アンネの日記は、捏造

2009-12-29 11:03:32
テーマ:ドイツ

「アンネの日記」をご存じの方は多いと思います。
長年ベストセラーになっているのは日本だけです。


実は、「アンネの日記」というのは、

主人公のアンネ・フランクが記述したものではなく、

メイヤー・レビンというアシュケナジー・ユダヤ人が、

アンネの父から依頼されて書いた小説なのです。



本当の日本の歴史 誇りある日本へ



原文はとても13才の少女が書いたとは思えない、

大人の文章であり、日本人のドイツ語学者の言によると、

その文章は大人びているだけでなく、

古典的ドイツ語で書かれているのです。

アンネ・フランクはオランダで生まれたアシュケナジー・ユダヤ人で、

13才で死亡しています。

ですから当然、オランダ語を話します。


古典的ドイツ語を操れるほど堪能ではないはずです。


本当の日本の歴史 誇りある日本へ



なにより、「アンネの日記」の筆跡と、

アンネの筆跡が全く違うのです。



本当の日本の歴史 誇りある日本へ



アンネの日記の筆跡



本当の日本の歴史 誇りある日本へ



アンネが友達に宛てた手紙


「エコノミック・カウンシル」誌 1959年4月15日

『アンネの日記』は十代の子供が書いたとは思えない。

この事についてニューヨーク最高裁判所の判決から

裏付けを取る事が出来る。
アメリカのユダヤ人作家メイヤー・レビンが、

アンネ・フランクの父オットーから、

この日記に関する作成に対する謝礼金として、

5万ドルを受け取ったと認めている。

フランクはこのレビンに五万ドルを払い、

その後レビンの作品を、

まるで白らの娘の作品のようにしてしまったのである。


この最高裁の判決の書類2241-1956は、

ニューヨークの地方事務所にあるはずなのだが、

残念な事にこのファイルはいまやいずこかへ消えてしまっている。
『アンネの日記』は1951年、出版後ただちにベストセラーになった。しかしなぜアンネの父を巻き込み、本の真実性を追ったこの裁判が、今日公に報告されることがないのだろうか。

オットー・フランクがその娘の死、

およびその悲劇から膨大なカネを儲けたというのに

見えざる帝国 宇野正美氏著


スウェーデンのジャーナリスト、

ディトリィェブ・フェルデュラーは、この様に証言しています。

①1959年、映画『アンネの日記』が作られた時、

アンネが住んでいたというアムステルダムのオリジナルの建物を、

日記に書いてあるように改装してもよいと言われたという。
②13歳の少女が冒頭でフランク家の歴史を語り、

そのすぐ後にドイツの反ユダヤについて語っているのは何故か?
③彼女は本文中で『オランダ風の階段』と語っているが、

彼女はオランダでしか育っていない。



1980年10月9日のニューヨーク・ポストには、

エルンスト・ロエマーなる人物が「アンネの日記」は真実ではなく、

フィクションである事を追及し続け、

裁判に持ち込んだ記事が書かれています。

そして、二度目の裁判で彼の主張は正当であると認められているのです。


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