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2010-08-07

再読「夕焼け」吉野弘

久しぶりに、吉野弘の詩「夕焼け」を読んだ。
ある女性と話した帰りに、電車の中で、その女性の話していたことを考えていたら、思いだしたのだ。
家に帰り、PCを開き、吉野弘「夕焼け」を検索してみた。
わたしが持っている詩集は、きっと段ボールの中で、どこに仕舞ってあるか分からない。
すると、三年ほど前に、この詩を紹介した自分のブログの記事が、結果に出てきたので、とても驚いた。
自分でも忘れていたのだ。
この詩を読み直して、やっぱりこの詩が好きだなあと実感した。
初めて読んだのは、きっと学校へ通っていたころ、教科書に載っていたんだと思う。
その頃は、特に好きだとかなく、ただこの詩の印象は残っていた。
おとなになって、詩を読むようになり、ある詩集でこの「夕焼け」に出会ったとき、大きくこころが揺れうごいたのを記憶している。
疲れているのに、電車の中で、お年よりに席をゆずる女性のはなし。
二度、席をゆずるが、二度あることは三度あり、その時この女性は席をゆずることはしなかった。
だが、そうすることの方が、この女性にとっては、つらいことなのだった。
そとは、美しい夕焼けがかがやいている。
しかし、この女性はその夕焼けも見ず、くちびるを噛みしめながら、席に座って、下を向いている。
ひとの悲しみ、苦しみがわかるひとは、自分を犠牲にしてまでも、ひとに優しく行動しがちになる。
しかし、その行いが、自分をまた苦しめる。
そして、ひとに優しくできない時、そんな自分をまた許せずに苦しむのだ。
その気持ちが痛いほどわかるのが、この詩だ。
わたしが優しいかは、自分では分からないが、この詩の悲しみはわかる。

ひとにやさしく
自分にやさしく
それで、みんなが豊かになれば
言うことは何もないのですが
なかなか、そういう訳にはいきません

ある知人に宛て、わたしが以前に書いた手紙の中の一節だ。
この吉野弘「夕焼け」を読むと、いろいろな思いが交錯する。
最後に、詩の本文を引用させて頂き、おわりとする。

夕焼け

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは とい言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて-。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人につらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。

shiroyagiさんの投稿 - 22:32:35 - 1 コメント - トラックバック(0)

2010-07-25

朝顔の少女

先日、近所の街で朝顔市が開かれた。
わたしの、夏の愉しみといえば、庭に咲くひまわりとアサガオ。
定年後に始めた庭いじりが、唯一の趣味と言えた。
二年前に咲いたっきり、姿をみせない琉球アサガオを、もう一度見たいと思っていた矢先の朝顔市、でかけることにした。
もちろん、朝一番に市へ出向いた。
駅に近い放射線通りには、道の両がわいっぱいにアサガオの鉢があり、天幕が張られている。
一通り、眺めてみたが、わたしの目が見落としたのか。朝はやくとはいえ、日差しが強かったせいか、見当たらなかった。
わたしのこころは、半分あきらめかけていた。
市の端に置かれた縁台で、ラムネを飲み、行き交う人々を眺めるでもなく、眺めていた。
鉢を抱えたひと達が通り過ぎてゆく度に、鉢植えのアサガオの品種を当てる、一人遊びに興じていた。
そこへ、ひとりの、わたしから見れば、少女ともいえる、女の子が鉢を両の手で抱え、歩いてきた。
葉の色が、濃くて、大きい。
おや、わたしの気持ちがざわついた。
気がつくとわたしは、ラムネを持ったままに、少女の前に立ちはだかっていた。
今さら、かける声もことばも失い、年がいもなく、うろたえていると少女が、「気分でも悪いのですか」優しげで舌足らずなこえで、言う。
それでも、わたしの喉からは、ことばが出ずに。
少女は、「あそこの縁台に座りましょう」。わたしを促した。
言われるまま、わたしは元いた縁台に腰をおろした。
きっかけを作るため、なんとか出た一言は、「お嬢さんも、ラムネいかがですか」
見れば、少女の額からは、玉のような汗がはじけている。
肌が若いせいだろう、汗は皮膚にべたつかず、表面張力したかのよう。
わたしは、となりの天幕でラムネを買い求め、少女にぶっきらぼうに手渡した。
少女は、若いのに、ラムネの開け方を知っていたのか、手際よく、プシュと音をたて、口に瓶を運ぶ。
液体が通り、喉もとが振動している。
わたしの弛んだのどと違って、しわ一つないのに、わたしは恥ずかしく思った。
少女は、そんなわたしの気も知らずに、ビー玉を鳴らしている。
「そのアサガオは、いいねえ」嗄れたこえで言うと、
「最後の一鉢だったの。この辺じゃ珍しい沖縄産なんですって」
やはり。わたしは、こころの奥で叫んだ。
「おじさんも、アサガオを買いにきたの」
「うん。でももういいんだ。わたしが探しているアサガオはもうないから」
そう言いながら、そのアサガオを横目で見ていた。
少女は、「もう帰らなくちゃ」言い、立ち上がると、アサガオを持たずに、歩きだそうとする。
「アサガオは」と問いかけると、少女は言いはなった。
「重くて、重くて、いえまで持ってかえるの、いやになっちゃった。おじさん、もらってくれるかしら」
「せっかく買ったんだろう」
「いいの。ラムネのお礼に」
少女は、丁寧にお辞儀した。
肩から髪が落ちた。
顔をあげた少女の笑ったかおを、わたしは忘れない。
気持ちのいいかおだった。

いま、わたしは妻と庭を見ながら、麦茶をすすっている。
満開の琉球アサガオが咲いている。
ひとまわり大きいそのアサガオの花は、まるであの不思議な少女のかおのようだった。
みずをはじく花弁は、少女の肌。
わたしは毎朝、妻に言うのだ。
このアサガオはね。
妻は、いつもにこにこと、「また朝顔の少女のおはなしね」。
そして、妻はいうのだ。「来年も咲くといいわね」。
わたしは、満足気にうなずく。

shiroyagiさんの投稿 - 16:42:06 - 0 コメント - トラックバック(0)

2010-07-22

Mother Night

以前付き合っていた彼女は、読書家とは言えなかったが、本や雑誌に敏感な女の子だった。
年は、七つ程はなれていただろうか。年下だった。
実際に本をたくさん読んでいたかは、怪しかったが、書名はかなり知っていた。
沼正三の原作を石ノ森章太郎が漫画化した『家畜人ヤプー』なんて奇書を、彼女の実家がある長野県松本市の古本屋で原作を立ち読みしたことがある、などと言っていた。
わたしの家にきた時、わたしの大きな本棚を見て、少女マンガが多くあるのを知っていた彼女は、ある日喧嘩した時に、わたしの本棚に、山岸涼子のマンガがないと言って、怒ったことがあった。
彼女のアパートの小さな本棚には、ひっそりと山岸涼子が置いてあった。
彼女がつたない料理をしている時、手伝おうかと言うと、「このマンガを読んでいて」、渡されたのが、山岸涼子『天人唐草』だった。
厳格な父親に育てられた、男性に敏感すぎる女性が、終には、気がふれてしまう、悲しい狂気の短篇だ。

その彼女とは結局別れたが、彼女が言った言葉の一つを今でも憶えている。
カート・ヴォネガット・Jr『母なる夜』を大学の授業で読んだ彼女は、相当に、この本に衝撃を受けたようで、「この本、読んだ方がいいよ」と言って、貸してくれた。
結局返さないまま、別れてしまって、その本は、わたしの数ある未読本の山の中の一冊となっていた。
あれから何年経ってからだろう。定かな記憶がないが、ふと読んでみた。「ふと」と書いて、思いだした。
あるSNSで友人になった女性が、ヴォネガット『国のない男』を面白く読んだ、と言っていて、ヴォネガットはまったく未読だったので、クローゼットの奥にあるのを憶えていて、見つけ出したのだった。
埃くさいその本を開く。
ハヤカワSF文庫は、学生時代に読んだアントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』以来で、懐しいとともに、違和感を覚えたが、すぐに、その本の世界に魅きこまれていった。
静かな感動があった。悲しい物語。
その後、ヴォネガットの本を何冊か読んだが、これ以上の感動はない。
評判のよい『猫のゆりかご』『スローターハウス5』『タイタンの妖女』も読んだが、『母なる夜』の感動には及ばなかった。

彼女とは、何度か別れ話があったが、最後の別れ話をした時だろうか、記憶があいまいだが、言った。
「借りてる本は、持っていくからね」
わたしの本を二冊、彼女は持って去った。
あの頃、一部で人気があったが、自殺してしまった漫画家ねこぢるの単行本と、サンテグジュペリ『星の王子さま』。
その頃はまだ、サンテグジュペリの版権が切れていなかったので、岩波の内藤濯訳しかない時代で、ハードカヴァーだった。
わたしにとっても、とてもたいせつな本だった。
彼女と別れて数年後、岩波が『星の王子さま』を新版として、少し変えた版で出版した。
その時、ああ、もうあの本は手に入らないのか、と今さらながら焦り、古本屋で、探すようになった。
そして、同じ本が今、わたしのベッドサイドの小さな本棚に収まっている。
もちろん、その本の背表紙を見るたびに、別れた彼女を思いだしはしないが、そんなことがあったと思いだす夜もある。
一冊の本を読むということは、本の中身だけでなく、その本にまつわる、さまざまな物語りがある。
本だけではない。音楽に映画、思いおこせば、色々あった。
きっと、これからも、色々あるのだろう。
わたしは願っていたのを、思いだした。
彼女が、ねこぢるではなく、星の王子さまを選ぶのを。と・・・。

shiroyagiさんの投稿 - 23:28:47 - 1 コメント - トラックバック(0)

2010-07-15

More Than Words

大学でわたしが所属していた美術研究会の後輩Tが、「EXTREMEのCD買うひとない」と言った。
その頃わたしは、EXTREMEの「More Than Words」がとても好きだった。
「えっ。"More Than Words"売っちゃうの?」
「おれ、NirvanaのCD買いたいんですよ」
その金の足しにしたいらしい。
Tは主に、ハードなRockが好きで、ライブハウスの最前列でモッシュしたりして、警備員に退場させられたこともあると言っていた。
そんなTには、「More Than Words」はもの足りなく思えたらしい。
わたしはTからそのCDを買った。
その頃、音楽を聴くといったら、もっぱらレンタル屋で済ましていたので、CDを買うのは、本当に珍しいことだった。
そしてそのCDは、今でもわたしのラックに収まっている。
そしてまた「More Than Words」は、わたしのこころに響いた一曲として、いつまでもその頃の思いでとともに、こころの奥深くにある。
あれからもう20年経つ。
時は過ぎても、音楽は色あせなく、またわたしの音楽に向ける気もちも変わらないでいる。

shiroyagiさんの投稿 - 07:03:39 - 1 コメント - トラックバック(0)

2010-07-08

お先に。

你好という中華料理屋が新しく開店した。
わたしは、気に留めることもなく、駅を出ると、ねずみさんへ入った。
入れ違いで、ヤノさんとママさんが店を出た。
しばらくして、帰ってくると、どうやら開店したばかりの你好へ行ったらしい。
訊くと、味はけっこう良かったとのこと。おまけに、ハヤシさんがいたと言う。
ママさんと話していると、当のハヤシさんが入ってきた。
「実は今、你好という中華へ行ってきたんです」
ハヤシさんの発音は、本場仕込みなのか、ニーハオが「ニーハウ」と聞えた。
焼きそばを食べたらしいのだが、「あれは、香港風ですよ。南の味がしましたよ」
「なかなかの味ですよ。実は今日はこれから、浮世絵を見に行くんですよ」
これから、原宿の大田記念美術館へ北斎を見に行くとのこと。
ハヤシさんは、うれしそうに笑った。
わたしはそろそろ、出ようと思い、ヤノさんとハヤシさんに、「お先に」と言い、会計を済ませようと、ママさんに「ごちそうさま」と言い、お勘定をぴったり、トレイの上にのせた。
ハヤシさんが、「今日はすごいTシャツ着てますね」と言った。
今日は、NOUNOのマハトマ・ガンジーのイラストが背中に入ったTシャツを着ていたのだ。
「今日は、平和主義者でいこうと思って、ガンジーです」
ママさんが、「いつも平和主義者よねえ」と笑いながら言った。
わたしは、ガンジーの背中を見せながら、店のとびらを開けた。
「また、来まーす」
その足で、ヨネザワへ向かう。
店の窓から、画家さんとキヨさんが見えた。
中に入り、「お暑うございまして、お久しぶりでございます」と言って、輪に入った。
ふたりは、スピーカーのはなしで盛り上がっている。
JBLだとか、B&Wだとか言っている。
音にこだわらないわたしには、新鮮だが、さっぱり分からない。
昔の名曲喫茶やジャズ喫茶のはなしに移り、そして、話題はつぎつぎに変わっていく。
はなしの主導権は、もっぱら画家さんで、はなし好きの画家さんは、鉄砲のように、しゃべり続ける。
その合間に、引っ切りなしに、中国製のタバコを喫んでいる。
とにかく忙しいひとだ。
普段、アトリエに篭っているので、人と会うと、こうなるのか、画家さんと会うと、いつもこうだ。
この前あった時は、徹夜明けでしんどいと言いながらも、冗談を飛ばしつづけていた。
わたしは、ちょっと顔を出すつもりだったので、帰るタイミングを計っていると、画家さんも帰る用意を始めている。
キヨさんが、「忘れないでよ。これ」と指をさした。
そこには、鉢に入った小さなランがあった。
そこで、またはなしに火がつき、花を咲かせている。
どうやら、今ではめずらしいランの現生種らしく、貴重なものらしい。
しばらく聞いていたが、終わりそうにないので、帰ることにした。
「お先にー。またお会いいましょう」
駅へ向かうわたしの心持ちは、今日の天気に似て、気持ちがよかった。
梅雨の中休み、風が気持ちいい、天気は晴天だった。

shiroyagiさんの投稿 - 22:19:50 - 1 コメント - トラックバック(0)
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