2010-01-24
すれちがう二人
きょう、ねずみさんにお昼を食べに行こうと思い、電車に乗ろうと、駅のホームで、電車を待っていると、ハヤシさんが向かいのホームのベンチに座っていた。何やら手帳を覗きこんでいる。
ハヤシさんとは、ねずみさんやヨネザワ、東華飯店の常連さんで、会うと世間話をする関係だ。
と言っても、ハヤシさんの年齢は七十才を越えている。
そんな年齢差があるにも関わらずハヤシサンは、わたしに敬語を使う。
ハヤシさんはJAZZが大好きで、ヨネザワのキヨさんと一緒にライブに行ったりしている。
線路越しに、大きな声で呼ぶのも、はばかられたので、声はかけずに電車に乗った。
西口の小さな改札を抜け、エスカレーターに乗っていると、前を歩く男のひとが、どうやら画家さんっぽかった。
画家さんは、本物のプロの画家で、名前も知っているのだが、ここでは名前は出さないでおく。
画家さんも、やっぱりヨネザワや行きつけの本屋の常連で、年はわたしより五六上の気さくな方だ。
中国製の煙草が好きで、チェーン・スモーカーのように、煙草を吹かす。
最近は、もっぱらJAZZのレコードを漁っているが、子どもの頃から、クラシックを聴いている。
しかも知識が半端ではない。
何事にも、貪欲に知識を蓄える。
それを、鉄砲のように、話す。
特に盛り上がるのが、指揮者のフルトヴェングラーの話題だった。
画家さんは、熱烈なフルトヴェングラーのファンで、その話題になると、活き活きとする。
画家さんから聞いた話で、印象的だったのが、フルトヴェングラーは、レコードの録音の時、マイクに向かって、お辞儀をして、よろしくお願いします、と言うような機械オンチだったらしい。
エスカレーターを降りて、画家さんに追いつこうとすると、わたしとは反対方向の裏路地に早足で、煙草に火をつけなながら、歩いて消えていった。
ねずみさんでお昼を済ませ、いつものコースで、ヨネザワに向かう。
キヨさんに、ハヤシさんと画家さんの話をすると、多分ハヤシさんは、秋葉原の家電街に行ったのだろう、と言う。
画家さんは、浅川マキが亡くなったのが、どうにも気がかりなようで、年始早々、田舎から帰ると、ヨネザワに来て、もう今年5・6回寄っているそうだ。
きょうは、ねずみさんに寄るまえに、行きつけの小さな本屋に行った。
岩波文庫のリルケと、バイロンの戯曲『カイン』を手に入れ、レジでいつもの社長さんと、少し話をした。
やはりこの本屋の常連で、小説家志望の男の子の話しになった。
彼とは、去年の12月に、久しぶりにお茶をしながら、彼の構想中の小説の相談にのったのが最後だった。
彼は、やはりこの本屋さんの常連さんで作家の芦原すなおさんと、お酒を飲んだとのこと。
バイト先の関係の飲み会で、ふたりきりではなかったらしい。
社長さんが、ぼそりと言った。
「でも、文学の話しはしなかったみたいだよ」
彼は、聞き上手だから、きっとその場の雰囲気に合わせて、相づちを入れ、気の効いたことで、話題を交わしてしたんだろう。
彼は、ちょっと前までスランプで、本屋さんにも顔を出していなかった。
わたしは、彼に、行ってみなよ、と言っていた。
が、最近は、ちょこちょこと顔を見せているのを今日聞いて、ちょっと安心した。
きょうは、周りの色んなひとの影がちらついた日だった。
が、すれ違い。身ぢかなひとを少し憶った日だった。
天気は晴れ、気分もよく、マフラーを首に巻いて、街を歩いた。
2010-01-23
ジョゼ日記 その10 ジョゼはゴジラだった
夕食を食べていると、となりのジョゼがいる和室から、ものすごい音がした。何かが倒れた音だった。
そっと、和室の扉を少しあけて、のぞいてみる。
すると、ジョゼがいつもいる椅子の奥から、わたしの様子を窺っていた。
わたしは椅子が倒れたのかと思っていたのだ。
ふと、視線を下に向けてみると、籐の長棚が畳の床に倒れているではないか。
この棚は、キャットタワー代わりに、ジョゼのために開放していたのだ。
ジョゼは、びくりとも動かず、わたしを見ている。
わたしは、何事もなかったかのように、棚を持ち上げて、元に戻した。
夕食を終え、ジョゼと遊ぼうと思って、扉をあけた。
ジョゼは、のそのそと歩いて、リヴィングに入ってきた。
いつもなら、キッチンを覗いたり、ちょっかいを出してくるのだが、今夜に限って、わたしの膝の上にのり、おとなしくしている。
「さっきはびっくりしちゃったね」
おとなしい。
「さっきのこと、反省してるのかな」
いつになく、おとなしい。
「もしかして、どっか打ったの」
シッポをフリフリさせて、ご機嫌なご様子。
「下敷きになって、内蔵破裂なんて、してないよね」
舌で、前足を舐めなめしている。
「じゃあ。明日は予防注射の日だから、緊張しているのかな」
ジョゼは、むくりと起きあがり、膝の上で大きく伸びをして、膝からおりて、テーブルの上に跳び乗り、お腹を上に寝ころがりはじめて、そのまま、椅子に落ち、椅子の上で、おおきな欠伸をした。
様子はいつもと変わらずで、怪我をしている風ではなかった。
「ジョゼ」
大きな声で呼ぶと、ジョゼはいつものように、鳴き声は出さず、シッポを左右に大きくふった。
「おれ、だいじょうぶだよ」って、言っているみたいだった。
2010-01-13
郷愁の海
静かな夜。通りには、人かげもなく、自動車も通っていない。
こんな夜には、ひとりBOSEから流れるマーラーを聴く。
煙草をふかしながら。
昼間に降った雪のあとはもう、欠片もない。
冬の子どもたちは、今ごろ眠っているだろうか。
遊びつかれたあの子は、ベッドの中で、ぐっすり休んでいる。
ねこは、わたしのベッドで、丸く固まっている。
薄目をあけて、わたしの様子をうかがっている。
マーラーの調べ、美しくもかがやき、旋律は愛をはぐくむ。
明日は、きょうの天気とは裏腹に、天気予報は晴れを報じている。
始発の電車には、ひとも少なく、まだ車内はつめたい。
わたしは、この電車にのって、どこへ行こうとしているのか。
わたしにも、わからない。
海の見える丘の近くで、電車を降りてみた。
冬の海は、遠くからも、寒く、凍るような目で、わたしを見つめている。
カモメが一羽、群れからはぐれたのか、岸辺を舞っている。
そのすがたに、わたしは、自身を重ねたのだ。
その時、わたしの脳裏に、あなたの面影が、背中をかけぬけていった。
帰る場処が、わたしにはあったのだ。
あたたかいスープを拵えて、待っているだろう、あなたの後ろすがたを思いうかべて、わたしの頬は、甘くゆるんだ。
あなたへの、感謝のおもいを、何に託せよう。
わたしは、おもむろに海岸に光った、貝がらを一つ、耳にあててみた。
なつかしい母なる海の記憶が、耳おくから、じーんと伝わってくる。
ひとは、それを郷愁と呼ぶのだろうか。
ただ、わたしには、その振動が、とても懐しく思えたのだ。
貝殻を、コートのポケットにしまい、海岸をあとにする。
列車のホームには、海風がつよく吹き、わたしは、背中をかがめ、かじかんだ手のひらを、包みこむように、両の手を重ねた。
一番最初に来た急行に乗りこみ、シートに腰をおろす。
足元に、あたたかな空気が、ただよい、睡魔に吸いこまれいくのを、遠い意識の向こうで、感じていた。
夢を見たのだ。
ソファに寝ころぶわたしの上に、ねこが一匹、乗っている。
このねこは、いつから家にいるのだろう。
記憶がさだかではなく、まるで小さな子どもの頃から、親しんだ幼ななじみように、当たり前に、ねこはいる。
そんなねこを、不思議におもいながらも、かわいく感じたのだ。
台所から、わたしの好物の、ホワイト・シチューのにおいが。
こつこつと鍋が、音をたてている。
いつからいたのか、きみがシチューをかき混ぜていた。
「あなた。味を見てくれない?」
わたしは、ねこを床におろし、シチューを啜った。
なぜか、死んだ母の作っていた味と同じだった。
しぜん、目がかすみ、ほろりと涙が頬を伝った。
忘れていた母の姿。
わたしは幼く、若き母に手をつながれている。
きっと、近くの公園にさんぽへいくのだろう。
いつもの道。いつもの空気。いつもの風景があった。
わたしの故郷。
わが郷愁。
冬なのになぜか、辺りからラベンダーの花のかおりがした。
花の姿はなく、ただ香りだけ。ただ香りだけ。
2009-12-16
つぎ降ります
今日、家に向かうバスの中での出来事。わたしの横に、小学生の女の子が立っていました。
バスは走っています。
アナウンスが流れ、次のバス停の案内がありました。
女の子は「止まります」のボタンを押したいのか、腕を伸ばして一生懸命に、腕をぐいぐいとしていました。
わたしは、軽々とボタンを押しました。
「ぼくも次で降りるから」にこって笑いました。
女の子は、照れくさそうに笑うと、前を向いて、ありがとうございます、頭をちょこんと下げてくれました。
バス停に着きました。
女の子がお金を払っています。
「いくらですか」運転手さんにたずねています。
「90円」
女の子は、小銭入れを探っています。
「えへ。80円しかない」
運転手さんは言いました。「いいよ」
わたしは、女の子の後からバスを降りました。
女の子は右へ、わたしは左へ。
外の空気は、車内のむっとしたのと違って、冷たくて、息が白くなりました。
わすれもの-ちいさなほほ-
ほほくちびる
わたしのとってのあなたの全て、
一瞬のふれ合いだった
あなたのあどけない横顔に
わたしの右の甲が
あなたの伏し目がちな眼差しを充つる
ああ。あの至福の刻から
なんびゃくの夜をひとり、過ごしたんだろう
よるは、わたしのこころを独りにする
あなたの温もりさえも、憶いもせず
あれは。春先の
わすれな草とともに
わらった、あの日の花ことば
こんど。あの青くてちいさな花をみつけたら。
あなたと想い、そっと願いごとを唱えよう