当初の予定を変更し、あれよあれよと言う間に決まってしまったギンガとコルトの模擬戦。
だが、そんな事が起こっているとはつゆ知らぬ面々は、それぞれに今を過ごしている。
例えば、最新型のヘリに乗って地上本部に向かう部隊長と執務官とか。
「う~~~~! う”~~~~~!! う”~~~~~~~う”~~~~~~~~う”~~~~~~~~~!!!」
「なぁ、フェイトちゃん。さっきから何を頭抱えてうなっとるん?」
十年来の幼馴染兼親友である金髪美少女執務官「フェイト・テスタロッサ・ハラオウン」に若干引き気味に尋ねるのは、機動六課部隊長の八神はやて。
正直、心優しく『基本』冷静で内気でありながら子煩悩と言っても良い一面を持つこの友人が、こんな様子なのは初めて見る。
そして、当のフェイトはと言うと、よくぞ聞いてくれましたとばかりにはやてに向き直った。
さらに雷光の速度で手が伸び、襟首を掴んで高速で振り回す。
ただし、その形の良い唇から放たれた言葉は、著しく理解不能だったが。
「ねえ!! はやてはなんでだと思う!?」
「……………………………いやぁ、せめて主語を入れてもらわん事には何とも……」
「だから! あの事だよ!!」
「せやから、どの事を言うとるん?」
「なんでわかってくれないの!?」
「まず、わからせようとする努力をしてほしいんやけど……」
「はやての意地悪……」
一向に答えを返してくれない(本人主観)はやてに、ついにフェイトは眼をうるませてうなだれる。
もし一切の音声をオフにしていれば、はやてが何かフェイトを傷つけるような事を言ったようにも見えるだろう。
実際には、彼女は全く何も言っていないのだが。
ちなみに、そんな美しき執務官の理不尽な涙に心を動かされてしまう純真無垢な妖精も同情していたりするのは、さて誰にとっての幸運で誰にとっての不幸なのか……。
「ああ!? 泣かないでくださいフェイトさん!? もう、はやてちゃん!!」
「え? これ、私が悪いん?」
あまりに理不尽な展開に、ただただ呆然とするしかないはやて。
普段なら友人のボケにはしっかりツッコミを入れるのだが、その余地すらない。
振り回されるより振り回す方が好きなはやてだが、終始ペースが乱されっぱなしである。
まあ、これでは無理もないが…しかし、純粋無垢な妖精にはこれで何かが伝わるらしい。
「もう! フェイトさんがこんなに取り乱すことなんて、エリオやキャロの事に決まってるじゃないですか!!」
「あ、ああ、なるほど。言われてみれば、確かにそやね」
確かに、納得はいった。フェイトがこれほどまでに取り乱す(暴走する)ことなど、彼女が保護者を務めるあの二人の事以外にないだろう。
だが! 正直、あの状態でそれをくみ取れと言うのは無理難題にも程があるのではないか。
納得はいったが、非常に釈然としないものを抱くはやてであった。
しかし、そんなはやてを余所にフェイトはリインの小さな手を握り締めて感涙にむせぶ。
「リインだけだよ、私の事をわかってくれるのは!!
なのはも、眼を白黒させるだけど『なに? え、なに?』って言うだけで……」
「むぅ、なのはさんまでそうなんですか? 友達甲斐のない人達です!
折角フェイトさんが悩みを打ち明けていると言うのに、そんなことでは友達失格なのです!!」
(いやぁ、多分それが普通の反応と思うんやけど……なのはちゃんも、苦労してはるんやなぁ)
基本、フェイトは優秀な執務官で通っている。
それは間違いではないのだが、彼女もまだ19の乙女。公私両面において悩む事、躓く事は多い。
昔とった杵柄と言うべきか、妙な所でやせ我慢をするというか心を隠す所がフェイトにはある。
そんな彼女が包み隠さず胸の内を打ち明けてくれるのは、リインの言う通り自分たちや家族くらいのものだろう。
確かにその事は嬉しく思うのだが、これはいくらなんでも……と思わずにはいられないのは罪ではない。
「で、結局エリオとキャロがどないしたん? エリオがキャロにセクハラして気まずくなってるとか?」
「何を言ってるですか、はやてちゃん! 今問題なのはエリオの事で、キャロは関係ないです!!」
「そうだよ! それに、エリオがそんなことするわけないでしょ、はやちぇ!! ……噛んじゃった」
「あ、あぁ、その…なんや、あんま気にせんでええと思うで?
せやから、体育座りして『の』の字書くのやめへん?」
「だって、だって……大事な所で……」
(カオスや……全く話が進まへん)
この年になって噛んだ事がよほどショックなのか、一転して鬱になるフェイト。
過去初めてと言っていいこのアップダウンの激しさに、はやてもついていけなくなってくる。
エリオやキャロの事に関しては暴走がちなのは知っていたが、まさかこれほどとは……。
長い付き合いのはやてとしても、戦慄を隠せない。
その後、必死の説得によりなんとか持ち直したフェイトから、ゆっくりと順序立てて事情を聴く。
そうして、なんでこんなに時間がかかるのかと思うほどの時間をかけて聞きだしたその内容は……
「つまり、フェイトちゃんより同室の人の前の方がリラックスしてるのに嫉妬しとると」
「べ、別に嫉妬とかそういうのじゃなくて……」
(アレが嫉妬やなかったらなんやっちゅうねん)
とは、思っていても口に出さないのが優しさと言うものだろう。
はやてはちゃんと空気を読む事が出来るのだ。
下手に茶化しても、話が進まない事だし。
「で、具体的には?」
「あのね、エリオって私にも敬語でしょ? 甘えてくれる事もほとんどないし……」
「その人には敬語つかっとらんの?」
「そういうわけじゃないみたいなんだけど……」
「敬語やけど、砕けてるちゅうことかな? シャマル…とは違うにしても」
「う、うん。ニュアンスはそんな感じ」
一口に敬語と言っても、そこに込められた感情や言葉遣いで印象は変わる。
敬う気がなければ慇懃無礼に、尊敬していれば堅くもなり、気を許していれば親しさが滲む。
フェイトに対しては二番目で、その男…兼一に対しては三番目なのだろう。
フェイトからしてみれば……
「この泥棒猫が! っちゅう気分?」
「う~~~、なんで? どうして? 私の何がいけなかったの? あの人にあって私にない物は何?
どうすれば、どうすればいいの? リニス~、母さ~ん、アリシア~……うぅ~」
(愛が重いなぁ……)
惜しみない愛情を注ぐことができる、それは紛れもないフェイトの美徳。
だが、ここまで来るとそれが重いのではなかろうか。
しかもこの愛、ただ重いだけではないときた。
「それにそれに、一緒にお風呂も入ってるし!」
(あれ?)
「その上、一緒の布団で寝てたりするんだよ!?」
(あれれ?)
「川の字なんてずるい! 私だってまだやったことないのに!!!」
(………………………突っ込んだらアカン! 突っ込んだらアカン! これは罠や)
フェイトが寮に入ったのは昨日の深夜の筈だ。
その間にどうやってそこまで調べ上げたのか、考えるだけでも恐ろしい。
「ま、まぁ、同性やし子はかすがいっちゅうからな。
白浜二士は子持ちやし、その子が上手く仲立ちになったんとちゃう?」
「子どもがいるとそんなに違うものですか?」
「うん、リインが産まれた時もそんな感じやったで」
とりあえず話題を逸らす意味もあって、適当な事を並べるはやて。
パッと思い浮かんだ事なので、実際にどうなのかは知らない。
少なくとも、リインの事で八神家一同の絆がさらに強まったのは事実なので、嘘は言っていないだろう。
「はやて」
「え?」
「それはつまり、その子をさらえと?」
唐突にとんでもない事を口走るフェイト。その眼は当然と言うのもおかしいが、据わっている。
あまりにもテンパリ過ぎて、普段の冷静な思考など彼方に消え去っているらしい。
「誘拐は犯罪やで、釈迦に説法の筈やけど」
「じゃあ、私が子どもを作れば!」
「え? まあ、そうなったらおめでたいし、エリオやキャロも一緒に喜んで絆も強くなるかも……。
せやけどフェイトちゃん、相手おるん?」
「いないけど、そこは気合と根性で!!」
「そ、そういう問題とちゃうんやないかなぁ……一人で出来るもんやないし」
「大丈夫! 想像妊娠って言葉もあるし!! がんばってなの……」
「それ以上は割と危険やからやめような、フェイトちゃん」
かなり危ない事を口走りかける親友の口を、最高のタイミングで閉ざすはやて。
その気があるのではないかと疑われて早十年。
本人達は頑なに否定していたが、実は本当なのではなかろうか。
それくらい、二人の仲の良さは際立っている。
これでは、某フェレットがなのはにアプローチを仕掛けないのは、「フェイトに遠慮しているからだ」と言う噂の信憑性が五割増しだ。
「え!? 想像すれば赤ちゃんができるんですか、はやてちゃん!?
もしや、リインが産まれたのも!?」
「いや、想像はあくまでも想像でリアルにはならんよ、リイン。ついでに、当然ながら私を含め、シャマルもシグナムもヴィータも、そしてザフィーラも出産経験はない事を断言しとく。
ちゅうか…………ボケ倒すのもええ加減にしぃや!! ボケに対してツッコミの数が足らんねん!!」
ちゃぶ台でもあればひっくり返しそうな勢いで怒鳴るはやて。
ボケに対する突っ込みは彼女も好む所、むしろドンと来いだが、さすがにこれは手に余る。
腕の良し悪しよりも、絶対的に手が足りない。
「そう言えばヴァイスは白浜二士達のとなり部屋だよね。どうなの、何かしらない!?」
「は? ああ、概ね八神部隊長の言った通りみたいっすよ」
「やっぱり、想像妊娠じゃ子どもはできないんですか」
「いや、そっちじゃなくて。チビ助が坊主を懐柔して、そこに滑り込んだ感じって事っすよ」
「と言う事は、下手するとキャロまで寝とられる!?」
「寝とられるって、ちょフェイトちゃん?」
「ズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよズルイよ」
「フェイトさん、可哀そうです」
「ウン、カワイソウヤネ、色々ナ意味デ。はぁ、気にせんとちゃきちゃき行こう」
「そっすね」
どうも、今のフェイトに何を言っても馬の耳に念仏らしい。
その事を悟ったはやてとヴァイスは、これ以上関わる事をやめる。ただし……
(とりあえず、白浜二士にはコツかなんか伝授してもらう事にしよ。
せやけどなぁ、エリオ達はフェイトちゃんの事を尊敬しとるからこうなわけで……)
おそらく、伝授してもらったところで難しいだろう。
たぶん、兼一とフェイトのどちらが好きかとで言えば、二人とも間違いなくフェイトなのだ。
ただ、フェイトが彼女の望む位置には……………たぶん、ずっとたどり着けないだろう。
何しろ、二人にとってフェイトは恩人であり目標であり、いつか力になってあげたい人。
片や、兼一はいいとこ近所の親切なお兄さんかおじさん。これでは扱いに違いが出て当然だ。
全く以って、ままならないものである。
「ん? どなしたんやリイン?」
「あ、いえ。白浜二士で思い出したですが、な~んか見覚えがある様な気がするです」
「ふ~ん、同じ日本出身やし、そのせいとちゃう?」
「そうなのでしょうか?」
まだ釈然としないものがあるのか、リインの顔は浮かない。
その答えを知る人がいるとすれば、ミッドチルダにおいてはなのはしかいないだろう。
BATTLE 15「好敵手」
場所は戻って機動六課訓練場。
時間も惜しいので、やることが決まったのならさっさと進めるべき、と言うことで事態は早急に進んで行く。
「それじゃ、早速模擬戦を始めようと思うんだけど、準備とかはいいよね?」
「はい、大丈夫です」
なのはの問いに威勢よく答えながら、ギンガはリボルバーナックルやローラーブーツの具合を確認する。
一目見て相手が強いと言う事はわかっていた。なら油断なく、初撃から全力で行くべき。
彼女の師はそう言った事が苦手だが、ギンガはそれほどではない。
しかしそこで、意外な人物から待ったが入る。
「でもギン姉」
「どうしたの、スバル?」
「そんなマスク付けてて大丈夫なの? 風邪ひいてるならまた今度の方が」
そう言ってスバルが指し示すのは、ギンガの口元と鼻を覆う白い布。病人の証、あのマスクである。
スバルとしては今日は見学とかのつもりだったのだろうが、そうではないとなれば話は別。
病人に訓練、それも模擬戦などもってのほかだ。
そして、彼女の意見に同調する者も当然いるわけで……。
「そうですよ。私、ヒーリングもできますし、今日はゆっくり休んだ方が……」
「きゅく~」
そう言って一歩前に出るのは、鮮やかなピンク色の髪が印象的な子どもの竜を連れた少女。
少女の名を「キャロ・ル・ルシエ」、竜の名を「フリードリヒ」と言う。
アルザスという土地に住まう、竜召喚と言うスキルを保有する「ル・ルシエ」の少女。
それも、あまりに竜の加護を受け過ぎて里を追われたという程の。
だがギンガは、心配そうに見つめる面々に苦笑を浮かべながら手を振る。
「ああ、ありがとう。でも大丈夫。別に風邪とか病気ってわけじゃないから。これはね……」
「もしかしてそれ、やっぱり訓練?」
説明しようとするギンガにかぶさるように発言したのは、先ほどから興味深そうに見ていたなのは。
おそらく、彼女にはそれがどういう意図によるものかもすでにわかっているのだろう。
ただ、それがわかる者ばかりと言うわけではなく。
「それ、どういう事なんですか、なのはさん?」
「ああ、うん。結構簡単な理屈なんだけどね、マスクをつけて息をするのって大変でしょ?」
「はい……って、ああ」
「うん、そういうこと。息がしづらいのに動きまわれば、当然消耗も激しい。
だけど、それに慣れて行けば体力もつくし肺活量も上がる、とまぁこう言うことだね」
『へぇ~』
ティアナ以下、なのはの簡単な説明でギンガがマスクをしているわけを理解する。
普通に生活している分には気にならないが、激しく動けばその負荷はかなりの物。
実際ギンガも、兼一からは実戦時以外はとるなと厳命されている。
二ヶ月も続ければ、そろそろ効果が表れ始めている頃だろう。
なのはが容易くその意図と目的を看破できた事自体は、驚くに値しない。
なにしろ、彼女の役職は「戦技教導官」。つまり、戦闘方面の指導者だ。
それもまっさらな新人を育てることではなく、より高いレベルの技術を身に付けさせることが役目。
必然、その教導内容には訓練校のそれより遥かに高度で複雑な物も含まれる。
時には他者が行う、ないし行わせる訓練から学んだり、取り入れたりする事もあるだろう。
そうなってくると、当然なにを目的とした訓練なのか分析する機会も多い。
むしろこれは、彼女にとって癖や習慣にも等しい。
そんな彼女だからこそ、一目であのマスクが何を意図してのものか看破できたのだ。
「どうする、付けてやる?」
「極力は」
「う~ん、私としてはギンガの意思を尊重してあげたいんだけど、せめてもう少し薄いのにしたら?
さすがにそれだと危ないよ、酸欠になるかもしれないし」
『え?』
困った様に首を傾げるなのはの言葉に、新人達一同そろって声を挙げた。
マスクをつけている意図はわかったが、なのはの言を聞く限り「厚過ぎる」と聞こえる。
その意味が、彼女達に測りかねるのだ。見る限り、普通のマスクにしか見えないのに」
「あ、あはは、さすがなのはさんですね」
「そりゃみんなの教官だからね、これ位に気付けないと失格だよ」
「ねぇ、ギン姉、それってどういうこと?」
「ん? ほら、スバル」
不思議そうに尋ねてくる妹に対し、ギンガはおもむろに取り払ったマスクを渡す。
それを受け取ったスバルと、周りに集まる新人たちはしげしげと件のマスクを見つめる。
そして、すぐにスバルは気付いた。
「うわぁ、分厚い」
「ほ、本当に……普通の三…ううん、五倍はありますよ、これ。目も細かいし」
「あの、ギンガさん。さすがにこんなに分厚いと相当に」
「うん、物凄くし辛い」
「というかこれ、内側湿ってる気がするんですが……」
「きゅくる~……」
「ああ、少し水を含ませてるから」
『ええ!?』
今度は、ギンガを除く全員が驚愕の声を漏らす。
なのはですら、厚さには気付いても水の事には気付かなかった。
厚さだけならまだいいが、水も含ませてあるとなれば話が別。
それも当然の話で、ミッドのマスクはその技術力もあってごく薄だが、それでも五倍となれば相当な物。
その上水など含ませれば、最早それは拷問にも等しい息苦しさではないか。
「ちょ、ギンガ! それはさすがに……」
「あ、いえ。私も無茶だなぁとは思うんですけど、師匠命令でして……それに、慣れてくれば、まあそれなりに」
(師匠? ギンガの師匠って、お母さんだよね。その遺言って事?
でも、このノリはまるであの人たちのような……)
そう、こう言う無茶な事をやらせる連中になのはは心当たりがある。
一般的な常識や理論を笑って無視し、非常識を常識とする頭のいかれた連中に。
自分の家族も同類と考えるとなんだか悲しくなるが……。
「ギン姉、さすがにそれは……」
「無茶、だよね?」
「うん」
「ギンガさん、それで模擬戦はちょっと……死にますよ?」
(実際、これで組手やると死にかけるんだけどね)
何しろ、ただでさえ組手中は徹底的に打ちのめされる。
その上これでは、さすがのギンガでも堪えるのは当然だ。
むしろ、今日までよくぞ生き残ったものだろう。
「はぁ、とりあえずギンガはマスクを取ること。さすがにそれで模擬戦なんて危ない事はさせられないよ」
「ですよねぇ……」
なのはの指示にはギンガとしても納得なので、特に異を唱える気はない。
なのはの気持ちもわかるし、その辺の事は古い知り合いらしい師に押し付けるつもりの様だ。
それに、出来るなら一切の縛りのない状態で戦ってみたいとも思う。
自分の見立てがどこまであてになるかは分からないが、付けたままで勝てるほど甘い相手ではなさそうだから。
しかしそこで、さらにコルトからも待ったが入る。
「待て…待ってくださいナカジマ陸曹」
「え?」
「それなら、服の下の物も取…ってください」
(気付かれた。観察力が高い証拠か……これは、厄介かな?)
長袖の上着を着て隠しているにもかかわらず気付いたコルトに対し、ギンガの警戒が高めた。
巧妙に隠した筈なのに気付かれたと言う事は、相手の眼力の高さを証明している。
強いだけでなく、見る目もあるときた。これは、中々に厄介な相手の証左だ。
「え? それってどういう?」
「そうだね、私もその方がいいと思うよ。
この先はともかく、今くらいは余計なものなしでやった方が良さそうだし。
ギンガも、それでいい?」
「はい」
そう言って、ギンガは上着を脱ぎ捨てる。
その下から現れたのは、あまりにも前時代的としか言えない代物。
『ぎ、ギプス?』
(はぁ、ますますノリがあの人たちみたいだよねぇ……何考えてるんだろ?)
唖然とする新人たちと、呆れてものも言えないなのは。
これでは、ますますあの連中と同じではないか。
その訓練の有効性は認めるが、このノリで他の訓練もしているとなれば、注意が必要かもしれない。
このやり方は、一歩間違えば故障どころでは済まないのだから。
そもそも、ティアナ達の手前敢えて口にはしなかったが、あのマスクにはスタミナ強化以外の目的もある事になのはは気付いていた。あのマスクに隠されたもう一つの狙い、それは「動きの最適化」。
動きに無駄が多ければ、必然的に消費する体力も増える。逆に言えば、無駄が少なければ動ける時間が増すのだ。
ただでさえ息切れを起こしやすいあのマスクをつけて動くには、スタミナの強化だけでは足りない。
動きの無駄を減らし、スタミナを長持ちさせる工夫が必要となる。
おそらく、平然と動けるようになる頃には、スタミナの強化と共に動きの最適化も進んでいる事だろう。
その上、スタミナがギリギリになっても動きが雑になる事もなくなる筈だ。
ギンガの段階ならそろそろそれに着手しても良い頃だとなのはも思う。
しかし、まだティアナ達には早い。彼女達は、もうしばらくは動きの基礎を固めるべきだ。
そう考えたからこそ、なのははこの目的にはあえて触れなかった。なにしろ……
(やっぱり危険なのは確かなんだよねぇ……ちゃんと見てくれる人がいるなら良いんだけど)
確かにギンガはそろそろこの段階に至っても良い頃だ。
ただし、これにはいくらかのリスクを伴う。よほどこまめに動きをチェックし直していかないと、無駄をなくすどころかおかしな癖をつけてしまいかねないのだから。
その意味では、正直独力でやっているとしたらやめさせた方がいいかもしれないとさえ思う。
まあそれは、この模擬戦での動きを見て判断すればいいと結論するなのはだった。
「他に付けてる物はないけど、これでいいかな?」
「ああ。早くやろう」
最早、敬語に言い直すことすら頭にはないのか、コルトの顔には好戦的な表情が浮かんでいる。
強い相手と戦いたい、と言うのは最早彼らにとっては本能と言っても良い物だ。
それが伝えているのだろう。この相手は、自分の力を存分に奮える相手だと。
そうして二人は、どちらからともなくビルを降りて模擬戦の準備に入った。
* * * * *
ビル群の狭間に対峙する二人。
彼我の距離はおよそ二十メートル。
射撃型ならないも同然の距離だが、白兵戦に長ける者からすると少々距離がある。
そんな距離で二人は向き合う。
片や左腕に篭手とさえ呼べない様なゴッツイナックルを装備し、足にはローラーブーツを履いたギンガ。
片や手ぶらで突っ立っているコルト。
事情を知らなければ、これから二人が一戦交えようとしているなどとは思うまい。
仮にそれを知っても、ギンガが一方的にぼこって終わりに見える。
ギンガとしても、デバイスすら持たずに突っ立っているコルトには疑問がないわけではない。
だが、まだデバイスを展開していないだけと考えれば、別におかしなこともないだろう。
彼のデバイスに待機形態と瞬間装着の機能があるのなら、別に問題はないのだから。
そして、今回の審判役であるなのはの顔がモニターに映し出された。
「それじゃ、最終確認。今回はあくまでも手合わせって事だけど、制限時間は多めに30分。
ギブアップか気絶、あるいは戦闘不能とみなしたら終了。二人とも、それでいい?」
「「はい」」
「うん。じゃ、二人の健闘に期待します」
それだけ言うとなのはの映像は消え、代わりにモニターにはカウントダウンの画面が映し出される。
これがゼロになったら開始と言うことだろう。
ギンガはその時に備えて構えをとり、コルトはゆっくりと右手を掲げ、中指にはまった指輪の名を呼んだ。
「ウィンダム、セットアップ」
【Yes,sir】
一瞬の深緑の閃光。
ギンガの考えていた通り、どうやら彼は自前で瞬間装着が可能なデバイスを持っていたらしい。
インテリジェンスかストレージかまではわからないが、先ほど交換した情報なら彼の術式はミッド式。
光が消えると、コルトの手には一本の翠色の杖。
それは凝った装飾などなく、シンプルなそれの長さはコルトの胸ほど。
訓練校などで配られる片手杖や長杖と違い、両端のどちらにも飾り気の欠片もない。
いっそ、アームドデバイスと言われた方がしっくりくるような代物だった。
「「……………」」
そのまま無言で向き合う二人。
その間にも、モニター上のカウントは刻一刻と減って行き、やがてその数は5を切った。
4、二人は申し合わせたように互いに深く腰を落とす。
3、大きく吐き切った息を改めて吸い込み、口を閉ざした。
2、身体を前傾姿勢にし、前足親指の付け根に体重を乗せる。
1、見つめるは眼前に立つ相手だけ。それ以外の全てを排除。
0、その瞬間………………………ギンガの姿が消えた。
(上か)
動じることなく、コルトはギンガの向かった先を眼で追う。
自身とは比べ物にならない速度だが、眼で追えない程ではなかった。
さすがにあんな『乗り物』にのっている相手と速度で競う気はないが、反応できない程ではないなら問題ない。
視線を上方に向ければ、そこには当然ながらギンガの姿。
空中には縦横無尽に紫色の帯状魔法陣が張り巡らされ、彼女専用の道を形成している。
少なくとも、これで制空権はギンガの物だろう。
そうして有利な立ち位置を占めたギンガは、ウイングロードを滑走し斜め上からコルトに迫る。
「はぁぁ!!」
「…………」
頭頂部目掛けて振り下ろされる鉄拳。
それを杖の突端で弾くも、即座に切り返し二撃目が顎を狙ってきた。
しかし、二撃目より早く杖の逆端がギンガの足元を払いに掛かる。
足を刈りとられる直前、ギンガはウイングロードを蹴ることでそれを回避した。
「とっ!」
コルトの頭上を飛び越える形で難を逃れたギンガは、空中で身体を反転させ蹴りを見舞う。
空中とは言え、重量のあるローラーブーツはそれ自体が凶器として十分成立する。
まともに食らえば、一撃で意識を絶たれても不思議のない一撃だ。
だがコルトはそれに対し、いつの間にか体勢を戻し頭上に向け突き放つ。
(一撃が重いな。下手に受ければ防御ごと潰されかねない…か)
(戻りが速い。これは、ちょっとやそっとじゃ崩せそうにないかな?)
僅かな攻防だが、それでも互いに相手の力量と性質を看破する二人。
そんな思考の間にも、蹴りと突きが正面から衝突し、ギンガは再度空中に身体を躍らせる。
大地を踏みしめている者とそうでない者の差だろう。
しかし、ギンガにとって空中は身動きのとれない無防備な空間ではない。
着地するよりも前にウイングロードを再展開し、コルト目掛けて疾走する。
「リボルバー……シュート!」
「しっ!」
牽制に放つ直射弾。コルトもまた事もなげにそれを撃墜する。
だが、その間に一気に間合いを詰めるギンガ。
想定以上の速さで接近したギンガにコルトも目を見張るが、そうしている間にもギンガの右拳が伸びる。
それを払いのけようと振るわれる杖。
しかし、伸びてきていた筈の右拳は突如軌道を変え、逆に杖を下方に反らす。
そうしてがら空きになった胴体に向けて、震脚を利かせたナックル付きの左拳が放たれる。
「ちぃっ!?」
(いける!)
まんまと乗せられた事に舌打ちするコルトと直撃を確信するギンガ。
同時にカートリッジが排出され、ナックルに搭載されたスピナーが唸りを上げる。
そのまま吸い込まれる様に重い一撃がコルトに迫り……
「させるか!!」
「っきゃ!?」
下方に反らされた杖を逆に利用しギンガの膝裏に滑り込ませ、一気に持ち上げることで体勢を崩す。
片足が浮き上がったことで必倒の一撃は虚しく空を切り、致命的な隙を晒すギンガ。
コルトもその隙を見逃すことなく、手首を中心に杖を回転させ勢いよく振り下ろす。
眼前に迫る杖。ウイングロードを展開しての回避は間に合わない。
即座に決断したギンガは両腕を交差し、同時にシールドも生成、その一撃を受け止める。
「くっ!?」
「まだまだぁ!!」
自信を持って生成したシールドは砕かれ、辛うじて交差した両腕でその一撃に耐える。
続いて放たれるのは、鳩尾・喉・眉間を狙っての三連撃。
一撃一撃が充分に魔力と力が収束された強打。
フロントアタッカーを務めるギンガは、当然バリアやシールドの堅さには自信がある。
だが、それでも迂闊に受ければ深々と抉ってくるほどの密度の魔力がその連撃には込められていた。
(心を乱さないで。落ち着いて、流れを読めば……)
散々叩き込まれた事を胸の内で反芻し、右掌に小さなバリアを構築する。
そうしている間にも杖の先端が迫るが、ギンガの瞳に動揺はない。
一見するとゆったりとした動きで右腕が流れ、三連撃の全てを真っ向から受け止めることなくいなしきる。
とはいえ、ギンガもこのまま防戦に回るつもりはない。
突きと共に伸びた腕を取り、着地と同時に背負い投げに入る。
「ぜりゃあ!!」
(なんつー握力だ、振り払えない!?)
投げへの不慣れもあって対処が遅れ、地面目掛けて叩きつけられるコルト。
辛うじて頭は守るも、背中から盛大に地面と激突する。
しかしその瞬間、ギンガは妙な感覚に囚われた。
(かなりの速さで落とした筈なのに、手応えが鈍い? いえ、疑問は後!)
奇妙な手応えの理由は定かではないが、元よりギンガにとって投げは決め技ではない。
彼女の力量では、まだバリアジャケットを纏った相手にそこまでの威力は出せないのだ。
手応えこそ妙だが、それでも今まさに相手は地面に倒れ無防備な姿を晒している。
ならば、その隙をつかない道理はない。当初の予定通り、無防備な敵に全体重を乗せた一撃を叩きこむ。
「おおおおおおおお!!」
渾身の力を込めた一撃で、『ゴドン』と言う鈍い音と共にアスファルトの地面が割れる。
巻き上がった砂塵が視界を埋め、ギンガとコルト諸共その姿を覆い隠した。
その様子をビルの屋上でモニター越しに見ていた面々は、ギンガの勝利を確信する。
アレほどの一撃、まともに受けて無事で済む筈がない。
仮に立ち上がれても、最早形勢不利は明らかなのだから。
「やった! やったよ、ティア~♪」
「だぁもぅうっさい上に暑苦しいのよ、このバカ!!」
歓喜のあまり飛び上がり、そのまま相棒に抱きつくスバルとなんとか引き剥がそうとするティアナ。
そんな二人を少しばかり羨ましそうに見て、続いて隣に立つパートナーと視線が合い慌てて逸らす初々しいエリオとキャロ。
ただ、数歩下がって見ていた眼鏡の少女シャーリーこと「シャリオ・フィニーノ」は、「みんな平然としてるけど、いくらなんでもやり過ぎなんじゃない?」と呟きながら顔をひきつらせている。
しかしこの場でただ一人、なのはだけは彼女達と見解が異なっていた。
皆、先の一撃が入ったと信じて疑っていない。だが、彼女は違った。
「喜ぶのは早いよ、スバル。まだ何も終わってないんだから」
「え? なのは、さん? だって、今のでもう……」
「そうですよ、あんなの貰ったら……」
「もらってたらね。でも、ギリギリで避けてるよ」
『ウソ!?』
なのはの言葉に、全員がそろって再度モニターを注視する。
まだ砂煙が収まっていないらしく、相変わらずモニターにはそれしか映っていない。
だが、今彼らが見るべきはそこではなかったりする。
「シャーリー、もう少しモニターを引いてくれる? 今のままだとコルトが映ってないから」
「へ?」
「モニターの外まで行っちゃったからね。よっぽどギリギリだったんだろうなぁ」
「わ、わかりました」
なのはに指示されるまま、シャーリーはモニターを操作する。
その操作に従いモニターが引いて行くと、やがて目当ての人物の姿が現れた。
「いつの間に、あんな所に?」
思わずシャーリーの口からこぼれたその呟きは、なのはを除いたその場にいる全員の思いを代弁している。
どう考えても、一瞬であの体勢からあんな場所に移動するなど不可能だ。
何しろ、コルトが今いるのは道路の端にある街灯のすぐそば。
先ほどまで道路のど真ん中で戦っていたのに、「いったいいつの間に?」と思わずにはいられない。
機動力に優れるスバルやエリオですら、地面に背中を預けた状態では無理と断言できる。
にもかかわらず、二人程の機動力がなさそうに見えるコルトは、実際にそこにいた。
その理由がわからず、釈然としない表情で苛立たしそうにティアナは呟く。
「いったい、どうやって?」
「気付かなかった? 投げられてる最中、バインドを伸ばして街灯に巻き付けてたんだよ」
「バインドって……」
「確かにバインドは拘束用の魔法だけど、使い方は他にもある。
今回みたいに、何かに巻き付けてロープ代わりにするとかね。丁度、ティアナのアンカーガンと同じかな?」
その言葉通り、コルトは投げからの離脱ができないと分かるや、即座に手を変えたのだ。
バインドを伸ばし絡みつけ、ギンガの拳が届くより前に巻き取って離脱。
よほどギリギリの作業だったのか、全力で離脱した為にあそこまで移動してしまったらしい。
なのはに気付けて新人たちに気付けなかったのは、純粋に経験と術者としてのレベルの差だろう。
(それにしても、ギンガが投げ技を使うとはね。こっちじゃまずお目にかからないのに。
しかも流れの組み立てもしっかりしてるし、ちょっと驚かされたかな)
口にこそ出さないが、なのはは心中でギンガの見せた戦い方に感心する。
投げは優れた技だが、魔導師相手にはあまり効果が望めず、その為ミッドなどの次元世界では廃れ気味だ。
実際、なのはの知る限りシューティングアーツやストライクアーツに投げや関節、締め技はない。
それを無理なく取り入れ、上手く活用している事は純粋に称賛する。
とはいえ、なのはは空戦Sランクを保持する優れた魔導師ではあるが、それはあくまで「射砲撃型」としての話。
彼女は断じて、格闘系の魔導師ではない。当然、専門外の分野への理解は万全とは言い難いだろう。
そんな彼女は、当然「投げ技」を含めた「白兵戦技」には疎い面があるのは否めない。
だがしかし、「格闘」が専門ではないとしても、格闘系の魔導士と戦う機会はある。
「敵を知る」事は戦闘の基本。ならば、専門外の分野へのある程度の知識と理解は欠かせない。専門外の技術を使う者と戦う時、適切に対処するために。当然、それには格闘も含まれる。
また、彼女も一人の指導者。それもその役職上、自分の専門分野以外の教え子の指導もせねばならない。
丁度、今担当しているスバルやエリオがそれに当たるだろう。
専門家には遠く及ばないが、指導するにあたって不都合がない程度には広範な知識と深い理解がある。
この辺はまぁ、プロとしての嗜みと言っていい。
故に、それらの分析や評価、及び解説が出来るのは必然だ。
むしろ、できない方が教導官として問題だろう。
なにしろ、そうでないと教え子に最適な指導に支障をきたす。
そんなわけで、専門外の分野の使い手であるギンガやコルトの評価・分析を怠る事はない。
そんななのはの後ろでは、エリオが先ほど見せたギンガの技量に感服していた。
「でも、ナカジマ陸曹もすごいですよね!
特に、アヴェニス一士の連撃なんて、絶対手が間に合わないと思ったのに……」
「えへへ~♪」
最愛の姉であり尊敬する師を褒められる事が我がことの様に嬉しいらしく、口元がだらしなく緩むスバル。
そんな自分にティアナが視線を送っている事に気付いたのか、スバルはまたも抱きつこうとする。
ただし、向けていたのは「呆れ」の感情と視線だが、スバルは気付かない。
また、そう何度も抱きつかせる気のないティアナは、スバルの頭を手で押さえた。
しかし、スバルはスバルでそんな事は気にすることなくティアナに話しかける。
ティアナが素っ気ないのは今に始まった事ではない以上、この程度でめげるスバルではない。
「ねぇねぇ、ティアもそう思うよね!!」
「はいはい、そうね。わかったから、だきつくなっつーの!」
「いいじゃーん、減るもんじゃないし~」
「まぁ、ね。防御に限らず「え、無視!?」何て言うか…流れるような動きは本当にすごいと思うわよ」
「でしょ~♪」
「だから! べたべたするなって言ってんでしょうが!!」
一度は発言をスルーされた事にショックを受けるスバルだったが、顔を逸らしながらも同意するティアナに満面の笑顔を向ける。全く以って、子どもの様に表情がコロコロと変わる少女だ。
そんな二人を微笑ましそうに見つめながら、なのはは今ティアナが言った言葉を胸中で反芻する。
(さすがに、ティアナはいい所に目を付けるな。
まだこの子たちには見えてないみたいだけど、ギンガの制空圏がしっかり見える。
ギンガのレベルならできても不思議はないけど、独学かな? それとも……)
誰かから学んだか。別に、管理局内に制空圏の使い手がいないわけではないし、その可能性も充分あるだろう。
なのは自身、生来の優れた空間把握能力とたゆまぬ努力により、自身の間合い程度は正確に把握している。
制空圏の戦い方を身に付けるとなると話は別だが、どこからどこまでが自分の領域(制空圏)なのかを掌握する位は、優れた戦闘魔導師なら造作もない。
武術家にしても戦闘魔導師にしても、突き詰めればどちらも同じ「戦闘技術者」。
相互に共通する技術というのは、決して皆無ではないだろう。
あの攻防の中、ギンガがしっかりと制空圏を使ったのはほんの一瞬だったかもしれない。
だが、エースとして様々な戦場に立ち、教導官として数多くの人材を育成してきた彼女にはそれで充分だった。
なのはの眼には、ギンガがかなり高いレベルでそれを修めている事が一目でわかる。
あるいは、一目でわからせるほどの「仕上がり」と言うべきか。
(まだまだ動きに無駄が多いけど、二人とも筋がいい。
新人たち同様、先が楽しみな素材だ。ねぇ、レイジングハート?)
《そうですね。昔のあなた達を思い出します》
(昔の私達…か。なら尚のこと、私の様にはさせたくないな。
そのために、私はここにいるんだから)
自分はなぜこの場にいるのか、その意味を再確認するなのは。
彼女も入局十年になる中堅だ。その間、様々な経験をして来た。
先達の務めの一つ、それは自身と同じ轍を踏ませないこと。
それをもう一度深く戒め、なのははモニターに移るギンガとコルトに視線を移した。
トドメの一撃が外れた事は、無論ギンガとて良く分かっている。
だからこそ、地面を打ってすぐにコルトからの反撃に備えて構えをとったのだから。
ギンガは白兵戦に特化している。射撃系が全くできないわけではないが、打撃に比べれば貧弱の一言。
砲撃系などの高威力の魔法がないわけではないが、その射程は短い。スタイルこそ珍しいが、割と正当な近代ベルカ式を使う彼女やスバルは「遠距離まで威力を保たせる」事に向かない。
その点、コルトが操るミッド式は遠距離の魔法使用に長ける。
砂塵が消えるまでの間ギンガが動かなかったのは、下手に出て行けば狙い撃ちにされるとの判断。
さすがに、砂塵から出てすぐのところを狙い撃ちにされれば反応が遅れてしまう。
それならせめて、砂塵の中で狙いを定めない乱射から身を守っている方がマシだ。
必倒を期して狙い澄ました一撃と、適当な乱射。彼女としては前者の方が恐ろしい。
コルトが攻め込まなかったのも、適当に撃ったのでは無駄と判断したからだろう。
実際、倒す意思の宿らない適当な乱射など、撃つのがあの高町なのはでもない限りいくらでも防げる自身がある。
それよりも、問題なのは……
(脱出した方法はわかる。
でも、いつバインドを飛ばしたのか……いえ、そもそもそのバインド自体が見えなかった)
師ほどではないが、視力には自信があるだけに背筋に冷たい汗が伝う。
用途から考えるにフープやリングとは違う、チェーンバインドのようなタイプなのだろう。
ならば掌など体の一部か、あるいは自身の付近から飛ばした筈。
にもかかわらず、ギンガはそれが放たれた事に気付かなかった。
見落としたとは思えない。地面に叩きつけた際、コルトの全身を視界におさめているのだから。
不可視の、それも手近な所から飛ばせるバインドとは厄介だ。
リングやフープ、あるいはリストレクトロック等のバインドは、指定範囲内の対象を拘束する。
逆に言えば、事前に察知し指定範囲から出てしまえば基本的にはそれで終わり。
中には自動追尾型の設置型バインドもあるにはあるが、それはよほどバインドに長けた者だけの特権だ。
だが、チェーンバインドなどは飛ばした後の操作が比較的容易。
それはさながら、密林においてどこから牙をむいてくるかわからない蛇に似る。
その上、まるで狙い澄ましたかのようなタイミングで風が吹き、濛々と立ち込めていた砂煙を吹き散らす。
視線の先には、鋭く冷たい眼差しを向けるコルトの姿。
バインドを使っているのか否か、その姿からはやはり判断できない。
(これは、ここから先一瞬たりとも制空圏を解除できない。
眼に頼らず、間合いに入った物だけに対処する制空圏ならいける筈)
深く息を吐き、強く気を張り制空圏を築くギンガ。
視覚が情報の大半を占める人間にとって、「見えない」と言うのは「自分からは届かない」に匹敵する最も厄介な攻撃の一つ。実際、少し前の彼女なら対処できなかった。恐らく、気付く間もなく拘束され終わりだったろう。
しかし、今は違う。
今なら、例え死角から攻撃されても自然と体が反応してくれる。
『見えない』と『死角からの攻撃』は別物かもしれないが、それでも自信があった。
それだけの物を、積み上げてきたという自負がある。
と考えたその瞬間、ギンガの身体は弾かれた様にその場を跳びのく。
(これは、まさか!?)
背後から這い寄り、飛びかかってきた何かを咄嗟に左腕で払い落す。
だがそれは左腕に触れた瞬間、コルトに向けて強く身体が引っ張られた。
(確かに弾いた筈なのに!? 違う。心を深く、静かに沈めて……)
危うく驚愕に揺れそうになる心を呑み込み、静の気を練るギンガ。
同時に大地を踏みしめ、強く引っ張る力に抵抗する。
冷静な思考を取り戻し眼を凝らせば、それの正体が姿を現した。
「これは……糸?」
左腕を強く引く物の正体、それは淡く深緑の輝きを宿す極細の糸状バインド。
そこでギンガは理解する。「不可視」なのではなく、単純に「細すぎて見えなかった」だけなのだと。
何しろそれは、何本も絡まることでようやく見えるほどに細い糸。恐らく、一本程度ではまず視認できない。
できるとすれば、それこそ彼女の師匠の様な人外の視力の持ち主くらい。
あるいは、突出して優れた魔導師なら視覚以外での感知もできるかもしれないが……。
しかし、それでは払い落せなかった事が納得できない。
見えなかったとはいえ、確かにギンガはその存在に気付き反応した。
魔導士としてではなく、武術家としての技術で。
にもかかわらず、それはギンガの腕に絡みついたのだ。その原因は……
(粘着性がある、これじゃまるでクモの糸ね)
まるで糊かテープの様にへばり付く糸、確かにこれでは払い落す事などできはしない。
触れれば捕まる以上、対処法は回避の一点。その意味で言えば、ギンガは対処を誤ったとも言える。
ただ、ベルカ式のギンガとミッド式のコルト。
力勝負の引き合いになってどちらが有利か、論ずるまでもないだろう。
体重では身長で勝るコルトだろうが、しっかり踏みしめられる足場があり、その不利を覆すだけのパワーがあればその限りではない。
故に、ギンガはウイングロードを垂直に展開し、それを足場に踏みとどまった。
「ちっ」
「惜しかったわね、もし踏ん張るのがもう少し遅かったら完全に体勢を崩していたかもしれない。
だけど、こうなったら私の方が有利よ!」
絡め取ったのは確かにコルトだが、逆に引き寄せているのはギンガだ。
コルトもバインドの起点となっている杖…ウィンダムを引くが、力及ばず徐々に引き寄せられている。
ここにきて、基礎体力と術式の違いがもろに出た形だ。
だが、このバインドに関する理解において、ギンガはコルトに到底及ばない。
「確かに、力比べになれば俺に勝ち目はないな、ゴリラ女め」
「だ、誰がゴリラですか!!!」
「だがな、この『アリアドネ』はお前が思っている以上に……」
(う”ぅ~、年頃の女になんてこと言うのよ、この人は! でも、『アリアドネ』それがこのバインドの名前?)
「脆いぞ」
「は? 『ブチッ』って、ウソ!?」
失礼な事を言うコルトの不機嫌な顔面を一発ぶん殴ってやろうと、一際強く引いたその瞬間だった。
呆気なくアリアドネと呼ばれたバインドは千切れ、ギンガは体勢を崩す。
考えてみれば当然の話で、あんな細いバインドの強度が優れている筈もない。
恐らくは一本目を足掛かりに、束ねたり複数本を絡めたりすることで相手を拘束する魔法なのだろう。
はじめはコルトもそのつもりだったのかもしれない。
しかし引き合いになった時点でそれを捨て、この瞬間を待っていたのだろう。
コルトはその絶好の隙を逃すことなく、一気に詰め寄り渾身の力で突く。
とはいえ、徹底的に足腰を鍛え直されているギンガだ。
ウイングロードに着地すると即座に体勢を立て直し、リボルバーナックルで高めた魔力で拳の全面に硬質のフィールドを生成。そのままウイングロード上を疾走し回避、今度はコルトの背後に回り込む。
だが、コルトの戻りの早さはかなりの物。
突きからそのまま払いに転じ、真後ろをとったギンガを殴りつける。
ギンガもまた、身体の捻転を最大限に利用しそれを迎え撃つ。
「………なるほど、武器破壊か」
(そんな、このタイミングで芯を外された!?)
フィールドごと衝撃を撃ち込む打撃魔法、ナックルバンカー。
近接攻撃へのカウンター使用で、受け止めると同時に対象の武器や攻撃部位にダメージを与える。
瞬時の判断が必要となるため、技の難易度は高い。
だが、絶対の自信を持って合わせた武器破壊のカウンターを、コルトは寸での所で芯を外した。
アリアドネと良い、あんな性格をしておいて意外と芸の細かい男である。
いや、芸が細かいと言うのなら、その本領はこれからだったのかもしれない。
武器破壊は回避したとはいえ、それでも杖を伝って受けた衝撃は生半可なものではなかったのだろう。
一瞬の手の痺れと共に止まった動き、それをギンガは見逃さず、右手で杖を抑え込み左拳で今度はコルトの脇腹を狙う。大地を揺るがすほどに踏み込んだ足、その力を増幅させるべく腰と背筋が緻密に連動し、凶悪なまでの力が鉄拳に注ぎ込まれていく。
(打撃系の真髄は一つ、出力も射程も防御も強さも関係ない!
相手の急所に正確な一撃、ただそれだけ!!)
展開される5枚のシールド、しかしそれらは意味を為すことなくガラスの様に澄んだ音を立てて砕け散る。
咄嗟だったからか、それとも元々出力が高くないのか。
いずれにせよ、これでコルトを守る物はなくなった。
さすがに腕二本が揃っていれば右手から杖を振りほどく事は出来た様だが、致命的に遅い。
どれほど杖の戻りが速かろうと、絶対に間に合わない。
しかし、ギンガを阻もうとするのは何もシールドや杖だけではなかった。
制空圏を犯す感覚が全身を支配する。
だが最早拳は止められず、今更迎撃に転ずる事も出来ない。
その間にも制空圏を犯される感覚は、身体に絡みつく違和感に転じる。
その正体は……………………またもアリアドネ。
全身に糸状の極細バインドが絡みつき、ギンガの動きを阻害した。しかし……
「しゃらくさい!!!」
「ごふっ!?」
身体に絡みつく数十にも届くアリアドネの全てを引き千切り、渾身の左拳を叩きこむ。
完全に拳は振り抜かれ、まるで妨害などなかったかのようにその佇まいは威風堂々としている。
こう言うと大層立派に聞こえるが、実際にはとんでもない力技なのだが……そこは置いておこう。
制空圏に触れるまで気付かない程に細いアリアドネ、その代償である脆さが裏目に出た形だ。
もし、通常のバインドほどの強度があったのなら、ギンガでも振り抜く事は出来なかったかもしれない。
だがそれは、ない物ねだりと言うものだろう。
コルトの魔導士としての最大の弱点、それは出力の低さだ。
魔力自体はそこそこの量がある。それこそ、量だけなら隊長陣を除けば上から数えた方が早い。
だが、それを一気に大量に扱う事が致命的に苦手なのである。
それこそ、力で押すタイプは心底苦手な程に。
何しろ強力な身体強化、あるいは大出力の砲撃、もしくは全てを撥ね退ける盾、どれもコルトには望めない。
好むと好まざるとにかかわらず、彼は自身の魔力を小出しにしか使えないのだ。
多層のシールドも、幾本も束ねねば強度を得られないアリアドネも、全てはそれが原因。
その分、持久戦や細かなコントロール、そして一点への収束には長ける。
実際、出力では遥かに劣っているにもかかわらず、ギンガのシールドをも容易く貫く程に。
ギンガの様に破壊力が高いのではなく、コルトは貫通力が高いのだ。
とはいえ、それも当てなければ意味がない。
当てたのはギンガで、コルトではないのだから。
ギンガなら、充分コルトを一撃で沈めることができる。
だというのに、「残心」以上の確信を持ってギンガは油断なく構えを取り続けていた。
(まただ、また、手応えがおかしかった。確かに捕らえた筈なのに、防御魔法は全て貫いたのに。
なのに、沈めたっていう手応えがない。それどころか……)
ほんの僅かだけ、今の自分の状態を顧みる。
クリーンヒットは一撃も受けていない。にもかかわらず、今のギンガはボロボロだった。
正確には、その身を包むトレーニングウェアが、だ。
服のいたるところが裂け、出血こそないがその下の白い肌に赤い線が刻まれている。
まるで、切れ味の鈍い刃物に切り付けられたかのように。
(原因は…………アリアドネね。てっきり粘着性の高い魔法だと思ってたら、こんな事もできるなんて……)
先ほども述べた様に、コルトはその性格に反して芸が細かい。
単にそれは、彼の資質がそれしか許さなかったという事だが。
それはともかく…恐らくは、お得意の収束で魔力の密度を上げていたのだろう。
それだけではこうはいかない筈だが、その答えは本人の口からもたらされた。
「別に、アリアドネに粘着性しかないとは言っていないぞ。
今回は高摩擦に設定した、だから無理に引きちぎれば服や肌が切れる」
「捨て身の反撃…ね。思い切りの良い事だけど、他にどんな設定があるのか、教えてくれないかな?」
「今のアンタは敵だ。終わったら教えてやらん事もないぜ」
言っている事はもっともだが、どうせこの性格では全てを教えるとは思えない。
戦いながら探っていくしかないが、問題はどうしてコルトが立っているのかだ。
「俺が立っているのが、そんなに不思議か?」
「……そうね、確かに不思議よ。ちょっと、自信を無くしそう……」
「そうか。だが、俺はまだまだ倒れる気わけにはいかないな。
どうせやるなら、あんな玩具より人間の方がやりがいがある。アンタはそうは思わないのか?」
「腕試しをしたい気持ちは分かるけど、バトルジャンキーの気はないわ」
「失礼な事を言うな。別に戦いが好きなわけじゃない」
意外と言えば意外で、身の程知らずと言えば身の程知らずな発言に、一瞬硬直するギンガ。
その瞬間の表情は、ある意味とても間の抜けたものだったろう。
しかし、大急ぎで心を立て直したギンガは、心底いぶかしむような表情で問うた。
「は? あなたがそれを言うの?」
「他の連中が俺をどう思っているのかは大体わかっているつもりだが、それは違うぞ。
強くなる為に戦っているのであって、他意はない。強くなれるのなら方法なんてなんでもいい。
瞑想すれば強くなれるのならする、金や人助けで強くなれるのならそれをするさ。
ただ、より大きな危険に身を晒した方が強くなれる、だからこうしているだけだ」
「……一つだけ聞かせて。なんで、そんなに強くなりたいの?」
口からこぼれたのは、心からの問いかけだった。
いっそ、無節操と言っても良い強さへの執着。
力や強さを求める気持ちはギンガにも理解できるが、それでもコルトのそれは異常と言うより妙だ。
理由は良く分からないが、どうしても引っかかりを憶えてしまう。
「強くなりたい、その理由は何なの?」
「……………さぁな」
「え?」
「昔は理由があったのかも知れんが、もうない。ただそれを始め、今はもうそれしか残っていない。
何より、生き物は生きている限り進み続ける、前進をやめた命に価値はないからな。だから、それだけだ」
その顔をさらに不機嫌そうに歪め、吐き捨てるコルト。
だがその瞬間、ギンガは彼の眼の奥にかすかな揺らぎを見た気がした。
しかしそれを確かめる、あるいは考える時間は与えられない。
「お前は強い。いい具合に俺と同等なのがまた最高だ。
お前となら、もっと上に行けるだろう」
明確に視認こそできないが、何度も受けたことでなんとなく分かった。
ウィンダムから幾本ものアリアドネが展開され、同時にウィンダム自体の先端の魔力も密度が上がっている。
アリアドネに一体どれだけの設定が存在するのか定かではないが、高摩擦設定とやらは充分脅威たり得るだろう。
師の下に弟子入りして、初めての難敵。
今持つ全てを費やさねば勝てないであろう敵に、心が湧きたつ事を自覚するギンガ。
甚だ不本意だが、培った全てを注ぎこめる現状は確かに充実していた。
「………………………………あんまり嬉しくないけど、その点は同意するわ。
確かにあなたは強くて、そう簡単には勝たせてくれない。
だから、私も全力で行く!!」
言葉と同時に、ローラーブーツが唸りを上げて回転する。
コルトもギンガの動き、その一挙手一投足に意識を向けていた。
ギンガ相手に無傷での勝利はあり得ない。故に、身を捨てでも勝つ覚悟を決めている。
もう強くなる事に理由など覚えていないし、負けられない理由もこれと言って思いつかない。
死ぬなら死ぬでそれまでだったと考え、麻薬や密輸品の取引現場に単身殴りこんだ時は本当に死にかけた。
もちろん、反省も後悔もしていないが。
とはいえ、生来の負けず嫌いな性格は変わらない。
上位者に勝てないのは仕方がないが、「負けても良い」と思った事は一度もないのだから。
そして、どんな動きの初動も見逃さぬとばかりにギンガを睨み、いつでも迎撃できるよう備えるコルト。
一撃はくれてやる、その代わりに倒す。そんな、強い意志の光を瞳に宿して。
しかし実際には………………………………気付けば眼前までの進行を許していた。
「はぁっ!!」
「っ!?」
懐に潜り込まれながらも、辛うじてギンガの肘を杖で受け止めるコルト。
だが、その心中は穏やかではない。
制空圏こそ修めていないが、コルトもギンガと同じステージにいる。
瞬きすらも惜しんで注視していた筈の敵に、こうまで容易く間合いに入られるなどあり得ない。
(瞬間移動か!? ……………いや、あり得ない。だがどうやって?)
一瞬、短距離瞬間移動の可能性が脳裏をよぎるが、即座に否定する。
確かに、白兵戦型にとってはこれ以上ない程凶悪なスキルであり、修得したいと思う者は掃いて捨てるほどいる。
しかし、コルトはコンマ一秒たりともギンガから目を離していないし、見失ってもいない。
瞬間移動なら一度は姿を見失う筈なのだから、この可能性は除外して当然だ。
だが、それなら今度は理由が思い浮かばない。
幻術による距離感の幻惑と言う可能性もあるが、相手がベルカ式である事を考えると可能性は皆無に近い。
とはいえ、あまり悠長に考えている時間はない。
無手の者にとって、武器使いの懐は最高の立ち位置。ここで畳みかけるのは当たり前だ。
「もう一つ!!」
左の肘に右手を添え一気に押し上げ、左の掌底が顎をかちあげた。
首がもげそうにすら思える衝撃に辛うじて耐えながら、尚もコルトは防御ではなく攻撃に打って出る。
攻撃を受けながらも器用に放った薙ぎで、ギンガの体を横に流れた。
しかし、即座に立てなおしたギンガはそのまま追撃に出る。
辛うじて反撃した程度では、ギンガの歩みを止めるには足らなかったのだ。
重く堅い鋼鉄の凶器を備えた左の拳が、左右の脚が、最短距離を奔ってコルトを襲う。
何かのスイッチが切り替わったのか、その動きは先ほど以上に洗練されていた。
これには、さしものコルトとしても反撃の足掛かりがない。
なんとか杖で防ぎ、アリアドネで妨害するがそれも焼け石に水。そう長くは保たないだろう。
先手を取られ、主導権を持って行かれたのがつらい。
捨て身に出る事自体はいいのだが、反撃する前に沈められかねないのでこれも却下。
一時的な離脱も、この猛攻の中では難しいだろう。
とはいえ、ここまでの攻防でコルトもだいぶギンガの傾向を理解してきていた。
(左拳と両脚は厄介だが、狙い所は右拳。他に比べれば軽いし、ナカジマも牽制や防御位にしか使わない)
仕方のない話ではあるし、見たままでもあるが、ギンガのスタイルは左拳での攻撃を中心に組み立てられている。
決め手はあくまでも左拳、あるいは腕の三倍の力があると言われる脚、それもローラーブーツ付きの蹴りだ。
リボルバーナックルやローラーブーツを装備している関係上当然と言えば当然だし、これはスバルにも言える事だが、どうしてもそれらを装備していないギンガの右、スバルの左は軽い。威力もそうだが、印象もだ。
はっきり言ってしまえば、怖くない。少なくとも、リボルバーナックルで殴られるより遥かに。
仮に両腕の筋力と練度が同じだとしても、リボルバーナックルがある分威力は左に分がある。
なにしろ、リボルバーナックルともローラーブーツもかなり重い。重いと言うのは正されだけで脅威だ。
ならば、無意識のうちにそちらに頼ってしまうのは人の性。
スバルに比べればギンガの右は威力があるのだが、やはり主力には及ばない。
(まともに受ければ右でも脅威だが、多少の被弾は『クッション』があれば問題ない)
狙い所決めたコルトが敢えてギンガの右を受けると、ギンガの顔が一瞬悔しそうに歪む。
彼女もコルトの狙いに気付いたのだろう。
しかし、その瞬間にコルトはその場から大きく跳び退き距離をとる。
そのまま着地と同時に地を蹴り、今度は自分が先手を取るとばかりに接敵しようとするコルト。
だが、その狙いは再度外されることとなる。
「させない!」
「ちっ、またか!!」
コルトを追いかける様にして、ウイングロード上を走るギンガの接近をまたも許してしまう。
今回も先ほど同様、コルトは一瞬たりともギンガから目を離していない。
にも関わらず、ギンガは当たり前の様にコルトの間合いに入ってくる。
顔面と腹部を狙った諸手突きを止め、突き放そうと鳩尾に蹴りを放つ。
だがそれは身を屈めたギンガに逆に取られ、立ち上がる力を利用した『朽ち木倒し』で後頭部から転倒する。
辛うじて杖を基点にバク転し事なきをえるも、その心中は穏やかではなかった。
(これは、いったいどんなからくりだ! 必ず理由がある、それは何だ!!)
苛立ちと共に胸の内で何かが沸々と沸騰する。
それをなんとか抑えながら、ギンガが何をしているか考えるコルト。
しかし、今の状態に疑問を持っているのは何もコルトだけではない。
「なんだかアヴェニス一士、途端に不利になりましたね」
「そうだね。まぁ、見たことない技は使ってるけど……」
突然の戦況の変化に、疑問を口にするエリオと同じく首をかしげるスバル。
妹である彼女にも、なぜ突然ギンガが有利に事を進める様になったかわからない。
「そうね、確かにギンガさんが移動中に特別な事をしてるようには見えないし……チビッコ、アンタどう思う?」
「えっと……もしかして怪我でもしてるんじゃないでしょうか?」
「その可能性はあるわね。でも……」
キャロに話を振りながらも、どこか釈然としない様子で顎に指をあてるティアナ。
確かに怪我をしたとすれば納得はいくのだが、それにはしては……。
そんな彼女の考えを裏付ける様に、なのはが問いかける。
「怪我をするような場面はなかった。でしょ、ティアナ」
「ぁ、はい。動きが悪くなったと言うよりも、反応がずれてると言うか……なのはさんは、わかりますか?」
「まぁ、なんとなく『これかな』っていうのはあるよ」
「ほ、ホントですか!?」
「うん」
「それって何なんですか!!」
なのはのあまりにも平然とした返事に、思わず色めき立つティアナとスバル。
しかし、それが何か気になるのは他の面々も同じで、なのはに問いかけるような視線が集中する。
「空戦型とかだと、割とよくある手なんだけどね。
慣れているか、よっぽど空間認識力が高くないと初見での対処は難しいかな?」
「それって、飛行と関係が……」
「でも、ギンガに飛行適性はないでしょ?」
「あ、はい」
「まぁ、よく地に足付けてやれるなぁ、とは思うよ」
畳みかけるような新人たちの問いかけに、なのはは苦笑しながら答える。
実際、ギンガがやっている音がなのはの考えている通りなら彼女としても感心するしかない。
地に足を付けない空戦型と違い、ギンガは凸凹の地面を奔っている。
にもかかわらずやってのけるなど、そう簡単にできることではないのだから。
まあ、だからこそ地面と平行に移動するときでも、凹凸の少ないウイングロード上を奔る事が多いのだろうが。
「簡単に行っちゃうとね、ギンガの頭も体も全然ぶれてないんだよ」
『ブレて、ない…ですか?』
「そう、揺れないから目が錯覚を起こして動いてない様に見える。だから、気付くと距離が縮められてる。
走るって言うよりも、スライドしてるって言った方がしっくりくるような移動技術だね」
『はぁ……』
イマイチ理解が及んでいないのか、返ってくる返事は曖昧だ。
その事に、なのはは「まあ実際見てみないとわかりにくいよね」と漏らす。
空戦型の場合、相手の視線に対して真っ直ぐに進む事が出来るので比較的容易だ。
しかし、これが陸戦型だとかなり難しい。
地面の凹凸や関節の稼働で、どうしても頭や身体が上下する。
その振動をギンガは匠かつ柔らかな膝の動きで吸収し、身体の上下運動を最小限にとどめているのだ。
ウイングロードやローラーブーツの特性を考え、こう言った事も出来る筈と兼一は考えた。
柔術の繊細な膝の使い方、あるいは空手の身体操法など。
それらを利用し、主に下半身をサスペンションとして使って上半身の揺れを最小限にする。
普段、ギンガの肩の上でやっている地蔵お手玉は、その訓練の一環だ。
とはいえ、ギンガと対峙しているコルトはそのからくりにまだ気付いていない。
だが、それでも最初の様に意表をつかれる事は減っていた。
「つあ!!」
「しっ!!」
正面から衝突する拳と杖。
互いにその反動を利用し一端距離をとるも、やはり即座に接近してくるギンガ。
コルトの反応は僅かに遅れるが、それでも懐に入られる前に拘束の払いを放つ。
(厄介な移動術だ。中々タイミングが読めない)
(やっぱりだ。まだ少し遅いけど、反応してくる!)
払いを掻い潜りながら、ギンガは断定する。
しかし、そのまま一気に懐に飛び込もうとするも、勢いを増した杖が再度襲い掛かった。
シールドも回避も間に合わないそれを、ギンガは敢えて受け止める。
鍛え抜かれた足腰でその場に踏みとどまり、コルトの胸を右の肘で打ち抜かんと振り抜く。
「そう何度も……」
「なら、いくらでも!」
初撃は防がれた。だが、続いて振り下ろされた左の肘が防御を崩す。
それどころか下から打ち上げた右肘が体勢を崩し、コルトを死に体にする。
そして……
「拳槌打ち!!!」
上方から充分な勢いをつけた左拳が振り下ろされた。
『ティー・ソーク・トロン』から始まり、『ティー・ソーク・ボーン』『ティー・ソーク・ラーン』の多彩な肘打ち、そして空手の『拳鎚打ち』へと繋がる兼一が得意とするコンビネーション。
だが並みの相手なら、充分撃沈できるだけのそれを受けたにもかかわらず、尚もコルトは立ち上がる。
頭を打たれた衝撃でややふらついてはいるが、それでも倒れない。
とは言え、その理由も既にギンガにはわかっている。
「……気付いたか」
「ええ。さっきから感じてた妙な手応え、その正体は……アリアドネに高い伸縮性を持たせた、違う?」
ギンガの問いに、コルトは口角を僅かに釣り上げることで答える。
糸状バインド、アリアドネには様々な設定が存在し、その一つが「高伸縮性」。
それを利用し、ギンガの打撃の威力を吸収したり、投げ落とされる際に自身の身体を受け止めたりしていたのが奇妙な手応えの正体。これこそが、コルトの言うクッションだ。
そんな緩衝材があっては、確かに充分な威力が出せないのも当然だろう。
とはいえ、何も手札を残していたのはコルトだけではない。
「そう言えばあなた、さっきから私の右をほとんど避けないのね」
「それがどうした? アンタの右は軽い。覚悟さえしておけば、耐えられるから避けないだけだぞ。
右を捌いて隙を見せる方がバカらしい」
「ええ、わかってるわ。だから、先に言っておこうと思って」
「?」
「知ってる? 『軽い』事と『弱い』事はイコールじゃないのよ」
ギンガの構えが変わった。
それまで以上に腰を低く落とし、握りこまれていた拳が開かれる。
空手では『猫手』と呼ばれる、完全には伸ばさず僅かに曲げられた手。
その右手を腰の左側に持って行き、さらに左手を鞘の様に添える。
その型には、コルトも覚えがあった。
いつだったか、彼に『戦い方』を教えた近所に住んでいた老人が見せてくれた構えに似ている。
(まるで、居合の構えだな。だが、どういうつもりだ?)
「アリアドネを使うのなら使いなさい。打撃を吸収するのなら、斬り裂くだけよ」
「何を言って……」
コルトが言いきるより前に、ギンガは疾駆する。
それまで同様、接近を察知し辛い独特の移動。
だが、だいぶ慣れてきた事もあり即座にアリアドネがギンガに伸びる。
あの構えから想定される攻撃は少なく、起点は間違いなく右。
(軽いと言われたことで頭に血が上ったか? だとすれば、期待はずれだ!!)
右腕を中心に高伸縮に設定されたアリアドネが伸びて行く。
どんな打撃にせよ勢いは殺され、その隙を突く準備は万全だ。
そう、勢いを殺す事が出来たのなら。
「へあっ!!!」
「がっ!?」
コルトの予想に反し、放たれた一撃は終始鋭いまま。
受け止めるべく張り巡らされたアリアドネは、ギンガの言葉通り、すべて無残に切り裂かれていた。
激痛が脇腹から肩にかけて宿り、トレーニングウェアも引き裂かれている。
まるで、本当に刀で切られたかのような錯覚すらした。
それに比してダメージも大きく、コルトは荒い息をつく。身体から血が噴き出していないのが不思議なくらいだ。
ギンガはそんな彼を静かな眼差しで見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「技の名前を教えてあげる。師匠はこれを、『劣化 相剥ぎ斬り』と呼んでいたわ」
「どういう、腕の構造をしていやがる……」
手刀を受けた箇所を抑え、呻くように問うコルト。
そんな問いに対し、ギンガはどこか陰のある微笑みを湛えて答える。
「硬功夫と言うそうよ。基礎の一環だけど…長ずれば、完全な素手で瓶を切る事もできるわ」
「本当に刃物かよ……アンタの腕は」
「まだそこまでじゃないけど……いずれはそうなるんでしょうね、あの人に学んでいれば。
まぁ、伊達に毎日砂鉄袋を叩いてないわ」
実際、今のギンガの硬功夫などたかが知れている。
しかしそれも、魔力による強化を施せばその限りではない。
魔力で強化し、魔力を圧縮して放った一撃はかなりのもの。
それは、コルト自身が身を持って証明していた。
だがここに一人、その名を聞いて心中穏やかではいられない者がいる。
「相剥ぎ斬りって………なんで、ギンガが?」
「あの、どうかしたんですか、なのはさん」
驚愕を露わにするなのはに、背後からシャーリーが問いかける。
しかし、今のなのはにそれに答える精神的余裕はない。
彼女はこの名に覚えがあった。昔、もう何年も会っていない家族の友人が使っていた技。
それをなぜ、彼とは無関係の筈がギンガが使うのか……なのはの疑問も当然だろう。
「あなたの言う通り、私の右は軽い。だからその分、私の戦い方は単調だった。
わかってはいたし、右も鍛えてはいたけど、どうやっても左ほどの重さは得られないと諦めてた所もあったわ。
でもね、別種の武器なら話は別だったのよ!!」
「それで『重さ』ではなく『鋭さ』、鈍器ではなく刃物にしたってわけかよ」
「そういう、こと!!」
再び放たれる手刀。袈裟がけに振り下ろされたそれを、コルトは杖でいなす。
だが手刀を受けてがら空きになった胴に、今度は左の鉄拳が迫っていた。
それを辛うじて防いでも、今度は鋭利な手刀が二閃、三閃される。
リボルバーナックルがないため、右は軽く……その分早い。これが中々に厄介だ。
確かな威力と手数の多さを両立した右と、相変わらず一撃必倒の威力を宿す左。
今やその両方が本命であり、必要とあらば牽制や防御もする。
そもそも、攻撃の質が違うせいで同じ要領で防御することもできない。
生半可な武器を装備した程度では身を焼くだけだが、これは違う。
右に搭載された新しい武器が、ギンガの戦い方の幅を広げている。
その上、左右のバランスが取れたことで左自体の威力も上がっていた。
なにより、硬功夫を行ったのは右だけではない。
その事を証明するように、振り抜かれた左拳が重々しい音と共にビルの壁を粉砕する。
「ちぃ、鈍器っつーよりもう大砲だな、アンタの拳は!」
「硬功夫は身体を鋼の様にする鍛錬法、これくらいはできて当然よ!!」
文字通りの鉄拳が、コルトを果敢に攻め立てる。
打撃の威力を殺せるアリアドネも、右の手刀で切り裂かれてしまう為にあまり意味を為さない。
挙句の果てに、上半身に意識を裂き過ぎればローや膝蹴りが襲ってくる始末。
(認めるしかないな。杖術では、確実に分が悪い)
高摩擦設定のアリアドネで削っているが、こればかりは認めざるを得ない。
それなりに自身の技術に自信があっただけに、ショックがないと言えば嘘になるだろう。
事実、もしこれが「杖術対格闘」なら高確率で負けていた。
しかし、これは「魔法戦」。勝敗を決めるのは、白兵戦技の技量だけではない。
「もらった!!」
「ああ、こっちがな!!」
喉元目掛けて放たれるギンガの貫手。まともに食らえば、それで勝敗が決してしまう程の鋭い一撃。
だがそれに対し、コルトは左腕を盾に辛うじて貫手を逸らし、右手に持った杖を振り下ろす。
片腕を盾にした事には意表を突かれたが、所詮は片手。充分な威力を乗せられるとは思えない。
そう判断したギンガは、眼前にシールドを展開。
受け止めた瞬間に反撃に転じ、渾身の左を放つべく引き絞る。
しかしシールドと杖が接触するその直前、制空圏に杖が触れたその瞬間。
ギンガの左拳は開かれ、頭を守るべく掲げられる。
なぜそんな事をしたのかはギンガにもわからない。敢えて言うのなら、「身体が勝手に反応した」のだ。
そして、杖を受け止めたシールドは……………無残にも切り裂かれた。
「っ!?」
「勘がいいな。今のでバッサリいけると思ったんだが」
「これは、まさか……」
「何も、斬撃を使うのはアンタだけじゃないってことだよ」
甲高い音を立ててぶつかるリボルバーナックルとウィンダム。
だがよく目を凝らせば、その姿に違和感が生じる。
先ほどまではただ細長い円筒形の棒でしかなかったウィンダムが、今は深緑の光刃に包まれている。
「魔力刃……」
「そういうことだ。生憎、心得があるのは杖術だけじゃない。剣術と槍術もだ」
深緑の刀を手に、ギンガを斬り捨てようと力を込めるコルト。
それに押しつぶされない様抵抗するギンガは、同時にかつての師の言葉を思い出していた。
「『突かば槍、払えば薙刀、持たば太刀…杖はかくにもはずれざりけり』だったかな?」
「なんだ、それは?」
「一見唯の棒でしかない杖には、それだけの使い方があるって事よ」
「そうか、心得ておく!!」
このままでは押しきれないと判断し、一端刀を引くコルト。
しかしギンガが反撃に転じるより早く、魔力刃の出力形態が変わる。
魔力刃は杖の先端に収束され、小さな刃を形成し槍となった。
それどころか、ウィンダム自体が心なしかその長さを増す。
「ぜあ!!」
踏みこまんとするギンガの足元を払い、機先を制した。
杖以上に間合いの広い長物である槍、そのリーチを最大限に生かして間合いを制する。
突き、払い、薙ぎ、徹底的にギンガを間合いに入れまいとウィンダムを振るう。
振るえば振るう程に回転速度を増していく連撃。
ウイングロードを駆使し、前後左右、それどころか頭上からも攻めるギンガ。
だが、死角は上手く高摩擦設定のアリアドネにカバーされ、なかなか思うように動けない。
ただでさえ見えづらい上に、術者の意図に沿って縦横無尽に動くだけに制空圏でも反応しきれない場面がある。
仮に踏み込んでも、即座に刀や杖に変化し、再度間合いを突き放されてしまう。
結果、決定打こそ避けているものの、ギンガも守勢に回らざるを得なかった。
(不味いわね、このままじゃジリ貧だわ。となると…………………使うしかないかぁ。まだ不安定で、あんまりあてにできないんだけど、背に腹は代えられない。それに、もしも負けたって知れたら……)
戦闘中でありながら、その想像には思わず背筋に怖気が走る。
場違いと他者なら言うかもしれないが、彼女にとってはむしろそちらの方が死活問題。
なにしろ、あの師匠の事だ。
弟子が負けたと知れば、鍛え方が足りなかったと涙ながらに謝罪し、更なる無茶を課す姿が容易に想像できる。
唯でさえ一杯一杯なのに、これ以上激しくなったら体が持たない。だからこそ……
(負けられない!!!!)
プライドとかそういうかっこいい物ではなく、純粋に明日の命の為に負けられない。
ならば、持てる全てを費やさねば。
一瞬、悲痛なまでの覚悟の表情を浮かべたギンガは、大きく息をつきコルトの目を見る。
そして、ユラリと僅かに身体が揺れた瞬間……
(すり抜けただと!?)
確実にギンガを捉えていた筈の突きが、まるで幻でも突いたかのようにすり抜ける。
それどころか、いくら突き、何度払い、あらゆる角度から薙いでも一向にギンガを捉えることができない。
持ちうるあらゆる技術を駆使して放つ技のことごとくがすり抜け、幻でも相手にしているかのような錯覚に陥るコルト。
(なんだ、この技は……!?)
辛うじて無表情を維持するが、コルトの内心は驚愕で揺れている。
見た事もない、それどころか原理すらさっぱりの技への戸惑いは計り知れない。
それが、相手に触れることすらできないとなれば尚更だ。
ただし、ギンガはギンガで実のところ内心冷や冷やだったりする。
(よかったぁ、上手くいった。いつも入れるとは限らないのよねぇ、これ…って、しまった!?)
(ん? 今のは当たったが、どういう事だ?)
上手く使えた事に安堵のため息をついた瞬間、技の掛りが浅くなり数撃もらってしまう。
ギンガは、兼一と出会った段階で既に緊奏のレベルにいた。
しかし、ギンガほどの才を持ってしても、僅か二ヶ月足らずで流水制空圏を会得することは叶わなかったのだ。
使えるのは精々第一段階「相手の流れに合わせる」までで、それも技の掛りは浅い。
その上、ほんの少しの感情の高ぶりや揺れでその状態は容易く崩れ、そもそも確実に使えるとも限らない。
全く以って、実に不安定でまだまだ修行の必要な技なのだ。
そんな、さながら鼓動の様に揺れる不安定な流水制空圏を、ギンガは辛うじて維持している。
時折浅くなり何撃かもらう事もあるが、決定打だけは打たせない。
無数に繰り出される打突も、身体を刈りとらんと振り抜かれる薙ぎや払いも、そして死角から襲いかかるバインドも。その悉くを、ギンガは紙一重の所で回避する。
そして、そんな姉の勇士を見てスバルのテンションは最高潮に達していた。
「スゴイスゴイ!! ねぇ、すごいよねティア~!!」
「………………………」
天井知らずに大喜びする相棒を余所に、ティアナはモニターに移る光景に唖然とする。
いったい、何をどうすればあそこまで見事な体捌きができるのか。
知らず知らずのうちに拳は堅く握られ、悔しそうに口が堅く閉ざされる。
少なくとも、今のティアナには同じ様なマネは絶対にできない。
ギンガが自身より遥かに格上である事は承知していたが、それでも悔しさは紛れなかった。
「どうやったら、こんな……」
「あの、なのはさん、今度のこれは……」
「きゅく~」
エリオとキャロの年少組も、モニターに映し出される光景を信じ難い面持ちで見入っている。
かろうじてなのはに問う事が出来たのは、キャロ自身も驚きだった。
しかし、そんな部下の問いになのはからの返答はない。
なぜなら彼女自身、モニターの光景には言葉が出なかったのだから。
(ギンガ、あなたどうやってそれを……)
名前は思い出せない。だが、彼女は確かにあの技を知っている。
兄や父から静の者特有の技の存在は聞かされたことがあった。
なにより、その技を使う人物と彼女は会っている。
だからこそわかる。あれは、とても独力で修得できるようなものではない。
少なくとも、今のギンガが自力で開発し習得することなど不可能だ。
ならば、誰かに教えを乞わねばならないが、これを教えられる者など……。
いくら考えても答えは出ない。
ギンガとこれを教えられる者との間に、接点などまるで見出せないのだから当然だ。
だがその間にも、事態は刻一刻と移り変わる。
気の遠くなるような回避の末に、ギンガはコルトの懐に踏み込んだのだ。
(これで!!)
右の手刀で防御を切り払い、終わりとばかりに左拳を放つ。
杖による防御は間に合わず、アリアドネも切り払われて意味を為さない。
当然、ギンガの拳はまっすぐにコルトに突き刺さった。
本来ならこれで終わりだった筈だ。しかし必然か、あるいは偶然の産物か。
いずれにせよ、再度コルトは立ち上がる。
「まだ立つなんて、その執念には感服するわ」
ギンガの呟きに、コルトからの返事はない。
すでに限界に近かったコルトの身体からは無駄な力が抜けていたのだ。
その結果、日本の古武術における『流水』と同じ状態となり、ギンガの打撃を受け流す結果となった。
しかしそこで、突如コルトの雰囲気が一変する。
「……………いってぇな、散々ぶん殴りやがって! 調子に…乗るなよ!!」
「っ!?」
それまでの、細やかな制御に重きを置いた戦い方から一変し、野獣の様に襲いかかるコルト。
それも、発揮される力はそれまでの比ではない。
まるで、力を抑えていたリミッターが外れたかのように……。
(そうか、この人は『動』の……!!)
「があああああああああああああああああああ!!!!」
咆哮と共に放たれる突き。少し前までなら踏みとどまれた一撃だが、今度は受けた瞬間に後方に弾かれる。
それまでとは比べ物にならない猛攻にさらされ、不安定なギンガの流水制空圏は揺らぐ。
当初は解放した動の気に引き摺られていたが、コルトも徐々に手綱を握りだしていた。
凶暴なまでの力と攻め、それと同時にアリアドネや魔力刃を正確に運用し出す。
こうなってくると、ギンガとしても中々流れを変えられない。
そうして、舞台は最終局面を迎える。
「ハッハッ…ハッ…ハッハァ………ったく、ふわふわふわふわと…アンタも厄介な技を使ってくれやがる」
「その技にこれだけ当てといて良く言うわ。私の未熟を差し引いても、とんでもない事よ、これは」
「知るか。こっちは倒す気で打ってるんだ、当たってくれないと困るんだよ!」
互いに息を切らしながらも、尚も動きを止めることはない。
止まった瞬間に叩き伏されることは明白。ならば、これは最早我慢比べにも等しい。
とはいえ、このままではいつまでたっても変化はない。
二人もそれがわかっているからこそ、それぞれに機を探っている。
そして、先に打って出たのは痺れを切らし大きく跳び退いたコルトの方だった。
「ち、埒があかねぇな。なら、先に奥の手を使わせてもらうぞ。
人間相手に使うのは初めてだが、なんとかなるだろ。ウィンダム!」
《All right》
コルトの足元に展開される深緑の魔法陣。
その瞬間、ギンガの頭上に無数の礫が降り注ぐ。
恐らく、物質加速もかけているのだろう。そうでなければこの速度はあり得ない。
「あぐっ!? また、厄介なものを……」
次々と放たれる礫の雨霰。
それらを辛うじて回避するギンガだが、既に流水制空圏の状態は崩れかけている。
予想外の攻撃に加え、既に集中力自体が限界に近かったのだ。
流水制空圏は、非常に集中力を要する高度な技。完全に習得しているならいざ知らず、半端なギンガでは消耗も激しいのは道理。元々、長持ちはしないと言うのにこれだけ長引かせた事が、何よりの失態だった。
しかし、そんなギンガの隙をコルトが逃がす筈もなく。
「射砲撃は苦手なんでな。出力の低さは、別の物で代用するのが一番だ!」
言いつつ、今度は横手から大振りの瓦礫を飛ばしてくる。
確かに、実際に質量を持つ物を加速して使うのは有効な手段だ。
消費する魔力に加え、物質そのものの重さが加わるのだから当然だろう。管理局的には、色々灰色な方法だが。
そんな礫の雨の中をすり抜け、横合いからの瓦礫の砲弾をギギリギリのところで捌きながら突き進む。
コルトはギンガから逃げる様に、足場代わりに展開した魔法陣を蹴る。
ギンガもまたウイングロードを展開し、その後を追う。
機動力ならギンガに分がある。なら、追いつくのは当然だった。
(間合いに…入った! 防御も回避も間に合わない、これなら!!)
放つのは、なんの変哲もない順突き。
とはいえ、それを打つのが徹底的に基礎を固めたギンガなら話は別。
たかが基礎、されど基礎。充実した基礎を持つギンガの放つそれは、唯の順突きでも必殺技たり得る。
コルトを射程距離に捉えたギンガは拳を振り抜き……………空振りに終わった。
(そ、んな……)
「悪ぃな、さっき言った『奥の手』だが、ありゃ嘘だ」
声は背後から。
完全に無防備な背中を晒し、ギンガこそ防御も回避も間に合わない。
事ここに至るまで奥の手を隠しきった、コルトの作戦勝ちだった。
(まさか、短距離瞬間移動【ショートジャンプ】!?)
短距離瞬間移動。それは、白兵戦闘において最も殺傷力の高いスキルの一つ。
何しろ、反応されることなく死角から致命打を打ちこめるのだから、その恐ろしさはだれの目にも明らかだ。
あるいは、体力が万全であれば制空圏を持ってギンガも対処できたかもしれない。
だが今は、そんな事は望めない体力のギリギリ。とてもではないが、制空圏を維持するどころではない。
とはいえ、決定的に遅いと理解しながらも反転し、迎撃しようとするギンガ。
そんな、この状況でもあきらめないギンガに、コルトの目が細められた。
「伸びろ、ウィンダム!!」
渾身の魔力が収束された杖、その先端が一気に伸びギンガの身体を打つ。
そのまま尚もウィンダムは止まることなく突き進み、ギンガの身体をビルの壁に叩きこんだ。
ギンガが立ちあがってくる気配は………………ない。
同時に、コルトも大きく息をついて膝を折った。
もはや、動の気で残った力は全て絞り出している。
何しろ、動の気を使う直前の一撃で立ちあがれたことが驚きなのだ。
もう、立ち上がる余力はない。
それを確認し、なのはが終了の合図を出す。
こうして、二人の模擬戦は幕を閉じた。
あとがき
結局、ほぼ一話丸々模擬戦に費やしてしまいました。
ギンガの二ヶ月の成果は、まぁこんな感じ。特別な技は流水制空圏くらいかなぁ……。
いや、曲りなりにとは言え流水制空圏を使えるのは早過ぎかなぁと思わないでもないですが、そもそも長老はラグナレク編の最後で既に兼一に教える気満々だったみたいですからね。時間と兼一に才能さえあれば修得もできたのかもしれませんし、二ヶ月みっちり腰を据えてやればこれくらいは、と考えた結果です。
つまり、ラグナレク編辺りで満足いくまで兼一が修業出来たてたら、位のイメージですね。
あとはまぁ、リボルバーナックルのない右拳に武器を一つ追加、と言ったところですか。
左拳には別に新しい武器はありません、元からある物を強化しました。だって、別にいらんでしょ。
コルトとウィンダムに関しては、割と変則的なタイプですね。私はこう言う変なのが好きなのです。
ミッド式のくせに射砲撃が苦手で、接近戦をやりたがりますし。
まぁ、世の中には色々なタイプがいると言うことで。それに、メインになる魔法は「身体強化」以外だと、バインドと短距離瞬間移動、魔力刃なのでそうミッド式から外れてなさそうですしね。
さて、今回なのはに散々ヒント出しましたし、いい加減接触させないといけませんな。
フェイトの暴走は、単なるお遊びですけど。