テーマ:ブログ
■テレビの歴史年表
(新聞・ラジオのみ→)白黒テレビ→カラー→音声多重→ビデオ→衛星多チャンネル→
ハイビジョン →液晶・薄型・大画面
→3D →ネットTV →紙のような超薄型
1873 イギリス 明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝えるテレビジョンの開発始まる
1897 ブラウン管(cathode ray tube)発明。ドイツのKarl Ferdinand Braun氏
1925 テレビジョン 最初の公開実験 イギリスのベアード 有線
1925年(大正14) 日本でラジオ放送始まる
1925年 日本におけるテレビジョンの研究開始 = 高柳健次郎
昭和2年9月 日本のテレビ誕生とされる。テレビの父と呼ばれる高柳氏(1899-1990)が一人で研究を続けて、ついに大正15年、「イ」の字を映し出した。昭和2年9月に特許出願し、公表
1926ごろ 世界初の電子式テレビ装置
1928 世界初のテレビジョン放送 アメリカのWGY局が実験放送
1935 ドイツが本放送を開始、1936年ベルリンオリンピック大会をテレビ中継
1940 アメリカでカラーテレビ実験放送開始
1941 太平洋戦争で日本のテレビジョン研究中止、
1953/2/1 NHKテレビ放送開始(白黒テレビの本放送開始) 同年、日本テレビも開局
白黒テレビ普及 好景気、プロレス、プロ野球、59皇太子成婚
1958受信契約100万
1960 カラー本放送
1961~72 シャボン玉ホリデー
1962 受信契約1000万
1990 ハイビジョンテレビ発売
通販番組 深夜のテレビ通販番組の人気に火をつけたのは、テレビ東京で94年。CMには総量規制があるが、ショッピング番組は各局とも生活情報番組の一種と位置づけているので、規制の枠外
1996カラーテレビ国内出荷、 1000万台超える
1996 薄い「壁掛けテレビ」 登場(PDP)
2006/4 携帯でワンセグ放送
2009 「3D元年」 映像が飛び出して見える映画が盛況に (テレビの「3D元年」は2010)
人が右目と左目で見る像には微妙なずれ(視差)、その平面画像を右目と左目別々に見せられると、脳は合成して画像が飛び出す
1853 ロールマン(独)が、立体視の「アナグリフ」を考案。右目用・左目用別々に赤青での合成画像。実は古い技術。
1950年代 第1次立体映画ブーム ~56までに米国で約100本
1980年代 第2次立体映画ブーム 映画「ジョーズ3」「13日の金曜日パート3」など。しかし「赤青眼鏡」でみる方法で色の再現が劣る
→1990年代 デジタル化で映像の質が安定
2008 米国で3D映画が人気に、ディズニーは今後のアニメをすべて3Dにする方針に。
2009 (第3次立体映画ブーム) 映画の3D元年 2010 テレビの3D元年
2010「アバター」興行収入世界歴代1位 →3Dバブルへ
2009 3D対応のBD標準規格を19社(電機メーカー、映画会社)決定
2010/4 家電ではパナソニックが先陣、3D対応プラズマテレビとブルーレイディスクレコーダー販売
2010/6 ソニー、液晶テレビ。プレステ3でも3Dソフトへ
3D放送 日本では2010/4ケーブルテレビ最大手のジュピターテレコム。2010夏 スカパーJSAT
これらの3Dは専用メガネか必要。シャッターメガネで、右目用・左目用の画像が高速で切り替わるの合わせて右左シャッターが閉まる
旧作映画を3D変換する技術がコストダウン
朝日09/7/25p11 、09/9/4、((10/3/20b4=3D160年史=立体映像ジャーナリスト大口孝之さん
2010/12 メガネなし3D 東芝
専用メガネ不要の3D液晶テレビ 12インチと20インチ 商品化は世界初 「光線再生方式」
関連2011/2 任天堂 携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」
2011/8/9 他社の3Dテレビも見られる3D用眼鏡へ
ソニー、パナソニック、サムスン電子と、3D用眼鏡メーカー「X6D」(スロベニア)が、3D用眼鏡の仕様を公開することで合意したと発表
2011/3/11 東日本大震災 →節電テレビ
消費電力が抑えるピークシフト機能など(ボタンを押すと電源が付属の充電池に切り替わり、電力不足の日中向け)
2011年7月24日 地上波アナログテレビ終了
= デジタル放送に切替完了 (BSも)
ただし、被災3県に限り延長 東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手、宮城、福島に限り、2012/3/31まで延期(総務省)
改正電波法で。従来のアナログ専用のテレビは映らなくなった。それまでは、アナログとデジタルの両方式で放送。
BSもデジタル放送に完全移行、それまでのアナログチューナーなどは使えなくなった。
デジタル放送は、リモコン操作で天気予報などの情報を引き出せたり、インターネットとつないで買い物ができたりする
2011年度 日立がテレビの自社生産から撤退
昭和31年から自社生産していたが、韓国メーカーなどとの競争が激化、また地デジ切替完了後は需要が落ち込むため
紙のような超薄型画面 2002パイオニアが0.2ミリのものを開発 液晶に代わる画面である有機エレクトロ・ルミネッセンス(EL)。服に貼り付ける・テレビやコンピューターの画面・電車の中づり広告など応用へ
「触れる」3Dテレビ
「3Dテレビに映った立体画像に、指先で触れているような感覚を味わえる新システムを、産業技術総合研究所(つくば市)が開発した。…指先の小型装置が細かく振動して触れているように錯覚させる。新感覚のゲームや手術のシミュレーション装置などへの応用が期待されている」
2020計画 スーパーハイビジョン放送開始。ハイビジョンの16倍の画素。 NHK放送技術研究所が1995研究開始