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2009-07-13

差額六百円也

帰りにヨネザワへ寄った。
目的は、先日買ったイタリア人ピアニストDINO CIANIのCDだ。
ベートヴェンのピアノコンチェルトがとってもよかったので、他のCDがないか、棚を見た。
9枚組でベートーヴェンのピアノソナタがあった。
値段が六千円だった。
取りあえず、キヨさんの座っているカウンターへ持っていった。
「何かあった」
「こないだのピアニストの。でもこれ高いんですよ」
「いくら」
「六千円」
「いいよ、安くしてあげるよ。○千円」
○のところが、聞き取れず、
「え。四千円」
「五千円」
「四千円」
「五千円」
わたしは、大笑いしたあとに、
「キヨさんの気が変わらないうちに。これください。一億円から」
一万円札を出した。
「はい、おつり五千万ね」
いつものやり取り。
キヨさんには、いつもCDを安くしてもらっているので、ありがたい。

帰りに電車に乗ろうと、PASMOを出す時に気がついた。
煙草とライターを忘れてきた。
どうせ、近いうちに行くから、いいやと思い、電車に乗った。
煙草を切らして、わたしからよく煙草をもらっているキヨさんは、わたしの煙草を吸っていることだろう。
ライターだって、よくわたしのライターを、自分のだと思い、カウンターにしまうキヨさんのことだから。
セブンスター三百円と百円ライターの合わせて、四百円。
結局、安くなったのは、六百円也。
明日、ヨネザワへ行っちゃおうかな。

shiroyagiさんの投稿 - 23:22:17 - 1 コメント - トラックバック(0)

2009-07-11

ゆめ花火

優子と、花火大会に行ったのは、二年前のことで、梅雨明けの七月の終わりの週末のことだった。
海に近いせいか、潮の香りと火薬の匂いが辺りに漂っていた。
わたしは、上司の定方から桟敷席の券をもらっていた。
花火大会の会場に着いたのは、午後八時半過ぎで、その日は急な残業が入ってしまい、優子との待ち合わせを遅らせた。
海岸に近い駅の改札口を出たところで、優子と合流して、会場へ向かった。
人込みの中、歩くわたしと優子の手は、自然結ばれていた。
残業で遅れたわたしを、優子は責めるでもなく、いつもと変わらぬ笑顔がそこにあった。
そんな優子を、わたしは不思議に思い、またうれしく感じた。
腕章をつけた実行委員の若い女の子に、桟敷席の券を見せ、席に案内してもらった。
ビールと弁当が、付いてきた。
優子はよろこんで、プルトップを勢いよく空けた。
浴衣すがたの優子の髪は、後ろを上げていて、うなじが色っぽく、わたしはなんだか少し照れて、ビールを半分飲み干した。
目の前で、立て続けに紘がる火花は、ふたりの距離を近くした。
優子とふたりで逢うのは、これが三度目のことだったが、わたしの緊張をアルコールが解いてくれた。
少し饒舌になったわたしは、優子の気を惹こうと、そっと頭のかんざしに手を触れた。
優子、伏目がちの横顔に唇の桃が光っている。
わたしは、手を下に降ろしていき、優子のうなじの辺りを撫でた。
くすぐったい。優子は首を丸く引っ込めて、笑いころげた。
左手に持った団扇を口元にあて、くっくと身をかがめた。
浴衣の胸元が少し開き、ふくよかな胸が少しのぞいた。
その時わたしは、最初に優子の中に女性を感じたのだ。
わたしの気を知る由しもなく、優子は花火を楽しそうに眺めている。
隣りに居るわたしのことなど、忘れているかのように。
妙にさびしく感じたわたしは、優子の温もりが欲しくて、手の甲にてのひらをのせた。
優子はやわらかく応じ、わたしの手をにぎった。
わたしは目をとじて、優子の存在を手に集中して感じようと試みた。
優子の熱っぽい手の動脈の音が伝わってくる。
わたしの心臓が、どくんと響いた。
これが、恋いというものだろうか。
わたしはすでに、恋に落ちていた。
火花舞う夜空の向こうに丸い月が見える。
わたしは、子どもの頃から、月のすがたを蟹に見立てていた。
その話しをすると、優子は、月の裏側ってどうなっているのかしら。一度で好い、見てみてみたいものだわ。
古風な口ぶりで言う。
優子の、どちらかというと、年より幼く見える容貌に、その言葉が合っているようで、わたしはあたたかいものを感じた。
花火が終わって、ひとがいなくなっても、わたしと優子は、ぼんやりと佇んでいた。
どちらからと言うのでもなく、まだ帰りたくないふたりは、海に向かう道を歩いた。
火薬の匂いのする海岸の砂浜に、優子は桃色の鼻緒がついた下駄を脱ぐと、揃えて裸足しになった。
きもちいいよ。
わたしも、茶のステファノ・ヴラッキーニを、優子の下駄の横に置いた。
心中するみたいだね。
冗談で言うと、優子は真剣な顔つきで、わたし来年の花火はもう見ることができないの、と言う。
なぜと問うと、優子は押し黙って、足元にあった貝殻を拾い上げて、耳に当てた。
聴こえる。忘れていた懐かしい記憶の音。
子どもの頃、わたしはしあわせだったのに。
優子がつぶやく。
今はどうなの。
わたしのこえは、聴こえていないようすで、もしかしたら、聴こえないふりをしていたのかもしれない。
優子は応えずに、水際へと砂を踏みしめながら、歩いてゆく。
わたしは、優子の跡を追う形になり、優子の背中を眺めながら。
とてもはかな気に感じられて、わたしは優子の後ろを抱きしめた。
石けんの匂いが、鼻の奥にあわく突いた。
わたしの記憶は、そこまでしか残っていない。
目を覚ますと、わたしは病院の白い天井を眺めていた。
優子。
実在なのか、夢なのか、それすら判別ができないほど、わたしの脳はもうろうとしている。
部屋には、だれもいない。
ただ、薬品の匂いに、そこが病室であるといことがわかった。

shiroyagiさんの投稿 - 01:00:49 - 0 コメント - トラックバック(0)

2009-07-08

カナン

ねずみさんからヨネザワへ行く途中に、フナモリ公園という小さな公園がある。
ベンチと滑り台があるだけの公園。
今どきの公園は、誰もいない閑散とした公園もあるが、フナモリ公園には、ひとが賑わっている。
子連れの母子から、休憩中のサラリーマンや女子高生、ホームレスの方もいる。
わたしはいつも、この公園の前を通るたび、「人生の縮図」とこころの中でつぶやく。
揺りかごから、墓場までとは言わないが、カオスがそこにあるように感じる。
わたしはこの公園の前を通るのが好きで、いつも横目で眺めている。
でも、公園の中へ入る気には、どうにもなれない。
わたしの居場所は、キヨさんのいるヨネザワ、シンちゃんのいる東華飯店、ねずみさんだったりする訳で、ひとりでこの公園で休む気にはどうしてもなれない。
フナモリ公園の奥に、フナモリ保育園がある。
わたしは、この保育園で育った。
よく面倒を見てくれた、アオキ先生は今ごろ、どうしているだろうか。
当時わたしは、アオキ先生が大好きだった。
思い出と、今の生活が交叉するフナモリ公園。
この公園を中心にして、半径百メートルの中、ねずみさん、東華飯店、ヨネザワがある。
わたしの小さな小宇宙が、ひしめき合う。
わたしにとってのカナンの地とでも呼ぼうか。
フナモリ公園、ここから、わたしの人生が始まり、そして今をつづいてゆく。
ポール・ゴーガンの画に「我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか」という有名な大作がある。
今、日本に来ているので、知っている方も多いと思うが、そのゴーガンの問いが、わたしの脳裏を過る。
夜ひとり、空を見上げ、煙草を吸い、思う。
「俺は一体何者なんだ」
答えは出ない。
答えのない問いを繰り返す。
月がきれいだった、今年の七夕。
願い事はしなかった。
わたしは、わたしは。

shiroyagiさんの投稿 - 22:41:38 - 0 コメント - トラックバック(0)

2009-07-03

奇遇ですね、ハヤシさん

帰りに、キヨさんのいるヨネザワヘ寄ると、ハヤシさんがいた。
ハヤシさんとお会いするのは、三度目か四度目だろうか。
ハヤシさんは今夜、軽井沢へ車で帰り、明日の午後三時からのコンサートに行くとのことだった。
「じゃあ、一眠りして、軽井沢に帰るよ」
そう言い残し、ハヤシさんは去っていった。
わたしは、しばらくキヨさんと煙草を吹かしながら、話しこんでいた。
なんだかコーヒーが飲みたくなった。
ねずみさんへ行くことにした。
今日の昼も、ねずみさんでカレーライスを食べて、コーヒーを飲んでいる。
ねずみさんの扉を開けると、奥の席にハヤシさんがいた。
マスターと話しこんでいる。
わたしは、軽くあいさつを交わし、いつものテーブル席に腰かけた。
「今日は、二度目ですね」
ハヤシさんとわたしは、笑いあった。
わたしより先に、ハヤシさんが店を出た。
入れ違いで、東華飯店のシンちゃんが入ってきた。
なんだか疲れているようだ。
聞いてみると、町内会の七夕の飾りつけを手伝っていたらしい。
その上、告示された都議選の街宣に来て欲しいと頼まれて、見に行ってたとのこと。
アイスコーヒーを啜るシンちゃんの背中が、丸く猫背になっている。
「今夜、貸し切りとか入ってませんかね」
「だいじょうぶだと思うよ」
「駐車場は空いてますかね」
「たぶん大丈夫だと思うよ」
「じゃあ、七時過ぎに行きます」
わたしは、ねずみさんを出て家に帰り、猫のジョゼにご飯をあげて、シャワーを浴びた。
身支度をすませ、外に出ると、雨が軽く降っていた。
車を駅に近い東華飯店へ向かわせる。
店で駐車場のリモートキーを受け取り、ある都立高校の裏にある駐車場に車を入れた。
かさを片手で持ち、店へ向かう。
今日は来る前から、青椒肉絲が食べたいと思っていた。
取りあえずメニューを眺めてみたが、やっぱり青椒肉絲に決めた。
ザーサイと白いご飯と、中国茶をポットで頼み、一服した。
わたしが料理を食べていると、ドアが開き、ハヤシさんが入ってきた。
ハヤシさんは、わたしの姿に気づき、となりのテーブルに腰を下ろした。
「今日は、三度目ですね」
「偶然ですね」
笑いあう。
ハヤシさんは、炒飯とコーンと卵のスープを頼んでいた。
わたしとハヤシさんは、おしゃべりしながら、料理を食べた。
わたしは、食後に杏仁豆腐をお願いした。
食べ終わり、お茶を飲んでいると、ハヤシさんが、スープを分けてくれると言う。
杏仁豆腐の器を、ハヤシさんが手に取り、スープをお玉で注ぐ。
「このスープはおいしいんですよ。まあ、ここの料理は何でもおいしいけれど」
わたしはそのスープを飲んでみた。
「濃厚な味ですね」
ハヤシさんが食べ終わるのを見て、わたしの中国茶を、ハヤシさんのお茶碗に差した。
大きなポットで、お湯をお替わりして、丸々ふたりで飲み干した。
ハヤシさんと、ふたりでお話しするのは初めてだった。
お互いが行った、ヨーロッパへの旅行、主にドイツでの思い出を語り合った。
そこに、一息入れに、シンちゃんが来て、わたしの向かいの椅子に座って、ため息をつきながら、愚痴をこぼす。
「ハヤシさん、聞いてくださいよ・・・・」
今日、ねずみさんで聞いた話しをハヤシさんに言う。
最近、東華飯店の近くの裁判所が移転して、客が減っている。
聞いてみると、ランチの客が、以前の三分の二に減っているらしい。
シンちゃんの話しを聞きながら、ハヤシさんと三人でテーブルを交わした。
「そろそろ出ましょうか」とハヤシさん。
「そうですね」
ふたりで、会計をすませ、外に出ると、雨がはげしくなっていた。
わたしは、ハヤシさんが、どう帰るのかわからなくて、どこかハヤシさんが都合がいいところまで、自分の車で送ろうかと思っていたが、ハヤシさんは雨の中を、かさも差さずに、足早に去っていった。
わたしが通りを渡ろうと、歩道橋をのぼっていると、ハヤシさんがコンビニエンスストアに入っていくのが見えた。
わたしは、一瞬立ち止まり、どうしたものかと考えたが、あまりおせっかいをしても何だと思い、かさを差し、車のある駐車場へ向かった。
家に帰ると、いつもは寝る時刻を過ぎているジョゼが、リヴィングのテーブルの上にちょこんと座って、わたしの帰りを待っていた。
しばらく、ジョゼのからだを撫でて、おやすみを言い、居間の明かりを消した。
いつもの夜が訪れる。
ただいつもより、雨がはげしく降っていた。
この雨の中を、ハヤシさんは軽井沢へ車を走らせるのだろう。
わたしはこころの中、ハヤシさんの無事を思った。

shiroyagiさんの投稿 - 23:28:08 - 1 コメント - トラックバック(0)

2009-06-27

床屋回数券

今日、いつも行く床屋さんのリベラへカットに行った。
いつものように、スドウくんに切ってもらう。
おしゃべりしながらの、楽しい床屋の時間。
マイケル・ジャクソンの訃報の話題から、スドウくんも飼っている猫のこと。
シャンプーをしてもらいながら、言った。
「床屋さんに、回数券とかってないのかな」
「あー。やってるとこもあるよ」
「いいと思わない?気に入った床屋なら、買うよ」
「10回で、四万円くらいでしょ。結構な額だよね」
「そうかあ。五回くらいなら、買えるなあ。年間パスポートっていうのは、どう」
「毎日、来ちゃうひとがいるかもしれないから、だめだよ。採算が合わないね。1mm切ってくれとか言うかもしれない。一ヶ月で、1.5cmは伸びるでしょ。一ヶ月以上経ったら使えるとかならいいけど」
「そっかー。気がつかなかった。じゃあ、シャンプーのみってのは、どう。シャンプー専用の席を置いて、専用のひとをつけてさ」
「だったら、セルフってのがいいなあ。自分で好きにやってもらって」
「でも、それじゃあ気持ちがよくないね」

どうやら、リベラで回数券を使える見込みはなさそうだ。
あったら、買うのになあ。
店長にも聞こえるように、大きな声で言ったので、もしかしたら、考えてくれるかもしれない。
期待してみよう。

shiroyagiさんの投稿 - 23:18:22 - 0 コメント - トラックバック(0)
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