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[26854] 魔を滅するメイジと使い魔たち【「スレイヤーズ」風・ゼロの使い魔】【11/26次回投稿予定】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/11/23 22:58

第一部「メイジと使い魔たち」
(第一章)2011年03月31日 投稿
(第二章)2011年04月03日 投稿
(第三章)2011年04月06日 投稿
(第四章)2011年04月09日 投稿 【第一部・完】

番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト」
(番外編)2011年04月12日 投稿

第二部「トリステインの魔教師」
(第一章)2011年04月15日 投稿
(第二章)2011年04月18日 投稿
(第三章)2011年04月21日 投稿
(第四章)2011年04月24日 投稿 【第二部・完】

番外編短編2「ルイズ妖精大作戦」
(番外編)2011年04月27日 投稿

第三部「タルブの村の乙女」
(第一章)2011年04月30日 投稿
(第二章)2011年05月03日 投稿
(第三章)2011年05月06日 投稿
(第四章)2011年05月09日 投稿 【第三部・完】

番外編短編3「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!」
(番外編)2011年05月12日 投稿

外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」
(前 編)2011年05月15日 投稿
(中 編)2011年05月18日 投稿
(後 編)2011年05月21日 投稿 【外伝・完】

番外編短編4「千の仮面を持つメイジ」
(番外編)2011年05月24日 投稿

第四部「トリスタニア動乱」
(第一章)2011年05月27日 投稿
(第二章)2011年05月30日 投稿
(第三章)2011年06月02日 投稿
(第四章)2011年06月05日 投稿 【第四部・完】

番外編短編5「いもうとクエスト 〜お嬢さんのためなら〜」
(番外編)2011年06月08日 投稿

第五部「くろがねの魔獣」
(第一章)2011年06月11日 投稿
(第二章)2011年06月14日 投稿
(第三章)2011年06月17日 投稿
(第四章)2011年06月20日 投稿 【第五部・完】

番外編短編6「少年よ大志を抱け!?」
(番外編)2011年06月23日 投稿

第六部「ウエストウッドの闇」
(第一章)2011年06月26日 投稿
(第二章)2011年06月29日 投稿
(第三章)2011年07月02日 投稿
(第四章)2011年07月05日 投稿
(第五章)2011年07月08日 投稿
(終 章)2011年07月11日 投稿 【第六部・完】

番外編短編7「使い魔はじめました」
(番外編)2011年07月14日 投稿

第七部「魔竜王女の挑戦」
(第一章)2011年07月17日 投稿
(第二章)2011年07月20日 投稿
(第三章)2011年07月23日 投稿
(第四章)2011年07月26日 投稿
(第五章)2011年07月29日 投稿
(第六章)2011年08月01日 投稿 【第七部・完】

第八部「滅びし村の聖王」
(第一章)2011年08月04日 投稿
(第二章)2011年08月07日 投稿
(第三章)2011年08月10日 投稿
(第四章)2011年08月13日 投稿
(第五章)2011年08月16日 投稿
(第六章)2011年08月19日 投稿 【第八部・完】

番外編短編8「冬山の宗教戦争」
(番外編)2011年08月22日 投稿

番外編短編9「私の初めての……」
(番外編)2011年08月25日 投稿

第九部「エギンハイムの妖杖」
(第一章)2011年08月28日 投稿
(第二章)2011年08月31日 投稿
(第三章)2011年09月03日 投稿
(第四章)2011年09月06日 投稿 【第九部・完】

番外編短編10「踊る魔法人形」
(番外編)2011年09月09日 投稿

第十部「アンブランの謀略」
(第一章)2011年09月12日 投稿
(第二章)2011年09月15日 投稿
(第三章)2011年09月18日 投稿
(第四章)2011年09月21日 投稿 【第十部・完】

番外編短編11「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ」
(番外編)2011年09月24日 投稿

第十一部「セルパンルージュの妄執」
(第一章)2011年09月27日 投稿
(第二章)2011年09月30日 投稿
(第三章)2011年10月03日 投稿
(第四章)2011年10月06日 投稿 【第十一部・完】

番外編短編12「ハルケギニアの海は俺の海」
(番外編)2011年10月09日 投稿

第十二部「ヴィンドボナの策動」
(第一章)2011年10月12日 投稿
(第二章)2011年10月15日 投稿
(第三章)2011年10月18日 投稿
(第四章)2011年10月21日 投稿
(第五章)2011年10月24日 投稿 【第十二部・完】

第十三部「終わりへの道しるべ」
(第一章)2011年10月27日 投稿
(第二章)2011年10月30日 投稿
(第三章)2011年11月02日 投稿
(第四章)2011年11月05日 投稿
(第五章)2011年11月08日 投稿 【第十三部・完】

番外編短編13「金色の魔王、降臨!」
(番外編)2011年11月11日 投稿

第十四部「グラヴィルの憎悪」
(第一章)2011年11月14日 投稿
(第二章)2011年11月17日 投稿
(第三章)2011年11月20日 投稿
(第四章)2011年11月23日 投稿
(第五章)2011年11月26日 投稿予定 【第十四部・完】

番外編短編14 題名未定
(番外編)現在執筆中


  ……続きは現在執筆中。三日に一回のペースで投稿予定。
 



[26854] 第一部「メイジと使い魔たち」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 23:05
    
 私は追われていた。
 ……いや、だからどーしたと言われると、とても困るんですけど……。

「ねえ、ちょっと待ってよルイズ。あたしを置いてかないでよ」

 いかにも旅の連れですと言わんばかりの態度で追ってくるのは、『微熱』のキュルケ。
 私の行く先々に現れる、自称ライバル。しかし私の金で一緒の宿に泊まったり食事をしたりするのだから、実際は、金魚のフンか、ストーカーか、ヒモのようなもの。

「何よ? 私は忙しいの! 今から行くところがあるの! ついて来ないで!」

 黒いマントの下に、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。こう書けば私と同じ、旅の学生メイジの正装なのだが……。
 なんでキュルケは、ああも下品に着こなせるのだろう? ちょっとボタンを一つ二つ外しただけで、あら不思議。胸を強調した、露出度満点の衣装になってしまう。

「ルイズ! そんなこと言わずに……あたしも連れてってよ! どうせ盗賊退治でしょ!?」

 悔しいが、そのとおりであった。手頃な規模の盗賊団が近くにアジトを構えていると聞き、私は、そこに向かっていたのだ。せっかく、お宝ゴッソリ独り占めの予定だったのに!

########################

 あれから少しの後。
 アジトに乗り込んだ私とキュルケは、あっというまに盗賊たちを一網打尽。まあ美少女メイジ二人にかかれば、ちょろいものである。
 しかし……。

「どうか、命ばかりはお助けを……」

 二人の前に座り込んで、ペコペコと頭を下げる一団。セリフだけ聞いていたら、まるで私たちのほうが悪役じゃないの!?

「貯め込んだ宝は……これで全部なのね?」

「はい! 間違いありません!」

 やっぱり私が悪役っぽい会話だが、誤解してはいけない。私が盗賊たちの宝を没収するのは、彼らの手元には残しておけないため。私が懐にしまいこむのは、誰に返すべきかもう判らないため。けっして私利私欲のためではないのである。

「ねえ、ルイズ。けっこうあるじゃない。もう許してあげたら?」

 何だかキュルケが善人みたいなこと言ってる。私がジト目で睨んだら、肩をすくめてみせた。

「だってさ、ルイズ。ここの人たち、すっかりおとなしくなっちゃって。これじゃ、あたしも戦う気が失せるじゃない?」

「はい! そりゃあ、もう! あなた様たちに逆らう気は、毛頭ありません!」

 盗賊たちも、ここぞとばかりに捲し立てていた。
 まあキュルケの言葉にも一理ある。それじゃ帰ろうか、と私が踵を返した時。

「あっしらだって、あなた様があの有名な『ゼロのルイズ』だと知っていれば、最初から楯つく気など……」

 ピクッ。

 私は足を止めた。

「あんた……今なんて言った?」

「……え?」

「今、私のこと……なんて言った!?」

 盗賊がビビってる。なんかまずいこと言ったっけ、って顔だが、私の迫力に負けて、正直に吐いた。

「えーっと……『ゼロのルイズ』……」

「ふーん……。そう……」

「それが……あなた様の二つ名ですよね? あっしも噂で聞いたことがあって……」

 そうなのだ。私は『ゼロ』のルイズで通っている。

「で? あんたの聞いた噂だと……私の何が『ゼロ』なわけ?」

「は、はい。まず、呪文詠唱時間がゼロで……」

 そのとおり。自慢じゃないが、私は詠唱なしで攻撃呪文を放てるのだ。私が天才美少女メイジと呼ばれる所以である。他人は誰も呼んでくれないけど。むしろ昔は、魔法が使えないと思われて、バカにされてたけど。

「で?」

「それから……情け容赦ゼロ……」

 盗賊の間に流れる噂というなら、仕方ないかもしれない。『悪人に人権はない』というのが私のモットーなんだから。

「……それだけ?」

「あ、あとは……胸が『ゼロ』……。うぷぷ」

 わ、笑いやがった!? こいつ、自分の立場も忘れて、私の胸を見て笑いやがった!?
 もう許さん!

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……」

 私が呪文詠唱を始めたのを見て、キュルケがサッと逃げ出した。

「……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……」

 盗賊たちも、不思議そうに顔を見合わせている。そりゃあ、そうだ。普通は魔法って、『ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ』とか『イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ』とか、それっぽい言葉で詠唱するのだ。私のみたいなのは初耳であろう。

「……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……」

 普通の魔法ではない。系統が『ゼロ』である、私だけで使える魔法。
 かつて始祖ブリミルに破れ、彼に使役されることになったと言われる『魔王』。その『魔王』の力を借りる魔法。
 私に教えてくれる者もいないから、自力で『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の『写本』を探し出して、そこから学んだ魔法。

「……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 呪文が完成する。
 杖を振りながら、私は大きく叫んだ。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

########################

「ねえ、ルイズ……。元気出してよ……」

 盗賊アジトを壊滅させた帰り道。キュルケが私に声をかける。
 あのキュルケが、私を慰めようというのだ。そんなに私は落ち込んで見えるのか!?

「いいじゃないの。どうせ消えたのは、二束三文の物ばかりよ」

「……そうね。そう考えるとしようか……」

 私の竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)は、盗賊だけでなく、そこにあったお宝も一緒に吹き飛ばしていた。
 ハッとしてから、かき集めたが、そもそも、あの爆発を耐えるシロモノなど少なかった。まあ、竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)は、伝説の魔法の一種。伝説に耐えられるのは、伝説級のマジックアイテムだけだったのかも……。

「……ねえ、ルイズ」

「わかってる」

 小声で言葉を交わす二人。
 とりとめのないことを考えていた私の足が、ふと止まる。
 覆いかぶさるかのように道の両側に生い茂る、うっそうとしたした木々。その森の奥へ、私とキュルケは視線を向けた。
 ほんの少しして、一人の男が森の中から道に出てくる。私たちの行く手を遮る形で。

「やっと追いついたぜ、嬢ちゃんたち」

 もう描写するのも面倒なくらい、典型的な『野盗』姿の男。

「よくもさんざ俺達をコケにしてくれたな」

 さっきの奴らの残党らしい。

「……このオトシマエは、きっちりとつけさせてもらうぜ」

 あのなあ……おっちゃん……。

「……と、言いたいところだが」

 男はニヤリと、すこぶる気色の悪い笑い方をした。おやおや?

「正直いって、あんたたちとはやりあいたくねえ。まともにやったら、こっちもかなり痛え目を見ることになりそうだしな」

 だいたい『まとも』にやるつもりはないのだろう。私もキュルケも、既に囲まれていることに薄々気づいていた。森の中は、伏兵だらけ。

「……で、だ。本来なら『おかしらのかたきっ』てなもんで、お前さん達を殺すか、俺達がみんな死んじまうかするまで追っかけ回すのがスジってえもんだ。が、そいつは面白くねえ。……で、どうだ、ひとつ、俺達と組んでみる気はねえか?」

 とんでもないことを言い出した。
 冗談ではない。
 こう見えても私は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。くにの姉ちゃん——王立魔法研究所(アカデミー)で遊んでるペチャパイの方——の一言で、こうして旅をしているが、れっきとした公爵家の三女である。
 魔法学院に籍だけおいてある、学生メイジである。
 悪人の仲間になど、なるわけがない!

「断る」

 一言で突っぱねた。隣でキュルケも頷いている。

「な……」

 男がぱっくりと、大きく口を開けた。
 見る間に顔色が変わっていく。

「こ、このアマ! 下手に出てりゃあつけやがりやがって! そうなりゃあ、こっちにも考えってもんがある。……てめえら、出てこいっ!」

 森の中の手下を呼び寄せる男。
 でも、誰も出てこない。
 そういえば気配もなくなっているような感じだ。
 みんな逃げちゃったのか?
 ……と思っていたら。

「それぐらいにしておくんだな。隠れている部下達は、みんな俺がやっつけた」

 一人の男が出てきた。
 旅の傭兵のようである。
 ただし、着ている物は、鎧でもプレートでも騎士服でもない。青と白の、見たこともない服だった。
 手にしている剣も変だ。ボロボロの錆び錆び。刀身も細い。一振りしただけで折れそうだ。
 まあ顔立ちは悪くはない。ハンサムとは言えないが、これくらいの方が親しみやすい。年齢も私と同じくらいだろう。

「こそ泥、とっととシッポをまいて……」

「やかましい……」

 私が観察しているうちに、剣士と野盗は何か言い合っている。書くのも嫌になるくらい、典型的な口上だ。
 目を点にして、キュルケと顔を見合わせていたら、もう戦闘も終わっていた。
 もちろん、剣士の勝ちである。

「大丈夫か?」

 剣士は私とキュルケのほうに向き直り、そして……しばし絶句した。
 きっと私たちの美少女ぶりに驚いているのだ。キュルケも頭はパーだが、外見は悪くない。まして私は完璧な美少女。
 彼が溜め息をついた。感嘆の溜め息ってやつ?
 それから、彼はつぶやいた。

「……なんだ……子供か……」

 え?

「こういう場面だからイイ女かと思ったのに……。髪は気持ち悪いピンク色で、目の大きさも中途半端な、ペチャパイのチビガキじゃねーか……」

 なんですって!?

「しかも……一緒にいるのは、胸オバケ。大きけりゃイイってもんじゃねーよな……」

 あ。キュルケまでバカにされてる。
 少し胸がスッとしたが、この程度では私の怒りは収まらない。
 しかし、私やキュルケが気持ちを行動に示すより早く。

「なんでえ、相棒。おめえ、胸の大きい女、好きだったろ?」

「うん。巨乳は好きだ。でも……奇乳は好きじゃない。だいたいさ、この世界って、巨乳とか美人とか美少女とか、いっぱいいるじゃん? なんか……俺の基準もおかしくなってきた」

「そりゃあ相棒、贅沢ってもんじゃねーか!?」

「……かもしんない」

 この剣士……剣と会話してる!?
 私とキュルケは、顔を見合わせた。目が輝いている。
 二人の声が揃った。

「インテリジェンスソード! お宝ね!」

########################

 インテリジェンスソード。意志を持つ魔剣である。

「ちょっと、それ見せて!」

「やめろ、娘っ子! 俺っちに触るな!」

「あー。こいつ、俺のことを持ち主だと思ってるから……ごめんな」

「そうだ! 俺っちは……デルフリンガー様! 『使い手』専用の武器だぜ!」

 ここで再び、私はキュルケと顔を見合わせる。熱の冷めた顔だ。
 最初は凄い宝剣かと思ったが……。『デルフリンガー』なんて名前、聞いたこともない。『光の剣』とか『ブラスト・ソード』とか、そういう伝説の剣を一瞬期待しただけに、私たちは落胆したのだった。あの『光の剣』もインテリジェンスソードだって噂なんだけどなあ。
 まあ考えてみれば、こんなボロ剣が伝説の剣のワケもないが、ほら、これだって世を忍ぶ仮の姿かもしれないし?

「あ、そういえば自己紹介がまだだったな。俺、平賀才人。……こっちの世界の言い方だと、サイト・ヒラガ」

「私、ルイズ」

「あたし、キュルケ」

 このサイトって男、どうもおかしい。着ている物もそうだが、『この世界』とか『こっちの世界』とか、言ってることも妙だ。
 キュルケも私と同じ顔をしている。剣も気づくくらいだった。

「なあ、相棒。説明してやれよ。この娘っ子たち……不思議がってるぜ」

「ああ、そうだな」

 サイト曰く。
 彼は異世界の人間である。いつのまにか、このハルケギニアに紛れこんでいた。そして魔剣デルフと出会った。

「はあ!?」

 私とキュルケの声がハモッた。

「それでさ。このデルフ、どうも長生きし過ぎてボケちゃってるみたいで。自分のこと……俺の家に伝わる、家宝の剣だって思いこんでんの。俺、この世界の人間じゃねえのに」

「こまけえことはいーんだよ、相棒!」

「こまかくねーよ!? ……そんでデルフが言うには、俺は本来、誰かの使い魔になるはずなんだと。ちゃんとメイジの使い魔になれば、そのメイジの魔法で、元の世界に戻れるかもしれないって。だから傭兵の真似事しながら、こうして旅してる。……こいつの言うことだから、俺も半信半疑なんだけど」

「悲しいこと言うなよ、相棒。俺っちを信じろ!」

 無茶苦茶な話である。
 しかし、まんざら嘘でもなさそうだ。本当にサイトが異世界人であるならば、この妙な服装も納得できる。明らかに貴族には見えないのに苗字を名乗ったのも、異世界の習慣と思えば理解できる。
 それに。

「ねえ、ルイズ。今の話……聞いた?」

「聞いてるわよ」

「サイト、誰かの使い魔になるんだって」

「そうみたいね」

「普通……人間は、使い魔にならないわよねえ?」

 キュルケに言われんでも。
 
「わかってるわよ」

「でも……ルイズは勉強家だから、例外があることも知ってるわよね?」

 私は小さい頃、魔法の実践が苦手で、その分、座学を頑張っちゃったメイジだ。一般のメイジが知らないことも知っている。そして、私と旅をしているうちに、いつのまにかキュルケも知っちゃった。
 昔々の伝承によれば、始祖ブリミルの使い魔は人間だったという。『魔王』なども使役したが、それは使い魔とは別だそうだ。
 そして、始祖ブリミルの魔法系統は『虚無』。現代の四つの系統とは異なる魔法。おそらく、今のハルケギニアで虚無の魔法を使えるのは、ただ一人……。

「……おい、娘っ子」

 やばい。ボケ剣と目があった。

「おめ、もしかして……『使い手』を召喚するべきメイジじゃねえのか?」

 やばい。サイトが期待の目を私に向けた。私が彼を元の世界に戻せると思ったらしい。

「なあ、娘っ子。試しに……ここで召喚の儀式をやってみないか?」

「ふざけないで!」

 私は剣に怒鳴った。
 何が悲しゅうて、神聖な儀式を、こんな道端でやらにゃあならんのだ!?
 剣は、しょせん剣なのだろう。乙女にとって使い魔召喚がどれだけ大きな意味を持つか、わかってないんだから!

「ねえ、ルイズ」

 私を宥めるつもりなのか、キュルケが優しい声をかける。

「どうせ……あなた『ゼロ』のルイズでしょ? どんな魔法も失敗して、爆発魔法になっちゃう。成功の確率ゼロ。だから『ゼロ』のルイズ」

「キュルケ……それは昔の話よ!」

「あら? 今でこそ、その爆発魔法を使いこなしているけど、でも何でも『爆発』になっちゃうのは相変わらずでしょ? どうせ『召喚』も失敗するから……」

 そこまで言われたら、私にだって意地がある。

「そんなことないわ! 見てなさい!」

 キュルケに焚き付けられて、私は『召喚』を始めてしまった。

########################

「ほら、見なさい!」

 私は腰に手を当てて、胸を張ってみせた。
 今、私の前には大きな鏡がある。ここから、私の『使い魔』が出てくるのだ。

「まだ……何も出てきてないじゃない」

「でも失敗じゃないでしょ?」

 鏡が出現したのは、私の前だけではない。サイトの前にも、同じ鏡が現れていた。その意味は、一目瞭然である。

「さあ、キュルケもサイトもデルフも、気が済んだわよね。じゃあ、この話は、これで終わり……」

「ちょっと待った!」

 みんなに止められた。

「肝心なのが……まだでしょ?」

 キュルケが笑ってる。ああ、もう!

「……そうね。ほら、サイト! その鏡に飛び込みなさい!」

「鏡に飛び込めって言われても……」

 恐る恐る、自分の前の鏡に触れるサイト。

「わっ!?」

 そのまま中に引きずりこまれて、私の鏡から出てきた。
 使い魔とメイジの、感動の御対面である。さっきまで横にいたのだから、全然感動しないけど。

「ほら、ルイズ! 次は?」

 面白がるキュルケ。
 赤くなる私。
 不思議そうなサイト。

「あのねえ、サイト」

 キュルケが彼の耳に口を寄せて、小声で説明。

「使い魔を召喚したら、契約(コントラクト・サーヴァント)をしなきゃいけないんだけど、その内容が……」

 最後の部分は、私にも聞こえなかった。でも、サイトが飛び上がったのは見えた。

「ええっ!? マジっすか!? メイジって使い魔に……『初めて』を捧げんの!?」

 鼻息を荒げるサイト。なんだかんだ言って、私と同じ年頃の少年なのだ。
 彼は服を脱ぎかけたが、私は慌てて止めた。
 
「感謝しなさいよね! 貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないんだから!」

「え? 着たまま? いや俺も初めてだから、よく見えるほうが……」

 バカなこと言ってるサイトの口に、私自身の口を重ねた。

 チュッ!

 こうして私は、乙女の『初めて』……つまりファーストキスを、彼に捧げたのである。
 でも、これがメイジと使い魔の契約。仕方がないのよ、もう!

「ぐあ! ぐぁああああああ!」

 サイトが騒ぎ始めたが、私は気にしない。『使い魔のルーン』が刻まれているだけだ。
 転げ回るサイトに向かって。

「どう? それが『初めて』の痛みってものよ?」

 キュルケが下品な冗談を言っていた。

########################

「……え? それじゃ、ルイズ……俺を元の世界に戻せないの?」

 その日の夜。宿屋でのことである。
 二部屋取ったのだが、キュルケは一人部屋。私はサイトと同室だ。

「そう。私、そんな魔法知らない」

 サイトは私のことを『ルイズ』と呼ぶ。旅に出たばかりの私なら、平民からそんなふうに呼ばれたら、大激怒だったかもしれない。
 しかし、こうして旅をしているうちに、私の考えも変わった。
 くにでヌクヌクと暮らしていれば、貴族は着替えだって平民にやってもらうが、旅に出てしまえば、そうもいかない。
 貴族も平民も、同じ人間だ。貴族は魔法が使えるメイジであるが、メイジ殺しなんて言葉があるように、平民の中にも強い奴はゴロゴロしている。

「なんだよ、それ!? 話が違うじゃん!」

 サイトは、魔剣デルフを睨んでいる。
 実のところ、こうしてサイトと同室なのも、私としては複雑な気分だ。本来の価値観で考えれば、サイトは平民。貴族の下僕。しかも使い魔。うん、私と一緒にいるのは当然だ。
 でも……。サイトだって男の子なのよねえ? 嫁入り前の乙女が、同じ年頃の男の子と同じ部屋に泊まるのって……やっぱり、まずいんじゃないかしら?

「……なんだ? 俺の顔に、何かついてんのか?」

 いつのまにか、サイトは私を見ていた。私の視線が気になったらしい。

「な、なんでもないわ! そ、それより……どうせボロ剣の話でしょ。あんただって『半信半疑』って言ってたじゃない」

「まあ、そうだけどさ……」

 サイトは悲しそうだ。なんだか心の支えを失ったような表情だ。
 ああ、もう! 何よ、それ!? そんな顔しても、私の母性本能は刺激されないわよ!?

「ねえ、サイト」

 頑張って猫なで声で話しかけてみた。

「……ボロ剣の言ってたとおり、私の魔法は特殊なの。だから、誰も教えてくれないの。私自身で、頑張って色々見つけてかないといけないの」

 サイトの顔が、少しだけ明るくなった。

「それって……?」

「そう。旅をしているうちに……いつか、そういう魔法の手がかりも、見つかるかもしれないわね」

「ほらな、相棒。俺っちの言うとおりだろ?」

 今頃、口を挟むデルフ。

「……つーわけだ。しばらくは、娘っ子の旅についていくぜ! よろしくな!」

 サッと話をまとめやがった。こんなところだけ、年の功のつもりかもしれない。ちょっと悔しいから、無視してやる。

「わかった、サイト? あんたを帰す方法が見つかるまで……よろしくね」

「ああ、ありがとう。こちらこそ……よろしく」

 私とサイトが握手をする。彼の手に刻まれたルーンが少し気になったが、それ以上考える暇はなかった。

 トン、トン。

 ドアをノックする音。
 私とサイトが、少し身を硬くする。
 気づいたのだ。ドアの向こうの気配は……ただ者じゃない!?

「誰? どうぞ、入って」

 私は杖を、サイトは剣を握りしめ。
 入ってきた人物に目を向けた。
 小柄な少女だった。

「……こんばんは」

 ボソッとつぶやく少女。
 全身を白いマントと白いローブ、白いフードでスッポリ包んでいる。目の部分と前髪の一部だけが出ているが、その目には眼鏡をかけており、髪の色は青だった。
 見るからに怪しいスタイル。身長より大きな杖を手にしており、明らかにメイジである。

「……あなたと商売がしたい。あなたの持っているあるものを、あなたの言い値で引き取る」

 無表情な口調である。これだけ顔を隠していても、そう思わせる。

「私が持っているもの……?」

「……そう。今日の昼、手に入れたもの」

 なるほど、盗賊の宝か。あの中に、よほどの物があったのか?

「ふーん。でも……取り引きするなら、まず名前くらい名乗って欲しいわね」

 私は自分からは名乗らず、そう言ってみた。
 すると。

「……タバサ」

 青髪の少女は、つぶやいた。





(第二章へつづく)

########################

 全十五部の予定。一応の構想としては、アンリエッタが出てくるのは第四部、ギーシュとモンモランシーが出てくるのは第九部の予定。
 なお『せし』『達』ではなく『する』『たち』にしたのは、章題由来ではなくセリフ由来のつもり。せっかくこういう題名にしたのですから、ちゃんと十五部まで続けたいのですが、はてさて……。

(2011年3月31日 投稿)
(2011年4月12日 サブタイトルを付記/「第二話へつづく」を「第二章へつづく」に訂正)
(2011年5月24日 六ヶ所の「召還」を「召喚」に訂正)
  
  



[26854] 第一部「メイジと使い魔たち」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 23:07
   
「……タバサ」

 青髪の少女は名乗った。だが、まだ名乗っただけだ。
 白いマントと白いローブ、白いフードで全身を隠すという、怪しい格好。その怪しさは、依然として消えていない。

「俺、平賀才人。こっちの世界の言い方だと、サイト・ヒラガ」

「私は、ルイズ。……ルイズ・フランソワーズ」

 使い魔が軽々しく自己紹介を始めたので、私も簡単に名前を告げておく。

「でも……私、そんな胡散臭い格好の人とは、取り引きしたくないわ」

「……わかった」

 あら、案外、素直じゃない?
 タバサはフードを下ろして、マントを外し、ローブも脱いだ。
 中から出てきたのは、黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。要するに、私と同じ、旅の学生メイジの正装である。
 中にもマントを着てたのかオイ、とツッコミを入れたくなったが、私の隣では、サイトが笑い出していた。

「ぷぷぷ……。そんな勿体ぶった格好だから、いったい何が出てくるのかと思いきや……。ルイズ以上のお子様じゃん!」

 ちょっと待て。何気に私のことまで馬鹿にしてないか!?
 まあ確かに、この少女は『お子様』である。
 胸もぺったんこ!
 私よりぺったんこ!
 共感するべきなのか、憐れむべきなのか!

「いやさ、こういう場合って……人間じゃない体が出てくるとか、そういうサプライズじゃないのかよ!? 子供! ま、これはこれでサプライズ! うぷぷ……」

「……だから見せたくなかった」

 タバサがサッと杖を振り、

「ぐへっ!?」

 空気の塊が、サイトのみぞおちに決まった。彼は体を曲げて、苦悶している。
 やはり彼女は、なかなかのメイジのようだ。系統は、おそらく『風』。
 タバサが何もしなければ私がお仕置きしてたかもしれないが、一応、言っておこう。

「やめてよね、私の使い魔を虐めるのは。躾は自分でするから」

「……使い魔?」

 タバサは小首を傾げた。

「……恋人じゃなくて?」

 こ、こいびと!?

「誰が恋人よ!?」

「……あなた」

 わ、わ、わたしが、こ、こんなやつと……。

「怒らないで。あなたと戦いに来たわけじゃない」

 そうだ。タバサは私と取り引きをしに来たはずだ。私もプルプルしている場合ではない。

「……怒らせたのならば謝る。ごめんなさい」

 素直に頭を下げるタバサ。
 しかし。

「お嬢さま!」

 バタンと扉が開いて、老人が一人飛び込んできた。

「お嬢さまが頭を下げる必要など……」

「……いい。これも不要な争いを避けるため」

 タバサの召使いか執事か、そんなところのようだ。こう見えて、それなりの家柄の貴族ということか。

「ま、元はと言えば、私の使い魔がバカなこと言ったせいだもんね。こっちも悪かったわ」

 非があれば認める。これも貴族のプライドである。昨今は謝らないのがプライドだと勘違いしている貴族もいるが、私は、そんな世間知らずな連中とは違う。

「……で、あるものを売ってほしいってことだったわね。何なの、その『あるもの』って言うのは?」

「……言えない」

 私は眉をひそめた。

「それじゃあ取り引きにならないわね……」

「……ふっかけられても困るから」

 なるほど。それに、どれと言われたら私も好奇心が働いて、手放す気が失せるかも。

「じゃ、どうする?」

「……それぞれの値段を言って」

 このタバサって子、無表情でポツリポツリとしゃべる。何とも交渉しにくい相手である。
 でも、何となく理解した。昨日の宝全部に私が値段をつければいいわけだ。そう言えば最初に『あなたの言い値で引き取る』って言ってたっけ。

「わかったわ、なら早速商談にうつりましょうか。品物は像と剣、そして古いコインが少々。じゃあ、まず剣が……」

 私は次々と値を付けた。
 タバサは無表情のまま数歩あとずさり、老僕はまんまるに目を見開く。
 サイトは平然としていた。おお、意外に肝っ玉が大きいのね。
 
「……相場の二倍や三倍は覚悟してた」

 やっとのことで声を絞り出すタバサ。
 私もポンと手を叩いた。

「よく考えたら、とんでもないわね」

「そう。あなたの提示した額は、相場の千倍以上」

「そーねえ。今のはあんまりだから……今言った値の半額でいいわ」

 真顔で言い放つ私を見て、堪えきれなくなったらしい。

「半額!? この小娘! お嬢さまを愚弄するのもいい加減に……」

「ペルスラン!」

 タバサの叱責の声が飛んだ。

「しかし、お嬢さま……」

「言い値と言ったのは私」

 それから彼女は、私を睨む。
 
「交渉決裂。でも今日は取り引きに来ただけ。おとなしく帰る」

 くるりと背を向けて、扉に向かって歩き出した。ペルスランと呼ばれた執事も、彼女に従う。
 タバサは戸をくぐったところで一瞬立ち止まり、振り向きもせずにつぶやいた。

「……明日からは敵同士」

 その瞬間、殺気が渦巻いた。
 私もサイトも警戒するが、そのままタバサ達は去っていく。
 しばらくして。
 サイトが私に聞いてきた。

「なあ、ルイズ」

「……何?」

「お前が言った金額って……そんなに高かったの?」

 いまだにサイトは、ハルケギニアの物価を理解していないらしい。

########################

 翌朝。
 宿の一階にある食堂へサイトと共に降りていくと、既にキュルケが食べ始めていた。

「こっちよ〜〜、ルイズ!」

 私たちも同じテーブルへ。二人が座るや否や、キュルケがニマッと笑う。

「ねえルイズ。ゆうべはおたのしみ?」

「……そんなわけないでしょ。サイトは使い魔、それに平民なの」

 私はジト目で返した。
 こう見えてもサイトは意外に紳士であり、おとなしく床で寝ていたのだ。襲ってきたら返り討ちにしてやろうと思ったが、私のベッドに近づく気配もなかった。別に私に魅力がなかったわけではなく、サイトが理性的だったのだろう。

「え〜〜? 男と女が二人きりで、何もなかったの? つまんない。せっかく気を利かせて、外に出てたのに……」

 キュルケの部屋は、私たちの隣。昨夜のタバサ騒動でバタバタした際、キュルケも気づいて来るかと思ったけど、来なかったのは留守にしていたからか。なるほど。
 ……ん? 一瞬納得してしまったが、ちょっと待て。

「なあ、隣が空いてたなら、相棒はそっちで寝れば良かったんじゃねえか?」

 私と同じ点に思い至って、サイトの背中の剣からツッコミが。
 ちなみにサイト自身は、勝手にキュルケの皿に手を伸ばし、黙々と食べていた。

「じょ、冗談よ! 外に出てたのはホントだけど、それは野暮用。そんなに長い時間じゃなかったわ」

 私が睨んだら、キュルケは慌てて否定する。
 ……というより、野暮用? キュルケの方こそ、ゆうべはおたのしみだったの?
 そんな疑問が、私の顔に出たらしい。

「違うわよ、ルイズ。実はね、昨日の夜、あたしも……」

 ……ん? 『も』?

「……使い魔を召喚したの! ほ〜〜ら!」

 彼女に呼ばれて、外からキュルケの使い魔が入ってくる。
 大きさはトラほどもあろうか。尻尾が燃え盛る炎でできていた。チロチロと口からほとばしる火炎が熱そう。立派な火トカゲ(サラマンダー)だ。
 朝の食堂が、ムンとした熱気に襲われた。
 大騒ぎになった。
 怒られた。

########################

 そして朝食の後、私たちは宿を発った。
 私はサイト、キュルケはサラマンダー。それぞれ、使い魔を連れて歩く。
 今まではアテのない旅だったが、一応の目標が出来てしまった。異世界人を元の世界に戻す魔法を探す旅。……うーん、こうして言葉にすると、とっても胡散臭くて、現実味のない話だなあ。

「で、俺たちはどこへ向かってんの?」

 肝心の異世界人サイトが、この調子である。
 キュルケは何となくついて来てるだけ——時々いなくなるけど——、だから行く先を決めるのは私。

「適当」

「はあ?」

「今まで行った場所には、そんな魔法の手がかりはなかったの。だから、行ったことない場所へ行くの」

 つまり、適当である。
 が、サイトはこれで丸め込まれたらしい。なんだか納得した表情をしている。この男、けっこうクラゲ頭かもしれない。

「ねえ、ルイズ」

「何よ、キュルケ?」

「……魔法学院へ行ってみない?」

 うわっ、珍しくまともな提案してきたよ、この女。
 確かに『魔法』の手がかりならば、どこぞの学院の図書館で書物を調べるのも一つの手だ。
 私だって、旅の学生メイジ。一度も顔を出したことはないが、一応、魔法学院に所属している。たまには立ち寄ってみるのも……。

「ちょうどね、あたしの学校が近いのよ!」

 え?
 キュルケの言葉で、私がギギギッと顔を横に向ける。

「ねえ、キュルケ……。ここから一番近い学院は、トリステイン魔法学院だけど……?」

「そう! あたし、そこの生徒! でも一度も行ったことないの」

 思わず立ち止まって、頭を抱える私。

「どうした、ルイズ。おなかでも痛いのか?」

 サイトがトンチンカンな言葉をかけてくるが、私は聞いちゃいなかった。
 今の今まで、知らなかったのだ。私とキュルケが、同じ魔法学院の生徒だなんて!

########################

 そんなわけで具体的な行き先も決まり、私たちは街道を進んでいた。
 大森林の中を突っ切る形で走っている道だが、この辺りは比較的場所が開けており、かなり大きな野原になっている。
 天気はよく、空は青い。
 でも。

「ねえ、ルイズ」

 キュルケが声をかけてきた。彼女のサラマンダー——フレイムと名付けたらしい——も、唸り声を上げている。

「うん、わかってる。サイトは……?」

「ああ、俺も」

 三人と一匹が足を止めた。
 ワラワラと敵が出てくる。こんな開けた場所の何処に隠れていたのか、不思議なくらい大勢、四方八方から。

「あれ……何?」

「いわゆる亜人ってやつよ」

 御主人様として、ちゃんと使い魔に教えてあげる私。
 今、私たちを取り囲んでいるのは、山賊や野盗といった人間ではなかった。コボルド、翼人、オーク鬼、トロール鬼……。小さいのから大きいのまで、まあ色々である。

「ねえ、ルイズ。この辺に生息してる種族じゃないわよ、これ……?」

「誰かが連れて来たんでしょ。その誰かさんの姿は見えないけど」

 キュルケに言葉を返すと同時。

 ドーン!

 無詠唱で私が爆発魔法——普通の小さなエクスプロージョン——を放った。
 二、三匹のコボルドが一撃で黒コゲに。
 戦闘開始である!

########################

「あっけなかったわね、ルイズ」

「そうね、キュルケ」

 結構な数がいたはずなのに、全部一掃するまで、たいして時間はかからなかった。
 私もキュルケも、超がつくほどの一流メイジなのだが……。それにしても早すぎる!

「使い魔がいると……やっぱりラクなのね」

「そうね、キュルケ」

 キュルケのフレイムは、それほど活躍しなかったけど。
 いや、昨晩召喚されたばかりにしては、キュルケとの息もピッタリあってたし、さすが火竜山脈のサラマンダーだ。
 でも。
 くらべる相手が悪い。
 私の使い魔サイトと比べたら、やはり見劣りしてしまうのだ。

「ねえ、サイト。あんた……本当に強かったのね」

「ああ。だけど……俺自身ちょっと驚いてる。昨日までは、こんなじゃなかったのに……。なんだか急に体が軽くなってさ」

 いやはや。
 実戦経験豊富な私やキュルケでさえ、彼の動きを目で追うのは難しかった。
 これが一流の剣士のスピードかと驚かされたが、今のサイトの言葉で判った。私は、サイトではなく、彼が手にした剣に目を向ける。

「これが……あんたの言ってた『使い手』ってこと?」

「そういうこった。……まだ初歩の初歩だが、相棒は、今まで傭兵稼業してたからなあ。ちょっと『使い手』として力を使っただけで、ザッとこんなもんさ」

「え? 何?」

 当のサイトは、何も判りませんという顔をしている。ああ、もう、このクラゲ頭!

「あのね、あんた、さっき戦ってた時、左手が光ってたでしょ!?」

「ああ! 言われてみれば、そんな気がする! 剣を握って気合い入れたら、なんかピカーって……そういえば、体が軽くなったのも、その時だったかな?」

「それは使い魔のルーン! 使い魔っていうのはね、契約した時に特殊能力を得ることがあるのよ」

「黒猫がしゃべれるようになる……って話が、よく例に出されるわよね」

「俺は猫じゃねえぞ」

 口を挟んだキュルケに対して、サイトは律儀に返していた。

「わかってる。あんたは人。だから特殊。だいたい、普通はルーンも光らないし」

 そして、再び視線を魔剣デルフリンガーへ。目で促されて、剣が続きを語る。

「だから相棒は『使い手』なのさ。かつて始祖ブリミルの使い魔の一人だった『ガンダールヴ』。その再来ってこった」

「へえ。何だか知らんけど……俺、凄いものになっちゃったのか?」

 照れ臭そうに笑うサイト。
 たぶん、こいつ、まだよく理解していない。ボケたボロ剣の言葉が正しければ——そして正しいであろうと私も思うが——、サイトは、伝説の使い魔なのだ!
 ……まあ、私の魔法『虚無』が、そもそも伝説なわけで。私の使い魔が伝説なのも、当然っちゃあ当然なんだけど。
 私は、あらためて剣を見つめる。

「……あんただけね、伝説じゃないのは」

「やい、娘っ子! 俺っちも伝説だぞ!? 凄い能力があるんだぞ!? ただ……ちょっと覚えてないだけだい!」

 憐れみの目線に対して、剣が必死に反抗していた。

########################

 そして、その晩。
 足音がした。
 気のせいではない。
 私が宿でベッドに入って、しばらくしてのことである。

(サイトかしら? 床で寝るのが嫌になった? それとも……や、やっぱり私の魅力に、が、が、我慢できなくなっちゃった?)

 ……なんてことも一瞬考えたが、残念ながら、そんなラブコメ展開ではなく。
 音は部屋の外から聞こえる。複数の人間が出来る限り足音を忍ばせている、そういった音だ。
 私は身を起こした。サイトも体を起こしている。うん、さすが傭兵やってただけのことはある。
 私たちは、静かに動いた。
 しばらくして、足音は私の部屋の前でピタリと止まった。

 バン!

 ドアが蹴り開けられ、人影がいくつか、なだれ込んで来る。ベッドに誰もいないと知り、奴らは慌てた。

「……どこだ!?」

 ここよ、と返事をする代わりに。
 爆発魔法をお見舞いした。

「ぎゃっ!?」

「そこか!」

 私たち二人は、ドアの横に立っていた。
 二人してバッと飛び出し、爆発魔法をもう一発。そしてバタンとドアを閉める。

 ゴウン!

 かなり派手な音がした。密閉した室内で、大爆発だ。

「てめえら! ……ぅげっ!?」

 廊下にも刺客が一人いたが、サイトが斬り捨てた。

「何、今の音!?」

 これは斬り捨てちゃいけない。隣の部屋から出てきたキュルケだ。

「刺客よ!」

「やったの?」

「何人か!」

 私は正直に答えた。フルに詠唱したエクスプロージョンならば全滅だろうけど、今回は、ほぼ無詠唱。一発目は声を出して居場所を知られたくなかったし、二発目は時間もなかったから。
 案の定。
 扉が再び開いて、焦げ臭い匂いと共に、生き残りが出てきやがった。

「俺にまかせろ!」

 使い魔サイトが斬りつける。あっというまに一人が倒れる。
 よく見れば、敵は人間とオーク鬼の混成集団。杖を持つ者はいないようだが……。

「気をつけなさい、サイト!」

 昼間のような広々とした戦場ではない。ガンダールヴ自慢のスピードも、あの時ほどは活かせないだろう。
 私も、ここでは竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)のような大技は使えない。あれでは、宿屋ごと宿泊客ごと吹き飛ばしてしまう。
 キュルケもサラマンダーも系統は『火』、彼女たちが本気でやっても、宿屋は炎上する。
 そんなわけで、私たちは牽制程度。ここはサイトがメイン。だが。

「なかなかやるな、小僧」

 頭の禿げ上がった中年男が、サイトの斬撃を自分の剣で受け止めていた。

「おっさんこそ!」

「なーに、年の功ってやつさ」

 二人が同時に飛び退いた。
 と、その時。

 チリーン……。

 不思議な鈴の音が鳴り響いた。

########################

 まずい、意識が朦朧とする!
 私はガシッとサイトにつかまると、反対の手で、彼のほっぺたをギュッとつねった。

「痛っ!? 何すんだ、おまえ!」

「いいから! あんたも私に同じことしなさい!」

「え? ……おまえ、そういうシュミあったの?」

「違うけど! あとで説明するから、早く!」

 私の切迫ぶりに、サイトも思うところあったのか。
 私の頬に手を伸ばして、ギュッとつねり上げる。
 いてええええ! でも私が命じたのよね、これ。
 二人でつねりっこするメイジと使い魔。はたから見れば間抜けな光景だが、見物人などいなかった。
 さっきまで戦っていた相手も、キュルケも。皆、夢遊病者のように、歩き出していた。キュルケは自分の部屋へ、襲撃者は階下へ。

(もう、いいわね……)

 しばらくしてから、私は手を放した。言わずとも伝わったようで、サイトもつねるのをやめた。
 鈴の音も止み、誰もいなくなっていた。いや、厳密には『誰も』ではない。廊下の端に、男が一人、立っていた。

「どちらに非があるのかは別として、真夜中に騒ぐのは他の客に迷惑だぞ」

 青みがかった髪と髭に彩られた顔は、まるで彫刻のよう。筋肉がたっぷりついた上背は、さながら古代の剣闘士のよう。見た感じは三十過ぎ程度だけど、こういう奴って若々しく見えるのが定番よね?

「ありがとうございます。助かりました。……あなたは?」

 礼を言いながらも、私は警戒を解かなかった。
 彼の手の中にある小さな鈴。あれが、たった今の不思議な現象の原因。おそらく心を操るマジックアイテムだ。そんな鈴があるなんて、具体的には聞いたことないけど、何せ世の中は広い。私の知らないお宝で溢れているはずだった。

「いや、ただの同宿の客だ。不審な連中……こいつらが足音を忍ばせて歩いているのを見て、つい首を突っ込んでしまったが……」

 ここで男は、満面の笑みを浮かべた。

「……君は、この『鈴』に対抗するほどのメイジだ。私などの出る幕ではなかったかな?」

「いえいえ、とっさの対処が偶然うまくいっただけで。……で、その鈴は何です?」

 欲しい。とっても欲しい。まあ無理だろうけど、せめて少しでも情報を。どこで手に入れたのか、それくらいは……。

「ああ、たいしたもんじゃないよ。ほんの手慰みで、試しに作ってみたシロモノだ」

「え!? 作った……!?」

 驚きのあまり聞き返してしまったが、男は聞いていなかった。一人でブツブツつぶやいている。

「そこそこの自信作ではあったんだが……初見であんな対応されるようじゃ、やっぱり捨てた方がいいか……」

 それを捨てるなんて、とんでもない!
 捨てるくらいなら、私にくれ!
 そう言いたいところだが、ここは慎重に。
 私は、もう一度、男をジッと眺めた。どこかで見たような顔なんだよなあ? そして、こんな魔道具を作製する能力……。

「あ!」

「……ん? なんだい?」

 今度は男も、私の叫びに反応する。

「あなたは……もしかして『無能王』ジョゼフ様ですか!?」

 男の表情が、肯定の言葉だった。

########################

 ガリア王国の当代の王ジョゼフは、幼少時から魔法の才能に乏しく、父母や臣下から軽んじられていたという。
 それは即位してからも変わらず、役人や議会からは「内政をさせれば国が傾き、外交をさせれば国を誤る」と言われる始末。邪魔者あつかいされた彼は、諸国漫遊の旅に出た。
 しかし、この辺りから彼の評判が一変する。
 いつのまにか彼は、魔法が苦手な代わりに、別の才能を身に付けていたらしい。
 誰も使えないマジックアイテムを使いこなしたり、新しいマジックアイテムや魔法薬を開発したり、それで人々を助けて回ったり……。
 おしのびで旅する、庶民の味方となったのだ。
 そうなると「魔法が使えない」というのも、平民からは親近感を持たれる理由となった。そんなわけで人々は彼を『無能王』ジョゼフと呼ぶ。彼に関しては、『無能王』という単語は、親しみをこめた言葉なのである。

「私を知っているというのであれば、話は早い。実は……」

 その有名なジョゼフ王が、私に何か秘密を明かそうとしていた。

「この騒動……まんざら私にも無関係とは言えなくてね。見たところ、タバサの手の者のようだから……」

「タバサを知っているのですか?」

 王様に対して、本来、こんな口の利き方をすべきではない。
 だが、自国の貴族からは半ば追い出され、平民の間で受け入れられたジョゼフ王である。かしこまった態度は好きではないというのも、有名な話であった。

「もちろん、知っている」

 ジョゼフ王は頷いた。

「彼女は私の敵だ。魔王シャブラニグドゥを復活させようとしている少女だからね」

 さあ、とんでもないことになってきた。
 安宿の廊下で立ち話する内容ではない。
 チラッと隣を見ると、サイトはポカンとしていた。

「残念ながら……相棒は、話から完全に脱落してるぜ?」

「わかってる。あとで説明したげる」

 剣のフォローに冷たく返してから、私は、再びジョゼフ王に。

「本当なんですか?」

「間違いない。タバサは、人と人形と氷の合成物として生を受けた存在だ……」

 へえ。あの子、普通の人間じゃなかったのか。人形とか氷とか、だからあんなに無表情なのかな?

「……魔王を復活させることで、より強大な力を手に入れて、亜人たちだけの世界を作ろうとしているらしい」

「バカなことを……」

 正直、この世界における『亜人』の扱いというものは、よいものではない。貴族も平民も同じ人間だと言える者が少ないように、人間も亜人も同じ生き物だと思う者は少ないのだ。
 だからタバサが亜人の一種であるならば、人間に対して反抗心を持つのも、わからんではない。しかし……『亜人たちだけの世界』というのは、さすがに行き過ぎである。

「……察するに君は、魔王を解き放つ『鍵』を偶然手に入れてしまい、それでタバサに狙われているのだろう?」

「まあ、そんなところです」

「ならば、私が『鍵』を預かろう。そうすれば、もうこれ以上……」

「それはできません!」

 私は強く叫んでしまった。自分でも不思議なくらいに。
 せっかくのお宝を他人に渡したくない。それが気持ちのメインだ。だが、それだけじゃない。ちょっと考えて、それなりの理由があることに気づいた。

「王様の話から考えて、タバサは、生きとし生けるもの全ての共通の敵。私たちも戦いましょう。……ならばこそ、私たちが『鍵』を持ち続けたほうがよいのです」

 この男が世間の噂通りのジョゼフ王であるならば、私の考えを全て説明する必要もないはず。小出しにしてみたら、案の定、わかったような顔をしてくれた。

「……囮になるつもりか」

「はい。王様と私たちが手を組んだと知られないためにも、現状維持が得策かと」

「しかし……危険だぞ?」

「大丈夫です。私も、そこそこ名の通ったメイジですから」

 自信ありげな私の言葉に、ジョゼフ王が目を細める。

「失礼だが……君の名は?」

「申し遅れました。私は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。メイジ仲間の間では、『ゼロ』のルイズと呼ばれております」

「ほう! 君が、あの『ゼロ』の……」

 満足げに頷いたジョゼフ王は、私の部屋の方へ歩いていく。
 え? 私の部屋に泊まるつもり? 私そんな気ないんですけど!?
 ちょっと焦ったが、そうではなかった。懐から小さな玉のようなものを取り出し、部屋の中に放り込んで扉を閉める。シューッという音が聞こえてきた。これも何かのマジックアイテムらしい。

「では、私は自分の部屋に戻るとしよう。『ゼロ』殿が囮になってくれるというのであれば、私は、陰から援護するまでのこと……」

 言うと、そのままスタスタ歩み去っていく。
 すると早速、サイトが話しかけてきた。

「なあ、ルイズ」

「何よ? 説明なら、部屋に戻ってから……」

「そうじゃなくて、その部屋のことなんだけど」

 サイトは部屋を覗き込んでいた。私も視線をそちらに向けて……。
 げっ!
 絶句した。部屋の中は、まっさらな状態に戻っていたのだ。襲撃前の状態に。
 私の爆発魔法の跡もなければ、それでやられた死体すら消えている。
 さすが、ジョゼフ王の魔道具。信じられない凄さであった。

########################

 部屋に戻った私とサイトは、二人でベッドへ。といっても、艶っぽい話ではない。

「じゃ、約束だから説明してあげる」

「ああ、頼む」

 安宿の小部屋では、話し合うテーブルもなかったのだ。床に座り込むよりはマシと思って、向かい合ってベッドの上に腰を下ろしたのである。

「まずは、ほっぺたつねったことだけど……」

「あ、それは何となくわかった。催眠術か何かなんだろ、あれ? 魔法とは違うけど、俺の世界にも、そういう技術がある。嘘か本当か怪しいテクニックだけど」

 正しく理解されたかどうかは不明だが、私のシュミではないと判ってもらえたら、それでいい。

「じゃ、次は『無能王』ね。ジョゼフ王は……」

 と、ジョゼフ王に関しても説明。
 さあ、いよいよ次が、メインの話題である。

「そして、魔王シャブラニグドゥ。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』とも呼ばれてるんだけど……」

 ここで私は、チラッとボロ剣を見た。

「なんだい、娘っ子?」

「あんた……もしかして数千年前の戦い、参加してるんじゃない?」

「ああ、あれか……」

 来た来た!
 こうしてサイトに説明することになれば、この剣からも話が聞けると思ったのだが、やっぱり!
 どこまで信じられるかわからないボケた剣だが、それでも伝説の生き証人であるなら、一応の話は聞いておきたかった。
 が。

「……うん、思い出せねえ」

 うわっ、この役立たず!

「はあ。……まあ、いいわ。途中で何か思い出したら、フォローして」

 少し落胆しながら、私は語り始めた。

########################

 この世の中には、私たちが住む世界とは別に、いくつもの世界が存在していると言われている。それらの世界は、『混沌の海』とか『大いなる意志』とか呼ばれるものの上に作られているという。そして、どの世界でも『神』と『魔』が争いを続けている……。
 ハルケギニアでは、数千年前に一つの決着がついた。始祖ブリミルが、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥに勝利したのだ。

「それって……神様が悪魔を滅ぼしたってこと?」

 違うわ、サイト。
 シャブラニグドゥは始祖ブリミルの軍門に下り、彼に使役されることになったの。
 一部では「魔王がブリミルの使い魔になった」と誤解しているけれど、始祖ブリミルの使い魔が人間だったことは、デルフリンガーの話のとおり。
 そして、これも誤解している人がいるようだが「始祖ブリミルが死ぬ際、魔王も一緒に滅んだ」というわけではない。もし滅亡したのであれば、魔王の力を借りた呪文など消え去ったはずなのに、私のように使える者もいるのだから。

「じゃあ、結局、魔王はどうなったわけ?」

 私が信じている伝承では「始祖ブリミルは、その身に『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥを封印した」ということになっている。それによると、ブリミルの死後、魔王の魂は分断されて、ブリミルの子孫の中に転生していくらしい。人間の中で転生を繰り返すことで、魔王の『魔』が浄化され、魔王の『力』だけが残るという仕組み。
 ……まあ何とも都合のいい話だけれど、この分断転生説を裏付けるような事件が千年前に発生した。魔王シャブラニグドゥが復活したのだ!

「魔王復活!?」

 そう。
 ただし、トリステインとかガリアとかロマリアとか、そうした主要国家の近くではなく、遥か東方。
 始祖ブリミルがハルケギニアに初めて降り立ったとされる伝説の場所『聖地』で、魔王シャブラニグドゥは復活した。

「聖地で……魔王? 言葉だけ聞いていると、なんだか皮肉な感じがするんだが……」

 まあ、当然ね。
 しかも、皮肉なことがもう一つ。
 千年前の魔王降臨の際、魔王に立ち向かい、最終的に魔王を封印したのは、私たち人間ではない。
 私たちが忌み嫌う存在であるはずのエルフが、私たちのために頑張ってくれた。しかも、彼らエルフは魔王を大地に繋ぎ止めるため、その地に今も留まっている。
 そんな事情があって、『聖地』は『シャイターン(悪魔)の門』と呼ばれるようになった……。

########################

「……というわけで、私たち人間は、東へは行けなくなっちゃったの。もしかすると、はるか東方にこそ、未知の魔法の手がかりもあるかもしれないけど……さすがに私も、エルフや魔王のところに乗り込んでケンカ売る気はなくて……」

 正直に言ってしまった。
 サイト、怒るかなあ? 失望するかなあ?
 ……と少し心配したのだが。

「むにゃ〜〜」

「サイト……あんたって人は……」

 いつのまにか寝てますよ、この男は。
 しかも、私と向かい合ったまま、前のめりに倒れ込む形で。つまり、私の太腿の上に倒れ込んで。
 ……あれ? これって……い、いつのまにか、わ、わ、私、サイトに膝枕してるってこと!?

「なんでえ、今頃気づいたのか、娘っ子?」

 のほほんとつぶやくボロ剣。
 あんたは剣だから判らないんでしょうけど、乙女の膝枕というのは……。

「ん〜〜むにゃむにゃ〜〜。ルイズ……」

 ……ま、いっか。
 やたら幸せそうに眠るサイトを見ていたら、ボロ剣への怒りもスーッと消えてしまった。
 これも、今日一日がんばった使い魔への御褒美ということで、許すとするか。別に私、ヘンなことされてるわけじゃないんだし……。

「混沌の海……大いなる意志……」

 あら。私から教わった話を、寝言で復習ね。ちょっと可愛いかも。
 ……なんて思っていたら。
 こいつ、手が動いてやがりますよ!? しかも……。

「混沌の……大いなる……。広くて……平らな……大きな世界……。平らな……平らな……とっても平らな……。どこまでも平らな……まるで洗濯板……」

 アンタどこ触ってんのよッ!!

「こ、こ、このバカ犬ゥゥゥッ!!」

 お仕置きエクスプロージョンが炸裂したことは、言うまでもない。





(第三章へつづく)

########################

 「スレイヤーズ」原作一巻で、二巻の舞台となる地名は出てくるので、このSSでも場所だけ先に提示しておくことに。
 「ゼロ魔」には、あらゆる『獣』を操るという『神官』キャラがいるので、このSSにも早く登場させたいのですが、まだまだ我慢。

(2011年4月3日 投稿)
(2011年5月24日 二ヶ所の「召還」を「召喚」に訂正)
   



[26854] 第一部「メイジと使い魔たち」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 23:09
   
 朝。
 食堂に現れた私を見て、キュルケは目を丸くした。

「ねえ、ルイズ。あなた、何を引きずっているの?」

「使い魔よ」

 なかなかサイトが起きないから、親切な御主人様である私は、食堂まで連れてきてあげたのだ。あくまでも『連れてきてあげた』であって、『引きずってきた』ではない。

「よく見ると、そうね」

 キュルケは、頷いて言った。
 私も、あらめてサイトを見る。大きく腫れ上がった顔とこびりついた血で判りにくいが、どう見てもサイトだ。一応、寝る前に薬は塗ってあげたし、今も息はしている。

「何したの、彼?」

「私の胸を触ったのよ」

「まあ!?」

 キュルケは驚きながらも、顔をニンマリとさせた。

「ルイズ、あなたも女になったのね! 二晩目で結ばれたわけか……。で、いきなり、こんなハードなプレイってこと?」

「下品な冗談いわないで。キュルケ……あんたも、こうなりたい?」

 私が真顔で返すと、一瞬でキュルケの顔から笑みが消える。彼女は、首を左右にブルブル振っていた。

########################

「それじゃキュルケ、昨日のこと覚えていないの?」

 こもれ陽のなかを走る街道を、肩を並べて歩きながら私は言った。
 数日前から同じような森の中ばかりを歩いている。いいかげん、この木ばかりしか見えない風景にも飽きてきたが、まあ仕方あるまい。
 トリステイン魔法学院へ行くと決めてしまったのだから。
 全寮制の学校にはよくある話で、トリステイン魔法学院は、辺鄙な大自然の中にあるらしい。よって魔法学院までは、これと似たような風景が連なっているわけである。

「ん……」

 キュルケは、しばし考え込む。
 ちなみに、フレイムはキュルケの後ろをノッシノッシとついてきているし、サイトもトボトボと最後尾を歩いている。さすがに昨晩はやりすぎたと私が反省し心配した頃に、ちゃんと彼は復活したのだ。

「やっぱり覚えてないわ。騒がしくて廊下に出て、鈴の音が聞こえてきて……。記憶はそこまでね」

 ということは。
 あの鈴は、他人を操るだけでなく、その間の記憶も残さないわけか。
 なかなか恐いアイテムだ。変態さんの手に渡ったら、私のような美少女は何をされることやら。

「……で、気づいたら朝だったのよ。普通にベッドに寝てたから、あれって夢だったのかしら……って思ったくらいだわ」

 話を締めくくったキュルケは、好奇心に満ちた目を私に向ける。

「結局、あの後、どうなったのよ?」

「いいわ、教えてあげる。実はね……」

 一応はキュルケも仲間だ。『無能王』ジョゼフが出てきたことや、ジョゼフ王から聞いた話を、ちゃんと伝えた。
 聞き終わったキュルケは、口をあんぐりと開ける。

「ルイズ……。あなた、とんでもない話に巻き込まれたわね」

「そうね」

 アッサリ返した私の顔を、キュルケは覗き込んだ。

「もしかして、ルイズ。ジョゼフ王の話……信じてないの?」

 鋭いことを言う。
 まあ、キュルケならそれくらい判るかな、って思っていただけに、私も驚かない。

「……外見もマジックアイテムも、たしかにジョゼフ王っぽかったわ。でも、ジョゼフ王って、おしのびで旅してるお偉いさんでしょ? 名を騙るニセモノが出てきても不思議ではない」

「そのタバサって子? その子の仲間かもしれない……って考えてるのね?」

「そういうこと」

 あくまでも可能性の一つである。

「そうね。何であれ、警戒するに越したことないわね」

 まるで私の心を読んだかのように、キュルケがつぶやいた。
 私もキュルケも、世間知らずの貴族ではない。旅をしている学生メイジだ。初めて会った人間の言うことをホイホイ信じるほど、愚かではなかった。
 ここで私は、チラッと後ろを見る。眠そうな顔でサイトが歩いている。
 サイトの話は、なんだか、最初から受け入れてしまったが……。これも運命ってやつ? もちろん、男と女の、ではなく、メイジと使い魔の、である。
 ……と、ちょっとバカなことを考えていたら。
 
「ねえ、ルイズ。 あれって……」

 キュルケが立ち止まり、私も足を止めた。
 向かって右側は、生い茂る森の木々。左側は、ちょっとした広場のようになっている。
 まっすぐ伸びる街道の真ん中に、一人の少女が立っていた。
 黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。手にした杖は、身の丈より大きな、ごっついタイプ。

「今日は白ずくめじゃねえんだな」

 いつのまにか私の横まで来ていたサイトが呟いた。さっきまでの顔とはまるで違う、剣士の顔だ。こうして見ると、結構りりしいのね、サイトって。

「キュルケは初対面ね。あの子が……タバサよ」

 私の言葉が合図だったかのように、タバサも口を開いた。

「……例のものを渡して」

「嫌だと言うなら力ずく……ってこと?」

 タバサが頷く。
 私の隣でキュルケがハアと溜め息をつく。

「あたしたちの実力は、昨日のでわかってるだろうに……。一人でやってきて、ずいぶんな自信ね」

「一人ではないぞ」

 キュルケへの返事は、別のところから飛んできた。
 後ろだ。
 声の方に目をやった。
 いたのは禿頭の中年。昨晩の宿屋襲撃で、サイトと斬り結んだ男である。今日は剣ではなく、杖を手にしている。こいつメイジだったのか。

「要はこの女から神像をいただけば、それで終わりだろ、タバサよ」

「ミスコール男爵!」

 タバサの叱責が飛ぶ。
 男爵は一瞬、ポカンとした顔をする。

「……そういや、こいつらにはまだモノが何か言ってなかったか。……まあしかし、どちらにしても同じこと。こいつらは、ここで死ぬのだから」

「勝手なことを言ってくれるわね」

 私はズイッと一歩前に出る。キュルケも続いた。

「そうよ? あたしたちを相手に、たった二人で……」

「二人ではない」

 また別の声だ。キュルケが何か言う度に敵が増えてる気がする。
 タバサの横手から出てきたのは、これも禿頭の大男。杖を手にしているので、こいつもメイジ。

「ミスコール男爵の手には余ると聞いたのでな。このピエール・フラマンジュ・ド・ソワッソンがお相手つかまる!」

「……渡して」

 無表情のタバサが、再度要求する。やる気満々の男たちとは対照的に、命まではとらないよ、というつもりらしい。
 しかし私たちとて、おとなしく降参するようなタマじゃない。
 私が何も言わずとも。

「どうでもいいさ、いくぜ!」

 魔剣を手に、サイトが駆け出していた。
 しかし同時に、サッとタバサが杖を振る。
 いつのまに呪文詠唱していた!?
 驚く間もなく、飛んできた氷の槍を回避する私たち。それぞれ素早くその場を飛び退き、さらに私は、無詠唱のエクスプロージョンで迎撃。
 爆発が煙を生み、氷は水蒸気と化す。辺りはもうもうとして、視界が遮られた。
 まずい、離れ離れになった!?
 煙の向こうで、刃を交える音が聞こえる。サイトが誰かと戦っているのだ。敵に剣を手にした者はいなかったはずだが、『ブレイド』——杖に魔力を絡ませて刃とする魔法——を使ったのだろう。

「サイト! キュルケ!」

 叫んだそのとたん。
 目の前に青白い塊が。またも『氷の槍(ジャベリン)』だ。

「とっ!?」

 あわてて飛びすさる。
 徐々に薄れゆく煙の中、ゆっくりとそいつは姿を現した。

「あなたの腕……試させてもらう」

「……タバサ!」

 彼女が手にした杖には、もう次の氷の槍が絡みついている。しかも大きい。彼女の魔力の大きさを象徴していた。

「いいわ! こっちこそ……あんたを試してあげる!」

 そう言いながら、身を翻す私。森へ駆け込んだのだ。
 広いところで戦うより、木々を盾にした方がいい。いくら巨大なジャベリンだって、何本も大木を貫通する間には、威力は弱まる。一方、私のエクスプロージョンなら、そんなもの関係なく、根こそぎ爆発だ。
 後ろで今ジャベリンが放たれる気配はなかった。私を追って森の中へ入ってくるようだ。
 ……と、そこまでは予定通り。が、私はまだタバサを甘く見ていたのだ。

「えっ!?」

 いきなり前方からの突風。私の足が止まる。
 誰かの魔法だろうが、方角から考えて、タバサや禿頭二人ではない!
 つまりタバサは、森の中に伏兵を潜ませていたのだ。

「……期待外れ」

 タバサに追いつかれた。
 次の瞬間、彼女の膝蹴りが私のみぞおちに食い込む。
 吹っ飛んだ私は、背中から木に叩き付けられた。

「あんた……魔法だけじゃなくて、戦術も体術も……やるわね……」

 苦悶をこらえて、私が顔を上げる。
 まずい!
 すぐ目の前にタバサがいた。そして……。

########################

 気がつくと、知らないところにいた。
 今は使われていない、古い屋敷か何かの一室のようだった。
 左の頭がズキズキする。
 殺されはしなかったが、安心してもいられない。私は両手を縛られ、天井から吊るされていたのだ。

「大ピンチ。捕まっちった。情けなや……」

 リズム良くつぶやいても、状況は良くならない。
 目の前には、タバサがいた。
 老僕もいる。たしか名前はペルスラン。
 二人の禿頭もいた。ミスコールとソワッソン……だっけ?

「ようやくお目覚めか」

 口を開いたのは、ミスコールだった。
 戦場ではないせいか、ずいぶん表情が緩んでいる。っていうか、ニタニタしている。なんだか気持ち悪い。
 続いて、タバサが問いかけてきた。

「……あれはどこ?」

「さあ? 何のことかしら?」

 とぼける私。禿頭二人が怪訝な顔をする。

「おいおい、どういうことだ?」

「彼女は『神像』を持っていない」

「何!?」

 タバサの言葉に、男たちが驚きを示した。

「きちんと調べたのか? 裸にひんむいて?」

「ミスコール男爵! 敵とはいえ、相手はレディであろう!?」

 仲間を叱責するソワッソン。なるほど、同じ禿頭メイジであっても、かなり性格は違うようだ。

「……そこまでしなくてもわかる。隠す場所ない」

 タバサが、あらためて私に視線を向けた。
 今の私は、いつもの格好からマントと杖を取り上げられた姿。宝にあった神像は一つだけ、あれは結構な大きさだったから、服の間に潜ませるのは無理だ。
 でも……。
 あんた、私の胸を見て言ってるでしょ? 挟む谷間もない、って意味で!? あんたにだけは言われたくなかったわ!
 敢えて口にはしなかったが、顔に出てしまったのか。ミスコールは、私とタバサの胸を見比べて、好色な笑いを浮かべていた。

「なあ、タバサ。なんだったら、俺が調べてやろうか?」

「ダメ。あなたは『調べる』だけじゃすまない」

「そんなこと言うなよ……」

 彼は私に近づき、ジロジロと視線を這わせた。
 それだけで、こっちは気分が悪くなってくる。

「こいつは敵だが……気品のある顔立ちをしておるぞ? このまま死なすのは勿体ない。それに……この素晴らしい胸!」

 え?
 何か聞き慣れない単語を耳にしたような気が……?

「そのぺったんこ具合が、俺の心をかき乱すのだ。……たまらん! 貧乳、たまらん!」

 ぎゃあああ! 変態だ! 変態がいる!
 私が騒ぐまでもなく、ミスコールはタバサの杖で頭を叩かれ、その場に失神。

「……ありがとう」

 しかし、タバサは首を左右に振った。

「神像を渡して」

 今度は私が首を振る番だ。
 どこに隠したのか、誰が持っているのか。話すつもりはなかった。
 少しの沈黙の後、タバサはつぶやく。

「ひと晩、時間をあげる。朝までに決めて」

 そして、私とミスコールを交互に見ながら。

「渡すか、渡されるか」

 そう言って、部屋から出ていった。老僕も後に続く。
 気絶しているミスコールを担ぎあげながら、ソワッソンが、私に憐れみの目を向ける。
 ちょっと意味が判らないので、彼に尋ねてみた。

「えーっと……あれって、どういう意味?」

「つまりな。我々にあなたが神像を『渡す』か、ミスコールにあなたが『渡される』か、その二者択一だ」

 彼も去っていく。

「ああ、そういう意味ね。……って、ええーっ!?」

 ようやく理解した私は、一人で絶叫していた。

########################

 やがて闇が落ちた。光源といえば唯一、窓から漏れる星明かりのみ。
 朝までに考えろ、とは言われたものの、私はうつらうつらとし始めていた。天井から吊り下げられたままで熟睡などできないが、昼間の疲れなどもたたっていたようだ。
 どれくらいたったか……。
 扉が音も立てずに開いた。誰かが部屋に入ってくる。
 瞬時に私は覚醒する。

「静かにして」

 囁くような声の持ち主はタバサだった。まだ朝ではないし、私の返答を聞きに来た、という感じでもない。
 暗くてわかりにくいが、色々と荷物を持っているようだ。
 タバサが杖を振る。風の魔法で縄を切られて、私はストンと床へ。

「杖とマント」

 手渡されたのは、確かに私のものである。

「……どうして?」

「事情が変わった。あなたを連れて逃げる」

 もともと無口な人形娘だ。それ以上の説明を求めても無駄だろう。
 私はタバサの後を、足音を忍ばせてついていく。
 どう考えてもワナっぽいが、それがどんな形のワナであれ、天井から吊るされたままよりマシだ。
 そして。
 さほどかからずに外に出た。
 黒くたたずむ森と朽ちた屋敷の建物を、月の光が照らしていた。

「……もう従う必要はない」

「え?」

 突然、タバサが説明を始めた。ここまで来て安心したのかと思ったが、彼女の表情は違う。むしろ、焦っていて、黙っていられないという感じだった。

「協力者が母さまを救出してくれた。エルフが警護から離れたから」

 何のことだ?
 ……というより、今なんと言った? エルフだって!?
 いくら天才美少女メイジの私でも、エルフにだけは喧嘩を売りたくない。千年前の降魔戦争では人間の味方だったとはいえ、基本的にエルフは人間の敵だ。かつて始祖ブリミルが最後に戦った相手も、エルフの軍勢だったと言われている。
 強力な魔法を操る、凶暴で長命な生き物。それがエルフ……。

「ちょっと!? エルフって、どういう……」

 聞き返した私だが、途中で言葉を呑み込んだ。
 タバサと二人で、同じ方向に目を向ける。

########################

 森の入り口に、青い闇がわだかまっていた。
 無能王ジョゼフ……私たちにそう名乗った男が、そこに立っている。

「どういうつもりだ? その『ゼロ』を逃すというのは……」

 タバサは何も答えない。

「これはれっきとした反逆行為だぞ? 母親の身が惜しくはないのか?」

 どうやら、私の疑いは正解だったようだ。いや、それ以上か。ジョゼフは、タバサの仲間どころか、むしろ彼こそが黒幕だった!

「ふむ。そんなわけないな。おまえにとって母親がどれほど大切か、私も知っているつもりだ。ならば……助け出したのか? カステルモールあたりが裏切ったか……?」

 タバサは相変わらず無言だが、ジョゼフは、それを肯定と受け取ったらしい。

「なるほど。それはそれで面白いな……」

 ニンマリと笑うジョゼフ。昨晩の宿屋でも見た笑顔だが……。
 そうか!
 この時、私は気づいた。なぜ私は、この男を信用できなかったのか。この笑顔は……嘘なのだ!
 確かに、この男は笑っている。面白がっているという態度だ。
 でも、違う。これは、上辺だけの表情。心の底では、何も感情が動いていないのではないか!?
 根拠はないけれど、私の直感が、そう告げていた。

「だが、母親の心はどうするのだ? 体は取り戻せても、心は取り戻せまい?」

「……私が何とかする」

 ようやく口を開くタバサ。それから彼女は私にかけよると、いきなり後ろから抱きしめた。

「何すんの!? 私そんなシュミないわよ!?」

「その娘を盾にでもするつもりか?」

「違う」

 私とジョゼフの言葉に、タバサは一言で答えた。
 同時に、私の体がフワリと浮く。
 ……おいっ!? まさか!?

「っわきゃーっ!」

 私はすっ飛んでいた。
 あろうことかタバサは私をジョゼフに向かって投げつけたのである!
 もちろん彼女の細腕だけで可能のはずがない。『フライ』か『レビテーション』か、魔法も加えているのだろう。それはともかく、ジョゼフはアッサリ私を避けた。

 ベチャッ!

 おかげで私は、森の木に正面から激突。
 痛い。
 が、私が文句を言うより早く、タバサが再び私を抱きかかえた。

「いつのまに!?」

 どうやら投げた私の後ろを追うように走り、ジョゼフの横を突っ切ったようだ。
 同時に、後方へ氷の槍をぶちかます。ジョゼフの追撃を回避するためだ。

「むちゃくちゃよ、あんた!?」

 私の苦情も無視。さらに数発の氷の槍を撒きちらしながら、タバサは闇の中を疾走した。

########################

「……なんとか振り切ったようね」

 私たちがやっと一息つけたのは、そろそろ夜も明けようかという頃になってのことだった。
 森の中にある河原だった。街道からは少し離れている上に、近くに小さな滝があり、少々大きな声で話をしても聞きつけられる心配はまずない。
 私もタバサも、適当な石を椅子代わりにしている。今のうちに少し寝ておきたいが、その前に事情を聞きたいという気持ちもあった。

「さっきの話だと……あんた、お母さんを人質にとられてたのね?」

 顔色一つ変えずに頷くタバサ。その無表情な顔を見て、ジョゼフの言葉を思い出した。

「あの男が言ってたけど……あんたが亜人だって本当?」

 タバサがこちらを見る。一応これが、不思議そうな顔なのだろうか。

「人と人形と氷の合成物として生を受けた存在だ、って……」

「そんなわけない」

 今度は言葉で返事がきた。さすがに、きちんと否定したかったのね。

「そっか。やっぱり嘘だったか……。じゃあ、あの男がジョゼフ王だっていうのも嘘?」

「それは本当。……あれは私の伯父」

 おやおや、聞いてもいないことまで教えてくれた。
 このタバサって子、ガリアの王族だったのか。言われてみれば、青い髪というのは珍しいし、ガリア王家の血筋の特徴だった。
 私が普通の者ならば、もっと恐縮するかもしれないが、私だって公爵家の三女。小さい頃から、偉い人にはたくさん会ってきた。例えばトリステインの姫さまは、私の幼馴染みだ。

「でも……あんた達みたいな王族が、なんで神像ひとつに執着してんの? どうせ魔王シャブラニグドゥを復活させる……って話も嘘なんでしょ」

「魔王? ……違う。あの神像の中には、『賢者の石』が入っている」

 賢者の石。
 先住の魔法と呼ばれる魔法の源となる物質。
 詩的な表現を好む者は、この世界を司る力の雫だ、と言う。
 現実的な表現を好む者は、すこぶる強大な魔力の塊だ、と言う。
 広い意味では、我々が普通に使う『風石』や『土石』なども『賢者の石』のはずだが、そんなありふれた物を『賢者の石』とは呼ばない。詳細も不明な伝説級のモノだけが、『賢者の石』として扱われていた。

「……で、そんな凄いもんで、何をするつもり?」

「心を取り戻す。……賢者の石が、魔法薬の材料になる」

 彼女の言葉で、さきほどの直感を思い出す。ガリア王ジョゼフは……心がカラッポなのだ。

「伯父王は、何事にも感動できない。だから色々と遊ぶ。もてあそぶ。……そして『心』に関する魔法薬も研究してきた」

 なるほど。ジョゼフが人々を魔法薬で救うのも、一種の実験台。あるいは、気まぐれ。平民を助けるのも面白いかも……くらいの考え。善意でも悪意でもないから、いつ反対の立場になってもおかしくはない。
 ……って思うと、なんだかジョゼフが、とても危険な男に思えてきたぞ!?

「あなたのお母さんも……ジョゼフに心をやられたの?」

 タバサは頷く。
 ジョゼフもタバサも、どちらも賢者の石を欲しがっているわけだ。

「……愛する弟を殺し、その妻を廃人にした。それでもジョゼフ王は心を動かされなかった」

 そうか、この子……父親も殺されたわけか。

「かたきうち……したいの?」

 タバサは肯定も否定もせず、私の目を見つめた。

「あなたの力が必要」

「……私?」

「あなたの噂は聞いたことある」

「『ゼロ』のルイズ」

 私が自分から言うと、タバサは頷いた。

「その『ゼロ』は……たぶん『虚無』という意味」

 そう来たか!
 ずいぶん事情通なことで。
 おそらく私が使う爆発魔法の噂を耳にして、そこから推測したんでしょうね。
 ……あれ? でも、それを虚無と結びつけるということは、身近にサンプルがある……?

「あなたは虚無の担い手。ジョゼフ王と同じ」

 あちゃあ……。
 私は頭を抱えてしまった。
 ジョゼフの『無能王』って、そういう意味だったのか!
 普通の四系統とは違うから、周囲からは魔法が使えないと思われる。かつての私と同じだ。
 自分とガリアの王様を重ね合わせて考えなかったから、気づかなかったけど。
 言われてみれば……子供でもわかる話!
 そして、彼が『虚無』のメイジだということは。彼の特殊能力も、本当は……。

「ねえ、タバサ。ジョゼフが凄い魔道具とか魔法薬とか、使ったり作ったりできるのも……?」

「魔道具は、使い魔の能力。神の頭脳『ミョズニトニルン』。あらゆる魔道具を操る。……私も会ったことない。でも、いるのは確か」

 はあ、既に使い魔を召喚済みですか。私もサイトって使い魔がいるだけに、虚無の使い魔の実力は、実感しております。
 ……サイト、今頃どうしてるのかなあ? タバサ達に捕まってないってことは、ちゃんと逃げたんだろうけど。御主人様のピンチには駆けつけなさいよね、使い魔なんだから!
 と、心の中でサイトに怒っていたら。

「……魔法薬は違う」

 珍しく饒舌に、タバサが説明を続けていた。

「半分は、彼自身の研究。半分は、エルフの協力。……私の母さまの心を奪ったのも、エルフの魔法薬」

 ……ジョゼフに力を貸すエルフがいるわけか。
 何とも皮肉な話である。
 虚無のメイジということは、エルフから見れば、始祖ブリミルと同じ。仇敵の生まれ変わりのはず。
 まあ事情があるんだろうけど、そこまで私の知ったこっちゃない。聞けば聞くほど、スケールの大きすぎる話だ。 

「ねえ、タバサ。あんた……私がエルフに勝てると思ってんの? いくら何でも、買いかぶり過ぎよ?」

「これ」

 そう言ってタバサが荷物から取り出したのは、オルゴールと指輪だった。
 オルゴールは、古びてボロボロ。茶色くくすみ、ニスは完全にはげており、所々傷も見える。
 タバサは蓋を開いたが、私には何も聞こえなかった。

「何これ?」

「『始祖のオルゴール』。『クレアバイブル』とも呼ばれる」

「クレアバイブル!? これが!? クレアバイブルは『始祖の祈祷書』のはず……」

「クレアバイブルは一つじゃない。これも、その一つ」

 知らなかった。でも、このオルゴールがそんな伝説級のシロモノだとしたら、指輪の方も……?

「もしかして……これって『土のルビー』?」

 指輪には、鮮やかな茶色の石が嵌っている。始祖ブリミルが子供や弟子に与えたと言われる四つの秘宝の一つだ。
 『火のルビー』以外は赤くないのに、それでも四つとも『ルビー』と呼ばれる不思議。世間では「始祖ブリミルの血から作られたから」ということになっているが、私は「かつて始祖ブリミルが倒した『赤眼の魔王(ルビーアイ)』と関係あるのでは?」と秘かに思っている。

「そう、土のルビー。虚無の担い手が指輪をはめれば、クレアバイブルは、虚無の魔法を教えてくれる」

 なんと!? そんな便利な仕組みがあったのか!?
 私は独学で、インチキかもしれない『写本』から魔法を習得したというのに……。
 まあ『写本』も『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』をもとにしているという話だから、本物ならば、それくらい当然なのかも。

「では、早速……」

 タバサから土のルビーを受け取り、私が指にはめた時。

「お前だったのか、それを盗んだのは……」

 私とタバサは、同時に振り返った。

########################

 男が一人立っていた。
 薄い茶色のローブを着た、長身で痩せた男だ。つばの広い、羽のついた異国風の帽子を被っている。帽子の隙間から、金色の髪の毛が腰まで垂れていた。

「あの男に、その二つを取り返してこいと言われてな」

 ガラスで出来た鐘のような、高く澄んだ声だった。
 男の言葉に意識を向けていた私に、タバサがポツリと言う。

「……逃げて」

 タバサが呪文を唱え始める。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース……」

 これはトライアングルスペル『氷嵐(アイス・ストーム)』だ!
 私は一目散に駆け出した。近くにいたら私まで巻き込まれてしまう。
 タバサの周りの空気が、そして川や滝の水の一部が凍りついた。彼女の体の周囲を回転し、氷の嵐が完成する。

 ブゥオ、ブゥオ、ブルロォオオオオオッ!

 荒れ狂う嵐は、振り下ろされたタバサの杖に従い、男へと向かう。
 しかし彼は避けない。
 平然とつぶやく。

「お前も……ずいぶんと乱暴だな」

 そして男の体が氷嵐に包まれた……ように見えた瞬間。
 嵐がいきなり逆流し、タバサを襲った。

「イル・フラ・デラ……」

 タバサは『フライ』で飛んで避けようとしたが、駄目だった。河原の石が連なり、形を変えて、足首をガッチリつかんでいる!

「タバサ!」

 私は叫ぶことしか出来なかった。私の目の前で、彼女は氷嵐に呑み込まれた。

########################

 ボロボロになって転がったタバサに、男は近づいた。
 彼女の小さな体は傷だらけ。その首筋に男が手を当てる。とどめをさす……という雰囲気ではない。

「この者の身体を流れる水よ……」

 タバサを助けているのだ。ありえない速度で、みるみる傷がふさがっていく。
 そして男は、私に視線を向けた。

「命を奪う必要はない。……我が命じられたのは、ただ二つの宝を取り返すことのみ」

 さきほどの防御魔法も、この回復魔法も。
 あからかに、普通の魔法とは違う。しかし『虚無』でもない。虚無の担い手である私には、それがわかった。
 ならば、これは……。

「先住魔法……」

 私の呟きに対して、男は不思議そうな顔をする。

「どうしてお前たち蛮人は、そのような無粋な呼び方をするのだ?」

 それから、少し納得したように。

「ああ、私を蛮人と誤解していたのか。失礼した、お前たち蛮人は初対面の場合、帽子を脱ぐのが作法だったな」

 男の帽子が取り去られる。

「私は、ネフテスのビダーシャルだ。出会いに感謝を」

 金色の髪から……長い尖った耳が突き出ている。

「エルフ……!」

 口に出すと同時に、私は理解した。
 こいつが、タバサの言っていたエルフ。彼女の母親を警護していたエルフ。
 彼女がジョゼフの宝を盗み出したのは、私に使わせるため。同時に、母親のそばからエルフを離れさせ、母親奪還を容易にするため。
 一石二鳥の作戦。さすがタバサ。
 でも……そのタバサも、やられてしまった。意識を失って、倒れたままだ。
 エルフ、おそるべし!

「力の差は、お前も見たとおりだ。我は戦いを好まぬ。おとなしく返して欲しい」

 ビダーシャルは、私の手をジッと見つめていた。正確には、その指にはめた『土のルビー』と、手の中の『始祖のオルゴール』だ。

「だ、だめよ。これは……渡せない」

 私は、ただ後ずさるだけだった。
 今は、こちらから魔法は撃てない。私は今……オルゴールの調べに耳を傾けているのだ!
 先ほどタバサに加勢できなかった理由も、これである。
 この愚図なオルゴール……魔法一つ教えるのに、いったいどれだけ時間をかける気!?

「そうか。ならば……仕方ない」

 ビダーシャルは両手を振り上げた。

「石に潜む精霊の力よ。我は古き盟約に基づき命令する。礫となりて我に仇なす敵を討て」

 河原の石が、彼の周りだけ浮き上がる。大きいのも小さいのも。
 で、私に向かって飛んでくる!
 ぎゃああ!? 逃げきれない!?
 その時。

 ボウッ!

 横から吹いてきた巨大な炎が、石つぶてを飲み込んだ。

「この魔法は……キュルケ!?」

 でも炎が足りない。数を減らした石の散弾は、なおも私へ。
 しかも、赤熱の石つぶてとなって。……状況悪化してないか、これ!?
 もうオルゴールなんて聞いてられない。こうなったら私のエクスプロージョンで叩き落とす……と思った時!

 ガキンッ!

 私の前に飛び込んだ人影が、全ての石弾を剣で弾き飛ばしていた。
 まるで伝説の主人公みたいなタイミングでやって来たのは……。

「わりい、少し遅れた」

「サイト! ほ、ほ、本当に……遅かったんだから! 御主人様は、ピンチだったのよ!? 今まで何やってたのよ、バカ犬!」

 私は、思わずそう叫んでいた。





(第四章へつづく)

########################

 ミスコール男爵のキャラはアニメ版をミックス。
 あと、エルフのビダーシャルは、一応、魔族のゾロムというつもり(魔族を全てエルフにする予定ではありませんが)。ゾロムは、新装版では改変されたそうですが、旧原作版ならば印象深いキャラのはず。
 第一部は次回で最終回。三日後に投稿の予定。

(2011年4月6日 投稿)
(2011年4月21日 「叔父」及び「叔父王」をそれぞれ「伯父」及び「伯父王」に訂正)(2011年5月24日 「召還」を「召喚」に訂正)
   



[26854] 第一部「メイジと使い魔たち」(第四章)【第一部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/09 20:13
    
「ほう……仲間か……」

「『仲間』じゃない。俺はルイズの『使い魔』だ」

 ビダーシャルの問いに、サイトはキッパリと言った。

「使い魔……? 人間なのに……? そうか、おまえも『虚無』か。悪魔の末裔め……!」

 私とサイトを見比べながら、苦々しく呟くビダーシャル。
 この男にも、知られてるのね。『伝説』のありがたみがないけど、相手がエルフでは仕方ないか。

「それにしても……私の居場所、よくわかったわね?」

 私の前に立ちはだかり、守ってくれる大きな背中。それに向かって問いかけた。
 サイトが答えるより早く。

「……すごかったのよ。サイトったら、あなたが心配で、急に強くなっちゃって」

 横から現れたキュルケが、口を挟む。
 ええい、今は御主人様と使い魔の大事な再会タイム、あんたは邪魔よ!?

「何それ? 私に惚れてんの?」

「ちげーよ。ただ……俺は、お前の使い魔だからな」

 あら、やだ。
 ちょっと照れてるような声なんですけど。

「……だいたい鬱陶しいんだよ。右目と左目で別々のものが見えるんだぞ!? いきなり左目がお前の視界に変わって……」

 その言葉で理解した。視界の共有だ。
 使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられる。使い魔が見たものは、主人であるメイジにも見える場合があるのだ。
 今のサイトの話では普通とは逆のようだが、こいつは、そもそも普通の使い魔じゃないからね。

「……主人の危機になりゃあ見える。ガンダールヴだからな」

 補足する魔剣デルフリンガー。が、その姿を見て、私は驚いた。
 光り輝いているのだ。これでは……まるで伝説の『光の剣』じゃないの!?

「びっくりすんな、娘っ子。ガンダールヴの強さは、心の震えで決まる。そして相棒は娘っ子が心配で、心を震わせた。だから、俺っちも本来の姿を取り戻したんだぜ」

「ウダウダうるせーよ。とにかく……こいつがルイズを虐めたんだな!?」

「そうよ、サイト! あんなエルフ……やっつけちゃって!」

 私の声援で、サイトは走り出した。
 左手のルーンを輝かせながら、ビダーシャルの手前で跳躍。剣を振り下ろす。
 が。

 ブワッ!

 ビダーシャルの手前の空気がゆがんだ。
 ゴムの塊にでも斬りつけたかのように、剣が弾き飛ばされる。一緒に跳ね上げられた感じで、サイトは後ろに吹っ飛ぶ。私とエルフとの真ん中あたりに、サイトは転がった。

「悪魔の末裔といっても、しょせんは蛮人の戦士か。お前では我に勝てぬ。おとなしくオルゴールと指輪を渡せ」

 はいそうですかと従うわけがない。サイトは、すぐに体を起こした。

「なんだあいつ……。体の前に空気の壁があるみたいだ。どうなってんだ」

 サイトの言葉に、デルフリンガーが低い声で返す。

「ありゃあ『反射(カウンター)』だ。厄介でいやらしい魔法だぜ」

「かうんたあ?」

「あらゆる攻撃や魔法を跳ね返す、えげつねえ先住魔法さ。なんてえエルフだ、とんでもねえ『行使手』だぜ、あいつはよ……」

 ビダーシャルが両手を振り上げた。

「石に潜む精霊の力よ。我は……」

 また石つぶてが来る!?
 でも、さっきとは状況が違う。たっぷりと時間は稼がせてもらった。
 オルゴールの授業が、ようやく終了したのだ!
 これが……今、必要な呪文なのね!?

「デルフ! 私、『解除(ディスペル)』を覚えたわ!」

 それだけで通じた。
 サイトが再び、ガンダールヴの速さで走り出す。
 デルフリンガーも叫ぶ。

「娘っ子! 俺に……」

「わかってる!」

 みなまで言わせずに、私は呪文の詠唱を始めた。

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……」

 独特の古代ルーン語が、私の口から、次から次へと吐き出されていく。

「ギョーフー・ニィド・ナウシズ……」

「……なんだ、それは!?」

 エルフが驚きの顔をする。

「エイワズ・ヤラ……」

 ほうけた感じで彼が動きを止めている間に。

「ユル・エオ・イース!」

 私の呪文は完成した!
 杖をデルフリンガーに向けて振り下ろす。
 虚無魔法が魔剣にまとわりつき、刀身の光が青白く変わる。

「相棒! 今だ!」

「おう!」

 すでにサイトは、ビダーシャルの目前に迫っていた。
 デルフリンガーを振り上げ、振り下ろす。
 『反射(カウンター)』の目に見えぬ障壁とぶつかり合う。
 今度は弾き飛ばされなかった。私の『虚無』の力が、障壁を切り裂く!

「……これが世界を汚した悪魔の力か!」

 驚愕のエルフが後退する。大きく後ろへ飛び退いたが、その身もサイトに斬られて、ダラダラと血を流していた。
 追撃しようとするサイトを、一つの声が制止する。

「待って……」

 意識を取り戻したタバサだ。
 キュルケに肩を借りる形で、ヨロヨロと立ち上がっていた。

「殺しちゃダメ」

 と、サイトに言ってから、今度はエルフに。

「母さまを元に戻して。お願い。あなたなら出来るはず」

「だが……それは……」

 傷を手で押さえながら、言葉を絞り出すビダーシャル。
 その時。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

 遠くから聞こえてきた声に、私はハッとする。
 この呪文詠唱は!?

「みんな、私の後ろに集まって!」

「相棒! 娘っこの言葉に従え!」

 そして。
 周囲一帯が大爆発した。

########################

 爆発の中心は、あのエルフのいたところだ。
 もはや全く姿が見えないが、立ちけむる煙のせいだけではあるまい。

「何よ、今の……?」

 私の後ろで、キュルケが震える声を上げた。彼女はタバサに肩を貸している。二人は無事だ。よく見たら、二人の後ろにはフレイム——キュルケの使い魔——もいた。
 サイトも間に合った。ガンダールヴの素早さで、ちゃんと私の背後に回ってくれた。

「あれが……本物の『爆発(エクスプロージョン)』よ」

 杖を振り下ろした姿勢のまま、私が答える。
 実は、あれでもフル詠唱ではない。呪文を聞いた私には、判っていた。が、そこまでキュルケに言う必要もないだろう。
 こちらも急いでエクスプロージョンを撃って相殺した。私たちを狙ったものではなかったから、小さなエクスプロージョンでもカウンターになった。それでも一歩遅ければ、爆発に巻き込まれていたかもしれない。
 エクスプロージョン対エクスプロージョン。
 虚無と虚無との激突。
 その結果が、この惨状だった。

「ふむ……」

 爆煙の中、一人の男が現れた。

「味方を殺せば……大切な手駒を失えば、少しは面白いかと考えたが……」

 煙が晴れるに連れて、その姿が明らかになる。後ろには、メイジを二人、従えていた。

「……つまらんものだな。悲しんだり、悔やんだり……何か感じさせてくれるかと思ったが、皆無ではないか」

 言い切った男が、周囲を見渡す。
 背後の二人は微妙な顔をしていた。次は自分かもしれない……と思いながら、それでも強大な力には逆らえないのだろうか。

「あら、いい男じゃないの。でも……もしかして、この男が?」

「そうよ、キュルケ。こいつが……」

 あらためて男を睨んで。
 私は、その名前を口にした。

「無能王ジョゼフ!」

########################

 ジョゼフは静かに、懐から鈴を取り出した。
 例のマジックアイテムだ!

「ほっぺたつねって! 早く!」

「え? ……痛ッ、何すんのルイズ!?」

 私はキュルケとサイトの頬を、サイトが私とタバサの頬をつねった。
 同時に、鈴の音が鳴り響く。

「間に合った……」

「安心するのは早いぜ、娘っ子」

 デルフリンガーに言われて、よく見れば。
 キュルケとタバサは、トロンとした目になっていた。ジョゼフ側の二人のメイジ——ミスコールとソワッソン——も同じだ。

「……どういうこと?」

「娘っ子は勘違いしてたんだな。この前こいつを免れたのは、ただ痛みのせい……ってわけじゃねえ」

「その剣の言うとおりだ」

 デルフリンガーの言葉を、ジョゼフが奪った。

「……虚無の担い手とその使い魔。だからこそ、私の鈴も利かなかったのだよ」

 鈴にやられた四人が歩き出した。その場でウロウロするだけだったが、キュルケはサイトに近づいていく。

「あんた!? 何を命じたの!?」

「どうやら、その褐色娘だけが知っていたようだな」

 まさか!?
 バッとサイトに目を向ける。
 私がジョゼフと真面目な言葉を交わす横で、彼は変な声を上げていた。

「おい、キュルケ!? やめろよ、こんな時に……。お、おい! そこは……」

 ズボンのポケットに手を突っ込まれ、身悶えるサイト。……あとでお仕置きね。
 と、一瞬私が冷静さを失った隙に、キュルケは神像を取り出して、ジョゼフの元へ。
 同時に、タバサが私の手から指輪とオルゴールを抜き去って、やはりジョゼフの元へ。

「しまった!?」

「ようやく戻ってきたな……」

 満足げにオルゴールを懐にしまいこみ、指輪をはめるジョゼフ。
 鈴の音が止み、ハッとした顔でキュルケとタバサがこちらへ駆け戻ってきた。

「え!? どうしたの!? 何があったの!?」

「……やられた」

 赤と青、対照的な二人。
 そして、私とサイト。
 その四人が見つめる中。

 パキン!

 神像はジョゼフの手で砕け散った。中から出てきたのは、一つの小さな黒い石……。

「おお……これが! これが私の『心』を蘇らせるのか!?」

「……どうするつもり?」

 静かに問いかけるタバサに対して、ジョゼフは行動で返した。
 石を持った右手を、口元に持っていく。そして、手の中のものを飲み下したのだ! 

「ええっ!?」

 驚く私たち。が、本当に驚くのは、ここからだった。

 ゴウッ!

 突然、強い風が吹きつけてきた。思わずマントで顔を覆う。
 気持ち悪い風だ。いや、これは風というより……物質的な力さえ伴った瘴気!?
 その瘴気の渦の中心で、一人ジョゼフが叫んでいた。

「シャルル、俺は人だ。人だから、人として涙を流したいのだ。だが誰を手にかけても、この胸は痛まぬのだ」

 私は見た。
 生まれて初めて。
 人が、全く異質なものに変わりゆく様を。
 ジョゼフは、その言葉とは裏腹に、人では無くなろうとしていたのだ。

「ああ、俺の心は空虚だ。からっぽのからっぽだ。愛しさも、喜びも、怒りも、哀しみも、憎しみすらない」

 彼の狂気を宿した瞳は、いつのまにか赤くなっていた。
 頬の肉もごそりともげ落ち、その下から白いものがのぞく。

「シャルル、ああシャルル。お前をこの手にかけた時から、俺の心は震えなくなったのだ。まるで油が切れ、錆びついた時計のようだった」

 ごそり。
 今度は額の肉。

「だが……それも、もう終わりだ。俺は今、変わる! ああ、こんな強い欲求を感じるのは久しぶりだ!」

 私は気づいた。彼の正体——心を失った男が心の代わりに宿していたもの——が何であったかを。

「さあ行こうシャルル、神を倒しに、民を殺しに、街を滅ぼしに、世界を潰しに。その時こそ……俺は満足できる!」

 今やジョゼフの顔は、目の部分に紅玉(ルビー)をはめこんだ、白い仮面と化していた。
 その全身を覆う服も、赤く硬質な何かに変わっていった。

「……まさか……」

 タバサのうめき声だ。
 彼女もまた、気がついたのだ。
 『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥが、この地に降臨したことを……。

########################

 やがて、静寂があたりを支配した。

「選ばせてやろう。好きな道を」

 悠然と立つ、ジョゼフだったもの……ジョゼフ=シャブラニグドゥが口を開いた。

「このわしに再び生を与えてくれた、そのささやかな礼として。このわしに従うなら天寿を全うすることもできよう。……しかし、従うのが嫌ならば、わしが相手をしてやろう。エルフどもの地に封じられた『東の魔王』……もう一人のわしを解き放つ前に」

 とんでもねーことを言い出した。
 こいつは『聖地』——いや『シャイターン(悪魔)の門』と呼ぶべきか——まで行って、千年前に封印された魔王を再び世に放つつもりなのだ。
 一人でも大変なのに、二人もいたら世界は確実に破滅する。
 それに協力しろと言う。いやなら今ここで『魔王』と戦えと言う。

「なにをたわけたことをっ!」

 最初に答を返したのは、私たちではない。ジョゼフ側のメイジであったソワッソンだ。

「これ以上お前にはついていけぬ!」

「そうか……それがお前たちの選択か……」

 ジョゼフ=シャブラニグドゥが、後ろの二人をジロリと睨む。

「え? 違いますよ、私は! ソワッソンと一緒にしないでくださ……」

 ミスコールが否定するが、もう遅かった。
 ジョゼフ=シャブラニグドゥが軽く手を振り、炎の塊が二人を飲み込んだ。

「……で、お前たちはどうするのだ?」

 と、魔王がこちらに振り返った時。
 巨大な竜巻が、私たちと魔王の間に飛び込んできた。

「お逃げください、お嬢さま!」

 ただの竜巻ではない、カッター・トルネードだ。『風』のスクウェア・スペル。
 その中心にいるのは、ペルスラン。主人の危機に駆けつけた、タバサの執事だった。
 この老僕もメイジだったのか!?
 なんでタバサが危険な仕事に執事を連れ歩いているのか、少し不思議だったが、彼も結構な実力者だったのね。今にして思えば、昨日の森の中の伏兵も彼だったのだろう。

「ペルスラン!」

 叫ぶタバサの足は、その場から動かなかった。
 私はサイトに目で合図する。彼はタバサを抱え上げた。対エルフ戦で弱った彼女に、抵抗する力はなかった。

「ペルスランーッ!」

 絶叫するタバサを連れて、私たち全員が走り出す。
 振り返ってはいけない。
 せっかく彼が時間を稼いでいるのだから。
 ただ風に乗って、老僕の最後の言葉だけが耳に届いた。

「このペルスラン……お嬢さまにお仕えできて幸せでしたぞ……」

########################

 ……小さく燃える炎を見ていた。
 サイトもキュルケも、ただ黙ってジッと焚き火を見つめている。ちなみに、焚き火を作ってくれたフレイムは、キュルケの椅子になっている。
 タバサは、涙こそ見せなかったものの、まるで泣き疲れたかのように眠っていた。

「みじめね……」
 
 キュルケがつぶやく。この女が弱音を吐くなど珍しいが、状況が状況だ。
 私も思う。私たちではジョゼフ=シャブラニグドゥには勝てない、と。だが今逃げたところで、そう遠くないうちに見つかることだろう。
 そうなれば……。

「戦う」

 ボソリとつぶやきながら、タバサが起き上がった。

「みんなのかたき」

「……そうね。あたしもそう思うわ」

 キュルケはタバサの隣に移動し、彼女の頭を胸にかき抱いた。豊かな胸のキュルケがそうすると、まるで母親が子供をあやすかのようである。

「自己紹介がまだだったわね。あたし、『微熱』のキュルケ」

「……『雪風』のタバサ」

 互いに二つ名を告げ合う二人の少女。
 黙って見ていた私の肩を、サイトがポンと叩いた。

「……で、俺たちはどうするの?」

「何よ? あんたも、ああやって私の胸に挟まれたいの?」

「ちげーよ! そういう意味じゃなくて……」

「わかってるわ、冗談よ」

 真面目に返すな、このバカ犬め。
 せめて「おまえは挟むほど胸がないだろ!?」くらいの冗談、言えんのか。
 ……まあ、私と同じで、今は元気ないんでしょうね。
 それ以上私に何も言えなくなったのか、サイトは今度は、タバサに声をかけた。

「なあ、タバサ。あの魔王が『シャルル』って呼んでたけど……あれ、お前のことだろ? お前……本当は男の子だったのか」

「違うでしょ!」

 蹴りでツッコミを入れる私。どう考えたら、そういう発想になるのだ!?

「だって……俺もルイズもキュルケもシャルルじゃないし、でもシャルルって男の名前だと思ったし……」

「それは父の名前」

 タバサが小さく言った。
 あの時ジョゼフ=シャブラニグドゥは遠い目をしていたから、まあそういうことなんでしょうね。

「タバサ、私が説明するわ。いい?」

 彼女はコクンと頷いた。無口な彼女よりも私の方が語り部には適しているし、サイトやキュルケには事情を伝えるべきと思ったのだろう。
 私は、サイト達と別れてからの出来事を、語り始めた……。

########################

「……というわけよ。わかった?」

 誰も何も答えない。

「……わかった?」

 もう一度言う。
 ようやく、キュルケが口を開いた。

「ルイズ……あなた……よくしゃべるわね……」

「そお?」

 全員が大きく頷いた。フレイムまで首を縦に振っている。

「ま、とにかく事情は理解できたわ。じゃ、今度は、あたしたちの番ね」

「……つっても、たいしてないけどな」

 キュルケとサイトの話によると、あれから二人は一緒に逃げ回っていたらしい。
 ジョゼフが差し向けた刺客たちと何度も戦いながら、私を探してくれたのだそうだ。どこだか判らず困っていた時、サイトの視界に変化が。

「そういえばさ、サイト。今はどう?」

「いや、今は普通だ」

 どうやら離れていて、さらに私がピンチの時だけみたいだ。
 それはともかく。
 途中でデルフリンガーの覚醒もあり、何とかなった……。

「デルフ……あんたやっぱり『光の剣』だったの?」

 今は普通の剣に見える魔剣に、私は尋ねてみる。

「ああ、少し思い出したぜ。そう呼ばれていたこともあったなあ……。あと、魔法を吸い込めるんだわ、俺」

「そうね。さっき見せてもらったわ」

 そして、あらためてサイトに。

「やっぱり……あんただけが頼りね」

「え? どういうこと?」

 あちゃあ。
 肝心の奴が、理解していない。

「つまり、あれと戦うのは、あくまでもあんたってことよ。私とタバサとキュルケとフレイムは、あなたのフォロー」

「……なんで? お前ら……すごいメイジなんだろ?」

「そう。でもレベルが違う」

 タバサが口を挟む。無口な彼女が説明役を買って出るくらい、サイトはクラゲ頭だった。

「……ペルスランが使った魔法。あれはスクウェア・スペル。私以上の力」

「ええっ!?」

 あれでも、軽い足止め程度にしかならなかったのだ。サイトも、ようやく状況が飲み込めてきたようだ。

「で、でもよぅ? キュルケから聞いたんだけど、ルイズには凄い大技があるって……」

 ああ、キュルケはサイトにそんな話もしたのか。じゃあ教えておこう。

「そうね。私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』は、確かにとんでもない魔法だわ。この世界にある憎悪、恐怖、敵意などの暗黒の意志……それらを統べる魔王シャブラニグドゥの力を借りて放つんだもの」

「おお! 聞いただけで凄そうじゃん! 魔王の力なんだろ!? だったら、あの魔王にも……」

 興奮するサイトだが、途中で言葉が止まった。気づいたらしい。

「なあ、ルイズ。もしかして……お前の言ってる『魔王』って、さっきの奴?」

「そう。つまり竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)で奴を倒そうとするっていうのは、『お前を殺すのを手伝ってくれ』って言ってるのと同じことなのよ」

「……そうか。そりゃあナンセンスな話だな、うん」

 ここで、キュルケがタバサから離れて。

「ね? だからあたしたち、伝説の『ガンダールヴ』と伝説の『光の剣』だけが頼りなの!」

「わっ!? よせ、キュルケ!」

 私の使い魔に抱きつくキュルケ。
 口ではああ言ってるものの、大きな胸が当たって嬉しそうなサイト。
 二人で逃げている間に、何かあったんだろうか? ……いや、そんなことないだろうけど。でも、あとでお仕置きね。
 と、一瞬、その場の空気も緩んだのだが。

「そうか、ようやく決まったか」

 私たちは同時に目をやった。
 聞き覚えのある、その声の方向に。

########################

 いつのまにやってきたのか。
 いつからそこにいたのか。
 夜の木陰にわだかまる赤い闇……。

「わしとしても、ソワッソンだのペルスラン程度の相手や、ただ逃げるだけの相手を滅ぼしたところで、肩慣らしにもならんしな」

 赤眼の魔王(ルビーアイ)、ジョゼフ=シャブラニグドゥ。

「このわしの復活に立ち会ったのが不運と思って、トレーニングにつきあってもらおうか。長い間封じられていたせいか、どうもしっくりと来なくてな。……しかし安心するがいい、すぐに後から大勢行くことになる」

「……いいかげんにして」

 真っ先に反応したのは、タバサだった。
 杖を振りかぶると、その先が青白く輝き、周りを無数の氷の矢が回転した。彼女自身の青髪が、発生したタバサを中心とする竜巻によって激しくなびく。
 私たちを巻き込むのも厭わぬ勢いだ。

「ちょっと!?」

 急いで避難する私たち。
 この魔法は『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』。トライアングル・スペルだが、今の彼女の魔力は怒りで膨れ上がっている。本人も気づかないまま、スクウェアにランクアップしたようだ。
 今まで発揮したことないであろうスピードと威力で、氷の矢が飛ぶ。
 しかし……。

「……この程度か。これでは『雪風』の二つ名が泣くぞ」

 魔王は平然としていた。
 その体に当たった瞬間、全ての氷の矢が、ジュッと蒸発していたのだ。

「では……わしが本物の『雪風』を見せてやろう!」

 言葉と同時に、彼を中心としたブリザードが発生する。
 魔王がパチンと指を鳴らすと、氷混じりの猛吹雪は、一斉にタバサへと向かう。
 大技を放った直後の彼女は、すぐには対処できない!

「タバサ!」

 キュルケがフレイムを連れて飛び込んだ。
 トライアングルメイジの魔法の炎とサラマンダーの野生の炎が、雪と氷を迎撃する。
 私も横から小さなエクスプロージョンをぶつけて、援護したが……。

「きゃあっ!?」

「キュルケ!」

 全てを叩き落とすことは出来なかった。
 熱で氷雪が水蒸気と化し、煙った視界の中。タバサとキュルケとフレイムがまとめて倒れているのが、目に入った。
 しかし、その水煙の反対側では。

「相棒!」

「おうさ!」

 魔剣を手にしたサイトが、斬り掛かっていた。

「滅びろ! 魔王!」

 サイトが吼えた。
 左手のルーンが光を増す。
 デルフリンガーの刀身が煌めく。
 そして……。

########################

 赤眼の魔王(ルビーアイ)、ジョゼフ=シャブラニグドゥは小さく笑った。

「デルフリンガー……いや、人間の間では『光の剣』の名の方が有名か? タルブの村のブドウ畑を一瞬にして焦土と化した魔鳥、ザナッファーを倒した剣……そう言われておるのだろう?」

 魔王は、輝く刃を素手で握りしめていた。

「……しかし、衰えたりとはいえこの魔王と、魔鳥風情とを一緒にするな。さすがに少し熱いが、まあ我慢できん程度ではない」

 とんでもない化け物である。

「おい、やめろ。気持ちわりーよ、離してくれよ……」

「くうっ! この野郎……」

 デルフリンガーとサイトが呻く。
 どうやら押そうが引こうが、びくともしないようである。

「ガンダールヴとデルフリンガーの組み合わせでも、こんなものか。なら……」

 面白くなさそうな声と同時に。
 魔王とサイトの間の土が盛り上がった。

「ぐわっ!」

 吹き飛ばされたサイトが、地面に叩きつけられる。

「サイト!?」

「大丈夫だ……」

 彼は即答する。が、どう見ても無事には見えない格好で地面に這いつくばっていた。
 駆け寄って助け起こしたかった。でも出来なかった。私とサイトのちょうど中間地点に、魔王が立っているのだ。

「安心しろ。すぐにはとどめは刺さん。……これも言わば準備運動なのでな」

 ふざけた話だ。
 ソワッソン達には『火』、タバサには『風』、そしてサイトには『土』。ならば私には『水』系統の攻撃が来るのか!?

「さて……お嬢ちゃんは、どんな技を披露してくれるのだ? お前も……わしの器となった男と同じ、虚無の担い手なのだろう?」

 ズイッと一歩、魔王が歩みを進める。
 その時。

「待て! まだ……俺が相手だ!」

 サイトが立ち上がる。

「ルイズ! 俺はお前の使い魔だ! 俺が時間を稼ぐ! だから……なんでもいいから、お前の一番でかい魔法をぶつけてやれ!」

「ほう? もう少し痛めつけてやらねばならんか……」

 クルリと背中を向け、再びサイトに相対する魔王。
 まずい!
 サイトの左手のルーンは、まだ強く光っている。しかし、いくらサイトがガンダールヴとはいえ、魔王と何度もやり合うのは無茶だ!
 今度は、私が彼を助ける番だ。彼が、あそこまで言ってくれたのだから……。

「……闇よりもなお暗きもの……夜よりもなお深きもの……混沌の海にたゆたいし……金色なりし闇の王……」

 私は呪文の詠唱を始めた。
 シャブラニグドゥが動揺の色を浮かべる。

「こ……小娘っ! 何故お前ごときが、あのおかたの存在を知っている!?」

 竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)と同じく、旅の途中で読んだ『写本』の知識から組み上げた呪文だ。
 あの時の『写本』の内容が正しければ。
 呪文を捧げる対象は、『闇の王(ロード・オブ・ナイトメア)』。魔王の中の魔王、天空より堕とされた『金色の魔王』だ。
 シャブラニグドゥと同等かそれ以上の能力を持つ別の魔王から借りる力!
 これならばダメージを与えられるはず!

「『四の四』も揃えずに……それを使えるのか!?」

 魔王が意味深な発言をしているが、気にしている場合ではない。
 私は構わず続ける。

「……我ここに汝に願う……我ここに汝に誓う……我が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 闇が産まれた。私のまわりに。
 夜の闇より深い闇。
 決して救われることのない、無妙の闇が。
 暴走しようとする呪力を、私は必死で抑え込む。

「ムダだ、小娘め……」

「魔王! 俺が相手だ!」

 人間の身で、魔王に対して剣を振りかざすサイト。
 私を守ろうと、魔王に立ち向かうサイト。
 私の……大切な使い魔。彼を見ていると、私の精神力も高まる!
 そして。
 全ての闇が、私の杖の先に収束した!

「なんと!?」

 魔王ですら驚く。
 これこそが本邦初公開、私の秘技中の秘技、重破爆(ギガ・エクスプロージョン)!
 こっそり試しに使ってみた時、私の生み出した闇は、ラグドリアンの湖畔に大きな入り江を作り出した。今でもなぜかその場所には、魚一匹寄りつかず、水ゴケさえも生えないと聞く。
 あの時はラグドリアン湖の『水の精霊』もカンカンに怒っていたし、あれ以来、もう『水の精霊』は人間に協力してくれないらしい。その力を借りて干拓事業をしていた貴族が失敗して没落したとか、その貴族の娘が貧乏に負けて家を飛び出したとか、その娘はトレジャーハンターになったとか……。そんな噂も耳にした。

「娘っ子!」

 私の『闇』を見て、デルフリンガーが叫んだ。
 そう、この呪文だけでは『赤眼の魔王』を倒すことは出来ない。人間と魔王、その器の差は歴然としているのだ。
 だから。

「デルフよ! 闇を食らいて刃となせ!」

「おうともよ!」

 魔王に向けて、ではなく。その先にいるサイトが持つデルフリンガーに向けて。
 私は杖を振り下ろした。
 今、光の剣が闇の剣に変わる!

「こざかしいっ!」

 魔王が錫杖を構えた。その口から、呪文の詠唱が聞こえる。
 まずい!
 重破爆(ギガ・エクスプロージョン)の闇をデルフリンガーが完全に刃とするまで、いましばらくの時間が要る。
 サイトもそれを感じているからこそ、剣を振り上げたまま、動きを止めている。
 この状態で、魔王が杖や呪文まで使う本気の攻撃をしてきたら……。

「もうやめて!」

 声が響いた。
 タバサが上体を起こしていた。

「あなたは無能王ではない! 魔法は使えずとも、民を喜ばせた! あなただって、心のどこかで満足してたでしょ!? 父さまだって、あなたを羨ましく思って、泣いてたの!」

 かなり混乱しているようで、タバサらしくない口数の多さだった。
 自分が何を口走っているのかすら判ってはいないだろう。
 時系列も論理展開も狂った言葉の羅列。
 が……。
 呪文が止んだ。
 ジョゼフ=シャブラニグドゥは静かに、地に倒れたタバサを見つめる。

「シャルルが……ジョゼフを羨ましく思って泣いた、だと?」

「そう! 私は見た! 一度だけ……たぶん父さまは見られたことに気づいてないけど……でも確かに……」

 シャブラニグドゥは、しばしの間をおいてから、彼女の言葉を嘲る。

「……愚かなことを。それがどうしたというのだ?」

 その瞬間。
 魔王の右手の指が光った。
 いや厳密には、指そのものではない。ジョゼフがシャブラニグドゥとなっても変わらなかった『土のルビー』。始祖の宝石が、光を発していた。
 タバサの言葉が引き金になったのか、あるいは、別の理由か。
 どちらでも構わなかった。
 ルビーの光を見て、私の心は、大きく震えていた。
 
「見つけたわ! これが最後のピース……勝利の鍵よ!」

 それだけで、サイトには判ったらしい。
 ようやく完成した『闇の剣』を振り下ろしながら、左手のルーンを強く光らせながら、彼は走り出した。
 同時に私は、ジョゼフ=シャブラニグドゥに向かって叫ぶ。

「無能王ジョゼフ!」

 敢えて、そう呼んだ。

「選びなさい! このままシャブラニグドゥに魂を食らい尽くされるか、あるいは自らのかたきをとるか!」

「おお……」

 歓喜の声と。

「ばかなっ……」

 焦りの声と。
 両方が、同時に彼の口を突いて出た。
 そこに。

「これで……終わりだ!」

 サイトが、闇の剣を一閃。
 そして……。

 ズヴァン!

 黒い火柱が天を衝いた。
 サイトは魔王の横を走り抜け、私の隣まで来て止まった。
 膝に手を置き、肩で息をしている。振り返るのも億劫なのか、私に聞いてきた。

「やったか?」

「あ……」

 私は小さく呻いた。
 火柱の中に、蠢くものの姿を認めたからだ。

########################

 やがてそれは静かにおさまった。

「く……」

 崩れ落ちる私を、サイトが支える。
 自分だって、いや自分の方こそ、疲れているくせに。
 
「く……くっ……くははははぁっ!」

 魔王の哄笑が昏い森に響いた。

########################

「いや……全くたいしたものだよ。このわしも、まさか人間風情にここまでの芸があるとは思わなんだ」

 ぴしり。
 小さな音がした。

「気に入った……気に入ったぞ、小娘。お前こそは真の天才の名を冠するにふさわしい存在だ」

 誉めてくれるのは嬉しいが、喜んでいる余裕はなかった。
 精神力も魔力も生体エネルギーも、もう空っぽだ。サイトにしがみつく力も、ほとんど残っていない。
 サイトも私を抱き支えるには力が足りず、結局、二人して地面にへたり込み、体を寄せ合うだけである。

「しかし……残念よの……これでもう二度とは会えぬ。いかにお前が稀代のメイジ……虚無の担い手と言えど、所詮は人間」

 ぴしり。
 またあの音だ。いったい、これは……。

「この後この世界がどう移ろうか、わしにも判らん。だが、お前の生あるうちに再び覚醒することは、まずあり得まいて……」

 ……え?
 この時、私とサイトは初めて気がついた。
 魔王シャブラニグドゥの体中に、無数の小さな亀裂が走っている!

「長い時の果てに復活し、もう一度戦ってみたいものだが……何にせよ、かなわぬ望み。ならば……お前自身に敬意を表し、おとなしく滅んでやろう……」

『……なあシャルル……俺もお前も……ちっぽけな一人の人間だったんだなあ……』

 二つの声が重なった。
 赤眼の魔王シャブラニグドゥと、そして、無能王ジョゼフとの。
 ぱきん。
 魔王の仮面の、頬の部分が割れ落ちた。
 それは大地に着く前に、風と砕けて宙に散る。

「面白かったぞ……『虚無』の娘……」

『……なあシャルル……俺たちは……世界で一番愚かな兄弟だったんだなあ……』

 ぴきん。

「本当に……」

『本当に……』

 ぱりっ。

「く……ふふっ……くふふっ……」

 ぴしっ。
 ぱりぱりっ。
 私とサイトはただ茫然と、笑いながら崩れ去っていく『赤眼の魔王』の姿を眺めていた。

########################

 持ち主を失った指輪が、ポトリと落ちる。
 それを拾いに行く力すら、今の私たちには残っていなかった。
 だから『土のルビー』は、塵となった魔王と共に、風に飛ばされていく。
 魔王の哄笑だけが、いつまでも風の中に残っていた……。

########################

「終わった……のか?」

 ポツリとサイトがつぶやいたのは、シャブラニグドゥの体が完全に消失して、かなり経ってからのことだった。

「……ええ」

 私はキッパリと言った。

「ジョゼフのおかげで、ね」

「ジョゼフの?」

 まあ、クラゲ頭には判らんでしょう。だから私が解説してあげるのだ。

「あれの中に、まだジョゼフの魂が残っていたのよ」

 長い年月をかけて内側から魔王に蝕まれて、人としての心を失っていたジョゼフ王。彼の『人としての心』は、魔王によって封じ込められていたのではないか?
 ならば、魔王が表に出てきて、ジョゼフの体をコントロールし始めた時点で、もうジョゼフの心を封じる必要もなくなった。だから魔王は、それを解放した。
 ある意味では、ジョゼフは、望みを叶えたわけだが……。

「……そうやって取り戻した良心が、自らを欺いた魔王に対する憎しみと手を組み、結果、私の闇を自ら受け入れた……。そんなところだと思うわ」

 ジョゼフの『心』の中で大きな変化が起きたのは、あの『土のルビー』が光った瞬間だったと思う。
 あれこそ神の奇跡なのか、あるいは、私たちの知らない助っ人がいたのか。
 今となっては、もう確かめる術もなかった。

「なるほどなあ。まあ、あのジョゼフって奴も王様だったんだし、民衆にも慕われていたわけだし……。根は悪い奴じゃなかったんだな」

 凄く大ざっぱにまとめるサイト。
 大ざっぱ過ぎる気もするが、私は同意した。

「そうね。極悪人だった……とは思いたくないわね。だって、始祖の魔法『虚無』に目ざめたってことは、あのジョゼフも、言わば始祖ブリミルの再来だったんだから」

「あら? ルイズ、それって……自分のことも持ち上げてない?」

 キュルケは、タバサと同じく、まだ地面に倒れたままだった。
 ちなみに私とサイトは、座り込んだ状態。だが私たちとて、互いに支え合っていないと倒れてしまいそうだ。
 そのサイトの腕に、少し力が入る。

「まあ、いいじゃねーか。ルイズだって頑張ったんだぜ」

 彼には判ったんじゃないかな、私の気持ちが。
 同じ『虚無』の自分もジョゼフみたいになるんじゃないか、という考えたくもない可能性。それに怯える私の心が……。

「ありがとう、サイト」

 彼が硬直したのが、伝わってきた。
 ちょっと何!? 私が素直に礼を言ったら、そんなに変!?
 そう思って彼の顔を見上げると……。
 彼の目が点になっていた。
 
「ル、ルイズ……その髪……」

 ああ、これか。

「大丈夫よ。ちょっと頑張りすぎただけ」

 私の綺麗なピンクブロンドは、銀色に染まっていた。
 生体エネルギーの使い過ぎによって引き起こされる現象である。
 まわりを見れば、キュルケとタバサも私を見て絶句していた。フレイムも絶句しているように見えるのは、さすがに気のせいかな?
 彼女らは気にせずに、私はサイトへの言葉を続ける。

「ちょうどいいじゃない。最初あんた、私の髪見て、気持ち悪いピンク色って言ったでしょ?」

「え? いや、あれは……ほら、最初だったから」

 どういう意味だ。
  
「でも、もう見慣れたからさ……」

 サイトの右手が、私の体から離れる。
 そして。

「今となっては……ピンクって綺麗だと思う。それに……ルイズにはピンクの髪が似合っていると思う」

 頬をかきながら、気恥ずかしそうに呟くサイト。
 何よ、それ!? 私まで恥ずかしくなるじゃない!
 しかも、外野からキュルケの追い打ちが。

「ねえ、あなたたち……いつまで抱き合ってるの?」

「ち、ち、違うわよ! キュルケの目は節穴なの!? 私、サイトに……自分の使い魔に、しがみついてるだけじゃない! しょうがないでしょ、手近にこれしかなかったんだから……」

 言いながら、私は、いっそうギュッと『しがみつく』。
 これ扱いのサイトは、文句も言わず、むしろ何だか照れていた。

「はいはい、そういうことにしておくわ」

 倒れたままで肩をすくめるキュルケ。ちょっと器用だ。
 そして。
 こんな私たちの状態を、タバサが一言でまとめていた。

「……平和になった」

########################

 数日の後。
 私たちはトリステイン魔法学院の目前まで来ていた。

「これで今夜は美味しいものが食べられて、ふかふかのベッドでゆっくり眠れるってもんね」

 辺鄙な田舎の学校とはいえ、貴族のための学校である。その点は、しっかりしているはずだった。
 私の髪は、もとのピンクブロンドには戻っていないものの、薄らと桃色がかっている。疲れも完全に回復していた。

「俺、こっちの世界で学校っぽいところに立ち入るの、初めてかも……」

「相棒は傭兵だったからな。貴族じゃねーや」

「気をつけなさいよ!? 使い魔のあんたが恥ずかしいことすると、主人である私が恥をかくんだからね!」

「……いい男、いるかしら?」

「キュルケ! あんたも、ほどほどにしなさいよ!?」

「あら、私はルイズに関係ないでしょ?」

「どうせ友人とか旅の連れとか思われるのよ! 無関係じゃないわ!」

 と、私たちが賑やかにやっていたら。

「……では、そろそろ私は退散する」

 唐突にタバサが言い出した。

「……え?」

 私とサイトとキュルケの声がハモる。

「私は行くところがある。だから……とりあえず、お別れ」

 いつものように淡々と、詳しくは語らない。
 だが、私もキュルケも、何となく判った。
 おそらく母親の様子を見に行くのだろう。
 そして、一人で旅をして、探しまわるのだろう。エルフの魔法薬に対抗する治療法を。母親の心を取り戻す方法を。

「そっか。……じゃ、あなたも頑張ってね」

 タバサは『とりあえず』と言ったのだ。どこかの旅の空で、また出会うかもしれない。
 彼女はコクンと頷き、キュルケに対しても、小さく頭を下げた。
 それから、サイトのもとへ歩み寄る。

「別れの挨拶?」

 不思議がるサイトの前で。
 彼女は片膝をつき、サイトの手を取り、その甲にキスをした。

「え?」

 慣れぬことをされ、固まるサイト。
 そんな彼を解きほぐすかのように、タバサが説明する。

「……かたきをうってくれた。魔王を倒した。あなたは『イーヴァルディの勇者』」

 それだけ言うと立ち上がり、彼女は去っていった。
 サイトは、その後ろ姿を茫然と見送っている。
 彼女の口にした『イーヴァルディの勇者』は、ハルケギニアで一番ポピュラーな英雄譚のタイトルだ。その主人公の名前でもある。
 サイトをそれに重ね合わせたということは……。

「タバサ、サイトに惚れたんじゃない?」

「馬鹿なこと言わないの」

 キュルケの言葉を、私は切って捨てた。

「あれは臣下の礼みたいなもんでしょ。どうやらタバサ……サイトの騎士になったつもりなのね」

 それなら、サイトの旅に同道すればいいのに。
 やはり、母親の方が大事ということか。
 あるいは……。

「……素直じゃないのね、あの子」

 そうつぶやいた私を、キュルケが呆れた目で見ていた。
 私、おかしなこと言ったかしら?

「ま、いいわ……。さ、行きましょ、サイト。ついでにキュルケ」

「あ、ああ。そうだな」

「ちょっと!? ついでって何よ!?」

 そして私たちは、門をくぐった。
 トリステイン魔法学院の門を……。





 第一部「メイジと使い魔たち」完

(第二部「トリステインの魔教師」へつづく)

########################

 ルイズ一人称ではジョゼフの背景が少し説明不足ですが、第三部で補足できるかもしれません。
 スレイヤーズ原作第一巻では、レゾ=シャブラニグドゥがサイラーグとザナッファーの名前を口にしていたので、同じところで、それぞれの名前を披露。というわけで、第三部の舞台はタルブの村。
 でもその前に第二部……のさらに前に、番外編短編を三日後に投稿予定。

(2011年4月9日 投稿)
   



[26854] 番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 23:13
   
 剣を、抜く。
 錆の浮いたボロボロの剣の刃は、陽光のまばゆさを減じて映し出す。
 なまくら、といっても過言ではないであろう。
 刃そのものは。
 少年の目は、刀身の根元の金具に、ただ、じっと注がれていた。
 様々な思いが、少年の脳裏に去来する。
 
(こいつの話は俺を混乱させる……)

 少年は発作的に、手にした剣を川に向かって振りかぶり……。

「……捨ててしまうのか? もったいないな」

 声は、すぐそばで聞こえた。

「……!?」

 反射的に視線を送る。振り向いた先には大きな岩があり、一人の男が座っていた。
 釣り糸を垂れているが、こんな浅い川に魚がいるのであろうか。
 妙な男だった。
 年の頃は五十過ぎ。白くなり始めたブロンドの髪と口髭を風に揺らし、王侯もかくやとうならせる豪華な衣装に身を包んでいた。左眼にはガラスのモノクルがはまり、その奥には鋭い眼光。
 小川で釣りをするにしては、妙な格好だった。

「あの……貴族の人ですか?」

 少年の質問の仕方は、礼がなっていない。だが、それを叱責することなく、男は対応する。

「そうだ。きみは……剣士か?」

「……そんなところです」

 男から見れば、少年の服装こそ異様であった。青と白の、見たこともない服。

「ならば剣を捨ててはいかんだろう」

「はあ、そうなんですが……」

 恥ずかしそうに頭をかく少年。
 そんな彼の言葉を補足するかのように。  

「だいじょーぶさあ。相棒にゃあ、俺っちを捨てる度胸なんてねえ」

「ほう! インテリジェンスソードか!?」

 会話に参加してきたのは、少年の持つ剣。
 男の表情に浮かぶ好奇心を見て、少年が説明を始める。

「はい、実は……」

 少年の名前は才人(サイト)。異世界からハルケギニアに紛れこんでしまった人間だ。こちらで出会った魔剣デルフリンガーと共に、旅をしている……。

「この剣、時々おかしなこと言うんです。だから俺、混乱しちゃって、もう別れようって何度も思うんですけど……」

「まあ、相棒は元の世界に戻りたいからな。その手がかりを知っている俺っちを、手放すわけにはいかねえや」

「なるほど、面白い話だな。異世界から来たという話は信じがたいが……別れたくても別れられないというのは、まるで人間同士の関係だ」

「この剣が言うには……俺には出会うべき人がいて、その人が俺を元の世界へ戻せるんだとか……」

「ハッハッハ! 出会うべき人……か! 面白いことを言う剣だな? 確かに男の人生には、出会うべき女性が待っておるわ!」

 そんなコメントの後、男は、さらに。

「……で、その人物を捜す旅の途中で、道に迷ったか?」

「はい。よくおわかりで……。あ、ここって、よっぽど辺鄙な土地なんですか?」

 才人の言葉に、男は苦笑する。

「辺鄙とは失礼だな。この辺りは、わしの庭だぞ」

「ええっ!?」

 才人は驚いた。男の言葉から、ここは私有地だ、と解釈したのだ。慌てて、ペコペコ頭を下げる。

「ご、ごめんなさい! 俺、全然知らなくて……」

「いや、そんなに恐縮することもない。庭と言っても、領地の端でな。わしも滅多に来たことがない。家族もここまでは来まい、と思って、こうしておるのだ」

「……は?」

「実はな、わしは家出中なのだよ。ちょっと……妻と喧嘩してしまってな」

 自分で口にした『妻』という言葉で、何か思い出したのだろう。
 男の顔が、だんだん青ざめていく。
 よほどの恐妻家らしかった。

########################

 数時間後。
 才人は、まだ森の中をさまよっていた。
 川辺で出会った貴族から、街道へ出るための道を教えてもらったのだが……。

「なあ、デルフ。……こっちであってるよな?」

「さあな。俺っちは剣だ、俺に聞くなよ」

「まだ……さっきの人の領地かな?」

「さあな。もう別の貴族の領地かもな」

「じゃ、また誰かに会うかな?」

「さあな。そりゃあ、いずれは誰かに会うだろうさ」

 剣と不毛な会話を繰り広げる才人。突然、その足が止まる。

「どうした、相棒?」

「おなかがへって……力が出ない……」

 その言葉を最後に、才人は倒れた。
 遠のく意識の中、犬の鳴き声が聞こえる気がした……。

########################

 気がつくと、才人は知らない室内にいた。
 豪華な調度品に溢れた、広い部屋。貴族の屋敷の一室のようだ。
 ふかふかのベッドに寝かされている。

「あら、目が覚めましたか?」

 声のほうに顔を向けると、笑顔の女性が座っていた。
 まず才人が驚いたのは、彼女の髪の色だ。ここは才人の世界とは違うと頭ではわかっているが、それにしても現実感がない色だった。
 ピンクなのである。ゲームやアニメや漫画の世界から抜け出してきたかのような、そんな幻想的な美しさだ。
 いや、髪の色だけではない。
 一見して確実に年上なのに、可愛らしい、という形容をしたくなる顔立ち。そして、適度に豊かな胸。腰がくびれたドレスを優雅に着込み、ほんのりとした色気を醸し出している。
 まさにファンタジーの世界の、王道的なヒロインのような美女だった。

「びっくりしたんですよ。この子たちとお散歩していたら、あなたが倒れていたから……」

「この子たち……?」

 言われて、初めて気がついた。美女の周囲では、動物たちがたわむれていた。犬やらネコやら、なんと小熊やトラまで。
 これが視界に入らなかったというのだから、よほど美女に目が釘付けだったのだろう。

「とりあえず拾ってきたはいいけど、この子たちみたいに私の部屋に連れてっちゃいけないと思って。こうして客室へ寝かせたのだけど……元気になった?」

「は、はい! ありがとうございます!」

 美女が顔を近づけてきたので、才人は緊張した。
 もとの世界でも、こっちの世界でも、こんな魅力的な女性とこんな間近で話をしたことはない。

「あなた、お名前は?」

「サイトです、はい」

 平賀才人、とは名乗らなかった。こっちの世界の美女に対しては、こっちの世界の流儀で対応したかった。

「あら、素敵なお名前ね。でも……あなた、ハルケギニアの人間じゃないわね。っていうか、なんだか根っこから違う人間のような気がするの。違って?」

 そんな風に見つめられ、才人は驚愕した。異世界から来たと言っても信じてくれない人の方が多いのに、言う前から言い当てられたのは初めてだ。

「うふふ、どうしてわかったんだって顔ね。でもわかるの。私、妙に鋭いみたいで」

「は、はぁ……」

「でも……そんなあなたが、どうしてうちの庭で倒れていたの?」

「はい、実は……」

 道に迷って、空腹で倒れた。そんな話をするのは少し恥ずかしかったが、ちょうど、おなかがグウッと鳴った。

「まあ」

 美女は、コロコロと楽しそうに笑った。
 それから、とろけそうな微笑みを浮かべた。

「ごめんなさいね。おなかが減ってたのね。すぐに食べるものを用意させるわ」

########################

 簡単な軽食だが、とても美味しかった。
 さすがに立派な貴族、雇っている料理人も一流なのだろう。
 おなかが減っているのでいっそう美味しく感じられるのだろうが、それだけではない。
 カトレア——それが美女の名前だった——が同席していたからである。

「まあ、まあ! そんなに慌てて食べなくてもいいのですよ?」

 彼女は、午後のお茶を飲む程度。でも、桃髪の天使が一緒にいるだけで、才人の気分は天国だった。
 やがて。

「ごちそうさまです! ありがとうございました!」

「もう、いいの?」

「はい! おかげさまで、生き返りました!」

「まあ、そんな大げさな……」

 コロコロと笑うカトレア。
 そこに、タイミングを見計らったかのように、彼女の母親がやってくる。

「あなたですか? カトレアが拾ってきた平民というのは?」

「サイトです。どうもありがとうございました」

 拾ってきた、とは犬やネコの扱いだが、才人は構わないと思った。カトレアのペットになれるのであれば、むしろ本望である。
 だが、カトレアの母と目を合わせた途端、ふわふわとした幸福感も吹き飛んだ。
 髪の色こそカトレアと同じピンクだが、雰囲気は正反対。いかにも良家の貴族の奥様だ。激しい高飛車オーラを放っており、視線も厳しい。「こーゆーのとだけは決してかかわり合いになるな」と、才人の本能が警告する。
 その迫力にたじろぎながらも、彼はキッパリと言った。先手必勝である。

「助けていただいて、ただ黙って立ち去るわけにもいきません。何か恩返しがしたいのですが……」

 もう少しカトレアのそばにいたい気持ちと、この母親から早く逃げ出したい気持ち。その二つに心を引き裂かれながらの発言であった。
 そんな才人を胡散臭げに見回しながら、母親は尋ねる。

「あなたは……剣士?」

「……そんなところです」

 あれ最近どこかで同じ会話があったような、と既視感を覚えたが、深く考える暇はなかった。

「では、カトレアの騎士になってもらいましょう」

「ええっ!? この家に仕えろってことですか!?」

 驚いて飛び上がりそうな才人を、母親の視線が制止する。

「そんなわけありません! どこの馬の骨ともわからぬ者を雇うほど、当家は落ちぶれていませんよ!? ……ほんの一時の話です」

 そして母親が説明する。
 最近、領地の一角に『黒騎士(ダーク・ナイト)』と名乗るならず者集団が出没するらしい。まだ、たいした悪さはしていないのだが、領主家としては放っておけない。
 しかし今は当主——カトレアの父——も不在。カトレアの姉は遠くで働いており、妹は魔法修業の旅に出ている。母親は家を守る立場であり、留守にはできない。

「だから私が行くの。様子を見に」

 と、カトレアが補足する。

「でも……あなたは体が弱いというのに……」

「だって、あの子たちが見に行きたいって言うから」

 どうやらカトレア自身よりも、彼女の動物たちが乗り気なようだ。

「はあ。まあ、いいでしょう。……それに、あそこは、あなたの土地ですからね」

 カトレアの土地? どういう意味だろう?
 少し事情が理解できない才人だが、それでも承諾した。
 こうして彼は、この小旅行の間だけということで、カトレアの騎士となった。

########################

「カトレアをしっかり守ってくださいね。……でも、カトレアに指一本でも触れたら、タダでは済みませんよ?」

 そんな言葉に見送られ、才人は、カトレアの馬車に乗り込んだ。
 馬車の中は、さながら動物園であった。
 前のほうの席ではトラが寝そべりあくびをかましている。カトレアの横にはクマが座っていた。いろいろな種類の犬やネコがあちこちで思い思いに過ごしている。大きなヘビが天井からぶら下がり、顔の前に現れたので、才人は息が止まりそうになった。

「しかし、すごい馬車ですね……」

「私、動物が大好きなの。つい拾ってきちゃうの」

 自分もそうして拾われたのだ。何も言えない才人であった。
 そして、新たなペットとなったのは彼だけではない。

「まあ! 剣さん、お話しできるのね!?」

「おうともよ! 俺っちはデルフリンガー様だ!」

「いつからサイト殿と旅をしているの?」

「よくぞ聞いてくれた! 相棒と出会ったのは……」

 コロコロと笑いながら、カトレアはインテリジェンスソードとの会話を楽しんでいた。
 カトレアは才人を騎士扱いして『サイト殿』と呼称している。それは、聞いていて何だが嬉しい。でも、カトレアとデルフリンガーが自分抜きで歓談しているのを見ると、少し寂しくもなった。
 話しやすいように、才人は今、デルフリンガーを鞘ごとカトレアに預けている。カトレアの柔らかな膝の上なのだ。それも羨ましい。
 才人は、まさか自分が剣に嫉妬する日が来るとは、思ってもみなかった。さすがハルケギニア、何でもありのファンタジー世界である。

(ま、仕方ないか……)

 窓枠に肘をついて外をボーッと眺める才人。その様子に、カトレアが気づいた。

「あら! 放っておいてごめんなさいね。あなたも、こちらへいらっしゃいな」

 カトレアが才人に手を伸ばす。
 彼は正面の席に座っていたのだが、どうやら隣へ来い、ということらしい。

「は、はい……」

 彼女に応えて、カトレアの手をサイトが取ろうとした瞬間。

 ブワッ!

 一陣の風が、窓から舞い込んだ。才人は、カトレアの手に触れることは出来なかった。

「えっ!?」

 才人がポカンとしている間に。
 風が、彼の体をカトレアの隣へ運んでいた。ただし彼女とは体が触れ合わないよう、少しスペースが空いている。

『カトレアに触るなと言ったでしょう!?』

 才人の耳だけに、風が言葉を伝えた。隣で微笑むカトレアには聞こえていないようだ。

「どうしたの?」

「い、いえ……何でもありません」

 今の怪奇現象は無かったことにしよう。そう決心する才人であった。

########################

 カトレアは、時々ゴホゴホと咳をする。

「大丈夫ですか?」

「気にしないで。いつものことだから」

 カトレアは体が弱く、領地から一歩も出たことがない。不憫に思った父親が、領地の一部をカトレアに分け与えたくらいだった。
 だから名目上は、カトレアは両親姉妹とは苗字が違う。カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ、それが彼女のフルネームだ。後にクラゲ頭と称される才人では、当然、覚えられない名前であった。
 そして、そのラ・フォンティーヌ領こそが、『黒騎士(ダーク・ナイト)』の砦のある場所。

「そういうことだったんですか……」

 ようやく才人が事情を理解した頃。
 彼らを乗せた馬車が停まる。目的地に辿り着いたのだ。

########################

 才人とカトレアと動物たちは、森の小道を進んでいく。領民の話では、この先に『黒騎士(ダーク・ナイト)』一味の隠れ家があるらしい。
 知られている時点で隠れ家でもなんでもないが、それを気にする者は、この場にはいなかった。
 やがて一行は、少し開けた場所に出る。
 そこに、一人の男が立っていた。

「おまえが『黒騎士(ダーク・ナイト)』か!?」

 デルフリンガーを抜き、サッとカトレアの前に出る才人。
 目の前の男は、黒いマントと黒い甲冑に身を包み、身の丈ほどもある大剣を手にしていた。だから、これが『黒騎士(ダーク・ナイト)』だと判断したのだが……。

「フフフ……。あのかたの手を煩わせるまでもない。貴様らごとき、俺一人で十分だ」

 バサッとマントをひるがえし、男は大剣を構える。

「俺は……あのかたに仕える『黒騎士(ダーク・ナイト)』四天王の一人、『鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)』! いざ、勝負!」

 いきなり四天王の登場かよ、とか、そもそも様子を見に来ただけじゃなかったっけ、とか、そんなツッコミを入れる暇はなかった。
 斬りかかってきた鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)に、才人も踏み込んで、デルフリンガーを合わせる!

 ガキン!

 刃と刃がぶつかり、火花が散る。
 重い剣だ。四天王を名乗るだけのことはある。

「フフフ……。貴様の力は、この程度か?」

 押し込まれる才人。

「相棒! 心だ! 心を震わせろ!」

「がんばって! サイト殿!」

 背後のカトレアを守る! その想いが、才人の心を燃え上がらせた。
 だが……鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)の剣圧は凄まじい。才人は、今にも膝をつきそうだ。

「あ、忘れてた。相棒は、まだ『使い手』として契約してないんだっけ。……そんじゃ心を震わせてもダメだわ。わりい、さっきの言葉は忘れてくれ」

「なんだよ、それ!?」

 ガクッと力が抜ける才人。
 剣で押し合っていた鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)も、急に抵抗がゼロになったのでよろけた。

「うわっ!? ふざけるな小僧め!」

「今よ、サイト殿!」

 いつのまにか少し遠くに避難していた、カトレアの声。
 デルフリンガーより役に立つアドバイスだった。

「はい!」

 一瞬体勢が崩れた鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)を、才人の魔剣が斬り上げる!

「くっ!」

 慌てて飛び退く鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)だが、その手は空っぽ。
 才人に斬り跳ねられた形になり、大剣を弾き飛ばされていたのだ。

「今だ、相棒!」

 しかし才人の目は、敵には向けられていなかった。
 宙を舞う大剣が、落ちてくる先。そこにいるのは……。

「カトレアさん!?」

「きゃ!」

 間に合わない!?
 才人が焦った瞬間。

 ゴオオォッ!

 風が吹いた。
 そよ風ではない。
 突風、烈風、台風……。そのレベルの風だった。
 ピンポイントで大剣を巻き込み、大剣ごと遠くへ去っていった。

「……なんだ、今のは?」

 才人も鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)も、唖然として硬直する。
 ただカトレアだけが、コロコロと笑っていた。

「通りすがりの竜巻さんね。……よくある話でしょう?」

「ねーよ!」

 敵味方二人同時にツッコミを入れる。
 だが。

『危ないでしょう、あなたたち! カトレアに剣が当たるところだったじゃないですか!?』

 謎の声と同時に、新たな烈風が! さっきより大きな竜巻だ!

「ぎぃやああああああああああ!」

「うわぁああああああああああ!」

 才人は、鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)ともども空中に巻き上げられ、意識を失った。

########################

 わふわふ。わんわん。にゃーにゃー。がおがお。ぶひぶひ。
 そんな動物たちの声で、才人は目を覚ました。
 目の前には、カトレアのとろけるような笑顔。上下逆さまだが、それでも素晴らしい。

「大丈夫ですか?」

 なんだろう? やわらかくあたたかい感覚を頭に感じながら、才人は応える。

「はい。あの……敵は?」

「逃げちゃいました」

 才人の頭が、少しずつ覚醒する。この感触、そしてカトレアの顔の向き。
 自分は今、カトレアに膝枕されている!
 しかも、深い深い膝枕だ。後頭部は太腿に、頭のてっぺんは腹部に当たっている。ちょっと視線の向きをかえれば、彼女の胸が覆いかぶさっているのも目に入った。
 天国だ!
 でも恥ずかしいので、ガバッと飛び起きる才人。
 彼がカトレアの体から離れた瞬間、まるでそれを待っていたかのように。

『指一本触れるなと言ったでしょう!? 膝枕など言語道断!』

 天国から地獄とは、まさにこのこと。
 ゴオッと烈風が吹いてきて、才人は再び空へ舞い上がる。

「あらあら。今日は多いのね、竜巻さん」

 コロコロと笑うカトレア。
 わかってないのか!? 「妙に鋭い」って言ってたのに!? 反動で、身内には鈍いのか!?
 そう思いながら、才人は再び意識を失った。

########################

 気づいた時、才人は、また膝枕されていた。
 気持ちいい。いつまでも、こうしていたい。でも、そうもいかない。

(これ……もしかして、体を離した途端……?)

 嫌な予感にも負けず、目を開ける才人。

「あら、気がつきましたのね」

「はい……」

 頑張って笑顔を作りながら、ソーッとカトレアから離れてみる。すると。

『いつまで触れてるのです!?』

「やっぱり……!」

 才人は、また竜巻にやられた。

########################

 次に気がついた時も、またまた膝枕だった。
 またまた烈風で飛ばされた。

「天丼たべたい……」

 故郷の食べ物を突然に思い出しながら、またまた意識を失った。

########################

 結局この日、彼は、十三回吹き飛ばされた。
 体で学習した才人は、最終的に、膝枕される前に自力で復活。
 ようやく、一行は奥へと進む。
 ほどなく。

「鋼鉄(スチール)が……やられたようだな……」

 先ほどの敵と同じ姿の男が、才人たちの前に立ちはだかった。
 いや、前だけではない。

「しかし鋼鉄(スチール)なぞ、しょせん後から無理矢理仲間に入った男……」

「我らは本来、三人衆なのだ……」

 いつのまにか、囲まれていたらしい。
 斜め後ろにも、右と左に、同じ姿の黒い男たちがいる。

「く……!」

 デルフリンガーを手にした才人の頬を、冷や汗が伝わる。
 それを嘲笑うかのように、敵は名乗りを上げる。

「我は三人衆の一人、青銅黒騎士(ブロンズ・ダーク・ナイト)!」

「同じく、白銀黒騎士(シルバー・ダーク・ナイト)!」

「そして我こそが、黄金黒騎士(ゴールド・ダーク・ナイト)!」

 甲冑は真っ黒で、金でも銀でもなかったが、威圧感は凄まじい。オーラが幽鬼のように立ちのぼっていた。

「我らは鋼鉄(スチール)とは違う。貴様のような弱者をいたぶる趣味はない」

「おとなしく武器を捨てて、逃げ帰れ。命だけは助けてやろう」

「もし貴様が我らの一人に斬り掛かれば、残りの二人が連れの女を攻撃するぞ。一人では、守りきれまい」

「なんだよ!? 弱者をいたぶるどころか、そっちのほうが卑怯じゃん!」

 才人の叫びには取り合わず、三人は剣をカトレアへと向ける。
 その時。

 ゴオオォ……オオォ……オオォッ!

「あらあら、今日は本当に多いのね。今度は三つだわ」

 カトレアの言葉どおり。
 突然出現する三つの竜巻!

『カトレアに武器を向けるんじゃありません! 危ないでしょう!?』

「なんだこりゃあああああああ!」

「い、いてぇええええええええ!」

「いやぁああああああああああ!」

 三人衆が、それぞれ烈風に吹き飛ばされる。
 才人は今回、何もしていないので無事であった。

########################

 さらに進むと、木々の間に、小屋が見えてきた。どうやら、そこが『黒騎士(ダーク・ナイト)』のアジトらしい。
 
「カトレアさん、どうします? 中に突入しますか?」

 才人が尋ねると、カトレアを首をかしげた。

「そうしたほうがいいのかしら? でも私たち、様子を見に来ただけなのよねえ。あんまり危ないことはしないほうが……」

 それ以上、言葉は必要なかった。
 ちょうど、小屋の扉が中から開いたのだ。
 出てきた人物は……。

「あら、父さま!」

「あれ? この間の貴族の人? ……って、彼がカトレアさんのお父さん!?」

 黒騎士(ダーク・ナイト)の正体は、才人が川原で出会った貴族。そして同時に、カトレアの父親であった!
 カトレアを見て、彼の顔はみるみる青ざめていく。

「うわわわわわわわっ!?」

 やたら悲鳴を上げながら、大きく後ろに跳び下がり。
 落ち着きなく、あたりをキョトキョト見回して。

「カ……カトレア! お前、なんでこんなところに!? お前がいるということは、カリーヌも来ておるのか!?」

「母さま? 母さまなら、お屋敷におられますよ?」

 カトレアはキョトンとするが、そこに、例の烈風が。

 ゴゴゴゴゴォゴオオオオオオォォッ!

 今までで最大級だ。もう単なる竜巻ではない。バチバチと何か飛ばしている。
 これはもう超電磁竜巻と呼ぶべき、とサイトは思った。

『あなた! 一体どういうことですの!?』

「ま、待て! 待ってくれええええええ!」

 謎の声を伴う巨大竜巻が、絶叫する父親を吹き飛ばした。

########################

 帰りの馬車の中で、父親が事情を説明する。
 そもそもの発端は、カトレアの妹が魔法修業の旅に出たこと。
 これに賛成していた母親と、文句を言っていた父親。旅立ちの後しばらくしてからもブチブチと不満を口にしていたら、ついに母親がキレたらしい。そして夫婦喧嘩となって……。

「わしは忘れていたのだ、カリーヌの恐ろしさを……。いや、強いのは承知していたが、どうせ昔の話だ、もう若い頃の力はあるまいとタカをくくっていたのだよ。……わしが甘かった」

 家を飛び出した父親は、ここならば誰も来ないと判断して、カトレアに分譲した領地へ。
 そこで軽く憂さ晴らし——本人曰く——をしていたら、いつのまにか『黒騎士(ダーク・ナイト)』と呼ばれていた。

「トリステインなのに『ダーク・ナイト』とは、おかしな名前ですね。まるでアルビオンのよう」

「いやカトレア、ポイントはそこではないだろう? ……ともかく、わしが悪かった。反省した。許してくれ」

「まあ! それは私にではなく、母さまに言ってくださいな。お屋敷で待っている母さまに。……母さま今頃、何をしてるのかしら?」

 小首をかしげるカトレアに、才人は何も言えなかった。

########################

 屋敷に戻った馬車を出迎えたのは、執事でも召使でもない。
 カトレアの母親カリーヌである。

「おかえりなさい、カトレア。……そしてサイトさん」

 いつのまに戻った!?
 神出鬼没なカリーヌに、才人はガクブル。
 だが、才人以上に怯える男が一人。

「す、すまん! 許してくれ、カリーヌ……」

「あら、あなたも一緒だったの?」

 気づきませんでしたわと言わんばかりの態度で、男を見つめるカリーヌ。事情を知らなければ才人だって騙されてしまいそうな、ごく自然な口調だった。

「悪かった! わしが悪かった!」

「よくわからないけれど……色々と話すことがありそうね。詳しく聞かせてもらいましょう」

 夫の手を引いて、サッサと屋敷に入るカリーヌ。
 そんな両親の姿を見て。

「まあ、あんなに寄り添って……。二人は仲がよろしいですこと。少しくらい喧嘩しても、やっぱり夫婦は夫婦なのですね」

 カトレアはコロコロと笑っている。
 この時ばかりは、カトレアも普通じゃないと才人は思った。

########################

 一晩休ませてもらった後、才人は、カトレアたちの屋敷をあとにした。
 もう迷子にならないようにと、近くの大きな街道まで、カトレアが馬車で送ってくれた。

「では、さようなら。元気でね」

「はい、カトレアさんも……」

 名残惜しそうに手を振るカトレア。
 とろけるような彼女の笑顔を目に焼き付けてから、才人は歩き出す。
 カトレアと過ごした時間を思い出すと、幸せなはずだが……。
 なぜか、才人は青い顔になる。

「どうしたい、相棒?」

 デルフリンガーも心配するくらいだ。
 才人は、ずっと何かつぶやいていた。

「……ピンクこわいピンクやさしいピンクこわいピンクやさしい……」

 桃髪カトレアの優しさ。
 桃髪カリーヌの怖さ。
 その二つが、才人の中に刷り込まれたらしい。
 しかも『優しい』と『恐い』は、半ば矛盾する概念だ。そのあまりのギャップに心を病んだ彼は、『優しい』と『恐い』とを頭の中でミックス。

「……ピンクは気持ち悪い」

 そう結論づけることで、精神をかろうじて安定させた。
 これ以降、もうそれどころではなくなったのか、魔剣を投げ捨てようとすることもなかった。
 なお、才人が別の桃髪少女と出会って、紆余曲折を経て完全回復するのは……まだまだ先の話である。





(「刃の先にダーク・ナイト」完)

########################

 これもひとつのあとづけ設定。
 次回こそ第二部に突入。第二部は四章構成、すでに最後まで一応書き上がっていますが、今までと同じペースで投稿する予定です。

(2011年4月12日 投稿)
(2011年5月24日 「わしは知らなかったのだ。カリーヌが、あそこまで恐ろしいとは……。いや、強いとは聞いていたが、どうせ話半分だと思っていたのだよ」を「わしは忘れていたのだ、カリーヌの恐ろしさを……。いや、強いのは承知していたが、どうせ昔の話だ、もう若い頃の力はあるまいとタカをくくっていたのだよ」に修正)
   



[26854] 第二部「トリステインの魔教師」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/15 21:42
  
 朝の食堂は、すでに戦場と化していた。
 殴るわ蹴るわ噛みつくわ、阿鼻叫喚の地獄絵図。
 ……言っとくけど、決して私のせいじゃない。

「教師の指導が悪いから、こんなことになるのよね……」

 ここは安宿の食堂ではなく、トリステイン魔法学院という立派な学園の食堂である。『アルヴィーズの食堂』というらしい。
 魔法学院では「貴族は魔法をもってしてその精神となす」のモットーのもと、貴族たるべき教育を存分に受ける。食事も貴族の礼儀や作法を学ぶ場の一つであり、もめ事が起きれば教師が止めに入るのが普通なのだが……。

「……あれじゃダメね」

 先生メイジたちはロフトの中階で歓談に興じている。階下の騒動など目に入りません、という態度だ。
 とりあえず私は、隅のほうの席に移動。ナイフとフォークで優雅に食事を続けながら、混線の模様を眺めるしかなかった。
 この騒ぎの原因は……まあ、ごくささいなことなのだが……。

########################

「やあ、お嬢さん。見かけない顔ですね」

 男が言い寄ってきたのは、一人で座った私が、大きな鳥のローストにちょうどナイフを入れた、その時のことだった。
 私と同じ学生メイジだ。勝手に私の隣に座りやがった。薔薇の花を一輪、どこかから取り出し、サッと私の前に差し出した。
 こっちは食事中なのだ。はっきり言って、邪魔である。

「ああ! 君の美しさは、まるで薔薇のようだ! その髪の美しい桃色は、薔薇の花でも真似できない鮮やかさ! その胸の平坦さは、薔薇の葉っぱでも真似できない滑らかさ!」

 おい。
 前半はともかく、後半は褒め言葉じゃないぞ!? だいたい例えもおかしいだろ!?
 が、その前半部分にしたところでダメダメである。
 歯の浮くようなセリフ……という言葉があるが、こいつの場合、歯だけではない。何もかも浮いている。
 そもそも、自分のキャラに似合っていないのだ。こういうセリフは、気障な仕草が絵になる二枚目野郎が使うべきであって、こいつみたいな容姿の男が使うべきではない。
 なにしろこの男、太っちょである。しかも、モテないオーラが全開である。

「女の子口説きたいなら、自分の言葉で口説きなさいよ。どうせ、それ、誰かの口説き文句のパクリでしょう?」

「おお、凄いね、君は!」

 しまった。
 つい相手してしまった。
 これで会話スタートと思われたのか、太っちょの言葉は止まらない。

「そう、これは……今は亡き、僕の親友のテクニックなんだ。彼をリスペクトする意味で、彼と同じように……」

「今は亡き……?」

 こう見えて、大切な友を亡くしているのか。
 でも朝から、しかも初対面でしんみりした話をすることこそ、空気の読めない証なのだろうが……。

「そうなんだよ! かつての彼は手当り次第に女性を口説いていたのに、いつのまにか一人に絞るようになっちゃってさ。しかも、その子が学院から飛び出してったら、それを追って彼まで出てっちゃって」

 あれ? 死んだのではないのか?

「……ああ! あのナンパだった彼は、もうこの世にいないのだ! 彼は生まれかわってしまった!」

「それ死んでねえええ! 更生しただけじゃないの!」

 ツッコミの意味で、つい、ゲシッと蹴り飛ばしてしまった。
 それも全力で。

「ぶぎゃっ!?」

 大げさな悲鳴を上げながら、吹っ飛ぶ太っちょ。
 そのまま近くのテーブルに、まともに彼は倒れ込む。
 飛び散る料理が、そこで食べていた者たちの顔や服を汚した。

「マリコルヌ! 何するんだよっ!?」

 一人が太っちょ——どうやらマリコルヌという名前らしい——を突き飛ばし、突き飛ばされた彼は、別のテーブルへ倒れ込む。
 むろんそこでも騒ぎが起こる。
 かくて……。
 なしくずしの大喧嘩がはじまった。

########################

 ……ほらね。こうしみじみ考えてみると、やっぱし悪いのは、あの太っちょ。私は無関係なのだ、うむ。

「おはよう、ルイズ。朝から……すいぶんにぎやかな食堂ね?」

 唐突に横手からかけられた声に、私は振り向いた。
 黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。私やここの学生メイジと同じ服装だが、ボタンを一つ二つ外すことで、巨乳をいやらしく強調している褐色肌の娘。
 自称ライバルだったはずの旅の連れで、名をキュルケと言う。

「そうみたいね。貴族の学校とは思えないわ」

「いいじゃない、これくらいの方が。堅苦しくなくて、やりやすいわ」

 そう言いながら、フワッと髪をかきあげるキュルケ。香水の匂いが広がる。

「キュルケ……。あんた、また……?」

「……貴族の嗜みよ」

 朝の食堂だ。それ以上は言わない。
 誰かが耳にしても、香水とか化粧品とかの話だと思うだろう。
 だが、違う。私たちが話題にしているのは、キュルケの男漁りだ。
 キュルケの二つ名は『微熱』。情熱的と言えば聞こえはいいが、この女、けっこう簡単に男をとっかえひっかえするのだ。
 ……といっても、キュルケは街の娼婦ではない。あくまでも貴族。結婚するまで最後の一線は許さないという、淑女らしい一面も持っている。
 その気になった男と一晩一緒に愛を語り合って、それでも貞操を守りきるというのは、それはそれで凄い話だと思うのだが……。

「ねえ、ルイズ」

 キュルケがニヤニヤしている。

「何よ?」

「あなたの方は……どうなの?」

 表情を見ればわかる。キュルケは、サイトのことを聞いているのだ。
 もう一人の旅の連れであるサイトは、メイジではない。いわゆる傭兵稼業をしていた平民である。それが今では、なんと私の使い魔である。
 メイジである主人と、それに仕える使い魔。そういう関係だから、旅の間、夜は同じ部屋に泊まっていた。ここで一時的に女子寮の部屋を与えられた今でも、やはりサイトは私と一緒。

「な、何もないわよ」

 そう言いながらも、ちょっと顔が赤くなる。
 魔法学院は、さすがに貴族のための学校だ。寮のベッドも、安宿のものとは大きさがケタ違い。二人で寝ても問題ない広さだった。
 いつもいつも硬い床の上では可哀想。せめてここにいる間くらいは……という御主人様の仏心で、私とサイトは同じベッドで眠っている。
 変なことするくらいなら叩き出そうと思ったが、サイトならば大丈夫。私も緊張することなく、むしろ今まで以上の安心感。これが、メイジと使い魔の絆ってことなのかしら?

「……ふーん。まあ……何となくわかったわ」

 私の顔を覗き込み、一人で納得するキュルケ。それから、あらためて周囲を見渡して。

「ところで、これって何の騒ぎ?」

「さあ? 私も、よくわからないんだけど……」

 と、私がとぼけた時。
 その場の騒ぎが、ピタリと止まった。
 原因は、新たに食堂に入ってきた人物。
 その圧倒的な存在感だけで、皆を黙らせてしまったのだ。

「へえ……」

 食堂入り口に目を向けた私とキュルケは、同時に感嘆の声を漏らす。
 そこに、一人の男が立っていた。

########################

 魔法学院には場違いな、異様な雰囲気を纏う男だった。
 白髪と顔の皺で年は四十の頃に見えたが、鍛えぬかれた肉体が年齢を感じさせない。剣士かと思うようなラフな出で立ちだが、杖を下げている。これでもメイジなのだ。
 顔には、ずいぶんと目立つ特徴があった。額の真ん中から、左眼を包み、頬にかけての火傷のあとである。
 そんな男の後ろから。

「ああ、居た、居た。……ルイズ! このメンヌヴィルさんが、お前に用があるんだってさ!」

 ひょっこり顔を出したのは、私の使い魔のサイト。
 サイトは貴族ではないので、規則の上では、この『アルヴィーズの食堂』には入れない。だから厨房で食事をさせてもらうよう、手配しておいたのだが……。
 どうやら、この恐いおっさんに連れて来られたらしい。

「……ねえ、ルイズ」

「何よ、キュルケ?」

「今サイト……『メンヌヴィルさん』って言ったわよね?」

 私もキュルケも、学生とはいえ、旅のメイジ。色々な出会いもあったし、また、風の噂で名前だけ知っている凄腕メイジもいた。
 メンヌヴィル。そういえば聞いたことがある……。

「まさか……『白炎』メンヌヴィル!?」

 伝説のメイジの傭兵。白髪の炎使い。
 卑怯な決闘をして貴族の名を取り上げられ傭兵に身をやつしたとか、家族全員を焼き殺して家を捨ててきたとか、焼き殺した人間の数は焼いて食べた鳥の数より多いとか。様々な噂を流されていた。

「でも……なんだか、それっぽい雰囲気じゃない?」

 私とキュルケがコソコソと話すうちに、話題の主は、サイトと共に近くまで来ていた。

「俺を知っているのか。ならば話が早い」

 女同士のヒソヒソ話を、ちゃっかり聞いていたようだ。

「ボディ・ガードを探している」

 そう言って、私に顔を近づけてきた。サイトを指さしながら、私に問いかける。

「お前が、この男の主人のメイジか?」

「……そうよ」

「名は?」

「ルイズよ。……『ゼロ』のルイズ」

「ほう。お前があの、か。噂には聞いたことがある」

 メンヌヴィルは、ニヤリと笑った。

「嗅ぎたいなあ、お前の焼ける香り。……だが、今は我慢だ」

 はあ!? 今なんて言った!?
 とんでもない言葉を吐き出した男は、それからキュルケに顔を向ける。

「お前の名は?」

「あたしは『微熱』のキュルケ」

「……知らんな。だが……匂うな。お前も俺と同じ、炎の使い手だな? 今まで何を焼いてきた?」

「え? まあ色々と……」

 やばい。この男、あきらかにヤバイ男だ。
 どうやら『白炎』の噂は、まんざら大げさでもなさそうだ。

「そうか。まあ、いい。とりあえず、俺と一緒に学院長室まで来い」

 一方的に告げてから、彼は食堂全体を見回した。

「……で、この騒ぎは何だ? どうせお前が原因だろう、マリコルヌ!」

 おお、なかなか鋭い。
 遠くからとはいえ、メンヌヴィルに杖を向けられて、太っちょ君は硬直していた。

「目立つことはするなと言っただろう!?」

「も、申しわけありません! ミスタ・メンヌヴィル!」

 反射的に謝るマリコルヌ。
 なんだ? ミスタ・メンヌヴィルって言い方は……。メンヌヴィルは、ここで教師をやっているのか!?

「この俺でさえ、焼くのを我慢しているというのに……」

 また恐いことを呟きながら、メンヌヴィルは私たちに背を向けて歩き出した。

「どうする? ついてく?」

「……とりあえず、ね」

 顔を見合わせてから、私とキュルケも続く。

「おい、俺には意見きいてくれないの?」

 軽く文句を言いながら、サイトも私たちに従った。

########################

 この魔法学院は現在、学院長が行方不明となっている。
 高齢だった学院長は、もしもの場合はミスタ・コルベールに後を託すと言っていたらしいのだが、これが問題を引き起こした。
 火のメイジであるコルベールは、学者肌のメイジ。掘っ立て小屋を研究室と称して、そこに引きこもり、担当の授業すら自習ばかりという有様だ。

「もったいない話だよなあ、炎の使い手のくせに。……ボディ・ガードも、魔法の使えぬ女剣士がやっているんだぜ? しかも、俺が訪ねていってもその剣士が邪魔しやがる。俺自身、そのコルベールという教師には会ったこともない」

 コルベールがそんな調子なので、結局、風のメイジであるミスタ・ギトーが学院長代理を買って出たわけだが……。

「正式に頼まれたのはコルベールだからな。ギトーには従えんという教師も多い。逆に、学者バカのコルベールには従えんという教師も多い。だから、ここは今、コルベール派とギトー派に別れて抗争中というわけだ」

 私たちを案内しながら、メンヌヴィルが説明してくれた。

「……で? あなたはどっちなの? 今の話だと……ギトー派ってこと?」

 今すぐどうこうされるわけではない。それが判って安心したのか、結構でかい態度で質問するキュルケ。

「そうだ。俺はギトーに雇われていてな。奴のボディ・ガードを束ねる立場だ。あと、コルベールの代わりに、火の魔法の授業も受け持っている」

「へえ……」

 とんでもない状況だ。悪名高い『白炎』から火を教わるなど、ある意味では贅沢な話だが、しかし生徒の人格形成を考えるのであれば、絶対に間違っている。

「……まあボディ・ガードといっても、コルベールの剣士と俺以外は、貴族の坊っちゃん嬢ちゃんばかり。しょせん『ごっこ』だよ」

「ふーん。じゃあ抗争とやらも、抗争ごっこなんでしょ?」

 私の言葉に対して、メンヌヴィルはニタッと笑う。

「そうだ。だから……できればお前たちには、ギトーの話、受けてもらいたくはない」

「はあ!?」

 キュルケとサイトの声がハモった。だが私には、何となく意味が理解できていた。

「味方同士では戦えん」

 メンヌヴィルが予想どおりの言葉を吐き出した時。
 ちょうど私たちは、目的の部屋の前に着いた。

########################

 学院長室と言われていたが、実際には、本当の学院長室ではなかった。ミスタ・ギトーの部屋である。
 学院長代理を自称するギトーとその仲間たちは、ギトーの部屋を『学院長室』と呼んでいるようだ。本塔の最上階には本物の学院長室が健在なので、少し紛らわしい。

「君たちが、外からやって来たメイジか……」

 部屋の主は、長い黒髪を持つ、漆黒のマントをまとった男。まだ若いのに、不気味で冷たい雰囲気を漂わせていた。
 彼は、むすっとした表情で私たちを見る。

「君たちは、この学院に籍を置く生徒だそうだな?」

 この男の言う『君たち』とは、私とキュルケのことだ。貴族の典型で、平民は数に入れていないのだ。

「はい」

「『ゼロ』のルイズに……『微熱』のキュルケ……? フン、ろくに実力もない若輩者ほど、たいそうな二つ名をつけたがるものだ」

 私たちに関する書類に目を通しながら、そう吐き捨てるギトー。

「だいたい、旅をして遊んでいるだけで魔法が上達するなど、あり得ん話だ。学生は、ちゃんと教師から学ばねばならぬ。それも、ミスタ・コルベールのような変人学者ではなく、この『疾風』ギトーのような一流のメイジの授業を……」

「しかし、ミスタ・ギトー。学生メイジが魔法修業のために旅に出るのは、一般的な話のはずですが……?」

 長話が鬱陶しいので、私は遮ってしまった。
 彼は、私を冷たく睨みつける。

「……学生風情が生意気を言うな」

 そして、有無を言わせぬ口調で。

「そもそも、それを『一般的』にしてしまうのが、大きな間違いなのだ。だいたいオールド・オスマンも、何を考えてミスタ・コルベールなぞに後を託したのか? あのコルベールは、頭がどうかしておる。魔法を戦いに使うのは愚かだとか、生活に役立てるべきだとか、メイジの風上にも置けんことを言う男だ……」

 もう口を挟む隙もない。いったい、いつまで喋るつもりか?

「……だからこそ! あんな男ではなく、この『疾風』ギトーこそが! この魔法学院を治めねばならんのだ! この『疾風』ギトーが正式に学院長となったあかつきには……」

 あれれ? ついに、選挙演説みたいな話が始まったぞ!?
 ……こうしてギトーの演説攻撃は、ひたすら延々と続いたのであった。

########################

「話が違うじゃないの! あれじゃ、お説教よ!」

「ボディ・ガードの要請じゃなかったの!?」

 ようやく解放されて部屋を出た途端、私とキュルケは、メンヌヴィルに噛み付いた。
 まあ冷静に考えれば半ば八つ当たりだし、『白炎』メンヌヴィルに八つ当たりするというのも凄い話ではあるが、私もキュルケも頭が沸騰していたのだ。

「すまんなあ」

 メンヌヴィルが、ポリポリと頭をかく。
 こうして見ると少しコミカルだが、騙されてはいけない。こいつは『白炎』メンヌヴィルなのだ。それを思い出した私は、目を細めて尋ねた。

「だいたい……あんたほどのメイジが、なんでギトー程度の奴に従ってるの?」

 ギトーだって決して低レベルなメイジではない。おそらくスクウェアなのではないか、と私は想像していた。
 でも話しぶりを聞いていればわかる。実戦慣れしていない。まともに戦えば、トライアングルのキュルケにも負けるであろう。

「奴は、俺の雇い主だからなあ」

 答になっていない。傭兵にだって雇い主を選ぶ権利くらいある。ギトーは、メンヌヴィルの雇い主になれる器ではなかった。

「……ここに潜り込みたかったのさ、俺は。ここの図書館の資料を調べたくてな」

 メンヌヴィルは語る。
 まだメンヌヴィルが貴族の士官だった頃。とある部隊で、そこの隊長に大変世話になった。だから礼をするために、また、成長した姿を見せるために、彼を探している。
 しかし、引退したのか、どこかで戦死したのか。彼の噂は皆無であった。秘蔵の資料を調べれば消息の手がかりが得られるのではないかと考えて、魔法学院にやってきた……。

「へえ。あなたも……意外に礼儀正しいのね? お世話になった人物に会いたいだなんて……」

 感心したようにつぶやくキュルケだが、それは違うと私は思った。
 メンヌヴィルは、残忍な笑いを浮かべる。

「ああ、もう一度あいつに会いてえなあ! 会って礼がしてえ! 会いてえ、会いてえ、ってこの火傷が夜鳴きするんだ」

 ネジが外れたように笑いながら、メンヌヴィルは歩き去った。
 残された私たちは、顔を見合わせる。

「つまり……あの特徴的な火傷は、その隊長とやらにやられた傷。その仕返しがしたい……ってことね」

 同じ炎の使い手だからこそ、感じるものがあるのだろう。キュルケがゾクッと体を震わせた。

########################

 ギトーの部屋の前で私とサイトはキュルケと別れ、図書館へ向かった。
 本当は授業の時間だが、今さら魔法の講義など聞いても仕方がない。キュルケは真面目に出席するようだが、どうせ目的は男漁りに決まっている。
 さて。
 図書館は本塔にある。入り口には眼鏡をかけた司書が座り、本を片手に、出入りする者をチェックしていた。

「あ、こいつは私の使い魔ですから」

「……使い魔? これが?」

 若い女性の司書が、眼鏡に手をかけながら、サイトを見る。
 ここには門外不出の秘伝書やら魔法薬のレシピの書かれた本やらもあるので、普通の平民は立入禁止なのだ。

「はい。始祖ブリミルに誓って」

 サイトの左手のルーンを見せるべきかもしれないが、それは最後の手段。
 目立つことは避けたいので、この魔法学院にいる間は、サイトが伝説のガンダールヴであることは内緒にするつもりだった。異世界から来たことも誰にも言うなと、サイトには厳命してある。
 もっとも、左手に刻まれたルーンを見せたところで、刺青か何かだと言われればそれまでなのだが……。

「……まあ、いいでしょう」

 私の言葉を信じてくれたのか、彼女は視線を読んでいた本に戻した。
 サイトと二人で、中に入っていく。

「うお。すげえなあ」

 入った途端、サイトが感嘆の声を上げた。本棚の高さに圧倒されたようだ。

「それじゃ……いきましょうか」

「ああ。これだけあれば、何か見つかりそうだな!」

 サイトの顔が明るくなる。
 図書館に来た目的は、私の知らない虚無魔法——サイトを元の世界へ戻せる魔法——の手がかりを探すこと。
 でも『虚無』って、本来は伝説なのよねえ。手がかりがポイポイ落ちてるようなもんじゃないと思うけど……。

########################

「なあ……。まだ見つからないのかよ……」

 数時間後。
 私の隣に座るサイトは、だるそうにテーブルに突っ伏していた。

「そう簡単に見つかるわけないでしょ!? 私たちが探してるのは……伝説の魔法なんだから」

 テーブルの上には、分厚い本が何冊も積み上がっている。
 これに目を通したのは、全て私。
 サイトはハルケギニアの文字が読めないので、こういう場合、役立たずである。せめて御主人様の気分を良くするよう努めるべきなのに、こうやって不満タラタラでは、私の機嫌は悪くなる一方だ。
 私は、たった今チェックし終わった本をバタンと閉じる。

「これもダメね……。さあ、次。また別の本を取りに行くわよ」

「ええ〜〜。また〜〜?」

「文句言わないの! 誰のためにやってると思ってんの!? あんたのためでしょ!?」

「へい、へい」

 私に続いて立ち上がるサイト。本を重ねて持ち運ぶのは彼の仕事だ。それくらいしか、今の彼に出来ることはない。

「ほら、しっかり! よそ見してると、ぶつかわるよ!?」

「は〜〜い」

 私たちが来た頃は授業をやっている時間帯だったので、図書館は混んでいなかった。しかし、もう放課後になったようで、少しずつ人も増えてきた。
 現に今も、私のすぐ隣を知らない人が通り過ぎて……。

「お願いです……」

 女の声。
 私は声の主に視線を送る。
 理知的な顔立ちがりりしい、緑の髪の眼鏡美人。私とは目を合わさずに、言葉だけが唇からすべり出る。

「……この件には関わらないでください……」

「え? この件って……?」

 思わず足を止める。

「どうした、ルイズ?」

 サイトが声をかける。

「いや……今……」

 ふりむいたそこには、彼女の姿はない。
 周囲を見渡すと、少し離れた本棚の陰から、こちらを見ていた。
 なにやら、思いつめた瞳の色で。

「あ……」

 追おうとした時には、もう遅い。
 彼女の姿は、本棚の列の間に消えていた。

########################

 魔法学院ははや、闇に包まれていた。
 図書館のある本塔を出て、私とサイトは、女子寮のある建物へと歩いている。部屋へ戻るのだ。
 夜の散歩と洒落こむ者はいないのか、外には私たち二人だけだった。

「結局、何も手がかりなしか……」

「そんなに失望しないで。まだ探索一日目よ? 明日も頑張りましょう?」

 はっきし言って、気休めである。
 今日一日調べた感じでは、どうやら、何日やっても無理そうだった。
 トリステインという国の名を冠した魔法学院だが、しょせん貴族の子弟の学校だ。伝説クラスの資料を期待するのは、期待し過ぎだったかもしれない。

「そうだよな。明日がある、明日があるさ。俺が諦めちゃいけないよな……。必死に探してくれてるのはルイズなんだから。……ありがとな、ルイズ」 

「あ、あ、あたり前でしょ!? わ、私はあなたの御主人様なのよ! 使い魔の世話をするのは、メイジとして当然よ!」

 私の気休めを真に受けて、サイトが素直な顔をしたので、私は少し動揺。
 
「……そ、それに! 礼を言われるのは、まだ早いわ。ちゃんと見つけてから言ってよね!?」

「ああ。でもさ……」

 サイトの言葉が、そこで突然止まった。彼の表情も変わった。
 私とサイトは、同じ方向に視線を走らせる。二人して、異質な気配を察知したのだ。
 いつのまにか、月がかげっていた。
 雲ではない。
 巨大な土の像が、二つの月を遮っていた。
 ただし、最初からあった『像』ではない。少し前まで、私たちは月の光を浴びていたのだから。
 ならば、これは……。

「大きなゴーレム……」

 私は思わずつぶやいた。

########################

 30メイルくらいありそうな、巨大な土のゴーレムだ。ゴーレム作成は、わりとポピュラーな『土』魔法であるが、これだけの規模の物を作り出すのは、並のメイジではない。
 よく見れば、その肩に人が乗っていた。
 黒いフード、黒いローブ、黒いマントで全身を隠した怪人物。おそらく、これがゴーレムを作り出したメイジだ。

「ギトーについたのか……?」

 性別すら隠したいのだろうか。布越しの、くもぐった声で怪メイジが言う。

「やめておけ。長生きをしたいのならばな……」

 私たちが今朝ギトーに呼ばれたのを見て、ボディ・ガードを頼まれたと判断したようだ。そして、こう言うからには、こいつは抗争に関与する者。しかもギトー派ではない。つまりコルベール派らしい。

「何言ってんの? あんたみたいな怪しい奴に、どうこう言われる筋合いはないわ! どうせ名乗ることもできないんでしょ!?」

「ふむ……」

 私の言葉に対して、少し考え込んでから。

「我が名はフーケ。……『土くれ』のフーケ」

 な!?
 驚愕の表情を浮かべた私を見て、隣のサイトが肩を叩く。

「なあ、ルイズ。あいつ、有名人なの?」

「サイト……あんた、私と出会うまで、傭兵やってたんでしょ?」

「ああ」

「じゃあ……裏の世界で有名な奴くらい、覚えてないの?」

「ん……。覚えてない。ほら、ハルケギニアの人々って、みんな名前が長いし」

 このクラゲ頭のバカ犬め!
 名前が長いのは立派な貴族だけじゃあああ!
 しかし今はツッコミを入れている場合ではない。私がツッコミを入れようとしたら、言葉と一緒に手か足か魔法が出てしまう。さすがにフーケの前では、サイトに肉体的なダメージを与えている余裕はなかった。

「あのね、サイト。『土くれ』のフーケっていうのは、トリステイン中の貴族を恐怖に陥れている盗賊メイジよ。壁や扉を『錬金』で『土くれ』に変えてしまって、宝を盗み出すの」

「へえ。その『錬金』って……そんなに凄い魔法なのか?」

「『錬金』そのものは難しい魔法ではないわ。でもフーケの『錬金』は、『固定化』の魔法で守っていたはずの場所すら土くれにしてしまう。……それだけ強力な『錬金』ってこと。それだけフーケが……凄いメイジってこと」

 私がサイトに説明している間、フーケは、じっと黙っていた。話が終わったと判断したのか、再び口を開く。

「我を知っているならば話は早い。今宵の我の仕事は警告のみ。……この件からは手を引け。わかったな」

 言うなり……。
 ゴーレムは、ズシンズシンと歩き出した。
 魔法学院の城壁もひとまたぎで、外へ出ていく。

「おい、いいのか? あいつ……逃げちゃうぞ?」

「別に私、戦闘狂じゃないからね。……むこうが『警告のみ』って言ってんのに、こっちからケンカ売っても、一文の得にもならないわ」

 何もない場所で戦うならば、私の大技一発で、あんなゴーレムは楽勝だ。しかし、ここではダメ。たぶん、魔法学院も一緒に吹き飛ばすことになる。そんなことをしたら、盗賊フーケよりも、私たちが重罪人になってしまう。

「それにしても……『白炎』メンヌヴィルに『土くれ』フーケ……。とんでもないところね、この魔法学院。……まるで魔の巣窟だわ」

「さすが、ルイズとキュルケの学校だな……」

 私とサイトは、しばらくの間、茫然とたたずんでいた。





(第二章へつづく)

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 第二部で登場するキャラの役柄、ある程度は判っていただけたでしょうか。
 なお投稿予定や執筆状況に関しては、表紙ページに記載することにしました。

(2011年4月15日 投稿)
   



[26854] 第二部「トリステインの魔教師」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 23:10
   
 翌朝の目覚めは、けっして不快なものではなかった。
 貴族が寝るためのフカフカのベッドの上で、隣には使い魔もいる。メイジ本来の姿で迎えた朝だからであろうか。
 眠っている間にいつのまにか使い魔を抱き枕にしていた……というのも、御主人様としては自然な行動なのかもしれない。しかし、その使い魔が私と同じ年頃の少年であることを考えれば、少し恥ずかしい。
 彼に気づかれないよう、ソーッと体を離して。ちょっと赤くなった自分の顔が元に戻るまで待ってから、使い魔サイトを叩き起こす。

「もう御主人様はお目覚めよ!? あんた、いつまで寝てるのよ!」

「ああ、おはようルイズ……」

 眠い目をこするサイトに、私は宣言する。

「ギトー派に参戦するわよ!」

「……は? ここのゴタゴタに……関わるの?」

 サイトは意外そうな顔をする。
 まあ、そうだろう。
 私たちがトリステイン魔法学院に来たのは、図書館の資料を見るため。
 それに、しばらく前ちょっとしたことがきっかけで、かなりとんでもない事件に巻き込まれ、やや消耗していたのだ。サイトに「ここではおとなしくしておくこと」とクギを刺したのも他ならぬこの私である。
 が……。

「そう。一応ここ、私が所属する魔法学院だから」 

 トリステイン魔法学院の名誉が失墜すれば、この学院出身メイジの肩身も狭くなる。それは気持ちの良いものではないのだ、貴族のプライドとしては。

「……っつうかさ。どうせルイズ、昨日ので、少し意地になったんだろ?」

「まあね。それは認めるわ」

 図書館ですれ違った思わせぶりな女性。そして、盗賊『土くれ』のフーケ。
 魔法に関して調べていた時だったので、図書館では一瞬混乱したが、たぶん彼女もフーケと同じ。現在の魔法学院のゴタゴタについて、言っていたのだ。
 それに、昨晩は、フーケと直接やりあうのは避けたのだが……。今にして思えば、なんだか気分がスッキリしない。

「ここで退いたら、盗賊ごときにビビって逃げたってことになるもん。……私たちが解決するのよ、この事件!」

########################

 私は食堂で、サイトは厨房で。
 それぞれ朝食を済ませた後、合流して、二人でギトーの部屋へ。

「なんだ、君か。何のようだね?」

「ボディ・ガードを探していると聞きましたが……」

「……ん? ミスタ・メンヌヴィルが余計なことを言ったのか」

 ギトーは、むすっとした顔をする。

「本当は……そんなもの必要ないのだがな。なにしろ私は『疾風』のギトー。最強の系統である『風』を操るメイジだ」

 は? ……『風』が最強ですって?
 一瞬、私がほうけている隙に。

「なんだ、その顔は? 知らなかったのか? ならば『風』が最強たる所以を教えよう……」

 また長話が始まってしまった!

「……簡単だ。『風』は全てを薙ぎ払う。『火』も『水』も『土』も、『風』の前では立つことすら出来ない。残念ながら試したことはないが、『虚無』さえ吹き飛ばすだろう。それが『風』だ」

 目の前にその『虚無』のメイジがいるとも知らずに、平然と言ってのけるギトー。
 世間では『虚無』は伝説なので、私も魔法学院のような場所では「自分は虚無です」などと吹聴したりはしない。頭オカシイと思われるのも嫌だし、そのたびにいちいち実演するのも面倒だし。
 本当は『虚無』だけど面倒だから『火』ということにしている。……と言うと、それはそれで、なんだか恥ずかしい気がするけど。

「……だから自分の身くらい、自分で守れる。しかし私を慕って、私の身辺警護をしたいという連中が後を絶たないのだ。君もそのクチだというなら、まあいい。仲間に入れてやろう。詳しいことはミスタ・メンヌヴィルに聞きたまえ」

 よかった。今日は、それほど長くなかった。
 解放された私たちは、新しい長話が始まる前に、急いで部屋を出る……。

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「……君たちも、こっちにつくのかい?」

 部屋を出てすぐの廊下に、一人の男がいた。
 扉の横の壁に、もたれかかっている。
 体が重すぎて、普通に立っていられないのだろうか……と、からかいたくなるような容姿の少年。昨日の朝コナをかけてきた太っちょ、マリコルヌだ。

「なーによ?」

「ミスタ・メンヌヴィルは、凄いメイジと凄い剣士が来たって言ってたけど……」

 彼の視線が私の全身を舐め回す。しかし、いやらしい目ではない。むしろ……バカにしたような目つきだ。

「ただの平民と、お子様じゃないか」

 こいつ!? 私の背と胸を見て言ったな!?
 思わず拳を握りしめたが。

「こんなところで暴れるなよ、ルイズ」

 サイトがとっさに制止する。
 それからマリコルヌに向かって。

「お前さあ、昨日はルイズをナンパしたんだろ?」

「貴族に向かって『お前』とは何だ、この平民が!」

 侮辱されたと思ったのか。しかし本気で杖を抜かないところを見ると、メンヌヴィルから聞かされているのだろう、サイトの強さを。メンヌヴィルだって直接見てはいないはずだが、どうやってか見抜いたようだ。

「……まあ、とにかく、だ。ええと、マリコルヌだっけ? 要は結局、俺たちがメンヌヴィルさんから高く評価されたのが気に入らない。しかも、ルイズはお前が口説きそこなった相手だ」

「う……」

「前半はともかく、後半は俺にもよくわかる。俺も男だからな。昔の俺を見てるみたいだ。……こっちの世界に来る前の俺を」

「……こっちの世界?」

「あ、俺、すごい遠くから来たんだ。えーっと……」

「東方よ。サイトは、ロバ・アル・カリイエの方からやって来たの」

 助け舟を出す私。異世界から来たことは隠そうと決めた時点で、打ち合わせもしたのだが、バカ犬のクラゲ頭では地名を覚えきれなかったようだ。

「なんと! あの恐るべきエルフの住まう地を通って!?」

「違うわ、そんなこと出来るわけないでしょ。こいつ、そこから直接、私に『召喚』されてきたのよ」

 これも事実とは違うけど、これが一番合理的だろうから、そういうことにしておく。

「……まあ、ともかく。俺の宝物を見せちゃおう」

「宝物?」

「ああ。昔の俺なら大喜びするはずの宝物」

 ちょっと私も興味をそそられる。

「サイトの宝……?」

「あ、ルイズにも見せたことなかったな。でも、これ、男の子向けだからさ」

「……何それ? あんた、何かスケベな物を……」

「違う、違う! スケベなんかじゃない! むしろ清楚だ! ……とにかく、百聞は一見にしかず、って言うし。俺についてきな」

########################

 いったん部屋に立ち寄り、何かの包みを手にしたサイトは、私とマリコルヌを連れて厨房へ。

「おう、『我らの剣』が来たぞ!」

 四十過ぎの太ったおっさんが、サイトを歓迎する。

「あれはマルトーさん。ここのコック長だよ」

 マリコルヌが教えてくれた。

「なんだい、貴族の方々を連れてきたんですかい?」

 マルトーは、私たちを見て顔をしかめる。
 魔法学院のコック長ともなれば、それなりに収入も多いのだろう。でも平民は平民。貧乏貴族より身分は下だ。貴族を嫌うのも、わからんではない。

「ああ、すいません。すぐに出ていきますから。ただ……手の空いてるメイドさんを二、三人、少しの間、貸して欲しくて」

「『我らの剣』の頼みなら聞いてやりたいが……」

 マルトーは、サイトとマリコルヌを見比べる。
 そして、心配そうに。

「まさか……貴族の慰み者にしようってわけじゃないでしょうね? あいつらは俺の娘みたいなもんで……」

「違う、違う! そんなじゃないから安心して!」

「そうか? 今なら……たぶんローラ、カミーユ、ドミニックあたりならば……」

 メイドらしき女性の名前を口にしながら、マルトーが奥へ引っ込んでいく。
 私は、サイトをチョンチョンと突ついた。

「『我らの剣』って何?」

「いやあ、ちょっと旅の話をしたら、そう呼ばれちゃって。まだ若い平民なのに剣一本で貴族と渡り合えるなんて凄い、って」

「何それ? 旅の話って……話だけでしょ? 信じてもらってんの?」

 こいつに嘘やホラを話す頭がないのは判っているが、それは今までの付き合いがあってこそ。会ったばかりの厨房の連中には、そこまでは判らんはずだが……。

「うん。その時、ちょうどメンヌヴィルさんが来てさ。俺の強さに太鼓判を押してった」

「メンヌヴィル? まさか……あいつとここで、やり合ったの!?」

「そんなわけないだろ。でも……一目見ただけでわかるんだってさ」

 ここでサイトは、私の耳元に口を寄せて。

「俺が異世界出身ってことまで、メンヌヴィルさんにはバレてた。なんか……『温度が違う』って言ってた」

 温度が違う、って……。メンヌヴィルは目で温度を検知できるのか?
 が、ここでサイトとの内緒話は終了。
 マルトーが、メイドを三人連れて戻ってきたのだ。

「二時間くらいなら、空いてるそうだ」

「はい! 喜んで!」

 揃って言った彼女たちは、三人とも若いメイドだ。私やサイトやマリコルヌと同じくらいの年頃。器量は悪くないし、スタイルも……悔しいが私より女性的だ。

「お願いがあるんだけど……」

 サイトが三人に近づき、持ってきた包みを渡しながら、耳元でゴニョゴニョ。

「えー。そんなことするですか?」

「でも……その程度なら……」

「そうね、サイトさんのためなら!」

 メイドたちは了承したらしい。

「じゃ、俺たちは先に行って待ってるから!」 

 なんだ? 宝物披露はここじゃないのか?

「……また移動するの?」

 マリコルヌも不服そうだが、サイトが宥める。

「心配すんな。次で終わりだ。いよいよ……舞台の幕が上がる!」

########################

 陽光まぶしいアウストリの広場で、私とサイトとマリコルヌは待っていた。

「サイト、もったいぶるのもいい加減にしたら?」

「ごめんな、仕込みに時間かかって。……じゃ、ネタばらしにならない程度に説明しようか。俺の国の女性の衣装によく似た服を、こっちで見つけてね。それを買った」

「女性の衣装? やっぱり、それって……」

 私のジト目に対して、サイトはバタバタと手を振る。

「違う、違う! だからスケベなもんじゃないって! むしろ清楚なんだってば! ……でもそれがいいんだ」

 意味がわからない。
 私とマリコルヌが顔を見合わせた時。
 メイド三人がやってきた。

「何……あれ?」

 サイトから渡された服なのだろう。異様な格好だった。
 白地の長袖に、黒い袖の折り返し。襟とスカーフは濃い紺色。襟には白い三本線が走っている。
 アルビオンの水平服らしいが、少し違う。胴の丈が短いのだ。スカートの上ぐらいまでしかなく、動けばヘソが見えてしまう長さだ。実際、三人は今、走ってきているので、ヘソがチラチラしていた。
 そしてスカート。私たち学生メイジが履くグレーのプリーツスカートだが、これも短い。膝上15サントくらい。よく働くメイドたちの健康的な太腿が、半分以上あらわになっている。

「おおおおおおおおっ!」

 宝物を見せると言っていたサイト自身が、宝を見て感激していた。
 そして、見せられたマリコルヌも。

「け、け、けしからん! まったくもってけしからんッ!」

 目を爛々と輝かせ、食い入るように見つめている。
 そして私たちの前まで来たメイドたちは、サイトに頼まれたであろう一芸を見せた。
 三人揃って、くるりと回転。スカーフとスカートが軽やかに舞い上がる中、指を立てて元気よく。

「お待たせ!」

 男二人の興奮が頂点に達した。

「おれッ、サイッコォオオオッ! 君たちも最高ぉおおおおオオオオッ!」

「ああ、こんなッ! こんなけしからん衣装と仕草! の、の、の、脳髄をッ! 直撃するじゃないかッ!」

 頭痛ひ。
 女の私には、全くもって判りませぬ。
 でも。
 男たちは懇願する。

「お願いだヨ。もう一回、頼むヨ」

 くるり。

「お待たせ!」

「うぉおおおおオオオオッ!」

「の、の、の、脳髄がッ! 僕の脳髄が焼きつくッ!」

 くるり。

「お待たせ!」

「セーラー服ぅ最高ぉおおおおオオオオッ!」

「の、の、の、脳髄がッ! 僕の脳髄がッ!」

 こうして。
 頭痛い子たちの演舞は、時間いっぱい繰り返された。
 あとで聞いた話によると、あれはサイトの世界の学生服。私たちくらいの年の女の子は、ああした格好で学校に通うのだそうだ。だから、あれも一種の望郷の念なのだ、と言っていたが……。
 ちなみに。
 この時からマリコルヌは、サイトをアニキと慕うようになった。

########################

 昼食の後。

「そっちはどうだった、サイト?」

「いない。ルイズのほうも……?」

「うん」

 サイトと再び合流。
 挨拶がわりに尋ねたのは、『白炎』メンヌヴィルのことだ。
 昨日は向こうからやってきたメンヌヴィルだが、今日は全く顔を見ていなかった。
 一応ギトー派についたと一言ことわっておきたかったが、まあ、いいか。コルベール派になる気はないから——たぶんフーケがコルベール派だから——形の上でギトー派になった、ただそれだけなのだ。

「……で、これからどうすんだ? 相手陣営の様子を探るとか?」

「そんなチマチマやるのは面倒でしょ。……だから学院長室へ行きましょう!」

「……? またギトーさんのところへ?」

「違うわよ、本物のほう」

 そもそもの騒動の発端は、学院長の失踪だ。彼を見つけ出すのが、手っ取り早い解決策のはず。それを調査するには、まず、学院長室だ。
 そう考えて、サイトと共に本塔の最上階まで行ってみたところ……。

########################

「あれ……?」

「何の御用でしょうか。オールド・オスマンは、ただいま不在ですが……?」

 学院長オスマンは行方不明だと聞いていた。だから彼の部屋も無人だろうと思っていたのだが、それは間違いだったようだ。
 学院長室では、机に座って書き物をしている女性がいた。

「なあ、ルイズ。学院長はいないって話だったけど……いるじゃん」

 不思議そうな顔をするサイト。
 ちょっと待て。
 それはそれで何か勘違いしているだろう!?
 案の定、目の前の女性が笑いながら訂正する。

「あら、私、そんなに高齢に見えるのでしょうか? いやですわ、まだ二十歳そこそこですのに……」

 二十代前半の女性だ。サイトは気づいていないようだが、私は彼女に見覚えがある。
 昨日図書館で私に、この一件には関わらないで欲しい、そうささやいて姿を消した眼鏡美人だった。
 しかし、まるっきしの初対面のような態度。
 それなら、こっちも芝居につきあうとしますか。

「私の使い魔が失礼をして、申しわけありません。私はルイズ・フランソワーズ。こっちは使い魔のサイトです」

「ああ、新しくやってきた……というより、戻ってきたという方が正確かしら? とにかく、来たばかりの学生メイジと、そのお連れ様ですね。……申し遅れました、私はオールド・オスマンの秘書です。ミス・ロングビルとお呼びください」

「では、ミス・ロングビル。あなたは、ここで何をしているのです?」

「何って……もちろん、私の仕事を」

 彼女はケロッとしていた。しかし、姿を消した雇い主を心配もせず、秘書仕事を続けるというのも不自然な話である。

「でもオスマン学院長は行方不明で、今はミスタ・ギトーが代理をしていると聞きましたが……」

「あら、事情通ですこと」

 彼女はホホホと、おしとやかに笑う。いかにも大人の女性といった感じだ。

「ですがミスタ・ギトーは、正式に引き継ぎをされたわけではありませんから。書類仕事などは、ここで私が続けております」

 なるほど。
 一応、スジの通った話ではある。
 しかし。
 ならば学院の業務そのものは、このミス・ロングビルが押さえているわけだ。結局ギトーは、お山の大将のように威張り散らしているだけ……ということか?

「で、そこまで御存知のあなた方は……学院長不在と知った上で、何しに来たのでしょうか?」

 今度は、そちらが追求する番か。まあ、適当なことを言ってあしらえばいい。
 ……と思っていたら。

「いやあ。ルイズが、学院長を見つけ出すんだ、って言うもんだから。そんで、ここに手がかりあるだろうから調べよう、って言うんで。……それで、来ました」

 何を馬鹿正直に話しておるのだ、このバカ犬は!?

「まあ、まあ! それは、ありがたいお話ですこと! オールド・オスマンを探し出していただけたら、それはもちろん、願ってもない話ですが……」

 微笑みを続けながらも、ミス・ロングビルの眼鏡の奥がキラリと光った。

「……大人の問題は、大人で解決しますから。学生の方々は、何も気にせず、どうぞ勉学に励んでください」

 これで会話は終わりという意味だろう。彼女は視線を机の上に戻し、中断していた書き物を再開する。
 言い方は柔らかいが、要するに学生は口を出すなということだ。
 うーむ。昨日の図書館での言葉も、この程度の意味だったのだろうか?
 それにしては、やけに勿体ぶった態度だったのだが……。
 釈然としないものを胸に抱えながら、私とサイトは学院長室を辞した。

########################

 ミス・ロングビルに言われたから……というわけではないが。
 学院長失踪事件に関してあからさまに調査するのは、一時中断。この日の残りの時間は、昨日同様、図書館で過ごした。
 トリステイン魔法学院にやってきた本来の目的、未知の魔法の手がかり探索に戻ったのだ。

「……でも結局、今日も何もナシね」

「なあ、ルイズ。これって、どっちつかずだよ。二兎を追うもの一兎をも得ずだよ」

 やはり昨日と同じく、暗くなった学院敷地内を女子寮へと向かう私とサイト。

「文句言わないの! あんたのための魔法探しなのよ!? それに……これはこれでカモフラージュになるじゃない」

「カモフラージュ?」

「そう。ここのゴタゴタからは、ちょっと手を引いてみました……って素振りを見せるの」

「誰に対して? 誰もいないじゃん」

 サイトがキョロキョロと周囲を見渡す。
 たしかに、月の光に照らされているのは、私たち二人のみ。他には誰もいない。それでも、気づかぬ何処かから見張られている可能性はあるのだ。

「……わかんないでしょ。昨日だって、突然……」

 その時。
 月がかげった。
 私とサイトは同時に振り向く。

「ワンパターンな登場の仕方ね……」

「暗い夜道は、盗賊のテリトリーってことか?」

 視線の先には、巨大な土のゴーレム。
 その肩に乗るのは、黒ずくめの怪人物。『土くれ』のフーケだ。

「我が言葉……無視する方を選んだか……それもまたよかろう……」

 フーケは、自問するかのような口ぶりで静かにつぶやいた。

「なーに? やろうってわけ……?」

「ならば、俺たちだって……」

 昨日とは違う。今夜のサイトは、私に言われて、ちゃんと持ち歩いていた。
 彼は今、背中から剣を抜く!

「よう、相棒! それに娘っ子! ようやく俺っちの出番かい!?」

「ああ、そうだな」

「待たせたわね、デルフ!」

 サイトの左手が、暗闇の中で強く光った。
 それを見て。

「我は盗賊……暗殺者ではない……宝を奪うのが仕事……」

 フーケが、再びブツブツとしゃべり始めた。

「……が……人の命もまた、時には宝!」

 うまいこと言ったつもりか!?
 巨大なゴーレムの拳が、私たちに迫る!
 だが! フーケがしゃべっている間に、私も準備していた!

 ドゥッ!

 私のエクスプロージョンで、ゴーレムの右腕が吹っ飛ぶ。
 魔法学院の庭先であまり派手にやりたくはないので、今のでもフル詠唱ではない。これならば、まだまだ何発も撃てる。あと二、三発、ぶち込んでやれば……。

「危ねぇっ!」

「え?」

 杖を振り下ろしたままの姿勢の私を、サイトが抱きすくめた。そのままバッと横っ飛び。
 たった今まで私たちがいた地点には、ゴーレムの巨大な拳がめり込んでいた。

「ボーッとすんな!」

 私を見もせずに叱責するサイト。剣を構えて、私に背中を向けていた。

「……再生したのね」

 なるほど、ただ大きいだけじゃないわけか。壊しても壊してもすぐに再生する、それが『土くれ』フーケ自慢の巨大ゴーレム!

「我がゴーレムは無敵……相手が悪かったな……」

 傲慢さも感じさせず、淡々とつぶやくフーケ。だが……『相手が悪かった』は、こっちのセリフ!

「サイト!」

「ああ!」

 再び迫る巨大な拳を、今度はサイトが魔剣で斬り飛ばす。
 どうせすぐ復活するだろう。が、それはそれで構わない。またサイトが斬ってくれるから。
 そうやって彼が盾になってくれている間に、私がやるべきことは……。

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……ギョーフー・ニィド・ナウシズ……エイワズ・ヤラ……ユル・エオ・イース!」

 強い意思と共に、私は杖を振り下ろした。
 私の『解除(ディスペル)』を叩き込まれたゴーレムが、一瞬のうちに土に還る。

「ほう……さすが『ゼロ』のルイズ……」

 足場にしていたゴーレムが崩れる寸前、後方へ跳躍したのだろう。フーケは、ストンと地面に降り立った。

「今日のところは……我の負けだ……」

 クルリと反転し、走り出すフーケ。

「どうする? 今日も逃がしちゃうのか?」

「何いってんのよ、バカ犬! 昨日とは違うでしょ!? はっきりと敵対してきたんだから……逃がすもんですかっ!」

 奴がゴーレムを失った今が、奴を倒すチャンス!
 私とサイトは、黒いマントの後を追った。

########################

 黒いマント、黒いローブ、黒いフード。
 それがフーケの格好だ。
 夜の追跡行は、逃げる側が有利だった。
 ほどなく、私たちはフーケを見失ってしまった。
 しかし……。

「なんか……怪しいよな?」

「そうねえ……」

 フーケが消えた辺りに、見慣れぬ建物があった。
 学院の正規の宿舎とは違う、ボロっちい掘っ立て小屋。

「この中に逃げこんだのかな? もしかして……ここが『土くれ』フーケの隠れ家?」

「そんなわけないでしょ」

 いかにもバカ犬な意見。
 魔法学院の中にアジトを建てる盗賊がどこにいるというのだ!?

「でもよ。木を隠すなら森の中とか、灯台もと暗しとか言うじゃん? だからさ、おおやけの学校の中に拠点を作るのって、案外いいかもしれないぜ?」

 むむむ。そう言われると、そうかもしれないとも思えてきたが……。
 そうやって、扉の近くで二人で話し合っていたら。

 ガチャリ。

 小屋のドアが内側から開いた!

「何よ、騒がしいわね……」

 言いながら出てきた女性を見て、私もサイトも目を丸くした。

「なんで、あんたが……!?」

「ええっ!? どういうことだ……?」

 なぜならば、彼女は……。

「あら、ルイズにサイトじゃない。……何やってんのよ、こんなところで?」

 赤い髪を持つ、褐色肌の巨乳娘。
 私たちの旅の連れ、『微熱』のキュルケであった。





(第三章へつづく)

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 マリコルヌ才人をアニキと慕うの巻。「スレイヤーズ」の金貨イベントを「ゼロ魔」のセーラー服イベントで置き換えたつもり。

(2011年4月18日 投稿)
(2011年5月24日 「召還」を「召喚」に訂正)
    



[26854] 第二部「トリステインの魔教師」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/21 21:46
  
「何やってんの、って……。キュルケこそ何やってんのよ!?」

 盗賊『土くれ』のフーケを追って、怪しい掘っ立て小屋まで来た私とサイト。
 しかしフーケの姿はなく、中から出てきたのは『微熱』のキュルケ。

「そうだぞ、そんな格好で何やってんだよ!?」

 サイト的にはポイントはそっちか、おい。
 もうベッドに入っていたのであろう、キュルケは寝まき一枚。いいえ、寝まきというより下着かしら? ベビードールと呼ばれるタイプの、男を誘惑するための下着……。

「あら? こういうの……珍しい?」

 燃えるような赤い髪を優雅にかきあげて、艶っぽく流し目を送るキュルケ。
 サイトがゴクリと喉を鳴らす。

「でも、ルイズだって寝るときはこうじゃないの?」

「そうだけど。でも何か違う……」

 サイトの返答に、キュルケがニマッと笑った。

「なーんだ。やっぱり……そうなんだあ?」

「違うわよ! 私は普通のネグリジェよ!」

 サイトをゲシゲシ蹴りつけながら、私が訂正する。

「痛ぇっ! やめろルイズ、おい!」

「下着と寝まきの区別もつかないバカ犬には、しつけが必要でしょ!?」

 男から見れば、どっちも同じに見えるのかもしれないけど。頭ではわかっていても、なんかムカツク。
 ……だいたい、私がネグリジェで寝るようになったのは、ここに来てからである。
 旅の宿は危険がいっぱい、いつでもサッと飛び出せる姿で寝ていた。が、ここは魔法学院。安心して、本来の貴族らしい格好で眠るようにしている。
 しかし、よく考えてみたら、教師メイジたちが派閥抗争をしていたり、『土くれ』フーケやら『白炎』メンヌヴィルがいたり。ここも安全ではないのかも……。

「それよりキュルケ。もう一度聞くけど、あんた、ここで何やってんの? 私とサイトは、怪しい奴を追ってたら、ここに辿り着いたんだけど……」

「怪しいのは、お前たちだ」

 突然、キュルケの後ろから別の女性が現れた。
 短く切った金髪の下、澄みきった青い目が私たちを睨む。ところどころ板金で保護された鎖帷子、そして滑らかな無地のマントに身を包み、腰には長剣と拳銃をさしていた。キュルケとは対照的な、物々しい出で立ちである。

「この者たちはお前の知り合いか、キュルケ?」

「ええ。ルイズとサイト」

 キュルケが紹介してくれたが……。
 私とサイトは、警戒を怠らなかった。
 この鎖かたびら女、できる。私たちでさえ気圧されそうな殺気を、全身から放っていた。

「そうか。一応、名乗っておこう。私はアニエス。コルベールのボディ・ガードをしている」

 あ!
 ようやく気がついた。
 コルベールは掘っ立て小屋にこもって研究をしている、って話だった。ここがその小屋、つまりコルベール派のアジトってことか。
 ならば、このアニエスが、メンヌヴィルの言っていた女剣士なのだろう。

「……お前も剣士か?」

「は、はい……」

 サイトの剣を一瞥しながら、声をかけた。それからジロリと私を見る。

「お前、『炎』使いだな? 焦げ臭い、嫌なにおいがマントから漂ってくる」

 いや私、『火』じゃなくて『虚無』なんですけど。
 でも面倒だから『火』ということにしているので、ある意味、都合が良かった。たぶん爆発魔法のせいでしょうね、マントが焦げ臭いというのは。
 しかし……使う魔法の種類を一瞬で察するとは、こいつも化け物の一種だな。なるほど、メンヌヴィルがコルベール側の戦士としてワザワザ言及しただけのことはある。

「そうよ。私は『火』のメイジ」

「……教えておいてやる。私はメイジが嫌いだ。特に『炎』を使うメイジが嫌いだ」

「はあ? それっておかしいんじゃねえの? ここのコルベールって人も、『炎』を使うメイジなんだろ?」

 おお、クラゲ頭のくせによく覚えていたな。しかし、やっぱりサイトはバカ犬だった。今は、それを言うべきタイミングではなかったのだ。
 アニエスの表情が、鬼のようになった。

「ああ、そうだ。だからこそ、コルベールは私が守ってやるのだ。……いつか私自身の手で殺すために」

 そう吐き捨てると、クルリと背を向けて、奥へ引っ込んでいく。

「なんだよ……それ……」

「……複雑な事情がありそうね」

 唖然とするサイトと私に向かって、キュルケが肩をすくめる。

「そういうこと。もう夜も遅いから、あなた達も部屋に帰って、おとなしく寝なさいな」

 そして彼女は、バタンと扉を閉めてしまった。

########################

「……で、キュルケは、あっちについたってわけ?」

「まあ、ね。……泊まり込みで警護してるわ」

 翌日。
 私とサイトは、廊下を歩いていたキュルケを私の部屋に引きずり込んだ。事情を説明してもらうためである。

「なんで?」

「だってミスタ・コルベールは、あたしと同じ『火』のメイジだもの」

「それはそうかもしれないけど。コルベールって……メイジとしては、たいしたことないんでしょ?」

 メンヌヴィルやギトーから聞いた情報を思い出す。コルベールは研究ばかりしている学者メイジで、魔法を使うのも嫌がるくらいだとか……。
 ところが、キュルケは首を横に振る。

「それが違うのよ。見ると聞くとでは大違い。実際に会ってみると……相当な凄腕よ」

 キュルケの声色が真剣なものに変わる。

「……そんなに?」

「ええ。おとなしいフリをしているから、みんな騙されてるみたいだけど……あれは、かなりの修羅場をくぐってきたメイジね。ルイズも会えばわかると思うわ」

 私ほどではないが、キュルケも腕前は確かなメイジ。そこまで彼女が言うのであれば、少しは信用してもいいのだろうか。
 しかし、それなら『白炎』メンヌヴィルもコルベールを高く買いそうなものだが……。

「あ!」

「……何?」

「なんでもないわ。ちょっと思い出しただけ」

 メンヌヴィルは言っていたのだ。コルベールには会ったことがない、と。会いに行っても女剣士に追い返される、と。
 そして、こうして私がアニエスについて思い浮かべたタイミングで。

「そういえばさ。あのアニエスって女の人……いったい誰?」

 サイトが、ちょうどアニエスのことをキュルケに尋ねた。

「ふーん。サイト……ああいうのが好み?」

「ちげーよ! なんでそういう話になるんだよ!?」

 キュルケだからである。
 ……と思ったが、とりあえず口には出さず、私は黙って二人の会話を聞く。

「あら。目つきは怖いけど、綺麗なお姉さんでしょ? 男装の麗人って感じで」

「そうだけどさ。遠くから見ている分にはいいけど……つきあったら身が保たないよ。なんだか、ゾッとするような……」

「相棒が言うのも、もっともだ。ありゃあ、復讐鬼の目だったな」

 剣士だから興味があるのか。魔剣デルフリンガーまで話に参加してきた。

「あら、さすが。よくわかったわね?」

「まあな。俺っちも色々、見てきたからなあ」

「そう言やあ、アニエスさん言ってたっけ。コルベールさんは自分で殺すとか何とか……」

「そ。他人に殺されたくないから、ボディ・ガードしてるの」

「何それ? だったらサッサと殺せば言いじゃん」

 物騒なことを言うサイト。こう見えてサイトも傭兵やってたわけだから、切ったはったの経験は、それなりにあるわけだ。

「それがさあ。何か約束してるらしいのよ。だから今は殺せないんだって。それに、彼女の復讐の相手はミスタ・コルベールだけじゃなくて……」

 キュルケが説明する。
 あのアニエスという女剣士は、ダングルテール出身。二十年前に村ごと焼き払われた場所である。世間では生存者はゼロということになっているが、唯一逃げ延びたのが、彼女だったらしい。
 そして、その事件の実行部隊の一員が、あのコルベール。彼の近くにいれば、当時の関係者と接触する機会もあるかもしれない……。

「……なるほどね。彼女の事情は、だいたいわかったわ。じゃあ聞きたいんだけど、コルベールが雇ってる連中の中に、『土くれ』がいるでしょ?」

 そろそろ話題を変えようと考えて、私が口を挟んだ。
 キュルケは、私の言葉を聞いてポカンとする。

「『土くれ』……?」

「そうよ。『土くれ』のフーケ」

 今度は、こちらが説明する番だった。
 関わるなと脅されたこと。ギトー派についたら襲撃されたこと。撃退したが逃げられたこと。その消えた先がコルベールの小屋近辺だということ……。

「……状況から判断して、ギトー派じゃないわ。つまりコルベール派……あんたの味方ってこと」

「『土くれ』のフーケが? ……いないわよ、そんな奴。ミスタ・コルベールが盗賊メイジなんて雇うわけないじゃない」

 むむむ。では、どういうことなのだ?

「それより、ルイズ。今の話だと、ルイズとサイトはギトー派ってことよね?」

 キュルケが、面白そうな顔をする。

「そうよ。ま、本気で肩入れするつもりはないけどね。……一応、形だけ」

「なんだか久しぶりね、あなたと戦うのも! そうよね、あたしたち、元々ライバルだったんだから……たまには……」

「へえ。じゃあ……」

 と、わざと言葉を区切って、もったいつけてから。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

「うわっ!? やめろルイズ、部屋ん中だぞ!?」

「じょ、冗談よ! あたしたち、友だちじゃないの!?」

 私がエクスプロージョンの詠唱を始めたら、サイトとキュルケが必死に止める。
 もちろん私だって本気ではない。ハッタリである。

「そう? じゃあ手を組みましょうね、キュルケ。両陣営の情報を持ち寄って考えれば……こんな抗争、すぐ終わらせられるわ!」

########################

 その夜。
 私とサイトとキュルケは、本塔の最上階に来ていた。

「ここがあなたの考える……事件解決の鍵?」

「そうよ。行方不明の学院長を捕まえて、この争いを終わらせるの!」

 キュルケから話を聞くまでは、コルベールの小屋にオスマン学院長室が囚われている可能性を考えていた。しかし彼女は、それはあり得ないと言う。
 ならば、一番怪しい場所はここである。

「でもさ、ルイズ。昨日も来たじゃん。美人の秘書さんに追い返されたけど……でも、部屋には他に誰もいなかったぜ?」

 単純な意見を述べるサイト。学院長室をくまなく探したわけではないのだから、隠れていたかもしれないのに。
 まあ、いい。私としても、厳密には、学院長室そのものを調べたいのではない。

「とりあえず……入りましょう。キュルケ、お願い」

「ええ、まかせて」

 普通の魔法が苦手な私の代わりに、キュルケが『アンロック』の呪文を唱える。
 学院内で『アンロック』を使うのは校則違反のはずだが、半分よそ者な私たちは気にしない。どうせ、ここにいるのも一時的な話だ。怒られたら「知りませんでした」と謝ればいい。

「……開いたわ」

「へえ。案外、不用心なのね」

 ちょっと拍子抜け。どうせ無駄だろうがダメもと……という程度だったのに。
 最悪の場合は、キュルケに『サイレント』をかけてもらった上で、私のエクスプロージョンで扉を壊すつもりだった。が、まあ手間が省けたのであれば、文句を言う必要もない。

「じゃあ……調べましょうか」

 なるべく音を立てずに侵入して、室内を物色する。
 窓からの月明かりに照らされる中、重厚なつくりのセコイアのテーブルが、大きな存在感を示していた。失踪中のオスマン学院長の物である。
 壁際には書棚があり、部屋の端には、あのミス・ロングビルという秘書が仕事をしていた机もあった。他には応接用のテーブルやソファ、観葉植物の鉢植えなどもあるが……。

「なあ、ルイズ。やっぱ誰もいないぜ?」

「あなたの鋭い推理って……あんまりアテにならないのねえ」

 私を馬鹿にしたようなサイトやキュルケの言葉。特に意見もなく、私についてきたくせに。
 でも、いいのだ。私には、さらに考えがあるのだから。

「そりゃあ、そうよ。あからさまな場所に、いないはずの人間とか、大切な物とか、隠しておけるわけないでしょ」

「じゃあ、何しに来たんだよ?」

「大切な物……? もしかして、あなた……」

 サイトと違って、キュルケは気づいたらしい。私は今の発言の中に、ヒントを紛れこませていたのだ。

「何かあるとしたら、誰も入れない場所。つまり……ここよ!」

 私は、足下の床を指し示した。

########################

 学院長室の一つ下の階には、宝物庫がある。そこには、魔法学院成立以来の秘宝が収められているという。
 巨大な鉄の扉にはぶっとい閂がかかっており、閂は、これまた巨大な錠前で守られている。その鍵を持つのは、失踪した学院長、オールド・オスマンのみ。
 つまり……。

「この宝物庫こそが……誰も入れない、誰も調べていない場所ってわけ」

 もちろん、扉にも壁にも床にも天井にも強力な『固定化』呪文がかけられており、あの盗賊メイジ『土くれ』フーケの『錬金』にも耐え得るとさえ言われていた。
 でも。

 ドーン!

 さすがに、伝説の『虚無』魔法の物理的破壊力の前では無力だったようだ。
 学院長室の床——つまり宝物庫の天井——に向けて放った、小さなエクスプロージョン。力を加減した物ではあったが、それでも数発ぶち込んだら、私たちが通れる程度の入り口が出来た。

「なあ……これじゃ、俺たちが盗賊なんじゃねえか?」

「何いってんの。調査よ、調査!」

「ルイズの言うとおりだわ。あたしたち、別に何か盗み出すわけじゃないんだし」

 学院長室から、薄暗い宝物庫に飛び込む。
 窓もないため、キュルケが魔法で、小さな光源を作り出す。

「うわあ、凄いわね……」

 キュルケが感嘆の声を上げた。
 さすが由緒ある宝物庫。剣やら杖やら盾やら鏡やら、そういった一目見て何だかわかる物から、手にとってジックリ調べないと見当もつかない魔道具まで。
 思わず手が出そうになるくらい、色々あった。

「これだけあったら……少しくらい失敬してもわからないんじゃない?」

「だ、だ、だめよキュルケ。そ、それじゃ本当に泥棒になっちゃうわ……」

 あまりの誘惑に声が震えるが、グッとこらえる。
 こうした宝には関心が薄いはずのサイトまで、杖が並べられた一画を見つめていた。が、その様子がおかしいことに私は気づく。

「どうしたの? ……サイト?」

 行方不明のオスマン学院長を発見したわけではない。
 彼の視線の先にあるのは、どう見ても魔法の杖には見えない一品。その下の鉄製のプレートには『破壊の杖、持ち出し不可』と書かれている。

「何? あれが欲しいの……?」

 絶句して固まるサイトに、あらためて私が尋ねた時。

「なんじゃ、騒々しいのう」

 後ろから声をかけられ、私たちは振り返った。

########################

 そこに立っていたのは、長い口髭をたくわえた老人だった。杖とマントから見て、この老人もメイジなのだろう。何より、誰も入れないはずの宝物庫にいたということは……。

「オールド・オスマン……ですね?」

「そうじゃ」

 なるほど、聞いたとおりの外見だった。顔に刻まれた皺が、彼が過ごしてきた歴史を物語っている……という話だったのだ。
 百歳とも二百歳とも言われており、本当の年が幾つなのか、誰も知らない。本人も忘れているんじゃないか、という噂もあった。

「あなたを探していました」

「……わしを?」

「ええ。あたなが行方不明になって、学院は大変な状況で……」

「わしが行方不明……? ハッハッハ! 何をバカなことを! わしは現に、ここにおるではないか!?」

「いや、そういう意味じゃなくて……」

 この老人、私たちを煙に巻こうというのだろうか。あるいは、年でボケているのだろうか。

「君たちは何か勘違いしておるようじゃが……わしは、ここで調べ物をしていただけだぞ?」

「はあ!?」

 私だけではない。それまで私に会話を任せていたキュルケやサイトまで、揃って声を上げた。

「そういえば、いつからだったかのう? わし自身、覚えておらんのだが……」

 こいつ……。
 長生きし過ぎて、私たちとは時間の流れが違うのか?

「……そうか、行方不明と思われておったか。それはいかん」

 オスマンは、長い口髭をこすりながら唸った。

「考えてみれば……ミス・ロングビルにも告げずに、ここへ来てしまったからのう。誤解されるのも、無理はあるまいて」

 彼が、ようやく事情を理解した時。
 黒い影が、私たちの横をすり抜けた。

「誰!?」

「あっ!」

 少し前にサイトが見ていた『破壊の杖』を手に取り、再び私たちの横を。
 誰も対応できない素早さで、私たちが飛び込んだ穴から出ていく。

「……追うわよ!」

 放ってはおけない。私たちも学院長室へ上がると……。

「おかげさまで、これが手に入った。礼を言う」

 まるで私たちを待っていたかのように告げる怪人物。
 黒いマントに黒いローブに黒いフード。『土くれ』のフーケである!

「……では、さらばだ」

 私たちに姿を見せつけた後、学院長室の壁を『錬金』で土くれに変えて、フーケは外の闇へと逃げていく。ここの壁は宝物庫とは違うのだ。 

「待ちなさい!」

 私たちもフーケを追いかけようと思ったのだが……。

「何の騒ぎだ!?」

 学院長室の扉が開いて、大勢ドヤドヤと入ってきた。
 床にエクスプロージョンで穴をあける際には、キュルケに『サイレント』をかけてもらったのだが、『火』メイジである彼女の『サイレント』では不十分だったのか。あるいは、今のフーケの一件がうるさかったのか。
 ともかく。
 これでフーケを追って出ていっては、私たちこそ、逃げ出すように見えてしまうだろう。最悪のタイミングだった。

「なんだ!? ここで何をしているのだ!?」

 先頭に立っているのは、現在この学院を仕切っているつもりの『疾風』ギトー。他の教師や学生の中にも、見知った顔があった。太っちょのマリコルヌと、『白炎』メンヌヴィルだ。
 そして……。

「どうしたのだ?」

 離れた場所に引きこもっていた分、遅れてやってきたのが、コルベール派の剣士アニエス。頭の薄い中年メイジが一緒だが、たぶん、これがコルベールだ。
 私の予想どおり。

「ミスタ・コルベール! 君まで来たのか!? これは……君がやらせたのか!?」

 ギトーが中年メイジに歩み寄る。
 さあ、両派のボスが顔をあわせたぞ。まだ二人は気づいていないが、私たちの下には、失踪中と言われていたオスマン学院長もいるのだ。いよいよ、話は解決に向かうのか!?
 ……と思いきや。
 この場で最も興奮しているのは、『白炎』メンヌヴィルだった。

「おお、お前は……。お前は! お前は! お前は!」

 歓喜に顔を歪め、狂人のようにわめく。
 その異様な雰囲気に、一同がピタリと黙ってしまう。

「探し求めた温度ではないか! コルベールとは……お前だったのか! 懐かしい! 隊長どの! おお! 久しぶりだ!」

 メンヌヴィルは両手を広げ、嬉しそうに叫んだ。
 コルベールは眉をひそめる。同時に、アニエスが表情を変えて、その顔をコルベールに向けた。

「おい、コルベール。この男、今『隊長どの』と呼んだな? まさか、この男……」

「そうだよ、アニエスくん。私が君の村を焼いた時の……部下の一人だ」

 コルベールが告げた瞬間。
 アニエスが走り出した。

「ならば……貴様も!」

「なんだ? 邪魔をするな!」

 アニエス対メンヌヴィル。女剣士と炎使いの対決。

「やめろ! 手荒なことは……」

 ギトーの制止など笑止。
 メンヌヴィルの杖の先から、アニエスに向けて巨大な火の玉が飛ぶ。

「うぉおおおおおッ!」

 彼女は体に纏ったマントを翻し、それで火球を受けた。一気にマントは燃え上がるが、中に水袋でも仕込んでいたらしい。水蒸気が立ちこめる。火の威力が弱まる。
 それでも鎖帷子を熱く焼くが、彼女は根性で耐え抜き……。

「覚悟ぉッ!」

 しかし彼女が振り下ろした剣は、空を切った。

「ぅげっ!?」

 みぞおちにメンヌヴィルの杖を叩き込まれ、アニエスは崩れ落ちる。
 私たちの誰も手を出せない、一瞬にも満たぬ間の攻防だった。

「……お前も、なかなか強いなあ。だから後で、ゆっくり焼いてやるよ。デザートとして、な。……だが今はメインディッシュの時間だ!」

 残忍に笑いながら、再びコルベールへと向き直るメンヌヴィル。
 もうギトーも、何も言えなかった。今やメンヌヴィルには、ギトーの命令も通じない。
 これまで聞いた話を思い出せば、私にも、大まかな人間関係は理解できた。
 メンヌヴィルは、剣士アニエスの村を焼いたメイジの一人。つまりアニエスにとっては復讐相手の一人。
 そのメンヌヴィルがギトーの下についてまで探していたのが、かつての隊長コルベール。ようやくコルベールを見つけた今、彼がやるべきことは、ただ一つ。それを邪魔する者は、杖一本でダウンだ。

「面白いなあ、隊長どの。まさか貴様が教師をやっているとは! しかもあんな小屋に引きこもっていたとは! ……『炎蛇』と呼ばれた貴様が! は、はは! ははははははははははッ!」

 心底おかしい、とでも言ったように、メンヌヴィルは笑う。
 そして、グルリと辺りを見回した。

「説明してやろう。この男はな、かつて『炎蛇』と呼ばれた炎の使い手だ。特殊な任務を行う部隊の隊長を務めていてな……。女だろうが、子供だろうが、構わずに燃やし尽くした男だ」

 先日ギトーは言っていた。コルベールは魔法を使うのを嫌がっている、と。生活に役立てようとしている、と。……なるほど、それは昔の行状を反省した結果だったわけだ。

「そして俺から両の目を……。光を奪った男だ!」

 昼間キュルケは言っていた。コルベールは凄腕のメイジだ、と。かなりの修羅場を経験しているようだ、と。……なるほど、実は『白炎』に大きな痛手を与えるほどの『炎蛇』だったわけだ。

「メンヌヴィルくん。ここは……私たちには狭すぎるだろう」

 コルベールが冷たく言い放った。
 メンヌヴィルにしてみれば、私たちを巻き込むことも、やぶさかではないだろう。が、コルベールに成長した自分の実力を見せつけるためには、コルベールも全力を出せる場が必要。そう判断したらしい。

「よかろう。外でやろうじゃないか、隊長」

 二人の炎使いが、静かに塔を降りていく。
 チラッと振り返ったコルベールの目は、こう告げていた。

「君たちは来るな」

 と。

「どうすんだ、ルイズ?」

「……無粋なことはしたくないわ」

「そうか……。うん、そうだな」

 頷くサイト。
 だから。
 私たちは、塔の窓から、二人の戦いを見守る……。

########################

 いつにまにか、月が雲に隠れていた。
 辺りはハケで塗ったような闇に包まれる。
 二人の放つ炎だけが、二人を照らす灯りだった。
 しかし……。

「一方的ね」

「そうね」

 私とキュルケには、この戦いの趨勢は明白だった。
 メンヌヴィルはコルベールに向けて次々と炎を発射しているのに、コルベールは防戦一方。
 闇の中を、右に左に逃げ惑う。攻撃に転じたくとも、闇の中のメンヌヴィルには攻撃をかけづらいようだ。

「どうした! どうした隊長どの! 逃げ回るばかりではないか!」

 風に乗って、メンヌヴィルの声が私たちにまで届いた。
 メンヌヴィルの炎球が連続で撃ち込まれ、コルベールはかわしきれなくなり、マントの端が燃えた。

「ねえ、ルイズ。もしかして、あの『白炎』メンヌヴィルって……」

「そうでしょうね。両の目を奪われた……って、さっき言ってたから」

 彼は盲目なのだ。
 蛇は温度で得物を察知するという話を聞いたことがある。それと同じなのだろう。まるで目が見えるかのように行動していたが、『見えていた』のではなく『熱』を感知していただけ。
 そういえば、サイトの体温が他とは違う……なんてことも言ってたんだっけ。今にして思えば、色々と納得である。
 が、そうなると。
 この勝負、やはりコルベールが不利だ。
 常人にとって闇の中の戦いはつらい。相手が見えないからだ。しかし盲目の炎使いにとって、闇は何のハンデにもならない。

「惜しい! マントが焦げただけか! しかし次は体だ!」

 狂気の笑みを浮かべて、散々に炎を飛ばすメンヌヴィル。
 時々コルベールも炎を放つが、手応えはない。
 上から見ていればわかる。狡猾なメンヌヴィルは、魔法を放つと同時に移動し、闇に消えるのだ。

「そこだ! 隊長!」

 一方、闇を見通すメンヌヴィルには、コルベールの位置は丸わかり。
 コルベールが茂みに隠れようと、塔の影に隠れようと、メンヌヴィルの魔法からは逃れられない。今のメンヌヴィルは、さながら、炎の大魔王であった。

「最高の舞台を用意してやったよ、隊長どの。もう逃げられない。身を隠せる場所もない。観念するんだな」

 逃げ惑ううちに、コルベールは広場の真ん中へとおびき出されていた。だが。

「なあメンヌヴィルくん。お願いがある」

「……なんだ?」

「降参してほしい。もう私は、魔法で人を殺したくないのだ……」

「おいおい、ボケたか? 今のこの状況が理解できんのか? 貴様は俺が見えぬ。しかし俺には貴様が丸見えだ、貴様のどこに勝ち目があるってんだ」

「そうか……」 
 
 哀しそうに首を振り、コルベールは上空へ向けて杖を振った。
 小さな火炎の球が打ち上がる。

「なんだ? 照明のつもりか? あいにくとその程度の炎では、辺りを照らし出すことなど適わぬわ」

 嘲るように吐き捨てたメンヌヴィルが、呪文を唱え始める。
 しかし。
 第三者として戦場を俯瞰していた私たちにはわかった。思わずキュルケと顔を見合わせる。
 二人とも同じ考えだ。今までの私たちの予想は間違っていた……。そう顔に書いてあった。
 理屈も何も不明だが、女の直感が——戦い慣れたメイジの直感が——勝者を正しく理解していた。
 そして。

「なんだこりゃあああああああ!?」

 見物していたサイトが叫んだのも無理はない。
 空に浮かんだ小さな炎の球が爆発。その小さな爆発は、見る間に巨大に膨れ上がる。
 それが止んだ時……。
 メンヌヴィルは、既に事切れていた。

########################

「あれは……『爆炎』だわ……」

 キュルケが震える声でつぶやいた。『火』のメイジである彼女は、今の魔法を噂で聞いたことがあったらしい。
 火、火、土。火二つに土が一つ。土系統の『錬金』で空気中の一部を気化した油に変えて、空気と撹拌。そこに点火して巨大な火球を作り上げる。それは周囲一帯の酸素を燃やし尽くし、範囲内の生き物を窒息死させる……。

「うわっ、えげつねえ……」

「敵が闇の中にいるなら闇ごと葬りさればいい……ってことね」

 キュルケの説明を聞いて、サイトと私が感想を述べた。
 あの瞬間、メンヌヴィルは呪文詠唱しており、口を開いていた。一気に肺から酸素を奪い取られ、窒息したわけだ。
 一方、コルベールは口を押さえながら身を伏せていたから大丈夫。
 コルベールは、広場へ誘い出されたように見えて、逆に相手を誘い込んでいたのだ。誰もいない広場の真ん中でなければ使えない大技だったから。
 そのコルベールが今、私たちのところに戻ってきた。

「終わったのか……?」

 いつのまにか復活していたアニエスが、コルベールに歩み寄る。

「……ああ」

「そうか、では……」

 雇い主と護衛という関係だ。メンヌヴィルと戦った者同士だ。労り合うのだろうか……と思いきや。
 その場に座り込んだコルベールに対して、アニエスが剣を突きつける。

「ちょっと!?」

 キュルケが叫ぶが、コルベールとアニエスの耳には入らない。完全に二人だけの世界だった。

「私は約束した。いつか私が貴様を殺す……と」

「……ああ」

「貴様は約束した。もう二度と炎で人をあやめない……と」

「……ああ」

「私たちは約束した。次に貴様が炎で人をあやめた時、私が貴様を殺す……と」

「……ああ」

 剣を握るアニエスの手に、力が入る。

「お願い、やめて!」

 キュルケの制止の声は届かなかった。
 アニエスの剣が一閃する。
 しかし……血しぶきは舞い上がらない。アニエスの剣が裂いたのは、コルベールの服だけだ。
 首の後ろが切られ、彼の首筋の古傷があらわになる。引き攣れたような火傷のあとがあった。

「やはり……そうか……」

 はたで見ている私たちには理解できないが、たぶん二人だけにわかる、何かの証なのだろう。
 アニエスは剣を鞘に納め、クルリと後ろを向いた。

「約束は守る。だから……貴様も守れ」

「アニエスくん……?」

「今晩あそこで貴様が殺したのは、人ではない。人の皮を被った化け物だ」

 コルベールに背中を向けたまま、彼女は語り続ける。

「だから私は、まだ貴様を殺さない。だから私が殺す日まで、貴様は生き続けろ。勝手に死ぬな。……もし一人で生き続けるのが難しいのであれば、そばで私が、貴様の命を守ってやる」

 そして彼女は、先に一人で歩き去っていく。
 ……なんだかなあ。素直じゃないなあ、アニエス。
 私はそう思うのだが、ともかく。
 こうして今宵の騒動は、閉幕したのであった。





(第四章へつづく)

########################

 というわけで、今回はアニエスさんのお話。「スレイヤーズ」的にはアニエスさんの役どころは無いし、コルベールが格好良くてはいけないけれど、でも「ゼロ魔」でもある以上、このイベントはやっておかないと。

(2011年4月21日 投稿)
    



[26854] 第二部「トリステインの魔教師」(第四章)【第二部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/24 22:21
   
 しばらく行方不明だった学院長、オールド・オスマン。彼が戻ってきたことで、トリステイン魔法学院にも平和な日常が帰ってきた。
 コルベール派とギトー派に別れて行われていた抗争ごっこも終了。コルベールは研究室に閉じ篭っていた間の出来事を反省し、真面目に授業をするようになった。ギトーはコルベールの実力を思い知り、大っぴらに彼を馬鹿にすることはなくなった。……生徒に対しては相変わらず「『風』が最強」と言っているらしいけど。
 コルベールに雇われていたアニエスは、彼の秘書兼助手という身分を与えられて、正式に魔法学院の一員になった。
 そして、私とサイトとキュルケの三人は。
 
「見なかったことにしろ……ですって?」

「そうじゃ。これ以上のゴタゴタは、もうたくさんじゃろ?」

 オスマン学院長から、盗賊フーケの一件を口止めされてしまった。
 盗賊『土くれ』のフーケが『破壊の杖』という宝物を盗み去った現場にいたのは、私たち三人とオスマンのみ。四人で口裏を合わせてしまえば——賊が忍び込んだが私たちがいたので何も盗み出せなかったと言い張れば——問題ないというわけだ。

「でも……大切な宝を盗まれちゃったんでしょ?」

 オスマンは首を振る。

「この学院にとって一番の宝は、生徒たちじゃ。彼らが貴族の精神や魔法をしっかり学べる環境を整えることこそ、わしらの一番の仕事。……せっかく取り戻した平穏な日々を、これ以上かき乱したくないわい」

 魔法学院を早く以前のような静かな学び舎に戻すためにも、もう騒動は懲り懲り。フーケに宝を一つ盗まれたことくらい、目を瞑ろう。
 それがオスマンの考えらしい。
 そもそも、フーケが難攻不落の宝物庫に侵入できたのは、私がエクスプロージョンで穴を開けたせい。ちょっと責任も感じていたので、なかったことにしてくれるというのであれば、まあ助かると言えば助かるのだが……。

########################

「なんか……しっくりこないわね」

 部屋でサイトを前にしながら、私は、少し不機嫌な顔をしていた。
 魔法学院の女子寮なので、部屋といっても、結構な広さがある。大きなベッドの他にタンスやテーブルもあり、私とサイトは今、テーブルを挟んで椅子に腰掛けていた。

「……そうだな。俺も、なんだか、よくわからん。結局……何がどうなってどうなったんだ?」

「おい、娘っ子。たぶん相棒は、ちゃんと理解してねーや。説明してやれよ」

「そうね……」

 口に出して説明するのは、自分の考えを整理する意味ではプラスになる。バカ犬のクラゲ頭も、たまには役に立つということだ。

「まずは……私たちが事件に首を突っ込んだ理由ね」

 態度の悪いギトーや会ったこともないコルベール。最初は、どちらに肩入れするつもりもなかったのに。
 図書館でミス・ロングビルから、その後、夜には『土くれ』フーケから。同じ日に二人から「関わるな」と言われて、私たちは方針変更。

「……ん? あの秘書さんと盗賊フーケって、同じこと考えてたの?」

「そんなわけないでしょ。ミス・ロングビルは、翌日直接私たちにも言ったように、学生を厄介ごとに関わらせたくなかったの。しょせん学院の秘書、裏のない人だったね。でも、『土くれ』のフーケは、裏をかいた」

「裏をかいた……?」

「そう。フーケは本心から『関わるな』と言ったわけじゃない。フーケは私たちを挑発したのよ」

 おそらくフーケは、『ゼロのルイズ』の噂を聞いたことがあったのだろう。私の力ならば、宝物庫にも入れるかもしれないと考えたのだろう。
 ただし、もしもフーケに挑発されておとなしく引っ込むようなら、噂はしょせん噂。どうせ役にも立たない。一方、噂どおりの凄いメイジであるならば……。

「……で、まんまとノせられたわけか」

「そーいうこと! ……結局はフーケの目論みどおり、私の力が宝物庫への道を作ってしまったんだわ」

「なるほどな……。それで『裏をかいた』か。女って複雑なんだな……」

 内心で歯がみした私は、うっかり彼の言葉を聞き落とすところだった。

「……何よ? フーケは、ちゃんとそれを読み切ったわけでしょ?」

「だから……それは、フーケも女だからだろ?」

 え?

「はあ!? サイト……何いってんの!?」

「あれ? ルイズ……気づいてなかったのか? あの身のこなしというか、スタイルというか……。そりゃあマントやローブで全身隠してたけど、どう見ても女だったぞ、あれは!?」

 真顔で言い切るサイト。

「……そ、そんな重要な情報、なんで今まで黙ってたのよ!?」

「だって! ルイズも当然わかってるって思ったから! ……痛っ! おい、やめろ!」

 とりあえずポカポカとサイトを殴りつけながら、よく考えてみる。
 フーケが女性だとしたら……もしかして……。
 今にして思えば、あの時、学院長室が『アンロック』で簡単に入れたのも、フーケが事前に何か細工をしていたから……かもしれない。
 そうなると……。

「サイト」

「……なんだ?」

 手を止めて、私も真剣な顔をする。

「もう一度、学院長と話し合いましょう」

########################

 たまたま廊下を歩いていたキュルケも加えて、私たち三人は、学院長室に乗り込んだ。

「……なんじゃ?」

 ちょうどサイトもオスマンに聞きたいことがあったというので、まずは、その件から片づける。

「あの『破壊の杖』は、俺が元いた世界の武器です」

「ふむ。元いた世界とは?」

「俺は、このハルケギニアの人間じゃない」

 こいつ……。異世界出身ということは内緒にしておくはずだったのに。
 まあ、事情が事情なので、仕方がないか。
 杖には見えなかった『破壊の杖』がサイト同様、この世界に紛れこんできたというのであれば。サイトの世界へ戻るための手がかりになるかもしれないのだ。
 でも……こんな話を持ち出すのであれば、まずは人払いを頼んで欲しかった。部屋の端の机では、ミス・ロングビルが眼鏡に手をかけて、興味深そうに瞳を光らせている。

「あの『破壊の杖』は、俺たちの世界の武器だ。あれをここに持ってきたのは、誰なんです?」

 年寄りにもわかりやすく、再び同じようなことを口にしながら、詰問するサイト。
 オスマンは、ため息をついた。

「すまんのう。わしも知らんのじゃ。あれは、わしが学院長に赴任する前からあったお宝でな」

 その答に、サイトはガックリ肩を落とす。
 だが。
 ここで私が口を挟んだ。

「知らないはずよね……。だって、あんた、本物のオールド・オスマンじゃないもの!」

「ええっ!?」

 真っ先に驚きの声を上げたのは、ミス・ロングビル。
 私は口元を歪めながら、説明する。

「オールド・オスマンが失踪したのは、昨日や今日の話じゃなかったでしょ? ずっと宝物庫にこもってたっていうなら、食べ物とかトイレとか、どうしてたのよ?」

「おい、ルイズ。それじゃ……このジイサン、人間じゃないのか!?」

「なるほどね。あなたの考えてること……わかったわ」

 異世界人のサイトと違って、メイジであるキュルケは理解したようだ。
 この世界には、ガーゴイル(魔法人形)というものが存在する。土系統の魔法で作られたシロモノだが、ゴーレムとは違う。自立した擬似意志で動く。

「ここまで精巧な、人間そっくりなガーゴイルは初めて見たけど……敵は有名な土メイジですからね。これくらい不思議じゃないわ」

「なんと! わしがガーゴイルだというのか!? 酷い話じゃな!」

 あの時『オスマン』は、私たち三人の後ろから出現した。三人が見ていない隙に、私たちと同じ穴から入ってきたに違いない。

「……致命的なミスを犯したわね。オールド・オスマンは、たしかに宝物庫の鍵を持っている。でも……辻褄が合わないのよ」

「どういう意味だ?」

 不思議そうな顔をするサイトに、私は説明する。たぶん、こいつが理解できれば、全員が理解できるはず。

「あのね。宝物庫の扉には閂がかかっていて、そこに錠前がついているの。扉そのものに錠前がついてるわけじゃないの」

 もしも扉そのものに錠があるなら、外から開け閉めするだけでなく、中から開け閉めすることも出来るだろう。しかし、そうではないのだ。

「……かりに鍵で開けて中に入ったとして、どうやって中から鍵かけるのよ?」

「魔法があるじゃん。レビなんとかだか、フライだかってやつ。あれで、手を触れなくても、離れたところのもん、動かせるんだろ?」

「馬鹿ね。そんなことしたら、今度は中から開けられないじゃない。鍵は外なんだから。……自分が閉じこめられちゃうわよ?」

「……そうか! さすがルイズ、賢いな!」

 厳密には、この話は穴だらけだ。外部に協力者がいればいいのだから。が、その場合も「誰にも知らせずに宝物庫に入っていた」という言葉は嘘になる。

「……どう?」

 とりあえず、勢いを重視。
 私はバシッと、『オスマン』に指を突きつけた。
 その時。

「……話は聞かせてもらった!」

 バタンとドアが開いて、入ってきたのはマリコルヌ。
 なんだ? 今いいところなのに!?

「君の推理は素晴らしいよ、ルイズ! だから……僕が決定的な証拠をお見せしよう!」

 そして彼はツカツカと、ミス・ロングビルに歩み寄る。

「ひとつお聞かせ願いたい。ミス・ロングビル、このオールド・オスマンが戻ってきてから……あなたは、スカートの中を覗かれましたかな? お尻を撫で回されましたかな?」

「そう言えば! まったく何もされてませんわ!」

「……見ろ! このオスマンはニセモノだ! 本物のオールド・オスマンはスケベで有名。久しぶりに会ったミス・ロングビルに何もしないわけがない!」

 えっへんと胸を張るマリコルヌ。
 だが。

「どこが決定的な証拠じゃあああ!」

「ぎゃあっ!?」

 私は、つい彼を蹴り飛ばしてしまう。
 補足の状況証拠としては悪くなかったけど、突然出てきて大いばりで話すほどではないと思ったのだ。

「私が……本物の『決定的な証拠』を見せて上げるわ!」

 私は呪文を唱え始める。

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……ギョーフー・ニィド・ナウシズ……」

「おい、ルイズ! 部屋ん中だぞ!?」

 サイトが慌てている。
 攻撃呪文のわけないのに。
 彼の前で唱えたことある呪文なのに。
 チラッとミス・ロングビルを見ると、彼女の表情は、サイトとは違っていた。
 ……ふーん、やっぱり。

「……エイワズ・ヤラ……ユル・エオ・イース!」

 『オスマン』に向けて、杖を振り下ろす。
 ガーゴイルにかかっていた魔法が『解除』されて、それはボロボロと崩れた。

「ね。やっぱりガーゴイルの一種だったのよ」

 これで『オスマン』が偽物だったことは判明したが……。
 事件は解決するどころか、振り出しに戻った。

「じゃあ、本物のオスマンさんは、どこにいるんだ!?」

 口にしたのはサイトだが、それは誰もが感じていた疑問。
 私たちは顔を見合わせたのだが……。
 その答は、意外なところから与えられた。
 
「おい、なんだ、このサラマンダーは!?」

「あら、フレイムじゃないの」

 突然、キュルケの使い魔が入ってきたのだ。初めて見るマリコルヌは驚いているが、私たちは平然としている。
 ミス・ロングビルも落ち着いているが……。彼女は彼女で、色々なものを見慣れているんでしょうね。

「そういえば……久しぶりね」

「そう。フレイムには、ちょっとした用事を言いつけていたの。あたしも、すっかり忘れていたわ!」

 あっけらかんと語るキュルケに、フレイムは何だか悲しそうだ。
 それでも主人には逆らえない、それが使い魔。
 どうやらフレイムはオスマンを探すように命じられて、学院の外へ出ていたらしく……その居場所を発見したのだという。
 なんというグッドタイミング!

########################

 近くの森の廃屋に、長い口髭の老人が隠れ住んでいる。
 それがフレイムの持ち帰った情報だった。

「長い口髭の老人? それはオールド・オスマンです! 間違いありません!」

 ミス・ロングビルが御者を買って出て、馬車で私たちは出発する。
 オスマンが偽物だったことは、この五人の秘密。他の誰にも知られぬうちに、本物を連れて来ようという話になった。
 馬車といっても、屋根ナシの荷車のようなもの。
 手綱を握る彼女の横には、案内役のフレイム。そして荷台に、私とサイトとキュルケとマリコルヌが座る。

「それにしても……。なんでオールド・オスマンは、そんなところに隠れているんだろう?」

 荷台の柵に寄りかかりながら、マリコルヌがポツリとつぶやいた。
 私とキュルケは、顔を見合わせながら。

「そりゃあ、ねえ?」

「たぶん、フーケにさらわれたんでしょうね」

「……フーケ?」

 怪訝な顔をするマリコルヌ。
 そうか、こいつ、フーケが関わってることも知らんのか。

「『土くれ』のフーケよ。名前くらい聞いたことあるでしょ?」

「『土くれ』のフーケって……あの有名な盗賊フーケか!?」

 マリコルヌはかすれた声を上げる。

「ち……ちょっと待てよ! ま……まさかと思うけど、君たちひょっとして、あの大盗賊フーケ相手にことを構えるつもりなのか!?」

 何を今さら。
 サイトも呆れている。

「ことを構えるも何も……。すでに俺たち、フーケの巨大ゴーレムとも、やり合ってるしなあ」

「巨大ゴーレム!?」

「そうよ。三十メイルくらいあったかしら?」

「さ! 三十メイル!?」

「あたしはまだだけど……ルイズたちは二度、戦ったんでしょ?」

「に! 二度!?」

 文字どおり目を剥くマリコルヌ。
 あ。
 変な力のかけ方をしたようで、寄りかかっている柵が壊れた。ついに彼の体重を支えきれなくなったのだ。
 ベシッと変な音を立てながら、マリコルヌが馬車から落ちる。
 すぐに起き上がったが、もう顔は真っ青だった。

「冗談じゃない! 僕たちは学生だぞ!? そんなのと戦えるわけないだろ! ……もう君たちにはついていけない! 僕は降りる! 降りたからな!」

 言うなり彼は走り出す。馬車の進む方向ではなく、来た道を戻る向きに。
 私たちは、黙ってそれを見送った。
 やがて、彼の姿が見えなくなってから。

「馬車……軽くなりましたね」

 ミス・ロングビルが、冷たく言い放った。

########################

 深い森に入ってしばらく進んだところで、ミス・ロングビルが馬車を止めた。

「ここから先は、徒歩で行きましょう」

 森を通る街道から、小道が続いている。
 私たちは頷き、全員が馬車から降りた。
 フレイムを先頭にして、少し歩くと……。
 開けた場所に出た。森の中の空き地といった風情である。

「あの中にいるのでしょうか……?」

 空き地の真ん中に廃屋があった。元は木こり小屋だったのだろう。朽ち果てた炭焼きらしき釜と、壁板が外れた物置が隣に並んでいる。

「どうするんだ、ルイズ? みんなで突入するのか?」

「いや……それより……」

 サイトの質問には答えずに。
 私は、ミス・ロングビルに向き直った。

「そろそろ……正体をあらわしたらどう?」

 そう私が言った途端。
 彼女は、ザッと後ろに飛び退いた。
 しらばっくれるかと思ったが……意外に変わり身も早いようだ。

「さすがは『ゼロ』のルイズ。ま、あんたには気づかれてると思ったわ。……でも、いつから?」

「色々と怪しかったけど……確信したのは、ついさっきよ。学院長室で私が『解除(ディスペル)』を使った時。あんた、私の呪文詠唱を初めて聞くはずなのに、知ってますって顔してたからね」

「そうかい……。わたしとしたことが、とんだミスをしちまったようだねえ」

 目の前の女性は眼鏡を外した。優しそうだった目が吊り上がり、猛禽類のような目つきに変わる。

「おい、ルイズ。これって一体、どういうことだ!?」

「サイト。私の部屋であんたが言ったこと、実は大正解だったのよ」

「俺が言ったこと……?」

「そう。秘書ロングビルと盗賊フーケは同じこと考えてたのか、って。……そのとおり、二人の考えは同じだった。なにしろ……ミス・ロングビルこそが盗賊『土くれ』のフーケだったんだから!」

 フーケが宝物庫から宝を盗み出して、大騒ぎになった時。
 あれだけ多くの人がやって来たのに——ミスタ・コルベールまで来たのに——、ミス・ロングビルは顔を出さなかった。今にして思えば、彼女はフーケとして逃走中であり、だからこそ不在だったのだ。

「フフフ……」

 私に断言されても、フーケは、ただ笑うだけ。
 いつのまに呪文を唱えていたのか、その背後に巨大なゴーレムが出現する。

「わたしは殺し屋じゃないからね。本当は殺生はしたくないんだけど……。正体を知られたからには、始末しなきゃいけないのかねえ?」

 言いながら身軽にゴーレムに飛び乗るフーケ。
 私に一度ゴーレムを倒されているくせに、ずいぶんな自信である。
 ……まあ、あの時はフーケも本気じゃなかったんでしょうね。あの晩のフーケは、私たちをコルベールの研究室へ誘導するのが目的だった。あそこには特に何もないと私に教えておかないと、私が宝物庫へ行き着かないから。

「あんたが私を事件に巻き込んだのは、宝物庫への入り口を私に作らせるためね?」

「……そのとおりさ」

「失踪事件を引き起こしたのは、オスマンを偽物とすり替えるためね?」

「……そのとおりさ」

 オスマンが行方不明の間、ギトーは威張っているだけで、事務手続きなどは秘書のロングビルことフーケがやっていた。つまり、学院の業務は、フーケの思うがままだったのだ。
 当然、偽オスマンが戻ってきた後も、偽オスマンを操るフーケが魔法学院を牛耳ることになる。

「なあ、ルイズ。俺……よくわかんないんだけど?」

「サイトは本当にバカ犬ね。……よーく考えてごらんなさい。もしも突然オスマンが偽物になったら、些細な違いからバレるかもしれないでしょ。でも、しばらく不在だったら、それも判別しにくいわ」

 人間なんてそんなもんだ。昨日と違えば違和感を覚えるかもしれないが、「しばらく見ないうちに変わったな」ならば納得してしまう。

「いや、そうじゃなくてさ。フーケは……この人は盗賊だろ? あの学校を支配して、何の得があんの?」

 ふむ。
 それは私にもわからない。
 宝を盗むだけなら、そこまでしなくてもいい……というか、私を利用した時点で完了しているわけだし。
 こればっかりは、本人に聞いてみないと……。

「……というわけでフーケ! きっちり白状しなさい! なんで学校ごと盗もうとしたの!? 普通の学校には通わせられない、わけありの隠し子でもいるわけ?」

 フーケがピクッとした。
 あれ? さすがに今のは冗談で言ってみただけなのに?
 盗賊フーケって、見た目は二十代前半だが……実は、大きな子供がいるのか!?

「それは……さすがに秘密だよ!」

 フーケのゴーレムが腕を振るった。
 サイトが魔剣で受け止める。

「殺すのは、そっちの使い魔君に『破壊の杖』の使い方を聞いてから……って思ったんだけどね! どうやら、それどころじゃなさそうだ!」

 なるほど。ここまで私たちについて来たのは、そういう理由もあったわけか。サイトが『破壊の杖』は自分の世界の武器だと言ったので、サイトならば色々知っていると思ったのか。
 小屋に入ったら、本物のオスマンを人質にでもするつもりだったのだろう。
 でも、事情が変わったらしい。正体がバレたので……ここで決着をつける気だ!

「ルイズ! 早く……あの呪文を!」

「そうよ! 一度は撃退したんでしょ!?」

 サイトの剣撃、そしてキュルケとフレイムの炎が、私を守る盾になってくれている。
 その間に呪文を撃て、ということのようだ。

「フン! この間とは違うんだよ! あんたと私と……どっちの精神力が上か、くらべてみるかい!?」

 フーケはフーケで、勝つ気十分。
 私が『解除(ディスペル)』でゴーレムを土に戻したら、すぐ次を作るつもりらしい。そして、また『解除』されたら、また作る。その繰り返しに持ち込む予定だ。
 大人と子供の精神力のキャパシティを考えれば、先に精神力が尽きるのは私。そういう魂胆なのだろうが……。
 正直、さっき学院長室でフル詠唱の『解除(ディスペル)』を使ってしまったので、もう一発さえつらい。やはり『虚無』魔法は伝説だけあって、かなり精神力を消費するのだ。
 でも大丈夫! 私には、純粋な虚無魔法とは異なる技がある! あっちも魔法だが、他の存在の力を借りるものだから! 今の私でも使えるはず……。

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……」

 私の呪文詠唱を聞いて、フーケの顔色が変わる。
 なにしろ、ルーン語ではなく口語なのだ。一般的に使われる、簡単なコモン・マジックとも違う。
 フーケだって、初めて聞く呪文なのだろう。

「……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 大人しく学院の敷地内でやり合ってりゃ良かったものを。
 こんな誰もいないところまで来た時点で、フーケの負けは確定していたのだ!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

########################

「……あっけないわね」

「わ、わ、私が本気出せば……ざ、ざっとこんなもんよ……」

 ゴーレムと共に吹っ飛んだフーケは、見つけ出して捕縛した。まだ意識を失っているが、一応、生きているようだ。
 ちゃんと小屋を背にして竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を放ったので、そちらに被害はない。中にいるであろうオスマンも無事なはず。
 ただ……。
 ちょっとばかし森が消滅したようだが、まあ、これは不可抗力よね。小心者の私は声が震えてしまうが、きっと気にしてはいけないのだろう。

「と、とにかく……。あとはオスマン学院長を連れ帰るだけだわ」

 私たちは、廃屋の中へと入っていく。
 一部屋しかない小屋だった。入ってすぐの棚に、『破壊の杖』もある。部屋の真ん中には埃の積もったテーブルがあり、その向こうの椅子に、一人の老人が座っていた。
 長い口髭をたくわえた、皺だらけの老人。初めて会う人物だが、初めて見る顔ではなかった。

「オールド・オスマン……ですね?」

「そうじゃ」

 彼は、丸い石を手にしていた。水晶球のような、赤い宝玉だ。

「それは……?」

「これは『契約の石』じゃ。彼女が……わしにくれたのじゃよ」

 契約の石。
 名前だけはよく知られている、伝説のマジックアイテムだ。
 まるで悪魔と不死の契約をして魂を石に封じ込めたかのように。
 それがあれば、とんでもない長寿が得られるという。石が破壊されない限り、ほぼ永遠に生き続けられるという。
 なるほど、百歳とも二百歳とも言われるほどオスマンが長生きなのは、この『契約の石』のおかげだったのか……。

「彼女は……。こんな……かりそめの不死ではなく、本物の不死をくれると言ったのじゃ。そのために、もっと凄いマジックアイテムを探し出してやろう。学者バカのコルベールにも、そういう研究をさせよう。……そう言っておった」

 どうやらフーケは、オスマンを適当に言いくるめて、ここに隠していたようだ。
 サッサと殺してもよかったのに。
 どうやら、無用な殺生を好まないというのは、本当だったらしい。

「わしも、薄々は気づいておったよ。彼女が普通の秘書ではない……と。こんな魔道具を持っている女性が、普通の秘書のわけがない……と。しかし……わしは彼女の言うことには、逆らえなんだ。なぜ、と聞かれても困るのじゃが……」

 しみじみ語る老人に、サイトが男として同意する。

「……しかたねーよ、じいさん。美人はただそれだけで、いけない魔法使いなんだ」

「そのとおりじゃ。その若さで君は、すでに真理を悟っておるのう」

 おい。
 私もキュルケも、呆れた目で男たちを見る。

「でもよ、じいさん。そんなに長生きして……何がしたかったんだ?」

「したかったこと……か。わしは、ただ……もっともっと、おなごと遊びたかっただけじゃ」

「そうか。それなら……しかたねーよな……」

 そういえばマリコルヌが言っていたな。オスマンは有名なスケベだった、って。
 しかしサイトまで納得するとは……。
 ま、考えてみれば。
 あのセーラー服の一件があったように、こいつも男の子なのよねえ。

「……じゃが、もういい。君たちが来たことから察するに、わしがいなくて、色々とトラブルになったんじゃろう?」

「まあ、そんなところです」

 オスマンが真面目な話に戻りそうなので、会話の主導権をサイトから取り返す。

「ですから、オールド・オスマン。あなたには是非、学院へ戻っていただかないと……」

 しかしオスマンは、ゆっくりと首を振った。

「もう、いいのじゃよ。わしも……反省した。どうやら……わしは長生きし過ぎたらしい」

「え? それは、どういう……」

 私たちが聞き返す暇も、止める暇もなく。
 オスマンは『契約の石』を床に叩きつけた。
 赤い宝玉が粉々に散る。
 かりそめの不死をオスマンに与えていた石が……。

########################

 それから一週間あまりの後。
 空は見事に晴れ渡っていた。
 学生たちのにぎやかな声も聞こえてくる。

「……まるで……あんな事件なんて、起こんなかったみたいに……」

「何をしんみりしてるんだ? いいじゃん、死んだのも結局メンヌヴィルさんだけなんだから」

 ちょっと決めてみせた私の雰囲気に、使い魔のサイトが水を差した。
 けっこうな大事件だったのだ。少しくらい、もったいつけてみたくもなるではないか!?
 が、結果だけ見れば、確かにサイトの言うとおりである。
 メンヌヴィルが死んだのは、半ば自業自得。悲しむ者も、ほとんどいないだろう。
 フーケは一命を取りとめ、役人に引き渡された。きっと脱獄不可能な牢獄に収容されることだろう。
 そして……。

「世話になったのう! 元気でな!」

 本塔の最上階から、私たちに手を振るオールド・オスマン。
 結局のところ、彼は学院長に返り咲いたのだった。
 あの『契約の石』を割った時には、誰もが彼の最期だと思ったのだが……。
 よくよく考えてみれば、彼の非常識な長寿は『契約の石』とは無関係。フーケと出会ってあれを渡されたのは最近であり、その前から、彼は長生きしていたのだから。
 つまり。マジックアイテムなぞなくても、まだまだ彼の寿命は残っているというわけだ。人騒がせな話である。

「……で、だ。ここを出て、次はどこへ行く?」

 サイトが私に尋ねる。
 私たちは今、門の目の前まで来ていた。
 これから二人で、また旅に出るのである。
 ……三人で、ではない。キュルケは、もう少しここに残るそうだ。元々キュルケは、完全な連れではなく、時々いなくなるような存在。だから、それもまた良しだろう。
 どうやら魔法学院の図書館には、探していたような魔法の手がかりは無いようだった。ならば、私やサイトが長居する理由はない。

「そうねえ……」

 図書館では何も得られなかったが、トリステイン魔法学院に来た甲斐も少しはあった。本物のオールド・オスマンは『破壊の杖』の由来を知っていたのだ。
 なんでも、昔ワイバーンに襲われた際に助けてくれた恩人の形見の品だということ。つまり、サイト以外にも彼の世界からハルケギニアに紛れこんだ者がいたということだ。
 おぼろげな手がかりではあるが、これも手がかりと言えば手がかりである。
 ただし。
 こっちへ来るのと向こうへ返すのとでは、また話が別。
 どこに行けば、サイトを元の世界へ戻せる魔法が見つかるのか。
 皆目見当がつかない以上、しばらくは、あてのない旅をすることになりそうだ。

「……とりあえず、歩きながら考えましょ」

 言って私はウインクひとつ。
 そして二人は、トリステイン魔法学院を後にした……。





 第二部「トリステインの魔教師」完

(第三部「タルブの村の乙女」へつづく)

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 スレイヤーズ原作第二巻は「黒幕は誰か」という推理小説的要素が強く、二転三転するドンデン返しが醍醐味。……と思ったので、かなりアレンジしました。原作そのままでは、肝心の意外性もゼロになるので。
 なお表紙ページに記したように、第三部の前に、また番外編を投稿します。

(2011年4月24日 投稿)
  



[26854] 番外編短編2「ルイズ妖精大作戦」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/27 21:37
   
 ある日。
 路銀が尽きた。

「はあ……」

 暮れゆく街の中央広場で、噴水の縁に腰を下ろして、私はため息をついていた。
 まだキュルケやサイトと出会う前の話である。
 今の私ならば、野盗のアジトか何かに乗り込んでお宝没収という手段をとっただろう。だが当時は、まだ旅に出てから日も浅く、途方に暮れるしかなかったのだ。

「どうしよう〜〜」

 何をするでもなく、広場の噴水をボーッと眺めていたら。

「あら……家出娘?」

 顔を上げると、一人の少女が興味深そうに私を見つめていた。
 長いストレートの黒髪の持ち主で、やや太い眉が、活発な雰囲気を漂わせている。年のころは私とあまり変わらないようだが、発育具合は大きく違う。胸元の開いた緑のワンピースからは、女の私でもドキッとするような胸の谷間がのぞいていた。

「ち、違うわ! ただ……行くところも食べるものもないだけよ」

「ふーん……。でも、あんた、貴族のメイジでしょ?」

 彼女は私を、上から下までジロジロ見回した。
 確かに私の格好は、黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。旅の学生メイジの典型的スタイルだ。
 しかし勝手に家を飛び出してきたわけではない。くにの姉ちゃんに世界を見てこいと言われて旅立ったのであり、家族からも——一部を除いて——了解されている。ただし、だからこそ、早々にリタイアして帰郷するのは、私のプライドが許さないのであった。

「まあ、いいわ。行くところがないなら、うちにいらっしゃいな。うちは宿屋なの。部屋を提供するわ」

「……え? ほんとですか!」

 私の顔が明るくなる。上手い話には裏がある……と瞬時に見抜くほど、まだ私は世間慣れしていなかった。

「ええ。でも条件が一つだけ」

「なんなりと」

「私のパパが、一階でお店を経営してるの。そのお店を手伝う。これが条件」

 私の顔が渋くなる。なーんか、嫌な予感がしてきたのだ。まさか『お店』というのは……。
 でも彼女は、私の表情から察したのか。

「安心なさい。変なお店じゃないから。あたしもそこで働いてるくらいだもん。自分の娘に変なことさせる親なんて、いないでしょ?」

 そう言って彼女は、小さくウインク。

「……あのね、あたしのパパ。すっごく優しくて素敵なのよ。ママが死んじゃったときに、じゃあパパがママの代わりもつとめてあげるって言い出して……。今じゃ外見まで似せてるんだから」

 あっけらかんと、母親を亡くしたと告げる少女。
 だが、この明るさは、その優しい父親のおかげなのだろう。外見まで母親に似せるということは、女に見えるくらいの色男ということか。
 ハンサムで性格もよい主人のもとで働く。うん、それならば問題もなさそうだ。

「……じゃあ、お願いします。お世話になります」

 私はペコリと頭を下げ、彼女に続いて歩き出す。

「あたし、ジェシカ。あんたは?」

「ルイズよ。ルイズ・フランソワーズ」

 こうして私は。
 ジェシカの父親の店『魅惑の妖精』亭で働くことになったのである。

########################

 連れて来られたお店は、普通の酒場だった。食事もできる場所のようだ。空腹の私には刺激的な、美味しそうな臭いが店内に立ちこめている。

「じゃ、パパを呼んでくるから。そこに座って、待っててね」

 奥のテーブルの席に座らされた私は、これから厄介になる店を観察する。
 もうすぐ開店という時間帯なのだろう。色とりどりの派手な衣装に身を包んだ女の子たちが、忙しそうに走り回っていた。
 みんな可愛い娘ばかりである。上着はコルセットのように体に密着し、体のラインを浮かび上がらせている。背中はざっくりと開いて、街娘の素朴な色気を放つ。なるほど、『魅惑の妖精』亭という名前はダテじゃない。
 自分もこんな格好をするのかと思うと、ちょっと嘆かわしいが、少しくらいは我慢、我慢。別に、いかがわしいことをさせられるわけではないはず。ジェシカの話では、彼女の父親は、ハンサムで優しい人のようだから……。

「まあ、この子がルイズちゃんなのね〜〜?」

 声をかけられて、振り返った途端。

 ずびずびずび……。

 椅子に引っ掛かったマントの破れる音を聞きながら、私はゆっくりと椅子からずり落ちていった。
 目の前に立っていたのは、派手な格好の男。しかし店の『妖精』たちの『派手』とは、方向性が違う。
 黒髪をオイルで撫でつけ、ぴかぴかに輝かせ、大きく胸元の開いた紫のサテン地のシャツからモジャモジャした胸毛をのぞかせている。鼻の下と見事に割れた顎には、小粋な髭を生やしていた。強い香水の香りも、気持ち悪い。

「トレビア〜〜ン!」

 私を見て、気に入ったらしい。
 彼は両手を組んで頬によせ、唇を細めてニンマリと笑った。オカマみたいな動きである。というかオカマ以外の何者でもない。
 母親に似せるとか母親の代わりとか、そういう意味だったんだ……。オカマならオカマって言ってよね、まったく、紛らわしい……。

「いいわ、いいわ! ルイズちゃん、採用よ! じゃ早速、奥で衣装に着替えてもらいましょう! ついてらっしゃい」

 リズムを取るように、クイックイッと腰を動かしながら男は歩き出した。仕方なく、私も彼に続いて、店の奥へと入っていく……。

########################

 開店と同時にバタンと羽扉が開き、待ちかねた客たちがドッと店内になだれこんできた。
 妖精の一員となった私も、給仕に出る。
 だが……これがまた一苦労。
 例えば。

「……ご、ご注文の品、お持ちしました」

 引きつった笑顔を必死に浮かべ、ワインの壜と陶器のグラスをテーブルに置く。
 目の前では下卑た笑みを浮かべた客が、ニヤニヤと私を見ている。

「ねえちゃん。じゃ、注げよ」

 貴族の私が平民に酌をする。くににいれば有り得ない出来事だ。しかし旅に出たということは、こういうことなのだ。
 気持ちを落ち着かせて、なんとか笑顔を作り。

「で、では……お注ぎさせていただきますわ」

「ふん……」

 しまった。まだ気持ちが完全に静まっていなかった。
 ねらいが外れて、ワインが男のシャツにかかる。

「うわ! こぼしやがった!」

「す、すいませ……ん」

「すいませんですむか!」

 男は怒りながらも、私をジロジロと眺めて。

「お前……胸はねえけど、わりと別嬪だな。……気に入った。じゃ……」

 胸はない……だと!?
 さすがに我慢の限界。
 自分でも気づかぬうちにワインの壜を手にとって、それで男を思いっきり叩いていた。

「なにすんだ! このガキ!」

「あら、手がすべったのかしら……?」

 うまくごまかしたつもりだったのに、後ろからドンと突き飛ばされた。
 店主のスカロンさんが来たのだ。

「ご〜〜めんなさぁ〜〜い!」

「な、なんだよオカマ野郎……。てめえに用は……」

「いけない! ワインで濡れちゃったわね! ほらルイズちゃん! 新しいワインをお持ちして! その間、ミ・マドモワゼルがお相手つとめちゃいま〜〜す!」

 スカロンさんが客にしなだれかかり、怪力で押さえつけている間に、私は厨房へと逃亡。
 うーむ。給仕とは、かくも難しいものか。

「……やっぱりルイズは貴族さまね。これじゃ酒場の妖精は勤まらないわ、せっかく器量は悪くないのに……。あんた、ちょっとここで他の子のやり方を見てなさい」

 ジェシカに言われて、店の隅に立って少し見学する。
 なるほど、他の女の子たちは巧みであった。ニコニコと微笑み、何を言われても、されても怒らない。
 ……といっても、為すがままというわけではない。主導権を握っているのは、むしろ彼女たち。すいすいと上手に会話をすすめ、男たちを誉め……。しかし触ろうとする手を優しく握って触らせない。すると男たちは、そんな娘たちの気をひこうとチップを奮発する。

「すごいわね……。あれはあれで、一種の魔法だわ」

 感心する私。
 そうした『妖精』たちの中で、ジェシカはさらに格が上だった。
 彼女は、愛想笑いを浮かべるのではなく、逆に怒ったような顔で料理を客の前に置く。

「おいおい、なんだジェシカ。機嫌が悪いじゃないか!」

「さっき誰と話してたの?」

 まるでヤキモチを焼いているかのような目つきと口ぶり。

「な、なんだよ……。機嫌直せよ」

「別に……。あの子のことが好きなんでしょ」

 ジェシカは少し哀しげに、別の『妖精』へと視線を送る。
 もはや男は、陥落寸前。

「ばか! 一番好きなのはお前だよ! ほら……」

「お金じゃないの! 私が欲しいのは、優しい言葉よ……」

 男が渡そうとするチップを、いったんは撥ねのけるジェシカ。それから、ちょっとした押し問答が始まり……。
 最終的にジェシカがチップを受けとる頃には、その金額は何倍にも膨れ上がっている。
 しかも。

「あ! いけない! 料理が焦げちゃう!」

「あ、おい……」

「あとでまた話しかけてね! 他の子に色目使っちゃだめよ!」

 貰うもん貰えば、用はない。ジェシカは立ち上がって、厨房へと駆け込む。
 さすが、店一番の『妖精』であった。

########################

 そうやって私は店内を見渡していたから、その騒動に気づくのも早かった。

「やいやい! この店は、客に家畜のエサを食わせるのか!?」

「なんだ、こりゃあ!? 虫や藁屑がスープに入ってるぞ!」

 ガッシリとした体格の、いかにもゴロツキ風の三人組だ。見るからに心の狭そうな目つきで、ジロリと店内を一瞥する。
 目のあった数組の客が、そそくさと逃げるように店を出ていく。

「まあ、お客様! 乱暴は困りますわ〜〜ん」

 スカロンさんが慌てて対応に行くが、大丈夫であろうか。どう見ても、難癖をつけたいだけの客のようだが……。

「……また『ベルク・カッフェ』の嫌がらせだね」

「ジェシカ!?」

 いつのまにか彼女が、私のすぐ隣に立っていた。事情のわからぬ私に、説明してくれる。

「『ベルク・カッフェ』は、通りを挟んですぐの場所にある店の名前でね……」

 東方から輸入され始めた『お茶』を出す『カッフェ』なるお店が、最近、流行り始めた。おかげで、『魅惑の妖精』亭も客足が遠のいて、売り上げが落ちてきているらしい。
 スカロンさんはカッフェ全てを下賎なお店だと決めつけるが、ジェシカの考えでは、それは言い過ぎ。新しい飲み物をサービスして真っ当に商売するのであれば、特に問題はない。

「……でも、あの『ベルク・カッフェ』はダメだわ。ゲルマニアから来たベルクって男が開いた店なんだけど、うちの真似して、若い女の子をたくさん雇ってさ。『山猫』って呼び名つけて、変なコスチューム着せちゃって」

 一見ただの茶店だが、可愛い女の子がきわどい格好で飲み物を運んでくれる……。カッフェ版『魅惑の妖精』亭、ということらしい。なるほど、それならば客の奪い合いになるわけだ。

「……しかも、うちの真似しても、本家であるうちには勝てないみたいでね。ああやってゴロツキを使って、うちに嫌がらせを仕掛けてるわけよ。……あくどいやり方でしょ?」

 と、彼女がそこまで語った時。

「『あくどい』とは……聞き捨てなりませんね」

 げえっ!?
 いつのまにか、知らない男が近くにいた。
 全身を隠すかのような濃い紫色のマント。その下に見える脚には、膝上まであるロングブーツを履いていた。男のくせに唇にはルージュを塗り、顔の上半分は鮮やかな紫色のマスクで隠されている。マスクの左右が上向きに尖っているのは、ネコ耳のつもりであろうか。
 スカロンさんとは違った意味で、気持ち悪い外見の男であった。
 ……この近辺には、こんな奴しかいないのか!?

「あら、ベルクさん。何の御用かしら?」

 これに平然と対応するジェシカを、私は思わず尊敬してしまう。

「……今、私の悪口を言ってたでしょ? 我が『ベルク・カッフェ』の評判を落とすような噂を広められては困りますから。止めに来たのですよ。ねえ、あなたたち?」

「はい、ベルク様!」

 よく見れば、ベルクは背後に数人の娘たちを引き連れていた。
 なるほど、これが『山猫』か。大自然の山をイメージしたのだろう、彼女たちの衣装は緑色だ。ピッチピッチの全身タイツだが、体の前面はレースのエプロンで隠されており、また、肘から先と膝から下はモフモフした素材で覆われている。お尻の部分には当然のように尻尾パーツがあって、頭にはネコ耳カチューシャがついていた。

「評判を落とす……? 何よ、あたしは本当のことを言っただけじゃない。どうせあれ、あんたの差し金でしょ!」

 ジェシカは、例のゴロツキ三人組をピシッと指さす。
 いつのまにか、彼らはグッタリしていた。スカロンさんに説得されたのか、懐柔されたのか、詳細を見ていない私にはわからない。が、わからなくて良かったという気がする。

「言いがかりは止してちょうだい。……何か証拠でもあるの?」

「証拠なんかないけど、決まってるわ。うちは清廉潔白なお店だもの。難癖つけられるようなマネは一切してないんだから!」

 ふむ。
 ちょっとジェシカが言い負かされているような。
 男あしらいの上手いジェシカでも、こういう奇人変人をあしらうのは、勝手が違うというわけか。
 ……なんて思いながら眺めていたら。
 三人のゴロツキが、申しわけなさそうな顔つきで近づいてきた。

「ベルクさん……。すいません……」

「あんたたちは……まったく、いーっつも失敗ばかりして……。この愚か者め!」

 ごくごく自然な雰囲気で、ゴロツキを叱責するベルク。
 ……おい。
 その場がシーンと静まり返った。

「あ……」

 ボロを出したことに気づいたらしい。
 ベルクは、頬に冷や汗を浮かべながら。

「ええーい! もう面倒だわ! あんたたち、やっておしまい!」

「はい、ベルク様!」

 ベルクと『山猫』たちが、暴れ出した。

########################

 しばらくして……。

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ! おぼえておれ〜〜!」

 捨てゼリフを吐きながら。
 ボコボコにされたベルクと『山猫』たちが逃げ帰る。
 なにせ、ここは『魅惑の妖精』亭。店に残っていた客たちも、こっちの味方だ。ベルク側が勝てるはずがない。
 私が参加するまでもなかった。もっとも、私の魔法は強力すぎて店ごと吹き飛ばしちゃうだろうから、参加しなくて正解だったけど。

「これが、いつものパターンなのよ」

 ひと暴れしたジェシカが、いい汗かいたよという笑顔で説明する。

「……証拠がどうのとか、関係ないの。ああやって自分からポロッと言っちゃって、それから暴れて。しっぽ巻いて逃げ帰るのよ。……ここまでが、毎回の御約束」

 なるほど。さっきのも、別に言い負かされたわけではなかったのか。ここまでの展開を読んだ上での、受け答えだったのね。

「逃げるのは得意なのよねえ、あの人」

 スカロンさんが娘の言葉を補足する。この人も乱闘に参加したはずだが、髪も服も乱れていない。ある意味、さすがである。
 それから、腰をキュッと捻って店内を見回した。

「はいはい! 今夜の騒ぎは、もうおしまい! 皆さんもトレビア〜〜ン! ワインを一本ずつ、お店からサービスするわよ〜〜ん!」

 ワーッと盛り上がる客たち。
 こうして、店は通常営業に戻った。

########################

 そして翌日。

「今日は臨時休業にしましょう!」

「はい! ミ・マドモワゼル!」

 スカロンさんの宣言に、『妖精』たちが呼応する。
 お休みという様子ではない。店を開かない代わりに、何かありそうな雰囲気だが……?

「……これも、いつものパターンなのよ」

 ジェシカが横に来て、教えてくれた。
 『ベルク・カッフェ』の妨害に対して、このままではいけないということで、次の日に直談判しに行く。そこまでが、恒例行事のセットに含まれているらしい。

「じゃあ、行くわよ! 妖精さんたち!」

「はい! ミ・マドモワゼル!」

 こうしてゾロゾロと、スカロンさんに連れられて通りを渡る。
 目の前のお店『ベルク・カッフェ』は、赤レンガ風のこじゃれた造りの建物だった。ドアを開けると、来客を告げるベルがカランコロンと音を立てる。

「いらっしゃいませ〜〜」

 反射的に歓迎の挨拶が返ってくる。
 私は、店内を見渡した。
 四人掛けくらいの四角いテーブルが、整然と並んでいる。座席は背もたれの大きなソファー椅子で、通路には観葉植物の仕切り。一度席に着いてしまえば、隣のテーブルの様子は見えにくいという構造になっていた。
 よく見れば、『山猫』たちが客に密着してサービスしている。お茶をカップに注ぐだけなのだから、そこまで体を寄せる必要はないだろうに……。しかも昨夜まるで戦闘員だった彼女たちが、今日はうってかわって、女の色気をムンムンとさせていた。
 客は皆、同じようにニタニタしているが……。
 どうやら、私たちの来店に気づいたらしい。

「オカマが来た! 逃げろ〜〜!」

「パラダイスは終了だあ〜〜!」

 蜘蛛の子を散らすように立ち去る客たち。
 続いて、奥から店主ベルクが出てくる。

「何しに来たの!? あんたのせいで、客がみんな逃げちゃったじゃないの!」

「あら〜〜? 私たち、今日はお茶をいただきに来ただけなんだけど……」

 しかしベルクは、スカロンさんの言葉など聞いていない。営業妨害だと決めつけて、勝手に怒っている。

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ!」

 それから後ろを振り向いて。

「あんたたち、やっておしまい!」

「はい、ベルク様!」

 ……というわけで。
 昨日に続いて、今日も大乱闘が始まった。
 ちなみに。
 今日はホームではなかったのに、やっぱり勝ったのは『魅惑の妖精』亭。『ベルク・カッフェ』の客たちは、たいした戦力にはならなかった。

########################

 さらに翌日。
 『魅惑の妖精』亭は通常営業だったが、そこにベルクと『山猫』軍団がやってきた。
 ……これではキリがないぞ!? 繰り返しは、もうたくさんだ!

「ちょっと待ったあああ!」

 大声で叫ぶ私。
 お店のみんなも、入ってきたベルクたちも、私に注目する。

「毎日毎日、お互いの店で暴れてんの!? これじゃ客が減るのも当たり前じゃない!」

「でもねぇ〜〜、ルイズちゃん。むこうから来る以上、放っておくわけにもいかないし……」

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ! 私のせいにするっていうの!? ならば……」

 そのとおり。あんたのせいだ。
 私もそう言いたかったが、グッと堪えて。

「だ・か・ら! そこで暴れても何の解決にもならないでしょ!? ここは正々堂々と、本来の形で決着をつけるべきよ!」

「本来の形……?」

「そう! だって『魅惑の妖精』亭も『ベルク・カッフェ』も、飲食店なんでしょ? ならば、食べ物や飲み物が上の方が勝ち! つまり……料理勝負よ!」

 スカロンさんやベルクが考え込まないよう、一気にまくしたてる。
 どちらの店も、料理よりむしろ女の子のサービスをウリにしている気もするが、そこに思い至らせてはいけない。だって、それを競うとなると、私も『妖精』として参加することになるし。

「こっちから言い出した話だし、場所はそっちの店でいいわ。スカロンさん、それでも勝つ自信あるでしょ?」

「そりゃあ、うちは料理も絶品ばかりだから……」

 続いて、ベルクに。

「どう? あんたの店だって一応はカッフェなんでしょ? 女の子にいかがわしいことさせるだけがメインじゃないんでしょ?」

「おのれ小娘! 言わせておけば……。まるで『ベルク・カッフェ』が下品な店であるかのような口ぶり! ……いいでしょう、その勝負、のった! 『ベルク・カッフェ』はカッフェとしても一流。飲み物もお茶受けも、どこにも負けないんだから!」

 こうして。
 スカロンさん対ベルク、料理バトルの開催が決定した。

########################

 そして。
 決戦の時は来た。
 『ベルク・カッフェ』の厨房、そこが戦いの舞台である。
 互いの店の女の子たち、常連客たちが見守る中……。

「では……スタート!」

 私の合図で、スカロンさんとベルクが料理を始める!
 まず、スカロンさんは何かをゆでているようだが……。

「……あれは!?」

「知っているの、ジェシカ!?」

「白ワインにあうのは海の幸。だから海鮮スパゲッティも人気メニューのひとつ。それにかかせないのが……」

 娘の解説が耳に届いたのか。
 スカロンさんも叫ぶ。

「そう! このパスタ! スパゲッティパスタよ!」

 言葉と同時に、空中に伸びる無数の白い糸!
 ドォォォッとギャラリーがどよめく間に、パスタはベルクの全身に絡みついていた。体の自由を奪われたベルクは、料理の手が止まる。

「……こ、これはっ!? かたゆで(アルデンテ)!?」

「そうよ〜〜ん。ミ・マドモワゼルが丹誠こめて手打ちにしたパスタなのね。もがけばもがくほど、どんどん締まっていくわ〜〜。 さあ、どうする? おとなしく負けを認めれば、ゆるめてあげるわよ〜〜?」

 あれ? 料理勝負って、そういうもんだっけ?
 何か違うんじゃないかな……と私が疑問に思う間にも、戦いは先に進んでいく。

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ! でも……甘いわ! 愚か者め!」

 一声ほえてから、ベルクはパスタに噛みついた。むしゃむしゃと食べ始める。
 ややあって……。
 ベルクは全部食べつくした。

「さすがスカロン。見事なゆで加減だったわ。でも……ゆがく時の塩加減がおかしいわね!」

「なんですって!?」

「今度は、こちらの攻撃!」

 ベルクが何か投げつけた。よく見れば、それはピザ・トースト!

「『ベルク・カッフェ』は、カッフェ。お茶を美味しく飲ませてこそ、カッフェ。お茶にあうのは、やっぱりパン。でも、ちょっと小腹がすいた時、ただのパンでは物足りない……」

 ジェシカが解説する間に。
 スカロンさんは、飛んできたピザ・トーストを余裕でかわしていた。だが、外れたはずのそれが、あたかもブーメランのように舞い戻る!?
 慌てながらも、なんとか回避するスカロンさん。問題のピザ・トーストは、ベルクの手元に戻っていく。

「……くっくっ……。見たか、スカロン! 私の堅焼きピザ・トーストの力! トッピングの重量配分を変えることにより、あたかもブーメランのごとき軌跡を描き、堅焼きのパン耳は鉄をも寸断するの! 名づけて……ピーザラン!」

 名づけんでいい。……つーか、もうそれ、お茶受けでもトーストでも何でもないだろ!?

「あら、おもしろいわね。でも、そんなものじゃ、このミ・マドモワゼルは倒せないわよ〜〜!?」

「お〜〜のれ、スカロン! 言わせておけば!」

 再びベルクがピザ・トーストを投げ放つ。
 スカロンさん、今度はよけずに、これを口でキャッチ! そして食べてしまった!

「……ふう。歯ごたえ、味つけともに悪くないわね。でもトッピングの位置がかたよっているせいで、味わいにムラがあるわ。それに……お茶受けとしては、ちょっと胃に重過ぎない?」

「しまった!」

「じゃ……今度はミ・マドモワゼルの番ね!」

 スカロンさんがフライパンをサッと一振り。そこから飛び出したのは、肉汁たっぷりのブ厚いステーキ!

「さすがパパ! 白の次は赤ね! 赤ワインにあうのは肉料理……ということで、シンプルに牛ステーキだわ!」

 フライパンから打ち出されたステーキは、ベルクへと一直線。
 アツアツの肉汁がジュッと飛び散る。
 これでは……火傷する!?
 しかしベルクは、なべつかみで肉の油汁を防御。肉そのものは、口で受け止めた。

「ええっ!? 肉も熱いんじゃ……」

「いいえ、ルイズ。よくごらんなさい」

 平気な顔で、ベルクはムシャムシャ。全部ゴックンと飲み込んだ後で、コメントを。

「……たしかに汁は熱いわ。でも肉は違う。焼き加減はレア、真ん中なんてまだ冷たいから、一口で食べてしまえば熱さも半減!」

 その理屈は少しおかしくないか!?
 私が頭を抱え込んでいる間に、ベルクが反撃。今度は……。

「……お茶受けの基本、クッキーね!」

 ジェシカの解説も不要なくらい、見たまんま。
 硬いクッキーが、弾丸のようにスカロンさんを襲う!
 スカロンさんは、いつのまにか用意したホイップクリームで、クッキーをキャッチ! クリームごと口へ入れる。

「……悪くない味ね。でもそれは、クリームを塗れば……という条件付きよ。これ、クッキーだけでは美味しくないわ」

「おのれ……。しかし、まだまだっ! まだほんの小手調べよ!」

「あら奇遇ね。私もよ!」

########################

 人外の戦いは熾烈を極めた。
 スカロンさんの極楽鳥の丸焼きが生きているかのように飛びかかれば、ベルクの桃りんごのパイが粘液のようにベットリした攻撃を見せる。
 スカロンさんのハシバミ草のサラダがその苦みでベルクの舌を麻痺させれば、ベルクのミルクとフルーツのプディングがその甘さでスカロンさんの舌を麻痺させる。
 二人は、互いのくり出す攻撃、そのことごとくを食べつくしていた。
 やがて……。

「決着つかないわね……」

「お〜〜のれ、おのれ! やっぱり……これじゃダメだわ!」

 互いに調理道具を放り出したスカロンさんとベルクは、ついに肉弾戦に突入!
 こうなると、周囲の見物人たちも黙ってはいられない。

「結局こうなるのね。……さあ、みんな行くよ!」

「私たちも! ベルク様〜〜!」

 まずは『妖精』と『山猫』たちが参戦して。

「おう! 妖精たちゃぁ負けねえぞ!」

「山猫ちゃんは俺の嫁!」

 お互いの常連客も乱入して。
 いつもどおりの大騒ぎが始まった。
 そんな中、優勢なのは、やっぱり『魅惑の妖精』亭の側である。

「料理は愛情クラァァッシュ!」

 わけのわからん必殺技の名前を叫んだオカマのヒップ・アタックが、ベルクの顔面に炸裂。肉体的かつ精神的ダメージで、ベルクがノビる。

「親子の愛情アタァァック!」

 父親同様の絶叫と共に、ジェシカが『山猫』たちへダイブ。巨乳を活かしたフライング・ボディ・プレスで、数人まとめてフロアに沈めた。

「なんだか……今日は、いつも以上にノリノリね?」

 参加するまでもないので、私はおとなしく傍観する。
 ところが。

「お〜〜のれ、スカロン! ま〜〜たしても……!」

 ガバッと立ち上がったベルク。
 いつもならば退散するパターンだが、今回は違った。なんと私の方に向かってきた! しかも、ロングブーツから引き出したのは、メイジの杖だ!

「え? あんた……メイジだったの!?」

 私が驚いている隙に。
 隣に立った彼は、横から私に杖を突きつけた。
 そして。

「し〜〜ずまれ、しずまれ〜〜!」

 店内をグルリを見回しながら、ベルクが大声で宣言する。どうやら私を人質にとったつもりらしい。

「おとなしく降参なさい! さもないと、この娘の背中に突きつけた杖が、火を吹くわよ!?」

「背中……?」

 小さな、しかしハッキリとした声で私は聞き返した。
 この時、ベルクの視線はスカロンさんたちに向けられていた。私の方は見てもいない。しかも横からだったから、よく判っていなかったようだ。

「……はあ? 何を言い出すの、小娘!? だって、この感触は……」

 ベルクがこちらを見た。

「あら!?」

 ようやく気づいたのだろう。
 彼の杖は、背中ではなく、私の胸にグリグリと押し当てられていた。

「乙女の可憐な胸に……なんてことすんのよ……。しかも……背中と間違えたですって!?」

 私の怒りのオーラに、ベルクは一瞬たじろぐ。が。

「何言ってんの! そんな真っ平らな胸してんだから、仕方ないじゃない! うちの料理皿より平べったいんだから!」

 とんでもないセリフを口にしたが、私は聞いちゃいなかった。
 太ももに結びつけて隠していた杖を取り出しながら。

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……」

 私は呪文を唱え始める。
 ベルクの顔に嘲りの笑みが浮かんだ。

「なあに? まだ胸も平らなガキがメイジの真似? ……あのねえ、あんた子供だから知らないんでしょうけど。呪文っていうのはね、そんなんじゃなくて、ルーン語で唱える必要があって……」

「……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 ベルクが私を笑っている間に、呪文が完成。
 私は、杖を大きく振り下ろした!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 ベルクは、彼の店『ベルク・カッフェ』ごと吹き飛んだ。

########################

 戦いの舞台だった『ベルク・カッフェ』は、もはや瓦礫の山と化している。
 ベルクと彼の『山猫』だけでなく、スカロンさんや『妖精』たちや客の皆さんも巻き込んじゃったみたいだが……。

「こら! 何の騒ぎだ!」

 あ。
 役人まで駆けつけてきた。
 なにしろ、街の真ん中にあった店だ。こんなところで竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を使うのは、ちょびっとばかし問題があったようだ。

「……逃げなさい、ルイズちゃん」

「スカロンさん!?」

 早くも復活した彼が、私にコッソリささやく。

「この責任は、全部あの人になすり付けちゃいましょう!」

 そう言って、まだ目を回しているベルクを指さした。
 続いて、ジェシカも。

「そうよ、あとは……あたしたちに任せて!」

「でも……」

「大丈夫よ、これくらい。こう見えてもパパ、偉い人とコネがあるから」

「そうよ〜〜! なんといっても『魅惑の妖精』亭は、アンリ三世陛下もいらっしゃった、由緒正しいお店なんだから〜〜!」

 アンリ三世って……。四百年くらい前の話か。またずいぶんと古い話を持ち出したものだが……。
 まあ、いいや。
 ここは、スカロンさんたちの御好意に甘えるとしよう。

「……お世話になりました」

 ペコリと頭を下げてから、私は、その場を抜け出した。
 急いで『魅惑の妖精』亭に戻って荷物を回収してから、逃げるように街を出る……。

########################

 あとになって気づいたのだが、私の荷物には、知らないうちに給金袋が入れられていた。当面の路銀に困らぬ程度の額が包まれており、あらためて、スカロンさんの優しさが身に染みた。
 ちなみに。
 風の噂で聞いたところによると、あの爆発は、全てベルクの責任ということになったらしい。
 どうやらスカロンさんや私を恐れて、ベルクも反論できなかったようだ。
 結果『ベルク・カッフェ』は、お取り潰し。路頭に迷った『山猫』の一部は、『妖精』に転職。最大のライバル店が消滅したことで、『魅惑の妖精』亭は、以前の活気を取り戻したという。
 めでたし、めでたし。





(「ルイズ妖精大作戦」完)

########################

 番外編短編の敵キャラくらい、「ゼロ魔」キャラじゃなくても許してください。「ゼロ魔」読者世代よりもむしろ「ゼロ魔」原作者世代向けのネタですが。
 あと一応おことわりしておきますが、スカロンは別に王様でも王子様でもありません。

(2011年4月27日 投稿)
      



[26854] 第三部「タルブの村の乙女」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/30 21:55
   
 輝く杖が昼の光を照り返し、はためくマントがパタパタと音を立てる。
 私とその使い魔サイトは、同時に深いため息をつく。
 二人の前に立ちはだかったのは、まだ若い学生メイジたち。その数ざっと十名弱。

「とうとう見つけたぞ! 悪党ども!」

 リーダー格の男が一人、こちらをビッと指さして、声を高々はり上げる。
 私たちを『成敗』しに来た、本日五組目のメイジご一行様である。

「大罪人、ルイズとサイト! お前たちの悪行も、これまでと知るがいいっ!」

 ……まあ、好きなように言ってちょうだい。
 そうやって朗々と口上を述べている暇があったら、呪文の一発でも撃てばいいのに。
 貴族たるもの正々堂々と勝負……なんて思ってるんでしょうね。甘ちゃんだこと。
 かといって、こちらから攻撃するのも気が進まない。それこそ、私たちは悪人ですと告げるようなもの。本当は違うのに……。
 この、どうしようもない状況は、今日をさかのぼること数日前に始まった……。

########################

 村というほどの規模でもない、小さな集落。野宿するよりはマシと思って立ち寄った私たちは、村人たちの敵意と警戒のまなざしの中、村長の家に招かれた。出された夕食に、いくどか口をつけた途端、強烈な睡魔に襲われて……。
 気がつくと、私は捕まっていた。手足は徹底的に縛られていたし、ごていねいなことに、さるぐつわまでかまされている。

「目がさめたか、ルイズ?」

 目の前では、両手両足をロープで縛られたサイトが転がっている。私と違ってさるぐつわをされていないのは、私がメイジ、彼が剣士だからか。
 私の杖もサイトの剣も当然取り上げられていた。それでもメイジの呪文を警戒したのであれば……敵は魔法のことをよく知らん連中だな、うん。

「ぬーふっむんぬぬっ! ふむぬっ!」

 ちゃんとしゃべれないので、とりあえず暴れてみる。しかし念入りに縛りつけてあるようで、元気なイモムシさんみたいにぴょこぴょこ動くのが関の山。
 ここは、使われなくなった馬小屋か何かのようだ。古い藁が敷いてあるが、獣くさい臭いがする。入り口のところには、大柄で屈強な女と、やせぎすの女。見張りなのだろう。

「おっ! 女の方も目をさましたみてぇだぞ」

「あ……ああ。そうだね」

 見張りたちが声を上げる。やせぎすは、ちらりとこちらの方を見て、

「しかし……とてもじゃないが、そうは見えないよね」

「そこが怖いところさ。外見にだまされて油断したところを……なんてこともあるだろうしな」

 なんだかよくわからないセリフを、さも知ったふうに言う大女。それに深々とうなずくやせぎす。

「……なあ、どうなってんの? 何で俺たち捕まってんのか、教えてくれよ……」

 唐突に声をかけられた声に二人はビクンと体を震わせ、あわてて声の主の方へ——つまりサイトに——視線を移す。

「けっ! 何言ってやがる! とぼけたってムダだからなっ!」

「お……おい、ほっとこうよ、男なんて……」

「……それもそうだな」

 二人は、再び私を見る。

「この女の方……このまま役人に突き出すのは、ちょっともったいないよね」

「ああ。街まで出かけても見ねえほどの上玉だ」

 ちょっと待て! そのスケベそうなまなざしは何!? それは男が女を見る目だ! あんたたち……そーゆー趣味の方々だったのか!?

「役人たちに引き渡しても、どうせ縛り首か何かにしちまうだけだろうが。ならオレたちがいただいちまっても、どこからも文句は出ねぇよな」

 出るわい! だいたい、私たちは重罪人なんかじゃないやい!
 どうやらどこかの指名手配犯と間違えられているようなのだが、さんざんイタズラされたあげくに「人違いでした。てへっ」なんぞ言われてもシャレにならん。

「そうだよね。死ぬ前にイイ思いできるんだから……この子も喜ぶよね」

「そーゆーこった」

 ええい! 身勝手な理屈はやめろ!
 しかし、この二人、こういうことには慣れているのか。
 大女が脚に体重のせて私を逃げられなくして、それでも暴れる私の肩をやせぎすが押さえつけた。
 ぎゃあ! 私の貞操の危機! しかも女相手に!

「さて……それじゃあ……」

 私のブラウスのボタンに、大女が手をかけた時。

「いいかげんにしろ!」

 叫んだのはサイトだった。
 二人の見張りは、彼の発する『気』に圧されたようだが、それでも私から離れない。

「彼女に手を出すな。さもないと……」

 厳しい視線で二人を睨みつけるサイト。
 でも、それに怯むような女ではなかったようだ。

「……へっ。その状態で何が出来るっていうんだい?」

「そ、そうだよ! 何が出来るのさ! 言ってごらんよ!」

 二対一。もともと口は達者ではないサイト。だけど頑張れ! 全力で応援するぞ!

「もう一度言う。彼女に手を出すな。さもないと……」

「さもないと?」

 サイトは静かな口調で、しかしキッパリと答える。

「奇病がうつるぞ」

 なんじゃそりゃ。
 見張りの二人も、気勢をそがれたかのように顔を見合わせている。

「……奇病?」

「そうだ。胸がぺったんこになる奇病だ。『大平原の小さな胸』という病名らしい。治療法はない」

 おい。

「……嘘だと思うなら、そのボタンを外して、自分の目で確かてみるがいい。だが指一本でも触れてみろ、一日と経たないうちにお前たちの胸も……」

 サイトの言葉を聞いて、見張りたちがみるみる青ざめる。

「や……やっぱり、まずいよねえ。悪人に手を出す、っていうのは……」

「そ、そうだとも。そのとーりさ」

 ひきつった顔で、かわいた笑い。

「……なあ、見張りは外でやらないか……」

「そ……そうだな……。同じ部屋にいて、うつっても困るし……」

 二人は私の方をチラリチラリと振り返りながら、やがて一つしか扉から出て行く。

「やれやれ。なんとか出ていったな、ルイズ。俺……うまくやっただろ?」

 ほめてほめて、という満面の笑顔のサイト。ブルンブルン尻尾を振っている犬のようだ。まさにバカ犬。
 私は、鬼の形相で、彼の方へと這っていき……。

「あれ? ルイズ、なんで怒ってんの? ……おい、ちょっと待てっ!」

 メシッ!

 私の両足を使ったケリが、まともにサイトの顔面にめり込んだ。

########################

「ひどいよルイズ……」

「で、でも! いくらなんでも、あれはないでしょ!? だ、だ、大平原の小さな胸ですってえええ!?」

「うわっ! もう十分だ! わかった、俺が悪かった! けどさ、リアリティーを出すためには、あれくらい言わないと……うげっ!」

 見張りがいなくなったので、かなり自由になった。二人で協力したら、なんとか縄抜けも出来たし、当然さるぐつわも外せた。
 おかげで、こうしていつもどおり、ケンカするほど仲が良いという状態に戻ったわけだ。

「……なんてやってる場合じゃないわね」

「そういうことは蹴る前に言ってくれ。……だが、ルイズの言うとおりだ。見張りは外の戸口に二人。一人ずつ、やっつけるか?」

「いいえ。一人だけでいいわ。残った方から、事情を聞き出さないと」

 打ち合わせ終了。
 実行するのも簡単だった。

「あっ! てめえら……ぎゃっ!?」

「ひええええええ! お助けええええええ!」

 大柄の方をサイトの当て身で失神させたら、残ったやせぎすは両手を上げて命乞い。

「か……かんべんしてください! どうか、どうか命だけはぁぁっ!」

 外に出てみたら、もう真夜中であった。
 他の村人たちは、とうの昔に寝静まったのだろう。立ち並ぶ家々には明かりの一つも灯っておらず、その黒々としたシルエットだけが、ひっそりと佇んでいる。
 むろん、あたりに人の気配はない。

「さて。じゃあ教えてもらいましょうか。どうして私たちを捕まえたりしたわけ?」

「どうしてって……あんたら立派なおたずね者の賞金首じゃないですか!」

「はあ?」

 私とサイトは、思わず顔を見合わせる。

「人違いね。私はルイズ。で、こっちが……」

「サイト……とか何とかって名前でしょ? 手配書に書いてあった。生け捕りに限り賞金を支払う、って……」

 ……ということは、私たちの名前を騙る悪党がいるのか、あるいは、どこかの悪党が私たちに賞金でもかけたのか。
 しかし、生け捕りに限りというのは、解せない話である。

「て、手配書なら村長さんの家にある。く、詳しいことは村長さんに聞いてくれよ! あんたらの荷物も、そこにあるから!」

 これだけ聞けば十分だ。
 みぞおちにパンチ一発。こいつも気絶させてから、私たちは村長の家へ向かった。

########################

「お静かに。どうか大きな声を立てないように……」

「お前さんがたか……」

 老人は、突然の来訪者にも驚いた様子を見せず、静かにベッドから半身を起こす。
 まるで私たちが来るのを予想していたかのような口調だ。これでは、こっちが戸惑ってしまう。

「荷物を……返していただけないでしょうか」

「そこの棚のいちばん上じゃ。持って行きなされ」

 思わず敬語を使った私に、老人はあっさりうなずいた。
 サイトが言われた場所に手を伸ばしている間に、私は、さらに尋ねる。

「けど……なぜなんです?」

「あんたらがやって来たと聞いて、薬を盛るように指示したのは確かにわしじゃ。しかしあんたらの寝顔を見た時、わしはふと思ったんじゃ。これは何かの間違いじゃあなかろうか、とな……」

「それなら、村人たちに一言いってくれれば……」

 老人は、静かに首を横に振る。
 枕元から一枚の羊皮紙を取り出し、私たちに渡す。

「これは……!?」

 まぎれもなく、私たちの手配書だった。とてもじゃないが正気の沙汰とは思えぬ賞金額が記されている。
 たとえ一国の王様殺して逃げたって、ここまでの額は出ないだろう。

「……これだけの金があれば今年の冬はラクに越せる、と喜び騒ぐ村人たちじゃ。どうして『何かの間違いかもしれないから逃してやろう』などと言えようか」

 老人は語り続けるが、私たちは、きちんと聞いていなかった。
 手配書に書かれていた似顔絵と名前で、頭がいっぱいだったのだ。
 私とサイトだけではない。キュルケの名前もある。そして、もう一人。青い髪の少女。……タバサだ。
 この四人が関わった事件と言えば、あれしかないのだが……まさか……。

「それにもう一つ、その賞金をかけた人物が、デマを流すような人物ではなくての……。直接の知り合いではないが、高潔な人物として名が通っておる」

 この言葉は、しっかり聞こえた。嫌な予感がしながら、私は質問する。

「ご存知なんですか? 誰がこの賞金をかけたのか?」

「高貴な身分でありながら、庶民の味方として名高いお方じゃ。あんたらも噂くらいは聞いたことがあるじゃろう、無能王ジョゼフ様。……お心あたりがおありかな?」

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 無能王ジョゼフ。
 ガリアの王でありながら、魔法が苦手で、役人や議会からも軽んじられ、旅に出た男。
 しかしマジックアイテムや魔法薬の扱いには才能があり、旅先では、しばしば庶民を助けた。魔法がダメなことも平民からは親しみを持たれる理由となり、その意味で『無能王』という愛称を使われる人物……。
 これが世間様の認識だ。が、その正体は、とんでもない化け物であった。
 しばらく前、彼と衝突することになった私たち——私とサイトとキュルケとタバサ——は、魔性と化した無能王を、やっとのことで倒したのだが……。

「村長、それならばもう、その手配は無効です」

 私は言った。

「もともと何かの間違いでかけられたものなのでしょうが……。無能王ジョゼフ様は、しばらく前に旅先で亡くなられた、と聞き及んでいます」

 私たちが倒した、などとは無論言わない。それこそ『一国の王様殺して逃げた』って思われて、話がややこしくなる。

「馬鹿を申すな。無能王ジョゼフ様は、かりにもガリアの国王じゃぞ? 御崩御されたら世界中の大ニュースになろうが、そんな話は全く聞かん。……そもそも役人がこの手配書を持ってきたのが二日前。聞くところによれば、この手配のふれが出たのは、ほんの一週間前のことらしいからのう」

 一週間前?
 私はサイトと顔を見合わせる。
 そんなはずはない。

「……しかし、あんたらが本当に、世の中に対して何恥じることなく生きているのなら、王都トリスタニアにでも行きなされ。賞金の支払所もあるじゃろうし、何か詳しい話も聞けようて。そして無能王ジョゼフ様と話し合い、誤解を解くがよかろう……」

 老人は、諭すように語る。
 私たちは黙ってうなずき、村長宅を辞するしかなかった。
 誤解がどーのとかいう話ではないのだが……。

########################

「……けどよう? 一体どういうことなんだ、ルイズ?」

 一夜明けて翌日の昼。結局私たちは、夜中に村を抜け出したあと、野宿である。
 ちょいと遅めの朝食をすませ、王都トリスタニアへと向かう旅路についたのだ。
 トリスタニアには色々と知り合いも多いので、立ち寄りたくなかったのだが……。こうなっては、仕方があるまい。

「無能王ジョゼフが生きてるって話?」

「ああ。無能王ジョゼフって……。ルイズが髪を脱色させてまで倒した奴だろ?」

 さすがのバカ犬サイトでもジョゼフとの戦いは覚えていたようだが、髪を脱色というのは、ちと違うぞ。まあ言いたいことは何となくわかるけど。

「いくつかのパターンが考えられるわね……。まず一番ありがちなのが、ジョゼフの偽物」

 私たち四人に手配をかけたところをみると、ジョゼフの部下が、かたきを討つために彼の名を騙っている……というセンだ。
 この場合、かたき討ちというだけでなく、「ジョゼフ様を倒した連中をやっつけて名を売ろう」という目的もあるのだろう。ならば自分の手で倒す必要があり、手配書に「生きたまま」という条件をつけた。

「次に、単なる連絡の不行き届き」

 タバサが寝返って私を連れて逃げた後で、ジョゼフが部下に、私たちを手配するよう言い渡したのかもしれない。ところが何らかの手違いで、それが公布されるのがかなり遅れてしまった。
 その時点ならば、ジョゼフの狙っていた宝を私たち側が持っていたわけだから、ジョゼフの前に連れてきて、その在処を聞き出さなければならない。だから生かして捕まえる必要があった。

「そして最後に、もう一つの可能性……」

 私の真剣な顔を見て、サイトは察したらしい。

「無能王ジョゼフは本当に生きている……ってことか」

 サイトの言葉に肯定も否定も返さず、私は空を振り仰ぐ。

「もしもそうなら……」

 雲ひとつない青空に向かい、私はポツリとつぶやいた。

「……今度は勝てない」

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 ……などとシブいセリフで決めてはみても、結局のところ、まずやるべきことは、身にかかる火の粉を振り払わうことである。
 最初あの村でとっ捕まって以来、私たちを『成敗』しようとするメイジやら騎士やらの数は、日ごとに増えていく。
 さっきから私たちの目の前で、延々と何やら口上を切り続けている学生メイジたちも、そんな自称正義の味方の一組であった。

「……我らリュティスに名を馳せし、青の八メイジ、始祖ブリミルの加護を受け……」

 大人の騎士ならともかく、学生メイジ相手に本気出すわけにもいかない。私も学生メイジだが、こいつらとは実力がケタ違い。私の全力魔法が炸裂したら、こんな連中、森ごと消滅してしまうだろう。

「……なあ、ルイズ。これ……いつまで聞いてたらいいの?」

「そうね……。私も、いい加減うっとうしくなってきたわ……」

 ヒソヒソ声で聞いてきたサイトの言葉をキッカケにして。

 ドゴーン!

 いっぱい手加減した、小さな小さなエクスプロージョンをお見舞いする。
 直撃させないよう、連中の少し手前を狙ったのだが……。
 あれ? 二人か三人、巻き込まれている!?

「ぎゃあ、逃げろ!」

「ううっ、こんなところで……」

「傷は浅いぞ! しっかりしろ!」

「これが悪魔に魂を売った者の魔力か!?」

 倒れた仲間を抱え上げ、彼らは一目散に逃げ出した。
 今の一発でビビっちゃうんだから、しょせんは貴族のお子様なのよね。

「さ、邪魔者は消えたわ。これで……」

「……ルイズ」

 歩き出そうとした私の腕を、サイトがつかんだ。
 振り返ると、彼は街道脇の森を睨みつけている。
 私も視線の向きを合わせる。すると……。

「げ!」

 そこに……。
 赤い闇がわだかまっていた。

「あいかわらず……派手な魔法を使う娘だな」

 二つの紅玉(ルビー)を眼とする白い仮面。
 赤く硬質な何かに包まれた体。
 人ではない。

「『赤眼の魔王(ルビーアイ)』……ジョゼフ=シャブラニグドゥ……」

 私は、うわごとのようにポツリとつぶやいた。

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「久しぶりだな。わしを覚えていてくれたようで光栄だよ」

 忘れるわけがあるまい。
 しかし……。
 まさかこんな真っ昼間から、魔王の姿で登場されるとは思わなかった。まあ考えてみれば、魔王と化した無能王が生きているということは、こいつが出てくるというわけなのだが……。

「心配するな。今日のところは、挨拶に来ただけだ。こんな殺風景なところで、お前とやり合うつもりはない」

 杖を手にした私も、剣を握るサイトも、冷や汗タラタラ。そんな私たちの様子を面白そうに見ながら、魔王は告げた。

「わしは今、タルブの村の大きな家で、やっかいになっておってな……」

 タルブの村。
 ここから北に、五日ばかり行ったところだ。
 もともとは良質のワインで知られた場所だったのだが、数十年くらい昔に、魔鳥ザナッファーによって自慢のブドウ畑は壊滅させられたという。
 その後、魔鳥を倒した勇者が建てたあずまやに、生き残ったブドウのつるが巻き付いて、新たなブドウ棚が形成された。増改築を繰り返した結果、今では巨大なブドウ棚となっているらしい。それを村のステータス・シンボルとして、村そのものも、かなり大きく発展していると聞いたことがあるけれど……。

「一度は魔鳥ザナッファーに蹂躙された土地だ。わしとお前たちが本気でやりあっても、なあに、もう一度壊滅するだけ。たいした問題にもなるまい」

 なるわい。
 村の人々には大迷惑だ。

「……というわけで、わしはタルブの村で待っておるぞ。……本当の決着をつけたいのでな」

 言うなり、フッとその姿がかき消える。
 私とサイトはしばし、互いに顔を見合わせる。

「……今の……」

 私が口を開きかけた途端。

「『イリュージョン』ですわ」

 いきなりうしろで声がする。
 慌てて振り向く二人。
 そこに、一人の女が立っていた。
 中肉中背、黒のマントにフードという、いたってありきたりなメイジの姿。しかし手には剣を持っている。

「……幻影を作り出す呪文です。虚無魔法の、初歩の初歩でしょう? あら、あなた虚無の担い手のくせに、知らなかったのですか?」

 どうやら先ほどの『魔王』は本物ではなく、ただの幻だったらしい。
 それもそうか。あんな姿でタルブからここまでノコノコ歩いて来たら、それこそ大騒ぎだったはず。
 しかし……。
 本当に虚無魔法を使ったのだとしたら、タルブの村にいるジョゼフというのは、やはり本物ということに……。

「基本的なことも知らないお馬鹿さんでしたのね。ならば、陛下のお手を煩わせるまでのこともありませんわ。このわたくし、モリエール夫人が今ここで、引導を渡して差し上げます!」

 おいおい。
 わざわざ私たちをタルブまで呼びたがっているジョゼフの意志は無視。いきなりといえば、あまりにいきなりなことをほざき出す。
 よかれと思って先走り、結局他人に迷惑をかけてしまうタイプだ。

「やめといた方が……」

 私は面倒くさそうにパタパタと手を振ってみせたが。

「いくぜ!」

 あ。
 なんかサイトが応じちゃってる。
 左手のルーンも光らせて、駆け出していた。

「いざ、勝負!」

 モリエール夫人とやらも、サイトと真っ向から斬り合うつもりのようだ。ガンダールヴ相手に、無茶なことを……。
 と、思っていたら。

「あれ? このオバサン……結構強い?」

 観戦モードの私の前で、予想以上の好勝負が繰り広げられていた。
 互いの斬撃を、互いの剣が受け止める。
 ぶつかり合う剣から、飛び散る火花。
 サイトの剣からは、言葉も飛び出す。

「相棒! 無理だ! 本気でやれ!」

 ……ん? どういう意味だ?

「だって! 相手は女の人だぜ!?」

「手加減できる相手じゃねーだろ!」

 そういうことか。
 サイトは相手が女性だから、殺さずに勝とうとしているわけだ。手を抜いていたからこそ、実力伯仲に見えていたのね。
 しかしデルフリンガーに促され、サイトもようやく、モリエール夫人の腕前を認めたらしい。
 サイトの表情が変わった。傭兵の目だ。情に溺れない、冷静な目……。

「すまんな!」

「うっ!?」

 サイトが魔剣を一閃。
 腰から肩まで、斜めにバッサリやられて、モリエール夫人は息絶えた。

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 そして、翌日。
 朝もやの立ちこめる街道を、私とサイトは並んで歩く。
 まだ少々眠いのだが、向かうべき目的地も変わった。タルブの村にジョゼフがいる以上、手配書を何とかするには、そこへ行くしかない。ならば、さっさと進むのが得策である。

「また今日も出てくんのかなあ……」

「……でしょうね」

 サイトのつぶやきに、私は相づちを打った。
 何が、という主語は必要ない。私たちを『成敗』しようとする正義の味方。
 こんな早朝のうちから来やしないだろうが、人々が動き出す時間になれば、当然のように現れるだろう。
 ……という予測は、少し甘かった。

「昨日は世話になりましたね」

 街道の右手に見える小さな林。
 その横にたたずむ黒い影が、私たちの方へ足を進める。

「出たあっ!? 幽霊だ!」

「……え?」

 大げさに騒ぐサイトの隣で、私は目が点になっていた。
 登場したのは、フードを目深にかぶった黒衣の女。
 昨日死んだはずの……モリエール夫人である。

「何を驚いておりますの? まさか、このモリエール夫人を見忘れた……などというつもりはないでしょうね?」

 いやいや、そうじゃなくて。
 殺したはずの相手が出て来りゃあ、誰でも驚くわい!
 ……でも素直にそう言うのも少し悔しいので。

「……あんた、いつも自分のこと『モリエール夫人』って言ってるけど。その名乗り方……少し変じゃない?」

「あら、陛下はわたくしをそう呼んでくださいますから! わたくしも気に入ってしまったのですよ」

「……そう。まあ、いいけど……あんたも懲りない人ねえ。サイトにあっさり倒されたのを、忘れたわけでもないでしょうに」

 殺された、とは言わない。死んだことに触れては負け、という気分がしたから。

「……わかってますわ。だから今日は助っ人を連れて来ました。……あなた方、出番ですわ!」

 モリエール夫人の合図で、二つの影が林の中から現れる。

「……待っておったぞ」

「けっ、偉そうに言いやがって」

 その二人を見て、サイトがまた大騒ぎ。

「またまた幽霊だあっ!?」

「……あんたたち!?」

 今度は私も、一緒になって叫んでいた。





(第二章へつづく)

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 残念ながら今回の第一章は、おもいっきり原作沿い。

(2011年4月30日 投稿)
   



[26854] 第三部「タルブの村の乙女」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/03 21:27
   
「どうやらまだ元気だったようだな、貧乳娘」

 ニヤけた声で言ったのは、禿頭の中年メイジ。ただし今日は杖ではなく、大剣を手にしている。
 普通の奴から『貧乳娘』などと呼ばれたら私は腹を立てるのだが、こいつの場合、それより先に気持ち悪くなる。なにしろコイツ、前に会った時にはイヤラシイ顔で「貧乳たまらん」とほざいていたのだ。
 ミスコール。私が戦いたくない相手ランキングでナンバーワンの男である。

「ミスコール男爵! 敵とはいえ相手はレディであろう!? 貧乳娘などと失礼なことを言ってはいかんぞ!」

 仲間を叱責するのは、こちらも剣を手にした禿頭。名前は……たしかソワッソン。貴族のメイジだ。
 なるほど、この二人を連れて来たから、今日のモリエール夫人は自信満々なわけか。
 しかし……。
 モリエール夫人も含めて、三人とも死んだはずの人間なんですけど!? 何この幽霊軍団!?

「なあ、ルイズ? これも何かの魔法か!? 死人を蘇らせる魔法があんのか!?」

「ガタガタ騒がないの! 男の子でしょ!?」

 そう言う私も動揺していたのだが、サイトの言葉で、少し冷静になった。
 そう、きっとこれも魔法。ただし、さすがに魔法で死者蘇生は無理だろうから、何らかのトリックを魔法でやっているのだ。
 ならば……こちらも魔法で!

「サイト! ちょっと時間を稼いで!」

「……何か策があるのか? よし、まかせろ!」

 私の盾となるべく、魔剣デルフリンガーを手に、サイトが前に立つ。

「時間稼ぎですって……? そんなことさせるもんですか! さあ!」

 モリエール夫人の掛け声と共に、三人が向かってくる。
 それをサイトが剣一本で受け止める!
 右から左から正面から。迫り来る三つの斬撃を、サイト一人で相手する。さすが伝説の使い魔ガンダールヴ!
 その間に……。

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……ギョーフー・ニィド・ナウシズ……」

 トリステイン魔法学院でも、人間そっくりの精巧なガーゴイル(魔法人形)が出てきたことがある。あれと同じなら、同じ方法が通用するはず!

「……エイワズ・ヤラ……ユル・エオ・イース!」

 最後まで詠唱した『ディスペル・マジック』だ。辺り一帯を『解除(ディスペル)』するに十分だった。サイトと戦っていた三人がバタバタと倒れる。

「……やったのか?」

「そうみたいね。……ちょっと予想とは違ってたけど」

 私は三つの死体に目を向け、顔をしかめる。
 人形などではなかった。本物だった。死体そのものを操る魔法だったらしい。

「ひどい話だな……」

 サイトも私と同じ気持ちなのだろう。
 私は小さなエクスプロージョンで地面に穴を開け、サイトが三人の死体をその中へ。
 簡単な埋葬を済ませた後、私たちは、また歩き出した……。

########################

「しっかし……結構うっとうしいもんだな……学生メイジのマントってやつはさ」

 昼食を突っつきながら、サイトは一人ぶうたれる。

「ぶつぶつ言わないの。これで無用のドンパチはかなり避けられるはずなんだから。そう思えばどうってこともないでしょ?」

 途中にある小さな町に立ち寄った私たちは、まず仕立屋に行き、『変装』をおこなったのだ。
 私は白い法衣の巫女姿。大きなフードで、特徴的なピンクの髪もかなり隠れている。トリステインの聖女と呼ばれてもおかしくない格好になった。
 一方サイトの方は、いつもの青と白の上着——パーカーというらしい——を外して、代わりに大ぶりのマントを羽織り、メイジに化けた。
 さらにヘッド・リングや護符のペンダントをジャラジャラとぶらさげており、背中には魔剣デルフリンガーもしょったままなので、かなり好戦的なメイジとなっている。

「……とは言うけどよ。変装というより仮装だぜ、これじゃあ。見るやつが見りゃあ、あっさり正体バレちまうだろ」

「見る人が見れば、ね」

 私はクックベリーパイを食べながら、サイトに応じた。
 こんな片田舎の町でクックベリーパイが食べられるとは思わなかった。ちょっと幸せ。今日はいいことありそうだ。

「今まで私たちを狙ってきた『英雄』たち、あの手配書を頼りに探してるのよ。格好を変えちゃえば、あんな似顔絵だけで私たちを見分けるのは、ほとんど不可能。……つまり私たちと面識のない連中は、これでオサラバってわけ」

 自信満々に言い切って、エヘンと胸を張ってみせる。
 こんな簡単なこと、なんで今まで気づかなかったのか。むしろ、そっちが不思議なくらい。
 ……と思った時だった。男が声をかけてきたのは。

「やあ、ルイズじゃないか! 元気そうだね、あいかわらず」

 私は目が点になった。

########################

 ふり向くと、私のすぐ後ろに、一人の男が立っていた。
 黒いマントに、白いシャツ、グレーのスラックス。旅の学生メイジの典型的な姿である。年のころは、私やサイトと同じくらい。

「よお、ひさしぶり」

「いつかはどうも!」

 サイトは片手を上げ、男も挨拶に応じた。
 ……あれ?
 私はテーブルから身を乗り出すと、ポツリと小声でサイトに尋ねる。

「……誰だっけ?」

「何言ってんだ。マリコルヌじゃないか」

「へ!?」

 私は再び振り返り、まじまじと男の体型を見る。

「あんた……痩せた?」

「うん」

 トリステイン魔法学院で知り合った、学生メイジである。……と言っても、二つ名すら聞いておらず、私は『太っちょ』として認識していただけ。
 まあ今でも標準よりはポッチャリさんだが、少し痩せただけでも、かなりイメージが違う。

「それより……あんた、なんでこんなところに?」

「僕も旅に出たんだよ! 学生メイジの本分は勉強することだって言う人もいるけど、この間の事件で、それは違うって思い知らされてね」

 魔法学院でも私たちはちょっとした騒動に巻き込まれたわけだが、その際、このマリコルヌも関わっている。

「……外で遊び歩いていた君たちの方が、威張ってばかりの先生たちより、メイジとしては格上だったからねえ。だから、僕も真似することにした」

 なるほど。貴族の学院でヌクヌクしているよりは、一人旅で苦労した方がカロリーも消費する。それで自然に、少しばかりダイエットになったわけか。
 しかし……。
 説明しながら、マリコルヌはニヤニヤ笑っている。おそらく道中の出来事を回想しているのだろうが、こりゃあ魔法修業じゃなく、本当に遊び歩いてるっぽいぞ。こう見えて、かなりの女好きだからなあ、この男。

「……あのさあ、マリコルヌ。ひとつ聞きたいんだが……」

「なんだい、アニキ?」

 そもそもマリコルヌがサイトをアニキと慕うようになった経緯が……。
 いや、止そう。思い出したくもない。

「ここで俺たちを見て、俺たちだってすぐにわかった? ……実は、これでも一応、変装してるつもりなんだけど」

「アニキ……。それは『変装』じゃなくて、ただの『仮装』だよ? そんなもんフクロウでも一発で見破るよ」

「……だそうだ……」

 ジト目を私に向けるサイト。
 うっ……。

「で、でも! 私たちを知らない人になら判んないでしょ?」

 言う私に、マリコルヌは、いたずらっぽい笑顔を向けて声を低くし、

「……ははあ……あの手配書の対策だね……」

「知ってるの!?」

「当然だよ。この辺りじゃ、どこへ行っても君たちの噂で持ち切りだ。前代未聞の賞金首、何をやらかしたんだ、ってね。……ま、僕は君たちがそんな悪人じゃないって知ってるけどね」

「誤解よ、誤解。あの手配書は……ちょっとした手違いでかけられたものなの」

「なあ、ルイズ。マリコルヌ相手に、ごまかす必要もないだろ。……実はな、マリコルヌ。俺たち、手配をかけた奴からタルブの村まで来いって言われて……」

「こ、こ、このバカ犬!」

 公衆の面前なので、軽く叩く程度で済ませておいた。
 まったくもって考えの足らんサイトである。いきなり他人を巻き込んでどうする!?

「へえ。反撃しに行くの? 面白そうだね。じゃ、僕も一緒に行くよ。それならば賞金目当てで来る連中の目もごまかせるだろうし」

 マリコルヌが意外なことを言い出した。
 前の事件の時には、有名な盗賊メイジが一枚からんでいると知ったとたんにアッサリ逃げ出したというのに。

「ちょっと、マリコルヌ……。簡単に言うけど、相手はたぶん相当でかいわよ。……まあ、私たちもまだ、実態を見たわけじゃあないけど……」

「わかってるって」

 いたって気楽に言うマリコルヌ。

「僕も戦う……なんて言うつもりはない。ヤバくなったら足手まといになる前に、ちゃんと逃げ出すよ。……ただタルブの村まで一緒に行くだけさ」

 それから、少し遠い目で。

「アテのない旅の行く先としては、面白そうだもん。だって、タルブの村だよ? タルブの村と言えば……メイドの名産地!」

「……は?」
 
 再び、目が点になる私。
 何を言い出したんだ、この男は!?
 タルブの村は良質なブドウからワインを作ることで有名。ブドウの名産地とかワインの名産地と言うなら理解できるが……。メイドの名産地とは!?

「あれ? ルイズは知らないの? ……僕も話で聞いただけなんだけどさ、タルブの村には、大きなメイド塾があるんだって。そこで養成されたメイドは、どこに出しても恥ずかしくない、立派なメイドになるんだって!」

 なんじゃそりゃあ!? そんな話は初耳だぞ!?
 しかし。

「ああ! タルブの村って……そのタルブの村か! どうりで、どっかで聞いたことある名前だと思った……」

「知ってるの!? さすがはアニキ!」

 げ。
 男二人が盛り上がり始めた。
 ……と思いきや、どうも少し違うらしい。サイトは、ちょっと困ったような顔で、頭をかいている。

「知っているというか何というか……。ま、厳密に言うと、行ったことがある……かな?」

 おい。
 そういうことはもっと早く思い出せ。

「……どういうこと、サイト?」

「うん。こっちの世界に来たばかりで……まだ右も左も判らないころだったかな。しばらくタルブの村で厄介になってたんだ。そもそも傭兵の真似事を始めたのも、あの村での出来事がキッカケで……」

「アニキ、『こっちの世界』とか『来たばかり』ってどういうことさ? アニキは、遠くからルイズに使い魔として召喚されて来たんじゃないの?」

 あ。
 サイトがボロを出した。
 確かにマリコルヌには、そういう設定を言っておいたはずだった。
 しまったという顔で私を見るサイト。これでは、よけいにバレてしまう。

「いいわ。もう魔法学院でもないし、今さらマリコルヌに内緒にする必要もないでしょう。……いい? これは、ここだけの話よ……」

 私はマリコルヌに説明する。
 サイトは実は異世界から来たこと。私の魔法も『火』ではなく『虚無』であること。私たちが旅をしているのは、サイトを元の世界へ送り返せるような虚無魔法を探すためであること……。
 短い間とはいえ、共に旅をするのであれば、これくらいは話しておくべきだと思ったのだ。さすがにジョゼフ=シャブラニグドゥの一件までは言わなかったが。

「……驚いた」

 少し黙った後、マリコルヌが口を開く。

「アニキを使い魔にしてるくらいだから、ルイズもタダ者じゃないとは思ってたけど……。伝説の『虚無』か……」

「どうする? 今回の相手は、そんな私たちから見ても手ごわい奴なんだけど……」

 私に言われて、一瞬言葉を詰まらせるマリコルヌ。
 それでも。

「……な……なあに。さっきも言ったように、ヤバくなったら逃げ出すよ。本当に……ただタルブの村まで同行するだけさ」

 こうして。
 旅の仲間が増えた。

########################

 その日は朝から快晴だった。
 旅はきわめて順調で、このまま行けば三人は、昼にはタルブの村に着ける。
 変装と、プラス一名が効いたのだろう。あれ以来、私たちを狙う連中は面白いくらいパッタリ姿を現さなくなった。
 しかし、そのプラス一名は、やや浮かない顔をしている。
 ……なんだ?
 私が疑問の目を向けると、彼は語り出した。

「風の妖精さんからお知らせがあります」

 マリコルヌの二つ名は『風上』。もちろん、妖精というガラではないが……。

「安宿の壁は薄いんだヨ。妖精さんもビックリさ。隣でイチャつく音もバッチリさ」

「はあ? あんた……何か勘違いしてない?」

「そうだぞ? 俺たち、別にそういうことは何も……。なあ?」

 私とサイトは、顔を見合わせる。
 宿に泊まる際は、マリコルヌは一人部屋で、私とサイトは同室。サイトは私の使い魔だからだ。マリコルヌとは違うメイジが旅の連れだった時からの習慣で、私としては当然の割り振りをしているつもりだった。

「へえ? ……『サイト、こっち来なさいよ』『いいよ、俺は床の上で』『でも、それじゃ疲れがとれないでしょ。いざ戦闘って時に困るわ』『でもよ、ここのベッドじゃ狭いから……』『それでも硬い床よりはマシでしょ?』『いや、そういう意味じゃなくて……ルイズは女で俺は男だぞ!?』『違うでしょ、女と男である以前に、メイジと使い魔よ』『うーん。でも……』『御主人様の命令よ! ほら、早く来なさい!』『……わかった。それじゃ……おじゃまします』『あら、サイトったら! 体こんなに冷えちゃってるじゃないの!』『ああ。だからルイズも、これじゃ冷たくて嫌だろ?』『何言ってんの! あんたが風邪でもひいたら、誰が私の盾になるの!? ほら!』『おい!? 何やってんだルイズ!?』『あ、あんたを暖めるために……し、仕方なくやってるんだからね!』……これって、イチャついてるようにしか聞こえないんですけど」

「ちょっと待て。おいマリコルヌ、途中からお前の妄想が混じってるぞ!」

「そうよ! いつ私がサイトを体であっためたって言うのよ!?」

 ひどい話である。
 魔法学院以来、サイトと同じベッドで寝るようになったのは事実であるが、マリコルヌが想像しているような甘い会話は一切ない。
 なぜか朝になったら私がサイトを抱き枕にしているのも、メイジと使い魔の自然な関係であって、男女の仲とは無関係である。だいたい、サイトが目ざめる前に、ちゃんと離れるようにしているし。

「そうかなあ? 風の妖精さんは、そういう会話を拾ってくるんだけど……」

「その風の妖精さんというのは、マリコルヌの想像上の生き物なんじゃねーの?」

「あんたたち……そろそろ警戒しなさいよ。もう少し行くと『臭気の森』だから」

 気を引き締めるため、私が注意する。が、男二人は、怪訝な顔をした。

「『臭気の森』……?」

 こいつら。
 タルブの村の噂話を知っていたり、サイトにいたっては行ったことあったりするくせに、『臭気の森』も知らんのか。

「タルブの村に大きな被害を及ぼした魔鳥ザナッファー……。その死骸が散乱している場所よ」

 バラバラにされた魔鳥ザナッファーだが、その肉片は腐り落ちることもなく、今でもタルブ近辺の森に残っていると聞く。普通の鳥や獣の死臭とも違う、異様な匂いが立ちこめているらしい。

「あんた、タルブの村に居たんでしょ? 『臭気の森』には行かなかったの?」

「うん。たぶん村の反対側で暮らしてたんだろうなあ、俺。……ま、まだ何も判らなかった頃の話だし、村を観光案内されることもなかったし」

 アッサリと言うサイト。
 マリコルヌも、首を横に振っている。
 別に観光地ってわけじゃないが、『臭気の森』の話は、メイジ仲間では有名なはず。マリコルヌって、世間知らずなお坊っちゃんなのね、やっぱり……。

########################

 森は不気味に静まりかえっていた。
 異様にひんやりとした空気。木々の葉は、どす黒いほどに濃い色をしていた。
 そして、ところどころに落ちている硬質な暗緑色の破片。ドロリとした正体不明の粘液。

「おい。これって……」

「そうね。きっと、これが魔鳥ザナッファーの肉片や体液ね……」

 しかしサイトは、私の言葉など耳に入らないかのように。
 フラフラと、魔鳥の『死骸』に歩み寄っていく。

「違う……」

 つぶやきながら。
 サイトは、魔鳥の肉片に手で触れて、愛おしそうに撫で回し始めた。

「何やってんのよ、サイト!?」

「アニキ、どうしちゃったのさ!」

 私とマリコルヌが唖然とする中、サイトが語る。

「これは……魔鳥なんかじゃない。ゼロ戦だ。……俺の世界の戦闘機だ」

「せんとうき?」

「ああ。空飛ぶ武器だ」

「……サイトの世界の武器? じゃあ『破壊の杖』と同じ!?」

「ああ。規模は全然違うけどな」

 トリステイン魔法学院にて秘宝扱いされていた『破壊の杖』。あれもサイトの世界から紛れこんだ武器だったという。
 なるほど、魔鳥ザナッファーも、異世界からの武器だったわけか。それがハルケギニアで暴れたとなれば……。昔の人が対応に苦労して『魔鳥』扱いしたのも、無理はなかろう。

「昔々……俺の世界では、第二次世界大戦っていう、でっかい戦争があってさ。その頃、活躍した戦闘機だ」

 サイトの世界の歴史を語られても、私やマリコルヌにはチンプンカンプン。それでも『世界大戦』という言葉から、世界を揺るがす大きな戦いだったのだろうという想像くらいは出来た。
 そこで使われた飛行兵器。そんなものが、どうやって、この世界に……。
 理由もなく迷い込んだのか、あるいは、誰かが意図的に召喚したのか!?
 ……が、それ以上考えている場合ではなかった。

 ガサリ。

 右手の茂みの葉が揺れたのだ。

「何だ……?」

「誰かいる……のか?」

 マリコルヌは杖に手をかけ、サイトも表情を引き締めた。
 私は、反対側の茂みに注意を向ける。今のが敵の陽動だ、という可能性も十分考えられるからだ。

「とりあえず……僕の呪文で……」

「やめなさい、マリコルヌ。無関係な人間が、用でも足してるだけかもしれないわ」

 茂みはそれきり動かない。
 私たちも動けない。

「……じゃあ、どうするよ?」

 と、サイト。
 マリコルヌも言う。

「ひょっとしたら……野ウサギか何かが逃げてっただけかもね」

 普通ならば——『臭気の森』でなければ——気配で判るだろうが、ここでは無理だ。森そのものが異様な気配を放っているらしい。実に不便な話である。
 しかし、ずっとこのままというわけにはいかないが……。
 と。

「……う……うんっ……」

 茂みの揺れた辺りから、小さなうめき声が聞こえてきた。
 女の声だ。

「なあんだ、女じゃないか」

 いきなり相好をくずし、無警戒に近づくマリコルヌ。

「きっと風の妖精さんが運んできてくれた、僕のパートナーだ! これで僕も、今夜からは寂しくないよ……」

 ちょっと待て。
 何をどう考えたら、そう都合の良い解釈が生まれるのだ!?
 しかし私やサイトがツッコミを入れるより早く、既にマリコルヌは茂みに分け入っていた。

「おーい、大丈夫だ。ただの行き倒れみたいだよ!」

 私とサイトは、一瞬顔を見合わせてから、茂みの中へ。
 そこに、一人の女性が倒れていた。

########################

 二十代半ばくらいの女性だ。細い、ピッタリとした黒いコートを身にまとっている。マントはつけていないので、メイジではなさそう。深いフードに顔をうずめているが、その隙間からのぞく唇は、艶かしく赤くぬめっていた。

「ちょっと冷たい雰囲気の女性だけど、これ……僕が拾ったんだから、僕のものにしていいんだよね?」

「落とし物じゃあるまいし。あんたのものにしちゃダメよ、マリコルヌ」

「いやルイズ。落とし物だって、勝手に自分のもんにするのはどうか思うぞ……」

 サイトが私に言っている間に。
 マリコルヌは、彼女を抱き起こしていた。

「しっかりしてください。何があったんですか?」

 声をかけながら軽く揺さぶる。どさくさに紛れて、ややこしいところを触ってたりするのが、いかにも彼らしい。

「う……」

 彼女は、うっすらと目を開けてから、ボーッとした顔で辺りを見回す。
 まだ少し朦朧としているのか。

「……逃げられちゃったみたいね」

 それが彼女の第一声だった。

「何の話?」

「……タバサ」

 問われて素直に答える彼女だが、私とサイトは驚いた。
 思わず彼女に駆け寄る私。

「あんた、タバサを知ってるの!?」

「知ってるも何も……ああっ!? あなたはルイズね!?」

 彼女は慌てて、ローブの中からゴソゴソと何やら取り出した。
 例の、私たち四人の手配書である。それを私たちと見比べながら、

「やっぱり! ルイズとサイト! ほか一名!」

「……おいおい」

 露骨に顔をしかめるマリコルヌ。
 私は軽く微笑みつつ、いけしゃあしゃあと言ってのける。

「人違いね。よく間違えられるけど、完全に別人よ」

「いいえ、騙されないわ。この天下に名高い賞金稼ぎ、シェフィールドの目はごまかせないわよ!」

「天下に名高い……って、聞いたことないわよね、そんな名前」

「ああ……」

「全然……」

 ……つうか、この人、賞金稼ぎだったのか? 異国の神官とか古代の呪術師とか、そういう格好なのだが。人は見かけによらないものだ。

「てっ、天下に名高くなる予定なのよ! とにかく! ここで私に出会ったのが運の尽き……」

 ナイフを引き抜き、私に向かって躍りかかる。が、私の杖一本で、軽く撥ねのけられた。

「くっ! さすが大悪人ルイズ! こうまで手ごわいとは……」

「あんたが弱すぎるのよ」

 体術が得意とは言えぬ私にあしらわれるようでは、このねえちゃん、本当にダメダメである。

「さて、シェフィールドさん。あんたに聞きたいことがあるんだけど……」

「フン。どうせ言わなきゃ拷問でもするつもりなんだろ? いいさ、何でも喋ってやるよ」

 大きく誤解されているようだが、これはこれで話がサクサク進むので都合がいい。

「さっき言ってたタバサのことだけど、彼女、この近くに来ているの?」

「ああ、そうだよ。手配書が出た時からタバサの首を狙ってるんだが……。彼女がタルブに来たのは、もう五日ぐらい前だったかな? 手配をかけたのがジョゼフ様だ、ってどこかで知ったみたいで……」

「ちょっと待って! ……とするとやっぱり、タルブの村には無能王ジョゼフがいるっていうの!?」

 私は彼女の言葉を遮って問う。
 シェフィールドは一瞬、面白くなさそうな顔をしたが、おとなしく答える。

「……もちろん、いらっしゃる。あなたたちもジョゼフ様のお命が目的!?」

 あのジョゼフに対して敬語を使ったりされると、こっちとしてはえらい違和感があるのだが、無能王の実態を知らぬ世間では、今でも彼のことは庶民の味方あつかいである。
 ここで『ジョゼフって本当はこんな奴だったんだよ』などと説明している暇はないし、説明したところで信じてくれるとは思えない。
 だいたい、このシェフィールドという女、さっきから『ジョゼフ様』と言う度に、恍惚の笑みを浮かべている。狂信的な崇拝者のようだ。
 仕方なく、私は多少調子を合わせることにする。

「とんでもない思い違いよ。そもそも、あの手配書自体、無能王ジョゼフが悪い男に騙されて、誤解でかけたシロモノ。私たちは、その誤解を解くためにタルブの村へ……」

「冗談言っちゃいけない。ジョゼフ様が簡単に騙されるわけないだろ。それに、だったらタバサは、なんでジョゼフ様のお命を狙うのさ?」

「……タバサは私たちとは別行動をしてたせいで、そこいらの事情を知らないのよ。それで早く彼女に会って話をしないといけないの」

 どんどん話をでっち上げる私。

「……だから教えて。今、タルブの村は一体どうなってるの?」

「どこから話せばいいものかねえ? ……私が知っているのは、タルブにジョゼフ様が来た後の話でね。タバサを見つけて追ううちに、私もタルブの村まで来たんだけど……。すでに村に潜入していたタバサは、ジョゼフ様が泊まっている家の娘と手を組んで、ジョゼフ様の命を……」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 またまた彼女の言葉を遮ってしまった。

「何よそれ? タバサはともかく……なんで村の娘までが、一緒になって無能王の命を狙うわけ?」

「そんなこと知らないわ。ただ、その計画は失敗に終わり、村は大騒ぎになったのよ」

 タバサったら……またわざわざ、動きにくくしてくれちゃって……。
 しかし彼女にとってジョゼフは父の仇でもある。生きていたとなれば、直接乗り込むのも仕方ないか。

「その後、二人はこの森に逃げこんだみたいでね。私は追いかけたんだけど……逆にやられてしまって、このザマさ」

 だいたい話は理解できた。
 詳細はともかく、近くにタバサがいるのは間違いないようだ。ならば彼女と合流するのが一番だろう。
 サイトを見ると、彼も判ったような顔をしている。それから彼は、シェフィールドに視線を向けた。

「……で、この人はどうすんの?」

「僕がもらう! 僕が拾ったんだから!」

「ちょっと!? 勝手なこと言うんじゃないよ!? なんで私が、あなたみたいなデブの愛人にならなきゃいけないのさ!?」

 うわ。
 今のは傷ついたぞ。マリコルヌは、これでも以前より痩せたのだから。
 案の定、彼はうずくまってしまい、地面を指で突ついてる。
 それを無視して、私たちは話を進める。

「逃せばタルブへ戻って人を呼ばれるおそれがあるし、連れて行っても足手まとい。かと言って、そもそも無関係な相手なんだから、始末するってわけにもいかないし……」

「もう一回気絶させて、ここに放り出しておく……ってのが適当なんじゃねーの?」

「ま、そんなところかしらね」

「ちょっと待って!」

 私とサイトの言葉に、慌てふためくシェフィールド。

「嫌よ、そんなの。第一、私は……」

 彼女がセリフを言い終わるより早く……。
 それは現れた。

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 しげみの葉が鳴った。
 私とサイトは、慌てて身をひねらせる。
 つい今まで二人が立っていた空間を、白い槍のようなものが一瞬貫き、また戻る。
 マリコルヌも復活して、その場にすばやく立ち上がった。
 私もマリコルヌも杖を構え、サイトは立ち回りに邪魔な変装用マントを外して、背中の剣を抜く。

「ほほぉう……なかなかの体さばき……」

 茂みを揺らしながら、その男は姿を現した。
 シェフィールドは思わず口を抑え、小さな悲鳴を押し殺す。

「な……何よ、これ……」

 無理もないことである。
 ボディ・ラインがはっきりわかるほど体にフィットした、真っ黒い服の男。
 五十歳くらいだろう。日焼けした顔と鋭い目つきが特徴なのだが、それは顔の左半分のみ。
 その反対側、つまり顔の右側には……。
 何もなかった。
 眉も、髪も、目も耳も。
 口は顔の中央でプツンと途切れたようになくなっており、鼻の隆起さえ、そこを境に消失している。
 ただ、ぬらりと生白い、肉の塊があるばかり……。

「化け物……」

 私の小さなつぶやきに、それは半分だけの顔を歪めてみせる。

「化け物とは失礼な! 私にはクラヴィルという立派な名前が……」

 しかし、そこで言葉を止めて。

「……いや、もう『クラヴィル』と名乗る必要もないのであろうな。この姿を見せる以上は……」

「……どういうこと?」

 私は聞き返した。
 化け物が発する異質なプレッシャーに負けないよう、とにかく何か言うのが大事と思ったのだ。

「こちらの世界では、クラヴィルという人間の名と姿を借りていた……という意味だ。ジョゼフ様より、そのように命じられていたのでな」

 こちらの世界って……。
 あれもサイトの世界から紛れこんできたのか!?
 サイトの世界には、あんな化け物が存在しているのか!?
 そう思ってサイトを見たが、彼は首をブルンブルンと左右に振っている。
 違うらしい。……ま、それもそっか。

「本来の名前で自己紹介しよう。私はヴィゼア。……ジョゼフ様に呼ばれてやってきた魔族の一人である」

 魔族!
 亜人や幻獣の一種だとか、空想上の生き物だとか、色々言われていたが……。
 その正体は、別の世界から呼び出されてきた化け物だったようだ。
 ここで、ツンツンと私の服の裾を引っ張るシェフィールド。

「何よ」

 振り向きもせずに言う私。

「今……『魔族』って言わなかった?」

 尋ねる声が震えている。

「言ったわね」

「で……でも! 魔族って、想像の産物なんじゃないの!?」

「それは奇遇ね。今の今まで、私もそう思ってたわ。だけど……」

「だけど……?」

「よく考えてみたら……。私もサイトも、以前に魔族と戦ったことあったわ、うん」

 そう。
 レベルが高すぎて意識していなかったが、一応『魔王』って、魔族の王なのよね。魔王が実在する以上は、配下の魔族が現実だとしてもおかしくないわけで。
 しかし、だとしたら……。
 魔王には五人の腹心がいるとか、その腹心がそれぞれ忠実な配下を持つとか、そういう伝説も実話なのだろうか? ちょっと考えたくないなあ……。

「以前に魔族と戦った……ですって!? でも生きてるってことは……あなたたち、勝ったのよね!?」

「かろうじて。……私は生体エネルギーがカラッポになって、髪が真っ白になったけど」

 返事はない。絶句しているようだ。が、それも一瞬。

「私、帰る!」

 半ば悲鳴に近い声を上げ、逃げ出すシェフィールドだったが……。

「っきゃっ!」

 後ろで彼女の叫び声。私は思わず振り返る。
 逃げようとした彼女の目の前に、一匹の巨大な蜘蛛が立ちふさがっていた。

「逃がしゃしねえぜ、お嬢ちゃん」

 舌なめずりをしながら、それは人間の言葉を吐いた。
 八本の足と巨大な腹。そのフォルムは確かに、巨大な蜘蛛のものである。しかし、その肌と頭とはまぎれもなく、人間のそれだった。
 たぶんヴィゼア同様、魔族なのだろうが……。ヴィゼア以上に気持ち悪い存在だ。
 私たちから見ればシェフィールドはもう『お嬢ちゃん』という年ではないが、きっと魔族は長命なのだろう。

「逃がしておやりなさい、バーヅ」

 別の場所から、別の声がかかる。

「片手間に、無関係な人間をいたぶって遊んでいられるような、生やさしい相手じゃないですわ」

 現れた三人目は、黒衣をまとった女メイジ。
 初めて見る顔ではない。

「……また蘇ってきたのね?」

「そういう言い方はやめてくださらない? それじゃ、まるで死んだみたいではありませんか。……違いますわ。わたくし、永遠の命を持っておりますの」

 モリエール夫人である。ちゃんと埋葬してやったというのに……。
 しかし、こいつが出てきたということは。

「また会ったな、貧乳娘」

「ミスコール男爵! 失礼な発言は止せと何度言えばわかる!?」

 モリエール夫人の後ろから、禿頭が二人が登場。
 なんなんだ、一体これは。魔族二人に死人が三人。まるでお化け屋敷じゃないの!?

「四対五……か」

「私を数に入れないで!」

 私のつぶやきに、瞬時に返すシェフィールド。人蜘蛛に睨まれて硬直している割には、素早い反応である。

「あら? わたくし達が五人だけだなんて……勝手に決めつけないでくださいな。ねえ、ヴィゼアさん?」

「その通りだ」

 魔族は右の手を高々と差し上げると、パチンと一つ指を鳴らす。
 森の気配がいっそう怪しくなり、まわりの木々がざわめいた。
 そして……。

「ひーっ!」

 シェフィールドが細い悲鳴を上げる。
 サイトとマリコルヌは硬直し、私の背中を冷たいものが駆け抜ける。
 森の中から現れたオーク鬼。その数は、ザッと見ただけでも、十や二十を軽く超えていた。

########################

 そして、戦いは始まった。

「きゃあああああ!」

 シェフィールドは情けない悲鳴を上げると、まともにコロンと転がった。
 そのすぐ脇を、白い肉の槍がかすめていく。
 サイトは余裕で、マリコルヌはすんでのところで、各自の得物でなぎ払う。既にマリコルヌは『ブレイド』を唱えていたようで、彼の杖には魔力の刃が形成されていた。
 私は後ろに飛び退がり、まともにコケたシェフィールドの上を跳び越えて、その後ろにいる人蜘蛛バーヅの方へと向かった。

「相棒! お前はガンダールヴだ、娘っ子の盾だ! それを忘れるなよ!」

「ああ!」

 デルフリンガーがサイトに助言するのが、私の耳にも届いた。逆に言えば、私がちゃんとサイトの背中に隠れていれば良いのだろうが……。
 この気持ち悪い人蜘蛛、真っ先にやっつけてやりたいのだ!

 ドーン!

 エクスプロージョンを叩きつけたが、人蜘蛛はヒラリとかわす。
 この『エクスプロージョン』は本物のエクスプロージョンとは違う。かつて魔法が苦手だった頃の名残り。何を唱えても失敗して爆発してしまう、だから『ゼロ』のルイズ。しかしそれは、どんな呪文でもどんな長さでも『爆発(エクスプロージョン)』になるということ。つまり、詠唱時間ほぼ『ゼロ』で、いくらでも撃ち出せるのだ。

「はひゅうっ!」
 
 よく判らん声を上げながら、人蜘蛛は手近の木の幹へ跳んで逃げた。グルリと反対側へ回って、大木を盾にする。
 その程度では、私の連続エクスプロージョンは防げない!
 ……と思った瞬間。目の前に炎の球があった。

「おっと!?」

 のけ反ってよける私。どうやら今のは、モリエール夫人が放った火炎球らしい。見れば、今日は杖を手にしている。
 この攻撃で私に隙が出来たと判断したのか、バーヅが私に飛び掛かる。
 八本の足それぞれに、小さなナイフのような爪がびっしり生えているが……。

「させるか!」

 私の前に滑りこんできたサイトが、全部受け止めていた。さすがガンダールヴ。
 しかし、サイトまでこちらに来たということは。

「ちょっと待って! 僕一人じゃ無理だよ!?」

 マリコルヌが、ミスコールとソワッソンに挟撃されて四苦八苦。
 さすがに可哀想なので、エクスプロージョンで援護。
 
「ぎゃあ!?」

 ラッキー。
 ソワッソンに直撃した。これでマリコルヌの相手はミスコール一人。変態同士の一騎打ち、頑張ってくれたまえ。

「なるほど……。人間にしては、なかなかの相手のようだな」

 最初の攻撃以来おとなしかったヴィゼアが、再びパチンと指を鳴らす。
 オーク鬼たちが、一斉に向かってきた!

「いやあああああ」

 そろりそろりと逃げ出そうとしていたシェフィールドが、大きく叫ぶ。せっかく今まで無視されていたのに。

「……うるせえ! 目ざわりなんだよ、てめーは!」

 いったんサイトから距離をとっていたバーヅが、彼女に足の一本を向ける。
 やばい! 彼女は素人だぞ!?
 硬直するシェフィールド。
 サイトは今は、向かってきたオーク鬼を相手にし始めたところ。
 マリコルヌは問題外。
 私の魔法も間に合わない!?
 その時。

「やめろと言ったでしょう、バーヅ!」

 モリエール夫人の叱責だ。ややヒステリックにも聞こえるくらいの口調。
 一瞬動きを止め、バーヅは露骨に舌打ちをする。

「すぐに終わらせてやるさ!」

「攻撃の手をゆるめてはいけません!」

 叫ぶモリエール夫人だが、もう遅い。
 この連携の齟齬は、私に十分な時間を与えていた。

 ドゥムッ!

 重い音と共に私が放ったのは、本物の『爆発(エクスプロージョン)』呪文。フル詠唱ではないが、それでも効果は十分だった。
 森の木々と二匹のオーク鬼、そしてその前にいたモリエール夫人が、一瞬にして消滅する。

「何ぃっ!?」

 ことここに至り、バーヅもようやく私たちの実力を悟ったらしい。足を振り上げたまま動きを止める。
 硬直から脱したシェフィールドが、あわててその場から離れた。
 条件が不利なことに変わりはないが、今のでだいぶ、戦いの流れはこちらに傾いたはずである。
 一番厄介なのは魔族のヴィゼアだと思うが、なぜか奴は、積極的に参加してこない。人のものではあり得ぬ言葉で、オーク鬼たちに指示を出しているようだ。奴が司令塔に徹してくれるのであれば、今のうちに……。

「ぎおおおおっ!」

 仲間をやられて逆上したのか。雄叫びを上げつつ、バーヅが飛び掛かってくる。
 サイトはオーク鬼の接近を阻んでくれており、今の私は、再びバーヅと一対一。しかし、その程度のスピードでは、それこそ、飛んで火にいる夏の虫。

 ボン!

「……ぢいっ!」

 正面から私のエクスプロージョンを食らって、人蜘蛛は、そのままボテッと地面に落ちる。
 小さく体を震わせながら、動けない人蜘蛛バーヅ。
 そんな相手に対して。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

 短いながらもキチンと詠唱した、由緒正しいエクスプロージョン。
 さすがの魔族も、これには耐えきれず、事切れた。
 これでだいぶラクになったか……と思いきや。

「誰か助けてええ!」

 マリコルヌの悲鳴だ。
 視線を向けると、ミスコールに押され気味の模様。
 しかも……後ろから二匹のオーク鬼が近づいている!?

「危ない、マリコルヌ!」

 私が叫んだ瞬間。
 飛来した無数の『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』が、その二匹を串刺しにした。

「なにいっ!」

 叫ぶミスコールも、他人事ではない。
 どこからか飛んできたフライパンが頭に当たり、その場に崩れ落ちた。
 追い打ちをかけるように炎の球も来て、彼は火柱となる。もう一つ、既に倒れているソワッソンにも火の球が。なるほど、蘇ってくるならば、死体ごと燃やしてしまおうというわけね。

「お待たせ!」

「……遅くなった」

 言いながら、私たちの前に登場したのは……。
 黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。同じような服装でありながら、色々と対照的な二人だった。
 赤い髪と青い髪。身長も違えば、胸の大きさも違う。しかし、どちらもメイジとしての腕前は一級品。『微熱』のキュルケと『雪風』のタバサである。
 キュルケの方は、彼女の使い魔である火トカゲ——名前はフレイム——を連れていた。

「久しぶりね、タバサ。……あと、あんまり久しぶりじゃないけど、キュルケも」

 まさかキュルケまで来るとは思わなかったが、考えてみれば彼女も手配書に載っているわけだ。魔法学院に残っていても問題になっただろうし、既に出発していれば、私たちと同じく賞金首として狙われたことだろう。

「いつからタバサと一緒だったの? タバサと一緒なのは、タルブの村の娘さんだって聞いてたんだけど……」

「ああ、彼女なら……あそこよ」

 キュルケが指さしたのは、森の茂みのかげ。そこに隠れるように、一人の女性が立っていた。
 私と同じくらいの年齢だが、私よりもスタイルは良い。なぜかメイド服を着ており、カチューシャでまとめた黒髪とソバカスが可愛らしい。いかにも村娘といった雰囲気の少女である。
 おそらく、さきほどミスコールにフライパンを投げつけたのは彼女であろう。

「……とりあえず挨拶は、あとですね」

 ササッと出てきた彼女は、フライパンを拾いながら、私に微笑みかける。もしも私が男なら、一発で惚れること間違いなしの笑みだった。
 そして。
 こうして言葉を交わす余裕があることからも明らかなように。
 ……戦いの形勢は、完全に逆転していた。

########################

「もうあとがないわよ」

 言ってキュルケは、ニイッと不敵な笑みを浮かべる。
 オーク鬼もかなり数を減らしていた。いまや相手は、三匹のオーク鬼と魔族のヴィゼアを残すのみ。

「さあ、どうするつもり? ……といっても、逃がすつもりはないけどね」

 キュルケの勢いに乗って、私もヴィゼアに鋭い言葉を投げつける。
 しかし、これ、実は本心ではない。さきほどから見ていて、どうもヴィゼアはまだ、本気で戦っていないように思えるのだ。同じ魔族とはいえ、バーヅとも雰囲気がだいぶ違う。
 ヴィゼアが実力を発揮せぬまま退いてくれるのであれば、それはそれで結構だと私は考えていた。

「逃がさん……か」

 嘲笑うかのように言うヴィゼア。

「その言葉、そっくりそのまま返すとしようか」

「たいした自信ね。でもこの状況で、一気に逆転っていうのは、かなり難しいと思うんだけど?」

「無理だろうな」

 私の言葉に、いともアッサリ魔族は頷いた。

「私たちだけならば、の話だが……」

「……援軍は来ない」

 舌戦に参加してきたのはタバサだ。無口な彼女にしては珍しい。

「タルブの村にいるジョゼフの手駒は、これだけのはず」

 なるほど、事情を一番知っているのはタバサだ。元ジョゼフ陣営であり、つい最近タルブの村へも潜入している。だから敢えて口を開いたわけか。

「手駒は……な」

 声はいきなり、別のところからやってきた。
 私とサイトとキュルケとタバサ、四人は同時に凍りつく。
 冷たいものが背中を伝う。
 背後の声に、私たちは確かに聞き覚えがあった。

「遅くなってしまった。……すまんな、ヴィゼア」

「もったいない御言葉にございます」

 魔族は深々と首を垂れた。
 私たちはようやく、ゆっくりと振り返る。
 やはりそこには……。
 青い髪の偉丈夫が一人、ひっそりと佇んでいた。
 無能王……ジョゼフ……。





(第三章へつづく)

########################

 シェフィールドさん登場の巻。
 メイド服の少女の名前は次回披露。……みなさん既におわかりだと思いますが。
 なお「スレイヤーズ」原作では純魔族には効く魔法と効かない魔法がありますが、この作品でのその扱いに関しては、第四章(次々回)の冒頭にて記します。

(2011年5月3日 投稿)
    



[26854] 第三部「タルブの村の乙女」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/06 22:07
   
「ジョゼフ!」

 最初に声を上げたのは、キュルケやタバサと共に現れた、あのメイド少女である。フライパンを握りしめる手がわずかに震えていた。

「シエスタくん、君も軽率なことをするものだ……」

 左に持った錫杖を右の手に持ちかえながら、優しい声で言う無能王。
 杖の先に鈴なりについた金具が、シャランと涼やかな音を立てる。
 本来の無能王ジョゼフは、こんなメイジらしからぬ杖を持つ男ではない。彼の杖が錫杖となったのは、ジョゼフが『魔王』と化した後だった。つまり、このジョゼフは、外見こそ普通の人間だが、やはりジョゼフ=シャブラニグドゥということか……?

「タルブの村のメイド塾で、おとなしく塾生筆頭を続けていれば、追われることもなかったというのに……」

「そらぞらしいこと言わないでください! 薬で父を廃人同様にしておきながら!」

「はてさて……私には何のことやら……」

 彼女の激しい問い詰めに、涼しい顔で彼は答えた。
 二人の会話に割って入るかのように、私はポソリとつぶやく。

「……違う……」

「……何がだ?」

 青い髭をこちらに向けるジョゼフ。

「違う! あんたはジョゼフじゃないわ!」

 真っ向から彼を指さし、私はキッパリと言い放った。
 理屈ではない。
 私は感じ取ったのだ。目の前の男は、無能王でも『魔王』でもジョゼフ=シャブラニグドゥでもない……と。

「ほお……?」

 ジョゼフは眉をピクリとはね上げる。面白がっているのだ。

「あんたが本物のジョゼフであるはずはないわ!」

 言うと同時に、私は杖を振り下ろす。
 無詠唱のエクスプロージョンだ。失敗魔法バージョンだから小さなものだが、それでもジョゼフを中心とした爆発が起こる。
 爆煙が晴れると……。

「いきなりとは……。あいかわらず乱暴な娘だな」

 無傷のジョゼフが立っていた。
 たとえ嘘でもジョゼフの名を騙る男である。この程度で終わるわけがないのは承知の上。
 しかし、これは戦闘開始の合図に過ぎない!

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ!」

「ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ!」

「ラナ・デル・ウィンデ!」

 タバサの氷の矢が、キュルケの炎の蛇が、マリコルヌの風の槌が、次々にジョゼフに襲いかかる。
 ……キュルケの技などは私も初めて見る魔法だが、魔法学院に滞在中に火のメイジから教わったのだろう。凄い威力の火炎だ。
 タバサの魔力は、言わずもがな。マリコルヌはこのメンツでは明らかに格下だが、彼なりの精一杯で頑張っている。
 しかし……。

「……それで?」

 軽く杖を振っただけで、すべての攻撃をいなしてしまうジョゼフ。……やっぱ化け物だ。

「ならば今度はこちらから……」

 言って呪文を唱え始めるジョゼフ。
 まずい!?
 私も慌てて、同じ呪文を詠唱し始める。

「ルイズ!? これって……」

「……声かけちゃダメ。みんな彼女の後ろに集まる」

 私に話しかけようとしたキュルケをタバサが止め、全員に指示を出す。さすがに冷静な判断力を持つ彼女だ。
 そして。
 ジョゼフと私の呪文詠唱が完了し、二人同時に杖を振り下ろす。
 途端、大地が鳴動した。

########################

 足下から来る大爆発を、同じ大爆発で相殺。
 以前にもやった、エクスプロージョン対エクスプロージョンだ。
 ただし今回は、どちらもフル詠唱。前回とは、規模がケタ違いだった。
 爆発の余波で全員、吹き飛ばされて倒れている。
 
「大丈夫ですか、みなさん!?」

 真っ先に起き上がった女メイド——たしかジョゼフが『シエスタ』って呼んでたっけ——が、私たち全員に声をかけて回る。

「うん、平気」

 答えた私は、周囲を見渡した。
 森の地面は大きくえぐられ、赤い土がクレーター状に顔をのぞかせている。
 シエスタの表情を見る限り、こちらのメンツに特に被害はなさそうだ。
 ジョゼフ側は……。
 トロール鬼の姿が見えないが、逃げ出したのではなく、巻き込まれたのでしょうね。ジョゼフ自身は笑顔で立っており、その隣には魔族のヴィゼアも控えていた。
 余裕なのか何なのか。私たちに追い打ちをかけようとはしていない。

「ここは、いったん退却した方がよさそうですね……」

「そうね」

 シエスタの言葉に頷く私。
 サイトやキュルケやタバサは大丈夫だが、マリコルヌとシェフィールドはノビてしまって、まだ目を回したまま。このまま戦い続けては、真っ先に死ぬこと間違いなしだ。

「でも、どこへ? いい隠れ家でもあるの?」

「大丈夫。心当たりがあります」

「でもよ? 逃がしてくれるか……?」

 ジョゼフとヴィゼアを睨んだまま、サイトが怯えた声を出す。
 私の使い魔なんだからシャキッとしなさい……と言いたいところだが、それは無理。
 サイトの内心の動揺が、私にも伝わってくるのだ。かつて戦った『本物』のジョゼフに対する恐怖とプレッシャーが色濃く残っているのだろう。

「とにかく……やってみるしか……」

 言いながら、私たちはジワリジワリと後ずさる。
 少しずつ、少しずつ。
 向こうが攻めてきたら、対応できるように。
 しかし何故だか『ジョゼフ』は、私たちを追おうともせず、ただ黙って佇むだけであった。
 おかげで私たちは、無事に戦線から離脱できた……。

########################

「へええええ」

 クルリと辺りを見回すと、私は感嘆の声を上げた。
 シエスタの指示に従って辿り着いたのは、ちょっとしたホールのようなところである。
 『ジョゼフ』の手を逃れた私たちは、『臭気の森』から少し離れた洞窟の中へ。それから死ぬほどややこしい枝道を右へ左へと進み続け、この場にやって来たのだ。
 一息つくと、あちこちで雑談が始まった。

「シェフィールドさんも来たんですね」

「好きでついて来たんじゃないわ。気づいたら、引きずられていたのよ」

 マリコルヌとシェフィールドは、途中で意識を回復した者同士で会話を。
 そしてシエスタは、サイトに深々と礼をする。

「お久しぶりです、サイトさん。御挨拶が遅れてしまいましたけれど……」

「いやぁ……」

 きまり悪そうに、バリバリと頭をかくサイト。
 おそらくは、サイトがタルブの村に滞在していた時の知り合いなのだろうが……。
 なんか怪しいぞ。

「サイト。このシエスタとは……どういう関係?」

「え? どういう関係って……」

 サイトがモゴモゴしていたら、シエスタが代わりに。

「一緒にお風呂に入った仲ですわ」

「シエスタ!? そんなこと言ったら、誤解されちゃうよ……」

 慌てるサイト。私の方をチラリと見ているが……。
 私なんかより、他のメンツの方を気にするべきだと思うぞ。こういう話題が好きそうなキュルケとか、鼻息を荒くしているマリコルヌとか。

「け、けしからん! 若い男女が裸を見せ合うなんて! いくらアニキとはいえ……」

「ちげーよ! 俺は見てないし、見せてもいない! 夜で外だったから暗くてお湯の中は見えない状況だった!」

 弁解するサイト。
 しかし、ちょっと話がおかしいぞ!? ハルケギニアでは平民の風呂というのは、屋内のサウナ風呂のはずだが……。
 もしかするとサイトは、自分の世界の風呂みたいなのをタルブの村に仮設したのであろうか。それを珍しく思ったシエスタも入ってみた……というのであれば、サイトは悪くない。それなら私も、怒ったり、お仕置きしたりするべきではなさそうだ。

「そうですよ! サイトさん、紳士でしたから。……み、見たいっておっしゃってくだされば、か、か、隠さなかったのに」

「じょ、冗談、だよ、ね?」

「冗談なんかじゃありません。今だって……」

「今だって、な、な、なんでしょう?」

 いつにまにか二人の世界に入ってしまったシエスタとサイト。
 どうやらシエスタ、彼に気があるようだが……。
 へんなしゅみ。

「ねえ、ルイズ。……いいの?」

「……何が?」

「何って……」

 キュルケはキュルケで、よくわからん質問を私にしてくる。
 マリコルヌは何を妄想したのか、鼻血を噴き出して倒れているし。
 シェフィールドは呆れているし。
 私が止めないと、サイトとシエスタの桃色会話はえんえん続くのだろうか。
 ……と思いきや。

「……ストップ」

 トンッと杖で地面を叩いたのはタバサだった。
 皆の注目が彼女に集まる。

「……そういう話は、あとでも出来る。まずは状況確認が必要」

「ま、タバサの言うとおりね。自己紹介も兼ねて、まずはシエスタから話を聞きたいんだけど?」

 私が水を向けると、シエスタも頷いた。

########################

 マリコルヌも話していたように、一部の者の間では、タルブの村は優秀なメイドを輩出する村として名高いらしい。
 そのメイド塾を開いているのがシエスタの父親であり、シエスタ自身はメイド塾の筆頭塾生。かつてサイトが泊めてもらっていたのも、彼らの家だったという。
 そんなタルブの村に、最近、モリエール夫人を連れて『ジョゼフ』がやって来た。

「こんな田舎の村にも、無能王ジョゼフの噂は届いていましたから……。庶民の味方の偉い王様ということで、彼らをこころよく受け入れました」

 得意のマジックアイテムや魔法薬で、村の困っている人々を助けて回る無能王。村人からの人望もいっそう厚くなったところで、私たちに手配をかけたいと言い出した。

「村長も父も、もちろん私も驚きました。だって……サイトさんの顔と名前が含まれていたんですもの。サイトさん、タルブの村では英雄あつかいなのに……」

 ……どうやらサイト、以前にタルブに滞在した際、相当大きな貢献をしたらしい。さすが私の使い魔ね!
 それはともかく。
 シエスタたちがサイトの説明をすると、『ジョゼフ』とモリエール夫人は一瞬顔を見合わせて、

『彼は……邪悪な魔力によって操られているのです。この人によって、ね……』

 と、あろうことか、私の似顔絵を指さしたという。
 シエスタはここで言葉を切ると、

「『このメイジ、見かけは若い娘だけれど、実際は九十近い老女だ』って言ってましたけど……そうなんですか?」

「んなわけないでしょうが! 私はまだ十六よっ! 十六!」

「ええっ? ルイズって俺と一つしか違わないのかよ!?」

 驚くサイトに、私はジト目を送る。

「あんた……。今まで私のこと、いくつだと思ってたのよ……」

「だ、だって……」

 サイトの視線は、私の胸に向けられていた。こういう場でなければ、お仕置き必須の態度である。……というか、あとで二人きりになったら、絶対お仕置きだ。

「すみません……。そうですよね、いくら貴族のメイジ様でも、そんな不可解な話はありませんよね」

 シエスタが話を再開する。
 ともあれ『ジョゼフ』は、サイト救出の意味も含めて、などと言いつつ、「生きたまま」という条件付きでの賞金をかけたのだった。
 こうして、私たちはそれぞれ賞金稼ぎたちの標的とされるようになり、その賞金稼ぎたちの一人がシェフィールドだったりするわけだが……。

「その頃から、タルブの村もおかしくなったんです」

 まず、シエスタの父親がメイド塾を一時休校とした。頬はゲッソリと痩せこけ、わけのわからないことをブツブツつぶやくようにもなった。
 メイド修業の一環として、料理や薬の知識も豊富なシエスタは、父親が何か怪しい薬を飲まされているのではないかと疑ったが……。
 メイド塾の仲間に相談しようとしても、もう手遅れであった。村人は全員、『ジョゼフ』に抱き込まれていたのだ。
 彼は得体の知れないカリスマによって、村人の大半を熱狂的な信奉者に仕立て上げた。『ジョゼフ』が亜人や魔族まで村に集め始めても、誰も異を唱えない始末。

「私は、完全に孤立していました。そんな時、私の前に現れたのが……」

 シエスタが目を向けると、タバサがコクリと頷いた。

「……私は、たまたま近辺に来ていた。賞金稼ぎに狙われて、ジョゼフ生存の噂を聞いたので、タルブの村へ向かった」

「だからタバサさんと一緒に、無能王ジョゼフのところに忍び込もうとしたんですが、あの恐ろしい魔族に阻まれたのです。それで、もうタルブから逃げ出すしかなくて……」

 なるほど。
 以前にシェフィールドから聞いた話も合わせれば、シエスタ・タバサ組の事情は、あらかた理解できた。

「……で、あんたは?」

 私は、キュルケに顔を向ける。彼女は、肩をすくめてみせた。

「あたしも、タバサと同じようなものね。魔法学院を出て、また旅をし始めたら、いきなり襲撃されて。元凶はタルブの村にいるっていうから、来てみたら……。あの森でドンパチやってる場に出くわしたの」

 ……ということは、キュルケがタバサ組と合流したのは、私たちの前に現れる直前だったわけだ。

「じゃあ、今度は私の番ね……」

 残りは、私とサイトのコンビだ。マリコルヌやシェフィールドが加わった件についても、私の口から説明する。

「……というわけよ」

 私が語り終わったところで。

「一番の被害者は私だ」

 シェフィールドが、むくれた口調で言う。

「さっきの様子と今の話からして、あなたたちを捕まえてジョゼフ様に差し出したところで、素直に賞金を払ってくれるとは思えないし……。かといって、ここまで巻き込まれちゃ、もう出てくのも無理でしょう?」

「……なんで? いいじゃないですか、逃げたって。シェフィールドさんが逃げ出すなら、僕がエスコートしますよ」

「待て、マリコルヌ。それは……こいつと一緒に逃げ出すってことじゃねーのか!?」

「だってアニキ! 僕、最初に言ったはずだよ? ヤバくなったら逃げるから、って」

 うん、私も覚えている。マリコルヌは確かに、そう言っていた。でも……。

「そいつぁあ、いけねーや」

 年長らしく口を挟んだのは、魔剣デルフリンガーだった。

「今さら逃げるのは無理だな。ジョゼフって奴の配下に捕まるのがセキの山だろーぜ。しかも捕まりゃあ尋問やら拷問やら……」

「うっ……」

 絶句するマリコルヌ。
 マリコルヌ自身は手配書には載っていないとはいえ、既に敵対の意志は示しているのだ。それに、私の居場所を吐かされることも間違いない。
 諦めたのか、マリコルヌは、おとなしく座り込んだ。さりげなくシェフィールドに擦り寄ろうとしているが、彼女はピシャリと撥ねつけている。
 私は、サイトの隣のシエスタに、あらためて質問した。

「……ところで、ここは一体どの辺りなの? 方向ぜんぜんつかめなかったんだけど……」

 シエスタは、いたずらっぽい笑みを浮かべて。
 
「ここはタルブの村の中心部……『神聖棚(フラグーン)』の中です」

########################

「棚の中?」

 オウム返しに尋ねる私。

「ええ。かつて一人の旅人が死闘の末に魔鳥をうち滅ぼしたのですが、その人は、魔鳥とは何やら因縁があったそうで。魔鳥の死を悼んで、墓所の代わりとして建てたがこのあずまやです。そこにブドウのつるが巻き付いて、いつのまにかブドウ棚になって……」

 タルブの名所として有名な、ブドウ棚。どうやら私たちは、その中にいるらしい。
 言われてみれば、ただの洞窟とは違う。完全に密閉された空間ではなく、ところどころに隙間があって、陽の光が差し込んでいる。

「でも、シエスタ。ブドウなんて……どこにも見えないじゃない?」

 私が言うと、彼女は笑って、

「ブドウの採れる辺りは、人が来ちゃいますから。でも、この辺は何もないですし、ここまでの道も複雑ですから、普通は誰も入り込んだりしません。私は小さい頃から色々と探検したりして、このブドウ棚の通路のことは、何から何まで知っていますけど」

 どうやら彼女、昔はかなりのやんちゃだったようである。
 たしか私が聞いた話では、タルブの村のブドウ棚は、あとから村の人々がゴチャゴチャと建て増ししたせいで複雑な構造になっているとか。なるほど、知る人ぞ知る迷路のような状態だ。
 ……と、私がしみじみ考えていると。

「なあ、デルフ。おまえ、シエスタの言う旅の戦士と一緒に、ザナッファーと戦ったのか?」

 シエスタの話に思うところがあったのか、サイトが魔剣デルフリンガーに問いかけていた。
 この剣、以前に「光の剣と呼ばれていたこともあった」と自分で言っていたし、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』からもそう言われていたはずだが……。

「うんにゃ、知らねえ。記憶にねえなあ」

「なんだよ、それ。しっかりしてくれよ。ザナッファーのこと、詳しく教えて欲しいんだよ……」

 ちょっと泣きそうな声で迫るサイト。
 ああ、そうか。ヴィゼアやら『ジョゼフ』やらの襲撃で忘れていたが、どうやらザナッファーって、サイトの世界から来たものらしいんだっけ。

「そう言われてもなあ。俺っちにも思い出せんもんは思い出せんよ。……ま、思い出せないだけなのか、人間たちの聞いてる話が間違ってるだけなのか、わからんが……」

「間違ってる……?」

「ああ。よく似た別の剣だったんじゃねーのか? 数十年前……だろ? その頃、人間に使われてたっつう記憶なんて、ねーからなあ……」

「あのう……サイトさん? 魔鳥ザナッファーが、どうかしたんですか?」

 サイトの深刻な様子を見て、シエスタが声をかけた。
 彼女は彼女で、タルブの村に伝わる伝承には詳しい。サイトがザナッファーに興味があるなら、語って聞かせようというつもりなのだろうが……。

「ザナッファーは、魔鳥なんかじゃねえよ」
 
 ポツリとつぶやくサイト。

「……え?」

「あれは……俺の世界から来た武器。ゼロ戦っつう飛行機だ」

「武器っつっても、もう死んでるみてーだけどな。相棒のルーンが反応しなかったから」

 デルフリンガーも補足する。
 シエスタがポカンとした顔を見せた。
 残念ながら、これではサイトの役には立たない。サイトは、そのゼロ戦という兵器がどうやってハルケギニアに来たのか、その詳細を知りたいのだろう。ハルケギニアから元の世界へ戻る手がかりになるかもしれないから。
 ザナッファーが異世界から来たことすら知らない者では、サイトの知りたい情報を与えることは無理なのだが……。

「……そうだったんですか。それで、少し謎が解けました」

 シエスタの表情が、納得顔に変わった。

「ザナッファーって、ものすごく硬くて。死んだ後も、その鱗とか羽とか腐らなくて、今でも再利用されてるくらいなんですが……そもそも生き物じゃなかったんですね」

 ……ん? 魔鳥の死骸の再利用だと?
 この村の人々、かなり逞しいみたいだ。
 どうやら、私と同じような感想を皆が抱いたようで。しかも、それが顔に出ていたようで。
 シエスタは、私たちをグルリと見回しながら。

「ほら! これだって、ザナッファーの鱗から作られたモノなんです。とっても頑丈で、悪い人とか怪物とか叩いても平気!」

 手にしたフライパンを皆に見せつける。
 さっきの戦いで、ミスコールに向かって投擲したやつだ。そんな由来のあるシロモノだったのか……。

「このフライパンの他にも、色々あるんですよ? 長いトゲから作った物干し竿とか、鋭い翼から作った剣とか……」

「それ……全部あなたが持ってきてるの?」

 ここでキュルケが口を挟む。
 たぶん私と同じことを考えているのだろう。
 武器として使える物があるなら、少しでも活用したいのだ。なにしろ、敵は強大なのだから。  

「いいえ。村の宝物として大切に保管されてますが……」

 ちょっとガッカリ。
 それでは私たちには使えない。
 ……と思いきや。

「……そのいくつかは、私が小さい頃、面白半分に持ち出して、このブドウ棚の奥の方に隠してしまったんです」

 おいおい……。

「それって……ひょっとして大騒ぎにならなかった?」

「なりましたよ」

 サラリと彼女は言ってのける。

「でも当時は、大人たちがなんでそんなに騒いでいるのか、さっぱり判りませんでしたし。……なにぶん、子供のやったことですから」

 ……どうやらシエスタ、なかなかいい性格をしているようである。言葉遣いとメイド服に騙されてはいけない。

「じゃあ、みんなでそれを取りに……」

「それはやめた方がいいと思います」

 立ち上がりかけた私たちを止めるシエスタ。

「狭く枝道が多い上に、壁や天井に隙間のない暗い部分もあるんです。大勢で行って、もしも何かあったら、たぶん散り散りになってしまうでしょうし……。私はもちろん行かなければ話になりませんが、あと一人……」

 彼女はサイトを見つめる。

「……俺? でも……」

 サイトは私に目を向ける。
 御主人様の了解が必要……ということか。私は、頷いてみせた。
 ところが。

「ダメ。彼が行くなら私も行く」

 スッとタバサが歩み寄った。
 そういえばタバサ、前に別れる際、サイトの騎士になったっぽい態度をとっていたっけ。遠く離れ離れならともかく、こうして私たちと合流した以上は、サイトの側に付き従うつもりらしい。

「……え? でも私とサイトさんの二人で十分ですし、いま言ったように……」

「三人なら大勢じゃない。二人も三人も変わらない」
 
 女の戦い勃発!?
 キュルケがニヤニヤ顔を私に向ける。

「ねえ、ルイズ。あなたは参加しなくていいの?」

「……何よ? 私は関係ないでしょ。そりゃあ、サイトは私の使い魔だけど……。でも、それ以上でも以下でもないし……。それに使い魔なんだから、ちゃんと私のところに戻って来るはずだし……」

「ふーん……。そう思ってるわけだ」

 なんだ、このキュルケの表情は!?
 サイトと二人の少女を見ていたら、なんだか妙にイライラするのだが、きっとこれはキュルケが変なこと言ってきたせいだ。そうに違いない。

「あ、タバサ! ちょっと待って!」

「……何? あなたも来るの?」

「違うわ。サイトは貸し出すから、どうぞ三人で行ってらっしゃい。ただ、その前に聞きたいことがあるの」

 ジョゼフ陣営に関して一番詳しいのはタバサのはず。だから、忘れないうちに、確認しておきたかった。
 何度も蘇ってきたモリエール夫人。それに、死んだはずなのに再登場したミスコールとソワッソン。
 あれは、おそらく……。

「ジョゼフの魔道具の中に、死人を操るものってある?」

「……ある。『ミョズニトニルン』が使っていた。アンドバリの指輪」

「『ミョズニトニルン』って……誰?」

 キュルケが口を挟む。
 そう言えばキュルケ、前にタバサが私に説明してくれた時は、その場にいなかったっけ。

「ジョゼフの使い魔。神の頭脳『ミョズニトニルン』。あらゆる魔道具を操る。ジョゼフはミューズと呼んでいた。私は会ったこともない」

 ちょっと饒舌なタバサ。聞いてもいないのに、『ミョズニトニルン』の名前まで教えてくれた。

「それって……。じゃあ、あのジョゼフも、もしかして……?」

 今度はサイトだ。
 しかし、これにはタバサが——そして同時に私とキュルケも——、首を横に振った。

「それはない。死体が残らなかったから」

 そう。
 サイトは先ほどの『ジョゼフ』を、操られた死体だと思いたいのだろうが……。その説は無理があるのだ。
 私たちがジョゼフ=シャブラニグドゥを倒した際、彼は塵と化して消えたのだから。

「あのう……みなさん? そろそろ……」

 タイミングを見計らったかのように、シエスタが口を出す。
 私は、それに頷いて。
 
「そうね。もういいわ。行ってらっしゃい」

「じゃあ、ちょっと行ってくる。なるべく早く戻って来るから!」

 サイトは私に笑顔を見せてから、シエスタやタバサと共に歩き出した。

########################

「ねえ、さっきは空気を読んで口出ししなかったけど……。もう少し事情を説明してくれない?」

「そうだよ。ルイズたち、あの手配書にも心当たりがあるんでしょ? 何も聞かないつもりだったけど、もう、ここまで巻き込まれちゃったから……」

 サイトたち三人の姿が見えなくなったところで、シェフィールドとマリコルヌが聞いてくる。
 私は、キュルケと顔を見合わせてから。

「そうね。あんたたちにも、話しておいた方が良さそうね」

 私は、ゆっくりと語り出す。
 無能王ジョゼフの中には『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥが眠っていたこと。それが復活したこと。かろうじて私たちが勝利したこと……。

「……というわけ。わかった?」

 話が終わった頃には、マリコルヌは白目を剥いて硬直していた。
 魔王を倒しただなんて普通ならばホラ話にしか聞こえないが、ここまで一緒に行動していれば、信じざるを得ない。しかし信じたら信じたで、今度はスケールのあまりの大きさに絶句……といったところか。
 一方、大人の女性であるシェフィールドは、なんとか話を受け止めたようだ。俯きながら、何か考え込んでいる。少しの後、顔を上げて。

「前に魔族と戦ったことあるって言ってたけど……相手はジョゼフ様だったのね?」

 ヴィゼアが出てきた際の私の言葉を覚えていたらしい。

「そ。……でも一度勝ったからといって、また戦えば勝てるという保証はないわ」

「……というより、たぶん無理よね。偶然も重なって勝ったようなものだから」

 身も蓋もないキュルケの言葉だが、私も頷くしかなかった。
 シェフィールドは、さらに顔をしかめる。

「でも……あなたたちが以前にジョゼフ様を倒してしまったというのなら。あのジョゼフ様は、一体何者!?」

「それがわからないから、あたしたちも困ってるんだけど……」

 沈み込む雰囲気を払拭するため、私は、努めて明るい声を出す。

「まあ、考えても無駄だから、今それについて考えるのは止めましょう。今は、今できることをやるだけよ」

「今できること……?」

「そう。食料調達に行きましょう! ……だって、ここってブドウ棚なんでしょ?」

########################

「『今できること』なんて言うから、何かと思えば……」

「ブドウ狩り、ときたもんだ」

 シェフィールドとマリコルヌは、交互にこぼした。この二人、何気に息が合ってきたように見えるぞ。
 一緒にブドウを採りながら、私は反論する。

「うっさいわねえ。籠城戦するなら、食料調達は重要でしょうが。それに、ブドウ狩りが嫌なら、キュルケみたいに最初から断ればよかったのよ!」

 迷子になるから止めた方がいいと言ってキュルケは反対したが、それを押し切って私たち三人は出発。自力で、ブドウの実っている場所を発見したのだった。
 さいわい、拠点とした場所からも近く、ここからならば何かあってもすぐに戻れる。

「だって……」

「唖然としてるよりはマシかと思ったんだけど……」

「やっぱりつまんない」

「……というわけで、僕たちフケるから」

「一人でブドウ狩り頑張ってね」

 言うなり二人でスタスタと、もと来た方へと去っていく。
 おいおい……。

「ふんっ! 何よ何よ何なのよ、あれはっ! せっかく私が、仲良く一緒にブドウ採ろうね、って言ってるものを……」

 私はブツブツつぶやきながら、それでも手を休めない。ひたすらえんえんと愚痴りながら、収穫を続けたが……。

「こうなったら、あいつらにはこのブドウわけてやんないんだからっ! ……あれ?」

 背後に気配を感じて振り返る。

「マリコルヌ!?」

 私は思わず声を上げた。カゴがわりのマントに満載のブドウを脇において、彼に歩み寄る。
 マリコルヌは、ヨタヨタとした足どりで、壁で体を支えながら立っている。ケガでもしたのか、両手で顔を覆っているが、指の隙間から見える限りでは、苦悶の表情を浮かべているようだ。

「どうしたの!?」

「僕はもうダメだ……」

 その瞬間。
 何とも言えない嫌な予感が走り抜け、私は一歩身を引いた。
 同時に。
 熱い衝撃が私の腹部を襲う。

「な……何を……」

 それ以上は言葉にならなかった。
 魔力を纏ったマリコルヌの杖には、私の血がベットリと。
 そして彼の目には、操られた者に特有の怪しい輝きが浮かんでいた。

「僕は……もう僕じゃないんだ」

 薄笑いと共に言うマリコルヌ。
 そして反対側からも声がした。

「大丈夫、まだ殺さないわ」

 いつのまに回りこんだのか。
 マリコルヌと同じく異様な目をしたシェフィールドが、冷笑を浮かべながら立っている。

「でも意識があると邪魔だから、ちょっと休んでいてもらいたいの……」

 ……私の腹につけられた傷は、いまや耐えがたいまでに熱く疼いている。体の力も入らず、壁にもたれかかることすら出来なかった。
 足がもつれ、バランスを崩し、後ろ向きに倒れる。手にした杖もすっぽ抜け、洞窟の壁に当たって、硬い音を響かせた。

「杖がなくては、メイジは無力……」

 シェフィールドの言葉も、もう耳に入ってこない。
 限界だった。
 私の意識が暗転する。

########################

 気がつくと、明るい光の中にいた。
 私の周りをいくつもの影が取り囲み、何やら口々に喚いている。
 その中で、一番最初に私が認識できたのは……。

「……ルイズ、大丈夫か? どこかまだ痛まないか?」

 私の使い魔、サイトの声だ。えらく取り乱した様子である。

「ダメですよ! まだ喋ってはいけません!」

「……ちゃんと回復するまで、もう少しかかる」
 
 これはシエスタとタバサ。
 見ればシエスタは、手に魔法薬らしき小ビンを持っており、その中身を、反対側の手で私の患部に塗り込んでいた。彼女が必死に、私を治療してくれているようだ。
 あと、タバサは『雪風』の二つ名を持つメイジ。『風』と『水』を混ぜたスペルを頻繁に用いているし、おそらく『治癒(ヒーリング)』くらいは使えるはず。ならばタバサもシエスタと一緒になって、治療してくれたのだろう。
 とりあえず、私は三人にコクンと頷いてみせた。

「……よかった」

 後ろで見守るキュルケの口から、そんな言葉が。
 キュルケの隣には、フレイムもいる。
 さらに後ろに、マリコルヌとシェフィールド。異様な雰囲気は消えているが、彼は今にも泣き出しそうな表情で、彼女は落ち込んだ顔をしている。

「……あなたたちが行ってからしばらくして、一度だけ、杖がぶつかるような音がしたの」

 近寄りながら、キュルケが説明を始めた。
 私が事情を聞きたそうな顔をしているのを見てとったのだろう。だから私が口を開く前に、彼女の方から語り出したのだ。さすが、この中で一番私と付き合いの長いキュルケである。

「初めは気のせいかとも思ったんだけど。でも嫌な予感がしたのよね。だから行ってみたら……」

 なるほど。
 どうやら私が落とした杖の音が洞窟内にこだまして、それがキュルケを呼んだようである。
 ……あれ? でも、そうすると……? まさか……ひょっとして……。

「……あの二人が倒れたあなたを襲ってるんで、あわてて二人をはり倒したわけ。でも私じゃ『治癒』は無理だし、途方に暮れてるところに、サイトたちが来てくれたの」

「ごめん、ルイズ。また左の視界が変わったから、ルイズがピンチだってのは判ったんだけど……間に合わなかった」

「いいえ、謝るべきは私たちだわ。いきなり睡魔に襲われて……そこから先の記憶がないの。気づいたら、みんなが慌ててあなたの治療をしていた」

「ごめん。本当に、ごめん……」

 キュルケが、サイトが、シェフィールドが、マリコルヌが。
 次々と私に語りかけてくる。
 私は微笑みながら、手をパタパタと振ってみせた。それから、あらためて視線を巡らせると、サイトが手にした一本の剣が目についた。
 サイトは、私の視線に気づいたらしい。

「これか? これがシエスタの言ってた武器の一つだ」

 武器の一つ? ……ということは、他にも取ってきたのか?
 しかし、その疑問までは判ってもらえなかったらしい。シエスタが剣の説明を始める。

「これが魔鳥の羽から作られたという剣です。魔鳥の咆哮(ブレス)のように恐ろしい武器ということで、私たちは『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』と呼んでいましたけれど……」

「実際は魔鳥の羽なんかじゃなくて、ゼロ戦の翼の部分の装甲だな。でも、こっちの世界の鉄板以上に硬い金属板だ。……よく研がれているし、剣としても立派に使える。俺の左手が保証する」

 サイトが補足し、ガンダールヴとして太鼓判を押した。

「……ま、詳しい話は後にしましょうよ」

 キュルケが、この場を取り仕切る。

「とりあえず、ルイズを回復させるのが先だわ。動けるようになったら、急いでこの場所を離れないと。この二人が操られたということは、敵に居場所を知られたってことで……」

『……いや、それは困るな』

 遠くで声が響いた。
 反響で声がこもってはいるが、あれは……『ジョゼフ』!

『聞こえるだろう? こちらでもお前たちの声は聞こえるんだがな。音が反響して、よくわからん。……面倒だから、そこまで通路を作る。危ないから、注意しろよ』

 言って、しばし沈黙。

「ふせろ!」

 何かを察して叫んだのは、デルフリンガーだった。
 剣に指図される情けない私たち。皆が一斉に伏せた瞬間。
 強烈な閃光が、私たちのいる空間を貫いた。
 ……やっぱり。
 私はこの時、確信した。

########################

 顔を上げた時、私たちのすぐそばに大穴が開いていた。トロール鬼やオグル鬼さえ立ったまま通れる大きさだ。
 それを見るなり、立ち上がるサイト。

「マリコルヌ」

 言って『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』を、彼に向かってほうり投げる。

「……?」

「行ってくる。ルイズを守ってやってくれ」

「そうだな、相棒。今の状況じゃあ、そうするべきだわ」

 デルフリンガーもサイトの行動を支持した。
 本来ならばガンダールヴであるサイトは、私の盾として傍らに付き添うべきだが、今の私は呪文詠唱も出来ない状態。ならば少し前に出て、敵を追い払うのも盾の役目……ということだろう。

「……私も行く」

 サイトに続くのはタバサ。さらにキュルケも。

「そうね。攻撃は最大の防御なり……ってね」

 彼らは、今あいたばかりの穴に向かって歩みを進める。キュルケの使い魔フレイムも、主人の後を追う。
 穴の口から突然わいて出たオーク鬼を、サイトは一刀のもとに切り倒し、別の一匹はタバサの氷に貫かれ、さらにキュルケの炎で燃やされた。
 そして三人と一匹は、穴の奥へと消えていく。
 剣戟や魔法攻撃の音が、徐々に遠ざかる。

「シエスタ……」

 マリコルヌが言う。

「ルイズを早く回復させてよ。動けるようになったら、僕たちも出ないと」

「わかっています。全力でやっていますけど……もう少しかかりますから、待っていてください」

 そんな私たちの様子を、シェフィールドは座ったまま、無言で眺めていた。
 下手に逃げようとしても、かえって巻き込まれる危険がある。だから動くに動けない。そうした意味合いなのだろうが……。

「大丈夫かな、アニキたち」

 三人が消えた深い穴へと視線を移しながら、マリコルヌがつぶやく。
 しかし。

「……それよりも、自分の心配をするべきだろう」

 聞こえる声に、振り向く一同。
 そこには黒衣の男が一人。
 ……ヴィゼア。

########################

「悪いが、今のうちにかたをつけさせてもらうぞ」

「そ……そうは……させ……」

 ようやく少し喋れるようになった。しかし身を起こそうとしても、体が言うことをきかない。

「だめです、まだ」

 シエスタが私を抑える。
 私は、言葉だけをマリコルヌへ。
 
「マリコルヌ……少し……時間を稼いで……」

「いいや……」

 彼は、ユラリと立ち上がった。
 珍しく、瞳の奥に固い決意の光をたたえて。

「ルイズには大きな借りを作ってしまったからね。時間を稼ぐくらいじゃ……許されないよ。それにアニキとの約束もある。こいつは……」

 右手に『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』を、左手に自らの杖を構えつつ、キッパリと言い放った。

「……僕が倒す」





(第四章へつづく)

########################

 第三部は、次回で完結。配役の都合上、前倒しで登場する主要キャラもいますので、乞う御期待。

(2011年5月6日 投稿)
    



[26854] 第三部「タルブの村の乙女」(第四章)【第三部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/09 20:53
  
「ほう、たいした自信だな……」

 まるっきり見下した調子で言うヴィゼア。たかが人間の少年ふぜいに負けるはずがない、という自信が滲み出ている。

「マリコルヌ!」

 私は声を上げる。

「魔力よ、魔力! あんたの自慢の『風』の魔法を叩き込むのよ!」

 魔族の存在など信じていなかったので話半分だったが、それでも、本で読んだ知識はちゃんと覚えている。
 それによると、魔族というのは精神生命体らしい。だから普通の武器だけで傷をつけることはできない。人間の『気』や『精神力』を武器に上乗せてして初めて、ダメージを与えることができる。
 さいわい、私たち人間が使う系統魔法は、『精神力』を消費して唱えるもの。だから魔族にも系統魔法は通用する。一方、エルフなどが扱う先住魔法は、精霊の力を借りた魔法であり、自らの『精神力』を用いていないため魔族には効かない……。
 これが、とある書物に書かれていた考察である。この理屈でいくと、私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』などは借り物の魔法だからダメということになりそうだが……。さすがに対象より遥か上位の魔族の力を借りているだけあって、バッチリ効果あるのだろう。

「無駄なアドバイスだな……。この子供の『風』程度が、私に通じるとでも?」

「僕は『風上』のマリコルヌだ! 僕の『風』を馬鹿にするな!」

 右手に『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』、左手に彼自身の杖。既に『ブレイド』も唱えており、杖は風の刃をまとっていた。
 両手に武器を手にした状態で、マリコルヌが走る。
 ヴィゼアの顔の右半面から、伸びる無数の白い鞭。

「ちいっ! 風の妖精さんは負けない!」

 右手の剣が一閃し、そのほとんどをなぎ払う。
 そしてマリコルヌは魔族に迫る!

「ほぉう!」

 ヴィゼアは高々と飛び上がり、ヒタリと天井にはりついた。さながら巨大な蜘蛛のようだ。先日やられた仲間の魔族をリスペクトしているのだろうか。

「どうやら少し、甘くみていたようだ。……思ったよりも面白くしてくれそうだな」

 うむ。
 見ている私も、少し驚いた。
 マリコルヌの手にした剣は、『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』というたいそうな名前こそついているものの、要するに頑丈な刀に過ぎない。それで魔族の肉槍を切れたということは……。
 剣にマリコルヌの精神力が上乗せされているということだ。それも、魔族に通じる程度の精神力が。

「面白い……だと!? ふざけるな!」

 吼えるマリコルヌは、天井の魔族に向けて、風魔法をぶっ放す。
 ヴィゼアはこれをかわしつつ、のしかかるようにマリコルヌめがけて飛び降りる。顔面から、白い鞭を無数に放ちながら。

「どわっ!」

 たまらず後退するマリコルヌ。
 ヴィゼアの肉の触手は大地を深々と貫き、つづいて本体が着地する。

「さすが、魔族。なかなかやるな……」

 不敵に笑うマリコルヌ。
 だが、今の攻撃を全部は回避しきれなかったようで、頭からダラダラと血を流していた。

「この程度……まだまだ序の口だぞ?」

 魔族が言った途端。
 マリコルヌの足下の地面が裂ける!

「なぁにっ!?」

 地中を這い進んだ魔族の触手である。
 真下から出現したそれを、マリコルヌはよけきれない!

「あぐぅっ!」

 左のふくらはぎと右の肩を貫かれてしまった。『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』も取り落とし、その場に片膝をつくマリコルヌ。
 貫いた触手は、とりあえず、左の杖の魔力の刃で斬り落としたが……。

「何やってんの!?」

 モタモタと剣を拾おうとするマリコルヌを、私は叱責する。そんな暇はないのだ。また触手が来るぞ!?

「だって……。アニキに言われたんだ、これでルイズを守れ……って!」

 そういう意味じゃなかろうに!?
 クラゲ頭のバカ犬に師事するだけあって、こいつも馬鹿だ!
 ええい、しかし放ってはおけない!

「ぐわっ!? ……貴様ぁっ!?」

 魔族ヴィゼアが悲鳴を上げる。
 私が、なけなしの精神力で、エクスプロージョンを放ったのだ。

「まだ無理しちゃダメです、ルイズさん!」

 シエスタの言うとおり。
 今の私の状態では、ちょっと無茶だった。
 虚無魔法を直撃させたのに、ヴィゼアは軽くよろけた程度。
 でも。
 援護としては十分だった。
 ヴィゼアに隙が出来たから。
 マリコルヌは『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』を拾い上げ、魔族に突撃する!

「くたばれぇっ!」

 肩をやられた右腕は使い物にならない。
 もう右手は添えるだけ。
 マリコルヌは、左手で、自分の杖とサイトから託された剣の両方を握っていた。
 これが思わぬ効果を発揮する。
 杖と一緒になったことで、剣にも魔力の刃が形成されたのだ!

「うおおおおおおおぉっ!」
 
 彼自身の咆哮と共に。

 ドッ!

 魔力を伴った『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』が、ヴィゼアの腹をまともに貫いた。

########################

「……馬鹿な。この私が……こんな……」

 その腹に大きな穴を開けながら、地面に崩れ落ちるヴィゼア。

「やった……」

 満足そうな笑顔で、マリコルヌも倒れ込む。
 無理もない。痛めた脚も気にせずに、全力で走り込んだのだから。しばらくは歩くことすら難しかろう。

「本当ね。よくやったわ、マリコルヌ。ちょっと見直したわよ」

「そうですわ! さすが貴族のメイジ様です!」

 私もシエスタも、労いの言葉をかける。
 たった一撃だが、あれで終わりだった。マリコルヌの全精神力を叩き込まれた魔族は、もうピクリとも動かない。
 やがて、ザアッという小さな音と同時に、その肉体は完全に散り崩れた。
 
「……どうしたの? 茫然としちゃって」

 私はチラリと、シェフィールドに視線を移す。
 我ながら、人の悪い質問である。

「い、いや……。魔族って、死ぬとあんな風になるんだな、と思って……」

 彼女は面食らった調子で答えた。

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「はっ!」

 サイトの魔剣が一閃し、オーク鬼の一匹を両断する。
 すでに戦いには、あらかた決着がついていた。
 『ジョゼフ』が『神聖棚(フラグーン)』に開けた穴を出たところ、つまりタルブの村の真っただ中である。
 ブドウ棚のまわりは、かなり大きな広場になっていた。少し離れて民家が建ち並び、そこから村人がこちらの様子をうかがっている。
 
「ふぎぃ! ぴぎっ!」

 少なくなったオーク鬼たちは、手に持った棍棒を振り回し、いきり立っていた。
 しかし。
 サイトのデルフリンガーの餌食になるもの。タバサの氷の矢に串刺しにされるもの。キュルケの炎の蛇に焼きつくされるもの。フレイムに押さえつけられ炎を吐きかけられるもの……。
 ついにオーク鬼は全滅する。
 その時点で。

「……ルイズ、傷はもういいの?」

 いつから気づいていたのか、キュルケが私たちに手を振ってみせる。

「はあい」

 私も元気に手を振り返す。

「ルイズ!」

 サイトが、やっとこちらの存在に気づく。私の使い魔なんだから、真っ先に気づくべきなのに。

「もう大丈夫なのか?」

「うん。完璧よ!」

 コクリと頷く私。傷はともかく、ほとんど精神力はカラッポで、魔法が使える状態ではないのだが……。敢えて言うまい。
 私たち四人は、三人と一匹の方に歩いていく。

「今回は死人軍団は出てこなかったぜ」

「前の戦いで、死体まで燃やしつくしたからね」

「……となれば残るはあの、ヴィゼアっつう魔族と……」

 キュルケに補足されながら説明するサイト。彼に向かって、私はアッサリと。

「あ、あいつはマリコルヌが倒してくれた」

「マリコルヌが!?」

 サイトとキュルケだけではない。タバサまでもが、同時に驚きの声を上げる。
 マリコルヌはビッと親指を立てて、三人に笑ってみせた。
 シエスタに肩を借りた状態なので、少し情けないが、まあ仕方あるまい。彼の性格上、若い女の子とこれだけ触れ合っていれば、ややこしいところに手を伸ばしそうなものだが、そんなことも今はしていない。それだけ彼に余裕がないという証拠だ。一応シエスタの薬で治療したのだが、まだ軽く足を引きずっていた。

「じゃあ……残るは……」

 キュルケは、オーク鬼の死体の向こう、飄々と佇む青髪の偉丈夫に視線を送る。

「あいつ……か……」

 呻くようにつぶやくサイト。
 私は杖をしっかり握って、静かに『彼女』の背中に押しつける。

「いいえ……茶番劇はそろそろおしまいにしましょう。……ねえ、シェフィールドさん……」

########################

「ええっ!?」

「はあ!?」

「……どういうこと?」

 一同、二人に注目する。

「……いつ、わかった?」

 あくまでシラを切り通すかと思いきや、彼女は、いともアッサリ私の言葉を肯定する。降参のポーズで両手を上げたので、私も答えることにした。

「初めにあんたを怪しいと思ったのは、あんたとマリコルヌに襲われた時よ」

 あの時、私の手からすっぽ抜けた杖の音で、キュルケが助けに駆けつけてくれた。では、敵は何故キュルケが来るのを防げなかったのか? マリコルヌやシェフィールドに術をかけて操れるほど、私たちの近くに来ていたのに……。

「敵は二人には接近できたが、キュルケを操れるほど近づいてはいなかった。二人が私を襲っている時、敵はキュルケを足止めすることも出来なかった。……素直に考えれば、理由は一つ。その『二人』の中にこそ、敵がいたから」

 マリコルヌのことは以前から知っている。ならば、消去法で犯人はシェフィールドとなるわけだ。

「なるほどねえ。じゃ、私からも一つ教えてあげよう。私は『操られた』ことについて、いきなり睡魔に襲われたって言ったけど……本当は違うのよ。それなのに、あのデブったら、否定もせずに、私に話を合わせちゃって……」

 クククッと笑いながら、彼女はマリコルヌを見た。
 皆が彼に注目する。彼は、なんだか顔を赤くしているが……?

「……あのね。私はそいつに、心を操る秘薬を、口移しで飲ませてやったのよ。それをそいつったら、私が本気でキスしたんだと思い込んで……。クックッ、そんなわけないじゃない」

 ……おい。
 一同のマリコルヌを見る目が、色々と変わった。呆れたような目、蔑むような目、汚いものを見るような目……。なぜか羨むような目が一つあるが、今は気にしないでおこう。
 ともかく。
 対ヴィゼア戦でマリコルヌが妙に頑張った理由が、少しわかった。私への罪悪感から……というのは思ったとおりだとしても、その『罪悪感』の中身は、私たちの予想以上だったわけだ。
 きれいなお姉さんとキスしていたら、いつのまにか意識を失ってしまって、敵の操り人形でした……。そりゃあ、よほど奮闘しなきゃ自分で自分を許せんわなあ。こいつだって、それなりにプライドの高い貴族なわけだし。

「……で、私への疑いを確信したのは?」

 ひとしきり笑った後、シェフィールドは再び私に聞いてきた。

「『ジョゼフ』が『神聖棚(フラグーン)』を魔法でぶち抜いた時」

 もしも敵が洞窟内で私たちを見つけ、再び外に出たのであれば、私たちのところまで『ジョゼフ』を案内できたはず。
 それに、あの狙いはあまりにも正確すぎた。結局のところ、『敵』は私たちの中にいるとしか考えられなかった。

「考えてみれば、他にもおかしなことはあったわ。蜘蛛男があんたを狙った時、やたらとモリエール夫人があんたをかばったし……。あんたが気絶している間、あの『ジョゼフ』はボーッと突っ立っていたし……。モリエール夫人も『ジョゼフ』も、あんたが操っていたんでしょ!?」

「……ちょっと違うけどね」

 ふてぶてしい笑みを浮かべながら、彼女が補足する。

「モリエールなんて、単なる死体人形さ。……あいつは、ジョゼフ様を愛したとジョゼフ様から認められて、それでジョゼフ様に殺されたんだ。ジョゼフ様は……自分を愛する者を殺したら普通は胸が痛むのではないか、と期待なさって……」

 私は思い出す。
 無能王ジョゼフは、心が空っぽで、喜んだり悲しんだり出来ない男だった。

「……そんな理由なら、彼女ではなく、私でも良かったはずなのに」

 あ。
 この人が私たちを追い回していたのは……。

「ジョゼフ様……。あなたはどうして最後まで、この私を見てくださらなかったのです? どうしてこの私を、御手にかけてはくださらなかったのです? 私はただ少女のように、それのみを求めていたというのに……」

 彼女は『ジョゼフ』に視線を向けている。でも、おそらく彼女の脳裏には、在りし日のジョゼフの姿が浮かんでいるのだろう。
 それから、小さく首を振って。

「あそこにいるジョゼフ様は、モリエールのような死体人形じゃない。『スキルニル』という、血を吸った人物に化けることができる魔法人形……古代のマジックアイテム。その能力も一緒にね……」

 なるほど。
 だから本物のジョゼフのように、虚無魔法まで使えたわけか。
 しかし……よく考えてみると、少し変だぞ!? 魔法を操るには、精神力が必要だ。いくら能力までコピーしたとはいえ、人形ごときに、それだけの精神力があるのだろうか!?
 そんな私の疑問が顔に出ていたらしい。シェフィールドはニヤッと笑った。

「普通は、剣士や戦士の『スキルニル』で遊ぶんだけどね。さすがジョゼフ様の『スキルニル』だけあって、本物そっくりの魔法まで使われる。……まあ、他ならぬ私だからこそ、これだけ『スキルニル』も使いこなせるわけだけど」

 彼女は、高く掲げた右手の指をパチンと鳴らす。
 それが合図だったのだろう。
 周囲の建物のかげから、さらに大量の『スキルニル』が現れた。

「……ひっ!?」

 怯えた声を上げたのは、誰であったか。
 私たちを取り囲む『スキルニル』は……。
 すべてジョゼフの姿をしていた。

########################

「見たかい!? どの『スキルニル』にも、私が回収した御遺体の塵をまぶしてある! 本物のジョゼフ様と同じように虚無魔法も使われるよ!」

 さすがに動揺して、硬直する一同。
 その隙に。

「ふっ!」

 シェフィールドは、いともアッサリと私たちの囲みを突破する。
 最初の『ジョゼフ』のもとに駆け寄って、跪き、頭を下げた。

「……ただいま戻りました」

 先ほどの彼女の説明からして。
 私たちが倒し、塵と化したジョゼフ=シャブラニグドゥ。風に吹き飛ばされたはずだったが、どうやら彼女は、それを拾い集めて利用しているらしい。ああやって一人にかしずくということは、あの『ジョゼフ』にこそ、一番多く塵を費やしたということか……。
 しかし、そんなことを考えている余裕はなかった。彼女に対する『ジョゼフ』の呼びかけが、さらに私たちを驚愕させたのだ。

「ご苦労だったな、余のミューズよ」

 ミューズ!?
 それって……。
 私は、ギギギッとタバサに顔を向けた。
 タバサが頷く。

「……『ミョズニトニルン』のこと。シェフィールドの正体は、ジョゼフの使い魔。私も気づかなかった。迂闊」

「もう違うけどね。ジョゼフ様が亡くなられて、絆であったルーンも消えてしまった……。でも以前に起動させた『スキルニル』は、まだ、こうして動いてくれている」

 タバサの声に応じるシェフィールド=ミョズニトニルン。

「……納得。モリエール夫人たちを動かしていたのは、やはりアンドバリの指輪。マリコルヌを操った魔法薬は、おそらく、まだ彼女が『ミョズニトニルン』だった頃にアンドバリの指輪を少し削って作ったもの」

 思考を言葉に出すタバサ。
 やばい。饒舌タバサというのは、彼女が冷静でない証拠な気がする。
 案の定。

「ラグーズ・ウォータル・イス……」

「やめて、タバサ!」

 大技の呪文を唱え始めたタバサを、私は慌てて制止した。
 たぶん今のは『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』。発動すればタバサの周りを無数の氷の矢が回転するのだろうが、私たちのことも考えて欲しい。ジョゼフ=スキルニルの大軍に包囲された現状では、避難することも出来ないのだ。
 私の精神力さえ満タンならば『解除(ディスペル』で、全てのジョゼフ=スキルニルを元の人形に戻せそうだが……。今日はもう虚無魔法は打ち止めだ。
 かといって、魔王の力を借りる『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』が、ジョゼフ=スキルニルに通じるかどうか。それに、こんな村のど真ん中では、さすがにあれは使えない……。

「ルイズさん」

 いつのまにか私の近くまで来ていたシエスタが、小さな声で言う。

「タバサさんに聞いたんですけど……。ルイズさんは、魔王を超える魔王の力を借りて、すごい呪文を使うって……」

 重破爆(ギガ・エクスプロージョン)。
 全ての時と星々の闇をあまねく支配する『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の力を借りた術である。

「あの術は、絶対に使わないでください」

「あ……あのねえ……。そりゃ、こんな場所でぶっ放したら、それこそタルブの村は……」

「いえ、そうじゃないんです」

 強い調子で止めるシエスタ。

「できれば……一生涯、使わないで欲しいんです」

「……は?」

 いきなりな頼みごとに、私は目を剥く。

「かつて魔鳥ザナッファーからタルブを救った英雄が……村に、こんな言い伝えを残しました。『金色の魔王よみがえる時、ハルケギニアは空へと浮かび、世界は全て滅びるだろう』……と」

 なんじゃそりゃ!?

「私たちもよくわからないんですけど……この『金色の魔王』って、ルイズさんの魔法のキーになる人なんですよね?」

 伝承によれば。
 このハルケギニアは、『混沌の海』とか『大いなる意志』とか呼ばれるものの上に作られた世界の一つ。
 そして、その『混沌の海』に天空より堕とされたのが、『金色の魔王』。
 それが……下から蘇ってきて、この大地を空へと浮かび上がらせる!? 世界を滅ぼすですって!?

「す、す、すごい話ね……」

 ……呪文の制御に失敗しなければ、大丈夫なはず。あるいは、言い伝えそのものが間違っているかもしれない。
 それでも、シエスタの真剣な表情を見ると。

「わかったわ。絶対に使わない」

 私は、そう言うしかなかった。

########################

「ミューズよ。私も少し彼らと遊びたいのだが……」

「御意。……ただし虚無の娘だけは、殺してはなりませぬ。あの娘の中にこそ、ジョゼフ様をジョゼフ様たらしめるモノが眠っていますゆえ……」

 私たちを遠目に見ながら、『ジョゼフ』とシェフィールド=ミョズニトニルンが物騒な会話をしている。
 彼女は、私を必要としているようだが……。
 ジョゼフをジョゼフたらしめるモノ? それって……まさか!?

「しかしミューズよ。どうやら彼らは、ここでは本気を出せない様子。それでは面白くない。さて、どうしたものか……」

「ならば……まずは舞台を整えることから始めましょう」

 そう言って彼女は、懐から小さな赤い石を取り出した。赤い、というより、透明なボールの中に炎を閉じこめたような、不可思議な光彩を放っている。
 見た瞬間、嫌な汗が背中に流れた。だが、私が行動するより早く。
 彼女は赤い石を空高く放り投げた。
 同時に、私たちを取り囲んだジョゼフ=スキルニルたちが、いっせいに杖を掲げる。サッと何かつぶやいたかと思うと、周囲の彼らごと、私たちを赤い空気の層が覆った。

「これは……!?」

「驚くこともなかろう。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の力を借りた魔力障壁だ。この程度の芸当、お前でも出来るはずだが……?」

 出来んわい。
 だが、そんなことより! それだけ強力な結界をはったということは……。まさか、こいつら!?

「やめてっ! おねがいっ!」

 私が叫んだその時。
 重力に引かれて落ち始めた赤い石。それに向けて、『ジョゼフ』が杖を振る。
 障壁の外が、まばゆい光に覆われた。

「なっ!」

「何!? 何があったの!?」

「なんだっ! こりゃあっ!」

 口々に叫ぶ一同。
 その中で私は、『ジョゼフ』とシェフィールド=ミョズニトニルンから視線を逸らさなかった。
 理解していたからだ。
 この瞬間、タルブの村が完全に壊滅したことを……。

########################

 光がおさまり、外の様子が見え始める。

「っ……!」

 最初に悲鳴を上げたのは、他ならぬシエスタだった。クタリと気を失い、その場に崩れ落ちる。
 慌てて抱きとめるサイト。
 土煙のおさまりつつある障壁の外には、私が予想したとおりの光景が広がっていた。
 すなわち……一面の荒野。
 ほんのしばらく前まで、ここには村があり、人々が笑い、喜び、生活を送っていた。そのわずかな痕跡すら、何ひとつ残っていなかった。
 巨大な洞窟と化していた『神聖棚(フラグーン)』さえ、完全に消滅している。

「今のは『火石』と言ってね。生前のジョゼフ様がエルフに作らせたものさ」

 涼しい顔でシェフィールド=ミョズニトニルンが言う。

「……あんた……わかっているの? 自分たちが今、何をしたのか……」

 かすれた声で言う私に、彼女は満足そうな笑みを向ける。

「ジョゼフ様は以前、地獄を見たいとおっしゃっておられた。そうすれば少しは心が動かされるかもしれない、と。……ジョゼフ様が想定しておられたものと比べれば、この程度、たいした話ではない」

「たいした話ではない……だと?」

 つぶやいたのはサイト。静かな声に、彼の怒りが秘められていた。
 心が震えているのだろう。左手のルーンは強く輝き、手にしたデルフリンガーも、まばゆいばかりに光っている。

「ふざけるなっ!」

 シェフィールド=ミョズニトニルンたちに向かって、真っ正面からかかっていく。
 ユラリ……。『ジョゼフ』が一歩、前に出る。

「ほう。ようやく本気を出す気になったか。少しは楽しめるとよいのだが……どうせ心は動かんのだろうな……」

 真っ向から振り下ろされるデルフリンガーの一撃に、『ジョゼフ』の体がクルリと一回転。青い髪が宙に躍る。

 ガヂッ!

 鈍い音がして、二人は離れて間合いを取った。
 サイトの表情が引きつっている。

「嘘でしょ……!?」

 見ている私も驚いた。
 どうやら『ジョゼフ』は、振り下ろされる剣の腹を回し蹴りで叩き、その勢いに任せて体を回転させ、反対の脚の蹴りでサイト自身を狙ったらしい。サイトはサイトで、ちゃんとかわしたようだが……。
 恐るべき『ジョゼフ』の体術。ガンダールヴのスピードに対応できるなんて、化け物以外の何者でもないぞ!?
 そもそも私にしたところで、今の攻防は、ハッキリ見えたわけではない。半分は『感じ取った』こと。私がガンダールヴの主人であるからこそ、何となく判ったことだった。

「……そんなに驚くことはないでしょう?」

 向こう側の傍観者シェフィールド=ミョズニトニルンが、何でもない口調で言う。

「ジョゼフ様は虚無の担い手。『加速』の呪文を使えば、ガンダールヴの力も及ばぬスピードが出せる。……むしろ、これでは遅いくらいだわ。やはり本物のジョゼフ様とは違うのですね……」

 冗談ではない。ガンダールヴを超えるなど……。
 だが、ならばそんな化け物は相手にしなければいい!
 淡々と語る彼女に向かって、タバサの氷とキュルケの炎が迫る!
 例の『ジョゼフ』はサイトと対峙しており、シェフィールド=ミョズニトニルンの意識もそちらへ向いていた。この氷炎はかわせないはず……。

「ルール違反だよ……」

 顔をしかめるシェフィールド=ミョズニトニルン。
 いつのまにか彼女の前に、二体のジョゼフ=スキルニルが移動していた。その二体が盾となり、杖を振り、タバサとキュルケの魔法攻撃をあしらう。

「……お前たちと遊びたいのは、ジョゼフ様だ。私じゃない」

 勝手なルールを押しつけるな!
 しかし、そっちが『ジョゼフ』一人しか戦わせないというなら、それはそれで好都合。ジョゼフ=スキルニル軍団は、私たちが逃げないように人壁になっているが、それだけのようだ。戦力として投入する気はないらしい。
 完全に私たちは、もてあそばれているわけだが……。その間に、何とかしないと!

「ルイズ……。あなたの得意の虚無魔法は?」

「ごめん。ちょっと待って」

 小声で話しかけてきたキュルケに、私も小さな声で答える。
 怒りで心が震えたのはサイトだけではない。私も同じだ。そして心がふるえれば、精神力も高まる。
 この状態ならば、少しくらいは虚無魔法も使えそうだが、でも、あくまでも少しだけ。タイミングを見計らわないと……。
 そう思った時。

 バサッ!

 上空から巨大な風が。
 見れば、一匹の青い風竜が私たちの真上に来ていた。

「呼ばれたから、ちゃんと来たのね! 少し遅れちゃって、ごめんなのね!」

「……遅い」

 竜が喋った!?
 でも驚いている場合ではない。相手しているタバサの言葉から察するに、この竜はタバサの仲間だ。
 ならば……。
 突然の乱入者に、敵味方ともども驚いている今がチャンス!

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……」

 少しだけ『解除(ディスペル)』を唱える。詠唱時間が短いため範囲は狭いが、今の私の精神力では、この程度が精一杯。
 それでも、囲みの一画を壊すには十分だった。右側に並ぶジョゼフ=スキルニルの数体が、小さな人形に戻って、地面に転がる。

「あっちよ!」

「みんな私に乗るのね!」

 私の指示に続いて、風竜も叫ぶ。その背に乗って、大脱出を試みる私たち。

「……待ちなさい!」

 シェフィールド=ミョズニトニルンが命じたのか、『ジョゼフ』が命じたのか。
 ジョゼフ=スキルニル軍団がエクスプロージョンをボンボン打ってくるが、大きなものではない。やはり、あのシェフィールド=ミョズニトニルンの傍らの『ジョゼフ』以外は、レベルが少し落ちるようだ。もちろん、数が多いだけに、それでも十分な脅威ではあるのだけれど。

「ぎゃあああ。怖いのね! あんなの食らったら、さすがの私も無事では済まないのね!」

「……がんばれ。当たらなければ大丈夫」

 タバサに叱咤激励されながら、風竜は飛ぶ。
 もはや私に出来ることは、この竜がちゃんと避けてくれることを祈るだけ。

「なあ、ルイズ」

 竜の背にしがみついたまま、サイトが話しかけてきた。反対側の腕では、まだ失神状態のシエスタを抱えている。
 ちなみにキュルケとタバサとマリコルヌは、少しでも魔法攻撃に対抗しようと、それぞれ炎と氷と風を飛ばしていた。
 私とは違って、彼らには、まだ魔法を使うだけの精神力が残っているらしい。彼らの系統魔法は、虚無ほど精神力を浪費しないからね。

「……何よ、サイト?」

「結局、空へ逃げるんだったら……。さっきの魔法、無駄だったんじゃねえか?」

 あ。
 どうやら私、貴重な精神力を無駄遣いしたようだ。

########################

 私たちが逃げ込んだのは、『臭気の森』の中だった。
 タルブの村の爆発は、この近くまで及んでいたが、それでも森の半分くらいは残っていたのだ。
 例の『ジョゼフ』は『加速』を使えるわけだが、ジョゼフ=スキルニルたちは使えないのか、あるいはシェフィールド=ミョズニトニルンがお荷物となったのか。なんとか彼らを振り切って、私たちは、ようやく一息つく。
 まずは、新参メンバーの紹介である。

「……これはシルフィード。私の使い魔」

「『これ』言うな、ちびすけ」

 使い魔である風竜が、主人であるメイジにツッコミを入れる。それから、私たちを見回して。

「それにしても……。ペルスランもミスコールもソワッソンも、ずいぶんと面変わりしたのね」

「……違う。別人」

「わかってるのね。冗談なのね」

 竜のセンスは理解できない。
 しかし……今の会話でわかったことがある。この使い魔、最近召喚されたものではない。タバサがジョゼフ陣営にいた頃からの使い魔だ。ならば、以前の戦いでは、なぜ……?

「ちょっと待って。もしかして……さっき言ってた『遅れた』っていうのは……?」

 何かに気づいたらしいキュルケ。
 タバサが頷く。

「……そう。ジョゼフのもとから離れる際に呼んだ。でも今頃ようやく来た」

 おい。
 それは遅れ過ぎだろう!?

「仕方ないのね! 私はお父さまとお母さまから、『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の管理を任されているのね。あそこの竜たちからは『長老』って呼ばれてるくらい。……だから忙しいのね! お姉さまの旅にも同行できないし、すぐには来れないのね!」

 無茶苦茶な話である。
 主人を放っておくというのも使い魔失格であれば、風竜のくせに『火竜』山脈の管理というのも……。
 ……ん?

「ねえ、あんた。……えーっと、シルフィード……だっけ? ひょっとしてシルフィード、ただの風竜じゃなくて、韻竜なんじゃないの?」

「おお! さすが、お姉さまのお友だち! 私のこと知ってるのね!」

 なるほど、少し理解できた。
 韻竜を使い魔にするというのも凄い話だが、いくらタバサでも、完全に制御できていないわけか。それに、韻竜ならば喋れるのも当然。
 ……と納得した私を、サイトがチョンチョンと突っつく。

「なあ、ルイズ。韻竜って何?」

「伝説の古代竜よ。知能が高く、言語感覚に優れ、先住魔法を操る……」

「そうなのね!」

 シルフィードが胸を張る。人間とは違うので判りにくいが、たぶん胸を張っているのだと思う。

「……ずっと昔に絶滅したって聞いてたわ」

「違うのね!」

 シルフィードは平然としているが、この竜の存在がおおやけになったら、大騒ぎだろう。
 まあ私たちは、虚無とか魔族とか魔王とか、おおやけに出来ないことに色々と関わっている者たちである。今さら韻竜の一つや二つ、なんてこともない! ……まったく自慢にならないけど。

「……で、私も事情を知りたいのね。お姉さま、いじわる王にこき使われていたはずだったけど……なんだか状況が変わったみたいなのね?」

 タバサが頷く。それから視線を私に向けた。無口な自分ではなく、私に説明役のバトンを渡したらしい。

「わかったわ。少し長くなるけど……」

 私は、ゆっくりと語り出した。私たちがタバサと出会った頃からのストーリーを……。

########################

「……お姉さま、すごい! やっと、いじわる王を倒したのね! ……でも、今は大変なのね」

 タバサに話しかけるシルフィード。興奮したり、しょんぼりしたり、なんとも感情豊かな竜である。
 そんな微笑ましい主従の様子を見ていたら、キュルケが私に。

「ねえ、ルイズ。あの女の言葉……どういう意味かしら? ルイズの中に、ジョゼフをジョゼフたらしめるモノがあるって……」

 シェフィールド=ミョズニトニルンの発言だ。私ならば何か想像してるんじゃないかと、キュルケは思ったらしい。

「ああ、あれね。推測だけど……。たぶん彼女の目的は、ジョゼフの仇討ちではないわ。……ま、それもあるかもしれないけど、メインは別。彼女はジョゼフを蘇らせたいのよ」

「ジョゼフを……蘇らせる!?」

 死体すら残らず、塵となったジョゼフ。彼を本当に復活させることなど、さすがの『ミョズニトニルン』でも無理だろう。
 しかし彼女の手元には、生前のジョゼフの血を利用した魔法人形『ジョゼフ』がある。せめて、あの『ジョゼフ』を、より本物に近づけたい……。
 そんなところではないか。

「……ああやって人間の姿で出てきたところから見て、シェフィールド=ミョズニトニルンが血を採取したのは、魔王として覚醒する前のジョゼフだわ。そのくせ『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の力を借りた呪文も使ってくるけど……」

 あれは、あとから加えた塵の影響なのか。
 それとも、生前のジョゼフも使えた呪文なのか。私が竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を使えるように、ジョゼフが『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の魔法を使えたとしても不思議ではないのだ。

「……まあ、どちらにせよ。あの『ジョゼフ』は『魔王』ではない。そしてシェフィールド=ミョズニトニルンは……魔王じゃないジョゼフなんて本当のジョゼフじゃないと考えてる。だから、どこかから魔王の魂を探し出してきて、あの『ジョゼフ』の中に移植したいんでしょうね」

「でも、魔王の魂だなんて……そんなもの……」

 キュルケの言葉が尻すぼみになる。私の考えがわかったらしい。

「まさか……!?」

「そのまさか、よ。真偽は別として、あの女、信じてるんだわ。ジョゼフと同じ『虚無』の私なら……『魔王』を内封しているに違いない、と」

 かつて始祖ブリミルは、その身に『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥを封印したという。
 ブリミルの死後、魔王の魂は分断されて、ブリミルの子孫の中に転生していくらしい。そして、私やジョゼフが『虚無』の魔法を使えるのは、始祖ブリミルの血を引いているからこそ……。

「ちょっと、ルイズ! それじゃ……あなたも、いずれ……」

「バカ言わないで。あの女がそう思ってる、ってだけよ。……私はバケモノなんかにならないわ。それに、もし万一、私が魔王になった時は……」

「……わかったわ。ライバルのあたしが、キッチリあなたを倒してあげる」

 勝手に私の言葉を引き継ぐキュルケ。
 でも違う。もしもの場合、魔王ルイズ=シャブラニグドゥを滅ぼすのは、キュルケではなく……。
 ……あれ?
 周囲を見渡した私は、サイトがいないことに気づいた。

「あ! サイトさんなら、あの竜さんをタバサさんから借りて、乗って出かけましたわ。なんでも、探したいものがあるとか……」

 私と目があったシエスタが、教えてくれる。長話の間に、彼女も意識を取り戻していたらしい。

「ほら、ここには、アニキの世界から来た『魔鳥』の残骸が転がってるからさ。武器として使えるものがあるんじゃないか……って」

「『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』以外は、『神聖棚(フラグーン)』の中に置いてきちゃいましたから……」

 マリコルヌとシスエタの説明で、サイトの意図は理解できたが……。
 御主人様である私に黙って行くとは。戻って来たら、お仕置きね!
 ……と、少し私がプンプンしたところで。

 ガサ……ガサッ!

 近くの茂みが、嫌な音を立てる。
 そして。

「……こんなところに隠れていたのか。でも、もう逃げられないよ……」

 シェフィールド=ミョズニトニルンと『ジョゼフ』が現れた。
 背後に大量のジョゼフ=スキルニルを従えて……。

########################

 タルブの村で対峙した時とは違う。
 今回は、ジョゼフ=スキルニルに取り囲まれているわけではない。彼らは一つところにかたまっている。
 それでも、逃げ出すのは難しいだろう。さっきとは違って、タバサの竜はいないのだ。サイトが連れていっちゃったから!

「ミューズよ。あの虚無の娘、もう精神力がゼロだと聞いていたが……さきほどは『解除』を使いおったな?」

「申しわけありません。私の読み誤りでした」

「ならば……これくらい簡単に相殺できるのかな?」

 シェフィールド=ミョズニトニルンの隣の『ジョゼフ』が、錫杖を上に掲げた。
 それが合図だったらしい。
 二人の後ろのジョゼフ=スキルニル軍団が、一斉に呪文詠唱を始めた。
 これは……エクスプロージョンだ!
 冗談ではない。いくらジョゼフ=スキルニルの力が『ジョゼフ』より劣るとはいえ、この数はシャレにならない!

「ルイズ!?」

 キュルケの言葉に、答えている暇はなかった。
 虚無魔法を撃つだけの精神力は、もう私には残っていない。ならば……手段は一つ!

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……」

 間に合うのか!?
 虚無魔法や失敗爆発魔法とは違って、ちゃんと最後まで詠唱しなければ発動しないのだが……。

「……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 間に合った!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 私は杖を振り下ろす。
 同時に、ジョゼフ=スキルニルの大群も。
 ……魔法と魔法が激突する!
 
 ゴワアァァッ!

 森が悲鳴を上げたかのように。
 轟音が鳴り響いた。
 この瞬間……。
 タルブの村に続いて、『臭気の森』も消滅した。

########################

 無数のエクスプロージョンに、カウンターとして竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)をぶつけたのだ。
 ……無理もない。爆煙がおさまった時、もう辺りには何もなかった。

「あわわ……」

「……」

 マリコルヌは腰を抜かしており、シエスタは硬直している。フレイムも動かないが、これも固まっているのだろうか?
 一方、キュルケとタバサは、私と同じく、杖を振り下ろした姿勢。
 そう、私だけではない。
 二人は、絶妙のタイミングで防御魔法を放ったのだ。私が魔法を撃った後、そして向こうのが届く前。
 もちろん炎の壁も氷の壁も、エクスプロージョンを相手にしたら、焼け石に水。それでも、爆発の——ド級魔法がぶつかりあった衝撃の——余波から私たちを守るには、十分な役割を果たしてくれた。

「さすが……私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』だわ……」

 一方、敵は魔力障壁も何も用意していなかった。余裕だったのか、あるいは、こうした状況に慣れていないのか。
 ともかくも、今の一撃に巻き込まれて、ジョゼフ=スキルニルの数が少しだけ減っていた。
 やはりジョゼフ=スキルニルなど、しょせん魔王覚醒前のジョゼフの血を用いた人形。『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』が通用するらしい。
 こうなれば……私の生体エネルギーが尽きるまで、連発するしかない!?
 そう決意した時。

「わりい! 遅くなった!」

 背後からかけられた声に、私は振り返った。

########################

 青い竜に乗った、青い服の少年。
 まるで竜の騎士だが、そうではない。私の大切な使い魔……サイト!
 この危機的な状況の中、思わず顔が明るくなる私。
 力がみなぎってくる。
 よーし! こうなったら……いくらでも『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』を撃ってやるぞ!

「ルイズ! この武器ならば……」

 サイトの視線が、騎乗している竜の口元へ。
 竜は口に何か加えているのだが、それが彼の言う『武器』なのだろう。
 でも私は呪文詠唱中。だからサイトに目だけで合図する。
 サイトは、私の意図を了解したらしい。
 彼は、竜と共に、シエスタのもとに降り立った。

「サイトさん!?」

「シエスタ! 討たせてやるぜ……お前の村と、家族のかたきを……」

 二人の言葉を耳にしながら。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 本日二発目を放つ私。
 うわっ、さすがにキツイ。やっぱりコレ、連発するような呪文じゃない。
 『ジョゼフ』側は、またエクスプロージョンで相殺したようだが……。

「……愚かな! その程度で私たちを倒せると思っているのかい!?」

 シェフィールド=ミョズニトニルンが嘲笑う。
 爆煙の向こう側なので、彼女の姿は見えない。おそらく、自分たちの優位を疑っていないのだろう。
 だが。
 この爆発を煙幕にして、すでにサイトの準備は完了していた。
 シエスタと前後に並んだサイトは、長い棒状の物体を、二人で肩に抱えている。

「ならば、これはどうだ!」

 サイトの言葉を合図に、シエスタの手が動く。
 その瞬間。

 ダダダダダダダダダダッ……!

 魔法ともハルケギニアの武器とも違う音が、辺りに響き渡った。

########################

 誰でも普通、見た事もない武器を目にすれば、それなりの防御をするであろうが……。
 状況が私たちに味方した。
 爆煙が目くらましになったのだ。
 だからシェフィールド=ミョズニトニルンたちは、知らない武器を突きつけられたことすら、気づかなかった。彼らは、モロにその攻撃をくらって……。

########################

 完全に煙が晴れた時。
 ジョゼフ=スキルニルは、全てその場に倒れていた。
 シェフィールド=ミョズニトニルンと『ジョゼフ』も、体中を撃ち抜かれて、重なり合うようにして横たわっている。
 まだ小さな人形にこそ戻っていないが、もう『ジョゼフ』は、もの言わぬ人形……。

「お前たちではなく……ジョゼフ様に殺していただきたかった……」

 ゴボッと血を吐きながら、彼女は言う。

「復讐を果たして……魔王の魂も手に入れて……ジョゼフ様を復活させて……その後で……」

 やはり。
 だいたい私の推測どおりだったようだ。だからこそ「生きたまま」という条件付きで、私たちを手配していたわけだ。
 魔王云々に関して言うならば、私以外は死んでいても構わないはず。だが、やはり自分の手でジョゼフの仇討ちをしたかったのだろう。それだけでなく、私を相手にする際の人質として利用する気もあったのかもしれない。
 そして。
 彼女は、タバサに視線を向けた。

「……教えてやろう。ジョゼフ様が、ああなったのは……お前の父親のせいなんだよ……」

「……お父さま?」

「ああ。そうさ……」

 幼少の頃から、魔法の才がないことで軽蔑されていたジョゼフ。特に、ジョゼフの弟シャルル——タバサの父——が才能あふれるメイジだっただけに、周囲の風当たりはいっそう強かった。
 しかし彼の父——先代のガリア王——が死ぬ際、父王は告げた。

『……次王はジョゼフと為す』

 ジョゼフは大いに喜んだ。弟の悔しがる顔が見れると思った。ところが。

『おめでとう。兄さんが王になってくれて、本当によかった。僕は兄さんが大好きだからね。僕も一生懸命協力する。一緒にこの国を素晴らしい国にしよう』

 邪気のない笑顔。
 それが、ジョゼフの心を壊す第一歩だった。

「……ジョゼフ様も、お前の父親のことは愛しておられた。でも、その瞬間、それが憎しみに変わったのだ。お前の父親の才と優しさを恨み、その兄であることに絶望し……みずから弟を毒矢で射抜いたのだ」

 しかも。
 その行為自体が、さらにジョゼフを壊してしまった。
 最大の愛憎の対象がこの世から消えたことで、もう何をしても、心が動かされない。ジョゼフは、自分の心が空虚になったことに気づいた……。

「……何よ、それ!? そんなの逆恨みじゃない!?」

 他人の私が、口を挟むべきではなかったかもしれない。それでも、叫んでしまう。
 そんな私に、シェフィールド=ミョズニトニルンは何も答えない。ただ、ゆっくりと視線を動かして、私とサイトとを見比べていた。

「あの武器は……?」

「魔鳥ザナッファーの死骸……と呼ばれていた物の一部だ。実際には、俺の世界から来た兵器なんだけどな」

「異世界の武器……か」

 頷いたシェフィールド=ミョズニトニルンに、サイトが説明する。
 あの『神聖棚(フラグーン)』の中で、シエスタの言っていた『長いトゲから作った物干し竿』を見て、サイトはピンときた。
 それは、ザナッファーことゼロ戦の、機銃の部分だったのだ。
 ならば『臭気の森』の中には、同じようなものが——まだ使えるものが——転がっているかもしれない。
 そしてサイトは、期待していた物を発見。いや、ある意味、期待以上だった。機銃の一つを改良して、ゼロ戦とは独立して使える機関銃となったシロモノ。しかも、誰も使う者がいなかったせいか、まだ銃弾もタップリ残っている……。

「……触ったら、ガンダールヴのルーンが教えてくれた」

「そうか……。ガンダールヴの力か……」

「なあ、一つ教えてくれ。あんたも……俺みたいに地球から来たのか?」

 虚無の使い魔だから、同じように異世界出身かもしれない……。そんな可能性をサイトは考えたようだが。

「……チキュウ? 知らないね。私は……ロバ・アル・カリイエからジョゼフ様に召喚された。シェフィールドも……ミューズも……本当の名前じゃない……」
 
 もう会話はおしまいと言わんばかりに、彼女は、顔をジョゼフの人形へと向ける。

「……ガンダールヴの力に負けた。ジョゼフ様から頂いた……ミョズニトニルンの力が……」

 彼女の『ミョズニトニルン』の能力で操ってきたスキルニル。『ミョズニトニルン』だからこそ使いこなせた、尋常でないレベルのスキルニル軍団。
 それを一掃したのは、サイトの『ガンダールヴ』の能力で使われた武器。『ガンダールヴ』だからこそ使い方も判った、彼の世界から来た武器。
 シェフィールド=ミョズニトニルンにしてみれば、これは『ガンダールヴ』の勝利であり、『ミョズニトニルン』の敗北であった。

「これが……私たちと……お前たちとの差なのか……。私とジョゼフ様との間にあったのは……絆ではなく……私の一方的な愛……」

 彼女は、小さく首を振る。

「いや……違う……。私が負けたのは、もう私が……『ミョズニトニルン』ではないからだ……」

 彼女の使い魔としてのプライドか。『ミョズニトニルン』の敗北を認めるわけにはいかないのか。
 自分の額を触るシェフィールド=ミョズニトニルン。おそらく、かつては、そこに『ミョズニトニルン』のルーンが刻まれていたのだろう。
 それから。

「ジョゼフ様……今……おそばにまいります……」

 人形『ジョゼフ』の口に、鮮血で汚れた唇を押しあてて。
 彼女は、動かなくなった。
 これが……。
 主人であるメイジを愛した——女として愛してしまった——使い魔、シェフィールド=ミョズニトニルンの最期であった。

########################

「……どうも、色々とありがとうございました」

 シエスタが、深々とお辞儀する。
 
「いや、礼を言うのは俺たちの方だよ……。なあ?」

「そうね。ありがとう、シエスタ」

 私とサイトの言葉に、フレイムを連れたキュルケも隣で頷いていた。
 ここは、王都トリスタニア。街の中央、噴水のある広場で、私たちは立ち話をしている。

「いえ、私はたいしたことしてませんから……」

 そう言って微笑むシエスタだが、彼女の頑張りには、皆が感謝していた。
 『臭気の森』での決戦が終わった、あのあと……。
 私たちはトリスタニアにやって来た。精神的に大きなダメージを受けているはずのシエスタは、この王都で何やらややこしい手続きを済ませ、『ジョゼフ』の手配を解いてくれたのだ。
 平民の彼女にそんなことが出来たのも、彼女の家が、タルブの村では有力な一家だったかららしい。彼女の家に宿泊していた『ジョゼフ』は偽物だったということで、何とか話を通したようだ。

「……で、これからどうするの?」

「はい。この街には、いとこが住んでいますから。彼女を頼るつもりです」

 シエスタが言うには、親戚が酒場を経営しているとか。
 いとこは昔、タルブの村のメイド塾に来たことがあるので、シエスタとは面識もある。その母親は既に亡く、父親は、いとこの話から察するに、優しくてハンサムな人らしい……。

「よかったな、シエスタ。そういう人なら、きっとシエスタも受け入れてくれるよ」

「優しくてハンサムな人……か。あたしも、ちょっと会ってみたいわねえ」

 サイトとキュルケは、明るく応じているが。
 私は、少し嫌な予感がする。

「まさか……シエスタの親戚って……」

 ちなみに。
 トリスタニアに入る前に、マリコルヌやタバサはいなくなっている。

『アニキたちと一緒にいたら、命がいくつあっても足りないよ!』

 マリコルヌは、そう言って気ままな一人旅に出発。
 タバサは使い魔の竜に乗って、

『母さまを元に戻す方法を探す』

 と、飛んでいった。彼女には、エルフの薬でおかしくされた母親を治すという、大事な使命があるのだ。
 王都トリスタニアになら、その方法があるかもしれない……。
 そう言って私は彼女を誘ったのだが、タバサは静かに首を横に振った。真っ先に当たって、結局だめだったらしい。
 二人とも、元気でやっているだろうか?
 ……などと考えている余裕はなかった。

「じゃあ、行くぜ!」

 サイトが私の手を引っ張る。

「え? どこに……?」

「何よ、ルイズ。ボーッとしちゃって……。あなた、話を聞いてなかったの?」

 キュルケが、呆れた声で。

「あたしたち今から、みんなでシエスタを送って、彼女の親戚のお店に行くのよ。……『魅惑の妖精』亭って言うんですって」

 ぎゃあ、やっぱり!
 そして私は、ズルズルと引きずられていく……。

########################

 タルブの村での事件に、ふと想いをはせるたび、まぶたの裏に必ず浮かぶ光景があった。
 何もない荒野に、ゴロンと転がった『ジョゼフ』の人形。
 その傍らには、無能王ジョゼフによって召喚され、狂った彼を愛してしまった、本名不明の女が眠りについている。
 一体の人形を、墓標のかわりに……。





 第三部「タルブの村の乙女」完

(第四部「トリスタニア動乱」へつづく)

########################

 第三部タイトルは『タルブの村の妖魔』ではなく『タルブの村の乙女』なので、このようなエンディングに。
 なお冒頭に記したように、魔族に対しては系統魔法は効くが先住魔法は効かない、という設定にしました。
 また、シエスタは巫女ではないので、神託ではなく言い伝えという形でルイズにストップを。その内容も「ゼロ魔」風にアレンジしたつもりですが……わかっていただけたでしょうか。これに関しては、後日また作中でふれる予定です。

(2011年5月9日 投稿)
   



[26854] 番外編短編3「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/12 22:18
   
「……『ゼロ』のルイズ……だな?」

 その男が声をかけてきたのは、ある晴れた日の昼下がり。
 私とキュルケが、街の洒落たお店で、優雅にティータイム・セットの早食い競争をしていた時のことだった。
 正直、早食い競争など貴族らしくない行為。今の私ならば、そんなバカは絶対しない。だが、これは、まだ私もキュルケも使い魔を連れていなかった頃の話である。
 言わば、若気の至り。たぶん私は、旅に出た学生メイジが二年目にかかるというナントカ病だったのだろう。

「うん」

 クックベリーパイを口に運ぶ手は止めずに、私はアッサリ頷いた。
 相手の男は、二十歳をいくつか過ぎたくらい。ピンとはった髭が凛々しい、美男子であった。
 ……が、ちょっとイイ男だから素直に対応した、というわけではない。
 この早食い競争、負けた方が勘定を持つことになっていたのだ。ヒマな受け答えなんぞして、時間を無駄にするわけにはいかなかった。
 私たちが食べまくる横で、男は何やらゴソゴソ取り出して。

「ガリア王国、東薔薇騎士団所属、バッソ・カステルモールだ」

 言われてチラリと横目で見ると、かざしているペンダントの刻印は、組み合わされた二本の杖。たしかにガリア王家の紋章のようである。
 しかし……何故ガリアの騎士が? ここはガリア王国の領内ではない。クルデンホルフ大公国だ。
 クルデンホルフ大公国は、フィリップ三世の御代にトリステイン王国から大公領として独立を許された新興国。トリステインならばまだしも、ガリアの役人がここで活動するのは、内政干渉にあたるはず。
 ならば、公務ではないのだろうか?

「お前がこの街に来た、という話は噂で聞いた」

 ペンダントをしまいながら、カステルモールとやらは、あくまでも事務的な口調で言った。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。お前を連続幼児誘拐事件の容疑で取り調べる」

 『ゼロ』のルイズという通称だけでなく、フルネームを知っているとは。
 さすがガリア王国の騎士さんだ、よく調べているなあ。
 ……って、そうじゃなくて!

「っなぬぃぃぃぃぃぃぃっ!?」

 カステルモールの言葉に、私は思わず絶叫していた。

「ちょっと待ってよ! 何なのよ、その『幼児誘拐』ってのは!?」

「とぼけても無駄なこと。ここ最近このクルデンホルフ大公国にて頻発する幼児誘拐事件! お前が犯人だということは明々白々!」

「……な、なんでそうなるのよ!? だいたい、あんた、この国と関係ないでしょ!?」

「何を言う! 行方不明の幼児の中に、たまたまこの国へ旅行中だったガリア貴族の子弟も含まれておるのだ。その子供を無事に連れ帰ることは、私に与えられた重大な任務!」

 そういう事情か。
 とりあえず、この騎士がクルデンホルフの事件を解決したいという意気込みは理解。他国で発生した事件に派遣されるほど優秀なのか、あるいは逆に、無能だからこそ飛ばされて来たのか、それは判らないけど。

「……で、でも! 私は無関係よ! 第一、私たちがこの国に立ち寄ったのって、つい最近よ! ね、キュルケ?」

 しかしキュルケは、ウンともスンとも言わない。黙々とケーキを食べ続けている。

「ほら見ろ! おまえの連れも認めているではないか!」

 カステルモールが調子に乗ってしまった。私をビシッと指さして、店中に響き渡る大声で。

「やはり私の推理どおり、お前が犯人だ!」

「違うっつうのに! ……そもそも! 何の理由で私が犯人だ、なんて話になったのよ!?」

「ほほぉう! この期に及んであくまでもシラを切るつもりならば……」

 カステルモールは、やたら得意そうな声で、懐からメモを取り出す。

「東の村のト—マスくん五歳が行方不明になった時、近くの麦畠で見つかったのは、トロール鬼のものとおぼしき巨大な足跡!」

「ふむふむ」

「『ゼロ』のルイズの仕業だ!」

「……は?」

 いきなりと言えばいきなり過ぎる決めつけに、思わず私の目が点になる。

「つづいて北の村のイェニーちゃん三歳が行方不明になった時、村に面した湖で何か巨大な生物が、水面から首を出しているのが目撃された! ほら、『ゼロ』のルイズの仕業だ!」

「……おい……」

「時を同じくして! 西の村でボリスさんが、五歳になる自分の息子リヒャルトくんを連れて日暮れの道を歩いていると、いきなり夜空に青白い光が現れて……」

「待て、おっさん」

 私はカステルモールに詰め寄った。おっさんと呼ぶには少し若いが、もう、こんな奴おっさんで十分じゃ。

「……そうすると何!? 世の中の面妖な事件は、すべて私のせいだとでも!?」

「当然!」

 カステルモールは迷わず答える。

「まさかお前、自分自身に関する噂の数々、知らんとは言わんだろうな?」

「う……」

 私の二つ名『ゼロ』に関して、どうも世間では色々な噂が流れているようで。
 どうせこのカステルモールも、ロクでもない話を耳にしたに違いない……。

「曰く! 口から怪光線を発して盗賊を消滅、その存在そのものを『ゼロ』と化す! 曰く! ピンクの髪が伸びて虫を補食、その存在そのものを『ゼロ』と化す!」

「ちょっと待てええええ!」

「『ゼロ、ゼロ、ゼロの恐怖サイン。どこかで誰かが泣いている。貧乳時代の発生だ。マッハで逃げ出せ、子供たち!』……と、街の小唄にも歌われているではないか!?」

「そんな歌あるわけねえええ!」

 思わず私の放った怒りのキックで、カステルモールは隣のテーブルまで飛んでいく。彼はメゲずに、不敵な笑みさえ浮かべながら体を起こし。

「……ふっ。もはや言い逃れは効かぬと知って、実力行使に出たか! それこそ自分が犯人だと言ったも同然!」

「あれだけムチャ言われたら、ふつう誰だって怒るわよっ!?」

「いーや、図星を突かれて動揺し、思わず手を出したのだろう!? そんな程度の言い逃れで、このカステルモールの目は誤摩化せん! 何しろ、この私は……」

 カステルモールは、ちょっと澄ました顔をしながら。

「……東薔薇騎士団の中でも随一の切れ者と、御近所の奥様方にも大評判なのだ!」

 ……こいつが一番の切れ者って。ガリアの騎士団は、そんなに人材不足なのか!?
 しかしともあれ。
 このままでは水掛け論。私が犯人ではないと証明する方法は、ただ一つ。

「……わかったわ」

「おお! ついに観念して白状する気になったか!?」

「違うわよ! その誘拐事件の真犯人、私が捕まえてやる! ……それでいいでしょ!?」

「どうせ『真犯人を探してくる』とか言って、そのまま逃げる気だろう!?」

「そんなに心配なら、あんたも一緒に来なさい!」

「言われんでも! ここで見つけたが百年目、おまえから目を離すつもりはない!」

 ああっ、もう鬱陶しい奴!
 でも、このとき私は、重大な問題を失念していた。

「ホーッホッホッホ! どうやらこの勝負、あたしの勝ちのようね! ルイズ!」

 突然笑い出したキュルケが、それを思い出させる。
 もともと私たちは、支払いを賭けての早食い競争をしていたのだ!
 こんなことで負けるとは……。しかも相手はキュルケ、つまりツェルプストーの女。ヴァリエールがツェルプストーに負けたとあっては、ご先祖様に申しわけが立たない!
 この場は何とか有耶無耶にせねば……。
 と、その時。

「……っきゃあああああああっ!」

 店の外から聞こえてきた、女の人の悲鳴。

「……何だ!?」

「外よ! 行ってみましょう!」

 私とカステルモールは外へと飛び出し、

「ルイズ! 勘定! あなたが払うのよ!」

 続こうとしたキュルケが店員に呼び止められる。
 おっしゃああ! これで支払いはキュルケ! 勝負に負けて、でも別の何かに勝った気分!

「ガリアの東薔薇騎士、バッソ・カステルモールだ! 何があった!?」

 そこいらの通行人に聞くカステルモール。国は違えど、貴族の騎士さまだ。肩書きが功を奏したか、答えはすぐに返ってきた。

「……なんか……子供がさらわれた、って誰かが言ってました!」

「何っ!? どっちだ!?」

「湖の方よ!」

 ほかの誰かの答えを耳に、私とカステルモールは、同時に駆け出す。
 たしかにこの街は、やたら大きな湖に面していた。今駆けているこの場所からも、青い水面のきらめきと、沖にかかった霧が見える。

「あれだっ!」

 カステルモールの声に、走りながら見上げれば、空をゆく影一つ!

「オーク鬼!?」

「馬鹿もん! オーク鬼が飛ぶわけあるまい!? あれは……翼人だ!」

 私の言葉を訂正するカステルモール。
 よく晴れた青空を背に湖の方へと羽ばたくヤツには立派な翼があり、腕の中には、三、四歳ほどの子供が一人。
 なるほど、彼の言うとおり、羽の生えたオーク鬼なんて聞いたことがない。でも翼人というものは、背中の翼以外は人間そっくりな外見のはず。飛んでるあいつは、豚の顔といい醜く太った胴体といい、いかにもオーク鬼なのだが……。

「そんなことは、どうでもいいでしょう? 今、一番大切なのは……」

「わっ!?」

 いつのまにか私たちの横を、キュルケが並走していた。
 驚かすな。
 しかし彼女の言葉は正しい。敵の正体はともかく……。

「……ルイズが賭けに負けたこと。これだけは忘れちゃいけないわ。とりあえず私が立て替えておいたから、あとで払ってね?」

「違うわ! それこそ一番どうでもいい話じゃあああ!」

 終わった話を蒸し返すキュルケに、思わず蹴りでツッコミを入れる私。
 あ。
 さすがのキュルケも走りながらだったせいか、受けとめきれなかった。まともに食らって、ぶっ倒れる。
 ……まあ、いいや。
 私は、本題に戻った。カステルモールに向かって。

「見たでしょ!? あいつが犯人よ!」

 しかし。

「あの翼人を操っているのがお前じゃないとは限らん! 捜査官と対面している時に別のモノを使って事件を起こし、そちらに目を向けさせようとする……。四十八の悪人技の一つだろう!?」

 こいつ……。どうあっても私を犯人にする気だな……。

「……だが、あくまでもお前がアレを配下ではないと言い張るなら! お前の魔法でアレを倒してみせよ!」

「へ?」

 飛行オークを追ううちに、私たちは湖のそばまで来てしまっていた。
 このままでは確実に逃げられてしまうが……。
 私が魔法攻撃を仕掛けたところで、狙いが甘けりゃ子供も巻き添え。よしんば飛行オークだけを撃ち落とせたとしても、当然子供は真っ逆さまである。
 それなのに、この男は……。カステルモール、ついに気でも狂ったか!?

「フル・ソル・ウィンデ……」

 あ。
 レビテーションの呪文を唱えつつ、早くしろと目で合図するカステルモール。
 ……そういうことだったのね。こんな奴でも、一応はガリアの東薔薇騎士。推理能力は皆無でも、こういう場合にとっさの作戦を立てる頭はあるようだ。
 しかも、私の魔法攻撃の精度を信頼している……というのであれば。

「……わかったわ!」

 急いで適当な呪文詠唱。どんな呪文も爆発魔法となる、これが私の特技の一つ。……本来の呪文は失敗しているとも言えるが、ものは言いようである。
 サッと杖を振ると、見事に命中。
 飛行オークの背中が爆発し、その手から子供がこぼれ落ちる。
 でも大丈夫。
 カステルモールの魔法で、子供は無事、岸辺へと運ばれた。

########################

「よくやった!」

「さすが、貴族の騎士さま! メイジさま!」

 やじ馬たちが歓声を上げ、カステルモールをほめ讃える。
 同時に。

「てめーっ! なんつーあぶねーことをっ!?」

「子供に当たったらどーするつもりだったのよぉぉぉっ!」

 あれ!?
 なぜか私は……非難されてる!?
 私も活躍したのに! 私も貴族のメイジなのに!

「……やはり大衆も理解しているようだな。誰が正義で、誰が悪なのか!」

 皮肉な笑みを浮かべつつ、私に言葉をかけるのは、言うまでもなくカステルモールだった。
 こいつ……。ここまで読み切った上での作戦だったのか!?
 拳を握りしめ、体をプルプル震わせながら、しかしグッと堪える私。
 今こいつに手を上げたら、ますます私は悪人あつかいだ。
 旅に出てから安っぽい貴族のプライドは捨てたつもりだが、こんな街の平民たちからバカにされては、さすがに自尊心が耐えられなくなる。
 ……負けるな、私! 間違えるな、私! 戦うべき相手は……カステルモールだ!

「まだ私を疑ってるのね?」

「当然だ! 小さな事件を起こして、捜査官の目の前で解決し、信用させて疑いを逸らす! これも四十八の悪人技の一つだろうが、このガリア東薔薇騎士たる私の目は誤摩化せん!」

「もともと曇りまくってるでしょうが! あんたの目は! ……そもそもっ!」

 私はビシッと沖の方を指さして。

「飛行オークがあっちに飛んでいこうとしてたんなら、あっちが疑わしい……って思うのが普通でしょ!?」

「並の考え方では東薔薇騎士は務まらん!」

「あんたは並以下じゃあっ! ……第一、このやたら晴れた昼間の、しかもどでかい湖の中央だけ濃い霧があるのよ!? 露骨に怪しいじゃないの! 湖の方は捜索したの!?」

「ふっ! またそうやって話を誤摩化そうとする! おそらくお前は、自分が疑われた時のことを考えて、湖のまわりの村や街で事件を起こし、無駄な捜索をさせようという魂胆なのだろうが……」

 おい……。
 私は、目が点になった。

「……ねえ、ちょっとルイズ。この人、ルックスは悪くないけど……頭カラッポなんじゃない?」

 いつのまにか復活して合流していたキュルケが、私に耳打ちする。
 キュルケだって頭より胸に栄養が向いているタイプなのに。
 ……というより、勘定の話を持ち出さないところを見ると、転んで頭うって忘れたか? ちょっとラッキー!

「そうみたいね。……カステルモール、あんたに聞きたいんだけど、事件って……この湖に面した村や街でだけ起こってるわけ?」

「そうだ! それがどうした!?」

「……で、この湖の捜索はしたの?」

「そんな無駄なことするわけなかろう!? 真犯人『ゼロ』のルイズが目の前にいるというのに!」

 はああああ。
 このおっさん、飛行オーク戦では冴えていたのに。頭いいのか悪いのか、よくわからん。
 ……頭が悪いというより、思い込んだら一直線なのだろうか。
 そう言えば、くにの姉ちゃんが嘆いていたっけ。頭いい人間が多いはずの王立魔法研究所(アカデミー)でも、とんでもない頑固者が多いって。
 きっと、このカステルモールも同じタイプなのだろう。

「……だから犯人は私じゃないってば」

「ねえ、ルイズ。だったら、あたしたちで真犯人を捕まえましょうよ。そうすれば、この人も引きさがるわ」

 再び口を挟むキュルケ。
 私は溜め息を返す。

「あのねえ、キュルケ。それは、さっき私も言ったのよ。あんたは食べるのに夢中で、聞いてなかったんでしょうけど……」

「さっき……? 食べるのに夢中……? ……ああああああっ!」

 ひときわ大きな声でキュルケが叫ぶ。

「思い出した! あたしたち、早食い競争してたじゃない! ……しかも勝ったのはあたし! あたしが勘定を立て替えたのよ!?」

 しまった。
 墓穴を掘ってしまった。

「ルイズ! 真犯人! おとなしくしろ!」

「ルイズ! 勘定! ちゃんと支払って!」

 二人の言葉を聞きながら。
 私は、もう頭を抱えるしかなかった。

########################

 それでも、冤罪を晴らすための捜査は始まる。それは……はっきし言って、困難なものではなかった。
 なにしろ、あからさまに怪しい湖がある。それに関して聞き込みを続ければ、情報はおのずと集まってくる。
 街の人々曰く。湖に霧が掛かり始めたのは少し前からで、それ以来、漁師たちも船を出さなくなった。なお、かつて湖の真ん中には小さい島があった。いや、なかった。いや、突然出現して突然消失した。
 一方、湖のほとりの漁師さんたち曰く。知らない。何も知らない。絶対知らない。

「『なんかあるぞ、ここには!』って絶叫しているようなもんね」

 湖から、やや離れたところにある宿屋。
 その一階の食堂で、私とキュルケとカステルモールは、夕食のテーブルを囲んで打ち合わせをしていた。
 漁師が仕事を止めた影響だろう。湖のある地方にしては、魚介類の少ないメニューである。

「はっ! 笑わせるな! 他人の証言を都合のいいように解釈しおって! ……だいたい、あんなもの信頼できる証言とは言えんぞ。島があるとかないとか、現れたり消えたりとか……」

「……ま、それに関しては、この人の言うとおりね。ルイズ、どう思う?」

「わかんない。だからこそ、調査するの。明日はどっかで船でも借りて、実際に湖の真ん中まで行ってみましょう」

「茶番だな! しかし一度つきあうと言った以上、つきあってやろう! もしも本当に湖の真ん中に『ゼロ』のルイズの秘密基地があった場合、そこにお前が逃げ込むかもしれんからな!」

 ……と、とりあえず翌朝の調査には賛同してもらえたのだが。

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 この計画には邪魔が入った。

 チュゴォォォンッ!

 その日の真夜中のこと。
 大爆発の音で、私は目を覚ました。

「何よ!? 今のは!」

 慌てて宿から飛び出して、天を振り仰ぐ。
 私の目に映ったのは……月を背に、宙に佇む二匹の竜。背中には、黒衣をまとう男たちが乗っているようだ。
 さらに、彼らに対峙する形で、近くの屋根の上にはカステルモールが。

「お前たち! どうせ『ゼロ』のルイズの手下なのだろう!?」

「……なんだと!?」

「私には判っている! 一階の食堂で相談していた時、露骨に怪しい男が近くのテーブルにいたからな! ワザと大声で話をしてみれば、こちらの話に反応していたようだし……。今夜あたり彼女の指示で動き出すと思って、こうやって見張っていたのだ!」

 どうやら竜の男たちは、カステルモールに誘い出されたらしい。そこまではよいとして、問題は、彼が黒幕を私と信じ込んでいること。
 あいかわらず、鋭いんだか鈍いんだか、よくわからん男だ。
 ……まあ、ともかく。
 ノコノコ出てきた連中は、キッチリ彼に反撃されたっぽい。カステルモールに魔法の火炎を叩きつけられたのか、あるいは逆に奴ら自身の炎を『風』魔法か何かで跳ね返されたのか。
 黒衣の男も竜たちも、ところどころ焦げていた。よく見れば、服の隙間から、中に着込んだ鎧が覗いている。やたら重々しい甲冑で、チラッと黄色い竜の紋章も見えたが、もしかして、こいつら……。

「ねえ、ルイズ。悠長に見てる場合ではないんじゃなくて?」

「……そうね」

 私の他にも、やじ馬がチラホラと出て来ていた。その中にはキュルケもいたわけで、私やキュルケは、ただのやじ馬に徹するつもりはなかった。
 あの竜の男たちを捕まえて背後関係を自白させれば、事件は一件落着なのだ。

「イル・ウィンデ!」

「ぐおおおお!」

「うぎゃああ!」 

 カステルモールと竜の男たちは、既に舌戦ではなく魔法の応酬をしていた。カステルモールが優勢らしい。
 このおっさん、メイジとしては優秀である。飛行オークの時だって、かなり離れた距離からレビテーションで子供を助け出したのだ。あれは誰にでも出来るという芸当ではなかった。
 ……とにもかくにも。
 竜と黒衣たちは、カステルモールのストームで動きを拘束されている。今がチャンス!

「ウル・カーノ!」

「じゃ、私も……ウル・カーノ!」

 キュルケの炎と私の爆発魔法——どうせ私は何を唱えても爆発する——が、敵に襲いかかった。
 ただの竜巻が火炎竜巻に変わり、甲冑を着込んだ男たちも、さすがにノックアウト。騎乗している竜ごと、地面に落下する。
 ちょうど下は民家ではなく、ちょっとした広場になっていたので、第三者の被害はない。もしかして……そこまで計算した上で、カステルモールは戦っていたのか!?

「さあ、これで終わり!」

 墜落現場へ駆けつける私たち。
 しかし。

「くっ! この屈辱……そして貴様らの顔、けっして忘れぬ!」

 一人と一匹は、まだ元気だったようだ。倒れた仲間を竜の背に乗せ、捨てゼリフを残して、飛び立った。

「……待ちなさい!」

「無理よ、ルイズ。待てと言われて待つ奴はいないわ。それに、レビテーションやフライじゃ、あの竜には追いつけそうにないし……」

「ならば……竜ではどうかな?」

 背後からの言葉に、同時に振り返る私とキュルケ。
 敵が残していった、もう一匹の竜。その背に乗り、カステルモールがニヤリと笑っていた。

「その竜……使えるの!?」

「当然! 私はガリアの東薔薇騎士だぞ! ……竜くらいは乗りこなせる」

 そうじゃなくて。
 そいつは、たった今、魔法でやられたばかりだろう!? もう元気になったのか!?
 ……そう聞きたかったのだが、私は言葉を呑み込んだ。
 おそらく、こいつらは、かなり頑丈な竜。あの程度の魔法は全然平気なのだろう。私の推測が正しければ、そんじょそこらの竜ではないわけだし。
 それに。細かいことを詮索している場合ではない。

「そうね! 行きましょう!」

 私とキュルケが跳び乗ると同時に、竜が空へと上がる。
 逃げるもう一匹を追いながら。

「でも……なんで? なんでワザワザ追跡劇に協力してくれるの? あなた、ルイズを捕まえたいんでしょ?」

「……ん? だが、その肝心の『ゼロ』のルイズが、いつまでたっても罪を認めないのだ! あの部下たちの口から白状させるしかあるまい!?」

 キュルケの言葉に、笑みを浮かべながら答えるカステルモール。
 この時、私は、彼の真意が判ったような気がした。

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 敵は、湖の中央へと向かう。怪しい霧が、いっそう濃くなっている場所……。
 昼間でさえ、視界を遮る霧である。ましてや闇夜の中では、何も見えない。
 霧の中へ入った段階で、逃亡する敵の姿は見失ってしまったが……。

「やっぱり……あったのね」

 霧の中を進むうちに、代わりに見えてきたもの。
 それは巨大な島影だった。
 街の人の証言では、あるとかないとか、現れたり消えたりするとか言われていたが、ちゃんとそれは存在していた。

「……いや。よく見ろ」

 カステルモールに言われて、目をこらす私たち。
 そして……気がついた。

「島が……動いている!?」

 暗い上に、こちらも飛行中なのでわかりにくいが、でも間違いない。
 島のくせに、船のように湖面を進んでいる!

「自然の島ではないということだ。人工島なのだな、あれは……」

 と、カステルモールがつぶやいた時。

『……失敗しおったな』

 島の方角から、不気味な声が!
 同時に強烈な光が放たれる。
 何らかの魔法攻撃だ!

「ぎゃあああああああああ」

 さいわい、狙いは私たちではなかったらしい。見失っていた逃亡竜が、ターゲットだった。
 トカゲの尻尾切り。役立たずの部下を始末したというわけだ。

「……今の魔法、何?」

「わからん……」

 カステルモールの頬に、冷や汗が流れる。

『……うるさいハエどもめ。次は貴様らだ』

 まずい!?
 正体不明の攻撃が来る!

「うわっ!?」

 カンだけで竜を操り、巧みに避けるカステルモール。しかし、こんなラッキーがいつまでも続く保証はない。

「やられる前に……」

「……やるしかない!」

 私とキュルケが、炎と爆発魔法をぶつける。
 いや二人だけではない。
 カステルモールも参加。なんと彼は、『アイス・ストーム』や『カッター・トルネード』といった強力な魔法を連続で放ったが……。

「……効果ないわね」

 キュルケは口に出したが、わざわざ言われなくても判りきったこと。
 眼下の島には、傷ひとつ、ついていなかった。

「こうなったら……とっておきの大技いくわよ!」

 宣言と同時に、私は呪文詠唱を始める。

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……」

「なんだ、それは?」

 知らないカステルモールは不思議そうな声を出すが、知っているキュルケはハッとした。

「あなたは、竜の制御に専念して!」

 呪文をぶっ放す際に私が竜から落ちないよう、彼女は後ろに回って、背後からしっかり抱きかかえる。
 その様子を見て、カステルモールも何となく理解。

「……わかった」

「……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 そして。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

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「すごいものだな……。これが『ゼロ』のルイズの実力か……」

 あれでも島そのものは吹き飛ばなかった。ただし大穴が開いたので、そこから島の内部に飛び込んだ。
 岩肌というより肉壁のような、気持ち悪いピンク色の洞窟。不快な腐臭も立ちこめる中、私たちを乗せた竜は飛んでいく。

「わかったでしょ? ……なら、そろそろ種明かししたらどう?」

 感嘆したようなカステルモールに対して、私は問いただす。
 彼は、いたずらがバレた子供のような顔で。

「……気づいていたのか」

「うん。……といっても、ついさっきまでは、私も騙されていたけどね」

「……へ? ルイズ、どういう意味? あなたたち、二人だけで判りあってないで、あたしにも教えてよ!」

 事情説明を求めるキュルケ。 
 カステルモールは肩をすくめるだけ。
 仕方ないので、私が語る。

「あのね。カステルモールは本心から、私を連続幼児誘拐犯人だと思ってたわけじゃないの。最初から、本当の真犯人の見当がついていたの。……でも、そちらに向かって捜査を進めたら、上から圧力がかかった。そうでしょ?」

「……しょせん私は、この国の役人ではないからな。外交問題に発展するとなれば、おとなしく引きさがるしかあるまい。しかし、それでは任務は遂行できない」

「なるほどね。だからルイズをスケープゴートにして、ルイズを追うという『的外れな捜査』を始めたわけか。しかもルイズをけしかけて、ルイズが事件を追い、それについていくという形を作った。結果、自然な流れで、こうして敵の本拠地に乗り込めた……」

 キュルケも理解したらしい。が、すぐに表情が変わる。

「……ちょっと待って!? でも、そんな圧力をかけてくる相手って……」

「そ。おそらく事件のバックにいるのは、クルデンホルフ大公国そのもの。……でなけりゃ、少なくとも、かなり国の中枢近くにいる人間ね」

 漁師たちへの圧力から見ても、大きな力を持った者が関与しているのは、間違いないのだ。
 それに、もう一つ。
 私たちが乗っている竜や、竜に乗って現れた二人組。チラッと見えた紋章と甲冑から推測するに、おそらくクルデンホルフ大公国の誇る、空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)。ハルケギニア最強とも呼ばれる、大公家親衛隊の竜騎士団だ。
 彼らに暗殺者まがいの任務を命令できる者など、そう多くはあるまい。

「まあ私も、なんで国家ぐるみで幼児誘拐なんてやってるのか、その理由まではわからないけど……」

「……人体実験だ。クルデンホルフ大公家は一国を構えてしまうほどの大金持ちだが、やはり国家を運営していくには、きれいな金だけでは足りなかったらしい。裏の世界とつながり、そこから資金を得ていたようだ」

 カステルモールが補足する。
 なるほどねえ。子供を材料とした闇の商売。ひどい話である。しかも揉み消しのしやすいように、自分の国の中から子供をさらっていたのか。
 ところが、たまたま来ていたガリアの貴族の子供が巻き込まれ……。
 こうして計画が明るみに出た。やはり、悪いことは出来ないものだ。

「……で、どうするの? ルイズ、もう濡れ衣は晴れたんでしょ?」

「どうする、って……」

 聞くまでもないことを聞いてくるキュルケ。
 彼女の表情を見る限り、答える必要もなさそうだが、一応。

「乗りかかった船だもん、ちゃんと最後までつきあうわ。だって……」

 私は言葉を区切って身を正し、ちょっと澄ました顔で。

「私たちは貴族よ! 敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 と、決めてみせた時。

「ほう……。勇ましいな……」

 前方から聞こえてくる野太い声!
 進むに連れて、行く手を阻む者の姿が見えてくる。
 それは、見たこともない怪物だった。馬のように四本脚を持ちながら、首の代わりに、人型の上半身が生えている。黒々と光る鎧を着込み、手には武器も持っているようだ。

「我はキメラ七人衆の一人……武者キメラ!」

 合成獣(キメラ)!
 魔法生物の一種である。様々な生き物をかけ合わせて作られる、強力なモンスター。
 ならば、前に倒した飛行オークも、オーク鬼と翼人のキメラだったに違いない。
 そして、子供を利用した人体実験というのも、キメラ研究の一環なのだ……。
 だが今は、そんなことより。

「どこが『武者』じゃあああああ! ネーミングセンスがおかしいわあああ!」

 ツッコミを伴って、私の爆発魔法が炸裂する。

「ぎゃあああ!?」

 七人衆の一番手は、この一発でアッサリ滅んだ。

「ねえ、ルイズ。今のキメラ……一応、刀を持ってたみたいよ?」

 キュルケにフォローされるくらい、なさけない相手であった。

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「よくぞここまで来た! オレ様はキメラ七人衆の一人、変形キメ……」

 ドーン!

 口上の途中で爆発魔法を食らって散るキメラ。

「ちょっと、ルイズ。今のキメラ、まだ名乗りすら終わってなかったわよ?」

「あそこまで聞けば十分でしょ! どうせ『変形キメラ』って言うはずだったのよ」

「……でも、どう変形するのか、ちょっと見てみたくなかった?」

「なかった」

 あっさり返す私。
 正直、もう鬱陶しいだけだった。
 最初の武者キメラの後、次から次へと現れるキメラ軍団を倒したのは、全て私なのだ。
 ……キュルケやカステルモールが手を抜いているというわけではなく、今のように、途中で焦れた私が先に手を出すから、そうなるだけなのだが。

「……それにしても、あと何体出てくるのかしら」

「あら、ルイズ、ちゃんと聞いてなかったの? 七人衆って言ってたでしょ。だから今のが最後のはずよ。……武者キメラ、ガマキメラ、アニマルキメラ、ファイヤーキメラ、エスパーキメラ、恐竜キメラ、変形キメラ。ほら、ちゃんと七つ出てきたもの!」

 律儀に名前を列挙するキュルケ。ちゃんと全部覚えているとは、なんてヒマなやつ……。

「気を引き締めろ。七人衆とやらを全て倒した以上……ボスの居場所は近いはず!」

 カステルモールに言われなくても、わかっている。ちょうど前方に、それらしき広間が見えてきた。
 
「行くぞ!」

 掛け声と共に、竜を加速させるカステルモール。
 そうして私たちは、そこへ飛び込んだのだが……。

「なっ!」

 入ったとたん、驚愕の声を上げていた。

########################

『ここまで辿り着いたか……』

 どこから声を出しているのか。
 そこにいたのは『人』ではなかった。
 獣でも鳥でも魚でもない。

「何よ……これ……」

 ……しいて言うならば、生き物の一部。臓器の塊。
 むき出しの脳が、中央に鎮座していた。
 表面は脈打ち、うごめいている。肉で出来た小さな蛇のようなものが、四方八方へと伸びており、部屋の壁に繋がっていた。

「この人工島自体が……一つの大きなキメラだったのね……」

 私はポツリとつぶやいた。
 頬を汗の玉が滑り落ちる。
 それでも、私は杖を構えた。

『やめておけ……。これは子供たちの脳の集合体だぞ……』

「なっ!」

「そんな!?」

 思わず驚愕の声を上げる私とキュルケ。
 しかしカステルモールは、冷静に『脳』を睨みつけていた。

「そういうことか。子供たちを使って、脳移植の実験をしていたのか……」

『そのとおり。どんなに強力なキメラを作り上げたところで、それが命令を聞かねば、役には立たんからな……』

 それを聞いて、私は一つの噂を思い出す。
 かつてガリアの『ファンガスの森』には、キメラ研究で有名な塔が建っていた。だが、研究をおこなっていた貴族は、自分で作り出したキメラに殺されたという……。

『……私たちが拾い上げた者の中に、自身の脳をミノタウロスに移植したという猛者がいてな。その技術を誰でも使えるよう、改善のために研究をしているのだ。……キメラ製造と併せれば、高く売れる技術でもあるからな。クックック……』

 不気味な笑い声を、カステルモールが遮った。

「すいぶんと親切に語ってくれているが……。私たちを始末するつもりだからか? 冥土のみやげというやつか?」

『いかにも。……子供を救出に来た貴様らに、その子供の脳を傷つけることはできまい?』

「……ハッタリはやめろ」

 彼の言葉で、私もハッとする。
 キメラ人工島に突入する前には、たしかに魔法魔法を受けた。だが、入ってからは、弱っちいキメラが出てきただけ。
 つまり……。
 体内に入った敵に対して、こいつ自身は攻撃手段を持っていない!

「お前も気づいたようだな、『ゼロ』のルイズ」

 視線を『脳』から逸らさずに、カステルモールが補足する。

「こいつは、私たちを追い返したいのだ。私たちが恐れて逃げれば、こいつの思うツボだ」

「……でも、それじゃ秘密を喋ったのは変じゃない? 真相を知られたまま逃げられては、困るはず……」

 キュルケの言葉に、彼は首を横に振る。

「いいのだよ。私たちが外に出てしまえば、こいつは例の魔法で攻撃できる。こことは違ってな」

 そういうことだ。
 だが、それでは、こちらも膠着状態。
 キメラ人工島に子供たちが組み込まれているなら、迂闊に手を出せない……。

「そして……ハッタリは、もう一つ!」

 言って彼は、呪文を唱える。

『なっ!? 貴様っ!』

 慌てる『脳』だが、もう遅い。
 カステルモールの風の刃が、醜くうごめく『脳』を切り裂いた!

########################

 あのあと。
 私たちは、他の『部屋』を探しまわり、捕えられていた子供たちを発見。『脳』を失って機能しなくなったキメラ人工島から、彼らを救出した。

「子供の脳を使っているって話……嘘だったのね」

「当然だ。それでは、あの島は子供の意志で動いていることになってしまう。……話が合わんだろう? あの『脳』は、奴らの幹部の一人のものだったはず……」

 答えるカステルモールの表情は暗い。
 五体満足で助け出された子供たちは、さらわれたうちの約半分。残りは既に別の人体実験で使われてしまったらしく、死体となっていた。それぞれ体の一部を失った死体に……。

「……落ち込むことないわ。あんた、ちゃんと任務は成功したんだし」

「それはそうだが……」

 不幸中の幸いと言うべきか。
 カステルモールの目当ての、ガリア貴族の子供は、救い出された半分のうちに含まれていた。
 それでも亡くなった子供たちを思えば、彼も素直に喜べないようだ。そんなカステルモールを見ていると、私も彼を責められない。彼は言いがかりで私を事件に巻き込んだのだから、私は怒っていいはずなのだけど……。

「……では。世話になったな」

「そうね。なんだか知らないけど……あんたも頑張りなさいよ!」

 湖のほとりで、私たちは別れた。
 子供を連れて歩き出した彼を見送りながら。

「あの騎士さん……けっこう優しい人だったようね」

「そうみたいね」

 私は、キュルケの言葉に頷いていた。
 今回の事件における奮闘ぶり。任務を忠実に遂行した……というだけではなく、もしかすると、出世を急ぐような事情があるのかもしれない。ふと、そんな想像をしてしまった。
 ちなみに。
 ガリアからの糾弾もあったのだろう。後日、この事件が国家がらみだったと明らかにされ、クルデンホルフ大公家は没落。この国は、ふたたびトリステインに併合された。
 とりあえず、めでたしめでたし。





(「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!」完)

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 かなり先の本編の伏線となる短編ですが、次の「外伝」より先に記しておきたい内容もあったので。
 なお、このエピソードに相当する「スレイヤーズ」原作より、少し主人公の活躍を控えめにしてみました。本編より昔なのでルイズもまだ未熟、という意味で。
 ちなみに、今回も一応パロディのつもり。タイトル、小唄、七人衆、人工島、中に脳みそ……あたりから、元ネタをお察しください。

(2011年5月12日 投稿)
    



[26854] 外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」(前編)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/15 21:47
   
 青い鱗のシルフィードは主人を乗せ、空を飛んでいた。
 鱗の青より鮮やかな空の向こう、二つの月がうっすらと輝いている。白の月は透き通るほどに白く、赤の月は薄い赤みを残すのみ。高空だからこそ見える、幻想的な光景であった。

「お姉さま! 今回は私、もう少しつきあえるのね!」

 シルフィードは、体長六メイルほど。翼を広げると体長より長い。その大きな翼を力強く羽ばたかせて空をゆく。
 姿形は、どう見てもただの風竜である。しかし普通、竜は喋らない。竜の知能は、幻獣の中では高い部類だが、人の言葉を操るほどではない。

「久しぶりだから、私も嬉しいのね! きゅいきゅい!」

 それなのにシルフィードは喉を震わせ、可愛い声で人語を口から発する。
 なぜならば。
 シルフィードは韻竜。伝説の闇に消えたとされている、幻の古代知性生物なのだ。
 それを使い魔として召喚したのは、今年で十五になる青髪の少女タバサ。年よりも二つも三つも幼く見えてしまう体つきで、眼鏡の奥の青い瞳は、冷たく透き通り感情を窺わせない。

「……」

 タバサは、シルフィードの首の部分に跨がり、背びれにもたれて悠然と本を読んでいた。が、あまりに幻獣がうるさいので、ページから顔をそらし、シルフィードを見つめた。
 主人の注目が自分に向いたことに気づいて、シルフィードは嬉しそうに鼻を鳴らす。

「ふがふが。やっとお姉さまの顔が動いたわ。シルフィの顔を見てくださったわ」

 使い魔というものは、本来、いったん召喚されたら一生メイジに仕えるべきもの。主人であるメイジの側から離れないのが普通であるが、韻竜であるシルフィードには、それは出来ない。
 幻の竜であるシルフィードは、『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の管理を両親から任されているからだ。

「お姉さま、今日もすっごくかわいい!」

 それでも使い魔となったせいか、シルフィードは、主人のタバサを大好きである。こうして彼女を乗せて空を飛んでいると、それだけで幸せ。しかも、主従は今、タバサの母親に会いに行こうとしているのだ……。

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「う〜〜。やっぱり、このからだ嫌い。きゅいきゅい」

 竜の姿では、人の住まう屋敷には入っていけない。シルフィードは今、韻竜だからこそ使える先住魔法で、姿形を『変化』させていた。
 タバサに似た青い長い髪の美しい女性。服はタバサが用意したものを着ている。
 シルフィードは人間の衣装も嫌いなのだが、大好きな御主人様と共に彼女の母親を訪問するのだから、と我慢。
 うらびれた秘密の屋敷に、二人が入っていくと……。

「お待ちしておりました、シャルロット様」

 出迎えたのは、一人の若い騎士。ガリア王国の東薔薇騎士団に所属する、バッソ・カステルモールである。
 少しシルフィードがタバサから離れている間に、彼は一介の騎士から団長に出世していた。きっとたくさん手柄を立てたのだろう。
 オルレアン公シャルル——タバサの父親——に忠誠を誓っていた彼は、表向きはガリアに仕える騎士でありながら、こっそりタバサの味方をしてきた。それが最近、東薔薇騎士団を率いて、オルレアン公夫人——タバサの母親——奪還に成功したらしい。……タバサからは、そう聞かされていた。

「……ありがとう」

 母を助け出してもらったことにあらためて感謝しているのか、あるいは、こうして母を匿ってもらっていることへの気持ちか。
 ひとこと口にしたタバサに対して、カステルモールは、首を振る。

「もったいない御言葉でございます、姫殿下」

 彼に案内されて、タバサとシルフィードは、一つの部屋へ入っていく。
 屋敷の外観とは裏腹に、豪華な広い寝室だった。真ん中に置かれた天蓋つきのベッドに、痩身の女性が寝ている。
 部屋に入ってきた者たちへ、女性は問いかけた。

「……だれ?」

「ただいま帰りました、母さま」

 タバサは深々と頭を下げたが、女性はタバサを娘だとは認めない。そればかりか、目を爛々と輝かせて、冷たく言い放つ。

「下がりなさい無礼者。王家の回し者ね? 私からシャルロットを奪おうというのね? 誰があなたがたに、可愛いシャルロットを渡すものですか」

 女性は、乳飲み子のように抱えた人形をギュッと抱きしめる。
 もとはタバサの物だった人形だ。まだタバサが本名のシャルロットを名乗っていた頃——幸せだった頃——に、母親からプレゼントされた人形……。
 母と娘の光景を見るうちに、明るかったシルフィードの心も暗く沈み込む。

「……忘れてた。お姉さまのお母さまは……まだ治っていないのね」

「はい。私たちもシャルロット様も、治療法を探すために手を尽くしているのですが……」

 カステルモールの言葉で、シルフィードは思い出した。
 何故タバサが一人でハルケギニアを旅しているのか、という理由を。

########################

「もうしわけありません」

「……いい。あなたには感謝している」

 頭を下げるカステルモールに首を振って、タバサたちは秘密の屋敷をあとにした。
 彼は、まだ東薔薇騎士団の団長である。ガリアに仕える形であるため、タバサのように自由に旅をするわけにはいかなかった。
 しかし、まだガリアの騎士であるが故に、そして団長にまで登り詰めたが故に、耳に入ってくる情報もある。今回の会合において、カステルモールはタバサに、「サビエラ村で、何やら怪しい動きがある模様」と告げていた。

「では、その村へ向かうのね? きゅいきゅい」

「そう」

 もめ事に自分から首を突っ込んでいくことは、ある意味、危険である。
 でもタバサたちが探しているのは、エルフの薬で心を壊された母親を元に戻す方法。エルフに対抗する手段など、普通にしていて見つかるわけがない。大きな怪事件があれば、率先して関与しなければならないのだ。

########################

 サビエラ村。
 ガリアの首都リュティスから五百リーグほど南東に下った、片田舎の山村である。
 村から離れた場所に着陸したシルフィードは、タバサに命じられ、人間の姿になった。これから二人は、小さな寒村に潜入するのだ。竜のままというわけにはいかない。
 貴族の子供とその従者。そう見える格好で、村への道を歩き始めたが……。

「なあ、いいじゃねえか! ちょっとエルザちゃんが、話をしたいって……」

「イヤだよ! あんたの家になんか、誰が行くもんか!」

 喚きあう声が聞こえてきた。
 少し前方で、男女の二人組が何やら騒いでいる。痴話喧嘩といった雰囲気でもない。

「何かしら? きゅいきゅい」

 まだ若い女だが、彼女の格好は、竜のシルフィードから見ても風変わりだった。
 薄汚れた革の胴着に、綿でできたヨレヨレのズボン。足には鹿の皮をなめして作ったブーツ。
 大きな目が黒髪の下に光っており、日焼けした肌は、まるで少年のよう。鍛え上げられた体は、引き締まった若鹿のよう。女性にしては力もありそうだが……。

「でも相手が悪いのね。きゅい」

 彼女の腕をつかみ、その意志に反して連れ去ろうとしているのは、服装だけ見れば普通の村人。年のころは四十前ほどか。いかにも力自慢といった感じの屈強な大男であり、女性の抵抗をものともしていない。

「……助ける」

 シルフィードの横で、ポツリとタバサがつぶやいた。
 これから行くサビエラ村の住人であろうとあたりをつけたのだ。ゴロツキに襲われていた村娘を救うというのは、村へ立ち寄る口実として悪いものではない。
 タバサは杖を振るう。

「きゃ!?」

「うわっ、なんだ!?」

 突然の強風で、男の手が緩む。その隙に、男から離れる女。
 すると、風向きが変わった。

「おわあああああっ!?」

 突風が男だけに集中して、彼を遠くへ吹き飛ばす。
 こうして、暴漢が消えさったところで。

「……大丈夫?」

 タバサたち二人は、女のもとへ歩み寄った。
 女は、タバサの抱えた大きな杖に目を向ける。

「見たところ、貴族のようだけど……。今の風は、あんたが?」

「……そう」

「助かったわ。ありがとう」

 その時。

「おーい、ジル! 何かあったのかぁ!?」

 村の方から、ワラワラと人が駆けつけてきた。
 今の竜巻を見て来た……にしては早すぎる。この女性——どうやらジルという名前らしい——の帰りが遅いので迎えにきたのだろう。
 そうタバサは推測した。
 だが……。
 走ってくる一団の先頭こそ一般的な村人の服装であったが、他の者たちは、メイジ姿だったり、神官服を着ていたり、騎士のような甲冑をまとっていたり……。
 やはり何か起きている村なのだな、とタバサは僅かに目を細めた。

########################

 タバサの思惑どおり。
 ジルはサビエラ村の住人であり、彼女を助けたタバサたち二人は、村へと案内された。
 段々畑が連なる村の、一番高い場所にある家。村長宅の二階の一室に通される。

「娘を助けていただき、本当にありがとうございました」

 村長は深々と頭を下げた。白い髪に髭の、人の良さそうな老人である。
 タバサは、チラッとジルを見る。ジルは、先ほどと同じ服装のまま、入り口近くの壁にもたれかかっていた。タバサの視線にこめられた意図を察したようで、口を開く。

「……本当の娘じゃないけどね。でも両親と妹を亡くしたあたしにとっては、オヤジさんは家族みたいなもんだ」

 彼女の言葉を聞いて、村長の顔が和らぐ。
 血は繋がっていなくても、二人は親子なのだ。
 タバサの胸が、チクリと痛んだ。実の伯父に父を殺され、母も狂人にされてしまった自分の境遇と、比べてしまったのだ。
 だが、もちろん、それを顔に出すようなタバサではない。だから彼女の胸の内には気づかず、村長は説明を始める。

「あのアレキサンドルも、悪い奴ではないのですが……」

 占い師のマゼンダ婆さんが、息子のアレキサンドルや孤児のエルザと一緒にこの村にやって来たのは、三ヶ月ほど前のこと。ただしマゼンダもエルザも、肌に悪いからといって昼間は家に閉じこもったままであり、村人の前に顔を出すのは、もっぱらアレキサンドル一人。
 サビエラ村は小さな村であるが、よそ者に特別冷たくあたるような閉鎖的な村ではなかった。だから最初はアレキサンドルたちも受け入れられていたのだが、彼らが来て一ヶ月くらいの後。まるで彼らが災いを運んで来たかのように、事件が起こり始めた。

「正体不明のバケモノに村の人々が次々と食い殺される……という、恐ろしい事件なのです」

 役人を派遣してもらえるよう領主に訴えてみたが、小さな村の小さな事件だと思われたのか、ロクに相手にされなかった。
 ならば、村のことは村の者の手で。血気盛んな若者たちは、クワや棍棒、斧や包丁などで武装し、自警団を作ったが、それでも事件は収まらない。一人、また一人、村人が消えていく……。

「……もしかすると村人の中に、バケモノに通じる者がいるのではないか。そう考える者も出始めました。そうなると、疑いの目が新参者へ向けられるのも必定……」

 しかも間が悪いことに、時を同じくして、アレキサンドルはジルにちょっかいを出すようになっていた。
 単なる中年オヤジの色恋沙汰なのかもしれないが、怪事件と結びつけて、アレキサンドルがバケモノを操っているという意見まで生まれる。

「このままでは、村人たちによる暴力行為に発展するでしょう。だから私は、傭兵を雇うことにしたのです」

 バケモノ対策という名目であり、実際、バケモノから村人を守ることは傭兵たちの役割の一つ。だが、村人による村人へのリンチを止めることも、彼らの仕事であった。

「……おかげで、まだ私が心配するような事態には至っておりません。しかし、あのアレキサンドルは相変わらずジルに手を出そうとしてきますし、バケモノ事件は続いております」

 ここで再び、村長は頭を下げる。

「お願いです。しばらくこの村に留まり、私たちを助けていただけないでしょうか? 立派な貴族のメイジ様に、傭兵の真似事をさせるのは、気が引けるのですが……」

 少しでも戦力が欲しいのであろう。
 タバサは外見は小さな子供だが、『雪風』という二つ名のとおり、その操る魔法は強力。竜巻を見たジルたちの口から、村長も彼女の実力を聞いたに違いない。

「……かまわない。武者修行の旅の途中だから」

 最初に期待していたような、秘法とか秘宝とかは無さそうだ。だが、まだ断定は出来ないし、ここまで話を聞いて今さら放り出すのも気分が良くない。
 こうしてタバサは、サビエラ村の『傭兵』の一員になった。

########################

 村長との話が終わった後、タバサとシルフィードは、一階の大広間へ。そこが傭兵たちの溜まり場になっているらしい。
 この世界の傭兵の多くは、ワケあって貴族の身分を捨てることになったメイジや、力自慢の乱暴者などだ。魔法修業の旅に出た学生メイジや、正義を志す平民などが傭兵になる場合もあるが、それは一部の例外である。
 サビエラ村の傭兵たちも、ガラの悪い連中が多かった。

「ガキか……」

「だが……腕は立ちそうだな」

 タバサの容姿を見て軽蔑する者もいれば、一目で実力を見抜く者もいた。
 マントすら着ていない、だらしない姿のメイジたちの中。整然とした格好の二人が、妙に目立っている。
 神官服の男と、重い甲冑を着込んだ男。神官姿の男は、タバサと目が合ったとたん、叫んだ。
 
「マーヴェラス! なんと可愛らしいメイジ。……まるで雪風の妖精だ!」

 男か女か一瞬迷うくらいの、透き通るような美声である。
 白い手袋をした右手の指で髪を巻きながら、タバサの方へと歩み寄ってくる。

「僕はロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレだ。今は一時的に、サビエラ村の傭兵をしている。以後お見知りおきを……」

 長身金髪の彼は、誰が見ても一目瞭然の美少年だった。細長い色気を含んだ唇。まつ毛も長く、ピンと立って瞼に影を落としている。
 ただ一つ難を上げるとすれば、左右の瞳の色が色が違うこと。左眼は鳶色だが、前髪で半ば隠された右は碧眼。これは二つの月になぞらえて『月目』と呼ばれ、迷信深い地方では不吉なものとして、まるで汚い害虫のように忌み嫌われる。
 しかしタバサは、彼の美貌にも月目にも興味は惹かれない。彼女の視線は、彼の左手に向けられていた。彼は、五本の指のうち四つに、同じような指輪をしていたのだ。ただし色は全て異なり、青、赤、茶色、透明……。

「……『土のルビー』!」

 タバサは、思わず口に出していた。四つの指輪の一つは、忘れもしない、あの『土のルビー』なのだ。
 始祖ブリミルが子供や弟子に与えたと言われる四つの指輪の一つ。虚無の担い手がはめれば、クレアバイブルから虚無の魔法を教わることが出来る指輪。かつては無能王ジョゼフの所有物であり、彼の死後、行方不明となったのだが……。

「おや、この『魔血玉(デモンブラッド)』を御存知とは……。なんとも博識なお嬢さんだ! ならば、あなたに一つ教えていただきたいことがある」

 教えて欲しいのは、タバサの方だ。
 どうして『土のルビー』が、このジュリオという男の手に渡ったのか。
 いや『土のルビー』だけではない。他の三つは、おそらく『水のルビー』と『炎のルビー』と『風のルビー』であろう。ブリミルの四つの指輪を全て持っているなんて……。この男は、いったい何者なのだ!?
 それに、『魔血玉(デモンブラッド)』という言葉。ブリミルの指輪を、そんなふうに呼ぶとは……。

「……どうやったら君のような、妖精みたいに可愛い女の子ができるんだい?」

 一瞬、何を言われたのか、タバサは理解できなかった。が、わかったと同時に、憤然とする。真面目に考え込んでいただけに、感情を逆なでされたのだ。

「……からかわないで」

「いや、僕は真面目なのだが……。怒らせてしまったのであれば、謝ろう。すまなかった。ところで……君の名前も教えてもらいたいのだが?」

「……『雪風』のタバサ。これは、従者のシルフィード」

 タバサは、背後のシルフィードを杖で指し示す。

「ほう! シルフィードと言えば、風の妖精の名前。『雪風』の従者がシルフィードとは、なんとも良くできた話だねえ!」

 ジュリオは面白そうに笑っているが、タバサは聞いていなかった。
 シルフィードの様子がおかしいことに気づいたのだ。ガタガタと震えている。

「……?」

「お、お姉さま……。私……このひと苦手なのね……」

 別にシルフィードは、ジュリオと面識があったわけではない。ただ、本能的に危険を察知しただけ。
 タバサはジュリオのことが気になるが、シルフィードが嫌がるのであれば、何も今ここで長話をする必要もない。同じ傭兵同士、聞き出す機会は、これからも出てくるだろう。
 挨拶代わりに小さく頭を下げた後、タバサはシルフィードを連れて、ジュリオから離れた。
 そんな彼女に、立派な甲冑を着た男が言葉を投げかける。

「懸命な判断だな、嬢ちゃん。あのジュリオって坊主には、あんまり関わらない方がいいぜ」

 男の鎧には、黄色い竜の紋章がついていた。それを見て、一つの言葉がタバサの頭に浮かんだ。素直に口に出してみる。

「……空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)?」

「知っているのか。あの坊主が言うとおり、嬢ちゃんは物知りだな」

 今は亡き、クルデンホルフ大公国の親衛隊。当時ハルケギニア最強とも呼ばれた、大公家おかかえの竜騎士団だった。
 国家ぐるみでの陰謀が明るみに出て、かの国はトリステインに併合されたと聞いている。ならば国を失った竜騎士たちの中には、傭兵に身をやつす者が出てきても不思議ではない。
 そう思ったタバサは、ついでに一つ質問してみる。

「……竜は?」

「裏口から畑を少し降りたところにある小屋が、臨時の竜舎になっている。俺の竜も、あのジュリオって奴の竜も、そこにいるさ」

 タバサは、少し驚いた。
 神官姿ではあったが、ならばジュリオも竜騎士なのか。シルフィードの異様な反応も、彼が竜を操ることに関連しているのか……?
 しかし、振り返った彼女に対して、シルフィードは首を横に振る。 

「違うのね。そんな単純な話じゃなくて……とにかくゾッとするのね」

「ハハハ……。嬢ちゃんの従者は、いい娘だな。ああいうハンサムな気障野郎には、それだけでコロッとまいっちまう女が多いもんだが、嬢ちゃんたちは、見た目や雰囲気には騙されない……ってわけだ」

 元空中装甲騎士団の男は、タバサとシルフィードを気に入ったらしい。

「あいつに骨抜きにされるのは、人間の女だけじゃないぜ。……俺の竜まで、あいつに撫でられると、あいつの言うことをきいちまうんだ」

 彼は、有名な竜騎士団の一員だったのだ。竜使いとしての腕前も一流のはず。その彼の竜を自由に操れるのだとしたら、ジュリオという男、ますます怪しく思えてくる……。
 考え込むタバサ。
 男は彼女に体を寄せて、そして、ジュリオ——今はテーブルで酒を飲んでいる——の方を見ながら。

「この村は今、バケモノに襲われているわけだが……。俺に言わせれば、あのジュリオって奴も、一種のバケモノだね」

 小さな声で、ソッと告げた。

########################

 夜。
 傭兵たちの何人かは、寝ずの番をすることになっていた。
 基本的には村長の家で待機していればいいのだが、二人だけは外。一人は村を見回り、一人は村はずれのあばら屋を見張る。
 この当番から、女性は免除されていた。村長が気を遣ったのである。傭兵稼業に男も女もないのだが、雇い主に言われれば従う。それが傭兵というものだ。
 そんなわけで。

「……あたしたちは、この部屋で寝てりゃいいのさ。寝るのも仕事のうちだ」

 一人の女性メイジと相部屋だが、それでもきちんした寝室が、タバサやシルフィードには与えられていた。

「隣には村長の娘のジルが眠ってる。あたしたちは一応、彼女の護衛ってことさ。ほら、バケモノ事件とは別に、あのジルって子、中年オヤジに狙われてるみたいだから」

 長い銀髪の下、鋭い目を光らせて笑う女メイジ。
 彼女が杖を手にする際の仕草から、元は名のある貴族だったのだろうとタバサは察する。
 女メイジはブレオンと名乗ったが、当然、偽名だ。『ブレオン(小麦売りの汚らしい女)』などと娘に名付ける親がいるわけがない。
 もちろんタバサは深く詮索したりはしないし、寝るのも仕事のうちというのであれば早く休みたかったが、ブレオンの方は違っていた。

「あんたは正真正銘の貴族のようだね。まだ子供のあんたにゃ難しいかもしれないが、男ってもんは、根っから女を好む生き物なのさ。……あたしは女だが、三度の飯より騎士試合が好きでね。好きなだけ騎士試合ができる仕事を探していたら、いつのまにか、小麦売りの女頭目になっていたことがあって……」

 話の流れから考えるに、ここで言う『小麦』とは、男の欲望を満たすための女たち。第一、まっとうな小麦売りの店主は『女頭目』などとは呼ばれない。『騎士試合』というのも、そのトラブルがらみの殺し合いだろう。わざわざメイジを雇うほどトラブルが多発するならば、おそらく売られる女たちの同意があったわけではなく……。

「……ただの人さらい」

 遠回しな長話は鬱陶しいので、タバサはボソッとつぶやいた。 
 しかし。

「おや! あんた、ちゃんとわかるんだねえ! ……ま、食うためには仕方ないさ。でも、そいつらも結局、賄賂を受け取っていた役人ごと捕まっちまってね。仕事にあぶれたあたしは、しばらくフリーの傭兵稼業をしていたんだが……」

 ブレオンの話は終わらなかった。むしろ逆に、タバサが子供らしからぬ洞察力があるとわかったため、喜々として語り続ける。もうタバサを子供扱いするのは止めたせいか、聞いているだけで顔が真っ赤になるような話まで……。
 ちなみに。
 そんな二人の女メイジの横で、シルフィードはサッサと眠ってしまっていた。人間の姿に化けていると疲れるので、よく眠れるのである。

########################

 家々の灯りも完全に消え去り、星と二つの月だけが辺りを細々と照らす頃。
 三十がらみの長身のメイジが、寝静まった村の中を歩いていた。
 貴族にしては、世俗の垢にまみれた雰囲気の強すぎる男である。長い髪は無造作に後ろで縛られ、マントも身に着けていない。革の上着に擦り切れたズボンと、薄汚れたブーツを履いていた。

「こうして適当に見回りしてればいいだけ。……まあラクな仕事さ。文句を言ったら、バチが当たるってね」

 時折ひとりごとを口にするこの男。名をセレスタン・オリビエ・ド・ラ・コマンジュという。
 かつてはガリアの北花壇騎士だったが、『北花壇騎士』とは、ガリアの騎士の中でも、裏仕事を任される者たちである。騎士とはいえない騎士だと自分を蔑んだ彼は、他の騎士と揉めてクビになり、しがない傭兵暮らしをするようになったのだった。

「ん……?」

 歴戦の傭兵であるセレスタンが、突然、目を細めた。
 ガチャリ、ガチャリという音と共に、何やら人影が近づいてくる。

「……なんでえ、おどかしやがって。ルフトじゃねえか」

 傭兵の一人、ルフトと名乗る男だった。
 空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)出身だからルフト。もう清々しいくらいの偽名である。

「おい、ルフト。お前の持ち場は、ここじゃねえだろう?」

 ルフトの今夜の担当は、村はずれのあばら屋だ。
 そこに住むアレキサンドルたちは怪事件への関与を疑われており、村人から襲撃される恐れがあった。村長は、それを防ぎたい。
 また、もしも疑惑が本当であった場合、アレキサンドルたちを見張っておけば、バケモノによる新たな被害を未然に防ぐことも出来る。だから二重の意味で、あばら屋担当こそが、いちばん大切な仕事なのだ。

「あの家から、目を離すんじゃねえ。お前にゃ判らんかもしれんが、お前の任務は……」

 ルフトは今、甲冑のフェイスガードを完全に閉じている。口の動きも見えないし、瞳に浮かぶ感情も全く判らない。
 そのため、セレスタンは気づかなかった。いつにまにかルフトが『スリーピング・クラウド(眠りの雲)』を唱えていたことに。

「……!」

 言葉の途中で、崩れ落ちるセレスタン。深い眠りへと落ちていく……。

########################

 セレスタンの意識が戻った時。
 
「ここは……」

「おや、もうお目ざめかい?」

 最初に目に入ったのは、二十歳くらいの若い女性だった。
 ゆったりした白い服と、透けるような白い肌。そして、鮮やかなまでの紅さを見せる、つややかな長い髪と唇。
 絶世の……と言いたいくらいの美人だが、受ける印象は、まるで雪山で食べる氷菓子。

「お前……誰だ?」

 セレスタンは、顔をしかめる。
 周囲を見渡して、既に状況は理解していた。どうやら自分は、村はずれのあばら屋に連れ込まれ、テーブルの上に仰向けで縛りつけられているらしい。
 しかし。
 ならばこそ、この美女の正体が解せぬ。この家にいるのは、中年のアレキサンドル、その母親マゼンダ婆さん、みなしごエルザの三人のはず。こんな赤毛の美女など……。

「……まさか!? お前……マゼンダ婆さんか!?」

「おやおや。なんでわかったんだい?」

 彼女の紅い唇が、笑みの形に小さく歪む。
 まずい。
 セレスタンはゾッとした。自分は今、知ってはいけないことを知ってしまった気がする。

「安心なさい。あなたに用があるのは、私じゃないわ」

 そう言って、マゼンダがスッと横に移動。
 すると、背後に隠れていた者の姿がセレスタンの視界に入った。このあばら屋の住人の一人、エルザだ。
 五歳くらいの、美しい金髪の少女。人形のように可愛い女の子だが……。

「ごめんなさいね。この体になって以来、わたくし、ちょっと特殊な食料が必要になってしまって……」

 まるで大人の女性のような口調で、エルザは語りかける。

「……な、何をする気だ!?」

 怯えるセレスタンの首筋に、エルザは顔を寄せて。

「ありがとう。恐怖に歪む顔……。今のわたくしにとっては、それが最大のご馳走ですの」

 感謝の言葉を告げてから、彼女は口を開く。
 白く光る牙が、二個、綺麗に並んでいた。

########################

「……セレスタンが消えた?」

 翌朝。
 朝食の席で、タバサは、その情報を耳にした。

「ああ。夜回りに出たまま、戻ってこないらしい」

 タバサに教えてくれたのは、傭兵の一人、ルフトである。

「……『らしい』とは曖昧な言い方だね。あんただって、昨夜は起きてたんだろ? あんたが一番事情に詳しいはずじゃないか」

 スープをスプーンですくいながら、ルフトを責めるブレオン。
 しかし彼は頭をかいて。

「いやあ。俺は、村はずれ担当だったからなあ。一晩中あばら屋を見張っていたから、セレスタンの面倒は見れないさ」

「……フン。どうだか」

「なんだ? 貴様こそ、ベッドでヌクヌクと眠っていたくせに……」

 ルフトが顔色を変えた。食事中の今は、彼も鎧を脱いでいる。その格好で怒ったところで、威厳も迫力も全くない。

「なんだい、やる気かい? ちょうどいい、食後の腹ごなしに……」

「まあまあ。やめたまえ、君たち。食事中じゃないか」
 
 仲裁に入ったのは、ジュリオ。
 立ち上がりかけたブレオンが、椅子に戻る。
 彼女に向かって、ジュリオが微笑む。

「……あなたもですよ。そのような態度をとっては、せっかくの美しさも台無しです」

「はい。もうしわけありません、ジュリオ様」

 うっとりとした目で答えるブレオン。傭兵稼業にドップリ浸かった彼女であっても、ジュリオの魅力には、かなわないらしい。
 そんな二人から離れるように、椅子をズズッと引きながら。

「もう少しその話、教えて欲しいのね。きゅい」

 寡黙な主人に変わって、ルフトに尋ねるシルフィード。

「……残念ながら、俺も詳しくは知らないんだ。明るくなっても戻って来ないから、心配なんだが……」

「きっとバケモノ事件が怖くなって、村から逃げちゃったのね」

「いや、それはない」

 ルフトは、キッパリと否定する。

「あいつの荷物が、まだこの家に残っているからな。けっこうな大金も、中に入っていた。……俺たちは、傭兵稼業だぜ? これまで命がけで稼いだ金を残して逃げ出す馬鹿はいねえや」

 身につけて持ち歩けないほどの大金だったのか。それを荷物と一緒にしておくセレスタンも不用心だが、彼が行方不明になった途端に勝手に調べる傭兵たちも、ひどい連中だ。

「……ひとつ教えて」

 タバサが口を挟んだ。シルフィードに任せていては、必要な情報が得られないと判断したらしい。

「いつも……こうして、いつのまにかいなくなるの?」

 事前に聞いた話では、バケモノに襲われるという事件のはず。知らぬうちに消えていくのも怪談であるが、ちょっと話が違う気もする。
 ルフトは、ゆっくりと首を振った。

「いーや。今回みたいなケースもあれば、バケモノがやってきて食い殺される場合もある」

 ルフトが体を震わせる。よほど恐ろしい怪物が相手のようだ。

「僕にも教えて欲しいな」

 もたれかかるブレオンを無視しながら、ジュリオも会話に参加してきた。

「そのバケモノって、いったい何なんだい? みんな『バケモノ』としか言わないんだけど……」

 おや?
 不思議に思ったタバサは、ジュリオに視線を向けた。
 彼女の瞳に浮かぶ色に気づいたらしく、ジュリオが一言ことわる。

「僕も、村に来たばかりでね。君の二日前だ。だから、まだ実物のバケモノを見てはいないのだよ」

 それから、あらためて。

「……というわけで、ついでに教えて欲しいのだが?」

「うーん。俺もチラッとしか見ていないし、暗かったからハッキリとは断言できないのだが……」

 顔をしかめながら説明するルフト。

「あれは、竜の一種……だったと思う」

「……竜の一種?」

「そうだよ、嬢ちゃん。だがな……」

 ルフトは、クルデンホルフの空中装甲騎士だったのだ。竜には慣れているし、詳しいはず。彼が竜だと言うのであれば、竜なのだろう。
 だが、それは竜使いの目から見てもバケモノだったようで、思い出した彼は、ゴクリと喉を鳴らす。

「……奴の首は一つじゃなかった。胴体のあちこちから、無数の『頭』が生えていたんだ」

「きゅい! そんな竜はいないのね!」

「おう、俺もそう信じたい。……きっと、あれは自然の生き物じゃねえ。だから……バケモノだ」

 ルフトは、それ以上、何も言わなかった。

########################

 誰かがいなくなるのも、バケモノに襲われるのも、暗くなってからの出来事である。
 明るいうちは、サビエラ村は、平和な田舎の村であった。だから傭兵たちも、昼間は手が空いている。
 村人に小銭で頼まれて、畑仕事を手伝う者もいる。夜に備えて、体を休ませる者もいる。
 そんな中、タバサはシルフィードを連れて、村を歩き回っていた。

「お姉さま、何を探しているの?」

「……わからない」

 本音であった。
 ただ、どこかに何か怪しい痕跡があるのでないか。そう思って、漠然と見て回っているだけ。
 だから、それに気づいたのも偶然だった。

「あれは……?」

 真っ青な顔で走っているのは、ジルだ。
 手には手紙らしきものを握りしめているが……。

「何か様子が変なのね。きゅい」

 まるでタバサの内心を代弁するかのようなシルフィード。
 二人が見ているうちに、ジルは馬小屋から一頭の馬を出してきた。それを駆って、村を飛び出していく。

「……追う」

「きゅいきゅい!」

 タバサとシルフィードも走り出した。
 もちろん、人の足で馬に追いつけるはずがない。だが、適当なところでシルフィードの『変化』を解き、彼女の背に乗ればOK。馬よりは風韻竜の方が明らかに速い。

「そろそろ、いいかしら?」

 村を出て少し進んだところで、主人に尋ねるシルフィード。
 タバサも頷いたのだが、その時。
 バサッという風と共に、上空から声が。

「君たち! 僕のアズーロに乗りたまえ!」

 ジュリオだ。
 立派な風竜の背に乗っている。左手には錫杖を持っており、右手一本で手綱を握っていた。

「きゅい。危なかったのね……」

 もう少しタイミングがずれていれば、シルフィードが竜の姿に戻る現場を見られていたであろう。
 タバサもシルフィードも、ホッと胸をなで下ろす。
 しかし。

「……ああ、それとも使い魔の竜を使うかい?」

 そう言ってジュリオは、シルフィードに目を向けた。
 シルフィードはギクッとするが、タバサは、ちゃんととぼけてみせる。

「……何のこと?」

「ごまかさなくてもいいよ。僕にはわかっているから。そのシルフィード、君の使い魔の風韻竜だろう?」  

 ジュリオはウインクしてみせる。

「大丈夫、秘密にしておくから。君と僕、二人だけの秘密だ」

 他の少女ならばイチコロだろうが、タバサには通じない。眼鏡の奥の目を細めて、彼に尋ねる。

「……なぜ?」

「なぜって……何が?」

「なぜ、シルフィードを韻竜だと思う?」

「ああ、そのことか」

 ジュリオは、何でもないことのように肩をすくめて。

「僕にはわかるんだ。僕は、全ての獣……特に幻獣を操る力を持つ、ちょっと変わった神官だからね。獣神官ジュリオと呼んでくれていいよ」

「そう。……わかった」

 問い詰めたところで、これ以上の解答は得られそうにない。それに、ここで立ち問答をしている場合でもない。
 タバサはシルフィードに目で合図し。

「きゅい!」

 了解したシルフィードは、竜の姿に戻る。

「では、行こうか。あの娘を追うんだろう?」

 それぞれの竜に乗ったジュリオとタバサが空をゆく。
 ジュリオが少し先行する形だ。
 斜め前の彼を黙って見つめるタバサ。彼女の視線は、彼の右手の手袋に向けられていた。
 かつて書物で読んだ歌の一節が、ふと頭に浮かぶ。

『神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて……』

 まさか……あの白い手袋の中には……!?

########################

「この森に入り込んだようだね」

「……私たちも入る」

 鬱蒼とした森へと続く小道。
 その傍らの大木に、ジルが乗ってきた馬が繋がれていた。
 タバサとジュリオも、竜から降りる。

「ここで待っていておくれ、アズーロ」

 きゅい、と一声鳴いた竜は、空へと浮かび上がる。街道脇にたたずんでいては目立つから、適当に上空で待機するべき。そうした主人の意図を読み取ったのだ。

「お姉さま、シルフィは?」

「……同じく」

 シルフィードならばジュリオの竜とは違い、人間の姿で森の中に入ることも可能だが……。
 これからタバサは、ジュリオと一緒にジルを追いかけるのだ。シルフィードは同行させない方がよいという判断であった。
 シルフィード自身が本能的に嫌がっているが、それだけではない。先ほどのジュリオの言葉——全ての獣を操る力を持つ——もある。もうタバサも、なるべくシルフィードをジュリオに近づけたくなかった。

「わかったのね」

 タバサと離れるのは寂しい。でもジュリオと離れるのは嬉しい。複雑な気持ちで、シルフィードも空へ上がる。
 蒼い空の上でアズーロが、友だちを歓迎するかのように「きゅい」と鳴いた。

########################

 二人は、無言のまま走っていた。
 ジュリオが前で、タバサが後ろ。小柄な彼女よりもジュリオの方が足は速いはずだが、彼女のペースにあわせているのだろうか。二人は、一定の距離を保っている。
 しかし。
 突然、ジュリオの足がとまった。
 勢い込んで彼にぶつかることもなく、タバサもストップする。

「……どうしたの?」

「まいったね。ここで君とはお別れのようだ」

 ジュリオは、タバサに背中を向けたまま、手にした錫杖で指し示す。
 彼の体で前方の視界は遮られていたのだが……。
 ヒョイッと顔をのぞかせて、タバサも理解する。そこで道が二つに分岐していたのだ。

「……最近、人が通った形跡は?」

「どっちにもあるよ。本当にどちらもよく使われる山道なのか、あるいは、カモフラージュなのか……」

「……議論してる時間がもったいない。私は左へ行く」

「わかった。じゃあ、僕は右だ。ジルを見つけたら、魔法か何かで、適当に合図してくれ」

 小さく頷き、タバサはジュリオと別れる。
 自分は魔法を打ち上げればいいが、メイジでないジュリオは、どうするつもりなのか?
 一瞬疑問に思ったが、首を振る。あのジュリオのことだ。隠し技の一つや二つ、持っていることだろう。
 それよりも。
 どうせジュリオと離れるのであれば、シルフィードを連れてきてもよかった。今から呼ぶのも一つの手だが、そんなことをしては、ジル発見の合図だとジュリオに誤解されるだろうか……。
 そうやって考えながらも、タバサは、走り続けている。
 しかし……。

「……もしかして、ハズレ?」

 彼女のゆく道は、どんどん狭くなっていく。
 いわゆる獣道だ。一応、人が通れることは通れるが……。

「……いや。私の方が正解」

 自分の疑念を自分で否定するタバサ。
 彼女は、気配を察知したのだ。
 周囲に巧みに溶け込んだ、非常に薄い殺気。神経を鋭く張りつめていなければ、遭遇するまで気づかないであろう程度の……。

「ほう……。我の存在に気づいたか……」

 タバサが足をとめると同時に。
 前方に、黒装束の男が現れた。両目以外の部分は全て黒で覆われており、表情を読み取ることは全くできない。
 見るからに、悪の手先である。

「……どいて」

「そうはいかん」

 案の定。

「ここから先、例の娘以外、誰も通すな。邪魔者は全力で排除せよ。……そう依頼されている」

「あなた……誰?」

 無駄と思いながら、一応、聞いてみる。
 意外なことに、男は名乗った。

「『地下水』……。そう呼ばれている」

「……!」

 ハッとするタバサ。
 それは……裏の世界では有名な、暗殺者の名前であった。





(中編へつづく)

########################

 この「外伝」は、「ゼロ魔」としては外伝作品「タバサの冒険」を、「スレイヤーズ」としては「超巨大あとがき」(すぺしゃる8巻に収録)で語られた「闇に埋もれしエピソード」(『聖王都動乱』及び『白銀の魔獣』を盛り上げるための物語)を元にしています。
 「ゼロ魔」は知っているが「タバサの冒険」までは読んでいない……という方々もおられるでしょう。「スレイヤーズ」は知っているが「超巨大あとがき」までは読んでいない……という方々もおられるでしょう。そうした方々にも楽しんでいただけるよう書いていきますので、どうか、この「外伝」もよろしくお願いします。

(2011年5月15日 投稿)
    



[26854] 外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」(中編)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/18 21:53
   
「そんなはずはない……。でも……。もしかして……」

 森の小道を急ぐジルの手には、一通の手紙が握られている。
 彼女の部屋の、机の上に置かれていたものだ。
 いつからそこにあったのか、わからない。
 ジルが手紙に気づいたのは、つい先刻だった。だが、もしかすると、朝になってから置かれたものではなく、ジルが寝ている間に誰かが忍び込んだのかもしれない。

『おまえの妹は生きている。詳しい話を聞きたければ、地図に示した場所まで来い』

 その文面を読み、ジルは絶句した。

(妹が生きている……だって!?)

 信じられなかった。ジルの家族は、三年前に殺されたのだ。彼女の留守中に……キメラに食い殺されたのだ。
 ジルは、あの光景を今でも忘れない。父は下半身がなかった。母は内蔵を食われてカラッポだった。妹は、手が一個、残っていただけ……。

(……!)

 ジルはハッとする。
 手以外は全て食べられてしまったと思っていたが……。
 もしかすると、妹は、腕を食いちぎられただけだったのでは!?
 腕の途中を食われてしまい、先端の手だけが、あの場にボトリと落ちた。しかし妹自身は、逃げ出して、生き延びていたのかも……。
 そう考えると、もう体が動き出していた。
 馬で村を飛び出し、付記された地図に従って、この暗い森へ。
 細い小道を分け入って、鬱蒼と茂る森をくぐり……。

「……この中か!?」

 切り立った崖にポッカリと開いた洞窟の前で、ジルはつぶやいた。
 不気味な洞窟である。高さは五メイル、幅は三メイルほど。中は真っ暗で、どれだけ深いのかもわからない。
 体が震えるのを感じながら。
 ジルは、洞窟に足を踏み入れた。

########################

 同じ森の、少し離れた場所で。
 タバサは、黒装束の男と対峙していた。
 相手が告げた名前を、確認するかのように口に出す。

「あなたが『地下水』……」

「そうだ。名乗ることにしている。依頼主と……死にゆく者には……」

 地下水のように、音もなく流れ、不意に姿を現し、目的を果たして地下に消えていく謎のメイジ。狙われたら最後、命だろうがモノだろうが人だろうが、逃げることはできない。
 性別も年齢もわかっていないという話だったが、こうして見る限り、男のようである。
 その『地下水』が相手であるというならば、先手必勝。タバサは小さく、敵に唇の動きを見せずに呪文を唱えた。

「ラナ・デル・ウインデ」

 巨大な空気の塊が、黒装束の『地下水』を襲う。
 『地下水』は右に転がり、それをかわした。草木や茂みだらけの森の中とは思えぬ動きである。
 外れた空気の塊は、木々にぶち当たって四散する。その頃には、既にタバサは次の攻撃呪文を繰り出していた。
 今度は『エア・カッター』だ。風の刃が、『地下水』めがけて飛んだ。
 不可視の風刃をも、『地下水』は驚くべき体術で回避する。かわされた風の刃が、森の木々を切り刻んだ。

「自然破壊だな」

「……うるさい」

 意外に茶目っ気のある暗殺者なのだろうか。『地下水』が軽口を叩き、タバサも思わず応じてしまった。
 彼女はいったん、杖を構えなおす。立て続けに攻撃呪文を唱えたら、あっというまに精神力が枯渇するのだ。
 最近は他の強力なメイジと共に戦うことが多かったので、ガンガン連発するクセがついている。気をつけねばならなかった。
 今は一対一。しかも相手は『地下水』……。
 無表情の下、焦りが回転する。さすが悪名高い暗殺者、『地下水』は相当な体術の使い手であるようだ。 
 こうしてタバサの攻撃の手が緩んだところで。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 呪文詠唱と共に左手を突き出す『地下水』。
 青白い雲が現れ、タバサの頭を包んだ。『スリープ・クラウド』だ。

「……嘘!?」

 彼の手に杖は握られていない。
 メイジが使う系統魔法は、幻獣やエルフが使う先住魔法とは異なり、媒介となる杖を必要とするはず。
 杖なしで系統魔法を使えるメイジなど、聞いたこともない。
 だが現に、強烈な眠気がタバサを襲っている。トライアングルクラス——と彼女自身は思っているが本当は既にスクウェアクラス——の強力なメイジであるタバサは、強靭な精神力でもって、その魔法に耐えた。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」

 次に『地下水』が唱えたのは、タバサお得意の『ウィンディ・アイシクル』。いつもは敵に食らわせる氷の矢が、タバサに向かって飛んでくる。
 とっさに身をかわすが、あいにく、障害物の多い森の中だ。

「……うっ!?」

 一本の氷が、彼女の左腕を貫いた。そのまま彼女の小さな体を、森の木に縫い付ける。
 左手の感覚がなくなっていく。氷の矢にこめられた魔力で、氷結していくのだ。
 タバサの同じ魔法ほど強力ではないようで、一瞬のうちにパキンと砕け散るわけではないが、このままでは彼女は左腕を失うことになるであろう。

「ウル・カーノ」

 自分の腕を『発火』の呪文で焼くタバサ。荒療治であったが、とりあえず氷の矢は溶かすことができた。もしかすると凍傷と火傷で、後で左腕を切断することになるかもしれないが、仕方がない。木に縫い留められて動けない状態では、魔法攻撃の的でしかないからだ。

「……思いきったことをする娘だな。しかし、残念。……もう手遅れだ」

 ハッとするタバサ。
 呪文が聞こえていなかったので、少し油断した。
 彼女が今の処置をしている間に、『地下水』は、すぐ目の前まで迫っていた!

「うっ……」

 みぞおちに膝蹴りをくらい、うめくタバサ。
 反対側の足で、『地下水』はタバサの杖を蹴り飛ばした。
 さらに。

「これで呪文も使えまい」

 彼の右手が、タバサの口を押さえつける。
 続いて左手が喉を。声帯を握りつぶすつもりらしい。
 いや、このまま絞殺する気だろうか!?
 先ほど身をもって食らった『ウィンディ・アイシクル』の威力から判断するに、『地下水』の魔力そのものは高くはない。むしろ体術を得意とする暗殺者のようだから……。
 消えゆく意識の中。冷静なタバサの頭脳は、最後まで『地下水』の分析をしてしまう。
 そして……。
 彼女の意識は、暗転した。

########################

 暗い洞窟の中を、ジルは進んでいく。
 真っ暗というわけではない。適当な間隔で、壁に魔法の明かりが灯されている。自然のままの洞窟ではなく、誰かが手を加えたという証であった。
 元々は、染み出る水が岩盤を溶かして作られた鍾乳洞……。ジルは、そう推測した。弱い明かりに照らされて、天井から垂れ下がる石氷柱や地面から突き出した石筍も見えたからだ。
 冷えた、湿った空気が奥から流れてくる。時々、獣の咆哮のようなものも聞こえてくるが、気のせいであろうか?
 ……いや、気のせいではなかった。

「こいつは!?」

 ジルの前方に見えてきたモノは、恐ろしいバケモノ。
 赤黒い鱗に包まれた大きなトカゲの足。そこだけ見れば普通の火竜だが、見上げた途端、ジルは言葉を失う。
 その胴体からは、無数の『頭』が生えていた。
 馬の首があった。
 豚の首があった。
 豹の首があった。
 熊の首があった。
 狼の首があった。
 人らしき首があった。
 その他、様々な首が、それぞれに呻きをあげている。
 初めて見る怪物だが、ジルにはわかった。

「これが……サビエラ村を襲うバケモノだ……」

 絞り出すように、彼女の口から出た言葉。それに呼応する者があった。

「そうですわ」

「……エルザちゃん?」

 バケモノの後ろから現れたのは、小さな可愛い女の子。しかし、その外見に騙されてはいけない。こんな洞窟でバケモノと共にジルを待っていたエルザが、純真無垢な少女であるはずがない。
 エルザは、バケモノの肌をペタペタと叩きながら。

「これはキメラドラゴン。かつて『ファンガスの森』で作られ……」

「ファンガスの森!」

 ジルの叫び声が、エルザの言葉を中断した。
 それは、かつてジルの家族が暮らしていた場所の名前。強力な『合成獣(キメラ)』を作る研究が行われていたが、そのキメラの暴走で研究していた貴族自身も食い殺されたという、いわくつきの森だった。
 狩人仲間からも敬遠されていたが、だからこそ獲物も多いという判断で、ジルの家族は狙って住み着いた。しかしジル自身は猟師暮らしが嫌で、家を飛び出して街へ。でも奉公も続かず、帰ってきたところ……。
 ジルの家族は、森のキメラたちに食い殺されていたのだ。

「……ええ、そうです。あなたの住んでいた『ファンガスの森』ですわ」

 事情を知っているかのようなエルザの言葉。
 ジルは驚くが、同時に、ようやく気づいた。
 エルザの口調がおかしい!? 村で見かけた時は、もっと年相応の話し方をしていたはずだが……。

「ごめんなさいね。わたくしの前任者は、やり方が乱暴で……。最初からわたくしがこの作戦を担当していれば、あなたの家族を襲わせたりもしなかったのに……」 

「なんだと!?」

 ジルの家族は、エルザの『前任者』に殺された……。今、エルザはそう言ったのだ。
 激昂し、エルザに詰め寄ろうとするジル。
 しかし彼女は動けなかった。後ろからガシッと彼女を羽交い締めにする者がいたからだ。アレキサンドルである。

「離せ! 今、おまえに構っている暇は……」

「あら。今の彼に、言葉は通じませんよ? アレキサンドルは現在、『屍人鬼(グール)』状態。わたくしが送り込んだ血が解放されて、わたくしの操り人形になっていますから」

「グール……だと!?」

 詳しくは知らないが、ジルも少し聞いたことがある。『屍人鬼(グール)』とは、吸血鬼に血を吸われて、吸血鬼に操られるようになった人間のこと。
 ならば、このエルザという少女は……。

「そうですわ。でも……不便ですわね、吸血鬼って。太陽の光にも弱いし、人間のようなゴハンも食べられない。『屍人鬼(グール)』に出来るのも、一度に一人きり……」

 吸血鬼。それだけでも恐ろしい存在だが、エルザの口ぶりから察するに、ただの吸血鬼でもないらしい。
 ここに来た目的は、妹に関する話を聞くことだった。だが、まずは目の前の怪物の正体を知らねばならない……。
 そんな強迫観念におそわれて、ジルは尋ねた。

「おまえ……何者だ……?」

「見てのとおり、今では吸血鬼ですわ。……このエルザという名前の吸血鬼の体に、脳を移植してしまいましたから」

 脳移植!
 キメラ製造以上の禁忌である。そもそも、不可能ではないが大変困難な技術のはず。
 いや、それよりも。
 吸血鬼に脳を移植したということは、この『エルザ』は、もとは人間だったということか……。
 ジルの顔色から、その考えを読み取ったらしい。エルザは、微笑みながら。

「申し遅れました。わたくしの名前はリュシー。組織の中では……シスター・リュシーと呼ばれております」

########################

『お見事! お見事! いやぁ、たいしたものだねシャルロット! 父さんにだってそこまで繊細に、人形を操ることなんてできないよ』

 うららかな春の日差しが暖かい中庭で、男が嬉しそうに愛娘を抱き上げた。四十を過ぎてはいたが、青年のように瑞々しい顔をしている。
 まだ十一歳の少女は、父親に頭を撫でられて、気持ち良さそうに笑っていた。

『すごいでしょ! ほめて、ほめて!』

『よし! じゃあ屋敷まで、父さんがおぶって行ってあげよう」

『わーい! おんぶ、おんぶ!』
 
 父親の背中でキャッキャッとはしゃぐ少女。
 ……これは夢だ。
 タバサには、それがわかっていた。
 まだ幸せだった頃の思い出。
 いや、事実とは少し違う。たしかに当時の彼女は、素直に父に甘えていたが、でも、これほどストレートではなかった。
 きっとこれは、過ぎ去りし日を想うと同時に、「こうしておけばよかった、ああしておけばよかった」という気持ちが見せている夢なのだ……。

「……父さま」

 自分の口から出た寝言で、タバサは目を覚ました。
 体が揺れている。どうやら、誰かに背負われているらしい。だから、あんな夢を見たのであろうか。しかし、これはいったい誰の背中なのか……。

「おや、気がついたようだね。可愛い妖精さん」

 その言葉でわかった。
 ジュリオだ。
 タバサは、ハッと身を硬くする。

「……おろして」

「君がそう言うのであれば」

 立ち止まり、タバサを降ろすジュリオ。
 彼女の顔に右手を近づけて……。
 白い手袋の指で、タバサの顔をスッとぬぐった。

「……何?」

「君に涙は似合わないよ」

 言われて気づく。少し泣いていたようだ。あんな夢を見たからなのか。
 気恥ずかしさから、顔を赤らめるタバサ。だが、頭がハッキリしてくると同時に、それどころではない状況だと思い出した。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 タバサの礼に、即座に返すジュリオ。無口な彼女の説明不足も、気にしていない様子。
 何に対しての「ありがとう」なのか、ちゃんと通じたのだろう。
 タバサが意識を失ったのは、『地下水』との戦闘の途中である。それなのに気づいたらジュリオと二人きりということは、ジュリオに助け出されたということだ。
 タバサは、自分の左腕に目を向ける。あの戦いでボロボロになったはずだが、今はまったくの無傷。まるで『地下水』との激闘こそが夢だったかのようだ。

「……それも僕が治しておいたよ。あと、喉もやられたようだから、ついでに」

 タバサの視線に、ジュリオは進んで説明する。
 彼女は、さらに聞いてみた。

「……どうして?」

「魔法で森を壊している音が聞こえてね。ジルを見つけた合図だと思って来てみれば……いやはや。あんな男と君が遊んでいたものだから、驚いたよ」

 聞きたかったこととは少し違う。

「……そうじゃない。どうして私を助けた? ……どうやって?」

「ん? ……そりゃあ当然だろう。君のような可愛い妖精を、傷だらけでおいていくのは、ちょっとね」

 澄んだ声で、タバサを妖精あつかいする美少年。これだけで舞い上がってしまう女性も多いだろうが、タバサは違う。誤摩化されることなく、質問を繰り返す。

「……どうやって?」

「それは秘密だよ。男は、秘密の多い生き物だからね」

 ウインクするジュリオ。詳しく語るつもりはないらしい。
 特殊な治療技術を持っているのであれば、タバサとしては是非知りたい。母親の心を治すヒントになるかもしれないと思ったのだ。
 しかし、今は問い詰めても無駄な様子。
 それに。

「……じゃあ行こうか。あんな男が出てきたということは、この先に何かある……つまり、ジルが向かっているってことだろうからね」

 ジュリオの言葉に頷いて。
 タバサは、彼と共に走り出した。

########################

 洞窟の中。
 リュシーと名乗った吸血鬼『エルザ』は、ジルに歩み寄る。

「ひっ……!」

 ジルは思わず後ずさりしたくなるが、それは出来ない。アレキサンドルに体を拘束されたままなのだ。
 彼女の怯えた様子に反応したのか、キメラドラゴンがグルルッと鳴いた。
 リュシー=エルザは、そちらにチラッと顔を向けて、

「あなたも自己紹介したいのね。でも、ごめんなさい。あなたには名前をつけていないから……」

 それから、ジルに対して説明する。

「このキメラドラゴンには、人なつっこいペット犬の脳が入っているの。だから、わたくしたちの言うことを忠実に聞いてくれるのですわ。……ああ、そうだ!」

 いいことを思いついた、という笑顔を作る吸血鬼。

「あなた、このキメラドラゴンに名前をつけてみませんか?」

「ふざけるな! なんで私が……」

「あら。だって……あなたの大切な妹さんも、この中にいるのですよ」

 言われてジルは、あらためてキメラドラゴンを注視した。
 そして……。

「……!」

 ジルの体が強ばり、震えだす。
 彼女は見てしまったのだ。
 キメラドラゴンの胴体から生えている頭の一つは、彼女の妹のものだった。
 つまり、このキメラドラゴンこそが、ジルの家族を食い殺したキメラ!
 心の中で様々な感情が渦巻き、嵐となる。彼女は唇を強くかんだ。切れて、血が流れる。

「気づいたようですわね。……そうです。あなたの妹さんは、キメラドラゴンの中で永遠に生き続けるのです」

 違う。
 これは、もう『生きている』わけじゃない。
 ジルは、リュシー=エルザをキッと睨みつける。
 リュシー=エルザは、悲しそうな表情を見せた。

「わたくしも、理不尽にも父を処刑され、屋敷や家族を失った身。あなたの気持ちも、少しはわかるつもりです。……こんなことを言うだけ、あなたの怒りの火に油を注ぐだけでしょうけれど」

 そして、小さく首を振ってから。

「でも、これ以上あなたを苦しめたくない……。その気持ちは本当です。だから素直に教えて……」

 と、そこまで口にした時。
 その場に、一つの黒い影が出現した。

「もうしわけない。失敗した」

 戻ってきた『地下水』である。
 大事な話を遮られ、リュシー=エルザは、良い気はしなかった。が、放ってはおけない。

「失敗した……ですって? 暗殺者『地下水』ともあろう者が!?」

「女と男が一人ずつ。女の方は、あと一歩だった。しかし、男の方が問題だ。あれは……バケモノだ」

「あら。あなたが、そこまで言うとは……」

 リュシー=エルザは苦笑する。万全を期するために雇った暗殺者だったが、案外と役に立たないものだ。
 この時、キメラドラゴンがグルッと唸った。バケモノにはバケモノをぶつければいい、と志願したかのようだった。

「そうね。あなたに行ってもらいましょう。昼間に村まで出ては目立ちますが……この森の中ならば、大丈夫でしょうから」

 リュシー=エルザが微笑みかけると、それだけで理解したようで、キメラドラゴンは歩き出した。
 続いて彼女は、『地下水』にも指示を与える。

「……とりあえず、今は必要ありません。下がっていてください」

「了解した」

 黒い暗殺者が、音もなく姿を消す。
 静かになったところで、リュシー=エルザは、再びジルに話しかけた。

「さて。では、もう一度。……手紙に記したとおり、わたくしは、あなたに妹さんの現状を教えました。ですから、あなたも教えてください」

 彼女は、さらにジルに詰め寄りながら。

「あなたは……どこに『写本』を隠したのですか?」

########################

「この中のようだね」

 ジュリオの言葉に、タバサは小さく頷く。
 二人は、洞窟の入り口まで来ていた。
 十分に警戒しながら、暗い穴の中に入ろうとした時。

「……何か来る!」

 洞窟の左右へ、サッと身を躍らせる二人。
 中から飛び出して来たのは……。

「……これが!?」

 胴体からたくさんの首を生やした竜の怪物。サビエラ村を襲っていたバケモノだ。
 しかし、表情を引きしめるタバサとは対照的に。

「なーんだ。やっぱり、ファンガスのキメラドラゴンじゃないか」

 拍子抜けしたような声が、ジュリオの口からもれる。

「やっぱり……?」

 わずかに顔をしかめながら、聞き返すタバサ。目はキメラドラゴンから離さず、ただちに呪文を唱え始める。
 ジュリオからの返答など期待していなかったのだが、意外にも。

「『ファンガスの森』で作られたキメラドラゴンを彼らの組織が回収して、さらに手を加えたという噂があってね。……すると、サビエラ村でのバケモノ事件は、このキメラの運用試験だったわけか……」

 さらに説明を要する発言だ。しかし問いただしている暇はない。
 呪文詠唱を終わらせたタバサは、杖を振り下ろす。
 キメラドラゴンは、呑気なジュリオではなく殺気を放つタバサを敵とみなしたようで、タバサに顔を向けていた。彼女の杖から撃ち出された『ジャベリン(氷の槍)』が、キメラドラゴンが開けた口の中に突き刺さる。
 タバサの魔力で、キメラドラゴンの頭部全体が氷結。
 一瞬の間があり……。
 ピキッと凍りついた頭に亀裂が走り、バラバラにはじけ飛ぶ。
 しかし。

「まだだよ」

 ジュリオの言葉があったので、助かった。
 安堵することなく、警戒を解かなかったタバサは、サッと飛びずさる。
 キメラドラゴンの腕が伸びてきたのだ。もしも油断していたら、体を大きくえぐられていたかもしれない。

「……頭を一つ吹き飛ばしても、代わりはいくらでもあるからね」

 むこうでジュリオが言うとおり。
 ボコッと音がして、キメラドラゴンの胴体から肉塊が盛り上がった。モコモコと粘土のように、形をとり始める。新しい頭が生まれつつあるようだ。

「食った獣を取り込んで、それとそっくりな頭を生やす。そうして胴体から生えた頭が、メインの首がとんだ場合のスペアになる。……なるほど、こうやって頭部が生え変わるわけか。いざ目にしてみると、なかなか気持ち悪いプロセスだねえ」

 悠長に解説しながら、ジュリオは背後からキメラドラゴンに忍び寄る。その肌にスッと手を当ててみるが。

「……だめだな。僕の『力』も通じない。こいつは……もうケモノではない。人造のバケモノだ」

 残念そうに首を振り、また離れる。
 しかし今ので、キメラドラゴンの注意もタバサからジュリオへと移った。できたてほやほやの頭を、彼へと向ける。
 それは、人の顔をしていた。

「いたい……。いたいよう……」

「……しゃべった!?」

 驚愕するタバサ。
 ジャベリンでも頭を一つ吹き飛ばしただけ、つまり生半可な魔法では、このバケモノは仕留められない。そう考えて、弱点を見出そうと観察していたのだが、これは予想外だった。

「驚くことはないさ。聞いた話では、こいつはジルの家族を食らったという。おそらく……これがジルの妹の顔かな」

 ジュリオの話は、タバサには初耳のものばかり。
 さいわい今、キメラドラゴンの攻撃の対象はタバサではなくジュリオだ。質問するなら今のうちだと思った。

「……ジュリオ。あなた、何を知っているの?」

「そうだねえ……。妖精のように可愛い君が、そんなに知りたいと言うなら……少し教えてあげようかな」

 キメラドラゴンが爪を振るう。
 体重のこもったその一撃を、ジュリオは手にした錫杖であしらいながら、タバサと会話を続ける。

「オリヴァー・クロムウェル……という名前を聞いたことがあるかい?」

「……『レコン・キスタ』」

「そう。レコン・キスタという組織を作り、アルビオン王家を滅ぼした男だ」

 空に浮かぶ国アルビオンは、トリステインやガリアと並ぶ、歴史ある三大王家の一つであった。しかし国内で大規模な反乱が起こり、今では貴族政府が運営する国家となっている。
 その反乱勢力『レコン・キスタ』の中心人物が、オリヴァー・クロムウェル。反乱成功後、一時はアルビオン帝国皇帝を名乗ったこともあるが、結局は権力争いに敗れて失脚した……。
 これが世間で流布している話であり、タバサも、それに疑いを挟んだことはない。

「……アルビオンを追い出されたクロムウェルは、ガリアの片田舎に潜伏していたらしい。そこで、また新しい組織を立ち上げてね。……まあ、かりにも一時は一大勢力のトップに立った男。それなりにカリスマはあったようだよ」

 キメラドラゴンと戦いながら、ジュリオは説明する。
 それによると。
 今度のクロムウェルの組織は宗教団体。彼の出自は一介の司教であっただけに、宗教団体は、レコン・キスタ以上に扱い易かったのだろう。あれよあれよというまに、規模も大きくなっていった。同時に、いつのまにか団体の教義も変わっていく。
 もともと教団の母体は、新教徒の集まり。解釈こそ違えど、信仰の対象は始祖ブリミルだったはず。ところが……。

「……今では、彼らは魔王を崇拝する邪教集団だ。ま、クロムウェルがクロムウェルだからね。信仰云々より、何にすがってでもいいから力が欲しい、って連中が多かったんだろう」

 なるほど。
 一度そうなってしまえば、さらに悪党どもが集まってくるし、組織が悪事に走るのも当然。
 タバサは、事件の背後にあるものの大きさを理解した。だが、まだ肝心の話は不明である。これが、ジルの家族やサビエラ村と、どう関連するのか……。

「そして連中が今ねらっているのが……『写本』だ」

「『写本』!?」

 思わず聞き返したタバサ。
 『写本』とは、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の知識の一部を記したものだと言われている。実際、タバサの知り合いのメイジの中には、『写本』から学んだ魔法を使いこなす少女もいる。
 本来『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』は、虚無魔法を使うメイジのみが——それも始祖の指輪をはめた時のみ——、読むことが出来る書物。でも『写本』ならば、普通の者でも読める。始祖ブリミルの知識の一端を、知ることが出来る……。

「……そうだ。その『写本』だよ。その重要性は、君にもわかるだろう?」
 
 タバサは頷いた。
 そして、これは他人事ではないと気づく。
 なにしろ、始祖ブリミルの知識なのだ。エルフと戦ったと言われる始祖ブリミルならば、エルフの薬に対抗する手段も知っていたかもしれない。
 エルフの薬で心を壊された母を、もとに戻す方法。それだって……『写本』に記されているかもしれない!

「そうした『写本』の一つを、森に隠れ住むジルの家族が持っていたんだ。だからクロムウェルの教団は、キメラドラゴンを使ってジルの屋敷を襲った。ところが……発見できなかった」

 タバサは思い出す。ジュリオは先ほど「このキメラの運用試験」と言っていた。
 ……つまり。
 キメラドラゴンの実戦投入テストと、『写本』争奪。その二つの目的で、邪教集団は、このバケモノを用いた。
 テストは成功したが、あいにく探していた『写本』は見つからない。ならば生き残ったジルが持っているに違いないと、ジルを追跡。サビエラ村にやってきた……。

「……これで、だいたい理解できただろう? ならば……君の魔法で、こいつにトドメをさしてくれないかな?」

 お茶にでも誘うかのような気楽な口調で、ジュリオは、そう言った。

########################

「あなたは……どこに『写本』を隠したのですか?」

「……『写本』?」

 リュシー=エルザに問われて、ジルは聞き返してしまった。
 何を聞かれても絶対に口を開かない、と決めていたのに。

「そうです。あなたの屋敷にもなかったし、あなたの家族も持っていなかったそうですわ。……あなたが持って逃げたのでしょう?」

 最初、ジルは何の話だかわからなかった。が、途中で思い当たる。
 家を飛び出した時……。
 たしかに彼女は、あれを持ち出していた。
 両親が「この中には、御先祖様から託された、大切な書類が入っているんだよ」と言っていたもの。
 それほど重要なものならば、それを持っている限り、家族との縁も切れないだろう。そう考えて、黙って持ち出したのだが……。
 まさか……あれの為に、家族は殺されたのか!?

「……その表情では、やはり心当たりがあるのですね。教えてくださいな」

 答える代わりに、ジルは顔を横に背けた。
 リュシー=エルザは、悲しそうな目で溜め息をつく。

「抵抗はしないでください。これ以上……あなたを苦しめたくはないのです」

 リュシー=エルザはジルの顎に手をかけて、無理矢理、自分の方を向かせる。
 ジルは口を開いた。

「あたしも……このアレキサンドルのように、グールにするつもりか。あんたの操り人形にして、聞き出すつもりか!?」

 家族を殺され、自分はグールにされ、リュシー=エルザの思うがまま。そして彼らは、目的を果たして万々歳。
 そんなことは許せない。
 だが、今のジルに出来る対抗策は、もうほとんどなかった。彼らの計画を妨げるためには……。思いつく手段は、ただ一つ。
 屍人鬼(グール)にされる前に、舌を噛んで死んでやる!
 目を閉じて、それを実行しようとした時。

「そんなことは、しませんわ」

 リュシー=エルザが静かに言う。
 ジルは思いとどまった。

「……というより、できませんの。アレキサンドルを『屍人鬼(グール)』として使っていますから。先ほども話したように、一度に一人しか操れない……けっこう不便なんですよ、これ」

 こんな状況の中でも、少し安心するジル。
 ならば、自分が抵抗し続ければ……。

「でも、わたくし『制約(ギアス)』が使えますから」

「……ギアス?」

「ええ。心を操る水系統の呪文です。簡単な行動しか命令できませんけど、『写本』の隠し場所を喋らせるくらいなら十分ですわ。……ですから、あなたが最初から素直にわたくしの家まで来てくだされば、村で騒動を起こすこともなく簡単に片づいていたのに……」

 ニッコリと笑うリュシー=エルザ。
 ジルは、再び絶望した。

########################

「……私が?」

「そうだ。この程度のキメラ……君の魔法で、簡単に倒せるだろう?」

 キメラドラゴンをあしらいながら、アッサリと言うジュリオ。
 タバサは少し顔をしかめたが、すぐにそれも消える。
 彼女の表情の小さな変化を、彼は見逃さなかった。

「わかったようだね」

「……頭と首と胴体が、一直線に並ぶタイミング」

「そのとおり! さすが『雪風』の妖精だ!」

 最初のタバサの一撃が、キメラドラゴンの頭部しか吹き飛ばせなかったのは、ジャベリンが口内に刺さったからだ。だが胴体の中の臓器まで届けば、からだ全体を破壊できる。見るからに硬そうな肌をしているので、そうやって内側から倒すしかないだろう。

「では、どうぞ。可愛い妖精さん」

 このようにジュリオから呼びかけられるのは、何度目だろうか。
 だが、この時はじめて、タバサは体がゾクッとした。
 官能ではない。悪寒である。
 タバサは、ようやく理解したのだ。

「……私は、あなたの人形ではない」

「おやおや。賢い妖精さんだ。ますます好きになってしまうよ」

 ジュリオの『可愛い妖精』とは、魅力的な少女という意味ではなかった。戦力として使える手駒ということだ。
 それがわかった上で、なお彼の言うとおりに行動するのは、少し癪に触る。しかしキメラドラゴンを倒さねばならないのは確かであるし、タバサならば可能であるのも間違っていない。
 呪文を唱えながら、タバサは走り出す。ジュリオの隣、つまりキメラドラゴンの前方に回りこんだのだが……。

「……どうしたのかな?」

 杖を振り下ろすのを躊躇するタバサ。
 タイミングを見計らっている……というわけではない。ちょっとジャンプすれば、頭と首と胴体が直線上にのるような位置取りは可能だ。
 では、なぜ攻撃できないかというと。

「いたいよう……。いたいよう……」

 すすり泣く子供のような声が、まだキメラドラゴンの口から漏れているのだ。ジルの妹の顔をした、その口から。
 意識が残っているのだろうか。あるいは、生前の動きを繰り返しているだけなのだろうか。
 おそらく後者だと思うのだが、それでも。

「……しゃべってる。生きてるの?」

 尋ねるように、タバサはつぶやいていた。
 キメラドラゴンは答えない。ただ、その爪を振るうのみ。
 代わりに。

「違うよ」

 バッサリ否定したのは、傍らのジュリオ。

「彼女は、もう死んでいる。食い殺されたからこそ、こうして『顔』が出てきてるのさ」

 さらに、冷たい口調で。

「……それに、もしも生きていたところで、一度キメラに組み込まれた以上、もう元に戻すことは不可能だよ。美味しいミックスジュースを作れる料理人でも、そこからオレンジ・ジュースだけを取り出すことはできないだろう?」

 タバサは頷き、心を決めた。
 もう一度呪文を唱え直そうとしたのだが、ジュリオが目を細めて、追い打ちをかける。

「そもそも……。どっちにしたって、キメラドラゴンの首には、もう彼女の心は残っていないんだ。心がなければ……生きているとは言えないよね」

 ククッと笑うジュリオ。
 心がなければ生きているとは言えない……。
 母親の心を取り戻そうとあがくタバサにとって、これは聞き捨てならない言葉だった。
 タバサの魔力が、怒りで膨れ上がる。周りの空気が凍りついていく。

「……そう、その調子だよ、『雪風』の妖精さん。でも、間違えてはダメだ。その魔力をぶつける相手は僕じゃない。この可哀想なバケモノに叩き込んでやってくれ」

 全て計算のうち。
 そう匂わせながら、ジュリオは、目の前のキメラドラゴンを指し示した。

########################

 絶妙なタイミングで放たれた氷の槍は、キメラドラゴンの口に飛びこみ、喉を裂き、胴体の中へ。胃袋に突き刺さり、キメラドラゴンを体内から氷結させる。
 全身を凍らせるには至らなかったが、内蔵をやられたダメージは大きかったらしい。バケモノは口からドロドロの体液を吐き出し、ドウッと地面に倒れた。何度か痙攣して、動かなくなる。

「……やれやれ。けっこう手間取ってしまったね」

 そのとおり。
 タバサたちが来た目的は、キメラドラゴン退治ではない。
 行く手を遮る障害物を一つ、排除しただけ。それ以上の感傷を抱くべき出来事ではなかった。

「ジルが心配だ。先を急ごう」

 彼女の身を案じるかのような言葉だが、そこに気持ちはこもっていない。
 すでにタバサには、わかっていた。
 ジュリオの狙いも『写本』。あれだけ事情を知っていながら、それでもジルを放っておいたということは、自分から行動を起こしても無駄と判断したからだ。あえてジルを泳がせていたのである。
 こうして邪教集団の魔の手が伸びて来たのも、むしろジュリオにとっては好都合なのだろう。このイザコザをきっかけとして、『写本』の隠し場所まで案内させるつもりなのだ。

「……あなたも敵」

 洞窟に突入して、壁の明かりを頼りに走りながら。
 タバサは、小さくもらした。

「ん? 何か言ったかい?」

「……なんでもない」

 とりあえず、クロムウェルの教団に対しては共闘できる。
 ジュリオが自分を便利な戦力だとカウントしているのであれば、こちらも利用してやればいい。ジュリオを使って、ジルを助け出して、その後は……。

「おやおや。これは……」

 斜め前を行くジュリオが、突然、立ちどまった。
 タバサも停止。彼の背中から顔を出す形で、その場の様子を見る。

「……!」

 天井が少し高くなり、横幅も二倍くらいに広がった空間。
 その床に。
 ジルが倒れていた。

「遅かったようだね」

 ジュリオが、彼女を抱き起こす。
 タバサも近寄り、ジルの手首の脈をとるが……。
 確認するまでもなかった。
 口からは一筋の血が流れており、顔は既に土気色。生命の輝きは感じられない。
 ジルは、舌を噛んで死んでいたのだった。





(後編へつづく)

########################

 中編はジルの物語ということで、ここで区切り。

(2011年5月18日 投稿)
   



[26854] 外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」(後編)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/21 21:06
   
「うーん。これは……困ったなあ」

 ジルの亡骸を抱きかかえながら、淡々とつぶやくジュリオ。
 使おうと思っていた道具が壊れちゃった……。そんな口調である。
 彼女をモノ扱いするジュリオにも腹が立つが、タバサは今、自分自身にも怒りを向けていた。
 もっと早く来ればよかった。そうすれば、ジルを死なせずに済んだかもしれない。それが出来なかったのは、対キメラドラゴン戦で時間をくったからだ。
 あそこで躊躇したが故に、こういう事態に……。その想いが、タバサを責めたてる。
 でも。
 だからといって、ここで立ち止まるわけにはいかない。

「……ん? どうするつもりだい?」

 スクッと立ち上がったタバサに、ジュリオが声をかけた。
 彼に背を向けたまま、タバサは歩き出す。

「……追う。この先にいるはず」

 洞窟は一本道だった。途中で誰ともすれ違ってはいない。つまり、ジルを殺した教団の者は、洞窟の奥にいるのだ。

「なるほど。でも……ジルは放っておくのかい?」

 瞬間、タバサの足が止まる。

「今は。……あとで埋葬しに戻る」

「埋めちゃうのかい? ……いやいや、それは可哀想だよ。ちょうど、まだ聞かなきゃいけないこともあるから、こうやって……」

 洞窟内が、パーッと明るくなった。
 背後でジュリオが何かしたのだ。

「……!?」

 慌てて振り返った時には、既に光は収まっていた。
 そして、驚くべきことに。

「あれ? あたし……どうして……」

「お目覚めですか、お嬢さん」

 ジュリオの腕の中。
 死んだはずのジルが、目を開いていた。

########################

「……どうやって?」

 聞くだけ無駄だというのは判っているが、それでもタバサは、反射的に尋ねてしまった。

「それは秘密だよ。男は、秘密の多い生き物だからね」

 ジュリオの返答は、予想どおり。
 タバサは考える。使者を蘇らせるマジックアイテムで、真っ先に頭に浮かぶのは、アンドバリの指輪だが……。
 ジュリオの右手は、白い手袋に覆われていた。手袋内部の『手』がどうなっているか知らないが、指の部分が異様に膨らんだりはしていない。中で指輪をはめている様子はなかった。
 左手には四つの指輪をしているが、それもアンドバリの指輪とは別物。四つとも始祖ブリミルの指輪だ。
 では……どうやって?
 ジュリオに関する謎が、また一つ増えてしまった。しかし、とりあえず今はジルだ。

「ジル。話を聞かせて欲しいな」

 起き上がったジルに尋ねるジュリオ。タバサも知りたい。
 
「えーっと……あたし……」

 ジルは話し始める。
 手紙で誘い出されたこと。リュシーと名乗る吸血鬼『エルザ』たちが待っていたこと。そしてリュシー=エルザから知らされた真相……。

「……で、そのギアスって魔法に抵抗するために、死んでやろうって思ったんだけど……無理だったみたいだね」

 ジュリオとタバサは、顔を見合わせる。
 ジルが死んでいたことは敢えて告げまい。二人の顔には、そう書いてあった。

「その吸血鬼が、教団の作戦指揮官なわけか。ふーむ。それが、君を置いて姿を消したということは……」

「あたし……操られて、喋っちゃったのかな?」

 自決は成功しているのだから、情報秘匿にも成功したのかもしれない。あるいは、死に際にギリギリで言わされたのかもしれない。
 だが前者であるならば、ここにジルの死体を放置してはいかないだろう。となれば、後者である可能性が高い……。
 タバサはそう推測したし、ジュリオも同じだったらしい。

「……そうかもしれないね。とにかく、その吸血鬼たちを追おう。ジル、君は……」

「あたしも一緒に行く!」

 たった今まで死んでいたとは思えぬくらい、元気よく叫ぶジル。体を動かすにも支障はないようだ。

「わかった。じゃあ行こう」

 ジュリオ、ジル、タバサの順に並んで、三人は洞窟の奥へ進んでいく。
 途中、ジュリオは振り返って。

「そうだ。君に一つ、教えてあげよう。あのキメラドラゴンは……タバサが倒してくれたよ」

「……え!」

 少し間を置いてから、ジルはタバサに顔を向ける。
 すこし複雑な表情だが、それでも満足の色が浮かんでいた。

「ありがとう。あたしの家族の……仇を討ってくれたんだね」

 タバサは、何も言えなかった。ただ黙って、小さく頷くだけであった。

########################

 やがて、三人は再深部に辿り着く。
 ジルが倒れていた場所よりもさらに一回り大きな、自然の大広間になっていた。突き当たりの壁には、あのドラゴンキメラの全身すら映し出せそうな巨大な姿見がある。
 そして、その鏡の前には……。

「ここを死守しろと言われた」

 キメラの群れを率いた『地下水』。
 彼の後ろのキメラ軍団も、明らかに戦闘用に作られた怪物ばかり。頭が二つあるオオカミ、角を持つ巨大なヒヒ、腕が四本あるクマ、体に無数の太いトゲを生やしたトラ……。他にも、形容しがたいバケモノがたくさんいる。

「なるほどね。そういうことだったのか」

「……どういうこと?」

 ジュリオのつぶやきに、とりあえず聞いてみるタバサ。
 ここまでのつきあいで、彼女にも判ってきたのだ。ジュリオは何が何でも秘密主義というわけではなく、ちゃんと解説してくれる場合もある。
 この時も、そうであった。

「あの『鏡』さ。ほら、あの連中の存在を感知して、うっすらと光っているだろう? あれはただの鏡じゃない。『ゲート』のような魔法の鏡だ」

 そこまで聞けば十分。タバサは小さく頷いて、ポツリと口にする。

「……秘密の抜け穴」

「そういうことだ」

 リュシー=エルザたちが洞窟の外ではなく奥へ進んだことが少し不思議だったが、これで謎が解けた。なんのことはない、彼らはちゃんと『外』へ向かっていたのだ。
 おそらく、この『鏡』はサビエラ村に通じているのだろう。キメラドラゴンが村を襲う際も、外の街道を通ってではなく、この『鏡』から村へ向かっていたと思われる。

「じゃあ、さっさと片づけようか」

 ジュリオが、サラッと口にした。キメラ軍団や『地下水』を前に、まったく臆した様子はない。
 一方タバサは、前回『地下水』に手ひどく痛めつけられた記憶がある。今度は負けないと心に誓うが、体は正直だ。あの時の苦痛が、体に染込んでいた。完治したはずの喉と左腕が疼く。

「……そうか。君には、あの『地下水』は荷が重いのか。ならば、ここは僕に任せたまえ。君たちは、先に行って構わないよ」

 えっ、とタバサが思う暇もなく。
 敵が対処するよりも早く。
 ジュリオは、サッと左手を振った。
 チラッと指輪の一つが光ったように見えた直後、彼らの周囲に白い霧が立ちこめて、敵も味方も視界を奪われる。

「……わかった」

「えっ、何……」

 タバサはジルの手を取り、鏡に向かって走りだした。白霧の中でも鏡だけは淡い輝きを放っているため、はっきりと場所がわかる。
 キメラや『地下水』も無視して駆け抜ける。攻撃を受けるとは思わなかった。ジュリオがああ言った以上、ちゃんと防いでくれると信じていた。
 予想どおり。
 タバサはジルと共に、無事、鏡の『ゲート』に飛び込むことができた。

########################

「何が……どうなってるの……? あたしたち、鏡にぶつかったはずなのに……」

「……マジックアイテム」

 端的に答えるタバサ。
 鏡をくぐった先は、石室だった。
 石壁に覆われた、十メイルほどの長方形の部屋。ちょうどキメラドラゴンの体がすっぽり収まるくらい。

「……さがって。私の後ろに隠れてて」

「う、うん……」

 ジルの安全を確保してから、タバサは呪文を唱える。壁や天井に軽く風を当ててみたところ、天井が少し持ち上がった。

「……わかった。出口は上」

 ジルに言い聞かせるようにつぶやいてから、先ほどよりも強い風で、天井を吹き飛ばす。

「きゃ!」

 悲鳴を上げたのはジル。強風で飛んできた物が当たった……というわけではない。まぶしかったのだ。突然、昼間の陽光が差し込んできたのである。

「……外へ出る」

 魔法でタバサは、ジルと一緒に浮かび上がる。
 石室の外は、草地だった。そこに降り立つ頃には、ジルも光に目が慣れて来たらしい。辺りを見回して、タバサに告げる。

「ここは……サビエラ村のはずれだ。ほら、あそこにアレキサンドルたちが住んでた家もある」

 頷くタバサ。
 指し示されたあばら屋を見るのは初めてだが、だいたい予想は出来ていたからだ。
 彼らがバケモノ事件の黒幕であり、さきほどの洞窟がキメラドラゴンの隠れ家であった以上、ここに通じているというのが合理的である。

「こんなところに……こんなものがあったなんて……」

 ジルは信じられないという表情をしていた。
 タバサが中から吹き飛ばしてしまったので、今はポッカリと穴が開いている。だが、今まではちゃんと偽装してあったのだろう。だから村人たちも気づかなかったのだ
 村にはたくさんの傭兵が雇われていたが、しょせん彼らは『傭兵』。誰も事件解決を目指していたわけではない。むしろ、いつまでも雇っていてもらえるよう、解決を望まなかった者すらいたかもしれない。
 タバサやジュリオは真相を知りたがっていたはずだが、彼らは村に来たばかり。この辺りは、まだ調査していなかった。

「……ん? あれは……」

 村の中央の方角へ目を向けるジル。そちらから、人々が騒ぐ音が聞こえてきたのだ。

「行くよ!」

 ジルが叫んで駆け出す。もちろん、タバサも続いた。

########################

 サビエラ村の中央広場は、山あいの村にしては珍しく、かなりのスペースの平地となっている。集会や祭りなどの催しに使われる場所であり、時が時ならば村人たちの笑顔で溢れかえっていたことだろう。
 しかし、今。
 そこは戦場であった。

 ゴオオォッ!

 重厚な鎧で身をかためた男、ルフトの『カッター・トルネード』が荒れ狂う。間に真空の層が挟まっていて、触れると切れる。恐ろしいスクウェア・スペルだ。
 彼の周りには、すでに多くの傭兵たちが倒れていた。体中に切り傷が走り、血を流している。仲間だったはずのルフトにやられたのだ。
 そんな中。

「あたしは……前々から、あんたのことが気に食わなかったんだ……」

 一人の女傭兵が、しっかりと大地を踏みしめて、ルフトに吐き捨てた。
 ブレオンである。
 彼女もまた、『風』を得意とするメイジ。自身の風の刃を飛ばすが、ルフトの体には届かない。彼の竜巻に吸収される形で、消滅してしまう。

「ちッ! 厄介な相手だ……」

 なぜ突然、ルフトが仲間を襲い始めたのか。おそらく、少し離れたところで暴れているアレキサンドルと関係があるのだろう。
 だが理由など、ブレオンにはどうでもいい。久々に歯ごたえのある相手と戦えるのだ。
 全身から発せられるオーラで、長い銀髪がゆらめく。
 魔力そのものは、ブレオンも低くはない。ただ、それを扱う腕前に難があるだけ……。

「おや……?」

 迫り来る竜巻から目を離さず、なんとか避け続けながら。
 ブレオンは、視界の隅に、小柄な青髪少女の姿を認めた。昨日から傭兵集団に加わったメイジ、タバサだ。
 タバサが杖を振り下ろし、氷の矢が飛ぶ。それは背後の死角からルフトを襲う。
 まともに食らって、倒れ込むルフト。自慢の鎧ごと、地面と一緒に凍りついている。

「よし! とどめ……」

 ブレオンは杖に魔力を纏わせて、ルフトの元へ。その首めがけて振り下ろそうとするが……。

 バシッ!

 空気の塊を手に叩きつけられ、杖を取り落とした。

「何すんだい!?」

「……殺す必要はない。おそらく『制約(ギアス)』で操られていただけ。彼は元に戻る。それより……」

 近寄りながら声をかけるタバサ。彼女は自分の杖で、もう一つの戦場を指し示す。
 そこではアレキサンドルが、おのれの怪力だけを武器にして、数名のメイジ相手に大立ち回りを演じていた。

「……あっちは無理。『屍人鬼(グール)』だから、もう動く死体と同じ。あれこそ、ちゃんと始末してあげるべき」

 小さな少女は言い放つ。年長であるブレオンが驚くほど、冷淡な物言いであった。

########################

 洞窟の中の戦いも、既に勝敗は決していた。
 累々たるキメラの死体の中、静かに対峙するジュリオと『地下水』。

「おまえ……何者だ?」

 暗殺者『地下水』の目から見ても、ジュリオはバケモノであった。
 彼がリュシー=エルザから借り出したキメラたちは、強力なモンスターばかり。それが、こうも簡単に……。

「僕はジュリオ・チェザーレ。ロマリアの神官だよ」

「バカな。おまえのような神官がいるものか……」

「そう言われてもねえ。神官という言葉が気に入らないなら、獣神官と呼んでくれてもかまわないけど?」

「……そういう問題ではない」

 彼らしくないことだが、『地下水』の声には、焦りの響きすらあった。

「そんなことよりさ。どうする? 今度こそ決着をつけるかい? それとも、さっきのように逃げるのかな」

 今の二人の位置関係は、戦闘が始まった時とは逆になっている。
 鏡を背にして立っているのは、『地下水』ではなくジュリオの方だ。タバサたちを追うという意味では、これ以上『地下水』と戦う必要はなかった。

「殺せ……と言われれば殺す。それが暗殺者だ。しかし俺ではお前には勝てん。……今の俺では」

 まるでパワーアップの余地があるかのような含みを残して。
 『地下水』は、ジュリオの前からアッサリと消え去る。
 
「ふーん。身のほどをわきまえている奴もいるんだな。……人間の中にも」

 そう言いながら、ジュリオは鏡の中へ入っていった。

########################

「ウオーッ!」

 獣の咆哮をあげ、アレキサンドルが傍らの杭を引き抜いた。熊のような力である。

「こいつ……強いぞ!?」

「バカ、お前が邪魔なんだよ!」

 これまでアレキサンドルが傭兵メイジたちと対等に戦ってこれたのは、傭兵同士の連携がなかったからだ。『ブレイド』で杖を魔法の剣として斬り掛かる者もいたが、そうやって接近戦を仕掛けるメイジは、離れて魔法を撃ち込もうとするメイジを妨げる形にもなっていた。

「……どいて!」

 その状況が、タバサの加勢で一変する。
 アレキサンドルから距離をとるように指示を出し、言うことを聞かない傭兵には実力行使。風の魔法で吹き飛ばしてしまった。
 さらにタバサは、『ウィンディ・アイシクル』を唱える。

 シュカッ! シュカカカカッ!

 四方八方から現れた氷の矢が、アレキサンドルの体を串刺しにした。
 ドウッと地面に崩れ落ち、彼はジタバタと暴れる。
 
「……焼く」

 その一言で十分だった。傭兵たちの中にも、それなりの場数を踏んで来た者がいるのだ。あとは彼らの仕事だった。
 誰かがアレキサンドルに土をかけて。
 誰かが土を『錬金』で油に変えて。
 誰かが火の魔法で燃やして。
 ……『屍人鬼(グール)』アレキサンドルは、その場で荼毘に付された。

########################

 メラメラと燃える炎に照らされて、傭兵たちが静まり返る中。
 タバサが尋ねる。

「……説明して」

 誰に尋ねたのか、何を聞きたいのか、はっきりしない。それでも傭兵たちを代表して、同室で一夜を過ごしたブレオンが口を開く。

「あの三人が突然、出てきたんだ……」

 昼間は家に閉じ篭っているはずのマゼンダ婆さんと孤児エルザ。二人がアレキサンドルを連れて、あばら屋の方から村の中央へやって来たのだった。
 不思議なことに、マゼンダ婆さんは、いつもより数十歳は若く見えた。逆にエルザは、子供とは思えぬ声と口調だった。

「……で、エルザちゃんが言ったんだ。『この村も、もう潮時かしら』って」

 ただでさえバケモノ事件との関連を疑われていた者たちである。彼女の不審な言葉に、村人たちの数人が詰め寄った。
 ところがエルザは、それを撥ね除けて……。

「……そして、アレキサンドルが暴れ始めたんだ」

 人とは思えぬ怪力ぶり。村人たちの手には余り、村人たちと親しくしていた一部の傭兵たちが、まず助っ人として参加する。
 続いて、騒動を収めるようにと村長から言われて、他の傭兵たちも。

「そうしたら、なぜかルフトの奴が、向こう側に回っちゃってさ」

 タバサに対して説明しながら、ブレオンは鎧の男へチラリと視線を向けた。
 ルフトは今、凍りついた鎧を脱ぎ、少し離れたところに座り込んでいる。この騒ぎの間の記憶がないようで、キョトンとした顔になっていた。

「……彼も被害者。『エルザ』に操られていた」

「そうなのかい? ま、あんたがそう言うなら……」

 ルフトが『制約(ギアス)』にかかっていたのであれば、彼自身の意志とは無関係に、これまでも簡単な用事をさせられていたのだろう。おそらく昨夜のセレスタン失踪事件にも関わっているし、ジルの部屋まで手紙を届けたのも彼だ。
 しかし、それよりも今は、もっと大切な問題がある。

「……彼女たちは?」

「彼女たち……って?」

「マゼンダと『エルザ』」

「ああ、その二人かい。その二人なら、いつのまにか姿を消していて……」

「……わかった」

 アレキサンドルやルフトを暴れさせて、その隙に、二人は『写本』の在処へ向かったのだ。
 タバサは、そう推測する。ジルを見ると、彼女も頷いていた。同じ考えが頭に浮かんだようだ。

「なあ、タバサ。今度は、あたしが質問する番だ。……いったい何がどうなってるんだい? やっぱり彼女たちがバケモノ事件の黒幕だったのかい?」

「そうです。実は……」

 タバサより先に、ジルが答えようとする。
 彼女は、悲しそうな表情をしていた。
 リュシー=エルザから聞いた話によれば、このサビエラ村が襲われたのは、ジルのせいなのだ。家族を失ったジルが——『写本』の隠し場所を知っているジルが——この村で暮らし始めたからこそ、邪教集団もサビエラ村まで追って来た。ジルが来なければ、この村は事件に巻き込まれることもなく、平和に……。

「詳しい話は、あと」

 スッと杖を出して、ジルを制止するタバサ。
 今は一刻も早く、リュシー=エルザたちを追跡するべきだった。それに、事情を全て村人たちに語る必要もない。悪いのはジルではなく、リュシー=エルザたち邪教集団なのだ。

「タバサ、奴らを追っていくつもりかい。なら、あたしたちも……」

「……来なくていい」

 ブレオンの言葉を、タバサは切り捨てた。
 少しムッとするブレオンだが、先ほどの戦闘の様子を思い出し、納得する。

「そうだね。あたしたちじゃ、あんたの足手まといになる……」

「あたしは行くよ!」

 ジルが叫んだ。
 タバサは、あらためて彼女を見つめる。
 たしかに、ジルは一番の当事者だ。それに……。

「……『写本』の隠し場所に詳しいのは、彼女だからね」

 背後からかけられた声に、タバサが振り返るより早く。

「ジュリオ様〜〜!」

 ブレオンが、似合わぬ甘い声を出していた。

「どこに行っていたんですか!? タバサも一緒に姿を消したから、よもや二人で逢い引きでもしてるんじゃないかと、あたしは気が気じゃなくて……」

「……いつから、ここに?」

「『あんたの足手まといになる』ってところから」

 ジュリオに擦り寄るブレオンは無視して、タバサとジュリオは会話する。

「……来たばかり」

「そうだ。でも状況は理解できたよ。……逃げられてしまったんだね?」

 コクンと頷くタバサ。

「ならば、こんなところでモタモタしてる場合じゃない。僕たちも行こう!」

「はい、ジュリオ様!」

 行かないはずのブレオンが、力強く頷いていた。

########################

 ガリアの青空を二匹の青い竜が飛ぶ。アズーロとシルフィードである。
 シルフィードは、背中にタバサとジルを乗せていた。

「きゅい……」

「だめ」

 竜の意図を察して、先に制するタバサ。
 シルフィードにしてみれば、サビエラ村から少し離れたところで別れたタバサが、いつのまにか村に戻っていたのだ。そして今度は、また別の地へ向かうよう、命じられた。聞きたいことも話したいことも、たくさんあった。
 しかし、タバサとジュリオ以外の者がいる以上、おしゃべりは厳禁。わかってはいるのだが、ちょっと不満なシルフィードであった。
 タバサが、シルフィードの首をソッと撫でる。

「……それは、あとで」

「きゅい!」

 一方、アズーロの背には、ジュリオとブレオンが乗っている。
 足手まといだから行かないと言っていたブレオンも、ジュリオが行くと知った途端に前言撤回。タバサたちも、彼女を説得する時間が惜しいと判断して、同行を許したのだった。
 今は背中からジュリオにしがみついており、ブレオンは幸せ一杯の笑顔である。

「ああ……。ジュリオ様と空のデート……。夢みたいだわ……」

 おそらく彼女は、どこへ行くのか、何しに行くのか、気にしていないのであろう。事情を理解していれば、こんな呑気な態度でいられるわけがない。
 これから彼らが向かう先は、『ファンガスの森』。かつてジルが住んでいた森であるが、いまだにキメラが徘徊しているという危険なところでもある。
 その森の中に、ジルは家から持ち出した『写本』を隠していた。タバサたちは、リュシー=エルザの邪教集団よりも早く、そこに行かねばならないのだ……。

########################

 森の入り口で竜から降りて、四人は『ファンガスの森』へ入っていく。
 森の中は静かで、澄んだ空気の香りがした。
 先導するのはジル。先に出発したリュシー=エルザたちに負けないためにも、正確な場所を知るジルの存在は重要である。
 ブレオンはジュリオに腕をからませつつ、もたれかかっており、文字どおりの足手まとい。だが、ジュリオは気にしていない様子で、笑みすら浮かべている。
 タバサは杖を構え、周囲に気を配りながら歩いていた。
 やがて……。

「ここだ……」

 立ち止まったジルが指さしたのは、巨大な朽ち木。巧妙に草と薮で隠されていたが、根っこの隙間に、幅三メイルほどの穴が開いていた。

「……これが地下空洞に繋がってるんだ。たぶん獣かキメラの巣穴だったんだろうが、あたしが森に住んでた頃には、もう住人はいなくなっていた」

「キメラだとしたら……退治されたか、あるいは他へ連れて行かれたのだろうね」

 ジュリオの言葉で、タバサは思い出した。洞窟の鏡の前に現れた『地下水』はキメラ軍団を従えていたのだ。あのキメラたちも、この森で生まれたキメラなのかもしれない。
 しかし、そんなことより。

「……遅かったみたい」

「そうだね」

 タバサのつぶやきをジュリオも肯定する。
 二人は、穴の近くの落ち葉や泥土の様子から、人が入っていった形跡を見つけていた。

「……でも行く」

「ああ。まだ中にいるかもしれない。ここで引き返す手はないさ」

 タバサとジュリオの意見が一致する。ジルにも異論はなく、ブレオンに意見はなかった。

「さすがに危険だ。僕が前を行こう」

 敵が残っている可能性を考慮すれば、ジルを先頭にするのは愚策である、
 ブレオンというオマケつきのジュリオが穴に入り、ジル、タバサの順で続いた。

########################

 少し進んだだけで、地下の洞窟は行き止まり。直径が四メイルはあろうかという、球状の空間になっていた。誰が灯したのか、魔法の明かりが、うっすらと周囲を照らし出している。
 そこに……。

「やはり来たのですね。また『地下水』は失敗したのですか……」

 人形のように可愛い、小さな金髪の少女。
 タバサやジュリオは初対面だが、今さら紹介の必要もない。これが、リュシーという名を持つ吸血鬼『エルザ』だった。

「……おや? あなた、生きていたのですか!? それはよかった……」

 ジルの姿を目にとめて、ホッとしたような声を出すリュシー=エルザだが、

「よかぁないよ!」

 当のジルは怒っていた。目の前のリュシー=エルザこそが、サビエラ村での一連の事件の黒幕であり、ジルの家族を殺した邪教集団の一員なのだ。

「……『写本』は?」

 タバサが口を挟む。
 リュシー=エルザは目を細めて、少し間ジーッとタバサを見つめた。それから、ゆっくりと首を横に振って。

「組織の本部のお目付役のかたが、持っていってしまいましたわ」

 ここにいるのは、リュシー=エルザのみ。彼女と一緒だったはずの『マゼンダ婆さん』の姿は見えない。ならば、そのマゼンダという女が、リュシー=エルザの言うところの『お目付役』なのだろう。
 タバサが、そう判断した時。

「なるほど。ならば僕たちも、ここに長居する必要はない」

 軽い口調で言うジュリオ。それをリュシー=エルザが笑い飛ばす。

「あら、そうはいきませんわ。もしも追っ手が来た場合にはここで足止めをするように……と、わたくし、頼まれていますから」

「吸血鬼のレディ、残念ながら僕には、あなたの御相手をしている時間はありません。それは『雪風』の妖精たちに任せましょう。……では!」

 一陣の風が吹いた。

「……え?」

 続いて、ブレオンの倒れる音。

「ちょっと! どういうこと!?」

 驚きの声で、ブレオンはキョロキョロと周囲を見渡す
 たった今まで彼女が寄りかかっていたジュリオが、突然、その場からいなくなったのだ。

「あら……。困りましたわね。わたくし、これでは任務失敗ということになってしまうのかしら?」

「……そう。だから、もう私たちが争う必要もない」

 冷酷に聞こえるが、そうではない。タバサは、無用な戦いは避けようと提案したのだ。
 しかし。

「そうはいかない! こいつらは、あたしの家族や村の仲間の仇なんだ!」

 ジルは好戦的だ。背中のバッグから、何やらゴソゴソと、武器を取り出そうとしている。
 そして。

「そうですわ。ジルさんのおっしゃるとおり……。戦いは避けられません。『雪風』さん、せめてあなただけでも、この場に引き留めないと」

 リュシー=エルザが、手にした小さなタクトを構える。
 こうなっては仕方がない。タバサも杖を握りしめ、身構えた。
 隣では、ブレオンまで臨戦態勢。

「ええい、なんだか知らないけど! あんたのせいで、ジュリオ様が帰っちゃったじゃないか!」

 半ば八つ当たりでリュシー=エルザに怒気を向け、長い銀髪を震わせていた。

########################

「気をつけて! 彼女は高位の『水』メイジ!」

 リュシー=エルザは禁呪『制約(ギアス)』を使うメイジだ。それ自体も恐ろしい魔法だが、『制約(ギアス)』を使えるくらいなのだから、他にも強力な水の魔法を駆使するはず。
 そう考えたタバサは警告の意味で叫んだのだが、少し遅かった。

「ぐげ! ごげ! 息が! 息ができなぐぼごぼげごぼぉ」

 水の塊がブレオンを包み込み、水柱の中で彼女は悶える。
 戦闘開始早々、一人脱落。
 三対一という状況だったせいか、あるいは、必要以上の殺生を嫌ったためか。リュシー=エルザはブレオンを溺死させることなく、その意識を刈る程度にとどめて、次の標的へ。
 細い小さな杖から水の鞭が伸びて、タバサを狙った。
 しかし。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」

 タバサの『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』が水鞭を迎え撃ち、凍らせてしまう。

「やっぱり……。わたくしの水の力は、『雪風』のあなたには相性が悪いようですわね」

 どこか観念した口調のリュシー=エルザ。
 まだ戦いの途中だというのに、まるで既に勝敗は決したかのような態度である。
 こちらの油断を誘うための策であろうか? タバサは警戒を強めたが……。

 バシュッ!

「うっ……」

 狡猾なはずの吸血鬼は、演技ではなく、本当に隙があったようだ。
 メイジではないために、大きな戦力としてカウントされていなかったジル。彼女が放った一本の矢が、リュシー=エルザの胸を貫き、小さな爆発を起こした。

「……これは?」

「ただの矢じゃどうしようもないからね。あたしが作ったんだよ。いつか家族の仇をとるために、と思って……」

 問いかけるタバサに答えるジル。言葉だけ聞けば得意げであるが、その表情は険しかった。
 ジルの矢は、先端に火薬が取りつけられていたらしい。
 食らったリュシー=エルザは、胸に大きな風穴を開けて、その場に倒れていた。
 しかし、さすがは吸血鬼の生命力。人間なら即死するような傷だが、まだ喋ることができた。

「負けましたわ……」

 口からゴボッと血を吐きながら、リュシー=エルザは、歩み寄るタバサに語りかける。

「ここに来たあなたを見て、予感しました。あなたは倒せないと。わたくし以上に復讐心を秘めたあなたには、勝てるはずがないと」

「……え?」

 ジルが驚きの声を上げた。リュシー=エルザを射抜いたのはジルであり、そこには、彼女の復讐心がこめられていた。家族を殺した邪教集団に対する恨みがこめられていた。
 それなのに……。
 リュシー=エルザは、ジルではなく、タバサの復讐心について言及したのだ。

「もう最期です。わたくしの告解を聞き届けてくださいまし……」

########################

「わたくしは、ガリアの貴族の家に生まれました。ですが父は政争に巻き込まれて命を落とし、屋敷も財産も奪われたのです。……わたくしの父は、オルレアン公に仕えておりましたから」

 その名前で、わずかにタバサの眉が動く。それをリュシー=エルザは見逃さなかった。

「そうです。シャルロット様、あなたのお父上です」

 彼女は哀しげな目で、続きを語る。

「家族も散り散りになってしまい、わたくしは寺院に身を寄せ、出家することにいたしました。ですが本心から神を信じることは出来ませんでした。わたくしの家族を壊したガリア王政府への復讐……。わたくしの胸の内で、それがずっと燻っていたのです」

 やがてリュシーに、復讐の機会がやってきた。艦隊付き神官として、ガリア両用艦隊への赴任が命じられたのだ。
 海に浮かぶ帆船でありながら、風石を積み、空用の帆と羽を張る事で空軍艦としても使える両用艦隊。それが海沿いの軍港サン・マロンに停泊していた時、彼女は大事件を引き起こす。
 両用艦隊連続爆破事件。多くの艦艇と乗組員を亡きものにし、ガリア王国に多大な損害を与えた事件である。

「わたくし自身が手を汚す必要はありませんでした。寺院の告解室に来た信者に『制約(ギアス)』を刷り込むだけ。もともと寺院に来るような者たちは、すがりつくものを求める心弱き人間でしたから、簡単に『制約(ギアス)』にかかりました」

 それは宗教を信じる者の言葉ではなかった。宗教を利用する者の言葉であった。しかしタバサは頷いてみせた。

「……その事件は、私も知っている。結局、あなたは捕まった」

 この爆破事件に関する話は、噂で聞いただけではない。タバサは、カステルモールからも聞かされていた。真犯人を暴いたのはカステルモールであり、これも彼の手柄の一つとなったからだ。

「そうです。悪いことは出来ないものですね。……捕えられたわたくしは、あとは静かに死を待つはずだったのですが……」

 リュシーを助けたのは、クロムウェルの組織だった。
 当時のクロムウェルは、自分の手駒として使える者たちを集めている最中。あれだけの大事件の犯人であり、もはや表社会では生きていけぬ彼女は、かっこうの人材だった。

「そして組織の一員となったわけですが……。指名手配から逃れられるよう、新しい体と顔を与える……。そう言われて、吸血鬼に脳移植されてしまったのです」

 もはや人間ではなくなったリュシー=エルザ。そんな彼女を支えたのは、やはりガリア王家への復讐心。
 組織の教義など、当然、信じてはいない。ただ、力が必要だった。
 クロムウェルの組織の中で、少しでも高い地位へ上がり、ゆくゆくは組織の力を利用して、ガリア王家に戦いを挑む……。

「少しずつ頑張って……。ついに大きな作戦を任されたのです。『写本』を手に入れる……。これに成功したら、わたくしも組織の大幹部になったでしょうに……。あのマゼンダさんすら越える、高い地位に……」

 ジルを追ってサビエラ村に辿り着いたリュシー=エルザは、キメラドラゴン運用試験という別の任務も、同時におこなった。また、吸血鬼として『エサ』を必要としたため、村人や傭兵たちの誘拐も。
 半ば陽動として、それらに人々の目を引きつけておいて、本命であるジルへの接近を試みる……。
 これが、一連の事件の真相であった。

「ええ、たしかに『写本』は手に入れました。でも……わたくし自身がやられてしまっては……意味ないですわね」

 自嘲の言葉を吐く吸血鬼。しかしリュシー=エルザには、もう自身を笑い飛ばす力すら残っていなかった。
 最後に彼女は、まるで遺志を託すかのように、小さな手をタバサに伸ばした。

「シャルロット様。あなたならば……いつかきっと、復讐を成し遂げることができるでしょう。……お願いします。どうか……あなたのお父上と……わたくしの父の……仇を……。あの憎きガリア王ジョゼフを……」

 それが限界であった。
 彼女の手が、ストンと地面に落ちる。
 こうして。
 吸血鬼リュシー=エルザは、息を引き取った。
 ……無能王ジョゼフが既に滅んだことを、知らぬまま。

########################

 暗黒の洞窟から出て、鬱蒼とした森も抜けて。
 三人の女性は、竜の待つ場所まで戻ってきた。

「きゅい! きゅいきゅい!」

 騒がしいシルフィード。
 アズーロの姿が見えないところを見ると、ジュリオが乗って行ったのか。ならばシルフィードには、タバサに報告したい話もあるに違いない。

「……あとで。もう少し待って」

「きゅい……」

 言葉を交わす主従を見て、ジルが声をかける。

「いいよ。先に行きな」

 タバサは、まだ『写本』を追うつもりだ。それが判ったから、ジルは、ここでタバサと別れるつもりだった。

「なんだか知らないけど……。あたしたちは、歩いて村に戻るさ」

 ブレオンも、ジルに賛成する。実際には、徒歩で移動したら大変なので、どこかで馬か何かを借りることになるだろう。が、ともかく、これ以上タバサの世話になる必要はない。

「……わかった。ありがとう」

「あ! ちょっと待って……」

 竜の背に乗ろうとしたタバサに、ジルが駆け寄った。
 体を近づけて、小声で。

「さっきの話さ。聞かなかったことにしておくよ」

 リュシーの告白の中には、タバサが実は王族であるという内容も含まれていた。
 気絶していたブレオンは聞いていない。ジルさえ知らないフリをすれば、秘密は保たれるのだ。

「……そうしてもらえると助かる」

 タバサは頷いた。
 それから、あらためて、ジルとブレオンにペコリと頭を下げる。タバサなりの、別れの挨拶だった。

「きゅい!」

 シルフィードも、ひと鳴きして……。
 主従は、空へと消えていった。
 竜の青が空の青さに溶け込んで、やがて、姿が見えなくなる。

「……行っちゃったね」

「ああ。あたしたちも、帰ろうか」

 ジルとブレオンも歩き出した。
 しかし数歩も進まぬうちに……。

「おい、ジル! どうしたんだ!?」

 ジルが突然、倒れてしまったのだ。
 ブレオンはジルを揺さぶるが、まったく反応はない。
 それどころか、息もしていなかった。

「……死んでる」

 ジュリオから与えられた魔力が切れて、かりそめの命の灯火が消えたのである。
 当然、そんな事情をブレオンは知らない。ただ空を見上げて、叫ぶしかなかった。

「なんで……!? なんでなんだよう!」

########################
 
 ブレオンの声が届かぬ遥か先を、タバサはシルフィードに乗って飛んでいる。

「きゅいきゅい!」

「……もう喋っていい」

「きゅい! 色々あったのね! さっきも、あの恐い神官だけが戻ってきて……」

 ジルの死をタバサが知るすべはない。
 何も知らずに、タバサは『写本』を追う。
 そこには、心を取り戻す秘法が書かれているかもしれない……という淡い期待を胸にして。





 外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」完

(第四部「トリスタニア動乱」及び第五部「くろがねの魔獣」へつづく)

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 結局死んでしまうジルとか、ジョゼフ死亡を知らないリュシーとか、救いのない結末だと思われるかもしれませんが……。
 敢えて、こうしてみました。これは「外伝」ですから。

(2011年5月21日 投稿)
   



[26854] 番外編短編4「千の仮面を持つメイジ」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 22:57
   
 ……まさにそれは突然だった。

「ルイズ・フランソワーズ、かくごぉぉっ!」

「ひょえええっ!?」

 とっさに身を引く私の鼻先を、魔法の矢がかすめていった。

「なっ、なっ、な……」

 あやうくひっくりかえるところだったが、それでもなんとかバランスを立て直し、椅子から立ち上がって相手の方に体を向ける。
 小さな街の、小さなお店。クックベリーパイがメニューにあったので注文してみたら、田舎町とは思えぬ素晴らしい出来映え。あっというまに半分食べてしまい、さて残りは少しゆっくり味わおうか……と思った矢先の攻撃である。

「どうせ、こういう馬鹿なことをするのはキュルケ……」

 まだサイトを召喚していなかったが、既にキュルケは旅の連れ……という時期の話である。そのキュルケは、少し前にフラッといなくなっていた。だから、てっきりキュルケが、彼女流の再会の挨拶をかましてきたと思ったが……。
 キュルケではなかった。
 見れば相手は、私より十歳くらい年上の女性。格好からすると、貴族のメイジのようだ。

「……いきなり何なのよっ!」

「黙りなさいっ!」

 彼女は、キッと私を睨みつける。
 黒髪をひっつめ、眼鏡をかけた妙齢の女性。魔法修業の実戦よりも、屋内での魔法研究が向いていそうな面構えだが、眼鏡の奥の瞳は燃えている。

「兄のカタキ、覚悟!」

「ちょっ、ちょっと!?」

 彼女の杖から繰り出される水の鞭。それを避けながら、私は店の外に飛び出した。
 ちちぃっ! まだクックベリーパイ半分しか食べてないのに! でも私と違って逃げられないクックベリーパイさんは、水の魔法で、もうベチョベチョ。
 許せん! クックベリーパイさんのカタキ!

「『ゼロ』のルイズの実力……思い知らせてやるわ!」

 昼の日中の大通り。それでも少し走れば、ある程度スペースのある場所まで辿り着く。
 そこでクルッと体を反転させて。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース……」

「それは……『氷嵐(アイス・ストーム)』の呪文! トライアングルスペルじゃないの!?」

 うん。
 あんたが水系統のメイジみたいだから、私もそれ系の魔法を唱えてみた。あいにく、私が使うと全く別の魔法になるけど。

 ちゅどーん!

「きゃあああああああああ」

 黒コゲになった彼女が、空高く吹き飛んでいく。

「……安心しなさい。峰打ちよ」

 爆発魔法に峰打ちも何もあったもんじゃないが、そういう気分である。まともに直撃させるのではなく、足下で炸裂させたはずだから。……まあ実際には、ちょっとばかし当たっちゃったみたいだけど。
 これが、名前も聞きそびれた女メイジの見納めであった……。

########################

 ……とは、ならなかった。

「また見つけたわ、ルイズ・フランソワーズ! 今度こそ、覚悟!」

 私がそれに会ったのは、海辺の街道でのことである。
 潮風が、心地良く鼻をくすぐる。
 おひさまもぽかぽかとあったかい。
 季節はもう初夏。
 キュルケがいつもやっていたように、シャツのボタンを胸元まで開けたくなるような季節である。
 そんな陽気の中、それは体中を当て木と包帯でグルグル巻きにし、両手に持った二本の杖でなんとか体を支えながら、街路樹の木陰に立っていた。
 見ているだけで暑っ苦しい。顔も包帯でグルグルだから、見覚えも何もあったもんじゃない。なんとなく正体は予想がついたが、一応、聞いてみる。

「……誰だっけ?」

「忘れたとは言わさないわ! ヴァレリーよ、ヴァレリー!」

「ヴァレリーって……誰?」

 ザザーン……。波の音が遠くに響く。

「あなたに兄を殺されたヴァレリーよ!」

「ああ、やっぱり。あんたなのね」

 最初から、そう言ってくれればよかったのに。
 ……といっても、仇討ちの対象になるような事など、したことない。ただ、私をカタキと思う女メイジがいたのは覚えている。だから、彼女なのだろう。
 まさか「兄のカタキ!」と私を狙う女が、そんなにウジャウジャいるとも思えんし。

「今日こそは逃がさないわ! 私の得意の水魔法で……」

 言うなり呪文を唱え始めるヴァレリー。
 でも。

「……あれ? 杖……どうしよう」

 うん。
 ヴァレリーは両手の杖で体を支えているので、それを振り上げることも振り下ろすことも出来ない。そもそも、それは医療用の杖であって、メイジの杖ではない。いくらヴァレリーが変人であっても、さすがに松葉杖とは契約してないだろう。

「えーっと……」

 とまどう彼女に、私はテクテクと歩み寄り。

 コキン!

 彼女の杖に軽く足払いをかける。

 ペテッ!

 あっさり倒れるヴァレリー。

「ちょっと! 何すんのよ!?」

 ジタバタジタバタ。当て木が邪魔して、自分で起き上がることすらできないらしい。

「助けて……。ルイズ……」

 おおヴァレリー、カタキに助けてもらうとは情けない。
 ……なんて私は言わない。
 そもそも、助けてあげなかった。

「お願い……」

「知らんわい!」

 何やらわめき続ける彼女を見捨てて、私は、次の宿場街へと歩き出す……。

########################

「またまた見つけたわ、ルイズ・フランソワーズ! 今度の今度こそ、覚悟!」

 私はそこの露天で買った、桃りんごジュースを一気に吹き出した。
 いやいやながら彼女と三度目の遭遇を果たしたのは、前回から十日ばかりが過ぎた、ある街の中でのこと。

「……汚いわねえ。あなた貴族でしょう?」

 眉をひそめて言うヴァレリー。

「やかまひいっ! 誰のせいだと思ってるのよっ!」

「はあ? どういう意味よ……。誤摩化そうとしても、そうはいかないわ。……それに! すっかり傷の癒えた今、もう二度とあんな卑怯な手は通用しないわよ!?」

 彼女が自分で宣言したとおり。
 今日のヴァレリーは、もう、ケガ人スタイルではない。
 黒いマントに、白いブラウス。これでグレーのプリーツスカートならば典型的な学生メイジだが、残念ながら彼女は学生という年齢ではない。ロングブーツの上端が隠れるくらいの、長い紫色のスカートを履いていた。
 くにの姉ちゃんを思い出させる服装である。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! あなたも貴族なら貴族らしく、正々堂々と私に討たれなさい!」

 げ。
 こんなところで、私のフルネームを叫ばんでくれ。
 ……と思っていたら。

 バシャ! バシャシャシャシャッ!

 いきなり大量の『水』が降ってきた!
 ヴァレリーの先制攻撃だ。
 ぜんぜん正々堂々じゃねえええ!

「どうよ! 私の『ウォーターフォール』の威力は!? これなら、あなたでも避けられないでしょう!?」

 うん、たしかに回避不能。私は、頭からびしょ濡れになっていた。
 ……痛くも痒くもないけど。
 もともと彼女、兄の仇討ちって言ってたけど、こんなんでいいのだろうか。なんだか私に魔法を命中させることに特化しすぎて、すでに目的を見失っている気が……。
 そもそも。

「何するんだ、このアマ!」

「商売もんをあんなにしちまって! 一体この始末、どうつけてくれるってんだい!」

「いくら貴族でも、やっていいことと悪いことがあるぞ!」

 ここは屋台や露天商がズラリと並んだ大通り。
 私以上に迷惑をこうむった人々が、ほら、たくさん。
 こわいおっちゃんたちは、ヴァレリーを取り囲み、ズイッと迫る。
 皆それぞれ、濡れて駄目になった売り物を手にしているが……。水を吸った手ぬぐいって、叩かれると結構痛いのよね。時代物のお芝居でやってたのを見た事がある。

「ひ……ひええ……」

 ヴァレリーは貴族、彼らは平民。だが彼らの迫力に気押されて、ヴァレリーは思わず後ずさり。

「でも……」

「でももへったくれもあるもんかいっ! このかりは、きちんと働いて返してもらうからなっ!」

 貴族に対しても譲らないところは譲らない。さすが商売人のおっちゃんたち。
 さいわい、かたぎの人たちである。「ねえちゃん、体で支払ってもらおうか。グヘヘヘへ」なあんて事態には、ならなそう。よかったねヴァレリー、あんたの貞操は無事に守られそうよ。

「だって……私……」

 それでも泣きそうなヴァレリーは、チラリと私を振り返る。
 ……知らん、知らん。

「つけ狙われて困っていたところなんです。みなさん、煮るなり焼くなり、どうぞお好きに。……それでは私はこれで」

 言ってニッコリ微笑むと、一同に反論の機を与えぬうちに、クルリと背を向けて歩き出す。私も共犯だと思われては、たまったもんじゃないからだ。

「……さあっ! お前はこっちだっ!」

「とっとと働けっ!」

「まずは……」

「ひわーっ! かんべんーっ!」

 背中にヴァレリーの悲鳴を聞きつつ、私は足早にその街をあとにした。
 ……どうせまた、やってくるんだろうなあ、彼女。

########################

「ルイズ・フランソワーズ! 今度の今度の今度こそ、覚悟しなさい!」

 あだ討ちヴァレリーとの第四ラウンド。
 私は、またも屋台で買い食い中だった。
 極楽鳥の串焼き……といっても、たぶん本当は違う鳥だと思う。一口サイズに切ってあるので正体不明。でも美味しいからOK!
 三切れまとめて串に刺し、甘辛のタレで味つけして焼いたシロモノだ。鳥肉と鳥肉の間にはハシバミ草が挟まっているが、火を通すことで苦みも緩和され、ほどよいアクセントになっている。

「ひょっほはっへ(ちょっとまって)……」

 前回とは違って、今度は吹き出すこともなく。
 ちゃんと全部ゴックンしてから、私は彼女と対峙する。
 律儀に待ってくれた彼女は、私をピシッと指さして。

「今までは三回とも逃げられたけど! 今度はそうはいかないわよ!」

 あれを『逃げた』と言うのだろうか? ヴァレリーの常識では……。

「……けどあんた、あの街で壊したもの、ちゃんと弁償したの? ずいぶん早く追いついたみたいだけど……」

「ああ、あれね。もちろんちゃんと弁償したわよ。雨具屋さんと組んで、私の『ウォーターフォール』で集中豪雨を引き起こしたら、もうバカ売れ!」

 それって一種のマッチポンプ商法なのでは……。
 しかし一応、ここは褒めておくべき。

「ほほぉぉう、なるほど! そのテがあったか。……うーん目のつけどころが違う!」

「いやあ、それほどでも……」

 照れるヴァレリー。私の世辞を真に受けている。

「うーむ、私も今度やってみよ。……じゃあ、また何か新しい商売の方法、思いついたら教えてね」

 私は手を振ると、クルリと彼女に背を向ける。

「うん、わかった」

 手を振り返すヴァレリー。
 ……。
 その笑みが引きつる。

「ちょっと待ちなさいっ! 違うでしょーがっ!」

 あ、さすがに気がついたか。

「さすがにルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。あやうくまたも引っかかるところだったわ」

「……さすがも何も、普通はこんなもんに引っかかったりしないと思うけど……」

「おだまり! 人間を相手にすんのは苦手なのよ!」

 ……って。
 この人、じゃあ何を相手にすれば得意なんだか。

「ともあれ、決着の時は来たのよ!」

 このヴァレリーという人、さっきから大声で叫び過ぎである。
 私は当然のように美少女だし、彼女だって少しトウが立ってはいるが、美人の部類に入る。そんな二人が真っ昼間の大通りで騒いでいれば、注目の的。
 大道芸か何かだと誤解した群衆が、ワラワラと集まってきて、ヤジも飛ばしてくる。
 ヴァレリーは気にしていない——あるいは気づいていない——ようだが、私は、少し恥ずかしい。
 ならば。

「……わかったわ」

 ふうっと小さく息をつきながら。

「でも、こんな街の真ん中で戦うわけにもいかないでしょ。……いい!? よく聞きなさい!」

 私はビシッと人さし指を一本立てる。

「今日、夕日が海に沈む頃、この街の波止場に来なさい! いい? 必ずよ!」

 二人の間に流れる静寂。
 やじ馬たちも、シーンとする。
 やがて。

「……いいでしょう、ルイズ。せいぜい覚悟しておきなさい」   

 マントを風に遊ばせながら、ヴァレリーはきびすを返して。
 人ごみの中に消えていった。

「はあ……」

 ホッとする私。
 ……誤解のないように説明しておくと、私は『波止場に来い』って言っただけで、『待ってる』とか『決着をつけよう』などとは一言も口にしていない。
 だから波止場に行く必要はないし、彼女は一生そこで待ちぼうけ。

「……これで終わったのね」

 ふと仰ぎ見れば、空はどこまでも青かった。
 清々しい気分だ。
 ヴァレリーのことなど忘れて、私は歩き出した。

########################

 翌日。
 静かな海を眺めながら、私は海岸通りの道を歩いていた。浜辺では子供が数人、じゃれ合っているのが見える。
 そんな穏やかな景色を破って。
 
「もう逃がさないわよ、ルイズ・フランソワーズ!」

 あだ討ちヴァレリー、再登場。

「ルイズ・フランソワーズ……? 私、ヴァネッサですけど……?」

「……え?」

 ヴァレリーの顔に、とまどいの色が浮かんだ。
 それもそのはず。今の私は、目立つ桃色の髪を、魔法の染料でくすんだ茶色に変えているのだ。
 昨日ベッドに入る頃には彼女のことも忘れていたが、今朝になったら思い出してしまい、「どうせまた来るんだろうなあ」という気になった。だから、こうして変装しておいたのである。

「人違い……かしら? でも……」

「ごめんなさい。私、急ぎますので。では……」

 立ちすくむヴァレリーに軽く会釈して、私は歩き出す。
 ちょっとした変装でも、表情や声色などを変えれば、効果はバッチリ。女は生まれついての女優なのだ。タニアリージュ・ロワイヤル座の人気女優ノール・イールも言っているではないか、「女性は誰でも『千の仮面を持つ少女』」と。
 まして相手はヴァレリーだ。すっかり彼女は騙されたらしい。
 ……と思っていたら。

「待ちなさい、ちびルイズ」

 ビクッと反応してしまう私。
 だって『ちびルイズ』っていうのは、くにの姉ちゃんが使う呼び方なのだ。ヴァレリーが姉ちゃんと知り合いのわけないから、偶然の一致だと思うけど……。

「やっぱり! あなた、ルイズなのね!」

 仕方なく振り返った私に、ヴァレリーの愚痴が飛ぶ。

「……あなたが昨日あの場に来なかったせいで、集まったやじ馬たちにゴミ投げられるわ風邪ひくわ! さいわい私は水魔法の専門家だから、風邪は簡単に治せたけど!」

 水魔法の専門家って……。そんなまた、たいそうな言い方を。
 基本的には魔法は四系統なのだから、『水』を得意とするメイジはゴマンといるっちゅうに。

「今日という今日は、兄のためにあなたを倒す! ……だって、もらった休暇もそろそろ終わり。来週には王立魔法研究所(アカデミー)に戻らなきゃいけないから……」

 そうか、そうか。
 この人、職場から休みをもらって、その期間で仇討ちを頑張っているのか。ご苦労なことで……。
 って聞き流していたが、ちょっと待て。

「えっ!? ヴァレリーあんた、魔法研究所(アカデミー)の職員だったの!?」

「……そうよ。こう見えても私は、王立魔法研究所(アカデミー)の主席研究員の一人。水魔法を用いた魔法薬(ポーション)の研究をしているわ」

 私は目が丸くなった。
 魔法研究所(アカデミー)の主席研究員ということは……姉ちゃんと同じではないか!

「まさか……エレオノール姉さまの知り合い……?」

 私は茫然として、思わず口に出してしまった。
 それを聞いた彼女は、ポンと手を叩いて。

「今まで気づかなかったけど……。ラ・ヴァリエールの末娘ってことは、あなた、エレオノールの妹なのね。……そうか。じゃあ、この仇討ちの話も、まずはエレオノールに相談するべきだったのかしら」

「ちょっと待てえええええ!」

 私が大声で叫ぶ番だった。
 身に覚えなどないが、それでも姉ちゃんの耳に入るのは困る。家名に泥を塗ったとか貴族の名誉を汚したとか何とか言って、姉ちゃん、激怒しそうだから。
 まずい。とってもまずい。何としても阻止しなければ。
 しかし姉ちゃんの同僚であるというなら、アッサリ抹殺するわけにもいかんし……。

「わかった! 逃げない! 今日は逃げない! でもヴァレリー、いきなり戦う前に、まずは事情を説明して!」

「事情も何も……。あなたは兄のカタキよ」

「待って! そこんとこ詳しく!」

 世間の常識に疎い学者馬鹿かもしれないが、それでも一応は魔法研究所(アカデミー)の主席研究員。まんざら話の通じない相手でもないらしい。
 仇討ちであるならば、たしかに、ある程度の説明は必要と思ったようで。
 ヴァレリーは語り始めた。

########################

 彼女の話によると。
 半年前、彼女の兄が一人のメイジに殺された。
 即死ではなかったが、彼女が駆けつけた時には、既に虫の息。
 誰にやられたかと尋ねる彼女の腕の中。彼は最期に、こう言いのこした。

『……お前たちもよく知っている……あの……ラ・ヴァリエールの末娘の……』

「……そこで兄は、こと切れたのよ」

 うーむ。
 確かにうちの家は有名だし、末娘は私だが、メイジ殺しなんてしていない。時期的には私が旅に出た後なので、盗賊や野盗やモンスターならば殺していても不思議ではないが、ヴァレリーの兄さんは普通の貴族のはず。

「ねえ、ヴァレリー。そのお兄さんの言葉以外に……私が犯人だって証拠があるの?」

「……まだ言い逃れする気? ならば……ここに目撃証言もあるわ!」

 険悪な表情で、ヴァレリーは懐から羊皮紙の束を取り出す。
 彼女自身で調べ上げたものだろうか。あらためて私の前で、読み上げ始めた。

「長身の……」

 ……ん?
 自慢じゃないが、ちびと言われることはあっても、背が高いなぞと言われたことは一度もない。

「黒マントをまとった人物で……」

 そりゃあメイジなら誰だって大抵……。

「常に白い仮面で顔を隠しているが……」

 女は誰でも千の仮面を持つ女優。つい最近そう思ったこともあるが、それは比喩表現。現物の仮面なんて、かぶっちゃいない。
 私の顔は、どう見ても素顔である。

「隙間から見える限りで察するに、なかなかの美男子」

 ……おい。

「ちょっと待てい、おばちゃん」

 私はジト目で彼女を睨んだが、ヴァレリーは気にせずメモを読み続ける。

「仮面から時々はみ出る、おヒゲもチャーミング……」

 ヴァレリーは、ようやく顔を上げて、私を見つめた。
 それから、困ったように眉をしかめる。

「……全然違うわね」

「何を考えてのんよっ! 何をっ!」

「待って! まだ情報が!」

 再び羊皮紙に目を落として。

「……そのメイジは、様々な白仮面を所有することから『千の仮面を持つメイジ』と呼ばれ、また、グリフォンに騎乗することから『仮面のグリフォンライダー』とも呼ばれる……」

「わかった!? どう見ても私じゃないでしょう!?」

 グイッと詰め寄る私。
 しかしヴァレリーは何も答えず、スッと手を伸ばして来た。
 ……今さら和解の握手のつもりだろうか?
 そう考えた私が甘かった。

「痛っ!」

 いきなり左手をつねってきたのだ。

「何すんのよ!?」

「ごめんなさい! でも……たしかめたかったから。ほら、そのメイジの左手は義手……って書いてあるの。『銀の機械の腕をふるって、海を山をふるさとを荒し回る』って。その義手も五種類あって、それを付け替えることで、どんな敵とも戦えるんですって」

「そこまで情報を集めといて、何でそれを私だと思うのよ!? ……とにかく! これで私がお兄さんのカタキなんかじゃないって判ったでしょ!?」

「……まあ、ね。ごめん……」

 彼女は、わりと素直に謝った。

########################

 立ち話も何なので、海辺で座って話をする私とヴァレリー。
 夏の真っ盛りには屋外レストランになるのであろうが、海水浴で賑わう季節は、もう少し先だ。営業していない店先のテーブルと椅子を、私たちは無断借用していた。ビーチパラソルもついていて、なかなか快適である。

「そう言えば……」

 近くの屋台で買ってきたレモン果汁入り炭酸水を飲みながら、ヴァレリーが言う。

「私この街で、白い仮面をかぶった黒マントのメイジを見たわ。昨日のことよ」

「この街で!?」

「ええ。ちょっと気になったけど、グリフォンじゃなくてドラゴンに乗っていたから『仮面のグリフォンライダー』ではないし……。それに、あなたとの決闘のために波止場へ向かう途中だったから……」

 彼女は、ちょっと小首をかしげて、眼鏡のつるに指を当てながら。

「……でも今にしてみると、あいつ、怪しいわね」

「今にして思わなくても、それは十分に怪しいでしょ!?」

 私は叫んでしまった。
 まったく、この人は……。
 こんなのが王立魔法研究所(アカデミー)の研究員では、トリステインの未来も明るくないぞ。姉ちゃん頑張れと心の中で応援してしまう。

「ともあれ……」

 私は痛む頭を押さえながら言った。

「そいつを探すのはとりあえず午後ということにして、とりあえず、どこかでお昼にしましょう」

「え……」

 ヴァレリーは、私の前に並んだ空き皿にチラッと目をやる。洋梨のケーキやら蛇苺のシャーベットやら、皿にのっていたデザートは全て私のお腹の中だ。
 一瞬「まだ食べるの?」という目になったが、彼女だって若い女性。デザートは別腹ということは理解している。

「……そうね。どこかで海の幸でも食べましょうか」

 こうして。
 私は彼女の仇探しを手伝うことになった。
 別に頼まれたわけでもないが、姉ちゃんの知り合いだっていうんだから、協力してやらないとなあ。ヴァレリーだけだと、また無関係の別人を襲いそうだし……。

########################

 昼食の後……。
 男はアッサリと見つかった。
 白い仮面の黒いやつ知らないか、と聞いて回ったところ、簡単に足どりが判明したのだ。

「いたわ! あいつよ!」

 ヴァレリーが声を上げる。
 見ると、広々とした砂浜を一人の男がトボトボと歩いている。……グリフォンだかドラゴンだかは、どうしたのだろう?

「行くわよ!」

 私が言うより早く、彼女は駆け出していた。

「待ちなさい! そこの変な仮面!」

 ヴァレリーの声で立ち止まって振り返る男。
 そろそろ暑い季節だから、夏用なのだろうか。白い仮面は顔の上半分しか隠しておらず、凛々しい長い口髭が、よく目立っていた。
 頭には羽帽子をかぶり、黒いマントの胸にはグリフォンをかたどった刺繍が施されている。
 こいつ……ひょっとすると……!?

「……僕のことかな? しかし『変な仮面』とは失礼ですね、レディ」

 ヴァレリーに文句を言った後、わずかに遅れて辿り着いた私を見て。

「おや? 君は……もしかして……。いや違うな、髪の色が異なる。……よく似た別人か」

 顎に手を当てて少し考え込んだ様子だが、なんだか一人で納得している。
 私の髪は、今朝安宿の部屋で染めたまま、元に戻していないわけだが……。今は黙っている方が良さそうだ。

「『千の仮面を持つメイジ』! 兄のカタキ! 覚悟!」

 ヴァレリーが杖を振り、水の鞭が白仮面に襲いかかる。
 しかし男は、体を捻って、軽く回避。

「……何だか知らんが、仇討ちかね? この『千の仮面(サウザンド)』に杖を向けるとは愚かな……。身の程をわきまえたまえ!」

 自称『千の仮面(サウザンド)』も杖を構える。細身の杖ではあるが、フェンシングの剣のようにも使える軍杖だ。
 まずい!
 見る者が見ればわかる。この男……できる!
 ヴァレリーだけでは、絶対に返り討ちにあうぞ!?
 慌てて私も杖を構えるが、その間に『千の仮面(サウザンド)』は呪文詠唱を。

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 呪文が完成すると、『千の仮面(サウザンド)』の体が分身した。
 一つ、二つ、三つ、四つ……。本体と合わせて五体の『千の仮面(サウザンド)』が、私たち二人を取り囲む。

「何よ、これ!? スクウェア・スペルの『偏在』じゃないの! しかも……四つも!?」

「そうよ! あんたがかなう相手じゃないわ! あきらめなさい!」

 ヒィッと悲鳴を上げるヴァレリーに、状況を再認識させる。
 だが。

「逃がさないよ、お嬢さんたち。僕に杖を向けた以上は……少し痛い目にあってもらおう」

 宣言と同時に、五つの『千の仮面(サウザンド)』が走り始めた。
 私たちの周りを、右回りに円を描いて。

「フフフ……。これで逃げられまい! しかも、どれが『偏在』でどれが本物の僕か、もうわからないだろう!?」

 言いながら、回る速度を少しずつ上げている。全く同じ姿形なので、たしかに、どれが本体なのか判別できない。
 それだけではない。円の中心である私たちが動けば、『千の仮面(サウザンド)』たちの軌道が描く円もまた、それに動きを合わせる。
 ……ということなのだろうが。

「馬鹿ね……」

 私は、小さくつぶやいた。
 この男……。
 おそらくアウトローな生き方をしているうちに、腕が鈍ったか。こんな大道芸のような戦い方じゃなくて、まともに戦えば強いだろうに。……それも、もはや過去の話なのね。
 私は、声に憐れみの色すら浮かべつつ。

「せめて……これで倒してあげる!」

 私が唱えた呪文は『ライトニング・クラウド』。たぶん『千の仮面(サウザンド)』の得意技の一つだったんだろうな……と思う魔法だ。
 しかしもちろん、私が使えば爆発魔法に早変わり。

 ちゅどーん!

 五人のうちの一人に直撃した『爆発』は、それだけでは収まらず……。

「うわあああああ!」

 残りの四人——その『爆発』に自ら飛び込む四人——をも巻き込んだ。

「……え? 何……これ……」

 私の隣で、目が点になるヴァレリー。
 肩をすくめて、私が解説する。

「あのスピードじゃ、急に止まれるわけないでしょ。本体も『偏在』も、みんな同じ円の上を回っているわけだから、その一カ所に魔法をぶち込んでやれば、それでおしまい。止まりそびれて、自分から飛び込んじゃうの。……これがホントの自爆ってやつね」

 四つの『偏在』は全て消滅していた。黒コゲの『千の仮面(サウザンド)』本体だけが、不自然な体勢で手足を突き出し、ピクピクしている。

「……ま、まあ、いいわ。ともかく……。兄さん、カタキは私が立派に討ち果たしました……」

「あんたは何もやってないでしょうが」

 私のツッコミなど聞こえないフリをして、ヴァレリーは『千の仮面(サウザンド)』に歩み寄る。

「……ん? 何するつもり……?」

「いや、せっかくだから、仮面を外して、素顔を見ておこうかな、って……」

 そう言って手を伸ばすヴァレリー。
 ……大変だ!

「ストップ!」

 大声で叫びながら、私は、彼女の体を引き戻した。

「危ないから、やめなさい!」

「……え? 何で?」

「だって……」

 急いで頭を回転させる私。

「ほら! こいつ、反撃してくるかもしれないわ! やられたフリをして、相手の隙をうかがう……。昔から、悪人がよく使う手口でしょ!?」

「言われてみれば……」

 説得に成功した!

「だから……私にまかせて!」

 ヴァレリーと共に、少し距離をとってから。
 再び爆発魔法を詠唱。
 周囲の砂浜ごと吹き飛ばされた『千の仮面(サウザンド)』は、空高くに飛んでいき、完全に姿が見えなくなる。

「……これでよし!」

 私は、ヴァレリーに笑顔を向けた。

########################

「ごめんね、ルイズ……。あなたには色々と世話になって……」

 町外れで、私とヴァレリーは別れることになった。
 仇討ちも無事に終了したので、彼女は王立魔法研究所(アカデミー)に戻るらしい。
 この様子ならば……。今回の一件、彼女は姉ちゃんには喋らないだろう。めでたしめでたしである。

「気にしないで。姉さまの友だちの手助けができて、私も嬉しいわ」

「ありがとう。そう言ってもらえると、助かるわ」

 あの『千の仮面(サウザンド)』、正体を知らないヴァレリーは「死んだ」と考えているようだ。あれくらいじゃ死んでないと私は思うけど。
 そう、私は理解していた。今にして思えば、ヴァレリーの兄さんが死ぬ時に言いたかったのは、『ラ・ヴァリエールの末娘の……ルイズ』ではなく『ラ・ヴァリエールの末娘の……元婚約者』だったに違いない。
 恥ずかしながら、私の昔の婚約者は、トリステインを裏切りアルビオン反乱政府のスパイをしていた男。それがバレて逃亡したのだが……。『千の仮面(サウザンド)』のいくつかの特徴が、彼にピッタリ合致していたのだ。
 だから『千の仮面(サウザンド)』の正体を知られたくなかったわけである。あんな変な奴と婚約していただなんて、考えただけでもゾッとする……。

「……それじゃ、元気でね。姉さまによろしく」

「ええ、あなたも元気で」

 ふわりとマントをたなびかせ、私は歩き出そうとしたが。
 ふと思いついて尋ねた。

「余計なことだけど……。ところでヴァレリーのお兄さんって、なんであいつに殺されたの?」

「そう……」

 彼女は寂しそうな笑みを浮かべると、遠い目をして語り始めた。

「私がいけなかったの。研究心が加速して、作ってしまったポーション。天才の私だからこそ作れた、魔力を増すポーション」

「……え?」

 質問とは違う答えが返ってきたような気がするが、これはこれで凄い話だぞ!?
 魔力を強める魔法薬……。本当に作り上げたのだとしたら、このヴァレリー、さすが魔法研究所(アカデミー)の主席研究員である。

「……でも、あまりデキのいいものじゃなかったの」

「どういうこと?」

 ちょっと話に引き込まれてしまう私。

「確かに魔力は高まるのだけど……。ほら、魔力って感情に左右されるじゃない?」

 私は頷く。

「感情をも強めてしまうのよ。怒り、喜び、悲しみ……。普通の精神力じゃ耐えられないくらいに、感情を高ぶらせてしまうの。だから、それを飲んだ兄さんは……通りすがりのあいつを後ろから……」

「ちょ、ちょっと待ったっ!」

 私は慌てて彼女を制した。

「や……やっぱし、聞かないことにしとくわ、その話……」

「え? ようやく背景説明が終わって、ここからが本題なんだけど……」

 彼女は不思議そうな顔をする。
 ああああああっ!? まさか立派な逆恨み、なんてことは……。
 あいつ昔は悪人だったけど、今では単なる変な奴だったのでは……。
 ……いや! いったん悪の道に落ちた奴が、簡単に更生するわけがない! 間違いなく今でも悪人なんだ! そーだ、そーに決まった!

「何を一人で悩んでるわけ?」

「いやぁぁ、べぇぇつにぃぃ! ……そいじゃあ、さいならっ!」

 私は引きつった笑みを浮かべながら、逃げるように歩き去った。
 ……教訓。やっぱり私の家族の周りには、ロクなやつがいない。





(「千の仮面を持つメイジ」完)

########################

 最後まで『千の仮面(サウザンド)』の名前はハッキリ書きませんでしたが。ルイズが昔の知り合いに出会えば、彼の名前が話題に上る機会もあるでしょう。その意味でも、本編第四部の前に、この番外編をやっておきたかったのです。
 なお、表紙ページにも書いておきましたが、次回投稿時(5月27日)に「ゼロ魔」板へ移動する予定です。「チラシの裏」になかったら、そちらで探してください。お願いします。

(2011年5月24日 投稿)
   



[26854] 第四部「トリスタニア動乱」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/27 22:15
   
 月と星とを背に負って、夜の王宮は静かに佇む。
 それでも中では、まだ起きている者がいるのだろう。淡い魔法の光があちらこちらに灯っている。

「ここから忍び込むわよ」

 巨大な正門のかげに身を寄せて、私は小さな声で言う。

「ここから……って、まっ正面じゃないの!?」

 やはり身をひそめたままのキュルケが、不服の声を上げる。
 ……と、一応ことわっておくが、私たちは決して怪しい者ではない。怪しいのは格好だけである。
 どこにでも売っているような、かなりゆったりとした長袖の上着に長ズボン。動きやすいよう要所要所を革のベルトで軽くまとめ、目だけを出してマスクで顔も隠している。当然のように服の色は全て黒一色!

「……私に任せて。もともと私はトリステインの人間よ。ゲルマニア人のあんたより、この場の状況は正しく判断できるわ」

「こういう仕事に、トリステインもゲルマニアも関係ないと思うけど……」

「うだうだ言わないのっ! とにかく行くわよっ!」

 そう、私たちは盗賊稼業に身をやつしたわけではない。これも、さる高貴な人物の依頼なのだ。
 そもそも、事の起こりは……。

########################

「……けど、思っていた以上に混乱しているようですね。この街」

 シエスタはサイトの隣を歩きながら、小さな声でそう言った。
 黒い髪がさらりと揺れる。
 年齢は私と同じくらい、タルブの村から来たメイド少女である。
 今はメイド服ではなく、草色のワンピースに編み上げのブーツ。そして小さな麦わら帽子という、ちょっとしたよそいきの格好をしていた。
 なにしろ彼女は、今後しばらく厄介になる親戚の家へと向かう途中。そんな彼女にゾロゾロ同行しているのが、三人と一匹——私とキュルケとそれぞれの使い魔サイトとフレイム——であった。

「まあ、仕方ないんじゃない?」

「……そうね。この国も意地はってないで、早くゲルマニアと同盟結べばいいのに」

「そうはいかないわ。あんたのところみたいに、歴史の浅い野蛮な国じゃないから……」

「あら、その言い方は酷いんじゃなくて? ちょっと聞き捨てならないわね……」

 軽く火花を散らす私とキュルケ。
 仲裁役を買って出るのは、シエスタだ。メイドの性分なのだろう。

「まーまー。お二人とも、こんな街中で争ったりしては……」

 さらに。

「しっかし……なんだってこの街、こんなにざわざわしてるんだ?」

 サイトの言葉が、私とキュルケを脱力させた。
 シエスタも目が点になっている。

「……あ……あんたねぇ、サイト……」

 私は、痛むこめかみを押さえながら。

「ひょっとして、この街がなんで今ごたついてるか、そのあたりの事情ぜんっぜん知らない、なんて言い出すわけじゃないでしょうね?」

「ぜんぜん知らない」

「ぅだぁぁぁっ!? ここまで来る道中ほとんど毎日みたいに、私とキュルケとシエスタが話してたでしょーが!」

「だって……ハルケギニアの地名とか人名とか、長くて覚えらんねーもん」

「いばるんじゃない! この……クラゲ頭のバカ犬が!」

 貴族のフルネームが長いのは認めよう。たぶん、こいつ、御主人様である私の名前も最後までは言えないだろう。ちょっと腹立つが、そこまでは許そう。
 しかし。
 地名は、そんなに長くないぞ!? トリステイン王国とか神聖アルビオン共和国とか帝政ゲルマニアとか、それすら知らんというのでは酷すぎる。

「あのう、サイトさん? わかりやすく説明すると……まず、私たちが今いる場所はトリスタニアといって、トリステインの首都なんです」

 シエスタがサイトに微笑みかけながら、小さな子供を諭すように、やさしく噛み砕いて説明する。でも、さすがに、そこから始める必要はなかったらしい。

「トリステインって名前と、ここが中心ってことは、俺も知ってる」

「……よかった。じゃあ、次です。……トリステインは王国なのですが、前の王様が亡くなった後、新しい王様が即位していません」

「へえ、それは知らんかった。……あ、もしかして! それじゃ今、お家騒動とか起こってるわけ? それで街も大変なのか?」

「うわぁ。よくわかりましたね、サイトさん! 私が説明しなくても、ちゃんとわかってるじゃないですか!」

 これシエスタじゃなかったら、サイトを馬鹿にしてるようにしか聞こえないのだが、たぶん彼女は本気で言ってるんだろうなあ。
 サイトもサイトで、照れたように頭をかいている。

「へへへ……。俺、意外と頭いいのかな?」

「そうですよ! だってサイトさんですもん!」

 ちょっと二人のノリについていけない……。
 でも、あれでサイトが納得したのであれば、それで終わらせておこう。本当は、もう少しばかし複雑なのだが……。歩きながら説明したところで、サイトの頭では理解しきれまい。 
 ふと、サイトの背中の剣と目が合った。
 ……剣にハッキリした『目』があるわけではないので、厳密には『目が合った』気がするだけなんだけど。
 魔剣デルフリンガーは、カタカタと私に喋りかける。

「気にするなよ、娘っ子。相棒はガンダールヴ、娘っ子の盾だ。ややこしい背景は、おめーさんが把握しておけばいーさ」

 こいつだって物忘れの激しいボケ剣なのだが、こいつの方が、サイトよりは賢いかもしれない……。

########################

「ここなのね?」

「そのはずです、地図によれば。……ほら、看板にも『魅惑の妖精』亭って書いてありますし」

 一軒の店の前で、キュルケの言葉に答えるシエスタ。
 大通りに面した、立派な店構えの酒場である。
 この四人と一匹の中で、実は私だけは、この店に来たことがあるのだが……。敢えて言うまい。

「……なあ、この店しまってるみたいに見えるんだけど?」

 サイトにしては珍しく、的確な指摘をする。いや、別に観察眼まで悪いわけではないだろうし、『珍しく』は言い過ぎか。
 ともかく、たしかに扉はピシャリと閉ざされていた。まだ営業時間ではないにしても、開店準備などで忙しいはず。だが、そんな様子もない。
 どうやら『魅惑の妖精』亭は、休業状態。
 はて、また何かのトラブルにでも巻き込まれているのだろうか……?

「裏に回ってみましょうよ」

 キュルケの提案で、裏口へ向かう。
 こちらは表通りとは違って、少しゴチャゴチャした路地。従業員用の戸口があり、シエスタがその前に立った。
 スーッと深呼吸するシエスタ。それを見て、キュルケが優しく声をかける。

「娘さんとは面識あるけど、御主人とは初対面なのよね」

「はい。でも、いとこのジェシカの話では、優しくてハンサムな人だそうですから……」

「父親なのに、外見まで母親に似せて、母親の代わりもしてくれてる……って話だっけ?」

「そうです。だから、いい人のはずですわ」

 期待に胸躍らせる少女たち。
 私は、一切言葉を挟まなかったが……。

「あれ? ルイズ、なんか変な顔してるけど……どうしたんだ?」

「……なんでもないわ」

 サイトの言葉をきっかけに、私も会話へ参加する。
 あまり期待し過ぎると後でガッカリするだろうと心配して、話題のすり替えを試みた。

「ところでシエスタ、念のために聞くけど、ここの店の人たちには、ちゃんと連絡してあるのよね?」

「はい。途中の街で、伝書フクロウを送りましたから、そろそろ私が着くってわかってるはずですけど……」

「そうするとやっぱり、ここで給仕として働くの?」

「できればそうしたいですね。ジェシカもお店のために、わざわざタルブのメイド塾まで修業しに来ていたわけですから……。けっこう大変なお店だと思うんです。お世話になる以上、私も手伝わないと」

「それじゃ……」

 なんとなく中に入るのが嫌で、ついつい私は会話を引き伸ばしてしまうが、そこにストップをかける者が。

「……ねえ、いつまで立ち話してるの? それより……早く行きましょうよ!」

「そうですね」

 キュルケに促され、ドアをノックするシエスタ。
 待つことしばし。

「……留守でしょうか?」

 小首をかしげ、彼女が再びドアを叩こうとした時。
 少し開いたドアから顔をのぞかせたのは、黒髪ロングの少女。スタイルはシエスタ同様とっても女性的で、やや太い眉も彼女の魅力を損ねることはなく、むしろ活発な雰囲気を漂わせてプラスになっている。
 ちょっと警戒するような表情をしていたが、シエスタを見ると同時に、それも消し飛んだ。

「シエスタ! 本当に来たのね!」

 一転して笑顔を浮かべ、扉を大きく開け放つ。

「久しぶり、ジェシカ」

 やはり笑顔で返すシエスタ。
 二人はしばらく再会の抱擁をしていたが、それからジェシカは、私に気づいて。

「……あら? ルイズじゃない?」

「うん。久しぶりね、ジェシカ。……そのせつはどうも」

 普通に挨拶した私を見て、皆が「えっ?」という顔をする。

「ルイズ……あなた、シエスタの親戚と知り合いだったの?」

「まあね。ほんの一時期、ここで世話になってたことがあって……」

「何それ。そういうことは早く言いなさいよ」

 キュルケの質問に一応の返答をしてから、私は、あらためてジェシカに。

「……ところで、スカロンさんは元気? なんだか、お店が休みのようだけど……大丈夫?」

「あ、お店ね。うん、平気よ……」

 微妙に言葉を濁すジェシカ。
 ……なんだ?
 ちょっと困ったような口調で、彼女はシエスタに尋ねる。

「……それより、他の人たちは?」

「ルイズさんたちも、タルブの村の事件の当事者なの。事情を説明するにも、いっしょにいていただいた方が確実だと思って」

「……そ、そう……」

 シエスタの言葉に、ジェシカは妙に落ち着かない様子で、店の中と外とをキョロキョロ見回す。
 ……すると。

「大丈夫よ! シエスタちゃんやルイズちゃんの友だちなら、きっと信用できる人たちだわ〜〜」

 ジェシカの後ろから出てきたのは、派手な格好の男。しかし私たち貴族の言うところの一般的な『派手』とは、方向性が違う。
 撫でつけた黒髪はオイルでピカピカ。紫のサテン地のシャツの胸元は大きく開いて、モジャモジャ胸毛がコンニチハ。鼻の下と割れた顎には小粋な髭。強い香水の香りも、気持ち悪い。

「トレビア〜〜ン!」

 初対面の者たちを見て、気に入ったらしい。
 彼は両手を組んで頬によせ、唇を細めてニンマリと笑う。
 これがジェシカの父親、つまり『魅惑の妖精』亭の主人、スカロンさんである。

「紹介するわ。私のパパ」

「スカロンよ。お店では『ミ・マドモワゼル』って呼んでね」

 父と娘の名乗りを聞いて。

「……え?」

 シエスタがかすれた声で小さくつぶやき、かたまった。

「ほら、シエスタ。この人が、あんたの言ってた……『外見まで母親に似せた、優しくてハンサムな人』よ」

 彼女の硬直を解いてあげるため、私は背中をポンと叩いたのだが……。

「……はうっ」

 シエスタは、その場で卒倒した。

########################

 なし崩し的に、中に入る事になった私たち。
 ジェシカはシエスタを連れて二階へ。
 がらんとした店内で互いの紹介を終え、次いでタルブの村での出来事を説明し終わったちょうどその頃、ジェシカが降りて来た。

「どう、シエスタちゃんの具合は?」

 尋ねるスカロンさんに、彼女は小さな笑みを浮かべ、

「今は静かに眠ってる。最初は少し、うなされてたんだけどね。……でも、どうしちゃったんだろう? そんなに弱い子じゃなかったはずなのに……」

「……たぶん、やっとここに着いて安心したんで気が抜けて、今までの疲れが一気に出たのよ」

 私は適当なことを言う。

「そうねえ。シエスタちゃんも大変だったのよねえ……」

 身をくねらせながら、しみじみした口調でうなずくスカロンさん。
 ……むろん事実は、それだけじゃない。私が言ったような意味もあるだろうが、メインは別だ。
 彼女は自分が抱いていた『母親似の優しいおじさん』に対するイメージと『気持ち悪いオカマ』という現実のギャップに耐えられなかったのだ。
 普通の時ならばいざしらず、故郷の村と家族をすべて失って、頼るべくやってきた親戚がこれでは……無理もなかろう。

「……と、ともかく……」

 話を変えようと、わざとらしく店内をキョロキョロ見回す私。
 おもての様子から『魅惑の妖精』亭が休業中なのはわかっていたが、思った以上に静かな雰囲気なのだ。給仕の女の子すら、誰も来ていない。

「どうしちゃったの? また……どっかのカッフェと抗争中?」

「ルイズちゃん。うちはヤクザじゃないのよ。そんな言い方、やめてくれる?」

 両手を頬によせ、ヌッと顔を突き出すスカロンさん。気持ち悪いから、やめてくれ。
 一方ジェシカは、ちょっと表情を曇らせている。
 どうやら、よほど話しにくい事情があるようだ。
 ……と思っていたら。

「スカロンさん? なんだか階下が賑やかなようですけど……?」

 二階から降りてくる人影。涼しげな、心地良い女性の声だが、シエスタのものとは違う。

「あ! 今は来ちゃダメです……」

 慌ててジェシカが駆け寄るが、少し遅かった。
 私たちの前に姿を現したのは……。

########################

「姫さま!?」

 私は、椅子から飛び上がる勢いで叫んでいた。
 すらりとした顔立ちに、薄いブルーの瞳、そして適度に高い鼻が目を引く瑞々しい美女。灰色のフードつきローブに身を包み、貴族崩れのメイジか街娘のようなナリをしているが、滲み出る高貴さは隠しきれない。
 それに。

「ルイズ……? ルイズ・フランソワーズ……!?」

 むこうも私を見て、目を丸くしたように。
 知らない仲ではないのだ。どうして見間違えようか。

「姫殿下!」

 私は椅子をどけて、膝をつこうとする。しかし走り寄って来た彼女が、それを止めて、私を抱きしめた。

「ああ、ルイズ! 懐かしいルイズ!」

「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」

「ちょっと、ルイズちゃん!? 『魅惑の妖精』亭は、歴史ある由緒正しいお店なのよ〜〜? 下賎な場所だなんて、ひどいじゃないの……」

「え? これってどういうこと……?」

「さあ? 俺にもサッパリ……」

 スカロンさんやキュルケやサイトが何か言ってるが、私はロクに聞いちゃいなかった。

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい呼び方はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」

 うーむ。
 そう言われると、困ってしまう。
 格式やら何やらが全てではないことくらい、旅に出てから身をもって知った私であるが……。
 なにしろ相手が相手だからなあ。

「姫殿下……」

「幼い頃、いっしょになって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

 これはまた懐かしい話を。
 私は、思わず相好を崩す。

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ポルトさまに叱られました」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみあいになったこともあるわ! ああ、ケンカになると、いつもわたくしが負かされて……」

「いいえ、姫さま。アミアンの包囲戦では、姫さまの一発が私のお腹に決まって……」

 子供の頃の思い出話に花を咲かせる私たち。
 聞いているスカロンさんやジェシカは、唖然としていた。

「ルイズちゃん……。姫殿下相手になんてことを……」

「……というより、小さい頃に姫殿下の御相手をするくらい、ルイズも身分の高い貴族だったのね」

 ジェシカの言葉に、キュルケが肩をすくめる。

「そりゃあ、そうよ。こう見えてもルイズは、ラ・ヴァリエール公爵家の娘なんだから」

「ええっ!? トリステインの貴族たちからも恐れられている……あのラ・ヴァリエール公爵家?」

「トリステイン貴族の間の評判は知らないけど。……そのラ・ヴァリエール公爵家よ。他に同じ名前の公爵家があるわけないし」

 一方、サイトは背中の剣と話をしている。

「なあ。ヴァリエールって名前……俺もどっかで聞いたことあるような気がするんだが?」

「うんにゃ、相棒。わるいことは言わねえ。思い出せねーことは、思い出さんほうがいい……」

 あれ? 魔剣がガタガタ震えているが……どっかで我が家の者と出会ってるんだろうか。

「うーん。まあ、デルフがそう言うなら、それでいいや。……それよりキュルケ、俺にも教えてくれよ。キュルケは、もう正体、察してんだろ。……あのきれいな女の子、誰?」

「あのねえ、サイト。『姫殿下』って言葉で、わからないかしら? ……いいわ、あたしが教えて上げる。あそこでルイズと喋ってるのは、トリステイン王国の王女アンリエッタさまだわ」

「へえ、王女……。って、え!? じゃあ、この国のお姫さまぁぁっ!?」

 ようやく理解したらしいサイトが、ひときわ大きな声を上げた。

########################

 説明せねばなるまい。
 姫さまは、先代のトリステイン王の一人娘。ただし先王はアルビオンから婿入りしてきた王様であり、トリステイン王家の血を引いていたのは、彼女の母マリアンヌ大后である。
 そのためマリアンヌ大后こそが正統な王だと信ずる者たちもおり、彼らにとっては先王崩御も良い機会だった。これが『マリアンヌに即位してもらうよ派』だが、肝心のマリアンヌ大后は王座に就くのを嫌がっている。あくまでも自分は王妃……ということらしい。
 ならば、少し若いが一人娘を女王に……と考えるのが『アンリエッタに即位してもらうよ派』。いやいや女王はダメだ王様は男であるべきだ先代に倣おうというのが『アンリエッタに婿を迎え入れてそれを王様にするよ派』。
 しかし、どの派別も決定打にかけるため、今でも王は空位となっており、結果的には『このままでいいよ派』が勝っている……。
 ……と、ここまでが、旅に出ていた私でも知っている事情なわけだが。

「……そうです。これが、しばらく前までのトリステイン王家の状態です」

 私たちを前にして、内情を語る姫さま。
 うん、あらためてまとめてみると、この国とんでもないわ。よく崩壊せずに成り立ってるもんだと不思議になる。

「こんなゴタゴタした我が国に、ウェールズさまが亡命してこられたのです」

 現在は貴族議会による共和制となった国、アルビオン。その元王家の遺児プリンス・オブ・ウェールズが、少し前にトリステインに逃げ込んで来たのだ。
 ウェールズ王子の父親は先代トリステイン王の兄であり、ウェールズ王子は姫さまのいとこにあたる。そうした血縁を頼ってトリステインに来たわけだが、これがトリステインのお家騒動を再燃させるきっかけとなった。
 つまり。
 世が世ならアルビオンの王になるはずだったウェールズ。でもアルビオンで王制が復活する可能性は極めて低い。ならば彼をアンリエッタとくっつけてしまおう、ということで『アンリエッタに婿を迎え入れてそれを王様にするよ派』が力を盛り返してきたのだ。
 すると対抗するように他の派閥も暗躍し始め、もう国内はゴチャゴチャ。

「姫さま。街の噂では……暗殺騒ぎまで起こっているそうですが、本当ですか?」

「ええ。ひどい話でしょう? 王宮に勤める貴族たちが殺し合うなんて……。それも、どうやら私までターゲットになっているようなのです」

「え!? 姫さまが!?」

 驚いた。
 そこまで悪化しているとは……。

「水面下で政治的な駆け引きが色々と行われる……。それが王宮というものです。しかし暗殺は許せません。ですから、その背後にいる者をあぶりだすため、また、刺客たちの目を引きつけるため、私は街に潜伏することにしたのです」

「うわ。そりゃ、また大胆なことを……」

「……ま、ルイズの幼馴染みのお転婆姫だもんな。それくらいしても、おかしくないか」

 キュルケとサイト。ハルケギニアの貴族と異世界出身の平民とでは、抱く感想も異なるようだ。
 それより私は、別のことが気になった。
 チラッと見ると、スカロンさんやジェシカが、ちょっとだけ誇らしげな表情をしている。以前に『偉い人とコネがある』と言っていたが、どうやら、それは姫さまのことだったらしい。

「スカロンさんには迷惑をかけ、すまないと思っていますわ」

「姫殿下……そのようなもったいない御言葉を……。姫殿下のためならば、このミ・マドモワゼル、お店の一つや二つ潰しちゃっても構いませんわ〜〜」

 身をくねらせながら、かしこまるスカロンさん。
 なるほど、姫さまが隠れているとなれば、店を開くわけにゃいかんわな。まあ、店を潰してもいいは言葉の勢いだけで、本心じゃないだろうけど。

「……ねえ、ルイズ」

 姫さまが、あらたまって向き直り、私の手を握った。
 ちょっと冷たい手が、姫さまの心細さを象徴しているかのようだ。

「お願いがあるのです」

「どうぞ、なんなりと」

 安請け合いと言うことなかれ。相手は姫さまなのだ。

「……私が王宮を抜けだしたことを知るのは、ごくわずか。でも彼らも、私の消息を心配しているはず。まだ暗殺者にやられたわけじゃない、って知らせてあげないと……」

「つまり、内部の人間につなぎを取って欲しい……と?」

「ええ。こんなこと、おともだちのあなたにしか頼めないから……」

 そうだろうなあ。
 正面から乗り込むわけにもいかないし、相手が王宮から出るのを待って接触をはかる……というのもダメ。この御時世では、外出時にも警護や監視の兵士がついているに決まっている。
 すると残るテは、やはり王宮に忍び込むしかない。さすがにスカロンさんやジェシカには無理だろう。旅で荒事にも慣れた私の出番である。

「わかりました」

「ありがとう、ルイズ。伝言してもらいたい相手は三人。その中の一人だけに接触して、残りの二人にも伝言してくれるよう伝えてくれればいいわ」

「姫さま。そのうちの一人は……ウェールズさまですね?」

 私が言うと、姫さまはハッと息を呑んだ。

########################

 三年くらい前だっただろうか。
 まだアルビオン王家も健在であった時期の話である。私が旅に出る前であり、ラグドリアン湖の『水の精霊』も穏やかだった頃……。
 ラグドリアンの湖畔で、大規模な園遊会が開かれた。トリステイン王国、アルビオン王国、ガリア王国、そして帝政ゲルマニア……。ハルケギニア中の貴族や王族が、社交と贅の限りをつくしたのだった。
 二週間にも及ぶ大園遊会だったが、途中から姫さまは、毎晩のように一人で抜け出していた。その際に姫さまの影武者を務めたのが、何を隠そう、この私ルイズ・フランソワーズである。
 ……といっても、たいしたことをしたわけではない。魔法染料で髪を染め、姫さまの格好をして、姫さまのベッドに入って、布団をすっぽりかぶるだけ。

『気晴らしに、一人で湖畔を散歩したいのです』

 その姫さまの言葉を、当時の私は丸々信じきっていた。
 しかし、今にして思えば……。
 あれは姫さまとウェールズ王子の密会だったのだ。王子と王女の秘密のデート。あの頃から二人は、おおやけには出来ない恋を育んでいたらしい。
 そのウェールズ王子がトリステインの王宮に滞在している以上、二人の気持ちもさらに加速しているはず……。
 ……そんな私の想像とは裏腹に。

「ああ、ルイズ! わたくし、すっかり忘れておりましたわ……。ごめんなさい、あなたは失恋傷心旅行の途中だったのですね」

 哀しげに首を振りながら、あさっての話を口にする姫さま。
 これでは私の方が唖然としてしまう。

「……はぁあ? 姫さま、いったい何のことやら私にはさっぱり……」

「いいのですよ、隠さなくても。ウェールズさまのことを言われて、思い出しましたから。……だってルイズは、婚約者のワルド子爵が裏切者だったと判明してショックを受けて、それで旅に出ていたのでしょう?」

 ワルド子爵は、トリステインの魔法衛士隊『グリフォン隊』の隊長だった男。しかし裏ではアルビオンの反乱勢力と内通しており、それがバレてアルビオンへ逃げ込んだのだが……。
 反乱勢力が共和国の体裁を為す過程で、そこからも追い出されたらしい。旅の途中で私は偶然、落ちぶれたコイツに出会ったこともある。
 まあ彼の現状はともかく。問題は、この裏切者が私の婚約者であったということ。といっても、私が小さい頃に決まった婚約関係であり、憧れっぽい気持ちはあったものの、恋愛感情なぞなかったわけだが……。

「姫さま!? それは大きな誤解です! そういう理由で旅に出たわけではありません!」

 くにの姉ちゃんに言われたから、旅に出たのだ。ワルド子爵は無関係である。
 姫さまに誤解されるのも嫌だが、もっと気になるのは、後ろでニヤニヤしているキュルケやサイトたち。彼らには、あとでちゃんと説明しておかないと……。

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! ごまかすのは、やめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの! わたくしにだけは、どうか本心を打ち明けてくださいな!」

 うーむ。
 姫さまがそう思い込んでいるのであれば、訂正するのは難しそうだ。
 ……というより。
 今度は、私がハッとする番であった。
 気づいたのである。姫さまが、ウェールズ王子の名前から、失恋傷心旅行を連想したということは……!?
 
「姫さま。もしかして……ウェールズさまと、今……?」

「私が連絡をとりたい相手は、ウェールズさまではありません」

 姫さまは、私の質問とは少し違う答を——少し前の質問に対する答を——返す。
 続いて、寂しげに微笑みながら。

「ウェールズさまは……昔のウェールズさまとは違うのです。なんだか……冷たくなってしまわれました」

########################

 かくて……。
 私は真夜中の王宮で、ドロボーの真似をやることになったわけである。
 こういう仕事には向いてなさそうなサイトは、『魅惑の妖精』亭においてきた。一応、姫さまを護衛するという意味もあるし、こっちはサイト無しでも大丈夫だと思う。 
 代わりというわけではないが、『アンロック』とか『レビテーション』とか必要になるであろうと考えて、キュルケにも一緒に来てもらっている。
 早速、その彼女の出番だ。

「じゃ、お願い」

「わかったわ」

 闇色の服に身を包み、二人は潜入開始。『レビテーション』の術で、正門そばの歩哨たちの頭上をゆっくり通り過ぎ、黒々とそびえる壁にヤモリみたいにはりつきながら、こそこそ上へと昇っていく。
 正門の上にて、王宮の様子を一望する。幼少の頃に姫さまの遊び相手だった私は、この王宮にも何度か来ているわけだが、それも昔の話。自分の記憶と姫さまから聞いた間取りと実際に目で見たものを重ね合わせて……。

「誰のところに行くつもり?」

 私の隣に身をひそめるキュルケが、小さな声で聞いてきた。

「……将軍よ。さすがに大后さまのほうは、警備が厳重すぎて無理だろうし。侍従長も、姫さまの身近な人間として、チェックされてるだろうし」

 姫さまが言った三人は、マリアンヌ大后とラ・ポルト侍従長とド・ポワチエ将軍。マリアンヌ大后は姫さまの母親、ラ・ポルトは昔からの侍従だから当然として、ド・ポワチエの名前は、私には意外だった。
 ド・ポワチエは、トリステインの将軍の一人。階級は、たしか大将だったかな? しかし勝利よりも自身の出世を優先する愚将だときく。そんな男が動乱の中で姫さまの味方をするというのは、噂とイメージが合わない気がしたのだが。

『彼は、どの派閥にも属していないのです。……その意味では、信用のおける人物です』

 ……姫さまの言葉で、私は納得せざるを得なかった。
 立身出世しか考えていないから、お家騒動にはノータッチ。誰がトップであれ、そこに媚びへつらうだけ。
 そんな将軍くらいしか味方がいないとは……。おいたわしい話である。
 ともあれ。
 私とキュルケは、その将軍が泊まっている建物へ。ある程度まで近づいたところで、いったんストップ。芝生の上に身を伏せて考え込む。

「どうするつもり? ここも結構きびしいみたいだけど……」

 キュルケの言うとおり。
 出入口は言うに及ばず、建物の周囲にも歩哨がびっしり。
 ド・ポワチエの部屋は、ここの最上階にあるらしい。が、建物全体が魔法の明かりで皓々と照らし出されており、各階数カ所のベランダにも、やはり見張りが立っている。
 
「キュルケの得意系統は『火』だから……『スリープ・クラウド』は無理よね?」

「無理ね。だいたい、これだけ警備がしっかりしてるんだから、魔力探知もあるって考えるべきよ。これ以上は『レビテーション』も危険だわ」

「……そうよね。でも、ここで留まってるわけにもいかないし……」

 結局。
 私たちは、外から『レビテーション』で大回りして、屋根の上に降り立った。バレるかな……と少し心配だったが、探知されずに済んだらしい。

「魔法を使うのは、これで最後にしましょう」

 天窓のひとつを『アンロック』で開けて、ようやく内部に侵入。廊下には兵士がいるかと思いきや、屋内の警備は意外に手薄だった。

「罠かしら?」

「……というより、最上階には要人が泊まっていないんじゃなくて?」

 うむ、その可能性もある。 
 どこの派閥でもないド・ポワチエなど、誰にも相手にされておらず、だからこそ最上階なのかも。
 彼の部屋の前まで、私たちはアッサリと辿り着き……。

 カチャリ。

 姫さまから借りて来た合鍵でドアを開け、すばやく中にすべり込んだ。

########################

 二間つづきの奥の部屋。外の明かりが差し込むベッドに、ひとりの老人が眠っている。
 あれ? ド・ポワチエ将軍って、たしか四十過ぎくらいのはず……。
 私が不思議に思っている間にも、老人は私たちの存在に気づいたらしい。パチリと目を開けて、首をこちらに向ける。

「刺客……か……? あるいは……姫殿下の手の者?」

 私はキュルケと顔を見合わせてから、質問に質問で返す。

「ド・ポワチエ将軍……ですね?」

 すると老人は、微笑みながら体を起こした。枕元に置いてあった杖を手に取り、小さな窓を魔法で開ける。
 サッと夜風が入り込み、私はブルッと体を震わせた。
 風の寒さだけではない。嫌な予感が背中を駆け抜けたのだ。
 案の定。

「……違います。ウェールズ殿下の侍従、パリーでございます」

 つぶやきながら、杖を振るう老人。
 私とキュルケも隠し持った杖を引き出すが、間に合わない!

 ボンッ!

 杖の先から飛び出す火の玉。さいわい、狙いは私たちではなかった。開いた窓から、炎は外へ。

「何!?」

「やっぱり罠だったんだわ! 人が来るわよ!」

 敵に少し気のきく奴がいたらしい。将軍をべつの部屋に移し、ニセモノを寝かせていたのだ。コンタクトを取ってきた姫様のメッセンジャー——つまり私たち——から姫さまの潜伏場所を聞き出そうという魂胆だ。

「任務失敗! 脱出!」

 もはや部屋の中の老人は無視。私とキュルケは、入ってきたドアから飛び出した。
 先ほどは静かな廊下だったが……。

「何だ!? 今の音はっ!?」

「何があった!?」

「行くぞ! 最上階だ!」

 兵士たちのやりとりと共に、ドヤドヤと階段を上がってくる音が聞こえる。

「キュルケ!」

 一声かけてから、私は反転。偽ド・ポワチエがいた部屋に戻る。

「おや……? 私を相手にするつもりですか? 老いぼれとはいえ、このパリーは殿下の侍従。そう簡単に……」

 ドーン!

 立ちふさがる老メイジを小さなエクスプロージョンで吹き飛ばし。

 ゴグォン!

 それより大きなエクスプロージョンで、開いてた窓を完全に破壊。人が通れるくらいの出口を作った。
 私の意図を察したキュルケが、後ろからついて来ていると信じて……。

「えいっ!」

 夜の闇へと身を踊らせる私。
 警備の兵士たちが真面目に階段を上がってくるなら、外の方が一時的に手薄なはず。
 そう考えたのだが……少し甘かった。

「何者だ、きさまら!」

 げ。
 メイジを乗せたマンティコアが飛んでくる。魔法衛士隊のひとつ、マンティコア隊だ。
 私には空中戦は無理だぞ!?
 ……でも、神は私を見放していなかったらしい。

「ぎゃ!?」

 ちょうど私の落下コースに来たため、こちらを見上げていた衛士の顔面にキックが炸裂。
 そのまま彼を蹴り飛ばした私は、マンティコアには振り落とされるが、キュルケの魔法でやんわりと着地。空中を浮遊してきたキュルケも、私の隣に降り立つ。

「……でもピンチね」

「ま、なんとかなるでしょ」

 私たち二人は、すっかり取り囲まれていた。
 さきほどとは別のマンティコアもチラホラと飛んでおり、そのうちの一匹が、私たちの前に着陸。ごつい体にいかめしい髭面のメイジが、幻獣にまたがったまま声を上げる。

「怪しい奴め! 杖を捨てろ!」

「そう言われても……」

 とりあえず何とか口先で誤摩化すしかない。そう思って口を開いたところで、邪魔が入る。

「何を悠長なことをしているのかね、ド・ゼッサール君」

 言いながら歩いてきたのは、丸い帽子をかぶり、灰色のローブに身を包んだ男。体格は痩せぎす、伸びた指は骨張っており、髪も髭も真っ白である。

「……夜間に王宮へ忍び込んだくせ者だ。捕縛する必要もないであろう。……殺しなさい」

 普通は『捕えて背後関係を吐かせる』というシーンで、問答無用で処刑命令。私達も驚いたが、マンティコア隊の面々も十分驚いたらしい。

「枢機卿!? いくらなんでも、それは……」

 皆が目を丸くして、視線をローブの男へ。
 しめた! わずかな時間ではあるが、皆の注意が私たちから逸れたのだ。他のメイジなら呪文詠唱が間に合わないが、私の失敗爆発魔法ならば余裕!

 ドンッ!

「うわっ!?」

「騒ぐな! 囲みを崩すな!」

 いきなりの爆発で一同が混乱する中。
 爆煙を目くらましにして、小さなエクスプロージョンを連発。キュルケも適当に炎の魔法を操り、さらに撹乱。
 私たちは、かろうじて脱出したのであった。

########################

「……とまあだいたいこんなところです」

 私は紅茶のカップをコトリと置いて、一応の事情説明を終わる。
 『魅惑の妖精』亭に戻って、一夜明けての朝である。

「逃げる時には別の方角から王宮を出ましたし、大きく遠回りしてきましたから、ここがバレるってことはないはずです」

「ああ、ルイズ! あなたとあなたのおともだちを危ない目にあわせてしまって……」

「気にしないでくださいな。トリステインの王女さまに貸しを作るのも、なかなか面白いわ」

 いとも気楽な調子で言うキュルケ。姫さまに対してかしこまった態度をとらないのは、姫さまが身分を隠して潜んでいるからか、はたまた、キュルケ自身の性格なのか。

「ルイズもキュルケも、これくらい慣れっこだもんな!」

 私の後ろに立つサイトが口を挟む。フォローのつもりらしい。
 ちなみにシエスタは、いまだ寝込んだまま。スカロンさんは別の部屋におり、ジェシカは街へ買い物である。

「で、灰色ローブの痩せぎすが、枢機卿って呼ばれていたんだけど……」

 私のつぶやきに、姫さまが反応して。

「マザリーニ枢機卿ですわ。ロマリアから来てくださった人物で、無能な役人や大臣に代わり、現在のトリステインの外交と内政を一手に引き受けてくれています」

 マザリーニという名前は、旅の途中で、私もチラッと耳にしたことがある。
 『光の国』とも呼ばれるロマリアは、始祖ブリミルの弟子を開祖とする国であり、教皇が統治している。マザリーニは、先代教皇の時代には、次期教皇と目されていたこともあったはず。
 だが結局は別の者が教皇になったわけで、いわば権力争いに破れた人物。そんな男が、お家騒動真っ盛りの王国で実権を握っているとは……。

「街では今、こんな小唄も流行っているそうですよ。『トリステインの王家には、美貌はあっても杖がない。杖を握るは枢機卿。灰色帽子の鳥の骨』……」

「姫さま。街娘が歌うような小唄など、口にしてはなりませぬ」

 私は、諌めの言葉を口にした。
 今やトリステインを牛耳るのは『鳥の骨』マザリーニである……。民衆も姫さまも、そう認識しているのだ。
 この状況、古くからの重臣たちは、良くは思っていないはず。マザリーニの力を削ぐ意味でも、早急に王を即位させたいであろう。しかし誰を王にするのか、意見は割れているわけで……。
 ふむ。マザリーニの存在も、お家騒動を加速させている原因の一つかもしれない。

「いいじゃないの、小唄ぐらい。本当のことですから。枢機卿がいなければ、もうトリステインは立ち行かない状態なのです」

 姫さまは複雑な表情をしていた。
 国を運営してもらっていることには感謝するが、国を乗っ取られているような気もして、やはり不快なのであろう。

「……そんなマザリーニ枢機卿をトリステインに連れて来てくださったのも、ウェールズさまなのです」

 言いながら、姫さまがため息をついた時。

 バタン!

 部屋の扉が大きく開いた。

「大変よ!」

 立っていたのは、買い物に出ていたはずのジェシカである。

「……どうしたのです?」

 問いかけたのは姫さまだが、皆の顔にも疑問の色が。
 それを見回しながら。

「今、街で……王宮からの告知が出て……。『昨夜、暗殺者と思われる侵入者たちと接触をしたド・ポワチエ将軍を逮捕した』と……」

「な!?」

 一気に色めき立つ一同。

「『ド・ポワチエ将軍は今回の暗殺騒ぎの重要人物と見られている。厳しい処分がくだされるであろう』と……」

「ひどい話ね。あたしたち、接触できてないというのに」

 口惜しそうに言うキュルケ。そういう問題じゃないと思うが、彼女の言い分も判らんではない。

「失敗したからこそ、こうなったのよ……」

 キュルケに対して一言、それから姫さまに向かって。

「もうしわけありません。私たちが見つかったばかりに……」

「いいえ、そうではないでしょう。身替わりまで用意されており、しかもそれがウェールズさまの侍従であったというなら……」

 姫さまが椅子から立ち上がる。
 その表情から先ほどまでの憂いは消え、何かを決意した人間の顔になっていた。

「……これ以上、事態を見守っているわけにもいきません。動くときが来た、ということです」

「それって……」

「はい。王宮に戻ります。……あなたも一緒に来てくれますね、ルイズ?」

「……もちろんです」

 私だけではない。
 サイトやキュルケも、力強く頷いていた。





(第二章へつづく)

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 「スレイヤーズ」ではアメリアとアルフレッドがいとこ、「ゼロ魔」ではアンリエッタ王女とウェールズ王子がいとこなので。

(2011年5月27日 投稿)
   



[26854] 第四部「トリスタニア動乱」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/30 22:31
   
「門を開けなさい! アンリエッタ・ド・トリステインが、戻ってまいりました!」

 鮮やかな紫のマントとローブを羽織った姫さまが、毅然とした態度で言い放った。
 歩哨に立った兵の一人が、あわてて通用門から中に飛び込んでいく。
 そして……。
 きしんだ重い音を立て、王宮の門は奥へと開く。
 堂々とした足取りでまっすぐ進む姫さま。その後ろにつき従うは、私とサイトとキュルケの三人。

「……こ……この三人は……?」

 私たちを見とがめて、兵士の一人が姫さまに聞く。
 私とキュルケは、黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。つまり典型的な学生メイジのスタイルであり、兵士にしてみれば、なぜ学生が王宮に連れられて来たのか、不思議に思ったのだろう。
 さらにサイトは、もっと怪しく思われたはず。いつもの青と白の服を来ているが、これはパーカーという異世界の着物である。ハルケギニアの者の目には異様に映る。しかもサイトは、魔剣デルフリンガーを背負っているのだ。

「わたくしのおともだちです。失礼のないように」

 姫さまがピシャリと言い放つ。これで、もう兵士たちは何も言えなくなった。
 私たちは、広場をずんずん進んでいく。

「姫殿下だ!」

「姫殿下がお戻りになったぞ!」

 口々に呼ばわりながら、次々と集まってくる兵士たち。
 姫さまは、彼らに対して優雅に手を振りながら、民衆向けの営業スマイルを返す。
 だが……。
 突然、姫さまの表情が強ばった。自然に、その足も止まる。
 彼女の視線の先にいるのは、凛々しい金髪の若者だった。後ろには老メイジを従えている。昨日の偽ド・ポワチエ、たしか名前はパリー。
 ということは、この若者が……。

「ウェールズさま……」

 つぶやく姫さまの声が聞こえたかのように、彼が両手を広げて駆け寄ってくる。

「おお、アンリエッタ! ようやく戻って来てくれて、嬉しいよ! 君がいなくなって、僕がどれだけ心配したことか……」

 人目も憚らずに、姫さまを抱きしめようとするウェールズ王子。姫さまは、それをソッと押しのけて。

「およしになってくださいな、こんな場所で……」

 姫さまは少し頬を染めているが、なんだかんだ言っても恋人同士。本心から嫌がっているようには見えなかった。若い王族二人のロマンスに、誰も口を出せない中。

「……それで、後ろの方々は?」

 わざわざ尋ねたのは、灰色ローブに丸帽子の男。
 いつのまにか来ていた、マザリーニ枢機卿だ。
 かげでは『鳥の骨』と呼ばれているそうだが、なるほど、昼の陽の光の下では、いっそう痩せぎすに見える。この男から、人々が鶏ガラを連想するのも無理はない。

「わたくしのおともだち。ルイズとキュルケさんとサイトさんです」

「ルイズ……? ほぉう、あなたが、ラ・ヴァリエール公爵家の末娘の……あの『ゼロ』のルイズ」

 姫さまの紹介に、マザリーニは面白がるような声を上げた。
 さすがに王宮までは『ゼロ』の噂も届いていないと思ったのだが……。このマザリーニ、事情通な男である。昨夜の侵入者の一人が私であることも、顔を隠していたとはいえ、バレているのかもしれない。

「ちょうどよかったですわ、あなたまで来てくれて。……枢機卿、ド・ポワチエ将軍を解放してあげてください」

 大勢の人々の前で、いきなり姫さまが用件を切り出した。
 しかし、マザリーニはあっさり受け流す。

「……それはできかねますな。なにしろ将軍は、昨夜忍んで来たくせものと、どうやら接触を取った様子。一連の暗殺事件と大いに関係があると思われ……」

「何を言うのです。昨日のあれは、わたくしが放った密偵ですわ」

「……み……」

 いとも当たり前のように言う姫さまに、さすがのマザリーニも言葉に詰まった。
 周りの兵士たちもザワザワしている。
 私やキュルケも、ちょっと驚いた。まさか馬鹿正直にそんなこと言うとは思ってもいなかったのだ。

「密偵とは……また何で……」

「それは言えませんわ。これは王家の問題です」

 言い切って、再び歩き出す姫さま。その傍らにはウェールズ王子が寄り添っているが、彼が話しかけてきても、姫さまは、そっけない言葉を返すだけ。
 建物に入るところで、後ろを振り返り。

「面倒な手続きがあるでしょうが、それは、わたくしのほうでやっておきます。ルイズたちは、王宮の見物でもしていてくださいな。……ここに来るのは、久しぶりでしょう?」

「はい、姫さま」

 内心の心配は見せずに、私は頷いた。
 私たちは一応、姫さまの護衛である。できれば姫さまから離れたくないのだが……。まあ周りには兵士たちもいることだし、まっ昼間からの襲撃もないだろう。

「誰かに案内させますわ。えーっと、こういう場合は……」

「ならば、私が」

 申し出たのは、マザリーニ。
 一同、しばし言葉を失う。
 マザリーニは、現在のトリステインの政治を取り仕切る男。色々と忙しいはずだが、はてさて。

「そうだな。枢機卿にとっても、たまの骨休めになろう」

 ウェールズ王子が、マザリーニに賛成する。
 ……そちらが、そう来るのであれば。

「そうですね。では、よろしくお願いします」

 言って私は、にっこり微笑む。
 チラッと見れば、キュルケも異存はない様子。サイトは何も考えていない様子。
 ……さて、茶番の始まりである。

########################

 白い石造りのゆるい階段をのぼり、開け放たれた大扉をくぐると、巨大なアーチ状の空間が広がっていた。

「ここが王宮に設置された神殿です。もちろん、まつられているのは始祖ブリミルです」

 マザリーニが指さしたのは、始祖ブリミルの像。始祖が腕を広げた姿を抽象化したものである。始祖の容姿を正確にかたどることは不敬とされているので、ハッキリとした顔はない。

「ここの左右にひとつずつ建物があって、左が巫女、右が神官たちの詰所になっています」

 ロマリアの枢機卿であるマザリーニは、ある意味、私たち以上に敬虔なブリミル教徒であるはず。だからこそ最初に私たちを、王宮に設置された神殿へ連れて来たのだろうし、これをロマリアの寺院や神殿と比較したり、聖職者らしくアリガタイおはなしを始めたりするかと思ったのだが……。
 彼は淡々と語るだけ。始祖ブリミルに対する敬意も感じられないほどだ。私は小さな違和感を覚えた。

「この先が今言った、詰所への入り口になっています。さらに行けば、本宮へと続く渡り廊下があり……」

 かなり一方的な説明をしながら、ずんずん先へ歩いていく。これではゆっくり辺りを見る暇もない。私は小さい頃に来たことあるからいいが、初めてのサイトやキュルケは、もう少し色々見てみたいだろうに。
 ……しかしこの男、案内をわざわざ自分から引き受けたところからして、何らかの魂胆があるに違いない。昨夜の態度——いきなりの「殺しなさい」発言——から考えて、ただの宗教家でも政治家でもない。かなり胡散臭い人物である。
 などと思ううち一行は、本宮へと続く、屋根つきの渡り廊下へとさしかかった。

「いい天気だな」

 のんきな言葉をもらすサイト。
 つられて、私も外へ目を向ける。

「……そうね」

 空はきれいに青く済み、日ざしは程よくあたたかい。こんな状況でなければ、芝生の上でひなたぼっこでもしたいところ。
 思わずほけーっと景色を眺めているうちに、マザリーニの歩くペースに取り残されて、少し離れてしまっている。老人のくせに、足は遅くないのだ。ふと我にかえり、私はペースを速めた。
 が……。
 おかしい。
 いくら歩みを速めても、先を行くマザリーニやサイトやキュルケの背中は少しも近づかない。それどころか、どんどん遠ざかっていく。
 三人の姿はみるみるうちに小さくなり、やがて豆粒ほどと化し、消える。
 ……すでにこの時、私は敵の術に嵌っていた。

########################

 振り向いてみたが、前にも後ろにも、ただ延々と人のいない渡り廊下が続くのみ。その先には、もはや神殿も本宮もない。

「……空間が歪んだ?」

 自分を落ち着ける意味で、口に出してみる。
 ……まあ確かに、使い魔召喚だって、空間の因果法則を狂わせることにより、離れたところと自分の場所とを繋ぐのだ。その応用なのかもしれないが……。
 いや。ならば『ゲート』のようなものを通るはず。今回のケースとは違う。

「うーむ。では……どういうこと……?」

 私たちの常識では考えられない魔法だとしたら……。まだ私の知らない虚無魔法か、エルフなどが扱う先住魔法か、あるいは……。
 なんであれ。
 かなり厄介な敵のようである。
 嫌な想像が頭に浮かんで、私が顔をしかめた時。
 廊下の奥、はるか彼方から、重い足音が近づいてきた。

########################

 やってきたのは、黒く巨大な塊。

『ギーッ』

 耳障りな声で鳴くと、触覚のような器官をあたりに巡らせる。
 それは一匹の虫……。
 いや、虫のような姿の何かだった。いくらなんでも、小柄な竜ほどもあろうかというサイズの虫がいるわけはない。
 甲虫のたぐいを思わせる、真っ黒くつややかな肌。左右四対、計八本のガッシリとした足。背中には大きな、しかしこの体を宙に浮かせるには小さな一対の羽根。体のあちこちに輝く、ルビー色をした半球体……。

「何よ、これ……!」

 私じゃなかったら、パニックに陥っていたかもしれない。
 こういう時こそ、冷静にならねば。
 どう見ても、この『虫』はハルケギニアに生息する生き物ではない。ならば、サイトのように異世界から召喚されたものか、あるいは……魔族だ!

 ヴン!

 攻撃はいきなり来た。
 正面きって対峙した『虫』の背中がかすんで見えた……。そう思った瞬間、私はまともに弾き飛ばされ、渡り廊下の手すりに叩きつけられていた。

「……!」

 衝撃でしばし息ができない。
 この『虫』、外見とは裏腹に、俊敏な動きである。
 『虫』がその顔をこちらに向ける。その口が大きく開き。

『ガギイッ!』

 その鳴き声と同時に、私はとっさに横に跳ぶ。
 はるか後ろで思い爆音。
 ちらりと振り向けば、渡り廊下の途中に大きな穴が開いていた。『虫』の放った衝撃波だろう。生身で食らっていたら、ひとたまりもない。
 逃げ続けるのは無理だろうが、ならば反撃するまで。最初の衝撃からは回復し、呼吸も出来るようになった。つまり、呪文を詠唱できるということ!

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

 失敗魔法バージョンではなく、虚無魔法の『爆発(エクスプロージョン)』をお見舞いする。

『ギグアァァァァァッ!』

 虫の全身が激しく震え、その口からは空気を震わせる絶叫がほとばしる。
 だが……。

「……嘘でしょ!?」

 脚の二、三本は吹き飛ばしたようだが、それだけだった。本体にさしたるダメージはなく、不気味に黒光りしている。しかも、その触覚の先端には雷光が灯っていた。
 ……やばいっ!
 本能的に感じ取ったとおり。
 広範囲の電撃が……来た!
 ギャンッと悲鳴が喉の奥ではじける。体中が痺れて、私は前のめりに倒れ込み……。

########################

「ルイズ!」

 私の体は、しっかりと受け止められていた。
 ボーッとした頭のまま、見上げれば……。

「……サイト?」

 目の前にあるのは、我が使い魔の心配そうな顔。
 ゆっくり首を動かし、周囲の景色も確認する。私は元の、ごく普通の渡り廊下へと戻っていた。
 私は今、サイトに体を預ける形で、彼の腕の中。サイトの後ろにはキュルケの姿も見えるが、彼女も深刻な表情をしている。

「元のルイズに戻ったようね。心配したわよ。うつろな目をして、体もブルブル震えていたから……」

「驚いたぜ。隣を普通に歩いているのに、左目はお前のピンチを映し出して……」

 なるほど。キュルケやサイトの言葉から判断するに、二人の認識としては、私は『いなくなった』のではなく、ずっと横にいたことになっているようだ。
 それでも『ガンダールヴ』であるサイトには、御主人様である私の危機がわかった。だから、救いの手を伸ばしてくれたらしい。

「どうしたのですか、みなさん。そんなところで立ち止まって……」

 少し先から、マザリーニが声をかけてくる。不思議そうな声と顔だが、どうせ演技だろう。こいつが、今の怪現象にも一枚かんでいるはず。

「いえ、なんでもありません。ちょっと躓いただけです」

 適当に言う私だが、その声は少しかすれている。先ほどの電撃の後遺症だ。

「ルイズ、歩けるか? なんだったら……」

「大丈夫。歩けると思う。でも……」

 不安そうなサイトに笑顔を作ってみせながら、私は手を伸ばした。
 意図を察してくれたらしく、サイトは私の手を握りしめる。もう私が、一人でおかしな空間に引きずり込まれないように。
 これが功を奏したのか。
 王宮見学ツアーが終わるまで、それ以上の怪現象は起こらなかった。

########################

「やー、疲れた疲れた」

 言って私は、ベッドに身を投げ出す。
 寝室としてあてがわれたのは、姫さまの寝室から少し離れた客室だった。私たちは一応、姫さまの護衛のつもりなので、こうして同じ建物内に泊まらせてもらったわけだ。もしも姫さまの部屋で何かあれば、すぐさまそれを察知して駆けつけられるように、である。
 姫さまは王族であり、そんじょそこらの貴族では、これほど近くの部屋はもらえなかったかもしれない。が、そこはヴァリエールの名前が効いたのであろう。
 キュルケは姫さまと私の友人ということで私の隣の部屋、サイトは私の使い魔なので私と一緒。サイトに関しては、王宮の人々から「えっ、同室ですか?」と驚いた顔をされたが……何故かしら? 使い魔である以上、同じ部屋に寝泊まりするのは当然のはずなのに。

「おーいルイズ、寝るんじゃないぞぅ……」

「……わかってるわよ……」

 言いつつ私は身を起こし、ナイト・テーブルに腰かけたサイトと向かい合う形で、ベッドの上にちょこんと座る。
 世に言う作戦会議というやつである。
 キュルケも交えて話し合うつもりだが、彼女は今、ちょっと外出している。『魅惑の妖精』亭においてきた使い魔フレイムを引き取りに行ったのだ。いきなりサラマンダー連れで王宮に入るのは遠慮したわけだが、ちゃんと話を通したので、サラマンダーも泊めてもらえるらしい。

「そうだ。今のうちに聞いておこうかしら」

 黙ってキュルケを待つのもバカらしいので、彼女抜きでも構わない話を始める。
 私は、ジーッと彼を見つめて。

「……な、何だ……?」

「サイト。どうやって、あの空間から私を助け出したの?」

 昼間の『虫』事件で、歪んだ空間から私を救ってくれたのはサイトである。あの異空間から脱出するのは、さすがの私でも無理だった。今後のためにも、詳細を知っておきたいのだが……。
 サイトは、うーんと唸りながら、首を傾げる。

「俺にもよくわからねえ」

「はあ? 何よ、それ!?」

「視界の共有だけじゃなくてさ、隣のルイズに手を伸ばしても触れられないから、ともかく異常事態だと思ったんだ。……で、左手で背中のデルフの柄を握りながら、左眼にも意識を集中しながら、その状態で右手を伸ばしたら、今度は捕まえることができた」

 なんじゃそりゃ。そんな説明では私にもサッパリわからん。

「相棒はガンダールヴだからな。主人が危機で、しかも隣にいるとなりゃあ、手を伸ばせば届くのは当然だぜ」

 私たちの困惑を見て、デルフリンガーが補足する。これもあんまり説明になっていないが、今は『ガンダールヴだから』と納得するしかなさそうだ。

「それよりさ、ルイズ。俺も聞きたいんだけど……」

 今度はサイトが尋ねる番だった。

「……俺たち、姫さんが狙われるからついてきたんだろ。じゃ、なんで姫さんじゃなくてルイズが襲われたんだ?」

 うーむ。
 これは難しい質問だ。
 色々と考えられるが、はてさて……。

「そりゃあ、王位継承を巡る争いの一環だぜ。娘っ子、おめえさんも王家の遠い親戚なんだろ?」

 黙り込む私に代わり、意見を述べるデルフリンガー。
 サイトはわかっていない顔をしているが、ヴァリエール公爵家の源流は昔の王様の庶子だ。トリステインの者ならば知っていて当然の話だが、魔剣デルフは、人間的な常識ではなく、私が虚無の担い手であることから推測したのだろう。

「なあ、娘っ子。この国の王家にゃあ、もう、王様の血を引いてるのは二人しかいないんだぜ。その二人が殺されちまったら……」

「おい、デルフ。二人じゃなくて、三人じゃねえの? あのウェールズっていう王子さまは、アンリエッタ姫さまのいとこだよな?」

 ふむ。
 どうやらデルフリンガーは、今まで会話に参加こそしてこなかったが、ちゃんと話は聞いていたらしい。バカ犬サイトよりも、よっぽど事情を理解している。

「サイト、あんた勘違いしてるわ」

 御主人様として、使い魔の知識を訂正する私。

「ウェールズさまは、姫さまの父王——先代トリステイン王——の兄君アルビオン王の長男よ。トリステイン王家の血を引いているのはマリアンヌ大后であって、先代トリステイン王ではないわ。だからウェールズさまには、トリステイン王家の血は流れていないの」

「……ん? つまり、あの姫さんは、二つの王家の血を引いてるってことか? ……すげえ! 王族のサラブレッドじゃん!」

 なんだか感動しているサイト。私には理解不能な感動ぶりだが、とりあえず、正しく理解してくれたらしい。
 それから、少し冷静になって私を見つめる。

「じゃ、デルフの言うとおり……」

 しかし私は、首を横に振って、サイトの言葉を遮った。

「そうね。王位継承権はあるはずだけど……。でも、だいぶ遠いから、違うと思うわ」

「じゃあ、何なのさ。ただの宣戦布告か? アンリエッタ姫が腕の立つ護衛を連れて来たから先にやっつけよう……ってこと?」

「まあ、それなら話は簡単なんだけど……」

 うーん。
 ちょっと複雑だから、キュルケが来てから話し合うつもりだったが……。
 まあ、いいや。こうなったからには、先に始めてしまおう。サイトは話し相手としては物足りないが、デルフリンガーが参加するならば、少しは有意義な議論になるかもしれない。

「そもそも。……あの襲撃は誰の仕業? あんなふうに空間を歪めるなんて、誰が出来るの?」

「あの場で怪しいのは、どう考えてもマザリーニっつう老人だろ。あいつじゃねえの?」

 私は再び、首を左右に振った。

「……それじゃ話が合わないのよ。昨日の様子から見て、私もマザリーニは怪しいと思う。でも……彼がお家騒動に関わる動機がないわ」

 そう。
 マザリーニにしてみれば、現状維持がベスト。今現在、実質的にトリステインを仕切っているのは彼なのだから。
 その意味では、むしろマザリーニは早くゴタゴタを解決したいはず。
 ……そう私が説明すると、サイトは考え込む。

「そうか……。マザリーニは『このままでいいよ派』になるわけか……」

「あえてどこかの陣営に入れるとしたら、ね。……でも最近騒ぎだした『アンリエッタに婿を迎え入れてそれを王様にするよ派』が勝ったところで、それほど困らないと思うわ」

 その派閥はウェールズを王にするつもりであり、マザリーニは、そのウェールズが連れてきた人物である。彼とは、それなりに太いパイプがあるはず。
 では、もしも『マリアンヌに即位してもらうよ派』や『アンリエッタに即位してもらうよ派』が勝った場合はどうなるか。……マリアンヌ大后や姫さまが女王になったところで、それでも、マザリーニがいきなり失脚することはなかろう。今のトリステインは、どうやら彼抜きでは成り立たない状況らしいから。

「……というわけ。態度だけ見てればクロだけど、マザリーニが積極的にゴタゴタに関わっても、彼は得しないわ」

「待てよ。今の話だと……マザリーニよりも、あの王子さまが一番怪しいんじゃねえか? 騒ぎの発端っぽい派閥は、ウェールズ王子を推してるんだろ? しかも昨夜の偽将軍も王子さんの侍従だったんだし……」

「そうね。でも……それもちょっと辻褄が合わないでしょ? 考えてごらんなさい。彼をトリステイン王にするためには、姫さまに生きていてもらわないと困るのよ」

 ウェールズを王にしようとしている連中は、少なくとも、姫さま暗殺など試みないはず。そしてウェールズ自身としても、おとなしく姫さまと一緒になればいいのだ。そもそも、姫さまとウェールズ王子は、昔からの恋人同士で……。

「だけどさ。あの姫さん、今じゃ王子さんを避けてる感じがしてたぞ? もう二人の恋は終わったんじゃねえかな」

「まだ『終わった』とは言えないと思うけど……」

 そう、わからないのは、そこなのだ。
 かつては私を影武者に仕立て上げてまで、ウェールズ王子と密会していた姫さまだ。その姫さまが、そう簡単に心変わりするとは思えない。
 あまり立ち入ったことは聞くべきじゃないと遠慮していたが、今にして思えば、王宮に来る前にもう少し突っ込んで聞いておくべきだった。こうして王宮に入ってしまうと、幼馴染みの私でも、話をする機会は少なくなるのね……。

「……だいたいさ。これって……普通のお家騒動とは違うよなあ」

 サイトがポツリとつぶやいたので、私は頭を切り替える。

「どういう意味?」

「ほら、いわゆる『お家騒動』って、『俺が王になるんだ!』って感じで、王位継承権を持ってる者同士が争うもんだろ?」

 なるほど、それが異世界から来たサイトのイメージなのか。

「……でも、今回のケースだと、姫さんにしても姫さんのお母さんにしても、自分から王様になる気はなさそうだ。周囲が勝手に誰を王にするかで揉めてるだけで……」

「相棒。家督争いっつうのは、そういうもんなんだよ。本人よりも家臣の方が必死なのさ」

 デルフリンガーが、久々に口を開く。こいつはこいつで、剣ではあるが、それなりに世間を見てきたのだろう。

「……そうなの?」

「そうね。……ま、でもサイトは一つ、ポイントをついてるわね。確かに『普通』とは少し違うわ。だって、このまま王は空位でもいい……なんて主張してる派閥もあるくらいだから」

 絶対に誰かを王にしないといけない……。もしも皆がそう言い合っているならば、少なくとも終着点はある。しかし『このままでいいよ派』が存在し、そこが優勢である限り、解決したのかどうかハッキリしない。一度は終わったように見えて、また再燃するかもしれないのだ。
 ある意味、終わりの見えない騒動なのだが……。

「姫さま暗殺を企むヤカラだけは、とっ捕まえて処罰しないとね。とりあえず、それまでは、私たちもここに留まらないと……」

「娘っ子の言うとおりだ。そこが話の落としどころだな」

 魔剣も賛成する。
 ……なんだか話し疲れた。サイトも私と同じらしい。

「キュルケ遅いなあ。……もう寝ようか」

「そうね」

 十分な広さがあるので。
 私とサイトは、一つのベッドに入った。

########################

 キンッ!

 ぶつかり刃物と刃物の音。
 それに続いて、刃物が叫ぶ。

「娘っ子! 起きろ! 敵襲だぞ!」

 これが私を目覚めさせた。慌てて飛び起きると……。

「何者だっ!?」

 サイトが、黒ずくめの暗殺者と対峙していた。両目以外の部分は全て覆われていて、表情も読み取れない。
 寝る前に閉めたはずの窓が大きく開いており、夜の空気が吹き込んでくる。外から無理矢理こじ開けて、そこから入り込んできたらしい。
 かなりの使い手のようで、気配はほとんど感じられない。それでも気づいて目を覚ましたサイトは、さすが私の使い魔だ。

「……お前はターゲットではない。だから名乗らぬ。名乗るのは……依頼主と……死にゆく者に対してのみ……」

「俺は問題外……ってことか!?」

 言うと同時に、サイトが動いた。
 身軽に身をかわす暗殺者だが、ガンダールヴのスピードには勝てない。
 サイトの魔剣が一閃、暗殺者はバッサリと斬られた。
 それでも暗殺者は倒れない。むしろサイトの方が動揺している。

「えええっ!? 女だったのか!」

 刀傷は、肩から腰にまで及んでいた。ダラダラと血が流れているが、同時に、破けた服の隙間から出てきたのは女性の胸。サラシか何かを巻いて隠していたようだが、その布が切られたことで、ポロリとこぼれ出たのである。
 暗殺者は、血まみれの乳を隠そうともせず、また、痛がる素振りも見せず。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 これは『スリープ・クラウド』の呪文だ!
 杖は手にしていないが……まさか、あのナイフを『杖』として契約しているのだろうか!?

「サイト! 逃げなさい!」

「え? でも、こんなやつ……」

 青白い雲が出現し、私たちを包み込む。
 強烈な眠気が襲ってきた。
 虚無のメイジである私は、その強靭な精神力でもって耐えようとしたが……。
 無理だ。これは……耐えられない!

「サイト……」

 見れば、すでにサイトは床に倒れて、寝息を立てている。
 失敗した。サイトに逃げろと言うくらいなら、私が逃げればよかった。いや、適当な呪文を唱えて、失敗爆発魔法で反撃するべきだった。
 でも、もう遅い。眠くてたまらない。今さら呪文も唱えられない。
 立っていられず、私も膝をつく。垂れ下がる瞼で視界も狭まる中、暗殺者が歩み寄るのが見えた。

「……貴様は死にゆく者。ならば名乗ろう。我が名は……『地下水』……」

 『地下水』ですって!?
 私でも聞いたことがある、有名な暗殺者だ。
 誰も知らないまま足下を流れる地下水のように、不意に姿を現し、目的を果たして消えていく闇のメイジ。狙われたら最後、命だろうがモノだろうが人だろうが、逃げることはできない……。
 そんな大物に狙われるとは、思わなんだ。これには驚いたが、私の眠気を完全に吹き飛ばすには、衝撃の度合いが足りなかった。

「せめて……眠りながら逝くがよい……」

 言いながら、『地下水』がナイフを持った手を伸ばす。
 その時。

「!?」

 バッと飛び退く『地下水』。
 それまで立っていた場所を、巨大な炎の蛇が舐めた。
 この魔法は……!

「はーい、ルイズ。遅くなったわね。……取り込み中みたいだけど、出直してきたほうがいいかしら?」

 窓から入ってきたのはキュルケ。フレイムも一緒であり、火トカゲは早速、『地下水』へと飛びかかる。
 体を捻ってかわす『地下水』だが、サイトに斬りつけられた傷からの出血は続いている。この状態で戦うのは、さすがに不利だと悟ったらしい。
 ドアに体当たりして、壊し開けて退却していく。
 そこまで見届けて……。
 睡魔に負けた私は、意識を失った。

########################

「あたしが来なければ、あなた死んでたわね。感謝しなさいよ」

「ええ。あんたの言うとおりね。ありがとう」

 素直に礼を言う私。
 『地下水』撤退後、キュルケが私とサイトを叩き起こしてくれた。色々と恩着せがましい事を言われたが、今回ばかりは仕方がない。ヴァリエールの女だって、スジが通っているならば、ちゃんとツェルプストーの女に頭を下げるのだ。

「じゃ、おやすみなさい。あたしは隣の部屋だから、何かあったら、また来るわ」

 軽く手を振って、キュルケはフレイムと共に出ていった。
 再び二人きりになったところで、サイトが口を開く。

「……面目ない」

 彼は私と並んで、ベッドに腰かけていた。両手は膝の上で、シュンと肩を落とした状態である。
 気落ちした彼に、剣が追い打ちをかける。

「相棒はガンダールヴなのに、な。……まったく、情けない話だぜ。心を震わせりゃ、あの程度の魔法で眠りこけることもなかろうに……」

 ますます落ち込むサイト。
 ああ、もう! 何よ、これ!? これじゃ私が慰め役に回らなきゃならないじゃない!

「そんなに気を落とさないで。私も悠長に見てたのがいけなかったんだわ。サッサと呪文の一つでも唱えるべきだった。……だからサイト、顔を上げて。……ね?」

 私は優しい声を投げかけるが、デルフは、まだサイトを責めていた。

「なあ、相棒。おおかた、あれだろ。相手が女だとわかって、油断したんだろ?」

 おや? サイトの表情が、少し柔らかくなったような……。

「……そりゃ、仕方ねえだろ。だってさ、あんなふうにイキナリおっぱいがポロリと出てきたら……なあ?」

 私に同意を求めるな。その気持ちは私にはわからん。
 しかし……。
 少しにやけたサイトの顔を見ると、ちょっとイラッとする。
 おまけに。
 こいつ、私の表情の変化に気づいたようで、目を逸らす意味で視線を下げやがった。私の胸の辺りを見つめながら、何か考え込むような——頭の中で何かと比べるような——顔をしてやがりますよ!?

「……サイト……あんた……」

 低く冷たい私の声に、サイトはハッとして。

「え? ち、違う! 何でもない、俺はそんなこと思っちゃいない!」

 慌ててバタバタ手を振りながら、必死になって否定する。

「そ、そう言えばさ! あの暗殺者が来て目が覚めた時、俺……」

 なんとか話題を変えようとするサイト。
 ……ん? 何の話を持ち出そうというのだ? まさか……。

「……ルイズに抱きつかれてたみたいなんだけど?」

 あ。
 私の顔が、サッと赤くなる。
 それを見たサイトが、ニヤニヤと。

「もしかして、ルイズって……いつも俺が寝てる間に、俺に抱きついちゃってんの?」

「そ、そんなことないわよ!」

 今度は私が否定する番だった。
 たしかにサイトの言うとおり、私はサイトを抱き枕にしている。ほぼ……いや、たぶん……いや、間違いなく、毎日。
 これも御主人様と使い魔の正常な関係だと思うが、それをサイトに言っても理解してもらえないと思うし、だから言いたくない。知られたくなかった。

「またまた〜〜。照れちゃって……」

「わ、わ、私があんたに、そ、そんなことするわけないでしょ!」

 真っ赤な顔で呪文を唱え始める私。

「わっ、バカ! 照れ隠しのエクスプロージョンはやめろ! 王宮の中だぞ!?」
 
 わかっている、ここは姫さまの王宮だ。私だって、ちゃんと手加減している。
 それに……。

「て、照れ隠しなんかじゃないんだから! これは……私をちゃんと守れなかった、お仕置きなんだからね!」

 ちゅどーん。

 こうして、王宮の夜は更けていく……。





(第三章へつづく)

########################

 ラブコメ要素をゼロにしてしまうと「ゼロ魔」じゃなくなりそうですが、やりすぎると「スレイヤーズ」ではなくなってしまうので、難しいです。そもそもルイズ一人称では、サイトの心情もルイズの推測でしか書けないので、そこも難しいわけで。

(2011年5月30日 投稿)
  



[26854] 第四部「トリスタニア動乱」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/02 21:57
  
「おはよう、キュルケ」

 私は片手をひょこっと上げ、芝生の上のテーブルでお茶しているキュルケに挨拶を送る。
 ……どうもまだ眠くていけない。
 昨日の襲撃のあのあと。
 サイトは私の魔法ですぐに眠りに落ちたが、私は違う。ベッドに入っても、色々と考え込んでしまった。
 私たちの部屋は、姫さまの寝室から遠くはない。建物自体には、厳重な警備体制がしかれている。その中を『地下水』は、数人の見張りを他の者には気づかれぬように倒した上で、私の部屋を襲撃したのだ。
 しかし……なぜ? 姫さまや王宮の大臣たちが狙われるというのであれば、まだ話はわかるのだが……。

「おはよう、ルイズ。もう元気になった?」

「うん。私もサイトも、ほら、このとおり!」

「……って、あんまり元気そうには見えないけど。まあ、あなたなら大丈夫でしょうね」

 気楽に言うと、彼女は紅茶をくいっと飲み干す。
 私はサイトと共に、キュルケの向かいに腰掛けた。
 メイドが一人、スッと歩み寄って、紅茶を注いでくれる。

「まだ王女さまとは話をしてないの?」

「そう。姫さま、ここに戻ると結構忙しいみたい」

 紅茶を一口含みながら私は答えた。口の中に広がる甘い香りが、私をリフレッシュさせる。これは『紅茶』というよりむしろ『香茶』というべきかも。
 ……私たちがこんなところをうろついているのは、別に怠けているわけではない。
 姫さまの護衛として王宮に来たわけだが、表向きは『おともだち』である。つまり、姫さまの客。姫さまの護衛は王宮の魔法衛士隊がやっており、私たちは手持ち無沙汰となった。
 そこで、である。
 私はサイトを連れて、堂々と大っぴらに聞き込みをすることにしたのだ。
 正直、誰がどの派閥なのかよく判らないし、どの派閥が姫さま暗殺を企てているのかも不明だが、私たちが動き回れば悪い奴らへのプレッシャーになる……と考えたのである。

「……というわけよ。で、キュルケは?」

「あたし? まあ、あたしも似たようなものかしら。あたしはあたしで、独自に調べているわ」

 私の説明に対して、ウインクで返すキュルケ。
 こいつ……。
 おそらく、また男漁りを始めたな?
 キュルケの二つ名は『微熱』。これは彼女の魔法の炎を意味するだけでなく、情熱の炎を示すものでもあった。

「ルイズ、何か言いたそうな顔ね?」

「……なんでもないわ。気にしないでちょうだい」

 トリステインの王宮内で恥ずかしい真似は止めて欲しいのだが、どうせキュルケに言わせれば、色仕掛けを用いた調査ってことになるんだろう。
 言うだけ無駄とわかっていたので、私は敢えて口にはしなかった。
 そんなことより。

「ねえ、キュルケ。ちょっと聞きたいんだけど……」

 昨晩キュルケとするはずだった相談を、ここでしようか。私たち三人以外に、給仕のメイドも控えているが、たぶん大丈夫。
 そう思って、私が話し始めた時。

「おや、みなさん! こんなところにお集りでしたか!」

 横手からかけられた声。
 私たちは一斉に声の主へと顔を向けた。
 そこに立っていたのは、一人の老メイジ。ウェールズ王子の侍従、パリーであった。

########################

「ここの席……失礼してもよろしいですか?」

 私が頷くと、彼は私の左隣の席に座った。
 すかさずメイドがティーカップを追加し、紅茶を注ぐ。
 老メイジは、それで口を湿らせてから。

「実は、みなさまに折り入ってお願いしたい事があるのです」

 深刻な表情で私たちを見回す。
 こうして見ると、善人にしか見えない老人であるが……。一昨日の夜、ド・ポワチエ将軍の偽物を演じていたのは、彼なのだ。なんらかの陰謀に関わっているとみて間違いない。
 どうせ彼の方でも、私とキュルケがあの晩の『密偵』だって気づいてるんだろうなあ。しかし、お互い、それは口にしない。ちょっとした腹の探り合いである。

「……何かしら、パリーさん? あたしたちに頼みたい事というのは?」

 どこか芝居がかった調子で言いつつ、キュルケが髪をかき上げる。そのポーズが妙に決まっているが……。まさかキュルケ、こんな老人に対して色仕掛けをかますわけじゃあるまいな!?

「他でもありません、ウェールズ殿下のことです」

「ウェールズさまの……? でも、それなら私たちより、あなたの方が……。あるいは、姫さまにでも頼んだ方が……」

 聞き返したのは私。
 キュルケに会話の主導権を握らせては、とんでもないことになりそう、と思ったからだ。どんな頼み事だか知らんが、下手に『微熱』のキュルケに任せたりすると、ややこしい結果になりそうな気がする。

「……そこなのです。どうやらアンリエッタ姫殿下は、ウェールズ殿下に対して、よい感情を抱いておられぬ御様子。昔は、あんなに仲睦まじかった御二人だったのに……」

 むむむ。
 どうやら話は、恋愛沙汰のようだ。どう考えても、これは私の専門分野ではない。待ってましたと言わんばかりに、キュルケが身を乗り出す。

「ああ、そのことね。それは、あたしたちも気になってたのよ。……ねえ、ルイズ?」

「そう。パリーさん、何か御存じないですか? 私も姫さまの態度、ちょっと変だな……って思ってたんですけど」

 パリー侍従は首を横に振る。

「わかりません。……侍従の私が申し上げるのも何ですが、ウェールズ殿下は紳士でございます。姫殿下に嫌われるような言動は一切していないはずなのですが……」

 やはり姫さまに直接聞いてみるしかないようだ。

「……ですから! 殿下と姫殿下との話し合いの機会を作っていただけないでしょうか? 御二人が腹を割ってじっくり話し合えば、また昔のような蜜月状態に戻るはず。そうなれば……」

 老侍従の顔に、ニンマリとした笑みが浮かんだ。

「……殿下と姫殿下が結ばれて、ウェールズ殿下はトリステインの王にもなれて、万々歳でございます」

 ……おいおいおいっ!
 大胆といえばあまりにも大胆な発言に、私とキュルケは、思わず慌てて辺りに視線を走らせてしまう。
 給仕のメイドは少し離れたところに立って「私は何も聞いてません」という空気を発しているが、それでも顔が少し青ざめていた。
 なにしろ。
 今の発言は、すなわち……。

「え? それって……この国を乗っ取る気があるってこと?」

 ここで突然、会話に参加するサイト。こいつのことだから、たぶん本気で聞き返してるんだろうが……。わざわざ確認するのは、ちょっといやらしいぞ。
 それでも、パリー侍従は平然と。

「もちろんです」

 悪びれることなく、ハッキリと言い切った。

「トリステインは王位がカラのままでも何とかなる国のようですが、そもそも歴史ある国なのです。王がいないというのは異常な状況。しかしマリアンヌさまもアンリエッタさまも、王になる気はない御様子。ならば……その気のある者が、王位に就くしかないでしょう?」

 そうきたか。
 つまり彼は、事態を収拾するためには『アンリエッタに婿を迎え入れてそれを王様にするよ派』が最善……と主張しているわけだ。だから、私たちにも手伝え、と。
 とんでもない提案をされたようにも思えるが、しかしこの話、けっこう理にかなっている。
 私たちから見れば、姫さまの身の安全が第一なのだ。姫さまが幸せに結婚して、その結婚相手——この場合はウェールズ王子——がトリステインの王になるというのは、それはそれでハッピーエンドである。
 ただし……。

「ねえ、ルイズ……」

「ええ。わかってるわ、キュルケ。だから、今は何も言わないで」

 これには条件がある。
 ポイントは『姫さまが幸せに結婚』ということ。
 もしもウェールズ王子やその取り巻きが、トリステインを手に入れるだけのために姫さまを利用しようとする悪漢であるならば……。私は、その企てを断固として阻止しなければならない。
 そして。
 私たちの前で今、好々爺のような顔をしているパリー侍従は、何か裏があるであろう人物なのだ。一昨日の遭遇を、私もキュルケも忘れてはいない。
 それでも。

「わかりました」

 私は作り笑顔で、表面上は彼の意見に賛成してみせる。

「私たちから姫さまに、一応話してみましょう」

「おお! ありがとうございます!」

 彼はいきなり席を立ち、私に握手してから。

「……それでは私も、ウェールズ殿下にその話をしてきます!」

 言ってすぐさま、駆け出していく。
 あとには私たち三人と、まだ少し怯えた表情のメイドがとり残される。
 しばしの沈黙の後。

「ま、仕方ないわね。とりあえず、これで事態も変わるでしょう」

 他人事のような口調で、キュルケが肩をすくめた。
 私もサイトも、それに対して何も言わない。
 サイトは私を見て、少し顔を曇らせていた。

「ルイズ、どうした?」

「なんでもないわ……」

 そう返しながらも、わずかに体を震わせる私。
 おのれの右手に、視線を落とす。特に何も変わった点はないが……。
 冷たい感触が残っていた。
 老侍従パリーの手から伝わった冷気。いくら年寄りとはいえ、彼は、あまりにも体温が低かったのだ。
 私は、ふと姫さまの言葉を思い出す。たしか姫さまは、ウェールズ王子をこう評していたはずだ。

『なんだか……冷たくなってしまわれました』

 と……。

########################

「どうやら話がついたみたいよ、ルイズ」

 ランチタイムの小さな食堂。来客用のここには、私とサイトとキュルケ、そして給仕のメイドの他には誰もいない。
 ウェールズ王子や彼の侍従がいないということは、彼らが『来客』扱いではないということを意味している。

「……話って?」

 キュルケと顔を合わせるのは、朝のティーテーブル以来。いきなり言われても何のことやらわからなかった。

「呆れた……。もう忘れたの? お姫さまと王子さまの会談のことよ」

 ……ポテッ。

 思わずスプーンをシチューの中にとり落とす。
 クラゲ頭のバカ犬サイトじゃあるまいし、忘れるわけがあるまい!? ただ、こんなに早く事態が進行するとは、あまりにも予想外だったのだ。

「へえ。すごいな、キュルケ。どうやったんだ?」

 あっけらかんと尋ねるサイト。
 午前中、私とサイトは結局、姫さまとは接触できなかった。ならばキュルケがつなぎをつけたということになる。幼馴染みの私を差し置いて……。

「あら、普通にお願いしただけよ。魔法衛士隊の隊員さんにね」

 言いながらキュルケは、艶かしく髪をかき上げる。
 なるほど。姫さまと直に話をするのは無理でも、護衛の者を色仕掛けで手なずければ、言づてを頼むくらいは出来るわけか。

「王位継承問題で動いてる連中を刺激したくないから、秘密裏に話し合うことになったそうだけど……。あたしたちも同席してかまわないらしいわ。どうやら、二人っきりというのは嫌なようね」

 キュルケの説明を聞きながら、私はテーブルの上に視線を戻す。
 落っことしてしまったスプーンは、もはやシチューの中に沈みこみ、影も形も見えはしない。

「そう。それはお手柄ね、キュルケ……」

 適当な言葉を返しつつ、フォークでシチュー皿の底をかき回す。
 コツンッと指先に伝わる硬い手ごたえ。
 瞬間。

 ザビュッ!!

 音さえ立てて、皿がシチューを吹き上げた。……いや!

「だああああああああっ!?」

 思わずのけぞる私たち。
 別に皿がシチューを吹き上げたわけではなかった。
 皿の中から、シチューと同じ色をした、数十本もの、ねらりと長い触手のようなものが飛び出してきたのだ。

「ルイズ! これも虚無魔法なのかよ!?」

「あたしの手柄を褒めてくれるのはいいけど、こういう祝いかたは、やめて欲しいわね!?」

「私がやったんじゃないわよっ!」

 三人が叫ぶうちにも、皿から生えた細長い触手は、ワッシとテーブルにはりつき、底を支えに、皿の中にある本体らしきものを抜き出そうともがく。
 その隣では、ハチミツを塗ったローストチキンが縦に裂け、中から何かの両手がせり出してくる。

「あんたのところのおすすめメニューはこんなんかっ!? 姫さまに言いつけるわよ!」

 私が食ってかかったそのとたん、給仕のメイドは無責任にも床に崩れ落ち、ひとかたまりの塩と化す。

「ああ、もったいない。けっこう可愛いコだったのに……」

 こら、サイト! そんなこと言っている場合ではないっ! ちょっと問題発言な気もするが、私も怒っている場合ではないっ!
 触手の本体は、すでに姿を現していた。
 それは、ふたかかえはあろうかという大きさの、ぷよんぷよんした球体。てっぺん辺りからは、数十本の細長い触手が生えている。
 ローストチキンから生まれた方も、はや半ば以上を現していた。こちらは、人の形をした巨大ワカメをさらにデフォルメしたような形状。

「どうするの、ルイズ!?」

「とりあえず逃げてみましょ!」

「俺も賛成!」

 敵に後ろを見せない者を貴族と呼ぶ……なんてセリフは、この際、適用外。こいつらは『敵』以前のシロモノじゃ。
 私は、二つある扉のうち、手近な一つに飛びつく。が、開いたとたんに絶句。

「どうしたのよ、ル……」

「なんだよ、二人して……」

 隣に駆け寄ったキュルケとサイトも、やはり同じく絶句する。
 扉の向こうには、どこかで見たような部屋があり、テーブルひとつに料理が多数。奇妙なシロモノが二匹。奥の方には開いた扉。その前に茫然と佇む三つの後ろ姿。
 ……そう。私たち自身である。

「サイト、後ろ!」

 キュルケの声に、向こうの部屋のサイトがこちらを向く。

「はぁ〜〜い!」

 明るい声で手を振るキュルケ。

「バカなことやってんじゃないわよっ!」

 言うなり私は扉を閉める。

「……空間を歪められたわ! このぷっくりもっくりたちを倒さないといけないみたいね!」

「娘っ子の言うとおりだ。ま、おめーたちならすぐ終わるさ」

 サイトの背中から声がする。ずっと持ち歩くよう、サイトに言っておいて良かった。
 私とキュルケは呪文を唱え始める。サイトは魔剣デルフリンガーを抜き、ふにょふにょ動く触手をかいくぐり、『球体』の部分に斬りつける。
 
 ぽみゅっ。

 やたらと間の抜けた音がして、剣の刃は素通りした。

「……な……なんだぁっ!?」

「相棒! もっと心を震わせろ! でなけりゃ、こいつらは切れねーみたいだ!」

 剣が剣士にアドバイス。
 うむ、どうやら精神力をこめないと通じない敵のようだ。つまり……こいつらは魔族!
 しかし、ならば人間の精神力を用いた系統魔法は効果あるはず。
 早速、キュルケの杖から躍り出た炎の蛇が、ワカメ人間にかぶりついた。
 メラメラと燃えるワカメ人間だが……この一発では消滅しない!?
 キュルケの炎の蛇は、私も詳しくは知らないが、トリステイン魔法学院において、とある有名な火メイジから教わった技のはず。かなり強力な火炎魔法なのだが、それでも倒せないとは……。

「ルイズ!」

 キュルケの催促の声。私のエクスプロージョンでとどめをさせって意味だろう。
 でも。

 チュドーン!

 私が爆発させたのは、シチュー皿だった。
 キュルケが非難の叫びを上げる。

「何やってんのよ!? 遊んでる場合じゃないでしょう!」

「違うわ! よく見なさい!」

 私は気づいたのだ。シチュー皿からもう一匹、別のが姿を現しかけていたことに。
 間一髪まにあわなかったようで、シッポと腕がいっぱい生えたトマトみたいのが、こちらに向かってモソモソと這い寄ってくる。

「そいつは任せたわ!」

 言って私は、再び爆発魔法を放った。
 今度の標的はローストチキン。そこからも、別の一匹が出ようとしていたのだ。そいつごとエクスプロージョンで消滅させたが、悪い奴らはタダでは死なないらしい。死に際に黒い塊を飛ばしてきた。

「うげっ!?」

 身をかがめる私。ハラリとひるがえったマントに当たっただけで、私自身に被害はナシ。
 サイトの方はと見てみれば、なんとか触手つきボールは倒したようで、ちょうど、焦げかけワカメ人間にとどめの一太刀を浴びせるところだった。やはり精神力さえこめれば、剣も通用するのだ。

「ちょっと、ルイズ! ボーッと見てないで、こっちを助けてよ!」

 おっと危ない。
 キュルケがしっぽトマトに苦戦していた。
 それはクニョクニョしたおかしな動きでキュルケの炎をかいくぐりつつ、自分のしっぽを切り飛ばす。

 ヴッ!

 しっぽは途中ではじけて散ると、無数の黒い塊となって私たちを襲った。
 サイトは体をひねり、キュルケは床に転がって、私はテーブルを盾がわりに、何とかこれをやりすごす。

「このっ!」

 斬り掛かるサイト。
 しっぽトマトは巧みに避けるが、その動きを見計らって……。

「ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ!」

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ!」

 キュルケと私が、魔法で挟撃。
 さすがのトマトもかわしきれず、ついに消滅した。

「……やっと終わったわね」

「気が抜ける外見のわりには、妙に疲れる相手だったわ……」

 私とキュルケは、ぐったりと椅子に腰かける。

「何が『すぐ終わる』だよ。けっこう大変だったじゃねえか」

「わりい。ちょっと読み誤っちまったぜ」

 非難の言葉と共に剣を背中にしまいつつ、サイトも腰をおろした。
 そのとたん。

「……あのぅ、何か不都合でもございましたか?」

 いきなりかけられた声に思わず身構える三人。
 いつのまにか。
 そこには心配顔のメイドが立っていた。
 ……どうやら、まともなところに戻れたらしい。

「よかった。無事だったんだね、君……」

「サイト」

 相好を崩して言いかけた彼を、私が押し止める。

「……この人は何も知らないのよ。あえて言う必要はないわ。それに彼女にとっては、あれから全然時間は経ってないみたいだし」

 部屋の様子は、異変が始まる前と全く変わってはいない。
 テーブルの上のシチュー皿とハチミツローストチキンさえ。
 ただひとつ。
 私のマントにのみ、その痕跡を残していた。
 ……あの黒い塊を当てられたところに大きな穴があいている。マントを織りなす繊維自体がボロボロに崩れ、風化したような感じだ。
 そうやって私が分析している間に、キュルケが何やら、サイトに小声で話しかけている。

「あなた、さっき『もったいない』とか『可愛いコだったのに』とか言ってたけど……。ああいう子が好み?」

「……え? いや、別にそういうわけじゃなくて……」

 ふと見ると。
 サイトは少しニヤケ顔。その視線は、少し離れたところに立つメイドへ。特に、適度に豊かな胸へと向けられている。
 それから。
 彼は、私の方を振り返った。
 ……比べるような目で。

「あ。……いや、ごめんルイズ。別にそういう意味じゃなくて……」

「どういう意味よ!」

 私は、思いっきりサイトの足を踏んづけてやった。

########################

「ああ、愛しのアンリエッタ! ようやく君とたっぷり話ができる!」

 自分は席にすらつかぬまま、ウェールズ王子は開口一番、両手を広げて言った。
 私たちの襲撃があった、その日の夜のことである。
 本宮から少し距離を置いた一軒のはなれ。はなれと言っても、普通の民家ほどの大きさはあるのだが、その一室に、私たち六人は集まっていた。
 姫さまとウェールズ王子、王子の侍従パリー、そして姫さまの付き添いとして、私とサイトとキュルケ。
 姫さまを警護している魔法衛士隊は、今はこの部屋の外である。

「やめてください、ウェールズさま。今は……そのような場合ではありません」

 半ば顔を背けつつ、姫さまは、抱きつこうとするウェールズ王子を拒絶する。別に彼はイヤラシイ感じではなく、親族として抱擁しようとしただけっぽいのだが。

「……今日の昼、わたくしのおともだちが、おかしな魔法で襲われました。それは既に聞きおよびのことと思います。あなたとわたくしが、昔のように愛を語らっていられる状況では……」

 説いて聞かせる姫さまだったが、ウェールズ王子の次の一言で、彼女は固まる。

「……風吹く夜に」

 そして。

「……水の誓いを」

 彼の言葉に応じるかのように、彼女の口から小さな声が漏れた。
 恋人同士の、昔の合い言葉か何かなのだろうか。
 ……考えてみれば。
 かつて姫さまと王子がデートを重ねていたのは、ラグドリアンの湖畔。湖に住む精霊の前でなされた誓約は、たがえられることがないという。姫さまのことだから、永遠の愛を誓ったりしたんだろうなあ。
 実際。
 あれほど王子を嫌がっていた姫さまの表情が、今の言葉を交わしただけで、少し柔らかくなっていた。遠い日を思い出したようで、恋する乙女の瞳になっている。

「アンリエッタ。こうして王家がもめている今こそ、僕たち二人の力が必要なのだよ。僕と君が一緒になり、婿入りした僕が、トリステインの王に即位する。……これで万事解決するじゃないか!」

「ウェールズさま……」

 彼は彼なりに、スジの通った話をしている。でも、それを聞くうちに、姫さまの瞳から輝きが失われていった。

「……やはり、あなたは変わってしまわれましたわ。昔のウェールズさまは、そのようなことを言うお人ではなかった……」

「何を言うんだい!? 僕は昔のままだ。水の精霊の前で、あの日、誓ったように……」

「やめてください。……わたくしにしか判らないのでしょう。でも、わたくしには判るのです。あなたは、もう昔のウェールズさまではないのだ、と……」

 姫さまは、哀しげに顔を伏せた。
 ふむ。
 私にも、少し話が見えてきた気がする。
 どうやら姫さま、理屈とは違う部分で、異質なものを感じ取っているらしい。だから幼馴染みの私にも詳しく語ってはくれないわけだ。きっと言葉では説明できない、恋人だからこそ気づく違和感……。

「ああ!」

 大げさな身振りと共に、立ち上がるウェールズ王子。ウロウロと辺りを歩き回りながら。

「僕の方こそ、君がわからない! 昔の君は、こんなに理不尽に僕を拒絶することはなかったのに……」

 カコンと拳を壁に叩き付ける。
 イライラしたので八つ当たり……。そんな感じであるが、王族の立ち振る舞いとしては、褒められたものではない。
 ……が、それよりなにより。

「姫さま。そして、ウェールズ殿下」

 私は口を挟んだ。王族同士の会話に割り込むのは不遜……などとは言わせない。

「何かね?」

 聞き返すウェールズ王子に対して、私は一言。

「お気をつけ下さい」

「……どういう意味だ?」

 私だけではない。キュルケやサイトも気づいているだろう。
 はなれの周囲にいたはずの魔法衛士隊の気配は消えて、かわりに、針のような殺気がいくつか。

「刺客です」

 私はアッサリと言った。

########################

「刺客ぅ!?」

 すっとんきょうな声を上げたのは、老侍従のパリーである。

「そ……そんな不敬な! ここには殿下や姫殿下もおられるというのに……」

「だからこそ……だよ、パリー。僕やアンリエッタを亡き者にすれば、二人を王に推す派閥は困るが、逆にそれこそ大歓迎という派閥もあるってことさ」

 アルビオンの主従の会話を耳にしながら、私は気配をうかがう。
 相手は複数。どうやらかなりの使い手ばかりのようである。魔法衛士隊でも腕の立つ連中が数人、護衛についていたはずなのに、みんな声すら立てられぬうちに倒されているのだ。
 昨夜の『地下水』が相手の中にいるかどうか、まだわからないが……。あれだけ大きな手傷を負わせたのだ。まだ回復しておらず不参加だと願いたい。

「どうしましょう、ルイズ」

「慌てることはないですわ、姫さま」

 ここは、いかにも『密談に最適』と言わんばかりの部屋である。
 窓はなく、扉は一つ。天井近くに通風口があるが、人の出入りできる大きさではない。
 しかしそこから魔法をぶち込まれる可能性はあるわけで、それを考えれば、ここに立てこもるのは愚策。かといって扉の向こうでは、まず間違いなく待ち伏せしていることだろう。

「サイト。テーブルで扉の内側からバリケード作って」

「ちょっと、ルイズ。そんなことしたら袋のネズミよ!?」

「いいから!」

 キュルケの言葉を制しつつ、私は、この建物の間取りを頭に思い浮かべる。

「姫さま。この壁の向こうは庭ですよね?」

「ええ、そうですけど……」

 扉のある反対側の壁をコンッと叩いて、私は確認を取る。うん、この厚さならば大丈夫。

「壁こわします」

 アッサリ言って呪文を唱え始める。その間にも男たちは、今まで座っていた八人掛けのテーブルを何とか動かし、扉に押しつける。
 内側への開き戸である。これで、少々のことでは開かないだろう。
 簡易バリケードが出来るのと同時に、私は杖を振り下ろした。

 ゴガァッ!

 耳が痛いほどの爆音と共に、壁の一部が崩壊し、人が通るに十分な大穴が開く。
 もうもうたる埃の外は夜の庭。主要な建物とは逆方向だが、今の破壊音は遠くの警備兵たちの耳にも届いたはずである。

「こちらへ!」

 ほこりっぽいのは我慢して、先頭きって庭に飛び出す。
 そのとたん、頭上に殺気!

「ちっ!」

 慌てて私は身をかわす。
 サンッと小さな音がして、足下の地面に何かが突き立った。
 部屋から漏れる光に照らされて、ぬらりと青白く光る。手のひらを広げたくらいの長さの短剣だ。おかしな輝きを放つのは、おそらく塗られた毒のせい。
 続いて飛び出たサイトがその短剣を引き抜き、大地を一転しながら上へと投げ返す。
 屋根の上、空を背にして浮かぶ黒い影はこれをこともなくかわし、サイト目がけてその身を闇に躍らせる。

「甘いんだよ!」

 叫びつつ、サイトが剣を一閃。
 しかし刺客は魔法で浮いているのだ。その身はヒタリと宙に止まり、サイトの一撃は虚しく空を切る。

 ボンッ!

 すかさず第二撃として、私の爆発魔法。
 これをもかわした刺客の体に、炎の蛇がからみついた。私の背後からコソッと放たれた、キュルケの魔法である。
 黒コゲになって落ちて来た刺客に、サイトがとどめを刺した。
 これで脱出口は確保。私とサイトとキュルケに続いて、姫さまとウェールズ王子とパリー侍従も出てくる。
 その時。

 ドウン!

 部屋の扉が爆発し、転がり込んでくる人影二つ。
 バリケードのテーブル上を一転しつつ、それぞれ二条の銀光を放つ。
 狙いは姫さまか、あるいは、ウェールズ王子か。……いや、私だ!?

「あぶねえっ!」

 すかさずサイトが私の前に出て、魔剣を一振り。飛んでくるナイフを全て弾き飛ばした。
 そして、入ってきた暗殺者たちはというと。

「なにぃぃぃっ!?」

 二人まとめて、水の壁に吹き飛ばされていた。
 やったのは……。

「私だって……水のトライアングルメイジです」

 震えながらも、しっかり杖を握った姫さま。
 傍らでは、ウェールズ王子が満足そうに微笑んでいる。

「それでこそ、僕のアンリエッタだ!」

 呪文を唱える姫さまに合わせて、ウェールズ王子も詠唱。選ばれし王家の血が、トライアングル同士の息をピタリと一つにする。
 ヘクサゴン・スペルだ。『水』、『水』、『水』、そして『風』、『風』、『風』……。水の竜巻が、二人の周りをうねり始めた。
 夜の湿気が、姫さまの味方となっているらしい。
 あいにく水辺の近くではないので、最大限の威力を発揮するまでにはいかないが、それでも巨大な六芒星が竜巻に描き出されている。あの程度の暗殺者二人、軽く片づけられるであろう。
 だから、そちらは姫さまたちに任せて……。

「……そこね!?」

 私は、あさっての方向に小さなエクスプロージョンを炸裂させた。
 会合場所の建物から少し離れた、何もないところ。
 夜の闇と同じ色をした暗殺者が、スーッと姿を現す。

「さすがだな……。我の存在に気づくとは……」

「ほとんどカンだったけどね。あんた元々気配を消すのが上手なうえに、お仲間まで連れて来られちゃあ、完全に紛れてたんだけど……」

 私の本能が教えてくれた……としか言いようがない。

「……だいたい、これだけ騒いでも本宮から兵士も来ない。素直に考えれば、そっちも刺客にやられた……ってことだわ。といっても、さすがに王宮の全員を殺すなんて、いくら稀代の暗殺者でも無理でしょうし……」

 おそらく今頃、ここの警備兵たちは、みんなグッスリおやすみ中であろう。

「おい、ルイズ。あいつは……」

「そうよ、サイト。つい最近、そういう敵が出てきたでしょ。『スリープ・クラウド』を得意技とするメイジ。……『地下水』だわ!」

 言って私は、漆黒の暗殺者を睨みつけた。





(第四章へつづく)

########################

 「スレイヤーズ」のズーマは『ダーク・ミスト』が得意技。「ゼロ魔」の『地下水』は「タバサの冒険」において『スリープ・クラウド』を使っていたので、それを『ダーク・ミスト』の代わりに。

(2011年6月2日 投稿)
   



[26854] 第四部「トリスタニア動乱」(第四章)【第四部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/05 21:39
  
 姫さまとウェールズ王子の会談中、刺客に襲われた私たち。
 しかし、あいつらは半分陽動のようなものだったらしい。
 本命は、今、目の前にいる暗殺者。…………『地下水』!

「でもさ、ルイズ。こいつ……なんだか昨日とは、少し雰囲気が違うぞ!?」

「細かいことは気にしないの! 気になるなら、サッサと倒して、あいつの素顔を見てやりなさい!」

 サイトに言葉を投げつけながら、私は冷静に状況を考える。
 姫さまとウェールズ王子は、はなれの部屋から出たところ、壁の近くで、入ってきた暗殺者と戦闘中。ウェールズ王子の侍従のパリーも、当然、そちらに加勢しているはずだ。
 ……となれば『地下水』と戦うのは、私とサイトとキュルケの三人。

「あら〜〜。あたしが来ただけで逃げ帰った、ゆうべの負け犬じゃないの。こんなの恐れることはないわ」

 敵の気勢をそぐためだろう、あえて見下したような言葉をはくキュルケ。
 相手は暗殺者、つまり闇に生きる者。こうした軽口には応じないかと思いきや、意外にも。

「……昨日とは違う。我を侮るな。死にたくなければ、どけ」

 自信満々な『地下水』。
 暗くてよくわからないが、昨夜の傷も完治しているようだ。バッサリ斬られたはずだったのに。……腕のいい水メイジと知り合いなんだろうなあ、きっと。

「あんたこそ、死にたくなければ……サッサと帰りなさい!」

 短く詠唱して、私は杖を振り下ろす。
 小さなエクスプロージョンが『地下水』を襲うが、奴は身軽にかわして、私に向かって間を詰める。
 弧を描くような、一見ゆったりとした動作だが、速い。私は慌てて身を退き……。

 キン!

 鋭い刃物同士がぶつかる澄んだ音。
 サイトが、私の前にすべりこんでいた。

「お前……何者だ? 昨日の奴とは、明らかに違うじゃねえか……」

 ……おや?
 剣を交わしたサイトは、何か見抜いたらしい。

「我が名は『地下水』……」

「うそこけ! 昨日戦った『地下水』は、オッパイのきれいな女だった! でも……お前は男じゃねえか!」

 なんと!
 では……こいつは昨夜の暗殺者とは別人なのか!?

「……性別など関係ない。我は暗殺者だからな。それより……」

 おいおいっ!
 ツッコミどころ満載の言葉を、サラリと口にする『地下水』。

「……どけ。我の標的は、その娘のみ」

「そうはいかねえ。俺はルイズの使い魔だ!」

 剣を構えるサイトは、『地下水』から私をかばう位置。
 私とキュルケは杖を握って、魔法を放つタイミングを見計らっていた。不意をつかねば、また軽くよけられてしまうからだ。
 じりっと『地下水』が動く。
 暗殺者も、私たち三人の力量は見抜いている。うかつにしかけてはこない。それどころか……。

「何ぃっ!?」

 馬鹿正直に叫んだのはサイト。目にした光景に、驚いたようだ。
 なんと『地下水』は、持っていたナイフを懐にしまったのである!
 ……なんだ? そんなに大切なナイフなのか!?
 かわりに他の武器を出すわけでもない。杖や剣を手にした私たちを相手に、素手で戦おうというのか。普通ならば自殺行為であるが……。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 青白い雲が現れ、『地下水』を中心に広がっていく。
 私とサイトは走り出したが、逃げ遅れたキュルケは『雲』に取り込まれ、その場に倒れた。

「キュルケ!?」

「大丈夫、眠っただけだわ!」

 呪文のことなどわからぬサイトに、私は解説する。
 ……しかし。
 サイトと違って私はメイジなので、正直、驚いていた。あまりにも予想外、これじゃキュルケが逃げ遅れたのも無理はない。
 『スリープ・クラウド』は系統魔法であり、行使するには媒介となる杖が必要なはずなのに、『地下水』は杖もなしに使ってみせたのだ。
 なんちゅう非常識なバケモン……。

「相棒! もっと頭を使え!」

 叫んだのは、サイトの手の中のデルフ。
 私も一瞬、意味がわからなかったが、すぐに理解する。私とサイトは……別々の方角に走り出していた! なんという失態!
 これを見逃す『地下水』ではない。
 青白い霧の中から、飛び出してきた! 
 
「ルイズ!」

 サイトの声に応じている余裕はない。とりあえず爆発魔法を『地下水』へお見舞いする。
 直撃はしなかったが、牽制程度には……。
 ……ならなかった!
 こいつ、小さく体を捻るだけで、私の魔法をかわしやがった。そのまま減速せずに、一気に私のもとへ。
 黒い手が、私の喉に伸びる。呪文を唱えられないよう、声帯を潰す気だ!

 パヂュッ!

 濡れた音。苦痛、そして空気が漏れる音。
 ……でも!
 すでに私は、呪文は唱え終わっている!

 ゴウゥッ!
 
 これだけ接近していれば、はずしようがない。
 私のエクスプロージョンをモロに食らって、『地下水』が吹っ飛ぶ。
 そこに!

「男なら……容赦しねえぞ!」

 駆け寄ったサイトが魔剣を一閃。
 立ち上がりかけていた『地下水』は、うまく体を捻ったが……。
 足がもつれた!
 ……先ほどのエクスプロージョンで、右脚を痛めていたらしい。
 
 ガツッ!

 デルフリンガーが『地下水』の右肩を捕える!
 左脚だけで飛び退く『地下水』にサイトは返す刀で斬りつけるが、これは暗殺者の上着を浅く薙いだのみ。
 しかしサイトの一撃は、『地下水』の右腕をその肩口からズッパリと斬り落としていた。
 もはや勝負はついたも同然。戦っても負けは確実と判断したか、『地下水』は退却にかかった。大きく後ろ向きに跳び……。
 この瞬間を私は待っていた。

「ニガサナイワ!」

 奴が大地を蹴った瞬間、その軌道を読んで、ダメ押しのエクスプロージョンが炸裂!
 これはよけられるわけがない……のだが!
 よりにもよって『地下水』は、エクスプロージョンの光を、残った左手ではたく!
 ……そんな無茶な!?
 左腕を完全に消滅させながらも、暗殺者は夜の闇の中へ溶け込み、完全に姿を消した。

「……逃げられちゃったな」

 ポツリとつぶやいたのはサイト。
 近づく彼に向かって、私は一応、コクンとうなずく。
 
「ソウネ……」 

「ん? なんだか声がおかしいぞ、ルイズ。大丈夫か?」

「大丈夫ジャナイ……」

 さっきやられた喉笛が、今になってひどく痛み始めていた……。

########################

 そして翌日。
 一見いつもと変わらぬ警備態勢、いつもと変わらぬ人の動き。しかし皆の心の中では、今まで以上に不安や心配が渦巻いていることであろう。
 あれだけの騒ぎが、誰にも知られぬはずがない。
 姫さまとウェールズ王子の極秘会談、そこに現れた暗殺者たち、歯が立たなかった魔法衛士隊……。そうした噂が、水面下で広がっていた。

「でもよ。両腕を失って、脚もケガしたんだろ、あいつ。さすがにもう、あの暗殺者の心配は、しなくていいよな……?」

「そうね。このまま夜も何もなければいいけど……」

 私とサイトは、部屋のベッドに並んで腰かけている。
 すでに外は暗くなっていた。
 王宮に来て三日目。一昨日や昨日とは異なり、今日は平穏無事に、一日が終わろうとしていた。

「昨日は、とんでもなかったからなあ」

「……うん」

 サイトの言葉に、私もうなずく。
 あの後。
 治療所の水メイジを叩き起こして、私は急いで喉を治してもらった。第二波の襲撃があるかもしれない……と恐れたのだ。
 でも、さすがにそれは考え過ぎ。昨夜は、あれで終わりだった。
 さいわい、姫さまやウェールズ王子にケガはなく、むしろ暗殺者二人を返り討ちにしたくらい。生かしたまま捕えて黒幕を白状させるのがベストなのだが、そんな手加減が出来るほど、姫さまたちは器用ではなかった。

「なあ、ルイズ。今日一日、色々と聞いてまわったみたいだけど……収穫はあったのか?」

 突然、話題を変えるサイト。本日のおさらいという意味ではよいが、言い方が、いかにもサイトである。
 私は、呆れたような声で。
 
「『みたい』って……。あんたも一緒だったでしょ?」

「だってさ。ほら、俺には、よくわかんねーし」

「はあ……。ま、いいわ。それじゃ教えて上げる」

 私とサイトは、今日も聞き込み。特に目新しいネタが手に入ったわけではないが、なーんとなく見えてきたことがある。
 どうやら。
 トリステインのお家騒動、ちまたで噂になっているほど激しいものではないらしい。

「……あれ? でもよぅ、姫さんが狙われてるとか、家臣同士が殺し合ってるとか……」

「そうね。そういう話を聞いていたから、私も、もっとギスギスしたもんだと思ってたんだけど……」

 実際に、王宮内の人間と話をしてみると。
 たしかに、ここは今、四つの派閥に別れている。
 このままでいいよ派。マリアンヌに即位してもらうよ派。アンリエッタに即位してもらうよ派。アンリエッタに婿を迎え入れてそれを王様にするよ派……。
 しかし、それは「何が何でも!」という狂信的なものではない。民衆が井戸端会議で、なんとなく政治信条を語る。……そんな感じなのである。
 王宮の役人が、政治に関わることなど皆無の大衆と同じレベル。それはそれで困った話であるし、だからこそ『鳥の骨』マザリーニのような余所者に国を乗っ取られてしまうわけだが、これだけ他人事な連中が、血みどろの権力争いなどするわけがない。

「……だいたい、犠牲者が出始めたのは、ウェールズ王子たちが来てからなのよ。街の噂では『彼らが来たことがキッカケになった』ってことになってるけど……。もっと素直に考えたほうが良さそうだわ」

「っつうことは、あの王子さんが騒動の黒幕?」

 昨日の襲撃だって、被害者づらするためにウェールズ王子は、敢えて自分たちを襲わせたのかもしれない。
 たしか彼は途中で壁をドスンと叩いていたが、あれが何らかの合図だったのかもしれない。
 それに刺客二名を生け捕りではなく殺してしまったのも、力量不足で仕方なく、ではなくて、口封じだったのかもしれない。
 ……などと色々想像は出来るのだが、サイトに複雑な話をしても混乱させるだけ。だから私は、単純に言う。

「たぶん。根拠は私のカン……というより、姫さまのカンね」

 姫さまは、腹芸の出来る人間ではない。王宮内で政争に巻き込まれるうちに、いずれは裏表のある人物になるかもしれないが、少なくとも今の姫さまは、素直な少女である。
 だから、昨日の会合での態度が全てなのだと思う。
 すなわち。

「言葉じゃ説明できないけど、なんか怪しい。……ってことか。ま、女性の直感、なんて言葉もあるくらいだしなあ」

「ただの女のカンじゃないわ。姫さまは、ウェールズ王子の恋人なのよ?」

 姫さまの様子を見ていればわかる。
 恋心が醒めて、見方が変わった……なんて話ではない。姫さまは、今でもウェールズ王子を愛しておられる。
 昔の合い言葉を交わした時もそう。ヘクサゴン・スペルを用いた時もそう。
 特に後者は、あからさまだった。
 姫さまは、明らかに高揚していた。慣れない戦闘のせいもあるだろうが、それだけじゃない。あれは、恋する乙女の表情。ヘクサゴン・スペルという共同作業で、愛する人との一体感を感じたのだ……。

「……あれ? 噂をすれば何とやら、だ」

 その口調が、あまりにのんびりしていたため、うっかり聞き逃すところだった。
 サイトの視線は、窓の外に向けられている。
 私もそちらに顔を向けると……。

「姫さま!?」

 レビテーションで夜空を浮遊する、姫さまとウェールズ王子!

「なんだよ……。なんだかんだ言って、仲いいじゃん、あの二人。夜の空中デートか……。あれってさ、お姫さまだっこだろ? 姫さまが、お姫さまだっこ。うん、これこそ本物のお姫さまだっこだな……」

「バカ言ってんじゃないわ! ウェールズ王子の腕の中で、姫さま、意識を失ってるじゃないの! あれはデートじゃなくて……誘拐よ!」

########################

 警護の魔法衛士隊は何をやっていたのか!?
 部屋を飛び出した私とサイトが目にしたのは、廊下で眠りこける警備兵たち。

「おい、起きろ! 姫さまが誘拐されたぞ!」

 サイトが揺さぶったり叩いたりしても、彼らが起きる様子はない。どうやら『スリープ・クラウド』なんかよりも強力な、私の知らぬ魔法か秘薬で眠らされたらしい。
 私は私で、隣の部屋の扉をドンドンと叩く。弱っちい魔法衛士隊なぞより、キュルケの方がよほど戦力になるのだが……。
 ダメだ。どうやらキュルケは留守のようだ。ったく、どこ行ってるんだか。

「サイト! 時間がもったいないわ! 私たちだけで追うわよ!」

「娘っ子の言うとおりだぜ、相棒」

「お、おう! そうだな!」

 飛んでいった方角から見て、姫さまたちは厩舎へ向かったらしい。馬に乗られては、人間の足では間に合わなくなる!
 私たちも厩舎へ。
 しかし。

「……あそこだ!」

 サイトが指さす闇の中。
 ぐったりとした姫さまを前に乗せて、馬を駆るウェールズ王子。もう正門から飛び出していくところだった。

「私たちも!」

「ああ! でも俺、馬に乗るのは、あんまり……」

「だったら私の後ろに乗りなさい!」

 貴族の私ならば、それなりに馬も操れる。急ぐ状況では、たぶん、これがベスト。
 一頭の馬を拝借し、私たちはウェールズ王子を追った。
 ……この時、私は姫さまのことで頭がいっぱい。だから思い至らなかったのだ。
 こうして多くの者が眠らされている中、なぜ私たちだけは除外されていたのか、という理由に……。

########################

 夜のトリスタニアの街を抜けて、街道を少し行った辺りで、ようやく私たちは追いついた。
 いや。
 追いついたというよりは……むこうが待っていた、というべきか。
 意識のない姫さまを抱くウェールズ王子。傍らには、侍従のパリーもいる。
 そして彼らを従えるかのように、前に立っていたのは……。

「あんたが一連の騒動の黒幕だったのね……」

「黒幕などという無粋な呼び方は、やめていただきたいものですな」

 灰色帽子の鳥の骨、マザリーニ枢機卿!
 ……ここは林がとぎれ、街の一区画ほどの草原が広がった場所である。
 森の中だというのに、鳥の声ひとつ、虫の声すらも聞こえない。
 夜の静寂というだけではないだろう。まるで今から始まる死闘を予感し、立ち去ったかのようだ。

「戦うには都合のいい場所……。そこまで私たちをおびき寄せたのね」

「……え? どういうことだ?」

「サイト、まだわからないの!? 姫さまは、私たちを誘い出すためのエサにされたのよ」

 ようやく悟った私。
 敵の狙いは姫さまではなく、私たちだったのだ!
 ……考えてみれば。
 私たちが王宮に来て以来、おかしな『虫』やら魔物やら暗殺者やらに襲撃されたのは、いつも私。理由はともあれ、姫さま暗殺など二の次といった感じになっていた。

「いやいや。あなたたちを葬った後、この王女も殺しますよ。……ここならば、彼女の死も誰にも知られないでしょうし」

 平然と言ってのけるマザリーニ。
 その内容は私を激昂させるべきものであったが、なぜか私は、逆に冷静になった。
 頭が冴える。
 まさか……こいつは……。

「なるほどね。ただ姫さまを殺したいってんじゃなくて……それを秘密裏に行う必要があるわけね……」

「おや? 何か気づきましたか? さすがは『ゼロ』のルイズですな」

「おい、ルイズ! 何か判ったんだったら、俺にも教えてくれよ!?」

 口元を歪めるマザリーニと、大声で叫ぶサイト。
 二人を無視して、私は呪文を詠唱する!

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……」

 ウェールズ王子とパリー侍従めがけて、私は杖を振るった。
 姫さまも巻き込む形だが、これは『解除(ディスペル)』だ。大丈夫、彼女に害は及ばない。むしろ……。

「……ここは? わたくし、たしか……」

 私の予想どおり。
 ウェールズとパリーは倒れ、投げ出された姫さまは目を覚ました。魔力で眠らされていたのだろうが、それも一緒に『解除』されたらしい。

「……! ウェールズさま!?」

 意識を取り戻した姫さまは、ウェールズに気づいて、慌てて助け起こそうとする。
 でも。

「そんな……」

 もはや手遅れと悟る姫さま。
 ……ウェールズは、完全に事切れていた。

「サイト。これが答えよ」

「だから何なんだよ!? 俺にはサッパリわからんぞ!?」

「よく見なさい。アルビオンの二人は、とっくの昔に死んでいたのよ……」 

「いっ!?」

 少し前、私やサイトは、死体を操る敵と戦ったことがある。その際は『アンドバリの指輪』という魔道具が使われたのだが……。

「この程度の術、驚くことはないでしょう。かつての王都トリステインでも、生ける屍の研究を行い、それで街を騒がせた貴族がいたと聞いております。だから私も、ちゃんと人間のやり方に従ったまでのこと」

 淡々と語るマザリーニに対して、姫さまが涙で濡れた顔を向ける。

「あなた……何者です?」

 厳しい表情で睨みつけながら、姫さまは立ち上がった。
 ……最愛の人、ウェールズ王子。その死を冒涜し、操り人形にしたマザリーニを許せないのだ。

「そうよ。そこまで話したんなら、正体も明かしなさい!」

 私もマザリーニに言葉を叩きつけた。
 普通は『ちゃんと人間のやり方に従った』なんて言わない。そんなことを言うのは……人間以外の者のみ!

「……そうだな。もはや、この名と姿を借りる必要もなかろう」

 マザリーニの姿が異質なものに変わってゆく。
 トレードマークの灰色帽子は頭に張りつき、中央がトサカのように盛り上がる。背中の肉は盛り上がり、薄く大きく広がって、左右一対の大きな翼が形成された。全身を覆う服も、ゴツゴツとした硬質なものに変わり、まるで鳥のあばら骨がむき出しになったかのように……。
 同時に、彼の声質や口調も変化する。

「俺の名前はカンヅェル。……見てのとおり、人間どもの世界で働く、魔族の一人だ」

########################

「魔族……ですって!?」

 姫さまは茫然としている。
 そりゃあ、そうだろう。
 魔族なんて伝説やおとぎ話の中に出てくる、空想の産物……。そう思っている人間が多いのだ。
 でも、私やサイトは違う。以前に魔族と戦ったこともある。だから、冷静に問いただした。

「ロマリアで教皇になろうとして失敗して……今度はトリステインを手に入れようってわけ!?」

「いや、違うな。俺が『マザリーニ』になったのは、ロマリアの一件の後だ」

 カンヅェル=マザリーニが、肩をすくめてみせる。

「人間の名前や姿形が必要だったから、使わせてもらっただけだ。それなりに名のある人物の方が、王宮に入るには手頃だと思ってな。……本物のマザリーニは、野に下って、適当に生きてるはずだ」

 かつて私たちの前に現れたヴィゼアという魔族も「クラヴィルという人間の名と姿を借りていた」と言っていた。魔族の間では、そういうのが流行っているのだろうか?
 ……それはともかく。
 こいつの場合、本物の枢機卿を殺して成りかわったわけではないらしい。もっとも、本物が現れたら殺すつもりでしょうけど。ただ単に、わざわざ探し出すのが面倒だったんでしょうね。

「トリステインを手に入れるって話は、否定しないのね」

「ああ。それが、俺が受けた最初の命令だからな」

 色々と辻褄が合わない部分もあったが、この男がウェールズ王子の死体を操っていたというのであれば、話はスッキリする。
 今でもトリステインは、実質的にはカンヅェル=マザリーニのもの。だが、王になるであろう人物が彼の操り人形であるならば、彼の権力は、より盤石となる。
 このままでも良し。ウェールズが王となっても良し。
 そして姫さまが女王になっても構わないように、彼女もコッソリと殺して、操り人形にするところだった……。
 私たちが介入したのは、そういうタイミングだったらしい。

「姫さまの次は、マリアンヌさまも死体人形にするつもりだったのかしら……」

「ちょっと待てよ、おかしいじゃんか。こいつが魔族だっていうなら……あれだけ大きな騒ぎを起こしたりせず、もっと上手くできたんじゃねーの? 凄い力を持ってんだろ? ……だいたい、すでにトリステインはコイツが動かしてんだから、わざわざ騒いで、それをフイにするような真似は……」

 サイトにしては頭を使っている。ならば、ちゃんと教えてあげねばなるまい。

「魔族だからこそ、よ」

「そのとおり。我ら魔族が何を糧にして生きているのか、きさまは知っているようだな」

 冷笑……いや、狂気にも似た笑みを浮かべながら、カンヅェル=マザリーニが私を見る。

「我らが力の源は瘴気。すなわち、生きとし生けるものの生み出す負の感情!」

 つまり。
 王都トリスタニアに住まう人々の不安を煽って、それを食事としていたのだ。

「恐怖、怒り、悲しみ、絶望。それこそが、我らにとっては至上の美味! ……見ろ!」

 カンヅェル=マザリーニが、姫さまを指し示す。

「アルビオンの反乱で、すでに死んでいたウェールズ。その事実を知った今、どう思う? その死体を俺が利用していたと知って、どう思う? ……くふははははははっ! なんという美味! なんという快楽!」

 こいつ!
 姫さまの負の感情を……食っていやがる!

「姫さま、落ち着いてください! それでは思うつぼ……」

 私の制止が届くはずもなかった。
 姫さまは杖を振り下ろし、カンヅェル=マザリーニの足下から、水の柱が吹き上がる!
 が……。

「さすがは王家のトライアングルメイジ……と言いたいところだが」

 水の柱に拘束されながらも、しかしカンヅェル=マザリーニは、わずかに表情を歪めたのみ。

「……我らには、はるか及ばん」

 カンヅェル=マザリーニが言うそのとたん、水の柱は四散。細い鞭となって、逆に姫さまを襲った!

「きゃっ!?」

 地面に叩きつけられる姫さま。
 反対側にいる私とサイトは、駆け寄ることも出来ない。遠目で見る限り、命に別状はないようだが……。

「なんだ、もう意識を失ってしまったのか。つまらん、後で殺す前に、もう一度食らうとするか……」

 カンヅェル=マザリーニは、ゆっくりと私たちに向き直る。

「では……」

 先ほどの攻防。
 私はヘタに手を出すのではなく、じっくり観察させてもらった。カンヅェル=マザリーニの実力を見極めて、どう戦うかを考えたかったのだが……。
 強い。こいつは強い。
 はてさて……どうしたら倒せるか?

「……次は、おまえたちだな」

 カンヅェル=マザリーニが翼を動かす。
 瘴気を伴う風が吹き付けるが、私とサイトは踏みとどまった。
 その隙に、カンヅェル=マザリーニの攻撃が来る。四条の、糸のように細い魔力光!

「させるかっ!」

 私の前に立ちはだかるサイト。ガンダールヴとして主人の盾になりながら、デルフリンガーで魔力光を叩き落とすつもりだ。

「サイト!」

 私は叫ぶ。サイトは動かない。そして魔力光は……。
 サイトの間合いに入る直前で、やおらその進路を大きく変える!

「なっ!?」

 よける暇もあらばこそ。
 光はサイトを迂回し、私の足を貫いた。

########################

「!」

 声にならない悲鳴を上げて、私は草の上に転がる。
 やられたのは両脚の腿と足首。たいして大きな傷ではないし、出血も全くないのだが、かすかに動くだけですら、突き抜けるような痛みが走る。

「ルイズ!」

 まともに顔色を変えて叫ぶサイト。

「……大丈夫! ダメージ自体は少ないわ」

 無理に笑顔を作ってみせる。

「当たり前だ」

 言ったのはカンヅェル=マザリーニだった。

「そういうふうにしたのだからな。いきなりとどめを刺したりはせん。苦痛でショック死するか、狂い死ぬか。いずれにしろ、楽には死ねんと思うがいい」

 冗談ではない!
 よりにもよって、なぶり殺し!?

「どうした? 不満そうだな」

「当たり前だ!」

 カンヅェル=マザリーニと同じセリフだが、今度はサイト。怒りの声で、私の気持ちを代弁していた。
 なぶり殺しにしてやる、などと宣言されて喜ぶ人など、あまり世の中にはいないだろう。
 そんな私たちを見て、カンヅェル=マザリーニは笑う。

「くふふ。いいぞ……。いいぞ! やはり苦痛こそが、もっとも有効な手段だな!」

 こいつはトリステインを手に入れようとしている。だから今まで、わざわざ暗殺者を雇ったり、空間を歪めたりして、他の人間を巻き込まないようにしていた。
 でも、ここでなら本気を出せる。私をじっくりといたぶれる。
 つまり……。
 カンヅェル=マザリーニは食うつもりなのだ。
 私の絶望と恐怖を。そしてサイトの怒りと悲しみを。
 しかし……その自信と油断が命取り! 私は既に呪文を唱え終わっている!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

「なっ!? しまっ……」

 ガグォォン!

 赤い光が魔族を包み、続いてカンヅェル=マザリーニの体が大爆発した!

########################

 竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)は、この世界の闇を統べる赤眼の魔王(ルビーアイ)、シャブラニグドゥの力を借りたものである。
 かなりの力を持つ魔族でも、これを食らえばひとたまりもない。
 それがまともに決まった。しかも、いい気になって油断しているところに。

「……やった、わ」

 脚の痛みをこらえつつ、私はサイトにウインク。

「ああ。やった」

 彼は、草の上にへたり込んだままの私に手を差し伸べ……。

「全く……やってくれたものだな」

 かすれた声は、サイトの後ろから聞こえた。まだ消えやらぬ爆煙の中から。
 そのまま硬直する私たち。
 
「今のは、さすがにこたえたぞ……」

 やがて薄れゆく煙の中から、ゆるりと歩み出す人影ひとつ。
 トサカも翼も失って、全体が水死人のような色になっている。耳や鼻や口さえもない顔にあるのは、ただ、普通の人間よりも二回りは大きな、見開かれた二つの目。
 カンヅェル=マザリーニ!
 おそらくは、これこそが本当の姿。今までの鳥のバケモノのような格好は、私たちの恐怖心を煽るためにやっていただけ。『鳥の骨』というニックネームに引っ掛けて作ったのだろう。

「困るではないか。王宮に戻る際には、また『マザリーニ』の姿にならねばならんというのに……」

 そうだ。
 こいつは、私たちを殺し、姫さまも殺し、その後、何食わぬ顔で『マザリーニ』を続けるつもりなのだ。
 そうはさせない! ……しかし、あの術をまともに受けて、まだ動き回れる相手だ。どうやって倒せというのか!?
 私には『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』という秘奥義もあるが、今の私の状態では制御できないだろう。しかもあの魔法、制御に失敗したら世界が滅亡するらしい。

『金色の魔王よみがえる時、ハルケギニアは空へと浮かび、世界は全て滅びるだろう』

 という言い伝えを聞かされているのだ。真偽のほどは不明だが、試してみようとは思わない。
 そもそも大量に生体エネルギーを消耗する技である。今使えば成功失敗に関わらず、たぶん私の命はない。
 ……などと考えていると。

「……どうやらきさま、我ら魔族を甘く見すぎていたようだな」

 カンヅェル=マザリーニは言う。どこから声を出しているのかは判然としないが。

「いかにシャブラニグドゥの力を借りた術とはいえ、しょせんは人間という器を通しての術。まがりなりにも中級魔族の俺には効かん……とは言わんが、一撃必殺には程遠い」

 言いながら、ゆっくりと近づいてくる。

「寄るな!」

 魔剣デルフを構えたままで、カンヅェル=マザリーニの前に立ちはだかるサイト。剣を大きく振りかぶり……。

「おまえは小娘の次だ。その方が、いい味が出そうだからな。……どけぇいっ!」

 カンヅェル=マザリーニの伸ばした左手が宙を薙ぐ。生み出された魔力の衝撃波を、サイトは光の剣で受け止める。
 しかし。

「相棒! これは無理だ!」

 デルフが叫んだとおり。
 押し負けて、そのまま弾き飛ばされる。
 私とカンヅェル=マザリーニの間を阻むものは、もう何もない!

「くふぅ……」

 至福の笑みを浮かべつつ、カンヅェル=マザリーニの手が上がる。
 ほとばしる青白い魔力光!

「!」

 脇腹に生まれた灼熱感に、私は声もなくのけぞった。

「やめろぉっ!」

 サイトが走る。左手のルーンを光らせて。
 その間にも、なおも数条の蒼光が、私の体を次々と貫く。
 すべて急所を外している、宣言どおり、私をなぶり殺しにするつもりだ。

「やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろぉぉぉっ!」

 狂ったように叫びながら、絶望の表情で斬りつけるサイト。
 だが。
 輝く刃がカンヅェル=マザリーニに当たる直前、黒い何か——おそらく魔力の塊——がその部分に集結して盾となり、サイトの攻撃をことごとく弾いている。

「くふははははははっ! 感じる! 感じるぞ! きさまの怒りを! 絶望を!」

 哄笑を上げるカンヅェル=マザリーニ。
 そして。

「そうだ、相棒! 心を震わせろ! ガンダールヴの強さは、心の震えで決まる!」

 ……煽ってどうする。
 サイトの感情が高ぶれば高ぶるほど、カンヅェル=マザリーニの腹が満たされるだけ。どう頑張っても斬れないのであれば、ガンダールヴのスピードも意味がない。今度ばかりは、デルフのアドバイスも役立たず……。
 いや! 違う!
 そうだ、デルフだ! これが……私たちの切り札!
 私は何とか痛みに耐えて、上体を起こす。

「ほぉう」

 サイトの剣戟をいなしながら、感嘆の声を上げるカンヅェル=マザリーニ。

「たいした精神力だな。しかしすぐに、また悲鳴を上げさせてやる」

 蒼い光条が、再び私を襲う。
 意識がとびそうになるが、なんとか踏みとどまって、呪文を唱え始める。
 そう何発も撃てる魔法ではないし、さっき放ったばかりだが……。やはり、これしかない!

「……黄昏よりも昏きもの……」

 カンヅェル=マザリーニの顔に浮かぶ侮蔑の色。

「またシャブラニグドゥの呪法か」

 サイトの手の中で、輝く剣が叫ぶ。

「相棒! てかずを増やせ! 娘っ子を攻撃する暇を与えるな! 虚無の担い手が呪文詠唱の時間を作ることこそ、ガンダールヴの仕事だ!」

「おう!」

 サイトのスピードが上がり、斬撃の数もアップする。

「……血の流れより紅きもの……」

「最期のあがきだな、見苦しい。……失望したぞ」

 カンヅェル=マザリーニの手が閃き、サイトが弾き飛ばされる。

「……時の流れに埋もれし……」

「あと一発や二発、耐えられんことはないが……」

 すぐさま起き上がり、サイトは走る。カンヅェル=マザリーニに向かって。

「……偉大な汝の名において……」

「ここで死ぬきさまらとは違って、俺には、この後もあるからな。もう一度『マザリーニ』に化けるだけの力は、残しておかねばならん」

 魔剣デルフを振り上げるサイト。

「……我ここに闇に誓わん……」

「もう少し食いたかったが……。仕方ない。そろそろ消えてもらうとするか」

 闇の壁に、デルフの光る刃は虚しく弾き返される。

「……我等が前に立ち塞がりし……」

 カンヅェル=マザリーニが手をかざし、まばゆいばかりの蒼い光が灯る。今までとは比較にならない、強力な魔力だ!
 再び剣を振り上げるサイト。

「……すべての愚かなるものに……」

 ……呪文が間に合わない!?
 その瞬間。
 空から現れた炎の蛇が、魔族に食らいつく!

「ぐごわぁぁぁぁぁぁっ!?」

 悲鳴を上げるカンヅェル=マザリーニ。

「……我と汝が力もて……」

 呪文詠唱を続けながらチラリと見上げれば、夜空に浮かぶのは一匹のマンティコア。王宮に忍び込んだ夜に見た隊長さん——たしか名前はド・ゼッサール——の後ろにいるのは、言わずと知れた『微熱』のキュルケ!
 この瞬間。

「……等しく滅びを与えんことを!」

 私の呪文が完成した!
 サイトが振りかぶったデルフリンガーへ向けて、私は杖を振る。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

「無駄だと言った!」

 叫ぶカンヅェル=マザリーニ。
 その目の前で。
 ガンダールヴの魔剣が、ひときわ輝きを放つ。
 血の色に等しい赤い光を。

「なにぃっ!?」

 思わず叫ぶその瞬間……。
 今度こそ、デルフリンガーは魔族の体を上下に両断していた。
 返す刀で、サイトはさらに斬りつける。
 再び放たれたキュルケの炎の蛇、そして残りの全精神力を叩き込んだ私のエクスプロージョンが、だめ押しでとどめを刺す。
 カンヅェル=マザリーニの体は灰色の塵となり、地に落ちるよりも早く、風の中へと溶け消える。

「……終わった……なんとか……」

 やはり気が抜けたのだろうか。
 その瞬間、私は意識を失っていた。

########################

「……ところでルイズ、結局お前、なんであいつに命を狙われてたんだ?」

 サイトは、ベッドの上でヒマを持て余している私に尋ねた。
 カンヅェル=マザリーニとの死闘を演じた、その翌日のことである。
 あの戦いの後、私は王宮の治療所に担ぎ込まれたらしい。そこいらの記憶は全然ないのだが。
 運んでくれたのは、キュルケと一緒だったマンティコアの隊長さん。
 ちなみに、あの二人がナイスタイミングで現れたのは、全くの偶然だったそうな。どうやら隊長さんが昨夜のキュルケの御相手で、二人で夜空をデートしていたら、たまたま現場に出くわしたとか。
 それはそれとして。
 もはや傷は完治し、体調もほぼ完璧なのだが、一応大事を取って、ということで、いまだ私はベッドの上である。

「ああ……それね……」

 私は多少口ごもる。

「わたくしには聞かせられない話ですか? ならば席を外しましょうか……」

 口を挟んだのは姫さまである。ちょうどお見舞いに来てくれたところだった。
 その隣にはキュルケも座って、生温かい目で私たちを眺めている。

「いいえ、そうではありません」

 私が慌てて否定すると、姫さまはホッとしたような顔を見せた。

「よかった。……わたくしとあなたはおともちだち。そう思っていたけれど実は一方的だったのかと、少し心配しましたわ」

 何でも腹を割って話すのが女の友情。……そう思っているんだろうなあ、きっと。
 とりあえず。

「私にもよくわからないのです。ただ……誰かにそういう命令を受けていただけ、みたいで……」

 明言こそされなかったが、そういうニュアンスだった。少なくともトリステイン乗っ取りの件に関して『最初の命令』と言っていたから、同じところから別の命令もあったのは確実。どうやら、それが私を標的とした暗殺指令だったっぽい。

「でもよ、あいつ魔族だったんだろ? 魔族に命令を下せる奴なんて……」

「……きっと魔族のお偉いさんね」

「それって……まさか……伝説の魔王……赤眼の魔王(ルビーアイ)シャブラニグドゥ……」

「いいえ、姫さま。それは違います」

 これは断言できる。理由は簡単。カンヅェル=マザリーニが、シャブラニグドゥを敬称略で呼んでいたからである。

「そうだよな。赤眼の何とかは、俺たちが倒したもんな」

「……え?」

 サイトの言葉に、姫さまが目を丸くする。
 それからギギギッと、再び私に顔を向けて。

「本当なの、ルイズ・フランソワーズ?」

「……はい」

「あなた……いったい今まで、どんな旅をしてきたのですか?」

 呆れたような口調の姫さまに、私は、サイトと出会って以降をザッと説明する。
 ジョゼフ=シャブラニグドゥとの戦い。トリステイン魔法学院で巻きこまれたフーケの事件。ジョゼフの仇討ちに燃えたシェフィールド=ミョズニトニルン……。

「まあ! わたくしが王宮で籠の鳥のような暮らしをしている間に……そんな色々な経験を……」

 そして姫さまは、大きく一つ、ため息をついて。

「……決めました。わたくしも、あなたの旅に同行します」

「はあああああ!?」

 三人の声がハモった。
 何を言い出すのだ、このお人は!?

「お母さまに言われたのですよ。おともだちのルイズが王都に立ち寄ったのも、始祖ブリミルが与えてくださった好機。この機会に、あなたも少し世の中を見てくるとよいでしょう……って」

 ……言い出しっぺは、マリアンヌ大后か。
 姫さまも姫さまだが、マリアンヌさまも結構とんでもない人らしい。今回の騒動でも一切顔を出さなかったように、今はなかなか表に出てこないのだが……。
 若い頃はハチャメチャだったそうな。若き日のマリアンヌさまには散々振り回されたと、母さまが、よくこぼしていた。姫さまの小さい頃のお転婆ぶりを見ても「この程度なら、可愛らしいものです」と母さまは言ってたっけ。

「でも、姫さま。現状では、姫さまが王宮を留守にするわけにはいかないでしょう?」

 昨夜の事件を受けて。
 あの『マザリーニ』が偽者だったこと、及び、その『マザリーニ』が一連のゴタゴタを引き起こしていたことは、今朝、公式発表されている。
 もちろん、さすがに『マザリーニ』が魔族だったことやウェールズ王子たちが死体だったことは秘密。昨夜の事件も、『マザリーニ』が偽物であると知った王子たちが殺されて、その仇を姫さまがとった……というシナリオで押し通していた。
 ともかく。
 悪い奴ではあったが国政の中心だったマザリーニ、それがいなくなった以上、もはや姫さまを中心にしなければ、トリステインは崩壊すると思うのだが……。

「それは大丈夫です。お母さまが何とかすると言っておられました。あいかわらず即位は拒んでおられるようですが、それでも、自分が何とかしてみせる……と」

 ふむ。
 マリアンヌ大后が表立って頑張るというのであれば、まだ若い姫さまよりは、マシかもしれん。
 そんな気持ちが顔に出てしまったらしい。

「……ね? だから心配することないのですよ。ウェールズさまの葬儀が終わるまでは、わたくしも動けませんが……。ちょうどルイズも、もうしばらくはベッドの中でしょう? 御葬儀が終わったら、一緒に旅立ちましょう」

 ニコッと笑う姫さま。
 しかし、その笑顔にカゲがあるのを、私は見逃さなかった。
 ……考えてみれば。
 姫さまは、恋人であるウェールズ王子を失ったのだ。かつて姫さまは私の旅を失恋傷心旅行だと誤解していたようだが、今の姫さまにこそ、心の傷を癒す気分転換が必要なのだろう。
 だから。

「……そうですね」

 私も頷くしかなかった。

「いいのかよ、ルイズ!? そんな気楽なこと言って……」

「そうよ! 結局あなた、まだ魔族に狙われているわけでしょう? そんな旅に、国の王女さまを連れ歩くなんて……」

 サイトやキュルケが反対を示すが、姫さまは譲らない。

「あら。今は王女ですけれど、旅に出てしまえば、そんな身分は関係ありませんわ。旅先でお姫さま扱いされても困りますし……そうね、短く縮めて『アン』とでも呼んでくださいまし」

「……説得は無理みたいね。よろしく、アン」

 肩をすくめて、さっそく順応するキュルケ。
 おい、こら。
 姫さまが言っているのは、旅に出てからの話だろうに。王宮内で『アン』は、まずいぞ。

「だけどよ、アンアン。相手は魔族だぞ。それなのに……」

 ちょっと待て。
 サイトはキュルケよりも馴れ馴れしい呼び方をしてるぞ!?
 しかし姫さまは気にせずに。

「あら? あなたがたが一緒ならば、大丈夫でしょう? 守ってくださいますわね、頼もしい使い魔さん」

 手の甲を上に向けて、スッと左手を差し出した。
 ……姫さまったら、また中途半端なことを。
 王女扱いするなと言っておきながら、こういう、いかにも高貴な貴族ですって振る舞いをする。

「え? 何?」

 ほら。 
 こういう習慣に慣れてないサイトは、意味がわかってない。
 仕方ないので、御主人様である私がフォローする。

「お手を許されたのよ、サイト。光栄に思いなさい」

「お手を許すって、お手? 犬がするヤツ?」

「違うわよ。もう、これだからバカ犬は……」

「ルイズは説明が下手ね。あたしが教えて上げるわ、サイト。あのね、お手を許すっていうのは……」

 キュルケがニヤニヤ笑いながら、サイトに何か耳打ちする。
 サイトは、ちょっと驚いた顔をしながら。

「では、つつしんで……」

 姫さまの手を取り、ぐっと引き寄せて……。
 彼女の唇に、自分の口を押しつけた!
 
「え?」

 姫さまの目が白目に変わり、体から力が抜けて、隣のベッドに崩れ落ちる。
 ポカンとするサイト。

「気絶? どうして?」
 
「姫さまに何してんのよっ! このバカ犬!」

「だって……キュルケが『キスしていい』って言うから……」

「あら? 誰も唇にキスしろなんて言ってないじゃない。あの姿勢なら、手の甲にキスするのが当然でしょ。それをサイトったら、思いっきり唇にキスしちゃって……」

「なに言ってんのよ、キュルケ! あんた、わざとサイトが誤解するような言い方したんでしょ!? ……どう見ても確信犯ですって顔よ、それ!」

 火がついたように怒り狂う私。
 ここが治療所であることも忘れて。
 お仕置きエクスプロージョンが炸裂した。

########################

 数日後。
 私よりも長くベッドで過ごすことになったサイトとキュルケであるが、その二人の傷もすっかり癒えて。
 私たちは、王都トリスタニアをあとにした。
 私とサイトと姫さま、そしてキュルケとその使い魔のフレイム。メンバーは一人変わったが、奇しくも、この街に入った時と同じ人数である。

「ところでルイズ、どこに向かうか決めているのですか?」

 尋ねる姫さまは、私やキュルケと同じく、学生メイジの格好をしていた。杖を持ち歩く以上、これが一番自然であろうと考えたらしい。

「ええ。ちょっと遠いですが……」

 この一件に関わる前は、そろそろ久しぶりに里帰りもいいかな……なんて思っていたのだが、そういう場合でもなくなった。サイトには悪いが、彼を元の世界へ戻す方法の探索も、ちょっと後回しだ。
 一体どういう理由からか、私の人生に魔族がちょっかいをかけてきた以上、彼らのことを色々調査するべき……。そう考えたからである。
 今回、魔族が名を騙った者の出身地。偶然かもしれないが、それは、かつて私が魔王の呪文を学んだ国でもあった。
 だから。
 私は言った。きっぱりと。

「ロマリアへ」

 ロマリア……。
 闇の伝説が眠る地へと……。





 第四部「トリスタニア動乱」完

(第五部「くろがねの魔獣」へつづく)

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 マザリーニを完全な悪役にはしたくなかったので「名前を騙る魔族でした」ということで。すでに第三部でも「ゼロ魔」キャラ(クラヴィル)の名前を騙る「スレイヤーズ」魔族(ヴィゼア)を登場させていましたが、あれは一種の伏線でしたので、一応今回言及しておきました。

(2011年6月5日 投稿)
   



[26854] 番外編短編5「いもうとクエスト 〜お嬢さんのためなら〜」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/08 22:30
   
「あら……? カリンさまじゃないですか?」

 聞き覚えのある名前を耳にして、私はギョッとする。
 『カリン』とは、母さまが若い頃に使っていた名前。『烈風』という二つ名と共に恐れられていた頃の呼び名である。
 旅の途中で母さまと出くわすなんて、そんな偶然あり得ないと思いつつ……。
 振り返った私は、思わず絶句していた。
 声の主は……私を見て「カリンさま」と言っていたのだ!

「あなた、何か勘違いしてるわよ。この子は『ゼロ』のルイズ。……子供に見えるかもしれないけど、私と二つしか違わないわ」

 隣でキュルケが私を紹介するが、向こうは、首を傾げている。

「でも……髪の色も同じで、顔つきも体格もそっくりなのに……」

 どうやら彼女、私を母さまと間違えているらしい。しかし私とソックリとは……母さまの若い頃だろうか?
 でも、それにしては少し変。彼女は、私と同じくらいの年齢なのだから。
 肩ほどに黒い髪を切りそろえた少女である。垂れた目とちょっとふくよかな顔は、男受けが良さそう。美人というよりは人懐っこい可愛らしい感じだが、ちゃんと出るべきところは、顔と同じくふっくらしている。

「人違いですから。ごめんなさいね、カリンじゃなくて。……では」

 ペコリと頭を下げて、私は体を元に向きに戻して……。

「人違い? 人違いって……誰と?」

 背中からかけられた声に、思わずずっこけた。
 起き上がった私は、少女に向き直る。

「だあぁぁっ!? あんたが私のことを『カリンさま』って言ったんでしょ!?」

「まあ! あなた、カリンさまを御存知なんですか?」

「ああぁぁっ、もう! あんたがその名前を持ち出したのよ!?」

「そうでしたっけ……?」

「ともかく! 私はカリンじゃないから! カリンに用事があるなら、他をあたって! そんじゃ!」

 母さまの昔の知り合いっぽい感じもするが、年齢的には辻褄が合わないから、おそらく噂か何かで知っただけだろう。きっと『烈風』カリンの熱烈なファンなのだ。
 話で聞いた外見の特徴に似ているからって、私に声をかけたに違いない。
 そんな奴に、これ以上つきあってられん。

「さあ、キュルケ! こんな子ほっといて、行くわよ!」

「え〜〜。なんだか面白そうじゃない。もうちょっと相手してみましょうよ。……あなた、何か用があるんでしょう?」

「用ですか? そうですねえ……」

 黒髪の少女は、やたら呑気な口調で。

「……では、妹を助け出してもらえますか? 悪い貴族に誘拐されて、地下牢に閉じこめられているんです」

 待て。
 かなりオオゴトだぞ。それは。
 ……さすがに聞き捨てならない。私はキュルケと顔を見合わせてから、ちょっと真面目な態度で少女に対応する。

「とにかく立ち話もなんだから、詳しい話は、何か食べながらにしましょうか」

「食べながら……? まあ! 食べていいんですか!?」

 パッと顔を明るくする少女。
 ……なんだ? 誰かに食事制限でもされてるのか?
 そんなことを思ったのも束の間。

「では、いただきます!」

 少女が飛びかかってきた!
 街の往来の真ん中で、私は押し倒される。 

「はえ? はえ? はえ?」

 なんだか慌てていると、彼女は器用に私の服を脱がせにかかった。あっという間に上着が剥ぎ取られ、下着に手がかかる。

「あらま、大胆ね。ルイズの言った『食べる』は、そっちの意味じゃないと思うけど……」

 まったく他人事の口調なキュルケ。
 私は気が動転して、まともに対応できない。

「ちょ、ちょっと、ちょっと……」

 やめて!
 ここは公衆の面前よ!?
 そもそも私にソッチの趣味はないの!

「なんだ、なんだ!?」

「お! こんなところでストリップか!? 野外レズビンアンショーか!?」

「うひょ。けっこう美少女じゃん! いいぞ、もっとやれ!」

 街の人々が囃し立てる中。

「安心してください。汗をいただくだけですから」

 彼女の舌が、私の首筋に伸びる。それが私の肌に触れた瞬間。

「……いいかげんにせえぇぇっ!」

 私は、彼女を蹴り跳ばした。

########################

「あーっ、恥ずかしかった……」

 町外れの森。
 誰もいない場所まで走って逃げて、そこでようやく私は一息ついた。

「あら、別にいいじゃないの。見せたって減るもんじゃないし。だいたい、ルイズの胸はこれ以上減りようがないでしょ」

「どういう意味じゃああ!」

 ふん。
 まだキュルケをはっ倒す元気くらいは残っているのだ。
 夕飯もまだの状態で、街を出ることになっちゃったけど。
 さて。

「……で、どういうこと? 妹さんがさらわれたとか監禁されたとか言ってたけど?」

 手頃な岩に腰かけて、私は、あらためて黒髪少女に問いかける。
 キック一発でノビてしまった彼女を放置するわけにもいかず、私たちは彼女も連れてきていたのだ。

「まあ。あなた、私の妹を御存知なのですか? そういえば、あの子どこ行っちゃったのかしら……」

「違うでしょ!? 地下牢に捕まってるって、あんた言ってたじゃない!」

「地下牢? ……そうでした! 私も妹も、あいつに捕まっちゃって……。……く、んぐ、……うえ」

 少女がボロボロと泣き出す。何やら思い出してしまったのか。

「ダメじゃないの、ルイズ。女の子泣かしちゃ……」

「冗談言ってる場合じゃないわよ」

 私は、少女の肩にソッと手を置いて。

「いったいどういうことなのか、話してちょうだい。こう見えても私たち、けっこう腕は立つのよ。悪い奴なんてやっつけて、妹さんを取り戻してあげる!」

「……その前に、とりあえず、あなたの名前を教えてくれない?」

 キュルケに聞かれて。
 彼女は、泣きじゃくりながら名乗った。

「はい。私は……ダルシニと申します」

########################

 夜陰に紛れて、私とキュルケは街に戻った。
 ダルシニの話によれば、妹が監禁されているのは、『新宮殿』と呼ばれる屋敷の地下牢。下水道が秘密の通路に繋がっているのだが、通路には『番人』と呼ばれる恐ろしい敵が潜んでいるという。

「でも……『新宮殿』なんてないわね」

「南の端に、使われなくなった屋敷があるそうよ。それらしき怪しい建物は、そこだけね。……それのことかしら?」

 メシ屋で遅めの夕飯を食べながら、私たちは、聞いて回った情報を持ち寄る。
 ちなみに、ダルシニは森に置いてきた。野宿は慣れているから大丈夫と彼女が言うし、連れて来ても足手まといになりそうだったからだ。

「とりあえず、そこに行ってみましょうか」

 眠くならない程度に腹を満たした後。
 私とキュルケは、街の南ブロックへ。
 この辺りはまだ繁華街なのだが、すぐ裏側は、ちょっと緑の多い地域となっていた。朽ち果てた屋敷の敷地である。

「あれがそうだとしたら……下水道から入っていけるはずね?」

 古い屋敷を遠目に見ながら、路地裏に立つ私たち。
 すぐ右手の石壁には、下水道に通じる穴があった。

「……あたし、なんだか気が進まないわ。下水道なんて臭いし汚いし……」

「今さらそんなこと言わないの!」

 キュルケを叱りつける。
 私だって、同じ気持ちなのだ。敢えて考えないようにしているのに、ワザワザそれを口にするなんて!
 自分を叱咤激励する意味で、私は言う。

「一度引き受けた仕事を途中で放棄するなんて、貴族のするべきことじゃないわ!」

「ルイズったら、胸はないくせに、プライドだけは一人前なんだから……」

 小声でつぶやいたつもりだろうが、しっかり聞こえている。
 私は、下水道の鉄蓋を開けて。
 ツンとすえた腐臭の中に、キュルケを蹴り跳ばした。

########################

 中は思ったよりも広かった。
 腐水が流れているのは中央の深くなった部分だけであり、私たちは足を汚すことなく、その左右を進んでいく。

「秘密の通路なんて、本当に……」

「しっ!」

 しゃべろうとしたキュルケを制する。
 それだけで彼女も察したらしい。
 私たちの進む先から……殺気が近づいてくる!
 どうやら『番人』とやらが、むこうからお出ましのようだ。

「おや……?」

 響いて来た声は、私のものでもキュルケのものでもない。
 淡い魔法の明かりと共に、その姿が現れる。
 三人組のメイジだ。見た感じ、年は私やキュルケと同じくらい。三人とも学生メイジの格好をしているが、先頭の大男は青いコートを羽織っている。後ろの二人のうち、痩せぎすの方は黒いシルクハットをかぶり、小太りの方は坊主頭だった。

「女でやんすか……」

「ちょろいもんざます」

「おい、油断するな。相手の力量くらい、ちゃんと見抜け」

 仲間の二人を、青いコートの大男が叱責した。
 服の上からでもわかるくらい、筋骨隆々としている。がっしりと骨でも噛み砕きそうな大きな顎に、金髪を後ろに撫でつけた、岩のようにごつい頭……。
 しかし、ただの体力バカでもなさそう。こいつが三人のリーダーであろうか。
 ……ともかく。こいつらが、ダルシニの言っていた『番人』なのだ!

「ならば先手必勝ざます!」

 気持ち悪い言葉遣いと共に、シルクハットの男が杖を振るった。
 水の鞭が飛んでくるが、すでにキュルケも呪文を唱え終わっている。『ファイヤー・ウォール』だ。炎の壁が出現し、細い水鞭を蒸発させる。

「バカもん! もっと頭を使え! こういう場所では……」

 金髪の大男が仲間を怒鳴りつけ、続いて呪文を詠唱する。
 ……この呪文は!? まずいっ!

「キュルケ! 逃げるわよ!」

 言って私は、適当な呪文を唱えて爆発魔法を一発。
 私に言われるまでもなく、すでにキュルケは逃げ出していた。私も彼女を追って、撤退する。
 あの大男が唱えていたのは『ウォーター・フォール』。大量の水を降らせる魔法であり、ここで使えば一気に凶悪な技と化すのだ。
 ……なにしろ、ここは下水道。汚水を頭からぶっかけられては、たまったものではなかった。

########################

 下水道から出て少し走ったところで、私たちは、ようやく立ち止まる。
 繁華街の裏通り。もう夜も遅いが、宿や酒場、すけべえ屋さんなどは、ちょうど今がかきいれどきなのかもしれない。まだチラホラと人通りがあった。
 どこかの店の裏に並んだ木箱に腰をおろして、私たちは一息つく。

「ああ恐かった……。あぶなくゲロゲロのグチョグチョにされるところだったわ……」

「さすが『下水道の番人』ね。あんなのがいるんじゃ、何か別のテを考えないと……」

 下水道の番人ではなく、秘密の通路の番人だったような気もするが、細かいことは気にしない。キュルケの言葉に頷いた私は、顔を上げて、ボーッと辺りを見渡したのだが……。

「……あれ?」

 少し離れたところを歩く、黒い巫女服の少女。それは、ここにいるはずのない人物だった。

「ダルシニ!?」

 私が叫び、キュルケも気づく。

「ホントだ、ダルシニじゃないの。ダメじゃない、ちゃんと森で待ってなきゃ……」

 私たちの声で、彼女もこちらを向いた。
 間違いない、ダルシニだ。しかし、彼女の顔には困惑の色が浮かんでいる。

「あの……?」

 またボケたか。「どこかでお会いしましたか」なんて言うつもりか。
 そんな私の予想を裏切って。

「もしかして……姉を御存知なのですか?」

 姉って……。
 ……ということは!?
 私は目を丸くして、キュルケと顔を見合わせた。
 それから、再び彼女に顔を向けて。

「あんた、ダルシニの妹さん!?」

「はい。妹のアミアスです」

 驚いた。
 どっからどう見てもダルシニにしか見えない。
 確かにダルシニは「一目見ればわかります」と言っていたが……。双子なら双子と言って欲しかったぞ、紛らわしい。
 それはともかく。

「よかった。私たちは、あんたを探して……」

 その時。

「ここにいたか!」

 声のする方へ振り向けば、立っていたのは例の三人組。

「あ! 下水道の番人!」

「誰が下水道の番人だ!? そう言うお前たちの方こそ……」

 指さした私に対して、真っ赤な顔を見せる金髪大男。当人にしてみれば『下水道の番人』ではなく『通路の番人』だと主張したいわけか!?

「ウオォッ! あの二人の後ろにいるのって、もしかして……」

「あたしも、そう思うざます……」

 大男の背後で、二人が何やら言葉を交わしている。
 しまった。
 どうやらアミアスの存在も気づかれたらしい。
 地下牢に捕えられているはずのアミアスが、どうやって自力で脱出できたのか。それは疑問だが、とりあえず後回し。その地下牢の番をしていた連中にしてみれば、何としても彼女を取り戻したいはず。

「さがって! アミアス!」

 私とキュルケは、彼女をかばうように、その前に並び立つ。

「えっ、えっ? これは、いったい……」

 混乱したような声が聞こえてくる。
 あのボケボケのダルシニの妹だけあって、状況が理解できていないのか!? 少し前まで捕まっていたなら、事情を知っていて当然なのに!
 仕方がないので、連中の魂胆を教えてあげる。でも余裕がないので、チラッと振り返りながら、サッと早口で。

「あんたを捕えて、売りとばすか奴隷にするかペットにするか……って寸法よっ!」

「なんですってぇぇぇぇっ!」

 私の言葉に、まともに顔色を失うアミアス。
 そして、金髪大男も。

「ちぃぃぃぃっ!」

 図星を突かれて頭に来たのか、『ブレイド』を唱えて杖に水を纏わせ、私たちに向かって突っ込んでくる。
 ……下水道とは違う。近くに大量の汚水があるわけじゃないので、戦法を変えてきたようだ。私もキュルケも接近戦は苦手だから、距離を詰められる前に魔法で迎撃するのみ!
 しかし、私たちが呪文を唱えるよりも早く。

「石に潜む精霊の力よ……」

 背後から聞こえてきた声に、ギョッとして振り返る。
 アミアスの言葉だが、これって……まさか!?
 私の心配したとおり。

「ぎょええええええっ!?」

「うぎゃああああああ!?」

 突然、足下の石畳が隆起。
 想定していたはずの私でも、体が対応しきれない。
 巨大な石塊は、私やキュルケや三人組を乗せたまま、宙で爆発。吹き飛ばされた私たちは、意識を失った。

########################

「おーい、ねえちゃん。大丈夫か?」

「こんなところで寝てると、風邪ひくぞ」

「それとも、誰かにお持ち帰りされたいってか? ヒッヒッヒ……」

 道ゆく人々の下卑た囃し声で、私は目を覚ました。
 ベチャッと潰れたカエルのような格好で、往来の真ん中でうつぶせに倒れていたらしい。
 ……なんてこと! 私カエル大嫌いなのに!

 ちゅどーん。

 とりあえず、やじ馬の一人に軽く爆発魔法を食らわせてから、冷静に状況判断。
 どうやら、かなり飛ばされたようで、三人組どころかキュルケの姿も見えない。
 もちろんアミアスもいない。あれをやったのは彼女なのだから、当然、私たちが気を失っている間に逃げ出したのであろう。
 まずはキュルケと合流するのが一番か……。
 と、そこまで考えた時。

「ここにいたのね、ルイズ!」

 キュルケの方から、私を見つけてくれた。
 聞けば、彼女も気づいた時には一人であり、ここまで来る途中、アミアスにも三人組にも出会わなかったという。

「それより、ルイズ。あのアミアスって子が使った魔法、あれって……」

「ええ。あれは……先住魔法ね」

 先住魔法。
 私たちが用いる系統魔法とは異なり、自然界に存在する精霊の力を借りるというシロモノだ。ただし、人間には使えない。それを使用できるのは、亜人のみ。
 アミアスが亜人であれば、双子の姉妹であるダルシニも当然、亜人。人間にしては少し変な彼女の言動も、亜人であるというなら納得である。

「亜人といっても、外見は人間と同じだったから、オーク鬼やトロール鬼ではないわね」

 背中に翼があることを除けば人間とそっくりな翼人。細身の長身であるが、特徴的な耳さえ隠せば人間にも見えるエルフ。そして姿形は完全に人間と変わらない吸血鬼……。

「まあ、何にせよ。これで、あの二人が狙われる理由もわかったわ」

「いつの世にも、バカな好事家がいるのよねえ」

「……うん」

 一般に、亜人は恐怖と嫌悪の対象であるが、それを飼い馴らしたいと考える者もいる。実際、昔のトリスタニアでは、吸血鬼をペットにしていた貴族もいたそうな。
 特にあの姉妹は外見的には可愛い少女なのだから、生きたまま捕獲すれば、闇の社会では高値で取り引きされるであろう。

「だけど……」

 事情は理解できたが、それでも腑に落ちないことが一つ。

「アミアスは、なんであの三人だけじゃなくて私たちまで一緒に吹き飛ばしたのかしら? 敵も味方もまとめてぺぺぺのぺい、って性格なのかな……」

「まさか。ルイズじゃあるまいし」

「……どういう意味?」

「そのままの意味よ。……ちょっと、殴らないで! だいたい、あなたが誤解を招くようなこと言うから悪いのよ!」

「へ?」

 振り上げた拳を止める私。

「あなた言ったでしょ、売りとばすとか奴隷にするとか。……いかにも『悪だくみしてます』って顔で」

「はあ!? そんな顔してないわよ、私は! ちゃんと優しく、無理して笑顔で……」

 いや。
 状況が状況だったから、作り笑顔も少し引きつっていたかもしれない。それが……悪人顔に見えたのか!?

「しかも……あなた、主語抜きだったでしょ」

 主語……?
 ようやくキュルケの言いたいことを理解する私。

「どああああっ! ひょっとしてっ!?」

「たぶんアミアス、あたしたちのことも誘拐魔だって勘違いしたのね」

 言われて私は、頭を抱える。
 さっき私は、あの三人組の意図を懇切丁寧に説明した。
 でも『あいつらが』という当然の一言を省略したせいで、それをアミアスは『私とキュルケが』と解釈してしまったのだろう。
 せっかく地下牢から逃げ出してきたところで、新たな誘拐グループ出現! ……なんて思ったら、そりゃ精霊呪文も使うわ。

「……どうしよう……」

 憂鬱な口調でつぶやく私に対して、キュルケはアッサリ。

「さっきの連中、いまだに彼女を狙ってるに違いないわ。となれば、アミアスを追うしかないでしょうが」

「そうね……」

「でも、どっちへ行ったかわからないから、困ってるのよねえ」

 腕組みしながら考え込むキュルケ。
 が、ここで私が立ち直る。

「大丈夫、それなら心当たりがあるわ」

「……どこ?」

「ダルシニのいるところよ」

########################

 ダルシニは、村を出て少しの森にいる。それをアミアスは知らないだろうが、亜人特有の不思議な能力で、何となく察するかもしれない。

「……何その根拠のない説」

「いいのよ。かりにアミアスに出会えなくても、ダルシニがいるんだから。アミアスだけじゃなくてダルシニも狙われてるってわかった以上、もう彼女を一人で放っておけないもん」

 そう説明しながら、街を出る。
 私たちはラッキーだった。森の手前で、街道をトコトコと歩く少女の姿を発見したのだ!

「……アミアス、待って!」

「まっ……また来たのですか、この誘拐魔!」

 彼女はビクンと体を震わせ、続いて呪文を口にする。

「枝よ。伸びし森の枝よ……」

 森の木々が、私たちへとその枝を伸ばす!
 私も急いで呪文を唱えて、杖を振り下ろす!

 ボンッ!

 私の軽い爆発魔法は、まともにアミアスに直撃していた。

「うーん……」

 目を回して倒れ込むアミアス。

「あいかわらず乱暴ね、ルイズ。助けたい相手を攻撃してどうすんの……」

「だって、むこうも魔法使ってきたんだもん。防御魔法を使おうと思ったけど、先住魔法に有効な防御魔法なんてわからなかったし」

「……じゃなくて、あなたの場合、何を唱えても爆発魔法になるだけでしょ」

 ちなみに。
 今の攻防は、ある意味、相打ちである。
 私もキュルケも、手足や腰を木の枝に掴まれ、身動きが取れない状態。
 とりあえずアミアスが逃げ出すのは防いだが、こっちも何も出来ない。
 この騒ぎを聞きつけてダルシニが来てくれれば、誤解をとくのも簡単なのだが……。

「……そうそう都合よく、物事は運ばないわね」

 私がつぶやいた瞬間。

「見つけたぞっ!」

 後ろで男の声がした。
 かろうじて動く首を回せば、そこには例の三人組の姿。
 まずいっ!
 アミアスは気絶しており、私たちは拘束されている。目の前で彼女がさらわれるのを、みすみす見逃すしかないのかっ!?
 ……そして状況は、さらに悪化する。

「あら……アミアスじゃない……」

 のほほんとした声が聞こえて、前に向き直れば。
 タイミング悪くやってきたダルシニ!
 最悪! 姉妹まとめて捕まえよう、って連中の前に、一緒に姿を現すとは!
 再び振り向くと、三人組の視線は既に、ダルシニへと注がれていた。

「ダルシニ! 逃げてっ!」

 この時……。
 なぜか私とキュルケと三人組のセリフは、見事にハモったのだった。

########################

「……は?」

 思わず顔を見合わせる私たち。
 そこに、ダルシニが間延びした声をかけてくる。

「あら……? カリンさま……それにバッカスさんじゃないですか?」

 おい。
 最初の展開に戻っているぞ!?
 なんだか一つ知らない名前が加わっているが、彼女の視線は私だけではなく、三人組のリーダー格にも向けられている。

「違うったら!」

「バッカスはオヤジだって言ったじゃないっすか!」

 私と金髪大男のセリフ。
 ……あれ? まさか、こいつも……。

「あんた……あの通路の番人じゃなかったの……?」

「ちげーよ! さっきも否定したじゃんか! ……番人はお前たちの方だろ!?」

 あ。
 あの時の「誰が下水道の番人だ!?」も、『下水道』ではなく『番人』を否定していたわけか。

「……ふっ……なるほど……そういうことだったのね……」

 いつのまにか意識を取り戻したアミアスが、ワケ知り顔でつぶやいた。

「どういうことなのよ?」

 思わず尋ねるキュルケ。
 アミアスは、呪文を唱えて私たちの拘束を解きながら。

「つまり姉さんは、あなたたち両方に、私を助け出してくれ、って依頼したんです」

「……え? でも……」

「私たち、こう見えても吸血鬼なんです」

 いきなり話が飛ぶ。
 ハルケギニア最凶の妖魔ともいわれる吸血鬼。見つけ次第殺せ、というのがハルケギニアの常識だが、何ごとにも例外があることくらい、私もキュルケも旅の途中で学んでいる。
 三人組もそれなりの場数を踏んだメイジらしく、いつでも攻撃できるように杖を構えたものの、それ以上の動きは見せずに、おとなしく話を聞いていた。

「……だから、外見と実年齢は全く違うんです。吸血鬼だけど仲良くしてくれる人間もいたから、おかげで、すっごく長生きできて……」

「あの……話が見えないんだけど……」

「つまり……」

 キュルケの横槍に対して、アミアスは沈鬱きわまる表情を見せる。

「若ボケよ」

 言いながら、ダルシニの肩にポンと手を置いた。

「私たち姉妹は、もともと殺生が出来ない性格なの。だから血も少しばかりわけてもらうだけで……。場合によっては、血の代わりに汗ですませてしまうくらい」

 どうやら、かなり小食な吸血鬼姉妹らしい。

「……でも、それじゃ脳に十分な栄養が行き届かないみたいで。私はまだ大丈夫なんだけど、姉さん最近、なんかの欠乏症みたいにボケてきちゃって……」

 説明しながら、一人で頷いている。

「今回だって、自分が夜行性なのすら忘れて、昼間に一人で徘徊し始めて……。昔の知り合いに似たあなたたちを見かけて、当時を思い出しちゃったのね。二人で悪い奴らに捕まってた時のこと……。それで私が側にいないんだ、って自分を納得させてたんだわ」

 なるほど。
 だから『新宮殿』やら『通路の番人』やら、彼女の証言どおりのモノがなかったわけだ。時代も場所も全く違う話だったのである。

「……そういう事情で、とっくの昔に解決してる事件を、あらためて頼んでしまったんです。みなさんには迷惑をかけてしまい、ごめんなさい」

 私たちにペコリと頭を下げてから、ダルシニの腕を取るアミアス。

「さ、行きましょう。姉さん」

「あら、アミアス。今夜のパーティ、楽しかったわね!」

「……今夜のパーティ?」

「アミアスったら、もう忘れちゃったの!? カリンさまのシュヴァリエ就任のお祝いよ!」

「ああ、はいはい。うん、楽しかったわね。……今夜じゃなくて、二十年くらい昔の話だけど」

 などと会話を交わしつつ。
 吸血鬼の姉妹は、手に手を取って、森の中へと消えていく。
 あとに残されたのは……。

「なんだったのよ、いったい……」

 やり場のない怒りを胸にした私とキュルケ。
 そして。

「せっかく『お嬢さんのためなら』って思える美少女に出会ったのに! 美少女に仕えるという、親子二代にわたる夢がかなうと思ったのに!」

「……落ち込まんでください、リーダー。もっと相応しい少女が、どこかにいるでやんすよ」

「そうざます。力仕事に、深夜の散歩、ゲテモノ料理の名コック……。三人それぞれの得意技を持ち寄れば、なんでも出来るざーます!」

 泣き崩れる大男と、それを慰め励ます仲間たち。
 なかなかに見苦しい光景である。……ただでさえ私はイライラしてるというのに。
 そんな中、ポツリとキュルケがつぶやく。

「美少女だったら、ここに二人もいるじゃないの。ちょうどいいわ、今日からあなたたち、こき使ってあげる!」

 豊かな胸を突き出しながら髪をかきあげ、ポーズを決めるキュルケ。
 しかし顔を上げた三人は、「何を言ってるんだコイツ?」といった表情。
 まずはキュルケに。

「安っぽい色気を強調したような娼婦もどきは……こっちから願い下げだなあ」

 続いて、視線を私にスライドして。

「美少女じゃなくて……微少女?」

 おい。
 一瞬の静寂の後。
 私とキュルケは、顔を見合わせてから……。

 ドグォーンッ!

 ……炸裂する爆発と火炎。
 三人が私たちの『やり場のない怒り』の捌け口となったことは、言うまでもない。





(「いもうとクエスト 〜お嬢さんのためなら〜」完)

########################

 「スレイヤーズ」では若ボケはエルフでしたが、そのままではあんまりなので、「ゼロ魔」の「烈風の騎士姫」キャラを利用して吸血鬼に変更。
 第四部でチラッと「烈風の騎士姫」原作イベントに言及しましたし、第五部でも言及する予定なので、このタイミングで。

(2011年6月8日 投稿)
   



[26854] 第五部「くろがねの魔獣」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/11 21:50
   
 それは、月並みなセリフで始まった。

「へっへっへっ……命が惜しけりゃ、とっとと出すもん出すんだな」

 開き直りがまだ足りないのか、覆面かぶった野盗たち。その一人が、目の前でロング・ソードをちらつかせる。
 ……はーっ。同時にため息をつく四人と一匹。

「なっ、何なんだっ!? そのリアクションはっ!?」

「……あきちゃった、ってことよ」

 覆面男の問いかけに、私は投げやりな調子で答える。

「……ったく……人通りの少ない裏街道だと思ったら、あんたらみたいな野盗がポコポコわいて出て!」

 大きな街道で盗賊やる根性がないなら、おとなしくどっかで死んだふりでもしてるべき。それなのに、こいつらで、この街道に入ってから……は忘れたが、今日だけでも二組目である。

「ねえ、ルイズ。わたくし今まで知らなかったのですが……。我が国の治安って、こんなに乱れていたのですか?」

「姫さ……じゃなかった、アン。そんなに心配しないでください。こいつら、どうせ小物ですから」

「なんだと!?」

 小物呼ばわりされて頭に来たのか、覆面男は声を荒げる。だが視線を私の後ろへ移動させると、その口調も変わった。

「なんでえ。けっこう金持ってそうな面構えじゃねえか」

 男が見ているのは、私に声をかけてきた少女。私やキュルケと同じく学生メイジの格好をしているが、滲み出る高貴さは隠しようがない。『アン』という偽名を使っている彼女の正体は……。

「ひかえぃ、ひかえぃ〜〜!」

 ここで、突然。
 魔剣を背負った少年——私の使い魔サイト——がズイッと一歩前に出て、何やら叫び出す。
 傭兵稼業で培った技量と使い魔としての能力の相乗効果で、剣の腕なら超一流。ただし頭はクラゲ並みなので、どうせロクなことは言わんだろうと私は少し心配する。

「こちらにおわす御方をどなたとこころえる! 恐れ多くもトリステイン王国の王女、アンリエッタ姫さまなるぞ!」

「なっ……」

 サイトの言葉に、思わず絶句する覆面男。
 いや、私やキュルケも絶句している。キュルケの隣では、火トカゲのフレイムまで唖然としているように見える。
 当の姫さまは「あら?」と小首を傾げているが、サイトが彼女に近づいて。

「さあ、アンの番だぜ。ここで野盗を指し示しながら『ルイズ、キュルケ。懲らしめてやりなさい!』と言うのが、アンの役目だ」

「……そういうものなのですか? ずっと王宮の中だったので、わたくし、一般のしきたりに疎くて……」

「懲らしめられるのは、お前の方じゃあああああ!」

 硬直から再起動した私は、サイトを思いっきり蹴り飛ばす。

「……何すんだよ、ルイズ!?」

「何すんだじゃないわよ! 姫さまの正体バラしてどうすんの!?」

 そう。
 ちょっとした変装やらバレバレな偽名やらが示すとおり、これは姫さまにとっては、おしのびの旅。盗賊ごときに身分を明かしてはダメダメである。

「え〜〜。だって王族の漫遊記だろ。こういうの、一度やってみたかったから……」

「そういうのは英雄伝承歌(ヒロイックサーガ)の中だけの話! 現実にやるバカがどこにいんのよ! 姫さまの身に危険が及ぶだけじゃない!」

「その辺にしときなさいよ、ルイズ。サイトの言うとおり、どうせ野盗を『懲らしめてやる』のは間違いないんだから」

 ゲシゲシとサイトを踏みつける私を、キュルケが止めた。 
 確かに。
 姫さまの正体が知られようが知られまいが、出て来た野盗を成敗することに変わりはない。
 そして。
 この一幕を黙って見ていた覆面男たちも。

「……な、なんだか知らねえが……」

「……なんか……関わり合いにならなかった方がよかったような気が……」

「えぇいっ! こうなりゃ力づくだっ!」

 あからさまに腰が引けた仲間を叱咤激励しながら、それぞれ武器を手にして臨戦態勢。
 ならば私も、ビシッと杖を突きつける。

「……ともかく! 姫さまの正体を知られた以上、あんたたち……生かして帰さないわ!」

「ルイズ、それ思いっきり悪役のセリフよ?」

 キュルケのツッコミもなんのその、短く呪文を唱える私。
 かくて……。
 戦いの火蓋は切って落とされた。

########################

 そして……。
 戦いの幕はあっさりと降りた。
 ミもフタもない話だが、私とキュルケが一発ずつ魔法をぶっ放せば、こんな連中まとめて吹き飛ぶ。姫さまは当然として、二人の使い魔サイトとフレイムの出番すらなかった。

「さて……と……」

「……ん? まだ何かするつもりなのか?」

 サイトの呼びかけは無視して、手近に転がる一人の襟首をつかみあげる。覆面を剥ぎ取ると、その下から現れたのは平凡な顔。悪党づらというより、おとなしい村人っぽい顔立ちである。

「ほらほらっ! 起きなさいってばっ!」

 かっくんかっくん首を何度か揺さぶると、男はやがて、うっすらと目を開ける。

「……う……む……?」

 私の顔を見た途端、男の瞳に恐怖の色が浮かんだ。

「……ま、待てっ! 待ってくれっ! 命だけはっ!」

 先ほどは生かして帰さないなどと言ったものの、実際に命までは奪っていない。野盗たちは皆、ノビているだけ。
 しかし、意識を取り戻したばかりの男に、それがわかるはずもなく。彼は、仲間は殺されてしまったと思い込んでいるらしい。

「そうねえ。私だって、血も涙もない……ってわけじゃないから……」

 ちょっとだけ考え込むような仕草を見せてから。

「私たちのことを忘れる……。つまり見なかったことにするっていうなら、命だけは助けてあげましょうか?」

 そう、ポイントは、そこなのだ。
 サイトが余計なことを言ったから、その尻拭いが必要になったのである。
 トリステインの王女が、こんなところを旅している。……なんて噂が広まったら、こいつらみたいな野盗が、次から次へと襲って来るであろう。それでなくても、鬱陶しいくらい多いのに。

「言いません絶対に言いません!」

 首をぶるんぶるん振る男。

「我らがトリステインの王女さまが、その配下に……こんな胸無しチビ暴力少女を従えているだなんて……。恐れ多くて、口が裂けても……」

「なんですってぇっ!?」

 男が余計な言葉を吐いたので、私の目が吊り上がる。

「ああっ、ごめんなさい! 悪気はないんです! ただ俺、正直者だから……」

「嘘つけっ!? 正直者は野盗なんてせんわっ!」

「だって……」

「問答無用!」

 言って私が、杖を振りかぶった瞬間。

「……それくらいにしてくれない? 悪いけど」

########################

「誰っ!?」

 私たちは一斉に振り返った。
 そこには……木立の陰に佇む一人の女性。
 年の頃は二十歳前後か。ゆったりとした白い服と、透けるような白い肌。そして、鮮やかなまでの紅さを見せる、つややかな長い髪と唇。『絶世の』がつくほどの美人であるが、受ける印象は、まるで雪山で食べる氷菓子。

「マ……マゼンダ様!」

 私につかまれた男が、うめくような声を上げる。

「その子たちには言っておいたのよ……あまり勝手なことはするな、って。……聞いてはくれなかったようだけれど、ね」

「……そっ、それはっ……ポールの奴が……」

「あなたに話してるわけじゃないわ」

 言いかけた男の言葉をマゼンダは制し、

「不出来な連中だけど、こう見えても私の仲間なの。なんとか見逃してくれない?」

「そうと言われて『はい』と答えると思うの?」

「いいえ」

 私の問いに、あっさりと首を横に振る。

「だから……こういうのはどうかしら? 私がこれから、つたない芸を披露する。それがお気に召したなら、その子たちを放してもらう……」

 言って静かに一歩踏み出す。
 その途端……。
 キュルケが大きく後ろに跳びさがり、フレイムがグルッと唸った。サイトは剣の柄に手をかけ、姫さままでもが腰に下げた杖を握る。
 かくいう私も思わず男を放り出し、杖を構えた。
 皆、マゼンダの異様な気配を感じ取ったのである。

「……あんた、いったい……?」

 小さくもらした瞬間。

 ザワッ!

 木々のこずえが激しく鳴った。
 いきなり舞い散る大量の木の葉が、一同の視界を覆い隠す。

「ルイズ!」

 叫ぶサイトの声に振り返れば、いつのまにか私に迫っていたマゼンダ!
 紅い唇が笑みの形に小さく歪み、その右の手が小さくかすむ。
 何か投げつけてきたのだ!
 ただし、それは私自身ではなく、私の周りを狙っていた。
 ……結界術!?
 すぐさま私は身をひるがえし、真横に飛ぶ。しかし……。
 
 バチッ!

 弱い電気に打たれたような、軽い痺れが体を走り抜けた。

「どうやらあなたがリーダー格みたいだったから、とりあえず……ね」

 マゼンダは、からかうような口調で言いながら、木の葉の向こうに姿を隠す。

「ちょうど退屈していたから、遊び相手にしてあげるわ。私を倒せばそれは直るから。その気があるならドーヴィルの街までいらっしゃい……」

 いかにも撤退しますという語り口。

「何を言ってるのか、よくわからないけど……逃がさないわ!」

 サッと適当な呪文を詠唱して、私は杖を振り下ろす。
 でも。

「えっ!?」

 一瞬、頭の中が真っ白になる。
 その間に。
 ザァッという音を立てて、辺りの木の葉は地に落ちた。 
 倒れていた男たち共々、マゼンダの姿は消えている。

「ちょっとルイズ、あなた、まさか……」

 私の爆発魔法の方が早いから、キュルケは後詰めに回るつもりだったらしい。木の葉で視界が利かない中でも、私に注意を向けており、だから真っ先に気づいたのだ。
 一方、サイトはサイトで。

「何だ、こりゃ……?」

 私に歩み寄りながら、地面に注目。
 そこに突き立つ五つの紅い針が、私を中心として、五紡星を描いていた。
 抜くと、糸のようにクタリとしなびる。

「髪の毛のようですね」

 姫さまの言うとおり。
 あのマゼンダという女の髪だろう。
 露骨な動作で放ったのはフェイント。あれを避けきり、私の心に生じた一瞬の油断。その隙をついて彼女は、自らの髪の毛を使った本物の結界を張ったのである。
 こんな結界術、見たことも聞いたこともなかったのだが……。

「どうした、ルイズ?」

 キュルケとは違って、サイトは理解していない。トライアングルメイジである姫さまも、まだである。
 ……論より証拠、実演するのが手っ取り早い。
 怪訝な顔をするサイトに向かって。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

「おい!? なんだよ、いきなり!?」

 私は杖を振ったが、何も発動しない。
 これで姫さまも気づき、まともに顔色を変える。

「ルイズ!?」

「……なんだなんだなんだ? みんな何そんな焦った顔してんの?」

 一人置いてけぼりのサイト。
 ギギギッと私は顔だけ彼に向けて、頭の中まっ白なままで事実を告げた。

「私……魔法……使えなくなっちゃった……」

########################

 あああああああああああああああああああああああ。
 ……私の頭の中は今、ただこの文字で埋めつくされていた。
 小さな村の小さなメシ屋。
 あの後ここに立ち寄って、とりあえず食事でもしながら話をしようということになったのだが、私としては、ただただ混乱するばかり。

「……しかし……本当に魔法が使えなくなっちまったのか?」

「ま、どうやらそうみたいね」

 動揺しまくっている私に代わって、サイトの問いに答えるキュルケ。

「でもよぅ。今までだって、今日は打ち止め……とか言ってたことあるじゃん。あれとは違うの?」

「全然違うわよ」

 キュルケは、チラッと私に目を向けた。まだ私が解説役を出来る状態ではないと見てとり、サイトへの説明を続ける。

「あれは精神力の問題。魔法は精神力を消費して唱えるものだから、精神力がゼロになれば、その日は魔法は使えない。でも睡眠をとれば回復するから、次の日になれば、また使える」

 メイジには常識の話だが、サイトには初耳なのだろう。案の定、バカなことを言い出す。

「なんだ、寝れば回復するのか。……よかったな、ルイズ。ちょっと早いけど、もうお休み」

「だから、違うって言ってるでしょう!?」

 呆れた表情で首を左右に振るキュルケ。サイトにモノを教える苦労を、身をもって知ったらしい。

「……今日のルイズは、そんなに魔法を撃ってなかったわ。精神力は、まだ十分あったはずなの。それなのに魔法が出なくなったということは、精神力の問題じゃない。……根本的に、魔法使用不能になったってことよ」

「なんだか難しい話だけど……」

 顎に手を当てて考え込むサイト。

「……マジックポイントがゼロになったんじゃなくて、最大マジックポイントがゼロになったってことか」

 サイトなりの言葉で置き替えて、話を理解しようとしている。
 そして。

「……あれ? それって大問題なんじゃねーか!?」

「そうよ。ようやくわかったみたいね。だからルイズも、こんなに焦ってるんじゃないの……」

 説明終了。
 ひと仕事終えた顔で、キュルケは私をジーッと見る。
 すると、今度は姫さまが。

「まあ、いいじゃないですか。ルイズは昔から魔法が苦手でした。……子供の頃に戻ったみたいで、なんだか懐かしいですわ」

 ぴくっ。

「さすがアン、いいこと言うわね。……ねえルイズ、あなた、これで完全無欠な『ゼロ』になったわけよ」

 ぴぴくっ!

「おお、そうだよな! なんてったって『ゼロ』のルイズだもんな! 胸も魔法も『ゼロ』で……」

「ついでに言うと色気も……」

「どやかましぃぃぃぃぃっ!」

 思わず絶叫する私。
 いつもならエクスプロージョンでも一発かますところだが、それも出来ない現状が恨めしい。

「人が落ち込んでるのをいいことに、言いたい放題言ってくれるわね!?」

「怒っちゃだめよ、ルイズ。ほら、そうやって叫ぶくらいには元気になったじゃない」

 キュルケは笑いながら軽く手を振って、そして立ち上がる。

「さ、ルイズも復活したことだし。それじゃ、行きましょうか」

「そうですね」

「うん」

 姫さまも私も、キュルケの言葉に頷く。
 サイト一人が、不思議そうな顔をしていた。

「行く、って……どこへ?」

 尋ねる彼に、私はため息ひとつ。

「あのマゼンダってのが言ってたでしょうが。ドーヴィルの街にいる、って。……まあ、あんたのことだから、聞いてなかったかもしれないけど……」

「俺だってちゃんと聞いてたぞ。単に覚えてないだけで」

 はいはい。わかったから威張らないでね。

「とにかく、行くしかありませんね。……しかし、よりによってドーヴィルの街とは……」

 姫さまの、やや暗いトーンの言葉を最後に。
 私たちは、メシ屋を出た。

########################

 ドーヴィルは『大海』に面した街であり、貝と魚を穫って暮らすしかない、寂れた土地。だが夏になると海流の影響で海が七色に輝き、その美しさを一目見んと観光客が集まるため、街は潤っていた……。
 ……というのは昔の話で。
 そうやって小さいながらも観光地として賑わっていた街に悲劇が訪れたのは、今から三十年と少し前。なんと街の住民が皆殺しにされたのである!
 国を乗っ取ろうとしていた、当時のトリステイン宰相の陰謀に巻き込まれたわけだが……。
 ……あれ? トリステインって、つい最近も王家を乗っ取ろうとする宰相がいたような気が。いやはや、昔から色々とキナ臭い国家である。
 それはともかく。
 あれから月日も流れて、移住してくる者もあり、ようやく復興したという噂を聞いていたのだが……。

########################

「なんですってぇぇぇぇっ!?」

 姫さまの上げた大声に、一瞬店じゅうが静まり返る。
 街道沿いの小さな街。ドーヴィルの街の、二つ手前の街である。
 おそらくはドーヴィルの街こそマゼンダたちの本拠地。何の予備知識も無しにノコノコ乗り込んでも、楽勝とは思えない。とりあえず今日はこの街に泊まり、前情報を仕入れようと、一番大きな食堂でドーヴィルのことを聞いていたのだが……。
 店にいた商人ふうのおっちゃんが、ポソッとつぶやいたのだ。「あそこには行かんほうがいい」と。
 そこで姫さまが話を聞きに行き……いきなり姫さまらしからぬ声を上げたのだった。

「ちょっ! ちょっと待てっ! そんな大声を……」

 慌てて辺りを見回しながら、小さな声で言うおっちゃん。
 よほどショックな内容だったのか。姫さまは額に手を当てて、フラフラと私たちのテーブルに戻ってきた。

「よう、おかえり。……どうだった?」

 鶏のハーブ焼きを突つきつつ、気さくな口調で声をかけるサイト。
 姫さまが一般人のフリをしている以上、これも正しい態度ではあるのだが……。どうも私は釈然としない。
 それはともかく。
 姫さまは、やたら深刻な顔をして。

「今は、ちょっと……。詳しい内容は、部屋に戻ってから話しますわ」

 言って席に座り、もくもくと食べ始めるのだった。

########################

「さて……と。それじゃあ姫さま、説明お願いします」

 食事の後。
 姫さま、私、キュルケと、三つ続きで部屋を取り、その真ん中に集まって、さっそく始めたミーティング。
 ちなみに、サイトやフレイムは使い魔なので、それぞれ私あるいはキュルケと同室である。私とサイトが平然と同じ部屋で寝るのを見て、最初、姫さまは目を丸くしていたようだが、今ではすっかり慣れっこになっている。
 さて。
 ここならば少々声を出したところで、誰かに聞き咎められるおそれも少ない。それでも私たちは、なんとなく小さく集まって……。

「……これは、あくまでも噂なのだそうですが……」

 歯切れの悪い姫さま。

「ドーヴィルの街っていうのは……ある組織の拠点みたいになっている、という話です」

「あの女の率いる盗賊団の、だろ?」

 単純きわまる意見を言うサイト。
 しかし彼女は首を横に振りながら。

「ある宗教団体です……。たぶんあのマゼンダという人や野盗たちも、そのメンバーでしょう」

「宗教団体……?」

「……新教徒ってこと?」

 眉をひそめてつぶやく私とキュルケ。
 ハルケギニアで信仰の対象となるのは始祖ブリミルであり、教義の解釈が違うだけでも『新教徒』と呼ばれて弾圧の対象になるわけだが……。
 姫さまは、再び首を横に振った。

「いいえ。始祖ブリミルではなく、シャブラニグドゥ崇拝だとか……」

「シャブラニグドゥ!?」

 私とキュルケの上げた声がハモった。
 赤眼の魔王(ルビーアイ)シャブラニグドゥ。
 この世界すべての闇を支配すると言われる魔族の王。そして……。

「声が大きいですわ、ルイズもキュルケさんも」

「ごめんなさい、姫さま。でも、とても信じられなくて……」

 魔王崇拝など、新教徒どころの話ではない。とんでもない異端である。国や寺院の知るところとなれば、いったい、どんな処罰を食らうことやら……。
 私が考え込んでいる間に、キュルケが話の続きを促した。

「……それで?」

「それだけです」

 あっさりとした口調で言う姫さま。

「あの人が知っていたのは、ドーヴィルはシャブラニグドゥ崇拝の拠点になっているらしいこと、裏では色々といかがわしい事もやっているって噂があるということだけ。それ以上は知らないし、知りたいとも思わなかった、と言っていましたわ」

 ……うーん。
 かなりややこしい話になりそうである。

「なあ、ルイズ……」

 それまで沈黙を続けていたサイトが尋ねる。

「……さっきから気になってるんだけどよ……」

「何よ?」

「その『シャブラニグドゥ』って何だ?」

 ……おい。
 私だけでなく、キュルケも目を丸くしている。

「どっかで聞いたような気がする名前なんだが……ほら、こっちの世界の名前って覚えにくくって……」

「相棒。いくらなんでも、それはひでーだろ。……おでれーた」

「な……なんだよ、デルフ。剣に文句いわれる筋合いは……」

 剣に代わって私が叫ぶ。

「あるわよっ! まさかあんた、本気でシャブラニグドゥ覚えてない……なんて言うつもりじゃないでしょうねっ!?」

「いやあ……だって……」

「『だって』じゃないでしょ! 魔王よ魔王! 赤眼の魔王(ルビーアイ)! あんた自身、少し前、姫さまに『俺たちが倒した』って説明したじゃないの!」

 ……しばしの間を置き、ポンッと手を打つサイト。

「なんだ、赤眼の魔王(ルビーアイ)か。そう言ってくれれば、俺でもすぐわかったのに」

 嘘つき。今だって間があったぞ。

「……ともあれ、まずは下調べよ。隣の街かどっかをアジトにして、ドーヴィル近辺を徹底的に調べて噂のうらづけよ」

「大変ね、サイト」

「なんだよキュルケ、なんで俺の名前が出てくるんだ?」

 私とキュルケは、顔を見合わせてから。

「バカ犬、少しは頭も使いなさいよ。……私たちの顔はまず、相手に知られていると思って間違いないわ。となれば調査はもっぱら夜」

「夜更かしは美容の大敵なのよ。あたしたちは行けないわ」

「……おい……。それはちょっと酷いんじゃねーか!?」

「反論は無意味よ。あんた、私の使い魔なんだから。……当然の仕事だわ」

「そういうことね。……ま、一人じゃ可哀想だからフレイムもつけてあげるわ。使い魔同士で仲良くがんばってね」

 太っ腹な提案をするキュルケ。
 ……もっとも、火トカゲに聞き込み調査が出来るわけもないのだが。

########################

 闇にゆらめく無数のたいまつ。
 かがり火の照らすホールに集う、数百人の覆面姿。

「思ってたより大規模ね……」

 小声でポツリとつぶやく私。
 ドーヴィルから少し離れた窪地の海岸。小高い崖に挟まれて、遺跡はひっそりと佇んでいた。
 昔は闘技場だったようで、まるい建物の中心に向かって、すり鉢状に客席がしつらえてある。しかし海から吹き付ける潮風の影響だろうか、今はすっかり朽ち果てており、覆面連中が座っているのも下のほうの席である。
 私たち四人と一匹がいるのは崖の上。草地にぺったり体を寝かせて首だけ突き出しているので、下から見上げたところで、こちらの姿は発見できないはず。
 使い魔コンビがこの遺跡を発見したのが昨日の夜。そこで今夜は皆でやって来たのだが、そこでこの現場に出くわしたというわけである。

「……それほど大規模にも見えねぇけどなぁ……」

 私の隣でつぶやくサイト。

「あのねえ……。あんたドーヴィルで聞き込みしたんだから、街の大きさも理解してるでしょ。あそこは昔さかえていた頃でも、住民は二百人くらいだったのよ?」

「……だから、ここに集まった人たち、ドーヴィルからだけじゃないってこと」

 私とキュルケが答える間に、サイトの向こうで姫さまが嘆く。

「……それにしても……邪教を信じる者たちがこんなにいるなんて……。トリステインという国は、わたくしが思っていた以上に乱れていたのですね……」

 そんな姫さまとは対照的に、覆面姿たちは歓声を上げていた。
 見れば、闘技場の中央へ歩み出る五人の人物。真っ赤な色のマントとローブに身を包み、うち四人は覆面まで赤である。一人は素顔なのだが、これが中央に立ち、残る四人が東西南北に配置。

「……なるほど……五人の腹心ね……」

「何それ?」

 私のつぶやきに真っ先に反応したのはキュルケであった。
 ふむ。
 メイジとしての腕前はともかく、伝承知識には詳しくないのね。ならば私が教えてあげよう。

「赤眼の魔王(ルビーアイ)シャブラニグドゥが産み出した、五匹の高位魔族のことよ」

 事実じゃなくて単なる伝説だと思いたいけど、と心の中でつけ加えた。

「まわりの四人が魔竜王(カオスドラゴン)、海王(ディープシー)、覇王(ダイナスト)、獣王(グレーター・ビースト)。そして真ん中は冥王(ヘルマスター)に。……それぞれ対応してるはずだわ」

 五匹のうち最強の力を有するのが、冥王(ヘルマスター)フィブリゾだと言われている。
 しかしそうすると、あの真ん中の男が教祖なのだろうか?
 初老の男性であり、それなりの貴族っぽい雰囲気はあるが、カリスマ性は感じられない。

「諸君!」

 その男が、やおら声を上げた。

「実は今日、よい知らせがあった。クロムウェル様が、もうすぐお戻りになられる!」

 ドォォッと歓喜のどよめきが場内を満たす。
 どうやら雰囲気から察するに、そのクロムウェルとか言うのが、この教団のボスらしい。となれば、あそこにいる男は、単なる代理というわけか。
 ……ん? クロムウェル? どっかで聞いたような名前だが……。

「あ!」

 小さな声さえ上げて、私は姫さまの顔を見る。
 姫さまは闘技場を見据えたままだが、それでも私の視線に気づいたらしい。

「そうですわ、ルイズ。……レコンキスタです」

 レコンキスタ!
 アルビオン王家を潰して、共和国を作り上げた集団である。
 しかし反乱勢力のリーダーであったクロムウェルは、後に失脚して行方不明になったらしいが……。
 なるほど、こんなところで邪教集団のボスに収まっていたのか。
 ……と、私が考えている間に。

「そして、今あそこで喋っているのがリッシュモン。トリステイン高等法院長だった男です。……レコンキスタと通じていたことが判明して処罰され、国を追放されましたが」

 淡々と説明を続ける姫さま。
 しかし、その目は恐い。 
 ……まあ、そうだろう。
 レコンキスタは、その反乱で命を落としたウェールズ王子——姫さまの恋人——の仇というわけで。
 そのレコンキスタに通じていた元トリステイン高官など、姫さまから見れば、憎い敵の一人である。

「しかもっ! 目的の物を見事に手に入れられた、というしらせだ!」

 姫さまの視線に気づかぬまま、リッシュモンは熱弁を激しくし、聴衆のどよめきもさらに大きくなる。

「これでもう我々に敵はいない! ブリミルなどを信じる偽善者どもに……」

 演説がそこまで進んだ時。
 突如、闘技場に大量の水が降り注いだ!

########################

 ……あちゃあ。
 やったのは、もちろん姫さまである。
 姫さまは『水』のトライアングルメイジ。近くに大量の海水があるこの場所は、彼女の独壇場となり得るのだ。生命誕生の場所とも言われる海の水は良質な『水』の触媒であり、豊富な海水は、消耗した精神力さえも補ってくれるはず……。
 一方。
 この攻撃を受けた覆面たちは、右往左往するばかり。

「どぇろわぁぁぁぁっ!」

「めひぃぃぃぃぃぃっ!」

 何せ、すり鉢状の集会所なのだ。モタモタしていたら貯水池(プール)になってしまう。
 そんな中、冷静な態度を続けるのは、この場の代表リッシュモン。

「慌てるな! 落ち着け!」

 彼らを制しつつ、リッシュモンは周囲を見回して。
 崖の上の私たちを発見した。

「あっ……あそこだ!」

 姫さまは、もう姿を隠すつもりもないらしい。
 いつのまにかスックと立ち上がっており、杖をリッシュモンたちに向けたまま、次の呪文を詠唱している。
 こうなっては仕方がない。

「サイト! キュルケ! 私たちも!」

「おう!」

「そうね!」

 私たちも立ち上がり、私とキュルケは杖を、サイトは剣を構える。
 キュルケの使い魔フレイムも身構えた。
 ……戦闘開始である!





(第二章へつづく)

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 ドーヴィルは「烈風の騎士姫」第一巻で出てきた街の名前。「ゼロ魔」世界において、邪教集団に乗っ取られてそうな街、ということで。

(2011年6月11日 投稿)
    



[26854] 第五部「くろがねの魔獣」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/15 00:31
   
 邪教集団の集会所は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
 姫さまの水の壁が彼らを押し潰し、そこから免れた者たちをキュルケの炎の蛇が呑み込む。
 こっちは崖の上、あっちは崖に挟まれた窪地。下から攻撃魔法を放つ者もいるが、飛んで来た魔法は、フレイムの吐く炎で迎撃したり、サイトの魔剣で吸収したり。
 私は杖を持ってウロウロするだけだが、それでも十分。戦いは、当初、私たちの優勢で進められていた。
 そんな中。

「奴らを狙うな! 奴らの足場を狙え! 崖ごと壊すのだ!」

 海水にも火炎にも巻かれる事なく、巧みに逃げ続けるリッシュモンは、的確な指示を出している。

「魔法の使えぬ者は崖の上へ! 奴らの反対側へ回りこめ! あと誰か神殿へ行ってマゼンダを呼んでこい!」

 うむ。
 むこうのほうが圧倒的に数は多いのだ。統制だった戦い方をされると、ちょっと苦戦するかも……。
 さらに。
 突然リッシュモンの表情が変わり、それまで以上に緊迫した声で叫ぶ。

「奴らを逃がすな! なんとしても捕まえろ! あれは……トリステインの王女だ!」

 げ。
 この距離と暗闇の中、姫さまの顔を認めたというのか!?
 ……まあ、距離はともかく。これだけ魔法の爆発や火炎に照らされれば、闇夜も何もあったもんじゃないか。

「姫さま、ここはいったん退却です!」

「なぜですっ!? ここは一気に勝負をかけて……」

「ルイズの言うとおりだわ、アン。相手があたしたちじゃなくて足場を狙ってきた以上、こっちが不利よ!」

「そうだぜ。崖の中腹を抉られちゃ、俺のデルフでもどうにもできねえ」

 モタモタしてはいられない。あいつらは、ここの地理には詳しいのだ。私たちの思いよらぬところから上がってきて、私たちの背後に突如出現。……なんてことも起こり得る。

「……けっ……けどっ……あそこにリッシュモンがいるのに……」

 渋る姫さまを引きずって。
 私たちは、何とかその場を逃れたのだった。

########################

「……おいルイズ、一体どこまで逃げるつもりなんだ?」

 サイトがそう尋ねたのは、ドーヴィルから二つ目の街を通り過ぎた頃のことだった。
 すでに海からも遠く、道の両側はちょっとした林になっている。

「そうよ……もうそろそろお昼じゃない……どっかでひとやすみしないと……」

 疲れた声で、つぶやくように言うキュルケ。目の下に、すでにくまが出来ていた。
 ちなみに、姫さまは無言。もう口を開く元気もないらしい。
 あれからずっと歩き通しだった。

「……そぉね……とりあえず……次の街で休みましょ……」

 かくいう私も、だいぶ疲れていたりする。平気な顔で歩いているのは、サイトとフレイム、つまり使い魔たちだけ。
 とりあえず、敵との距離をなるべく稼いでおかねばならない。もちろん、森で野宿というのが最も足がつきにくいのだが、姫さまに野宿させるのは気が進まない。

「それはそうとルイズ、とりあえず逃げて来たのはいいとして、何か考えてるの? 反撃の作戦……」

「……いっそのこと、あのまま勢いで連中ぶち倒しちまった方がよかったんじゃねーか? 一気にかたもついただろうし」

 やたら単純な意見を述べるサイトに、キュルケも深々と頷いている。
 まて。
 おまえらもさっきは、逃げ出す事に大賛成だったろうに!?
 どうやら二人とも、寝不足が頭の方に来ているようである。

「……あんな集会所の一つ、つぶしたところでどうなるもんじゃないでしょ。教祖も留守だって話だったし」

「あそこが本拠地じゃないのか?」

「……あのねぇ……サイト……どこの世界に、あんなに目立つ悪の本拠地があるのよ!? いくら崖の間にあるとは言っても、陸からじゃなく海からでは丸見えな場所よ」

「そう言えば、あのリッシュモンって人が言ってたわね。『神殿からマゼンダ呼んでこい』って」

「……言ってたっけ?」

 頭が動き出したキュルケとは異なり、いまだにサイトは……。
 もとい。こいつはクラゲ頭のバカ犬だった。動いていても止まっていても、サイトの頭では、この程度か。それを忘れるとは、私も少し眠気にやられているかもしれぬ。 

「言ってたのっ! あれだけドンパチやっても、マゼンダは姿を現さなかった。つまり彼女はあの場所にはいなかったのよ。となれば考えられるのは、あの集会所以外に『神殿』と呼ばれている場所がある。つまり……」

「そこが本拠地ってことね」

 こら、キュルケ。私のシメの言葉を盗るな。
 ……が、私も今は、いちいちツッコミ入れる元気はない。

「……とりあえず、今後の作戦なんだけど、まずはマゼンダを倒して、私の魔力を回復させる。これが第一歩でしょうね」

「ねえルイズ、そんなことより……」

「何よ、キュルケ? また私の話を邪魔して……」

 キュルケにチョンチョンと突つかれ、振り向けば。
 いつのまに足を止めたのか、姫さまが、かなり後ろの方でボーッと突っ立っている。
 サイトが、ツカツカツカッと彼女の方に歩み寄り。

「……心配ない。立ったまま寝てるだけだ」

「よっぽど眠かったみたいね。このまましばらく、そっとしておきましょうか?」

「そうだな。キュルケの意見に、俺も賛成」

 おいおい。
 こんなところでそっとしておいてどーする!?

「姫さま! 姫さまったら!」

 私が駆け寄って数度肩を揺さぶると、なんとか彼女は目を開ける。

「……あ……ルイズ……わたくしのおともだち……おはよう……」

「姫さま、しっかりしてください。これが旅というものです」

「……ええ……どーもその……王宮とは勝手が違って……すぴー……」

 そりゃあ姫さまは、こういうの慣れてないんでしょうけど……。

「……仕方ないわね……こうなったらサイトかフレイムが姫さまを背負って……」

「あら、ルイズ。勝手に私の使い魔に命令しないでくれる?」

「娘っ子たち、そのへんにしておけ。それどころじゃねーぞ」

 いきなり会話に参加してくる、サイトの背中の剣。
 サイトはそれを抜き放って。

「……確かに。それどころじゃないな」

 一瞬遅れて、私やキュルケも、ようやくその気配を察知する。
 どうやら思っていた以上に疲れているようである。
 姫さまは、まだ目を覚まさない。

 ザワリ。

 辺りの木々がざわめいた。

「……ルイズ、よく聞け」

 小さな声で言うサイト。

「キュルケと一緒に、アンを連れて逃げろ。この場は俺たちが引きつける」

 同意するかのように、フレイムもうなり声を上げた。
 さらに、デルフリンガーまで。

「相棒のカンに従え。どうやら並の相手じゃなさそうだぜ。主人を逃がすために戦うのも、使い魔の仕事ってこった」

 今の私は魔法を封じられている。姫さまは眠ったままだし、今の状態ではキュルケも魔法を放つだけの精神力はないであろう。
 ならば私たちは、むしろ足手まといということか……。

「安心しろ。俺はそう簡単にやられやしねえ」

 サイトが左手を光らせる。
 すると。

「へぇぇ。なかなか自信たっぷりなボウヤじゃないか」

 声は、木々の間から聞こえた。
 やや甲高い、男の声。
 視線を向けても、そこには何の姿もない。

「僕たちが留守の間とは言え、ケンカを売ってくるなんて、なかなか見上げたもんじゃない。……けど残念だったね。僕たちが帰ってきたからには……」

「……ドゥ。無駄口が多い」

 もう一つの声は、姿をもって現れた。
 それは、一匹のオーク鬼だった。
 でも……。

「しゃべるオーク鬼!?」

 驚きの声を上げたのはキュルケ。
 そう、コボルドならばいざ知らず、オーク鬼が人語を使うなど、普通はありえない。
 ……並の相手じゃない、というのは確かなようだ。

「くふふふふっ。無愛想なこと言うなよ、テット。僕はね、これから自分が殺す人間がどんな奴なのか、知っておきたいだけなんだ」

「無意味だな。追い、殺す、それが与えられた命令だ。それさえ全うすればいい」

 言いながら、ゆっくりと歩み出るテット。
 ドゥと呼ばれた最初の奴は、いぜん姿が見えない。
 だが。
 焦れたかのように、サイトが走り出す。フレイムも炎を吐く。
 ……そこまで見届けてから。

「行きましょう、キュルケ」

「そうね。……あたしたちは、この眠り姫のお守りをしないとね」

 私とキュルケは姫さまを引きずりつつ、その場をあとにした。

########################

「……ルイズ……キュルケさん……」

「……」

 私たち三人は、木立の中を進んでいた。
 あの後しばらくは街道を進み、姫さまが目を覚ました時点で、森へと分け入ったのだ。

「二人とも……大丈夫ですか? 使い魔を持たぬわたくしには、二人の気持ちは判らないのですが……」

「ああ、気にしないでください、姫さま」

 姫さまは、使い魔を残してきた私やキュルケのことを心配してくれているらしい。私は、なんとか笑顔を作ってみせる。

「サイトと離れ離れになったのも、これが初めてではないですから」

「そ。あたしのフレイムもルイズのサイトも、ちゃんとあいつらを倒して……それからあたしたちと合流するはずよ」

 うん。私たちは、それぞれ自分の使い魔を信じるしかない。
 それはともかく。
 あのマゼンダとかを倒して私の魔法を復活させなきゃ、この先どうにもならないわけだが……。
 魔法抜きの私に倒せる相手とは思えないし、キュルケや姫さまが戦ったところで、私の二の舞になる恐れが大きい。
 うーん……。そう考えると、やはりサイトたちと合流しないと話が始まらない。こういう場合、使い魔の必要性も高くなるわけだ。もしかしてメイジに使い魔がいるのは、魔法を封じるような敵と戦う状況を想定しているのであろうか……?

「……とにかく……しばらく身を隠すしかないですわ、姫さま。それから頃合いを見て、サイトたちを探して……」

「……悪いが、時間はそんなにやれんなぁ」

 聞き覚えのある声は、前の方から聞こえてきた。

########################

「……くっ……!」

 私は唇を噛みしめた。
 赤いローブと同じ色のマント。
 初老の裕福な貴族のような顔だが、見かけに騙されてはいけない。
 昨日の夜、集会所で演説をぶちかましていた男。
 元トリステイン高等法院長リッシュモン。

「……こう見えてもこのリッシュモン、組織のナンバー2でな……。留守を預かっている間に、あんなことがあっては面目が立たん……」

 そ……組織のナンバー2って……。
 邪教集団とはいえ、宗教団体であろうに。その自覚はカケラもないようである。

「しかも……」

 リッシュモンは、視線を姫さまに固定した。

「恐れ多くも、トリステインの姫殿下が来てくださったのですからな。ここは是非とも、とらえて差し上げないと……」

「リッシュモン! あなたは……幼い頃より、わたくしをかわいがってくれたのに……。それが売国の陰謀に加担し、あまつさえ、邪教集団の幹部になっているとは……」

 慇懃無礼なリッシュモンに対して、姫さまは、疲れた哀しい声を投げかける。
 しかしリッシュモンは首を振って。

「……だからあなたは子供だというのですよ、姫殿下。主君の娘に愛想を売らぬ家臣はおりますまい。私にとっては、姫殿下など、それだけの存在」

 さらに彼は、皮肉な笑みを浮かべる。

「知っておられるか? かつてのダングルテールの虐殺。あれをやらせたのは私です。新教徒狩りをロマリアの宗教庁から依頼されてね、反乱をでっち上げて踏みつぶしたわけです。そんな私が、今では魔王崇拝の教団幹部。……この意味がわかりますかな?」

 ようするに。
 この男に信仰心は皆無。
 教義の解釈の違いすら許せぬという狂信的なブリミル教徒の味方をすることもあれば、ブリミル信仰に真っ向から対立する組織で大きな顔をすることもある。
 ……全ては金しだいということだ。ここで姫さまを捕獲しようというのも、教団のために利用するのではない。もっと高い値を出すところがあれば、平気でよそに売り払うつもりだろう。

「姫さま、こんな男の戯れ言に耳を貸す必要はありません。私たち三人の前に、一人でノコノコ出てきた大馬鹿ものです。さっさとやっつけて……」

 私がそこまで言った時。

「ルイズ!」

 キュルケが叫んだので、とっさに真横へ跳ぶ私。頭のすぐ右を、銀の光が流れて落ちる。
 逃げるのがあと一瞬でも遅れたら、頭がスイカになるところだった。

「一人じゃない!?」

 まだリッシュモンは杖を構えていないし、他に武器も持っていない。ならば今のは……。

「ちっ。やりそこねたか」

 木々の間からゾロゾロ出てきたのは、亜人の集団。オーク鬼のようだが、細部の特徴がかなり違う。……なんだ、こいつら?
 しかも先頭の奴は、人間の言葉で喋っている。抜き身のロング・ソードを手にしたそいつに、リッシュモンが声をかける。

「……ギルモアか。まだ戦いは始まっておらんぞ」

「リッシュモン様。こんな連中にノンビリ時間を与えることはないですよ。さっさと倒してしまいましょう」

「それもそうか。……ただし、できれば殺すなよ。捕えて利用するのだ」

「はい、わかっております」

 言いながら、オーク鬼もどきは少しずつ私たちとの間合いを詰める。亜人集団も、それに続く。逆にリッシュモンは後ろにさがった。

「逃げるつもりですか、リッシュモン!」

「誰が逃げると言いましたか、姫殿下?」

 姫さまの言葉に応えるかのように。
 リッシュモンが杖を振った。
 杖の先から巨大な火の玉が膨れ上がり、私たちに飛ぶ。狙いは……キュルケか!?

「キュルケ!」

「心配しないで! もう呪文は唱えてあるわ!」

 あらかじめ防御魔法を用意していたのか!? さすがキュルケ!
 ……と思ったが、違った。
 キュルケの杖からも炎の球が飛び出す。なんだ、先制攻撃のつもりで出遅れただけか。ならば威張るな。
 しかも。
 二つの炎は、キュルケのすぐ目の前で衝突。たしかに直撃は避けられたものの……。

「ぎゃあっ!?」

 衝撃の余波で吹き飛ばされて、目を回すキュルケ。
 ……あぁぁっ!? 徹夜明けの彼女の精神力など、しょせんこの程度か!?
 そして。

「ごふっ!?」

 キュルケの心配をしている場合ではなかった。いつのまにか近づいていた亜人の膝蹴りをみぞおちにくらい、姫さまが失神していた!

「姫さま!?」

 あわてて駆け寄ろうとするが……。

「動くな!」

 亜人の一人に姫さまを抱えさえて、声を上げるリッシュモン。姫さまのもとへ歩み寄り、その顎に手をかける。

「姫さまに何をする気!?」

「何もせんよ。今は、な」

 続いて、私の顔を注視しながら。

「ひとつ尋ねるが、マゼンダが術を封じたメイジというのはお前だな?」

「……そうよ……」

 杖を構えた姿勢で答える私。魔法は使えないが、一応、ハッタリで杖を手にしていた。

「ならもうひとつ。そっちの赤毛がお前のことを『ルイズ』と呼んでいたようだが、お前、あの『ゼロ』のルイズか?」

「……たぶん、その『ゼロ』よ……」

 なげやりな口調で答える私。
 悪人たちの間では、なぜか私のネーム・バリューは高いのだ。それに、二つ名も名前も同じメイジなど、他にいるはずもなかろう。

「……ふん……ならば、だ。この二人の命は助けるし、優遇もしよう。マゼンダに言って、術の封印も解いてやる。その代わりに……我々に力を貸せ」

「なっ!?」

 こう見えても私は貴族の公爵令嬢。敵に後ろを見せないのが貴族である。邪教集団に協力するなど死んでも嫌だが、姫さまの身が危ないというのであれば……。
 うーん……。
 絶体絶命の大ピンチである。そういえば、ピンチになったら駆けつけるはずの使い魔サイトは、どうしてるのだろう?
 ……と、私がサイトのことを思い浮かべた時。

「……あー。やっと追いついた。ずいぶん探したよ、ギルモアさん」

 やたらノーテンキな声が、私の真後ろから聞こえてくる。

「……てっ! てめぇっ! このくそ坊主っ! こんなところまで追っかけて来やがったかっ!?」

 亜人ギルモアの上げた声には、憎悪の色が混じっていた。

########################

 私が振り向くその先に、立っていたのは一人の神官。
 年のころなら十代後半。長身金髪の美少年である。
 細長い唇には色気があり、長いまつ毛はピンと立って瞼に影を落とすほど。前髪をかき上げる仕草もサマになっているが……。
 あ。
 この男、左右の瞳の色が色が違う。左眼は鳶色だが、前髪で半ば隠された右は碧眼。いわゆる『月目』というヤツだ。私は気にしないが、地方によっては不吉なものということで害虫並みに忌み嫌われる。
 メイジかどうかはわからないが、白い手袋の右手には、頭が球状になった錫杖を持っている。そして左手には、四つの指輪。この指輪は……!?

「何者だ?」

 リッシュモンがそう尋ねたところからすると、とりあえず連中の味方ではなさそう。

「ちょいとわけありでしてね……。私が店を失ったのも、もとはといえば、こいつのせいでして……」

 言いながら、瞳に殺気をみなぎらせ、ゆるりと進み出る亜人ギルモア。
 なんだ? こいつ、亜人のくせに店を構えていたのか? オーク鬼みたいな外見で、いったい、どんな商売をしていたのやら……。

「やめときましょうよ、ギルモアさん。僕は別に、あなたを殺しにきたわけじゃない。カジノの一件だって、もう済んだ話じゃないか……」

「きさまはそうでも、こっちはきさまを殺したくてしかたないのさ。……言っておくが、今の私には生半可な呪文は通用しないぞ!」

「いやぁ……そこまで言われては仕方ないね……。では……」

 世間知らずな娘さんなら一発で落とせそうな笑顔を浮かべて、呪文を唱え始める神官。
 ……へっ? この呪文……?

「させるかよ!」

 雄叫びを上げ、走り出したギルモア。
 しかし、彼が間を詰めるより早く。
 神官が、サッと左手を振る。
 チラッと指輪の一つが光ったように見えた瞬間。

 コゥッ!

 空間がきしんだ悲鳴を上げ、蒼い空が輝く。
 光の波紋が広がって、その中心から、蒼白い光が柱となって降り立つ!

 ヴンッ!

 大音響と衝撃波、つづいて青い風が吹き過ぎる。熱気でありながら受ければ寒気を感じる、なんとも不気味な風であった。

「……つっ……」

 余波だけで吹き飛ばされた私は、ややあって身を起こす。
 すでにギルモアの姿はなく、彼のいた辺りの地面がオレンジ色に煮沸しているだけ。
 逃げたわけではない。おそらく一瞬にして燃え尽きてしまったのだろう。
 なんつう火力だ……。
 ……と、待てよ!?

「……!」

 私は慌てて辺りに視線をめぐらせる。
 リッシュモンと亜人軍団、そしてキュルケと姫さまの姿がない!
 ……今の攻撃の巻き添えになったわけでもあるまい。直撃でなかった以上、それならば、どこかに転がっているはず。
 つまり……。

「おやおや。他の連中には逃げられてしまったね」

 のほほーんとした声に振り向くと、あの神官が頭をかいている。三枚目っぽい行為だが、それすらキマッてしまう二枚目っぷりだ。

「……ま、いいか」

 あっけらかんとつぶやくと、視線を私に向け。

「あー、そこの可愛らしい妖精さん。つかぬことをお伺いしますけど、今の連中の住所、知らないかな?」

 殺気もないし、スキだらけ。まるでナンパでもしているかのような口調である。

「……あんた……」

 真っ正面から神官を見据えたままで私は言った。

「さては吸血鬼でしょっ!」

 神官はまともにひっくりこけた。

########################

「……ど……どこをどうつついたら、そういう理屈が出てくるのかな?」

 錫杖をついて身を起こす彼。

「んっふっふ。簡単なことよ。あんたさっき呪文唱える時、コモンマジックでもないのに、ルーン語じゃなくて口語を使ってた。だから、あれは系統魔法じゃなくて先住魔法だわ。つまり、あんたは亜人ってこと」

 コボルドやエルフや翼人も先住魔法を使うが、こんな人間そっくりな外見のわけがない。つまり、吸血鬼である。

「……あのねえ。そんなものたちと一緒にしないで欲しいな。僕は亜人なんかじゃない。ロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレだ。ここで出会ったのも何かの縁、以後お見知りおきを……」

 ジュリオ・チェザーレとは……。
 こりゃまた怪しい名前である。たしか、大昔のロマリアに同じ名前の大王がいたはず。そんな名前を自称するだなんて、みずから「偽名です」と言っているようなものだ。

「……ふぅん……。で、今の連中とは?」

「敵だよ」

 あっさり答える彼の言葉に、しかし私は黙ったまま。

「……信じてくれないのかい?」

「敵の敵だからって、味方とは限らないわ」

「……ま、確かにそりゃそうだね」

「そんなことより、その指輪……」

 私は、ジュリオの左手を指さす。

「それ……四つとも、始祖の指輪でしょ!?」

「おやおや、これを御存知とは! ……以前に出会った雪風の妖精も博識なお嬢さんだったが、この世界には、可愛い妖精はみんな物知りという法則でもあるのかねえ?」

「御世辞なんかじゃ、ごまかされないわよ。だって私、そのうちの一つ『土のルビー』をはめたことだってあるもん!」

 始祖ブリミルが子供や弟子に与えたと言われる四つの指輪。それは単なる装飾品ではない。虚無の担い手がはめれば、クレアバイブルから虚無の魔法を教わることが出来るのだ。

「へえ……。君は虚無のメイジなのかい?」

 うっ……。
 得体の知れない男に、そこまで告げるつもりはなかったのだが……。
 と、軽く私が悔やんでいると。

「……まあ、始祖ブリミルがそういう用途を付加しちゃったみたいだけど、本来は、そうじゃなかったんだよ」

「……へ?」

 おのれの左手に視線を落としながら、ジュリオが解説する。

「装着者の魔力を増幅させたり、魔王の呪力を借りて放出したり……。そういうアイテムだったらしいよ。……魔力増幅に関しては、四つセットじゃないと無理だけどね」

「魔王の呪力ですって!?」

 では、さっきジュリオが唱えたのは魔法の呪文ではなく、指輪に対しての呪だったのか。なるほど、言われてみれば、魔力の拡大を乞うような内容だった。

「なんでも、『魔血玉(デモンブラッド)』とかいう石で、それぞれが、赤眼の魔王(ルビーアイ)、闇を撒くもの(ダーク・スター)、蒼穹の王(カオティックブルー)、白霧(デス・フォッグ)の四体……つまり、この世界の魔王と、他の世界の魔王三体を表しているとか……」

「異世界の魔王!?」

「まあ、僕も詳しくは知らないんだけどね。いただきもんだから」

 ……いや、それだけ知っていれば十分すぎる。
 始祖ブリミルの指輪について、ここまで調べた人間などいないはず。
 とても全て信じられる話ではないが、ジュリオが指輪を使ってみせたのは事実である。その効果のほどだけは、嘘ではない。
 ならば……。

「ちょうだい! それ私にちょうだい! 四つ全部!」

「は? 何をいきなり……」

「だって今の私には、それが必要なんだもん。……そうね、じゃ、こうしましょう。ジャンケンして私が勝ったらもらう、負けたら諦める」

「いや、そんな……」

「ほら、ジャンケンポイっ!」

 私の勢いに流されて、反射的に右手を突き出すジュリオ。
 ……錫杖を握ったまま。
 自然、その形はグー。
 だから、私はパー。

「やったぁ! 私の勝ちぃ!」

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「うん、なかなか似合うわね」

 四つの指輪をはめて、ジッと手を見る。
 なんだか、これだけで強くなった気がする。

「……そういえば、君は虚無のメイジなのだろう? さっきの戦いでは魔法を使っていなかったようだが……なぜだい?」

 うっ。
 痛いところを突いてくる。
 せっかく幸せ気分だったのに。
 とんだ水差し野郎である。

「……封じられたのよ……魔法を……」

 本当のことを話してもいいものかどうか、私は一瞬迷ったが、隠し立てしたところで何も変わらない。
 虚無の担い手であることもバレているのだし、それに比べれば、こっちは些細なことである。
 すると。

「へえぇ。そんなことの出来る人間がいるのか……」

「ええ。連中の仲間で、マゼンダっていう赤毛の美人が……」

「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 いきなり大声を上げる彼。
 それから、考え込むかのような表情で、ブツブツと独り言を。

「……ということは、サビエラ村にいた『マゼンダ婆さん』というのも、あのマゼンダさんだったのか……」

「ちょっと待って。自分の世界に入り込まないで、ちゃんと教えて。……マゼンダさん、って、あんたあいつの知り合いなの?」

 思わず身構える私に、ジュリオは頭をかきながら。

「まあ一応……ただし今は、敵として、だけどね」

「ふぅん……なかなか話がこみいってるみたいね……」

「そうだけどさ。こんなところで立ち話というのもなんだし、とりあえず、どこか近くの村にでも行かないかい?」

「そうね。おなかもすいてきたことだし」

 言って私は、こっくり頷いたのだった。

########################

「……なるほど……それはなかなか大変だね……」

 ちびちびと酒をすすりつつ、ちっとも大変そうじゃない口調でジュリオは相づちを打つ。
 近くの村の小さなメシ屋。
 かなり遅めの昼食をとりながら、私はこれまでのいきさつを、彼に説明したのだった。
 ちなみに、この村まで私たちは竜で来ている。あの森を出たところにジュリオの風竜が待っており、そこからは街道を歩くことなく、らくちんな空の旅。そんじょそこらの貴族の竜騎士よりもジュリオは竜の扱いが上手いようだ。ちょっと便利なヤツである。

「魔法が封じられているから、指輪の呪力を解放して戦うつもりかい? でも、結構あれは扱いが難しくてね……」

「いいの。とりあえず、魔力増幅の呪文は覚えたから」

「……へ? 一回聞いただけで覚えちゃったのか? マーヴェラス! さすが可愛らしい妖精さんだ!」

「こう見えても私、座学は優秀だったから」

 小さく胸を張る私。
 しかしジュリオは、なんだか不思議そうな顔をして。

「だけど魔法を封じられているならば、魔力を増幅したところで無意味なのでは?」

「そうでもないのよ。確かに魔法は使えなくなってるんだけど、使えそうな手ごたえはあるの」

 どうやら完ぺきに封じられているのは、系統魔法だけらしい。私にしか使えぬ、魔王の力を借りた呪文の方は、もう少し魔力がアップすれば使えそう……。そんな感覚があるのだ。
 前々から思っていたことだが、あのテの魔法は、いわゆる系統魔法とは全く別物のようだ。魔王は精霊ではないが、それでも他者の力を借りるということで、むしろ先住魔法に近いのではないかと思う。
 ……ややこしい話だし、私自身よくわかっていないから、今ジュリオには説明しないけど。

「なるほど……。しかし術の封印がゆるんで来ているというのは……マゼンダさんの術が甘かったか、でなければ、君の魔法容量(キャパシティ)がケタ外れに大きいのか……」

「いずれにしろ、まずはなんとかサイトたちと合流しないと……」

 私は、空になった皿に目を落としたままでつぶやく。

「……まあ使い魔たちの方は大丈夫だと思うんだけど……心配なのはキュルケと姫さ……じゃなかった、アンの方ね」

「ああ、僕の前では誤摩化さなくていいよ。その『アン』っていうのは、トリステインの王女さまなんだろう?」

 小声で言いながら、ウインクするジュリオ。
 時間がはずれているせいか、私たち以外に客はおらず、店の人にも聞こえる距離ではない。

「トリスタニアでゴタゴタがあった話は僕も知っているし、その後、王女さまが旅に出たという噂も、僕の耳には入ってきているよ」

 ……うーん。姫さま漫遊の噂が広がるのは嬉しくないが、この場は、仕方がないか。

「とりあえず、王女さまたちの方は心配する必要ないさ」

「また根拠もなしに能天気なセリフを……」

「いや、根拠はある」

 彼は陶器のグラスを空にしつつ。

「さっきの状況ならその場で殺すのも簡単だったろうに、荷物になるのを承知で、わざわざ連れていったんだ。……何かに利用するつもり、ってことだろう?」

「……つまり、私たちをおびき寄せるエサね」

 考えてみれば、あっちにはメイジの魔法を封じることの出来るマゼンダがいるのだ。喉をつぶす、などという乱暴な処置をされることもあるまい。敵の魔法封じが、この場合は、私たちにもプラスになる。

「それに、敵は一応宗教集団。ほら、神官の僕が言うのも何だが、宗教って儀式が大好きだろう? ましてや敵は、魔王信仰などというシロモノ。となれば儀式として考えられるのは……」

「生け贄!?」

「そういうこと。生け贄は、なるべく清く美しいものというのがセオリーだ。ならば彼らは、王女さまたちに無意味な迫害を加えたりはしないだろうね」

 うーむ。
 ジュリオの考え方には一理ある。それに、ここで心配したところで、どうにもならないのだ。それよりも……。

「……で、あんたの方は連中と、一体どう関わってたわけ?」

 ジュリオの側の事情を問い詰める私。
 こういうのは、ちゃんと先に聞いておいた方がいいのだ。

「僕かい? 僕はガリアの片田舎で、連中とあるものの取り合いをしていてね。結局は連中がそれを手に入れて、拠点のあるここへ帰ってきた、ということさ」

「肝心な点をぼやかしたわね。その『あるもの』っていうのは何?」

「いや……まあ……その……」

 言いながら、ジュリオは視線を逸らす。グラスを口に運んだが、そこで、中身が既に空なことに気づいたらしい。

「……ただの『写本』だよ」

「『写本』!?」

 思わず声を上げる私。
 『写本』とは、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の知識の一部を記したもの。本来『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』は、私のような虚無のメイジが始祖の指輪をはめることで読めるようになる物だが、『写本』ならば、そんな条件は一切関係ナシ。
 実際、まだ指輪の仕組みなど知らなかった頃の私は、インチキかもしれない『写本』から強力な魔法を習得したことがあるのだ……。

「それで……」

 私は彼の瞳をジッと見据えて言う。

「その『写本』には何が書かれているの? あんた、その『写本』を手に入れて、何するつもり?」

「君は好奇心が旺盛だね。まあいい、言えることと言えないことがあるのだが……。これだけは約束しよう、絶対に『写本』を悪用しない……と」

 色男の笑顔でカバーしているが、これ以上は教えませんと顔に書いてある。
 今の言葉もどこまで信用できるか判らないが、しかしともあれ、彼が邪教集団と対立していることだけは確かなようである。
 サイトや姫さまたちとは離れ離れで、私の魔法も頼りにならない現状では、一時的でもいいから味方が欲しい。

「……わかったわ。ひとつ提案があるんだけど……」

「一時手を組まないか……かな?」

「当たり。敵の本拠地は判んないけど、近くにあった集会所までなら案内してあげられるし、私としても味方がいた方が心強いわ」

「……いいよ。君のような可愛らしい妖精は、僕としても大歓迎だ。それに、敵にマゼンダさんがいる以上、放ってもおけない」

「わけありね」

「それも秘密だよ。男は、秘密の多い生き物だからね」

 言ってジュリオはウインクする。
 ……かくて。
 私とジュリオとのにわかコンビは結成されたのだった。





(第三章へつづく)

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 指輪を四つ独占するルイズというのも、なかなか珍しいのではないでしょうか。「スレイヤーズ」と「ゼロ魔」の設定を混ぜたがゆえのイベントでした。

(2011年6月14日 投稿)
(2011年6月15日 「そこから免れた者たちをキュルケの炎の蛇が呑み込み、さらに私の爆発魔法の華が咲く」を「そこから免れた者たちをキュルケの炎の蛇が呑み込む」に修正、それに伴い「戦いは、当初、私たちの優勢で進められていた」の前に「私は杖を持ってウロウロするだけだが、それでも十分」という一文を加筆)
  



[26854] 第五部「くろがねの魔獣」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/17 23:19
   
 ジュリオとの協力体制が決まった後。
 私の疲労を考慮して、まずは一晩ゆっくり休もうということになった。
 だからその夜は宿屋に泊まり、それぞれの部屋で眠っていたわけだが……。
 灼けつくような殺気が、私の目を覚ました。
 枕元に置いた杖を手に取り、ベッドのふちに引っ掛けていたマントに手を伸ばす。
 その瞬間。

 ドゴワゥッ!

 強烈な衝撃が、部屋全体をゆさぶった。

「……なっ……!?」

 マントを背中に羽織りつつ、部屋のドアを開く。

「くっ……!」

 コゲ臭いにおいと熱気が顔を打つ。
 そして、ふたたび宿を揺るがす震動と爆発音。
 熱気がグンッと跳ね上がる。
 階段も一部はオレンジ色に染まっているが……。

「えいっ!」

 背中のマントを頭からかぶって、私は突進。
 ここを誰かが攻撃しているのだ。急いで脱出しなければ蒸し焼きになる!
 一階まで辿り着いたところで、廊下の適当な窓をぶち破って、外へ飛び出した。燃える屋内と比べれば、夜風は涼しく心地良い。
 でも、まだ安心は出来ない。
 顔を上げた私の目の前に……彼女は静かに立っていた。

########################

「……ひさしぶりね……」

 紅い唇が、笑みの形に小さく歪む。

「聞いたわ、リッシュモンから。……あなた……あの『ゼロ』のルイズなんですって?」

 ねちりとした光を瞳に浮かべ、静かに一歩、マゼンダは私の方に歩み寄る。
 彼女の放つ、なんとも言えないプレッシャーに気圧されて、私はジワリと後退する。

「みんなは……無事なの? サイトとキュルケと、それから……」

「……ああ。女の子たちは無事でしょ。たぶん、ね。剣士と火トカゲは知らないけど……」

「あの亜人たちは何て言ってたの? たしかテットとか言う……」

「知らないわ。私があったのはリッシュモンだけだもの」

 火が燃え広がっているらしく、だんだん夜風も熱風と化していた。
 髪をなびかせて、また一歩、マゼンダが歩み寄る。

「……けど、あなたのことを聞いた時には驚いたわ。もしもあなたが『ゼロ』のルイズだということを知ってれば……最初のあの場で遊んだりせず、殺しておくべきだった……」

「それにしても……いきなり宿に火をつけるなんて、あんましスマートなやり口じゃないわね……」

 言って私は、後ずさりをやめた。
 マゼンダの顔に、やや怪訝そうな色が浮かぶ。

「……そう言えば……リッシュモンの話だと、あなたの他にもう一人、得体の知れない神官がいたそうだけど……。もう火に巻かれたのかしらね?」

「いえ……」

 私はゆっくりとかぶりを振った。

「いるわ。あなたの後ろに……」

「……ふふ……つまらない嘘ね……」

 彼女は低い笑みを漏らす。
 しかし。

「いや、本当だよ。マゼンダさん」

 透き通るような美声を耳にして、マゼンダの顔がまともに強ばる。

「……ま……まさか……」

 ゆっくりと、彼女は首をめぐらせる。
 視線の行きつくその先に……。
 笑顔を浮かべた神官の姿。

「ゼ……」

「ジュリオだよ、マゼンダさん。僕の名前はジュリオ。お間違えのないように」

 マゼンダの悲鳴にかぶせるように、あらためて名乗りを上げるジュリオ。
 おやおや。
 やはり『ジュリオ』というのは偽名だったのか……?

「名前なんてどうでもいいわよ! なんで……なんであなたがこんな所に!?」

「いやいや……それはこっちのセリフだよ。まさか、よりによって、魔王信仰の邪教の幹部さんとは……」

 言ってジュリオは苦笑を浮かべる。

「けど……それならそれで、自分の教祖さまが何を探していたのか、くらいは把握しといた方がよかったけどね……」

「わかってるわよ、『写本』でしょ!? ……あの『写本』をクロムウェルに渡したのは、他ならぬ私なんだから……」

 よほど動揺しているらしく、自分の親分呼び捨てである。
 一方ジュリオは、深々と頷くと、

「そうか。やっぱり、あの村にいた『マゼンダ婆さん』とは、君のことだったのか」

「……え? それじゃリュシーの言ってた手ごわい神官って……。まさか、あなたもサビエラ村にいたの!?」

「そういうこと。……僕は僕で、『写本』に関する仕事を仰せつかっていてね。そういう事情だから、君と僕は敵同士……」

 怯えまくっているマゼンダは、ジュリオに最後まで言わせなかった。

「ひぃっ!」

 小さな悲鳴を上げるや否や、迷うことなく身をひるがえし、燃え盛る宿の中へと身を躍らせる!

「えええええっ!?」

 思わず声を上げる私の肩に、そっとジュリオは手を置いた。
 それを払いのけながら、私は尋ねる。

「ち……ちょっとジュリオ! これって一体どういうことなのよっ!」

 しかし私の問いには答えず、

「追いかけるよ。僕は今から彼女を追いかける」

「……へ? 追いかけるって……あんた、正気なの!? 相手はもう火の中よ!」

「いやいや、大丈夫。マゼンダさんはこれくらいじゃあ死なないよ」

 何が一体大丈夫なんだ、それは。

「ともかく、君の魔法封じの件も、僕が何とかしてあげよう。協力の約束をしたすぐ後で申し訳ないが……必ず追いついてみせるから。……連中の本拠はどこだい?」

「……ド……ドーヴィルの街あたりよ……」

 思わず正直に答える私。

「わかった。では僕はこれで。いずれまた会いましょう、虚無の妖精さん」

 最後にウインクを一つ、そしてジュリオはマゼンダの後を追い、迷うことなく炎の中へ。
 二人が消えたそのあとに、残るは私と、なおも激しく火の手を噴き上げる宿屋。

「……何なのよ……一体……」

 ただただ私は茫然と、燃え上がる炎を眺めていたのだった。
 ……宿の火事が消えた後、もしも二人の焼死体が発見されたりしようもんなら、指さして笑うぞ、などと心の中で思いつつ。

########################

 そして……。
 私は戻ってきた。
 ドーヴィルの街へと。
 しかし……。
 いまだサイトの姿はなく、ジュリオとの合流もまだ。ちなみにジュリオが炎の中に消えて以来、彼の風竜もどこかへ行ってしまったので、ここまで私はテクテク歩いて来ている。
 それはともかく。
 私の虚無魔法は回復していない。『魔血玉(デモンブラッド)』で魔力増幅すれば魔王の呪文は使えそう、という手ごたえは日ごとに大きくなっているが、まだまだ発動できるレベルには至っていない。『魔血玉(デモンブラッド)』そのものから異界の魔王の呪を引き出すのは、ジュリオには可能だったが私には無理なようだし……。
 つまり。
 敵の本拠に着いたはいいが、逆襲に出るだけの条件は、全く揃っていない。
 とは言うものの、やせても枯れても腐っても、私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。敵に後ろを見せない、貴族の公爵令嬢である。
 そこで……。

########################

「わが同胞よ!」

 男の声は、朗々と、夜の闇に響き渡る。
 ドーヴィルの近くの海岸にある、連中のあの集会所。私はまたもや、ここへ潜入したのだった。
 以前にリッシュモンが立っていたのと同じ場所に、今は別の男が立っている。
 高い鷲鼻が特徴的で、年のころは三十代の半ば。丸い球帽をかぶり、帽子の裾からはカールした金髪が覗いていた。
 黒いローブとマントを身に着けており、こんな邪教集団の幹部などではなく、まともな聖職者のようにも見える。が、瞳の持つ輝きが違う。むしろ軍人である。

「……喜んでくれ。我らが望んだものは今、我が手の内にある!」

 おおぉぉぉぉぉっ!

 歓喜の声が、夜の空気を震わせる。
 ……私の周りから。
 そう。今回は崖の上ではなく、私自身、聴衆の中にいた。今夜の私は、村人ふうの男ものの服を着込み、両目の位置に穴を開けただけのずた袋をかぶっている。
 さいわい、こいつらは皆、覆面姿。こんな簡単な変装で、信者たちの中に紛れ込むことも出来ちゃうのだ。

「私はついに、真の力、真の恐怖を手に入れた! この力をもってして、始祖ブリミルなどというものを崇め、我らを邪教とそしった愚か者たちに知らしめてやるのだっ! 我らこそが力であることをっ!」

 どぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!

 以前にも増すどよめきが、ふたたび闘技場を揺るがした。
 ……しかし、こいつら。ブリミル信仰にケンカ売るような態度だが、それって、ハルケギニア全土を敵に回すってことなのでは……!?

「まずは……トリスタニアだ!」

 ……はぁ?
 いきなり出てきた王都の名に、私は思わず眉をひそめる。

「歴史ある三大王家の一つでありながら、すっかり弱小国家に成り下がったトリステイン王国! まずはその首都を壊滅させ、トリステインを我らの新国家とする!」

 おいおいおいおいっ!
 正気か!? こいつは?
 今まで耳にした話からして、この男こそ、おそらく教祖クロムウェル。以前はレコンキスタを率いて、アルビオンを手に入れようとした男。アルビオンがダメだったので、今度はトリステインということなのだろうが、どうせまた他の幹部に蹴落とされるのでは……。
 ……あ!
 そのための『写本』か!? 誰も逆らえないような、強大な力を手にしたクロムウェル……。
 などと私が思っているうちに、彼の演説は、別の話題に移っている。

「……何日か前、ここでの我々の会合を妨げた不逞の輩たちがいたが……。心配には及ばん! うち二人は、わが友リッシュモンが捕えた。残りも、まもなく我らが手に落ちるであろう!」

 聞いて私は、思わず胸をなで下ろす。サイトは健在だとわかったからだ。
 ……この後もクロムウェルの演説は、貴族と平民がどーのこーのとか、人間の本質がどーしたこーしたとか、延々と続くのだが、そのあたりのことはどうでもいい。
 ともあれ。
 やがてクロムウェルの演説も終わり、集まった全員で何やら呪文らしきものを大合唱。そして集会は終わりを迎えた。
 中央の闘技場からクロムウェルとその取り巻きたちが退場し、信者たちも出口の方へと向かう。
 さあ、ここからが本番だ。
 信者のみなさんに混じって私も出口へ向かいながら、途中で迷子になったふりをして離脱、幹部連中のあとをつけて本拠地——たぶん『神殿』と呼ばれるところ——を確かめる。……それが私の作戦である!

########################

 甘かった。
 信者たちのお帰りルートはどうやら決められているらしく、そこをぞろぞろみんなで進むだけ。
 しかたない。
 とりあえず私も、おとなしく集会所から出る。村の方へと向かう彼らに混じって歩きながら、隙を見つけて、近くの茂みに身を隠した。
 そのまま様子をうかがっていると……。

「……来た!」

 信者たちの出口とは別の、小さな出入り口。そこに、いくつかの影が現れた。
 何人かは、杖の先に『ライト』の光量を抑えたものを灯し、かかげ持っている。淡い光に照らされて、クロムウェルの姿も見えた。
 やがて一行はゆっくりと、村とは逆、つまり海の方へと向かって歩いて行く。
 十分な距離をとってから、私もあとをつけ始めたのだが……。

「だめですよ、そちらへ行っては」

 横手からかかった声に、私は驚いたように身をすくませる。
 ……本当に驚いたわけではない。気配があったので、尾行に気づかれたっぽいことは承知していた。それでも私は誤摩化せるとふんで続けていたのである。まだ例のずた袋マスクをかぶったままなのだから。

「は……はいっ!」

 答えて私は、声の方に向き直る。
 そこにいたのは、若い、長髪の美しい男。
 長い銀髪をかき上げると、切れ長の目が現れる。まるでナイフのような視線だが、人懐っこい光をも含んでいた。魅力的な顔立ちである。
 が。
 こんなところにいる以上、こいつも邪教集団の一員。しかも覆面姿ではないということは、幹部クラスであろうか……?

「迷子になったのかい?」

「うん。と……父ちゃんと……はぐれちゃって……光が見えたんで、つい……」

 しどろもどろを装った私の口調に、男はニッコリと笑って。

「こっちじゃない。村は逆だよ、お嬢さん」

「……へっ?」

 思わず間の抜けた声を出す私。『親に連れて来られたが、はぐれてしまった男の子』の役を演じているつもりだったのだ。胸がないのと背が低いのを、最大限に活かした作戦だったのに……。

「ああ、そうか。お嬢さんは、よく男の子に間違われるのかな? でも私にはわかるよ。私が以前に仕えていた貴族のところのお嬢さまも、ちょうど、君と同じような体型で……」

 昔話を始めそうになったが、男は、ハッとして。

「いけない、いけない。立ち話をしている場合じゃなかった。……明かりもない田舎道を、小さなレディ一人で帰すわけにもいかないね。私が家まで送ってあげよう」

 待て。おい。
 悪の宗教団体の会員が、こんな時だけ親切にするんじゃない! そりゃまあ優しそうな外見のお兄さんではあるが……。ともかく、今は迷惑である!

「いいよ……たいまつか何かもらったら、一人でちゃんと帰れるから……」

「夜道は危ないんだよ、お嬢さん。……今日の集会でも言ってたでしょう、最近このあたりを怪しい連中がうろついてる、って。やっぱり一人で帰すわけには……」

 男がそこまで言った時。

 ゴゥオォォォン……。

 遠い爆発音が、夜の空気を震わせる。

「しまった!」

 男が叫んで振り返る。
 クロムウェルたちが姿を消したと思われる方角だ。
 それほど大きな規模ではないが、確かに一瞬、炎が閃いた。
 何があったかは知らないが……あそこが本拠地か!

「すまない、嬢ちゃん!」

 言いながら男は、手品のように突然、明かりのついた杖を取り出して私に押しつける。

「悪いが送ってやれなくなった。村はそっちの道をまっすぐだ、途中で枝道があるが、そっちに行くんじゃないぞ! いいな!」

 ぶっきらぼうになった口調に、彼の焦りが滲み出る。
 くるりと背を向ける男に、私は思わず声をかけていた。

「……お兄さん!」

「何だ?」

「……えっと……名前は!?」

「トーマスだ。トマと呼んでくれ。また会おうな!」

 言ってすぐさま、闇の奥へと姿を消す。
 ……敵とは言え、あんまし戦いたくないタイプだな……。
 しかし。
 何はともあれ、こうとなっては行くっきゃない!
 もらった杖はとりあえず、手近な茂みの中に隠すと、私は一路、炎の見えた方を目指して進み始めた。

########################

 やがて私は、そこに辿り着く。
 連中の本拠地は、海に面した洞窟だった。
 入り口はかなり大きく、ちょっとした小屋ならばスッポリ収まりそうなくらい。満潮時は完全に海に没してしまうようで、今も一部は海面の下。それでも脇には人が歩くための道が作られており、その部分は今は水上になっていた。
 ……さきほどの爆発、連中にとっての敵が中にいることは事実。混乱状態にあるならば、今こそ潜入のチャンス!
 そう思って、海岸洞窟に足を一歩踏み入れたとたん……。

 ドゥン!

 奥の方からまたもや聞こえる爆発音。
 やはり誰かが戦っている!
 私は、濡れた岩道をダッシュしていた。

########################

 洞窟内部は、かなり整備された構造になっていた。
 行けども行けども、大きな穴には海水が入り込んだまま。ひょっとして奥に戦艦でも隠し持っていて、ここはそれが出撃するための進水路なのかもしれない……と思わせるくらいだ。
 その『水路』の横の『歩道』は、少しずつ上へ上へと昇っており、いつのまにか水没した跡もなくなっていた。この辺りはもう、満潮時でも海面には没しないらしい。
 やがて『歩道』は、複雑に枝分かれする。『水路』から離れる道もあったが、私は迷わず、『水路』沿いを進む。これがメインだと私のカンが告げているのだ。
 そして……。

「何をしている」

 突然、頭の上から降って来た声。
 私の進む『歩道』とは別の通路があったようだ。そこに立っているのは、一匹のオーク鬼。
 普通のオーク鬼ではない。なにしろ、しゃべるオーク鬼なのだから。
 しかも、この声は……テット! あの時の亜人だ!

「……な……何って……」

 思わず私は口ごもる。
 亜人が右手に下げた抜き身のグレート・ソードが、ぬらりと光る。
 かなり距離があるので、斬られる心配はないが、位置関係は向こうが上だ。何か投げつけられる可能性はある。

「……し……集会が終わって、父ちゃんとはぐれちゃって……。う……うろうろしているうちに、ドォンって音が聞こえてさ……。何だろうと思って来てみたんだ……」

 声を覚えられているかもしれないので、男の子を装う作り声で言い訳する。
 が……。

「覆面を取れ」

 テットは静かな声で言い放つ。
 まずい。本格的にまずい。
 覆面をつけたままだからこそ、私も信者のフリが出来るわけで。それを脱いだらおしまいだ。
 こうなったら、いちかばちか……。

「……でも……覆面は……」

 私は両手を胸の前でモジモジ揉み合わせながら、口の中でブツブツとつぶやく。
 ……むろん、増幅の呪文を、である。

「脱げと言っている。あと……その怪しい手袋も取れ」

 あ。
 手袋にも注意を向けられた。四つの指輪を隠す意味で手袋をしていたのだが、むしろ逆効果だったか……?
 でも既に増幅の呪文は完成。私は右手を懐に入れ、隠し持った杖を握りながら、今度は『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』を唱え始める。
 あともう少し……。

「自分で脱げんと言うなら……」

 テットが剣を振りかぶった。
 ……まさか剣を投げつける気か!? あるいは……剣圧を飛ばすとか!?
 その時。

「気をつけろテット! そいつは……」

 どこからともなく、いきなりドゥの声。

「何!?」

 亜人の注意がそれた時、私は呪文を終えていた。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 本来ならば洞窟内で使うようなシロモノではないが、虚無魔法が使えない以上、これしかない。
 呪力を解放した瞬間、杖を持つ手に異様な手ごたえが生まれる。
 ……何!?
 妙な感じはするものの、ためらっている暇はない!

「退けっ! テット!」

 ドゥの声を聞きながら、私は思いっきり杖を振り下ろす。

 ガグォォガァァッ!

 爆発は、私の予想を遥かに超えて大きかった。

「なっ!?」

 轟音が辺りを揺るがし、私は思わず『水路』へ飛び込み、深く潜る。

「……ぷはーっ」

 やがて私が水面から顔を出した時、そこに亜人の姿はなかった。
 今の爆発に巻かれたのか、あるいは間一髪逃げのびたのかは判らない。
 洞窟の天井には驚くべきサイズの大穴があき、夜空と二つの月が見えていた。『歩道』は今ので崩れ落ち、もはや通行不能である。
 ……しかし……この威力は一体……いくら『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』とはいえ……。
 ひょっとして!
 私は急ぎ、呪文を詠唱。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

 通路をふさぐ岩塊が消滅する。
 ……虚無魔法も使えた!
 そう。
 私の魔法は、いまや完全に回復していた。

########################

「おしっ!」

 私は一発気合いをかけると、かぶっていた覆面を脱ぎ捨てた。
 どうやらとうとう、ジュリオがやってくれたようである。
 魔力の封印が解けたからにはこっちのもの。もう『歩道』は通れなくなったが、そこらの岩壁を魔法でぶち破って、勝手に通路を作製して……。

 キンッ!

 飛んで来た銀色の光。
 とっさに私は、再び水中に潜る。
 危ない危ない。考え事をしていたから、気配に気づくのが遅れたが……。
 水面から顔を出すと、私から数メイルのところに。

「……うまくよけたね、今のナイフ」

「無駄口はよせ、ドゥ」

 やっぱり生きてた亜人コンビ。
 あいかわらず、姿を見せているのはテットのみ。
 しかし……。

「……驚いた。あんた……飛べたのね」

「そうだよ。僕たち、普通のオーク鬼じゃないからね」

 私の声に応えたのは見えないドゥ。
 そう。
 今のテットの背中からは、翼人のような羽が生えていた。
 ……なるほど、ようやくわかった。この亜人の正体が。

「合成獣(キメラ)……」

「そのとおり!」

 普通の人間は、羽根つきオーク鬼など見たことないはず。でも私は違う。キメラ研究に励む悪の組織を相手にした経験があるからだ。
 そいつらは、強力なキメラに人間の脳を移植する研究もしていた。それらの技術を「高く売れる」と称していたが……。
 おそらく、クロムウェルの邪教集団も、その得意先の一つだったのではあるまいか? 買い取った技術で、あれと似たキメラを製造しているのだとしたら、しゃべるオーク鬼の説明もつく。

「あんたたち……昔は人間だったのね? それが、オーク鬼をベースにしたキメラの中に移植された……。おそらく、一つの体に二つの脳……」

「おお、凄い! よくわかったね!」

 ドゥの姿が見えないわけだ。ドゥもテットも一心同体だったのだから。

「……でも、それがわかったところで君の不利は変わらない。僕たちは宙に浮いてる状態で、君は水の中。溺れないように立ち泳ぎするのがやっと。この状況では、まともに戦うことなど……」

 ドゥの話がそこまで進んだ時。
 飛来した氷柱の矢が、四方八方から亜人に突き刺さる。頭部は氷結して弾け飛び、胴体は水中に墜落した。
 ……もちろん、やったのは私ではない。振り返りつつ見上げれば、そこにいたのは……。

「タバサ!」

########################

「フル・ソル・ウィンデ……」

 タバサのレビテーションで、私は水中から引き上げられた。
 横の『歩道』の、まだ崩れていない部分に、二人並んでストンと着地する。

「ありがと。久しぶりね、タバサ。……でも、なんだってあんたがこんな所に?」

 彼女とは以前何度か、色々な事件で関わったことがあった。
 彼女にはエルフの魔法薬で心を壊された母親がおり、母親を元に戻す方法を探して旅をしていたはずだが……。

「……それは、こっちのセリフ。あなたこそなぜ?」

 タバサが小首をかしげたのと同時に。

 ザバァッ!

 水の中から飛び出して来たのは、首を失った亜人!
 こいつ、まだ生きていたのか!?
 ……というより、二つの脳のうち片方は、頭部以外にあったのだろう。今は、そっちが体を動かしているに違いない。
 などと悠長に考えている場合ではなかった。
 慌てて杖を構える私とタバサ。
 しかし私たちが魔法を放つより早く。

 ボウッ!

 横手から出現した炎の蛇が亜人の体に巻き付き、それを燃やしつくした。
 首をそちらに向ければ、見知った顔が二つ。

「キュルケ! 姫さま!」

「やっぱりあなただったのね、ルイズ。……あら、タバサまで一緒じゃないの」

「ああ、ルイズ! わたくしのおともだち! 無事だったのですね! よかった……」

 近くに降り立った二人が駆け寄ってくる。
 特に姫さまは私に抱きつく勢いだが、ここは敵の本拠地。再会の抱擁はまだ早い。

「ルイズもアンも、なごんでる場合じゃないわよ。たぶん、もうすぐ敵が来るから……」

「そうでした。何か恐ろしいことを言っていましたわね」

 キュルケに言われて、姫さまが私から体を離した。
 私は彼女に問いかける。

「恐ろしいこと?」

「ええ。物陰でジッとしていたら聞こえてきたのです。『ほかにも侵入者が来た!』『しかたない、アレを使おう!』『海戦型は無理でも、陸戦型は使えるはず!』って……」

「ちょっと待って」

 姫さまの言葉を遮るタバサ。無口で無表情な彼女にしては珍しく、焦ったような顔をしている。

「アレを使う……って言ったの?」

「そうです」

「そうよ。あたしも聞いたわ」

 姫さまとキュルケが二人して頷くなり、タバサはつぶやくように言った。

「……逃げる……」

「……へっ?」

 思わず私は問い返す。

「逃げる! 急いで!」

 言うなり私たちの答えも待たず、タバサは魔法で浮き上がった。
 さっき私が『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』で開けた大穴から、外へ出ようというのだ。
 せっかく魔法も回復して、しかも四人が合流。さあこれから大暴れという状況なのだが……。

「わかったわ。……私たちも出ましょう、姫さま」

「あたしも賛成」

「……ルイズとキュルケさんが、そう言うのでしたら」

 小柄な少女のタバサではあるが、その外見とは裏腹に、彼女は実戦経験も豊富なスクウェアメイジである。そして、私やキュルケの実力もよく知っている。
 その上で『逃げる』と言ったのである。
 ここは、彼女の判断に従うのが最善であった。

########################

「……さて……誰から話す?」

 ドーヴィルの街のはずれにある小さな倉庫。
 私が荷物を隠していた場所だ。
 ここまで来れば、少しは落ち着ける。
 ……ということで、まずは現状の確認。

「あたしたちは……話すことと言っても、ほとんどないわね」

 キュルケの言葉に、姫さまも首を縦に振る。そのまま彼女が目で続きを促したので、キュルケが語り手を続ける。

「連中に捕まった後は、あのマゼンダって人に魔法を封じられて、アンと二人で小部屋に監禁状態だったのよ。何かの拍子に魔力が復活するかも、って思って時々呪文を唱えてチェックしていたら、今晩いきなり復活したの」

「それで本拠地内で暴れ回ってたのね?」

「そうよ」

 私の言葉に頷くキュルケ。これで彼女の話は終わりらしい。

「じゃあ、次は私かしら」

 無口なタバサは最後ということで。
 私が、ここまでの話をかいつまんで説明する。
 ジュリオの出現、指輪の獲得、マゼンダの襲撃、そして集会所への潜入……。

「始祖の指輪を四つとも手に入れたのですか!?」

 姫さまが反応したのは、そこだった。
 いや、姫さまだけではない。

「ねえ、ルイズ。ちょうど四人いることだし……山分けして一人一個ずつにしない?」

「馬鹿なこと言わないで、キュルケ。これ、四つ揃ってないと魔力増幅効果もないんだから……」

「いいじゃないの、もう魔法は回復したんでしょ。……ま、それはともかく、ルイズの話から考えて、そのジュリオって人がマゼンダをやっつけたのね」

「たぶん、ね。……詳細は不明だけど」

 すると、ここでタバサが口を挟む。

「……ジュリオなら、それくらい出来ても不思議じゃない」

「え? あんた、ジュリオのこと知ってんの!?」

 驚く私に向かって、タバサはコクンと頷いてから。

「私も彼に助けられた。でも彼は怪しい男」

 ジュリオとの出会いを、ポツリポツリと語る。
 小さな村で起こった怪事件。謎の神官ジュリオとの遭遇。邪教集団との『写本』争奪戦……。

「なるほどね。ジュリオの言ってたサビエラ村でのうんぬんかんぬんってヤツに、あんたも関わってたわけね」

 ジュリオが口にした村の名前を、ちゃんと私は覚えていた。名前を覚えられないサイトとは違うのだ。……そう言えば、サイトは元気かしら?

「ようするにルイズもタバサも、そのジュリオと一時手を組んだのね。……でも今の話だと、クロムウェルを倒して『写本』を手に入れたら、あなたとジュリオは敵になるのかしら?」

 キュルケの言葉に、タバサが頷く。
 タバサにしては珍しく、目が完全にすわっている。こりゃ本気でジュリオとやり合うつもりだぞ……。

「……け……けど……その『写本』に、タバサの必要な知識が書かれているかどうか……」

「……可能性は低い。それでも一応、見てみたい」

 あれ?
 タバサの口調にピンときて、私は再度質問する。

「可能性は低い、って……。もしかしてタバサ、何が書かれているのか、具体的に知ってるの?」

「……何が書かれているのかは判明した。でも、何が書かれていないのか、まだ判明していない」

 つまり、母親の心を取り戻す方法『も』書かれているかもしれない……と期待しているわけか。
 それよりなにより。
 どうもタバサ、なんだか少しもったいぶっているような……。

「……で? その『写本』の具体的な内容って、何?」

 キュルケも私と同じ感じを抱いたらしい。あらためて追求する。すると。

「かつて、その『写本』に書かれていることを試した者がいた。でも制御しきれず、ひとつの村が大変な目にあった。……あなたたちも知っているはず」

 タバサは憂鬱そうにため息をつくと、トーンを落としてつぶやいた。

「ザナッファー。タルブの村の魔鳥……」

########################

 おい。
 思わず沈黙する私たち。
 ザナッファー……。かつてタルブの村を蹂躙し、有名なブドウ畑を壊滅させた伝説の魔鳥……。
 畑を壊滅なんて言うと単なる害虫のようにも聞こえるが、そんな生易しいものではない。その『死骸』から作られた道具でさえ、今でも効果バツグン。剣は鋭い切れ味を見せるし、なんとフライパンまで武器になってしまう。
 そもそも、あの『ザナッファー』は……。

「ルイズたちは……知っているのですよね? その魔鳥の正体を……」

 姫さまの言葉が静寂を破る。
 そう。
 私たちはタルブの村での事件において、魔鳥の死骸と呼ばれる物を直接この目で見た。そしてサイトが一緒だったおかげで、知ることができたのだった。
 魔鳥ザナッファーとは、実はサイトの世界から召喚された戦闘兵器。世界中を巻き込む大きな戦争で大活躍した、空飛ぶ機械だったそうな。
 その破壊力は、ハルケギニアの武器とは比べものにならない。実際、残った『銃』の部分だけでも、強敵シェフィールド一派を倒すのに十分だったわけで……。

「ねえ、タバサ。それじゃ連中が言ってたアレって……」

 かすれた声で問うキュルケに、タバサが頷く。

「……おそらくザナッファー。ただし、今回は『魔鳥』ではない」

 そうだ。
 姫さまとキュルケの話では、陸戦型とか海戦型とか呼ばれていたらしいのだ。ならば『魔獣』やら『魔魚』やらが出てくるということか。

「サイトの合流が待ち遠しいわね……」

「あら、ルイズ。やっぱり寂しいの? サイトとルイズは……そういう関係?」

「ちゃかさないで、キュルケ! あんただって意味わかってるんでしょ!?」

「何よ、ちょっと場の空気を変えようとしただけじゃない。……はいはい、わかってますよ。サイトのガンダールヴの力があれば、今度のザナッファーの詳細もすぐに判明。どう戦うべきか対策も立てられる……ってことね」

「そうよ」

 と、ぶっきらぼうに私が頷いた時。

 ドグゥンッ!

 爆発音は、街の中央から聞こえた。

########################

 一度きりではない。
 爆発音は続く。

「何っ!?」

 私たちは、慌てて倉庫から飛び出した。
 街が燃え、夜空を赤々と照らしている。
 この辺りはまだ大丈夫だが、いつまでも安全は続かないだろう。

「砲撃されている!?」

 そう。
 何かが遠くから街を攻撃しているのだ。
 炎で明るくなったおかげで、少しは弾道もわかるのだが……。
 ……こりゃ、とんでもない距離から撃ってきてるみたいだぞ!?
 やがて。
 砲撃の音は止み、代わりに。

 キュルキュルキュルキュル……。

 街へ近づく音が聞こえてきた。
 そちらに目を向ければ……。

「あれが……」

 それは、巨大な鉄の塊だった。
 分厚い鉄板を作って組み上げられた箱が、二階建ての家くらいの大きさで、私たちを圧倒する。上の箱からは、長く太い砲身が突き出ていた。
 禍々しい迫力をもって迫り来る、破壊のための存在……。

「……陸戦型ザナッファー。くろがねの魔獣だわ」





(第四章へつづく)

########################

 昔のザナッファーを「ゼロ魔」原作にあるゼロ戦とした以上、今のザナッファーも「ゼロ魔」原作に出てきた物でないと。

(2011年6月17日 投稿)
   



[26854] 第五部「くろがねの魔獣」(第四章)【第五部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/20 22:25
   
「どういうこと? この街って……ふだん連中が暮らしてる街なんじゃないの!?」

 悲鳴を上げたのはキュルケである。
 その声が聞こえたわけではなかろうが、大きな鉄の塊から反応があった。
 メインである大きな下の箱の上面で、大砲つきの上の箱のちょうど横の辺り。小さなハッチらしき部分が開いて、『陸戦型ザナッファー』を操る者の一人が顔を出したのだ。

「教団に逆らう者たちよ! もはや街に残っているのは、お前たちだけだ! 街には避難命令が出ているからな!」

 これもザナッファーに装備された機械の効果なのか、とても聞こえるはずがない距離なのに、ハッキリ聞き取れた。
 叫んでいるのは、赤い覆面の男。同色のマントとローブを着込んでいる。おそらく、集会で魔王の腹心役をやっていた一人だ。『魔獣』に乗ってきたということは、『獣王(グレーター・ビースト)』のつもりかもしれない。
 などと考えているうちに。
 鋼鉄の魔獣は進軍を停止し、大砲を私たちへと向けた。
 こちらの姿は街の建物に紛れてわからないだろうと思っていたが、魔獣は精巧な『目』を持っているらしい。

「おとなしく降伏してください!」

 今度は上の箱の上面が横にずれて開き、別の乗り手が上半身を外気へさらす。
 おや? この男は……。

「このザナッファーの照準は、信じられないくらい高い精度です。この距離でも命中します。私は……シャルロットお嬢さまたちを傷つけたくはありませぬ。どうか降伏してください!」

 集会の後で私に声をかけてきた、親切そうな彼だ。今は沈んだ表情で首を振っているようだが、私は見ちゃいなかった。彼が口にした名前に驚き、タバサに顔を向けたからである。

「タバサ、彼も知り合い……?」

「……トーマス。屋敷のコック長の息子だった。小さい頃はよく遊んでもらった」

 なるほど。昔のタバサの家の使用人だというのなら、なーんとなく事情も想像できる。
 父親を殺されて母親の心も壊されて、タバサの家は、もうおしまい。使用人は散り散りになっただろうし、中には、落ちぶれて悪い連中の仲間となった者もいるはず……。

「すでに父は他界しましたが、最後までお嬢さまの身を案じておりました。私はゴロツキのような暮らしをしておりましたが……」

 おいおい。
 こんな戦場で、自分語りを始めたぞ!?

「……喜捨院を営むギルモアさまに拾われ、立派な仕事を与えられました。富んでいる者から金を巻き上げて、貧しい人々に配るという賭博場で、手先の器用さを活かして働いていたのです。ところが、そこが王政府に潰されてしまい……」

 私は覚えている。リッシュモンに付き従っていた亜人が、ギルモアと呼ばれていた。
 ジュリオが出てきた際に、カジノがどうのこうの、と言っていたはず。あのギルモア、元々は人間だったのね。
 ようするにトーマスは、ギルモア共々、今度はクロムウェルの教団に拾われた。ギルモアは亜人にされてしまったが——たぶん脳移植——、トーマスは人間のままで、『手先の器用さ』を活かしてザナッファーのメイン操縦者となったわけだ。
 ……ザナッファーはサイトの世界の兵器。それを操れる者は、このハルケギニアではごく少数に違いない。

「……もういい!」

 赤覆面が叱責の声を上げ、トーマスの話を中断させる。

「いつまで昔話をしておるのだ! まさか……逃げる時間を奴らに与えているわけではあるまいな!?」

「いいえ、そのようなつもりは……」

 ふむ。
 どうやらトーマスくん、いまだに少し、タバサに対する忠誠心が残っていたようである。 
 そして、こうやって彼が時間を稼いでくれたおかげで。

「ほら! 見ろ!」

 叫びながら、慌てて引っ込む赤覆面。
 続いて、トーマスもザナッファーの中へ。 
 ほぼ同時に、ザナッファーに直撃する火炎の球。キュルケの魔法攻撃だ!
 ……いや、キュルケだけではない。タバサが氷の矢を放ち、姫さまが水の塊をぶつける。
 しかし。

「フワッハッハ……! その程度の魔法、この魔獣ザナッファーには通用せんわ!」

 再びパカッと蓋を開けて、誇らしげに顔を出す赤覆面。
 悔しいが、彼の言うとおり。
 ザナッファーの装甲は、私たちの魔法など、ものともしなかった。もっと近づいて強力な魔法を叩き込めば効くかもしれないが……。

「しょせん貴様らの魔法は、その程度! しかし、こちらの攻撃は……」

 赤覆面は、最後まで言い切れなかった。
 横手から突然、強力な炎が彼を襲ったのだ!
 あっというまに黒コゲになり、ポテッとザナッファーの筐体内部に落ちる赤覆面。
 これをやってくれたのは……。

「フレイム!」

「サイト!」

 キュルケと私が、それぞれの使い魔の名を叫ぶ。
 そう。
 ザナッファーの右側から迫る援軍は、火トカゲの背に乗るサイト。
 使い魔コンビの到着である!

「ルイズ! 戦車の弱点はキャタピラだ! 足を止めてしまえば、ただの鉄の塊になる! ……あと、戦車は真上からの攻撃にも弱いぞ!」

 サイトが大声で叫んだ。『戦車』というのが、この『陸戦型ザナッファー』の本来の名称なのだろう。
 言われてみれば、全体が鋼鉄に覆われた魔獣だって、『足』の部分は柔らかそうな素材だ。大砲も前後左右は攻撃できるが、上には向けられない構造らしい。

 キュルキュルキュル……。

 サイトの接近に気づいて、動き出すザナッファー。重そうな見た目から想像するほど、そのスピードは鈍くはない。
 先に倒すべきと判断したらしく、魔獣は、私たちではなくサイトたちへ大砲を向けた。いったん停止して砲撃。しかし、なんとか回避するサイトたち。どうやら、動いている物体を狙うのは難しいようだ。
 そして、魔獣がサイトたちの方をかまっているうちに……。

「ルイズ! あなたは足の方をお願い!」

「わかってる!」

 私たちも走り出していた。
 サイトが教えてくれた弱点は二つ。ならば手分けして攻めればよい。
 キュルケとタバサは、魔法で空へ。上から攻撃魔法を叩き込むつもりだ。
 一方、飛べない私はエクスプロージョンで『足』を狙う。正面からでは難しいが、ちょうどサイトと相対する間に、魔獣はその側面を私たちに向ける形になっていた。

「あの……私は?」

「姫さまは、後ろで見ていてください! ……えーっと、『水』魔法が使えるのですから、何かあった時のためのヒーリング要員ということで」

「はあ。邪魔だから下がっていろ……というわけですね」

 ぶっちゃけてしまえば、そういうことだ。姫さまも魔法飛行は得意なはずだが、もう危険な最前線で戦ってもらう状況ではない。
 ……魔獣退治は、時間の問題となっていた。

########################

「結構あっけなかったわね。……あたしたちが強すぎるのかしら?」

「軽口は止しなさい、キュルケ。サイトの情報のおかげよ」

 たしなめる言葉をかける私だが、内心では彼女に同意する。
 伝説の魔獣であるはずのザナッファーは今、私たちの目の前に、その屍をさらしていた。
 サイトの言った『キャタピラ』部分を私のエクスプロージョンで破壊して、動けなくなったところをキュルケとタバサが上から魔法攻撃。
 上部装甲も硬かったが、前面部ほどの強度はなかったようで、炎や氷が内部に届いた。本体後部にあった可燃性の機関に引火したらしく、『戦車』は途中で爆発炎上。焼けただれた鉄の塊と化したのである。
 中に乗っていたトーマスも、致命傷を負ってしまった。一応タバサの知己でもあるし、救い出してはみたものの……。

「……どう?」

 タバサの短い問いかけに、姫さまが無言で首を横に振った。
 このメンバーで、もっとも『水』魔法が使えるのは姫さまだ。彼女が治癒できないのであれば、もう助からない。

「トーマス……」

 タバサが小声で、彼の名前を口にする。いつもどおりの無表情であるが、その心の内は、いかなるものか。

「シャルロットお嬢さまに看取られるとは……これも何かのご縁でございましょうか……」

 火傷で引きつった手を、力なく伸ばすトーマス。それをタバサが優しく握る。

「お嬢さま……お気をつけ下さい……。海戦型ザナッファーは……陸戦型よりも……恐ろしい物を……」

 そこまでだった。
 ゴフリッと血を吐くと同時に、彼の瞳から光が消える。
 ……トーマスの最期である。
 両手を胸の前で組ませて、立ち上がるタバサ。
 その肩を、サイトがポンと叩いて。

「久しぶりだな、タバサ。……元気だったか?」

 明るい口調で、遅ればせながら再会の挨拶。しんみりした雰囲気を嫌ってワザとやっているのか、あるいは、天然で空気が読めていないのか。
 背中を向けたままタバサが小さく頷くと、サイトはさらに。

「そう言えばさ。タバサも使い魔がいたよな? 姿が見えないけど……どうした?」

「……帰った」

 言われてみれば、前にタバサと別れた時は、使い魔の韻竜が一緒だったっけ。
 主人のメイジをほっぽって『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の管理をしているという、非常識な使い魔だ。また、そちらの仕事に戻ったのか……。

「ねえ、ルイズ。世間話してる場合じゃないんじゃない?」

 私に声をかけてきたのはキュルケ。これは正論だ。

「そうね。海戦型ザナッファーとやらは、あの洞窟にいるんでしょうけど……。だからといって、逃げるわけにはいかないもんね」

「ルイズの使い魔さんが来た以上、もう大丈夫なのでしょう?」

 姫さまが単純な意見を述べる。
 たしかに、陸戦型ザナッファーをアッサリ倒した私たちならば、恐れるものは何もない……と言いたいところだが。
 トーマスの死に際の言葉が、少し気にかかる。
 陸戦型よりも恐ろしい物を……どうだと言うのだろう?
 などと私が考えていると。

「その洞窟というのが、教団の本拠地なのかい?」

 背後からの突然の声。
 姫さまは驚きの表情を浮かべ、キュルケとサイトは思わず身構える。
 タバサの顔は見えないが、どうせ彼女は無表情だろう。

「……いつからそんな所にいたの? ジュリオ」

 私は振り向きもせずに言った。

########################

「来たばかりだよ」

 言いながら、私たちの顔を見回して。

「おやおや。虚無の妖精さんだけじゃなくて、雪風の妖精さんまでいるじゃないか。それに……こちらがトリステインの王女さまかな?」

 とろけるような微笑みを浮かべるジュリオ。
 男であるサイトはともかく、それなりの美人であるキュルケまで無視されているようだが……。
 私や姫さまの横では、ツェルプストーの『微熱』も霞んで見えるのね。うん。
 そのキュルケが、姫さまに何か耳打ちしている。

「だまされちゃダメよ、アン。こういう色男の笑顔って、あんまり信用できないものだから」

「大丈夫ですわ。気持ちのこもらぬ笑顔というものは、王宮内でさんざん見てきましたから」

「……なかなか手厳しいことを言うね」

 ジュリオの顔が苦笑に変わる。

「とりあえず私は御礼を言っておくわね。ありがとう、ジュリオ。おかげで魔法も使えるようになったわ。……で、マゼンダはどうしたの?」

「……倒したよ」

 あっさりした口調で言う。

「どうやって……?」

「それは秘密だよ。男は、秘密の多い生き物だからね」

 ウインクするジュリオ。詳しく語るつもりはないらしい。

「それよりも……もう一度聞くが、その洞窟というのが、教団の本拠地なのだね?」

「そうよ。海に面した洞窟」

 今さら隠しても仕方があるまい。どうせ、すぐ近くなんだし。

「ではそろそろ……みなさんとはお別れした方がよさそうだね」

「どういうことだ? そろそろも何も、お前、来たばかりじゃん」

 ペコリと一礼したジュリオに、訝しげな言葉を投げかけるサイト。
 ジュリオは、肩をすくめつつ。

「僕はただ、虚無の妖精さんとの約束だから、ここへ来ただけさ。……勘違いして欲しくないんだが、僕は『仲間』ではなく、『敵ではなかった』というだけ。敵の本拠地も判明し、その戦力もかなり削った以上、もう馴れ合う必要もないだろう?」

 言ってクルリときびすを返すのに、やおらタバサが後ろから、ローブの裾を引っ掴む。

「あの……放してくれないかな?」

「だめ」

 あっさり首を横に振り、

「抜け駆けは許さない」

 そうなのだ。
 ジュリオとタバサは、『写本』争奪の競争相手。ついでに私も、その中身には少しばかり興味がある。

「しかたないな……」

 ヒュウッと口笛を吹くジュリオ。
 すると。

 バサッ!

 上空から、巨大な風が吹き付けてくる。
 見れば、一匹の青い風竜が私たちの真上に来ていた。ジュリオの風竜アズーロだ。
 いつのまにやら、その背にはジュリオが乗っている。

「では、またどこかで会いましょう!」

 そう挨拶して、飛び去るジュリオとアズーロ。

「ちょっとタバサ! なんで離しちゃったのよ!?」

「……離してない。前にも同じようなことがあった」

 言ってタバサは、握った形のままの右手をまじまじと見つめる。

「えぇえいっ! 何はともあれ、放ってはおけないわ! 私たちも行くわよ!」

 異議を唱える者など、いるはずもない。
 洞窟へ向かって、私たちも走り出した。

########################

 私たちが海岸洞窟から脱出するのに使った大穴は、まだ開いているはず。そこから飛び込んだ方が、水路沿いの歩道を進むよりもラクであろう。よしんば大穴が塞がっていたとしても、また開ければいい……。
 そう思っていたのだが。

「ここから再潜入するつもりなのは、わかっていた。……しかしあいにく、お前たちの好きなようにさせるわけにはいかん」

 穴の近くにズラリと並んだ教団員たち。
 ざっと見渡して、二十人ばかりであろうか。
 覆面姿の者もいれば、普通の人間っぽい外見の者もいれば、亜人ベースのキメラもいる。
 そして、それらを率いているのは……。

「リッシュモン! また……あなたですか!」

「姫殿下、あなたもあなただ。おとなしく捕まっていればよかったものを、逃げ出して大暴れするとは……。幼少の頃のおてんばが、まだ直っていないようですな」

「冗談を言わないでください! あなたは……」

 何か言いかけた姫さまだったが、不敬にもリッシュモンが遮ってしまう。

「まったく困ったお人だ。……報告がありましたよ、せっかくのザナッファーも壊してしまったのでしょう? 苦労してようやく動かせるようになった『魔獣』なのに……」

 やれやれといった感じで、軽く肩をすくめる。 

「姫殿下。もう一度捕えて差し上げますので、どうか歯向かったりなさいませぬよう。私としても、あなたを傷つけたくはないのですから」

「……そりゃそうよね。商品価値が下がっちゃうもんね」

 二人の舌戦に、私が口を挟んだ。
 リッシュモンは、別に姫さまの身を案じているわけではない。姫さまを売りとばす魂胆があるからこそ、売り物を大切に扱いたい……。ただそれだけなのだ。

「小娘は黙っておれ。どこの貴族かは知らんが……姫殿下の漫遊につきあっているくらいだ、お前たちもそれなりの家柄なのだろう? 二束三文にしかならん、ということもあるまい」

「呆れた。この男、あたしたちまで売りとばすつもりなのね。……そんなにお金が好きなのかしら?」

 ゲルマニア出身のキュルケに言われるのだから、よっぽどである。ゲルマニアは、貴族の位すら金で買えるというくらい、成金の国なのに。

「フン。お前たちが王女に忠誠を誓うことと、私が金を愛すること、そこにいかほどの違いがあると言うのだ? よければ講義し……」

 リッシュモンの言葉がそこまで進んだ時。

 ズグゥンッ!

 聞き間違えようのない爆発音が、地面の下から響いて来た。

「……ど……どういうことだっ!?」

 キョロキョロと辺りを見回すリッシュモン。
 どういうことも何も。
 私たちの足の下には、ちょうどアジトの洞窟があるはず。中で誰かが暴れているということだ。
 リッシュモンは、突然ハッとした顔になって、

「……あいつは!? あの坊主はどうしたっ!? ……そうか、そういう作戦だったか!」

 勝手に一人で納得すると、急いで大穴に跳び込んだ。

「……リ……リッシュモン様っ!?」

 慌ててあとを追う教団員たち。
 ……何しに出てきたんだ、お前ら。
 戦わなくてすむならば、こちらにとっては好都合だが。

「ルイズ、わたくしたちも行きましょう!」

 リッシュモンの顔を見て、妙にやる気が出てきたのであろうか。
 号令をかける姫さまに従って、私たちも大穴に突入した。

########################

 騒がしい気配や止まらぬ爆音を頼りに、海辺の大洞窟を進む五人と一匹。
 さすがに連中の本拠地だけあって、時々、亜人キメラやら覆面男やらが出てくるが……。
 私にキュルケにタバサに姫さま。こちらはメイジが四人、さらにサイトとフレイムもいるのだ。私たちの行く手をふさぐには、まったくもって不十分であった。
 やがて。

「この奥が……怪しいわね」

「いよいよ、って感じね」

 赤茶けた金属製の扉を開けると、それまでとは雰囲気の異なる通路が続く。
 あちこちに魔法の明かりが灯っているし、壁も自然の岩肌ではなく、石のタイルで覆われていた。
 居住区なのだろうか。小部屋が並んでいるようで、左右の壁には扉が多数。そのうちの一つから出て来た人影は……リッシュモン!?
 思わず足を止める私たち。
 彼も一瞬、チラリと視線をこちらに走らせるが、

「……ちいっ」

 舌打ち一つで、奥へ走って行く。もう私たちに構っている場合ではないようだ。

「追うわよ!」

 再び走り出す私たち。
 彼の背が、ひときわ大きな扉の向こうに消えた。
 駆け寄ったが……開かない!

「だめだわ、『アンロック』でも無理」

「じゃあ、どいて!」

 私はキュルケを押しのけて、杖を振る。頑丈な扉だったが、エクスプロージョンに耐えられるほどではなかった。
 中に入ると……。

「礼拝堂かしら?」

「そうみたいね。……まつってあるのは、始祖ブリミルじゃないけど」

 奥には小さな祭壇があり、あまり実物には似てないが、赤眼の魔王(ルビーアイ)シャブラニグドゥの像も設置されていた。
 そして、向かいにもう一枚の扉。
 リッシュモンは、その扉に手をかけたところだった。
 ……さては!

「『写本』はこの部屋に隠してたのね! それを持って逃げる気!?」

「ふっ」

 余裕の笑みで振り向きながら、リッシュモンは扉を開き……。
 顔を戻した彼の前には、一人の男が立っていた。

「……きさまっ!?」

 杖を手にするが、もう間に合わない。

 ぽんっ!

 コミカルとさえ言える音を立てて、リッシュモンの頭が真横に吹き飛んだ。
 血しぶきが魔王の像を紅く染め、残った体は、その場にズルリと崩れ落ちる。
 その向こうから姿を現したのは……言うまでもない、神官ジュリオ。
 一体いつの間にリッシュモンから奪ったのか、彼の手には、一枚の羊皮紙が握られていた。

「……ふむ……」

 しげしげとそれを眺めてから、彼は満足そうに頷いた。

「間違いなく『写本』だな。まんまと陽動にかかってくれて助かったよ」

 なるほど。
 ジュリオが洞窟内のあちこちを攻撃していたのは、慌てた連中が『写本』の回収に向かうと踏んでか。

「……渡して」

 静かな口調で言うタバサに、ジュリオはゆっくり頭を振る。

「いくら雪風の妖精さんの頼みでも、それは聞けないな」

「あんた自身で使うから……ってこと?」

 私が冷たく問いかける。
 誰もジュリオとの間を詰めようとはしない。
 彼が一体どんな技でリッシュモンを倒したのか、私たちにはわからないのだ。
 錫杖を手にしているが、それを振るった様子はなかったし、そもそもジュリオはメイジではない。以前は『魔血玉(デモンブラッド)』を使っていたようだが、それも今は私の指にある。

「いやいや。『ザナッファー』を召喚しても、僕には扱えないからね。あれは……本来は『ガンダールヴ』のための『槍』だ」

 ……なんだって!?
 いきなりの新情報で、私が驚いている間に。

「だから心配することはないよ、妖精さんたち。僕は『写本』を悪用しない。代わりに……こうするんだ」

 彼は、手の中で『写本』をクシャッと丸めて……。

 ボッ!

 瞬間、それは燃え上がり、灰と化す。

「ジュリオ!」

 思わず声を荒げるタバサ。
 しかしジュリオは、彼女にウインクしながら、

「『写本』は邪道だよ。『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』は正しく使おう」

 言い捨てるなり、ふわりと身をひるがえし、扉の外に姿を消す。

「待ちなさい!」

 あとを追うべく足を踏み出す私たちだが、すぐに止まった。
 たった今ジュリオが消えた扉の向こうに、ふたたび人影が現れたのだ。
 ただし今度は一つではない。
 クロムウェルと、その取り巻きの亜人キメラたち数名。
 彼らの視線は、足下に横たわるものに注がれている。

「……リ……リッシュモン!」

 たとえ頭が吹き飛んでいても、着ているものと体格からわかったのだろう。
 ヨロリとクロムウェルは膝を折るが、すぐに顔を上げる。その目には憎悪の光が灯っていた。

「……きさまたちだな……きさまたちがリッシュモンを……」

「違うわよ」

 一応訂正する私。

「さっきあんたたちも見たでしょ。この部屋から出てった男。あいつよ」

「……くだらん嘘をつきおって……」

 彼はユラリと立ち上がり、

「ここから出てきた者など誰もいなかったぞ……。『写本』はどうした?」

 問われたところでこちらは困る。
 ジュリオとすれ違っていないというなら、今出ていった奴が燃やした、と言っても信用しないだろう。

「……いいだろう……」

 妙な笑みを浮かべてポツリとつぶやく。

「力づくで聞き出してやる!」

 言って小さなナイフを取り出した。
 それを合図に、動き出す亜人キメラたち。
 戦闘開始である!

########################

 ……といっても、特筆するほどのこともなかった。
 クロムウェルは、かつてレコンキスタを率いてアルビオン王家を打倒した男であるが、武人として有名なわけではない。私たちの前に出てきて戦うこと自体、愚の骨頂であった。
 ましてや、こちらには姫さまがいるのだ。元レコンキスタ司令官など、ウェールズ王子の恋人であった姫さまから見れば、それこそ仇の張本人。他の亜人キメラは完全無視、姫さまの魔法攻撃は、ひたすらクロムウェルに向けられる。
 その結果。

「……きさまら……よくも……」

 壁際に追いつめられ、扉の横にガックリと座り込むクロムウェル。
 すでに体はボロボロで、右腕は肩口からスッパリ斬り落とされていた。『水』も使いようによっては鋭利な刃物になる、ということだ。姫さま、本気出したら結構恐いのね。

「おい、おまえたち!」

 クロムウェルは、傍らに佇む亜人キメラに声をかける。
 もはや二人しか残っていないが、二人とも、最後まで教祖を守ろうと必死に戦っていた。

「この場でこいつらを引き留めろ!」

 言いながら、なんとか立ち上がるクロムウェル。
 左手で傷口を押さえているが、出血は止まらない。
 はて、そんな体で、まだ私たちと戦うつもりなのだろうか……?

「私は『第二神殿』へ行く! 御神体を……『魔竜の卵』を使う!」

 その言葉に、亜人たちが一瞬硬直する。

「……い! いけませんっ! クロムウェル様!」

「あれを使っては、俺たちまで……」

 いきなり抗議の声を上げる。
 ……なんだ? とうとう、この二人にも見限られたのか?
 当のクロムウェルも、そう思ったようで。

「ええい、私に逆らうというのか!? お前たちも……また私を追い出すのか!?」

 キレてるぞー。たぶん、これは。
 錯乱したような口調だが、おそらくレコンキスタでの経験とゴッチャになっているのだろう。
 せっかく王家を倒したのに、アルビオン共和国の中枢からは追い落とされたクロムウェル。それがトラウマになってるっぽい。

「ならば、もうおしまいだ! この教団もろとも……トリステインを死の国に変えてやる! 地獄への道連れだ!」

 そのままクルリと背を向けて、すぐ横の扉から姿を消す。

「クロムウェル様!」

 ロコツにとまどう亜人コンビ。

「ちょっとあんたたち! 一体どういうことなのよっ!?」

「黙れっ! きさまらなどに……」

 何やら喚きかける片方を、もう片方が制し、

「こんな連中に構っている場合じゃない。俺たちも逃げるぞ」

「え? でも、今からじゃ間に合わないんじゃ……」

「ここにいたら死ぬのは確実だ!」

 ピシャリと言い切り、クロムウェルと同じ扉から出ていってしまう。
 誰しも必死になれば驚くべき能力を発揮するようで、私たちが対応できないほどの素早さだった。

「……なんだか……あたしたちも逃げた方がいいみたいね?」

「悠長なこと言ってる場合じゃないでしょ、キュルケ! クロムウェルが何するつもりか知らないけど、とにかく止めるわよっ!」

 言って私たちも走り出した。

########################

 追跡は難しくなかった。
 床に散らばったかなりの量の血が、確実に、私たちをクロムウェルのもとへと導く。
 血痕は、私たちも通った、あの赤茶けた扉を抜けて……。
 海から続く水路へと出たところで、終点となっていた。

「……水の中?」

 なるほど、一見、彼は水中に没したようにも思われる。
 でも。

「違うわ。たぶん……あれじゃないかしら?」

 キュルケが指さしたのは、大きな水面に浮かぶ小島。
 おそらく、クロムウェルの言っていた『第二神殿』なのだろう。
 天然の岩山ではなく、人工の建造物らしい。自然物にはありえないほどに、きちんとした円筒形である。塔のようなものが中央から生えており、そこにある扉が、開いたままになっていた。
 よく見れば、入り口近辺が血で汚れている。間違いない、クロムウェルは……あの中だ!

「行きましょう!」

 魔法で飛べるものは自分で、飛べないものはレビテーションをかけてもらって。
 私たちは、その『小島』へと渡り……。

「おい、これは……!?」

 後ろでサイトが叫ぶ。
 振り返ると、『小島』に触れたサイトの左手が光っていた。
 ……ということは!?

「サイト、もしかして……」

「ああ。これは岩山なんかじゃねえ。潜水艦だ」

「サイトさんの世界のものなのですか?」

 尋ねる姫さまに、サイトが丁寧に答える。

「そうだよ、アン。海に潜るためのフネだ」

「どうして海の中に潜るのです?」

「敵に見つからないようにするため」

「敵?」

「戦争に使うフネなんだよ。だから俺のルーンが光るんだ」

 ここまで聞けば、明白だった。

「つまり……これが『海戦型ザナッファー』なわけね?」

 私の言葉に、サイトは無言で頷いた。

########################

「……でも、これがザナッファーだって言うなら安心ね。だって……これ、もう動かないでしょう?」

 キュルケの言うとおり。
 錆び錆びでボロボロのフネである。潜水艦というのがどんなに凄い武器だったのかは知らないが、もはや役には立たないはずだった。

「そうだな。じゃ、なんでルーンが光ったんだ?」

 不思議そうなサイト。
 お前にわからんなら、誰にもわからんぞ。
 ……と思ったら。

「こいつの中に入ってみればわかるよ。どうやらこのフネ自体は死んじまってるみたいだが、中にある『モノ』がまだ生きてるみてえだね」

 サイトの背中から、デルフリンガーが意見を述べる。

「中にあるモノって……?」

「さあね。おりゃあ、そこまではわからん。でも、なんかとてつもねえものということはわかる。さすがの俺も震えるぐらいにね」

 それを聞いてハッとする私たち。

「『魔竜の卵』……!」

 クロムウェルが使うと言っていたモノ。部下のキメラたちが恐れていたモノ……。

「こんなところで立ち話してる場合じゃないわ! 急ぐわよ!」

########################

 中の床にはクロムウェルの血痕が続いており、道を間違える心配はなかった。
 杖の先に明かりを灯して、それを頼りに私たちは進んで行く。
 明かりの中に浮かぶのは……何だろう?
 何かの表示器具やら、丸い輪っかやら、鉄の管やら。私たちにはわからない物だらけで、なんだか禍々しい雰囲気が漂ってくる。

「このフネも、あの『陸戦型ザナッファー』と同じ理屈で動いているのかしら?」

「どーなんだろ」

 キュルケの素朴な疑問に、サイトは答えられない。彼の知識の限界を超えているようだ。

「違うね。こいつは油なんかで動いちゃいないね」

 デルフリンガーがサイトの代わりに答える。
 ガンダールヴのための剣だけあって、サイトに引っ付いていれば、武器のことはわかるらしい。『陸戦型ザナッファー』の仕組みや構造も、あの一度の戦闘で見抜いたのだろう。

「こいつはあれだね。物質を構成する小さい粒が、小さい粒にぶつかって起こるエネルギーで動いてるのさ」

 魔剣のセリフで、サイトの表情が変わる。何か思い出したのか……?

「原子力!」

 飛び上がらんばかりに、サイトが叫んだ。

「ルイズ! キュルケ! タバサ! アン! フレイム! 出ろ! ここにいたらやばい!」

「ちょっと、サイト! どうしたのよ!?」

「えっとな! 簡単に言うと、毒がいっぱいなんだよこのへんは!」

 あ。
 こんな狭いところで暴れるから、天井に頭ぶつけた。 

「いでっ! でも放射能を浴びたら! こんなもんじゃなくて!」

「でーじょーぶだよ、相棒」

 そんなサイトに、デルフリンガーが取りなすように言った。

「何が大丈夫なんだよ。お前、放射能の怖さをなんも知らんくせに!」

「いや、おりゃあ確かにそのホウシャノーとやらはわからんけど、大丈夫だってのはわかる。この『フネ』には、もう燃料を供給する棒っきれがないみたいだね」

「じゃあとりあえず被曝はしないってことか」

 なんだか納得したらしい。
 しかし、安心するのは早かった。

 ビーッ!

 突然、警報が鳴り出し、壁に赤いランプが灯る。

「燃料切れじゃなかったのかよ!? 予備電源ってやつか!?」

「仕組みはどうでもいいわ! それより……これはどういう意味!?」

 サイトに聞くしかなかったが、彼が答えるよりも早く。

「たぶん……クロムウェルって奴が、中にあった『モノ』を起動させたんだろーぜ」

 とんでもないセリフをアッサリと述べるデルフリンガー。
 私たちは、一瞬顔を見合わせてから。

「行くわよ! 急いで何とかしなきゃ!」

 今さら逃げても、たぶん間に合わない。ならば、止めるしかない!
 私たちは、奥へと走るスピードを上げた。

########################

 奥へと辿り着くと、そこは礼拝堂のように装飾されていた。
 なるほど、ここを『第二神殿』と呼んでいた以上、こういう部屋があっても不思議ではない。ただし今度は、赤眼の魔王(ルビーアイ)シャブラニグドゥの像ではなく……。

「おまえら……猿かよ……。こんなものを祀りやがって……」

 サイトのつぶやきの意味は、私にはわからない。だが彼の視線は、私と同じく、それに向けられていた。
 御神体として置かれていたのは、金属製で出来た円筒形の物体。クロムウェルの言うところの『魔竜の卵』だ。

「フフフ……。おまえたちも道連れだ……」

 言いながら、ゴフッと血を吐くクロムウェル。
 彼は『魔竜の卵』にもたれかかる形で倒れていたが、

「もう……止められないぞ……」

 そのセリフを最後に、息を引き取った。
 あれだけの傷を負っていたのだ。ここまで来るのが、やっとだったのだろう。一人では死なんという執念のたまものか……。

「サイトさん、これは何なのです?」

「どうしたってのよ。いったい」

「……教えて」

 青い顔で立ちすくむサイトを見て、姫さまとキュルケとタバサが心配そうに声をかける。

「……このフネは、ロシア製の原子力潜水艦だったんだ。ここにあるのは……」

 ゆっくりと歩み寄って、それに左手を当てながら。

「東西冷戦の遺物……。人類が作り出した最強の武器……。爆発すれば街一つ、いや都市一つ軽く消滅するような、破壊力の塊……」

 サイトは、それの名前をつぶやいた。

「核兵器だよ。これ」

########################

「破壊力だけじゃない。さっき言ったろ、放射能だ。毒をいっぱい巻き散らすんだ。それが風に乗って……とにかく凄く広い範囲に、影響を及ぼすんだ」

 頭を抱えてうずくまりながらも、その恐ろしさを解説するサイト。

「さすがに連中も、弾道ミサイルを発射することは出来なかったんだな。でも直接爆発させることは可能だった。きっと元々は、敵地に運んで、そこで直接起動させる予定だったんだろうけど……とうとうヤケになって……」

「サイト! しっかりしなさい!」

 言葉を叩き付けると同時に、私はサイトの横っ面を引っぱたいた。
 サイトも錯乱しているのであろうが、今は彼だけが頼りなのだ。

「娘っ子の言うとおりだな。相棒、この際、仕組みはどうでもいいだろ。問題は、どうやって止めるかだぜ?」

「そうよ! あんたなら……止め方もわかるんじゃないの!?」

「ぶつことないだろ、ルイズ。でも、おかげで思い出したぜ。……昔のアニメ映画でやってた。発射された核ミサイルでも、斬るべきポイントを斬れば、止められる……って」

 立ち上がったサイトの瞳には、強い意思が宿っていた。
 私には『アニメ映画』という言葉はわからないが、今のサイトは信じていいと直感する。

「ああ、間違いない。爆発まで、あと数分くらいある。それまでに……ここを叩き斬ればいい!」

 再度それに触れて、確認するサイト。

「じゃあ、さっさとやっちゃって!」 

「ああ!」

 力強く叫んで、サイトは剣を構えた。
 そして……。

「えいっ!」

 ガキンッ!

 円筒の表面にかすり傷をつけた程度で、剣は止まる。

「……サイト?」

「ダメだ、斬れねえ……」

 えぇぇぇっ!?
 あれだけ自信たっぷりな態度だったくせに!
 サイトはガックリと跪く。

「どうやら……剣では無理みたいだ……」

「相棒! 心を震わせろ! おめえさんはガンダールヴだ!」

「震わせたさ! 思いっきり、な! これ以上どうしろってんだ……」

「バカ犬! 簡単に諦めちゃダメよ! 一太刀で斬れないなら、斬れるまで何度もチャレンジしなさい!」

「いや、それはそれで危ないんだよ。こう、一気にスパッと斬ってこそ、中の回路も切断できるのであって……斬れもしないのに何度も剣をぶつけるんじゃ、叩いてるのと同じだ。下手したら、時間になる前に爆発しちまう!」

 サイトは、首を横に振りながら、絶望的な声を上げる。
 うーん。
 一気にスパッと、というのであれば……。

「じゃあ、あたしが!」

「私も!」

 キュルケやタバサが『ブレイド』を唱えて、杖に魔力を纏わせる。
 伝説の剣であっても、しょせんデルフリンガーは金属製の剣。デルフリンガーでは斬れなくても、魔法の刃なら斬れるかもしれない……。そう考えたらしい。
 さいわい、サイトの一撃で表面に筋が刻まれており、どこを斬るべきなのかは一目瞭然。だからキュルケとタバサがチャレンジしたわけだが……。
 ダメだった。
 だいたい、キュルケもタバサも、日頃『ブレイド』なんて使っていない。この非常時にいきなり使っても、文字どおりの付け焼き刃だったのだ。

「一応、わたくしも……」

 姫さまもやってみたが、やっぱり無理。

「ああ、もうどうしたらいいのよ!? こんなところであなたたちと心中だなんて、あたし嫌よ!?」

 叫んでいるのはキュルケ一人。でも、おそらく想いは皆同じ。
 そんな中。

「……みんな、どいて」 

 私が静かに言い放った。

「え? ルイズ……あなたは『ブレイド』も使えないでしょ?」

「爆発させてはダメなのですよ、ルイズ?」

「そうだぞ! 吹っ飛ばせばいいってわけじゃないんだ。放射能っていう毒があるから……」

「……『解除(ディスペル)』も効果ない。魔法じゃないのだから」

 みんなして私を止めようとするので、大声で叫ぶ。

「いいから、どきなさい!」

 私の気迫に、ズズッと引きさがる一同。

「デルフリンガーでも斬れない。『ブレイド』でも斬れない。ならば……それ以上の切れ味の刃を用意するまでよ!」

 今こそ『魔血玉(デモンブラッド)の出番だ。
 魔力増幅の呪文を唱えて……そして!

########################

「……天空(そら)のいましめ解き放たれし……凍れる黒き虚無(うつろ)の刃よ……」

 魔力増幅バージョンの『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』を放った時の経験から、私には手応えがあった。

「……我が力……我が身となりて……共に滅びの道を歩まん……」

 使えるはずなのに使えなかった魔法。私の魔力容量が足りないせいで発動しなかった魔法。それも使えるようになったのだ、と。

「……神々の魂すらも打ち砕き……」

 呪文が完成する。
 私は、その呪力を解放した。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

########################

 叫んでかざした私の杖に、漆黒の闇の刃が形成される。
 この術、使っている間じゅう魔力を食い続けるらしく、強力な脱力感が体を襲う。
 それもそのはず。
 これは、私の秘奥義『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』と源を同じくする……金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)の力を借りた術なのだ!
 ……まあ……重破爆(ギガ・エクスプロージョン)と比べればかなりコントロールもしやすく、たぶん暴走することもないはず。
 持続時間の短さゆえ、普通の戦闘には不向きであるが……こういう状況ならば!

「いっけぇぇぇっ!」

 絶叫と共に振るった虚無の刃は。

 スパーン……。

 驚くほどアッサリ、やすやすと恐怖の円筒を切り裂いて……。
 その脅威を終わらせたのであった。

########################

 潜水艦から出て、さらに洞窟からも出た私たちは、思わず空を仰ぎ見る。
 夜の闇は薄れつつあり、空も白み始める時間帯になっていた。

「あたしたち、また世界を救っちゃった気分ね」

「……気分だけじゃない。本当に世界を救った」

 上を向いたまま、言葉だけを交わすキュルケとタバサ。
 姫さまは、私の方に歩み寄り、

「大変な事件でしたが……これが旅というものなのですね。王宮にいては世間知らずになるのも当然ですわ……」

 いや、姫さま。それは少し違う。
 普通の人々が旅していても、こんなヤバイ事件には、そうそう出くわさないと思う……。
 でも、もうツッコミを入れる元気もない。
 やはり金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)の術だけあって、『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』を使った私は、もうエネルギーがカラッポ。『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』の時とは違って、髪の色こそ変わっていないが、歩くことも立ち上がることも出来なかった。仕方がないので、今はサイトに背負われている。

「なあ、ルイズ」

 そのサイトが首を曲げて、私に話しかけてきた。
 背負ってくれているのだから、無視するわけにもいくまい。

「……何?」

「結局、ルイズの魔法で凄い刀を作って、それで斬ったわけだろ。だったら……前みたいに、デルフに魔法かけてもよかったんじゃねえか? 新しい魔法なんて試さなくても……」

 あ。
 言われてみれば。
 そうやって魔剣デルフの切れ味を上げる手もあったのか。
 ……あの場では、そこまで冷静に頭が回らなかった。なんだかんだ言って、みんな焦っていたし、いっぱいいっぱいだったのだ。

「まったくだ。なんでそうしないのか、不思議で仕方なかったぜ」

 私たちの会話に参加してきたのは、いつもはサイトの背中にあるデルフリンガー。定位置を私が占有しているため、今はタバサが持ってくれている。

「なんだよ、今頃になって言うなんてずるいじゃねえか。本当にわかってたなら、あの時教えてくれよ。こっちは必死だったんだぞ!?」

「わりい。俺っちが言わずとも、娘っ子なら気づくと思ったから……」

「……わ、わざとよ。新しい魔法を試すには、良い機会だったから……」

 そういうことにしておく私。
 こうして口を開いてみると、しゃべる元気も少しは回復してきた感じがする。ついでに、私はタバサに声をかけてみた。

「……けど結局、『写本』は手に入らなかったわね……」

「……構わない」

 がっかりしてるかな、と思ったのだが、そうでもないのだろうか。あるいは、強がっているだけか。
 何しろタバサなので、表情からは読み取れない。

「ジュリオが言っていた。『写本』は邪道、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』を使え……と」

 ……あ!

「あなたは始祖の指輪を手に入れた。『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』さえ見つければ、そこから始祖ブリミルの知識を学べる」

 この言い方だと、タバサは当分、私の旅に同行する気っぽいな……。

「……けどまあ、これでこの件は片づきましたね」

 ホッとした口調で言う姫さま。
 リッシュモンの死やら、クロムウェルの死やら、姫さまとしては思うところも多々あるはず。だが、それは胸の内に収めて、あえて笑顔で言っているのだ。
 しめくくりの言葉のつもりだったようだが、キュルケが無粋な言葉をかぶせる。

「確かに……片づいたわね。話はややこしくなってるけど……」

 思わず沈黙する一同。
 ジュリオのこと、そしてクレアバイブル……。
 考えたらキリがない。
 それに……。
 今は、とにかく疲れた。こんな頭では、考えるだけ無駄。難しいことは、明日考えよう。
 ……疲労が急に、ドッと押し寄せてきて。
 サイトの背中で、私は心地良い眠りについたのであった。





 第五部「くろがねの魔獣」完

(第六部「ウエストウッドの闇」へつづく)

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 というわけで今回のボス敵ザナッファーは、「ゼロ魔」原作20巻に出てきた原子力潜水艦&核ミサイル。少し無理のある展開でしたが、こうでもしないと、目玉であるはずの新魔法が不要になってしまいますし。
 なお、このSSでは「スレイヤーズ」の『竜破斬(ドラグ・スレイブ)』『重破斬(ギガ・スレイブ)』を『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』『重破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』に変えていますが、それらと同様に、『神滅斬(ラグナ・ブレード)』は『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』としました。……「ゼロ魔」には『ブレード』ではなく『ブレイド』という魔法がありますから。

(2011年6月20日 投稿)
    



[26854] 番外編短編6「少年よ大志を抱け!?」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/23 23:20
   
「……以上で、私、『ゼロ』のルイズの講義を終わらせてもらいます」

 私が一礼するとともに、会場内に拍手が満ちる。
 アルビオンの玄関口とも呼ばれるロサイス、そこから少し離れた小さな街。フラリと立ち寄った私とキュルケは、その地の魔法学院から臨時講師を頼まれたのだった。
 魔法学院といっても、トリステインやリュティスにあるような有名校とは違う。貴族の子弟が通う学び舎であるから『魔法学院』と銘打たれているが、教師にはロクなメイジもいなかったらしい。

「あの……でも私もキュルケも、まだ学生のメイジなんですけど……」

「それは承知しておりますが、『ゼロ』のルイズの名前くらい、私も聞き知っておりますからな。こういう情勢なだけに、学生たちには、実戦経験豊富なメイジの話が必要なわけですよ」

 そうまで言われてしまえば、断るいわれもない。
 アルビオンに来たのは、新しい体制に変わった国を見てみようか、という程度の好奇心ゆえ。特に用事があったわけではなかった。
 それに、魔法学院の宿舎は、街の安宿なんかよりも遥かに過ごしやすいし……。
 というようないきさつで、私は教壇に立ち、本日無事に、一週間の日程を終了したのだ。
 トリステインの魔法学院には籍を置くだけで、まともに通ったことなどない私だが、聴衆は同世代の学生メイジ。どんな話をしたら彼らが退屈に感じるか、あるいは逆に何を面白がるのか、だいたいの想像はつく。
 私の講義が成功だったか否かは、この、くそやかましいほどの拍手の音が物語っている。

「あなたの方も上手くいったみたいね」

「ええ。……そっちも?」

「もちろんよ」

 他の部屋でやはり講義をしていたキュルケと、教室を出たところで合流して。
 少し暖かくなった懐と、かなりの満足感を胸に、私たちは田舎の魔法学院をあとにした。
 ……とまあ、これで終わればただそれだけの話なのだが……。

########################

「やあ。ねーちゃん」

 彼が声をかけてきたのは、町外れのメシ屋で、私とキュルケがランチをぱくついている時のことだった。
 声に振り向く私の前に立っていたのは、金髪の男の子。歳の頃は十歳くらいで、膝まで届く灰色のマントを羽織っている。

「あれ? あんた……」

「知り合い?」

 ジョッキに入った麦酒を空けながら、キュルケが尋ねる。

「たしか講義を受けていた……」

「うん。ジムっていうんだ」

 やたら元気よく答える少年。
 名前までは知らないが、ちょっと印象に残っていた。
 魔法学院の学生たちは、同学年だからといって同い年というわけではなく、中には、やたら若い子供もいる。それでも彼は幼すぎると思ったし、何より、着ている服が他の学生とは少し違っていたのだが……。
 なるほど、この時間に外をウロウロしているところから見て、学院の生徒ではなかったわけね。
 そういうモグリが許されたのも、私がゲスト講師だったからか、あるいは、国の体制が変わったことと関係するのか、それとも、元々いい加減な学校だったのか……。

「ねーちゃんの講義おもしろかったぜ。オレ感心しちまった」

「まー、それほどでも」

 羊肉の煮込みをかじりながら、一応謙遜してみせた。
 アルビオンは酒も料理もまずいという評判だが、この店の味はマシな方である。

「オレさあ、今はまだ魔法使えないけど、将来は凄いメイジになりたいんだ」

 ……ん? 魔法が使えないということは……。

「あら。それじゃ、あなた、貴族の子弟ではないのね」

 おかわりのジョッキを給仕のメイドから受け取りつつ、キュルケが軽く言葉を挟む。
 麦酒なんて私の口には合わないのだが、キュルケは平気らしい。

「うん。森の孤児院で暮らしてる。死んだママの話だと、オレって貴族の血を引いてるかもしれないんだってさ」

 おいおい。
 そういうことは大きな声で言わない方がいいと思うのだが、まだ子供だからわからないのだろうか?
 なにしろ。
 貴族と平民の間には、大きな身分の違いがあるのだ。平民が軽々しく貴族を詐称したら、大問題となる。
 いくらアルビオンが王制から共和制に変わったとはいえ、新政府は貴族議会。つまり、いぜんとして貴族の国家のはずである。

「森の孤児院……? それなら、こんなところで油売ってちゃダメでしょ。早く森に帰りなさいな」

「大丈夫さ。オレ、おつかいにきたんだ。国がゴタゴタして、あんまり商人が来てくれなくなったから」

 街まで買い物に来たついでにハネを伸ばす、ということか。子供の頃からそんなことをしていると、ロクな大人にならんと思うぞ。

「それで、もう一日か二日くらいは街にいられるから……」

 キュルケとの会話は終わりとばかりに、彼は私の方を向いて。

「オレ、ねーちゃんに弟子入りする!」

「はあ!?」

「『ゼロ』のルイズって呼ばれるくらい、ねーちゃんも昔は魔法が使えなかったんだろ? だからオレが教わるには、ちょうどいいと思ってさ!」

 そういうことか。
 このジムという子供、たぶんメイジの血なんて引いちゃいない。母親のホラ話を信じて、自分もメイジなのだと思い込んでいるだけ。普通は、ある程度大きくなれば、親の言うことが真実ではないと気づくのだが、残念ながらその前に親が死んでしまったのだ。
 そりゃまあ、両親は健在でも、変な妄想に取り憑かれたまま育つ者はゴマンといる。だから彼を責める気にはなれないが、つきまとわれてはたまらない。お子様同伴では、盗賊いじめも出来なくなってしまう。

「おっほっほ! ずいぶんと気に入られたようね、ルイズ。子供同士でなかなかお似合いよ」

 自分は大人ですという意味なのか、豊かな胸をツンと突き出して、ポーズを決めるキュルケ。
 しかしジムは、彼女を正面から見据えて。

「ねーちゃんだって、まだ子供じゃないか。……だいたい、その程度のおっぱいじゃ自慢にもならないよ、そんなんじゃフガフガも出来やしないから。今度オレの住んでる森に来てごらん、本物の……究極のおっぱいってものを見せてやる」

 子供らしからぬ、下卑た暴言を吐くジム。
 ……なんだ、その究極のおっぱいって。究極とか至高とか、女性の胸にそういうランク付けをするのは、まったくもってけしからん。
 だが、それにしても。
 キュルケの胸を「その程度」と言ってのけるとは、なんと贅沢な。
 馬鹿にされたキュルケは、怒りを通り越して、驚き呆れている。
 ぷぷぷ……。
 と、内心でキュルケのことを笑っていたら。

「……だからさ、赤毛のねーちゃんは黙っててよ。オレが用事があるのは、こっちのゼロ胸ねーちゃんなんだ」

「……ゼ……ゼロ胸!?」

 ごきゅしっ!

 私のキックに、なぜかキュルケまで便乗。
 華麗なまでの連係攻撃となった。

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「あたしはキュルケおねえさん」

「私はルイズおねえさん。さあ、言ってごらんなさい、ジム」

「……うぶぶぅっ……ごべんなざい……ぎれーなおねえぢゃんだぢ……」

 よしよし、だいぶ素直になった。
 やっぱし子供には、教育というやつが必要である。特に孤児であるというなら、なおさらである。

「とにかくね、ジム。私は弟子なんて取るつもりはないの」

「そう言うなって。口ではそんなこと言っても体は正直なもんだぜ」

「……どこで覚えた、そんなセリフ」

「マチルダ姉ちゃんが持ってた本に書いてあった。女の子に言うことをきかせる時は、こう言えばいいんだって」

 ……誰だ、そのマチルダ姉ちゃんって。子供の目につくところに、変なこと書いた本を置くんじゃない……。

########################

「ねーちゃん、頼むよー」

「……」

「じゃまにはならないからさー」

 街の中央、露天商が立ち並ぶ大通り。
 先ほどから十分邪魔になりながら、彼はしつこく私たちの後をつけ回している。
 なんとかまきたいところだが、子供のすばしっこさというのは、これでなかなか馬鹿にできない。

「ねえ、ルイズ。このまま素知らぬ顔で街を出てしまいましょうよ」

 そんな提案をしながら、魚のフライを口に運ぶキュルケ。
 そこの屋台で買った軽食であり、歩きながら食べる想定で、紙に包まれている。でも、アルビオンは空に浮かぶ国だというのに、どこで魚なんて調達しているんだろう?
 ……それはともかく。
 こうして私たちが食べ歩きしているのは、別に食いしん坊だからではない。国が劇的に変わったのを見にきたのだから、そんな中でもたくましく商売を続ける露店に興味を示すのも、当然なわけで。
 ……絶対違う、とか、言い訳するな、とか、ツッコミを入れないで欲しい。

「そうねえ……」

 お芋の揚げ物をかじりながら、私はキュルケに応じる。魚フライのサイドメニューだが、素朴な味がして、これはこれで悪くない。

「それでも、ついてきちゃうんじゃない?」

「いいじゃないの、別に。元々この街の子供じゃないんだし。孤児なんだし」

 それもそうか。
 ここの貴族の子供を街の外に連れ出せば、私たちが誘拐犯あつかいされそうだが、さいわいジムは違う。
 あんまり帰りが遅くなれば、孤児院の方から街に連絡があるかもしれないが、さすがに、その前に自分で帰るだろう。本人が「もう一日か二日くらいは街にいられる」と言っていたように、その辺は自覚しているはず。……いや、している、と信じたい。
 というわけで。
 子供は無視して、私たちは露店で買い食いを続けていたわけだが。

「なー、ねーちゃん」

「……」

「二人だけでくっちゃべってないで、オレにも返事くらいしてくれよぉ」

 あまりにもうるさいので、少しだけ相手してやる。
 ただし、突き放すような口調で。

「あのねぇ……。あんた私に弟子入りしたいとか言ってるけど、自由な時間は、せいぜい一日か二日だけなんでしょ?」

「そうだよ! だから一日で覚えられるコツをお願い!」

 世の中なめたガキである。
 一週間も講義をしてやったというのに。
 そもそも、生まれつき魔法が使えない平民は、どう頑張っても無理なのだ。
 ……まあ、それを言ったところで「貴族の血を引いている」と思い込んでる子供には無駄であろう。
 だから。

「……授業で教えたことが全部よ。あれ以上は何もないわ。まじめに全部聞いてくれたあなたは、もう修了。はい、卒業おめでとう」

 適当に太鼓判を押して終わらせようとしたのだが、思いもよらぬ返しが来た。

「でもオレ、ねーちゃんの話、途中からしか聞いてないよ」

 ……へ?
 言われてみれば、教室で彼の姿を見たのは、最後の一日か二日だけだった気もする。
 なるほど、ジムは森から街まで買い物に来ただけなのだから、ここに一週間も滞在しているわけがないのだ。

「ルイズ、もう面倒だから、もう一度講義をしてやったら? ……聞きそびれた部分の話を全部聞けば、この子も満足するんじゃないかしら」

 キュルケは簡単に言うが、また同じ話をするのも面倒だ。
 だいたい、それで追っ払えるという保証もないし、報酬もらって講義した内容をタダで話すのもシャクに障る。
 それくらいならば、いっそのこと……。

「ねえ、キュルケ。ちょっとお願いがあるんだけど……」

「何?」

 私は、思いついたプランをキュルケに耳打ちした。

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「準備OKよ、ルイズ」

 中央広場でベンチに腰をかけ、桃りんごを口にしたところで、キュルケが戻ってきた。私の頼み事のために、一時、別行動をとっていたのだ。
 当然というかなんというか、ジムは私の方につきまとったまま。今も隣にすわって、勝手に皿から蛇苺をつまんでいる。
 そのフルーツ盛り合わせの皿を、私はキュルケの方に突き出した。

「ありがと、キュルケ。これ、御礼よ」
 
「何よ、ルイズ。食べ残しじゃないの」

 ちょっと顔をしかめて文句を言いながらも、キュルケはオレンジに手を伸ばす。
 たしかに私とジムが半分以上食べちゃったので、パッと見では、そう見えるかもしれない。

「食べ残しじゃないわよ。そんなこと言うなら、あげないから!」

「あら、いらないとは言ってないじゃない」

 三人でつついたら、あっというまに皿はカラになった。

「じゃ、行きましょうか」

 言いながら立ち上がる私。
 さて、出発である。

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「なー、ねーちゃん」

「……」

「このまま歩いてるだけじゃ、修業にも何にもならないよぅ」

 文句たれのジムを連れたまま、私たちは街を出た。
 私の「弟子入りしたければ黙ってついてきなさい」の一言で、しばらくは静かになったのだが、長くは続かなかったようだ。子供というのは、そんなもんである。
 鬱陶しいが、もう少しの我慢だ。
 そう思って歩き続けると、やがて街道の左側に大きな森が見えてきた。ガサゴソと音も聞こえてきて……。

「女子供だけで旅行中か? 危ねえなあ」

 現れたのは、傭兵とおぼしき格好の一団。数は十数人ほど。全員が弓矢や槍などで武装していた。

「な、なんの用だ!?」

 小さいながらも、自分は男の子だという自負があるのだろうか。少し怯えた声で、それでも私たちの前に出るジム。
 私とキュルケは、顔を見合わせる。ちょうどいいから、とりあえずジムに任せよう、という同意が交わされた。

「教えてやるぜ、小僧。まだアルビオンは物騒でな。王党派と貴族派の争いは終わったが、だからこそ、仕事にあぶれた傭兵が、そこらじゅうをウロウロしてるのさ」

 知っている。
 中には、はした金でつまらない仕事を請け負う連中もいるくらいだ。

「なんだよ!? おまえたちも、その、あぶれた傭兵か!?」

「ああ、『元』傭兵だ。終わっちまったから、本業に戻るのさ」

「本業?」

「盗賊だよ」

 と一人が言うと、何がおかしいのか、残りが笑った。

「俺たちがついてたほうは、負けちまったからな。報酬はパァ。だからせめて本業で稼がねえと、メシも食えねえってわけだよ」

 ……なるほど。なかなかリアルな役作りである。
 まあ、本当に元々は盗賊だったのかもしれないが、実はこいつら、今は単なる三文役者。傭兵くずれを、私たちが『盗賊』役として雇ったのだ。
 つまり。
 お子様連れて盗賊退治は無理……ではなく、その無理をやってみせようということ。実際に盗賊退治の現場に連れて行けば、ジムも怖がって諦めるはず。でも、さすがに本物の盗賊を相手にするのは危険なので、偽物を用意したわけだ。
 さて、そろそろ私の出番だろう。

「ジム。私に弟子入りしたいというなら……この程度の連中、あんた一人でやっつけなさい」

「ええっ!?」

 驚きの声を上げるジム。
 『盗賊』たちも、あっけにとられて一瞬絶句したが、すぐに、

「この程度の連中……だと!?」

 怒ってます、という素振りを見せる。なかなかの演技力だ。

「でも、ねーちゃん! オレ、まだ魔法使えないんだよ!?」

「メイジだって、精神力がつきれば魔法は撃てなくなる。そうなったら、素手で戦うしかないの」

「それにね。弟子入りっていうのは、無理なことを『試練』と称してやらされて、できなけりゃ『やはり無理だったか』でおしまい、運よく成功したら『もう教えることはない』って追い出される……。そんなものよ」

 フォローにならんフォローをするキュルケ。
 すると、ジム少年は、怯えた表情を振り払って。

「わ、わかった。そういうことなら……」

 懐から、一本の木の棒を取り出す。剣だか杖だかのつもりらしいが、構えがなっちゃいない。

「オレ、強くなるんだ。強くなって、テファ姉ちゃんを守ってやるんだ……」

 自分に言い聞かせるように、ブツブツとつぶやくジム。
 ああ、そうか。
 彼が口にしたのは、たぶん孤児院で世話になっている女性の名前なのだろう。アルビオンの治安が悪いのであれば、孤児院のある森にも盗賊が来るかもしれず、それに備えて強くなりたいわけだ。
 ただの子供の英雄願望で「凄いメイジになる!」って言ってたわけじゃなかったのね。
 ……と、ちょっと感動する私とは対照的に。

「なんでぇ? このガキが相手してくれるって言うのかい?」

 盗賊たちは、ゲラゲラと笑い出す。

「ガキじゃない! オレはジムってんだ!」

 威勢良く突っかかっていくが……。

 げしっ!

 当然のように、返り討ちである。
 蹴るわ殴るわ踏みつけるわ。
 ボコスカという音が文字どおり聞こえてくるくらい、一方的にやられている。
 ……ちょっとやりすぎじゃないかしら?

「ねえ、もうその辺でいいんじゃない?」

「そうよ。少しくらいなら痛めつけてもいいって言ったけど……。あなたたち、限度ってものを知らないようね」

 私とキュルケが諌めるが、『盗賊』たちは低俗な笑いを浮かべるだけ。

「はあ? 何の話だ?」

「打ち合わせしたでしょ! 言ったとおりに出来ないなら、金は返しなさい!」

「なんだ、こいつら? 盗賊の俺たちから、金を巻き上げようってぇのか!?」

 私たちが杖を構えたのを見て、彼らもジムを放り出し、こちらに武器を向ける。
 ……あれ? こいつら、もしかして……。

「ねえ、キュルケ。この人たち……本当にキュルケが雇った傭兵くずれなの?」

「え?」

 連中から視線を逸らさずに、声だけをキュルケに送る。
 視界の隅で、キュルケがギギギッと首を回したのが見えた。

「さあ……? 盗賊の顔なんてみんな同じに見えるから、私には何とも……」

 美男子や気になる男なら、絶対に顔も忘れないくせに。
 アルビオンの盗賊など、そんな扱いか。

「……あの……ひょっとして……」

 おずおずと私は尋ねる。今度の相手は、キュルケではなく、正面の男。

「あんたたち……本物の盗賊団なわけ?」

「ハッ。偽物の盗賊団なんてやる奴いるのかよ!?」

 ……なるほど。
 出てきたタイミングがタイミングだったので誤解してしまったが、こいつら、仕込みの偽盗賊ではなく、本物だったわけか。

「それなら……手加減する必要もないわね……」

 と、私が杖を振りかぶった時。

「杖を捨てろ!」

 いつのまにか。
 連中の一人が、ジムにナイフを突きつけていた。
 意識を失ってグッタリしたジムは、逃げられるわけもない。

「なーに、悪いようにはしねぇよ。お前たちは結構、別嬪だ。俺たちゃ商品に傷はつけねえ」

 どうやらこの盗賊たちは、人さらいを生業にしているらしい。

「ガキの命が惜しければ、言うことを聞け。……おっと、呪文を唱えようとするなよ。そっちが唱え終わるより早く、ナイフがガキに突き刺さるぜ」

「メイジの呪文詠唱は時間がかかる。それくらい俺たちも知ってるんだ」

「そこがメイジの弱点だからなぁ。ハッハッハ……」

 自分たちの優位を疑わず、笑い声まで立てる盗賊たち。
 でも、残念でした。

「イル・フル」

 ちゅどーん。

 どんなに短い呪文詠唱でも、なんでも爆発。『ゼロ』のルイズの本領発揮である。
 ジムを捕えていた盗賊が、ジムごと吹っ飛んだ。

「あなたたち馬鹿じゃないの? 呪文詠唱に時間がかかるのは、大技だけよ」

 私に続いて、今度はキュルケ。彼女の杖から飛び出す『炎球』が、次々と盗賊たちを焼いていく。
 もちろん私も、黙って見ているだけじゃない。二発三発と爆発魔法を打ち込み……。
 やがて。
 その場で動いているのは、私たち二人だけになった。

########################

 アジトを吐かせて、そこにあった僅かなお宝を没収した後で。
 私たちは、街の役人に盗賊たちを突き出した。
 ジムは結構なケガを負っていたので、街の治療所に担ぎ込んだ。治療費も私たちが払うしかなく、盗賊から巻き上げたお金の大部分が早くも消えてしまった。
 結局ジムは、私たちと関わったばかりに、せっかく自由に使えたはずの時間をベッドで過ごすことに。意識不明の彼を放置するのも気が引けるので、私たちも付き合う羽目に。
 そんなこんなで、街の出口で彼と別れたのは、二日後の朝のことだった。

「ありがとう、ねーちゃんたち」

 ありがたくなさそうな顔で、一応の礼を述べて去っていくジム少年。さすがに懲りたのか、メイジになるという大志も終了したらしい。

「ねえ、ルイズ。こんなんだったら……おとなしく一日師匠をやってたほうが早かったんじゃない?」

「それは言わないで、キュルケ……」

 私たちも、ジムも、盗賊も。
 誰も何も得をしなかったような気がする。
 三方一金貨損、という言葉があるが……。なんだか、もっと損した気分だ。
 めでたくなし、めでたくなし。





(「少年よ大志を抱け!?」完)

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 この番外編を書くにあたり、第三部で『マチルダ』という名前を出していないことを、あらためて確認。

(2011年6月23日 投稿)
   



[26854] 第六部「ウエストウッドの闇」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/26 22:36
   
 ……つけられている……。 
 そのことに気づきながらも、私は知らん顔のまま一人、夜の道を行く。
 宿を出てからずっとである。
 私はそのまま歩調を変えず、まっすぐ町外れへと向かった。
 こんな夜中でも、まだやっている酒場があるらしく、ざわめきが風に乗って流れてくる。
 それもだんだんと小さくなり……。
 やがて私は、街の外へ。
 森を抜ける街道に出たちょうどその時、雲が二つの月を覆い隠す。
 辺りに深い闇が降りたのを好機とみて、私は気配を殺し、手近な木の陰に身をひそめた。
 尾行の気配は、だんだんと近づいてくる。
 そして、再び月が顔をのぞかせ……。

「姫さま!?」

「あわぁぁぅっ!?」

 私の声に驚いて、思わず悲鳴を上げる彼女。

「ルイズ!? 驚いたじゃないですか!」

「驚いた……って……。姫さまが黙ってついて来るもんだから、てっきり敵かと思っちゃったんですよ!」

「だって! ルイズが宿を抜け出すのが見えたから……。前に言っていた、盗賊退治にでも行くのかな、って思って」

「うっ……」

 いきなりまともに図星を指され、一瞬言葉に詰まる。

「……そ……そうですわ! だいたい、盗賊いびり倒しに行く、って以外の理由で、女の子が夜中に一人で宿を抜け出す、なんてことは普通はありません!」

「そういうものなのですか?」

 私の言葉を素直に受け取る姫さま。
 それもどうかと思うので、私は少しつけ加える。

「もっとも、男漁り大好きな『微熱』のキュルケあたりに見つかったら、誤解されるかもしれませんが。……けど姫さま、まさか私を止めに来た、なんて言うつもりじゃないですよね?」

 しかし彼女は、きっぱり首を横に振って。

「いいえ。わたくしも一緒に行きます」

「……え?」

「だってルイズ、これも旅というものなのでしょう? ……わたくし一人では少し恐いですけれど、おともだちのあなたが一緒ならば安心ですわ」

 ニッコリ笑う姫さま。
 ……はあ。
 これは反対しても無駄なようだ。
 姫さまを危険な目にあわせるのは気が進まないが、かといって今さら宿に戻る気もしない。

「……わかりました。ただし、おたからの分け前は半分ずつですよ」

########################

 かくて……。
 真夜中の森に、攻撃魔法の花が咲いたわけだが。

「うーん。思ったより儲からなかったですね……」

 宿屋へ帰る道すがら、私は不満を口にした。

「あら、いいじゃないですか。わたくしたち、お金に困っているわけではないのですから」

 これが姫さまの認識である。
 姫さまは一国の王女だし、私だって公爵家の令嬢。たしかに、カネに困るような身分ではない。しかし、姫さまは一つ、大事なことを忘れている。

「あのぅ……。姫さま……私たちの旅費がどこから出ているのか、御存知ですか?」

「旅費……ですか?」

 そう。
 旅をするには、何かとお金がかかるのだ。特に姫さまが仲間に加わってからは、なるべく良い宿を選ぶようにしているし。
 ……姫さまも、ようやく思い至ったらしい。

「……あの……ひょっとして……」

 沈痛な表情で、私は大きく頷いた。
 異世界出身な上にクラゲ頭のバカ犬サイト。
 前々から私にたかる癖のあった色ボケキュルケ。
 何を考えているのかよくわからない無表情タバサ。
 私に言われるまで旅費のことなど頭になかった姫さま。
 この一行で、誰がどこから稼いでくるというのだ!?
 それで私は仕方なく、こまめに宿を抜け出して、近隣の盗賊退治にいそしんで、稼ぎを蓄えているというわけなのだ。

「ああ、ルイズ! 旅というのは大変なものなのですね……」

 今さらのようにつぶやく姫さま。
 この機会に少し、こういう話をするのも悪くはないのだが……。

「姫さま、待って!」

 私がストップをかけ、姫さまは思わず足を止めた。
 不思議そうな顔で、私に尋ねる。

「どうしたのです?」

「……います。何かが」

 夜の森。虫の声。なんだかわからん鳥の声。
 特に怪しい気配もないが、それでも私は感じ取っていた。
 ……いるのだ、たしかに。
 完全に気配を隠せるほどの使い手……つまり強敵だ。
 私は姫さまと背中合わせに、ゆっくりと杖を構えた。
 その瞬間。
 虫の声が消え、沈黙が夜の森に落ち……。
 そして殺気が吹き付ける!

「来た!」

 闇を駆け抜ける影ひとつ!
 あわてて爆発魔法をぶつける私、しかしかわされる!
 影が走る。
 私は夢中で呪文を連発する。
 が……。
 迫る影の手が、私に伸びる。

「くっ!」

 とっさに後ろに跳ぶ私。
 影は何やら呪文を唱え始めたが……。

 ドウッ!

 後ろに吹っ飛ぶ影。
 魔法を完成させる前に、水の塊をくらったのだ。姫さまの攻撃である。
 ようやく影の動きが止まった。

「何者です!」

 問いかける姫さまの言葉に答えたのは、影ではなく、私の方だった。

「私の知ってる奴です。……動きに見覚えがあります……」

 言って私は、それをにらみつける。

「……あんたにだけは再登場して欲しくなかったわね……暗殺者『地下水』……」

########################

「これが!?」

 彼女は『地下水』から目を離さぬまま叫んだ。
 ……姫さまだって見たことあるでしょうに……。
 とは言っても、以前と同じく全身黒ずくめの服で、目の部分だけを覗かせて、顔も黒い布で覆っている。暗殺者なんぞ大抵こんな格好だし、姫さまに見分けがつかないのも無理はないかもしれない。
 それに、考えてみれば、姫さまはあの時、もっぱら反対側で別の奴らを相手にしてたんだっけ。こいつと戦ったのは、主に私とサイト。片脚を痛めた上に両腕を失って敗走したのだが……。
 ……きっちし復活してやがんの……。
 たしかに、以前も大ケガした翌日に平然と出て来ていたから、腕のいい水メイジと知り合いなのは間違いない。そもそも、外見が男になったり女になったり、杖なしで魔法を使ったり、という非常識なバケモンである。これくらいで驚いていては、キリがないかもしれない。

「何しに出てきたのよっ!? あんたに私の殺しを頼んだ依頼人は、もういないわよっ! 私たちが倒しちゃったからっ!」

 たぶん無駄とは思いつつ、私は一応言ってみる。
 帰ってきた答えは、ミもフタもなかった。

「前金はもらった。仕事はまだだ」

 ……とことん困ったプロ意識である。

「困った話ですね……」

 ほら、姫さまも私と同じ感想を……。

「あなたのような悪者が、このトリステイン国内を跳梁跋扈するなんて……わたくしには許せません!」

 ……あれ?
 微妙に私とはポイントが違う。
 だいたい、すでに私たちはトリステインを出て、ここはガリアの領内のはずなのだが……。姫さま、わかってなかったのね。

「トリステインの民の安全のためにも、あなたのような者は、このわたくしが……」

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 ねちねち続く彼女の口上をさえぎって、私は杖を振り下ろす。
 私の生んだエクスプロージョンの光が、暗殺者へと向かう。どうせ避けられるだろうが、かわしたところで第二撃を叩き込んでやる!
 そう思って、次の呪文を唱え始めた時。

 ドワッ!

 突然『地下水』手前の地面が盛り上がり、私の魔法に対する盾となった。
 ……『土』魔法で防御したのか!?
 この『地下水』、杖を使わずに魔法が使えるだけあって、なんとも戦いづらい相手である。ブツブツ小声で呪文を唱えるだけで、予備動作なしに魔法を撃ってくるのだ。
 しかし。
 手数ならば私だって負けていない。
 
 ゴゥッ……ゴゥンッ……!

 小さなエクスプロージョンを連発で放つ。
 『地下水』の土の盾など、一撃で破壊される。それでも構わず、暗殺者は、次々と作り出しているようだが……。

「きゃあっ!?」

 姫さまの悲鳴だ。
 しまった! 土の壁は目くらましだったのか!?
 ……私のエクスプロージョンのせいで、周囲一帯、モウモウと土煙。それでなくても、『地下水』は向こう側にいたのだ。私は完全に姿を見失っていた。
 その間に『地下水』は、姫さまを攻撃したらしい。さきほどのような邪魔はさせない……というつもりか。
 私と一対一ならば必勝って自信があるのだろう。……なめたマネを!

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……」

 私は『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』の呪文詠唱を始めた。
 これならば、土の壁などものともしない。大技一発で、防御壁ごと吹き飛ばしてやる!
 詠唱に時間かかるのがタマに傷だが、今の私は神経を研ぎすましている。『地下水』が攻撃してきても、気配を読んでかわせばよいだけのこと!
 案の定。
 来た!
 私目指して走る『地下水』。手を伸ばすが、そんなものに私がつかまるはずもなく……。
 ……え!?
 避けようとした私は、その場から動けない。いつのまにか地面から生まれた土の手が、私の足首をガッシと掴んでいたのだ。
 これは『アース・ハンド』! この『地下水』、以前とは戦い方が少し違う!? 今日は、やたら『土』魔法を多用してくるぞ!?
 まずい!
 暗殺者の手に握られたナイフが、私の目の前に迫り……。

 ……ザンッ!

 小さな音を立て、草が揺れる。
 気がつくと、『地下水』は大きく後ろに跳び退っていた。
 ……どういうつもりだ!?

「サウスゴータ地方のウエストウッド村まで来い……」

 暗殺者は低い声で言った。

「……来なければ……誰かが死ぬ」

 言い捨てるなり、いきなりクルリと身をひるがえし、そのまま闇に溶け消える。
 しばし茫然と佇む私。

「……一体……なんでいきなり……?」

「援軍が来たからじゃないかな?」

 声はいきなり、私の真後ろからした。

「ぅどわっ!?」

 慌てて私が振り向けば、神官姿の人影ひとつ。

「……ジュリオ!?」

 私は思わず声を上げていた。

########################

 そう……。
 そこに立っていたのは、ロマリアの神官ジュリオ。邪教集団を相手取った事件で知り合ったのだが、ひとことで言えば、怪しい神官である。

「やあ、ひさしぶりだね。ルイズ、そしてアンリエッタ王女。……けど、あの程度の相手はルイズひとりで倒してもらわないと、この先が思いやられる」

 彼が普通に呼びかけたように。
 暗殺者の一撃をくらった姫さまも、軽く意識がとんでいたようだが今は復活して、普通に立ち上がっていた。

「ジュリオさん。助けていただいたことには感謝しますが……あなた、いったいどういうつもりなのですか? わたくしたちの前に平気な顔で出てくるなんて……」

「そうよ! 私たちは『写本』にあんまりこだわってなかったから、まだいいけど……タバサなんて、もぉ、カンカンに怒ってるわよ!? ……たぶん」

 無表情タバサの内心なぞ読みにくいものだが、理屈で考えれば、そのはずである。

「……そうか……困ったなあ、それは……」

 あんまり困ってなさそうな口調で苦笑いするジュリオ。苦笑すら絵になる美少年なわけだが、私も姫さまも、そんなものには騙されない。

「……で? 『この先が思いやられる』って言い方からすると、何か企んでるんでしょう?」

「もちろん……」

「秘密なのですか?」

 横から口を挟む姫さまに、彼はニッコリ笑みを浮かべ、手袋に包まれた右手の人さし指を立ててみせる。

「そのとおりです」

「……あ……そう……」

 私は小さくつぶやいた。
 たぶん今これ以上、こいつにつっこんで聞いても無駄だろう。

「そいじゃあ質問変えるけど、とりあえず、これから何をしたいわけ?」

「とりあえず……君たちの旅に同行させてもらう」

 うわっ。
 一筋縄ではいかん奴がまた一人、旅のメンバーに加わるのか……。

「……ともあれ、ここで話し込んだところで、どうにもならないわね。今日はとりあえず宿に帰りましょう、姫さま」

########################

 宿への道を戻りつつ。
 私の頭の中には、『地下水』の残した一言が響いていた。

『サウスゴータ地方のウエストウッド村まで来い……』

 無論あんなのと二度と会いたいとは思わない。
 一瞬、聞かなかったことにしようかとも思ったが、あの言葉は姫さまやジュリオも耳にしているはず。

『……来なければ……誰かが死ぬ』

 当然その『誰か』は私たちのことではないだろう。
 おそらくウエストウッド村の誰か。
 そう……。
 来なければ、見せしめに、無関係な人間を殺す。
 『地下水』はそう言ったのだ。
 ……えぇいっ! 行くっきゃないかっ!
 暗い夜道を行きながら、私は半ばヤケクソ気味に決意を固めたのだった。

########################

「おはよう。みんな早いわね」

 その翌朝。
 宿の一階にあるメシ屋。
 私とサイトが降りていくと、すでに姫さまとキュルケとジュリオはテーブルについていた。

「俺たちが遅いだけなんじゃねえか? ……ああ、タバサもまだなのか」

 グルリと一同を見渡してから、私と共に座るサイト。
 ……あれ?

「ちょっと、サイト。何そんな平気な顔してんのよ?」

「ん? どういうことだ、ルイズ?」

 するとキュルケも、ジュリオを指さして、

「そうよ! せっかく彼がない知恵しぼって意外な演出しようとしてるのに、それを無視するなんて!」

「……あの……ない知恵って……。そもそも、これ、僕が言い出したことじゃないんだけど……」

 ジュリオが何やらつぶやくのを無視し、

「せめてお義理にでもつきあいにでも『きさま! どうしてこんなところに!』とか『よくもおめおめ顔を出せたな!』とか言ってやらなくちゃ……」

「まあ待てよ、キュルケ」

 なおも言いつのろうとする彼女の言葉を、サイトが制した。
 彼は、真剣な目でジュリオを正面から見据え、

「そもそも……こいつ誰?」

 ずがしゃぁぁぁっ!

 まともにイスごとひっくりこけるジュリオ。
 横では姫さまが目を丸くしている。

「……ほ……本気で言ってるんですか?」

「彼はいつだって本気よ……不幸なことに……これがルイズの使い魔なの」

 沈痛な表情で頷くキュルケ。
 私は私で、サイトに詰め寄る。

「使い魔がバカだと主人の私まで馬鹿にされるのよ! あんたねえっ! まさかこいつのこと、忘れちゃったわけじゃないでしょうね!?」

「ああ……どっかで見たような気はするんだが……」

「あのぅ、サイトさん? 前に、邪悪の宗教団体と戦った時……」

 横からフォローを入れる姫さま。
 サイトはしばし考えて、

「……おおっ!」

 言ってボンッと手を打った。

「あの時の奴か! ……で、なんて名前?」

「おい!?」

「だって俺、そいつの名前とか、紹介してもらったことないんだぜ」

 あ……そういえば……。
 前回の事件では、この二人、あんまり顔をあわせてないんだっけ。
 ジュリオの方にはサイトのことを色々と話しもしたのだが、サイトには話してなかった。サイト合流後はもうクライマックスだったし、「言ってどうなるもんでもない」などと思ったし……。

「ロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレだ。以後お見知りおきを……」

「サイトだ。よろしくな。ルイズの使い魔やってる」

 と、二人が今さらの自己紹介を交わしたちょうどその時。

「ジュリオ! なぜあなたがここに!?」

 声は、私の真後ろからした。

########################

「タバサ!」

 青い髪をした、小柄な少女。服装は、私やキュルケや現在の姫さまと同じく、旅の学生メイジの正装——黒いマントに白いブラウスにグレーのプリーツスカート——である。
 エルフの魔法薬で心を壊された母親がおり、それを元に戻す方法を探し、あてのない旅を続けているのだが……。
 ここしばらくは、私たちと一緒に行動をしている。
 彼女はゆっくりとした足取りで歩みを進めた。……もちろん、ジュリオに向かって、である。

「ちょっとタバサ! 落ち着いて! 冷静に!」

「タバサさん! 早まってはいけません!」

 キュルケや姫さまの制止を無視し、彼女はジュリオの横まで行き、ヒタリと足を止めた。

「……よくも……おめおめ顔を出せたわね?」

 言うなり……。
 まるで何事もなかったかのように、彼の隣に腰かける。

「……これで『お義理』と『つきあい』は終了」

 ……え?
 彼女のつぶやきに、一同は絶句。
 どうやら私たちの話を聞いていたらしい。
 しかし……一体いつのまにこんな、お茶目になった……!?
 ……いや。
 色々あって無表情のタバサだが、元々は、明るく元気な少女だったのかもしれない。今でも仮面の下には、人並みの喜怒哀楽が隠されているのであろう。その一端をかいま見たような気がする……。

「……タバサさん、怒ってないのですか?」

「……怒っても意味がない。燃えたものは戻って来ない」

 蒸し返すかのように尋ねる姫さまに、タバサは淡々と返す。それからジュリオに目を向けて。

「……一応、聞いておく。あなたが燃やしたあれは、私には何の役にも立たない物だった? それとも……」

 彼女の表情は変わらないが、ジワリと全身から殺気が滲み出す。
 ……やばい。ジュリオの返答次第では……。

「安心していいよ、君には無関係なシロモノだったから」

「……そう」

 納得したのか、あるいは聞くだけ無駄と思ったのか。
 タバサは殺気を収め、それ以上は何も言わなかった。

########################

「……問題が一つあるの」

 私が口を開いたのは、全員の朝食がテーブルに運ばれた後。

「……問題……?」

 パンにベーコンと野菜を挟んでかじりつつ、おうむ返しに問うサイト。行儀の良い食べ方ではないが、これが許されるのも旅というものである。

「うん。実は昨日の夜、ちょっと外出したんだけど……」

「いつのまに? 全然気づかなかったぞ」

 私と同じベッドで寝ていたはずのサイトが、驚いた口調で言う。こいつは私の抱き枕にされても気づかない、そういう男である。

「……また盗賊いじめ? あたしも誘ってくれたらよかったのに」

「そんなことしたら、分け前が減っちゃうじゃない」

 キュルケに対してキッパリ言い切る私。

「……まあ……途中でなりゆきで、姫さまは一緒になったんだけど……野盗たちをぶち倒して、その帰り道よ……出てきたのは」

 ここで皆が一斉にジュリオを見た。
 私は小さく頭を振る。

「ジュリオも出たけど……『地下水』も……」

「『地下水』!?」

 叫び声をハモらせるサイトとタバサ。
 サイトが名前を覚えているのも珍しければ、タバサが表情をあからさまに変えるのも珍しい。
 ……いや厳密に言えば『地下水』は名前とは違うかな?

「『地下水』って……あの『地下水』かっ!?」

「そ。その『地下水』よ」

「……聞くが……腕とか脚とかは……?」

「ちゃんと全部あった」

 問うサイトに答えてから、私はタバサに尋ねる。

「タバサも『地下水』のこと、知ってるの?」

「……戦った。危なかった」

「僕が駆けつけなければ、きっと殺されていたね」

 ポツリと答えるタバサに、補足するジュリオ。
 ……え? あの『地下水』と……タバサやジュリオもやり合ったわけ!?

「ちょっと待って!? それじゃ何、タバサも『地下水』の暗殺リストに入ってるってこと!?」

「……?」

 不思議そうな顔をするタバサに、私は説明する。
 以前に『地下水』から狙われたこと。依頼人はもういないのに、『地下水』が変なプロ意識を発揮していること……。
 すると。

「たぶん、名指しで依頼されたか否か、の違いだね」

 これまたジュリオが話を補う。今度は補足ではなく推測だが。

「僕やタバサが関わった時は、あの『地下水』、純粋な暗殺者として雇われていたんじゃなかったみたいでね。邪魔者を排除せよ、とか、時間を稼げ、とか、その場その場で細かい命令を受けていたようだ。……だからタバサの一件は、もう完了扱いなんだろう」

 ……なんじゃそりゃ。
 ずるいぞ、そんなところで待遇に差がつくとは……。

「それよりルイズ、肝心の話がまだなのではないですか?」

「何よ、アン。まだ何かあるの?」

 先を促す姫さまに、キュルケも口を挟む。
 そのまま姫さまが話を引き継いで。

「ええ。あの暗殺者が逃げる際に、『ウエストウッドに来い、来なければ、誰かが死ぬ』って……」

「何よ……それ……」

 言葉を失うキュルケとは対照的に。
 サイトが平然と話をまとめる。

「よくわからんが……ようするに、そこに行くしかないってことだろ。……で、そのウエストウッドっていうのは、一体どこなんだ?」

 言われて私たちは、顔を見合わせた。

########################

 ウエストウッドという村の名前を知る者は、私たちの中にはいなかったのだ。
 だが、サウスゴータがアルビオンの地名であることは明白なので、とりあえず私たちは、船でアルビオンへ。
 浮遊大陸アルビオン。
 大きさはトリステインの国土くらい。空中を浮遊して、主に大洋の上をさまよっているが、月に何度かハルケギニアの上にやってくる。

「凄いな! やっぱりハルケギニアってファンタジーの世界なんだな!」

 初めて見たサイトは何やら感激していたようだ。 
 私は以前、キュルケと二人旅だった頃、アルビオンに立ち寄ったことがある。でも、そんな私やキュルケも知らないくらいなのだから、ウエストウッドというのは、よほど小さな村なのかもしれない。
 私たちは港町ロサイスに宿をとり、街の人々に聞いて回ることにしたのだが……。

########################

「ここからならば、色々と見渡せるわね。ここで一休みしましょう」

 私は小高い丘に立って、緩やかに下る草原を見つめた。遠くに見える山脈と、淡い緑のコントラストがどこまでも爽やかである。

「かなり歩きましたね。……正直、疲れました」

「大丈夫よ。ここまで来れば、あと少しのはずだから」

 姫さまとキュルケが、私の後ろで言葉を交わしている。 
 結局ロサイスで聞いて回っても、ウエストウッド村の正確な場所はよくわからなかった。ロサイスの人々ですら知らないような、マイナーな地名だったらしい。
 かろうじて知っていたのは、一部の行商人のみ。シティオブサウスゴータとロサイスを結ぶ街道から少し外れた森の中に、それらしき村がある……。そんな拙い情報を頼りに北東へ一日ほど歩いた結果が、この丘であった。
 もちろん、ぶっ続けで歩いたわけではない。途中で野宿をしたし、まだ午前中なので今日はあんまり歩いていないのだが……。姫さま、もう疲れちゃったのね。

「こんなことなら、アズーロを連れてくればよかったなあ」

 これはジュリオのつぶやき。
 まったくである。
 以前の彼はアズーロという風竜を従えており、なかなか便利な移動手段になってくれたものだが、今回は竜は一緒ではない。
 なんでも、私たちの旅に同行させるのは可哀想だから置いてきたとか。
 どういう意味じゃと最初は思ったが、たぶん、乗せるには人数が多すぎるという意味なのだろう。私たち一行は、いつのまにか結構な大所帯になっている。
 私にキュルケ、その使い魔のサイトとフレイム。姫さまにタバサに、そしてジュリオ……。

「なあ、あれじゃないか?」

 キョロキョロと辺りを見回していたサイトが、森の一角を指さす。
 森の奥に通じる小道があった。馬車が通れるほど広くはなかったが、どうやら人が行き来しているらしい。割としっかりと踏み固められているのが、ここからでも見てとれる。

「……人の生活の香りがする」

 ポツリとタバサが言った。

########################

 森の小道をしばらく進んだところで、私たちはそれに出くわした。

「出てって。あなたがたにあげられるようなものは何もありません」

「あるじゃねえか。俺たちが扱ってるのは、お前みたいな別嬪な娘だよ」

「これだけのタマなら、金貨にして二千はいくんじゃねえのか?」

 怯えた様子の一人の少女と、弓矢や槍などで武装した十数人ほどの男たち。
 この辺りに住んでいる村娘のようだ。大きな帽子から流れるような金髪が覗く、美しい少女であった。丈の短い草色のワンピースに身を包んでおり、清楚な雰囲気を醸し出している。短い裾からは細い足が伸び、白いサンダルを履いていた。
 一方、男たちは傭兵とおぼしき格好であるが、聞こえてきた会話からも明らかなように、人さらいを生業にした盗賊である。先頭の男は小猾そうな顔をしており、頭に切り傷があるのが特徴的だった。

「なあ、ルイズ。あれ……襲われてるみたいだけど?」

「そんなこと確認しなくてもわかるでしょ。ほらサイト、行って助けてあげなさい!」

 サイトの背中を押す私。
 遠くから爆発魔法を一発ぶつけるだけでも片付くだろうが、わざわざ魔法を使うまでもない。サイトはガンダールヴなのだ。彼一人で十分である。
 案の定。

「やめろ」

「なんだ? どっからわいてきたか知らんが、ガキはすっこんでろ。売り物になりそうなやつ以外、興味はねえ」

「俺たちゃ、真面目な商売人だよ。商品に傷はつけねえ。安心しろよ」

「多少の味見はするがね」

 下品に笑い合う盗賊たち。
 その間を……。

 ヴンッ!

 サイトが風のように駆け抜けて、それでおしまい。
 彼らが全て叩きのめされたのを見て、私たちもサイトのところへ駆け寄った。

「おつかれさま、サイト」

「いや、これくらいじゃ疲れねぇけど……それより、こいつらどうする?」

 命まで奪う必要はないと思ったのか、どうやら誰一人殺していないらしい。意識を刈り取るに留めたようだ。

「そうねえ……」

 考え込むようなフリをしながら、振り返る私。
 視線の先には、オロオロしたような表情で佇む金髪少女。
 そう。
 盗賊たちなどどうでもいい。大事なのは彼女である。
 おそらく彼女は、ウエストウッド村の住民のはず。違うとしても、ウエストウッド村のことを知っているはず。
 だから私たちは、彼女に恩を売りたかったわけである。

「ちょっと面倒だけど、街まで連れてって役人に引き渡すのが一番かしら? それとも、後々の意趣返しも心配だから……いっそのこと……」

 問いかけるように、私は言う。
 これで我に返ったのか、金髪少女は、今さらのように。

「……あ! ありがとうございました。助けていただいて……」

「礼はいいわ。それより、この盗賊たちの処遇……どうする?」

「……こうします」

 少女は軽く頭を振ってから、盗賊たちのもとへ歩み寄る。
 手には、いつしか取り出した杖を握っていた。どうやら彼女、魔法が使えるようである。
 小さく、細い杖。しかしメイジの魔力に、杖の大小は関係ない。この少女、倒れた盗賊たちに魔法でトドメを刺そうというのであろうか?
 ……顔に似合わず、結構エゲツナイことするのね。
 などと思っていたら。

「ナウシド・イサ・エイワーズ……」

 緩やかな、歌うような調べ。
 でも……。

「ハガラズ・ユル・ベオグ……」

 こんな呪文、聞いたことないぞ!?

「ニード・イス・アルジーズ……」

 私だけではない。
 キュルケや姫さまも少し驚いた顔をしている。タバサは表情を変えないが、きっと内心は同じであろう。

「ベルカナ・マン・ラグー……」

 自信満々な態度で、金髪少女が杖を振り下ろす。
 かげろうのように、大気がそよいだ。
 倒れた男たちを包む空気が歪む。

「ふぇ……?」

 霧が晴れるように、歪みが元に戻った時……。
 意識を取り戻した盗賊たちは、惚けたように宙を見つめていた。

「あれ? 俺たち、何をしてたんだ?」

「ここどこ? なんでこんなところにいるんだ?」

 少女は、落ち着き払った声で男たちに告げる。

「あなたたちは、森に散歩に来て、迷ったの」

「そ、そうか?」

「仲間はあっち。森を抜けると街道に出るから、北にまっすぐ行って」

「あ、ありがとうよ……」

 男たちはフラフラと、頼りなげな足取りで去っていく。
 最後の一人が見えなくなった後。

「……彼らの記憶を奪ったの。『森に来た目的』の記憶よ。街道に出る頃には、私たちのこともすっかり忘れてるはずだわ」

 少女は私たちに向かって、しかし半ば独り言のように、恥ずかしそうな声で言った。

「記憶を奪った……ですって!?」

「何よ、それ!? そんな魔法、見たことも聞いたこともないわ!」

 姫さまとキュルケが叫んでいるが、私は黙って冷静に考えていた。
 人の記憶を奪う魔法……。
 風、水、火、土……。
 どの系統にも当てはまらないように思える。
 ということは……。

「虚無だね。虚無」

 まるで私の頭の中を盗み見たかのように、ジュリオがつぶやく。
 その顔には、面白そうな笑みが浮かんでいた。





(第二章へつづく)

########################

 一応ティファニアがアベル役のつもり。

(2011年6月26日 投稿)
         



[26854] 第六部「ウエストウッドの闇」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/29 23:30
   
「虚無だね。虚無」

 そのジュリオのつぶやきに、サイトが真っ先に反応した。

「なあ、デルフ」

「なんだい、相棒」

 彼は、手にしたままの剣と会話している。

「こういう解説役って、デルフの仕事だと思ってたんだが……」

「そうだぜ。最近ただでさえ出番が少なくて寂しかったってぇのに、これじゃ俺、ますます要らない子あつかいにならぁな……」

 無機物のくせに剣がいじけているが、それはどうでもいい。
 今ここで問題なのは、私たちの知らない虚無魔法を使った金髪少女。
 ところが、当の彼女は、キョトンとして聞き返す。

「虚無?」

「……なんだ、正体も知らねえで使ってたのかい」

 これ幸いとメインの会話に参加するデルフリンガー。

「とにかく……お前さんがどうしてその力を使えるようになったのか、聞かせてもらおうか」

「待ちなさい、ボロ剣。その前に、まずは自己紹介でしょ」

 あらためて、私が場を仕切った。
 金髪少女も私の言葉に頷いて、まずは自分の名前を告げる。

「ティファニアです。呼びにくかったら、テファでかまわないわ」

########################

 私の思ったとおり。
 ティファニアは、ウエストウッド村の住民だった。
 込み入った話になりそうなので、ゆっくり話せる場所へ移動しよう、ということになり……。
 彼女に案内されて、六人と一匹——私とサイトと姫さまとキュルケとタバサとジュリオとフレイム——は、目的の村へと向かう。
 やがて見えてきたのは、こじんまりとした村だった。
 森を切り開いて造った空き地に、小さな藁葺きの家が十軒ばかり、寄り添うように建っているのみ。世間から忘れ去られたような、ちっぽけな村……。

「村というより、集落ね。これじゃ人に聞いても、なかなか判らなかったのも無理ないわね」

「開拓村でしょうか? 造られてから、それほどたってないように見えますが……」

 キュルケと姫さまの言葉を耳にして、先頭に立つティファニアが振り返った。

「この村は孤児院なのよ。親を亡くした子供たちを引き取って、みんなで暮らしてるの」

 ここで、何気ない口調でジュリオが話しかける。

「お金はどうしてるのかな?」

「昔の知り合いの方が送ってくださるの。それで生活に必要なお金はまかなってるのよ」

「君が子供たちの面倒を見ているのかい?」

「私は一応年長だから、御飯を作ったりの世話はしてるけど……。少し前からは、執事みたいな感じで手伝ってくれる老人もいて……」

 ジュリオの質問に、スラスラ答えるティファニア。
 会ったばかりの私たちに内情をペラペラしゃべるとは、なんとも無警戒な娘さんである。むしろ、こっちが心配になるくらい。
 森で育ったから純真無垢なのか、あるいは、二枚目ジュリオの笑顔にコロッと騙されているのか……。

「……執事?」

 ジュリオに会話の主導権を握らせては危険。そう思って、私が言葉を挟んだ。

「そう。森の中で倒れていた人がいて、村に運び込んだの。そうしたら、助けてくれた御礼だって言って、色々と手伝ってくれるようになって……。記憶喪失で、自分の名前しか覚えていないっていう、可哀想な老人なの」

「なるほどね。記憶喪失なら、わざわざ君が記憶を奪う必要もないわけだ」

 ジュリオの言葉に、一瞬表情を強ばらせるティファニア。
 ……そういうことか。
 子供たちだけで暮らすのは危険だし、さっきのような野盗に襲われるのも初めてではないだろう。でも、その度に彼女は、魔法で記憶を奪って対処してきたわけだ。
 今こうして洗いざらい話しているのも、イザとなったら私たちの記憶を奪えばいいと考えているからだ。
 うむ。
 これは、ちょっと警戒した方がいいかもしれない。
 などと私が気を引き締めていたら。

「ねえ、ルイズ」

 キュルケが、チョンチョンと突っつきながら、声をかけてきた。

「何よ?」

「あの子、この村を孤児院だと言ったけど……。もしかして……」

 キュルケがそこまで言った時。
 村から子供が一人、こちらに走ってくるのが見えた。その孤児の一人なのだろう。

「わるもの! 退治してやる! テファ姉ちゃんから離れろ!」

 どうやら、私たちを盗賊の一団か何かと勘違いしているらしい。
 叫びながら、棒っきれを振りかざす少年。
 まだ十歳くらいであろうか。近寄るにつれて、顔もハッキリしてくるが……。
 あれ? この子供……どっかで見たことあるような気が……?
 しかし、私が思い出すより早く。
 子供の方が、先に気づいた。

「ああっ!? いつぞやのゼロ胸ねーちゃんだっ!」

########################

「……ゼ……ゼロ胸ですって!?」

 言葉と共に、杖を振りかぶる私。
 ツッコミでエクスプロージョンを放ちそうになったが、ギリギリで思いとどまる。
 初対面のティファニアの前でそんなことをしては、幼児虐待になってしまう!
 ……彼は幼児ってほど子供じゃないとか、ティファニアの前じゃなくても虐待だとか、そういう話は置いといて。
 ともかく、彼女に悪印象を与えてウエストウッド村に入れてもらえなくなる事態だけは、なんとしても避けねばならないのだ。

「ひ、ひさしぶりね。ジム……だったっけ?」

「う、うん。相変わらず元気そうだね、ねーちゃんたち」

 少し引きつった表情で挨拶を交わす、私と少年。
 私の隣では、キュルケも小さく手を振って、存在をアピールしている。

「ジム、この人たちと……知り合い?」

「えーっと……前に街まで買い物に行った時、ちょっと世話になった」

 ティファニアの質問に、そう答える少年。もう少し何か言いたそうな顔をしているが、私とキュルケをチラッと見て、それ以上は言わぬが花と思ったらしい。
 彼の名前はジム。以前に私とキュルケがアルビオンに来た際に出会った少年である。
 森の孤児院に住んでいると言っていたが、なるほど、それがウエストウッドだったわけね。当時は生意気なクソガキだったが、少しは大人になったのかな……?

「そうだ! テファ姉ちゃんに、いいしらせがあるよ! マチルダ姉ちゃんが来てるんだ!」

「マチルダ姉さんが!?」

 ティファニアの顔が、パッと顔を明るくなった。
 私たちをほっぽってジムと二人だけの話をするのも悪いと思ったのか、彼女は、私たちに向かって軽く説明する。

「マチルダ姉さんは、さっき言った、私たちに生活費を送ってくださってる人なの。それだけじゃなくて……」

「そんな話はあとにしようよ! ほら、早く行こう!」

 ティファニアの手を握って、一軒の家へと走り出すジム。
 そう言えば。
 かつてのジムの言葉の中に、たしかに『マチルダ姉ちゃん』とか『テファ姉ちゃん』という名前が出てきていたっけ。
 ……と、私が記憶の糸を辿っている前で。

「あ……」

 ティファニアが、ジムに腕を引っ張られてバランスを崩した。そのまま、ジムと一緒に地面に倒れ込む。

 ぐにょ。

「……え?」

 短く、声にならない呻きを漏らしたのは私である。
 たった今ジムの上で潰れたものは何だ?
 ……ティファニアの胸?
 ゆったりした服のため、今までは気づかなかったが……。
 彼女は、こんな凶悪なシロモノを隠し持っていたわけ!?

「うっわ! テファ姉ちゃん、ママみたいだぁ……」

「ジム! こらこら、もう大きいんだから、いつまでもママ、ママって言ってちゃダメでしょ? それに、これじゃ私が起き上がれないわ」

「だって……。テファ姉ちゃん、ママみたいにおっきいから……」

 クソガキをエロガキに変えてしまうマジック・アイテムである。
 ジムが顔を埋めてフガフガしており、これはこれでとんでもない光景なのだが、いやはや、あの胸そのものが圧倒的な存在!
 私やタバサは言わずもがな。キュルケや姫さますら、遥かに超越したサイズ……。

「……胸オバケとか奇乳とか……大きけりゃイイってもんじゃねーって思ってたが……」

 私の後ろでは、サイトが何やらつぶやき始めている。

「やっぱ大きいことは素晴らしい! こりゃ価値観が一変するぜ! 言うならば……胸革命(バスト・レヴォリューション)!」

「バカなこと言ってる暇があったら、彼女を助け起こしなさい!」

 感極まった表情で叫ぶサイトを、私は蹴り飛ばした。

########################

 そんなこんなで一悶着あったが、ようやく私たちは、ウエストウッド村に到着。
 村の入り口からすぐのところにある、ティファニアの家。そこに私たちは案内される。

「どうぞ、入って」

 彼女が扉を開けると、私たちより先に、ジムが中へ飛び込んでいく。
 続いて入ろうとするサイトだが、その体が一瞬で固まった。

「なによ。どうしたのよ。中で女の子が着替えでもしてたの? そのマチルダって人?」

 呆れた声で、キュルケが中を覗き込む。
 やはり、その体が硬直した。
 私は姫さまと顔を見合わせてから、二人で同時に、扉の中へ顔を突っ込んだ。
 扉の向こうは居間になっている。テーブルの椅子に座った女性に、初老の痩せた男が、お茶を給仕していた。
 たぶん彼が、森でティファニアに助けられた記憶喪失者なのだろう。
 だが、そっちはどうでもいい。問題は、女の方だ。

「誰なのです?」

「……フーケよ」

 姫さまの言葉に私が答えたのが、まるで合図であったかのように。
 サイトが、背中の剣を抜き放った。
 左手のルーンが光る。

「なんでテメエがここに……」
 
 まったくだ。
 私は心の中でサイトに同意する。
 ティファニアの家にいた女は『土くれ』のフーケ。かつてトリステイン中の貴族を恐怖に陥れた盗賊メイジであるが、トリステイン魔法学院の一件で私たちに倒され、脱獄不可能な牢獄に収容されたはずであった。
 ……私たちにとっちゃさほど強敵ではないとは言え、『地下水』だけでも面倒な今この時に出てくるとは……。

「それはわたしのセリフだよ」

 フーケも杖を構える。
 先に攻撃するのは、はたしてどちらか。二人がジリジリと間合いをはかる間に、キュルケも杖を手にしていた。
 そんな三人の真ん中に……。

「やめてぇッ!」

 飛び込んでいったのはティファニア。

「なんで戦うの!? みんな武器をしまって!」

「で、でも……」

 つぶやくサイトは無視して、彼女はフーケに言う。

「マチルダ姉さん! この人たちに手を出してはダメ!」

「しかたないね」

 参ったと言わんばかりに首を振り、フーケはドカッと椅子に腰かける。
 サイトは目で私に「どうする?」と問いかけ、私は小さく頷く。それを見て、彼も剣を鞘に収め、デンッと床に腰を下ろす。
 キュルケも肩をすくめつつ、杖をしまった。
 ティファニアが礼を言う。

「ありがとう」

「あんたたちとも久しぶりだねぇ。……それにしても、随分と仲間が増えたじゃないか」

 疲れたような声のフーケに対して。

「わたくしはアン。ルイズのおともだちです」

 初対面の姫さまが名乗り、そして私たちの後ろから顔をのぞかせた二人も、同様に挨拶する。

「……『雪風』のタバサ」

「ロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレだよ。以後お見知りおきを……」

########################

「あんたたちも、まずは座りな。長旅で疲れてるんだろう?」

 すっかり場を仕切る盗賊フーケ。私たちが腰を下ろすと、続いてティファニアに問いかけた。

「ねえティファニア。なんでこいつらと知り合いなのか、話してごらん」

「私もついさっき会ったばかりなの。森で悪い人たちに絡まれているところを助けてもらって……。私よりもジムの方が、前からの知り合いだったみたい」

「そうなのかい?」

 フーケが振り向くと、彼女の背後からジムがヒョイと顔を出す。

「うん。昔さ、街まで買い物に行った時に世話になった」

「ああ、じゃあ、あれはあんただったのかい。ジムの言ってた『ゼロ胸ねーちゃん』っていうのは」

 私を見てニヤッと笑うフーケ。ここで彼女をやっつけるのは簡単だが、今はそんな場合ではないので、軽く受け流す。……私も大人になったものだ。

「次はこっちの番よ。フーケ、あんたはここの人たちと、どうして知り合いなの?」

 フーケの代わりにティファニアが答える。

「さっきも言ったように、マチルダ姉さんは、私たちに生活費を送ってくださってるの。それだけじゃなくて、昔、私の父と母が……」

「そこまで古い話はしなくていいんだよ」

 フーケがティファニアの話を遮った。
 ティファニアは一瞬、口を閉ざしてから、今度はフーケに向かって。

「ねえ、マチルダ姉さん?」

「なんだい?」

「この人たち、さっきからマチルダ姉さんのこと『フーケ』って呼んでるけど……なぜ?」

 どうやらティファニア、孤児院の資金がどこから出ていたのか、知らないらしい。フーケの正体を知ったら悲しむでしょうね。
 そう思って、私が助け舟を出す。

「『フーケ』っていうのは、仕事の上でのコードネームよ。彼女は……その、宝探しをしてたの」

「トレジャーハンター? かっこいい!」

 目を輝かせるティファニアに、キュルケがプッと口を押さえた。

「笑うんじゃないよ」

 フーケも苦笑を浮かべると、

「まあ、そんな仕事をしていてね。こいつらとはその、お宝を取り合った仲なのさ」

「だから仲が悪いのね。ダメよ、仲直りしなきゃ。ほら、乾杯しましょ!」

 ホッとしたように言うティファニア。彼女は、戸棚からワインとグラスを取り出した。
 こうして、奇妙なパーティが始まった。

########################

 誰もが黙々とワインを口に運ぶばかりで、まったく会話は弾まない。
 キュルケは時折目を光らせ、胸元に差し込んだ杖に手をやり、また戻す、という動きを繰り返すのみ。サイトもフーケは敵と認識しているようで、難しい顔をしていた。
 フーケと初対面の姫さまは、私に何か聞きたそうな視線を送るが、とても今は話せない。
 なぜかタバサは、給仕役の老人——彼はアルトーワと名乗った——をジーッと睨んでいた。
 ……彼女は彼を知っているのだろうか? そんな二人を、ジュリオが興味深そうに見比べている。 
 私は私で、以前の事件を思い出していた。
 かつて、トリステイン魔法学院を学校ごと盗もうとしたフーケに対して、私は言ったものだ。

『普通の学校には通わせられない、わけありの隠し子でもいるわけ?』

 あの時フーケはピクッと反応していたが、なるほど、実の子供じゃなかったわけだ。この孤児院の子供たちに、もう少し広い世界を見せてやりたかったのね。
 他の子供たちはともかく、特にティファニアには、何か事情がありそうだし……。
 ちなみに。
 ジムはフレイムと一緒に外へ出て、小さな子供たちと遊んでいる。ここの子供たちには火トカゲは珍しいようで、当分は戻って来ないだろう。

「ねえ、テファ。そろそろ教えてくれないかしら」

 黙っていても仕方あるまい。そう思って私が声をかけると、彼女は少し心配そうな顔をする。

「あんたなんで、虚無魔法を使えるの?」

 単刀直入で尋ねる。
 ティファニアは、私に答えるのではなく、フーケの方へと目を向ける。

「ティファニア。あんた、あれを使ってみせたのかい?」

 小さく頷くティファニア。

「そうかい。じゃあ、話してあげな」

「……全部?」

「ああ。あれを使える理由を言うなら、ティファニアの生い立ちから話さないといけないだろ」

 そう言って、フーケはティファニアの頭に手を伸ばす。
 ティファニアは室内でも帽子をかぶったままであり、少し変だなと私も思っていたのだが……。
 フーケがそれをむしり取ると、金髪の髪の隙間から、ツンと尖った耳が出てきた。

「エルフ!?」

 驚きの叫びが、いくつも重なった。

########################

 このハルケギニアでは、エルフは人間の仇敵である。私たちが忌み嫌う存在。強力な魔法を操る、凶暴で長命な生き物。それがエルフ……。
 実際、私とサイトとキュルケとタバサは、以前にビダーシャルと名乗るエルフと戦ったことがある。私の覚えたての虚無魔法とサイトのガンダールヴの力で何とか勝ったが、恐るべき強敵であった。
 サイトも忘れていなかったのだろう。
 彼の手が、背中の剣に伸びる。

「待って!」

 慌てて制止する私。

「このテファは、敵じゃないでしょ。……まずは、ちゃんと話を聞きましょう」

 警戒を解いたわけではない。
 フーケが事情を話すように促したのも、おそらく、後で記憶を消すのを想定した上でのこと。

「本当は……夜にならないと、話す気になれないんだけど……」

 ティファニアが、ゆっくりと語り始めた。

「私は『混じりもの』なの。死んだ母はエルフで……この辺りを治めていた大公さまの、お妾さんだったの。大公だった父は、王家の財宝の管理を任されるほどの偉い地位にいたみたい。母は財務監督官さまって呼んでたわ」

 ちょっと待て。
 ここいら一帯を治めていた大公で、王家の財務監督官ということは……。
 それって、当時のアルビオン王の弟君モード大公なのでは!?
 私は思わず姫さまと顔を見合わせる。表情を見る限り、姫さまも、私と同じ点に思い至ったらしい。
 つまり。
 姫さまの父親とティファニアの父親は兄弟。姫さまとティファニアは、いとこなのだ。

「このハルケギニアで、エルフのことを快く思ってる人はいないから、母は本当の意味で日陰者だったの」

 そりゃあそうだろう。
 普通の人間であっても妾の立場は良くないだろうに、ましてやエルフときては……。
 エルフである母親も、母譲りの耳を持つティファニアも、外出すら許されぬ生活だったに違いない。

「たまに来る父もやさしかったし、母は私にいろんな話をしてくれたから、母との生活は辛くはなかったわ」

 幸せな日々を思い出したのか、ティファニアは心からの笑顔を見せていた。
 それが突然暗くなる。

「……でも、そんな生活が終わる日が来た。父が血相変えて私たちのところにやってきたの。『ここは危ない』と言って、父の家来だった方の家に、私たちを連れて行った」

 チラッと視線をフーケに送るティファニア。
 それだけで、私は何となく察した。
 今でこそ盗賊稼業のフーケだが、メイジとしての腕前からも推測されるように、元々はそれなりの貴族の生まれ。ティファニアの言った『父の家来だった方』というのが、フーケの家族だったのだろう。

「母の存在は王家にも秘密だったらしいの。ある日それがバレちゃったらしいのね。それでも父は、母と私を追放することを拒んだのよ。厳格な王様は父を投獄して、あらゆる手を使って私たちの行方を調べた。そしてとうとう、私たちは見つかってしまったの」

 誰かが息を呑んだ。
 同時に、姫さまがバッと椅子から立ち上がる。
 ティファニアのもとへ駆け寄り、彼女をヒッシと抱きしめた。

「ああ! あなたは本当に辛い想いをしてきたのですね。思い出させてごめんなさい。もうこれ以上、話す必要はないですわ!」

「……え?」

「わたくしの本当の名前はアンリエッタ。アンリエッタ・ド・トリステインです。あなたの父君のモード大公は、前アルビオン王だけでなく、わたくしの父、前トリステイン国王ヘンリーの弟君でもあらせられます……。つまりあなたは、わたくしのいとこになるのですわ」

「いとこ……?」

 あちゃあ。
 自分から正体をバラしてどうする、とか。
 肝心の部分がまだだから、話す必要はなくはない、とか。
 色々とツッコミを入れたい気持ちもあるのだが、ちょっとそんな雰囲気ではなかった。
 姫さまの言葉が、ティファニアの頭に浸透。彼女は姫さまを、ほとんど唯一となった血縁者だと認めたらしい。ティファニアは涙をこぼしていた。

########################

 しばしの静寂に包まれる一同。
 そろそろいいだろう、というくらいの時間が経ってから、私は再び尋ねる。

「だいたいの事情はわかったわ……と言いたいところだけど、でも無理ね。肝心の虚無魔法の話が、まだなんだから」

「……そうね。そのために、こんな昔話をしたのよね」

 ティファニアは、涙を拭いてから、再び語る。

「追いつめられて……私をクローゼットに隠した母も、追っ手の兵隊たちに……。そして彼らがクローゼットを引き開けた時、あれが私を助けてくれたの。さっきの呪文」

「虚無魔法ね。どうしてあれに目覚めたの?」

「私の家には、財務監督官である父が管理している財宝がたくさん置いてあった。小さい頃の私は、それでよく遊んでいたの。その中に、古びたオルゴールがあって……」

「オルゴール?」

 私は思わず聞き返した。

「そう。父の話では王家に伝わる秘宝とか……。開けても鳴らない不思議なオルゴール。でも、同じく秘宝と呼ばれていた指輪をはめてオルゴールを開くと、曲が聞こえるの。綺麗で、懐かしい感じがする曲だった。私以外の他の誰にも聞こえなかったんだけど……」

 間違いない。『始祖のオルゴール』だ。

「その曲を聞いているとね、頭の中にね、歌と……ルーンが浮かんだの。そのルーンが、クローゼットを兵隊たちに開けられた時も頭に浮かんだ。気づいたら、父から貰った杖を振りながら、その呪文を口ずさんでいた」

 なるほど。
 彼女は、『始祖のオルゴール』から教わった虚無魔法で、エルフを迫害する者たちの手から逃れることが出来たわけだ。同じオルゴールから教わった虚無魔法で私がエルフに勝ったことを思えば、ちょっと皮肉な話である。
 ……などと私が考えていたら。

「じゃーん。その指輪は、回り回って、今はここにあるのよね」

 キュルケが私の右手を掴んで、高々と掲げる。

「あ!」

 驚くティファニア。それを見て、キュルケは面白そうに、

「ほら、ルイズ。どうやらテファが本来の持ち主のようだし、彼女に返してあげたら?」

「バカ言わないで! 昔はともかく、今は私のもんなのよ! ジュリオと勝負して、その景品としてもらったんだから!」

「いや、勝負も何も、あれは……」

 何か言いたそうなジュリオを、私はキッと睨みつける。

「それよりジュリオ! この際だから白状しなさい! いただきもの、って言ってたけど……どういう事情で、始祖の指輪が四つも揃ったわけ!?」

「そう言われても困るなあ……」

 ポリポリと頬をかくジュリオ。
 どうせ答えては貰えぬだろうが、キュルケのとんでもない提案がどさくさに紛れれば、それでOK。
 案の定。

「指輪のことは、この際どうでもいいさ」

 ゴタゴタし始めた雰囲気を見かねたのか、フーケが口を挟んだ。
 盗賊らしからぬ言葉であり、素直に受け取るわけにはいかないが、とりあえず私は頷いておく。
 すると。

「ティファニアの話は終わったんだ。今度は、こっちが質問する番だよ。……あんたたちは何しに来たんだい?」

 言われて、顔を見合わせる私たち。
 はてさて、どこまで話すべきか。
 ……まずは、当たり障りのない辺りから言ってみよう。

「……脅されたのよ」

「脅された……?」

「そう。ここに来ないと殺す、って」

「殺す、って……。そりゃまた物騒な話だねぇ。誰が誰に殺されるんだい?」

 あんただって、前に私たちを殺そうとしたでしょうに。
 しかし、わざわざそれを口にして、フーケを敵に回す必要もない。
 ……いや、よく考えてみれば。
 むしろ逆に、彼女は味方に出来るのではないか? この村の者は——拾われたアルトーワ老と来訪者である私たちを除けば——、彼女にとっては皆、子供のようなものなのだから。
 ならば、正直に述べるのもテかもしんない。

「相手は『地下水』。あんたも名前くらい聞いたことあるんじゃないかしら、有名な暗殺者よ。……そいつが私たちの前に現れて言ったの、『ウエストウッドに来い、来なければ、誰かが死ぬ』って」

「まあ!」

 青ざめた表情で声を上げるティファニア。
 一方、フーケは顔をしかめながら、小さくつぶやいていた。

「『地下水』か……」

########################

 その後。
 食事の時間となったために、奇妙なパーティは終了。
 昼食の席は、ティファニアの家の庭に設けられるのが慣習らしい。庭といっても、森との境界がないので、どこまでが庭なのかわからなかったが。
 今日のメニューは、きのこのシチューとパン。素朴な味つけだが、これがなかなかの美味だった。おいしいものでお腹がふくれて、ちょっと気分も幸せ。
 ……それはともかく。

「さて、と。……それじゃ作戦会議ね」

 食事が終わっても、そのままテーブルに残った私たち。
 ティファニアとマチルダは家へと戻り、子供たちは、またフレイムを連れて遊びに行った。なぜかジュリオは、アルトーワ老から「チェスでもしましょう」と誘われて、二人で彼の家へ。
 そんなわけで、今ここにいるのは、私とサイト、姫さまにキュルケにタバサ。つまり、仲間たちだけである。

「作戦会議も何も……。このまま少しの間ここに泊めてもらって、様子を見るしかないんじゃないの?」

 ミもフタもない意見を述べるキュルケ。
 私は、やや顔をしかめつつ。

「そりゃそうだけど……。ほら、テファの特殊な状況とか、フーケが盗賊やってた理由とか、色々と背景もわかってきたわけだし。それを考慮した上で、なんで『地下水』が私たちをここへ呼んだのか推測すると……」

「……考えたって意味ないんじゃねえか? 結局、相手の出方を待つしかないじゃん。で、出てきたら迎え撃つ、と」

 何も考えてないこと丸わかりな、サイトの意見。

「あのねえ……。それでも、ある程度対策を立てておけば、戦いがラクになるかもしれないでしょ」

「ああ、それもそうか。……で、どんな対策があるんだ?」

「だから! それをみんなで今から考えようっていうのよ!」

 と、叱りつけてみたところで、誰にも具体的なアイデアがあるわけではなく。
 ちょっと沈黙が降りたが、それをキュルケが破る。

「ティファニアとかフーケとか子供たちはともかく、あのアルトーワって老人は何者なのかしら。……ちょっと怪しいわね。案外、彼が『地下水』だったりして」

 そう言いながら、タバサに顔を向ける。
 ふむ。
 さっきタバサがアルトーワ老へ向けていた訝しげな視線、それにキュルケも気づいていたらしい。
 タバサは、小さく首を横に振る。

「……彼はアルトーワ伯。リュティスの南西、グルノープルの領主」

 おやおや。
 あの老人、タバサの知っている人間だったわけか。
 今タバサが口にした地名は、どちらもガリアのものだ。つまり、彼はガリアの貴族ということ。
 言われてみれば、アルトーワ老もタバサと同じく、青髪の持ち主。ただし彼女とは違って鮮やかな青ではなく、ちょっとくすんでいて水色に近い。たぶん王家の遠い分家筋にあたるのだろう。

「なんだよ、タバサの知り合いだったのか。じゃあ、教えてあげればよかったのに。あの人、記憶喪失で困ってるんだろ?」

「バカね、サイト。そんなことしたら、タバサの正体もバレちゃうでしょ」

 軽く嗜める私。
 タバサは『タバサ』と名乗っているものの、その本名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン。ガリア王ジョゼフ——もう死んでるけど世間では知られていないはず——の姪である。
 考えてみれば。
 ティファニアがアルビオン王家の血を引いているのだから、今この森に、三大王家の血を継ぐ者が揃っているわけね。ある意味、豪華なメンツ……。

「……それに。あの老人が本当に記憶がないのかどうか、わからないでしょ」

「どういう意味だ?」

「つまり。記憶喪失のフリしてここに留まり、何か企んでるかもしれない……ってこと」

「ああ、そういう意味か。それならそうと、最初から言ってくれよ」

 こいつ。
 そこまで噛み砕いて説明してやらんとわからんのか。
 ……と、私が心の中でツッコミを入れた時。

「ルイズ」

 それまで黙っていた姫さまが、突然、口を開いた。

「何か……様子が変ではありませんか?」

 言われてみれば。
 いつのまにか、周囲の音が止んでいる。
 テーブルに残っているのは私たちだけだが、少し前までは、遠くで遊ぶ子供たちの声や、森の木々とか鳥たちのざわめきが聞こえていたのだが……。

「……なんだ……? こりゃあ……」

 惚けたような声を出しながらも、背中の剣に手をかけるサイト。
 他の四人も立ち上がり、杖を手にする。
 
「結界だな。……敵が来るぜ」

 サイトに応じるデルフリンガー。
 まるで、それが聞こえたかのように。

「こんにちは」

「ちょっと尋ねたいんだが……君たちの中に、ルイズって人、いるかな?」

 私たちに呼びかけながら、森の方からやってきたのは若い男女の二人組。
 杖を構えたまま、私は一歩前に出る。

「私よ。私が『ゼロ』のルイズ。……で、私に何の用?」

 すると男は、こともなげに言い放った。

「君を殺しにきたんだ」





(第三章へつづく)

########################

 この作品では「ゼロ魔」原作8巻に相当するテファとの遭遇の前に、原作10巻のビダーシャルとの戦いを先にやってしまっているので、テファをエルフと知った時の態度が「ゼロ魔」原作とは異なっています。また、原作11巻に相当するフーケとの再会シーンに関しても、原作2巻相当のイベントをやっていないため(レコンキスタの反乱自体は物語開始前に起こっている設定)、原作ほどサイトはフーケを憎んでもいない、ということで。

(2011年6月29日 投稿)
    



[26854] 第六部「ウエストウッドの闇」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/02 23:56
   
「君を殺しにきたんだ」

 そう言ったのは、黒い羽帽子にマントを羽織った若い男。
 一緒にいる女が、朗らかに笑う。

「よかったですわね、人違いじゃなくて。ドゥドゥー兄さまったら、人間の個体識別が苦手なものですから……」

 彼女は、ヒラヒラがついた黒と白の派手なデザインの衣装に身を包んでいる。レースで編まれたケープの上の顔は、まるで人形のように美しかった。

「そんなことを言うなよ、ジャネット! ちゃんと今回は目当ての相手を見つけ……」

 ドゥドゥーと呼ばれた少年が、そこまで言った時。
 サイトの体が反応した。背中の魔剣デルフリンガーを抜き払いつつ、駆け抜ける。
 ……ガンダールヴの神速の動き!
 しかしドゥドゥーは、これをなんなくかわしていた。魔法も使わずに、その身体能力だけで、大きくジャンプしたのである。

「おいおい。ちゃんと話は最後まで聞いてくれよ」

「ドゥドゥー兄さまが誤解されるようなこと言うからいけないのよ! まったく! ドゥドゥー兄さまはバカじゃないの!?」

 地面に着地したドゥドゥーのもとへ歩み寄る、ジャネットという少女。彼女は、彼の頭をポカリと叩く。
 これに対して。

「バカって言うなよ! こっちの世界に来て日が浅いもんだから、手順や作法を覚えてないだけだ!」

「こっちの世界……だと?」

 サイトの表情が変わった。
 彼が何を思ったのか、容易に推測できる。
 この二人もサイトと同郷という可能性……。それがサイトの頭に浮かんだのだろう。

「待ちなさい、サイト」

 それ以上サイトが何か尋ねる前に、私が止めた。
 私には、目の前の二人が異世界人だとは思えなかったし、それより何より、先にハッキリさせるべきことがあったからだ。

「あんたたち、今、誤解だって言ったけど……。戦いに来たわけではない、ってこと?」

 私の質問に対して、しかしドゥドゥーは首を振って。

「それも少し違うな。僕が言いたかったのは、君を殺すのは僕たちじゃないってことだ」

「ドゥドゥー兄さまったら、本当に説明が下手ね。いいわ、私が説明してあげる。……私たちは、今回はサポート役。露払いをするのが、任務なの」

「そうそう。僕たちは残りものの始末なんだ。君を殺すのは……」

 背後の森へと顔を向けるドゥドゥー。
 それが合図であったかのように、もう一つの人影が現れる。
 全身黒ずくめの服で、顔も目の部分以外は黒い布で覆った怪人物……。

「……『地下水』ね」

 確認するかのように、私は呼びかけた。

########################

「来てあげたわよ、この村まで。あんたの望みどおり」

 暗殺者はウンともスンとも言わないが、私はさらに言葉を続ける。
 これで実は違う人でした……なんてことになったら間抜けなのは私だが、そんなはずもあるまい。

「……で、何? 一人じゃ勝てないと思って、助っ人を雇ったわけ? あんた自身が暗殺者のくせに?」

「我が雇ったわけではない。この者たちは……協力者だ」

 おっ、今度は反応があった。
 しかも。

「……『元素の兄弟』。裏の世界では有名」

 私の背後で、タバサが補足の声をあげる。

「知ってるの、タバサ?」

「……ドゥドゥーもジャネットも、四兄弟のうちの二人の名前。聞いたことがある」

 キュルケの問いに、小さく頷くタバサ。ちょっと微妙な言い方だが……。
 ははぁん。こりゃあタバサも、私と同じことを考えているな?
 一方。
 当の二人も、彼女の言葉に反応を示していた。

「おお! 知られているんだね! やっぱり、この姿と名前を使って正解だった!」

「ドゥドゥー兄さまったら! そんな言い方したら、私たちが本物じゃないって言ってるようなものじゃないの!」

 またまた『妹』に怒られる『兄』。
 そんな二人に、私は冷ややかな視線を送りながら、言葉を投げつける。

「……心配しなくても、とっくの昔に正体バレてるわよ。『人間の個体識別』とか『こっちの世界』とかって言葉からね」

「あら? じゃあ……もう、こんな姿をしている必要もないわね……」

 言うと同時に、ジャネットの外見が変化し始めた。
 派手な衣服は簡素なローブとなり、髪は長く伸びて乱れる。同時に、それらは黒い色に変わった。
 姿勢は猫背ぎみとなり、顔は白くぬめり……。
 いつのまにか目も鼻もなくなり、ただただ紅い口だけが笑みの形で残っていた。

「やっぱり魔族だったのね」

「……グドゥザと呼んでもらおうかね……『ドゥドゥー兄さま』の方はデュグルドよ……」

 声も口調も、まるで老女のようになってしまった。
 そのグドゥザの隣では、『ドゥドゥー兄さま』ことデュグルドも変化を見せる。
 背中のマントは奇妙なデザインの形に変わり、帽子は子供のかぶるようなツバつき帽に。顔からは髪の毛すらも消え、ただ真っ黒い硬質のタマゴ型。
 正体をさらしたことで、あらためて挨拶の必要を感じたのか。デュグルドは、右手で小さく、帽子のツバを下げて会釈する。
 すっかりバケモノと化した二人を後ろに従えるかのように、ズイッと歩みを進める『地下水』。
 応じて、サイトも私の前へ。

「おっと。ルイズは、やらせないぜ」

「相棒は娘っ子の使い魔だからな」

「おい、デルフ。俺のセリフをとるなよ」

 手にした剣と軽口を交わしつつも、サイトは『地下水』から視線を逸らさない。左手のルーンも、強く光っていた。

「……困ったなあ。ルイズって娘以外は、俺とグドゥザで相手しないといけないんだがな……」

 帽子を右手でいじくりつつ、デュグルドがつぶやく。これもグドゥザと同じく、人間のフリをしていた時とは言葉遣いが変わっている。

「かまわん。そこの剣士にも借りを返す」

「そうかい? あんたがそう言うなら……」

 あっさりと『地下水』の言葉を受け入れるデュグルド。
 まぁ確かに、以前の戦いで『地下水』に大きなダメージを与えたのは、私ではなくサイトだからねぇ。この暗殺者がサイトに恨みがあるとしても、不思議ではない。

「タバサ、デュグルドはあんたに任せるわ! キュルケは姫さまと共に、グドゥザの方をお願い! この『地下水』は……私とサイトで何とかしてみせる!」

「……話はまとまったな」

 私の仲間たちより早く。
 暗殺者が私の言葉に応じて、ユラリと両手を左右に開いた。

「ならば……始めるか」

 その手に握られたナイフが、キラリと光る!
 今……。
 魔族の結界を舞台に、死闘が始まった!

########################

「ひゅうっ!」

 デュグルドが、タバサに向かって走る。
 タバサは中腰になって杖を構え、口の中で呪文を唱え始めた。
 強力な呪文を使おうと思ったら、詠唱にもそれなりの時間がかかるわけだが……。

「行くぜぃっ!」

 マントを風にはためかせ、デュグルドは右手をタバサに向かって突き出した。
 瞬間、その指先に生まれる、数発の小さな闇の礫。それらが同時に、タバサ目指して宙を舞う。
 あわててその場を退くタバサ。
 小柄で軽い分、彼女の動きは速い。その得意な系統『風』のように、軽やかな身のこなしである。

 バヅッ!

 小さく低い音を立て、闇の礫は、彼女の足下に小さな穴を易々と穿つ。大地に生えた草が抉れて散った。
 ほとんど同時に、彼女の呪文が完成。体の周りを、大蛇のように巨大な氷の槍が回る。
 杖を振り下ろすと、氷の槍(ジャベリン)がデュグルドめがけて飛んだ。

「こんなもの!」

 再び数発の闇の礫を生み出して、デュグルドは、それで氷の槍を迎え撃つ。
 粉々に砕け散る『ジャベリン』。キラキラ光る氷の破片が、割れたガラスのようにデュグルドを襲う。

「なにぃっ!?」

 氷の欠片の隙間から、デュグルドにも見えた。
 タバサがもう一本を発射すべく、杖を振りかざしている!

「一本目は囮か!」

 そう。
 タバサは同時に二本、槍を作り上げていたのだ。
 二本目がデュグルドに向かって解放される!

「うぉおおおおおおお!」

 声を上げ、あわてて跳んで、さらに身を捻るデュグルド。 

 ……たんっ。

「やるじゃねぇか。思ってたよりも、さ」

 着地と同時に、静かな口調で言うデュグルド。その身につけたマントが、ざっくり裂けている。
 魔族の場合、それも体の一部だと思うのだが。
 顔のない魔族は、バサリとマントをひるがえし……。
 同時に、マントの裂け目がスゥッと消えた。

「……それならこっちも、少し本気で相手してやるか」

 デュグルドの周りに、十数個の闇の礫が生まれた。

########################

「行きますっ!」

 言い放ち、口の中で呪文を唱えつつ、姫さまがグドゥザに向かってダッシュする。
 ええっ!? キュルケが前衛、姫さま後衛のつもりで組んでもらったのに……。これじゃ、姫さまが危険じゃないの!

「……くふふ……そちらから来てくれるかい……」

 ザワリと髪をゆらめかせ、グドゥザもまた、姫さまに向かって進み出た。
 姫さまが呪文を唱え終わる。
 同時に、地面に落ちたグドゥザの影が、姫さまに向かってズルリと大きく伸び広がった。
 おおっ! なんと姫さま、これを見事にかわす。
 ……というより、影云々ではなく、最初から予定の動きだったようである。

「何っ!?」

 姫さまに隠れるように立っていたキュルケ。
 その姿をグドゥザが認めると同時に、キュルケの杖から炎の蛇が飛び出す!
 姫さまに注意を向けさせておいて、彼女の背後で準備していたキュルケが魔法攻撃する作戦だったのだ。
 しかし。

「……ばかめ……人間の浅知恵にすぎぬわ……」

 魔族は小さくつぶやき、バッと飛び退いた。
 キュルケの炎の蛇は、グドゥザに届くことなく、逆に魔族の影に巻き付かれて消滅する。
 さらに。

「……挟撃のつもりかもしれんが……無駄よのぅ……」

 なんと!
 反対側から迫り来る水の塊をも、グドゥザは小さく身を捻ってかわす。
 姫さまの放った魔法の水球は、グドゥザのわずかに横を通り過ぎ……。

「がぅわっ!?」

 思わず叫んで後ずさりするグドゥザ。
 避けたはずの水の塊が、グドゥザのすぐ真横ではじけ散ったのだ。
 魔力の破片を全身に浴びた形だが、術が拡散しているぶん、かなり威力はダウンしているはず。グドゥザにしても、やや熱すぎるシャワーをいきなり浴びせられた、程度のダメージしか受けてはいないだろう。
 ただ単に、意表をつかれて驚き、さがったに過ぎない。
 大地に落ちたグドゥザの影は消えていないのだ。術の集中が破れていない証拠である。しかも、その影は今……。

「……あたし……これじゃアンの身替わりじゃないの……」

 姫さまの後ろにいたキュルケを、完全に拘束していた。
 あの位置関係では仕方あるまい。作戦ミスというかなんというか……。キュルケ、早くも脱落かな?

########################

 そして……。
 私とサイトもまた、戦いを開始していた。
 デュグルドや姫さまが、それぞれ駆け出した瞬間……。

 ボコッ!

 暗殺者『地下水』の周囲の土が盛り上がり、こぶし大の砲弾となって私たちに飛んできた。これは……土魔法の『土弾(ブレッド)』!
 あいかわらず、杖もなしに系統魔法を使う、厄介な奴である。今の『地下水』はナイフを手にしているので、以前にもチラッと考えたように、あれを杖として契約しているのかもしれないが……。
 ともかく。
 私は横に大きく跳んで回避し、サイトは正面から立ち向かう!

「はっ!」

 気合い一閃、デルフリンガーを振るうサイト。
 暗殺者の放った『土弾(ブレッド)』は、いともアッサリ砕け散った。
 サイトは、そのまま『地下水』に向かって突っ込んでゆく!

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

 私のエクスプロージョンは、いつでも撃てる状態。
 しかし今は、しかけるのにはまだ早い。
 前回の対戦では、『地下水』は魔法で地面から土の盾を作り出し、それで私のエクスプロージョンをしのいでいた。もちろん一撃で粉砕される程度の脆い盾だが、それでも次々と作られればイタチごっこ。しかも周囲は土煙で視界も悪くなる。
 ……あの二の舞は避けたい。ならばまず、サイトの攻撃を待って、『地下水』が弱って魔法も使えなくなったところで、私がエクスプロージョンで決める!

「また前のように……ぶった切ってやるぜ!」

 左手のルーンを光らせながら、サイトがデルフリンガーを振りかぶった。
 これに対して、『地下水』は私の予想どおり、土の壁を……。
 ……いや、これは単なる壁じゃない!?

「なんだ!?」

 驚きつつも、斬り下ろすサイト。
 だが。
 それを受け止めたのは、人間大のゴーレム。
 そう。
 今回『地下水』の前で盛り上がった大地は、人のような形をとり、器用にサイトの剣を両手で挟み込んでいた。

「こいつ!? 土人形のくせに、真剣白羽取りかよ!」

「相棒、なんとかしてくれよ。こんな奴に掴まれたままじゃ、俺も嫌だよ」

 サイトがゴーレムに武器を封じられている間に。
 ゴーレムの影から現れた『地下水』が、右手のナイフを突き出し……。

「うぁっ!?」

 慌てて避けるサイトだが、これはフェイントだった!
 反対側から本命が来る!

「がぁっ!」

 暗殺者の放った蹴りが、まともにサイトの腹に決まっていた。
 サイトの体が、大きく後ろに吹っ飛ぶ。
 ……もうタイミングを見計らってる場合じゃない!
 私も杖を振り下ろし、唱え終わっていたエクスプロージョンを『地下水』に向けて解き放つ。
 しかし暗殺者は、私の方を見ようともせず。
 代わりに、ゴーレムがデルフリンガーを投げ捨てて、私と『地下水』との間に仁王立ち。

 ボンッ!

 文字どおり身を挺して、私の術を迎撃した。

「……う……くっ……」

 向こうでサイトが身を起こす。
 どうやら蹴りを入れられた瞬間、後ろに大きく跳んで、威力を殺したようである。さすがサイト、私の使い魔。

「……なんだよ……前とは戦い方が全然違うじゃねえか……」

 あ。
 私にしてみれば、前回同様に『土』魔法を多用してるな……くらいの感じだったが。
 その『前回』にサイトはいなかったし、私も彼に戦闘の詳細を伝えていなかったんだっけ。
 こんなことなら、もう少しちゃんと話しておけばよかったかも。
 ……私は、わずかに後悔した。

########################

「来いよ! 人形娘!」

 嘲りをこめて、デュグルドが声を上げる。
 ……こんな短い戦いの時間で、もうタバサは、人形のように無表情な少女として認識されたらしい。

「……」

 挑発には応じず、無言で駆け出すタバサ。

「ひとつ!」

 デュグルドが、後ろにさがりながら声を上げた。
 魔族を取り巻く闇の礫の一つが、タバサに向かって突き進む。
 しかしタバサは、空気の刃を生み出して、それをアッサリ弾き散らした。

「ほぅ!? ならば……ふたつ!」

 わずかに軌道とタイミングをずらして放たれた礫。
 詠唱の余裕がないために、タバサは強力な呪文が使えない。それでも、氷の矢や空気の刃を一、二本繰り出す程度は簡単。
 デュグルドの攻撃を、またも楽々けちらした。

「ならば……みっつ!」

 やはりこれも、全く同じ運命をたどる。
 ジワジワと後退を続けていたデュグルドの背が、森の大木の一つに当たった。
 もはや後ろに逃げることは不可能!
 魔族が次のカウントをするより早く……。
 タバサの呪文が完成する!
 ……それまでのような小技ではない。いつのまに唱えていたのか、結構な大技だ!

「また、それかよ!?」

 デュグルドの嘲笑にも構わず、自分の背丈よりも大きな杖を回転させるタバサ。
 杖に導かれるようにして、氷の槍も回転する。
 回転するうちに膨らみ……。
 太く、鋭く、青い輝きを増していく。

「さっき食らった技など、二度とは食らわないぜ!」

 豪語するデュグルドに向けて……。
 杖を振り下ろすのではなく。
 杖を突き出した格好で、自分ごと走り出すタバサ。
 なるほど、これなら『氷の槍(ジャベリン)』が放たれるタイミングがわかりにくい。杖を叩き付けてゼロ距離から発射することも出来るだろう。
 タバサの杖は『ブレイド』には向かない形状だが、こういう使い方をすれば、接近戦も十分いける。

「ほう! やるじゃないかっ!」

 声と同時に、残る闇の礫の全てが、向かい来るタバサに降り注ぐ。

 ビヂッ!

 小さな黒いプラズマを走らせ、礫は全て消滅した。タバサの周囲を回る、氷の槍の回転に巻き込まれたのだ。
 一方、少しサイズを減じたものの、タバサの『氷の槍(ジャベリン)』は健在。
 そのままタバサが突っ込む!
 デュグルドを守るものは、もう何もない!
 タバサがグイッと杖を突き出し……。

 ……ヴン……。

 その瞬間、虫の羽ばたきにも似た音を立て、デュグルドの体が背中から大木に溶け込み消える!

「……!?」

 さすがに表情を変えるタバサ。
 急いで手を止めようとするが、もう遅い。

 ガヅッ!

 放たれた氷の槍は、むなしく大木に突き刺さり、幹を凍らせただけ。

「……危ない危ない。さすがに、そんなもんの直撃は俺も嫌だぜ」

 とぼけた声は、タバサの後ろから聞こえた。
 あわてて振り向きつつ、タバサはバッと大きく飛び退くが……。

「ぐっ!?」

 新たに作り出されたデュグルドの礫が、彼女の左肩に命中した。
 続いて別の一発が右脚をかすめ、タバサは足をもつれさせる。
 倒れ込んだ彼女の方へ、デュグルドがゆっくりと歩み寄る。

「魔族が空間を渡るのを見るのは、初めてかい?」

 帽子のツバを右手でクイッと下ろしながら、

「この世界に来る際、何かに憑依して具現化したわけじゃないからな。俺たち純魔族は精神体だから、その気になりゃあ、こういう芸当もできるってわけよ」

 勝ち誇った声で、デュグルドが言った。

########################

「しゃぁぁぅっ!」

 グドゥザが、姫さまとの間合いを一気に詰める。

 ざわわっ!

 魔族の黒く長い髪が、彼女に向かって伸びたその瞬間。
 姫さまもまた、グドゥザに向かってダッシュをかけた。
 ……姫さまったら、なんでこんなに接近戦をやりたがるのかしら?
 さっきはキュルケとの打ち合わせだったのであろうが、今回は事情が違う。
 そのキュルケは今、グドゥザの影に拘束された状態。厳密には影そのものではなく、影の中から伸びたグドゥザの髪がキュルケに巻き付いているようだが、髪の色が色なだけに、影と見分けがつかない。

「あたしは……完全に無視なのね……」

 身動きはとれず、かろうじて口だけが動くキュルケ。
 おそらくグドゥザとしては、姫さま共々、動きを封じてから嬲り殺しにするつもりであろう。
 グドゥザと姫さまの身が互いに近づき、姫さまは、勢いよく左手を突き出した。
 瞬間。
 その左手に、グドゥザの髪が絡み付く!

 ぼぎんっ!

 鈍い音が響いた。
 グドゥザの笑みが深くなる。
 だが姫さまは、苦痛の声を上げる代わりに。

「左手は囮です」

 右手の杖を振り下ろし、呪文を解き放つ!

「ぎぎゃうっ!?」

 悲鳴を上げて跳び退く魔族。
 髪を姫さまから離しただけでなく、衝撃で術が解けたとみえて、キュルケの身まで解放された。

「ありがと、アン」

「どういたしまして」

 気さくに言葉を交わす二人を、グドゥザが睨みつける。

「……き……きさま……」

 姫さまが使った魔法は『水鞭(ウォーター・ウィップ)』。鞭と言えば聞こえはいいが、鋭利な剃刀のように薄くすれば人間を切り裂くことも出来る、手ごわい技だ。
 さすがにグドゥザは魔族だけあって、今の一発で滅ぶということはなかったし、斬られたような痕もない。だが、それでも結構こたえているらしい。
 ……とはいえ今の攻防で、姫さまも左手を折られている。

「……正気か!? 自分の手を一本、犠牲にするなどっ!?」

「こうでもしなければ、勝てそうにないですから。それに……」

 不敵な笑みを浮かべて言う姫さま。

「……わたくしも少しは頑張らないと、おともだちのルイズに笑われてしまいますわ」

 それはちょっと頑張る方向性が違う……。
 やせ我慢しているのが見え見えの姫さま。彼女の額には、うっすらと汗が滲んでいる。

「……なるほど……私が間違っておったよ……」

 ぽつりとグドゥザがつぶやいた。
 姫さまも次の呪文を唱え始める。
 キュルケはグドゥザの死角から炎の球を放ったが、これを魔族はヒョイッとかがんで避ける。……よく考えてみたら、死角も何も、もともとグドゥザに目なんてないってことね。

「嬲り殺しにして、恐怖と苦痛を食ろうてやろうと思ったが……そんな悠長なことも言っておられんようだね……」

 言うなり……。
 しゃがんだ姿勢のまま、グドゥザは、地面に落ちた自分の影に両手をつく。

「また影を使った攻撃ね!?」

 叫んで身構えるキュルケであったが……。
 グドゥザの手が手首のあたりまで溶け込むと同時に。
 
 ビクンッ!

 キュルケと姫さまの体が、小さく震えた。
 見れば、二人の足下。
 二人それぞれの自身の影から、グドゥザの手が生えており、ガッチリと二人の足首を捕えていた。

「何よ、これ!? なんであたしの影から、あなたの手が出て来るの!?」

 キュルケが悲鳴を上げる。
 それに紛れるかのように、姫さまは呪文を唱え続けていた。

「……くふふ……全身を砕いてやるわ……」

 恐怖心を煽るためか、いちいち口にするグドゥザ。
 その黒い髪が、まるで無数の細い生き物のように、ザワリと蠢き、大きく伸びる。床についたその途端、やはりキュルケと姫さまの影の中から、ゆらめく髪が這い出した。
 二人の足に巻き付き、はい上がろうとするが……。
 その瞬間。
 水の塊がグドゥザ本体を包んだ。姫さまの魔法攻撃である!

「小娘! この程度の魔法で、私の動きを封じたつもりか!?」

 水柱の中で叫ぶグドゥザ。人間ならば息が出来なくなるが、魔族のグドゥザには痛くも痒くもないということか……?

「……フン!」

 グドゥザの掛け声と共に、ザバーッと水柱が四散する。その気合いだけで、力押しで姫さまの術を破ったのだ。
 しかし。
 この水柱、姫さまの魔法で作られたものだけあって、それなりの精神力がこめられていたらしい。
 魔族のグドゥザにも多少なりともダメージを与えたようで、人間で言えば肩で息をしているような感じになっていた。
 さらに。

「残念でした。わたくしは、あくまでも囮なのですよ」

「……何?」

 ボウッ!

 炎の蛇に巻き付かれ、グドゥザの体が紅い火柱と化す!
 悲鳴さえも上げぬまま、グドゥザは火の中で焼き尽くされてゆく。

「やった……のかしら?」

「おそらく……」

 姫さまが、キュルケの言葉に頷いた。
 魔族が姫さまの魔法に集中していた隙に、その意識の範囲外から、キュルケが得意の魔法を撃ち出したのである。
 影から上がった手や髪は既に消えて、キュルケも姫さまも、普通に動けるようになっていた。
 やがて……火柱が完全に収まった。
 グドゥザの姿はない。

「……ふぅ……」

 二人同時に、小さく息をついた。
 が、その瞬間。

 ぐごぉっ!

 魔力の衝撃波の直撃を受けて、二人はまともに吹っ飛ばされた。
 
「っあっ!?」

「いっ!」

 森の大木に叩きつけられて、そのまま地面に倒れ伏す。
 術を放ったのは……グドゥザ。
 その真っ白い顔だけが、人の顔ほどの高さのところに浮かんでいた。

「……くふ……今のは……さすがにこたえただろう……?」

 言うグドゥザの顔から、闇がザワリと伸びた。
 それは見る間に、また髪と体を造り出す。

「……えっ……えっ……?」

「……う……くっ……」

 二人は小さく呻き声を上げ、倒れたままで、視線だけをグドゥザに向ける。

「とっさだったのでね……。精神体の抜け殻だけを囮にして消えてみたのさ。まんまと引っかかってくれたようだね。……しょせんお前たち人間の攻撃など、私たち魔族がその気になれば防げんことはない、ということさ」

 再び髪を揺らめかせ、ゆっくりとグドゥザは二人に歩み寄る。

「……さぁて……それじゃあ殺してあげるかね……」

 グドゥザの真っ赤な口が、笑みを刻んだ。

########################

「……ま、考えてみりゃあ、戦い方どうのこうのは、俺には関係ねえな」

 立ち上がったサイトは、転がったデルフリンガーのところまで歩き、それを拾った。
 不敵な笑みさえ浮かべつつ、サイトが再び魔剣を構える。

「俺は……ただ敵を叩き斬るだけだ!」

 ……言ってることは間違っちゃいないが……相手は『地下水』だぞ!?
 大口叩くのはいいが、勝算はあるのか? 勝算は!?
 ここが荒野のど真ん中とかいうなら、間合いを取って竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)の一発もぶちかましてやるのだが、周りにはサイトたちもいるし、まがりなりにもティファニアの家の庭。
 おそらく異空間か何かになっているのであろう、魔族たちの張った結界の中。ここで竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を使った場合、現実世界にどんな影響が出るか、わかったもんじゃない。
 となれば、私は小規模な爆発魔法で、横からチマチマちょっかいかけるしかない。主戦力は、あくまでもサイト。

「サイト! なぜか『地下水』は、土魔法が得意になってるみたい! 気をつけなさい!」

「そんなこと言われても……俺には魔法のことはよくわからねえぞ!?」

 せっかくのアドバイスも、サイトには役に立たないか。
 私たちが言葉を交わす間に、暗殺者の周囲の地面が再び盛り上がり……。
 うん、やはり戦闘パターンが変わっている。
 トリスタニアで戦った時は、『地下水』は水魔法の『スリープ・クラウド』を得意技にしていた。以前の『地下水』ならば、魔族の結界に頼ることなく、私たち以外は魔法で眠らせていたであろう。
 ……ん? そもそも、こいつ、なんで結界なんて張ってもらってるんだ?
 などと私が思いを巡らせるそのうちに、サイトと暗殺者とがぶつかっていた。

「ひゅっ!」

 気合いと共に、けさがけに斬り下ろすサイト。
 暗殺者は……避けない!

 バチッ!

 火花を撒き散らし、サイトの剣戟が止まった。
 左手のひらを覆った『土弾(ブレッド)』で、『地下水』がデルフリンガーを受け止めたのだ。
 ……といっても、土の塊で剣を受けられるわけがない。おそらく『錬金』で硬化させたのだ。先ほどの音も火花も、金属と金属とがぶつかった感じである。

「ちいっ!」

 叫んで後退するサイト。
 彼の腹を狙って、『地下水』の右手が繰り出されたからだ。こちらの手にはナイフが握られており、まともに食らったら痛いでは済まないはず。
 ……まあ、なんだかんだ言って、サイトは『地下水』と互角に斬り結んでいるっぽい。心配なのは、むしろ他の三人。合間を見て目をやっているのだが、おせじにも有利な状況とは言えなかった。
 タバサは礫を受けた左肩を血で赤く染め、姫さまやキュルケは倒れて動けない。
 どうする? そっちの三人の援護に回るか? しかし『地下水』がそれを許すとも思えない。
 私が魔族二人と戦い始めたら、『地下水』はサイトをほっぽって、そっちに加わりそうだ。乱戦になったら、動けぬ三人なぞ、かえって危険……。
 ……それくらいなら、いっそのこと。
 ふと思いついた私は、増幅の呪文を唱え、そして……。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 構えた私の杖に沿って、闇の刃が生まれ出る。
 その魔力に反応し、振り返る魔族二人。

「まさか……その魔法は……!?」

「人間ごときが……生意気な!」

 続いて、サイトと戦っていた暗殺者が、魔族たちに叫ぶ。

「虚無の娘は私が倒す! 手を出すな! そういう約束のはずだ!」

 しかしこれを発動させたのは、魔族を驚かせるためでもなければ、『地下水』と斬り合うためでもない。
 私は、あさっての方向に走り出し……。

 ざむっ!

 何もないはずの虚空に、確かな手応えがあった。
 魔族の結界を切り裂いたのである。
 それも、いともアッサリと。
 さすがは、金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)の術……。
 そして。

 ……ざわり……。

 森のざわめきが戻ってきた。
 子供たちの遊んでいる姿や声も復活する。
 その視線が、一斉に私たちに集まった。私たちはともかくとして、暗殺者や魔族の姿に驚いているのだ。
 硬直する子供たち。その一人が、遊具のボールをポトリと落とした。

「……ちっ!」

 小さく舌を打つ『地下水』。
 その動揺の色を逃さず、サイトが上段から斬りつける。
 間一髪。
 これを暗殺者は、後ろへ跳び退いてかわす。

「退くぞっ! グドゥザ! デュグルド!」

「……ちっ。いいところで……」

「……しかたがあるまい……」

 三人はその身をひるがえし、森の奥へと消えていった。
 私たちはその場を動かない。
 うかつな深追いをすれば反撃を食うのは目に見えているし、それに何より、倒れたままの仲間を放り出していくわけにはいかなかった。

「なんだ!? あいつら……なんで退却してくんだ!?」

「私が結界を破っちゃったからね」

 つぶやくサイトに、とりあえずの答えを返す。
 わざわざ結界を張ったくらいだから、無関係な者には見られたくないのだろう。そう思って試しにやってみたのだが、上手くいったらしい。
 まあ、彼らが何を考えていたのか、本当のところは私にも判らない。ただの恥ずかしがり屋さん、ということもあるまいし……。

「……そうか。そうだよな、暗殺者とか魔族とかって、闇に生きる者たちだもんな」

 サイトはサイトで、何やら勝手に納得していた。
 ……うん、今はサイトはどうでもいい。

「姫さま!」

 私は彼女に駆け寄り、そっと抱き起こす。

「……だいじょうぶ……です……」

 左腕を折られ、ほかに外傷はなさそうだが、魔力衝撃波の直撃は、かなりこたえたようである。
 同じ攻撃を受けたキュルケも、いまだ起き上がれない。

「……今……呪文唱えますから……」

 姫さまは右手で杖を振って、自分に『治癒(ヒーリング)』をかけていた。
 見れば、タバサも肩の傷を自分で治そうとしている。姫さまほどではないが、彼女も少しは使えるメイジのはず。
 ……ともかく。
 こうして私たちは、ウエストウッド村での最初の襲撃をはねのけたのであった。





(第四章へつづく)

########################

 だいたい一話当たり一万文字強を目安に書いているのですが、複数敵との戦闘描写を「スレイヤーズ」的に場面転換しながら書くだけで、結構な文字数になってしまうのですね。これでも原作の該当シーンよりは転換場面数を減らしたのですが。
 なお「ゼロ魔」原作9巻224ページに、『詠唱の余裕がないために強力な呪文が使えない。自然、氷の矢や、空気の刃が一、二本繰り出されるだけだ』というタバサの戦闘シーン描写があったので利用しましたが……。この『氷の矢』って、『ウインディ・アイシクル(氷の矢)』とは別物なんですよね? 後者はトライアングルスペル、それこそ『強力な呪文』になってしまいますが、あれは一度に無数の氷の矢を放つ魔法。たぶん『一、二本繰り出されるだけ』ならば、もっと簡単な呪文詠唱でいけるのだろう……と判断して、使いました。

(2011年7月2日 投稿)
    



[26854] 第六部「ウエストウッドの闇」(第四章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/05 23:40
   
 とりあえず『地下水』は撤退したものの、また来ますという匂いがプンプン。
 私たちは、少しの間、このウエストウッド村に留まることになった。
 といっても、六人と一匹——私とサイトと姫さまとキュルケとタバサとジュリオとフレイム——全てが宿泊できるような大きな家も部屋もあるはずがなく。
 いくつかに別れて、それぞれの家に泊めてもらうことに。
 そんなわけで……。

「今日も色々あったが……そろそろ寝ようぜ」

 夕食後。
 私とサイトは、割り当てられた部屋へと引きこもる。
 ティファニアの家の、空いている一室。こじんまりとした部屋である。
 ベッドの脇に窓が一つ、反対側にドアがあった。部屋の真ん中には丸い小さなテーブルが置かれ、木の椅子が二脚添えられている。
 粗末なベッドだが、白いシーツに、柔らかい毛布がかけられていた。私とサイトの二人だから、これで十分であろう。

「うーん……。でも、その前に……」

 ボーッと窓から外を見ていた私は、言いながらサイトに振り返る。

「……ちょっとその……今夜。つきあってほしいの」

 言うなり……。

「おでれーた! 娘っ子の方から、相棒を誘うなんて!」

 壁に立てかけられた剣が、コソッとつぶやいた。

「相棒も、てーしたもんだ! 主人からそっちの誘いを受ける使い魔なんて、初めて見たぜ!」

「……ちょっ……!? ちょっと! そ、そ、そーゆー意味のわけないでしょ!? か、勘違いしないでよね!」

 見れば、ベッドの毛布をめくっていたサイトの手は止まり、その顔も……。

「バカ犬! あんたまで……何を赤くなってるのよ!?」

「……いや……だって……なぁ……」

「そーじゃなくてっ! ……つまりちょっと、剣の練習したいから、つきあって欲しいのよ!」

「……剣の練習?」

 サイトが不思議そうな声を出せば、

「娘っ子は担い手だ。相棒が守ってくれるし、必要ねーだろ」

 デルフリンガーも、そう言う。
 しかし、私は首を振って。

「サイトだって、いつもいつも私に張りついてるわけじゃないでしょ」

 さらに頭をかきつつ。

「昼間の戦いでも思ったんだけど……。『地下水』の動きについていけないから、なんて言ってたら、サイトとあいつが戦ってるのを横で見てるだけ。私の方から積極的にかかって行く、なんてことはないにしても、ある程度の対応は出来るようにしておきたいし……」

「……ま……確かにそうだな……。それに……娘っ子も、剣の魔法を覚えたわけだしな」 

 そう。
 せっかく使えるようになった『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』も、今の私では、宝の持ち腐れなのである。
 デルフリンガーの言葉に納得して、サイトも頷いていた。

「そうか。修練はしておくにこしたことない、ってことか。……じゃあ、さっそくやるか」

「ええ。今なら、庭には誰もいないしね」

 そして私たちは連れ立って、星明かりに照らされた外へ出る……。

########################

 翌朝。
 私とサイトが朝食のテーブルへ向かうと、すでに皆が席に着いていた。

「遅かったわね。先に始めてるわよ」

 ボイルされた青野菜を口に放り込みながら、キュルケが声をかけてきた。
 
「おはよう、ルイズ。ずいぶん疲れていたようですから、無理に起こさずに、もう少し寝かせておこうと思ったのですけれど……」

 トーストにジャムを塗りながら、説明する姫さま。
 森で採れた蛇苺で作ったジャムであろうか、いい香りがする。

「ありがとうございます、姫さま。おかげさまで、疲れもとれました」

 軽く礼を言って、私は椅子に腰かける。
 口では「疲れもとれた」と言ったものの、実際のところ、そうでもない。原因はもちろん、昨夜の剣の稽古。
 途中でサイトから言われたのだが、私には、正面からの攻撃を左に避ける癖があったらしい。
 あらためて意識してみれば、確かにそのとおり。かといって意識すれば、とっさに体が動かない。
 サイトが私との練習用に使ったのは、よくしなる細い木の棒だが、これがまぁ面白いようにピシピシピシピシ当たること当たること。……いや私にしてみれば、ちっとも面白くないけど。
 おまけに、違うように避けようと意識しまくっていらない力が入ったらしく、いざ訓練が終わってみれば、あちらこちらの筋肉が突っ張って……。

「あら?」

 キュルケが私を見て、首をかしげた。
 筋肉痛のために私は、椅子に座る仕草が少しぎごちなかったようだ。

「昨日の戦闘が激しくて、やはり疲労が残っているのですか?」

「そんなはずないわ、アン。あたしたちと違って、ルイズはダメージらしいダメージも負わなかったもの」

 キュルケや姫さまは、昨日は魔族に結構ひどく痛めつけられたわけだが、今はすっかり元気になっている。
 これも姫さまの水魔法と、ティファニアの家にあった薬のおかげ。ティファニアたちは人里離れた森に暮らしているだけあって、ケガや病気に対する薬の備えはシッカリしていたのだ。

「ああ、気にしないでくれ。ルイズが疲れてるのは、俺のせいなんだよ。昨日の夜、寝る前に二人で、ちょっと……。なんつーか、頑張りすぎちゃってさ」

 軽く説明のつもりで、サイトが口を挟む。
 だが、これが思わぬ反応を呼んだ。

「なーんだ。あなたたち、やっぱり、そういう仲だったのね」

「ああルイズ、わたくしのおともだち! 昔約束したのに……忘れてしまったのですか? そういうことになる前は、ちゃんとお互い報告しましょうね、って……」

 キュルケはニヤニヤし、姫さまは少し複雑な顔をする。
 タバサやジュリオは、サイトに向かって。

「……私はあなたに仕える騎士。あなたの幸せを祝福する」

「サイト、君も意外とやるもんだねえ」

「……へ?」

 何を言われているのか意味がわからないという顔をするサイト。
 そして、フーケやティファニアまでも。

「ああ……。朝っぱらから、そういう話をするってのは感心しないねえ。ここには小さな子供たちもいるんだよ」

「マチルダ姉さん? みんな……何の話をしてるの?」

「お前はわからなくていいんだよ、ティファニア」

 ……ひどい。あまりにもひどい。
 信じられないくらい酷い誤解をされて、思わず私も大激怒。

「み、み、みんな何を勘違いしてんのよ!? わ、わ、私が……こ、こんなバカ犬と……」

「わっ!? おいルイズ、俺が何したって言うんだ!? ちょっと待てっ!」
 
 怒りの矛先は、当然サイト。
 どう考えても、サイトの言い方が悪かったのだ!
 でも場所をわきまえて、エクスプロージョンではなく蹴り跳ばすだけで済ませたのだから、ずいぶんと私も成長したものである。

########################

 そんなこんなで朝から一騒動あったわけだが、みんなの誤解もとけて、その場も落ち着いたところで。

「皆さんが揃うまで待ってたんだけど……私の方からもニュースがあるんです」

 やや深刻そうな表情で、話を切り出すティファニア。彼女は、チラッとアルトーワ老を見てから、言葉を続ける。

「アルトーワさんの記憶が戻ったらしいの」

「記憶が戻った? そりゃあよかったな、おめでとう」

 サイトが単純な意見を述べる。
 私たちが来たり『地下水』の襲撃があったり、というゴタゴタしたタイミングで、うまい具合に記憶が回復。これはこれで何だか怪しいのだが、サイトはまったく気にしていないらしい。
 ……タバサから事前に正体を聞かされていた、ってボロを出さないだけでも、まぁサイトにしてみれば上出来か。

「はい。どうして森で倒れていたのか、そこまでは思い出せないのですが……。しかし、自分が誰なのか、それに関してはハッキリしました。……ガリアの伯爵貴族で、グルノープルの領主をしていた者です」

 あらためて自己紹介をするアルトーワ老。
 ふむ、タバサの情報どおりである。
 タバサと知己のような態度は見せていないが、それは彼女を『シャルロット』だと気づいていないからなのか、あるいは、気づいた上で敢えて知らないフリをしているのか。

「……自分の領地があるとわかった以上、いつまでも、ここに滞在しているわけにもいきません。今頃は、家来の者たちが私の身を案じていることでしょう」

 そりゃそうだ。
 普通、身分の高い者は、その分、行動の自由が制限されるものである。……私たちが言っても、あまり説得力ないかもしれないけど。

「つきましては、おいとまをいただきたいのですが……」

 まだ執事役のつもりか、ティファニアに向かって頭を下げるアルトーワ老。
 伯爵貴族にそんな態度を見せられては、彼女の方が戸惑いをみせる。

「そんな……おいとま、だなんて……。もちろんです、早く帰ってあげてくださいな」

「ですが……。まだまだ助けてもらった恩返しが不十分。きちんと礼を尽くさねば、貴族の名がすたります。……そこで一つ、提案があります」

 顔を上げたアルトーワ老は、ティファニアと子供たちを見回して。

「みなさんを、私の領地に引き取りたいのです」

「……え?」

 驚いて言葉を失うティファニア。
 だが外野の私たちから見れば、なるほどそうきたか、という思いである。
 つまり。
 ハーフエルフであり旧アルビオン王家の遺児でもあるティファニアは、人前に出ることは出来ない。だから、こんな辺鄙な森の奥に隠れ住むしかないが、これはこれで不便な生活となる。それよりは、領主の庇護のもとで安全な隠れ家を提供されたほうがいいはず……。

「でも……私……」

 ティファニアが、困ったように身をよじらせ始めた。

「ティファニアさんも子供たちも、皆いっしょです。生活は私が保障します。……以前に、外の世界が見たいと言っていたではありませんか?」

 するとティファニアの顔が、わずかに輝いた。それから彼女は、意見を求めるかのようにフーケを見つめる。
 今までずっとティファニアたちを援助していたフーケが、簡単に許すわけもないのだが……。

「いいよ。行っておいで、ティファニア。お前もそろそろ、外の世界を見たほうがいい年頃だ」

 私たちの顔が驚きの形に歪む中。

「おお! ありがとうございます! マチルダさんにそう言っていただけるとは……」

「わーい! 外の世界だ!」

 アルトーワ老は満面に笑みを見せ、子供たちもはしゃぎ出す。
 ティファニアは、フーケに再度、確認をとっていた。

「いいの? 本当に?」

「ああ。ここも少し危険なようだからね。厄介ごとを持ち込んだ連中がいてさ」

 チラッと私たちに嫌味を言ってから、再びティファニアに優しい目を向ける。

「……それに、わたしは今や文無しでね。仕送りをしたくてももうできないのさ。今回ここに来たのも、それを告げるためでね。言い出しにくくて、今日まで引っ張ってしまったけど」

 どうやって脱獄したかは知らないが、いったん捕まってしまった以上、フーケの盗賊稼業もおしまいなのだろう。そうなれば、孤児院の資金援助なんて、もうできるはずもない。
 ……あれ? ということは、これって、フーケをつかまえた私たちのせい?

「マチルダ姉さん……」

 ティファニアの顔が、くしゃっと歪んだ。
 彼女にフーケが近づき、ギュッと抱きしめる。

「馬鹿な子だね。なんで泣くんだい?」

「だって、そんなに苦労してるんなら、どうして言ってくれなかったの?」

 ごしごしと目の下をこすりながら言うティファニア。

「娘に心配をかける親がいるかい?」

「マチルダ姉さんは、私の親じゃないわ」

「親みたいなもんだよ。だって、小さなときからずっと知っているんだものね」

 ティファニアだけではない。
 他の子供たちも二人のところに駆け寄って、一緒になって泣き始める。
 ……朝食の席だというのに、ちょっとした愁嘆場となってしまった。

########################

 三日後。
 私たちは、森の中をトボトボと歩いていた。
 アルトーワ老が伝書フクロウを送って色々と手配し、ロサイスまでの馬車をも用意してくれたらしい。ただし馬車は森の小道には入れないので、森の出口に待機。そこまでは徒歩である。
 はしゃぎながら子供たちが先を行くため、彼らとティファニアが先頭集団。今も賑やかに会話しているのが、私たちのところまで聞こえてきた。

「ねえ、テファお姉さん」

「なぁに、エマ?」

「ガリアってどんなとこ?」

「さぁ、私も行ったことがないから、よくわかんないな」

「楽しいといいね」

「楽しいわ、きっと」

 ここからでは表情までは見えないが、きっと彼女は、子供たちを安心させるために、微笑んでいることだろう。
 彼らから少し離れて、フーケ、アルトーワ老、ジュリオ。さらに間を置いて、キュルケとフレイム、タバサに姫さま、そして最後尾が私とサイト、といった陣容で進んでいる。

「……だけどよぅ、本当にこれでよかったのかな?」

 隣でサイトが、小声でつぶやいた。
 独り言だったのかもしれないが、私は彼に顔を向ける。

「何の話?」

「いや、俺たち、こうしてティファニアたちについてきちゃったけど……。ウエストウッドに来い、って言われてたんだろ?」

「だから、ちゃんと村まで行ったじゃないの。その村の住民が全員で大移動するのであれば、私たちだけ残ってても意味ないでしょ」

 村を発つことが決まってから出発までの三日間。
 てっきり『地下水』たちの再襲撃があると構えていたのだが、そんなものは何もナシ。平和なら平和でそれに越したことないが、どうもなんだか、嵐の前の静けさのような不気味さを感じる。

「誰かを殺す、って脅されて来たわけだから、ある意味テファたちは人質だったのよ。だから一応、私たちがロサイスまで警護するわけ。……出発前に話し合って決めたのに、もう忘れちゃったの?!」

「ああ、ごめん。あんまり話聞いてなかったから……」

「相談の場では、相棒は役に立たないからな。仕方ねーだろ」

「フォローありがとう、デルフ」

 こらサイト、今のはフォローじゃないぞ。
 それはともかく。
 私は声をひそめて、あらためてサイトに告げる。

「……わざわざ『地下水』が私たちをウエストウッドまで呼びつけた意図が、どうもよくわからないの」

「それなんだけどさ。人の多いところより、田舎の小さな村の方が思いっきり戦える……って単純な理由じゃないのか?」

 しかし私は、呆れたように首を振る。

「あのねぇ……。だったら何もアルビオンくんだりまで呼び寄せる必要はないでしょ。それに、ここだって無人の村じゃないから、魔族の結界まで張ってたじゃない」

「そうか……。魔族も絡んでるんだよな」

「暗殺者と魔族との関係も、イマイチ不明だけどね。……前に『地下水』雇ってたのは偉い人のフリした魔族だったし、今回もそうなのかもしれないけど」

 暗殺者が私を狙っている理由は、やり残した仕事と自身の意地だけではないかもしれない。それとは別に、誰かに雇われている可能性もあるのだ。
 ふと私は、視線を前へと向ける。集団の真ん中あたりを歩く、アルトーワ老の方へと……。
 私の目の動きに、サイトも気づいたらしい。

「……まさか、あの老人が……?」

「かもしれないってこと」

 前にも話し合ったように、彼の記憶喪失は嘘かもしれないし、あの老人こそが『地下水』の正体かもしれないのだ。

「なあ、フーケは? フーケだって、色々と怪しいんじゃねえか?」

 私は少し考え込んでから、サイトの意見をキッパリ否定する。

「……いいえ。彼女を疑うのは筋違いね」

 確かに私たちは彼女と敵対したが、それも昔の話。
 フーケが盗賊やっていたのは、ここの孤児院の資金稼ぎのためというのも判明した。
 ティファニアの生い立ち、フーケの出自、そして彼女が今でもティファニアたちを世話していること……。
 それらを考えあわせれば、フーケは根っからの悪人というわけではない。そして彼女の立場になってみれば、ウエストウッドに厄介ごとを持ち込むのは誰よりも嫌がるはず。

「なるほど。それもそうか……」

 私の言葉に納得するサイト。
 
「……ともかく、このままロサイスまで無事に行ければいいんだけど……」

 たぶん、それは無理だろう。
 そんな予感を匂わせつつ、ひとまず私は会話を締めくくった。

########################

 森の出口には、何台もの馬車が待っていた。
 これだけの大所帯、一台では足りないのも当然の話である。
 私たちは一応、ティファニアたちの護衛のつもりで同行しているので、仲間同士でかたまらずに、いくつかの馬車に別れて乗せてもらった。
 私とサイトは、先頭の一台。他にはティファニアとフーケが乗り、雇われ御者ではなくアルトーワ老が自ら手綱を握るという、なんとも濃いメンツである。
 このメンバーで会話が弾むわけもなく、車内の雰囲気は少し重苦しいものだったが……。

「天気も悪くなったきたな……」

 外の様子に目を向けていたサイトが、ポツリとつぶやく。
 言われてみれば。
 いつのまにか、空はどんよりと重い色を見せていた。
 さらに。

「ちょっと待った!」

 大きな声で叫ぶサイト。
 アルトーワ老も、慌てて馬を止める。
 先頭の馬車が停まったので、後続も皆、それに続く。

「……どうしたの?」

「敵だね」

 ティファニアの疑問に、あっさり答えるフーケ。もう盗賊は廃業したとはいえ、さすがは『土くれ』のフーケ、これくらいの気配は、まだ感じ取れるらしい。

「でも……例の暗殺者ではないようね」

 私が補足する。
 気配は複数、それも感じからして、それほどの使い手ではなさそうだった。
 たぶん、ただの野盗たち。
 ……いきなり関係ないのが出てきたなぁ。

「隠れてないで出てきたら?」

 サイトと共に馬車から降りつつ、私は大きく声を上げた。

「……挑発してどうすんだい!?」

「あんたたちは馬車から出ないで!」

 呆れたようなフーケの言葉に、ちゃんと返事をする私。
 私とサイトだけでなく、他の馬車から、四人と一匹——姫さまとタバサ、キュルケにフレイム、そしてジュリオ——も降りてくる。
 だが、肝心の盗賊たちは出てこない。森はただ、昏い緑の木々を風になぶらせているだけ。ひっそり隠れていたのをあっさり見抜かれて、戸惑っているのだろう。

「どうしたの!? 出てきなさいよ。それとも……不意打ちは出来ても、相手と正面きって戦うのは怖い、ってわけ!?」

「……な……なかなか生意気な口をきいてくれるじゃねえか!」

 ようやく辺りに、耳障りなダミ声が響いた。
 ザワリと茂みを揺らし、ばらばらと姿を現す野盗たち。その数およそ二十人。
 ……少ない……。
 私たちは完全に囲まれているものの、たいした連中でもなさそうである。この数ならば、私一人でも切り抜けられるだろう。
 しかし私の考えなど当然わからず、盗賊団の親分は言葉を続ける。

「……まあしかし、だ。元気がいいのは悪いこっちゃない。身ぐるみ置いてくなら、命だけは勘弁してやってもいいぜ」

 ふむ。
 今度の奴らは、人さらいではないようだ。

「うるさいわね。私たちは先を急いでるのよ。あんたたちみたいなザコに関わってる暇なんてないの」

「……ざっ……ざこだとぉぉぉぉっ!?」

 正直に教えてあげただけなのに、なんだか思いっきり怒っている。

「えぇいっ! そこまで言われちゃあ黙っておれんっ! やろうどもっ! こうなったらかまわねえっ! 皆殺しだっ!」

「おうっ!」

 一斉にときの声を上げ、斬り掛かってくる野盗たち。
 ……ふっ……おろかな……。

 ちゅどーん。

 軽い爆発魔法を一発、お見舞いする私。

「だぁぁっ!」

「ぎぉえっ!?」

 思い思いの悲鳴を上げて、野盗たちがうろたえる。
 直撃したのは一人か二人だったが、いきなり出ばなをくじかれて、まともに算を乱している。

「今よ! あんたの出番よ、サイト!」

「おうっ!」

 そこにサイトが斬り込んだ。
 わざわざ振り返って見るまでもないが、どうやら姫さまたちも戦いを始めたらしい。呪文を唱える声や、魔法が炸裂する音が聞こえてきた。
 この状況では、馬車やみんなを巻き込むおそれのある大技は使えない。私としては仕方なく、散発的に突っかかってくるザコたちを、小さな失敗爆発魔法で蹴散らすのみ。それでも、使い魔のサイトが頑張ってくれれば十分である。

「……やっぱりただのザコだったわね」

 目の前に、さっき言葉を交わしたボスらしき男の姿をみとめ、私は皮肉な笑みを浮かべて言ってやった。
 男は怒りの色に顔を染め、

「……えぇいっ! こうなったらっ!」

 言って右手を大きく上に掲げたその途端。

「!?」

 風のうなりを耳にして、私はとっさに身をかわす。
 瞬間。

 うぃぃぃぃんっ!

 一本の矢が、小さくその身を震わせながら、馬車の屋根に突き立っていた。

「……森の中に伏兵がいたの!?」

 サイトにも知らせる意味で、敢えて声に出す。
 慌てて辺りの気配を探れば、確かに今、矢が飛んできたその方向、茂みの中にかすかな殺気。

「そこねっ!?」

 私は呪文を唱え始める。
 失敗魔法バージョンではなく、正式なエクスプロージョン。
 しかし、私が魔法の光を放つより早く。

 ヒュッ!

 再び矢羽が風を切った!
 目標は私でもサイトでもない。……馬車!?

「しまったっ!」

 私の叫びと同時に、大きく一声、ヒヒンと馬がいななく。
 先頭の馬車を引いていた馬だ。
 どうやら野盗は、馬車を私たちから引き離すつもりで、その馬を狙ったらしい。
 敵の意図を察した時には、もう遅い。いつもとはうって変わったスピードで、馬車は暴走を始めていた!
 他のみんなも異変に気づいたが、すでに馬車は離れてしまっている。

「えぇいっ!」

 半分ヤケで放ったエクスプロージョンで、森の一部と、そこに潜んでいた殺気とが一瞬にして消滅する。

「なっ……!? なんという威力っ!? ……話が違うっ!」

 驚愕の声を上げる盗賊ボス。

「話が違う……ですって?」

 男の言葉を聞き咎めたが、今はそれを詮索している場合ではない。

「サイト! そいつは生け捕りにしといて!」

 男を指さし、言い捨てて、私は走り出していた。
 ガンダールヴの速度ならば、あとからでも追いつけるはず。そう思ったのだが……。
 一番速いサイトに馬車を追わせるべきだったと後悔するのは、全てが終わってからのことであった。

########################

 一人、馬車を追って走る私。
 その前に、おぼつかない足取りでヨロヨロと歩み寄る人影が。

「……テファ!?」

 私は慌てて、彼女に駆け寄った。
 耳を隠すための大きな帽子はなくなっており、服はボロボロ。全身は擦り傷だらけで、片方の足を引きずっている。

「どうしたの!? いったい!?」

「……馬車から飛び降りたの……」

 口の中も切っているのか、ややくもぐった声で言う。

「……マチルダ姉さんと……アルトーワさんが……まだ、降りられずに……」

「……わかった。それ以上しゃべらないで」

 うわっ!?
 背後からの突然の声に少し驚いたが、タバサだった。
 彼女も馬車を追って来たらしい。見れば、少し離れて、姫さまやキュルケの姿も見える。

「テファの治療、お願い」

 私の頼みに、タバサがコクンと頷く。
 ティファニアは、近くの木にもたれかかっていた。かなり痛そうであるが、重傷というわけでもなさそうだ。これならばタバサの『治癒(ヒーリング)』でも十分だろう。
 それに、すぐに姫さまも来るのだ。これ以上、ティファニアの心配をすることもない。

「じゃあ、ここは任せたわ!」

 言って私は、再び走り出した。

########################

 やがて……。
 さらにしばらく進むうち、ようやく見えてきたもの。
 もちろん馬車なのだが、走っている途中でバランスでも崩したか、まともに横倒しになっている。
 乗っていた二人の姿は見当たらず、横に倒れた馬だけが、苦しそうに息をついていた。

「……う……」

 小さな呻きを聞きつけて、私がそちらを振り向けば、近くの木の根元にしゃがみこむアルトーワ老の姿。
 彼も私に気づいたらしい。

「……あ……あなたですか……」

「大丈夫ですか!? フーケ……いや、マチルダさんは!?」

 アルトーワ老は、かすかに顔をしかめて、

「……私は大丈夫ですが……あの『地下水』とかいう暗殺者がいきなり現れて……」

「『地下水』が!?」

「あなたに……こう伝えろ、と……。『マチルダは預かった。ここから真っすぐ東へ、森を進んだ奥にある、猟師小屋で待つ。見殺しにする気がないなら、お前とサイトの二人だけで来い』と……」

 あのフーケが捕まったのか!?
 大盗賊としても凄腕のメイジとしても名を馳せた『土くれ』のフーケだが、暗殺者『地下水』には、かなわなかったのか……。

「いやぁ。大変な状況になってきたね」

 いきなり後ろからした声に振り返れば、静かに佇むジュリオの姿。
 ……姫さまたちもまだだというのに、この男、いったいどうやって私に追いついたのだ!?

「びっくりさせないでよ……。みんなは?」

「そろそろ来るんじゃないかな」

 ううむ。
 少し考え込んでから、私は言った。

「ジュリオ、アルトーワさんをお願い。肩を貸してあげて。……とりあえず、さっきの場所に戻りましょう。他の馬車は、まだ留まっているでしょうし」

########################

「おっ……おれは何も知らねぇよぉぉぉっ!」

 サイトがとっ捕まえた盗賊ボスは、私たちに周りを囲まれ、とことん情けない声を上げた。

「嘘ついてもダメよ。ちゃんと私は、あんたが『話が違う』って言ったの聞いてるんだから!」

「……あ……あれは……」

 問い詰める私に、男は一瞬口ごもり、

「……昨日の夜……変な奴がアジトにやって来た……」

 観念したのか、やがて男は話し始めた。

「……全身黒ずくめで……名前も言わなかった……」

 たぶん『地下水』だろう。
 そう言えばあいつ、最初はサイトにすら名乗ろうとしなかったっけ。依頼人と殺す相手にしか名前は告げないとか言ってたな……。

「普通の奴なら、その場で片づけて、身ぐるみ剥いじまうんだが……な……なにしろ、後ろに不気味な二人組を連れてるもんだから、手が出せねえで……」

「不気味な二人組?」

 思わず問い返す私。

「ああ、ありゃあ……バケモンだ! 人間でもねえし、オーク鬼やトロール鬼とも違う。……あんなもん初めて見たっ!」

 思い出しただけでも怖くなったのか、男は体を震わせる。
 おそらく例の魔族、デュグルドとグドゥザだ。
 まぁ普通の人は、魔族なんて空想上の存在だと思っているから、見ても判らないのも無理はない。……野盗は普通の人とは言えないかもしれないけど。

「……まあいいわ。それで?」

「……そいつぁ、いきなり金貨をばらまいて、協力しろ、ときた。明日……まあ、早い話が今日だな。この道を、こういう一行が通るから、襲撃して、先頭の馬車と護衛の連中を引き離せ。成功したら、もっとおたからをやる、と、こうだ」

 ……おや?
 わざわざ先頭の馬車と指定していたのは何故だろう。
 一番前には重要人物が乗っていると考えて、人質としての利用価値も高いはずと思ったのか。あるいは、誰か特定のターゲットがいて、しかもそれが先頭に乗るという確信があったのか……。
 私が少し引っかかって考え込む間にも、野盗の話は続く。

「……あんなバケモンで脅されて、まさか断れるわけもねえ。それにさぁ……護衛連中の腕は未熟、もしもの場合は助けに入るとまで言われて、引き受けたんだが……。いざ戦ってみれば、あんたたちは強えし、約束の援軍も来ねえ。それで、つい、話が違う、って……」

「なるほど……ねぇ……」

 気になる点はまだあるが、この男から聞き出せるのはここまでのようだ。

「納得してくれたかい? ……なぁ、なら、もう行ってもいいだろ?」

「そんなわけないでしょ。あんたはロサイスまで引きずっていって、そこで役人に突き出すから」

 私の言葉に、頷く一同。
 ティファニアまでもが、首を縦に振っている。
 以前に森で盗賊たちに襲われた時は、記憶だけ奪って帰してあげたのだが、今回は違うらしい。フーケがさらわれたことが関係しているのか、あるいは、どうせロサイスまで行くのだから、と考えているのか……。

「うひぃぃぃっ! それだけはなんとかっ! 改心するっ! 改心しますから、ここはなんとかっ……」

 涙混じりで懇願する男。だが彼の言葉を聞き入れる者は、一人もいなかった。

########################

 ……ざわり……。
 昏い空を背に、木々の梢が風に鳴る。
 他のみんなには残りの馬車でロサイスへと向かってもらい、私とサイトの二人だけが、指定された森の中へと入っていった。
 人が二人なんとか並んで通れるほどの細道を行けば、黒々と佇む木々の影に、丸太づくりの小屋が一つ、見えてくる。

「……あれだよな?」

 確認するかのようにつぶやくサイト。
 私は無言で、小さく頷いた。
 ……正直、二人だけでここまで来るには、結構思い切りがいった。
 なにしろ、相手は悪名高い『地下水』である。これまでの戦いで何とか退けたのも、サイトの助けがあったればこそ。
 協力する魔族が出てきて私とサイトの分断を図れば、私にとっては、かなり苦しい戦いになる。
 一対一なら、勝てないのではあるまいか……?

「どうした?」

「なんでもないわ」

 不安が顔に出ていたようだが、サイトに対して、つい私は強がってしまった。
 やがて私たちは、猟師小屋の前に辿り着く。
 無論それほど大きな建物ではない。外から中の気配を探れば、かすかに人の気配が一つ。

「……まず俺が入る」

 言ってサイトは、小屋の扉に手をかけた。
 
 ……ッギイイッ……。

 いかにもたてつけ悪そうな音を立て、扉はアッサリ開いた。
 その場でサイトの足が止まる。
 彼の横からヒョイッと中を覗き込めば、おざなりに置かれたテーブルと、小さな暖炉があるだけの、味もそっけもないガランとした部屋。
 部屋の隅には、ベッド代わりであろうか、かいばが山積みされており……。

「……フーケ……?」

 その上に一人の女性が、両手を後ろで縛られて転がっていた。
 こちらに背を向けているが、たぶん間違いない。『土くれ』のフーケその人だ。
 どうやら生きてはいるようだが……。
 周囲には、他に人の気配はない。ただの猟師小屋に、隠し扉や秘密の通路があるはずもなく、身を隠せるような場所もなかった。

「ちょっと待って」

 小屋に入ろうとしたサイトを制して、私は小さなエクスプロージョンを放つ。
 フーケの下のかいば、そこに暗殺者が隠れている可能性に思い至ったのだ。
 しかし何の手応えもなく、私の魔法は、ただ単にかいばを吹き散らしたのみ。
 それでバランスが崩れたのか、フーケの体がゴロンとこちらを向く。

「……う……」

 彼女は小さなうめき声を上げた。
 間違いなく当人である。かつて私たちと敵対していた頃の面影は、もはや全く残っていないが。
 しかし、そうすると……。

「あの暗殺者はどこだ?」

 まるで私の思考を読んだかのように、サイトが疑問を口にする。
 その時。
 私はふと、背中に気配を感じた。

「後ろ!?」

 慌てて振り向けば……。

「テファ!?」

 そこにティファニアが立ちつくしていた。
 おそらく、ここまで走って来たのだろう。肩で大きく息をつき、胸も大きく揺れている。

「……ティファニア……かい……!?」

 気がついたのか、フーケの小さな声が中から聞こえてきた。

「マチルダ姉さん!」

 止めるいとまもあらばこそ。
 私の横をすり抜けて、ティファニアは小屋の中に駆け込むと、フーケの手を縛る縄を解きにかかる。

「馬鹿な子だね。なんで来たんだい?」

「心配だったの!」

 言われて、黙ってしまうフーケ。
 と……。

「ルイズ! わたくしのおともだち!」

 いきなり聞こえる姫さまの声。
 驚いて振り向けば、彼女ばかりか、タバサにキュルケ、ジュリオやアルトーワ老やジムほかの子供たちまで。
 たぶん、飛び出したティファニアを止めに来たのだろうが……。
 みんなで来てどうする。馬車はカラッポか?
 ……いや、フレイムの姿がない。可哀想に、火トカゲ一匹で留守番か。馬車付きの御者とか、捕えた盗賊とかもいるだろうが、それはそれで気まずそう……。

「……やれやれ……だいぶ話が違うねえ……」

 聞き覚えのある声は、私の後ろの方からした。

「……なっ!?」

 慌てて思わず振り向けば、小屋の向こう、何もない空中にポッカリ浮かぶ白い塊。
 ザワリと空間を波打たせ、それは無数の闇の触手を生んだ。
 次の瞬間、触手は、ざんばらの髪と体を形作る。

「……グドゥザ!?」

 思わず声を上げる姫さま。
 しかし、そんなに驚くこともなかろう。『地下水』が魔族を二人を従えていたというのは、盗賊の頭も言っていたわけだし。
 そして、こいつが出てきたということは……。

「……全く……これ以上、こんな面倒なこと、つきあってられねぇな」

 声は、今度は木々の間から。
 わざわざ足音を立てながら、ゆっくりと私たちの前に歩み出た。
 帽子のツバを軽く持ち上げ、妙なポーズを決めるデュグルド。
 彼は、なぜだかアルトーワ老に目を向けて、

「……暗殺者に協力しろ、って言うからここまで来ましたけどね……。一時的なものであれ、あんな奴の下につくのは、やっぱり、しょうにあわないですし……。そろそろ終わりにしましょうや、ラルターク老」

「これ、その名で呼ぶでないぞ」

 老人は、軽く諌めの言葉を口にしてから、何やら呪文らしきものを唱え始める。
 人間には発音できるはずもない響き……。

「なるほどね。ラルターク……。それがあんたの本当の名前だったのね?」

 ラルターク=アルトーワは、私の問いには答えない。
 代わりに。
 森がざわめいた。
 鳥が。獣が。そして虫たちが。起こるであろう異変を感じているのだ。
 そして。

 ずぐんっ!

 耳の奥が鳴る。
 不快な空気が辺りに満ちた。

「……困りましたねぇ……」

 ジュリオが平然と声を上げる。

「約束と少々違いませんか?」

「なぁに。このくらいはオマケしてくれてもいいじゃろ?」

 これまた平然と返すラルターク=アルトーワ。
 チラリとデュグルドに目をやりながら、

「こやつが迂闊なことを口にしたのでな。本命の計画を続けるのは、難しくなってしまったわい。ならば、せめて別件の方だけでも……」

 彼がそこまで言った時。

 ぎいっ。

 獣の悲鳴とも何ともつかぬおかしな声は、森の中から上がった。

 ぎぎいっ! ぎぢっ! ぎぢぎぢっ!

 一つや二つではない。数十の単位である。

「なんだ!? オーク鬼でも呼んだのか!?」

 そう言ったのはサイトだった。クラゲ頭のバカ犬にしてはシッカリ考えているようだし、サイトと同じことを思った者もいるだろうが……。
 私の意見は少し違う。ハッキリとは判らないが……これは、もっと恐ろしい何かだ!

「いったい……何をしたの?」

「なぁに。たいしたことでもないよ」

 私の問いに、ラルターク=アルトーワは表情一つ変えずに答えた。

「ただちょっと、な。そこらの動物たちに、精神世界から呼び出した下級魔族どもを憑依させただけじゃよ」

 ……なっ!?
 思わず絶句する私。
 時を同じくして。

 るごわぁぁぁぁぁぁぅっ!

 苦鳴が獣の雄叫びに変わり、そいつらが姿を現す。

「なんだよ、こいつら!? オーク鬼ともトロール鬼とも違うぞ!?」

「……今さら驚くことないでしょ。前にも同じようなのと戦ったじゃない」

「え? こんな奴ら……相手にしたっけ!?」

「うん。前の時は森の中じゃなくて、料理の中から出てきたけどね」

 使い魔を落ち着かせる私。
 なまじ今度の奴らは姿が亜人に似ているために、サイトは少し勘違いしているのだ。

「これ、亜人じゃないわ。むしろ……亜魔族とでも言うべきかしら?」

「そうじゃな。もとが下級の魔族なので、人間の言葉ならば……『レッサー・デーモン』とでも呼んでもらおうか」

 呼び出したラルターク=アルトーワの言葉に応じるかのように、現れた亜魔族——下級魔族(レッサー・デーモン)——たちが、思い思いに咆哮を上げる。
 それを聞いて。

「さぁて!」

 バサリとマントをひるがえし、デュグルドも歓喜の声を出していた。

「始めようぜ! 楽しいパーティをなっ!」





(第五章へつづく)

########################

 今回は四章で収まらなくなってしまいました。五章、エピローグと続いて、そこで第六部は終了です。
 さて、ウエストウッド村と言えば、サイトの剣術修業。ただし、ちょうど「スレイヤーズ」原作六巻にも剣術修業の話があったので、教わる側ではなく教える側になりましたが。

(2011年7月5日 投稿)
   



[26854] 第六部「ウエストウッドの闇」(第五章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/08 23:26
  
 ぐるぉあああああっ!

 戦いの幕を切って落としたのは、亜魔族——レッサー・デーモン(下級魔族)——たちの大合唱だった。
 同時に亜魔族たちの正面、つまり私たちと小屋を取り囲むように、無数の炎の矢が現れる。
 その数、おそらく数百本!

「なんじゃこりゃ!? なんでこいつら魔法なんて使うんだよ!?」

「言ったでしょ! こんな見かけでも一応こいつら、魔族なのよ!」

 騒ぐサイトに言葉を叩き付ける私。

「前にトリスタニアの王宮で、ぷっくりもっくりたちと戦ったでしょ! あれと同じなの! あの時だって魔法で黒い塊を放ってきたじゃない!」

 言っても無駄かと思いつつも、かつての遭遇経験を告げる。
 当時は、妙な外見のおかしな魔族、くらいに考えていたが……。
 今にして思えば、あれも、無理矢理この世界に具現化する際、この世界の存在に憑依し変貌したものだったに違いない。

「……ともかく!」

「うわっ!?」

 私はサイトにタックルかけて、一緒に小屋に飛び込んだ。
 まだ中に二人がいるのだ!

「サイト! デルフで炎を吸収して! 私だけじゃなくて、この二人も守るのよ!」

 フーケとティファニアに目をやりながら、急いでサイトに指示する。

「お、おう!」

「……こんなこと言いたかねぇが、ちょっと数が多過ぎねーか?」

 サイトは剣を構えるが、肝心の剣の方は少し自信なさげ。
 すると。

「……そうかい。あんたたち、ロクに防御魔法も使えないんだねえ」

「マチルダ姉さん!?」

 怯えるティファニアに優しい笑顔を向けてから、フーケが呪文を唱えて杖を振った。
 小屋の中、床板を突き破って下から土が盛り上がる。あっというまに、それは私たちを取り巻く土の壁となった。
 さすが『土くれ』のフーケ!
 心の中で、私が少し彼女に感謝した時。

 ボゴゥッ!

 爆音と共に、小屋の壁がはじけるように炎上した。
 レッサー・デーモンたちが一斉に、あの炎の矢を放ったのだ。
 ただ小屋の中にいただけなら、私たちも蒸し焼きにされていたであろう。
 
「杖は取り上げられてなかったの?」

「そんなヘマするもんかい」

 私の言葉に軽口で応じるフーケ。
 暗殺者『地下水』に捕まってる時点で、十分ヘマだと思うのだが……。
 いやいや、そんなこと言ってる場合ではない。
 いくらレッサー・デーモンたちの第一弾をなんとかしのいだと言っても、相手を倒せなくては話にならない。敵が第二弾を放つ前に、どれだけ敵の数を減らせるか。

「サイト!」

「おう!」

 私の掛け声で、彼は小屋の外へと駆け出す。
 一方、フーケはティファニアと寄り添いつつ。

「わたしは……この子や子供たちを守りながら、脱出させてもらうよ」

「ええ。そうしてちょうだい」

 この状況では、ティファニア一人を逃がすのも危険。『土くれ』健在とわかった以上、戦力としてアテにしたい気持ちもあるが、護衛役に回って貰う方がよさそうだ。
 フーケが再び杖を振る。得意の『錬金』で、火の手を上げる小屋の、ドアと反対側の壁に脱出口を作ったのだ。
 それだけで、私も彼女の意図を理解する。

「わかったわ。私は表から出て、亜魔族たちの気を引きつける。その隙に、あんたたちは脱出して、森の中にでも隠れる……ってことね?」

「そうさ。外の子供たちも、わたしたちの方に合流させとくれ」

「了解!」

 頷いて、私はドアのあった方から外へと飛び出す。
 思ったとおり、姫さまもキュルケもタバサも無事である。ウォーター・シールドやらファイヤー・ウォールやらアイス・ウォールやら、皆それぞれ防御魔法が使えるのだ。子供たちも姫さまたちに守られたようで、死んだり倒れたりしている者は見当たらない。
 三人のメイジは、サイトを交えて、すでに戦いを展開してる。子供たちをかばいながら、ということで少し苦労しているらしいが……。

「あんたたち! こっちへ! テファたちがそっちへ逃げたから!」

 フーケとティファニアが向かった方向を指し示し、私が子供たちを誘導する。
 戦場を見回しても、ジュリオとラルターク=アルトーワの姿はなかった。だが、まあ、今のでどうにかなった、などということだけはないだろう。

「ほら! 早く!」

 子供たちを案内しながらも、私は一つ所にボーッと突っ立っているわけではない。そんなことをしてはレッサー・デーモンの攻撃の的である。
 ほら、今も私に向かって炎の矢が……。

「イル!」

 適当に短く詠唱するだけで何でも爆発魔法になってしまうというのは、こういう場合、とっても便利。私は軽い爆発で、迫り来る炎を相殺した。
 そういう特技のある私だからこそ、保育員のような役割を引き受けているわけだが……。
 今の爆発が気を引いたのか、かなりの数のレッサー・デーモンたちが、一気に私に注目した。

 るぐぉぉぉぉっ!

 またまた生まれる炎の矢。
 ……ちょっと待て!? いくらなんでも多過ぎる! 小さな爆発魔法では対処しきれない! かといって大きいのは呪文が間に合わない!

「ひぇっ!?」

 無数の炎が解き放たれた瞬間、私は慌ててダッシュをかけ、その場を逃れる。
 だが、数が数である。……全部は逃げきれない!?
 しかし、この時。

 ふしゅ……。

 私を直撃するはずだった何本かを含めた全ての炎の矢が、まるで空間に溶け消えるかのように、一瞬にして姿を消した。

「……サービスだよ。ただし、今回限りの特別限定」

 ジュリオの声は、どこからともなく聞こえてきた。無論その姿を探している暇はない。
 ともあれ、この一瞬はありがたかった。おかげで、わりと大きめのエクスプロージョンを撃てる!

 ドワッ!

 失敗魔法バージョンではなく正式なエクスプロージョン。
 二、三匹のレッサー・デーモンが、まとめて消滅した。

########################

 タバサが杖を振りかぶると、その先が青白く輝き、周りを無数の氷の矢が回転する。
 スクウェアメイジが放つ、凄まじいスピードと威力の『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』が、十数体のレッサー・デーモンを同時に射抜き……。
 射抜かれた亜魔族たちは、氷の矢が帯びた魔力により、一瞬で氷結した。

 ぎいっ!

 手近にいた別の一匹が、怒りの声を上げながら、またまた炎の矢を生み出す。
 しかしこの、レッサー・デーモンの炎の矢。数がまとまると確かに脅威だが、一匹だけが放つものなら、それほど致命的なシロモノではない。
 系統魔法の炎と同じようなものらしいが、こいつらはメイジほど頭も回らず、狙いも放つタイミングもいたって単調。数は多いし、当たれば確かにかなりのダメージを受けるが、戦い慣れた人間ならば、冷静によく見てかわすのは、それほど難しいことでもない。

 タァッ!

 レッサー・デーモンが炎の矢を放つのにあわせて、タバサは呪文を唱えつつダッシュをかけた。
 だが次の瞬間。
 飛び来る闇の礫の前に、彼女は慌てて足を止める。
 デュグルド!

「今度は殺してやるぜ! 人形娘!」

「……あなたに言われる筋合いはない」

 目も鼻も口もない魔族から何度も無表情をからかわれては、さすがに気に障ったのか。
 珍しく言い返しつつ、タバサが魔族に向かって突っ込んでいく。
 得意の『氷の槍(ジャベリン)』の呪文を唱えて、大きな杖の先に氷の槍を纏わせて……。

「ちっ!」

 さすがにこれを受ける気はないか、鋭い舌打ちを一つして、デュグルドは横に身をかわす。
 タバサが突き出した杖の先から氷の槍が飛び出し、後ろにいたレッサー・デーモン一匹を直撃した。
 青白く光る槍を腹から突っ立てて、レッサー・デーモンは仰向けに倒れ込み、そのまま二度と動かなくなる。
 しかしタバサには、倒した敵を見ている余裕などない。デュグルドが彼女に向かって突っ込んでくる!
 迎え撃つべく、杖を構えて再び呪文詠唱するタバサ。
 そこへ……。

 るごぉうあっ!

 亜魔族たちがデュグルドの後ろから、またもや炎の雨を降らせてくる!
 味方がいようがおかまいなしである。……系統魔法の炎は人間の精神力がこもっているから純魔族にも通用するが、このレッサー・デーモンの炎の矢は、どうなのだろう?
 炎を背中に負いながら走るデュグルド。タバサとの間合いに入る直前、魔族は大きく横に跳ぶ。
 その背中を追っていた炎が、タバサに向かって降り注いだ!
 タバサもまた、デュグルドの動きに合わせて横に跳んでいる。しかし僅かにタイミングが遅かったか、一条の炎が彼女の左腕をかすめ、袖とマントの一部を一瞬にして炭と化す。
 続いて、またも解き放たれたデュグルドの闇の礫を、なんとかはじくタバサ。彼女の用意していた氷の槍が、半分近く削れた。ほとんど防戦一方である。

「終わりだっ!」

 叫ぶと同時に、デュグルドの周囲にまとわりついていた闇の礫が、魔族の手元に集結した。それは一瞬のうちに、闇の剣を形作る。
 斬りつけるデュグルド、氷の槍で迎え撃つタバサ。
 しかし。
 その瞬間を狙っていたのか、横手にいるレッサー・デーモンが炎の矢を生み出す。
 さすがに、これに対応する余裕はタバサにはなかったが……。

 グサッ!

 その腹から剣が突き出て、レッサー・デーモンが息絶える。
 背後から貫いたのは……サイト!

「……ありがとう」

 デュグルドと斬り結びながらも、小さく礼を言うタバサ。

「いいってことよ」

 律儀に返してから、別のレッサー・デーモンに向かって、また走り出すサイト。
 さすがは神速のガンダールヴ、彼はもっぱらレッサー・デーモンたちを相手取り、縦横無尽に戦場を駆け回っている。今のは、たまたまタバサへのフォローになったらしい。
 だがいくらガンダールヴのスピードでも、一度に相手できる敵の数は多くはない。逆にレッサー・デーモンたちは、かなりの数で、彼一人に集中砲火を浴びせている。

「おっと!?」

 レッサー・デーモンたちの攻撃に、連係などあったものではない。だが、それが自然に攻撃のタイミングをずらすことになり、かえってサイトを苦しめていた。一点に集中していれば、サイトのスピードでまとめてかわせるわけだが、これでは、よけた先に偶然次の攻撃が来たりしている。
 サイトの武器はデルフリンガーであり、炎の矢も吸収できる。だがそれでも限界があるだろうし、予想外の方向から来た場合には、剣を向けるより自分が逃げた方が手っ取り早い。サイトは、あまり魔法吸収能力には頼らぬ戦い方をしているようだ。

「えぇいっ!」

 とにかく、敵の数を減らすしかない。
 また一匹、サイトはレッサー・デーモンを斬り捨ててた。

########################

 姫さまに向かったレッサー・デーモンたちの数は、それほど多くなかった。
 しかしそれより問題なのは……。

「……くふふぅ……また会ったねぇ……」

 つぶやいて、グドゥザは赤い口を笑みの形に歪めてみせた。
 対する姫さまは、既に呪文の詠唱に入っている。

「今度は間違いなく殺してやるよ……」

 ザワリと、グドゥザの髪が波打った。
 同時に周りのレッサー・デーモンたちの数匹が炎を放つ。
 呪文を唱え続けたままで、姫さまはアッサリ身をかわすが……。
 グドゥザの髪が伸びて、大地に落ちた魔族の影の中へ。それは姫さまの影の中から飛び出して、彼女の足をからめとった。
 前回の戦いと同じ! しかし今回は、レッサー・デーモンもいる!

「おやりっ! お前たち!」

 グドゥザの声が響き、レッサー・デーモンたちが吼える。
 虚空に出現した数十条の炎の矢が、足を止められた姫さま目がけて降り注いだ!

 ッゴゥンッ!

 炎の矢が爆炎となってはじけ散り、あとには……。
 何事もなかったかのように立つ姫さまの姿。

「炎の壁だと!?」

 グドゥザの言うとおり。
 防御魔法で防いだわけだが、実はこれ、姫さまの魔法ではない。

「あたしを忘れないでね」

 姫さまの後ろから顔を出すキュルケ。
 どこかでレッサー・デーモンたちの相手をしていたかと思いきや、いつのまにか、姫さまのフォローに回っていたらしい。
 そして、グドゥザがキュルケに注意を向けた隙に。

 ザバァッ!

 グドゥザの足下から吹き上がる、巨大な水柱。
 姫さまがタイミングを見計らって、唱えていた呪文を解き放ったのだ。

「……おのれっ、小娘っ!」

 内部から魔力衝撃波を放出し、姫さまの魔法を突き破るグドゥザ。
 しかし今の水柱、ただの水柱ではなく、姫さまの精神力がタップリこもっていたらしい。
 グドゥザも結構なダメージを受けたようで、すでに姫さまを影から拘束する力も失い、その声には、憎悪の響きが色濃く滲み出ていた。

########################

 ドワッ!

 途中まで詠唱しただけでも、私のエクスプロージョンは、複数のレッサー・デーモンをまとめて屠ることが可能。
 しかし私の魔法を見て、あなどりがたしと思ったか、別の何体かが一斉に私の方を向く。
 ……魔法を撃つ度に、倒した敵の数より、新たに参入する数の方が多いんですけど!? これじゃ、私が相手する数は一向に減らない!

「何よ、これ!?」

 ここは貴族だって、敵に後ろを見せてもいい場面だ。
 森の中に逃げれば、レッサー・デーモンたちの視界から逃れることも出来るだろうし、炎の矢の直撃を受けることもまずないだろう。
 でも逆に、奴らが見当だけで炎の矢を放ってきた場合、火に囲まれて逃げられなくなるおそれもある。
 私は呪文を唱えつつ、その場でクルリときびすを返し、なおも火の手を上げる小屋に飛び込んだ。
 焼け崩れてはいないものの、室内もほとんど火の海。灼けた空気が肌をちりつかせる。
 そのまま私は小屋を駆け抜け、フーケが開けた穴から外に飛び出す。ごく単純な目くらましだが、何も考えていないレッサー・デーモンたちにはこれで十分なはず。
 穴から再び外に出た私が、木々の間に飛び込んだその途端……。
 
 ブゴォッ!

 巨大な炎の舌を噴き上げ、猟師小屋は、一瞬にして焼け崩れた。
 私が飛び込んだのを見たレッサー・デーモンたちが、小屋に炎の矢を放ったのだ。
 私は方向転換、レッサー・デーモンたちに向かって回りこみながら走り……。

 ボゥンッ!

 杖を振り下ろして、エクスプロージョンを放つ。これでまた数匹が消滅した。
 フル詠唱のエクスプロージョンならば、一度に倒せる数は増えるが、それでは私の精神力の消耗もバカにならない。こうやって小出しにしていくしかないのだが……。

「えっ!?」

 後ろに気配を感じ取り、私は慌てて振り向いた。
 そこにはただ一人、茫然と立つティファニアの姿。

「ちょっと、テファ……」

 私は彼女の手を取ると、茂みの奥へと引っ張り込む。
 どうやら何かあったようだが、さすがの私も、レッサー・デーモンたちの目の前で立ち話などする根性はない。
 茂みの先では、ちょうどジム以下の子供たちも、寄り添うようにして立ちすくんでいたが……。
 フーケの姿がない!?

「何があったの!?」

「……森の中に逃げ込もうとしたら……火の矢が来て……。マチルダ姉さんは私を突き飛ばして、森の中に逃げろ、って……」

「それから姿が見えないんだ!」

「僕たちも探してんだけど……」

 ティファニアの話を、子供たちが口々に補足する。
 ……ええい、このくそ忙しい時に!
 まずは、彼らを落ち着かせるしかない。

「彼女なら大丈夫!」

 稀代の大盗賊『土くれ』のフーケなんだから……と言いたいところだが、グッと我慢。それは内緒である。

「この戦いが終わったら、私たちも探すから! 今はとりあえず、みんなはここでジッとしてて!」

 そう言うと、私は呪文を唱えつつ、再び戦場へと戻る。
 茂みから分け出たとたん、そばにいたレッサー・デーモンとバッチリ目が合う。
 ……そいつは、私の爆発魔法の餌食となった。

########################

 デュグルドが手にした刃の色が変わっていく。
 深い闇の色から灰色へと。
 礫を集結させた闇の剣も、タバサの『氷の槍(ジャベリン)』をまとわりつかせた杖と噛み合ううちに、急速に力をなくしつつあるようだ。
 もちろんタバサの『氷の槍(ジャベリン)』の方も、それ以上のペースで消耗しており、ぐんぐんサイズを減じている。タバサは時々飛び退いて、隙を見ては呪文詠唱し、新たに氷を継ぎ足しているらしい。
 だがデュグルドは、刃に闇を補充するのではなく……。

「お前の負けだぜ! 人形づらの娘!」

 またもや生まれる十数個の闇の礫。これをタバサにぶつけるつもりだ!
 斬り合いながらタイミングよく放たれたら、タバサには避けられない!
 しかし。

「がぁぁぁぁぁぁっ!?」

 悲鳴を上げ、大きく後ろに退ったのはデュグルドの方だった。
 見ればその胸のあたりに、小さなナイフが深々と刺さっている。

「ぐぐぁぁぁぁぁっ! ……っがぁぁぁっ!」

 デュグルドは苦悶の声を上げながら、それでもなんとか右手でナイフを引き抜くと、忌々しげに投げ捨てた。
 どうやらタバサ、右手の杖にデュグルドの注意を引きつけておいて、隠し持っていたナイフを左手で突き立てたらしい。貴族のメイジらしからぬ戦い方だが、かつてジョゼフに付き従い、裏仕事に従事していたタバサならでは、である。
 ……むろん単なる短剣で魔族に大きなダメージを与えられるわけもないのだが、彼女は左手に意識を集中して、相当な精神力をこめていたに違いない。デュグルドの痛がりようが、それを示している。

「人形ふぜいがぁぁぁっ!」

 苦痛の色を滲ませて、デュグルドは怒りの声を上げる。

「……人形じゃない。私は人間」

 きっちり訂正してから、タバサは呪文を唱え始める。

「どっちでも構わねぇっ! 今度こそ殺してやるぜっ!」

 口ではなんのかんのと言ってはいるが、今の一撃はダメージが大きく、デュグルドの動きは心なしか頼りない。

「……ちっ……」

 デュグルドは小さく舌打ち一つして、やおら大きく跳び退り、一体のレッサー・デーモンのもとへと駆け寄った。

「……た……確かに今のはちょっとこたえたぜ……。だがな……」

 デュグルドは、静かに右手を持ち上げて……。

 ドズッ!

 その手でレッサー・デーモンの胸板を貫いた!

「……なっ!?」

 思わず声を上げるタバサ。
 断末魔の悲鳴を上げてのたうつレッサー・デーモン。

「……くふ……ふふふふ」

 その黒い血を全身に浴びながら、デュグルドは低い笑みを漏らした。

「くふうっ……さすがに効くぜぇ……こいつらの怒りと恐怖はよ……」

 魔族の力の源となるのは、生きとし生けるものたちの負の感情。
 こいつはタバサから受けたダメージを補うために、レッサー・デーモンを自らの手で殺し、その恐怖や絶望を食らったのだ。
 この世界への具現の仕方が違うとはいえ、こんなの、ほとんど共食いである。

「……さぁて」

 タバサの一撃を受けたショックで消えていた、闇の礫が再び生まれる。

「今のは油断だったが……今度はっ!」

 景気よく叫ぶデュグルドだったが、デュグルド復活の間に、タバサも次の呪文を唱え終わっていた。
 辺りの空気が凍りつき、束となって、無数の蛇のように彼女の体の周りを回転する。
 スクウェアのタバサが唱えた、トライアングルスペル。
 氷と風が織り成す芸術品のような美しさと、触れたものを一瞬で両断するような鋭さを兼ね備えた……『氷嵐(アイスストーム)』である!

 ぶぅお、ぶぅお、ぶるろぉおおおおおおッ!

 近くのレッサー・デーモンたちを切り裂きつつ、氷嵐(アイスストーム)は荒れ狂った。

「ちっ!」

 先ほどの威勢は、どこへやら。
 闇の礫だけを残して、デュグルドの体が大地に沈みこむ。
 前回の戦いでグドゥザが使ったのと同じ、精神体のかけらを囮として残し本体は術を回避する、いわばトカゲのシッポ切り。
 タバサの体から杖の先へと氷嵐の目が移り、タバサは杖を振り下ろそうとしたが……。
 それより一瞬早く、デュグルドの本体は、大地に姿を消していた。
 仕方なしに、レッサー・デーモンの一匹を目標にするタバサ。振り始めた手は止まらなかったのだ。 

 ぐおおおおおっ!

 氷嵐(アイスストーム)に飲み込まれ、ボロボロになって転がるレッサー・デーモン。もちろん絶命している。
 レッサー・デーモン相手にこの魔法、というのは、ちょっともったいない気もするが……。
 そして。
 時を見計らっていたらしく、森の茂みの奥から、いきなりデュグルドが飛び出して来た。森の奥で再び出現して、タバサが術を解き放つのを待っていたのだ。

「とんだ無駄だったなぁっ!? 人形っ娘っ!」

 すでにデュグルドの周りには、魔族お得意の闇の礫が浮かんでいる。
 対するタバサは、魔法を放った直後。杖が纏っていた氷も、今の嵐と共に吹き飛んでいる!
 仕方なく呪文を唱えつつ、彼女は魔族との距離を取ろうとする。

「逃がすかよっ!」

 デュグルドが闇の礫を解き放った。

########################

「はぁ、はぁ……」

 いつしか、私は肩で息をしていた。
 小さめのエクスプロージョンしか撃っていないが、それでもこれだけ使うと、精神力の消耗がバカにならない。カラッポになって力つきて倒れる、なんて事態だけは避けたいが……。
 まあ、しかし。
 さすがにここまで来ると、レッサー・デーモンたちの数もかなり減ってきた。奴らが減り、炎の矢の数が減れば減るだけ、私たちの倒すペースも上がってきている。
 もはやレッサー・デーモンたちが全滅するのは、時間の問題だろう。
 魔族を相手にしている姫さまやタバサたちも、意外と言っては失礼だが、それほど苦戦していないようだ。思った以上に善戦している。
 ただ一つ、私が気になるのは……。

 ……ざわっ。

 唐突に、なんともいえない悪寒を感じ、私は慌ててその場を跳び退いた。
 たった今まで背にしていた、森の方を振り向けば……。
 かすかな葉ずれの音と共に、やがて現れる黒い影。

「……ようやく来たわね! 今まで何やってたのよ!?」

 暗殺者『地下水』。
 ここに私たちを呼び出した、大本命である。こいつの存在を、私は忘れていなかった!
 
 さんっ!

 草を蹴り、『地下水』が走る。ただ真っすぐに、私だけを目指して!

 ボンッ!

 私の放つエクスプロージョンの光球から、『地下水』はアッサリ身をかわす。
 目視して回避できるシロモノではないと思うのだが……。杖を振る私の手の動きか何かから、軌道を読んでいるのだろうか?
 だが、深く考えている場合ではない。
 私の目の前に迫る、『地下水』のナイフ!

 キンッ!

 それを弾いたのは……。

「ひさしぶりだな……。いや、二日ぶりだか三日ぶりくらい?」

 愛剣デルフリンガーを構えたサイト。
 声はとぼけた感じだが、その表情はキリッと厳しく引き締まっている。

「ルイズは先に亜魔族たちを! こっちの暗殺者は、俺に任せろ!」

 彼は私に言ってから、再び『地下水』に向かって。

「悪いが、俺はルイズの使い魔なんでね。ルイズとやりたきゃあ、まずは俺に勝ってからだ!」

「……よかろう」

 おや?
 サイトの言葉に、あっさり是を返す『地下水』。
 しかも、さらに。

「……お前たちを二人まとめて倒せないようでは、あの神官にも勝てない……」

 暗殺者は、説明的なセリフをつけ加える。
 そうか。
 私だけでなくサイトまで含めていたのは、トリスタニアでやられた雪辱なんだと思っていたが……。それ以上に、ジュリオを強敵と認めていたわけね。
 ジュリオだけでなくタバサも以前に戦っているはずだが、どうやら『地下水』、彼女の方は眼中にないらしい。タバサだって結構、強いんですけど……。
 いやいや、それより何より。

「……ってことは、私たちは前座あつかい!?」

 ちょっと悔しいが、ここはサイトの言葉に従おう。無意味に意地を張って、彼の足を引っ張るのは嫌だ。
 私は呪文を唱えつつ、残るレッサー・デーモンたちを叩きにかかった。

########################

 ザザァッ!

 砂埃さえ立てながら、タバサは、手近に転がるレッサー・デーモンの死体の陰に滑り込んだ。

 ッボッ!

 ごく一瞬の間を置いて、死んだ亜魔族の体に、闇の礫が小さな穴を穿った。

「ばかめっ! それで隠れたつもりかっ!」

 声を上げてデュグルドが跳ぶ。
 レッサー・デーモンの体を跳び越え、タバサの頭上から躍りかかったのだ!
 だが。

 ヒュンッ!

 青白い光が空を薙ぎ、デュグルドの腹にグサリと突き刺さる。

「ぐああああああああっ!」

 デュグルドの悲鳴が辺りに響いた。
 そのまま大地に転がり落ちる。
 ほとんど同時に、レッサー・デーモンの陰からユラリと立つタバサ。
 氷の槍を放ったばかりだというのに、その杖には、次の『氷の槍(ジャベリン)』が用意されていた。死体の陰で、彼女は二本同時に作り上げていたらしい。

「……バカは、あなたのほう」

 珍しく、タバサが挑発的な言葉を口にする。
 先ほど彼女が隠れたのは、デュグルドの攻撃から身を守るためだけではなかった。逆に、彼女の方から攻撃するためだったのだ。魔法を放つタイミングを隠し、トカゲのしっぽ切りをさせないため……。
 そうか!? 今わざわざ挑発したのも、相手の冷静さを失わせるためか!

「てめぇ……」

 憎悪の言葉と共に、ようやく立ち上がるデュグルド。
 その腹には、一本の氷の槍が突き立っている。
 そこへさらに、タバサが二本目を放つ!

「ぐがぁぁぁぁっ!」

 魔族の絶叫が響いた。
 少し精神体を残して逃げるなり、完全に消えて空間を渡るなり、避ける手段はあっただろうに……。
 タバサの挑発で頭に血が上って、真っ正面から立ち向かおうとしたのが失敗だったのだ。
 デュグルドは、今度は胸を氷の槍に貫かれていた。

「……くそっ! くそっ!」

 まだデュグルドは倒れず、闘志も失っていない。それでも、彼が追い込まれているのは確かだった。
 レッサー・デーモンたちもほとんど倒されており、残りは私とじゃれている。さっきと同じ回復方法は、もう使えない。

「殺すっ! 殺してやるっ!」

 何を思ったか。
 叫ぶなり、デュグルドはマントをひるがえして駆け出した。

########################

 ボゥッ! ゴゥッ!

 キュルケの炎と姫さまの水が、グドゥザを挟撃する。
 しかし不意打ちでなければ、直撃させることは難しい。
 グドゥザもダメージを負っており、足取りは少しおぼつかないが、それでも普通にこの世界に具現化したまま、攻撃を避け続けていた。
 本当に危なくなれば空間を渡るだろうし、まだまだ余裕があるということか。
 そして。

「えっ!?」

「ちょっと!? また、これ!?」

 動揺する姫さまとキュルケ。
 いつのまにか二人の影から、またグドゥザの髪が伸び上がっていた。
 二人が杖を振るより早く、その全身に髪が絡みつく。
 グドゥザが小さく笑った。

「……この状態で髪から魔力を放てば……一体どうなるかな?」

「!」

 揃って絶句する二人。

「試してみるのは、これが初めてだけどね……」

 無数の髪が、小さな羽虫にも似た音を立てる。
 ビクンと声もなく、姫さまとキュルケが同時に身をのけぞらし……。

「ぐがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 木々の間にこだまする、断末魔の悲鳴。
 それはグドゥザのものだった。
 後ろから、頭をまともにデュグルドに貫かれて!

「……デュ……デュグル……ド……」

 黒い長髪が力を失い、無数の闇のかけらとなって宙に溶けた。
 姫さまとキュルケが拘束を解かれ、地面にへたり込む。

「……きっ……きさま……」

 味方のはずだった魔族に向けた、グドゥザの声。それも半ばから風に溶け、そして消えた。

 ザザアッ……。

 彼女の体も無数の黒い塵と化し、風に吹かれて宙に散る。

「……あの! 人形娘を殺してやるっ!」

 自分が滅ぼした仲間に向かって、憎悪のこもった声で語りかけるデュグルド。

「だからこそっ……! グドゥザ! お前の残った力、借り受けるぜっ!」

 こいつ!?
 レッサー・デーモンのみならず、こともあろうにグドゥザまで食うとは!?

「……まだだっ!」

 デュグルドの体がヨロリと傾く。
 向かい来るタバサの方へと視線と移して。

「まだ……足りん! ……力が……」

 さすがに『氷の槍(ジャベリン)』二発直撃のダメージは大きかったらしく、弱っていたグドゥザの断末魔を『食った』くらいでは、どうやらすぐには回復しないようである。
 そこに……。

「ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ!」

 攻撃は背中から来た。

「がぁっ!」

 たまらず悲鳴を上げるデュグルド。
 倒れたままのキュルケが放った、炎の蛇である。

「……きさっ……! きさ……まっ……」

 ボロボロになりながらも、力ずくで『蛇』を引きちぎって、彼女の方へと振り返るデュグルド。
 その瞬間。

 ザアァッ!

 足下から立ちのぼる、巨大な水柱。
 今度は姫さまの魔法攻撃だ。

「ぐ……ぐぉ……」

 これも何とか耐えきったデュグルドだが、水柱が収まると同時に。

 シュタタタタッ!

 水と炎と氷の矢が、四方八方からデュグルドに突き刺さる。

「……!」

 今度こそ……。

 ざあっ!

 断末魔の悲鳴を上げる間すらなく、デュグルドの体は黒い砂と化し、大地に黒くわだかまった。

「……なんとか終わったわね……」

「……ええ。こちらは」

 キュルケの言葉に、姫さまが小さな笑みを浮かべ、タバサも無言で頷いていた。

########################

 ジワリ……。

 左手のルーンを光らせて、サイトは暗殺者との間合いを詰める。
 あらためて、デルフリンガーを握り直し……。

「はっ!」

 サイトは、一気にダッシュをかけた。
 同時に『地下水』は大きく後ろに跳ぶ。

「ウル・カーノ」

 暗殺者の右手のナイフから、炎が飛び出した。
 この呪文は、杖から炎を放出する、『火』系統の基本的な術のはず。やはり、あのナイフを杖として契約しているのであろうか?

「今日は『火』の日かよ!?」

 などとこぼしつつ、それでもサイトは、突っ込むペースは落とさない。
 断続的に撃ち出された炎を、あるいは身をかわし、あるいはデルフリンガーに吸収させる。この程度の魔法なら、いくら吸っても魔剣の負担にはならないと判断したらしい。
 暗殺者もまた、自ら放った術のあとを追うように、サイト目がけて突っ込んでいく。
 そして……二人が交錯する!
 サイトは剣を振り下ろし……。

 ガキンッ!

 しかし『地下水』は、これをナイフではなく、自分の左の手のひらで受けた!
 ……いや、よく見れば、いつのまにか手には土の塊が。おそらく前回同様、『土弾(ブレッド)』と『錬金』を組み合わせたのだろう。
 同時に『地下水』は、右手のナイフをサイトに向かって突き出した。

「ちっ!」

 慌てて後ろに跳び離れるサイト。
 二人は再び、距離を置いて対峙する。
 だが、それもわずかな時間に過ぎなかった。

 ザッ!

 暗殺者が地を蹴り、高々と舞い上がる。
 ……どういうつもりだ!? 空中では身動きも不自由となり、攻撃の的になりやすい。サイトは魔法が使えないから、遠距離攻撃はないとふんでいるわけか!?
 サイトが空を見上げつつ、剣を構えるが……。

「ええっ!?」

 突然、動揺の色を顔に浮かべるサイト。
 いつのまにか地面から生まれた土の手が、彼の足首をシッカリ掴んでいたのだ。
 以前に私もくらった『アース・ハンド』である。最初は『火』を使ってみせたが、やはり『地下水』は、今日も『土』魔法がメインらしい。
 ……それはともかく。
 これでは、身動きが不自由なのはサイトの方である。
 まずいっ!
 しかし、この時。

「相棒! ナイフだ! 奴のナイフを狙え!」

 デルフリンガーのアドバイスが飛んだ。
 サイトが応じるより早く、なぜか『地下水』が反応する。
 暗殺者はサイトの目前に着地したにも関わらず、せっかくの攻撃のチャンスを逃して、大きく後ろに跳び退いたのだ。
 さらに。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 暗殺者は『スリープ・クラウド』の呪文を唱えつつ、右手のナイフを懐にしまった。
 その呪文と光景が、かつてのトリスタニアでの戦いを、私に思い起こさせる。
 あの時も『地下水』は、ナイフを大切にしまっていた。……まるでサイトとナイフで斬り合うのを嫌がったかのように。
 今にして思えば……。あれはサイトではなく、デルフリンガーを疎ましく思ったのではないか!?
 サイトと一緒ならば、サイトのように武器のことも丸わかりなデルフリンガー。ボケちゃって忘れていることも多いが、それでも多くの知識を携えているデルフリンガー……。
 どうやらデルフ、何らかの秘密に気づいたらしい。今日も先ほど一度、直接ぶつかり合っているし、それだけではなく、トリスタニアでの最初の戦いでも刃と刃を交わしていたはず。そうした経験から、今頃になって何か思い出したのだろう。
 ……などと悠長に考えている場合ではなかった。

「サイト!」

 青白い雲に包まれ、サイトは立ったまま眠りこけている。『アース・ハンド』で足を掴まれていなければ、倒れていたかもしれない。
 そこに、『地下水』がゆっくりと歩み寄り……。

 タタタッ!

 横手から『地下水』を襲ったのは、タバサの氷の矢。
 デュグルド戦を終わらせて、息つく暇もなく、サイトの援護に回ってくれたのだ!
 これは『地下水』も予想していなかったらしい。

 バシュッ!

 避ける間もなく、右手を振って叩き落とす『地下水』。

「邪魔だ」

 右腕を凍りつかせながらも、タバサに向けて魔法を放つ。
 風の刃、『アイス・カッター』だ。
 タバサは素早く、防御のため、つむじ風を体の周りに纏わせたが……。

「くっ!」

 全部は防ぎきれない。
 マントや服を切り裂かれつつ、まともに吹っ飛ぶタバサ。
 ……私が、レッサー・デーモンの最後の一匹を倒したのは、この時だった。

########################

「姫さま! タバサの回復お願いしますっ!」

 返事も待たずに、私はサイトの方へ駆け寄る。
 姫さまもタバサも、ついでにキュルケも、既にかなりのダメージを受けていた。とても『地下水』なんぞ相手にできる状態ではない。
 ならば……私とサイトのタッグで戦うしかない!

「いつまで寝てるの! 起きなさい!」

 小さなエクスプロージョンをぶつけて、強引にサイトの目を覚ます私。
 大丈夫、サイトには害がない程度のシロモノだ。どの程度までOKか、いつものお仕置きエクスプロージョンで手応えはバッチリ。……うん、あれも結構、役に立つのね。

「……あ? ああ、ルイズ、無事だったか」

「それはこっちのセリフよ!」

 サイトを助け起こしながら、状況を確認する私。
 今の爆発で、アース・ハンドも吹っ飛んでいる。これでサイトも自由になった。問題は……。

「おい、やめてくれよ。おりゃあ、おめえなんかに使われたくねーんだよ……」

 眠ったサイトの手から滑り落ち、地面に転がっていたデルフリンガー。
 それは今、『地下水』の手にあった。
 ……左手にデルフリンガー、右手にナイフという、二刀流だ。
 暗殺者は魔法で土のギブスを作り、それで右腕を覆っている。タバサの魔法をまともにくらった右腕は、凍ってはいるものの、氷結したり砕けたりはしていない。さすがにタバサの精神力も、デュグルドとの戦いの後だけに、かなり弱まっていたのであろう。

「デルフ。あんた……何か気づいたのね?」

 暗殺者を睨みつけながら、私は剣に尋ねる。
 思ったとおり。
 剣は、明確な答えを返してくれた。

「そうだよ、娘っ子。思い出すのが遅れて悪かった。この『地下水』は……インテリジェンス・ナイフだぜ」

########################

「ナイフの方が本体だったのね!?」

 確認するかのように叫ぶ私。
 暗殺者『地下水』の正体は、一本のナイフだったのだ。意志を込められた魔短剣……。

「インテリジェンス……? ……っつうことは、デルフと同じなのか?」

「よせやい、相棒。こんなやつと一緒にしないでくれ。こいつは握った者の意志を奪う、とんでもねーナイフだ」

 なるほど。
 大ケガした翌日に完治して再登場したり、性別まで変わっていたりしたのも無理はない。その特殊能力で、次々に宿主を変えていたわけだ。

「……しかもこいつ、意志を乗っとったメイジの魔力が、自分の力に上乗せされるらしいぜ」

 宿主がメイジでなくても魔法が使えて、メイジであるなら、さらにアップ……。
 そういうことなら、杖なしで魔法を放っていたのも納得できる。魔法を使っていたのは宿主の人間の方ではなく、本体のナイフの方だったのだ。
 それでも、宿主の得手不得手が少しは影響するようだ。私やサイトに破れた後、『土』魔法を得意とするメイジの体を乗っとったのだろう。それで今は、やたら『土』魔法を多用するようになって……。
 ……ん? 『土』魔法の得意なメイジって……まさか!?

「うるさい。黙れ」

 右手のナイフが、左手の剣を叱りつける。

「いーじゃねーか、少しくらい。……それにしても、なんだってお前さん、暗殺者なんてやってんだ!?」

「……暇だからさ」

 黙れと言ったわりには、ちゃんと剣に答えるナイフ。インテリジェンスウェポン同士、なんだかんだいって、それなりに気が合うのかもしれない。

「俺たちゃ寿命がないからね。『意志』を吹き込まれたら最後、退屈との戦いだよ。どうせ戦うなら、何か目安が欲しいからね。金とか……名声とか」

 ずいぶんと俗っぽい、人間臭いことを言うものだが……。
 気分の問題で暗殺稼業をやっていたというなら、破れた相手に対する雪辱とか、強い相手に立ち向かう意地とか、そういうものが人一倍強いとしても不思議ではない。
 私やサイト、はてはジュリオに挑もうというのも、もとを辿れば、無機物の退屈しのぎだったわけね……。

「俺っちにはわからんね。長生きが退屈という部分だけは、わからんでもないが……。それなら、人間と仲良くやったほうが楽しいじゃねーか」

「フン。人間に飼い馴らされたお前に、何がわかる」

 デルフの言葉は、ナイフ『地下水』の気に障ったらしい。

「……おしゃべりは、もういいだろう。いずれにしても……秘密を知られた以上、お前たちは全員、ここで死んでもらう」

 話は終わったと言わんばかりに。
 暗殺者『地下水』——ナイフに操られた宿主のメイジ——が、剣とナイフを構える。

「おい!? やめろ、娘っ子や相棒を斬るのに、俺を使うな!」

 叫ぶ魔剣だが、デルフリンガーには、握り手を操る力はないらしい。ナイフの意志のまま、私たちに対する脅威となった。

「デルフ!」

「落ち着きなさい、サイト」

 彼の前にバッと手を出して、私は使い魔を止める。

「武器を持たないあんたでは、ガンダールヴのスピードも出せないでしょ。私がデルフを取り返してきてあげるから……あんたの出番は、それからよ!」

 そう。
 こうなっては、私がメインで戦うしかなかった。
 デルフリンガーもそうだが、出来れば、ナイフの方をこそ、叩き落としたい。そうすれば、今の宿主も解放されるはず……。

「『ゼロ』の娘よ……。得意の爆発魔法……遠慮せず撃ってこい!」

 豪語する暗殺者。
 私が放つ魔法を、かわすか防ぐかする自信があるようだ。
 ならば……。

「おあいにくさま。私がそれしか出来ないと思ったら……大間違いだわ!」

 呪文を唱えながら、私は走り出した。
 遠くから魔法をぶつけてもダメとなれば、倒す手段はただ一つ。
 半ば不意打ちで、接近戦で勝負するのみ。
 ……かなり分の悪い勝負だが。

「ほう!? 我と斬り合うつもりか!」

 愉悦と侮蔑を含んだ声を上げ、暗殺者も駆け出す。
 私は呪文詠唱の時間稼ぎで、わざと回りこむような動きをしていたのだが、向こうは、こちらに向かって一直線!
 二人の距離が縮まり……。
 交錯する直前、私の呪文は完成した。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 叫んだ私の杖に、闇の刃が生まれ出る!
 これで敵とチャンバラするのは、私も初めてだが……。

「その術は、前に見せてもらった!」

 暗殺者の余裕の声。
 前回の戦いで、魔族の結界を切り裂くのに使ったのが、アダとなったか!?

「それに! お前の技量では……それは使いこなせまい!」

「馬鹿にしないでっ!」

 思わず叫びながら、私は虚無の刃を振り下ろす!
 これに……相手は、左手の剣を合わせてきた!

「おい、やめろ!?」

 泣き叫ぶ剣。
 以前に『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を吸収したデルフならば、これも吸い込んでしまうかもしれない。
 あるいは、サイトが握っていない状態では、その能力も発揮されず、スパッと斬られてしまうかもしれない。
 どちらにせよ、私としては困る。
 私は途中で強引に、斬撃の軌道を変える!

 スカッ……。

 でも器用にデルフリンガーだけを避けて敵に斬りつけることなど無理。
 完全に外して、地面に一筋の切れ目を入れる形となった。
 無茶な体勢のまま、一瞬、私の動きが止まる。
 そこに。

「ルイズ! あぶねぇ!」

 武器も持たずに駆け込んできたサイトが、私をドンと突き飛ばす。
 たった今まで私がいた場所を、デルフリンガーが切り裂いた!

「サイト!?」

「……大丈夫だ。傷は浅い……」

 大丈夫じゃないって。
 サイトは脚から血を流して、『地下水』から少し離れた地点に倒れ込んでいる。
 私を突き飛ばすと同時に、反動で自分も大きく後ろへ跳び退いたらしい。バッサリやられるという最悪の事態は免れて、ジャンプする際に少し斬られただけのようだ。
 暗殺者は、そんなサイトと私を見比べて……。

「……お前が先だ」

 私に向かって、再び走り出した!
 今度は、私は動かない。杖を構えたまま、『地下水』の攻撃を迎え撃つ。
 私の杖は闇の刃を保っているが、やはりこの術、魔力の消耗が激し過ぎる。
 こうして待っている一刻一刻の間にも、疲れが蓄積されてゆく。
 その疲労感にも負けず、私は迫り来る『地下水』に意識を集中して……。

「娘っ子!?」

 デルフが叫ぶのと同時に、振り下ろされた一撃。
 それを私は……。
 無意識のうちに、右にかわしていた!
 同時に。

 スッ!

 私の体の左側の空間を、剣に続いて、暗殺者のナイフが過ぎていく。
 もしも最初の一撃を左に避けていたならば、今の第二撃は、確実に私の体へ突き刺さっていたことであろう。
 ……これも、サイトとの修業の結果! 左へ避けるクセを修正した結果!
 そして。

 スパァァァン……。

 二連撃の直後では、さすがにかわしきれなかったのか。
 私の闇の刃は、インテリジェンス・ナイフを真っ二つにし、さらに勢い止まらず、宿主のメイジの腹を大きく薙いでいた。

########################

 地に倒れ伏したメイジの口から、聞き覚えのある声が漏れる。
 ナイフ『地下水』とは全く異なる……女性の声。

「これは……いったい……どういうことだい……?」

 インテリジェンス・ナイフが破壊されたことで、その支配から解放されたのだ。
 宿主とされていた者は、戦いの最中に私がチラッと予想したとおり。

「あんたは、悪い奴に操られていたのよ。……フーケ」

 かつて盗賊として名を馳せた、『土くれ』のフーケであった。
 おそらく、フーケを脱獄させたのも『地下水』であろう。メイジとして相当な実力を持ちながらも、牢獄で死刑を待つだけの身であったフーケ。彼女は『地下水』から見れば、ちょうどいい宿主だったに違いない。

「……操られていた……? そうかい……どうりで……。記憶が時々……辻褄の合わない部分があって……おかしいとは思っていたけど……」

 ふむ。
 どうやらあのナイフは、ずっとフーケをコントロールしていたわけではないらしい。彼女の体を乗っとったり、体を返したり、そのオンとオフを繰り返していたようだ。
 フーケだって不審に思う点があっただろうが、脛にキズ持つ彼女は、それを誰にも相談できなかった……。
 しかし。
 完全にフーケの体を支配していた方が『地下水』としてもラクだったろうに、何故わざわざ、そんな面倒なことをしたのだろう? 私たちをウエストウッド村に呼びつけたことと、何か関連するのであろうか?
 考えられる答えとしては……。
 フーケ自身——『マチルダ』としてのフーケ——や、フーケの知人——ティファニアたち——を利用するつもりだったのではないか。実際、私たちはフーケを人質とされて、猟師小屋までおびき出されたわけだし。
 その場合、しょせんナイフの『地下水』では、ティファニアたちの前で『マチルダ』を演じきる自信はなかったのね……。

「……私としたことが……ドジを踏んだねえ……」
 
 フーケの腹から吹き出す血は止まらない。
 回復魔法など使えぬ私にもわかる。明らかに、もう助からないというレベルの傷であった。
 ようやく動けるようになったらしく、姫さまとキュルケが、私とフーケの元へ歩み寄る。二人の後ろには、サイトと、彼に肩を貸すタバサの姿も見えた。
 姫さまは、フーケを一瞥してから、ゆっくりと首を横に振った。
 私は、フーケに対して。

「ごめんね。なんとか助けてあげたかったけど……ちょっと相手が強すぎてね。あんたを無傷で、敵だけを倒す、っていうのは無理だったの。ほら、前に言ったでしょ? 暗殺者『地下水』……」

「ああ……『地下水』に……利用されてたのかい……」

 私たちが見守る中。
 フーケは目を閉じて……。

「そうかい……私としたことが……ドジを踏んだねえ……」

 もう一度、繰り返した後。
 彼女の右手が、コトリと力なく垂れた。





(エピローグへつづく)

########################

 いつもはエピローグを最後の章(今までの場合は第四章)に内含させていたのですが、今回は思うところあって、エピローグはエピローグで独立させます。というわけで、次回ようやく第六部が終了です。

(2011年7月8日 投稿)
   



[26854] 第六部「ウエストウッドの闇」(エピローグ)【第六部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/11 23:20
   
 あの戦いから、数日が経過して……。
 いったんウエストウッド村に戻って休息の後、私たちは再び村を発ち、港町ロサイスに辿り着いていた。
 鉄塔のような形の桟橋には、たくさんのフネが停泊している。ハルケギニア各国から集まった商船や軍船など、様々なフネが舳先を並べて、出港の時を待っていた。
 あのアルトーワ老の用意していたフネも、この中にあるのかもしれない。しかし彼が偽物だと判明し、しかも戦いのどさくさに紛れて姿を消した以上、ティファニアたちがその招待を受けるという選択肢はなくなっていた。
 ガリアに行ったところで、彼らを受け入れる場所もないであろう。ならば、ウエストウッド村に残るしかない。
 それでも、こうしてロサイスまで来たのは……。

「じゃ、元気でね!」

「テファも元気で。またね!」

 手を振るティファニアたちに笑顔で応えながら、フネに乗り込む私たち。
 そう。
 これは、ティファニアたちではなく、私たちの出発なのである。『地下水』を倒した以上、もう私たちがアルビオンに留まる意味もないのだから。
 邪教集団との戦いやら、『地下水』の出現やら……。色々あって大きく寄り道してしまったが、元々トリスタニアを出た時点では、私たちはロマリアを目指していたはずだった。ようやく、その旅に戻るわけである。

「……それにしても……」

 ティファニアたちの姿が見えなくなったところで、キュルケがジュリオに声をかける。

「あなた、今回は一体……何やってたの?」

「僕かい? 僕は僕で、色々と頑張ってたんだよ」

 ウインクをしてごまかすジュリオ。
 ……そんなものでは、誰も騙されないけど。

「……最後の戦いの時も、結局、戦いが終わってからノコノコ現れたわね」

「ああ……あの時はとりあえず、いきなりレッサー・デーモンにはり倒されてね。気を失ってしまい、茂みの中に倒れていたんだ」

「何よ、それ。嘘くさい話ね……」

 それ以上は、キュルケもツッコミを入れない。
 他の誰も異を唱えないところをみると、私を一度だけ助けた時のジュリオの声は、私だけにしか聞こえていなかったようである。

「……ところでルイズ、ちょっと気になったんだが……」

「何よ、サイト?」

 斬りつけられた脚も姫さまの『水』魔法で回復し、今のサイトは、普通に歩けるようになっていた。それでも少し心配なのか、まるで後ろに控えるかのように、タバサがすぐ近くに立っている。
 ……私の使い魔なんだから、ちゃんと私が面倒見るわよ……。
 タバサにはそう言ってやりたい気持ちもあるが、何もわざわざケンカを吹っかけることもない。それに、こうしてサイトは、タバサではなく、ちゃんと私に質問してくるわけだし。

「……ティファニアがフーケを蘇らせたのって……あれも虚無魔法?」

 問うサイトに、私は目を丸くする。
 私の代わりに、サイトの背中から返事が。

「ひでーよ、相棒。せっかく俺が、あれだけ丁寧に説明してやったっていうのに。……あの時の話、聞いてなかったのかよ?」

「……彼は、こういう人」

 嘆くデルフリンガーに、ポツリとつぶやくタバサ。

「……いいわ。御主人様である私が、わかりやすく説明してあげる。あれは『先住の魔法』。テファは、母親の形見……つまりエルフの宝を使ったの」

「おい、娘っ子。それ……俺っちが言った説明、そのまんまじゃねーか」

 剣のくせにツッコミを入れるな。
 ……まぁ、しかし、私もあれを見た時は驚いた。
 フーケが事切れたと思ったところへ、ちょうど駆け寄ってきたティファニア。なんと彼女は、『魔力』のこもった指輪で、フーケを蘇らせてしまったのだから!
 死ぬような大怪我まで直してしまう、水の力が込められた石。かつて私たちの敵が使っていた魔道具『アンドバリの指輪』とは違って、死体を操るモノではない。完全に蘇らせてしまう、素晴らしい秘宝……。
 しかしフーケを復活させた時点で、とうとう力を使い果たしてしまったようだ。私たちの目の前で、石は溶けてなくなってしまった。私たちから見れば、もったいないことこの上ないのだが……。

『いいのいいの! 道具はね、使うためにあるのよ! それに……マチルダ姉さんのためだもの!』

 そう言ってフーケを抱きしめるティファニアの前では、誰も何も言えなかった。
 ……しかし、あの時の光景をあらためて思い返してみると。
 サイトがデルフの話を聞いていなかったのは、ずっとティファニアの胸——彼女の体とフーケの胸に挟まれてグニョンとつぶれていた——ばかり見ていたからのような気もする……。

「どうしたのです、ルイズ? なんだか……こわい顔をしていますが……」

「なんでもありませんわ、姫さま」

 声をかけられて、私は回想から引き戻された。
 とってつけたように、私は話題を変える。

「……それより姫さま、いいんですか? あんな簡単に、あんな約束しちゃって……」

 具体的なことを言わずとも、意味は通じた。
 姫さまは、ニッコリと笑う。

「ええ。彼女は、わたくしのいとこですから」

 復活したフーケは、ティファニアたちと共に、ウエストウッド村に残ることになった。もう盗賊稼業は続けられないし、では今後の孤児院の生活費はどうするのか、という問題が生まれたが……。
 なんとそこで、姫さまが資金援助を申し出たのである!
 姫さまの裁量で動かせる金の一部を、秘密裏に定期的に、ティファニアのもとへ仕送りする……。
 血縁者として、そして王族として、それこそが、ティファニアにしてやれる最善だと判断したらしい。
 姫さまは、ここロサイスからトリスタニアに伝書フクロウを送って、既にマリアンヌ大后に頼んだようだ。だが、この話を実現させるためには、やはり姫さま自身が一度トリスタニアに戻って、色々とややこしい手続きをしないといけない。
 私たち全員でトリスタニアまで行く必要はないが、しかし姫さまは、今すぐ私たちと別れるつもりもなく……。結局、今回の旅の目的地——姫さまが合流した時点での目的地——であるロマリアまでは同行するが、そこで私たちと別れる、ということに決まった。

「……そうですね」

 姫さまの笑顔に、私も同意の言葉を口にする。
 少し名残惜しい気もするが、私はつとめて明るい声を上げた。

「それじゃ、行きましょうっ! ロマリアへっ!」

########################

 ……さわり……。

 夜の闇を風が渡っていく。
 高い空の上でも、夜風は夜風。頬にあたる風は、地上のものと、それほど変わらないように感じられる。
 私は夜中に一人、こっそり船室を抜け出して、フネの甲板上でボーッとたたずんでいた。
 アルビオン大陸とハルケギニアの間の船便は、民間船であっても、かなりの高度を進む。下を見ても特に面白い景色はなく、一面の雲海となっていた。
 それでも何気なく、遠くへ視線を向けていると……。

「散歩かい?」

 声をかけられて、私は振り返る。
 よくわからないフネの道具やら、積み上げられた木箱などがある辺り。そこに黒い影がわだかまっていた。

「……いいえ……」

 私は静かにかぶりを振った。

「あんたを待っていたのよ。ジュリオ」

「……へぇ……。深夜の密会……デートってことかな? それは嬉しいね」

 闇の色も似合う神官は、右手の指で髪を巻きながら、笑顔でウインクしてみせる。

「そんなわけないでしょ。ただ……一応、お礼を言っておこうと思ったの」

「お礼?」

「そう。全部が終わってやっと、あんたが今回、何をやってたのかがわかったから。……つまり、ラルターク=アルトーワに対する抑えと……そしてたぶん、私のテスト」

「へぇ……」

 面白そうに答えたジュリオの全身が、スゥッと闇に溶け、消えた。

「……いつ気づいたんだい?」

 声に振り向けば、双月の光に照らされて、積み上げられた木箱の上にチョコンと腰かけたジュリオの姿。

「……僕が魔族だ、ってことに……?」

「わりと最初っから、ね」

 言って私は小さな笑みを浮かべた。

「前に私の術を封じたマゼンダ……。あんなマネ、はっきり言って人間技じゃないのよね。特別な魔道具を使った様子もなかったし……」

 かといって、先住魔法とも思えなかった。つまり彼女は、エルフや吸血鬼のような亜人でもなかったわけだ。

「……そんなのを、いともアッサリと倒しちゃうような奴が、ただの人間のわけないでしょ」

「……なぁんだ。じゃあ、ほとんど最初からバレバレだったんだね。ハハハ」

 あっけらかんとした笑い声。

「そのとおり。彼女も同じく魔族だったよ」

 マゼンダの一件だけではない。
 こいつの神出鬼没ぶりも、人間のレベルを超えていた。だがそれも、純魔族特有の能力——空間を渡る力——だと考えれば、説明がつくのだ。

「けど、それをあんたが倒したってことは、魔族の中にも色々事情があるってことね。あのアルトーワ伯のフリしてた奴とも、味方って雰囲気じゃあなかったし」

「彼は彼で、ここでやるべき仕事があってね……」

 情報を小出しにするジュリオ。
 相手が普通の奴ならば力づくで聞き出すことも可能だが、こいつ相手では、それは無理。
 残念ながら私では、こいつには勝てない。
 ……今は、まだ。

「それに、ラルタークさんには、君を殺せって命令も出ていたようで……。でもそんなことされては僕が困るから、『お互いに正体はバラさず、君の件に関しては不干渉』って約束しといたのさ。……その約束の前に別の魔族を二人呼び寄せていたようで、それに関しても不干渉って話だったんだけど。そっちの二人こそ、暗殺命令の専任だったようだね」

 うーむ。
 グドゥザとデュグルドは、やはりラルターク=アルトーワの配下だったわけか。そしてラルターク=アルトーワには、私殺害よりも優先する別の任務があって……。
 あれ? なんだかトリスタニアでの……カンヅェル=マザリーニの時と状況が似ているような気がするが……。
 トリスタニアの事件では、魔族はトリステインという国の乗っ取りをたくらんでいたのだ。あの一件との類似性を考えるのであれば、今回のキーとなるのはティファニアであろうか。カンヅェル=マザリーニがウェールズ王子の死体を操っていたように、ラルターク=アルトーワは、ティファニアを利用するつもりだったのでは……?
 それならば、魔族が『地下水』と協力関係にあったのも説明がつく。マチルダの体をコントロールする『地下水』は、ティファニア懐柔には大いに役立つ存在だったはず。
 まぁ、それはそれで、だったら何故さっさとティファニアを殺して死体人形にしなかったのか、という疑問も生まれるわけだが……。

「……ところで、ジュリオっていうのは偽名でしょ?」

 私自身の推理は全く表に出さずに。
 さらなる情報を得ようと、ちょっと別の角度から切り込んでみる。

「そうだよ。本来の魔族としては、獣神官ゼロス……獣王(グレーター・ビースト)ゼラス=メタリオムに仕える者の端くれだ。……もっとも、今は別件だから、相変わらずジュリオと呼んで欲しいけどね」

 言いながら、ジュリオは右手の手袋を外してみせる。
 獣王(グレーター・ビースト)という大物魔族の名前にも驚いたが、彼の右手の甲には、もっと私を驚かせるものがあった。
 そこには……。
 サイトの左手に光るガンダールヴの印と、似たような文字が躍っている!

「今の僕は、神の右手。ヴィンダールヴだ。君の大切なサイト君と、兄弟みたいなものかな?」

 おい。
 人間のサイトと、魔族のあんたを一緒にするな。

「それにしても……すごいよね、虚無のメイジって。なんと僕のような魔族を、使い魔として召喚して、契約までしまったのだから! マーヴェラス!」

「ちょ……ちょっと待って!? 虚無の使い魔ってことは……。まさか……あんたの今の主人って……」

 トリステインの虚無である私。
 アルビオンの虚無であるティファニア。
 ……まあ、この二人はいい。純真で無害な、美少女メイジである。
 しかし。
 以前に戦ったガリアの虚無は、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の魂を内封していた。そいつの使い魔は人間だったから少し事情は違うが、ジュリオのような強力な魔族を使い魔にするくらいだから、ひょっとして今度の奴も……。

「ああ、もしかして……僕の主人が赤眼の魔王(ルビーアイ)様に覚醒してるとでも思ったのかな?」

 思わず無言で頷く私。
 するとジュリオは、笑い飛ばすように。

「安心していいよ、そうじゃないから。……うん、本来ならば赤眼の魔王(ルビーアイ)様になるはずなんだけどね。何をどう間違ったのか、冥王(ヘルマスター)様に覚醒しちゃって……。困ったものです」

 ……へ……冥王(ヘルマスター)って……。
 十分大物なんですけど!?

「……まあ彼も、覚醒前と後とでは、方針が正反対になったりしてるが……」

 完全に硬直した私の前で、意味深な独り言を口にするジュリオ。
 私の表情が変わったのを見て、彼は失言に気づいたのか、あわてて取り繕うように。

「……虚無のメイジとしては、『写本』のような邪道な方法で、始祖ブリミルの知識が広まるのは嫌だったみたいでね。初めは『写本』をハルケギニアから消すのが僕の役目だった。……ところが前回、『写本』をまた一つ焼いたと報告に戻ったところで……今回の仕事を与えられた、というわけさ」

「つまり……私の監視? トリステインの虚無に対する、警戒?」

「少し違うな。……守り、導くこと。当人を前に、これ以上は話せないけどね」

 いやいや、十分にしゃべってくれているぞ。
 今夜のジュリオは、妙に雄弁である。
 まるで悪役が、退場間際に全部暴露しているかのような感じ。
 ……そう思うと、ちょっと不気味だけど……。

「それで私を試したわけね。はたして本当に、魔族である自分が守ってやるほど価値のある人間かどうか」

 ……あの程度の相手はルイズひとりで倒してもらわないと、この先が思いやられる……。
 ジュリオのあの言葉は、たぶん私に対するテストだったのだろう。
 彼は、こっくりと頷いた。

「……で? 私は合格だったわけ?」

「正直言って、やや不満かな……。せっかくガンダールヴまでいるんだから、もっと楽勝じゃないとね。……まあ、使い魔だけじゃなく、仲間の力まで上手く使いこなせているようだし、その点に免じて、ギリギリ合格としておこうか」

 姫さまやタバサは道具ではない。私は仲間を『使って』いる覚えなどないが……。
 魔族から見れば、そう見えるのであろうか。

「……ところで」

 ジュリオは私に問う。いつもと変わらぬハンサムな笑顔のまま。

「どうするつもりかな? 僕が魔族と知った以上……決着をつける、とか?」

「うーん……」

 私はしばし考えて、

「このままでいいわ。みんなにも黙っていてあげる」

「……ほう?」

 面白そうな声を上げるジュリオに向かって、私は指を突きつける。

「踊らされてるのは嫌だけど、どうやら今は、それしかテはないみたいだし。それならまだ……みんなには、あんたの正体バラさない方がいいでしょ?」

「いやあ、それは助かるな」

 いけしゃあしゃあと言うジュリオ。

「……でも、そのつもりなら何故、わざわざ僕にこんな話を? 知らんぷりしていた方が、いざという時、少しばかり君には有利になるかもしれないのに?」

「これまであった色々を、少しでもハッキリさせておきたくてね。……それに、知らずに踊らされているのではなく、知ってて踊ってやってるんだぞ、って伝えておきたくて」

 ……まあ、たいした違いはない、と言われてしまえばそれまでだが。
 なんとなく悔しいような気がしたのだ。

「……なるほど。貴族としてのプライドだね」

 苦笑を浮かべ、しみじみ頷くジュリオ。

「やっぱり面白いね、君は。さすが……虚無の妖精さんだ」

「ほめてるつもりなの? それとも……からかってるつもり?」

「ほとんど最高の賛辞だよ。……僕としては、ね」

 蕩けるような笑みを決めてみせるジュリオ。
 しかし私は、そんなものに心を動かされるわけもなく。

「それで……次は私たち、一体どこに行けばいいわけ? あんた……私のこと、どっかへ導きたいんでしょ?」

「そうだね。このまま……」

 ジュリオは私から視線を逸らし、フネの外へと向けた。
 いつのまにか、雲と雲との切れ間から、ハルケギニア大陸が見え始めている。
 その広大な大地に向かって、ジュリオが右手を伸ばす。……ヴィンダールヴのルーンが刻まれた、その右手を。

「ロマリアの北……『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』が保管された地へ……」





 第六部「ウエストウッドの闇」完

(第七部「魔竜王女の挑戦」へつづく)

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 原作「スレイヤーズ」六巻のエピローグは、六巻のエピローグであると同時に、次への橋掛けの要素も強いと思ったので、独立した章にしてみました。
 なお、フーケはティファニアの指輪のおかげで命拾い。あの指輪、「ゼロ魔」のテファの特徴の一つと思いましたから。

(2011年7月11日 投稿)
   



[26854] 番外編短編7「使い魔はじめました」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/14 23:27
  
「今日も暑いのね……」

 もうもうと立ち込める水蒸気の中。
 一匹の青い竜が、不満の言葉を漏らしていた。

「この霞というか湯気、忌々しいのね。むしむしするし、視界は悪いしで散々なのね」

 ここ『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』は、六千メイル級の山々が連なる、巨大な山脈である。しかし普通の高山に見られるような、てっぺん付近の氷河や雪は見当たらない。
 その『火竜』の名前どおり、赤い岩肌と黒い溶岩石が頂上近辺まで延々と続いている。赤く焼けた溶岩流がいたるところで噴出し、さかんに降る雨を水蒸気へと変えていた。
 辺りは白く濁った霧と、むせるような熱気に包まれており、まるで山脈全体が蒸し風呂のようである。

「こんなところで好んで暮らすなんて……あいつらも物好きなのね。きゅい」

 独り言を口にするイルククゥ。
 その視線の先には、空を飛ぶ火竜たちの姿があった。
 火竜は知能の代わりに強力な炎を進化させてきた連中である。風竜のように物わかりがいいわけでもないし、おまけに気が荒い。イルククゥから見れば、なんともつきあいにくい、乱暴な連中である。
 しかし、文句を言っても仕方がない。この『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の管理人をやると言い出したのは、イルククゥ自身なのだから……。

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 イルククゥは、古代より生き続ける伝説の韻竜の一員である。
 彼女の一族は、人目につかない場所で、俗世間から切り離された修道僧のような生活をしている。外への興味を失い、そこで毎日お祈りばかりして過ごしているのだ。
 幼いイルククゥにとっては、退屈きわまりない生活……。
 ある日、自分たちの巣の外に出てみたいと言ってみたら、両親に烈火のごとく怒られてしまった。

『イルククゥ、外の世界は危険でいっぱいなのよ。人間たちはね、小さくて力はないけど、魔法や恐ろしい武器を使うの』

『いいかねイル。我々はね、古い一族なのだ。少しでも長く生きることが、この世界に対する恩返しなんだよ』

 きゅいきゅい、と喚いてみても、両親は絶対に首を縦に振らなかった。
 そこへ、とりなしに入ってくれたのが、一族の長老たちである。

『人間たちの世界ではなく……竜たちの住処ならば、どうじゃろ?』

 韻竜が管理すべき場所の一つ、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)。そこの管理人が、ちょうど空位になっていた。
 火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の管理人になれば、とりあえず、竜の巣を出て独り立ちが出来る!
 イルククゥは、一も二もなく承諾したわけだが……。

########################

「こんなことなら……竜の巣に残っていた方がマシだったのね! きゅい!」

 イルククゥの常識では、自分たち韻竜は、この世で一番尊い生き物のはず。
 ところが火竜は、韻竜相手だって容赦しない。特に子育ての季節になると、ただでさえ荒い気性が、ますます荒くなる。近づく者は何でも、強力なブレスで丸焦げにしてしまう。
 きゅいきゅい、と喚いてみても、イルククゥを取り巻く環境は改善されない……。
 そんな時、目の前にゲートが開いた。
 長老から色々と教わっていたイルククゥには、それが何なのか一目瞭然だった。

「人間の開いたゲート! 使い魔を得るために開いたゲートなのね!」

 竜の巣にいた頃から、人間がどういう生活をしているのか興味があったのだ。期待と好奇心が胸一杯に広がり、イルククゥはゲートに飛び込む。
 この自分を使い魔にするくらいなのだから、さぞや立派な魔法使いが現れるのだろう。
 そう思いながら、くぐった先には……。

「……」

 小さな青髪の女の子がいた。
 メガネの奥の翠眼が、どこまでも涼しげな少女。身長より長い杖を持ち、ぼんやりとイルククゥを見つめている。
 この少女が自分を召喚したのだろうか? ……にしては、たいした使い手にも見えない。というより、まだ子供ではないか!
 不満に思いながら見回すと、少女の後ろに、他にも人間の姿があった。
 四人の男たちである。こちらは、子供ではなく、いい年をした大人だ。きっと子供よりはマシなはず、彼らの方が主人であって欲しい、などと思ったのだが……。

「風竜ではないか!」

 男の一人が叫んだので、イルククゥはムッとした。
 自分は風竜なんかじゃない。偉大な古代の眷族である。
 きちんと説明せねばなるまい。そう考えて口を開こうとした瞬間。

「……」

 青髪少女がスッと目を細めて、唇に指をあてた。
 しゃべるな、ということらしい。
 その後ろでは、男たちが何やら口々に言い合っている。

「さすが、お嬢さまです」

「ああ。風竜を使い魔にするなんて、たいしたものだな!」

「しかし、まだ幼生ではないか」

「いえいえ、それでもたいしたものです」

「アルビオンの風竜かな?」

 こんな感じで風竜、風竜と言われては、我慢もならない。
 怒鳴りつけてやろうと思ったが、イルククゥは、青髪の少女に睨まれてしまった。その眼力に押されたのは、彼女が主人となるメイジだからであろうか。
 おとなしく口を閉ざしたイルククゥは、身をかがめて、少女と契約。足の裏にルーンが刻まれ、こうしてイルククゥは、少女の使い魔となった。

「ジョゼフ様。タバサが風竜を従えたというのであれば……あの仕事、タバサに任せてみてはいかがですか? 新しい使い魔のテストを兼ねて」

「ふむ。そうだな……」

 後ろの男たちの会話は、イルククゥにも聞こえている。そこから察するに、イルククゥを使い魔にした少女は、タバサという名前らしい。
 ジョゼフと呼びかけられた男は、意味ありげな目で竜を眺めつつ。

「……タバサ、その竜と二人だけで行ってこい。ペルスランも連れて行かずに、竜と二人だけで、だ」

########################

 よくわからないまま、イルククゥは、タバサと一緒に出発することになった。
 タバサの視線には妙な迫力があり、イルククゥは黙ったままである。
 ピョンとジャンプしてタバサが背中に跨がってきた時も、最初イルククゥは振り落とそうとしたのだが、なんなくタバサはフライで浮き上がってくる。

「きゅい、きゅい……」

 ただの竜のような情けない鳴き声と共に、イルククゥは少女を背に乗せ、大空に飛び上がった。
 タバサが杖で示した方向へ、しばらく進んだところで……。

「この高さまで上がったら、しゃべっていい。ただし、誰もいないときだけ」

 タバサの解禁宣言だ。
 イルククゥは、スゥと息を吸うと、待ってましたと言わんばかりに話し始める。

「なんなのね? どうして、しゃべるの限定するのね!?」

「我々人間は、韻竜が絶滅したと思っている。騒がれたら面倒」

 さすがに主人だけあって、タバサはイルククゥの正体に気づいているようだ。

「どうしてわかったのね」

「目が違う」

「当然なのね。おばかな風竜なんかとは、頭の中身が違うのね。わたしたち韻竜の眷族は……」

「言語感覚に優れ、先住の魔法を操る」

「先に言わないでほしいのね。じゃあ、そんな偉大な韻竜の私が、風竜と誤解されてどんな気持ちになるのか、わかるわよね?」

「……大丈夫。気づいている人は気づいている」

 イルククゥは、さきほどのジョゼフという男の視線を思い出した。
 彼はタバサの仲間のリーダーっぽい雰囲気だったし、イルククゥが韻竜であると見抜いていたようにも思える。タバサとイルククゥに対して『一人と一匹』ではなく『二人』とカウントしていたのも、普通の竜とは違うという意味だったのかもしれない。

「それなら、わざわざ隠す必要もないのね。仲間には正直に話すべきなのね」

「仲間じゃない」

 即答で否定するタバサ。

「……きゅい?」

「わけあって行動を共にしているだけ。信頼できるのはペルスランのみ」

 男たちの中の誰が『ペルスラン』だったのか、イルククゥにはわからない。ただ、どうやら複雑な事情があるらしい、ということだけはわかった。

「……わかったのね。で、これから何をするの?」

「人助け」

 なんだ。
 仲間じゃないとか、信頼できないとか言ってはいるが、それでも正義の味方の一団なのか。
 一瞬そう思ったイルククゥだったが。

「……でも勘違いしてはいけない。ジョゼフは善人じゃない。そういうフリをしているだけ」

 クギを刺すように、タバサがつけ加えた。

########################

 ジョゼフに率いられた一行は、どうやら諸国を旅しているらしい。世間では善人で通っており、実際、気まぐれのように善行を施すこともあるらしい。
 ……タバサの話を要約して、そのようにイルククゥは理解した。
 ともかく。
 今回は、村が竜に襲われて困っているから助けてほしい、という話を聞き入れて、それでタバサたちが送り込まれたとのこと。
 村の近くで着陸したイルククゥに、タバサが命じる。

「……人間に化けて」

 竜によって被害を受けている村に、竜を連れて行くわけにはいかない。いらぬ混乱を招くだけである。

「人間に化ける? そんなこと不可能なのね」

 とぼけるイルククゥだったが、効果なし。博識な主人は、韻竜が魔法で人間の姿に変身できることを、ちゃんと知っていた。
 やむを得ず、変身するイルククゥ。さらに、タバサが用意した人間の服を着せられる。

「う〜〜。ごわごわするの〜〜」

 なんで人間は布を体に巻き付けるのだろう?
 初めての着衣で、その着心地の悪さを知るイルククゥ。
 それでも、これで外見はメイジと従者らしくなった。
 二人が村に入っていくと……。

「おお! ジョゼフ様の……配下のメイジ様が来てくださった!」

「詳しい話は、どうぞ村長から……」

「立ち話も何ですから、どうぞ、こちらへ!」

 歓迎されて、広場のテーブルへと案内される。
 近くには露店らしきものも建ち並んでおり、一種の野外食堂になっているようだ。そういえば、お腹が減ってきた。人間の食べ物、おいしいといいなあ……。
 イルククゥは期待したのだが、二人の前に出されたのは、それぞれコップ一杯の水だけ。

「もうしわけありません。このたびの事件で、村は貧窮にあえいでまして……。ろくなおもてなしも出来ないんです……」

「……構わない。事情を説明して」

 落胆するイルククゥとは対照的に、表情も変えずに先を促すタバサ。
 二人の前には、若い男が座っている。村の長にしては若すぎるくらいだが、村人たちが『村長から』と言っていたのだから、この男が村長なのであろう。
 タバサやイルククゥの視線に疑問の色を感じ取ったのか、彼は、まず最初に。

「そうですよね、若いですよね。でも……若いだけが取り柄っていう村長も斬新でいいかなぁ、って衆議一決したもので……」

 なんとなく間を置く若村長。
 もしかしたらツッコミ待ちなのかもしれないが、まだイルククゥは人間の世界に慣れていないし、タバサは相変わらず無表情。ツッコミなど入るわけもなかった。

「……ちなみに、俺の前の村長は、メイジくずれの流れ者で、見るからに怪しい人でした。彼のときも、そういう村長がいると斬新なんじゃないかなぁ、って衆議一決して……」

「……村の人事は、どうでもいい。事件の話をお願い」

 今度は口を挟むタバサ。
 このままでは話が脱線しまくるので、さすがに放っておけなかったのだ。

「わかりました。では……」

 ようやく本題に入る若村長。

「あれは今から二ヶ月ほど前……。それまで平和だったこの村に、一匹の黒い竜がやって来たのです」

「黒い竜?」

 思わずイルククゥが聞き返す。
 陸地の村に来るのだから、水竜ではあるまい。風竜か火竜だと思われるが、風竜ならば青いだろうし、火竜ならば赤いのが一般的だ。その色が暗く濃いために『黒』に見えたのだろうか?

「はい、真っ黒な竜です。そいつは西の山に住み着き、こともあろうに村の人々を脅迫し始めたのです」

 細かい種族はともかく。
 ……何もしてない平和な人間を脅すなんて!
 イルククゥは、同じ竜として許せなかった。
 特にイルククゥは、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の管理をする立場の竜。そこに住まう乱暴者の竜たちと、ここで悪さをする竜のイメージがオーバーラップする。

「『一週間に一度、キャベツ二玉と大皿一杯のブタ肉コマ切れを差し出せ。さもなくば町に災いが起こるだろう』と……。最初、村の者は勇敢にも、この脅しに屈しませんでした。しかしそのうち……。竜の言葉どおり、子供がドブにはまったり、牛が難産したりと、祟りとしか思えないような不吉なことが起こり始め……」

 話を聞くうちに、頭を抱え込むイルククゥ。
 まだ人間の世界に慣れぬイルククゥでも、これだけはハッキリとわかった。

「……ち……ちいさいのね……。すけぇるが……ちいさすぎる……。きゅい……」

「そりゃあ……貴族の従者のあなたにとっては、たいしたことじゃぁないかもしれませんけど……」

 若村長は、非難の声を上げる。

「けど! 最近は豚肉もけっこう高いんですよ!」

 イルククゥの隣では、タバサも小首をかしげていた。

「……偶然?」

 タバサも気になったらしい。若村長の言った『祟りとしか思えないような不吉なこと』が、本当に竜によって引き起こされた災厄なのかどうか。

「偶然じゃぁありませんよ! ……ともあれ、そんなこんなで仕方なく、村の者たちは涙を呑んで、キャベツとブタコマを差し出すようになりました。そんなことが、もう二ヶ月も続いているんです! このまま奴の言いなりになっていては、きっと村は滅んでしまう!」

 ……人間の村って、そんなに簡単に潰れちゃうものなの!?
 イルククゥがギギギッと顔を横に向けると、タバサが小さく手を振って「違う、違う」と示してくれた。

「それに……それに……」

 若村長、ついに涙を流しながら、

「今度ブタコマとキャベツを差し出さねばならないのは……この俺の家なのです!」

「大丈夫! 大丈夫よ、あなた!」

 タイミングよく駆け寄ってきた女性が、若村長の肩に優しく手を置く。
 おそらく村長の妻なのであろう。彼女も、一緒になって涙を流していた。
 若村長は、彼女の手をソッと握りしめ、

「すまん……君には迷惑をかける……。俺が村長なんて引き受けたばっかりに……」

「心配しないで、あなた。うちの家計は、まだ少しは余裕あるわ。村の公費の一部を家に回して、ヘソクリしといたから」

「ああ! 君は……なんてやりくり上手なんだ!」

「……それ横領」

 ボソッとつぶいたタバサの言葉は無視して。
 若村長は、再びタバサとイルククゥの方を向く。

「ともかく! このままでは、村も我が家も大変なんです! だから……俺たちの竜討伐に付き合ってください!」

「……村の者は来なくていい」

 言外に足手まといと告げるタバサ。
 しかし若村長は首を横に振る。

「そうはいきません。貴族さまだけを危ない目にあわせるわけにはいきません。せめて……俺と妻だけでも、一緒に行きます!」

 危ないとか危なくないとか、そういう意味ではない。むしろ、素人が一緒の方が、かえって危険である。

「……来なくていい」

 タバサは繰り返したが、若村長は、頑として譲らなかった。

「でも、竜のことは、この村の問題なんですよ!」

 村長としての責任感であろうか。
 こう見えても、若いのに村長をやるだけの人材、ということか……。
 幼生でありながら火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)で『長老』役をやっているイルククゥは、少しだけ、彼に対して共感を覚えた。
 だが。

「考えてもみてください! 竜と言えば金銀財宝を抱え込んでる、と相場が決まっています」

「金に困ってない貴族さまには、そんなお宝、必要ないでしょう? 私たち村人にこそ、必要なんです」

「……村のみんなで均等に分けることになるでしょうが、その前に、村長の俺がいったん預かるかたちにして……」

「……村長の役得で、少しでもネコババしておかないと!」

 涙を拭いながらまくしたてる二人を見て、イルククゥも理解した。
 ……この二人、けして立派な人間ではない、ということを。
 ちなみに。
 竜が財宝を抱え込んでいるというのは、この二人の間違った思い込み。でもイルククゥは、敢えてそれを指摘しなかった。

########################

 かくて……。
 村長夫婦と共に、タバサとイルククゥは山に向かっていた。
 先頭は案内役の若夫婦。そこにタバサが続き、イルククゥは最後尾を歩いている。
 特に面白いこともなく、山のふもとに広がる森の中を進むうちに……。

「……きゅい?」

 イルククゥの鼻孔を何かがくすぐった。右側の木々の間から、その匂いは漂ってくる。
 そちらに顔を向けると、獣道ではあるが、小道らしきものがある。
 ……タバサたちは、森のメインの道を歩いているのだ。ちょっと一行から離れて寄り道しても、すぐ戻って合流できるだろう。
 おなかが減っていたこともあって、イルククゥはフラフラと匂いのあとを追った。木々の間を分け入っていくと……。

「なんだい。小娘じゃなくて従者の方が来たのかい」

 少し広くなった場所で、男が二人、焚き火を囲んでいた。
 寒くて火にあたっている、というわけではない。肉を焼いているのだ!
 イルククゥの口から、ダラダラと涎がこぼれ落ちる。

「腹が減ってるんだろ? さ、食べな」

 恰幅のよい方の男が、串に刺した肉を差し出した。
 ……人間って親切なのね!
 夢中になって、イルククゥは肉にかぶりつく。
 一口食べて、感動の涙を流した。

「おいしいのね!」

 いつもイルククゥたちは、生肉とかを食べている。技術がないわけではなく、自然の恵みをありのままに得る、という思想から来る習慣だった。
 調理されたものを食べるのは、これが初めて。
 簡素な野外バーベキューであったが、それでも、火を通し味つけされた肉は、イルククゥの脳髄を直撃したのであった。

「大丈夫ですかね、兄貴。こんな料理で感激するようじゃ、たいして金もないんじゃ……」

「心配すんな。こいつだって、無能王さま御一行の従者なんだろ? こいつ自身にゃ金はなくとも、主人は金持ちのはずさ。……それより、ほら、手はずどおりに……」

「……へい、兄貴」

 男たちの会話も耳に入らず、イルククゥはガツガツと肉をむさぼった。

「ほら、どんどん食べていいぞ」

 兄貴と呼ばれた男が、次々と肉を焼いて、イルククゥの前に出してくれる。
 一方、貧相な方の男は、イルククゥの体のすぐ近くでチョロチョロと何かしているようだ。しかし食べるのに忙しいイルククゥに、彼の行動を気にしている余裕はなかった。

「きゅい! きゅい!」

 夢中になって食べ続けるイルククゥ。
 気づけば……。

「……きゅい?」

 いつのまにかイルククゥは、ぐるぐる巻きに縛られていた。
 これも人間の衣服の一種なのであろうか?
 最初、そう思ってしまうイルククゥだったが。

「へっへっへ。上手くいきやしたね、兄貴」

「あたりめぇよ。これで身代金がガッポリ入りゃあ、遊んで暮らせるってもんだ」

「それにしても……たまたま立ち寄った村に、こんな金づるが転がり込んでくるとは……」

「天の神様も俺たちの味方ってことさ」

「そうっすね。子供ならば食べ物の匂いでおびき出されるはず、って兄貴の計画もバッチリ! ……なぜか子供の方じゃなくて従者の方が来ちゃいましたけど」

「いいじゃねぇか。メイジの小娘より、魔法も使えぬ従者の方が、かえって扱いやすいってもんだ」

 ここまでわかりやすい悪事の説明をされれば、さすがのイルククゥでも状況は理解できる。
 イルククゥは、ぐぬぬぬ、と怒りに身を震わせた。どうやら、自分の身とひきかえに、タバサにお金を要求しようということらしい。意志持つ生き物を、そんな取り引き材料にするなんて!
 ここは古代種として、怒りのおもむくままに二人組を退治してあげるべき! 竜族がどんだけ偉いのか、無知な人間どもに教えてあげるべき!
 イルククゥは変身を解こうとしたが……。
 その瞬間、激痛が走った。

「んぎゃー!」

 大きくなろうとした体が、ロープに締め付けられたのである。

「おいおい、そのロープにゃ魔法がかかってるんだ。そう簡単にゃ切れねぇよ」

「なにせ、最初はメイジを捕える予定だったからね。ちゃんとそれなりの準備はしておいたんだぜ!」

 イルククゥはジタバタと暴れたが、どうにもロープは切れなかった。
 杖なしに唱えられる先住魔法にしても、精霊に呼びかける身振りが出来なければ、魔法は発動しない。

「まったく! お前たち人間は、ほんとどうしようもない生き物なのね! 小ずるくて! 卑怯で! こんなしょうもない魔法なんか使って!」

 今のイルククゥにできること。それは、せいぜいが悪口を飛ばすことのみ。

「おいおい、お前だって人間だろうが。食べ物につられてホイホイやってきたんだろ? 観念しな」

「あと、魔法をしょうもないなんて言うなよ。魔力強化したロープを手に入れるのって、俺たち平民には、結構大変なんだぜ」

「まぁ俺たち盗賊には、必需品だけどな。ガハハ……」

 何がそんなにおかしいのか。
 二人の男は、大きな声で笑っていた。

########################

 やがて日も暮れ、暗闇が舞い降りる。
 二人の男は、森の中の打ち捨てられた小屋を、一時的なアジトにしていたらしい。イルククゥもそこへ連れて行かれて、グルグル巻きのまま転がされている。
 男たちは、身代金受け取りなどの手はずを、あれやこれやと相談していたが、いいかげん疲れてきたのか、あくびが続き始めた。

「……じゃあ兄貴、大体の計画はそんなところで。今日のところは、そろそろ寝るとしましょうや」

「……そうだな……人質が寝込んでるってぇのに、俺たちが眠い目こすりながら相談してる、ってのもな……」

 二人は当然知らないが、若い女性の姿をしたイルククゥは、先住の魔法で人間に化けているだけ。最初のうちイルククゥは、自分の迂闊な行動を後悔したり、今後の身の上を心配したりしていたのだが、今は静かな寝息を立てていた。化け続けていると疲れるため、よく眠れるのである。

「ま、全ては明日だ。今日はもう寝よう」

「そうっすね」

 と、二人の男が椅子から立ち上がったところで……。

 バゴワッ!

 かなりド派手な音を立て、景気よく吹っ飛ぶ小屋の扉。

「……きゅい?」

 眠っていたイルククゥも目を覚ますほど。
 当然、男たちもうろたえる。

「何だ!?」

「えっ!? どうして!?」

 続いて入って来た者の姿を見て、男たちは、さらに驚いた。

「なんでお前が!」

 それは明日連絡を取ろうと思っていた相手。
 彼らが言うところの『メイジの小娘』……。つまり、タバサであった!  

「……動かないで」

「ふざけんな! はいそうですか、っておとなしくしてる奴がいるわけねぇ!」

 二人はタバサの言葉をあざ笑いつつ、武器を手にして、彼女へ向かっていく。
 タバサは平然と立ったまま、杖を振り下ろした。
 風の刃が飛ぶ。

「へんっ! どこ狙ってんだいっ!」

「兄貴っ!? 後ろですっ!」

 そう。
 タバサの狙いは、男たちではなかった。先ほどの『動かないで』発言も、対象は男たちではなかったのだ。
 魔法の刃は、一直線にイルククゥを目指し……。

「バカなっ!? 味方を……自分の従者をっ!?」

「違いますよ兄貴! よく見てくださいっ!」

 イルククゥの身を傷つけることなく、その体を拘束していたロープだけをスパッと断ち切った。

「バカなっ!? 魔力強化したロープをっ!?」

「驚いてる場合じゃありませんよ、兄貴!」

 そう。
 男たちが驚くのは、まだ早かった。
 二人が見ている前で、イルククゥの体が光って、膨張し始めたのだ。
 着ているものもビリビリと破って……。
 その身は青く変わり、そして背中には翼が……。

「変身した!? 悪魔か……? 悪魔の男なのかっ!?」

「男じゃなくて女ですよ、兄貴! ……っつうか、トカゲですよ、こいつ!」

「トカゲじゃないのね! きゅいきゅいきゅい!」

 風竜どころか、トカゲ扱いするなんて!

「くけー!」

 あまり迫力の感じられない雄叫びと共に、前足を突き出すイルククゥ。
 前『足』だからキックと言うべきか、あるいは『手』のようなものだからパンチと言うべきか。
 ともかく、その破壊力は絶大だった。
 貧相な男が突き飛ばされて、背中から勢いよく壁に激突。そのまま気絶して、床に崩れ落ちた。

「悪魔の力か!? ……こ、このやろうっ!」

 残った男は、バッと走り出す。
 彼の得物はナイフ。だが、そんなものでは竜には勝てない。壁にかけてあるマスケット銃を取りに向かったわけだが……。
 その手が銃に届くより早く。 

「……っうげっ……」

 したたかに殴られたような衝撃が、男の頭を襲った。
 タバサの魔法『エア・ハンマー』である。

「はさみうちとは……卑怯じゃねぇか……」

 自分たちの誘拐行為は棚に上げて。
 そう言い残して、男も意識を失い、その場に倒れた。

########################

 二人の男を縛り上げた後。

「あ、あの……。タバサさま、どうもありがとう。助かったのね。でも、どうして私の居場所がわかったのね?」

「あなたの視界を、私も見ることが出来る。使い魔と主人は、一心同体。黒い竜の一件を片づけてから、ここに駆けつけた」

 イルククゥは素直に感激した。同時に、自分の態度を恥じた。

「ごめんなのね。竜退治には、私も行かなきゃいけなかったのに……」

「……いい。竜の話は、嘘だった」

「……きゅい?」

 ポツリポツリと、タバサが説明する。
 竜の供物の置き場所を見張っていたら、やってきたのはメイジ姿の怪しい男。その正体は、先代の村長だった!
 ……黒い竜というのも、先代村長による幻。どこぞで拾ってきた魔道具を利用して、まやかしの竜を見せて、他の村人から食料を巻き上げていたのだ。
 村長職を理不尽な理由で突然とりあげられたため、彼は村人を恨んでいたらしい。これは、彼なりの村に対する復讐劇であった。しかも、供物として差し出させたブタコマとキャベツで、彼の家の食費も大助かり……。

「……犯人は捕らえた。マジックアイテムは没収。事件は解決」

 そう言って、話を締めくくるタバサ。
 どうやら大した苦労もしなかったようだが、それでもイルククゥは、勝手に離脱したことを反省する。タバサにも迷惑をかけてしまった。何か罰を受けるのだろうか……?
 少し心配になるイルククゥ。しかし、再び口を開いたタバサの言葉は、思いもよらぬものであった。

「シルフィード」

「え? それ、なんなのね?」

「あなたの名前。『風の妖精』って意味」

 イルククゥは、電流に打たれたように、感激に打ち震えた。
 この小さな御主人様は、勝手にいなくなった自分の名前をワザワザ考えてくれたのだ!

「素敵な名前ね! きゅい! 嬉しいのね! なまえ! 新しいなーまーえ! きゅいきゅい!」

 なんだか楽しい気分になってきた韻竜の娘は、陽気にはしゃぎながら、タバサを抱きしめる。人間よりもはるかに大きなその体で、人間にしても小柄なタバサの体を。

「ねえねえ! タバサさま! 私、タバサさまのことをお姉さまって呼んでもいいかしら? 私の方が体は大きいけど、なんだか、そう呼ぶのが相応しいような気がするのね!」

 コクリと頷くタバサ。
 その頬に赤みが差しているのを、イルククゥは見逃さなかった。
 タバサも嬉しいのだ。
 一見無口で無愛想なように見えるけど……。本当は情の厚い、優しい子なんだ。
 イルククゥは、そう思った。

########################

 誘拐犯二人組も村の者たちに預けて、タバサたちは、夜のうちに村を発った。
 きっと村人たちは、二人を先代村長ともども、役人に引き渡すことであろう。もしかしたら、些少の報賞金くらいは貰えるかもしれないが、それは村人たちの懐に入れればいい。もうタバサには無関係であった。

「きゅい、きゅい!」

 双月の明かりが照らす中、主人のタバサを乗せて、イルククゥは夜空を飛ぶ。ジョゼフたちのもとへと戻るのだ。
 韻竜の背の上で、タバサは無言で本を読んでいた。それが突然、イルククゥに声をかける。

「……あそこ」

「きゅい?」

 主人が杖を向ける先に目を向ければ。

「……ペルスランがいる」

 街道の真ん中に立つ、一人の老人。彼は、こちらを見上げて、大きく手を振っている。

「……降りて」

 タバサに命じられるまま。
 その近く、少し道が広くなった場所に、イルククゥは降り立った。
 老人が駆け寄ってくる。

「おお、お嬢さま! ご無事でしたか!」

 よく見れば、確かに、イルククゥ召喚の場にいた男の一人である。
 なるほど、これがペルスラン——タバサが信頼できると言った人物——なのか。
 イルククゥは、その顔をきちんと覚えた。

「……なぜ来たの?」

「もうしわけありません。やはり、お嬢さまの身が心配になってしまって……」

 二人の会話を聞いて、イルククゥは思い出す。
 そういえば、「その竜と二人だけで」とか「ペルスランも連れて行かずに」とか、言われていたはず。

「……皆が寝静まるのを待って、こっそり様子を見に来たのです」

「……心配する必要もない。もう片づけた」

「おお! さすがは、お嬢さま! もう終わらせてしまったのですか!」

 仲間って、いいものだな……。
 二人の様子を見ているうちに、イルククゥは、ふと火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)のことを思い出した。
 あそこの火竜たちは、ロクに言葉も通じない乱暴者ばかりだが……。ある意味、イルククゥの仲間である。それに、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)に住まう生き物は、火竜だけではない。極楽鳥や火トカゲなどもいる……。
 みんな今頃、どうしていることだろう?
 管理者たる自分が、いつまでも火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)をほっぽっておいて、良いのであろうか?

「きゅい……」

 不安そうなイルククゥの鳴き声。
 それに何かを感じたのか、タバサが言った。

「……ペルスランの前では、しゃべってもいい」

「あのね、お姉さま。私には『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』を管理する、っていう仕事もあるのね。ずっとずっと、お姉さまについていく……ってわけにもいかないのね」

「火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)……」

 考え込むかのように、繰り返した後。
 タバサは、小さく頷いた。

「わかった。……それなら仕方がない。でも、あなたは私の使い魔。必要な時には来てほしい」

「もちろんなのね! 時々お姉さまの様子を見に来るのね!」

 タバサがどこにいようと、必ず駆けつけてみせる。
 使い魔として、イルククゥにはその自信があった。

「ちゃんと来るから、必要な時には呼んでほしいのね!」

「……わかった」

 よい主人の使い魔になった。タバサの使い魔でよかった。
 そう思いながらイルククゥは、タバサを残して、夜空へ飛び立つ。
 主人と離れ離れになるのは、使い魔らしからぬことであるが……。

「だからといってダメじゃないのね。御期待どおりに現れるから大丈夫なのね。きゅい!」

 後に大遅刻するだなんて、想像すらせずに。
 イルククゥは、空をゆくのであった。





(「使い魔はじめました」完)

########################

 番外編短編1はルイズが出てこない話だったし、たまにはそういうのもアリじゃないか、と思って、今回はシルフィードのお話。本編での再登場も近づいてきたので、紹介がてら。
 一応、番外編短編なので、時系列的には、本編以前。ということで、タバサがジョゼフ陣営にいたころの物語となっています。

(2011年7月14日 投稿)
   



[26854] 第七部「魔竜王女の挑戦」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/17 23:31
   
 爆光が、闇を圧して夜に閃く。
 ついさっきまで私のいた辺りの木々が、光に呑まれ、消えてゆく。少しでも逃げ遅れていたら、私もあの光の中にいたことだろう。
 思ったとおり、それは私を狙っていた。
 小さな村の小さな宿屋で、いきなり夜襲をかけられた私。さすがに少しうろたえたが、それでもなんとか攻撃をかわしつつ、村からはずれたこの森の中まで相手を誘い出していた。
 ここまで来れば、私も大きめのエクスプロージョンを気兼ねなく使える、というものである。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド……」

 適当に唱えた失敗爆発魔法ではない。きちんとしたエクスプロージョン。それも、結構な長さの呪文。
 さすがにフル詠唱ではないが、それでも、先々のことを考えて精神力をケチっている場合でもなかった。
 なにしろ相手は、ただのゴロツキや野党ではないのだ。
 ……魔族……。
 闇を糧に生きる彼らに、生半可な魔法などは通用しない。

「えいっ!」

 迫り来る、白いもやのような人影に向かって、私は杖を振り下ろす!
 私の自慢の光球に包まれるその直前、人影はスイッと地面に溶け込んだ。
 大地に広がる白い影と化したそれの頭上を、私の魔法がむなしく過ぎていく。少し離れたところで大木の幹に当たり、何本もまとめて消滅させた。
 白い影と化した魔族は、さぞやホッとしたことであろう。
 だがしかし、その瞬間。

 ぎぐぉぉぉぉぉっ!

 魔族の絶叫がこだまする。
 白い影の落ちた地面から、蒼い水の柱が吹き上がったのだ。
 薄く伸ばした全身を水柱に包み込まれ、もう魔族は逃げられない。
 やがて……。
 水の中で浄化されるかのように、魔族は完全に消滅した。

「……はぅ……」

 私は安堵のため息をつきながら、闇の中へ声をかける。

「……助かりました、姫さま」

「どういたしまして」

 茂みを揺らして現れたのは、私と同じような学生メイジ姿の少女。
 旅の連れの一人であるが、その正体は、何を隠そう、トリステインの王女アンリエッタさまである。
 たった今、魔族を一匹、葬ったばかりだというのに、顔から緊張の色は消えていない。

「……まだ……います……」

 つぶやいて、彼女は辺りに視線をめぐらせる。

「まだ……? あれでもトドメをさせなかった……?」

「……いえ……。別の者が……」

 言われて私も、闇の奥へと視線を走らせた。
 この姫さま、私たちの旅に加わったばかりの頃は、王宮暮らしの世間知らずな雰囲気が強かった。それが最近、妙に感覚が鋭くなってきた部分もあるようだ。
 とんでもない経験ばかりの旅のおかげで、どうやら急成長しているらしい。
 裏を返せば、それだけ姫さまを危ない目にあわせているということで、あんまり喜んでもいられないわけだが……。
 ともかく。
 今も私より早く、何かに気づいたのであろう。辺りには全く何の気配もなく、虫の音さえも聞こえているのだが……。
 その虫たちの声が、唐突に消えた。

「……ほぉう……。気配は消したつもりじゃったが……よく気がついたものよ……」

 聞き覚えのある声は、私と姫さまの背後からした。
 慌てて振り向けば、闇の中から浮き出るように、姿を現す一人の老人。
 青い髪——ただし鮮やかな青髪ではなく少しくすんだ水色っぽい青髪——の持ち主で、老いて痩せた体つきをしている。
 一見すれば温厚な、どこにでもいそうな人のいい地方貴族。だが、それが偽りであることを、私も姫さまも知っていた。

「アルトーワ伯……」

「いいえ、姫さま。……ラルタークと呼ぶべきでしょう……」

 私は額に汗すら浮かべ、その名を口にした。
 ガリアのグルノープルの領主、アルトーワ伯。その名前と姿を騙っているものの、その正体は、ラルタークという魔族なのである。
 それも、おそらく、かなり高位の魔族……。
 まだ直接戦ってはいないが、以前に、こいつの力の一端を見たことがあった。
 精神世界——魔族の世界——から無数の低級魔族を召喚し、その辺の獣などに憑依させ、『レッサー・デーモン』の群れを作り上げたのだ。
 それが一体、どれほどの実力を要するものか……。
 こんな奴とバカ正直に正面きって戦うなんて、死んでもゴメンである。敵に後ろを見せてはいけない貴族だって、高位魔族に対してだけは、しっぽ巻いて逃げてしまって構わないはず。
 とはいえ、この状況でアッサリ逃がしてくれるとも思えない。

「……なるほど……さっきの白いのは、私をここまで誘い出すためのエサだったのね?」

「そういうわけでもないんじゃがな……」

 老人は、苦笑を浮かべて首を横に振る。

「あわよくば、あやつがおぬしを倒してくれるか、さもなくば、わしと二人がかりで……などと思っていたんじゃが。……そっちの娘さんに気づかんかったばかりに、あっさりやられてしまいよった」

 言ってチラリと、一瞬視線を姫さまに向ける。
 これはまずい。先に邪魔な姫さまを何とかしよう、なんて思われたら、私以上に姫さまの身が危ない。
 こちらに注意を引きつけるため、私は少し大きな声で話しかける。

「それにしても……いきなり宿を襲うなんて、やり方を変えたのね。前は結構こそこそしてたのに」

「無関係な者は傷つけとらん。それに、ま、こちらにも色々事情があっての」

 ラルターク=アルトーワの浮かべた苦笑が、やや深くなった。

「ともあれ、おぬしには消えてもら……」

 セリフも終わらぬそのうちに。

 ざわりっ!

 私の全身が総毛立つ。
 ……これって!?
 人間とは決して相容れることのない、異様な殺気が辺りに満ちたのだ。
 まるで全身から体の中へと、闇が入り込んでくるかのような……。
 しかし、これはラルターク=アルトーワの放つ殺気ではない。

「おおっ!?」

 彼は驚愕の声さえ浮かべて、慌てて後退。闇の中へと戻っていく。
 消えた魔族のあとを追うかのように、すぐさま『殺気』も、その場から消える。
 あとに残されたのは、私と姫さまの二人。私はうっすら汗を滲ませたまま茫然と立ちすくみ、姫さまは自分の体を両腕で抱きしめながら小さく震えていた。

「……な……何だったのです? 今のは……?」

 かすれた声で彼女がつぶやいたのは、それから少し経ってからである。

「……さあ……」

 言葉を濁し、私は首を横に振った。
 が……。
 実は言うと私には、今の殺気の主に心当たりがあった。
 おそらく……ジュリオ。
 見た目はハンサムな神官だが、その正体は、女の敵どころか、人類の敵。獣神官ゼロスという、高位魔族なのである。
 獣王(グレーター・ビースト)——赤眼の魔王(ルビーアイ)の腹心のひとり——に仕える身分でありながら、現在は虚無の使い魔として行動している。しかも主人のメイジは、なんと冥王(ヘルマスター)に覚醒しているそうな。
 ……とまあ、とんでもない奴なのだが、その辺の事情は今のところ仲間にも秘密。ラルターク=アルトーワたちとは逆に、私を『守る』立場にあるらしいが、詳しい事情は私も知らされていない。

「……ともかく……この場はなんとか切り抜けたようですわね」

「そうですね、姫さま。……そろそろ宿に戻りましょうか」

 姫さまのつぶやきに頷いてから、私はマントをひるがえす。
 ……遅ればせながら、遠くからこちらへ向かうサイトたちの声が聞こえてきたのは、ようやくこの時になってからのことだった。

########################

「……どういうことなの?」

 翌日の朝。
 街道を行く道すがら、私にそう問いかけてきたのは、『微熱』のキュルケであった。
 あいもかわらず、ブラウスのボタンを一つ二つ外して、無駄に色気を振りまいている。

「どう……って、何が?」

 歩みを止めずに聞き返す私。

「ジュリオのことよ」

 言われて一瞬、足を止めそうになるが、きちんと平然を保って、

「いきなり消えたり現れたり……。いつものことじゃない」

 さらりとした口調で言う私。
 ……そう。
 今現在の一行の中に、ジュリオの姿はなかった。私とサイト、姫さま、タバサ、キュルケとフレイム、という五人と一匹になっている。
 ジュリオも昨日の夕食までは一緒だったのだが、今朝から全然姿が見えず、宿の部屋を探しても、そこは全くのもぬけの殻。

「……だいたいキュルケだって、前に私と二人旅だった頃。フラリといなくなったり、また合流したりしてたじゃないの。……それと同じよ」

 とりあえずそう言ってみたが、私は何となく察している。
 おそらくジュリオは、逃げたラルターク=アルトーワの追撃をしているのだ。
 とはいえ、ラルターク=アルトーワが魔族であることくらい、皆も承知のこと。正直に推理を言えるはずもない。
 そこで私は「いつもの気まぐれ、放っておいてもまた現れる」と決めつけて、先に出発することにしたわけだ。
 私の意見に、姫さまは一応納得してくれて、サイトはもとより何も考えてないようだったが、タバサとキュルケは違うらしい。タバサは無表情なまま目だけで疑問を示していたし、キュルケはキュルケで、こうしていまだに話を蒸し返す。

「一緒にしないでよ」

 私の言葉が気に障ったのか、不満げな口調でキュルケは言って……。
 やがてプイッと視線を逸らした。
 ……うーん……仲間を騙すようなのは、私もあんまり気が進まないんだけど……。
 現状では、これが最善手なのだから仕方がない。
 とにかく私は、サッサと真実を解明するしかないのだ。
 なにゆえラルターク=アルトーワたちは、私の命を狙うのか。
 なにゆえジュリオは、私を守ろうとするのか。
 しかし、それがわかったところで、その時に私が彼らに対する有効な切り札を持っていなければ、ただただ流されるだけである。
 そこで私は、その『切り札』を求めるべく、一路、ロマリアの首都へと歩みを進めているのだ。
 ……魔と関連の深い都市、ロマリアへと……。

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 ロマリア連合皇国。
 ハルケギニアの中で最古の国の一つに数えられ……短く『皇国』と呼ばれることもあるこの国は、ガリア王国真南のアウソーニャ半島に位置する都市国家連合体だ。
 始祖ブリミルの弟子の一人、聖フォルサテを祖王とする『ロマリア都市王国』は、当初、アウソーニャ半島の一都市国家に過ぎなかった。しかし、その『聖なる国』との自負が拡大を要求し、次々と周りの都市国家群を併呑していった。
 もちろん、その領土拡大の軌跡は、単調な道ではなかった。併合された都市国家群は、何度も独立、併合を繰り返す。そして幾度もの戦を経て、ロマリアを頂点とする連合制をしくことになったのだった。
 そうして出来た国なだけに、ロマリアは、他のハルケギニアの国々よりも国力では劣る。だから自分たちの存在意義を『ブリミル教の中心地である』という点に強く求めた。始祖ブリミルの没した地といわれるロマリアこそが、『聖地』に次ぐ神聖な場所であるとして、そこを首都に規定したのだ。
 その結果、ロマリア都市国家連合は『皇国』となり、その地には巨大な寺院『フォルサルテ大聖堂』も建設された。代々の王は『教皇』と呼ばれるようになり、全ての聖職者および信者の頂点に立つことになった……。

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「……まったく、いつ来てもこの国は、建前と本音があからさまですこと」

「あれ? アンはロマリアに来たの、初めてじゃないのかよ?」

「もちろんです。……その時は公務でしたから、仰々しい馬車でしたけど」

 私たちがロマリアに足を踏み入れて、最初に感想を漏らしたのは姫さまだった。
 サイトの質問に簡単に答えてから、彼女は、あらためてロマリアの町並みを眺める。
 ……まあ、姫さまの気持ちもわからんではない。
 宗教都市ロマリアは、ハルケギニア各地の神官たちが『光溢れた土地』として神聖化している場所。生まれた街や村を滅多に出ることのない民衆も、それを信じこまされていた。
 ……キラキラ光るお仕着せに身を包んだ神官たちと敬虔な信者たちが、そこかしこで微笑みながら挨拶を交わし合う。街には笑いと豊かさが溢れ、自らを『神のしもべたる民のしもべ』と呼び習わす教皇聖下のもと、神官たちがブリミル教徒を正しく導いている……。
 そんな理想郷がアウソーニャ半島の一角に存在していると信じて、人々は、このロマリアにやってくるのだが……。

「ありとあらゆる土地からなだれ込んで来た平民たちが、好き勝手に振る舞っているではありませんか。『理想郷』というより、まるで貧民窟の見本市のようですわ」

 顔をしかめて、ため息をつく姫さま。
 通りには、ハルケギニア中から流れてきた信者たちが、救世マルティアス騎士団の配るスープの鍋に列を成している。この街に辿り着いたはいいが、仕事もなく、することもなく、着るものも食事もままならない人々だ。
 そんな信者たちの後ろには、イオニア会のものらしい、石柱を何本も束ねたような豪華な寺院がそびえ、着飾った神官たちが談笑しながら門をくぐっている……。

「市民たちが一杯のスープに事欠く有様なのに、神官たちは着飾り、散々に贅沢を楽しんでいるわけね」

 肩をすくめるキュルケに対して、姫さまは、さらに言葉を続ける。

「そうですわ。わたくしも、小さい頃この街を訪れたときは、そんなことには気づきませんでした。居並ぶ各宗派の豪勢な寺院に夢中になり、輝くステンドグラスや、大きな宗教彫刻の織り成す、至高の芸術に目を見張らせて……」

「……恥じることはない。誰でも子供の頃は、そんなもの」

 珍しく自分から会話に参加するタバサ。
 今では無口で無表情なタバサだが、王弟である父親を殺されるまでは、それなりに幸せな子供時代を過ごしていたはず。
 それに、タバサも姫さま同様、王族なのだ。姫さまの言葉に、思うところもあったのだろう。

「……まあ、難しい話は置いといてさ。ともかく、俺たちは俺たちにできることをするしかないだろ。……これだけ汚れた街なら、逆に裏の世界は栄えてそうだし、凄い情報も転がってそうだよな?」

「あら、サイトにしては、いいこと言うじゃない」

 一応、自分の使い魔を褒めておく私。
 ロマリアという国の成り立ちはともかく、私たちにとってのロマリアは、どうも魔族と関連の深い国。最初に私たちの前に顔を出した大物魔族は、ロマリアの有名人の名を騙っていたし、そもそも私が『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』について学んだのも、ここロマリアだった。
 私たちをしつこくつけ狙う魔族たちの目的は何か!? 魔族たちの間に今、一体何が起こっているのか!? その謎を解き明かすヒントは、宗教都市ロマリアにこそ眠っているかもしれない!
 ……というのが、私たちがここへ来た理由である。あくまでも、表向きの話であるが。
 サイトは、そこまで具体的には理解していないようだが、サイトに完璧を求めるのも酷な話。それくらいは私も承知している。

「……でも、調べる、っていっても、どう手をつけるつもり?」

 造りだけは綺麗な、白い石壁の町並みを歩きながら、キュルケが私に聞いてきた。
 私が答えるより早く、姫さまも。

「そうですわ。魔族と関係がありそう……というのも、わたくしたちの想像に過ぎないのでしょう? まさか街の中で、『魔族たちは今、こんなことをたくらんでる』なんて噂が流れてるわけもないでしょうし……」

「……そ……そうですねぇ……」

 私は、しばし考えて。

「……とりあえず、魔族とか、そういったのに関する噂を、何でもいいから集めてみましょう。昔は『写本』もあったくらいだし、今でも何か転がってるかもしれないですし。……望み薄なのはわかってるけど、他に手のつけようもない。ただ相手の出方を待つ、ってのは、皆も嫌でしょ?」

 と、これはジュリオがいないからこそ言えるセリフ。
 ……もっとも、私たちがロマリアに立ち寄るのは、ジュリオも同意の上の話。どうやらジュリオは、私を守るだけでなく、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の保管された場所まで導きたいらしい。
 しかし私をその場所に案内すると言っても、いきなりそのものズバリの場所へ行っては、なんぼなんでも怪し過ぎる。なにしろ『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』なのだ。『なんでジュリオが在処を知っている!?』と皆が言い出すのは目に見えている。
 そこで、ロマリアで調査しているうちに『こんな情報を仕入れたよ』とジュリオが言って、一同をブツのところまで連れて行く……という筋書きを私が提案した。
 ……もちろんこれは口実で、私の本当の目的は、魔族に対する切り札を見つけ出すこと。『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』レベルのものが出てくれば、彼らに対する切り札として使えるはず。

「ねえ? アンのコネなら、ここの教皇さまに話をつけて、秘蔵の資料を見せてもらうことも出来るんじゃないの?」

 これはキュルケの意見。
 口にも態度にも出さなかったが、心の中で私も同意していた。
 私が昔、くにの姉ちゃんにくっついてここに来た時も、王立魔法研究所(アカデミー)の研究員という姉ちゃんの立場をフル活用したのである。おかげで、普通じゃ入れないところにも少しだけ入れたし、色々と話も聞けたのだが……。

「……そういうわけにもいかないでしょう。公務で来ているわけではないですから」

 ゆっくりと首を横に振る姫さま。
 これが姫さまでなければ「固いこと言うな」と文句の一つも言ってやりたいところだが、さすがに姫さま相手では、私もそういう気持ちにはならない。

「なあ、そういやぁアンって、たしか……」

 ここで、何か思い出したかのようにサイトが言葉を挟む。

「……ロマリアに着いたところでみんなと別れる、って言ってなかったっけ? トリスタニアに戻らないといけない、って話があったような気がするんだけど……」

「あら?」

 姫さまはニッコリ笑いながら、

「サイトさんは、そんなに私を追い返したいのですか?」

「い、いやいや! そういう意味じゃないし、そんなつもりもない!」

 慌ててバタバタ手を振るサイト。王女の笑顔を前にしては、伝説のガンダールヴも形無しである。
 ……まあサイトが言い出した件は、実は私も、少し気になっていた。
 お別れするのは私だって辛いけど、でも、姫さまはトリステインの王女である。いつまでも私の旅に同行するわけにはいかないのだ。

「……こういうのを『乗りかかったフネ』というのでしょう? 今回の一件が片づくまでは、もうしばらく皆さんと御一緒しますわ。……どうせ今から国に迎えを呼んでも、すぐには来られないでしょうし」

 無邪気な笑顔で言い切る姫さま。 
 その表情は、まるで「もう少し、もう少し」と引き伸ばす子供のようでもあった。

########################

 結局、地道に街で聞き込みをするしかない、ということになり……。
 皆、思い思いの方へと散っていく。
 そんな中。

「……あんたもどっか行きなさいよ」

 私の後ろについてくるサイト。軽くジトッと睨んでも、彼は意に返さない。

「いや、俺はルイズの使い魔だから」

 頭の後ろで手を組んで、当然のような顔をしている。
 私は小さくため息をついた。

「仕方ないわね。……いいわ、じゃあ、ついてらっしゃい」

「おう」

 どうせクラゲ頭のバカ犬サイトでは、一人で情報収集など出来るわけがない。それを思えば、私が手綱を握って連れ歩くのが正解なのだろう。
 ……口では「やむを得ず」なんて態度を示してみせたが、なんだか、ちょっと嬉しくなってきた。サイトと一緒だからといって、別に気持ちが高揚するはずもないのだが……。これも「正解であるべき選択をした」という自覚のせいか?
 などと、心の中でニヤけていたら。

「おい、ルイズ! 前!」

「え?」

 どんっ!

 通りを曲がったそのとたん、私は一人の男の子と衝突してしまった。
 貴族ではなさそうだが、平民にしては、身なりは悪くない。
 年の頃なら十一、二歳。ゆるくウエイブのかかった、つややかな黒い髪。一瞬、女の子かと見まごうばかりの美少年だが……。

「ごめんよー」

「待った」

 言って走り去ろうとするその襟首を、私はシッカリふん捕まえた。

「許してやれよ、子供なんだから」

「サイト、あんたは口出さないで」

 勘違いしてるサイトに、ピシャリと言う。
 別に私は、貴族として、平民の子供の態度に腹を立てたわけではない。そんな世間知らずのアホ貴族とは違うのだ。

「な……何だよ!?」

 不安な表情を浮かべつつ、子供は私の顔を仰ぎ見る。

「……返してもらいましょうか。たった今、私からすり取った財布を、ね。それとも……」

 ニッコリ笑いながら、私は周囲を見渡した。
 治安を監視するかのように、街角に立つ聖堂騎士たち。彼らに向けたところで、私は視線を固定する。
 男の子の顔色が、まともに変わった。慌てて懐から、金貨の入った袋を取り出し、

「……わ、わかったよ! 返す! 返すから……役人には、つき出さないでくれよ! あんなおかしな連中たちにつき出されるくらいなら、ぶん殴られた方がマシだよ!」

「……おかしな連中……?」

 彼の言葉に、私は思わず眉をひそめた。
 見れば、サイトも私と同じ顔をしている。クラゲ頭ですら、不審に思ったらしい。
 スリの子供が警備の役人を嫌うというのは当然の話だが、だからといって『おかしな連中』は言い過ぎである。

「そうさ! この街の役人連中、近ごろ変なんだ!」

「……ふぅむ……」

 私は、しばし考えて、

「……わかったわ。つき出すのは勘弁してあげる。そのかわり……その話、もうちょっと詳しく聞かせてもらいましょうか」

########################

「変なんだよ、あいつら。以前は、そうでもなかったんだけど……」

 近くにあった、小さなメシ屋。
 ひとけのない店の片隅で、運ばれてきたジュースをすすりつつ、彼は名乗りもせずに話し始めた。

「……ここの王サマ……教皇聖下がいなくなってから、すっかり変になっちゃったんだ」

「教皇聖下がいなくなった……!?」

 突然の重大ニュースに、思わず聞き返す私。
 ロマリアの現在の教皇は、聖エイジス三十二世ことヴィットーリオ・セレヴァレ。二十をいくつか超えたばかりの若さで教皇の座についた人物であり、その評判も悪くはない。

「うん。僕が言うのもなんだけど、教皇聖下は凄い人でさ」

 少年は、ちょっと真剣な表情で、

「ほら、この国って矛盾に満ちた国だろ? パンに事欠く民がいる一方、各地の神官、修道士たちは思うままの生活をしている。信仰が地に落ちたこの世界では、誰もが目先の利益に汲々としている」

 ……なんだ? とてもスリの子供とは思えぬセリフが出てきたぞ!?

「……そんな中で、教皇聖下は頑張ってきたんだ。例えば……」

 いったん言葉を切って、彼は少し遠い目をしながら、

「……主だった各宗派の荘園を取り上げ、大聖堂の直轄地にしたり。それぞれの寺院に救貧院の設置を義務づけ、一定の貧民を受け入れるよう、ふれを出したり。免税の自由市をつくり、安い値段でパンが手に入るよう、差配したり……」

 やたらと詳しく、消えた教皇の政策を列挙していく。
 ……怪しい。怪しいぐらいに詳しい。いくらなんでも詳し過ぎるだろ!?
 私はサイトと顔を見合わせるが、それに気づかないのか、子供は話を続けていた。

「……でも、一番の業績は、大聖堂を解放したことさ! 大聖堂の一階を、他国から来た難民の一時的な滞在所として解放したんだ!」

 いやはや。
 それが本当だとしたら、驚くべき話である。
 大聖堂は、他の国でいうならば王宮に相当する。しかも、ロマリアの象徴とも言える場所だ。そこに難民を受け入れるだなんて、聖堂議会の反撥も強かっただろうに……。 

「……それにさ、そこの子供たちには、教皇聖下みずから文字や算学を教えてたんだよ!」

 キラキラした目で言う少年。
 ……なるほど、怪しいくらいに内部事情に詳しかったのは、そういうことだったのね。
 たぶん、子供には子供同士のつながりがあるのだ。教皇から直接教わっている子供から、色々と聞かされたのであろう。
 それならば、妙に大人びた、子供らしくない言葉で語るのも納得できる。
 なんのことはない、今の話は全て、他人の受け売りなのだ。教皇の身近にいる大人の言葉が、大聖堂で暮らす子供たちへ、そしてその子供たちから、このスリの少年へ……。

「……で? 教皇聖下の偉大さはよくわかったから、そろそろ話を進めてくれないかしら?」

「ああ、うん。その教皇聖下が、少し前から大聖堂にいないんだ」

 私に促されて、ようやく、そこに話を戻す少年。

「……どっかに出かけてるみたいだけど、その隙に、残った連中が好き勝手し始めてさ。大聖堂の解放も終了して、みんな外に追い出されちゃった」

 うーん。
 追放された貧民たちが情報源だとしたら、教皇不在の話も、信憑性があるかもしれない。

「もちろん表向きは、教皇聖下は大聖堂にいることになってるよ。でも今のロマリアを実際に動かしているのは、聖堂騎士隊。特に、アリエステ修道会付き聖堂騎士隊のカルロ隊長……って奴が、一番横暴でさ」

 少年は、周囲に目を配りながら、少し声のトーンを落とした。
 ……当然である。
 ここまで具体的に、騎士隊隊長の名前まで挙げているのだ。街をうろつく聖堂騎士に聞かれたら、どんな目にあうことやら。

「怪しい奴は片っ端から捕えて宗教裁判にかけろ、との命令を受けておる……。それがカルロ隊長の口癖なんだけど、でも、宗教裁判なんて、名前を変えた処刑に過ぎないだろ?」

 同意を求める少年の言葉に、私は頷いた。
 隣に座るサイトはわかっていないようだが、彼は異世界出身だから仕方ないか。だが、ハルケギニアの者にとっては、常識である。

「……しかもさ。最近あいつら、不在の教皇聖下の命令だってことにして、流れもんの傭兵メイジや、かなりの数の兵隊を集めてるんだ」

「……ちょっと!? それって!?」

 思わず私の声のトーンも跳ね上がる。が、それを何とか抑えて。

「……それって、どこかの国と戦争する準備でもはじめてる……ってこと!?」

 このハルケギニアに戦争と無縁の国などないわけだが、歴史を振り返れば、特にロマリア連合皇国は幾多の戦を経て成立した国家である。
 今さら……という気も少しするが、それでも、領土拡大の野望に燃える者が出てきたところでおかしくはない。
 私はそう考えたのだが、目の前の少年は首を横に振る。

「違う。国と国との戦争なら、まだマシだよ。でも、連中がやろうとしてるのは『聖地』の奪還……つまり『聖戦』なんだ」

「『聖戦』!?」

 思わず叫んで……。
 そして私は、絶句した。





(第二章へつづく)

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 ロマリアと言えば『聖戦』。

(2011年7月17日 投稿)
   



[26854] 第七部「魔竜王女の挑戦」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/20 23:22
   
「『聖戦』ですって!?」

 やたらとデカい声を上げ、彼女は椅子を蹴立てて立ち上がった。

 ……ざわり……。

 ざわめきと共に、店にいる客たちの視線が一瞬、私たちのテーブルに集中する。

「ちょっと姫さま! そんな大きな声を出さないでください! みんなが注目しちゃってますよ!」

「ですがルイズ! ……『聖戦』ということは……」

「わかってます。それは私もわかってますから、とりあえず座ってください」

 私の説得に姫さまは、渋々ふたたび席につく。
 ……街での情報収集を終えた後。
 一行は宿に集結し、夕食のテーブルを囲みつつ、それぞれの聞き込みの結果を話し合っていた。
 そこで私は、例の男の子から聞いた話を披露したのだが……。
 姫さまの、この反応である。

「……私も聞いたわ。兵やメイジを集めてるのは事実のようね」

 肩をすくめながら、キュルケが横から口を挟んだ。

「誰彼かまわず、見境なしに集めてるみたいよ。やり方が今までの聖堂騎士らしくない……ってことで、街の人も不思議がってたわ」

 こういう場合、キュルケが持ってきた情報は結構アテになる。私たちの中で聞き込みが一番上手いのは、実はキュルケなのだ。
 酒と色気を振りまいて、あれよあれよと言う間に噂を集めてしまうキュルケ……。その能力の一端を、彼女との二人旅の間に私は何度も目にしていた。

「……でも教皇さま不在とか『聖戦』とかって話は聞かなかったわよ? ルイズ、子供から聞いたってことだけど……本当なの?」

「さあ……子供の作り話にしちゃあ、スケールが大き過ぎるような気がするのよ……」

 キュルケに対して、そんな答えを返すしかない私。
 ここでサイトが、フォローに入る。

「ホントか嘘かは別として、その子供がそう言ってたのは事実だぜ。その場にゃ俺もいたし、ハッキリ覚えてる」

「あら、サイトにしては珍しいわね。難しい話をちゃんと覚えてるなんて」

「キュルケ。私の使い魔を馬鹿にしないで」

 私がサイトをからかうのはいいのだが、他人がするのを見ると、ちょっとシャクに障る。私はサイトの御主人様なのだ。
 サイトはサイトで、少し頭をかきながら、

「……ああ。その話を聞いた時さ、『聖戦』って何だろう、って不思議に思ったから……。それで頭に引っかかって、忘れてなかったのさ」

 おい。
 私は思わず、サイトの頭を引っぱたいていた。

「痛っ! 何すんだよ、ルイズ!?」

「何すんだよじゃないわよ! あんたこそ何言ってるの! ……『聖戦』よ、『聖戦』!」

「まあまあ、ルイズ。サイトさんは別の世界から来たのですから、知らなくても仕方がないでしょう?」

 姫さまのとりなしで、私も一応は落ち着いてみせるが……。

「『聖戦』っていうのは、要するに『聖地』を取り返そう、って戦いのことよ」

「……『聖地』?」

 ほら、これだ。
 私は覚えているぞ。出会ったばかりの頃のサイトに『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの説明をする際、降魔戦争やら『聖地』やらに関してもキッチリ話したのだ。
 それなのに、サイトったら! すっかり忘れている……。

「……『聖地』はエルフのいるところ。『聖戦』とはエルフと戦うこと」

 口を挟んだタバサを、私はジト目で睨みつける。
 タバサは私の視線も気にせずに、

「……難しい話をしても彼は覚えきれない。ポイントだけを伝えるべき」

 キュルケもウンウンと頷いて、

「そうね。タバサの言うことには一理あるわね。でも……」

 それから私に笑顔を向ける。

「……サイトのことはルイズに任せましょうよ。サイトはルイズの使い魔なのだから」

「ありがと、キュルケ」

 彼女の言葉を追い風とし、私はあらためてサイトに向き直る。

「サイト。もう一度説明してあげるから、しっかり聞いてね。『聖地』というのは……」

 真剣な表情で、私は語り始めた。

########################

 このハルケギニアでは、始祖ブリミルが神として崇められている。数千年前に『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥを倒したのは、始祖ブリミルだからである。
 ただし魔王は完全に滅ぼされたわけではなく、始祖ブリミルの体に封印されただけ。ブリミルの死後、魔王の魂は分断されて、ブリミルの子孫の中に転生していくらしい。人間の中で転生を繰り返すことで、魔王の『魔』が浄化され、魔王の『力』だけが残るという仕組み……。
 そして、千年前。
 封印された魔王の魂の一つが復活した。
 場所は遥か東方、始祖ブリミルがハルケギニアに初めて降り立ったとされる伝説の地……つまり『聖地』。
 この魔王降臨によって始まったのが、いわゆる降魔戦争である。
 戦いの舞台が私たち人間の主要国家からは遠かったせいか、この降魔戦争では、人間という種族はあまり活躍していない。魔族に立ち向かった中心はエルフであり、彼らの頑張りによって、魔王はその地に封印された。しかも、彼らエルフは魔王を大地に繋ぎ止めるため、そこに今も留まっている。
 そんな事情があって、『聖地』は『シャイターン(悪魔)の門』と呼ばれるようになった……。

########################

「……というわけで、魔王を何とかしてくれたのはいいけど、代わりにエルフが『聖地』に居座っちゃってるの。……エルフがどれほど厄介な相手か、サイトだって覚えてるでしょ?」

「エルフ……か」

 私の言葉を受けて、考え込むサイト。
 ……あれ? ちょっとニヤけた表情のようにも見えるのだが……。

「言っとくけど……エルフよ、エルフ! ハーフエルフじゃないわよ」

 一応、クギを刺しておく私。
 どうせサイトは、最近出会ったハーフエルフ——巨乳少女のティファニア——を思い浮かべたに決まっている。

「……前に戦ったビダーシャルってエルフ、強敵だったでしょ? あんなのがゴロゴロいるのよ、『聖地』には!」

 もちろん、全てのハーフエルフがあのティファニアのように穏やかであり、純正のエルフは皆が凶悪……というわけではないであろう。それくらい、私だってわかっている。でもサイト相手に話をする場合は、こうやって物事を単純化したほうがよいのである。
 ……あれ? これじゃタバサの考え方と同じ?

「ああ。名前はともかく……とんでもなく強いエルフが出てきたのは、俺も覚えてる……」
 
 サイトが顔を引き締めた。だが、すぐにまた表情を変える。今度は、なんだか不思議そうに。

「でもよ? そんな恐いところなら、放っておけばいいじゃん。なんでその『聖地』を取り返そうってするわけ?」

「……ロマリアのお坊さんたちなら、こう言うんじゃないかしら? それが我々の『心の拠り所』だからです、って」

 キュルケの言葉には、このロマリアという国への揶揄が含まれていたが、私たちは誰もそれを咎めなかった。
 
「……異人たちに『心の拠り所』を占領されて、我々は自信を喪失した状態にあるのです。万物の霊長である我々が、愚かにも同族で戦いを繰り広げるのだって、簡単に言えば『心の拠り所』を失った状態であるからです……」

 熱心なブリミル教徒、特にその幹部連中がいかにも言いそうなセリフを、キュルケは続けてみせる。
 これが厳かな態度ならば本気で信じているようにも見えるが、陶器のグラス片手に、酒を飲みながらの発言だ。本心じゃないのは明白である。仲間内だからよいようなものの、もしも聖堂騎士に見られたら、いちゃもんを吹っかけられそうな場面であった。

「まぁキュルケの話は大げさだとしても、ロマリアは宗教の国だからね。聖地回復をお題目にして戦争を始めるっていうのは、ある意味、この国らしいことだわ」

 私が言うと、他の者も頷いてみせる。
 ……少なくともこうして旅を共にする仲間たちは、世間知らずのお嬢ちゃんお坊っちゃんではないってことだ。私たちも一応ブリミル教徒ではあるが、旅をして世の中を見てしまえば、始祖ブリミルの教えだけが全てではないとわかってくる。

「……そうか。狂信者ってやつか。怖いなあ、宗教って……」

 しみじみとつぶやくサイト。
 まあ『狂信者』は言い過ぎだが、ロマリアという国がブリミル教でもって結束していることは確かであろう。
 始祖ブリミルの没した地、ロマリア……。
 実は私は、ブリミルがこの街で死んだという話はちょっと眉唾なんじゃないかな……と思っている。ブリミルが最後に戦った相手はエルフだと言われているのだが、ならば数千年前は、この辺りにエルフがうようよしていたのか? それって少し話があわないのでは……?
 まあ、それも現在の『エルフは東方にいます』というイメージからくる想像なわけだが……。

「……エルフと戦うというのもオオゴトですが……それより問題となるのは、その後ですね……」

 ポソッと姫さまの小声。
 これにサイトが反応した。

「……ん? エルフを追い出したら、それで『聖地』奪還できて、めでたしめでたし……なんじゃないの?」

 うん、サイトは気づいていない。
 でも、たぶんサイト以外の全員が気づいている。

「サイト。たった今説明したばかりなのに、もう忘れちゃった? エルフが『聖地』に留まってるのは……なぜ?」

「そこに魔王がいるからだろ? ……あ」

 サイトも理解したらしい。
 そう。
 現在の『聖地』は『シャイターン(悪魔)の門』となっているのだ。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥが封印されている場所……。
 おそらく世間の人々の多くは、魔王や魔族なんて伝説に過ぎないと思っているであろう。
 しかし私たちは知っている。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥも、その配下の魔族たちも、現実に存在しているのだ。

「……エルフの次は……魔族と戦うことになるわけか……?」

「断言はできないけどね。その可能性は高いと思うわ」

「もしも封印された魔王まで何とかしなきゃいけないのだとしたら……。エルフとの『聖戦』の先に待っているのは、魔族を相手にした『聖戦』ね」

 私の言葉を補足するかのように、キュルケが言った。
 正直なところ、魔王の封印というものがどのような状態なのか、私たちは知らない。
 地下深くに埋まった古代の遺跡のように無害なのか、あるいは、いつ爆発するかわからない不発弾のように危険なのか。
 そもそも、何もせずとも続く封印なのか、それとも、エルフだからこそ封印し続けていられるものなのか……。

「もしかしたら……最近の魔族の動向も、これと関係しているのでしょうか?」

「……うーん……」

 姫さまの疑問に、明確な答えを返せる者はいなかった。
 思い返してみれば。
 かつて私たちの目の前で『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥと化した男は言っていた。エルフどもの地に封じられた『東の魔王』を解き放ちに行く……と。
 つまり、魔王レベルの力があれば、外から封印を解くことは出来るらしい。ならば今現在、大物魔族が『聖地』に集まって封印を解こうと頑張っている可能性だって……ゼロではない。

「……ともかく……放ってはおけない話ですね……」

 沈みこんだ表情で姫さまが言う。

「そうですね」

 姫さまを元気づける意味で、努めて明るく同意してみせたが。
 心の中で、私は大きくため息をついていた。
 魔族に対抗するスベを見つけに来たはずだったのに……。
 ……どうやら、ますます厄介なことになりそうである……。

########################

 その二日後……。
 私の予感は的中した。

「……『ゼロ』のルイズ……だな?」

 いきなり声をかけられて、私がふと顔を上げれば、そこには、聖具を手にした衛士が二人。純白のマントにも、聖具の紋が縫いつけられている。
 図書館にいたメイジたちの視線が、一斉にこちらに向けられた。

「ちがいます」

 あっさり私は言い放った。
 いきなりこういう状況で、ロクなことがあるはずもない。なんとか相手をかわして、とんずらしたいのであるが……。

「『ゼロ』のルイズ……だな?」

「嘘つきは異端の始まりだぞ」

 いかめしい顔つきの二人。私の『ちがいます』攻撃も全く効いていない。
 ……昨日から私は、この皇国図書館に入り浸って、色々と資料を漁っていた。もちろん重要書類なぞは奥に秘蔵されているので、私が見ることが出来るのは、一般公開されている分だけである。
 街での聞き込みを続けている皆に対しては、最近の国の記録を調べている、と言っておいたが……。実際のところは、古い伝承などの書物を読みあさり、なんとか魔族に対抗しうる手段を探そうとしていたのだ。
 さて。
 ここは皇国図書館だけあって、当然のように、入館の際には名前の記入が必要だった。おそらくは、どこぞの誰かがそこで私の名前を見つけ出し、それで聖堂騎士のお出ましとなったのであろう。

「……そうよ……」

 仕方なく、私はパタンと本を閉じた。
 その音で、隣のサイトが目を覚ます。

「……ん? 今日はもう終わり?」

 目をこすりながら聞いてくるサイト。こいつ使い魔のくせに、御主人様の私が真面目に調べものをしている間、机に突っ伏して居眠りかましていたのである。
 まぁ静かにしてなきゃならない図書館で、下手に大騒ぎされるよりはマシ。そう思って放っておいたのだが、よりにもよって、このタイミングで起きてくるとは……。

「サイト。いいから、あんたは黙ってて」

 私がサイトにクギを刺すのと同時に、聖堂騎士が冷たく言い放つ。

「『ゼロ』のルイズ。いっしょに大聖堂まで来てもらおう」

 ……やっぱり。
 正式な騎士が来たところで、こういう展開になるのは、だいたい予想済み。問題なのは、私を呼んだ理由である。

「……なんで?」

「我々は、ここにいるはずのお前を連れてこい、と命令されただけだ。それ以上のことは知らん」

 私の質問に対して、くそ真面目な口調で答える聖堂騎士。
 もし『言う必要はない』などと言ってきたら、『人前で言えないような用での呼び出しに応じるいわれはない』と返すつもりだったのだが……。
 これでは抵抗する口実もない。だいたい、こちらが理路整然と反撥したところで、異端審問だ宗教裁判だとお上の御威光を振りかざしてきたら、どうしようもないしなぁ。
 ……となればやはり、仕方ない。ここはひとまず、おとなしく……。

「……わかったわ。ついて行くけど、このサイトも一緒よ。こいつ、私の使い魔なんだから」

「使い魔……? この人間が……?」

 二人のうちの一人が顔をしかめるが、もう一人がぶっきらぼうに、

「いいだろう。従者と引き離せとは言われていない」

「あと、いったん宿に立ち寄って、仲間に伝言を残したいの。勝手にいなくなっちゃうと心配するでしょうし」

「それもかまわん。早くしろ」

 こうして。
 ひょんなことから、私達はロマリア大聖堂に乗り込むことになった。

########################

 聖堂騎士が用意した馬車に乗せられて、私達は太い大通りを進む。ちょっとした賓客待遇である。
 そのうちに、通りの向こうに、六本の大きな塔が見えてきた。真ん中に一本の巨大な塔、そしてそれを囲むようにして、五芒星の形に塔が配置されている。

「……あれ? 前にも似たような建物を見たような気が……」

「トリステイン魔法学院ね」

 呑気なサイトのつぶやきに、答えを返す私。
 かつて私達が立ち寄った、トリステインの魔法学院……。あれは、この建築物——宗教国家ロマリアを象徴する大聖堂——をモチーフとして建設されたのだ。
 ただし、似ているのは形だけ。塔の高さはそれぞれ、魔法学院の五割増しほどもある。

「ここが……この国のお城みたいなもんか」

 サイトの独り言は、おそらく、あらためて気を引き締めるためのもの。
 なにしろ、ロマリアの中枢で何らかの陰謀が画策されているのだとしたら、大聖堂は、いわば敵の本陣に相当するのである。

「まあ、そんなようなものね」

 そう言いながら、私はサイトの膝の上に目を向けた。
 今のサイトは、デルフリンガーを背負ってはいない。この街では、武器をそのまま持ち歩くことは許されていないからだ。
 仕方なく宿屋の部屋に置きっぱなしにしていたのだが、手ぶらで『敵の本陣』に突入するのも不用心。そのため今は、長方形の行李に詰めて、膝に抱えている。
 聖堂騎士には「伝言のため」と言っておいたが、実は宿に立ち寄ったのは、これを取ってくるのが本命だったりする。

「……なんだか、ずいぶん仰々しいな」

 馬車の外に視線を戻すと、アプローチに並ぶ衛兵たちの姿が目に入った。
 彼らは白いお仕着せに身を包み、私達の馬車に対して、両手を胸の前で交差させる神官式の礼をとる。ここでは万事が、宗教行事として執り行われるのだ。
 馬車が止まり、ドアが開けられた。
 さあ、いよいよである。

########################

 玄関から大聖堂に入ると、明かり窓にはめ込まれたステンドグラス越しに、陽光が七色の光となって私達を包んだ。

「……綺麗」

 思わず口に出してしまったほどである。
 さらに大聖堂の奥へと進むと、ガランとした空間が広がっていた。
 ……一時的な滞在所として難民たちに解放されていた、といわれる場所。彼らを追放した今、かつての救貧院の面影は全くない。

「……こっちだ」

 二人の聖堂騎士に案内されて、私達は向かって右の廊下を進む。両側に並んだドアには、それぞれ兵士たちが立っていた。
 そうした戸口の一つの前で、聖堂騎士は立ち止まり……。

「『ゼロ』のルイズを連れてまいりました!」

「入れ」

「はっ!」

 応えて、彼らは扉を引き開ける。
 中は、かなりの広さの部屋だった。
 おそらく、会議室か何かなのだろう。部屋の真ん中には大きなテーブルが置かれているが、そこには今、一人の男がついているだけ。
 美男子と形容していい顔立ちの、優しげな男だった。長い黒髪が額の上でわけられ、左右に垂れている。

「あなたが……『ゼロ』のルイズ殿ですか……」

 にこやかな笑みを浮かべつつ、彼は立ち上がった。

「お噂は色々と聞き及んでおります。お会いできて光栄です。……いきなり用件も告げずにお呼び出ししたことは、どうか御容赦ください」

 やたらと友好的な態度であるが、時々クイクイッと顔を持ち上げるのが、随分とキザったらしい。
 キザと言えばジュリオもそうだが、彼も一応、ロマリアの神官。この国には、こんな奴らしかいないのか……?

「アリエステ修道会付き聖堂騎士隊隊長をつとめます、カルロ・クリスティアーノ・トロンボンティアーノと申します」

「……っなっ……!?」

 思わず私は声を上げてしまった。カルロはポカンとした表情で、

「……私の名が、何か?」

「……あ。いえいえ。昔の知り合いに、似たような名前の者がいまして……」

 慌てて言いわけをする私。
 サイトは無反応だったが、別に腹芸をしているわけでもあるまい。単に覚えてないだけだ。
 でも私は、ちゃんと覚えていた。『アリエステ修道会付き聖堂騎士隊のカルロ隊長』とは、あの少年が『一番横暴な奴』として挙げていた人物なのだ。
 もしかして黒幕じゃないかという疑いすらある奴が、いきなり友好的な態度で出てくるとは……。

「……ところで、ルイズ殿。本日こうしてあなたをお呼びしたのは、ほかでもない。実は、たっての願いがあるのですが……。とりあえず、そこの椅子にでもおかけください」

 私とサイトは、カルロ隊長に勧められるまま、彼と向き合う形で腰を下ろした。
 後ろで扉の閉まる音が聞こえる。
 私たちが座るのを待って、カルロ隊長は話を始めた。

「実は教皇聖下は今、異人から『聖地』を取り返そう、と考えておられます」

 いきなり『聖戦』の話である。

「……『聖地』は、我々にとって『心の拠り所』です。それが異人たちに占領されている……。その状態が民族にとって健康なはずはありません。自信を失った心は、安易な代替品を求めます。くだらない見栄や、多少の土地の取り合いで、我々はどれだけ流さなくてもいい血を流してきたことでしょう」

 おお。
 私は、ちょびっと感激していた。
 ……といっても、カルロの話の内容に対して、ではない。前にキュルケが真似したみせた言葉が、あまりにも的中していたからだ。
 隣を見れば、サイトも私と同じような表情をしている。あの時の会話は、まだサイトも忘れていなかったようだ。
 そんな私達の態度を、カルロは勘違いしたらしい。宗教家として満足げな表情で、言葉を続ける。

「『聖地』を取り返す……。その時こそ、我々は真の自信に目覚めることでしょう。そして、栄光の時代を築くことでしょう。ハルケギニアは初めて『統一』されることでしょう」

 自分で自分の言葉に酔っているようだ。
 カルロは大きく手を広げて、満面の笑みで語っている。が、突然、その表情が暗くなった。

「……しかし御存知のとおり、我らの『聖地』に居座るエルフどもは強敵です。また、伝承によれば、そこには強大な魔族も封じられているとか。エルフや魔族を相手にするとなれば、及び腰になる兵も出てくることでしょう」

 ふむ。
 一応、魔族の存在を信じている口ぶりである。エルフだけでなく魔族と戦うことまで、ちゃんと想定しているわけか……。

「このロマリアには、我ら聖堂騎士をはじめ、強力な魔法を操るメイジはたくさんおりますが……。さすがにエルフや魔族と戦った者は皆無です。そういった敵を相手にどう戦うか、などといったことは、やはり、そういった経験のある人物でないとわからない。……そんな折、皇国図書館の閲覧台帳に、あなたの名が見つかった、というわけです」

 カルロは、真剣なまなざしで私を見つめる。

「噂に聞き及ぶ『ゼロ』のルイズ殿なら、あるいはエルフや魔族などとの戦いの経験もあるのではないか、と思って、お呼びした次第です。……いかがでしょう? そうした経験を我々に御教授願えんでしょうか?」

「……う……うーん……」

 思わず腕を組み、考え込む私。
 ……だいぶ話が違うなぁ……。
 私のするどい予想では、このカルロ隊長は、実はもちろん魔族。いきなり本性現して、高笑いなんぞを交えつつ、魔族の企みをキッチリ説明した後、私とサイトをなめてかかったせいで、こてんぱんにやられる……ということになるはずだったんだが……。
 さすがに、それは虫が良すぎたか。

「……予定と違うわね……」

「何か御予定がおありでしたか?」

 思わず漏らした私のつぶやき。それが耳に入ったらしく、カルロは問い返してくる。

「……へ……? あ、いや、予定というほどじゃないですが……。……えと……今日明日を急ぐ旅ってわけじゃないにしろ、まるっきり無目的ってこともないですから……ここに長居するわけにもいきませんし、仲間たちもいることですし……」

「いえいえ、長々とお引き止めするつもりはありません」

 言ってカルロは両手を振る。

「例えば一週間とか、十日とか……いや二、三日でもかまいません。エルフや魔族というのは実際にはどんなものなのか、どんな戦い方をするのか、といったことをお教え願いたいのです」

「……と……言われても……」

 しばし私は考える。
 このカルロ隊長がもしも魔族か何かで、私を大聖堂に誘い込み、油断させて始末しよう、とか考えているなら……。わざとその罠に引っかかって、敵のシッポをつかむ、という手もある。
 逆に、この隊長が普通の人間で、今彼が言ったとおりのことだけを考えていたとするならば……。私としては、こんなところで延々と講師の真似事をするつもりはない。虚無のメイジだとバレて「戦力として使いたい」とか「『聖戦』に力を貸せ」とか言われるよりはマシであるが、それでも、そんなに私は暇ではないのだ。
 だいたい、カルロはアリエステ修道会付き聖堂騎士隊の隊長のはず。教皇の直属ではない。それがこの大聖堂で大きな顔をしている時点で、何か企んでる悪い奴であろうというのは確実。ここは本来、教皇聖下のお城なのだ。
 ……ともあれ、外にいるみんなに無断で行動を起こすわけにもいくまい。

「とりあえず……街に仲間がいますから、いったんそっちに帰って、みんなと相談してから、ですね」

「それは困ります」

 カルロの言葉に、私は片方の眉をピクッとはね上げる。

「……どうして困るんです?」

「『聖戦』の話は、まだ一般には内密になっているからです」

 落ち着いた口調で答えるカルロ隊長。

「なにしろ相手が相手ですからな。かといって相手を伏せて準備の話だけ噂になっても、他国への戦争準備と誤解されるおそれがある。……無用な混乱を防ぐためには、教皇聖下から直接民衆にお伝えしていただかなければなりませんが、それには時期尚早。もう少し準備が整ってからです」

 ……実際には『聖戦』の話は、すでに外に漏れているわけだが。
 この隊長が、それを知るはずもないか。

「……この件は一切他言無用に願いたいのです。お仲間も秘密を守ってくださるのでしたら、御相談なさるのはかまいません。しかし、それを街の中で、というのは困ります」

 なるほど。
 一応、話のスジは通っている。

「……ですから、お仲間をこちらにお呼びして、ということでいかがですかな? 使いの者を街に出して、あなた方にはその間、こちらでお待ちいただく、ということで」

 こうまで言われては、反対も出来ない。
 そもそもこのカルロ隊長、あの少年から聞いた話では『横暴な奴』ということだったが、この面談においては、なんとも穏やかな人物である。むしろ聖堂騎士のイメージから考えると、穏やか過ぎるくらい……。

「……そういうことなら……まあ……」

 言って頷く私。
 隣でサイトが、たぶん事態の推移を理解せぬまま、私に合わせて頷いていた。

########################

「こちらの部屋でお待ち下さい」

 私達が案内されたのは、少し離れたところにある小さな部屋。
 それほど豪華なつくりではないが、それでも、ちゃんとした客室である。
 部屋の中にはベッドが一つと、中央に黒いテーブルと、椅子が二つ。テーブルの上には水差しがあった。

「お仲間の方々がいらっしゃいましたら、お呼びします。では」

 案内の衛士は、言ってバタンとドアを閉めた。
 やがて足音が遠ざかり……。

「……ふぅ……」

 ため息ひとつ、その後で、私はベッドに横たわる。
 何気なく目をやると、サイトはテーブルに近づき……。

「ああ、喉乾いた。あいつら、水の一杯も出さないんだから……」

「やめなさい」

 水差しに手を伸ばした彼を、私が制止する。 

「一応、ここは敵中だと思ったほうがいいわ。おかしな薬でも混ぜられてたら、困るでしょ」

「……げ」

「それより、念のためデルフも用意しといて」

 ベッドの上で横になったまま、サイトに命じる私。
 なかなか寝心地のいいベッドである。
 サイトは何か言いたそうな目で、それでも行李を開けて、剣を壁に立てかける。

「……ようやく外に出られたぜ」

「すまんな、デルフ。ここは、そういう国みたいで……」

「そのようだな。まったく、祈り屋風情にブリミルの何がわかるっていうんでぇ……」

 サイトと剣の会話を聞いているうちに、なんだか眠くなってきた。
 が……。
 そのままベッドで目をつぶっていると、足音が聞こえてきた。
 ……みんなが来たにしては、いくらなんでも早過ぎる!

「サイト!」

「おう!」

 私はベッドから身を起こし、ドアの方へと目をやった。
 そのすぐ脇で、サイトが剣を構える。
 やがて足音は、私達の部屋の前でピタリと止まり……。

「……くっくっく……これがきさまの最後だ……『ゼロ』のルイズ……」

 ドアの外から聞こえてきた声は、聞き覚えのないものだった。
 そして……。

 ググォガゥン!

 爆風が、私たちのいる部屋を揺るがした!
 壁が砕け散り、砂と埃をまき散らす!
 やがて……爆音の残響が消え去る頃……。
 あたりにはもはや、なんの気配も残ってはいなかった。

「……ぐほっ! げほへっ!」

「大丈夫か、ルイズ?」

 埃にムセて、まともに喋れない。代わりに私は、首をタテに振ってみせた。
 もはや部屋は残骸と化しているが、真ん中に立つ二人は無事である。
 部屋を破壊するほどの一撃が叩き込まれた、その瞬間……。
 エクスプロージョンの呪文を唱えた私は、そのタイミングで杖を振り下ろし、魔法攻撃に対するカウンターとしたのだ。
 ドアの外の奴が悠長に勝利宣言なんぞやっていたおかげで、それなりの長さの呪文を唱えられたのである。

「やっぱり罠だったんだな」

「……そうね」

 煙も少しは晴れてきて、私も普通に話せるようになった。
 見れば、今の一撃で、外への壁も穴があいている。
 私の視線を追って、サイトも頷いた。
 壁に開いた大穴を抜け、外の庭へと踏み出す私たち。
 
「おっ、助けが来たぞ!」

 サイトが指さす方向には、こちらに向かって走る衛士たち。
 ……まったくサイトったら、単純なんだから!

「何言ってんの! ここの偉いさんが悪い奴なら、配下の兵士たちも今は敵よ!?」

 彼ら自身のこころざしが善か悪か、それはわからない。しかし命令系統の上の方を敵に押さえられているなら、下級の兵士の意志なんぞ関係ないのだ。
 だから彼らにつかまるわけにはいかない。かといって、事情も知らぬであろうタダの衛士たちを、問答無用でやっつけるというわけにもいかない。
 となれば……。

「逃げるわよ!」

 私が叫んだ瞬間。

「……まだ生きておったか!?」

 憎悪の声は、上の方から聞こえてきた。
 サイトと揃って振り仰げば、宙空に浮かぶ人影ひとつ。
 ……むろん人であるはずはない。
 大きさや基本フォルムは人と同じだが、炭のように黒い全身は、有り得ない角度で捻くり曲がっていた。顔だけは真っ白で、両目は大きく見開かれ、左右の頬には血の色をした筋が二本ずつ。

「魔族かよ! これがさっきの隊長の正体か!?」

「たぶん違うわ! 声が違うもん! きっとカルロの手下の一人ね!」

 頭上にいる魔族の発する声は、今さっき部屋を攻撃した奴と同じ。カルロ隊長のものとは別だった。
 私とサイトの勝手な決めつけは無視して、魔族は私たちの恐怖を煽る。

「今度こそ、手加減はせんっ! 死ねぃっ!」

 魔族の周りを取り巻いて、無数の蒼白い光球が出現。それが四方八方に降り注いだ!

「うわわわわわわわっ!」

 慌てて駆け出す私。
 背後に光の球が炸裂する。

 ゴゥン!

 一撃目は、なんとかかわした。
 そのまま私はダッシュをかけて、大聖堂の玄関の方へと向かう。
 サイトはさすがのスピードで私に並走し、かつ、剣を構えて光球に備えている。

「逃がすかぁっ!」

 魔族は立て続けに光球を放つ!
 それは地面を抉り、大聖堂の壁をぶち壊し、無関係な衛士たちをも吹き飛ばす!
 ……魔族の攻撃は、見境がない。聖堂騎士たちも、これを放っておくことは出来ず、杖を掲げて頑張っていた。 
 おお、凄い。聖堂騎士たちの聖杖の先から炎の竜巻が伸び、幾重にも絡み合い、巨大な竜の形をとっているぞ。

「なんだありゃ」

「賛美歌詠唱……。聖堂騎士が得意とする呪文よ。私も見るのは初めてだわ」

 唱和する聖歌隊のように、一斉に呪文を唱える合体魔法。理屈は違うが、以前に姫さまがウェールズ王子と共同でやってみせたヘクサゴン・スペルと似たようなものである。
 ……なんて悠長に説明している場合ではなかった。

「逃がさんと言ったはずだ!」

 聖堂騎士たちの攻撃なぞ、まるで気にしていない。魔族はしつこく、私たちを追ってくる。
 私もサイトも足は止めず、もう大聖堂の敷地の外——つまり街の中——まで来ているのだが……。
 魔族の周りには、先ほどにも増した数の光球が生み出されている。
 ……まさかっ!?

「やめなさい!」

 思わず足を止め、私は声を上げた。
 が……。
 私の声が届いたのか、届かなかったのか。
 いずれにしても。
 魔族の放った光球は、次の瞬間、宗教都市ロマリアを炎の海と変えていた。





(第三章へつづく)

########################

 何ヶ月も前に投稿した部分に記した伏線や設定など、読者の方々も忘れているかもしれない……ということで、このSSにおける『聖地』設定に関して、おさらいしました。「スレイヤーズ」原作では『北の魔王』ですが、このSSでは『東の魔王』です。

(2011年7月20日 投稿)
   



[26854] 第七部「魔竜王女の挑戦」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/23 23:01
   
 街は炎に包まれていた。
 燃え盛る炎。逃げ惑う人々。
 悲鳴が渦巻き、炎がはぜる。

「……なんて……ことを……」

 虚空の一点を見据えて、私はポツリとつぶやいた。
 炎と黒煙に隠されて今は見えないが、そこには、あの魔族がいるはず。
 あろうことか、奴はほとんど見境なしに、辺りを攻撃し始めたのだ。
 私を倒す……ただそれだけのために、である。
 またもやあいつが『力』を放ったのか、どこかで爆音が聞こえた。
 辺りを破壊して私の逃げ場をなくすつもりか、はたまた、こういう『力』の使い方しか出来ない奴なのか……。

「ひでえ……」

 首都ロマリアの惨状に、サイトも嘆きの言葉を漏らしている。
 ここロマリアを『聖なる国』、『光の国』だと信じて、ハルケギニア中からやってきた敬虔な信者たち。しかし食べるものにも着るものにも事欠き、貧民窟のような暮らしを強いられて、その挙げ句に、わけのわからぬ攻撃に巻き込まれて死ぬ……。
 これでは、あんまりである。

「相棒! 娘っ子! ボーッと突っ立ってちゃぁいけねぇだろ!」

 剣に言われるまでもなかった。
 このまま宗教都市ロマリアを壊させるわけにはいかない。
 人間相手には無類の強さを誇る聖堂騎士たちも、魔族相手では歯が立たないらしい。
 残された手段は、ただ一つ……。

「サイト。私たちが囮になって、奴を街の外へ、おびき出すわよ!」

「ルイズ!? そりゃ危険だ! ルイズ一人をそんな危険な目に……」

「……あんたも一緒よ。言ったでしょ、囮になるのは『私たち』」

「……へ?」

 高速飛行の魔法も使えぬ私では、ノコノコ顔を出した時点で魔族の攻撃の的になるだけ。
 しかし、地面の上を走って敵を街の外まで引っ張り出す、というのも普通ならば無理な相談。そう、『普通ならば』……。

「私一人が走るより、サイトが私を背負って走る方が速いはずよね? だってサイトは私の使い魔、伝説のガンダールヴなんだもん!」

「……そういう作戦か。それはそれで、かなり無茶な気がするけど……」

「無茶でもなんでも、他にテがないから仕方ないの! さ、行くわよ!」

 サイトの背中に飛び乗り、両腕でギュッとしがみつく。

「いい? 私が魔法を放って注意を引きつけるから、そうしたら走り出して!」

 右手で杖を振って左手だけでサイトに掴まる……なんて芸当は、たぶん無理。それでは走る途中で振り落とされる。魔法を使えるのは、動き出す前だけであろう。

「……わかった。俺は準備OKだ」

 左手のルーンを強く光らせるサイト。
 それを見て、私も空へ向けて爆発魔法を放った。
 ……こちらに向かって、一体の魔族が降りてくる。
 さあ、サイト号のスタートである!

########################

 速い、速い。
 これがガンダールヴのスピードか。
 私が重荷になっている分、全速力ではないはずだが……。
 それでも十分。
 私の使い魔サイトは、乗り物としても優秀である。これだったら、日頃の移動手段として考えてみるのもいいかも。
 ……などと呑気な感想を抱いている場合ではなかった。一匹の魔族が、執拗に追いかけてくるのだ!

「ちょっと!? さっきの奴と違うじゃない!」

 後ろから迫り来るのは、水死体の色をした肌で、顔の真ん中に巨大な一つ目だけを持つ魔族。
 ……一匹だけではなかったのか!? さては、はさみうちにするつもり!?

「サイト! 来た!」

「おう!」

 魔族が放った黒い衝撃波を、私の掛け声だけでかわすサイト。
 サイトが前、私が後ろの担当。今の私たちは、二人で一つになっているのをいいことに、前後両方の視界を確保しているのだ。
 といっても、余裕は全然ない。

「うわっ! 今度は正面から!」

 何か叫びながら、急激に方向転換するサイト。
 ……危なく振り落とされるところだった。ちょっと焦ったぞ。
 後部レーダーの役割は放棄できないので、私は後ろを向いたままで尋ねる。

「さっきの奴?」

「違う! また別の奴だ!」

 ……どうやら二匹どころではないらしい。魔族は、次から次へと出てくるようだ。

「やべっ! 囲まれた!」

 叫んで突然立ち止まるサイト。
 おい!?
 さすがに私も前方へ目をやったが……。

「ええっ!?」

 いつのまにかグルリと、何匹もの魔族が私たちを包囲していた。
 ……こりゃいかん。
 私はサイトの背中から降りて、杖を構える。
 まだ街中なので、強力な魔法を撃つわけにはいかないが……。
 不利を承知で、ここでのバトルを決意する私。
 だが、次の瞬間。

 ゴッ!

 目の前の一匹が砕け散る。
 いや、一匹だけではない。

 ボッ! ジュッ! ドワッ……。

 次々と塵になる魔族たち。

「……なんだ!? 何が起こってる!?」

 サイトも戸惑っているようだが……。
 私は気づいていた。それぞれの魔族が滅びる直前、一瞬だけ、そのすぐ横に別の影が出現している……ということに。

「ジュリオね……」

 私は思わず、その名前を口に出してしまった。
 それを聞いて、もう隠れている意味もないと思ったのか。周囲の魔族を全滅させたところで、彼はハッキリと姿を現した。

「……いやあ、すっかり遅くなってしまったよ」

「わっ!? お前、どっから現れた!?」

 ややコミカルにも見えるくらい、大げさに驚くサイト。
 熱気うずまく街の大通りではあるが、とりあえず魔族たちを一掃したので、少しは気楽になった。
 街の人々も、逃げられる者は既に全員逃げたらしく、近くに人の気配はない。
 とはいえ、ジュリオの正体やら魂胆やら、ここで長々と事情説明している場合ではない。

「サイト。詳しいことは後で話してあげるから、とりあえず今は黙ってて」

「……あ、うん。わかった」

 そんな私たちを見て、ジュリオは笑顔を浮かべつつ、

「どうやら、いつかの村での襲撃は、僕を君たちと引き離すための策だったみたいだね。……けどまさか、ラルタークさん自ら囮役をやるなんて、思ってもみなかったよ。ハハハ……」

「笑ってる場合じゃないでしょ。……とにかく、この火事を何とかするか、ここから離れるかしないと。こんなところにずっと立ってたら、私たちまで火に巻かれちゃう」

「うん、それは同意だ」

 言って歩き出すジュリオ。
 私とサイトも後に続く。

「……それで、ラルタークは倒したの?」

「いや、それが……」

 炎でオレンジ色に染まった街の中、相変わらずの美少年な顔に苦笑を浮かべ、

「途中でアッサリまかれちゃってね……。この僕としたことが、大失敗だよ」

 ここで、ジュリオの表情が微妙に変わった。やや皮肉を帯びた笑みのようだが……?

「しかしまさか、ロマリアの首都にまで連中が入り込んでいたとは……。大胆な話だねぇ」

「そんな他人事みたいに……」

 私がジト目でつぶやいた時。
 サイトがチョンチョンと私を突ついてきた。

「なあ、ルイズ」

「……何よ? 黙ってて、って言ったでしょ?」

「でもよ、あれ……」

 サイトが指さしたのは、通りの向こう側。
 道の端に、一人の男の子が倒れていた。
 焼け落ちた瓦礫にでも当たったのか、赤い染みが広がっている。
 ……見覚えのある顔だった。
 年の頃なら十一、二歳。ゆるくウエイブのかかった黒い髪。
 そう。私たちに街のことを教えてくれた、あの男の子である。

「ちょっと!? 大丈夫!?」

 思わず駆け寄り、手を伸ばし……。

「……あ……」

 私は小さく息を吐いた。
 男の子の体は、既に冷たくなっていた。
 立ち上がった私と入れ替わるように、近づいてきたジュリオが、彼の上にしゃがみ込み……。

「……死んでるね」

「わかってるわよ!」

 どうしようもないやるせなさに、私は荒い声で言った。
 いつのまにかすぐ後ろにいたサイトが、私の左肩に優しく手を置く。
 だが、彼の慰めに甘えていられる場合ではない。気持ちを強く保つため、私は奥歯を強く噛みしめた。
 ……なんとか……なんとか、こんなことを止めなくちゃ……。
 私は左肩に右手を伸ばして、置かれているサイトの手に重ねた。ギュッと握ると、私の決意が伝わったのか、サイトが問いかけてくる。

「……どうするんだ、これから?」

「これ以上、首都ロマリアに留まるのは賛成できないね」

 ジュリオも意見を述べるが、彼は平然とした口調。まるでたいしたことなど起こっていないかのように、右手の指で髪を巻いている。

「わかってるわ」

 先ほどよりトーンを落として、しかし同じ言葉を返した。
 ……これ以上ここにいれば、とばっちりは広がるばかり。となれば、やるべきことは決まっている。

「とりあえず……みんなを探す……」

 私は言った。押し殺した声で。
 
「それから、すぐにでも、ロマリアを離れる……」

「でも、この混乱の中じゃ……簡単に見つからねえぞ?」

 サイトの言葉に頷きながら、私はキッパリと言った。

「……その場合は……私たちだけで行きましょう。……『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のもとへ……」

########################

 ジャッ!
 
 風と炎を切り裂いて、一条の光が私たちに向かって飛来した。

「くっ!?」

 慌てて身をかわしたすぐそばを、魔力の光が過ぎてゆく。
 同時に、炎の壁を裂き、躍り出て来る一匹の魔族!
 しかし。

 ゾブッ!

 姿を現すとほとんど同時に、頭を微塵に砕かれ消える。
 やったのはジュリオ。どうやったのかは判らない。

「……今ので何匹目だ?」

「さあ? 十は軽く越えてるはずだけど……途中から数えてないわ」

 サイトも私も、それぞれ剣と杖を構えているのだが、それを振るう機会は皆無である。
 ……私とサイトとジュリオの三人は今、姫さまたちの姿を求め、ロマリアの街中をあてもなくさまよい歩いていた。
 しかし仲間を見つけるより先に、魔族連中がどこからともなく、あとからあとから出てくるわ出てくるわ。
 まさか皇国の首都に、これだけの数の魔族が潜んでいようとは……。
 出てきた魔族たちは、今まで戦ったヴィゼアやらデュグルドやらと同レベルなのだろうが、もう単なるザコにしか見えない。なにしろ皆ことごとく、ジュリオに瞬殺されているのだ。

「あいつ……すげぇなぁ……。味方でよかったぜ……」

「サイト、勘違いしないで。ジュリオは味方じゃないわよ。今は敵じゃないけど……」

 小声で言葉を交わしながら、私とサイトは、ジュリオについていくだけ。
 やがて、なおもしばらく進むうち……。
 やおらジュリオが立ち止まり、フゥワリと私をマントで包み込む。

「……おい!?」

 叫ぶサイト。
 危なく彼だけ仲間はずれになるところだったが、急いで手を引っ張ったので、なんとか間に合った。
 ジュリオのマントの中で、サイトと身をよせ合っていると……。

 ぐごごごごぉぉぉぉぉぉぉぉっ!

 すさまじい爆光の連打!
 高熱のせいか爆圧か、周囲の建物の壁は塵と消え、大地が赤く煮えたぎる。
 しかしジュリオの防御のおかげで、私やサイトには、ほとんど熱気も伝わってこない。
 やがて、爆光の収まった後。
 熱気が生み出す陽炎の向こうから、ゆっくり近づく人影ひとつ。
 
「……台無しにしてくれたな……」

 怒りに満ちたその声は、確かに聞き覚えのあるものだった。
 そして、見まごうはずもない、聖堂騎士の聖杖とマント。キザな仕草が似合う綺麗で優しげな顔立ちも、今は憎悪に歪んでいる。
 ……アリエステ修道会付き聖堂騎士隊隊長……カルロ・クリスティアーノ・トロンボンティアーノ……。
 だが、配下の聖堂騎士たちは連れていない。そもそも、まともな聖堂騎士たちは今頃、街をなんとかしようと奔走しているはず。それなのに、こうして怒りの瞳をジュリオに向けているということは……。

「……おやおや。カルロ殿、しばらく見ないうちに……魔族とすり替わっていたのですね」

「その言葉、きさまにそのまま返す」

「これは心外ですね。僕は最初から僕ですよ。あなたのように、実在の人間を殺して姿と名を騙るような真似はしていない」

「……そうか……気づかなかった私が愚かだったというのか……」

 カルロの殺気が膨れ上がる。
 私とサイトは、慌てて後ろにさがった。こんな連中の戦いの余波でも食らったら、それこそ一巻の終わりである。

「がぁっ!」

 カルロが一声吠えると同時に、手にした聖杖が紫色に輝き、異様な形の剣へとその姿を変えた。
 メイジが使う『ブレイド』とは違う。あれに杖そのものを変える能力はない。
 これは魔族としての『力』を杖に同化させ、魔剣と化したのだ。もう聖堂騎士のフリをする気もなくしたか!?

「はっ!」

 ジュリオに向かって、掌から黒いエネルギー塊を放つカルロ。すぐその後を追うように、自らジュリオ目がけて突っ込んでゆく。 
 しかしジュリオは避けない。エネルギー塊は、まともに彼を直撃した!

 ゴグォゥッ!

「危ねぇっ!」

「わっ!?」

 身を伏せようとした私の上から、かばうかのようにサイトがのしかかる。
 二人して地面に倒れ込む形になったが、ついさっきまで私たちの頭があった辺りを、余波の爆光と瘴気の渦が過ぎてゆく。

「……あいつは?」

「たぶん大丈夫でしょ……」

 確認もせず、サイトに答える私。
 ジュリオが避けなかったのは、今の一撃を耐えきる自信があったからだ。
 彼の態度を見れば、それくらいカルロにも明白だったらしい。まだ爆光も消えやらぬ真っただ中に、魔剣を振りかぶり、自ら躍り込む!

「滅びるがいい!」

 キンッ!

 カルロの声と鋭い音とは、ほとんど同時に聞こえた。
 やがて、爆煙の中から現れた光景は……。

「……な……!?」

 半ば茫然と、小さく驚きの声を漏らすカルロ。
 右手の剣は、半分に折れていた。
 一方、ジュリオには傷さえついていない。おそらく、カルロの魔剣がその身に突き刺さる直前、何らかの方法で逆に魔剣をへし折ったのだ。

「……まだ気づかないようだね。カルロ殿……いや、竜将軍ラーシャートさん」

 ゼロスの顔には、笑みすら浮かんでいた。
 どうやら『ラーシャート』というのが、『カルロ』の本名らしい。だがジュリオの話し方は、『ラーシャート』という名前よりも、むしろ『竜将軍』という肩書きを強調するかのような抑揚だった。
 これを聞いて、ラーシャート=カルロの表情が変わる。

「まさか……きさま……獣神官なのか? ……獣神官ゼロス……! ……ラルターク殿が『手を出すな』と言っていた……」

「ご名答」

 ジュリオの肯定と同時に。

「っぐあぁぁぁぁぁっ!?」

 ラーシャート=カルロの悲鳴が、辺り一帯に響き渡った。
 何もない空間から突然出現した黒い錐のようなもの——人の身長ほどもある——が、ラーシャート=カルロの腹を貫いたのだ!

「教えてあげようじゃないか。ラルタークさんが、僕には手を出すな、と言った理由はね……」

 ぞむっ!

「ぐがぁぁぁぁぁぁっ!」

 二本目の黒い錐が、今度は胸を貫く。

「魔竜王(カオスドラゴン)は、自らの手足となるべき神官と将軍を一人ずつ創造したけど……獣王(グレーター・ビースト)様は、獣神官の僕一人をつくったのみ……」

 淡々とした口調でジュリオは語る。

「……つまり……竜将軍のあなたと竜神官のラルタークさん二人分の力が、僕一人にはあるってことさ……」

 そして三本目の黒い錐が、ラーシャート=カルロの体を貫いた。

「なあ、ルイズ。これって……」

「……そうみたいね」

 私とサイトが同時に、ジュリオの振るう力の正体に気がついた。 
 この『黒い錐』こそが、ジュリオの能力。相手に触れることもなく目標を砕いた力だったのだ。
 空間を超えて『黒い錐』を出現させ……そしておそらく、それが相手の体の中に潜り込んだ時点で、その力を解放する……。
 ……いや、あるいは……。
 この『黒い錐』の方こそが、精神世界面に身を置いた、ジュリオの本体なのかもしれない!?

「ルイズ……寒いのか? こんな燃える街の中で……」

「そんなわけないでしょ。……なんでもないわ」

 サイトも気づいたように、私の全身に鳥肌が立っていた。
 さっきもサイトに言ったが、ジュリオは味方ではない。今は一応味方についているとはいえ、いずれ、敵となる時が来る。
 ……その時……倒せるだろうか!? こんな奴を!?
 黒い錐でラーシャート=カルロの体を貫いたジュリオは、やがてニッコリ微笑むと、

「いやぁ。本物のカルロ殿の仇……とは言いたくないけど、邪魔者は力尽くで排除しないといけないからねぇ。おとなしく魔竜王(カオスドラゴン)と一緒に隠れていれば、こんな目にもあわなかったのに……」

 いつもと変わらず、蕩けるような笑顔を作り……。

「何!?」

 その瞬間。
 後ろでいきなりした声は、聞き覚えのあるものだった。
 ……っなっ……。
 その声に恐る恐る振り向けば、そこには……。
 姫さまとタバサ、ついでにキュルケとフレイム!
 ……しまった! ジュリオに気をとられていて、みんなの気配に気づかなかった!
 目の前に展開している異様な光景に、思わず声を上げたのは、いつもは一番口数の少ないタバサであった。
 それに応じて。

「おやおや。妖精さんたちの御登場だね」

 ジュリオの注意が、一瞬、逸れて……。
 次に私が彼の方に目を戻した時、そこにラーシャート=カルロの姿はなく、ただ虚空に黒い錐が残るのみ。

「……逃げられちゃったね。あの一瞬のスキを捕えるとは……ま、さすがは竜将軍、といったところかな」

 たいして気にもしていない口調でつぶやいて、ジュリオは小さく肩をすくめる。
 同時に、宙を貫いて現れていた黒い錐も、スウッと風に溶け消えた。

「何よ、今の……!?」

「……ジュリオ。あなた一体……何者!?」

 キュルケとタバサが問いかけ、

「……まさか……魔族なのですか!?」

 かわいた声で、姫さまが小さくつぶやいた。
 ……ま、今のが普通の人間に出来るような芸当じゃないことくらい、メイジなら誰でもわかるわな……。
 ジュリオは何も言わぬまま、私とサイトにチラリと視線を送る。
 私たちに任せる……か。
 
「え? 俺?」

「……そんなわけないでしょ、サイト。あんたに説明役は無理だわ」

 フゥッと小さくため息をついてから、私は姫さまたちに向き直った。

「……私の知ってることは全部話します……。けど今は、とりあえず……この街を離れましょう……」

########################

「……面白くないわね……」

 キュルケが不機嫌そうな態度を見せる。
 宗教都市ロマリアをあとにして、ジュリオを含む私たち六人と一匹は、街から離れた山の麓で見つけた、猟師小屋に身をひそめていた。
 そこで私は、ポツリポツリと、これまでのことを説明したのだ。
 ……いつ、ジュリオが魔族だとはっきり知ったか。彼が何故か、私を『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のもとに連れて行きたがっていること。
 そして、ロマリア大聖堂でのこと。聖堂騎士隊隊長カルロは実は魔族で、私たちを一室に閉じ込めてから殺そうとしたこと。手段を選ばず攻撃を仕掛けてきた『連中』に追いつめられた時、ジュリオが助けに入ってきたこと……。
 姫さまたち四人は、ただ黙って私の話に耳を傾けて、そして。
 私が沈黙した後、キュルケが先ほどの言葉を口にしたのだった。

「……では……ほとんど最初から知っていたのですね……」

 つぶやく姫さまの声も重い。……姫さま、隠し事されるの嫌がるからなあ。

「……ごめんなさい。最初はハッキリと、じゃなくて、うすうす気づいていた、というレベルだったのですが……」

「それを黙っているなんて……やはり水臭いじゃないの……」

 キュルケも姫さまと同じ気持ちということだ。
 タバサは何も言わず、表情にも出さないが……。まぁ、いい気はしていないだろう。

「……それで……」

 姫さまは、視線を私からジュリオへと移し、

「あなたは一体、何をたくらんでいるのですか?」

 問われて、小屋の隅に座ったジュリオは、いつもと全く変わらぬ調子で、

「それは……秘密だよ」

「……あなた、いつもそんなこと言ってるけど……ひょっとして、あたしたちのこと馬鹿にしてない?」

 これまでの積み重ねもあって気に障ったのか、キュルケが怖い顔で立ち上がった。

「やめてっ!」

 慌てて止めに入る私。
 こんなところで不満を爆発されても困る。

「私だって、わけもわからずジュリオに踊らされるのは、はらわたが煮えくり返るくらいだけど……」

「おやおや。そこまで言うことはないだろう?」

 ジュリオのチャチャは無視して、私はキュルケを宥める言葉を続ける。

「……ジュリオは……強いわ。たぶん、ここにいる誰よりも……」

「そうだな。その点は、俺もルイズに賛成だ」

 私をサポートするかのように、サイトまで口を挟んだ。
 キュルケは、しばし無言のまま、ジュリオをジッと睨んでいたが……。

「……」

 何も言わずに、再びその場に腰を下ろした。

「……それで……」

 静かな口調で姫さまが問う。

「これからどうするつもりなのですか、ルイズ? ……魔族の力に屈服するというのですか……?」

「……とりあえずは……『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のもとへ行きましょう。……たしかに、魔族のジュリオに従う形になりますが、『だから行かない』なんて言ったところで、私を狙ってる奴らが手を引いてくれるわけはないでしょうし……。どうせ、そっちも魔族なわけですから」

「……そうですね」

 姫さまも沈黙する。少し考え込んでから、ジュリオのもとへと歩み寄り、

「秘密、秘密と……はぐらかすばかりでなく、少しは詳しい事情を教えてもらえませんか?」

 すがるような視線で、真っすぐにジュリオを見つめた。
 ……こうして見ていると思う。やっぱり姫さまは、私に負けず劣らずの美少女である。
 ゲルマニア貴族のキュルケとは違う、高貴な色香が漂っていた。私の隣で、はたから見ているだけのサイトが、ハッと息を呑むくらいだ。

「……そうは言われてもねぇ……」

 答えを渋るジュリオに、姫さまは、顔が触れんばかりに近づいて……。
 彼の耳元で、何か囁き始めた。
 ……え? ジュリオに対して、色仕掛け!?
 一瞬そう思ってしまったが、それは大きな勘違い。
 むしろジュリオは顔をしかめて、大きく身をのけ反らせている。

「……どうですか? 生きとし生けるものたちの負の感情を糧として生きるあなたがた魔族には、生の讃歌は辛いでしょう?」

 ニッコリと笑ってみせる姫さま。
 ……なるほど、そういうテがあったか。でも、耳元でゴチャゴチャそんなもん囁かれたら、魔族じゃなくてもツラいかも……。

「……で……ですからっ! 僕は我が主人から詳しいことは聞かされてないんだよっ!」

「……聞かされてない……?」

 慌てるジュリオに、胡散臭そうにジト目を向ける姫さま。

「本当です! ……獣王(グレーター・ビースト)様は僕一人を創造されましたが、冥王(ヘルマスター)様、海王(ディープシー)様、覇王(ダイナスト)様、魔竜王(カオスドラゴン)の四人は、それぞれ複数の神官や将軍をつくり出しています。だから……」

 よほど姫さまの攻撃がヤだったのか。
 ジュリオは言いわけがましく、何やら長ったらしい説明を始めた。

「……僕の主人のメイジだって、冥王(ヘルマスター)様として覚醒した時点で、その手足となる冥神官を動員するのが普通なのです。僕は獣神官なのだから、使い魔として拘束するのではなく、獣王(グレーター・ビースト)様のところへ返していただくのがスジなのに……」

 ちょっと待て。
 獣王(グレーター・ビースト)のところへ返す、って……。それってメイジと使い魔の関係としては普通じゃないのだが……魔族の常識は、私たちのものとは違うのか!?
 ……まぁタバサの使い魔のような例もあるから、私たちが思っているほど『使い魔と主人は一心同体』ではないのかもしれないが……。
 あ。
 かくいう私も、かつては、使い魔サイトを元の世界に帰そう……とか言ってたんだっけ。最近いろいろあって、ケロッと忘れていた。

「……実は、千年前の降魔戦争で、冥神官たちは全滅しちゃっててね。冥王(ヘルマスター)様は、僕を手放すに手放せない状態なのです。はっはっは」

「……あの? 話が見えないのですが……」

 姫さまが言葉を挟んだ。
 うん、ジュリオの話は脱線し過ぎである。
 ジュリオも気づいたようで、小さく手を振りながら、

「……そういうわけで、僕と冥王(ヘルマスター)様は、少し微妙な関係なのですよ。……そのせいか、あれをしろこれをしろと具体的な指示はくださるのですが、大きな作戦の終局的な目標とかは、話していただけないのです」

「……なるほど。知らなきゃ話しようがねぇな……」

 あっさり信じるサイト。
 一方、姫さまは疑いの目を隠そうともせずに、私に問いかける。

「どう思います? 今の話?」

「……素直には信じられません」

 私は、ちゃんと覚えていた。
 以前にジュリオは口をすべらせて、『……まあ彼も、覚醒前と後とでは、方針が正反対になったりしてるが……』と言っていたのだ。
 冥王(ヘルマスター)の意図を知らぬわけがない。

「……ですが、今これ以上の話を引き出すのも難しいでしょうね。今の話でも色々とわかったから、それで良しとしておきましょう」

「色々とわかった……って、何がです?」

 おうむ返しに尋ねる姫さま。

「つまり……どういうわけか、魔族の中から魔竜王(カオスドラゴン)だけが離反して、そいつが私を狙ってる……ということです」

「……な……!? なんでそこまで話が飛ぶんだいっ!?」

 ジュリオが思わず声を上げた。自分の発言の意味に、気づいていないらしい。
 タバサは無表情のままウンウンと頷いているので、どうやら私と同じ推理に至ったようだ。
 ……が、彼女が進んで解説役をするわけもないので。

「あんたが魔竜王(カオスドラゴン)にだけ、『様』をつけなかったからよ」

「……」

 あっさり言い放つ私に、ジュリオは言葉を失った。

「……まあ、その中で私がどういう位置にいるか、までは判らないけどね。……魔竜王(カオスドラゴン)が何をもくろんでいるか、によっても話は違ってくるし……」

 魔竜王(カオスドラゴン)が、単に魔族と敵対する立場にあるだけなのか、あるいは魔族より始末におえないことをたくらんでいるのか、はたまた、人間にとってもプラスとなることを考えているのか……。

「……何にしても、真実を見極めるには、ついて行くしかないですわね」

 苦笑を浮かべ、ポツリと姫さまがつぶやいた。
 他の者も頷いている。
 そんな中。

「……で? その『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のありかは、どこなの?」

 あらためてジュリオに尋ねるキュルケ。
 ……そうだ。
 肝心の目的地、まだ私も具体的に教えてもらっていなかった。ロマリアの北だと言われていたが……。

「……地理的には、ガリアとロマリアの国境に位置するかな……」

 淡々とした口調で答え始めるジュリオ。
 ……ガリアとロマリアの国境? それって、まさか……。

「東西に延びてハルケギニアを分断する山脈……『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』。そこに『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』があるのさ……」





(第四章へつづく)

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 今回は、クレアバイブルがドラゴンズ・ピークにある、と明かされたところまで。まあ「スレイヤーズ」原作どおりと言ってしまえばそれまでですが、『クレアバイブル』も『ドラゴンズ・ピーク』も「ゼロ魔」世界の物に置き換わっていますから、一応。

(2011年7月23日 投稿)
  



[26854] 第七部「魔竜王女の挑戦」(第四章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/26 22:50
   
 火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)。
 六千メイル級の山々が連なる、巨大な山脈であるが……。
 赤く焼けた溶岩流がいたるところで噴出し、雨は水蒸気へと変わり、山脈全体が蒸し風呂状態になっているという。
 その名のとおり『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』には、たくさんの火竜が生息している。竜族の中でも乱暴者で知られる火竜であるが、なぜか彼らは、一匹の風韻竜によって管理されていた。
 過酷な環境ではあるが、人間が全く足を踏み入れない……というわけでもない。絶滅したと思われている伝説の韻竜が、そのような場所を何故わざわざ管理しているのか。考えてみれば不思議な話なのだが……。
 その答えこそが、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の存在だったのだ。

「タバサが一緒だから、話は簡単ね」

 気楽につぶやくキュルケ。
 タバサは彼女の方に首を向けたものの、特に何も口に出さない。

「……」

 私たち一行は、大きな街道すじを避け、一路『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』へと向かっていた。
 ジュリオに先頭を行かせ、少し離れて、私たちは寄り添いながら歩いている。今通っている名もない森を抜ければ、そこが『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の麓である。
 このコースで『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』を目指す者は多くないらしく、かろうじて歩ける獣道が一本あるばかり。

「……ねえ、タバサ」

 伸びた枝葉と草とをかき分け、道を行きながら私は問う。

「『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』って、タバサの使い魔が管理人してるのよね? シルフィード……だっけ?」

 タバサは小さく頷く。ただし、まだ無言のまま。
 キュルケよりは具体的に話しかけたつもりだったのだが……。

「ああ、その『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』か! どうりで、どっかで聞いたような言葉だと思ったぜ」

 私の隣で、サイトがポンと手を叩く。
 ……こいつ、今頃理解したのか。まあ、思い出しただけマシという気もするけど。

「……それなら、タバサの使い魔を呼んだらいいんじゃないの? ワザワザこんな歩きにくい森を行くこともねえだろ。あの竜に乗せてってもらおうぜ」

「さすがに数が多過ぎるでしょ」

 呆れた口調で言う私。
 確かに、以前、敵に囲まれた私たちはシルフィードの背に乗って脱出したことがあった。だが、あの時は緊急時で、しかも短距離。今とは少し状況が違う。
 まぁ乗る乗らないのは別として、『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』管理人が迎えに来てくれれば、ガイド役としては優秀なはずだが。

「……呼んだ。でも、まだ来ない」

 ポツリとつぶやくタバサ。
 どうやら一応、呼び出そうとはしているらしい。
 ……また遅刻なのか。御主人様の呼び出しに応じないとは、とんでもない使い魔である。
 だが、相手は伝説の韻竜。私たちの常識が通じないのも、まぁ仕方ないのかもしれない。

「……それにしても……」

 疲れた顔で歩きながら、姫さまが口を開く。

「……本物の『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』って……そんなところにあったのですね……」

 うむ。
 以前にタバサが「クレアバイブルは一つじゃない」と言っていたが、厳密には『始祖の指輪』と同じく四つあるそうだ。
 つまり本来は、それぞれの王家に一つずつ伝わっていたもの。中でも『始祖の祈祷書』は、トリステイン王室にあるべき秘宝らしいのだが……。
 本物が『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』にあるということは、トリステインの宝物庫に保管されているのは偽物だということ。
 まぁ実は『始祖の祈祷書』の偽物は各地に存在しており、それらを集めただけで図書館ができると揶揄されるくらいだ。それぞれの所有者は、自分の『始祖の祈祷書』こそが本物だと主張しているが、そこに書かれている内容が役に立たない時点で、偽物であることは明々白々。
 王室のも、どうせ偽物であろう……。姫さまだって薄々わかっていたようだが、こうしてハッキリ知らされてしまえば、嘆きたくなるのも無理はない。

「……姫さま……」

 慰めの言葉をかけようとする私だったが、

「……なあ……なんかコゲ臭くねえか?」

 それを遮って声を上げるサイト。顔をしかめて、鼻をヒクヒクさせている。

「……へ……?」

 いくら『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』に向かっているとはいえ、まだまだ距離がある。燃える山の匂いが伝わってくるはずもない。
 それでも一同は立ち止まり、風の匂いをかいでみる。木々の醸し出す緑の香りに、かすかに混じるこの匂いは……。

「……たしかに……」

 タバサがつぶやいたそのとたん。

 グゴォゥッ!

 私たちの周りをやや遠巻きに取り巻いて、轟音と共に辺りの木々が燃え上がった!

「……なっ……!?」

 いきなり押し寄せた炎と熱気に、思わず一同は声を上げ、ただその中で、ジュリオのみが端然と佇んでいる。

「……なるほど……こういう手で来たのか……」

 ポツリとつぶやく視線の先には、一人の老貴族の姿。

「……ラルターク=アルトーワ!」

 誰よりも早く、私が叫んだ。
 こいつ……今度は私たちを蒸し焼きにするつもりだ!
 やや遠くから火をつけたのは、おそらく、ジュリオに気どられないための用心であろう。

「……ま……苦肉の策、という奴じゃな……」

 自嘲ぎみに言いながら、ゆっくりと木々の間を縫い、こちらの方へと近づいてくる。

「こうも打つ手をことごとく潰されたのでは、こちらとしても面白くない。……とりあえず、このあたりで一本取っておきたいからの。……まずは……そっちのお嬢ちゃんを始末させてもらう」

 ラルターク=アルトーワは、チラリと一瞬、私に視線を向けた。

「どういうことなの!?」

 その魔族に向かって、私は大声で呼びかける。
 ジュリオが事情を説明できないというならば、こっちに聞くだけの話である。

「なんだって私が命を狙われなくっちゃいけないのよ!? 事情くらい説明してくれたっていいでしょう! 話次第によっちゃあ、そっちについてもかまわないわよ!」

「……そりゃないよ、ルイズ!?」

 ジュリオが非難の声を上げる。
 やかましい。ちゃんと教えてくれない、あんたが悪いんだ。
 私の問いに、ラルターク=アルトーワは、視線をジュリオに置いたまま、

「……前にな、わしらの仲間に『マゼンダ』というのがおってな……」

「知ってるわ……」

「どこでどうやって調べたかは知らんが、あやつがある時、こんな情報を持って来おった。……『虚無のメイジの一人が、冥王(ヘルマスター)として覚醒した。人間界で、なにやら大規模な計画を実行に移すつもりらしい。詳しいことはわからない。だが、その計画の重要な部分に、やはり虚無のメイジであるルイズという名前の人間がいる、ということだけは確実』……とな」

 ……っておい、まさか……。

「ちょっと!? まさか、あんたたち……『冥王(ヘルマスター)がよくわからん計画立ててるから、とりあえず潰しておこう』なんて、いい加減な理由で私の命を狙ってるわけ!?」

「いい加減、とは心外じゃな……。せめて『念のため』とか言うてくれ」

 あっさりハッキリ言うラルターク=アルトーワ。
 ……冗談ではない。
 何が悲しゅうて『念のため』で殺されにゃあならんのだ。
 まぁ魔族にしてみれば、人間の命なんてゴミ同然。私たちが『害虫の幼虫かもしれないから、とりあえずプチッと』と考えるのと同じ発想なのだろうが……。
 殺される方にとっては、たまったもんではない。
 私の内心のムカムカをよそに、ラルターク=アルトーワは淡々と話を続ける。

「……はじめは話半分で聞いておったのだが、やがて、トリステインの王都で動いておったカンヅェルから、その名を持つ人間がやって来た、という話が入った」

 姫さまがピクリと反応したが、ただそれだけ。口も手も出さない。
 どうかそのまま自重していてくださいね……。

「それでカンヅェルにお嬢ちゃん抹殺の命令が下ってな。それだけで、この話は終わるはずじゃった。ところが……じゃ。そのカンヅェルが、逆にアッサリ返り討ちにあいよった。……ただの人間相手に」

 あの戦いも、私一人では、とても勝てなかったであろう。サイトや他の仲間たちの強力があったればこそ。

「……そのうち、マゼンダが誰かに滅ぼされ、あれをもぐりこませていた裏組織が壊滅し、その件にやはり、お嬢ちゃんが関係しておったことを知った。……そこでわしは、直接会ってみたくなっての」

 ……おや?
 では、ウエストウッド村まで引っぱり出されたのは、ただの魔族の気まぐれだったのか……?

「当時のわしは、アルビオンを手に入れるため、そこの王族の末裔を利用しようと、ハーフエルフの娘さんに近づいていたわけだが……。そちらの任務の関係で、ちょうど、カンヅェルが使っていた暗殺者にもアプローチしておったのでな。そやつのお嬢ちゃんに対する恨みも利用させてもらって……」

「ちょっと待って」

 私は話を遮った。

「……アルビオンを手に入れるため……っていうなら、なんでテファをそのままにしといたわけ? 彼女を殺してしまって……カンヅェル=マザリーニがやったように、死体にして操り人形にしたら良かったんじゃないの?」

 この際だ、聞けることは何でも聞いておいた方がいい。
 私の問いかけに対して、ラルターク=アルトーワは苦笑してみせる。

「……わしも最初は、そう思っておったがな。カンヅェルの失敗があったから、方針を変更したのじゃ。……どうも我々魔族には人間のことはよくわからん。人間の死体を人間らしく動かすのは難しいようで、結局どこかでボロが出る」

 ラルターク=アルトーワは、チラッと姫さまに視線を送った。
 ……そういうことか。
 王都トリスタニアにおける事件では、ウェールズ王子——操られていた死体人形——に対していち早く疑惑を抱いたのは姫さまだった。それが私たちの介入、そしてカンヅェル=マザリーニの失敗に繋がったのだから……。
 考えようによっては、姫さまのおかげでティファニアは命拾いした、ということになる。

「……じゃが、お嬢ちゃん抹殺の件でデュグルドたちを呼び寄せ、ゴタゴタしているうちに、わしも失敗してもうた。まぁ、おぬしのそばに獣神官殿がおったことにも驚かされたが……。ともあれそれで、マゼンダの情報が正しかったことが……」

「……ラルターク殿。失礼ですが、いつまで続ける気ですかな? ……ルイズ、君も君だ。時間稼ぎの長話に付き合うとは……」

 ラルターク=アルトーワの言葉を遮ったのは、ジュリオである。
 ……たしかに彼の言うとおり、私も少し迂闊だったかもしれない。
 一行を取り巻く炎は、風に煽られ新たな風を生み、私たちを押し包み込むように、ジワリジワリと風上の方から近づいてきていた。

「……いや、これは少々長話が過ぎたようじゃの。しかしいずれにしろ、そこのお嬢さんを逃がすつもりはありませんぞ」

 言葉を合図に、ラルターク=アルトーワの背後——炎の中——から、ユラリと現れ出てくる人影ひとつ。
 ラーシャート=カルロ。
 以前に出会った時にはロマリアの聖堂騎士の格好をしていたが、今彼が身につけているのは、竜を模した朱黒い甲冑。手にぶら下げた抜き身の剣は、前回の魔剣を一回り大きくしたようなシロモノだった。
 顔は相変わらず『カルロ』の顔だが……。おそらくこの姿こそが、竜将軍としての、彼本来の戦装束なのだろう。

「……またお会いしましたね、竜将軍殿。お顔の色がすぐれませんが、どうやら体調は不完全なようですね」

 いけしゃあしゃあと言い放つジュリオに、一瞬、怒りの色が瞳に浮かぶ。それでもラーシャート=カルロは黙ったまま、ラルターク=アルトーワの横に並んだ。
 ……その間にも、火の手はドンドン迫って来ている。
 私としては、とっとと立ち去りたいのは山々なのだが、こいつら二人を前にして、迂闊な動きを見せるのはまずい。動き出すのは、魔族同士の戦いが始まってからである。
 姫さまたちも、私と同じように考えているらしい。姫さまもタバサもキュルケも、それぞれ防御魔法の呪文詠唱が終わっているが、まだ杖を振っていなかった。

「……しかし竜将軍殿がその様子では、御二人が力を合わせたところで、僕を倒すのは無理でしょうね」

「わかっておるよ」

 ジュリオの言葉を、いともアッサリ肯定するラルターク=アルトーワ。

「しかし、おぬしの動きを止めるくらいのことは出来よう。その間に、そっちのお嬢ちゃんには蒸し焼きになってもらう」

「そうはいきません。……みんなに任せたよ、虚無の妖精さんの護衛は」

 振り返りもせずに言うと、ジュリオは二人と睨み合う。
 ブワッと辺りに満ちるは、瘴気とも殺気ともつかぬ黒い気配。

「……いよいよ……ね」

 私がつぶやいたと同時に、三人の姿がフッとかき消えた。
 おそらく彼らは、わざわざ物質界で戦うのではなく、魔族本来の精神世界面でやり合うことを選んだのだろう。

「……みんなっ! 今のうちよっ!」

「けどルイズ、どうすんだ!? いくらなんでも、この火事を消すのは一苦労だろ!?」

 私の言葉に三人のメイジは頷いたが、サイト一人は慌てている。

「大丈夫っ! 私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』で森ごと吹き飛ばすわっ! 燃える木々が無くなれば、山火事も広がらないっ!」

「……そんな乱暴な……」

「ゴチャゴチャ言わないっ! ……ひょっとしたら、まだその辺に敵がいるかもしれないから、サイトとフレイムは迎撃担当っ!」

 言って私は東の方角に杖を向けた。
 キュルケの使い魔にまで命じてしまったが、キュルケも今は文句を言わない。
 彼女たち三人は、私が敢えて説明せずとも、ちゃんと役割を理解しているのだ。北と南と西に向けて、それぞれ防御魔法を放ち始める。
 ……まぁウォーター・シールドやアイス・ウォールはともかく、火事場でファイヤー・ウォールはいかがなものかと思わんでもないが、キュルケの得意は『火』系統なのだから仕方がない。そもそも、これから『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』をぶっ放そうという私が言えた義理でもない。
 杖を構えて、私が呪文を詠唱していると……。

「……来るぞ!」

 サイトが叫んだ。
 見れば、燃え盛る森の中から、宙に舞い上がる影三つ!
 言うまでもなく、敵側の魔族である。黒い仮面に白いボロ布をまとったような奴。ぬっぺりと顔だけが青く、体は霞みのような奴。人の形はしているものの、水か氷のように透き通っている奴……。
 見た目からしてザコであるが、それはあくまでもジュリオたちと比べての話。私たちにとっては立派な強敵である。
 ……なるほど。すぐに出てこなかったのは、おとなしく私たちが炎に巻かれればそれでよし、何とか逃げるようなら妨害する、というつもりだったか。私たちが魔法の防御壁を張った時点で、出番が来たと判断したらしい。
 たしかに賢いやり方である。だが、策を授けたラルターク=アルトーワはともかく、こいつら自身は、あまり賢くないらしい。私の正面に出てきたのが、運の尽き。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 用意していた呪文をぶちかます!
 淡く赤い光が、一直線に進んで……。

 ゴグォォォォッォオンッ!

 すさまじい爆音が、燃える森に響き渡った。
 かつて始祖ブリミルが海を割ったという伝説のように、緑と炎を割って、直線上の道が出来る。三匹の魔族のうちの一匹——青い奴——も、今の爆発に巻きこまれた。
 ……残るは二匹!

「行くわよっ!」

 走り出す私たち。
 同時に、白いのと透明のも動き出した。数本ずつの光の槍を生み出して、先頭の私を目がけて解き放つ!

「危ねえっ!」

 バッと私の前に出たサイトが、魔力の槍をデルフリンガーでぶった斬る。
 彼にはガンダールヴの神速と、魔法を吸収できる剣があるのだ。これくらいは簡単な話である。
 ……と油断した私の目の前に、いきなり青い姿が現れた!

「嘘っ!? さっきの魔族!?」

 やられたフリをして精神世界面に逃げ込み、こんな近くで再出現したのか!?
 右手のひらに魔力の光を灯し、それを私に向けてかざし……。

 ザンッ!

 次の瞬間。
 青い魔族の体は、上下に断たれた。

「うごぁぁぁぁァアァあああっ!?」

 断末魔の絶叫を残し、今度こそ、それは虚空に散り消えた。
 やったのは、もちろんサイト。
 ……ま、私とサイトの間を割るかのように現れりゃ、こうなるのも当然だわな。

「あと二匹ね」

 サイトの魔剣を警戒してか、白い奴も透明な奴も、私たちに近づこうとはしてこない。
 その二匹めがけて、姫さまたち三人は、散発的に魔法を放っていた。フレイムも口から炎を吐いているのだが、そう簡単には命中しない。
 まあ、私たちも今は脱出優先。足を止めてやり合うつもりはないし、牽制程度で済むなら、それでかまわないのだが……。

 ゾムッ!

 たとえようもない音を立て、突然、白い魔族の頭が砕け散る。

「……!?」

 何が起こったのか、わからない。
 透明な魔族も、茫然と空を漂っている。
 ……もちろん、その隙を見逃す私たちではなかった。

「ぎぇぇっ!?」 

 水と氷と炎の三連撃、さらに私の爆発魔法。四人のメイジの集中攻撃で、最後の一匹も消滅した。

「……何とか切り抜けましたね……」

 姫さまが安堵の言葉を漏らした。
 とはいえ、まだ渦巻く炎からの脱出行は終わっていない。走りながらの会話である。

「けど……あの白いのをやったのは……?」

「……たぶんジュリオ」

 キュルケの疑問に、タバサが答えた。
 これに私も同意する。

「そうね。二人と戦いながらもスキを見て、精神世界面から、こっちに干渉してくれたんでしょうね」

 なかなか重宝な奴である。これで何の企みもなしに護衛してくれているなら、心底ありがたいのだが……。

########################

「なあ、ルイズ……。俺たち、あつい場所から逃げてきたはずだよな?」

「そうね」

 サイトが不満を言いたくなるのもわかる。
 魔族の蒸し焼き攻撃から無事に脱出した私たちは、『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の麓まで辿り着き、山の上を見上げていた。
 辺りは白く濁った霧と、むせるような熱気に包まれている。噂どおり、まるで蒸し風呂のような場所である。視界も悪くてわかりにくいが、登山道なんてものは存在しないようだ。
 私たちは皆グッタリとしており、元気なのは、火トカゲのフレイムくらい。

「……それで、どうするのです、ルイズ?」

「あたしたちだけ行くより、ジュリオを待った方がいいんじゃないかしら?」

 姫さまもキュルケも、立っているだけで汗が噴き出していた。一休みしたいが、こんな場所で休憩しても、むしろ体力を失いそうである。

「……来るとは限らない」

 ポツリとつぶやくタバサ。
 私も彼女に同意する。

「……そうね。いくらジュリオとはいえ、大物魔族二人を一人で相手しているのだから、連中にやられてしまう可能性も……」

 その時。

 ゴォウッ! ……ばさっ。ばさり。

 私の言葉を遮るかのような突風に続いて、風を打つはばたきの音。
 思わず見上げた視線の先に、青い巨体が一つ。

「シルフィード!」

 タバサの使い魔だ。
 まだ幼生のため、竜族の中では体は小さい方なのだが、それでも彼女は風韻竜。その能力はずば抜けている。
 ……タバサの呼び出しに、ようやく応じたらしい。ジュリオが来ずとも、シルフィードが来てくれたなら、なんとかなりそうだ。なにしろ、このシルフィードこそ、ここの管理人なのだから。

「今日はシルフィードって呼んだらダメなのね。イルククゥって呼んでほしいのね」

 私たちの目の前に降り立った竜は、そう言って胸をそらす。
 ……なんだ? 親しみやすい言葉遣いの中に、少し尊大な音色も含まれているようだが……。

「……シルフィードは、私が与えた名前。元々の名前はイルククゥ」

 短く解説するタバサ。
 ……そういうことか。タバサの使い魔としては『シルフィード』だが、ここ『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』にいる以上、風韻竜『イルククゥ』だと言いたいらしい。

「名前なんてどうでもいいからさ。ともかく連れてってくれよ、シルフィード」

「連れてくって……どこへ?」

 言ったそばから『シルフィード』と呼びかけられ、彼女はサイトをジロリと睨む。

「クレア……なんだっけ?」

 助けを求める視線を、私へ向けるサイト。『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』すら言えんのなら、最初から黙っていればいいものを……。

「ねえ、イルククゥ。ここに『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』がある……って聞かされて、私たちは来たの。そこまで案内してもらえないかしら?」

 そう言った私と、主人のタバサとを見比べるタバサ。その大きな首を傾げて、

「『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』……?」

 ……おい。お前が知らんとは、どういうことだ。
 そうツッコミを入れたくなったが、私が口を開くより早く。

「……そうだよ。頂上にゲートがあるだろう?」

 声は後ろから聞こえてきた。
 振り返れば、ゆったりとした足取りで姿を現す神官姿の男。

「げえっ、ジュリオ」

 竜の娘が一声叫んで、タバサの後ろに隠れようとする。どうやら、ジュリオのことが苦手らしい。まぁ竜の巨体で、人間の背中に隠れられるわけもないのだが……。
 と思ったら、シルフィードが何やらつぶやくと同時に、風がその体にまとわりつき、青い渦となって光り輝いた。
 すると……。
 その場にあったはずの竜の姿は掻き消え、変わりに二十歳ほどの若い女性が現れた。長い青い髪の麗人である。

「先住魔法ですか!?」

 後ろで姫さまが驚いているが、そんなことはどうでもいい。
 問題なのは……。
 生まれたままの姿である、ということ。
 韻竜の操る変化の呪文でも、さすがに服までは再現できないのであろう。
 しかも、人間の姿に化けたところで、小柄なタバサの後ろに隠れるのは無理。人間の女性そっくりの肢体を、私たちの前であらわにしていた。

「はだか……」

 サイトのつぶやきを聞き咎めて、私は彼をキッと見やった。
 いや『見やった』だけではない。足まで出ていた。
 私のハイキックが後頭部を直撃、サイトは、その場に崩れ落ちる。

「まあ!」

「ルイズ……。今のは少し……やりすぎじゃない?」

 姫さまが驚き、キュルケが呆れる。
 タバサは後ろを向いて、使い魔に小言。

「……何か着る」

「え〜〜。ごわごわするからやだ。きゅい」

「じゃあ変化を解く」

「……わかったのね」

 ……と、こんなちょっとした騒動の傍らで。
 肝心のジュリオは、頬をポリポリとかきながら、所在なさげに佇んでいた。

########################

「……で、あの二人は?」

「やっぱり今回も決着はつかず……だね。結局、逃げられてしまったよ。追おうかとも思ったけど、何かの罠でもあったら困るからね」

 サイトの回復は姫さまに任せ、ジュリオと話を進める私。
 こんな熱いところに留まるつもりはない。サッサと用事を片づけて、退散するのみである。

「……ところで……」

 ジュリオがシルフィードの方に向き直る。ちなみに彼女は、もう竜の姿に戻っていた。

「……僕たちの用件は、さっき虚無の妖精さんが言ったとおりだよ。『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』を見せてほしいんだ。……ここの頂上のゲートまで案内してくれ」

 言われて、竜は少し考え込む。それからポンと手を叩き、

「ああ! 頂上のゲートね! そう言えば、大切なものがあるからちゃんと守れ、って言われてたのね!」

 納得したような口調のシルフィード。だが、すぐに不審げな口調でつけ加えた。

「……でも、なんでそんなこと知ってるのね? おまえ一体……何者……!?」

「……ジュリオの正体は魔族。獣神官ゼロス」

 主人であるタバサが、端的に説明する。
 ……あ。
 風韻竜がピシッと凍りついた。
 人間でもわかるくらい、あからさまな怯えの色を顔に浮かべて、シルフィードはギギギッとタバサに首を向ける。

「……獣神官ゼロス……? あの『獣神官』!?」

「そう。その『獣神官』。私も本で読んだから知ってる」

「ひーっ! それで私……このひと苦手だったのね……」

 頭を抱えてうずくまるシルフィード。

「ゼロス! 竜を滅せし者(ドラゴンスレイヤー)ゼーロース! きゅいきゅい!」

「……猛々しい二つ名は好きではないんだけどな……」

「騙されないのね! お父さまやお母さまは教えてくれなかったけど……一族の長老から、ちゃんと聞かされてるのね! ゼロスというのは……千年前の降魔戦争の時……我々韻竜の一族を、ほとんど壊滅にまで追い込んだ魔族……。……しかもたった一人で……!」

 なっ!?
 シルフィードの独白に、私は完全に言葉を失った。
 ……冗談ではない。
 絶滅したと言われていた韻竜。だが、なぜ『絶滅した』のか、その理由までは流布していなかった。韻竜『絶滅』のかげに、そんな逸話があったとは……。
 しかもその主役が、このジュリオときた。
 強いだろうとは思っていたが……まさかそこまで……。

「……まあ、僕の昔のヤンチャぶりを知っているというなら、話は早い。要求を拒んだりはしないよね? ……もっとも今の僕にはヴィンダールヴの力もあるから、君みたいな『獣』は、その意志とは無関係に操ることも可能だが……」

「きゅい! 連れてく! 連れてくのね!」

 全面降伏を宣言するシルフィードであった。

########################

「話に聞いていたよりは……火竜も、おとなしいものなのですね」

「姫さま。それは……あいつのせいじゃありませんか?」

 私たちを背に乗せて、シルフィードが空をゆく。
 かなりの大人数であるが、風韻竜は文句も言わない。ただジュリオを乗せるのは嫌だったようで、ジュリオだけは自力でついてきている。
 フライもレビテーションも使わず飛ぶジュリオ。やはり魔族である。

「……ルイズの言うとおりね」

 ポツリとつぶやくキュルケ。
 私が指さした先では、ちょうどジュリオが、無謀にも向かってきた一匹の火竜を懐柔しているところだった。
 そっと右手で触れて、手の甲のルーンが輝いて、はい、おしまい。おとなしく火竜はUターン。
 ……まあ、こういう例外もいるわけだが、大半の火竜は近づこうともしない。
 眼下の山脈を見下ろせば。
 高い崖の上で、あるいは岩陰に隠れて、乱暴者のはずの火竜たちが、まるで怯えているかのように私たちを眺めている。ジュリオの力を、本能的に感じ取っているのであろう。

「それにしても……こんな空の上でも、まだ熱いんだな。下を歩いていたら、どうなったことやら……」

 サイトの発言は、言葉だけ聞けば愚痴。だが、なぜか少し、顔がニヤけている。
 ……御主人様の私には、サイトが何を思い浮かべたか、想像つくぞ。
 もしも徒歩ならば、女性陣は酷い有様になっていたはず。水蒸気と汗で、シャツも濡れて肌に張りつき、体のラインをあらわにさせていたに違いない。

「痛っ! なにすんだよ、ルイズ!?」

「……さすがに場所が場所だからね。ほっぺたつねるだけで勘弁してあげる」

 ここでお仕置きエクスプロージョンを炸裂させたら、みんなにも迷惑がかかる……。
 それくらいの分別は、私にもあるのだ。

########################

「……ここなのね」

 言ってシルフィードが降り立ったのは、山頂手前の、なんの変哲もない場所であった。
 道幅の広い登り坂。
 右手には切り立った崖がそそり立ち、左手はドロドロの熱い溶岩流。その向こう側は、ほとんど断崖に近い急な下り坂……。

「……ここ……って……?」

「ここね」

 答えるシルフィードは、いつのまにか、また人間の姿に変化していた。
 素早くタバサが服を着せたようで、一応、はだかではない。
 ……何故わざわざ変身した?

「ここがゲートになっているのね。岩壁に見えるけど……普通に通り抜けられるはずなのね」

 女性の姿のシルフィードが、スウッと音もなく、右の岩壁に体の半分を潜り込ませる。
 なるほど。このためだったのね。竜のままでは、サイズ的に、ちと厳しい。

「……来るがいい、ルイズとやら。ほかの者たちは、ここで待っていてもらおう」

 自分はここの『長老』役だと思い出したのだろう。尊大な口ぶりになるシルフィードだが、今さらである。

「……どうしてルイズだけ? ケチなこと言わずに、あたしたちも連れてってよ」

 問うキュルケに、シルフィードは再び壁のこちら側に全身を現し、

「そういうわけにもいかないのね。ゼロスが怖いから、彼女だけは連れていくけど……。あんまり勝手なことをすると、故郷の『竜の巣』に戻った時、私が一族の者から怒られちゃうのね」

 早くも言葉遣いが戻るシルフィード。
 彼女は、タバサに向かって頭を下げる。

「ごめんなのね。お姉さまも連れていけないのね。……そもそも私の力では、一人連れていくだけで精一杯。それ以上だと、たぶん私でも迷ってしまうのね」

「迷う……って、中は迷路にでもなってるのか?」

 今度はサイトが尋ねた。
 シルフィードは首を横に振る。

「そんな生易しいもんじゃないのね。中は……異空間なのね」

 どうやら普通のゲートではないらしい。『ゲート』という言葉から、使い魔召喚の時のように、ここと別の場所とを繋ぐものかと思ったのだが……。
 まぁそれなら、鏡のようにハッキリした物が現れるはず。これは明らかに違うわな。

「……じゃあルイズ、俺たちはここで待ってる」

「気をつけてくださいね、ルイズ」

「おみやげ頼んだわよ」

「がんばれ」

 同行を諦める仲間たち。
 ジュリオに視線を向けると、彼も手を振っていた。

「……あんたも来ないの?」

「僕の役目は、虚無の妖精さんを無事に『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』まで送り届けること。ここまで来れば、仕事は完了さ」

 まるで御役所仕事のような回答だが……。
 それならそれで、私にとっても好都合だ。
 ジュリオたち大物魔族にすら対抗できる策を……見つけてきてやる!

「じゃあ、行くのね」

 シルフィードの言葉に頷いて、私は彼女の手を取って……。
 そして、異空間へと突入した。





(第五章へつづく)

########################

 第三部でスポット参戦した時は竜のままだったので、シルフィードは(ルイズたちに対しては)今回が変身初披露。あと、せっかく「スレイヤーズ」風「ゼロ魔」なので、韻竜が(ほぼ)絶滅した理由に関しても、独自の設定をつけておきました。
 なお、ラルタークの行動理由(ウエストウッド村にいた理由)が「スレイヤーズ」原作とは若干違う(もっと積極的な理由があった)ので、今回の会話で遅ればせながら補足説明。なぜ第六部でテファが殺されなかったのか……。やや苦しい説明だったかもしれませんが、一応の理由付けはしておこうと思ったので。それに、これならば『第四部の物語が思わぬ形で第六部に影響した』ということにもなりますから。

(2011年7月26日 投稿)
    



[26854] 第七部「魔竜王女の挑戦」(第五章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/07/29 23:42
   
 岩壁を通り抜けたその瞬間、違和感が私の全身を包み込んだ。
 なんというか……自分の体が自分のものでなくなった、というか……。
 いや……それも少し違う。この『違和感』を表現する例えを、私は知らない。
 おそらく、普通なら、人間が生きているうちに経験することなぞ皆無の感覚……。

「……何なのよ……ここ……?」

 人間の姿のシルフィードに手を引かれ、わけのわからん場所を進みつつ、私は彼女に問いかけた。
 岩肌がむき出しの洞窟……。最初はそう見えていたのに、ちょっと気を抜いたり目を離したりしただけで、様相がガラリと変わる。
 クリスタル輝く通路に、あるいは無機質で平坦な通路に、はたまた時によっては、何か巨大な生物のはらわたの中のように……。

「気にしたら負けなのね」

 私のすぐ目の前を、上下逆さまに進むシルフィード。
 実際に逆さに歩いているのか、それとも、単にそう見えているだけなのか。

「勝ちとか負けとか、そういう問題じゃないわよ」

 まばたき一つする間に、シルフィードの姿は、上下正常に戻る。
 ……ただし、その背中は私の目の前ではなく、遥か遠くに見えた。豆粒くらいの大きさだ。
 そのくせ、私の左手を握る手の感触は、しっかりとある。
 こんな状態で『気にするな』などと言われても、素直に従えるものではない。

「『手』の感触を信じるのね。視覚をよりどころにすれば、惑わされるから」

 言われて私は、左手を見た。
 繋がったシルフィードの手に沿わせて、視線を移せば……。
 目の前に、ごく普通に歩みを進める、彼女の背中。

「……私もよくわからないのね。話には聞いてたけど、入るのは初めてなの。きゅい」

 いきなり何を……。一瞬そう思ったが、どうやら私の『何なのよここ』に対する回答らしい。

「場所の性質としては、むしろ精神世界に近いはず。きゅい」

「精神世界に……?」

「そう。物を見るのも聞くのも、目や耳ではなく精神(こころ)。不安は花園を地獄の風景と変え、そよ風のささやきを亡者の怨嗟と化す。敵意が相手の命を削ぎ、絶望が容易に滅びをもたらす……」

 なんだか、らしくない言葉がつらつらと出てきたが……。
 きっと韻竜のお偉いさんからの受け売りなんだろうなあ。

「受け売りじゃないのね。ちゃんと理解してつかってる言葉なのね」

 ……あ。伝わってやんの。
 精神世界ということは、そういうことなのか。
 ならば、あんまり迂闊なことは考えられない。例えば、風韻竜の悪口を頭に思い浮かべたら……。

「……見捨てるのね?」

「冗談よ。それより……『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の場所、まだなの?」

「もうすぐなのね。きゅい」

 言って彼女は、後ろを振り返る。
 そして、心配そうな目で私を見つめながら、

「……でも、悪用しないでほしいのね」

「はぁ?」

 声に出す必要はないかもしれないが、思わず出てしまった。
 悪用って……なんで私が……?

「だって……。降魔戦争の話で思い出したけど、あなた、虚無のメイジということは……たぶん、心の中に『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの魂が眠ってるのね」

########################

 この世界の魔王、シャブラニグドゥ。
 数千年前に始祖ブリミルと死闘を演じた末に敗北し、ブリミル自身の身に封じられたといわれている。
 魔王の魂は分断されて、ブリミルの子孫の中に転生していく……などという話も含めて、真偽不明の伝承として、人間界では伝わっているわけだが……。

「ブリミルは、人間の『心』を以て、シャブラニグドゥを封印したらしいのね。その人間が死ねば、魔王のかけらは、子孫の誰かに受け継がれるの。きゅい」

 伝説の一族である韻竜からも、同じ話を聞かされるとは……。どうやら、やはり言い伝えは事実だったようだ。

「……竜やエルフのうちに封じれば、その封印も、より強固なものとなったはず。それでもワザワザ人間を選んだのは、おそらく、竜やエルフよりも遥かに短いサイクルで転生を繰り返させて、無限の輪廻のうちに少しずつ、人の心で魔王のかけらを浄化して消滅させるつもりだったのね」

 いやいや。
 そんなたいそうな話じゃなくて、単にブリミル自身が人間だったから、自分に封印という選択肢しかなかったんじゃあ……?

「……でも、やはり人の心は弱いもの。ともすれば、何かのはずみで、その封印も弱まってしまう。封印が弱まれば、特に、輪廻転生を『視る』能力のある冥王(ヘルマスター)は、すぐそれを察知するはず……」

 へえ。『冥王(ヘルマスター)』って名前は、ただのカッコつけじゃなかったんだ。ちゃんと、それっぽい能力があったわけか。
 ……まあ『視る』も何も、ブリミルの子孫という大きな手がかりがあるんだから、魂の行き先を探すのも簡単でしょうね。
 
「ちょっと、あなた。さっきからイチイチ、心の中でチャチャを入れるのは止めるのね。きゅい」

 しまった。ここは、そういう空間だった。
 ……軽い小言の後、シルフィードは話を続ける。

「……千年前の降魔戦争でも、魔王のかけらの封印を解いたのは冥王(ヘルマスター)だったのね。そして今また、冥王(ヘルマスター)が暗躍している……。となれば……」

「……つまり……私を『赤眼の魔王(ルビーアイ)』に覚醒させようとしている……?」

 かわいた声で、私は問いかける。
 前にも、私の中に魔王の魂があると信じて、私をつけ狙う者がいたが……。
 あれは人間だった。でも、今回は魔族である。
 ……そう言えば、あの事件の途中で、私たちはシルフィードと知り合ったんだっけ。その時は、こういう話は一切口にしていなかったけど……。

「だから最初に言ったのね。獣神官が出てきて、降魔戦争の話になったから、私も色々と思い出したのね! きゅい!」

 内心でのツッコミも、相手に通じてしまう場所である。
 シルフィードの機嫌を、少し損ねてしまったらしい。
 ごめん。

「まあ、ともかく……。もしも『赤眼の魔王(ルビーアイ)』になっちゃっても、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』を悪用したり、私たちと敵対したり、お姉さまを虐めたりしないで欲しいのね。きゅい」

 使い魔らしく、タバサの心配をするシルフィード。ちょっと可愛い。
 ……ただ、魔王覚醒が前提のような話をされるのは、ちょっと嫌だなあ。

「もちろん、あくまでも可能性の話なのね。……エルフじゃあるまいし、虚無と魔王を同一視したりしないのね」

 ……え?
 聞き逃しそうになったが、何やら重要な情報っぽいぞ!?

「エルフがブリミルを『悪魔』扱いしたのは、その中に魔王の魂があったから。虚無のメイジを『悪魔』と呼ぶのも、同じ理由なのね。……エルフにとって、最大の敵は魔族だから」

 そうか。
 私も、ようやく理解した。
 なぜエルフが、始祖ブリミルと敵対したのか。ひいては、ブリミル信仰の人間を敵視するのか。
 それなのに、なぜエルフが、千年前の降魔戦争では人間の側で戦ったのか。
 ……なんのことはない。ポイントとなるのは人間ではなく、あくまでも、魔族や魔王だったのだ。

「……ということは……」

 さらに考えをまとめつつ、私は口を開いたのだが、

「……着いたのね」

 シルフィードが足を止めたので、言葉を呑み込み、私も立ち止まる。
 しかし辺りを見渡せど、それらしきものはどこにもない。あいもかわらず、よくわからん空間が広がっているだけ……。

「……で……どこにあるの?」

「ここなのね」

「……えっと……」

 私は戸惑うばかり。
 シルフィードは空間のとある一点を指さしているのだが、そこには何もないのだ。

「もしかして……人間の目には見えないのかしら? きゅい?」

 首を傾げるシルフィード。
 ちゃんと始祖の指輪をはめている私にも見えないって、いったい……?
 ……そうだ。ここは視覚に頼ってはいけない場所だった。ならば『感じ取って』みるべきかも。
 瞳を閉じて、意識を集中すると……。

「あった!」

 私にも視えた。
 しかし思わず叫んで目を開けたら、さっきまでと同様、そこには何もない。
 やむを得ず、もう一度目を閉じる。
 ……確かに存在する。ボロッちい一冊の書物が。

『……ボロ言うな』

 耳慣れぬ声は、どこからともなく聞こえてきた。

「……へ?」

 目を開けて、シルフィードの方を振り返る。

「……今……何か言った?」

「いや……。たぶん『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の声なのね。きゅい」

 彼女に『声』が届いていないということは、私の頭だか心だかに直接聞こえているのだろう。
 またまた私は目を閉じて、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』に手を伸ばす。
 存在を完治できたからなのか、触ることまで可能となった。
 そっとページをめくるが、まったくの白紙。言葉も聞こえてこない。
 ……こちらから問いかけてみればよいのだろうか?

「……『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』について……知りうる限りを……教えてちょうだい……」

 ここでは口に出す必要はないかもしれないが、言葉として発するのが人間の習慣である。
 ともかく。
 思ったとおり、反応があった。
 私の指輪が光ると同時に、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のページに文字が浮かぶ。
 いや『浮かぶ』というより『聞こえてくる』という方が正しいのか。

『……金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)……それは……すべての闇の母……魔族たちの真の王……ありし日の姿に帰るを望み続けるもの……闇より暗き存在……夜より深きもの……混沌の海……たゆたいし金色……』

 かくて私の頭に、えんえんと断片的な単語が流れ込んで来た。

########################

『……すべての混沌を生み出せし存在……すなわち……悪夢を統べる存在(ロード・オブ・ナイトメア)……』

 そして……文字(こえ)は途切れた。

「……」

 ……違和感があった。
 何かが引っかかる。
 何か、根本的な勘違いを私は犯している。
 そんな気がした。

「……もう一度……お願い。『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に関する知識を……」

 呼びかけながら、私はページを元に戻す。
 再び、先ほどと全く同じ単語の羅列が表れて……。

「……え……?」

 その時ふと、私は、あることに気がついた。

「……もう一度! はじめから!」

 最初のページに戻り、そこから文字(こえ)が繰り返され……。

『……すべての混沌を生み出せし存在……すなわち……悪夢を統べる存在(ロード・オブ・ナイトメア)……』

 最初と同じように終了した。

「……まさか……」

 口の中が乾いている。
 断片的な単語の羅列が、ある想像をもとに、頭の中で組み合わされてゆく。

「……まさか……『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』って……」

『そのとおり』

 私のつぶやきに応じて、ページの末端に一言浮かんだ。
 ……冗談ではない。
 膝が小さく震えているのが、自分でもハッキリわかった。
 私は……あんなモノの力を使った魔法を、ぽこぽこ唱えていたのか!?
 私は、ようやく理解した。
 かつてシエスタが教えてくれた、昔の勇者からの言い伝え……。

『金色の魔王よみがえる時、ハルケギニアは空へと浮かび、世界は全て滅びるだろう』

 当時は半信半疑だったが……。
 そりゃあ、あんなモノが出てきたら、ハルケギニアも滅びるわ!
 ……たしかに、これなら魔族への切り札にはなる。切り札にはなるが……。

「どうしたのね!? 何があったのね!?」

 いきなり後ろから肩を揺さぶられ、唐突に私は、我に返った。
 ほとんど反射的に振り向けば、すぐ目の前に、シルフィードの顔があった。

「いったい何を聞かされたのね?」

 どうやら彼女には、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の声が届かないだけでなく、私の内心も具体的には伝わらなかったらしい。思考がダダ漏れの空間であっても、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の前では、若干事情が異なるようだ。

「……ん……いや、その……」

 私は無理に、笑みを作って言葉を濁す。

「きゅい? 大丈夫? かなり調子が悪そうだけど……」

「……調子悪いなんて言ってらんないわ……」

 あれが使えないというのであれば、魔族に対抗し得る別の手段を探す必要がある。
 他にも、サイトを元の世界に戻す方法や、タバサの母親の心を回復させる方法など、知りたいことは盛りだくさん。今のでショックを受けたからといって、ボーッとしている場合ではない。
 ……いや。
 私は、ふと思いついた。
 まだ『あれが使えない』と決めつけるのは、早計なのでは……!?
 かつて私が『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の前で『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使ってみせた時、魔王が言っていたではないか。「『四の四』も揃えずにそれを使えるのか!?」……と!
 逆に言うならば……その『四の四』さえ揃えれば……。
 ……あんなモノすら制御できるかもしれない!?

「教えてちょうだい! ……『四の四』というのは、いったい何のこと……!?」

 呼びかけながら、私は再び『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』に手を伸ばした。
 また指輪が光を発して、文字が浮かび出す。
 しかし、それが私の頭に入ってくるより早く。

「……な!?」

 全く何の予告もナシに、いきなりシルフィードが、私を後ろから思いっきり引っ張った。
 抗議の声を上げそうになるが、すぐに私にも理由がわかった。
 大きく体が後ろに泳いだその瞬間。目に見えぬ何かが、すぐ胸の前——たった今まで私がいたところ——を、たしかに過ぎて行ったのだ。

「なぜ助けた? おぬしも竜であろうに……」

 文字どおり、どこからともなく流れてきた声。それは聞いたことのあるものだった。

「……ラルターク!?」

 虚空に向けて、私はその名を叫んでいた。

########################

 私の声に応えるかのように、それは現れた。
 こちらから見て右の方、やや離れた場所である。
 人の形に似た、ぼんやりとしたモヤ。これが本来の姿なのか、あるいは、この空間のせいで、こう見えるだけなのか……。

「おかしな空間じゃな、ここは。探し出すのに苦労したわい」

 おそらく彼は、私たちの目的が『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』だと見抜き、どこか全く別のところから、ここへとやって来たのだろう。

「……ふぅむ。風韻竜の一匹が新たに『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の管理人になった……と聞いておったが、なんだ、まだ幼生ではないか」

 ラルターク=アルトーワは、一目でシルフィードの正体を見破った。
 彼女は、やや怯えた態度で、

「……ラルタークって、もしかして、あの竜神官ラルターク……?」

「そうじゃ。一族の長老から、名前くらいは聞いておろう?」

「……! ああ、もうっ! 獣神官といい竜神官といい、今日はとんでもない奴ばかり現れるのね! きゅいきゅいきゅい!」

 前言撤回。
 怯えを通り越して、自暴自棄である。こういう場所じゃなかったら、竜の姿に戻って、ひと暴れしそう……。

「ゼロスと一緒にせんでくれ。……こうやって韻竜代表として人間界に留まるくらいだ、おぬしとて『竜の協定』くらいは知っておろう?」

 竜の協定……?
 何やら聞き慣れない言葉が出てきたが……。

「きゅい。……生きとし生けるもの全ての天敵である魔族……しかし魔竜王の一派は例外……竜族の味方である……」

「ちゃんと知っておるではないか。……ならば、竜の娘よ。そこの人間の娘、冥王(ヘルマスター)に利用されておる可能性がある。今のうちに、念のために始末しておきたいんじゃが……かまわんな?」

 晩飯のおかずをリクエストするかのような、いたって気楽な口調。
 でもシルフィードは、タバサの使い魔なのだ。
 そして、タバサは私の旅の連れ。
 シルフィードが、こんな要求に応じるわけがない。
 ……ないよね? 大丈夫よね?

「ちょっと待つのね。もしも彼女が、冥王(ヘルマスター)や獣神官に敵対する道を選ぶとしたら……彼女を殺す必要はなくなるのね」

 即答で否定するのではなく、説得を始めたシルフィード。
 私としては、さっさとバッサリ断って欲しかったのだが、肯定されるよりは遥かにマシ。
 ……がんばれ! 説得が成功するよう、全力で応援するぞ!

「それはできんな。冥王(ヘルマスター)のたくらみがわからず、この娘が、どういう役割を担っておるか、まだ不明なのだ。害となり得るかもしれんものを、内に取り込むことはできんわい。……第一、おぬしがそうと提案し、わしらがそれを呑むことそのものが、冥王(ヘルマスター)の筋書きどおりかもしれんのじゃぞ?」

「きゅい……」

 シルフィードは、困ったように一声呻いてから、

「でも……彼女を渡すわけにはいかないのね」

 ちゃんとラルターク=アルトーワの要求をはねつけた。
 おしっ! えらいぞっ!

「ほう……断る、とな? それはまたどうしてかな? まさか……冥王(ヘルマスター)やゼロスの方につく気ではあるまいな?」

「そんなわけないのね! あの人の味方になるつもりなんてないのね! ……でも、この人は、お姉さまのお友だちだから……」

 と、言いかけて。
 もっと良い理由を思いついたらしい。

「……それに! ここから『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』に向かって開いた道のその先には、問題の獣神官がいるのね! 彼女に万一のことがあれば、私が彼女を『売った』代償として、そこの竜たちを殺すかもしれないのね!」

「何とでも言い訳は出来よう。わしが……竜神官がやって来て、いきなり娘を連れ去った、とかな……」

 シルフィードは、けして弁が立つタイプではない。
 このままでは、やがて言い負かされてしまいそうだが……。

「……そもそも、前提からして変なのね」

「ほう……?」

「『竜の協定』によれば、お前たちは『赤眼の魔王(ルビーアイ)』からは離反し、竜やエルフや人間の味方となったはず……。味方なら、殺す必要はないのね?」

「だから言ったではないか。害となり得るかもしれんものを、内に取り込むことはできん、と……」

「でも……」

「おぬし、何か勘違いしていないか?」

 魔族が韻竜の言葉を遮った。

「味方というのは、共に戦うということ。すなわち、互いの力を利用すること。ならば、その能力に応じた役割を与えられるのが必然。竜にもエルフにも人間にも、それぞれの役割がある。そこの娘のように、皆の利益のためにサッサと滅ぶというのも、立派な役割ではないか」

 そう言って、ラルターク=アルトーワは私に視線を向けた。
 ……冗談ではない。
 大物魔族を睨み返しながら、私は会話に割って入る。

「……滅ぶのも役割って……そういう言葉がアッサリと出てくること自体が、問題なんじゃないの? 今は『赤眼の魔王(ルビーアイ)』に敵対してるらしけど……やっぱり、あんたたちは魔族なのよ!」

「そうなのね! 私も、そういうこと言いたかったのね! きゅい!」

「ふぅむ……そういうことなら仕方ないのぅ……」

 ラルターク=アルトーワは言う。
 シルフィードに視線を戻しながら、

「ならば、おぬしの同意を得ずに、わしが勝手にこの場で始末するのみ。殺させん、などと言ってみたところで、おぬしにそれを止める手立てはあるまい?」

 余裕の口調の魔族に対して、シルフィードは、毅然とした態度で、

「そうはさせないのね! 私が止めてみせるのね!」

 なかなか頼もしい発言である。
 何をしてくれるのかと思いきや……。

 とんっ。

 彼女は私の背中を押した。

「……ととっ?」

 数歩たたらを踏んで、私は振り返り……。
 視線の先には、もはや『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』も、そしてシルフィードやラルターク=アルトーワの姿もなかった。

「……えーっと……」

 一瞬、何がどうなったかがわからず、しばし茫然と佇む私。
 トンッと背中を押された結果なのだから……。

「……あ。そうか」

 ようやく私は理解した。
 あの場から消え去ったのは、二人ではなく、私の方なのだ。
 シルフィードは、下手をすれば魔族ですら迷うという空間で、どこかに私を放り出したのだ。
 これならば、竜神官といえど容易に私を探し出すことは出来ないし、シルフィード自身がワザワザことを構える必要もない。
 なるほど、悪いテではない。
 でも……。

「……みんなのところまで、どうやって戻ったらいいのかしら……?」

 文字どおり、右も左もわからぬ場所である。自力で帰ることなど、絶対に無理。
 いったんシルフィードが元の場所まで戻り、ジュリオあたりに頼んで私を探させる……というのが現実的な話か。
 しかしその場合、彼女が戻って話をつけてジュリオが私を見つけ出すのが早いか、あるいは、ラルターク=アルトーワが私を見つけ出すのが早いか、という勝負になる。
 能力ならジュリオが、時間的にはラルターク=アルトーワが有利……ってところかな?
 などと他人事のように考えているうち……。

「……こっちだよ……」

 どこからともなく聞こえてきたのは、ジュリオの声だった。

「……へ?」

 慌てて辺りを見回せど、やはりそこには何もなく、目を閉じても意識を集中させても、何の存在も感じられない。
 だが……。
 声がどちらから流れて来たか、それだけは、どういうわけかハッキリとわかった。
 ジュリオが探しに来たにしては早すぎるような気もしたが、なにしろ、ここは異様な空間だ。私の時間感覚も狂っているのかもしれない。

「……ジュリオ?」

「……こっちだよ……」

 私が呼びかけても、同じ言葉を繰り返すだけ。
 ……やまびこのように、さっきの言葉がこだましているのだろうか?
 あるいは……ニセモノ!?
 聞こえているのはジュリオの声だが、魔族にとって、他人の声真似なぞ造作もないはず。声に釣られて出ていけば、ラルターク=アルトーワが待ち構えている、という可能性も……。
 とはいえやはり、本物かもしれないのだ。その場合、ここでモタモタしていては、それこそ、いずれはラルターク=アルトーワが私を見つけ出すかも……。

「ええいっ、行っちゃえ行っちゃえ!」

 自分にハッパをかける意味で声に出し、私は歩き始めた。

「……こっちだよ……」

 周期的に続く『声』に向けて、とにかく進み続けるうちに……。
 唐突に誰かが、ワシッと私の手を取った。

「ごくろうさま」

 声と同時に目の前に現れたのは、ジュリオの笑顔。

「早かったわね」

「あの韻竜から話を聞いて、すぐ来たからね。……ともあれ、無事で何より。それで、ラルタークさんは?」

「わかんないわ。その辺りにいるかもしれないし、もうどっかに行っちゃったかもしれないし……」

「何にしろ、とりあえず、みんなのところに戻ろうか」

 私の手を引っ張ったまま、ジュリオは歩き出す。
 でも。

「ちょっと待って!」

「……何だい?」

「まだ用事が終わってない……」

 結局『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』から教えてもらったのは、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に関する情報だけ。
 せっかく『四の四』についても聞けそうだったのに、ギリギリで間に合わなかった。
 タバサやサイトのための話なんて、問いかけてすらいない。

「『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』には辿り着けたのだろう? ならば、僕の任務は終了だ」

 薄情に言い切るジュリオ。

「……それに、もしもこの空間で竜神官と竜将軍が同時に出てきたら、君を守りきる自信はないからね。普通の場所なら君を逃がして、その間に……という手も使えるが、ここでは無理だ。はぐれたら、二人のうちのどちらかが、僕より先に君を見つける可能性が高い」

「な……なるほど……」

 口ごもる私。
 ……今までジュリオが私を守ってきたのは、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』まで導くため……。
 そう思っていたのだが、ならば、もう彼が私を警護する理由はない。先ほどの発言からもわかるように、こいつは、アフターサービスをつけてくれるような親切な奴ではないのだ。
 となれば、まだ何か別の魂胆があるのだろうか?
 しかし、そのあたりを言葉に出したら、「そうだね、もう守る義理もなくなった」なんて返事が来るかもしれない。それは一番困るので、私としては、言いたいことも言えなかったのである。

「……わかったわ。とりあえず戻りましょ」

「それでは……」

 私は、ジュリオに片手を引っ張られ、ただおとなしくついてゆく。
 やがて、しばらく進むうち……。

「……!」

 突然、フイッと軽いめまいに襲われる。
 同時に、ポンッと景色が開けた。
 岩肌むき出しの山道。灼熱の溶岩流。霞む水蒸気……。
 そして、そこに佇む見慣れた顔ぶれ。

「や。ただいま」

 仲間に向かって、私は手を上げた。

「ルイズ! わたくしのおともだち! 無事だったのですね!?」

 姫さまが駆け寄ろうとしたが……。

「……ルイズ!」

 サイトが神速で飛び込んできて、私を抱えて押し倒す。
 ……やだ何、嫉妬? 私がジュリオと、おてて繋いで二人で出てきたから?
 そんなこともチラッと思い浮かべたが、これは不正解。

 グゴゥンッ!

 あの特殊な空間への入り口があった、その岩壁が、内側から大爆発を巻き起こした。
 砕け散った岩塊は、私たちにぶつかる前に、あらぬ方向へと弾かれる。おそらくジュリオが、魔族の術で防御壁を張ってくれたのだ。
 やがて爆音のこだまも消える頃、立ち込める砂埃の奥から、ゆっくりと歩み寄る人影ひとつ。

「……今回は……けほっ! しつこく追っかけてきたわね……」

「うむ。どうやらもう、のんびりしてもおられんようじゃからな」

 私の言葉に応じるラルターク=アルトーワ。その顔には、もはや、いつもの余裕の色はない。

「そろそろ、決着はつけねばならん。……よろしいかな? 獣神官殿?」

「僕はいっこうにかまいませんよ、おふたかた」

「たいした自信だな。……貴様のそういうところが気にくわん」

 声は、ラルターク=アルトーワのいる反対側——私たちの背中の方——から聞こえてきた。
 慌てて振り向けば、一体いつのまにやって来たのか、ラーシャート=カルロの姿。前回同様、竜の鎧に身を固め、抜き身の剣を手にしている。

「しかし、貴様にやられた私の力も、もう回復している。この勝負……どちらに転ぶかはわからんぞ」

 言ってラーシャート=カルロは、今度は視線をシルフィードに向ける。
 シルフィードは、まだ竜ではなく、人間の女性の姿のまま。ラーシャート=カルロは、少し顔をしかめつつ、

「……なるほど、ラルターク殿の言うとおり、まだ子供だな……」

「きゅい?」

 シルフィードは子供扱いされて、不機嫌な表情を見せた。

「……だが、それでも、ここの長老役を務めているのだ。『竜の協定』を知っているなら、まさか手出しはせんだろうな?」

「私は……『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』長老イルククゥ……だけど同時に、お姉さまの使い魔シルフィードでもあるのね!」

 言いながら、彼女はタバサの隣へ移動する。
 ジュリオの味方をするか否か、それはタバサ次第……ということだ。
 となれば、答えは出たも同然。

「……ほぅ……。お前さんがたにも、手出しはせんでおいてもらいたいんじゃがの……」

 今度はラルターク=アルトーワが、私たち人間を見回しながら言う。

「……獣神官が負ければ、次は自分たちの番。そう考えれば、獣神官に加勢し、わしやラーシャート殿の邪魔をしたくなるのも当然じゃな。……しかしそれは、ちと御免こうむりたいんでな」

 彼は手のひらを下に向け、右手を真っすぐに突き出す。
 その手のひらのちょうど下、岩肌のむき出した地面に、突然ぽっかり黒い穴が開いた。
 穴の中から浮かび上がってきたのは、ひとかかえほどの大きさの球体ふたつ。一つは薄い灰色で、もう一つは鮮やかな赤。

「わしらが獣神官殿と決着をつける間、お前さんたちには、こいつの相手をしていてもらおうか」

 ラルターク=アルトーワの目の前——ちょうど胸の高さほどのところ——を、二つのボールはフワフワ漂い始める。
 役割を終えた地面の穴は、再び元どおり閉ざされた。
 見かけは単なる大きなボールだが……。私には、なんとなく正体がわかった。

「魔族……ね。それも」

「そのとおりじゃ。あまり見てくれは良くないがの。それでも、以前のグドゥザやデュグルドたちなんぞよりは強いぞ」

 いやいや、グドゥザもデュグルドも、結構な強敵だったんですけど……。
 後ろから、姫さまの緊張が伝わってくる。キュルケやタバサは、動じている素振りなど見せていないようだ。それでもやはり、あいつらと直接戦った三人にしてみれば、聞き流せる言葉ではあるまい。
 ……私は、敢えてビシッと言ってやる。

「そんなコケオドシには騙されないわよ」

「こけおどしかどうか……戦ってみれば、すぐにわかろう。……せっかくだから名前を紹介してやりたいところじゃが、あいにく人間には、聞き取ることも口に出すことも出来ぬ」

「結構よ。どうせ長いつきあいにはならないから」

「そうじゃな……なら、そろそろ始めるとするか……」

 ラルターク=アルトーワの言葉を合図に、辺りに殺気が張りつめた。





(第六章へつづく)

########################

 第一部でチラッと触れた『四の四』の話、ここでもチラッとだけ。
 シエスタから聞いた言い伝えに関しても、再度、言及。
 第八部でようやく解明される真相もありますが……とりあえず、第七部は次回で完結です。

(2011年7月29日 投稿)
   



[26854] 第七部「魔竜王女の挑戦」(第六章)【第七部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/08/01 23:14
   
「ゆくぞっ!」

 最初に動いたのは竜将軍。
 ラーシャート=カルロは、剣を片手に、ジュリオ目指して突っ込んでゆく。
 今回は前回とは違って、精神世界面に戦場を移すつもりはないようである。

 カッ!

 小さな硬い音を立てて、ジュリオは右手の錫杖で、その一撃を受け止める。
 同時に反対側から襲いかかる、クルミの実サイズのエネルギー球。ラルターク=アルトーワの放ったものだが、これをジュリオはマントで包み込み、あっさり消滅させた。

「ジミというか、ジミチというか……」

 私の口から、ついつい感想が漏れてしまう。
 ……ぶつかりあう力の余波で閃光がほとばしったり、はじかれた魔力弾が大地を吹き飛ばしたり。そんなド派手な光景を想像していただけに、これは、かなり拍子抜けである。
 とはいえ別に、彼らが手を抜いているわけではない。力の無駄が、驚くほど少ないのだ。
 それに加えて、彼らは意識的に力の余波を抑えている、というのもあるだろう。
 こいつらが何も気にせず力の余波を出しまくったら、おそらく周囲の地形が変わる。しかし、ジュリオは私を利用する魂胆があるから、私たちを巻き込みたくないし、竜神官と竜将軍のコンビも『竜の協定』とやらで、竜族を巻き込んで敵に回すのは避けたいはず。

 ヴン!
 
 ラルターク=アルトーワの頭上に、黒いモヤが現れ、すぐに消える。ラーシャート=カルロの手にした剣が、一瞬ブレて見え、ラルターク=アルトーワが小さな呻きを漏らす。
 どうやら彼らは、見た目にもわかりやすい戦いを展開する一方で、精神世界を利用した戦いも同時進行しているようである。その様子がチラリホラリと垣間見えているのだが、いったい何がどうなっているのか、私にはサッパリわからない。
 それに何より、私としても、彼ら魔族の戦いを悠長に眺めてばかりはいられなかった。
 赤(レッド)と灰色(グレイ)、例の二色の球が、ゆっくりとではあるが、こちらに向かって来ているのだ。

「みんな気をつけて! 見た目は愉快だけど、それなりに手ごわいはずよ!」

 私の言葉に頷きながら、皆それぞれ、呪文を唱え始める。
 私の使い魔サイトは剣を構え、キュルケの使い魔フレイムも、主人の近くへジリジリと歩み寄りながら、身構えている。
 シルフィードは変化を解き竜の姿に戻り、いつのまにかタバサをその背に乗せていた。どうやらタバサは、空中から球体魔族を迎え撃つつもりらしい。

「デル・ウィンデ」

 空で放たれた『エア・カッター』が、魔族目がけて飛ぶ。
 風の刃なので普通ならば不過視であるが、水蒸気の霞むこの戦場では、その軌道も見えてしまう。
 灰色(グレイ)の方がフワリと動き、自分からタバサの魔法にぶつかってゆく。

 シュッ!

 風の刃が、その体にまともに吸い込まれ……。
 全く同時に、赤(レッド)の方から風が吹き出してきた!
 
「ええっ!?」

 ちょうどキュルケがレッドの正面にいたため、鋭利な風は彼女へと向かう。
 しかし彼女も魔法を放つタイミングだったため、得意の炎で迎撃。事なきを得た。

「もしかして……これって……」

 疑問に思う私の傍らで、今度は姫さまが魔法を撃つ。
 魔力のこもった水の塊が、レッドに向かって突き進む。

 ひゅんっ!

 風を唸らせ、グレイが動いた。
 それは明らかにレッドをかばい、水の塊をまともに受けて……。

 バシャッ!

 同時にレッドの全身から、こちらに向かって放水が!

「やっぱり!」

 慌てて跳び退く私。
 ……間違いない。この二体、どうやらグレイの方で攻撃を受け止め、レッドがそれを増幅し、撃ち返すようになっているらしい。

「みんな! 狙うなら赤い奴よ!」

「おうっ!」

 応えてサイトが、愛剣デルフリンガーを手に携え、レッドに向かって突っ込んでゆく。
 その彼の行く手を阻み、フワリと前に出るグレイ。しかしサイトは脇をすり抜け、レッドに肉薄する!
 慌てて逃げにかかるレッド。跳ね上がるように真上に昇り、剣の間合いの届かぬ位置で、再びピタリと静止した。
 しかし……甘い! レッドを狙っていたのは、サイトだけではなかったのだ!
 レッドよりさらに高いところから飛来する、無数の氷。タバサの『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』だ。避けられる数でもタイミングでもなかったが……。

「!?」

 レッドの色が一瞬にしてスウッと薄まり、かわりにグレイの方に朱の色がさす。
 ……入れ替わった!?
 グレイと化した球体に吸い込まれた氷の矢は、レッドと化した球体——さっきまでグレイだった方——から飛び出てくる。……つまり、サイトの背後から!

「相棒!」

「いっ!?」

 手にした剣に注意を促され、慌てて振り向きながら、サイトは剣を突き出す。
 ……間に合った。
 魔力の氷は、すべてサイトの剣の中へ。デルフリンガーの魔法吸収能力である。

「……助かったぜ」

「いいってことよ」

 剣に礼を述べつつ、サイトは、いそいで敵との距離を取った。
 しかし……たかだかボールのくせに、なかなか器用な奴らである。色を変えて、性質までも変えるとは……。
 あるいは……ひょっとしてこいつら……。
 無理矢理ラルターク=アルトーワが具現化した二匹だとばかり思っていたが、実は、このペアで一匹なのではないだろうか? 別個の二つの存在にしては、あまりに連係が良過ぎる。
 案外、まだ本体は精神世界に置きっぱなしなのかも。攻撃と防御を司る端末部分だけをこちらの世界に送り込み、私たちに攻撃をしかけているのではなかろうか?

「どうやらこいつら、二匹を同時に攻撃するしかないようね……」

 グレイとレッドは再び互いに近づき合い、サイトは無視して、私の方へとやってくる。
 別に私が攻略法を口にしたから、というわけではあるまい。あくまでも本来の目標は私、ということらしい。

「同時攻撃なら……あたしに任せて!」

 叫んだキュルケの隣で、フレイムも一声吠える。
 なるほど、攻撃のタイミングが重要であるなら、メイジと使い魔の阿吽の呼吸が一番、ということか。
 私が頷く間にも、キュルケは呪文を唱え始める。この呪文は……『炎の蛇』だ!
 フレイムも口に炎を溜め、そしてキュルケは杖を振りかぶり……。

 ごがぉぅんっ!

 レッドとグレイ、二つの球体が、大爆発をまき起こした!

########################

「……う……」

 小さなうめき声を上げ、私はその場に身を起こした。
 とたん、ズキンと体のあちこちが傷む。
 たいしたケガではないようだが……。
 どうやら一瞬、気を失っていたらしい。
 まだ少し頭がボンヤリしている。耳の方も爆音でやられたか、周りの音が聞き取りにくい。
 ……そうか……あのボールがいきなり爆発して……。

「……みんなは……!?」

 慌てて視線をめぐらせば、私以外の仲間は無事なようだ。
 一番近い私だけが、この有様。まあ『近い』といっても、それなりの距離があったため、たいしたダメージは受けていないが。

「ルイズ!」

「大丈夫ですか!?」

 サイトと姫さまが、私の方に駆け寄ってくる。
 キュルケに至っては、杖を振り上げたポーズで立ちすくんでいた。

「……あたし……まだ魔法を放ってないんだけど……」

 フレイムも同じだったと見えて、口に溜めていた炎をゴクンと飲み込む。ただ量が多すぎたせいか、少しの炎がゲップのように口から飛び出した。

「……では、自爆したということでしょうか?」

 私を『水』魔法で治療しながら、姫さまが言えば、

「そのようだな」

 横で見守るだけのサイトも同意する。
 ……そうかなあ?
 私が疑問を口にしようとした時。

「……違う。たぶんやったのはジュリオ」

 頭の上から降ってきたのは、タバサの声。
 まだ彼女は、シルフィードと共に空にいるのだ。

「そうね。私もタバサと同意見だわ」

 言いながら、私はジュリオに視線を向けた。
 ……おそらくジュリオは、竜神官・竜将軍コンビと戦いながらも、スキを見て、こちらに加勢してくれたのだ。攻撃の火線は見えなかったので、精神世界を通して、力だけを直接ボールに叩きつけたか、あるいは、それこそ精神世界にいた本体の方をやっつけてくれたのかもしれない。

「……ということは、この魔族は、倒されたとたんに爆発する仕組みだったと……?」

「きたねぇことしやがるっ! あのラルタークって奴、最初からそれが狙いだったんだな!?」

 姫さまもサイトも理解したらしい。クラゲ頭のサイトだって、戦闘においては、それなりに頭が働くのだ。

「そうよ……。私を爆発に巻き込んで始末するつもりだったのよ……」

 ただ、ラルターク=アルトーワにとっての誤算は、爆発力がそれほど強くなかったこと。
 いずれにしても、この借りはキッチリ返す! ……ジュリオにも、援護のお返ししなきゃいけないし。

「サイト! アレやるわよ!」

 回復した私は、サイトの手にしたデルフリンガーを指さしながら、呪文を唱え始めた。

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……」

 狙いはラルターク=アルトーワ。
 これではジュリオたちの思惑どおりな気もするが、この状況では仕方がない。
 奴らの魂胆はともかく、ラルターク=アルトーワは倒しておくべき相手……。それだけは、確実なのだから。

「……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……」

 私から見てジュリオの右手にいたラルターク=アルトーワが、私の呪文詠唱に気がついた。
 これが『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』だということくらい、彼にもわかっているはず。この世界の魔王、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの力を借りた攻撃魔術である。だが人間という器を通して発動するものである以上、おそらくラルターク=アルトーワほどの大物魔族に対しては、決定打とはならないだろう。
 しかし……である。
 サイトのデルフリンガーに『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』をかけ、その力を赤い光の刃として収束させた時、その破壊力は絶大なものとなる。
 ラルターク=アルトーワがそこまで察したのかどうか、私にはわからない。そもそも、彼がカンヅェル=マザリーニの最期を詳しく知っているのかどうか、それも不明である。
 ともかく、放っておけぬと判断したようで、ラルターク=アルトーワは、小さな魔力光を一発、私に向かって放った!

「……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……」

 かまわず詠唱を続ける私。
 炎と氷と水の三重の魔法防御壁が現れ、迫り来る魔力光を無効化する。
 使い魔のサイトだけではない。今は、仲間のみんなが、私の呪文詠唱の時間を稼いでくれているのだ!

「何!?」

 自分の攻撃の不発に、動揺の色を浮かべるラルターク=アルトーワ。
 そして、その瞬間。

「……等しく滅びを与えんことを!」

 私の魔法が完成した!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 叫んで振り下ろした杖に応じて、サイトの魔剣が、赤い光の刃を生み出す。
 左手のルーンを輝かせながら、サイトはラルターク=アルトーワ目がけて地を蹴った。
 ラルターク=アルトーワは、いまだ動揺の色を浮かべたまま、やおら、その『気』をふくらませる。

 ブァッ!

 吹き付けてくる圧力は、サイトだけではなく、後ろの私たちのところにまで届いた。
 むろん『気』といっても、これは瘴気に近いエネルギー。こんなモノを延々浴び続けながら前進するなど、普通の人間には難しいが……。

「相棒! 心を震わせろ! おめえさんは、こんなものには負けねえ!」

「おう!」

 左手の輝きをさらに強めて、サイトは突き進む!
 彼はガンダールヴなのだ!

「ちぃっ!」

 ラルターク=アルトーワは舌打ち一つして……。

 ドンッ!

 身をかわそうとした、その瞬間。
 虚空から突き出した一本の黒い錐が、竜神官の腹を刺し貫いた!
 ……ジュリオの攻撃だ!

「ぐがぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁっ!」

 ラルターク=アルトーワの絶叫がこだました。
 そして……。

 ゾブッ!

 悲鳴を上げる竜神官の胸ぐらを、サイトの魔剣が刺し貫く!
 さらに身をのけぞらせるラルターク=アルトーワの頭を、突如出現した二本目の錐がまともにぶち砕く!
 それが……。
 ラルターク=アルトーワの最期だった。
 ……剣を引き抜き、サイトがバッと跳び退くと同時に。

 ぱしゃあっ!

 まるで、叩きつけられた果物が砕けるかのように、ラルターク=アルトーワの姿は四散した。
 あとにはただ、蒼黒い液体が、ドロリとわだかまっているばかり。
 そして、その液体もまた、風に溶けたか地に吸われたか、みるみるうちに消えてゆく。
 あとに残るは、ジュリオとラーシャート=カルロ。
 どちらもハンサムな好青年の顔をしているが、一方はいつもと変わらぬ笑顔を浮かべ、もう一方は、茫然と立ちすくんでいた。

「……ラ……ラルターク殿……!?」

 震える声でつぶやいて、竜将軍は、ゆっくりと視線を獣神官に移す。

「……さて……」

 ジュリオが何やら、口を開いたそのとたん。

「ひぃぃぃっ!」

 情けない悲鳴だけを残して、ラーシャート=カルロの姿がかき消えた。

「……」

 一同、しばしの沈黙。

「……あ……あっさり逃げちゃったなあ……」

 やがて、他人事のようにジュリオがつぶやいた。
 ……『逃げちゃった』って……あんたがそんな態度でどうする!?
 そう私がツッコミを入れようとしたタイミングで。

「きゅいっ!?」

 ひときわ大きな声で叫んだのは、韻竜のシルフィード。
 すでに地面に降りてはいるが、まだ背中にタバサを乗せたまま。そして、シルフィードの視線の先は……。

「ゲートが消えちゃったのね!」

 崖の一部が、ぽっかりと大きく抉りとられている。
 ……あ。

「『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』への道が……閉ざされた!?」

「そうなのね! 大変なのね! きゅいきゅい!」

 私は、岩壁の大きく抉られたところ——『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』に通じるゲートのあった場所——へと行き、ためしに右手を突き出してみる。
 伸ばした手の先には、ごくごく平凡な、硬い岩の感触があるばかり。先ほどのように通り抜けられる……なんてことはない。
 おそらく、あの空間の中からラルターク=アルトーワが爆発を起こしたせいなのだろうが……。

「……これって……『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』まで消えちゃったわけ?」

 後ろから覗き込みながら、キュルケが、誰ともなしに問いかける。
 私は、首を横に振ってみせた。

「違うと思うわ。……あそこへ通じる道も、一つじゃなかったし」

 入り口は他にもあるのだ。でなければ、ラルターク=アルトーワがあの空間内まで追って来られたことが説明つかない。

「……そうでしょ? あの程度のエネルギーでは、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』までは消し去れない……のよね?」

 私は振り返り、ジュリオに確認をとる。
 答えてくれないかとも思ったが、おとなしくジュリオは頷いてくれた。

「なあ……それよりさ……」

 今度は、サイトが何やら言い始めた。

「……敵も追い返したんだし、大事な場所への入り口も壊れたっていうなら、こんなところに長居は無用だろ。早く麓に降りようぜ」

 あ。
 言われて気づく私たち。
 戦闘に集中していて忘れていたが……。
 ここは火竜山脈。あっついあっつい火竜山脈。
 みんな汗がダラダラ。それより何より、シャツも濡れて肌に張りつき、それぞれ体のスタイルが丸わかりな状態。

「まあ! なんてことでしょう……」

 姫さまが顔を赤らめるのと同時に。
 私は、ニヤけたサイトの頭をブッ叩いていた。

########################

「ねえ、ジュリオ……」

 山の麓の涼しい場所まで移動して、ひと休み。
 汗で濡れた服も乾かし、さあ、また動き出そうかというところで、私はジュリオに話しかけた。

「あんた、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』へ続くほかの場所……知ってるのよね?」

 あくまでも『始祖の祈祷書』にこだわる私。
 クレアバイブルは『始祖の祈祷書』だけではなく、実際、以前に私は『始祖のオルゴール』から虚無魔法を教わったことがある。
 しかし、だからこそ、私にはピンと来ていた。
 クレアバイブルの中でも『始祖の祈祷書』だけは特別なのだ……と。『始祖の祈祷書』だけが、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』クラスの知識を伝授し得るのだ……と。
 そんな私の内心を知ってか知らずか、ジュリオは平然と、

「一応いくつか知っているけど、君を連れてくわけにはいかないよ。……簡単に行ける場所ではないし、教えることもできないね」

「どうして?」

「……どうして……って……。僕の仕事は、ここから君を『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』まで行かせること。ここのゲートが消えたからといって、勝手に別のところへ案内したら、それこそ僕が怒られてしまうよ」

 肩をすくめるジュリオ。
 まあ、だいたい予想できた答えではあるが……。

「……僕は使い魔だからね。主人の命令には、絶対服従なのさ」

 そう言って、サイトやシルフィードやフレイムに目を向ける。
 ……いやフレイムはともかく、サイトやシルフィード、特にシルフィードなんて『絶対服従』ではないぞ。
 私たちの視線に無言のツッコミを感じたのか、ジュリオは、さらに。

「……特に僕は元々、しがない魔族だからね。上の命令には絶対服従というように作られてるのさ。今回ラルタークさんやラーシャートさんが敵に回ったのだって、彼らの創造主である魔竜王(カオスドラゴン)ガーヴの命令があったればこそ」

「……けど、魔族が上の命令に絶対服従なら、なんでガーヴは『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥに逆らえるのよ?」

「うーん……そこには、まぁ色々と事情があってね……」

 これに関しては話してもかまわないと判断したようで、ジュリオは、ゆっくりと語り始めた。

「そもそもは……千年前の降魔戦争だな。あの時、赤眼の魔王(ルビーアイ)と魔竜王(カオスドラゴン)のおふたかたが水竜王と直接対決したんだけど、その際に魔竜王(カオスドラゴン)は倒されてしまってね」

「水竜王……?」

 聞き慣れない単語に、思わず聞き返す私。

「ああ、そうか。人間たちの間では、エルフが頑張ったことになってるんだね。……うん、エルフも戦ったけど、エルフごときが、赤眼の魔王(ルビーアイ)様を封印できるわけないだろう?」

 ニヤリと笑うジュリオ。
 ……これは驚いた。では……伝承は間違っていた!?

「水竜王……たしかエルフたちは『海母』と呼んでいたかな? その、一匹の老獪な水韻竜が、降魔戦争における最大の強敵だったよ。……今じゃおとなしくしているらしいが、千年前は結構すごい奴でねえ……」

「……水韻竜……!?」

 何人かが、視線をシルフィードに向ける。
 シルフィードは、小さく手を振りながら、

「知らないのね。初耳なのね。たぶん、そのひとが住んでた『竜の巣』と、私が住んでた『竜の巣』は、別物なのね」

 ……こいつ……本気で役に立たねぇ……。

「……そんなに彼女を責めてはいけないよ。まだ彼女は幼生なのだから。……ともかく話を戻すと、『倒された』といっても、魔竜王(カオスドラゴン)は、別に滅んだわけではなかった。一時的に力を封じられ、この世界に干渉できなくなるだけ。普通なら、ほうっておけば、いずれ復活するはずだった」

「……復活しちゃうわけ? あんたたち魔族って……?」

 今まで苦労して魔族を倒してきた私たちにしてみれば、とんでもない話である。

「それは当人の力や、倒されかた次第だね。……『滅ぼされた』ものは、能力や意志や記憶や魂をバラバラに細分化されているから、もとの形で復活することは絶対にあり得ない。一方、『倒された』ものは、この世界に具現する力を失っているが、悠久の時の中で力を取り戻せば、いずれ再び、こちらの世界に具現することも出来る」

 ……ということは。
 カンヅェルやらグドゥザやらデュグルドやら、今まで私たちが相手してきた連中は『滅ぼされた』みたいだから、復活できまい。
 ヴィゼアや名もなき魔族たちは、そもそも『当人の力』が足りないから、復活なんて論外か……。

「……ところが、水竜王が魔竜王(カオスドラゴン)に、おかしな封印をかけてしまってねえ。同じ『竜(ドラゴン)』という属性を利用した術だと思うんだが、魔竜王(カオスドラゴン)を人の身として転生させたんだ。人の身として転生を繰り返すことで、徐々に消滅させようとしたんだね」

 あれ?
 どっかで聞いたような話……。

「ちょっと待って。それって……始祖ブリミルが魔王をその身に封じたようなもの?」

「ああ、うん。ちょっと似てるかな。……おそらく、それも利用した術だったんだろう。赤眼の魔王(ルビーアイ)様と同じく、ブリミルの血族に転生していくようだから」

「……え? じゃあ魔竜王(カオスドラゴン)も虚無のメイジ……? あんたの主人の冥王(ヘルマスター)みたいに……?」

 しかしジュリオは苦笑しつつ、

「いやいや。虚無のメイジとは限らないよ。……それに冥王(ヘルマスター)様のケースとは全く違う。冥王(ヘルマスター)様は、僕の知る限り、今まで『倒された』ことなどない。だから我が主人も、本来は『冥王(ヘルマスター)』ではなく『赤眼の魔王(ルビーアイ)』として覚醒なさるはずだったのに……」

 言葉が尻すぼみになる。
 あまり自分や自分の主人については語りたくないのか、彼は、話題を魔竜王(カオスドラゴン)の一件に戻した。

「まあ水竜王の術は不完全だったらしく、転生を繰り返すうちに、魔竜王(カオスドラゴン)としての記憶と能力を取り戻してきたんだ。受け継いだ人間が『魔竜王(カオスドラゴン)』として覚醒するたびに、より完全な『魔竜王(カオスドラゴン)』となる……。僕たちはそう期待していたんだけど……」

 ここで、ジュリオは顔をしかめた。

「……何度も何度も転生するうちに、復活した『魔竜王(カオスドラゴン)』の魂が、一部、人間と同化しちゃったみたいでね。基本的には魔族としての特性の方が強いんだが、変なふうに混ざり込んだ人間の特性のせいで、アッサリ赤眼の魔王(ルビーアイ)様から離反しちゃったんだ」

 ようやく話が見えてきた。
 つまり現在の魔竜王(カオスドラゴン)には、滅びを望む魔族の性質だけでなく、生存を望む人間の性質もあるわけだ。
 私は、確認の意味で口に出してみる。

「……裏切った自分が生き延びるために……『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥ率いる魔族たちと対決する……」

「そういうことだ。今現在この世界に具現なされている赤眼の魔王(ルビーアイ)様は、いわゆる『聖地』の『東の魔王』様、ただ御一人のみ。しかも水竜王に半ば封印され、完全に力が振るえない状態だから、『聖戦』と称して人間たちや竜と共に攻め込めば、なんとかなると思っていたようだが……」

「計画はアッサリ潰された……」

 声は、私たちの後ろから聞こえてきた。
 慌てて振り向けば、右手に抜き身の剣をぶら下げ、佇む竜の鎧の騎士。
 ……また来たか……。

「……ほう。お戻りになりましたか。ラーシャートさん」

「ラルターク殿の倒れた今、私だけでは貴様には勝てんが……。少なくとも、その娘だけでも始末しておかんとな」

 淡々とした口調のジュリオに、憎悪のまなざしを向ける竜将軍。

「なるほど。お気持ちはわかりますが、残念ながら……」

「ジュリオ!」

 彼の言葉を遮って、やおら響いたのはタバサの声。
 同時に、何かの気配が生まれた。

「……くっ!?」

 珍しく焦りの色を滲ませて、慌てて身をひるがえすジュリオ。
 瞬間、虚空に生まれた蒼い閃光が宙を裂く!

 ゾムッ!

 その一撃をかわし切れず、ジュリオの右の腕が、肩の辺りからバッサリ斬り落とされる!

「……何が……!?」

 私が事態を理解するより早く、続く横薙ぎの一撃が、ジュリオの腹を切り裂いた!
 ジュリオは大きく身を退くが、そのままガックリその場に膝をつく。致命傷ではなかったようだが、かなりのダメージを食らったらしい。
 斬り飛ばされた右腕は、大地に落ちるのと同時に、黒い霞みと化し、そして消えた。

「ジュリオ!?」

 慌てて思わず、彼のそばへと駆け寄る私たち。
 今の一撃は……ジュリオの黒い錐と同じく、虚空から来たように見えたのだが……。

「精神世界面からの攻撃は、あんたの得意技だったわね。獣神官さん」

 意地悪そうな女性の声に振り向けば、佇む一人の少女。
 年齢は私たちと同じくらいか。目は細く、その瞳と同様に、髪は青みがかっている。肩まで伸ばされた青髪は丁寧にすかれ、絹の糸のように柔らかく、サヤサヤと風にそよいでいた。
 なぜか大きな豪華な冠をかぶっており、それに引っ張られる形で、前髪が少し持ち上げられ、滑らかな額が覗いている。これはこれでチャーミングなオデコかもしれないが、むしろ男を惹き付けるのは、その唇であろう。ぽってりと艶かしいツヤを放ち、紅で真っ赤に彩られた唇……。
 その妖艶な唇を、少女は舌でぬぐった。この下品で粗野な仕草が、顔立ちの持つ高貴さと品の良さを、一瞬で台無しにしてしまう。

「……おひさしぶりですね……」

 地面にうずくまったまま、ジュリオは呻くように言った。

「……魔竜王(カオスドラゴン)ガーヴ……」

########################

 ……そうか……。
 私は悟った。
 ラーシャート=カルロがアッサリ姿を消して、またノコノコ現れたのは、こいつを呼んでくるためだったのだ。
 しかし……この髪の色は……まさか……。

「……イザベラ……?」

 私の想像を裏付けるかのように、タバサがポツリとつぶやいた。
 キュルケが彼女に問いかける。

「知ってる人なの?」

「……ジョゼフ王の娘……ガリア王国の王女イザベラ……」

「今度は……ガリア王女の名と姿を騙る魔族ですか!?」

 姫さまが声を荒げた。
 しかし、タバサは首を振る。

「……違う。騙っているわけではない」

「……ということは……!」

 タバサの一言で、姫さまも理解したらしい。
 先ほどのジュリオの説明もあったのだから、話は簡単。
 現代で『魔竜王(カオスドラゴン)』として覚醒したのは、ガリアのイザベラだったのだ!
 ……魔竜王(カオスドラゴン)の一派は、トリステイン、アルビオン、ロマリアに魔族を送り込み、それぞれの国を操ろうと企んでいた。歴史ある四大国家の中でガリアだけが無視されるはずもなく、ガリアにも魔の手が伸びているであろうと薄々想像していたのだが……。
 まさか、王女が『魔竜王(カオスドラゴン)』そのものだったとは!
 ……それにしても、ある意味「あの親にして、この子あり」なのかもしれない。父はジョゼフ=シャブラニグドゥとなり、娘はイザベラ=ガーヴとなったのだから……。

「ひさしぶりね、人形娘。あんた、多少魔法が使えるからって、調子にのってたみたいだけど……」

 タバサに向かって挨拶するイザベラ=ガーヴ。
 彼女がサッと手を振ると、タバサの頭の上に小さな蒼い雲が現れ、泥混じりの降雨がピンポイントでタバサを襲った。

「……今じゃ私の方が魔力も上よ? おほ! おほ! おっほっほっほ!」

 ……そういうことか。
 タバサとイザベラは、血をわけた従姉妹。だが、ジョゼフの娘が優秀だったという噂は聞かない。つまり、タバサとは違って、イザベラには魔法の才能がなかったのだ。
 さりとて、無能王ほど酷ければ話題になったかもしれないが、それほどでもない。まったくのゼロならば、いずれ虚無に目覚めたかもしれないが、そういうわけでもない。中途半端に、魔法が苦手なメイジ……。
 きっとタバサの魔法の才能に嫉妬していたに違いない。それがイザベラ=ガーヴとなった今……。

「……まあ、いいわ。あんたとは、あとでゆっくり遊んであげる。それより今は……」

 イザベラ=ガーヴは、うずくまるジュリオに視線を向けた。
 ジュリオは純粋な魔族なので、当然、血などは一滴も流れていない。ただ斬られた傷が、真っ白い断面を見せているだけ。

「……さすがは獣神官ね。この私の攻撃を二発もくらって、まだ生きてるなんて。……ラーシャートやラルタークなら、今のでアッサリ滅びてるわよ」

 ラーシャート=カルロが不満げな顔をするが、それを見ても彼女はニヤリと笑うだけ。
 ……間違いない。さっきのタバサへの態度から考えても、こいつ、部下や召使いを虐めて喜ぶタイプだ。

「とはいえ、その傷、ちょっとやそっとじゃ回復しないわよ。時間をかければ、力の回復も出来るだろうけど……」

「わかってますよ。……これだけ力を失えば、ラーシャートさんと戦ってさえ、勝てるかどうか……」

「『さえ』とは何だ!?」

 今度は不満を言葉に出すラーシャート=カルロ。
 しかしイザベラ=ガーヴは、これを無視して、

「まったく……本当に色々とやってくれたわね……」

 ジュリオを見据えたまま、ネチネチと愚痴を口にする。

「わけのわからん企みだけならまだしも、ラルタークは倒してくれたし。せっかく苦労して、こそこそ動いて根回ししてたのも、あっさり台無しにしてくれたし。……ロマリアなんて『聖戦』発動のキーになるだけに、特に痛かったわよ」

「何言ってんのよっ!」

 思わず私は声を上げ、ビシッとラーシャート=カルロを指さして、

「そこの竜将軍がっ! 私を始末しようとして、勝手にメチャクチャやらかしたんでしょうがっ!」

 私の言葉に、イザベラ=ガーヴは眉をひそめてこちらを向く。

「何を言ってるの? お前も人形娘の仲間だけあって、頭ん中には脳ミソじゃなくてオガクズでも詰まってんのかしら……?」

「ガーヴ様の言うとおりだ。……お前、気づいておらんようだな」

 ラーシャート=カルロが言う。

「宗教都市ロマリアを火の海にしたのは、そこの獣神官だということに」

 ……え?
 私は一瞬、言葉を失い、視線をジュリオの方に移す。
 しかし彼は、無言のままで、その場にうずくまっているだけ。
 ……いつもと変わらぬ笑みを浮かべて。

「……で……でも……」

「はっきり言ってやろうか。小娘」

 ラーシャート=カルロは、私に向かって言い放つ。

「私の役目は、ロマリア皇国の戦力を手に入れることと、『聖戦』を発動させること。本当なら聖堂騎士隊隊長なんかじゃなく教皇に化けるつもりだったが、あいにく教皇の所在は不明だったからな……」

 教皇聖下行方不明の噂は、本当だったらしい。
 いないならいないで、それこそ、すり替われば良かったのに……。まあ、あとで本物が突然現れたら困ると思ったのかな?
 その辺、魔族の考え方は私には判らない。だいたい、ラルターク=アルトーワは「人間のフリをするのは難しい」と考えていたようだが、今の発言から判断するに、ラーシャート=カルロは「そんなの余裕」と思っていたようだし……。

「……お前の抹殺は、アルビオンの作戦に失敗したラルターク殿の役目だったんだよ。もちろん、お前がロマリアに来た時、ついでに殺してやろうとは思ったが……。それは、お前が仕事を終えた後だ。お前も、それなりに利用できそうだったからな」

 なるほど。
 大聖堂での依頼は、嘘ではなかったわけか。

「ところが、姿と声を変えた獣神官が、お前の命を狙うフリをして、ロマリアをズタズタにしやがった。……考えてもみろ。貴様が冥王(ヘルマスター)の計画の一部だということはわかっておるが、正体さえわからん計画を潰すために、自分たちの計画をワザワザ潰す馬鹿がどこにいる?」

 ……いや……あんたも結構バカだと思うんだけど……それは言わぬが華でしょうね。
 だいたい、私だって、人のこと言えるほど利口じゃなかった。
 完全に、ジュリオの手のひらの上で踊らされていたのだ。
 魔竜王(カオスドラゴン)たちの戦力を潰し、なおかつ、それがラーシャート=カルロの仕業だと私に誤解させ、魔竜王(カオスドラゴン)たちへの怒りを煽り立てる……。
 それが一連のジュリオの行動だ。
 踊ってやってるつもりが、むこうが一枚上手だった……。

「……とまぁ、人形娘の仲間たちでも話が理解できたところで……」

 傲慢さが強く浮き出た声で、イザベラ=ガーヴが話をまとめる。
 彼女は、自身の杖をジュリオに突きつけて、

「そろそろ白状してくれない? お前の主人が、一体何を企んでいるのか」

「残念ですが……僕は冥王(ヘルマスター)様から、計画の目的は聞かされてないんです」

 前にも聞いたような答えを返す彼。
 しかしイザベラ=ガーヴは平然と、

「そう? でもお前、どうせまだ、ちょくちょく獣王(グレーター・ビースト)のところにも顔を出してるんでしょ? ……あんたの大好きな獣王(グレーター・ビースト)と二人であれこれ話し合えば、冥王(ヘルマスター)の計画ぐらい、推測できてるんじゃなくて?」

 そうなのだ。
 ジュリオは『知らない』とは言っていない。おそらく、こいつは……。

「……獣王(グレーター・ビースト)様を貶すような発言は困りますね……」

 苦笑を浮かべて言うジュリオ。
 ……あれ? 今のイザベラ=ガーヴの言葉って……そうだっけ?

「たしかに……お察しのとおり、今回の計画の詳細は把握しています。今回の計画の目的は……」

「目的は?」

 おうむ返しに問うイザベラ=ガーヴに、ジュリオは蕩けるような笑みを返し、

「……秘密ですよ。王女さま」

 言ったそのとたん。
 スッとジュリオの姿がかき消えた。

「逃げるかっ!?」

「追いなさい。ラーシャート」

 動揺の声を上げた竜将軍に、冷たく言い放つイザベラ=ガーヴ。

「すぐに私も加勢に行ってあげる。……もっとも、今の獣神官なら、お前だけでも倒せるでしょうけどね」

「はっ!」

 応えて消えるラーシャート=カルロ。

「……さて、と……」

 つぶやいて、イザベラ=ガーヴはゆっくり、こちらに向き直る。
 ジワリと一歩、私は後ずさる。

「冥王(ヘルマスター)の企みが何なのか、結局わからなかったけど……。ともあれ、お前には死んでもらうわ」

 やっぱり、私か。
 タバサじゃないの? ……なんて言ってみたい気もしたが、止めておく。友だちを売るような真似はしたくないし、それに、どうせ私の後でタバサも殺すつもりだ。

「冥王(ヘルマスター)の計画を潰す意味もあるし……何より、今までさんざん、お前たちは私たちの計画を引っかき回してくれたみたいなんでね」

「そうは……させねぇ」

 言葉を返したのは、サイトだった。
 左手のルーンを光らせて、ゆっくりとした足取りで、私とイザベラ=ガーヴとの間に立つ。

「あら……『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』じゃない。面白いもの持ってるわね」

 デルフリンガーに目をやって、パッと顔を明るくするイザベラ=ガーヴ。
 まるで、オモチャでも見つけた子供のような口調である。

「おい! 俺っちを変な名前で呼ぶんじゃねぇ!」

「なあに? 剣のくせに、私に口答えする気? ……もしかして、あんた自分のこと、ブリミルに作られたって思ってんのかもしれないけど……。ただの人間が、あんたみたいなインテリジェンスソード作れるわけないじゃない! おっほっほっほ!」

 イザベラ=ガーヴが高々と笑う。
 始祖ブリミルも『ただの人間』ではないと思うのだが……。
 それより何より。
 今の口ぶりだと……こいつはデルフ誕生の秘密を知っている!?

「あら、知りたいの?」

 私の瞳に浮かぶ好奇の色に、彼女は気づいたらしい。

「……ふふふ。じゃあ……もしも私に勝ったら、教えてあげるわ!」

 言って杖を構えるイザベラ=ガーヴ。

「人形娘も含めて……お仲間のみんなも、ついでにかかってらっしゃい!」

「なら、行くわよ!」

 私の叫びが、戦闘開始の合図。
 長々とイザベラ=ガーヴが語っていた間に、姫さまもタバサもキュルケも、すでに呪文は唱え終わっている!
 三人が同時に杖を振り下ろした。
 水と氷と炎の魔法が、一緒になってイザベラ=ガーヴに襲いかかる。
 青白赤の三色の混じり合った火柱が、一瞬、イザベラ=ガーヴの体をのみこみ……。

 ぴぎぃぃぃぃんっ!

 鋭く済んだ音を立て、その火柱が砕け散る!

「なっ……!?」

「……この程度の術なら、まともに受けたところで、子猫に舐められたみたいなもんだけど……。それでも、ちょっと気持ち悪いからね。一応、防がせてもらったわ」

 唇の端を吊り上げつつ、イザベラ=ガーヴが言う。
 ……なんだ、その表現は。『子猫に噛まれる』にも達していないのか。

「そっちの男が持つ『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』とて、人間が使っている限り、たいしたことないわよ。……人間の分際で今の私を倒したいなら、話に聞く『烈風の騎士(スィーフィード・ナイト)』でも連れてくることね」

 ……おや……?

「……『烈風の騎士(スィーフィード・ナイト)』なら、結婚して引退したわ……。もう今じゃ普通のオバサンよ……」

 私の言葉を、ただのたわごとと思ったか、全く無視。
 ま、いいけど……。
 何はともあれ、こうなれば、やっぱり!

「サイト! いくわよっ!」

「おうっ!」

 私のやりたいことを察して、デルフリンガーを構えるサイト。
 そして私は、呪文を唱え始める。

「竜破爆(ドラ・エク)? それも効かないわよ」

 小馬鹿にしたように、わずかに眉を寄せるイザベラ=ガーヴ。
 とはいえ、何か防御呪文を唱えたらしい。口笛のような音が聞こえた。
 なめてかかっているのであろう。律儀にこちらの呪文詠唱を待ってくれているが……。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 カッ!

 私が杖を振ると同時に、サイトの手にした剣の刃が赤く輝く。

「へえ!」

 驚き半分、興味半分の声を上げ、初めてイザベラ=ガーヴが身構えた。
 これを知らなかったところを見ると、竜将軍は彼女に、竜神官が倒れたときの詳細を報告していなかったようである。

「そういう手があるのね! 面白いわ! 人形娘なんかと遊ぶより、よっぽど楽しめそうね!」

 むしろ喜々とした声で言い、サイトの方に向き直る。
 彼女の手にした杖が、薄蒼く光った。『魔竜王(カオスドラゴン)』の魔力を杖に纏わせ、これでサイトと斬り合うつもりらしい。

「なら……行くわ!」

 吠えて地を蹴る魔竜王。
 ……いや、ガリアの王女なのだから、魔竜王女とでも呼ぶべきか。
 ともかく、彼女の動きは速かった。
 斬り上げるような一撃、そして、転じて放つ鋭い突き。

「おっと!?」

 サイトは剣で、それら全てを受け止める。

 ヂィッ! バヂッ!

 赤く染まった光の刃が、魔竜王女(イザベラ)の繰り出す蒼い刃を受ける度に……。力の余波が風を振るわせ、赤と青のプラズマがほとばしる。
 おそらく、その一撃ごとに力を失っているのは、サイトのデルフリンガーのほう。魔竜王女(イザベラ)の杖は、むしろ輝きを増している。
 武器の扱いに長けたガンダールヴのサイトと、元々は軟弱な王女であった魔竜王女(イザベラ)。彼女が『魔竜王(カオスドラゴン)』としての力を手に入れた今でも、ひょっとしたら、純粋な剣術の技量はサイトの方が上かもしれない。だが、デルフリンガーが『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の力を失えば、サイトの不利は目に見えている。
 となれば、とっとと決着をつけるしかないのだが……。

「わたくしたちは、見てることしか出来ないのでしょうか……」

「……下手な援護は、かえって迷惑。あれはもう……私の知ってるイザベラじゃない」

 二人の王族の少女が言うとおり。
 今、魔竜王女(イザベラ)にダメージらしいダメージを与える手段は……たぶん私しか持っていない。
 しかし……いくらなんでも、あれの正体を知った以上、さすがに使うのは抵抗がある。結局『四の四』が何か、それもわからなかったし……。
 とはいえ、このままサイトを放っておくわけにもいかない。
 ……サイトは、私の大切な使い魔なのだ!

「……おーしっ! やっちゃえやっちゃえ!」

「ルイズ!? いきなりどうしたのです!?」

「あ。……なんでもありません、姫さま。ちょっと自分にハッパかけただけですから」

 思わず声に出してしまったか。てへ。
 だが、ともかく。
 ……あっちなら、ほとんど暴走の危険もないだろう!
 意を決した私は、まず魔力増幅の呪文を唱える。
 四つの指輪——『魔血玉(デモンブラッド)』——が、四色の淡い光を放つ。
 そして。

「……悪夢の王の一片(ひとかけ)よ……世界(そら)のいましめ解き放たれし……凍れる黒き虚無(うつろ)の刃よ……」

「何ぃっ!?」

 私の呪文を耳にして、まともに驚愕の声を上げる魔竜王女(イザベラ)。
 すかさずサイトが斬り掛かるが、彼女は素早く身を退く。この一撃は、胸元を浅くかすめるに終わった。
 この呪文の最初の部分、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』から得た知識のおかげで、以前とは少し異なっている。ここから先は同じだが……。

「……我が力……我が身となりて……共に滅びの道を歩まん……神々の魂すらも打ち砕き……」

 そう。
 これこそ、おそらく完成版の……。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 ヴゥゥゥゥォォォォオオッ!

 空間そのものをまともに震わせ、虚無の刃が杖に沿って形成される。

「……くぅっ……!?」

 たまらずうめき声を上げる私。
 威力が……違う! 今までのとは格段に!
 まさか……これほどとは!?
 無論その分、私にかかる負担も大きい。
 刃を制御する、ただそれだけのために……。
 体力と精神力とが、グングン吸い取られてゆく!
 ……こっちも……長引かせるわけにはいかない……!

「はぁっ!」

 私は一気にダッシュをかけて、いまだ動揺の色を浮かべたままの魔竜王女(イザベラ)に斬り掛かった。
 その一撃を受けるべく、魔竜王女(イザベラ)は蒼い刃を構える。
 刃を振り下ろす瞬間、ユラリと視界が霞んだ。

「……くっ!」

 ここまで消耗が激しいの!?
 思った瞬間、斬激の間合いが微妙に狂った。
 一瞬、力が抜けたまま、黒い刃を振り抜いて……。

「え?」

 ……手応えはなかった。
 手応えも、そして何の音すら生まず。
 虚無の刃と化した私の杖は、魔竜王女(イザベラ)の蒼く光る杖を、その右腕ごと断ち切っていた。

「ぎゃぁぁっ!?」

 苦鳴を上げて、身を退く魔竜王女(イザベラ)。
 サイトとの斬り合いの間も被ったままだった王冠が、ついに彼女の頭から外れ、傍らにゴロリと転がった。
 一方、私の方もまた、これが限界。黒の刃を再び無へと帰し、その場にガックリと膝をつく。

「……はあっ……はあっ……はあっ……はあっ……」

 自然と息が荒くなる。
 びっしょりと、全身が汗をかいている。
 消耗は、思っていたよりもさらに大きかった。
 もはや、体力も精神力も、ほとんど残っていない。

「……サイト……お願い……」

 すがるような、弱々しい声。
 でも私の使い魔は、その意味を取り違えたりはしない!

「……おう!」

 サイトは私の呼びかけに応じて、イザベラ=ガーヴに斬りつける!
 だが、その瞬間。
 イザベラ=ガーヴが吠えた。

「ぐがぁぁぁぁっ!」

 まさにそれは『魔竜王(カオスドラゴン)』の名に相応しい咆哮。
 その『気』も膨れ上がり、衝撃波となって、私とサイトをまとめて吹き飛ばす!

「あくぅっ!?」

 数度地面を転がる私。慌てて身を起こそうとするが、もう体に力が入らない。
 目をやれば、ゆっくりとした足取りで、私に向かって来るイザベラ=ガーヴ。
 斬り落とされた右腕の傷が、少しずつ、黒い何かに蝕まれているのがわかる。
 凄まじい形相だ。もうサイトもタバサも他の者も、まったく目に入らないらしい。その憎悪の瞳に映るのは……ただ私だけ。

「殺す!」

 一声吠えた彼女の、青い髪がザワリと蠢き……。
 そして、次の瞬間。
 響き渡った絶叫は、魔竜王女イザベラ=ガーヴの上げたものだった……。





 第七部「魔竜王女の挑戦」完

(第八部「滅びし村の聖王」へつづく)

########################

 さすがにエレ姉を『スィーフィード・ナイト』にするのは無理があると思ったので、代わりに、あの人を。ルビの振り方が、やや強引だったかもしれませんが。
 さて。
 サブタイトルに『魔竜王女』とあったので、すでにお察しの方々もおられたようですが、ガーヴ役はイザベラでした。
 イザベラは「ゼロ魔」原作では、なかなか複雑なキャラだと私は思っています。「ゼロ魔」本編では、ジョゼフ生前はチラッとしか登場せず、彼の死後、アッサリ和解してタバサの忠実な側近のようなポジションに収まりましたが……。外伝「タバサの冒険」を読むと、なんとビックリ! ステレオタイプな悪役(ただしバトルストーリー的な悪役ではなくシンデレラストーリー的悪役)として描かれています。
 こういう二面性こそ深く掘り下げたら面白いのでしょうが、残念ながら、このSSは純粋な「ゼロ魔」SSではなく、あくまでも「スレイヤーズ」風「ゼロ魔」。そうそうイザベラに焦点をあてているわけにもいきません。そこで手っ取り早く二面性を説明するために、人間の中で大物魔族の魂が覚醒した、というキャラにしておきました。
 なお「スレイヤーズ」原作と同じ場面で『第七部・完』としたので、物語はストレートに第八部へと続きます(連続性が高いため、今回は番外編は挟みません。本編よりも番外編を楽しみにされている方々、ごめんなさい。その分、第八部と第九部との間に二つ番外編を投稿する予定です)。
 魔竜王ならぬ『魔竜王女』の運命やいかに……!?

(2011年8月1日 投稿)
    



[26854] 第八部「滅びし村の聖王」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/08/04 23:01
   
 ……白い手……。
 女の手……だろうか?
 白く、華奢な一本の手。
 目についたのは、それだった。

「……え……?」

 一瞬、何がどうなったのか、私にはわからなかった。
 ……私はたしかに、魔竜王女イザベラ=ガーヴの蒼い魔杖を、その右腕もろとも斬り落とした。
 しかしこちらも魔力が底を尽き、地面にへたり込んだ状態。
 その私を抹殺するべく、歩み寄ってきた彼女が……。
 いきなり絶叫を上げたのだ。
 ……そして、今。
 一本の細い腕が、イザベラ=ガーヴの腹から生えていた。

「……お……」

 青い長髪を揺らしながら、彼女は肩越しに、自分の後ろへと視線を送る。

「……お……お前……! いつ……!?」

 苦痛と怨嗟の混じる声に、ようやく私は事態を理解した。
 イザベラ=ガーヴの注意が私に集中した一瞬、誰かが後ろから、彼女の腹を貫いたのだ、と。
 それも……素手で。

「さっきからずっといましたよ。ジュリオ以外は気づいていなかったようですがね」

 イザベラ=ガーヴの後ろから、穏やかで優しい声が響く。
 口調は違うが、声そのものは、どこかで聞いたような……。

「ひさしぶりですね、ルイズ殿」

 声と同時に、イザベラ=ガーヴの後ろから、ヒョコッと小さな頭がのぞいた。

「……え……!?」

 思わず小さな呻きが、私の口からこぼれ出る。
 ……それは知っている顔だった。
 ゆるくウエイブのかかった黒い髪。見たところ、十一、二歳の、女の子と見まごうばかりの美少年。
 そう。
 以前に立ち寄った宗教都市ロマリアで、イザベラ=ガーヴ一派の計画を私とサイトにほのめかし……そして、ジュリオの攻撃のとばっちりを食らって死んだはずの、あの男の子だった。

「……あ……あんた……死んだはずじゃあ……?」

「ああ、あの死体なら……偽物です」

 彼は、あっさり言い放つ。
 偽物って……どういうことだ? あれは死体ではなかったということか、それとも、別人の死体だったということか……?

「……こ……子供……!?」

 私の後ろで、かすかに震える声で姫さまがつぶやいた。
 彼は、その姫さまにニッコリ微笑み、

「そうです。子供の姿です。……人間というものは、子供を相手にすると心を開きやすいでしょう? だから、この姿を借りることにしたのです。大聖堂に集めた子供の中に、ちょうど適当な子供がいたのでね……」

 言いながら、彼は自分の胸元に手を突っ込んだ。
 服の中から引き出してきたのは、首から下げる形の聖具。服の中に入れていたから前は気づかなかったが、彼は、こんなものをかけていたのか。
 ……って、そうじゃなくて。
 この状況で取り出した聖具が、普通の聖具のはずもない。一見、どこにでもあるようなシロモノだが……。
 彼がそれを首から外すと、顔の形と髪の色が変わっていった。どうやら高度な『フェイス・チェンジ』の魔法が付与されているらしい。
 いや、顔や髪だけではない。いつにまにか、少し背の高さまで変わったような……。うん、かなり凄い魔道具のようだ。

「……あ……あなたは……!?」

 先ほどよりも大きな声を上げる姫さま。
 イザベラ=ガーヴの後ろに立つ者は、今や、髪の長い二十歳くらいの男性となっていた。
 とんでもない美青年である。目元は優しく、鼻筋は彫刻のように整っている。形のいい小さな口には、微笑みがたたえられていた。
 妖精のような美貌が、私たちを圧倒する。今現在の非道な所業とは裏腹に、なぜか、他者を包み込むような慈愛のオーラまで放っていた。

「……知ってる人なの?」

 キュルケが姫さまに、小声で問いかける。
 しかし、姫さまが答える必要はなかった。

「私の顔を御存知でしたか。……公式にお目にかかるのは初めてでしたね、アンリエッタ殿。我がロマリアまで、遠路はるばる、ようこそいらしてくださいました」

 火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)から南に降りてきたので、たしかに私たちの立っている地は、ロマリア皇国の一部である。そして、その皇国を『我がロマリア』と称する男は……。

「はじめまして。ヴィットーリオ・セレヴァレです。ロマリアの教皇を務めさせていただいております」

「ヴィットーリオですって!? お前が!? そんな馬鹿な……!」

 喚き叫ぶイザベラ=ガーヴから、男は無造作に腕を引き抜く。
 その勢いだけで、彼女の体はボロ雑巾のように投げ捨てられた。
 が、まだ魔竜王としてのプライドも力も残っていたのか、イザベラ=ガーヴはヨロヨロと立ち上がる。
 男に憎悪の視線を向けながら……。

「があぁぁっ!」

 一声吠えると、なんと!
 右腕の切断面から、ズボッと新たな腕が生えてきた!
 腹には大きな風穴があいたままだが……。

「おやおや、竜(トカゲ)の再生能力ですかな?」

 男が揶揄の言葉を口にする。

「……竜はトカゲじゃないのね。一緒にしないで欲しいのね。きゅい」

 私の背後から聞こえてきたツッコミは、非常に小さな声。たぶん、男にもイザベラ=ガーヴにも届いていないだろう。
 イザベラ=ガーヴは再び地にうずくまり、肩で息をしていた。

「……はあっ……はあっ……はあっ……」

「ふむ。だいぶ無理をしたようですね。元々あなたは、それほど強くないというのに……。器となった少女だって、脆弱な王女だったのでしょう?」

 静かなまなざしを向ける男。しかし口調や表情とは裏腹に、その視線は、まるで「抵抗するだけ無駄だ」と告げているかのようだった。

「……いや……私……死にたくない……こんなところで……こんな形で……」

 さきほどの右腕の再生で、『魔竜王(カオスドラゴン)』としての力も、完全に使い果たしてしまったのか。
 彼女の口から漏れるのは、弱々しい言葉。
 少女イザベラの言葉であった。

「……いったん殺して、混じった人間の部分だけ追い出すつもりだったのですが……。さすがに水竜王のかけた束縛だけあって、なかなか厄介なシロモノですね。これでは、たとえ殺しても、もとの『魔竜王(カオスドラゴン)』として復活させるのは、もう無理でしょう」

「……いや……いや……やめて……殺さないで……」

 後ずさりするイザベラ。
 こんな姿を見ると、ちょっと、何とかしてやりたい気持ちも出てくるが……。
 強大な力を前にして、私たちには手が出せない。

「安心してください。殺したりはしませんよ。私は慈悲深いのです。……言ったでしょう、『たとえ殺しても、もう無理』って。無駄な殺生をするくらいなら、その代わりに……」

 男は懐から杖を取り出し、何やら呪文を唱え始めた。
 聞いたこともない呪文だが、これは……!?

 フッ。

 男が右手の杖を振ると、豆粒ほどの小さな点が出現した。
 水晶のようにキラキラ光る小さな粒が、空中に浮かんでいる。
 ……そんなふうに見えた。
 徐々にその点は大きくなり、手鏡ほどの大きさに膨らむ。

「鏡……!?」

 後ろで誰かがつぶやいた。
 確かに、鏡のようにも見える。
 だが、違う。
 映っているのは、見たこともない光景だ。
 高い塔がいくつも立ち並ぶ……異国の風景。

「おい!? これは……!」

 サイトが声を上げた。
 でも、この瞬間、まだ私は彼の言葉の意味を理解していなかった。
 私の目は、初めて見る景色に釘付け。こんなにたくさんの塔が並んでいる都市など、見たことも聞いたこともなかったのだ。
 しかも、ただの塔ではない。その太さは均一で、高さもハルケギニアの城などとは比べものにならない。
 洗練された技術をうかがわせる壁。たくさんのガラスがキラキラと光る窓。魔法では到底不可能な、芸術品のような塔だ。
 そんな建築物が、いくつも並んでいるのだ。

「では……そろそろ、おわかれです」
 
 そう言って、男は軽く手を振った。『気』が衝撃波となって、イザベラに襲いかかる。

「ぐはっ!?」

 吹き飛ばされたイザベラは、異国の景色の中に吸い込まれていき……。
 そして、水晶の球は掻き消えた。

「さて……」

 男は、にこやかな顔を私たちに向ける。

「ああなってしまっては、もう彼女は殺すにも値しませんが……だからといって、この世界に留まられても困りますからね。別の世界に行ってもらいました。……まあ、あれだけ力を削がれた彼女ならば、行った先の世界に迷惑をかけることもないでしょう」

「別の世界……?」

「そうです。……『闇を撒くもの(ダーク・スター)』の世界か、あるいは『蒼穹の王(カオティックブルー)』の世界か、はたまた『白霧(デス・フォッグ)』の世界か、それとも……」

 私の問いに答えつつ、男は、視線をサイトへ向けた。

「……彼がやって来た世界か」

「なっ!?」

 思わず私もサイトを見る。サイトは小さく頷いていた。

「……そうだ……あれは俺の世界……端っこに……俺んちが映ってた……」

 まだ茫然としており、言葉も途切れ途切れだが……。
 つまり。
 先ほど映し出された光景はサイトの世界。
 いや、映し出されただけではない。
 この世界とサイトの世界とを繋ぐ、穴が開けられたのだ!

「今あんたが使った呪文って……」

「……『世界扉(ワールド・ドア)』。虚無魔法の一つです」

 あっさりと答える男。
 ロマリア教皇と名乗った彼であるが……。
 人とは思えぬ力で、あの『魔竜王(カオスドラゴン)』を軽くあしらい、そして今、虚無魔法まで使ってみせたのだ。
 ……トリステインの虚無はこの私であり、ガリアの虚無は以前に私たちが倒し、アルビオンの虚無はウエストウッド村で平和に暮らしている。
 だから、こいつはロマリアの虚無ということであり、それは、すなわち……。

「あんたが……一連の事件の黒幕……冥王(ヘルマスター)フィブリゾなのね……」

 つぶやいて、私は奥歯を噛みしめた。

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「……あんたの計画どおり……ってわけね……これで……」

 まだその場にへたりこんだまま、私は言った。
 事態についていけないのか、はたまた本能的な恐怖からなのか、ほかのみんなも茫然としたままである。

「だいたい、そうですね」

 ヴィットーリオ=フィブリゾは、穏やかな表情を保ちながら、

「私が『ゼロ』のルイズを使って何か企んでいる……。部下の一人を犠牲にして、魔竜王の部下の一人に、そう情報を流しました。それが始まりです。……その時点では、すでに獣神官を使い魔としていましたから、あとは彼をあなたにつけて、様子を見ているだけで十分でした」

「で……あんたは、私に色々吹き込んだり、死んだと見せかけて私の怒りを煽り立てたりして……」

 今や私の怒りの対象は、魔竜王(カオスドラゴン)から、目の前のヴィットーリオ=フィブリゾへと変わっている。
 架空の子供に化けていたわけではなく、『大聖堂に集めた子供』から『適当な』のを選んで、その『姿を借り』ていた……。
 さっきこいつは、そう語ったのだ。
 つまり、あの燃える街に転がっていたのは、モデルとなった子供の死体。私と話をした子供ではないにせよ、陰謀に巻き込まれて死んだ男の子がいることは、事実なのである。

「……最後に、ノコノコ出てきた魔竜王(カオスドラゴン)を後ろからぶち倒しただけ……と。……けっこう簡単な仕事だったんじゃない?」

 今ここで戦える状態でもないので、代わりに、皮肉めいた言葉を投げつける私。
 すると思わぬ反論が。

「……一応つけ加えておきますが。『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』への空間の中で迷ったルイズ殿を、ジュリオのところへ誘導したのは私ですよ。ジュリオも良いしもべですが、あの空間の中では、さすがに手間取ったでしょうから」

「……どういう……ことなんだ……?」

 眉をひそめて問いかけたのはサイト。まだよく事情が呑み込めないらしい。
 彼を元の世界に戻す呪文が見つかったのは大ニュースだが、今は、それどころではない。
 私は、ヴィットーリオ=フィブリゾを見つめたままで、

「つまり、こいつは……裏切った魔竜王(カオスドラゴン)を始末するために、おびき出すエサとして私を利用した、ってわけよ」

「そうです。それが一つ」

「……一つ……?」

 ヴィットーリオ=フィブリゾの言葉に、おうむ返しに私は尋ねた。

「まだ何かあるっていうの?」

「おや? もうお気づきだと思ったのですが……。それとも、気づいていないフリをしているだけですかな?」

 ヴィットーリオ=フィブリゾは、私から視線をそらし、再びサイトに目を向ける。

「それにしても……こんなところに『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』があるとは……。せっかくだから、それも……」

 その時。
 一体いつのまに呪文を唱えていたのか、キュルケの杖から炎の蛇が飛び出した。
 それはヴィットーリオ=フィブリゾの全身に絡みつき……。
 だが。
 やがて炎が消えた後には、表情ひとつ変えることなく佇むヴィットーリオ=フィブリゾの姿。

「びっくりしたではありませんか。私は話の途中だったのに……。やはりゲルマニアのレディは、少々礼儀がなっていないようですね」

 笑みすら浮かべながら、キュルケの国まで貶す言葉を口にする。
 普通ならば、キュルケも怒るところだが……。

「……う……そ……」

 茫然とつぶやき、硬直する彼女。
 ……無理もないか。
 この魔法は、キュルケがトリステイン魔法学院に滞在した際、伝説の火メイジ『炎蛇』から直接教わった術のはず。そんなものをまともに食らって、余裕の笑みすら浮かべられるとは……。
 これが、高位魔族の実力……という奴か。

「さて……」

 ヴィットーリオ=フィブリゾは、再びサイトに向き直り……。

「あなたには、私と一緒に来ていただきましょうか。私の用意した舞台へ」

「……冗談じゃねえ」

 サイトはデルフリンガーを構え、拒絶の言葉を口にした。
 左手のルーンも、強く輝く。

「いや……この際、あなたの意志は関係ありません」

 ヴィットーリオ=フィブリゾは、呪文も唱えずに軽く杖を振った。
 すると。

「おい、おめえ、俺に何をした!?」

 叫ぶデルフリンガーの柄から、触手状の黒い霞みが飛び出してきた。

「なっ!?」

 私たちの声がハモッた。
 デルフリンガーからそんなものが生えてくるなど、今まで見たことも聞いたことも……いや想像したことすらない。
 持ち主のサイトとて、それは同じであろう。今や彼は、数十本の黒い触手に絡みつかれ、行動の自由を失っている。

「何だよ、これ!? どういうことだよ、デルフ!」

「俺っちに聞くなよ、相棒! 俺も知らねえよ!」

 サイトはもがいているようだが、触手は離れる気配を見せない。

「それを人間が使うこと自体、間違っているのですよ」

 諭すように、ヴィットーリオ=フィブリゾが語る。

「インテリジェンスウェポンとは『意志』を吹き込まれた武器です。しかし、その『意志』は、そもそもどこから来たものなのか……あなたがたは考えたことがありますか?」

 インテリジェンスウェポンの……由来!?
 言われてみれば。
 たしかに、無から魂を生み出すことは難しそうだ。無機物に人工的に『意志』を吹き込むということは、どこかから呼び出した魂を憑依させるということで……。
 ……まさか!?

「気づいたようですね。そうです。このハルケギニアのインテリジェンスウェポンとは……精神世界から召喚された魔族を、武器に憑依させたものなのです」

 今まで考えもしなかったが……。
 トリスタニアの王宮やウエストウッドの森などで、私たちは、この世界のものに憑依させられた低級魔族と何度も戦ってきた。インテリジェンスウェポンも、あれと同じ存在だということか。しかし、あんな低級魔族と同じとは思えないが……。

「光の剣とか、デルフリンガーとか……。勝手な呼び名をつけたようですが、その剣の本来の名前は『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』……異界の魔王『闇を撒くもの(ダーク・スター)』の五つの武器の一つです」

「嘘だぃっ! 俺様は、そんなもんじゃ……」

 デルフの反論を、ヴィットーリオ=フィブリゾは静かに遮る。

「……もっとも、こちらの世界に来た時点で、魔族としての記憶は失っているようですがね。あるいは、ブリミルが魂を剣に宿す際、記憶を封印してしまったのか……」

 では、なんだかんだ言って、やはり『デルフリンガー』は始祖ブリミルによって作られたものなのか。魔竜王(カオスドラゴン)は違うっぽいことを言っていたが……彼女の知識は、微妙に間違っていたのね。

「ともかく、その本質は『闇を撒くもの(ダーク・スター)』の分身であり、私たち魔族に近いものなのですよ。だから、こうして、私がその力を引き出すこともできる」

「やめてくれ! 俺を操るのは、やめてくれよ!」

 デルフの懇願も無視して、ヴィットーリオ=フィブリゾは、私をジッと見つめる。
 ……なんだ?

「……数千年前、ブリミルは人の身でありながら、赤眼の魔王(ルビーアイ)様に勝利しました。そこには、いくつかの要因がありましたが、その一つが、異界の魔王の武器を使ったことなのです。魔王に勝つには、やはり、魔王の力が必要だったのですよ」

 そうだ。
 魔王には魔王を。
 かつて私たちも、復活した『赤眼の魔王(ルビーアイ)』のかけらの一つと戦った時……。

「……魔王の使う武器だからこそ、あなたが例の呪文をかけても、容量オーバーすることなく、刃として生み出せたわけです。……もっとも、あなたの呪文が完璧なものだったとしたら、いくら『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』でも耐えられなかったかもしれませんが……」

 ……こいつ……。
 私は敵意のこもったまなざしで、ヴィットーリオ=フィブリゾを睨みつける。

「ここまで話せば、もうおわかりでしょう。……私が何をさせたいのか……。しかし、どうせ素直にリクエストを聞いていただけるとは思っていません。ですから……彼を連れて先に行くとしましょうか。……私の村、タルブへ」

「待って!」

 私の言葉が聞き入れられるわけもなかった。
 ヴィットーリオ=フィブリゾは、何やら、また私の知らない呪文を唱えて……。
 そしてサイトと共に姿を消した。

「……たぶん、今のも虚無魔法」

 タバサが想像を口にする。
 うん、私もそう思うが、そんなことはどうだっていい。
 問題は、サイトが連れて行かれた、ということ。
 行き先は……。

「……タルブ? 一体なぜ、タルブなのでしょうか?」

 つぶやく姫さまの声が、むなしく風に流れて消えた……。

########################

 ……夢を見ていた。
 それが一体どんな夢だったのか、私は覚えていない。
 ……恐怖だろうか、悲しみだろうか。よくわからない衝動につき動かされ、私はベッドの上に身を起こした。

「あ……」

 頬が濡れている。
 どうやら泣いていたらしい。
 慌てて涙の跡を拭って……。

「……あ。いないんだ……」

 私一人だけのベッド。
 いつもなら、サイトがいるはずなのに……。
 もちろん、彼と出会ってから毎晩ずっと一緒だった、というわけではない。一時的に離れ離れになることもあった。
 でも……。
 今回は、なんだかズッシリと、大きな喪失感があるのだ。

「……朝……か……」

 窓を覆う隙間だらけの板戸から、薄暗い室内に、光が差し込んでいた。
 爽やかな朝なのかもしれないが、私は暗い気分のまま、ベッドから降りた。
 ……昨日、あの後。
 とりあえず私たちは、近くの村で宿を取り、疲れを癒した。
 特に私の疲労は激しかったようで、夕食すらとらぬままベッドに倒れ込み……。
 そして気づけば朝。つまり、今を迎えたのである。

「……おなか……減ってない……」

 一食抜いたはずなのに、いまひとつ食欲もわかない。
 それでも部屋を出て、一階の食堂に足を運ぶ。
 まるで私を待っていたかのように、すでにテーブルについた仲間の姿があった。
 姫さま、キュルケ、タバサの三人である。使い魔たちはいない。シルフィードは、色々と後処理があるようで『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』へ戻ってしまったし、フレイムは、食堂には入らず外か部屋で待っているはず。

「……あ。おはようございます……」

「……元気?」

 やや心配げな口調で問いかける姫さまに、私は無理して笑顔を作り、

「大丈夫です、もう。……なんだか変な夢を見たようで、少し寝覚めは悪いですが……それだけです」

「それならいいのですが……」

 曖昧に彼女はつぶやいて……。
 そして、沈黙が落ちた。
 やがて、運ばれてきた朝食を、私は黙々とたいらげ……。

「……で? どうするつもり?」

 タバサが問いかけてきたのは、私が食後の紅茶をすすり始めた頃だった。

「タバサさん! そんな今すぐ急かさずとも……」

「……あなたが行かないなら、私一人でも行く」

 姫さまの言葉は無視して、タバサはキッパリ宣言した。
 ……うーむ。やっぱりタバサ、サイトに仕える騎士のつもりなんだろうなあ……。
 なんとなく、小さなため息ひとつをついて、私はポツリポツリと話し始める。

「冷静に考えるなら……相手は冥王(ヘルマスター)……その上、ロマリアの虚無でもあるの。……あの魔竜王(カオスドラゴン)すら、いともあっさり倒すようなバケモノよ……。あれじゃおそらく、私が竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)あたりを連打したって、たいしたダメージにもならないでしょうね」

 つまり、私が行ったところで、ヴィットーリオ=フィブリゾを倒してサイトを助け出すどころか、逆に適当に利用されるのが関の山なのだ。

「それにあいつは『私が行けばサイトを無事に返す』とは言わなかったわ。……となれば、ノコノコ正直に顔を出せば、かえってサイトの身を危うくするだけ……」

「ルイズ……あなた、まさか……」

 キュルケが口を挟んできたが、私はそれを無視して、

「……けど逆に考えれば、よ。いつまでたっても私が行かなければ、人質サイトはある程度安全、ってことになるわ。それならタルブの村なんぞに行かずに、ひたすら逃げ回ってた方が賢い、ってもんよ……」

 言って私は、再びため息をついた。

「……そう。あなたがそのつもりなら、やはり……」

「待って!」

 立ち上がりかけたタバサに、私は慌てて制止の言葉をかける。

「……だけど……だけど、サイトは私の使い魔なの。メイジとしては、放っておくわけにはいかないでしょ。それに……」

 不安を振り払うかのように、私は言い切った。

「私は貴族のメイジよ! 貴族が敵に後ろを見せるわけにはいかないわ!」

########################

 タルブの村。
 トリステインの港町ラ・ロシェールの近郊にある……いや、あった村である。
 かつては良質のワインで知られた場所でありながら、とある者が呼び出した魔鳥ザナッファーにより、自慢のブドウ畑も一度は壊滅。
 それでも村は復興し、ワインに加えて、メイドの名産地としても有名になったのだが……。
 ついしばらく前、とある事件で、ふたたび壊滅の憂き目に遭っている。
 ……まあ、『とある事件』などと他人事のように言うのは間違いで、その一件には、思いっきり私も関わっているのだが。
 ともあれタルブは、今はただの荒野と化しているはずである。
 わざわざあんなところに呼び出して、一体何の意味があるのか。まあ、それも行ってみればハッキリするだろう。
 私たちはまだロマリア領内にいたので、ここからタルブに向かうには、ガリアを縦断していく形になる。しかし、赤眼の魔王(ルビーアイ)と化したジョゼフ王も、魔竜王(カオスドラゴン)と化したイザベラ王女も倒れた今、ガリア王国に私たちの行く手を防ぐ者はいない。日数だけはかかるものの、タルブへと続く旅は順調に進むはずだった。
 ……となれば、私のやることは決まっていた。

########################

 ばどぉぉぉん!

「のどひぉもぉぉぉっ!?」

 寝込みに爆発魔法を叩き込まれて、コミカルな叫び声と共に吹っ飛びまくる野盗たち!
 旅路について、三日目の夜のことである。
 タルブの村へ行く決心はしたものの、ストレスの種はたくさんあった。
 サイトの安否、冥王(ヘルマスター)の計画、その脅威……。
 そうしたストレスを解消する手段は、ただ一つ。言わずと知れた、盗賊いじめ!
 今はベッドを共にする相手もいないので、夜中に一人、宿を抜け出すのもそれほど難しくはない。村から離れた森の中、野盗のアジトを見つけ出し、いきなり爆発魔法を連打で叩き込んだのだった。

「……ち……ちょっと待て! あ……あんたっ、俺たちに恨みでもあんのかっ!?」

 私の前にへたり込み、情けない声を上げる野盗のボス。

「……いや別に……ただちょっと、最近むしゃくしゃしてたから」

「む……むしゃくしゃしてたから、だと!?」

 正直に答えてあげたのに、なぜか野盗ボスは怒り出した。

「そんな不条理な話があるかっ!」

「はあ? 不条理とか何とか……そんな文句言える身分じゃないでしょ。あんたたち、野盗なんだから。ここハルケギニアじゃ、悪人の人権は平民よりも遥かに下なのよ!」

「……それこそ不条理だっ!」

「とにかくっ! これ以上ベコベコになりたくないなら、今まで貯め込んだお宝、おとなしく差し出すことね」

「……く……くそぅっ……」

 つぶやきを漏らした男の表情が、その時、若干変化した。
 ……ほほぉう。

「わかったよ……。出すもん出しゃあいいんだろ!? 出す! 出すから、頼む! 命だけは……」

 しらじらしい定型句を並べ始めた野盗ボスは無視して、私は杖を振りかぶりながら、後ろを振り向いた。
 そちらには、やや離れた場所から、弓矢でこちらを狙う男が一人。
 ……甘い。
 おそらく、ボスが私の注意を引いているうちに、後ろから射つつもりだったのだろうが、その殺気は丸わかり。おまけにボスも顔色を変えちゃったのだから、私が見逃すはずもなかった。
 ふりかえりざま、適当な呪文で爆発させようとした、まさにその時……。

 ボムッ!

 弓矢を手にした男の、胸の辺りが破裂した。
 そのまま彼は、ひとたまりもなく倒れ伏す。
 夜風に混じる濃い血の匂い。

「ひっ!?」

 野盗のボスも怯えるほど。
 しかし今のは、私がやったわけではない。まだ杖を振る前だったし、何より私なら、あんなエグイ狙い方はしない。
 ……しかも、これは殺戮の始まりに過ぎなかった。
 そばにいた野盗たちが、木々の茂みから飛来した光の塊に、あるいは頭を、あるいは胸を打ち砕かれ、次々と地に伏してゆく。

「……な……なんだっ!?」

 へたり込んだまま、必死で後ずさりするボス。
 もはや彼は無視して、私は辺りの気配を探る。
 周りを取り巻く森の木々が、双月の明かりの下、黒いわだかまりを生み出す。
 森全体に、ほとんど冷気にすらも似た、鋭い殺気が満ちていた。
 もちろん、野盗たちの放つものではない。かといって、私の仲間たちが駆けつけたわけでもない。
 ……ということは……。

「……見つけたぞ……『ゼロ』のルイズ……」

 呼びかけは、どこからともなく、風に乗って流れて来た。
 この声は……。

「……竜将軍!?」

「そう。私だ」

 姿は見せぬそのままで、闇に声だけが響き渡る。
 ラーシャート=カルロ。
 魔竜王(カオスドラゴン)の腹心の一人で、獣神官やら魔竜王やら冥王などの陰に隠れて目立たないものの、こいつとて竜将軍。れっきとした高位魔族の一人である。
 ジュリオを追って姿を消した後、それっきり姿を現さなかったし、色々ゴタゴタもあったので、すっかり存在を忘れていたが……。

「……そういえば、あんたが残ってたのね。追っかけてったジュリオは倒したの?」

「いや。倒せなかった」

 アッサリした答えには、悔恨の響きは混じっていなかった。

「……それで? なんだって今頃ノコノコ出てきたのよ?」

「想像はつくだろう?」

 闇の中から来た返答は、まるで獲物をいたぶるかのような、ネチッとした口調。

「きさまや獣神官には、いいように引っかき回されたよ……。おかげでラルターク殿も倒れ……冥王(ヘルマスター)の罠により、我が主、魔竜王(カオスドラゴン)様は無力な少女となって、異世界へ島流し……」

 ……って、おい、まさかこいつ……?

「……あんた……ひょっとして、かたきうち、なんてナンセンスなことする気じゃないでしょうね……?」

「そうだ、と言ったら?」

 ラーシャート=カルロの声は、いとも平然と答えた。
 こら待てっ! お前はっ!

「ち……ちょっと待った! まだイザベラは死んでないのよ!? 他の世界へ飛ばされただけなんだから、助けに行けばいいじゃない! 空間を渡るのは、魔族の得意技でしょ!?」

「馬鹿を言うな……。あれは、もはや、単なる人間の少女。我が主、魔竜王(カオスドラゴン)様ではない……」

「で……でも!」

「それにな……。この世界と精神世界との行き来ならともかく、こことは異なる物質世界へ助けに行くなど、いくら純魔族でも不可能だ。……冥王(ヘルマスター)とて、魔族の能力ではなく……器となった人間の力で、虚無魔法を使って送り込んだのだろう?」

「うっ……」

 なんとか私は、戦わなくて済むよう、こいつを説得したい。
 いまいちインパクトも薄く、ともすれば三流のイメージもあるこいつだが、それは他の魔族たちがケタ外れなせいで、そう見えるだけ。
 位で言えば、竜将軍なのだ。となれば、おそらく『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』の二、三発でも、倒すことは無理だろう。

「もちろん……本来ならば、復讐の相手は冥王(ヘルマスター)なのだろうが……」

 声は静かな口調で続ける。

「……この私が真っ向からかかっていったところで、逆に倒されるのは目に見えている。だから、私に出来ることはただ一つ。冥王(ヘルマスター)の計画の核を潰すことのみ……」

「ちょっと!? まさか……!?」

 私が言い終えるより早く。

 ギムッ!

 空間がきしんだ音を立て、私の周りを取り巻くように、いくつかの光の点が出現した。

 グゴォウッ!

 闇を裂き、音と光が閃き響く。
 すんでのところで、倒れ込むようにその場を跳び退き、私は難を逃れた。

「……さすがにこれくらいはかわせるか……」

 声は横手から聞こえた。
 そこには、闇の中から浮き出たように佇む人影が一つ。
 竜の鎧に身をかため、右手に抜き身の剣をぶら下げた男……ラーシャート=カルロ。

「しかし、そういつまでも逃げられるとは思うなよ……」

 あたふたと逃げゆく野盗たちには目もくれず、竜将軍は、ジッと私を見つめる。
 そのまま視線を固定して、さらに一声。

「モルディラグ!」

 同時に、私の背後に殺気が生まれた。
 ……もう一匹いるの!?
 後ろを振り向く間も惜しみ、私は大きく横に跳ぶ。
 赤い光が闇を裂き、たった今まで私がいた辺りの地面に突き立った。
 何とか一撃をかわし、私が振り向けば、宙に浮かぶ影ひとつ。

「……へぇ……この期に及んで、まだ竜将軍についていこうなんて……あんたも物好きね……」

 モルディラグと呼ばれたそれは、人間の女性によく似ていた。
 ただし……似ているのは上半身だけ。
 つくりものの面のように表情のない、端正な顔。透けるような白い肌に、闇色をした長い髪。
 しかし、その腹から下の部分は……。
 はらわたとも木の根ともつかぬ太い触手が、無数に絡まり合いながら、でたらめな方向に伸びていた。
 そんな白い姿がボウッと闇の中に浮かんでいるのである。
 なかなか不気味と言うか、さすが魔族と言うべきか……。
 それは私の減らず口には何も返さず、代わりにラーシャート=カルロが、余裕の笑みを浮かべたまま、

「かつてラルターク殿がやったように、下級魔族を大量に呼び出すことも出来んではないが……。数にものを言わせる、なんて必要はあるまい。しっかり使える奴が一人おれば、きさまを逃がさぬようにするには十分だ」

 言って、あらためて剣を構え直した。

「行くぞ! 『ゼロ』のルイズ!」





(第二章へつづく)

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 やはりヴィットーリオには『世界扉(ワールド・ドア)』。殺しても意味がないということで、イザベラは異世界追放。……私としては、ファンも多いであろう原作キャラを勝手に悪役にしてアッサリ殺す、ということに抵抗もあったので。
 これで万一サイトが元の世界に戻れた暁には、保護されて養女となっていたイザベラとサイトのラブコメが始まる……なんて妄想をしてもらえたら、イザベラファンの方々にも楽しんでいただけるでしょうか。

(2011年8月4日 投稿)
   



[26854] 第八部「滅びし村の聖王」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/08/07 23:05
   
「行くぞ! 『ゼロ』のルイズ!」

 一方的に宣言し、ラーシャート=カルロは、自分の周りに数個の光を生んだ。

「……くっ!」

 私は大きく横に跳び、手近に生えた木の陰へとまわり込む。

 ガグゥンッ!

 ラーシャート=カルロの放ったエネルギー球が、盾にした木をぶち砕いたその時、私は呪文を唱えつつ駆け出していた。
 しかし、いくらも行かぬうちに……。
 行く手の闇が、一瞬ユラリと霞んで揺れて、モルディラグの白い姿を生み出した。
 このモルディラグという奴、おそらく強さは、以前に戦ったグドゥザやデュグルドと同じくらい。空間を渡ってくることも、予想のうちである。
 白い魔族の出現と同時に、私は杖を振り下ろす。
 私が唱えていたのは、エクスプロージョン。失敗魔法バージョンではなく、正式な虚無魔法バージョンだ。途中まで詠唱しただけで発動するし、当たれば痛いことは間違いない。
 モルディラグがよけた一瞬を狙ってその場を突っ切る……つもりだった。
 だが。

 ヂッ!

 モルディラグが無言のまま瞬時に生み出し、放った光の槍が、エクスプロージョンの光球をあっさり撃墜した。
 なんとっ!?
 間髪を入れず、再び光の槍を生み出すモルディラグ。
 私は慌てて転進する。
 えーい! こうなれば……!

「……観念しろ! 『ゼロ』のルイズ!」

 私の後ろから、ラーシャート=カルロの声が響いた。
 しかし奴と舌戦を繰り広げるわけにはいかない。私は、すでに次の呪文を唱え始めている。しかも、今度のは最後までキチンと詠唱しないといけない魔法だ。
 とにかく、逃げる。
 またもや進路を変えた私の横手で爆光が閃く。
 立て続けに放たれる攻撃をかいくぐりつつ、ラーシャート=カルロから離れる方へと私はダッシュをかける。
 そしてこちらの予想どおり、またまた行く手に姿を見せるモルディラグ。
 ……かかった!
 その瞬間、私は魔法を放った。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 かりにも『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの力を借りた術である。この一撃で倒せなかったとしても、かなりのダメージは与えるはず。となれば、どこかにスキも生まれる。
 闇に生まれた赤い光が、白い魔族に向かって収束し……。

「ぐおおおおおおっ!」

 獣にも似た雄叫びは、私の後ろから聞こえた。
 同時に、私の放った赤い光が、闇の中へと溶け消えた。
 なんと!

「そうはいかんぞ!」

 勝ち誇った声を上げるラーシャート=カルロ。
 どうやらこいつが、すんでのところで、モルディラグに対する私の魔法を打ち破ったらしい。
 一応こいつも高位魔族。これくらいの芸は出来ても不思議ではない。
 しかしこうなると……これはかなり本格的にまずい。
 モルディラグを倒すことも出来ず、逃げることも出来ないとなれば、私は嬲り殺しだ。
 虚無の刃『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』ならば、さすがに通用するだろうが、あれは避けられたらおしまい。なおかつ、それで魔力の尽きたところを、もう片方に攻撃されればひとたまりもない。
 となれば……。
 などとあれこれ考えていた時。

 ズルッ!

 足が滑った。
 モルディラグの放った光の槍から身をかわそうとしたのだが、これではかわしきれない。倒れそうになるのを何とか堪えて、右に跳んだものの……。

「……っくぅっ!」

 左足に走る、灼けるような衝撃。
 着地と同時にバランスを崩し、私は倒れ込んだ。
 かすっただけのはずなのに……。
 もはや足首から先の感覚はなく、動かすことも出来ない。

「……どうやらこれまでのようだな……『ゼロ』のルイズ……」

 言いながら、ラーシャート=カルロが、ゆっくりと近づいてくる。

「その足では、もはや動くこともできまい……」

 彼は私から少し離れた場所で立ち止まり、静かな視線をこちらに向けた。
 モルディラグは、やはり依然無言のまま、やや距離をとってジッと漂っている。

「人間にしては、なかなかやる方だったが、しょせん、こんなところか。恨むなら、きさまに目をつけた冥王(ヘルマスター)を恨むことだな……」

 勝利者の余裕のつもりか。
 サッサとトドメを刺すのではなく、語り続けるラーシャート=カルロ。

「……ラクに死ねるとは思うなよ。まあ、おまえも死ぬ前に何か言いたいことくらい、あるだろう。聞いてやるから、遠慮せず……」

 ラーシャート=カルロは、そこでいきなり言葉を切ると、白い魔族の方を向き……。

「モルディラグ!」

 竜将軍の叫びと同時に。
 白い魔族の足下から、ザバァッと水柱が立ちのぼる。
 しかしその体が水中に没するよりわずかに早く、白い魔族は闇の中へと溶け消えた。精神世界へ逃げ込んだのだ。

「ちっ……余計なのが来たか……」

 ラーシャート=カルロは舌打ち一つして、再び私に向き直り、

「……命拾いしたな……今回は……。しかしまだ時間はある。無事にタルブまで辿り着けるとは思うなよ……」

 そう捨てゼリフを残し、竜将軍も闇へと消えた。

「ルイズ!」

 ほとんど入れ違いに、茂みをかき分け、やって来る姫さま。タバサとキュルケとフレイムも一緒である。……つまり、一緒に旅する全員が来たわけだ。

「大丈夫ですか!?」

「はい。少し足をやられましたが……。それより、なんでみんなして、こんなところへ?」

「あれだけ村の近くで騒げば、誰だって見に来るわよ」

 呆れたようにつぶやくキュルケの隣で、タバサも小さく頷いている。
 姫さまは、私の足を一目見て、顔を真っ青にしながら、慌てて『水』魔法で治療し始めた。……どうやら、かなり酷い傷だったようである。

「で? 誰とやりあってたの?」

 治療に必死で質問すら出来ぬ姫さまに代わって、キュルケが私に尋ねてきた。

「例の竜将軍よ。なんか……どうやら魔竜王の仇を討ちに来たみたいね……」

「仇を……?」

 おうむ返しにつぶやいたのは、タバサである。

「そう。……あと、モルディラグとかいう、白いのを一匹連れてたわ」

「なるほどね……。ということは……」

 険しい表情で、キュルケが考えこむ。
 私は小さく頷いてから、夜空を仰いでつぶやいた。

「……どうやら……あんまり旅は順調にいきそうもないわね……」

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 海沿いのガリアの街、サン・マロン。
 ガリア空海軍の一大拠点である。
 海に面した桟橋や、地上に造られた鉄塔には、ガリア自慢の大艦隊が、事あればハルケギニアの空と海とを制すべく、帆を休めている。

「完全な軍港ね、ここ」

「……当たり前」

 呆れたようにつぶやくキュルケに、ポツリと返すタバサ。
 ……まあ、仕方ないか。
 ロマリアからガリアを経てトリステインへと向かう私たちは、ガリアの内陸部を進むのではなく、海沿いの街道をゆくというルートを選んでいた。
 理由は二つ。
 一つは、敵に襲われた際、大量の水が近くにあれば、水魔法の使い手である姫さまには有利であろう、ということ。正直、今回は相手が相手なので、姫さまの安全を気にしながら戦う余裕などない。自分の身は自分で守ってもらわにゃいかんのだ。
 もう一つは、港町を行けば、どこかでフネを調達できるのではないか、という期待もあったから。これだけの大行程を行き、休む間もなく大決戦……というのは、さすがにキツい。フネでも借りて、少しはラクして行きたかったのだが……。
 とりあえず、ここでは民間船は見つからないようだ。

「……それじゃあ、まあ、今日はここで一泊ってとこね」

「こんな物々しい街で……ですか?」

 周囲を見渡しながら、姫さまが顔をしかめた。
 レンガ造りの建物がいくつも並ぶ軍港部は、たしかに、あまり心休める場所には見えない。

「市街地に行けば、もう少し、ノンビリした雰囲気にもなるでしょう」

 別に私たちは、軍のお世話になるつもりはない。軍事施設ばかりの港に泊まるのではなく、市民が暮らす辺りまで行き、そこで宿をとるのである。

「でも……こんなところでゆっくりしているより、早く次の街を目指した方がいいのではありませんか?」

 サイトが敵の手に落ち、ラーシャート=カルロが私たちを狙っているという状況。
 それを考慮して姫さまは言っているのだろうが……。

「……あのぅ、姫さま」

 私は彼女に歩み寄り、その耳元に小さな声で、

「タルブの村に着いたら、たしかに竜将軍は出てこなくなりますが……代わりに冥王(ヘルマスター)がいるんですよ……あそこ……」

「……うっ……」

 冥王(ヘルマスター)と聞いて、思わず頬に汗する姫さま。
 竜将軍は厄介な奴であるが、タルブの村で待つ冥王(ヘルマスター)は、竜将軍どころではないバケモノである。

「……そんなに急いでトリステインに戻りたいなら、アンだけ先に帰ったら?」

 突き放したように言うキュルケ。だが、彼女とて、姫さまの『王女』としての身を心配して言ってくれているのだろう。
 ……タルブへの旅を始めた頃、実は私たちは一度、姫さまに提案しているのだ。もうトリスタニアに戻られてはいかがですか、と。
 ロマリアでは「この一件が片づくまでは同行する」と宣言した姫さまであるが、さすがに相手が冥王(ヘルマスター)となると、もう彼女には、この話から降りて欲しかったのである。
 でも、説得を聞き入れる姫さまではなかった。
 だから、今も。

「あら。別に、そういうわけではありませんわ。……どうせタルブもトリステイン国内ですから、ある意味、トリスタニアまで戻るついで、ということになりますし」

 うん、言っても無駄なのだ。
 姫さまは姫さまで、幼馴染みの私のことを心配して、この事件を最後まで見届けたいのだろう。

「……まあ、姫さまの言うとおり、急がなきゃなんないことは事実ですけど、ね」

 私は、部分的な同意を示した上で、言葉を続ける。

「でも、まだ陽も高いとはいえ、今からここを出たのでは、次の村や街に着く前に日が暮れてしまうでしょう。野宿なんてことになったら、それこそ竜将軍に『襲ってくれ』って言ってるようなもんだし、そうでなくても、無理して体調でも崩したら困りますよね?」

「……そうですね……」

 姫さまは、なにやら複雑な表情で、私を正面から見つめ、

「でもルイズ、あなた……サイトさんのこと、心配ではないのですか?」

「……そりゃあまあ……もちろん心配だけど……サイトは私の使い魔ですから……」

 主人と使い魔は一心同体。使い魔が見たものは主人も見ることができる、と言われている。
 サイトがガンダールヴのせいか、私とサイトの関係は少し変わっていて、視界の共有は逆方向に発生する。
 だから、私が今現在のサイトの状況を視覚的に理解することはできないが、それでも……。

「……サイトが無事だ、ってことくらいは、感じ取れるんです」

 私は何となく視線をそらしながら言った。
 ふとタバサと目が合ったが、彼女は小さく頷いている。
 ……うん、サイトの騎士を自認するタバサも、私に同意してくれているわけだ。彼女もサイトは無事だと信じているのだ。

「……なるほど」

 一応納得したのか、つぶやいて、かすかに姫さまは微笑んだ。

「それでは、今日はここで一泊ですね」

「ええ。とりあえず、市街地で一番の宿を取って……」

 言いながら、私は視線を姫さまに戻そうとして……。

「……あれ……!?」

 途中で、私の視線が止まった。

「どうしたのですか、ルイズ?」

「見間違いか、他人のそら似かもしれませんけど……」

 問う姫さまに、彼女の方を見ようともせず、私は答える。

「……いたんです。さっき、そこに」

「何が?」

「……知った顔の相手が……」

「だから、誰?」

 言い渋る私の態度を不思議に思ったか、姫さまは執拗に聞いてくる。
 私は少しためらいながら、

「……冥王(ヘルマスター)……」

「ヴィットーリオ教皇ですか!?」

 小さく声を上げる姫さまに、私は軽く頭を振ってみせる。

「そうです。……いや、違います、と言うべきかしら……。例の子供の姿でした」

 さすがに教皇聖下の顔では、あちこちうろつくわけにもいかないようだ。下々の者たちが彼の顔を知っているとも思えないが、あれだけの美青年、妙に目立ってしまう。
 ……まあ、子供バージョンでも、女の子かと見まごうばかりの美少年。それはそれで人目につくでしょうけど。

「あいつ、タルブの村で待つって言ってたわよね? それが、なんでこんなところに?」

「わかんないわ。単に私の見間違いって可能性……」

 キュルケに対して返す言葉が、途中で喉元で凍りつく。
 私が視線を送るその向こう……。
 レンガの建物のその先に、黒く小さなマント姿が一瞬、しかし確かに見えた。
 服装は以前とは若干異なるが……間違いない。底冷えするような色の光を奥に宿したその瞳は、ハッキリと私の方を見ていた。

「いたわ! あっちよ!」

 声を上げて、私は駆け出した。
 が……。
 角を曲がったその先に、もう彼の姿はなかった。

「本当にいたのかしら?」

「……私は見なかった」

「間違いない……はずよ……」

 少し遅れてついて来たキュルケとタバサに、私はやや自信のない口調で答える。
 間違いないとは思うのだが、なにしろ、見えたのはわずかに一瞬。
 それに、もはや辺りには……。

「あそこです!」

 いきなり大声を上げたのは姫さま。彼女は、通りの一角を指さしている。
 大通りから伸びる路地の奥へ歩みを進める、小さな黒いマント姿……。

「追うわ!」

 一方的に宣言し、私は再び走り出す。
 ……そこは一本の細い路地だった。
 いや、路地というよりもむしろ、建物どうしの隙間というべきか。人がひとり、何とか普通に通れるほどの幅である。
 左右に高くそびえ立つレンガの壁は、路地を闇に埋めていた。
 遥か向こうからポツリと明かりが漏れているので、この先はどこかの通りに繋がっているらしい。
 その漏れ来る光の中、一点の黒い染みのように、奥へ奥へと歩み行く小さな人影。

「ちょっと!」

 私が声をかけても、黒い人影は止まらない。
 仕方なく、私は路地へと駆け込んだ。
 姫さま、タバサ、キュルケもあとから続く。フレイムには狭すぎるのか、キュルケの使い魔は入ってこない。
 ……先を進む影は、ゆったりとした足取りに見える。にもかかわらず、小走りに追いかけてゆく私たちとの差は一向に縮まらない。
 
「……ということは……。やっぱり、少なくとも、普通の人間ではないってことね」

 後ろの姫さまたちにも聞こえるように、敢えて声に出す私。
 そうやって、なおもしばらく進むうち……。
 唐突に、目の前の空間がひらけた。
 小さな家が一軒、なんとか収まるほどの広さである。だが、意識して作られた広場ではなさそうだ。
 周りを窓のないレンガの壁が高く取り囲み、薄暗い影でこの場所を覆っている。
 しかし、辺りをザッと見回しても、もはや人影はない。

「……消えた……わね……」

 キュルケがポツリとつぶやいた。
 相手がヴィットーリオ=フィブリゾだとしたら、また虚無魔法でも使ったのであろうか。サイトを連れ去る際に使った、例の魔法だ。
 思うに、人間の中で覚醒した冥王(ヘルマスター)は、精神体である純魔族とは違って、空間を渡るという芸当は出来ないらしい。でなければ、前回もワザワザ虚無魔法なぞ使う必要もない。
 それに、子供の姿に化けるのに魔道具を使っていたのも、同じ理由だ。本来、純粋な高位魔族は、顔も形も自由に変えられるはず。しかし、それが出来なくなったヴィットーリオ=フィブリゾは、たぶん今回も、あの『フェイス・チェンジ』の付与された聖具を使っているのだろう。

「……どうせ姿を消すのなら……なぜ、わたくしたちを誘うような真似をしたのでしょうか?」

 姫さまの疑問は、私も不思議に思う点であるが……。

「よく来てくれたな。『ゼロ』のルイズ」

 まるで私たちの疑問に答えるかのように。
 聞き覚えのある声が、私たちの後ろ——たった今通って来た路地の方——から聞こえてきた。
 慌ててそちらを振り向けば、黒いマントを身に纏い、静かに佇む小さな人影。
 ……確かにそれは、あの男の子の姿形をしていた。だが……。

「この姿でうろつけば、必ずついて来ると思ってたよ……」

 その口から漏れ出る声は、子供のものではない。
 ……竜将軍の声だ!
 その姿がユラリと霞んで揺れて、次の瞬間。
 竜の鎧を身につけた、見覚えのあるあの姿へと変化した。

「……なるほど……どうやらまんまと一杯食わされたみたいね……」

 私は苦い口調でつぶやいた。
 ラーシャート=カルロとて、高位の魔族。冥王(ヘルマスター)が使う子供の姿と同じに外見を変えることくらい、造作もないことだったのだ。
 ついさっき、魔族のそうした能力に関して、考えたばかりだったのに……。
 
「この前は今一歩で邪魔が入ったが……ここなら逃げることも出来まい」

 確かにラーシャート=カルロの言うとおり。
 この場所では、私たちに逃れるすべはない。たとえ路地に逃げ込んだとしても、そこを魔力弾か何かの飛び道具で攻撃されればひととまりもない。
 それに、いまだ姿を現していないが、あのモルディラグとかいう白い奴も、たぶん近くにいるはず。加えて、相手は竜将軍。さらに街中とあっては、私も大技は使えない。
 不利は重々承知だが、何はともあれ、こうなった以上やるしかない。
 私たちは杖を構え、呪文を唱え始めた。
 そして……。

「ゆくぞ!」

 ラーシャート=カルロの声が辺りにこだました。

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「じゃっ!」

 トカゲのうなりにも似た気合いと共に、竜将軍が、手にした剣を振り下ろす。
 はるか間合いの外である。普通なら、単なる素振りにしかならないが……。

 ビュイッ!

 剣の一振りが生み出した衝撃波のようなものが、空間を切り裂き飛来する!
 とっさにその場を飛び退く私たち四人。
 ラーシャート=カルロの放った一撃は、むなしく宙を行き、レンガの壁に当たって消える。
 命中したレンガの壁には、何の変化もない。だが、それが人間に無害なモノのはずもない。
 とりあえず反撃開始。私はエクスプロージョンの魔法を放つ。

「バカめ! そんなものが当たるものか!」

 魔法の光球を軽々とかわすラーシャート=カルロ。
 ……まぁ私とて、正面から馬鹿正直に放った魔法が命中するとは思っていない。回避されるのも予想済み。
 実は私の狙いは、レンガの壁を壊すこと。
 手近な建物の壁をぶち抜いて、そこに脱出口を作り上げる。そこから逃げると思わせて、追ってきたラーシャート=カルロに接近戦を挑む。室内という限定空間の中ならば——簡単に逃げられない場所ならば——、私の『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』で奴を叩き斬ることも可能……。
 それが私のプランだった。
 だが。

「……えっ?」

 エクスプロージョンの光は、ラーシャート=カルロの背後の壁に当たり……。
 ただそれだけだった。
 壁のレンガには、傷一つついていない。

「無駄だぞ、『ゼロ』のルイズ! すでにこの場は我が結果の中! ここでどんな攻撃魔法を使ったところで、本来の街には傷の一つもつけられん! おめおめ逃げられると思うなよ!」

 あからさまな嘲笑を送りつけてくるラーシャート=カルロ。
 どうやら、どうあっても、ここで決着をつけるつもりらしい。
 しかしラーシャート=カルロの今の発言、逆に考えれば、たとえ私がここで『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』や『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を放っても、街に被害は出ないということ。こちらにとっても、そうそう悪い条件ではない。
 ……まあ……そんなもんをぶっ放して、街はともかく、結界内の私たちが平気だという保証はないわけだが……。
 などとあれこれ思ううち、姫さまが攻撃を仕掛けていた。

 ザーッ!

 ラーシャート=カルロの足下から青白い水柱が湧き上がり、その全身を包み込む、
 次の瞬間、竜将軍のその姿が、青い光の中に砕け散る!

「……やったのですか!? こんな……あっさり!?」

 疑念の声を上げる姫さま。
 しかし……まだだ!
 彼女の後ろの空間がユラリと小さく揺らめいて、剣を振り上げる竜将軍の形を生み出した。
 精神体のかけらをオトリに残して、本体は空間を渡る……。魔族がよく使うトリックだ。
 ラーシャート=カルロは、振り上げた剣を、姫さまに向かって……。

「ぐああああっ!」

 怒りの咆哮を上げる竜将軍。
 姫さまにしか注意を向けていなかった彼は、キュルケの攻撃をまともに食らったのだ。
 ラーシャート=カルロの全身に炎の蛇が絡みつき、その間に、姫さまは慌ててその場を飛び退く。
 だが竜将軍にしてみれば、予想外の攻撃に驚いただけで、ダメージ自体はたいしたものではなかったらしい。

「……こざかしい……」

 ラーシャート=カルロの言葉と同時に、炎の蛇は霧散する。続いて彼は、お返しと言わんばかりに、剣風の衝撃波を放つ。
 キュルケは、その一撃を楽々とかわし……。
 その瞬間。
 ユラリと空間が揺らめいて、白い魔族モルディラグが姿を現した。……キュルケのすぐ後ろに!

「……!」

 攻撃を回避したばかりの彼女は、体勢が崩れている。そこを狙って、モルディラグが魔力の矢を放つ。

「キュルケ!」

 これは避けられない!
 ……と思ったが。
 真横から襲った風の槌がキュルケを弾き飛ばし、魔族の攻撃は空振りに終わった。

「……助かったわ、タバサ」

 倒れ伏しながら、礼を言うキュルケ。
 味方の『エア・ハンマー』でぶっ飛ばされたわけだが、それが彼女を助けるためということくらい、ちゃんと理解しているのだ。
 しかし……。
 こんな荒技、そうそう使えるものでもない。これは早めにケリをつけねば、状況は悪くなる一方である。
 となれば……。

「……天空(そら)のいましめ解き放たれし……凍れる黒き虚無(うつろ)の刃よ……我が力……我が身となりて……共に滅びの道を歩まん……神々の魂すらも打ち砕き……」

 私の切り札、『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』。ただし、不完全バージョンの方である。
 完成版の方が確かにパワーはあるが、あれは消耗が激し過ぎる。一撃目を外せば、それでおしまい。
 もちろん、これだって消耗は激しいが、こちらの方が持続時間は少し長いし、これでも十分通用するはず。
 ラーシャート=カルロに向かって、私はダッシュをかけて……。

「……む!?」

 奴は姫さまやタバサの魔法をあしらっていたのだが、こちらの動きに気がついたらしい。
 振り向くラーシャート=カルロ。
 しかし私は既に、その間近まで迫っていた。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 至近距離で、私は術を発動させた。
 杖に沿って、闇の刃が生まれ出る。
 そのまま私は、突き上げるように斬りつけた!
 だが。

「ちぃっ!」

 舌打ち一つをあとに残し、ラーシャート=カルロは大きく横に跳び退いて、私の一撃を辛くもかわす。さらに、闇の刃を警戒してか、慌てて私から距離を取ったが……。
 ふん! 避けられるのも計算のうちよ!

「えぇいっ!」

 闇の刃を発動させたまま、ラーシャート=カルロの立っていた場所を走り抜け、レンガの壁に切りつけた。

 ざむっ!

 ラーシャート=カルロの結界で守られているはずの壁が、いともアッサリ切り裂かれる。

「バカな!? 私の結界を!?」

 驚愕の声を上げるラーシャート=カルロ。
 その隙に。
 私はさらに虚無の刃を振るい、レンガの壁に、人が通れるほどの穴を作った。
 言うまでもない。最初の案——竜将軍を室内におびき寄せて『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』で叩き斬る——を実行に移すのだ。
 とはいえ、私も消耗している。この闇の刃、そろそろ消えてしまいそうだ。
 あるいは、いったん消して、もう一度発動させたほうがいいか? それだけの精神力が私に残っているか?
 ……などと思ったその矢先。

「……まさか……私の結界が破られるとは……」

 何やらつぶやきながら、ラーシャート=カルロが大きく飛び退いた。

「……まあいい! 勝負は次回だ!」

 一方的に言い放ち、虚空へと姿を消す。
 白い魔族も、竜将軍に続いてボウッと消えた。

「……え?」

 あまりにも唐突な退場に、思わず眉をひそめる私たち。
 無表情なタバサまでもが、あからさまに不審げな顔をしている。

「……退いてくれたの? それとも、そう見せかけて……そこらに潜んだのかしら?」

 キュルケの言葉は、皆の心中を代弁したものだった。
 私は油断なく、周囲に視線を送るが……。
 もはや、辺りには何の気配も存在しなかった。

「どうやら……本当に行っちゃったみたいね」

 つぶやいて、私は大きく息をついた。

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「……うーん……」

 桃りんごのパイをフォークで突っつきながら、私は低いうなりを漏らした。
 満腹で食べられない、というわけではない。デザートは別腹である。
 しかも、安宿の夕食の添え物にしては、味も悪くない。
 私が考えているのは、別のことだった。
 ……サン・マロンでの襲撃も今は昔。あれからひたすら歩き続けた私たちは、ようやくトリステインの領内へと入っていた。

「……どうしたの、ルイズ?」

 私の漏らしたうめき声を聞いて、キュルケが、陶器のグラスのワイン片手に、問いかけてくる。

「いや……ちょっと、ね……。色々考えてたから……」

「色々?」

「うん。ガリアの軍港で、竜将軍の奴、私に結界破られて、やたらアッサリ引き下がったけど……なんでだろ、って思って」

「これまでと同じではないのですか?」

 すっかり食べ終わった姫さまが、口の端をナプキンで拭いながら言う。

「関係ない人を巻き込むのを嫌がっていたでしょう?」

「そうです。確かに連中、無関係な人間を巻き込むのを嫌がってましたが……なぜです?」

 私が聞き返すと、姫さまはキュルケと顔を見合わせる。

「人間界に潜伏して、それぞれの国の戦力を手に入れたかったからですね」

「……あと、目立たないためね」

 姫さまの言葉に、キュルケが加える。

「あまり大きな騒ぎを起こすと、冥王(ヘルマスター)側に、自分たちの動きが知られる……。それを恐れていたんだわ。……実際のところは、筒抜けだったみたいだけど」

「……まあ、そこまでは私もわかるのよ。でも……」

 二人の言葉に、煮え切らない返事をする私。
 そして、無言のタバサに視線を向ける。

「タバサはどう思う?」

 すると彼女は、誰にともなく頷いて、

「……二人の意見には同意。でも、ルイズの疑問にも同意」

 なるほど。
 さすがはタバサだ。
 私がどこに引っかかりを感じているのか、それも見抜いているらしい。

「ルイズの疑問……って、どういうこと?」

 と、キュルケがタバサに聞き返した時。

「ルイズさん!?」

 唐突な私への呼びかけは、背後から聞こえてきた。
 思わずそちらを振り向けば、店の戸口に、見知った人影が一つ。
 カチューシャでまとめた黒髪とソバカスが可愛らしい、メイド服の少女。年齢は私たちと同じくらいで、姫さまほどではないが、スタイルも立派である。

「……シエスタ!?」

 思いもよらぬ再会に驚きつつ、私はその名を叫んでいた。





(第三章へつづく)

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 今回は、シエスタ再登場まで。

(2011年8月7日 投稿)
   



[26854] 第八部「滅びし村の聖王」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/08/10 23:11
  
「……シエスタ!?」

 それはかつて、タルブの村で出会い、王都トリスタニアまでの旅路を共にしたこともある彼女だった。
 トリスタニアで酒場を営む親戚のところまで着いたはいいが、それまでの心労と新たなショックが重なって、ついに卒倒したはずだが……。
 ……ま、そういつまでも失神しているわけもないか……。

「どうしたのよ、シエスタ!? なんであんたが、こんな場所に!?」

 テーブルの間をぬってやって来た彼女に、私は問いかける。

「なぜ……って……。この宿に、その……ルイズさんのような、特徴的な容姿の貴族のかたが泊まっていると聞いて……」

 やや言葉を濁した感じであるが……。
 どうせ『特徴的な容姿』というのは、良い意味ではあるまい。

「そうじゃなくて! 何の用があって、トリスタニアから離れた、こんな村まで来たのか、って聞いてるの!」

「それは……と……その前に」

 シエスタは、私とタバサとキュルケを見回して、

「みなさん、お久しぶりです。いつかは色々お世話になりました」

「ま、あたしたちも世話になったしね。……それより、あなたも元気でやってるみたいで、何よりだわ」

「ええ。おかげさまで」

 キュルケに言葉を返してから、今度は姫さまに視線を送り、

「こちらのかたは?」

「アンリエッタ・ド・トリステインです」

 わざわざ席を立ち、会釈する姫さま。
 正直に名乗ったところをみると、シエスタは仲間という扱いらしい。まぁ姫さまには一応、タルブの村での一件は説明してあるし、とんでもない事件に関わった者は皆、信用できる仲間だと思えるのだろう。

「御丁寧にありがとうございます。私は、シエスタと申しま……」

 言いかけたシエスタの表情が、笑顔のままで一瞬凍りつく。

「……アンリエッタ……ド……『トリステイン』……さん?」

「そう」

 彼女の耳元で、私は小声でボソリとつぶやく。

「トリステイン王国の王女さまよ」

「ひ……姫殿下!?」

「まあ! そんなに、大げさにしないでくださいな。おともだちのおともだちなのですから、あなたも、わたくしのおともだちです。……あと、一応おしのびの旅なので、アンと呼んでくださいね」

 慌てて畏まるシエスタを、姫さまが自ら止めた。
 シエスタは緊張した表情で、目を白黒させている。王都で暮らすメイドが、王女さまから『あなたもわたくしのおともだち』とか『アンと呼んでくださいね』とか言われたら、落ち着いていられないのも当然である。

「……と……ところで……」

 それでも何とか持ち直して、シエスタは私を正面から見据えた。

「見たところ……サイトさんの姿がありませんけど……」

 うっ。
 痛いところをついてきた。
 そういえば彼女、サイトに気があるような素振りを見せていたが……。

「……まさか……?」

 ズズイッと一歩詰め寄られ、私は椅子に座ったまま、反射的に身をそらした。

「まさか、新しい使い魔が欲しくなって、サイトさんは道端に捨ててきたとか!?」

「飽きっぽい子供か、私は!?」

「じゃあ、ルイズさんの横暴に耐えかねて、ついにサイトさん、逃げちゃったとか!?」

「そんな酷い扱いしてないわよ!」

「それじゃ一体、どうしたんですか!? サイトさんは!?」

「……サ……サイトは……」

「サイトさんは!?」

「……冥王(ヘルマスター)にさらわれちゃった。てへ」

 ……ごく一瞬の短い間を置き……。

「……はうっ」

 シエスタは、その場に卒倒した。

########################

「……卒倒してる場合じゃなさそうですね……」

 意外にも、わりとアッサリ復活して、彼女は私の隣に腰かけた。
 膝がガタガタ震えているところを見ると、まだ完全には立ち直っていないようだが……。

「とにかく……まずは聞かせていただけますか? いったい何があったのか……」

 言われて、私と姫さまとキュルケ、そしてタバサまでもが互いに顔を見合わせた。
 事情を説明するのは簡単。しかしそれは、彼女をこの一件に巻き込むことに他ならない。
 ……とは言っても、もう冥王(ヘルマスター)の名前は出してしまったわけで、今さら話さないと決めたところで、彼女は納得しないだろう。

「……そうね……」

 しばらく考えた後、私はため息混じりでつぶやいた。

「……話をする前に、ひとつ言っておくわ。これって、かなり大きな事件なの。聞いた以上は、たぶん、何らかの形で巻き込まれることになるんだけど……それでも聞く?」

「もちろんです」

 迷わずキッパリ、シエスタは即答する。
 ならば、仕方ない。

「……わかったわ」

 私たちは、今までの大雑把ないきさつを彼女に話し始めた。
 ジュリオのこと。魔竜王(カオスドラゴン)のこと。始祖の祈祷書(クレアバイブル)のこと。冥王(ヘルマスター)のこと。
 サイトが連れ去られ、それを追って私たちが、タルブの村へと向かっていること。
 そして今、私が竜将軍に、命をつけ狙われていること。
 ……全てを話し終えた後。

「……そういういきさつですか……」

 シエスタは、静かな口調でつぶやいた。
 しかし落ち着いた態度の裏で、必死に内心の動揺を抑えようとしていることは、その表情を見れば明らかである。失神しないだけ、上出来と言えよう。

「つまり……サイトさんは、あなたをタルブへと呼び出すだけのために、連れて行かれたわけですね」

「……そ……そういうことね……」

 シエスタは『あなた』という部分だけ妙に強調してみせた。
 何となく怖いものを感じ取り、思わず後ろに退く私。

「……なるほど……」

 彼女は何やら一人で考えながら、しきりに『なるほど』を繰り返す。

「……あ……あの……シエスタ……?」

 私の呼びかけに、ようやく彼女は視線をこちらへ向け、

「まだ話していませんでしたね。私がなぜ、トリスタニアから離れた、こんな辺境の村にいるのかを」

「……う……うん……」

「私はトリスタニアで、スカロンおじさんの家にやっかいになりながら、いとこのジェシカと一緒に『魅惑の妖精』亭を手伝っていました」

 唐突な話題の転換に、戸惑う私たち。それでもかまわず、彼女は語り始めた。

「……そんなある日。店のお客さんの一人から、おかしな話を聞いたんです。そのお客さんは、旅の商人だったのですが……彼が言うには、しばらく前にタルブを通ったら、村の中央に大きな建物が出来ていた。あれは何だろう、って」

「大きな建物……?」

 シエスタの言葉に、私は眉をひそめた。
 ……タルブの村は、例の事件で壊滅したはず。かつての魔鳥事件ではブドウ畑だけだったが、今回は、村そのものが完全に壊滅したのである。

「それって……もう村が少しずつ復興し始めた、ってこと?」

 私の問いに、しかし彼女は首を横に振り、

「いいえ。その中央の建物以外は、以前と変わらぬ光景だったそうです」

 ……そんな馬鹿な!?
 タルブの村が荒野と化してから、それほど長い歳月が経過したわけではない。
 いくら民衆の底力が凄いとはいえ、そんな短期間で、以前と同じレベルまで盛り返せるはずがない。

「私も、おかしな話だと思って、色々詳しく聞いてみたんですけど……」

「それで?」

「よけい話がややこしくなりました」

 すました口調でサラリと言う。

「色々と聞けば聞くほど、だんだん話が噛み合わなくなって……。あらためて聞いてみると、タルブの村は壊滅などしていないそうです」

「……は……?」

「壊滅してない……ってどういうこと?」

 思わず間抜けな声を出した私に続き、キュルケも尋ねる。
 しかしシエスタは、首を振りながら、

「そのままの意味です。ちゃんと村はあったし人も住んでいた。何もかも以前のまま。ただ中央広場はなくなって、代わりに新しい建物が出来ていた……ということです」

「それ変ね……」

 キュルケが言うのも、もっともである。
 私もキュルケもタバサも……つまり、姫さまを除くこの場の全員が、タルブ壊滅に立ち会っているのだから。

「……どこか別の村と勘違いされたのではありませんか?」

 それまで沈黙を続けていた姫さまが、横から口を挟む。彼女だってタルブの一件は聞いているので、この話を不思議に思ったのだろう。

「もちろん私も、それは考えました。でもその人は、絶対にタルブだ、メイドの名産地のタルブだ、と言い張って……。それで、他の人たちからも色々聞いてみることにしました」

 シエスタが働いていたのは、トリスタニアでも繁盛している酒場、『魅惑の妖精』亭。その気になれば、旅人たちからの情報収集も容易である。

「……そうしたら、ますます話がおかしくなったのです。最近タルブへ立ち寄ったという人たちは皆、その人と同じようにおっしゃるのですが……。それ以前にタルブを通った人たちは、こうおっしゃるのです。村そのものがなかった、一面の荒野だった、と」

「つまり……ある時期を境に、完全に話が食い違ってる、ってこと?」

 私の確認に、シエスタは頷く。
 ……うーむ。
 どうにも妙な話である。

「……で、結局、何がどうなってるのよ?」

「わかりません」

 問いかけたキュルケに、シエスタはアッサリ首を左右に振った。
 まるで総括するかのように、タバサがポツリとつぶやく。

「……実際に見てみるしかない」

「そうなんです。だから、こうやって、自分の目で確かめに行くんです」

「確かめに行く……って、私の今の話を聞いて、それでもタルブへ行くつもりなの!?」

「もちろんです」

 私の驚きを、一言で切って捨てるシエスタ。

「サイトさんが囚われていると聞いた以上、引き返すわけにもいきませんから」

「……わかったわ。それじゃ、今日はここで一晩休んで、明日、一緒に……」

「いいえ」

 シエスタは私の言葉を遮って、

「私は一人で、ルイズさんたちより早く行かせていただきます」

「一人で!?」

「はい。私一人で、サイトさんを助け出します」

「無茶よ!」

 私たちの声がハモった。

「大丈夫です。私には、これがありますから」

 ニッコリ笑いながら、ゴソゴソと荷物の中から取り出したのは、一つのフライパン。
 一見ただのフライパンだが、私たちは知っている。これは魔鳥ザナッファーの鱗から作られたと言われるシロモノで、シエスタ曰く『とっても頑丈で、悪い人とか怪物とか叩いても平気!』なのだそうな。
 実際、以前にシエスタは、これを振り回したり投げつけたりしていたわけだが……。
 相手は冥王(ヘルマスター)だぞ!? こんなものが通用するはずもなかろうに!?

「……」

 驚き呆れる私たちを前にして、ただただシエスタは、メイド・スマイルを浮かべるだけであった。

########################

 コンッ、コンッ。

 扉を叩くその音に、私は、部屋の戸口を振り向いた。
 その日の夜。
 全員が、宿のそれぞれの部屋に引きあげた後である。
 私もそろそろ眠ろうかと、ベッドに入りかけて……。
 そこに、ノックの音がしたのだった。

「ルイズさん、起きてますか?」

 扉の向こうから聞こえてきたのは、シエスタの声。

「うん。起きてるけど……」

 答えて私は、掛け金を外し、扉を開ける。
 そこには、えらく真剣な面持ちで、ジッと佇むシエスタの姿。

「話したいことがあるんですけど……かまいませんか?」

「……う……うん……。いいけど……どうしたの? さっきの話の続き?」

「違います」

 彼女は後ろ手に扉を閉めて、安づくりな椅子に腰かけた。
 向かい合う形で、私はベッドに腰を下ろす。

「単刀直入に聞きますけど……」

 ヒタッと真っすぐ、私の瞳を覗き込みながら、シエスタは言った。

「ルイズさんは、サイトさんのこと、どう思ってます?」

「クラゲ頭のバカ犬。……でも、私の使い魔」

「使い魔……ですか。やっぱり」

 フウッとため息をつくシエスタ。
 ……なんだ?

「そうじゃなくて、好きか嫌いか、というのを聞きたいのですが……」

「……そりゃあ、まあ……自分の使い魔を嫌いなメイジなんて、いるわけないでしょ?」

「……そうですか」

 再びシエスタは、深いため息を一つ。
 それから、なぜかあさっての方を向いて、

「……以前に旅をご一緒させていただいた時……確か、言ってましたよね。サイトさんを元の世界に戻す方法を探している、って」

「うん」

「でも、それって、サイトさんを帰してしまうってことでしょう? 離れ離れになるってことでしょう? ルイズさん、それでいいんですか?」

「……いいも何も……。サイトは元々、この世界の人間じゃないんだから。仕方ないでしょ」

「仕方ない……ですか」

 またまた、ため息をつくシエスタ。

「サイトさんは、ルイズさんにとって、せっかくの使い魔のはず。それを『仕方ない』で済ませられるのですか?」

「だって……サイトが帰りたい、って言うなら……」

「そうですか。やっぱり、サイトさんの意志次第なんですね」

 そしてシエスタは、何やら遠い目で語り出す。

「昔……サイトさんがタルブの村に滞在していた時……一緒にお風呂に入ったことがあるんです」

 知ってる。その話、前にも聞いたし。
 私としては、聞いていて何となく不愉快になる話なのだが……。
 なぜ、わざわざその話を蒸し返す?

「でもサイトさん、何もしようとしないどころか……私の裸を見ようとすら、しませんでした。必死になって、目を逸らしちゃって」

「……そ、そうよ。あ、あいつ、ああ見えても、結構まじめな奴なのよ! だって私の使い魔なんだもん」

 シエスタとの入浴の一件は、私の使い魔になる前の出来事。それくらい承知している私だが、それでもつい、そんな言葉が口から出てしまう。

「……わかりました」

 いったい何がわかったのか、シエスタは苦笑を浮かべて、椅子から立ち上がった。

「私は明日の朝早く、宿を発ちます。サイトさんは、なんとか私が助け出してみせます」

 あらためて、無謀な宣言をするシエスタ。

「それじゃあルイズさん、おやすみなさい」

 挨拶を残して、彼女は部屋から出ていった。
 ……あとには、ただ……。
 なぜだか自分でもわからぬまま、奇妙なやるせなさだけを胸に抱えた私が、一人、部屋に取り残された。

########################

「……本当に行ってしまいましたね、シエスタさん」

 おだやかな朝の光の中、草原を横切る道を行きながら、姫さまがポツリとつぶやいた。
 ……翌日の朝、私たちが目を覚ました時には、すでにシエスタは出発した後だったのだ。

「無茶をしなければよいのですが……」

 シエスタ本人は、そんなに無茶をする気はないと言っていたが、冥王(ヘルマスター)に立ち向かうこと自体が『無茶』なわけだ。
 まあ少なくとも、私の巻き添えでラーシャート=カルロに狙われることはないはず。その意味では、とりあえずタルブに着くまでは、私たちより彼女の方が安全かもしれない。
 ……などと考えたのが、良くなかったのか。

「……来ましたね」

 私たち四人と一匹——私と姫さまとタバサとキュルケとフレイム——は、ほとんど同時に足を止めていた。

 ……ざわりっ……。

 草原の緑が、風に音を立てた。
 私たちの他に、街道を行く人影はない。
 真っすぐに伸びる道の果てには、ただただ青空が連なるばかり。
 ついしばらく前までは、向こうに山が見えていたはずなのに……。

「……竜将軍の結界」

 タバサがポツリとつぶやいた。
 辺りを見回すが、誰の姿も見えず、ただ向こう脛ほどの高さの草が、一面に生い茂るだけ。
 と、その時。

 ザザザザザザッ!

 街道の右手の草の一部が、大きく波打った。
 それは不規則な動きを見せながらも、確実に、こちらに向かってやってくる。

「来るわ!」

 キュルケの声と同時に、うねりがピタリと静まった。
 同時に、背後で生まれる殺気。
 
「前のはフェイントね!?」

 思い思いの方向へと跳ぶ、四人と一匹。
 ほとんど同時に、後ろから飛び来る閃光が風を灼く。
 光の来た方を振り向けば……。
 そこにはただ、風に波打つ草が茂っているばかり。たった今まであったはずの殺気も、きれいサッパリ消えている。

「気をつけて! 空間を渡ったわ!」

 私が叫んだ瞬間、再び殺気が生まれた。
 今の私たちの後ろ……つまり、最初に草がうねりを見せた方である。

「ルイズ!?」

 姫さまの叫びは、間に合わなかった。

 シュブッ!

 草を薙ぎ分け、私に向かって飛来した一条の光。
 それが私の左脚を直撃し、私は大地に倒れ込んだ。

「くっ……」

 苦痛の声を上げる私に、仲間が駆け寄る。
 姫さまは『水』魔法で治療を始め、タバサとキュルケとフレイムは、私をかばうかのように取り囲み、それぞれ戦闘体勢をとる。
 しかし……。
 どこに攻撃したらよいのだ!?
 光が放たれたのは、草の中から。確かにそこには、少し前まで殺気があったが、何の姿も見えはせず、今はその殺気すら消えている。

「……空間を渡ったなら、姿くらいは見えてもよさそう。何かが草の中に潜んでいる様子もない」

「じゃあ、どういうことなのよ!?」

 冷静に状況を口にするタバサに対して、やや取り乱したように言葉を返すキュルケ。

「まさか……ひょっとして……」

「ルイズ!? 何か……わかったのですか!?」

 治療を続けてくれる姫さまに頷いて、私は呪文を唱え始めた。この程度の痛みならば、呪文を唱えるくらいの精神集中は可能である。
 なおも光は立て続けに、あちらこちらから草をかき分け、飛来する。
 キュルケとタバサとフレイムの炎や氷で迎撃できるので、その威力自体は、たいしたものではないらしい。……まあ、もしも竜将軍の全力ならば、直撃を食らった私の脚などアッサリもげていたことだろう。
 そして……私の呪文が完成した。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 私の杖から生まれた赤い光は、一直線に突き進み……。
 草原の一角、緑なす大地へと突き刺さった。

 るぐぉぉぉぉぉっ!

 絶叫のような轟音が、辺り一帯に響き渡る。
 ユラリと周囲の景色が一瞬ゆがんで……。
 あとには、元どおりの光景が広がった。
 遠くには、山の連なり。
 そう。結界を破ったのだ。

「今の結界……大地の全て、世界そのものが魔族の体だったんでしょ!?」

 どこかにいるはずの敵に向かって、私は声を上げた。
 姫さまのおかげで、脚の傷も回復。立ち上がった私は、あらためて杖を構える。

「……そのとおりだ……」

 空間が揺らぎ、朱黒い甲冑を纏ったラーシャート=カルロが、その姿を現す。

「……よくぞ見抜いた……たしかにあの結界は私そのもの……もう少し追い込めるかと思ったが……」

「どうやら今の一発……かなり効いたみたいね」

 心なしか声に張りがないのを見てとり、私は、からかうように言ってやった。
 いくら竜将軍といえども、さすがに体の内側から『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』を食らっては、ただではすまないらしい。
 まあ、こちらも、つい今しがたまでこいつの体の中に入っていたかと思うと、それだけで気分が悪くなってくるのだが……。

「……フン。まあいい、こうなれば……正面から戦うまでだ!」

 言ってズラリと剣を引き抜く竜将軍。
 同時に。
 水と氷と炎の魔法が、立て続けにラーシャート=カルロを襲う。
 私が敵と舌戦を繰り広げる間に、仲間が呪文を唱えてタイミングよく攻撃する。なんだか、これがパターン化してきたっぽい。
 しかし。

「効かぬわっ!」

 一括と同時に振り上げられた、ラーシャート=カルロの一刀。それだけで、全ての魔法が弾き跳ばされる。
 そして、この時。
 私の真後ろに、もう一つの殺気が現れた。
 ……モルディラグだ!
 しかし、いきなり現れることも、その場所も、半ば予想済み。ラーシャート=カルロ用にと唱えていたエクスプロージョンを、私は振り向きざまに解き放つ!

「……!?」

 不意をつかれて避けきれず、まともに食らって吹っ飛ぶ、白い魔族。
 ……いや、私のエクスプロージョンの直撃で『吹っ飛ぶ』だけですむというのは、こいつも結構たいしたものだ。
 ラーシャート=カルロほどではないにしても、やはり『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』あたりを使わなければ倒せないか……。
 と、私がザコ一匹に手間取っている間に。

「いくどやったとて無駄なこと!」

 四方向からの同時攻撃——姫さまとタバサとキュルケとフレイム——を軽くあしらいながら、ラーシャート=カルロは、私たちを鼻先で笑っていた。
 やはり、ラーシャート=カルロは強い。
 今回は姫さまたちを相手にしており、本命である私のことは配下のモルディラグに任せているようだが……。こいつらがキチッと連係してかかったきたら、私たちは今以上のピンチに陥るであろう。
 ……いや。
 コンビ攻撃云々ではない。竜将軍一人でも、私たちを一蹴するくらいの実力はあるはず。
 そもそも、いったん体内に取り込んだのだから、そのまま私たちを消化するなり窒息させるなり出来そうなものなのに……。

「もしかして……」

 ……こいつら、実は私を倒したくないのか!?
 その瞬間、ある想像が私の脳裏に閃いた。
 突拍子もない考えではあるが……ためしてみる価値はある!

「……くっ……! そろそろ精神力が……」

 突然ガクッと膝をつき、肩で荒い息をする私。
 ……演技である。
 たしかに『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』は、連発するにはキツイ呪文であるが、しょせん魔王の力を『借りる』魔法。系統魔法ではないので、虚無魔法ほど、私自身の精神力を消耗したりはしない。
 でも、ここら辺の微妙な違いは、どうせ私にしかわからないので……。

「ルイズ!? どうしたのです!?」

 慌てて振り向いたのは、姫さまだけではない。
 ラーシャート=カルロが嘲りの声を上げた。

「どうした!? 戦術を間違えて、もう魔力が尽きたか!? 愚かな!」 

「……ま……まだよ。あと一発くらいは撃てるわ……」

 引っかかってきたラーシャート=カルロに対して、私は精一杯の演技を続ける。 
 すると。

「フン、残り一発か! ならば……撃ってこい! きさまの最大の技を、な! ……この竜将軍が、はねのけてくれるわ!」

 言って、大きく両手を広げた。
 ……このやりとりは、姫さまたちの目にも異様に映ったらしい。疑問の視線で、私とラーシャート=カルロとを見比べている。
 チラッと目で「ここは任せて」と合図する私。続いて、ラーシャート=カルロの挑発に応じるかのように、私は小声で呪文を唱えながら、ヨロヨロと立ち上がり……。
 杖を白い魔族に向けた!

「何っ!? 私ではないのかっ!? 卑怯なっ!」

 竜将軍の非難を聞き流しつつ、私は魔法を放った。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 魔王の力を借りた術が、モルディラグに直撃する!

「ぉぉぉおおおおおぉぉぉん……」

 断末魔のうなりは、獣の遠吠えにも似ていた。
 さすがに『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』には耐えきれず、白い魔族は光と化して……。
 あとかたもなく消え去った。

「……モルディラグが……やられたのか……」

 悔恨のつぶやきが、ラーシャート=カルロの口から漏れる。

「ちぃっ! この借りは……必ず返すぞっ!」

 竜将軍は私をギッと睨みつけ、しらじらしい捨てゼリフを残して、虚空に消えた。
 ひとまずの戦いは終わったわけだが……。

「どういうこと? あなた、この程度で精神力が尽きたりはしないでしょう?」

 いぶかしげな目で、私に疑問を投げかけるキュルケ。付き合いの長い彼女には、私の嘘もバレバレである。

「……うん。ちょっと……ためしてみたいことがあってね」

 つい口元に、ニヤリと笑みが浮かんでしまう。
 そんな私に、今度はタバサが声をかけてきた。

「……敵の撤退の仕方もおかしい。逃げる必要はなかった」

 私の魔力がカラッポになったのであれば、向こうとしては、むしろ攻撃のチャンスだったはず。
 一応、仲間の魔族を失ったから、という撤退理由があるにはあるが……。一人では戦えないほど、竜将軍がひ弱なわけもない。

「そうね。あっちはあっちで、嘘つきだったのよ」

 そもそも、私がモルディラグに杖を向けた時。卑怯だの何だの、文句を言っている暇があったら、白い魔族をガードしてやればよかったのである。
 でもラーシャート=カルロは、それをしなかった。
 つまり……。

「どういうことなのです?」

「竜将軍を倒す手が見つかった……ってことですわ、姫さま」

 小さく微笑んで、私は言った。

########################

 小高い丘の向こうへと真っすぐに伸びる、石を敷き詰めた街道。
 右手に小さな林と、遠くに山が見える他は、ただ一面の麦畑。
 午後のうららかな陽射しの中、私は一人、伸びゆく道を歩いていた。
 人の姿もない街道であるが……。

「殺気がモロ出しになってるわよ、竜将軍さん。それで待ち伏せのつもりなら、あんた落第ね」

 私はヒタリと足を止め、風につぶやいた。

「……とりまきどもの姿が見えんな」

 声は、私の後ろから聞こえてきた。
 風にマントをたなびかせ、ゆるりとそちらを振り向けば……。
 緑なす大地を背景に、佇む竜の甲冑姿。

「先にタルブに行ってもらったのよ。みんなが一緒だと、私としても、あんまり思いきったこと出来ないんだもん」

 そう。
 姫さまたちには、先行してもらっている。シエスタに追いついたかどうかはわからないが、私とは一日分くらいの差がついていると思う。

「……ほぉう。それはつまり……死ぬ覚悟ができた、ということか?」

「逆ね。あんたなんか、本気を出せば私一人で十分……ってことよ」

 前回の襲撃から、すでに数日。気力体力ともに、私はバッチリである。

「大口を叩きおって。……しかし、いずれにしても……」

「そう! ここで決着をつけるわ!」

 言って私は後ろに跳び、間合いを広く取ってから、呪文の詠唱に入る。

「いいだろう! 望むところだ!」

 ラーシャート=カルロが、数発の光球を放つ。
 私が大きく横に跳んだ直後、光球は街道の敷石に当たって弾け、大地にいくつもの穴をうがつ。
 こうして逃げながら、私は呪文詠唱の時間を稼ぎ……。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

「無駄だと言ったはずだぞ! 私を倒したければ、それ以上の魔法を使ってみろ!」

 嘲りの声を上げ、私を挑発するラーシャート=カルロ。
 しかし、私が狙ったのは彼ではない。
 生まれ出た赤い光は、彼の足下に炸裂する。

 グゴォゥンッ!

 巻き起こった爆発に、風が震え、草がなびく。
 もちろん、こんなものはラーシャート=カルロには痛くも痒くもないが……。
 爆音の余韻も消えぬそのうちに、私は次の呪文を唱えつつ、舞い上がる砂埃を突っ切って、ラーシャート=カルロに向かって走っていた。
 砂埃の壁を抜けて、飛び出たところには、やや間を置いて佇むラーシャート=カルロの姿。

「馬鹿め! 今のが目くらましのつもりか!?」

 吠えて彼は、自慢の魔剣を大きく振りかぶる。
 衝撃波を放つつもりだ。
 私が身をかわすうちに、体勢を整える予定だったようだが……。
 ……その計画は狂う!
 私は竜将軍へと速度を上げながら……そのまま両の目を閉じた!

「なにっ!?」

 驚愕の声を上げるラーシャート=カルロ。
 一方、私は。
 剣風の衝撃波が来れば、それでおしまいであろう。
 ……しかし。
 衝撃波は来なかった。

「……ふっ」

 軽く笑いながら、ラーシャート=カルロのすぐ前まで来て、ようやく両目を開く。
 ラーシャート=カルロは、ためらいと驚きとが混じった表情で、剣を振り上げたまま硬直していた。
 ……この距離ならば、はずすわけもない!

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 ざぶっ!

 私が生み出した虚無の刃は、まともにラーシャート=カルロの胸を貫いていた。

「……き……! きさ……ま……!?」

「あんたじゃ役者が足りなかったわね」

 苦悶の表情を浮かべる彼に、私は不敵な笑みを浮かべて言った。

「あんたが仕える主人を変えたことくらい、もう、とっくにバレバレなの。……今じゃ冥王(ヘルマスター)の部下なんでしょ」

「……な……!?」

 当てずっぽうだったのだが、この反応からすると、正解だったらしい。
 ……しかし冥王(ヘルマスター)云々はともかく、こいつが私を殺す気がないってことだけは、確実だと思っていた。
 不自然な点が多すぎたからだ。
 そもそも、私を殺して冥王(ヘルマスター)の鼻をあかすのが目的ならば、街の中で結界を張る必要もなければ、それが破られたからといって退却する必要もない。
 しかも、この前など、わざとモルディラグを犠牲にしてまで、撤退していったのだ。

「……だいたい、襲撃と襲撃の間も空きすぎてたのよね。まるで、私の回復を待っていたかのように」

「……くっ……」

「ほら、そうやって『図星です』って顔に表れちゃう。あんた、ダイコン役者もいいところだわ」

 思い起こせば。
 もはや弱体化した魔竜王(カオスドラゴン)のことを、冥王(ヘルマスター)は何と言っていたか。

『もう彼女は殺すにも値しませんが……だからといって、この世界に留まられても困りますからね』

 そう。
 この世界に『魔竜王(カオスドラゴン)』が存在したままでは、冥王(ヘルマスター)には迷惑だったのだ。
 ……それでは竜将軍たちが、いつまでも『赤眼の魔王(ルビーアイ)』に従わないから。
 しかし今、その『魔竜王(カオスドラゴン)』は消え去った。
 そして。
 ラーシャート=カルロ自身も、言っていたではないか。

『あれは、もはや、単なる人間の少女。我が主、魔竜王(カオスドラゴン)様ではない……』

 と、いうわけで……。
 竜将軍たちは、魔族本来の支配基準に戻ったのである。
 つまり、彼らが従うのは『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥ。
 そしてその下で、ある計画をもくろんでいる冥王(ヘルマスター)。

「おそらく……私を追いつめて、例の呪文を使わせろ……って命令、受けてたんでしょ?」

 確認のため、あらためて私は、ラーシャート=カルロを問い詰めるが……。
 あ。
 こいつ、もう答える力も残ってないや。

「……さすがの竜将軍も、闇の刃を突き刺されたままじゃ辛いのね……」

 つぶやいて、私は黒い刃を真横に薙ぎ払った。

「るおおおおおおおおっ!」

 風を震わせ、悲鳴が渡る。
 ラーシャート=カルロの体は、無数の赤い雪と化し、緑なす野に舞い散った。
 ……最初は魔竜王(カオスドラゴン)に。そしてその後は冥王(ヘルマスター)に。駒として扱われ続けた竜将軍ラーシャートの、あまりにあっけない最期であった。
 しかし……。

「あんたが名前と姿を騙ってた『カルロ』は、ロマリアの聖堂騎士隊の隊長だったのよ。そして冥王(ヘルマスター)こそが、今のロマリアの教皇聖下……」

 ある意味、冥王(ヘルマスター)の配下に入ったということは、ロマリアの教皇聖下に仕えていたということ。

「……最後にそれっぽい仕事が出来て、よかったじゃない」

 滅び去ったラーシャート=『カルロ』に向けて、つぶやいてから。
 私は再び、伸びゆく街道を歩き始めた。





(第四章へつづく)

########################

 ずっとラーシャートをラーシャート=カルロと呼び続けていたのは、こういう最期を考えていたからでした。

(2011年8月10日 投稿)
  



[26854] 第八部「滅びし村の聖王」(第四章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/08/13 23:04
   
「……ふぅ……ん……?」

 私が思わず立ち止まり、つぶやいたのは、森に足を踏み入れて、いくらも行かぬうちのことだった。
 ひんやりとした空気に満ちる緑の匂い。
 虫の音ひとつ、鳥の声ひとつ聞こえはせず、ただ、木の葉のざわめきだけが耳につく。
 一見、ごく普通の静かな森であるが……。
 ここは『臭気の森』なのだ。位置的には。
 かつてタルブの村に大きな被害を及ぼした、魔鳥ザナッファー。その残骸がこの地によどみ、留まり、異様な匂いが立ちこめる森となった。だがその『臭気の森』も、私たちが関わった事件で、タルブの村ともども消滅している。それが、こうして復活しているということは……。

「……やっぱり、何かおかしなことが起こってるのね」

 かつてのような独特の『臭気』はない。ザナッファーの破片っぽいものは転がっているが、匂いがしない以上、本物かどうか怪しいものである。
 まあ、森を歩く身としては、クサいよりはクサくない方が快適。文句を言う必要もないであろう。
 快適と言えば、もう一つ。ラーシャート=カルロを倒して以来、私の旅路を遮るものはなくなっていた。
 ならば、あるいは姫さまたちに追いつけるかと、足を早めもしてみたが、結局ここまで追いつけずじまい。
 立ち寄った村や街での噂を聞いたところ、みんなはどうやら、私より二日ほど先行しているようである。
 そして、他にも噂でわかったことがある。
 すなわち。
 やはり、タルブに村ができているらしい、ということ。
 私が今朝あとにした村の人の話によれば、ある日、まさに突然、タルブは復興していたという。
 しかも、タルブに住んでいる人々は、壊滅前と全く同じ面々だったという。
 いったい何がどうなっているのかと彼らに尋ねても、返ってくる答えは『それは言えない』の一点張りだったらしい。

「冥王(ヘルマスター)は、タルブの村に何をしたのかしら……?」

 歩きながら声に出して考えてみたが、それでよい考えが浮かぶわけもない。
 それでもあれこれ考えつつ進むうち……。
 不意に視界が開けた。
 森を抜けたのだ。
 目の前に広がっているのは……かつてと同じ、タルブの村の光景だった。

########################

 村はいたって平穏である。
 道ゆく人々。走り回る子供。通りに軒を並べる民家や露店。
 ざわめきと賑わいが、辺りの空気を満たしていた。
 おかしな様子は見受けられない。通りを歩く村人の中に、やたらメイド姿の女性が多いのが目につくが……これもメイドの名産地ゆえ、と思えば不思議ではなかった。
 ……しかし。
 これら村人が、まっとうな人間のはずもない。冥王(ヘルマスター)のつくり出した幻か、最悪、すべてが魔族などという可能性すらあるのだ。

「……ともあれ、まずはみんなを探し出すことね」

 自分に言い聞かせるように漏らしてから、私は、手近な露店に向かった。
 ジュースを買って、店のおばちゃんに代金を払い、姫さまたちの姿を見なかったか聞いてみる。
 学生メイジ姿の少女三人が、火トカゲを一匹連れて歩いているのだ。しかも、姫さまは私以上の美少女、キュルケやタバサだって、それなりの容貌である。目立たぬわけがない。

「……美少女三人組……ねぇ……」

 店の彼女——どこからどう見ても普通のおばちゃんにしか見えない——は、しばらく考えてから、首を小さく左右に振り、

「記憶にないねぇ……」

「三人とも私と同じ格好だったはずよ。あと、火トカゲが一匹、いっしょなんだけど……」

 ジュースを飲みながら問う私に、やはりしばらく考え込んでから、

「……やっぱり記憶にないねぇ……悪いけど。ほかをあたっておくれ」

「そうね。そうするわ。ありがと、おばさん」

 私はジュースを飲み干すと、再び通りを歩き始めた。
 ……予想外なほど、普通のリアクションである。声をかけたとたんに冥王(ヘルマスター)の部下として本性を現す、なんて事態まで想定していたのに……。
 しかしそうなると、片っ端から歩き回ってみるしかないか……それはそれで面倒……。
 などと思いつつ、しばらく通りを進むうち。

「ルイズさん!」

 ざわめきの中、聞こえてきた声に振り返れば、通りの向こうに佇む見知った人影ひとつ。
 カチューシャでまとめた黒髪とソバカスが、メイド服に可愛らしく映える。

「シエスタ!?」

「無事だったんですね! ということは、あなたを狙っていた魔竜王(カオスドラゴン)一派の生き残りというのは……」

「とっくに片づけちゃったわ。……と、それより……」

 通りの人ごみを分け、彼女の方へと向かいながら、軽く答える私。
 今度はこちらが尋ねる番だ。

「……姫さまたち、知らない? たぶん二、三日前に、ここに着いてるはずなんだけど……」

「そのことなのですが……」

 彼女は、やや言いにくそうにつぶやく。

「実は……昨日から、みなさんの姿が見えないのです」

「姿が見えない!? ……ちょっと待って! その言い方だと、一度は姫さまたちと合流したのね!?」

「はい。……とりあえず、歩きながら話しましょう」

 シエスタは、通りを真っすぐ歩きながら、ポツリポツリと話し始めた。

「私がここに着いたのは、数日くらい前のことでした。……ええ、何も変わっていませんでした、村が荒野になる前と。……つい……誘われるように……私はメイド塾に行って……」

 言う彼女の声が、かすかに震えている。
 自分でも気づいたのか、いったん言葉を切って。
 説明をつけ加えながら、彼女は話を再開した。

「……メイド塾は、私の生家で開かれてるんです。だから……そこには私の家族が……。そう、出迎えてくれたんです……あの日死んだはずの父が。いつもと同じ、やさしい笑顔で。『お帰り、シエスタ』って……」

「……シエスタ……」

「……ずるいですよね……こんなの……。本当はみんな生きてるはずない、ってわかっていても……ふと、村が壊滅したなんてことの方が悪い夢だったんじゃないか、って……」

 私より数歩先を進む彼女は、肩を震わせていた。
 しばしの沈黙の後、小さく息をついてから、ややしっかりとした口調で、

「……ごめんなさい。話を元に戻します。その幻だか何だかに惑わされたことは事実ですけど、村のこともそれなりに調べました。今のところ、一番怪しい場所が……ここです」

 言って彼女は、ピタリと足を止めた。
 私たち二人は、いつしか通りを抜けて、ほぼ村の中央近くまでやって来ていた。
 かつては『神聖棚(フラグーン)』を取り囲むように、かなり大きな広場となっていたのだが……。

「……これ、ね……」

 眼前に佇む建物に視線を送り、私はポツリとつぶやいた。
 噂どおりの、異様な建物だ。灰色の石とおぼしきもので作られた、どことなく神殿をイメージさせる巨大建造物……。
 まあ巨大といっても、ボリュームそのものは、たいしたことない。おそらく一階建てであろう。
 問題なのは、その広さである。
 まるで『神聖棚(フラグーン)』を覆い隠すかのように、中央広場の敷地いっぱいに、ほぼ村の一区画ほどの広さに渡って建てられていた。

「どう考えたところで、これが怪しいのは目に見えています。冥王(ヘルマスター)が潜んでいるのも、そしてサイトさんが囚われているのも、たぶんこの中でしょう。……でも、これでは中に入れません」

 彼女の言うとおり。
 この建物の特徴は、窓も扉もないこと。
 すなわち、出入り口が一切ないのだ。

「……父や村の人たちにも聞いてみましたけど、『答えられない。あれが何なのか、想像のつく人間には説明する必要もないし、逆にわからない人間には、説明しても意味がない』と……」

「……なるほどね。ということは、どう考えたところで、冥王(ヘルマスター)がらみってことね……」

「ええ。そうこうしているうちに、二日前、タバサさんたちが……みなさんが、この村にいらっしゃいました」

 私からしてみれば、一行の中心は姫さまなのだが……。
 まあ、シエスタにとっては、一番つきあいが長いのはタバサだから、彼女が代表になるのかしら。

「……一日、この建物を調べて、私の生家に泊まり……。昨日の朝、やはりもう少しここを調べてみる、と言って出かけられたそれきり、私の家にも戻って来られませんでした」

「ここを調べる……か……」

 言って私は、まじまじと再び、目の前の建物を見つめた。

「……ということは……ひょっとしたら姫さまたち、入り口を見つけて中に入っちゃったのかもね」

「隠し扉……ですか」

 シエスタがつぶやく。
 魔法の使えぬシエスタとは違って、姫さまたちには飛行能力がある。案外、上から見たら何か見つかるかもしれないのだ。
 あるいは、『ディティクトマジック』で何か探知した、という可能性も考えられなくはない。

「けどそれなら、いったん戻って、私にそのことを言ってから、一緒に出向いてもいいと思うんですけど……」

「……そうとも限らないんじゃない?」

 シエスタがサイトをどう思っているのか、それは私にもわかるくらいだ。姫さまはともかく、キュルケあたりには、とっくにお見通しのはず。
 そんなシエスタが、この中でサイトを目にしたら、どう先走るものやら……。それを心配して、敢えて彼女には言わずに、三人と一匹だけで突入した、という可能性もあるだろう。
 そもそもシエスタは、戦力としては完全に足手まといなレベルだし。
 ……と色々理由は考えられるのだが、敢えて今、シエスタに告げる必要もあるまい。

「……まあ、何にしても、入り口を見つけるのが先決ね」

 言いながら私は建物に近づいて、その壁を調べ始めた。
 材質は全て石……のようなもの。質感は間違いなく石のそれなのだが、では何の石か、と問われれば、私は困ってしまう。今まで全く見たこともない種類のものなのだ。
 壁面には一カ所の継ぎ目すら見当たらず、ところどころに、彫刻を施した柱が立っているのみ。かといって、柱のほうにも仕掛けっぽいものはなさそうで……。

「ああ、もう! 鬱陶しいわね。……入り口がなければ、作っちゃえばいいのよ!」

「ルイズさん!?」

 途中で調べるのが嫌になった私は、呪文を唱え始める。
 切れ味バツグンの闇の刃で、サクッと切り裂いちゃおう、というわけである。

「……天空(そら)のいましめ解き放たれし……凍れる黒き虚無(うつろ)の刃よ……」

 しかし。
 最後まで呪文を唱える必要はなかった。

 ……ゴグンッ……。

 重く鈍い音を立てて、目の前の壁の一部が、建物の奥へと移動し始めたのだ。

「……なるほど。冥王(ヘルマスター)の奴、『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』で切られるよりは、と考えて、慌てて扉を作ったみたいね」

 呪文を中断して、私は、ポッカリと開いた入り口の中を覗き込む。
 外から見た限りでは、中の様子は全くわからない。まるで黒い幕でも張ってあるかのように、濃い闇が立ちはだかっていた。

「私が先に行くわ」

 いきなりな入り口の出現に、シエスタが驚いている隙に。
 一人で入っていく私。
 闇の境界を突き抜けたその瞬間……。
 視界が開けた。

「……あれ……?」

 思わずつぶやいた私の前には、タルブの村の景色と、茫然と佇むシエスタの姿。

「……え……?」

 慌てて後ろを振り向けば、ポッカリ開いた入り口と、その奥にわだかまる闇がある。

「あの……ルイズさん、もう出てきちゃったんですか?」

 疑問を投げかけるシエスタに、私は首を横に振ってみせた。
 私は出てきてなどいない。真っすぐ中に入っていったはず。
 はず、なのだが……。

「……ちょ……ちょっと待ってね」

 私は試しにもう一度、彼女に背を向け、入り口の奥の闇をくぐり……。
 やっぱり同じ場所に出てきた。

「……何やってるんですか?」

「うーん……」

 私はポリポリ頭を掻いて、

「どうやら冥王(ヘルマスター)の奴、私を中に入れたくないみたいね。なんだか中の空間、おかしなふうに捩じ曲げられてるみたい」

「空間が曲がってる……? 魔法ですか……?」

「いや、私たちメイジの魔法じゃ無理だけど。ある程度以上の魔族になら、わりと簡単な芸みたいよ」

 かつて私は、王都トリスタニアでの事件の際、歪められた空間の中に閉じ込められたことがある。
 仲間が一緒の時は敵を倒したら脱出できたし、一人きりのときは外からサイトが助けてくれたのだが……。
 今回は倒すべき敵には出会わなかったし、サイトの助けをアテにするわけにもいかない。

「……とはいえ、問題なのは、なんで冥王(ヘルマスター)が私をここに入れたがらないか、ってことね。せっかく私が来てやったというのに……」

「そもそも……冥王(ヘルマスター)の狙いって、何なのです?」

 いきなり根本的な質問をしてきたシエスタ。
 ふむ。
 まだ姫さまたちにも話していないが……。ここでシエスタに語ってみるのも、一興かもしれない。
 どうせ私たちの会話は冥王(ヘルマスター)にも筒抜けだろうし、何らかの反応が返ってくるかも。

「おそらく……奴は、私に『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使わせたいのよ」

「それって……例の『金色の魔王』の魔法ですか!?」

「そう。あんたの言ってた……世界が滅ぶ、って奴よ」

 絶句するシエスタ。
 それ以上は言わずとも、だいたい理解したらしい。
 つまり。
 冥王(ヘルマスター)が望んでいるのは、私が『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』の制御に失敗して、この世界が滅亡すること。

「……わざわざ私を『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のもとまで導いたのも、そのためね。……魔族に踊らされるしかなかった私が、対抗策として『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に関する知識を得ようとする……。それを見越した上での行動だったみたい」

 かつての私の『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に関する知識は不完全なものであり、おそらく、過去に私が使った『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』も、呪文の唱え損ないレベルのものだったのだろう。それでは期待する効果は望めない、と冥王(ヘルマスター)は判断したらしい。
 その後ラーシャート=カルロを、いぜん敵のフリをさせたまま送り込んできたのも、私に『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使わせるため。追いつめられた私が、秘奥義として完全版『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使い、コントロールをミスる……。それを期待していたのだ。
 しかし私は真相を見抜き、彼をアッサリ倒した。冥王(ヘルマスター)の部下では私を殺せない、と私が理解している以上、奴が出来る手段はただ一つ……。

「じゃあ、ダメじゃないですか! 冥王(ヘルマスター)は……サイトさんを人質にとって、きっとこう言いますよ! ……『あの呪文を使ってみろ、断ればこいつを殺す』って!」

 そう。
 おそらく奴は、そうするつもりだ。
 私が静かに頷くと、シエスタが取り乱し始めた。

「ああ! それは困ります! サイトさんが殺されるのも困るし、世界が滅ぶのも困るし……」

 そして彼女は、ガバッと私の両肩をつかんで、

「とりあえず! 今日は帰りましょう!」

「……え?」

「今の話を聞いた以上、何の備えもなく、ルイズさんを冥王(ヘルマスター)に会わせるわけにはいきません!」

「でも……帰るといっても……」

「私の家に来てください! どうぞしばらく泊まってってください!」

 彼女の誘いに、私は一瞬迷ったが……。
 ここで頑張っても中に入れないならば、今日のところは、おとなしく引き下がるしかない。そして、どこかに泊まるというのであれば、どうせこの村、どこに泊まるにしろ、しょせん冥王(ヘルマスター)の手のひらの上である。

「それじゃあ……お願い」

 頷く私のすぐ後ろから、かすかに重い音が聞こえてきた。
 振り向けば、もはやそこに入り口はなく、ただ、薄灰色の石壁が連なっているだけであった。

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「……シエスタの御友人ですか。ようこそいらっしゃいました」

 タルブの村の一角にある、メイド塾を兼ねた大きな家。
 昼食のテーブルで、このメイド塾の塾長、つまりシエスタの父親——いや彼の姿をした何か——は、笑顔で私に語りかけてきた。
 貴族に対する平民の態度としては、もう少しかしこまったものがあってもおかしくないのだが……。たぶん、多くの人々の上に立つ『塾長』という立場のせいで、この程度なのだ。まあ、別に私も不快じゃないからいいけど。
 ……シエスタが、村の壊滅をただの悪夢と思いたがる気持ちもわかる。どこからどう見ても、ただの人である。そして、それは彼に限ったことではない。

「さあ、どうぞ」

 必要以上に多いメイドたち——おそらくここの塾生たち——も、ニコニコ笑顔で甲斐甲斐しく給仕をしており、どこにもおかしな様子は見られない。
 ……それでもやはり、彼らは本来、ここに存在するはずのないものなのだ。
 こちらとしては、どう対応したものか、迷う気持ちもあるのだが、とりあえず普通に接してみることにした。
 つまり。
 あたりさわりのない話を続ける塾長さんに、適当にあいづちを打ちながら、私は頃合いを見計らって聞いてみた。

「……ところで塾長さん。村の中央広場にできた、あの建物。あれって一体何なんです?」

「……ルイズさん……」

 シレッと小声で問いかけた私に、シエスタが小さく非難の声を上げる。
 まあ、その気持ちはわからんでもない。
 なにしろ私は、あれが冥王(ヘルマスター)の拠点と予想しながら、あらためて彼女の父親に聞いているのだ。
 こちらとしては、彼がどこまで知っているのか、探っておきたいだけ。しかし、冥王(ヘルマスター)によって造り出されたであろうモノにとっては、いやがらせ以外の何ものでもない。そして、その『モノ』の姿形、行動、態度は、シエスタの死んだ父親にそっくりなのだ。

「……それは……残念ですが、答えられません」

 困ったような表情で答える塾長さん。
 私は、敢えてさらに突っ込んでみる。

「なんで答えられないの?」

 ふかふかのパンを手でちぎり、口に運びながら聞いてみたのだが……。

「それは……答えられるようにできていないからです」

 さすがに、私の手も止まった。

「……答えられるように……『できていない』!?」

「そうです……。たとえば人間は、水の中で息が出来るようにはできていません。同じように私たちも、その質問に答えられるようにはできていないのです。……情けない話だと、自分でも思いますがね……」

 彼は自嘲ぎみの笑みを浮かべた。

「……父さん……」

 何か言いかけて絶句するシエスタ。
 この瞬間、私は悟った。
 彼は間違いなく、人としての……シエスタの父親としての、そしてメイド塾の塾長としての自我を持っているのだ。
 そして同時に、彼は、自分が冥王(ヘルマスター)に造り出されたかりそめの存在に過ぎないと自覚しているのだ。

「ああ、そうだ!」

 ふと彼は、何か思いついたように。
 かたわらのメイドの一人を呼び寄せ、ひとことふたこと耳打ちする。
 するとメイドは、スタスタと食堂から出ていった。

「……?」

 私が不思議に思う間もなく、すぐにメイドは戻って来る。
 布に包まれた、長い物体を持って。

「どうぞ、これをお使いください」

「……これは!?」

 それは、一本の剣であった。
 ただし、ハルケギニアで一般的に使われる剣とは、やや形状が違う。もしかすると、これもサイトの世界から紛れ込んだ武器であろうか?
 ここでも片刃の剣というのは珍しくないが、この剣の場合、なぜか少しだけ、緩やかに湾曲していた。柄や鍔の部分には独特の装飾があり……。
 武器でありながら、なんだか美術工芸品のような雰囲気があった。

「お仲間のサイトさんは剣士でしょう? 彼には相応しいと思いますよ」

 私が思い浮かべたそのままに、サイトの名前を口にする塾長さん。
 彼は、さらに、

「……元々は我が家にあったものなのですが、それを、荒野となった大地から掘り出してきたようです。ですから、この刀は本物です。安心してください」

 ……なるほど。
 これには、冥王(ヘルマスター)の息はかかっていない、ということか。
 こんな剣一本が、奴に対する切り札になるとは思えないが……。
 彼がこうして仰々しく出してくる以上、よほどのシロモノなのであろう。例えば、先祖伝来の家宝である、とか。
 そういえば、シエスタの髪の色はサイトと似ているし、案外、シエスタの先祖もサイトと同じ世界の出身だったりして。それがこの世界に来る際に、持ち込んだ剣だったり……。
 いや、それは空想が過ぎるというものか。

「この刀をあなたにお預けする……。それが、今の私たちに出来る、精一杯なのです」

 複雑な笑みを浮かべる彼に対して。
 私は、もうそれ以上、何も言えなかった。

########################

 昼食の後。
 私は一人で、再びあの建物の前へやってきた。
 だが……。

「……どういうつもりなのかしら……これって……」

 その建物の前で、半ば茫然とつぶやいてしまう。
 入り口がポッカリと開いていたのだ。
 まるで私を待っていたかのように。
 ……午前中は空間まで歪めて私を拒んだくせに、昼を回って来てみれば、扉を開けてお出迎えとは……。
 シエスタと一緒ではなく、一人で来たからなのだろうか? ならば……シエスタがいては都合が悪いことでもあるのか……?
 などと私が考えていたら。

「ルイズさん!」

 そのシエスタが、こちらに向かって走って来た。

「ダメじゃないですか! 一人で勝手に、冥王(ヘルマスター)に会いに行くなんて……」

「でもね、シエスタ。手をこまねいて、相手の出方を待つ、ってわけにもいかないし……。ほら、今度は入り口も開いてるし」

「……あ!」

 ここでようやく、シエスタも気づいたらしい。
 まだ開いたままなので、一人か否か、というのは無関係なようだ。

「ルイズさん……これって……冥王(ヘルマスター)の準備が完了、ってことなのでは……?」

「そうみたいね。こっちもモタモタしてられないわ。……行くわよ」

「止めても無駄なようですね……」

 シエスタは、意を決した表情で、

「ならば……せめて、私も一緒に行きます。私が……これでサイトさんを救出します。この……サイトさんの刀で!」

 いつものフライパンに加えて、シエスタは、あの刀を持参してきていた。
 たしかに塾長さんは、サイトに相応しいと言っていたが……。
 すでにサイトには、デルフリンガーという相棒がいるんだぞ!?
 どこの馬の骨とも知らぬ剣を『サイトの刀』呼ばわりしたら、たぶん、デルフがヤキモチ妬くだろうなあ。
 ……まあ、それはサイトを助け出した後での話だけど。

「じゃあ……行きましょう」

 私は大きく息を吸い込み、入り口から中へと一歩、踏み込んだ。
 今度は、午前中のように外に出ることもなく、普通に建物の中へ入り込む。
 その後ろに、半歩遅れてシエスタが続いた。

「何のへんてつもない通路ですね……」

 ごくごく平凡な感想を漏らすシエスタ。
 建物の外側と同じく、薄灰色の壁が、緩やかな弧を描いて左右に伸びている。

「……どっちに行きます?」

「どっちに行っても同じでしょ。どうせ、同じ場所にたどりつくんだわ」

「……え?」

「わざわざ道を左右に分けているのは、私たちを分断するつもりか、あるいは『こっちで正しいんだろうか』って不安にさせるためよ。……だから私たちは、迷わず、不安がらずに思いつきで進めばいいの」

 冥王(ヘルマスター)が、私を自分のところに来させたがっていることだけは、間違いない。
 ならば、いつまでたってもどこにも着かない、なんてことは、あり得ないのだ。

「なるほど……」

 やや不安げな表情で頷くシエスタ。
 私は適当に、右へ進路を取り、彼女も私に続いた。
 二人で、薄暗い通路を黙々と進む。
 奥に進むにつれて暗くなるかと思いきや、通路には、常に一定の明るさがあった。
 魔法の明かりらしきものは見当たらないが、これも魔族の術なのだろう。
 光と闇とが適度に混ざり合い、周囲に漂っている……。そう表現したくなる程度の明るさであり、薄暗さであった。
 そうして、しばらく進むうちに。

「……扉ですね」

 通路の左側——つまり建物の内側——に、一枚の扉があった。
 飾り気も何もない、ただの扉。
 材質は、おそらく周囲の壁と同じもの。
 それでも一応、ごく普通のドアノブがついている。

「……入れ……ってことでしょうね。たぶん……」

 私の言葉に、シエスタも小さく頷いた。
 ノブに手をかけて、ゆっくりと回す。
 当然のように、鍵なんぞ掛かっていない。
 扉は、音もなく開いた。

「……なんとも……おかしな部屋ですね……」

 私に続いて入ってきたシエスタが、グルリと見回しながら言う。
 やたらと広い、丸い部屋。中央にあるのは、これも丸い、クリスタルの柱。
 いや、柱というより塊といった方が適切かもしれない。
 なにしろ、天井と床とを繋ぐその柱は、ちょっとした民家の一室が収まるくらいの太さがあるのだ。

「……いったい……」

 シエスタが何やらつぶやきかけた時。
 薄蒼く輝くクリスタルの中心に、ぼんやりした影が浮かび上がる。

「……あれは!?」

「サイトさん!?」

 声を上げ、二人同時に、クリスタルへと駆け寄った。
 そう。
 ほぼ中心辺りに浮かんだ人影は、まぎれもなくサイトのものだった。
 瞳を閉じ、静かに佇んでいるかのようなその様子からは、無事なのかどうかすら、見てとることも出来ない。
 青と白のいつもの服を着ているが、その手にも背中にも、相棒デルフリンガーの姿は見当たらなかった。
 ……私が冷静に観察しているその横で、シエスタは感情的に叫びながら、クリスタルの柱を叩く。

「サイトさん! サイトさん!」

 その声が届いているのかいないのか、彼はピクリとも動かない。

「……無駄ですよ。それは、ただの映像ですから」

 聞き覚えのある声は、同じクリスタル柱の中から聞こえてきた。
 サイトの姿がユラリと歪んで消えて、次の瞬間。
 クリスタルの中——たった今までサイトの姿があった場所——に、別の人影が映った。

「……!」

 思わずバッと、跳び退く私。
 ……それは、髪の長い美青年であった。
 優しげな目元、そして、彫刻のように整った鼻筋。微笑みがたたえられた、形のよい小さな口。
 まるで役者かと見まごうばかりである。
 加えて、妖精のような輝きや、慈愛のオーラすら放っているのだが……。
 どうせ、そんなものは、まやかしであろう。
 なにしろ、この男こそ……。

「冥王(ヘルマスター)! ……いいえ、教皇聖下ヴィットーリオとお呼びすべきかしら?」

 皮肉を込めて。
 私は、その名前を口にした。





(第五章へつづく)

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 ルイズ一人称では使えない名称(ルイズが知らないはずの単語)があったので、曖昧な書き方になってしまいましたが……。シエスタ父から渡された剣が何なのか、「ゼロ魔」原作を既読の方々には、お察しいただけたかと思います。もしもわからなくても大丈夫、サイト合流後にサイトの口から、その『ルイズが知らない単語』をハッキリ言わせますから。

(2011年8月13日 投稿)
   



[26854] 第八部「滅びし村の聖王」(第五章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/08/16 23:33
   
「冥王(ヘルマスター)! ……いいえ、教皇聖下ヴィットーリオとお呼びすべきかしら?」

 私のその言葉を聞いて、シエスタが数歩、クリスタルから離れる。

「教皇聖下って……ロマリアの……?」

 あ。
 そういえば……。
 冥王(ヘルマスター)の説明した際、言ってなかったっけ。

「ごめん、シエスタ。一つ言い忘れてたけど……今のロマリアの教皇、もう冥王(ヘルマスター)になっちゃってるから。……こいつ、姿や名前を騙ってるわけじゃなくて、本物のヴィットーリオなの」

「……ひっ!?」

 小さく声を上げ、目を白黒させるシエスタ。
 卒倒しそうになったが、なんとか踏みとどまった。失神していられる場合じゃないと、気力で何とかしたらしい。

「……あなたとは初対面ですね。見たところ、貴族ではないようですが……ルイズ殿の従者……いや、仲間というやつですかな?」

 シエスタに対して、笑顔で語りかけるヴィットーリオ=フィブリゾ。怯えるシエスタの様子も気にせず、彼は、さらに言葉を続ける。

「はじめまして。ルイズ殿の言われたとおり……私は、ヴィットーリオ・セレヴァレです。ロマリアの教皇を務めさせていただいております。同時に……」

 その笑顔に、少し邪悪な影がよぎる。

「……『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥ様の五人の腹心の一人、冥王(ヘルマスター)と呼ばれる存在でもあります。ロマリア皇国の教皇と、この冥王宮の主とを兼任しておりますので……聖王でも冥王でも、好きな方でお呼びください」

 ふざけた挨拶をするヴィットーリオ=フィブリゾ。
 どうやら『冥王宮』というのが、この建物の名称らしい。だが、そんなことは、この際どうでもいい。

「……あんた、タルブの村に一体何をしたのよ!?」

 ケンカ腰で問いかける私に、彼はあくまでも穏やかな態度で、

「ちょっと場所を借りているだけですよ。『冥王宮』を作るに相応しい、条件の整った地でしたから」

「条件って……?」

「ほら、ここって、しばらく前に人がたくさん死んでるでしょう? それも、無関係な事件に巻き込まれる形で。……そうなると、自然に、怨念やら何やらが土地に染み込むんですよ。こう見えても私、『冥王』ですから、そうした力を利用できるんです」

 言いながら、ヴィットーリオ=フィブリゾは、意味ありげな視線を私に送る。
 ちゃんと彼は知っているのだ。その『しばらく前』の『無関係な事件』の詳細を。私が関わった事件のせいで、村が壊滅したのだということを……。

「……もちろん、死者の力を一方的に借りるだけでは申しわけない。……そう思いましたので、彼らの残留思念を引っ張り出して、実体を与えておきましたよ」

「……それじゃあ……!? 父さんは……!」

「ああ、あなたの御家族も、そのうちの一人でしたか。どうです、二度と会えないはずの家族と再会なさった感想は……?」

 かすれた声のシエスタに、ふざけた質問で返すヴィットーリオ=フィブリゾ。
 それ以上、シエスタは何も言えなかった。
 ……残留思念に実体を持たせたということは、塾長さんも露店のおばちゃんも、すべては、いわば幽霊のようなもの。しかも、話せることも限られていた以上、何やら制約を課せられていたことは間違いない。
 そんなものと『再会』したところで、素直に喜べるものか……。

「……なかなか悪趣味なことするわね……。午前中は私たちをこの中に入れようとしなかった、っていうのも、どうせまた何か企んでるんでしょう?」

「いや、ただ歓迎の準備をしていただけですよ」

 私の問いに、クリスタルの中のヴィットーリオ=フィブリゾは、ごまかしの言葉で応じた。

「秘密ってこと? あんたも使い魔のジュリオと同じなのね」

「そうそう、使い魔と言えば、あなたの使い魔のことですが……」

 ハッとシエスタが息をのむ音が聞こえた。
 私も身構える。
 こいつ……早くも、サイトを人質にして、あの呪文を使わせる気か……!?

「……彼は魔力のクリスタルの中で、仮死状態になっています。冥王宮を貫き支えるクリスタル柱の、ちょうど一番底の部分ですから……取り返せる自信があるなら、行ってみるといいですよ。……取り返せる自信があるなら、ね」

「言われなくても、行ってやるわ! サイトは私の使い魔なんだもん!」

 自信の有無はともかく、とりあえず、力強く宣言する私。
 ヴィットーリオ=フィブリゾは、何やら興味深そうな目で、

「……ただし。今はダメですよ。先客が来ていますのでね。……そもそも、私がこうやってあなたがたの前に姿を見せたのは、その『先客』の様子をご覧にいれたかったからです」

 言って、クリスタルの中の彼は、パチンと一つ、指を鳴らした。
 とたん、ヴィットーリオ=フィブリゾの姿はかき消えて、代わりに、三人と一匹の姿がクリスタルの中に映し出された。
 
「……姫さま!」

「タバサさん!?」

 そう。
 それは姫さまとタバサとキュルケとフレイム。
 昨日のうちにここを訪れ、姿を消した彼女たちは、今、どことも知れぬ薄灰色の通路を進んでいた。

『昨日来たので、少し早めに招待しておきました』

 姿はなくなっても、どこからともなく、ヴィットーリオ=フィブリゾの声だけは流れて来る。

「まさか……みなさんを殺すのですか……!?」

『そんなわけないでしょう!? 私は慈悲深いのです。無駄な殺生はいたしません』

 シエスタの言葉に、いけしゃあしゃあと答えるヴィットーリオ=フィブリゾ。
 何が『慈悲深い』だ。冥王(ヘルマスター)のくせに!

『……ただ、あなたがた人間が普通にやっただけでは私にはかなわない、ということを知っていただきたいだけなのです』

「……けどひょっとして、姫さまたち……一日中この冥王宮とやらの中を動き回ってたわけ?」

『そういうことになりますね。……でも、安心してください。少し時間をいじくっておきましたから。彼らにとっては、ここに入ってから、そんなに経っていないはずです』

「時間を……操る!?」

「嘘に決まってるでしょ」

 驚きの声を上げたシエスタに、私は冷たく言う。

「たぶん、時間感覚を狂わせておいて、同時に体機能を少し低下させる。そうやって、時間の進み方を遅く感じさせた……ってところかしら」

『おやおや。そんなに複雑に考えるのではなく、もっと単純に……時間そのものに影響を与える虚無魔法だ、とは考えなかったのですか?』

「うーん……。自身を『加速』させる虚無魔法はあっても、他人の時間まで操る魔法はないんじゃない?」

 直感的な意見を述べる私。
 根拠はない。根拠はないのだが、何となく、そう思ったのだ。

『……まあ何であれ、ない、と言い切るのは難しいですね。悪魔の証明というやつです』

 難しいことを言い出すヴィットーリオ=フィブリゾ。私が敢えて無視すると、彼も深くは掘り下げず、

『……さて、そんなことより。そろそろ、王女さま御一行がおいでになられたようです』

 いつのまにか。
 クリスタルの中に映った姫さまたちは、足を止めていた。
 三人と一匹の前に立ち塞がるのは、一枚のドア。
 彼女たちが顔を見合わせている間に、ドアはゆっくりと開く。
 一瞬のためらいを見せてから、姫さまたちはドアをくぐった。

「……あ!」

 私の横で、シエスタが小さな声を上げる。
 クリスタルの映像が、またまた切り替わったのだ。
 今度は、姫さまたちが入っていった部屋の中である。どうやって切り替えているのかは知らないが、なかなか便利なシステムである。
 私たちが今いるここと同じ、だだっ広く丸い部屋。手前には、こちらに背を向けた三人と一匹の姿。
 少し離れた正面には、やはり部屋を上下に貫くクリスタル柱があり……。
 その柱の手前に、ヴィットーリオ=フィブリゾが佇んでいた。

『……ここであたしたちを待ってた、ってこと……? ワザワザご苦労なことね』

 どこからともなく響く、キュルケの声。

『自意識過剰なお嬢さんですな。待っていたのは、あなたがたではありません。今、上にルイズ殿が来ておりましてね……』

『ルイズが!? もう!?』

『はい。あなたがたが頑張っても私には勝てない……。それを彼女に見せて……』

『……ふざけないでください』

 ヴィットーリオ=フィブリゾの言葉を遮り、会話に割り込んでいったのは姫さまだった。その瞳には、怒りの色が浮かんでいる。

『トリステインの王女として、これ以上、魔族の横暴は許せません。あなただって、ロマリア皇国の王なのでしょう!? それなのに……』

『……アンリエッタ殿』

 今度は逆に、ヴィットーリオ=フィブリゾが姫さまの発言を中断させた。彼にしては珍しく、低い、静かなトーンで。

『……たしかに私も、冥王(ヘルマスター)として覚醒する前は、ロマリアの教皇として色々と活動していたのですよ。……王宮で可愛がられていただけの、どこぞのお姫さまとは違って、ね』

『……うっ……』

 ヴィットーリオ=フィブリゾが揶揄している相手は明白である。
 姫さまは小さな呻き声を上げたが、彼はそれを無視して、話を続ける。

『例えば、大隆起を防ぐ手段を模索して、奔走していたこともあるのですよ』

『……大隆起……?』

『ほら、ね。あなたは、そうした現象の存在すら知らなかったのでしょう?』

 そして、まるで小さな子供に諭すかのように、

『……アルビオン大陸も、昔はハルケギニアの一部だった……。そんな噂を聞いたことはありませんか?』

 その話は、私も耳にしたことがある。

『私たちが住むハルケギニアの地下には、大量の風石が眠っています。御存知のとおり、風石とはフネを空に浮かべるために使われている物質です。この世界を司る力の源の雫……などと表現する者もいますが、わかりやすく言えば、精霊の力の結晶です』

 そう。
 風石は先住の風の力の結晶なのだから、『この世界を司る力』というのも、亜人たちの言うところの『大いなる意志』のことであろう。
 そして『大いなる意志』とは『混沌の海』と呼ばれるものでもあり、すなわち、それは……。
 などと私が考えている間にも、ヴィットーリオ=フィブリゾの話は、先に進んでいた。

『……精霊の力は、徐々に地中で結晶化されていきます。その力が飽和した結果、ついにアルビオンは空へと浮かび上がってしまったわけですが……』

 ふむ。
 浮遊大陸アルビオン誕生の仕組みをここまで調べた者は、多くはいないはず。これはこれで興味深い話であり、姫さまたちも耳を傾けている。……こんな場所で、こんな状況だというのに。

『……かつてのアルビオンだけではありません。風石はハルケギニア中に埋もれており、今や飽和した状態なのです。ちょっとしたキッカケを与えるだけで、いずれパンケーキを裏返すみたいに、ハルケギニアの地面はあちこちで浮き上がってしまうことでしょう』

 ……その『ちょっとしたキッカケ』というのは……まさか……!?

『……ハルケギニアの大地全部と言わずとも、半分もめくれ上がれば、この世界はおしまいでしょう。人の行き来や交易は分断され、人の住める地も少なくなり、残った土地を争う不毛の戦が始まる……。そうした事態を憂いて、私は、大隆起に対抗する方法も調査していたのですが……』

 ヴィットーリオ=フィブリゾは、突然、言葉を切った。
 それまで少し遠い目をしていたのだが、視線を再び姫さまたちに向けて、

『……まあ、今さらこんな話をしても仕方がないですね。……色々と調べていく中で人間の無力さを思い知らされ、虚しさを感じたが故に、魔族として覚醒してしまった……なんてつもりはないのですが、結局のところ、今の私は冥王(ヘルマスター)。滅びを求める魔族です』

『……滅びを求める……』

 おうむ返しにつぶやいた姫さまの言葉。それを聞きとめて、ヴィットーリオ=フィブリゾは苦笑する。

『聖王であり、かつ、冥王でもある私にはわかります。人間も魔族も、元々は同じものから分化したものなのです。……人間は存在し続けることを望み、魔族は滅びに向かうことを望む。方向性こそ正反対ですが、その特性は同じなのですよ』

『やめてくださいっ!』

 姫さまが、体を震わせながら叫んだ。

『……人間と魔族が同じものだなんて……そんな……おぞましい話……!』

『……アンリエッタ殿。こういう考え方は出来ませんか? ……存在こそ無数の矛盾を生む。けれど無は、無以外の何ものでもない。ならば、矛盾を内含した存在よりも、完全なる秩序に満ちた無を選ぶのが、正しき道ではないか……と』

 魔族の主義を説いているというのに、皮肉にも、ヴィットーリオ=フィブリゾは神々しく見えた。
 ……こいつ……完全に魔族となってしまっている……。
 私は、ようやく理解した。
 ヴィットーリオ=フィブリゾは、滅びを是として、私たち全ての人間に押しつけようとしている。世界そのものを滅ぼそうとしているのも、滅びこそが救済だと考えているからだ。
 つまり。
 彼は彼なりに、万民のためと思って行動しているわけで……。
 あの慈愛に満ちたオーラも、まやかしや偽りではなかったのだ!
 私たちにとっては残酷な話であっても、それこそが、冥王(ヘルマスター)にとっての慈愛なのだ!
 ……おせっかいと言うか、ハタ迷惑と言うか……なんとも困った奴である。

『アンリエッタ殿だって、始祖ブリミルの血を受け継ぐ者の一人。世が世なら、魔族の器となる可能性もあったわけで……。そうなれば、こうした見方も理解できたでしょうに。……まあ、今のあなたがたには、魔族の考えは理解できないのでしょうな。わかりあえないのが残念です』

 小さく首を振るヴィットーリオ=フィブリゾを見て。
 キュルケが冷たい目でつぶやく。

『……つまりは……決着をつけるしかない、ってことね……』

『そのようですね。しかし……ここであなたがたと、まともに戦うというのも不公平な話です。私が冥王(ヘルマスター)の力を振るえば、みなさんが呪文一つ唱え終えないうちに、あっけなく勝負はついてしまいます。……ですから、一つ提案をしましょう』

『……提案?』

 ヴィットーリオ=フィブリゾの言葉に、眉をひそめる姫さま。

『はい。貴族の決闘のように、確固たるルールを定めるのです。……こういうのはどうでしょう? みなさんと同じように、私もメイジが使う魔法しか使わない。つまり冥王(ヘルマスター)の力は封印して、一人の虚無のメイジとして戦うのです』

『……そいつはまた……ずいぶんとおやさしい条件ですこと……』

 おい、こら。
 大口を叩くキュルケに、心の中でツッコミを入れる私。
 虚無魔法の恐ろしさは、何度も目の当たりにしてきたでしょうに……。

『……で? あたしたちが勝てば、サイトを返してくれる、ってわけ?』

『そのとおりです』

 言ったヴィットーリオ=フィブリゾの後ろ——クリスタル柱の中——に、サイトの姿がボウッと映し出される。

『仮死状態のまま、この冥王宮の一番下、クリスタル柱の中に封じてあります。私を倒せば、自然に解放されるはずですからね。あとは勝手に連れて行けばいいでしょう』

『それで……こちらが負ければ、あたしたちの命を……ってこと?』

『そうではありません。いやはや、ゲルマニアのレディは乱暴ですね……』

 キュルケの発言に、ヴィットーリオ=フィブリゾは、笑いながら首を横に振る。

『前にも言ったでしょう? 私は慈悲深いのです。無駄な殺生はしませんよ。……今回は、あなたがたが負ければ、しょせん人間では私に勝てないと知ることになる。それで十分ですよ』

 ……なるほど……そういうことか。
 つまりヴィットーリオ=フィブリゾは、姫さまたちに、というより、この光景をここで見ている私に向かって、暗にこう言っているのだ。
 ……倒したければ『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使ってみせるしかないぞ……と。
 案外、先ほどの大隆起の話も、私に『混沌の海』関連を思い出させるためだったのかも……。

『いいでしょうっ!』

 珍しく力強く、ヴィットーリオ=フィブリゾをビシッと指さしながら、姫さまが言う。

『聖なる王でありながら、闇に落ちてしまったあなたを……わたくしたちがキッチリ倒してさしあげます!』

 ……カッコ良く言ってるつもりかもしれないが、冥王(ヘルマスター)に勝とうだなんて、それこそ大言壮語なわけで……。
 呪文の詠唱を始めた姫さまに、余裕の笑みを向けたまま佇むヴィットーリオ=フィブリゾ。
 それまで無言だったタバサもまた、呪文を唱え始めた。
 キュルケも続き、フレイムも口に炎を溜める。

「……おしっ! それじゃあこっちも行動開始っ! 行くわよ、私たちも!」

「わかりました!」

 私が威勢良く叫び、シエスタが頷いた。
 ヴィットーリオ=フィブリゾが姫さまたちの相手をしているうちに、こちらは下へ下へと降りるのだ。
 サイトを見つけ出し、助けることができれば何も言うことはなし。まあ、そこまで上手くいくとは思えないが、何とか姫さまたちとは合流したい。
 クリスタルの柱をまわり込んでみれば、意外にも、下へと続く階段が、ポッカリ床に口を開けていた。

「……すなおに階段あるんですね……」

 シエスタがつぶやくが、この程度で驚いてはいられない。予想外の状況なぞ、これから目白押しのはず。

「これはつまり、降りて来い、ってことね」

「じゃあ!? この階段が、サイトさんのところまで直行……!?」

「そんなわけないでしょ。おそらく私たちを自分のところへ導いて、直接その強さを見せつけてやろう、ってとこじゃないかしら」

 だからといって、ここで躊躇してはいられない。
 ……行ってやろうじゃないのっ!
 私とシエスタは顔を見合わせて頷き、降り始めた。
 ヴィットーリオ=フィブリゾのもとへと続く階段を。

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 ザバーッと水柱の立つ音が、辺りにこだまする。
 姫さまの魔法攻撃であろう。
 ……私とシエスタの二人が階段をかけ降りたそこもまた、上と似たような構造の部屋だった。
 やはり部屋の中央には、上下を貫くクリスタルの柱。
 そして、その柱にもまた、姫さまたちの戦いの様子が映し出されていた。
 声もやはり、同じように聞こえてくる。

『……なっ……!?』

 驚愕の声を浮かべる姫さまの前では、ヴィットーリオ=フィブリゾが余裕の笑みを浮かべていた。
 姫さまの水の柱は、たしかに彼を捕えたはずだったのに……。
 ダメージを与えた様子がないどころか、濡れてすらいないのだ。

『その程度の魔法なら、まともに食らったところで痛くも痒くもないのですが……濡れるのは嫌でしたからね。瞬間移動(テレポート)で少し後ろへ逃げておいて、水柱が消えてから、元の場所に戻って来ました』

 御丁寧に解説するヴィットーリオ=フィブリゾ。魔族の術ではなく、虚無魔法を使ったのだ、とキチンと示したかったようだが……。
 なるほど、『瞬間移動(テレポート)』という魔法があるのか。以前にサイトをさらって消えた時も、おそらく、これを使ったのだろう。
 ……かなりとんでもない奴である。『瞬間移動(テレポート)』ということは、純魔族が空間を渡るのと同じように、突然背後に現れる可能性だってあるわけだ。
 もちろん、魔族の技とは違って、呪文を唱える必要があるから厳密には『突然』ではないが、なにしろ虚無魔法である。私の『爆発(エクスプロージョン)』や『解除(ディスペル)』と同じで、その効果は、呪文詠唱の長さに依存するはず。つまり、ほんの少し瞬間移動するだけなら、ほとんど詠唱せずとも発動する、ということだ。
 などと私が考えている間にも、戦闘は進んでいる。

『それも無駄です』

 今度は、キュルケの『炎の蛇』とタバサの『氷嵐(アイス・ストーム)』の同時攻撃だったようだが、やはりヴィットーリオ=フィブリゾは、軽々と避けていた。
 たぶん不意を突きでもしない限り、ヴィットーリオ=フィブリゾ相手に術を決めることはできないだろう。
 しかしこの状況で姫さまたちが敵の不意を突くなど、それも実質的に不可能な話。
 ……となれば、あの部屋に乱入すると同時に、私が呪文をぶちかますしかない!
 もちろん、そのためにはまず、みんなの場所まで辿り着くことが必要。

「……先を急がなきゃ……」

 私とシエスタの二人は、部屋の中央のクリスタル柱をまわり込み、やはりそこにあった階段を下へと降りていった。

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 階段を降りたその場所も、またまた同じような部屋だった。

「……まさか、この冥王宮の入り口の時みたいに、空間を歪められて、同じ階を上下させられてるだけじゃあ……?」

「でも……今の私たちには、下へ下へと向かうよりほかないですよね」

 シエスタの言うことも、もっともである。
 そして。
 この間にも、姫さまたちのヴィットーリオ=フィブリゾへの魔法攻撃は続いていた。

『……はあっ……はあっ……』

 皆、かなり無理して、大技を連発しているらしい。
 もう精神力も尽きてきたのか、姫さまなどは、あからさまに肩で息をしている。

『そろそろ終わりですかな?』

『いいえ……まだよ!』

 挑発に応じたのはキュルケ。
 なんと『ブレイド』を唱えて、杖を炎の剣と化し、ヴィットーリオ=フィブリゾへと向かっていく。
 遠距離から魔法を放っても避けられてしまうならば、接近戦で!
 ……ということなのだろうが、使い慣れぬ呪文や戦法が、ヴィットーリオ=フィブリゾに通じるわけもなし。

『……っとと!?』

 アッサリかわされ、斬り掛かった勢い余って、よろけるキュルケ。
 無防備になったところを攻撃されたら危険だが、離れたところからフレイムが炎を吐いて牽制。彼女は無事に体勢を立て直し、ヴィットーリオ=フィブリゾからサッと飛び退いた。

『ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース』

 今の攻防を見て何か思いついたらしく、タバサが『氷の槍(ジャベリン)』の呪文を唱えた。
 タバサの魔法攻撃のためのヒントになったのであれば、キュルケの空振りも全くの無駄ではなかったことになる。
 生み出された氷の槍は、タバサの杖の周囲を回りながら、太く、鋭く、青い輝きを増していく。
 ここから杖を振り下ろして放つのが本来の『氷の槍(ジャベリン)』だが、タバサの使い方は違う。杖を突き出した格好で、彼女は自分ごと走り出した!

『なるほど……そう来ましたか……』

 面白そうにつぶやくヴィットーリオ=フィブリゾ。
 これならば『氷の槍(ジャベリン)』が放たれるタイミングはわかりにくいし、杖を叩き付けてゼロ距離から発射することも可能。杖に氷を纏わせたまま、接近戦だって出来る。
 タバサが対デュグルド戦でやってみせた戦法である。

『そうですね……。では、そろそろ、こちらからも攻撃してみましょうか』

 タバサの突きを、体術だけでかわすヴィットーリオ=フィブリゾ。
 迂闊に瞬間移動しても、再出現したばかりのところへ『氷の槍(ジャベリン)』を撃ち込まれては回避しにくい。ならば氷が放たれるまでは『瞬間移動(テレポート)』も使わない……ということか。
 だが、それにしては、彼の発言は何やら不穏。唱え始めた呪文も……『瞬間移動(テレポート)』とは違うっぽい!?

『くっ!?』

 突然、苦悶の表情を浮かべて、タバサがガクッと膝をつく。彼女自身の杖が光っているのだが、いったい何をされた!?

『精神攻撃ね!? 魔族の術でしょ、それ』

『卑怯です! 虚無魔法しか使わないと言ったではありませんか!』

 キュルケと姫さまが叫ぶ。
 しかしヴィットーリオ=フィブリゾは、小さく手を振って、

『言いがかりは止めてください。これも虚無呪文ですよ。リコード(記録)です。対象物に込められた、強い記憶……念とでもいうべきものを鮮明に脳裏に映し出す呪文です』

 そして、タバサに対して微笑んでみせる。

『今回は、あなたが使う杖に宿る記憶を……強い念を映し出させていただきました。……その杖はオルレアン公から譲られた、先祖伝来の逸品なのでしょう? どうやらシャルロット殿には辛い記憶も、染み付いていたようですな』

 ヴィットーリオ=フィブリゾは、座り込んだまま苦しむタバサから、姫さまたちへと視線を戻し、苦笑した。

『……アンリエッタ殿以外は、以前に一度、この魔法が使われるのを見ているはずなんですけどね』

########################

 攻撃に転じたかのように見えたヴィットーリオ=フィブリゾだったが、どうやら彼はエクスプロージョンを使えぬらしい。
 虚無魔法のみという制限下では、彼も、姫さまたちに大きなダメージは与えられない。ちまちまと『リコード(記録)』で精神攻撃を仕掛けるのみ。
 といっても、姫さまたちが有利になったわけではない。どちらも決定打がないということは、人間では奴を倒せないと証明しているようなもの。これでは、ヴィットーリオ=フィブリゾの狙いどおりである。
 この均衡を破る手段はただ一つ。私たちが乱入すること……!
 そして。

「……ここは!?」

 私とシエスタの二人は、ようやく、やや違った場所へとやって来ていた。
 ただひたすら降り続けた結果、下への階段がない部屋に辿り着いたのだ。

「……どうします?」

「ほかの部屋にあるのかもしれないわね、階段。……でもどちらにせよ、部屋の構造が変わった、ってことは……目的の部屋が近いんじゃないかしら!?」

 とりあえず部屋を出る私たち。
 通路をしばらく走るうち、下への階段を見つけたが……。
 問いかけるようなシエスタの視線に、私は首を横に振る。
 ……この階だ。この階に、何かがある!
 直感に従って、さらに通路を駆け抜けながら、口の中で『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』の呪文を唱え始めた。
 やがて、しばらくデタラメに進むうち……。

「ルイズさん! あそこ!」

 見えたっ!
 通路の奥には、開きっぱなしの一枚のドア。
 その向こうにある部屋には、ヴィットーリオ=フィブリゾと対峙する姫さまたちの後ろ姿。
 おしっ! 着いたっ!
 心の中だけで叫んで、足を早めてそのまま部屋へと飛び込む。
 ヴィットーリオ=フィブリゾの視線が、こちらへチラリと向けられたその瞬間。
 私は、唱えておいた魔法を解き放った!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 同時に。
 私を抜き去って、背後から投擲された黒い物体が、ヴィットーリオ=フィブリゾへと向かう。
 ……シエスタのフライパンだっ!

「……っなっ!?」

 驚きの声を上げるヴィットーリオ=フィブリゾ。
 まさか魔族である自分が、そんなものを投げつけられるとは、思ってもいなかったのだろう。
 唖然とするヴィットーリオ=フィブリゾに、見事ボコッとフライパンが命中する。
 もちろん、ダメージなぞ皆無。ただ驚いているだけだが、それでも彼の動きを止めたのは、シエスタのお手柄だった。
 ……硬直したヴィットーリオ=フィブリゾに向かって、私の杖から放たれた赤い光が収束する!

「くあああああっ!?」

 声を震わせ、ヴィットーリオ=フィブリゾが悲鳴を上げる。
 私たちも参加した以上、もはや姫さまたちとのルールも関係ない。冥王(ヘルマスター)の力で、なんとか『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』の破壊力を抑え込むつもりなのだろうが……。

「今よっ!」

 私の叫びを合図に。
 姫さまとタバサとキュルケが、同時に杖を振る。

 コウッ!

 水と氷と炎の魔法が一緒になって、三色の火柱となってヴィットーリオ=フィブリゾを包み込んだ。
 かつて魔竜王(カオスドラゴン)にすら通じなかった程度の攻撃だが……それでも今は、『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』の直撃を食らっている最中! さすがの冥王(ヘルマスター)も、これはたまらない!

「るおおおおおおおおおっ!」

 獣の遠吠えにすら似た、ヴィットーリオ=フィブリゾの声が空気を震わせる。
 ……やがて。
 輝く魔力の柱の中で、ヴィットーリオ=フィブリゾの姿は黒い影と化し、光の中に吹き散らされる!
 ……そして、光の柱が消えたあとには……。
 もはやそこに、ヴィットーリオ=フィブリゾの姿は残っていなかった。

########################

「……やった……の……?」

 長い沈黙の後、ポツリとつぶやいたのはキュルケである。

「……わからない……」

 言いながら、タバサは油断なく辺りを見回した。
 たしかに、もはや何の気配もない。
 しかし……。

「あれはっ!?」

 姫さまの声に視線をめぐらせれば、冥王宮を支えるクリスタル柱の中から、ボンヤリと人影が浮かび上がって来る。

「……冥王(ヘルマスター)!?」

 慌てて身構え、口々に呪文を唱える一同の前で、それは徐々に、その姿をハッキリとさせていった。

「サイトさん!?」

 シエスタが声を上げる。
 ……そう。
 クリスタルの中から浮かび上がってきたものは、まぎれもなく私の使い魔、サイトの姿だった。
 ゆっくりと、押し出されるように。
 サイトの体は、クリスタルの中から抜け出た。

「サイト!」

 声を上げた私が、動き出すよりも早く。
 駆け寄ったシエスタが、サイトの体を受け止め、支える。
 ……あ。
 何となく胸が息苦しいような気分。私は、踏み出しかけた足を止めていた。

「……無事……なの……?」

 私の問いに頷いたのは、シエスタではない。
 彼女に続いて駆け寄ったタバサが、首を縦に振っていた。『治癒(ヒーリング)』の呪文を唱えていたようだが、必要もないと判断して、彼女は詠唱を止める。

「……そっか……無事だったのね……」

 自然と安堵のため息が漏れた。
 そんな私の肩をキュルケがポンと叩き、姫さまも声をかけてくる。

「よかったですわね、ルイズ」

「……はい」

 姫さまを見もせずに、適当に言葉を返す私。
 私の視線の先では、サイトが意識を取り戻すところだったのだ。

「……ここ……は……?」

 軽く頭を振りながら、サイトは周囲を見回す。
 その瞬間……。

「『ここは?』じゃないでしょうがぁぁぁぁっ!」

 ドギャッ!

 私の飛び蹴りが、まともに彼の頭に決まった。

「な……何するんだっ!? いきなりっ!?」

 サイトは抗議の声を上げるが、私はアッサリ聞き流す。
 ……だって彼が無事だとわかったとたん、何だか無性に腹が立ってきたんだもん!

「まったく! 御主人様の私だけならともかく、みんなにも思いっきり心配かけちゃって! いくら相手が冥王(ヘルマスター)だからって、アッサリ捕まっちゃダメでしょ!? あんた伝説の使い魔なのよ! これじゃガンダールヴ失格だわ!」

「……え……!? ちょっ……?」

「ま、みんな無事だったから、それでいいけどね!」

 言って私は、サイトにクルリと背を向ける。

「シエスタに感謝しなさいよ! あんたを助けられたのも、このメイドの協力があったからなんだからね!」

「……え……?」

 戸惑うようなサイトの声。
 彼がどんな表情をしているのか、背を向けた私には見えない。

「サイトさん……よくぞご無事で……」

 シエスタの声は、かすかに震えていた。
 あいかわらず無口なようで、タバサの声は聞こえてこない。
 そして。
 しばしの間を置いた後、サイトは言った。
 ポンと一つ、手を打ってから。

「……ああ、そうか。俺、あいつに捕まってたんじゃん!」

「んなこと忘れるなぁっ!」

 その場にいるほぼ全員のツッコミが見事に唱和した。
 ……自分の置かれていた状況を理解していなかったとは……。ま、サイトらしいと言えばサイトらしい話なのだが。

「そういえば……あいつは?」

 サイトに問われて、私たちは顔を見合わせる。

「……サイトさんが解き放たれた、ということは……。倒しちゃったんじゃないですか!?」

「そうですわ! わたくしたちが力を合わせれば、たとえ冥王(ヘルマスター)だって……!」

「……でも……あれほどの奴が、本当にさっきので……?」

 私の言葉に水を差され、盛り上がっていたシエスタと姫さまが沈黙。
 そこにキュルケが口を挟む。

「ねえ、とりあえず、ここから出ましょうよ。サイトを助け出した以上、長居は無用よね?」

 ごもっとも。
 頷いて私たちは部屋を出て、来た道を戻る方向に、薄灰色の通路を進む。
 先頭が私、そこに姫さま、キュルケ、フレイムと続き、一番後ろに三人。サイトを支えるかのように、タバサとシエスタが左右に寄り添っていた。
 ……無事だったんだから、もう過保護な扱いは止めるべきだと思うけど……。
 コゴトを言うのもお仕置きするのも、外に出てからの話だ。
 上へと続く階段を昇りながら、私は、ふと思い出して振り返る。

「……そう言えばサイト、デルフは一緒じゃないのね?」

「……あ……」

 サイトにとって、デルフリンガーは私以上に付き合いの古い相棒だ。冥王宮に置いていくのは薄情な話だが……。
 ヴィットーリオ=フィブリゾは、あれを異界の魔族のようなものだと言っていた。
 ならば、もう元の世界に戻してしまったのではないだろうか。

「安心してください、サイトさん! ……サイトさんのために、新しい刀を用意しましたから!」

「……えっ? これは……日本刀!? なんでこんなもんが!?」

 ニコニコ笑顔で、シエスタが持参してきた剣をサイトに差し出す。
 ……そんなタダの剣が、デルフリンガーの代わりになんか、なりっこないのに。
 しかしサイトの口ぶりからすると、やはりこの剣、サイトの世界から来た物だったらしい。

「ありがとう。でも……これはこれ、デルフはデルフだぜ。あいつも何とか、助け出してやれないかなあ?」

「……いつまでもここにいるのも危険。とりあえずは脱出が最優先」

 デルフ置いてけぼりに、賛成の一票を投じるタバサ。
 サイトは、すがるような視線を私に向ける。

「ま、ともかく上へ上へ。途中で運よく、見つかるかもしれないし」

 などと誤摩化しつつ、私は階段を上り……。

「そう言えば……『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』のことを忘れていました」

 聞き覚えのある声が、私を出迎えた。

「え……!?」

 階段を上がったそこは、別の通路があるはずだった。
 しかし今、私の目の前にあるのは……。
 だだっ広い、薄灰色の丸い部屋。
 中央を上下に貫く、巨大なクリスタルの柱。
 そして、その柱の前に、ひっそりと佇む者が一人。

「やっぱり生きてたのね。……冥王(ヘルマスター)ヴィットーリオ=フィブリゾ!」

 私の言葉に対して。
 教皇と冥王を兼任する男は、余裕の笑みを浮かべてみせた。





(第六章へつづく)

########################

 タバサは「ゼロ魔」原作において、九巻227ページでは「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース」と唱えて『ジャベリン』を、十巻52ページでは「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース……」と唱えて『アイス・ストーム』を使っている、ということに今頃ようやく気づきました。
 原作のミスや誤植や後付けにも強引に理屈付けるのが二次創作の醍醐味、というのであれば、「どちらも氷を作って操るのだから呪文そのものは同じでOK」とか「後者は『……』で省略された部分があるから微妙に違う」とでも、解釈すべきでしょうか。そもそも、同じ魔法でも場面によって異なる呪文詠唱を使っている場合がありますから、ハルケギニアのスペルは、結構いい加減なものなのかもしれません。……と、こうした考察を作中で活かさなければ意味もないわけですが。
 さて。
 第八部も次回で終了。つまり「スレイヤーズ」原作第一部相当が次回で完結です。次回もよろしくお願いします。

(2011年8月16日 投稿)
   



[26854] 第八部「滅びし村の聖王」(第六章)【第八部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/08/19 23:53
   
 伝説にはこうある。
 世界は、混沌の海に突き立てられた、杖の上に乗った丸い板だ……と。
 私は、この話は間違っているんじゃないか、と疑っていた。
 しかし『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』で知識を得た今、やや考えが変わっていた。
 半分だけは、ある意味で、そのとおりなのだ……と。

########################

「やっぱり生きてたのね。……冥王(ヘルマスター)ヴィットーリオ=フィブリゾ!」

 私がワザワザその名を呼んだのは、後ろに続く仲間たちに警告するためであった。
 しかし。

「……みんなは!?」

 つい今しがたまで後ろにあった、五人と一匹の気配が消えている!
 慌てて振り返れば、みんな——サイトと姫さまとタバサとキュルケとフレイムとシエスタ——どころか、私が上がってきたはずの階段すら見当たらない。

「少し空間を歪めさせていただきました。ルイズ殿、あなた一人を招待したかったものですから」

「空間を歪めた、って……。冥王(ヘルマスター)の力は使わないんじゃなかったの?」

 私の皮肉に、ヴィットーリオ=フィブリゾはニッコリ微笑んで、

「それは、もう終わった勝負の話。……だいたい、あなたがたの勝ちということで、あなたの使い魔も解放してあげたではありませんか」

 言って、パチンと指を鳴らした。
 部屋の中央にあるクリスタルの柱が、淡い輝きを発する。薄灰色の通路でオロオロと辺りを見回す、サイトたち五人と一匹の姿が、そこに映し出された。

「……みなさん、必死であなたを探していますね。階段のところの空間をいじったのですから、あんなところを探しても無駄なのに」

「姫さまたちが無事なのはわかったわ。……で? どこなのよ、ここは!?」

「この冥王宮の一番下にある部屋です。さきほどアンリエッタ殿たちと戦ったのは、ここから五つほど上の部屋。……しかし、見事に意表を突かれましたねえ。まさか冥王(ヘルマスター)である私に、ただの金属の塊を投げてくるとは……」

 シエスタのフライパンは、ああ見えても『ただの金属の塊』ではない。
 魔鳥ザナッファーの鱗から作られたといわれるフライパンであり、つまりは、サイトの世界から来た戦闘兵器の装甲の一片。ハルケギニアの金属とはレベルが違う硬度を保っているのだ。
 ……もちろん、だからといって、冥王(ヘルマスター)にダメージが与えられるシロモノではないのだが。

「……あのタイミングで魔法を撃ち込まれたものだから、私も慌てて、冥王(ヘルマスター)の力を使って逃げてしまいました。ですから、あの勝負は私の反則負けです」

「そう。『反則負け』なのね。……力負けじゃなくて」

 私の皮肉も全く無視し、ヴィットーリオ=フィブリゾは、なおも言葉を続ける。

「ですが、あなたは気づいていたようですね。私がまだ健在である、と」

「まあ、なんとなく、ね……。あんたが滅びたにしては、この建物に何の変化もない、っていうのも変だし。そもそも、いくら不意を突かれたからって、あれでやられるっていうのは、いくらなんでもアッサリしすぎてるかな……なんて思ってね」

「なるほど、さすがはルイズ殿ですね。なんとも冷静で的確な判断です」

 むむむ。
 一応は褒め言葉であるが、なんだか馬鹿にされているような気がするぞ。

「……そうそう。あなたがさっき言ったので思い出しましたが……」

 言ったヴィットーリオ=フィブリゾの正面。ちょうど彼と私の中間くらいの空間が、一瞬ユラリとゆらめいた。
 彼が虚空から呼び寄せたのは……。

「デルフ!」

 叫ぶと同時に、私は走り込んでいた。
 バッとデルフリンガーを手に掴み、パッと後ろに跳び退く。

「娘っ子!」

「久しぶり。ようやく会えたわね、デルフ。サイトが待ってるわよ」

 左手で握った剣に向かって、挨拶する私。
 ……よくサイトがやっているが、手にした物と会話するのって、こういう気分なのか。

「相棒が!? ……って、そうじゃなくて! 娘っ子、俺っちを放り出せ! 俺を持ったままだと、おめえも以前の相棒のように、触手に絡みつかれて……」

「そんなわけないでしょ」

 デルフリンガーの言葉を、私はバッサリ切り捨てた。
 そりゃあサイトなんかより、私みたいな美少女の方が、触手に巻かれるのも絵になるだろうが……。
 ヴィットーリオ=フィブリゾに、そんな趣味はあるまい。

「だって、私を拘束しても意味ないもん。こいつが私に望んでいるのは……」

 視線を手の中の剣から、正面へと戻して……。

「……『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使わせることなんだから。……そうでしょ、ヴィットーリオ=フィブリゾ?」

 目の前に立つ魔族を、私は強く睨みつけた。

########################

 伝説にはこうある。
 金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)、それこそが魔王の中の魔王。天空より堕とされ、混沌の海にたゆたう存在、と。
 かつて私が、くにの姉ちゃんと一緒に、ロマリアまで旅をした際。そこで見ることができた『写本』に書かれていたことだった。
 しかし、それは違うのだ。
 その『写本』の書き手が、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の知識を正しく理解できなかったのか、あるいは、書き写す際にミスをしたのか、それはわからない。

########################

「そうです」

 涼しい顔で答えるヴィットーリオ=フィブリゾ。
 私が視線に込めた気迫も、彼には意味をなさないのだ。

「……ですが、あなたが素直に従うとも思えないので……」

 言ってヴィットーリオ=フィブリゾは、クリスタル柱に映し出された者たちに目を向け、またもやパチンと指を鳴らす。
 その瞬間。

 しゅぅぅぅぅぅっ!

 五人と一匹の足下から、青い霧が辺りにわき起こる。

『何だ!?』

 驚きの声を上げるサイトたちの姿が、刹那、その霧に包まれ……。

 ピギッ!

 次の瞬間、みんなは一人ずつ、それぞれ蒼いクリスタルの中へと封じ込められた。

「サイト!」

 六つのクリスタルを見て、思わず叫ぶ私。
 おそらくあれは、サイトを閉じ込めていたものと同じ。それが今度は、サイトだけではなく、姫さまたちまで……。

「……どうしますか、ルイズ殿?」

 ヴィットーリオ=フィブリゾが浮かべた笑みは、むしろ陽気なものであった。

「私がほんの少しその気になるだけで、彼らは死んでしまいます。クリスタルを少し割るだけでよいのですから。……たしかに私は、無駄な殺生は望みませんが、必要とあれば躊躇しませんよ」

「……くっ……」

 私の頬を、一筋の汗がつたう。

「娘っ子! こいつを倒すんだ! こいつを倒せば、きっとあれだって解けるはずだぜ!」

「……わかってる。でも……」

 事の重大さを理解しているのか、いないのか。けしかけるデルフリンガーに、私は曖昧な言葉しか返せなかった。
 たしかに、冥王(ヘルマスター)のクリスタルを解く方法は、二つに一つ。彼自身が望むか、あるいは彼を倒してしまうか。説得なぞ不可能だろうし、倒すしかないのは同意なのだが、彼を倒すためには……。

「わかっていると思いますが、並の魔法では、私に傷をつけることすら出来ませんよ」

 私の考えを読んだかのようなタイミングで、ヴィットーリオ=フィブリゾが口を開く。

「……あと、魔竜王(カオスドラゴン)に斬りつけた闇の刃、あれは使わないでくださいね。あれは痛そうなので、反則としましょう。ルール違反の罰は……当然わかっていますね?」

 勝手なルールを押しつけるな。
 ……と言いたいところだが、言うだけ無駄。こいつは、どうあっても私に『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使わせたいのだから。

「……わかったわ……」

 観念したかのように、一言つぶやいてから。
 私は、最後の説得を試みる。

「……でも、あんただって虚無のメイジでしょ。わざわざ私なんかを利用しなくったって、あんたが自分で唱えて、暴走させればいいじゃないの。……どうせ世界と一緒に無理心中するつもりなら」

「それができれば苦労はしません」

 ヴィットーリオ=フィブリゾは、苦笑を浮かべて言った。

「虚無のメイジならば誰でも使える……というわけでもないのですよ。四人の虚無の担い手の中でも、どうやら、あなたは別格のようでね……」

 こんなところで褒められても嬉しくもないやい。
 ……いや。
 私が格上なんじゃなくて、『ヴィットーリオ』が格下だったのでは……?
 ガリアの虚無は赤眼の魔王(ルビーアイ)となり、ロマリアの虚無は冥王(ヘルマスター)となった……。この一点だけを考えても、少なくともジョゼフよりは格下に思えてしまう。

「それに『冥王(ヘルマスター)』となった時点で、私は高位魔族ですからね。本来、魔族は精神生命体ですから、ほかの存在の力を借りた呪文を唱える、なんてことは出来ないのです。それは自分自身の力を否定するのも同じであり、つまりは自殺行為なのですよ」

 なるほど。
 魔族の術は、とにかく『恐ろしいもの』である。人によっては、エルフや吸血鬼たちが使う先住魔法と同じように考えているかもしれないが……。
 私が薄々察していたように、やはり根本的に違うらしい。先住魔法は、精霊に呼びかけて『大いなる意志』の力を借りるからこそ、強力な魔法となるのだが、魔族の場合『借りる』のではなく、あくまでも自力で頑張っているわけだ。

「……と、まあ、おしゃべりはこれくらいにして。そろそろ、やることをやっていただきましょうか。それとも……お仲間を一人ずつ砕いていきますか?」

「……わかったわよ……」

 ここまでくれば、私も覚悟を決めるしかない。
 デルフリンガーを握ったままの左手を、私はグッと前に突き出した。

「……おや? 何のつもりですかな?」

 不思議そうな顔をするヴィットーリオ=フィブリゾ。
 一方、剣は私の意図を察したらしい。

「娘っ子!? お前はガンダールヴじゃねぇんだぞ!? 相棒が使ってない状態では、俺っちも魔法なんて……」

「大丈夫よ! 私に任せなさい!」

 デルフリンガーを一括する。
 そう。
 私がやろうとしているのは、かつてジョゼフ=シャブラニグドゥを倒した時の再現。
 赤眼の魔王(ルビーアイ)を斬れたのだから……冥王(ヘルマスター)にも通じるはず!

「重破爆(ギガ・エクスプロージョン)で闇の刃を作るのは、あんたの魔法吸収能力とは別モンだから。私が持っててもOKよ!」

「そ……そうなのか!?」

 デルフリンガーは、いまだ半信半疑のようだが……。
 私は、根拠もなしにデタラメを言っているわけではない。
 ヴィットーリオ=フィブリゾの説明によれば、デルフリンガーの本質は、異界の魔王の武器であり、魔王の分身のようなもの。
 烈光の剣(ゴルンノヴァ)——闇を撒くもの(ダーク・スター)の剣——だからこそ出来たというのであれば、デルフリンガー——ガンダールヴの剣——としての特性は関係ないはず。
 ……はず、である。

「もしも間違ってたらゴメンね、デルフ」

 一応、小さくつぶやいてから。

「おい!? 娘っ子! 今、何て言った!?」

 魔剣の抗議は無視して、私は呪文を唱え始める。
 まずは『魔血玉(デモンブラッド)』の力で魔力を増幅し、そして……。

「……闇よりもなお昏きもの……夜よりもなお深きもの……混沌の海にたゆたいし……金色なりし闇の王……」

「……っなっ!? どういうつもりですかっ!?」

 私の呪文を耳にして、ヴィットーリオ=フィブリゾは、初めて声に焦りの色を滲ませた。
 なぜならば。
 私が唱えているのは、未完成バージョンの方だからだ。
 ……かつてのジョゼフ=シャブラニグドゥとの戦いにおいて、私はこれを制御してみせた。しかも、今回は『魔血玉(デモンブラッド)』の力も借りているのだ。暴走するはずがない!
 これでヴィットーリオ=フィブリゾを倒せば、決着はつく!

「……我ここに汝に願う……我ここに汝に誓う……我が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 ヴォンッ!

 空間をきしませ、闇が生まれた。
 私の周りに生まれ漂う闇の霧は、やがて、右手の先の杖へと収束してゆく。
 あるいは歪み、あるいは膨らみ、暴走しようとする呪力を、私は必死で抑え込む。
 今回は『魔血玉(デモンブラッド)』の力も借りているというのに、前回以上に消耗が激しい。
 なぜ……? 今は、そばにサイトがいないから……?
 でも……そのサイトを助けるためにこそ、これが必要なのだ!
 まるで命が削られてでもいるかのように、魔力が、体力が、そして精神力が、ドンドン消耗してゆくのだが……それでも私は頑張る!

「きさまっ……!?」

 迷いの色を見せながら、思わず一歩退く冥王(ヘルマスター)のその前で、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の力を借りた術は完成した!

「重破爆(ギガ・エクスプロージョン)!」

 左手のデルフリンガーに向けて、右手の杖を振り下ろす。
 魔剣が黒く輝き、闇の刃と化す!

「いくわよ、デルフ!」

「おうともよ!」

 前にこの技を使った時は、サイトに斬ってもらった。
 でも、今回は違う。
 私自身で斬る!
 サイトを助けるために!

「くっ!」

 逃げようとするヴィットーリオ=フィブリゾのところまで一気に駆け寄り、闇の刃を振り下ろす!

「るぐぁぁぁぁっ!?」

 冥王(ヘルマスター)の悲鳴が、辺りにこだました。

########################

 魔力、体力、精神力……。
 そのほとんどを使い果たし、私は、その場にガクリと膝をつく。
 ふぁさっと垂れた髪の一房は、銀の色に染まっていた。
 生体エネルギーの使い過ぎによって起こる現象である。
 強烈な睡魔と疲労感が全身を包み込むが……。

「やった……のか……!?」

「たぶん……ね。これでダメなら、もう打つ手ないもん」

 手の中と剣と会話することで、かろうじて、意識を失わずに済んだ。

「それより、サイトは……!?」

「……変わりはねえ。相棒なら、まだピカピカした柱の中にいるぜ……」

 顔を上げる力すらない私に代わり、状況を説明するデルフリンガー。
 
「……まだクリスタル柱の中ですって!?」

 驚きと共に、力を振り絞って顔を上げた。
 解放されていないということは、すなわち……。

「……やってくれましたね……そう来るとは思いませんでした……。虚無魔法も冥王(ヘルマスター)の力もフルに活用して、ようやく逃げおおせたのですが……」

 声と同時に、灰色の影とも霧ともつかぬものが、床から湧き上がってくる。それが晴れる頃には、私の目の前にヴィットーリオ=フィブリゾの姿があった。

「……うっ……! くうっ……!」

 肩で荒い息をつきながらも、私はヴィットーリオ=フィブリゾに視線を送る。
 ……へたり込んでいられる状況じゃない。私はデルフリンガーを杖(ステッキ)代わりにして、ヨロヨロと立ち上がったのだが……。

「……いやはや、かなり痛かったですよ、ルイズ殿の攻撃は。……しかし、やはり『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』を人間に持たせると、ロクなことになりませんねえ。……それはむしろ、私が有効活用するべきです」

「えっ!?」

 ヴィットーリオ=フィブリゾがクイッと指を曲げると、私の手から剣がすっぽ抜けた。
 再び倒れ込みながら、目だけで追えば……。
 デルフリンガーが、ヴィットーリオ=フィブリゾに呼ばれるかのように、彼の元へと飛んでいく。
 ……だが。

「そうはさせねえ!」

 力強い絶叫と共に、剣は、冥王宮の床に突き刺さった。
 私とヴィットーリオ=フィブリゾとの、ちょうど真ん中辺りの地点だ。

「……もうこれ以上……相棒や……相棒の大切な娘っ子を困らせる道具になんか、俺は……ならねえぜ!」

 言葉を絞り出すデルフリンガー。
 どうやら自身の意志で、ヴィットーリオ=フィブリゾに逆らっているようだが……。

「抵抗するだけ無駄ですよ。あなたは『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』なのですから」

「ちがわ! デルフリンガーさまだ! 覚えておきやがれ!」

 その時。

 ビギッ……。

 小さな音が、冥王宮に響き渡る。
 デルフリンガーの表面に、ヒビが入るのが見えた。

「デルフ!?」

「ほら。変に抵抗したりするから……」

 ヴィットーリオ=フィブリゾの言葉を聞き流し、魔剣は私に語りかける。

「いいか、娘っ子。よく聞け。あいつは今、俺を操ろうとして、結構な魔力を放出してるんだぜ。俺は、その魔力を吸い取ることで、あの野郎に抵抗してるってわけだ。……なんだ、相棒抜きでも、おいら魔力吸収できるじゃねーか」

 そんな仕組みはどうでもいい。
 どうでもいいから、それよりも……。

「……だからな。あの野郎も今この瞬間、ドンドン消耗してるってこった。……さっき娘っ子が与えたダメージもあるし、俺があいつの魔力を吸い込みきったら、その時がチャンスだ……。そこで娘っ子の魔法を叩き込め! いいな?」

「や……やめなさい! デルフ!」

 私は、起こりつつ事態に気づいていた。
 魔剣の表面に走るヒビが大きくなっていく。飛びついて止めたいところだが、立ち上がる力すらない私では、とてもデルフリンガーには届かない。

「参った……こりゃ参った。さすがだぜ、『冥王(ヘルマスター)』の二つ名はダテじゃねえ。あの野郎の魔力はハンパねえな……。どうやら俺のカラダは、もたねえみてえだ……」

「デルフ!」

「あばよ。みじけえ間だったが、実に楽しかった。何千年も生きてきた甲斐があるってもんだ」

「やめて! やめてよデルフ!」

 私は、叫びことしか出来なかった。

「私じゃないでしょ!? そういうことはサイトに言わなきゃ! あんたの相棒はサイトなんだから! だからあんたは、サイトを助け出すまでは……」

「ああ。相棒にヨロシクな。……娘っ子、おめえさんももう少し……もっと素直になるんだぜ……」

 それが魔剣の遺言となった。
 限界に達したデルフリンガーが、バラバラに弾け飛ぶ。
 衝撃で吹き飛ばされた破片が、キラキラと光りながら、倒れたままの私の頭上を過ぎていった。

「デルフ……馬鹿……やめてって言ったのに……」

 サイトが私と出会う前から、彼と一緒だったデルフリンガー。

『なあ、相棒。説明してやれよ。この娘っ子たち……不思議がってるぜ』

 ガンダールヴの相棒として、そして私たちの仲間として。
 これまで、幾多の強敵を相手に、共に戦ってきた。

『ガンダールヴの強さは、心の震えで決まる。そして相棒は娘っ子が心配で、心を震わせた。だから、俺っちも本来の姿を取り戻したんだぜ』

『娘っ子! 俺に……』

『相棒! 今だ!』

 そのデルフが、もういない。

「……これじゃ……サイトが戻ってきた時……なんて言えばいいのよ……」

「……そんな心配をする必要はありません」

 悲しみに浸る私に、無慈悲な言葉をかけるヴィットーリオ=フィブリゾ。

「たしかに魔竜王(カオスドラゴン)に斬りつけたものとは違いましたが……しかし、闇の刃であることに違いはない。……あの剣の消滅くらいでは、チャラにはなりませんよ。ルール違反の罰は、もちろん……」

「……っなっ……!?」

 ヴィットーリオ=フィブリゾの視線は、クリスタル柱に映し出されたサイトへと向けられていた。

「やめてっ!」

 悲鳴が口を突いて出る。
 しかしヴィットーリオ=フィブリゾは、そんな私に、チラリと小さな笑みを見せただけ。
 ……殺される……! このままでは……サイトが!
 止める方法は、ただ一つ。
 思いついた瞬間、私は迷わず、それを実行していた。
 まずは増幅の呪文、続いて……。

「……闇よりもなお昏きもの……」

 残った力を振り絞り、ユラリと立ち上がる私。
 その詠唱を聞いて、ヴィットーリオ=フィブリゾは、冷やかな視線を私に向けた。

「……さきほどの繰り返しですか? しかし今度は『烈光(ゴルンノヴァ)』もないのですよ。どうするつもりです?」

 かまわず私は、呪文を続ける。

「……夜よりもなお深きもの……」

 もう呪力の暴走も、冥王(ヘルマスター)の陰謀も、何もかもどうでもよかった。
 ただ、あのバカ犬を、私の使い魔サイトを助けたいだけだった。

「……混沌の海よ……たゆたいし存在(もの)……金色なりし闇の王……」

「ほぉう!?」

 ヴィットーリオ=フィブリゾが、歓喜と驚嘆の声を上げた。

########################

 かつて私はこう聞いた。
 金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)……それはすなわち、天空より混沌の海へと堕とされた、魔王の中の魔王だ、と。
 しかし……。
 違うのだ。
 あの『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』は、私に告げた。
 数多の世界の下に横たわる混沌の海……それこそが、金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)に他ならぬのだ、と。
 伝説にはこうある。
 世界は、混沌の海に突き立った、杖の上に乗っているのだ、と。
 しかしそれは、こういう言い方も出来るのではないだろうか。
 混沌の海こそが、すべての基となる存在なのだ、と。
 ……そう。だからこそ、亜人たちは『混沌の海』を『大いなる意志』などと呼んで、その力を借りようとするのではないか。
 つまり。
 亜人たちの先住魔法も、私の『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』や『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』も、力の源は同一だったのだ。
 本来ならば人間の私に、先住魔法と同類の呪文が使えるはずもないのだが、虚無のメイジの中には魔王の魂が眠るが故に、金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)に呼びかける力も、亜人すら凌駕しており……。

########################

「……我ここに汝に願う……我ここに汝に誓う……我が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 ふたたび闇が……。
 いや。
 無が生まれた。
 ……あるいは、混沌そのものだったのかもしれない。
 生者の理解を超えた黒い何かは、やがてゆっくりと、私の杖の先に収束してゆく。
 同時に私も、急速に消耗していった。
 魔力や体力だけではない。生命力が、つまり魂そのものが、まるで吸い込まれるかのように抉りとられ、無明へと堕ちてゆくのがハッキリわかる。
 全身が、体の隅々までもが、重圧に悲鳴を上げる。
 しかし、ここで意識を失うわけにはいかない。
 術が暴走すれば、いつかシエスタの言っていたように、そしてヴィットーリオ=フィブリゾのもくろんだとおり、世界は滅ぶ……。
 だが。

 ドクンッ!

 音を立て、私の全身が大きく震えた。
 術を抑えようとする私の意志を、少しずつ闇が蝕んでゆく。
 杖の先に生まれた闇が、不規則な脈動を続けながら、少しずつ、その大きさを増してゆく。
 ……暴走させる……わけには……いかない……。

 ギリッ!

 私は奥歯を噛み締めた。
 視界の中のヴィットーリオ=フィブリゾの姿が、周囲の景色ごと、ユラリと霞む。

 ドクンッ!

 闇が広がる。
 私の魂(こころ)に。
 ……だめっ! 来ちゃうっ! 抑えきれないっ! いやっ!
 思ったその瞬間。
 私の意識は、闇に沈んだ。

########################

 ……そして。
 アタシはゆっくりと目を開けた。
 右手で握った杖の先には、握りこぶしほどの闇が、安定した状態でわだかまっていた。

「ほぉう。術を制御したのですね。たいしたものです」

 教皇の姿で佇む、冥王(ヘルマスター)フィブリゾ。
 彼は笑みを浮かべており、その声には、焦りの色も驚きの色もなかった。

「ですが、まだ勝負は終わっていませんよ。もしかしたら制御してしまうのではないか、とも思っていたのです。ですから、こういう時のための仕掛けもしておりまして……」

 彼の声と共に、刹那、タルブの村の映像が、頭の中を流れた。

「……それこそが、午前中にあなたを冥王宮に入れなかった理由なのです。……この村は、残留思念に実体を持たせて造り出したものですが、その材料となっているのは……なんと私自身! 冥王(ヘルマスター)の精神体のかけらです! つまり、この村は冥王(ヘルマスター)そのものなのです!」

「……それで?」

 思わせぶりなフィブリゾの声に、アタシは冷淡に返した。

「……それで、ですか……。どうやら、あなたには意味がわからないようですね……」

 ため息をつくような口調だが、彼の笑みには、かすかに憎悪の色が混じっている。アタシの言葉で、気を悪くしたのだ。

「……よろしい。ならば、教えてあげましょう。あなたが昼に食べた料理、あれも私の一部なのですよ! つまり、あなたの体の中には、もう私の一部が入り込んでいるのです!」

「……だから?」

「ここまで言ってもわからないのですか!? どうやら少し、あなたを買いかぶっていたようですねっ!」

 いらついた声で叫ぶフィブリゾ。

「無を制御した今のあなたに、外から攻撃を仕掛けることは出来ないかもしれません。……ですが! あなたの中に私の一部がある以上、それを介して、あなたを体の中から破壊することも出来るのですよ! ただ私が思うだけで、心臓をはじけさせることだって簡単です! 今あなたが死んだら、制御を失った闇はどうなると思いますか!?」

「……フッ……」

 完全に勘違いしているフィブリゾのたわごとを、鼻先で軽く笑い飛ばすアタシ。
 それが気に障ったらしい。

「……ならばっ! 実演してみせましょうっ!」

 瞬間、フィブリゾの意志力がアタシの中に押し寄せ……。

「……バカなっ!?」

 驚愕の声を上げたのは、彼の方だった。

「バカなっ!? 心臓がはじけたはずっ! 死んだはずですっ! それなのに……なぜ再生したっ!?」

 ひたすら取り乱すフィブリゾに、アタシは冷淡な目で、

「バカは、あんたのほうだ」

「……なっ……なんだとっ!?」

「……アタシが死んだ、って……? フン、そんなものは幻さ。お前ごときの力で、アタシをバラバラに出来るわけもないだろ」

「幻……だと!? あの一瞬に『イリュージョン』でも唱えたというのか!? そんな素振りは……」

 考え込んだフィブリゾは、短く沈黙し、そして……。

「……あ! あ……! ああああああああ!」

 恐怖の悲鳴を上げながら、ヘタリとその場に腰を落とす。
 ……ようやく気づいたようである。
 アタシが一体誰なのか。
 ……しかし……アタシが誰かも見抜けずに、つまらない攻撃をしかけてくるとは……お粗末にもほどがある。しょせんイレギュラーな存在なのか……。

「……まさ……か……!?」

 声を震わせるフィブリゾに向かって、アタシはゆっくりと無をかざす。

「滅びを与えてあげるよ。冥王(ヘルマスター)フィブリゾ。……お前の望んだ、そのとおりに、ね」

 アタシの器となっている人間——ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール——の髪は、いまや金色に染まっていた。
 元々は母親譲りの——『烈風の騎士(スィーフィード・ナイト)』譲りの——ピンクブロンドだったようだが、アタシが来たことで、父方の血が色濃く出たのであろう。父方の血統は、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』を取り込んだあの男を祖とするもの。そして偶然であろうか、その父親の髪の色は、アタシの象徴である『金色』……。
 その美しい金髪が、ザアッと揺れると同時に。
 アタシは左手で、『無』をアッサリ握りつぶした。
 それは虚空を渡り、フィブリゾの体内へ転移する。

「っがぁっ!」

 悲鳴を上げるフィブリゾ。
 同時に、器となった人間の肉体を残して、本体が精神世界面へ逃げ込もうとしているのが『視えた』。
 純魔族お得意の、トカゲのシッポ切りだが……。

「馬鹿なことはおやめ。お前はもう、その人間の魂と一体化しているのだよ」

 そう。
 今のフィブリゾは、純粋な精神体ではない。ヴィットーリオ・セレヴァレという人間の中で覚醒した存在なのだ。
 もっとも、この人間、本来ならば『赤眼の魔王(ルビーアイ)』となるべきだった者。それが『冥王(ヘルマスター)』となった時点で、もはやイレギュラーな存在である。それだけでも、アタシに滅ぼされて当然と言えよう。
 ……まあ、ここでこういうイレギュラーが生じたということは、後々、帳尻合わせのように別のイレギュラーが起こるということかもしれないが……。
 今は、そんな先の可能性を面白がっている場合ではない。フィブリゾは何とも強引に、器の人間を捨て去って、精神世界面へ潜り込んでいた。

「……無駄だよ!」

 アタシは『無』を介して彼を追う。意志力を使って精神世界面へ入り込み、ついに奴を捕えた。
 激しく抵抗するフィブリゾ。

「……滅びを望むなら従うがいいっ!」

 アタシの言葉に、彼の抵抗がいっそう強くなる。
 恐怖し、混乱しているのだ。
 必死で抗うフィブリゾの中へと、アタシは無の触手を伸ばす。
 普通なら苦労もせずに食いつぶせる程度の相手なのだが、器となっているのがタダの人間なせいか、全くと言っていいほど力が出せない。
 せめてこれがリーヴスラシルならば、もう少し力も出せるのだが……。
 ……なんとも嘆かわしい話だ。あの男は、あの『生命』という術に関して、ちゃんと後世に伝えたはずではなかったのか。『四の秘宝、四の指輪、四の使い魔、四の担い手……四つの四が集いし時、我の虚無は目覚めん』と。それなのに、この娘ときたら、使い魔リーヴスラシルではなく、自らを器にしおって……。

「……ふっ……」

 だが、この娘のことは後回し。今はフィブリゾだ。奴を見逃すことは出来ない。
 いくら気づいていなかったからとはいえ、奴は、このアタシに攻撃をしかけたのだ!

「……滅ぼす!」

 アタシの意識がはじけた。
 無が、大地に根を張るように、冥王宮を、そしてタルブの村を蝕んでゆく。
 ……そして。
 冥王(ヘルマスター)フィブリゾの、断末魔の意識がはじけた。

########################

 目を開くと、青い空が見えた。
 仰向けになったまま、二、三度まばたきしてから……。
 私はガバッと、その場に身を起こした。

「……え……?」

 一瞬、全く状況がわからず、慌ててキョトキョトと辺りを見回す。
 そこは、深い穴の底のような場所だった。
 近くには、サイト、姫さま、タバサ、キュルケとフレイム、そしてシエスタが、やはり気を失って倒れている。
 仲間たちだけではない。少し離れたところには、もはや抜け殻となった、教皇ヴィットーリオの肉体も……。

「……そういう……ことね……」

 私はようやく、何がどうなったのかを知った。
 ここは冥王宮の中ではない。冥王(ヘルマスター)が滅びると共に、彼が造り上げた冥王宮も、そしてタルブの村も消え去ったのだ。
 ふと気がついて見てみれば、私の髪も、元どおりのピンクブロンドになっている。

「何がどういうことなのかな?」

 声をかけられて。
 再び視線を辺りに巡らせば、いつのまにか、すぐそばに佇む人影。

「……いいわ、教えて上げる。思ったとおりにいかなくて残念至極、悔しくてたまらないあんたを慰める意味で、ね。ジュリオ」

 そう。
 空間でも渡って来たのだろう。
 そこにいたのは、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)で魔竜王(カオスドラゴン)に片腕を斬り落とされ、とんずらこいていた彼。
 斬られたはずの右腕は、ちゃんとついているようだが、どの程度までダメージが回復したのかは不明である。あの魔竜王(カオスドラゴン)の例もあるのだ。無理して再生して、かえって力を減じた可能性も……。
 ……ま、こいつに限って、それは有り得ないか。

「……別に残念とは思っていないよ。僕が失敗したわけじゃないしね」

 言葉だけ聞けば、負け惜しみにも聞こえる。一瞬、そこにツッコミ入れてやろうかとも思ったが、とりあえずサラリと流すことにして、

「そう? ま、いいわ。ともかく、一言でまとめると……二人がポカをやらかしたのよ」

「二人……かい?」

「うん。……ああいうのを一人、二人、って数えるのは変な感じだけど……。いずれにしても、私は別に『勝った』わけではなく、偶然『生き残った』だけね」

 私は『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』の完全版を唱えて、まともに術の制御に失敗した。
 その結果。
 私は『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に体を乗っ取られてしまったのだ。
 ところが冥王(ヘルマスター)は、あれが私と同化していることに気づかず、攻撃をしかけてしまった……。

「なるほど、とんでもないうっかりさんだったわけだね」

 それまで私の解説を、神妙な顔つきで聞いていたジュリオが、突然、感想を漏らした。

「……いやあ、ああ見えて彼は、結構ドジな部分があってね。君たちは知らなかっただろうけど……以前に試しに『リコード(記録)』を使ってみた時なんて、そのせいで赤眼の魔王(ルビーアイ)様が倒されてしまったくらいで。さすがに、あの時は彼も頭を抱え込んでたよ。……まったく困ったお人でした。はっはっは」

 ジュリオが言っているのは、たぶん、ジョゼフ=シャブラニグドゥと私たちが戦った時の話だ。最後に光った指輪には、そういう裏事情があったわけね……。
 うっかりとかドジといった言葉では済まされないレベルの事件だが、まあ私自身が昔『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を試し撃ちした際のことを思えば、あまり他人を責める気持ちにはなれない。凄い魔法を覚えたばかりのメイジというものは、えてして、そういうものである。

「……そ……それは凄い話ね……」

 とりあえず一応の相づちを打ってから、私は説明を続ける。

「……ともかく。話を戻すと……冥王(ヘルマスター)に攻撃されて、当然、あれは怒っちゃったわけ。だから逆襲したんだけど、そこでようやく気づいた冥王(ヘルマスター)も、必死になって抵抗した……」

 冥王(ヘルマスター)は、きちんと理解していたのであろうか?
 それとも、あれを完全に自分たちの味方だと誤解していたのであろうか?
 ……虚無だの混沌だのと言えば、魔に近い存在と思いがちだが、それは間違いである。
 冥王(ヘルマスター)自身が言ったように、彼ら滅びを目ざす魔族と、存在を望む私たちとは、同じものから分化したものだ。
 その分化の根源が、あれなのだとしたら……。
 あれは、魔族の王であると同時に、私たちの王でもあったのだ。
 ……まあ、そうやって考えると、亜人たちの使う『大いなる意志』という言葉が、最も本質を示しているのかもしれない。

「……で、抵抗されたから、あれもますますムキになって、冥王(ヘルマスター)を潰しにかかる。でも……」

 この辺りからは、人間の理解力を超えた話になってしまう。それに、そもそも私の記憶自体が、あれと同化していたような完全に呑み込まれていたような、はっきりしない状態だったので、細部までは定かではないのだ。

「……どうやら私という人間を器にして出てきたもんだから、あれも思ったように力を使えなかったみたい。自分の限界もわからぬまま、ムキになって冥王(ヘルマスター)にかかっていって……結局、両方が食い合う形で、共倒れね」

 そして『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』は、私を支配することすら続けられなくなり……。
 この世界でのよりどころを失ったため、ふたたび無だか混沌だかへと帰って行ったのだ。

「……それで『二人のポカ』で、君だけが生き残った、というわけか。いやあ、これもまた間の抜けた話だねぇ。はっはっはっは」

「ただ、私が一つ腑に落ちないのは……」

 ジュリオが納得したらしいので、ここで私は疑問をぶつけてみる。答えが返ってくればラッキー、くらいの気分で。

「……少し前にヴィットーリオ=フィブリゾが、大隆起の話をしてたのよね。あん時の彼の口ぶりと、別口で耳に挟んだ言い伝えから、あの術の制御の失敗こそが大隆起のきっかけだ、って私は理解してたんだけど……」

 ハルケギニアの遥か下で、たゆたう混沌の海。
 それそのものが、このハルケギニアの地上に現れ、私の体を乗っ取ったのだ。
 当然、下から出てくる過程で大地を突き破る形になるし、その衝撃が、飽和しつつある風石にも影響するだろうし、結果、ハルケギニア大陸は割れたり空へ浮かんだり、大変なことになりそうなものだが……。

「結局、大隆起なんて起こらなかったのよね。……ってことは、みんな何か誤解してたのかしら?」

 小首をかしげる私を見て、ジュリオは面白そうに、

「……いや、ちゃんと空に浮かんだよ」

「え?」

 慌てて、私は足下に目を向けた。
 もしかして……気づいていないだけで、すでに浮いているの!?
 そんな私を笑いながら、

「……もっとも、今回は、ごく一部だったけどね」

 言ってジュリオは、南の方を向く。

「うん、まだ、ここからでは見えないようだね。なにしろ、ちょうど火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の辺りだからなあ。……百二十リーグもの長さに渡って、山並みが宙に浮いたんだ。今でも浮上を続けているから……三日後くらいには、トリステインからでも見えるんじゃないかな?」

 絶句する私。
 なんだか、とんでもない事件を引き起こしたような気分である。
 ……気分、じゃなくて、そのものだ、なんて野暮なツッコミは聞きたくない。

「……まあ、その新しい『浮遊島』に関しては、人間たちの問題だ。僕たち魔族には関係ないね」

 ジュリオが、クルリと私に背を向ける。

「……行くの?」

 問いかけながら、私は視線をヴィットーリオへと動かした。
 それでジュリオも、質問の意図を理解する。

「ああ、もう彼は『冥王(ヘルマスター)』ではないからね。しかも『教皇ヴィットーリオ』でもない。……心を壊された、ただの抜け殻さ」

 それは私も承知している。
 精神世界面へ逃げ込もうとした冥王(ヘルマスター)にとって、人間の肉体は邪魔だったから、捨て去ったようなのだが……。
 その際、ヴィットーリオの魂をズタズタにしてしまったらしい。元々ヴィットーリオの魂の中で魔族として覚醒し、一つに結びついていた以上、すんなり分離するのは困難だったのだ。

「でも……それでも、あんたの主人のメイジじゃないの!」

「いや、違うな。心が壊れた人間など、死んだも同然だ」

 タバサが聞いたら怒るであろうセリフを吐きながら、ジュリオは、右手の手袋を脱いでみせる。
 ……そこにあるはずのヴィンダールヴの印は、あとかたもなく消えていた。

「ほら。ルーンにとっても、廃人は死人あつかいってことだよ。……だから僕は、もうヴィンダールヴではない。しがない魔族の獣神官さ」

 こうまで言い切られてしまえば、私も何も言えない。
 そもそも、魔族と馴れ合うのは、私の性に合わないし。
 ……ならば、次に彼と出会う時は、敵同士。命の取り合い、ということだ。

「そう。じゃあ……お別れね」

「さようなら、虚無の妖精さん」

 それが……。
 私とジュリオとの、別れの挨拶だった。
 彼の姿は、一瞬ユラリとゆらめいて、虚空の果てへと溶け消えた。

########################

「……う……ん……」

 まるでジュリオが消えるのを待ってでもいたかのように、近くで呻き声が聞こえた。
 そちらの方に目をやれば、軽く頭を振りながら、シエスタが身を起こすところだった。
 それとほとんど間を置かず、あとの四人も意識を取り戻す。続いて、火トカゲのフレイムも首をのっそりと持ち上げる。
 なかなかのナイス・タイミングといえよう。もしかすると、話が終わるまでみんなが起き上がらないように、ジュリオが何かの細工でもしていたのだろうか。
 ふと見れば、ヴィットーリオの姿も消えている。なんだかんだ言って、ジュリオがどこかへ運び去ったらしい。
 ともあれ。
 全員が無事に身を起こし、やはり状況がよくわかっていないのか、辺りをキョトキョトと見回して、やがて私に目をとめた。

「……ルイズ……さん……?」

「や。おはよう」

 まだ少しボーッとしているシエスタに、私はパタパタ手を振った。

「……何が……どうなったの……?」

 見回しながら問うキュルケに、私は事情を語る。ただし、わざと大雑把な説明で。

「ん。冥王(ヘルマスター)が倒れたから、あいつが作ってたものも全部消えたのよ。私たちが今いるのは、冥王宮の跡地ってこと」

「……冥王(ヘルマスター)が倒れた……って……?」

 つぶやきながら、シエスタが、ギギギッとこちらに顔を向ける。

「……と、いうことはルイズさん……あの呪文使っちゃったんですか!?」

「うっ……! いやその……」

 しまった。
 冥王(ヘルマスター)の企みについて、シエスタには語っておいたわけだが……。
 それがアダとなったか。

「まあ、いいではありませんか」

 姫さまが、シエスタの視線に沈黙する私を見て、横から言葉を挟んでくれた。

「……詳しいことはともかく、全て無事に片づいたのでしょう?」

 トリステインの王女さまに言われては、それ以上シエスタも私を非難できない。

「そうですね。どうやら術も暴走しなかったようですし……」

 うっ。
 ……本当は暴走させまくったあげく、偶然こういう結果になったんだけど……。
 制御した、ということにしておこう。
 さいわい、浮かび上がった火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)も、今ここからでは見えないわけだし……。

「……なあ……ともかく終わったっつうなら……」

 サイトが言う。いつもと変わらぬ、能天気な声で。

「とりあえず、上に上がらねえか? こんな穴の底で話し込んでないでさ」

「……それもそうね」

 私が頷くと、誰かがレビテーションを唱え始めた。

########################

 風が渡る。
 ふたたび荒野と化したタルブの村を。 
 ……しかしそれでも……。
 あちこちに芽吹いた雑草が、大地がまだ息づいていることを物語っていた。

「……ずいぶん……すっきりしちゃいましたね……」

 寂しげな笑みを浮かべ、シエスタはつぶやいた。
 フウッと大きく息をつき、

「……それで……みなさん、これからどうなさるんです?」

「私はトリスタニアに戻ります」

 穏やかに、しかし力強く言う姫さま。

「……この事件が片づくまで、という約束でしたからね。これで、しばらくお別れです」

 言って、ニコッと私に微笑みかける。
 ……まあ約束も何も、かなりズルズル引き伸ばして、今に至ったわけだが……。

「……私は、また適当に旅を続ける……」

 タバサは、遠い目をしてそう言った。
 ……母親の心を取り戻す手段を探す旅。何のあてもない旅路へと……。

「……あの……それで……サイトさんは、どうなさるんです……?」

 少しモジモジしながら、シエスタがあらためて尋ねた。

「え? 俺? ……俺はルイズの使い魔だからなあ」

 彼は私の方に顔を向ける。
 今のサイトの背には、砕け散ったデルフリンガーの代わりに、例の刀——サイト曰く『日本刀』というものらしい——が収まっていた。穴の底から上がる途中で、落ちていたのを見つけたのだ。
 デルフリンガーを失った悲しみは顔には出ていないが、たぶんそれは、まだ現実感がないだけではあるまいか。一緒に旅をするうちに、彼の心のケアをするのも、御主人様である私の役割である。
 少しばかりの間、私とサイトは、黙って見つめあう形になっていたが……。

「……わかりました……」

 いったい今ので何がわかったのか、小さく息をつくシエスタ。

「……私は、スカロンおじさんのところへ……トリスタニアへ戻ります。今は『魅惑の妖精』亭を手伝うだけですけど、そこで美味しいワインを給仕するコツを学んで……。いつの日か、このタルブに戻って、村を復興させます。元々ワインで有名な村だったのですから、ここに『魅惑の妖精』亭の二号店を出すのも良いかもしれません……」

「……そっか……がんばってね……」

 メイドの名産地という評判もあったのだから、たしかに『魅惑の妖精』亭みたいな店を作るのが、新生タルブには相応しいのかもしれない。

「……では、トリスタニアまでは、わたくしと一緒ですね。あらためて……よろしく、シエスタさん」

「は……はい!」

 王女さまとの二人旅が突如決まり、緊張で硬直するシエスタ。
 そんな二人からサイトへと視線を戻して、私は考える。

「さて……」

 ……私たちはどうしようか?
 いったん里帰りして、くにのみんなの顔を見てみるもよし。このまま、もうしばらくあちこち旅をするもよし。
 などと色々思っていると。

「……ところで、ルイズ。あの教皇が使ってた呪文……異世界への扉を開く、ってやつ。あれ、ルイズも使えるのか?」

 あ。
 ……『世界扉(ワールド・ドア)』!
 サイトこそ、故郷に帰さないといけないんだっけ。また、すっかり忘れていたよ……。

「ごめん、サイト。今の私では、まだ無理みたい」

 嘘ではない。
 他人の呪文詠唱を聞いて、丸覚えしたところで、それで使える……とは限らないのだ。同じ虚無のメイジであっても、例えばティファニアでは私のエクスプロージョンは放てないし、逆に私も、彼女の得意の『忘却』は使えない。
 クレアバイブルなり『写本』なりから学べば、私も使えるようになると思うのだが……。

「おしっ! わかったわっ!」

 言って私は、ポンと手を叩いた。
 
「とにかく、あんたを帰せる魔法があるってことだけは、確実になったわけだし。頑張って、どっかで習得してみせるわ! ……それが私たちの、当面の旅の目標ね!」 

「おお! サンキュー、ルイズ! ……っつうか、俺たち元々、そういう理由で旅してたんじゃなかったっけ?」

「細かいこと気にしちゃダメよ」

 と、サイトに笑いかけてから。
 私はキュルケに向かって、

「……というわけで、あんたも一緒に……」

「あたしは同行しないわよ」

「……へ?」

 言いかけて、思わず止まる私。

「……あなたとの旅も、もう、ずいぶん長いからね。そろそろ道を分かつのも、いいんじゃないかしら?」

 うーん。
 別にキュルケとは、今までもずっと一緒だったわけではなく、時々いなくなったりしてたんだけど……。
 なんだか今回は、それとは少し違う感じ。

「あたしは使い魔のフレイムと『二人で』気ままな旅をするから……ルイズも使い魔のサイトと『二人で』行きなさいな。……二人っきりで、ね」

 そう言って微笑むキュルケ。
 彼女の二つ名『微熱』に相応しい、なんともあたたかい笑顔であった。

########################

 ……そして。
 私たちは、思い思いの道を歩き始める。
 タルブという村名だけが残る、その地をあとにして……。





 第八部「滅びし村の聖王」完

(第九部「エギンハイムの妖杖」へつづく)

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 第一部の第二話で既にチラリとほのめかしていたのですが、「先住魔法も『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の力だったんだよ!」「なんだってー!?」という世界観を、ここで、ようやくハッキリと記すことが出来ました。こういう設定ならば、エルフたちの先住魔法が強力なのも当然、ということで。
 このSSにおける虚無魔法『生命』の設定も、L様みずからの一人称で語ってもらいました。「ゼロ魔」原作十八巻で起こる火竜山脈浮上イベントも、こういう形で発生させました。
 他にも色々、これまでの伏線を消化したつもりです。後半のための伏線として敢えて残したものもありますが、一応、これで前半部(「スレイヤーズ」原作第一部相当)の完結。ちょっとした大団円の気分です。
 まだようやく前半終了なのに、早くも60万文字を超えました。私が今までに完結させた二次創作長編は、44万文字、33万文字、19万文字、14万文字、12万文字、9万文字……ですので、最長作品になることは確実。キッチリ完結させるつもりなので、どうか最後までよろしくお願いします。
 なお、本編後半戦に突入する前に、番外編を二つ投稿します。第七部と第八部との間では省いたからという理由と、ここは大きな区切りだからという理由で。

(2011年8月19日 投稿)
   



[26854] 番外編短編8「冬山の宗教戦争」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/08/22 23:11
   
「旅のメイジの方々……とお見受けいたします」

 その老人が私たちに声をかけてきたのは、とある小さな村でのこと。
 一軒しかないオンボロ宿屋の、冷たいスキマ風吹き込む食堂で、キュルケと二人、黙々とシチューをすすっていた時のことだった。
 ……キュルケと二人で旅をしていた頃の話であるが、問題なのは、その季節である。こんな寒さは経験したことがない、というくらいの厳しい冬だったのだ。
 ところがキュルケが、何を血迷ったのか、「暑い季節は暑い場所へ、寒い季節は寒い場所へ行くのが、旅の醍醐味」と言い出して……。
 うっかり私も口車に乗ったために、この有様である。
 このくそ寒い時に雪山の寒村に来るバカもおらず、私たちの他に客はいない。

「実は……おりいってお願いしたいことがありますのじゃが……」

 私たちが返事をせずとも、老人は言葉を続ける。
 彼のことは無視……。キュルケはそう決め込んだらしい。
 仕方なく。
 視線を上げて、私が対応する。

「いや」

 そして私は、スープで体の内側から暖をとる作業へと戻った。
 老人は、しばし無言のままで立ちつくしていたが……。

「……いや……あの、できれば話だけでも聞いていただけませぬか……」

 私は嫌々、再びシチュー皿から顔を上げる。
 それを了承と受け取ったのか、彼は、何やら本格的に語り始めた。

「実は……村の東にある雪山に……」

「ぜったいイヤ」

 私はアッサリ会話を打ち切った。
 ……またまたしばしの沈黙。

「……その……なぜご不満なのでしょう? よければ理由を聞かせてもらえんでしょうか?」

「寒いもん」

 はっきり言い切る私の言葉に、老人の目は点になった。
 ……この老人、最初の言葉からして、私たちが旅の学生メイジであることは、ちゃんと見抜いている。同じ貴族のメイジであっても、旅で世慣れた者たちは、世間知らずのアホ貴族とは違って、意味もなく平民を見下したりはしない。だから、私たちならば頼み事も聞いてくれると思って、話しかけてきたのだろうが……。
 そこまで考えてるなら、私たちが動きたくない理由くらい、ちゃんと察してくれ。
 ここは、寒くて寒くて凍えそうな二人が、ようやく駆け込んだ宿屋なのだ。

「しかし……おふたかたは、貴族のメイジさまなのでしょう? 魔法を使えば、こんな寒さなど、どうってことないのではありませぬか?」

 老人の言葉に、それまで無言でスープをすすっていたキュルケが、ユラリと立ち上がる。

「……簡単に言ってくれるわね……」

 あ。
 なんだか、ちょっと怒ってるっぽい。

「あなたたちが思うほど『火』って簡単に扱えるものじゃないのよ。……炎は情熱だから、加減が難しいの。軽く温めるつもりで放っても、骨まで残らないくらいに燃やしつくしてしまうかもしれないわ。……嘘だと思うなら、あなた、ちょっとあたしの炎を浴びてみる?」

 言いながら、キュルケは杖を取り出した。

########################

 そもそも。
 この村へは、東にある山の道を越えてきたのだが、その時の寒さが、そりゃもう凄まじいのなんの。思わず「あんたの炎でなんとかしなさいよ!」とキュルケをけしかけたほどである。
 その時はキュルケも、自信満々で杖を振るってみせたのだが……。
 やっぱり『火』というやつは、『烈火』などという言葉もあるとおり、本来はかなり激しいものだったのだ。ふだん攻撃呪文ばかりバカスカ撃ちまくっているキュルケには、熱量の微調整など、とうてい不可能なわけで……。
 結局、軽く雪崩を引き起こしたり、林を丸々焼き尽くしたり、挙げ句の果てには、自分が火だるまになりかけたり。
 いやあ、傑作。
 思わず拍手してしまいましたよ、私は。
 その後は、怒ったキュルケが「あなたは炎すら使えないくせに」なんて言い出したから、売り言葉に買い言葉。「爆発魔法でも暖をとることは出来る!」と言って、今度は私がチャレンジ。
 やはり同様の失敗をした私を見て、キュルケは腹抱えて笑いつつ、少しは怒りも収まったようだったのだが……。
 うん、今の老人の言葉で、色々とブリ返したらしい。
 事情を知らぬ老人にしてみれば、半ば、とばっちりのようなもの。ちょっと可哀想だ。

「め、めっそうもない! 私を燃やすくらいでしたら、どうかそれを、あのコボルドに向けてくだされ!」

「……コボルドですって?」

 おうむ返しに尋ねる私。
 キュルケを止める意味もあって、敢えて口を挟んだのである。
 ……まあ、わざわざ教えてもらわずとも、私だってコボルドくらいは知っている。
 犬のような頭を持つ、亜人の一種であるが、力も知能もたいしたものではない。それこそ平民でも、ちょっと腕の立つ者ならば倒せるくらいの、ザコなわけだが……。

「そうです! あいつがいなくなれば、この寒さも、少しはマシになるはずなのです!」

 言われて、私はキュルケと顔を見合わせる。
 この特別な寒さに、元凶がいるというのであれば……。

「くわしく聞かせてもらいましょうか、その話」

########################

 老人の話によると、どうやらこういうことらしい。
 村の東にある雪山に一匹のコボルドが住み着いたのは、去年の暮れ頃のことであった。
 ……コボルドというものは夜行性で、基本昼間は眠っている。私たち人間とは、活動時間帯が一致しないのだ。
 また、臆病で用心深い生き物であるため群れをなして行動し、潜んだ場所の入り口には、見張りを数匹置くのが常である。ところが、今回のケースでは、たった一匹のみ。
 とりあえず村を襲ったりするつもりもなさそうだし、下手に刺激して怒らせでもしたら、それこそ、どこかから仲間を連れてくるかもしれない。そう考えて、何もせずに無視してきたのだが……。

「つい数日前から、そいつが何やら悪さをおっぱじめたらしいのです」

 なんとも困ったという表情と口調で、老人は語った。
 ふむ。
 私やキュルケにしてみれば、はぐれコボルドの一匹や二匹、なんてことはないわけだが。
 うらびれた寒村に屈強な戦士がいるはずもなく、彼らにとってはオオゴトなのであろう。

「どうする? 助けてあげる?」

 キュルケの意見を聞いてみる私。
 寒いから外に出たくないのは山々だが、そんなことを言っていては、この村に閉じ込められてしまう。さすがに、春になるまでずっと泊まり込む、というのは嫌だ。
 本当にそのコボルドの『悪さ』が寒さを悪化させているのだとしたら、出ていって退治するのも、悪い話ではない。

「そうね」

 私と同じように考えたのか、キュルケが小さく頷く。
 こうして。
 美少女メイジ二人組の、コボルド討伐隊が結成されたわけだが……。

########################

 辺りにうっすら雪は積もっているけれど、山の空は透けるかのように、雲一つなく蒼かった。
 冷たく澄んだ雪の匂い。
 昼の盛りとはいえ、とことん寒い。

 ひるるるるる……。

「吹きすっさぶ北風が、よく似合う、二人のメイジと、人のいう……」

「そんな小唄を歌ったところで、何にも変わらないわよ」

 無粋なツッコミを入れるキュルケ。せめて気分だけも陽気になろうという、この私のイキな計らいがわからないらしい。
 いやはや。
 冬の山の中、私とキュルケは、途方にくれながらショボショボ歩いていた。
 ここまで案内してくれたあの老人——村の村長さん——は、よっぽどコボルドが怖いのか、「このあたりです! コボルドが住み着いたのは! それじゃ!」などと言い捨てて、そそくさと山を降りてしまった。
 それから私たちは二人で、コボルドの姿を求めてさまよっていたのだが……。
 コボルド自身にしろ、そのすみかにしろ、それらしきものは全く見当たらないのだ!

「……問題のコボルドがどこにいるのか判らないんじゃ、どうしようもないわねえ……」

「いっそ、あなたの魔法……『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』で山ごと吹き飛ばしてみる?」

「やめてよ、キュルケ。本当にそうしたくなってきたわ」

 脳ミソまで凍えてきたので、とんでもない提案をされても、グッドアイデアに思えてしまう。
 今ならまだ、それを思い留まる程度には、頭も働いているのだが……。
 と、その時。
 近くで山鳥たちが飛び立った。
 続いて、ガサガサゴソゴソという、木を揺らしたり引っ掻いたりするような音。

「……もしかして……」

 一瞬二人で顔を見合わせてから、足音を殺しつつ、音のした方に近づいていく。
 林とも呼べないような小さな林をグルリと回り、一本の木の影から、音のした方をソッと覗き見れば……。

「……!」

 そこに、一匹のコボルドがいた。
 身長は私と同じくらい、いや、むしろ少し低いくらいだが、その腕と足の筋肉は発達している。犬のような顔の中、目が赤く光っていた。
 夜行性のコボルドは夜目が効くだけでなく、その嗅覚も犬並みである……。そんな知識を思い出したが、もう遅い。
 私たちの接近など、とっくに勘づいていたらしい。コボルドの視線と、こっそり覗いたつもりの私たちの視線が、まともに正面からぶつかりあっていた。
 急ぎ、杖を構える私たち。
 だが。

「いようっ! ちょうどヒトの手も借りたいところだったんだぜ、お嬢ちゃんたち。どうだい、こっち来て、一緒に木の皮でも剥がさねえかい」

 コボルドの口から漏れる、少々たどたどしい言葉。
 ……私たちは拍子抜けして、闘争心も霧散した。

########################

「そりゃあひでぇな……ぬれぎぬもいいところだぜ」

 そのコボルドは、チッチッチッと、まるで人間のように指を振ってみせる。
 私とキュルケは、地面に座った彼の隣、平べったい石の上に腰を下ろして、彼の話を聞いている。

「じゃあ、あんたは何もやってない、と?」

「当たり前だぜ。……大体そもそもその『悪さ』ってぇのは、一体どんなもんなんだい?」

 聞かれて私は言葉に詰まる。
 そういえば村長さんは、コボルドが悪さを始めたとか、そのせいで寒さが酷くなったとか言っていたが、それ以上の具体的な話は、何もなかった。

「さあ……? 村長さんも口を濁してたけど……とりあえず、このとんでもない寒さは、あんたのせいだ、って」

「けど……疑うわけじゃないけれど、間違いなしにあなたじゃないのね?」

 あらためて確認するキュルケに、コボルドは胸を反らして、

「当たり前だろうが」

 ちょっと誇らしげに答える。

「『大いなる意志』に誓って、絶対。……第一、このくそ寒い中、さらに寒くしたら困るのは自分らだろうが。それくらいコボルドなら誰だってわかるわな。……と、神官連中は別だぜ。あいつら、自分よりバカなコボルド率いたお山の大将だし、そもそも『大いなる意志』をないがしろにして、よくわからんものを祀るくらいだからな」

 ここで、大きくバカ笑い。
 ハルケギニアの先住民である亜人の中には、『大いなる意志』とは別に、独自の『神』を持つ種族もいる。コボルドはその一種だ、と言われてきたのだが……。
 どうやら、そうした独自の『神』は、彼らの中でも異端であるらしい。コボルドの世界にも、新興宗教っつうもんがあるのね。
 などと私が考えていると。

「……神官連中、って……。あなた自身が、そのコボルド・シャーマンなんじゃないの?」

 不思議そうに尋ねるキュルケ。
 ……コボルドの中には、稀に知能の発達した者が生まれる。彼らは知能が高いばかりでなく、人間の言葉を操り、精霊の声を聞くことが出来た。つまり、先住魔法を扱える、ということだ。そういった一部のコボルドが、群れを率いる神官——コボルド・シャーマン——として、群れの頂点に君臨する……。
 というのが、コボルドに関する私たちの知識である。目の前のコボルドも、しゃべれる以上は、その『コボルド・シャーマン』に分類されるはずだが……。

「おいおい、ぬれぎぬの次は、蔑称かい? そいつはひでぇな」

 そうなんだ。
 コボルドの間では『コボルド・シャーマン』って蔑称だったんだ。
 ……唐突な新情報に驚き呆れる、私とキュルケ。

「そんな差別用語なんかじゃなく、もっと気軽に……そうだな、コボルドだから『コボっちゃん』とでも呼んでくれ」

 なんとも気さくなコボルドである。なんか、イメージ違うな……。

「……言ったろ? おいらは、ちゃんと『大いなる意志』を信仰してるからな! ほら、さっきだって、儀式のために木の皮を集めてたじゃねえか。これがシャーマンだったら、大自然のかけらではなく、生きた人間の肝を供物にするところで……」

 自称コボっちゃんは、ふと、いぶしかしげな表情になり、

「……と待てよ……シャーマンと言やあ、だ……」

 何か思い当たることでもあるのか、少し考え込んでから、話を続けた。

「ちょいと前から、このあたりで何度か、シャーマンに率いられたっぽい群れを見かけることがあったんだがね……。異端の狂信者どもに関わってケガでもしたらつまらんし……なんぞと思って無視したんだが、今にして思えば、奴らが……」

「真犯人、だと」

「ああ、たぶんな」

 自称コボっちゃんは、キッパリと頷いた。
 うーむ。
 私は、またまたキュルケと顔を見合わせてしまう。
 コボルドの生態やら考え方やら、どうにも私たちの知るものとは違うため、今の話に関しても、なんとも判断がつかないのだ。
 まあ、それでも一応。

「……だいたいのところはわかったわ。じゃあ、私たちがひと肌脱ぐから、あんた、私たちと一緒に山を下りて、村人たちと話し合いなさいな」

「そうね、それがいいわね。あたしたちが間に立ってあげるから、きっと村人たちの誤解もとけるわよ」

 キュルケと二人、それってトンと胸を叩く。

「……大丈夫なんだろうな……本当に……」

 彼は不安そうな目で、私とキュルケを見比べる。

「なぁに、まかせなさいって!」

########################

「……とまあ、こいつ、こんなこと言ってるんだけど、どう思います?」

 私は自称コボっちゃんの頭をポコポコ叩きながら、いならぶ村人たちに言う。
 なお、叩こうが蹴ろうが何しようが、コボルドは反撃も反論もしてこない。魔力強化したロープで、口も体もグルグル巻きに縛り上げてあるからだ。

「でたらめにきまってるじゃねぇか!」

「コボルドの群れなんか見たことねぇぞ!」

「そうだそうだ! このまましばき倒しちまえ!」

「こいつがやったに違えねぇんだ!」

 口々に叫ぶ村人たち。
 私はコボルドの方を向くと、小さな声で言う。

「やっぱり説得は無理みたいね」

「これも運命だと思って、諦めるしかないわね」

 薄情な言葉で、追い打ちをかけるキュルケ。
 自称コボっちゃんは、何やらモゴモゴ言っているようだったが、なにせ先住魔法封じのために口を縛りつけてあるもんだから、単なる唸り声にしか聞こえない。
 と、その時……。

「あ、あっちにも犬頭さんがたくさん!」

 年端もいかぬ子供の声。
 その意味するところを察して、私とキュルケがそちらに目をやると、はたして……。
 雪に染まった山の端を、何匹ものコボルドが、わがもの顔で駆け回っていた。

########################

「コボルドだ……」

「ずいぶん多いぞ、ありゃぁ」

 村人たちがどよめいた。

「ほーらやっぱり! このコボルドの言ったとおりでしょ!」

 私が勢いづいて言うと、キュルケも言葉尻に乗る。

「ひとの言うことは信用しないとだめね」

「……けどあんたらだって、そのコボルドを信用してるようには見えんかったが……」

 村人の一人がツッコミを入れるが、なんとも失礼な態度である。貴族に対する話し方ではない。
 だが、とりあえず叱責もせず無視して、私はコボルドのいましめを解く。

「……てめえなぁ……いくらなんでもあの扱いはねぇぞ」

 村人に聞き咎められるのを気にしてか、私にだけ聞こえるよう、小さくつぶやくコボルド。
 どうやら彼は、私のやったことが不満らしい。足下を爆発させ、吹っ飛んで気絶したところをふん縛り、村人たちの前に引っ張ってきただけなのに。
 いきなり魔法で抹殺しなかっただけ、マシというものではあるまいか。
 ……って、これじゃ悪役のセリフだよ……。

「ともかく愚痴は後! 今はとにかく、あのコボルドたちのすみかに乗り込んで、やっつけるわよ!」

 言うなり私は、茫然とした村人たちの方へと振り返り、

「待っていてください! 真の悪者は必ず倒してみせます! 私とキュルケと……このコボっちゃんとで!」

 そして。
 山に向かって、私たちは駆け出した。

########################

 コボルドの道案内があれば、さすがに話も違う。
 今度は無駄に山をさまようこともなく、私たちはそれを見つけた。

「ここね……?」

「ああ、そうだぜ」

 山の中腹にある、とある洞窟。
 わざわざご丁寧に入り口は木枠で囲まれており、見張りのコボルドたちが周りをウロウロしていた。

「見張りは三匹ね……」

 三十メイルほど離れた岩の陰から頭を出し、様子を探る私たち。
 ここから洞窟ごと吹き飛ばし、中にいる連中も生き埋めにする……というのが一番簡単だが、それで中にボスがいなかったら、それこそ一大事。きっと村へ逆襲してくるに違いない。
 だから面倒でも、実際に中に入ってみるしかないのだ。

「一人一匹ずつ……ってとこかしら?」

「ん? オイラも数に入ってんのか?」

 キュルケの言葉に、意外そうな声を上げる自称コボっちゃん。
 しかし意外なのは、こちらである。

「当然でしょ。そもそも村人たちからあらぬ疑いかけられてるのは、あんたなんだから」

「うーん……。異端な連中とはいえ、同じコボルドを痛めつけるのは気が進まんのだが……」

 私の言うのも一理あると思ったか、彼は渋々、

「……わかった。じゃ、あの三匹はオイラがやるぜ」

「三匹全部!?」

 私とキュルケの声がハモった。

「ああ。お嬢ちゃんたちじゃ、やり過ぎちまうだろうしな。……さっきのオイラへの仕打ちから考えて」

 チラッと私の方を見て、何やら皮肉っぽいセリフを口にしてから、

「……我が契約したる枝はしなりて伸びて、我の行く手を遮る輩の自由を奪わん……」

 先住の魔法だ。
 白く染まった大地を突き破り、伸びてきた木の根っこ。それが三匹のコボルドを転倒させ、さらに後頭部をガツンと叩く。

「これでよし。あいつら、しばらく目を覚まさないぜ」

 胸を反らして誇らしげに言う、自称コボっちゃん。
 さすがに先住魔法を使えるだけあって、まともに戦えば結構な強さのようだ。
 ……今のやり方を『まとも』と言うかどうかは別にして。

「わかったわ。じゃあ、行きましょうか!」

 岩陰から飛び出し、私たちは洞窟に入っていった。

########################

 洞窟の中は、外ほどではないが、それでもひんやりとしていた。
 辺りの岩や石を踏んづけて音を立てないように、注意しながら奥へと向かう。
 私やキュルケはコボルドではないので、暗い中では目が利かない。そのため今は、キュルケが『ライト』で小さな光源を作り出し、それを頼りに進んでいた。

「待て」

 先頭を行く自称コボっちゃんの声で、私とキュルケも足を止めた。
 突き当たりの曲がり角の奥から、気配がする。
 私たちは身を屈めた。

 ウグルル、ウグルルル……。

 現れたのは、コボルドの一隊だった。
 全部で四匹、それが棍棒を振りかざしながら、こちらに向かって来る。

「今度は私たちがやるわ」

「ああ、まかせたぜ。……でも、やりすぎるなよ?」

 私と自称コボっちゃんが言葉を交わす間にも。
 呪文を唱えていたキュルケの杖から、炎が飛び出す。ホーミング機能付きの『フレイム・ボール』だ。それは四匹の棍棒を次々と燃やし尽くし……。

 ウグルル!?

 得物を失ったコボルドたちが、驚愕の呻きを漏らすうちに。
 今度は私が短く唱えた失敗爆発魔法が、彼らを襲う。
 洞窟内なので、爆発は控えめ。それでも彼らは皆、洞窟の岩壁に叩きつけられ、意識を失った。

「これでいい?」

「ああ。ありがとな、殺さないでくれて」

 倒れた犬頭の亜人たちを一瞥してから、私たちは、さらに奥へと進んでいった。

########################

 洞窟は入り組んでいた。
 頭の中に地図を作りながら、私たちはゆっくり歩く。
 数百メイルほど進んだが、もうコボルドには出くわさなかった。
 ……もしかして今頃、ボスのコボルド・シャーマンに率いられた本隊が、村を襲っているのでは……?
 そんな想像も頭に浮かぶが、杞憂であると信じて、とにかく進むしかない。
 そのうちに。

「あれは……?」

 奥の方から、ゆらゆらと蠢く明かりが見えてきた。

「へえ。こんなところに鍾乳洞があったのね」

 そう。
 コボルドの洞窟は、開けた鍾乳洞に繋がっていたのだ。
 緩やかに下り、劇場ほどもある広い空間となっている。中央にはいくつものかがり火が焚かれ、赤々と照らされた祭壇と、動き回るコボルドたちの姿が見えた。

「……ほらな。異端だろ?」

 自称コボっちゃんが、小さくつぶやく。
 木の枝や動物の骨などを組み合わせて作られた祭壇には、岩を削って作られた犬頭の像が祀られている。

「騙されてる信者たちを殺すのは可哀想だ……。そう思ってコボルドたちの命は救ってきたが、シャーマンは別だぜ。こんな『神』を祀るとは、ふてぇ野郎だ。シャーマンには手加減する必要ねぇ。全力で殺っちまえ!」

 話しているうちに腹が立ってきたのか、だんだん彼の声は大きくなってきた。
 これでは気づかれてしまう……と、私が心配した時。

「……それはこちらのセリフだな……」

 言葉と共に、祭壇の陰から、新たなコボルドが姿を現す。
 私たちは息を呑んだ。
 そのコボルドは、奇妙ななりをしていた。鳥の羽や獣の骨で出来た大きな仮面を被り、ドス黒く獣の血で染め上げられたローブを身に纏っている。手にした杖の頭にも、小さめの頭蓋骨がいくつか括り付けられており、何とも禍々しい形状となっていた。
 獣臭と腐った血の匂いが混じり、むせかえるような悪臭が、こちらまで漂ってくる。
 まるで氷の棒を突っ込まれたかのように、背筋がゾッとした。これがコボルドの神官……コボルド・シャーマン!

「おや、後ろの二人はメイジではないか。人間のけちな魔法使い。けちな魔法を崇める愚か者。山野で生きるすべを持たぬくせに威張り散らす、愚かな毛なしザル。そうだな?」

 余裕タップリに語ってから、視線を自称コボっちゃんへと戻し、

「いまだに『大いなる意志』などを崇める時代遅れのコボルドには、ちょうどいい仲間ではないか。フワッハッハッハ……!」

 高笑いするコボルド・シャーマン。
 周囲を歩き回っていた信者コボルドたちも、いつのまにか、彼の背後で左右に整然と並んでいた。

「てめえ……よりにもよって『大いなる意志』をバカにするとは……!」

 自称コボっちゃんが、ギリリと奥歯を噛み締める。今にも襲いかかろうとする表情だが、それを宥めるかのように、コボルド・シャーマンが軽く手を突き出した。

「やめておけ。愚かな古いコボルドよ。ここは我が契約している場所だ。お前が魔法を飛ばす前に、無数の石つぶてがお前を襲うだろう」

「ふざけるな! それこそ『大いなる意志』を否定するくせに……『大いなる意志』の力だけは借りようというのか!?」

 自称コボっちゃんは、ハフハフと笑うコボルド・シャーマンに向かって、くってかかる。

「……フン。それが『契約』というものだ。……あと、間違えないで欲しいが、我は『大いなる意志』の力を『借りる』わけではない。ただ『利用』しているだけだ! フワッハッハッハ!」

「きさまっ!」

 激高する自称コボっちゃん。しかし、彼は何とか自分を落ち着かせ、

「てめえこそ、何か勘違いしているようだから、一つ教えておいてやる。この洞窟も含めて、この山は全てオイラが契約済みだ。……てめえが山に来る、ずっと前にな。だから、てめえの契約は無効だぜ」

「なんだとっ!?」

 驚きのあまり、コボルド・シャーマンは、左手の杖を取り落とす。
 その瞬間。

「今だ!」

 自称コボっちゃんの合図と同時に、私とキュルケの魔法がコボルド・シャーマンを襲う!

「うぎゃあああああ」

 炎に焼かれながら、爆発四散するコボルド・シャーマン。
 自分たちのボスが倒されたことで、信者コボルドたちは恐慌をきたし、一斉に逃げ出す。
 こうして。
 戦いは、あっけなく終わった。

「……ありがとよ。オイラの意図を読み取ってくれて」

「意図も何も……あれだけ長話してりゃあ、私たちの呪文詠唱は終わってるわよ。ねえ?」

 私の言葉に、キュルケも頷く。それから、ふと思いついたように、彼女は問う。

「……でも、ここもあなたが契約済みだったっていうなら、あなた自身が倒しても良かったんじゃない?」

 すると自称コボっちゃんは目を丸くして、

「……なんでぇ。お嬢ちゃんたち、気づいてなかったのか。ここもオイラが契約済み、っていうのはハッタリさ」

「……え?」

「考えてもみろ。こんな洞窟、今日初めて来たんだぜ。そんな辺鄙なところで、精霊と契約なんてしてるわけないだろ」

 あ。
 そういえば、彼は……。
 この洞窟に入る前こそ先住魔法を使っていたが、洞窟の中では一切使ってなかったっけ。
 途中のコボルドの相手を私たちに任せたのも、ここでは先住魔法が使えないからだったのか……。

「……まあ、あのシャーマンのバカが、どれほどの使い手だったのか、それも怪しいけどな。二重契約は無理って決めつけてたくらいだ。異端だけあって『大いなる意志』のことは全く理解できてなかったようだし……」

 あらためて。
 死んだコボルド・シャーマンを嘲笑うかのように、彼は小さく鼻を鳴らした。

########################

 村に戻ると、自称コボっちゃんは一躍英雄と化した。
 村人たちは、私とキュルケと彼のために、その日は宴会まで開いてくれたのだ。
 彼は人の言葉も喋れることだし、これからはきっと、村の人たちとも仲良くやっていくことだろう。
 なお、散り散りになった信者コボルドたちも、放っておいては村に迷惑をかけるかもしれない……ということで、例の洞窟にかき集めておいた。神官役がいなくなったため、今度は自称コボっちゃんが、彼らを率いていくらしい。

「異端じゃねえ、正しい信仰の道を説いてみせるぜ!」

 と、彼も意欲に燃えている。
 村の近くに『大いなる意志』信仰の拠点があっては、それはそれで困りそうなものだが、もはやすっかり村人たちとも打ち解けたため、何の問題もないらしい。むしろ、あれを観光名所にして村おこしが出来るのではないか、と村の者たちは盛り上がっていた。

「めでたし、めでたしね……」

 酔っぱらったおっちゃんに酒をすすめられる彼を見ながら、私は何となくつぶやいた。
 それをキュルケが耳にして、

「でも……一つ合点がいかないわね」

「何のこと?」

「ほら、この寒さよ。あのシャーマンのせい……って話だったけど、あいつを倒しても、マシになってないわよ?」

「そうねえ……」

 たしかに、キュルケの言うとおりだ。
 あのコボルド・シャーマンが怪しげな儀式をやっていたせいで、寒さも悪化した、というのであれば。
 なんで回復の兆しが見えないのだろう?
 そもそも、天候を左右するような力が、あのコボルド・シャーマンにあったのだろうか……。
 首を傾げあう私たちの耳に、ふと、自称コボっちゃんと村人の会話が聞こえてくる。

「……いやあ、いいんですよ、もう、そんなこと」

「いやいや、ほんっとに悪かった。あんたみたいな善良なコボルドを疑ったりしちまってさ。……なにしろ事件が大自然に関係あることばかりだっただろ。ナダレが起きたり、山火事が起きたり……。それで、こりゃあ『大いなるなんたら』ってやつだ、亜人のしわざだ、って……」

 ぶぴゅうっ!

 私とキュルケは、飲んでいたワインを同時に吹き出した。
 みんなの視線が集まる。
 雪崩……山火事……。
 ひょっとして『悪さ』っていうのは、全て私とキュルケが……!?

「あ……あはは……いえいえ、なんでもありません」

「なんでもないったらないんです」

 二人で揃って、慌ててパタパタと手を振ってみせる。
 あんな祭壇を見ちゃったから、あのコボルド・シャーマンは悪者だ、って決めつけてしまったが……。
 ちょっと信仰の対象が変だっただけで、特に悪いことはしてなかったのか!?
 ……そういえば、あそこにあった骨とか血とかも、人間のものじゃなくて鳥や獣のものばかりだったな……。
 翌日。
 挨拶もそこそこに、私たちが逃げるように村をあとにしたのは、言うまでもない。





(「冬山の宗教戦争」完)

########################

 念のため記しておきますが……。
 番外編は時系列的には本編よりも昔の話ですので、この時点のルイズは、まだ『大いなる意志』の正体を知りません。

(2011年8月22日 投稿)
   



[26854] 番外編短編9「私の初めての……」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/08/25 23:22
   
 辺りには、冷たく湿った緑の匂いが立ち込めている。
 土に埋もれ、苔と蔦に覆われた、明灰色の建物の前に、少女は佇んでいた。
 村から少し離れた山の中。
 彼女の聞いた話によると、村の青年数人が、肝試しがてら、面白半分でこの遺跡の奥に入り込み、それから数日を経た今もなお、彼らは戻ってきていない。
 中で道に迷ったのか、あるいは……。
 昔からこの遺跡には、おかしなバケモノが住んでいるとの噂があり、村人たちは怖がって入っていこうとはしない。
 そこで村長は、学生メイジ姿の彼女に声をかけたのだ。彼らの安否を確かめて、無事ならば救出する、というのが今回の彼女の仕事である。

「はあ……」
 
 遺跡を前にして、ため息をつく少女。
 何かを否定するかのように首を振り、後頭部の大きな赤いリボンも、一緒に揺れる。
 彼女は、なかなか中に入ろうとはしない。
 慎重に観察している……というわけではない。ただ、躊躇しているのだ。
 しかし、それも無理はないのかもしれない。
 なにしろ……。

「なんで私……こんなところで、こんなことしているのかしら……」
 
 彼女はトレジャーハンターとしては、まだ駆け出し。
 いや、もっと正確に言うならば。
 これがモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシの初仕事なのだから。

########################

 長い金髪の縦ロールと鮮やかな青い瞳が自慢のモンモランシーは、れっきとした貴族の娘である。
 水系統の魔法を得意とし、『香水』のモンモラシーと呼ばれ、トリステイン魔法学院での学生生活を楽しんでいた。
 ところが……。
 ラグドリアン湖の『水の精霊』との交渉役を代々務めてきた実家が、彼女の父の代で大失敗。なぜ突然『水の精霊』が機嫌を損ねたのか不明であるが、ともかく、ちょうど干拓事業をしていた時期でもあり、彼女の家は、経済的に大きなダメージを受けてしまった。
 その結果。
 貧乏に負けた彼女は、学院を飛び出し、トレジャーハンターとして旅を始めたわけだが……。

「ほんとは荒っぽいこと、だいっ嫌いなんだから」

 この道を選んだのは自分なのに、それでも愚痴が出てしまう。
 とはいえ、ずっと遺跡の入り口で立ちすくんでいるわけにもいかない。

「……そうよね。でも、この仕事は人命救助。私にはうってつけ。だって私は『水』の使い手……」

 自分自身に言い聞かせてから、入り口に向かって、一歩、足を踏み出すモンモランシー。
 だが……。

 ガサゴソ……。

「ひっ!?」

 近くの茂みが音を立て、怯えた彼女は、また足が止まってしまう。
 そちらに目を向けると……。

「コ……コボルド……!?」

 そう。
 三匹のコボルドが、顔をのぞかせていた。
 コボルドは亜人であるが、本来は夜行性。しかも臆病で、こうして昼間から出てくることは珍しい。

「い……いや……来ないで……」

 後ずさりするモンモランシー。
 コボルドたちは今や、茂みから完全に体を出し、彼女の方に歩み寄ろうとしている。
 らしくない時間帯に出没するくらい、奇特な彼らだ。好奇心も旺盛なのであろう。
 どうやら、しばらくボーッと突っ立っていたモンモランシーを茂みの中から見ていて、「何だろう?」と興味を抱いて出てきたようだ。

「ウグルル……」

 独特の唸り声を上げながら、モンモランシーに近づくコボルドたち。
 彼ら自身の意図はともかく、彼女にしてみれば、恐怖以外の何ものでもない。

「……や……やめて……。それ以上、近寄るなら……」

 震える手で、モンモランシーは杖を振り上げる。
 でも……。
 自分の使える呪文のストックに、攻撃魔法なんてあったっけ!?
 パニックに陥り、何を唱えていいのかすら、わからなくなるモンモランシー。
 その時。

 シュッ!

 彼女とコボルドたちの中間地点に突き刺さる、一本の赤い薔薇!

「ウグル!?」

「誰!?」

 モンモランシーもコボルドも皆、薔薇が投げつけられた方へ視線を向けた。
 少し離れた小高い丘の上。
 そこに立つのは……。

「私は赤薔薇の騎士。……金髪ロールよ、泣いてばかりでは何も解決しないぞ。美しき乙女に涙は似合わない……」

 キザな口調で語りかける男。
 なぜか夜会服に身を包み、それ用の帽子も被っている。帽子の下からのぞく髪の色は金色で、クセのある巻き毛だった。
 顔には白い仮面をつけているが、それは目の部分を覆うのみ。知る人が見れば、彼が誰なのか一目瞭然……。

「何が『私は赤薔薇の騎士』よ! 気どっちゃって! ……あなた、ギーシュじゃないの!」

 思わず叫ぶモンモランシー。
 それは魔法学院における学友の一人、ギーシュ・ド・グラモンであった。
 名門グラモン伯爵家の四男であり、『青銅』のギーシュという二つ名で呼ばれる彼は、まだドットメイジでありながら、同時に七体の青銅ゴーレムを『錬金』で作り出し、操ることが出来る。
 ……と、メイジとしての腕は悪くないのだが、その性格は、ナルシストで気障。しかも女好き。
 多くの女性を口説きまくる中、どうやら本命はモンモランシーだったようで、まあ、彼女の方でも、まんざらでもない気持ちだったのだが……。
 少し付き合っただけでも、彼の浮気性には愛想がつきてしまった。なにしろ、並んで街を歩けばキョロキョロと美人に目移りするし、酒場でワインを飲んでいれば、自分が少し席を立った隙に給仕の娘を口説く。しまいにはデートの約束を忘れて、よその女の子のために花を摘みにいってしまう。
 ……思い出しただけでも、腹が立ってくるモンモランシー。彼女は怒りを込めて、突き放したように言う。

「何やってんのよ!? こんなところで! しかも、そんな格好で!」

「……え? ほら、こうやって助けに入る場面では、変装して正体を隠すのが定番かと思って……」

 バレちゃあ仕方がないと言わんばかりに、彼は仮面をむしり取る。上着と帽子も脱ぎ捨てれば、中から出てきたのは、黒いマントに、白いシャツ、グレーのスラックス。つまり、普通の学生メイジの格好である。
 シャツはフリルのついた派手なタイプだが、これがギーシュの『普通』であることを、モンモランシーはちゃんと知っていた。シャツのポケットに挿してある薔薇が造花であり、彼の『杖』であることまで、当然のように彼女は知っていた。

「……と、そんなことより! 僕は……君を追ってきたんだよ!」

 大きく叫んで、モンモランシーに駆け寄るギーシュ。
 彼女に抱きつこうと、両手を大きく広げながら、

「モンモランシー! 愛してる! ダイスキだよ! 愛してる! 愛してる!」

 彼にギュッと抱きしめられ、モンモランシーは一瞬、うっとりとしてしまった。
 さきほどは演出で役になりきっていたため少し違ったようだが、基本的に、ギーシュはボキャブラリーが貧困。だから彼は、とにかく「愛してる」を連呼してくるわけで、そのセリフを何度も言われると悪い気はしないのであった。
 それでも。

「ちょっと、やめてよ。こんなところで」

 人が……いや、コボルドが見ているのだ。
 モンモランシーは、ギーシュを振りほどこうとする。
 それに反応したのか、彼の口説き文句に装飾がついた。

「ああ! 君はまるで薔薇のようだ。野薔薇のようだ。白薔薇のようだ。瞳なんか青い薔薇だ」

 薔薇ばっかり。
 やっぱり語彙が少ないギーシュである。
 自分でも気づいたのか、ちょっと趣向を変えて、

「ほら、この髪なんて……まるで金色の草原だ。キラキラ光って星の海だ。いや海じゃない、湖だ。湖に住む『水の精霊』にも負けない美しさ! 君の前では『水の精霊』も裸足で逃げ出すんじゃないかな」

 しかし、しょせんはギーシュ。
 言葉の選択が、思いっきり失敗だった。

「その『水の精霊』のせいじゃないの!」

 モンモランシーが、ドンとギーシュを突き飛ばす。

「……『水の精霊』のせいで……私の家は……だから私は……」

 両手で顔を覆って、ウッ、ウッと嗚咽を漏らすモンモランシー。
 そんな彼女を、ギーシュは優しく抱きしめる。
 モンモランシーは、そのまま彼の腕の中に顔を隠すようにしながら、軽く握った拳をポカポカと、彼の胸に当てていた。

「……私はもう……学院の生徒でもないの……。だから……あなたは帰って……。たくさんの女の子が、あなたの帰りを待っているはずよ……」

「何を言うんだい。君を追いかけてきた、と言っただろ? 僕も……あそこを辞めてきたんだ」

「……え?」

 手を止めて、思わず顔を上げるモンモランシー。
 見上げれば、ギーシュが穏やかに微笑んでいた。

「君がいない魔法学院なんて、薔薇の消え去った花壇のようなもの。あんな場所に留まっていても意味はない」

「ギーシュ……」

 あの浮気性の彼が……ついに自分だけを見てくれるようになったのか!?
 うっとりした顔で、モンモランシーはギーシュを見つめた。
 目を閉じて、自分から顔を近づける。
 ギーシュの声は、耳に心地良く続いており……。

「中心に美しく咲く薔薇があってこそ、他の薔薇も輝くのだ。だから君がいてこそ、他の女の子たちも魅力的に……」

 一瞬でも期待した自分が馬鹿だった。
 目をパッチリ開けて、体をのけ反らし、再びギーシュをポカポカ叩く。

「もう! やっぱり、あなたなんて!」

「え? 何か……気に障ること言ったかな?」

 戸惑う彼を叩き続ける彼女。
 しかし。
 何も本気で殴っているわけではないのだ。
 もしもギーシュの友人がこの場にいたら、きっと怒りに肩を震わせながら言ったであろう、「ありゃあ、茶番だよ」と。「メインディッシュの前の軽い前菜だ。イチャイチャの前の、ちょっとした隠し味だ」と。
 そう。
 モンモランシーだって、心の底では、ギーシュが来てくれて、嬉しいのだ。
 そして。
 二人のそんな心情は、人間ではないコボルドにすら、明々白々だったらしい。
 恋人同士の戯れに呆れて……。
 コボルドたちは、静かにその場をあとにした。

########################

「なるほど……トレジャーハンターか……。ふむ、それはそれで面白そうだね」

「面白いとか面白くないとか、そういう問題じゃないの! 遊びじゃないんだから! 私は……これで稼がなきゃいけないのよ!」

「何を言うんだい? それは僕も一緒だよ。こうして君と二人で旅をする以上、もう僕たちは一心同体だ」

「何が一心同体よ……。どうせちょっと可愛い子がいたら、そっちに目移りするんでしょ!?」

「いや……それは責めないでくれたまえ。勇者には、勇気と武勲の数だけ愛があるのだから」

「ちょっと!? せめて『そんなことはない』って、否定くらいしなさいよ! 」

 やいのやいの言い合いながら、遺跡の中を進んでいく二人。
 一人では入るのを躊躇っていたモンモランシーだが、なんだかんだ言って、ギーシュが一緒ならば心強いのだ。

「しかしモンモランシー、トレジャーハンターだというなら、なぜ、人命救助の仕事なんて引き受けたんだい?」

「だって……」

 私は『水』の使い手だから、と言いかけて。
 もっと相応しい理由を思いつく。

「……ほら、遺跡って言えば、奥に色々とお宝がゴロゴロしてる、っていうのが定番でしょ?」

「ああ、そうか。さすがは僕のモンモランシーだ。モンモランシーは賢いな」

 もはや白い仮面はつけていないが、それでも金髪をかきあげながら言うギーシュ。

「そんなこと言われても……ごまかされないわよ……」

 いつのまにか浮気の話題も流れてしまったが、敢えて蒸し返さずに。
 モンモランシーは、あらためて周囲を観察する。
 事前に聞いた話では、この遺跡は、昔の大きな建物が埋没し、天然の洞窟とくっついたり、落盤を起こしたりなどして、かなり複雑な迷路になっているらしい。
 たしかに、中に入ってから結構歩いたはずだが、まだ迷宮の奥に辿り着く気配はない。
 もはや入り口からの光も見えず、杖の先に灯した魔法の明かりだけが頼りである。それに照らし出されるのは、寄り添って歩く二人の姿と、どこまで続くとも知れぬ、シミとヒビだらけの天井……。

「うっ……」

 小さくうめくモンモランシー。
 どうにも不気味なのだ。使われてもいないのに、たいまつ立てだけが壁にズラリと並んでいる。しかも、魔獣の顔のようなデザインで。

「どうしたんだい?」

「な……なんでもないわ……」

 時々、見たこともない奇妙な虫が、壁を走って逃げていく。虫は光に驚いたのであろうが、驚きの声を上げたいのは、むしろモンモランシーの方だ。甘くすえたようなよどんだ空気も、嫌で嫌でたまらない。
 ギーシュにしがみつく腕に、自然にギュッと力が入る。
 それでも。
 空いた方の手に持つ小石をチョークとし、壁にキュイッと印を付けながら。
 彼女はギーシュと共に、奥へ奥へと歩いてゆく……。

########################

「声が聞こえる」

 ポツリとつぶやき、モンモランシーは足を止めた。

「声……? そんなものは……」

 ギーシュの言葉も、途中で止まる。
 確かに……。
 暗い迷宮の奥深く、どこからともなく響いてくるのは、まぎれもなく人の声だった。
 その内容までは聞き取れないが、複数の声が何やら会話を交わしているようである。

「オバケ……かな?」

「そ……そんなわけないでしょ……。おどかすのはやめてよね」

 口ではギーシュの言葉を否定しながらも、モンモランシーは、その可能性を頭に思い浮かべてしまう。
 怖くなった彼女は両腕で彼にしがみつき、それでも言葉だけは堂々と、

「きっと、私たちが探し求める相手よ!」

 それから、声を限りに叫ぶ。

「おーい! 生きてるー!?」

 しばし、ためらうかのような沈黙。
 そして……。
 何やら大騒ぎする声がわき起こった。

「ほらみなさい! 心霊現象なんかじゃないわ!」

「……どうやら無事なようだね」

 安心した二人は、声がしたとおぼしき方に向かって、再び歩みを進める。
 やたらと音が反響しまくる迷宮の中、いくどか道を間違えながら……。
 やがてギーシュとモンモランシーは、ようやく目的の場所にたどり着いた。
 廊下の壁に、一枚の大扉。巨大な竜の頭のレリーフ付きだ。
 声は、その向こうから響いていた。

「どうやら、中からは開けられないようだな……」

「そうみたいね」

 やたらと内側から、誰かがドンガドンガと叩いているのだ。

「はい、はい。今、開けてあげるから、騒がずに少し下がっててね」

 言ってモンモランシーは、『アンロック』の呪文を唱えてみる。しかし扉は閉ざされたまま。

「……何か仕掛けがあるのかしら?」

「あからさまに怪しいのは……」

 二人の手が同時に、竜の浮き彫りへ。
 重なり合った手と手で、竜の瞳を押した瞬間。

 カコンッ。

 どこかで小さな音。
 続いて、扉が思ったよりも軽い音を立て、ゆっくり内側へと開いていく。
 部屋の中を一瞥したとたん。

「ぎゃあああああああ」

「いやあああああああ」

 ギーシュとモンモランシーの悲鳴が、洞窟の闇にこだました。

########################

 部屋にいたのは……いや、部屋に『あった』のは、無数の死体。
 完全に白骨化したものから、腐りかけた肉の残ったもの、それに、かなり原型を留めたものまで。
 そんな中。

「いやあ。待ってましたよ」

 一人の男が、ニコニコ顔で佇んでいた。
 三十歳くらいの青年で、服はもはやボロボロ。だが、マントの成れの果てらしきものを羽織っており、杖も持っている。村の平民ではなく、貴族であろう。
 先ほどの声は、彼一人が、死体に話しかけるものだったようだ。
 しかも。
 この男、こんな気持ち悪い死体の中で、平然としているだけでなく……。

「ぎゃあああああああ」

「いやあああああああ」

 再び叫ぶ、ギーシュとモンモランシー。
 なんと男は、体のあちこちの肉がドロリと腐り落ち、骨の一部が見えているのだ。

「……あ、これですか? あんまり気にしないでくださいね。どうも死体と一緒の時間が長過ぎたせいか、私まで死体みたいになっちゃって。ははは……」

 あっけらかんと語る男。
 だが……。
 ギーシュもモンモランシーも、ちゃんと聞いてなどいない。驚きと、生理的嫌悪に突つかれて、二人は全力疾走で逃げ出していた。

########################

「な……なんだったのかしら……あれ……」

 はぁはぁ肩で息をしながらモンモランシーが言ったのは、勢いでトコトン走り回った後であった。

「さあ? 平民には見えなかったけど……」

「それ以前に、人間には見えなかったわよ!」

 しかし腐った死体など、物語の中だけの話。あんなバケモノが笑ったり喋ったりするなんて、見たことも聞いたこともないのだが……。

「いやだなあ。私を置いていかないでくださいよ」

 後ろからかけられた声に、ゾッとしながら振り向くと……。
 いた!
 さきほどの、腐りかけ貴族!

「……だから言ったじゃないですか。あんまり気にしないでください、って。もう一度、言っておきますが……ちょっと死体と長いこと一緒だったせいで、性質が似ちゃっただけなんですよ。……ほら、夫婦も長年連れ添うと似てくるって言うでしょ? あれと同じですよ」

「そんなわけあるかああああ」

 二人のツッコミの声がハモる。
 しかし腐りかけ貴族は、白骨化した手でボリボリ頭をかきながら、困ったように、

「……そう言われましても……ほら、私という実例が、目の前にあるわけだし。……まあ見たところ、あなたがたも村長に頼まれて、消えた村人の捜索に来たのでしょう?」

「……え?」

 生理的不快感に耐えつつ、半ば顔を逸らしながら、二人は一応、男の話に耳を傾ける。

「一度は私、この遺跡の一番奥まで到達したんですよ。でも、そこにも紛れ込んだ村人なんておらず、黒い棺があるだけ」

「棺……?」

「はい、そうです。……しかも、どうやらその辺から、記憶が曖昧というか、とびとびになってるというか……」

 そこまで語ったところで、男が急に言葉を止める。
 ウッと小さく呻き声を漏らすと同時に、苦しそうに体を屈ませて……。

「どう……したのです……?」

 恐る恐る問いかけるギーシュ。
 それに答えるかのように、男は再び顔を上げた。
 だが……。
 今まで見せていたような穏やかな表情とは違う。
 目は血走り、口の隙間からは牙が覗き、ふでゅる、ふしゅる、と獣のような妖魔のような吐息が漏れている。
 その豹変ぶりにピンときて、モンモランシーは叫んだ。

「あなた……『屍人鬼(グール)』だったのね!」

########################

 メイジが一匹、使い魔を使役できるのと同じように、吸血鬼は血を吸った人間を一人、意のままに操ることができる。それが『屍人鬼(グール)』である。
 なるほど、彼が『屍人鬼(グール)』であるというなら、記憶の欠如も当然であろう。
 屍人鬼(グール)になってしまった人間も、いつもは普通の者と特に変わりはない。送り込まれた血が解放された時のみ、吸血鬼の操り人形となるのだ。ちょうど今、二人の前で男が豹変したように……。

「奥にカンオケがあった……って話で、気づくべきだったわ。この遺跡は……吸血鬼の住処だったのね!」

「……ということは……よくわからないが、彼はバケモノなのかね?」

「そうよ」

 頭の鈍い彼氏に、端的な言葉を返すモンモランシー。
 いったん屍人鬼(グール)になってしまっては、もう元には戻れない。死して、吸血鬼に操られているだけの存在に過ぎない。要は先住の『水』の力で動く死体と同じなのだ。
 ……『水』の使い手であるモンモランシーは、そうした知識をちゃんと持っていた。

「始祖よ。不幸な彼の魂を癒したまえ」

 小さく祈りの言葉を口にした後、続いて呪文を詠唱。
 今にも飛びかかろうとしていた屍人鬼(グール)に、水の塊をぶつける。
 だが。
 モンモランシーの魔法では、攻撃力が足りなかった。たいしたダメージを与えられない。
 それを見て。

「ふむ。倒すしかないというのであれば……僕に任せたまえ!」

 ギーシュが薔薇の造花を掲げて、呪文を唱えた。
 女戦士の形をした青銅ゴーレムが、七体、その場に出現。
 舞い散る花びらのような動きで、一斉に屍人鬼(グール)に斬りかかる!

「すごい……」

 思わず感嘆の声を上げるモンモランシーの目の前で……。
 七体のゴーレムに切り刻まれ、屍人鬼(グール)は、あっけなく崩れ落ちた。

########################

「……ふぅ」

 一つの戦いを終わらせ、ギーシュが額の汗を拭った時。

『……困るな……我がしもべを塵にされては……』

 声は唐突に後ろからした。

「なっ!?」

 ギーシュとモンモランシーは、揃って振り返る。
 屍人鬼(グール)はバラバラにしただけであり、『塵』は言い過ぎ……なんてツッコミを入れる余裕もなかった。

「……どこ……?」

 声はすれども姿は見えない。何かの影はもとより、気配すらもありはしない。
 しばらく二人で、キョロキョロと辺りを見回し……。

「もしかして……あれかな?」

 ギーシュが指さしたのは、壁にズラリと並んだ、たいまつ立ての魔獣の顔。その口は、たいまつを差し込むための穴だと思っていたが……。
 どうやら、もう一つの用途があったらしい。壁の中に伝声管が走っており、ちょうど『口』から声が出てくる仕組みになっていたのだ。

『……ほう……。元気がよいだけでなく、なかなか賢い生け贄だな。それでこそ、我が血肉となるに相応しい』

「いけにえ……?」

 おうむ返しに、小さくつぶやくモンモランシー。
 一方、ギーシュは壁にビシッと指を突きつけ、

「何者だ!?」

『……我は、この迷宮の主にして高貴なる闇の血を引くもの……』

「吸血鬼ね!」

 最後まで言わせず、モンモランシーは叫んだ。

「何っ!? 吸血鬼だとっ!?」

「さっき説明したでしょうがっ!」

 ギーシュに対して、モンモラシーが律儀にツッコミを入れている間に、今度は当の吸血鬼が、低い含み笑い。

『ふっ……察しがいいな……』

「あったりまえでしょうが! さっきから『塵』だの『高貴』だの『闇の血』だのと、何でもかんでも大げさに言っちゃって! そんな言い方するの、吸血鬼とギーシュくらいなもんよ!」

 言ってから、これではギーシュを貶しているようなものだと気づき、彼女は慌てて言い直す。

「……そもそも! 屍人鬼(グール)が出てきた時点で、話のネタは割れてるのよ!」

「そうか……そういうことだったのか……」

 ようやくギーシュも理解したらしいが、とりあえず、そちらは放っておく。
 今は、吸血鬼との舌戦である。

『……ふっ……口先だけの人間め……。まあ、いい。そこまで言うのであれば……来てみるがよい! 我がもとへ! 暗黒の貴族の名に相応しい我が力、とくと見せつけてくれるわ!』

 言葉と同時に、通路のどこか遠くから、かすかな明かりが漏れてくる。

「ええ、行ってあげるわ! どうせ、もう使役する屍人鬼(グール)もいないんだし、だったら恐くないわ! 遺跡の宝も、あなたが貯め込んだ宝も……全部すっかり私が貰ってあげるから!」

 モンモランシーは、力強く宣言した。

########################

 光の強くなる方に向かい、二人は暗い通路を進む。
 ただし暗いとは言っても、まだ魔法の明かりは灯したまま。歩く上には支障はない。

「しかし……相手は吸血鬼か……」

 歩きながら、ギーシュがつぶやく。
 たとえ屍人鬼(グール)抜きだとしても、吸血鬼は、やはり手ごわい相手である。なにしろ吸血鬼は、先住魔法を操る亜人なのだ。

「大丈夫よ」

 隣を歩くモンモランシーは、もうギーシュに寄り添う弱々しい少女ではない。自信に満ちた声で、しっかりと自分の足で歩いていた。

「……吸血鬼と戦うのは、私じゃなくて、あなただから」

「え……?」

 一瞬、ギーシュの足が止まる。
 そんな彼に、彼女は厳しい視線を向けて、

「当たり前でしょ。ほんとは私、荒っぽいこと、だいっ嫌いなんだから! ……あなたとのコンビでは、あくまでも私は頭脳労働担当よ」

「そ……そんな……」

 しかしギーシュは言い返せない。女の子にカッコいいところを見せるのは、確かに男の役割だな、と納得してしまったのだ。

「……それに……」

 再び歩き出したところで、モンモランシーは言葉を続ける。

「まだギーシュは理解してないでしょ。私たちがはめられた、ってことすら」

「え? どういうことだい?」

 今度はギーシュも立ち止まることなく、いぶかしげな視線だけを彼女に送る。

「さっきあの吸血鬼が、私たちのことを『生け贄がどうの』って言ってたわよね」

「……そう言えば何か、そんなことを言っていたような気もするね」

「つまり、はじめっから、ここに迷い込んだ村人なんていなかったのよ」

「はあ?」

 ギーシュは目を丸くする。

「ほら、英雄伝承歌(ヒロイックサーガ)なんかで、よくあるじゃない。魔物が山とかに住み着いて、近くの街や村に生け贄を要求する、ってパターン。……あの吸血鬼、それを本当にやったのね」

「……」

 まだよくわかっていないっぽい彼のため、彼女は、さらに懇切丁寧に、

「たぶんこうよ。ある時この遺跡に、あの吸血鬼が住み着いて、近くの村に、定期的な生け贄を要求してきた。でも村の人たちは当然、村から生け贄なんて出したくない。そこで、旅の学生メイジとか、貴族くずれの傭兵メイジとかに『遭難者の救助を頼む』って嘘ついて、ここに送り込むわけ。……生け贄として、ね」

「ふーむ。それが本当だとしたら……とんでもない話だな……」
 
「そうよ。ここの吸血鬼を倒したら……次は、あの村長さんにキチッと挨拶しに行くわよ!」

 おそらく先ほどの屍人鬼(グール)も、そうやって騙されて送り込まれた人の成れの果てだ。
 彼を弔う意味でも、村の連中からはキッチリ取り立てるべきであろう……。
 そう考えると、自然、厳しい表情になるモンモランシーであった。

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 やがて二人は、一枚の大きな扉の前に立つ。
 どうやって開けるのか、考える必要もなかった。

「よく来たな……」

 声と共に、扉がゆっくり開いていく。
 ……今度は伝声管を通したものではなく、直接、聞こえてきた。つまり、この中にいるということ!
 そこは薄暗い灰色の部屋。中央は一段高くなっており、その上にあるのは黒い棺。

「それじゃカンオケの意味ないじゃない……」

 モンモランシーがつぶやいたように。
 棺の中ではなく、その上に彼は座り込んでいた。
 金髪の髪を後ろになでつけ、黒いマントを身に纏った長身の男……。

「お初にお目にかかる。私がこの迷宮の主。残念ながら名前は……」

「……人間には発音することもできない、とでも言いたいわけ?」

 パターンを察して、先取りするモンモランシー。
 しかし。

「……いや、違う。名前は忘れた」

「え?」

 目が点になる二人。

「フッフッ……。浅はかな人間どもめ……。どうやら驚いたようだな」

「……そりゃあ……まあ……」

「……なにしろ私は、悠久の時の中を生きてきたからな……。それに、ここでは孤独を愛しており、名前など必要もなかった……」

 呆れたようなモンモランシーの声に、言いわけがましく応える吸血鬼。
 言葉を飾り立ててごまかしているが、要するに『トシでボケた上に一人で引きこもっていたら名前も忘れた』ということだ。

「だが……精霊との契約は忘れておらぬぞ!」

 言って吸血鬼は、バサリとマントをひるがえす!

「石に潜む精霊の力よ。我は古き盟約に基づき命令する。礫となりて我に仇なす敵を討て」

「ギーシュ!」

 吸血鬼が精霊に呼びかけると同時に、モンモランシーは叫んだ。
 彼女の意をくんで、ギーシュは青銅のゴーレム『ワルキューレ』を用意する。これで二人をガードするのだ。
 さきほどの吸血鬼の呪文から考えて、どうやら石礫が飛んでくるらしい。ギーシュもモンモランシーもそう考えて、青銅ゴーレムの後ろに隠れつつ、身構えたのだが……。

「何よ……それ……」

 小指の先くらいの小石が三つ、ふわりと空中を移動し……。

 ぺちんっ。

 遥か手前で、ゴーレムに叩き落とされた。

「今のが……先住の魔法……なの?」

「見ると聞くとでは大違いだねえ」

 呆れる二人の前で、大げさに騒ぐ吸血鬼。

「おおおおっ! 馬鹿なっ! 我が最大の術がっ!」

「あれが最大!? あなた……もうボケちゃって、先住魔法も忘れちゃってるんじゃないの!?」

「私を馬鹿にするなっ! 忘れてなぞおらぬっ! 五歳の頃から、我が術の威力は変わっておらぬわっ!」

 つまり。
 昔っから魔法が苦手だった、というわけだ。

「……いばれる話じゃないでしょ!」

「どうやら、僕の敵ではなさそうだね」

 モンモランシーの当然のツッコミと、ギーシュの余裕のセリフと共に。
 青銅ゴーレム『ワルキューレ』が吸血鬼に襲いかかり、彼をタコ殴りにするのであった。

########################

「……意外と少ないのね」

 落胆をあからさまにするモンモランシー。
 彼女の肩に、ギーシュが優しく手をのせた。

「まあ、こんなものなのだろう。まさかこの状況で、隠したりはしないだろうし」

 ギーシュは視線を、床に転がった吸血鬼へと向ける。
 ボコボコにされた吸血鬼は、ギーシュの土魔法で拘束され、すっかりおとなしくなっていた。

「はい! それで全部です! 私が持ち込んだ宝も、遺跡で見つけた宝も!」

 弱気になったとみえて、もう口調も態度も、まるで別人である。

「……仕方ないわね。じゃあ、もう帰りましょうか」

「この……吸血鬼は、どうするんだい?」

「そのまま、そこらへんに転がしとけばいいんじゃないかしら」

「そんな殺生な! せめて拘束だけでも解いてって下さいよ!」

 吸血鬼の悲鳴は、当然のように無視。
 宝を詰めたバッグをギーシュに持たせて、モンモランシーは考える。
 さて、どうやったら外へ出られるのか。
 ギーシュの『錬金』で外まで一気に穴をあけるというのが一番簡単な策だが、どちらへ掘ったらいいのか、方角がわからない。それに、ちょっと距離があり過ぎる気がする。ギーシュはドットメイジ、彼の精神力では無理っぽい……。
 ならば。
 一応、途中まではチョークでつけた印がある。それを何とか探し出す、というのが現実的なプランであろう。

「ねえ、ギーシュ」

「なんだい、愛しのモンモランシー」

「気づいてた? あちこちの壁に、私がチョークで色々と書いてたの」

「ああ、あれね……」

 ギーシュの微笑みが、女性に向けるものから、小さな子供に向けるものへと変わる。

「トレジャーハンターに身をやつしたとはいえ、僕たちは、れっきとした貴族だ。あまり感心しないな、子供みたいなイタズラは」

「……へ? イタズラ……って……」

「あちこち見境なしに落書きしていたわけだろう? ちゃんと僕が消しておいたよ、全部」

 ぴしっ。

 モンモランシーの表情が、まともに凍りつく。

「……ん? どうしたんだい、急に……?」

「あ……あなたって人はっ! なんてことしてくれたのよっ! あれは落書きなんかじゃなくて、出口までの目印だったのよっ!」

「そうだったのか! いやあ、そういうことは先に言ってくれないと……」

「普通に考えればわかるでしょ!? ……というか、言葉ナシでもわかりあえるのが恋人同士ってものでしょ!?」

 二人が目と目で通じ合う仲になるのは、まだまだ先の話のようである。

「はあ……」

 盛大にため息をつきながらも、モンモランシーは頭を切り替える。今はギーシュを責めている場合ではない。
 彼女は、キッと吸血鬼に向き直り、

「……ここにこのまま放置されて朽ち果てるのが嫌なら……教えてもらいましょうか、出口までの道順を」

「出口までの道順ですか……」

 迷宮の主であるはずの吸血鬼は、なぜか遠い目で、

「ならばまず、私がここに来た夜の話から始めないと……」

「そんなこと誰も聞いてないわよ」

「まあ聞いてくださいな。……故郷の地を追われ、さまよう私の目の前に、ある日この遺跡の入り口が現れて……」

「いや、だからね……」

「私はここを第二の故郷にすると決め、さっそく近くの村に降り、月に一度の生け贄を要求しました。そして引き返し、この新しい住処の奥へと入ってきたわけですが……」

 話を聞いているうちに、モンモランシーの表情が変わっていく。
 ……なんとなく、オチが予想できたのだ。

「思ったより内部が複雑でしてね。はっきり言って、どこがどうなっているのか、さっぱりわからんのですわ」

 やっぱり!
 想像していたとはいえ、それでも言葉を失うモンモランシー。
 一方ギーシュは、むしろ親しげに、

「ひょっとして、君も迷ったのかい? では、僕たちと同じだな」

「そういうことになりますかね。一応律儀に生け贄は届けられているようですが、私のところまで来たのは、最初の一人のみ。……ほら、あの屍人鬼(グール)にした彼ですよ! あの彼以外は、途中で迷って、どこかで無駄に死んでるみたいで……。それに屍人鬼(グール)の彼だって、使いに出したら迷子になってしまって……」

「なるほど……そういう事情だったのか……」

「そうなんです! 正直、食事のことも含めて、すっかり困っておりまして……。はっはっは」

 吸血鬼のバカ笑いが、モンモランシーの脳を直撃した。

 ぷつっ……。

「埋めて! 埋めちゃってっ! こんなアホ吸血鬼っ!」

「ひぃぃぃぃっ!? お助けぇぇぇぇっ!」

「ああっ! モンモランシー! 彼を滅ぼしたところで、問題は解決しないよ!?」

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 結局。
 脱出するのに四日かかった。
 遺跡を出る頃には、精も根も尽き果てて……。
 村へお礼参りする話も、スッカリ忘れ去られていた。
 こうして。
 いきなり最初からケチがついたような感もあるが……。
 ギーシュとモンモランシーの、トレジャーハンターとしての冒険が今、始まったのである!





(「私の初めての……」完)

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 番外編が二連続ということで、今回はルイズ抜きのお話。番外編ですので、これも時系列的には本編よりも昔の話です。
 ルイズが『水の精霊』の話をする際に没落した貴族について言及していたり、第二部第一章でマリコルヌが出て行っちゃった親友について語っていたり、これまで作中でもそれとなくほのめかしてきたわけですが……。その二人が、ついに登場!
 このタイミングで紹介エピソードを投稿したのは、もちろん、本編での登場が迫ってきたからです。

(2011年8月25日 投稿)
   



[26854] 第九部「エギンハイムの妖杖」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/08/28 23:22
   
 ぽきぃぃん。

 よく澄んだ、そしてやたらとカルい音を立て、剣はいともアッサリへし折れた。

「……あ」

「うっわどわぁぁぁぁぁっ!?」

 サイトの間の抜けた声と、案内係のおっさんの悲鳴が辺りにこだまする。

「ちょっとぉぉぉっ! どうしてくれるんですかっ!? 剣折っちゃって! いくら貴族とその従者さまとはいえ、やっていいことと悪いことがあるってもんでしょうっ!?」

 怒りと焦りの表情で、私たちに詰め寄るおっさん。

「何言ってんの!? そもそも! どこの世界に、つまずいて寄っかかっただけでポッキリ折れるような伝説の剣があるのよ!」

 返す私の言葉に、彼の顔がザアッと青ざめた。

「……うっ……。そ……それは……」

「なあ、ルイズ。もういいじゃん。きっと……そういう伝説の剣だったんだろ」

 とりなすサイトの言葉に、おっさんは表情を取り戻し、

「そ……そうです! さすがは貴族の従者さま、いいことを言う! ……これはそういう仕様の、そういう伝説の剣なんです!」

「んな剣があるかあああああっ!」

 ちゅどーん。

 私の怒りのエクスプロージョンは、おっさんもサイトも二人まとめて吹き飛ばした。

########################

「なあ……なんで俺たち、剣なんて探してるんだっけ?」

 吹っ飛んだおっさんは放置して、回復したサイトと二人で村へと戻ったその後。
 とあるメシ屋で鳥のローストをぱくつきながら、サイトは言った。
 私はハシバミ草のサラダを口に入れたところだったが、その苦みに顔をしかめつつも、サラッと答える。

「だって、サイトには新しい剣が必要じゃない」

 私の使い魔サイトは、頭はクラゲ並みのバカ犬であるが、なんとガンダールヴと呼ばれる伝説の使い魔。武器を握らせたら、もう凄いのなんの。
 その上、しばらく前までは、始祖ブリミルが作ったデルフリンガーというこれまた伝説の剣を持っていたりしたのだが、その魔剣は、私に関わるゴタゴタの中で、ついに砕け散ってしまった。

「俺、別にこの刀でもいいんだけど……」

 背負った剣にチラッと視線を向けるサイト。現在の彼が使用しているのは、日本刀といって、サイト同様、異世界から紛れ込んできた物だが……。

「何言ってんのよ」

 私はサイトの皿から鱒型のパイをつまみ取り——だって自分のはもう食べちゃったんだもん——、それで口直しをしてから、

「あんたは確かにガンダールヴよ。それでも絶対無敵ってわけじゃないわ。やっぱり……それなりの武器が必要なの」

 そう。
 魔剣デルフリンガーはインテリジェンスソードであり、色々と助言やら解説やらもしてくれたわけだが、それだけではない。デルフには、魔法吸収能力という凄い機能が付加されていたのだ。
 今まで、何度それに助けられてきたことか。
 しかも、どうやらサイト、まだそのデルフを持っていた時のクセが抜けていないのだ。つい最近も、どこぞのメイジと戦った際、敵の炎を剣で受け止めようとして、危なく黒コゲになるところだったし……。

「でもさあ……」

 再びチラリと、背中の日本刀に目をやるサイト。
 この刀、とある黒髪巨乳のメイドからプレゼントされたものでもあるわけだが……。
 まさか、だから愛着がある、なんて言わないわよね!?

「……剣探しなんかより、もっと大事なことが他にあったような気がするんだが……」

 はあ。
 気がするんだが、ではない。
 私たちの旅の最大の目的は、サイトを元の世界へ帰す方法を探すこと。
 これは事実である。
 でも、そんなものは簡単には見つからないのだ。『世界扉(ワールド・ドア)』という虚無魔法を使えばよい、ということまでは判明したが、ではどうすれば習得できるか、これがまた難しい。『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』か『写本』が必要になってくるが、そんなもん、どこぞにポンポン転がっているわけもない。
 ならばそれを探しつつ、ついでにサイトには新しい武器を……というのが、私たちの現状である。
 ……今日たまたま立ち寄ったこの村にも、運よく伝説の剣の噂があった。
 案内係のおっさんに連れられて、私たちは村はずれの岩場まで出向いたのだが、そこにあったのは、それらしき飾りをつけた剣を岩に食い込んだように細工しただけのシロモノ。
 しかも、見物料は要求されるわ、剣を引き抜くにもチャレンジ料が必要と言われるわ……。つまりは、村おこしのための観光イベントだったのである。

「……思い出しただけでも、なんだか腹が立ってきたわ……」

「ん? 何の話?」

「なんでもない。忘れて」

 ちょうど私たちが、そんな言葉を交わしたタイミングで。

「……おお! おったおった!」

 戸口から聞こえてきたしわがれ声に、なんとはなしに振り向けば、そこには一人の老人と、さっきの案内係のおっさんの姿。
 二人はツカツカとこちらに歩み寄り、老人の方が、辺りをはばかるような低い声で、

「……失礼じゃが……さきほど裏山で剣を抜くのを試された方々じゃな?」

「そうだけど? ……ひょっとして、私たちが『伝説の剣』折っちゃったから、苦情でも言いに来たとか?」

 あくまで笑顔を浮かべつつ、嫌味を飛ばす私。
 老人は、ひきつりかけた愛想笑いで、

「いやいやとんでもありません。……わしはこの村の村長をしておる者なのじゃが……」

 私の隣で腰をかがめて、声をひそめて話し始めた。

「ごらんのとおり、豊かな村とは言えんでのう。大きな街道からは遠く、交易ルートからは外れておるし、なにより、名物になるようなもんもない。そうなると……やはり、ああいうこともせねばならん。わかってくれるかの?」

 なるほど。つまりは伝説がインチキだという事実を言いふらすな、ということか。

「……とりあえず、いただいた見物料と引き抜きチャレンジ料は、お返ししておきます」

 言って村長は、懐から小さな革の袋を出して、テーブルの上にコトンと置いた。

「……代金を返す、と言ったわりには、分量多いような……」

 村長と案内係をジロッと睨みつけると、彼らは一瞬、体を退きながらも、

「……いやまあ……そこはそれ……やはり、あちこちでおかしな噂なぞが流れて、この村の評判が落ちたりする、というのは困るのでな……」

「ですから、どうか、これで内密に……」

 案内係にいたっては、もみ手までしている。ちょっと気持ち悪いぞ。

「……ふーん……。これでめでたく、インチキも再開できる、ってこと……?」

 私の言葉に、ギクッとする二人。やっぱり。

「でも口止め料にしては、これ、はした金じゃない?」

「……し……しかし、それ以上の出費は……。おおっ! そうじゃっ!」

 村長は、ポンと一つ手を叩き、

「あなたがた、剣を探しておいでのようですな? さいわいにも、わしは、その手の伝説を一つ知っておりまする! それをお教えしますから、どうか、ここは一つ……」

「……剣の伝説……ねぇ……」

 なにしろ、インチキ剣を仕掛けていた村長の言葉である。胡散臭さ満点であり、私はロコツに眉をひそめた。

「……どうせそっちもガセなんじゃないの……?」

「いやいやっ! これはわしが関わっている話ではないので、信憑性がありますぞ! 少なくとも、そういう話がある、ということだけは、まぎれもない事実ですじゃ」

 そういう太鼓判の押し方は、いかがなものか。そう思わんでもないが、

「……ふーん……。ま、そこまで言うなら、とりあえず、話だけでも聞いてあげましょうか」

「おお! それでは……」

 村長は、さらに声のトーンを落として、

「……ここから東にある大きな街道まで出て、さらに北に数日のところに、エギンハイムという村があるのじゃ」

「へえ、それで?」

「その村の近くに、『妖魔の森』と呼ばれる場所があっての。その森に秘密の洞窟があり……」

 ……森の中の秘密の洞窟……? なんだか、いきなり嘘っぽくなってきたような……。

「……その奥に、岩に刺さった一本の……」

「まだ言うかこの口はあああああ!?」

 ちゅどーん。

 私の怒りのエクスプロージョンは、今度は村長とおっさんの二人を、店の外まで吹き飛ばすのだった。

########################

「……ったく……作り話するにしても、あれは酷すぎるわよね……」

 嘘つき村長とその仲間のおっさんは放置して。
 私とサイトの二人は、あの村をあとにしていた。
 透けるような青空。ポカポカ暖かい陽気。
 馬に引かれた荷車が、ゴトゴト音を立て、街道をゆく。
 のどかな光景に、だんだん私の心も穏やかになっていった。

「けどよ、ルイズ、この先どうすんの?」

 サイトがそう問いかけてきたのは、街道の先に、森に囲まれた小さな村が見えてきた頃。

「ま、とりあえずエギンハイムにでも行ってみましょうか」

「エギンハイム?」

 私の答えに、サイトは微かに眉をひそめ、

「……どこかで聞いたような名前だな……」

「だからぁ。……さっきの村の嘘つき村長が言ってたでしょ。伝説の剣があるって村」

「ああ、そのエギンハイムか……。って、どうせそれもインチキじゃねえの?」

「たぶんね」

「……?」

 私の言葉に、しばし沈黙するサイト。
 のどかな鳥の鳴き声だけが、しばし辺りを支配した。

「……そう思うなら、なんでそのエギンハイムとやらに行くんだ?」

「ほかに行くアテもないもん」

 正直に言う私。
 剣にしろ魔法にしろ、伝説級の話など、そうそう転がっているわけではないのだ。
 ならばダメでもともと、とりあえず行くだけ行ってみればいい。観光気分でノンビリ気楽な旅というのも、たまには悪くはないはず。

「……別にエギンハイムにこだわってるわけじゃないから、もっと面白そうな情報を途中で入手したら、行く先を変えればいいし……」

 そんな私の言葉が呼び水になったのか。

 っづどぉぉぉぉん!

 遠い爆音が、のどかな空気を吹き飛ばす。
 音の源は……探すまでもない。行く手に見える村の片隅から、一筋の黒い煙が立ち昇っている。

「……噂をすれば何とやら……ね……」

「こういうのを『面白そう』っていうのは不謹慎な気が……」

「とにかく行くわよ! サイト!」

「おう!」

 トラブルあるところ、危険ともうけ話あり。
 私とサイトは、村の方へ向かって駆け出したのだった。

########################

 私たちが現場に到着した時、すでにそこには村人たちの人だかりが出来ていた。
 一同の目の前には一軒の家。『火』の魔法でやられたらしい。完全に溶かされるほどの高熱ではなかったようだが、一部が完全にガレキと化して、くすぶり、煙を上げている。

「どうしたの!?」

 問う私に、戸惑い顔の村人たちが、

「音に驚いて来た時には、この有様で……」

「ここにゃあ女の子が一人、住んどったんだ!」

「通りかかった貴族のメイジ様が、ガレキ撤去を始めてくださったのですが……」

 村人の一人が指さす方向を見れば。
 確かに三体のゴーレムが、まだ煙のくすぶるガレキをヒョイヒョイどけていた。
 金属製の光沢を示すゴーレムで、形は人間の女性、それも戦士のようだ。本来はこういう作業ではなく、戦いの際に用いるものなのだろう。

「でも……そのメイジってどこ?」

「はあ。ゴーレムに命令を下した後、お連れのかたと一緒に、どこかへ……」

 ふむ。
 無責任な話である。

「……あの……あなた様もメイジであるなら……」

「うん、まかせて! 私も……」

 手伝おうと言いかけて、言葉を飲み込む私。
 何しろ、私の得意は爆発魔法。虚無魔法のエクスプロージョンは言わずもがな、魔王の力を借りた呪文も似たようなものだ。
 ……中にいる人を救助しようというのに、吹き飛ばしてどうする。
 まあ他にも『解除(ディスペル)』というのを使えるが、あれは魔法を無力化するだけ。ここで放てば、せっかく作業しているゴーレムを、元の土だか何だかに戻してしまうことになる。
 ……それもダメじゃん。

「ルイズの魔法って……こういう時は役に立たないよなあ……」

 私の内心の葛藤を読み取ったかのように、ボソッとつぶやくサイト。

「仕方ないでしょ! 向き不向きってもんがあるのよ!」

 思わず反射的に彼を叩いてから、村人たちに向き直り、

「中に人がいるっていうのは確実なの!?」

「……いや、もしかしたら外に出ていたかも……」

 ふむ。
 ならば、それを探すという口実で、ここから立ち去るか……。
 そんな考えが頭に浮かんだ時。

 っごぉぉぉん!

 二度目の爆音は、裏手の森の中から聞こえてきた。

「じゃあ、私たちは元凶を何とかしてくるわ!」

 ひとこと言い残してから、サイトと一緒に、森の中へと駆け込んでゆく。
 しっとりとした緑の匂い。
 爆音に驚いたか、はたまた殺気を感じたか、鳥たちのさえずりは聞こえない。
 そして……。

 どぐぉぉぉぉぉんっ!

 三度目の爆音は、思ったより近くで聞こえた。
 私とサイトは、顔を見合わせ頷いて、音のした方へと向かって走り出した。

########################

「……くっ!?」

 猫を思わせる身軽さで、少女は、サンッと草むらに着地した。
 美しい透き通るような金髪に、これまた澄んだ垂れ気味の碧眼。とんでもない美少女であるが、澄んだ瞳は冷たい何かに彩られており、表情も氷のように動かない。
 着ているものは、ぴったり体にフィット。士官服のようにも見えるが、どこの国の軍服とも違う。メイジでもなさそうなのにマントを羽織っているのと合わせて、たぶん、いささか衣装のシュミが変わった人なのであろう。
 変わっていると言えば、耳も普通の人より長いようだが……。まさか、こんなところにエルフがいるわけないし……。

「……逃げられると思ってるんじゃないでしょうね?」

 その目の前に、まさしく影のごとく佇むのは、これまた普通ではない少女。
 なにしろ、全身に黒衣を纏っているのだ。
 目以外を隠した暗殺者スタイル……にも見えるが、暗殺者とは、どことなく雰囲気が違う。裏の世界の人間にしては、なぁんか甘ちゃんな空気が漂っている。

「たとえ私の手から逃げおおせたところで! その後いったい、どうするつもり? ……頼るべく身内もなく、帰るべき家も、もはや私の魔法で吹っ飛んだ。夜空の下で、一人孤独に頬を濡らすの? ……くだらぬ意地など張らず、おとなしく私と一緒に来るべきよ」

「……ったく……見かけのわりにはペラペラとよくしゃべるわね……」

 黒ずくめ少女に向かってそう言ったのは、金髪少女ではなく。

「……!? なにっ!?」

 黒ずくめが振り向いた視線の先には……言うまでもない。爆音と、戦いの気配とを追って、ようやくこの場に辿り着いた私とサイト。

「何者よ!? あなたたち!?」

「あんたみたいな、自爆するほど怪しい格好の奴に、正直に名乗るバカはいないわよ」

「『怪しい』ですって!? それじゃ私、悪人みたいじゃないの!」

 声を荒げて、彼女は言う。
 ……いやはや、その格好で善玉のつもりとは……。

「大体あなたたち! 何者か知らないけど、なんでこんな所にいるの!?」

「通りかかった村の家が魔法で壊されてて、森の中から爆発音が聞こえてきた。……これだけ騒ぎがあれば、誰でも見にくるわ。で、あんたに聞くけど、あんたの住んでる辺りじゃあ、いきなり他人の家を吹き飛ばして、その住人をさらおうとする奴のこと、悪人とは言わないわけ?」

「……そ……それは……」

 言葉に詰まる黒ずくめ少女。
 だが、それでも。

「……い……いいのよ! こっちにはこっちの事情があるんだから! あなたの知ったことではないわ!」

「……ま、何にしても、だ」

 言ってサイトが、一歩踏み出す。
 舌戦は私の勝ちで終了と見てとって、割り込むタイミングだと考えたらしい。

「見過ごすわけにはいかねえな。口で負けたからおとなしく撤退……なんてつもりはないんだろ?」

「負けてないわよ!」

 怒ったように叫んで、黒ずくめは杖を構えた。
 ……ふむ。
 格好や態度はともかく、その構えを見る限り、メイジとしての腕前は悪くないらしい。
 一方この間、追われていたはずの金髪少女は、なぜか動こうともせず、ジッと事の成り行きを見守っていた。
 私としては、こちらが黒ずくめと言い合いしているその間に、サッサと逃げて欲しかったのだが……。口に出して、そう言うわけにもいかないし。

「俺は……サイトだ」

 背中の日本刀を抜いて、キチッと名乗るサイト。
 それを受けて、黒ずくめ少女も。

「私は、ビー……」

 しかし。

「やめなさい!」

 彼女の名乗りを遮るかのように、そのすぐ後ろから、叱責の声が聞こえてきた。
 ザムッと小さく草を鳴らし、私たちの前に姿を現したのは、ビーなんとか——氏名不詳——と同じく、全身黒ずくめの少女。
 気配を隠して潜んでいたらしい。
 とすると、金髪少女が動かなかったのは、この黒ずくめ二号の存在を察知していたからであろうか? 私でさえ気づかなかったというのに……。
 ともかく。
 黒ずくめ二号の叱責に、ビーなんとかは思いっきりうろたえて、

「で……でも……エー……」

「私の名前も言っちゃだめ!」

 エーなんとか——黒ずくめ二号——の怒声が、ビーなんとかの言葉を再び止める。

「……部下だか仲間だか知らないけど……こういうのと一緒だと、あんたも苦労するわね」

「よけいなお世話よ。……しかし……」

 私の言葉に、エーなんとかはこちらへ向き直り、

「……悪いけど、口封じさせてもらうわ。呪うなら、不用意に首を突っ込んだ自分たちと、ビーコの口の軽さを呪いなさいね」

 いや、あんたも口が滑ってるけど……。
 どうやらビーなんとかの名前はビーコというらしい。へんな名前。

「しゃっ!」

 気合いを声に発して。
 そのビーコが、最初に動いた。
 木々の間を縫い、駆け抜けて、サイトとの間合いを一気に詰める。
 ……速い!
 しかもいつのまに唱えていたのか、杖には『ブレイド』の魔法がかかっていた。どうやら、サイトと斬り合うつもりらしい。
 ……いや、一対一で遣り合うつもりはないようだ。ビーコのすぐ後ろには、エーなんとかも続いている。
 なるほど、メイジの私より剣士のサイトの方が仕留めやすいと判断して、サッサと二人がかりでサイトを倒してしまうつもりか。

「……バカね……」

 サイトの実力を見誤ったのも愚かだが、一瞬でも私に隙を見せたのも愚か。
 私は普通のメイジとは違う。詠唱時間ほぼゼロで、魔法を放つことが出来るのだ!

 ちゅどーん。

 私のエクスプロージョンで、まとめて吹き飛ぶ黒ずくめたち。
 近くにいたサイトも一緒くたに飛んだけど、まあ、彼は大丈夫よね。

「……っなっ……!? 味方まで巻き込むとは……!?」

 慌てて草の上に身を起こし、呆れた口調で言うビーコ。
 直撃ではなかったとはいえ、なかなか素早い復活である。
 ……暗殺者スタイルだけあって、それなりに体術の訓練はしているのかもしれない。あの一瞬で上手く受け身をとってダメージを抑えたというのであれば……。

「サイト! 大きいの一発行くわよ! 当たったらゴメン!」

 半分ハッタリの私のセリフに、黒ずくめ二人だけでなく、サイトにも動揺が走る。

「……ち……ちょっと待て、ルイズ! 考えなおせ!」

「……ルイズ!? もしかして『ゼロ』のルイズ!?」

 私の名前に真っ先に反応したのは、それまで黙って見物を決め込んでいた、例の金髪少女。
 続いて、エーなんとかが驚きの声を上げる。

「……ゼ……ゼロのルイズですって!?」

「知ってるの!?」

 問いかけるビーコに対して、エーなんとかが頷きながら、

「胸はないわ背丈はないわ教養はないわ、無い無い尽くしのあまり、ついた二つ名が『ゼロ』のルイズ! あまりの非常識ぶりに、魔法学院も追い出されたとか……」

 おい。
 どうせ噂なんてロクなもんじゃない、って、わかっちゃいるけど……。
 ……いくらなんでも酷過ぎるだろ!? 事実無根にもホドがある!
 呆れた私が、怒りのエクスプロージョンを撃つのも忘れて硬直していると、

「……相手が悪いわね……しかし……二対二ならば、まだ勝機はあるかしら……」

 小さく舌打ちするエーなんとか。
 その時。

「……では、四対二ならどうかな?」

 声は後ろ……つまり、村に近い方から聞こえてきた。
 黒ずくめたちの姿を視界の端にとらえたままで、肩越しに後ろを振り向けば、そこには一組の男女の姿。
 どちらも年齢は、私やサイトと同じくらい。格好は私と同じく、旅の学生メイジ姿。ただし男のシャツは、フリルのついた奇抜なデザイン。……今日は服装の趣味がへんな人ばかり出てくるような気がする。
 二人とも金髪で、男はややクセのある巻き毛。女は長髪を縦ロールで飾っており、頭の後ろには大きな赤いリボン。

「……で、どうするの? これ以上ここでバタバタやっていると、村のみんなも来るかもしれないわよ?」

 今度は女の方が言う。
 黒ずくめも、これには納得したらしく、

「……ちっ……! 今日のところは……撤退!」

 二人同時に、茂みの奥へと飛び込み、消えていった。
 やがて、遠ざかる気配が完全に途絶えた頃。

「さすがは僕のモンモランシーだ! 杖も振るわずに、口だけで奴らを追い返してしまったね!」

 キザな仕草で前髪をかきあげながら、少年が仲間を褒める。
 しかし少女は軽く手を振って、

「はいはい。……言っとくけどギーシュ、褒めたって何もないわよ。あと、あなたの所有物みたいな言い方はやめてね」
 
 どうやらこの二人、ギーシュとモンモランシーという名前らしい。
 若い男女が二人っきりで旅しているだけあって、ただのオトモダチって雰囲気でもなさそうだ。
 ……一応ことわっておくが、私とサイトの場合はメイジと使い魔であるから、『若い男女が二人っきり』であっても、そのパターンには当てはまらないぞ。うん。
 さて、ギーシュの言葉を軽くあしらったモンモランシーは、今度は例の金髪少女に声をかける。

「……久しぶりね、ファーティマ。今の黒ずくめの連中も……ひょっとして、あの杖がらみなのかしら?」

 これで彼女の名前も判明した。
 ……しかしファーティマとは珍しい名前だ。奇抜なのはファッションだけではない、ってことか。
 そのファーティマ、相変わらず冷たい表情で、

「知りません」

 うーむ。
 私も事情を知りたいところなのだが……。
 これは私が聞いてもダメでしょうね。
 ならば、話してくれそうな人を選ぶまで。

「ねえ、そこのハンサムなメイジさん……えっと、ギーシュっていったっけ? 私たちにも事情を説明してくれないかしら?」

 服装や仕草からして、たぶん、こいつはナルシスト。適当におだててやれば、ペラペラしゃべるに決まっている。
 案の定。

「ああ、君たちも巻きこまれたようだね。うん、それなら話を聞く権利が……」

「だめよ、ギーシュ」

 言いかけた彼を、モンモランシーがピシャリと制止する。

「え? でも……」

「いいから! ここは私にまかせて」

 うーん。
 このモンモランシーという少女、『あの杖がらみ』とまでは口を滑らせたくせに、それ以上はガードするつもりか。
 まあ、まったく隙がないというわけでもないので、適当に突っついていたら、ボロを出すかもしれん。
 ……というわけで。

「あら、なあに? ヤキモチのつもり? 大丈夫よ、私、あんたのオトコなんかに興味ないから。ただ、ちょっとばかし、状況を教えてもらいたいな……ってだけなの」

 彼女の心情を刺激するようなセリフを口にしてみる。
 しかしモンモランシーは、フフンと笑って、

「何も知らないなら知らないで、下手に口を出さないでちょうだい。好奇心丸出しで何でもかんでも首を突っ込むのは、平民のやることだわ。……あなた、ちょっとは有名なメイジみたいだけど、どうせ、たいした家柄じゃないんでしょ」

 むかっ。
 私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだ。トリステインでも有名な公爵家の三女だというのに……。
 ……いやいや待て待て、これはモンモランシーの罠だ。向こうは向こうで、貴族のプライドを利用して、私をやり込めようとしているのだ。そうはさせん、向こうがその気なら、こちらは……。

「……なあ、ルイズ……」

「サイトは黙ってて!」

「……いや、だけど……あの女の子、行っちまうぜ?」

「……へ?」

 私を遮るサイトの言葉に、慌てて視線を巡らせば、一人スタスタ村の方へと戻りゆくファーティマの姿。

「……あ……ちょ……ちょっと!」

「待ってよ、ファーティマ!」

 モンモランシーも気づいて、女二人で彼女を追う。
 男たちも、黙ってついてくる。彼らは私たちの後ろで、何やら自己紹介っぽい言葉を交わしているが、女同士はチト話が違う。

「……なんであなたたちまでついてくるわけ?」

 ジト目で問いかけるモンモランシーに、私もジト目で見返して、

「村がこっちだからに決まってるでしょうが。あんたたちこそ、なんで彼女につきまとってるわけ? なんだか嫌われてるみたいだけど」

「あら。あなたは自分が好かれてるとでも思ってるのかしら?」

「少なくとも、あんたたちよりは、ね」

「そもそもあなたたちって、相手にもされてないんじゃないの?」

 森の中にギスギスした空気をまき散らしながら、並んで進む私たち。
 そんな状況でも、私の頭は冷静に回転していた。
 ……おそらくこの二人、モンモランシーの言った『あの杖』とやらが目当てで、ファーティマにつきまとっているのであろう。そして、あの黒ずくめたちの狙いも同じ……。
 性格や態度やファッションセンスはともかく、黒ずくめたちもこの二人も、メイジとしての腕前は、そこそこ良さそう。そんな連中が狙っている『杖』とやらが、そんじょそこらに売っているようなシロモノのはずがない。
 となれば! 私たちも引くわけにはいかない! 困っているファーティマを助けて、恩を売って……。

「んにゃあぁぁぁぁぁぁっ!?」

 いきなり上がったファーティマの悲鳴が、私の思考を中断した。

「どうしたの!?」

 言って私は、彼女の方へと駆け寄った。
 ……色々考えたり、モンモランシーとギスギスしていたりする間に、一行は村まで辿り着いていた。
 悲鳴を上げて硬直したファーティマの前には、集まった村人たちと、整然と並んだ三体のゴーレム。そして、もはや単なるゴミと化した、かつては彼女の家だったものがあった。

「無事だったのかい!?」

「何があったんだ!?」

 口々に問う村人たちを無視して、ファーティマが小さな声でつぶやく。

「……私の……家……」

「……ああ。それなら通りかかった貴族のメイジ様が、あんたがガレキに埋まってるんじゃあないか、ってことで、ゴーレム作り出して片づけてくれたんだけど……」

 村人の一人が説明するが、その視線はギーシュに向けられていた。
 このゴーレムは、どうやらギーシュのものだったらしい。
 私はニヤリと笑いながら、彼の方を向き、

「なるほどね。彼女の家って、一部は魔法で吹き飛ばされてたけど、一部はまだ使える感じだったのに……ご丁寧にあんたがとどめを刺した、ってわけね」

「……うっ……」

「もう、ギーシュったら! だから、ゴーレムに何かさせるならさせるで、ちゃんとそばにいなきゃいけなかったのよ! それを、家にいなかった可能性もあるから探しに行こう、なんて言い出して……」

「……え? それを言い出したのは君のほう……」

 仲間のモンモランシーからも責められるギーシュ。
 当のファーティマは、当然のように冷たい視線……じゃなかった、今や怒りの視線を彼に向けていた。

「……家、どうしてくれるの……!?」

 結局。
 とりあえずその日は、ファーティマは村の宿屋に泊まることに。もちろん代金を払うのはギーシュたち。
 思わぬ出費を強いられて、ギーシュ本人よりも、なぜかモンモランシーの方が頭を抱えていた。

########################

「まあ機嫌なおせよ、ルイズ」

「別に怒ってなんかいないわよ」

 その晩。
 食事を終わらせて部屋に戻ると、サイトが私に、なだめるような、呆れたような声をかけてきた。
 ……村の宿屋は一軒きり。私たちも、ギーシュやモンモランシー、それにファーティマと同じ宿に泊まるしかなく、ついさっきの一階の食堂でも顔をあわせる形となっていた。

「……機嫌なおすべきなのは私じゃないわ。あのファーティマって子じゃないの」

 そう。
 なんとか話を聞き出そうと、彼女と同じテーブルについてみれば、やはり同じ魂胆で同席してくるギーシュとモンモランシー。
 肝心のファーティマは私たち四人を無視して、不機嫌な表情のまま、ただ黙々と料理を口に運ぶだけ。少しでも雰囲気を変えようと、とりあえず話の矛先を他に持っていこうとしてみても、私とモンモランシーの口ゲンカという形になるだけであった。

「そりゃあ、そうだけど……」

「大丈夫よ。きっとファーティマだって、一晩寝れば、少しは気分も変わるでしょ。話を聞き出すのは……明日の朝ね!」

 そう決めつけて、私はサッサとベッドに入ったわけだが……。

########################

「ファーティマなら、朝早くに出ていきましたよ」

「……へ……?」

 宿の主人の言葉に、私たち四人の目は点になった。
 一夜明けて。ファーティマを除く四人で、やはりギスギスした空気の朝食をとったあと。
 やって来る気配のない彼女を案じて、私が部屋をのぞいてみれば、もはやそこには誰もいない。
 慌てて宿屋の主人に問い合わせてみれば……。
 今の答えが返ってきた、というわけである。

「……あ……あの……で、彼女、どこへ行く、とか言ってなかった?」

 私の問いに、宿の主人はしばし考えて、

「うーん……行き先は何も言いませんでしたが……」

「他に何か、言ってたことでも!?」

「一つだけ……」

「何!?」

「宿代は金髪のメイジからもらっといてくれ、と」

 言われて、渋々ギーシュが金を出す。

「……ということは、ファーティマ、もう戻ってこないつもりなのね……」

 確認するかのようにつぶやくモンモランシー。
 敢えて頷いたりはしなかったが、これには私も同意である。
 モンモランシーたちには聞こえぬよう、サイトの耳元で、

「行くわよ」

「……え? 行くって……どこへ?」

「ファーティマを見つけなきゃ! まだその辺りにいるかもしれないし、探しに行くのよ!」

 そして私たちは、散歩にでも行くような素振りで、その場をあとにして……。

########################

 手ぶらで宿に戻ってきたのは、昼すこし前のことだった。

「うーん……家の跡にはいないし、村の人たちも彼女のこと見てないようだし……。ひょっとしたら、もうこの村にはいないのかも……」

 食堂のテーブルに座って、薄いワインで喉を潤しつつ、私は沈んだ声で言った。

「……けどよ、そうすると、どうするんだ? これから」

 問うサイトに、私はため息ついてから、

「どうするったって……彼女がいないんじゃあ、どうしようもないじゃない。この話は、もうおしまいね」

「そっか。そういや、あの二人も諦めて立ち去ったみたいだしな」

「……あの二人?」

 サイトの言葉で、モンモランシーとギーシュのことを思い出した。
 私たちがファーティマを探しに行った時、あの二人は、すぐに動こうとはしなかった。私たちがコソッと出かけたから気づかなかった……にしては、少しおかしい。
 ギーシュはともかく、モンモランシーの方は、少しは頭も回る感じだった。ファーティマを探すのが先決だということくらい、理解していたはずだ。
 ならば。
 彼らも今頃、ファーティマを探して歩き回っているのか、あるいは……行き先に心当たりがあって宿を発ったのか!?

「……ん? どうした、ルイズ?」

 私は慌てて席を立ち、宿の主人の姿を探した。

「ちょっと教えて! 今朝、私たちと一緒にいた二人連れ……彼らがどうしたか知ってる!?」

「どうしたも何も……宿代払って出ていきましたよ」

 厨房の奥で何やらメイドに指示を出していた彼は、私の質問に素直に答えてくれた。

「どこへ?」

「……さあ、そこまでは……」

 彼は尋ねるような視線を近くにメイドへ向けたが、メイドも「知りません」という表情で首を横に振る。

「……じゃあ、あの二人のことで、何か知ってることあったら教えて」

「そう言われましても……あなた様と同じ、旅の学生メイジの方々なのでしょう? 数日前から泊まっていて、頻繁にファーティマのところへ行っていたみたいですが……」

「前からの知り合い……とか?」

「さあ? なにしろファーティマも、昔っからここに住んでた、ってわけじゃないので……」

 彼の話によると。
 ファーティマは、ヨシアという少年と一緒に村にやってきて、二人であの家で暮らしていたらしい。
 ファーティマの出自はともかく、ヨシアの方は、元々はエギンハイムという村の生まれで……。

「エギンハイム!?」

 私は、思わず言葉を挟んでしまった。
 インチキ伝説剣の村長が言っていた地名である。たしか『妖魔の森』とやらに剣があるという話だったが……。

「エギンハイムって……近くに怪しい森があるっていうエギンハイム?」

「『黒い森』のことですね? そうです、そのエギンハイムです」

「私、知ってますわ。ヨシアさんがエギンハイムの村を追い出されたのも、その『黒い森』がらみの事件が原因だったんです」

 近くにいたメイドが、話を補足する。
 しばらく前に、エギンハイム近くの『黒い森』に、翼人の集団が住み着いた。翼人たちは、最終的には討伐だか追放だかされたという話だが、なんとその翼人の一人とヨシアが恋仲だったらしい。
 翼人も先住魔法を使う亜人であり、ハルケギニアに住む人々からは敵視される存在。その少女と親密になったヨシアも、村には居づらくなり、追われるようにして、村を飛び出したのだった。

「……で、ここへ来る途中、どこかでファーティマさんと出会って意気投合したらしいのですが、ほら、ファーティマさんって……あれでしょう?」

「あれ……とは……?」

「えぇっと……格好も変わっているし、なんだが、耳も普通の方々より長くて……」

「エルフみたい、ってこと?」

「そうです。だから私たち、噂してたんです。ヨシアさんって、亜人マニアだったんじゃないか、って」

 そのヨシアも、はやりやまいでポックリ逝ってしまい、残されたのはファーティマ一人。

「……実はファーティマさんも亜人で、ヨシアさんが彼女と出会ったのも『黒い森』だったんじゃないか……。最初は、そういう噂まであったんですよ。でも彼女、ああ見えて意外と性格は良い人なので、村のみんなのウケは良く……」

 メイドの話は、だんだんと無責任な噂話に変わってゆく。
 聞いているフリをしながら、私は適当に聞き流していた。
 ……これだけ聞けば十分である。
 ファーティマの関わる『杖』というのが、嘘つき村長の言っていた『エギンハイムの魔剣』なのだ。噂が噂として伝わるうちに、微妙に形が変わっただけであろう。
 つまり。
 いまだ全貌は明らかではないが……。
 謎を解く鍵は、エギンハイムにある!





(第二章へつづく)

########################

 このSSの設定では、第一部や番外編短編7で記したように、ジョゼフ在命中のタバサは、ジョゼフの部下の一人として彼と共に旅していました。ですので原作「タバサの冒険」に相当する事件には派遣されていません。たとえば、外伝でリュシーが過去を回想した際に記したように、「タバサと軍港」相当の事件には、タバサではなくカステルモールが派遣されたことになっています。
 同様に「タバサと翼竜人」相当の事件にも、タバサ以外の者が派遣されています。翼人たちが『最終的には討伐だか追放だかされた』というのは、派遣された騎士がタバサほど平和的に事件を解決できなかった、ということです。
 なお、今回から登場するキャラクターの一部に、アニメ設定の人名を使用しています。らしくない名前な気もしたのですが、名前が必要だったので、やむを得ず。

(2011年8月28日 投稿)
   



[26854] 第九部「エギンハイムの妖杖」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/08/31 23:32
   
「えーっと……つまり、そのエギンハイムって村に、杖だか剣だかがあるってことか?」

 昼食をとり、村を発ち。
 エギンハイムに続く街道を行く道すがら。
 私の事情説明に、サイトは、しばし考えてからそう言った。

「そういうことね」

「だけどよ……杖と剣じゃあ大違いだろ? たしかにガンダールヴは、どんな武器でも使えるはずだけど……杖じゃなあ……」

「相変わらずのバカ犬ね、サイトは」

「……え?」

「何も無理して、あんたが使う必要はないのよ。杖といっても、どうせ普通の杖じゃないはずだし……例えば、魔力を増強するアイテムだったりしたら、私が使えばいいじゃない」

「そうか! 魔力増強したら、今は使えない呪文も、使えるようになるかもしれないよな!」

 サイトの声には、喜びの響きが混じっていた。
 たぶん『世界扉(ワールド・ドア)』が使えるようになるって期待しているのだろうが……。
 そんなに簡単な話ではない。あれはおそらく、魔力容量うんぬんの問題ではないのだ。

「……おっと。喜ぶのは後回しだ。今は、とりあえず……」

 厳しい表情でサイトがヒタリと足を止めたのは、街道が、鬱蒼とした森のそばにさしかかった時のことだった。
 私には察知できない程度の気配を感じ取ったらしい。
 こういう人通りのない森のそばは、待ち伏せにはうってつけの場所。
 根拠はないが、相手はあの黒ずくめたちではないだろうか。
 ならば……。

「……私たちを待っていてくれたのかしら? エギンハイムで何が起こっているのか、教えてくれたら嬉しいんだけど……」

 言って私も立ち止まり、森の方へと視線を向けた。
 これ以上存在を隠していても意味がないと判断したのか、風の中に声が流れる。

「……あの娘には関わるな……」

 晴れ渡った青空の下には似つかわしくない、低く押し殺した、聞き覚えのない男の声だ。例の黒ずくめ女とは違う。どうせ同類だと思うけど。

「あの娘って? 一体誰のこと?」

「知らぬふりをするなら、それでもかまわん」

 とぼけてみせる私に、声は冷静に続けた。
 いまだに気配と姿は隠したままである。

「……へぇ。どうやらあんたは、あのビーコとかいう女とは違って、少しは頭があるようね」

「私が聞きたいのはイエスかノーかのどちらかだ」

 私がかまをかけても、のってこない。あいつらの仲間なのか、あるいは、同じお宝を狙う別グループなのか、それくらいは特定したかったんだけど……。
 それでは、こういうのはどうだ!?

「そんなに『杖』にご執心なわけ? あんたたちの御主人様は?」

「……イエスか、ノーか」

 うーむ、強情な奴だ。
 では……。

「……手を引け、なんて言ってるけど、あんたたち、ファーティマが今どこにいるのか知らないでしょ? それを知ってるぶん、こっちの方が断然有利よ。そっちこそ諦めて引き下がったら?」

 私のハッタリに、声はしばし沈黙した。
 そして。

 ヒュッ!

 何の前触れもなく、森の中から、何かが私たち目がけて飛び出した。
 とっさに飛び退いた私とサイトの足下に、小さなナイフがいくつも突き刺さる。
 続いて、逃げた先を狙うように、第二のナイフ群が!
 しかし!

 キンッ!

 これは全て、サイトが日本刀で弾き飛ばす。

「……なにっ!?」

 こちらの対応の早さに、驚きの声を上げる襲撃者。

「そこねっ!」

 ナイフの飛んできた辺りの茂みに、私が爆発魔法を叩き込む。
 間一髪、吹き飛ぶ緑を割いて、陽光の下に黒い影が躍り出る。
 黒ずくめのその姿は、性別こそ違えど、例の二人と同じ。

「……やっぱりビーコたちの仲間ね!」

 私の言葉に、男は無言で地を蹴り、こちらの方へと向かう。

「させるかっ!」

 叫んだサイトが、左手のルーンを輝かせながら、これに立ち向かった。
 男もナイフを手にして、サイトとの斬り合いに挑んだが……。

 ザッ!

 ガンダールヴにはかなわない。
 横薙ぎの斬撃を腹に受け、黒ずくめはその場に崩れ落ちた。

「サイト! 殺しちゃダメよ!」

 ひとこと声をかけてから、私は二人のもとへ駆け寄る。
 男は、まだ意識があるようで、何やら呻いていた。

「……うっ……ここまでか……」

「観念したなら話してもらいましょうか。あんたたちが……」

 私の言葉が終わるより早く。

「ルイズ! 危ねえっ!」

 ゴゥン!

 黒ずくめの体が爆発四散した!
 ……直前、男のわずかな挙動から、サイトはこれを察したらしい。私をかばうようにして、サイトがその場に押し倒してくれたおかげで、私にダメージはなかった。

「……敵を巻き込むための自爆……とは違うみたいだな……」

「そうね。秘密を守るため……みたい。……ったく……ナンセンスな真似してくれちゃって……」

 よかった。
 サイトも大丈夫なようである。

「……けど結局、何もわからなかったな」

「何言ってんのよ。結構いろんなこと、わかったじゃない」

「……へ? 何が……?」

 私の言葉に、彼はキョトンとした表情を浮かべた。
 仕方がない、という態度で、私は解説してみせる。

「あの黒ずくめたちの仲間がここで待ってて襲ってきた、ってことは、やっぱりエギンハイムの方に何かあるってことでしょ」

 あの連中も、ファーティマの持っている情報を欲しがっている。当然、同じことを狙う人間の行動は阻止しようとする。

「もしも私たちが見当違いの方向に進んでいるなら、わざわざつまらない警告したり、襲ったりする必要はないわけよ」

「……でもよ、そうすると、俺たちより先に出た二人は、やられちまった、ってことか? あの二人が勝ってりゃ、ここの刺客は消えてるはずだろ?」

「そうともかぎらないわ。二人は全然見当違いの方角へ進んでいるか、あるいは、街道を避けて行ったのかもしれないもん」

 ギーシュとモンモランシーのことなど、どうでもいい。それより大切なのは……。

「そしてもう一つわかったのは、まだファーティマが黒ずくめたちに捕まってはいない、ということ。だって、私がどんなにかまをかけても無反応だった奴が、『こっちは彼女のいどころ知ってるぞ』みたいなこと言ったとたん、襲ってきたわけだから」

 彼らはファーティマの居場所を知らないのだ。だから、こちらが「知っている」と言えば、たとえそれがハッタリではないかと思っても、放っておけなくなったのだ。

「なるほどなあ……」

 納得したように頷くサイト。
 しかし、実は一つ、大きな疑問が残っている。
 当のファーティマは、どうやって、見張り兼刺客の監視の目をかいくぐったのか……?
 彼女がエギンハイムに向かうことくらい、連中も昨夜のうちに気づいていたであろう。ファーティマがあの村を発つ前に、連中の配備も終わっていたはず。
 ……まあ、それを今サイトに言ったところで、彼を混乱させるだけ。だから、私の胸の内だけにしまっておいた。
 どうせ、今の私たちに出来ることは……。

「とにかく……急ぐわよ、エギンハイムに」

 かくて、私とサイトは、再びエギンハイムへと向かう旅路に着いたのだった。

########################

「……なんだ……? あれ……?」

 サイトがそう言ってきたのは、その日の夕方。
 かわりばえしない景色の、森の中ゆく街道を進みながらのことである。

「あれって……どれよ?」

「ほら!」

 サイトの示す方角に視線を向ければ。
 まっすぐに伸びる街道。
 その街道の両側に、暗緑色に佇む森。
 かすかに闇色の混ざり始めた空。
 行く手にあるその空が……ほのかに赤く染まっている。

「夕焼け……かな? それにしては、なんか感じが違うような……」

「バカね、夕焼けのわけないでしょ!? 陽の沈む方向は逆……私たちが背にしている方なんだから!」

 火事か何かだったら、大変である。
 もしも燃えているのがこの先の村だったり、宿屋が焼け落ちたりしていたら、今晩は野宿となってしまう。

「行くわよ! ほら!」

 こういう場合、高速飛行の魔法が使えぬ身が恨めしいが……。
 大丈夫、私には、別の高速移動手段がある。
 ……ガンダールヴのサイト号!
 つまり。 
 前にも一度やったアレである。
 サイトに私を背負ってもらって、ガンダールヴの神速で走ってもらうのだ。

「おお! 速い、速い」

「しゃべるな! 舌噛むぞ!」

 私が重荷になっている分、全速力ではないはずだが、伝説のガンダールヴだけあって、そのスピードはかなりのもの。 
 流れるように景色が過ぎて、やがてほどなく……。

「……村が!?」

 サイトが驚きの声を上げた。
 後ろから彼の肩越しに、ヒョイッと首をずらして見てみれば。
 私たちが泊まるつもりにしていた村が、紅蓮の炎に包まれている。
 燃えているのは一軒や二軒ではない。村の全ての家々が、同時に火でもかけられたかのように、天に炎を噴き上げているのだ。

「……いったい何が……」

「ここからじゃ、まだわからん! とにかく急ぐしかねえ!」

 サイトは気力を振り絞り、さらにスピードを上げる。
 村にある程度近づいた時点でようやくストップ、私もサイトから降りた。
 そして、はじめて。

「……!」

 私たちは状況を理解した。
 赤い炎に照らされて、躍る大小の黒い影。
 逃げ惑う村の人々と……。
 無差別な殺戮を繰り返す、数十にも及ぶ異形のバケモノたち!

「……なあ、あいつらって……前に戦った……」

「そうね、サイト。亜魔族……レッサー・デーモン(下級魔族)だわ」

 レッサー・デーモン。
 精神世界から呼び出された下級の魔族が、この世界の動物などに憑依し、その姿を変貌させたもの。
 パッと見た感じ、以前にウエストウッドの森で戦ったのと同じタイプっぽい。ならば、得意技は口から吐く炎の矢。こいつらが村に火をつけた犯人だ!
 ……魔族とはいえ、自力ではこちらに具現できない程度の下級(レッサー)であるため、こいつらの大量発生には理由があるはずなのだが……。
 とりあえず今は、原因の詮索よりも、この事態をなんとかする方が先である。

「サイト!」

「おう!」

 顔を見合わせ、頷きあうと、私たちは燃え盛る村を目ざして駆け出した。

########################

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド……」

 それなりの長さの呪文詠唱で、私が放ったエクスプロージョン。
 まともに食らったレッサー・デーモンたちが、三体まとめて光に呑まれ、無に帰した。
 辺りにいたデーモンたちの視線が、一斉に私たちへと集中する。
 そこに突っ込んでゆくサイト。
 全く何のリアクションも起こせぬまま、レッサー・デーモンの一匹が、あっさりサイトに斬り捨てられた。
 サイトの得物は、日本刀という異世界の剣。デルフリンガーのような特殊能力はなくても、ガンダールヴのサイトが振るえば、抜群の切れ味を誇るのだ。

 しゃぁぁぁぁぁぁぁっ!

 レッサー・デーモンの一匹が、怒りの雄叫びと共に、こちらへ向けて炎の矢を撒き散らす。
 私は身をかわしつつ、適当な呪文を詠唱。
 失敗爆発魔法の一撃で、そのデーモンは四散した。
 ……しかし……。

「……数が多いわね」

 ここが無人の野原か何かなら、『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』あたりの大技で一掃する、というテもあるのだが、村人も近くにいる以上、そんなことをするわけにもいかない。

「……!?」

 考え事をしていた私の背後に、殺気が走った。
 とっさにその場を飛び退き、後ろを振り向けば、そこには一匹のレッサー・デーモン!

 ごぅっ!

 吠えると同時に、その目前に十数本の炎の矢が出現。
 だが。

 ヒュンッ!

 いきなり横手から伸びてきた水の鞭が、四方八方からデーモンの体を包み込み、串刺しにした。
 もちろんサイトがやったわけではない。となると……?
 辺りに視線を這わせれば、そこに佇む人影ひとつ。
 縦ロールの金髪が、リボンと同じ赤の炎に照り映える。

「モンモランシー!?」

 そう。そこにいたのは例の二人組の片割れ、モンモランシーだった。
 どうやら彼女、得意系統は『水』のようだ。

「私は『香水』のモンモランシー。本当はこんなんじゃなくて、人々を癒すことが、私の戦い方なんだけど……」

 言いながら、またも水の鞭で、別の一匹を仕留める。

「……こいつらは片づけないとね!」

 うむ。
 頷いて私も呪文を唱え、杖を振る。
 そうして戦いながら、全体を見渡せば……。
 縦横無尽に駆け巡るサイトと共に、女戦士の形をしたゴーレムが数体、やはりレッサー・デーモンを切り刻んでいた。
 ……ファーティマの家のガレキ撤去をしていたのと同じ、ギーシュのゴーレムだ。 

「ようし! 私も!」

 私が放った爆発魔法は、また一匹、近くのレッサー・デーモンを葬っていた。

########################

 夜風には、焦げた匂いが混じっていた。
 双月の光の下、森から流れる虫たちの声。
 ……戦いがようやく終わったのは、日が落ちた後のことだった。
 村人たちは、村はずれの広場に避難しているが、さすがに全員無事というわけでもなさそうだ。家や家族を失ったのであろう、いくつもの嗚咽が、夜風に乗って流れてくる。
 そんな中、『水』の使い手であるモンモランシーは、まだ燃えている家々を消して回っていた。ギーシュもゴーレムを駆使して、ガレキを片づけたり、焼け跡から人や物を救い出したりと頑張っている。

「ルイズは何もしなくていいのか?」

 私はその場にへたり込んで、ムスッとした顔でサイトに答える。

「だって私の魔法、そういうのに向いてないもん」
 
 しかも虚無魔法は、精神力の消費が普通の系統魔法よりも激しいのだ。誰よりも早く、休ませてもらいたい心境であった。
 それを察したのか、サイトが軽く頷いてから、歩き出す。魔法は使えずとも、人の手で出来ることもあるので、作業を手伝いに行くようだ。……私の分まで。
 やがて……。
 皆ひと仕事終えて、ようやく何とか一息つける状態となった。サイトだけでなく、モンモランシーとギーシュまで、私の方に歩いてくる。

「君たちも案外、やるものだな。この僕……『青銅』のギーシュほどではないけどね」

 フッと髪をかきあげながら、金髪少年が言う。
 なるほど、そういう二つ名であるなら、あのゴーレムたちは青銅製なのであろう。

「……それはいいけど、事情を説明してよね」

「事情……?」

 私の言葉に、聞き返してきたのはモンモランシー。
 彼女たちも疲れているだろうが、しかし、聞くべきことは聞いておかねばならない。
 私は、村の惨状をグルリと見回しながら、

「そうよ! 一体何があったの!? なんでレッサー・デーモンに襲われてたのよ!?」

 モンモランシーとギーシュは、一瞬、顔を見合わせてから、

「私たちにも、よくわからないの」

「モンモランシーと二人、この村で色々やっていたら、あのバケモノたちがいきなり群れて襲ってきてねえ」

「いきがかりで戦ってたんだけど……なにしろ数が数だから。困っていたところに、あなたたちが来た、ってわけ。それより……」

 二人して説明にもならぬ説明をしたところで、モンモランシーがスーッと目を細めた。

「あなた今『レッサー・デーモン』って言ってたけど……あのバケモノの正体を知っているの?」

「……うーん……」

 聞かれて、言葉に詰まる私。
 レーサー・デーモンを知らない者たちに最初から説明するには、魔族に関してかなり詳しく話すことになるが……。魔族なんて伝説上の存在だと思っている人々も多いからなあ。
 などと私が考えていると。

「あれは魔族が呼び出したものなんだよな、ルイズ」

 ちゃんと覚えてますよ偉いでしょ、と言わんばかりの顔で口を挟むサイト。
 ……まあ、それくらいアッサリ述べるのであれば、それでもいいか。

「魔族……ですって!?」

「そ。魔族。言っとくけど、魔族は実在するからね。私たち、何度も魔族と戦ってきたもん」

 驚きの声を上げたモンモランシーに、私は冷たく言い放つ。
 嘘やホラ話だと思われても仕方がないところであるが……。

「ねえ、モンモランシー。僕には……彼女がいい加減なこと言ってるようには思えないんだが」

「そ……そうね……」

 ギーシュに言われて、モンモランシーは、探るような目で私を見つめる。
 続いて。

「じゃあ聞くけど……エギンハイムの話、知ってる?」

「エギンハイム? ……『黒い森』の杖のこと?」

 質問に質問で返す私。
 女同士の微妙な駆け引きであるが、その機微を理解できぬ男が、横から口を出す。

「……『黒い森』の杖だって!? そうか、君たちもあれを狙っていたのか!」

「やめなさい、ギーシュ! そういうこと言っちゃダメ!」

「え? なんで……?」

 モンモランシーが止めたが、もう遅い。 
 
「ははーん。『君たちも』ってことは、やっぱりあんたたち、あれを狙ってたのね」

 ニンマリと笑みを浮かべながら言う私。
 ……実は「やっぱり森に杖がある」という言質を取ったことの方が大事なのだが、それは敢えて表に出さない。

「……でも、そうすると、あんたたちどうやってここまで辿り着いたわけ? 途中には、あの黒ずくめたちの仲間がいたはずなのに」

「戦ったの!?」

「もちろんよ」

 素直に頷く私に、モンモランシーは呆れ顔で、

「……連中も杖を狙ってるんだし、待ち伏せがあることくらい、ちょっと考えればわかるでしょう? 表街道を避けて森を行く……くらい、思いつかなかったの?」

「……ってことは、あんたたちは森の中を……?」

「当然でしょ! 避けられる戦いは避ける! だって私、ほんとは荒っぽいこと、だいっ嫌いなんだから」

 だったら旅なんてせずに、おとなしく、どこぞの魔法学院に閉じこもってればいいのに。
 私が心の中でツッコミを入れていると、モンモランシーは軽く頭を振って、

「……って、なんだか話題が逸れたわね。私が聞きたかったのは、杖の話じゃないわ。エギンハイム近辺で、あのバケモノ……レッサー・デーモンって言うんだっけ? それが大量発生している、って事件よ」

「レッサー・デーモンの大量発生!?」

 今度はこちらが驚く番だった。
 そんな私の態度を見て、

「……なぁんだ。それは知らなかったのね。いいわ、教えてあげる……」

 モンモランシーが語り出す……。

########################

 はじまりは、『黒い森』へ遊びに行った子供たちの一人が、一匹の異形のバケモノに殺される、という事件からだった。
 最初、大人たちはそれをオーク鬼か何かの仕業だと思ったらしい。かつて『黒い森』には翼人の集団が住み着いたことがあり、また亜人がやって来た、と考えたのだ。
 翼人たちとの抗争でも、エギンハイムの村人たちは、最終的には王政府から派遣されたメイジの助けを借りている。今回も領主経由で助力を依頼し、メイジの騎士が村へ遣わされたのだが……。

「オーク鬼くらいなら数匹まとめて葬ることのできる手だれの騎士が、あっさり返り討ちにあったんですって」

「王政府からの騎士……ねえ……」

 おうむ返しにつぶやいて、私は少し考え込む。
 ……エギンハイムは、地理的にはガリアの領内である。
 だが無能王ジョゼフは諸国漫遊の旅に出たっきり、さらに王女イザベラもいつのまにか行方不明となっており、ガリアという国は今、けっこうガタガタなのだ。
 まあ実はジョゼフは既に死んでおり、イザベラは異世界に追放されているわけだが、この際それは関係ない。
 ともかく。
 そんなガリアの王政府から来た討伐部隊が、アテになるのであろうか?

「……それって、派遣されてきた騎士がめちゃめちゃ弱かった、ってオチじゃないの?」

「違うわ」

 モンモランシーは、私の言葉に首を振って、

「……一度ではなく、何回か派遣されたみたい。それが皆、森の奥へ入って行ったきり、二度と戻って来なかったらしいわ。しかも、その後も『黒い森』で、見たこともないバケモノが現れた、っていう目撃情報が相次いで……」

 ふむ。
 考えてみれば。
 以前に旅の途中で出会ったガリアの騎士は、なかなか優秀なメイジであった。国の上層部はともあれ、末端の騎士ひとりひとりは、今でもシッカリしているのかもしれない。

「……なるほどね。それで、そういったデーモンの一群が、こっちまで出てきて暴れたんじゃないか、ってことね?」

 私の問いに、モンモランシーは無言でコックリ頷いた。
 それから眉をひそめて、

「ねえ、さっき、あなたたち……レッサー・デーモンは魔族が呼び出すものだ、って言ってたけど……」

「そうよ。厳密に言うと、無理矢理こっちに呼んできて、こっちの世界のものに憑依させたものね。……さっき私たちが戦ったのは、たぶん森の動物やら何やらに、魔族が憑依したものだわ」

「……ということは……『黒い森』には、召喚者である魔族がいるってことなのかしら?」

「うーん……。断言はできないけど、その可能性が高いと思うわ」

 別にモンモランシーを怯えさせるためでも何でもなく、正直に、推測を口にする私。

「……で、こういう話を聞いても、まだ杖のこと諦めないわけ?」

 私の話に、モンモランシーは一瞬、ギーシュと顔を見合わせ、

「そりゃあ恐いけど……。でも、それならそれで、今度はファーティマが心配になってくるわ。彼女、たぶんエギンハイムへ向かったんでしょうし……」

 そうなのだ。
 レッサー・デーモンの大量発生と謎の杖とが関係あるかどうか、それは不明であるが……。
 おそらく、鍵を握るのはファーティマだ。
 その彼女は、今どこに……?

########################

「……!?」

 安物のベッドのその上に、私がガバッと身を起こしたのは、おかしな気配のせいだった。
 ただし、室内に異変があるわけではない。外から流れ込む空気だ。
 ……あれから二日。
 私とサイト、そしてモンモランシーとギーシュは、なりゆき上、一緒にエギンハイムへと向かっていたのだが……。
 道中の村や街やらが、デーモンの襲撃を受け、大小の被害を受けているのを目のあたりにしてきた。
 そうなれば、たとえば今夜、この街にデーモンの襲撃があっても不思議ではない。

「こいつは……」

 ふと、私は彼に目を向けた。
 同じベッドで、目を覚ます気配もないサイト。
 起きている時は鋭敏な感覚を持つ彼も、寝ているときは、そんなに鋭くはない。
 ……ま、私が抱き枕にしても気づかないくらいだし。
 もちろん、本当に危険が迫れば、私より先に起きて対応するはず。だが今回は、それほどではない……ということだ。
 ならば。

「……まだ起こす必要もないわね」

 ソッとベッドから降りると、とりあえず辺りの様子でも確かめようと、外に面した窓を開ける。
 部屋へ入り来るのは、冷たく澄んだ夜の風。
 星空と双月の光を背景に、夜の街は静かに佇んでいた。
 どこかの酒場からだろうか、遠く、かすかにざわめきも聞こえる。
 ごくごく平和で平凡な、夜の風景。どこといって異常は……。

「……?」

 何かが。
 ボンヤリ眺めていた視界の片隅で、一瞬、何かが動いたような気がした。
 慌ててそちらに視線を送り、目をこらす。

「……気のせいかな……」

 小さくつぶやいた、まさにその時。
 二つの月が照らす下、再び何かが動いた。

「……!」

 マントを羽織り、杖を手にして。
 私は一人、ソッと部屋から抜け出した。

########################

 影が一つ、ほとんど音を立てることもなく、屋根から路地裏へと飛び降りた。月明かりに照らされて、その金髪が闇夜に映える。
 ひと呼吸遅れて二つの影が、隣のブロックに降り立った。だが、すでに金髪少女は、遥か先を行っている。

 ヒュッ。

 二つの影の片方が動くと同時に、何かが風を裂いて飛ぶ音。
 続いて、遠くの少女が、グラリと揺れた。

「……バカね! 殺したら意味がないでしょう?」

「大丈夫、足に当たったはずだわ。これで、もう動け……」

 夜風に流れる、聞き覚えのある声。
 二人目の言葉が終わるより早く。
 金髪少女は、平気でスタスタ、路地の奥へと走り始める。 

「……あれ?」

「外したのね!? 追うわよ!」

 しかし。
 二人の行く手を遮るように、その目前で爆発する小さな光球。
 私が放った、小型のエクスプロージョンである。

「あぐぁっ!?」

 声を上げて立ちつくしたのは、二人の黒ずくめ。声からすると、例の二人組——エーなんとかとビーコ——であろう。
 追われている方の正体は、言うまでもない。

「……ルイズ!?」

 振り返ったファーティマは、横手の街角から現れた私の姿を見て、驚きの声を上げた。
 私は彼女の方へ歩み寄りながら、

「挨拶は後回しよ。まずはこいつらを……」

「倒す、とでも言うつもり? 面白いわね……」

 エーなんとかの言葉と同時に、二人は動き出した。『ブレイド』の呪文を唱えながら、こちらに向かって走ってくる。

「とりあえず場所を変えるわ! こっち!」

 言って走り出す私に、素直について来るファーティマ。
 とりあえず、宿の近くまでおびき寄せれば、たぶんサイトが……。

「……!?」

 瞬間、背後に殺気を感じ取り、私は小さく横に跳んだ。

 ボスッ。

 同時に、後ろからマントを貫き、何かが脇を通り抜けてゆく。
 おそらくはナイフでも投げてきたのだろう。それも、殺すつもりで。
 連中にしてみれば、情報源のファーティマはともかく、私に手加減する必要はないのだ。
 しかし私とて、ただおとなしく逃げているつもりはない。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 一瞬だけ振り返り、サッと魔法を放った。

「え? この呪文って……『スリープ・クラウド』……」

「……じゃないわ!」

 私の失敗爆発魔法が、追っ手の二人を襲う。
 二人の予想を裏切る形で、それがフェイントとなるのは私の計算どおり。

 ドグォオンッ!

 それでも二人は何とか回避。私の魔法は、後ろの倉庫らしき建物に直撃し、そこが轟音と共に爆発した。

「……っ何だぁぁっ!?」

「どうした!?」

 音と光に驚いて、近くの家から人が出て来る。
 ……そう。かわされた結果こうなることまで、私は計算していたのだ。
 色々なことから考えて、黒ずくめたちは、基本的には隠密行動のはず。
 となれば当然、人の目に触れることは嫌うだろう。わらわらと街の人たちが出てくれば、二人は退却せざるを得ないはず。
 ……なのだが……。

「……えっ……!?」

 いきなり飛んできた『フレイム・ボール』に、頭で理解するより早く、私は右へ飛んでいった。

 グガァァァンッ!

 行き過ぎていった炎の塊が、民家の壁に当たってはじけ散る。炎は近くの家に移り、あっという間に燃え広がっていく。

「正気なのっ!? あんたたちっ!?」

 今の魔法は、黒ずくめのどちらかが放ったもの。隠密行動どころの話ではない。

「あら、私たちは困らないわ。街に火を放ったのはあなた……『ゼロ』のルイズなのですから」

「……なっ!?」

 思わず足を止めて、私は驚きの声を上げた。
 なるほど。私を倒したその後に、街に火をつけたのは『ゼロ』のルイズ、という噂を振りまくつもりか。
 ……しかも。

「……囲まれたわね」

 私の隣で、ボソッとつぶやくファーティマ。
 どうやら連中、二人だけではなかったらしい。
 全部で何人いるのか不明だが、私たちの行く手を阻むように、遠くに一人立っているのが私にも見えた。
 だが。

 ドッ。

 そいつは大きく前につんのめり、そのまま倒れて動かなくなった。
 その後ろから現れたのは……。

「サイト!」

「なんかドタバタうるさかったから、目が覚めちまったぜ」

 片手に日本刀を携えたまま、こちらに向かって軽口で挨拶。
 それと同時に、右側の路地の奥から、人が倒れる音やら、うめき声やら。
 やがてほどなく、路地の闇から歩み出てきたのは……。

「なぁに? ぬけがけのつもり?」

「……水臭いね。僕たちも呼んでくれよ」

 まるで仲間のような口ぶりの、モンモランシーとギーシュ!

「これでこっちはフルメンバーね。……あきらめた方がいいんじゃない?」

「諦める必要はないわ!」

 私の言葉に、黒ずくめの片方はキッパリ言い切った。
 前回は引き際のよかったこいつらが、こういう言い方をするということは、まだよほどの人数が隠れているのか……?

「ふむ。ならば、ここで決着をつけようでないか」

 言ってギーシュが、大仰なポーズで薔薇の花を構え直した。どうやら、この造花を杖としているらしい。
 しかし、その瞬間。

 グガァァァァンッ!

 私と黒ずくめ二人との真ん中くらいにある家の壁が、爆発的に崩れ落ちた。

「……な……何……?」

 怯えの混じるモンモランシーの声に答えるかのように、ガレキの生んだ土煙の中から聞こえる低い唸り声。

 ……る……るるるるる……。

 いや。
 土煙の中だけではない。
 あちらこちらから。
 いくつもの気配と呻きがわき起こる。

「……ちょっと……まさか……」

 ビクビクしながらも、モンモランシーが呪文を唱えて、魔法の明かりを掲げる。
 闇が薄まり、土煙も少しずつ収まり……。
 その中にいたものたちが、姿を現した。
 ……十数匹のレッサー・デーモンたちが。





(第三章へつづく)

########################

 ルイズが『香水』『青銅』という二つ名を知りました。しかし二人はフルネームを名乗ってはいないため、モンモランシーがモンモランシ家の娘であることを、ルイズは知りません。
 貴族のモンモランシーが、トレジャーハンターを始めた理由をルイズに説明するはずもなく、そのためルイズは、彼女の現状が『水の精霊』激怒の結果だということを知りません。『水の精霊』激怒の結果トレジャーハンターになった娘がいる……という噂は知っていますが、それをモンモランシーと結びつけて考えてはいないのです(モンモランシーがモンモランシ家の娘である、と知らないため)。
 一方ルイズも、重破爆(ギガ・エクスプロージョン)の試し撃ちの話などしていないので、そのためモンモランシーは、ルイズこそが『水の精霊』激怒の原因だということを知りません。
 こういう因縁は、知らぬが仏……。

(2011年8月31日 投稿)
   



[26854] 第九部「エギンハイムの妖杖」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/09/03 23:22
   
「わぁぁぁぁっ!?」

 いきなり姿を現したレッサー・デーモンの一団に、モンモランシーが驚きの悲鳴を上げた。
 ……魔法の明かりを灯した時点で、ある程度は予想していたんじゃなかったのか……?
 とはいえ私も、さすがに少し驚いたけど。
 ともかく。
 そのモンモランシーの悲鳴が気にでも障ったのか、周りにいるデーモンたちが、ギンッと一斉に彼女の方を睨みつけた。

「ひっ……」

 モンモランシーの息を呑む音を耳にして。
 ズズイッと一歩、ギーシュが前に歩み出る。
 何やら呪文を唱えると……。
 手にした薔薇の花が、赤く輝く剣に変わる!

「魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」

 叫んで斬り込んでいくギーシュ。
 ……造花の薔薇を杖として使っているのも非常識だが、その杖を『錬金』か何かで剣に変えてしまうとは……。
 そこまでせんでも、普通に『ブレイド』で魔力の刃を纏わせるだけで十分だろうに。だいたい、言うに事欠いて『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』とは、名前負けにも程がある。
 呆れる私の前で、一匹、二匹とデーモンを切り倒すギーシュ。

「ふっ……」

 彼は、得意満面で後ろを振り返り、

「見てくれたかな? モンモランシー、僕の……」

「自慢話は後で聞くわ」

 モンモランシーにアッサリ話の腰を折られ、ギーシュは少し寂しそうな顔をする。
 だが、こうして彼にツッコミを入れることで、彼女は気持ちを切り替え、恐怖を振り払ったらしい。デーモン退治のため、攻撃魔法の呪文を唱え始めていた。
 ……と、私も黙って見ている場合ではない。

「サイト! 私たちも!」

「おう!」

 左手のルーンを光らせ、走り出すサイト。
 彼が一匹のデーモンを袈裟斬りにするのを横目で見つつ、私はエクスプロージョンの呪文詠唱を始めた。

########################

 私たち四人が暴れ回る中。
 特に逃げるわけでもなく、ファーティマは、冷たい表情のまま佇んでいた。
 ……一人になるよりも、私たちと一緒の方が安全だと考えたのであろうか?
 たしかに、いつのまにか黒ずくめたちの姿は消えているが、まだ彼らがどこかに潜んでいる可能性は残っている。
 しかし私たちも、レッサー・デーモンの群れと戦うだけで手一杯。ファーティマの保護まで手が回らないのだが……。
 案の定。

 ズンッ!

 地響き立てて、屋根の上から降り来る一匹のデーモン。
 私たちが存在すら気づいていなかったそいつは、ちょうどファーティマの目の前に降り立っていた!

「まずいっ!?」

 叫ぶことしか出来ない私。
 急いで呪文を唱えるが、それより早く、ファーティマ目がけてデーモンが大きく右手を振り上げて……。

「……え?」

 私は一瞬、自分の目で見たものが信じられなかった。
 レッサー・デーモンに向かって一歩踏み出したファーティマが、右の手のひらを相手のみぞおちに叩き付けたのだ。

 びぐんっ!

 さして力を込めたとも思えないその一撃で、デーモンの体が一つ、大きく震えて……。
 そのままズンッと後ろにひっくり返り、それきりピクリとも動かなくなる。
 ……しょせん亜魔族、純粋な魔族じゃないから、こういう戦法も効くのか……。

「……なんだ……強いんじゃないの……ファーティマ……」

 私のつぶやきに、彼女は少し憮然とした顔で、

「弱い……なんて言った覚えないわよ」

 何の挨拶であろうか、腕を胸に当てながら言った。
 そういえばファーティマって、黒ずくめの投げナイフも上手くかわしていたんだっけ。
 まあ何はともあれ、なかなか彼女がやるとわかった以上、もうファーティマは完全に放置。こちらも戦いに集中できる。
 私は、サイトの方に目を向けて、

「サイト! 相手の数、そっちはあとどれくらいっ!?」

「わからねえっ! ここは、あと二、三匹だが……」

 ……ここは……って……!?

「ここだけじゃないわ! 別のところでも騒ぎが起きてるみたい!」

「このデーモンたち、もしかすると街じゅうに溢れているのかもしれないね」

 私とサイトのやりとりを耳にして、モンモランシーとギーシュも声を上げる。

「……街じゅうに……!?」

 おうむ返しに叫んだ時、私の視界の隅に、炎の球が飛んで来るのが見えた。
 とっさに横に跳んだが……。

 ズグォンッ!

 爆発に圧されて、私は近くの家の壁に叩き付けられた。

「ルイズ!?」

「大丈夫よ! それより、気をつけて! みんな! そこらにまだ黒ずくめたちが潜んでいるわっ! どさくさまぎれに私たちを始末する気よ!」

 今の炎は『矢』ではない。レッサー・デーモンの吐いたものとは違ったのだ。
 だが普通の人には、そんな違いなどわかるまい。この状況で黒ずくめたちが少々おおっぴらにやっても、全てデーモンたちのせい、ということになるだろう。

「ならば黒ずくめたちは、僕と僕のワルキューレにまかせたまえ!」

 数体の青銅ゴーレムを四方に走らせ、さっそく黒ずくめを探し始めるギーシュ。

「あ、ずるい! 私もこんなバケモノより、そっちのほうがいいわ!」

 それに便乗するモンモランシー。

「……わかったわ! じゃあ二人は、連中の相手をお願い! デーモンの方は、私とサイトとファーティマで片づけるから!」

「おう!」

「えぇぇっ!? なんで私まで数に入ってるのよ!?」

 私の言葉に、ファーティマを除く全員は、力強く頷いたのであった。

########################

「……うぷぅ……おはよう……」

「そろそろ昼よ。いくら旅先だからって、こんな時間まで寝てるなんて……。これだから、家柄の悪い貴族は……」

 まだ眠い目をこすりながら降りてきた私に、嫌味ったらしく言うモンモランシー。
 ……私の家はトリステインの公爵家なんだけどなあ。それを知ったら彼女も驚くでしょうけど、ここでわざわざ言うのはそれこそ嫌味っぽいし、朝から面倒なので黙っておいた。
 ま、こっちも、ギーシュとモンモランシーのフルネームは知らんわけだし。

「……しかたねーよ。寝たの明け方だったんだから」

 私の後ろから、サイトが言い訳する。
 モンモランシーとギーシュとファーティマは既に食事のテーブルについているので、これで全員が集まったことになる。

「そんなことはどうでもいいから、ともかく食べましょう」

 サイトと並んで、私も席に座った。
 ……昨日の夜……いや正確に言えば今日のことなのだが、デーモンたちをなんとか一掃できたのは、東の空が白み始めた頃だった。
 とはいえ、街じゅうのデーモン全部を私たちが片づけたわけではない。
 どうやら王政府も『黒い森』での事件を重く見て、エギンハイムや近隣の大きな街などに、子飼の騎士たちをポツポツと派遣していたらしい。街にはかなりの被害は出たものの、彼らの活躍もあって、デーモンを撃退できたわけである。
 さいわい、私たちが泊まっていた宿も無事で済んだ。
 ……しかし……。

「……けど結局、黒ずくめたちには逃げられちゃったわね」

 鱒の形のパイを、ナイフとフォークで切り分けながら、モンモランシーは面白くもなさそうにつぶやいた。

「……まあね……。結局、収穫らしい収穫って言ったら、ファーティマを保護できた、ってことくらいね……」

「保護?」

 私の言葉に、ファーティマは冷たい目をこちらに向けて、

「……デーモンと戦わせるのを、保護って言うの……?」

「……いやまあ……あれはその……不可抗力っていうか、なんていうか……」

「まあ、そんなことよりも……」

 横からサラリと、ギーシュが口を挟んでくる。

「……そろそろ事情を説明してくれてもいいんじゃないかな」

「……う……」

 言われてファーティマは、小さく呻いてから、ロコツに視線を逸らした。
 私たちだけでなく、ギーシュとモンモランシーの二人に対しても、これまでファーティマは口が堅かったようだが……。

「ねえ、ファーティマ」

 たった今のしどろもどろなどなかったかのように、私は出来るだけ優しく、彼女に声をかける。

「あんたにも色々と事情があるんだろう、ってことは想像つくわ。言いたくないこともあるでしょうね。……でも、だから言わない、で済まされるような事態じゃなくなってきてる、って思うんだけど」

「……」

 私の言葉に、ファーティマは無言のまま。
 もう少し突っつかないと、口を開きそうにない。
 ならば……。

「ひょっとして……あんた何か知ってるんじゃない? 今回のデーモン発生事件について……」

 杖もレッサー・デーモンも、どちらも『黒い森』での話。その片方を詳しく知っているならば、もう片方も……という乱暴な推理である。

「……はぅ……」

 ファーティマは、重いため息を一つ。
 そして一瞬の沈黙の後、

「……翼人の事件の後も……ヨシアは、何度も『黒い森』へ足を運んだそうです。アイーシャっていう翼人のこと、忘れられなかったみたいですね」

 フッと笑いながら、遠い目で語り始めたファーティマ。

「……『黒い森』をうろつくうちに、誰も知らない洞窟を見つけて……その中に、あれがあった、と……。でも……あれは……世にあってはならないもの……。酔ったヨシアが口癖のように言ってたんです。あれは魔を生む杖だ、って……」

「魔を生む……杖……?」

 ファーティマの言葉に、思わず顔を見合わせる私たち。

「魔力を生む杖……じゃないの?」

 確認するかのようにモンモランシーが尋ねたが、ファーティマは首を横に振る。

「違う。そういうニュアンスじゃなかった……。私も詳しい話は聞いていないのですが……。もしも何かの拍子に杖の力が発動して、今回の事件が起きたのだとしたら……いいえ、昔ヨシアがその杖に触れるか何かして、それが遠因なのだとしたら……私が何とかしなくちゃいけないの……」

 自分自身に言い聞かせるように、彼女はつぶやく。

「なるほどね。……で、一人でどうにかしようとエギンハイムへ向かっていた、と……」

 私の言葉に、彼女はコックリと頷いた。
 すると今度はモンモランシーが、疑問たっぷりな表情で、

「でも『何とかする』って言っても……具体的なアテでもあるの?」

「……そ……それは……」

 返す言葉がないらしく、唇を噛んで下を向くファーティマ。
 普通なら、ここで、しばしの気まずい沈黙が落ちたりするのだが……。

「諸君! 安心したまえ! 僕がいる」

 親指を胸に当て、不敵な笑みを浮かべてギーシュがつぶやく。

「可愛い女の子が困っているのを、見過ごすわけにはいかないからね。僕に任せたまえ!」

「あらギーシュ、なんだか下心が丸見えな発言ね。モンモランシーからファーティマに乗り換えるつもり?」

「ギーシュは、こういう奴なのよ……」

 私やモンモランシーの言葉を、ちゃんと聞いていたのか、いないのか。

「誤解して欲しくないね。僕の一番はモンモランシーだよ!」

「……ほらね」

 呆れたようにつぶやくモンモランシー。
 同じ女としては、私も彼女に同意したくなる。
 い……一番って……一人じゃないんかい!?

「と……ともかく……」

 話の方向性がこれ以上おかしくならぬよう、私は強引に話題を戻した。

「もしもその『魔を生む杖』って言葉のとおり、その杖が、今回のデーモン発生事件の原因になってるんだとしたら……」

 私は、少し考え込むような口調で、

「あの黒ずくめたち……組織だった連中みたいだったし、ひょっとしたら、杖を軍事利用するつもりなのかもね」

「軍事利用……?」

「杖を……?」

 サイトとギーシュ、男二人が、そろって首を傾げる。

「そうよ」

「でもよ、杖持ってると、辺りにデーモン出てくるんだろ? そんな杖、自分の国や領地に、危なくて持って帰れねえじゃん」

「……だからぁ……。その逆の使い方すればいいのよ」

 クラゲ頭のバカ犬に、きちんと解説してあげる私。私はサイトの御主人様なのだ。

「たとえば杖を、敵対する相手の国だか領地だかに隠して置いておき、デーモン自動発生状態にしておく。そうすれば、放っておいても敵の領土内でデーモンが発生しまくって、戦力はボロボロ、国もガタガタに。後は頃合いを見計らって……軍事的に侵略するなり、援助の口実で吸収をもくろむなり、やりたい放題。……簡単でしょ?」

「あなた……ずいぶん悪知恵が回るのね……」

 唖然とした顔でつぶやくモンモランシー。
 なんだ、彼女もわかっていなかったのか。

「これくらいの策略、旅のメイジなら誰でも考えつくわよ」

「いや、旅は関係ないと思うけど……」

 言葉を呑み込むモンモランシーに代わって、ギーシュが髪をかきあげながら、

「具体的な使用法はともかくとして、だ。少なくとも、あの黒ずくめ連中に渡すわけにはいかないね」

「そ……そうね。ねえ、そこで一つ、提案があるんだけど……」

「提案?」

 モンモランシーが建設的な意見を持ち出してきたので、聞き返しながら、私も身を乗り出した。

「ええ。……まずファーティマに確認しておきたいんだけど、もしも私たちが、杖をどうにかして、デーモン騒ぎを止めることが出来たら……。その後、杖がどうなってもいいわよね? 悪用さえされなければ。……たとえば私たちの誰かが杖をもらう、ってなっても」

「……え……ええ……まあ……。手伝っていただく報酬だと思えば……」

 モンモランシーの言葉に、いともアッサリ頷くファーティマ。
 それを見て、モンモランシーはこちらに向き直り、

「で、次はあなたに質問ね。もしも特殊な杖があって、それが手に入るとして……。私たちと仲良く山分け、って気はないのよね?」

「まあね」

 言って私もコックリ頷く。
 こっちの目的は、あくまでも杖を『使う』こと。かつてのサイトのセリフじゃないが、使えなかった魔法を使えるようになるかも……という淡い期待があるわけだ。だから杖をモンモランシーたちと山分けする、などというのは不可能な話。

「そこで。私の提案というのは、こうよ」

 言って彼女が示したプラン。それは……。
 黒ずくめたちに対しては手を結び、デーモン事件に関しても、協力して解決する。その後、杖が残っていたら、早いもの勝ちで手に入れた方のものとする。
 ……そういう話であった。

「そうね……。でも、それを受ける前に、一つ確認。もしも、デーモン発生を止めるには杖を叩き折るしかない、ってなったら、あなたはどうするつもり?」

「……そ……それは……」

 言いよどむモンモランシー。
 彼女たちの目的は、おそらく杖をお金に換えること。
 勝手にデーモンたちをポコポコ発生させる杖となれば、表立って堂々と取り引きすることは出来ずとも、それなりのスジに売り払えば、かなりの金になる。
 一方、杖を使うつもりの私たちにしてみれば、デーモン呼び出す杖なんて、使うどころか持ち歩く気にもなれない。その機能だけは止めた後でなければ、あんまり欲しくないのだ。
 つまりこの条件は、私たちには有利だが、モンモランシーたちには不利なはず。

「……と……当然だわ! 何よりも、事件を解決することが先決なんだから! ほ……ほほほほっ!」

 未練たらたらの表情のまま、モンモランシーは金髪ロールを揺らして、ヤケクソ気味にバカ笑いする。

「……ようし。そういうことなら、こっちにも異存はないわ。ファーティマも、そういうことでいいわね?」

 私の確認に、彼女は力強く頷いた。

「もちろんです。あのバケモノたちの発生を止められるなら。……エギンハイム近くの『黒い森』にある、洞窟の奥……それが杖のありかです。詳しい場所については……エギンハイムに着いてから説明します」

########################

 通りには露店が並び、馬車が行き交う。
 にぎわう商店。通りを走り回る子供たち。
 ……山一つ越えればエギンハイム、という街まで来たが、けっこう平和な光景である。デーモン大量発生事件、その発端の地に近づいたとは、とても思えない。
 まあ、王政府から派遣されたであろう騎士やらメイジやらの姿が街中に見られるが、せいぜい、その程度。
 宿の主人の話によると、なんでも、しばらく前までは、

『バケモノが襲ってくるんじゃないか』

『騎士さまでもバケモノには歯が立たないそうだ』

 という噂が流れて、露店が出なかったりしたらしいのだが……。
 ここより遠くの村やら街やらが襲われたせいで、

『こうなればどこに逃げても同じ』

『いやむしろ駐留している騎士さまが多い分、かえってここの方が安全なのでは』

 という話になり、結局、街から出て行く者は少なかったらしい。
 たとえ街から逃げ出したところで、行くアテもない、という人間も多いだろう。
 ……と、そのあたりの理屈は、わからんでもないのだが……。

「ちょっと緊張感がないような気がするのよねえ」

 部屋の窓から、夜の街を眺めつつ、私は一人つぶやいていた。
 街灯に灯された魔法の明かりが夜を照らし出す。
 あちこちにある酒場からは、ざわめきがここまで届いている。
 真夜中……とまではいわないが、夕食どきなど、とっくに過ぎている。街の人々が少しは危機感持っているならば、不安に怯えて、家の中にでも引きこもっているはずの時間帯。だがここから見る限り、結構まだ人通りもあったりする。
 そして緊張感がないといえば、サイトも同じだ。サッサとベッドに入って、すでにイビキを立てている。ならば、私もそろそろ……と思った時。

「……?」

 私は無言で、眉をひそめて身を乗り出した。
 今、この宿から外に出て行った人影……。
 その後ろ姿は、間違いなくファーティマのものだった。
 黒ずくめの一団が、彼女を追って、この街まで来ている可能性はかなり高い。そんなことは、彼女も百も承知のはず。
 にも関わらず、なんで私たちに声もかけず、こんな時間にひっそりと……?

「あ……」

 思った私の脳裏に、ファーティマと出会ったその村で、噂好きのメイドが言っていたセリフが蘇った。

『ここへ来る途中、どこかでファーティマさんと出会って意気投合したらしいのですが』

 ……ふうむ……。
 とたんにムラムラ頭をもたげる好奇心。
 今まで彼女の生い立ちについては何も聞かなかったが、そもそもが、あの外見である。本当にファーティマは人間なのか、ひょっとしたらエルフの血が混じっているのではないか。
 あのメイドは、ファーティマとヨシアが出会ったのも『黒い森』だったんじゃないか、なんて噂まで口にしていたが、それくらい、ファーティマに関しては謎だらけ。
 もしもこの街が、彼女の出身地なのだとしたら……?

「……」

 一瞬だけ迷ったその後、私はマントをひるがえした。
 部屋を出て、階段を下り、宿の玄関へと向かう。
 何をするかは言うまでもない。ファーティマのあとをつけるのだ。
 単なる興味本位ではない。黒ずくめたちからの彼女の護衛も兼ねている。
 ……サイトを起こす必要はなかった。彼は私の使い魔、私が万一ピンチに陥った場合は、勝手に来てくれるはず。
 宿の玄関を出て、辺りをキョロキョロと見渡せば……。

「……いたっ!」

 ぼんやり灯った街灯の明かりの下を、静かに過ぎ行くファーティマの背中が、玄関先からも見て取れる。
 私はそのあとを追って、ソッと夜の中に滑り出した。
 彼女はしばらく大通りを行ってから、やがて横の通りへと入り込む。
 ほどなく通路の角を曲がり、うらびれた路地へ。急いでいるのか、考えごとでもしているのか、後ろを振り向こうともしない。
 やがて彼女はだんだんと、街の中心から外れて……。
 辺りからは酒場の灯も消えて、闇の色が少しずつ濃さを増してくる。

「……なんか……あんまり雰囲気よくないような……」

 などと思いつつも、なおもしばらくコソコソと、彼女のあとをつけるうち。
 突然、彼女の足が止まった。
 私の尾行に気づいた……というわけではない。

「よう、お嬢ちゃん。こんな時間に、こんなところをお散歩かい?」

 立ち止まった原因は、彼女の行く手に姿を見せた四人組。

「物騒だぞ、女の子の一人歩きは。なんなら俺たちが、おうちまでエスコートしてやるぜ」

 中の一人の髭づらが、言ってニマリと下品な笑みを浮かべた。
 四人組は、男三人と女一人。
 男たちはゴロツキ風だが、女は違う。服装は街娘っぽいが、雰囲気が違うのだ。
 ポニーテールが特徴の彼女は、おそらく貴族。学生メイジが旅の途中でハネを伸ばして、街娘の真似事をしている、という感じだった。

「……急いでるんです。どいてください」

「『いそいでるんです。どいてください』だってよ。かぁわいぃねぇ」

 いったい何が面白いのか、言ってドッと笑い声を上げる。

「なあ、何の用かは知らねぇけど、そんなのほっぽっといて、俺たちと遊ぼうぜ。ほら、他にも女の子がいるから、安心だぜ」

 仲間のポニーテール女を示しながら、なおもゴロツキは誘うが……。

「……急いでます。通してください」

 繰り返したファーティマの声には、今度は怒りの色がこもっていた。

「……まぁまぁ。つれないこと言うなよぅ」

 彼女の実力も知らぬ髭づらが、ファーティマに向かって手を伸ばし……。
 瞬間、彼女の手が動いた。
 男の右手をアッサリはじき、裏拳をゴロツキの顔面に叩き込む……という光景を、私が脳裏に描いたその時。
 フッと、ゴロツキの姿がかき消えた!

 ドムッ!

「っぐっ!?」

 呻いて大きくよろめいたのは、ゴロツキたちの一人ではなく、ファーティマの方。そのままグラリと前に倒れ込んだのを、髭づらが抱きとめる。
 どうやら……。
 ファーティマが拳をくり出した瞬間、狙われた男が身を沈め、彼女のみぞおちに拳を叩き込んだらしい。
 むろん、ただのゴロツキふぜいに、そんな真似が出来るわけはない。

「さては……!」

 私は慌てて杖を構えて、連中の前へと飛び出した。
 しかし、それを待っていたかのように。
 後ろのポニーテール女——いつのまにか懐から杖を取り出していた——が、こちらに向かって炎を放つ!

「うどわわわわっ!?」

 急いで近くの路地に身を隠し、何とか魔法をかわす私。
 私がファーティマをつけていることに、連中は気づいていたらしい。

「……『ゼロ』のルイズ。あなたの相手は、そこの二人がしてくれるわ。……それじゃこの娘は、こちらで預からせてもらうから」

 口を開いたポニーテールの声は、聞き覚えのあるものだった。

「ビーコ!?」

 そう。
 ゴロツキの連れにしか見えないこの女こそ、例の黒ずくめの一人、ビーコだったのだ。
 ……迂闊だった。いつもコソコソやっている連中が、まさかいきなり素顔で、ゴロツキ仲間を装い、ちょっかいをかけてくるとは……。
 ゴロツキ風の一人が、肩に軽々とファーティマを担ぎ上げ、クルリと背を向けた。彼と共に、ビーコが路地の奥へと走り去る。
 残った二人で私の足止めをするつもりか!? 杖を取り出して、行く手を遮るかのように、立ちふさがったが……。

「イル・ウォータル・スレイプ……」

 私は急ぎ、適当な呪文を唱えて、杖を振った。
 同時に、二人の男が飛ぶ。私の杖の動きから、爆発魔法の狙いを読み取って、巧みに身をかわしたのだ。
 だが……甘い!

 ドグォオンッ!

 間髪入れずに放った二発目が、男たちを二人まとめて吹き飛ばした。
 詠唱時間ほぼゼロで放てる、これが私の魔法の最大の特徴である。

「おしっ!」

 ビーコたちを追って、私も走り出す。
 ほどなく路地は、丁字路へと行き当たる。
 右か!? 左か!?
 私が一瞬、迷って立ち止まった時。

「……!」

 真上からの殺気を感じて、私は大きく後ろに跳んだ。
 ほとんど同時に、つい今しがたまで私の立っていた場所に、十本ほどの冷気の矢が突き刺さる。
 慌てて上を振り仰げば、古びた民家の屋根の上に、こちらを見下ろし、佇む男が一人。
 さっきビーコと一緒に逃げて行った奴である。
 ファーティマの身はビーコに任せたらしく、もう彼女を抱えてはいない。

「足止め役に変わった、ってことね!?」

 もはやビーコとは、かなり引き離されているはず。となれば、こいつに手こずっている暇はない。
 とはいえ、無視して路地を駆け抜けるのは危険過ぎる。
 戦うつもりで、私が杖を振り上げた瞬間……。

「……えっ!?」

 屋根の上の男が、いきなりクルリと背を向け、姿を消した。
 私を恐れて逃げ出した……というわけではない。それでは、足止めにはならないのだから。
 つまり、これは……。
 ビーコがもはや、私の手の届かぬ場所まで逃げのびたことを意味していた。

########################

「どうするのよっ!? いったいっ!?」

 金髪ロールを振り乱し、モンモランシーは怒りの声を上げた。
 ファーティマをビーコたちにさらわれた、あの後……。
 少しの間、私は一人で辺りを探してみたのだが、結局見つけることは出来ずじまい。
 爆発で吹っ飛ばした二人も、いつの間にやら姿を消しており、結局まったく手がかりもなし。
 飛行魔法も使えぬ私が、むやみに一人で探していても、ただただ無駄に時がゆくだけ。そう判断して宿に戻り、みんなに事情を説明したのだが……。
 真っ先に激怒したのが、モンモランシーだったわけだ。

「謝ってすむ問題ではないのよ! 連中の目的は、ファーティマの握っている情報でしょ! 聞き出すためには、どんなことをするものだか……」

 黒ずくめたちの中には、男だっているのだ。
 冷たい態度をみせることが多いが、それでもファーティマは若い女性。モンモランシーの心配も、同じ女として、私には十分理解できた。

「……うっ……」

 言い返す言葉もない。
 たとえば、ファーティマがこっそり宿を出た時点で、声をかけておけば。あるいは、ゴロツキを装った連中が彼女にからんだ時、油断せずに何らかの手を打っていれば。こうなることは防げたはずなのである。

「モンモランシー。文句は後でも言えるよ」

 女同士の話し合いに、キザ男のギーシュが、いつになく冷静な口調で割り込んできた。

「今やらなければならないのは、全員でファーティマを探すことではないかな」

「そ……そうね……。ギーシュの言うとおりだわ。ルイズ、あなたへの文句は後回し! ともかく、その現場に案内して!」

「わかったわ!」

 私に異論のあろうはずがない。そう頼むつもりで、ここに戻ってきたのだから。
 かくて私たち四人は、さらわれたファーティマを救出するべく、夜の街へと飛び出したのだった。

########################

「ここよ」

 言って私が足を止めたのは、屋根の上から氷の矢を降らされた、あの丁字路。

「ファーティマをさらった連中がここを通ったのは、ほぼ間違いないの。あのままファーティマを抱えていったにせよ、魔法で運んでいったにせよ、そうそう早くは走れないはず。ならばアジトか隠れ家が、この近くにあるに違いないわ!」

「わかったわ! なら手分けしましょう! 私たちは右、あななたちは左! 何かあったら、適当な魔法を打ち上げて合図して!」

 言うとモンモランシーは、こちらの答えも待たず、ギーシュを連れて路地をかけてゆく。
 私とサイトの二人も、反対側の路地へと向かう。

「……けどよ、ルイズ。ここからそう遠くない、って言っても、けっこう探すの大変だぞ……これ……」

「……ま……まあね……。ギーシュみたいに、ゴーレムたくさんあるわけじゃないしね……」

 サイトの言葉に頷く私。
 辺りには、誰かが住んでいるのか、はたまた廃屋なのか、けっこう古びた建物が並んでいたりする。中には、地下室だの屋根裏部屋などがある家もあるだろう。
 確かに探しにくいことこの上ないが、見落としは許されないのだ。

「……とにかく! 片っ端から探すしかないわ! とりあえず、まずはこの家!」

 私は、すぐ手前にあった一軒の廃屋をビシッと指さす。
 さっそくサイトが、入り口の扉を日本刀で叩き切る。
 二人で中に入り、探索開始!
 ……しかし……。
 さすがに、一発目で大当たりが出るほど、世の中は甘くないようである。

「次! あの家!」

 二軒目を指さす私に向かって、サイトが不思議そうに、

「……でもよ。なんだってファーティマは、一人で街になんて出て行ったんだ?」

「さあね。こればっかりは、本人に聞いてみないとわからないわね」

 危険を承知で一人こそこそ出て行ったくらいだから、かなりの事情があったのだろう。
 あるいは、自分の力を過信していたか……。

「ひょっとしたら、この一件、まだ何かとんでもない裏があるのかもしれないけど……。ともあれまずは、彼女を見つけるのが第一よ」

 二軒目も外れ。三軒目もスカ。
 サイトの刀で扉を切り開け、地下室ないか走って探し、屋根裏探すのは面倒だから、最上階の天井板を魔法で壊して確かめる。
 そんなことを、何回繰り返した頃だっただろうか。

「ルイズ! あれ!」

 サイトに言われて振り返れば、夜空に輝く魔法の明かり!
 モンモランシーたちからの合図である。
 あっちのほうが当たりだったらしい。

「行くわよ! サイト!」

「おう!」

 ひとつ大きく頷きあって、私たちは同時に駆け出した。

########################

 私たちが合図の明かりの下へ辿り着いた時、すでに戦闘は終わっているようだった。
 もとは集合住宅だったのだろう。三階建ての、レンガ造りの建物。
 モンモランシーたちがぶち破ったのか、玄関の扉は壊れ、転がっていた。
 中に入って行くと……。

「遅かったわね」

「連中は全て、僕たちが倒してしまったよ」

 廊下をうろつく、モンモランシーとギーシュ。

「……で、肝心のファーティマは!?」

「それが……」

 私の問いに、顔を見合わせる二人。

「……いないわ。ここが黒ずくめたちのアジトだったのは、間違いないみたいだけど」

 二人は私とサイトを、三階の一室に案内した。
 その部屋の中には、携帯食料や手荷物などが散乱していた。
 モンモランシーが言うとおり、連中はここを活動拠点にしていたようである。しかしファーティマの姿はない。

「ここのほかにも、アジトがあるのかもしれないねえ。……探索のやり直しだ」

 失望の色を言葉に滲ませ、ギーシュが言う。
 でも。

「……ちょっと待って。あんたたち、黒ずくめを何人倒したの?」

「全部で……四人かしら?」

「いや、五人じゃないかな」

 モンモランシーとギーシュが、私の質問に答える。
 数字は多少異なるが、まあ、それはかまわない。

「そう。じゃあ、たぶん少し前まで、ファーティマもここにいたのね」

「どういうことだい……?」

「彼女の持ち物でもあった?」

 モンモランシーの言葉に、私は左右に首を振り、

「いいえ。ここにあるのは黒ずくめたちの荷物だけだと思う。ただし……ここにある荷物から察するに、黒ずくめたちの数は、ざっと十人程度。でも、あんたたちが倒した『全て』は、その半分くらい」

「……あ!」

 モンモランシーも、気づいたらしい。それにはかまわず、私は続ける。

「……さて、そこで問題。黒ずくめの残り半分はファーティマを連れて、アジトを離れて、一体どこへ行ったのでしょうか?」

「なるほど、そういうことか」

 ギーシュも理解の声を上げる。
 わかっていない顔をしているのは、これでサイトだけ。

「そう……」

 言って私は、コックリ頷いた。

「彼らが行ったのは、エギンハイムの村……いや、その先にある『黒い森』。魔を生む杖が隠された洞窟、よ」





(第四章へつづく)

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 ギーシュの杖は薔薇の造花。真っ赤な真っ赤な薔薇の造花。ルビーアイのように赤い薔薇……ということで『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』です。

(2011年9月3日 投稿)
   



[26854] 第九部「エギンハイムの妖杖」(第四章)【第九部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/09/06 23:54
   
 名も知らぬ鳥がどこかで鳴いている。
 夜に佇む闇色の木々。
 杖の先に灯した魔法の明かりと、双月の光がなくなれば、夜の山は文字どおり真の闇と化す。
 ……デーモンが出るかもしれない森の中を、夜中に歩き回る……。
 はっきり言って正気の沙汰ではないのだが、黒ずくめたちがファーティマを連れて、この『黒い森』に入った可能性が高い以上、怖がっていられる場合ではない。
 そして……。

「ここ……かしら?」

「たぶん、ね」

 怯えの表情を見せながら言うモンモランシーに、私は淡々と返した。
 どれくらい歩き回ったか、わからない。しかしその甲斐あって、ついに私たちは、一つの洞窟を発見したのだった。

「かなり大きいな……」

 ポツリとギーシュがつぶやいたとおり。
 直径が四メイルはあろうかという、巨大な洞窟だ。
 入り口の辺りには、何かが通ったような跡がある。それも複数。
 間違いない。黒ずくめたちは、ここへ入って行ったのだ。
 それを指し示しながら、私は言った。

「行きましょう」

########################

 私たち四人は、洞窟を奥へと進んでゆく。
 先頭はギーシュ。造花の薔薇を杖とする彼は、その先端の花びらに魔法の明かりを灯している。
 ギーシュに寄り添うように、モンモランシーが続き、さらに後ろを私とサイト。
 やがていくらも行かないうちに、道は左右ふたまたに別れた。

「……どっちかな?」

「右ね」

 つぶやくギーシュに答えたモンモランシーは、視線を地面に落としている。入り口で私がやったように、黒ずくめたちの痕跡を見つけたのだ。
 そして再び、足早に歩く私たち。

「はたして黒ずくめたちとは、一体どれくらい距離を開けられたのかしら……」

 モンモランシーが、誰にともなく尋ねた。
 どこか彼女は怖がっている感じがあるので、おそらく、黙っているより何か話していた方が気も紛れる、ということなのだろう。
 ならば、話に付き合ってあげるとするか。

「ファーティマがある程度の時間稼ぎをしてくれているならいいけど……そうでなきゃ、杖は既に黒ずくめたちの手に渡っているかもね」

「どうせルイズ、その場合はブチ倒して奪えばいい、とでも思ってんだろ?」

「あら、サイトも私のこと、ずいぶんわかってきたじゃない」

 そうやって軽口を叩きながら、どれくらい進んだ頃のことだったろうか……。

 ……ズ……ズズズズズズズズンッ!

 遠い地鳴りと震動が、洞窟を揺るがした。

「……ひょっとして……この先!?」

 私たち四人は顔を見合わせ、大きく一つ頷くと、さらに奥へと向かって駆け出したのだった。

########################

「見つけた!」

 私が声を上げたのは、それからしばらく走り回った後のことだった。
 曲がった通路のその先から、かすかに漏れる魔法の光。
 ……ということは、相手の方からもこちらは見えているはずである。
 私たちはペースをゆるめず、走り続ける。
 そしてほどなく。
 見えてきたのは、佇む三人の黒ずくめ。
 ファーティマの姿はない。道は落盤で塞がっており、その手前に黒ずくめ三人がいるだけである。おそらく、落盤で離れ離れになったのだろう。

「あなたたち!?」

 叫んだ一人の声は、もはやおなじみ、ビーコのもの。
 黒ずくめたちが魔法を放つ前に、私も叫ぶ。

「みんな気をつけて! ここで下手に派手な攻撃魔法を使ったら、さらに落盤が起こるかもしれないわ!」

 ビクッとする黒ずくめたち。
 実は今の言葉は、味方に対するものではない。ここに来る途中で、ギーシュとモンモランシーには、すでに伝えてあるのだ。それなのにワザワザここで口にしたのは、敵を牽制するため。
 あっけなく私のワナにはまり、彼らの動きが一瞬止まった隙に……。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」
 
 私のエクスプロージョンが黒ずくめたちに襲いかかった。

「おい!? 言ってることとやってることが違うぞ!?」

「バカ! 文句言ってる暇があったら……」

 ビーコ以外の二人が何やら言っているが、もう遅い。

 ググワァァァァッ!

 爆発で吹き飛ぶ黒ずくめたち。
 少しずつ晴れる爆煙の中、姿を現したのは、スックと立った黒ずくめ一人。

「よくもやってくれたわね……」

 ビーコである。
 仲間の二人より少しは賢かったとみえて、彼女は急ぎ、防御呪文を唱えていたようである。自分ひとりの周囲に張るのが精一杯だったみたいだけど。
 ……もちろん、私たちの方でも防御はバッチリ。ギーシュが『土』魔法で地面を盛り上げてちょっとした砦を作り、さらにモンモランシーの『ウォーター・シールド』が全体を覆っている。
 事前にこうした打ち合わせがあったからこそ、私は爆発魔法を放ったのだ。一応、洞窟を壊さない程度に、手加減した上で。
 まあ、それでも結構な爆圧だったらしい。道をふさいでいた土塊が崩れ、奥へと続く通路が出来ている。
 姿を消した二人も向こうへ吹き飛ばされたのか、それとも今ので消滅したのか、それは不明。

「……もっと早くに決着をつけておくべきだったわね……」

 怒りを滲ませ、ビーコが呻く。

「もうこれ以上は許さないわよ! 今度こそ本気で……」

「何言ってんの? あんた、今までだって、力の出し惜しみなんてしてないでしょ!?」

「そうよ! 本気も何も……一対四で勝てるつもり!?」

 私とモンモランシーが、二人でツッコミを入れた時。

 うぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!

 奥から聞こえてきたのは、まるで獣の咆哮のような、誰かの絶叫。

「……エーコ!?」

 ビーコは振り向き、私たちには目もくれず、奥に向かって走り出した。
 
「……エーコって……あの黒ずくめの、エーなんとかのこと……?」

 私たちは一瞬、互いに顔を見合わせるが、ここで立ち止まっていても仕方がない。

「……行くわよ! 私たちも!」

 言って私は、ビーコのあとを追い、駆け出した。

########################

「うがああああああああああっ!」

 永遠に続くかのような悲鳴が、洞窟の中にこだまする。

「……!?」

 目の前に展開する光景に、私たちは、我を忘れて立ち尽くしていた。
 洞窟の突き当たり……。
 そこは、かなり広大な空間になっていた。ちょっとした家ならば、二、三軒は建てられそうなほど。
 その中央には、大地に深々と突き立った、一本の杖。
 すらりと伸びた漆黒の棒であるが、握りの部分には、羽根のような形状の装飾が施されている。そして、その全体から、圧倒的なまでの瘴気を吹き出していた。
 柄の部分を両手でガッシリ握りしめ、大きく身をのけぞらし、苦悶の絶叫を上げているのは、短いツインテールが特徴の少女……つまり、エーコである。
 杖の生み出す黒いプラズマが、彼女の全身を這い回る。
 そうした状況を……。
 口元に薄い笑みさえ浮かべつつ、横でジッと眺める一人の金髪少女。
 ……ファーティマ!
 私たちのすぐそばで、ビーコもまた、その光景に硬直していた。

「……い……一体……!?」

 モンモランシーの漏らした声に、ファーティマはようやく、はじかれたようにこちらを向いた。

「……あ……」

 今の今まで、私たちが来たことに気づかなかったのだろう。一瞬、驚きに目を開き、続いて、困ったような表情で、

「……もう来ちゃったわ……しかもみんないっしょ……」

 言って、ポリポリ頬をかく。

「……あ……あんた……!? 一体……!?」

 私の問いに、ファーティマは苦笑を浮かべ、

「……うーん……本当は一人ずつ来て欲しかったんだけど……。ま、こうなったら仕方ないか」

「ファーティマ!? あなた……まさか……やっぱり……エルフだったの……!?」

 彼女の長めの耳に目を向けながら、モンモランシーがそう言った。
 ……ファーティマは肯定も否定もしない。私は違うと思ったのだが……。
 しかし、これだけは確実である。私たちの本当の敵は……このファーティマなのだ!
 いとおしげな視線を、彼女は黒い杖へと向けて、

「……もう少し色々と試してみたかったけど……。こうなったら、もういいわ。ドゥールゴーファ、変化を」

 バヂッ!

 ファーティマの呼びかけに応えて、杖のまき散らすプラズマが、いっそうその激しさを増す。
 そして。

「エーコ!」

 ビーコの悲痛な叫びが響いた。
 黒のプラズマを全身に浴び……エーコの肉体が、異形へと変化してゆく!
 服も破れたが、女性らしい裸身をさらしたのは、ほんの一瞬。全身の肉がはじけ、盛り上がり、あらぬ場所から得体の知れない、脚のようなものが生えてくる。
 もはや、エーコは悲鳴を上げてはいなかった。
 辺りを支配しているのは、黒いプラズマの荒れ狂う音と、獣の呻きにも似た音。
 それに、ファーティマの哄笑……。

 ドグンッ!

 エーコの肉体が大きく波打ち、一回り大きくふくれ上がる。

「まずい!? みんな、外へ!」

 本能的に危険を察知して、私は声を上げた。
 ようやく全員が我に返り、きびすを返して、やって来た洞窟を走り逃げる。
 呻きと哄笑は、やがて後ろに遠ざかり……。

 ……ゴ……ゴゴ……ゴゴゴ……。

 静寂の代わりに訪れたのは、不気味な震動だった。
 それも、だんだんと大きくなってくる。
 ……間に合うか!?

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!

 森そのものが震えている。
 かなり大きくなってきた、その揺れの中を、私たち五人は、出口めざしてひた走る。
 私とサイト、モンモランシーとギーシュ。
 そして五人目はビーコ。ついさっきまでは敵だったが、こうなってはもはや、私たちに戦う理由はない。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!

 空気をも振るわせ大地が揺れる中、私たちは、なんとか入り口から外に飛び出した。

「離れて! 早く!」

 一行が、森の緑の中へと飛び込んだ、まさにその時。

 ゴガァッ!

 大地を割り、森の木々を薙ぎ倒しながら。
 双月の下へと姿を現す、巨大な一つの影!

 うぉぉぉぉぉぐ!

 月に向かって一声吠えた、それこそが……。
 かつてエーコと呼ばれていた少女の成れの果てであった。

########################

「……何……? 一体……?」

 モンモランシーが、恐怖にかすれたつぶやきを漏らす。
 ……私には、なんとなくわかった。むろん、断片的にではあるが。

「前にも言ったと思うけど……」

 彼女の疑問に答えられるのは、私だけ。考えを整理する意味もあって、私は口を開く。

「……レッサー・デーモンっていうのは、こっちの世界に呼び出されて、小動物などに憑依したものなの」

「あれもレッサー・デーモンだ、っていうの!? 見かけが全然違うじゃない!」

「大きさも違うね」

 モンモランシーとギーシュの言葉に、私は苦笑しながら、

「姿形は色々あるのよ。私とサイトは、以前、スープやトマトに憑依したデーモンと戦ったこともあったし」

「それじゃ、あれも……」

「でも、ちょっと違う感じがするわ」

 首を左右に振る私。

「森の小動物にしても、料理にしても、たぶんハッキリした自我がないからこそ、魔族が憑依できるんだわ」

 ジョゼフ=シャブラニグドゥやヴィットーリオ=フィブリゾなど、人間と一体化した魔族もいたが、あいつらは間違っても『レッサー(下級)』ではない。
 それに彼らの場合は、なかなかややこしいことになっていたようだ。それは、人間には強い自意識があるから……。

「……自意識の強い人間に、下級魔族を憑依させてデーモン化することは無理なのよ。でも……」

「より強力な魔族を憑依させることなら……特に、人間の自我を破壊した上でならば、可能ってこと?」

 私の言葉を引き継ぎ、確認するかのように問いかけてきたモンモランシー。
 彼女に対して、私は言葉ではなく、視線で答えを返した。
 ……今、私たちの目の前で起こったことこそが、その答えだったのだ。
 大型のドラゴンほどもあろうかという、黒く巨大な肉の塊に、それを支える十本ほどの脚が生えている。蜘蛛の脚に似た、いびつな形だ。

 ゆおおおおおおおおおおおおおん!

 怒りとも恨みともつかぬ叫びを月夜に響かせ、ハイパー・デーモンとでも呼ぶべきそれは動き出した。
 向かう先には……。
 エギンハイムの村。

########################

「どうやら、村へ向かうみたいだね」

「何のんきなこと言ってるのよ!」

 ギーシュの言葉にツッコミを入れるモンモランシー。さすが、息の合ったコンビである。
 一方、こちらも、

「……で、どうすんだ?」

「倒すに決まってるでしょ! あいつが村に着く前に、一撃でぶち倒すの!」

 サイトに答えて、私は呪文を唱え始めた。

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを……」

「何よ、それ!?」

 私の詠唱を耳にして、驚きの声を上げるモンモランシー。
 こういうのは、初めて聞くのだろう。
 これこそが、この世界すべての魔を統べる『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの力を借りた攻撃呪文……。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 グガォァァァァァンッ!

 私の杖から放たれた赤い光が、ハイパー・デーモンに向かって収束し、大爆発を引き起こした。
 やがて、爆煙が消えたそのあとには……。

「まだ立ってやがる!?」

 サイトが叫んだそのとおり、私の魔法をまともに食らったはずのハイパー・デーモンは、術を受けたその場に立ちつくしていた。
 ……だが。

「ダメージはあったようだね」

 落ち着いた口調で言うギーシュ。
 そう。
 粉々に吹き飛びこそしなかったものの、ハイパー・デーモン本体の、肉の塊のような部分が、今の一撃でゴッソリ大きく抉り取られていた。
 まだ今は生きているようだが、それなら動かなくなるまで、何発も叩き込めばいいだけの話。

「よぅし、もう一発……」

 私が呪文詠唱を始めようとした、まさにその時。
 ユラリとハイパー・デーモンが動いた。

「お? 力つきたか?」

 サイトが声を上げ、私も同様に思ったのだが……。
 甘かった。
 ハイパー・デーモンが、小さく体を揺らすように、みじろぎした瞬間。
 私の竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)で抉られた肉が、みるみるうちに盛り上がる!

「……え……」

 私は思わず自分の目をこすり……。
 再び目を向けた時には、ハイパー・デーモンの傷は、もははや完全にふさがっていた。

「……う……嘘……」

 モンモランシーのつぶやきが風に流れた。
 他のみんなも、ただただ茫然と、その光景を眺めていた。
 当のハイパー・デーモンは、しばしその場に佇んだ後、まるで私の攻撃なんてなかったかのように、再びエギンハイムの村に向かって進み始める。

「……ど……どうすんだ……?」

「……ど……どうする、って……。どうしよう?」

 サイトと二人、顔を見合わせるしかない私。
 ……今までにも、竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)一発では倒せない敵、というのに出会ったことはある。術を防いだ奴もいた。
 しかし……。
 効くけど、すぐに治っちゃう。
 こういう相手は初めてである。

「……はっきり言って、反則ね……これ……」

 そもそも、どういう理屈でこういう真似が出来るのか!?
 かなり強力な高位魔族でさえ、まともに食らおうもんなら、多少なりともダメージを受けるもんだし、そのダメージが即回復する、などということもありえないのに……。

「悩むのは後にしたほうがいいんじゃないかな。今は、せめて足止めだけでも……」

「……そ……そうね。ギーシュの言うとおりだわ」

 言いながら、判断を仰ぐかのように、モンモランシーがこちらを向く。
 まあ、この中で一番強力な魔法のストックがあるのは私ということで、私を暫定リーダーとでも思っているのだろう。
 私は頷き、そして私たち四人は駆け出し……。
 ……って、四人!?

「ああああっ!?」

「今度は何!?」

「……ビーコがいなくなってる」

 そりゃあまあ、あいつにしてみれば、目的はあくまでも杖を手に入れること。私たちを手伝って、ハイパー・デーモンと戦う義理などない、ということなのだろうが……。
 薄情な奴だ。デーモン化したエーコは、ビーコの仲間だったろうに。

「あんな奴どうでもいいじゃないの!」

 心底どうでもいいという口調で叫ぶモンモランシー。
 ……ま、それもそうだ。私にしたところで、一緒に戦ってくれる、なんて期待してたわけでもないし。
 とにかく今は、少しでもハイパー・デーモンの足を止め、その間に、何とか対抗策を見つけるしかない!
 私たち四人は、巨大な影を目ざして、ひた走る……。

########################

「いくぜっ!」

 左手のルーンを光らせ、駆け抜けるサイト。
 デーモンの足下で、彼の日本刀が一閃。
 ひとかかえほどはあろうかという、ハイパー・デーモンの脚の一本が、バッサリと斜めに両断されて……。
 断面から、ズルリと滑るようにずれる。

「やったの!?」

「いや、まだだ!」

 本能的に察して、叫ぶサイト。
 直後、切れた部分の上下から、触手のようなものがウジョウジョ湧き出した。上下を繋ぎ、あっという間に元どおり。
 ハイパー・デーモンは、自分の脚が一瞬斬られたことなど気づかなかったかのように、かわらぬペースで歩いていく。

「……あ……足止めにもならねぇ……」

 ハイパー・デーモンから距離をとりつつ、サイトは絶望的な口調で言った。

「ならば、僕のワルキューレたちが!」

 ギーシュが造花の薔薇を振り、宙に舞った花びらがゴーレムに変わる。
 甲冑を纏う女戦士の形をした、青銅製ゴーレム。それが全部で七体。ギーシュの意を受けて、一斉に突っ込んでいくが……。

「……うーん。やっぱりダメだねぇ……」

 ごまかし笑いで言うギーシュ。
 脚全部を同時に潰せば足止めになる、と思ってのことだったようだが、七体がかりで、ようやく脚二本。すぐさま完全復活されてしまった。
 続いて。

「私の魔法じゃ……無理よねえ……」

 ダメもとで水の鞭を放つモンモランシーだが、これはそもそも効く様子すらない。
 これで一巡して、また次は私の順番っぽいが……。

「……竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)で脚を全部同時に吹き飛ばす……とかやれば、多少の時間稼ぎくらいにはなるけど、ホントに時間稼ぎにしかならないわ……」

 大技を連打して再生の暇を与えずに消滅させる、ということが出来ればいいのだが、強力な魔法の呪文詠唱よりも、ハイパー・デーモンの再生する時間の方が早い。
 破壊力だけで言うならば、竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を超える魔法もあるにはあるが、さすがにアレを使いたくはないし……。
 と、ここで私は思い出した。

「みんなっ! 大きいの行くわっ! ハイパー・デーモンから離れてっ!」

 唱え始めた呪文は、『魔血玉(デモンブラッド)』の力を借りた増幅バージョン竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!
 長い呪文が完成し……。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 ブゴォォォォォォォォォォォン!

 さきほどにも増してド派手な爆発が、夜の空気を揺るがしまくる。
 やがて爆炎がおさまり……。

「さっきより効いてる!」

 その奥から姿を現したハイパー・デーモンの姿に、私は思わず声を上げた。
 普通の竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)では、巨大な本体にクレーターを穿つ程度だった。一方、今の一撃は、一発で完全消滅とまではいかなかったが、残っている部分の方が少ないくらいに、ハイパー・デーモンの本体を抉り取って……。
 あ。
 再生した。

「うそぉっ!?」

 さすがに頭を抱える私。
 あの状況から、一瞬で復活するか!?

「……今のは……かなり凄い魔法だったようだが……あれでもダメなのか……」

「何ひとごとのようにつぶやいてるのよ、ギーシュ!? こういう時こそ何とかするのが男でしょう!?」

「そうは言うがね、モンモランシー。いくら僕でも、出来ることと出来ないことが……」

 などと私たちが困り果てている間にも、刻一刻と、ハイパー・デーモンはエギンハイムの村へと向かって進んでゆく。
 村に派遣されていた騎士たちも、そろそろこの騒動に気づいたらしく、魔法の炎やら氷やらが飛んでくるようになったが……。
 あるいは全く通用せず、あるいは傷つけてもすぐに再生・復活。
 ハイパー・デーモンは、もはやエギンハイムの間近へと迫っていた。

########################

 無数の悲鳴と混乱が、夜の村を支配していた。

「翼人の逆襲だぁぁぁっ!」

「とんでもねぇバケモノ連れて戻ってきやがったぁぁぁっ!」

 逃げ惑う村人たちは、何やら大きな勘違いをしているようだ。
 このハイパー・デーモンは当然、かつて『黒い森』に住み着いた翼人とは無関係である。そもそも今、村を襲っているのはハイパー・デーモンだけであり、近くに翼人なんていやしないのだが、いやはや思い込みというのは恐ろしいものだ。
 ……まさか、私たちを翼人と間違えている、というオチではないでしょうね……?
 何にせよ、翼人にしてみれば、とんだとばっちりである。

「でも……手の打ちようがないわね……」

 ポツリとつぶやくモンモランシー。
 私たち四人も、すでに村のすぐそこまで来ているわけだが……。
 ただ現状を見守ることしかできない、というのが実状であった。
 ここから竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)あたりをぶっ放しても、さきほどと同じ結果になるのは目に見えている。だいたい、これだけ村に近づいてしまえば、あまり大きな魔法を撃つわけにもいかない。

「……何か……絶対に何か、倒す方法があるはずなんだけど……。さっきから何かが、ずっと引っかかってるのよね……」

 つぶやく私の目前では、王政府から派遣された騎士たちが奮闘していた。
 この村に送り込まれた者だけでなく、近辺の街や村に滞在していた者も、急遽、駆けつけたのだ。村の端で、隊列をなして並び、魔法を射かけていたが……。
 その隊列が崩れた。
 黒い巨体が、すぐそこまで迫っているのだから、まあ無理もない。ハイパー・デーモンからは、まだ全く攻撃してきていないものの、そのプレッシャーから生まれる恐怖が和らぐわけはなかった。

「ひるむな! 攻撃呪文を叩き込め! 効いているはずだ!」

 逃げ腰になるメイジたちに、説得力のない激励を飛ばす、お偉いさんっぽい騎士。
 それをまにうけたのか、一人の若い騎士が、ハイパー・デーモンへ向かっていく。

「やめろ! フランダール君!」

 そばにいた老騎士が、その若者の名を叫んだ時。

 ヒュンッ。

「ぐあぅっ!?」

 何かが風を裂く音と共に、若い騎士が悲鳴を上げた。
 呪文の声すら一瞬途絶え、辺りの空気が凍りつく。
 黒く、長いかぎ爪のついた、一本の触手。
 ハイパー・デーモンの肉の塊から伸びたそれが、騎士の鎧ごと、彼の胸を貫いていた。

 ズクンッ!

 彼の体が大きく震え、その拍子に、白百合の飾られた帽子が地面に落ちた。
 顔からは血の気が引いて、みるみる頬がこけてゆく。
 肌がひからび、髪がゾロリと抜け落ちて……。
 まだ若かった騎士は、見る間にミイラのような姿に変わり果てる。
 ……そう。まるで触手に生気を吸い取られでもしたかのように。

「ひっ!?」

 さきほどのお偉いさん騎士が悲鳴を上げるが、彼の運命も同じ。
 一体いつの間に伸びてきたのか、かぎ爪のついていない別の触手が、その騎士の体を絡め取り、身動きを封じてから……。
 かぎ爪触手にズブリと貫かれ、彼もミイラと化した。

「ぎゃあぁぁっ」

「わあぁぁっ」

「もうやだぁぁぁっ」

 絶叫が……悲鳴が辺りにこだまする。
 あまりの光景に、ついに耐えきれなくなったのか、騎士たちは、我先にと逃げ出し始める。
 ……そして、私は……。

「……思い……出した……」

 目の前に展開されたその光景に、思わず声を上げていた。

「なんだ? 何を思い出したんだ、ルイズ!?」

「魔竜王(カオスドラゴン)……あのイザベラ=ガーヴの最期よ!」

 サイトに対して、叫んで答える私。
 ……そう。
 騎士が触手に貫かれる光景を見て、私の脳裏に浮かんだのは、魔竜王(カオスドラゴン)が冥王(ヘルマスター)に貫かれたシーンだった。
 まあ、魔竜王(カオスドラゴン)は死んだわけではなく、異世界へ送り込まれただけだから、『最期』という言葉は不適切かもしれないが……。
 とにかく、あの時。

「覚えてる!? 腕を斬り落とされた魔竜王(カオスドラゴン)……最後にズボッと、腕を生やし直してたでしょ!」

「ああ、トカゲの再生能力だ、とか言われてたっけ」

 おお! サイトにしては珍しく、忘れていなかったようだ。
 モンモランシーとギーシュは当然、話についていけないが、敢えて口を出そうとはせずに黙ったまま。ちょっと顔が引きつっているのは、『魔竜王(カオスドラゴン)』とか『冥王(ヘルマスター)』といった言葉を耳にしたせいかもしれない。

「そう、それよ! その再生能力って、あのハイパー・デーモンの回復プロセスと同じじゃないかしら!?」

「……うーん……まあ、似てると言っちゃあ似てるかもしれんが……」

 魔竜王(カオスドラゴン)でさえ、無理矢理その腕を復活させた直後は、大きく力を失っていた。
 ましてやハイパー・デーモンごときが、何の代償もなく、ああも瞬時に復活できるわけもあるまい。失ったエネルギーを取り戻すため、ああやって人々から生気を吸い取っているわけだ。

「もしも本当に、魔竜王(カオスドラゴン)と同じだというなら……」

 魔竜王(カオスドラゴン)を貫いたのは、たしかに冥王(ヘルマスター)だった。
 だが、魔竜王(カオスドラゴン)の腕を斬り落としたのは、冥王(ヘルマスター)ではなかった。
 ……それは、この私!

「みんな! 援護お願い!」

 私は呪文を唱えつつ、ハイパー・デーモンに向かって突っ込んでゆく!

########################

 私の動きに気づいたか、はたまた単なる何かのついでか。
 数本の触手が、私を絡め取るべく、こちらに向かって伸びてくる。
 まだ私の呪文は完成していない。
 しかし。

 ザンッ!

 サイトの斬撃が私を守った。
 一瞬だけ触手の動きが止まったその隙に、私はさらに前進する。

「ルイズ! 前に出過ぎだ!」

 サイトの言葉は、とりあえず無視。
 私を追って、触手がうねる。しかし、大雑把な動きをしているだけでは、私を捕えることは出来やしない。
 後ろからは、モンモランシーとギーシュも魔法で援護してくれている。モンモランシーの魔法では触手にダメージを与えることは出来ないが、それでも牽制として役立っていた。

「何やってるんだ、ルイズ!?」

 サイトの問いかけにも、今は答えるわけにはいかない。そんなことをすれば、せっかく唱え終わった呪文がチャラである。
 唱え終わってはいるが……発動させるには、まだ早い!
 その時が来るまで、サイトは、黙って私を守っていればよいのだ。それが、本来のガンダールヴの仕事のはず!
 そして……。

 ヒュンッ!

 うねる触手の間を縫って、何かが私に向かって動いた。
 ……来た!
 この時を待っていたのだ。私は今こそ、呪文を発動する!

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 ブゥンッ!

 虚無の力を借り受けて、私の杖に生まれた闇の刃が、それを捕えた!

 ぎぅおぉぉぉぉぉおんっ!

 空間のきしみか、はたまた怒りの声か。
 すさまじい音が風を震わせる。
 そして……。
 私が打ちつけた闇の刃は、ハイパー・デーモンから伸びた触手の一本……その先端の黒いかぎ爪とガッキリ噛み合っていた。

「ええええええええっ!?」

 私は思わず目をむいた、
 この闇の刃、かなりのレベルの魔族でさえも、スパスパ斬れる威力のはず。それをハイパー・デーモンは受け止めたのである。
 ……いや、正確に言うならば。
 たしかに私の虚無の刃は、黒いかぎ爪を抉り続けている。しかしそのそばから、爪が再生しているのだ。

「これじゃ……キリがないじゃないの!?」

 サイトは、他の触手の接近を阻むので手一杯。私の加勢には回れない。
 かといって、私が術のパワーを上げることは不可能。そもそも虚滅斬(ラグナ・ブレイド)は、破壊力は大きいものの、魔力の消費量もバカにならないのだ。
 あせりが私の心に生まれる。
 この状態がしばし続けばどうなるか……。
 ……いずれ私の闇の刃が消え、かぎ爪が……。
 不吉な結末を、私が想像した時。

「魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」

 響いたギーシュの声と同時に、視界の端に、光が生まれた。
 赤い……光の刃が。

 ギムッ!

 私の闇の刃と、横手から振り下ろされた赤い刃が、ハイパー・デーモンの黒いかぎ爪を挟み込む。
 ……両側からの圧力に、爪がもちこたえたのは一瞬だった。

 ギンッ!

 耳障りな音を立て、黒いかぎ爪がへし折れる。

 くおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!

 ハイパー・デーモンの絶叫が響いた。

「……な……!? デーモンが……!」

「崩れてゆく!?」

 サイトとモンモランシーが驚愕の声を上げた。
 ……そう……。
 竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を受けてさえ、再生していたハイパー・デーモンの巨体。それが今、私たちの目の前で、徐々に崩壊しつつあった。

########################

 力なくのたうつ触手の群れは、やがて大地に横たわり、乾いた土となって崩れ去る。
 巨体を支える脚が折れ、地響き立てて大地に落ちた衝撃で、本体も、触手や脚と全く同じ最期をとげた。
 ……あとに残るは、盛大きわまる土ぼこりと、戸惑う村人たちのざわめき……。

「……なあルイズ、結局、何がどうなったんだ?」

 サイトがそう問いかけてきたのは、ハイパー・デーモンの体が、原形も残さずに崩れ去ったあとのことであった。
 無言でこちらを眺めるモンモランシーとギーシュ、二人の表情にも、同じ疑問の色が浮かんでいる。
 ……うーむ……どこからどう説明したものか……。

「……今のハイパー・デーモン、もともとはエーコっていう黒ずくめだったのよね。それが、魔族の呪法で、変わり果てた姿になってしまった……」

 しばし考えてから、私は言った。
 この辺りは先ほどの話と重複するが、やはり頭からの方が理解しやすいはず。

「しかも単に術をかけられただけじゃなくて、その上で魔族に憑依されていた……。それも、回復やら再生やらに特化した魔族だったみたいね」

 だからこそ、あれだけの再生能力と耐摩能力を併せもっていたのだ。
 ならば、奴を倒す方法はただひとつ。
 呪法を成した魔族を倒すことのみ。

「……あの状況から考えて、あの黒い杖こそ、エーコがデーモン化した原因でしょ。それで……呪法をかけたのと、同化した魔族、それにあの黒い杖とが、全部イコールで結ばれるんじゃあないか……って思ったのよ」

「それが……『魔を生む杖』ってこと?」

 眉をひそめてつぶやくモンモランシーに、私はコックリ頷いて、

「そういうことね。……で、よく見たら、いっぱいある触手の中で、かぎ爪ついてるのは一本しかない。しかも、その一本だけが、人々を貫いている。それで、思ったのよ。あれが問題の魔族の核なんじゃあないか、って」

 かぎ爪が騎士たちを貫く光景から、魔竜王(カオスドラゴン)と冥王(ヘルマスター)を思い出したからこそ、そんな推測が浮かんだのかもしれない。
 魔竜王(カオスドラゴン)を貫いた冥王(ヘルマスター)は、もちろん魔族だった。
 なくした腕を再生させた魔竜王(カオスドラゴン)も、もちろん魔族だった。
 ならば、人々を貫いて、その生気を再生に回すかぎ爪が、魔族だとしてもおかしくはない……。

「……で……そのとおりだった、ってことか」

 まとめるように言うサイト。
 私は、ニッコリ笑って、

「うん。予想が外れてたら、とっとと逃げ出すつもりだったけど」

 冗談半分の軽口である。
 もうシリアスな時間は終わったのだ。
 だから、今度はギーシュに向かって、

「あんたも結構やるのね。……すごい威力じゃないの、あの『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』。前に見たときは、レッサー・デーモン相手だったから、よくわからなかったけど……。名前負けじゃなかったのね」

「ふっ。薔薇の赤だからね。最初は『薔薇色の剣(ローズレッド・ブレイド)』とでも呼ぶつもりだったんだが……『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』の方が格好いいだろう?」

 前髪をかきあげながら、誇らしげに語るギーシュ。
 モンモランシーも笑顔で言う。

「あなたにしては、悪くないネーミングね」

 こうして、すっかり緊張も解けた私たちであったが……。

「そうね。私も、あれほどのものとは思わなかったわ」

 声は、離れたところから聞こえた。

########################

「……!?」

 私たち四人は、同時にそちらを振り向いていた。
 かつてはハイパー・デーモンの肉体だった土くれの中に、白い手が潜り込む。
 引き抜いた時、その手には、折れた杖の握りの部分だけが握られていた。

「はいはい、ごくろうさま。ま、こいつで『ゼロ』のルイズが倒せるとは思ってなかったけど。……ギーシュさんも結構やるんで、ちょっと驚いたわよ」

 杖の柄を片手でもてあそびながら、ファーティマはニッコリと微笑んだ。
 今までの服装とは違う。
 神官服を動きやすく改造したようなデザインであるが、色は漆黒。飾りなのか、はたまた、私の知らない文字なのか、要所要所には、銀色の縫い取りが施してある。
 相変わらず、奇妙な格好なわけだが……。

「……全部……あんたのしわざね……。杖のことも、デーモン発生事件も」

「そういうこと。まさか『ゼロ』のルイズが首を突っ込んでくるとは思ってなかったけど……」

 私の問いに、むしろ彼女は、にこやかに答えた。
 まるで、これまで見せていた冷たい表情も、全て演技だったかのように。

「噂に深みを持たせるために、デーモンを発生させたのは私。もちろん、杖の噂を流したのも私。……あのヨシアって奴が、結構便利だったのよ。杖はあいつが見つけた、ってことに出来たしね」

「じゃあ……本当は……?」

「翼人事件の後、ヨシアは二度と『黒い森』には入ってないわよ。……利用できそうな人間だったから、私の方から近づいたの」

 ファーティマの姿が一瞬、ぼやけて……。
 顔も体も、まったく別の女性のものとなった。しかも、その背中には翼が生えている……!

「まさか……あなたはアイーシャ!? ヨシアの恋人だった、っていう翼人!?」

「そうか! 先住の魔法で姿を変えていたわけだね!?」

 モンモランシーとギーシュが、目から鱗が落ちたような勢いで叫ぶが……。

「騙されちゃダメよ」

 私が、バシッと言い捨てた。

「……本物のアイーシャなら、ヨシアを『利用』するわけないでしょ。こいつは……この姿でもって、ヨシアを騙してたのよ……」

「えっ? ……それは……えげつないことするのね……」

 モンモランシーがつぶやく間に。
 まるで肯定するかのように、ファーティマの姿が、神官服の少女に戻った。
 そんな彼女を見て、ギーシュが首を傾げる。

「……でも、わからないな。変化の呪文を使えるということは、亜人なのだろう? 翼人ではないとすると……エルフってことかい?」

「違うわ、ギーシュ。どうせ、これも借り物の姿。本当の姿は……」

「いいわよ、ルイズさん。自己紹介するから」

 ファーティマは、私の言葉を遮って、嫌味ったらしくペコリと礼をして、

「ルイズさんの想像しているとおり……出身は、ハルケギニアではなく精神世界。本名は……シェーラ」

 シェーラ=ファーティマは、口の端の笑みを深くして、

「……見ただけじゃわからないと思うけど……これでもれっきとした魔族よ」

「っなっ!?」

 さすがにこれには驚いたか、同時に大声を上げるギーシュとモンモランシー。

「……それで? 結局何だったわけ? あんたの目的は?」

 シェーラ=ファーティマの話から察するに、私たちを分断して、一人ずつ杖のところまで連れて来たがっていたようだ。
 夜中に宿を抜け出して、うろうろしたのも、わざと黒ずくめたちに捕まったのも、そのための小細工だったのだろう。

「あのデーモンを作ることが目的……ってわけじゃなさそうね。計画がバレちゃったんで、腹いせに、黒ずくめをデーモン化させて暴れた、ってところでしょ?」

「う……うるさいわねっ! あんたたちが森に来るのが早すぎたのよっ!」

 ムキになるところを見ると、どうやら図星のようである。
 無計画というか短気というか……。
 なんだかイメージが違うなあ。今までの耳長金髪少女のキャラは、完全に造りものだったわけね……。

「だいたい何よ、その格好。そんなエルフみたいな、目立つ格好しちゃって……。それじゃ変に注目浴びるだけじゃない。この世界に紛れ込むために人間に化けてるのに、それじゃ意味ないでしょ?」

「……し……仕方ないでしょ!? 覇王(ダイナスト)様が直々に、この姿と名前を使うよう、おっしゃったんだから!」

 ……へ? 覇王(ダイナスト)……?
 彼女の態度や話の内容よりも、その一言に驚く私。
 私の表情の変化に、シェーラ=ファーティマも気づいたらしい。彼女はニマッと笑って、

「あら、ルイズさんなら気づいてると思ったのに。……もっときちんと、こう名乗るべきだったかしら? 覇王将軍シェーラ、と……」

「覇王将軍!?」

 叫んだ私の目の前で、彼女は、手にした杖の柄を軽く振ってみせる。
 そのとたん、折れた部分からスッと刃が伸び生えて、今度は剣になった!

「もちろん、この杖は、私が生み出した魔族。同時に、私の武器でもあるの。だから、こんなふうに再生させることも、形を変えることも自由自在」

 驚かされることばかりである。
 要するに、シェーラ=ファーティマにとっての『魔を生む杖』とは、異界の魔王『闇を撒くもの(ダーク・スター)』にとっての『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』みたいなものらしい。
 まあ、あれだけのハイパー・デーモンを作り出した杖が、単なる魔族ではないことくらいわかっていたが……それにしても……。

「なんだい? 覇王とか覇王将軍とか……有名人なのかな?」

 魔族にもその伝承にも詳しくないらしく、ギーシュがのんきに首を傾げる。
 サイトですら——これまで魔竜王(カオスドラゴン)やら冥王(ヘルマスター)やら相手にしてきたおかげで——、何となく理解しているというのに。

「……この世界の魔族を統べる『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥ……。その配下の、五人の腹心のうちの一人が、『覇王(ダイナスト)』グラウシェラー……。覇王将軍っていうのは、そのグラウシェラーの直属の部下よ……」

 絞り出すような私の言葉を、サイトが補足する。

「はっきし言って、シャレにならねえ相手だぞ……。俺たち今まで、魔竜将軍とか魔竜神官とか獣神官とか見てきたが……そいつらと同格ってことだろうからな……」

 彼は、日本刀を構えたまま、額に汗すら滲ませていた。
 サイトにしては珍しく、かなり細かく覚えていたらしい。個々の名前より、位を示す単語の方が、まだ記憶に残りやすいわけか。

「あなたたち……一体どういう人生送ってきたのよ……」

 私とサイトにジト目を送るモンモランシーであったが、彼女など、完全に膝が震えている。
 無理もない。……っつうか、私も今すぐ逃走したいくらいだ。貴族は敵に後ろを見せない……なんて言っている場合ではない。
 しかし、たとえこちらが逃げ出したとしても、逃げおおせる相手ではない。
 ならば……向こうに退いてもらうのみ!

「……許せないわね……」

 私はビシッとシェーラ=ファーティマを指さし、真っ向からそう言い放った。

「へえ……。何が許せないのかしら? あなたを騙していたこと? ヨシアって男の想いを利用したこと? それとも、こんな小さな村を潰したこと?」

 自分の優位を確信しているのだろう。余裕の笑みで言う彼女。
 しかし私も動じることなく、

「違うわよ。私が許せない、って言ったのは……覇王(ダイナスト)って奴のセンスよ。人間の世界での活動に、エルフみたいな姿を使わせるのもどうかしてるけど……。それより何より! 覇王グラウシェラーの部下で名前がシェーラ! その安直なネーミング・センスが許せないわ!」

 私の言葉に、シェーラ=ファーティマの顔がまともにこわばった。

「な……! そ……そんなことないわよっ! この名は覇王(ダイナスト)様直々に御命名くださったもの! き……きっと何か、由緒正しいいわれがあるに違いないのよっ!」

 おお、動揺しとる動揺しとる。
 よし、ここはもう一押し……。

「……まさかとは思うけど。あんたの同僚……覇王神官か何かに、『グラウ』だの『グロウ』だのって名前の奴がいたりしないでしょうね?」

 ぴきっ。

 私の問いに、完全に凍りつく彼女。
 ……おい……本当にいるのか……? ひょっとして……?

「……と……とにかく! 人間には安直なネーミングに聞こえるかもしれないけど! 覇王(ダイナスト)様にはきっと、深いお考えがあるのよ!」

「さぁてどうだか。覇王(ダイナスト)本人に聞いてみれば? 案外、笑いながら『何も考えてなかった』なんて答えが返ってくるかも……」

 私の追い打ちに、シェーラ=ファーティマは悔しげにギリッと奥歯を噛み締めて、

「覚えてなさい! 今日のところはこれで退くけど、次に会うまでには必ず、覇王(ダイナスト)様のお考えをしっかり聞いてくるから!」

 捨てゼリフには聞こえぬ捨てゼリフを吐くと、彼女はフッと闇に溶け消えた。

「……なんか……退いてくれたな……?」

「そうね、サイト。精神体たる純魔族だけあって、心理的動揺には弱かったみたいね」

「そういうものなの……? 魔族って……?」

 サイトと私の会話に。
 いまだ震えながら、モンモランシーはツッコミを入れたのであった。

########################

「じゃ、元気でね」

 私とサイトの二人が、モンモランシーとギーシュの二人に別れの挨拶を告げたのは、その翌日のこと。

「結局、おたがい無駄足だったわね」

 言って苦笑を浮かべるモンモランシー。

「……あなたたちのおかげで、助かったけど……。でも、これだけは言っておくわ。もしもまた、いつかどこかで、宝を巡って争うことになっても……手加減はしないわよ?」

「わかってるわよ。……あんた、プライドだけは高そうだしね」

「ちょっと、どういう意味!?」

 私とモンモランシーが女同士でやり取りする横で。
 サイトとギーシュも、何やら男らしい別れの言葉を交わしていた。

「……ま……ともかく、お前たちも元気でな。あんまり浮気するなよ」

「浮気……? 何を言ってるんだい、サイト。男には勇気と武勲の数だけ愛があるのだよ。それに……僕にとっての一番はモンモランシーだからね、安心したまえ」

 彼の発言を聞きつけたモンモランシーが、ギーシュの耳を引っ張って、

「何が『安心したまえ』よ!? 『一番』じゃなくて『だけ』って言えないの!?」
 
「痛っ。そんなに引っ張らないでくれよ、モンモランシー」

「じゃあ、前みたいに水柱の中で溺れたい?」

「いや、それも勘弁……」

 イチャイチャだかゴチャゴチャだかしながら、二人は歩き去っていく。
 そんな二人の姿が、街道の向こうに見えなくなった頃。

「……やれやれ……けどまあ一息ついた、ってとこかな」

 死ぬほどのんきなセリフを吐くサイト。

「……はぁぁぁぁぁぁ……」

 私は深いため息ひとつつき、

「あのねぇ、サイト。あんまり何も解決してないでしょ、今回」

 確かにハイパー・デーモンは撃退し、シェーラ=ファーティマはツッコミに動揺して去っていった。
 しかし杖は手に入らなかったし、黒ずくめたちが何者なのか、それもわからずじまい。
 そして何よりも問題なのが、シェーラ=ファーティマの計画が何だったのか、その詳細が不明なままということ。
 知能程度と性格はともかく、かりにもシェーラ=ファーティマは覇王将軍。そんな奴が実動部隊として動いている以上、よほど大きな話に違いない……。

「ほほぅう」

 私の説明を聞いて、なんとも頼りない返事の声を上げるサイト。
 まったく……こいつは……。
 まだわかってないんでしょうね。
 一体、何が起ころうとしているのか。
 もちろん私にも、具体的なところはわからない。
 なにしろ手がかりが少なすぎるのだ。
 しかし……。
 もしも、冥王(ヘルマスター)という大きな力を失った魔族が、巻き返しを計ろうとしているのであれば……。

「へたをすれば……戦争ね。それも……エルフとの『聖戦』どころじゃない、魔族と人との全面戦争……」

 サイトには聞こえないくらいの小声で。
 晴れ渡った空を眺めながら、私は、そうつぶやいていた。





 第九部「エギンハイムの妖杖」完

(第十部「アンブランの謀略」へつづく)

########################

 このSSの第二部(「スレイヤーズ」原作第二巻相当)では、物語の都合上、屍肉呪法を出していませんでした。そのためハイパー・デーモンの倒し方に気づくキッカケが、魔竜王女の一件となっています。

(2011年9月6日 投稿)
   



[26854] 番外編短編10「踊る魔法人形」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/09/09 22:54
   
 某月某日。

「やめたまえ!」

 竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を唱えようとしたら、必死の形相で止められました。
 私の前に両手を広げて立ちふさがった金髪のおっちゃんは、それでも優雅にパイプをくわえたまま、

「私の推理が正しければ……。ルイズ君! 今、君が唱え始めた呪文、かなり強力なものと見た! さては高出力の術で、遺跡を丸ごと吹っ飛ばすつもりだったな!?」

「まあ……そうですけど」

 唱えかけていた呪文を中断し、私は素直に頷いた。
 とぼけようかとも思ったが、相手の推理力とやらに敬意を表して、である。
 目の前のおっちゃん——『鷲鼻』のシャイロック——は、鷲鼻と角張った顎が目立つメイジ。口には、いつもパイプをくわえている。
 外見的な特徴を二つ名にするくらいだから、メイジとしての腕前は、たいしたことないのかもしれない。そもそも実戦向けではなく、学者肌のメイジであり、海沿いの街にある研究施設で働いているのだという。

「けど依頼の目的を考えると、これが一番確実かつ合理的なはずよ」

 私は真顔でシャイロックさんを見つめ、自信を持ってそう言った。
 ……いつのまにかまたキュルケいなくなったなあ、などと思いながら、ガリアの沿岸の街や村を旅していた私。そんな私に、とある村で彼が依頼してきたのは、遺跡に出現したガーゴイル(魔法人形)の駆除であった。
 しばらく前。
 街から離れた山中で、土砂崩れをきっかけに未踏の遺跡が発見されて、王政府の命令で調査隊が派遣された。そのリーダーが、このシャイロックさん。
 ところが遺跡調査中、仕掛けられていた罠が作動し、侵入者撃退用と思われるガーゴイルたちが遺跡の中に解き放たれてしまったのだとか。
 調査隊が逃げ出した後、一応入り口を封じたらしいが、ガーゴイルたちが徘徊する状態では内部調査も出来ないし、万一そいつらが外に出て、侵入者と誤解して普通の人を襲いでもしたら大問題。
 そうなる前に駆除を、というのが依頼の内容だった。

「未調査の遺跡を吹っ飛ばすのは惜しい、って気持ちは、まあわかるけど……」

「それ以上の理論武装は必要ないぞ、ルイズ君。私の推理が正しければ……。君は、遺跡ごと攻撃呪文で吹っ飛ばし、手っ取り早く依頼終了ということにしたいわけだろう?」

「……うっ……」

 言葉に詰まる私。
 さすがに遺跡調査隊のリーダーに選ばれるだけあってか、結構この人、頭の方は回るみたいなのよね……。
 そこまで見抜かれてしまえば仕方がない。
 私は黙って、遺跡に向かって歩みを進めるのだった。

########################

 崩れた崖のその奥から、ブ厚い石の壁が覗いていた。
 壁の一部は取り除かれて、奥には通路が左右に続いている。
 穴の前、むき出しになった地面には、大小さまざまな石が転がっていて……。

「……ば……バカな!?」

 その光景を目の当たりにして、シャイロックさんは驚愕の声を上げた。

「どうしたの?」

 尋ねる私に、彼はワナワナ身を震わせつつ、

「入り口は塞いだはずなんだ!」

「……そういえば……」

 確かそんな話だったような。
 シャイロックさんは、ポッカリ開いた入り口を見やったそのままで、

「作業用ゴーレムを作って岩を運ばせ、この入り口の前に積み上げて、ちゃんと塞いだのを、私は確かにこの目で見ている! なのになぜ、その岩が崩されている!?」

 ……なるほど。とすると、あたりに散らばる岩が、入り口を塞いでいたのか。
 岩には大小があるものの、ちょっとした震動で自然に動いてしまうサイズでないことだけは確かである。

「それに! 岩で塞いだのは万が一の用心であり、それとは別に、遺跡自体のシステムでも閉ざされていたはず! ……見ろ!」

 言ってシャイロックさんが指さしたのは、入り口の横に掘られた彫刻。
 中にいるガーゴイルのつもりか、人型の物体が数体、踊っているような絵が刻まれている。

「この『踊るガーゴイル(魔法人形)』が、扉を開け閉めするための暗号になっていてな。正しい順序で押していかないと、扉は開かん!」

 彼が人形の絵の上に、指を滑らせていくと……。

 ゴオォォォォォッ……。

 重たい音と共に、扉が動き始めた。

「……閉めてどうすんのよ!?」

「大丈夫だ」

 また別の順序で、人形の絵に触れるシャイロックさん。
 今度は逆に、開く方向に扉が動く。

「……ということは……事情を知っている誰かが、岩をどけて扉も開けて、遺跡に入っていった……?」

「そのようだな」

 私の言葉を、シャイロックさんが肯定する。
 いつのまにか、彼は入り口そばに歩み寄っていた。
 調査用の七つ道具であろうか、手のひらサイズの虫眼鏡(ルーペ)を懐から取り出して、辺りの地面を調べている。

「……ここに足跡がある」

 彼の言葉に、私も駆け寄り、地面に目を向ける。
 そこには、サイズの違う足跡がいくつか。しかも、つま先の向いた方向は、ポッカリ開いた穴の方。

「前に調査した時の足跡ではないのね?」

「違うな」

 私の疑問に、彼は首を横に振りながら、足跡の一つを指さした。

「これを見ろ。入り口の岩をどかした上に、足跡がついているだろう。しかし……」

 シャイロックさんは、しばし苦い表情で沈黙すると、くわえていたパイプを手に取り、

「ただの遺跡泥棒……ではないな。入り口の『踊るガーゴイル』の仕掛けを解き明かしたくらいだ、それなりの連中であろう……」

 足跡の種類はいくつもあるので、侵入者は複数。反対向きの足跡はないので、彼らは中に入ったまま、出てきていないということ。
 中でガーゴイルにやられたのか、あるいは、まだ現在おたからを物色中なのか……。

「ともあれ、放っておけば、中で遭難されるか、あるいは宝を持ち出されるか、ってことになるわけだけど……」

「そうはさせん。行こう!」

 シャイロックさんは迷わず言うと、小さな杖を取り出し、その先に魔法の明かりを灯す。
 どうやら彼も、一緒に中へ入るつもりらしい。
 ……うーん。いざという時には一人の方が動きやすいのだが……。
 まあ、案内役だと思えば、仕方ないか。
 かくて。
 私とシャイロックさんの二人は、遺跡の中へと踏み込むことになったのであった。

########################

 光は闇を押しのけて、かわいた石壁を照らし出す。
 壁のところどころにある出っぱりは、灯火のためのものだろう。上の辺りが煤で黒く汚れていた。
 通路はさして広くない。いざ戦闘となっても、武器を振り回すには狭すぎるくらい。二人で並んで歩くにも狭いので、シャイロックさんは私の後ろを歩いている。

「気をつけろ! ガーゴイルたちがいつ出てくるか、わからないからな! ……あ、そこの分かれ道は、右へ」

 パイプをくわえたまま、後ろから指示を出すシャイロックさん。

「了解。で、どんな奴らなの? そのガーゴイルたちって」

「そうだな……。外見は、まるで亜人だな。トカゲと人の、合いの子のような……。シッポと首が長く、頭の高さは、この通路の天井に近い」

 言われて私は天井を見やる。飾り彫りが施されており、高さは大人の男が手を伸ばせば届くくらいか。
 この天井に近い背の高さとなると、近くで見ればかなり威圧感もあるだろう。

「でも、しょせんガーゴイル……魔法人形なんでしょ? 見かけ倒しじゃないの」

「そうでもないぞ。数が多かったからな……。見かけてすぐに全員で逃げたから、正確な数はわからんし、どれだけ手ごわいかもわからん。ただ少なくとも、調査員の全員がなんとか逃げ切ったことから考えると、足は速くないようだ」

「ふーん。そう……」

 話しつつ、もちろん辺りに注意しているが、今のところ気配はない。

「じゃあ、遺跡の構造は? もちろん、わかってる範囲でってことで」

「反対側に進むと、突き当たりに、どうしても入れない部屋があってな。調査に入った時は、そちらはとりあえず後回しにして、こっちを調べたんだ。だから、まずは勝手のわかっているこっちに進んでいる。もう少し行くと……」

 シャイロックさんは、トーンを落とし、やや不安げな声で、

「……大きな部屋に出る。そこからが遺跡の本体だ。いくつもの分かれ道と、いくつもの罠が待っている。ガーゴイルたちを解き放つことになったのも、そんな罠の一つだ。あれは……恐ろしい罠だった……」

「……どんな罠?」

 私は尋ねる。
 こういう場所での罠といえば、特定の床板を踏んだり、ダミーのお宝を触ったりすると発動する、というのが定番だが……。

「その部屋からさらに進むと、祭壇があってな。いかにも怪しげなボタンがついていて、大きな文字で『押すな』と……」

「それに引っかかったの!?」

「違う! あまりにもパターンどおりの見え見えの罠だったので、推理力を働かせる間もなく、条件反射で『そんなベタな罠にかかるかぁぁぁっ!』とボタンに裏手ツッコミを……」

「それを引っかかったって言うのよ!」

 ガーゴイルを解放したのは、シャイロックさんだったわけだ。
 調査隊のリーダーである彼が、部下の隊員も連れず、私を雇って現場に戻ったのは、罠を作動させた責任を感じてのことだったのね。
 いずれにしろ、今さらシャイロックさんを責めたところで仕方ない。
 ……などと考えながら進むうち。
 二人は同時に立ち止まる。
 通路の先に見えたのは、不気味に黒光りする鉄のドア。

「こちらにも鍵はかかっていたが、開けるのにそう苦労しなかった。が……」

 口ごもるシャイロックさんのあとを、私は続けた。

「たしかに……半開きっていうのは気になるわね」

 横にスライドするタイプのドアは中途半端に開いており、その隙間からは光が漏れている。
 足音を殺して近づいて、開いた隙間から様子をうかがい……。

「……なるほど……」

 つぶやくと私はドアを開け、その先へと踏み込んだ。
 やはり石造りの、大きな円形の部屋。
 おそらく先客が灯したものだろう。天井近くで、魔力の明かりが辺りをしらじらと照らしている。
 部屋の左右と正面には、入ってきたところと同じ鉄のドア。
 中に人の姿はなく、代わりに……。

「こいつが問題のガーゴイルね」

 私はそれを見て言った。
 部屋の真ん中よりやや右寄りに、立ったまま氷づけになっているそいつ。
 英雄譚の本に出てくる、リザードマンのような姿。翼のない小さな竜に見えないこともないが、前足というか腕は不釣り合いに小さい。

「先客が、はち合わせしたガーゴイルを魔法で氷づけにして奥に進んだ、ってことなんだろうけど……。シャイロックさん、ここから先はくれぐれも気をつけてね」

「……遺跡泥棒のことだな?」

「そういうこと」

 ちゃんと彼も気づいているらしい。なんだかんだ言って、一応、頭は回る人なのだ。
 ……かけられた魔力の明かりも消えておらず、ガーゴイルが一体氷づけ。
 つまり、遺跡泥棒の中にメイジがいるのだ。私たちに出会ったとたん、攻撃魔法をぶっ放してくる可能性も高い。

「で、調査隊が進んだのって、どのルート?」

「正面だ。そこを進めば、いくつか通路と部屋があった後、ガーゴイルたちを解放する罠のあった祭壇がある」

「じゃあ、とりあえずそっちは避けて……左の方からでも調べてみましょ」

 言ってそちらに歩き出す。シャイロックさんも異論はないのか、私のあとについて来る。
 そこにあるのは、さきほどとは違った鉄のドア。外見だけは同じ……と思ったが、よく見れば少し違う。これには、ドアノブらしきものがないのだ。

「鍵はかかってないぞ」

 後ろから、シャイロックさんの声。
 なるほど、ドアの端っこを無造作に押せば、それだけで反対側の端を軸に、あっさり奥へと開いた。

「……おそらく、こういうドアじゃないと、ガーゴイルたちが通り抜けられないんだ」

 補足説明を聞いて、私は、あらためて肩越しに、氷づけガーゴイルを振り返る。
 手のツメは大きく鋭いが、この手でノブや取っ手を掴むのは難しそう。

「……うまく出来てるのね」

 つぶやきながら、私は新しい通路へ歩み入る。
 バネでも仕掛けてあるのだろうか、後ろでドアが勝手に閉まろうとするが、その前にシャイロックさんも私に続いた。
 さっきの通路と似たようなつくりで、人もガーゴイルも見当たらない。
 明かりを掲げて歩み行くうち、やがて同じようなドア。注意を払いつつ押し開け、くぐれば、やはり円形の部屋。
 ただし今度は、ドアは左に一つのみ。

「左に行くしかないわよね?」

「そうだな」

 一応確認してから、ドアを押し開き、また新しい通路へ。
 同じような通路の先に、同じような部屋。今度の部屋は、ドアは左右に一つずつ。さらに……。
 中央に円柱状の台があり、その上には、首を傾けたエルフの小さな石像。どこからどう見ても罠くさい。

「……シャイロックさん、くれぐれも罠には注意するように」

「わかっている。ルイズ君こそ、気をつけたまえ」

 私はあんたとは違う……という言葉は心の内に留め、台座に歩み寄り、見れば……。
 台座の上、像のやや手前にボタンがあって、そばには大きな文字で、

『押すか?』

「疑問形かいっ!?」

 ツッコミと同時に、私はエルフ像の頭を一発叩く。
 その途端。
 ゴンッとわずかに、エルフ像が台座に沈み、また上がり。

 ゴ……ゴゴゴゴゴッ!

 地響き立てて、部屋全体が揺れ始めた!

「……え……? ひょっとして、これエルフ像の方が何かのスイッチ!?」

「ほら! 君だって引っかかった!」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 部屋が崩れるわ! とにかく脱出!」

 叫び返し、きびすを返し、もと来たドアの方へ私は駆け寄る。  
 シャイロックさんの方が先に辿り着き、ドアを手で押し……。

 ガギンッ!

 弾き返された!?

「開かないっ!」

 焦りの声を聞きつつも、私もそばに到着し……。
 揺れが。
 止まった。

「……」

 一瞬立ちつくす、私とシャイロックさん。
 結局、部屋は崩れたりしなかったが……。
 なんという恐ろしい罠か。
 あからさまなボタンへのツッコミを避けて像の方へと入れれば、そちらの方が何かのスイッチになっているという、まさに悪魔のごとき知略!
 この遺跡を設計した人間は、ツッコミ体質の人間というものを熟知した上で、数々の罠を設置しているのだ!
 今の仕掛けが発動したことにより、いったい何がどうなったのかは不明だが……。

「とにかく、こんな部屋に長居は無用よ」

 言って私はドアを押す。開かなくてもともとのつもりだったが、意外やアッサリ奥へと開き……。
 そこには通路とガーゴイル。

「んのにゃぁぁぁぁぁっ!?」

「イル・アース・デル」

 わけのわからん叫びをシャイロックさんが上げている間に、冷静に呪文を唱えた私。
 爆発魔法で、ガーゴイルが吹っ飛んだ。

「い……今のは『錬金』の呪文では……?」

「私が唱えれば、こうなるのよ。……って、そんなことはいいから、今のうちに!」

 私とシャイロックさんは、通路に飛び込み駆け抜けて、ドアをくぐって前の部屋へと。
 しかし。

「……あれ……?」

 私は呻いて立ち止まる。
 シャイロックさんも、私と同様。

「私の推理が正しければ……ここにはドアは二つだけのはずだが……」

 あいかわらずパイプをくわえながら……いや、かじるような音まで立てつつ、首をかしげるシャイロックさん。

「それは推理じゃないでしょ。それを言うなら『私の記憶が正しければ』よ」

 律儀にツッコミを入れてから、あらためて部屋を見回す私。
 彼の言うとおり、像がある部屋の前に通り過ぎた丸い部屋には、ドアは二つしかなかった。この向きならば、右側に一つ見えるだけのはずなのに……。
 今この部屋には、私たちが入ってきたドアの他に二つ、左右にそれぞれあるのだ。

「まさか……さっきのスイッチでドアが増えた、なんてことないわよね?」

 一瞬、『錬金』魔法と連動したスイッチ……という可能性も考えたが。

「いや、違うだろう。私の推理が正しければ……部屋が回ったんだろうな」

「なるほど……部屋を回して、自分の位置を混乱させる、ってことね」

 シャイロックさんの言葉に頷く私。
 同じような通路に、同じような部屋。侵入者を迷わせるような構造になっているのだから、なんで部屋がまるいのか、それを考えれば当然の推理である。
 さきほどの揺れも、部屋が崩れる危険を考えて焦ったのだが、思い返してみれば、部屋が回っているような感じだったかもしれない。

「とりあえず戻って、確かめてみるか」

 彼の提案に私は頷き、二人はきびすを返すのだった。

########################

「……元の道には通じてないようだな……」

「そうみたいね」

 憮然とつぶやくシャイロックさんに、私も眉をしかめて同意した。
 部屋が回っていると悟った私たちは、いったんエルフ像の部屋へと戻り、そこから帰り道を探し始めた。
 最初に入った部屋から像の間までは、途中、ドアが二つの部屋を通っただけ。像の間の左右のドアの片方が、その部屋への通路に繋がっていれば話は簡単だったのだが……。
 左を行けば、ドアが三つの部屋。
 右へ行った先にある部屋は、たしかにドアは二つ。だが、そこのドアは開かなくなっており、試しに爆発魔法でぶち破ってみれば……。
 その向こうは石の壁になっていたのだ。

「単純に部屋が一つ回っただけではないのかもしれんな。一つのスイッチに連動して、複数の部屋が同時に動き出す……」

 シャイロックさんが、新たな推理を口にした時。

 ゴ……ゴゴゴゴゴッ!

 突如襲った地響きと揺れは、さきほどと同じもの。
 また部屋が回っているのだ。そうと意識してみれば、部屋が左回りに動いているのがハッキリわかる。

「グッドタイミングね」

「ああ。私の推理が正しいという裏付けだ」

 そう。
 この部屋には、別に何の罠もスイッチもない。
 にも関わらず、動いたということは……。

「たぶん……遺跡泥棒たちが、部屋を動かす仕掛けに触っちゃったのね……。部屋を回す仕掛けの他に、ガーゴイルを解放するのやら、別の罠やらもあるだろうし……」

 つまり。
 この遺跡をちゃんと歩くには、部屋を回す仕掛けと、それ以外のものとを見分けて、回す仕掛けだけを上手く利用して歩くしかないのだ。

「……めんどうな話ね……」

 げっそりと私が吐き捨てる間に……。
 揺れがおさまり、部屋の動きが止まった。
 ぶち破ったドアの先、壁だったところに、今は通路が出現していた。

「これは……法則がわかっても、地図を描くのは苦労しそうだな……」

「でも、ぼやいていても仕方ないわ。とりあえず……ここ進んでみる?」

 私が少し投げやりに、目の前に開いた通路を指さすと……。
 光が現れた。
 ただ真っすぐに延びた通路。
 その先のドアが開け放たれて、立っていたのは、いくつかの人影。
 ……遺跡泥棒だ!
 後ろの連中はよく見えないが、先頭の一人は、ローブにマントのメイジ姿。ローブの上からでもわかるくらい、痩せた長身の男である。
 片手に掲げた杖の先、灯した魔力の明かりが、男の顔を照らし出す。白く突き出た額を持ち、深く窪んだ眼をした、青白い顔を……。
 そのメイジの顔を見て、シャイロックさんが驚きの声を上げた。

「……モーリア!? モーリアなのか!?」

 どうやら知った顔らしい。
 しかし。
 返事の代わりに戻ってきたのは……無数の氷の矢!

「危ない!」

 とっさにシャイロックさんを横に蹴り飛ばし、反動で私も反対側へ跳ぶ。
 そのあとを行き過ぎる冷気の大群は、部屋を横切り、向かいの壁に当たって氷を張りつかせた。
 一撃をやり過ごした直後、通路を覗けば、すでに相手の姿はない。いくつもの足音が遠ざかってゆくのみ。
 追いかけようかとも思ったが、とりあえず……。

「知り合い?」

 よろよろと身を起こすシャイロックさんに目をやり、私は問いかける。

「……ああ……。先頭にいたメイジ……あれは私の同僚だ。モーリアの二つ名は『教授』、頭も回るし、なかなか優秀な男なのだが……色々と悪い噂があったため、調査隊のメンバーには選ばれなかった。それが……こんなところで遺跡泥棒をやっていたとは……」

 シャイロックさんは動揺しているようだが、同時に、なにか納得したかのような表情も見せていた。
 彼もわかっているのだろう。
 最近見つかり、調査が中断している遺跡に、タイミングよく入ってきた遺跡泥棒。しかも、入り口にはそれなりの仕掛けもあったのだ。シャイロックさんの同僚がその一員だとすれば、色々と辻褄も合う。

「……なんとしても、奴を止めねばならん。協力してくれるな、ルイズ君?」

「いいわ。どうせガーゴイルをどうにかしなきゃならないわけだし、それに遺跡泥棒がプラスされたからって、たいした負担にもならないし」

「すまない! なら早速、奴らを追うぞ!」

 私たちは、彼らが消えた通路へと駆け出した。

########################

「私たちは……『教授』のモーリアを追っているんだよな……?」

「うん。そのつもりだけど……」

 いくつのドアをくぐったか。
 いくつの部屋を通り過ぎたか。
 もう自分でもわからない。
 最初はモーリアたちの足音を頼りに進んでいたが、それも途中から聞こえなくなり、仕方なく私たちは、デタラメに進んでいた。
 遺跡の中をうろついている……と言えば少しはマシかもしれないが、要するに、迷っているのである。

「まあ、いいじゃないの。途中で出会ったガーゴイルたちは、ちゃんとやっつけているわけだし」

「うむ。それが最初の目的だった……と言われてしまえば、それまでだが……」

 一応数えているのだが、これまで倒したガーゴイルは、全部で五匹。
 しかしこれだけ進んでも、いまだ遺跡泥棒たちとは再会せず、遺跡の果てが見える様子もない。

「まあ、この遺跡だって無限に広がってるわけじゃないんでしょ? 確実に連中を追いつめてるはずよ」

 半ば自分に言い聞かせるように、慰めの言葉を口に出す私。
 これだけ同じ状況が続くと、さすがに私もウンザリであった。
 一つ一つの部屋も決して大きくないし、通路も一本一本はまっすぐ。せめてガーゴイルたちがもっと強ければ、緊張感も生まれるかもしれないが、私にとっては楽勝な相手。
 むしろガーゴイルたちより恐いのが……。
 途中の部屋に設置された罠の数々! 彫像などが置いてあり、ボタンのそばには……。

『包括的に鑑みて押すことが必ずしも良好な結果を招くものとの判断には至りませんでした』

『これは幸せのボタンです。押したジョゼさんは商売にも成功、異性にもモテモテ! 今ならこの幸せのボタンが、なんと三つセットで、たった四エキュー!』

『押したければ押せ。だがそんなことで、この俺は止まらない! 俺は出ていくぞ! こんなガーゴイルだらけの部屋、これ以上いられるか!』

 さまざまなツッコミ待ちコメントのオンパレード。
 むろん私もシャイロックさんも、もはやそんなものに、いちいち引っかかったりするはずもなく。
 ツッコミを入れたいところを、奥歯をギリリと噛み締めてこらえてみたり、シャイロックさんに至っては、愛用のパイプを噛み砕いてまで耐えてみたり。
 まあ、そんなこんなで、頑張ってきた甲斐もあって。
 やがて……。

「……あれは!?」

「しっ!」

 声を上げかけたシャイロックさんを制止する私。
 声が聞こえてきたのだ。
 それも、複数の人間が言い争うような声が。

「……隠れましょう……」

 私は小声で、指示を出す。
 今いる部屋は、さして他のところと変わらぬ円形の部屋。
 真ん中には、大きく口を開いた吸血鬼の像。部屋の四方には、四つのドア。
 私たちが入ってきたドアを背にして向かって右、声がしたのはその先から。
 シャイロックさんと二人で像の陰に隠れていると、声はだんだん近づいてきて……。

「だから俺は、遺跡潜りなんて辛気くさいマネは嫌いだと……」

 声と共にドアが開いた瞬間。
 陰から放った私の爆発魔法が、踏み込んだ男を襲う!

「ちいっ!」

 男は通路に身を引き、ドアを引いて盾とした。
 身をかわせば後ろの仲間に当たると読んだのだろう。悪くない判断である。
 しかし。

 ドグォォォンッ!

 派手な音と共に、そして盾としたドアと共に、男は吹っ飛んだ。
 ふっ。私の魔法の威力を読み誤ったのが、彼の敗因である。
 爆煙が晴れた、その先には……。

「大漁ね!」

「いや、ルイズ君。そういう話ではないと思うのだが……」

 さきほどの男だけではなく、全部で三人、倒れている。
 ただし。
 その先を走り去る、一組の男女の後ろ姿! 問題のモーリアと、その助手っぽい女!

「追うわよ!」

「あ……ああ!」

 倒れた男たちは、その場に放置して。
 私とシャイロックさんは、再び走り出した。

########################

「どうすんですか!? 向こうの助っ人、やたらと強力な魔法使ってくるし! おかげで『虎刈り』ゴランまでやられちゃって! 話が違いすぎますよ!」

「落ち着け。慌てたところでどうにもならん。あと、ゴランの二つ名は『虎刈り』じゃなくて『虎狩り』だぞ」

 ヒステリックな女の声を、男の声がたしなめる。
 とはいえ、その男の声にも、余裕の色はなかったりするのだが。

「……ともあれ。この部屋の仕掛けも、作動させておこう。そうすれば、少しは時間が稼げ……」

「そうはさせないわよ!」

 ドガン!

 ドアを蹴り開け、杖を振り下ろす私。
 魔法が女に直撃し、残るは男一人……つまり『教授』モーリアだけとなった。

「おまえたち!? もう追いついたのか!?」

 モーリアたちが作戦会議をしていたのは、やはり似たようなつくりの部屋。四方にドア、部屋の中央に台座があって、その上にはドラゴンの像とスイッチが。

「モーリア! もう観念したまえ!」

 半ば私の背後に隠れるようにしながら、言葉だけは威勢のいいシャイロックさん。

「おまえの悪行は、全て明白である。私の推理が正しければ……。モーリア、おまえは、研究施設における地位の低さに嫌気がさして……」

「ちょっと!? そういう話は後回しよ!」

 そう。
 シャイロックさんが何やら、事件の背景を語り始めた隙に。
 当のモーリアは、仕掛けのスイッチを思いっきり叩き押していた!
 しかし。

「……あれ……?」

 今度は部屋が動く気配もなく、ガーゴイルが出てくる様子もない。
 代わりに、ただ正面の扉だけが、少しずつ開いて……。

「おおっ!?」

 一斉に声をあげる私たち。
 ドアの先に、通路はなかった。
 隣の部屋と直結していたのだ。
 それも、今までとは明らかに違う部屋と。
 ……いや、部屋というより、ホールと呼んだ方がいいかもしれない。
 がらんとした、四角くて広い空間。
 その奥にあるのは……。
 大きな人の顔が浮き彫りにされた、やたらと大きな石の扉。

「あの先が……遺跡の中心部?」

「……そうだろうな……」 

 私とシャイロックさんの言葉を聞いて……。

「……提案がある」

 今までとは違う、落ち着いた口調で言うモーリア。

「決着は、この奥を見た後にしてくれないか。こういう事態になったとはいえ、俺もお前も、共に知識を求めるメイジ。先を見ぬまま倒れては、心残りというものだろう」

 何を今さら。
 私はそう思ったのだが、シャイロックさんは一言。

「わかった」

 ……甘いなあ。
 だが私も、とりあえず無言で頷いておく。
 それを見て、ゆっくりモーリアは歩み始めた。
 巨大な石のドアに向かって。
 私とシャイロックさんも、彼に続く。
 イザとなれば後ろからでも撃つつもりで、私は杖を構えたまま。一方、シャイロックさんとモーリアは、罠の有無でも確かめているのか、二人で表面の彫刻を調べていた。

「……鍵は……かかっていない……」

「こんな……いかにもな感じのドアなのに……?」

 顔を見合わせてから、二人は同時に、ドアにかけた手に力をこめる。

 ゴ……ゴゴゴゴゴ……。

 ドアは重い音を立てつつも、意外とアッサリ奥へと開き、まばゆい光が差し込んで……。

「……!?」

 その先に広がった光景に、私たちは思わず息を呑んでいた。

########################

 鳥が鳴いている。
 白い雲に青い空。おひさまの光が大地を照らし。
 だだっ広いむき出しの地面を、石造りの席がグルリと取り巻いて。
 その席の一つで、ひなたぼっこしているメイジが一人……。

「あら? ルイズじゃないの!」

 それは、少し前から姿を消していた私の旅の連れ、キュルケであった。

「……キュルケ……!? あんたこそ、一体ここで何を……」

「仕事よ、仕事。いっつもいっつもルイズにたかってばっかり、っていうのも嫌だからね。ここでちょっとした小遣い稼ぎをしてたのよ」

 脚を組み、あくびをしながら言うキュルケ。
 ずいぶんノンビリとした態度であり、私たち三人とは、まるで空気が違う。

「仕事……?」

「そ。闘技場(コロシアム)の番をしてるの」

 私の問いかけにキュルケは答えるが、それを聞いて目を点にしたのはシャイロックさん。

「コ……コロシアムだと!?」

「ええ、そうよ。ここは、この辺り一帯を治める、領主の伯爵が造らせたコロシアムなんだって。お披露目はもう少し先だけどね」

「……でも……地下……」

 自分たちが出てきた後ろを肩越しに指さして、ゴニョゴニョつぶやくモーリア。

「それも一緒に造らせたものらしいわ。この広場をコロシアムみたいに使うこともできるし、そこの遺跡ふうの迷路を使って、色々な競技も出来るように、って」

「遺跡ふう……」

 つぶやくシャイロックさんの顔は、いまや完全に引きつっていて。
 遺跡ふう、ということは、つまりは本物の遺跡じゃないということで。
 そんなこっちの動揺を知ってか知らずか、キュルケは説明を続ける。

「なんでも、中の様子を観客席から見ることも出来るようにしてあるらしいわ。仕掛けもタップリ用意して、カタキ役の魔法人形まで配置してるんですって。……そうやって準備してるところに、間違って誰か入り込んだりしないように、ってことで、私が雇われて、ここで見張ってたんだけど……」

 話の途中で、顔をしかめるキュルケ。

「……あなたたち、遺跡ふう迷路から出てきたってことは……どっかから中に入っちゃったのね?」

 頷く力すら失ったかのように。
 シャイロックさんとモーリアは、無言で顔を見合わせていた。

「……なるほど……そういうことだったのね……」

 私もようやく事態を理解した。
 土に埋もれ、長い間未発見だった遺跡で、大がかりな仕掛けが問題なく作動し、昔々に魔力をこめられたガーゴイル(魔法人形)が今でも稼働している……。
 普通ならありえない話である。しかし、それだけ高度な建築技術や魔法技術が使われている証拠……とも考えていたのだが。

「……ああ……」

 私は疲れた苦笑いを浮かべ、

「……ここの迷宮、山の中を結構遠くまで掘り進んでるでしょ? ちょっとした崖崩れがあって、迷宮の一部が顔を出して……。どうやら私たち、それを本物の遺跡だと思い込んじゃってたらしいわね」

 いにしえの遺跡の番人にしては、ガーゴイルたちが弱いと思っていたのだが……。競技用に用意されたものだというなら、まあ、あんなもんだろう。

「じゃあ……宝とかは!?」

 モーリアの上げた声に、キュルケは呆れたように、

「あるわけないじゃない、そんなもの。そりゃ、お披露目が終わって競技が始まれば、商品くらい置かれるかもしれないけど……。それを置くのは、最後の最後でしょうね。盗まれても困るし。それより……あなたたち、中を荒したりしてないわよね!? おかしなことされたら、私の仕事が失敗したことになっちゃうのよ!?」

 途中から、キュルケの言葉は詰問口調となっている。
 だがモーリアは、最後まで聞かずに頭を抱え込んでいた。

「……えぇぇぇええぇぇ……」

 何やら呻きながら、ガックリその場に膝をついている。
 その一方で。

「……ルイズ君……」

 シャイロックさんは、多少の動揺は見せながらも、私のそばにやって来て、

「私の推理が正しければ……。私たちは、ちょっと困った立場になっているぞ。たぶん、その領主の伯爵というのが……私の勤める研究施設のスポンサーだ。さて……私はどうするべきか……?」

 むろんのこと、答えは決まっている。

「ねえ、ルイズ!? 私の質問にも答えてよ!? 中で変なこと、してないでしょうね!?」

 しつこいキュルケは無視して。
 青い空を見上げつつ、私はシャイロックさんに答えを返した。

「私は依頼料さえちゃんともらえれば、どうでもいいです」

「……えぇぇぇええぇぇ……」

 シャイロックさんもまた、モーリアと似たような声を上げたのであった。

########################

 事件は終わった。
 ……いや、まあ、あくまでも私にとっては、ですけど。
 モーリアの仲間たちの救出とか、そいつらの処分とか、迷宮を壊しちゃったりガーゴイルを倒しちゃったりしたぶんの補償問題とか、スポンサーを怒らせてしまったらしいシャイロックさんの今後とか。
 難しい問題は山ほどあったのだが。
 面倒なことになるのはヤなので、私は依頼料だけ無理矢理ぶんどって、とっとと立ち去りました。
 おそらく今、この同じ空の下。
 シャイロックさんはきっと、色々大変なことになってるんだろうな、などと思いつつ。
 ちょっぴり不機嫌なキュルケと二人、私は旅を続けるのであった。





(「踊る魔法人形」完)

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 今まで番外編のエピソードは、比較的初期のものを元ネタにしていましたが、今回はすぺしゃる三十巻の「踊る迷宮」を。そして『踊る』と言えば『人形』という言葉が頭に浮かんだため、このような物語となりました。元ネタのエピソードでは『旅の連れ』は出てきませんが、せっかくなので、こういう形で登場。

(2011年9月9日 投稿)
   



[26854] 第十部「アンブランの謀略」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/09/12 23:49
   
 静寂が……。
 朽ち果てた屋敷によどむ闇を満たした。
 私とサイトの二人は、息さえひそめて気配を探る。
 沈黙の中に時がうつろう。
 そして……。
 気配が生まれたのは、長いような、短いような時が流れたその後だった。
 ……サイト!
 私が声をかけるより早く。
 左手のルーンを光らせて、サイトは、壁から生まれ出た気配の方を振り向いていた。

「はあっ!」

 裂帛の気合いと共に、刃が閃く。
 一撃は、風を切る音と同時に、壁から生まれ出たものを薙いでいた。
 悲鳴すら上げる間もなく……。
 一匹の下級魔族が、この世から消滅した。

########################

「……だからぁ……あんな弱っちい魔族一匹へち倒したくらいで満足してどうすんのよ」

 ひと仕事を軽く片づけたその後。
 とある小さな街のメシ屋で、夕食のテーブルを囲みつつ、私はポツリとそう言った。

「けどよ、あんなんでも、一応は魔族なんだろ? それをアッサリ斬れるってことは、ようやく、この日本刀も俺に馴染んできたんだな、って……」

 半分後ろを振り返り、背中の日本刀に目をやりながら、のんきな口調で言うサイト。
 確かに、言っていることは間違いないのだが……。

「……あのねぇ……。それは剣が凄いんじゃなくて、サイトが剣にこめた精神力のおかげなの! デルフリンガーのように、剣自体に特殊能力があるわけじゃないんだからね!?」

「いや……まあ、そうだけど……」

 私の言葉に、サイトは複雑な顔を見せる。
 インテリジェンスソードのデルフリンガーは、サイトにとって、ただの武器ではなかった。色々と助言やら解説やらしてくれる、文字どおりの『相棒』だったのだ。
 もちろん、話し相手というだけでなく、剣としても、とっても優秀。魔法を吸収できるという凄い力があり、そのおかげで倒せた強敵もいた。

「……なんだか最近、この刀がデルフの生まれ変わりみたいに思えてきてさ……」

 とんでもないことを言い出したサイト。
 今の剣を手に入れたのは、魔剣デルフリンガーを失う前である。間違っても、生まれ変わりなんてことはあり得ない。
 こんな剣と一緒にされては、今頃デルフも、草葉の陰で泣いていることだろう。
 ……まあ、サイトの戯れ言はともかく。
 かくて私とサイトは、代わりになるような魔剣を探して旅をしているのであった。
 実のところ、旅の主目的は別にあるのだが、たぶん、それを追求する上でも、とんでもない強さの敵が出てくる可能性は高い。今のままでは、ちょっと心もとないのである。
 新しい魔剣を入手するか、あるいは、今使っている日本刀を少し鍛えるか……。廃墟に住まう謎のバケモノの退治、なんぞという地味な仕事をセコい賃金で請け負ったのも、白状すれば、純魔族——それがバケモノの正体だという見当はついていた——に日本刀がどこまで通用するか、試しておきたいからであった。

「私よりサイトの方が、その剣についても理解してるはずでしょ!? ガンダールヴの力で、武器のことならなんでもわかる……っていうのが、あんたなんだから」

「ああ、色々と理解してるぜ。この剣は日本刀といって、元々は……」

 剣の由来やら何やら、戦う上では全く役に立たない知識を披露し始めたサイト。
 そういう意味じゃないのに……とツッコミを入れるだけ無駄と悟って。
 サイトの説明を聞き流しつつ、私はデザートのレモン・パイを口に入れていた。

########################

 どんっ。

 その日。
 私が宿で夜中に目を覚ましたのは、その物音のせいだった。

「……んむ……?」

 ベッドに横になったまま、私は腕を伸ばし……。
 異変に気づいて、ガバッと起き上がる。

「サイト!?」

 私の抱き枕になっていたはずの彼が、ベッドにいないのだ。
 私の叫びに、部屋の入り口近くから返事が来た。

「ああ、俺ならここだぜ」

 扉の前で、剣を構えているサイト。

「一体なんで……」

 言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。
 サイトの足下には、見知らぬ男が、気を失って転がっている。

「泥棒……?」

「みたいだな」

 この男の侵入に気づいてサイトは目を覚まし、サッと撃退したらしい。
 ふむ。サイトも、そんなに目覚めの良い男ではないのだが……。
 侵入者を察知するカンのようなものは、私よりも上だったということか。そういえば、以前も暗殺者が忍び込んだ際、サイトが先に起きて戦ってたっけ。
 まあ、それはともかく。
 泥棒はロープを持参してきていた。私たちを縛るつもりだったようだが、逆に自分が縛られることとなった。
 活を入れてやると、男は、小さく呻いて目を開ける。

「……うっ……ぐ……。……あ!? ちくしょっ!」

 自分の置かれた状況に気づいて、男は突然もがき始めるが、その程度でどうにかなるような縛り方はしていない。

「やめた方がいいわよ。暴れるだけ無駄だから」

「……くっ……!」

 私の言葉に、男はキッとこちらを睨みつけ、動きを止める。

「……さてさて……聞かせてもらいましょうか? 一体どういうつもりで、この部屋に盗みになんて入ったのか?」

 こういった、街で盗みを働くような連中の背後には、たいてい盗品の売買組織があったりするのだ。そこのアジトを聞き出しておけば、盗賊いびりには絶好のターゲットとなる。

「……」

 私の問いに、男は無言で、サイトと私とを……いや彼の剣と私の杖とを見比べて。
 それから、観念したかのように口を開いた。

「わかった。話す……」

 悪人のサガで無理に意地を張るかと思えば、意外にも小心者らしい。
 もしかして……バックについてる組織も何もないのかな……?

「……聞いちまったんだよ、食堂で。あんたら、話してただろ? バケモノ切ったり、特殊な能力があったりする、凄い魔剣を持ってる、って」

 言われて、私はサイトと顔を見合わせる。
 確かに、魔族を日本刀で斬った話はしていたが……。
 特殊能力云々は、失った剣の話だったんだけどなあ。
 どうやらこの男、話を半分、誤解していたようだ。こんな男から何か聞いても、聞くだけ無駄かもしれない……とも思いつつ、私は一応、尋ねてみる。

「……で? 盗めばいい金になる、とでも思ったわけ?」

「ああ、そうだ」

「じゃあ、あんた、盗んだ剣を結構な値段で買ってくれる相手がいるのね?」

「……まあ……アテはなくもない、といったところだな……」

 男は歯切れの悪い言葉を返した。

「そこまで言っておきながら、今さら言いよどむこともないでしょ? もったいぶってないで、ハッキリ言いなさいよ」

「実はよ。俺の知り合いの一人に、いつも金に困っている奴がいてさ」

 ……ん? 盗品売買組織の話とは違うっぽいが……?

「……そいつがしばらく前、俺たちに酒をおごってくれるくらい、懐具合が良くなっててな。どうしたんだ、って聞いたら、ひょんなことから手に入れた魔剣を、あるところに売っぱらったら、いい金になったんだ、って……」

「あるところ?」

「ああ。ガリア南部の山奥に、アンブランと呼ばれる村があるのは知ってるか?」

「……名前くらいはね」

 立ち寄ったことはないが、地名だけは知っていた。
 三方を山に囲まれた、陸の孤島のような場所だと聞いている。一番近い街から、徒歩で三日も離れており、かつてコボルドの群れに襲われたこともあるとか。まあ今では、それなりに栄えているらしいが……。

「そのアンブランって村を治めている、ロドバルド男爵夫人だ、って話なんだよ。魔剣やら魔道具やらを高値で買いあさってる奴、ってぇのは」

「村の領主が……!?」

「そういうこと……らしいぜ。そいつの話によれば、よ」

 ……ふぅむ……。
 そもそも武器やマジックアイテムのコレクションなどという真似が出来るのは、よほど財力がある奴か、泥棒くらいのもの。庶民や貧乏貴族には、間違っても不可能な話。
 村の領主ともなれば、経済的にも余裕はあるかもしれないが……。
 問題は、その意図である。ただ集めて眺めて楽しんでいるだけならばいいが、領主とか将軍とか、そこそこ権力を持っている奴が、こういう趣味に走った場合、それだけでは済まされないことが多いのだ。
 つまり……。

「……次の目的地が、これで決まったわね……」

 私の小さなつぶやきを耳にして、隣でサイトが小首を傾げていた。

########################

 翌朝。
 泥棒を役人に突き出した後、私たちは街を出て、街道を南へ向かっていた。

「……伯爵貴族が盗品売買!?」

「そ。あくまでも、あの泥棒の話が本当ならば、だけどね。……あと、伯爵じゃなくて男爵夫人よ」

 ぽかぽか陽気の田舎道を歩きながら、サイトに説明する私。

「アンブランって村は、たしか二十年くらい前に、コボルドの群れに襲われて痛手を受けた村なの。同じような事件が起こるのを恐れて、そこの領主が強力な武器を集めている……っていう話なら、辻褄は合うわ」

「うーん……。それって、自衛のために武装強化してる……ってことか?」

「うん。でも、だからといって、他人の物を勝手に売り買いするのは犯罪だわ」

 ふだん野盗からお宝巻き上げている私が言えた義理ではないかもしれないが、まあ、この際それは置いといて。

「……なんだ? そんな正義感からルイズが動くなんて、ちょっと珍しい気が……」

「何か色々と勘違いしてるみたいだけど……。とりあえず今回は、剣をもらいに行くのよ。『盗品売買のこと王政府にチクられたくなかったら、魔剣の一、二本も差し出してもらいましょうか』って」

「ああ、そういうことか。それならルイズらしいわ」

「どういう意味!? ……まあともかく、あの泥棒が口からデマカセ言ってた、って可能性もあるから、ちゃんとウラは取ってから動くけどね」

 そういう事情で……。

「さあ、行くわよ! アンブランへ!」

########################

「随分と人里はなれたところにある村だな。こんな村に、住んでいる人なんかいるのか……?」

「失礼なこと言っちゃダメよ、サイト」

 ガリア国内を旅すること十数日。
 ようやく辿り着いたアンブラン村は、意外なほどに栄えていた。
 地理的には辺鄙な場所にあり、コボルドの襲撃を受けたこともあるという村。
 それでも、ここに住む者にとっては、最高の村なのであろう。通りを歩く人々は、みな朗らかに笑顔を浮かべている。

「……なんだか妙な違和感があるような……?」

 サイトは不思議そうな顔で村人たちを眺めているが、そんなサイトの発言こそ、不思議に聞こえた。
 誰も奇妙な服装をしているわけでもない。村人たちは、老若男女取り交ざった、ガリアのどこの村にでもいるような者たちである。

「バカなこと言ってないで……。ともかく、まずは腹ごしらえね。どこか適当なお店に入りましょう」

「……あそこでいいんじゃねーか?」

 サイトが指さした先は、一軒の居酒屋。
 来たばかりの村で、どこが旨くてどこがマズイか、わかるはずもない。とりあえず、その店に向かう私たち。
 入ると、中の客たちが一斉に振り向いた。こういう村であれば、よそものが珍しいのも当然か。しかし私たちに深く興味を向けることもなく、すぐに自分たちの話題に戻っていた。

「さて、それじゃ……」

 椅子に座って、さっそく料理を注文する。
 年配のおかみが、あぶり鶏の皿をすぐに運んできた。

「いっただきまーす!」

「腹ぺこだぜ、俺も……」

 二人同時に、一口含んだとたん……。
 歪んだ顔を見合わせる、私とサイト。

「何よ……これ……」

「味が……薄いぞ……!?」

 付け合わせの酢漬けも、なんだか気の抜けたような味である。

「これも薄い! どうなってるの!?」

「これじゃ、人も来ないわけだぜ……」

 すると、おかみがやってきて塩と胡椒の壜を置いた。料理にケチをつけられても、平然としている。
 辺りを見回せば、そんな料理に文句をつけることもなく、村人たちは普通に食べていた。
 おかみが立ち去ってから、私は小さな声でヒソヒソと、

「この店の味……というより、この村の味なのかしら?」

「薄味の村……ってことか?」

 どこか釈然としない気持ちを抱えながら……。
 それでも私たちは、空腹解消のため、食事を続けるのであった。

########################

 アンブランまで来る途中、街道沿いの街や村で聞いた話によると。
 二十年前、コボルドの群れに襲われはしたものの、村には一人の犠牲者も出なかったそうだ。領主のロドバルド男爵夫人が、全て魔法で撃退したのだという。
 まあ、コボルドというものは、力も知能もたいしたことない存在だ。亜人の中でも、弱い部類に入るであろう。恐ろしいといわれるコボルド・シャーマンでさえ、結構まぬけな奴がいるくらいである。
 それでも、村を守りつつ一人で片づけたというのであれば、ロドバルド男爵夫人というのは、きっと優秀なメイジに違いない。
 剣のこともあるし、とりあえず、領主の屋敷へと向かった私とサイトであるが……。

「なんだか……ずいぶん物々しい雰囲気だな?」

「そうね。一体どこの王宮だ、って感じがするくらいだわ」

 ロドバルド男爵夫人の屋敷は、小さいながらも手入れの行き届いた綺麗な貴族屋敷だった。門構えも立派であり、こんな辺鄙な田舎には、もったいないくらい。
 そして、何よりも……。
 警備の兵士たちが、その門の外を、いかめしい格好で闊歩していたのである。

「どうする?」

「うーん……。ここは一つ、正攻法でいってみましょうか」

 やましいことは何もないのだ。
 門番のもとへと歩み寄った私は、正直に身分と名前を告げて、ロドバルド男爵夫人への取り次ぎを頼んだのだが……。

「面会の約束もない者を、通すわけにはいかん。取り次ぐわけにもいかん。おとなしく帰れ」

 けんもほろろに、断られてしまった。
 言葉遣いや態度からすると、ここの兵士たち、ただの村人ではなく、貴族くずれの傭兵メイジっぽい。
 いきなり揉め事を起こすつもりもなく、おとなしく引き下がる私たち。
 それから、しばらく村中をウロウロしてみたのだが……。

「領主の屋敷だけじゃねーな」

「ええ。なんか……怪しいわね」

 警戒が厳重なのは、ロドバルド男爵夫人の屋敷だけではなかった。
 たとえば、今、私たちの視線の先にある建物。
 村はずれにある寺院のはずだが、なぜか敷地には塀が巡らされ、兵士たちが近くを徘徊している。

「……おそらく……研究施設ね」

「研究施設!?」

 この辺りまで来れば、民家もまばらで緑が多くなってくる。
 大きな樹々の陰に身を隠しながら、私とサイトは言葉を交わす。

「そう。研究施設といえば聞こえはいいけど……実際には軍事施設じゃないかしら?」

「軍……!?」

「しーっ! 大声出さないのっ! どこで誰が聞いてるか判らないし、ただの想像なんだから」

「……け……けどよ……。それって、どういうことだ?」

 領主のロドバルド男爵夫人が、かつてのコボルド事件を一人で解決できるくらいの凄腕メイジならば、いまさらコボルド対策で武器を買いあさる必要もない。
 そこには、別の理由があるわけだ。
 こうして秘密の施設があることと、魔剣の話を重ね合わせれば……。

「単純に考えれば……反乱を企てているんでしょうね」

「……!」

 私の言葉に、サイトは声を失った。

「辺鄙な村の一領主が、いきなり他国へ攻め込むわけはないだろうし、そうすると、まず第一に戦う相手は、自分の上にいる者……つまり王政府なんじゃないか、ってことよ」

「……なるほど……それで『反乱』か。まあ……ここってガリアだからなあ」

 そう。
 クラゲ頭のバカ犬サイトでも理解しているくらい、ガリアは政情不安な国である。旅に出たまま戻ってこない王様やら行方不明の王女さまやらに加えて、謀殺された王弟の遺臣たちが蠢動しているという噂まで……。

「……けど、そうなると、前に言ってた計画って……ヤバいんじゃねーか?」

「……たしかに……ね……」

 反乱起こそうと考えてる奴のところに乗り込んで、『盗品売買のこと、王政府にバラされたくなければ……』などと言うのは、『この場で私の口を封じてください』と言っているようなものである。
 もちろん、それでおとなしく殺されるような私たちではないが、無駄にことを面倒にする必要もない。

「……となれば、逆に反乱の証拠つかんで、王政府にチクって礼をもらう、っていうのが一番ね!」

「……何にしても……やりかたエグいのな……」

「まあ、今のところ、想像の域を出ない話だわ。ともかく裏付けを取らないと……。そのためにも今夜あたり、あの研究施設に忍び込んで、証拠探しね!」

########################

 村はずれの森の近くに、魔法の街灯などあるはずもなく。
 双月が雲の間に隠れれば、辺り一帯が闇に包まれる。
 その闇に紛れ……。
 私とサイトは、寺院もどきの研究施設へと近づいて行った。
 もちろん、相手に見つかった時のことも考えて、黒いローブとフードを着用し、顔も隠している。

「……で、どうやって中に入るんだ? グルリと塀に囲まれているわけだが……」

「あそこの木に登れば、塀を乗り越えられるわ」

 魔法で飛ぶことの出来ない私は、近くの大木を指さした。ちょうど枝が塀の上にのびているので、それを伝わって行けそうである。

「でもよ、ゆっくり登ってる暇なんかあるか? 塀だけじゃなくて、兵も……」

「そっちも何とかなるでしょ」

 警備兵たちの巡回パターンを観察しながら言う私。
 やっぱり傭兵たちのようで、警備兵同士の連携がとれていない。組織だった正規兵ではないため、警備網にも隙が生じていた。

「タイミング見計らって……行くわよ!」

 兵士の目を盗み、木を伝わって塀を越え、意外にアッサリ侵入に成功。
 敷地の中は、外とは違って警備兵もいなかった。

「何かの……罠か?」

「……というより、ここまで入られることを想定してなかったんじゃないかしら?」

 だとしたら、結構まぬけな話である。
 ともかく。
 私たちは、寺院らしき建物へと向かう。
 さすがに正面扉には鍵がかかっていたが……。

 キンッ!

 サイトが剣を振るえば、あっけなくドアも開いた。
 建物の中へと潜り込む私たち。

「……暗いわね……」

 隣にいるサイトだけに聞こえる声で、私はポツリとつぶやいた。
 外ならば、月が雲間に隠れても、かすかに星の明かりはある。しかし内側には、魔法のランプの一つもない。ほとんど真の闇と言ってもいいだろう。
 ただ雰囲気というか、空気の流れで、かなり広い空間だということだけはわかった。

「……なんか……ガランとしたところだな……」

「サイト、見えるの? この暗さで」

「ああ、少しずつ目が慣れてきた」

 などと言ったりするうちに、私の方も、闇に目が慣れてきた。
 ……どうやら、屋根の一角にあるステンドグラスから、月だか星だかの光がわずかに漏れ入っているようだった。
 やはりここは、私の受けた印象どおり、かなりだだっ広い空間である。
 そして、延々と規則正しく床に並ぶ影。

「……ただの椅子だぞ……これ……」

 サイトに言われて、近寄って触ってみれば……。
 床に並んだ無数の影は、たしかに木の長椅子。普通の礼拝堂とかに並んでいるのと同じものだ。
 足音を殺して、しばらく中をうろついてみたが、

「……普通の礼拝堂だな……」

「ここは、ね。けど敷地の周りに塀巡らせて、警備の兵士まで配置している……。ここが本当に普通の礼拝堂なら、そこまでするわけないでしょ。たぶん……ここの地下かどこかに、本当の施設があるのよ」

 間違って誰かが入り込んでも、これならば、単なる礼拝堂だと思われて終わりだ。
 かりに私たちのような侵入者が、礼拝堂をカモフラージュだと見破っても、隠しドアや開閉スイッチを探すのは難しい。

「明るい場所で時間をかけて探せばともかく、この状況では……」

 言いかけた私の手を、サイトがつかんで引っぱった。
 同時に。

 ヴォンッ!

 いきなり闇に生まれた光が、私の頭のすぐ脇をかすめて過ぎる。
 光はそのまま闇を薙ぎ、床に当たって砕け散った。

「……ただのネズミにしては、なかなか鋭いな……」

 どこからともなく聞こえてきたのは、低くかすれた男の声。

「……あんたもたいしたもんだぜ。全然気配を感じさせなかったもんな」

 言い返すサイトの視線の先に目をやれば、そこには、うっすらと月明かりの漏れ入るステンドグラスが……。
 ……いや!
 よく見れば、ステンドグラスのその前に、ボンヤリにじむ影ひとつ。
 空中に誰かが浮かんでいるのだ。
 そう思ったのも一瞬のこと。影は落下し、わだかまる闇と同化する。

「来るぞ!」

「わかってるわよ!」

 サイトは剣を抜き、私を杖を構える。
 同時に……。
 視界の端で、何かが動いたような気がした。
 
 しゃっ!

 とっさに体を捻った私のすぐ横を、何かが通り過ぎていく。
 おそらく、ナイフか何かを投げたのだろうが……。
 今ので、だいたいの居場所も見当がついた!

 ボンッ!

 私のエクスプロージョンの光球が、影を襲う。

「……うっ!?」

 直撃こそしなかったものの、爆風に吹き飛ばされる人影。
 その一瞬、光球に照らされて、敵の姿がハッキリと見えた。

「……いつぞやの黒ずくめ!」

「ん……? 知ってる奴か!?」 

 サイトに説明している場合ではない。
 今はとりあえず、相手の正体を探るより、なんとかこの場を切り抜けるのが先!

「逃げるわよ!」

 今の黒ずくめは倒れているようだが、すぐに仲間が駆けつけて来るはず。
 ならば……。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 礼拝堂の壁も外の塀もまとめて吹き飛ばし、即席の脱出口を作り出した私。
 村の真ん中ではなく、村はずれにあるのだから、多少乱暴なことをやっても大丈夫なのだ。

「サイト! お願い!」

「おう!」

 もちろん私の足より、サイトの方が速い。
 私はサイトにおんぶしてもらい……。
 ガンダールヴの神速で、私たちは脱出した。

########################

「ここまで来れば、もう大丈夫ね」

 つぶやきながら、私はサイトの背中から降りた。
 まだ村の中心部とは言えないが、この辺りは、もう民家やそれに関連した建物も多くなってきている。
 私たちは今、路地裏の倉庫らしきものの陰で、一息ついていた。

「いや……そうとも言えねえようだぞ」

 壁にもたれかかっていたサイトが、私の近くに歩み寄り、そして剣を構える。

「追いつかれたの!?」

「わからん。別口とは思えんが……」

 言いかけて。

「ルイズ!」

 サイトは叫んで、私を突き飛ばした。
 同時に。

 ゴウッ!

 風の唸る音。
 路地から飛び出した何かが、倉庫の壁に当たって砕け散る。
 おそらく『エア・カッター』か『エア・ハンマー』だと思うが……。
 何か少し違う感じがあって、それが私の心に引っかかった。
 しかし、深く考えている余裕などない。
 ……現れ出る人影二つ。

「……逃げられると思うな……」

 勝ち誇るでもなく、ただ淡々と、黒ずくめの片方が言葉を吐いた。
 さっきの奴かどうかはわからないが、人数は二人。
 数の上では、二対二だ。
 ……伏兵がいなければ、苦戦することもないか……?
 私がそう思った、まさにその時。

「……騒がしいな。夜の夜中に……」

 声は、屋根の上から聞こえた。

########################

 いきなり降ってわいた声に、思わずそちらへ目をやる私たち。
 夜空に散らばる星を背に、民家の屋根の上、男が一人佇んでいた。
 その家の住民……というわけではあるまい。右手に杖を持ち、マントを羽織っているので、彼もメイジであろう。
 粗末な革の上衣を着込んでおり、顔には黒い鉄仮面。
 黒ずくめたちの仲間ではないとしても、とりあえず怪しいことは確かである。

「何だ!? 貴様!?」

「夜中に騒ぐな。迷惑だ……と言っておるのだが」

 黒ずくめの誰何の声に、屋根の上の鉄仮面は、静かな口調で答えた。 

「貴様もそいつらの仲間か!?」

「そういうわけでもないのだがな……」

「なら余計なことに首を突っ込むな! 我々は、施設に忍び込んだ曲者を捕えようとしているだけだ!」

 何の脈絡もない五人目の乱入に、よほど動揺しているのか。
 黒ずくめの口調には、焦りすら滲んでいた。
 対照的に、鉄仮面はフッと小さな笑いを漏らし、

「曲者? 私の目には、お前たちの方が、よほど曲者に見えるがな……。少なくとも、賊を捕える役人には見えんぞ」

「……」

 黒ずくめたちは、しばし沈黙し……。

 シュンッ!

 その片方が、いきなり右手を振るった。
 屋根の上の鉄仮面の左手が霞む。
 次の瞬間。
 鉄仮面の左手には、小さなナイフが出現していた。

「何っ!?」

 驚愕の声を上げる黒ずくめ。
 しびれを切らした一人がナイフを放ち、それを鉄仮面が受け止めたのであろうが……。
 暗闇から飛び来るナイフを受け止めるとは、この鉄仮面、ただの変な奴ではなさそうだ。

「……なるほど。これがお前たちの答えか……」

 鉄仮面は、手の中のナイフを投げ捨てて、

「やはり曲者はそちらのようだな。となれば、見過ごすわけにもいかんか。……まあ、今ここで派手に戦えば、少々騒ぎは大きくなるだろうし……。いくら村人がおとなしいとはいえ、いくら近くの街から離れているとはいえ、噂は他の街にも伝わるかもしれんなあ……」

「……くっ……!」

 黒ずくめたちは、鉄仮面の言葉に、まともに動揺の色を浮かべた。
 そして。

「……退くぞ」

 ポツリと一言つぶやくと、黒ずくめ二人は大きく後ろへ跳び、いともアッサリ、もと来た路地の奥へと姿を消す。

「……なあ、ルイズ……。なんか……あっさり行っちまったぞ、あいつら」

「……そ……そうね……」

 黒ずくめ二人を見送って、私が視線を屋根の上へと戻した時。
 すでにそこに、あの鉄仮面の姿はなかった。

########################

「……なあ……こんなところで落ち着いて、朝メシ食ってていいのか?」

 サイトが声をひそめて問いかけたのは、その翌日の朝のこと。
 宿の一階の食堂で、やはり味気ない朝食セットを、二人で突つきながらのことである。

「連中、俺たちのこと探してるんじゃないか?」

「……かもしれないけど……よくわかんないのよね。私にも」

 言って私は、ハシバミ草のサラダを口に入れた。これだけ味が薄い料理ばかりだと、ハシバミ草の苦みでも、味がするだけマシな気がしてくる。

「あの黒ずくめ連中が、ここの領主とつながってるなら、まず間違いなくそう来る、って思うんだけど……」

 私たちを捕まえる理由なんて、いくらでもでっち上げられるだろう。

「まあ、ひとつ確かなことは、なぜか連中が、騒ぎを大きくするのを嫌ってる、ってことね」

 鉄仮面の言葉と連中の引き際から、私はそういう印象を受けていた。
 ならば表立った動きは避けて、私たちのことも、公式的には放っておく、ということになったのかもしれない。

「……前回も奴らは隠密行動を好んでいたけど、それと同じだとしたら……」

「前回……?」

「あの黒ずくめの服装見て、気づかなかった?」

 かつて私とサイトは、エギンハイムという村で、一本の杖を巡って、正体不明の一団と対立したことがあった。その連中が、同じく黒ずくめの姿をしていたのだ。

「エギンハイムの事件よ! モンモランシーとギーシュっていう二人組やら、謎の黒ずくめたちやら、最後には、とんでもない魔族やら……」

「ああ。あったなあ、そんなこと」

 思い出したっぽいサイト。

「……待てよ? でも、だとすると……」

「そういうことね。あちこちで武器を探して手段を選ばず……。あの連中が、この村の中枢にも潜り込んでいたのか。あるいは、連中の黒幕が、この村の領主ロドバルド男爵夫人なのか……。どっちにしても……」

「……面倒なことになったな」

 私の言葉を引き継ぎながら、サイトは、店の入り口あたりを目で示す。
 振り向けば……。
 二人の兵士が、手にした紙にチラリと目をやりながら、私の顔と見比べている。

「……やっぱり……俺たちを捕まえるつもりらしいぜ……」

 サイトがつぶやく間に。
 二人の兵士は、迷うことなく私たちのテーブルへ歩み寄る。

 ガタン。

 思わず椅子から腰を浮かし、身構える私とサイトの前で、しかし兵士たちはピシッと姿勢を正し、

「失礼ですが……『ゼロ』のルイズ殿ですね?」
 
 どうせ持っている紙には、特徴か似顔絵でも書かれているのだろう。
 ならば、否定するだけ無駄である。

「そうよ……」

 私は、警戒を崩さぬままに答えたが……。
 なんだか、さらにかしこまった口調となる兵士たち。

「我々は、この村の領主、ロドバルド男爵夫人の配下の者であります。領主代行からの御要望で、御高名な『ゼロ』のルイズ殿と、是非とも一度話がしたい、よければ一度食事に御招待したい、ということなのですが」

「……は……?」

 私とサイトは、同時に間の抜けた声を出していた。

########################

「……お待たせしました」

 その日の夕刻。
 ロドバルド男爵夫人の屋敷に招かれた私たちは、丁重に迎えられ、食事の用意が整うまで、と控えの小部屋に通された。
 待つことしばし。そして今。
 一人の老執事が、小部屋に入ってきたわけである。

「お食事の用意が整いました。代行もすでにお待ちです」

 老執事の言葉に、私とサイトは無言で顔を見合わせ、頷いた。
 いよいよこれから、である。
 私たちと会いたがっているのは、領主本人ではなく、その代行だという話であるが……。
 ともかく、黒幕の可能性がある一人には違いない。

「……わかりました……」

 答えて席を立つ私とサイト。
 扉をくぐり、老執事の案内するまま、長い廊下を歩いてほどなく。

「……こちらです。どうぞ……」

 老執事は一枚の扉の前で足を止め、一礼と同時に、その扉を開き……。

「……!?」

 私とサイトは、思わずその場に立ちつくした。
 部屋の中には、白いテーブル・クロスのかかった長テーブル。壁の燭台には魔法の明かり。テーブルの上には、銀の燭台に灯るキャンドル。
 向かいには、見事な長い金髪を左右に垂らした、可愛らしい少女が一人。
 私やサイトと同じくらいの年頃で、背は低めであるが、青い瞳は爛々と、気の強そうな輝きを放っていた。
 にこやかな笑みを浮かべているものの、身にまとう高飛車な雰囲気が、それを台無しにしている。
 おそらくは、彼女が領主代行なのであろう。
 しかし私たちは、彼女の雰囲気に圧迫されたわけではない。
 彼女の後ろに控える、護衛とおぼしき二人に驚いたのだ。
 フリル付きシャツを着た少年と、赤い大きなリボンの少女……。
 見まごうはずもない。それは、かつて共に黒ずくめたちと戦った、ギーシュとモンモランシーの二人であった。





(第二章へつづく)

########################

 誰とは言いませんが。「スレイヤーズ」では覆面でしたが、「ゼロ魔」では黒い鉄仮面を被っていましたので、ここでも鉄仮面です。

(2011年9月12日 投稿)
   



[26854] 第十部「アンブランの謀略」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/09/15 22:49
   
「……ようこそ。『ゼロ』のルイズ殿。お待ちしていましたわ」

 私たちの硬直を解いたのは、長い金髪を左右に垂らした少女の言葉であった。

「……さあ。どうぞ。遠慮なくお入りくださいな」

 彼女は静かに席を立つと、私たちを迎え入れる仕草を見せる。
 身にまとう高飛車な雰囲気のため、そうは聞こえないが、一応言葉遣いだけは丁寧である。
 まだ多少面食らったまま、私は挨拶を返しながら、部屋の中へと足を踏み入れた。

「……あ……はい……。ほ……本日は、お招きにあずかり、ありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ。御高名なルイズ殿と、こうしてお目にかかれる機会が持てて幸いですわ」

「……高名……ですか……」

 つぶやきながら、私とサイトは席に着く。
 ……どうせロクでもない噂しか聞いていないのだろうが……。
 私たちが座るのを待って、彼女も再び腰を下ろし、

「まずは……自己紹介をさせていただきましょう。私の名はイヴォンヌ・ロドバルド、病で伏せっている伯母に代わって、このアンブラン村の領主代行をしております」

 サイトは、やはり気になるのか、イヴォンヌ代行の後ろに佇む二人に視線を送っている。
 二人の方でもチラチラとこちらを見ているが、ギーシュは私たちを気にしているというより、むしろ、自分の見栄えを気にしているように見える。
 そんなサイトたちの視線に、気づいているのかいないのか、イヴォンヌ代行は、かまわず話を続けていた。

「私もメイジですから、魔法に関する話には興味があるのですわ。……特に、魔法で大活躍するメイジの逸話を聞くのが好きでして」

 代行の後ろの扉から姿を現した給仕が、テーブルに、湯気立つスープを並べ、去ってゆく。

「……最近耳にしたそういった話の中でも、特に興味を引いたのが、ルイズ殿、あなたに関する話なのです」

「けど、ルイズに関する噂って、ロクなのないでしょう?」

 イヴォンヌ代行の言葉に、いきなり横からチャチャを入れるサイト。
 彼女も苦笑を浮かべ、

「……確かに……。でも、悪し様に言われるのは、高名なメイジの有名税のようなもの。悪い噂は話半分……と思っていますわ。トリステインでも随一の歴史と格式を誇る、ラ・ヴァリエール公爵家のルイズ殿が、そんな悪評の立つようなことを、するわけないですから」

 ほう。
 このイヴォンヌ代行、私の出自までシッカリ調べてあるらしい。『ゼロ』という二つ名は有名だとしても、それをラ・ヴァリエールと結びつけて考える者は少ないはずなのだが……。

「……ヴァリエール……? どっかで聞いたことあるような名前だな……?」

 サイトが何やら小声でつぶやいているが、私も代行も、それは無視。

「噂も色々と聞きましたが、やはり本人の口から、直接聞いてみたいものですわ。食事でもしながら……ということで、とりあえず、スープの冷めないうちにお召し上がりください」

 言ってイヴォンヌ代行は、自らスプーンを取ったのだった。

########################

「いやぁ、食った食った」

 食事も済んで屋敷を出て。宿へと帰るその道で。
 夜道を二人、歩きながら、サイトは満足そうな声を上げた。

「……よく食べたわね……」

「なんといっても旨かったからな。薄味の村だから、あんまり期待してなかったんだが、どうしてどうして。さすがに領主さんのところだけは、味つけもシッカリしてたわけだ」

「あのねぇ……そういう意味じゃなくて……。ひょっとしてサイト、イヴォンヌ代行が私たちの敵だったかもしれない、ってこと、すっかり忘れてるんじゃない?」

 あきれた口調で問いかける私に、サイトはアッサリと、

「忘れてなんかないぞ。けど結局、何も仕掛けてこなかったじゃん。あの代行、ルイズの武勇伝を聞いて頷いてただけだったし」

「……そうね。私は、料理に毒でも入ってるんじゃないか、って心配してたんだけど」

「ど……毒って……あの料理の中にか!?」

 ようやくサイトも、その可能性に気づいたらしい。声を荒げて立ち止まる。

「その可能性があった、って話よ。……ま、あれだけパカパカ食べたサイトが無事なんだから、結局入ってなかったみたいね」

 私に目で促され、再び歩き出すサイト。

「みたいね……って……。それなら食事の時に、ひとこと言ってくれよ!」

「言えるわけないでしょ! イヴォンヌ代行が敵って決まったわけじゃないんだから! なのに彼女の目の前で『この人、私たちに毒盛るかもしれないから、気をつけなさい』なんて言ったら大変よ!?」

 屋敷に行く前に注意しておくべきだった、と思ったが、気づいた時には後の祭り。
 いつサイトが倒れるかと心配しつつも、私はサイトを毒味役として、おとなしく食事を続けたのだった。

「……まあ……最悪の場合、モンモランシーに解毒してもらうつもりだったけどね。ほら彼女、『水』の使い手としても特に治癒関係が得意みたいだったし」

「ああ、あの二人がいたんだな。驚いたよ。……でも、あの二人を雇ったってことは、あの代行、黒ずくめたちの味方じゃあないってことか?」

「……うーん……」

 サイトの問いに、私は眉をひそめて唸る。
 たしかに……。
 エギンハイムの事件では、モンモランシーとギーシュの二人は、私たちと手を組む形で、一本の杖を巡って黒ずくめたちと対立した。
 もしも代行が黒ずくめたちの側だとして、かつて敵対していた二人をアッサリ護衛に雇ったりするだろうか。
 まあ逆に、目の届くところに置いておくために、敢えて……という考え方もあるかもしれないが。

「……けど、ともかく。今はとりあえず、後ろのをどうにかするのが先みたいね」

「ああ。やっつけて、何か聞き出すってテもあるな」

 歩みは止めぬそのままで、私とサイトは視線を交わした。
 二人が屋敷を出て以来、気配が一つ、ずっとあとをつけて来ている。
 味方ならとっくに声をかけてきてもいいはずだが、それがないところをみると、敵なのであろう。

「仕掛けるか? こっちから」

「そうね……。とりあえず、このまま宿まで案内する、ってのはナシね」

 言って私は、その場でヒタリと足を止めた。
 近くに民家や酒場はない。辺りに人の姿はなく、夜と静寂だけが、村の通りに満ちていた。
 ここならば、戦うにもちょうどいいだろう。
 こちらが立ち止まったのに気づいたのかどうか、後ろの気配は、止まることなく動き続けている。
 ……私たちの方に向かって。
 そして。
 殺気と共に、闇の奥に光が生まれた。
 光は魔力の槍となり、私たち目がけて突き進む。
 しかし、これだけ遠距離ならば、身をかわすことは造作ない。私とサイトは左右に跳んで……。

「ルイズ!」

 サイトの叫び。
 吹き付ける殺気。
 闇の中から突然、目の前に現れた黒い影。

「……なっ!?」

 ギンッ!

 影の放った横薙ぎの一撃を受けたのは、反対側へ跳んだはずのサイト。
 さすがガンダールヴ、その神速で、私と黒ずくめとの間に割って入ったのだ。
 ……しかし、敵にそんな異能はないはず。術を放った奴が闇に紛れて駆けてきたにしては、いくらなんでも早すぎる。
 ならば……敵は二人!?
 もう一人を探して、私は周囲に気を張り巡らすが、姿も気配もない。そしてその間に。

 ュギィィィン!

 魔力の刃をまとわせた杖で、サイトと斬りあう黒ずくめ。
 二、三合、剣を交わした後……。
 大きく後ろに跳んだ黒ずくめは、いきなりクルリと背を向けると、そのまま走り出した。

「逃げるのか!?」

「違うわよ!」

 言って私は、その背を追って走り出す。

「誘ってるのよ! 私たちを! ついてこい、ってね!」

「で、ついて行くのかよ!?」

「当然! 誰がどう見ても罠だけど、私とサイトなら突破できるでしょ!」

 姿を見せないもう一人は気になるが……。
 敵は二人、という私の考え自体が、間違っていたのかもしれない。
 少し釈然としないものを感じながら。
 私とサイトは、逃げる影の背を追って、夜の村を疾走した。

########################

「完全に村の外に出てしまったな……」

「そうね。どうやら連中のアジト、山の中にあるみたいね」

 真っ暗な夜の山、黒ずくめが闇に身を紛れ込ませるのは簡単であろうに、敵はそれをしなかった。
 私たちが追えるよう、姿を見せつけながら逃走し……。

「あれは……!?」

「……廃坑ね」

 山の中腹にあった、木枠で囲まれた穴。そこに、黒ずくめは入っていった。

「ただの廃坑じゃないわ。おそらく……昔のコボルドの巣」

 アンブランの村がコボルドに襲われた際、群れのアジトは、山中の廃坑だったという。
 コボルド・シャーマンに率いられた集団ならば、祭壇やら何やら、中には色々とあったことだろう。

「かつてのコボルドたちの住処ならば、穴は深いし、中は広いでしょうね。連中がアジトにするには、ちょうどいいわ」

「……そういうことか」

 言葉は交わしながらも、気は引き締めて、私とサイトは廃坑に足を踏み入れた。
 とたん。

「ルイズ!」

 サイトが叫んだのは、例の黒ずくめの姿が目に入ったからだ。
 かなり奥の岩壁に佇んでいたが、杖の先に魔法の明かりを灯しており、その姿はハッキリと見てとれた。
 チラッとこちらを振り返ってから、岩のくぼみのようなところに手をかけて……。

 ゴォォォッ……。

 近くの岩壁がスライドし、大きな穴が出現。その奥へと消えていった。

「あれって……秘密の入り口か!?」

「そうみたい。わざわざ私たちに教えるってことは、入ってこいってことね」

「……えらく挑戦的な奴だな……」

「それだけ自信があるってことよ。自分のウデだか、張り巡らせた罠だか。あるいは……その両方に」

 私たちが話す間に、岩壁は再び動き、穴は閉まっていた。
 サイトと二人、その場所まで進み、黒ずくめがやったように、くぼみを押す。
 秘密の入り口は、また簡単に開いた。
 中は、下へと向かう階段になっているようだ。
 顔を見合わせ、頷きあってから。
 私とサイトは、そこを降り始めた。

########################

「ずいぶんと人工的な造りになってるんだな……」

「どう見ても、本拠地か研究施設ね。いつどこから何が出てくるか……気をつけなさいよ」

「わかってるさ」

 階段を降りた先は、明らかに人の手で造られた通路になっていた。
 床も壁も天井も、滑らかな石材で覆われている。その石材そのものに魔法の明かりでもかけてあるのだろうか、無機質な光が、辺りを冷たく照らし出していた。
 通路は少し伸びたところで途切れており、突き当たりにあるのは一枚の扉。
 奥に罠がある、と言わんばかりの雰囲気だが、今さら引き返すつもりはない。
 通路を進み、ドアのノブに手をかけて……。

 ガチャリ。

 開いたドアの向こう。
 部屋の左右に立ち並ぶのは、天井まで届くクリスタルの筒。
 その中に、眠るように漂っているのは、人とも怪物ともつかぬ異形の生き物たち。

「……おいルイズ、これって……」

「合成獣(キメラ)工場ね……かなり大規模な……」

「キメラ……?」

「……魔法生物の一種……様々な生き物をかけ合わせて作られる、強力なモンスターよ……」

 部屋の明かりは均一ではなく、遠くは闇になっていた。クリスタル筒の連なりは、その闇の奥へと続いている。その数は、おそらく百を軽く越すだろう。

「そうすると……この奥か? あの黒ずくめは」

「たぶん、ね」

 クリスタルの円筒は、半ばを壁に埋め込まれている。その陰に人が隠れることはできない。
 私たちは、円柱の間を縫うように伸びる、細い通路を歩みゆく。
 そしていくらもいかぬうち……。

「また会ったわね……」

 声と気配は、後ろで生まれた。

「!?」

 慌ててそちらを振り向けば、入ってきたドアの辺りに、通路からの光を背にして佇む影ひとつ。
 言うまでもなく黒ずくめであるが、格好が格好なだけに、さっきの奴と同一人物であるかどうかは不明。

「覚えているかしら、私の声? そして……ビーコの名を」

「ビーコ!?」

 思わず私が声を上げれば、サイトも叫ぶ。

「誰だ!?」

「エギンハイムの事件で! 戦った黒ずくめの一人よ! 最後の最後で姿を消した女がいたでしょ!?」

 サイトの疑問に答える私。
 そこそこ腕は立つメイジだったが、油断さえしなければ、勝てない相手ではない。

「昨日は別の施設に入り込んだそうね。あなたたちが村に来たと聞いた時には、正直、驚いたわよ」

「……やっぱりこの村が、あんたたちの本拠地、ってわけね……」

「私の口からは、なんとも言えないわね」

 少し以前とは雰囲気が違う。
 もっと私のかまかけに、アッサリ引っかかってくれる印象だったのだが……。

「……いずれにせよ……あなたたちには死んでもらうわ」

 言葉と同時に、ビーコの全身に殺気がみなぎる。
 同時に。

 ギッ! ギギッ! ギギギィンッ!

 私たち二人とビーコの間にある、左右に並んだクリスタル筒が、いきなり音を立て、ひび割れた。

 ザアッ!

 キメラ製造用の培養液であろうか。中から大量の水が噴き出して、一瞬、私たちの目からビーコの姿を隠し……。
 次の瞬間。
 殺気は私たちの真後ろに生まれた。

「!?」

 振り向きざま、サイトが抜き打ちに剣を一閃!

 ギィンッ!

 その一撃は、黒ずくめの『ブレイド』を受け止めていた。
 ……やっぱりもう一人いたか。ならば正面のビーコは私が……。
 思ったその時。

「……やるわね。相変わらず」

 後ろの黒ずくめのつぶやき。その声は、ほかでもない、ビーコのものだった。

「なっ!?」

 ドアの方に目をやれば、そこにはもはや、黒い人影はない。

「……嘘っ!?」

 たとえ隠し通路か何かがあったとしても、あの一瞬で、私たちの後ろに回り込むことなど不可能なはず。
 しかし今は、詮索している暇はない。
 割れたクリスタル・ケースの中から通路へと。
 封じられていたキメラたちが、次々と這い出して来ていた。

########################

 ボンッ!

 私のエクスプロージョンが、また一匹、キメラを葬り去った。
 失敗爆発魔法ではない。小さいながらも、正式バージョンのエクスプロージョンである。
 ……最初は軽く爆発魔法を使っていたのだが、それでは、威力が足りなかったのだ。
 いったい何を素材としているのか、このキメラたち、やたら防御力が高い。そのため、先ほどから私は、正式なエクスプロージョンの連発となっている。

「はあ、はあ……」

 さすがに辛くなってきたが、休んでいる暇はなかった。
 サイトに頼りたくても、そうはいかない。サイトはサイトで、ビーコ相手に斬り合っているのだ。しかも、かなり手間取っている。
 別にサイトが、女相手だからと手を抜いているわけではない。ビーコのくり出す斬撃が、以前に戦った時よりも、数段鋭さを増しているのだ。

「これじゃ……」

 サイトに助けてもらうどころか、むしろ私が援護した方が良さそうだ。
 そう判断した私は、キメラと戦いながらも隙を見て、小さな失敗爆発魔法を放った。

「おいっ!?」

 サイトの文句が聞こえる。
 そう。
 私の魔法は、二人まとめて吹き飛ばすもの。
 少し荒っぽいが、二人同時に倒れたところで、サイトの方が先に立ち上がるだろうし、そうなればビーコなど……。
 しかし。

「……え? あいつは……どこ!?」

 実際に吹き飛んだのは、サイトのみ。
 二人の足下で魔法が炸裂する直前。
 ビーコの姿が、煙のようにかき消えたのだ!

「ルイズ!」

 体を起こしながら、叫ぶサイト。
 同時に、背筋にひやりとしたものを感じ、私は咄嗟に前に跳ぶ。

 ザズッ!

 背中を、何かがかすめて過ぎた。
 慌てて間合いを取り、振り向けば、そこには杖を構えたビーコの姿。

「こいつ……瞬間移動したぞ!?」

 サイトも驚いているが……。

「まさか……あんた……」

 私たちメイジが使う魔法の中で、瞬間移動など出来るのは、虚無魔法のみ。だがビーコが虚無のメイジなわけもあるまい。
 ならば……。

「空間を渡ったのね!? ……純魔族のように!」

 そう。
 ビーコがやってみせたのは、そこそこの力を持った純魔族が時々見せる芸である。さきほどからビーコの動きがやけに速く、神出鬼没だったのも、全てこの能力あってのことなら説明がつく。
 しかし……。

「この程度の小技で……何を驚いているの?」

「驚くわよ! 人間ワザじゃないんだから!」

 ビーコの余裕の言葉に返すと同時に、私の頭に閃く考えが一つ。

「あんたもキメラだったのね。しかも人と魔族との合成物……いわば人魔……」

 あのキメラたちが、妙に硬い感じがしたのも当然。おそらく素材に、下等な魔族が使われていたのだ。
 ビーコの場合、合成によって身につけた魔族の術と魔力と、メイジとしての魔法技術を合わせて、初めて可能となった技なのだろうが……。
 なんともやっかいな話である。
 今の後ろからの一撃は、かろうじて服をひっかけた程度で済んだが、次もそう上手くよけられるとは限らない。

「……人魔……か。なかなか面白い呼称ね」

 私の内心の焦りを知ってか知らずか、ビーコは、やや感嘆したようにつぶやいていた。

「エギンハイムの一件が終わった後……私は知ったのよ、私たちが国を失う原因となった者の名を」

 ビーコの声に含まれた、怒りと殺気が重くなっていく。
 雰囲気からすると、その『国を失う原因となった者』を私だと思っているようだが……。
 いくら私でも、攻撃魔法で国を吹っ飛ばした覚えはない。

「……それで私は志願したの、人間をやめることを……」

 そこまで言った時。

「……しまった!」

 いきなり何の前触れもなく、動揺の声を上げるビーコ。
 彼女の視線は、私ではなく、近くのキメラたちに向けられていた。
 つられて、私もそちらを見れば……。

「あ」

 まだまだ結構いたはずのキメラの数が、激減している。
 全部サイトが斬り捨てたわけではない。
 ……と……いうことは……。

「まさか、外に出た!? ……ひょっとして、あのキメラたちって、まだ制御が不完全!?」

 私の予想を裏付けるかのように、クルリと背を向けて、外へ駆け出すビーコ。
 その背を見送りながら、サイトが不思議そうに、

「……どういうことだ?」

「言ったでしょ! キメラが外へ出ちゃったのかもしれないの!」

「でも……どうせ、ここ山の中だろ?」

「だからって、のほほんとしてられないわよ! 村まで近いんだから……キメラが村を襲うかもしれないんだから!」

「なにぃぃぃっ!?」

 私の説明で、ようやくサイトも事情を理解する。

「どうすんだ、じゃあ!?」

「どうする……って、とりあえず、ここから出るわよ! キメラが村まで行く前に、なんとか止めなきゃ!」

 いまだ部屋の中で蠢く、数少ないキメラたちは放置して。
 私は、サイトと共に走り始めた。
 もと来た通路を、戻る方向に。

########################

「わかんないわね……」

 村から宿に帰ってくるなり。
 部屋で待っていたサイトに、私は言った。
 ……昨日の夜。
 山中をうろつくキメラたちを、そして村まで到達して暴れ回っていたキメラたちを、片っ端からぶち倒し、ようやく宿に戻ってそのまま寝たのだが……。
 やはり状況が気になって、私は朝食を済ませた後、村に偵察に出かけたのだ。
 なお、サイトを宿に置いていったのは、聞き込みの最中に彼が迂闊なことをしゃべるんじゃないか、と心配したため。私としては当然、私たちの関与など、できる限り隠しておきたいのである。

「わかんない……って、噂になってないのか? あいつら結構、村の中でも暴れてたじゃん」

「それが、噂にもなってないのよ。あのキメラたちに家を壊された人もいたでしょうに……」

 奇妙に思えるくらい、村人たちは無関心なのだ。
 箝口令が敷かれている、というのとも、少し雰囲気が違うような気が……。

「単純に考えるなら、黒ずくめたちの一派が事件をもみ消した、ってことなのかもしれないけど……」

「ああ、そうか。連中の本拠地だもんな、この村」

 これでサイトは納得したらしい。
 ……うーん。まあ、それならそれで、良しとしておくか……。
 私がそう思ったところで。

 コン、コン。

 誰かがドアをノックする音。
 顔を見合わせてから、サイトが扉へ歩み寄り、扉を開ける。
 すると。

「やあ」

「ギーシュ!?」

 私たちの部屋を訪れたのは、フリル付きシャツを来た金髪キザ男、ギーシュだった。
 今日は一体どういうわけか、いつも一緒のモンモランシーの姿はない。

「……本来……こういうのは僕の役柄ではないと思うのだが……。依頼人に頼まれては、嫌とは言えないからね……」

「いきなりやって来て、何をブツブツ言ってるのよ。だいたい、あんた傭兵メイジでしょ? ひとに雇われるの嫌がってどうすんのよ」

「……ん? 何か誤解しているようだが、僕とモンモランシーはトレジャーハンターだぞ? ゴロツキのような者たちと一緒にして欲しくないな」

 前髪をかきあげながら言うギーシュ。
 ゴロツキ呼ばわりされたら、それこそ傭兵メイジが怒るかもしれないが、貴族くずれが傭兵になることが多いこの世の中、世間の認識なんてそんなものだ。

「そういえば、エギンハイムの事件の時も、あんたたち杖を狙って、それを売りさばこうとしてたのよね。……まぁとりあえず、立ち話もなんだから、そこら辺に座ったら?」

 私は、部屋の片隅にあるテーブルと椅子を目で示した。基本的に私とサイトは、いつも二人並んでベッドに座っているので、それらは全く使っていない。

「いや、このままでかまわないよ、僕は。そんなに長居するつもりはないからね」

 そうは言いながらも、一応、ドアは閉めるギーシュ。

「昨日の夜、村の中でキメラが暴れる騒ぎがあってね」

「知ってるわ、話くらいは」

 とりあえず、私はとぼけておく。
 ギーシュは少しだけ表情を変え、

「そうかい? イヴォンヌ代行は、君たちが関わっているんじゃないか、と思ったようだが……。それで話をもみ消したんだ」

「代行が?」

「うむ。代行は、君たちの力を借りたがっていてね」

「力を借りたい、って……。もしかして、お家騒動か何か?」

「おや、ずいぶんと勘がいいね」

 そう難しい推測ではない。わざわざ傭兵やら何やらたくさん雇って、さらに私たちを……というのだから、どこぞの大きなグループと対立しているのだろう。
 そして、領主代行ともなれば、一番ありがちなのは、血縁者同士の対立。つまり、お家騒動である。

「イヴォンヌ代行には、ベアトリスという名前の姉がいるそうでね。伯母の領主が寝込んでいるのをいいことに、どこかに隠れて、色々よからぬことを企んでいる、という話だ」

「姉さん……ね……」

「ああ。しかしベアトリスのことが表沙汰になって、王政府の耳にでも入ったら、領主の地位は剥奪され、一族郎党全員死罪、なんてことになるかもしれない……。そう心配した代行は、ベアトリスを止めようと、頑張っているのだよ」

「……なるほどね……」

 スジの通った話ではある。ならば、黒ずくめたちのボスは、そのベアトリスだということになりそうだが……。

「屋敷で話を聞いて、君たちを信頼できる人物だと見込んだそうだよ。ぜひ力を借りたい、と思ったところが、昨夜の騒動。ベアトリス一派の策謀だろうが、君たちも巻き込まれているかもしれない……ということで、代行は、手を打ったわけだ」

「……というより、ベアトリス一派のことも表沙汰にしたくないからでしょ。キメラ事件の話をおおっぴらにしたくないのは、たぶん、そっちが本当の理由ね」

「まあ、それはどっちでもいいよ。ともかく、だ。そういうわけで、僕は君たちの返事を聞きに、遣わされたわけだ。……代行に手を貸してくれるかい?」

「……ん……」

 私は、少し考え込んでから、

「ギーシュ、あんた、そのベアトリスって人、見たことある?」

「あるわけないよ。言っただろ、姿を隠して悪いことしてる、って」

「なるほど。じゃ、この話パスね」

「そうか……。残念だが、代行には、そう伝えておこう」

 私の答えに、いともあっさりギーシュは頷き、部屋を出て行った。
 ……理由も聞かずに。

「……まるで子供のおつかいね……。あれ、屋敷に戻ってから怒られるんじゃないかしら?」

 私がつぶやいたのは、彼が立ち去ってしばらく経ってからである。

「なあ、ルイズ。よくわからないから黙っていたんだが……。なんで断ったんだ? 今の話」

 むしろクラゲ頭のバカ犬サイトの方が、理由を知りたがっていたらしい。

「代行も困っているようだし、受けてもよかったんじゃないか?」

「ギーシュの……というか、代行の話が本当ならね」

 サイトには、しっかり説明しておかねばなるまい。

「たしかに話の辻褄は合ってるわ。けど、だからといって、それが真実だとは限らない。たとえば、役割が逆転してる、って可能性もあるわけだし」

「役割が逆転?」

「つまり『よからぬこと』とやらを企んでいるのは実は代行の方で、止めようとしているのがベアトリスとかいう姉さんの方。ベアトリスは、暗殺の危険を感じて屋敷から逃亡。代行は、私たちを雇って、ベアトリス側の護衛にぶつけたり、暗殺要員として利用したりするつもり……って考え方もできるわ」

 それに、一昨日の夜の鉄仮面。彼が一体何者なのか、それも気になる。
 顔は隠していたが、声や体つきからして、あきらかに男。あれが女であるならば、ベアトリス本人だという可能性もあったのだが、その線は完全に消えている。

「……ともかく。今はウラを取るのが先決よ。そうと決まれば、早速聞き込み開始よ!」

########################

「……なあ、ルイズ」

「何よ?」

「ウラを取るため……ったって、いきなり領主の屋敷に忍び込む、ってのは乱暴なような気がするんだが……」

 黒いローブとフードに身を包み、物陰に身をひそめたまま、サイトは小声でつぶやいた。
 そう。
 私たち二人は、ロドバルド男爵夫人の屋敷へ潜入する決意を固めたのだった。
 時は真夜中。通りの向こうに目をやれば、双月と満天の星を背に、屋敷のシルエットが浮かび上がる。

「何言ってんの。いきなり、じゃないわよ。ちゃんと村でも聞き込みしてきたもん」

 今日の昼。
 私は一人で村をウロウロして、色々と聞いて回ったのである。
 そこでわかったことがいくつか。
 ひとつ。イヴォンヌ代行がこの村に現れたのは、最近になってからだということ。
 ひとつ。ベアトリスも一緒に村に来たらしいが、すぐに隠れてしまったようで、村人たちは彼女の姿を見ていないということ。
 さらに言うならば、時を同じくして、ロドバルド男爵夫人も屋敷に引きこもってしまったらしい。
 ……聞けば素直に答えてくれる村人たちである。
 しかし……。
 こうして話を聞いてみると、イヴォンヌにしろベアトリスにしろ、怪しさ満点なのであるが、それでも全く気にする素振りがないのだから、ここの村人たち、やっぱり何事にも無関心なようだ。

「……けどよ、ルイズ。屋敷に忍び込んで、手がかりとか証拠とかが見つかるのか?」

「さあ?」

「さあ……って……おい……」

「少なくとも、怪しい施設に忍び込むよりはマシなはずよ。たとえば山の中の廃坑、あそこはキメラ工場だったけど……。その背後にいるのがイヴォンヌ代行なのか、謎のベアトリスなのか、それはわからない。でも、今の屋敷を牛耳ってるのはイヴォンヌ代行なんだから、もしも代行の方が悪い奴なら、たぶん何らかの手がかりがあるはずよ」

「うーん……。そう簡単に言うけど、あの屋敷に忍び込むこと自体、かなり難しそうだぞ?」

 言って、あらためて屋敷に視線を向けるサイト。
 昼間に見に来たときも警備の兵士が闊歩していたが、夜中の今も状況は変わっていない。むしろ、兵は昼より多いくらいかもしれない。
 しかも……。

「あれ? あれって……」

「そうだな。あいつのゴーレムだ」

 サイトも気づいていたらしい。
 門の前をうろついているのは、兵だけではない。ギーシュの青銅ゴーレム『ワルキューレ』も数体、混じっていたのだ。
 まあ、彼もイヴォンヌ代行の護衛なのだから、夜は外回りをしているとしてもおかしくはない。男のギーシュが、寝ている若い女性の室内で警護……というわけにはいかないだろうし。
 しかしゴーレムだけで、ギーシュ本人の姿は見えないのだが……。

「まさか……」

 ちょっとした可能性を思い浮かべ、私がつぶやいた時。

「君たち、そこで何をしているのかね?」

 後ろから聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。
 慌ててそちらを振り向けば……。
 屋敷から少し距離を取って、大回りするように警邏していたのだろう。そこには、ギーシュとモンモランシー、二人の姿があった。





(第三章へつづく)

########################

 せっかくアンブランを舞台にしているので、山の廃坑も登場。なお、今さらかもしれませんが、アンブランは「タバサの冒険」三巻で出てくる村名です。

(2011年9月15日 投稿)
  



[26854] 第十部「アンブランの謀略」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/09/18 23:11
   
「その怪しい格好……代行の命を狙う暗殺者だな!?」

 言うなりギーシュは、造花の薔薇を掲げる。
 まずい。
 見かけはともかく、この薔薇はギーシュの杖であり、彼もそれなりに腕の立つメイジなのだ。
 屋敷の近くにいる兵士たちは、まだ私たちに気づいていないらしい。だが、ここでギーシュやモンモランシーが騒ぎ立てれば、ほかの者たちもやって来よう。
 私はそこまで考えて、そしてサイトはおそらく本能的に、二人揃って駆け出していた。

「待て! 逃げるとは卑怯だぞ!」

 ギーシュの声が背中に浴びせられるが、私もサイトも振り返らない。
 とにかく二人、必死に逃走して……。
 やがて。

「ここまで来れば、もう大丈夫……かな?」

 サイトの言葉で、私たち二人は速度をゆるめた。
 私たちが今いるところは、路地裏の倉庫らしきものの陰。一息つこうと足を止め、そして私は気づいてしまった。

「あれ? ここって……」

「なんだ、ルイズ?」

「……この前の夜のところだわ……」

 村はずれにある、寺院もどきの研究施設に忍び込んだ夜。
 逃げる途中で一息ついたのが、ちょうど同じ、この場所だった。
 あの夜は、ここで黒ずくめたちに追いつかれて、一戦交えたわけだが……。

「……なんだか……ちょっと嫌な予感が……」

 私がつぶやいたちょうどその時。

「見つけたぞ! 卑怯な賊たち!」

 やっぱり。
 振り返れば、路地の向こう側に、杖を振りかぶるギーシュ。後ろにはモンモランシーの姿もあるが、他の兵士の姿はない。
 てっきり屋敷の警備兵たちも連れてくるかと思ったのだが、彼らはその場に残してきたらしい。
 別口の襲撃があると考えたのか、あるいは、他に理由があったのか……。
 ともかく。
 二人だけだというならば、私たちにとっては都合がいい。

「ちょっと待ったぁぁぁっ!」

 私は大きく叫んで、顔を隠したフードを後ろに下ろす。

「私よっ! 私たちよっ!」

「な……!?」

 さすがに驚いた表情で、ギーシュは一瞬、動きを止めた。
 かたやモンモランシーの方は、私たちの顔を見ても平気な様子。もしかすると彼女は私たちの正体を察しており、それで敢えて、ギーシュと二人だけで——他の者たちを連れずに——追ってきたのかもしれない。

「君たち……まさか敵側についたのかね?」

 一方、こちらは全然気づいていなかったとみえて、首を傾げるギーシュ。

「なんでそうなるのよ!?」

「……それなりに貴族の名誉を重んじるメイジだと思っていたのだが……どうやら僕の見込み違いだったようだ……」

 何やらブツブツつぶやいてから、ギーシュは呪文を唱え始め……。

「人の話くらいは聞くものだぞ」

 聞き覚えのある声が割り込んできたのは、ちょうどその時だった。

########################

「なんだ……!?」

 呪文詠唱を中断し、辺りに視線をめぐらせて……。
 ギーシュのその目が、ヒタリと一点で静止した。
 そちらの方に視線をやれば、塀にほど近い屋根の上、ひっそり佇む影ひとつ。
 あれは……先日の黒い鉄仮面!
 しかも、よくよく見たら、同じ民家の屋根の上だ!

「そこの金髪。お前のその態度、イヴォンヌの野望を承知の上でのことか?」

「……え?」

 鉄仮面に言い放たれて、動揺の色を浮かべるギーシュ。

「イヴォンヌの野望……って、どういうことかな?」

「エギンハイムで戦った黒ずくめたち……。その黒幕が、イヴォンヌかもしれない、ってことよ!」

 今度は私が、横から口を挟んだ。

「なんだって!?」

「言っておくが、イヴォンヌのやっていることは、ただの軍備増強ではないぞ」

 鉄仮面は、チラリと辺りに視線を走らせ、

「しかし今は……どうやら、説明をしている場合ではなさそうだな」

 彼の言葉と同時に。

 ……ざわり……。

 私たち一同を囲んで、いくつもの気配が生まれる。
 なるほど。ギーシュとモンモランシーは二人だけで来たつもりだったようだが、実際には二人の知らぬオマケ付きだったわけね……。
 あちこちに、ゆっくりと身を起こしたのは、見慣れた黒ずくめ姿。その数、ゆうに十を越える。

「油断はするな」

 警戒の目を周りに向けたまま、鉄仮面は言う。

「この中の何人かは、おそらく人と魔族との合成体だ」

 おっ!? この鉄仮面も、それを知っているとは!
 軽く驚く私であったが、彼の情報は私以上だった。

「しかも全員が、しっかりした軍事訓練を受けた者たちだ。……なにしろ、お姫さまの親衛隊だった連中だからな」

 ……黒ずくめたちの出自まで知っている!?
 これには、当の黒ずくめたちも動揺した。

「きさま、何者だ!? 何をどこまで知っている!?」

 焦って一人が問いかけると同時に、リーダー格が命令を下す。

「鉄仮面は生かして捕えろ。あとは……殺せ」

 これで黒ずくめたちが動き出す。
 中の一人が、塀の上へと跳び乗ると、杖も振らずに手のひらから魔力の光を放った。
 狙いは、屋根の上の鉄仮面。
 しかし鉄仮面は慌てず騒がず、呪文を唱えて杖を振る。相手がそう来ることを読み切っていたかのように、風の防御壁が彼を取り囲んだ。

 キンッ!

 黒ずくめの放った一撃は、それにぶつかり、いともアッサリ消え去った。

「何っ!?」

 動揺し、動きを一瞬止める黒ずくめ。
 その一瞬が命取り、私は既にエクスプロージョンの呪文を唱えていたのだ。
 人魔とはいえ、正式バージョンのエクスプロージョンには耐えられない。光に包まれ、塀の上の黒ずくめは消滅した。

「相手を甘く見るな!」

 リーダー格の叱責が飛ぶ。
 同時に。

 タンッ!

 なぜか鉄仮面が、いきなり屋根を蹴ると、塀の上へと飛び移り……。
 さらにもうひと跳びで、塀の向こう、別の区画へと姿を消した!

「ああっ! いきなり一人で逃げる気なのっ!?」

 しかし鉄仮面の行動に焦ったのは、私だけではない。

「なっ!? ……四人は奴を追え! 残りはここの始末!」

 リーダー格の命令に応じ、黒ずくめの姿がいくつか、鉄仮面を追って塀の外へと消えた。
 ……なるほど。黒ずくめたちにとっては、色々と知っているらしい鉄仮面の方が、私たちよりも気になる存在。彼は逃げることによって、この場の敵の戦力を半減させたわけか。
 この間にギーシュは、青銅ゴーレム『ワルキューレ』をいくつも出しており、モンモランシーも杖を構えて戦闘体勢。黒ずくめたちから魔法が飛んできているが、全てワルキューレが捌いているようだ。
 サイトはサイトで、日本刀で黒ずくめたちに斬り掛かっていた。早くも一人を斬り倒し、別の一人と斬撃を交わしている。
 ギーシュのゴーレムも勘定に入れれば、数の上では、こちらが有利。しかし、それぞれの実力を考えれば、油断のできる状況ではない。
 ならば……。

 ドンッ!

 黒ずくめに、ではなく、民家の壁に向かって、小さな爆発魔法を放つ私。
 どうせ黒ずくめを狙っても、先ほどのような機会がなければ、回避されるに決まっているのだ。

「何を遊んでいるのかね!? そんな場合じゃないだろう!」

 ギーシュが文句をたれるが、モンモランシーは私の意図を察してくれたらしい。彼女は空に向けて、魔法の明かりを打ち上げた。

「なんと! モンモランシーまで……」

「違うわ! エギンハイムの時と同じ! ここで騒ぎを大きくしてやれば、黒ずくめたちは退かざるを得ない……ってことよ! そうでしょ、ルイズ!?」

 モンモランシーの言葉に頷く私。
 そして、私たちの狙いどおり。

「……なんだ!?」

 通りの端の方から、場違いな声が聞こえてくる。
 騒ぎに気づいて見物に来た、近所のおっさんだ。基本的に他人事には無関心な村人であっても、騒ぎがある程度大きくなれば、さすがに気になるらしい。
 ……彼は最初の一人に過ぎない。このまま野次馬が群れ始めれば、黒ずくめたちは退却するはず……。
 私はそう思ったのだが。

「邪魔よ!」

 黒ずくめの一人——声からすると若い女性っぽい——が、左の手を一閃。
 とたん。

「がっ!?」

 断末魔の悲鳴を上げて、野次馬のおっさんが倒れ伏す。

「……なっ!?」

 これに驚いたのは、私たちだけではない。黒ずくめのリーダー格も、制止の声を上げていた。

「お……おやめ下さい、シーコさま!」

 ……おや? どうやら彼よりも、この女の方が偉い人っぽい口ぶりだが……。
 まさか、この黒ずくめ女が、鉄仮面の言っていた『お姫さま』とやらなのか? 部下たちと共に、自ら前線まで出向いてきている……?
 そんなはずはないと思うが、ともかく、『お姫さまの親衛隊』以外の者であるのは確実であろう。

「見られて困るなら、見た人たち、みんな殺しちゃえばいいじゃない」

「じょ……冗談は、やめてください!」

「あら、冗談じゃなくて本気よ?」

 言って彼女は、再び左手を振る。
 同時に、言いようのない殺気を感じ取り、とっさに横へ跳ぶ私。
 なびいたマントの端に、小さな切れ目が入った。
 ……あ……あぶねえ……!
 おそらく、このシーコという女も人魔の一人。手を振るだけで、不可視の衝撃波を放っているのだ。『エア・カッター』のようなものかもしれないが、人魔の攻撃と普通の『風』魔法とが、同じ威力とは限らない。迂闊に受けたら、さっきの野次馬のように、一撃でお陀仏である。
 こいつはシャレにならない相手だ。そう私は思ったのだが……。

「シーコさま! ともかく、この場は退却です!」

「じゃあ、あなたたちだけで帰ったら? 私はもう少し、ここで……」

「勝手は困ります! 姫さまにも迷惑がかかるでしょうし、そうしたら姫さまは、きっと……」

 ピクン。
 リーダー格の言葉に、女が動揺の色を浮かべた。
 あわてて大きく後ろに跳んで、

「そ……そうね……。今日のところは、これくらいにしておこうかしら……」

 シーコだけではない。
 黒ずくめたち全員が、闇に紛れて消えてゆく。
 あとに残るは、私たち四人と、チラホラと集まり始めた野次馬たち。
 ……黒ずくめたちが持ち去ったのであろうか、なぜか、シーコにやられたおっさんの死体もなくなっていた。

「……とりあえず、私たちも退散した方がよさそうね」

「そうね」

 私の言葉に、モンモランシーは小さく頷いた。

「行き先は……落ち着いて話の出来るところがいいわね」

########################

「……なるほど……そういうことだったのか……」

 私の説明を聞き終わって。
 ワインのコップを傾けながら、ギーシュが感嘆したようにつぶやく。
 ……黒ずくめたちと一戦を交えたあの後。
 私たちは一軒の酒場に入り、そこで呑みながら話し合っていた。

「では、代行と黒ずくめたちはグルだったわけだね」

「そういうこと」

 私は、つまみのソーセージを口に運びつつ頷いた。
 例によって薄味だったようだが、テーブルに運ばれてきた途端にサイトが塩と胡椒を振りかけたため、一応それなりに味はついている。シンプルな味つけであるが、それに文句を言うのは、ここでは贅沢だ。

「モンモランシー、僕たちはすっかり騙されてしまったねえ……」

 ギーシュはモンモランシーに話を振ったが、彼女はサラダの味に顔をしかめつつ、

「『僕たち』じゃないわ。あなただけよ」

「……へ……?」

 目を点にして、フリーズするギーシュ。
 
「ふーん。じゃあモンモランシー、あんたはギーシュとは違って、最初からイヴォンヌを疑ってたのね」

「まあね。疑ってた……ってほどじゃないけど、言われた話を鵜呑みにしていたわけじゃないわ」

「ちょっと待ってくれ、モンモランシー」

 再起動したギーシュが、女二人の会話に割り込んだ。

「そもそも君が、代行の護衛の仕事を引き受けよう、って言い出したんだろう?」

 そう言えば、どうして二人がイヴォンヌと関わるようになったのか、まだ私は聞いていなかったが……。

「ええ。それこそ……ちょっとした事情があったからなの」

 そうしてモンモランシーは、ことのいきさつを語り始めた。

########################

 しばらく前のとある夜……。
 ギーシュの態度——口では「愛してる」と連呼しながらも他の女によそ見してばかり——に愛想を尽かし、一人で散歩していたモンモランシーが出会ったのは、槍をかついだ老人だった。

『わしはアンブラン村の領主ロドバルド男爵夫人に仕える、ユルバンと申すもの』

 しわだらけの老人は、そう名乗った。続いて、

『実は今、領主の地位が、とある人物によって乗っ取られようとしておる。このままでは男爵夫人の御身も危ない。わしは今、ことの次第を伝えるため、王政府のもとへと赴く道中なのだ。わしも腕には自信があるのだが……』

 かついだ槍を示しつつ、老人はモンモランシーに頭を下げる。

『……それでも、敵は強大である。奴らの妨害もあるだろうし、わし一人では、はたして王都リュティスまで辿り着けるかどうかわからぬ。ついては、道中の護衛を頼みたい』

 しかし彼女は断った。
 老人の言葉を嘘だと思ったからである。
 まあ、無理もない。普通、通りすがりの傭兵メイジに、しかも依頼を受けてくれるかどうかもわからぬ相手に、領主の地位を乗っ取られそうだの何だのと、ベラベラしゃべるはずもない。
 おそらく、騙して何かに利用でもするつもりなのだ……。モンモランシーは、そう判断したわけである。
 そして……。
 翌日。
 その老人の死体が通りに転がっているのを見て、彼女の心に疑念が湧いた。
 彼の言っていたことは真実ではなかったか。通りすがりの彼女に、いきなり全て話したのは、追いつめられた者の藁にもすがる気持ち、そして、もしもの場合に真実を知る者を残しておきたいという想いだったのでないか、と。
 ……それを確かめるために、モンモランシーは、この村へとやってきた。

########################

「なんだ、そういう事情だったのか。それならそうと言ってくれれば……」

 ひととおり聞き終わって、最初に口を開いたのはギーシュである。

「ダメよ。あなた、口すべらすに決まってるから」

「そんなわけないだろう? 僕だって黙っているべきことは、ちゃんと……」

「あら? ……もしも可愛い女の子がやってきて、色々と根掘り葉掘り聞かれても、ちゃんと喋らない自信ある?」

「……いや、それは……」

「もしもその女の子が、純真な村娘ではなく、敵から送り込まれた悪い女だったとして、それを見分ける自信ある?」

「……」

 完全に沈黙するギーシュ。
 ……なるほど。護衛として雇われてしまえば、別行動になることもあるだろうし、ずっとモンモランシーが目を光らせておくわけにもいかない。だから彼女は、そこまで心配していたわけか。

「……はあ。もう少し屋敷にいて、色々調べてみたかったけど、仕方ないわね」

 ポツリとつぶやくモンモランシー。
 そう、こうなってしまえば、もう護衛仕事も終了である。

「……で、何かわかったの?」

「具体的には、特にナシね」

 私の問いに、モンモランシーは首を横に振った。それから彼女は、一言つけ加える。

「……でも、どこにも『ロドバルド男爵夫人』の姿はなかったわ」

 病気で寝込んでいるはずの領主が、屋敷にいない。ならば、それが意味するところは……。

「乗っ取りの話は本当、ってことね。おそらく彼女は、すでに抹殺されている……」

 私の言葉に、今度はモンモランシーも首を縦に振る。
 するとサイトが、不思議そうに、

「なあ。よくわからないんだが……あの鉄仮面は、何者なんだ?」

「……まあ……敵じゃなさそうだけど……。気になるの?」

「ああ。結構あいつ、強そうだったからな」

 ふむ。そういう理由で気になるのであれば、ある意味、サイトらしいかも。
 しかし私たちにとっては、別の意味で気になる。
 つまり、あの鉄仮面の立ち位置である。

「……もしかすると、すでに王政府も今度の一件を勘づいていて、そこから派遣されてきた密偵なのかもしれないわね」

「私たちを利用して、イヴォンヌ代行のところをかき回すつもり? だったら、あんまり頼りにならないわ」

「あるいは、イヴォンヌの姉ベアトリスが、イヴォンヌを止めようとして送り込んだ者なのかも……」

「それなら、事情を色々と知っていてもおかしくないわね。でもその場合、ゴタゴタを表沙汰にしたくないはずだから、事件が片づいた後は、私たちの口封じに出るつもりかも……」

 女二人、考えられる可能性を出し合う私とモンモランシー。
 こういうのは苦手なサイトが、横から口を挟む。

「……なあ。それで一体、これからどうするつもりだ?」

「ほとぼりが冷めるのを待って反撃……かな?」

「なに手ぬるいこと言ってんのよ、ギーシュ」

 皿の上のつまみの最後のひとかけらを口に放り込みつつ、私は立ち上がった。

「突入よ。今から」

########################

「……山の中の廃坑……ねえ……」

「どうしたの、モンモランシー? 前の……『黒い森』の洞窟のことでも思い出した?」

「そ……そんなんじゃないわよ!」

 あからさまに怯えた表情を浮かべながら、モンモランシーは私と並んで歩く。
 後ろには当然、ギーシュとサイトが続いている。
 ……私たちは、キメラ工場へ向かうため、村の通りを進んでいた。

「でもよ、ルイズ。あの廃坑に行っても意味がない……って言ってなかったっけ?」

 肩越しに、サイトが問いかけてきた。
 確かに、今晩イヴォンヌの屋敷へ向かう前、そんなような説明をしたのは事実である。
 だから私は、振り返りながら答える。

「……『調査』の意味では、ね。でも今回は調査ではなく、ケンカを売りに行くのよ。……しかも、前に忍び込んだ時とは、人数も違うし」

 手がかりを探す段階は、ほぼ終了。
 屋敷に行ってイヴォンヌと直接対決……でもいいのだが、一応まだ、イヴォンヌが黒幕という決定的な証拠があるわけではない。だから、それは思いとどまったのだ。
 ならば、襲撃目標は研究施設である。イヴォンヌが黒幕であろうとなかろうと、黒ずくめたちの重要拠点であることは間違いないのだから。
 敵の戦力に痛手を与え、なおかつ、運が良ければ、黒幕を特定するような証拠も出てくるかもしれない。

「……また前みたいに、罠が用意されてるんじゃねえか?」

「まあね。でも今なら、人魔たちは『黒幕』のもとへ報告に行ってて、留守の可能性が高いわ。少なくとも、さっきの今で反撃してくるとは思ってないでしょうし、多少なりとも警備は手薄になっているはずよ」

「そううまくいくかなあ?」

 首を傾げるサイトに代わって、今度はモンモランシーが尋ねてくる。

「で? それはどこにあるの?」

「もう少し行ったところに、木枠で囲まれた穴があるわ。そこよ」

 話をしているうちに、私たち一行は、すでに村を抜けていた。
 明かりも何もない山道を、警戒しながら、それでも足早に進んでいく。
 双月は雲間に隠れており、星明かりも高い木々に阻まれ、私たちのもとまでは、ほとんど届いていなかった。
 その状況下で、杖に魔法の明かりを灯すことすらしていないのは、一応、敵に接近を気づかれぬように、という配慮である。ぺちゃくちゃ喋っていては意味もないのだが、まあモンモランシーあたりは、真っ暗な中を黙って進むのは恐いのであろう。少しくらいは仕方あるまい。

「……そろそろ、声のボリュームを落としてね……」

「わかってるわよ、それくらい……」

 モンモランシーがそう返したとたん。
 私は、足を止めた。

「……どうしたの、ルイズ?」

 つられて、モンモランシーも立ち止まる。彼女は、まだ気づいていないようだが……。

「ルイズも気づいたか」

「うん」

 サイトと共に、私は視線を、右手の茂みの奥へと向ける。
 肉眼では、何も感知できない。
 それでも。

「よっぽど私に対して、恨みがあるみたいね。そんな強い殺気を放っていては……少なくとも対象者である私には、丸わかりよ」

「そうね。ならば……隠れていても意味がないわね」

 ゆっくりと、殺意を膨れ上がらせながら。
 茂みの奥から、一人の黒ずくめが姿を見せる。
 いや。
 彼女一人ではない。
 私たちを取り巻くように、複数の気配が同時に出現する。いつのまにか、黒ずくめたちに囲まれていたらしい。
 それでも私は、最初の一人から、目を逸らさなかった。

「あんたには、色々と聞きたいこともあったのよ。ちょうどいいわ、そろそろ決着つけましょうか。……ビーコ!」

 人と魔と。
 両方の力を持った少女に、私は言い放った。





(第四章へつづく)

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 今回はアンブラン編ですので、王都への使者は、ユルバンとしました。原作では殺されませんが、このSSでは、このような扱いに……。ファンの皆様、ごめんなさい。

(2011年9月18日 投稿)
   



[26854] 第十部「アンブランの謀略」(第四章)【第十部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/09/21 22:55
   
「ちょっと!? いったい何人いるのよ!?」

「まあ……敵の本拠地の近くだからねえ。これくらいは想定のうち……かな?」

 怯えたようなモンモランシーの声と、結構余裕があるっぽいギーシュの言葉。
 本当に余裕があるのか、彼女を安心させるためにわざと言っているのか、はたまた、実は状況がよくわかっていないのか、それは不明であるが。
 ともかく。
 背中から聞こえる声は無視して、私はビーコを睨み続けていた。
 ……なにしろ、空間を渡れるほどの強敵である。しかも、私に恨みがあるらしいのだ。
 乱戦になろうと、こいつだけはマークしておかねばならない。

「サイト! ビーコは私が相手するから、あんたは他の人魔をお願い!」

「おう!」

「では、僕とモンモランシーで、人魔じゃない黒ずくめを倒せばいいのかな?」

「そういうこと!」

 ギーシュの言葉に応じて、私が叫んだ瞬間。

 ゴオオォッ!

 巨大な竜巻が襲来し、黒ずくめたちを吹き飛ばす。

「……何っ!?」

 驚き叫びながらも、なんとか踏みとどまるビーコ。
 他にも何人か、今の強風に耐えきった者がいたが……。
 おそらく、残ったのは人魔たち。ザコは今ので一掃されたに違いない。
 これをやったのは……。

「お邪魔するぞ。……そろそろ決着のつけ時かと思ってな」

 横手の大木、その枝に腰掛けていた一人の男。
 ユラリと立ち上がったのは、例の鉄仮面だった。

########################

「きさまっ!?」

「そうカリカリするな。そう短気では、もと空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)の名が泣くぞ」

 空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)……。
 鉄仮面のその一言で、黒ずくめたちの間に動揺が走る。
 ……いや、黒ずくめたちだけではない。
 私も驚いた。ギーシュやモンモランシーまで驚いている。
 ただ一人、その名前の意味するところを知らぬサイトのみが、好機とばかりに駆け出して……。

「まずいっ!?」

「ぐわっ!」

 隙ができた黒ずくめたちは、ガンダールヴに対応しきれなかった。サイトの日本刀で、次々と切り倒されていく。

「……どうやら、形勢逆転といったところかな?」

 バッと木の上から飛び降りつつ、他人事のようにつぶやく鉄仮面。
 残る黒ずくめは、ビーコを含めて三人。三人が三人とも人魔なのだとしても、これで数の上では、五対三。

「あなた……いったい誰?」

 鉄仮面を睨みつつ、尋ねるビーコ。
 仲間が倒されたことよりも、素性を言い当てられたことの方が、精神的ダメージが大きかったらしい。まるで私への恨みも忘れたかのように、もう私のことなど見ちゃいなかった。

「……おや? お前は……空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)ではなく、取り巻き三少女の一人かな?」

「……!」

「その反応……どうやら図星のようだな」

 フッと小さく笑う鉄仮面。
 ここは追い打ちのチャンスと思って、私も言葉を挟む。

「彼も私と同じよ。あんたたちの国を潰した一人……」

 そう。
 前に言われた時にはわからなかったが、『空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)』という言葉を聞いた以上、すでに私の頭の中で、すべての話がつながっていた。

「ようやくわかったわ。……ビーコ、あんた、クルデンホルフ大公国の出身だったのね」

「くっ……」

 言葉に圧されたかのように、ビーコが一歩、後ずさりする。
 ……クルデンホルフ大公国。
 フィリップ三世の御代にトリステイン王国から大公領として独立を許された新興国であったが、しばらく前にクルデンホルフ大公家が没落し、再びトリステインに併合された。
 これは誰でも知っている話であり、また大公家おかかえの『空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)』も、広く名前が知れ渡っていた。だからギーシュやモンモランシーも知っていたのであろうが……。

「クルデンホルフ大公国とは! いやはや、これは驚いたな!」

「私の実家……お金たくさん借りてたわ」

「僕のところもだよ! 大公家が潰れてしまったため、返済しなくてよくなったのだが……」

 おい。
 クルデンホルフはトリステインに併合されたんだから、借金取り立ての権利もトリステイン王家に移ったんじゃないのか!?
 ……二人の会話を聞いてツッコミも入れたくなったが、その代わりに。

「……でも二人とも、なんでクルデンホルフが潰れたのか、その本当の理由は知らないでしょ?」

「え? ルイズは……何か知ってるのかい?」

「知ってるも何も。……大公家が秘密裏に進めていた悪事を、私とそこの鉄仮面とで、暴いてやったからよ」

 かつてクルデンホルフで行われていたのは、人間を素材とした人体実験。
 強力なキメラの製造だったり、そのキメラをコントロールするための脳移植だったり……。
 そうした研究を行う上で、自我の確立していない人間の方が扱いやすいからという理由で、あちこちから子供をさらってきては、実験材料としていたのだ。
 この外道な計画を叩き潰したのが、私とキュルケともう一人……。

「……まだ全て説明するには早すぎると思うが……。『ゼロ』のルイズが、そこまで喋ってしまったならば、もう顔を隠していても意味がないな」

 言いながら、彼は鉄仮面をむしりとった。
 中から出てきたのは、二十歳をいくつか過ぎたくらいの、ピンとはった髭が凛々しい、美男子の顔。

「ガリアの東薔薇騎士団団長、バッソ・カステルモールだ」

 私たちとビーコたちと、両方に向かって堂々と名乗りを上げるカステルモール。

「あら? カステルモールさん、あんた一介の騎士から、団長に出世してたのね」

「まあな。……が、そういう話は後回しだ」

 彼は、黒ずくめたちにビシッと杖を突きつけながら、

「……ガリア領内に逃げ込み、不法な魔法実験を続ける、もとクルデンホルフ姫殿下……。彼女を捕えることが、今回の私の任務だ。もちろん彼女の取り巻き連中や、空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)の残党も逃がしはせんぞ!」

「なるほどね。あいつら、よりにもよって、ガリアの村に逃げ込んじゃったのか。そりゃあ、前にも連中をやっつけたカステルモールさんが、派遣されるわけよね……」

 トリステインに併合された以上、クルデンホルフの残党も、国籍としてはトリステインの民のはず。それでもガリア国内で悪さをされたら、ガリアとしても放っておけないのだろう。

「……そうだ。だが前回の一件で、私の顔を知っている者も多いだろうからな。こうして顔を隠して活動していたのだよ」

 ビーコたち黒ずくめを睨みつけたまま、私の言葉を肯定するカステルモール。
 彼は、チラッと私に視線を送り、

「……実は正直なところ、証拠が掴めず苦労していたのだがな。『ゼロ』のルイズが首を突っ込んでくれたおかげで、奴らも色々とボロを出してくれたわけだ」

 かませ犬か。私は。
 しかし……。

「……ふっ……」

 カステルモールの言葉に、ビーコは小さな笑みを漏らし、

「となれば……たしかに決着のつけ時かもしれないわね」

 言っていきなり姿を消した!
 ……空間を渡ったか!?
 身構える私たちであったが……。

「騙されるな! 奴はここで戦うようなことを言っておいて……実際は、屋敷へ報告しに帰ったのだ、我々のことを!」

 叫ぶカステルモール。
 そして、それを肯定するかのように。
 残りの二人が、こちらに向かって魔法を放つ!

「こいつら……! ここで私たちを足止めする気ね!?」

「そうだ! こんなところでモタモタしてはいられない、さっさと倒すぞ!」

 五対二の激闘が始まった。

########################

 戦いはあっけなく終わった。
 人魔といえど、ビーコのように空間を渡れる者は、ごく一部だったらしい。この場に残された二人は、それほどの強敵ではなかったのだ。
 敵は時間稼ぎを狙っていたようだが、その戦法が、かえってアダになった。
 全力でこちらを倒す気でかかってくれば、一人くらいは……。
 ……いや。
 私やサイトは当然として、カステルモールも強いのだ。このメンバーで最も弱いのはモンモランシーであろうが、彼女だってギーシュと組んで防御に徹すれば、そう簡単にやられるメイジではない。
 ともかく。

「あとは屋敷に乗り込むだけね!」

 私たち五人は、人通りのない夜道を、静かに進んでいた。
 途中、さらに黒ずくめたちが妨害に現れるのではないか……と一応は警戒しているのだが、どうやら、その様子もない。敵は、戦力を屋敷に集中させているらしい。

「……連中の黒幕がクルデンホルフのお姫さまだった、ってことはわかったわ。でも……どうやって、この村の領主に取り入ったの?」

 歩きながら、私はカステルモールに尋ねる。

「遠い親戚すじか何かで、かくまってもらっていた……とか?」

 モンモランシーが想像を口にしたが、カステルモールは首を横に振り、

「いや。そんなに深いつながりはない。ここの領主とは、せいぜい金の貸し借りがあった程度だ」

「ひっ……」

 怯えたような声を出すモンモランシー。
 それくらいの関係だというならば、自分のところに入りこまれた可能性もあったのか、と心配したのだろう。
 カステルモールもそれを察したらしく、フッと笑いながら、

「安心したまえ。彼らがここへ来たのは……このアンブランという村の特殊性だ」

「ああ、そうか。山に囲まれた僻地だもんな、ここ」

 サイトの言葉に、カステルモールは再び首を横に振った。

「それだけではない。この村は……実は、すでに住民が死に絶えた村なのだよ」

 驚くべき真相を明かすカステルモール。
 彼の話によると。
 ……今から約二十年前。アンブラン村は、コボルドの群れに襲われ、ほぼ全滅した。生き残ったのは、領主のロドバルド男爵夫人と、彼女に仕える老騎士ユルバンのみ。
 なんとかロドバルド男爵夫人の魔法で、コボルドたちを追い払うことには成功したものの、彼女も深く傷ついてしまった。老騎士ユルバンは気絶した状態であり、彼が意識を取り戻すまで、彼女の命も保たない……。

「……というような状況だったのだろうな。このユルバンというのは責任感の強い男だったようで、自分が守るべき村が全滅したことを知れば、後追い自殺する可能性もあったらしい。そこでロドバルド男爵夫人は……『土』系統の優秀なメイジだった彼女は、自分の命と引き換えに、たくさんのガーゴイル(魔法人形)を作り上げたのだよ」

「ガーゴイル!?」

「そうだ。この村には『アンブランの星』と呼ばれる秘宝があったはずでね。それを用いたからこそ、作れたのであろうな。ある程度の自由意思を持ち、半永久的に動き続ける、強力なガーゴイルを……」

 なるほど。
 この村の住民が全てガーゴイルであるというならば、やたら味付けが薄かったことも説明がつく。唯一の生存者である老騎士にあわせた、その結果だったのだ。
 それに。
 シーコという人魔が野次馬の村人を殺した際、死体が消えたのも、ガーゴイルだったからだ。ガーゴイルだったことを知られぬよう、黒ずくめたちが持ち去ったのか。あるいは、ただ単純に、もとの土くれか何かに戻って、そこら辺のガレキに紛れたのか。

「……でもよ、この村がそんな状態だって知ってたなら……国のお偉いさんは、なんで今まで放っておいたんだ?」

「バカね、サイト。ガリアの王政府も、そんなこと知らなかったんでしょ。たまたま事実をつかんだのは、クルデンホルフの残党だけ。だから彼らが隠れ住んでたのよ」

「そういうことだ。私も、まさかアンブラン村がこんな状況になっているとは、夢にも思わなかった。……クルデンホルフの姫殿下たちを追って、今回この村に潜入し……ようやく私も真相を知ったのだよ」

 言ってカステルモールは、小さく苦笑する。

「正直、事件が片づいた後の処理を考えると、私も頭が痛くなるくらいだ。村一つ丸ごと、だからな……」

「……でも……そのユルバンも死んじゃったのね……」

 悲しげにポツリとつぶやいたのは、モンモランシー。
 そうだ。
 この村は一人の老騎士のために用意された、巨大な人形屋敷だったのに……。
 最後の生存者である彼も、連中に殺されてしまったのだ。
 もはや、村人は全てガーゴイル。この村で生きているのは、外から来た者ばかり。私たちや、連中や、連中が雇った傭兵メイジや……。

「あ。そうそう、確認しておきたいんだけど……」

 ふと思いついて、私はカステルモールに尋ねる。

「……連中の黒幕は、イヴォンヌ代行で間違いないのよね? 姿を見せない姉……ベアトリスの方じゃなくて」

「あー。その話か……。代行に姉がいるというのは、真っ赤な嘘だ。……あれも連中の作り話なのだよ」

 苦笑しながら答えるカステルモール。

「そもそもイヴォンヌ代行の本名が、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフでな。……一部では悪名高い、自身の名前を、そんなふうに使うとは……ふざけた話だよ、まったく」

 うーむ。
 イザという時のための架空のスケープゴートに、自分の本名を使うとは、なんと大胆な。
 罪をなすり付ける上で悪名を利用するというのは、一見、狡猾な良策のようにも思えるが、しかし、それでクルデンホルフとアンブラン村とを結びつけて考える者が出てくるのであれば、愚の骨頂とも言える。
 まあ、それはともかく。

「じゃあ、屋敷にいるのは、連中と連中に雇われた傭兵だけなのね? つまり……みんな悪い奴?」

「……ん? 何が言いたい?」

「ようするに、屋敷ごと吹っ飛ばしてもOK、ってことよね!?」

 さすがにギーシュやモンモランシーたちは少し顔が引きつっていたが、私の性格を知りつくしているサイトは平然としている。
 カステルモールも、一瞬だけ唖然とした表情を見せたが、すぐに正して、

「……殺してしまうよりは、生かして捕えたいのだが……。まあ、よかろう。ガレキの中から引きずり出せばいい」

 らっきー。
 ガリア東薔薇騎士団団長から、お墨付きが出た。

「では、お言葉に甘えて……」

 話しているうちに、ちょうど問題の屋敷が見えてきたところである。
 私は、笑顔で呪文を唱え始めた。

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「いやあ、きれいサッパリなくなったねえ」

「ま、私が本気を出せば、ザッとこんなもんよ」

 感嘆したような声を上げるギーシュに、胸を張ってみせる私。
 ……私たちは、竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)で吹き飛んだ屋敷の跡地に佇んでいた。
 ロドバルド男爵夫人の屋敷だけでなく、近隣の民家も少し巻き込んでしまったようだが、どうせ住民はガーゴイル。気にする必要はゼロである。

「……なんだか……前より威力が増してないか?」

「気のせいよ、気のせい」

 カステルモールに対して、私はパタパタと手を振ってみせた。
 ……まあ、本当は気のせいではないのだが。
 増幅の呪文も唱えておいたので、今のは、『魔血玉(デモンブラッド)』の力を借りた増幅バージョン竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)。屋敷が跡形もなく消滅したのも、ごくごく当然の話である。
 中にいたはずのベアトリス・イヴォンヌの姿や、配下のビーコたちの姿も見えないが……。

「……みんなやっつけちゃったのかな?」

「これでスッキリ全て解決……ってことか? 力技が過ぎる気もするんだが……」

 私とサイトが、小さく言葉を交わした時。

「待って!」

 跡地を丹念に調べていたモンモランシーが、大きく声を上げた。
 見れば、彼女が指し示したところ——地面の一カ所——に、ポッカリと穴が空いている。歩み寄って覗いてみると、地下へと続く階段になっていた。

「この辺りには、代行の寝室があったはずなの。……私やギーシュも入ったことない、寝室が」

「……ということは……これは……」
 
 私とモンモランシーは、顔を見合わせて。

「地下へ抜ける秘密の通路!」

 同時に叫ぶ二人。
 おそらくベアトリス・イヴォンヌたちは、ここから逃げ出したのだ。

「追うぞ!」

 カステルモールの言葉に、異論をはさむ者などいるはずもない。
 大きく頷いてから、私たちは、暗い穴の中に突入した。

########################

「……なんだか嫌な感じね……」

 私の隣で、モンモランシーがボソッとつぶやく。
 階段を降りた先は、ひんやりと湿った通路になっていた。
 山の中にあった研究施設と似ている。床も壁も天井も、滑らかな石材で覆われており、石材そのものに魔法がかけてあるらしい。無機質な光が、辺りを冷たく照らし出していた。

「もしかすると……あっちとつながってるのかしら……?」

「あっちというのは、どこのことだ?」

 私の漏らした言葉を聞き止めて、後ろからカステルモールが尋ねてきた。

「廃坑から続く隠し通路の先にあった、キメラ工場よ」

「廃坑……?」

 どうやらカステルモール、あの施設のことは知らなかったらしい。ひととおり私が説明すると、彼は小さく頷いて、

「そうか。そんなところに……。なるほど、先ほどは、そこに向かっていたのだな? いや、しかしこの通路は、そちらの山に向かってはいない。方角からすると、むしろ……」

「あれは!?」

 モンモランシーの叫びが、彼の言葉を遮った。
 カステルモールとの会話を中断し、私も前方に意識を向ける。
 すると……。

「……川?」

 そう。
 前方に見えてきたのは、かなり広くなった空間。
 しかも、そこには水が流れていたのだ。

「地下水脈……ってやつか?」

「それも……かなりの規模のようだね……」

 サイトとギーシュも、感嘆の声を上げていた。
 川幅は三十メイルくらい。
 パッと見た感じ、かなり深そうだ。
 魔法なしでは飛び越えられないが、さいわい、川を越える必要はなさそうだった。
 通路は左に大きく曲がる形で、川に沿って続いているのだ。

「とりあえず、道なりに行くべきよね?」

「そうだな」

 私の言葉に、年長者であるカステルモールが同意を示した。
 しかし。
 サイトが一人、これに反対する。

「いや……ここで戦うべきだぜ」

「あら、よくわかったわね。気配は完全に消したつもりだったのに」

 突然の声は、後ろからした。
 振り返れば、そこにいるのは一人の黒ずくめ。

「空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)の連中は、みんなやられちゃったけど……。私とビーコが健在のうちは、ベアトリス殿下には指一本触れさせませんわ!」

 言葉と同時に、彼女は左手を一閃。
 同時に、私の前へ躍り出たサイトが剣を構え、バシュッという音が響く。見えない何かを斬り飛ばしたのだ。
 ……手を振るだけで、不可視の衝撃波を放つ女。声と技から判断して、前に戦ったシーコという奴らしい。

「僕たちの後ろに回り込んだということは……挟み撃ちにするつもりかな?」

「じゃあ、ここは私とギーシュに任せて! ルイズたちは、前を警戒しつつ、進んでちょうだい!」

 いつになく強気なモンモランシー。
 戦闘よりは回復が向いている彼女であるが、それでも得意系統は『水』。こうした地下水脈がある場所ならば、彼女も有利に戦えよう。
 私たちの返事も聞かずに、さっそくモンモランシーは呪文を唱え始める。彼女が杖を振ると同時に、辺りに霧が立ち込めて……。

「何よ? 目くらましのつもり?」

 フフンと鼻で笑うシーコだが、この時すでに私は、モンモランシーの意図を察していた。

「……わかったわ。それじゃ、この場は頼んだわよ!」

 言って私は走り出す。
 サイトとカステルモールも、それに続いた。

########################

「いいのか? あの二人だけで……」

 並んで走りながら、やや心配そうな声を出すサイト。
 私は笑顔を作ってみせて、太鼓判を押す。

「大丈夫よ、今回は」

「敵の得意技は、すでに封じたようだったからな」

 ふむ。
 さすがにカステルモールも、わかっているらしい。

「……どういうことだ?」

 一人、サイトは首を傾げる。
 戦闘に関しては、そこそこ頭も回るはずだったのに……。
 まあメイジじゃないから、魔法には疎いのね。

「いいわ、説明してあげる。さっきモンモランシー、魔法で霧を発生させてたでしょ? シーコは単純に、あれを目くらましだと思ってたみたいだけど……たぶん、自分の技を過信してるのね。人魔になって身につけた、不可視の衝撃波、という技を」

 私は『不可視の』という部分にアクセントを置いて、強調してみせる。

「……不可視の……。あ! そういうことか!?」

「そ。あんたもわかったみたいね」

 手を振るだけで不可視の衝撃波を放つシーコは、確かにやっかいな存在である。
 彼女の動きに注目し、相手がそれらしき動きをしたら、身をかわす。対処方法は基本的に、それしかない。
 特に、他にも敵がいる状況では、彼女一人だけに注目しているわけにもいかない。だからこそ前回は、シャレにならない相手だと思ったのだが……。
 今回はシーコ一人である。ならば、それほど回避も難しくはない。
 しかも。
 モンモランシーが作り出した霧があるのだ。衝撃波自体は不可視であっても、それは霧を裂き、軌跡を生む。その軌跡で衝撃波を見切ることも容易であろう。

「……まあ、あっちはあっちだ。こっちはこっちで、警戒を怠るな」

「わかってるわ」

 カステルモールに言われるまでもない。
 さっきのシーコの口ぶりからして、まだビーコは残っているのだ。
 私やカステルモールを恨んでいるはずの、あのビーコが。
 ……彼女には、空間を渡る能力もある。いつどこから現れるか、わかったものではない。
 十分に注意をしながら、地底の川沿いの道を進む私たち。
 やがて……。

「ここで行き止まりか!?」

 サイトが叫んだように。
 通路の終わりが、目の前に見えてきた。
 ちょうど、川が大きく左に迂回する辺りで、川の中に飲み込まれるように……。
 いや。
 川が曲がっているというより、川幅自体が広くなって、湖になっている、と言った方が適切かもしれない。

「地底湖だな、これは」

 私の後ろでカステルモールがつぶやいた、ちょうどその時。

 ごぼごぼごぼ……。

 湖の中から、何かが浮かび上がってくる。

「え……」

「な……なんだありゃ……!?」

 プハッと息を吐きながら現れたのは、銀色のウロコを持つ巨大な竜だった。キラキラと光るその姿は、火竜や風竜なんかより、二回りは大きかった。

「あぶねっ!」

 サイトの叫びがなければ、かわせていたかどうか。
 竜は、いきなり細い水流を吐き出したのだ!
 ついさっきまで私たちが立っていた地面が、大きく抉れる。
 勢いをつけた水流など、鋭利で強力な刃物に他ならない。生身で食らったら、一発で致命傷となろう。
 背筋がゾッとする私。
 さらに追い打ちをかけるように、

「……あなたたちじゃ、今のビーコには勝てないわよ。諦めて降参することね。……ま、降参しても許してあげないけど」

 冷笑しながら、竜の陰から姿を現した少女。
 長い金髪を左右に垂らし、青い瞳を爛々と輝かせ、彼女は宙に浮いている。

「ついに出たわね……。ベアトリス・イヴォンヌ!」

 全ての黒幕である彼女を睨みながら、私は、その名を口にしていた。

########################

「魔法で空中戦か!?」

「違うわ、サイト。あれは魔法じゃなくて、マジックアイテムよ」

 ベアトリス・イヴォンヌのマントの下からは、ジャラジャラと様々な装飾品が顔を覗かせていた。
 ただのアクセサリーのはずもない。おそらく、今まで集めた魔道具を身につけているのだろう。魔法を唱えずに空を飛べるアイテムがあったとしても、おかしくはない。

「あら、よくわかったわね」

「……どうせ空から有利に攻撃するつもりなんでしょ? あんたみたいなタイプは……」

「まあ、何を言ってるのかしら。私が自ら戦うわけないじゃないの。私には……このビーコがいますから!」

 言って、竜に視線を向けるベアトリス・イヴォンヌ。それが合図だったかのように、再び水流が私たちを襲う!
 バッと跳び退きながら、後ろでカステルモールが言うのが聞こえた。

「……水竜だな……あれは……」

「へえ。さすがによく知ってるのね」

 彼の言葉を、ベアトリス・イヴォンヌが肯定する。

「もともとは海に住んでる竜よ。竜類の中では最大。でもって最強。空は飛べないけどね。……成獣した水竜が相手では、エルフだってなかなか勝てないそうよ」

 オモチャを自慢する子供のように、彼女は嬉々として説明するが……。
 彼女の発言の中に、ひとつ気になる部分があった。

「あんた……さっきその竜のこと『ビーコ』って呼んでたけど……まさか……」

「ええ、ビーコよ。ここで戦うならば、水竜のほうがいいから……そっちに脳を移植してあげたの」

 私に向かって微笑むベアトリス・イヴォンヌ。
 純真無垢な子供の笑顔にも見えるが……。
 むしろ私には、悪魔の笑いに見えた。

########################

 水竜となったビーコは、人魔だった時以上の強さを誇っていた。
 水のブレス、そして尻尾の叩き付け、なぎ払い。凶悪な爪……。
 まるで重戦車のような攻撃で、私たちは、それをかわすだけで精一杯。
 時折カステルモールが『風』魔法を放ったり、サイトが日本刀で斬りかかったりしているが、分厚いウロコに阻まれて、かすり傷をつけるだけ。私の爆発魔法でも、表面を煤けさせる程度である。

「これ……たぶん純粋な水竜じゃなくて、強化改造されたキメラね……」

「おそらくな。そもそもこんなところで竜を飼っているのも、キメラの材料にするためだったのだろうし」

 必死になって戦いながらも、カステルモールと言葉を交わす。とりあえず、なんとか対策を立てないと、このままでは攻撃を回避するだけで、疲れきってしまう。
 それに……。

「……あなたたち、意外としぶといのね……」

 敵は水竜ビーコだけではないのだ。
 プカプカ宙に浮いて、文字どおり高みの見物をしているベアトリス・イヴォンヌ。彼女も時々、気まぐれのように魔法を放ってくる。
 これでは、私が長い呪文を詠唱する余裕はない。
 さすがに竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)や虚滅斬(ラグナ・ブレイド)ならば、あの水竜にも通用すると思うのだが……。

「……なさけねぇなぁ。相棒の仕事は、娘っ子が呪文詠唱する時間を稼ぐことだろ? それなのに……」

 まったくだ。
 サイトも現状では、敵の攻撃を捌くだけで手一杯で……。
 ……って、え?
 今の発言は、いったい誰が……。

「デェエエエエエエエルフゥウウウウウウッ!?」

 手にした日本刀を凝視して、絶叫するサイト。
 私も驚いて、一瞬、動きが止まる。

「まあ俺も人のことは言えんがな。あんとき、この刀に乗り移ったまではいいが、完全に乗り移るまでに時間がかかっちまった。なにせこいつめ、何重にも鉄が折りたたまれて出来てっからよう……。扱いにくいのなんのって」

「デルフ! デルフ! お前、生きてたのか! なんで!」

 興奮しきった声でサイトが叫んでいる。私もすっかり頭が混乱しているが……。

「おまえたち! そういうのは後回しにしろ! 足を止めるな!」

「そうだぜ。そっちのにーちゃんの言うとおり、話はあとだ。とにかくあの水竜をなんとかしねえとなあ」

 カステルモールの叱責に、デルフも続く。
 一方、そんな私たちを見て、

「あら! その剣、インテリジェンスソードだったのね! それも欲しいわ!」

 目を輝かせるベアトリス・イヴォンヌ。
 彼女の意を受けて、水竜が尻尾を叩き付けてきた。
 狙いはサイト。手にした日本刀デルフリンガーを叩き落とそうというのであろうが、そうはいかない。サイトはしっかり握っているし、水竜の攻撃も、横に転がってかわしていた。

「あいつの弱点を教えろ! デルフ!」

「えっと、頭と心臓。生き物だかんね。でも、硬いウロコで守られています」

 息のあったコンビの会話……にも聞こえるが、デルフリンガーが告げたのは、言わずもがなのことばかり。
 それでもデルフリンガーから言われれば、サイトの気合いも高まったようで、彼のルーンはいっそう輝きを増していた。

「よし! ならば私も援護する!」

「なぁに? 男二人でビーコをいじめるつもり? ……そうはさせないわよ!」

 呪文を唱え始めるベアトリス・イヴォンヌ。
 この呪文は……『ライトニング・クラウド』! 電撃を生成して、相手を狙い撃つ魔法だ!

「サイト! 彼女の魔法にも注意して!」

「やべえ! どうするデルフ!?」

 私の叫びを耳にしても、剣に指示を求めるサイト。
 御主人様は私なのに、とか、剣に甘えるな、とか言いたいところだが……まあ、今回はデルフ復活直後だから、許してあげよう。
 などと私が思っているうちに、ベアトリス・イヴォンヌは呪文を完成させたらしく、サイトに向かって杖を振る。

「くそ!」

「かわすな! あの電撃を俺で受けろ!」

 何かにデルフリンガーは気づいたのだろう。サイトはそれに従って……。
 電撃は、避雷針に伸びる稲妻のように、剣に絡みついた。
 デルフリンガーが帯電して、青白く輝く。
 ほとばしる電撃が、刀の表面で爆ぜる。

「今だ! 俺を水竜のドタマに突き立てろ!」

 ちょうど水竜ビーコは、再び水流を吐こうと、頭をサイトに向かって突き出したところだった。
 サイトが地を蹴り、高く跳躍する!

「ビーコをやらせはしませ……。きゃっ!?」

 妨害しようとしたベアトリス・イヴォンヌには、私の爆発魔法が直撃。
 身にまとう防御アイテムのためダメージは少なかったようだが、それでも十分。
 ……サイトの邪魔だけは、私がさせないんだから!

「うおおおおおおおお……」

 サイトのジャンプ力では、水竜の頭に届かないが……。
 彼の背中を『風』が押す! カステルモールが魔法で加勢したのだ!

「……おおおおおおおおッ!」

 サイトが絶叫と共に、水竜の頭へと刀を突き立てた。
 分厚いウロコに阻まれて、中まで突き通すことはできない。だが刀が突き立った瞬間、デルフリンガーが、吸い込んだ電撃を解放する。

「……!」

 強烈な電流が、水竜ビーコの体に流れ込んだ。
 竜の動きがピタッと止まり、全身でバチバチと、ほとばしる電流が青白く瞬く。
 ……気絶したのか、息絶えたのか。したたかに電撃を流しこまれた水竜ビーコは、白目を剥いて、ゆっくりと水面に崩れ落ちる。
 派手な水しぶきが立ち上がり、竜は、仰向けに横たわりながら、地底湖の底へと沈んでいった。

########################

「う、うう、うえ〜〜ん」

 無防備な泣き声だけが、静まり返った地底湖に響く。
 自分の魔法でビーコを倒した形となり、ベアトリス・イヴォンヌは、泣き崩れてしまっていた。
 てっきり恨み倍増で向かって来るかと思ったのだが……。
 しょせん、甘やかされたお姫さまだった、ということか。一人では何も出来ないみたいだ。
 私とカステルモールが、拍子抜けしたような顔を見合わせていると、後ろから声が聞こえてきた。

「……おーい!」

 ギーシュとモンモランシーだ。
 彼らは彼らで、ちゃんとシーコを撃破し、ようやく追いついたらしい。

「……終わったの?」

「そ。こっちも、やっかいなのが出てきたけど……もうおしまい」

 駆け寄ってきたモンモランシーに、肩をすくめてみせる私。

「あれは……何かね?」

 ギーシュが指し示した先では……。
 サイトが、蘇ったデルフリンガーに夢中だった。

「あれから色々あったんだぜ」

「知ってるよ。しゃべれねえだけで、意識自体はあったからね」

 蘇ったといっても、もともと精神は宿っていたのだが、なかなかしゃべれるくらいまで精神力が膨らまなかった、と剣は語る。
 ……ま、考えてみれば、本来デルフは魔族、つまり精神体なのよね。憑依していたボロ剣が砕けたくらいで、魂まで消滅するわけなかったんだ……。

「……話すと長くなるから、後で説明するわ。今は、二人っきりにしておいてあげて」

「二人って……。僕には、あれは人ではなく剣に見えるのだが?」

「細かいことはいいのよ、こういう場合」

 ニコッと笑ってみせる私。デルフ復活ということで、私まで少し浮かれた気分になっていた。

「それより……終わったのなら、私たちは立ち去りましょうか」

 モンモランシーがギーシュの袖を引っぱると、

「そうだね。僕と愛しのモンモランシー、二人っきりの、ラブラブの旅に戻ろうか」

「ラブラブかどうかは別として、そういうこと。……というより、ラブラブじゃなくなるのは、あなたが浮気するからじゃないの!」

「……え? 僕がいけないのかい?」

 二人は、にこやかに軽口を交わしているが……。
 ふと見れば、カステルモールが難しい表情をしていた。
 ……まあ、そうだろうなあ。ベアトリス・イヴォンヌは無事に捕えたとはいえ、アンブラン村の秘密も明らかになった以上、その事後処理は大変だ。騎士団の団長さんともなれば、面倒ごとは上のお偉いさんに任せる、というわけにもいかないだろうし。

「……おまえたち、ちょっと言いたいことがあるのだが……」

 口を開いた彼の表情を見て、私はその先を察した。

「……私たちも巻き込まれるのね? 事情聴取やら現場検証やらに……」

「そういうことだ」

 はあ。
 ……かくて私たちは、アンブランの村をあとにした……。
 このフレーズが使えるのは、少し先のことになりそうである。





 第十部「アンブランの謀略」完

(第十一部「セルパンルージュの妄執」へつづく)

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 このSSにおけるデルフ復活のタイミングをここにしたのは、「スレイヤーズ」では第十巻のラストで新しい魔剣を入手するからです。第十部第一章でサイトがデルフの生まれ変わり云々を言っていたのは、一応、このイベントのための伏線でした。

(2011年9月21日 投稿)
   



[26854] 番外編短編11「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/09/24 23:11
   
 はりつめた気配が、行く道の先に現れた。
 二人は一瞬、その場で足を止める。
 気配の正体は……敵意。
 だがそれは、二人に向けられたものではなかった。
 山の中ゆく小さな街道。道の左右は木々に覆われ、あちらもこちらも死角だらけ。昼間といえど人通りは少なく、襲撃には絶好の場所である。
 そう。
 おそらく今まさにこの先で、野盗が誰かを襲おうとしているのだ。

「どうする……?」

「放ってはおけないでしょ。……それに、御礼くらい貰えるかもしれないし」

 金髪の少年少女は、気配の方へと駆けてゆく。
 やがて道の先に見えたのは、五、六人のゴロツキ風の男たち。
 目にした瞬間……。

「行け! ワルキューレたち!」

 少年が作り出した七体の青銅ゴーレムが、一斉に襲いかかる。
 ゴロツキたち全員、いともアッサリ叩きのめされ……。

「もう大丈夫よ!」

 少女が、襲われていた人に向かって言った……つもりの言葉は、木々の間に虚しく消えた。

「おかしいな……」

 同じことに気づいて、少年は辺りをキョロキョロと見回しながら、

「襲われていたはずの人、どこに消えたのだろう?」

「……ここだ」

 答えてピクピクと手を上げたのは、たった今ボコボコにされて、倒れているゴロツキたちの一人。

「……は?」

 ギーシュとモンモランシーは、そろって目を点にして、まぬけな声を上げていた。

########################

 あらためて男に目をやれば……。
 二十代前半と言ったところだろうか。
 頭は短く丸めた黒い髪で、目つきはキツく、やや吊り上がり気味。よく見れば顔立ちは整っているのだが、なんとなくワイルドな感じがする。白の上下に、黒いマントを羽織っていて……。

「なんだか悪役っぽいね」

「この野盗たちのボス……って感じよね?」

 顔を見合わせるギーシュとモンモランシー。
 対する男は、ピクピクしながらも二人を見上げて、ただ一言。

「ケッ」

 悪人づらで吐き捨てる様が、なんとも絵になっている。
 モンモランシーは、しばし考えてから、

「……えっとつまり……仲間割れ?」

「なんでそういう結論になる」

 男は抗議の呻きを漏らした。

「……俺さまはジョン・オータム……。アルビオン生まれの、流れの料理人だ」

「料理人? 君は杖を持っているようだが……メイジではないのかい? それに、アルビオンと言えば、料理がまずいことで有名な国だろう?」

 ギーシュは素直に、失礼な言葉を吐く。
 ……アルビオン云々はともかく、貴族のメイジが料理人というのは、確かにおかしな話である。料理は身分の低い者の作業とされており、女性であっても、貴族が厨房に立つことはあまりない。

「ケッ。おまえら勘違いしてるな。料理は勝負だ。攻撃魔法をふんだんに使ってこそ、うまい料理も出来るってもんだ」

 料理を攻撃してどうする!?
 ツッコミを入れそうになるモンモランシーだが、ふと思いとどまる。彼女は、思い出したのだ。

「アルビオン貴族で、料理人で、名前がジョン……。もしかして、あなた……『鉄鍋』のジョン!?」

「カカッ。なんだ、俺のこと知ってんのか。……そうだ。その『鉄鍋』ってのは、俺の二つ名だ」

「なんだい? 有名人なのか?」

「もう! ギーシュったら、何も知らないのね! アルビオン観光ガイドとか読んだことないの!?」

 そう。
 アルビオンについて記した旅行ブックには、必ず書かれているのだ。『鉄鍋』の料理が食べられるお店には、是非、足を運ぶべき……と。

「東方から伝わったという、ちょっと変わったフライパン……鉄鍋と呼ばれる調理器具を使って、どんな材料も美味しく仕上げてしまう伝説の料理人! それが『鉄鍋』のジョンよ!」

「……いや俺のことよく知ってるのはわかったから……とりあえず回復の呪文か何かかけてくれないか? そっち系統は苦手でな……」

 言われてモンモランシーは、慌てて『治癒(ヒーリング)』の呪文を唱え始めたのだった。

########################

「……お前たちは、なぜこんな所に?」

 共に街道を行きながら、ジョンはギーシュとモンモランシーに問いかけた。
 彼女が彼を魔法で癒し、野盗たちからは財布を没収したその後である。
 ジョンが向かっているのは、ここから少し行ったところにある街。野盗たちから助けてもらった礼として、そこで食事をおごる、と彼が言うので、モンモランシーたちは同行を決めたのであった。

「理由なんてないわ」

 ジョンの問いに、モンモランシーは胸を張って答えた。
 彼女に続いて、ギーシュが言う。

「僕たちは、トレジャーハンターでね。宝を求めて、モンモランシーと二人、世界中を旅しているのさ」

 ……トレジャーハンターとしては、まだ駆け出しだけど。
 モンモランシーは、そうつけ加える代わりに、

「私たち、今は特に追いかけている宝もなくて……どこかにそうした話がないかしら、ってブラブラしてるところだったの」

「そうか、宝か。ある意味じゃ……これから行く街にも、凄い宝があるぞ」

「本当!?」

 ひょんなことから、お宝探索の手がかりが手に入った!?
 目を輝かせるモンモランシーであったが。

「ああ。そこはワインの名産地でな。あの街のブドウは世界一だ。……いわば宝のブドウだな。カカカカカッ」

「……ブドウ?」

 あっというまにテンションが下がる。

「そうだ。世間じゃ、タルブがワインの名産地として有名だが……。どうしてどうして、タルブにゃあ負けないくらいのワインも飲める」
 
「……ワイン……ねぇ……」

「おいおい。ワインだって、ブドウという材料から作った料理の一種だからな。本当に旨いワインを作るのは、そう簡単じゃないんだぞ? もちろん、良質なブドウがあれば、そう難しい話でもないんだが……」

 簡単なのか難しいのか、どっちなんだ!?
 そんなツッコミを入れる暇もなく。
 ブドウやワインに関して、うんちく混じりのジョンの長話が始まってしまった。

########################

 結局、ジョンの解説が終わった頃には、一行は目的の街に辿り着いていた。
 大通りにある適当な店に入り、料理を注文する。
 山菜フライにポークとキノコの炒め物、牛肉のパイ皮包み焼きに秋野菜のバーベキューなどなど。

「あと、飲み物は、もちろん地元のワインだ。ケケケ」

 笑顔で注文を告げるジョン。
 彼のおごりである以上、モンモランシーとギーシュは、全てジョンに任せていたのだが……。

「あの……」

「なんだ? 嫌いなもんでも含まれてたか? 一応、メニューを見て、ワインに合いそうなものばかり選んだつもりだが」

「そうじゃなくて……」

 言いにくそうに切り出すモンモランシー。

「……食事をおごってくれる、っていうのは……あなたが料理を振る舞ってくれる、ってことじゃなかったの?」

 有名な『鉄鍋』のジョンが厨房を借り切って、何か作ってくれる……。
 モンモランシーは、そう期待していたのだ。

「何を言ってんだ? この街には、俺はワインを飲みに来たんだ。料理人として来たわけじゃない」

「いいじゃないか、誰が作ったものでも。美味しいものが食べられるなら」

 ギーシュは全く気にしていないらしい。

「……ほら、そのワインが来たぞ。ケケケ」

 食べ物より先に、まずは飲み物が運ばれてきた。
 ……何はともあれ、今は料理を楽しむしかない。
 モンモランシーも気持ちを切り替え、ジョンやギーシュと共に、グラスを口元に運んで……。
 彼女の動きがピタリと止まった。

「これって……」

「……気づいたか?」

 見れば、ジョンも同じく、飲むのを止めている。
 ギーシュだけは平気で飲んでいたのだが、それでも、少し顔をしかめていた。

「……なんだか……期待していたほどではないような……」

「当然だわ、ギーシュ。これ……ワインの香りじゃないもの」

 モンモランシーの二つ名は『香水』。味はともかく、匂いには敏感なメイジである。

「そういうこった。ケッ、店のもんが間違えやがったな。……おかみ!」

 店の女主人を呼びつけるジョン。

「俺たちは、ワインを注文したのだが」

「……え?」

 呼ばれてやってきた女主人の営業スマイルが、わずかに引きつる。
 三人を貴族のメイジと見てとって、言葉だけは丁寧に、

「だから……ワインでございますが」

「ケッ、ふざけるな。こんなものはワインとは呼べんな」

 ジョンは、わざとらしく深いため息をつく。
 すると。

「……今のは聞き捨てならねぇな」

「ふざけてんのは、そちらさんの方じゃないですかい?」

 声を上げて立ち上がったのは、奥のテーブルについていた男たち四人。ゴロツキのような風体だが、うち一人は杖を腰に下げている。
 店の女主人がオロオロと、ジョンたちと男たちとを見回すうちに、男たちは三人の方に歩み寄りつつ、

「この街のワインを仕切ってるのは、ウチなんだけどな。今のは何か? ウチにケンカ売ろうってことか?」

 だがジョンは、男たちの方など見ようともせず、ワインを一口だけ口に含み、

「ワインは半分弱。残りは、ただの水から『錬金』で作ったニセモノと……あとは香り付けで、桃りんごのジュースも加えてあるな。ケッ、ようするに混ぜ物入りのインチキだ」

 愕然と、男たちの足が止まった。
 たった一口でジョンが成分を言い当てたことに驚いて、モンモランシーも目を丸くする。
 ジョンは、男たちにユルリと目を向けて、

「……俺も料理の材料にゲテモノを使うことはあるから、ま、そこのところは文句は言わん。だが、これをワインと呼んではいけないな。これは、よくできたカクテルだ」

 ジョンの視線が鋭くなる。

「それで今、お前たちがワインを取り仕切っている、と言ったようだが……」

 気圧されるように、わずかに身を引く男たち。
 その顔に浮かぶ動揺の色を見れば、誰にでもわかる。
 正しいのはジョンの方なのだ、と。

「そんな……まさか……!」

 女主人も、疑いのまなざしを男たちに向けて……。

「……で……でたらめぬかすなぁぁぁっ!」

 完全に裏返った怒声を上げる、男の一人。

「何が混ぜてあるかなんて、わかりっこねぇだろ普通! いや、もしも混ざりもんが本当に入っていたとしても、の話だぞ!」

「わかるのだから仕方がない」

 ジョンは全く動ぜずに、

「お天道様は騙せても、この『鉄鍋』のジョンの舌は誤摩化せない!」

「て……鉄鍋のジョン……!?」

 ジョンの名乗りに、男たちは硬直し、

「ま……まさか、きさま、アルビオン料理界のドンといわれる……」

「ドンになったつもりはないが、俺がアルビオン生まれの料理メイジだということは事実だな」

「……っく……!」

 男たちは顔色をなくし、互いにオロオロ視線を交わしてから、捨てゼリフさえ残さずに、慌てて店から駆け出てゆく。
 一方、店の女主人は、茫然とジョンに目をやって、

「あ……あなた様があの……ハルケギニアの全ての料理人の頂点に立つ……!」

 ……どんどん話のスケールが大きくなっていく気が……!?
 さすがにモンモランシーも呆れるが、女主人はジョンの方に近寄ると、モンモランシーとギーシュを目で指して、

「そうすると、そちらのお二人は、お弟子さんですか?」

「いや、僕たちは料理などしないよ」

「彼が街道で野盗に襲われていたところを、通りかかった私たちが助けたのよ」

 静かに抗議するギーシュとモンモランシー。

「ケッ。あれを助けたと言われると、ちょっと腑に落ちない気もするが……おおむねそのとおりだな」

「そうですか……。でも、今のはちょっとまずいですよ、ジョンさま」

 と、女主人は声をひそめて、

「あの連中は、『ワイン倶楽部』に雇われてる用心棒ですよ。ああいうことを言われちゃあ、『ワイン倶楽部』も黙っていないと思うのですが……。あ、『ワイン倶楽部』っていうのは、この辺りのワインの仲介を一手にやってる、ユベールさんの商会の名前です」

「ワインに混ぜ物がしてある、ってことについては否定しないわけ?」

 タイミングを見計らって、横からモンモランシーが問いかける。
 女主人は、しばし困った顔で沈黙してから、

「……私の舌では、ワインに混ぜ物がしてあるかどうか、なんてことはわかりませんので……。でも、ユベールさんの『ワイン倶楽部』も、先代の頃とは雰囲気が違ってますから……」

「そういうことがあってもおかしくない雰囲気になった……ってこと?」

「いかがわしげな連中が頻繁に出入りするようになった、ってことだけは確かですね。ユベールさんは、ワイン運搬の護衛を増やしただけだ、って言ってますが……」

 女主人は渋い表情を浮かべて、しかしモンモランシーの疑問には、肯定も否定もしなかった。

「なるほど、そういうことか。ケッ」

 わかったような言葉を吐くジョン。
 モンモランシーにも、大体の構図は想像がついた。
 親のあとをつぎ、この辺りのワイン流通を一手に握った二代目が、混ぜ物ワインで儲けようと企んだのだ。高品質なワインよりもインチキの方が、原価も安く済むのだろう。

「これは……色々と調べてみる必要がありそうね」

 言ってモンモランシーは、ジョンと視線を交わし……。

「なぜだい? 味はともかく、それで商売が成り立っているのならば、僕たちが口を出す筋合いはないんじゃないか?」

 ギーシュの発言が、その場の空気に水を差した。
 モンモランシーは、深いため息をついてから、

「……ギーシュ。ちょっと想像してみて」

「何を?」

「あなたが女性にプレゼントしようとした香水。でも、それは水で薄められた、まがいものだったの。どう思う?」

「うーん……」

 首を捻るギーシュ。
 モンモランシーには一番わかりやすい例え話なのだが、どうやら、ギーシュには通じないらしい。

「……わかったわ。じゃあ、今のはパス」

 ちょっと考えてから。
 ギーシュにもわかるような例を出してみる。

「……酒場に行ったら、きれいな給仕の女の子が、お酌をしてくれた……っていうのを想像してみて」

「ふむ。なんだか楽しそうな話だね」

「あなたは彼女と意気投合して……私のことも忘れるくらいに意気投合して、二人で一晩、語り明かしたの。そして翌朝、目が覚めてみると……彼女の顔には、髭が生えてきてたのよ」

 一瞬、話の意味がわからないギーシュであったが。
 理解すると同時に、大声で叫んでいた。

「許せぇぇぇぇぇぇぇんッ! てゆーか女の子じゃないしそれ!」

 ようやくギーシュも、ことの重大さを悟ったらしい。
 かくて、正義の怒りを燃やし。
 彼らは真相を究明するべく、調査に乗り出したのであった!

########################

 街の一画にある、塀で囲われた大きな建物。
 レンガ造りでほとんど窓はなく、玄関先に近づくだけで、アルコールの香りが漂ってくる。
 門の上には黒大理石に金文字で『ワイン倶楽部』の名前。
 そこが、この辺り一帯のワインを扱う卸売業者、ユベールのワイン集積所だった。
 ……三人は店を出た後、他にも何件か店を回り、ワインに混ぜ物がしてあることを確認。それからここへやって来て、門番に告げたのだ。ワインの混ぜ物について聞きたい、と。
 門番は建物の奥へとすっ飛んで行った。
 そして……。

「私がここの責任者、ユベールです」

 三人の方へとやってきた数人の一団、その中心にいた小太りの男がそう名乗った。
 前髪の一部が白くなっているのは、白髪なのか、あるいはメッシュを入れているのか。

「なんでも、街でワインに混ぜ物がしてあった、とかいう話ですが……。いやはや、もしそれが本当だとすると、嘆かわしい話ですなぁ」

 男は、いけしゃあしゃあと言い放つ。

「全くだな。ケッ」

 対して、目をつり上げながら、それでもジョンは笑顔を作って、

「そんなバレバレのセコい悪事なんてやったところで、いずれ結局はバレて、自分の首を絞めるだけなのに……。頭が悪いとしか言いようがないな。カカカ」

 バカにしたような笑い声に、ユベールのこめかみに青筋が立つ。しかし表情は変えずに、

「いやはや、おっしゃるとおり。誰がそんなことをしたのかは知りませんが、こちらで詳しく調査させていただきます。お知らせくださり、ありがとうございました」

 どうやら、あくまでシラを切り通すつもりらしい。

「ところで……」

 と、彼は同じ表情で、

「ワインに混ぜ物が入っていたという証拠はお持ちですかな? 我々としても、そういう話があったというだけでは、同郷の仲間たちを疑うことは出来ませんからね。結局それで何もなかったら、後々の仕事にも悪影響が出てきますし」

「証拠……だと? ケッ」

 反撃にも負けないジョン。

「街に出回っているワイン、それが証拠だ。カカカ」

「ですから、そのワインが混ぜ物入りだという証拠ですよ。御存知とは思いますが、ワインというのは、保管の温度や樽が違っただけで味が全く変わってしまいます。失礼ながら、保存状態の悪いワインを店で出されて思い違いをなさった、などということではないでしょうね?」

「ケッ。あれが混ぜ物入りだなんてこと、誰にだってわかるぞ。こっちのお嬢さんだって、香りを嗅いだだけでニセモノだって見抜いたからな」

 ジョンはモンモランシーに視線を向ける。
 彼女の場合、香りを嗅いだだけで、ではなく、香りを嗅いだからこそ、不審に思ったわけだが……。
 とりあえず、高名な『鉄鍋』のジョンだけでなく、他の者にも見抜かれたというのは、ユベール陣営にはショックだったらしい。

「……誰にだってわかる……ですか……」

 ユベールのやや後ろに佇む一人がつぶやいた。
 年のころ十七、八の少女だ。長い髪は後ろで無造作に束ねられ、着ている物も薄汚れているが、高貴な生まれ特有の雰囲気を放っていた。
 彼女は、落胆したような声で、

「……じゃあ失敗作だったんですね……」

「リュリュくん!」

 少女の失言に、ユベールは慌てて、

「……その言い方だと、本当にワインに混ぜ物が入っていて、しかも我々がそれを作ったかのように『誤解』されてしまうぞ。言葉には注意してくれたまえ」

 彼女を叱責、というかフォローしてから、ジョンたちの方に向き直り、

「失礼。あなたたちからのご忠告を、同業の皆に対する侮辱と受け取って、共感してしまったようですな。ほら、若い女性は多感ですから……。ともあれ、ご忠告ありがとうございました。調査はしておきますよ」

 証拠がないならそろそろ帰れ、という意味である。

「ケッ。そういうことなら、今日のところは引き上げるか」

 悪役のようにも聞こえるセリフを吐きながら、きびすを返すジョン。

「……ん? 僕には、まるで話は解決していないように思えるのだが……」

「いいのよ、とりあえずは」

 ギーシュとモンモランシーも彼に続き、三人はその場をあとにしたのだった。

########################

「厄介な相手だな。ケッ」

 ぽつりとジョンがこぼしたのは、きびすを返してしばらく行ってからのことだった。

「厄介? あのユベールって男のこと?」

 モンモランシーの問いに、しかし彼は左右に首を振り、

「いや。場違いな少女が一人いただろう? ユベールは彼女をリュリュと呼んでいた。……その名を噂で聞いたことがある。代用肉を開発した『土』魔法のメイジ、リュリュだ」

「彼女が代用肉を!?」

 最近売り出された、魔法を使った代用食。豆で作ったパン状の生地に、魔法で肉の味をつけたもの。
 御世辞にも旨いとは言えないのだが、そもそもが、あまり肉が手に入らない庶民の買うシロモノである。肉のない食卓よりはマシなので、平民の間では割と売れている。貧乏人に落ちぶれたモンモランシーも、時々、お世話になっている食材であった。

「そうか……彼女が、あの代用肉を……」

 しみじみとつぶやくギーシュ。
 彼にしては珍しく、思うところがあるようだ。

「ケケケ。おまえも土メイジならわかるだろう。魔法で本物そっくりの肉を作るのが、どれほど大変なことか……」

 ジョンの言葉に、ギーシュは無言で頷いていた。
 たとえスクウェアの土の使い手でも、完全に同じものを『錬金』で作るのは難しい。普通は、どこかに不純物が混ざる。だが、実用上はそれで問題ないので、誰も気には留めない。
 ただし、食べ物となると話は別。わずかな違いでも、人の味覚は変化を感じ取ってしまう。だから食べ物を『錬金』することは困難……。

「でも……その代用肉の作り手が、なんでインチキなワイン製造に関わってるのかしら?」

「ユベールに丸めこまれたのだろうな。これも食材を『錬金』する修行だ……とかなんとか言われて」

 モンモランシーの疑問に、ジョンが推測を述べた。
 現在の代用肉は、味の上で、まだまだ改善の余地がある。リュリュに魔法料理開発者としての情熱があるのであれば、少しでも味を良くするため、たゆまぬ努力を続けているはず。ワインは肉とは違うが、そこはユベールが口八丁手八丁で言いくるめた可能性が高い……。

「あのワインに含まれていた、水を『錬金』して作ったワインもどき……。あれこそ彼女が作ったものであり、ある意味、修行の成果と言えよう」

 ジョンの言葉には、感心したような響きが含まれていた。
 それに気づいて、モンモランシーは考える。
 ……実際、混ぜ物ワインを出していたいくつかの店の人たちでさえ、デキが今一歩だと評する者はいても、混ぜ物と気づいた者は皆無だった。
 これでは、いくら混ぜ物入りだと主張したところで、気のせいだと一蹴されて終わりである。下手をすれば、『鉄鍋』の名を騙って文句をつけ、金を騙し取ろうとしているのだ、などとさえ言われかねない。

「……簡単にシッポ出してくれそうな相手じゃないわね。どうすんの?」

「ケッ、職人たちに聞くしかないな。作っている連中なら、少なくとも味の違いはわかるはずだ」

 こうして。
 違いのわかる男を求めて、三人は、ワイン工房めぐりを開始する……。

########################

 街の周りに点在する村を回り、ワイン工房を何件も訪ねる三人。
 職人たちは何か知っている素振りは示すものの、返ってくる答えは全部、知らぬ存ぜぬの一点張り。
 そして、日が傾き始めた頃……。
 三人は小さな村に来ていた。
 ほんの十軒ばかりの家が、緑の中にポツポツと佇むばかり。それでもワイン工房が一つ、村の端にあるらしい。
 レンガ壁の建物に近づくと、濃厚なブドウの香りが鼻をくすぐる。

「ごめんくださーい」

 玄関ドアをノックしても、返事も何もなく。
 耳をすませば、何か作業しているような音が聞こえてくる。

「人がいるのは間違いなさそうだな」

 ジョンの言葉に顔を見合わせ、三人は建物を回り込んで、音のする方へ。
 角を曲がった先には……一人の少女とブドウの山。
 大きな木のタライが置いてあり、端にはボートのオールのように、長い柄の杵が付いている。
 ワイン用のブドウを処理しているのだろう。彼女が柄の先を踏んだり離したりするたびに、杵が上下し、タライの中身をぺちこんぺちこんと叩く。

「ケッ。そんなんじゃダメだ」

 ジョンの漏らした不満の声に、ようやく彼女は三人に気づき、動きを止めた。
 十七、八といったところ……つまり『ワイン倶楽部』にいたリュリュと同じくらいの年頃だ。
 エプロンドレスは、質素だが清潔。頭をスッポリ覆う作業帽は、ぽこんと左右にふくらんでいるが、これは長い茶髪をお団子状に丸めているため。
 そして、何よりも目立つのが、その豊満な巨乳。せっかく作業の邪魔にならないよう、髪を束ねているのに、体を動かす度に胸が大きく上下して、なんとも仕事しづらそうに見えた。
 その胸を揺らしながら、彼女は振り向いて、

「……え?」

 その戸惑いの言葉に、真っ先にギーシュが反応する。
 彼女のもとへ歩み寄りながら、彼は薔薇の杖を振り、花びらを一枚のハンカチタオルに変えると、すかさずサッと差し出した。

「お嬢さん。まずは汗を拭いてください。その美しい顔が、もっとよく見えるように」

 少女はそれを受け取ったものの、ギーシュに礼を言うより先に、ジョンに疑問の視線を向ける。
 それを受けてジョンも、

「破砕の基本は軽く潰すこと。種の状態によっても風味は変わる。木の杵を使ってそんな風に破砕すると、種まで潰れて後々雑味を残すことになる。杵を落とし切るのではなく、タライの底を叩く直前に止めるんだ」

 ワイン造りのアドバイスらしきものを口にする。
 とたん、ジョンを見る少女の目が変わった。

「あなたがたは一体……?」

「ちょっと貸してみろ」

 ツカツカとブドウの山に歩み寄るジョン。
 少女の代わりにやってみせるのかと思いきや、ブドウをひと掴みすると、懐から取り出した鉄鍋にのせる。

「ちょっと待って! そんな大きなフライパン、いったいどこに入れてたのよ!?」

「なんだか……僕は完全に無視されているような気が……」

 モンモランシーのツッコミにも、ギーシュの愚痴にも取り合わず、

「ちょっと台所借りるぞ。どっちだ?」

「あ、はい。どうぞ。こっちです」

 裏口からドカドカと、ジョンは彼女の家に乗り込んで……。
 待つことしばし。
 やがて戻ってきた彼が手にしていたのは、澄んだ色の飲み物が入った、三つのグラス。

「このブドウからならば、これくらいのものは出来るはずだ」

「あ……すごい……」

「ふむ。これは旨いね」

 感心する少女やギーシュの横で、モンモランシーが思わずツッコミを入れる。

「なんでフライパンでワインが作れるのよ!? それもこんな短時間で!?」

「カカカカカッ! 俺さまは『鉄鍋』のジョンだからな。鉄鍋ひとつで、どんな料理も出来ちまうのさ」

 高笑いをするジョン。
 呆れて何も言い返せなくなるモンモランシーであった。

########################

「私は、キリっていいます。ここのワイン工房の職人で……同時に、ここのあるじです」

 三人を居間へと案内しながら、少女はそう名乗った。
 ジョンのウンチクと実演に感激したらしく、熱いまなざしを彼に向け続けている。
 彼女の話によると。
 ここは元々、キリの父親がやっていた工房だった。
 腕は良かったのだが、やや頑固なところがあって、時々キリに手伝いを頼むものの、基本的には一人でやっていた。
 その父親が、一年前に事故死した。
 工房をたたむという選択肢もあったが、少し悩んだ結果、彼女は後を継ぐ決意をした……。

「ケッ。工房を絶やさぬようにという気持ちは感心だが、その様子では、父親から教わっていないことも多いのだろう?」

 ジョンに言われて、キリは目をそらせた。
 なにしろ、つい今しがた、彼から作業のダメ出しをされたばかりである。

「多少のことなら教えてやれると思うが」

「本当ですか!? 是非……」

 目を輝かせて、再びジョンを見つめるキリ。
 二人だけで盛り上がりそうな空気に、モンモランシーが横から水を差す。

「ちょっと待って! それはいいけど、目的見失わないでよね!」

「ん? 困っている女の子を助けに来たんじゃなかったっけ、僕たちは?」

 薔薇を手に、ボケたことを言うギーシュ。
 さいわい、ジョンは忘れてはおらず、

「大丈夫だ。ワイン造りを手伝うのも、混ぜ物入りワインの真相究明の一環だ」

「……混ぜ物入りワイン……ですか……」

「そうだ。街で売られていたワインが混ぜ物入りでな。どうやら流通を取り仕切っている『ワイン倶楽部』が絡んでいるようなのだが……何か知らないか?」

 キリは表情を曇らせて、何か知っていますと言わんばかりの態度を見せる。
 しばしの沈黙の後。

「……職人仲間から、変な噂は聞きます……」

 彼女は、ポツリポツリと語り始めた。

「街で自分たちが造ったはずのワインを飲むと、味が変わっていた、って。……ユベールさんは、先代さんの時よりも割高でワインを引き取ってくれてたんで、最初は職人の間でも評判良かったんですが……」

「ケッ。うまいやり口だな」

 混ぜ物で原価を安く抑えられるのなら、ワインを多少割高で仕入れても、結果として儲けは大きくなる。
 なおかつ職人たちとしては、前より高く買ってもらっている以上、文句も言いにくい。

「……それで、今まで回った工房の職人たちは何も言わなかったのね。でもそうすると、前より割り増しされた分って、口止め料みたいなもんじゃないの」

「口止め料って……!」

 モンモランシーの言いように、キリは抗議の声を上げかけたが、途中で黙ってしまう。
 確かにそうかもしれない、と思ったのだろう。
 むしろ彼女は、ジョンとの会話に割り込まれたことで、反射的に反発しただけだったのかもしれない。

「まあ、これでだいたいの筋書きは読めたが……さて、どうするかな?」

 とりあえず、その場をとりまとめるジョン。
 結局これでは、ハッキリとした証拠にはならないのだ。

「あ! 決まっていないのでしたら……」

 気を取り直したかのように、キリが笑顔を作り、

「……今日のところは、うちにお泊まりになりませんか? 今から街に戻るのは大変でしょうし。部屋だけは余っていますから。それに……」

 と、ジョンに微笑みを向けて、

「ワイン造りの講義も、できればお願いしたいところですし」

 かくて三人は、キリの工房で一泊することになったのだった。

########################

 それから三日後。
 小さな村の小さな食堂を借り切って、ちょっとした集会が行われていた。
 集まっているのは、キリが声をかけて来てもらった、近隣のワイン職人たち。
 本題の前にまず乾杯、とワインを口にして……。
 とたん、全員が眉間にシワを寄せて沈黙。
 そう。
 彼らに出されていたのは、ユベールのところで売っている混ぜ物ワイン。

「これが、みなさんの仕事ですか?」

「これが、おまえたちが造ったワインなのか?」

 静寂を破ったのは、キリとジョンの問いかけ。

「その前に……あんた何者だ?」

 職人仲間であるキリはともかく、見知らぬジョンの存在を不思議がる職人。この場にはモンモランシーとギーシュもいるのだが、二人は目立たぬよう、店の片隅で黙って座っていた。

「俺か? ……ケッ。俺さまはジョン・オータム。アルビオン生まれの、流れの料理人だ」

 ジョンの名に、職人たちの間からオオッと呻き声が漏れる。彼らもジョンの噂は耳にしていたのだ。

「知っている者もいるだろう。目の前にあるのは、『ワイン倶楽部』がワインとして売っているシロモノ。……混ぜ物入りだ」

 ジョンは一同をぐるりと見回し、言い放つ。
 職人たちがざわめいた。
 ある者は驚愕に目を見開き、別のある者は気まずげに視線を逸らす。薄々気づいている者も、そうでない者も、両方いたらしい。

「ワインのような味と香りはする。よくできたカクテルだとは言えるし、これはこれで、と飲む者もいるかもしれん。……だが。これをワインと呼んでいいのか? これが自分の仕事の結果だと、皆は胸を張って言えるか?」

 誰かがつぶやく。そんなわけねぇだろ、と。
 他の者たちも、気まずく黙って目をそらせたり、怒りに顔を染めたりするばかりで、ユベールを擁護する者は皆無である。

「なら、みんなでユベールの旦那に直談判だ!」

 うち一人が声を荒げるが……。

「ケッ。それなら、もうやってみた」

 冷たい言葉を返すジョン。

「ご丁寧な言い回しで、証拠があるなら見せてみろ、と言われた。ここの全員で直談判に行ったところで、結果は同じだろう」

「けど集積所に乗り込みゃあ、混ぜ物に使ったもんがあるはずだろ? それを見つけりゃあ動かぬ証拠になるってもんさ!」

「……ワイン以外の飲み物も扱おうと考えていただけだ、とでも言われて終わりだな」

「じゃあ、どうすればいいってんだ!?」

 問われて、ジョンは言う。

「簡単なことだ。ユベールにワインを売らなければいい」

「それができるくらいなら、とっくにやってらあ。この辺りじゃ、ワインの仲買をやってるのは、あそこだけなんだぜ!?」

「ならば、新しいのを作ればいい」

「私が仲買を始めます」

 ジョンに続いて、キリが言い放つ。
 仲買にはワインに関する知識や資金も必要であるが、ワイン職人だったキリならば、ワインを扱う上での注意点などは十分承知している。父親が遺したワインを離れた街まで行って売り払えば、買い付けの資金もできる……。
 すでにキリは、父親から引き継いだ工房を一時的に閉める覚悟も完了していた。

「……状況が安定すれば、工房を再開できる日も来るかもしれません。ここで何もしなかったら、父さんのワインはこれからもずっと、混ぜ物をされて売られてしまう。それと比べれば、私が選んだ道の方が、父さんも喜んでくれるはずです」

 決然と一同を見渡すキリに、異を唱えようとする職人は一人もいなかった。

########################

 ガタゴト音立て、荷馬車は秋の道を行く。
 よく晴れてはいるものの、朝の空気はひんやりとしていた。
 御者をしているのはキリ。以前に父親の手伝いで荷物運びをしたこともあり、その手綱さばきは、なかなかのもの。
 荷車に載っているのは、パッと見では藁の山。実際にはワインが満載なのだが、日よけとして藁がかぶせてあるのだ。秋の山道とはいえ、樽が直射日光に長時間当たると、ワインの温度が上がり、味が劣化するからである。
 街道の先にある隣町まで行き、ワインを売りさばく。そのため、まだ夜明けのうちに村を発ったわけだが……。
 道の左右を覆う木々が、濃さを増した辺りで。

「うっ!?」

「ぎゃっ!?」

 複数のうめき声や争うような物音が、突然、木々の間から聞こえてくる。
 気になって、いったん馬車を止めるキリ。
 そちらに視線を向ければ、茂みの奥から街道へと姿を現したのは……。

「もう大丈夫。悪い奴らは、僕のワルキューレが全部やっつけた。安心したまえ」

「……ま、ここまでは読みどおりね」

 薔薇を手にキザなポーズを決めるギーシュと、精神的な意味で彼の手綱を握るモンモランシー。
 そして最後に出てきたのが、今回は野盗と間違われることもなく、無事だったジョン。

「ケケケ。悪党の考えることは、どこでも同じだな」

「そうするとやっぱり私……待ち伏せされてたんですか」

 やや不安げな声で、キリが尋ねる。
 そう。
 彼女の行く手、茂みの奥に身を潜めていたのは、ゴロツキ風の一団だった。おそらくは、キリたちの動向を知って、ユベールが送りつけてきた刺客たち。
 だが、そんなこともあろうかと、警護の意味で、ギーシュとモンモランシーがコッソリ荷馬車のあとをつけており……。隠れていたゴロツキたちを発見し、あっさり倒したのであった。

「悪いわね。囮みたいなことまでさせちゃって」

 事前に想定していたとはいえ、やはり自分が狙われたとなれば、キリも気持ちのいいはずはない。
 そう思って一応の詫びを言うモンモランシーであったが、キリは殊勝にも、

「いえ。これも必要なことですから」

「ふむ。さすが、きれいなお嬢さんは、心もきれいだ」

「バカなこと言ってんじゃないわよ、ギーシュ」

 強引にキリを褒めるギーシュを、モンモランシーが一喝。彼の視線がキリの豊満な胸に向けられていることに気づいて、それも後で叱ってやろうと思いながら、

「じゃ、私たちは彼らをふん縛って、街まで連行して背後関係白状させるから。あなたは頑張ってワイン売ってきてね、キリ」

 こうして敵を返り討ちにするのも、四人で立てた計画の一環だった。
 ワイン職人が本当に一致団結するまでは、それなりに時間もかかるはず。だがユベールが実力行使の妨害工作に出た場合、襲撃者をぶち倒して黒幕を吐かせることが出来れば、それで解決というわけである。

「はい。それじゃあ、そちらの方はよろしくお願いします」

「……打ち合わせどおり、俺さまは荷馬車に乗っていくぞ」

 言ってキリの隣に座るジョン。
 第二陣の襲撃があった場合に備えて、である。
 ジョンは、モンモランシーたちとの出会いの際には一緒くたにやられてしまったため、どうにも弱いというイメージがあるのだが、彼だって攻撃魔法を使えるのだ。

「はい。ジョンさんも、よろしくお願いします」

 モンモランシーとギーシュが今回の襲撃者たちからキッチリ話を聞き出せば、さらなる妨害計画があるのかどうか、それもわかるはず。
 危なそうならば、あとから二人も合流すればいいわけで、ジョンがキリに同行するのは、あくまでも『念のため』でしかない。だが、それでもキリは嬉しそうだ。
 彼女はペコリとお辞儀をして、再び荷馬車を進めていく。
 そんな二人の背中を見送って、

「さて。ギーシュ、この先の予定は、わかってるわね?」

「ああ、もちろんだよ。……って、モンモランシー!? いったい何を……」

 モンモランシーが無表情で杖を振り、水の塊がギーシュの体を包んだ。

「ぐげ! ごげ! 息が! 息ができなぐぼごぼげごぼぉ」

 もちろん、これは予定にはなかったことであるが……。

「……あなたの最近の態度、ちょっとね。だから、ここしばらくの分をまとめて、よ」

 敢えてもう一度言おう。ギーシュの手綱を握っているのは、モンモランシーなのである。

########################

 ざわめきが人々の間に広がってゆく。
 街の一角にある『ワイン倶楽部』の集積所。
 入ってくるのを最初は止めようとしていた門番も、敷地の中で作業をしていた人たちも、みんな動きを止めて、そちらに目をやっている。
 それはそうだろう。
 なにしろ、見知った顔の用心棒たちが、ズラリと縄で繋がれて、ゾロゾロ引っ立てられているのだから。
 彼らを引っ立てているのは、モンモランシーとギーシュ。ジョンとキリが続き、さらに、繋がれた用心棒たちの後ろからは、近隣の村から集まったワイン職人たち十数人。
 ……襲撃者を撃退して、キリのワイン売りも無事に終わった、その翌日のことである。
 近隣の職人たちを呼び集めて、その前で用心棒たちに全てを話させてから、全員でここに乗り込んだのだ。

「こ……これは……!」

 一団が集積所の建物に辿り着くより早く、騒ぎに気づいてか、ユベールが飛び出してきた。彼の後ろに続く者たちの中には、暗い表情のリュリュも含まれている。

「……どういうことだっ!?」

 ふん縛られた用心棒たちを見回して、大声で叫ぶユベール。
 ジョンが、突き放した口調で問いかける。

「ケッ。説明しなきゃわからないのか?」

「……そいつらが何かやったのか?」

 この期に及んで、まだとぼけるつもりらしい。

「こいつら、もう全部しゃべったぞ。……おまえがワインに混ぜ物をしていること。それに対してキリが策を錬ったと知って、彼女を襲ったこと……」

 ちなみに、彼らは面白いように何でもペラペラと白状した。
 どうやら、ギーシュの魔法でやられた直後に、そのギーシュが無表情のモンモランシーから水責めされているのを見たため、もう恐くてたまらなかったようだ。

「……そうか。そういうことか」

 ユベールは、苦々しげに口の端を歪め、用心棒たちを目で指すと、

「実はそいつらは、行状に問題があるので、先日クビにした連中なのですよ」

 ザワリと用心棒たちがざわめく。

「私を恨みに思ってか、あるいは、そう言えば罪が軽くなるとでも思ってか。私に頼まれた、などという作り話をしておるのでしょうな」

 あくまで言い逃れるユベール。
 ジョンたち一同、それが嘘八百だとわかってはいても、こう言われてしまえば、否定するだけの材料はない。
 その時。

「もうやめてください! こんな……インチキの片棒を担がされるのは、もうたくさんです!」

「……リュリュくん!?」

 叫んだ少女に、ユベールが形相を変える。制止しようとしたのだが、意を決した少女を止めることは出来なかった。

「……私……私は良かれと思って、みんなが喜ぶと思って、お手伝いしてたんです。でも……これじゃ話が違います! やっぱり『錬金』で作ったワインは、ワインじゃないんです!」

 堰を切ったように、リュリュの口から、言葉が止めどなく溢れてくる。

「……あれはワインじゃありません! 代用ワインです! ちゃんと代用ワインと銘打って販売するべきです! ……だって、代用肉を本物の肉だと偽って売ったら、そんなの詐欺じゃないですか!?」

 何を今さら……とツッコミを入れる者は、誰もいない。
 涙ながらに叫ぶ少女を責める男など、この世には存在しないのだ。……今さら言うまでもないが、この場にいるほとんどが男性である。

「……くっ……」

 ここまで言われては、もう誤摩化しようがないと悟ったか。
 ユベールがガクリと膝をつく。

「……ケッ。彼女を恨む必要はないぞ。どうせ、もうおしまいだったんだ。たとえこの場を言い逃れたところで、もうおまえにワインを売ってくれる職人など、いなかったんだからな」

 言ってジョンは、職人たちを見回した。
 彼らは皆、無言で頷きながら、ユベールの方へと詰め寄っていく。
 そうした光景を、他人事のように眺めながら。

「なあ、モンモランシー」

「何よ、ギーシュ?」

「あのリュリって女の子が、こんなにアッサリしゃべってくれるのであれば……。最初から、ややこしい作戦など立てずに、彼女の良心の呵責に訴えればよかったのではないかね?」

「……」

 返す言葉もないモンモランシーであった。

########################

 乾杯の音頭を合図に、カップのワインはみるみるうちに減ってゆく。
 いざこざ済んで日が暮れて。事件解決と、ワインの街の新たな門出を祝って。
 今、ワイン職人たちは、街の食堂を一軒借り切って、そこでパーッとやっていた。
 ……事件解決の主役であるキリとジョン、それにギーシュとモンモランシーも呼ばれている。

「楽しみね! ようやく『鉄鍋』のジョンの料理が食べられるわ!」

 そう。
 お祝いの場だから、俺さまがご馳走を作ってやろう……。そう言ってジョンは、現在厨房に引きこもり中。
 期待に胸躍らせるモンモランシーに、別の少女が声をかける。

「私も楽しみです! あのジョンさんが、私の代用肉をどう調理してくれるのか……。私の代用肉が、どう生まれかわるのか!」

 目をキラキラさせるリュリュ。
 彼女は元々、敵陣営の一員だったはずだが、それでもこの場に同席していた。
 もしも性格悪いネクラ男だったりしたら、ユベールと一緒に成敗されていたであろうが、さいわいリュリュは、可愛らしい少女。罪を憎んで人を憎まず……というより、ユベールに騙されて利用されていたということで、いつのまにか被害者扱いになっていた。

「カカカ! 待たせたな!」

 ちょうど料理を終わらせて、ジョンがやって来た。
 傍らには、彼の調理を手伝っていたキリ。なぜか表情が穏やかではないが、場の雰囲気が雰囲気なだけに、彼女に注目する者はいない。

「これなら、ワインにも合うぞ!」

 言ってジョンがテーブルに並べたのは、キノコのソテーを添え物にした、熱々ステーキ。濃厚なドロリとしたスープが、上からタップリかけられている。

「ほう! これは本当においしそうだ!」

「いただきまーす!」

 ギーシュやモンモランシー、そしてリュリュも職人たちも。
 さっそくステーキにかじりつき……。

「おいしい!」

「こりゃぁうめぇっ!」

「さすがはジョンさんだぜ!」

 口々に歓喜の声を上げる。

「……添え物のキノコも絶品だねぇ。なんだか、食べているだけで幸せな気分になってくるよ!」

「キノコなんかより、肉を食べなさいよ、ギーシュ! すごいわ、このステーキ! 舌がとろけそう……」

「驚きです! ブヨブヨの塊だとか、こんなもの肉じゃないとか、さんざんな言われようだった代用肉が……こんなおいしいステーキに化けるなんて!」

 感激する三人のメイジのところに、ジョンが歩み寄った。
 料理人のサガで、つい解説を始めてしまう。
 まずはギーシュに対して、

「……ケケケ。幸せな気分になるのも当然だ。野生のキノコの中には、幻覚作用を持つものもあるからな。そうした数種類のキノコを上手く組み合わせると、何でもいっそう美味しく感じられるよう、舌を覚醒できるのさ!」

「……え? 幻覚作用……!?」

 ギーシュの頬に、一滴の冷や汗が。
 かまわずジョンは、今度はモンモランシーとリュリュの方を向いて、

「代用肉がまずいと言われるのは、味が足りないのもそうだが、なにより食感が悪いからだ。食感を改善し、濃厚な味にするには、つなぎを加えればいい」

「……つなぎ?」

「そうだ。……といっても、卵や小麦粉を入れるわけじゃないぞ。今回はステーキだからな。動物性タンパクを加えることで、味を引き立てたのだ」

「……え? 動物性タンパクって……」

「いや、勘違いするなよ。魚や鳥やケモノや幻獣の肉を使っては、代用肉が負けてしまう。だから、そういった大きな生き物の動物性タンパクは入れていない。俺さまが使ったのは……よし、特別に見せてやろう」

 言いながら、彼は懐から小箱を取り出す。
 パカッと開けると、中にはウジャウジャと蠢くものが……!
 
「ぶぅぅぅぅっ!?」

「ぎゃぁぁぁぁっ!?」

「何よこれぇぇぇっ!?」

「ケケケ。安心していいぞ、これは食用で……」

 もうジョンの説明も耳には入らない。
 料理を吐き出し、テーブルを引っくり返し。
 大騒ぎのモンモランシーたちであった。





(「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ」完)

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 最後が少しグロくてごめんなさい。お食事中の方々がいなかったことを、切に願います。『鉄鍋のジョン』という料理メイジが出てきた段階で(そしてタイトルが「混ぜ物ワイン、ダメ、ゼッタイ」ではなく「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ」となっていることで)、ある程度、察していただけていればよいのですが……。

(2011年9月24日 投稿)
    



[26854] 第十一部「セルパンルージュの妄執」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/09/27 23:21
   
「おらおらおら。俺たちが甘ぇ顔してる間に、おとなしく出すもん出した方が身のためだぜ」

「でねぇと……」

 うららかな朝の街道で。
 いきなり木陰から現れて、月並みなセリフを吐く盗賊たち。
 彼らを沈黙させたのは、私の爆発魔法の一撃……ではなかった。

「……!?」

 背後の緑のその奥に、突然、生まれ出た気配。
 憎しみ、悲しみ、怒り、そして敵意。
 人間の持つ負の感情、全てが混じり合ったもの。
 すなわち、瘴気……。

「……な……なんだ……!?」

 脅し文句を中断し、盗賊たちは、慌てて辺りに視線を走らせる。

「き……気のせいか……?」

「いや……! 何かいるぞ! 近くに!」

 半ば悲鳴にも近い、盗賊たちの声が交錯する。
 気配は、どんどん近づいてきて……。

 ガサッ!

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 森の茂みを割って出た一匹のレッサー・デーモンは、私のエクスプロージョン一発で、あっけなく消滅したのだった。

########################

「……けどよ。このごろ多いよなあ、ああいうの」

 森の中ゆく細い街道。
 よく晴れた空などボーッと眺めつつ、のんきな口調で言ったのは、私の使い魔、サイトだった。
 ……レッサー・デーモンを一撃でぶち倒し、びびりまくる盗賊たちも成敗し、連中の蓄えていたお宝ゴッソリ没収したあとのことである。

「ああいうの、って……」

「……さっき娘っ子がアッサリ倒したデーモンのことか?」

「そう。ああいうの」

 私ではなく、背中の剣と会話を始めるサイト。
 御主人様をないがしろにして! ……と怒ってもいいところなのだが、やさしい私は、プンプンすることもなく、お仕置きエクスプロージョンもなく、海よりも広い心で許してあげる。
 サイトの得物は、ちょっと変わった剣。元々はサイトの世界から来た、日本刀という武器だったのだが、今はインテリジェンスソードとなっている。砕けてしまったデルフリンガーの魂が宿っているのだ。
 ただし十分な精神力がたまるのに時間がかかったそうで、以前のように話せるようになったのは、つい最近。それまでは、私もサイトも、デルフリンガーは消滅したもんだと思っていた。だから今のサイトが、私よりも復活デルフを選ぶのも、仕方のないことなのだ。

「……たしかに……昔と比べると、多いことは事実よね……」

 半ば独り言として、私はつぶやいた。
 レッサー・デーモンは、しょせん亜魔族。魔族としては最下級で、こちらの世界の何かに憑依しなければ具現できない程度のシロモノ。私もつい今しがた、何の盛り上がりもなく、いともアッサリ倒しはしたが、実は決して侮れる相手ではない。
 まがりなりにも『魔族』の名を持つ者なのだ。魔族なんて伝承や物語に出てくるだけの存在……と思っていた、並のメイジや騎士たちでは、倒すのはそれこそ命がけ。

「まあ、いいじゃねーか。どうせ娘っ子や相棒にとっては、たいした敵じゃねえ。それに、ああいうのがいる、ってことだけは、みんなもわかってきたようだし。……なあ、娘っ子」

 こちらに話を振るデルフ。
 サイトとの会話に、私も加えてくれるということか。剣なりの心遣い……かな?
 一応は笑顔を作って、私は相づちを打つ。

「そうね。そういうポジティブな考え方も、アリかもしれないわね」

 そう。
 元々このハルケギニアでは、魔族は実在しないという考え方が主流だったのだ。
 ところが少し前から、あちこちにレッサー・デーモンが頻繁に出現し、それに伴う被害が各地で出始めるようになった。
 おかげで今では、魔族の存在を疑う者は誰もいない。誰でも考えつくことは同じなようで、『レッサー・デーモン』という名称も浸透してきた。
 もちろん、普通に目撃されるのは、レッサー・デーモンのような亜魔族ばかり。そのため、レッサー・デーモンこそ『魔族』だと思ってしまい、純魔族の脅威までは理解していない者も多いようだが……。
 それでも、心の準備ができただけでも、以前と比べればマシと言えるだろう。
 なにしろ。
 私の予感が正しければ、人と魔族との戦争が迫りつつあるのだ……。

########################

 さて。
 たまには大きな街を訪れてみようか、ということで、ガリアの首都リュティスにやって来た私とサイト。
 しかし……。

「……何か……あったわね……」

「どうした、ルイズ? こんなところで足止めて」

「……これよ」

 怪訝な顔で問うサイトに、私は壁の貼り紙を目で指した。
 この世界の文字が苦手なサイトに代わり、読み上げてみせる。

「こう書いてあるの。『旅行中の学生メイジの皆様。急用なき方は、どうぞリュティス魔法学院までお越し下さい』って」

「……それがどうかしたのか?」

「ああ、なるほどな」

 やはり不思議そうなサイトとは対照的に、デルフリンガーは、わかったような声を出す。

「単純に文面だけ読めば、気軽に遊びに来てくれ、みたいなもんだもんな。相棒が騙されるのも無理ねーや」

「これには裏の意味があるのよ、サイト」

 リュティス魔法学院は、高名なトリステイン魔法学院にも匹敵する格式と歴史を誇る、大国ガリアに相応しい貴族の学び舎。
 交差した二本の杖を模した十字形の広大な校舎は、『旧市街』と呼ばれる中州のほぼ真ん中に位置しており、巨大な建物——各国からの留学生および地方貴族の子弟が暮らす寮や『塔(ラ・トゥール)』と呼ばれる魔法研究塔など——が並ぶさまは壮観であるという……。

「……そうした謳い文句は、少し大げさかもしれないけど……でも、特別なところであることだけは確かね」

「国内外でも裕福で有力な貴族の子弟しか通うことを許されない、選ばれた者たちの学院……ってこった」

 ややカッコつけた言い回しで、無機物である剣が、私の言葉を補足する。
 私は少し苦笑しながら、

「ともかく。どこの馬の骨ともわからぬ旅の学生メイジが、おいそれと入れる場所じゃないのよ。ところが、ワザワザそれを招待している……」

「……学生メイジの手も借りたい……って用件があんだろうな。しかも、具体的な用件が書かれてないってことは、一般の人間には知られたくない、重要な事件が、な」

 たかが学生と侮ることなかれ。
 私を例にするまでもなく、旅の学生メイジの技量というものは、えてして高いのが普通である。街道には野盗が出ることもあるし、弱っちょろいメイジでは、旅を続けられないのだ。
 それに、ガリアでは、貴族は騎士たるべし、との意識が強い。授業の中でも武芸が一番に奨励されているくらいである。学生メイジを戦力としてアテにする傾向も、他国以上であろう。

「……そうか。ここってガリアだもんな」

 私とデルフリンガーの説明を聞いて、ウンウンと頷くサイト。
 旅に出たまま戻ってこない王様とか、行方不明の王女さまとか、ともかくガリアは政情不安な国。だから何があってもおかしくはない、と考えているのだ。
 だが、たぶんサイトの想像は間違っている。
 さすがに、国のトップや政治に関連するような事件には、誰とも知れぬ学生メイジを関わらせるはずがない。

「……ともあれ、行ってみるっきゃないわね」

 言って私は、再び歩き出したのだった。

########################

「あの……『ゼロ』のルイズさん……ですね?」

 後ろから声をかけられたのは、街の大通りでのこと。
 リュティス魔法学院で話を聞いてから、繁華街まで戻り、軽く昼食。いざ目的地に出発、と店を出たとたんである。

「……そう……だけど」

 答えて振り向いたその先には、佇む一人の女の子。
 年は私と同じくらいであろうか。長い髪は無造作に後ろで束ねられ、着ているブラウスも少し薄汚れている。

「……あの……私、聞いちゃったんです。さっき魔法学院で、あなたの名前を」

「あんたも、あの場に?」

「はい。私も一応、貴族のメイジですから」
 
 なるほど、たしかに右手には杖を持ち、背中にはマント。それに、なんとなく高貴な生まれ特有の雰囲気があり、薄い鳶色の瞳には強い意思の力も宿っていた。

「あなた……噂に名高い、あの『ゼロ』のルイズさん……ですよね?」

 もう一度、確認するように聞いてくる少女。
 私は小さく頷いて、

「……どういう噂かは敢えて聞かないけど……たぶん、その『ゼロ』のルイズよ」

「お願いがあるんです! 私を……私を一緒に、カルカソンヌまで連れて行ってください!」

「ちょっ……!?」

 いきなりの大声に、私は慌てて彼女の右手を引っ掴み、そばの路地へと引っぱり込む。
 ちゃんとサイトがついてくるのを視界の隅で確認しながら、声をひそめて、

「……ちょっと! 大声を出さないで! 魔法学院に立ち寄ったなら、当然あんたも知ってるんでしょ!? 今……カルカソンヌで何が起こっているのか……」

「……ええ。もちろん。反乱……ですよね」

 瞳の奥に思いつめた色を浮かべて、彼女は頷いた。

########################

 ガリア南西部に位置したカルカソンヌは、王都リュティスから西に四百リーグほどの場所に位置する、中規模な城塞都市である。
 だが、その見た目は、ただの城塞都市ではない。
 幅五十メイル、長さ二リーグもの細長い、橋のような崖の上に造られた街。それは空から見ると、まるで巨大な蛇がうねっているような姿だという。
 立ち並ぶ赤レンガの屋根は、まさに蛇のウロコのよう。そんな景色にちなみ、城塞都市カルカソンヌは『セルパンルージュ(赤蛇)』の異名も持っている。
 人口二千人ほどの歴史ある街であり、幾度となく亜人の侵攻を防いだとも言われているが……。

「カルカソンヌは、王政府に反旗をひるがえしたんですよね。……ジュール・ド・モットという一人の貴族に乗っ取られて」

 そう。
 鉄壁の城塞都市も、内側の攻撃からには脆かったのだ。
 ただの客人として滞在していたトリステイン貴族が、あろうことか、カルカソンヌを治めていた領主を抹殺、街を武力支配してしまったらしいのである。
 話はすでに国の中枢部にも届き、王政府からは討伐隊も出発している。普通ならば、学生メイジの手など借りる必要もないのであろうが、ここで問題となってくるのが、ガリアという国の政治情勢。
 今回の反乱勃発に関わっていないとはいえ、ガリアには、かねてより王政府に対し不満と不信を感じていた諸候たちがいる。王都から離れたガリア南西部の諸候など、いつ反乱側に与するかわかったもんじゃない……。

「……ミイラ取りがミイラになる可能性もあり、王政府は、いまいち正規軍を信用しきれていない……。だから王政府は、ガリアの有力貴族とは関わりが薄い、旅の学生メイジたちを駆り出そうとしてるんですよね」

「状況わかってるじゃない! だったらわかるでしょ!? 大通りの真ん中で立ち話できる話題じゃない、ってことくらい!」

「……あ」

 今さら気づいた、という声をあげる少女。
 しかし、私に声をかけてきた時の彼女の目を思えば、どうやら彼女、何かワケアリっぽい。

「……とにかく……あんたの事情も聞かせてもらいましょうか。まず……そうね、あんたの名前は?」

「……リュリュ……」

 答えたのは彼女ではなく、しわがれた老人の声だった。

「……!?」

 思わず振り向いたその先、路地裏の奥には、佇む黒い影ひとつ。
 黒のマントに、目深にかぶった黒フード。うつむき気味なため、フードの下の顔は陰になっている。猫背のせいもあって、かなり小柄な体躯に見えるが……。

「……あなた……は……?」

 不安の色を滲ませながら、少女——リュリュという名前らしい——が問いかけるのを、老人は無視して、

「……なるほど……そちらが、あなたの目にかなった刺客ども、というわけですな。我らを倒すための……」

「我らを倒すため、って……。それじゃ、あなたはモット伯の……!?」

「わしのことは『赤蛇の王』とでも呼んでくだされ。それでは早速……お手並み、見せてもらいますぞ」

 大げさに名乗った老人は、右手の指をパチンと鳴らした。
 どこかで見たような動作。
 頭の中を通り過ぎる既視感には執着せず、とにかく私は杖を構える。老人が私たちに宣戦布告したことだけは、確実だからである。
 サイトも背中の日本刀デルフを引き抜き……。

「……なっ……!?」

 異様な光景に、サイトが驚愕の声を上げた。
 蠢く闇……。
 路地の奥、老人の周りにわだかまる闇が、波打つようにザワザワと動いているのだ。
 ……いや、闇ではない。
 その正体を悟って、リュリュの口から小さな悲鳴が飛び出す。

「……ひっ!?」

 それは影に潜んだ、数十匹のネズミたち!
 老人の合図で寄り集まってきたのだ。
 しかも……。

 ミチッ!

 きしむような物音が、路地裏に響いた。
 私の横では、サイトが、踏み出しかけた足をその場に止めている。
 そして……。

 ミチッ……ミチミチミチッ! ミリッ!

 きしみ、音を立てているのは、老人の周りに集まった大量のネズミたち。
 ……いや、もはや『ネズミ』と呼ぶのは相応しくないであろう。それは異形のものへと変質しつつあった。
 骨が、肉が、裂け、きしみ、新たな肉と骨とが生まれる。
 両手のひらに乗る程度の大きさだったものたちが、今やそれぞれ、ひとかかえほどの大きさに巨大化し、なおも大きさを増しつつあった。

「……う……あ……」

 ありえない光景に、小さく呻くリュリュ。
 その傍らで、私は大きく叫んでいた。

「思い出した!」

 この『赤蛇の王』と名乗る老人がやった、指をパチンと鳴らす仕草。あれは、以前に出くわしたヴィゼアという魔族が、オーク鬼の大群を呼び出した時のものと同じだったのだ。

「……あんた……魔族だったのね……」

 そう。
 魔族ならば、これくらいの芸当、たやすいのであろう。
 ただし、今回はオーク鬼ではない。
 彼が今、やってみせたことは……。

「……っくっくっ……。めったに見られる光景ではないはずじゃが……前に見たことあったのか?」

 ネズミから造り上げたレッサー・デーモンたちに囲まれて、『赤蛇の王』は、余裕の笑い声を漏らしていた。

########################

 ヒュゴガァッ!

 爆音と火炎が、いきなり弾け散る。
 人々の悲鳴は、一瞬の間を置いた後だった。
 私たち三人が路地を抜け出し、横へと避けた、まさにその時。
 レッサー・デーモンたちが放った炎の矢が、大通りの真ん中で炸裂したのだった。
 
「みんな逃げてっ!」

 時間のせいか、大通りにもあまり人は出ておらず、さいわいケガ人などはいないようだ。
 それでも、路地裏からヌウッと、レッサー・デーモンが姿を現せば大騒ぎとなる。
 再び悲鳴が巻き起こり、さして多くもない通行人たちは、慌ててバラバラと逃げてゆく。

「サイト!」

「おうっ!」

 これくらい開けた場所に来たなら、なんとか戦える。
 それはサイトにも伝わったのだろう。
 剣を携え、彼は走る! レッサー・デーモンの群れに向かって!

 るぐぉぉぉぉぉぅっ!

 レッサー・デーモンも吠え、体の前に、数十本の炎の矢を出現させる。サイトを迎え撃つつもりのようだが、そうはさせない。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ!」

 私の魔法で、先頭の三匹がまとめて消滅。
 これで連中の注意は私に向いたが……。

 ザンッ!

 一気に飛び込んだサイトの剣が、一匹のデーモンの腹を薙ぐ!

 ぐををををうっ!

 断末魔の悲鳴を上げて倒れるレッサー・デーモン。
 再び私からサイトへ、奴らの関心が移動。その隙に。

 ボワッ!

 小さな爆発魔法が、一匹のレッサー・デーモンを貫いた。
 サイトが斬り込んでいった以上、あまり大きいのは、彼を巻き込む恐れがある。ピンポイントで、一匹ずつ狙って倒していくしかない。
 とはいえ、このレッサー・デーモンという奴、能力的には決して低くはないのだが、連携など考えておらず、攻撃もかなり一本調子。互いをフォローしつつ戦う、私とサイトの敵ではなかった。
 やがて……。

「……すごい……」

 感嘆の声を上げるリュリュ。
 最後のレッサー・デーモンが、私の呪文で無と化したのだ。
 さて、これで残るは、あの『赤蛇の王』とかいう奴だけなのだが……。

「ほほぅ。あれだけの数のレッサー・デーモンをこの時間で、か。なかなかやるのぅ」

 声は、上から聞こえた。
 振り仰いだその先、建物の屋根の上に、佇む小柄な黒い影。

「見物してないで降りてきたら!? 私達のお手並み拝見なんでしょ? レッサー・デーモンじゃ役者不足……となれば、あんたの出番のはずよ」

 魔族である『赤蛇の王』にとっては、高いところに登ったり降りたりするのは、メイジ以上に簡単なこと。空間を渡って、私達の背後に突然出現することだって可能なはず……。

「いやいや。わしは高いところが好きでな。どうじゃ、お前たちの方から、上がってきてみてはいかがかな?」

「おう! 言われなくても、こっちから……」

「ダメよ、サイト!」

「やめとけ、相棒。娘っ子の言うとおりだ」

 ズイッと歩み出るサイトに、制止の声が二つ。

「なんでだ? あいつ、高いところに登ったはいいけど、降りてこれなくなったんだろ? その程度の奴……」

「なんでぇ、相棒。そりゃあ相手を甘く見過ぎだ」

「そうよ! ああ見えて、あの老人は魔族なのよ!?」

 もしかするとサイトの言うとおり、『赤蛇の王』には、空間を渡る能力はないのかもしれない。
 だからといって、ナメてかかれる相手ではないのだ。レッサー・デーモンを一気に大量生産する、という技があるのは確実だし、他にも何か大技を隠し持っている可能性は高い。
 だいたい、魔族と戦うというのに、足場の不安定な屋根の上に登ったら、人間であるこちらの不利は目に見えている。

「……どうした? 来てくれんのかな?」

「行かない」

 キッパリ言い切る私に、『赤蛇の王』は余裕の口ぶりで、

「しかし……それでは、お前さんがたの方が困るのではないかな? わしがその気になれば、この王都の全てのネズミや犬猫たちを、デーモンにしてやることも出来るのだぞ」

「そう? じゃ、やれば? 私はちっとも困らないから」

 スケールの大きな話だが、そんなもんに負ける私ではない。

「……ハッタリだと思うておるのか……? それともレッサー・デーモンなど、何百何千いようと敵ではない、とでも?」

「残念。どっちでもないわ」

 私は指を一本、ビシッと相手に突きつけながら、

「あんたがこれからここで何をしようとも、私たちは、無視してリュティスを出て行くだけだから」

「……っなっ……!?」

「え!?」

「おいルイズ!?」

 敵である『赤蛇の王』だけでなく、リュリュやサイトまでもが声を上げた。
 デルフリンガーだけが、少しニュアンスの異なる感じである。

「さすがは娘っ子だ。言うことが違ぇや」

「さ、みんな。とっとと街を出るわよ。あいつが屋根の上で遊んでいる間に、カルカソンヌまで行って、その、モット伯ってやつ倒すのよ」

 言ってスタスタ歩き出す。

「こら待て! 待たぬなら……この王都を破壊してもよいのだぞ!?」

「……なあ、ルイズ。あいつ何か言ってるぞ」

「放っておけばいいわ」

「けど……街を壊す、って言ってますよ」

「気にしちゃ負けよ、リュリュ。どうせ口だけなんだから」

 アッサリ返す私。
 こちらは口からデマカセではなく、根拠あっての発言である。
 ……ここまでの言葉のやり取りから考えて、『赤蛇の王』は、カッとなって突っ走るタイプとは違う。そして最初に言ったとおり、あいつの目的は、こちらの戦力調査。ならば、王都壊滅などという、意味のないことをするはずがない。

「ま……待てっ! 待てと言っておるにっ! いかんぞ、そういう無責任な態度はっ! これだから最近の若いもんは……」

 まるで人間の老人のような愚痴を吐く『赤蛇の王』を完全に無視して、私たち三人は、その場をあとにしたのだった。

########################

「……さてと。それじゃあ聞かせてもらいましょうか、リュリュ。一体どういう事情があるのか……」

「……いや……事情説明するのはいいんですけど……なんでこんな場所で、なんですか?」

 声をひそめて問う私に、つられてリュリュも、声をひそめて問い返す。
 王都リュティスを出て少しの場所。
 私たちは街道を離れ、さして大きくもない森の中へ。そして、やや奥まで進んだところで足を止めたわけである。

「……決まってるじゃない。あの『赤蛇の王』ってのをやり過ごすためよ。さっきの様子だと、私たちを追っかけてきそうだったし、当然そうなると、カルカソンヌへ向かう街道のほう探すでしょうから。……こうして反対側に隠れてたら、見つかりっこないわ」

 いくら空間を渡れる魔族とはいえ、私たちの居場所がわからなければ、追いつきようがない。
 まあ、あの魔族の場合、そもそもその能力を持たないようだが、まだ断言はできないし、油断は禁物である。

「なるほど……。ここでしばらく話をして、それからカルカソンヌへ向かうわけですね?」

「そういうこと。多少は時間のロスになるかもしれないけど、あいつをやり過ごせるなら、そのほうがいいでしょ?」

 言って私は、マントを敷物の代わりにして、草の上に腰を下ろす。

「……と、いうわけで。説明してもらいましょうか。あなたがカルカソンヌへ行かなくちゃあいけない理由。そして、あの『赤蛇の王』が、あなたをマークしていた理由を」

「……ええ……」

 彼女も私と同じように、マントを下に敷き、腰を下ろす。
 しばし、何か考えこむかのように、黙って下を向いていたが、やがて顔を上げると、キッパリとした口調で言った。

「友だちを……助けなきゃあいけないんです」

########################

 ガリア西部に、ルションという街がある。暖かい気候の住みよい街だ。
 リュリュは、そのルシュンの行政官の娘として、何ひとつ不自由なく育った。
 お金に任せて、世界中の美味しいものを買いあさるくらいだったが、食べるほうから作るほうへと興味が移ったのが、彼女の人生における大きなターニングポイントとなった。
 ……料理は身分が低いものの作業とされており、貴族の娘が本格的に料理を学ぶとなると、風当たりも強かったのである。
 色々あって家を出て、各地を放浪するリュリュ。その過程で彼女は知った。世の中のほとんどの人は、美味しいものを食べられない、ということを。
 おいしいものが庶民に行き渡るには、どうしたらいいのか……?
 リュリュは考え、彼女なりの答えを出した。量が足りないからいけないのだ、と。そして『錬金』で、豆から代用肉を作り出し、それは行く先々の街で、お店で売られるようになり……。

########################

「へえ。リュリュって、あの代用肉の考案者だったんだ」

 素直に感心する私。
 味は悪いのだが値段は安いので、旅の学生メイジの中には、保存食として活用する者もいる。

「はい……」

 自慢げな態度は取らないが、リュリュは、もっと誇ってもいいと思う。
 本来『錬金』という魔法は、食べ物を作るには向いていないのである。それくらい、私でも——『錬金』など使えぬ私でも——知っているくらい、メイジには常識な話。

「……で、それはいいとして……。あなたの生い立ちと、カルカソンヌの話と、どう関係してくるわけ?」

 このままでは、いっこうに本題に入りそうにないので、話のペースを上げるよう、それとなく催促する私。

「あ、はい。旅の途中で出会ったのが……アネットさんとオリヴァンさんだったのです」

########################

 代用肉の味を向上させるという、一風変わった魔法修業の旅を続けていたリュリュ。時には悪い奴に騙されて、その技術を悪事に利用されることもあり、一人旅の難しさを痛感することもあったが……。
 そんな時に出会ったのが、オリヴァンとアネットという主従であった。
 オリヴァンは、古くからガリア王家に仕える名門貴族の家系であり、リュティス魔法学院に籍をおく学生メイジ。一時はグレて屋敷に引きこもっていた時期もあったのだが、ちょっとした事件をキッカケに立ち直り、一念発起して、修業の旅に出た。
 その『ちょっとした事件』にも関わったのが、アネットという名前のメイドである。オリヴァンがグレていた頃ですら、唯一彼を信じていた彼女は、オリヴァンの専属メイドとなって、当然のように旅に同行していたのであった。

「彼女は私より一つだけ年上なのですが、一つしか違わないとは思えないくらい、大人なんです。包み込むような雰囲気を持った女性で……。伯爵家で甘やかされて育ったオリヴァンさんとは、ある意味、いいカップルでした」

 年齢が近いこともあって、リュリュは、すぐにアネットと仲良くなった。
 ごく自然に、二人の旅に同行する形となったリュリュ。普通ならば、仲の良い男女二人と共に旅をすれば、自分は邪魔者だと感じる瞬間も出てくるかもしれないが、そんな疎外感は全くなかった。
 しばらく三人で、愉快な旅を続けていたのだが……。

「……あの街に立ち寄ったのが、不幸の始まりでした……」

 城塞都市カルカソンヌ。
 少しの間、そこに滞在することにした三人。
 街の中を歩く彼らをたまたま見かけて、いきなりアネットに言い寄ってきたのが、ジュール・ド・モットであった。
 ……彼は『波濤』という二つ名を持ち、元々はトリステイン王宮に勤めていた貴族。それが何やら問題を起こして国を追い出されたらしく、客人としてカルカソンヌの領主のところで世話になっていた。トリステイン時代から好色で知られていたそうで、国外追放となったのも、女性問題のトラブルが原因ではないか、というのが、もっぱらの噂だった。
 そんな男に、アネットがなびくわけはない。それでもモットは、しつこくアネットに言い寄り続けた。

「アネットさんは『将来を約束した恋人がいるから』と断ったのです。ええ、もちろん、オリヴァンさんです。……それまで二人は、ハッキリとした恋人同士という意識はなかったみたいですが、モット伯が、ある意味では良いきっかけになったのですね」

 もちろん、オリヴァンとアネットの間には、貴族と平民という身分の違いが存在し、それなりに前途多難であるのだが、それでも二人なら何とかやっていける……。リュリュはそう思っていた。
 そんな時。
 そのオリヴァンが突然、おかしな事故で亡くなった。
 三人を知る者たちは噂した。モット伯が、アネットを手に入れるために、事故に見せかけて、オリヴァンを殺したのではないだろうか、と。
 噂の真相は、むろん誰にもわからない。
 しかし、そんな噂のある男に、アネットが好感を持つはずもない。
 誰もがそう思った。
 だが……。

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「……アネットさんが、モット伯の妾になったのは、それからしばらくのことでした……」

 うつむいて、リュリュはポツリとそう言った。
 その辺りの話はあまり触れたくないようで、彼女は途切れ途切れに、おおざっぱに話を進めていた。

「理由を聞いたけど……答えてくれませんでした……困ったような顔をして……。アネットさんのことが心配で、しばらく私はカルカソンヌに留まっていたのですが……あまり会う機会はありませんでした。ただ、噂で聞いた限りでは、幸せとは程遠い生活のようで……」

 ……そりゃそうだろう。
 アネットという彼女が、何を考えてモット伯の妾になったのかは知らない。だが、モット伯がロクな男でないことだけは確かだ。
 私もトリステインの生まれなので、昔、彼の噂を聞いたことがある。王宮の勅使として様々な場所に出かけては、平民の若く美しい娘に目をつけて、半ば強引に屋敷へ連れ帰っていた……とのこと。
 手当り次第にメイドを手篭めにするような男が、一人の女性を愛し続けるはずもない。気に入ったものは欲しがるが、手に入ってしまったものには興味をなくす、というタイプのようだ。

「……そろそろカルカソンヌを発って、また一人旅に戻ろうか……。そんなことを思いながら、ズルズルと宿に滞在して、出発を先延ばしにしていたら……ある日、使いの人が来て……」

 それは、アネットからの呼び出しだった。

「今すぐ会いたい、って。そんなこと初めてだったので慌てて行ってみたら……。そこで彼女から聞かされたんです……」

「……モット伯が反乱起こそうとしてる、って?」

 私の問いに、リュリュはこっくり頷いた。

「街全体を巻き込むつもりだ、あなたは逃げて、このことを王都に伝えてくれ、って……。まさかそんな、と思いましたが、それでも私は出発しました。けど……」

「……もう手遅れだったわけね」

 私の言葉に、リュリュは再び頷いた。
 彼女が王都リュティスに辿り着いた時。すでにモット伯はカルカソンヌを乗っ取り、大規模な反乱を開始していたのだ。

「しょせんモット伯は、よそものです。どうやって街を支配したのかはわかりませんが、国の正規軍が動けば、街の鎮圧は時間の問題だと思うんです……。でも、そうなったら、きっとアネットさんも巻き込まれる……」

「……なるほど……ね。それで、正規軍より先にカルカソンヌへ行って、なんとかしたい、と」

 正規軍云々に関しては、おそらく、リュリュが考えているほど話は単純じゃない。国の情勢や諸候の動向などと絡んで、この一件が長期化する可能性もある。
 まあ、それでも、魔法学院経由で多くの学生メイジたちが戦力として送り込まれているのは事実。モタモタしていられないのは、確かである。

「……私もメイジですけど、攻撃呪文は苦手ですから……」

「……で、あんたをカルカソンヌまで連れていってくれそうな人間が来るのを待ってて……私たちがそこに来た、と」

「虫のいいお願いだ、ということはわかっています。足手まといになることも、私がカルカソンヌに行ったからって、どうにかなるものでもない、ってことも。……けど……」

 リュリュの言葉が、そこまで進んだ時。

「……とりあえず、話は一時中断だ」

 突然サイトが口を挟む。
 それまで彼は、近くの大木にもたれかかっていたのだが、今は身を起こして、しかも剣を構えている。

「……ほう…わしの気配に気づくとは、さすがだのう……」

 森の中から、新たな声。
 生い茂る緑の連なりを、カサリとも揺らさず、木々の間から出てきたのは……。

「へえ。あんたこそ、さすがだわ。私のフェイントに引っかからず、もう追いつくなんて」

「なぁに。若いもんの考えることくらい、お見通しじゃて」

 相変わらず、まるで人間の老人のような口ぶりの魔族……『赤蛇の王』であった。





(第二章へつづく)

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 原作「ゼロ魔」で赤いっぽい地名が他に思いつかなかったので、今回の舞台はカルカソンヌ。エギンハイム、アンブランの次がカルカソンヌならば、ガリア国内を旅しているということで、地理的にもちょうどいいかな、と思ったので。
 さて、番外編短編11でリュリュを出したのは、ここで本格的に使うための紹介、という意味でもありました。あの短編を敢えてギーシュ&モンモランシーの話にしたのも、本編以前にルイズがリュリュと出会っていては、話がややこしくなるから。
 なお、リュリュは「タバサの冒険」第二巻、アネットとオリヴァンは同じく第一巻に登場する、「ゼロ魔」原作キャラです。

(2011年9月27日 投稿)
   



[26854] 第十一部「セルパンルージュの妄執」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/09/30 23:28
   
「へえ。あんたこそ、さすがだわ。私のフェイントに引っかからず、もう追いつくなんて」

「なぁに。若いもんの考えることくらい、お見通しじゃて」

 こんなに早々と見つかってしまうとは、正直、私も驚いていた。
 同時に、作戦ミスだったという後悔の念がドッと湧いてくる。
 ……長話をするのであれば、せめて、何かあっても有利に戦える場所で話し込むべきだった……。
 なにしろ、ここは森の中。
 生い茂る木々。広がる大自然。
 当然、森の中には無数の小動物が生息している。
 それら全てが『赤蛇の王』にとっては、レッサー・デーモン量産の材料となり得るのだ。

「……そうするとやっぱり、自分の力に自信ないから、今回もレッサー・デーモンぽこぽこ呼び出して、私たちにけしかけるつもり?」

 挑発してみる私。
 おそらく『赤蛇の王』は、私の挑発なんて受け流して、レッサー・デーモンを呼ぼうとするだろう。
 だが、あらかじめわかっているならば、こちらとしても対処のしようもある。
 動物たちが憑依されてレッサー・デーモンになるまでの、そのタイム・ラグを利用すれば……大技で一気に吹っ飛ばすことも可能! その意味では、街中ではなく森の中であることが、私に有利に働く!
 ……と思ったのだが。

「いやいや。御期待のところ申し訳ないが、あれは今回、なしじゃ」

 その一言が、私の計算を引っくり返した。

「さっきの戦いを見たところでは、レッサー・デーモンなどけしかけたところで、単なるいやがらせにしかならんようじゃからのぅ。……そんなもの戦いの邪魔になるだけだ、と仲間に言われての……」

「仲間……?」

 眉をひそめて問う私。

「おうとも。紹介しよう。……これ。隠れておらんで出てこんか、『トカゲ』よ」

 その言葉と同時に。

 ゾワリッ……。

 凍てつくような殺気が、私たちの後ろに生まれた。
 慌てて後ろを振り向けば、同じような緑の連なりの中。
 木陰から陽の光の下へと姿を現す、異形の怪物……。

「リザードマン!?」

 リュリュが思わず声をあげていた。
 全身を覆う、枯れ葉色のウロコ。長々と伸びた尻尾。
 たしかにリザードマンだと言いたくなる気持ちはわかる。
 しかし、そんなものは、英雄譚の本にしか出てこない架空の生き物である。
 ならば……おそらく、こいつも魔族。トカゲと人間のキメラという可能性もなくはないが、『赤蛇の王』が仲間と言った以上、彼と同じ種類の存在だと考えた方が理にかなっているだろう。

「さてと……『トカゲ』、お前はどちらと戦いたいかの?」

 問われて『トカゲ』は、答える代わりに……。

 シャウッ!

 音を立てて両手の爪を伸ばす。
 合計十本。長さはまちまち。短剣程度から、ロング・ソードほどの長さまで。
 そしてそれで、ゆっくりとサイトの方を指し示した。

「……なるほど、剣士か。なら当然、わしの相手は嬢ちゃんじゃな」

「そういうことになるみたいね」

 私は『赤蛇の王』の方に向き直り、

「……って、それはいいけど、人と話をする時は、せめて相手に顔くらい見せるもんよ」

「おうおう。これは気づかんかったの」

 応えて彼は、無造作に、伏せていた顔を上げる。
 フードの下のその顔は、白い髭をたくわえた老人のもの。

「……へぇ。普通の顔してんのね」

「当たり前じゃ。人間の顔をしとらんとでも思うたか? そう化け物あつかいせんでくれ。……話は尽きぬが、そろそろ始めるぞ」

 言って動き出す『赤蛇の王』。戦闘開始宣言とは裏腹に、こちらを向いたまま、森の中へと退いてゆく。
 木々の間に隠れ、気配を消しながら、私を攻撃するつもりらしい。そんなことをされては厄介である。

「そうはさせないわ!」

 あとを追いながら、呪文を唱えて杖を振る。
 私の爆発魔法が木々を薙ぎ倒すが、『赤蛇の王』には直撃しない。彼は早くも、森の陰と一体化して、その姿を消していた。

「乱暴な嬢ちゃんじゃのう。森が火事になるぞい」

 軽口だけが聞こえてくる。 
 ……いや!
 言葉だけではない。続いて、森の奥から氷の蔦が伸びてくる。『赤蛇の王』の冷気攻撃だ。
 こんなものに絡め取られては、ただ寒いというだけでは済まないだろう。
 慌てて大きく後ろに跳ぶが、氷の蔦は、まだ広がりつつある。
 爆発魔法で迎撃するには、ちょっと広範囲すぎ。まとめて大技で一掃する……ほどの呪文を詠唱している余裕はない。

「サイト!」

 助けを求めるかのように、私は大きく叫んだ。

########################

 ギッ! ギュンッ! ギィンッ!

 立て続けに上がる金属音。
 防戦に回っているのは、サイトの方だった。
 敵の『トカゲ』は、長さの異なる長短の爪十本を武器としている。それが、一見でたらめのような動きで、波状攻撃をしかけてくるのだ。
 サイトは、それらを捌くので手一杯で、攻撃に移るチャンスを掴めない。これでは、せっかくのガンダールヴの神速も封じられた状態である。
 なにしろ、彼が間合いを取ろうとすれば、その前にサイトの挙動から察して、『トカゲ』が踏み込んでくる。完全に『トカゲ』の間合いで二人は斬り合っているのだ。
 とはいえ、サイトの得物は、日本刀バージョンのデルフリンガー。たとえ不利な間合いでも、あんな爪を斬り落とすくらい、簡単そうに思えるのだが……。

 ヒュンッ!

 風を裂く音が辺りに響いた。
 ……尻尾!
 長い『トカゲ』の尻尾が、サイトの足下を狙ってうねる。
 しかし、この時。
 計っていたかのように、サイトが後ろにさがった。今この瞬間、『トカゲ』は不安定な状態であり、動けないのだ。
 サイトの剣が閃く。

 ギュガギィンッ!

 一撃を受けた『トカゲ』の爪数本が、まとめてへし折れ、宙に飛ぶ。
 チャンス……と思いきや、しかしサイトは、さらに退いて間合いを外す。
 そして。

 シュンッ!

 へし折れた『トカゲ』の爪が、再び元の長さに伸びる。
 なるほど、これは面倒な相手である。
 呪文で援護、といきたいところだが、むしろ助けて欲しいのは、こちらの方。

「サイト!」

 私の叫びに気づいて、反応するサイト。
 身をかがめたかと思うと、こちらに向かって、何か投げつけた。
 立った今サイトにへし折られたばかりの、『トカゲ』の爪である!

 サンッ!

 地面に突き立った爪を、氷の蔦が絡め取る。
 ……なるほど、身替わりを用意してくれたわけね。
 氷の蔦が爪とたわむれていたのは、時間にすればわずかであったが、その一瞬のタイム・ラグを利用して、私はダッシュで逃げ出していた。
 森を出て、やってきたのは元の場所。
 しかし。

「逃がしはせんぞ」

 一体いつの間に!?
 目の前には、先回りしていた『赤蛇の王』。サッと手を振り、私に向かって冷気の矢を放つ。
 私は反射的に、近くの木の幹に身を隠した。
 とりあえず今の一撃はやり過ごした、と思ったのだが……。

「あぅっ!?」

 上がった悲鳴はリュリュのものだった。
 見れば、少し離れたところにいた彼女が膝を折り、地面にしゃがみ込んでいる。その左足の先は、霜吹く氷に覆われていた。

「ふむ。リュリュ殿を巻き込むつもりはなかったのだがのぅ。へたに嬢ちゃんが避けたりするもんだから……」

 言いかけた『赤蛇の王』の体を、唐突に飛び来た水の塊が吹っ飛ばす。
 盛大に地面を転がって、それでも何とか身を起こし……。

「おやおや。邪魔が入ってしまったようじゃな」

 彼の視線の先には、見知らぬ顔の少年が一人。

「失礼。どう見ても、そちらが女性を襲っている……という場面に見えましたから」

 まだそばかすが目立つ子供であるが、杖とマントを見れば、いっぱしのメイジであることは一目瞭然。
 子供とはいえ侮れぬと判断したか、あるいは、ただ単に邪魔が入ったのを嫌がったか。『赤蛇の王』は、少年と私とを交互に眺めつつ、

「……『トカゲ』よ! 今日のところは退くとしようぞ!」

########################

 ギィンッ!

 爪と刃が交錯する。

「……くっ!」

「おい、相棒!?」

 押し負けたか、はたまたバランスを崩したか。相手に背を向けるように倒れ込んだのは、サイトの方だった。
 好機とばかりに、『トカゲ』が爪を振り上げるが……。

「……『トカゲ』よ! 今日のところは退くとしようぞ!」

 退却の声が響いたのは、この時だった。
 わずかに。
 戸惑いの色を浮かべて、動きが止まる『トカゲ』。
 その隙を見逃すサイトではない。
 瞬間、身を捻りざま、デルフリンガーで斬り上げる!

 ザンッ!

 不安定な状態で放った一撃だったが、さすがはガンダールヴ。『トカゲ』の腹を大きく薙いでいた。
 のけぞった『トカゲ』は、そのままドウッと仰向けに転がり、動かなくなる。

「あれ……? 意外に、あっけなかったな……」

「それだけ相棒が強いってこった」

 彼と剣との会話には、余裕の響きすら混じっていた。
 一方、仲間の絶命を悟ると同時に、『赤蛇の王』は、無言のまま森の中へと飛び込み、姿を消した。
 本当に退却したのか、あるいは、そのフリをして私たちを闇討ちするつもりか。
 私は、しばし警戒を続けるが……。
 どうやら、奴は本当に逃げ去ったらしい。その場は、平穏な森に戻っていた。

########################

「……シャルロと申します。以後、お見知りおきを」

 自己紹介しながら、魔法でリュリュの足を癒す少年。
 そばかすのせいで幼く見えるが、年齢は私と二つしか違わないらしい。聞けば、トリステイン魔法学院に籍を置く学生メイジだ、とのこと。

「……あの……ありがとうございました」

 リュリュがペコリと軽く頭を下げた。今してもらった治療と、さきほどの介入と、両方の分であろう。
 彼はパタパタと手を振りながら、

「なあに、いいってことです。ああいう場面に出くわしたら、レィディを助けるのは男の義務ですから」

 紳士ぶった口調で言い放つ。

「ところで、あなたのお名前は?」

「リュリュ、っていいます」

「そっちの二人は、従者?」

「……おい……」

 思わずジト目で突っ込む私。
 サイトはともかく、私の格好はどう見ても貴族。私が同じトリステイン魔法学院の生徒だとは知らぬとしても、さすがに従者扱いはないぞ……。

「違いますよ! 手を貸してもらってるんです……私がカルカソンヌへ向かうのを」

「カルカソンヌ?」

 リュリュの言葉に、シャルロは目を見開いて、

「それじゃあ、あなたもリュティスの魔法学院で要請されて、カルカソンヌへ?」

「『あなたも』……ってことは、あんたもそうなわけ!?」

 横から口をはさんだ私に、彼はジロリと目を向けて、

「……失礼。僕は今、こちらの美しいレィディと話し中なのです。あなたも僕に感心があるのかもしれませんが、ちゃんと順番を守って……」

「はあ!? だれがあんたみたいなガキに……」

「ルイズ、それはちょっと言い過ぎじゃねえか? 一応、こいつのおかげで、あの魔族も退いてくれたんだろ?」

 大声で叫んだ私を見て、サイトが苦言を呈する。それを聞いて、シャルロが小首を傾げていた。

「ルイズ……?」

「そうです。こちらは、ルイズさんと、その使い魔のサイトさん。……ほら、有名なメイジの『ゼロのルイズ』さんですよ」

 リュリュが、笑顔で私たちを紹介したその瞬間。

 ズザザザザザザッ!

 ごっつい音立て、シャルロは大きく後ろに下がる。
 完全に腰の引けた姿勢で、地面にガバッと手までついて、

「申し訳ありませんっ! 知らぬこととは言え、数々の無礼な言動っ! どうかお許し下さいっ! 命だけはっ!」

「……あ……あの……シャルロさん。そんなに怯えなくても大丈夫です。噂ほどこわい人じゃありませんから……」

 フォローのつもりであろうが、フォローになってない。これじゃ「私もとんでもない噂を聞いてました」と言っているようなもの。

「いやいや! リュリュさん、あなたは何も知らないから、そんな平然としていられるんですっ! なにしろ『ゼロ』のルイズと言えば、かつてトリステイン魔法学院において……」

「……なあに? 私が何をしたって言うの?」

 私の言葉に、ハッとかたまるシャルロ。
 サイトが歩み寄り、彼の肩をポンと叩く。

「まあまあ。そう心配するなって。なんだかんだいってルイズは、いい御主人様だぜ」

「ま、噂にゃ尾ひれが付きもんだ。相棒も娘っ子も、あの学院じゃ悪いこと一つしてねぇもんな」

「そうそう。むしろ俺たち、いいことしたよな。盗賊退治とか、あと……あれ? そういえば、あの事件で誰か死んだような気が……」

「……メンヌヴィルって奴だな。『白炎』のメンヌヴィル」

 陽気な口調で剣と語り合うサイト。
 これはこれで、さらにシャルロを怯えさせているような気もするが……。
 私は、つとめて穏やかな笑顔を作り、

「……ま……まあ、とにかく、よ」

 そしてリュリュの方に視線を向けながら、

「……彼女がちょっと、わけありでね。で、どうしてもカルカソンヌに行かなくちゃなんない、ってことになってるの」

「わけあり?」

「……ええ……」

 シャルロの問いに、リュリュは再び、ポツリポツリと事情の説明を始めた。

########################

「……なるほど……そういうわけですか……」

 リュリュの説明が終わったその後。
 ようやく硬さもとれたシャルロは、それでもなるべく私ではなくリュリュの方を見て、

「……でも、リュリュさん。カルカソンヌへ向かうのであれば、ひとつ御忠告です。このまま街道沿いに進むのは止めた方がいいですよ」

「え? どうして……ですか?」

「実は僕も、リュティス魔法学院の要請を受けて、カルカソンヌへ向かっていたのですが……」

 シャルロの説明によれば。
 ここから半日ほど行った先で、王政府から派遣された騎士団が居座っているらしい。大量のレッサー・デーモン相手に苦戦して、足止めされた状態なのだとか。

「レッサー・デーモンが?」

 思わず眉をひそめる私。
 まるで『赤蛇の王』のやり口だが、あいつはリュリュをずっとつけていたはず。となれば、同じようにレッサー・デーモンを呼び出せる魔族が、モット伯の陣営にいる、ということだ。
 ……まあ、魔族にとってレッサー・デーモン召喚がどれくらい難しいことなのか、私たち人間にはわからないし、ひょっとすると魔族ならば出来て当然、なのかもしれないが……。
 ともかく、正規軍が魔族相手に手こずっていることは確実なようだ。

「……というわけで、彼ら王軍は、レッサー・デーモンに対抗するため、通りかかったメイジを片っ端から徴用しているのです。……しかもタダで」

 一応、リュティス魔法学院からは、多少の駄賃ももらっている。だから路銀には困らないわけだが、それでも正規軍に無理矢理編入されては、いい気はしない。

「僕はトリステインの学生メイジですからね。フリーで一時的に仕事を受けるならまだしも、ガリアの騎士団に組み込まれるなんて、ちょっと気が進みません。どうせ正規の『騎士』扱いではなく、雑用をやらされたり、使い捨てのコマにされるのは目に見えてますから。……それで、慌てて逃げ出してきたら……あなたがたに出会ったのですよ」

 王軍より先にカルカソンヌに着きたいリュリュが、その王軍に徴用されるわけにはいかない。だから街道を行くのはやめた方がいい、というのが、シャルロの言い分だった。

「リュリュさんたちがあの街へ行くというのであれば、僕も同行しましょう。もともとは僕だって、カルカソンヌを目ざしていたわけですから。……しかし……」

「なるほどね。でも、街道行かずに、森の中を分け入って進む……というのでは、かなり時間かかりそうね」

 言って腕組む私。
 王軍よけて大きく遠回りして、カルカソンヌに着いたのは、事件が片づいた後……なんてことになったら、それこそ意味がない。

「それなら……」

 何か考えがあるらしく、リュリュがポツリとつぶやく。

「陸路がダメならば、水路を使いましょう」

########################

 カルカソンヌは、両脇が切り立った崖の上に位置する街。崖の裾野には平原が広がり、そこには、幅二百メイルほどの大河が流れている。名をリネン川という。
 私たちは、今、そのリネン川の中を進んでいた。
 川の上、ではなく、川の中、である。
 のんびり顔を出して泳いでいては、カルカソンヌを警備しているであろう敵に見つかるのも必定。だから私たちは、水中深くを進んでいるのだ。
 人間は本来、水の中では息が出来ない生き物。しかしメイジが三人も入れば、こういう場合のための魔法を使える者も、一人くらいはいるもので……。
 私たちが用いているのは『風』。空気を操り、風の結界に包まれての水中移動である。水中で呼吸ができる魔法、というのも『水』魔法にはあるのだが、それでは濡れてしまうので、今回はパス。
 しかし……。

「なんじゃこりゃぁぁぁっ!? 聞いてねぇぇぇ!」

「しゃべっちゃいけねぇよ、相棒。舌を噛むぜ。……ま、俺は剣だから平気だけどな」

 風の結界球に包まれたままで水中を進む……。
 言葉にすれば簡単なことであるが、遊覧船に乗るのとは、わけがちがう。
 水の中は平坦な川底の連なりではなく、岩あり、浅瀬あり、深みあり。
 なおかつ、そこを水が流れているのだ。緩急、流れの方向性は、ほぼ完全に予測不可能。
 そうした中を流されていく乗り心地が、一体どれほどのものか……。もはや言わずもがなである。

「ルイズさん! あれ!」

 しばらく進んだところで、声をあげたのはリュリュ。
 そろそろカルカソンヌが見えてきたのであろうか? こんな川底深くで、風の球の中から、川の上の風景が見えるとも思えないが……。
 とりあえず左右に視線を走らせた私は、右手の方を向いたまま、完全に沈黙する。

「……」

 目がひとつあった。
 風の結界のその向こう、水の中からこちらを見つめる、大きな目が。
 それがピッタリ、こちらの風のボールに貼りつくように、同じスピードで進んでいるのだ。
 異様というより、むしろ恐い。
 目の本体の姿は、ハッキリとは見えないのだが、大きな影が、水の中に揺らめいているのはわかる。

「……えぇっと……お魚さん……ですよね?」

「んなわけねぇっ!」

 リュリュの引きつった声に、思いっきりツッコミを入れるサイト。
 どうやらサイトやシャルロも気づいたようで、風の結界球を操っていたシャルロは、結界球を急上昇させていた。水の流れに逆らうのは無理でも、なんとか水面に飛び出すくらいの動きは可能、ということである。

 バシャッ!

 水面を割って飛び出す私たち。
 ちょうど中州がある辺りだったので、そこに降り立ち、風の魔法も解除する。

「ああ! あと少しだったのに!」

 リュリュの言うとおり。
 この中州からは、もうカルカソンヌの街がハッキリと見えていた。
 細長い崖の上に、赤レンガの屋根が立ち並ぶ……。なるほど、『セルパンルージュ(赤蛇)』と言われるのも、もっともである。
 しかし今の私たちに、街の景色を楽しんでいる余裕はなかった。
 カルカソンヌの街と共に、私たちの視界に入ってきたものは……。
 空をゆく翼の群れ!
 羽の生えたレッサー・デーモンに似たシロモノだ。いや、似ているのではなく、あれもレッサー・デーモンの一種なのだろう。獣ではなく鳥に憑依したタイプのレッサー・デーモン!
 そして、空の脅威に加えて……。

 ザバァッ!

 水音を響かせて、川から這い上がってくる、いくつもの影。
 全身を覆うウロコのようなものが、ヌラリと輝く。
 こちらは鳥ではなく、魚のレッサー・デーモンだ。
 どうやらこいつらが、先ほどの大きな目の本体だったらしい。

「水中部隊と飛行部隊の挟みうちかよ!?」

 叫ぶサイトだが、まだまだ終わりではなかった。
 魚デーモンたちに続いて、また別なのが出てきたのだ。

「……おまえたちが来るのはわかっていた……」

 中ボスっぽいセリフを吐いているが、見た感じは青緑色の水死体である。
 まるで水ぶくれしたかのような、ブクブクと膨れ上がった体。足先には大きなヒレが生えており、カギ爪の伸びた手の指の間には、水カキのような膜がある。
 なんとも気色悪いことに、人間ならば鼻や口があるべきところには、代わりに無数の緑色の触手。何か言うたびに、それがウニョウニョ蠢いていた。

「……へえ……よくわかったわね。私たちがこの中州に来る、なんて」

「……このフォンサルダーニャを舐めてもらっては困る……。水路を使ってカルカソンヌの街へ侵入しようというのであれば、ここの地下道を行くのは当然であろう……」

 ……へ? 聞いてもいないのに、こいつ、わざわざ……。

「……ふーん。貴族みたいな名前してるのね、あんた。モット伯の配下の水中警備責任者、ってことだろうけど……。どうやら自分で思っているほど、頭よくないみたいね」

「……なんだと……?」

 読めない表情で問うフォンサルダーニャに、私は大きく胸を張り、

「あんたの口ぶりだと、この中州には秘密の地下道があって、それが街まで通じてる、ってことみたいだけど……。それをわざわざ教えてくれるなんて、見かけのわりには親切ね!」

「……なに……? まさかきさまら……知らなかったのか……?」

「当然! だって私たち、魚デーモンに驚いて、上陸しただけだもん!」

 唖然とするフォンサルダーニャ。
 しかも、私が彼の相手をしているうちに、後ろではシャルロが呪文を唱え終わっていた!

 ザァバァッ!

 フォンサルダーニャの足もとから、水の柱が立ちのぼる。

「……くっ……。愚かなのは、おまえたちとて同じこと。このフォンサルダーニャに『水』で攻撃をしかけるとは……。むしろ心地良いくらいだぞ……」

 余裕のセリフで、フォンサルダーニャは、その場から動こうともしない。
 しかし、そうやってジッとしていたのが命取り。シャルロの魔法は、奴にダメージを与えるためのものではなく、単に足止めを狙っただけ!

 ザンッ!

 ガンダールヴの神速で斬り込んだサイトが、あっというまにフォンサルダーニャの頭を断ち割っていた。
 悲鳴一つも残さぬまま、大きくのけぞり、倒れゆくフォンサルダーニャ。
 ……こんな弱っちょろい奴ならば、最初からアッサリ倒せばよかった、という話もあるが、それはそれ。様子見していた間に、重要な情報をゲットできたのだから、結果オーライである。

「さあ! 秘密の通路とやらを探すわよ!」

########################

 空からは鳥デーモンが、そして水の中からは魚デーモンが。
 てんでばらばらに、私たちを襲う。
 リーダー格のフォンサルダーニャは倒したというのに、むしろ逆に、奴の死と同時に、一斉攻撃が始まっていた。

「数が多すぎるぜ! 足を止めるな! 逃げ回れ! 移動しながら反撃しろ!」

 デルフリンガーに言われるまでもない。
 こちらは、この中州のどこかにあるという、抜け道への入り口を探したいのだ。一つところに立ち止まるはずはなかった。
 しかし、戦いながらの探索は大変である。本当ならば手分けして探したいところだが、この状況では、バラバラになるのは危険。

「っわわわっ!」

「まかせて!」

 私はリュリュを保護する意味で、なるべく彼女の近くをキープ。近寄るデーモンたちに、爆発魔法を食らわせる。

「おりゃっ!」

「その調子だぜ、相棒!」

 さらにサイトが、私とリュリュの女性二人を守りつつ、剣を振るう。
 レッサー・デーモンが飛ばしてくる炎の矢や氷の矢を、デルフリンガーで斬り飛ばしていた。
 ただの日本刀では無理だろうが、デルフの魔法吸収能力が補助になっているようだ。
 ……シャルロ一人が、三人とは少し離れた場所で戦うことになっているが……。

 ボシュッ! スパァッ!

 うん、彼も大丈夫そうだ。
 鳥デーモンには水の塊を、魚デーモンには風の刃を。うまく魔法を使い分けて、奮戦している。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

 しばらく私は、向こうはシャルロに任せて、とにかく周りのデーモン撃退に専念。
 ……しかし。

「ぎぇっ」

「シャルロさん!?」

 リュリュの悲鳴を耳にして、彼女の視線の先へと目をやれば……。
 背後から近づく魚デーモンに、鋭利なヒレで胸を貫かれたシャルロ!
 それ以上うめき声すら出すことなく、彼は、その場にガクッと崩れ落ちていた。

「シャルロさんっ! シャルロさんっ!」

「だめよ、危ないわ!」

 彼の名前を連呼しながら、そちらへ駆け寄ろうとするリュリュ。彼女を止めようと、手を伸ばしながら追いかけて……。
 その時だった。

「……っえっ……!?」

 突然、足場がなくなった感覚。
 一瞬、フワッと体が浮いたような気がして……。

「きゃあっ!」

 私たち二人は、暗い穴の中へと落ちていった。





(第三章へつづく)

########################

 第二部「トリステインの魔教師」を書いていた頃は、ディラール役にはレイナールを割り当てるつもりで、だからあそこではレイナールを登場させなかったわけですが……。
 当時書いていたレイナール救済SS(この作品では殺してしまう代わりに、アニエスが主役格の他のSSで幸せになってもらう予定でした)が長らく停滞しているので、計画変更。結局、シャルロをディラール役としました。
 シャルロは「ゼロ魔」十二巻に出てきた原作キャラ。女たらし……というほどではありませんが、ティファニアにつきまとっていた少年です。

(2011年9月30日 投稿)
   



[26854] 第十一部「セルパンルージュの妄執」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/10/03 23:33
   
「きゃあっ!」

 リュリュと二人で暗い穴の中へと落ちていきながら、私は悟っていた。
 ……地面に偽装されていて気づかなかったが、落とし穴があったのだ。その上蓋を踏み抜いてしまったらしい。攻撃魔法が乱舞する中で、脆くなっていたのだろう。
 いや。
 落とし穴ではない。
 暗くてよく見えないが、横に長々と続く洞窟だった。
 ……これこそ、カルカソンヌの街へ通じる、秘密の抜け穴なのだ!
 そこまで私が把握した時。

「おーい、大丈夫か!?」

 ザザーッとサイトが滑り降りてきた。
 私とリュリュは垂直に落ちてしまったが、よく見れば、斜めになっている部分もあり、一応は昇り降りも出来そうだ。

「ルイズさん! サイトさん! 早く戻って、シャルロさんを助けないと!」

 叫ぶリュリュに向かって、サイトは暗い顔で、首を横に振る。

「……無駄だ」

「ありゃあ、即死だな。……もう助からねぇ」

 サイトに同意するデルフリンガー。

「そんな!?」

 リュリュは私に顔を向けるが、私も黙って首を振るしかなかった。
 ……私は知っている。人間とは、案外あっさり死ぬものなのだ、と……。

########################

「……私……」

 ポツリとリュリュがつぶやいたのは、洞窟を歩きながらのこと。

「……どうしたら……いいんでしょう……?」

 私たち三人は今、岩壁の通路を、先へ先へと進んでいた。
 中州には、あいかわらず敵のデーモンたちが溢れている。穴を陣地として、そこから顔を出して戦う、という選択肢もチラッと考えたが、やはり敵の数が多すぎる。それよりは、デーモンたちが追いかけてくる前に先へ進もう、ということになったのだった。
 相手は空を得意とする鳥デーモンと、水中を庭とする魚デーモン。よしんば追いかけてきたとしても、洞窟の中では、そう有利には戦えないはず。第一、一度に全員は入って来れないだろうから、奴らの数の利も減少する。狭い洞窟の中ならば、こちらが相手する敵の数は、広い外よりは少なくて済むのだ。
 ……という思惑で進む以上、一応、後ろにも注意を払っているのだが、まだ今のところ、デーモンたちが追ってくる気配はなかった。

「……私のせいで……シャルロさんは死んでしまった……」

 暗い洞窟の中、リュリュの杖の先には、魔法の明かりが灯されている。その明かりに照らされた彼女の顔は、暗いを通り越して無表情になっていた。

「気にしちゃダメよ。あんたのせいじゃないわ」

「でも……私がカルカソンヌへ行きたい、なんて言い出さなかったら……シャルロさんは……」

 そのまま尻すぼみになり、彼女は口を閉ざした。
 私もかける言葉はなく、サイトもデルフリンガーも、何も言わない。
 ただ黙って、ひたすら歩き続けて……。

「けど……えらく長いなあ、ここ……」

 うんざりした口調でサイトがつぶやいたのは、かなり歩いた後のことだった。
 体力はあるはずの彼でも、もう疲れてきたのかもしれない。
 洞窟の道は平坦ではなく、ゆるやかな上りと下りを繰り返している。
 いや、もう『ゆるやか』とも言えないだろう。途中から、ほとんどが上りで、かつ、かなりの勾配になっていた。

「安心しろよ、相棒。そろそろ出口は近いぜ」

「……ほんとか、デルフ!?」

「ああ。ここって川を越えるための地下道だろ? それが上に向かってるってことは、出口が近いってこった」

 たしかに。
 もしも、まだ川の半ばなのだとしたら、道が上向きになるはずはない。そんなことをしたら川底にぶち当たって、大惨事である。
 しかし……。

「そうか……そうだよな! やっと終わるんだな、この洞窟も!」

「……盛り上がってるところ悪いけど、サイト」

 私は冷静に言葉を挟んだ。

「これがカルカソンヌの街中に通じてるらしい……ってこと、忘れないでね」

「……ん? どういう意味だ?」

 はあ……。一から百まで説明しないとわからんのか、このクラゲ頭のバカ犬は。

「さっき見た街並を思い出してごらんなさい。カルカソンヌって、どこにあった街? ……リネン川へと広がる草原から、普通にカルカソンヌの街へ上がろうとしたって、およそ百メイルからの切り立った崖を階段で上がらなきゃいけないのよ」

「……つまり私たちは、潜った分プラス百メイル、登らないといけないんです……」

 少しは気持ちもふっ切れたのか、私たちの会話に参加するリュリュ。
 それでサイトにも理解できたらしい。

「……」

 彼は、完全に言葉を失っていた。

########################

 終わりのない道はない。
 ひたすら歩き続けた結果、ようやくゴールが見えてきた。
 はるか視線の先で、洞窟は行き止まりとなっており、そこには一枚のドアがある。

「あの扉の先が、たぶんカルカソンヌの街ね」

「そうらしいな。番人っぽいやつもいるし」

 そう。
 サイトの言うとおり、しっかりとした金属製の扉の前でデンと構えているのは……。

「……はじめまして。私のことはヴァッソンピエールとお呼びください……」

 声は人間の男のものだが、見た目はそれとは程遠い。
 ひとことで言えば、白く膨れ上がった巨大な肉塊である。
 人の身長を上回る大きさの、崩れかけた球形。不健康に白いその肉塊の、ほぼ人の胸くらいの高さのところに、少年の顔がひとつ、場違いなレリーフのように存在していた。

「状況はだいたい知っています。この扉の向こうにある、モットさまのお屋敷へ行こうというのでしょう?」

「へえ。あんたもフォンサルダーニャと同じタイプのようね。聞いてもいない情報をペラペラと勝手に教えてくれる……」

「いいのですよ、どうせここで死んでいただくのですから。……しかしフォンサルダーニャと言えば、彼も意外と脆かったですね。あれでは可哀想ですから、少し活躍の場を与えてあげましょうか」

「どういう意味?」

 私の言葉に、ヴァッソンピエールは満面の笑みを浮かべ……。
 少年の頭のすぐ横で、ぐみゅっと肉塊が盛り上がる。

「……ぐ……」

 私の後ろで、リュリュが嫌悪の声を上げるのが聞こえた。
 ヴァッソンピエールの、少年の頭の横からは……。
 二つに断ち割られたままの、フォンサルダーニャの頭が生え出していた。

########################

 りゅぎぉぉぉぉぉっ!

 縦に割られたそのままで、フォンサルダーニャの頭から、呻き声のようなものが出てきた。口の周りに生えた触手も蠢いている。

「どこで拾ってきたのか知らないけど……あんた、フォンサルダーニャの死体を取り込んだのね!?」

 私の問いかけにヴァッソンピエールが返すより早く、サイトがすっ頓狂な声を上げる。

「死体を拾って取り込んだ!? ……ってことは、いつのまにか俺たち、こいつに追い越されてたのか!?」

「ちげーよ、相棒。おそらく奴は、外から来たんだな。あのドアの向こうから」

「そういうことです」

 剣の言葉を肯定するヴァッソンピエール。
 扉の先がカルカソンヌの街ならば、私たちがモタモタ地下を進むうちに、地上を先回りすることは容易であろう。

「もしかして、あんた、取り込んだ死体の力を、そのまま貰い受けたりできるわけ? でもフォンサルダーニャごときの能力なんて……」

 私がそこまで言った時。
 いきなり土の塊が飛んできて、ヴァッソンピエールに直撃、少年の顔の部分を潰した!

「……先手必勝……ですよね。こういう場合……」

 私の後ろで、リュリュがつぶやく。
 今までは攻撃魔法ひとつ放つこともなかったが……色々と吹っ切った結果なのだろう、これが。

「そうね。モタモタしてると、後ろからも敵が来るかもしれないし」

 ここまで追いつかれてこそいないものの、中州の入り口からレッサー・デーモンが追ってきていない、という保証はない。ここでヴァッソンピエール相手に手間取っていたら、挟み撃ちにあうかもしれないのだ。

「……見るからに頭が弱点、って感じでしたし……。やっつけたなら、先に進み……」

「よけてっ!」

 素人丸出しの意見を述べるリュリュに、私が叫ぶ。
 直後、一瞬前まで立っていた場所を通り過ぎる光球。
 ……あぶなかった……。

「無駄ですよ」

 見れば、リュリュが潰した部分がボロリと剥がれ落ち、その下から肉が盛り上がって、ヴァッソンピエールの顔は再生している。
 どうやらこいつは、高い再生能力を持つらしい。どうせこの顔も、相手の注意を引くための擬態のようなものなのだろう。

「……そんじゃ俺が!」

 剣を構えて、サイトが突っ込んでゆく。

「ほう! 私と斬り合うつもりですか」

 応じるかのように、地に根ざした肉塊から、いくつもの腕が生え出してきた。
 もちろん人間の『腕』とは違う。節があり、異様に長く、むしろ枯れ枝のようである。

「……くっ!」

 その腕を、サイトの剣が薙ぐ。
 ヴァッソンピエールの腕が斬られて宙に舞う……かと思いきや。

 ギィンッ!

 腕は硬い音を立て、横に弾かれただけ。
 見かけと違って、かなりの強度を備えているようである。
 なるほど、これならサイトと『斬り合い』も可能であろう。その場合、腕の数の多いヴァッソンピエールの方が有利。
 ならば……。

「相棒! さがれ!」

 数合、斬り合った後。
 タイミングを見計らって、デルフリンガーが叫んだ。
 敵に全ての注意を向けていたサイトに代わって、彼の愛剣が、ちゃんと私の方を見ていたのだ。
 ……剣に言われるがまま、スッと退くサイト。
 そこに。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

########################

「げほ! ごほ! 相変わらず乱暴だな、ルイズは……」

「そう言うなよ、相棒。ちゃんと娘っ子は計算してたんだぜ。扉のすぐ向こうが目当ての屋敷なら、ちょっとくらい洞窟が崩れても大丈夫だろう、なんかあったらすぐ屋敷に駆け込めばいい、ってな……」

「ま、そんなところね」

 爆煙と土煙が舞う中。
 余裕の口調で、私はデルフリンガーの言葉を肯定してみせた。
 再生能力のあったらしいヴァッソンピエールも、さすがに竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)の直撃を食らっては耐えられず、跡形もなく消し飛んでいる。
 ヴァッソンピエールの向こうにあったドアも吹っ飛んでおり……。

「あの……扉の先にあるはずの屋敷は、大丈夫なんでしょうか? モット伯の屋敷なら、アネットさんもいるはずなんですけど……」

 あ。
 リュリュに言われて、一瞬絶句する私。
 でもすぐに、パタパタと手を振りながら、

「平気、平気。……どうせ屋敷に通じてるって言ったって、地下室か何かにつながってるはずよ。地下深くを進んできた洞窟なんだもん」

「そうかなあ? かりにそうだとしても、地下が吹っ飛んだら、屋敷全体がヤバいんじゃね?」

 とりあえずの言い訳に、サイトがツッコミを入れるが、それは無視。

「と……ともかく! さあ、屋敷に突入よ!」

 今のでアネットが大丈夫だったかどうか、確かめるためにも……という言葉は、敢えて口に出さなかった。

########################

 広さは、普通の家庭の部屋より少し広い程度。薄暗い部屋の片隅には、調理器具やら掃除用具らしきもの。天井からは、明かりのついていないランプが一つ。
 洞窟を抜けると、そこは、物置っぽい地下室だった。
 ……さっきの竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)で半壊、いや少しだけ壊れているけど。

「ここが……モット伯の屋敷?」

 私の疑問には、誰も答えず。
 リュリュは、部屋の奥にあった階段を、一目散に駆け上がっていた。
 サイトと顔を見合わせてから、私たちは彼女を追う。
 幅も狭くてやたら急な階段を、上がった先には一枚の扉。

 ……キィ……。

 鍵はかかっていないようで、リュリュが押したら簡単に開いた。
 その先にあるのは、まっすぐにのびる廊下。

「……間違いありません……。ここはモット伯の屋敷です!」

 言って、再び駆け出すリュリュ。
 アネットを訪問した際の記憶を頼りに、アネットがいるはずの部屋を目ざす。
 モット伯の本拠地とも言える屋敷ならば、どこかに敵が潜んでいるかもしれないのに、リュリュは気にせずグングン進む。
 廊下を行き、階段を三階まで上がり……。
 ヒタリと足を止めたのは、一枚の扉の前でだった。
 スゥッと大きく息を吸い、扉に手をかけて……。

「待って! ここは慎重に……」

 私の声など聞こえなかったのか、あるいは、敢えて無視したのか。

 バタムッ!

 かなり派手な音を立てて、彼女は扉を引き開ける。
 ……そして……。

「アネットさん……」

 つぶやいたリュリュの声は、かすかに震えていた。

########################

 テラスの窓からは、外の光が射し込んでいた。
 他に明かりも何もない、広い部屋には、天蓋つきのベッドと小さなテーブル。ベッドの脇には、揺り椅子が一つ。
 そこに座っていた女性が、こちらを振り向く。

「……リュ……リュ……?」

 以前にリュリュが語ったとおり、優しく、包み込むような雰囲気を持つ女性である。
 カチューシャで纏め上げた赤い髪の下に、たれ気味の鳶色の目がまぶしい、健康的な感じの美人であった。

「アネットさん!」

 叫んでリュリュは駆け寄ると、立ち上がったアネットの胸に、顔を埋めた。

「リュリュさん……どうしてこんなところに?」

「アネットさんを助けに来たの。……モット伯の反乱を知って、王政府の軍隊がこちらに向かっているのよ。もうすぐこの街は戦場になるから……だから助けに来たの!」

 親友との再会に、張っていた気が緩んだらしい。リュリュの声は涙混じりになっていた。
 アネットは、そんなリュリュの頭を優しく撫でながら、視線をソッと私たちに移し、

「……そちらの方々は……?」

「彼女の護衛……みたいなもんよ。けど今は自己紹介より、この場を離れるのが先ね」

「そうだよな。いつ敵が来るか、わかんねーし」

 私とサイトの言葉に、リュリュはハッと顔を上げ、

「……そ……そうね。アネットさん、私たちと一緒に来て!」

「そういうわけにはいきませんな」

 いきなり。
 廊下の奥から響いた声は、聞き覚えのあるものだった。

「……『赤蛇の王』!?」

 言って振り向いた私の視線の先には、マントにフードの小柄な影。
 彼の隣には、一人の男が佇んでいた。
 青い上着のさらに上に、襟周りを白い布で飾り立てた赤いマント。もみあげはカールしており、鼻の下の髭も眉毛も、同じく左右にクルリとカール。こういうのをカッコイイと思う者もいるのかもしれないが、むしろ私には貧相に見える。
 この状況で出てきたということは……。

「……あんたがモット伯?」

「そういうことだ。ここまで来たことは褒めてやるが……それもこれまで。ここが貴様らの墓場だと思え」

 ……あれ? ちょっと聞いていた話と違うような……。
 好色な中年貴族という噂は聞いていたものの、こんな三流悪役バリバリのセリフ吐くイメージはなかったのだが。
 まあ、まさかモット伯の名を騙るニセモノ、ってこともないでしょうし……。

「反乱おこして街ひとつ乗っ取ったボスにしては、ずいぶん月並みなセリフね」

「月並みだろうがなんだろうが、ここで貴様らが死ぬ、ということに変わりはない!」

「……さーて。そいつはどうかしら……ね!」

 言って私は壁際へと寄る。
 同時に、後ろで呪文を唱えていたリュリュが『土弾(ブレッド)』を放った。
 私が話して注意を引いているうちに彼女が魔法攻撃の準備をする……。ヴァッソンピエール戦の再現である。

「なめるな! その程度の魔法!」

 しかしモット伯は杖を振り、渦巻く水をぶつけて、これを迎撃。
 ……なるほど、さすが『波濤』のモットであるが……。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 続けざまに襲いかかる、私のエクスプロージョン。
 奴らがいるのは、狭い廊下の奥だ。魔法を放った直後では、これは避けられまい!
 と思ったら。

「来い、『メイド』!」

 モット伯の後ろで一言、『赤蛇の王』が叫んだ。
 すると呼ばれて飛び出してきたのは、緑の服の女。
 ……いや、よく見れば緑の服を着ているのではない。顔も体も髪も手足も、まるでエメラルドのような、透き通った緑色の何かで出来ているのだ。
 その『メイド』が、主人をかばうかのように、モット伯の前に立ち……。
 エクスプロージョンが直撃したと思った、まさにその瞬間。

 ヴァッ!

 女の放った無数の小さな光球が、その場に満ちた。

 ドワッ!

「くっ!?」

 爆圧で叩きつけられる私たち。
 これは……威力は落ちてはいるものの、まちがいなくエクスプロージョン!

「私が放ったのを、拡散反射したってことね……」

 起き上がりながら言う私に、モット伯は歪んだ笑みを浮かべて、

「そのとおりだ。それが『メイド』の能力だからな」

「それにしても……『メイド』とは、ひどい名前ね。あんた、人間の女だけじゃ飽き足らず、化け物までメイドにしてコマしてるわけ?」

 モット伯は『赤蛇の王』と『メイド』を従えて、余裕の足取りで、こちらに向かって歩いてくる。部屋に入るところで、いったん立ち止まり、

「さては貴様、何か勘違いしているようだな」

「勘違い……?」

「そうだ。この者は、もともと我が屋敷で働いていたメイドだぞ。人間やめたからといって、メイドまでやめる必要はなかろう?」

「人間やめたから……って、まさか!? こいつら魔族じゃなくて、あんたが作ったキメラだったの!?」

「なんだ、嬢ちゃんは本気で、わしのことも魔族だと思っておったのか。酷い話じゃのぅ」

 まだ戦闘には参加していない『赤蛇の王』が、会話には参加してきた。
 ……そうか、そういうことだったのか。
 どうりで『赤蛇の王』には、空間を渡る力もなかったわけだ。まあ魔族ではないといっても、たぶん材料には魔族を用いた『人魔』なんでしょうけど。

「ククク……。安心したまえ。ここで死ぬ貴様らも、あとでキメラとして蘇らせてやろう。私の忠実な部下として、な」

 いやらしく笑うモット伯。
 こいつ……。
 屋敷の者たちだけでなく、敵対していた者までキメラ化しているのか!?
 そういえば、ここカルカソンヌの街は、別名『セルパンルージュ(赤蛇)』。モット伯は、その領主を倒して街を乗っ取ったはずだが……。その殺された『領主』も、キメラにされて働かされているのだとしたら……。

「なるほど……だから『赤蛇の王』ね……」

 私は、そちらにチラリと視線を送った。
 ……もちろん、人間だったときの自我や意識が残っているならば、素直にモット伯に従うわけがない。『赤蛇の王』にしろ『メイド』にしろ、もう生前の意志や記憶はないのであろうが……。
 あれ? そうすると……モット伯のキャラが違うような印象って……もしかして……。
 そこまで私が考えた時。

 キンッ!

 後ろでした物音に、私は思わず振り返った。

「サイト!?」

 そう。
 いつのまにか彼は、テラスの外から入ってきた枯れ枝のようなものを相手に、剣を振るっていたのだ。
 ……私がしゃべっている間に、サッサとモット伯たち相手に斬り込んで欲しかったのだが、サイトはサイトで、ちゃんと戦っていたのね……。
 その『枯れ枝のようなもの』は、その見た目とは裏腹に、かなりの硬度があるらしい。サイトの剣とも真っ向から渡り合っていて……って、これって!

「ヴァッソンピエール!? 地下で死んだんじゃなかったの!?」

「貴様は勘違いしてばかりだな……」

 私の叫びに、モット伯は面白そうな口調で、

「……ヴァッソンピエールは、植物とかけ合わせたキメラ。そう簡単にやられはせんよ。……貴様らは、奴の地下茎の一部を刈り取ったに過ぎぬ」

「そっか……。植物って、動物とは違って、根っこやら枝一本からでも再生する種類もあるもんね。ヴァッソンピエールの再生能力も、それと同じってことか……」

 しみじみとつぶやく私。
 こうしてモット伯の軽口につき合いながら、頭の中では、必死に作戦を立てていた。
 ……サイトはヴァッソンピエールと戦うので手一杯。どうやらヴァッソンピエールは、アネットをさらおうとしているようで、リュリュもアネットのそばから離れずに、サイトの援護に回っている。
 ならばモット伯たち三人は、私一人で何とかせねばならないのだが……。

「『赤蛇の王』よ」

「なんでしょうか、伯爵さま」

「この者たちをキメラとして配下に加えるのであれば、そろそろ『メイド』も不要かと思うのだが……」

 私を前にして、何やら不穏な話を始める二人。
 捕らぬタヌキの皮算用で、この場から戦力を減らしてくれるのであれば、こちらとしても好都合。とりあえず、話に耳を傾けてみる。

「そうでございますな。むしろ伯爵さまのパワーアップの糧とするのが、よろしいでしょう」

 ……パワーアップ……とは?
 私が疑問に思うのも、一瞬だった。
 モット伯は、右手で『メイド』の頭を鷲掴みにし……。

 ギンッ!

 硬い音が響いた。
 緑色の破片が宙に散る。

「……仲間の頭を握り砕いた!?」

「またまた勘違いしておるようだな。こやつらは仲間ではなく、忠実なしもべ。……とはいえ、頭を残したままでは混乱するのでな」

 頭を失い、クタリと倒れ込む『メイド』の体を、抱きかかえるモット伯。
 ……いや、抱きかかえているわけではない。その体は……モット伯の中に沈みこんでいる!

「……他の者を生きたまま吸収する……。それがあんたの能力ね」

 ということは、やはりモット伯も、すでに人間ではないということだ。
 やがてほどなく、『メイド』の体は、完全にモット伯の中に埋没した。
 私の問いかけに、答えはなく……。

「きききははははははは!」

 モット伯の、常軌を逸した哄笑だけが、その場に響いた。





(第四章へつづく)

########################

 このSSを書いていて一番つらいのが、いつか人名や地名が足りなくなるのでは……という点です。今回のヴァッソンピエールとフォンサルダーニャは、「タバサの冒険」にてアネットやオリヴァンと同じエピソードに登場しているので、そこから選んできました。フォンサルダーニャの名前は「ゼロ魔」本編十五巻でも登場していますが、どちらも『侯爵』となっているので、同じ家なのでしょう。

(2011年10月3日 投稿)
   



[26854] 第十一部「セルパンルージュの妄執」(第四章)【第十一部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/11/05 22:32
   
 私の背後では、テラスの外から伸びてくるヴァッソンピエールの『腕』を相手に、相変わらずサイトが剣を振るっていた。
 もちろん、あの枯れ枝のような『腕』は、一本だけではない。リュリュもアネットを守りつつ、土魔法でサイトの援護に回っている。
 おそらくヴァッソンピエールの本体は、屋敷の外にいるはず。奴さえいなければ、みんなでテラスから逃げ出すというテもあったのだが、この状況では難しい。
 かといって、部屋の入り口には、モット伯たちが陣取っている。三人から二人に、勝手に数を減らしてくれたとはいえ、そこを突っ切って逃げてゆく、というのも無理な話。

「言っておくが、私が身につけたのは『メイド』の力だけではないぞ! 見せてやろう!」

 言うなり、モット伯は獣じみた咆哮を上げる。
 同時に虚空に生まれたのは、十数本の冷気の矢!
 ……レッサー・デーモンでも取り込んでいたのか!? さっきはワザワザ杖を振るって魔法を使っていたが、本来その必要もなかったということか……。
 そして出現した冷気の矢は、モット伯自身に突き刺さる。

「まずい! サイト、気をつけて!」

「なんだ!? こっちはそれどころじゃねえ! そっちはそっちで……」

 ゴウッ!

 ひりつくような冷気が、私たちを襲う!

「……くっ……!?」

 呻きを上げる間にも、ふたたびモット伯が吠え、またもや吹き付ける冷気の嵐!
 ……いきなり『メイド』を取り込んだ時には、なんてアホな奴かと思ったが、どうしてどうして。能力の活かし方は、ちゃんと心得ているらしい。 
 単純な冷気の矢ならば、迎撃するなりなんなり、対処のしようもある。しかし拡散した冷気の嵐として放たれたら、さすがにどうしようもない。
 私の後ろではサイトが咄嗟にデルフリンガーで吸収したようだが、拡散している分、全部は吸いきれていない。
 もちろん、拡散している以上、ダメージはゼロに等しいのだが、こうして連発されれば……。
 こちらは確実に体温を奪われ、動きも鈍くなる。適当なタイミングで直接攻撃なり、『赤蛇の王』が参戦するなりしたら、大ピンチどころの話ではない。

「あんた……なかなかやるわね……」

「そう思うなら、反撃してみてはどうだ? なかなかの魔法を使うと聞いておるぞ」

 冷気の嵐をくらいながらつぶやく私に、モット伯は余裕の言葉を返す。
 だが、挑発に乗る私ではなかった。
 なにしろ、あの『メイド』は、私のエクスプロージョンさえ反射してみせたのだ。
 ある一定以上の破壊力の術をぶち込めば倒せるとは思うが、万一『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』あたりを拡散放射されでもしたら、こっちはひとたまりもない。
 ならば……。

「そこまで言うなら……これでもくらいなさい!」

 挑発に応じたフリをして、爆発魔法を放つ私。
 ただし、狙いはモット伯や『赤蛇の王』たちではなく……部屋や廊下の天井!

 ドガァッ!

 ド派手な音を立てて天井が崩れ、大小の破片をまき散らす。
 モット伯の上にも降りそそぐが、彼は忌々しげに吐き捨てるのみ。

「……フン、つまらん真似を!」

「ルイズさん!?」

「何やってんだ、ルイズ!? これじゃ俺のほうも視界が……!」

 モット伯だけではない。味方のリュリュやサイトの文句も聞こえる中。
 私は急いで、次の行動に出る。
 爆煙と土埃がモウモウと立ちこめ、確かに視界はひどいものだ。だが、それは敵も味方も同じこと。

「おおかた、目くらましのつもりでしょうな。しかし伯爵さまは魔法を拡散するのですから、見えようが見えまいが、こちらは困りますまい」

「そういうことだ。メイジとしての技量は高くても、しょせんは知恵の回らぬ小娘ということか……」

 傍らに控える『赤蛇の王』の発言に、そちらを向きもせずに答えるモット伯。
 彼は構わず、冷気の拡散攻撃を続けていたが……。

「……ん? その小娘は、どこに消えたのだ?」

「はて? そういえば、姿が見えないような……」

 少しずつ煙が収まっていく中で、主従が、怪訝そうに言葉を交わす。
 その時。

 スパッ!

 隣で『赤蛇の王』が両断される音を聞き、慌ててモット伯が振り向いた。

「なっ!? 貴様、いつのまに……!?」

 咄嗟のことに、人間だった頃の癖が出たのか、彼は杖を振ろうとするが、もう遅い。
 返す刀で、私はモット伯に斬りつけた。
 闇の刃『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』が、その体にめり込む。

「……がぁ……!?」

 モット伯の体が、一瞬、黒く染まる。
 そして……。

 ゴブッ!

 鈍い音と共に、その全身は砕け散ったのだった。

########################

 種明かしをすれば、簡単な話。
 もうもうたる土煙の中、私はテーブルやベッドを踏み台にして、急いで天井裏へと駆け上がったのだ。ベッドが天蓋つきだったからこそ、できた芸当である。
 そして天井裏を走りながら、呪文を唱えた。モット伯にもガレキが降りそそいだことからわかるように、あらかじめ奴の真上にも穴を開けておいたので、そこから飛び降りざま、二人に斬りつけて……。

「……やったんですか……?」

 たちこめていた土煙が完全に晴れた後。
 リュリュが、私に問いかけてきた。

「こっちの二人はね。……って、悠長に話してる場合じゃないでしょ!? まだそっちは、あのヴァッソンピエールってやつが……」

 言いかけて、私は気づいた。
 サイトを苦しめていた触手は、床にダラリと垂れている。
 いや『垂れている』というよりも、茶色くしなびているので、『枯れ落ちている』とでも言うべきか。
 肩をすくめてみせるサイトを見て、私はテラスへと駆け出した。

「これって……」

 困惑のつぶやきを漏らす私。
 屋敷の表面は、ヴァッソンピエールの本体らしきもので覆われていた。
 いくつもの巨大な肉塊だか瘤だかのような塊が張りついた、ツタのような生き物だが……。
 そのことごとくが、今や完全に枯死していたのだ。
 巨大な瘤は、まるで枯れた大きな白い花。風に揺られて、カサカサと乾いた音を立てている。

「……死んでる……んだよな?」

「……みたいですね」

 サイトとリュリュが、ポツリとつぶやいた。
 私に続いて、二人もテラスに出てきたらしい。

「……どういうことだ……?」

「……モット伯が死んだから……じゃないでしょうか……?」

 リュリュの意見には、一理ある。
 そういう細工を施されたキメラだった、という考え方だ。

「……自分にもしものことがあった場合、部下たちがのうのうと生きているのが許せなかった、とか。あるいは、そういうふうに改造することで、自分を守らざるをえなくした、とか……」

 理由まで推察するリュリュ。
 そこに、部屋の中から声がかかる。

「ええ、そうです。そのように造っておいたのです」

 ロッキング・チェアに座って、どこか寂しげな微笑みを浮かべるアネット。
 彼女の言葉に、私は、妙な違和感を覚えた。
 ……造っておいたのです……。
 状況から考えれば、省略された主語は『モット伯』のはずなのだが……。

「アネットさん! アネットさんは大丈夫だった!? モット伯に……おかしなことはされなかった!?」

 心配そうに駆け寄るリュリュ。
 みんなや自分をキメラ化し、道連れにまでしたモット伯ならば、アネットの身にも何か……と考えたのであろう。
 問われてアネットは、優しく微笑み、

「私は大丈夫ですよ、リュリュさん。だって、みんなを変えたのはモット伯じゃなくて私なのですから」

 一瞬、理解できずに沈黙する一同。
 しかし私は、気づいていた。
 アネットの瞳の奥に眠っている、静謐な狂気の色に。

「……説明してもらいましょうか……」

 歩み寄り、リュリュをアネットから引き離しながら。
 私は、静かに問いかけた。
 アネットは、視線をリュリュに向けたまま、

「……モット伯は……こうなるべきだったんです……。反逆者の汚名を着て……何もかも失って……。こうなるべきだったんです……。私から……ぼっちゃまも……幸せも奪っていったのですから」

「それじゃ、やっぱりモット伯がオリヴァンさんを……?」

 ハッとした表情で問いかけるリュリュ。

「はっきり言われたわけではないけど……私の心の中では、それが事実でした……。だから……モット伯を……みんなを変えたのです……。ちょうど……ヴァッソンピエール家の御子息やフォンサルダーニャ侯爵家の御長男も……昔ぼっちゃまをいじめていた二人も……カルカソンヌに来ていたから……」

「な……何を言ってるの……? 私が変えた、って……?」

「……私ね、リュリュさん。もう諦めたつもりでいました。……でも……違ったのです。諦めたつもりでいても……心の底には、憎しみが、少しずつ積もっていって……。だから私は、みんなを変えたの。みんなを変えて、モット伯の名前で反乱を起こさせたの」

「嘘よ! そんなの嘘よ! それじゃ私……アネットさんと戦ってたことになる……」

 激しくかぶりを振るリュリュに、アネットは寂しい笑顔で、

「……あのひとが死んだ後……私はモット伯をはねつけたんですけど……ある日、言われたのです。親友までもが、恋人のようになったらどうする、って……」

「……!?」

 無言のまま。
 リュリュは、ピクンと体を小さく震わせた。

「……その時、私は確信しました。やっぱり、ぼっちゃまはモット伯に殺されたんだ、って。……今思えば、私に言うこと聞かせるためのデマカセだったのかもしれないけど……でも、その時はリュリュさんを死なせたくなくて……」

 リュリュをタテに脅されて、モット伯の妾になった……というわけか。
 つくずく最低な男である。

「……う……そ……」

「嘘じゃないわ。……だから……あなたのことは大好きですけど……同時に……」

 ……憎んでもいる……。
 大好きだから、街から出した。リュリュを戦いに巻き込まないため。  
 憎んでいるから、街から出した。一人で街を出た自身を責めさせるために。そして、反乱の首謀者がモット伯だという情報を確実に振りまくために。
 監視役として『赤蛇の王』を派遣したのも、そのリュリュを眺めるため……。
 たしかに、そう考えれば納得できる。
 目的が『モット伯に汚名を着せて死なせること』なら、彼の死後に部下たちは必要ない。むしろ王軍にしつこく反抗するようであれば、邪魔でさえある。
 ……だが……。

「どうやって?」

 私のつぶやきを耳にして、アネットは、ようやく私に視線を向けた。

「あんたの動機はよくわかったわ。でも、あんた、ただのメイドでしょ? キメラ製造の知識なんて、なかったはずよ。ましてあんな、魔族とかけ合わせたキメラなんて……」

「力をくれた人がいるのです。名前も教えてくれなかったけれど……私が力を欲しがっていることに気づいてくれた……」

 人魔キメラ製造の技術!?
 ……いや、それを研究していた一味は以前、私たちが叩き潰したはず。まさか、その残党が……アネットに接触して……!?

「モット伯だけを殺すことは簡単でした。でも、それじゃあ許せなかった……。だから反逆者の名前を背負ってもらうことにしたのです。……ごめんなさいね、巻き込んでしまって。関係ない者まで巻き込んだ以上、私も死ぬつもりです。でも、モット伯に反逆者の汚名を着てもらうためには、あなたたちも一緒に……」

 言って再び、リュリュに顔を向けて、右手を静かに真横に上げると、

「見てください、リュリュさん。これが……私がもらった力です。……来なさい、ドゥールゴーファ」

「……なっ……!?」

 かざしたアネットの右手に、闇が生まれてわだかまる。それは一瞬にして収束し、真っ黒い片刃の剣と化した。

「……お……おい! ルイズ! あれって……」

「あわてるな、相棒! ありゃあ……」

「……わかってるわ。エギンハイムで出てきた奴ね」

 私は、自分でも意外なほど冷静な声で答えた。 
 覇王将軍シェーラ=ファーティマが携える、魔剣にして魔族たるもの……ドゥールゴーファ。
 あの時は杖の格好をしていたが、私とサイトは、確かに見たのだ。このドゥールゴーファに触れた者が、異形と化してゆくのを。
 ……なるほど……こいつの力を使えば、みんなを『変える』ことも、決して難しいことではなかっただろう。

「アネットさん! やめて!」

「……終わりに……しましょう……」

 つぶやくように言ったアネットの右腕は、もはや魔剣と同化しつつあった……。

########################

「させるか!」

 叫んで床を蹴ったサイトの左手には、ガンダールヴのルーンが輝いていた。
 神速で迫り、剣を振るう。
 魔剣を斬り折って、同化を防ごうという魂胆だ。
 ……だが。

 キゥン!

 アネットの剣が、その一撃をアッサリはじく。

「なっ!?」

 驚愕の声を上げて、サイトは大きく後ろにさがった。
 ルーンの光り方から見ても、今のは本気の一撃。剣の心得などないメイドでは、さばけるはずもないのだが……。

「手遅れです……この剣は……ずっと私の中にいたのですから……。私はもう、この剣とほとんど同化しているのです。……私は戦い方を知りませんが、ドゥールゴーファは知っています……」

 刀身が手のひらに吸い込まれるようにめり込み、彼女の右手が黒く染まる。
 闇の色は、右手からその全身へと広がって……。
 やがて、アネットの全身が闇色となった。
 つまり、完全に魔剣と一つになったのだ。

「アネットさん!」

 リュリュの叫びが虚しく響く。
 ……かつて私とサイトの目の前で、ドゥールゴーファが一人の少女と同化した時には、彼女の意志を無視して無理矢理だった。
 結果、同化した二者は、巨大な肉の塊のような異形となった。
 しかし、今回。
 アネットは、自らの意志でドゥールゴーファを受け入れたのだ。
 その外見は、さながら、漆黒の女神像……。
 もはや『彼女』が、アネットなのか、ドゥールゴーファそのものなのか、私にもわからない。
 私が言えるのは、ただ一つ。
 これこそがドゥールゴーファの完全な同化の形なのだろう、ということ。

「アネッ……」

 呼びかけようとしたリュリュに、『彼女』は無言で右の手をかざす。

「あぶねぇっ!」

 同時に、サイトが床を蹴る。
 リュリュに飛びついて、ひっさらうように駆け抜けた瞬間。

 ドンッ!

 テラスの手すり——リュリュがいた辺りの後方——が、不可視の『力』の圧力で、あっさり砕け散る。

「サイト! 逃げるわよ!」

「わかった!」

 リュリュを抱えたまま、サイトはテラスから外へジャンプ。
 ……ここは三階。いくらガンダールヴでも、これは無茶じゃないか……!?
 と思ったが、サイトは屋敷の壁に、片手でガッと剣を突き立てた。外壁をガリガリと削って、落下スピードを殺しつつ、庭へ降りていく。
 途中でリュリュも気づいて、『レビテーション』を唱えたらしく、二人はフワリと着地した。

「今度は私! リュリュ、お願い!」

 リュリュに魔法をかけてもらって、私も飛び降りる。彼女の魔法だけでは心配だったのか、下では一応、サイトが受け止めてくれた。

「『彼女』が来る前に、街まで逃げるわよ! リュリュ、街に出たら、あんたはどこかに隠れてちょうだい!」

 叫んで駆け出す私。サイトとリュリュもついてくる。
 ……街に出たら、というのは他でもない。植木もまばらなこの庭では、隠れるところもないからである。

「……どうするんですか……?」

「……」

 言葉に詰まった。
 こうなった以上、もはやアネットを元に戻す方法はない。倒すしかないのだが、その現場はリュリュには見せたくないし、ハッキリ告げるのも躊躇してしまう。
 しかし。

「……それしか……それしかないんですね……」

 私の沈黙で、彼女は悟ったらしい。

「……わかりました……お願いします……」

 リュリュは、絞り出すようにそうつぶやいた。

「それじゃ……ここはリュリュが先導してね! 隠れて、とは言ったものの、そのために街のどこへ向かったらいいのか、私にはわかんないし」

「……はい」

 頷いて、リュリュが私の前に出ようとした時。
 
「リュリュ!」

 とっさに私は、隣のリュリュを突き飛ばした。
 背後に殺気が生まれたからだ。
 刹那、音も風も伴わず、目に見えない何かが、私と彼女の間を通り過ぎる。
 そして……。

 ゴッ!

 はるか先にある庭木の幹が、鈍い音を立て、はじけ散る。
 立ち止まってふり向けば、ゆっくりと歩み来る『彼女』の姿。

「……どうやら……『とりあえず街に出て、リュリュが安全な場所に隠れてから』なんて言ってる場合じゃなさそうね……」

 アネットが、リュリュに対する愛情と憎悪を抱いたままで、ドゥールゴーファと同化したゆえに。
 その妄執が固定されてしまったのだろう。『彼女』はまず、リュリュを狙っているようだった。
 となると、リュリュだけがどこかに隠れたならば、『彼女』は私たちを無視してリュリュ探索に向かい、抹殺しようとするおそれがある。

「娘っ子の言うとおりだ。ここで決着つけにゃいかんな」

「ああ、そうだな……」

 私と同じく、サイトも足を止めて『彼女』と対峙する。

「リュリュ! 少しさがってて! ただし離れすぎないようにね!」

「……わかりました!」

 リュリュが返事をする間にも、またもや『彼女』は右手をかざしていた。今度の目標は……私!?
 私はとっさに右へ跳ぶ。不可視の気配が、そのすぐ隣をすぎてゆく。

「……なるほどね。リュリュを倒すための障害として、先に私を排除しよう……って判断ね」

 一撃を放った後、そのまま『彼女』は、こちらに突っ込んでくる。
 急いで私も、爆発魔法を放って迎撃した。

 ボワッ!

 直撃したが、この程度は、たいしたダメージにも足止めにもならないだろう。
 でも、それでもいいのだ。
 今ので、辺りに爆煙が立ち込めた。
 これで見えない術の軌道を見切る……。以前に、あるメイジが不可視の衝撃波対策でやったのと同じ戦法だ。そのメイジは『水』の使い手だったので霧を利用したが、私の爆煙でも、代用できるはず。
 今、目の前で『彼女』はまたまた手をかざし……。
 瞬間、私は不吉な予感を覚え、やはりとっさに横に跳んだ。
 ……煙は何の軌跡も描いてはいないのだが……。

 ドンッ!

 そして、はるか後ろで重い音。
 ……おい……。

「空気を震わせることなく、目標を破壊する力!? 反則よ、そんなのっ!」

 どうやら連打で放つことは出来ないらしい、というのと、比較的気配を察知しやすいのとが幸いして、なんとか身をかわし続けてはいるものの……。
 いつまで続けられるか、わかったものではない。

「ルイズ! こいつは俺が!」

 迫り来る『彼女』の前にサイトが立ちはだかり、斬撃をくり出す!

 ギン! ギン!

 いくたびか鋭い音があたりに響き、そのことごとくが防がれる。
 いつのまにか『彼女』の右手には、黒い短剣が握られていたのだ。
 おそらくは自身の中から瞬時に生み出して、サイトの攻撃を受け止めたのだろう。

 ギッ! ギッ! ガッ!

 サイトと一進一退の攻防を続ける『彼女』。
 ドゥールゴーファと一体化した『彼女』は、ガンダールヴのサイトに匹敵する技量となっていた。しかもおそらく、耐久力は人間を圧倒的に上回るはず。

「……やっかいだわ……でも……」

 迂闊に手を出すことはせず——下手な魔法ではサイトも巻き込んでしまうので——、冷静に観察して、分析する私。
 どうやら『彼女』、接近戦の間には、あの不可視の力を放つつもりはないようだ。
 それなりの集中と時間が必要なのか、あるいは、剣には剣で相手したいということなのか……。
 などと思いつつ、呪文を唱えていると、突然、デルフリンガーの声が。

「娘っ子! 今だ!」

 剣の合図で、サイトが大きく後ろに跳び、すかさず私は杖を振った。
 エクスプロージョンの光球が、『彼女』に襲いかかる。『彼女』は短剣をかざすが、そんなものでは……。

 ジャッ!

「うそっ!?」

 かざした短剣で、光はアッサリ切り裂かれた。
 裂かれた光球は二つに分かれ、彼女の周囲で爆発する。

「……くっ!」

 爆発の余波は、間合いをとっていたはずのサイトにまで及んだ。跳んだばかりで不安定だったこともあり、バランスを崩すサイト。
 そこに『彼女』が斬りかかる!

「サイト!」

 私が牽制の爆発魔法を撃つより早く。
 サイトは右足で『彼女』の足もとを払った。

 トサッ。

 軽い音を立てて、『彼女』は倒れ伏した。

「……なんだ……?」

 あまりのあっけなさに、思わず攻撃の手すら止めてつぶやくサイト。
 先ほどの足払いも、苦しまぎれの行為であり、彼自身、効くとは思っていなかったのだろう。
 たしかに今のは、まるで戦いのシロウトがコケたような感じ。先ほどまでサイトと対等以上に渡り合っていた『彼女』には、似つかわしくないのだが……。
 ……まさか……!?

「サイト! もしかするとそいつ、足技弱いかもしれないわ!」

 アネットは言ったのだ、戦い方はドゥールゴーファが知っている、と。
 だが、そもそもドゥールゴーファは剣である。以前に出てきた奴は杖を装っていたが、それとて手に持つ武器。
 だとしたら……ドゥールゴーファは、手で振るう武器の戦い方しか知らないはず!

「そうか! こいつ、足もとがお留守なんだな!」

 言ってサイトは、起き上がりかけた『彼女』の足もとにスライディングをかける。
 またもやアッサリ、『彼女』は足もとをすくわれて、ひっくり返った。

「……これで終わりだ!」

 無防備に転がる『彼女』に、サイトは剣を振り下ろす!

########################

 ギィンッ!

 硬い音が響いた。

「……なっ!?」

 驚愕の呻きがハモる。
 私とサイトと、はたで見ているリュリュと、三人同時に驚いてしまったのだ。
 ……なにしろ。
 サイトの剣は、『彼女』の胸に正確に振り下ろされたというのに、キズひとつつけることさえ出来なかったのだから。

「ダメだ、相棒! こいつの体は、全身が剣みたいなもんだ!」

 真っ先に理解したのは、デルフリンガーだった。
 言われてみれば、単純な話。
 生み出した短剣が『彼女』の体の一部である以上、全身が同じ強度を有していたとしても不思議ではない。

「……ど……どうする!?」

 茫然とサイトがつぶやく間に、起き上がる『彼女』。いきなりクルリと身をひるがえすと、屋敷に戻る方向へ走り出した。

「……あれ? 逃げる気か……?」

「追うわよ!」

 見逃してくれた……という雰囲気ではない。『彼女』はアネットの妄執を核に、ドゥールゴーファが同化した存在である。
 私たちを放って逃げ出すような奴ではあるまい。今、屋敷へ向かっているのも、何かの魂胆があってのこと。
 案の定。

 ヒタリ。

 屋敷の外壁に向き合うように、『彼女』は足を止めた。
 ちょうど目の前には、屋敷全体にからみつくヴァッソンピエールの死体。
 枯れ木のような、そのカサカサの死体に……。

 ゾンッ!

 いきなり『彼女』は、右手の短剣を突き立てた。
 ……何を……?
 いぶかる間もなく、『彼女』は短剣を引き抜き、クルリとこちらへ向き直る。
 
「……やべえ! みんな気をつけろ! ありゃ……」

「ストップ!」

 デルフリンガーの言葉にかぶせるように。
 私の号令で、サイトもリュリュも立ち止まった。
 そして……。

 ブァッ!

 破裂音にも似た音を立て、『彼女』の体から、触手のようなものが何本も伸びてくる!

「退却!」

「は……はい!」

「異議なし!」

 慌ててその場できびすを返し、逃走を始める私たち。
 必死で走る私たちに向かって、サイトの手の中から剣が語りかける。

「あのドゥールゴーファって奴、エギンハイムの時の奴より厄介だぜ。今度の奴にゃあ、剣の切っ先でキズつけた相手の能力や知識を吸収する力があるみてぇだ」

「エギンハイムの時、って……あの時はデルフ、いなかったじゃん」

「ひでーな、相棒。言ったろ、しゃべれないだけで、この刀の中から見てた、って」

「そんなことはどうでもいいから! それよりデルフ、今の話、確かなの!?」

 サイトを一喝してから、デルフリンガーに確認する私。

「ああ、間違いねぇや。しょせんは奴も剣だからな。俺には丸わかりだぜ!」

 そうだ。
 デルフリンガーは、ガンダールヴのための剣。サイトに引っ付いていれば、武器のことは色々わかるのだ。
 何度か剣を交えたことで、あのドゥールゴーファの特徴も見抜いたらしい。

「つまり……私やサイトが、かすりキズでもつけられたら、こっちの戦い方やなんかを、あっさり『彼女』はマスターしちゃう……ってことね!?」

「そういうこった」

 かなりとんでもない話である。
 サイト並みの剣のウデと、木の枝のような触手を何本も持ってる奴に、かすりキズさえ受けずに勝つ、などというのはまず不可能。
 今のところ、まだヴァッソンピエールの能力しか取り込んでいないが、もしも屋敷の中へ入ってモット伯の死体に目をつけたら……。
 この上、例の『メイド』の拡散反射能力まで身につけようものなら、完全に手のつけられないことになる。
 なんとしてでも、この場で倒す必要があるのだが……。

「……知識を吸収する……ということは、言いかえればつまり、記憶を吸収する、ということですね……」

「……まあ……そうね」

 隣で言うリュリュに、私が答えたとたん。

「……わかりました……決着をつけます……」

 リュリュは逃げるのをやめて、その場に立ち止まった。
 慌てて、私も急停止。

「……救ってあげてくださいね。アネットさんを……」

 言ったリュリュの瞳を見て、私は悟った。
 彼女が、何をしようとしているのかを。

「ダメ!」

 クルリと振り向き、『彼女』に向かって駆け出そうとするリュリュの手を、ガシッと私は掴んだ。

「あんた、自分を犠牲にする気かもしれないけど、やめなさい!」

「えっ!? ……でも……」

「無理よ、無理! あんたの彼女への想いを伝えれば、彼女もわかってくれるかもしれない……。どうせそんなこと考えたんでしょうけど、それは無謀な賭けだわ!」

 そう。
 リュリュは、敢えて『彼女』に貫かれようと考えたのだ。
 たしかに、アネットが心に抱いていた憎悪さえ消えれば、妄執を核に同化を果たしていたアネットとドゥールゴーファとの間に、ひずみが生まれることだろう。
 しかし。
 その『憎悪を消す』ということが、そう簡単にできるかどうか。
 もしかすると、アネットの憎しみは、世の中すべてに向いていた可能性だってあるのだ。なにしろ、ドゥールゴーファの力で、無関係な人間まで人魔キメラに変えたくらいなのだから……。

「あんたの命を、分の悪い賭けのチップになんてさせないわよ!」

 もしもリュリュが、アネットの恋人だったり姉妹だったりしたら、成功の確率も少しはあったかもしれない。
 だが、二人は親友とはいえ、しょせんは他人。幼馴染みですらない。上手くいくとは、とても思えなかった。

「おい、二人とも! ウダウダしゃべってる場合じゃねえぞ!」

 剣を構えて叫ぶサイト。
 私たちが立ち止まったため、彼も足を止めていたが、私やリュリュとは違って、しっかり敵を見据えている。
 今や『彼女』は、すぐ間近に迫ってきていた。

「……でも……それじゃどうしたら……」

「大丈夫よ」

 泣きそうな声のリュリュに、ひとこと冷静に返してから。
 私は、サイトとデルフリンガーに向かって言った。

「……剣の切れ味を上げましょう」

########################

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 私の魔法を受けて、デルフリンガーの刀身が赤く輝く。
 赤く染まった光の刀を手に、『彼女』に斬り掛かるサイト。
 迫り来る触手を斬り飛ばし、その本体に肉薄し……。

 ギゥン!

 しかし『彼女』は、それを二本の短剣で受け止めていた。一瞬にして左手の中にもう一本出現させて、左右の短剣を使い、デルフリンガーの刀身を挟み込むようにしている。

「……くっ!」

 圧し合うサイトの口から、声が漏れた。
 触手を斬ったのと同じようには、いかないらしい。全身が同じ硬度……という認識は間違っていたのかもしれない。
 それにしても……。
 破壊力絶大の赤い刃を受け止めるとは、さすがドゥールゴーファ。前回の奴のように、ドゥールゴーファ特有の再生能力を活かしているのかもしれないが……。
 今の『彼女』は、もう触手を伸ばすことはしていなかった。
 剣での戦いに集中して、そちらに意識が回らないのか。
 あるいは。
 剣と剣との勝負を選んだか、ドゥールゴーファ!

「娘っ子!」

 私を呼ぶデルフリンガー。
 わかっている。私とて、ただ悠長に見ていたわけではない。

「……四界の闇を統べる王……汝の欠片の縁に従い……汝らすべての力もて……我にさらなる魔力を与えよ……」

 四つの指輪——『魔血玉(デモンブラッド)』——が、四色の淡い光を放つ。
 そう。
 サイト一人では力が足りないというのであれば……。

「……悪夢の王の一片(ひとかけ)よ……」

 でも。

「……世界(そら)のいましめ解き放たれし……凍れる黒き虚無(うつろ)の刃よ……」

 サイトがこうして、『彼女』の動きを止めてくれているのであれば……。
 剣技の拙い私の斬撃でも、発動時間の短い私の魔法でも、ちゃんと当てることが出来る!

「……我が力……我が身となりて……共に滅びの道を歩まん……神々の魂すらも打ち砕き……」

 呪文を詠唱しながら、私は走った。
 サイトに加勢するために。
 そして。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 杖に沿って生まれる闇。
 振り下ろした虚無の刃は、あっさりと『彼女』を縦に断ち割った。

########################

 すべてが終わったカルカソンヌの街を、私たちは無言で歩いていた。

「ルイズ……もう寝たか……?」

「……ん……まだ起きてるけど……」

 まあ実際には二本の脚で歩いているのはサイト一人であり、私は彼におぶってもらっている。
 前にもやったことはあったが、やはり『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』と『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』を立て続けに、というのはキツかったのだ。
 ちなみに、すでにリュリュとは別れた後。それなりに街の人々と面識があり、アネットとも深く関わっていた彼女は、これから色々と駆けずり回ることになるのだろう。

「なぁに? 何か聞きたいことでも……?」

「いや、聞きたいことってほどでもないが……。なんだったんだろうな、今回の事件……って思ってさ」

「そうね。なんだったのかしら……」

 サイトの背中で体を休めながら、私は曖昧に返した。

「……でも、まあとりあえず、事件も解決したし、あの剣も消したし」

 ……たしかに……。
 私の闇の刃を受けた『彼女』は、黒い塵となり、跡も残さず虚空に消えた。
 ドゥールゴーファも、ただでは済まなかったはず。
 しかし……。
 覇王将軍シェーラ=ファーティマがいる限り、あの剣はまた再生する。
 シェーラ=ファーティマは、何を考えてドゥールゴーファをアネットに渡したのか。
 魔族たちは、何をもくろんでいるのか。
 答えは、まだ出ていない。
 ……ふと顔を上げてみれば。
 長い一日が終わり、辺りはすっかり夜になっていた……。





 第十一部「セルパンルージュの妄執」完

(第十二部「ヴィンドボナの策動」へつづく)

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 日本刀バージョンでもデルフはデルフなので、最後はこういう形にしてみました。リュリュの自己犠牲で倒す、というのは不自然すぎると思ったので。

(2011年10月6日 投稿)
(2011年11月5日 「ドゥールゴーファが一人の男と同化した時には、男の意志を無視して」を「ドゥールゴーファが一人の少女と同化した時には、彼女の意志を無視して」に訂正)
  



[26854] 番外編短編12「ハルケギニアの海は俺の海」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/10/09 22:28
   
 無限に広がる大海原。
 それは人にとっての未知の領域。
 いつか人々が安全に東へ行けるようになり、陸地がすべて探検された暁には、海こそが最後のフロンティアとなるのかもしれない。
 ……という未来の可能性は、ともかくとして。
 船員たちの動きが慌ただしさを増し、やがて船が停まったのは、出発した陸地が遠く霞む辺りまで来た時のことだった。
 風が運ぶのは、ただ潮の香り。
 陸地と船との間には、小さな島がいくつか見えるが、もちろんいずれも無人島。
 それもそのはず。
 ここは昔から、正体不明の怪物が出没することで有名な海域なのだ。

「ここでっか?」

 船べりで海を眺めていた女、ヤッタニアが振り向いて声を上げた。
 正直、トシはよくわからない。子供のようにも見えるし、結構なオバサンのようにも見える。
 短い金髪に、小太りの体型。いつもは横縞のシャツを着ているのだが、これから海に潜るため、今は胸と腰に巻いた布切れのみだった。

「ああ。ここだ」

 コツコツと靴音鳴らしてやってきたのは、右目の眼帯と顔の傷痕が特徴的な船長である。

「この下に、おたからが眠っている」

 言われて覗き込んでみた昼の海は、ただ陽の光を照り返し、ギラギラと輝くだけだった。

########################

 ことの起こりは、昨日にさかのぼる。

「旅のメイジが来ていると聞いたんだが」

 昼過ぎのメシ屋に響いたのは、大きくはないがよく通る、朗々とした声だった。
 客たち全員が一瞬、静まり返る中。

「……ひょっとして……私のこと?」

 窓際の席で海を眺めながら食事をしていた女……つまり私が、それに応じる。
 黒いマントの下に、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。
 こんな典型的な学生メイジの格好をしたやつは、現在の店内には私しかいない。
 ……気まま気楽な一人旅。連れのキュルケも姿を消して久しく、本当の意味での一人旅。残暑の厳しさゆえか、唐突に海が見たくなり、この海辺の街に立ち寄ったのである。
 これといって特徴のない街ではあったが、魚介類のおいしさは予想以上で、ついつい何泊もしてあれやこれやと食べまくり……。
 どこから話が伝わったのか、お客さんの御訪問、ということになったのだろう。

「あんたか」

 船長服に身を包んだ男は、ズカズカとこちらに歩み寄ってきた。
 眼帯やら顔の傷痕やらのせいで、まっとうな船長というより海賊船のキャプテンに見えるが、海賊ボスが真っ昼間から堂々と出て来るはずもあるまい。

「話がある。……が、その前に」

 問答無用でテーブルの向かいに腰を下ろすと、眼光鋭くこちらを一瞥し、

「まさか貴様、魔女オンナではあるまいな……?」

「……は?」

 思いもよらぬ問いかけに、ちょっとポカンとする私。
 メイジだから魔女と言えば魔女だけど。
 でも『魔女オンナ』って、『頭痛が痛い』とか『馬から落馬する』とかと同じレベルで、微妙におかしいような気が……。

「あかん! あかんで、キャプテン!」

 バタバタと騒ぎながら、副官らしき女性が飛び込んできた。

「キャプテン、女メイジ見かけるたびに『魔女オンナ』って決めつけるの、やめなはれ!」

「だがな、ヤッタニア……」

「交渉はワイにまかせて、な?」

 彼女は、渋る船長の横に座り込み、そして私に向かって、

「あんさん……おたからに興味あるやろか?」

########################

「……沈没船!?」

「シッ! 声がでかい!」

 思わず上げた私の声に、船長の叱責が飛ぶ。

「誰かに聞かれたらどうする」

「海鳥くらいしか聞いてないわよ」

 周囲を見回し、私は言った。
 詳しい話は場所を変えて、ということで、船長とヤッタニアが私が連れてきたのは、波止場から少し離れた海辺だった。
 辺りには船もなく視界も開け、こちらの声も波音に消される。密談にはもってこいの場所である。

「伝説の海賊船ユートピア号……おまえも名前くらいは聞いたことがあるだろう?」

「……ごめん、知らない」

 船長の問いかけに、身も蓋もない言葉を返す私。
 海の男の間では有名なのかもしれないが、海の常識を陸に持ち込まれても困る。
 彼は顔をしかめるが、横からヤッタニアが取りなすように、

「……ともかくな。キャプテンは最近、突き止めたんや。おたから満載の……大昔の海賊船が、この海域に沈んどる、って。……でもな……」

 そして二人は同時に、遠く海の彼方に目をやった。
 おだやかな陽ざしに水面は輝き、遠くに小さな島影がいくつも見える。
 平和そのものの光景だが、その水平線の向こうにあるのは……。

「今度は私も知ってるわ。……『魔の海域』でしょ?」

 私が言うと、二人は無言で頷いた。
 魔の海域。
 正体不明の怪物が生息し、近づくもの全てを呑み込む、と噂される海域である。
 本当に怪物がいるかどうかはともかく、その海域に向かった船が一隻たりとも戻ってこなかった、ということだけは、まぎれもない事実だった。
 ……まあ私もこの街に来てはじめて聞いた話だが、この地方では、わりと有名な話らしい。

「なるほどね。何があるかわからないから、護衛としてメイジを連れていきたい、ってことね?」

「そういうことだ。宝探し自体は、俺達でやる。一緒に海に潜れ、とは言わん。船の上から怪物を倒してくれたら、それでいい」

 船長は怪物が出ると確信しているようで、警護というより怪物退治っぽい雰囲気になってきたが……。
 まあ、難しい話ではなさそうだ。もしも出てこなければ、のんびり船旅を楽しむだけで終わるわけだし。

「いいわ。それじゃ、依頼料は……」

 どうせ怪物も宝も出てこないだろう、と思って、ささやかな額を提案する私。
 二人は一瞬、驚いたような表情を見せた後、静かに頷くのであった。

########################

「まずは、この辺りから探索を始めよう」

 甲板に仁王立ちした、船長の宣言が海原に響く。

「ようし、みんな! 出撃やでぇ!」

 ヤッタニア副長に率いられて、乗組員が次々と海に飛び込んでいった。
 かなり深く潜るはずだが、特別な装備も何もつけていない。海の男たち——ヤッタニアは女であるが——にとっては、素潜りなど出来て当然、ということらしい。
 もちろん、人間は本来、水の中で呼吸するようには出来ていないので、潜っていられる時間は長くない。
 実際、早々と一人、海面に浮かび上がってきた。

「……どうした? もう何か見つけたのか!?」

「違いまさぁ、キャプテン! 海中に何かいるんでさぁ! 何か……巨大な何かが!」

 海面から顔だけを出して、男は怯えた表情を見せる。

「気のせいじゃありゃあせん。とてつもなく大きな、なんだか生白い……」

「もしかして……それって、例の怪物!?」

「あるいは、沈没船の一部かもしれんな!」

 最悪の事態を想定する私とは対照的に、楽観的な意見を述べる船長。
 そこに。

「プハーッ!」

 ヤッタニア副長も浮上してきた。
 彼女は、海面に浮かぶ男をつかまえて、

「こら、サボってたらあきまへんで! さっさと作業に戻りなはれ!」

「ちょっと待って! その人が言うには、海の中に何かあったらしいけど……」

「あらへん、あらへん。まだなーんもあらへん」

 片手で男の腕を掴んだまま、ヤッタニアは、もう片方の手をパタパタと振ってみせる。
 あれでよく沈まないもんだ、と私が感心しているうちに、

「ほな、もう一回いくで」

「ちょ……ちょっと待って、副長……」

 何やら喚く男を引きずり込みながら、彼女は再び海へと潜っていく。
 ……なんだったんだ、今のは……。
 ポカンとする私の横では、船長が苦笑していた。

「あいかわらず強引だな、ヤッタニアのやつ……」

「……というより、船長さん、部下の心配したほうがいいんじゃない? あの男の人、さすがにあれじゃ、溺れちゃうんじゃないかしら……」

「何を言ってる。俺の部下に、そんなヤワな男はいない」

 誇らしげに言う船長に対して。
 ……そんなこと言うくらいならおまえが潜れよ、とツッコミを入れる代わりに、私はジト目を向けるのであった。

########################

 結局、初日の収穫はなかった。
 潜っては上がり、船を移動させてポイントを変え、また潜っては上がり。
 そんなことを何度か繰り返すうちに日は暮れて、その日の探索は終わった。
 行き来のタイムロスを嫌って、もとの港には戻らず、一番近い小さな無人島の沖に停泊。そこで私たちは、夜を明かしている。

「こんなところにおったんかいな」

 ヤッタニアが声をかけてきたのは、夕食後、私が甲板で夜空を眺めていた時のことだった。

「海の上での夜って、初めてなんでね」

「……ま、普通の人はそうやろうなぁ」

 彼女は、私のそばに歩み来て、

「海は波があるさかい。同じ船旅でも、空船を選ぶもんが多いんやろな」

「でも、たまにはこういうのも面白いわ」

「……面白い、って……。ま、海を楽しんでもろうたら、ワイとしても嬉しいんやが……あんさん、一応これ仕事やで」

 言われて、私は苦笑いする。
 なにしろ、宝も怪物も信じてなかったからこそ、引き受けた仕事なのだ。
 その辺を突っ込まれるのを避けるため、私は、軽く話題を変える。

「そういえば……最初に私を見た時、あの船長さん、私のことを『魔女オンナ』って呼んでたけど……あれは何?」

「ああ、あれかいな」

 今度は、ヤッタニアが苦笑する番だった。

「キャプテンには、ちょっとかわった奥さんがおってな……」

「奥さん?」

「そうや。その奥さんも『私は、去る』と言って出て行ってもうたから、もう昔の話やけど……」

「へえ。船長さん、奥さんに捨てられちゃったのか」

 普通なら『実家に帰らせていただきます』とかなんとか言う場面で『私は、去る』とは……。
 なかなか個性的な奥さんである。

「……でも、なんでそれが『魔女オンナ』? その奥さんって、メイジだったの?」

 私の問いかけに、ヤッタニアは首を横に振った。
 彼女の話によると。
 船長の奥さんは、海の生き物と心を通わせることが出来たらしい。特にシャチとは相性がよく、シャチ使いの異名すらあったとか。

「キャプテンには、魔法に見えたんやろうなぁ」

「ちょっと待って。それって、シャチを使い魔にしたメイジ……ってことじゃないの?」

「ちゃいまんがな。シャチだけやおまえへんで。……船長が初めて彼女と出会った際には、サバと話をしていたとか。結婚した後には、夕食の焼サンマと話してるのを見たこともあったそうで……」

「や……焼き魚とお話……」

 それは単に会話のフリをしていただけだろう!?
 さすがに、焼き魚に意志があるとは思えない。そうなると、海の色々な生き物と意思の疎通が出来る、というのも眉唾になってくる。

「それは……メイジじゃないわね……」

「やろ? あれは魔法やない。海の女の特殊能力や」

 ……いや私は、そういう意味で言ったのではないのだが……。
 ひょっとして、ヤッタニア自身にも、なんらかの『海の女の特殊能力』があるのだろうか。これ以上会話を続けるのが、ちょっと嫌になってきた。
 黙り込んでしまう私。
 船腹を叩く水の音だけが、しばし続く。

「ま……明日は早いんや。そろそろ休みぃや。……それと……ワイが奥さんの話をした、ってのは内緒やで」

「わかってる」

 答えて私は、彼女と共に、船室へと引き返したのだった。

########################

 変化があったのは、翌日のことだった。
 やはり朝から何度か潜り、もうすぐ昼という頃。

「キャプテン!」

 水面から顔を出したヤッタニアの声には、ただならぬものが混じっていた。

「船や! 船が沈んでたんや!」

 垂らした縄梯子を伝わって上がって来ると、彼女は、水着の端にはさんだ何かを船長に渡す。

「これは……!」

 つぶやく彼の手には、サビと水コケのついた大きめの金貨が一枚。

「船のマストらしいものを見つけて! 辺りを調べたら! それが……!」

「もしかして、お目当ての海賊船!?」

 興奮して捲し立てるヤッタニアに、私もその気になって尋ねたのだが。

「……違うな」

 水を差すように冷たく言い放ったのは、船長だった。彼は、ジーッと金貨を見つめながら、

「見ろ。ここにある刻印……そして金貨のデザイン。この金貨が造られた時代は、ユートピア号沈没よりもずっと後だ」

「あ……ホンマ……」

 シュンとするヤッタニアに、私は慰めの声をかける。

「いいじゃないの、ユートピア号じゃなくても。沈没船があって、金貨を積んでたんだから……他にもお宝があるんじゃないの!?」

「そうだな。せっかくだから、その沈没船の宝も貰っていくとするか」

 フッと笑う船長。これでヤッタニアの表情も、また明るくなったのだが、ちょうどその時。

「キャプテン! お客さんですぜ!」

 見張り台の上から、叫び声が降ってきた。

########################

「無人島の陰から出てきたわけか……」

 船長がポツリとつぶやいたように。
 一隻の帆船が今、こちらへ近づきつつあった。
 宝探しは一時中断。
 ヤッタニアが、魔法のたいまつを海に投げ入れる。トラブル発生時の合図として、事前に打ち合わせていたものだ。

「みんな! はよ上がってこい!」

 その声が届いたわけではないが、魔法の光は海中でもハッキリ見えたのであろう。
 潜っていた船員たちが、続々と戻って来る。

「逃げるぞ! 全員配置につけ!」

 船を動かすことを決めた船長。
 なにしろ相手の船はこちらより一回り大きく、しかも甲板に並んだ男たちは、手に武器を持っているらしいのだ。

「へえ。海賊なんて、まだいたんだ。……最近じゃみんな空に上がって、空賊になった、って聞いてたけど……」

「あんさん、何をのんきなことを……」

 言いかけて。
 ヤッタニアは、ようやく気づいたようで。

「キャプテン! 何も逃げることおまへんで! こういうときのために……メイジを雇ったんやろ!?」

「……!」

 私に目を向ける二人に対して、私は、自信たっぷりにウインクしてみせた。
 そして……。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 ボクバジュンッ!

 はるか前方に炸裂させた一撃は、海水をえぐり気化させて、大きな波を引き起こす。
 こちらの船体も揺れたが、向こうはそれ以上。波を腹に受けた海賊船は、大きく翻弄される。
 その揺れが収まるのを待って、

「そこの海賊船! 命が惜しけりゃ、停船して白旗を掲げなさい! そうすれば沈没船に変えるのだけは勘弁してあげる!」

 私の呼びかけに、ほどなく海賊船の帆柱には、真っ白い旗が翻ったのだった。

########################

「……やっと初めての獲物だと思ったんですよぅ」

 こっちのマストにしばりつけられた海賊船のボスは、遠いまなざしで、誰に言うともなくつぶやいた。

「……最初は山賊をやってましてね……役人の取り締まりがキツくなって……それで海に目をつけたんですよ……。最初は『これだ』って思ったんですよ……魔の海域に近い無人島をアジトにすれば、役人の手入れもない、って……」

 海賊ボスの嘆きは続く。

「ええ手入れなんてありませんでしたとも。そもそも通る船がないんですから……。無人島の辺りで、木の実や魚や海藻やらをとって食いつないで……はじめて獲物らしい獲物を見つけたと思ったらこれですよ……何も悪いことなんてしてないのに……」

 彼は自覚皆無のつぶやきを漏らした。
 かつては山賊だったと言った時点で、過去の罪を白状したようなものなのだが。

「まあそうしょげるな」

 海賊ボス以上にそれっぽい格好の船長が、海賊ボスに言い渡す。

「おまえたちにも、俺の宝探しを手伝わせてやろう。もしも思った以上の宝が見つかって、お前たちが海賊稼業から足を洗うと誓うなら、役人に突き出すのも勘弁してやる」

「ほ、本当か!?」

 海賊ボスの顔が輝く。

「ああ。海の男に嘘はない」

「そ……そうかっ……すまねえっ……すまねえっ……」

 船長の言葉に、思わずむせび泣く海賊ボス。
 そんなわけで。
 おたから探索要員が、一気に倍以上に増えた。

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「ようし、みんな! 出撃やでぇ!」

 ヤッタニア副長をリーダーとして、一斉に海へと飛ぶ込む男たち。海賊メンバーを併合した、大捜索団である。
 ちなみに、海賊ボスは相変わらずこちらのマストにグルグル巻き。また、一部の海賊たちは、船を動かすための最低限ということで、海賊船で待機。海賊たちがおかしな動きをしないよう、こちらの船の甲板上で、私が睨みをきかせている。

「これだけ人手も増えれば、伝説のユートピア号を発見するのも時間の問題だな」

 楽観的な意見を口にする船長。
 ……そうかなあ……?
 敢えて口にはしないが、私は全く同意できない。問題のユートピア号とやらが本当にこの付近に沈んでいるのかどうか、それを疑問視していたからだ。
 今までに見つけたのは、ボロっちい沈没船が一つと、チャチな金貨や装飾品のみ。まあ何も出てこないよりはマシと言えばマシなのだが……。
 とりあえず、適当に相づちを打っておく。

「そ、そうね」

 そして、ただ海の風の音だけが聞こえる中。
 しばらくして……。

 バシャリッ。

 水のはねる音と共に、潜っていた男が一人、頭を出した。

「……どうした!?」

 船長の呼びかけに男が答えるより早く、二人目、三人目が浮かんでくる。

「何かいます!」

 答えた一人目の声には、あきらかな怯えの色が混じっていた。

「何か、だと? また……」

「キャプテン! 今度は違うでぇ!」

 顔を見せるなり叫んだのは、ヤッタニアだった。
 彼女だけではない。男たちは次から次へと浮かび上がり、それぞれの船を目ざして、慌てて泳ぎ来る。
 やはり、いるというのか。何かが。

「出航用意!」

 わけもわからぬながら、それでも何かを感じて船長が声を上げる。
 船員たちは、あわただしく動き始めた。
 錨を上げて帆を下ろし……。

「何かおった。見たこともない、でっかい奴やった」

 甲板に上がってきたヤッタニアの声は、かすかに震えていた。

「何か、って何よ!?」

「わからへん! せやから言うてるやろ、見たこともない奴や、って!」

 私の問いに、彼女は左右に首を降る。

「……出航用意できました!」

 船員の声が響いたのは、浮かび上がってきた全員が、こちらの船と海賊船とに這い上がった直後。

「よし! 取舵いっぱい! 間近の島を目ざして……」

 船べりの船員たちがどよめいたのは、その時だった。
 目をやれば……。
 海中の一部が、影に染まっていた。
 いるのだ。そこに。
 長細く巨大な何かが。
 それは迷わずまっすぐに、こちらを目ざしてやって来ていた。

########################

「なんだありゃあ!?」

 船長の声を聞きながら、私は呪文を唱えていた。
 水面が波立つ。影が濃さを増す。
 ……いや影ではなく、黒く巨大な……何かが。
 だがこちらとしては、招かれざる客には、早々退散してもらうのみ!
 私は杖を振り下ろし、完成した魔法を解き放つ!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 グガゥンッ!

 一撃に、海がはじけた。
 爆光が影をかき消し、波を起こして船を揺さぶる。
 船員たちは悲鳴や悪態つきながら、それでもなんとか、あらぶる風と波に船を乗せ……。
 やがて海面が静まった頃、二隻の船は、もといた場所からかなり陸地側へと流されていた。

「……やったのか……?」

 船長がつぶやいた。不安と期待とを半分ずつ詰め込んで。
 船員たちは、ただジッと海を見つめていた。さきほど黒い影が走った辺りを。
 今やそこには何もない。
 だが。

「たぶん……答えはノーよ」

 言ったのは他でもない。一撃を放った私自身だった。

「あれだけの爆発で、か!?」

「直撃させることは出来なかった。水がクッションになってるわ」

 私は海を見据えたままで、言葉を紡ぐ。

「ひょっとしたら衝撃で、気絶くらいはしたかもしれないけど……。仕留めてはいないわね」

「しかし……」

「聞くけど。もしあれだけの大きさの生き物が、バラバラに吹き飛んだとしたら、海が濁るはずじゃない?」

「……たしかに」

 船長は海を見つめて、苦い口ぶりで頷くと、

「なら……奴が生きているとして……また戻って来ると思うか……?」

 そう問われても、正体不明な生き物の習性など、わかるはずもない。
 しかし。

「たぶん」

 私が直感的な言葉を口にした、ちょうどその時。

「キャプテン!」

 誰かが叫ぶが、その必要はなかった。誰の目にも明らかだったのだ。
 再び見え始めた黒い影。
 みるみるうちに、それは大きさを増し……。

「上がってくる!?」

 ザバァァァァッ!

 大きな音と波を立て、ついに海面に全貌を現した!

########################

「……これは……」

 私は、呪文を唱えることすら忘れて、怪物の正体に見入ってしまっていた。

「船……やろか?」

 ヤッタニアの言葉に、船長がハッとする。

「沈没船が自力で浮上してきたのか!? まさか……これが伝説のユートピア号!?」

 おおっ!

 どよめき始める船員たち。
 しかし。

「やーねぇ。沈没船よばわりは止してよ、縁起でもない」

 怪物船の船室らしき部分の扉が開いて、聞き覚えのある声と共に出てきた人物は……。

「キュルケ!?」

「あら、ルイズじゃないの。何やってるのよ、こんなところで」

 私と同じく、旅の学生メイジ。そして時々は私の連れ。キュルケであった。
 彼女は、赤い長髪をバサッとかきあげながら、

「……もしかして、さっきの魔法攻撃もルイズなの? 再会の挨拶にしては、ちょっとひどいんじゃないかしら?」

「ちょ、ちょっと待って! キュルケこそ、何やってんのよ! その……船……」

「ああ、これ? この近くで偶然、昔うちに勤めてたメイドに出会ってね。面白いものがあるって言うから、私も乗せてもらったの。……海に潜れる船なんですって」

「海に潜れる船……だと!? そんなバカな!?」

 叫ぶ船長に向かって、キュルケは軽く流し目を送りつつ、

「ほら、『ゲルマニアの技術力は世界一ィィィッ!』って言うでしょ。……それより、その眼帯と顔の傷痕が素敵ね。あなた、情熱は御存知?」

「冗談はやめてくれ! それより、その船についてもっと……」

「そうです、やめてください。私の夫を口説くのは」

 船長の言葉にかぶせるように。
 何やら言いながら、キュルケの背後から、一人の中年女性が姿を現す。
 服装も背格好も、どこにでもいそうな普通のメイドに見えるのだが、今の発言からして……。

「出たぁっ!? 魔女オンナだ!」

「キャプテン! まさか、あれがキャプテンの奥さんでっか!?」

「全員急げ! モタモタするな! 船を出すぞ!」

 大騒ぎする船長。とりあえず従って、出航準備をする船員たち。

「……えーっと……どういうこと……?」

「つまり、魔の海域に棲む怪物って……キャプテンの奥さんやったんや! しかも彼女は、あんさんの友人の知り合いで……」

 船長は、甲板にしゃがみこんで頭を抱えて、ブルブル体を震わせている。

「……キャプテン……奥さんのこと、よっぽど恐かったんやなあ」

 こちらでヤッタニア副長が説明している間に、向こうの船でも、事情説明が行われていた。

「まあ! あの眼帯の人、あなたの旦那さんなの?」

 無言で頷く船長奥さん。

「じゃあ、この潜れる船も、旦那さんへのおみやげとして用意したの?」

 再び無言で頷いてから、彼女はこちらへ目を向けて、ポツリと言った。

「……私は、帰る」

########################

 こうして。
 宝探しは、うやむやのうちに中止となった。
 伝説の海賊船の代わりに潜れる船を手に入れて、おたから獲得の代わりに奥さんと強制復縁することになった船長。
 彼や船員たちのその後を見届ける気もなく、私はキュルケと共に、早々に港街をあとにした。

「旦那のために、あんな船まで用意しちゃうんだから、よくできた女性よねぇ。彼女が戻ってきて、あの眼帯船長さんも、さぞかし幸せでしょうね」

「そうかなぁ……?」

 彼の態度を見る限り、とてもそうは思えなかったのだが。
 男女の仲に関しては、私よりもキュルケに一日の長があるのも確かである。
 ならば。
 ……めでたし、めでたし……かな?





(「ハルケギニアの海は俺の海」完)

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 番外編より時系列的には後となる本編第五部で『潜水艦というのがどんなに凄い武器だったのかは知らないが』とか言っちゃってるので、一応ここでは『潜水艦』という名称は使わないようにしておきました。
 さて、今回の元ネタエピソードは、すぺしゃる24巻収録「魔の海のほとりにて」(後日談「今 そこにいる女房」からも少し)。原作では前編と後編の間に、次回予告として『けどこれで巨大な影の正体が、巨大な細長いナーガだったりした日には、それはそれで読者は怒るだろーな!』と書かれていたので、そこでキュルケを登場させてみました。
 あと、エピソードヒロインの名前は、原作ではタニアだったので、つい……。

(2011年10月9日 投稿)
   



[26854] 第十二部「ヴィンドボナの策動」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/10/12 23:11
   
「……念のために聞くが……この報告書には間違いないんじゃな?」

 そう言った老メイジの顔と口調は、しかし如実に、『フカシこいてんじゃねーぞ、このガキ。でたらめこくのもたいがいにしやがれ』などと物語っていた。
 今からおよそ十日前。
 カルカソンヌで起こった事件の経緯を、何とか報告書にまとめ、リュティス魔法学院に提出した時のことである。
 元々ここから依頼された話だったし……と思ってワザワザ報告しに来たというのに、しかし学院のお偉いさんは、一読するなり、そう言ったのだった。

「間違いありません」

 憮然と答えた私に、老メイジは、やや困ったような顔で、

「……しかし正直言って……素直に信じることができん、というのが本当のところじゃの……。覇王将軍の魔剣、しかもそれが、エギンハイムで起きた事件にも関わっていたなどと……話が途方もなさすぎるわい……」

 むかっ。
 疑いのまなざしを向けるメイジに、ちょっぴり額に青スジ立ったりもするが、まあ考えてみれば無理からぬことではある。
 そもそも『魔族』が実在すると認識されてきたのも、つい最近の話。しかも、レッサー・デーモンを一般的な『魔族』だと誤解している人々が多い。
 魔族の頂点に魔王シャブラニグドゥが君臨し、その下に五人の腹心が、そしてさらにその下に位置するのが神官や将軍たち……。
 こうした高位魔族の社会構造は、メイジの間でも意外と知られていなかったり、あるいは、ただの伝説だと思われていたり。
 そうした状況を思い出してみれば、老メイジの反応も、当然といえば当然のことと言える。……言えるのではあるが……。
 それでもやっぱり腹は立つ。

「……まあ……とりあえず、この報告書は受け取っておくが……。それはそうと、もう一つ、ちょっとした依頼があるんじゃがのぅ。なぁに、これほどの事件を解決できるなら、なんということもない仕事じゃよ」

 老メイジの言葉のうちには、皮肉の色がありありと混じっていた。

########################

 ……そして私が頼まれたのが、レッサー・デーモンの大量発生事件の調査報告。ただし今度はガリア国内ではなく、ゲルマニアにおいて、である。
 他国での怪事件を調べるには、正規のガリアの騎士よりも、フリーの旅の学生メイジの方が何かと都合がよかろう……という理屈はわかる。
 しかし。
 そもそも何故、わざわざ『他国』の事件について調べようというのか。レッサー・デーモン発生問題にかこつけて、ゲルマニアの内情に関する情報を得よう、あわよくば何らかの介入を、という魂胆が見え見えであった。
 そんなキナ臭い話に巻き込まれるのは御免だったが、断れば『デーモンに恐れをなしたか。となると報告書も嘘っぱち』などと思われるのは目に見えている。それはそれで私のプライドが許さない。
 というわけで……。
 現在、私とサイトの二人は、ゲルマニア国内をぶらぶら旅しているのであった。

「なあ、ルイズ」

「何よ?」

「今まで来たことない国に来るのも、新鮮で面白いもんだ……って思ってたけど、のんびり気分もそうそう続かないもんだな」

 言ってサイトが視線を向けたのは、街道沿いの小さな森。
 昼間でも奥深くまでは陽の光が届かないため、森の中には闇がわだかまる。
 そして、よくよく注意してみれば、その闇には、ある気配が混じっていた。
 憎悪、悲しみ、嫉妬、絶望……。
 生きるものの持つ負の感情、すべてを混ぜ合わせ、風に溶かしたような気配……すなわち瘴気。
 こんな気配が漂っているということは……。

 ドンッ!

 重い衝撃音は、森の奥から聞こえてきた。

「行くわよ!」

 同時に駆け出し、私たちは木々の間を分け入っていく。
 森の奥、やや広くなった場所に散らばるのは、砕かれた大木の破片。
 それと……。

「人が倒れてる!?」

 私たちは、慌てて駆け寄った。
 伏しているのは、一組の少年少女。
 マントを羽織った男の傍らには、彼のものであろう黒い羽帽子が落ちており、ヒラヒラがついた派手な衣装を着た女の方も、レースで編まれたケープが外れかけていた。

「おい、この二人って……!?」

 抱き起こしてみて、驚きの声をあげるサイト。
 二人とも、見覚えのある顔だったのだ。

「そうね、サイト。『元素の兄弟』……ドゥドゥーとジャネットだわ」

 前に私たちの前に現れたのは、その名と姿を騙る偽物だったが、おそらく今回のは本物だろう。
 そうした方面には詳しいタバサが『裏の世界では有名』と言っていたので、ドゥドゥーもジャネットも、かなりの実力者のはず。しかし二人とも、胸のあたりをバッサリとやられており、こと切れているのは明らかだった。

「……いったい……」

 つぶやく言葉も終わらぬうちに。
 殺気が走る。
 サイトが動く。

 ギンッ!

 金属のぶつかる、鋭く澄んだ音は、咄嗟に身をかわした私の横手から聞こえた。
 視線を移せば、剣を抜き放ったサイトと、彼に対峙する黒い人影……。
 黒い人影というのは、たとえでも何でもない。実際、全身が黒いのだ。
 身につけた鎧らしきものと、右手に下げた黒い剣。真っ黒な全身には、ところどころ異様な白い模様が入っている。
 異端の宗教の神官が武装したようなイメージだが、放つ気配は間違いない。
 ……魔族……。

「その者達ニ用があル」

 それは倒れた二人に視線を向けて、くもぐった声でたどたどしく言った。

「もう死んでるわよ。あんたが殺したんでしょ?」

「……」

 私の言葉に、それはしばし沈黙してから、模様しかない顔をこちらに向けて、

「……死ンで……いル……? そウか……死んダか……」

 考えこむかのように小首を傾げ、再び沈黙する。

「なんかこいつ、あんまり頭良さそうじゃねぇな」

 私の横ににじり寄り、小さく耳打ちするサイト。クラゲ頭のバカ犬に言われるとは、よっぽどであるが……。

「そうね。でも、こんなんでも一応、魔族なんだし……」

 私たちの会話の途中で、それはふと顔を上げ、沈黙を破る。

「……お前たチ……私ヲ見たな……」

「ちょ……ちょい待ち! それはあんたが勝手に……」

「……目ゲキ者……生かシておケない……」

 私の抗議には取り合わず。
 黒い魔族は地を蹴った!
 横っ飛びで、一気に私たちとの間合いを詰める。

「……速い!」

 ギン!

 横薙ぎに来た一撃を、サイトがなんとか受け止めていた。
 こいつ……強い!
 はっきり言って、今の一発、受けられたのはガンダールヴだからこそ、である。普通の人間ならばスピードに対応しきれず、あっさり斬り倒されていただろう。
 敵は一撃が受けられたのを悟るやいなや、剣を引き……。
 同時に後ろに飛び退り、追撃をかけていたサイトに、あらためて剣をくり出す。

 ギゥンッ!

 サイトの剣がそれを弾くと同時に、『怪神官』は横へと回り込んでいた。
 今度はサイトの方が跳んで、相手との間合いを開ける。

「相棒! 娘っ子! 気をつけろ! こいつ、かなりやるぜ!」

 言われるまでもない。
 私は、すでに呪文を放つタイミングを見計らっていた。
 ……サイトと『怪神官』との、刹那の睨み合い。
 そして地を蹴る『怪神官』。大上段に振りかぶって、サイトに向かって斬りつける。
 頭上に掲げた剣で、サイトがその一撃を受け止めると同時に。
 ふたたび『怪神官』が地を蹴った。
 噛み合った剣と剣とを支点にして宙を舞い、サイトの頭上高くを飛び越えて……狙うは私!
 しかし。

 ドゥォンッ!

 唱えておいたエクスプロージョンが、空中で、まともに『怪神官』に直撃した。
 魔族といえど、この規模のエクスプロージョンに耐えられるわけがない。大きく後ろにはね飛ばされた『怪神官』は……。

「嘘!?」

 爆煙が晴れるにつれて見えてきたのは、ほぼノーダメージの『怪神官』。その前には、小さな薄い光の盾が出現していた。
 どうやらこいつ、あの一瞬の間に、空中では魔法を避けられぬと判断して、防御の術を発動させていたらしい。
 といっても、あんな薄い盾一枚で私のエクスプロージョンを防げるとは思えない。おそらく、爆圧を利用して後ろに飛んで、勢いを殺いだのだろう。そして今張っている盾は、着地後に新たに出したもの……というところか。
 一応は、私たちを警戒しているようだが……。

 ビキィンッ!

 あさっての方角から放たれた土塊が、『怪神官』の剣を直撃、打ち砕く。
 横合いからの攻撃を、とっさに『怪神官』は剣で受けたらしい。

「……ふむ。はずしたか」

 土魔法の飛んできたその方向、右手の木々の間から聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。

「……縁があるわね、よくよく」

「くされ縁……ってやつかしら?」

 私の軽口に、ギーシュの横からモンモランシーが、苦笑まじりに応じてくれた。

########################

 姿を現したのは三人。
 仲良く並んだ二人は、どちらも金髪で、クセの付き方は異なるが、どちらも巻き毛。フリル付きシャツを着たキザなギーシュと、頭の後ろの赤い大きなリボンがチャーミングなモンモランシー。
 この二人とは、エギンハイムやアンブランの事件で関わりあいがあった。
 しかしもう一人は、私の知らない顔である。
 杖を手にしているのでメイジなのであろうが、筋骨隆々とした大男であり、まるでメイジとは思えない。羽織ったローブの上からでも、膨らませたボールを皮膚の下に押し込んだような、はちきれんばかりの筋肉が見てとれた。

「ただの暗殺者かと思ったけど、どうやら違うみたいね」

 モンモランシーの視線の先では、『怪神官』が、へし折れた自分の剣と、新たに登場した三人とを交互に見つめている……ようだ。目がないから断定は出来ないが。
 彼女の言葉にギーシュが頷き、

「ああ。人間の気配ではないね。また、人魔……かな?」

 彼の杖である造花の薔薇を振り、七体の青銅ゴーレム『ワルキューレ』を出現させる。いきなり七体全部ということは、ギーシュもかなり警戒しているようだ。
 これに対して『怪神官』は、不思議そうな口調でつぶやく。

「……目ゲキ者……増エた……?」

「なあ、ルイズ。あいつ……もしかして、ギーシュのゴーレムまで目撃者にカウントしてるんじゃ……」

 呆れたような声でサイトがつぶやいた、ちょうどその時。
 いきなり大きく後ろに跳び、『怪神官』は森の奥へと消えていく。

「……あ」

「逃げたようだね」

「見ればわかるわよ、ギーシュ」

 あっというまに遠ざかっていく敵の気配。
 さすがに不利と判断したのか、それとも、単に事態を把握できずに混乱して帰っただけなのか。
 とりあえず今は、戦いは終わったと判断していいようである。
 私と同じ判断をしたらしく、サイトは剣をおさめ、ギーシュも魔法を解いてゴーレムを戻す。

「また何やらイザコザに巻き込まれているようだね、君たち」

 ギーシュが髪をかきあげながら言う間に、モンモランシーは、倒れた二人のところに駆け寄っていた。

「……死んでるわね」

 彼女の言葉で、大男がそちらに視線を向ける。彼もメイジ、敵がいる間は、おそらく敵に意識を集中していたのであろうが……。

「ああっ!? ドゥドゥー、それにジャネットじゃないか!」

 叫んで走り寄る大男。
 二人の遺体を抱きしめて、彼は、その場にガックリと膝をついた。

########################

「……あの野郎……今度会ったら、絶対俺が殺してやる……」

 不穏な言葉を口にしながら、うずくまったまま動こうとしない大男。激しい怒りが、魔力のオーラとなって目に見えるほどである。
 近寄りがたい雰囲気があり、私たちは、彼を遠巻きに眺めるしかなかった。

「どうやら……あの二人が、彼の弟と妹だったみたいね」

 こちらに戻ってきたモンモランシーが、ポツリとつぶやく。
 その意味するところを理解して、私は、確認するかのように、

「それじゃ、あいつも『元素の兄弟』ってこと?」

「あら。ルイズ、彼らのこと知ってたの?」

「その世界じゃ有名な、傭兵だか殺し屋でしょ。私はドゥドゥーとジャネットの顔しか知らなかったけど……。でも、あんたたち、なんでそんな奴らの一人と一緒だったわけ?」

「話せば長くなるわ。本当はジャック自身の口から語ってもらうべきだけど……」

 モンモランシーは、大男の方に視線を向けて、それから肩をすくめた。どうやらジャックというのが、男の名前らしい。

「……あれじゃ無理ね。いいわ、私が説明する……」

 彼女の話によると。
 話の発端は、ゲルマニアの首都ヴィンドボナ。そこでは大々的に傭兵が募集されており、『元素の兄弟』四人も、ゲルマニアの王宮に勤めるメイジとなったのだった。
 彼らにも一応、それなりにまっとうな夢があり、そのため、そろそろどこかに落ち着こう、というところだったらしい。
 ……トリステインやガリアであれば、裏社会の住人である彼らが、簡単に表舞台に上がるのは難しかっただろうが、何しろここはゲルマニアである。貴族が利害関係で寄り集まって出来た国であり、平民でも金で貴族の地位が買えるというくらい、野蛮な国。実力ある四人が出世し、王に重用されるようになるまで、時間もかからなかった。

「……とまあ、ここまではよかったんだけどね。問題は、彼らの他にも、王様に気に入られた傭兵がいて……。彼女が今や、国のあれこれにも口出すようになってるそうよ」

「彼女……? 女傭兵ってこと?」

「そう。……あ、でも色香で王様をたぶらかした、というのとは違うんだって。『元素の兄弟』から見ても明らかなくらい、腕の立つ傭兵で……」

「そいつのせいで、国がゴタゴタしてる、ってことね。……ゲルマニアも大変ねぇ」

 まるっきり他人事の口調で言う私。
 ゲルマニアに雇われた『元素の兄弟』にしてみれば大きな問題なのかもしれないが、他国の学生メイジである私たちには、関係のない話である。
 モンモランシーもギーシュも、いったい何を考えて、こんな一件に関わろうと思ったのか……。
 彼女は、その私の内心を見透かしたかのように、

「ま、私も面倒ごとは御免って思ったんだけどね。ちょっと気が変わったのよ。……その出世した女傭兵の名前がファーティマだ、って聞いてね」

「……なっ……!?」

 モンモランシーの出した名前に、私は思わず声を上げていた。
 ……かつて……。
 私とサイト、そしてモンモランシーとギーシュは、一人の高位魔族と相対したことがあった。
 覇王グラウシェラー配下、魔剣ドゥールゴーファを携えた覇王将軍。本名シェーラ、人間界で使っている名前はファーティマ。
 あの時は、とっさの機転で撤退願ったのだが……。
 その後、私とサイトが関わった別の事件でも、シェーラ=ファーティマの暗躍が裏にあったと判明している。
 今までの事件はガリア国内の話だったが、どうやら彼女、今度はゲルマニアに魔の手を伸ばしたようである。
 それに、もしかしたら……さしたる根拠のない憶測ではあるが……。
 現在世間を騒がせているデーモン大量発生事件にも、シェーラ=ファーティマは、何らかの形で関与しているのではないだろうか。

「ジャックから聞いた人相からすると、間違いなくあの『ファーティマ』だわ。たまたま名前が同じ、ってわけじゃなくて。……そうなると、単に『出世がしたい』なんて目的のわけないわよね」

 モンモランシーの言葉に、私は無言で頷いた。
 確かに、これは放っておけない話である。ゲルマニア一国の問題ではない。

「ジャックのお兄さん……ダミアンっていう『元素の兄弟』の長兄が、『あの女は危険だ』って何度も王様に諫言したらしいけど……王様は聞く耳持たず。おまけに、反ファーティマ派だった重臣たちも次々と姿を消して……。このままじゃいけない、って思ったダミアンの指示で、ジャック以下の三人が使者に発ったの。各地の領主の協力を求めて」

「なるほどね。でも……ダメだった、ってわけね」

 私の言葉に、今度はモンモランシーが頷いた。
 ……まあ、ゲルマニアであれば、それが当然だろう。
 帝政ゲルマニアは、国土こそトリステインの十倍もある広大な国だが、それは周辺地域を呑み込んで大きくなっただけ。現在の元首アルブレヒト三世に対して、諸候の忠誠心も高くはないはず。王宮でお家騒動が起これば、王を助けるどころか、むしろ王に取って代わろうとする者の方が多いかもしれない。

「……お兄さんに言われた期日になっても、まったく味方が得られなくて……やむを得ず一人でヴィンドボナに戻ろうとしていたところで、私たちと出会ったのよ」

 ならば、ドゥドゥーとジャネットも、やはり王都に戻るところだったのだろう。わけあってペアを組んでいたのか、あるいは、たまたまこの辺りで合流したのか、そこまではわからないが……。
 ともかく。そこをあの『怪神官』に襲われてしまったのだ。

「なるほどね……だいたいの事情はわかったわ」

 モンモランシーとの話が一段落したところで、ふとサイトの方に視線を向ければ。
 彼はギーシュと二人で語り合っていた。あっちはあっちで、男同士で事情説明だったのか……と思いきや。

「そうか。ではサイトは、あれからずっとガリア国内を旅していたわけか」

「ああ。ギーシュたちは、ゲルマニアに来ていたのか……」

「ゲルマニアは楽しい国だよ、サイト。僕たち男には天国だ! ゲルマニアのレィディは情熱的でね、恋愛にも積極的なんだ。おかげで僕は……ぐげ! ごげ! 息が! 息ができなぐぼごぼげごぼぉ」

 話の途中でギーシュを襲う、モンモランシーの水魔法。
 彼と同じくニヤニヤしていたサイトにも、ついつい私が爆発魔法を放っていた。

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 ヴィンドボナへの旅路は、気味が悪いくらい順調に進んだ。
 ……もっとも、あくまでもここまでは、の話ではあるが。
 旅を続ける道すがら、立ち寄る街の人々に、デーモン大量発生の話を聞くのも忘れない。
 まあ、先を急ぎつつの聞き込みなので、いい加減なものになりがちではあるが……。
 それでも、ちょっと面白い話を耳にした。

「……白い……巨人……?」

「そーさな。村で警護に雇ってた、五、六人の傭兵たちがな、騒いで逃げてくるもんで。で、村のみんなで出てみると、村の南の林んところに、デーモンがずらり、よ」

 実際にデーモン大量発生事件の被害にあった村人の証言である。

「俺ぁデーモンって奴、見たのは生まれて初めてだったけどよ……いやぁ、ありゃあ恐かったなあ。絶対もう殺されると思ったぜ。あの時は」

「でも傭兵がいたんでしょ?」

「いやぁ。デーモンの数は、たぶん百やそこら、いたんじゃねーのか」

「百!?」

「ああ。どんだけウデが立つ傭兵か知らねーが、五、六人でどうにかできるわけがねえ。デーモンが出たデーモンが出た、って騒ぐだけ騒いで、とっとと姿消しちまいやがった。もうダメだ、って思って、みんなで騒いでたところで……」

「……その、白い巨人、とやらが出てきた、ってわけ?」

「そういうこった。いきなり何かが光ってよ、デーモンたちが片っ端から吹っ飛んでた。で、ちょいと離れたところに、巨人がいるのが見えたんだよ」

「……巨人……ねぇ……」

 疑わしそうな私のつぶやきにも構わず、彼は話を続ける。

「大きさは小さい山ほどもあったんじゃねーかな? 全身真っ白でよ。そうこうするうちに、ピカピカって巨人が二、三回ほど光って……。で、デーモンどもは全滅だ。……ありゃあきっと、山の神様か何かにちげーねーぜ」

 ちなみに、こうして私が聞き込みをしている間。
 サイトはギーシュと遊んでいる。ちょっと目を離すと、ギーシュに誘われて、一緒に街娘や酒場の給仕に声をかけようとしているようだ。
 でも、そこはモンモランシーが目を光らせているので、男どもの管理は彼女に一任している。
 なお、ジャックは相変わらず恐いオーラを放っているので、彼のことはソッとしておくと決めていた。

########################

「……けどそういえば、あいつ、あれから襲ってこないよな」

 サイトがポツリとそう言ったのは、やや遅めの夕食の席……ヴィンドボナまであと四日ほどに迫った日のことだった。
 小さな街の、どこにでもあるような食堂兼酒場。
 夕飯の時間にしてはやや遅いが、酒を飲みに来る客もいる。店内は、結構ごった返していた。

「あいつ……って誰のことかね? 道中で約束でも取りつけた娘がいるのかい?」

 無神経に問い返すギーシュ。
 サイトの問いをワザと無視した私の心配りに気づくどころか、サイトの言葉を都合よく誤解している。

「ちげーよ。……ほら、前に俺とルイズが戦ってた、真っ黒な魔族がいたろ。目撃者は消す、とか言ってたやつ」

「娘っ子は『怪神官』とか呼んでたな」

 人間サマの習慣に疎いのか、デルフリンガーまで会話に参加する。
 テーブルの隅では、話を耳にしたジャックがピクッと体を動かし、不気味なオーラを増強させていた。

「……『怪神官』……あいつは絶対に俺が殺してやる……」

 まるで復讐鬼のようなセリフを吐くが、これも聞かなかったことにする私。
 モンモランシーは、まともに怯えて、ちょっと引きつった声で、

「そ……そういえば全然姿を見せないわね。もう忘れたんじゃないの?」

「そうかなぁ? まあ、出てこないなら出てこないで、それが一番いいけどよ。……どう思う、ルイズ?」

「私に話を振るなぁぁぁぁっ!」

 言うサイトに、思わず私は声を荒げた。
 一同の、驚いたような視線が私に集まる。

「……な……何だよルイズ、いきなり……」

「おでれーた。さすがの俺さまも、おでれーた」

「あああああっ! みんな世間知らずにもほどがあるわっ! 普通こういう場合『あいつが襲撃してこない』なんて話してたら、ちょうど相手が襲ってくる、っていうのが御約束でしょっ!?」

「……そ……そんな……漫画じゃあるまいし……」

「サイト! そうやって私の知らない言葉出して誤摩化すの、やめなさい!」

「ああ、ごめん。漫画っていうのは……」
  
 ドォンッ!

 ちょうど聞こえてきた、遠い爆発音。
 みんなの目が点になる。

「……お……おい!? 嘘だろ!?」

「あいつか!? ようやく来やがったか!」

 一人だけ少しニュアンスが違うが、ともかく私たちは腰を浮かす。
 同時に、店の扉がバタンと開き、転がり込んで来たのは一人の男。

「た……たいへんだ! デーモンたちが! この街に向かって……!」

 手近なテーブルに手をつき、かすれた声でがなり立てる。

 ……ざわざわ……。

 店の人々のざわめきと……。

 ……ドォンッ!

 再び起きた爆発音とが重なった。

「デーモン大量発生のほうね!?」

「……ちっ。別口か」

「ほら。違うじゃん、ルイズ」

 落ち着いて座り直すジャックにつられて、サイトも座ろうとするが、その頭を私は思いっきり引っぱたいた。

「座り直してどうすんのよ、サイト! どっちにしても、おおごとでしょうが!」

 そもそも私たちがゲルマニアに来たのは、デーモン発生事件の調査のためである。サイトのことだから、当初の目的などケロッと忘れていそうだが。

「行くわよ!」

 私の言葉を待つまでもなく、ギーシュとモンモランシーは、戸口に向かって駆け出している。チラッと見れば、ジャックは「関係ないね」という顔で手を振っていた。
 ジャックを残して店を飛び出せば、戸口に立ちつくす二人と、右往左往する街の人たち。

「遅いわよ、あなたたち!」

 ちょっとイラついた声で吐き捨てるモンモランシー。
 街の人々は、完全にパニクりまくっている。これではデーモンが、街のどちらから近づいてきているのかさえ不明である。

「これじゃ、そこら辺の人をつかまえて聞いても、正確な答えは期待できないわね……」

「だったら空から見たらいいんじゃねぇか?」

 ポツリとつぶやくサイトの言葉に、その手があったか、という顔でモンモランシーが呪文を唱える。
 店の屋根の上へ『レビテーション』で飛び移り、辺りをグルリと見渡して、すぐにそのまま降りてくる。
 彼女はストンと着地して、

「こっちよ」

 言ってすぐさま走り出す。
 あとをついていく私たち。

「裏路地を行くわ」

 そう宣言すると、人ごみを避け、横手の路地に入り込む。
 なるほど、良い判断である。混乱する人々の真っただ中を突っ切るのは、いくらなんでもラクではない。
 右に左に折れ曲がる、人通りのない裏路地。そこを四人は、一列に駆け抜けて……。

「……!?」

 広い通りに出たところで、ピタリとモンモランシーは足を止めた。
 続いて私も通りに飛び出し……。

「……え?」

 そこには誰もいなかった。
 全く無人の街並が、ただ閑散と広がるのみ。

「おや? 道を間違えたのかい、モンモランシー」

 のんきなセリフを吐くギーシュに、サイトが冷静に声をかける。

「違うぞ、ギーシュ。……気づかないのか?」

「ざわめきが消えているわ」

「……あ」

 私に言われて、ようやく彼も悟ったらしい。
 そう。
 つい今しがたまで聞こえていた、パニクりまくっていた人々の声が、今や全く聞こえなくなっている。

「……これって……」 

 やや怯えた声を上げるモンモランシーに、

「結界よ。……たぶん、魔族の、ね」

「そういうことだ。よく知ってるな」

 答えた私のその声に、もう一つ、別の声が重なった。





(第二章へつづく)

########################

 原作「スレイヤーズ」では、第十二巻の舞台は第七巻と同じガイリア・シティでしたが、このSSでは場所を変えました。もう一度ロマリアにしてしまうと、登場キャラの関係で色々と困りそうだったので。

(2011年10月12日 投稿)
   



[26854] 第十二部「ヴィンドボナの策動」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/10/15 23:22
  
「……何よ……あれ……」

 モンモランシーの視線は、通りを挟んで少し離れた、細い路地の方を指していた。
 彼女と同じようにそちらを見ながら、ギーシュは少しのんきな声を上げる。

「ふむ。なんだか珍しい生き物のようだね」

 ……たしかに……。
 レッサー・デーモンや人魔ばかり相手にしてきた者の目から見れば、その姿は、さぞや異様に映ったことだろう。
 ほとんどボロきれ同然の、黒いマントを身にまとった、人の形をしたもの……。
 しかしそれが人間などではないことは、誰の目にも一目瞭然。
 痩せた……というより、異様に細い全身を覆った肌は、古い死体のように黒ずんでいて。
 顔には、耳も鼻も口も髪もなく、ただ、巨大と言っていいほどの大きな二つの目。それをギョロリと見開き、濁った視線をこちらに向けている。

「……ごくごく一般的な……純魔族ね……」

 モンモランシーとギーシュの言葉に応えるように、私はポツリとつぶやいた。
 動物などに憑依して具現するレッサー・デーモンとは違って、彼らは自らの『力』のみで、私たちの世界に具現する。当然ながら、その実力は、レッサー・デーモンなどとは大違い。

「空間を変なふうにいじくって、ここに私たちだけを閉じ込めたのよ」

「ほぉう。よく知ってるな」

 私の言葉に、『それ』は、感心したような……あるいは馬鹿にしたような口調で言った。

「まあね。色々あったから。……って、別に世間話がしたくて出てきたわけじゃないんでしょう?」

「まあな。……それほどたいした用じゃあないんだが……」

 ギョロ目の魔族は、言って滑るように、大通りへと歩み出る。

「ちょっと死んでもらおうと思ってな」

「……言うだけなら、簡単ね」

 私は魔族に視線を向けたまま、モンモランシーたちに声をかける。

「大丈夫、心配することないわ。前に戦ったハイパー・デーモンと比べたら、こんなのザコよ。……でも気をつけてね。敵はあいつ一人じゃないはずだから」

「ザコ呼ばわりは気に入らんが……しかし、よく気がつく女だな。……お前たち!」

 ギョロ目の声と同時に殺気が走る。
 仲間を呼んだか!?
 一つは……上!
 私が振り仰ぐより早く、サイトの剣が迎え撃つ。

 キゥンッ!

 頭上に響く硬い音。間を置かず、それは前の通りに着地して、再び跳んで間合いを開けた。
 ……『怪神官』……かと思ったが、少し違った。
 真っ黒な全身は『怪神官』と同じだが、首から上が、決定的に異なっていた。
 顔が違う、というのではない。こいつには、そもそも顔そのものがなかった。
 それの首の部分からは、子供の手首ほどの太さをした、蛇の頭のようなものが五、六本生えているだけなのだ。ちょうど、首から上に、小さいヒドラの首を移植でもしたかのように。

「また……趣味の悪いのが出てきたわね……」

 そして、もう一つの殺気は、ギョロ目がいるのとは反対の方の、横手の路地から歩み出てきた。
 二匹目と同じような姿形だが、こっちは全身が血のように赤い。両刀使いのようで、両手に剣をぶら下げている。

「……三匹!?」

 緊張した声を上げるモンモランシーに、ギョロ目は低い笑い声を漏らして、

「……まあ、たかが人間五匹程度にこちらが四人、というのは、いささか大げさだとは私も思うのだがな……。一応命令だからな」

「命令、って、覇王将軍からの?」

 さらりと返した私の言葉に、魔族はスイッと目を細め、

「……貴様……何者だ? いったい……?」

「あんたに『何者』呼ばわりされるいわれはないわよ」

 このギョロ目、おそらく襲撃部隊のリーダーなのだろうが……。
 意外と頭は悪いのか、はたまた、うっかり者なのか。こいつが滑らした口からは、結構重要なことがわかっている。
 まず『人間五匹』と言ったこと。続いて『こちらが四人』。
 後者だけならば、この場にもう一匹いるのか、とも思えるが、前者があれば意味は大きく変わってくる。
 ここにいる私たちは四人。つまりギョロ目は、ここには来ていないジャックを数に含めているのだ。ということは、ジャックのところにもう一匹、別の魔族が向かっている、ということだ。

「……何をどこまで知っているのかは知らんが……やはり始末しておいた方が良さそうだな!」

 言葉と同時に右手を薙いで、虚空に瘴気の槍を生み、こちらに向かって解き放つ。
 とっさに散り、かわす私たち。

「サイトは『黒ヒドラ』を! モンモランシーとギーシュは『赤ヒドラ』! 私はあのギョロ目をやるわ!」

「よかろう! こいつは任せたまえ!」

 言いながら、ギーシュが薔薇の杖を振る。
 花びらが舞い、七体の青銅ゴーレムが出現した。
 ……純魔族相手で力の出し惜しみは出来ない、ということで、最初から全ての『ワルキューレ』を使うつもりらしい。
 モンモランシーは、ギーシュの傍らで、援護の体勢。
 サイトは、気合いと共に『黒ヒドラ』に向かって斬撃をくり出していた。
 そして……。

「我が名はレビフォア!」

 怒りの声を上げるギョロ目に向かって、口の中で呪文を唱えつつ、私が突っ込む。

「一人で私に向かう蛮勇は褒めてやる! しかし勝手におかしな呼び方をするな!」

 魔族は抗議の声と同時に、今度は左手を一閃。
 飛び来る黒い刃を、私は横へと跳び、かわすと同時に、杖を振り下ろす!

 ドワァンッ!

「馬鹿な!?」

 驚くレビフォア。
 私のエクスプロージョンは……彼ではなく、『赤ヒドラ』に直撃したのだ。
 ……レビフォアに向かっていったのはフェイントだったが、あっさり引っかかってくれた。普通の『ブレイド』も使えぬ私が、魔族と斬り合いなんてするわけないのに。

「何するんだ、ルイズ!? 僕のワルキューレが!」

「いいじゃないの、一体くらい!」

 ギーシュの文句と、それを宥めるモンモランシーの声も聞こえてくる。
 たしかに青銅ゴーレムも一体巻きこまれたようだが、これくらいは許して欲しい。二人が接近戦をしていなかったことだけは——二人が巻き込まれないことだけは——、ちゃんと視界の隅で確認していたのだから。
 ともかく。
 文句を言いながらも、この機を逃すギーシュではない。
 エクスプロージョンをモロに食らってよろめく『赤ヒドラ』に、ギーシュのワルキューレたちが殺到。串刺しにされた魔族は、ひとたまりもなく打ち倒された。

「へえ。ゴーレムの槍に貫かれたくらいじゃ、純魔族にはダメージにならないかと思ったんだけど……ギーシュのゴーレムって、ちゃんとタップリ、ギーシュの精神力が込められてたみたいね」

「……っ!」

 わざと軽く言ってみせた私に、レビフォアは一瞬、敵意に満ちた視線を向けて……。

「……退くぞっ!」

 不利と判断してか、声と同時に、後ろ向きのまま路地の奥へと滑り込む。
 サイトと剣を交えていた『黒ヒドラ』も、レビフォアの声にアッサリ身をひるがえす。
 だが。

「甘ぇぜ! 相棒の前で隙を見せるとは!」

 攻撃から撤退に転じる一瞬が、魔族の隙となったらしい。サイトにバッサリ斬り捨てられ、黒い塵となって消滅した。

「結局一匹だけか。逃がしてしまったのは」

「追わなくていいのかしら」

 ホッとしたように言うギーシュとモンモランシーに、私は静かに声をかける。

「深追いは禁物よ。たしかに、このまま追撃をかけて倒した方が、後腐れはないんでしょうけど……」

「……この空間は、奴の張った結界だ。追いつけっこねえ……どころか、ヘタに追いかけりゃあ、分断されて各個撃破される恐れもある、ってこった」

 デルフリンガーが、私の言葉を補足した。
 今は奇策でサクッと二匹倒したものの、次からはレビフォアも、そうそう油断はしてくれないだろう。甘く見れば、今度倒れるのはこちらかもしれない。
 そもそも、ひょっとしたら今の撤退自体が罠、という可能性すらあるのだ。

「……けどよ、デルフ。そうすると俺たちって、どうやってこの空間から出るんだ?」

「あの魔族……娘っ子が『ギョロ目』って呼んでた奴、あいつが逃げ切ったら、勝手に解除されるだろうよ」

「そうね。問題はそれから先だわ。次から連中、かなり本気でしかけてくるだろう、って……」

 私の言葉が終わるより早く。

 ざわり……。

 街に再びざわめきが戻った。
 それまで誰もいなかった通りに、唐突に、人の姿が現れる。
 どうやらレビフォアの張った結界が解けたようである。

「なるほど。言ったとおりだね」

「……けど、悠長にしてはいられないみたいよ」

 ギーシュの言葉に続けるモンモランシー。
 辺りを行き交う人々から見れば、私たちの方がいきなり現れたように見えるはずだが、それをどうこう言ってくる者など一人もいない。
 この街にデーモンたちが向かってきており、それどころではないのだ。
 しかし。

「とりあえず、デーモン事件の方は、いったん棚上げよ。……さっきの店に戻らなきゃ」

 私が声をかけると、再び駆け出そうとしたモンモランシーが、疑問を顔に浮かべて振り返る。

「……え? でも……」

「ジャックのことが心配でしょ」

 レビフォアの発言から考えて、ジャックの方にも魔族が一匹、行っているはず。

「それなら大丈夫だろう。ああ見えて、彼は強いのだよ。なにしろ……」

「わかってるわ、ギーシュ。『元素の兄弟』の一人だ、って言いたいんでしょ? でも、その『元素の兄弟』の二人が、あの『怪神官』にやられてるのよ! こっちに出て来なかったんだから……たぶん『怪神官』はジャックのところだわ!」

 説明している時間も惜しい。
 早口で言い捨てて、私は戻る方向に走り出す。
 サイトは当然として、ギーシュとモンモランシーの二人もついてきた。私の言い分を認めたようだ。
 そして……。

「なんだ、これは!?」

 ギーシュが声を上げたのも無理はない。
 元の場所まで戻ってみると。
 食堂兼酒場は消滅しており、クレーターと化した跡地の真ん中に、ジャックが一人、意識不明で倒れていた。

########################

「……倒せなかった……自爆覚悟の大技を使ったのに……」

 意識を取り戻したジャックは、そう嘆いていた。
 結果的にはジャック自身ではなく、お店が一軒消滅したのだから、迷惑な話である。
 しかも、敵の『怪神官』には逃げられたようだし。
 ……まあ、それはともかく。
 ジャックの無事を見届けてから、私たちは、再びデーモン大量発生の方に戻った。
 街の出入り口の広場の、さらにその向こう。北へと延びる街道に蠢く無数の影。
 そして……。

「……なあ、あれ何だ? あの白いの……」

 辺りにひしめいていたデーモンたちを吹き散らす、謎の光。

 ジャッ!

 音を立て、光が虚空を薙ぎ裂いて、次々とデーモンが地に伏していく。
 その光を発しているのは……。

「……あれが……白い……巨人……?」

 まばゆいばかりの、あざやかな白い全身。
 この距離からでは細かい部分はわからないが、確かに基本体型は人に近い。頭は半ば肩にめり込んでおり、やや異様なデザインの白いゴーレム、といったところだろうか。
 それはデーモンたちを一掃した後、その場できびすを返し……。
 私たちが見守る中。
 唐突に、まさに文字どおり、姿を消したのだった。

########################

 丘を越えると、街が見えてくる。
 周りをグルリと外壁に囲まれて、大きく広がる街の名は、帝都ヴィンドボナ。

「ここがゲルマニアの首都か。トリステインやロマリアやガリアとは、ずいぶん雰囲気も違うんだな」

 遠くから街を見下ろして、サイトがのんきな声を上げた。

「水を差すみてーで悪いがな、相棒。のんびりしてる場合じゃねーと思うぜ」

「デルフの言うとおりね。どう考えたところで、こっからが本番なんだから」

 そう。
 前に襲ってきたレビフォアたちが、この街にいるはずの覇王将軍の指令で動いていたことは、まず間違いない。
 そしてあれ以来、連中は襲撃をかけて来ていない。
 ということは、逆に言えば、この街に戦力を集中し、迎え撃つつもりだということだ。
 ……覇王将軍シェーラ=ファーティマだけでも、シャレにならない相手だというのに……。

「はあ……」

 サイトにも聞こえぬくらいの、小さなため息をつく私。
 手助けが欲しいところだが、キュルケやタバサは行方も知れぬままだし、姫さまはトリステインでしっかり『王女さま』してるであろうから、頼むわけにもいかないし……。

「……このメンツだけで、やるしかないのよね……」

「……ん? 何か言ったか、ルイズ?」

「いいえ、なんでもないわ」

 私は他の四人と共に、丘から下る道をゆく。
 一路、ヴィンドボナを目ざして。

########################

「……申し訳ありませんが……お通しするわけにはまいりません……」

 言いにくそうにつぶやきながら、手にした杖で若い兵士が、私たちの行く手を遮った。
 それは、ヴィンドボナを取り囲む、街壁の一つでの出来事だった。

「なんだと……?」

 いきなりといえばいきなりな反応に、ジャックの表情が険しくなる。
 ……まあ、無理もないだろう。
 こういった城塞都市の街壁は、万が一の時、外敵から街を守るためのもの。いくら諸候の忠誠心が高くないゲルマニアとはいえ、反乱が起こっているわけでもないのに、王都の守りをガチガチに固める必要はないはずだ。
 実際、私たちが兵士の一人に止められているその横を、街娘や商人や、その他もろもろの人々が、どんどん街の中へと入っていく。
 にもかかわらず。
 ここの王宮で働いていたジャックがいるのに、『通せない』というのは……。

「どういうことだ!? 俺は『元素の兄弟』のジャックだぞ! 兄弟四人でアルブレヒト三世陛下に仕え、ダミアン兄さんなどは将軍待遇を受けているほどだ! 特命あってヴィンドボナを出ていたが、こうして戻ってきたのだ! 連れの四人も、その任務に関係するものたちだ!」

 声を荒げて捲し立てるジャックに、兵士は言いにくそうに、

「……その……お名前と身分は存じ上げています……。ですから……お通しできないのです……」

「……どういう意味だ?」

「……命令が……下っております……」

「命令?」

「はい……その……ジャック殿以下、帝都を離れた『元素の兄弟』の者たちを……その……」

「何だ!? かまわんから、はっきり言ってみろ!」

「は……その……無断にて出奔したかどで罷免……戻ってきても……街に入れるべからず、と……」

 うわあ。
 予想もしていなかった、大変な状況である。

「だ……誰が下した命令だ!? ハルデンベルグ侯爵か!?」

 ジャックに問われて、まだ若い兵士は、周りにいる他の兵士の視線を気にしつつ、小さく頷いた。

「……その……もちろん陛下の認可を受けての命令ですし……私としては……」

「……わかった。ここで騒ぎ立てても無駄だ、というのは、よくわかったぜ。……街に入れないというなら、代わりにダミアン兄さんと連絡を取ってもらいのだが……」

「……それが……その……」

 再び沈痛な表情で言いよどむ兵士。

「なんだ? まさか、それもダメだ、という命令が出てるわけじゃないだろう?」

「いえ……。ダミアン殿は……お亡くなりになられました……御病気で……」

「……!」

 完全に言葉をなくして、ジャックはその場に立ちつくすのであった。

########################

 夜の酒場には、それなりの騒がしさが満ちていた。
 こんな御時世であっても、アルコールが入れば人々は陽気になるのだ。
 しかし私たち五人のテーブルだけは、重い静けさに沈んでいた。
 ヴィンドボナの近くにある小さな街の、宿の一階にある酒場でのことである。

「……ねえ、教えてもらいたいんだけど……」

 一同があらかた食べ終わったところで、私は敢えて尋ねた。この雰囲気が嫌だったのである。

「ハルデンベルグ侯爵っていうのは何者? 昼間その名前出したとき、あんた、含むところがあるみたいだったわね」

「ああ。ハルデンベルグ侯爵は、王宮の軍を束ねる総司令官みたいなもんだ。俺たち『元素の兄弟』も、最初は奴に取り立ててもらったんだが……」

 ジャックは、口元に苦笑を浮かべて、

「……どうやら俺たちは、王様に気に入られすぎたようでな。ダミアン兄さんがまるで将軍のように扱われ始めた後は、ことあるごとに対立していたよ。……問題のファーティマを登用し、アルブレヒト三世に引き合わせたのも、奴だった。まあ、王様への御機嫌取りのつもりだったようだな」

「……ふぅん……。ようするに出世しか考えてない、無能な将軍ね?」

 バッサリ言い切った私の言葉に、ジャックは無言で頷いた。
 それを見て、私は、さらに尋ねてみる。無神経と言われるかもしれないが、聞いておかねばならないのだ。

「……で、あんた、これからどうするつもり? 将軍格だったお兄さんも死んで、『元素の兄弟』は、もうあんた一人。王宮からも追い出されちゃったみたいだし……この一件からも降りる?」

「フン、馬鹿を言うな。弟と妹の仇もとらずに逃げ出せって言うのか? ……それに……」

 ジャックは、グラスの酒をあおりながらつけ加える。

「この時期、このタイミングでダミアン兄さんまで死んだだなんて……タイミングが良すぎる。偶然とは思えねえ」

「謀殺……?」

 私の言葉に、再び無言で頷くジャック。
 たしかに。
 ドゥドゥーとジャネットが、覇王将軍の配下らしき『怪神官』に殺されているわけだから、ダミアンとやらが似たような運命をたどっていたとしても不思議ではない。

「……もう俺はヴィンドボナの王宮勤めじゃねえ。仇が中にいるのが確実なら、王宮ごと吹っ飛ばしてもいいんだが……」

 ……おい。私でもやらないような物騒な作戦を、あっさりとジャックは提案する。

「……それで中に肝心の奴がいなかったりしたら、目も当てられないからな」

「そ……そうよね。じゃあ、まずは帝都に潜入して、どこかに身をひそめるということで……」

「ああ。ヴィンドボナに入り込みさえすれば、なんとかなるだろう。今夜一晩ゆっくり休んで体力ためて、明日から本格的に行動開始だ」

 さすがは裏の世界で名を馳せた『元素の兄弟』。兄弟を失って落ち込んでいただけではなく、ちゃんとまともな計画も考えていたらしい。

「……わかったわ。みんなも、それでいいわね?」

 ジャックとの会話には参加しなかった三人へ、私はあらためて同意を求めたが……。

「痛っ! 痛いよ、モンモランシー……」

「そうだぜ。少しくらいは許してやれよ」

「何言ってんの! あなたも同罪よ、サイト!」

 いつのまにか。
 ギーシュが給仕の娘に色目を使っていたらしく、モンモランシーに折檻されていた。
 ……こっちがシリアスな会話をしている横で……。
 まあギーシュはギーシュだから仕方ないとして、頼むからサイトに変なこと教えるのだけはやめて欲しい、と、つくづく私は思う。

########################

 酒場から響いてきたざわめきが消えたのは、どれくらい前のことだっただろうか。
 時間だけが、闇の中をむなしく流れ……。

「……ああっ! 眠れんっ!」

 叫んで私がベッドから這いずり出したのは、たぶん夜中をまわったあたり。
 横で私がモゾモゾしていても、サイトは全く目を覚ます気配もなし。寝る前のお仕置きエクスプロージョンが、ちょっと激しすぎたのかな、と反省しつつ……。
 私は一階の食堂へと向かった。何かあったかいものでも食べれば、少しは眠くなるだろうと考えたのである。
 食堂には、まだランプの明かりが灯っており、そこには……。

「モンモランシー?」

 そう。片隅のテーブルで一人、ちびりちびりとワインを飲んでいたのは、モンモランシーだった。

「どうしたの? 一人で。……あ、おじさん、あったかい食べ物お願い」

 とりあえず料理を注文してから、モンモランシーの向かいに腰かけて、

「やっぱりモンモランシーも眠れなかった、とか?」

「……まあね……」

 私の問いに彼女は、やはりワインをちびちびやりながら、いまいち気のない言葉を返す。
 そりゃま、そうだろう。
 明日の夜にはヴィンドボナ。ひょっとしたらそのまま一気に王宮に潜入して、シェーラ=ファーティマと対決、などという可能性も大アリである。
 いよいよ覇王将軍クラスの大物魔族にケンカ売ろうかという時に、リラックスして寝ろ、という方が難しい。

「ギーシュは?」

「ぐっすり眠ってるわ。……サイトも?」

「うん。こういう時って、男たちの方が気にせず眠れるみたい」

 運ばれてきたシチューに口をつけながら、私は答えた。
 ずいぶん調理が早いな、と思ったが、どうやら残りものを温めただけらしい。まあこんな時間だし、これでも十分である。
 味も悪くない。からだ全体が暖まり、少し気分もほんわかしてきたところで、私はふと、

「……けどそういえば、こういう状況って、あんまりなかったわね」

「こういう状況?」

「そ。女だけで話する、って状況。モンモランシーの隣には、いつもギーシュがいるし……」

「……あなたのそばにはサイトがいる」

 言われて私は、ぽりぽりと頬をかきながら、

「だってサイトは、私の使い魔だし。……でもモンモランシーの場合は、二人ともメイジよね。なんで一緒に旅してんの?」

 聞くだけ野暮かもしれないが、敢えて聞いてみた。
 彼女はしばし、口の端に笑みを浮かべて沈黙し、それから。

「……私は……たぶん……」

「待って!」

 答えかけたモンモランシーを、私の言葉が止めていた。
 ゆっくりと振り向けば、薄暗い店内。天井に揺れるランプ。くすんだ壁。
 何も変わりはありはしない。だが、確かに、おかしな気配がしたのである。

「変ね」

 言いながら、モンモランシーはカタンと席を立つ。彼女は、気配は読めなかったが、代わりに気づいたのであった。

「店のおじさんがいなくなってるわ」

「……!?」

 慌てて私も、そちらに目をやる。カウンター越しに見えていた、厨房に立つ人影が、いつのまにか姿を消していた。
 モンモランシーに告げるように、私は言う。

「また結界に取り込まれたわね」

「それじゃ……魔族ってこと?」

「……ほう……よく知っているな……」

 私の言葉に応じたのは、モンモランシーだけではなかった。
 低い声が、薄暗い部屋に響き渡る。

「出たわね!」

「でも……どこよ!?」

 辺りをザッと見回すが、それらしき相手の姿はない。
 しかし気配はある。確実に。

「……くくくく……我の姿が見えぬか。所詮は人間というものよ。シェーラ様も何故このような輩に警戒なさるのか……」

 ……ざらり……。
 声と共に、どこからか、砂の流れるような音が聞こえる。

「ランプ!?」

 モンモランシーの声に、私は視線をはね上げた。
 ランプの生み出すボンヤリした光が、一条だけ床に落ちかかり……。
 みるみるうちに、薄い光はわだかまり、人の形を成す。

「これで見えただろう? 人間よ。覚えておけ。我が名を。覇王将軍シェーラ様旗下、グバーグの名を」





(第三章へつづく)

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 アルス将軍役はハルデンベルグ侯爵。
 原作「ゼロ魔」ではレコンキスタとの戦いで戦死するハルデンベルグ侯爵ですが、このSSでは、レコンキスタとトリステイン・ゲルマニア連合軍との戦いがまだ勃発していないので。

(2011年10月15日 投稿)
   



[26854] 第十二部「ヴィンドボナの策動」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/10/18 23:11
   
「これで見えただろう? 人間よ。覚えておけ。我が名を。覇王将軍シェーラ様旗下、グバーグの名を」

 モンモランシーと私のガールズトークを邪魔した魔族は、やはりシェーラ=ファーティマの手下だった。
 しかし相手が誰の部下であろうと、私のやるべきことに変わりはない。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 エクスプロージョンの光球が、白い魔族に直撃する!

「へんっ! 先手必勝……」

 言いかけて。
 私は思わず言葉を失っていた。
 炸裂した爆発の威力、そのことごとくが、魔族の、見開かれた黒い眼の奥へと吸い込まれていく!
 やがて……。
 爆煙も何もかも消えたその後で、魔族は、ふたたび視線をこちらに向けた。

「無駄なのだよ」

 笑いを含んだグバーグの声。

「このグバーグの瞳は、全てを虚無へと導きゆく。その瞳を持つ我を倒すのが、どれほど不可能に近いか……今のでわかっただろう?」

「何よそれ!? そんな……」

 モンモランシーは、まともに受け取って驚きの声を上げているが……。
 今の解説を聞いて、むしろ私は冷静さを取り戻していた。
 虚無のメイジを前にして『虚無に導く』とは、なんとも片腹痛いセリフである。
 グバーグがそんなたいそうな奴ならば、シェーラ=ファーティマのパシリなんぞやっていようはずはない。実際のところは、空間を歪曲するか何かして、受けた力をどこか別のところに放出する、というしくみなのだろう。

「ほかの連中のところにも、それぞれ刺客が行っている。仲良く一緒に死なせてやるよ。見せてやろう。我がもう一つの力を」

 言うなり……。

 ざわり。

 グバーグの足もとから床の上に、白い魔族自身の体が、カビのように広がっていく。
 ……浸食!?

「我が体は、徐々に広がり、この結界内すべてのものをやがて浸食する。人間ども、貴様らもな」

 勝ち誇ったグバーグの声が辺りに響き渡る。
 その間にも、白い浸食はみるみるうちに広がって、二階へ向かう階段や、店の戸口へと続く道を塞いでいた。
 並大抵の呪文の無効化、そして浸食。
 たしかに普通の人間では、これでは成すすべはない。
 だが……甘い!
 奴がグダグダしゃべっている間に、こっちの呪文は唱え終わっている!
 私は床を蹴り……。

「愚かな! 貴様もこの浸食に呑まれるだけだ!」

 そう。
 私が走る先には、カビのような浸食が広がっているわけだが……。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 杖に沿って形成された闇の刃が、床の浸食を切り開く!

「何!? 貴様、それは……!」

 驚愕に目を見開くグバーグのもとへ、一気に駆け寄る私。杖を一閃しながら、そのまま走り抜ける!

「どう? 本物の虚無の味は?」

 振り返りながら、言ってやったのだが……。
 もはやグバーグは答えることも出来ず、ただ黒い塵と化して、消滅したのであった。

########################

「案外あっけなかったわね」

「でも……まだ結界が消えてないわよ」

 言われて、私はモンモランシーの視線の先に目をやる。
 カウンター越しの厨房は、いまだ無人のままだった。

「……ほかにもいる……ってことかしら?」

 キョロキョロと周囲を見回す彼女に対し、

「ほかのところにも刺客が行ってる、って言ってたわね。あいつ。……たぶん、そっちに結界はった奴がいるんだわ!」

 つまり、サイトやギーシュたちはまだ戦っているということ。
 モンモランシーはハッとする。
 私たちは二人同時に、階段に向かって駆け出して……。

「シチューのおかわり、いかがですか?」

 背中に投げかけられたのは、店のおじさんの声だった。

「……え?」

 振り向けば、そこにはちょうど、厨房から姿を現すおじさんの姿。
 その手には、一皿のシチュー。

「どうせ残りものを温め直しただけですからね。これはサービスにしときますよ」

「……あ……えと……」

 顔を見合わす私とモンモランシー。
 ということは……結界が解けた!?

「モンモランシー!」

 唐突に。
 階段の上から聞こえてきたのは、ギーシュの声だった。
 彼は一気に階段を駆け下りて、ワシッとモンモランシーを抱きしめる。

「……ちょ……ギーシュ……」

「よかった……無事だったんだね、モンモランシー……」

「……あの……いや……」

「ああ、愛しのモンモランシー!」

「……その……」

「すいませんが、そういうのは自分の部屋でやってくれませんか?」

 食堂のおじさんが、文字面だけは丁寧に、しかし口調は投げやりに、言葉を挟む。
 それでもギーシュの耳には入らなかったのか、二人はヒシッと抱き合ったまま。

「……もう気が済むまでそうしてたら?」

 呆れたようにつぶやく私に、今度はサイトの声が。

「おう、ルイズ!」

 再び仰ぎ見れば、階段上の手すりから、サイトとジャックが顔をのぞかせる。

「やっぱり無事だったか」

 ……やっぱり無事だったか……って……。
 信用されている、ってことなんだろうけど……。

「少しは心配しなさいよ、サイト。あんた、私の使い魔でしょ?」

「ごめんごめん。でもさ、本当にルイズがピンチになれば、左目に映るはずだろ? それがないってことは、まだ大丈夫だ……って思ってさ」

「……まあ、いいわ。こっちに出てきたのは一匹、あのレビフォアって奴じゃなかった。そっちは?」

「なんだ、ルイズの方はそれだけかよ。こっちは三匹だったが、俺とギーシュで一匹、ジャックが別の一匹を倒したら、最後の奴は逃げて行きやがった」

 そしてサイトは、チラリと隣に目をやって、

「いや、凄かったんだぞ、ジャックは。さすが『元素の兄弟』だ。ルイズにも見せてやりたかったよ」

「相棒の言うとおりだぜ。俺さまもおでれーた」

 ガンダールヴとその剣から褒められても、ジャックは喜ぶ顔ひとつしない。代わりに少し考えこむような表情のあと、

「ふむ……ということは、またすぐ仕掛けてくる可能性があるな」

「またすぐ……って、今夜中にか?」

 サイトはわかっていないようだが、私はジャックの考えが何となく理解できた。

「なるほどね。前回襲ってきたレビフォアの姿がなかった、ってことは、彼が本命の第二陣を率いてくる可能性がある……ってことね?」

「そうだ。だったら、ここで待つより動いた方が得策だろう」

「動く……って、まさか今からかよ!?」

 驚くサイト。
 これに答えたのは、ジャックではなく、御主人様の私である。

「そういうことよ、サイト」

 すなわち……ヴィンドボナへの潜入敢行である!

########################

 一行がヴィンドボナに着いたのは、幸いにも、まだ夜明けが訪れる前のことだった。
 ……眠いけど……。
 闇に乗じて魔法で壁を乗り越えて、見張りの兵の目をかいくぐり、街に入るのも難ないこと。
 ……かなり眠いけど……。
 あとは、身を隠せそうな場所で、とりあえず一眠り。夜が明けてから、別の活動拠点を探す……つもりだったのだが……。

「ここ……なの……?」

「君はともかくとして……僕やモンモランシーは、ここで眠るのは、ちょっと難しいね」

 モンモランシーとギーシュが文句を言う。
 ジャックに連れられて来たのは、広々としたガレキ置き場。

「ジャック、あんた何考えてんの。私とサイトも嫌よ。こんなところじゃ身を隠すも何もないじゃない!」

「……いや……ここには……俺たち兄弟に与えられた屋敷があったはずなんだが……」

 なるほど、そういうことか。
 王宮からクビになった時点で、家財没収どころか、ご丁寧に家まで壊されてしまったわけね。

「じゃあ、どうするんだよ?」

 あくび混じりでサイトが問いかけるが、みんな眠くて脳ミソまわらず、しばし沈黙する。

「そいじゃあ歩き回って、適当なところ探すしかねえじゃねーか?」

 唯一眠気とは無縁なデルフリンガーが、そこそこまともな提案を出してくれた。
 黙って頷いて、そして……。
 うろうろぞろぞろ歩くうち、しらじらと、東の空が明るくなってくる。

「うわ。夜明けだし……」

「そうだな。夜明けだな」

 何も考えてないこと丸わかりな口調で、相づちを打つサイト。
 道端には、ポツポツと人の姿も見え始めてきた。
 仕入れに向かう商人ふう。やたら早起きの子供たち。街を見回る兵士たち。
 ……兵士たち?

「おいっ! そこのっ!」

 私が考え整理して、行動起こすより早く。
 兵士たちの声と視線が、私たちに向かって投げかけられた。
 五、六人ほどの一団は、ヅカヅカとこちらに歩み寄りつつ、私たちのうちの一人を指さして、

「お前、『元素の兄弟』のジャックだな!」

「……チッ。ばれたか……」

 忌々しげに舌打ちするジャック。
 うわ。眠くて思考回路が麻痺しているとはいえ、その態度はマズイのではないか!?

「やはりそうか! 追放令を犯し、街に潜り込んだのだな!」

「仕方ねえっ! こうなったら、口を封じるしか……」

「何バカ言ってんのよ! それじゃまるで悪役じゃないの!?」

「いいじゃねえか、俺たちは『元素の兄弟』だ」

「あんただけよ! 私たちは違うわ!」

「……って、ルイズ、ジャックと掛け合い漫才やってる場合じゃないだろ」

「そ、そうね! 逃げるわよ! みんな!」

 サイトに言われて、私はダッシュで走り出す。みんなも慌ててついてくる。
 私とジャックのやりとりを唖然と聞いていた兵士たちも、ハッと我に返り、

「あ! こら待て!」

 待てと言われて待つ奴はいない。
 適当に通りを駆け抜け、路地を曲がって……。
 そのままダッシュを続けるうちに、後ろに見えていた兵士たちの姿は、ドンドン小さくなっていく。

「この分なら、逃げ切れそうね」

 思った刹那。

 ぴゅぅぅぅぅい!

 甲高い音が辺りにこだました。

「兵士の吹く呼び笛か!?」

「まずい! 人が集まってくるぞ!」

「相手は魔族じゃないんだから、ぶち倒しちゃダメよ! 命令を受けているだけの、ただの人なんだから!」

 さっきのジャックの言葉があったので、一応クギをさしておく私。
 倒すわけにはいかない、というのであれば、当然、ここは逃げるしかないのだが……。

「……こっちです!」

 建物の陰からいきなりかかった声は、どこかで聞いたような声だった。

########################

 裏路地を通り、非常階段を駆け登り。
 やがて私たちが案内されたのは、まだ新しい建物の二階にある一室だった。

「なぜ俺たちを助ける? 追放令が出てるんじゃないのか?」

「……たしかに命令は出ていますし、私も兵士のはしくれ。他の者もいたことですし、あの時は、ああするしかありませんでしたが……」

 私たちを助けてくれたのは、昨日の門番。『命令だから』と言って門前払いをくらわせた、あの地味な兵士である。

「正直なところを申し上げて……私はどうも、ハルデンベルグ侯爵のなさりようが納得いかないのです」

 彼は、小さなため息を一つつき、

「……女傭兵の登用……その傭兵に好き放題をやらせて……。や、ジャック殿ら『元素の兄弟』も傭兵あがりだとは存じておりますが、それとこれとは話が別です。特に……ダミアン殿は立派でした……まるで古くから国に仕える騎士のように……。しかし、そのダミアン殿が病死という報。正直……その……」

「謀殺?」

 私が挟んだ言葉に、彼はコックリ頷いて、

「はい。そう思いました。そんな噂も街では飛び交っております。もしそれが真実なら……この国は駄目になってしまいます。ですから……皆様には、真実を突き止め、糾弾していただきたいのです」

 他力本願な話ではあるが、全然何もしないよりは、私たちをかくまってくれた分だけでも、百万倍くらいマシである。
 ……まあ、復讐鬼ジャックが真実を突き止めたら、糾弾どころじゃ済まないでしょうけど……。
 ともかく。
 彼の好意に甘えることにして、とりあえず私たちは、思い思いに、その辺りに横になったのだった。

########################

 その日の夜……。
 私たちが行動を開始したのは、夜のとばりが街に落ち、しばらくしてからのこと。
 昼間に目が覚めてから、これからの方策をどうするか、あれこれ討論してもみたのだが、結局何がどうあろうと、やるべきことは決まっている。
 すなわち、城に乗り込んで、シェーラ=ファーティマを見つけてぶち倒す。
 というわけで。

「……さてと……どうやって入り込むか、だな……」

 空から『レビテーション』で城の城壁を越えて、私たちは、宿泊棟の屋根に降り立っていた。
 ここで働いていただけあって、ジャックは、大雑把な施設の配置くらいは知っている。とりあえずここまでは彼の案内で辿り着けたので、あとは、見張りの兵士でも締め上げて、シェーラ=ファーティマの居場所を白状させればいいわけだ。
 しかし。

「入り込む必要はない」

 ジャックのつぶやきに答えたのは、私たちの誰でもなかった。
 声のする方を見上げれば、そこには双月を背に、宙に浮かんだ影ひとつ……。

「また魔族ね!?」

「どう見てもそうだな」

 私の叫びに、サイトが頷く。
 それは、黒っぽい凧のようなシロモノだった。
 大きさは人間ほどもあるだろうか。厚みを感じさせない、三角形の半透明な体の向こうに、双月がうっすらと透けて見える。
 その頭の部分には、これだけは妙に現実的な、見開いた目が一つ。
 手も足もない、なかなか愉快なデザインだが、その能力が愉快の一言で済ませられるどうかは疑問である。

「シェーラ様からお聞きしたぞ……油断のならぬ相手だと……」

 魔族の一つしかない目が、ギロリと私の方を向き、

「『ゼロ』のルイズ……冥王(ヘルマスター)フィブリゾ様が滅びる因となったメイジだそうだな……」

「えっ!?」

 横からジャックの驚く声が聞こえてきた。高位魔族の伝承、ちゃんと知っていたらしい。

「信じられん話ではあるが……まさかシェーラ様が、そのような嘘をおつきになろうはずもない。そうと聞かされては……こちらも油断をするわけにはいかぬからな……」

 声に凄みをきかせる凧。
 なるほど、少しは頭も使っているようだ。
 チラッと下を見下ろせば、庭のあちこちに兵士の姿も見える。つまり目の前の魔族は、私たちを結界に閉じ込めてはいないのだ。こちらが派手な魔法でも使おうものなら、兵士が大挙して押し寄せてくる、という寸法だが……。
 しかし、甘い!

 ゴガアッ!

 私の爆発魔法が炸裂し、けたたましい破砕音が起きた。
 どうせ回避されるだろうから、狙いは魔族ではなく。
 私が打ち砕いたのは、私たちが足場としていた屋根の一部。ただし自分たち自身が落っこちないように、少し離れた場所を壊しておいた。
 もちろん、これで下の兵士たちは私たちに気づくが、そこで私は真っすぐ魔族を指さし、大きな声で、

「くせものよっ!」

「なにぃぃぃっ!?」

「面妖なっ!」

「レッサー・デーモンか!?」

「違うぞ!? でも化け物には違いないな!」

 私の叫びに、兵士たちの注意は魔族の方へ。

「……な……ちょ……待てっ……」

 利用しようとしていた兵士たちに、杖を向けられ、うろたえて……。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

「がぅっ!?」

 こちらから注意がそれたその瞬間、私のエクスプロージョン一発で、いともあっさり滅び去る。

「まだ一匹! 向こうの建物の上に!」

 下の兵士には、でまかせを言っておいて。
 私たちは、壊れた屋根の大穴から、最上階の廊下へと降り立ったのだった。

########################

 現在王宮に訪れている貴賓客はいなかったらしい。
 これだけの騒ぎの中、部屋から出て来る者はナシ。宿泊棟は静かなものだった。
 別の棟に移るため、とりあえず私たちは、廊下を走り抜け、階段を駆け下りる。
 そのうち、兵士の一団がやって来て、はちあわせしたが……。

「くせものよ! 上! 早く!」

 相手の誰何の声より早く、こちらから声をかける。
 一瞬、兵士たちの顔に浮かぶ混乱の色。
 ジャックはフードで顔を隠しており、他の四人は見知らぬ連中なのだ。

「何してるの!? 外の騒ぎが聞こえないの!?」

「俺たちはハルデンベルグ侯爵直属の傭兵だ。侯爵の命令で、今からファーティマ様を守りに向かわねばならん。上に現れた曲者は、頼んだぞ!」

「はっ!」

 ジャックの言葉をアッサリ信じて、再び駆け出す兵士たち。

「待って!」

 その兵士たちに、モンモランシーが声をかけ、

「ファーティマ様はどこ?」

「北の塔におられるはずです」

「わかったわ! そっちは任せて!」

 兵士たちも混乱していたのだろう。シェーラ=ファーティマを守りに行こうとする私たちがその居場所を知らない、という矛盾には気づかず、足早に立ち去っていく。

「……で、北の塔ってどこ?」

「それは俺が知ってる。急ぐぞ!」

 ジャックに頷き、私たちは一路、北の塔を目ざして進む。

########################

 北の塔が見えてきた。
 塔、といっても、独立した塔だけがポツンと建っている、というわけではない。宮殿から真っすぐ伸びた通路が、四角く長い建物につながり、その建物の端から生えるように、丸い塔が建っている。
 辺りに警備の兵の姿がないのは、兵士の大半が宿泊棟に出向いたからだろう。
 ある程度まで近づいたその時……。

「何だ!? 何が起こった!?」

 開け放たれた扉の一つから、白いカイゼル髭が特徴的な、がっちりした体格の男が顔を出す。
 その途端。
 ジャックが男に飛びかかり、その場に押し倒した。顔を覆ったフードを下ろしながら、

「……俺が来た、ってことさ。ハルデンベルグ侯爵」

「貴様!? ジャック!?」

「そう! 兄弟の仇をとるために、俺は戻ってきた!」

「待て! わしではない、断じてわしではないぞ!」

 見事なカイゼル髭を揺らしながら、男がまくしたてる。
 こいつがシェーラ=ファーティマを取り立てたハルデンベルグ侯爵だというならば、何をどう言い繕ったところで、ある意味元凶なわけだが……。

「ダメよ、ジャック」

 ハルデンベルグ侯爵を殴ろうとした彼の腕を、私が掴んで止める。

「この侯爵をとっちめてやるのは後回し。それより今は、シェーラ=ファーティマをなんとかするのが先決よ!」

「そうか……そうだな。こいつがダミアン兄さんを謀殺したのかどうか、それはまだ決まっちゃいねえが、あの女の手下の魔族どもがドゥドゥーとジャネットを殺したのは、間違いねえもんな!」

 そういう意味で言ったつもりはないのだが、まあ、いいか。
 私とジャックの会話を聞いて、ハルデンベルグ侯爵もため息をつく。

「……あの女……か。今の言葉からして、どうやらファーティマは、ただの女傭兵ではなかった、というわけだな」

「そうよ。信じられないかもしれないけれど、彼女はシェーラって名前の魔族なの」

「おい、侯爵。今のところは生かしておいてやる。だから教えろ。あの女は、この塔のどこにいる?」

 相変わらず物騒なことを言うジャックだが、ハルデンベルグ侯爵は、特に気にしてもいないような口ぶりで、

「彼女は今、宮殿北の、陛下の執務室にいる。陛下と共に、な。……わしが案内しよう」

「……!?」

 言われて、身を硬くする私たち。
 何かの罠ではないか、と反射的に警戒したわけだ。
 ハルデンベルグ侯爵は、それを打ち消すかのように手を振りながら、口元に苦笑いを浮かべた。

「わしとて、あの女は得体が知れん……と薄々感じていたからのう。それに、おぬしたち、わしを疑っているのであれば、わし一人ここに残しておく気にもなるまい?」

########################

 執務室へ向かう間、私たちは、ほとんど兵士には出会わなかった。外が騒ぎになっているせいで、みんなそちらへ行ってしまったのだろう。
 たまに出会う兵士も、ハルデンベルグ侯爵から、外へ向かうようにと言われて、それで終わり。
 一行は、庭を縦断する渡り廊下を駆け抜けて、さしたる障害もないままに、アッサリ宮殿に到着した。

「皆にはどう思われていたか知らんが……。わしは、アルブレヒト三世陛下を敬愛しておる。敬愛しているおかたに喜んでもらうこと……それを悪いことだと、わしは思わん。……中にはそれを、ご機嫌伺い、たいこもちの真似、と非難する者もおったがな」

 私たちと共に進みながら、ハルデンベルグ侯爵は語る。

「ダミアン殿やファーティマなど、すぐれた傭兵を陛下に引き合わせたのは、とびきりの逸材を手にしたことをお喜び頂きたかったがゆえ……。しかしそれでは終わらなかった。いつのまにか、陛下のそばには常にあの女がいるようになった……。そしてあの日も……『ファーティマの要望』で、城にダミアン殿が呼び出され……。何日も経たぬうち、ジャック殿の病死の報が流れた……」

 ジャックは、黙って聞いている。

「その頃から、わしは思い始めたのだ。わしは間違っていたのでは、と……」

「待って!」

 宮殿に踏み入ったその刹那。
 ハルデンベルグ侯爵の言葉と足に、私はストップをかけていた。
 ……ちょっとしたホールのような場所。
 人の姿はどこにもない。
 代わりに、ある気配が満ちていた。
 すなわち、瘴気が。

「……また『結界』というやつかね」

『そういうことだ』

 ギーシュのつぶやきに答えたのは、聞いたことのある声だった。

「レビフォア!?」

 いつか『怪神官』と一緒に襲ってきた、ギョロ目魔族の名を呼んで、辺りを見回してみる。だが、その姿はどこにも見当たらない。

『……貴様らに、この城の兵士たちを……普通の人間をけしかけて、高みの見物という予定だったのだがな……。どうやらうまくいかなかったようなのでな……』

 そりゃそうだ。人間の心理を読んだり操ったりするのは、さすがに魔族より人間の私たちに分がある。

『となれば……人間どもがあちこちウロウロしていても、お互い邪魔なだけだろう? だからこうして、舞台をあつらえてやったのさ』

 言うと同時に、ロビー向かいの扉が、バタンと音を立てて開く。
 こっちへ来い……ということなのだろう。

「どうすんだ、ルイズ? 俺たちの狙いは覇王将軍だけだろ。あんなあからさまに罠があります、って感じのところ……行くのか?」

「何言ってんのよ、サイト! 配下の魔族もやっつけておかなくちゃ、シェーラ=ファーティマとやりあってる途中で、後ろをつかれるわよ!? それに……私たちはメイジよ! 敵に後ろを見せない者を貴族というのよ!」

「ファーティマだけじゃねえ。実行犯の『怪神官』たちも、兄弟の仇だ」

「おぬしたちは知らんのだろうが……どっちみち執務室に行くには、あそこを通らないといけないのだぞ」

 ジャックやハルデンベルグ侯爵だけではない。ギーシュとモンモランシーも無言で頷いていた。
 そして私たちは歩み出す。
 向かいの扉……魔族たちの待つ戦いの場へと。

########################

 開け放たれたロビーを越えて、しばらく廊下を進むと、やがて一枚の豪華な扉が見えてきた。

「……謁見の間だ。執務室は、その向こうにある」

 神妙な顔つきで、ハルデンベルグ侯爵がつぶやく。
 彼もわかっているのだろう。おそらくレビフォアたちが仕掛けてくるのは、この謁見の間なのだ……と。

「じゃ、俺が開けるわ」

 デルフリンガーを構えつつ、サイトが扉に歩み寄った。
 その刹那。
 扉の向こうで殺気がはじけた。
 サイトの剣が閃く。
 いくつにも斬られた扉が、地に落ちる。
 扉の向こうに見えたのは、ウジャウジャと蠢く黒い影と、こちらに向かう無数の光条!
 瞬間、モンモランシーとハルデンベルグ侯爵が、それぞれ『水』と『炎』の防御魔法を発動させる。

 ヴァババババババゥッ!

 無数の光が結界に当たってくだけ、宙に散る。
 直後、今度は私のエクスプロージョン!

 ガグォォガァァッ!

 増幅をかけておいた一撃は、影のいくつかを薙ぎ飛ばした。

「おおおおおおっ!」

 同時に雄叫びを上げながら、左右から突撃するサイトとジャック。
 ギーシュはワルキューレを出現させ、モンモランシーとハルデンベルグ侯爵も次の呪文を唱えながら、扉の中へと走り込む。
 高い天井。広い空間。
 真っすぐ伸びた赤い絨毯のその先には、今は無人の玉座が一つ。
 絨毯の左右には、立ち並ぶ大理石の柱。
 その空間の中にいる、黒い影の数、ざっと見たところ二、三十。

「どいつもこいつも『怪神官』や『黒ヒドラ』と似たようなイメージの姿ね……」

 黒い全身。意味不明の面妖な模様。
 頭の形が違ったり、手足の形が違ったり、中には武器を持っていたりする奴もいるが、この場にひしめいているのは、そんな連中ばかり。レビフォアの姿はないし、『怪神官』も混じってはいないようだ。
 だが、悠長に観察している暇はない。ちょいと油断をしていると、あちらこちらから炎や氷の矢や槍が、好き放題に飛んでくる。
 それらをかいくぐりながら……。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 ボゥムッ!

 エクスプロージョンの光球が数体の黒い姿を包み込み、あとには塵も残さない。
 あまり周りを見ていられる状況ではないのだが、他の皆も、どうやら善戦しているらしい。
 意外と言ってはなんだが、ハルデンベルグ侯爵もかなり優秀な『火』メイジのようで、今も一匹の魔族を焼き尽くしていた。

「……この連中、純魔族にしては、それほど強くないわね……」

 ふと、つぶやく私。
 いや、むしろ弱い、と言った方がいいくらいかもしれない。あちこちの街や村で大量発生しているレッサー・デーモンと、同じくらいではなかろうか。
 ……これなら……なんとかなるか!?
 思った刹那。
 後ろに殺気が生まれた。

「!?」

 振り向くいとますら惜しみ、私はとっさに横に跳ぶ。
 ほとんど同時に、背中からマントを貫いて、光が脇を行き、過ぎる。

「……ずいぶん良いカンをしているな……」

 聞こえた声に、黒い魔族たちの動きが止まる。
 振り向いたそこには……。

「やっぱり出たきたわね、あんた!」

 レビフォアをはじめとする、四つの影があった。





(第四章へつづく)

########################

 ルイズ一人称である以上、別行動だった男たち三人の戦いっぷりは省略。ジャックがどう強かったのか、サイトが詳細に語ることもなく。

(2011年10月18日 投稿)
   



[26854] 第十二部「ヴィンドボナの策動」(第四章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/10/21 23:11
   
「……ずいぶん良いカンをしているな……」

「やっぱり出てきたわね、あんた!」

 新たに現れた四匹は、レビフォアと『怪神官』、そして私の知らない魔族が二体。
 一匹は、半透明でのっぺらぼうの大男。そしてもう一匹は、両肩から二本ずつの触手が生えた苔色の奴で、こちらは顔には目玉が一つあるだけ。
 レビフォアは、辺りをザッと見回して、

「……こいつらだけで貴様らを仕留められるとは思っていなかったが……この短時間でこれだけ数を減らされるとは……」

 たしかに、私たち——私とサイトにギーシュとモンモランシーそしてジャックとハルデンベルグ侯爵——の一気の攻勢で、元々いた黒い魔族たちの半分……とは言わないが、三分の一ほどが既に倒されていた。

「やはり、もとの資質の差が大きいか……となると使えぬな……」

 わけのわからん独り言をほざいてから、視線を私の方へと向ける。

「しばらくぶりだな……。この前は、あの『ゼロ』のルイズとは知らず、油断しておくれをとったが……今度は、そうは行かぬぞ……」

 レビフォアの言葉を聞きながら、私はジリジリと場所を移動していた。少しでも有利な場所に陣取っておきたいのだ。
 他の五人も、黒い魔族たちやレビフォアたちの動きに気を配りつつ、少しずつ動いている。
 復讐に燃えるジャックも、『怪神官』を見た途端に暴走するかと思ったが、案外冷静なようだ。

「俺も……男どもには借りがあるからな……」

 苔色の魔族が言う。

「なあデルフ、あの『借りがある』とか言ってる奴……どっかで見たような気がしないか?」

「おい、相棒! あいつはこの前、宿屋で襲ってきた奴じゃねえか!」

 なるほど。宿でサイトたちに襲撃をかけてきた三匹のうちの、唯一の生き残りか。
 視線は『怪神官』に向けたまま、ジャックが苔色魔族を挑発する。

「……まあもっとも、えらそうに名乗ったわりには、仲間倒されて泣いて帰った弱虫野郎だから、印象薄いのも仕方ねえな。俺も名前は覚えてねえや」
 
「リカギスだ。覚えておけ」

 しかし動じた気配も見せずに答える魔族。

「ベイズ、貴様も何か言ってやれ」

「……」

 レビフォアの言葉に、のっぺら巨人がわずかに顔を動かすが、結局何も言わぬまま。

「ふむ……挨拶はナシか……。そう言えば……」

 さもいきなり何か思い出したと言わんばかりに、レビフォアは、しらじらしい仕草で『怪神官』の方を向き、

「お前は……あの連中にちゃんと自己紹介をしたのか?」

「……自コ……ショウかい……?」

 言われて首を傾げる『怪神官』。

「ああ。自分の名前を奴らに教えたのか、と聞いてるんだ」

「……教えテ……イナい……必要……ナイ……」 

 レビフォアの両目が、スイッと細くなる。

「いや。必要だぞ。教えてやれ。お前の名前を。……その方が面白いからな」

 すると『怪神官』は、たどたどしい口調で、

「……名……マエ……だみアん……」

 ……一瞬……。
 何を言われたのか、わからなかった。
 辺りの空気が凍りつき……。
 その沈黙を破って、ジャックが声を上げる。

「ふざけるな! ダミアン兄さんの名を騙るな!」

「騙っているわけでない」

 レビフォアが言う。からかうように。

「彼は間違いなく、お前の兄……『元素の兄弟』の長兄だ」

「何を言ってる!? それのどこがダミアン兄さんだ!?」

「ジャック殿の言うとおりだ。ダミアン殿は、もっと小柄で……。第一、すでに病死しておる……」

 ハルデンベルグ侯爵も言葉を挟んだが、途中で口を閉ざしてしまう。
 それを見て、レビフォアが再び、

「そうだ。病死と報告されたのだろう? だが、その死体を見た者はおるまい」

「……!」

「レッサー・デーモンを知っているだろう。あれは、小動物などの、自我の弱い生き物に、精神世界面から下級魔族が憑依し、肉体を変質させて生まれ出る」

「何を言っておるのだ……?」

 もうハルデンベルグ侯爵あたりは話についていけないようだが、私には、レビフォアの言いたい事がよくわかった。
 だから、先取りして言う。

「……ドゥールゴーファね……覇王将軍の……」

「そのとおり。人に憑依して心を蝕み、肉体を変質させて強力な魔物と化す魔剣だ」

 満足そうな口調で、魔族は私の言葉を肯定する。

「ドゥールゴーファを人に憑かせ、自我を破壊してから憑依を解かせる。これでまず、自我の破壊された人間のできあがり、だ。そのあとに精神世界面から呼び出した下級魔族を憑依させれば……少々珍しいレッサー・デーモンのできあがり、というわけなのだよ」

 ドゥールゴーファを知らない者には、信じがたい話であろうが……。
 おそらく事実に違いないのだ、この話は。
 あの『怪神官』には実力と言動にギャップがありすぎたが、それもこれで説明がつくのだから。
 それに、この場に最初からいた連中が、やたら弱かったことも。
 謁見の間で待ち構えていた影たちも、『怪神官』も、純魔族ではなかったのだ。魔剣ドゥールゴーファによって変えられた、人間だったのだ……。

「……もっともこの方法は、多少の問題点も抱えている。魔力は別として、運動能力は、もとの人間の資質に大きく左右されるのでな」

「……ということは……」

 私はチラリと視線をそらし、部屋にひしめく黒い影たちに目をやる。

「そう。計画の障害となる、この国の大臣や将軍たち……何人が『病死』と発表されたかな? どうやらほとんどの連中は、体を動かすのは、あまり得意ではなかったようだな」

「……もう……元には戻せないのか……? ダミアン兄さんを……人間に……」

「それは無理な相談だ」

 ジャックの血を吐くような問いかけを、しかしレビフォアはアッサリと受け流す。

「もし仮に、人間に戻す事ができたとしても、だ。しょせん自我の壊れた廃人が一人できあがるだけだ。……なにしろこいつは、もう自我が完全に破壊されているからな。少しでも残っていたら、自分の兄弟を、自分の手で殺したりはしないだろうて」

「……!?」

 魔族の言葉に、ジャックは完全に硬直した。
 ……そうなのだ。
 この『怪神官』……いやダミアンは、ドゥドゥーとジャネットを殺しているのだ。

「つまりは……そういうことだ。くくくくくく」

 さも楽しそうに言うと、レビフォアは小さな笑みを漏らした。
 こいつ……。
 食っているのだ。ジャックの絶望を。
 彼ら魔族の糧となるのは、生きとし生けるものの、負の感情……。

「……で……?」

 ジャックにかわり、今度は私が問いかける。

「あんたらは何をたくらんでるわけ? 国に入り込み、権力を握り、人を魔に変え……」

「応える必要はないだろう」

 笑みを含んで答えるレビフォア。

「しょせん我々がやるべきことは一つ。……殺し合いだ」

「何言ってんのよ。さんざん今まで、ジャックの心を揺さぶっておきながら……」

「いや、そのとおりだ」

 レビフォアの言葉に同意したのは、ほかでもない、ジャックだった。

「……ダミアン兄さんを助けるためには……それしかない、ということなんだろ……?」

 もう人間に戻せないというのであれば、倒すしかない。
 ジャックは、そう決意したらしい。

「せめて……俺自身の手で、ドゥドゥーとジャネットのところに送ってやるよ……。ダミアン兄さんも、おまえたちも……みんなまとめて、な!」

########################

 ジャックが呪文を詠唱し始める。
 それは、単純な『錬金』……。

「なんだ? 我ら魔族相手に……そんなものは通用しないぞ?」

 余裕の笑みを続けるレビフォア。
 リーダー格の彼が動き出さないため、他の魔族たちも、まだジッとしている。ジャックが攻撃してきたところで、いつでも避けられると思っているのだろうが……。
 ジャックは、通常よりも時間をかけて練り上げた『錬金』を、床に向けて放った。
 ブワッと、彼を中心にした同心円状に、魔法の効果が広がっていく。
 ジャックの強力すぎる『錬金』は、恐るべき効果をもたらした。
 謁見の間に敷かれた絨毯が、敷石が……一瞬で粉塵に変わる。
 しかし、この粉塵は、いったい……!?
 真っ先に気づいたのは、将軍であるハルデンベルグ侯爵だった。

「この匂いは……火薬ではないか!」

「火薬ですって!?」

 冗談ではない。
 これだけの量の火薬ならば、この謁見の間ごと吹っ飛ぶだろう。
 もちろん、その中にいる人間は逃げようがない。木っ端みじんになる!

「おい、何考えてんだよ! 俺たちまで巻き込むつもりか!?」

「ジャック、君はもう少し冷静になるべきではないかね!?」

 男二人が、無駄に騒いでいる間に。
 モンモランシーとハルデンベルグ侯爵は、それぞれ『ウォーター・シールド』と『ファイヤー・ウォール』を唱え始めていた。
 もちろん私も呪文詠唱をするが……。

「これで……おわりだ!」
 
 ジャックが『着火』を唱え、杖を振り下ろした!

########################

「げほっ! ごほっ!」

「みんなっ! 大丈夫っ!?」

 ジャックと同時に慌てて杖を振ったのだが、私の『解除(ディスペル)』は、フル詠唱ではなかった。
 火薬に変わった絨毯や敷石を元に戻せたのは、かろうじて私たち六人を取り囲む程度の範囲。
 その外側にドーナッツ状に残った火薬は、ジャックの『着火』で大爆発を起こし……。
 謁見の間は、今、完全にガレキの山と化していた。
 モンモランシーとハルデンベルグ侯爵が二重に張った防御魔法のおかげで、私たちは無事だったが、爆発に呑まれた下級魔族たちは全滅したのではあるまいか。

「すげえな、こいつ」

「そうだね。僕も見直したよ」

 さきほど危機一髪を回避する上で全く役に立たなかった男二人が、感嘆の声を上げてジャックを見下ろしている。
 広範囲の『錬金』で精神力を使い果たしたようで、ジャックは白目をむいて、その場に倒れていた。

「相棒! 油断するなよ! 煙で見えないが……まだ敵は残ってるぜ!」

 デルフリンガーの言葉に、ハッとする私たち。
 もうもうと立ちこめる土埃と爆煙も、少しずつ晴れてきて……。

「嘘っ!? あれだけの爆発をまともに食らって……無傷なの!?」

「なめてもらっては困る。我ら魔族には、これくらい何でもないことだ」

 モンモランシーの悲鳴に応じたのは、やはりレビフォア。
 リカギスとベイズの二匹の姿も見えるが、『怪神官』ことダミアンの姿はない。ジャックは、彼を解放することには成功したのだ。
 そして、私は気づいた。

「なるほど、そういうことね……。今の攻撃でやられたのは、デーモンに変えられた元人間ばかり。あんたたち三匹は純魔族だから、ああいうのは痛くもかゆくもない……ってことね」

 純魔族は精神生命体であり、ダメージを与えるためには、人間の『気』や『精神力』をこめた攻撃が必要である。気合いを入れた武器の一撃だったり、精神力を消費して唱えた系統魔法だったり……。
 だがジャックが引き起こした爆発は、私のエクスプロージョンとは違って、精神力を爆発そのものに転化させたものではなかった。『着火』と『錬金』の組み合わせで、物理的に引き起こされたもの。
 まあ『錬金』で作られた火薬自体には、ジャックの精神力がタップリだったはずだが、爆発させた時点でもう、その精神力はあまり魔族に伝わらなかったようだ。

「……いいわ! ならば……今度は私たち自身の攻撃を、直接お見舞いしてあげる!」

 堂々と宣言する私。
 それが……。
 戦いの合図になった。

########################

 ヒュンッ!

 風裂く音を立てながら、苔色の触手が四つの方向からギーシュを襲う。
 わずかずつタイミングをずらして放たれた四連撃を、青銅ゴーレムに迎撃させ、あるいは自身の杖で打ち払い、ギーシュは、なんとかしのぎ切る。
 そして……。

「モンモランシー!」

 ギーシュの合図に応えて、蒼い水柱が苔色の魔族、リカギスの全身を包み込む。
 しかし、次の瞬間。

 バヂュッ!

 濡れた風船が破れるような音を立て、水の空間が砕け散る!
 リカギスが、魔力の力押しで、モンモランシーの魔法を破ったのだ。

「……なっ!?」

 驚愕の声を上げる彼女に、迫るリカギス。
 これを迎え撃つ、ギーシュのゴーレムたち。
 なにしろギーシュの青銅ゴーレムは、全部で七体。メイジ二人を守るには、十分な数があった。

########################

 圧倒的なパワーをもって、巨大な腕が宙を薙ぐ。

 ウォンッ!

 半透明の巨体の魔族、ベイズの腕の大振りは、風の唸りさえ伴っていた。
 それをハルデンベルグ侯爵は、大きく後ろに跳んで、あっさりとかわす。

「ゲルマニア貴族をなめるでない!」

 ……いや、かわしたつもりだった。
 着地し、刹那の間を置いて、彼は慌てて大きく身をそらす。
 その鼻先、まさにギリギリのところを、巨大な腕が左右に通り過ぎた。

「わしが間合いを読み損なっただと!? そんな馬鹿な!」

 半透明と言っても色々あるが、ベイズの体は、ほとんどクラゲに近いほどの半透明である。これはたしかに間合いが読みづらい。
 ハルデンベルグ侯爵は、さらに後ろに跳んで間合いを取り……。
 一歩横に動いてから、ベイズを狙って、唱えた呪文を解き放つ。

 ゴウッ!

 杖の先から飛び出る業火。
 しかしベイズは、巨体に似合わぬ軽いフットワークで、いともアッサリと一撃をかわした。
 外れた呪文の飛びゆく先など、魔族は気にする事もなく……。
 そして再び。
 ハルデンベルグ侯爵とベイズは対峙する。

########################

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

 私の放ったエクスプロージョンの光球を、レビフォアは、あっさり横に跳んでかわす。
 だが、その刹那。
 レビフォアの真横で光がはじけた。

「ちっ!?」

 呻いて小さくよろめく魔族。
 直撃ではないにしろ、虚無魔法のエクスプロージョンである。湯か冷水を浴びせられた程度のダメージはあっただろう。
 そこにサイトが、剣を振りかぶりながら、ダッシュをかける。

「今度は剣士か! ただの鉄ごときで、魔族を斬れると思うな!」

 しかしレビフォアは後ろに退り、ギリギリでその切っ先をかわす。口ではああ言いながらも、サイトの剣に『気』が込められている事くらい、わかっていたのだ。
 サイトの一撃を避けた直後のレビフォアに向かって。
 私は杖を振り下ろす。
 エクスプロージョンの光が、レビフォアの頭をまともに直撃した!

########################

「モンモランシーを狙うな! 君の相手は僕ではないのか!?」

「ああ、お前だ。本当は三人とも、と言いたいところだがな……。一人は虚無の娘とコンビを組んでいるし、一人はそこに倒れているからな」

 無抵抗の者を殺しても気がおさまらん、という目で、リカギスはジャックに視線を向ける。
 精神力の尽きたジャックは、この乱戦の中でも、目を覚ます素振りを全く見せなかった。

「ならば! 正々堂々と、一対一で僕と戦いたまえ!」

「へっ、正々堂々が聞いて呆れるぞ。そっちは人形を引き連れて戦っているではないか!」

 吠えて床を蹴るリカギス。
 魔族の挑発に乗ってしまったのか。ギーシュは青銅ゴーレムを全てモンモランシーの警護に回し、リカギス迎撃には差し向けなかった。彼は呪文を唱えつつ、後ろに跳ぶ。
 しかし……リカギスの方が早い!
 リカギスは、ギーシュを触手の間合いにとらえ、四本の腕を同時にしならせる。それは虚空でほぐれるように分裂し、十数本の細い触手の群れとなり、包み込むようにギーシュに向かう!

########################

 ハルデンベルグ侯爵とベイズの戦いは、完全に硬直しているように見えた。
 互いのくり出す攻撃を、互いにかわし、一撃を放つ。
 ベイズの腕の攻撃にも、ハルデンベルグ侯爵は、もはや間合いを読み違えることもなくなっていた。

「タネがわかれば造作もないこと!」

 そう。
 半透明なベイスの腕は、振り下ろした瞬間、わずかに伸びていたのである。
 一撃目をなんとかかわして、間合いが掴めないのは半透明なせいだけだ、と思い込んだら、手痛い二発目を受ける、という寸法である。
 しかしハルデンベルグ侯爵は、それをアッサリ読んで身をかわし、呪文を唱えて杖を振る。
 ベイズも拳の攻撃に、魔力弾の攻撃を交えるが、これもハルデンベルグ侯爵にかわされる。
 そして……。

 ボウッ!

 ハルデンベルグ侯爵の杖から飛び出した炎は、やはりベイズにかわされて……。
 その炎がどこへ向かうのか、ベイズは見向きもしていなかった。

########################

 レビフォアの頭から上は、きれいになくなっていた。
 まず一匹!
 思った刹那。

「娘っ子! 相棒! まだだ! まだ終わってねえ!」

 デルフリンガーの声で、とっさに私は身をかわす。

 ジャッ!

 一条の光が横を駆け抜けた。
 放ったのは……レビフォア!

「まだ生きてる!?」

「しぶといな!」

「いいや。受けておらんのだ」

 頭を失ったレビフォアが、私とサイトの声に答え……。
 肩の辺りが変形すると、アッサリと頭が再生する。
 ……いや……違う。
 レビフォアは言った。受けていない、と。
 ならば考えられるのは一つ。

「あんた……私の一撃を受ける直前に変形して、自分から頭をなくしたのね!?」

「……め……面妖な奴……」

 前に戦った時は、不意を突いて仲間を倒すことで退けたが……こういう変な技を持っているとあっては、いくらなんでも戦いづらい。
 倒すには、前と同様、不意を突くしかないのだが、はたしてそれができるかどうか。
 ……と、その時。

 ゴウッ!

 まっすぐレビフォアへと向かう炎。
 ベイズと対峙するハルデンベルグ侯爵が放った流れだまである。

「……っ!」

 間一髪、レビフォアは体を変形させ、自分の胸に大穴を開け、術を素通りさせる。

「頭だけじゃなくて、全身変形できるのかよ!?」

「そのとおり。貴様の剣でも我を切り裂くのは難しかろう!」

 サイトの叫びに応じつつ、魔族は、胸に開いた穴を閉じるが……。

「っがぁぁぁっ!?」

 レビフォアの絶叫が上がった。
 ハルデンベルグ侯爵の一撃に、そしてサイトの言葉に、レビフォアの注意が私からそれた瞬間。
 私は小さく唱えた爆発魔法で、レビフォアの胸の穴を狙ったのだ。
 魔族がほとんど無意識に変形して、自分の胸の穴を埋めるタイミング……そこを見計らって。
 正式なエクスプロージョンではなく、失敗爆発魔法バージョンの方だったが、それでも爆発魔法を自分からくわえ込んだのだからたまらない。
 体内からの爆発に、さすがのレビフォアも隙だらけとなり……。

「貴様っ!?」

 魔族が体勢を立て直した時には、ルーンを光らせたサイトが、すでに目の前に迫っていた。

 ドウッ!

 そのままサイトは、魔族を一刀両断。
 黒い塵と化して、レビフォアは消滅した。

########################

「ギーシュ!?」

 モンモランシーが悲鳴を上げる。
 彼女の呪文も間に合わないし、ギーシュも逃げ切れないように思えた。
 だが。

 ボワッ!

 横手から迫る炎が、リカギスの触手を焼く!

「何!?」

 せいぜいが、十数本のうちの一つか二つを焼かれただけ。それでも、驚きで一瞬、動きが止まるリカギス。
 好機とみて。
 後ろに退りつつあったギーシュは、いきなり足を止めた。
 逆に魔族に向かって突っ込んでゆく。

「!?」

 炎は打ち払ったものの、リカギスは体勢を崩されていた。しかも今度は、ギーシュとの間合いを狂わされたのだ。
 魔族が動揺するうちに、ギーシュの呪文は、すでに完成していた。

「魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」

 ギーシュの声が響く。
 次の瞬間には。
 リカギスの、縦に断ち割られた体を通り抜け、赤い魔力の剣を手にしたギーシュが、そこに立っていた。

########################

 ベイスの腕が宙を薙ぐ。
 ……はたしてこいつは、気がついているのだろうか?
 無言のままベイズが放った魔力弾を、ハルデンベルグ侯爵は、いともアッサリとかわす。
 ……やはり気がついてはいないようである。
 ハルデンベルグ侯爵の狙いは自分を倒すことではなく、自分を引きつけつつ、仲間を援護することだったのだ、と。

「さすが一国の軍のトップに登り詰めただけあって……老獪なメイジね」

 ハルデンベルグ侯爵が炎を放つ時、必ずベイズの向こうには、もう一人の敵がいた。
 あるいはそれは、私やサイトと戦うレビフォアであり、ある時は、ギーシュやモンモランシーと戦うリカギスであった。
 ベイズは気がつかなかった。
 この場にいる、自分以外の魔族はすでに倒されていた、ということに。
 私のエクスプロージョンの一撃を、その背中に受けるまでは……。





(第五章へつづく)

########################

 けっこう強いハルデンベルグはいかがでしょうか。「ゼロ魔」原作第七巻では、『風』対『火』の戦いを、ド・ポワチエが割って入って止めてしまったので、その戦いっぷりも記されていませんでしたが……。ないならないで想像しよう、とりあえず『火』メイジだと示されているわけだし、と思った結果が、これです。

(2011年10月21日 投稿)
  



[26854] 第十二部「ヴィンドボナの策動」(第五章)【第十二部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/11/02 23:16
    
「……なんとか……終わったな……」

「この場は、ね」

 ガレキだらけの謁見の間を見回しながら。
 ギーシュのつぶやきに、モンモランシーが言う。
 彼女は続いて、倒れているジャックに足を向けたが、

「待って!」

「え?」

「……水のメイジのあんたのことだから、治療してあげたいって思ってるんでしょうけど……その必要はないわ」

 モンモランシーを止める私。
 ジャックは精神力がカラッポになって倒れているだけなのだ。ならば、このまましばらく、ここで休ませておいた方がいい。

「そうね。どうせレビフォア以下、敵の魔族たちは掃討したわけだし。一人で残しておいても、大丈夫でしょうね」

 モンモランシーも同意する。
 まあ、かりに伏兵が残っていて襲ってきたとしても、意識のないジャックが的になることはなさそうだ。さきほどの戦いでも、ジャックはノークマークだったのだから。……私は、そんな印象を受けていた。

「じゃあ、行くわよ。執務室へ……シェーラ=ファーティマのもとへ!」

########################

 ジャックが引き起こした爆発で、謁見の間は完全に崩壊していたが、執務室へと続く廊下は、比較的無傷の部分が多かった。
 本来この辺りは、王とその身近にいる者しか入れない区画なのだろう。
 人の気配もない、陰気な場所であった。
 なんの飾りもない、岩地むき出しの壁。ところどころに灯るランプの明かり。
 薄暗いその通路を越えた先に……。

『執務室』

 扉の横のプレートには、間違いなく、そう文字が記されていた。
 ……おそらく、この戦いが長引くことはないだろう。
 覇王将軍の称号はダテではない。シェーラ=ファーティマの力は圧倒的である。
 彼女の一撃を受ければ、絶対に無事で済むわけはない。
 そして、こちらの一人が崩れれば、残りが倒れるのにそれほど時間はかからないだろう。
 つまり……。
 シェーラ=ファーティマが、私たちを各個に切り崩すのが早いか。
 それとも、私たちの連携が、それより早くシェーラ=ファーティマを倒せるか。
 そういう戦いなのである。これは。

「いいわね?」

 私の問いに、全員、無言で頷いて……。

 ダムッ!

 剣を構えたサイトが、一気に扉を押し開ける。
 ……そこは……。
 私がイメージしていたよりは、かなり広い部屋だった。
 正面には、大きなセコイアのテーブル。机の上には、ひと山の羊皮紙。
 そしてその机のそばには、一組の男女が佇んでいた。
 一人は男……おそらくこれが、アルブレヒト三世なのだろう。
 権力争いの果てに皇帝の座を勝ち取った、野心の塊のような四十男である。
 とてもシェーラ=ファーティマの色香だか魔力だかに誑かされているようには見えないが、見えないからこそ厄介だ、とも考えられる。
 そしてそのそばに、ひざまずいて控えるのは、蒼い礼服を身にまとう少女。美しい透き通るような金髪に、これまた澄んだ垂れ気味の碧眼で、黒い長剣を携えている。

「誰かと思えば……ハルデンベルグ侯爵か」

 動揺の色さえ見せずに椅子から立ち上がり、男は鷹揚な口調で、こちらに視線を向けた。
 ハルデンベルグ侯爵はその場にひざまずき、

「は! 陛下の御意志を無視しての突然の闖入……御無礼、ひらに御容赦願います。されど、国の大事に至り……」

「黙れ! 乱心者!」

 彼の声を遮って、朗々たる、女騎士の声が響いた。
 ゆっくりと……。
 女騎士シェーラ=ファーティマは、その場に立ち上がる。

「さきほどよりの城での騒ぎ、お主らの仕業であろう! 狙いは何だ!? まさか閣下のお命か!?」

 彼女は、きっぱりした口調で言い放った。
 軍を統率するハルデンベルグ侯爵に対して、まるで格下相手のような言葉遣いである。
 王の命を狙っている、と決めつけることにより、国王に、こちらの言葉を聞く気を失わせる……。なかなかうまいやりかたではないか。

「わしは陛下と話を……」

「ふざけるな! ……閣下、このような輩のたわごと、御耳の汚れになるばかり。この者どもはこのファーティマが処断いたしますゆえ、この場は一旦お退き下さい」

「……うむ。任せたぞ。ファーティマ。期待しておる」

 シェーラ=ファーティマの言葉をアッサリ受け入れ、鷹揚に頷くアルブレヒト三世に、彼女はかしずき、その手を取って甲に口づける。

「……閣下に捧げし剣にかけて……」

 再びシェーラ=ファーティマが立ち上がると共に、アルブレヒト三世はその場で身をひるがえし、壁に手をつき、何やら操作した。

 ……ゴグン……。

 低く重い音を立て、後ろの壁がパックリ開く。
 王宮定番、もしもの時の秘密の通路、ということらしい。

「陛下!」

 ハルデンベルグ侯爵が、壁の奥に進むアルブレヒト三世を追おうと立ち上がった。それをサイトの手が押しとどめる。

「ダメだ!」

「おぬし、何を……!?」

「馬鹿か、てめえは。今行ったらやられるぜ!」

 サイトより先に、サイトが手にする剣が答えた。
 そう。扉のそばには、シェーラ=ファーティマがいるのだ。

 ……ゴゴゴゴゥ……。

 壁は再び重い音を立てて、アルブレヒト三世の姿を呑み込み、口を閉ざした。
 おそらくこれで、外側からは開かなくなるのだろう。
 だが、王を追いかける手段がなくなったわけではない。

「ハルデンベルグ侯爵! 城の抜け道などのことも、ある程度は知ってるでしょ!? この場は私たちに任せて、侯爵は王様の身柄確保を!」

「そ、そうか! すまん!」

 私の言葉に答えて、ハルデンベルグ侯爵はクルリときびすを返し、部屋から駆け出してゆく。

「……さて……と……」

 あらためて……。
 私は彼女に視線を移す。

「これでようやっと水いらず、ってわけね。覇王将軍シェーラ=ファーティマ……」

 ゆっくりと……。
 彼女は視線をこちらに向ける。

「……あの将軍は、完全にそっちについた、ということね」

「そうゆうこと。でもあんたも、なかなかの騎士ぶりだったわよ。手に接吻なんてしちゃって……。魔族なんてやめて、役者で食べていけるんじゃないの?」

「久しぶりの挨拶がそれ? ずいぶんと礼儀を知らないわね。それに……あちこちで色々と邪魔してくれたようね、『ゼロ』のルイズ」

「魔族のあんたに、礼儀云々を言って欲しくないわよ。……それはさておき。『作戦を邪魔する』って言うけど、あんた一体、何をたくらんでるの?」

 そう。これだけは聞いておきたかったのだ。

「ドゥールゴーファをあっちこっちに貸し出して……。最近あちこちで発生してるデーモン群発事件も、あんたのさしがねなんでしょ?」

「答える必要はない!」

 身も蓋もなくそう言って、シェーラ=ファーティマは、スラリと腰の剣を引き抜いた。
 黒い魔剣、ドゥールゴーファ……。

「私には……あとがないのよ!」

 わけのわからないセリフと共に、シェーラ=ファーティマの殺気がふくれ上がる!

「来るっ!」

 ドゥールゴーファが風を薙ぎ、黒い衝撃波を生んで、一撃は、私たち目がけて突き進む。
 とっさに四方に跳ぶ四人。
 黒い衝撃波は虚空を薙いで、厚い扉をぶち破る。

 ザバァッ!

 魔族の足もとで、水柱の吹き上がる音。
 私とシェーラ=ファーティマが話しているうちに、呪文を唱えておいたのだろう。モンモランシーの魔法攻撃だ。
 しかしシェーラ=ファーティマが左手をひと振りするだけで、水柱は、覇王将軍の体を包み終わる前に霧散する。

「ええっ!?」

 高位魔族のその力に、驚愕の声を上げるモンモランシー。
 そこに続けて、ギーシュの攻撃。
 青銅ゴーレムが同時に数体、シェーラ=ファーティマめがけて殺到するが……。

 スパァッ!

 魔剣のひと振りで、みんなあっけなく切り裂かれる。

「ああっ! 僕のワルキューレが! 一度に五体も!?」

 ギーシュが悲鳴を上げている間に……。

「おおおおおっ!」

 横から突っ込んでゆくサイト。
 モンモランシーとギーシュから攻められて、それを迎え撃つ魔族の両手が開いた隙を逃さず、シェーラ=ファーティマの胴を薙ぐ!

 ギンッ!

 かろうじて間に合った覇王将軍の剣。
 ドゥールゴーファとデルフリンガー、二本の剣が噛み合って、鋭く高い音を響かせる。
 ドゥールゴーファが覇王将軍の生み出した魔族ならば、デルフリンガーも元々は、異界の魔王『闇を撒くもの(ダーク・スター)』の造り出した魔族。
 出自を辿れば、デルフリンガーの方が格上。そして剣の腕でも、サイトの方が上。
 数合うち合い、やがてシェーラ=ファーティマが後ろに大きく跳び退る。

「娘っ子!」

 魔剣の合図で、杖を振る私。
 エクスプロージョンの光球が、サイトにかかりきりだったシェーラ=ファーティマへ向かう!

「笑わせるな!」

 一瞬、私の方を振り返り、シェーラ=ファーティマが一喝。それだけで、光球は虚空でかき消えた。
 さらにシェーラ=ファーティマは、数個の魔力弾を生み……。

 ゴウッ!

 モンモランシーの生んだ蒼い水の柱が、シェーラ=ファーティマを包み込む。さすがモンモランシー、今度は消されぬタイミングを見計らっていたらしい。
 サイトがダッシュでそこに突っ込んで、柱の中の影に向かって剣を突き出す!

「やったの!?」

 モンモランシーの声が響く。
 だが……まだっ!
 サイトが貫いたのは、ただの影。
 魔族お得意、トカゲのシッポ切り!
 精神体の欠片だけを、オトリとしてその場に残し、本体は精神世界面に逃げ込んだのだ。
 となると、次に出現するのは……私の後ろか!?
 思った瞬間。
 しかし人影は、モンモランシーの後ろに出現した!

「モンモランシー! うしろ、うしろ!」

 サイトが叫ぶ。
 シェーラ=ファーティマが魔力弾を放つ。
 モンモランシーが慌てて身をひねる……が、間に合わない!?

 ゴガッ!

 間一髪、二体の青銅ゴーレムが滑り込み、彼女に代わって直撃を受けた。
 ゴーレムたちに突き飛ばされる形で、そしてゴーレム爆発の余波で、後ろに吹っ飛ぶモンモランシー。
 シェーラ=ファーティマはモンモランシーに向かって……。

「魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」

 そうはさせじと、赤い魔力の刃を生んだギーシュが、シェーラ=ファーティマに斬りかかる!
 本日二回目の発動!? ただの『ブレイド』ではないのだから……消耗はげしいぞ、それは!
 ドゥールゴーファと赤い剣がぶつかりあって、魔力の余波をまき散らす。
 いくら魔王の名を冠しているとはいえ、さすがにその切れ味は、ドゥールゴーファには劣るであろう。しかもドゥールゴーファには再生能力もある。
 このままでは……消耗するのはギーシュが先!
 私は急ぎ、『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』の呪文詠唱を開始する。
 ギーシュがシェーラ=ファーティマの足を止めてくれている今がチャンス!

「……くっ!?」

 ギーシュの生み出す刃の光が、みるみる弱くなってゆく。
 私の詠唱はまだ終わらないが……。
 今が好機とみた者は、私の他に、もう一人!

 ザンッ!

 斬撃と共に、シェーラ=ファーティマの体が大きくのけぞった。
 ……サイト!
 シェーラ=ファーティマも一応は避けたつもりだったようだが、ガンダールヴの神速が勝ったようだ。
 脇腹に深い傷を受け、シェーラ=ファーティマの手から、ドゥールゴーファがこぼれ落ちる。
 こぼれ落ちたその剣を……虚空でギーシュの手が受け止めた!

「……なっ!?」

 思わず驚愕の声を上げるシェーラ=ファーティマを……。

 ドズッ!

 ギーシュのドゥールゴーファが貫く。

「……は……」

 シェーラ=ファーティマの口から、小さな息が漏れる。
 慌てて剣から手を放し、大きく後ろに退るギーシュ。

「……あ……」

 よろり、と。
 自らの剣を腹に突き立てたまま、ギーシュに歩み寄るシェーラ=ファーティマ。
 そこに……。

「はあっ!」

 サイトが再び斬りかかる!
 体を捻ってかわすシェーラ=ファーティマだったが、サイトの動きの方が速い。
 肩からバッサリやられて、その左腕が宙を舞った。
 しかし、さすが覇王将軍。まだしぶとく立っている!
 だが……これで終わりにする!

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 杖に沿って形成された、私の虚無の刃は……。
 覇王将軍シェーラ=ファーティマの体を、ものの見事に断ち割っていた。

########################

 ……っきんっ。

 小さく済んだ音を立て、ドゥールゴーファの刀身が折れる。
 それは床に落ちると同時に、乾いた土のように砕けて、散ってゆく。
 ……滅びてゆくのだ……ドゥールゴーファが……。
 主人であり、力の源である、覇王将軍シェーラ=ファーティマを失って。

「……おわった……ようだね……どうやら」

「『どうやら』じゃないわよ!」

 ギーシュのつぶやきに、横からツッコミを入れるモンモランシー。

「あの剣をいきなり掴むなんて、無茶もいいところよ! 何を考えてんの!?」

「ああ、愛しのモンモランシー! なんだかんだ言って、やっぱり僕のことを心配してくれてるんだね!」

「ち、違うわよ! あなたがあの剣でデーモンにされたら、敵が一人増えるところだったでしょ!? 私はそれを心配したの!」

「……あ……」

 モンモランシーの言葉を素直に受け取って、呻くギーシュ。
 ……たしかに……。
 あの一瞬、もしもシェーラ=ファーティマがドゥールゴーファに、ギーシュの支配を命令していたら、負けていたのは私たちの方だったろう。
 まあ、さすがのシェーラ=ファーティマにもあれは予想外で、冷静な判断が間に合わなかったようだが。

「ま、けどよ。これでともかく一段落、ってわけだ」

「気楽に言うぜ、相棒は。けどまあ、そこが相棒のいいところでもあらぁな」

 サイトとデルフリンガーが、明るい口調で言葉を交わす。

「……何言ってんのよ、あんたたち。これから、この城のみんなの誤解を解かなくちゃいけないでしょ」

 事情を知らぬ者の目から見れば、勝手に王の執務室まで乗り込んだ私たちが、重用されていた女傭兵を殺した……ということになるのだ。
 どうせ本当のことを言っても、信じてもらえないだろうし。

「そう難しい顔をすんな、娘っ子。そういうのは、あの将軍がやってくれるんじゃねーのか?」

 デルフリンガーの言葉には一理ある。その辺の事後処理は、ハルデンベルグ侯爵に期待するしかないわけだが……。

########################

「……しかし、サイト。結局のところ、何だったんだろうね、今回の事件は?」

 一連の事件から数日の後。
 帝都ヴィンドボナをあとにして、一緒に街道を行きながら、ギーシュはふと、思い出したようにそう言った。

「覇王将軍がこの国を乗っ取ろうとしてた。で、俺たちが彼女をぶち倒してそれを止めた。……ってことだろ?」

「いや、サイト。それくらいは僕にもわかる。それはいい。……だが、結局ファーティマは、何をたくらんでいたのかな?」

「ああ……それは、俺にもわからんな」

 そもそもサイトに聞く時点で間違っていると思うのだが。
 ともあれ、バカな男たちが言っているとおり、確かに一つの事件は終わった。
 ハルデンベルグ侯爵の取りなしで、シェーラ=ファーティマはアルビオンのスパイとして処断された、という扱いになった。
 現在のアルビオンは、王家を打倒した反乱政府によって運営されている国家であり、そこからゲルマニアにもスパイが送り込まれていた、というのは、結構自然な話なのである。……覇王将軍が入り込んでいた、などという話よりは、はるかに。
 そして、やはりハルデンベルグ侯爵の取りなしにより、ジャックの追放令も取り消された。兄弟の仇討をすませた以上、もうジャックにはヴィンドボナに残る理由もないのだが、他の傭兵たちに乞われる形で、もう少しだけ留まることにしたらしい。
 こうして全ての手続きを終えた後、ハルデンベルグ侯爵は自ら将軍職を辞任。
 帝都のゴタゴタも片づいて、ゲルマニアは、もとの平和を取り戻した……。
 だが……。

「そうよね。シェーラ=ファーティマが何を画策していたのか……。それは、わからないままなのよね」

 男たちに聞こえぬ程度の小声で、つぶやく私。
 それをモンモランシーが聞き止めて、

「どうにも……すっきりしない、ってこと?」

 私は無言で頷いた。
 すっきりしないと言えば、まだある。
 はたして今回、シェーラ=ファーティマは全力を出していたのだろうか?
 まあ、実力を出す前にサクッと私たちに倒された、とも考えられるが。
 全力など出すまでもなく、私たちを倒せると思っていたのか。それとも力を抑えてまで、この国と王とを手に入れることを望んだのか……。
 そして、何より気になることは……。

「なあ、娘っ子。おめ、気づいてたか? あいつ……最後の瞬間、笑ってたぜ」

 まるで私の心を読んだかのようなタイミングで、デルフリンガーが声をかけてくる。
 偶然なのだろうが、あまりいい気はせず、わざと私は顔をしかめて、

「何よ、突然。……それくらい、私も気がついてたわよ。でも、それだけじゃシェーラ=ファーティマの企みが何だったのか、全然ヒントにもならないでしょ」

 そう。
 私が『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』で、シェーラ=ファーティマに斬りつけた、あの瞬間。
 彼女は……笑みを浮かべていたのだ。
 単なる見間違いかとも思ったが、デルフリンガーも見たというのであれば……。

「けどよ。考えたって仕方ねえじゃん。考えてもわかることじゃないし……」

「あんたが言うと妙な説得力があるけど……あんたは考えようともしてないでしょ、そもそも」

 言うサイトにツッコむ私。
 ……ま、サイトの言葉も間違ってはいない。この話題は、もう終わりにすべきであろう。
 ちょうどギーシュが、思い出したように聞いてくる。

「ところで、話は変わるが……君たちは、これからどこへ行くつもりだい?」

「なあに? 一緒に旅しよう、とでも言い出す気?」

「そんなわけないだろう!? 僕とモンモランシーのラブラブ二人旅を邪魔するのだけは、やめて欲しいな」

「だから『ラブラブ』かどうかは、あなたの浮気次第で……」

 言いかけて。
 モンモランシーの動きが凍りつく。
 そして同時に、私たちも。
 東の方へと続く街道。
 馬車や人々が行き交う大きな道。
 そして左右に広がる森。
 その森の中に……。

 ごぅあっ!

 雄叫びが上がる。

 ゴグァァァンッ!

 飛び来た火球が、前方の幌馬車をまともに吹っ飛ばした。
 人々の悲鳴と呻きが辺りにこだまする。

 るぐぐぐぐぐおおおおおお……。

 喉を鳴らしつつ、茂みの奥から現れたのは、一匹のレッサー・デーモン。
 ……いや。

「一匹じゃない!?」

 また一匹、さらに一匹と、茂みの中から姿を現す。
 そして……周りの森には、さらに無数の気配。

「デーモン大量発生!?」

「覇王将軍は倒したのに! ということは……やつはこれとは無関係だったのか!?」

 ともあれ考えている場合ではない。デーモンたちは、その辺りにいる人たちに、見境なしに攻撃を仕掛けようとしている。

「エオルー・スーヌ……」

 私は、慌てて呪文を唱え始めた。

########################

「はあっ!」

 気合いと共にサイトが駆け、デーモンたちに剣を振るう。
 ギーシュもモンモランシーも、呪文を唱えて杖を振る。
 ……しかし……。
 敵が多すぎる!
 いったい森の中に、あと何匹の敵がいるのか。
 離れたところにかたまっているなら、『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』のような大技で、森ごと一気に吹っ飛ばす、というテも使えるのだが、もはや完全に囲まれている。
 仕方がないので、あちらから出てきたデーモンに爆発魔法。こちらから出てきたデーモンに爆発魔法。地道にサクサク倒していってはいるのだが、向こうもドンドンあとから出てくる。

 ボンッ!

 茂みの陰から顔出した、デーモン一匹葬って、次の呪文を唱え始めたその時に。

「……た……助けてくれっ!」

 いきなり私のマントにしがみついてきたのは、通行人らしき中年の平民。

「ちょっと!? 失礼でしょ!」

 私に頼りたくなるのはわかるし、こういう場合だから身分も何もあったもんじゃないのだろうが……人の動きを止めるのだけは、やめて欲しい。
 振りほどこうとしたその時。
 目の前の茂みを割って、一匹のレッサー・デーモンが現れた。

「まずいっ!?」

 レッサー・デーモンの瞳が私を捉える。
 そして。
 ……光が薙いだ。

 ヅゴゥンッ!

 緑の木々を巻きこんで、デーモンたちが吹っ飛ぶ。

「……今の……光は……白い巨人!?」

 そして再び閃く光。
 今度は後方だ。 

「……え!?」

 慌てて振り向いてはみるが、森の木々が邪魔して何も見えはしない。

「あわわわわ」

 何が起こっているのか理解できずに、這いずりながら私から離れていく平民のおじさん。
 巨人の狙いはデーモンたちのようだが、あんな攻撃に人間が巻き込まれたら、ひとたまりもない。

「何だよ、あれ!?」

「たぶん白い巨人だわ!」

「だから白い巨人って何だよ!?」

「私に聞かないで!」

 駆け寄って大声で尋ねるサイトに、爆音にかき消されぬよう、私も大声で答える。

「けど、二体はいるぞ!?」

「そうね!」

「そうね、って……」

 などと話していると、

「ルイズ! 逃げた方がいいのではないかね、これは!?」

「私も同感よ!」

 駆け寄り、言ってくるギーシュとモンモランシー。

「でも、まだ人が……」

「いないわよ!」

 モンモランシーに言われて周囲を見れば、近くから、すでに私たち四人以外の人間の姿は消えている。
 マントにしがみついていたおじさんも、今まで泣いていた子供も、やたら元気にダッシュで街道を駆けてゆく。

「俺たち貧乏くじかよぉぉぉっ!?」

 絶叫するサイト。
 ともあれこうなれば、ここに留まる理由もない。

「わかったわ! それじゃ逃げましょ!」

「……ちょっと待て、娘っ子」

 人間とは違うせいか、やたら冷静な口調で、デルフリンガーが言葉を挟む。

「何よ、デルフ? この忙しい時に! くだらない用事なら、あとで溶かすわよ!?」

「いや……攻撃、もう終わってるぜ」

「……へ?」

 ……言われてみれば……いつのまにか攻撃の音が途絶えているような……。
 もはや辺りには、デーモンたちの気配も残ってはいない。

「……終わった……のかしら……?」

「きゅい。ひとまずは終わったのね」

 声は、茂みの奥から聞こえた。

「……!?」

 はて、この声と話し方、どこかで聞いたような気が……?
 私がそちらを振り向けば、ガサガサと茂みをかき分け、現れ出る人影ひとつ。
 それは、私の知っている顔だった。
 見た目は、青い長髪の、若い美人。水色のローブをまとう、女騎士である。

「……シルフィード!?」

 唐突と言えばあまりにも唐突な人物の出現に、私は思わず声を上げていた。
 ある時は、タバサの使い魔シルフィード。
 またある時は、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の長老イルククゥ。
 しかしてその実体は……伝説の風韻竜の生き残り!
 むろん先住魔法で、人に変身することもでき、その姿がこれ、というわけである。

「なるほどね。デーモンたちを薙いだ今の光……でっきり白い巨人のものかと思ったけど、韻竜のブレスだったのね」

 ポツリとつぶやいてから、あらためて私は、シルフィードに向かって、

「でも……ここって、まだゲルマニアでしょ。火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の管理人やってるはずのあんたが、なんでこんなところに?」

「……火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)は……なくなっちゃったのね。きゅい」

 シルフィードは、悲しそうな声で、空を見上げる。

「なくなっちゃった、って……? ……あ!」

 聞き返そうとして、そこで気づく私。
 そう。
 ガリアとロマリアの国境に位置していた火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)は、しばらく前に、とある事件で、山脈ごと空へ浮き上がってしまったのだ。
 まあ他人事のように『とある事件』と言ってしまったが、実はこれ、私が『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』の魔法制御に失敗したせいだったりする。

「そ……それは……大変な話ね……」

 心の中で冷や汗を流しつつ、適当に相づちを打つ私。
 後ろでは、ギーシュとサイトが、何やらヒソヒソ言葉を交わしている。

「きれいな女の人だね。サイト、君たちの知り合いかい? だったら紹介して欲しいな」

「うん。でっかいトカゲの遅刻常習者」

「でっかいトカゲ……?」

「そんな言い方は酷いのね。きゅいきゅい」

「ああああ。ごめん、ごめん」

 二人の会話を聞きつけて、シルフィードが顔を寄せてガンつければ、慌ててサイトが謝り倒す。
 隣のギーシュも、シルフィードに向けた視線が視線だったので、モンモランシーから軽く折檻されている。

「それはそうと……いいところで会ったのね。あなたたち、お姉さまの居場所、知らないかしら?」

「お姉さま……って、タバサのこと?」

「きゅい」

 頷くシルフィードに、私は首を横に振る。

「ごめん、知らないわ。前の件が片づいたところで、タバサとは別れちゃったから……。それより、こっちも教えて欲しいんだけど」

 私は、辺りをグルリと見渡しながら、

「……このタイミングで出てきたってことは、あんた、何か知ってるんでしょ?」

「きゅい?」

「デーモン大量発生のことよ!」

「ああ、そのことね……きゅい……」

 シルフィードは小さく呻いて、チラリと、ギーシュとモンモランシーの方を見る。

「……あ。あの二人なら、聞かれても大丈夫だから。ああ見えて、信頼できるメイジなの。一緒に……覇王将軍シェーラ=ファーティマを倒した仲間よ」

「きゅいっ!?」

 言った私の言葉に、さすがにちょっぴりのけぞるシルフィード。

「覇王将軍……って……獣神官ゼロスと同格の……!? それを倒した……と……いや……でも……あんなことに関わって、なおも生きているあなたなら……」

「ねえ、ルイズ。なんだか……またとんでもない話のようね? 話が見えてこないけど……聞かない方がいいような気も……」

「あ、ちょっと話が長くなるから、あとでじっくり説明するわ」

 横から問いかけるモンモランシーに、私は言う。巻き込むことは確定、という口調で。
 一方、少し考えこんでいたシルフィードは、やがて顔を上げて、

「……そうなのね……。もちろん他言は一切無用という条件付きで、これはあなたたちにも話しておくべきかも……」

「あらあら。なんだか面白そうな人間たちね。これ、あなたの知り合い?」

 突然。
 新たな女の声が、後ろから聞こえた。
 振り向いたそこには、葉ずれの音さえ立てぬまま、茂みの奥から姿を現す一人の若い女性。
 つり上がった切れ長の瞳に、無造作に切りそろえられた長い金髪。羽織っているローブは、ヒラヒラがたくさんついて、ゆったりとしていた。
 頭にツバの広い帽子をのせているせいか、なんとなくティファニアを連想させる。だが、スタイルは全く違う。むしろ私やタバサのように、スレンダーと言ってもいいくらい。
 彼女は、研究者が珍しい動物を見るかのような視線を、私に向けて、

「あなた、普通じゃないわね? すぅううううっごい興味をそそられるわ! 私、蛮人を研究してる学者なのよ。……この仕事に立候補したのも、蛮人を直接観察できるからなの!」

「……蛮人?」

 彼女の言葉に、モンモランシーが顔をしかめる。
 モンモランシーは気づいたかどうか判らないが……。
 私は今の言葉で、この女の正体を悟った。前に同じような表現を使った男がいたからだ。その男の名は……ビダーシャル!
 そう。エルフなのだ、この女も。
 どうりでティファニアを思い出したわけである。大きな帽子も、ティファニア同様、人間の世界では長い耳を隠す必要がある……ってことね。

「きゅい! ちょっと待つのね! そういうのはあとにして! ここは私が、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の長老イルククゥとして、バシッと語る場面なのね!」

「何が『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の長老イルククゥ』よ。あなた、もうクビになったくせに……。だからこの仕事に回されたんでしょ?」

「きゅい……でも……それは火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)が……」

「空に浮き上がったから? ……『風石』によって大地が浮き上がることも、『大いなる意志』の思し召しだわ。あなたもこの大地に暮らす『仲間』なんだから、それも受け入れるべきね」

 うわあ。
 風韻竜が、エルフにやりこめられている。ハルケギニアでは滅多に見ることの出来ない、貴重な場面だ。
 ……エルフの価値観として、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の浮上を肯定的に受け入れているようだが、どうせ『大いなる意志』の正体までは知らないんだろうなあ……。

「あら? ごめんなさい、ちょっと言い過ぎたわね。いいわ、『長老イルククゥ』として、好きなだけ語りなさいな」

「……きゅい」

 シルフィードは、少し落ち込んだ素振りを見せていたが、女エルフに促されて。
 長老然とした威厳ある口調で、説明を始める。

「どこから話せばよいものか。……言うまでもなく、最近各地に、レッサー・デーモンが大量に出現する事件が頻発している。そしてどうやらこれは、覇王(ダイナスト)グラウシェラーの一軍を中心とする動きらしいのね。きゅい」

 ……早くも長老口調は終わってしまったらしい。
 しかし彼女の話は続く。

「一族の長老から教わったのね。かつて、これとそっくりの状況を目にしたことがある……って」

「そっくり……?」

「きゅい。デーモンの群発。人々の間に広まる不安。不安はそれに乗じた戦いを生み、ますますの混乱を生み……。その時は全てを画策したのは覇王(ダイナスト)ではなかったそうだけど……。起こっている状況が同じ、ということは、狙いも同じと考えられるのね……」

「……と、言うと……?」

 私の問いに、シルフィードは一瞬沈黙し……。
 やがて。
 演技でも何でもなく、正真正銘の重い口調で言った。

「すなわち……降魔戦争の再現……」





 第十二部「ヴィンドボナの策動」完

(第十三部「終わりへの道しるべ」へつづく)

########################

 原作「スレイヤーズ」と同じく、ドラゴン&エルフのコンビが出てきたところで終了。明らかに連続性が高いストーリーですので、番外編を挟まずに、第十三部へ突入します。
 なお女エルフの名前は次回で。今回も一応、正体わかるように描写したつもりですが。

(2011年10月24日 投稿)
(2011年11月2日 「魔性制御」を「魔法制御」に訂正)
   



[26854] 第十三部「終わりへの道しるべ」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/10/27 23:22
   
 かつて、戦いがあった。
 神と魔と……生きとし生けるものたちと、全てを巻き込んだ戦いが。
 世界の存続と破滅とを賭け、始祖ブリミルが『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥに立ち向かい……。
 シャブラニグドゥはブリミル自らの身に封じられ、ブリミルは神と呼ばれるようになった。
 魔王の魂は分断され、ブリミルの子孫の中に転生することで、浄化されることとなり……。
 そして今から千年前。
 魔王の魂の一つは復活し、かつて神が降臨した『聖地』にて、新たな戦いが勃発した。
 ……人はそれを降魔戦争と呼ぶ……。
 そして。
 韻竜の幼生、シルフィードはこう言った。
 これは、降魔戦争の再現なのだ、と……。

########################

 おりから降り出した雨は勢いを増し、村人たちは家路を急ぐ。
 そして……。
 小さな村の片隅にある、小さな食堂の扉が音を立てて開いた。

「とりあえず、ここなら落ち着いて話せるんじゃない?」

 マントについた雨粒をはたき落としながら、私は奥のテーブルへと向かった。
 昼食をとるには遅すぎて、夕食には早すぎる。そんな時間のせいなのか、今入ってきた私たち六人しか客はいない。
 しかし私たちにとっては、こちらの方が好都合。ほかに客がいる場所で、魔族が降魔戦争を……などという話を、おおっぴらにするわけにはいかないからだ。
 一同は、店の奥にあるテーブルに腰かけた。
 私とサイト、ギーシュとモンモランシーの四人は、注文をとりにきた給仕のメイドに、それぞれ軽い食べ物を注文し……。

「おにく! おにく! きゅいきゅいっ」

「あなた、食べてばっかりねえ。……私は水だけでいいわ。おなかいっぱいになったら、眠くなっちゃうし」

 やたら嬉しそうなシルフィードに、呆れたような視線を向ける女エルフ。
 そんな二人を笑顔で見つめながら、ギーシュが私に声をかける。

「なあ、ルイズ。そろそろ彼らを紹介してくれないかね? サイトの説明では、さっぱり要領を得なくて……」

「そういえば……互いに紹介もまだだったわね。そいじゃあ、まずは簡単な自己紹介から、ってことで……」

 私とサイト、ギーシュとモンモランシーが、それぞれ順に自己紹介。
 エルフの前なので、敢えて私は魔法系統を言わなかったのだが、空気の読めないバカ竜が、余計な一言を口にする。

「彼女は、お姉さまのお友だちで……なんと虚無のメイジなのね! きゅい!」

「虚無って……『悪魔』の末裔ってこと!?」

 ほら。
 案の定、驚きの声を上げる女エルフ。
 彼女は、私とサイトを見比べながら、

「なるほど……それで人間なのに、使い魔やってるのね。……あれ?」

 突然、何か思い出したらしい。一瞬、考えこむように黙り込んでから、再び口を開き、

「あなたが『悪魔』の守り手だってことは……もしかして、叔父さまに勝った蛮人って、あなたなのかしら?」

「はあ?」

 女エルフに見つめられて、サイトは困った顔をする。思い当たる話がないのであろう。
 しかし、私はピンときた。

「ちょい待ち! 叔父さまって……ひょっとしてビダーシャル!?」

 まだ私がサイトと出会ったばかりの頃。
 ガリア王ジョゼフを敵に回した事件で出てきたのが、ビダーシャルというエルフであった。
 私に遅れて、サイトも思い出したらしい。
 
「お前、あのエルフの親戚なのかよ」

「そうよ。叔父さま、あなたのことを褒めてたわ。蛮人のくせに、たいしたもんだ、って」

「そりゃどうも」

 サイトは普通に会話しているが……。
 この女エルフの発言の意味が、はたしてわかっているのだろうか。
 
「私を無視してサイトと二人で会話するのは、やめて欲しいんだけど……」

「あら、『悪魔』もヤキモチ妬くの? あなたより『悪魔』の守り手のほうが面白そうだったから、ただそれだけよ。深い意味はないわ」

 口を挟んだ私に、女エルフは興味深そうな目を向けた。
 ヤキモチとか言われると、それはそれでムカツクのだが、とりあえず今は、もっと大事な件がある。

「……確認しておきたいことがあるの。あんた今、叔父さまから聞いた、って言ったわね? ということは、あのビダーシャルってエルフ、生きてエルフの国に戻ったの?」

「あ!」

 サイトが小さく声を上げる。
 そう。
 あのエルフがサイトにやられて深手を負ったところで、ガリア王ジョゼフが出てきたため、ビダーシャルとの決着はうやむやになっていた。ただし、あの時の状況では、エルフはジョゼフのエクスプロージョンに巻き込まれて消滅したと思っていたのだが……。

「当たり前じゃない。死んだら話を聞けるわけないでしょう? 蛮人って、そんな単純なこともわからないの?」

 あっけらかんと言う女エルフ。
 わざとこちらの神経を逆なでしているのか、あるいは無意識なのか。
 ともかくグッとこらえて、私はさらに尋ねる。

「……じゃあ、もうひとつ。ビダーシャルの姪だっていうあんたは、ビダーシャル同様、ジョゼフ側ってこと?」

 私としては、かなり重要な質問をしたつもりだった。
 今さらジョゼフ一派の残党に出てこられては、話がややこしくなるだけ。敵なら敵で、サッサと対処法を考えねばならないのだ。
 しかし女エルフは、心底呆れたという表情で、

「ジョゼフっていうのは……叔父さまが協力してた蛮人のことかしら? ……だったら、そんなわけないじゃないの! 叔父さまだって、ちょっとした契約で手伝ってただけだから、あの時の蛮人とは、もう無関係よ」

 ふむ。
 それを聞いて少し安心した。
 そして、安心すると同時に、私の頭に一つの閃きが。

「エルフの薬!」

 シルフィードに顔を向けて、私は思わず叫んでいた。

「きゅい」

 首を縦に振るシルフィード。
 シルフィードの主人であるタバサは、エルフの薬で心を壊された母親を元に戻すため、その方法を探して旅している。
 だが一番確実なのは、その薬を作ったエルフ自身に頼むことであろう。
 シルフィードが今、ビダーシャルの姪と一緒に行動しているということは、その協力も得られるということで……。
 なるほど。それで最初にシルフィードは、タバサの行方を聞いてきたわけか。
 などと私が考えていると。

「……なんだかさっきから、不穏な言葉が飛び交ってるような気がするんですけど……」

 モンモランシーが不安げな表情でつぶやき、ギーシュもそれに続く。

「そうだね。紹介してもらう前に、こちらのレィディの正体がなんとなくわかったような気がするよ……」

 そこに。
 給仕のメイドが、料理を運んできた。
 とりあえず、いったん会話を中断する私たち。とてもじゃないが、他人に聞かせられる話ではないからだ。

「おーにーくー! きゅいきゅい!」

 嬉しそうにシルフィードが肉にかじりつき、メイドが立ち去ったところで。
 私は、ギーシュとモンモランシーに説明する。

「食べ始めちゃったから、代わりに私が言っておくけど……あの子はシルフィード。前に一緒に旅してた、タバサってメイジの使い魔よ」

「使い魔? 僕には人に見えるのだが……」

「ああ見えて、正体は風韻竜。変化の魔法で人に化けてるだけなの」

「なるほど……それで『でっかいトカゲの遅刻常習者』か」

 ギーシュがサイトに目を向けると、サイトは小さく頷いていた。
 たぶん『遅刻常習者』の部分は、使い魔だけどタバサが呼んでもすぐには来ないから、という意味なのだろうが、そこまで丁寧に説明する必要もあるまい。
 それよりも。

「で、もう一人は……エルフなのよね?」

「そうよ」

 疲れたような声で問いかけるモンモランシーに、私は簡単に返事する。
 さきほどの会話の中で『エルフ』という言葉がボンボン出てきていたので、まあ、普通に聞いていればわかるわな。

「モンモランシー。あんたエルフ見るのって、初めてじゃないの? こわくないの?」

 ハルケギニアの民にとってエルフは、強力な魔法を操る、凶暴で長命な生き物である。
 そしてモンモランシーは、どちらかといえば怖がりなタイプ。
 ちょっと彼女らしくない態度にも見えるのだが……。

「そりゃあ怖いけど……。なんだか、今さら……って感じよねえ」

「そうだね。最近の僕たち、エルフどころじゃない連中を相手にしてきたから」

 ギーシュと顔を見合わせて、彼女は肩をすくめる。
 ……それもそうか。
 ハイパー・デーモンや人魔はともかく、覇王将軍という高位魔族とも戦った後では、ある意味、もう恐いものなしと言えるだろう。

「へえ。私たちって、蛮人に恐れられてる、って聞いてたけど……実際は、そうでもないのね」

「いや、この二人は例外だから。私やサイトほどじゃないけど」

 そもそも、シルフィードを風韻竜だと明かしてもノーリアクションだったくらいだ。ギーシュとモンモランシーも、もう感覚が麻痺していると言っていいかもしれない。

「……それより、あんたの自己紹介がまだよ」

 私がジト目で促すと、

「あら、さっき言わなかったっけ。私は蛮人を研究してる学者で、ルクシャナっていうの。よろしくね」

 案外軽い口調で、ようやく名乗った彼女。
 これで自己紹介も終わったので、本題に入れるわけだが……。

 むしゃむしゃ……。

 さきほど説明役を買って出たシルフィードは今、肉料理にかかりっきり。
 こりゃダメだ、という目で竜の娘を見てから。

「それじゃ、今度は私が説明するわ。降魔戦争の話から……でいいのかしら?」

 ルクシャナは語り始める。
 千年前に何があったのかを。

########################

 ハルケギニアには、不穏の空気が満ちていた。エルフの住まう地にまで、あからさまに伝わるほどに。
 諸国は戦争準備としか思えない軍備増強を押し進め、国境地帯で小競り合いが繰り返されることもしばしば。
 そして……。
 そんな小競り合いが、本格的な戦争になるのに、さしたるきっかけは必要なかった。
 いくつかの国を巻き込んで起こる戦い。
 誰も……しばらくは気づかなかった。特にエルフは、人間との交流はなかったので。
 戦いと混乱の中に、魔族の被害が混じり始めたことに。
 人々が異常に気づいた時は、既に遅かった。
 各国は疲弊し、優秀なメイジと使い魔たちの多くは、人間同士の内輪もめで死に絶え……。
 野には、大量に出現したデーモン——当時は亜人の一種と思われていた——の群れが跋扈し、戦争で生き残った人々を蹂躙した。
 いくつのも命が失われ、いくつもの国が滅び……。
 しょせん蛮人なんて、と傍観を決め込んでいたエルフたちも、事ここに至り、事件の裏にひそむものの気配を感じ取っていた。思えば、各国の武力増強も、国の中枢に入り込んだ何者かの意志の表れだったのかもしれない……。
 エルフや韻竜は、翼人や吸血鬼などの亜人と共に、人間を支援する形で、野にあふれるデーモンたちの掃討に努めた。
 ……だが。
 デーモン大量発生すらも、陽動でしかなかったのだ。
 皆の目が人間世界に向いているその間に、魔王配下の五人の腹心が集結していた。
 エルフの住まう地である『砂漠(サハラ)』に。
 腹心たちは、近海に住む『海母』との直接対決を巧みに避けつつ、徐々に砂漠(サハラ)を、死の荒野へと変えていく。
 老獪な水韻竜である海母を、魔族は『水竜王』と呼んで恐れていた。もしも海母が倒れたら、魔族側の勝利となるであろう。
 それを察知した、エルフを中心とする連合軍は、海母に手を貸すべく、砂漠(サハラ)へと舞い戻り……。
 そして、魔王が出現した。

########################

「……は……?」 

 ルクシャナの話の途中で、私は思わず、間の抜けた声を出していた。

「……し……出現した……って……どこから?」

「わかるわけないでしょ」

 ……おい。
 呆れ混じりの声でキッパリ答えられ、私の目が点になる。

「だって、魔王出現の現場に居合わせた者は、生き残っていないんだもん」

 ああ、そうか。言われてみれば、それも当然か。

「『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの気配は突然、砂漠(サハラ)の真ん中に出現して、その瞬間、こちら側の勝利はなくなったのよ。……冥王(ヘルマスター)フィブリゾ配下の冥神官は滅ぼしていたものの、韻竜たちは獣神官ゼロスによってほぼ壊滅。エルフと人間たちとでは、連携も何もあったもんじゃないし。そんな状況で、魔王まで出てきては……ね」

 そこまで言って、もうおしまい、という表情で、ルクシャナは口を閉ざす。
 グラスの水で喉を潤す彼女を見ながら、私は確認のために、

「あとは……伝承にあるとおり、ってことね?」

 頷くルクシャナ。

「……海母の奮闘により、魔竜王は倒れ、魔王は『シャイターン(悪魔)の門』に封印され、そして海母も力つきた……」

「海母は死んだわけではないけどね。力の大部分を失って、おとなしく『竜の巣』で休んでるわ」

 頷きながらも、そこだけは訂正するルクシャナ。
 なるほど。
 私は敢えて、人間界に伝わる伝承ではなく、魔族のジュリオから聞いた方を元にして、カマをかける意味で少し曖昧に言ってみたのだが……。
 ということは、やはりジュリオの話が正しかったということか。

「……で、最近、韻竜から砂漠(サハラ)に使いが来たのよ。人間たちの世界が降魔戦争勃発前夜と似たような状況になってるから、一緒に調査しましょう、って」

 ルクシャナが説明を再開する。

「『評議会(カウンシル)』のおじいちゃんたち、蛮族の世界に干渉するのは嫌がってたんだけど……本当に降魔戦争の再現なんて話になるんじゃ、そうも言ってられなくてね。さいわい荒事じゃなくて調査任務だから、学者の私が志願したら、全会一致で決まったの」

 おそらく『評議会(カウンシル)』というのが、エルフの国の王政府みたいなものなのだろう。
 さきほどの話からすると、吸血鬼や翼人たちにも声をかけてもよさそうだが、エルフと違って『国』がないから、声のかけようがなく、ならば調査は韻竜とエルフだけで……ということなのかもしれない。

「それで、私は韻竜の娘と一緒に旅を始めて……このゲルマニアって国に大きな『魔』の気配を察知し、調査していたところ、というわけよ」

「……で、そこで私たちと出会った、と?」

 私の言葉に、ルクシャナは小さく首を縦に振り……。
 そこでふと、何かを思い出したかのように、

「そう言えば……一年くらい前だったかしら? しばらく前にも、強い『魔』の気配を感じたことがあったんだけど……あの時は一日経つか経たないかのうちに、あっさり気配が消えたわね」

「それなら知ってるのね!」

 ひととおり食べ終わったらしく、満足げな声で、シルフィードが言葉を挟む。

「え? あの事件のこと知ってるの、あなた? だったらなんで今まで、黙ってたのよ!」

「きゅい。だって、聞かれなかったから……」

「まあ、いいわ」

 人間と同じ仕草で、肩をすくめる女エルフ。

「……で、あれは何だったの?」

 ルクシャナに対して、シルフィードは誇らしげに、

「あれは魔王シャブラニグドゥの復活だったのね! でも、お姉さまとその仲間たちが倒しちゃったのね! きゅい!」

 ぶぴっ!

 あっさり言ったその言葉に、私とモンモランシーとルクシャナが、三人同時に吹き出した。

「このバカ竜っ! そういうこと、さらりと言うなぁぁぁっ!」

「嘘……!? 私たちが知らない間に、魔王が復活してたの……!?」

「ななななななな」

 ルクシャナは何やら『な』の字を連発している。
 ここでサイトがポンと手を打ち、

「ああ、あの話か! それなら、タバサが、っつうより、俺とルイズで倒したようなもんじゃん。……なあ、デルフ?」

「俺っちに同意を求めんでくれよ、相棒。俺さまは今、忙しいんだ。おめえらが千年前、千年前とうるさいから、当時のことを思い出そうと頑張ってるんだが……どうにも思い出せんぜ」

 バカ犬と剣の会話を耳にして。
 ルクシャナが私に、ギギギッと首を向ける。

「ど、どどど、どうやって……?」

「……え……えぇっとね……」

 私は、後ろ頭をポリポリかきつつ、

「そこでしゃべってるデルフリンガー……ってゆうか、『闇を撒くもの(ダークスター)』の武器『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』に、ちょっぴり『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の不完全呪文の力を上乗せしちゃった。てへっ」

 ぴぎっ!

 私のその言葉に、エルフのルクシャナは完全無比に硬直した。
 ということは、『闇を撒くもの(ダークスター)』とか『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』とかの話は知っていたわけだ、やっぱり。
 まあ、どうせ『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の正体までは知らないんでしょうけど。

「……なんだかよくわからないけど……とにかく凄いことをやったのね?」

 その辺りの事情に疎いモンモランシーは、わずかに眉をひそめるだけだが。
 ルクシャナは私を指さして絶叫を上げる。

「ああああああなたっ! なんつうことをっ!? 何やったかわかってるのっ!?」

「いやぁ……あの当時はよく知らなかったから……」

「よく知らないものの呪文なんか後先考えず使うなぁぁぁっ! そういうことするから『悪魔の末裔』って呼ばれるのよっ!」

 ……うーん……この様子だと、冥王(ヘルマスター)倒す際に『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に体を乗っ取られた話は、内緒にしておいた方がよさそうである。

「……まったく……蛮人ってやつは……」

 エキサイトしたまま、何やらブツブツつぶやき始めるルクシャナ。

「……私たちは、力のほんの少しを借りてるだけだってのに……蛮人たちは、恐れ多くも『魔王』扱いしちゃって……その上、無理矢理その力を引き出そうとするから……」

 あ。
 この言い方からして、どうやら彼女、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』こそが『大いなる意志』であると、ちゃんと知っているらしい。

「……研究対象以前に、ちゃんと見張ってないと危なくてたまらないわね……」

 愚痴を口に出したことで、少しは落ち着いたのか。
 ルクシャナは、一同をグルリと見回して、

「あなたたち、覇王将軍シェーラを倒した、と言ったわね? でも、もしも魔族の狙いが降魔戦争の再現ならば、それでもまだ、計画は止まらないはず。だから……手を貸して欲しいの」

 そして最後に、苦笑しながら一言つけ加えた。

「……悪魔を制するために悪魔の力を借りる、ってのも、皮肉な話だけどね」

########################

 降り続く雨の水音だけが、夜の空気を震わせていた。
 村に一軒しかない宿屋。
 一階の酒場は、あまり繁盛していないのか、はたまた雨のせいなのか、まだまだ宵の口だというのに、人の気配も途絶え、ざわめきも消えていた。

「……ふぅ……」

 洋服掛けにマントをかけて、私は深くため息つくと、ベッドに横になる。
 先にベッドに入ったサイトは、すでにグッスリ眠っているようだ。
 今晩はサイトを抱き枕にする気もしない。
 天井に下がったランプを眺めつつ、私は小さくつぶやいた。

「……なんか……またやっかいなことに首突っ込んだような気がするわね……」

 結局のところ。
 私たちは、竜とエルフの調査に手を貸すことになったのだった。
 ギーシュとモンモランシーは乗り気ではないようだが、もしも降魔戦争の再現などということが実現したら……と考えると、断りきれなかったのであろう。
 一方、私とサイトは少し違う。
 もともと私たち二人がゲルマニアに来たのは、デーモン大量発生事件について調べるよう、リュティスで頼まれたからである。シルフィードたちも同じ事件を調査している以上、断るいわれはない。
 とはいえ『断るいわれはない』と『喜んで手を貸す』は、イコールでは結ばれない。
 なにしろ、覇王将軍クラスの大物魔族が、パシリをやっているような計画である。となれば、計画を指導している本当の敵は、おそらく……。
 魔王腹心五人衆の一人、覇王(ダイナスト)グラウシェラー。
 一応『倒す』ことではなく『調査』が目的なわけだが、その過程で連中とぶつかることは必定。

「うーん……こう考えると、やっぱり無謀な話かも……」

 しかし本来は虚無のメイジなど嫌うエルフのルクシャナが、私に協力を要請するほどの事態なのだ。彼女の言うとおり、魔をもって魔を制するくらいしか、テはないのであろう。
 伝説の韻竜、伝説の虚無、伝説のガンダールヴ、伝説の魔王……。
 こうなってくると『伝説』の大安売りだが、ともかく『伝説』の力を結集するしかないのか。
 自分もその『伝説』の一部だというのが、嬉しいような、悔しいような。
 やらなきゃなんない。けどやりたくない。
 そんな思考の堂々巡りの中……。

「……?」

 私の考えを中断させたのは、水の滴り落ちる音だった。
 いまだ降り止まぬ雨の音……ではない。
 隣で眠るサイトのヨダレ……のわけもない。
 水音は、宿の廊下から聞こえていた。
 しかも……こちらへ少しずつ近づいている!?

「サイト! ちょっと起きて!」

「……ん? なんだルイズ、かまって欲しいのか……」

 寝ぼけるサイトを揺さぶり起こし。
 マントを羽織り、杖を手にして、それに備える。

 ……ぽたり……ぽたり……。

「おい!? この気配って……!」

「しっ! わかったなら黙って!」

 サイトがそう感じるということは、そうなのだろう。
 私たちは、足尾を殺して部屋の扉へと向かい……。

 ダムッ!

 扉を開け放ち、二人で廊下に躍り出た!

 ……ぽたり……。

 水滴が廊下の床を打つ。
 魔法の明かりに照らされて、真っすぐ伸びた廊下には、誰の姿も見当たらない。
 しかし……。
 視界の中で、何かが動いた。
 同時に。

「ルイズ! 上だ! 天井!」

 サイトの言葉に、視線を上へと向けて。

「ずげげっ!?」

 思わず半歩、後ろに退る。
 薄暗く、半ばまで闇に呑まれた天井からは……。
 女の首が、さかさまにぶら下がっていた。

########################

 小さく揺れる、黒く伸びた髪。
 端正な顔に、どんよりと濁った瞳。
 色を失い、小さく開いたその口から、漏れ出る水が髪を伝わって、廊下の床へと落ちて砕ける。

 ……ぽたり……。

 そして首から無数に伸びた、根とも血管ともつかぬものが、ウネウネと天井に張りついていた。
 むろんこんなモノ、まともな生き物でも死体でもない。
 考えられるのは、ただ一つ。
 すなわち……魔族。

「……ぜろの……るいず……か……」

 それは暗き高みから私を見下ろし、くもぐった声でつぶやいた。

「ルイズの友だちか?」

「そんなわけないでしょ! 敵よ、敵!」

 冗談なのか天然ボケなのか判らぬ言葉の後。
 サイトが剣を構えて動き出す。
 しかし斬撃が届くより早く。
 それに殺気が膨れ上がる。
 咄嗟に横に跳ぶ私。
 同時に。

 ぶじゅびゅっ!

 それの口から吹き出した水が奔流となり、たった今まで私のいた場所を薙ぎ裂いた。
 見た目にも汚い攻撃だが、心理的ダメージだけではない。

 ガタン……。

 何かの倒れるような音に、チラリと後ろへ目をやれば。
 私たちが出てきた、開けっ放しの部屋の扉が、スッパリ斜めに断ち切られ、上半分が床に転がっていた。
 今の水流には、並の剣以上の切れ味があるということだ。
 しかし、サイトの迎撃よりも私の抹殺を優先したのが、命取り!

 ゾンッ!

 閃く一条の銀光に、女の頭が弾け飛び、大量の水が辺りに飛び散る。

「……なんだ? 意外とあっけなかったな……」

「見た目の……グロさ重視の一発屋だったのかしら?」

「相棒! 娘っ子! まだ終わっちゃいねぇ!」

 そう。
 天井に張りついた根が痙攣し……。

 ……にゅるり。

 根の端から、新たな女の顔が瞬時に生まれ出る。
 しかも、五つほどを同時に。

「どげげげっ!」

「なんじゃそりゃぁぁぁっ!?」

 いかに魔族、人外のものとは判っていても、これはさすがにたまらない。
 逆さ吊りで、口から水こぼす女の頭の群れに、どんよりしたまなざしで見つめられるのだから。

「……なんか……いっぱい生えてきたぞ! おい!」

「大サービスね! ま、頭が弱点じゃないってことはハッキリしたわ!」

 言って呪文を唱える私。
 同時にサイトも、魔族に向かって再びダッシュ。

 びゅびじゅじゅぶっ!

 それの口から幾筋もの水の流れが走り、床を、壁を薙ぎ斬ってゆく。
 必死で身をかわしつつ、私は呪文を唱え続け、そしてサイトは……。

「はぁっ!」

 ザッ! ザゾンッ!

 水流を断ち切り、かわし、魔族へと肉薄する。
 剣を振るって、全ての頭を同時に斬り飛ばし、攻撃力を奪ったところで……。

「今だ!」

 デルフリンガーの合図で、大きく後ろへ。
 同時に私が杖を振り、魔法を放つ。
 ……後ろに向かって。

 ひゅい。

 しかしエクスプロージョンの光球は、一点に収束して消えた。
 ……新たに出現した魔族の手のひらで。
 人間の男のような外見だが、頭のあるべき部分には、ねじれた角のようなものが固まっているだけ。
 こいつの気配を感じ取って、女頭魔族を撃つフリをして、私は不意打ちをかけたのだが……それが通用するほど甘い相手ではなかったようである。

「……何を遊んでいる……ミアンゾ。命令は速やかに遂行しろ……」

 私の攻撃などなかったかのように、ねじれツノ魔族が言う。さすが魔族、ツノだけで口はないのに、よくしゃべれるものだ。

「なら……すこしハデにいくよ……ツェルゾナーグ……」

 女頭……というより、頭を失った根だけの魔族、ミアンゾがそれに応じる。
 ……って、ちょっと待て! 魔族の『すこしハデ』って、洒落にならないような気が……。
 しかし、私やサイトが反応するより早く。

 ぐがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!

 ほとばしる閃光が、宿の建物を吹っ飛ばした!





(第二章へつづく)

########################

 水竜王が海母であるとか、『大いなる意志』の正体とか、冥王編でも語った設定ですが、覚えておられるでしょうか。

(2011年10月27日 投稿)
 



[26854] 第十三部「終わりへの道しるべ」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/10/30 23:33
   
「……う……づづづうっ……」

 木切れや石くれ押しのけて、私は地上に顔を出した。

 ……さあっ……。

 雨が全身を打つと同時に。

「大丈夫か、ルイズ!?」

「大丈夫……じゃないわよ! ちゃんと私のこと、かばいなさいよね! あんた私の使い魔なんだから!」

 私を心配するサイトの声に、ついつい、そう返してしまう私。

「すまねえ……」

「まあ、いいわ。それより……やつらは……?」

 二人で慌てて辺りに目をやり……。
 そして見つけた。
 雨に濡れながら、佇む魔族二体の姿を。
 ミアンゾは、地面から生えたツタが絡まったような格好に変わっており、その半ばから、女の頭をやはり逆さまにぶら下げていた。
 一方ツェルゾナーグは、動揺の色もあらわな声で、つぶやいている。

「……なぜ……こんなところにエルフがいる!?」

 二体は、私の方など見ていなかった。
 彼らが対峙する相手は、ローブを羽織った金髪の少女……エルフのルクシャナ。

「説明する必要ないと思うけど。……千年前も戦ったじゃない、エルフと魔族は」

「ならば……ほんきでやっても……いいのかな……」

 ミアンゾが、くもぐった声で言ったその刹那。

 ウンッ!

 虫の羽音にも似た音を立て、ミアンゾの体が一瞬ブレる。
 同時にルクシャナの周囲に、いくつもの小さな光が閃いた。
 空間を渡っての攻撃……いや、これは精神世界面から直接攻撃している!?
 いくらエルフが人間から恐れられる存在とはいえ、しょせんは物質世界の生き物。これでは、さすがに……。

「へえ。案外余裕がないのね」

 しかし私の危惧などどこ吹く風。
 ルクシャナは、片手を軽く振り払った。
 呪文も唱えず、精霊に呼びかけることもせず、ただ片手を振るっただけ。
 ただそれだけで……。

「……うわさは……ほんとうだった……」

 呻き声と共に、ミアンゾが小さくよろめく。
 ……これは……!

「なあ、ルイズ。あいつら……何やってんだ?」

「たぶん……ギャラリー置いてけぼりの、精神世界面の攻防戦よ。前にジュリオが、竜神官や竜将軍を相手にやってたみたいな」

 人間には理解することさえ不可能なレベルで展開される、己の魂すら賭しての死闘……なのだが。
 理解不能ゆえに、眺めていても盛り上がらなかったりする。
 そして。

「そうか。それならば手加減する必要もなかろう」

 不穏な言葉と共に、ツェルゾナーグが参戦する。

 ぎぢぎぢぎぢっ!

 耳ざわりな音を立てながら、頭部のツノが瞬時に伸びて、ルクシャナへと向かう。
 そして再びブレるミアンゾの体。
 二対一、しかも精神世界面と物理面からの同時攻撃!
 ……しかし……。
 魔族たちは失念していたのであろう。
 物理攻撃なら、敵は一人ではない、ということを。

 ボゥムッ!

「……っがぁっ!?」

 私のエクスプロージョンが、ツェルゾナーグの伸びたツノ、そのことごとくを消し去った。

「き……貴様! 人間の分際で……」

 魔族二体の意識が、こちらへ向く。
 すでにサイトは、ミアンゾに向かって斬りかかっていた。
 この隙に。
 ルクシャナは、服の隙間から、いびつな形の白い剣のようなものを取り出し……。

「封印解除! 魔力収束!」

 チラッと見えたのだが、どうやら彼女、あのゆったりとした服の下に鎧を着込んでいたらしい。このいびつな白剣は、鎧を構成するパーツの一部のようだ。

「ゼナフスレイド!」

 ルクシャナが、その剣で空を薙ぐ。
 そんなとこ斬ってどうすんだ、と思う間もなく……。

「……がぁっ!?」

 ツェルゾナーグの悲鳴が響く。
 光の衝撃波は、空間を越え、ツェルゾナーグ自身の体の中から生まれ出て、背へと抜けていた。

「……ぐ……!」

 灰と化して砕け散る仲間を前にして、不利を悟って呻くミアンゾ。
 そこに……。

「逃がさねぇっ!」

 サイトの斬撃が閃く。

「……!」

 声にならない悲鳴を残し、ミアンゾの姿もかき消えた。

「今度こそ……やったか?」

「違うな、相棒。根っこだけになって逃げてったぜ、あいつは」

「魔族お得意の、トカゲのシッポ切りね。精神体のかけらを囮として残して、本体は攻撃を回避したのよ」

 見えてなかったわりには、偉そうに解説する私。
 そこに。

「つ……強いのね……。きゅい」

 後ろでポツリと声がする。
 振り向けば、一体いつの間に現れたのか、そこには、シルフィード、ギーシュ、モンモランシーの三人が、ガン首ならべてホケッと佇んでいた。

「……ってあんたら! なぁに手伝いもせずにポーッと眺めてたのよ! ……特にシルフィード! あんた伝説の韻竜でしょ!?」

「だって……純魔族には、先住の魔法は、あんまり効かないのね。きゅい」

 言われてみれば。
 今の戦いでも、エルフのルクシャナは、先住魔法を一切使用していなかった。
 やはり以前にチラッと考えたように、先住魔法は借り物の魔法であり、自らの精神力を用いていないため、魔族には通じないのだろう。
 まあ『大いなる意志』イコール『混沌の海』である以上、先住魔法も力の根源は私の『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』や『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』と同じなわけで、その力を最大限に引き出せば魔族にも通用するはずだが……。さっきルクシャナが言っていたように、エルフや韻竜の使う先住魔法の場合、あくまでも『力のほんの一部』なのでしょうね。

「蛮人が韻竜を非難するだなんて、なんだか滑稽だわ。あなたたちだって、どうせ魔族に本気で攻撃されたら手も足も出ないくせに」

 ルクシャナの言葉に、少しカチンとくる私。
 でも、今は彼女と喧嘩している場合ではない。

「とりあえず、そういう話はあとにしましょう。とにかく今は、この場から離れることが先決よ」

「あら? あなた悪魔の末裔のくせに、魔族の仕返しが怖いの? 大丈夫よ、もしまた来たら、私が倒せばいいだけの話だから」

 何もわかっていないこと丸わかりな馬鹿エルフに、私はジト目を向けて、

「そうじゃないわ。この場にいると面倒になる、って言ってんのよ、私は。……ここが村の中だ、ってこと忘れてない?」

「……あ……」

 私の言葉に、ルクシャナ以外の全員の声が見事にハモったのだった。

########################

「……ふぅ……。ここまで来れば、もう追っ手も来ないでしょ」

 まるっきりお尋ね者のセリフを吐いて、私が足を止めたのは、村を抜けた森の中、なんとか雨露をしのげそうな場所を見つけ当ててのこと。
 さいわい、だいぶ雨足は弱まってきている。これならば、それほど濡れずに済みそうだ。

「……けど……逃げ出した、っていうのはかえってマズくないかね?」

「そうだな。かえって怪しまれるような気がするぞ……」

 男二人は意見を合わせて頷きあっているが、モンモランシーが異を唱える。

「でも、あそこで面倒に巻き込まれるのは、得策ではないわ」

「そ。宿を壊したのが魔族だ、って、いくら主張してみたところで、その証拠もないし。役人が信じてくれるとは限らないもん」

 モンモランシーに賛成する私。クラゲ頭のサイトにもわかるよう、さらに続けて、

「ひょっとしたら目撃者くらいいるかもしれないけど、あんまりアテに出来ないでしょ。それに、へたに彼女の正体がバレたら、彼女のせいにされると思うわ」

 私は、チラッとルクシャナに目をやった。
 今も彼女は帽子で隠しているが、その下には、エルフの長耳があるのだ。
 ……まあ外見は『変化』で誤摩化すことも可能かもしれないが、ルクシャナの場合、態度や言葉遣いの方がマズい気がする。

「きゅい。何か誤解してるみたいだけど……」

 私の視線の向けた先を誤解したのだろうか、ルクシャナの隣に立つシルフィードが、会話に参加してきた。

「宿を壊したのは魔族ではなく、ルクシャナなのね」

「……え?」

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
 しばしの沈黙の後。

「シルフィード、そういう冗談は止めた方がいいぞ」

 ツッコミを入れるサイト。しかし彼女は首を横に振り、

「冗談じゃないのね! 本当なのね!」

 ……ってことは……。

「ええええええ!? じゃあ、あれって……」

「何を驚いてるのかしら。あなたたちが困ってるから、援護してあげただけじゃないの。蛮人の建物が予想外に脆くて、あんなことになったけど。……誰も死んでないから問題ないでしょ?」

「問題あるわぁぁぁっ!」

 ツンとすました顔で言うルクシャナに、思わず私は叫んでいた。

「……そうなの? 色々と面倒なのね、蛮人の世界って。……それより問題なのは、どうして魔族があなたたちを襲ったか、よ」

 むむむ。
 前半は同意できないが、後半は確かにそのとおり。
 私としても、魔族たちの目的は気になる。丸め込まれるようで気にいらないが、ここは大人の態度で譲歩して、

「そうね。こうやっている間にも、魔族が再襲撃をかけて来る、という可能性もあるわ。ならば、理由を把握しておいた方が、対処もしやすくなるでしょうし……」

「なあ、ルイズ。あいつら、ルイズの顔と名前は知ってたよな?」

 サイトは、何か考えがあるような表情で言葉を挟む。
 どうせサイトの意見などロクなものではないと思うのだが、私が小さく頷くと、彼は続けて、

「なら、仕返し……とかじゃあないのか? 覇王将軍を倒したばっかりだろ、俺たち。そのかたき、ってことで……」

「それはねえぜ、相棒。あいつらに仇討ちなんて感情ねーだろ」

 剣にバッサリ却下され、サイトは口を閉ざす。
 可哀想だが、私もデルフリンガーと同意見だ。

「考えてもごらんなさい、サイト。仇討ちなら、あんなザコ魔族二匹で来るわけないでしょ。一応こっちは、かりにも覇王将軍倒してるんだから。そのつもりなら、それなりの戦力で来るはずよ」

 私の言葉に、モンモランシーやルクシャナも頷いている。

「では、なんだったんだろうね?」

「それがわからないから悩んでるのよ、ギーシュ」

 あとから出てきた方が『命令は速やかに遂行しろ』みたいなことを言っていたが、だからといって、私が重要ターゲットであるという雰囲気でもなかった。
 むしろ『余計なことをやってるんじゃない』と感じたのだが……。

「そんじゃ、考えたって仕方ねえじゃん。考えてもわかることじゃないんだろ?」

「サイト……あんた、いつもそんなこと言ってるわね」

 既視感バリバリの意見を口にするサイト。
 私は顔をしかめるが、残念ながら今は、彼の言うとおりのようである。

########################

「……何かしら、あれは……?」

 街道のはるか先を眺めつつ、ルクシャナが突然つぶやいたのは、昼頃のことだった。
 彼女が宿を壊したのを、私とモンモランシーが舌先三寸で何とか丸くおさめた、その翌日のことである。
 迂闊に魔族のことなど持ち出さず、レッサー・デーモンが出てきた、ということにしたら、案外アッサリ信じてもらえたのだ。さすがはレッサー・デーモンが現在進行形でポコポコ発生している国である。
 それはともかく。
 現在、一行が目ざしているのは、帝都ヴィンドボナ。
 私たちがヴィンドボナを発った時点では、デーモン発生事件は解決したと思っていたわけだが、そうではなかった以上いったん戻るのが得策、ということになったのだ。覇王将軍の一件で、国のお偉いさんともコネが出来たことだし。
 というわけで私たちは、もと来た道を戻る形で進んでおり、ルクシャナが目で指す方には、おとといあたりに通った街があるわけだが……。

「あれ……って?」

「……煙……みたいに見えるんだけど……」

 人間の世界には疎いはずのエルフが、それでもおかしいと感じて、首を傾げる。
 何か異変が起きているのだろうか。
 顔を見合わせてから、私たちは走り出す。
 少し進んだだけで、私たちにもわかった。
 たしかにエルフの言ったとおり、街道が続くその先の空に、幾筋かの灰色の煙が上がっている。
 さらに、小さな丘を越えたところで。

「……見えた!」

 なだらかな丘のふもと。広がる森に面した辺りに、小さな街があった。
 ……炎と喧噪に包まれて。
 この距離からでも、逃げ惑う人々の姿が見える。
 そして……破壊を繰り返すレッサー・デーモンの群れが。

「デーモン、ね」

 街の様子を一瞥し、スイッと一歩、踏み出すルクシャナ。
 羽織っていたローブをバサッと脱げば、現れたのは、へんな格好の白い軽装鎧。
 そして……。

 ブンッ!

 風薙ぐ音と同時に、その背に白い翼が生えた。
 異形の鎧の背中が瞬時に変形し、一対の細長い翼となったのだ。

「先に行くわよ」

 誰にともなく言い捨てて。
 フワリッと、ルクシャナの足が地面から離れた。
 白い軌跡を残して、彼女は宙を舞う。
 一直線に街へと向かうその姿は、見送る私たちの視界の中で、みるみるうちに小さく……小さく……。
 ……ならなかった。
 たしかに、ルクシャナの後ろ姿は遠ざかってゆく。しかし同時に、白い鎧が変形・展開し、彼女の体を包むように、大きさを増してゆくのだ。

「……嘘……」

 思わず茫然とつぶやく私。
 そして……。
 翼ある白い巨人と化したエルフは、レッサー・デーモンの群れの中へと降り立ったのだった。

########################

 白い光が地を薙ぐごとに、何匹ものデーモンたちが、光に呑まれて塵と化し、あるいは爆圧に吹っ飛ばされて宙に舞う。

「やっぱり……エルフというのは、凶暴で怖い生き物なのだね……」

 それは少し違うと思うぞ、ギーシュ。
 ……ともあれ、私たちが街へと辿り着いた時には、ほとんどのデーモンたちは既に蹴散らされていた。
 ただし、さすがにルクシャナも建物ごとデーモン薙ぎ散らすのは遠慮しているのか、街の中まで入り込んだデーモンには手を焼いているようだ。
 ならば、ここは地道に私たちが一匹ずつ……と思ったのだが。

「きゅい! 私も頑張るのね!」

 服を脱いで変化の術を解除したシルフィードが、再び変化の呪文を唱えて……。

「白い巨人二号かよ!?」

 思わずツッコミの叫びをあげるサイト。
 シルフィードは、鎧で巨大化したルクシャナと同じような姿となり、ガァッと竜のブレスでデーモンたちを掃討。
 ……建物にも思いっきり被害が出てるんだけど……。

「エルフだけでなく……伝説の韻竜も、凶暴で怖い生き物なのだね……」

 ギーシュのつぶやきにツッコミを入れる者は、誰もいなかった。

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「……どうやら終わったみたいね」

 後ろから声がかかったのは、街の中で暴れていたデーモンたちを、私たちが……というより竜とエルフのコンビが一掃したあとのことだった。
 振り向いたそこには、白い巨人からもとの姿に戻ったルクシャナ。
 少し離れて、同じく人間の姿に戻ったシルフィードも見える。

「蛮人のみんなも、ずいぶん活躍してくれたようね」

 あからさまな嫌味を言う。
 私たちの出番がほとんどなかったことくらい、わかっているくせに。
 ならば……。

「いやあ、それほどでも。あんたが凄すぎて、私たちなんて、とてもとても……。ほんっとに凄いわね、その鎧」

「それって……私じゃなくて鎧が凄いだけ、って聞こえるんだけど、聞き違いかしら?」

「あら、ちゃんとエルフにも、人間の言葉のニュアンス伝わるのね。さすがは私たちを研究してる学者さまだわ」

「どういう意味よ!?」

「だいたい、純魔族じゃなくてレッサー・デーモンが相手なんだから、先住の魔法を使えばいいじゃないの。それをわざわざ……」

「でも、こういう『いかにも英雄』って格好が好きなんでしょ、蛮人って? それに、必要もないのに『精霊の力』を借りるなんて。冒涜だわ。……あと、その無粋な呼び方、やめてくれないかしら?」

「はあ? あの白い巨人が……人間の好みですって? あんた人間研究の学者とか言ってるくせに……英雄譚か何かの知識を読みかじってるだけなんじゃないの?」

 ギスギスした空気が生まれるが、そこに割って入るように、

「まあまあ二人とも、そのへんにしとけよ。それよりさ……」

 サイトが、私とルクシャナのところへ歩み寄り、ルクシャナに左手を伸ばす。

 ピトッ。

「ああっ!? サイト、いったい君は何をやっているのかね!?」

 絶叫するギーシュ。

「いくらエルフとはいえ、女性の胸をいきなり触るとは! なんとうらやま……いや、けしからん話だ!」

 私も目を丸くして、キックもエクスプロージョンも出さずに硬直してしまう。
 しかし当のルクシャナは、まったく気にしていない。むしろ興味深そうな目で、自分の胸にあてられたサイトの左手に視線を落とし、

「へえ。これが噂の……『悪魔の守り手』の印ってやつ?」

 あ。
 言われて私も、ようやく気づいた。
 サイトのガンダールヴのルーンが……光っている!?

「ああ。この鎧、一種の武器みたいなもんなんだろ? だったら俺が触れば、詳細がわかると思ってさ。……しかし、なんつうか、本当にすげえな、これは……」

「相棒の頭には難しすぎるぜ。ここは俺っちが代わりに説明してやろう」

 サイトと一緒ならば、デルフリンガーにも武器のことは理解可能。剣が解説役を買って出た。

「……こりゃあ……魔族と戦うことを想定して開発された武器だな? 精神力を物理応用できる素材で作られていて……だから精神世界面へも干渉できるたぁ……。俺さまもおでれーたわ」

「っつうか、『精神力を物理応用できる素材』って何だよ!? SFかよ!?」

 私たちの知らない単語を口走るサイト。ちゃんと説明しようという気持ちは、彼には全くないらしい。

「あらあら。悪魔の力で、なんでもお見通しなのね。こわい、こわい」

 ルクシャナは少しおどけつつ、それでも胸を張って、

「今の説明のとおり。これは精神世界面への干渉力をある程度自由にコントロールでき、こちらの意識コントロールで、変形も可能な半自律型甲冑。ザナファアーマーと呼んでるわ」

「ふーん。やっぱり鎧が凄いだけじゃ……」

 入れかけた私のツッコミを、モンモランシーの悲鳴が遮った。

「……そ……それって、まさか魔鳥ザナッファー!?」

 思わず後ろに引いてしまうモンモランシー。
 ……ザナファアーマーとザナッファー。たしかに名前は似ているが……。
 魔鳥ザナッファーとは、かつてタルブの村を蹂躙した怪物……というのが、ハルケギニアにおける常識である。
 しかし私やサイトは知っている。ザナッファーの正体は、実はサイトの世界から召還された武器だった、ということを。
 それだけでなく、第二、第三のザナッファーともいうべき存在とも、私たちは戦ってきた。たしかに最後に出てきた『ザナッファー』は、ハルケギニアを滅ぼしかねないトンデモナイ奴だったけど、それも全て終わった話。
 エルフのルクシャナが着ている鎧が、それらと関連しているはずがない。
 などと思っていたら。

「……蛮人の間では、そう呼ばれているみたいね」

 ……え?
 いきなり肯定の言葉を吐くルクシャナ。

「そんな不思議そうな顔しないでちょうだい。……いくら私たちエルフでも、さすがに『精神力を物理応用できる素材』なんて開発できるわけないでしょ。元々これは、『シャイターン(悪魔)の門』の近くで発見された武器を改良して作られたものなのよ」

「ちょ、ちょい待ち! なんで『聖地』の話が出てくるのよ!?」

 慌てて私が口を挟む。

「あら。そういえば、あなたたち蛮人って、『シャイターン(悪魔)の門』のことを『聖地』って呼ぶのよね。もしかしたら、あなたたち知らないのかもしれないけど……そもそもザナッファーっていうのはね、あなたたちの大好きな悪魔ブリミルが、異界から呼び出した恐ろしい武器のことなの」

 それは知っている。私とサイトだけは。
 ルクシャナは、私たちの表情を見比べつつ、その点なんとなく理解したようで、

「……で、悪魔ブリミルの魔法の影響で、いまだに時々、『シャイターン(悪魔)の門』からザナッファーが飛び出してくるのよ」

 それは知らなかった。
 ……なるほど。そこに魔王を封じ込めたから、だけじゃなくて、『門』という言葉には、そういうニュアンスもあったわけね。
 しかし、だとすると……。
 ルクシャナの鎧も、元々はサイトの世界から来た、ということなのだろうか!?

「いや、俺の世界には、こんな技術はねえぞ!? 精神力を物理応用って……反則だろ」

 疑問を含んだ私の視線に、バタバタと手を振って否定するサイト。
 ルクシャナに目を戻せば、彼女はすました顔で、

「ひとくちに異界と言っても、けっこう色々とあるみたいね」

 ……そうか。
 言われて、私も思い出した。
 かつてヴィットーリオ=フィブリゾが、私やサイトの前で『世界扉(ワールド・ドア)』を使ってみせた時。
 あの場で見えたのは、たしかにサイトの世界だったが……。
 ヴィットーリオ=フィブリゾは、こうも言ったのだ。「『闇を撒くもの(ダーク・スター)』の世界か、あるいは『蒼穹の王(カオティックブルー)』の世界か、はたまた『白霧(デス・フォッグ)』の世界か、それとも……彼がやって来た世界か」……と。
 つまり、それは……。
 サイトの世界以外へ通じる可能性もあった、ということではないのか!?
 ならば、今ルクシャナが纏っている鎧も、『闇を撒くもの(ダーク・スター)』とか『蒼穹の王(カオティックブルー)』とか、どこか別の世界から流れ込んできた技術を用いて作られたということか……。

「なんだか……サイトたちと一緒に行動していると、頭の中の常識がガラガラと崩れていくね」

「あなたは元から常識なんてないでしょ、ギーシュ」

 ギーシュとモンモランシーが、何やらヒソヒソと言葉を交わしている。

「……世の中には知らない方が幸せ、ってことがあるのね……」

 うわあ。
 モンモランシー、達観しているなあ……と私が思った、ちょうどその時。

「……みなさん!」

 聞いたことのあるような声は、少し離れた場所から聞こえてきた。

「……ほえ……?」

 声の方へと顔を向ければ、通りを渡り、こちらへと向かう男が一人。

「よかった……探してたんですよ!」

 それは、私たちの知った顔……。
 ヴィンドボナで最初『命令だから』と言って門前払いをくらわせ、その後に私たちを助けてくれた、あの地味な兵士だった。

########################

「……なんて言うか……。事件はまだ、おさまってないみたいなんです……」

 名もない門番が口を開いたのは、街の片隅にある、人通りの乏しい場所でのことだった。
 本当ならば、こみいった話は安食堂で何か食べながら……といきたいところなのだが、さっきのデーモン襲撃で、いまだに街はゴタゴタしている。襲撃の恐怖もさめやらぬ中、街の人の前で、物騒な話をするわけにはいかなかった。

「みなさんが街を出て行ってから、街の中でいきなり立て続けに、レッサー・デーモンが出没し始めて……」

 彼の言葉に、思わず私たちは顔を見合わせる。
 ゲルマニアの首都の街中で……デーモンが発生!?

「ですから……もう一度みなさんのお力をお借りできないかと思って、あとを追ってきたんです」

 どうやら、ヴィンドボナへ戻ろう、という私たちの判断は正解だったようだ。

「もう少し詳しく話してくれる?」

「……みなさんが街を出た夜……街のあちこちで……レッサー・デーモンがいきなり出てきて……」

「あちこち……ってことは、何匹も?」

 私の問いに、彼は頷き、

「一カ所には一匹だったんですけど……同時に何カ所に出たのか……。デーモンなんていうのを見たのは、私はそれが初めてでしたが……あれは……」

 その時のことでも思い出したのか、彼は青ざめた顔で、しばし沈黙する。
 まあ無理もない。私たちから見ればレッサー・デーモンなどザコ扱いだが、普通のメイジや騎士にとってはシャレにならない相手である。

「……警備隊やら傭兵やら……色々な人の協力で、なんとか倒すには倒したのですが……その翌日です。街におかしな噂が流れ始めたのは」

「おかしな噂……?」

「はい。なんでも……城の出入りが出来なくなった、とか……」

「……は……?」

 一瞬、言われたことの意味が理解できず、私は小さく眉をひそめる。

「誰かが……城から閉め出しでも食らったの?」

「いえ……そうじゃありません。特定の誰かが、ではなくて、誰一人、城へ出入りできなくなったのです。……私は直接見たわけじゃありませんが、同僚の話では、前日の夕刻以降、城門は閉ざされっぱなしで、中の様子もわからないらしいのです」

「……何それ……? ひょっとして、デーモン出てきた時にも、城から増援は来なかったとか……?」

「……どうやら……そのようです……」

「……」

 私は絶句するしかなかった。
 普通に考えれば、一国の首都でデーモンなど出現しようものなら、即座に王宮から兵士が飛び出してくるはず。
 それが増援もなく、朝になっても門が開かない、ということは……。
 考えられる可能性は二つ。
 国王がよほどの根性なしか、あるいは、城の中で何かがあったか。
 しかしゲルマニアのアルブレヒト三世は、権力争いの果てに皇帝の座を勝ち取った、野心の塊のような男。前者の『根性なし説』は、少し考えにくい。

「……どう思う?」

 私は、モンモランシーとルクシャナに視線を向けた。
 どうせサイトには聞くだけ無駄だし、ギーシュはモンモランシーに、シルフィードはルクシャナに、それぞれ従うだけだろう。

「覇王将軍が倒れた後のヴィンドボナで起きたデーモン発生事件……そして閉ざされた王城……。魔族たちの計画と、無関係とは思えないわね」

 モンモランシーのつぶやきに。
 私もルクシャナも、同時に頷くのだった。

########################

 街は……静かだった。
 ただしこれは、平和の静けさなどではなく、恐怖と不安がもたらす沈黙……。
 私たちがここを発ってから、まだ十日と発ってはいない。
 以前には、道の端々に露店が並び、走り回る子供たちの姿があった。宮殿で騒ぎがあったとはいえ、無関係な庶民たちは、普通に暮らしていたのだ。
 しかし今は……露店の数もめっきり減って、通りを歩く人々も、不安に背中を押されるように、足早で行き去っていく。
 帝政ゲルマニアの首都、ヴィンドボナ……。
 門番の彼と出会ってから数日後、途中さしたるトラブルもなく、私たち一行は、この街へと辿り着いたのだった。
 本来ならこの街に入る時には、外壁の門で一応の出入りチェックがあるはずなのに、今はそこに兵士の姿もない。
 まあ、そこにいるべき門番の一人が、私たちと一緒に行動している時点で、他の連中に関しても推して知るべしなのだろうが……。

「……とにかく、どう動くにしても情報が欲しいわね。私たちが、そしてあんたが街を離れていた間に何があったのか……。どこか、色々と話が聞けそうな場所に心当たりある?」

「それなら……私たちが結構ひいきにしていた店がありますから、そちらにでも……」

########################

「……あれからも夜になると……時々デーモンが出てきやがる……ほとんど毎晩だ……。おまけに城は門を閉じたまま、増援どころか、何の命令もありゃあしねえ。……デーモンどもが恐くて閉じこもってんのか、それとも他に理由があんのか知らねえけどよ……」

 度の強い酒を一気に飲み干して、男は吐き捨てるように言った。
 街の一角にある、酒場兼食堂。
 店構えからすると、平民よりは貴族がメインの客層のようだが、今はガラの悪そうな連中がたむろしている。
 門番の彼が声をかけたのも、そんな中の一人だった。
 一応兵士の格好をしているので、彼の同僚なのだろう。だが、酒で濁りまくった目と、まばらに伸びた無精ヒゲのため、むしろゴロツキか野盗の類に見える。

「とにかく確かなのは……もうみんな、ヘトヘトに疲れちまってる、ってことさ……。街を出てく奴もいる。同僚も何人かは姿をくらました。俺だって行くアテがあれば、とっくに逃げてるぜ……」

「……その……城がずっと閉鎖されている理由について、何か噂とかは聞かない?」

「……噂なら聞くぜ。いくらでもな」

 私の質問に、男は苦笑しながら、

「王様が臆病風に吹かれて立てこもってる、ってのや、どこかの国の暗殺者にもう殺されていて、それがバレないように城を封鎖してる、って説。……この前スパイとして処断された女傭兵が実は生きていて、そいつの命令でやってる、って話もあるし、実はとっくに城の中はデーモンにやられて壊滅状態、って話とかな」

「……」

 男の投げやりな言葉に、私は他のみんなと顔を見合わせた。
 王様の臆病風とか暗殺とか、それならばゲルマニア一国の問題であり、私たちとしてはどうでもいい。
 しかし……もしも真実が、覇王将軍の生存やら魔族による王宮壊滅だったりした場合には、ハルケギニア全土に影響を及ぼす問題となる。

「城の中の様子って……何も伝わってこないの? 出入りの商人とかいたでしょうに……」

「だから……その出入りができねえんだから、話にならねえ。まさか壁越えて乗り込む、ってわけにもいかねえし。……いや実際に壁越えて入ってった奴もいるかもしれないが……だとしても、無事に戻ってきた奴はいねえ」

 ふむ。
 どうやら、この男から聞き出せるのは、これくらいか。

「ジャック……っていう傭兵がいたと思うんだけど。彼はどうしてるのかしら?」

 私の質問が尽きたところで、モンモランシーが横から問いかける。
 しかし男は首を振って、

「ああ、ジャックさんかい。傭兵連中は、結構そいつのことアテにしてたみたいだがな。そのジャックって奴も、デーモンが出てきた時は城の中にいたらしく……その後の消息は不明だ」

 なるほど。
 モンモランシーは、ジャックの力を借りることを考えたようだが、あのジャックも城内に閉じ込められている……ということらしい。

「……ありがと。助かったわ」

 一応の礼を言って、男との会話を切り上げる。
 彼の口ぶりから察するに、これ以上ここで聞き込みを続けても、有益な情報が手に入る可能性は低いだろう。
 それに、もしも新しい情報が手に入った場合でも、それが単なる噂なのか真実なのかを確かめるためには、結局のところ、王宮内の様子を知らねばならない。
 ならば……。

「やっぱり……城に忍び込んで調べるしかないわね。ちょっと乱暴なやり方かもしれないけど」

 まるで私の考えを読んだかのように。
 モンモランシーが、小さくつぶやいた。





(第三章へつづく)

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 原作「スレイヤーズ」を正確になぞるのであれば、門番はジャックに言われてルイズたちを探すことになるわけですが、少し思うところあって、その部分は改変しました。

(2011年10月30日 投稿)
   



[26854] 第十三部「終わりへの道しるべ」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/11/02 22:58
   
 双月が雲に隠れた夜空には、無数の星々が瞬くのみ。
 それは、空からの潜入をするには、まさにうってつけの夜だった。

「……明かりがあるわね……」

 竜の背に乗り空をゆく私たちと、同じペースで進みつつ、ルクシャナはポツリとつぶやいた。
 そう。
 私たちが目ざす先にある、城の施設。そのあちこちの窓からは、薄い明かりが漏れている。

「どうやら誰もいない、ってことはなさそうね」

 私の言葉に、そんなことは当然だろう、とツッコミを入れる者は誰もいなかった。
 なにしろ。
 空から見る限り、城の敷地内に人の姿は見えないのだ。
 いくら夜といっても、建物と建物の間を歩く者くらいいそうなものなのに、それすら見えないとくれば、ひょっとして城内の人間は全滅しているのかも……という心配が出てきても不思議ではない。

「……ところでルイズ……」

「ぅわひゃっ!? ちょっとサイト、いきなり耳元でしゃべらないで!」

「あ。すまんすまん」

 私たちは今、四人まとめてシルフィードの背に乗っている状態で、そのためサイトとは、かなり密着していた。
 ……四人というのは当然、私とサイトとモンモランシーとギーシュ。名もなき門番の彼は、足手まといなので連れてきていない。
 本当ならば、無理にみんなでシルフィードに乗せてもらう必要もないのだが、人間の飛行魔法では遅いからシルフィードに乗れ、とルクシャナが言い張ったので、こういう形になっている。
 まあ私たちとしても、呪文の精神力を節約できるからいいか、ということで反対はしなかった。
 乗り物扱いされたシルフィードも、特に気にしてはいないらしい。タバサの使い魔となって以来、背に誰かを乗せることには、慣れてしまったのだろう。それに何より、本来の竜の姿に戻った方が気持ちいいようで、なんだか嬉しそうに、きゅいきゅい鳴いている。

「……で、王宮に入るのはいいけどよ、一体どの建物から行くんだ?」

「……どの……って……。さっきみんなで相談したでしょうが。とりあえず、西の塔から入ろう、って。……もう忘れたの、サイト?」

「いや、忘れたわけじゃない。ちゃんと聞いてなかっただけで……」

 いばるな。
 ……と言いたいところだが、ここで騒ぎ立てるわけにもいかないので、それは後回し。

「でもよ。明かりがついてる、ってことは、人がウジャウジャいるんじゃないか、あそこ?」

 サイトにしては、もっともなことを言う。
 西の塔は、正門からは少し遠い場所にあり、それで侵入地点として選んだわけだが……。
 見れば。
 塔の下にある建物は、兵舎のたぐいであろうか。その窓から、かすかに明かりが漏れている。

「どうする? 予定を変えた方がいいかしら?」

 モンモランシーの言葉に、私は少し考えてから、左右に首を振る。

「人がいる……ってことなら、他の建物も同じでしょ。それに、誰もいないところを探し回ってみたって、情報は集まらないでしょうし」

「同感ね。慎重……といえば聞こえはいいけど、怯えているだけじゃ、いつまで経っても事態は進展しないわ」

 横を飛ぶルクシャナも、私の意見に頷いて……。
 そして一同は、西の塔……明かりの漏れる窓の方へと近づいていった。
 窓には不透明なガラスがはめ込まれ、中の様子は見えないようになっている。
 耳をそば立ててみても、中から音は聞こえない。
 かすかに気配はするのだが……それが人なのか、あるいは別の何かなのか。人だとしても、何人くらいなのか。まったくわからない。

「……どうする?」

 ごくごく小声で、皆に問う。
 応えたのは、サイトとルクシャナの視線。二人は同時に、チラリと建物の入り口に目をやった。
 ……つまり、入ってみよう、ということだ。
 他の皆も異存はなく。
 それを察したシルフィードが、扉の前に降り立つ。
 私たちが背から降りると同時に、『変化』の呪文で人間の姿となるシルフィード。

「……こら!」

「きゅい?」

 サイトやギーシュの目に触れぬよう、慌てて駆け寄り、服を着せる私。
 魔法で外見を変えるのだから、『服を着た人間』に化ければいいものを、このバカ竜はいつも、裸の女の姿になるのだ。

「ありがとう、ルイズ」

 シルフィードではなく、モンモランシーが私に礼を言う。

「やっぱり蛮人って、どこかおかしいわね。……で? どうするの?」

 ルクシャナに促されて、私は扉に近寄った。
 武装した兵士でも楽に出入り出来るくらいの、やや大きめの、鉄で補強された両開きの扉。カギは、ごくごく普通のタイプだが……。

「こういう場所の錠前が、『アンロック』で開くわけないわよね?」

 言いながら、一応、呪文を試してみるモンモランシー。
 すると。

「え? アッサリ開いた?」

「……いや。最初からカギは、かかってないのだよ」

 言葉と同時に、中から扉が開けられる。
 開いた扉のその先は、ちょっとした広間のようになっており……。
 そこに、あるいは座り込み、あるいは壁にもたれかかった兵士たち。その数、ざっと二、三十。

「……竜が飛ぶような音とか、ひそひそとした話し声とか、色々聞こえていたからな……」

 対応に出てきた兵士が言う。
 ……なるほど。私たちの存在、とっくにバレていたわけね。そのわりには、なんだかフレンドリーな感じもするのだが……。

「どうせあんたら、城の様子を知りたくて、外から来たんだろ」

「驚かないの?」

 そう尋ねるモンモランシーに、その兵士は、あごを指先でポリポリ掻きながら、

「ああ。外から入ってきたのは、あんたらで……何人目かは忘れちまったけど……とにかく、こういうのにはもう慣れちまったんでな。……ここだけの話、俺たちも今回の命令には、少々納得いかないものがあって……。まあ、いずれにしても、とにかく入ってくれ」

 予想外の対応に戸惑いながらも、私たちは扉の中へと入っていく。

「……悪いが扉は閉めてくれ。向こうから見えると、何かとうるさいんでな」

 彼は宮殿の方へ、チラリと視線を向けてから、再び私たちに戻し、

「話は一応、聞いている。城の外じゃ、色々と騒ぎが起きてるんだってな」

「『騒ぎが起きてるんだってな』じゃないわよ! 外じゃあ毎晩のようにデーモン出まくって、大変どころの騒ぎじゃないんだから! それをあんたらは、なんでこんなところで、他人事の顔してのんびりしてんのよ!?」

 私だって本当は他人から聞いた話なのだが、さも自分が経験したことのように、凄い剣幕でまくしたてた。
 兵士は少しひるみつつも、

「……し……仕方ないだろ! とにかく建物の外には出るな、というのが上からの命令なんだから! ……『城から出るな』じゃないぞ、『建物から出るな』だぞ!」

「へ? 何よ、それ?」

 城から出るな、ならば、まだ理解しやすいが。
 建物から出るな、ということは、ここの兵士たちは、この塔に閉じ込められている、ということだ。
 ……そりゃ、みんな嫌だろうなあ。家族にも会えないだろうし、食べ物も備蓄食糧じゃ美味しくないだろうし……。

「知らん、知らん。上に理由を聞いても『目的は極秘。いいから従え』の一点張りだ。もちろん逆らえば命令違反で牢屋行き……。もう、どうしろってんだ」

 彼は小さくため息ついて、

「……で、牢屋と言えば……その……実はな……。言いにくいんだが、命令はもう一つ出ててな……」

「……もう一つ……?」

 口ごもる彼の態度に、なんとなく予想はついたのだが。

「……その……外から入って来た奴は……みんな捕まえて牢に入れろ……と……」

 ざわっ。

 兵士の言葉に、その場の空気が変わる。

「それって……牢にぶち込まれたくなければ、実力行使で何とかしろ、ってことか?」

 いきなり横から口を挟んで、しかも言い出しにくいことをハッキリ口にするサイト。
 すでに手は背中の剣に伸びているのだが……。

「ちょっと待って! なんであなたたちは、いつもいつも荒っぽいことばっかり……!」

 彼の動きを止めたのは、モンモランシーの叫びだった。
 ……魔王だの覇王だの、伝説級の高位魔族ばかり相手にしていれば、そりゃ『荒っぽいこと』ばかりになるのも当然だわ……。

「ちょっと確認しておきたいんだけど。私たちもあなたたちも、ことの真相が知りたい、という立場は同じよね?」

 彼女の言葉に、兵士が頷く。
 ……ところで、さっきから私たちの相手をしているのは彼だけなのだが、この場を取り仕切る隊長なのだろうか。あるいは、面倒ごとを皆から押しつけられた貧乏くじなのか。

「……でもって、あなたたちにとって命令は絶対。その命令というのは、『外からの侵入者を牢に入れること』よね。『抵抗しなかった侵入者の装備を取り上げろ』とか『前に捕えた侵入者と新しい侵入者は別の牢にしろ』とは言われてないわよね?」

「……あ……」

 兵士が小さく呻いた。
 ……なるほど。さすがモンモランシーである。
 このモンモランシー、純粋なメイジとしての技量では、私たち一行の最弱と言ってもいいかもしれないが、その分、知恵でカバーすることがあるのだ。
 まあギーシュとコンビを組んでいる以上、必然的に頭脳労働担当となり、そっちの能力が自然に伸びただけかもしれないが。
 それはともかく。
 兵士の言葉によれば、私たち以前にも、外から侵入者が来ているのだ。当然、彼らも牢屋へ送られたのだろう。彼らは彼らで、私たちとも兵士たちとも、また違った情報を持っている可能性がある。そうした連中のところへ連れていけ、と、モンモランシーは言ったのだ。

「……確かに、そんな命令は受けていないなぁ」

 座り込んでいた兵士の一人が、白々しい声を上げた。

「とりあえず、理由もわからず閉じこもる、なんて生殺しみたいなマネは、もうこりごりだ。……あんただってそう言ってただろ、隊長さんよ」

 その視線の方向を見れば、呼びかけられたのは、私たちの相手をしてきた男。やはり彼が、この場の隊長だったようだ。
 隊長さんは、苦笑を浮かべてため息ひとつ。

「……ふむ。そうだな。なら話は決まりだ。早速だが、牢に案内……もとい『連行』させてもらうぞ?」

 問いかける彼に、やはり苦笑いで頷く私たち。
 そして、こうした一連のやりとりを黙って見ていたルクシャナが、ポツリと一言。ほとんど誰にも聞こえぬ程度の小声で、感想を漏らす。

「やっぱり……蛮人って面白いわね」

「きゅい」

 同意の声を上げるシルフィードは、なんだか嬉しそうな顔をしていた。

########################

 地下特有の、じめついた空気が鼻につく。
 階段を降りて、真っすぐ伸びた石の通路の先に、鉄格子の牢屋が並んでいた。

「……ジャックはいないみたいね」

 通路の左右の牢を見比べながら、モンモランシーがつぶやく。
 ジャックならば理不尽な命令に逆らって投獄されているかも……と、彼女は考えていたのだろう。

「まあ、牢屋はここだけじゃないんでしょうし」

「そうだ。他の建物にも、ちょっとした地下室とか牢とかあるから、そっちに連れてかれてる連中も多いだろうな」

 先導する隊長さんが、私の言葉を肯定する。
 並んでいる牢の中でどの牢に入るのか、私たちが選ぶのを、彼は待ってくれているわけだが……。

「……期待していた奴がいないからって、いきなり暴れたりしないでくれよ? 一応おとなしく捕まる、という約束だからな」

「大丈夫よ。知ってる人には会えなくても、それはそれで情報が得られるでしょうし」

 隊長さんを安心させるべく、私がそう言った時。

「……貴公らは……!」

 牢の一つから聞こえてきた声に、私たちは一斉にそちらを向く。
 鉄格子越しにこちらを見つめるのは、ひげづらの初老の男。

「知り合いか?」

 隊長さんの問いかけに、私たちは無言で首を横に振った。
 ひげづらの方では、私たちを知っているようだが……?

「まあ、いいわ。とりあえず……ここに入れてもらおうかしら。彼の話を聞いてみましょう」

########################

「……こう見えても、わしは古くからこの国に仕える将軍の一人でな……」

 やつれた表情で、初老の男は語り出す。

「……あの女傭兵ファーティマを処罰するにあたり、貴公らが力を貸した……。それくらいは知っておるのだよ。……ファーティマが消えた日の夜、貴公らがハルデンベルグ侯爵と共に城の中を走り回っていたのを、見ているのでな」

 ……そうか。あの夜……。
 私たちは確かに、何人もの騎士やメイジに目撃されている。
 むろんこっちは相手の顔などいちいち覚えていないが、向こうはしっかり覚えていたということか。特にそれなりの要職についていた者の中には、あとでハルデンベルグ侯爵に問いただしたものもいるのだろう。
 そして、この男もそうだとしたら……。

「わかったわ。それじゃ、まず最初に教えて欲しいんだけど……ハルデンベルグ侯爵って、今どこにいるの?」

 そう。
 私たちにとって、今この城の中で一番アテになるのは、おそらくハルデンベルグ侯爵なのだ。
 最初は出世欲だけの無能な将軍かと思われていたが、私たちと一緒に純魔族相手に戦えるほどの実力者だと、後で判明している。
 それに、覇王将軍のゴタゴタを片づけた後、将軍職は辞任したとはいえ、それでもまだ大臣や将軍たちへの影響力は残っているだろうから。

「ハルデンベルグ侯爵……か」

 彼は、ため息ひとつついてから、顔をしかめて、

「問題は……そのハルデンベルグ侯爵なのだよ」

「……どういうこと?」

「実は、な……」

 彼の話によると。
 ハルデンベルグ侯爵は、将軍職を辞したはずだったが……。いつのまにか、アルブレヒト三世のそばには常に侯爵がいるようになったのだという。

「それって!? まるで……」

「そうだ。まるで、かつてのファーティマのように、な」

 何か否定するかのように、小さく首を横に振りながら、彼は話を続ける。
 ……古参の将軍である彼が、今回の異常な状況を問いただそうとしても、アルブレヒト三世には取り次いでもらえなかった。
 ハルデンベルグ侯爵が出てきて、『話はわしを通せ』の一点張り。挙げ句に『閣下の方針に異を唱えるならば』ということで、投獄されてしまった……。

「……まったく。侯爵は、あのようなかたではなかったはずなのに……。まるで人が変わったようだった……」

「……人が変わった……ねえ……」

 横で小さくつぶやいたモンモランシーは、何やら考えこむような表情をしている。
 私の頭にも、ちょっと嫌な可能性が浮かぶ。
 ……元々ゲルマニアという国は、都市国家から広がって、諸候が利害関係で結び付いて出来た国だ。国王が始祖ブリミルの血を引いていないこともあり、アルブレヒト三世のことも、他国のように『陛下』と呼ぶのではなく、『閣下』と呼ぶ者が多い。
 そんな中、ハルデンベルグ侯爵は国王を『陛下』と呼んでいたはずなのだが……。今の話では、いつのまにか『閣下』という呼称に変わっている……。

「……まあ、いいわ。ハルデンベルグ侯爵の心変わりはともかくとして……それでもやっぱり、侯爵の居場所を教えてもらえないかしら? 今、宮殿の中にいるのでしょう?」

「おそらく……な。場所は……」

 私の問いに、すこし不思議な表情をしつつ。
 彼はザッと、宮殿のおおざっぱな内部構造と、ハルデンベルグ侯爵のいそうな場所を説明してくれた。

「だが……こんなことを聞いてどうするのだ?」

「……『脱獄』して彼に会いに行くのよ」

 スックと立ち上がりながら、キッパリ答える私。
 見れば、モンモランシーやルクシャナも頷いている。
 シルフィードは何も考えていないようだが、サイトやギーシュは困惑の表情を浮かべていた。

「……僕には話が見えないな」

「まったくだ。なあルイズ、今の話だと……侯爵さんは味方から敵に変わったっぽいじゃん。それじゃ、もう協力は得られないだろう?」

「だからぁ。なんで急に『変わった』のか、ってことよ」

 一応、詳しい事情を知らぬ者の前なので、漠然とした言い方にしておいた。これではサイトには通じないだろうな、とも思いながら。
 そこに、おそらく私と同じ想像をしているモンモランシーが、少し補足するように、

「ねえギーシュ、覚えてる? エギンハイムの事件の最後で、あの『ファーティマ』が……『アイーシャ』の姿になったこともあったでしょ。……自由に別人の姿になれる……そういう種類の敵と戦ってるのよ、私たちは」

「……あ!」

 ようやくわかったらしい。
 サイトとギーシュが、そろって声を上げた。

########################

「……ずいぶん早いな……。もういいのか?」

 サイトがデルフリンガーで鉄格子を斬り、私たち六人が牢を出て、階段を上がったところで。
 待っていたのは、あの隊長さんだった。

「ま、とにかく、こっちは話をつけておいたぞ」

「……話をつけた……って……」

 この建物にいる兵士が、今や全員、私たちの味方だということなのだろうか。
 かりにも私たちは、牢を『脱獄』してきた立場なわけだが。

「……いいの? そこまでやっちゃって」

「実を言うとな。俺は、あんたたちを見たのは今日が初めて、というわけじゃないんだよ……。俺も、あの女傭兵が消えた夜、城であんたらを見てるんだ」

 なるほど。牢にいた古参の将軍と同じパターンなわけだ。

「……だからな、あんたらなら、今のこの状況を変えてくれるかもしれん……と思ってな。……さ、とにかく行ってくれ。気をつけて、な」

 私たちは小さく頷くと、隊長さんが示した扉をくぐり抜ける。
 宮殿へ行くならば、こちらが近道なのだろう。
 少し進むと、広い部屋があった。
 そこには、数十人の兵士の姿。

「話は聞いたぜ。がんばれよ」

「何をどうがんばるのか、わかんねぇけどよ」

「けどあんまり派手にやって、俺らの仕事を増やすなよ」

 口々に声をかけ、笑う兵士たち。
 この辺りまでは、まだ先ほどの隊長さんの影響が届く範囲らしい。
 それにしても……よほど上の命令が不満なのか、あるいは隊長さんの人望なのか……。
 ともあれ、兵たちの声に送られて。
 私たちは部屋を通り抜けて、扉を開き、外へと駆け出し……。

「……え……?」

 思わず小さく声を上げ、私たち四人——私とサイトとモンモランシーとギーシュ——は足を止めていた。
 兵たちの集う広間の中で。

「……は……?」

「何だ? 今の……? たしか……」

 兵たちの間にも、ざわめきが広がる。
 なにしろ。
 私たちは六人は、その先にある宮殿を目ざして、庭に面した扉をくぐったはずなのに……。
 しかし今、ルクシャナとシルフィードを除く四人は、ここにいるのだ。

「……な……何が起こったのかな?」

 ギーシュの問いの答えを、私は知っている。私やサイトは、こういうのには慣れっこになっていた。

「……空間を変なふうに歪められたのよ……。たぶん……魔族に……ね……」

 ……ざわっ……。
 私の発した『魔族』の一言に、兵士たちにざわめきが大きくなる。
 そんな中、ギーシュは笑みを浮かべて、

「……なるほど……理屈はわからないが、戦力を分断された、ということか。ならば、敵の狙いは……あの二人か、あるいは僕たちか……」

「……むろん……その両方だ……」

 彼のつぶやきに応えるように。
 天井から、くもぐった声が降ってきた。

「……ひっ……」

 兵士の何人かがそちらに目をやり、小さな悲鳴を上げる。
 ……天井から、逆さまに生えた女の首を目にして。
 私も、小さくつぶやく。

「出たわね。……魔族……ミアンゾ」

########################

 ザバァッ!

 水柱が吹き上がり、天井にはりつく魔族へと迫る。
 モンモランシーが、問答無用で戦いの口火を切ったようだが……。
 
 バシャッ!

 ミアンゾは口から水球を吐き出し、水柱を迎撃、四散させた。

「……うわぁぁぁぁぁっ!?」

 その音を合図に、兵士たちの間にパニックが起こる。
 ここヴィンドボナの兵たちの中には、ハルケギニアの一般的な人々とは違って、前の事件の時に魔族を目にした者も多いはず。だが、こいつは外見が外見なだけに、精神的なインパクトが大きいらしい。
 槍や剣を手に取り、慌てて構える者。とにかく杖を振る者。そばの扉を開けて迷わず逃げ出す者……。
 しかし、剣や槍では高い天井までは届かない。魔法は届くものの、こんな場所に下級兵士として配備されているメイジの魔法では、さほど効果もない。
 逃げ出した兵は、空間を変なふうにいじくられているせいで、部屋の反対側の扉から再び出現。混乱をますます大きくする。
 そして。
 ミアンゾの根の一部が、モコリと膨れ上がった。

「また『頭』を生み出すつもり!?」

 ふくれたコブは、女の頭の大きさをはるかに超えて膨れ上がり……。

 ぶぢゅるっ……。

 嫌な音と共に弾けると、中から黒っぽい塊を、下の床へと産み落とした。

「……魔族が……魔族を生んだの!?」

 モンモランシーの驚愕の声。
 床に着地したそれは、ゆっくりとその場に立ち上がっている。
 人間よりも頭一つ大きく、しかし全身は干からびたように痩せ細り、異様に黒く染まっていた。
 たしかに、一見すると彼女の言うとおりなのだが……。

「違うわ。……一匹が、もう一匹の体の中に隠れてたのよ」

 私が冷静に解説する横で。

「う……うわぁぁぁっ!」

 いきなり真っただ中に出現されて、パニックを起こした兵たちが、槍を、剣を、杖を、黒い魔族に向かって突き出す。

 ドドドドッ!

 鈍い衝撃音。
 いくつかは目標をそれて、仲間の兵士たちを傷つけるが、頓着する者はいない。
 兵士たちの武器の群れに、魔族はアッサリと全身を貫かれ……。
 ニイッと口の端を歪めた。
 笑みの形に。

「……逃げて!」

 私が叫ぶが遅かった。
 兵士たちが身を引くより早く。

 ドジュッ。

 黒い魔族の両手ひと振りで、濡れた重い音を立て、兵士たちの数人が床に転がる。……人から肉塊に変わり果てたものたちが。

「きさまっ!」

 デルフリンガーを構えて、黒い魔族に斬りかかるサイト。

 ギンッ!

 しかし彼は大きく跳び退くと、手にした剣を横手に向かって振るっていた。
 そばに立てられた全身鎧の中から生えた、銀の刃を迎え撃つために。
 ……まだ出てくるのか……!?
 銀の刃の本体は、サイトと刃を合わせたままで、鎧の中から滲み出る。
 三匹目の奴は、銀色の昆虫のようなシロモノ。ただし大きさは、人の背ほどもあり、虫の胴体にあたる部分には、内蔵を無茶苦茶にこねくり回したかのような、得体の知れない器官だけがぶら下がっている。

「きけけけけけけ!」

 奇妙な鳥のような声を上げ、黒い魔族が横からサイトに迫る。
 そして……。

 ドッ!

 その腕のひと薙ぎを払ったのは、ギーシュの青銅ゴーレム『ワルキューレ』だった。

「ぞろぞろ出てくるとは! 数が多ければいいってわけでもないだろうに!」

 ずらりと七体のゴーレムを従えて、吐き捨てるギーシュ。
 彼を警戒したのか、黒い魔族は後ろに跳んで間合いを取る。
 ……こうした攻防の間、私とモンモランシーも、ただ眺めていたわけではない。
 モンモランシーは、天井のミアンゾに向けて水の塊を放ち、

「エオルー・スーヌ……」
 
 わざと一瞬タイミングをずらして、私も杖を振る。
 天井にはりついたままでは、かわせないはずだが……。

 ずるりっ。

 迷わずミアンゾは、天井から剥がれて床に落ち、これを避ける。
 二人の呪文は天井を打ち、その部分が壊れてガラガラと崩れてくるが、魔族には痛くも痒くもないと見えて、どこ吹く風。
 ミアンゾは口から水を吐き出し、周囲を薙ぐ。しかし、もう天井にいた時とは違うのだ。

 ぢゅぶ。

 兵士の槍が女の頬へと刺さり、水流は収束力を失う。水の斬撃は、ただのシャワーとなって、辺りに水を撒き散らすだけ。

「……チャンス!」

 杖を構えて呪文を唱えながら、私とモンモランシーが歩み寄るが……。

「……!?」

 瞬間。
 私は床を蹴り、モンモランシーに体当たりをかける形で横へと跳んだ。
 刹那、たった今まで二人がいた空間を、白い手刀が貫いてゆく。
 その手の持ち主は、ゆっくりとミアンゾの中から這い出してきた。

「……四匹目の……魔族……」

 それは四本の腕を持ち、かわりに頭のない、真っ白な魔族だった。

「……よけたか……? 今のを……?」

 白い魔族が驚愕の声を上げる。
 確かに今のは危なかった。見切ってかわせる間合いでもなかった。そこまで私たちが近づいてから、敵は攻撃してきたのだ。
 ただ一瞬……はてしなく嫌な予感が背中を駆け抜け、とっさに体が動いただけ。
 しかし、そんなことを説明してやる義理はない。答える代わりに、私は杖を振り、エクスプロージョンの光球を放った。

########################

 サイトは圧倒的に不利……のはずだった。
 六本足の魔族は、うち三本を脚として、残り三本を刃として、サイトに斬りかかる。
 スピードも切れ味も申し分ない、別々の方向からの三連撃。
 いくらサイトがガンダールヴとはいえ、これでは、さすがに捌くだけで精一杯。確実に、彼は圧されていた。
 しかし……。
 魔族たちの間違いは、敵は私たち四人だと思い込んでいたこと。

「……せぇいっ!」

 気合いと共に、兵士たちが一斉に槍を突き出す。
 彼らなりの精神力はこもっているようだが、それでも魔族にしてみれば、虫にさされた程度の感じなのだろう。
 ただし。
 幾本もの槍は、銀色の魔族の脚にからみつく。
 ダメージは与えられずとも、魔族が物理的に具現している以上、その脚の動きを一瞬止めることは可能である。
 そして、その一瞬は、サイトにとっては十分な時間だった。

「……はっ!」

 ザンッ!

 サイトの剣デルフリンガーが閃く。
 それは槍の穂先ごと、魔族の脚を、本体を斬り裂いていた。

 きゅうううぅぅうううっ……。

 まさに虫が鳴くような断末魔の悲鳴を上げて。
 銀色の魔族はバラバラに崩れ落ち、陶器のごとく砕け散る。

「助かった!」

 兵士たちに礼の言葉を投げてから、サイトは身をひるがえしてミアンゾに向かう。

########################

「甘いな……」

 エクスプロージョンの光球を前にして、余裕の言葉を吐く白い魔族。
 こんなもの軽々と避けられる、ということなのだろうが……。

「ぐわっ!?」

 予想もしなかった方角から魔法をくらって、その動きが一瞬止まる。
 ……有象無象の兵士たちが放った魔法だ。
 もちろん、たいした威力ではない。それは白い魔族にダメージを与えたわけではなく、ただ驚かせただけ。
 それでもギリギリで私の光球を回避し、

「……まったく……驚かせる……」

 その口調に、もう余裕の色はない。
 兵士たちの魔法など痛くも痒くもないとはいえ、その爆圧に押されればどうなるのか、今ので身に染みたらしい。
 ……だが。

「安心するのは早いわよ」

 あぎあぃぃぃぃぃぃぃぃっ!

 後ろで上がった悲鳴に、慌てて白い魔族が振り返る。
 そこにあるのは、エクスプロージョンの直撃を食らったミアンゾの姿。
 ……そう。私は白い魔族を狙うフリをして、実は、その向こう側にいるミアンゾを狙っていたのだ。
 ミアンゾはミアンゾで、槍を突き刺してくる兵士たちを相手にしており、まさか別の魔族越しに強力な魔法が飛んでくるとは、思ってもみなかったらしい。
 苦悶の悲鳴を上げるミアンゾに、とどめとばかりにモンモランシーが魔法を撃ち込む。
 この状況では、回避も迎撃も出来ない。
 ミアンゾは、ついに灰の柱と化す。

「……バカな……!?」

 うろたえる白い魔族に。
 ミアンゾの死骸を薙ぎ砕きながら突進してきたサイトの剣が、グサリと突き刺さった。

########################

「……数で圧すというのは……」

 ザズッ!

 ワルキューレたちの槍が、四方八方から魔族を貫く。
 ギーシュの青銅ゴーレムなど、黒い魔族が手をひと振りするだけでおしまいなのだが、さすがに七体一では勝てなかったようだ。
 魔族に致命傷を与えることは出来ず、その数を半分近くに減らしながらも、ゴーレム部隊は、しっかりとその役割を果たしていた。
 ……すなわち、ギーシュのために魔族を足止めする、という役割を。

「……こういうことなのだよ!」

 ギーシュの『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』が、黒い体を斬り裂く。
 ……さしたる苦労もせずに、彼が黒い魔族をうち倒したのは、ちょうど白い魔族が消滅した時だった。
 こうして……短い戦いは終わった。

########################

「……つ……強い……」

 半ば放心状態で、兵士の一人がつぶやいた。
 危ないところは多少あったが、戦いが始まってから、さしたる時間は経っていない。
 魔族を相手にするには、コツがあるのだ。
 すなわち。短期決戦、一撃必殺、不意を突く。
 私やサイトは当然として、ギーシュやモンモランシーにしてみても、だいぶコツがのみこめてきたようだ。ギーシュなど一見、物量作戦に出たようにも見えるが、あれはあれで『一撃必殺』の原則にしたがっている。
 ……とはいえ今回は、魔族たちが数に入れてなかった兵士たちのおかげ、という部分もあったのだが……。
 その兵士たちの被害は、けして軽いものではなかった。
 無傷の者もいるが、ひどい手傷を負っている者は多いし、もはや確かめるまでもなく絶命している者もいる。

「……こっちを診てくれるか?」

「……すまん……こっちも……」

 治療して回るモンモランシーに、あちこちから声がかかる。
 ……戦い終わったばかりだというのに……。

「なんか……モンモランシー、戦ってる時より活き活きしてるような……」

「彼女はそういう人間なのだよ、サイト。……彼女は『水』の使い手、癒さなくっちゃ気がすまないモンモランシーだからね」

 ちょっと誇らしげに語るギーシュ。
 ……兵士たちの中にも『治癒(ヒーリング)』の呪文が使える者はいるようで、彼女と一緒になって忙しそうに治療して回っている。
 呪文が使えない兵士も、隣の部屋へ秘薬や包帯を取りに行き……。

「持ってきました!」

「それじゃ、あなたは向こうの人を……って、取って来れたの!?」

「……!」

 モンモランシーの言葉に、皆がざわめく。
 今さらながら、ようやく気がついたのだ。
 空間を歪めてこの部屋を孤立させていた、あの妙な結界が消えていることに。

「出られるのか!? この部屋から!?」

 兵士の一人が声を上げ……中庭に続く扉から外に……。
 出た。

「……なら……あんたらはもういい。行ってくれ」

 別の兵士が、私たちに向かって言う。

「ケガの手当てなんぞ、俺たちでも何とか出来る。けどな……さっきみたいな魔族たちが城で暴れてるんだとしたら、なんとか出来るのはあんたたちだけだ」

「……そうだ……行ってくれ……た……のむ……」

 かすれた声は、魔族の攻撃で腹を薙がれた男のもの。

「……おれ……たちは……大丈夫……だから……」

「なあ。あんたらが今の状況をなんとかしてくれたら、こいつらをちゃんとした医務室に連れていくことも出来るようになる。だから……」

「わかったわ」

 頷きながら、モンモランシーが立ち上がる。
 そして私たち四人は、中庭へと向かった。
 兵たちの視線を背中に受けながら……。





(第四章へつづく)

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 番外編ならばともかく、本編では、原作にない固有名詞は使いたくない……と思っていると、モブキャラ扱いの名無しの登場人物が増えてきます。

(2011年11月2日 投稿)
   



[26854] 第十三部「終わりへの道しるべ」(第四章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/11/05 22:44
    
 外には、闇と満天の星。

「……いないな……あの二人……」

 辺りを見回し、つぶやくサイト。
 そう。
 魔族の空間に閉じ込められた際にはぐれた二人、ルクシャナとシルフィードの姿は、どこにも見当たらない。

「まさか……やられてしまったのではないだろうね?」

「ちょっと、ギーシュ! あなた、何不吉なこと言ってるの!?」

 モンモランシーに怒られるギーシュ。
 その可能性もゼロではないのだろうが……。
 ここは、もう少し前向きに考えたいところだ。

「……私たちと同じように、変な空間に閉じ込められて……まだ戦ってるんじゃないかしら?」

「でもよ、もう結界はなくなったんだろ? こうして俺たち、中庭に出られたわけだし」

 生意気にも私の意見を否定するサイトに、私はムスッとした顔で、

「バカね、サイトは。私たちを閉じ込めた結界と、シルフィードたちの結界と、同じ魔族がやってるとは限らないじゃない」

「ああ、そうか」

 まあ、本当に『結界に閉じ込められている』というのが正しい、と仮定した上での話であるが。
 出てきた魔族を倒した段階で結界も消えた以上、あれは奴らが張った結界だったはず。ならば、ルクシャナやシルフィードの方も、彼女たちと戦う魔族が、こちらとは別に結界を用意した……と考える方が、自然ではあるまいか。

「それとは別に……私たちを置いて先に行った、とも考えられるわね」

 新たに別の可能性を提示するモンモランシー。
 ……しかしともあれ。
 ここでこうしてウダウダと、二人のことを案じていても仕方がない。

「まあ、何にせよ。私たちの取るべき行動は一つでしょ」

 言って私は視線を向けた。
 闇の奥に佇む宮殿に。

########################

 扉の奥……宮殿の中は静まりかえっている。
 宮殿の裏口にあたる西の扉。
 私たちはそこに佇んで、中の様子をうかがっていた。
 静かだということは、少なくとも、中でエルフや竜が大暴れ……というわけではなさそうである。

「……とりあえず……そばには誰もいないみたいだぞ」

 扉にはりつき、中の気配を感じ取り。
 サイトが押し殺した声で言う。
 それを受けて、モンモランシーが『アンロック』の呪文を唱えるが……。

「ダメみたいね」

 さすがにメインの宮殿だけあって、簡単には開かないようだ。
 ふむ。ならば……。

「サイト、扉の隙間から、錠前だけ斬れる? 扉自体は壊さずに」

「……やってみる」

 私のかなりムチャな要望に応えて。

 ……キン!

 彼の気合いと共に、銀光が闇に残像の弧を描く。
 あっさりと……扉の鍵は断たれた。

「ま、これくらい相棒にゃ簡単な話だな」

「お前のおかげだよ、デルフ」

 剣の褒め言葉に返しながら、サイトはゆっくりと扉を開く。
 入ったそこは、ロビーのような広い空間で、反対側には、宮殿の奥へと続く廊下がのびていた。
 辺りには、やや光量を抑えた魔法の明かりが灯されているが、人の姿は見当たらない。

「ここって……裏口とはいえ、一応、宮殿の出入り口なのよね? そこに見張りの一人もいないなんて……」

「確かに妙だね。罠ってやつかな、これは」

 モンモランシーの言葉に、ギーシュが首を傾げる。

「いずれにしても行くしかないでしょ」

 私がうながせば二人も頷き、四人は、先ほどの古参将軍に教わった道を進み始める。
 長くのびた廊下には、相変わらず人の姿はない。
 廊下の左右に並ぶ扉も、ただ沈黙を保ち続けていた。
 そして正面、廊下の突き当たりには一枚の扉。
 予定では、そこを通って奥へ行くことになっているのだが……。

「待て」

 扉に近づいたところで、サイトがつぶやく。
 いち早く、敵の気配を察知したようだ。

「誰かいるのね?」

「誰か……っつうより、何かいる」

 正面の扉に目をやったまま、言うサイト。
 私たちの間に、緊張の糸が張りつめる。
 ……待つのは人間ではない、ということだ。

「……といっても、回り道するわけにいかないわね」

「確かに。迂闊に動き回って、後ろをつかれたり挟撃されたりするより、正面から当たった方がマシかも」

 私の言葉に頷きながら、珍しくモンモランシーが豪気なことを言う。
 これで話は決まった。
 誰からともなく、再び歩き出し……。

「……鍵は開いておる。そのまま入りたまえ」

 声は、扉の奥から聞こえた。

########################

 そこは、ちょっとした広間のようになっていた。
 何のための部屋かは不明だが、部屋の四方には扉があり、奥には上へと続く階段もある。左右の扉の上には、テラスのようになっている通路があるが、これは二階へ通じているらしい。
 そんな部屋の真ん中に、二人が立っていた。
 一人は、白いカイゼル髭が特徴的な、がっちりした体格の男。角のついた鉄兜をかぶっているが、それで顔が隠れているわけではない。男の顔は、私たちにも見覚えのあるものだった。

「どうした、おまえたち。そんな顔をして……。久しぶりの再会ではないのか?」

 口元に笑みを浮かべながら言う顔は、前の事件で肩を並べて戦った、ハルデンベルグ侯爵のもの。
 しかし、その気配は彼のものとは違う。

「何が『久しぶり』よ。しらじらしいこと言っちゃって」

「そうか。しらじらしいか。……やはりな」

 私の言葉を否定することもなく。
 その『ハルデンベルグ』は、小さく頷いてみせた。

「ならば、こう名乗るべきかな? わしは、表向きはハルデンベルグとして城で活動している……サーディアンという魔族だ」

 開き直って『魔族』と宣言するサーディアン=ハルデンベルグ。
 ……まあ、彼が魔族にすり替わっていたことは、こちらとしても予想済みなので、そうは驚かない。
 それよりも、驚くべきことは……。
 サーディアン=ハルデンベルグの後ろに立つ者へ、私は視線の向きを変えた。
 まるで、それに呼応するかのように、

「なんだ、その目は? ここに俺がいるのが、そんなに不思議か?」

 言われて、私はチラリと左右に目をやった。
 ……なるほど、今の言葉は私に向けたものではなく、むしろギーシュとモンモランシーに対するものか。
 驚愕を表情には出さなった私とは異なり、二人は、目を丸くして、口をあんぐりと開けていたのだ。
 満足に返事もできないであろう二人に代わり、

「……まあね。さすがに……ジャックまで取ってかわられてるとは思わなかったわ。あのジャックがアッサリやられてるだなんて……あんたたち、意外に強いのね」

 目の前にいる者……『ジャック』の姿をした魔族に向かって、私は軽口を投げかけた。

########################

 正直な話。
 向こうが城のお偉いさんに化けている以上、『私は人間だ』とシラを切り通されて兵士でも呼ばれた日には、かなり困った状況になるのだが……。
 そういう意味では、こうして堂々と正面から戦いを挑まれる方が、まだやりやすいかもしれない。

「……こりゃ……よっぽど自信があるみたいだな……」

 ポツリとつぶやくサイト。
 そうだ。
 ……城の兵も呼ばず、レッサー・デーモンやら部下の魔族やらも用意していないのだ。自分たちだけで、私たち四人を片づける自信があるのだろう。

「うむ。今回は騙し討ちをする必要もない。ならば、戦いを楽しみたいのでな。わしとファリアールだけで相手してやろう」

「俺としては、そんな面倒なことせず、下級魔族どもも使ってやればいいと思うんだけどな。……せっかく覇王将軍シェーラ様の発案なされた技法で、大量にデーモンも造り出したわけだし」

 サーディアン=ハルデンベルグの言葉に、『ジャック』の姿をした魔族が肩をすくめる。
 ……まるで人間のような仕草だ。だが、騙されてはいけない。奴は魔族なのだ。

「モンモランシー! ギーシュ! いつまでもポカンとしてちゃダメよ! ジャックの顔をしてるけど……それこそが、ジャックの仇である、ってことなのよ!」

「わ、わかってるわよ!」

「そうだな……ルイズの言うとおりだ」

 私の叱咤に、二人がちゃんと動き出したのを確認してから。
 チラリとサイトに、目で合図する私。
 小さく頷いて、サイトが走り出す!

「おっ、人間にしては素早いな!」

 面白いと言わんばかりに、魔族が声を上げる。
 サイトが斬りかかった相手は、ファリアール=ジャック。モンモランシーとギーシュの様子を見て、この魔族はサイトと私で相手するべき……というのが、私たち二人の共通の判断だった。
 ファリアール=ジャックは、まるで人間のメイジがやる『ブレイド』のように、杖に魔力を纏わせて刃とする。
 サイトとファリアール=ジャックとの間が一気に詰まり、互いの剣がくり出されようとしたその刹那。

 ……ヒュッ……。

 サイトの真横にサーディアン=ハルデンベルグが出現! 空間を渡ったのだ!
 サーディアン=ハルデンベルグは、瞬時に魔力球を生み出し、サイトに向かって……。
 放つよりも一瞬早く。
 魔族すら驚かせる神速で、サイトが大きく後ろに跳び退く。

「……何!?」

 サーディアン=ハルデンベルグが驚愕の声を上げた時には、既にその手から光球は解き放たれていた。
 サイトがいきなり退いたせいで、ちょうど一歩深く踏み込んだファリアール=ジャックは、さっきまでサイトがいた場所……つまり光球の行き先に飛び込んだ!
 しかし。

 バジュッ。

 魔族は光を、杖で払いのける。

「何やってんだ、サーディアン!」

「すまん!」

 とはいえ、これで一瞬、ファリアール=ジャックの腹はガラ空きになった。
 すかさずサイトが踏み込み、刃の軌跡が弧を描き……。

 ……スッ……。

 ファリアール=ジャックの姿が消える。空間を渡って逃げたのだ。

「……おっと」

 何もない空間に斬りつけたサイトは、少し足がよろめく。
 サーディアン=ハルデンベルグの隣に出現したファリアール=ジャックは、二人そろって、サイトめがけて魔力球を放とうと腕を伸ばし……。

「二人がかりでサイトをやろうというのか!」

 そうはさせじと、ギーシュが七体の青銅ゴーレムを突っ込ませる。
 ゴーレムだけではない。ギーシュ自身も、赤い魔力の刃を手にして斬りかかってゆく。
 これを迎え撃つファリアール=ジャック。
 一方、サーディアン=ハルデンベルグは、突然サイトからこちらへ狙いを変えて、無数の光球を解き放った。

 ズゴゴヅゴゴォッ!

 跳び退き、身をかわした私とモンモランシーの足もとに、光が突き刺さり、小さな爆発を繰り返す。

「何よ! フェイントのつもり!?」

 サーディアン=ハルデンベルグに対して叫ぶが、爆煙の向こうに、サーディアン=ハルデンベルグの姿は見えない。
 ……また空間を渡ったか……!?
 悟った瞬間、私もモンモランシーも呪文を唱えながら走り出していた。
 私たち二人がギーシュへと駆け寄るのを見て、サイトは片脚を軸に回転し、剣を横薙ぎに振るう。
 振るった剣のその軌道上に……サーディアン=ハルデンベルグが出現した!

「……がああああっ!?」

 出現した途端に腹を横薙ぎにされ、サーディアン=ハルデンベルグは大きく後ろに跳び退る。

「なに自滅してるんだ、サーディアン!?」

 ギーシュと斬り合いながらファリアール=ジャックが叫ぶが、仲間の魔族の方には、返事をする余裕もなかった。

「……ば……馬鹿な……」

 慌てて間合いを取りながら、まともに動揺の色を浮かべるサーディアン=ハルデンベルグ。
 ……どうやらこいつ、私たちを甘く見すぎていたようである。
 さきほどファリアール=ジャックが空間を渡ってサイトの攻撃を避けた際、出現ポイントは、私たちの誰からも離れた地点であった。私たちの間近に出現した場合のリスクを考えた上での行動だろう。
 一方、サーディアン=ハルデンベルグは、さっきサイトの真横に現れて攻撃を仕掛けていた。リスクなど頭になく、ただ不意を突くことしか考えていなかったのだ。
 ならば今回も同じであろう、と予想するのは簡単だ。
 すなわち、誰かの真横あるいは背後に出てくる、ということ。
 もちろん、誰のところに現れるのか、そこまでは予測できないのだが、誰であってもすぐに対応できるよう、私たちは動いたのだった。
 私とモンモランシーは、すぐ背後をつかれないためと、ファリアール=ジャックと剣を合わせて動きの取れないギーシュのところに出た場合のフォローのため、という二つの目的で。
 サイトは、自分の後ろを取られた際、そのこと自体が反撃につながるように。
 そしてサーディアン=ハルデンベルグは、彼にとっては最悪の出現場所を選んでいたのだ。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 サイトから間合いを取ったサーディアン=ハルデンベルグ目がけて、私が魔法をぶちかます。
 最初の想定とは違うが、ギーシュが一人でファリアール=ジャックを抑え込んでくれている間に、弱っている片方を倒してしまった方がいい。

 ボッ!

 今度は空間を渡らず、その場に留まったまま、迫り来る魔法を片手で叩き落とすサーディアン=ハルデンベルグ。
 人間の魔法など、力のある魔族にとっては致命傷ではない……と考えて、だから手で払いのけたのだろう。
 しかし。

「……ぐあっ!?」

 虚無のメイジの正式なエクスプロージョンを、そんじょそこらの魔法と同一視されては困る。
 片手で払いのけるには、いささか荷が重かったのだろう。予想外のダメージに、サーディアン=ハルデンベルグがひるんだ瞬間。
 爆煙を貫き、突っ込んでゆくサイト。その剣は魔族を袈裟がけに薙ぎ、三度目の悲鳴を上げさせた。
 同時に、サーディアン=ハルデンベルグの足もとから立ちのぼる水柱。タイミングを合わせた、モンモランシーの魔法攻撃だ。
 さらに、とどめとばかりに返す刀で、サイトが次の一撃を入れるより一瞬早く。
 たまらずサーディアン=ハルデンベルグは、虚空に姿をくらます。
 出現したのは、全員から間合いを取った、部屋の端。

「おい、サーディアン!」

 ギーシュとそのゴーレムたちを相手にしていたファリアール=ジャックが、やはり空間を渡って、仲間の魔族の元へと駆け寄った。

「だから言ったろう、油断するな、と……。こいつら、シェーラ様を倒したのは、偶然や幸運だけではないぞ!」

 だがサーディアン=ハルデンベルグは、ファリアール=ジャックの言葉など耳に入ってはいない。
 その形相は、憎悪に大きく歪んで……。
 ……いや。
 異形と化していた。
 まぶたの奥にもはや目はなく、ただ黒い空洞があるのみ。
 髭や髪や鉄兜だったものは、ねじくれた黒い突起の集合体に変わっていた。
 これがこいつの本当の姿……というわけではないだろう。ダメージを受け、人間そっくりの姿を取り続けることが難しくなったのだ。

「……きさまら……」

 サーディアン=ハルデンベルグの口ぶりから、余裕の色は消えていた。
 そして、この時。

「あら、こんな連中相手に苦戦してるの? しょせん悪魔の末裔といっても、やっぱり蛮人は蛮人なのね」

 馬鹿にしたようなその言葉は、なぜか頼もしく聞こえた。

########################

「……何っ!?」

 声を上げたのは、サーディアン=ハルデンベルグか、はたまたファリアール=ジャックか。
 振り仰ぐ視線のその先、二階テラスの手すりの上に、スックと立った影ひとつ。

「エルフだと!? まさか……あの戦力をもう突破したのか!?」

 ファリアール=ジャックの驚愕に、ルクシャナは余裕の笑みを浮かべ、

「私がここにいる……ということは、答えは一つ。そうじゃなくて?」

 なるほど。やはり彼女たちも、どこかで魔族たちと戦っていたらしい。
 ルクシャナは、タンッと手すりを蹴って宙に舞い、軽い羽のようにフワリと、一階の床に降り立った。

「……ならば……あのオマケの竜も……」

「オマケ扱いは酷いのね。きゅい」

 サーディアン=ハルデンベルグのつぶやきに、声は、つい今しがたまでルクシャナのいたあたりから聞こえた。

「当面の戦力は一掃したの。……というわけで、そろそろ話して欲しいのね。お前たち魔族が、いったい何を企んでいるのか」

 言いながら、シルフィードは階段を降りてくる。
 魔族は二人とも、彼女の質問を無視。
 ファリアール=ジャックは、無言でルクシャナを睨みつけ……。
 刹那、彼女の眉が小さく歪み、その胸のあたりが一瞬ブレて見える。
 ただそれだけだった。

「……きさま! 空間を……!」

 ファリアール=ジャックの焦りの色が深くなる。
 見ただけでは何が起こったのか判りにくいが、おそらく、空間そのものを使った攻撃を仕掛けて……ルクシャナの鎧で防がれたのだろう。

「ならば……」

 サーディアン=ハルデンベルグのつぶやきと同時に。

 ギュギィィィィッィッ!

 耳ざわりな音を伴って、ルクシャナの近くが歪んで見える。
 精神世界面からの攻撃を『鎧』がガードして、その力の余波が、こちらの空間に干渉してる……といったところか。
 その状態を保ったままで、サーディアン=ハルデンベルグは、ルクシャナ目ざして跳んだ。
 ……精神世界面と物質面とでの挟撃だ!
 ファリアール=ジャックも援護の気配を見せるが、それを牽制するために、サイトとギーシュが斬りかかってゆく。
 そして……。

「ぎあううううううううっ!?」

 絶叫するサーディアン=ハルデンベルグ。
 私の放ったエクスプロージョンが直撃したのだ。ルクシャナたちの出現に動揺し、私たちの存在を忘れるとは……やっぱりこいつは人間ナメすぎである。
 こうなってしまえば、精神世界面からの攻撃も緩むのだろう。目に見える歪みも一瞬、途絶えた。
 ルクシャナは、その隙を逃さず……。

「封印解除! ゼナフスレイド!」

 空間を渡り、魔族自身の体から生まれ出る、光の衝撃波。
 断末魔すらなく、サーディアン=ハルデンベルグは完全に消滅した。

「……これで、残ったのはお前だけなのね」

 ファリアール=ジャックに向かって言い放つシルフィード。
 ……この戦いで彼女は何も貢献していないのだが。

「フン。俺一人になろうと……やることは変わらんぞ! しょせん我ら魔族と、きさまら生きとし生ける者とは……ぐわっ!?」

 サイトとギーシュとギーシュのゴーレムたちを相手に斬り合いながら、空間を渡って逃げることもせず、さらにシルフィードの話に応じるというのは、さすがに無理だったのか。
 ギーシュの『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』が魔族の腹を薙ぎ、ファリアール=ジャックは苦悶の声を上げた。
 そこに。

「さすがに一匹くらいは……俺たちで倒さねーとな!」

 サイトが魔剣デルフリンガーを一閃。
 魔族の首を——ジャックと同じ顔をした首を——斬り飛ばした。

########################

 ……トサッ……。

 倒れた体は黒灰色に変色し、崩れるように消えていく。
 それが、ファリアール=ジャックの最期だった。
 戦い終わって。
 モンモランシーもギーシュも、そしてサイトも、ただ無言で立ちつくしている。
 短い間とはいえ、私たち四人は、ジャックと共に旅をした時期もあったのだ。そのジャックと同じ姿形をした魔族を倒して、あとあじが悪いのも仕方ない……。

「ところでさ、シルフィード……」

「きゅい?」

 しんみりした空気を嫌って。
 敢えて軽い口調で、私は彼女に尋ねてみる。

「……あんたたちと分断された後……こっちは変な空間に放り込まれて、そこを何とか切り抜けてから、ここでまたまた戦ってたわけだけど……そっちはどうだったの?」

「同じなのね。ルクシャナと二人で異空間に招待されて、魔族たちの大歓迎! ……人間そっくりの形したのが、十数匹出てきたのね」

「そんなに!?」

 今までの経験から考えるに、純魔族は、強い奴ほど人間っぽい姿をしているようだ。
 ならば、ファリアール=ジャックが『あの戦力』などと言うのも頷ける。

「よ……よく突破したわね……」

「きゅい。いきなりルクシャナがゼナファの完全装甲モードで暴れ始めて……驚いた魔族たちが統率を失ったところを、各個撃破したのね」

 ゼナファの完全装甲モードというのは、例の白い巨人のことだろう。そりゃ魔族たちが驚くのも無理はない。

「でも……『各個撃破』っていうけど、あんたは何してたわけ? 純魔族相手じゃ先住の魔法は効かないだろうし、かといって竜のブレス程度じゃ……」

「きゅい。私も『変化』の呪文でルクシャナと同じ姿になって、暴れ回ったのね!」

「それって……単なるハッタリっつうか、こけおどしっつうか、そんなもんじゃねーのか?」

 横からサイトがツッコミを入れるが、シルフィードは聞こえないフリをしている。
 ……まあ、そうだろうなあ。レッサー・デーモン程度ならばともかく、そこそこの純魔族が相手になってくると、韻竜のシルフィードは役立たずかも……。もはや、きゅいきゅい鳴いているだけのマスコットにすぎない。
 ともあれ、とりあえず。
 私たちの前に出てきた魔族は全部倒した、というわけだ。

「……となると、問題なのはこのあとね。敵は全部やっつけちゃったみたいだけど……全部終わったような気はしないわ」

「そうだね。僕もモンモランシーと同じ意見だ」

 二人の言葉に、私も頷いてみせる。
 サーディアン=ハルデンベルグとファリアール=ジャックは、互いの口のききかたから考えて、魔族としては同格程度。覇王将軍を『シェーラ様』と呼んでいたのだから、当然彼女よりも格下。
 そしてルクシャナたちが戦ったのも、ファリアール=ジャックが『戦力』という表現をした以上、彼らより高位の魔族だった、とは考えにくい。
 ならば、あのレベルの魔族たちが、おおぜいで集まって合議制で陰謀を進めていたということになるが……。
 いやいや、それも不自然な話ではないか。
 ……クラゲ頭のサイトでさえも、何かおかしいと思ったようで。

「たしかに……なんかすっきりしねーな。『俺がボスだ』って奴がビシッと出てきてさ、何から何まで説明した挙げ句に、ギャアってやられてくれたら……それが一番なんだけどな」

「んな都合のいい話があるかい、相棒」

 まったくだ。
 ……というより、『俺がボスです』なんて奴に出てきて欲しくはないのだが……。

「でもよ、デルフ。前の時は、覇王将軍っつうボスがいたじゃん」

「待ちたまえ、サイト。君は、あんなのに出てきて欲しいのかね!?」

「そうよ! 二度とゴメンだわ! うやむやのうちに巻き込まれちゃってるけど……本当は私、荒事なんて大っ嫌いなんだから!」

 二人がかりで責め立てられるサイト。
 こうしたやりとりを、ルクシャナは面白そうに、ただ黙って見つめている。これも彼女なりの人間観察なのだろう。
 しかし……。
 ……覇王将軍……ボス……。
 いやまさかとは思うが……でも……。

「どうした、娘っ子? 変な顔して?」

「……変な顔って……デルフあんた、剣のくせに失礼ね。ただちょっと思いついたことがあるだけよ」

「なんでぇ、思いついたことって? 言いにくいことか?」

「うん。まあね……」

 こうして私がサイトの剣と話をしている間に、サイトはサイトで、

「そういや、変っていえば……俺たちがここに入ってから、誰にも会わなかったけど……あれも変だよな?」

「それはサイト、あの魔族二人が、僕たちと真っ向勝負を望んだからだよ。そう考えてみると、魔族であったが、貴族のように誇りを重んじてたのかもしれないね」

「あ、そうか。あいつら、お偉いさんに化けてたから、『何があっても部屋の外に出るな』とか命令出して、兵士たちを部屋にカンヅメにできるわけか」

 男二人の会話を聞くうちに、私の中で、嫌な想像が膨らんでゆく。

「……みんな……悪いけど、ちょっとついて来てくれる……? 確かめたいことがあるの」

 もったいぶった私の発言に、一同が顔を見合わせ、黙り込む。
 それを見て。

「……いいわ。こうしていても仕方ないし。それに……悪魔の末裔が何を考えてるのか、ちょっと興味が出てきたわ」

 ルクシャナが同意を口にしたのをきっかけに、皆が頷いたのだった。

########################

「……ところで、ルクシャナ。一つ聞いておきたいんだけど……」

 確かこちらの方だったと、うろ覚えな道を進みつつ、私は彼女に問いかける。

「さっきの戦いで、あんたまた、精神世界面からの攻撃をくらってたわね」

「ええ、そうよ。それが何か?」

「あの『鎧』を着てるあんたはいいとして……もしも『鎧』のない私たちが、魔族から同じ攻撃を受けたら、防ぐ方法あるのかしら?」

「その『鎧が凄い』みたいな言い方、ちょっと気に入らないけど……。質問に対する答えは簡単だわ。もちろん、ないわよ」

 断言するルクシャナ。別に、私の発言に気分を害したから意地悪を言っている、というわけでもなさそうだ。その証拠に、フォローするかのように、

「……といっても、魔族が戦いの中で、蛮人相手に精神世界面からの攻撃をかけてくることはありえないわね」

「どういうことかな?」

 横から、聞いていたギーシュが口をはさむ。
 どうせギーシュもサイト的なポジションなんだから、聞いてもわからないだろうに……。
 こんな性悪エルフであっても、見た目はスレンダー美人だから、なんとか会話に絡みたいのだろうか?

「蛮人の諺に『竜は小鳥を倒すにも全力を尽くす』っていうのがあるわよね? でも、これは魔族には当てはまらないのよ。魔族から見ればあなたたちは、戦う相手というより、むしろエサ……『恐怖』という名の負の感情を搾り取るための対象に過ぎないから」

 ひどい言い方ではあるが、確かにルクシャナの言うとおり。
 魔法に関していえば、人間は魔族に遠く及ばないのだ。
 たとえスクウェアメイジであっても、呪文を唱えて杖を振らなければ、魔法を発動させることは出来ない。
 エルフや韻竜ならば杖なしで先住魔法が使えるが、その場合でも、精霊に呼びかける言葉や、それに応じた身振り手振りが必要になってくるはず。
 しかし、魔族としては中途半端なレッサー・デーモンでさえ、吠え声ひとつで炎の矢を出現させることが出来るのだから。

「ようするに、魔族から見れば、蛮人などは相手にならん、ってことね。その相手にもならないはずの相手に、精神世界面からの攻撃……つまり本気の攻撃を仕掛けるということは……」

「魔族にとっては『自分は本気にならなければ人間も倒せない程度の力しか持っていない』と認めることになるし……その認識は、精神生命体たる純魔族にとっては、致命傷にもなりかねない、ってことね」

「そういうこと。さすが悪魔だけあって、魔族に関する理解も早いわね」

 私はわかったからいいのだが、ギーシュはポカンとした顔をしている。

「なあ、ギーシュ。今のルクシャナとルイズの言ってること、理解できたか?」

「僕に聞かないでくれ、サイト。どうやら僕は、尋ねてはいけないことを尋ねてしまったらしい。……レィディの話は、僕たち男子には難しすぎるね……」

「え? 今のって……女の子同士の内緒話だったわけ?」

「どうしてそうなるのよ、サイト!」

 すっとんきょうな勘違いをし始めたサイトに、御主人様である私が、サイトにもわかるように言ってあげる。

「……簡単に言うと、つまり魔族にも意地ってもんがあるから、変な攻撃はしてこない、ってことよ」

「なんだそうか。それならそうと、最初から言ってくれればよかったのに」

 何も考えてないサイトのセリフに、ルクシャナがポツリと一言。

「……もしかして……蛮人って、男と女とでは、脳ミソの大きさが違うのかしら?」

「そんなことないのね。彼らが特殊なのね。きゅい」

 思わずシルフィードがフォローする。
 ……こうして話をしながら、私たちは階段を上がり、無人の廊下を進みゆく。
 やがて。

「あら? ここって……」
   
 何かに気づいたような声を出したのは、モンモランシーだった。
 続いてギーシュが、

「おや、なんだか見覚えのある場所だね」

 そう。
 そこは謁見の間。
 大理石の柱が立ち並び、赤い絨毯が伸びる、立派な部屋……のはずなのだが。
 前の事件において、ジャック——本物のジャック——の自爆攻撃により半壊。その後、ロクに修理もされていなかった。
 さすがに瓦礫は撤去されているが、天井には、大きな穴が開いたままである。

「謁見の間がこんな状態じゃ……やっぱり、まともに機能してないわね、この国」

「うむ。もはや王様も、臣下に会う気はないのだろうな」

 モンモランシーとギーシュが、何やらつぶやいている。
 ……王様が臣下に会う気はない……ということは、やっぱり……。
 私が考えこんでいると、サイトが話しかけてきた。

「なあ、ルイズ。まさか、ここの状態を確かめにきた……ってわけじゃないよな?」

「そんなわけないでしょ」

「じゃあ、どこへ向かってるんだ? そりゃ前のときは、この先の部屋に、覇王将軍っつうボスがいたけどよ。……あいつはもう倒したんだろ。これ以上進んだところで……」

「おい、娘っ子。まさか、おめえが考えてるのは……」

 サイトの問いかけにもデルフの言葉にも答えず、私は足を進める。
 そして。
 扉を開ければ、そこは執務室。
 かなり広い部屋の中、正面には、大きなセコイアのテーブルがあり……。

「……!」

 一同の間に、緊張が走る。
 机の横に佇む、一つの人影を認めて。
 思わず足を止める私たち六人に、彼は静かなまなざしを向けた。
 銀の重装鎧に身をかため、その傍らには一振りの大剣。
 兜はつけぬその顔に、私たちは見覚えがあった。
 権力争いの果てに皇帝の座を勝ち取った、野心の塊のような四十男……。

「……アルブレヒト三世……」

「……嘘……よね……」

 茫然とつぶやくギーシュとモンモランシー。
 どうやら、わかってくれたようである。私の言いたかったことが。

「何の用かな? このような時間に」

 アルブレヒト三世の、朗々たる声が虚空に響く。
 私は彼から距離を保ちつつ、正面に歩み出る。

「……何の用なんでしょうね。こんな時間に。執務室で一人、武装した王様が……」

「……尋ねておるのは、こちらだが?」

 数歩、彼はこちらに歩み寄る。
 意識せず、私は同じだけ、後ろに歩み退っていた。

「言うまでもなく、おわかりかと存じますが? ……『アルブレヒト三世閣下』」

 わざとらしく強調してみせる。
 むろん、私は気づいていた。彼の歩みに、鋼鉄で出来ているはずの鎧は、カチャリとも音を立てなかったことに。

「……ふん……」

 私の言葉に、彼の口元が、笑みの形に小さく歪み……。

 ドンッ!

「……っ!?」

 強烈な衝撃に全身を貫かれ、私は一瞬息を詰まらせる。

「きゅい!?」

「な……!?」

 後ろで聞こえる、シルフィードとルクシャナの驚愕の声。
 今のは……衝撃波などではない。
 たった今まで隠していた、彼自身の持つ存在感を隠すのをやめた……ただそれだけ。
 ただそれだけで、魂と肉体が震えるようなプレッシャーが生まれたのだ。

「良いカンをしておるな。いつ……なぜそう思った?」

「思ったのは……ほんの少し前……」

 しゃべるだけでも息苦しいプレッシャー。

「気づいた理由は……聞いたことがあるからよ……」

 それに負けぬよう、私は脚を開いて踏ん張り、ささやかな胸を張り……。

「魔族は……契約を交わした者か、より強い者にしかかしづかぬ、って。それなら……」

 ……彼に向かって言い放った。

「覇王将軍シェーラ=ファーティマは、誰に剣を捧げたか。……あなたよ。……覇王(ダイナスト)……グラウシェラー……」





(第五章へつづく)

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 先住の魔法は精霊の力を借りているだけだから純魔族には効かない……という設定にしてしまったので、気がついたら、シルフィードが完全な戦力外に。

(2011年11月5日 投稿)
    



[26854] 第十三部「終わりへの道しるべ」(第五章)【第十三部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/11/08 23:30
   
 沈黙が執務室を支配する。
 長いような……短いような沈黙が。
 ……そう……。
 王は、シェーラ=ファーティマの色香だか魔力だかで、誑かされたわけではなかったのだ。
 ……あの女が来てから王は変わった……。
 皆がそう思っていた。
 それは根本的に間違っていると同時に……ある意味では完全な正解だったのだ。
 王は変わっていたのだ。本物から、偽物へと。
 おそらく、シェーラ=ファーティマの出世と同時に、そのすり替えは行われたのだろう。
 あとは、彼女だけを始終そばに置いておけば、以前と言動が変わってしまっても、周囲からは『あの女のせいで変わった』と思われるだけである。
 覇王将軍は……ボスなどではなかった。より大きな『闇』を隠すための、カモフラージュに過ぎなかったのだ。
 彼女が倒れる直前に浮かべた笑みも、ひょっとしたら、カモフラージュという役割をまっとうしたことに対する笑みだったのかもしれない……。

「……っははははははは!」

 彼の哄笑が沈黙を打ち破る。

「たいした想像力だな。シェーラの態度だけで、その結論を導き出すとは」

「……それだけ……ってわけでもないわ。サーディアンとファリアールの例もあったし」

 魔族は精神生命体。力あるものは、人と同じ姿を取ることが出来る。実在の人物と全く同じ姿にもなれるのだ。
 ハルデンベルグ侯爵とジャックが魔族にすり替わっていたのであれば、変わっていたのは本当にその二人だけだったのか、という疑問が浮かぶのも不思議ではなかった。

「……それに、今、この城は門を閉ざして、街との干渉を断っている。兵士たちに、建物の外にすら出ないように、なんて理不尽な命令まで出してね。その命令はどこから出たか、って考えたら……あんたよね」

 高官が全部魔族で、おとなしく王が言うことを聞いている……という可能性もあったのだが。
 それよりも、王が絶対命令を出した、と考えた方が単純でわかりやすい。

「……そういえば……結局なんだったの? この命令出した意味って」

「意味? まさか……あれを何かの策だとでも思っておったのか? 我らは……ただ単に食事をしていたにすぎん」

「……食事……?」

 不思議そうに問うモンモランシー。
 私とは違って、彼女は、まだまだ魔族の習性に疎いのだろう。

「そう。我らの糧は負の感情。不安と不満。いら立ちや恐怖。……街じゅうにそれらを蔓延させるのには、悪くない方法だと思うが?」

「……では……デーモンを大量発生させて暴れさせているのも、食事のためなのかね?」

 顔をしかめながらギーシュが言う。

「それだけではないが……何より我は戦いを望んでいるのだよ」

 言って、覇王は歩み始める。
 ゆっくりと。
 私たち六人の方に向かって。

「……あいつは……強い、とかいう次元の相手じゃないわよ……」

 私のそばで、ルクシャナがかすれた声を出した。

「わかってるわよ……」

「勝算……あるのよね? だってあなた、ただの蛮人じゃなくて、悪魔の末裔ですものね?」

「……冗談はやめて。虚無のメイジだって、普通の人間よ……。勝ち目なんて、あるわけないでしょ」

「じゃあ、なぜ……! 気づいた時点で、撤退を提案しなかったのよ!?」

 ……敵に後ろを見せない者を貴族と呼ぶのよ。あんたも、蛮人研究家を自称するなら、それくらい覚えておきなさい……。
 などと、気の利いたことを言える心境ではなかった。

「逃がしてくれると思う、あいつが?」

「……」

 私の言葉に、ルクシャナは沈黙した。
 うろたえている。いつも人間を見下していた、あの傲慢なエルフのルクシャナが。
 彼女から覇王へと視線を戻し、私は声を張り上げる。

「ちょっと待って。もう一つ……聞きたいことがあるの! 本物は……本物のアルブレヒト三世は、どうしたのよ!?」

 わかっている。自分自身でも。
 これは、一種の時間稼ぎ……湧き上がる恐怖を抑えるためにやっているだけなのだ、ということは。

「あんたが本物と入れ替わったのは、最近なんでしょう!? 権力争いを勝ち抜いて、ゲルマニアの皇帝となったのは、あんたじゃなくて本物のアルブレヒト三世なのよね!?」

 聞いた話では、アルブレヒト三世は、権力争いの過程で、政敵だけでなく己の親族にも容赦しなかったという。その生き様は、ある意味、『覇王』という言葉に相応しいのかもしれないが、しょせん人間の世界……しかもその一国、ゲルマニアにおける『覇王』にすぎない。

「知らんな、本物の王の行方など。……そのあたりのことは、全てシェーラめに任せておったからな」

 それが、返ってきた答えだった。
 少なくとも、私の質問の後半部分——『すり替えは最近行われたのよね?』——に関しては、肯定されたようだ。

「……しかし、シェーラのことだ。おそらくデーモンに変えたのではないかな? ほら、この国の人間たちを大量にデーモン化して、おまえたちにけしかけたではないか。……おまえたちが倒した中にいたのであろうな、きっと」

 そう言って、口元を笑みの形に歪める。
 ……いや。
 表情だけではない。顔そのものの形が、ゆっくりと変わりつつあった。
 頭から後ろに向かって、二つのツノのようなものが伸び、頬が、眉が、目をカバーするように硬化・変色してせり出す。

「……負けないわよ!」

 自らの……そしてみんなの心を奮い立たせるべく、私は声を上げた。

「負けるわけにはいかないのよっ! ……『グラウシェラーの部下だからシェーラ』なんて安易なネーミングセンスのあんたには!」

「……名前か……。そう言えばしばらく前、シェーラめもそのようなことを尋ねてきおったな……」

 歩み来る覇王の顔は、銀色の兜のごとく変形していた。
 その歩みは変わらない。

「獣王(グレータービースト)も、自分の神官に名前の半分を与えた、と言っておったが……。正直、我には理解できぬのだ。なにゆえ、たかが道具の名前にこだわる必要がある?」

 ……っ!?

「……まさか……彼女にも直接、そう……?」

「答えた。……同族の負の感情というものも、結構オツなものではあったな」

 ……こい……つ……。
 前にこの執務室で戦ったシェーラ=ファーティマが『私にはあとがない』と言っていたのは、そういうことか。
 仕える者に、きっぱり『道具』と宣言されて……。
 もちろん、彼女に同情するつもりなんて全くない。
 しかし……こいつを野放しにするわけにはいかない。

「……倒すわ……」

 私は言った。真っ向から。

「たしかに、あんたの力は圧倒的なんでしょうね。けれど……倒してみせる!」

「ふはははははははは! よく吠えた! 面白い!」

 覇王の哄笑が再び響く。
 私の言葉に、彼は足を止め、ジャキッと大剣をかざして吠える。

「よかろう! その挑戦、受けて立とう! 我、覇王(ダイナスト)グラウシェラーの名において! ……来るがよい! 命持ちたる者どもよ!」

 ……それが……。
 戦いの始まりを告げる鐘となった。

########################

「行け! 僕の戦乙女(ワルキューレ)たち!」

 ギーシュが、杖としている造花の薔薇を振り上げる。
 赤い花びらが舞い、七体の青銅ゴーレムが出現。『彼女』たちは、一斉に覇王(ダイナスト)に突撃する!
 グラウシェラーは、避けようともしない。
 ワルキューレの槍が、次々と覇王(ダイナスト)の体に突き刺さり……。
 ……いや。
 覇王(ダイナスト)を突いた瞬間。その衝撃で、覇王(ダイナスト)ではなく、ワルキューレの方が粉々に砕け散る!

「……脆弱な人形たちだな。戦いの始まりを祝う演舞か? まさか、今のを『攻撃』とは呼ばぬであろうな?」

「……な……!?」

 グラウシェラーの言葉に、ギーシュが驚愕の声を上げる。
 続いて、光が虚空を裂いた。
 ルクシャナの『鎧』が放ったもののようだが……。

「……そのような朧げな『光』で……」

 覇王(ダイナスト)が左手をかざせば、手のひらに小さな黒球が生まれる。それは容易に、光の奔流を呑みつくす!

「我が抱く『闇』を砕けると思うのか!?」

 彼は一歩たりとも動いていない。

「おおおおおおっ!」

 ルクシャナが放った光の軌跡を追って、サイトが駆け抜ける。

 ギゥッ! ギゥンッ!

 気合いと共に、立て続けにくり出される斬撃。それを全て、覇王(ダイナスト)の大剣が受け、弾く。

「ほぉう!? いい腕だ! 面白い! つきあってやろう!」

 二筋の銀の閃きは、一撃ごとに速さを増して、澄んだ響きで虚空を埋める。
 そこに横から割り込んだのは、魔力のこもった水の塊。モンモランシーが放った攻撃魔法だ。
 しかし。

 バシャッ!

 グラウシェラーが左手を突き出し、アッサリ握り潰す。

「無粋な!」

 吠えて覇王(ダイナスト)は、左腕を振る。

 ドンッ!

「……っ!」

 生み出された衝撃波で、モンモランシーは大きく吹き飛ばされた。声を上げることすら出来ずに。

「モンモランシー!?」

 大理石の柱を砕いて、床に転がる彼女。そこに駆け寄るギーシュ。
 モンモランシーは、彼に言葉を返す余裕もなく、自分で自分に『治癒(ヒーリング)』の呪文をかけていた。

「我は今、こちらの剣士と遊んでおるのだ! くだらぬ邪魔をするな、小娘!」

 言い捨てて、グラウシェラーは再びサイトとの剣戟に集中する。
 ……むろん……。
 対モンモランシーのために左手を動かしていた時も、彼はサイトと斬撃の応酬を繰り広げていた。
 右腕一本で。
 ……遊んでいるのだ。文字どおりに……。
 だが。

「……なめるなっつうの!」

 サイトの剣が一瞬、覇王(ダイナスト)の大剣をかいくぐり……。

 ギッ!

 一条の突きが、その左肩口を捕えた!

「……ほう。たいしたものだ」

 かすかな笑いを浮かべるグラウシェラー。

「な……!? 効いてないのかよ!?」

 身を引いて、困惑の表情を浮かべるサイト。そのつぶやきに、覇王(ダイナスト)は答える。

「いや、効いておるぞ。石を水滴が打つ程度には、な」

「……どういうことだ……?」

「落胆することはないぞ。剣士よ。お前の腕は素晴らしい。しかし、その剣では……届かぬ」

 グラウシェラーは、余裕の言葉を返した。
 ……おいおいおい……。
 サイトの剣はデルフリンガー。今は日本刀に憑依しているとはいえ、もとを辿れば、異界の魔王の剣なのである。
 それを『その剣では』って……。あんた一体、何様のつもりだ!?
 ……なら、この呪文ならば!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 みんなの攻撃の間に、すでに呪文は唱え終わっていた。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの力を借りた赤い光が、覇王(ダイナスト)を襲う!
 が! しかし!

 ザンッ!

 グラウシェラーの大剣が、ただ一振りで、赤い光を斬り裂いた。
 ……ま、考えてみたら、魔竜王(カオスドラゴン)とか冥王(ヘルマスター)とかと同格なんだから、普通に『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』を撃ってもダメなのよね……。

「虚無と言っても、この程度か!? 汝らは、なんと脆弱な……! しょせん命という器に縛られている限りは……んっ!?」

 ギィンッ!

 話途中で、再び斬りつけてきたサイトの剣を、グラウシェラーは受け止める。

「牽制のつもりか!? それで!?」

「誰が牽制なんぞ!」

 サイトの剣がさらにスピードを上げ、切っ先が何度か覇王(ダイナスト)の鎧をかすめる。

「水滴だか石だか知らねーが……『効く』っつうなら、倒れるまで斬りつけるのみ!」

「……正気……か……!?」

 サイトの剣を捌きつつ、はじめてグラウシェラーの言葉の中に、わずかな驚きの色が混じった。
 ……そうだ。サイトの言うとおり。
 最初から勝算なんてない戦いだったのだ。ならば、とにかく覇王(ダイナスト)が倒れるまで、攻撃し続けるしかない。

「みんな! こうなったら、サイトみたいに頭カラッポにして攻撃よ!」

 私の声に応じて、ギーシュが覇王(ダイナスト)に向かって駆けてゆく。
 モンモランシーは、まだ『治癒(ヒーリング)』を続けているが、その顔には「私は大丈夫だから」と書いてあった。
 そして……。

「……ルクシャナ……?」

 彼女はシルフィードと共に、私のやや後ろで、立ちつくしたまま小さく震えていた。

「しっかりして!」

「……無理……よ……!」

「きゅいきゅい!」

 エルフは細い声で、竜はいつものように、弱音を上げる。

「何言ってんのよ!? シルフィードはともかく、あんたには『鎧』があるじゃないの!」

「……その……『鎧』なのよ……」

 震える声で、かぶりを振る。

「……あんたたち蛮人には……精神世界面にいる『あれ』の姿が見えないから、そんなこと言ってられるのよ……。私は……さっきゼナファを使ったから……精神世界面が見えたのよ……そこにいる覇王の本体が……! 広がる……とてつもなく大きな闇が……!」

 偉そうに言っているが、やっぱり『エルフだから』ではなく『ゼナファを着ているから』である。

「こちらにいる奴は、その全体のうちの、ほんの一部が具現しただけなのよ! たとえ少しくらい傷ついたって、全体からすれば微々たるもの……あちらから、また少しだけ『力』を送ってそれでおしまい。……無理よ……無理なのよ……あんなものを倒すなんて……」

「きゅい! そうなのね! 私も感じるのね、あの覇王の恐ろしさを……!」

「ちょっとシルフィード! なにルクシャナに便乗してるのよ!? あんたには精神世界面なんて見えないでしょ!?」

「それでも……全身で感じるのね! こんなことになるんだったら……お姉さまと……」

 シルフィードが泣きごとを言い出した、ちょうどその時。

「……なにっ!?」

 グラウシェラーと剣を交わすサイトを援護するかのように。
 左右から、炎の蛇と氷の矢が覇王(ダイナスト)を襲う!

「……この魔法は……!?」

 突然のことに驚きながら、私は振り返る。
 執務室の入り口。
 私たちが入ってきた扉は、大きく開け放たれたままだった。
 今、そこに立っているのは、二人と一匹……。

「はぁい、おひさしぶり。ルイズ、また大変な敵を相手にしてるのね」

「キュルケ!?」

「きゅい! お姉さま!?」

 キュルケとタバサと、キュルケの使い魔フレイムだった。

########################

「お姉さま! お姉さまが来てくれたのね! きゅいきゅい!」

「……な……なんであんたたちが……ここに……」

 喜ぶシルフィードの横で、私は困惑していた。
 そりゃあタバサやキュルケの参戦は、私も嬉しいが……でも、どうして?

「あら。だってゲルマニアは……あたしの国よ?」

 当然でしょ、という口調のキュルケ。

「ゲルマニアが大変なことになってる……って噂を聞いてね。ヴィンドボナの近くまで来たところで、同じくここに向かってた彼女と出会ったのよ」

 キュルケがタバサに視線を向ける。タバサは、ポツリと一言。

「……シルフィードの危機」

 なるほど。
 使い魔と主人は一心同体。使い魔シルフィードの視界を、主人であるタバサも見ることが出来る。私とサイトの場合は何故か逆だが、これが一般的な視界の共有だ。
 それでシルフィードの状況を知って、ここまで来たわけだ。まあ、主人に助けられる使い魔というのも、どうかと思うけど……。

「……でも、どうやってこの執務室まで来たの? 城の建物に入るだけでも大変なはずなのに……」

「空から来たら、簡単だったわよ。隣の部屋の天井に、大きな穴が開いてたから」

 私の質問に、アッサリと答えるキュルケ。
 ……そうだった。私たちも、ついさっき目にしたように、謁見の間は、ジャックが壊したままだったのだ。それが助っ人たちの侵入口になろうとは……。

「ま、ともかく、詳しい話は後回し。今は……あいつをやっつけないとね。そうでしょ、ルイズ?」

 私の返事を聞くまでもなく。
 キュルケは呪文を唱え始めた。

########################

「……このようなものを!」

 炎と氷と水の魔法が、グラウシェラーを襲う。
 新たに加わったキュルケとタバサ、そして回復したモンモランシーが放ったものだ。
 もちろん、直撃したところでたいして痛くもないのだろうが、それでも覇王(ダイナスト)を苛つかせる程度の効果はあるらしい。
 そして、攻撃魔法が飛び交う中、男たちは恐れずに接近戦を挑んでいた。

「……魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」

 サイトと挟撃する形で回り込み、ギーシュが赤い刃の剣を振るう。
 この世界の魔王、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの名を冠する剣。ギーシュの精神力がタップリこもった、一種の魔力剣である。

「……くっ!」

 ギーシュのネーミングセンスが、偶然ハッタリとなったのか。
 これをグラウシェラーは、サイトのデルフリンガー以上に警戒する。サイトと交えていた剣を引き、蒼い魔力を刃に生んで、その大剣でギーシュの一撃を受け止める。

 ガギッ!

 その隙に、サイトの剣が覇王(ダイナスト)の鎧を叩き……。

「えぇいっ!」

 覇王(ダイナスト)の払った左腕を、サイトは剣の柄で受け止めた。
 ぶつかった瞬間に、覇王(ダイナスト)が衝撃波でも生み出したのか、はたまた腕力に負けたのか。サイトは、そのまま吹っ飛ばされる。
 だが彼が離れたその空間を、間髪入れず、飛び込んできた赤い火トカゲと青い風竜が埋める。
 フレイムとシルフィードだ。
 先住魔法が効き目ないのであれば、格闘戦に持ち込むしかない、ということなのだろう。いつのまにかシルフィードは、竜の姿に戻っていた。ブレスを吐きながら、その爪を振るうが……。

 ドンッ!

 あ。
 フレイムと共に二匹まとめて、一撃で殴り跳ばされた。
 それでも。

 ギンッ!

 二匹が稼いだ時間には意味があった。この間に体勢を立て直したサイトが、ギーシュと斬り合う覇王(ダイナスト)に、横手から斬撃をかける!

########################

「……何よ……たいした戦力にもならないメイジが二人加わっただけで……」

 心底理解できないという表情で、ルクシャナがつぶやく。
 ……たしかに、覇王(ダイナスト)が相手だということを考えれば、タバサやキュルケの力など、微々たるものなのだろう。
 それでも。
 私たちの意気は上がったのだ。
 きゅいきゅい鳴きわめくだけだった、あのシルフィードすら突撃するくらいに。

「……見なさい。これが、あんたが『蛮人』と呼んでる人間たちの底力……本当の力よ」

 ルクシャナに言葉をかける私。
 一気呵成の攻撃に参加するよりも、ルクシャナを戦列に復帰させることの方が大切、と私は判断していた。

「私たち『蛮人』が頑張ってるというのに……エルフのあんたが、そんなんでいいの?」

 もうルクシャナの震えは止まっていた。それを承知した上で、敢えて私は言う。

「それとも……そうやって震えて『蛮人』の奮闘ぶりを見ているのが……蛮人研究家ってやつなの? 研究家だから、ただ観察しているだけでいいの?」

「……大きいのね」

 ポツリと。
 ルクシャナのつぶやいた言葉は、私の問いかけに対する答えとは、全く異なっていた。
 ……『大きい』とは、何のことだろう? この期に及んで、まさか胸の話ではないと思うが……。いくらルクシャナが、私やタバサと同じ側だとしても。

「……大きいのね、蛮人って。私が思っていたよりも……。心というか、器というか……」

 ああ、そういう意味か。

「ま、あんたの蛮人研究は……まだまだ足りないってことよ」

「そうね。あなたたち、普通の蛮人以上に面白いサンプルみたいだから……貴重な研究材料がここで死んだりしないよう、私も加勢してあげるわ」

 もうルクシャナの口調は、いつもどおりに戻っていた。

########################

 白い鎧のルクシャナが、私の横を駆け抜けてゆく。
 覇王(ダイナスト)も、一瞬そちらに注意を向けた。

「ブレイク! アタック!」

 ルクシャナの声と共に、あざやかな白が上へ跳び、覇王(ダイナスト)目がけて光を放つ!

「……無駄だと言うのが……」

 黒球を生み出し光を吸い込み、叫んだ覇王(ダイナスト)の言葉が、途中で消えた。
 宙に舞ったのが、鎧のみだと気がついて。

「……!?」

 瞬時に『鎧』を外したルクシャナは、倒れ込むようにして、覇王(ダイナスト)の足もとに転がり込んでいたのだ。

「風よ。この者を……」

 ドヅッ!

 何か言いかけていたルクシャナは、グラウシェラーの一蹴りで、まともに吹っ飛んだ。
 床をこすって壁の近くまで転がってから、ようやく止まる。

「ルクシャナ!」

 慌てて駆け寄る私。しかし私が駆け寄る先に、白い鎧は勝手に帰還し、再び彼女にまとわりついた。
 ……これって……!?

「……ふむ。さすがにエルフは、肉体的には脆いな」

 覇王(ダイナスト)が何か言っているが、奴のことは、今はサイトたちに任せよう。

「大丈夫!? 今、私が『治癒(ヒーリング)』を……」

 モンモランシーもルクシャナのところに来て、呪文を唱えようとする。だがルクシャナはこれを手で制し、

「……我の身体を流れる水よ……」

 なるほど確かに、系統魔法の『治癒(ヒーリング)』より、エルフが使う先住魔法の方が、傷のふさがるスピードは速い。
 もう効いてきたのか、なんとか彼女は、その場で半身を起こす。

「……無茶しすぎよ、ルクシャナ。あんた、覇王(ダイナスト)に対して先住の魔法を使おうとしてたみたいだけど……あいつに先住魔法が効くわけないじゃないの」

「……無茶しなきゃ勝てないでしょ。……風の力で拘束するくらいなら……って思ったんだけどね……」

 意表を突こうとして、それすら失敗した……というところか。
 ここで、モンモランシーが横から尋ねる。

「ねえ、その『鎧』……勝手に攻撃して勝手に戻ってきたのよね?」

「……これは私専用のゼナファだから……私以外の者の言うことは聞かないし、ある程度は勝手に行動するから……」

「どうしたの? モンモランシー、何か思いついたの?」

 私の問いに。
 彼女は半信半疑な表情で、

「こういうのはどうかしら? その『鎧』で……」

########################

「覇王(ダイナスト)グラウシェラー!」

 私は声を張り上げ、覇王(ダイナスト)を睨みつける。
 グラウシェラーは、いまだサイトと斬り結び続けていた。ギーシュは、自慢の魔力剣が消耗し、赤い輝きも弱まったため、一時的に退いているらしい。

「……一瞬……その一瞬に、私たちみんなで、ありったけの力を叩き込んであげるわ!」

「やってみるがいい! 好きなように!」

 余裕の色を揺るがせもせず、覇王(ダイナスト)が叫ぶ。
 ……ならば……やってやるわ!
 私の投げた視線を合図に、ルクシャナが走り出す。覇王(ダイナスト)に向かって。
 遅れて私も走り出す。口の中で呪文を唱えつつ。
 ルクシャナがグラウシェラーへと迫り……。

「時間差をつけての連続攻撃など……無駄だ!」

 吠える覇王(ダイナスト)の前で、白い影が宙を舞う。

「なめるな! それは先ほど失敗した戦法ではないか!」

 サイトの剣を大きく弾くと、宙に舞う『鎧』は無視して足もとを薙ぐ。
 だが『鎧』を外したルクシャナは、着地と同時に大きく後ろに跳んでいた。覇王(ダイナスト)の剣は、床の表面をなでただけ。
 そして。

 ぎゅるっ。

 変形した『鎧』が覇王(ダイナスト)の全身にまとわりつく。

「……な……!?」

 はじめて。
 グラウシェラーが、あからさまに驚きの声を上げた。
 理解できなかったのだろう。私たちが何をするのか。
 ……こう……するのだ。

「封印!」

 ルクシャナの命令に従って、『鎧』の機能の一つが発動する。
 すなわち……精神世界面と装着者との完全な切り離し!
 そう。
 こちらに具現したグラウシェラーと、精神世界面にいる覇王(ダイナスト)の本体とを、『鎧』で分断したのだ。

「……これ……は……!」

 さすがに驚愕する覇王(ダイナスト)。
 そこに……。

「魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」

 本日何度目の発動か。ギーシュが、魔力を込め直して、覇王(ダイナスト)に斬りかかる。

「させぬわ!」

 大剣に魔力を纏い、受ける覇王(ダイナスト)。動きは確実に、いくらか鈍くなっている。
 その反対側から……。

「おおおおおっ!」

 サイトの一撃が迫る。
 覇王(ダイナスト)は、こちらには取り合わない。先ほどと同様、デルフリンガーなどただの鉄の塊……と軽視していた。
 だが、サイトの剣が覇王(ダイナスト)を捕えるその瞬間。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 杖を振り下ろして、唱えた呪文を解放する私。
 呼応して、デルフリンガーの刀身が、赤い光の刃に変わり……。
 覇王(ダイナスト)の体に突き立った!

「……っがぁっ!?」

 覇王(ダイナスト)が小さな悲鳴を上げる。
 さすがに、これは効いたのだ。
 グラウシェラーは左手を振りかざすと、迷うことなく、その刀身を鷲掴みにした。

 ぴしっ。

「おい!? 助けてくれよ、相棒! もう二度と、砕けるのはゴメンだぜ」

 鋼が悲鳴を上げる音。
 グラウシェラーは、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の魔力を収束させている刀身を砕いて、その力を散らそうとしているのだ。

「デルフ!? くそっ!」

 サイトの左手のルーンが輝きを増す。
 覇王(ダイナスト)は、握ったその刃を離そうとはしなかったが……。

「……させない!」

 無口な少女の叫びと同時に。
 覇王(ダイナスト)の左手首が地に落ちる。
 タバサがサイトを助けるために飛び込み、斬り落としたのだ。
 ……さすがに、あんなものを素手で握りしめていただけあって、覇王(ダイナスト)の左腕も脆くなっていたのだろう。
 彼女の杖は今、『氷の槍(ジャベリン)』を纏わせることで、巨大な氷の刃となっていた。
 返す刀で、覇王(ダイナスト)の左脇腹を貫くタバサ。
 同時に、右の脇腹には、サイトのデルフリンガーが……深々と突き立った!

「ぐぶおぉぉおおおおおっ!」

 グラウシェラーの悲鳴が響き、剣のさばきに乱れが生まれる。
 その隙をかいくぐり……。

 ザンッ!

 ギーシュの赤い剣が胴を薙ぐ。

 ュグオォォオォォォオォォッ!

 もはや人とはかけ離れた声で、悲鳴を上げる覇王(ダイナスト)。
 彼の視線が正面で止まる。
 向かい来る私を睨んで。

「……悪夢の王の一片(ひとかけ)よ……世界(そら)のいましめ解き放たれし……凍れる黒き虚無(うつろ)の刃よ……我が力……我が身となりて……共に滅びの道を歩まん……神々の魂すらも打ち砕き……」

 グラウシェラーは大剣を振るう。
 知っているのだ。私が、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の力を借りた、虚無の刃を操ることを。
 魔力の衝撃波を生み出し、私の接近を阻むつもりだったのだろう。しかし大剣の切っ先は、風切る音を立てたのみ。
 ……ゼナファで精神世界面とのつながりを封印された装着者は、接触型以外の魔力攻撃を一切受けつけなくなる代償に、自身も魔力発動が不可能となる。封印を解除できるのは、このゼナファの場合、ルクシャナただ一人……。
 それを知っていたからこそ、私たちは、こんな計画を立てたのだ。
 そして覇王(ダイナスト)は、それを知らなかった。
 ダメージを受け、剣を大振りしたグラウシェラーに、致命的な隙が生まれる。
 すかさず、そこに飛び込む私。
 そして……。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 ……音もなく……。
 生まれ出た闇の刃は、覇王(ダイナスト)グラウシェラーの体を、縦まっ二つに断ち割った。

########################

 ……カラン……。

 軽く乾いた音を立て、白い鎧が床へと落ちる。
 たった今までそれを身につけていた……覇王(ダイナスト)グラウシェラーの消滅と共に。

「……やった……のか……?」

「そういうこったな、相棒。……ただし、こっちがわの奴だけだがよ」

「こっちがわ……って、どういうことだ?」

「ま、詳しい解説は娘っ子に任せるぜ。……さすがのデルフリンガーさまも疲れたわ」

 サイトが私に視線を向ける。冷たい床に座り込んだまま、私は答える。

「精神世界面にいる奴の本体と……こっちに出現した、いわば末端の部分を『鎧』で切り離して……その末端部分を今、なんとか倒した……ってこと」

「……ん? ルイズ、君の言い方だと……本体は無事、というようにも聞こえるが……?」

 ギーシュが、やはり力つきて床にへたり込んだまま、首を傾げていた。

「……そうよ」

「そうよ……って……。では、また彼は出てくるかもしれないのか!?」

「大丈夫よ、ギーシュ」

 優しく微笑みながら、モンモランシーがギーシュのもとに歩み寄り……。
 隣に座って、彼にもたれかかった。

「……覇王(ダイナスト)は精神生命体だから……力を殺がれて弱体化した以上、その姿を人目にさらすことなんて、出来ないのよ」

 意外にも。
 もはやモンモランシーも、私やルクシャナと同じように、魔族のことをキチンと理解していたらしい。

「そう。だから……これで終わりよ」

 小さくつぶやいて。
 私は、グルリと一同を見回した。
 私の使い魔サイト、ラブラブカップルのギーシュとモンモランシー、人ではないルクシャナとシルフィード、そして駆けつけてくれたタバサとキュルケとフレイム……。

「ごくろうさま。ありがとう、みんな」

########################

 別れは、通りの上でだった。
 朝日に照らされたヴィンドボナの大通りには、店を開き始めた露天商や、行き交う人々の姿も見える。
 城の閉鎖も解け、夜ごとのデーモン出現もなくなり……。ヴィンドボナの街は、少しずつ以前の活気を取り戻しつつあった。
 覇王(ダイナスト)グラウシェラーとの死闘が終わって、何日かの後。
 もろもろの処理が終わって、ようやく私たちにも旅立ちの許可が下りたのは、今朝になってからのことだった。

「……大変だよなあ。この国も」

 なんだか遠い目をして言うサイト。
 別にゲルマニアだけが大変なわけではなく、ガリアだって王と王女が行方不明だったり、ロマリアだって教皇が廃人となっていたり……。

「……ま、ゲルマニアは大丈夫よ。だってキュルケがいるんだもん」

 私は無責任に言い放った。
 そう。
 今この場に、キュルケとフレイムの姿はない。キュルケは、事後処理のため、しばらくヴィンドボナに留まることになったのだ。
 なにしろ国王をはじめ、将軍やら何やら、王宮の高官たちが何人もいなくなったヴィンドボナである。そんな状態の中では、ツェルプストーの家名も一応の役には立つらしい。
 城の中でどんなやりとりがあったのか。ともあれ、事件からわずか数日の後には、『国王病没』という『公式発表』が流れ、事態は解決、ということになった。
 ……まあ、キュルケのことだ。まさか、このまま王宮に勤める、なんてことはあるまい。どこか旅の途中で、またひょっこり顔を合わせることもあるだろう……。

「では、これでお別れね」

 ルクシャナに言われて、一同の顔に『ようやく』という言葉が浮かんだ。
 ……死闘の果ての疲労で、私たちがロクに動けないのをいいことに、今までルクシャナは、私たちを質問攻めにしていたのだ。
 何を食べているのだ、とか、住んでいる建物の見取り図とか、家具のかたち、などなど。彼女自身の目でも見ているはずなのに、人間の口から、人間の視点による話を聞きたかったらしい。そうした生活習慣のことだけでなく、ハルケギニアの王政について……から始まり、農業、工業、商業などの社会構造まで。なんとも多岐に渡っていた。
 そりゃルクシャナにしてみれば、ひと仕事終わってようやく趣味に走れる、ということなのだろうが……私たちはウンザリである。
 だが、ここで別れる私たちはいい。可哀想なのは、これがもう少し続くであろう二人……。

「で、あんたたちは、ルクシャナと一緒に行くのね?」

「きゅい。ようやく……お姉さまのお母さまを治せるのね!」

 頷くだけのタバサの代わりであるかのように、シルフィードが喜びの声を上げた。

「……ま、もとはと言えば、叔父さまがしでかしたことだし。それに、どうせ一度、国に戻らなきゃいけないから」

 肩をすくめてみせるルクシャナ。
 ……結局のところ、覇王(ダイナスト)が本当は何を企んでいたのか、それは判明しなかった。
 各地でのデーモン大量発生が完全におさまったのかどうか、それも、しばらく様子を見る必要がある。
 だから竜とエルフは、もう少し各地を回る予定だという。ただし……いったん報告のために、砂漠にあるエルフの国に立ち寄った後で。

「よかったな、タバサ」

 サイトの言葉に、コクンと頷くタバサ。いつものように無表情な彼女だが、若干うれしそうに見えたのは、私の気のせいだろうか。
 ……タバサの母親の心をおかしくしたのは、エルフのビダーシャルが作った薬である。そのビダーシャルならば、治療薬も用意できるはず。姪であるルクシャナが仲介して頼み込めば、彼も協力してくれるに違いない……。
 そう。
 これで、タバサの長い旅は……ようやく終了するのだ。

「……何かあったら、私は駆けつける」

 サイトに対して、そう言い残して。
 タバサは、ルクシャナやシルフィードと共に歩き始めた。
 青い髪の小柄なメイジと、ローブの下に白い鎧を隠したエルフと、人間に化けた風韻竜と……三人の姿は、通りに増え始めた人々の中に消えてゆく。

「……詳しい事情は知らないけど……あなたの知り合いって、なんだかワケありの人が多いわね」

「何よ、モンモランシー。自分だけは普通です、みたいなこと言っちゃって」

「ま、確かにギーシュとモンモランシーは、他の連中と比べたら、まだマシだよな。……ギーシュ、浮気はほどほどにしとけよ。モンモランシーに愛想つかされない程度に、な」

「何を言ってるのかね、サイト? 僕は大丈夫だよ! だってモンモランシーが一番なのだから!」

「だからぁ……。そういう場合は『一番』じゃなくて『一筋』って言いなさいよ!」

 当のモンモランシーから、呆れ混じりの叱責を受けるギーシュ。
 ……どうでもいいけど、自分で『私一筋』って言うのは、かなりこっぱずかしいセリフだと思うのだが……。

「ま、とにかく頑張って」

「……それじゃあ……」

「また……」

 誰かれともなくそう言って、私とサイトの二人と、ギーシュとモンモランシーの二人とは、別々の方向へと向かって歩き出す。

「……そういえば、よ……」

 サイトが、思い出したように言ったのは、通りをしばらく歩いた後のことだった。

「これからどうすんだ、俺たち? タバサは旅の目的を果たしたみたいだけど……俺たちは、まだだったよな?」

「なんでぇ、相棒。娘っ子だけでなく、相棒まで忘れたのかい。相棒と娘っ子は、相棒を元の世界へ送り返す方法を探して、旅してんだろ」

 そうだ。
 すっかり忘れていたけど、それこそが、私とサイトの旅だった。

「忘れるわけねえじゃん。……でもさ、なんか前ほど強く思わないんだよなあ……」

「え? それって……」

 目を丸くする私に、サイトはパタパタと手を振って、

「いや、ルイズ、誤解すんなよ。帰る気がなくなった……ってわけじゃないんだ。ただ……急いで戻ろう、って気がしない……っつうか……」

 ……なるほど。そういうことか……。

「……まあ、もう少しくらい、アテのない旅をするのもいいかな、って……そんな気分になってきてさ」

 言って、サイトは笑う。
 彼の笑顔を見ているだけで、なぜだか妙に心地よかった……。





 第十三部「終わりへの道しるべ」完

(第十四部「グラヴィルの憎悪」へつづく)

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 昔のヒーローアニメでは、最終回直前に前作の主人公が助っ人に来る……なんてパターンも結構ありました。原作「スレイヤーズ」では前半のレギュラーは後半で出てきませんが、このSSでは、前作主人公的な役割で、ここで登場。全十五部のうちの第十三部ともなれば、そろそろ最終回も近いわけですから。
 前回、まだ謁見の間が壊れていて天井に穴が開いている、と記したのは、この突然の合流をやるためでした。

(2011年11月8日 投稿)
   



[26854] 番外編短編13「金色の魔王、降臨!」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/11/11 23:31
    
 一歩、その村に足を踏み入れた時……。
 少女は、そこを廃屋の群だと思った。
 血の色に染まった夕焼け空には、黒い鳥の不吉な鳴き声が渡り、家々の間にも、小さな村を取り巻く畑にも、人の姿は見当たらない。
 少女のマントと、見事な縦ロールの金髪が、夕日の色に染まり、風に揺れる。
 山道にすら等しい小さな街道。
 行けば、夕方までには小さな村に辿り着く。そこで採れる芋がやたら旨い。
 昼過ぎに発った街ではそう聞いていたのだが……もしもここが、何かの理由で廃村にでもなっていたら、無駄足の上に野宿である。
 今から急いで戻ったところで、暗くなるまでに街へ戻ることは不可能だし、何より、あの街には戻りたくない。ちょっと今は、彼とは顔を合わせたくないのだ。

「……まさか……はやり病で全滅してる、なんてことはないでしょうね……?」

 一抹の不安を口に出しながら、少女は村へ入っていく。
 ザッと見て、家はせいぜい三、四十軒。本当に小さな小さな村。

「あの……誰か……いませんか?」

 ……ガァァァッ!

 彼女の上げたその声に、カラスが一羽、梢を飛び立つ。
 ようやく変化が起こったのは、山あいに響くこだまが消える頃だった。
 やや離れた家の戸口から、そっと少女の方をうかがう視線。
 それに気づきはしたものの、彼女は、敢えて気づかぬふりのまま、

「旅の者なんですけど……そのぅ……泊まれるような場所、ありませんか!?」

「旅の……メイジ殿か!? ひょっとして!」

 声は、視線とは別の場所から聞こえた。
 すぐ近くにある一軒の家。
 その陰から姿を現したのは、白い髭の老人だった。

「そうですけど」

「おお!」

 老人は喜びの声を上げ、ヨタヨタと少女に歩み寄り、

「まさしく……! あなた様こそ予言に記された一人……!」

「……は?」

 思わず問い返した少女を無視して、老人は、村の真ん中へ向き直った。

「皆の衆! 喜べ! 予言は成就される! 村は……いや、世界はこれで助かるぞ!」

 うおおおおおぉぉぉっ!

 老人の宣言に歓声が応え、閉ざされていた家々から、村人たちが姿を現す。

「あんたが! そうか!」

「あぁ……ありがたいありがたい……」

「こんな女の子がねぇ……」

 いろいろ口々に言いながら、ついには少女を拝み始める者まで。

「……いやあの……世界とかって……一体……?」

「まあまあ。詳しい事情は、お食事でもご一緒しながら、説明させていただきましょうか」

 こうして。
 金髪の少女モンモランシーは、招かれるまま、村の中へと進んだのだった。

########################

「……お……美味しいっ!」

 塩水でゆがいただけの芋をかじって、モンモランシーは、思わず声を上げていた。
 ……芋といっても、ただの芋ではない。この村の近くの山でしかとれない、ちょっと変わった芋である。
 食感は、ほっこりとしていながら、パサつく感じは全くない。ごく薄い塩味が、何ともいえない自然な甘みをいっそう引き出している。

「まだまだありますぞ。どうぞたんまりとお食べください」

 他にも、焼き芋、揚げ物、ソテー、ポテトサラダ……。いわゆる家庭料理レベルであり、たいした調味料も使っていないのだが、素材が良いせいで、どれもこれもが美味である。
 モンモランシーは、白髭の老人——この村の村長——の家で、心づくしの芋料理でもてなされていた。
 村長のそばには、家族らしき者たちも控えている。

「……そういえば、まだお名前もうかがっておりませんでしたな」

 村長が口を開いたのは、モンモランシーがすっかり満腹になった後のことだった。

「私は……モンモランシーよ。『香水』のモンモランシー」

「なるほど。よいお名前じゃ。まさに勇者の一人として相応しい」

 返ってきたのは割と普通の反応……と聞き流しそうになったが。
 モンモランシーは、眉をひそめつつ、

「……あの……? 今、勇者と言われたような気が……」

「ハルケギニアは今……危機に瀕しておる……」

 彼女の言葉は無視して、何やら遠い目で語り始める村長。

「村の予言にはこうある……『力ある者の心が闇に堕ちる時、その者、魔王と化し、ハルケギニアを滅びの淵へといざなう。されど人よ、絶望することなかれ。黄金のメイジ現れ出て、仲間を引き連れ、深き闇を打ち払うであろう』……と」

「……はあ……。で……その魔王が復活した、とでも?」

「そのとおりじゃ!」

 ピシッとモンモランシーを指さして、青スジ立てて村長は叫ぶ。
 モンモランシーは、返す言葉もなかった。
 ……だいたい、魔族とか魔王とか、そうした存在は、あくまでも伝承の中のもの。実在する、と言い張るメイジたちもいるが、そんなものは世迷い言だ……と、この時の彼女は思っていた。 
 とはいえ。
 悪知恵の働く小悪党が魔王を自称し、小さな街や村で好き放題に暴れ回る……という話なら、モンモランシーも、何度か耳にしている。
 おそらく今回のこれも、そういったものの一つ。面倒なところに行き会わせてしまった、と少し憂鬱になる彼女の前で、

「かつてこの村には……バラモッソという力自慢の乱暴者がおった。奴は、畑のカボチャは盗むわ村の若い娘の尻は触るわと、悪逆非道の限りを尽くしたのじゃ」

 遠い目で語る村長の傍らでは、その家族も悲痛な表情を浮かべている。
 他人事として聞いているモンモランシーには、悪ガキのイタズラとしか思えないのだが……。

「しかし、わしらとて、ただ為すがままにしておいたわけではない。村人全員が力を合わせ……露骨にヒソヒソ話をしてみたり、バラモッソの家の前だけ落ち葉掃除をしてやらんかったりと、知力の限りを尽くして対抗した。かくて、さしものバラモッソも、ついに三年前、とうとう村を出て行きおった」

 これも、モンモランシーにしてみれば、村人みんなでいびり出した……としか聞こえない。

「そう、村に平和が訪れたのじゃ。だがそれは、束の間のことでしかなかった……。今年になって、奴は戻ってきたのじゃ! この村に復讐するために! さらなる力をたくわえて!」

 しょせんバラモッソは、若い女の尻を触る、カボチャ泥棒。そんな奴が『さらなる力をたくわえて』きたところで、たいしたこともあるまい。
 そう思いつつも、お芋のフルコースの恩義があるので、一応は黙って耳を傾けるモンモランシー。
 すると。

「一体どこで学んだものやら、奴は魔道を操るようになっておったのじゃ!」

「……魔道……?」

 思いもよらぬ言葉が出てきて、モンモランシーは聞きただす。

「それって、魔法ってこと? ようするに……そのバラモッソという人は、メイジの血を引いていたわけ?」

「見たものの話によると、面妖な光を生み出したり、火炎の矢を放ったりするということらしいのじゃ。……しかも杖も使わずに」

「杖なしで!?」

 ならばメイジではない。
 ハルケギニアの系統魔法は、杖を振らなければ魔法が発動しない。亜人が使うという先住の魔法は、杖を必要としないらしいが……。
 驚きながらも、モンモランシーが考えこんでいると、

「はい。杖ではなく……光る玉のようなものを持っていました」

 横から補足したのは、村長の息子らしき男性。
 これでモンモランシーは納得する。
 ……なるほど。どうやらバラモッソという男、どこかで魔道具を手に入れて、それを用いているようだ。

「奴は今、西の山に陣取って、この村を脅かしておる。面白半分で用水路を石で埋め、収穫直前のキャベツやら何やらをゴッソリと盗んでゆく! これぞ予言にある『力ある者の心が闇に堕ちる時、その者、魔王と化し、ハルケギニアを滅びの淵へといざなう』という一節そのまま!」

 ……そうかなあ……?
 モンモランシーは、心の中で首を傾げた。

「……今はまだ、奴の力は、この村を脅かす程度じゃ。しかしこのまま力をつければ、やがてはハルケギニア全土に影を落とすことになるだろう! そうなってしまう前に、何とか奴を倒さねばならん!」

「……キャベツ食べて力つけるって……そんな程度でどうにかなるほど、ハルケギニアはヤワじゃないと思うけど……」

 今度は口に出してしまった。

「奴を甘くみてはいかぁぁぁんっ! 予言によれば、奴を倒すには、黄金のメイジとその仲間たちが必要なのじゃっ!」

「……で、私がその黄金のメイジだと?」

「そのとおりっ! その見事な、クルクル巻いた金髪……それこそが『黄金のメイジ』の証であるっ!」

 彼女の頭をピシッと指さして、村長は叫ぶ。
 長い金髪の縦ロールは、モンモランシー自慢のチャームポイントの一つ。そこを褒められれば、彼女も悪い気はしない。

「そうすると……これから私は、仲間集めをしないといけないわけ?」

「いや! 勇者の仲間は、すでに見つけておる! 彼じゃっ!」

 言って村長が指さしたのは、そばで控えていた者の一人。
 年の頃なら二十歳くらい。身なりはごく普通の村人で、悪と戦う戦士には見えないし、頼りがいもなさそうである。

「……やあ……僕、レイトっていいます……」

 これから魔王成敗に出かけるというのに、やたらのんびりとした口調で言う。

「……お孫さん?」

「こやつは、隣のアクセサリー屋で修業しておってな。ほれ、レイト、あれを渡してやれ」

「……はい……」

 レイトがモンモランシーに渡したのは、薄い金属製のワッペン。中央には赤い玉があり、左右に羽を取りつけたような形をしている。

「勇者一行の印として、レイトが作ったものじゃ」

「……みんなで相談して……『レイトの紋章』という名前に決まりました……」

「……えーっと……」

 モンモランシーは考える。
 あまり乗り気はしないが、料理はご馳走になったし、村に一晩泊めてもらうためには、むげに断るわけにもいかない。
 荒事が嫌いな彼女であっても、魔道具一つで暴れている男一人くらい、なんとかなるだろう……。

「……わかったわ。明日の朝イチで行ってくるから……そのかわり、終わったら、また美味しいお芋料理、おなかいっぱい食べさせてね」

「おおっ! ありがとうございますっ! これで世界は救われたっ!」

 喜びの声を上げる村長たち。
 こうして。
 モンモランシーは、勇者に仕立て上げられたのであった。

########################

 身にまとわりつく朝もやは、まるで冷気の化身のごとく。
 闇の寒さを白にたくわえ、服の上からでも、少しずつ体温を奪ってゆく。
 ……モンモランシーがレイトを連れて、魔王退治に出かけたのは、翌日の朝早くだった。

「……で、遠いの? そのバラモッソって人のアジト?」

 細い山道を行きながら、彼女は、数歩先を行くレイトの背に問いかけた。
 彼の腰には、レイトが自ら打った剣がぶら下がっている。武器屋ならばともかく、アクセサリー屋が打った剣など、まさに飾りでしかないのだが。

「……いいえ。それほど遠くはありません……。どうやってバラモッソを倒すか、相談する間もなく着いてしまうでしょう……」

 草を踏み分け、言うレイト。

「相談って……今さら何を相談する必要があるのよ? その『光る玉』って魔道具うばって、さっさと倒したらいいだけの話でしょ」

「……そんなミもフタもない……。ともかく、油断しないでくださいね。かりにも相手は……かつて『お芋の大魔王』と呼ばれた男なのですから……」

「あの……その……『お芋の大魔王』って……めちゃめちゃ弱そうな呼び方……」

「……仕方ないですよ。お芋が村の名産品なんですから……。その名を冠するということは、どれほど村で恐れられていたか、その証なのです。……ちなみに、この『お芋の大魔王』という名前も、みんなで相談して決めました……」

 などと話しながら進むうち。
 突然、レイトがヒタリと足を止めた。

「……音がします……」

「音?」

 言ってモンモランシーも立ち止まり、耳をすます。
 どこかで鳥が鳴いている。渡りゆく風に鳴る草木。山の中なら普通に耳にする音である。
 だが、それに混じってかすかに……。
 聞こえるのだ。何かの音が。
 かわいた木ぎれがぶつかるような、そんな音。
 それが少しずつ近づいて来る。
 緑の中をのびる山道は、朝もやの奥にかすんで消えて……音はその先からやって来る。

「……誰か……来ます……」

 押し殺したレイトのつぶやき。
 続いて。
 風に乗って聞こえてきたのは、男女の話し声らしきもの。

「……やっぱり、やめた方がいいんじゃないかな……?」

「そうはいきません! 一宿一飯の恩、って言うじゃありませんか! 泊めていただいたのですから……バラモッソさんのために、少しは働かないと!」

 やがて。
 煙る白をかきわけて、朝もやの奥から現れたのは……。
 マント姿の二人のメイジ。
 栗色の少女と、金髪の少年。
 彼らの姿を見た途端。

「ギーシュ! あなた、こんなところで何をしてるのよ!?」

「えっ!? モンモランシー!? 君こそ、いったい……」

「しかも……そんな泥棒ネコと一緒に!」

 モンモランシーは、大きく叫んでいた。

########################

 ギーシュ・ド・グラモンは、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシにとって、旅のパートナーである。恋人……といってもいいかもしれない。
 あからさまに彼女に愛をささやくし、彼の本命は、どう見ても彼女なのだが……。
 しかし女好きのギーシュは、ついつい他の女性も口説いてしまうのであった。
 つい最近も、街ですれ違った栗毛の学生メイジからニコッと微笑まれただけで、フラフラとそちらへ。
 栗毛の少女の方でも、ギーシュから美辞麗句を並べ立てられ、まんざらでもないという表情となり……。
 怒ったモンモランシーは、

「ギーシュ! あなた……しばらく一人で頭冷やしてなさい!」

 と言い捨てて、彼を置き去りにして、その街を出たのであった。
 だが……。
 そのギーシュが、問題の栗毛女と二人で、こんなところに現れようとは!

「あら。誰かと思えば……ギーシュさまの元カノじゃありませんか」

 栗色の髪をした可愛い少女ケティが、モンモランシーを『元カノ』扱いする。顔に似合わぬ、辛辣な言い方であった。
 ケティは、見せつけるようにギーシュと腕を組むが、ギーシュの方では慌てて、

「モンモランシー、誤解だ! 彼女とは、ただ一緒に、この山まで遠乗りに来ただけで……」

「……そして山で一晩、幸せな時間を過ごしたのですよね、ギーシュさま」

「ケティ! そんな、誤解が深まるようなことを……」

 ギーシュは、首を振りながら言った。冷静な態度を装っていたが、冷や汗が一滴、頬を伝わっていた。

「やっぱり、そこの栗毛の泥棒ネコに、手を出していたのね?」

「そんなわけないじゃないか! まだ君にすら、指一本、触れてないというのに! お願いだよ、『香水』のモンモランシー! 咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りで歪ませないでくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」

 弁明するギーシュであったが……。
 ケティが彼の腕に抱きつき、密着すると、彼の顔も一瞬ニヤけてしまう。
 それをモンモランシーは見逃さなかったし、ケティもまた、それに気づいていた。

「ほら! ギーシュさまは、もう私のものですから! 元カノさんは、おとなしくお引き取りくださいな」

「はあ? 泥棒ネコの分際で、何を言ってるのかしら? あなたこそ、自分が単なる浮気相手……一時の気まぐれで相手してもらってるだけ、ってこと、わかってないみたいね」

 女の情念が火花となって、二人の間に走る。

「どうしてもギーシュから離れないつもりなら……これでどう?」

 モンモランシーが杖を振り、ギーシュとケティを水の塊が襲った。
 今のモンモランシーの精神力は、いつもの彼女からは考えられないくらい、高まっていた。まるでトライアングルかスクウェアのような、強烈な魔法だった。

「きゃっ!?」

 ギーシュと共に吹き飛ばされたケティは、その衝撃で、手を放してしまう。
 立ち上がった彼女は、キッとモンモランシーを睨みつけ、

「そちらが実力行使で、ギーシュさまの意志を無視して、彼を奪い返そうというのであれば……私も容赦しません!」

 杖を振り下ろすと、竜巻のような強風が発生する。
 こちらも、本来はドットかラインであろうに、まるでトライアングルかスクウェアのような、強烈な魔法だった。

「……やれやれ。あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ。薔薇は奪い合うものではなく……共に愛でるべきものだというのに」

 女同士の激突の場から、いち早く逃げ出して、ギーシュは、しみじみとつぶやいた。
 綺麗な言葉で飾ってはいるが、言っている内容は男のわがまま……『三人でいっしょ』というやつである。
 彼はハンカチを取り出すと、ゆっくりと顔を拭いた。モンモランシーの怒りを買って水魔法をくらうのは、もうすっかり慣れっこである。

「……あの……」

 そんなギーシュに、レイトが歩み寄り、声をかける。

「……あの二人……あのままでいいのでしょうか……。私たちはどうするべきなのか、相談しませんか……?」

########################

 戦いは、果てしなく続くように思えた。
 とっくに朝もやも消え、姿を見せた太陽が、木の葉を透かして大地にまだら模様を描く。
 光と影が織りなすその世界の中。
 二人の少女は駆けてゆく。
 呪文と罵声を、お互いにぶつけながら。

「ギーシュさまは渡しません! 元カノなんかに返しませんから!」

「だから! 元々あなたのものじゃない、って言ってるでしょうが!」

 普通ならば一発でノックアウトしても不思議ではない、強烈な魔法をくらいながらも、二人の少女は倒れない。
 ともに決定打の放てぬまま、呪文の応酬がさらに続く。
 水と風が激突し、暴風雨と化す。

「おーい、二人とも! そろそろ、その辺にしておかないと……」

 離れたところか呼びかけるギーシュの声は、二人には届かなかったらしい。
 それどころか、二人は、自分たちの今いる場所すら、わかっていなかったのかもしれない。
 戦ううちに、いつしか二人は、ひらけた場所に出ていた。
 つまり……村のすぐ近くに。

「……やっぱり……まずいですね……。みんなで相談しないと……」

「そんな悠長なことを言ってる場合ではないだろう? 見たまえ!」

 遠くから見物するだけのレイトとギーシュには、何も出来ない。
 すでに被害は、村にも及び始めていた。

「なんじゃこりゃあ!?」

「竜巻だ! 洪水だ!」

「これが……予言にあった『滅び』なのか!?」

 右往左往する村人たち。
 立ち並ぶ家々は、モンモランシーとケティの呪文応酬のとばっちりで、もうとんでもない状態になっている。
 ことここに至り、モンモランシーも、ようやく周囲の様子に気がついた。

「ちょっと! ストップ! 一時休戦!」

 彼女はケティに呼びかけるが、ケティの方では、まだ状況を理解していないらしい。相変わらず、呪文を唱え、杖を振る。

「……仕方ないわね。こうなったら、奥の手を使うしか……」

 ケティの魔法をかわしつつ、モンモランシーは、懐から小ビンを取り出した。
 一見すると、ごく普通の香水が入った小ビンである。
 彼女は、その中身である透明な液体を……。

「えいっ!」

「きゃっ!? 何するんですか! 飲んじゃったじゃないですか!」

「……だって飲ませるつもりだったんですもの」

 呪文詠唱のためにケティが口を開いているタイミングを見計らって、ケティに投げつけたのだ。
 口に入ったのは、ほんの数滴。しかし、その効果はてきめんであった。

「あ……あれ……?」

 戸惑うケティ。
 目の前のモンモランシーに対する敵意が消えていくのだ。
 それどころか……。

「モ……モンモランシーさまぁぁぁっ!」

 膨れ上がる好意。
 ケティは、泣きながらモンモランシーに走り寄り、彼女にしがみついた。

「大好き! モンモランシーさま大好き!」

「こら、キスはやめなさい! 私そういう趣味ないから! 私のこと好きだというなら、ちゃんと私のいうこと聞きなさいよ!」

 突然の変化に、はたから見ていた者も戸惑う。
 恐る恐る、二人に近づいていくギーシュ。
 ケティがモンモランシーにベタ惚れ、という状態に見えるし、ここに混じれば『三人でいっしょ』になるのかもしれないが……。
 ギーシュの本能が、危機を感じ取っていた。

「モンモランシー……いったい君は、ケティに何を飲ませたのかね? 香水ではなく、何かのポーションのようだったが……」

「ああ、あれね。いつかあなたのために……と思って作っておいた、ちょっとしたポーションよ」

 ケティの求愛から顔をそむけつつ、モンモランシーがアッサリ答える。
 彼女は『ちょっとしたポーション』と言ったが、『ちょっとした』どころの話ではない。なんと、いけないことにそれは禁断のポーション。国のふれで、作成と使用を禁じられているシロモノ……強力な惚れ薬であった。

「……材料費は高くついたけど……ま、この効果を見れば、それだけの価値はあったわね。……もったいない使い方しちゃったけど、これでこの子は私には逆らえないはずよ」

「そうか、僕のために、か……。なんだかよくわからないが、君は、本当に僕のことを想ってくれているのだね!」

 ガバッとモンモランシーに抱きつこうとするギーシュ。
 しかし、ケティがそれを阻む。

「やめてください! モンモランシーさまは、私のものです!」

「え? ケティ……そんな……」

 ケティの豹変ぶりに、さすがのギーシュも青くなる。
 ようやく理解したのだ。モンモランシーのポーションの威力を。

「モンモランシー! 君は、こんなシロモノを僕に飲ませようとしたのか!」

「仕方ないじゃないの! あなた、いつも浮気ばかりするから……」

 モンモランシーが、何やら言いわけを始めようとした時。

「……ようやくわかったぞ……!」

 横から聞こえたその声は、村長のものだった。
 モンモランシーとギーシュが、そちらにチラリと目をやれば……。
 出迎えたのは敵意の視線。
 村長を筆頭に、村人たちが、棍棒やら包丁やらを手にしている。

「わしには……ようやくわかったぞ! 真の魔王が一体誰なのか!」

 怯えつつ、それでも村長は声を張り上げて、手にした棒きれでピシッとモンモランシーを指し示す。

「予言にある、心を闇に堕とした力あるものとは、バラモッソのことではない。おぬしのことを指しておったのじゃ! 魔王モンモランシー!」

「そのとおり!」

 新たな声は、反対側から聞こえてきた。
 皆がそちらを振り向けば、少し離れた納屋の陰に、三十前後の、黒髭をたくわえた大男。金メッキのアクセサリーを体のあちこちからぶら下げており、なんとも趣味が悪い。
 ぷるぷる小刻みに震えている彼こそが……。

「きさま、バラモッソ!」

 村長の上げる驚愕の声。
 そう。
 それは村人たちを苦しめて、魔王と呼ばれた男だった。

「さてはこの機に乗じて、村に復讐するつもりか!?」

「違うな」

 実は臆病者なのか、物陰から出ようともせず、少し顔を出すだけで、

「より強大な敵が現れたのだ。今は協力して、それに当たるべきではないか?」

「……なっ!?」

 意外な言葉に、驚く一同。

「……バラモッソ……お前……」

「おっと。勘違いするなよ。……村に復讐するのは、この俺だ。他の者に荒させはせん。それだけの話だ……」

 なんだかかっこいいことを言い放つが、なんのことはない。実際のところ、村のものを盗んで食べて暮らしているので、村が荒されて困るのは、バラモッソ自身なのだ。

「……おお……そうか……そうじゃったのか!」

 そのバラモッソの言葉を聞いて、感激の声を上げる村長。

「……わしは……とんでもない勘違いをしておった……。でっきりバラモッソが予言の魔王だと思っておったが……まさかそのバラモッソが、予言にある『黄金のメイジ』のことじゃとは!」

 村長の言葉に、村人たちがオオッとどよめく。彼らのうちの何人かは、バラモッソのアクセサリー……『黄金』の色をしたアクセサリーに視線を向けていた。

「今まさに……予言は成就されるのじゃ!」

 蒼穹に遠いまなざしを向け、感きわまって言う村長。
 まるで英雄伝承歌(ヒロイックサーガ)のワンシーンであるが、雰囲気に流されるモンモランシーではない。

「……ちょ……ちょっと待ってよ! いったい私のどこが魔王だっていうのよ!?」

「……その金髪だ……」

 モンモランシーの抗議に、冷たく言い放ったのは『黄金のメイジ』扱いされたバラモッソ。
 かつてはモンモランシーこそが、その金髪ゆえに『黄金のメイジ』と思われていたわけだが……。

「ただの魔王ではない。お前は……魔王を超えた魔王……『金色の魔王(ロール・オブ・ナイトメア)』……」

 不気味につぶやくバラモッソ。
 村人たちの間に動揺が走り……。

「そういえば……聞いたことがある」

 村人の一人、鯰のような髭を生やした、スキンヘッドの男が口を開く。
 続いて、別の者も。

「俺も……そういえば聞いたことがある」

 今度は、肩に星形の痣のある男だ。

「なぜ『金色の魔王』と書いて『ロール・オブ・ナイトメア』と読むのか……不思議だったのだが……」

「……金色の縦ロールのことだったのか!」

 皆が一斉に、モンモランシーの金髪……その縦ロールの部分に注目する。

「外見だけではない。つい先ほどまで対立していた少女を手なずけた、その妖術……それも魔王の力であろう!?」

 さらにバラモッソは、ケティの態度の豹変ぶりをもって、モンモランシーを追い詰める。
 これでは言い逃れも難しい。もはや村人たちは、聞く耳持たん、という状態だ……。
 モンモランシーは、そう判断して。

「ギーシュ! いったん退くわよ!」

 離れようとしないケティを引きずったまま。
 ギーシュと共に、ダッシュで山の中へと駆けていったのだった。

########################

「……やっぱり……相談って本当に良いものですね……。困った顔をして座ってるだけで、参加した気分になれるところが、もうたまりません……」

 のんびりとつぶやくレイトの言葉は、誰も聞いていない。
 村の中央にある広場……というより単なる空き地。
 そこでは今、村長とレイト、そしてバラモッソを中心とした、村人たちによる対策会議が開かれていた。

「魔王たちはおそらく、この俺のアジトを拠点としているはずだ」

「『俺のアジト』って……もともと、あそこは村の炭焼き小屋……」

「今はそんなこと言ってる場合じゃない!」

 村長のツッコミを、バラモッソはビシャッと切って捨て、

「今はまだ、覚醒した魔王……『ロール・オブ・ナイトメア』モンモランシーの力も小さく、その取り巻きもメイジが二人。だが、このまま魔王の力が大きくなっていったらどうなる? ……みんなも見ただろう、魔王の妖術を!」

「敵対していた少女をアッサリと味方に取り込んだ、あの奇怪な技……」

「そうだ! いったい次は、誰が魔王の配下に変えられてしまうのか……お前たちの家族かもしれんし、お前たち自身かもしれん! やがては、この村の全てが、魔王の支配下におかれるかもしれん!」

 バラモッソの話に引きずり込まれる村人たち。
 そんな中、村長は一人、反論を試みる。

「し……しかし……こちらに予言の勇者がいる以上……」

「ではその予言には、『村は無事だ』とあるのか? ん?」

「……うっ……」

 見下した目で指摘され、村長の顔色がまともに変わった。

「……ならば、その前に、こちらから討って出るしかない。実は、この俺に案がある。みんなには、それに手を貸してもらいたい」

「……どんな案なのです? それが採用されたら、この相談も終わってしまうわけですが……」

 レイトに問われて、バラモッソは、ニヤリと不敵に笑って、

「まず村の連中で、二人のメイジ……ケティとギーシュを引きつける。もちろん、倒せとは言わん。時間を稼ぐだけでいい。その間に俺とレイトで、『ロール・オブ・ナイトメア』モンモランシーを倒す」

 ……ざわざわ……。

 村人たちに広がる動揺の色。
 ギャラリーではなく参戦しろ、と言われたのだ。
 バラモッソは、その動揺の色を見て取って、

「やるしかないだろう? やらねば村は滅ぶのだから」

 沈黙する村人たち。
 それを肯定と判断して、レイトが場をまとめる。

「……では、そこまでは決まったとして……今度は、二人で魔王を倒す方法を、みんなで相談するということで……」

「そちらも策がある。まずお前が魔王に当たれ。あとはこの俺がなんとかする」

「……え?」

 眉をひそめるレイト。

「ではバラモッソは、何をするのです? ここまでの話では、バラモッソは何もしないような……?」

「そ……それはだな、俺には秘密の役割があって……」

 露骨に視線を泳がせ、しどろもどろになるバラモッソ。
 そこに。

「ずいぶんとモメているのですね」

 ぴしっ。

 横からかかったその声に、場の全員が凍りついた。
 しばしの硬直と沈黙の後。
 全員が恐る恐る振り向くその先には……栗毛の美少女メイジ、ケティの姿!

「んうわぁぁあぁぁぁあぁっ!?」

 悲鳴を上げて身を引く一同。

「……攻めて来ちゃいましたねえ……ここはひとつ、みんなで対処法を相談……」

「馬鹿野郎! 今さら相談なんかして間に合うわけないだろ!? ここはともかく、このバラモッソさまの作戦どおりに……」

「……みなさん、何か誤解しているようですが……私は魔王退治のお手伝いに来たのですよ」

 ぴたりっ。

 彼女の言葉に、一同の動きが再び止まった。

「ど……どういう意味だ……? いや、どういう意味でしょう、ケティさん?」

 真っ先に、我に返ってシッポ振るバラモッソ。

「簡単な話ですわ。魔王の術を打ち破って、そのコントロールから解放されたのです」

 おおおおっ。

 村人たちの間から、歓声が上がる。

「だから逃げてきたのですが、でも、やっぱり魔王をこのままにはしておけません。……少なくとも、ギーシュさまだけでも、魔王の支配から解放して差し上げないと」

「ということは、あの男も……ただ魔王の術で操られているだけ、と?」

 村長の問いかけに、ケティは力強く頷き、

「もちろんですわ! あんな魔王に、自分の意思で惚れる男がいるわけないでしょう?」

「そ……そうか! では、うまくやれば彼の方も魔王から引き剥がすことが出来るということじゃな? そうすれば、魔王を守護する者はゼロとなり、敵は魔王一人に……!」

 言っているうちにエキサイトしてくる村長。魔王は魔王、一人でも十分脅威のはずなのだが、そんなことケロッと忘れたかのような口調である。

「はい! しかも私、魔王に支配されている間に、その弱点にも気づいてしまいました」

「なんと!? 魔王の弱点とは!?」

「実は……芋なんです」

「芋!?」

 ケティの説明によると。
 この村の名産物である芋。それこそが魔王の天敵。魔王の魔力に悪影響を及ぼす……。

「……ということは、魔王が世界を滅ぼす第一歩としてこの村を襲ったのも……この村が魔王にとって脅威となりうるからなのか!?」

 ざわっ。

 バラモッソの言葉に、村人たちがざわめく。
 確かに、そう考えれば話の辻褄は合う。しかしそれは、この村には魔王に対抗するすべがある、という希望と共に、魔王はこの村を仇敵として執拗に狙うであろう、という絶望をも意味していたのだ。

「ちょっと待つのじゃ。今の話は、ちとおかしい」

 村人たちを鎮めるかのように。
 村長が、厳かな口調で言う。

「魔王モンモランシーは、もてなしの意味で用意した芋料理を普通に食べておったぞ?」

「それは……カモフラージュのためですわ」

 すぐさま反論するケティ。

「自分が魔王であるとバレないように。魔王の弱点が芋だとバレないように。……苦しいのを我慢して、わざとやったことなのです」

「そうか……そういうことじゃったのか!」

 これで村長も納得したところで、ケティはさらに、

「みなさん、芋料理を用意してください。私が戻って、まだ魔王の支配下にあるフリをして……それを食べさせますから!」

「では少々お待ちを」

 村人たちの一部が、各自の家の方にとって返し……。
 待つことしばし。
 軽く調理されたお芋持参で、彼らは戻って来る。もちろん、パッと見では『芋料理』には見えないよう、うまく調理されている。

「では、みなさん。明日の今頃、魔王のアジトに来てください。それまでに、これで私が魔王を弱らせておきますから!」

 おおおおっ。

 わき上がる歓声の中。

「ちょ……ちょっと待ってくれ! それで本当に魔王が弱ったのかどうか……どうやって判断したらいい!?」

 実は臆病なバラモッソが、最後の質問を投げかける。
 彼を安心させるように、ケティは笑顔で、

「今は人間の少女の姿をしている魔王ですが、もっと芋を食べさせてその力を削げば、もう人間の姿を保つことも出来ず、魔族本来の禍々しい姿に戻るはずです。ですから、魔王が本来の姿で出てきたときが、攻撃するチャンスということで……」

########################

「……という話を披露してきました。打ち合わせどおりに」

 村の西にある山小屋の中。
 一つしかない丸いテーブルを囲んで、ケティは、モンモランシーとギーシュに報告をしていた。
 そう。
 彼女が素直にモンモランシーの言うことを聞いていたのは、魔王の妖術などではなく、惚れ薬の効果。それが簡単に終わるはずもなく、いまだに彼女は、モンモランシーの支配下にあったのだ。
 ケティが村長やバラモッソなどに話した内容は、すべてモンモランシーが考え出した作り話である。

「ごくろうさま。これで明日には、この話も終わるわね……」

 ため息混じりにつぶやくモンモランシー。
 このまま村を逃げたりしては、村を壊した犯人として手配されるおそれもあった。
 そこで、魔王と裏切りの配下を演じ、共倒れになる……というシナリオを組んだのだ。

「ギーシュ、明日やるべきこと……わかってるわね?」

「大丈夫だよ、モンモランシー。僕はゴーレムで『魔王』を造り出し……ケティと共に適当に戦って『倒れて』……それでいいのだろう?」

 村人たちを納得させる意味で、最後のトドメは、村の勇者ごっこ二人にやらせよう、という予定である。本物のモンモランシーが出ていくわけではなく、あくまでも『魔王』役のゴーレムを使うため、モンモランシーの身に危険が及ぶ心配もない。
 ギーシュのゴーレム作成技術ではモンモランシーそっくりの『魔王』を造るのは無理かも……ということで『芋で弱って人の姿を取れなくなる』という理屈も考えておいた。それを信じて、村人が芋料理を用意してくれたので……。

「大丈夫みたいね。それじゃ……食べましょう!」

 テーブルの上には、ケティが運んできた芋料理がズラリと並んでいる。
 大役を果たしたケティは「ほめてほめて」という表情でモンモランシーにしがみついているので、モンモランシーは頭を撫でてやっている。ちょっと鬱陶しいが、この程度ならば、まだモンモランシーも我慢できる。
 ギーシュは、密着した二人の女性の間に割り込みたいのだが、それは出来ない。惚れ薬の影響下にあるケティが、もうギーシュへの興味をなくし、むしろモンモランシーを独占するためにギーシュを邪魔者あつかいしているからだ。だからギーシュも我慢している。

「ギーシュ、まだあなたは食べてないでしょうけど……この村の芋料理、本当に美味しいんだから! 一口食べただけで、ほっぺたがとろけちゃうくらい!」

 夫に自慢の手料理をすすめる新妻のような笑顔で、ギーシュに芋料理をすすめるモンモランシー。
 こうして。
 ささやかな芋料理パーティーが始まった。

########################

 バタンッ!

 山小屋の扉が勢いよく開いて、中から青光りする人影が飛び出してくる。
 少し離れた茂みに隠れて、その様子を観察する一団があった。

「あれが……魔王の本当の姿なのか?」

「……そうだと思いますが……一応みんなで相談してみましょうか……」

 バラモッソやレイトなど、村人たちの有志である。
 ……ケティと打ち合わせた翌日。彼らは、彼女から持ちかけられた作戦どおりに、弱体化した魔王を滅ぼしに来たのであった。

「今さら相談などしてどうする! わしが断言しよう、あれこそが魔王の正体じゃと! 見よ、あの禍々しい姿を!」

 村長の言葉には、一応の説得力があった。
 なにしろ。
 小屋から出てきた『魔王』は、ツリ目胸デカ角三本、おまけに手の数六本という、あやしさ満載の形をしていたのだ。
 そして、一同が見守る中。

「みなさん! 今がチャンスです! 今なら魔王も弱っています!」

 大声で叫びながら、ケティがギーシュと共に、『魔王』を追って出てくる。
 彼女の呼びかけで、『魔王』の方でも、隠れている者たちの存在に気づいたのか。その首をギギッと茂みに向けて……。

「ち、ちくしょうっ! こうなりゃあ、もうヤケだっ! いくぜ、みんな!」

 バラモッソが叫んで茂みから飛び出す。つられて何人かの村人たちも。

「さあ! 私たちが押さえつけている間に、早く!」

 ケティとギーシュが『魔王』に組み付き、その動きを止める。

「……でも……そんなことをしたら、あなたたちまで酷い目に……。そうならないよう、ここはやはり、みんなで相談するべきかと……」

「何を言ってやがる、レイト! いいって言ってんだから、あの二人ごとやっちまえばいいんだろ!?」

 及び腰のレイトとは対照的に、二人ごと殺る気満々のバラモッソ。彼は懐から、切り札の魔道具『光る玉』を取り出した。
 それを見て、ケティとギーシュは、慌てて『魔王』から離れる。

「きゃー。吹っ飛ばされたー」

「僕たちはもうダメだー。でもチャンスは今しかないぞー」

 白々しいセリフを吐きながら、ガクッと倒れ込む二人。
 これは演技ではないか……などと疑っている余裕は、バラモッソたちにはなかった。

「あんたたちの犠牲……無駄にはしねえ!」

 魔道具から光が放たれ、『魔王』を直撃。
 一瞬遅れて、まるで爆発するかのように、『魔王』は四散したのであった。

########################

「……勝った……のか……?」

 茫然とバラモッソがつぶやいたのは、しばしの沈黙の後。

「……さあ、どうでしょうか。ここはやっぱり、みんなで相談して決めるべきかと……」

「その必要はない。勝利は……誰の目にも明らかじゃ!」

 村長の言葉に……。

 ……ぅおおおおおおっ!

 村人たちの声が、村はずれの山にこだまする。

「やったな! レイト!」

「見直したぜ、バラモッソ!」

「あんたたちならやってくれる。私は信じてましたよ」

「……よくやった! 二人とも!」

 祝福する村人たちをかき分けて、村長が二人の前へ。

「……おぬしらの活躍で、魔王は倒れ、世界は救われた! ここに予言は成就されたのじゃ!」

「最後は俺一人の力で倒したようなものだが……まあ、これも予言の勇者二人の力、ということにしておこうか。それでも半分は俺のおかげ、ってことになるよな、村長」

 バラモッソの言い方に引っかかるものを感じて、村長は顔色を変える。

「……何が言いたい? バラモッソ?」

「なぁに。たいしたことではない。世界を救ったこの俺に、それなりの礼があってもよいのではないか、と言っているだけだ」

「礼とは……何が欲しいのじゃ? カボチャか? キャベツか? それとも……若い娘の尻か?」

「おいおい。冗談は止してくれ。そんなものが世界と釣り合うのか? ……そうだな、村の蓄財の半分といったところで手を打とうか」

「……あのぅ……バラモッソさん。それは相談するまでもなく、理不尽な話ではないかと思うのですが……」

 レイトが口を挟むが、バラモッソは余裕の笑みを浮かべたまま、

「俺は全部とは言ってないぞ。蓄財の半分だ。『二人の勇者』の一人だからな。残り半分はお前の分だ。お前が口出しできるのは、お前の取り分に関してのみ。俺の分までどうこう言う権利はない」

「……そう言われると……そんな気も……。では、この件に関しては、やはり相談が必要かと……」

 レイトが丸め込まれそうになる中。

「そんなことをされれば村が滅びる!」

 大声で異を唱える村長。
 が。

「そんなことは知ったことではないな」

「……おのれ……バラモッソ……! つけあがりおって……はっ!」

 村長は突然、驚愕の表情を浮かべ、

「……ま……まさか……! 予言にあった魔王とは、やはり実は、お前のことだったのでは……?」

「ちょ……ちょっと待て、村長! 魔王はあのモンモランシー……村長自身がそう言ったじゃねえか!」

 またまた魔王呼ばわりされて、バラモッソも慌てて言い返す。

「いや! 彼女は予言の魔王とは別物だったのかもしれん! ……そうじゃ、あれを『魔王を超えた魔王』だと言ったのは、おぬしではないか! たくさん魔王がいるからこそ『魔王を超えた魔王』という言葉も出てくるのであろう!?」

「そんな……魔王のバーゲンセールみたいな話があるもんか! だったら村長、あんただって魔王かもしれないだろう!?」

「……なっ……! 失礼な! わしのどこが魔王じゃ!?」

「……二人とも落ち着いてください……。こういう場合は冷静になって、みんなで相談して決めるべきですよ……」

「お前は黙っておれ、レイト! それとも何か、実はお前も魔王か!?」

「そうだぞ、お前は口を挟むな! 何かと言えば相談、相談と……きさまなんて『相談魔王』だ!」

「……それこそ言いがかりじゃないですか……」

 何が何やら、もう収拾がつかない。
 そこに。

「いいかげんにしなさい!」

 ザバァァァッ!

 見るに見かねてモンモランシーが放った水魔法が、三人まとめてビショ濡れにした。
 水の勢いで地面に叩きつけられた彼らは、なんとか顔を上げ、

「……う……おぬし……は……」

「……モンモランシー……さん……?」

「生きて……いたとは……」

「生きてるわよ!」

 小屋の奥から出てきて、彼女は大きく胸を張る。

「モンモランシーさま! 出て来てはダメじゃないですか!」

「もうお芝居はおしまい……ってことかな?」

 ケティとギーシュも、ヒョッコリ身を起こす。

「そういうことよ。あまりにバカバカしくて……もうやってられないもの。せっかく人が苦労して、『魔王を倒した』って気分で終わらせてあげようとしたのに……」

 言ってモンモランシーは、ジロリと村長の方を向き、

「あなたたちの予言ごっこにつき合うのも、もうウンザリ! そもそも予言予言っていうけど、予言なんて解釈しだいでどうにでもなるものでしょ!」

「いや、あの予言の解釈は一つしかない! なにしろ、わしが小さい頃、じいさんが目の前で羊皮紙に手書きで……」

「それじゃ子供相手の作り話じゃないのぉっ!」

 ごぼごぼごぼ。

 ツッコミ代わりの水魔法が、村長に炸裂する。
 続いてモンモランシーは、村人一同をグルリと見回し……。

「次! あなたたち!」

 ピシッと指さしたのは、『そういえば聞いたことある』の二人。

「あなたたちは、どこの誰から聞いたの!?」

「おやじから聞いた。おやじは小さい頃、村長のじいさんから教わったと……」

「おふくろから聞いた。おふくろは小さい頃、村長のじいさんから教わったと……」

「やっぱり全部、あなたの家から出たデタラメじゃないのぉっ!」

 ごぼごぼごぼごぼごぼ。

 またまた村長に向かって杖を振る、モンモランシーであった。

########################

 こうして。
 魔王疑惑の晴れたモンモランシーたちは、翌日、村をあとにした。
 彼女たちの魔法で村に与えたダメージは、魔王呼ばわりの精神的ダメージと相殺……ということでチャラ。特に修理費を請求されることもなく済んだ。
 バラモッソに関しては……どうなったのか、モンモランシーたちは知らない。レイトが中心になって、みんなで相談して決めるそうだが、結論が出るまで見届けるつもりなど毛頭なかった。
 それよりも。

「……で、モンモランシー。この状態は、いつまで続くのかね?」

 緑繁る山道を歩きながら、困った声で聞くギーシュ。
 なにしろ、モンモランシーの横には、ずっとケティが、べったり密着しているのだ。「モンモランシーさまに悪い虫がつく」とのことで、ギーシュは近づくことすら許されない。

「そのうち治るはずだけど……」

「そのうちとは、いつ頃かね?」

 ギーシュに問われて、モンモランシーは首を傾げる。
 彼女だって早く何とかしたいのだが、材料が入手困難……というより、もう『水の精霊の涙』が手に入らないため、解除薬の作成は不可能なのである。

「個人差があるから……そうね、一ヶ月後か、それとも一年後か……」

「君は、そんなシロモノを僕に飲ませようとしたのか」

 前と同じようなことを言って、同じように青くなるギーシュ。
 まだ惚れ薬の小ビンは二つ残っているのだが、モンモランシーは、敢えてそれを彼に告げなかった。
 ちなみに。
 個人差ゆえか、あるいは、口にしたのが少量だったせいか。
 惚れ薬の効果は、一週間で終了した。
 その一週間のことをバッチリ覚えていたケティは真っ赤になり、平謝りの二人の前から、風のように姿を消したという。





(「金色の魔王、降臨!」完)

########################

 今回は「魔王降臨」(すぺしゃる十九巻収録)をベースとして、すぺしゃる四巻および十巻も一部参考にしました。
 あんなルビを『金色の魔王』に付けてしまいましたが……。もしも「スレイヤーズ」風のあとがきならば、L様に撲殺されていたところでしょうね。

(2011年11月11日 投稿)
   



[26854] 第十四部「グラヴィルの憎悪」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/11/14 23:13
    
 それは通りの奥から、かすかな風に乗って流れてきた。
 硬いもののぶつかりあうような音……すなわち、剣戟の響き。
 戦っているのだ。何者かが。

「……とりあえず、ここを離れた方がよさそうね」

「ああ……」

 私もサイトも、よくわからぬ争いに首を突っ込むつもりはない。
 頷きあうと、音に背を向けるようにきびすを返し……。

「……止んだ……」

 サイトがつぶやく。
 剣戟の音が消えたのだ。
 戦いが終わったのだろうか……?
 思った刹那。

 ドガァッ!

 すぐそばの民家の壁が、轟音と共に砕け散る。

「……な……!?」

 飛び散る破片、舞う土煙。
 二人はとっさに飛び退いて、破片の直撃はなんとか避けていた。
 夕日を浴びて、オレンジ色にたゆたう土煙の中……。

「……何者だ!? 貴様ら!?」

 現れ出たのは影二つ。
 片方は、長剣を片手に、軽装鎧を身に着けた剣士。
 そしてもう片方は……。
 全身を黒い服で包み込み、その顔も、目の部分を除いて、すっぽりと黒い布きれで覆っており、性別すらわからないほど。つまり、典型的な暗殺者スタイルというやつだ。
 杖を手にしているが、『ブレイド』をかけているらしく、魔力の刃が青白く光っていた。
 私たちに誰何の声をかけてきたのは、暗殺者メイジではなく、剣士の方である。

「メイジと剣士か……どこの手のものだ!?」

 再び問いかける剣士。
 ……いや……どこの手のもの……とか言われても……。私もサイトも、この村には来たばかりなのだが……。

「ただの通りすがりよ」

「……」

 正直に返せば、剣士はしばし沈黙し、

「……なるほど……正直に言うほど馬鹿ではない、ということか……」

 納得したようにつぶやいた。

「……いや、だから私は正直に……って……言っても無駄みたいだけど……」

 暗殺者メイジの方は、その間、無言で佇んで……。
 いきなり何の前触れもなく、大きく後ろに跳ぶ。あっという間に物陰へと姿を消し、すぐにその気配も消え去った。
 私たち二人を敵と思い込み、三つ巴を嫌ったのか、それとも無関係と判断し、これ以上の騒ぎは無用と退いたのか……。

「……ふん……」

 一方、剣士は、暗殺者メイジの消えた方に嘲笑を送り、

「どうやら俺にはかなわぬと悟って逃げたようだな。……残るは……」

 キッと私たちの方を睨みつけ、

「貴様らだけだ!」

 ……おいおい……。

「誰に雇われたか、おとなしく話して、今すぐ村を出てゆくなら、見逃してやってもいいぞ! ああん!?」

「なあ。なんか誤解してないか? あんた……?」

 呆れたような、怒ったような顔で言うサイトに、男は片眉つりあげて、

「……誤解……だと? そうか、二対一なら自分たちが有利、と言いたいわけか! しかし……」

 ドゴォォォォン!

「ヒィィィィッ!?」

 私のエクスプロージョン一発で、名もない剣士は吹っ飛んでゆく。

「あーうるさかった。あのね、サイト。あんなの相手にしちゃダメよ。時間の無駄なんだから」

「……っつっても、問答無用で叩きのめすわけにもいかんだろ?」

「娘っ子はそうしたがな、相棒」

 デルフリンガーに言われて、サイトは黙り込む。

「まあ、何はともあれ……」

 ちょっと言い過ぎたかな、と思って。
 なかば話題を変える意味で、私はつぶやいた。

「よくわかんないけど……この村も、なんだかやっかいごとが持ち上がってるみたいね……」

########################

 グラヴィルは、シュルピスから三日ほどの距離にある村である。
 おそらくシュルピスは有名であろう。何個かの街道がつながる、かなり大きな宿場街として。
 一方グラヴィルは、海岸沿いのひなびた漁村であり、それほど名も知られていない。ところがどうやら、グラヴィルのサンドウェリー寺院には、何やら大きな秘密が隠されているらしい……。
 そんな噂を聞きつけて、私たちは興味本位で、このグラヴィルに来てみたのだ。まさか村に入ってすぐに、剣士と暗殺者の争いに出くわすとは思ってもみなかったが。

「そうですか……ご覧になったのですか」

 とりあえず村を散策する前に今晩の寝るところを確保……ということで宿屋に来た私たち。
 さきほど目にした戦いをチラッと話してみたら、宿屋の主人にそう言われたのだった。

「……って……ああいうのが日常茶飯事なわけ? この村?」

「それじゃ観光客も来なくなって、大変なんじゃねーか?」

 私とサイトの問いかけに、宿屋の主人は、苦い表情でこっくり頷いた。

「港を臨む丘の上にある……サンドウェリー寺院のことはご存知ですかな?」

 私とサイトは、顔を見合わせる。
 宿屋の主人が言っているのは、隠された秘密とやらのことだろうか? 宿屋が泊まり客にペラペラ話して聞かせるような内容ならば、そんなもの秘密でも何でもないわけだが……。

「ふた月ほど前に焼け落ちて、サンドウェリー寺院は現在、機能していないのです」

「へ?」

 思いもよらぬ言葉が出てきて、驚く私たち。

「……そもそもは……それがすべてのはじまりでした……」

 宿屋の主人は語り始める。
 ……なんでもこのグラヴィル、小さな村でありながら、サンドウェリー寺院の他にも四つの分院があるらしい。
 四つの魔法系統を象徴するように、東西南北に一つずつ。それぞれの分院を運営する四人が、ゆくゆくは本院の司祭となる……という仕組みだ。
 そして、今を去ること約二ヶ月。
 原因不明の火事が起き、本院は焼失。司祭は亡くなり、突如、分院の四人から後継者を選び出す必要に迫られた。
 しかし、四人を統括すべき立場だった司祭は、このような事態を想定しておらず、まだ後継者を指名していなかった。やむを得ず、四人が話し合いで決めることになったのだが……。
 本院の司祭は、四人の誰もが望む地位である。モメないわけはない。
 最初に持たれた『話し合いの場』は、自慢と相手の悪口のオンパレード。『おまえが火をつけたんじゃないか』などというセリフまで飛び出して、単なる口ゲンカの場に成り果てた。
 物別れに終わった『話し合い』は不和の種だけを残し……ほどなく、ゴロツキや傭兵を用いる抗争へと発展したのだった。

「……ひでえ話だなあ。かりにも宗教家なんだろ……」

「ま、しょせんそんなもんよ」

 サイトの真っ正直な感想に、私は悟ったようなことを言う。
 基本的にハルケギニアの者たちは、みんなが始祖ブリミルを信仰している。聖職者でなくとも、それなりに信心深い人たちばかり。それなのに、人々の間に争いは絶えない……。
 逆に。
 聖職者の顔をしていても、心の中ではロクに神なんぞ信じておらず、ただ利用してやろう、って奴もいる。たとえば、かつて私たちが敵対したクロムウェルなども、もともとは司教だったはずなのだ。

「それにしても……」

 私は、サイトから宿屋の主人へと視線を戻し。

「おじさん、ずいぶん詳しいのね。サンドウェリー寺院のゴタゴタに関して」

 宿屋なんて経営していたら、自然と色々な情報も集まってくる……と言われてしまえば、それまでかもしれない。
 だが、話を聞いていてなんとなく、内情に詳し過ぎるような感じがしたのだ。
 ……そもそも私たちだって、サンドウェリー寺院には秘密があるらしい、ということで、この村に来てみたわけだ。ここの主人が何か知っているのであれば、突っついてみる価値はある。
 という魂胆で、宿の受付で立ち話を続けていたわけだが。

「あの……貴族のメイジさまで?」

 後ろからの声に、私は軽く振り返る。
 そこには、私と同じくらいの年齢の、巫女服を着た少女が立っていた。

「そうだけど?」

「安心しなさい。こちらのお方は、まだどの陣営にも属しちゃいませんよ」

 私の返事に続いて、宿屋の主人が少女に告げる。
 途端。
 彼女はホッとしたような顔になり、

「お願いがあります。この抗争を終わらせるために……手を貸していただけないでしょうか?」

########################

「……じゃ、あんたは分院ではなく、あくまでも本院の者だ……ってことなのね」

「そうです。マチス司祭にお仕えしていました」

 巫女服の少女は、やや悲しそうな表情で頷いた。
 ……場所は、宿屋の一階の食堂。
 立ち話もなんなので、ということで、軽く何か食べながら話をすることになったのだった。
 彼女と私とサイト、三人がついたテーブルには、若い女の子ならば誰でも気に入るような甘いデザートが並んでいる。が、彼女は、あまり食欲がないらしく、もっぱら食べるのは私だけ。

「マチス司祭……というのは、亡くなった司祭の名前?」

「はい。マチス司祭のためにも……このような騒動は、早く終わらせなければなりません」

 なるほど。
 本院のトップは焼け死んだとはいえ、そこで働いていた者たちまで死に絶えたわけではない。
 ならば、残った者たちで何とかしよう、という動きが生まれるのも当然であり。
 そのためには、傭兵やゴロツキたちを抑えつけられる戦力が欲しい、と思うのも当然であり。
 ……本院の生き残り組は、この宿屋に足繁く通ってきていたわけだ。まだ分院の派閥にスカウトされていないメイジを求めて。
 だからこの宿屋の主人も、事情に詳しかったわけね。

「……本院の火災の原因がハッキリしない……というのも、一つ大きな問題なのです……」

 彼女は言う。
 マチス司祭の後釜となるために平気で他人を焼き殺す者がいる……と信じる者がいるのだ、と。
 そう信じる者は、次に自分が狙われるかもしれない、と不安になり……。
 悪党に殺されないためには、先に相手を倒すしかない、という発想につながったのだ。

「なるほど……一種のパワーゲームね」

 頷きながら、つぶやく私。
 最初は、誰かが雇ったゴロツキ。それがはじまりだったのだろう。
 そして、目には目を、だ。別の誰かが別のゴロツキを雇い、それに対抗するために、やはり誰かが、より強い者を雇う。
 そうやってエスカレートした結果が、さきほどのような、剣士と暗殺者の戦いである。

「でも、そんな荒れ果てた状態じゃ、今さら本院から『やめてください』って言っても無駄でしょうね」

「そうなんです。だから……私たちも、力あるメイジの方々の強力を必要としているのです。……抗争要員ではなく、抑止力として」

 いや、待て。
 抑止力といえば、確かに聞こえはいい。『本院の者たちが分院の動きを監視しているので、ムチャなことはしないでください』という無言の圧力をかけたいのだろう。
 しかし……。
 甘い。大甘もいいところである。
 暗殺者まで雇う、というところまで逆上しまくった連中が、『それじゃ仕方ないです』などと、おとなしくなるわけはない。場合によっては、『邪魔だ、やっちまえ』になりかねない。

「数日。ほんの数日でいいのです……」

 私の顔色を見て。
 さらに彼女は、追いすがるように説明を続ける。

「一週間後に、ふたたび四人が集まり、話し合いをすることになっています。その場で今度こそ、本院の司祭を決定する……という約束で」

「それって……かえって危険なんじゃないの?」

 次の会談も物別れに終わる……というのであれば、まだマシ。四人が互いに不信感を抱いているのであれば、『顔も合わせたくない、その前に何とかしよう』と、誰かが暴走する可能性もあるのだ。
 それくらい、本院の生き残り組だって心得ているはず。目の前の巫女服の少女は、重い表情で頷き、

「だから……お願いします。私たちに手を貸してください」

########################

「……なんだかんだいって、押し切られちゃったな」

 昼食を済ませて宿を出て。村の北へと向かう道すがら。
 私と並んで歩きながら、サイトがポツリとつぶやいた。

「何よ。別に押し負けたわけじゃないわよ」

 つい反論する私。
 そう。
 確かに私たちは、あの巫女の持ってきた依頼を引き受けることにした。横で話を聞いていたサイトには、単純に『私が断りきれなかった』と見えたのかもしれないが……。

「覚えてる? もともと私たち……ちょっくらサンドウェリー寺院を見てみようか、って思って、この村に来たのよ」

 何やら秘密があるらしい、というサンドウェリー寺院。
 いざグラヴィルに来てみれば、騒動が持ち上がっているし。本当にウラがありそうなところである。
 実際、あの巫女さんも、それらしい態度を見せていた。

『ところで……サンドウェリー寺院の秘密って何?』

 という私の質問に対して、

『秘密……ですか? さあ、私は知りません。そういうことは、上の者にきかないと……』

 一応とぼけたフリをしていたが、何か知っているという表情になっていたのだ。
 ……まあ、どんな秘密であれ。事件にクビを突っ込んでいるうちには、オモテに出てくるに違いない……。

「でもよ、けっこう危ない話じゃん。分院の四つの陣営すべてから狙われる可能性もあるんだろ?」

「大丈夫よ。私たちなら、敵に襲われたって、はねのければいいだけだから」

 立場上、私を守るのは使い魔サイトのわけだが、私だって十分強い。そんじょそこらのゴロツキや傭兵に、負けるつもりはなかった。

「そうか。ま、考えてみりゃ……俺たちこういう、お家騒動みたいのには慣れてるもんな。トリステインのお姫さまのところとか、村人みんな人形だった村とか……。あ、魔竜王のゴタゴタも魔族内部のお家騒動、って言えるかな?」

「いやそれは違うと思うけど……」

 こうしてあらためて列挙されると、私たちの旅って一体なんだったんだろう、と少し気も滅入ってくるが。

「ともかく。とりあえず四つの分院とやらに行って、問題の四人とやらに会ってみましょう。そんなに大きな村でもないし……今日中に全員と顔合わせくらいは出来ると思うわ」

########################

 村の北にある『水の分院』。
 そこには壮麗な寺院が佇んでいた。
 四大系統のうち『水』をイメージしているからなのだろうか。建物は、ブルーを基調にした洗練されたデザインで、敷地の方もかなり広い。
 ただ……さすがにここしばらくの騒動のせいで、いまいち庭などは手入れが行き届いていない。玄関近くには、いかにも貴族くずれっぽい傭兵メイジが数人、たむろしていた。

「……荒れてるわね……」

 隣のサイトにも聞こえぬ程度の小声で、ボソッと漏らす私。
 しかしとりあえず、この分院のボスに会わなければ、話は始まらない。

「ここのトップ……えぇっと、『水の司祭』って呼ぶんだっけ。その『水の司祭』はいる?」

 たむろする貴族くずれたちに向かって、私は呼びかけた。

「……ん? 何かね?」

 傭兵のリーダー格なのだろう。こちらに背を向け、マントに包まっていた男が、言いながらユラリと立ち上がる。
 こちらを振り向き……って……!

「ギーシュ!?」

「おや。サイトにルイズじゃないか。ひさしぶりだね」

 お互いに、見知った相手だった。
 ややクセのある金髪の巻き毛。フリル付きシャツを着たキザ男。『青銅』のギーシュである。
 いくどか同じ事件に関わって、しばらく前にも、ゲルマニアの一件で共同戦線を張ったばかりだった。
 その事件が終わって、別の道へと旅立った……はずなのだが……。
 また会ったよ。おい。

「ここへ来たということは……君たちも『水の分院』で働きたいのかね? そうか、ではまた一緒だな。よろしく、サイト」

「わりぃ。俺たち、もう別のところで雇われちまって。……な、ルイズ?」

 男二人で話を進めるのは構わないが。
 サラッと重要なことを言ってしまうところが、バカ犬のバカ犬たる所以である。
 案の定、ギーシュの態度が変わった。
 顔には出さないものの、薄い殺気を身にまとい、

「……ほう。僕は一応、外まわりの警護ということになっているので……聞かせてもらいたいな。君たち……どこの味方についた?」

「本院よ」

 迷わず私はそう答えた。サイトが迂闊なことを言う前に。

「……本院? しかし争っているのは四つの分院だと聞いていたのだが……ふむ。ついに四つ巴から五つ巴になったのか……」

「違うわよ!」

 急いでツッコミを入れる私。
 サイトほどではないが、どちらかと言えばギーシュもクラゲ頭属性なのだ。放っておくと、とんでもない勘違いをしかねない。

「なんで本院が分院と並んで争わなきゃいけないのよ。……仲裁役ってことよ、ようするに」

「ああ、そういう意味か」

 ギーシュは一瞬、沈黙し……。

「……わかった。ついてきたまえ」

 言って背を向け、歩き出す。
 ずいぶんアッサリ信じてもらえたけど……いいのか? 外の警護役が、そんなんで?
 とはいえ、ツッコミを入れて「じゃあやめた」と言われても困るので。
 入り口付近にたむろする傭兵メイジの間を抜けて、私とサイトは玄関に入ってゆく。

「……こっちだ」

 ギーシュの先導に従って、大きな廊下を抜けて奥へ。
 中にもやっぱり、傭兵だかゴロツキだかわからないような連中が多い。これでは寺院というより、まるで盗賊のアジトである。
 やがて……。

「ここだ」

 ギーシュが足を止めたのは、奥まった場所にある一室の前だった。ドアをノックして、

「ギーシュです。客が来ました」

『……客?』

「本院からの仲裁役……だそうです」

『……お通ししてください』

 中から聞こえた声に従い、ギーシュは扉を開ける。
 そこは、それほど大きくもない部屋だった。
 見知った顔が一つと、知らない顔が三つばかり。
 もちろん見知った顔とは、『香水』のモンモランシーのこと。縦ロールで飾った金髪と、後頭部の大きな赤いリボンが、例によってチャーミングである。
 水メイジである彼女は、ギーシュとはカップルであり、土メイジであるギーシュが『水の分院』陣営に加わったのも、おそらくモンモランシーとセットだからであろう。
 さて。
 知らない三人のうち、二人は傭兵らしき男女。そして最後の一人が、問題の『水の司祭』らしい。
 年の頃ならば二十代の半ば。なかなかのハンサムだが、温厚……というよりもむしろ、気の弱そうな感じのする、黒髪の男である。

「本院から来られたのですか?」

 座っていた彼は立ち上がり、控えめな口調で言う。

「……ここの責任者の『水の司祭』です……」

 世俗を捨て神に仕えるという意味で、分院の司祭たちは固人名は使わない……というのは、私も事前に聞いていた。じゃあなんで本院は『マチス司祭』と名前で呼んでるんだ、とツッコミたい気持ちもあったが、そこら辺が本院と分院の違いなんだろう。

「本院の者から、このたび、村の警護を依頼されました『ゼロ』のルイズと申します。こちらは私の使い魔で……サイトといいます」

「村の警護……ですか……」

「ええ」

 私はニッコリ微笑んで、

「この村、何かと物騒になってるみたいですから。早まった連中がバカをやらかさないように見張る役……ってわけです」

 露骨なあてつけのつもりだったのだが……。

「そうなんですよね! 最近もぉ物騒で物騒で!」

 とぼけているのか、素で気づいていないのか。私の言葉に『水の司祭』はコクコク頷いて、

「あの火事以来、みんなギスギスしちゃいまして……互いに嫌がらせをやったりやられたり……。私のところなんかにも、誰かの雇った連中がやって来たこともあって、もぉ怖くて怖くて……。そんなわけで結局、私自身も護衛の人を雇わなくちゃあ、安心して眠れもしない、なんて状況になっちゃったんですけど……この費用がけっこう馬鹿にならないんですよ」

 ひと息にベラベラしゃべり始める。

「……えっ……あのっ……」

「私は亡くなったマチス司祭から、ここの分院を任されたわけですけど、ほら、ここって『水』の系統をイメージしてるじゃないですか。……私がこういうこと言うのもなんなんですけど、ほら『水』って、病気やケガの治療の時だけ重宝する魔法……ってイメージじゃないですか。世間じゃあ『水は弱い』と思ってる人たち、っていうのがけっこう多かったりするんですよねぇ……困ったことに」

「……えと……あの……」

「それで、ひらたい話をするならば、ほかの分院に比べると、ここっていまひとつ人気がなかったりするんですよね……『水の分院』だからといって、ここでみなさんの治療が出来るわけでもありませんし……。でもってその……通俗的な話で恐縮なんですが、なんというか、お布施というのも、他の場所に比べるとちょっと……というところがあるんですよ。それでもマチス司祭が健在な頃は、そのあたりのことは管理してくださってたんで、そんなに不自由はなかったんですけどねぇ。マチス司祭が亡くなられて、それぞれが独自でやりくりしはじめるようになると、やっぱりそういうのがハッキリと出て来ますからねぇ。そこに、護衛の人たちのお手当とか……」

 もう言葉を挟む隙すらない。
 いつものことなのだろう。私の隣では、ギーシュが肩をすくめている。
 ……目が滑ると言うか、耳が滑ると言うか。『水の司祭』の愚痴は、えんえん続くのであった……。

########################

 ……夕暮れの迫った村は……。

「……って、なんでもぉ陽が傾いてんのよぉぉぉっ!」

「おい! 待てルイズ! 俺に八つ当たりすんのも、通りの真ん中でエクスプロージョンぶっ放すのもダメだぞ!」

 私と並んで歩きながら、サイトは物騒なことを口にした。
 いくら私でも、そんなことするわけないのに……こいつは私は何だと思っているんだ!? もう今晩はお仕置きエクスプロージョンね!

「……長かったからな……あいつの話……」

 疲れた口調で言ったのは、サイトの背中のデルフリンガー。剣がそう思うくらいだから、よっぽどである。
 ……今日中に分院四つ全部回るつもりだったのに……。
 さすがにこの時刻になってから、ほかの三つ全部回るのは無理である。長い愚痴につき合わされて疲れたし、とりあえず今日は宿へと戻るのが得策だろう。

「まったく! これもみんなあいつが悪い!」

「……けどルイズ、そう思うなら、話、途中で止めればよかったじゃん」

 浅はかなことを言うサイトに、私はチッチッチッと指を振り、

「あまいわね。世間話とか愚痴とかの中にこそ、事件を解くカギとなるものが混じってたりするもんでしょ」

「……っつっても、この事件に謎なんてないだろ? 四人がケンカしてるから、おとなしくさせといてくれ、って話じゃん」

「わかってないわね。そもそもの原因は、本院が焼けて、マチス司祭って人が死んじゃったから。けど、事態が混乱してるのは、その火事の原因がハッキリしてないからなのよ」

 誰かが火をつけたのではないか……という噂が持ち上がり、四人の疑心暗鬼を生んだ。
 それが、今の争いを招いているのだ。
 ……つまり……。
 最初の火事がなぜ起こったのか。
 事故か。放火か。
 放火なら犯人は誰か。
 この謎をハッキリさせれば、四人の疑心暗鬼も解けるはずなのだ。

「なるほど。で、そのあたりの手がかりが見つからないか、と思って、おとなしく話を聞いてたんだな」

「そゆこと」

「……で、手がかりは?」

「それが結局なんもなかったから、こうして腹立ててるんじゃないの」

「……うっ……」

 怯えたような顔をするサイト。
 ……こいつ……私が八つ当たりするって本気で思ってるな……。

「まあ、済んだことは仕方がねえやな。ほら、娘っ子も、村の景色にでも目を向けてみな。……夕映えの中の、ひなびた漁村……ってのもイイもんだぜ」

 剣のくせに……と思いつつ。
 デルフリンガーに言われて、ふと視線を上げれば。
 港を臨む丘の上に、サンドウェリー寺院が目に入った。
 ……ふぅむ……。

「サイト、とりあえず、ちょっとあの焼け跡、寄ってみましょう」

「……? ああ、俺は別に構わないけど……」

 宿への道を少しそれ、私たちはそちらへと向かった。

########################

 道に迷う心配はなかった。焼け落ちたとはいえ、丘の上には本院の建物が見えているのだ。丘を目ざして進めば、何も考えなくてもそこへと至る。
 やたらとだだっ広い敷地。噴水に庭木にベンチ。
 そして……焼け焦げた大きな寺院。
 その前には、いくつもの花が供えられていた。
 建物の入り口には、いたずら目的で入り込む者がいないように、見張りの役人が二人、やる気なさそうな顔で立っている。
 ……うーん……入れてくれるかな……?
 などと思っていると。

「あら、ルイズじゃないの。何やってんの、こんなところで?」

 背中にかかった、聞き覚えのある声。
 まさかと思いつつ、振り向けば……。
 赤い髪を風になびかせ、通りの向こうから私に手を振る、褐色肌の巨乳娘。

「キュルケ!?」

 かつての旅の連れの一人。
 ……『微熱』のキュルケであった。





(第二章へつづく)

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 サンドウェリー寺院やらグラヴィルやらは「ゼロ魔」十七巻に出てくる名前です。

(2011年11月14日 投稿)
   



[26854] 第十四部「グラヴィルの憎悪」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/11/20 23:07
   
「あら、ルイズじゃないの。何やってんの、こんなところで?」

「キュルケ!?」

 私がサイトと出会った頃、共に旅をしていた仲間……それが『微熱』のキュルケである。
 ひょっこり突然いなくなることもあったが、魔族と本格的にやりあうようになってからは、だいたい一緒で、冥王(ヘルマスター)の一件が片づいた後、私やサイトとは別の道へと旅立った。
 覇王(ダイナスト)との対決中にいきなり現れ、加勢してくれた後、ガタガタになったゲルマニアを立て直すため、ヴィンドボナに残ったはずなのだが……。

「何やってんの……って……あんたこそ何やってんのよ!? 祖国ゲルマニアはどうしたの? ほっぽり出してきたの?」

 こちらに歩いてくる彼女に、私は問い返す。

「いやぁねぇ、そんなわけないじゃない。ある程度ちゃんと落ち着くまでは見届けてきたわよ」

 と言ってから。
 キュルケは、なんだかトホホな表情に変わり、

「……でもね。あのまま国に残っていると……貴族のゴタゴタに巻き込まれそうだったから。だってひどいのよ、あたしの両親なんて、あたしをさる老侯爵と結婚させようとまでして……」

 あちゃあ。
 そりゃ逃げるように国を飛び出してくるわな。
 しかし……あんな事件の後で早速、貴族同士の権力争いとは。ゲルマニアも永くないな……。

「そ……それはひどい話ね……」

「でしょ? で、旅してるうちに……どこか海外沿いの漁村で美味しいものでも食べようか、っていう気分になって、この村に来てみれば……」

 焼け焦げた寺院を指さすキュルケ。
 本院の火事そのものを示したわけではあるまい。それが招いた抗争のことを言っているのだ。
 ならば彼女も、現在のグラヴィルの状況は理解しているというわけだ。
 その上で、焼け跡まで来たということは……。

「ところでルイズ、サイトは?」

「へ?」

 考え始めた私の思考を、キュルケが遮った。

「……村の中を連れ歩くのも物騒だから、あたしのフレイムは『火の分院』に置いてきたけど……あなたもそうしてるの?」

 サラッと所属陣営を明らかにするキュルケ。
 ちょっと待て。
 たしかにサイトは使い魔であるが、火トカゲなんかと一緒にされては困る。クラゲ頭のバカ犬、というのは比喩であって、あれでも一応れっきとした人間である。
 などと思ったちょうどその時。

「ルイズ、入っていいってよ。……って、いつのまにかキュルケまでいるじゃん!?」

 サイトの声に振り向けば、いつのまにやら彼は、見張りの役人たちのそばにいた。

「……ちょ……ちょっと……!」

 駆けつける私に、役人の片方が、

「では私が、内側を案内させてもらいます」

 なんだかフレンドリーな口調で言ってくる。

「……え……えぇっと……それじゃ、マチス司祭の部屋、見せてもらえます?」

「ええ。それでは私について来てください」

 先に立ち、建物の中へと入ってゆく。

「……ちょっとサイト、なんて言って説明したのよ?」

 役人から数歩遅れて歩みつつ、私は小声でサイトに問いかけた。

「なんて……って……。そのまま『ここの人たちから頼まれた者なんですけど、中を見せてもらえますか』って言っただけだぞ」

 ……それでアッサリ通れるとは……いいのか、そんなことで……?

「へえ。あなたたち、顔がきくのね。……なんだか知らないけどラッキーだわ」

「……っつうかキュルケは違うじゃん。ダメだぞ、ついてきちゃ」

「いいじゃないの。細かいこと言いっこなしよ」

 ちゃっかり同行しているキュルケに、サイトが咎めるようなことを言っているが、別に本気で止めようとしているわけでもない。
 とりあえず二人の軽口は無視して、

「……そちらの調査ではどうなってます?」

 階段を登りゆく役人の背中に、私はそう問いかけた。
 これでは調査の方も結構いい加減なのでは……と心配になってきたのだ。

「たぶん単なる失火ですよ。これは」

 肩越しに振り向き、苦笑を浮かべて彼は言う。

「放火だとか暗殺だとか、物騒な噂は流れてますけどね。……ま、世間ってのは、そういう噂が大好きですから」

 二階に上がって、廊下を渡り、さらに別の階段へ。
 白い壁は炎と煤とで焦げ、汚れ、床の上には炭化した絨毯の残骸らしきものがこびりついていた。

「マチス司祭のご趣味で、礼拝堂では魔法の明かりではなくロウソクを使ってましたし、あちこちで香を焚いていましたからね。それが壁掛けや絨毯なんかに燃え移ったんですよ。……ここが、マチス司祭のお部屋です。」

 役人が足を止めたのは、思ったよりこじんまりとした部屋だった。
 焼け落ちた窓から空が見える。
 もはや家具などなく、ガランとしちゃった部屋の床には、ただ灰が薄く積もるのみ。
 熱のせいで、壁は引きつったようになり、積もった灰の上には、いくつもの足跡がついている。おそらく、前に調査に入った役人たちのものだろう。

「……まあ、参考になるようなものは残っていませんけどね。……他にどこかご覧になりたいところは?」

「なあ、この建物の中って、今、俺たちの他に誰かいるのか?」

 それまで黙っていたサイトが、いきなりそんなことを言い出した。

「いえ。誰もいないはずですが……」

「……なあ、ルイズ……」

 サイトが言う。真剣な目を私に向けながら。

「さっきからどうも……誰かに見られてるような気がするんだけどな」

「……!」

 私はキュルケと顔を見合わせる。
 二人とも何の気配も感じていなかったのだが……。

「……相棒の言うとおりだな。なんかいるぜ」

「おや、インテリジェンスソードですか? ……でも、気のせいですよ。ほら、火事があって人が死んだ現場ですから、そういう気がするんでしょうね」

 案内の役人は気楽な口調で言う。
 ……しかし……。
 こんなところの見張りに回されているような、こっぱ役人の軽い言葉である。それよりはサイトとデルフリンガーのカンの方が、よっぽど信頼できる。

「どこかわかる?」

「……なんとか……」

「行くわよ」

 短い会話を交わしてから、サイトが、そして一歩遅れて私とキュルケが部屋から飛び出した。

「……あ! ちょっと!」

 後ろの役人の声は無視。
 階段を一気に駆け下り、廊下を走る。

「……動き出したぜ、相棒」

 デルフリンガーの言葉に頷いて、進路を変えるサイト。
 どこかへ続く長い回廊。
 天井には、たぶん以前はステンドグラスか何かがあったのだろう。しかし今は割れてなくなり、オレンジ色に染まり始めた陽の光が、廃墟となった壁を照らしている。
 そして……。

「ここだ!」

 言うと同時に、サイトが部屋の一つに飛び込んだ。
 私とキュルケも続く。
 そこは、やはりガランとした部屋だった。
 私たちが入ってきた場所以外に出入り口はない。
 焼けたシャンデリアのみが天井から下がって揺れ、他には何もなく……誰もいない。

「……消えた……?」

「……みたいだな」

 サイトが、そしてデルフリンガーが、小さな声でつぶやく。

「……困りますよ! 勝手に……あちこち走り回られちゃあ……。ほら、誰もいないでしょう!?」

 やっと追いついてきた役人の言葉を背中に聞きながら。
 私は、妙な予感を胸に抱いていた……。

########################

「奴らの誰かがやったに決まってるんだっ!」

 自己紹介も終わるか終わらないかのうちに。
 ここのボス……『火の司祭』は、いらついた声を張り上げた。
 ……昨日は結局、『水の司祭』の愚痴のせいで予定が変わり、日をあらためて今朝、私とサイトは、村の東にある『火の分院』を訪れたのだった。
 ここにキュルケが雇われているので、彼女に取り次いでもらい、顔を合わせて名乗った途端……。
 彼は声を荒げてまくし立てた……というわけである。
 年の頃なら四十前後。短く刈った金髪に、ガッシリとした体格の中年で、ワインのような赤色を基調としたローブを身に纏っている。

「……マチス司祭は、まことに惜しいかただった……。何事にも公正で、常に慈悲の心を持っておられた。神がそのようなおかたを、不慮の事故などでお召しになるはずがないっ! となればあの一件は、悪意を持った何者かによる暗殺、としか考えられんではないかっ!」

 なんだか、えらく観念的な意見を述べ始めた。
 信仰心だけで事故が防げるほど、世の中、甘くないというのに。

「……まあ、いずれにしても……。あと一週間ほどで、新たな司祭を決める話し合いが開かれます。ですから、それまで軽はずみな行動は控えてくださいね」

「軽はずみ、だと!?」

 言った私の言葉に、『火の司祭』は眉をつり上げ、

「マチス司祭が謀殺されたことに目をつむって、おざなりな話し合いで新たな司祭を決めることのほうが、よほど軽はずみではないのか!? マチス司祭のお言葉だと思えばこそ、本院の指示にも従ってやろうという気持ちにもなったが……」

 分院の司祭とは、こんな連中ばかりなのだろうか? 昨日の『水の司祭』とは性格は正反対のようだが、やはり同じように一気にまくし立てる。

「ほかの分院司祭の中に謀殺の犯人がいるなら、わしは決してそやつを許さん! ましてや……まかり間違って、そのような奴がマチス司祭の後継者になろうでもしたら……! そのようなことだけは、たとえどんな方法を使ってでも止めてみせる!」

「……その結果、あなたが本院の司祭になれないとしても?」

「かまわん!」

 私の問いに、迷わずキッパリ答える『火の司祭』。
 ……こりゃダメだ。視界の隅では、キュルケも肩をすくめている。
 私はため息ひとつつき、一応は丁寧な言葉遣いのまま、

「……その覚悟には感服しますが……。もしも謀殺が事実で、三人の分院司祭のうち一人が犯人だったとしても、逆に言えば残りの二人は何もやってないわけですから。そのことだけは忘れないでください。……では、私たちはこれで失礼します」

「うむ。……なんとか話し合いの時までに、犯人の名を明らかにしてもらいたいものだ。ことを大きくする者が現れないうちに……な……」

 それができない場合にはことを大きくする覚悟がある……。そう宣言してるも同じだった。

########################

「なんであんな奴のところで働いてるんだろな、キュルケのやつ」

 次の目的地……村の西にある『風の分院』へと向かう道すがら。
 不思議そうな声でサイトはつぶやいた。

「そりゃあキュルケは『火』のメイジだもん。それだけの理由でしょ。分院司祭たちの性格なんて気にしてなかったんだわ」

「そういや前にメイジの学校で似たような争いがあった時も、キュルケは『風』の先生じゃなくて『火』の先生を味方してたな」

 私の言葉に、納得の声を上げるサイト。
 サイトが言っている『メイジの学校』とは、トリステイン魔法学院のことだろう。
 たしかにあそこでも学院長の座を争うような事件があったし、あの時キュルケは「だってミスタ・コルベールは、あたしと同じ『火』のメイジだもの」と言ってたっけ。
 だが、そんなことよりも……。

「……困ったもんね……」

 不景気な声でつぶやく私。

「……あの『火の司祭』……トラブル起こす気満々だわ……」

「でもよ、ルイズ。そもそも『犯人』なんていない、って可能性もあるんだろ。あの火事も事故かもしれないし」

 言うサイトに、しかし私は左右に首を振り、声もひそめて、

「……それはないわ。のんきな役人は『事故だ』なんて間の抜けたこと言ってたけど……あれは間違いなく暗殺よ」

「娘っ子の言うとおりだな。もうちょっと相棒も、ちゃんと見なきゃダメだぜ」

 マチス司祭の部屋の様子を見れば、剣であるデルフリンガーにも一目瞭然だったらしい。あの場で意見交換はしなかったが、おそらくキュルケも私と同じ意見だろう
 なにしろ。
 部屋に行くまでの廊下などには、絨毯や壁掛けが炭化してこびりついていたのに、マチス司祭の部屋だけは、全部が灰になっていたのだ。壁も少しではあるが、引きつったようにただれていた。
 つまり。
 あの部屋だけが、壁が溶けただれ、全部が灰になるような超高温にさらされたのだ。
 たきぎや油が置いてあった倉庫、というならば話はわかるが、司祭の部屋を物置代わりにするわけもない。
 ということは……。

「……誰かが強力な火炎呪文で、あの部屋ごとマチス司祭を丸焼きにして、それから建物の他のところにも火を放って、普通の火事に見せかけようとしたのね」

「じゃあやっぱり……四人の分院司祭の一人が……?」

「……そこまではわかんないけど……」

「ルイズさんとサイトさん……じゃありませんか……」

 唐突に。
 聞き覚えのある声は横手から聞こえてきた。
 見れば、ギーシュとモンモランシーの二人を連れた『水の司祭』の姿。

「……あ。噂をすれば何とやら。容疑者の一人だ」

 サイトのつぶやきは小声だったので、彼には聞こえていないだろうが……。
 それでも最悪。こんな通りの真ん中で、愚痴大好き人間に出会うとは!

「いやぁ。あとでギーシュさんとモンモランシーさんとに聞きましたよ。なんでもお二人とは以前からのお知り合いだったとか。しかし縁というのも奇妙なものではありますねぇ。昨日の今日で、こんなところでお会いするとは」

 うわあやっぱり。
 私が何か言うより早く、一気にまくし立て始める。

「実は私、毎朝本院に……マチス司祭に花を供えに行ってるんですけどね。今はその帰り道、というわけですよ。ギーシュさんとモンモランシーさんからは、物騒だから不用意に出歩くのは控えた方がいい、とは言われてるんですけどね。マチス司祭には、生前はずいぶんお世話になってましたから、せめて花くらいは、と思いましてね。まあ、こうしてお二人にご同行して頂いてますから、安心していいのではないかと……」

「……村の真ん中で直接ご勧誘とは、熱心なこったな」

 彼の言葉を止めたのは、私ではなかった。
 少し離れた通りの向こうにたむろする、十人ほどのゴロツキたち。
 おそらくは、他の分院で雇われた連中だろう。生まれも育ちも悪そうな、そんな格好と足取りで、こちらに向かって歩きながら、口々に、

「……まあ『水』なんて使えねえ魔法ありがたがってるんじゃあ、それくらいのことしねぇとやってけねーよな」

「『水』が役立つのは治療のときのみ。だが本気の決闘の場合にゃ、治療以前に、まず命がなくなってらあ。相手の命を奪うほどの攻撃力がなければな」

「魔法のイメージはともかくとして、だ。お天道様の下で、村ん中で堂々と物騒なことされちゃあ、迷惑なんだよ。俺たち罪もない一般人からするとな」

「……誰が罪もない一般人よ。あんたたちなんて、存在自体が物騒で迷惑じゃないの。鏡を見たことないの?」

 ぴきっ。

 私の客観的で真っ当な意見に、なぜか空気が凍りついた。

「あああああっ! ルイズさん、なんてことをおっしゃるんですか!?」

 及び腰の『水の司祭』などは慌てまくっているが、もちろん無視。

「……おい……ちんちくりんの小娘……今なんつった!?」

 ヅドォォォォムッ!

 売り言葉に買い言葉のつもりだったのか。とんでもない発言をしたゴロツキが、エクスプロージョン一発で吹っ飛んだ。
 もちろん、周りの仲間たちも同じ運命で、ピクピク転がっている。

「自己紹介が遅れたけど……」

 彼らを見下ろしながら。

「本院から村の警護を依頼された者よ。今回の件で物騒な連中が動いているから、そういった連中が騒ぎを起こすのを防いでくれ、って」

「……あ……あんたが今……その物騒なことを……」

 ピクピクしながらも反論する一人を、私は鼻で笑って、

「ふっ。『あんたが騒ぎ起こしちゃダメ』とは言われてないもん」

「……そんな……理屈が……」

「まあ、それは冗談として。とりあえず、あんたたちがトラブル起こしそうなところを止めたんだから、これも頼まれた仕事の内よ。……というわけで、白状してもらいましょうか。あんたたちを雇ってるのは誰なのか」

 まだ抵抗するようなら、もう少し本気のエクスプロージョンでも撃とうかと思ったのだが。
 ゴロツキたちは、意外にもアッサリと、

「……『風の分院』で……『風の司祭』から頼まれて……」

「わかったわ。協力ありがとう」

「……あの……これは……いくらなんでも……その……」

 なにやらモゴモゴと言う『水の司祭』。

「気にしちゃダメよ。……ま、とにかく。やっぱり外出は控えたほうがいいわ。今みたいに、あんたを見かけたゴロツキが因縁つけてきて、それで騒動が持ち上がる、ってことはあるんだから」

 パタパタ手を振りながら、敢えてフレンドリーに私が答えると、隣でサイトが頷きながら、

「そうですよ。本院の司祭を暗殺した奴が誰かもわかってないんだから。あんまりウロウロしてると、次はあなたの番かもしれません」

 ぴきっ。

 その言葉に、ふたたび空気が凍りついた。
 ……こ……このクラゲ頭のバカ犬は……!

「……あ……暗殺って……」

 かすれた声を上げたのは『水の司祭』。すっかり怯えた表情で、

「じゃあ! マチス司祭は、本当に誰かに殺されたんですか!?」

「間違いないです。だってルイズもデルフも、そう言って……。な、ルイズ?」

 サイトは『僕ちゃんと理解したよ』という表情を私に向ける。
 だが。

「……こぉぉおおのバカ犬がぁぁぁっ!」

 どがすっ!

「ぐぼぉっ!?」

 私の渾身の飛び蹴りが、サイトの背中に決まった。

「……な! 何するんだよ、ルイズ!?」

「それはこっちのセリフよ! なんてこと言うのよ、あんたは!」

「……は……?」

 眉をひそめて間の抜けた声を上げるサイトに、私は身を寄せて声をひそめて、

「だから! マチス司祭が暗殺されたこと、なんで言っちゃうのよ!?」

「……え? でも、それがハッキリしないからモメてるんだろ? じゃあ教えてあげれば問題解決じゃん。……あれ? だったらさっきの『火の分院』でも、言ってやればよかったのに……」

「あのねえ! まだそういうこと明らかにしちゃまずいのよ! 言っていいなら私もキュルケも、本院にいた案内の役人にちゃんと説明してるわよ!」

 対立している四人の分院司祭たちは、火事の原因は事故かもしれない、と思っているうちは、まだ比較的おとなしくしているだろう。だが、もしもあれが暗殺だったという噂が広まれば、みんな一斉に動き出すに違いない。
 特に……さっき会った『火の司祭』! 彼などは自分が正しかったと思い込んで、他の三人に攻撃しかけそうだ。
 それになにより、四人の中に真犯人がいる可能性も高いのだ。その場合、自分が犯人だと突き止められるより前に、急いで動き出すに決まっている。どうせ殺人だとバレてしまえば、何人殺しても同じ。他の三人を始末しようとするかもしれないし、調査をしている私たちを狙うかもしれない……。

「なあ、娘っ子」

「何よ、デルフ。今は、このバカ犬サイトに、きっちり説明してやらないと……」

「いや……相棒もそうだが、娘っ子も迂闊だぜ。見てみな」

「……へ?」

 言われて。
 ふと我に返れば。
 いつのまにか……『水の司祭』たちがいなくなっている!?

「娘っ子が相棒に蹴りツッコミ入れたところでな。あの勢いを見て、相棒の言葉は本当なんだ、って確信したみたいだぜ。おともの二人を連れて、真っ青な顔で、逃げるように行っちまいやがった」

 しまった。
 ついいつものクセで衝動的にツッコミを入れてしまったが……せめて『水の司祭』が立ち去るまで我慢するべきだったか!

「……で……どうする?」

 私の顔色をうかがうサイト。
 こうなったら、多少強引なテを用いてでも、なんとか犯人を突き止めないといけない。敵が本格的に動き出す前に。

「とりあえず今は……行き先に変更なしよ。『風の司祭』に会いに行きましょう。……もっとも……対応の仕方は、予定とは変えなくちゃいけないけどね」

########################

 風が流れる大空をイメージして、白と空色に塗り分けられた建物。そして手入れの行き届いた広い庭。
 西にある『風の分院』は、色を除けば北や東の分院と全く同じ形をしていた。
 ちなみにさきほど立ち寄った東の分院は、『火』だけあって赤……というかレンガ色をしていたが。
 この『風の分院』も、やはり最近騒ぎが持ち上がっているせいか、近くに参拝者らしき者の姿は見えない。だが不思議なことに、今までの二つとは異なり、分院の前にゴロツキたちがたむろしている様子はない。

「さっきルイズが通りでぶっ飛ばした連中が、本来ここの番やってたんじゃねえの?」

 サイトの言うとおりかもしれない。
 毎日『水の司祭』が本院まで花を供えに行っていることを知り、因縁つけに出かけて私に成敗された……といったところか。

「ま、何にしても、これで中に入りやすくなったことは確かね」

 言いながら。
 私とサイトは、玄関の扉に手をかけ、押し開き……。

「……うっ……!」

 同時に小さく呻いていた。
 ……そこには……。
 むせ返るような血の匂いが充満していたのだ。

「サイト!」

 瞬間。
 返事もせずに、駆け出すサイト。御主人様を無視するなんて……などと怒っている場合ではない。私も続く。
 内部の構造は、訪れた二つの分院と同じ。
 ただ違うのは……通路に転がっているいくつもの死体。僧侶らしきもの、傭兵メイジらしきもの……。
 おそらく刺客は、警備の人数が薄くなった時を見計らって、襲撃を仕掛けたのだろう。
 やがて角を曲がって、まっすぐ伸びた廊下へと出る。
 その正面に一枚の扉。建物の構造が同じなら、ここが分院司祭の私室のはず。

 ドンッ!

 入っていいかと尋ねることもなく、勢いよくドアを開ける。
 もしかしたらまだ……というかすかな期待もあったのだが、世の中そんなに甘くなかった。ここまで刺客らしき者と出会わなかったことから考えても、すでに襲撃から、いくばくかの時間が過ぎていたのだ。

「……これじゃ……確かめるだけ無駄か……」

 サイトがポツリとつぶやく。
 そう。部屋に足を踏み入れる必要はなかった。ドアから中を見るだけでも十分。
 室内では……。
 何人もの傭兵メイジたちに混じって、その男がこと切れていた。
 司祭のローブを身にまとった男……すなわち『風の司祭』が。





(第三章へつづく)

########################

 少し短めですが、ここで区切っておきます。

(2011年11月17日 投稿)
(2011年11月20日 「村の西にある『風の神殿』」を「村の西にある『風の分院』」に訂正)
   



[26854] 第十四部「グラヴィルの憎悪」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/11/20 23:13
   
 村は騒然となった。
 当たり前である。
 誰かが雇った暗殺者に、分院司祭の一人が殺されたのだ。これ以上ないというくらい、はっきりとした殺人である。
 そしてそのことは、『マチス司祭は火事に見せかけて殺された』という噂に、いっそうの真実味を帯びさせた。
 事件当時『風の分院』にいた者は皆殺しであり、暗殺者の姿を見た者もいない。第一発見者の私とサイトは、役人から質問責めにあった。
 しかしさいわい、本院の者たちが身元を保証してくれたおかげで、その日のうちに解放してもらえることとなった。
 ……ただし。事件が解決するまで村から出ないこと、という条件はついていたが。
 かくて。
 二人が南の『土の司祭』のもとを訪れたのは、事件の翌日になってからのことだった。

「貴様らか! 事件を最初に発見したというのは!?」

 出会って自己紹介を済ませるや否や。
 彼は、やたら高飛車な口調で言い放った。
 年の頃なら四十前後。茶色い髪には、白いものもかなり混じっている。体格もよく、低くて渋い声。
 しかし、取り巻きの傭兵十人ばかりを周りに配して、椅子にふんぞり返って怒鳴るその姿は、単なる気の短いおっさんである。
 
「まさか……本院からの仲裁役というのを隠れ蓑にした、どこかの暗殺者なんじゃあないだろうな!? え!?」

 ……もし彼が黒幕でないのなら、同じ立場の一人が殺されて、神経質になっているのはよくわかる。疑心暗鬼にかられるのも、無理のない話ではある。
 だが、わかっていても、腹立つものはやはり腹が立つ。
 それに。
 彼が黒幕であり、これが全部演技だという可能性もあるのだ。
 私はコクコク頷いて、

「いやぁ。たしかにその性格じゃあ、どこの誰に恨み買って暗殺者さし向けられても不思議じゃあないですけど……」

「なにいっ!?」

「ま、とりあえずは安心してください。私たちは、そういう者じゃありません。あなたなんかをどうこうするつもりは全然ありませんから」

 私の挑発をまともに受け取ったのか。『土の司祭』は、怒りに顔を赤く染め、

「……な……! あなた『なんか』だと……! なんと無礼な……!」

「それを無礼というなら、初体面の人間をいきなり暗殺者呼ばわりするのは、もっと無礼なんじゃないですかね」

 ニコニコ顔で返してやる私。

「……ぐっ……」

「ともかく、不安なのはわかりますが、くれぐれも軽はずみな行動はしないように。でないと、事件の黒幕だと思われますよ」

 なおも何やら言いかけた彼を遮り、私はキッパリ言い放つ。

「それだけはお忘れなきように。……では私たちは、これで」

「……む……ぐっ……!」

 言うだけ言って、私は『土の司祭』にクルリと背を向ける。サイトを連れて、そのまま部屋をあとにした。

「……娘っ子も、いろいろ計算してるんだな……」

「え? どういうことだ、デルフ?」

 分院の出口に向かいながら、ポツリとつぶやくデルフリンガーと、剣に問いかけるサイト。

「……今の奴が黒幕じゃなければ、今ので怒りの方向が、ほかの司祭候補じゃなくて、娘っ子に向く。逆に黒幕なら、やっぱり娘っ子を狙うことになる。……つまりどっちに転んでもベストってわけだ」

「あら。よくわかってるじゃないの、デルフ」

「……なるほど。単に言われたから言い返した、ってわけじゃなかったのか」

「当然よ、サイト。よーく考えて発言してるのよ、私は」

 などと言いつつ建物を出たところで……。

「やあ」

 私たちを待っていたのは、ギーシュとモンモランシーの二人だった。
 周りをザッと見渡しても、『水の司祭』の姿はない。
 私やサイトの視線に浮かぶ疑問の色に気づいたのか、モンモランシーが静かな口調で言う。

「『水の司祭』の依頼で来たのよ」

「君たち二人だけじゃ人手も足りないだろうし、手助けをするように……と言われてね」

 補足するギーシュ。
 ……どうやら、マチス司祭が暗殺されたと私たちから聞いて、『水の司祭』は、村の役人のダメさ加減がわかったらしい。暗殺を見抜けなかった役人たちより、私たちこそが事件を解決する、と考えたのだろう。

「それはありがたいけど……護衛のほうはいいの?」

「僕としても少し心配ではあるが、昨日の事件があったせいで、役人が何人か護衛として派遣されてきてね」

 ふむ。
 どうせ村のお役所の兵士ごときでは、プロの暗殺者を相手にするのは荷が重い。それくらい、臆病者っぽい『水の司祭』にもわかっているはずだ。
 それでもギーシュとモンモランシーをこちらに回したのは、それだけ彼が、事件に怒りを覚え、解決を強く望んでいるのだ……というのが、素直な解釈である。
 しかし。
 本院からの仲裁役である私に恩を売っておいて、本院への覚えをよくしておこうという下心があるのかもしれないし、あるいは彼こそが黒幕であり、私たちと顔見知りの二人を邪魔に思ったのかもしれない。
 ……とウラ読みもできるわけだが、とりあえず今は、人手が増えることを単純に喜んでおこう。

「わかったわ。じゃあ手を貸してもらうわ。まずは聞き込みからよ」

########################

「……それにしてもこの村、規模は小さいくせに、意外と栄えてるのね」

 少し大きな街ならば。
 怪しい店と怪しい酒場、そして汚れた家々とが、薄暗い通りに軒を連ねている……そんなゴロツキたちの溜まり場が、必ず一つ二つは存在するものだ。暗殺者のような裏の世界の人間も、そうした場所にある安宿に潜伏しているのが定番である。
 ひなびた漁村であるはずのこのグラヴィルにも、そんな裏通りがあり、私たち四人は今、そちらに向かって歩いていた。

「たぶんサンドウェリー寺院のせいよ。ほら、サンドウェリー寺院って……ちょっと普通じゃないから」

 私のつぶやきに、隣を歩くモンモランシーが答える。
 まあ、たしかにサンドウェリー寺院は『普通』ではない。四つも分院があったり、司祭の座をめぐって争いが繰り広げられていたり。
 ……だが、今モンモランシーが言ったのは、そういうニュアンスではない気がする。私はハッとして、

「モンモランシー。あんた、もしかして……ここの秘密について何か知ってるの?」

「秘密って……例の修道院のこと?」

「……修道院……?」

 聞き返す私。
 この村には、寺院はあっても修道院はないのだが……はて?
 ここで、後ろを歩いていたギーシュが、私たちの会話に加わってくる。

「そうか、ルイズは知らなかったのか。セント・マルガリタ修道院……一部では有名な話なのだがね」

 セント・マルガリタ修道院。
 突き出した岬の突端に位置しており、陸路も通じておらず、切り立った岩壁は、船も近づけない。陸の孤島のような場所に存在する修道院だという……。

「……つまり身を隠すには、うってつけの場所でね。昔からワケありの女性が逃げ込む場所らしい」

「何よ、それ。……で、なんでギーシュがそんなこと知ってるのよ」

「まあ、それはその……僕の御先祖様の中には、そこを利用した者もいるらしくてね」

 ……なるほど、そういうことか。
 たぶんそのマルガリタ修道院とやらには、世を捨てたくて訪れる者だけでなく、生まれながらにして送り込まれる者もいるのだ。
 つまり、存在が明るみに出るとまずい、貴族の私生児が。

「ようするに……ギーシュの浮気性は、先祖伝来のもの、ってことね」

「いやあ。そう言われると照れるなあ」

「ちょっと、ギーシュ。別にルイズは、褒めてるわけじゃないのよ……」

 呆れ混じりのモンモランシー。
 サイト一人は、まったく話が見えていないようで、とても不思議そうな顔をしている。

「……この村の寺院は、どっか別のところにある修道院の玄関口だった、ってこと。大物貴族の秘密をたくさん抱え込んでいるであろう、特別な修道院の、ね」

 サイトのために、できるだけ簡単に説明してみた。
 彼は、少し首を傾げてから、

「それが……グラヴィルの寺院の秘密だった、ってことか?」

「そうみたい」

 思わせぶりな噂やら態度やらのせいで、大きなお宝でも眠っているのかと期待していたのだが。
 結局のところ、私たちには何の役にも立たないゴシップ話だったわけだ。
 まあ、そうした修道院やら寺院やらであれば、諸国の有力貴族たちの間でも顔が利くのだろうし……。『普通』の寺院以上に、権力闘争が勃発するのも自然な流れだったのかもしれない。 

「……さてと……そろそろ、それっぽい場所についたわね。二人ずつに別れて、聞き込みをしたらいいのかしら?」

 モンモランシーの言葉に、あらためて周りを見回せば。
 私たちは、いかにもウラ街といった、いかがわしい雰囲気のエリアに足を踏み入れていた。
 普通の村娘も歩いているが、迷い込んだのではないかというくらい、ここには相応しくない感じだ。
 ちょうど前からは、酔ったゴロツキ風の男たちも近づいてくる。まだ陽も高いというのに、すっかり出来上がっているらしい。
 中の一人の髭づらが、ニマリと下品な笑みを浮かべて、私たちに話しかけてきた。

「よう、お嬢ちゃん。俺たちと遊ぼうぜ」

 なんとまあ。
 こちらが女だけというなら、まだしも。
 サイトやギーシュがいるというのに、ナンパしてくるとは。
 ……酔いが回りすぎて、男二人の姿が見えていないのだろうか?

「あんたたち……どっかの分院に雇われたんじゃなくて、本当に、ただのゴロツキみたいね。じゃなきゃ、こんな昼間から酒くらってないでしょうし。……なら、用はないわ。どっかいって」

「おいおい。そんなつれないこと言うなよ」

 私の言葉にもめげず、ひげ面が近寄ってきた。
 サイトとギーシュが、私やモンモランシーをガードするかのように、スッと前に歩み出たが……。

「なんだ? 後ろのあんちゃんたち……俺たちとやろうってぇのか?」

 ゴロツキたちの他の三人が、二人に詰め寄る。
 サイトやギーシュは、ただの酔っぱらい相手に本気を出すのは大人げないと思ったようで、問答無用で斬りかかるような素振りは見せていない。どうあしらおうか、困惑気味の表情だ。
 三人が二人に絡んでいる間に。
 最初のひげ面は、なおもしつこく、私とモンモランシーの方に手を伸ばしてきて……。

「きゃっ!?」

 とっさに私がモンモランシーを突き飛ばしたのと。
 ひげ面たち四人がバッと飛び退いたのと。
 同時だった。

「……いいカンしてるなぁ。殺気は完全に消したはずだったのによぅ……」

「こう見えても、場数はそれなりに踏んでるんでね。なんとなくわかるのよ」

 ヒゲ面の口調は、完全に変わっており、その手にはナイフが握られていた。
 そう。
 こいつら……ただの酔っぱらいなんかじゃなかった!
 ゴロツキを装って私たちに接近し、ナイフで斬りつけようとしていたのだ。
 気づいたのがギリギリで、さすがの私でも呪文詠唱が間に合わず、狙われたモンモランシーを突き飛ばしたわけだが……。

「モンモランシー!?」

「大丈夫。今……呪文唱えるから……」

 駆け寄るギーシュに軽く手を振ってから、自分に『治癒(ヒーリング)』をかけるモンモランシー。
 私が気づいたのもわずかに遅く、ナイフは脇腹をかすめていたらしい。まあこれくらいの傷、モンモランシーならすぐに治せるだろうし、グッサリやられなかっただけよしとしよう。

 ザンッ!

 斬撃の音。
 すでにサイトはゴロツキたちに斬りかかっており、敵は三人がかりでサイトの相手をしていた。
 残る一人のひげ面は、私にナイフを向けている。こんな奴、私のエクスプロージョン一発で……。

 ぞくりっ。

 さきほどと同じような、妙な予感が背中を駆ける。
 ヒゲ面のゴロツキを睨み、呪文を唱え続けたまま。
 私は半ば反射的に、大きく横へと跳んでいた。

 ……ザッ!

 なびいた私のマントが裂け……。

 ドンッ!

 振り向きもせずに放ったエクスプロージョンが、私の背後で爆発する。

「何やってんだ、ルイズ!? そんなところに……」

 叫ぶサイトだったが、途中で気づいたらしい。
 私たちの後ろにいた、普通の通行人らしき少女が……とても一般人とは思えぬ身のこなしで、私の魔法を避けたことに。

「サイト! そっちのヒゲ面も任せたわ!」

 さすがに無視できず、ゆっくりと振り返る私。
 そこに立っていたのは、緑色の髪の少女。私たちと同じくらいの年頃で、いかにも村娘といった素朴な格好をしているが、どうにも似合っていない。
 私のマントを切り裂いたのは風の刃だと思ったのだが、杖は手にしていなかった。では、見えなかっただけで、あれは投げナイフか何かだったのだろうか?
 少女は私を見てニヤリと笑いながら、口を開く。

「……さすが『ゼロ』のルイズだわ。あれをカンだけで避けるとは……」

 彼女の声を聞いた瞬間。
 私の体に悪寒が走った。
 この声……聞き覚えがあるぞ!?
 それに。
 酔っぱらいを装って近づいてくる手口。杖なしで放つ風の刃。そうした敵にも覚えがある……。

「あんた……人魔ね……? たしか名前は……シーコとか言ったっけ」

 私の言葉に。
 彼女の口元の笑みが濃くなった。

########################

 かつてアンブランという村に、亡国の姫君がいた。
 そもそも彼女が非道な魔法実験を行っていたがゆえに祖国は滅んだわけだが、彼女は懲りずにアンブランでも研究を続けていた。
 そして編み出したのが、人間と魔族を融合させる技術。すなわち……人魔。
 レッサー・デーモンの魔力と人の知恵とを持った彼らの中には、肉体を持つ身でありながら、空間を渡る能力を得た者すらいた。
 ギーシュやモンモランシーを含む私たちの活躍により、その姫君もついに捕縛。彼女の親衛隊やら取り巻きやらも、きっちり叩き潰したはずだったのだが……。
 まさかその残党に、こんなところでお目にかかろうとは。

「シーコだって!? そんな馬鹿な!」

 ギーシュが叫ぶ。
 モンモランシーを抱きかかえたまま。
 ちゃんと彼女は自分で『治癒(ヒーリング)』をかけているというのに。
 サイトが一人で四人と斬り結んでいるというのに。
 何を悠長なことをしているのだ、ギーシュは。

「……シーコなら、あの時たしかに死んだはずだ! 僕の『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』で真っ二つになって!」

 アンブランにおける最終決戦では、シーコの相手はギーシュとモンモランシーに任せて、残りは奥へ進んでいる。だから私はシーコの最期について、詳しくは聞いていなかった。ただ『倒した』と聞いただけで。

「あら。死んでないわよ。あんなの、上半身と下半身が別々になっただけじゃないの。……私が死んだと思って、あなたたちは先に行っちゃったけどね」

 理不尽なことをサラリと言う。そんな状態から再生したというのか。

「それで……復讐に来たってわけ? あのお姫さまの……」

「そういうこと」

 シーコは、私の言葉を軽く肯定して、

「ベアトリス殿下に従う仲間たちは、全員がアンブランにいたってわけじゃないのよ。ベアトリス殿下の御命令で、あちこちに散らばっていたんだけど……ベアトリス殿下が亡くなられたので、今はこんな商売に身をやつしてるの」

「ちょっと待って! 私たち、あのベアトリスってやつを殺してはいないわよ!? 捕えてガリアに引き渡しただけで……」

 私が言った瞬間。
 シーコの目が変わった。

「……亡くなられたのよ。ガリアで『尋問』中に」

 激しい憎悪を瞳に浮かべたまま、彼女はサラリと言う。
 ……そういうことか。
 ベアトリスが研究していた技術は、確かに非道なものであったが、軍事大国ガリアにとっても、興味津々なものだったのだろう。
 ならば過酷な『尋問』が行われたことも、容易に想像がつく。『尋問』というより『拷問』というべき類の……。
 ベアトリスが素直に吐いたところで、「まだまだ何かあるんじゃないか」と思われれば、その責め苦は続いたわけだ。彼女が死に至るまで……。
 あの時アンブランで私たちがベアトリスを殺してしまわなかったがために、もしかすると、彼女は死よりも苦しい目にあったのかもしれない。もちろん元はと言えばベアトリスが続けてきた悪事のせいなのだが、それを棚に上げて、人魔の残党たちは、私たちやガリアを恨んでいるのだ。

「……だからね。あなたたちには……ただ死ぬんじゃなくて、たっぷり苦しんでから死んでもらうわよ」

 悪鬼のように笑うシーコ。
 これで、だいたいの事情はわかった。
 向こうが最初にモンモランシーを狙った理由も。
 ……私たち四人の中では、モンモランシーが一番弱いと知っていたからだ。先に弱い敵から片づけていく、というのは戦略的に間違っていない。
 せっかく酔っぱらいのフリをして私たちを油断させるのだから、強者である私やサイトを狙ってもよかったのだろうが、まあ私やサイトならば、間一髪でかわしていたはずだ。実際に私は、ヒゲ面に注意が向いていた状態で、背後からのシーコの攻撃すら回避してみせたわけだし。

「おい、ルイズ! いつまでも喋ってないで、少しは加勢してくれよ!」

 サイトの声が聞こえてきた。
 チラリと見れば、四人と斬りあっていたサイトは、すでに一人を倒し、今は三人を相手にしている。
 別に私はサボっているわけではなく、不可視の衝撃波を放つ強敵シーコを前にして、迂闊に動けないのだが……。
 というか、あとの二人はどうした!?

「ギーシュ! このシーコは私がやるから、あんたとモンモランシーはサイトの援護を……」

 モンモランシーだって、そろそろ回復した頃合い。
 そう思って視線を送れば……。

「!?」

 回復どころの話じゃない。
 ギーシュの腕の中で……彼女の顔色がドンドン生気を失っている!?
 あんなナイフが軽くかすめた程度で……。
 ……まさか!?

「……言ったでしょう。『ただ死ぬんじゃなくて、たっぷり苦しんでから死んでもらう』って」

「毒! あのナイフに……毒が塗ってあったのね!?」

 私は再びシーコを睨む。
 よく見れば……憎悪の中に、わずかに歓喜の色が見てとれた。

「ただの毒じゃないわ。……東方から取り寄せた特殊な毒薬よ。これが体内に入れば……一日と経たぬうちに心を失い、廃人となって……やがて死に至るのよ。ハハハッ……!」

 哄笑を上げながら、シーコが退いてゆく。
 同時に、サイトと戦っていた三人も撤退していくようだが……。
 今は彼らを追っている場合ではない!

「モタモタしてらんないわ! 治療所に行くわよ!」

########################

「医者が……いない!?」

 対応に出た女の言葉に、ギーシュは声を荒げた。
 村の東の方にある、治療所でのことである。

「どういうことかね、それは!?」

「……け……今朝ここも襲撃を受けたんです!」

 女の話によると。
 分院どうしが争っている状態なので、もともと腕の立つ水メイジたちは、どこかの分院から引き抜かれて、ここにはいなくなっていた。
 それでも昨日までは、さほど優秀ではないとはいえ三人の水メイジが詰めていたわけだが……。
 今日の午前中に何者かに襲われて、今は三人とも寝込んでいる状態なのだという。

「……秘薬の棚も荒されてしまいまして……。薬が残っていれば、私でも応急処置くらいは出来るのですが……」

 ……やられた。
 これもシーコたちの仕業に違いない。
 ならば。
 四人の中で最初にモンモランシーを狙ったのも、彼女が水メイジだから……ということか。
 何があっても解毒などさせないために……。

「なあ、ルイズ。あいつが言ってた『東方の毒薬』って……もしかしてエルフの秘薬か?」

「……みたいなもんでしょうね」

 小声で問いかけるサイトに、私は答えた。
 東の方ではエルフと交易があるとか、逆にエルフと争っていてエルフの技術を模倣しているとか、そんな噂も聞く。
 また、前に旅の仲間だったタバサの一件があるように、エルフの世界には人間の心を『奪う』薬があるのは、確実な事実なのだ。

「じゃあ、あのエルフを見つけだして頼めば、モンモランシーも何とかなるのか?」

「……それは無理ね」

 タバサの母親は、エルフの薬によって心を壊されていたが、ルクシャナというエルフと知り合い、解毒薬を作ってもらえることになった。単に心を奪うだけで、命まではとらない薬だったから、それも可能だったのだ。
 だが今回シーコが使ったものは、それとは少し違う。『やがて死に至る』という毒薬なのだ。
 それに、かりにエルフならば解毒できるとしても、今からエルフを探し始めたところで間に合うわけもない。

「とりあえず……今は、優秀な水メイジのいそうな分院をあたるしかないわ。あっちこっちの分院にスカウトされてるんでしょ?」

 私の言葉に、対応の女性が頷く。
 水メイジということなら、それこそ『水の分院』が一番ふさわしいだろうが、ギーシュもモンモランシーもそこで雇われていたのだ。内情はよく知っている。モンモランシー以上の水メイジがいるのであれば、真っ先に向かっていただろう。
 しかし実際には、この治療所に来た。つまり……『水の分院』はアテにならない、ということ。

「ここから一番近いのは……『火の分院』ね」

 私がつぶやく頃には。
 モンモランシーを背負ったギーシュの姿は、すでに見えなくなっていた。

########################

「いないはずがないだろう!?」

 ギーシュの声は、もはや悲鳴に近かった。
 村の東にある『火の分院』で。
 毒を受けた者がいる、急ぎ治療医にとりついでくれ、と頼んだ私たちに、いったん奥に引っ込んだ傭兵が返した答えは……。
 そんなものはここにはいない、だった。

「ここは『火の分院』だからなあ。水メイジなんて一人もいないぜ。……『火の司祭』様も、そうおっしゃってるんだ」

 見張りの傭兵は、小馬鹿にしたような笑みさえ浮かべて言う。
 ……明らかに嘘である。少なくとも、『治癒(ヒーリング)』を使える者が一人もいないなんて話、とても信じることは出来ない。

「……そうそう。『北で雇われてるなら、北で治してもらえばいいじゃないか』ともおっしゃってたぜ。ま、もっともな意見だわな」

「……きさまっ……!」

「ギーシュ!」

 傭兵に突っかかろうとするギーシュをサイトが押しとどめている間に。

「じゃあ、キュルケを出してちょうだい。ここに雇われたメイジの中に、赤い髪したキュルケってのがいるはずだけど」

「ああ、あのちょっと色っぽいねえちゃんか。彼女なら、今は外回りだぜ。中にはいねえなあ」

 キュルケに取り次いでもらえば、話も通るかと思ったのだが……。

「キュルケっ! いないのっ!? いるなら出てきてっ!」

「だからぁ。いねえって言ってんだろ」

 大声で叫んでも、ウンともスンとも返事がない。どうやら本当に外出中らしい。
 
「どうする、ルイズ? ここで傭兵たちをぶち倒して中に乗り込むか?」

 ギーシュを押さえつけながら問うサイトに、私は首を横に振る。

「ダメよ。そんなことして治療医を引っぱり出しても、治療で手を抜かれるかもしれないし……」

 私の言いたいことを理解したのか。
 ギーシュがポツリとつぶやいた。

「……北へ向かおう」

########################

 風が渡る。
 窓から見える、緑の木々をそよがせて。
 おだやかな……。
 おだやかな昼下がり……。

「……皮肉なものね……」

 ベッドに横になったまま。
 モンモランシーは静かな口調で言った。
 ……さすがに『水の分院』には、それなりに『治癒(ヒーリング)』の使えるメイジもいた。
 だが彼らの力は、東方から伝わったという毒薬を前にしては、あまりに微力だった。所持する秘薬を駆使しても、特に効果はなく……。

「……私は『水』の使い手……私には私の戦い方があって……。私の周りに悲しみがあるのは許せない、あるなら癒さなくっちゃ気がすまない……って思ってたのに……自分一人治せないどころか……自分が悲しみの原因になっちゃうなんて……」

「……モンモランシー……君は……」

 ギーシュは、それ以上何も言えなかった。ただ涙を流して、彼女の手をソッと握っていた。

「……だからお願い。私がいなくなっても……悲しまないでね。世の中には……あなたを待っている女性が……きっとたくさんいるのだから……これからは思う存分……」

「何てことを言うんだ!? 君がいてこそ……僕は……」

 彼女は、ギーシュに顔を向けて。
 無理して——かなり無理して——ニッコリと微笑む。

「だから……お願いよ、ギーシュ。約束してね……」

 そう言って。
 彼女の瞳は、虚ろになった。

「……モンモランシー……!? ……モンモランシー!!」

 ギーシュが呼びかけても、まったく反応がない。
 彼女の手を握ったまま、泣き崩れるギーシュ。
 まだ息はしているのだが……もう彼女は、もの言わぬ人形だった。

「……ぅうっ……」

 彼と彼女と、彼の嗚咽だけを残して。
 私たちは退室し、扉も閉めた。

########################

 次に部屋の扉を開けた時。
 部屋にギーシュの姿はなく……。
 ベッドに寝ているはずの、モンモランシーまでもが姿を消していた。
 開け放たれた窓にかかったカーテンだけが、まるで何事もなかったかのように、ただ風にそよいでいた。

########################

 ……ギーシュがモンモランシーを連れ去ってから、二日ほどの時が過ぎていた。
 その間。
 私たちは、逃げたシーコとその仲間たちの行方を探し、あちらこちらに聞き込みを続けていた。
 四人の素顔を知っている分、捜査もやりやすい。今日の夕刻になって、一人の情報屋の名前が浮かんできた。
 私とサイトは、情報屋の住むアパルトメンの階段を登り……。

「……!?」

 薄暗い廊下にたどり着いたところで、二人同時に足を止めた。
 古びた、薄汚れた廊下に……流されたばかりの血の匂いが!?
 廊下に面した戸の一つが、小さく開いたまま。しかも、その部屋こそが、私たちが向かおうとしていた情報屋の部屋。

 ……ダッ!

 私とサイトは駆け出し、部屋に飛び込む。
 中には、血まみれの男が倒れていた。
 傷だらけだが、命に別状はなさそうだ。

「……ひ……ひい……」

 私たちの姿を認めると、男は小さく声を上げた。

「……やめ……もう……やめてくれ……話したじゃないか……どこにいるのか……」

 その瞬間。
 私は、ここで何が起こったのかを悟っていた。

「これが貴族のやることかよ……ひでえことしやがる……このおっさんに罪はないだろうに……」

 つぶやくサイト。彼にもわかったらしい。
 ここにギーシュが来たのだ。
 彼が姿を消したのは、まず間違いなく復讐のため。まだモンモランシーが生きているのであれば、心を取り返そうと、あるいは毒の進行を止めようと、一人であがいているのかもしれないが……。
 少なくとも、ここを訪れたのは復讐のためだ。
 ならば。

「連中の居場所……もう一度言ってもらいましょうか」

「だから……通りを東に行った……『海の花』亭だって……言ってるじゃないか……」

 相手が変わっていることにも気づかず、半泣きで言う男。
 ……もう十分だ。
 私はサイトと共に下に降り、管理人に金貨をつかませ、医者を呼んでやるように頼むと、情報屋の言った場所へ向かう。

「通りを東……って言ってたわね?」

「そうみたいだな。っつうことは……」

 探す必要はなかった。

 グゴォォォォンッ!

 突然。
 轟音と共に、私たちの行く手にあった、一軒の建物が崩壊する。敷地全体の地面が盛り上がって、建物が吹っ飛んだのだ。

「……土メイジだからって……なんちゅう派手なマネを……」

 急いでダッシュで近づく私たち。
 驚いた近所の人たちが、あたりに顔を覗かせる。
 人々の驚きと恐怖。あせりと悲鳴。
 そんな中、一つだけ異質な感情が、私にもハッキリとわかるほど、ある方向から流れて来ている。
 すなわち……憎悪。
 おそらくはそここそが、ギーシュの居場所。
 それは、もうもうたる土煙の向こう。
 戦いはどうやら、ガレキと化した安宿の裏手で行われているようである。
 私たちは通りを曲がり、裏路地へと入る。
 細い通りを駆け抜けると、いきなり広い場所に出た。
 そこには……何かが転がっていた。
 長いもの。短いもの。大きな塊。丸いもの。
 人間の体の一部だった。
 男の首も、三つある。

「……!」

 私もサイトも、言葉をなくして立ちつくす。
 そこに。

「……っがぎゃあぁぁああぁぁぁっ!」

 絶叫と共に、何かがボタリと落ちてくる。
 ……女の左足……。

「……!?」

 視線を上げれば。
 広場に面した建物の屋根の上。
 土煙で汚された夕焼けを背に、彼がいた。
 しゃがみ込み、左手で何かを抱えるようにして、右手を動かす。
 手にした刃が、赤くきらめいて……。

「ぎぐゃああああぐぶぅぅぅっ!」

 抱えられたものが身を震わせて、悲鳴を上げる。
 また何かボトリと落ちてくるが、もう確かめる気すら起きない。

「……誰だ……?」

 左手で抱えた物体に向けて、ギーシュが問う。

「君を雇ったのは誰だ?」

「だ……だがら……さっきがら……言っでるじゃないですが……南の……『土の司祭』……」

「よく聞こえないな。もう少しハッキリ言ってくれないか」

 穏やかな声で、ギーシュは再び右手を動かす。
 続くのは……シーコの悲鳴。

「……誰だ……? 君を雇ったのは?」

「……も……もうやめで……ゆるしで……」

「駄目じゃないか、ちゃんと答えなくては。紳士の質問に素直に答えるのも、淑女のたしなみではないかね」

 そしてまた……剣のきらめきとシーコの絶叫。
 すっかり小さくなったシーコは、わずかにもがきつつ、

「南の『土の司祭』です! 南です土です土の司祭ですお願いもうやめでよやめでたすげでおがあさんぐるしい……」

「……君……ちょっとうるさいな……」

 言ってギーシュは、その手を……。

「ギーシュゥゥッ!」

 叫んだのは、サイトだった。
 おかげで私も、長い硬直から脱出する。

「もう十分でしょ!?」

 二人の声を耳にして。
 ゆっくりと彼は振り向く。
 その瞳には、静かな光が宿っており……。
 いつもの……キザで陽気でお調子者のギーシュとは、まったくの別人だった。

「ああ、サイトたちか。……遅かったね。ちょっと待ってくれ、すぐ終わるから」

 口調だけは、私たちが知るギーシュと同じで。
 再び私たちに背を向けて……右手を動かす。

「……や……やめでやめでやめ……」

 赤い刃が数回連続できらめき、シーコだったものは、何もしゃべれなくなった。
 粉々に刻まされたそれは、ギーシュの手から風に飛ばされ、向こうの土煙に紛れる。

「……ここまでやれば……いくら君でも死んだはずだ……」

 私たちに背を向けたまま、ギーシュはゆっくりと立ち上がる。

「『ほんとは荒っぽいこと、大っ嫌いなんだから』……それがモンモランシーの口癖だったんだよ」

 突然。
 懐かしい思い出話でもするかのように。
 ギーシュが語り始めた。

「ああ見えて、彼女は臆病でね。僕らが旅を始めたばかりの頃……『まったくもう、なんだか嫌な予感がするったらないわ。人生って、とにかくなんでも、それを望まない人の元へ優先的に届けるんだから』って言ってたっけ」

 ギーシュの表情は見えない。私たちには、彼の背中しか見えない。

「……僕は、こう返したんだ。『大丈夫だよ! 命に代えても僕は君を守ってみせる!』って。それなのに……こんな奴らに……」

 ひと区切りついて、彼は私たちの方を向く。
 まだギーシュは、『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』を出し続けていた。
 いつもより、いっそう赤い。これでは薔薇の色でなく、まるで……。

「……あとは僕がケリをつける。できれば君たちは、村から離れてくれ。これは……僕たちの問題だ」

 言うなり彼は身をひるがえし、屋根の向こうに姿を消す。
 ……止めなきゃいけない……。
 頭ではわかっているのだが、追えなかった。
 いや、動くことさえ出来なかった。
 ただ、彼の後ろ姿だけが……。
 血のように赤い『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』を手にした、彼の後ろ姿だけが、私の目に焼き付いていた。





(第四章へつづく)

########################

 色々と悩みましたが。
 読者の要望にあわせて方針を大きく変えるようでは長編を書く意味はない……と考えて、当初の基本方針を貫くことにしました。
 このSSはあくまでも『スレイヤーズ風』。皆様それぞれの『スレイヤーズ』観があるように、私は私で一ファンとして「ここを譲歩してしまったら『スレイヤーズ』ではなくなる」というポイントがあります。譲れる部分は譲ったつもりですが、結果、今回はこのような内容になりました。
 ここで読者がガクッと減るんだろうなあ、という予想もありますが、それはそれで仕方がないです。そもそも第一話の時点で、かなり人を選ぶSSだったと認識していますし。それに(PVが出ないような)他サイトで長編を書いていた時も、「最後までついてきてくださった読者のために」と思いながら完結させるのが、私の作風でしたから。
 むしろ恐れているのは「今後もこの人はこういう展開を好むのではないか」と思われて、今後こちらのサイトに投稿するSSを読んでもらえなくなることなのですが……。

(2011年11月20日 投稿)
   



[26854] 第十四部「グラヴィルの憎悪」(第四章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/11/23 22:58
   
 夕焼けに照らされて。
 茶色いはずの『土の分院』は、むしろ赤く見えていた。
 以前に来た時と同じく、建物の前には、たむろする傭兵たちの姿がある。
 ……どうやらまだ、騒ぎは起こっていないらしい。
 私とサイトは、まっすぐ玄関へと向かう。

「……おい待て、お前ら!」

 歩調を緩めぬ私たちに、傭兵の一人がわめいた。

「ありゃあ本院の雇った連中だろ?」

「だからといって素通りさせるわけにもいかねえだろうさ」

 傭兵たちのヒソヒソ話が聞こえる。全然ヒソヒソ話になっていない。
 私はそちらに一瞥を送り、

「……『土の司祭』の命が狙われてるの。会わせてもらうわよ」

「……な……?」

「『風の分院』を襲った連中……そいつらを一人で皆殺しにした男よ。あんたたち……勝てる?」

 はっきりとした証拠はないが、状況から考えて、『風の分院』襲撃事件の犯人はシーコたちだったのだろう。
 私の気迫に圧されて、絶句する傭兵たち。彼らを残して、分院に入ってゆく。
 案内などなくても、構造はわかっている。私たちは『土の司祭』の私室へと向かい……。

 ダンッ!

 扉を大きく開け放つ。
 部屋にいたのは、『土の司祭』と数人の傭兵たち。

「……な……」

 椅子から『土の司祭』が腰を浮かし、傭兵たちは色めき立つ。

「貴様ら! いったい何のつもりで……」

「シーコとその仲間たちが死んだわ」

 最後まで言わせず、私はキッパリ言い放つ。
 それだけで彼の動きが凍りついた。傭兵たちは困惑気味で、もの問いたげな視線を互いにかわしている。
 これが『シーコ』を知っている者と、知らない者との反応の違い。
 つまりは……そういうことだ。

「どういう意味か……わかるわね?」

「……あ……」

 かすれた声でつぶやいて、『土の司祭』は再び、椅子に沈みこむように腰を下ろした。情けない表情で、左右に弱々しく頭を振って、

「……わ……わしは悪くない……」

「ふざけるなっ!」

 サイトの一喝に、『土の司祭』が小さく、ビクッと体を震わせた。

「おい、何人死んだと思ってんだよ!? 全部あんたの雇った暗殺者がやったことだろうが!」

 傭兵たちの間に動揺が走る。やはり彼らは、暗殺者のことは知らなかったのだ。

「マチス司祭を火事に見せかけて殺したのも……あんたね?」

「それは違う!」

 私の問いを力強く否定してから、彼は頭を抱えて、再び弱々しい態度で語り始める。

「……お告げが……あったのだ……」

 ……は?

「……マチス司祭が火事でお亡くなりになって……祈っていたら……あの夜……神の御声が……」

 いったい何を言い出すのやら。
 私だけではない。彼に雇われているはずの傭兵たちの中にも、眉をひそめている者がいる。

「……マチス司祭の死は事故ではない……邪悪な心を持つ者の暗殺だ、と……。お前もまた狙われている、と……。身を守るには力が必要だ、力を集めよ、と……。聞こえたのだよ! 神の声が!」

「……寝言を……!」

 サイトがつぶやいたが、『土の司祭』には聞こえなかったようだ。
 かまわず彼は話を続ける。

「……だから……わしは人を雇った……傭兵メイジたちを……。その中の一人が……あの女メイジが暗殺者だなんて……知らなかったんだ……」

「嘘ね」

 私はキッパリ言い捨てた。
 部屋にいる傭兵たちをグルリと見回しながら。

「本当に彼女が普通の傭兵メイジだと思ってたなら……その存在を隠す必要なんてなかったでしょ。……でも、あんたは隠していた。だって、ここにいる人たち、『シーコ』なんて知らないって顔してるわよ」

「ち……違うんだ! やつが普通じゃないことは、わしにも一目でわかった。だからイザという時の切り札になると思って、秘密にしていただけだ! まさか……やつが暗殺者だったなんて……あんな可愛い顔をして……」

 ううむ。
 このおっさんも、しょせん男だったということか。若い娘が、ちょっと可愛い顔して色気ふりまいたら、コロッと騙されてしまう……。
 人魔だったけど、シーコも外見だけなら、それなりの美少女メイジだったからなあ。

「わしが命じたのは……こっそり他の陣営の傭兵たちを痛めつけて、この件から手を引かせること……それだけだった。……なのに! あいつが暴走して……」

「……おい、おっさん。そんな言い訳が通ると思ってんのか!?」

「本当だ!」

 サイトの言葉に、『土の司祭』は声を張り上げる。

「……あの事件が起きる前の日……夜ごとの報告に来たあいつは、妙に上機嫌だった……。知った顔に出会った、これから楽しくなる、だから今夜は特別にサービスしてあげる、などと言っておったが……まさか……翌日あんなことを……」

 おそらく『あの事件』とは『風の分院』襲撃のことだろう。ならば、その前日といえば、ちょうど私たちがグラヴィルに来た日……つまり、傭兵と暗殺者との戦いを目撃した日である。
 あの暗殺者は全身を黒で覆っていて、性別すら不明だった。もしもあいつがシーコだったとしたら……。

「『風の司祭』が殺された夜……シーコめは笑いながら言いおった……。これがあんたの望んだことなんだろう、わざわざ仲間まで呼び寄せてやった……とな……。だが……違う! わしは……そんなこと望んでいなかった! わしは……ただ……」

 言って両手で顔を覆う。
 ……だいたい事情はわかった。
 おそらくシーコは、私たちの顔を見て、復讐の好機だと思ったに違いない。
 ただし、一対二ではかなわぬと判断して、あの場はアッサリ退却。仲間を呼び集め、暴走したのだ。
 私たちを戦いの舞台に引きずり出すために。
 そして……その結果……モンモランシーが……。

「……わしは……命じてなどいない……」

 顔を覆って、うなだれて、『土の司祭』は小さな声でつぶやく。自分自身に言い聞かせるように。
 初めて会った日の高飛車な面影は、もうまったくなかった。
 今にして思えばあれは、本当に苛立っていたのであり、また、演技でもあったのだろう。シーコの暴走を知って動揺していた、その内心を隠すための。

「……わしは……『風の司祭』の死など望んではいなかった……わしは……悪くない……」

『それを決めるのは……あなたではない』

 声がした。
 唐突に。
 ギーシュの声が。
 その瞬間。

 ブァッ!

 青光りする闇が『土の司祭』の全身を包み込む。

「!?」

 何が起こったのか、一瞬、誰にもわからなかった。
 全員が硬直した刹那。

 ゴガァゥッ!

「ぐあああああああああっ!?」

 すさまじい破砕音と『土の司祭』の悲鳴。
 遅れて、私は事態を理解した。
 ……『土』魔法の組み合わせだ。巨大な『アース・ハンド』で足だけでなく全身を包み込み、さらにそれを『錬金』で『青銅』に変換して……圧殺したのだ……。
 ようやく私が悟った直後、魔法が解除され、『土の司祭』の姿が再び現れた。
 全身の骨をバラバラに砕かれており、ただグタリと崩れ落ちるのみ。傭兵たちが駆け寄るが、どう見てももう死んでいる。

「ギーシュ!」

 壁の向こう側にいるであろうギーシュへ向かって、叫んで私はダッシュ。
 爆発魔法で壁を壊し、中庭へ出る。
 刈り込まれた庭木、伸びる石畳、小さな噴水、佇む石像。
 そして。
 赤い夕日を背に負って、渡り廊下を覆う屋根の上に……。

「追ってきたのか……君たち……」

 苦笑混じりの声で、ギーシュが言う。
 何も命じていないが、サイトはピタリと、私のあとについてきていた。

「ギーシュ! 彼は……『土の司祭』は、シーコを雇っていただけ! 命令を出してたわけじゃないのよ!」

「……わかってるよ。壁のこちら側で聞いていたからね。でも……だから許せるというものではない……」

 その顔は、影になっていてよく見えない。表情は、声色と口調から想像するしかなかった。

「おい、ギーシュ! そんな理屈は……」

「……ルイズ。君に一つ尋ねたい」

 サイトの呼びかけを遮って。
 ギーシュは、私に問いかけてきた。

「もしもモンモランシーではなく、サイトが毒を受けていたとして……それでも君は、そんなに理性的でいられるのかね?」

「……え……」

 そうだ。
 あのとき。
 私は言ったのだ……『サイト! そっちのヒゲ面も任せたわ!』と。
 そのヒゲ面のナイフに、凶悪な毒が塗られているとも知らずに。
 毒ナイフ男を含む四人と同時に斬り合って、サイトがかすり傷ひとつ負わずに済んだのは、サイトの技量が常人離れしていたから。ただ、それだけの理由だ。
 もしもサイトが……毒ナイフでチラリとでも斬られていたら……今頃サイトもモンモランシーのように……。

「まだ僕たちが、魔法学院の学生だった頃……」

 突然。
 ギーシュが昔話を始める。
 答えに窮する私を前にして。

「……僕のよそ見が過ぎて、愛想をつかされたらしく、部屋にすら入れてもらえなくなったことがあってね……」

 私たちと知り合ってからでも、ギーシュは十分に女好きだった。わざわざ今さら聞くまでもなく、旅に出る前の二人の様子も、だいたい想像がつく。

「廊下で扉を叩きながら、僕は言ったものだ。『愛する君にそこまで嫌われたら、僕の生きる価値なんて、これっぽっちもない』と。『せめて君が暮らす部屋の扉に、僕が生きた証を、君を愛した証拠を刻みつけようと思う』と」

 おそらく、それでも。
 ギーシュみたいな男が、フラれたぐらいで死ぬわけがない……。そう思って、モンモランシーは、つれない態度を貫いたことだろう。

「口に出して言いながら、僕は刻み始めたのだよ。『愛に殉じた男ギーシュ、永久の愛に破れ、ここに果てる……と』とね。そうしたら『と、じゃないわよッ! もう!』って言って、彼女は扉を開けてくれてね……」

 そして、少しずつ。

「……そうなのだよ。わかるかい? モンモランシーがいなかったら……『僕の生きる価値なんて、これっぽっちもない』のだよ……」

 ギーシュの口調が変わってゆく。
 明から暗へと。
 光から闇へと。
 過去から……未来へと……。

「……だが……僕一人が死ねば、それで済むというものでもない……そう簡単には死ねないのだ……」

 その言葉にこめられた憎悪に。
 私は怯えるしかなかった。
 彼の言葉は……もうギーシュの言葉には聞こえなかったのだ。
 私だって、ハルケギニアに生きる貴族の一人だ。名誉やプライドを重んじる貴族の一人だ。
 ……愛する婦女子一人守れないのは、騎士の恥。生き恥をさらすよりも、愛に殉じる……。
 それはそれで、ひとつの形だと思う。そこまでは理解できる。
 でも。
 ……『僕一人が死ねば、それで済むというものでもない』……。
 これは違う。貴族の言葉ではない。
 それはまるで……自分だけの『滅び』ではなく世界全体を『滅び』に巻き込もうと望む者のような……。
 と、その時。

「いたぞっ! あそこだっ!」

「やっちまえっ!」

 後ろから聞こえてきたのは、ようやく壁の穴から這い出してきた傭兵たちの声だった。

「ふむ……おしゃべりが過ぎたようだね……」

 きびすを返すギーシュに、私が呼びかける。

「ギーシュ! 待って!」

「……次は東だ」

 振り向きもせずに返して、彼は屋根伝いに走り出した。

「……えぇい! 追え!」

「待て貴様!」

 あわてて追いゆく傭兵たち。
 そして私は……いや、私だけではない。私とサイトは、じっとその場に佇んでいた。

「いいのかい? 追わなくてよぅ?」

 うながす声は、サイトの背中から聞こえた。
 ……ガンダールヴの剣、デルフリンガー。

「らしくねーな、相棒も娘っ子も。……人間の耳には聞こえなかったのか? あいつの『自分を止めてくれ』って声がさ」

 ……あ……。
 私は思わず、小さく息を呑んでいた。
 そうだ。
 次は東……。
 ギーシュは確かにそう言ったのだ。
 わざわざ予告のような真似をした、ということは……。

「……そうね……」

 私は同意の声を上げた。
 ギーシュは今、二つの気持ちの間でゆれ動いているのだろう。
 まだ憎悪一色に染められたわけではない。
 ここでも、シーコの時でも……あんなに幸せそうに、昔の思い出を語っていたのだから。
 昔を想う、平穏な心が残っているはずだ。

「……行くわよ、サイト」

「ああ」

 私とサイトは走り出す。
 向かうは東……『火の司祭』のもと。

########################

 暮れゆく空に星が瞬く。
 もはや太陽は没し、西の端に残るわずかな茜色が、夜の浸食にかすかな抵抗を示すばかり。
 夜が来る。
 私とサイトが『火の分院』に到着したのは、そんな時間帯のことだった。
 すでに玄関の扉は閉ざされており、扉の前には、正規の兵士が一人と傭兵らしき男が一人……倒れている!?

「遅かったか!?」

 叫んで駆け寄るサイト。
 ここ『火の分院』にはキュルケがいるはず。前に来たときは外出中だったし、そもそも私たちが出会ったのも本院を調べている時だったから、警護ではなく違う役回りをさせられているのかもしれないが……。
 もしも今キュルケが中にいるなら、ギーシュだって、そう簡単には……。

「……悪魔だ……七匹の悪魔が……」

 サイトが助け起こした兵士は、それだけ言うと息絶えた。
 傭兵の方は、すでに死んでいる。
 私はサイトと顔を見合わせてから、玄関の扉を押し開き……。
 二人同時に、建物の中に飛び込んだ。

########################

 この分院のシンボルは『火』。イメージカラーは赤。
 そして、今。
 内部はまさに、赤一色に染められていた。
 ……ここにいた者たちの血で。

「……うっ……」

「なんてやり口だ……ギーシュらしくもねえ……絶対に止めるぞ、ルイズ」

 転がる死体は、どれも無惨な状態だった。
 魔力剣でバッサリ斬られたものではない。牙で噛み砕かれたように、爪で抉り取られたように、皆ボロボロになっていたのだ。
 とても直視できない。なるべく無視して、私たちは通路を駆ける。
 角を曲がれば、まっすぐ伸びた廊下。『火の司祭』がいる私室の扉が見えてきた。
 その扉の前で。

「ぐえっ!?」

 首筋に噛みつかれ、腹を抉られ、ちょうど絶命する一人の傭兵メイジ。
 やったのは……。

「これが……七匹の悪魔……か」

 つぶやいて、サイトがデルフリンガーを構える。
 そう、おそらく玄関の兵士には、それが悪魔に見えたのだろう。
 私たちの行く手を阻むのは、二体のゴーレムだった。
 ……『青銅』のギーシュが作り出したゴーレム『ワルキューレ』。その七つのゴーレムのうち、二つがこの場にいた。
 だが。
 その姿は、私たちが知っているワルキューレとは微妙に違う。ギーシュの憎悪を反映して、禍々しい雰囲気を放つデザインに変化していた。
 基本的なシルエットは、たしかに甲冑を着た女戦士である。しかし、この二体を見て、誰が『戦乙女(ワルキューレ)』だと思うだろうか。
 一方は青銅の爪から、もう一方は青銅の牙から、それぞれ犠牲者の血を滴らせて……。
 まるで……魔獣と魔竜のようだった。

「そこを……どけぇぇぇっ!」

 斬りかかるサイト。
 魔竜ワルキューレがガシッと口で受け止めるが、サイトは構わず、竜の顎ごと全身を両断する。
 その背に向かって、爪を振るおうとする魔獣ワルキューレ。しかし獣の腕は、私のエクスプロージョンで消滅。続いて、振り返ったサイトが魔獣を切り裂く。

 ザンッ!

 その勢いのまま、サイトはドアを叩き斬る。
 中に入れば……。

「キュルケ!?」

 あわてて駆け寄る私。
 トライアングルメイジであるキュルケが、血だらけになって倒れていたのだ。
 もちろんキュルケだけではない。他の傭兵メイジたちに混じって、『火の司祭』の姿も転がっている。
 そちらに歩み寄ったサイトが、私の視線に気づいて……。
 無言で首を横に振った。
 一方キュルケは、まだ息がある。
 
「……ルイズ……遅いじゃないの……」

 私に抱きかかえられて、うっすらと目を開く。

「……強いわよ……彼……。シャレになってないわ……」

「しっかりして、キュルケ! あんた、この程度でやられる女じゃないでしょ!? あんたは……ツェルプストーの女なのよ!」

「……言ってたわ……次は北だ、って……」 

 それだけ言うと。
 彼女は目を閉じて、ガクリと頭を垂れた。

########################

 結局。
 生き残ったメイジは、キュルケだけだった。
 部屋に閉じこもって隠れていた僧侶たちに害はなかったが、『火の司祭』を守って戦う傭兵メイジに、ギーシュは容赦しなかったらしい。
 そんな中でキュルケ一人、殺されずに済んだのは、ヴィンドボナで——ほんの短い時間ではあったが——共闘した間柄だったからなのか。あるいは、私たちへのメッセンジャーという役割があったからなのか。

「……ありがとうございました。おかげさまで助かりました……」

 一室に隠れていた僧侶たちは、傷だらけのキュルケに礼を言う。
 キュルケの命令で、彼女の使い魔フレイムが、彼らの部屋に残されたためである。
 ……別にフレイムがいるから助かったのではなく、彼らはギーシュのターゲットではなかった、というだけなのだが。
 生き残った者たちは、詳しい事情を知らない。『風の分院』の者たちが全滅したように、本来ならば皆殺しにされるはずだった……と思い込んでいるのだ。
 ともかく。
 彼らはキュルケの手当てを申し出たが、もう『火の分院』に『治癒(ヒーリング)』の出来る者はいない。
 応急処置の後。
 私たちはキュルケを『水の分院』へ連れていくことにした。
 屋根ナシ荷車のような、簡単な馬車を『火の分院』で借りて、荷台にキュルケを寝かせて、夜の村を疾走する。
 もう人通りも少ない時間帯だ。昼間このスピードで馬車を駆れば、村人の迷惑になるだろうが、今ならば大丈夫。
 ガタンゴトンと進むうち……。

「……あれは……復讐鬼の目だったわ……」

 さすがに寝心地もよくないのか。目を覚ましたキュルケが、ポツリとつぶやいた。

「キュルケ!? いいから、あんたは休んでなさい。今、水メイジのたくさんいるところへ運んであげるから」

「ルイズ……トリステインの魔法学院に立ち寄った時のこと……覚えてる? あの時の……アニエス……彼女と同じなのよ……」

 私の言葉など丸っきり無視して、語り始めるキュルケ。
 ……アニエスというのは、トリステイン魔法学院が二派に別れて争っていた時、『火』メイジのボディ・ガードをしていた女剣士だ。それくらいは私も覚えている。
 幼き頃に村を焼かれ、その復讐に生きる剣士、アニエス。彼女が仕えていた『火』メイジこそが復讐のターゲットだったのだが、なんだかんだいって許したような感じだった。そこら辺の詳しい事情も、同じ派閥に属していたキュルケは、私以上に聞いているのかもしれない。

「……そのアニエスが言ってたの……『復讐は鎖だ。どこかで誰かが断ち切らねば、永遠に伸び続ける鎖だ』って……」

 それだけ言うと、キュルケは再び目を閉じた。
 やはり今の状態では、起きているだけでも体に負担がかかるのだろう。すぐに安らかな寝息を立て始める。
 彼女の寝顔を見下ろすような形で、

「なあ、ルイズ」

「何よ?」

「今頃アニエスさんの話とか聞かされても……どうしろっていうんだ?」

 問いかけるサイトに、私は返す言葉を持たなかった。

########################

「……来るのですか……彼が……」

 私の話を聞き終えて。
 暗いまなざしで『水の司祭』はつぶやいた。
 ……『水の分院』の、彼の私室でのことである。
 今ここにいるのは、彼と私とサイトだけ。キュルケは別の部屋で、水メイジに診てもらっており、使い魔のフレイムも、彼女のそばに付き添っている。

「ギーシュは暴走しています。そして同時に……そんな自分を止めてもらいたがっています。でなければ、私たちより先に、ここに到着していることでしょう」

 確証はない。だが、とりあえず私は、そう言うしかなかった。

「……わかりました。では……礼拝堂で警備してもらえますか?」

「礼拝堂……ですか?」

 彼の提案に、私は眉をひそめた。
 戦いになる可能性を考えるなら、ある程度の広さがある方がいい。護衛を集中させることもできるし、広さの点では、たしかに礼拝堂は悪くない。
 しかし……いくつもの柱やら、参拝者用の長椅子や祭壇など、障害物があるのは問題だ。それらは、身を隠して近づく側に有利となるのだ。

「……うーん……」

 難しい顔をする私を、『水の司祭』はヒタッと正面から見据えて、

「お願いします。……私の居場所は、あの場所にこそ、あるような気がするのです。たとえ……結果がどう出ようとも……」

 自らの死をも覚悟した言葉だった。
 そこまで言われたら、反対などできやしない。

「わかりました」

 私は頷くしかなかった。
 さらに。

「それともうひとつ。護衛の人々に関しても……提案があります」

 彼の出した案は、まさに常識外れのものだった。

########################

 壁や柱に取りつけられた燭台には、魔法の明かりが皓々と灯り、広い空間を照らし出す。
 横二列に並ぶ長椅子の間には、青い絨毯。
 真ん中の広い通路の先には、始祖ブリミルを祀る祭壇。もちろん、始祖の容姿を正確に象ることは不敬とされているため、始祖が腕を広げた姿を抽象化した像しか置かれていない。
 その祭壇に……『水の司祭』はいた。
 両脇をかためるように、右にはサイト、そして左には私。
 礼拝堂にいるのは、それだけだった。
 他の傭兵や兵士たちは、分院の奥。
 ……護衛は私とサイトの二人のみ……。
 それが『水の司祭』の出した、ムチャな案だった。
 彼は言ったのだ、これは私たちだけで決着をつけなければならないことだ、と。他の者たちは巻き込めない、と。
 ……まあ、たしかに……。
 キュルケですらアッサリやられてしまったほどの相手が来るのだ。そんじょそこらの傭兵やら兵士やらがいても、足手まといになるだけである。

「……わかってるわね、サイト……」

「ああ。退いてくれないなら……本気でやれ、ってことだろ……」

 私の問いに、サイトは硬い表情で頷いた。
 今までは……『土の司祭』と『火の司祭』に関しては、私たち二人も心情的に、ギーシュに近しい部分さえあった。一人は暗殺者シーコの雇い主であり、もう一人は、嫌がらせでモンモランシーの治療を拒んだのだから。
 しかし今回は違う。『水の司祭』は……何も悪くない。ここで解毒できなかったことは、彼の責任でも何でもないのだ。
 だからこそ。
 たとえギーシュを傷つけることになったとしても、止めなければならない。

「……止める。絶対に」

 私は小さくつぶやいた。
 そして、それを待っていたかのように……。

 ……ッギィィィィィィ……。

 重い音を立て、礼拝堂の扉が開く。

「待たせたね」

 灯る魔法の明かりに照らされて、彼は言う。
 落ち着いた、静かな口調で。

「君たちだけかい? ……ずいぶん気の効いたお出迎えだな」

「よけいな邪魔は……入らない方がいいでしょ」

「ああ……確かにね」

「ギーシュ! 俺には……わからん……」

 友人として、サイトがギーシュに呼びかける。

「……俺は貴族じゃない。ハルケギニアの生まれですらない。だから……貴族のプライドとか……愛に殉じるとか言われても……ファンタジーの絵空事にしか聞こえないんだ、ギーシュ」

「サイト。そういう問題ではないのだよ、もう。……君は、わからないままでいい。今の僕の気持ちがわかる日など……来ない方がいい」

「……」

 絶句するサイト。
 ならば、今度は私が問いかけよう。ごくごく単純に。

「……もう……やめにしない?」

「そうはいかないね」

 彼は、バサッと金髪をかきあげながら、
 
「これで最後……と言いたいところだが、どうにもモヤモヤが収まらない。『水の司祭』の次は……ルイズ、君かもしれない。あの時、彼女の隣でナイフを止められなかったのは、君なのだから」

「……う……」

「あるいは……僕たちが旅に出るキッカケを作り出した者……それを探し出して、憎悪の対象とするかもしれない。本来ならば、荒事の嫌いなモンモランシーは旅に出ることもなく、学院で大人しくしているはずだったのだから」

 ……駄目だ。今ここで止めなければ、ギーシュの心の闇は、無関係な者へと、その魔の手を伸ばすことになる……。

「わかったわ……」 

 仕方なく私は頷いた。
 わかっているのだろう。ギーシュ自身も。これが正しいことではない、と。
 ただ……心から吹き出す憎悪が止められないのだ。

「ここで……止めてみせる。手加減は……あまり出来ないわよ」

 苦笑を浮かべて言う私に……。

「それは僕のセリフだ。君たち相手に、手を抜くつもりはない」

 ギーシュも苦笑で返し、呪文を唱え始めた。
 ……『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』。赤い魔剣を作り出し、ギーシュはそれを構える。
 私とサイトも、それぞれ杖と剣を手にして……。
 魔法の明かりに照らされた、始祖ブリミルの像が見守る中。
 私たち二人は、ギーシュと対峙した。





(第五章へつづく)

########################

 最初は、キュルケがガクッとしたところで区切るつもりでした。でも、それではあまりにも短い。では一気に最後まで……と思って書いてみたら、ちょうど二話分の長さ。まあ今までも各部のラストは若干長めのこともあったので、それはそれで構わないか、でも……と少し悩んで。結局、このような形で区切ることにしました。

(2011年11月23日 投稿)
   


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