「うぉおおおおおおおおおおおお!!」
「ぎゃああああああああああああ!!」
森林の奥から騒々しい奇声を発しながらかけてくる男女二人組。
「し、師匠の所為ですからねッ――!!」
「あ、阿呆! 私に責任を押し付けるな――!!」
全力でダッシュしながら必死に駆ける二人。
そのすぐ後ろで大きな羽音を鳴らすミツバチ。
しかし問題なのはその大きさだ。
人間のおよそ数倍もの大きさをもつミツバチが追って来るのだ。
その巨大な顎は容易に人を噛み砕き、その鋭い針は人間の体など貫通するだろう。
――時間は少しさかのぼる。
*―――――――――――――――――――――――――――――*
地下都市『新大阪』。
地球環境が悪化し始めて数十年。
天候は崩れ、川は氾濫し、地に作物が育たなくなった。
かつて豊かな大地は数える程しか残っておらず、その中で大農場と呼ばれる畑は国営として管理された。
インフラが高騰し、溢れかえっていた食料の取り合いが始まったのだ。
生き残った人類はかつての地上の楽園を捨て、何重もの階層を連ねるこの地下世界へと移住した。
人々が求めた物……それは『安心』と『安定』だった。
空調が整備され、疑似太陽を浮かべた地下空間には本来当たり前であるはずの四季折々の風景が広がっている。
しかしそれも一部の特権階級……言わば金持ちの道楽でしかなかった。
この物語の主人公である二人組の生活圏はさらに地下の地下。
この地下都市の最下層に位置していた。
「マスター、いつもの」
喫茶店のカウンターに腰かけ注文をする少女。
出された真っ黒な液体のまず臭いを嗅ぐ。
「う~ん。いい香り」
そして飲む。
「にっげぇ」
苦い。とてつもなく。
しかし少女はそれでも諦める事無く最後まで飲み干す維持を見せる。
店主公認の泥水のような味。
何故そのような物を商品として出すのか?
理由は簡単――安いからだ(一杯十円也)。
「師匠……いい加減それ飲むの止めたらどうです?」
その様子を呆れたかのように水を飲みながら諭す少年。
傍から見たら兄妹で朝食を食べに来ているようにも見えるが、実際の年齢では少女の方が上なのだ。
「それは無理だよ京介君。小春ちゃんは昔っからこれ飲まないと目が覚めないんだもん」
苦悶の表情を浮かべる少女を楽しそうに見る店主。
『喫茶 まごころ』の店主 誠。
「師弟関係は慣れてきたかい小春ちゃん?」
「ぼちぼちね~」
「ところで京介君は小春ちゃんのどこが師匠として相応しいと思ったんだい?」
「当然! この魅力的な美貌」
「攻撃力っす」
「可愛らしい容姿」
「攻撃力っす」
「いざという時の判断力と溢れ出る知性」
「攻撃力っすぅううううぁああああ――ぎ、ギブギブ」
自慢の馬鹿力で首を絞められた。
京介の顔が青ざめた。
「はぁ~米食いたい……もう合成肉は嫌じゃ~」
朝の目覚めのコーヒーを飲むたびに同じ事を愚痴る少女。
≪鬼灯 小春 二十歳……所持金 五千五十円≫
その気持ちもわからないでもない京介は堅いパンを毟り水に浸す。
こうして少しでも食べやすくたくさん食べたように身体に錯覚させないともたないからだ。
≪烏丸 京介 十五歳……所持金 六千二百円≫
小春が飲むコーヒーも、正確には『コーヒーらしきもの』であり、
調整コーヒーと言われるコーヒーを再現した嗜好品だ。
(香りは及第点、味は落第点……超まずい)
本当の珈琲豆を挽いて淹れる事はおろかインスタント物さえ高級品の部類に入っている。
わずか数十年前の人類にとって予想もしなかった急激な食糧難に襲われていた。
「依頼ってあるの?」
小春が店主に聞く。
地下世界には様々な職業がある。
その中で小春達が生業としているのは『よろずや』と呼ばれる職だ。
つまりは便利屋。
どんな依頼でも受け、その報酬はハイリスクハイリターン。
「あるにはあるけど……」
≪ 依頼:『虫刺されにご注意を!』
依頼内容:蜂蜜10kgの採取。
報酬:十万円。≫
「じゅ、じゅうまんえん~!!」
ほわぁ~とだらしなく口を開け妄想にふける小春。
「十万円あったらぁ……あれも……これも……」
楽しそうに妄想に更ける小春の姿は十歳の幼女そのもの。
しかし実年齢は二十歳……食糧難で一番影響を受けたのはこの人かもしれないと京介は思う。
そんな贅沢品を買う夢よりも溜まった家賃を支払うのが先決だろう。
小春と京介が共同で暮らしているアパートは月々五千円。
現在、二ヶ月ほど待ってもらっているので次の支払日には計一万五千円支払わないといけない。
二人の所持金を合わせても1万円ちょっとしかなく、かつかつの状態。
≪注意事項:オオミツバチの毒に十分注意されたし、普通に死にます≫
「し、し……師匠……お、オオ……オオミツバチです」
地球環境の急激な悪化のよる生態系の異常、そして人間にもその影響が出た。
生物は急激な生活圏の破壊を受け、遺伝子レベルでの進化を余儀なくされた。
より強靭で、自分の種を残すため生物が取った行動は……。
「ひょぅおおお――」
一気に青ざめる小春。
そう、生物が取った進化の方向性は極めて単純。
巨大化と、凶暴化……異形化だった。
*―――――――――――――――――――――――――――――*
「二手に分かれよう!」
「嫌です! 何言ってんすか!!
蜂蜜持ってんの俺っすよ!」
「お前ならできる! 自分を信じろ」
「自信無いっす! 師匠なんとかして下さいよっ!」
「しゃーねぇなっ!!」
これ以上逃げるのは無理と判断したのか小春は体の向きを変え、オオミツバチの前へ立ち塞がる。
背中に背負った身の丈もあるハンマーを野球のバットのように構える。
「こぉおおおお……ふぅうううう」
息を整え、足を踏み出す。
地球に住む生物が取った選択肢は三つ。
巨大化、凶暴化、異形化。
その内、人類が取った進化の方向性は異形化であると言われている。
そして、万物の霊長である人間という種が単純な姿・形を変化させるだけでは飽き足りず。
その次の段階を考えた。
それは――、
「おぅりゃああああああああああああ!!」
――ブォオオオオオンンンンッ!!
『異能化』。
それは人間の次の段階の進化と言われている。
一部の学者の間では人間の遺伝子の中に特殊なウィルス種が入り込みDNAを書き換えられたのだと、
まことしやかに囁かれている。
小春の額に小さな角が生える。
それと同時にハンマーの旋回に鋭さが増し、風を斬る。
通常『異形化』は力を行使する部位の筋肉が肥大化したり、人間のものとは違う構造に変化する。
しかし、小春の『異能化』は膂力が上がったからと言って腕が太くなったり、身体が巨大化する訳ではない。
たんに額に小さな角が生えるだけだ。
だが、その威力は――、
――ドゴォオオオオオオオオンンンンッ!!
「ギィイイイイイイイイイイイイイ!!」
オオミツバチは顔の左側が砕け、悲鳴を上げる。
「もういっちょぉおおおおお!!」
――ドグォオオオオオオオオンンンンッ!!
振り抜いたハンマーを返しざま今度はオオミツバチの右顔を打ち抜く。
オオミツバチの巨体が落下する。
「イッエェエエエイッ!!」
Vサインをして先行逃げ切りの京介に笑顔を向ける小春。
その様子に安堵し、小春に駆け寄ろうとして京介の顔が凍りついた。
同時に、回れ右して何も言わず全力ダッシュ。
「どうしたんってんだよ……もう何の心配も……ってぇええええええええ!」
視界に広がるオオミツバチの群れ、一匹で手こずったのにそれが何十匹といるのだ。
全部叩き落とせるわけがない。
「京介ぇっ! てめぇ私を見捨てやがったなぁああああ!」
*―――――――――――――――――――――――――――――*
「はぁ~」
「はぁ~」
笑いを噛み殺しながらコーヒーを出す店主の前で溜め息をつく京介と小春。
「手に入れた蜂蜜はたったの1kg……しかも逃げ回ったから保存状態が悪いだの色々文句付けられて」
「たったの六千円かよ! 蜂蜜なんて絞れば一緒だろうが! ちくしょー」
少し冷えたコーヒーを一気飲みして小春はポジティブに考える。
「でも、まぁ収穫はあった。この金でぱっと屋台にでも繰り出すか!
久々にビールが飲める!!」
合成ビール……これも言わばビールらしきものだが、小春曰く酔えれば良いのだ。
「師匠、そのお金は家賃の……」
「良いではないか、たまには! それに全額は無理でも少しでも出せば追い出される事もないだろ?」
「あと師匠、忘れてますよ」
「何を?」
「今月、健康保険の保険料納めないと……」
「ひょぅおおお――」
*―――――――――――――――――――――――――――――*
今回の収益:六千円。
今回の損失:家賃五千円(大家に泣いて一カ月分で勘弁してもらった)
健康保険料 五千円/人(よろずやは危険なため保険料が高い)
≪鬼灯 小春 二十歳……所持金 五百五十円≫
≪烏丸 京介 十五歳……所持金 千七百円≫