2010-07-05
本日のフルコースに、となりのおばさん
月に一度くらいに行く、駅の裏にある回転ずしへ行った。食べ終えて会計を済まし、店を出ようとすると、待ち席に知った顔がいる。
先日、桑の実をくれた隣りにすむおばさん夫婦だ。
向こうはわたしに気がついた様子はなく、そのまま店を出た。
その後、向かいにある大型書店に入った。
岩波文庫を見るためだ。
三巻の途中まで読んだサルトル『自由への道』の四巻は平積みされていたが、岩波の棚は、棒さんが営んでいた三晃堂本店には、到底敵わない。
十年位ぶりに、この書店に入った。
今までは、すべて本のことは三晃堂本店に任せていた。
なかなか充実した店だったが、やはり三晃堂本店の方が、無駄なく、よい本を揃えていた。
あらためて、棒さんの趣味のよさに感服した。
いつだったか前に、棒さんに言ったことがある。
キヨさんのヨネザワを例にあげて、「今でもこの街で、信念を持って、店をやっているところがある」。
すると、棒さんは「信念なんてないのよ」
と、軽く笑った。
「でも」と、わたしは反したが、棒さんは、微笑むばかりで、取り合わなかった。
三晃堂本店には、固い学術書から、読み物、児童書、マンガ、雑誌が、まんべんなく揃っていた。
わいせつな雑誌もビニールが被っていない。右寄り、左寄りの雑誌も、すべての書籍と雑誌が、同じように置かれていた。
今になって、その頃当たり前に思っていた三晃堂本店の底力を感じる。
大型書店では、何も買わずに出た。元から買うつもりもなかったのだ。
二階から一階へ降り、とおりへ出ると、先ほどのとなりに住むおじさんが、回転ずしの前で、たばこを吸っている。
すぐ近くに、喫煙ゾーンが設けられているのに、そこで吸っているのが、とてもとなりのおじさんらしくて、何だか微笑ましかった。
わたしは軽く会釈したが、多分気がついていないだろう。
その後、佐藤書房という古本屋に入り、お目当ての本を探したがなく、ただ、暑さを凌いだだけだった。
ヨネザワへ行くと、店は明るいのにキヨさんがいない。
きっと用事で出ているのだろう。店のカギも閉じられていた。
ではねずみさんへ行こうと歩いていると、呼びかける声がある。
キヨさんだ。自転車に乗っている。
「ねずみさんへ行ってから、行きます」と言い残して、ねずみさんへ向かう。
暑かったので、野菜ジュースを飲み、一服した。
店には、ヤノさんとその友だちがいて、あいさつした。
ママさんは、ヤノさんたちと、世間ばなしに花を咲かせている。
ヤノさんが帰り、わたしは、先週の土曜日いけすさんに演歌歌手の男の子がきた話しを、ママさんとした。
ママさんは、だいぶ楽しんできたらしい。
ヨネザワへ行く。
途中で、雨がふり出した。
ヨネザワで、キヨさんと相撲の話なんかしていると、うんと激しく雨が降ってきた。
やっと止み、時計を見ると、電車とバスの時間に都合がよかったので、店を出た。
家につくまで、降られずに済んだ。
珈琲をいれながら、それにしても、となりのおばさん夫婦は、どこにでもいる、つくづく感心した。
あの回転ずしは、一応この街で、知っている人は知っている一番の回転ずしなのだ。
2010-07-04
猫は恨みをもたない
今日は、ずっとやろうと思っていた、猫の爪切りをした。ここの所、猫が和室とリヴィングの境の木製の扉を、よくがりがりと、爪研ぎに使っているのだ。
いつものように、猫がひざに乗っかるように、ソファに腰を下ろした。
猫は、だっこしてもらえると思ったのか、暑い部屋の中、床に寝そべっていた長い身体、一回大きく伸びをして、わたしの方へ寄ってきた。
わたしのひざの上に、猫が乗る。
横に置いた爪切りに気づき、無邪気に興味をもったようで、舌でなめている。
わたしは、猫の頭を抱えて、「始めるよ」大きな声で、猫に話しかける。
猫は、身体をよじって、逃げようとする。
だが、わたしも負けてはいない。
それでも、猫は必死に逃げよう、逃げようと、もがく。
わたしは力をこめて、猫を抱え込み、右手に爪切りをかまえた。
一本目の爪を切る。
すると猫は、みゃーん、と小さく可愛い声を出して、鳴く。
でも、わたしの爪切りの意志は固い。
「じっとしてれば、一分で終わるから」
猫を説得するが、猫にはつうじていない。
また、みゃーんと鳴き、身をよじる。
わたしは、すばやく片手の爪を切り、反対の手をにぎり、身体の向きを変え、爪を切り終える。
「終わったよ」
猫を解放する。
猫は、ぴょんと、ひざの上から床に跳び降りて、また寝っ転がりはじめた。
しばらくして、またわたしがソファに座ると、床にいた猫はまた伸びをして、ひざに乗ってきた。
猫は、すぐに嫌なことを忘れる動物なのか、わたしは知らないが、いつも爪を切っても、すぐに寄ってくるところを見ると、猫という動物はあまり恨みをもたないらしい。
Manchester Boom In spiral Carpets.
今日、ヨネザワで見かけたInspiral Carpets『Life』。店で聴かせてもらった。懐しさとともに、店内で思わず踊ってしまった。
このCDの発売は90年。大学時代にイギリスで流行った曲だ。
マンチェスターブームと呼ばれ、同時期にイアン・ブラウン率いるSTONE ROSESにHAPPY MONDAYSがいた。
当時、踊ると言えば、クラブではなくディスコが主で、曲はユーロビートかハウスが中心だった。
でも、この頃のぼくが本当に踊りたいと思っていたのは、そういう曲ではなかった。
その頃、マンチェスターのバンドをかける店もあったのかも知れないけれど、当時のぼくは、まったく無知で無頓着だった。
2000年頃、偶然入った小さなクラブで、JESUS JONESがかかって、踊った憶えがるが、とても気持ちがよかった。
あの90年代に、マンチェスターやERASUREをかけている店を知っていたら、きっと毎週かよっていただろう。踊り狂っていたに違いない。
最近のKASABIANやAUTOKRATZでは、もう流石に踊ろうとは思わないが、あの頃聴いたサウンドは今でも、身体に沁みついている。
2010-07-03
The Divine Comedy『Bang Goes The Knighthood』から古井由吉
五月三十一日に、アイルランドで発売されたThe Divine ComedyのNew Album『Bang Goes The Knighthood』が、イギリスのAmazonから届いたのは、六月六日だった。その日からずっと、ぼくのCDプレイヤーには、このCDが入りっ放しで、時間がある時にはずっとかけっ放しだ。
全十二曲からなるこのアルバム、最初好きになったのは、最後の曲「I Like」だったけれど、聴けば聴くほどに、味のあるアルバムで、聴くたびに、頭の中をリフレインする曲が変わる。
今では、アルバムの全曲をハミングで歌うことができるようになった。
ぼくが、The Divine Comedyに出会ったのは、97年に発売された『Casanova』が発売されてすぐで、当時フジテレビで深夜に放映されていたBeat UKで見たビデオ・クリップ「Becoming More Like Alfie」を一度見て、一発で好きになって、その頃新宿の丸井の地下にあったVirgin Mega Storeで『Casanova』を買ったのが最初だった。
初来日で、東京スカパラダイスオーケストラとジョイントした渋谷クラブクアトロでのライブにも行ったが、その後、ぼくはElliott Smithの音楽に傾倒していった。
毎日、Elliott Smithの悲しげなアコースティックに耳を傾けた。
98年に発売された『Fin De Siecle』は買うには買ったが、ほとんど聴いていなかった。
けれども、99年12月18日に、やはり渋谷クラブクアトロで行われたライブには、仕事を早めに切り上げ、ライブに向かった。
確か、ライブの一曲目は、The Doors「The End」で、なんだドアーズかと思いながら、聴いていたが、次第にライブに魅き込まれていった。
その日以来、車のハンドルの上に、歌詞をコピーした紙をテープで貼り付け、歌詞を覚えた。
2000年には、パリへ。2001年にはスコットランドまで行き、The Divine Comedyのライブを追いかけた。
それ以来、生でThe Divine Comedyのライブは見ていない。
勿論、来日もしていない。
今は、ヨーロッパまでライブを見に行くお金もなく、ただただ来日を待つばかり。
毎日のように、ヨーロッパでのライブ情報が更新されている。
それを見て、ぼくはThe Divine Comedy=Neil Hannonが住むアイルランドのダブリンを思う。
いつか彼が生まれたLondon Derryへ行き、それから、それから・・・。
いい年をして、ミュージシャンの追っかけなんてとも思うが、ここでは言えないが、Neilはぼくにとって、とても特別な存在。
そんなミュージシャンと、同時代を体験できたことをうれしく想う。
いつか棒さんに、そういう作家はいますか、と訊かれたことがある。
「ミュージシャンなら」と応えたわたしに、棒さんは寂しそうな笑みを浮かべた。
棒さんが、そう思う作家は、古井由吉だった。
ムージルを日本に紹介したことでも知られる古井由吉だが、古井が訳したムージル『愛の完成』はとてもよかった。
そのことを棒さんに話すと、棒さんは「どこがよかったの」と聞く。
「内容が分からなくても、日本語が美しかったです」と恥ずかしく答えた。
作家でもミュージシャンでもいい。
大切に思えるアーティストを持てるのは、幸せだと思う。
そんなことを、『Bang Goes The Knighthood』を聴きながら、思い出した。
そんな土曜日の早朝だった。
今日は、髪を切って、ねずみさんへ行こうと思う。
2010-06-21
梅雨、晴れ間の墓まいり
家から車で十五分ほどの場所にある父の墓の掃除に行った。昨日の父の日に、行くつもりだったのが、行けなかったのだ。
墓へ向かう前に、裏庭のあじさいを、四本摘んだ。墓に供えるのだ。
外は、梅雨とは思えない暑さで、目が眩しく、目を細めて、車を運転した。
墓地へ上がる坂道、FMラジオから、荒井由実の「卒業写真」が流れてきた。
曲を聴きながら、父が亡くなって、何年経つのかと、あらためて思った。
平成二年の九月二十三日に、父を亡くした。
あの頃は、まだ学生で、病院で癌に苦しむ父の介護をしていた。
あの年の九月は、もう末だと言うのに、とても暑かった。
父が亡くなる前日から、癌研に泊まり込み、父のとなりに簡易ベッドを作り、横になっていたが、一睡もできなかったのを、よく憶えている。
父が亡くなったその日の朝は、忘れることができない。
病魔に冒されていながらも、どこか安堵しながら父を看ていたわたしだったが、その朝、父を見ると、明らかにいつもと違っていた。
直感で、もう駄目だと、思ったのだろう。
溢れでる涙が、止まらなかった。
墓の草むしりをするために、水をくむ。
墓石に手を当てて、跪き、草を取るのだが、今日の炎天下の日差し、墓石が、熱かった。
手のひらに、熱さを感じながら、草をむしる。
今日は、半袖にジーンズ、キャップを頭にかぶり、暑さを凌いでいたが、あの日は、白と緑のストライプの長袖シャツを着ていた。
「暑いのに、長袖着ているの」
と聞かれたのを、うっすら記憶にある。
その所為か、あの日、あの朝の情景は、くっきり頭の片隅に映像として残る。
墓掃除の帰り途、行きにかかった「卒業写真」が脳裏によぎる。
わたしが、父の年を越えるまでは、まだかなりあるが、年を重ねるほどに、父に顔が似てきたと、言われるのは、悪い気はしない。
草むしりで、汗をかいた体に、冷房が気持ちがいいが、汗はなかなか退かない。
信号待ちの交差点、右手の土手に、一面に紫のあじさいが咲いている。
父は俳句が好きだった。
きっと、あじさいで、一句ひねったことだろう。