Jリーグ「それでも戦いは続く、そういうことです」J通算238勝目をあげた西野朗という男
冷え込み始めた万博競技場でサポーターを前にしての監督あいさつが始まったとき、サポーターはきっと、弱小チームだったG大阪を10年かけてJリーグの強豪へと押し上げた西野監督の口から、特別な感慨が語られると思ったはずだ。記者たちももちろん、そのつもりでメモを用意した。リーグでも最長となる10年間にわたり監督を務めながら、日本を代表する多くの選手を育て、文字通り代表に送り込んできた監督の口から、少しはセンチメンタルな言葉も出るのではないか、と。
しかしマイクを握った監督はただ淡々と「この1年間、みなさんに支えられ、本当に感謝している。勝った試合のこのスタジアムの雰囲気に、幸せな気分にしてもらった」「この1年、本当にありがとうございました」「来年も選手たちを応援してください」とコメントしただけであいさつを終えてしまった。どんなことがあっても、「この10年」とは言わず「この1年」で終わらせる。そんなセンチメンタリズムを断固拒否することが、プロ監督としてJリーグをけん引し続ける西野監督という男のプライドなのだと思う。
記者会見でそのことを聞かれるとこう答えた。
「場内一周の際、みなさん(サポーター)が温かい言葉をかけてくださいましたが、(ホーム最終戦を)僕の個人的なあいさつには絶対にしちゃいけないと思った。(チームや選手が変わることは)僕だけじゃない。自分だけが去るようにするのはおかしいから」
96年、アトランタ五輪直前、「選手はプロとして勝負するのに、自分が(日立の)サラリーマンとして負けて帰ってきても職が保障されているなんておかしいだろう?」と言って、プロである選手と「同じ土俵に立つ」と本当に辞表を出してしまった。当時はまだ創設から間もなかった日本のプロサッカー界にあって、この日も「自分だけではない」と思いやったプロ選手たちへの心からの敬意と、「プロ監督」としての自らに求め続ける厳しい立ち位置、信念、哲学を、誰よりも早くから貫き、こだわってきた西野監督らしいコメントだ。
そんな監督の信念を柏時代から知る明神主将は、この日、試合直前のロッカーで「ある言葉」を飲み込んだと教えてくれた。
「キャプテンなんで監督の後に発言機会をもらいますが、監督のために絶対に勝とう、と言おうか考えて止めました。西野監督自身が、オイそれは違うだろう、と言うと思いましたから。プロとして、サッカー選手として、今できることを懸命にやり抜くために感傷的にならない。口数が少ない監督に僕が教わったことです。だからみんなには色々な思いを残り2試合にすべて賭けよう、とだけ言いました」
同じく口数の少ない明神が、サポーターを前に「絶対にミラクルを起こす」と珍しく大声で宣言したのは、サポーターにでもあり、柏を出て大阪に来た自分にでもあり、監督に対する選手全員の想いを代弁するものでもあった。
監督は柔和な笑顔で「僕自身は、(ホーム最後の試合を)このスタジアムに色々与えてもらった、と考えながら入ってきたし、このロッカーで選手に話をしたな、とか、この部屋(会見室)もきょうが最後か、と考えながら楽しませてもらいました。しかし、それでも戦いは続く、そういうことです」と、最後の会見を締めくくった。
その「戦い」の行方は、10年の指揮を執った最後の試合にまでもつれ込む格好となり、ガンバが西野体制でリーグ初優勝を果たした05年と同じ状況となった。「3チームに同じ可能性があると思っているし、どこかにアドバンテージがあるとも思わない」と、10年貫いた攻撃的なサッカーで、清水に対峙する。3チームに可能性が残って最終節を迎えるのは、08年の、鹿島、名古屋、川崎以来3年ぶりとなる。