagiさんの投稿 - 23:00:36 - 0 コメント - トラックバック(0)
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