広報「せりいし」

「せりいし」第10号(2010年9月25日発行)

荏田西地区社協だより
2010年9月

 ゴッホ (1ページ)

ゴッホは本を読むのが好きだった。それから美術館でよく絵を見ていた。
彼は、自分を忘れて本の中に入り込むことができた。
美術館の名画の中にも易々と入り込んで、巨匠たちの目で世界を見た。
それは、彼が読みながら、自分の意見を差し挟んだり、絵を見て自分ならこうするなどと考えずに、そのままを受け入れたからだ。
そうやって「私」を捨て去る術を覚えたんだ。
だから彼の絵は、カンバスに向かって描いたのではなく、カンバスの中から描かれたもののようだ。
彼は絵の中にいて、絵の中からぼくたちを誘っている。
ひまわりの目で室内をながめ、夜空や星や糸杉になってぼくたちを見つめている。
夕暮れの不穏な風のまなざし、カラスとうねる麦畑のまなざし…。
それは日々の計算を忘れさせ、ぼくたちを胸騒ぎの中に引き込んでしまう。

 特別企画
 市ケ尾中学校 平川校長インタビュー
 平川理恵(横浜市立市ケ尾中学校校長) (1〜2ページ)

 7月5日、からっとした夏の日は、まだしばらく先かなと思わせる午前中、プールではもう歓声が聞こえ始めていました。約束の時間に、平川校長は笑顔で迎えてくださいました。

―民間から校長になられたわけですが、そのいきさつをまずお聞かせください。
平川 大学を卒業後、すぐにリクルートに就職しました。今では先輩方々のご活躍で「リクルートは素晴らしい会社」といわれていますが、私が入社した当時はリクルート事件後で「悪の権化」と世の中から見られていました。(笑)リクルートでは営業職に就いていましたが、社内の留学制度で応募して1997年にアメリカの南カリフォルニア大学(University of Southern California)に留学し、MBA(経営学修士)を取って来ました。帰国後、またリクルートでしばらく仕事をさせてもらいましたが、どうしても自分の足で立ちたくなってしまい、1999年に脱サラをしてまったくの1人で会社を興しました。おかげさまで、お客さまと社員にも恵まれ、10年間無借金・黒字経営を達成することができたんですけど、どうしても教育の現場にかかわりたいという思いが募り、会社を譲りました。公募で横浜の民間人校長を受けたところ幸いにも合格をいただきまして、今年4月から校長に就任しました。
―校長という仕事はどうでしょうか?
平川 校長という仕事はエキサイティングでこんなに楽しい仕事はないと思っています。まず、子どもたちがかわいい! 今までの自分自身のキャリアの集大成だと思っています。
―キャリア教育について少しお聞かせください。
平川 文部科学省は広い意味で「職業教育を取り入れるように」と指導していますが、市ヶ尾中学校の場合は伝統的に「福祉教育」に力を入れてきたという実績があります。市ヶ尾中学の子どもたちが、地域の養護施設・身体障害者の作業所・保育園などに2日間出向き、さまざまな体験をさせていただいています。ただ昨今、インフルエンザの流行など予想がつかない事態も発生していますので、生徒全員が体験させていただける場所の確保が難しくなっています。いずれにしても福祉教育は広義の意味でも職業教育なので、福祉教育を十分取り込んだ上での職業訓練にしていきたいなと思っています。
―地域との連携についてはどうでしょう?
平川 現在でも福祉体験の中で直接お世話になったり、夏の地域のお祭りでの焼きそばボランティア(2地域で合計1500食作っています!)や鶴見川のクリーンアップ作戦でのボランティア等々さまざまな場所で地域の皆様にお世話になり、感謝しております。今後、市ヶ尾中学校ブロック(市ヶ尾中学校・荏田西小学校・東市ヶ尾小学校)の小中学校連携で各学校の学事日程と、地域のおおまかな行事日程も載せた「コミュニティカレンダー」を学家地(学校・家庭・地域)連携事業委員会で作成したいと思っています。学校と地域の基本情報をまずは共有することが大切だと感じています。このコミュニティカレンダー作成において、皆様にまたご協力をいただくこともあるかと思いますのでどうかよろしくお願いいたします。
―入学式のときに「何のために勉強するのか?」についてお話されたということですが…。
平川 はい、話しました。ズバリ「だまされないために勉強する」と伝えました。世の中、携帯電話・税金システム・年金問題…、こういった複雑な仕組みは、頭の賢い人たちがちょっと見ただけではわからないように作り上げて、バカはお金をただ払うだけだと…、そういう構図が悲しくもあると思うんです。別に、勉強して、その複雑な仕組みを作る側にいけといっているわけではなく、わかった上で「この程度なら払ってもいいかな?」というふうに判断できる大人になってほしいと思うんです。一番よくないのは、何もわからず、とにかく言われたままやるっていうことです。いろんな意味で自分で選び取れる「いい市民」になってほしいと思います。
 もうひとつは「自分を知るために勉強する」です。「哲学」というのは英語でフィロソフィーといいますが、ラテン語でフィロは「愛する」、ソフィーは「知識」・・・つまり知識を愛すると自分を知ることができるということだと思います。自分を知る  という意味においても勉強してほしいなと思っています。
―先生のおっしゃっている「自立貢献」ということはどういうことでしょう?
平川 自立して世の中に貢献するためには、最低限、「時間を守る」「規則を守る」「挨拶をきちんとする」…このあたり前のことをきちんとしていくことから信頼へつながると思います。翻ってみると、これって自分を律していないとできないことで、結局「自立貢献」とは「自分に厳しく、他人に優しい」ということだと思っています。
―毎日どんなことに力を入れていらっしゃいますか?
平川 1にも2にも授業です。1日2−3コマ、フルで授業を見に行っています。授業観察書としてひとつの授業で3−4ページの記録をつけています。私は教員出身ではないので、細かい授業のノウハウはわかりません。しかし、空いている席に座って、子どもたちの目線で授業を受けていると、ちょっとこれはわかりにくいとか、もうちょっとこうしたらよかったかもとか・・・思うことをそのままぶつけています。例えば因数分解にしても「計算ができる」ということではなく「いったい何のためにやるの?」ということを先生に聞いています。
 中学生は一日の大半を授業に費やしています。企業で言うと、学校の主力商品は「授業」だともいえます。主力商品の品質向上をトップ自ら考えていないと、会社だとつぶれてしまいます。(笑)
―学校教育理念を「自立貢献」として掲げていらっしゃいますが…。
平川 副題に「Live your dreams(夢を生きよう)」とも掲げています。「夢を持とう」とか、「今の若者は夢がない」とか言いますけど、私も中学生のとき何になりたいかなんてコロコロ変っていました。(笑)実際、私のキャリアを見ると「リクルートで営業→アメリカに留学→起業→公立中学の校長」と一見何の一貫性もありません。「夢を生きる」というときに、イチローみたいに野球と思ったら野球一筋命がけという人もいれば、私のように人生その都度一生懸命、その中で自分なりにベストな選択をして楽しく人生を過ごしているというやり方もあると思うんです。今の子どもたちに「夢を持っていないからダメ」というんじゃなくて、「ちょっとでも思うことがあったら踏み出してみようよ」ということが言いたいんです。大玉ころがしにしても、何を始めるにしても、始める一歩に勇気や力が要ります。
 現に私も「校長になりたい」と思ったときに「教職も持ってないし・・・私じゃ無理かな?」と思ったんですが、「ムリかもしれない…でも自分を信じてやってみよう。」と自分を信じてあげるように考えるようにしました。現在の目標は「市ヶ尾中学校を日本一の中学校にする」ということです。人生かけて!本気で取り組んでいます。
―たいへん意欲を持って取り組んでいらっしゃるのがよくわかりました。どうもありがとうございました。

 コラ、コラ、ムム…
 如月眞知の活私開公物語
 第1回 自由な絆 (3ページ)

 あなたにとって、ボランティア活動は身近ですか? 「ボランティアたちは市民社会のリーダーだ」と、経営学者のピーター・ドラッカーは言っていますが、ボランティア活動、あるいは、市民活動に参加しているのは、全人口の5%程度なのです。
 大人になってもボランティア活動に関わっている人は、青少年時代に生徒会活動をしていた人が多いのではないでしょうか。自分のことだけではなく、みんなのことを考える機会のあった人たちが、大人になっても、地域の人たちのために自主的に何かしているのかもしれません。
 ボランティアは自由を求めます。しかし、自立していなければ自由は獲得できないでしょう。最近、ご近所同士の人間関係が希薄になってきたため、人との絆(きずな)を結び、地域での支え合いが期待されるようになってきました。「絆(ほだし)」とは、馬などをつなぎとめる綱のことで、家族や友人とを結びつきを離れがたく繋ぎとめているものの意味なのですが、それが強すぎると甘えによる依存を生じたり、あるいは、強要されたしがらみ・鎖・枷になってしまいます。辞書には、「人の心や行動の自由を縛るもの。自由をさまたげるもの。『義理人情の―』」と書かれています。それがイヤで都会暮らしにあこがれている人もいるのです。でも、自由が行き過ぎると気ままな自分勝手、ジコチューになります。絆は、時代の影響で、ネガティブにもポジティブにも使われてきたようです。現代においても人は、一人では生きていけないのですから、ご近所との関係でも、自立して、お互いの自由を認め合うと同時に、適度な絆が結ばれていることが理想的です。一本の糸を半分ずつ持ち合うのが絆ですから、双方にとって「自由な絆」を、対話を重ねて見出し、綱引きのバランスを維持し、自立した大人同士のさわやかなご近所の助け合いのプラットフォームを創っていきたいものです。
 私は、このコラムで「活私開公(かっしかいこう)」という生き方を探っていきたいと思います。これは、個人を他者関係のなかで活かしながら、ミーイズムに陥らず、人々の公共性を開いていくという意味です。では、また。(ソーシャル・エディター)

 はまかぜ歳時記
 月見草と待宵草(宵待草) 浜風一平 (3ページ)

 暑い夏から秋のはじめの夕暮れ、小川の土手などにぽーっと白や黄色の優しい四弁の花を見つけると、昼の暑さにうんざりしていた体も心も、ほっと涼しくなります。
こんな時、お月様がでてくれば、ロマンチックな気分は、最高ですね! 花言葉は、秘めたる恋、無言の恋です。

  富士には月見草がよく似合う  太宰治

  待てど暮らせど来ぬ人を
  宵待草のやるせなさ   竹久夢二

 ところで、月見草と待宵草とは、同じ草でしょうか? どちらも、待宵草属で、夕暮れに開花する習性で似ていますが、違う草です。月見草は白い花、待宵草は黄色い花を咲かせます。
 このことから、夢二が千葉県銚子灯台の下で、彼女を待ちながら見た花は、黄色い花の待宵草を、詩人的感性で逆さにして宵待草とし、太宰が山梨県の三坂峠の庵でみた花は、白い花の月見草ではなくて、黄色い待宵草の誤りとなります。(三坂峠の花は黄色だけしかありませんから)。

 みなさんも、夕涼みの散歩の足を延ばして、静かに流れる鶴見川。月の光に浮かぶ川辺の道。夕涼みを兼ねて、月見草、いや待宵草を探してみたらいかがですか!

 

(画・上園良典)

 おとんの Travel Diary 辻本 理

 第5回 ホットワイン (3ページ)

 12月にオーストリアのウイーンに行く機会がありました。街は日中でも摂氏0度ぐらいの寒さですが、クリスマスマーケットの賑わいが暖かさを演出していました。マーケットには、日本の夜店のような仮店舗が並び、クリスマスツリーの飾りつけは元より、食料品、衣料品、装飾品など、いろいろなものが売られています。特に安いわけでも、珍しいものを売っているわけでもありません。この時期にここで買い物をするのが風物になっています。
 仕事仲間と一緒にマーケットをひやかしていたときに、ホットワインの屋台を見つけました。赤ワインに甘みを加え、シナモンやクローブの香りをつけて温めたのをマグカップでいただきます。冷えた身体を暖めるのにいいよ、ということで仲間達にも奢ってあげました。すると屋台の小母さんがとても丁寧に感謝を表すではありませんか。ホットワインぐらいで大げさな…と思いました。聞くとクリスマスマーケットのホットワインはチャリティーで売られていることが多いという事。小母さんが握手まで求めてきた意味が後になって解りました。 中央ヨーロッパのクリスマスはこれからみんなの力を会わせて厳しい冬を乗りきろう、という意味合いがあるようです。

 トピックス-1
 緑綬褒状をいただく
 東 寛雄 (朗読・録音奉仕会「かもめ」会長) (4ページ)

 私たちの会、朗読・録音奉仕会「かもめ」は今年4月緑綬褒状をいただきました。
 「かもめ」は30年前に結成され、視覚に障害のある方たちなどが生活に必要な資料や図書の朗読録音を行ってきました。現在は「ふれあい青葉」を拠点に活動しております。
 IT技術の進歩で分厚い本でも1枚のCDに収まるデジタル録音が急速に普及しつつありますが、会員一同、この新技術に早くから取組んできたことも高く評価されたようです。

 

●長年にわたる地道な活動が認められました。おめでとうございます! CD『かもめ わたしたちの三十年』には、その歩みが記録されています。活動に興味をお持ちの方、ご連絡ください。

 トピックス-2
 第14回荏田西ふるさとまつりに参加しました。 (4ページ)

 8月21日に開催された荏田西ふるさとまつりで、第2期青葉区地域福祉保健計画「青葉かがやく生き生きプラン」を展示ブースで紹介しました。お立ち寄りいただいた方々、ありがとうございました。展示だけでなく風船やチラシ、石鹸などを配布し、オリジナルデザインのTシャツや缶バッジも販売しました。少しは社協の名を知ってもらえたかなと思っています。「shakyoって何?」という声も聞こえてきました。

 編集後記らしからぬ…  (4ページ)

●今回は、「特別企画」として、市ヶ尾中、平川校長のお話をうかがいました。お話を聞く中で、少し議論めいたことをしてしまいました。せっかく教育のお話をうかがっているのですから、何事もなく済ましてしまってはもったいないし、こういったことに反論・異論は付きものだと思ったので、生意気にもいろんなことを言ってしまったわけなんです。●そのことを一言も書かないまま終わってしまっては、ぼく自身、これをやっている意味を失ってしまいますので、口幅ったいようですが、そのあたりをぶり返してみたいと思います●「自立」と言ってもいろいろな考え方があると思います。自立は、例えば「わたしは自分自身の所有者である」というような個人主義的な考え方に根差すのではなく、本紙9号で『当事者主権』という本を紹介したとき見たように、社会の中で支え合うことで成立するものとして考えることも可能です。●最近、NHKで放映された『ハーバード白熱教室』を見ていたんですが、ヒドイ日本語版題名のせいで、ハーバードの紹介番組かと思っていたら、ぜんぜん違っていて、これが結構おもしろいんです。(ハーバード大学、マイケル・サンデル教授の「正義について」の授業を記録した番組です。)●番組の中で、サンデル教授はこんな例をあげています。「2人の建設労働者がいる。1人は力が強く、汗もかかずに1時間で壁を立てることができる。もう1人は小柄でひどく痩せていて、3日かけなければ同じ仕事をすることができない。能力主義の擁護者には、ひ弱で痩せた建設労働者の努力を見て、彼は頑張っているからもっともらうべきだ、という人はいない。本当は努力とは違うからだ。能力主義者は本当は努力ではなく、貢献を大事にしているのだ。しかし貢献はわたしたちを生まれながらの才能と能力の問題に引き戻してしまう。そしてそのような才能を持つに至ったのは、自分の行いのおかげではない、偶然だ。」●ぼくなどには、経験的にも、とてもよく解る話です。「世の中そんなもの」と言ってしまえばそれまでですが、こういうことに理不尽なものを感じることが大切なんじゃないかと思うわけです。●何のために勉強するのか? その答えは、ひとから簡単に与えられるべきではないと考えています。わからないまま勉強していくなかで、各自が、それぞれに動機を見つけていくことが重要で、その動機の真正さが問われなくてはいけないんじゃないかと…。なーんて、単なる個人的な考えなんですけどね。●市ヶ尾中と地域との連携については、もちろん、精一杯、協力させていただきたいと考えています。●「せりいし」今回も発行が遅れてしまって申し訳ありません。ご意見等お待ちしています。(奥谷)●

 おしらせ (4ページ)

●「我が家の介護ノートI」はお休みしました。申し訳ありません、次号をお楽しみに。次号は10月中には何とか発行!?

 「せりいし」スタッフ (4ページ)

編集:奥谷敏彦
レイアウト:デザインルーム・ラスコー
イラスト:STAATS/奥谷佳子

 せりいし(迫石/voussoir)題字・松下秀亘  (4ページ)

 アーチの円弧を形作る楔形の石で、それぞれの石が荷重を順に伝達して、両端の柱や壁に逃がす役割を持つ。アーチ構造は、単材の梁でつなぐ構造よりも長い距離をむすぶことができ、堅固である。

 荏田西地区社協 連絡先 (4ページ)

電話/FAX:045-912-4049 ホームページ:http://www.jilitto.com/edanishi-shakyo/
eメール:shakyo@jilitto.com 住所:〒225-0014青葉区荏田西3-10-58 奥谷敏彦

荏田西地区社協広報紙・せりいし第10号
○2010年9月25日発行○編集/発行:荏田西地区社会福祉協議会

 

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