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2010-08-12

ふゆのアサガオ

ベランダで、アサガオを育てている男がいた。
朝晩の水やりは、忘れず、毎日花が咲くのを楽しみにしている。
男はいわゆる螢族で、ベランダで煙草を吸う習慣があった。
煙草は煙りがでる。
男のアサガオへのやさしさか、吐いた煙りを決して、アサガオへかけなかった。
そればかりか、ベランダにいるナメクジにさえ、煙りを吹かない。
一遍上人の行いを知ってからは、虫も殺さず、蚊に刺されても、蚊をたたくことはなかった。
家族がいやがるゴキブリでさえ、叩かなかった。
そんな男だ、アサガオへの愛情の注ぎぶりは、並々ならぬものだった。
まず、周りの地面に水をかけ、気温を下げ、そしてアサガオ自体に水を丁寧にかけた。
そして夏、残暑かかった八月の中旬に、ひとつ目のアサガオの花が咲いた。うす紫の花。
男は早起きで、夏の早朝、朝つゆのかかったアサガオの花弁を愛でた。
そして毎日のように、花は増えていく。
満開のアサガオを見て、男は満足気だった。
風にたなびく蔓をみて、こころも踊る心もちがする。
自然と笑みがこぼれて、毎日の生活もよろこびに満ちて、男は心底、人生に感謝した。
男はひとつ持病を抱えていた。
多分もう、一生治らず、一生つきあっていくしかない。
男も諦観の念で、それを受け入れていた。
アサガオを育てるようになったのも、病気になってからのこと。
病いで失ったものも多かったが、男はやさしい豊かな気持ちを得るようになった。
そんな訳で、どこか病いに感謝までとはいかないけれど、やはりどこかで感謝していたのだろう。
男が病いを受け入れてから、逆に笑顔がふえるようになっていった。
花の時期が終わり、秋がきていた。
花弁はしおれ、枯れた。
その後に種をつけた。
いくつかの種は、こぼれ、また幾つかの種は、ベランダにくる鳥たちが食べていった。
男は、のこった種をあつめて、来年のために、取っておいた。
麻袋に入れて、暗い物置きの棚のうえに仕舞った。
冬がきて、ベランダは閑散としている。
男はすこし杳い気持ちがした。
そんな日がつづいたある晩、夢まくらにアサガオが咲いた。
のびのびと咲き誇るうす紫のアサガオ。
男の目から、眠りながらも、うっすらと涙がひとすじ流れ落ちた。
花には精が宿るとも謂う。
男のアサガオにも花の精が宿っていた。
男のかいがいしい世話をよろこんで、宿ったのかもしれない。
本当の理由は、花の精でさえ知らなかった。
それでもアサガオの精は、そんな男の心もちと振る舞いを、密かによろこんでいた。
男はすでにかなりの高齢で、老い先が長くはなかった。
そして、死の時期がこくこくと近づいていた。
持病のぐあいもあまりよくなかった。
ある晩、男は死んだ。
アサガオの精は、それをいたく悲しんだ。
よく朝、真冬だというのに、男がかつて人生をささげた家のベランダ一面に、うす紫のアサガオが咲いた。
それはそれは、美しい清々しい光景だった。
真冬なのに、その朝だけは夏を思わせたそうだ。
わたしは子どもの頃、祖母からアサガオを愛した男と、冬のアサガオのはなしを聞いた。
今やわたしも、かなりの年を重ねたが、今でも祖母のはなしを忘れずにいる。
そして、夏の我が家の庭には、なぜか、うす紫のアサガオが咲いているのだった。

shiroyagiさんの投稿 - 06:17:20 - 1 コメント - トラックバック(0)

2010-08-09

花売りの少女

道端に花売りの少女がいた

私は花束を一つもらおうと

少女に話しかけた

「いくらですか」

「お金では売りません。真心で買ってください」

「真心と言われても」

「あなたの気持ちを表わしてくれれば十分です」

少女は寒空の下

凍えそうな格好をしていた

私は近くの服屋で

少女に合いそうな藍色のマフラーを買うと

少女のところに戻り

「このマフラーで花束をください」

と、言った

「あなたは優しい人です。気持ちだけで充分です
花束は持って行ってください」

私は言われるがまま 花束を受け取り

藍色のマフラーを首に巻いて

冬の夜道を

歩きながら 家に帰った

shiroyagiさんの投稿 - 22:48:08 - 0 コメント - トラックバック(0)

シーシポスのエレベーター

七階、八階、九階、

シーシポスの身体の疲労は極限に達しつつあった

十階、

これで全員を降ろした

シーシポスは希望の笑みを

漏らした

瞬間、

シーシポスは身体に重みを感じ

一階のボタンが押されたのを全神経で感じた

シーシポスは深く溜息をついた

「下へ参りまーす」

エレベーターガールの甲高い声が

シーシポスの身体の中を何度もこだました

shiroyagiさんの投稿 - 22:45:26 - 3 コメント - トラックバック(0)

恋するエレベーター

今日は あの娘来るのかな

この3日間 9時前に8階を 押すあの娘

階のボタンを押す 指がいいんだ

ちょっとラメが入ったマニキュアの 長い爪

触れた瞬間身体から 力が抜ける

床に立っている時の 足がいいんだ

高いピンヒールの踵を揃えて 踏んでいる

ヒールで押されて食込んでるところが痛くて 気持ちいい

降りる時の歩き方が いいんだ

滑らかに それでいてきびきびとヒールが走る

僕はもう死んでもいいと 思った

あの快感

忘れられない

あの娘無しではもう動く気に なれない

今日は あの娘が来るまで動かない

そう決めたんだ

shiroyagiさんの投稿 - 22:42:40 - 1 コメント - トラックバック(0)

エレベーター

誰も乗せないエレベーターは何処へ往くのだろうか

夜中に一人、友を捜して、生きるという名の山を昇り、下る

彼の心には今、誰が住んでいるのだろう

朝になれば、少しは孤独から解放されるのだろうか

息苦しいまでの関係に、うんざりしないのだろうか

いつか彼は、エレベーターであることを止める時がくるのかもしれない

それは彼にも、誰にも分からない

shiroyagiさんの投稿 - 22:40:11 - 1 コメント - トラックバック(0)
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