2010-08-29
ジョゼ日記 その11 愛しくて、大切な
今日の朝、ご飯を食べ終わって、ジョゼの様子を見に行くと、いない。網戸が空いている。
出ていったのだ。
外へ出て、探してみると、一階のテラスの下で、丸くなっていた。
身体を屈めて、覗き込むと、其処から動かずに、じっとわたしを見ている。
手の出しようのない奥にいるので、あきらめて、掃除を始めた。
が、気になる。
途中、何度かジョゼを探したが、見当たらない。
掃除を終え、ジョゼを探しにいった。
庭には居らず、隣の空き家にいることが何度かあったので、覗いてみたが、見当たらない。
裏庭へも行ってみたが、いない。
裏庭から表へ戻ろうと振り返ると、ジョゼがわたしの後をつけていたかのか、振り向いたわたしと目があった。
わたしは、ジョゼを抱えて、家のなかへ戻った。
ジョゼがこんなに重かったかと、思えた。
そこまでは、よかったのだ。
しかし、部屋へ連れて帰ると、ジョゼの様子がおかしい。
口を開けたまま、はあはあと舌を出し、胴体をびくびくとさせている。
目つきも何だか、普段と違っている。
まるで、瞳孔が開いたかのように、縁の緑色が目立った。
まず、わたしは、水を上げようと、お皿を持ってきた。
ジョゼは、少し水を飲んだ。
安心したが、やはり、様子は変わらずに、おかしい。
かかりつけの動物病院のとちのきさんへ電話しようか、迷っていた。
わたしは、お皿の水に手をつけて、わたしの手から、ジョゼに水をあげた。
ジョゼは、やはり喉が渇いていたようで、わたしの手をざらついた舌で舐める。
何度か、そんなことを繰り返していたが、ジョゼの奇っ怪な症状が治まらない。
わたしは、とちのきさんへ電話することにした。
相手が出ると、すぐに名前と患者番号を告げ、何とか平静を保とうとしつつ、事情を話し始めた。
相手の女性は、落着いた声で、この炎天下のなかですから、熱中症と脱水症状かもしれないので、まずは、水を与えること。
部屋の温度をかなり低くすることを告げた。
もし、それでも、治らないようだったら、病院へ連れてくるように言った。
また、症状がどうなったか、今日中に、一度電話で連絡してください、と言った。
わたしは承知して、すぐにエアコンの設定温度を下げ、水を手で与え続けた。
ジョゼは、きっと自分で水を飲む気力も体力も消耗しているのだろう。
わたしが掬った水をジョゼが何度も、舌で飲む。
様子を見ていると、何だか落ち着いてきたようだった。
しばらく見守っていた。
三十分くらいだろうか。
一見、ジョゼは普段と変わらないようだった。
わたしは、一先ず安心した。
電話を取り、とちのきさんへ、猫が状態を持ち直したことを告げた。
先方の先ほどと同じ女性の声は、熱があるかもしれないので、部屋の温度は下げたままにしておくこと。熱が続いたり、様子がおかしくなるようだたったら、連れてくるように言い、わたしは了解し、深く礼を言って、電話を切った。
しばらくジョゼの様子を観察していると、わたしの目には、普段と変わらずに見えた。
安心し、また、最近忙しく、あまり接する時間が少なかったので、部屋にあるソファに腰を下ろした。
すると、ジョゼが跳び掛かってきて、わたしの左腕を噛んだ。
甘噛みではなかった。
わたしの腕は、見る見る間に、蚯蚓腫れ、血が滲んだ。
きっと、ジョゼは独りになって、安静にして、体力の快復を待とうとしていたのだと思う。
わたしは、気になりながらも、ジョゼを独りにさせた。
自室で、ベッドに腰掛けながらも、ジョゼのことが気になっていた。
十分置き位に、そっとジョゼの様子を、陰から窺っていた。
様子は、至って、正常だった。
わたしは、空いた腹を満たすため、軽くパンと牛乳の昼食を摂った。
その後、ジョゼの様子を見ていたが、何ともない。
昨日から、友人が、この時間に、携帯に電話を掛けてくる約束になっていたので、自室へ戻り、小一時間近況を話し合った。
終えて、ジョゼの側近く、黄色い小さな椅子にゆるりと腰を下ろした。
ジョゼは、ゆっくりとした動作で、わたしに近づいて、わたしの膝の上に乗った。
夏の暑い日が来てから、一度も乗らなかった膝に、ジョゼは来た。
わたしは、少し感傷的な気分と共に、膝の上のジョゼを優しく撫でた。
声を掛けながら。
「ジョゼ」
いつものように、鳴かず、ただ尻尾を振る。
「泣かない強い仔だ」
囁きながら、ただジョゼの背中を擦った。
時計は見ていなかったが、三十分位だろうか、ジョゼの好きな所を撫でたり、擦っていた。
ジョゼが、いつもよりも、愛おしく、とても大切な存在に思えて、わたしの胸は熱くなった。
人間より高い体温を持つ猫であるが、ジョゼの体温は、正常に思えた。
しばらくすると、ジョゼは自分から、膝を下り、テレビ台の角に耳を当てて、痒いのだろうか、何度も繰り返していた。
カーテン越しに、窓を見つめるジョゼを、ひとりにさせようと、わたしは、そっとドアを開け、部屋を出た。
ジョゼは、身体の向きは変えず、ただ顔をこちらに向けていた。
わたしは、部屋に戻り、今日の事は、書かなくてはならない。
そう思い、Macのワープロソフトを立ち上げた。
Ave Mariaを聴きながら、わたしは書き続けた。
八月の終わり、残暑続く、日曜日の午後、わたしの中には、ただ一匹の猫が棲み着いていた。
2010-08-21
本日は休業なり
最近いそがしくて、ヨネザワへもねずみさんへも行くことができなかった。ので、今日は、行くぞ、という気分で、バスと電車を乗り継いで、向かった。
通りの角から、ねずみさんが見えた。
看板が出ていない。
休みかな。少し不安な気持ちで、前に立つと、「都合により21日と28日は休ませて頂きます」とある。
去年は、お盆に休んでいたので、大丈夫だと思っていたのだが。
では。と思い、シンちゃんのいる東華飯店へ行こうと、角を曲がり、店の前に立つと、ドアに札がある。
「本日は貸し切り」。
じゃあ、と思案した。
ハヤシさんやキヨさんが好きなラーメン屋らーめん御殿にするか、ハヤシさんやねずみさんのママさんが、開店した時に行って、おいしかったと言っていた、中国料理屋の你好(ニーハオ)にするか迷った。
らーめん御殿は一度行ったことがあるのだが、確かに美味しい。
でもこの暑さで、ラーメンもないだろうと思い、你好へ行くことにした。
中に入り、四人掛けのシートに腰を下ろした。
たどたどしい日本語の中国人の店員のお兄さんが、お茶か水かと訊いてきたので、迷わず、お茶と言った。
運ばれてきた冷たいお茶は、おいしかった。
「初めて来たんだけど、何がおすすめ」
「全部おいしい。でも、Eセット。蟹レタスチャーハンと餃子のセットがいいね」
「じゃあ。Eセット」
料理が来るまでのあいだ、メニュを見ていた。
小さな店にしては、品数の多いことに驚いた。
メニュの一番上、「香港料理」と大きく書かれている。
わたしは、13年ほど前に香港へ二週間ほど、安旅行したことを、思い出した。
わたしは、てっきり店員はみんな、香港の人だと思い込み、iPhoneのGoogle mapを開き、香港を出した。
店員のお兄さんに、お替わりのお茶をもらうタイミングで、iPhoneの画面を見せた。
「おお。香港ねえ」
「ぼく、香港へ行ったよ」
そんな話しから始まり、お兄さんの家はどこかという話題になった。
画面をずっとスクロールするが出てこない。
そこに、お客さんが入ってきて、Dセットを頼んでいた。
けれど、見ていたら、わたしのEセットが、そのお客さんに運ばれていった。
その客は、何の疑問も持たず、食べはじめていった。
わたしは、様子を見ていたが、お兄さんは素知らぬ顔で、立っている。
わたしは声をかけ、「順番間違えたねえ」と言った。
お兄さんは、バツが悪そうな顔をして、謝った。
わたしは、「いいよ。いいよ。OK,OK」、笑った。
そうしていると、お兄さんがわたしのテーブルに餃子を運んできて、そっと小さな声で、「これ、フカヒレ餃子ね。もっと高いね。サービスね」
「ありがとう」
蟹レタスチャーハンが運ばれてきたが、餃子の醤油を入れる小皿がない。
お兄さんに言う。
小皿をもらって、ラー油を入れようと思うと、ラー油が二種類ある。
普通のと、なんか違うのと。ただ匂いを嗅ぐと、ラー油だった。
お兄さんに訊くと、違う方は、自家製の食べるラー油だと言う。
そう言いながら、そのラー油をたっぷり小皿に、スプーンで入れた。
「チャーハンにもかける、いいね」
「いい。自分でやる」
食べてみると、確かに美味しくて、ラー油の味が効いていた。
チャーハンの方にも、かけてみると、美味い。
お兄さんが訊くでもなく、言った。
「おいしいね」
「うん。もっとおいしいね」
お茶を三杯お替わりして、店を出た。
その前に、iPhoneでお兄さんの家探しをすると、なんとお兄さんの家は深圳だった。
「知ってる。ヴェトナムの近くね。観光客がいっぱいね。川がきれいだね」わたしは言った。
お兄さんは、うれしそうに笑った。
会計を済ませ、釣りをもらう。
わたしは、「なつかしい匂いがして、よかった。香港へ行った時に行った食堂の匂いね。おいしかった。ありがとう」
店を出た。
どおりで、お兄さんが英語を話せない訳が分かった。
香港の人だったら、英語は絶対話せるはず、深圳も観光地ではあるが、言語環境のことはまったく知らないので、分からないが。
暑い中、キヨさんのヨネザワへ行くと、店の前にいつも出してあるレコードの山のような段ボール箱がない。
嫌な予感は的中した。
店内に紙きれがあり「都合により休業させて頂きます」。
実はわたしは、少し疲れ気味だった。口角に小さなヘルペスも出来ていた。
わたしは、神さまが、今日は、お休みしなさい、と言っているんだ、と思って、他のどこへも寄らずに、また電車とバスを乗り継いで、帰った。こんな日も、これはこれでいいなあ、と思った。
麦茶を飲みながら。クーラーにあたりながら。
2010-08-19
靄かける女
夢の中で、みた女性がいる。出会ったことがあるのか、はたまた無いのか、わたしには記憶がない。
毎晩見るその夢で、女性は言うのだ。
「わたしは、あなたの妻です。いつかあなたに出会うその日を、心待ちにしております」
そう言うと、女性は森のなか、朝靄の中であろうか、姿を森の奥へと姿を消してゆく。
そんな夢、そんな夜を、幾晩過ごしたであろう。
朝起きた時、不思議と、その夢だけは憶えていて。
わたしの朝は、なんだか心待ち、気分がいい。
ある晴れた早朝、犬の散歩のため、近所の森林公園を歩いていると、向こうから、やはり犬、レトリーバーを連れた女性が歩いてきた。
遠くにみえるその犬と女性の姿、始めて出会う犬と女性のカップルなのであるが、どうも記憶の片隅み、懐しい思いがした。
近づいてくる。わたしは、犬を連れた人と出会う時の、いつもの習慣で、軽い会釈をしようと、その女性の顔をみた。
すると、どうであろう。
あの毎晩夢にみる女性ではないか。
わたしの心臓は、高鳴り、鼓動は刻々と刻み始めた。
上ずる声で、わたしは「おはようございます。」、何とか笑みを浮かべながら、言った。
すると、女性は「やっと出会えましたね。ずっとこの朝が来るのをお待ちしておりました。」
一瞬、何を言っているのか分からず、わたしは狼狽えたが、その言葉の意味を覚った。
それでもわたしは、どうしていいものか、分からずに、ただただ、女性と、そのレトリーバーを交互に見つめていた。
しかし、その時間は決して気まずいものではなくて、むしろ心地よいのであった。
わたしは、不思議な感動を覚えた。
声が、自然にわたしの口から滑り出た。
「レトリーバーですね。」
「ええ。」
「何歳ですか。」
「九つになります。主人と結婚した時に飼い始めたんです。もう亡くなりましたが。」
九年前と言えば、わたしが妻と死別した年だ。
わたしは、妻との離(わか)れを思い出し、心が感傷的になった。
その気配を感じたのか、女性は、ただわたしの表情を、まるで聖母マリアの微笑みのような眼差しで見つめている。
わたしは、何だか癒される思いがした。
初めて会うその女性に、嫌や、夢の中では、幾度も出会っているのだが、その女性に打ち解けていくのを感じた。
例えて言うならば、まるで何十年も連れ添った老夫婦、会話がなくとも、通じ合う、そんなものを感じていた。
わたしは、思わず口に出した。
「杳子(ようこ)。」
すると女性は、「何ですか。あなた。」
その時、わたしは夢の意味を、この女性が誰であるか、全ての意味を悟った。
九年前に逝った、わたしの妻、杳子が今、わたしの目の前にいる。
その面持ちは、以前の妻とは、どこか違ったように思えたが、もしかしたら、同じかもしれない。
わたしの記憶は、あまりに曖昧で。だが今、杳子と名のる女性が、わたしの妻であることに、確信を持った。
「ありがとう。会いに来てくれたんだね。」
「だってあなた。夢の中でお約束したじゃないですか。お忘れになって。」
「もちろん憶えているさ。」
わたしは、杳子の手を取ると「さあ。行こうか。」、そう優しくささやいて、歩き出した。
杳子は、左手に綱を持ってレトリーバーを、わたしは右手に、柴犬を。
そして、わたしの左手と杳子の右手は、しっかりと結ばれている。
二人はどこへ行くのだろう。
森の奥へ朝靄とともに消えていったが、その先に何があるのか、誰も知らない。
2010-08-18
郷愁の故国
女には、女の生き方がある。そう思わせた一人の女性に出会った。
そのわたしが知った女性は、女性が、女性らしく、ただあるがままに生きようと思っていた。
その女性と出会ったのは、ある行きつけの喫茶店だった。
よく見かけるようになり、始めは軽い会釈、そして挨拶から始まって、
お話しするようになった。
話してみると、その温和な表情と話しぶりの中から、強い意志が感じられて、わたしはその女性に出会うのが、密かな愉しみになっていた。
その女性は、世間でいうシングルマザーだったのだが、そのお子さんの話しになると、顔がほころびて、三十歳を越えた女性にいうのも何だが、とてもかわいらしかった。
その女性、仮に、ゆうさんとして置くが、ゆうさんの職業は、翻訳家で主に、日本ではあまり紹介されていないドイツ文学を扱っていた。
この出版不況の中でも、やはり良書を求める読者、そして理解のある出版元はあるようで、ゆうさんの手がけた本は、生活していくには、充分な収入があったように察っせられた。
そんな、端から見ると、自立し、羨むような生活を営んでいるゆうさんが、珍しく愚痴ではないのだけれど、悲しそうな表情で、言った。
「やっぱり日本にいては、だめ。わたしドイツで住もうと思うの」
わたしは驚いたが、表情には出さなかった。
おそらく、言葉でも、生活の面でも特に、苦労することはないだろう。
ゆうさんの新生活を、祝福しなくてはならないわたしのはずだったが、どうしても、わたしは、素直によろこべなかった。
そうなのだ。わたしは、ゆうさんに、女性的な好意を抱いていたのを、その時、はっきりと自覚した。
が、わたしの社会的立場から、ドイツで暮らすのは不可能。
また、ゆうさんに日本にとどまるよう、また、結婚の申し込みを言うには、かなりの時間と勇気を、必要とするわたしだった。
モラトリアムに耽るわたしの心を余所に、ゆうさんは、遠い国へと旅立っていった。
いつ戻るかも、実際帰ってくるかも分からないゆうさんを、こころの中で待ち続けるのは、あまりに辛かった。
そして、時は流れて、流れていった。
わたしの心には、いつもとは言えないが、常にゆうさんが在った。
ドイツへ行こうと思えば、何とか時間はつくれる。
金も工面できたが、わたしの気持ちはそれを躊躇わせた。
ゆうさんが手がけた翻訳書は、すべて読んでいた。
その最新刊のあとがきに、原作者や編集者への献辞の後、最後の一行に、こう書かれてあった。「この本を、わたしがかつて、暮らしていた故国、わたしがドイツへ旅立つ時、わたしの背中を押してくれた、行きつけの喫茶店の常連さんS.Iさんに」
わたしはその文章を読んだ時、身震いとともに、鳥肌が立った。
わたしのイニシャルである。
どう考えても、わたし以外に考えられない。
その時、わたしのモラトリアム時代は終焉を告げた。
わたしは、ネットでドイツ、フランクフルト空港行きのチケットを求め、レーゲンスブルクへと鉄道で向かった。
その後、ゆうさんと、どうなったのかは、ここでは書かないが、わたしは今でも、そのレーゲンスブルクに住んで、一人の女性と八つになる子どもと共に暮らしている。わたしは今、幸せである。
2010-08-13
こまった猫ちゃん
「いぬのおまわりさん」という童謡がある。まいごの小ねこと、犬のおまわりさんのやりとり。
ほのぼのした歌で、子どものころから好きな童謡だ。
泣いてばかりで、家のばしょを訊いても、答えられない子ねこ。
一方、おまわりさんの犬も、一緒になって、ワンワンワンと鳴いて?(泣いて?)ばかりで、お家が見つからない。
カラスに訊いても、スズメに訊いても、分からない子ねこのお家。
結局この歌の中では、子ねこの家は見つからずに、歌がおわってしまう。
今朝、この歌を思いだして、では、迷子の子ねこは一体どうなったんだろう、と思った。
お母さんねこが、迎えにきてくれたのか。
犬のおまわりさんが、家を見つけ出したのか。
子ねこと犬のおまわりさんが、一緒に家さがしをして、わが家へたどり着いたのか。
どうやって家に帰ったかは分からないけれど、きっと子ねこは、しあわせな家庭にもどっていったんだろう。
作詞の佐藤義美さんはきっと、その答えを、この童謡を聴くひとの想像力にゆだねたのだろう。
子ども向けの歌や童謡の歌詞って、けっこう面白くて、興味ふかい。
わたしが子どものころには、そんなことは考えもしなかったが、きっと多くの子どものなかには、幼稚園や保育園でならったり、母親からおそわったときに、そんな素朴なぎもんを先生やおかあさんに、投げかけて、困らせる想像力ゆたかな子どももいるのだろう。
そんな時には、子どもと一緒に、またこの歌を唄って、ワンワン、ニャンニャンと鳴くしかないなあ。
気のきいたおとななら、上手なハッピーエンドのお話しを作って、子どもをよろこばせるのだろう。
なんて、ほほ笑ましい童謡なんだろう。あらめて感心した朝だった。