2009-09-12
狂気のタナトス
レイン・ドロップス、堕ちた夕暮煙草をふかす自分にため息がでた
くちびる、噛んでフィルターが血ににじむ
自分という名の存在、軟弱者の呟きが遠くから聴こえてくる
ありあまるマグマ、身の内から吹き出しそうで。
喉が熱く、渇きににも似た、戦慄が走る
夕映えなく、気持痛い昼と夜とのマージナルに、狂気へといざなう
へやのなかか、なぜ哀しいギターの旋律が洩れていた
ラテン。情熱と灼熱の国が創りだし、烈しくピックを鳴らす
男と女、椅子腰かけ、ギターと供、心中のまな差しに
この世見ず、冥界のプルートの幻惑レーヴェする
あれは時だった。かつて人、天地がともに在り、守護天使のいる無限に近い世界の片隅
貴女、口と唇に誓う、美と永遠の魂の力。
弱きから、毒蛇の誘いを遠ざけるおまじないに信仰
この身、いま。捧げんとする。が
ああ哀れかな。ゴルゴダの月桂樹、生命(いのち)の樹より来
与えられしものの全て、虚しい人生に遣い果たしてしまったのだ
慈悲ふかい聖霊見たは。ろうそくのともしび消えた夢のあとだった
この果てに在った塊とよばれるものたち
叶えられずに叶う、不遇の涙だに、大地をあまく濡らしている。
彼の滴くに、一本のタナトスが咲いた。アモーレの風に吹かれながら...
2009-09-09
Meet The Beatles
The Beatlesを初めて聴いたのは、中学生の音楽の授業。"Yesteday"だった。その頃の音楽の先生は、若い女の先生で、The Beatlesが好きだったのかもしれなかった。
が、そんなことをわたしは知らない。
わたしは、いつもの授業と変わらずにThe Beatlesを聴いていた。クラシックと同じように。
感動や共感はなかった。
翻訳した歌詞カードを生徒全員に渡してくれたが、それを読んでも感慨は浮かばなかった。
そのまま、The Beatlesを聴かずに育っていった。
The Beatlesを飛びこえて、70年代のイギリスのロックをよく聴くようになったのは、高校一年生と時で、特にDavid Bowieに熱中していた。
アルバム『Young American』収録の"Across The Universe"がThe Beatlesの曲かも知らず、John Lennonと共演していることも、後で、そうか、ぐらいにしか思わなかった。
ずっと後に、John Lennonのソロ曲で、息子のショーンに書いた"Beautiful Boy"をたまたまFMラジオで聴いて、すっかり気に入ってしまった。
いきおいで、John LennonのアンソロジーのBOX-SETを衝動買いしたのは、遥かに昔、いい思い出だ。
もちろん、その頃John Lennonはもうこの世にはいない。
そんなわたしだったが、The Beatlesを聴かずにずっと経ってしまった。
わたしに、The Beatlesを聴くきっかけを与えてくれたのは、わたしが初めてブログというものを書きはじめて、そこで知り合った女性との会話だった。
女性は、わたしの十歳ほど年長だっただろうか。
こう言った。「わたしの音楽人生を語る時、The Beatlesなしでは語れない」
この言葉は印象的であり、衝撃的だった。
その女性は、サブカルチャーにも詳しく、わたしの知らない作品も多く知っていた。
わたしが、「じゃあThe Beatlesのアルバムではなにが一番すきですか」
しばらくの沈黙のあと女性は、言った。
「White Album」
沈黙は、アルバムを迷ったのではなくて、言ってもいいべきかと考えたのだ。
さらにわたしは、若気に至りだろうか、訊ねてしまった。
「White Albumの中で一番好きな曲はなんですか」
女性は即答で、それは教えられない、と言い放った。
わたしは黙って、それ以上The Beatlesの話題には触れなかった。
そして後日、わたしは『White Album』を手に入れた。
が、はっきり言って、あまりぴんとこなかった。
CDは棚に仕舞われて、プレーヤーに乗せられることはなかった。
しばらくして、わたしが贔屓にしている近所の中古レコード屋ヨネザワに、The BeatlesのBOX-SETのCDがあった。『PASTMASTES 1,2』を含む16枚組。
ヨネザワのご主人のキヨさんは、ロックを聴いているんだったら、The Beatlesは聴いておいて損はないよ。
記憶は定かではないが、そんなことを言っていた。
が、値段も高い。
わたしは、それを買わずに、他のロックやクラシック、ジャズのCDを買っていた。
日が経っていったが、そのBOX-SETは売れなかった。
ある日何を思ったか、そのBOX-SETを買い込んだ。
その日から、The Beatles漬けの日々が始まった。
一ヶ月以上、The Beatles以外の音楽を、家で聴かなかった。
わたしは、The Beatlesはもう古い音楽だと偏見を持っていた。
今や聴くべき価値などは、ないかのように。
しかし、The Beatlesは新鮮だった。
元々、Paul McCartneyの存在を軽視していたわたしに、Paul McCartneyのメロディ・センス、実力と才能、その存在の大きさが増していった。
The Beatlesを聴けば聴くほど、john LennonよりPaul McCartneyが大きくなっていった。
こんなに長くひとつのミュージシャンを聴きつづけたのは、Elvis PresleyにDavid Bowieぐらいなものだったと思う。
そのくらいの衝撃を、受けた。
わたしは、音楽を聴くとき、あまり曲名も見ない、ライナーノーツも読まないので、なかなか曲が憶えられなかった。
ただ、あの曲が好きだなあって感じだった。
でも、これじゃあいけないと思って、もう一度全タイトルを聴き直してみた。
そして今。The Beatlesの曲で、なにが好きかと訊かれたら、ほんとうにむずかしくて答えるのに、ためらいがが残るが、この三曲は変わらずに好きだ。
"You Never Give Me your Money" "Misery" "While My Guitar Gently Weeps "、わたしが好きな曲は、われながら暗い曲っぽいなあと思うが、好きなのだ。仕方がない。
くわしい曲の解説や説明は、わたしはよくわからないし、あまり興味がないので、割愛する。
いま、わたしは、今さらながら、『Anthology』を手に入れようかと悩んでいる。リマスター盤は、とてもじゃないが、手が出ないだろうな、音質とかにもあまり興味がないし。
家でも、BOSEの一体型のプレーヤーでCDを聴いている。
ちなみに、"While My Guitar Gently Weeps "は、『White Album』に収録されている。
初めて買ったThe BeatlesのCD。
ぴんとこなかった『White Album』、そんな名なしのアルバムに、わたしのとびっきりが収録されていた。
今、あの女性に会ったら、もう一度The Beatlesの話しをしたいと思う。
今ならすこしは、話しができるかもしれない。
が、女性とは音信不通で、もう何年も会っていない。
最後に会ったのは、偶然道ですれ違って、その頃は冬で、お互いダウンジャケットのポケットに手を入れて、背中を丸めながら歩いていた。
あのエンジ色のダウンを、わたしは忘れたことはない。
2009-08-11
ノリピーとエロイカ
きょう、帰りにヨネザワに寄ると、画家さんが来ていた。店内には、画家さんが持ってきていた第二次世界大戦中にフルトヴェングラーがウィーンフィルで指揮したベートーヴェン交響曲第3番『エロイカ』が流れていた。
画家さんが持っている、当時ソ連の党幹部のひとにしか配られていなかったソ連の国営レーベルMELODIYAのレコードを、パソコンでCD-Rに焼いたとのこと。
戦時中のフルトヴェングラーのベートーヴェンは、一部のマニアの間では、最高とされているらしい。
実際聴いてみて、とてもすばらしいものだった。
フルトヴェングラーを聴いたあと、画家さんがクラシックCDの棚からカール・ベームの同じく『エロイカ』をカウンターに持ってきた。
やはり、ウィーンフィルで指揮したものだった。
録音は1969年だった。
ベームの『エロイカ』が流れる。
フルトヴェングラーのそれと比べて、優雅かつ優美、のどかでモーツァルト的、画家さんに言わせると、「流麗」だった。
画家さんに訊くと、エロイカはイタリア語で「英雄」の意味で、交響曲第三番の通称が「英雄」と呼ばれている。
ベートーヴェンが、フランス革命時のナポレオン・ボナパルトに捧げたものだが、ナポレオンが皇帝の座に就くと、ベートーヴェンは楽譜の一枚目のナポレオンへ捧げるとあった献辞を破いて捨ててしまったという逸話が残っている。
話しはかわり、画家さんが、
「ノリピーのCD、売れましたか」
「売れないね」
「ノリピーのCD、あるんですか」
「あったと思うよ。何枚かあるんじゃない」
キヨさんは、アイドルのコーナーから数枚の酒井法子のCDを出した。
酒井法子は、覚せい剤所持で、数日前に逮捕されたばかりで、CDが販売中止、音楽配信も停止されている。
「『碧いうさぎ』が入っているのはありますかね」
曲名を追っていったが、その曲は入っていなかった。
「『碧いうさぎ』が入っていたら、買おうって思ったんですけど』
「ないね」
「今なら、ヤフオクかアマゾンに出せば、売れるんじゃないですかね」
「そうかな」
キヨさんは気のない素振りで、酒井法子のCDをカウンターの上に置いて、一服した。
そんな話しをしながら、ベームの『英雄』を聴いていると、一本の電話が鳴った。
話しの様子からすると、酒井法子のCDを探しているらしい。
電話口で、キヨさんも、画家さんも、わたしも声を出さずに笑いころげていた。
どうやら電話の主は、最近の酒井法子のCDを探していた様子だったが、ヨネザワには目当てのものがなかったようだった。
電話が切れて、キヨさんと笑い合う。
「酒井法子」
「そう」
「第一号ですね」
キヨさんは、改めて酒井法子のCDをネットで出してみようかと考えたらしく、スクリーンセーバーのかかったパソコンのモニタを明るくした。
2009-07-15
財布の品格
ヨネザワに寄ると、画家さんが来ていた。開口一番、「梅雨明けましておめでとうございます」とわたし。
きょうの画家さんは、ジャズ・ヴォーカルのレコードをたくさんカウンターに出して、試聴していた。
フランク・シナトラ、パティ・ペイジ、トニー・ウィリアムズ、ライザ・ミネリなど。
わたしはいっしょにレコードを聴きながら、キヨさんと三人でおしゃべりした。
その日、画家さんはたくさんレコードを買った。
「一万千八百円になります」
画家さんは一万二千円を財布から出した。
キヨさんが、二百円のおつりを渡そうとすると、画家さんがさえぎって言った。
「いいですよ。お茶でも飲んでください」
わたしは、思った。
先日、キヨさんにCDを千円安くしてもらったあと、煙草とライターを忘れてきて、四百円分を損したなあって思ったこと。
画家さんとわたしとでは、きっと財布に入っているお札の数が一桁違うと思う。
画家さんは、両手いっぱい分のレコードを床に置いていて、持って帰れるかなって心配そうに笑った。
わたしは、駅までならいっしょに、画家さんのバッグを持って行ってもいいなって思っていたのだが、画家さんは一向に帰る気配はなく、中国製の甘い香りがする煙草を立て続けに吹かしていた。
わたしは切りがないと思い、後ろ髪をひかれながらも、駅に向かった。
外はむっとした空気が立ちこめていて、さっき、いつも来るクロネコさんの宅急便のお兄さんが、ヨネザワに入ってきた時、「はあ、涼しい」と言った言葉を思い出した。
その時、画家さんは、クロネコのお兄さんが帰ったあとに、
「切実な言葉だった」と言った。
この暑さは、本当に切実な問題だ。
2009-07-14
梅干しがむすぶ縁
わたしが、ねずみさんに行く時間帯に、アライさんという女性の常連さんがよくいる。昨日、ねずみさんに寄ると、アライさんがママさんと話していた。
どうやら、アライさんはその日、とっても疲れているとのことだった。
わたしは、横耳でその話しを聞いていて、ブリーフケースの中にある、梅干しを思い出した。
疲れている時などに、よく舐めているものだ。
それを、アライさんにあげようと思った。
でも、アライさんとは、あいさつをする程度で、ちゃんとお話しをしたことがなかった。
アライさんの帰り際、思いきって声をかけた。
「お疲れなんですよね。これ疲れている時に、効くんです。もしよかったらどうぞ」
アライさんは、礼を言って、ねずみさんを出た。
そして今日、ねずみさんでコーヒーを飲んでいると、アライさんが入ってきた。
「きのうはどうも」
梅干しを切っ掛けに、話しはじめた。
沖縄の食べもののこと、アライさんが飼っていた犬のこと、吉祥寺の街のことなど、ママさんも一緒におしゃべりした。
きのうあげた梅干しを、アライさんは気に入ってくれた様子で、どこで売っているのかと訊く。
「キオスクで売ってますよ」
アライさんに、一箱梅干しをあげた。
「買うときに、見本があるといいでしょう」
「なにかお礼をしなくちゃ」
「たいしたものじゃないので」
笑い合った。
ねずみさんのガラスの扉を覗く、ふたりの女性の姿があった。
どうやら、初めてのひとで、入ろうか入らないか迷っているらしい。
一分ほど、覗いていただろうか。
ふたりは中に入って、ホットコーヒーを頼んで、楽しそうに雑談を始めた。
アライさんが帰り、わたしもすぐに、店を出た。
梅雨明けの発表が出た、昼下がりの午後、外に出ると、むっと暑かった。