2011年11月26日 (土)

リハビリ体験記 6.手術そして指は動くのか

 9.手術

131日、穿頭手術に先だって、右側大腿の付け根で動脈の触れるところを局所麻酔し、動脈内に細い管(カテーテル)を挿入されました。

レントゲン透視により、カテーテルを脳に向かう頭蓋内動脈まで進めたのだそうです。

 

目的の部位まで進め、カテーテルから造影剤を注入し、レントゲン撮影をして血管を写し出し、血管の状態を調べたようです。

 

 

24日に手術しました。

 

手術室に運ばれて暫くすると激痛で目が覚めました。

頭を局所麻酔したようです。

 

後頭部を剣山で何度も叩かれたような痛みですが、次第に意識がなくなりました。

 

そして、出血部近くの頭蓋に小さな孔を開けて、その孔から細い管で出血した血液だけを吸い取る「定位的血腫除去」という手術が行われたのです。

 

血腫を吸引除去する手術は無事終了しました。

しかし、麻酔が取れても意識は朦朧としていた。

 

 

翌日の夜、寒くて目を覚ますとベッドから床に落ちて、動けずにいました。

 

「だれかナースを」と叫んでいました。

 

暫くするとナースが見回りに来て、ベッドにいる私に懐中電灯を向けて言いました。

「マサおじさん! どうしました?」

「寒いですか 湯たんぽを持ってきますから少し待ってくださいね」

 

床に落ちて、そのまま寝ていたと夢を見ていたのです。

 

翌朝、目を覚ますと何となく昨日までと気分が違います。

 

『気分が良いのは手術が成功したからかな』

『それにしても抜糸まで10日程かかるらしいが、リハビリはどうなるのだろう』

『発症から20日も過ぎたのに、手も足も殆ど動かない』

 

 

10.手の指が動く?

28日、見舞いに来た娘が、ベッドに脚を伸して座っている私の手を握って言いました。

「どうか動きますように」

 

帰ったあと、麻痺の左手を右手で掴んで膝の上に置き、右手を左手と揃えて上向きで並べました。

 

両手を見つめながら思いました。

『左手はどうして動かんのだろう』

 

右手をゆっくり握りながら、左手を同じように握るつもりで動かそうとしました。

当然動きません。

 

『何度も練習すれば動くかもしれない』

『どうせ暇やし、ダメで元々』

何度も試しました。

数日すると、指先がホンの少し動く気がしました。

 

娘や妻が来院したとき、自慢げに言いました。

 

「見て、指が少し動く」

 

「ほんとに動いたね。すぐ握れるようになるね」

  実は、殆ど動いていないのです。

 

でも、私は微かに動くように感じるのです。

動くようになる前兆のように感じました。

 

午後の訓練が終わって、セラピストと一緒に車いすで病室に帰る途中、言いました。

 

「早く会社に戻らんと、会社が大変なことになります」。

 

「まず、基礎訓練を身につけないと、どうにもなりませんね」。

 

「焦らないで、ゆっくりと正確に訓練しましょう」。

 

「ただ、やりたいことは、出来るだけ自分でやってみることです」。

  「そして、一人で出来そうなことは介助無しでやってみてください」。

「方法が分からなければ何時でも聞いてくださいね」。

 

と言うことで、自主トレの必要を感じ、先ずは車椅子の運転を一人で訓練し始めることにしました。

 

 

続く

リハビリ体験記 7.車いすの運転

 

2011年11月18日 (金)

リハビリ体験記 5.セラピストによるリハビリの開始

 救急病院で、私の希望とはいえ、食事やトイレのために、ベッドと車いすの移乗を必要としました。

 

このために、ベッドから起こしてもらったり、ベッドの端に足を垂らして座ったり、両足で立ち上がったり、車いすに30分以上座り続けたりの指導をしてくれたのは、担当医師の許可があっての事です。

 

 そして、発症から間もない時期の、このような動作の訓練が『早期リハビリ』として有効であった事は間違いありません。

 

 さてここからは、急性期病院に転院して、セラピスト指導によるリハビリのお話です。

 

 

 

7.脳神経外科病院

 

127日の10時頃、救急病院の救急車で病院に着くと、処置室で簡単な検診を受けた後、頭部のCT撮影を終え、4人部屋へ。

 

間もなく昼食。最初の食事を車いすに座って、ベッド脇のテーブルで食べました。

 

とても美味しかったのでナースに聞いてみました。

すると使用された塩分量の違い?のようです。

救急病院の食事より、少しだけ塩分が多いようでした。

 

昼食後うとうとしたのと意識が朦朧としていたので、私は覚えていないのですが、主治医が妻に言ったらしい。

 

「手術すれば機能回復はかなり早くなります」

「僅かなリスクはありますが、任せてください」 

「本人とも良く相談して返事してください」と。

 

翌朝主治医の回診がありました。

  「元気そうだね、24日に手術しますから...」

  「心配しなくて大丈夫ですよ」

 

 

昨日、妻に「手術受けようね」と聞かれ、「うん」と返事したらしいが、正直なところ記憶に無いのです。

 

『知らん間に、えらいことに成ってる。まー、成るようになるやろ』

 

 

 

8.理学療法の開始

 

主治医と入れ替わるように、白い制服を着た若い女性がベッド脇に来ました。

 

「マサおじさん?」

「こんにちは」

 

胸の名札を示しながら言いました。

「私はヨシダと言います」

「マサおじさんのリハビリのお手伝いをさせていただきます」

「一緒にがんばりましょう」

 

ベッド脇に座って、意識障害の有無をテストする簡単な質問をしました。そして、

「腕を触りますね」

「足を触りますね」

「どこを触ったか分かりましたか」

 

麻痺側の上下肢をそっと触ったようですが、分かりませんでした。

『特に足の感覚が無いみたいやなー』と思いました。

 

翌日、昨日のセラピストさんが、ベッド脇に来て言いました。

「今日は、ベッドと車椅子の移動が一人で出来るように、此処で練習しましょう」

 

何回かの練習で、一人での移動が可能になりました。

 

救急病院での練習が効を奏したから可能になったのです。

 

セラピストさんも驚く出来栄えなので、救急病院での訓練のことを話して、納得してもらいました。

 

それから数日間、このセラピストさんが車を押して、訓練室まで運んでくれました。

訓練室から病室までの移動もセラピストさんでした。

 

訓練室の送迎は、通常、ナースや助手さんがするそうですが...。

でも、この行為が二人の信頼関係を次第に深くしたように思います。

 

 

続く

2011年11月15日 (火)

リハビリ体験記 4.まもなく転院

4.4人部屋

 

 結局、個室だと人目に付きにくく危険なことも起こりうるとのことで夕方、4人部屋に移されました。

 

 夕食が近づくとベッドが半分起こされ、ベッド用テーブルに食事が運ばれました。

 右手に箸を持たされて、担当ナースが言いました。

 「さあどうぞ、ゆっくり食べてください」

 

 ところがいざ食べようとテーブルを見詰めて驚きました。

 「ご飯だけ?おかずがないと食べられへん」。

 

 そのとき、看護婦さんが優しく言いました。

 「ご主人は、左方向と遠近が認識しにくい症状があります、出来るだけトレー右側の手前に寄せて置いてあげてください」。

【このような症状を、左半側空間無視と言うそうで、右脳の出血で起こる現象らしいです】

 

 ごたごたは有りましたが、食事は少しの介助で、何とか一人で無事終了しました。

 

 暫くするとナースが見に来ました。

 「食べられましたか」

 

「ごちそうさま、美味しかったです」

 「看護婦さん、次回からはベッド脇のテーブルで食事したいのですが...」

 

「車椅子に座れないと無理やね、先生に聞いておきましょう」。

 

 

 翌朝、若いナースがベッド脇に来て言いました。

 「車椅子に座わる練習をしましょうね」

  と言いながら寝ている私の顔に、顔を近づけて、

 「私の首に右腕を回してください、・・・、背中に手を差し入れて起します、・・・、両足を下ろしてベッドに腰掛けましょう、・・・、もう一度首にしっかりつかまってください、・・・、立ち上がりますよ、・・・、そのままで少し回ります、・・・、後ろに車椅子が有ります、ゆっくり座りましょう」

 

「座れましたね、30分座れるとベッド脇のテーブルで食事出来ますね」

 

『頼んでみるもんや、テーブルで食事が出来る』

 『しかし、若い女の子の首にしがみつくなんて病気でなければ出来んこっちゃ』

 『病人の役得やな』。

 

 何回か練習し、朝食から、車椅子に座って一人で食事することになりました。

食事が済んでナースコールすると、暫くして片づけに来てくれました。

 「完食ですね、もう少し座って休息しましょうね」

 

「すぐ寝たら牛になると言うね、時間来るまで退屈やから部屋の外へ、連れてって」

 

「それじゃー廊下を一周しましょうか」

  と言うことで、車椅子での散歩デートをしました。

 途中に綺麗なトイレがありました。

  車いすで入れる、障害者用トイレです。

 

「これからはベッドではなく、ここに連れてきてください」

 「先生に聞いておきましょうね」

 

 

5.意識障害

 

  その後も、様々な幻覚と言うか夢というか、意識障害が続きました。

 

 隣の空きベッドに新人が来たを見て新入社員と思って声を掛けたり、隣の見舞客が煙草をくれたように思ったり、夜は自宅で寝ていると思ったり。

  今思い出しても笑えます。

 こんな事を覚えているのも変なのですが。

 

 車椅子で初めてトイレに行きました。

 「用を済ませたらボタンを押して下さい。私は外に居ます」

 

「絶対一人で動いたらだめですよ」

  と言われたのに、用が済んで、自分でパンツを挙げようと右手で安全棒を握って立ち上がったとき、床に倒れました。

 

 異変に気づいたナーが少し引き戸を引いて言いました。

 「入りますよ」

  そして入室したナースが言いました。

 「痛いところ無い?」

  怪我も無く大丈夫でした。

 

 

6.転院決定

 

 いろいろありましたが、入院から一週間ほど過ぎた頃、居住地の専門病院に転院することを希望するかどうかの質問があったそうです。

  お願いすると、急いで転院手続きがとられ、127日の転院が決まりました。

 

 看護婦さんは皆さん本当に「白衣の天使」でした。

 転院当日、救急病院の配慮で、自家用救急車で転院先の病院まで搬送してくれました。

 

 救急隊員、病院のスタッフ、特にナースの皆さんには、心から感謝しています。

  ありがとうございました。

 

 

続く

 

2011年11月14日 (月)

リハビリ体験記 3.天国に行かずに済んだ

翌朝、無事目が覚めると、担当医がいました。命は、助けたから安心しなさい」

「ただ、今後は禁煙し、アルコールも控えなさい」

「再発すると、命は保証できません」

 

『俺のこと?』

『そら、おかしい、バランスを崩して椅子から落ちただけやん』と、思いながら起き上がろうとした。しかし動けない。

 

左の腕も手首も手も指も動かない。

『そういえば足も動かん』

『どう成ったんやろ』

 

そばにいた妻に聞きました。

「どないしたらええのん?」

 

「落ち着いたらリハビリするらしいよ」

 

「リハビリ? 交通事故じゃあるまいし」

 

『それにしても、何やら訳の分からん事ばっかりや』

ボンヤリそう思いながら再び意識がなくなりました。

 

 

しばらくして目があくと妻がいました。

「ここは?」

「集中治療室よ!」

 

『おかしいなー、ベッドが沢山あるし、こんな広い集中治療用室は見たこと無い』と思いつつ、眠っていました。

 

 

 

3.個室

午前中に集中治療室からとりあえず個室に移動したらしい。

ところが私の意識が朦朧として明確ではない。

 

目が開くと娘がいた。

「アヤ、向こうに誰かいるけど?」

 

「お友達がお見舞いに来てくれたんよ」

  誰もいないのですが、幻覚があるときは、逆らわない方がいいと言われていて、調子を合わせたらしい。

 

その後、部屋に誰もいないときに、ベッドから降りようとして床に滑り落ちたらしい。 

 

床に這いつくばったまま叫びました。

「助けてー」

 

まもなく男性が部屋に入って来ました。

「マサおじさん、大丈夫ですか? 痛くはありませんか」

 

  もう、そのときは意識が殆どありませんでした。

 

 しばらきして目が開くと妻がいました。

 「さっき床に倒れたとき、リョウが助けに来たよ。白い靴履いて白い服着てた」

 「俺のことを、お父さん言わずに、マサおじさん言うてた。変なやつや」

 

 私の声が誰かに届き、男性の看護師がとんで来たのを長男が来たと勘違いしたのである。

 

 

続く

 

 

2011年11月10日 (木)

リハビリ体験記 2.治療開始

2.集中治療室

 

 目が開くと娘がいた。

  「アヤか、どうしたん?」

  「お母さんは?」 

  自分の部屋で寝ているつもりだった。

 

 「お母さんは入院の準備をしてるから、来るのにもう少し時間がかかる」

  「え?」

  「お兄ちゃんも連絡とれたから、もうすぐ来るよ」

  「??」

  

  訳が分からんまま、再び昏睡しました。

 

 暫くして目があくと、妻が私をのぞき込んでいました。

  「さっき、アヤがここに来たよ。なんか変なこと言うて出て行ったけど、どうしたんかな」

  じつは横にいたらしい。

 

 「なんやしらんけど、おなかが重いから乗ってるもん、どけて」

  点滴している左腕がお腹の上で固定され、針を抜かないように右手もガードされているのに何の感覚もない。

 一度無意識に針を抜いて血だらけになり、大変だったらしい。

 

 口からヨダレを垂らし、目をトロンとして、しきりとあくびをする私を観て、家族はどう思っただろう。

 

 『もしかすると』と考えても不思議ではない。

 

 その時、担当医が言ったらしい。「倒れた原因は右脳被殻の出血です、救急処置が早かったので危篤状態は山を越しました。この状態で落ち着けば、寝たきり状態も改善されるでしょう」と。

 

続く

 リハビリ体験記 3.天国に行かずに済んだ

2011年11月 9日 (水)

リハビリ体験記 1.脳被殻出血

 私は2003(平成15)116日に脳卒中で倒れましたが、同年66日にリハビリ病院を退院し、同年622日から元の職場に電車通勤で復帰し、2年少し通常勤務して20059月末に62歳で定年退職しました。

 

  退職して6年が過ぎ、来年の1月で発症から丸9年になります。発症から通勤再開までのことを思い出しながら少しずつ書いてゆきたいと思います。

 

1.会社で事件発生(当時58)

 平成15116日午前10時過ぎ、一服しようとキーボード左前の煙草に右手を伸ばした時、椅子から床に転がり落ちた。『ええ歳してカッコ悪』と思いながら、急いで起きあがろうとした。

 

 しかし、動けない。

 ?と思いながら「誰か助けてー」と叫んだつもりだが声が出ない。

 その時、叫び声を聞いた。

「動ごいたらアカン、救急車呼ぶから」。

 

 間もな遠くから聞こえて来た。「ピーポー、ピーポー、ピーポー」。

 

 私は、『椅子から落ちただけやのに何で救急車?』、と思いつつも、意識が消えて行きそうです。

 

 しばらくすると、救急隊員?の声がした。

  「大丈夫ですよ、・・・、お名前は、・・・、お歳は、・・・、生年月日は、・・・、今日は何日ですか、・・・」。すでに意識はほとんどありません。

 

 

脳被殻出血とは脳内出血の一つです。

 

 

続く

 リハビリ体験記 2.治療開始

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