チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[29760] 漆黒夜想曲(TOV)
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/10/10 15:03
 
(まえがき)
 
 はじめまして、作者・水虫です。本作品はテイルズ オブ ヴェスペリアの二次創作です………が、原作とは異なる設定、原作キャラの死などが含まれます。そういう事に不快感を覚える方は、あらかじめご了承ください。なお、更新は不定期となります。
 
 
 
 
 人と魔物の大きな戦いが終結してから、月日は流れ―――
 
 人々は根源たる力・エアルを用い、繁栄を築き上げようとしていた―――
 
 結晶化したエアルは魔核(コア)となり、魔導器(ブラスティア)を動かす源として使われてきた―――
 
 様々な種類の魔核が魔導器を通し、繁栄と生活に必要な物を我々に与え続けてきた―――
 
 人々はそれを求め、奪い、支配する―――
 
 それが何であるか、疑う事すらなく―――
 
 
 
 
 草木を掻き分けて、夜の闇を二つの青い影が忙しなく駆ける。
 
「ユーリ急ぎ過ぎ! 作戦通りに動きなさいよ!」
 
「チンタラやってられるかっての!」
 
 前を行く青年に叱責が飛び、しかし青年は無視する。もうこれで何度目だろうか、作戦開始前から嫌な予感はしていたものの、案の定だ。
 
「あーもうっ!」
 
 その背中を、ヒスカ・アイヒープはやけくそ気味に追い掛ける。
 
 悠長に説教などしている暇は無い。何故なら、今も彼女らの後ろを荒れ狂った魔物の群れが追い掛けて来ているからだ。
 
 こうして魔物を引き連れて来てしまった以上、このまま走り続けるしかない。
 
「もたもたすんなよヒスカ!」
 
「あんた、後でゼッタイ殴るからね!」
 
 これが、『初の実戦で気負い過ぎた』とか、『魔物を前にして気が動転していた』といった可愛らしい理由ならまだ許せるが……実際はそうではない。
 
 ユーリ・ローウェルは、そんな殊勝な後輩ではなかった。
 
 獣道を抜け、崖を滑り降りて、目印のある……少し拓けた集合地点に辿り着いて、ヒスカは「やっぱり……」と内心で頭を抱えた。
 
 全員がほぼ同時に到着しなければならないはずなのに、そこにはユーリとヒスカの二人しかいない。
 
 そしてもちろん、そんな事情は魔物には何の関係も無い。
 
「っ、この!」
 
 足を止めたヒスカに、後ろから狼が我先にと飛び掛かる。その牙だらけの口を、振り向きざまに振るったヒスカの剣が斬り裂く。
 
「だから早過ぎるって――――」
 
 魔物は無論、一匹ではない。迷惑な後輩に文句を飛ばす間すらなく、今度は複数の狼が……そして大型の猪がヒスカを襲う。
 
 襲って―――
 
「え………?」
 
 血飛沫を上げて、一瞬の内に吹き飛んだ。ヒスカに襲い掛かった全ての魔物が。
 
「ったく、遅刻かよ」
 
 見れば、ヒスカの前に躍り出たユーリが、憮然とした態度で剣をクルクルと弄んでいる。
 
 『友達が待ち合わせに遅れた』。そんな軽さで。
 
 こっちが早いのよ、とヒスカが突っ込むよりも速く、ユーリは長い黒髪を靡かせて魔物の群れに突っ込んだ。
 
 そして新米騎士とは思えない剣捌きで次々と魔物を仕留めていく。
 
「(早く、早く……!)」
 
 左手の魔導器(ブラスティア)を押さえながら祈るヒスカの耳に、地鳴りのような足音が四方から届く。
 
 その全てが魔物の足音。“待ち兼ねていた足音”だった。
 
「ヒスカ!」
 
 草むらの奥から、呼ぶ声が一つ。一拍後れて現れたのは、赤い髪を後頭で束ねた、金の瞳の女性騎士。そう……ヒスカと瓜二つの容姿を持つ双子の姉・シャスティル・アイヒープ。
 
「みんな、集まって!」
 
 それに続いて、作戦に参加していたフェドロック隊の仲間たちも次々に姿を現す。
 
 そして集まった彼ら全てが、獰猛な魔物を引き連れて来ているのだ。
 
 だからこそ、タイミングが命。
 
「ユーリ、早くこっちに!」
 
「わーってるけど……よっ!」
 
 隊のほぼ全員が一ヶ所に固まっているこの状況で、最初に引き連れて来た魔物を食い止めているユーリだけが孤立してしまっていた。
 
 背中を見せたら喰われる、と解っているため、下がりたくても簡単には下がれない。
 
「全く君は………!」
 
 苛立たしげな呟きを漏らして、また一人陣から飛び出し、ユーリの援護に回った。
 
 同じく新米騎士の、金髪と碧眼が特徴のフレン・シーフォ。
 
 同時に、ヒスカらも陣を崩さないまま全体をユーリ達に近付ける。
 
「「はっ!」」
 
 ユーリとフレン。二人が同時に振り抜いた剣が大猪を絶命させ、その巨体が壁となって魔物の追撃を遮る。
 
「“絢爛たる光よ”」
 
 その機を逃さず、ユーリとフレンは脇目も振らずに仲間達の許へと走る。
 
「“干戈を和らぐ壁となれ”」
 
 ヒスカの唇が詠唱を紡ぎ、魔導器が淡い光を放つ。ユーリとフレンは、着地も考えずに頭から飛び付いた。
 
 そして――――
 
「『フォースフィールド』!!」
 
 ヒスカの言霊に喚ばれて、光の柱が隊の全員を包み込む。
 
 ほとんど同時に………
 
「うおっ!?」
 
 結界の外を、周囲一帯を、呑み込むほどの眩しい光が埋め尽くした。
 
 作戦よりもやや遅いタイミングで発動したその光は、事前に仕掛けてあった兵装魔導器(ホブロー・ブラスティア)によるもの。
 
 光は結界を破らず、しかし範囲内の魔物は一匹残らず殲滅していく。
 
 結界の中でその光景を呆然と眺めるしかないユーリとフレンに………
 
「ユーリ、フレン! 初仕事にしちゃ上出来だ!」
 
 高台の上で一連の流れを見ていた隊長……ナイレン・フェドロックは、どこまでも豪胆に笑い掛けた。
 
 
 
 
 ―――辺境の町・シゾンタニア。
 
 帝都から離れた場所に位置するこの街は今、日増しに凶暴性を増していく魔物の脅威に晒されていた。
 
 テルカ・リュミレースに点在するほぼ全ての街は結界魔導器(シルトブラスティア)による結界によって護られている。このシゾンタニアも例外ではない。
 
 しかし………通常ならば結界によって約束される安息すら脅かしかねないほど、この近隣の魔物は凶暴化の一途を辿っている。
 
「勝手な行動で隊を乱すなと、何度言ったらわかるんだ!?」
 
「昨日おわった事をガミガミうるせーなぁ、上手くいったんだからいーじゃねぇか」
 
 そして、帝都の下町で育ち、一月前に騎士団に入隊を果たした二人の青年……ユーリ・ローウェルとフレン・シーフォもまた、この街の守護を司るフェドロック隊に配属されているのだった。
 
「あーあ、せっかく騎士団に入ったってのに、お前と赴任先は同じ、部屋も同じ。嫌がらせだぜ? これ」
 
「こっちのセリフだ! ここに配属されてからの短い間に、どれだけ問題を起こしたと思ってる!」
 
 大声でまくし立てるフレンの罵声など素知らぬ顔で、ユーリはエサ皿にミルクを注いでいる。
 
 その足下では、まだ手足の短い藍色の仔犬が今か今かと「よしっ」を待っていた。
 
「………はあ、本当に……昔から何も変わってないな……」
 
 怒るのも疲れたのか、フレンも椅子に腰を落として机に突っ伏す。口喧嘩では勝った試しがない。
 
「そういうお前こそ、陰険な性格そのまんまじゃん。つーか、更に頭固くなったんじゃねーの?」
 
 たまたま同じ町に生まれて同じように育っただけ。幼なじみ……と呼べるかは判らないが、長い付き合いではある。
 
「規律を守る為に己を戒める。騎士団に属する人間なら当たり前の事だろ」
 
「はいはい」
 
 ユーリもまた、「言っても無駄」と言わんばかりに手を振りながらベッドに身を沈めた。
 
 息苦しい空気を破るように―――
 
「入るわよ」
 
 コンコンッと軽いノックの後、部屋のドアが開かれた。そこから、柔らかな赤い髪が覗く。
 
「何やってんのよ、時間でしょ!」
 
「急げー」
 
 ヒスカとシャスティル。双子の先輩騎士に促されて、ユーリとフレンはどちらともなく重い腰を上げた。
 
 
 
 
「…………………」
 
 季節外れの紅葉が舞い散る山道を、老練の騎士が一匹の軍用犬を連れて歩いていた。
 
 生命力に満ちた精悍な顔立ちと力強い立ち居振る舞いが、彼を見る者に年齢を感じさせない。
 
「………ランバート、これ以上は進むなよ」
 
 彼……ナイレン・フェドロックは、つき従う相棒に一言告げて、自身もその足を止めた。
 
「………原因は“こいつ”か。」
 
 咥えた煙管に火を点して、ナイレンは険しく眼を細めた。
 
 見据える先には、不自然に咲き誇る季節外れの紅葉と………蛍とも見える無数の光の粒。
 
「どっかに専門家でもいないもんかなぁ……」
 
 予想を大きく越える事態への確信に、ナイレンは力なく空を見上げる。
 
 
 
 
 人里離れた西の森の奥、結界の庇護から外れた小屋の中で―――
 
「………うにゃ………」
 
 誰かが、寝返りをうった。
 
 
 
 



[29760] 1・『ギルド』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/09/16 17:25
 
 おっさんは酒を飲んでいた。
 
 ざんばら髪を後頭で束ね、異国情緒あふれる紫の羽織を着たおっさんである。
 
「(あ〜……来るんじゃなかった)」
 
 おっさんは酒を飲んでいた。軽い仕草で持ち上げたワインの瓶……が今まで置いてあった場所に、一枚の皿が勢いよく着弾、粉々に砕け散る。
 
 この店のウエイトレスのレベルは悪くなかった。料理の味も十分。店自体には文句らしい文句はない。
 
 ………しかし、客層が問題だった。
 
「スカしてんじゃねーぞこらぁ!」
 
「関係ないって言ってるだろ!」
 
「オラオラァ! ギルドってのはこんなもんかよぉ!」
 
 おっさんが来る前からたむろしていたガラの悪いギルドの連中。そしておっさんの後から店に入って来た……二人の青年騎士。
 
 黙々とディナーを楽しんでいたおっさんは何が喧嘩の原因かなど知らないが……店内はあれよあれよと大乱闘に突入していた。
 
「(あんまり騎士団と関わり合いたくないのよねぇ)」
 
 新米の騎士相手なら大した問題はないが、何かの拍子に隊長クラスと接触するのは良くない。実に良くない。
 
 良くないので、我関せずで晩酌を続ける事にする。とりあえず、ウエイトレスのかわいこちゃん(80点)だけでも守らなければと顔を覗かせると………
 
「ちょっと! 危ないじゃないの!」
 
 どうやら、騎士の方は二人だけではなかったらしい。赤い髪の女性騎士(70点)が、チンピラの一人と言い合いをしている。
 
 顔立ちは整っているし、年齢的にも射程圏内。惜しむべきは、その胸部を形作るなだらかな平野だろうか。
 
 しかし次の瞬間―――
 
「っ!?」
 
 おっさんは見た。
 
 自らの願望が見せた幻かと自身の眼を疑い、こすってみたが、そこには変わらぬ現実(リアル)が揺れている。
 
「おっと、それくらいにしときなさいよ」
 
 その現実を認めた時、おっさんは既に立っていた。
 
 
 
 
「たった一月で、こんなに寂れるなんてね……」
 
 シゾンタニアの町の一画を、四人の騎士が巡回している。
 
「ワンッ!」
 
 否、四人と一匹が巡回している。
 
「いくら魔物たおしてもキリねーもんなぁ。あいつら、一体どんだけいやがるんだか」
 
「あたし達が退治するくらいで魔物がいなくなるなら、結界なんていらないでしょ」
 
 以前は小さいながらも活気ある町だったシゾンタニアも、魔物の脅威で気の休まらない日々に疲弊しきっていた。
 
 疲弊しているのは、住民だけではない。連日 魔物との交戦を続けるフェドロック隊の騎士たちにも、負傷者が続出していた。
 
 このまま町の防衛を続けるだけの状況に限界を見ての先の大々的な魔物掃討作戦でもあったのだが……依然、状況に大きな変化はない。
 
「けど、こう緊張続きだと流石に疲れるわね」
 
「仕方ないな」
 
 肩を落として漏らされたシャスティルの呟きに、ヒスカは「よし!」とばかりに足を止めた。急な停止に、シャスティルとフレンが軽くぶつかる。
 
「後で来ようよ」
 
 ヒスカの指差す先で、フォークとスプーンが交叉している。仕事が終わってから、この定食屋で息抜きをしよう、という事らしい。
 
「僕は遠慮します」
 
 そしてこの場面で付き合いの悪いのがフレン・シーフォである。
 
「付き合いなさいよー」
 
「出世しないタイプね」
 
 先輩の誘いを断るフレンを叱るヒスカの後ろで、まだ巡回中なのに今すぐ店に入ろうとしているユーリを、シャスティルが羽交い締めにしていた。
 
 ユーリの指導役がヒスカ。フレンの指導役がシャスティル。
 
「出世かぁ……俺、まだ魔導器(ブラスティア)もらえてないんだよなぁ」
 
「あんたじゃ一生ムリかもね」
 
 シャスティルに引っ張られながら調子のいい発言をするユーリの頭を、ヒスカが小さくこづいた。
 
 
 
 
 皿が、酒が、椅子が、まだ熱々の料理が中空を飛び交う下で、双子の姉妹は仲良くマーボーカレーを食していた。
 
 寸分違わぬ二人の顔には、寸分違わぬ苦渋と諦めが満ち充ちている。
 
 ………そう、店に入った瞬間から、嫌な予感はしていたのだ。
 
 
 
 
 時を僅か、遡る。
 
 巡回を終えたユーリ達が、予定通りに先程の定食屋の扉を開けた瞬間に(結局フレンも来た)。
 
「あちゃぁ……ギルドがいるよ」
 
 久しぶりに羽を伸ばそうと思ったヒスカは、まずその光景に気勢を削がれた。
 
 彼女らが見たのは、正確には『ガラの悪い連中が我が物顔でばか騒ぎしている光景』でしかなかったのだが、それをギルドと即断したのは彼女の偏見である(事実、ギルドではあったのだが)。
 
「ギルドって?」
 
「帝都の下町にもいたでしょ。好き勝手に生きてる分、とにかくガラが悪いのよ」
 
 ユーリの稚拙な質問に、シャスティルがゲンナリと応えた。確かに帝都にもギルドはいたが、そのほとんどは『幸福の市場(ギルド・ド・マルシェ)』の人間であり、ユーリから見れば普通の商人とそう変わらない。
 
「……ふーん」
 
 どこか楽しそうに、かつ悪そうにユーリがテーブルに着いたこの時、すでに導火線に火が着いていたのかも知れない。
 
 何故か?
 
 ユーリはわざわざ、ギルドの連中の近くのテーブルに着いたからだ。
 
「ちょっと、問題おこさないでよ……!」
 
 そう、ヒスカは確かに、あらかじめそう言ったはずだ。間違いなく。
 
「そんで、そのじいさんに『前金で全部よこせ』って言ってやったのよ」
 
「ほー、それで?」
 
「でよぉ、森を抜けた辺りで面倒くさくなって置いて来ちまった!」
 
 ギルドの連中の会話が嫌でも聞こえる。どうやら護衛の依頼を受けた老人を道中で置き去りにしてきたらしい。
 
「(何がギルドよ、このチンピラども……)」
 
 と、内心でムカついていたヒスカではあるが、ここで口を出したところで何が変わるわけでもなし、何かする気など毛頭なかったわけだが………
 
「いい加減な仕事で金 巻き上げて飲んだくれるたぁいいご身分だなぁ」
 
 約一名、アウト。
 
 言うまでもなく、泣きたくなるほど聞き分けのいい後輩君である。
 
「……威勢がいいな、あんちゃん。眼ぇ見てもっぺん言って見ろ!」
 
「近ぇーよ。そっちの気はねぇぜ?」
 
 眼前でメンチを切るスキンヘッドの男。もはや完全にケンカを売っているユーリ。
 
 ―――そこから先は、目も当てられないバカの狂演の始まりである。
 
 
 
 
「………はぁ、ほんっとにバカなんだから」
 
 寄ってたかって殴りかかって来るチンピラ達、ノリノリで暴れ回るユーリ、巻き添えを食らった後、結局乱闘に参加しているフレン。
 
 赤髪の双子は、二人して額を押さえてうなだれる。全くもって頭の痛い話だ。
 
 どこか達観した気持ちでマーボーカレーを完食したヒスカとシャスティルは、やはり揃いの仕草で「ごちそうさま」して立ち上がった。
 
 完全にスイッチの入ったユーリを止めるのは早々に諦めたが、とりあえず この事態にオロオロと右往左往しているお店の人には助け船を出すべきだろう。
 
 ―――しかし、ここで今まで度外視されていたヒスカとシャスティルの存在が、ギルド連中の眼に映った。
 
「こそこそ隠れてんじゃねぇよ!!」
 
 どこか的外れな怒声と共に、中身が入ったまま酒瓶が勢いよく投げ付けられた。
 
 シャスティルの頭めがけて一直線に飛んだそれは―――
 
「わっ!?」
 
 寸での所で頭を下げたシャスティルには当たらず、壁に叩きつけられて硝子の破片と葡萄酒の飛沫を撒き散らした。
 
「ちょっと! 危ないじゃないの!」
 
 姉への横暴に、流石のヒスカも怒りを露にして掴み掛かる。
 
 しかし、相手も完全に頭に血が上った単細胞だ。こんな事で怯むわけもない。
 
「テメェらが売った喧嘩だろうが! 今さらビビってんじゃねぇよ!」
 
 どころか、躊躇なく引き抜かれたナイフが、ヒスカの顔面に向けて振り下ろされる。
 
「っ………」
 
 ヒスカは僅かに体を退いて、相手の手首を掴み、足を払って背負い投げる。
 
 …………という動きを、イメージした。
 
(パシンッ!)
 
 その動きは実行に移される事なく終わる。ヒスカに向けられた凶刃は、横合いから伸ばされた手によって止められたからだ。
 
「おっと、それくらいにしときなさいよ」
 
 紫の羽織を揺らして、一人の男が二人の間に割って入る。
 
 右斜め45度に構えてあごの無精髭を撫でる仕草が妙に芝居掛かった、胡散臭いオーラの滲み出ているおっさんである。
 
「酔って暴れて、ってくらいならまだ酒の肴にもなるけどねぇ。可愛い娘ちゃんに刃物むけるのはどうかと思うわよ? 俺様」
 
「な、何だテメェは……!」
 
 それほど力を入れているようには見えない……が、おっさんに掴まれた男の手首はビクともしない。
 
「おたくら、『蒼き獣』っしょ。あんまりおいたが過ぎると、そっちの大将に言い付けちゃうわよ」
 
「大将って、テメェ一体………」
 
「おい、よせ……!」
 
 かと思えば、刃物を持った男の手をいとも簡単に放して肩を竦めて見せる。
 
「何だよ……!」
 
「よく見ろ、こいつ……!」
 
 ただの喧嘩で刃物まで抜いた男に、さすがにまずいと駆け寄った仲間が、何事かボソボソと耳打ちした後――――
 
「ちっ………」
 
「おい、大丈夫か」
 
「まだこのガキボコッてねーのに……!」
 
 倒れている仲間共々、ギルドの面々は、潮が引くように次々と店から出ていく。
 
 残されたのは、やや不完全燃焼気味のユーリと、我に帰って自己嫌悪に陥るフレン。気に入ったのか、転がっていたスプーンをオモチャ代わりに咥える藍色の仔犬・ラピード。
 
 そして………
 
「怪我はないかい? 美しいお嬢さん方」
 
 いきなりおっさんに口説かれている、アイヒープ姉妹。
 
 刃物を向けられたのはヒスカのはずだが、おっさんが手を握り締めて急接近しているのはシャスティルの方である。
 
「えっと、あの……?」
 
「良かった。君の美しい白い肌に傷でもついたらと思うと………」
 
 困惑するシャスティルの声と、無駄に色めかしいおっさんの口説き文句を耳にしながら、ユーリは考える。
 
 初対面の双子。性格など判断しようがないこの状況で、なぜヒスカではなくシャスティルなのか、と。
 
「………そりゃ、でっかい方がいいよな」
 
 ボソリとセクハラ発言を溢したユーリの脳天に………
 
「うっせ!!」
 
 胸を隠しながらヒスカが投げ放った“テーブル”が、今日一番のクリーンヒットを遂げた。
 
 
 
 



[29760] 2・『レイヴン』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/09/17 21:15
 
「……ねぇ、この組み合わせおかしくない?」
 
 ようやく騒動の収まった店内の中央のテーブルで食事を続けるユーリ……のみ。
 
 フレンも、ヒスカも、シャスティルも、同じテーブルに就いてはいない。いるのは、対面で不味そうにちびちびと酒を飲むおっさんが一人。
 
「何で美人双子がそこにいるのに野郎と向かい合わにゃならんのよ」
 
「そんだけおっさんが胡散臭いって事だろ。つーか、おっさん何者だよ?」
 
 おっさんの苦情を一蹴して、ユーリは怪訝な気持ちを隠しもせずに問い質す。
 
 脅しにしろハッタリにしろ、あの時のギルドの連中の反応は明らかに普通ではなかった。
 
「おっさんは酷いな……おっさん傷つくよ?」
 
「傷つけよ。で、質問の応えは?」
 
 鬼である。がっくりと気落ちするおっさんに、ユーリは促すようにスプーンを向けた。
 
「んー……じゃ、とりあえずレイヴンで」
 
「……真面目に応えるつもりはないってか」
 
 おっさん……否、レイヴンのふざけた返答に、ユーリは頭の後ろで両手を組む。なんとなくだが、こんな応えが来るとは思っていた。
 
「この町の人間じゃないだろ。こんだけ魔物が暴れ回ってんのに、よく近づく気になったもんだ」
 
「って言うか、魔物が暴れ回ってるって聞いたから来たわけよ」
 
「はぁ?」
 
 今度は多少はまともな応えが返って来た……が、その内容にユーリは完全に虚を突かれる。
 
 凶暴な魔物がいると判っていてわざわざ足を運ぶなど、およそまともな人間のする事ではない。
 
「強い魔物に興味でもあんのか?」
 
「魔物ってより、魔物が凶暴化してる原因の方にね」
 
 わざわざ横向きに座り直したレイヴンは、意味深な流し目をユーリに送る。

「あの森、紅葉さいてるでしょ。こんな季節なのに」
 
「ん? ああ。それと魔物の暴走と、何か関係あんのか?」
 
 自分は「珍しいな」としか思っていなかった事に着眼するレイヴン言葉に、ユーリは大きく身を乗り出した。
 
 詰められた距離の分だけ、レイヴンも律儀に椅子を離す。
 
「他にも何かおかしな事ない? すぐ息が上がっちゃうとか、胸の辺に軽い圧迫感があるとか」
 
 胡散臭いのは間違いないが、その発言はいちいち具体的で興味を惹かれてしまう。
 
 森の異変、魔物の凶暴化、胸の圧迫感。作戦中の事を、腕を組んで思い出すユーリ。
 
 この事態を解決する手掛かりになるなら、怪しい話の一つ二つ探ってみるのも悪くない、という考えだった。
 
「……いや、圧迫感とかは特に無いな。他に妙なトコって言や、やけに蛍が飛び回ってるってくらいか」
 
 無論、それはユーリの独断であり、フェドロック隊の総意ではない。
 
「………それ、多分ホタルじゃなくてエアルよ。目に見えるって事は、予想以上に濃いわね」
 
 ユーリの応え。レイヴンは、その前半に僅かな疑問を覚えるが、後半で自分の推測が“予想以上に”当たっている事に顔を渋くした。
 
「エアル? エアルって、魔導器(ブラスティア)の燃料みたいなもんだろ。眼には見えないんじゃないのか?」
 
「普通はそうだけど、濃度が増すと見えるのよ。で、濃いエアルは動物にも植物にも悪影響を及ぼす。もちろん、魔物にもね」
 
 勉強不足よ、青年。と言いながら、レイヴンはユーリの皿から唐揚げを一つ失敬する。
 
「……って事は、そのエアルをどうにかしねーと………」
 
「いくら魔物倒しても意味無いって事。匂いは元から断たないとねぇ」
 
 話は終わりと言わんばかりに、レイヴンは徐に席を立つ。
 
「ちょっと待ってくれよ。エアルをどうにかするって話は?」
 
「どうにかって言われても、俺ただのおっさんだからねぇ。自然現象には敵わないわよ」
 
 ファーストコンタクトで失敗したと諦めたのか、レイヴンはヒスカらの許には向かわず、そのまま出口に向かおうとして………
 
「あ、そうだ」
 
 一度だけ、振り返る。
 
「おたくらの隊長さんって、どちら様?」
 
「名前か? 確か……ナイレン・フェドロック」
 
「ふぅん……ありがとねー」
 
 それだけ訊いて、今度こそレイヴンは手を振りながら店から姿を消した。
 
「………レイヴン、ね」
 
 レイヴンの出ていった扉を、ユーリは自分でも掴みかねた気持ちでしばらく眺めていた。
 
 少なくとも、ただのおっさんではない。言ってる事も、どこまで本当でどこまで嘘なんだか。
 
「ま、いいか」
 
 何気なく椅子に凭れかかるユーリ……の首に、
 
「いいわけないでしょーが!!」
 
 実に綺麗なヘッドロックが極められた。椅子の二脚に全体重を預けているユーリには、一切の抵抗が封じられている。
 
「問題起こすなって何度言えば解んの!? しかも何あんな得体の知れないおっさんに余計な事べらべら喋ってんのよ!!」
 
「絞まってる……絞まってる………!」
 
 ユーリの切実な命乞いに、心優しいヒスカは彼の首を放してやった。
 
 無論、そのまま後ろにひっくり返す形で。
 
「お前……さっきのテーブルといい、マジで殺す気か……?」
 
「これくらいであんたが死んだら苦労しないわよ」
 
 いつものように先輩を小馬鹿にする余裕もなく、後頭部を押さえながら呻くユーリを、ヒスカが虫を見る眼で見下ろす。
 
「いい迷惑だ……」
 
「まったくね」
 
 怒っているのは、フレンとシャスティルにしても同様だった。流石にバツが悪い気がして、ユーリはぶっきらぼうに視線を逸らす。
 
「だって、今んトコ問題解決の糸口も掴めてない状態だろ。ちょっとでも手掛かりになるならって思ってよ………」
 
「そうやって自分の考えを優先するなら、さっさとここから出ていくんだな」
 
 フレンに到っては、目も合わせようとしない。相当あたまに来ているようだった。
 
「フレンには同情するわ。……途中までね」
 
「う………」
 
 そんなフレンにも、シャスティルの寒々しいジト目が突き刺さる。元凶は確かにユーリだが、結果的にはフレンも派手に大暴れしたのだ。
 
「あんたがあのおっさんと話してる間に、誰が壊した器物の弁償したと思ってんのよ」
 
「先輩。割り勘でお願いしますね」
 
「馬鹿にしてんの!?」
 
 えらく棒読みで敬語を使うユーリ。いつもの調子で食いかかるヒスカ。
 
 そんな二人の言い合いに………
 
「あ、あのー、その事なんですが……」
 
 ウエイトレスの女性が、控え目に手を上げて割って入った。
 
「ギルドの方は、前払いで食事代をお支払いしてもらっていたのですが、その……お連れ様の方が……」
 
 お連れ様。
 
 心当たりの無いその単語に、ユーリ達は頭上に?を浮かべ、次いでラピードを見る。
 
 彼のミルク代かと一瞬思ったが、それは既に払っている。
 
「あの、そうではなくて…………」
 
 ウエイトレスの女性が、やはり言いだしにくそうに、少し離れたテーブルの一つを指差した。
 
 その上に、異様な量の皿が積まれている。何人掛かりで食べれば、これだけの食事を平らげられるのかというほどの。
 
 しかし、もっと根本的な疑問が先立つ。あの食器が自分たちと何の関係があるのか、と。
 
「あ、ユーリ、それ」
 
 そして、遂にシャスティルが“それ”を見つけた。
 
『…………………』
 
 ユーリが座っていたテーブルの上に、無造作に置かれた一枚の紙。わざわざ手にとって確認するまでもない。
 
 比較的おおきな文字で、『ごちそうさま』と、ご丁寧に語尾にハートマーク付きで書いてある。
 
『……………………』
 
 現実を受け止めたくない4人の沈黙が、いつまでも店内を支配していた。
 
 
 
 
「酒場で喧嘩って……ベタな事やってんじゃねーよ、お前ら」
 
 兵舎の隊長室にて、横並びに立たされた4人に、ナイレンはビッと煙管を向けて注意する。
 
 とはいえ、その声には些か以上に怒気が足りない。
 
「外が魔物騒ぎで大変なんだ。中でまで問題おこすなよ」
 
 それだけ言って―――
 
「んじゃ、解散。あんま夜更かしすんなよー」
 
「は?」
 
 ナイレンは、追い払うように手を振った。あからさまに間抜けな声を上げたのはユーリ一人だが、他三名も驚愕に目を見開いている。
 
「懲罰房いきじゃねーのかよ」
 
「今そんな事して、何か得があんのか。自腹で弁償したんならもういいや」
 
 超適当である。いや、この状況で喧嘩騒動をさしたる問題と考えていないのかも知れない。
 
「あ、そうだ」
 
 ふと思い立ったように、ナイレンは一枚の書状をフレンに渡す。
 
「人魔戦争終結の、十周年記念式典……?」
 
「俺出ないって伝えて来てくれ。で、こっちが援軍要請な」
 
 まだ状況の飲み込めていないフレンに、ナイレンはさらにもう一枚の書状を追加する。
 
「……隊長クラスは全員出席とありますが」
 
「こっちの方が重要だ。そう判断する」
 
「………………」
 
 どこか納得しきれない顔で、それでもフレンは文句一つ言わずにそれを受け取った。
 
「式典はともかく、援軍要請の方まで忘れてたのかよ」
 
「いや、正直そっちもあんまり期待してないもんでな」
 
「何で?」
 
「何十年も騎士やってりゃ、嫌でも解るもんなんだよ」
 
 対称的に、思った事を片っ端から口に出すユーリに、ナイレンもかなり大っぴらに本心をぶちまける。
 
 その光景に、ヒスカとシャスティルは思う。ああ、ユーリは入るべくしてフェドロック隊に入ったんだなぁ、と。
 
「それより隊長! 面白い話きいたんだけど、興味ねぇ?」
 
 いつになくイキイキとしたユーリは、何の確信あってか。得意気に親指を立てた。
 
 
 
 
「………………」
 
 割り当てられた部屋の窓際で、ユーリは木の実を一つ口に放った。
 
『エアルか。お前が自力で気付いたわけじゃないだろ。誰の入れ知恵だ』
 
 森の異常がエアルに因るものだという事は、ユーリに聞くまでもなく、ナイレンも気付いていた。
 
 だが肝心の、『高濃度エアルの原因』が解らない。
 
 手掛かりは一つだけ。信憑性の欠片もない手掛かりがたった一つだけ。
 
「ホント、食えないおっさんだぜ」
 
 苦笑しつつ、ユーリは手の中の紙切れを見る。ふざけた文体で『ごちそうさま』と書かれた“裏”に、地図とも呼べない不恰好な地図が描いてある。
 
 あまりに胡散臭い情報を頼りに動く事を、ナイレンは承諾しなかった。当然の判断である。食い逃げ男のへたくそな地図を信じて、隊員を危険な森に向かわせるわけにはいかない。
 
「(けど俺、待ってるのって性に合わないんだよね)」
 
 しかし残念ながら、ユーリはそうは思わない。都合のいい事に、うるさいルームメイトは早々に帝都に発っている。
 
「(それじゃ、行きますか)」
 
 一枚の紙切れを頼りに、ユーリは一人、足を踏み出した。
 
 ―――不恰好な地図の目的地。そこには一言………『魔女』とある。
 
 
 



[29760] 3・『FIRST・STRIKE』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/09/19 06:31
 
 涼やかな風を受けて、フレンを乗せた馬が野を駆ける。
 
「(………もう朝か)」
 
 寝る間も惜しんで帝都へと向かう。不思議と冴えた眼で遠方を見据えながら、フレンは思う。
 
「(隊長は、援軍にそれほど期待してないと言った)」
 
 しかし、シゾンタニアの部隊だけでは対処しきれないと判断したから、援軍を要請するのではないのだろうか。
 
「(既に負傷者も数多く出てる。もし、援軍を望む事が出来なかったとしたら……)」
 
 自分たちが辿る未来。その一つに、思い出したくない過去を重ねて、フレンは頭を振ってその予感を振り払った。
 
 これは決して、ただの使い走りなどではない。
 
「(僕の説得が、通じなかったら………)」
 
 肌寒いほどの朝靄の中、フレンは頬を伝う冷や汗を拭った。
 
 
 
 
 ブーツを履き、手甲を嵌め、剣を腰に帯びて、ユーリは自室を後にする。静まり返った夜のシゾンタニアを歩きながら、自分が留守にする間の事など考えてみる。
 
「(基本方針は援軍が来るまで街の防衛。結界があるんだから、俺がいなくても大して問題ないよな)」
 
 やるとしても、せいぜい巡回や訓練程度。少なくともユーリは、それがいま必要だとは思わない。
 
「(ラピードの世話は……ヒスカとシャスティル辺りに回されんのかね。フレンもいねーし)」
 
 帰ったらまたどやされるな、とユーリは肩を竦めた。実際には、こんな勝手な真似をすればどやされる程度では済まないだろう事は判っている。
 
「(そういや……一人で結界の外に出るのは初めてか)」
 
 ユーリは帝都の下町で育ち、一度も結界の外に出る事なく騎士になった。そして、フレンと共に配属されたこのシゾンタニアに向かったのが、彼の初めての『外の世界』。
 
「(ま、オレ強いからいいけどね)」
 
 住宅地を抜け、路地を抜け、街の出入口に辿り着く。いつもなら、ここに交代で二人ほど見張りがいるのだが。
 
「(んじゃ、寝てもらう方向で行きますか)」
 
 素直に通してくれるとも思えないので、気絶してもらう事にする。手頃な石を拾おうと腰を落とした、ところで―――
 
「うおっ!」
 
 門の方から、物凄いスピードで一つの影がユーリに接近し、突き飛ばす。
 
「いって!?」
 
 そして転んだユーリに、凛々しく両の前足を乗せて押さえ付けた。
 
「……ランバートてめぇ、兜つけたまま頭突きすんなよ」
 
 ユーリは軽く咳き込みながら、自分の上に乗った軍用犬を払いのける。次いで、ランバートを連れていたもう一人を見た。
 
「……こんな時間に何してんだよ、ヒスカ」
 
「そのセリフ、そっくりそのまま返すわよ」
 
 赤のポニーテール、金の瞳、平たい胸部。見紛うはずもない、ラピードの世話を押しつける予定だった先輩……ヒスカ・アイヒープである。
 
「…………………」
 
 いっそ清々しいまでにノンストップな後輩を、種類の判らない溜め息と共に見下ろして、ヒスカは重い口を開く。
 
「ヒスカ・アイヒープ、ユーリ・ローウェルの両名は、軍用犬一匹を伴い、西の森の調査に向かえ……だってさ。あんたの考えてる事くらい、隊長はお見通しって事よ」
 
 実際は『小さい方』呼ばわりだったのだが、それをそのまま伝えるほどヒスカは自虐的ではない。
 
「ちょっとは後先考えて行動しなさいよね。騎士団には規律ってものがあるんだから、勝手な事ばっかりしてるとあっという間にクビよ」
 
 いつものように言い捨てて、ヒスカはランバートと共に歩きだした。予期せぬ事態にしばらく思考停止していたユーリだが―――
 
「……ったく、余計なお世話だっての」
 
 少し足を急がせて、その背中を追い掛けた。僅かに浮かんだ笑みに、確かな信頼を乗せて。
 
 
 
 
 と、いったやり取りを経て、ユーリの見張り役として西の森へとやって来たヒスカだったが―――
 
「………もう帰りたい」
 
 街を出てから半日、既に後悔していた。何せ手掛かりの地図には、街と“目的地”の大まかな位置関係しか書いていないのである。
 
 魔物の徘徊する森の中、本当にあるかどうかも定かではないものを捜すのは、予想を越えて心身を消耗させる。
 
「んじゃ、そろそろ休憩にするか。ランバートも腹減っただろ」
 
 大蟹の魔物を斬り裂いたユーリが、弄ぶように剣を放りながら言った。
 
 この、武醒魔導器(ボーディブラスティア)も持っていない後輩は、この期に及んでも先輩より余裕がある。忌々しい事に。
 
 むしろ、戦いを重ねる毎にイキイキとしているのは気のせいだろうか。
 
「………アンタさぁ、何で騎士団に入ったの?」
 
 木の下に腰を下ろし、手渡されたサンドイッチを頬張りながら、ヒスカは素朴な疑問を口にする。
 
 団体行動が出来ない。自分の考えで勝手に動く。おまけに自分が認めた相手にしか敬意を払わない(ついでに、敬語も使えない)。はっきり言って、騎士らしい要素は皆無である。
 
 訊かれたユーリは、ランバートに干し肉を与えつつ、何故か得意気に肩を竦めて見せた。
 
「別に。他にする事もねーし、給料だけはいいし。それに俺、強いもん」
 
「あっそ」
 
 つまらない返答に、ヒスカはサンドイッチを口いっぱいに詰め込む。要するに、特に目的もなく力を持て余していただけ。
 
 別に、それが悪い事とは思わない。こんな御時世だ、金や出世の為に騎士になる者など珍しくもない。………いや、過半数がそうなのではないだろうか。
 
「(まあ、それだけじゃないんだろうけど)」
 
 これ以上訊いても応えない気がする。いや、むしろ建前しか応えなかった事を彼らしいと思い、ヒスカはこの話題を切り上げる。
 
「その“魔女”っての、本当にいるんでしょうね」
 
「さーな、何せ情報元があのおっさんだし。けど………少なくともエアルの話はホントだったみたいだしさ」
 
 試してみる価値はある。言葉にしなかった部分まで、ヒスカには伝わった。
 
「そいつがエアルをどうにかした犯人だってんなら、落とし前はつけてやんなきゃな」
 
「………言っとくけど、ヤバいと思ったら止めるわよ。あたしはその為について来てんだから」
 
 ギラギラと闘志を燃やすユーリに、ヒスカは一滴ひや汗を垂らした。
 
 魔女と言うのが、本当にこの一帯の魔物を暴走させるようなとんでもない相手なら、自分たちだけでどうにか出来るとは到底おもえない。
 
 「わかってるわかってる」と生返事をするユーリに果てしなく不安を感じる

 
 と、その時―――
 
「フンフン、ワン!」
 
 何かに気付いたランバートが、茂みの中に頭から突っ込んだ。そして……茂みから頭を抜いたランバートの口には、何か小さな宝石のような物が咥えられていた。
 
「……何だ、これ」
 
「魔導器よ。………多分、警戒用のね」
 
 一目見て、ヒスカはそれが何なのかに辺りをつける。おそらくは、この近辺に侵入者が入ったら反応するタイプの物。
 
「(なら、これ一つなわけない)」
 
 素早く結論づけて、ヒスカは左手の魔導器を起動させる。このテの単純な仕掛けなら、逆探知も容易なはずだ。
 
「ビンゴ」
 
 ヒスカが起動させた魔導器に反応して、そこかしこに隠されていた警戒用の魔導器が光を放つ。
 
 これを辿って行けば――――
 
「魔女ってのに、会えるわよ」
 
 ユーリが、パチンと指を鳴らした。
 
 
 
 
 魔導器の光を辿り、ユーリとヒスカ、そしてランバートは、そこを見つけた。
 
 街道からも騎士の見回りのルートからも外れたその場所に、一軒の小屋が建っている。
 
 結界の外に建っているだけで奇妙と言えば奇妙だが、他には特に変わった所は見られない、普通の小屋である。
 
「………こりゃ、ガセネタ掴まされたかな」
 
 ぽりぽりと頬を掻くユーリ。結界もない、柵や防壁も一切ない。こんな場所に人が住んでいるなど、普通ならまず考えられない。
 
「ちょっとユーリ、だから警戒しなさいってば!」
 
 無用心にずかずかと小屋に近づくユーリに、ヒスカが慌ててついて行く。
 
 警戒用の魔導器を反応させた以上、まず相手にはバレているはずなのだ。
 
 が―――
 
「(確かに、おかしいわね)」
 
 侵入者の存在に気付いていながら、迎え撃つわけでも、罠を仕掛けているわけでもなさそうだ。
 
 あんな、満足に武器を振り回す事も出来そうにない小屋の中で魔物に襲われたら、どんな達人でも一溜まりもないに違いない。
 
「(逃げられた、かなぁ………)」
 
 そんな憶測が、少しヒスカの足を軽くした。ノックもせずに小屋に踏み入るユーリの後ろに、黙って追従するほどに。
 
「……何だ、ここ?」
 
 扉を開けて、広がる光景にユーリは思わず足を止めた。
 
 足の踏み場も無いほど乱雑に散らかった本、本、本。何やら不気味な色の液体が入った試験管に、名称の解らない実験器具の数々。壁にはり付けられた奇怪な紋様。
 
 わざとらしいくらいに『魔女の家』である。しかし、肝心の魔女当人がいない。
 
「おーい、留守かー?」
 
 どう見ても誰もいない。半ばお約束としてユーリはそう言ったのだが―――
 
「―――――え」
 
 直後、ユーリは自分の目を疑った。乱雑に積まれた本の山から、小さな腕が緩やかな動きで生えたのだ。
 
 そこからは、完全に本能に突き動かされての行動だった。
 
「どろぼーはぁ………」
 
 ヒスカとランバートを脇に抱えて、いま入った扉から外に飛び出し、横っ飛びに地を蹴る。
 
「でていけぇーーーー!!!」
 
 そして、爆発。
 
「うおぉ!?」
 
「きゃああ!!」
 
「ワンッ!?」
 
 赤い炎が膨らみ弾けて、たった今ユーリたちが飛び出した扉を……というより、小屋の四分の一ほどを吹き飛ばす。
 
 もちろん、壁の向こう側にいたユーリたちごと、である。
 
「こんの……自分の家で滅茶苦茶やんなぁオイ!」
 
 瓦礫と木片を払い除けて、ユーリが飛び起きる。
 
 飛び起きたユーリの眼に、先ほど魔術をぶっ放した張本人の姿が映る。
 
 それが――――
 
「………子供?」
 
「ふぁ………誰?」
 
 ―――ユーリ・ローウェルとリタ・モルディオの、初めての出会いだった。
 
 



[29760] 4・『リタ』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/09/24 03:50
 
 フレン・シーフォは緊張していた。責任感の強い彼には珍しく、この場から逃げ出したいと思うほどに。
 
「(下を向くな! 僕は隊長の代理としてここに立っている! 毅然と、堂々と、胸を張っていなければ!)」
 
 心中で必死に己を奮い立たせてみても、湧き上がる冷や汗ばかりはどうしようもない。
 
 無理もない。右を向いても、左を向いても、とにかくどこを向いても、騎士団の隊長や評議員らが居並んでいるのだ。
 
 ついこの間まで一市井でしかなかった新米騎士が出席するには、あまりにも過ぎた式典である。
 
 与えられた責務は全うしようと思っている。しかし、こう思わずにはいられない。
 
 どうしてこうなった、と。
 
「(シゾンタニアは、今頃どうなってる………)」
 
 魔物の凶暴化による被害が増加するシゾンタニア。その援軍要請の書簡を届ける為に帝都・ザーフィアスに向かったフレンは、今、その王城で人魔戦争十周年記念式典に出席していた。
 
 本来出席するはずのナイレンがシゾンタニアに残ったとはいえ、これはあまりにもあまりな人選である。
 
「(こんなつもりじゃ、なかったのに)」
 
 いくら自分を戒めても、落ち着かない気持ちは消えない。見比べても仕方ないと知りつつ、視線は右に左に泳ぐ。
 
 しかし、そんな行為の中で、気付くものがあった。
 
「(あれ………?)」
 
 式典で騎士団が演説を行う最も近い位置。そこに、知っている顔を見つけた。
 
 山吹色の軍服、短い足に短い口髭。フレンも良く知る“小隊長”……ルブランである。
 
 無論フレンは、彼が隊長に昇進した話など聞いていない。そもそも彼が立っているそこは、並の騎士に勤まるような席ではない。
 
「(隊長首席が、いない………?)」
 
 フレンは知らない。そこに立つ者がいないのは、今に限った事ではないという事を。
 
 
 
 
 外壁の半壊した、まだ爆煙の冷めやらぬ小屋の中で、二人は無言で見つめ合っている。
 
「お前が、魔女?」
 
 本の山から気だるい動きで顔を出した少女を、ユーリはじっと観察してみた。
 
 黒のインナーの上に重ねた袖の無い赤い服を、腹部の帯で締めた服装。左右で違う丈長のソックス。右腕に巻かれた長いリボン。肩に届かない長さの茶色の髪、碧眼。
 
 そんな特徴を持った、可愛らしい“女の子”である。……そう、目の前にいる少女は、明らかにまだ小さな子供だった。
 
「(12……くらいか? さっきの魔術、こいつが使ったのか?)」
 
 イマイチ焦点の定まらない寝呆け眼が、徐々に意識を取り戻し―――
 
「あーーーー!!」
 
 覚醒と同時に、叫んだ。室内に広がる青空に目を見開いた少女は、次いで人差し指をユーリに突き付ける。
 
「あんた! 人ん家に何してくれてんのよ!」
 
「………いや、爆破したのお前だから。やっぱ寝呆けてたのか」
 
「へ?」
 
 キョトンと固まる少女に、ユーリは額を押さえて天を仰いだ。寝呆けたなんて理由で、危うく黒焦げにされるところだった。
 
「ったく、あのおっさん」
 
 今度は「ちょっと犬! 犬入れないでよ!」と喚いている忙しい少女を見ながら、ユーリはここにはいない男に苦情を漏らす。
 
 散々思わせ振りな情報をちらつかせておきながら、蓋を開けてみれば子供が一人いるだけと来た。
 
「何が魔女だか、とんだ貧乏くじ引かされちまったぜ」
 
 特に誰に向けたつもりもない、独り言だった。それに―――確かな応えが返る。
 
「魔女……それ、あたしの事?」
 
「気にすんな。胡散臭いおっさんの世迷い言だよ」
 
 少女の問いに、何でもない風に返すユーリは―――
 
「案外、世迷い言でもないわよ」
 
 返された言葉の意味が解らず、固まる。
 
「あたしはリタ・モルディオ。こう見えてもれっきとした魔導士だから」
 
 人差し指で自分の首を指す少女……リタ。そこに掛けられたアクセサリーの中心で、紛れもない魔核(コア)が光を発していた。
 
 ある種冗談のような空気が支配する中で、
 
「どーでもいいけど…早く、助けて………」
 
 棚の下敷きになったままのヒスカが、うめき声を上げた。
 
 
 
 
「なるほどね。それであたしの所に来たわけか……」
 
 ユーリ達がここを訪れるに到った経緯。魔物の暴走、植物の異変、そして謎のおっさん。それらの説明を胡坐をかいて聞いていたリタが、腕組みしつつ納得を示した。
 
「エアルの異常の事ならあたしも知ってるわ。元々、それが見たくてここに越して来たんだし」
 
「そんな奴ばっかだな………つーか、その為だけにこんな森に一人で住んでんのかよ」
 
 どこかで聞いたような言い分に、ユーリがボソリと呟く。
 
「肉眼でエアルの動きを観察できる場所なんて、そう滅多にあるもんじゃないのよ」
 
 信じられないといったユーリの疑問を、当たり前のようにリタは肯定する。肯定して、半ば独り言のように唸りだした。
 
「解んないのはそのおっさんよ。何であたしがここにいる事知ってたのよ。あ、言っとくけど、あたしが犯人ってわけじゃないからね!」
 
「わかってるよ、それは」
 
 そして、思い出したかのようにきっちり否定する。ユーリも、軽くそれを受け入れた。
 
 別段、レイヴンの情報に強い信憑性があるわけでもない。何より、思い返せばあの紙切れには魔女の居場所が描いてあっただけで、魔女が犯人だとは書いていなかった。
 
 「ここの人に相談しに行きなさいよ」と、そういうメッセージだったのだろうと、今はそう思える。
 
 そう、“ユーリは”。
 
「(こいつは、こういう奴なのよね)」
 
 相手が子供だと判った途端、今まで犯人と決め付けていた事や、ついさっき魔術で吹っ飛ばされた事をコロリと忘れているユーリに、ヒスカは白い目を向ける。
 
 それほど長い付き合いでもないヒスカだが、これくらいは判る。自覚があるかは知らないが、ユーリ・ローウェルは子供に甘いのだ。
 
「あなた、魔導士なんでしょ。なら、あたし達に協力してくれるわよね」
 
 協力するのが当たり前。そう言わんばかりに要請するヒスカ。
 
 魔導士とは通常、帝国魔導器研究所の研究員を指す。帝国直属の機関に所属している魔導士は、騎士団の要請に応える義務があるのだ。
 
 ………が、その物言いにリタは不快そうに眉を歪めた。
 
「何であたしが? 勘違いしてるみたいだけど、あたしもう帝国魔導器研究所の人間じゃないから」
 
「え? でもさっき魔導士って………」
 
「帝国が魔導器を独占してるから、結果的に魔導士=帝国の研究員って図式が成立してるだけ。別に帝国魔導器研究所に属してなきゃ魔導士じゃないなんてわけじゃないわよ」
 
 何やら難しい話の流れにユーリはついて行けない。が、ヒスカの最初の発言だけは解ったので、口を挟む。
 
「おいヒスカ。お前まさかこんなガキを巻き込むつもりかよ」
 
「…子供扱いしないでくれる?」
 
 挟んで、何故かリタの方から冷めた視線を受けた。どうやら、見た目にそぐわないプライドの高さをお持ちらしい。
 
「…………………一つ、条件があるわ」
 
 少し考えた後、リタは切り出した。その視線は、ヒスカではなくユーリに向いている。
 
「エアルが活性化してる原因がもし何かの魔導器だった場合、その対処は全てあたしに任せてもらう」
 
「隊長ならそれくらい任せてくれそうだけど……」
「じゃ、決まりね」
 
「おい、ちょっと待て。だからそもそもガキの出る幕ぎゃ……!?」
 
 提示された条件にユーリが曖昧に応え、それをリタがせっかちな了解で受け取り、なおも反論しようとするユーリの口をヒスカが塞いだ。
 
「(何すんだよ!)」
 
「(どっちにしたって、この子をこんな場所に残して行けないでしょ。とりあえずこのまま町まで一緒に行くわよ)」
 
 ただでさえ結界も防壁も無いこんな山小屋なのに、自業自得とは言え壁まで吹き飛んでしまった。
 
 騎士でなくとも、こんな場所に幼い子供を一人残して行くのは躊躇われる。
 
 小声で言い争う二人に構わず、リタは黙々と支度を始めた。
 
 支度と言っても、ポケットや帯に実験器具やメモ帳を突っ込み、背中の腰辺りに魔導書を一冊括り付けただけだが。
 
「相談、終わった? じゃ、行こ」
 
 最後にカチューシャの様にゴーグルを装着して、リタはさっさと先頭に立って歩きだす。
 
 その小さな背中を、ユーリとヒスカ、ランバートは……それぞれの気持ちを抱いて追い掛けた。
 
 
 



[29760] 5・『宮廷魔導士』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/09/21 10:14
 
 時を僅か、遡る。
 
 帝都・ザーフィアスの騎士団本部に到着したフレン・シーフォが、仰々しいまでに広い騎士団長室の中央で片膝を着いて頭を垂れていた。
 
 もちろん、騎士団長室で頭を下げる相手など決まっている。
 
 緩やかな深紅の軍服に身を包んだ銀髪の騎士団長……アレクセイ・ディノイア。
 
「………………」
 
 長い、沈黙。アレクセイが、無言で受け取った書簡を読んでいるだけの、決して長くはないだろう時間。
 
 だが、フレンにはそれが永遠にも感じられた。
 
「(もし、ダメなら………)」
 
 今、シゾンタニアがどれだけ切迫した状況にあるのか。現地で戦っていたフレンにはそれが良く判っていた。
 
 おそらく、いま町にいる部隊だけでは対処しきれない。そして……残された時間も長くはない。
 
 ここでもし、援軍を認めてもらえなければ………いや、“もし”など無い。
 
「(何がなんでも、説得してみせる)」
 
 自分が新米騎士である事も、これから大事な式典がある事も関係ない。やらなければならないのだ。
 
 そう、心の中で固く決意していたフレンだったが………
 
「……状況は判った。すぐに援軍を編成して向かわせよう」
 
 書簡を読み終えたアレクセイは、拍子抜けするくらいあっさりと承諾した。
 
「本当ですか!」
 
 出立前にナイレンが言っていた事もあり、こうも簡単に援軍を受け入れられるとは思っていなかったフレンは、弾かれるように顔を上げた。
 
「もちろんだとも。………ガリスタ」
 
「はい」
 
 そんなフレンに軽く応えて、アレクセイは斜め後方に控えていた男の名を呼ぶ。
 
 ガリスタと呼ばれたその男は、皆まで聞かずに部屋の出口に向かって歩きだした。
 
「(誰だ………?)」
 
 背中まで伸びた白金の長髪。足まで隠すほど長い紫のローブ。目元で光る眼鏡。
 
 とても騎士には見えない男の姿にフレンが抱いた懸念を読んだように、アレクセイが口を開いた。
 
「彼は軍師兼宮廷魔導士のガリスタ・ルオドー。シゾンタニアには、彼の編成した魔導士部隊に向かってもらう」
 
 言われた事の意味が、フレンの頭に少しずつ染みていき―――
 
「……今から、部隊を編成するのですか」
 
 理解、してしまった。有事に備えて常駐している騎士と違い、魔導士の本職は魔導器(ブラスティア)の研究。動けと言われてすぐに動けるとは思えない。
 
 フレンの表情が、言葉以上にその内心をアレクセイに伝えた。
 
「君の言いたい事は解る。事態は一刻を争う、動ける者が迅速に援軍に向かうべきだと言いたいのだろう?」
 
「いえ、それは……!」
 
 ここに到って、忘れていた畏縮がフレンを縛る。援軍要請が通った今、先ほどまでのガムシャラな熱意は行き場を失って彷徨っていた。
 
「ナイレンの報告書を見る限り、これはエアルの異常が引き起こした災害だ」
 
 ―――全てを見透かすような琥珀色の瞳が、フレンの眼を捉えた。
 
 
 
 
「はっ!」
 
 一振り。左の剣が狼型の魔物を斬り裂く。その動きの延長で放られた剣が、中空を回転しながら短い放物線を描く。
 
 さらに二体。植物と蜂の魔物がユーリに襲い掛かる………が、
 
「よっ、と」
 
 ユーリは放り投げた剣を右手で掴み、二体まとめて両断した。
 
「……あんた、滅茶苦茶な戦い方するわね。ホントに騎士?」
 
「こーいう奴なのよ」
 
 完全にギャラリーと化していたリタとヒスカが、それぞれ感想を漏らす。
 
 ユーリは、戦いの最中に剣を手放す、放る、持ち換える。かと思えば、剣を使わず魔物だろうとお構い無しに殴り飛ばす。
 
 剣術と言うよりは……刃物遊びと呼んだ方が正しいだろうか。
 
「あのな……見世物じゃねんだぞ」
 
「あんたが邪魔で魔術が使えないのよ。魔物と一緒に焼いていいなら別だけど」
 
 列の先頭をユーリとランバートが進み、後方をヒスカが守り、その間をリタが歩く。
 
 これはもちろん“子供”を護る為の布陣なのだが、当の護衛対象からは随分と不評である。
 
「はぁ……失敗したかな。別に一人でも問題無かったのよね」
 
「そう言うなよ。下町の税金泥棒よりは役に立つぜ、俺ら」
 
 ナマイキ極まるリタの言葉に、ユーリはランバートの頭を撫でておどけて見せる。子供の背伸びにいちいち腹を立てるほど、度量の小さい人間ではない。
 
「そうよ。シゾンタニアの騎士団が総掛かりでも解決出来ない問題なんだから」
 
「頭数そろえれば良いってもんじゃないわ。特に、今回みたいなケースはね」
 
 本当に一人で何とかしようとされたらたまらないと思って諫めるヒスカだが、リタは意味深に人差し指を軽く振る。
 
 自分の身の安全の為にも、今のシゾンタニアがどういう状況下にあるのか説明しようとして―――
 
「……煙?」
 
 硬直した。町のほど近くから立ち上る、細く黒い一筋の爆煙を視界に認めて。
 
「くそっ、何かあったのか!」
 
 リタの視線を追って異変に気付いたユーリが、ランバートと共に一目散に駆け出す。
 
「ちょっと! あんたまた勝手に……!」
 
「悪ぃヒスカ! そいつ頼むわ!」
 
「もぉ!」
 
 ユーリとヒスカのいつものやり取り。それを脇に置いて、リタは煙とは別のものを見つめていた。
 
「(結界が、おかしい…………?)」
 
 巨大な双刃の斧を模した―――シゾンタニアの結界魔導器(シルト・ブラスティア)を。
 
 
 
 
 真っ先にユーリの眼に映ったのは、転倒して火を上げる馬車。
 
 次いで、その馬車に群がる数多の魔物。その魔物と交戦するナイレンを初めとしたシゾンタニア部隊。
 
 そして、馬車の影で震えながら人形を抱き締めて眼を瞑る小さな女の子。
 
「どけよ」
 
 吹き抜ける風の様な動きで、ユーリは足を止める事もなく駆け抜け―――
 
 剣に描かれた光の軌跡が、道を阻んだ魔物をついでの様に四散させる。
 
「ランバート!」
 
「ワンッ!」
 
 駆けるユーリの眼に、崖の上から女の子に飛び掛かる複数の狼が映った。
 
 隣を走るランバートに一声掛けて、ユーリは高く跳ぶ。
 
「きゃあ!」
 
 中空で狼を斬り裂いたユーリが着地する頃には、ランバートが女の子を掬うように背負って走り去っている。
 
 ランバートはそのままナイレンの許へと辿り着いたものの……ユーリは些か目立ち過ぎたようだ。
 
「……こりゃ、ちょっとヤバいかな」
 
 後先考えずに一直線に斬り込んだ結果、ユーリは魔物の群れのど真ん中で孤立してしまっていた。
 
「ユーリ! 早くこっちに……っ!?」
 
 魔物の討伐に参加していたシャスティルが、魔導器で援護しながら呼び掛けようとした……瞬間、横合いの茂みから、巨大な蛇とも蚓とも似つかぬ液状の魔物が飛び出した。
 
「シャスティル!」
 
 寸での所で、ナイレンの剣がその魔物を弾く。苦痛に喘ぐ魔物が暴れ、フェドロック隊の騎士団を蹂躙する。
 
 そして頼みの綱を失ったユーリは、今度こそ本当の孤立無援に陥った。
 
 というより、今この瞬間にも際限なく魔物がユーリに飛び掛かっている。
 
「ったく、こんな町の近くにまで……!」
 
 翻った剣が狼の首を飛ばし、突き出した拳が猪の頭蓋を砕き、足下から迫る大蜥蜴が踏み潰される。
 
 新米騎士とは思えない獅子奮迅の勇猛ぶりを発揮するユーリだが、如何せん数が違い過ぎる。
 
「とわっ!?」
 
 全方位からの断続的な襲撃に、対処が追い付かない。飛び来る魔物に気を取られたユーリは、足下の魔物の亡骸につまづいてバランスを崩し―――
 
「(やっべ……!)」
 
 致命的な隙を作った。だからだろうか。
 
「伏せ!!」
 
 微かに耳に届いたふざけた言い方の指示に、やけくそ気味に従ったのは。
 
「っ……!」
 
 うつ伏せで地面に倒れた完全無防備な状況。敵も見えず、抵抗も出来ない、息を呑む一瞬の緊迫は―――
 
「うおおぉおお!?」
 
 文字通り、吹き飛ばされた。ユーリを囲んでいた魔物ごと、燃え盛る炎の爆発によって。
 
 余波でユーリが町の外壁の堀に落ちそうになっているのはご愛嬌である。
 
「何だよ、今のは……」
 
 顔を上げたユーリは、目にした光景に続く言葉を失った。
 
 あれだけ蠢いていた魔物が、今の一瞬で大幅にその数を減らしている。
 
「一人でも問題ない、って言ったでしょ」
 
 何より、たった一人でそれを成し遂げた小さな少女に。
 
「リタ……」
 
「さ、派手に吹っ飛ばすわよ」
 
 高く手を振り上げたリタの周囲で、数多の火球が踊る。
 
 
 



[29760] 6・『結界魔導器』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/09/22 19:34
 
 高々と天に向けられた掌が、魔導器(ブラスティア)によってエアルから変換された火のマナを制御する。
 
「“揺らめく焔 猛追”」
 
 炎が踊る。詠唱の助けを受けてマナを喰らい、火球は一際強い輝きを放ち――――
 
「『ファイアボール』!!」
 
 解き放たれた言霊によって、飛来する数多の火炎弾となって魔物の群れへと降り注ぐ。
 
「マジかよ、おい!」
 
 爆炎に巻かれてみるみる内に魔物が燃え散る光景の中に、必死に巻き添えから逃げ回るユーリの姿もあった。
 
「俺まで殺す気か!」
 
「“子供の”魔術なんて、簡単に避けられるんでしょー」
 
 わざとらしくそっぽを向きつつ、リタがしれっと言ってのける。どうやら、道中で子供扱いされ続けた事をずっと根に持っていたらしい。
 
 何となくそういう性格なんじゃないかとは思っていたが、この威力は……。
 
「(魔術って、こんなに強いもんなのか……?)」
 
 ユーリも、同じ隊の仲間が使うファイアボールを見た事はある。だが、それは一度の発動で一つの火球を生み出すのみ、威力もせいぜい魔物一匹を仕留める程度だったが……リタのそれは文字通りに桁が違う。
 
 二、三匹の魔物をまとめて焼き払う火球を、十は同時にぶっ放していた。
 
「(……とんでもねぇガキだな)」
 
 内心でリタの評価を大幅に修正しながら、しかしユーリは状況がまるで好転していない事を知る。
 
「結界が………!?」
 
 ヒスカの驚いた声に釣られて、町に向けられた視界に映ったのは………
 
 先ほどの液状の魔物に食い破られる、シゾンタニアの結界の姿だった。
 
「嘘だろ、何であんな簡単に!」
 
 食い破られた箇所から、水の染みた紙のように結界が霧散していく。
 
「離……れろぉぉ!!」
 
 ナイレンは蚓の魔物に剣を突き立て、結界から引きずり戻す。……だが、既に結界は破られている。
 
「上がやばい!」
 
 結界が無くても城壁がある。こうして騎士団も動いている。地上の魔物はそう簡単には近寄れないが、空は違う。羽を持つ虫や鳥型の魔物は、城壁を越えて容易く町に侵入出来る。
 
「ちぃっ……!」
 
 小さく舌打ちを零して、リタは両の手を腰溜めに構えて空を睨むが―――
 
「リタちゃん!」
 
 死に損なっていた大蟹がその隙を突いて鋏を振るった。咄嗟にヒスカに腕を引かれて、リタの詠唱は中断される。
 
「このっ、邪魔すんな!」
 
 リタは右手を背に回し、筒状に巻いた帯を取り出した。解かれた帯は蛇の如く伸び、刃物のように魔物の体を二つに割る。
 
「あっ!」
 
 リタは眼前の魔物に手一杯、ユーリはそもそも遠距離攻撃の手段を持ち合わせていない。フェドロック隊の魔術やボウガンが空を切る中……羽を持つ魔物が次々と町へ向かって飛んでいく。
 
 どうする事も出来ない。
 
 そう、誰もが己の無力を呪ったその時―――
 
「ギッ!?」
 
 町に向かって飛んでいた蜂型の魔物の体を、一本の矢が貫く。
 
「………誰だ」
 
 矢は町の方から飛んで来た。フェドロック隊のボウガンではない。
 
 ユーリがそう思うと同時に、城壁から放たれる矢は雨となって降り注ぎ、空を飛ぶ魔物を一匹残らず射ち落として行く。
 
「頑張ってよ青年。おっさん、あんまり目立ちたくないんだから」
 
 誰もいないはずの城壁の上で、無駄に派手な紫の羽織が風に揺れていた。
 
 
 
 
「はい、終わり!」
 
 腕を一振り、リタは手にした帯を瞬時に巻き取る。それがこの局面での決着を示す合図となった。
 
「(つーかこれ、ほとんどリタ一人でやったよな)」
 
 ほんの少し前までは魔物だった灰を見下ろしながら、ユーリは見直すのを通り越して呆れた。
 
 随分と恐ろしいお子様を保護したものだ。
 
「隊長! どうなった!」
 
 それはそれとして、状況を確認しようとナイレンの許へと駆け寄ろうとした……その時―――
 
「っ、ランバート?」
 
 低い影が一つ、森の中へと飛び込んだ。
 
「隊長、今ランバートが……」
 
「……マルコスとショウが魔物を追った。ランバートはそれを連れ戻しに行っただけだ」
 
 言葉とは裏腹に、ナイレンの表情は曇っている。だが既に怪我人どころか、死人まで出ているのだ。
 
 安易にランバートを追うわけにはいかない。これ以上犠牲者を増やすわけにはいかない。
 
「俺が連れ戻して来る!」
 
 そんな事はお構い無しに、ユーリは迷いなく地を蹴った。誰が止める暇もなく。
 
「あのバカ!」
 
 その背中を、誰より早くヒスカが追い掛ける。そのヒスカを追おうとしたシャスティルの腕を、ギリギリでナイレンが掴んだ。
 
「ユルギス、ここは任せた。俺は二人を追……っ!?」
 
 そして、副隊長にこの場を任せ、二人を連れ戻そうと身を乗り出したナイレンの……首が絞まる。
 
「あんたがこの街の責任者?」
 
 後ろからマントを引っ張る、小さな少女によって。
 
「あたしを結界魔導器(シルト・ブラスティア)の所まで案内しなさい。ある程度の権限が無いと、近寄れない様になってんでしょ」
 
 少女の指さす先に聳えるのは、本来の役割を忘れて沈黙を貫く、巨大な双刃の斧。
 
 
 
 
 結界魔導器は、町とそこに住む人全てを守る要。故にこそ、どの町だろうと誰にでも触れる事が出来るようには出来ていない。
 
 このシゾンタニアも例に漏れず、結界魔導器の制御室への入室には騎士団隊長であるナイレンの許可が不可欠だった。
 
「さっきの暴れっぷりといい、お嬢ちゃん一体何者だ?」
 
「通りすがりの天才魔導士」
 
 そして今、シゾンタニア騎士団本部の地下から繋がる長い地下道を、リタとナイレンは早足に進んでいた。
 
「………えらく不安なんだが」
 
「言ってくれるじゃない。あたしを誰だと思ってんの!」
 
「……だから、誰なんだよ」
 
 シゾンタニア部隊の数は、決して多くない。一刻も早く結界を復活させる事が最優先事項だ。
 
 ……と、自称天才魔導士であるリタが強行に主張して、今このような状況に到っている。
 
 傍目にはただの生意気な子供にしか見えない。普段なら素直に通しはしないのだが、先ほど見せたリタの魔術と、何よりもこの切迫した状況が、ナイレンに大胆な選択をさせていた。
 
「さっきの、単純にあの化け物の力で結界が破られたわけじゃないわ」
 
「って事は、やっぱエアルか?」
 
「おそらくね。あたしが遠くから見た時にはもう、かなり不安定になってたから」
 
 やがて重々しい金属の扉に差し掛かり、その中心で光る魔核(コア)に、ナイレンは自分の魔導器をかざした。
 
 互いの魔核に刻まれた術式が反応し合い、扉はゆっくりと開きだす。
 
「直せるのか?」
 
「とーぜん! 魔導器相手なら死ぬ気でやるわよ!」
 
 右手で頼もしくガッツポーズなど取ったリタが、まだ開ききっていない扉の狭い隙間から、ナイレンを差し置いて潜り込む。
 
 落ち着きの無い猫のようである。
 
「…………………」
 
 やはり、そこはかとなく湧き上がる不安を隠せず、ナイレンも扉の中へと足を踏み入れた。
 
 その先に、ある。壁にしか見えないほど巨大な筐体(コンテナ)の中心に、遥か高みの魔核に続く制御盤がある。
 
 そして、リタはと言えば―――
 
「(……何やってんだ)」
 
 制御盤に触れるでもなく、術式を展開するでもなく、ただ筐体に額を当てて眼を瞑っている。
 
「うん…うん……そう………」
 
「おい、結界はどうな……」
「うるさーい! 集中してんだから邪魔しないでよ!」
 
 何やらブツブツと呟いているリタに話しかけたらば、烈火の如く怒られた。
 
 仕方ないので、門外漢のナイレンはおとなしく見ている事にする。
 
「やっぱり、高濃度のエアルに過剰反応して制御が利かなくなってるわ」
 
 言って、リタは右手を鋭く横に振った。そこに、制御盤より遥かに緻密な制御術式が展開される。
 
「待っててね、今すぐ治してあげるから」
 
 リタの十指が素早く動き、術式を介して結界魔導器に干渉していく。ナイレンには何をしているのかさえ解らないが………
 
「(……魔導器に話し掛けてんのか?)」
 
 とりあえず、自分が話し掛けられているわけではなさそうな事は判った。
 
「これを…こうして…こう…!!」
 
 リタの指が、目で追えないほどに加速する。その終端にパチンッ! と人差し指を弾き―――
 
「もういっちょ!」
 
 仕上げとばかりに、リタを取り巻いて術式が何重にも展開され、次の瞬間には硝子のように砕け散って筐体に吸い込まれていった。
 
 そして―――
 
(ヴ…ン……)
 
 地下室の中でもハッキリと、何かの力の脈動が聞こえた。
 
「終わったわよ」
 
 “穏やかに頬笑んで”リタはそう告げた。無論ナイレンに対してではなく、結界魔導器の筐体に優しく触れながら、である。
 
「あくまでも抑制術式を使った応急措置。このままエアルが増加し続けたら、今後はこの程度じゃ済まないわ」
 
 そこでようやく、リタはナイレンに向かって振り返った。その表情には先ほどの頬笑みは残滓すら無く、完全に常の無関心さを取り戻している。
 
「まぁ、何にせよ助かった。ありがとよ」
 
「お礼を言うには、ちょっと早いと思うんだけど」
 
 予想外の助っ人の活躍によって、シゾンタニアは一時の安全を保障される。
 
 しかし……町の至近での魔物の暴走、見た事もない液状の化け物、そして結界の消滅。
 
 破滅の足音は、もうすぐそこにまで迫って来ていた。
 
「………ユーリ達は、無事だろうな」
 
 ――――黄昏の森の中で、悲痛な鳴き声が木霊した。
 
 
 



[29760] 7・『遺跡調査隊』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/09/24 03:51
 
 高い草の生い茂る山の中で、ヒスカと背中合わせに剣を構えている。
 
「……平気か?」
 
「……大丈夫」
 
 ヒスカの返事は、微かに震えていた。その赤い髪をさらに濃く染める鮮血は、彼女のものではない。
 
 ―――喰い千切られた、仲間の返り血。
 
 気を抜いて隙を見せれば、自分たちもそうなる。
 
「………悪ぃな。こんな事に付き合わせちまってよ」
 
「………謝らないでよ、あんただけの問題じゃないでしょ」
 
 ヒスカの小さな詠唱が、耳に届く。肉体的ではない疲労で乱れた呼吸が、少しずつ重なっていく。
 
「(来る)」
 
 研ぎ澄まされた第六感が、次なる襲撃を嗅ぎとる。常人ならば拾えない微かな草の音に、“敵”の存在を知った。
 
「ヒスカ!」
 
「『フォースフィールド』!」
 
 不意の急襲。最も警戒すべき初撃を、ヒスカの結界が跳ね返した。
 
 姿を現した敵は、先ほど町の結界を破った、身体中から無数の血蛇を生やした蚓の化け物。
 
 だが……それだけではない。
 
「………ランバート」
 
 その先端から、三匹の犬の上半身が生えていた。彼らもまた、フェドロック隊の仲間。
 
 しかしその眼は深紅に狂い、その口は人間の……仲間の血で染まっていた。
 
「…………………」
 
 こんなに剣を重く感じるのは初めてだ。足も、体も、何もかもが酷く重い。
 
「ランバートォ!!」
 
 地を蹴って駆け出す。剣の柄を強く握り締める。決して放さないように、気持ちが揺れてしまわないように。
 
 そして――――
 
「…………………」
 
 刃を振り抜く瞬間に、“夢から覚めた”。
 
「………あー、寝ちまったのか」
 
 もうすっかり慣れてしまった獣臭さ、足下に敷かれた芝草、そして自分の傍で丸くなっている……ランバートの子。
 
「迷子か? 子供は寝る時間だぜ」
 
 上半身だけ起こして、ユーリは馬小屋の入り口でこちらを見ている少女に声を掛けた。
 
 彼女が近づいて来る気配で目覚めたのだから、気付いているのは当然だ。
 
「………あの犬の、子供?」
 
「ああ、ラピードって言うんだ」
 
 少女……リタは、少し遠すぎる程度の位置にしゃがみ込み、ラピードの寝顔を覗く。
 
「犬、苦手なんじゃなかったのか?」
 
「………何でそう思うわけ?」
 
「お前ん家にランバートが入った時、嫌がってたろ」
 
 よく覚えてるわね、と肩を竦めて、リタは恐る恐るラピードに手を伸ばし、お腹に触れる。
 
「これくらいの大きさなら、平気」
 
 と言いつつ、リタの手つきは不自然にぎこちない。
 
「あの隊長なら、ヒスカって人の所に行ってるわよ。……謝らなくていいって言ってた」
 
「……わざわざそれ伝えに来たのか、お前」
 
「それと、もう一つ」
 
 これまでユーリの顔を見ようとしなかったリタが、そこでユーリに向き直る。その瞳に、窺うような真剣さがあった。
 
「エアルによる精神汚染は、生物すべてに起こり得る。……もちろん、人間にも」
 
「……次は人間がああなるかも知れないって事か。ご忠告どうも」
 
 しかしユーリは、両手を頭の後ろで組んで横になる。予想に反していい加減な態度に、リタは呆れて頬杖を着いた。
 
「あんたねぇ、ホントにあたしの話 理解したの?」
 
「どっちにしたってやる事は変わらねーんだ。沈んでたって良い事ないもんな」
 
 やる事は決まってる。この期に及んで平然と言ってのけるユーリに、リタは何だか馬鹿馬鹿しくなって立ち上がる。
 
 クスッ、と、小さな含み笑いが聞こえた。
 
「……なに笑ってんのよ」
 
「いや? 天才魔導士様は意外とお優しいな、と思ってさ」
 
「……何それ、馬鹿っぽい」
 
 リタはユーリに背を向ける。ユーリもリタに背を向けて寝返りを打った。
 
 さっさと寝ようと一歩を踏み出してから……リタは一度だけ振り返る。
 
「あんた……そのままここで寝るつもり?」
 
「結構寝心地いいんだぜ、ここ」
 
「そ、勝手にすれば」
 
 背を向けたままひらひらと手を振るユーリを残して、リタは今度こそ馬小屋を去った。
 
 わざわざ芝草にまみれて眠る青年の背中に、ぬくもりを求めて仔犬が寄り添った。
 
 
 
 
「と言うわけで、結界はいつまた破られるか判らない。はっきり言って、もう一刻の猶予も無いと思った方がいいわ」
 
 シゾンタニア騎士団本部の作戦会議室で、リタが皆を見渡して机を叩いた。
 
 十二歳そこらの小柄な少女がリーダー面で仕切っている光景は、いっそシュールですらある。
 
「だな、これ以上ぐずぐずしてらんねぇ。今すぐにでも原因を探りに出るべきだろ」
 
 リタの言葉に、ユーリも身を乗り出した。こういう時にブレーキを掛けるのは、ヒスカの役目である。
 
「それが出来ないから、隊長は帝都に援軍を要請したんでしょ」
 
「その事なんだけど……多分、待っても無駄だと思う」
 
 しかし、ヒスカの忠告はリタによって否定される。
 
「今回の事件は、エアルの異常発生が原因で起こってる。いくら人数を集めても意味ないわ」
 
 言葉の意味が解らず、ヒスカに限らず隊の全員が首を傾げた。リタはめんどくさそうに頭をかく。
 
「高密度のエアルは人間にも悪影響を与えるの。知性が低いぶん魔物の方が暴走しやすいけど……人間でも同じ事が起きる」
 
 その説明に思い出されるのは、昨日の……魔物のようになってしまったランバート達。
 
「数を増やしたところで、同士討ちの危険性が増すだけ。……ここにいるメンバーも、もっと数を絞った方がいい」
 
 リタは説明を続ける。人間だけでなく、魔導器(ブラスティア)も暴走する。魔導器に頼る者、エアルへの適応力が低い者は連れて行けないと。
 
「あんたらの調査とあたしの研究。両方のデータを照らし合わせると、エアルの拡大範囲は、こう」
 
 言って、リタは机の上の地図にペンで印をつけて、それを大雑把な円で囲んだ。
 
 円の中心には、ここら一帯で一番大きな湖があり、さらにその中心には遺跡がある。
 
「湖の、遺跡か」
 
 ナイレンの呟きに、リタが頷きで応えた。机に腰掛けていたユーリが立ち上がる。
 
「俺は行くぜ。魔導器も持ってないしな」
 
「はい、採用」
 
 リタがユーリに合格サインを出し、それを皮切りに皆が名乗りを上げ、メンバーの選抜が始まった。
 
 そんな中で―――
 
「少数精鋭、ね」
 
 ナイレンが一人、小さく呟いた。
 
 
 
 
「「………………」」
 
 すっかり活気の衰えたシゾンタニアの町中で、やけに艶やかな空間が空気を読まずに展開されている。
 
「……何してるんだろ、あたし達」
 
「考えたら負けって感じがするわ」
 
 普段はポニーテールにしている赤い髪を下ろし、ピンクのドレスに身を包んだヒスカが、同様に水色のドレスに身を包んだシャスティルにぼやいた。
 
 別に選抜にあぶれて遊んでいるわけではない。これもあくまで作戦なのである。
 
 正確には、ユーリ発案ナイレン公認の……超がつくほど馬鹿げた作戦だ。
 
「「(こんなので出てくるわけないでしょーが)」」
 
 艶やかな双子姉妹は揃って内心で溜め息をついた。あくまでも内心の事であり、今も彼女らの顔には眩しいばかりの微笑みが満ちている。
 
「おう姉ちゃん、こんな昼間っから暇そうだな」
 
「俺たちと一緒に遊ぼうぜ?」
 
 そして、そんな双子姉妹に絡んで来る軽薄そうな二人の男。この茶番も、本日三回目である。
 
 こんなので来るはずない。来たらおかしい。むしろ来んな。
 
 そんな事を思いながら、か弱い乙女を演じて眉を八の字にする双子の前………と言うより、男二人の背後に―――出た。
 
「おいおい あんちゃん達。女の子を誘うにしては、ちょっとばかし品が無いんじゃないのかい?」
 
 無駄に芝居がかった仕草で無精髭を撫でつつ、男の肩を掴む………紫の羽織を着たおっさん。
 
「お嬢さん方、この俺が来たからにはもうご安心を。君たちに指一ぽ………」
 
 ちなみに、この軽薄そうな二人の男。私服を着た隊の仲間だったりする。
 
 歯の浮くようなレイヴンのセリフはそれ以上つづかず―――
 
「「せーの……」」
 
 物陰に隠れて様子を窺っていたユーリとリタの―――
 
「どぎゃんっ!?」
 
 同時に繰り出された鉄拳と魔導書の一撃を受けて、いい感じに地面にめり込んだ。
 
「こいつが例のおっさん?」
 
「……ほとんど洒落だったのに、マジで出て来んだもんなぁ」
 
 パンパンッと手を叩くユーリの肩に、ヒスカの手が伸び―――
 
「………洒落?」
 
 ユーリの頬に紅葉が咲いた。そんな、ある意味で頼もしい光景を目の当たりにしながら、ユーリと同様に隠れていたナイレンはレイヴンに歩み寄る。
 
「……まさかとは思ったが、本当にお前さんだったとはな」
 
「………見逃してもらえません?」
 
 少数精鋭、最後の一人がここに揃う。かくて、湖の遺跡に向かう調査隊のメンバーが決定したのだった。
 
 
 



[29760] 8・『エアル伝導率』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/09/25 06:37
 
「いやホント、勘弁してよ。だって美人双子よ? ここで逃したらこんな機会一生ないと思うじゃない!」
 
「こないだ会ったばっかだろーが。つーか勝手に人に飯代おしつけて逃げやがって」
 
「ちゃんと天才魔導少女にも会えたみたいだし、それでチャラにしてくんない?」
 
「そうよ! おっさん何であたしん家 知ってたのよ!」
 
「仕事柄、結構お耳が早いのよね俺様」
 
「ふざけてんの?」
 
 レイヴンを捕獲した後、連行先の隊長室でやかましく口論しているユーリ、リタ、そしてレイヴン。
 
 その光景を煙管を吹かせながら見ていたナイレンは、煙と一緒に吐息をはーっと吹き出した。
 
 そして一撃、ユーリの頭に拳骨を落とす。
 
「っ~~~いってーな隊長!」
 
「お前は遊んでないでさっさと出発の支度して来い! 集合に遅れたら承知しねーぞ!」
 
 背中を叩かれて慌てて駆け出すユーリを見送ってから、ナイレンはリタに向き直る。
 
「嬢ちゃんは、もっかい結界魔導器(シルト・ブラスティア)見て来てくれ。俺たちが留守の間に町がどうにかなっちまったら意味がねえ」
 
「うー………わかったわよ」
 
 至極もっともなナイレンの言葉に、リタはいかにも渋々と了解した。去りぎわにレイヴンを睨み付けるのは忘れない。
 
 そうして漸く、部屋の中はナイレンとレイヴンの二人だけになった。
 
「座れよ」
 
 椅子に座って、ナイレンは二人分のグラスにワインを注ぎだす。促されて、レイヴンは後ろ手に掛けられた手錠をいとも容易く外した。
 
「二年も姿を消してやがって、とっくに死んじまったと思ってたよ」
 
「大分イメチェンしたつもりなんですけどねー。やっぱり解っちゃう?」
 
「見る奴が見りゃな」
 
 二人、差し上げたワイングラスを軽くぶつけて乾杯をする。それが何を祝しているのかは、当の二人にもまだ判らない。
 
「お前さんが姿を見せたのは、俺が“元”親衛隊だからか……“首席殿”?」
 
「そう穿った見方しないでちょうだいよ。俺様、単にそちらさんの美人双子にメロメロなだけなんだから。………それと、今の俺はレイヴン。そこんトコよろしく」
 
 “かつての姿”とあまりに違う。ワインを呷ってからビッ! と目の上で二本指を立てる男の姿に、ナイレンはやや肩を竦めた。
 
 気にならないと言えば嘘になるが、今は二の次である。
 
「まあ、そういう事なら細かい詮索はよしとくか。……なあ、隊長首席殿?」
 
「………いや、だからレイヴン………」
「かなり厄介な事になってて困ってるんだよなぁ、シュヴァーン隊長?」
 
 広い隊長室の中に、寒々しい風が吹く。
 
「団長閣下にチクられたくなきゃ手伝えや」
 
「………誠心誠意お手伝いさせて頂きます」
 
 おっさんの眼から、摂取したばかりの水分がさめざめと流れ落ちた。
 
 
 
 
 結界の外へと続く城門の前に、選ばれた六人。内四人は、このシゾンタニアを守護するフェドロック隊の騎士。
 
「絞るとは言ったけど、まさかたったこれだけなんて……」
 
「……て言うか、このメンバー何を基準に選んでるわけ?」
 
 シャスティル・アイヒープ。ヒスカ・アイヒープ。
 
「エアルの適応力がどうとか……。細かい話は嬢ちゃんにしてくれぃ」
 
「いいんじゃねーの。どうせ町を空にするわけにゃいかないんだしよ」
 
 ナイレン・フェドロック。ユーリ・ローウェル。
 
 そして、協力者として同行する者が二人。
 
「これでも譲歩したつもりよ。文句あるなら、そっちの双子も居残り組で構わないけど?」
 
「えーっ!? それはダメ、絶対! おっさんのモチベーションが著しく下がる!」
 
 魔導士のリタ・モルディオ。そして謎の男・レイヴン。
 
 そう……この六人がエアルの発生源と目されている湖の遺跡へと向かう。この、たった六人で。
 
「ユルギス。町の方は頼んだぞ」
 
「………御武運を」
 
「また結界が不安定になるようなら、今度は迷わず結界魔導器(シルトブラスティア)を停止して。……最悪の事態を避けたいならね」
 
 副隊長のユルギスに、ナイレンとリタがそれぞれ言い残す。
 
 この町を守る。騎士団の一番大切な役目を、彼は託されたのだ。
 
 そして、ナイレンら六人もまた、命懸けで役割を全うする。
 
「さっさと行きましょ。早くしないと、帰る頃には日が暮れちゃうわ」
 
 リタに促され、フェドロック隊の敬礼に見送られながら、ナイレン達が城門を抜けようとした。
 
 その時―――
 
「お……?」
 
 それまで無人であるかの様に静まり返っていた町に、音が蘇る。
 
 次々と家の扉や窓が開いて、シゾンタニアの人々が姿を現した。
 
 皆が皆、一様に心配そうな顔をしている。そこには、結界や自分たちの保身だけではあり得ない色があった。
 
「おいおい、随分おおげさな見送りだな」
 
 皆の不安も、これから行う事の危険も、百も承知でナイレンは笑った。
 
 どこまでも豪胆に、見る側の不安をも吹き飛ばすほどの力強さで。
 
「ちょっと行って来るわ!」
 
 皆の張り詰めた顔が、自然と綻ぶ。「きっと大丈夫」、そう思わせる事が出来るのが、ナイレン・フェドロックという男だった。
 
「………これだけ町の人に信頼されてる騎士団ってのも、珍しいわね」
 
 誰に言うでもなく、リタはポソリと呟いた。脳裏の奥に蘇る苦い記憶との相違が、何とも言えない複雑な気分にさせる。
 
「ん………?」
 
 そんなリタの視界の隅に、民衆の方に駆け寄るユーリが映った。
 
 しゃがみ込んで頭を撫でているのは、昨日 馬車から助けた小さな少女だろうか。何とも似合わない優しげな笑顔で元気づけている。
 
「(…………………まさか、あたしも似たような眼で見てんじゃないでしょうね)」
 
 当たって欲しくない仮説を頭を振って追い払い、リタは昨夜のユーリを思い出す。
 
「(あたしは……どうするのかな……)」
 
 もしこの事件の原因が魔導器だったなら……。
 
 決断の時が自分にも迫っている事を、リタは心のどこかで確信していた。
 
 
 
 
「はあっ!」
 
 ユーリの剣が狼を両断する。
 
「このっ!」
 
 ナイレンの剣先が猪の眉間を貫く。
 
「『魔神剣』!」
 
 ヒスカの剣が振り上げられ、軌跡に沿って放たれた衝撃波が大蟹の鋏を砕く。
 
「シッ!」
 
 そのヒスカの死角に迫っていた複数の蜂を、レイヴンの矢が残らず射落とす。
 
「『フォースフィールド』」
 
 シャスティルが結界を張ったのを見計らって、リタが詠唱を終えていた魔術を解き放つ。
 
「『ファイアボール』!」
 
 降り注ぐ火炎弾が結界の外で爆ぜ、立ちふさがる魔物を悉く灰にした。
 
「つーか おっさん、よくこんな危ない仕事 引き受ける気になったな。見返りも無しにやる気だすタイプにゃ見えねーけど」
 
 戦闘に一段落の終着を見て、戯れに剣を放り投げながらユーリはレイヴンに訊ねる。
 
「あ、エアルの発生源に興味あるとか言ってたっけ?」
 
「いやー、それがねぇ………思った以上にエアルの増加が激しいし、もしお目当てのブツだったとしてもこんなヤバい代物 持って帰れないし。青年達に任せてバックレる気 満々だったのよねぇ」
 
「なら何でついて来たんだよ」
 
「おたくらの意地悪な隊長さんのせいだわよ」
 
 子供のように不貞腐れるレイヴンの言葉に、ユーリはナイレンを見てみる。思い返してみれば、あの切迫した状況でレイヴンを探そうと言い出したのもナイレンだった。
 
「隊長、もしかして知り合いか?」
 
「つまんねー話さ」
 
 ナイレンに聞いてはみても、はぐらかされるだけ。ユーリもあっさりと「まぁいいか」と諦める。
 
 どんな事情があったとしても、レイヴンの全身から滲み出る胡散臭さが薄れる事は無さそうだ。
 
 一方、後列ではガールズトークに花が咲いていた。
 
「リタちゃん、隊長や、魔導器もってないユーリは解るけど、どうしてわたし達を選んだの?」
 
 訂正。そんな華やかな会話ではなかった。やや自信なさげなシャスティルが、おずおずとリタに訊ねる。
 
 アイヒープ姉妹より腕が立つ者、魔術を扱える者も、“居残り組”には確かにいた。
 
 副隊長のユルギスでさえ、リタの選抜にはあぶれてしまったのだ。
 
 しかもリタの選抜方法は、隊員の武醒魔導器を数秒眺めただけなのだから、疑問が残って当然だ。
 
「あんた達が、あの長髪と隊長の次にエアルの適応力が高かったから」
 
「それって、どうやって判断してるの?」
 
「それくらい、いつも使われてる魔導器に訊けば一発で解るわよ」
 
 流れに乗じて質問したヒスカに、リタはよく解らない理屈で即答した。魔導器に訊くって何? という至極当然な疑問を双子は抱いたが、既にリタは「説明完了!」な顔をしている。
 
「んじゃ、俺はどうなんだ。魔導器 使ってないけど」
 
 断片的に会話が聞こえていたのか、前を歩いていたユーリが振り返ってリタに訊く。
 
 説明しっ放しの状況にやや辟易しつつ、リタは偉そうに人差し指を立てた。
 
「あんたの場合は、エアル伝導率の高さよ。特別な素材の剣でもないのに、魔物ザクザク斬ってるでしょ」
 
「えあるでんどーりつ?」
 
 頭上に?を浮かべるユーリに、リタは額を押さえて頭を振る。そこから説明しなきゃならんのかと。
 
「エアルの伝わりやすさの事よ。人によってエアルを通しやすい物質とか違うし、通せる量も違う。あんたはエアルの適性がかなり強いから、無意識に多量のエアルを剣に纏わせてるって事になる」
 
 言われて、ユーリは手にした剣を「ほー」と見つめる。腕力だけで斬ってたにしては何か変だなとは思っていたが、そういう仕組みだったとは。
 
「だから、リタちゃんは帯なんて使ってるのね」
 
「そ、あたしにとっては帯とか魔導書とかの方が、剣なんかよりよっぽどエアルを通しやすいの」
 
 会話の延長で、シャスティルの抱いていたもう一つの疑問も氷解する。
 
 こんな子供が、普通なら武器とも呼べない帯や魔導書で魔物を薙ぎ倒す様は、彼女らの常識から見れば異様だった。
 
「無駄話してる内に、見えて来たわよ」
 
 魔物が狂い、輝くエアルに溢れた森を抜けて、ユーリ達は辿り着く。
 
「ここからが本番。覚悟はいいわね」
 
 湖の中心で佇む遺跡が、煙のようにエアルを噴き出していた。
 
 
 



[29760] 9・『赤いエアル』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:ef78e215
Date: 2011/09/26 21:05
 
「あれも……エアルなのか?」
 
 川沿いの山道から湖の遺跡を遠く見据えて、ナイレンが小さく呟いた。
 
 高濃度のエアルは目に見える。という話は聞いていたが、これまで確認してきたエアルは全て緑色。今ナイレンらの周囲に漂っているものも同色だ。
 
 しかし、遺跡から煙の様に噴き出すそれは、まるで火の粉のように赤く輝いている。
 
「濃度が極端に高くなると、エアルは赤く変色するの。あんな離れた距離から視認出来る位だから、これくらいは予想の範疇よ」
 
 例によってリタが軽く説明を入れてから、一行の横を流れる川を覗き込んだ。
 
「……魔物が少ないと思ったら、こういう事になってたわけね」
 
 濁った川の底に目を凝らせば、大小多様な魔物の骨が沈んでいる。水や魚を求めて川にやって来た魔物が、エアルに当てられて死んだ……といったところだろうか。
 
 川のエアルが陸より濃いのなら、湖の遺跡に発生源があるという仮説の信憑性も増すというものだが………
 
「(いくら何でも、多過ぎるような)」
 
 川に立ち寄っただけの魔物が、こうも容易く死ぬものだろうか。何より、川辺に死骸が一つも無いのが気に掛かる。
 
 死因はエアルの感染で納得するとしても、その全てが水中に在る理由が解らない。
 
「(これじゃまるで………)」
 
 水中に引きずり込まれたようだ。そう、リタが思った時だった。
 
「きゃああぁあ!!」
 
 ヒスカの悲鳴が響く。皆が即座に視線を向ければ、蚓のような化け物に足首を捉われたヒスカが、空中に高々と振り上げられている。
 
「待てーい!」
 
 誰より早く、レイヴンが跳んだ。右手が素早く腹に差した小刀を抜き放ち、左手に持った弓が一瞬にして畳まれて小太刀へと変型する。
 
「そりゃ!」
 
 舞を思わせる二刀の連閃が、ヒスカを捕えた化け物を中途から両断した。
 
「パス!」
 
「おうよ!」
 
 間髪入れずリタの帯が伸び、空中に投げ出されたヒスカに巻き付く。巻き付けた帯の端を手渡されたナイレンが、力任せにヒスカを引き戻した。
 
「痛っ!?」
 
「ナイス、隊長!」
 
 そして、危うく地面に激突しそうになったヒスカをユーリが抱き止める。
 
 即席チームにしては息の合った連携だが、川に向かってジャンプしたレイヴンは―――
 
「決まっばはぁ!?」
 
 当然 川に落ちる。水面で忙しく足掻いているレイヴンに、シャスティルが鞘に納めた状態の剣を伸ばした。
 
「……川沿いに進むのは、やめた方が良さそうね」
 
 哀れなおっさんには見向きもせず、リタが小さく呟いた。
 
 
 
 
 川から距離を取って迂回し、一行は湖の遺跡……そこに続く橋の前へと辿り着いた。
 
「で、ここからどうするよ」
 
 そう、目的の遺跡が湖の真ん中にある以上、どうしたところで水辺を通らなければならない。
 
 道中でリタが推測したところ、あの魔物は体組織のほとんどが水で構成されていて、その体内にエアルを含んだ水を取り込んでいる可能性が高い。
 
 だからあの魔物に取り込まれたランバート達はああなってしまったのだろう、と。
 
 要するに、触れるのも危険な魔物、という事だ。ナイレンは数瞬悩んでから、これまであらゆる形で非凡さを示して来た少女を見た。
 
「………嬢ちゃん、いけるか?」
 
「当然」
 
 水を向けられたリタもまた、何でもない事のようにあっさりと承諾する。
 
 しかし最早、そのナイレンの判断とリタの断言を疑う者はここにはいない。
 
「よし、ヒスカとシャスティルはいつでも結界を張れる様に構えとけ。男は一ヶ所に集中、結界の範囲を少しでも狭くしろ」
 
 リタを先頭に、ヒスカ、ナイレン、ユーリ、レイヴン、そして後方防御にシャスティルが続く。
 
 こういった局面に於いて、剣士は限りなく無力である。
 
「走れぇ!」
 
 ナイレンの掛け声を受けて、全員が一斉に走りだした。遺跡に続く長い石橋を、脇目も振らずに駆け抜ける。
 
「(来た)」
 
 案の定。待ち受けていたとばかりに水面に赤い光が見えた。それも、複数同時に。
 
「(前からも来てる。そろそろかな)」
 
 タイミングを計りながら、リタは筒状に巻いた帯を解く。解いて、リズムを取るように軽快なステップを踏んだ。
 
「防御!」
 
「了解!」
 
 ヒスカが応えて、全員が綺麗に全身を止める。結界の発動を待たず、リタは踊るようにその場でくるくると回った。
 
「“氷結せし刃 鋭く空を駆け抜ける”」
 
 エアルの籠もった帯が回転に合わせて軌跡を作り、リタを囲む術式の円を描く。
 
 水と風の、複合術式。
 
「『フリーズランサー』!!」
 
 結界が展開されると同時、リタの魔術が解き放たれた。
 
 無数の氷の槍が吹雪に乗って奔り、魔物の身体に次々と突き刺さる。体表を突き破った氷結の穂先は、内包された水分を一瞬にして凍りつかせた。
 
「もう一丁!」
 
 振り向き様にもう一発。結界に阻まれた二体の蚓に『フリーズランサー』をたたき込むリタ。
 
 魔物どころか、流れ弾や余波で湖にも数多の氷塊が出来上がる。
 
「………ホント、どんだけでたらめなお子様だよ」
 
「だから子供扱いすんなって……にゃあ!?」
 
 結界が解けるや否や、ユーリは彼なりの賛辞を贈ってから猛然と駆け出した。
 
 ただし、文句を言おうとしたリタの首根っこを片手でひょいと捕まえて、である。
 
「なななな何やってんのよアンタは!?」
 
「苦情なら後で聞いてやっから」
 
 どれだけ魔術が優れていようと子供は子供。先程から先頭を走るリタの足の遅さに もどかしい思いをしていたのだ。
 
 リタを片手にぶら下げながら、先程より一段と速い速度でユーリが先頭を突っ切る。それに遅れまいと、ヒスカ、ナイレン、レイヴン、シャスティルが続く。
 
 その背後を、新たに蚓の化け物が追って来ていた。ユーリは速度を緩めてナイレン達を先行させつつ、片手にぶら下げていたリタを肩に担いだ。
 
「………“氷結せし刃 鋭く空を駆け抜ける”」
 
 ユーリの意図を理解したリタが、渋々く魔術の詠唱を開始する。今度は帯による増幅術式を省いた簡易版である。
 
「『フリーズランサー』」
 
 吹雪に乗せた氷槍を放ちながら、リタはユーリに運ばれている。近寄るものは悉く、瞬く間に凍り付いて砕け散る。
 
 リタがさらにもう一発のフリーズランサーを撃ちだす頃には、一行は遺跡の中へと侵入を果たしていた。
 
(ゴッ!!)
 
 そして、当然のようにリタを下ろす前に魔導書で殴られるユーリ。
 
「……角は痛いって」
 
「当然の報いよ」
 
 怒り心頭といった様子で、リタはずかずかと足音高く遺跡を進んで行く。脳天をさするユーリの肩を、レイヴンがぽんぽんと叩いた。
 
「………っ」
 
 何かに気付いたように、リタがいきなり足を止めた。まだ苦情があるのかとユーリは身構えるが、リタの視線はシャスティルに向いている。
 
「…………………」
 
 否。シャスティルの右の手甲に嵌められた魔導器(ブラスティア)に向いている。
 
「な、何?」
 
「………うん、わかった。ゆっくり休んでね」
 
 シャスティルの手首を掴んで、魔導器を凝視するリタ。口にしている言葉も、どうやらシャスティルに向けられているわけではないようだ。
 
 何事かと様子を窺っていたシャスティルの目線に、ようやくリタの目線が合う。そしてビシッと人差し指でシャスティルを指した。
 
「その子、ここではもう使わないで。魔核(コア)にかなり負担かけちゃったみたいだし、ここのエアル……今までの比じゃないわ」
 
「その、子……?」
 
「魔導器よ、魔導器」
 
「………わかった」
 
 リタに言われて、シャスティルは僅かな逡巡の後、首肯する。
 
 ここまで何度も自分たちを助けてくれた魔導器を使わない、という事にも不安はあるが……魔術が暴発でもする可能性を考えたら、そっちの方が怖い。
 
「(つーか、“その子”って何だ)」
 
 まるで魔導器を親しい人間のように扱うリタの態度に、ユーリは内心で溜め息をついた。
 
 この様子だと、エアルの原因が魔導器だったとしても、「壊すな」とか普通に言いそうで面倒だ。
 
 などと、考えている間に…………
 
『……………………』
 
 勝手に先行していたリタの前に、何か赤い管の様なものが収束している。言葉を失くして立ち尽くす一同を余所に、それは周囲の岩石を束ねて―――
 
「………デカいって」
 
 人間の十倍はあろうかという、武骨な岩の巨人へと姿を変えた。
 
「ゴーレムか!?」
 
 ナイレンが叫ぶ。
 
「くぅ………!」
 
 ヒスカが魔導器を向ける。
 
「リタちゃん!?」
 
 シャスティルが引けた腰で剣を構える。
 
「“灼熱の軌跡を以て野卑なる蛮行を滅せよ”」
 
 そして、リタが回る。
 
「グォアァアア!!」
 
 巨人が拳を振り上げる。リタの正面に紅蓮の術式が展開される。
 
「『スパイラルフレア』!」
 
 そして、発動。ファイアボールに数倍する特大の炎弾が、巨人の腕……どころか、全身を一撃の下に粉砕する。
 
 ―――そう、粉砕した。
 
「………へ?」
 
 砕け散った巨人の欠片。無数の石礫と化したそれは、リタの魔術の一撃を受けてなお宙に滞空している。
 
 滞空して、雨の様な石の弾丸となり、リタに向かって一斉に襲い掛かった。
 
「危ねっ!」
 
 間一髪、横から飛び出したユーリがリタを抱えて床を転がる。回る視界の中で、石の弾丸が遺跡の壁をぶち抜く音が聞こえた。
 
「“風よ起これ さっと吹いてさっと斬れ”」
 
 同時に、決してリタのものではないふざけた詠唱も。
 
「『ウインドカッター』!」
 
 一陣の風が、鋭い刃となって吹き抜けた。僅か遅れて、中空に漂っていた石の欠片がバラバラと音を立てて落ちていく。
 
「おっさんも結構やるでしょ?」
 
 魔術も使えるワンランク上のおっさんが、ニヤリと笑って親指を立てた。
 
 
 



[29760] 10・『地の底より来たる声』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/09/28 07:14
 
「これ、ゴーレム(人型魔導器)じゃないわね」
 
 レイヴンの魔術を受けて動かぬ土くれと化した岩人形の成れの果てを、リタが見下ろす。
 
 自律術式が刻まれた魔核(コア)によって動いていたわけではなく、あの赤い管によってマリオネットの様に動かされていたらしい。
 
 もっとも、魔導器ではないと確信していたからこそ、リタも躊躇なく粉砕したわけだが。
 
「(あのおっさんも、気付いてたって事よね)」
 
 レイヴンは風の魔術を使って、真っ先に赤い管だけを狙って切断した。
 
 不意の襲撃で、ユーリもナイレンもヒスカもシャスティルも少なからず動揺していたあの局面で、冷静にそれを見極めた。
 
 何者だろうかと目を向けてみれば、レイヴンは疲れたのか地べたに胡坐をかいてへたり込んでいる。
 
 おまけに、リタの視線に気付いてピースサインなど出し始めた。もちろん無視である。
 
「………っ」
 
 僅か響く独特の風韻に、リタは後ろを振り返る。さっきの飛礫を躱し損ねたのか、ユーリの右腕が血に染まっていた。その腕に、ヒスカが治癒術を掛けている。
 
「(あの子も、ダメか)」
 
 ヒスカの左手の魔導器(ブラスティア)の限界を見極めて、リタは肌に感じるエアルの濃度に息を飲んだ。
 
 橋を渡っていた時から違和感はあったが、やはり……既に自分たちにもエアルの影響が出ている。
 
「あんたの魔導器も、もう使わない方がいいわ」
 
「え? でも………」
 
 額に汗を浮かべて治癒術を掛けていたヒスカの手をを、リタが止める。
 
 ついでに、あくまでもついでにユーリの腕に目を向ける。……近くで見ると、結構深い。しかも刃物ですらない尖った飛礫に裂かれた傷は、少し抉るようになっていた。
 
「痛そー……」
 
「大した事ねーよ。どっかの味音痴の料理食うより全然マシだ」
 
 ユーリはおどけて、リタの頭を乱暴に撫でる。普段なら足を思い切り踏みつけてやるところだが、今回ばかりは大人しく我慢するしかないリタだった。
 
「……ちゃんと洗って返しなさいよ」
 
 リタを庇ってユーリは怪我をした。その怪我を治していたヒスカの治癒術をリタが止めたのだ。
 
 多少なりとも、自責の念も湧く。
 
「洗うって何が痛……っ」
 
 リタは自分の右腕に巻いていた黄色いリボンを解いて、ユーリの右腕の傷口に乱暴に巻き付けた。
 
 とても……チョウチョ結びである。
 
「ふんっ!」
 
 わざとらしく怒って見せて、リタはさっさとユーリから離れて先に進む。
 
 その小さく不器用な背中を、ユーリとヒスカが生暖かく見守っていた。
 
「……良い子ね、リタちゃん」
 
「ああ……。俺とかあっちのおっさんよりはよっぽどな」
 
 苦笑を零し、ユーリはリボンを巻き直してもらおうと右腕をヒスカに向けよう、として………
 
「……お前、その汗どうした?」
 
「え………?」
 
 ―――雨に打たれたような大量の汗を流すヒスカに、気付いた。
 
 
 
 
 不幸中の幸いと言うべきか、高濃度のエアルの影響で魔物の一匹もいない遺跡の中を、一行は罠だけを回避しながら進んで行く。
 
 しかし、そろそろ限界が近づいていた。
 
「………………」
 
 エアルの発生源を探るという事は、よりエアルの濃い方に向かって進むという事。
 
「………………」
 
 しかもここは、遺跡の中の窓一つ無い地下。大気に広がって濃度の薄まる野外とはわけが違う。
 
「………………」
 
 誰もが、リタでさえも、重度のエアル酔いで口を開く余裕も無い。
 
「………おい皆、マジで大丈夫か」
 
 この状況下で比較的平然としているのは、ユーリと………
 
「だいじょぶくないわよ~。てか、そろそろ終わりにしない? おっさん、もう歩けないんだけど」
 
「誰もあんたにゃ訊いてねぇよ」
 
 他の皆とは別の意味でダウンしているレイヴンのみ。まさに、ミイラ捕りがミイラになる寸前である。
 
「いやいや、別にふざけてるわけじゃないわよ。このまま突っ込んで何も見つからずに犬死にとか本気で勘弁だもの」
 
「………………あるわよ」
 
 レイヴンの愚痴に、呻くような返事が返った。声の方に眼を向ければ、壁に寄り掛かって荒い息を吐くリタが顔を上げていた。
 
「もう、すぐ近くに魔導器はある。声が……どんどん近づいてるの」
 
 リタの言葉に、ユーリもレイヴンも耳を澄ませる……が、やはり何も聞こえない。
 
 しかし……錯乱してると思えない確固たる自我の光が、リタの瞳の中にはあった。
 
「……行けるか?」
 
「とーぜんでしょ。あたしを誰だと思ってんのよ」
 
 ユーリ一人が魔導器に辿り着いても何も出来ない。壊せば済む話かどうかの判断すらつかない。
 
 最後はやはり、リタに頼るしかないのだ。
 
「もう一息だ。行くぞお前ら」
 
「「………はい」」
 
 今まで少しでも呼吸を落ち着かせる事に集中していたナイレンが立ち上がる。ヒスカとシャスティルも同様に。
 
 騎士団でもない子供が命を懸けているのに、へこたれてなどいられない。
 
「……………やれやれ」
 
 誰 知らず、赤く漂うエアルが……レイヴンに集まっていく。その勢いが僅かに増した事に、レイヴンは不透明な溜め息を吐いた。
 
 
 
 
 広い階段を下りる。動かなくなった巨大な大扉を力任せにこじ開けた先に………それはあった。
 
「何だ、あれ………」
 
 何も無い大広間の真ん中に、紫に輝く不気味な筐体がある。そこから発せられたエアルが、室内を異常なまでに赤く染めていた。
 
「……あれも、魔導器なの?」
 
 しかし、その筐体には魔導器にあるはずの魔核が無かった。代わりの様に地下から吸い上げられたエアルが、筐体の中心で不気味に光り輝いている。
 
「……リタ、あれをどうにか出来そうか」
 
 ユーリは確認する。あの筐体が何であれ関係ない。エアルの発生を止められるのか、と。
 
 しかし――――
 
「違、う………」
 
 震える声で、リタはそう言った。ただエアルに毒されて擦れたような声ではない。
 
「……直せないのか?」
 
「違う、あれじゃない。“もっと下”から聞こえる!」
 
 支離滅裂な言葉を並べるリタは、ついに頭を抱えて膝を着いた。
 
「お前、なに言ってんだ。もう下なんかねーぞ」
 
「何、これ……こんなに大きい声…初めて聞く……!」
 
 ユーリの言葉も聞こえていない。言い知れない不安が音を立てて近づいて来るのを感じて、リタは叫んだ。
 
「来る!!」
 
 途端――――大地が割れた。
 
「ッッ!?」
 
 最初に見えたのは、地下の岩床から伸びる巨木の様な前足。次いで、鬣とも見える角を無数に生やした亀の頭。それらに遅れて………全身が地から這い出して来る。
 
 亀でもない、熊でもない、猪でもない、獅子でもない。見た事もない緑色の怪物。
 
「こいつは………!」
 
 ただ巨大だというだけではない。何か、生物としての根源的な生存本能を脅かす、圧倒的な何かがこの怪物にはある。
 
「はは……やべ、足震えてら……」
 
 あまりの恐怖に笑いが込み上げて来る。滑稽な己の両足に喝を入れて、ユーリは剣を握り締めた。
 
 ―――おそらく、攻撃のつもりですらなかっただろう。
 
『っ………!?』
 
 怪物はただ背を向けた。その尾に当たって、ナイレン、ヒスカ、シャスティルの三人が軽石の様に弾き飛ばされる。
 
「くっそ!」
 
 猛然と、ユーリは怪物に向かって駆け出した。いま戦えるのは自分しかいないと、己を必死に奮い立たせて。
 
 だが―――
 
「くっ!?」
 
 跳躍し、全体重を乗せたユーリの斬撃は、僅かに怪物の表皮を傷つけただけ。逆に、素早くしなった尾の一撃を受けて、ユーリは地面に叩きつけられる。
 
(ゴシャァ!!)
 
 巨体の向こうで、金属と硝子の潰れるような轟音が響く。おそらく、あの魔導器が破壊されたのだろう。
 
 そして……ゆっくりと怪物が振り返った。無機質な青の瞳が、ユーリを呑み込まんばかりに捉える。
 
「……上等だ。来いよ!」
 
 皆がエアルに酔い、先の一撃でシャスティルも気絶している。逃げる事すら難しい。
 
 ユーリは腹を括った。
 
 そのユーリの視界を………
 
「はい、ストップ」
 
 紫の羽織が、埋めた。
 
「レイヴン………?」
 
「おっさん差し置いてハードボイルドなんて十年早いわよ、青年。」
 
 こんな時でもいつもと変わらない、胡散臭い笑みが振り返る。
 
「青年はまず、女の子のエスコートから始めなさいな。このままじゃ巻き込まれちゃうからねぇ」
 
 レイヴンが軽く顎を向けた先に、気を失ったシャスティルが、腹を押さえて蹲るヒスカが、茫然と魔導器の残骸を見ているリタがいる。
 
「早く行った行った。でないと、おっさん必殺の超小型爆弾が使えないじゃない」
 
 誰かが連れ出さなければならない。迷っている時間はない。
 
「ユーリ、行くぞ!」
 
「っ……死ぬなよ、おっさん!」
 
 リタを小脇に抱えてユーリが駆け出す。シャスティルを肩に担いでナイレンが走りだす。二人の後ろをヒスカが追い掛けて……レイヴン一人がその場に残された。
 
「………さて、と」
 
 レイヴンは弓に矢をつがえて、眼前の怪物と向かい合う。……否、怪物はレイヴンではなく、ユーリの去った方を見ているようだったが。
 
「(十年振りか……死ぬ前より、ちっとはマシな勝負が出来るかねぇ)」
 
 まだ早い。ユーリ達が逃げる時間を稼いだ後で無ければ、格好をつけた意味がない。
 
「亀の甲より年の功ってね。中年の魅力を見せてやろうじゃないの」
 
 衣服の下に隠された左胸が、一際強く脈を打った。
 
 
 



[29760] 11・『崩落』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/09/29 20:23
 
 弓から無数の矢が奔る。放たれた矢雨は大気中に溢れる多量のエアルを纏い、鉄をも貫く硬度を帯びる。
 
 それらは全て怪物の身体中に突き刺さり……皮膚で止まった。
 
「……流石に一筋縄じゃいかないか」
 
 射撃を受けて一層 凶暴性を増した怪物の一撃から逃れながら、レイヴンは小さく呟いた。
 
 解ってはいたが、半端な攻撃は通らない。逆に、レイヴンはあの巨体に一撃でも食らわされたら致命傷だろう。
 
 ならば、とレイヴンは“矢をつがえずに”弓を引き絞り―――
 
「はっ!!」
 
 烈迫の気合いと共に撃ち放った。放たれた紫苑が絡み合う無数の蛇となって、怪物の全身に喰らいついた。
 
「ヴォオオオォォ!!」
 
 牙を立て、まとわりつく蛇の群れを振り払わんと怪物は暴れ、巨木の様な腕を力任せに振り回す。
 
 しかし当然そんな事で蛇は離れず、ただ無闇な破壊を周囲に撒き散らす。
 
「(少しは効いたか……?)」
 
 無作為な豪撃を躱して、レイヴンは大きく距離を取る。安全な間合いから、今度は威力を一点に絞った一矢をお見舞いしようとして―――
 
「(あ、ヤバイ)」
 
 両の前足を振り上げる怪物の姿に、直感的に危険を悟る。悟って、躊躇なく怪物に向かって全速力で駆け出した。
 
 怪物の前足が、地響きを立てて岩床を叩く。そこから―――大地の槍が怒涛となって押し寄せる。
 
 全力で怪物に迫っていたレイヴンは、岩槍の波に攫われる寸前、横っ飛びに飛び退いてこれを避けた。
 
「危ないっつの!」
 
 さらに続けてもう一跳び、弓を組み換え小刀を抜いた二刀を持って怪物に立ち向かう。
 
「グルァ!!」
 
 その瞬間―――脈絡も無しに怪物の首が伸びた。目前に迫る敵を噛み千切らんと。
 
「だから危ないって!」
 
 レイヴンは身体ごと二刀を回転させて、これを間一髪でいなした。
 
 しかし、完璧にではない。
 
「………………」
 
 レイヴンの肩と怪物の首、双方から血が噴き出す。滲み出る痛みを無視して、レイヴンは怪物の背中を三度はねて後方に回り込んだ。
 
「………首斬られた死ぬでしょ、普通」
 
 大きく息を吐き出したレイヴンの頬を、冷や汗が一筋伝う。手加減なしの斬撃を首に叩き込んでも刃が立たない。……やはり、普通の攻撃では通じない。
 
「(おっさんに長期戦はしんどいのよねぇ)」
 
 左胸を押さえて呼吸を整えるレイヴンは、彼だからこその違和感を覚えていた。
 
 エアルの原因だっただろう魔導器(ブラスティア)が破壊されてから……というよりも、あの怪物が現れてから、という感じだ。
 
 怪物が振り返る。その口元に、赤く光るエアルが吸い込まれているように見えた。
 
「(エアルを……食ってるのか?)」
 
 そんな魔物の存在は聞いた事もない。とはいえ、悠長に考えている暇は無さそうだ。
 
「グ……ヴゥ……!?」
 
 怪物の呼吸が荒くなり、眼の色が変わった。肌に痛いほどの威圧感が、さらに重たくなる。
 
「……そろそろ、潮時かな」
 
 時間稼ぎの限界を悟り、レイヴンは弓を畳んで背中にしまった。ユーリ達の動向は掴めないが、後は運を天に任せる。
 
「どーか、死にませんよーに」
 
 口の端を引き上げたレイヴンの前で、エアルが火の粉の様に爆ぜた。
 
 
 
 
「ユーリ、振り返るな!」
 
 自身もエアルに酔っているはずのナイレンが、シャスティルを肩に担いで走る。
 
「っ……わかってるよ!」
 
 その前を、自失しているリタを脇に抱えてユーリが先行する。
 
「はっ……はっ……はっ……!」
 
 二人の間を、ヒスカが息切れしながら必死について行く。
 
 乱れるエアル、断続的に響く地鳴り、軋みを上げる遺跡。彼らを追い詰める事象が、先ほどの怪物の恐ろしさを物語っている。
 
「………っ」
 
 そんな怪物の下にレイヴン一人を残して来た事実が、ユーリの足を重くさせていた。
 
「……心配すんな」
 
 そんなユーリに、ナイレンが静かに語り掛ける。
 
「簡単に死ぬ様なタマじゃねーよ、あいつは」
 
「…………………」
 
 ユーリは何も応えない。ナイレンの言葉が信頼か気休めかは判らないが、ユーリはあの怪物の脅威を目の前で見ているのだ。
 
 不意に………ユーリの右手を、小さな手が叩いた。
 
「……もう大丈夫、下ろして」
 
 ユーリの脇に抱えられていたリタが、漸く我を取り戻していた。
 
「走れるか?」
 
「大丈夫……あの怪物の声、頭に凄く響いて…ごめん……」
 
 自らの足で地面に立ちながら、リタはらしくもない殊勝な態度で足を引っ張った事を謝る。どうやら、まだ混乱から抜けきってはいないようだ。
 
「……行くぞ」
 
 ユーリが、リタが、ヒスカが、シャスティルを背負ったナイレンが、この遺跡に来る時に渡った橋を目指して足を踏み出す。
 
 ―――その時だった。
 
『っ!?』
 
 これまでとは比較にならない、立っている事すら出来ないほどの衝撃が……遺跡全体を揺るがせた。
 
「うっお!?」
 
 石柱がへし折れる。壁が倒れる。床が砕けて階下へと抜ける。天井が崩れて岩盤が降って来る。
 
 逃げるどころか、立つ事も出来ずに膝を着くユーリは、何故か奇妙にスローに映る景色の中で……見た。
 
「隊長ぉ!!」
 
 動けないナイレンの頭上に、巨大な岩の塊が落ちて来る。
 
「ユーリィ!!」
 
 動けないほどの震動の中、ナイレンは無理矢理に足を踏ん張る。自分が逃げる素振りなど全く見せずに……担いでいたシャスティルをユーリに向かって背負い投げた。
 
「くっ!」
 
 託されたシャスティルを、ユーリが両腕でしっかりと受け止める。
 
「隊長ォォォーーーー!!!」
 
 ヒスカの悲鳴が響き渡る中で………岩の塊が無慈悲に轟音を木霊させた。
 
「隊長っ、返事しろよオイ!!」
 
 落盤の生んだ砂塵が覆い隠した先に、ユーリは力の限り叫ぶ。頭に過った可能性を必死に振り払うように。
 
「……ユーリ」
 
 返事は、あった。
 
「隊……っ」
 
 その事に喜び、駆け寄ろうとしたユーリは……晴れた砂塵の先のナイレンの姿に、思わず足を止めた。
 
 シャスティルを投げた体勢のままうつ伏せに倒れて……足を岩塊に挟まれているナイレンの姿に。
 
「っ……頭、上げないでね!」
 
 すかさず詠唱を始めたリタの右手に炎が灯る。投げ放たれた火炎弾が、ナイレンの足を押し潰す忌々しい岩石を粉砕した。
 
 しかし――――
 
「あ……っ」
 
 石床に無数に奔る亀裂から、赤く光るエアルが噴き出し、ナイレンの周囲一帯を包んだ。
 
 遺跡の破壊によって、地下に立ち込めていた多量のエアルが上へと流れ出して来たのだろう。
 
「無理だ、行け」
 
 血色の霧の向こうから、場違いに穏やかな声が届く。何かを悟った。そんな声だった。
 
「もう、動けねぇんだよ」
 
 ナイレンは上半身で起き上がり、腰を下ろした。レギンスの上から潰され、血塗れになった右足を見せる。
 
 歩けるわけがない。気力以前の問題だった。
 
「っ…………」
 
 ナイレンの言いたい事を理解して、ユーリは下唇を噛む。
 
 リタやシャスティルを運ぶのとはわけが違う。ナイレンは、ユーリより一回り以上体格のいい男だ。
 
 もたもたしていればエアルに呑まれ、遺跡は崩壊する。
 
「持ってけ」
 
 ナイレンは手首に巻いた魔導器を外して、ユーリに投げ渡した。
 
 力の入らない体、赤い霧に塞がれた視界の中で、それは吸い込まれるようにユーリの手に握られる。
 
「やだ……あたしが治す!」
 
「ダメ!」
 
 治癒術を掛けようと走りだすヒスカを、リタが腕にしがみついて止める。
 
 こんなエアルの中で術式の複雑な治癒術など使えば、今度こそ確実に暴発する。
 
「解ってんだろ」
 
 また一つ、岩盤が落下した。遺跡のどこかが崩壊する音が響く。
 
「助かる奴を助けてくれ」
 
 ―――託された魔導器を、青年は強く握り締める。
 
 
 
 
「くそっ!」
 
 遺跡から離れたシゾンタニアの町。高く聳える結界魔導器(シルトブラスティア)を見上げて、部隊の副官・ユルギスはやり場の無い焦燥に声を荒げた。
 
 いざとなったら、結界魔導器の動力を停止しろ。
 
 そう言われていたユルギスは、再び不安定に揺らめいた結界を眼にして、急ぎ制御室に向かい、機能を停止した。
 
 しかし、こうして戻って来ても魔導器は止まっていない。結界は消えていたが、代わりに魔導器が異様な光は発している。
 
『エアルの影響を受けた魔導器に力を使わせたら、制御できなくて爆発、なんて事もあり得るわよ』
 
 ユルギスの脳裏に、遺跡に向かった一人の少女の言葉が、思い返された。
 
「(どうする……!?)」
 
 起動を止めたはずなのに、結界魔導器は暴走を続けている。今この場には魔導士であるリタも、隊長であるナイレンもいない。
 
 今すぐ住民を連れて退避。周囲の仲間にそう命令しようとした―――その時だった。
 
「副隊長!」
 
 聞き覚えのある声が、ユルギスを呼んだ。振り返れば、そこには新米の騎士がいた。
 
 帝都に援軍を要請しに行った、フレンが。
 
 さらに、その後ろに………
 
「………少し、遅かったようですね」
 
 白金の長髪を靡かせ、紫のローブを揺らす眼鏡の男が、魔導服の一団を引き連れて立っていた。
 
「ガリスタさん……!」
 
「状況は概ね理解しています。………迷っている暇は無さそうですね」
 
 ガリスタと呼ばれた男は、ユルギスとの対話もそこそこに片手を軽く差し上げた。
 
 それを合図に、彼を中心に魔導士たちが半円の陣形を組む。
 
「ガリスタさん、何を………!」
 
「魔核を破壊します。あそこまで暴走した魔導器を止めるにはそれしかない」
 
 ガリスタの言葉は、相談ですらない。ただの意思表示に過ぎなかった。そしてユルギスには、それを否定できる知識が無い。
 
 どうしようもない、と、今しがた自分自身が感じた事でもあった。
 
「私が撃った瞬間に、逆結界を」
 
『はっ!!』
 
 ガリスタが右手を、天に伸びる双刃の斧へと向ける。その手首に、瞳を模した紫色の魔核を持つ魔導器が光っている。
 
「“雷雲よ 我が刃と為りて敵を貫け”」
 
 結界魔導器の上空で、紫の稲妻が迸る。それは雷鳴を響かせる巨大な剣と結晶して―――
 
「『サンダーブレード』」
 
 ―――巨大魔導器の魔核を、一撃の下に粉砕した。力の余波が生み出す破壊を、逆結界の内側に閉じ込めて。
 
 
 



[29760] ☆・『旅立ち』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/09/30 16:47
 
 窓の縁に座り、町の喧騒を眺める。馬車に荷物を運び込む人々の姿に、この景色も見納めか、と……ユーリは柄にも無い感傷に耽る。
 
「(帝国がここを放棄する以上、しゃーないか)」
 
 彼らは結果的にエアルの異常発生こそ止められたものの、町の結界魔導器(シルトブラスティア)は使えなくなってしまった。
 
 結界の無い無防備な町に人を住まわせる事は出来ないと、帝国はシゾンタニアを放棄する決定を下した。
 
「ワンッ!」
 
 ラピードが忙しなく部屋の中を駆け回る。その口に、ナイレン愛用の煙管が咥えられていた。どうも、隊長室に置きっぱなしになっていた物を失敬して来たらしい。
 
 不意に、部屋のドアを叩く音がした。
 
「もー、遅れるなって何度言えばっ……あんた、その格好!」
 
 返事を待たずに顔を覗かせたヒスカが、固まる。
 
「………悪ぃな。最後まで面倒かけちまって」
 
 別れの時が、近づいていた。
 
 
 
 
「……相変わらず、せっかちな野郎だな」
 
 薬品の匂いが鼻につく病室の中に、色とりどりの花が飾られている。
 
「そりゃどーも」
 
 花瓶の数が足りずに、バケツだの酒瓶だのに差されているくらい、たくさんの花。
 
「“隊長”は、相変わらずってわけにゃいかないか」
 
 それら全てが、ベッドに横たわる………ナイレン・フェドロックに見舞われた花だった。
 
「まーな、こんな病室じゃ煙管一つ持ち込めやしねぇ」
 
 ベッド横の台の上にあった茶を一口すすり、ナイレンはもう一度ユーリを見る。
 
 黒の上下の袖を捲り、胸元を大きく開いた、これでもかと言うほどラフな服装。
 
 とても部隊の隊長に呼び出された騎士の格好ではない。
 
「俺の足は、治癒術でも完全には治せない。もうすぐ騎士じゃいられなくなるな」
 
 ナイレンはギブスで固めて吊された自身の右足を見た。戦えなくなった騎士は、騎士団には必要ない。上から正式に除名を言い渡されるのは既定事項だった。
 
「だからこれが、隊長として俺がしてやれる最後の仕事だ」
 
 上半身だけを起こして、ナイレンは真っ直ぐにユーリを指差した。
 
「お前、クビ」
 
 決して長くはない、どこか穏やかな静寂を経てから、ナイレンは続ける。
 
「上官の命令は聞かねえ。自分の判断で勝手に行動する。目先の感情に囚われ過ぎる。……お前みたいのは、騎士団にゃ置いておけん」
 
 崩れ落ちる遺跡の中、エアルに満ちたあの絶望的な空間で……ユーリは逃げなかった。
 
 受け取った魔導器の力を借りて、ナイレンとシャスティルの二人を背負って走り、救けだしたのだ。信じがたい事に。
 
 しかしその行為は、高確立で無事に逃げ切れたはずのヒスカやリタ、ユーリ自身の危険を少なからず孕んでいた。………無謀と、言い換えてもいい。
 
 良い悪いの問題ではない。だが、少なくともユーリの理念は騎士団では通じない。
 
「ああ、わかってる……」
 
 騎士団向きではなかった。とっくに解っていた事を受け入れて、ユーリはわざとらしく肩を竦める。
 
 それを見て、ナイレンも笑った。
 
「下町からこの町に来ただけでも、ずいぶん色々考えさせられただろ。世界は広いぞ?」
 
「ああ。だから、ちょっと見て来ようと思ってる」
 
 窓の外に目を向ける。結界に阻まれる事の無い空が、どこまでも遠くまで広がっていた。
 
「これ、ホントにもらっていいのか?」
 
「ああ、俺にはもう必要ねーもんだからな」
 
 ユーリの左手には、あの時ナイレンに渡された魔導器が今も巻かれている。返さなくていいと、生き残ったナイレン自らが言ったからだ。
 
「ラピードに取られた煙管はどーする? 取り返して来ようか」
 
「犬が咥えた煙管なんていらねーよ。それより、ラピードの事 頼んだぞ」
 
 意地の悪そうな顔で問い掛けたユーリに、ナイレンは渋い顔で返した。
 
 そこで他愛ない会話は途切れ、寂寥にも似た空白が……別れの時を告げる。
 
「枠の中で生きられないなら、外に出てみろ。そうすりゃ、いつか自分の本当にやりたい事も見つかるはずだ」
 
「先の事なんてわかんねーけどさ。……とりあえず、行ってくるわ」
 
 後ろ手に手を振り、ユーリ・ローウェルは歩きだす。騎士にあってただ一人尊敬した男に、今はまだ頼りない背中を向けて。
 
「…………………いいねぇ、未来に燃える若者ってのは」
 
 長い、長い沈黙を経て、ナイレンの隣のベッドの、カーテンが揺れる。
 
「……悪かったですね。俺のとばっちりで歩けなくさせちまったみたいで」
 
「構やしねーよ。お前さんがいなきゃ、足なんかより大事なもんを山ほど失くすところだった」
 
 姿も見せずに掛けられた声に、ナイレンもそちらを向く事なく応える。
 
「何しに来た? まさか男の見舞いに来たわけじゃねーだろ」
 
「いえいえ、死体も見つかってないのにちゃーんと死亡扱いにしといてくれたお礼に伺っただけですよ」
 
 上にしか見せる事のない報告書の中身をなぜ知っているのか。訊いてもはぐらかされそうなので敢えて訊きはしないが。
 
「上にチクらねーってのが協力の条件だったからな」
 
「それはそうと………病院の食事って質素よねぇ」
 
 間髪入れず、ナイレンの松葉杖がカーテンを薙いだ。隠れ場所の無くなったそこには、既に人影すらなく、代わりに中身を綺麗に平らげられた食器が寂しくシーツの上に佇んでいる。
 
「………胡散臭ぇ」
 
 真っ白な茶碗に橋を架けた様に、新品の煙管が眩しく光っていた。
 
 
 
 
「お前、今までどこに隠れてたんだよ」
 
 二度と踏む事の無いシゾンタニアの路面を歩くユーリ、ラピード、そしてリタ。
 
「帝都から来た金髪眼鏡いるでしょ。あたし、あいつ嫌いなの」
 
「そういや、遺跡の後始末に行くとかで今はいないんだっけ? あのガリスタって奴」
 
「あーもー! あたしだってまだまだ調べたい事あったのに!」
 
 フェドロック隊の騎士たち。これから町を旅立とうとする人々。いつか魔物から助けた女の子。すれ違う多くの人が、一足先に旅立つユーリに手を振る。
 
 その終着点。町の出口である城門の前に。見知った顔が二つあった。
 
「あれ、フレンとヒス……いやデカいな、シャスティルか」
 
「あんた……セクハラよ、それ」
 
 ユーリの発言に、横のリタが限りなく白い目を向ける。かくいうリタも、他に見分け方が解らないのだが。
 
 そうこうしている内に、二人と一匹は城門へと辿り着いた。
 
「見送りご苦労」
 
「……はぁ、まったく君は」
 
 フレンならともかく、シャスティルにも最後までふざけた態度を貫くユーリに、フレンは額を押さえた。
 
 当のシャスティルは、フレンほど気にしていない。もう慣れてしまったのか、小さく苦笑を浮かべるだけだ。
 
「残念ながら、こういう性格だからクビになったもんでね」
 
「そんな事は解ってる。だから僕は、最初から君が騎士なんておかしいと言ったんだ」
 
「はいはい、喧嘩しない!」
 
 いつもの調子で口論が始まりそうになったので、シャスティルが間に入って止める。
 
 まったく、最後くらいきちんと挨拶できないのか、この二人は。
 
「でも、どうするの? 騎士団を辞めて、行く宛でもあるの?」
 
 ユーリの行く末が気になっているのは、何もフレンだけではない。シャスティルにとっても、ユーリは初めての後輩なのだ。
 
「宛はねーけど、とりあえずコイツ送ってくよ。あの山小屋壊した責任、俺にもちょっとだけあっからさ」
 
 シャスティルの質問に応えながら、ユーリはリタの頭をポンポンと叩いた。その下で、リタの足がユーリの足をげしげしと踏んでいた。
 
「リタちゃんも、それでいいの?」
 
「ただで用心棒やらせてるとでも思っとくわよ。それに……気になる事もあるし」
 
「な、何だよ……」
 
 ジロリと、リタの視線がユーリを刺した。殺気でも怒気でもないが、何となく背筋の寒くなる視線だ。
 
「宛の無い流れ旅か……。そっちの方が君らしいよ」
 
 フレンのその言葉に、皮肉の色はなかった。不思議と、自然に口にする事が出来た。
 
「まーな。俺には、お前の真似はできそうにねーし」
 
 ユーリもまた、本心からそう言った。酷く分かりづらい、彼なりの賛辞を。
 
「じゃあな」
 
「ああ」
 
 すれ違い様に、それだけ。それだけの言葉を交わして、二人は二度と振り返る事は無い。
 
「(何だかんだ言って、やっぱり友達なんだ……)」
 
 いつも喧嘩ばかりしていたユーリとフレン。だが、言葉にしなくても互いをどこかで認め合っている。
 
 そんな二人の姿に、シャスティルは僅か目を細めた。
 
 
 
 
「………………」
 
 町の喧嘩を遥か下方に聞きながら、ヒスカは遠く旅の空を見つめていた。
 
 彼女の役割は町の警戒。住民が全て引き払うまで、結界の無い町に魔物は一匹たりとも近寄らせられない。
 
 だが……それだけではない。
 
「良かったの? ちゃんと挨拶しなくて」
 
 どこか寂しげな背中に、穏やかな声が掛けられる。その声が双子の姉のものと気付いて、しかしヒスカは振り返らない。
 
「……いいの。いま会ったら、カッコ悪いとこ見せちゃいそうだから」
 
 声が、少しだけ震えていた。
 
「きっとまた会えるよ。ユーリって、やる事ハデだから」
 
「わかってる」
 
 後ろから、シャスティルがヒスカの頭を撫でる。背丈が同じなせいで、腕を高く上げる無理な体勢だ。
 
「また会える………」
 
 その時、また今までみたいに怒鳴り付けてやる。そのために、今は会わない。今は……会えない。
 
「…っ………」
 
 ヒスカは決して振り返らない。その行為の意味するものを、ただ空だけが知っている。
 
 
 
 
 ―――青年は旅立つ。心の内に己が抱く形の無い炎。それが何かを知る為に。
 
 
 



[29760] 1・『エステリーゼ』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:ef78e215
Date: 2011/10/01 14:56
 
「ふぅ………」
 
 人魔戦争終結の十周年記念式典。騎士団長アレクセイによる長い演説も終わり、会場は賑やかな立食パーティーへと移り変わっていた。
 
 黙って立っているより遥かに居心地が悪い……などと思っていたのは最初だけ。あまりに場違いな新米騎士に絡んで来る隊長も何人かいたが、そんな苦行もすぐに終わった。
 
 評議員に騎士団隊長、有力貴族。国の有力者の多くが一同に会する機会など滅多に無い。皆それぞれ、有力者に自分を印象づけようと必死なのだ。
 
 無論、フレンはそれに参加しない。身の程知らずに駆けずり回ってもナイレンの心象を悪くするだけ、それに……ナイレンがここにいてもそんな真似はしないだろう。
 
「…………………」
 
 自分はこんな所で何をしているのか。そう思いながら、フレンはちびりとジュースを飲んだ。
 
 もう何度目か、騎士団長アレクセイの言葉を思い返す。
 
『シゾンタニアは、異常発生したエアルによって今の状態になっていると考えられる。ならば、闇雲にただ数を増やしたところで徒に犠牲者を増やすだけだ。高濃度のエアルは、人間や魔導器(ブラスティア)にも有害だからな』
 
 報告書に目を通しただけで、アレクセイはシゾンタニアの現状と元凶を確信していた。
 
『だから、根本的なエアルの問題を解決できる魔導士を向かわせるのだ。焦る気持ちも解るが、冷静な判断力を失えば救える者も救えなくなるぞ』
 
 その確信が正しいのかどうか、フレンには判断がつかない。
 
 解っている事は、アレクセイにもアレクセイなりの考えがあって指示を出しているという事。
 
「(騎士団長、アレクセイか………)」
 
 帝都にいる魔導士を招集して、出発するのは明日の日の出と共に、だ。
 
 視界の悪い夜中に結界の外を強行するのは、熟練の騎士でも危険を伴う。まして援軍は戦闘が本職ではない魔導器研究員。朝まで待つのは当然だった。
 
 その間する事の無かったフレンは、こうしてナイレンの代行など任されているのである。
 
『フレン・シーフォ? ファイナスの息子か?』
 
 ………彼個人としては、不本意なきっかけによって。
 
「(………いつまで居ればいいんだろう)」
 
 完全に蚊帳の外。テラスの手摺りに寄り掛かって、フレンは他人事としてパーティーの様子を眺めている。
 
 シゾンタニアから援軍を求めて、ほとんど休み無しでここまで来たのだ。明日の朝が出発というなら、とにかく早く休みたい。
 
 しかし、下町育ちがフレンはこんなパーティーに出席するのは初めての事。どのタイミングで抜け出せばいいか判らず、出口付近の人の様子を覗いていると………
 
「そんな所で、何をしてるんです?」
 
「っ……え!?」
 
 不意に、声を掛けられた。もう自分が話し掛けられる事はないと思っていたフレンは、完全に虚を突かれて間抜けな返事をしてしまう。
 
「えっと、その、何か……?」
 
 必死に照り繕い……切れずに、声の主に目を向ければ、綺麗な少女が立っていた。
 
「(………誰だ?)」
 
 綺麗に肩で揃えられた桜色の髪。エメラルドのような翠の瞳。いかにも高級そうな水色のドレス。
 
 どこかの貴族令嬢だろうと一目で察しはついたが、それ以上の事は解らない。
 
「(ナイレン隊長の知人? 僕があの位置に立ってたから? 名前を知らないってまずいんじゃ……)」
 
 フレンの頭の中で、形にならない思考が浮かんでは消えていく。実際の行動としては、酷く狼狽した表情を消し切れずに棒立ちになっているだけだ。
 
「いえ、一人で寂しそうにしていましたから。お邪魔だったです?」
 
「え? いえ、とんでもありません!」
 
 そんなフレンの内心など露知らず、少女は小さく小首など傾げている。全く他意は無さそうだ。
 
「わたし、エステリーゼって言います。ナイレン……フェドロック隊長です?」
 
「い、いえ僕……私は、代理のフレンという者です!」
 
 隊長の格好ではないと判らなかったのだろうか、エステリーゼと名乗った少女は、「失礼しました、フレンさん」と礼儀正しく頭を下げた。
 
 騎士ならともかく、貴族令嬢がフレンに因縁をつけてくるとは思えない。本当に、『一人で寂しそうにしてたから』話し掛けてきたのだろうが、フレンからすれば正直……小さな親切大きなお世話である。
 
 何を喋ればいいのか、全く解らない。
 
「代理という事は、ナイレン隊長に何か?」
 
「いえ、それは……ッ!」
 
 フレン自身、なぜ自分が咄嗟に動けたのか判らなかった。とにかく、嫌な寒気が背筋に走ったのだ。
 
「(まずい……!)」
 
 何を考える暇も無かった。条件反射でエステリーゼの手を引き―――
 
「………え?」
 
 彼女が呆けた声を上げてフレンの腕に収まる頃には、鉄の矢がガッ! と硬い音を立てて窓際の壁に突き刺さっている。
 
「っ、全員ふせろぉ!!」
 
 言葉遣いなど考えている場合ではない。フレンが叫ぶより一拍遅れて、次々と窓ガラスの割れる音が聞こえる。
 
 ―――途端、黒い煙が会場を埋めた。
 
「(煙幕弾……!?)」
 
 何をされたのか理解して、次に何が狙いかを考える。阻止する為に。
 
 会場の中の誰か……いや、こんなパーティーを狙う以上、全員か。
 
「っ窓を割ります!」
 
「うわっ!」
 
 フレンが何かするより先に、腕の中のエステリーゼがフレンを突き飛ばすように離れた。同時に、床に転がっていた果物ナイフを拾い上げる。
 
「(何を…っ!?)」
 
 突然目の前に迫る果物ナイフに、フレンは素早く頭を下げる。頭上を、何かが吹きすぎた。
 
「『スターストローク』!」
 
 顔を上げたフレンの目に映ったのは、壁を真横に走る衝撃波が、広い会場の窓ガラスを一直線にたたき割る光景だった。
 
 開放された空間から、黒煙が流れ出る。
 
「卑怯者、堂々と姿を現しなさい! このエステリーゼ・シデス・ヒュラッセインが相手になります!」
 
 果物ナイフを片手に、威風堂々と名乗りを上げるエステリーゼ。それに応えてか、或いは別の理由からか―――
 
「どけぇ!!」
 
 煙幕の中から、二つの影が飛び出し、エステリーゼに襲い掛かった。
 
 男の腕に仕込んだ湾曲した刃と、エステリーゼのナイフは………
 
「無茶し過ぎです!」
 
 ぶつかる事は無かった。フレンの振り回した椅子が、乾いた破砕音を立てて男を殴り飛ばす。
 
 しかし―――
 
「っ!」
 
 煙幕から飛び出したもう一人の刃が、フレンに向けて振るわれた。フレンの首に、浅く一筋の傷が入る。
 
「(あと少し、反応が遅れていたら……)」
 
 肝を冷やしながら、フレンは男に殴り掛かる。だが、屈強なギルドの男でも一発で静めるフレンの拳が……当たらない。
 
 幾度となく空を切り、軽くいなされ、反撃の刃がフレンを襲う。
 
「(こいつ、強い!)」
 
 眼前の空気を裂く斬撃に、フレンは認識を改める。剣も持たずに勝てる相手ではない。
 
 ―――そう、思った直後だった。
 
(ドガッ!!)
 
「え?」
 
 苦し紛れに近かったフレンの蹴りを顔面に受けて、男はあっさりと吹っ飛ばされた。
 
 手摺りに勢いよく叩きつけられた男は、そのまま勢い余ってテラスから落下してしまった。
 
「………………」
 
 一秒。
 
「……………あ」
 
 二秒いっぱい硬直してから、気付いた。まんまと逃げられた、という事に。
 
「中は……!」
 
 しかし、まさか追い掛けるわけにもいかない。これだけ大それた犯行がたった三人で行われたはずがない。
 
 煙の晴れた会場に向かおうとしたフレンは……思わず足を止めた。
 
「皆、怪我は無いか?」
 
 十人近くはいるだろうか、フード付きの黒いコートを着た、赤いゴーグルの男たち。まさしくフレンがさっきまで戦っていた相手と同じ出で立ちの不審者らが、一人残らず倒れていた。
 
 それらを見下ろして毅然と立つのは、式典用の装飾剣を片手に握るアレクセイ。
 
「(たった一人で、こんなに早く……)」
 
 それも、あの煙幕の中で、会場にいた誰も傷つけさせずに、である。
 
 肩書きだけではない。名実ともに帝国一を名乗るに相応しい騎士がそこにいた。
 
「よくやったな、フレン」
 
 剣を鞘に納めて、アレクセイはフレンの方に振り返った。騎士団の隊長や評議員の人間が揃ったこの状況で、真っ先にフレンに声を掛けた。
 
「いえ、私は何も……」
 
「君の掛け声で皆が伏せていなければ、こう上手くはいかなかったさ。何より……姫さまを守ってくれた」
 
 アレクセイの目が、フレンの後ろに向けられる。それに合わせて、フレンも振り返る。
 
 ………今、なんと言った?
 
「遠縁ですけど、一応そういう事になってます。改めてはじめまして、フレン」
 
 花が咲く様に、エステリーゼは笑った。
 
 
 
 
 ―――今から、二週間前の話だった。
 
 
 



[29760] 2・『帝都の下町』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/10/03 18:42
 
 帝国の首都・ザーフィアス。華やかな貴族の都であると同時に、民が重税に苦しむ過酷な町。
 
 住民の身分区別、階級化が厳格に行われ、その住居区画は貴族街、市民街・下町の三層に分かれ、身分の高い者ほど街の高い所に住む権利が与えられる。
 
 身分間の交流も少なく、罪にこそ問われないが、下町の人間は貴族街に入る事さえ疎まれる。
 
 今の帝国の在り様を体現したかのような街。その下町でユーリやフレンは育った。
 
 そして今、シゾンタニアを旅立ったユーリは、またこの故郷に足を踏み入れていた。一人の天才魔導士と、一匹の仔犬を伴って。
 
「何か久しぶりな感じがすんなー」
 
 無論、騎士団を辞めて故郷に帰って来たわけではない。辺境のシゾンタニアからは、ここが一番近いというだけだ。要するに、旅の途中に一泊しに寄っているだけである。
 
「やっと着いたー」
 
 魔物と戦い、野宿を経ての徒歩の旅に一時の安らぎを見て、リタが「んーっ」と伸びをする。野宿での寝ずの番はユーリがしていたとはいえ、まだ小さなリタには少々つらかったのかも知れない。
 
「ワンッ、ワン!」
 
 ラピードはユーリの周りを忙しく駆けている。まだ小さいのに元気なものだ。
 
「……………………」
 
「どうした、帝都は初めてか?」
 
 キョロキョロと下町の光景を眺めているリタに、ユーリは声を掛けた。対するリタの顔には、ややの困惑が浮かんでいる。
 
「二回来たわよ。博士号の試験を受けに来た時と、シゾンタニアに向かう途中に寄った時に。……でも、全然イメージが違う」
 
「お前が前に来たのは貴族街とか市民街の方なんだろうな。ここは下町、一番貧乏なトコだよ」
 
 リタの感想に自重めいた返事で応えながら、ユーリはあちこちに手を振っている。
 
 「ユーリが帰って来た!」、「何でこんなに早く?」、「おー、ユーリ!」、「誰、あの子?」などなど。すれ違う皆がユーリの帰郷に目を声を向けている。
 
 まるで、下町の誰もがユーリを知っているかのような反応だ。
 
「………あんた、もしかして有名人?」
 
「俺が特別ってわけじゃねーよ。こういう町だからな、皆して支え合わないと生きてけないってだけだ」
 
 二人は他愛ない話を続けながら夕暮れ時の下町を歩く。
 
 その時、通り過ぎた二人は気付かなかった。
 
「…………わふ?」
 
 下町の生活を支える水道魔導器(アクエ・ブラスティア)。その中心に、あるはずの魔核(コア)が無いという事に。
 
 
 
 
「泊めてくれそうな場所、知ってっから」
 
 ユーリのその言葉に、リタは大人しく川沿いに町の外れまでついて来て………
 
「ちょっと待ってろ」
 
 という一言を受けて、『箒星』と書かれた酒場に入っていくユーリを見送って………一秒、二秒、三秒―――
 
「こんの腐れニートがぁぁぁーーーー!!!」
 
「ぐはぁぁ!?」
 
 跳ね返る様にユーリが吹っ飛んで来た。酒場の扉ごと、芸術的なスピンを描いて。
 
「せっかく入れた騎士団を1ヶ月で辞めてくるってのはどういう事じゃあ!? 何か言い訳あるなら言ってみぃ!」
 
 酒場から出て来た一人の老人が、路面に転がったユーリを見下ろして腕を組む。
 
 リタは展開について行けない。
 
「いきなり何すんだよ!? ハンクス爺さん!」
 
「やかましい! 儂が先行する事で女将のゴールデンフィンガーから守ってやったんじゃ、感謝せい!」
 
 上半身を起こしたユーリと、ハンクスと呼ばれた老人が、何やら喧しく言い争いを始める。
 
 耳を引っ張られて酒場に連れて行かれるユーリに、リタはなんとなくついて行った。
 
「(何これ)」
 
 喧嘩をしているはずなのに、どこか空気が軽くて楽しげで……リタには、こんな経験は無い。
 
 とりあえず、『馬鹿っぽい……』とは思う。
 
「じゃ何か? 騎士団やめてまた用心棒気取りか? この生産性の無いごくつぶしが!」
 
「だから軽く寄り道してるだけだっつってんだろが! 心配しなくてもすぐ出てってやるよ!」
 
 完全に酒場の肴と化しているユーリ。リタは仕方なく、他人のフリをして空いているカウンター席に座った。
 
「(って言うか、いくら何でも情報が早過ぎるような気がするんだけど)」
 
 ユーリは下町に戻って来てから、一直線にこの『箒星』に向かった。シゾンタニアにいるはずのユーリが私服でここにいるのは確かに妙ではあるが、ハンクスの対応は少し思い切り過ぎではないだろうか。
 
「あなたがリタちゃんね?」
 
「へ?」
 
 などと考えていたら、カウンター越しにユーリの喧嘩を眺めていた女将が、リタの前にりんごジュースを置いてきた。
 
 もうこれは、明らかに何かがおかしい。
 
「……何であたしの名前、知ってるの?」
 
 リタが女将に問うのと―――
 
「つーか、何で俺が騎士団やめたの知ってんだよ!」
 
 ユーリがハンクスに怒鳴ったのは、ほぼ同時だった。
 
「「あちらのロバートさんから、シゾンタニアでの顛末を聞いてたの(んじゃ)」」
 
 女将とハンクスの指差す先を追って、ユーリとリタの視線が店の隅のテーブルに向く。
 
 そこに……あり得ないほど高く積まれた、空の食器の山があった。
 
「……ロバート?」
 
 聞き覚えの無い名前だ。そう思う間に、食器の向こうから一人の男が姿を現す。
 
 異国情緒あふれる派手な紫の羽織を着て、黒いざんばら髪を後頭で束ねた、いかにも胡散臭い中年。
 
「おっ、さん……」
 
「また会ったわねぇ、若人たちよ」
 
 そう……シゾンタニアの遺跡でユーリ達を逃がす為に死んだと思われていた、レイヴンその人だった。
 
 
 
 
「やっぱ生きてたんだな、レイヴン」
 
 ハンクスや箒星の夫婦らの追求を一先ず振り切り、酒場の隅のテーブルでユーリとレイヴン、ついでにリタが向かい合っている(皿は片付けた)。
 
「レイヴン? 青年が何を言ってるのか知らないけども、俺様はロバートっつーケチな情報屋よ?」
 
「さっき『また会った』って自分で言ったでしょうが!?」
 
「どうどう」
 
 レイヴンの相変わらず人を食った態度に、テーブルに手を突いて身を乗り出すリタ。ユーリはその首根っこを掴んで、再び席に座らせる。
 
「あんまし驚いてなさそーね。ここは『生きててくれたのね!』って涙ながらに感動する場面でしょ」
 
「なんとなくな。それに……隊長が全然心配してなかったからさ」
 
「……後半無視しないでよ〜、突っ込んでくれないと、おっさんイタい人みたいじゃないの」
 
「実際そうでしょ」
 
「酷いお言葉……」
 
 ユーリとリタの極めてドライな対応に、レイヴンはハンカチで目尻を拭う。
 
「……とりあえず、礼は言っとくよ。おかげで俺たち、死なずに済んだからな」
 
「……改めてそんな風に言われると、ちょい気持ち悪いわ」
 
「…………………」
 
 出来るだけさりげなくあの時の礼を告げたユーリを、レイヴンの嫌そうなジト目が突き刺した。
 
 いちいち素直に感謝する気を失くさせるおっさんである。
 
 遺跡に限らず、シゾンタニアでは散々助けられたのだが……どうにも裏があるように思えてならない。ナイレンが握っていた弱みとやらも気になる。
 
 ――しかし、リタにとってはそんな事は二の次である。
 
「あの怪物はどうなったの? おっさんが倒したの?」
 
「んー……どうでしょ? 戦ってたら遺跡が崩れ始めて、気付いたらいなかったからねぇ」
 
「そう…………」
 
 レイヴンの応えに、リタは安堵とも寂寥とも取れる不透明な溜め息をついた。
 
「あの怪物、気になるのか?」
 
「……まぁ、ね。あんなにはっきり声が聞けた事なんて今まで無かったし、それが魔導器じゃなかったわけだから」
 
 脱力してテーブルの上に突っ伏すリタ。魔導器の声が聞こえる。これまで何度か耳にしてきたリタの言葉だが、ユーリには未だにピンと来ない。
 
 しかし、直接訊くのを躊躇わせるような“壁”をリタが張っている……気がする。
 
「興味が出るのは解らなくも無いけどな。俺だって、まだあの化け物と決着つけてねーわけだし」
 
「……何それ、アンタもしかして戦闘狂?」
 
「戦闘狂って言うな。フツーだフツー」
 
「いやぁ、あんなのともっかい戦いたいなんて、十分アブノーマルでしょ。おっさんは二度とゴメンよ」
 
 本人に自覚のないユーリの発言から、会話の焦点がユーリへと移っていく。その尻馬に乗る形でレイヴンも話題ずらしに精を出す。
 
 ………が、
 
「異常なのはあんたらでしょ」
 
 そうは問屋が下ろさない、とばかりにリタが人差し指を突き立てた。レイヴンと、そしてユーリに。
 
「……随分とまた直球ねぇ、天才魔導士少女」
 
「ぐずぐずしてたら、訊く機会なんて無くなっちゃうでしょ」
 
 探り合うような視線を飛ばすリタ。素知らぬ顔で酒を啜るレイヴン。そしてその間で置いてきぼりを食らっているのは、ユーリである。
 
「(……俺も?)」
 
 レイヴンにいくら謎が隠されていようが驚きはしないが、そこに自分が含まれている事は心外だった。隠し事らしい隠し事などしていない。
 
「「………………」」
 
 割れる寸前の風船のような張り詰めた空気。それが―――
 
「なぁ……」
 
「ん?」
 
 唐突に終わった。下からリタの袖を引く、小さな少年の手によって。
 
「お前、魔導士ってホントか?」
 
 見れば、ユーリには馴染み深いこの酒場の一人息子・テッドだ。
 
「お、お前………?」
 
 自分より二回り以上年下の子供にお前呼ばわりされて、リタの表情が見事に引きつった。
 
 チョップ炸裂二秒前で、ユーリが上からその手を掴む。
 
「だったら、下町の水道魔導器なおしてくれよ! 壊れて動かなくなっちゃったんだ!」
 
「「っ!?」」
 
 驚愕に固まる二人の顔に―――
 
「…………………」
 
 レイヴンは人知れず、僅かに口の端を上げた。
 
 
 



[29760] 3・『牢獄の中で』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/10/04 16:35
 
 レイヴンと、あまり嬉しくない再会を果たした翌日の事。
 
「どうだ、直りそうか?」
 
「治るも何も、魔核(コア)が無いじゃない。これじゃ手の施し様が無いわ」
 
 下町の中心に位置する水道魔導器(アクエ・ブラスティア)。テッドに頼まれてそれを一目見たリタは、ガックリと肩を落とす。
 
 古代ゲライオス文明の技術の結晶たる魔導器は、現在の技術では生産する事は出来ず、遺跡から発掘された物を利用するしかない。
 
 帝国が管理の名の下に独占している魔導器は、貴族にとってはいくらでも手に入る代物だが、下町の住民にとっては一つ壊れるだけで大事である。
 
 特にこの水道魔導器は、下町の住民すべての生活を支える要だ。
 
「なあテッド、この真ん中に填まってた青い玉、知らないか?」
 
「知らないよ。オレが見た時にはもう無かったもん」
 
 エアルを動力へと変換する魔核が無ければ、魔導器は動かない。しかしこの水道魔導器には、その魔核が無い。
 
 もちろん、初めから無かったわけではない。誰かが筐体(コンテナ)から取り外したのだ。
 
 魔核は一体どこに……。誰もがそう思った時だった。
 
「おっさん、誰が魔核ぬすんだか知ってるわよ」
 
 ユーリとリタの後ろに、いつの間にかついて来ていたレイヴンが、開口一番そう言った。
 
「ホントか! どこのどいつだよ?」
 
「今の俺様、ケチな情報屋のロバートだからねぇ。タダってわけにはいかないわよねぇ?」
 
 真っ先に詰め寄るユーリに、レイヴンは両手を後ろ頭で組んで明後日の方を向きつつ、チラ見してくる。
 
 かなりイラッと来る仕草である。
 
「ったく……解ったよ。昨日おっさんが食ってた飯代なら俺が持つから、早く魔核ドロボウの居場所おしえてくれ」
 
「話が解るわねぇ、ジャック」
 
「誰がジャックだ」
 
 軽くスキップしながら先を行くレイヴンの後ろを、ユーリは財布の中身を確かめながらついて行く。
 
 ……まだまともに旅も始まっていないのに、いきなり財政難に陥りそうだった。
 
 
 
 
 帝都の貴族街へと続く城門。その付近の茂みに身を隠すユーリ、そしてリタ。
 
「お前は箒星で待ってて良かったんだぞ」
 
「あの子、ほっとけないでしょ。あんただけに任せてらんないの」
 
 あの子……と言われて、それが水道魔導器の事だと遅れて気付く。相変わらず、魔導器が関わると眼の色が変わる。
 
「(さて、どうするか………)」
 
 二人が何故こんな場所に潜んでいるのか、それはレイヴンの情報が原因だった。
 
『デデッキ?』
 
『魔導士に成り済まして一般人を騙す、いわゆる詐欺師って奴さ。偽物ばっかじゃすぐバレちまうから、たまにこうやって余所から本物の魔導器を盗む………らしいわよ』
 
 そのデデッキが、今は下町の魔核を盗んで貴族街の空き家に隠れている……と言うのが、レイヴンの情報だった。
 
「(胡散臭いのは間違いねーけど、あんなでも一度は本気で助けてくれたんだよな……)」
 
 かくて二人はラピードを箒星に預け、こうして貴族街に乗り込みにやって来た。
 
「って言うか、何で街の真ん中に門兵なんかいるのよ」
 
「あそこから先は貴族街。“こっち側”は守る必要なしって事だよ」
 
 当然と言えば当然なリタの疑問に、ユーリはここにはいない誰かに向けて皮肉を零す。
 
 かつて結界が不調を起こして魔物の群れが押し寄せて来た時も、あの城門によって“貴族だけが”守られた。
 
 その時、唯一下町を見捨てずに兵を率いて戦ったのが、フレンの父、ファイナス・シーフォ。ただし……それが彼の最期の戦いとなった。
 
「……やっぱり、帝都は大変みたいね」
 
「ま、今はグチ零してても仕方ねーさ。とりあえず、あの見張り何とかしねーと」
 
 妙に暗くなった空気を晴らす様に、ユーリは明るく笑いながら石ころを拾い上げる。
 
 貴族街に入る事自体は犯罪ではないが、それでも叩きだされる事がほとんどだ。
 
「よっ!」
 
 茂みに隠れたまま、ユーリは勢いよく石ころを投擲した。それは鋭く風を切り、吸い込まれる様に門兵の頭に飛んで……直撃する。
 
「ぐあっ!?」
 
「お、おい……どうしがッ!?」
 
 さらにもう一投。やられた相方に駆け寄った騎士も昏倒させた。
 
「ストライクッ」
 
「あんた……騎士相手に無茶するわね。まあ、いいけど」
 
 邪魔者の排除に成功した二人は、堂々と茂みから出る。哀れな騎士に一瞥だけくれて、やや小走りに貴族街へと入って行く。
 
 こうなった以上、さっさと用事を済ませて帰るに限る。
 
「確か、貴族街に入ってすぐ左……だったよな」
 
 幸いにも、デデッキとやらの潜む屋敷は城門のすぐ傍にあるらしい。道の両脇に花を咲かせた道を走り、馬車の置いてある庭を抜けて、二人は拍子抜けするくらいあっさりとデデッキの屋敷に辿り着いた。
 
「鍵、空いてる?」
 
「空いてなくても、魔術でぶっ飛ばすのは勘弁してくれよ。流石に目立ち過ぎるからな」
 
「あのね……やるわけないでしょが」
 
 軽口を交わしながら、どうせ閉まっているだろう扉のドアノブを回すと―――
 
「お?」
 
 予想に反して、いとも簡単に扉は開いた。外装に似合わぬ殺風景な豪邸が顔を覗かせる。
 
 空き家という事を考えれば、別段おかしくはないようにも思えるが………デデッキが住んでいると言うなら、もう少しゴミとかがあっても良さそうなものだ。
 
「…………………」
 
 部屋の中央へと進みながら、ユーリは足下を注意深く観察する。薄く積もった埃の上に乱雑に広がる、幾多の足跡。
 
「こりゃ、ハメられたかな」
 
「………みたいね」
 
 リタも気付いた。時すでに遅し、という事に。
 
「その通りだよ」
 
 自分に酔ったような声が、たった今ユーリ達の通って来た方から聞こえた。
 
 それに合わせて、開く。屋敷中の扉が、窓が、中から飛び出てきた紫色の騎士達によって。
 
「揺らめくほみゅ!?」
 
「やめとけって」
 
 完全に包囲され、早速詠唱を始めたリタの口をユーリが塞いだ。
 
「お前……キュモールだっけ」
 
「空巣ドロボウに呼び捨てにされる筋合いはないな」
 
 振り返ればそこに、この隊の隊長と思われる男が立っていた。蛍光気味の青い長髪をオールバックにし、紫色の鎧と、胸元をハートマークに開いたピンクの軍服を着た男。他にも所々に悪趣味な化粧や装飾が目立つ。
 
 騎士団隊長のキュモールだ。
 
「あのロバートって情報屋には感謝しなくちゃね。これで、堂々と君を騎士団から追い出せる」
 
 もう辞めてるっつーの。とは口に出さず、ユーリはキュモールの言葉の前半を反芻する。
 
 情報屋の、ロバート。
 
「(あのくそオヤジ……!)」
 
 得意気にほくそ笑む胡散臭い笑顔に、ユーリは心の中で右ストレートを叩き込んだ。
 
 
 
 
「あのおっさん、次に会ったら顔見た瞬間に焼いてやる………!」
 
 じめじめとカビ臭い牢獄の中で、自称天才魔導士が唸り声を上げていた。その燃え盛る怒りは、彼女を罠に掛けた胡散臭いおっさんに向けられている。
 
 あの屋敷に誘導したのもレイヴン。騎士団を呼んだのもレイヴン。そしてユーリとリタに濡れ衣を被せたのもレイヴン。確実にナメている。
 
「つーか、何が狙いなんだかサッパリ解んねー。俺たちみたいのを牢にぶちこんで、あのおっさんに何の得があるってんだ」
 
「………あんた、起きたんだ」
 
 リタが振り返れば、あの後リタの分までキュモール隊の騎士にタコ殴りにされて、この牢にリタ共々ほうり込まれたユーリが目を覚ましていた。
 
「……ユーリもユーリよ。あんな連中、あんたなら簡単にやっつけられたでしょ。あたしの邪魔までして」
 
「不法侵入くらいなら、十日も大人しくしてりゃ出られるって。無駄に騒ぎを大きくすんな」
 
「そりゃ、あんたはそれでいいかも知れないけど………」
 
 比較的まともな対応をしたつもりなユーリだったが、リタの態度に少し違和感を覚える。
 
 何か、焦りのようなものを感じる。
 
「そういえば、“元”帝国の研究員なんだっけ。何か、まずかったか?」
 
「なっ、何であんたがそれを……!?」
 
「最初に会った時、お前が言ったんだろ。『自分は“もう”帝国の研究員じゃない』ってさ」
 
「…………………」
 
 相変わらず、どうでもいい事をよく憶えている奴だ、とリタは頭を抱えた。
 
 抱えて……色々と観念した。鉄格子にかじりつくのをやめて、ユーリの近くの壁際に膝を抱いて座り込む。
 
「………あたしは、学術都市アスピオの魔導士だった」
 
 ポツリ、ポツリと、リタは自分の過去を語りだす。
 
「魔導士は魔導器を管理、研究し、過去と未来を繋ぐ者。……だけど、実際はその知識を帝国に利用されるだけの存在よ」
 
 自分もその一人だった事に、リタは自嘲気味な笑みを零す。
 
「数ヶ月前、あたしは研究の補佐を依頼された。相手は帝国魔導研究所のトップである宮廷魔導士……あんたも知ってる、あのガリスタって奴よ」
 
「ああ、あの眼鏡ね……」
 
 ふと、ユーリは思い出す。誰が相手でも物怖じしないリタが、シゾンタニアでガリスタだけは避けていた事を。
 
「そこであいつ、無茶苦茶な術式の使い方してて、あたしより進んでるのに、魔導器に対する愛情の欠片もなくて………」
 
 膝に頭を埋めて、リタはそこで黙る。何となくオチが読めたので、ユーリも敢えて追及はしない。
 
 まず間違いなく、火の玉一発ドカンだろう。
 
 少しの沈黙で区切りをつけ、リタはまた語りだす。
 
「あたしはアスピオを出た。あの場所にいる限り、あたしの魔導学はこれ以上先に進めないって思ったから」
 
「……で、研究対象を探してシゾンタニアに辿り着いた、か」
 
 こくりと、ユーリの方を向かずにリタは首肯する。
 
「(なるほどね)」
 
 このままリタの存在が研究所の方に知れれば、また強制的に研究をさせられるかも知れない。彼女はそれを恐れているのだろう。
 
 となると、このままただ待つのもまずい。こういう事情なら、いっそあの場で暴れていれば良かったとユーリは後悔する。
 
「さてと、どうやって抜け出すか」
 
 武器も魔導器も取り上げられて、周りは石壁と鉄格子。どうしたものかと頭を捻っていると―――
 
「お困りみたいねぇ、若人たちよ☆」
 
 いま一番殴りたい顔が、鉄格子の向こうから笑いかけて来た。
 
 ―――その指先に、古びた鍵の束をぶら下げて。
 
 
 



[29760] 4・『脱獄』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/10/06 16:53
 
 薄暗い地下牢の中、鉄格子越しに二人とレイヴンが向かい合う。
 
「あれ、俺さま歓迎されてない?」
 
「……まさか本気で歓迎されるなんて思ってたわけじゃないでしょうね」
 
 いけしゃあしゃあと言い放つレイヴンを、リタが怒りを滲ませて睨む。もし手元に魔導器(ブラスティア)があったなら、間違いなくファイアボールをお見舞いしている所である。
 
「あらら、そんな事言っちゃっていいのかしら?」
 
 リタの威圧をまるで意に介さずに、レイヴンは意地悪く笑った。その指先で、輪に付けた鍵の束が小気味の良い金属音を奏でている。
 
 ここは、帝都王城の罪人を捕らえておく為にある場所だ。
 
 常識で考えれば来る事など出来るはずの無いこの場所に、レイヴンは何食わぬ顔で現れた。
 
 しかも……おそらくは牢屋の鍵すら手に入れている。ユーリとリタが今一つ強気に出られない原因がこれだ。
 
「どうしよっかなー。おっさん、こんなカギ要らないしなぁ~」
 
「こ、この卑怯者ぉ……!」
 
 あまりの悔しさに歯軋りするリタ………の、顔の横を、通り過ぎる。
 
(ガシャン)
 
「「………え?」」
 
 それは鉄格子の隙間を抜けて、ユーリの足下に転がった。レイヴンがさっきまで見せびらかしていた鍵束だった。
 
「冗談よ冗談。あんまり怖い顔するもんだから、おっさんちょっと意地悪しちゃった」
 
 今のユーリ達が、喉から手が出るほど欲しい鍵。それをいとも容易く手放したレイヴンに、ユーリとリタは揃って信じられないという顔をする。
 
 当然、次に口にするのは疑心だ。
 
「……この鍵、本当にこの牢の鍵なんだろうな?」
 
「疑り深いわねぇ、せっかく良い物も取り返して来たってのに」
 
 探るような視線を受けて、レイヴンは背中の包みを床に開げて、二人に見せた。
 
 その中身に、リタはすぐさま声を張り上げる。
 
「クリスティーナ!」
 
「……………」
 
 袋の中身は、ユーリの剣、リタの帯や魔導書、そして二人の魔導器。クリスティーナというのは、どうやらリタの魔導器の名前らしい。
 
「早く出なよ。前途ある若者に、湿っぽい牢屋は似合わないからねぇ」
 
「おっさん………」
 
 軽く手を振りながら、レイヴンは二人に背を向け歩き出した。去りゆく背中が、おっさんの癖に妙にカッコいい。
 
「……ったく、なに考えてんだかな」
 
 元はと言えばレイヴンのせいだが、心底恨む気持ちにはなれない。
 
 ―――そんな風にユーリが思った時、リタの声が届いた。
 
「あの……届かないんだけど……」
 
 鉄格子の隙間から必死に伸ばされたリタの手が、クリスティーナに届かない。
 
 つまり、取れない。
 
「ちょっとユーリ! さっさとカギ開けなさいよ!」
 
「ちょっと待てって! つーかおっさん、コレどれが本物だよ!?」
 
 急かされ怒鳴られ、ユーリは慌てて鍵束を拾い上げた。丸い輪に通された鍵の数は一つや二つではない。見えない向こうから、「知~らない♪」という声が聞こえた。
 
「あーもう、魔導器があればこんな牢屋なんか!」
 
「その魔導器を取る為にも牢から出るんだろーが」
 
「わかってるわよ!」
 
 ガチャガチャと次から次に鍵を鍵穴に差し込んで試していくユーリ。。
 
 本来なら慌てず静かにすべき事なのだろうが、どうにも嫌な予感しかしない。
 
「開いた!」
 
 悪戦苦闘の末、何とか解錠に成功する。とりあえず『鍵が偽物』という最悪のケースだけは免れたようだ。
 
 それぞれの武器と魔導器を装着して、ユーリとリタは間髪入れずに走りだす。
 
「あのおっさん、マジで何がしたいのよ!」
 
「さあな、とにかく長居は無用だ!」
 
 走るユーリの視界の隅に、平和ないびきをかきながら転がっている見張りが映った。
 
「(レイヴンがここに忍び込んだんなら、騒ぎになるのは時間の問題か)」
 
 などと、“無駄な”思考を過らせるユーリの足下で………赤い閃光が弾けた。
 
「うわっ!?」
 
「ひゃっ!?」
 
 爆発とも呼べない破裂と共に、赤い魔方陣が靴裏で火花を撒き散らす。
 
「火の術式の、トラップ?」
 
 リタが気付いた時には、もう遅い。その爆発を合図にするかのように、地下牢周辺に幾多の術式が浮かび上がり、炎と共に派手な爆音を城中に響かせた。
 
「何だ今の音は!?」
 
「地下牢の方からだ!」
 
「敵襲! 敵襲ー!」
 
 その爆発に呼ばれて、ワラワラと集まって来る王城の騎士たち。
 
 作為的に外された爆発の煙の中から、ユーリとリタは進み出る。
 
「……おっさんの仕業だよな、これ」
 
「次に会ったら問答無用でぶっ飛ばす。文句ある?」
 
「ねーよ」
 
 逆手に握った剣から、ユーリが鞘をぞんざいに振るい落とす。帯を解いたリタが、軽やかに軌跡を描いて回る。
 
「こ、子供……!?」
 
「お前たちは完全に包囲されている」
 
「大人しく武器を捨てて投降しろ!」
 
 面白みの無いリアクションを重ねる騎士たちに、リタは大きく溜め息を吐いて―――
 
「上等よ……やってやろうじゃないの!」
 
 ―――堂々と、啖呵を切った。
 
 
 
 
「『ファイアボール』!!」
 
 数多の火炎弾が中空を奔り、膨れ弾けて騎士たちを吹き飛ばす。
 
 爆煙の向こうから直撃を免れた騎士の一人が剣を向けて来る。
 
「『ルドルフ』!」
 
 跳躍と共に振り上げられた帯の一撃が、剣と鎧ごとその騎士を殴り飛ばした。
 
 もう何度、こんな攻防を繰り返しただろうか。
 
「(……どこ行ったのかな)」
 
 ユーリはいない。リタを騎士団の食堂に押し込んだ後、派手に大騒ぎしながら多数の騎士を引きつれて逃げて行った。
 
 兵が去った後にユーリと逆側に走ったリタは、数の減った騎士を一掃しつつ……もはや出口付近にまで歩を進めていた。
 
「(………ま、いっか。あいつも騎士だったんだから、城の道くらい詳しいでしょ)」
 
 わざわざ探す理由も無ければ、助けてやる義理も無い。後は自力で何とかするだろう。
 
「…………待てよ」
 
 そのまま城の出口に一歩を踏み出そうとしたリタは、そこでふと思いとどまる。
 
 これだけ派手に大暴れした後、あんな大きな出口から堂々と出るのは流石にまずいのではなかろうか。
 
 裏口なり抜け道なりを探して、そこから逃げた方がいいのではないだろうか。
 
「うん」
 
 それがいい。そうしよう。
 
 無理やり自分を納得させて、リタは今きた道を引き返す。……ロクに道も知らないくせに。
 
 
 
 
 魔核(コア)を触媒にして、剣にエアルを収束させる。集めたエアルは、刻まれた術式によって力へと変換されて―――
 
「『蒼破刃』!」
 
 ユーリの振るった一閃の下、蒼い衝撃波となって騎士たちを吹き飛ばした。
 
「へぇ、これが武醒魔導器(ボーディ・ブラスティア)か」
 
 ナイレンから譲り受けた魔導器に視線をやって、ユーリは満足そうに笑みを深めた。
 
 シゾンタニアからこっち、リタに散々レクチャーを受け、実際に試すのはこれが初めての事だった。
 
 ……と言っても、悠長に試し撃ちなどしている場合ではないが。
 
「待てぇー!」
 
「魔導器を持ってる兵はまだ来ないのか!」
 
「お、お前ユーリ!?」
 
 逃げる為に敵を倒し、敵を倒す度に騒ぎが大きくなる。そして何よりまずいのが………
 
「……ここ、どこだっけ?」
 
 完全に、道に迷ってしまっている事だった。
 
 ユーリは(多分)方向音痴ではないが、そもそも騎士になってすぐにシゾンタニアに赴任したのだ。広いザーフィアス王城の道筋などほとんど覚えていない。
 
 完全に勘だけを頼りにひた走るユーリの前に―――
 
「よし、追い詰めた!」
 
 後ろから追い掛けているのとは別に、新たな騎士が立ちはだかった。
 
 さして広くもない廊下で、見事に挟み撃ちの図式が出来上がる。
 
「突撃ぃーー!!」
 
 一糸乱れぬ突進から、逃げ場の無い槍衾が繰り出された。その穂先を……
 
「邪魔だ!」
 
 ユーリの一閃が、まとめて斬り飛ばす。勢いを止められず突っ込んで来る騎士……その腹を胸を頭を踏み台にして、ユーリは高々と跳躍した。
 
「上から失礼!」
 
「べぶ!?」
 
 さらに、後方で指揮していた小隊長っぽい頭を飛び石にして、中空で逆さのまま振り返った。
 
 逃げ場の少ない狭い廊下。それは相手も同じ事。
 
「『蒼破刃』!!」
 
 先ほどよりも一段と威力を増した衝撃波の一振りが、一方向に誘い出された騎士らを一網打尽にする。
 
 余裕で着地に成功したユーリは、そのまま脇目も振らずに再び走りだす。
 
 向かいの曲がり角を抜けて、その先の階段を上り―――
 
「(って、上いってどーすんだよ)」
 
 ながら、後悔する。とはいえ、元から道など解っていないのだから仕方ないのだが。
 
 さっきの騒ぎでまた人が集まって来るだろう。来た道を引き返す事も出来ない。
 
「(どうする………)」
 
 今はうまく凌げているが、このままではいずれ捕まるのは自明の理。
 
 いっそ何処かの部屋に隠れてやり過ごそうか。そう思って目に入ったドアの一つに手を伸ばして……思いとどまる。
 
 リタの時は囮がいたから上手くいったのだ。ここで下手に室内になど逃げ込めば、今度こそ逃げ場一つない袋のネズミになってしまう。
 
「(来たか)」
 
 窮地の中で研ぎ澄まされた聴覚が、こっちに近づいて来る幾多の足音を拾う。
 
 それも、一方からだけではない。これはまた、挟み撃ちにされるだろう。派手にやり過ぎて、ある程度 場所を特定されてしまったようだ。
 
「………しゃーねぇか」
 
 ―――静かな気迫を敢えて口に出して、ユーリは一歩踏み出した。
 
 
 



[29760] 5・『泥棒さん』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:ef78e215
Date: 2011/10/08 12:36
 
 部隊を引きつれて、隊長の一人が城内を走る。滅多な事では騒ぎなど起きない王都の城の中は今、前代未聞のパニックに陥っていた。
 
 地下牢にいた罪人が脱獄し、捕らえに来た騎士を片端から薙ぎ倒しているようだ。
 
 嘘のような報告を裏付けるように、彼の視界に映るのは仲良くノビている同僚たちの姿である。
 
「(……まずい)」
 
 今の状況も十分まずいが、そんな事はどうでも良くなるほどの恐怖を彼は感じていた。
 
 騎士の絶叫を頼りに、気絶した騎士の姿を辿ると、その先は………
 
「(わわ、私の首が飛ぶ……!)」
 
 既に別の部隊にも命令を出して逆側からも向かわせているが、階段のすぐ傍にまで騎士が転がっているのは非常にまずい。
 
「急げ! 急げー!」
 
 自ら先頭に立って階段を駆け上がり、目を見開いて廊下の先を見る。人影は……ない。
 
 こうなると、無事か最悪かの二つに一つ。
 
「はあっ……はあっ……」
 
 息を切らせながら走り、一つの扉の前で立ち止まる。もし、この中に脱獄犯が逃げ込んでいたら―――
 
「………………」
 
 生唾を飲み込んで、ノックをしようとした。その時―――
 
(ガチャ)
 
「!!?」
 
 扉の方が先に開いた。思わぬ先制に、男の心臓は激しく跳ねた。
 
「あれ? どうかしましたか」
 
 半端に開かれた扉の隙間から、桜色の髪の少女が顔を覗かせた。何を思う間もなく現れた姿に、男は心の底から安堵した。
 
「ご無事でしたか、エステリーゼ様」
 
「城が騒がしいようですけど、何があったんです?」
 
 結果的に脱獄犯の足取りは途絶えてしまったが、こうして彼女が無事なら一先ずはそれでいい。
 
「いえ、姫様の気を煩わせるほどの事ではありません。しかし万一の事があってはなりませんので、姫様は少しの間 部屋から出られませんように」
 
「……そうやってまた、わたしを籠の鳥の様に扱うんですね」
 
 いじけた顔で恨み言を口にしたエステリーゼに応えず、男は黙って恭しく一礼し、静かに扉を閉めた。
 
 憐れに思わなくもないが仕方ない。自分の立場を良く理解してもらわねば。
 
 僅かばかりの安堵を得た男は、再び脱獄犯を探すべく皇女の部屋を後にした。
 
 
 
 
「万一の事、か……」
 
 閉じた扉に背を預けて、エステリーゼは確かめるように遠ざかる足音を聴く。
 
 その口元には、悪戯に成功した子供の様な笑みが浮かんでいた。
 
「今みたいな事を、“万一の事”って言うんでしょうか」
 
「……そーかもな」
 
 誰もいないはずの、誰もいてはいけないはずの自室で、エステリーゼは楽しそうに問い掛け、それに返事がある。
 
 騎士に捕まり、牢に囚われ、脱獄して暴れ回り、追い詰められていた青年……ユーリ・ローウェルが、ここにいた。
 
「何で俺を匿った? 後で叱られても知らねーぞ」
 
 そう、騎士に追い回されて逃げ道を失ったユーリは、寸での所でこの部屋にいたエステリーゼに匿われたのだ。
 
 ただ、その理由が判らない。
 
「だって、あなた泥棒さんですよね?」
 
「……最近の貴族様は泥棒を見境なく庇うのか? 初めて知ったぜ」
 
 妙にキラキラとした瞳で見当外れな確認を取る少女に、ユーリはキレの悪い皮肉で返す。
 
 純真と言うか天然と言うか、とにかくユーリが今まで出会った事の無いタイプのオーラをひしひしと感じる。うっかり否定するのを忘れてしまった。
 
「わたしを盗みに来たんですよね?」
 
「……それ、泥棒じゃなくて誘拐だろ。つーか何で嬉しそうなんだよ」
 
「お城に忍び込んだ泥棒さんが狙うのは、囚われの姫君と相場は決まっています」
 
 得意気に人差し指など立てている。この少女の中では、何やら勝手に物語が進行しているらしかった。
 
「どこの国の相場だよ」
 
「そして城を抜け出した貴方は、『俺のポケットには大き過ぎる』と言って、名前も告げずに去って行ってしまうんですよね?」
 
「聞いてねぇ………」
 
 ドレスを翻してステップを踏んだ後、エステリーゼは手を合わせ目を瞑って語りだした。
 
「そりゃアレか? 遠回しにそういう路線で行けって要求してんのか」
 
「是非!」
 
 ………握り拳まで作って気合い十分なエステリーゼの姿に、ユーリは一つの結論に達した。
 
 純真と言うより……天然と言うより……本の読み過ぎである、と。
 
「悪いこと言わねーから、今度からはそんな理由で不審人物を招き入れんのはやめとけ。……つーか、そもそも俺は泥棒じゃねーっつの」
 
「!!!?」
 
 ………全く関係はないのだが、思わず心配になってしまう。
 
「んじゃ、お嬢様の道楽に付き合ってやれるほどヒマじゃないもんで」
 
 衝撃の告白を受けて石のように固まるエステリーゼに手を振って、忙しい青年はそそくさと部屋を出ようとして―――
 
(がっし!)
 
 左手首を捕まれた。意外と復活が早い。
 
「何だよ、貴族にゃ珍しいモンでもないだろ」
 
 ユーリの左手を見つめるエステリーゼに、ユーリは魔導器(ブラスティア)を見られているのだろうと思い、そう言った。
 
 しかし、違う。
 
「いえ、これ何です?」
 
「ん?」
 
 エステリーゼが見ているのは、魔導器そのものではなく、それを固定する腕輪の方だった。
 
 ユーリは、ナイレンに貰った魔導器を腕輪で固定して身に付けている。その魔導器と腕輪の間に……何かある。
 
「紙?」
 
 そこに挿まれていた白い紙片をつまみ上げ、広げてみる。エステリーゼが横から覗き込んで、ユーリより先に読み上げた。
 
「女神像の下?」
 
「………………またおっさんか」
 
 他にこんな真似をする輩に覚えが無い。おそらく、騎士団から取り返してユーリに返す間に仕込んだ物だろう。つくづく胡散臭い。
 
 が……こうしている間にもユーリを追う騎士の数は増え続けている。とっくに出口は固められていると思った方がいい。
 
 闇雲に暴れ回るくらいなら、分の悪い博打に賭けてみるのも悪くない。
 
「やっぱり、連れて行ってはもらえないです?」
 
「旅行したいなら、俺なんかよりもっと真面目なナイト様にエスコート頼みな。下町出身の石頭なんかオススメだぜ」
 
 諦めの悪いお嬢様の頭をポンポンと叩いて、ユーリは冗談混じりに諭してみせる。温室育ちの貴族様にしては良い娘だ……からこそ、厄介事に巻き込む気はない。
 
 そして、ぶっちゃけ邪魔だ。
 
「そう出来れば楽なんですけど……でも、泥棒さんじゃないんなら、あまり無茶は頼めませんね」
 
「……何度も言うけど、泥棒さん頼るのはやめとけよ」
 
 無念極まる顔で唸るエステリーゼに背を向けようとした所で、はたとユーリは思い止まる。大事な事を忘れていた。
 
「助けてくれてありがとな、お嬢様。縁があったらまた会おうぜ」
 
 軽い礼を告げて、ユーリは扉に足を向ける。その背中に………
 
「エステリーゼです」
 
 はっきりと、名乗りが上がる。
 
「わたしの名前、エステリーゼって言います」
 
「…………俺はユーリだ。ユーリ・ローウェル」
 
 互いの名前を告げて、ユーリは扉を開けて走りだす。
 
 ―――この時ユーリは、自らの交わしたあまりに軽い約束が果たされる日がある事を、露ほどにも知らなかった。
 
 
 
 
「戻るんじゃなかったー!!」
 
 後悔に満ちた叫びと共に、リタの撃ち放った数多の火炎弾が騎士をまとめて吹き飛ばす。
 
 しかし、これが大した意味を持たない事をリタ自身も知っていた。
 
 途中で引き返し、派手に魔術をぶっ放してきたリタは、ユーリ以上に騎士たちに追い詰められてしまっていたのだ。
 
 おまけに、リタはまだ子供だ。体力も無ければ足も短い。こと逃走に関しては、ユーリどころかヒスカやシャスティルにも遠く及ばない。
 
「はあっ……はあっ……はあっ……!」
 
 ゆえにこうして、全力で走っても、振り切れずにすぐまた追い詰められてしまう。
 
「(どこ行ったのよ、あのロン毛!)」
 
 そうして逃げ込んだ部屋にもユーリはいない。どころか、部屋の真ん中に女神像があるだけの広間だった。
 
 多人数を相手にするには、あまり有利な地形とは言えない。
 
「“揺らめく焔 猛追”」
 
 疲労と焦燥に集中力を掻き乱されながら、リタは何度目かの詠唱を紡ぎ―――
 
「『ファイアボール』!!」
 
 撃ち出した……が、足りない。リタのイメージとは裏腹に、顕現した火炎弾はたったの三つ。
 
「(来る……!)」
 
 倒しきれていない。爆煙の向こうに迫りくる敵の気配を感じながら、リタは帯を振り解いた。
 
 接近戦で騎士を凌げる自信はないが、次の詠唱も間に合わない。
 
 やるしかない、そう覚悟を決めた時だった。
 
「『蒼破追蓮』!」
 
「っ!?」
 
 横合いから二筋。蒼い衝撃波がリタの眼前で騎士をまとめて薙ぎ倒す。
 
「ユーリ!」
 
 聞き覚えのある声に、頼もしさを感じながら振り返れば―――
 
「って何連れて来てんのよーー!?」
 
 予想通りにユーリはいた。ただし、リタが来たのとは別の通路から大量の騎士を連れて。
 
「お前まだこんなトコに……迷子か?」
 
「うっさい! アンタのせいで絶体絶命じゃない、責任取んなさいよ!」
 
「そのセリフ、そっくりそのまま返してやるよ」
 
 などと口喧嘩している場合ではない。今も騎士は続々と集まって来ている。
 
 二人揃って、今度こそ逃げ場を失った。背中合わせに敵を睨んで、二人は小声で言葉を交わす。
 
「……何か作戦、ある?」
 
「胡散臭いのが一個だけな……つっても、この状況じゃそれも難しいか」
 
「………強行突破しかないわね」
 
 強行突破。それがどれだけ難しいか理解しているリタは、うんざりとした溜め息を吐いた。
 
 それでもやるしかない。そう、覚悟を決めた時――――
 
「『ヴァンジーロスト』!!」
 
 頭上から声が聞こえて、眩しい光が全ての視界を埋め尽くした。
 
 
 
 
「あ……れ……?」
 
 それから、どれほどの時間が経ったのだろうか。
 
「俺……何してたんだっけ?」
 
 気がつけばそこに立っていた。後に騎士たちはそう語ったという。
 
「隊長、指示を!」
 
 誰かを追っていた気がする。しかし記憶が今一つ不確かで思い出せない。
 
「ちょっと待て! ……いま思い出すから」
 
 城の騎士が揃いも揃って取り囲んだ広間の中心で、女神像だけが静かに微笑んでいた。
 
 
 



[29760] ★・『漆黒の翼』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/10/09 15:40
 
 ザーフィアス貴族街。その城門に最も近い場所に、今は誰にも使われていない一軒の屋敷がある。
 
 ユーリとリタが、泥棒・デデッキの隠れ家だと唆された挙げ句に騎士団の待ち伏せを受けた場所だ。
 
 その庭にある女神像……外見に比べて異様に軽い女神像が、突然動いた。動いて……ズレた隙間から小さな少女が出てくる。
 
「眩しっ」
 
 それはつい先刻、ザーフィアス王城で大暴れしていた魔導士・リタ。もそもそと彼女が這い出た後にユーリが、そして最後に黒焦げになったレイヴンが引き摺られるように出て来た。
 
「酷い……か弱い年寄りをよってたかって……」
 
「あれだけ人の事おちょくっといて良く言えるわね」
 
「だ~か~ら~、ちゃんと助けに来たじゃないのよ~」
 
 被害者面で泣き真似を始めたレイヴンを、リタがゲシゲシと踏みつける。当然の報いというものだろう。
 
「しっかし、こんなベタな抜け道がマジであるとはな」
 
 たった今 自身が出て来た穴を見て、ユーリは感嘆とも呆れともつかない溜め息を吐いた。
 
 そう、城の広間で騎士団に追い詰められたユーリらは、そこにあった女神像の下の抜け穴から、地下道へと逃れた。
 
 そしてその地下道が、この空き家の庭に繋がっていたのだ。
 
 おっさんの知恵袋のおかげで逃げられたのは事実だが、そもそもそのおっさんのせいで牢に入れられたのだ。誰が感謝などしようものか。
 
「………長居は無用、か」
 
 こうなった以上、もはや帝都にはいられない。結界の向こうに広がる空に、ユーリは新たな旅立ちを感じていた。
 
 
 
 
「ユゥゥーリ・ローウェぇぇル~~!!」
 
 僅かな寂寥と惜別を滲ませた旅立ち……に、なろうはずもない。
 
 ユーリにとってはお馴染みの小隊長・ルブランとその部下のデコボコに追い回されて、ユーリとリタは下町へとひた走る。
 
 お約束よろしくレイヴンが忽然と姿を消しているが、もはや怒る気にもならない。
 
「お」
 
 全力疾走していると、下町の面々が目に入る。揃いも揃って暇な連中だと、ユーリは心中で皮肉を零す。
 
 その中の一人・ハンクスの前で、ユーリは一度だけ立ち止まった。
 
「行ってくるわ」
 
「しばらく帰って来んでええわ。いつもいつも無駄に騒ぎをデカくしおって」
 
「違いねぇや」
 
 憎まれ口と共に、ハンクスはユーリの荷物をぞんざいに投げ渡す。ユーリに対しては、これくらいで丁度いいのだ。
 
「……魔核(コア)、戻ったんだな」
 
 ふと目を向ければ、動かなくなったはずの水道魔導器(アクエ・ブラスティア)が何事も無かったかのように水を湧きださせている。
 
「ああ、ロバートさんが見つけて来てくれてな」
 
「見つけた、ねぇ……」
 
 ロバート、とはレイヴンの偽名だったか。あまりのタイミングの良さにユーリは顎を撫でるが、またルブランの怒鳴り声が聞こえた。ゆっくり考え事一つ出来ない。
 
「こいつも持って行け」
 
 先ほど渡した荷物とは別に、ハンクスはさらにもう一つの物をユーリに手渡す。
 
 華美な装飾の無い、しかし上品な造りの白い剣。とても下町の自治会長の所有物とは思えない。
 
「貰えねーよ、こんな高そうな剣」
 
「いいんじゃよ。元々、お前の親父さんの物なんじゃから」
 
「……親父?」
 
 ハンクスの言葉に、ユーリは首を傾げた。ユーリは両親の記憶は一切ない。下町の人間に話を聞く分には、どうも流れ者の傭兵だったらしいが。
 
「騎士になる時のお前に持たせても上に没収されるだけじゃったろうが、こうなった以上話は別じゃ。遠慮なく持ってけ」
 
「…………………」
 
 ユーリは僅か躊躇う。この剣、素人目にもかなりの業物である事が見て取れる。売れば下町の暮らしも楽になるのではあるまいか。
 
 そんなユーリの思考を見透かしたように、ハンクスは右手に持っていた“いい音のする袋”を振ってみせた。
 
「心配せんでも、ロバートさんからこんなのを貰っとる。どういうつもりかは知らんがな」
 
「おっさんが……?」
 
「ユーリ、いつまで喋ってんの! 騎士来てるわよ!」
 
 のんびり考えている暇もない。リタに手を引っ張られ、ユーリもそろそろ潮時と悟る。擦り寄って来たラピードを軽く摘み上げた。
 
「じゃあな」
 
「おう」
 
 軽やかに地を蹴って、ユーリは走りだす。この町で育って、騎士団に入って、今……世界を知る為に旅立つ。
 
 貧しくて、格差が激しくて、偉そうな貴族がムカつく町だが……温かい家族のたくさんいる、ユーリの故郷。
 
 次に訪れるのは、何年先になるかも判らない。
 
「………あばよ、ザーフィアス」
 
 誰にも聞こえないほど小さく、ユーリは故郷に別れを告げた。
 
 
 
 
 ―――そんな、騒がしくも彼らしい旅立ちを経て、翌日。
 
「これから、どこに向かうつもりなんだ」
 
「そうね………」
 
 行き先も決めぬまま帝都を北上した二人は、平原への道中に立ちはだかるデイドン砦にいた。
 
 季節が来る度に魔物の群れを率いて現れる平原の主。これを阻む為に設けられた砦だそうな。
 
「わかんないけど、とにかく帝都からは離れないとね」
 
 帝都を飛び出して昨夜、一先ずはこの砦に敷かれていた簡易テントで一泊したわけだが、実のところ、何か目的があってここに来たわけではなかった。
 
 リタが知っているのが、彼女の故郷たるアスピオと、近隣にある花の街・ハルル、帝都とシゾンタニアのみ。ユーリに到ってはシゾンタニアに赴任するまで帝都から出た事もなかった。
 
 そもそも、基本的に普通の人間は結界に守られた街の中から滅多に出ない。
 
 故に流通や運搬、護衛に携わる者でもなければ世界の地理など知らないし、だからこそ地図などもあまり一般的には出回っていない。
 
 要するに、道がほとんど判らないのだ。……そして、それよりさらに根本的な問題がある。
 
「アスピオには戻れないし、でも魔導器の研究は続けたいし……ホント、どうしようかな」
 
 そう、目的地自体がないのだ。
 
 リタを家まで送って行く……というのがユーリの当面のすべき事だったのだが、そのリタ自身がアスピオを飛び出した身だった。
 
 魔導器は実質 帝国が独占している状態にあるため、帝国魔導器研究所を出たら……個人で研究を続ける事は難しい。
 
「だったら、オススメの話がありますよー?」
 
 砦の門を抜けた所で……ふと、嫌でも覚えてしまう声が聞こえた。振り向くまでもなく、おっさんだろう。
 
「……俺らを囮に使った収穫はあったのか」
 
「あら、バレてた?」
 
「あの時は解らなかったけどね、結果から逆算すれば簡単な図式だったわよ」
 
 ユーリとリタは、状況が落ち着いてからレイヴンの不可解な言動を分析してみた。
 
 ユーリとリタを通報して城内に入れ、わざわざ騎士団に見つかりやすいように爆発を起こしてから逃がす。
 
 ユーリとリタが暴れる状況を誘発して、騎士団がその制圧に乗り出すように仕向ける。
 
 早い話が、陽動だ。
 
「下町の魔核はずしたのも、おっさんだろ」
 
「そんな事もあったっけねぇー……」
 
 あごを撫でながらすっとぼけるレイヴン。
 
 ユーリとリタを助けたのも、自分の情報を漏らされたくなかっただけだろう。相変わらず食えないおっさんだった。
 
「そんな昔の話はいいじゃない。若者は前を向いてなきゃいかんよ、うん」
 
「……また焼いてやろうかしら」
 
「やめとけ。まともに相手しても疲れるだけだ」
 
 掌の上に火球を生み出すリタの手を引いて、ユーリは逃げるようにレイヴンから遠ざかる。
 
 だんだんこのペースにも慣れてきた。そんな自分を自覚するユーリだった。
 
 遠ざかる二人の足を――――
 
「魔導器の研究、したいんでしょ?」
 
 悪魔の囁きが、止めた。
 
 
 
 
「到着ー、おっさん腹減ったー」
 
 デイドン砦を抜けた先、花の街・ハルルに辿り着いたユーリ、リタ、ラピード、そしてレイヴン。
 
 目指すはトルビキア大陸北方に位置するギルドの巣窟・ダングレストだ。
 
「……なーんか上手く丸め込まれた気がする」
 
 レイヴン曰く、確かに帝国法で魔導器は独占されてはいるが、法から外れたギルドではその限りではないらしい。
 
 遺跡発掘を生業とするギルド・『遺構の門(ルーインズゲート)』の存在もあり、魔導器に関わる機会もそれなりに得られるとか。
 
「ああ。あのおっさんが、親切で俺らをそのダングレストまで連れてってくれるってのがまたな」
 
 しかし他に手掛かりもなく、レイヴンがかなり詳しい地図を持っていた事もあって、二人は渋々陽気なおっさんの背中について行く事にした。
 
 それにしても………
 
「こりゃ、すっげぇな……」
 
 そんな事よりも、ユーリは今 目の前に広がる光景に圧倒されていた。
 
 花の街・ハルルの象徴である、ハルルの樹の姿に。
 
 町の中心に聳える巨木が、町の上空に花の海を広げている。これこそが、三種の植物と結界魔導器(シルト・ブラスティア)が有機的に融合して生まれたと言われる、ハルルの樹なのだ。
 
「ふふん、凄いでしょ。この季節のマティルダに勝てる花なんて、世界中探しても見つからないわよ」
 
 何故かリタが得意気に腕組みしている。マティルダというのは、あの結界魔導器の名前だろうか。
 
「はーやーくー!」
 
「やれやれ」
 
 子供の様に駄々を捏ねているおっさんの許に向かおうと一歩を踏み出したユーリは……何か踏んだ。
 
「手配書か、これ」
 
 そこはかとなく嫌な予感を感じながら拾い上げてみれば、案の定だ。
 
 へたくそな黒い長髪男の似顔絵に、5000ガルドの賞金が懸けられていた。
 
「あははっ、あんだけ暴れたら当然よね……え゛ぇ!?」
 
 横合いから手配書を覗き込んでユーリを嘲笑おうとしたリタは隣の似顔絵を見て驚愕の声を上げた。
 
 ゴーグルを掛けた子供の似顔絵に、6500ガルドの賞金が懸けられている。
 
「そりゃ、あんだけ暴れたら当然だよなー」
 
「くっ!」
 
 お返しとばかりにユーリが意地悪な笑みを作る。その肩を、レイヴンがポンポンと叩いた。
 
「? 何だよ、おっさん」
 
 そして、無言で懸賞金の下を指差す。
 
【ユーリ・ローウェル。ノワール。他一名。以下三名を盗賊・『漆黒の翼』として指名手配する】
 
 ………理不尽な静寂が、しばらく続き―――
 
「な、何でぇぇーーー!?」
 
 リタの絶叫が、ハルルの樹を震わせた。
 
 ―――枠から飛び出した青年と、未踏を目指す少女の旅は、まだ始まったばかりである。
 
 
 
 
 
 
(お知らせ)
 本文の隅をお借りして、報告をば。今回で二章も終わり、とりあえずスタートラインに立てたかと思います……ので、次更新の際にタイトルをつけて【その他】板に移すつもりです。
 
 この作品を読んで下さる方々が混乱しないように、先に伝えさせてもらいます。
 
 その他板に移った後も、未定改め、『漆黒夜想曲』をよろしくお願いします。
 
 そして、本作品を読み、感想をくれる方々に無上の感謝を。ありがとうございます。
 
 



[29760] 1・『あれから三年』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:ef78e215
Date: 2011/10/10 15:07
 
 砂埃と石碑ばかりの目立つ、薄暗い地下遺跡。石柱に背を凭れさせて、一人の青年が眠りに就いている。
 
 あちこちに革のベルトを巻いた黒服で全身を固め、首に緋色のマフラーを巻いた……長い黒髪の青年。
 
 その傍らで、一匹の犬が丸くなっている。引き締まった肢体を持つ藍色の犬。刻まれた酷い傷による隻眼が目立つ。
 
 そんな一人と一匹から離れた所で、一人の少女が胡坐をかいて座っていた。
 
 オレンジの細身のワンピースの袖を捲り、黒の魔導服をフードも被らずに羽織り、右足には黒の飾り布を巻いている。
 
 まだ大人になりきれていない少女は、ゴーグルを掛けて一心に目の前に広がる術式の解析に没頭していた。
 
「……ん………」
 
 薄らと、青年の瞼が開く。開いて、起きる前と何も変わっていない状況に欠伸を漏らした。
 
 砂漠の流砂に呑まれ、偶然 地下に眠るこの遺跡に辿り着いて……もう四日になる。
 
 誰かさんが、
 
『これで念願の自律術式が完成する!』
 
 と言って、倒した人型魔導器(ゴーレム)の解析に没頭すること丸一日。
 
『この術式の向こうに絶対アレがあるのよ!』
 
 その後、遺跡の最奥で発見した封印術式と睨めっこを始めること三日だ。
 
 食料など、流砂に落ちた時にとっくに失くしている。だというのに、少女は脱出方法そっちのけで術式の解析に勤しんでいた。
 
 集中し始めると他の万事が気にならなくなるのは相変わらずだが、解析だけでこんなに時間が掛かるのは初めてである。
 
 しかし、その時間もそろそろ終わりらしい。
 
「あ、そか……さっきの法則で式を組み換えて……逆転、連結、分解……!」
 
 術式の上を走る少女の十指が急激にピッチを上げていく。その指先が、最後の一節を弾いて………
 
「出来たぁー!」
 
「「っ……」」
 
 少女の笑顔が弾けるように咲いた。駆け出した小さな背中に釣られて、青年と犬も走りだす。
 
 何重もの封印術式の内側。もはや何のトラップも無い細道の先に続く小部屋の中心に、古めかしい台座が立っていた。
 
 その上、固定化の魔方陣の中心に、飾り気の少ない黒の魔導書が置かれている。
 
 見るや否や少女は飛び付き、上に掲げて喝采を上げた。
 
「これがナコト新書! ゲライオス文明よりさらに古代の魔導士が神々について記した秘宝! 見た事もないくらい古い封印術式だったから、絶対本物だと思ったのよー」
 
 すりすりと頬を当てて魔導書を愛でる少女。魔導器(ブラスティア)以外でこれほど喜ぶのも珍しい。
 
「おめでとさん。目当てのお宝も見つけた事だし、次はミイラにならないで済む方法でも考えてくれよ」
 
 幸せそうな溜め息を零す少女に、青年は些か以上に無感動な拍手を送る。
 
 この様子では売り払うという選択肢も論外だろうから、はっきり言って彼にはあまりメリットの無い話なのだ。
 
「ウ……ウゥ……」
 
 同じく興味の無い藍色の犬が、「み……みず……」という唸り声を上げた。少女は軽い動作で、掌に青い術式を遊ばせる。
 
「“汚れなき汝の清浄を彼の者に与えん”『スプラッシュ』!」
 
 石と砂しかないはずの地面から飛沫を上げて水瓶が飛び出し、空中でくるくると回転した後 直下へと大量の水を注ぎ落とした。
 
 あっという間に見事な濡れ犬が出来上がる。彼は本来 水が苦手なのだが、砂漠のど真ん中ではそうも言っていられない。
 
「でもこれ、あんまり意味ないんだよな」
 
「贅沢言わない。冷やしてやってるだけマシでしょ」
 
 しかし、魔術によってエアルから生み出された事象は発動後、再びエアルへと還元される。つまり、たった今 注がれた水もそのほとんどがエアルに還るのだ。
 
「『リゾマータの公式』だっけ。その魔導書読んだら完成するのか?」
 
「……ううん。リゾマータの公式が過去に完成してたなら、今の魔導器だってもっと完璧な物になってるはず。過去の文献を読むだけじゃ、絶対に辿り着けないのよ」
 
 この世に存在するあらゆるものは、エアルの昇華、還元、構築、分解により成り立っている。
 
 その仕組みに自在に干渉して制御する未知の理論・『リゾマータの公式』。魔道の頂きと言われる究極理論。他の魔導士の例に漏れず、彼女もこの理論の確立を目指している。
 
「で、脱出だっけ?」
 
 それはそれとして、いい加減にこの地下遺跡と砂漠から脱出しなければ命が危ない。
 
 しかし、少女は特に焦った様子もない。どころか、どこか余裕の様なものさえ見て取れる。
 
「それなら、この子が何とかしてくれるわ」
 
 ビッと手を伸ばして紹介した先に、四日前に倒したはずのゴーレムが……
 
「……おい、何で動いてんだ」
 
「直した」
 
「直すな!」
 
 ややパニックに陥る青年に向けて、ゴーレムは何やらニヒルに二本指を立てる。然るのちに、二人と一匹をその逞しい腕に抱えて飛び上がった。
 
「うおぉ!?」
 
「この子は元々、流砂の中に神殿を造る為に作られたゴーレムなのよ。侵入者退治はおまけ。だから、あたし達を地上に戻すくらい朝飯前なの」
 
「…………マジかよ」
 
「わふっ」
 
 帝都の下町から飛び出した元騎士の青年・ユーリ。その犬・ラピード。学術都市を旅立って自身の足で魔道を進む少女・リタ。
 
 シゾンタニアのエアル異常発生事件から―――三年の月日が流れていた。
 
 
 
 
 コゴール砂漠でのトレジャーハント(遺跡荒らし)から、さらに二日の時が流れた。
 
 ザドラク半島の最北端に位置する闘技場都市・ノードポリカで………
 
「赤の11、赤の11……来い来い来い来いー!」
 
 危険な赤と黒が回り、その上を銀の玉が踊っていた。玉は不規則なステップを刻み、停止と共に緑の0に落ち着いた。
 
「うにゃぁあーー!!」
 
「………………」
 
 奇声を上げて頭を掻き毟るリタを、ユーリは離れた所から生暖かい視線で見守っていた。
 
 ノードポリカ。ここはギルド・『戦士の殿堂(パレストラーレ)』の治める闘技場都市。その名の通り、戦士は賞金を、観客は博打を求めて集まる街であり、年中がお祭り騒ぎだ。
 
 そんな街ゆえ、当然こんなカジノも栄えているわけである。残念ながら、ラピードは入れないが。
 
「スリーカード」
 
「うわぁ、やっちまったー!」
 
 カードを晒したユーリの前で、屈強な大男が頭を抱えて嘆く。闘技場で体を張って得た賞金が露と消える様には多少の同情も湧くが、ギャンブルの世界は厳しいのである。
 
「(三連勝、そろそろやめとくかなぁ)」
 
 なかなかにツイてはいるが、引き際も肝心である。リタがボロ負けしてくるだろう事を考えると、あまりヒートアップするのも良くない。
 
 そんな風に、らしくもなく殊勝な事を考えていたユーリの前の席に―――
 
「次、私の相手をしてもらえるかしら」
 
 次なる対戦者が現れた。艶やかなドレスに身を包んだ、青紫の髪の女。やや特徴的なツインテールを水色に染めている。
 
 常人ならば考えられないほど耳が上に長いが、そんな事はどうでもいい。
 
「(………200点)」
 
 絶世がつくほどの、美女だ。
 
「俺、これでも結構強いぜ?」
 
 ユーリは迷わず、続投を選択した。
 
 
 
 
「クリティア族?」
 
「ええ」
 
 激闘に次ぐ激闘。熱戦からの死闘を経て、ユーリはカジノ内のバーのカウンター席でその女性と並んで座っていた。
 
「悪ぃ、聞いた事ねぇや」
 
「無理もないわ。あまり数の多い部族ではないから」
 
 結果的にはユーリが惨敗を喫し、さっきまでの勝ち分が綺麗に消し飛んだのだが、盛り上がった事には変わりない。
 
「(ま、美人とご一緒できてんだから十分 元は取れてるよな)」
 
 そもそも博打で儲けた金。それでこんな絶世の美女とお近づきになれたのだから安いものだ。
 
「ここには一人で?」
 
「いや、手の掛かるお子様がいてさ。一人じゃカジノに入れねーからって連れて来られたんだよ」
 
 言わずもがな、リタの事である。リタはまだ十五歳だが、ユーリは二十一。堂々とカジノに入れる年齢だ。
 
「ふふ、私もホントはまだ十九だけどね」
 
「へぇ……二つ下か」
 
 悪戯っぽい流し目が実に魅力的な女性である。年齢を聞いて、今さらのように気付く。大事な事を訊いていなかったと。
 
「俺はユーリだ。ユーリ・ローウェル」
 
「ジュディスよ」
 
 互いに名乗り、ワイングラスを軽くぶつけ合う。視線と視線が交わる。薄く開いた唇が何事か呟こうとした、その時だった。
 
「ユーリ!!」
 
 獲物を見つけたと言わんばかりの声が、場の空気をぶち壊す。
 
「……いいトコで」
 
「お金貸して! もうちょっとで景品の魔導器とれるのよ!」
 
「もうちょっとってお前、文無しになったから俺んトコ来たんだろーが」
 
「ここで帰ったら何の為にカジノ来たか解んないでしょーが!」
 
 一気に走って来て、理不尽な要求と共に自分の頭をユーリの頭にぶつけるリタ。
 
 さっきまでのしっとりとした大人な空気は一体どこに行ってしまったのか。
 
「俺だって負けちまって余裕なんかねーよ。これ使ったらダングレストまで泳いで帰る羽目になるぞ」
 
「すぐ三倍にして返すからいいでしょ!」
 
「どの口が言ってんだよ」
 
 返事も待たずにポケットを漁るリタ、そのリタの頭を押さえて止めるユーリ。
 
 およそカジノに似合わない光景を見て、ジュディスはにっこりと笑った。
 
 
 



[29760] 2・『ジュディス』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:ef78e215
Date: 2011/10/12 17:32
 
 このカジノでは取り立てて人気のあるわけでもないメダル式のルーレット台に、何故だか人集りが出来ている。
 
 その視線を一身に集めるのは、艶やかなドレスに身を包んだクリティア族の女性・ジュディス。
 
 注目を集めるのは彼女の美貌ゆえか、はたまた別の理由からか。
 
「(て言うか、誰よこいつ)」
 
「(クリティア族のジュディスさんだとさ)」
 
「(クリティア? ……この女が)」
 
 彼女の後ろで様子を窺っているのは、ユーリとリタの二人組である。
 
 気になるのも無理はない。何しろジュディスの手にあるメダルは、彼らのガルドなのだから。
 
『要するに、勝てば問題ないのでしょう』
 
 ギャンブルさせろ、負けるからよせ、と言い争いをするユーリとリタを見兼ねてか、或いは単純に面白がってか、ジュディスはそう言って二人の間に割って入った。
 
『どうせなら賭けてみない? この私に』
 
 自信と色気に満ちたジュディスの一言に思わず頷き、今に至るというわけだ。
 
「……………はい」
 
 思案に耽る事わずか数秒。ジュディスはお菓子を摘むが如き気安さで“全ての”メダルを置いた。
 
 赤の11。奇しくも、先ほどのリタと全く同じピンポイント狙いである。
 
「ちょっとあんた! 人の金だからっていい加減な―――」
「回るわよ?」
 
 リタの抗議を遮って、ジュディスは盤を顎で差す。時すでに遅く、ルーレットは運命を乗せて回り始めていた。
 
「(これで外したら弁償させてやる……!)」
 
 自分の事を棚に上げて息を巻くリタと、
 
「(さて、どうなる……?)」
 
 ジュディスの自信のほどを、純粋に楽しんでいるユーリと、
 
『(また、やるのか………?)』
 
 ギャラリー達の視線の集まる中で、銀の玉は赤と黒の舞台を走り続ける。
 
 回転が弱まっていく。玉は赤の、黒の、時に緑のフィールドを跳ねて踊り、そして―――止まった。
 
「フュウ♪」
 
 目を閉じて結末を待っていたジュディスの耳に真っ先に聞こえたのは、軽妙なユーリの口笛。
 
「う、そ……」
 
 次いで、信じられないといったリタの呟き。
 
『うおーーー! また当てたーー!!』
 
 最後に、ギャラリー達の暑苦しい喝采を聞いて、ジュディスはその双眸を開いた。
 
 銀に光る玉は、まるで初めからそこにいたかのように……赤の11に収まっている。
 
「一等の景品と交換してもらえるかしら」
 
「え、えぇ……ただいま……」
 
 騒ぐでもなく、誇るでもなく、ジュディスは自然な態度でディーラーに景品を求める。
 
 そのクールな仕草がまた、見る者全てを魅了している事に……もちろん彼女は気付いていた。
 
「はい、これで良かったかしら」
 
「え、あ……ありがと……」
 
 まだ驚愕から立ち直りきれていないリタに、ジュディスは景品の魔導器(ブラスティア)を手渡した。
 
 何か強力な術式が刻まれているわけでもない、ただエアルを充填するだけの魔導器だが……リタはこれを手にする為に奮闘を続けていた。
 
「妹さんを大事にね」
 
 リタの頭を長く伸びた髪で撫でながら、ジュディスはユーリにウインクを一つ寄越して去っていく。
 
 独特の雰囲気を持つ後ろ姿を、二人、目を奪われるように見送って―――
 
「誰が妹よ……」
 
 やや手遅れな訂正を呟いた。
 
「つーかあの髪、動かなかったか?」
 
「髪じゃなくて触手よ、あれ。前に古い文献で読んだ事あるわ」
 
 今さらのように背伸びをしてジュディスを探すリタだが、人混みに紛れてしまってもう見えない。
 
「まだ何か用でもあんのか?」
 
「……クリティア族は、魔導器を生み出した一族だって言われてるの。一度話を聞かせて欲しかったんだけど……」
 
 古代ゲライオス文明と共に滅亡したと言われるクリティア族。その数少ない生き残りに出会えたと言うのに、ロクに話も出来ずに逃がしてしまった。
 
 己の不覚にガックリと肩を落とすリタの頭を、ユーリの手がぽんぽんと叩く。
 
 この位置関係は変わらない。リタも三年で少しは大きくなったが、ユーリも同じだけ背が伸びたからだ。
 
「ま、魔導器も手に入った事だし、今回はそれで良しにしとけ」
 
「それもそうよね♪」
 
 気落ちから一転。魔導器に頬擦りしながら軽やかに回るリタに、ユーリはつい転けそうになった。
 
 そこそこ長い付き合いだが、どうにも魔導器が絡んだ時のリタのテンションには慣れない。
 
「……パフェでも食って帰るか?」
 
「さんせー!」
 
 上機嫌なリタを伴い、ユーリはカジノを後にする。宿屋で待っているラピードには悪いが、少し遅れてしまいそうだ。
 
「(いい女だったんだけどな………)」
 
 少し後ろ髪を引かれる思いをしながらも、ユーリは振り返らない。わがままな魔導士様もいる事だし、それに……また会える予感があった。
 
 ……ただの勘に過ぎないが。
 
 不意に――――
 
(ボン……ッ!)
 
 遠く、小さな爆発音が聞こえた。次いで、ユーリらの影を作っていた後ろからの光が……消える。
 
「…………停電か?」
 
 振り返った視線の先で、先ほどまで賑わっていたカジノが、夜の闇に呑まれていた。
 
 
 
 
 ギルドの巣窟・ダングレスト。帝国の法から逃れ、己がルールに因って生きるギルドの人間が、だからこそ生きる為に力を合わせて築き上げたギルド同盟・『ユニオン』の街である。
 
 その街の片隅に、ほどよく盛えた一軒の酒場がある。名を、天を射る重星。
 
「オメェんとこの活きの良い奴らはどうした?」
 
「なーんか、コゴール砂漠の遺跡探しに行ったみたいよ? おっさんに黙って冷たい子たちよねぇ」
 
 そのVIPルームにて、二人の男が酒を飲み交わしていた。一人は紫の羽織と束ねたざんばら髪が特徴の中年・レイヴン。もう一人は、ただならぬ威厳と迫力を備えた老齢の大男。
 
「へっ、よく言うぜ。元はと言えばオメェがふらふらしてっからだろ」
 
「酷いお言葉……」
 
 耳に痛い指摘を受け、レイヴンは両掌を上に向けて肩を竦めた。反省する気はないらしい。
 
「うちは放任主義なもんで。偉大なるドン・ホワイトホースの束ねる『天を射る矢(アルトスク)』みたいにはいかんのよ」
 
「気楽なもんだぜ。……うちのガキ共にも見習わせたいくれぇだ」
 
 そう、この巨躯の老人こそがギルド同盟・ユニオンの頂点に立つドン・ホワイトホース。百を越えるギルドを束ねる男。
 
 ……その圧倒的なカリスマがあるからこその悩みも存在するのだが。
 
 頭の痛い問題に僅かの苛立ちを抱えるドンの視界に、酒のつまみと言うには多過ぎる空の食器が映る。ちなみに、ドンが食べたのは二皿だけだ。
 
「相変わらずムチャクチャ食うな、オメェ」
 
「昔はそうでもなかったんだけど……ここ数年、なんかお腹が減るのよね」
 
「……例の心臓か」
 
「さて、どうでしょ」
 
 ドンの気遣いに曖昧に応えて、レイヴンは左胸を軽く押さえた。とぼけているわけではない。彼自身にもよく判らないのだ。
 
 ドンを、或いは自分を誤魔化す為に、レイヴンは話題を逸らす事にする。
 
「例の聖核(アパティア)、ちょっと怪しげな情報入ったから若人どもが帰ったらまた出かけるけど……いい?」
 
 何が“いい”のか、レイヴンが言葉にしなかった部分も、ドンには正確に伝わる。
 
 ………いや、言葉にしなかった事が、逆にレイヴンの意図をドンに強く伝えた。
 
「オメェは自分の仕事をやってりゃいいんだよ」
 
「そりゃ俺様はそれでもいいんだけどね。……ま、なるようになるでしょ」
 
 意味ありげな言い回しをして、レイヴンはわざとらしくドンから視線を外す。……五年前よりも、明らかに曲者になっている。
 
「んじゃ、俺はあっちの酒場に女の子待たせてるんで、そろそろ失礼」
 
 徐に立ち上がったレイヴンは、ドンに恭しく一礼してから………
 
「そういえば、パティちゃんが久々に遊びに来るみたいよ?」
 
「さっさと行っちめえ!」
 
「おー、こわ」
 
 逃げるように、豪華な一室から飛び出した。自分の撒いた種の予想以上の結実に、ドンは種類の判らない溜息を溢した。
 
 
 
 
 帝都・ザーフィアスと平原を隔てるデイドン砦。その西方に、クオイの森と呼ばれる地がある。
 
「…………………」
 
 呪いの森と呼ばれ、人の寄り付かぬその森の道で、一人の青年が剣を片手に歩いていた。
 
「…………………」
 
 何かがいる。それに気付いた上で、青年は誘いのつもりで足を踏み出した………途端、何かが茂みから飛び出して来た。
 
「エッグベア、覚悟!」
 
「はっ!!」
 
 烈迫の気合いを乗せて、一閃。剣の一振りが何物かの一撃を捉えた。
 
「ぐえ……っ」
 
 中途から折れた大剣の刃が宙に舞う。しりもちを着いたその持ち手の姿に、青年は流石に目を剥いた。
 
 なぜならそれは………首に赤いスカーフを巻いた、二足歩行の、カエルとも呼べないカエルだったからだ。
 
(ガッ!)
 
「ぎぃやぁあーー! 殺されるーー!!」
 
 おまけに、喋っている。先ほど斬り飛ばされた刃が顔の横の地面に刺さって騒ぎ回るカエル……リアクションが取れない。
 
「(……着ぐるみか)」
 
 何とか、内心でそう納得した。とはいえ、呪いの森でカエルの着ぐるみを着た子供に襲われるというのも、かなり珍妙な出来事ではある。
 
「やめてください! 怖がってるじゃないですか!」
 
「……何もしませんよ」
 
 まだぎゃあぎゃあと騒いでいるカエル少年に掛ける言葉に迷っていると、連れ……と呼ぶには恐れ多い少女が両手を広げてカエルと青年の間に立った。
 
「きっと彼は勇者の弟子で、魔王の魔法でカエルに変えられてしまったんです。」
 
 そうですよね? という気持ちを視線に込めて、少女はカエルに目を向けた。
 
 ようやく平静になったカエルだが、今度は別の意味で反応できずにいる。
 
「けれど、勇者バッジを手にしてしまった為に、村の皆に勇者として扱われてしまった……可哀想な少年なんです!」
 
「エステリーゼ様……うろ覚えの物語に入り込まないで下さい」
 
 相変わらず本の読み過ぎな少女に、青年は少し肩を落とした。
 
 
 



[29760] 3・『カウフマン』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/10/15 10:36
 
 書庫かと見紛うほど本に溢れ返った小部屋、しかしそこかしこに散らばる実験器具や薬品が、そこが書庫ではないと告げている。
 
 さらによく見れば、その部屋の端にベッドと机、タンスも置かれていた。ただし、枕元や机の上には種々多様な魔導器(ブラスティア)がズラリと並んでいる。
 
 そこにさりげなく混ざっている猫のぬいぐるみが、申し訳程度に歳相応の少女らしさを垣間見せていた。
 
「ん〜………」
 
 窓から差し込む朝の光に、リタは小さく身動ぎした。緩慢な動作で掛け布団を蹴落とし、頭を左右に揺らしながら上半身を起こす。
 
「んっ……ーー!」
 
 寝呆け眼でしばらく放心した後、両手を上に向けて伸びをする。軽くスイッチを入れて、ぼんやりと頭を働かせてみた。
 
 昨夜はベッドで寝た記憶はないのだが、寝間着ではないところから見て、自分でベッドに入ったわけではなさそうだ。
 
 また本の山で眠ってしまい、またユーリがベッドに運んだといった所か。勝手に入るなといつも言っているのに。
 
「(いいんだけどね、別に)」
 
 ユーリのデリカシーの無さにはとっくに慣れたし、諦めた。そもそもいつも一緒に旅をしているせいか、今さら知られて困る事自体あまり無い。
 
「おはよ、皆」
 
 枕元に、机の上に、リタは他では見せない愛らしい笑顔で語り掛ける。打てば響くように、“声”が返って来た。
 
 声と言っても、音として耳に聞こえる通常の声とは少し違う。言葉にならない感情の波、犬や猫の、人間への自己主張に近いだろうか。
 
「また少し出掛けるけど、いい子にして待っててね」
 
 申し訳なさを滲ませて謝り、リタはベッドから立ち上がった。
 
 靴を履き、足に飾り布を巻き、耳にイヤリングを付け、黒い魔導服に頭を通し、手に指無しのグローブを嵌め、腕を青いリボンで飾り、カチューシャのようにゴーグルを装着する。
 
「行こ、クリスティーナ」
 
 最後に武醒魔導器(ボーディ・ブラスティア)を首につけて、リタは軽やかに歩きだす。
 
 ―――ダングレストの酒場・『天を射る重星』。その二階の一室が、今のリタの宿り木だ。
 
 
 
 
『……とんだ再会だな、おい』
 
 言葉とは裏腹に、どこか面白そうな声。気まぐれに立ち寄ったレストランで彼を見た時は、咄嗟に動く事が出来なかった。
 
『ネーちゃん。飯代、そこの赤毛にツケといてね』
 
 だから、少女と一緒に窓から逃げる彼を、ただ棒立ちで見送ってしまった。
 
「(だって、しょうがないじゃない)」
 
 場面が切り替わる。今度は、帝都の貴族邸で追い詰めた時だ。
 
『頑張れよ。コソ泥相手に遅れを取ったんじゃ、帝国騎士団の名折れだぜ?』
 
 彼は白い剣を宙に遊ばせながら、馬鹿にしたようにそう言った。
 
 ムキになって斬り掛かったら、彼は逃げる素振りさえ見せずに応戦してきた。
 
「(……早く忘れさせて)」
 
 目も眩むような剣閃にこちらの剣が弾かれて、余裕の笑みを残して彼は去った。悔しくて、それからは剣の練習量を倍にした。
 
『似合うか? やっぱ何事も形から入るべきだと思ってよ』
 
 また映像が切り替わる。今度はハルルでばったり出くわした時だ。
 
 所々をベルトで巻いた黒ずくめの装束に緋色のマフラー。いかにもならず者なスタイルを見せびらかしている。
 
 最初は騙されただの仲間じゃないだの愚痴を溢していたくせに、いつの間にかすっかり馴染んでいたのには流石に呆れた。そして逃げられた。
 
 映像はそこで途切れる。途切れて、水の底から引き上げられるような感覚と共に――――
 
「…………………」
 
 ヒスカは、夢から目覚めた。夢そのものというより、こんな夢を見ていた自分自身が鼻持ちならなくて、そのまましばらく天井を見つめていた。
 
「はぁ……お母さんのせーだ」
 
 久しぶりの帰省に見合い話など持ちかけて来た母親が悪い。「ヒスカには好きな子いるから!」とフォローにならないフォローを入れたシャスティルが悪い。
 
 もどかしい思いを責任転嫁し、ヒスカはモゾモゾと身を起こす。
 
「(最後に会ってから、二ヶ月くらいかな……)」
 
 互いにあちこちを飛び回っている身の上、偶然かち合う方が珍しい。こういう事もある。
 
 ………そもそも彼女らの本来の任務は“彼ら”の逮捕ではないのだから。
 
「…………………」
 
 結界の外を旅するようになって、随分と見識が広がった。
 
 内外から見た帝国、ギルドという組織の持つ幾つもの側面、文化の違い、意識の違い。街一つ一つが結界に収まっているからこそ知らなかった数多の世界。
 
 しかし……そんな垣根を越えて名を広げる者もいる。
 
 洗練された武力で魔物を屠る『魔狩りの剣』。統治者に関わらず物資の流通を広げる『幸福の市場(ギルド・ド・マルシェ)』。各地の魔導器を破壊して回る謎の竜使い。奇跡の御子などと呼ばれている、失踪中の姫君。
 
 そして………一部の平民からは義賊とも呼ばれる盗賊ギルド・『漆黒の翼』。
 
「……今ごろ、何してんのかな」
 
 手配書に描かれたヘタクソな落書きに、ヒスカは一発でこぴんをかました。
 
 
 
 
 ノードポリカから戻って早々、ダングレストを旅立ったユーリとリタ、そしてラピード。
 
 「ちょっとお仕事の話があるのよ」と言って一足先に陸路を行ったレイヴンとは別に、ユーリらはダングレストの北の砂浜から海船ギルド・『ウミネコの詩』の助力を得て出発した。
 
 目的地自体が港街な事もあり、こっちの方が早いだろうという判断だったのだが……………
 
「ぺっぺっ! 塩っ辛い〜〜」
 
「ワウゥゥ………!」
 
「何かに掴まれ!」
 
 船上にも関わらず頭から塩水を被るリタ。ぶるぶると震えながら丸くなるラピード。そんなラピードを抱えてマストにしがみつくユーリ。
 
 目的地を目の前に控えて、彼らを乗せた船は突然の嵐によって転覆の危機に曝されていた。………と言うより、これはもう沈む。
 
「この嵐が自然発生じゃないとしたら……おっさんの話もあながちガセネタとは言い切れねーな」
 
「そんなこと言ってる場合じゃないって気付きなさいよ!」
 
 遠い眼で大海原を眺めるユーリの脛をリタが蹴る。現在、船は絶賛浸水中である。
 
「こういう時は慌てても仕方ねぇ。だってこれ、確実に沈むだろ」
 
「勝手なこと言わんで下さい! お頭から預かった船を、沈めてたまるかってんだ!」
 
 既にやる気を失くして運を天に任せるモードに入ったユーリを、海の漢がヒステリックに怒鳴り付けた。
 
 声を張り上げていないと気持ちが押しつぶされそうな感じだ。
 
「運さえ良ければ近くの陸に打ち上げられるかもな」
 
「こんな所で死んでたまるかー! 魔術の真理が、世界中の魔導器が、あたしを待ってるのよーー!!」
 
「ワオォォーーン!!」
 
「お頭ぁぁぁーーーー!!」
 
 それぞれの魂の叫びをあまりにも無情に掻き消して、木の葉の様に容易く大波が船を攫っていった。
 
 
 
 
 その頃、レイヴン。
 
「船が使えない?」
 
「ええ」
 
 港街・カプワ・トリムのとある建物の一室にて、赤い髪の女性と神妙な顔を付き合わせていた。
 
 港街と言っても、ユーリらが目指している街とは違う。……いや、ある意味で同じと言うべきか。
 
「嵐の影響が酷くて、誰も船を出してくれないのよ。いくら何でも異常だと思うんだけど」
 
「なるほどなるほど」
 
 ここ、トルビキア平原東端に位置するカプワ・トリム、海を隔ててイリキア大陸の西端に位置するカプワ・ノール、そして今は水没してしまったカプワ・デュオ。この三つの街は、元々一つの港街だったのだ。
 
 ユーリやリタが目指しているのは、帝国の威光が特に強いカプワ・ノール。そして現在レイヴンがいるのは、ギルドの影響が大きく商業の盛んなカプワ・トリム。
 
 その商業と流通の最たる、『幸福の市場』の本部で、レイヴンは社長たるカウフマンの依頼を受けているのだった。
 
「それ、多分ノール港の執政官様の仕業よ。何だかとんでもない魔導器もちだしたみたいでね」
 
「素敵……。話を聞く前から情報をくれるって事は、依頼を受けてくれる気があるって事よね?」
 
「もちろん。美人の頼みとあれば、嵐も竜巻を越えてくわよ」
 
 メアリー・カウフマン。商業と流通を司る『幸福の市場』の社長にして、ギルド同盟・ユニオンの幹部。
 
 荒くれ者が数多く存在するギルドにあって、女だてらに立ち上げた『幸福の市場』を五大ギルドにまで育て上げた大物である。
 
「依頼の内容は、この近海の異常を解決する事。手段は好きにして構わないわ。壊そうが、盗もうがね。盗品はそちらの好きにしてくれて構わないわ」
 
「話がわかるわねぇ。なら、報酬はデート一回ってのどう?」
 
「プライベートでお誘いしてもらえるなら、考えてもいいけどね」
 
 意味深に眼鏡を光らせるカウフマンに、レイヴンは早々に腹を割る。あわよくば報酬も頂きたいところではあったが、「盗品は好きにしていい」と釘を刺された以上、これ以上の駆け引きは無駄だろう。
 
 カウフマンは気付いているのだ。依頼があろうと無かろうと、レイヴンが“仕事”を遂行するという事に。
 
「でも、どうやってノール港まで行くつもり? 船が出せるなら、私たちも最初から苦労してないんだけど」
 
「そりゃまあ、海の漢に頼るしかないでしょ」
 
 レイヴンの、その言葉を待っていたかのように―――
 
「そういう事なのじゃ」
 
 レイヴンの背中から、小さな影が姿を現した。
 
 
 



[29760] 4・『ウミネコの詩』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/10/16 19:52
 
「………………」
 
 目が覚めた時、最初に見えたのは満点の星空。その中でも一際強い輝きを放つ凛々の明星がユーリの目を引いた。
 
「(今んトコ、生きてるみてーだな)」
 
 浮き袋に支えられて海面に浮かびながら、ユーリはぼんやりと事実を飲み込む。
 
 嵐に見舞われ、船が沈み、大波に攫われて……そこから先の記憶はない。
 
「リタと……ラピードは……」
 
 回り切らない頭で、それでも仲間の姿を探して……見つからない。視線を巡らせても、ただただ黒い海が広がり続けているだけだ。
 
 不意に……顔に掛かる月明かりが消えた。
 
「心配せんでも、お前で最後なのじゃ。安心して寝てろ」
 
 女にしても高い声が、妙に古めかしい口調で語り掛けて来る。目を向けてみても、逆光で顔がよく見えない。
 
「はは、そりゃ…ありがてぇや……」
 
 力の入らない手を掴まれながら、ユーリはそれだけ呟き、再び意識を沈み込ませていった。
 
 
 
 
「(リタは………上か)」
 
 再び目覚めた時、ユーリは見慣れぬ小部屋にいた。着ていた服は物干し竿代わりの紐に掛けられ、代わりにバスローブを着せられて、ベッドの上に寝かされていた。
 
 ラピードはベッドの傍で丸くなっており、リタは二段ベッドの上で今も小さく寝息を立てている。室内を緩やかに揺らすこの感じは、まだ海の上という事だろうか。
 
「(物好きな奴もいたもんだ)」
 
 状況から見て、海に投げ出されたユーリ達を誰かが救助したという事なのだろうが、あんな嵐で近海に船が出ていたという事自体が軽く驚きだ。
 
 ユーリらの武器も魔導器(ブラスティア)も机の上に置かれているあたり、かなり無用心な輩らしい。
 
「(俺らが悪党だったらどうすんだか……つーか、実際盗賊だし)」
 
 手早く着替えてから、ユーリはリタとラピードを起こす。
 
「ほら、起きろ。さっさとおいとますんぞ」
 
「ふぁ……?」
 
「わぅん……」
 
 海上ではどこにも行きようがないのだが、それでも無防備なままで居続けるよりマシだろう。
 
 仕事柄、リタもこういった状況には慣れている。特に説明も求めずに紐に掛けられた衣服を回収し、二段ベッドの上に上り……
 
「覗いたら爆撃するからね。犬、ちゃんと見張っててよ」
 
「ワン」
 
「………だから覗かねーって」
 
 恒例の念押しをしてから、もぞもぞと着替え始めた。毎度毎度しつこく牽制を掛けるリタもリタだが、その度に言われるままユーリに睨みを利かせるラピードもラピードだ。
 
 ユーリとしては甚だ遺憾である。
 
「繊細なお年頃なのは解るけどさ、俺がガキの着替え覗くとかそういう発想やめろよな」
 
「子供扱いすんな!」
 
「女として見て欲しいってか?」
 
「っ~~~誰もそんなこと言ってないでしょ!?」
 
 せめてもの憂さ晴らしに軽口を叩けば、後頭部に枕の直撃を受ける。いつまで経っても反抗期の終わらない妹だった。
 
「……で、どうなったの」
 
「さぁな。今から命の恩人の誰かさんにご対面って感じか」
 
 背後で軽い着地音。それを聞いて、ユーリは閉じていた眼を開いた。完全装備な魔導少女が、憮然とした表情でこちらを睨んでいる。
 
「いくか」
 
 ユーリは特に気にした様子もなく笑いかけた。扉を開き、甲板へと出る。雨は……降っていなかった。
 
「錨を下ろせー!」
 
「歌えー!」
 
「お頭ー、街の様子はどうですかー?」
 
 見渡す限り、海の漢、海の漢、海の漢。さして広くもない船の上で忙しなく動き回っている。かなり暑苦しい。
 
 その中には、ユーリらと一緒に海に飲まれた船員も混じっていた。
 
「おーい、ちょっといいかー?」
 
 何気なく、手近な船員に声を掛けた……つもりだった。何故か返事は上から降って来る。
 
「お? 起きたか」
 
「うおぁ!?」
 
 猛スピードで頭上から来たる影と共に。咄嗟に跳び退いて、その姿をまじまじと見てみる。
 
「むぅ、聞いとったより佳い面構えじゃの」
 
 小さな少女だ。三年前のリタと同じか、それ以上に幼く見える。二筋の三つ編みに結われた金の髪と、何より着られているようにサイズの大き過ぎる海賊帽とフロックコートが特徴的だ。
 
 はっきり言って、この少女だけがメチャクチャ浮いている。しかし……ユーリはこの声に既視感を覚えた。
 
「気分はどうじゃ。記憶でも飛んどらんか?」
 
「………なに、この子」
 
 いかにも怪訝な目を向けているリタとは違い、ユーリは何となく気付く。
 
「お前が、俺たちを助けてくれたのか」
 
 あの時、海を漂っていた自分に語り掛けて来たのは、この少女だと。
 
「おぉ、自己紹介がまだじゃったな」
 
 少女はポンッと手を打って、コホンと一つ咳払い。両手を腰に当てて片目を瞑った。
 
「うちこそが、海船ギルド『ウミネコの詩』の頭。パティ・フルールなのじゃ!」
 
『お頭ぁぁーー!!』
 
 何故か勝ち誇る少女の後ろで、海の漢たちの暑苦しい叫びが、大海原に木霊した。
 
 
 
 
「んじゃの。縁があったら近いうちにまた会えるのじゃ、多分」
 
「はいはい、縁があったらね」
 
 実に軽い別れの言葉を残して、ユーリとリタ、ラピードは船の手摺りから陸地へと跳び降りた。
 
 助けてもらい、仰々しく自己紹介などしても貰ったが、だからと言って長居する理由もない。
 
 この礼はいつかする、と口約束を残して、早々に船を後にした。
 
 パティは小さい体で手を大きく振りながら、二人と一匹の後ろ姿を見えなくなるまで見送ってから………
 
「これで良かったのかの?」
 
「いいのいいの。これがウチのスタンスだから」
 
 振り返りもせず、“背後の物陰に隠れていた男”に問い掛けた。えらく軽薄な返事が、当然のように返ってくる。
 
「あの二人なら、おっさんと違って派手に暴れてくれるでしょ。その尻拭いに精を出すのが大人の仕事ってね」
 
 紫の羽織に束ねたざんばら髪。神出鬼没な我らがレイヴンである。
 
「……はぁ、二人が気の毒なのじゃ。何なら、うちも暴れてやろうか」
 
「……パティちゃんが出るとハチャメチャになるんで、勘弁して下さい。今回は裏方に回ってちょうだいな」
 
「つまらんのー」
 
 頬を膨らませてそっぽを向くパティに、レイヴンは切実に両手を合わせて拝み倒す。
 
 ここで本当に気まぐれを起こされると、地味に積み上げていた草の根活動が一気にパーになる。……最悪、全滅もありうる。
 
「んじゃ、俺様もやる事あるんで この辺で」
 
 逃げるように……と言うか正しく逃げて、レイヴンも陸地に飛び降りた。そして、ユーリ達とは真逆の方向に駆け出す。
 
「……深海で獲物を誘うアンコウよりも賢しいおっさんじゃのぉ」
 
 がに股で落ち着きなく走る後ろ姿を、ひたすらジト眼で見送って、パティは勢いよく振り返った。
 
 こしゃくだが、やる事はいちいち派手だ。ああいう輩は嫌いじゃない。
 
「野郎ども、錨を上げろ! うちらもうちらの仕事をするのじゃ!」
 
『へい、お頭!!』
 
 海底に刺さる錨を上げて、フィエルティア号は動き出す。その勇壮は、まるで…………。
 
 
 
 
「どう思う?」
 
 何に対してか、ユーリは隣を歩くリタに呟いた。同じく考え事をしていたリタも、弾かれるように顔を上げた。
 
「どうもこうも、ここまで来たら信じるなって方が無理でしょ」
 
 ピッと、リタはさして遠くもない空を指差す。その先にある黒雲は、“カプワ・ノールの上空にだけ”いつまでも渦巻いていた。
 
「天候に干渉する『天操魔導器(メテオラ・ブラスティア)』。……本当にあるとしたら、帝国の馬鹿の手になんて置いておけない」
 
 天候を操る巨大魔導器を使って、最近赴任してきた執政官が住民に悪質な嫌がらせを繰り返している。
 
 それが、リタやユーリがレイヴンから聞いたカプワ・ノールの現状だった。今一つ半信半疑だったその情報も、先の嵐を経て俄かに現実味を帯びて来ている。
 
「そこは俺も依存ないけどな………」
 
 曖昧に同意して、ユーリは懐から……別れ際にパティから渡された物を取り出し、眺めた。
 
『レイヴンから預かった物なのじゃ。カプワ・ノールの執政官に会うんじゃろ?』
 
 魔獣・リブガロの金の角。これを売れば一生 税金に追われる心配は無くなる程に貴重な代物だ。いきなりこんな物を渡してくるだけでもかなり怪しいが、出所がレイヴンとなるとその胡散臭さは筆舌に尽くしがたい。
 
 そのレイヴンと知り合いらしいパティも、一体何者なのやら……。そもそも、あの年齢で『ウミネコの詩』のボスというのが不自然だ。
 
「(ま、いいか)」
 
 あんなおっさんでも、『漆黒の翼』のボスだ。今さら何を企んでいても驚きはしないし、たぶん思惑を知っても自分の行動は変わらない。
 
 経験からそう判断して、ユーリは角を再び懐にしまった。
 
「けど、問題はどうやって盗むかだろ。そんな大層な代物なら、運び出すだけでも一苦労だぞ」
 
「あんたが背負って走りなさい」
 
「………了解」
 
 少女の無茶ぶりに苦笑いで応えて、ユーリは足下の相棒に目を向けた。
 
 視線を受けたラピードは、「その時は俺が戦闘を引き受けてやる」な顔で鼻を鳴らす。
 
「気を取り直して行くわよ、カプワ・ノール!」
 
 改めてモチベーションを高めたリタが、沈み込む街を頼もしく指差した。
 
 
 



[29760] 5・『強盗』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/10/18 08:47
 
 『天操魔導器(メテオラ・ブラスティア)』。天候を操ると言われるその魔導器の力を使い、カプワ・ノールの執政官・ラゴウは嵐を呼び、住民が船を出せないようにした。
 
 船が出せず金を稼げない住民に重税を課し、払えない者は当人、或いはその家族を連れて行く。これまで連れて行かれて、帰って来た者は一人もいない。
 
 悲嘆に暮れる住民に、ラゴウは一つの提案を持ちかけた。魔獣・リブガロの角を持って来る事。そうすれば人質の返還はもちろん、一生分の税金を免除すると。
 
 しかし、そのリブガロも元を正せばラゴウが野に放したものだった。
 
「(無駄だな)」
 
 ここ、カプワ・ノールに暮らす家族・ティグルとケラスから一連の話を聞いて、ユーリは迷わずそう断じた。
 
「早く今月分の税を納めなければ、ポリーは……!」
 
「でも、そんな怪我で魔物に出くわしたら今度はあなたが……!」
 
 この家族もまた、一人息子を連れ去られたらしく、既に満身創痍の体でリブガロ狩りに行こうとしている。
 
 ユーリに言わせれば、無駄の一言に尽きる。
 
 ともあれ、ユーリは無関心極まりない態度で耳をほじりながら、懐に入っていた物を机の上に無造作に放り投げた。
 
 ティグルとケラスの、動きが止まる。
 
「これは、まさか……」
 
「お目当てのリブガロの角。つっても、これ渡したからって本当にガキが戻って来る保障なんてないけどな」
 
 信じられないような顔で手の中の金角を凝視していたティグルは、ユーリの言葉の後半に思わず顔を上げる。聞き捨てならないセリフだった。
 
「どういう、意味ですか」
 
「その執政官は、別に税金が欲しくてこんな事してるわけじゃない。自分の嫌がらせで住民が苦しむのを見て楽しみたいのよ」
 
 両掌を上に向けて、リタもまた肩を竦めた。リブガロを野に放したのが当のラゴウである以上、本当に住民がリブガロを倒す事など望んでいるはずがない。
 
 無理難題に挑んでもがき苦しむ姿を見れなければ意味がないのだ。
 
「そんな……じゃあ、ポリーは……」
 
 絶望に打ち拉がれる夫妻を慰めるでもなく、ユーリは今後のスケジュールについて考える。
 
 最初はセオリー通りに夜まで待ってから忍び込む予定だったが……あまり時間を掛けるのも良くなさそうだ。
 
「んじゃ、俺たち仕事があるんでこの辺で」
 
「それっぽいの見かけたら、ついでに拾っといてあげるわよ」
 
 返事も待たずに、ユーリとリタはさっさと家を出る。しかしティグルもケラスも、そちらに気を払う余裕などなかった。
 
 子供は助からない。
 
 認めたくなかった現実を突き付けられて、ただ下を向く事しか出来なかった。
 
(ドォン!!)
 
 ―――鳴り止む事の無い雨音の中で、一つ目の爆音が響いた。
 
 
 
 
「昼間っから正面衝突とか……どんだけ馬鹿っぽい作戦なのよ!」
 
 リタの火炎弾が、屋敷の扉を吹き飛ばす。
 
「たまにゃこういうのもいいだろ。お前だってノリノリじゃねーか」
 
 ユーリの一閃が、迫り来る傭兵の剣を斧を枯草のように刈り取る。
 
「……………………」
 
 刃を失った得物を凝視したまま、傭兵たちは自分がやられた事にも気付かずに意識を手放す。
 
 それらを見下ろして、短刀を咥えたラピードは「この程度で傭兵か」の顔だ。
 
「貴様ら一体なにものだ! ここをラゴウ執政官の屋敷と知っての狼藉か!」
 
 半壊した壁から屋敷の中に踏み入れば、およそ貴族の衛兵には似付かわしくないならず者がワラワラとユーリ達を歓迎してくれる。
 
「馬鹿っぽい……。こんな連中 雇って、騎士には見せられない事してますって言ってるようなもんじゃない」
 
「『紅の絆傭兵団(ブラッド・アライアンス)』か……ギルドが権力を傘に着るようになっちゃおしまいだぜ」
 
 何やら口々に喚いている傭兵どもは無論 無視して、リタは両掌を腰溜めに構えた。
 
 一言で言うならば、問答無用。
 
「“あどけなき水の戯れ”『シャンパーニュ』!」
 
 突き出した右の掌から、無数の水泡が飛び散った。それらは着弾と同時に弾け、外見からは考えられない水圧によって傭兵どもを薙ぎ払う。
 
 間髪入れずに、魔術によって拓けた突破口にユーリとラピードが切り込んだ。
 
「『爆砕陣』!」
「ワォン!!」
 
 全体重を乗せたユーリの斬撃が爆発を起こし、ラピードの短刀が衝撃波を弾けさせる。
 
 至近に舞い込んだユーリらに注意が集中したところで―――
 
「“ささやかなる大地のざわめき”『ストーンブラスト』!」
 
 リタの魔術が鋭く狙い撃つ。直下より噴き出した数多の“弾岩”を無防備に受けて、また数人の傭兵が昏倒する。
 
 あっという間に、もう半分だ。
 
「(こんな、馬鹿な……!)」
 
 傭兵の一人が、心の中で呟く。『紅の絆傭兵団』と言えば、ユニオンの五大ギルドにも名を連ねる最強の傭兵ギルド。
 
 それが、たった二人の人間と犬にあしらわれている。しかも、一人はまだ年端もいかない小娘だ。
 
「……黒い長髪の男に、ゴーグル掛けた小娘……」
 
 ふと、誰かが気付いた。それが無意味な事とは知らずに。
 
「間違いねぇ! こいつら盗賊の……『漆黒の翼』だ!」
 
「へっ、今ごろ気付いたのかよ!」
 
 何故か嬉しそうに啖呵を切るユーリ……の、マフラーを引っ張って、リタはさっさと屋敷の奥へと走りだす。
 
「何すんだよ! あそこで逃げたらキマらねーだろ!」
 
「うるさい! あんなのと遊んでる間に天操魔導器もち逃げされたらどうすんのよ! まだ何処にあるかも解ってないのに………」
 
 いつの間にか目的が強盗から戦闘にすり変わっているユーリを一喝して、リタは天操魔導器に思いを馳せる。
 
「大気中のエアルに干渉して天候を左右してるなら、やっぱり上の方―――」
 
 それとなく上を見たリタの視界に……床が映った。なぜ上を見上げて床が見えるのか、そして何故、狭くて四角形な天井の面積が瞬く間に小さくなっていくのか。
 
 平たく言えば………
 
「きゃああぁぁーー!!」
 
「放せバカリタ! 身動き取れねーだろが!」
 
「バカって言うな馬鹿ユーリ!」
 
 二人なかよく、落ちていた。突然 底の抜けた床の穴へと。
 
「ったく、ベタなトラップ仕掛けやがって!」
 
 そのベタなトラップに引っ掛かった自分の事は棚に上げて、ユーリは小さく舌打ちした。
 
 逆手に握った白剣・『クラウ・ソラス』を、高速で過ぎる石壁に勢いよく突き立てる。
 
「くっ……の……!」
 
 剣先がガリガリと壁を削り、強い摩擦が火花を散らし、落下のスピードを軽減させるが………止まらない。
 
「しゃーねぇ、しっかり掴まってろよ!!」
 
 迫る大地を睨み、ギリギリまで減速してからユーリは壁を蹴った。珍しくリタが素直にしがみついているのをありがたく思いつつ、右の拳を限界まで引き絞り―――
 
「ッらぁ!!」
 
 着地に合わせて、思い切り地面を殴りつけた。激しい破砕音を響かせて、石床に小さなクレーターが出来上がる。
 
 拳撃の余波でフワリと浮いたユーリは、何事もなく着地に成功した。
 
「ふー……何とか上手くいったな」
 
 ぷらぷらと右手を振って、ユーリは安堵の溜め息を吐く。
 
 ユーリの両手に嵌められているグローブ。剣と同様、ユーリにとってはグローブもまたエアル伝導率の高い武器なのだ。
 
 エアルを強く纏える分だけ、足で着地するよりも安全と言える。
 
「………生ぐさ」
 
 着地の余韻から醒めて、ユーリが最初に抱いた感想がそれだった。地下牢か何かだろうか、薄暗くて だだっ広い空間に、吐き気を催す臭いが充満していた。
 
 血と、獣と、何かが腐った臭い。
 
 燭台の微かな灯りに照らされた空間を見渡して目に映る骨は……魔物の物だけではないのだろう。血塗れに黒ずんだ衣服の残骸が、遺骨の横に散らばっていた。
 
「……………………」
 
 ユーリは心が不穏にざわつくのを感じながら、眼を鎖して自制する。リタに見せるような顔ではない。
 
 ふと、落下の途中から一言も喋らないリタが気になった。
 
「リタ?」
 
 確かに気分の悪くなる光景ではあるが、リタとてそれなりの場数を踏んでいる。こんな事で自失するわけなどないのだが……現に、リタはユーリの胸に頭を押し付けて離れない。
 
「………もしかして、さっきのダイブか?」
 
「………うるさい」
 
 上ずった声の「うるさい」は、肯定と見るべきか。今まで気付かなかったが、どうも高所恐怖症らしい。
 
「(ラピードは上か……ま、心配ないだろうけど)」
 
 顔を見られたくないだろうリタはしばらく放置して、ユーリは天井の穴を見上げる。
 
 上を見ていたリタや、そのリタに掴まれていたユーリとは違い、ラピードは落とし穴に掛からずに済んだようだ。
 
「ひっ……ひぃ……ひぃぃ~ん……!」
 
 密閉された空間に、むせび泣く声が木霊する。
 
「よしよし……よっぽど怖かったんだな……」
 
 柄じゃないと知りつつ、胸の中の少女の頭を撫でると―――
 
「あたしじゃ……ないわよ!!」
 
「痛って!?」
 
 思い切り足を踏まれた。指先を狙って全体量を乗せた、恐ろしく容赦の無い踏み込みである。
 
「この声、どこから聞こえてるんだろ」
 
 さっきまでの失態を誤魔化すように、片足を押さえて飛び跳ねるユーリを無視してそそくさと扉の一つに駆けて行く。
 
「てて……。リタじゃない?」
 
 ようやく痛みの和らいだ足を地に着けて、ユーリは改めて耳を澄ました。あの泣き声がリタではないとすれば、こんな空間に誰かがいるとすれば………
 
「ちょ、ちょっとユーリ!」
 
 狙いすましたようなタイミングで、リタの声がユーリを呼ぶ。
 
 扉を抜け、通路を抜ければ、そこに困り果てた顔のリタがいた。その膝元で、小さな男の子がメソメソと泣いている。
 
 どうすればいいか判らずオドオドするリタの脇を抜けて、ユーリは子供の頭を掴んだ。
 
「男がぴーぴー泣くんじゃねえ。苦しい時こそ笑ってみせろ」
 
「……無茶言ってるわ」
 
 顔を自分の方に向かせて、視線を逸らせないようにしてから瞳を見据えられ、子供はピタリと泣き止んだ。
 
 元気づけられたわけでも、頼もしく思ったわけでもなく……単純に怖かったからだ。
 
 泣く子も黙るとは、こういう事を言うのか。
 
「あんた、ゼッタイ息子に厳しくて娘に甘い父親になるわね」
 
「どうかね。そもそも父親なんて柄じゃねーよ」
 
 リタの率直な感想に軽口で応えて、ユーリは子供を脇に抱えた。既にユーリは片手に剣を、リタは帯を構えている。
 
「泣くなよ、“ポリー”」
 
 その眼は、餌の匂いに引き寄せられた魔物の姿を捉えていた。
 
「俺たちが盗み出してやるからよ」
 
 顔は見えない。名前も知らない。ただギラギラと燃えるような青年の言葉に………
 
「………うん」
 
 ポリーは、小さく頷いた。
 
 
 



[29760] 6・『殺意』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:ef78e215
Date: 2011/10/19 20:49
 
「じゃあ、お前以外には残ってねーんだな」
 
 血なまぐさい地下迷宮の中を、ユーリはポリーを脇に抱えて走る。
 
 ………迫り来る魔物たちを斬り散らして。
 
「(ここまでの奴は、初めてかな………)」
 
 この屋敷の主であるラゴウは、税を払えなかった事を理由に連れ去った住民をこの牢に放り込み……魔物の餌としていたようだ。
 
 おそらくは、ただ自分が楽しむ為だけに。
 
「…………………」
 
 ポリーは泣かず、ただ俯いて黙り込む。
 
 同じ街の住民が一人、また一人と魔物に喰われていく様を見ながら、ポリーはずっと震えていたのだろう。
 
 自分が喰われる瞬間に怯えながら、誰かが喰われる瞬間から目を背けて。
 
 それは一体、どんな気持ちなのだろうか。
 
「………魔導器(ブラスティア)頂くだけじゃ、収まんねーな」
 
 誰にも聞こえないほど小さく、ユーリは呟いた。その眼が今、どんな色を宿しているのか、長い前髪に隠されて見る事は出来ない。
 
「はっ!!」
 
 一閃、ユーリは道を遮る鉄格子を斬り裂く。地下の魔物は軒並み倒した。街に魔物が入り込む心配もない。
 
「(来ねーのか……)」
 
 思ったより“到着”が遅い事に、ユーリは内心で舌打ちした。事前の打ち合わせで、リタはこの地下牢に落とされてから、大きな音や衝撃を生む魔術は一度も使っていない。
 
 ユーリ達としては、今は「侵入者は罠に落ちて魔物の餌になった」と思われていた方が都合がいいのだ。
 
「(まあ、わざわざ待つ事もないか)」
 
 こんな“遊び”をする人間なら、きっと“身の程知らずな盗賊”が喰われる様を見物に来ると踏んでいたのだが、今のところ その様子は無い。
 
 もしかすると、上でラピードが奮闘しているのかも知れない。
 
 鉄格子を破り、さらに階段を駆け上がると、世界が変わる様に周囲の様相が一変した。
 
「これは………」
 
 淡い青光に彩られた厳かな大広間。一階も二階も無い高い空間の中心に据えられた柱の真ん中で、巨大な魔導器が稼働している。
 
「災い転じて、って奴か」
 
 まず間違いない。これが目当ての『天操魔導器(メテオラ・ブラスティア)』だろう。ユーリとしては独り言のつもりはなかったのだが、リタはとっくに階段を駆け上がっている。
 
「ストリム……レイトス……ロクラー……フロック……。複数の術式をこんな無茶苦茶なやり方で組み合わせるなんて!」
 
「リタ、調べるのは後にしろ。さっさとそれ持って引き揚げるぞ」
 
 もはや他に何も見えていないかのように解析術式を繰り始めるリタの肩を、ユーリが掴む。
 
 いくら何でも、敵地のど真ん中で研究などさせるわけにはいかない。
 
「この子……声が聞こえない……もうちょっと、もうちょっとだけ………」
 
「おいおい」
 
 リタの手は術式から離れない。魔導器を盗んだ事は幾度となくあるが、リタがこんな行動に出るのは初めてだ。
 
 それだけ、この天操魔導器が特殊な代物だという事だろうか。
 
 ユーリは、リタの困惑に気付かない。
 
 ひっぺがしてでも退却しようかどうかユーリが悩んでいると………階下から絶叫が響いた。
 
「その魔導器に触るのではありません!」
 
「来ちまったよ……」
 
 手摺りに上体を凭れさせて、ユーリは下を見下ろす。
 
 予想通りの傭兵たちの真ん中に、明らかに風貌の違う老人が一人。黒のローブに円柱の帽子、鼻の横に大きな黒子。しかし何より………歪んだ光を帯びた眼が印象的な男。
 
「アンタがラゴウさん? 随分と胸くそ悪い趣味をお持ちじゃねーの」
 
「あれは私のような高貴な者にしか楽しめない娯楽なのですよ。卑しい盗賊風情には理解出来ないでしょうがね」
 
 開口一番のユーリの挑発に、ラゴウは表情を愉悦に歪めた。つまらないほど想像通りの悪人像に、ユーリは落胆の溜め息を吐く。
 
「そんな事より、これはどういうつもりです! 私があなた達に依頼したのは、余所から魔導器を掻き集めて来る事だったはず! 屋敷に殴り込めなどと頼んだ憶えはありませんよ!」
 
「ふぅん?」
 
 思い出したように喚き散らすラゴウの言い分に、ユーリは僅か眉を上げた。
 
 ラゴウから『漆黒の翼』に盗みの依頼があった……という話を、ユーリは知らない。しかし、“依頼人”がこう言っている以上、依頼自体はあったのだろう。
 
 ………誰かさんは知っていたのだろうが。
 
「どうもこうも……こういう事だ、よ!」
 
 手摺りから身を躍らせて、ユーリは階下に飛び降りる。落下の勢いを乗せた渾身の斬撃が、爆発を起こして傭兵を吹き飛ばした。
 
「ひ……っ!」
 
 砕き飛ばされた刃の欠片の一つに帽子を弾かれ、ラゴウは短く悲鳴を上げた。その視線の先で……傭兵に囲まれたユーリが不敵な笑みを浮かべて立っている。
 
 ラゴウには信じられない。“自分が歯向かわれた”という事が信じられない。
 
「わ、私は評議会の人間ですよ!? タダで済むと思っているのですか!」
 
「さぁ? タダじゃなけりゃ どうなんのかね。豪華なディナーにでも招待してくれるってか」
 
 評議会とは帝国の政治、外交を司る有力貴族の機関。皇帝不在の今、その立場は皇帝の代理人と言い換えてもいい。
 
 逆らえる人間などどこにもいない。ラゴウは本気でそう信じていた。
 
「今まで権力の無い人間を散々オモチャにしてきたんだろうが、今のテメェは市民権一つ持たない俺一人からも身を守れねえ」
 
 淡々と語る片手間に、ユーリは道を遮る傭兵たちを見もせずに制圧していく。そして……一歩一歩ラゴウへと足を進ませていく。
 
「な、何をしているのです! 報酬の分まで働きなさい!」
 
 一喝しても、もう傭兵たちはユーリに挑み掛からない。その場の誰もが、ユーリの纏う空気が刃物の様に冷たくなっていくのを肌で感じていた。
 
「魔物は全部倒しちまってな。餌にしてやれねーのが残念だぜ」
 
 権力を盾にしても止まらない。金で雇った傭兵でも止められない。自分があの白刃を防ぐ術を何も持たないと知ったラゴウは――――
 
「あ、あぁ、あ……」
 
 何も、出来なかった。足が震えて、逃げる事すら出来ない。言葉にならないか細い声は、命乞いのようにも聞こえる。
 
 剣が、上に振り上げられる。ラゴウの身体を二つに割らんと、天に向けて翳される。
 
 そして―――
 
「ぎゃあ!?」
 
「熱ぃっ!」
 
 爆炎が弾けて、ラゴウは吹っ飛んだ。むしろ、ユーリも吹っ飛んだ。
 
「こんな無茶苦茶な使い方して………魔導器が可哀想でしょーがぁぁーーー!!」
 
「おまっ、俺ごと殺す気か!」
 
「うるさーーい!!」
 
 火炎弾の出所を眼で追えば、さっきまで自分の世界に没頭していたはずのリタがキレている。
 
 口答えしたユーリに向かって、さらにファイアボールをもう一丁。慌てて躱したユーリの代わりに、至近の傭兵が黒焦げた。
 
「そんなジジイほっといて、さっさと引き揚げるわよ! ………待っててね、すぐに治してあげるから」
 
 一方的に怒鳴り付けた後、天操魔導器を優しく撫でさするリタ。
 
「……………………」
 
 そんなリタと、黒焦げて気絶しているラゴウと、そしてポリーをそれぞれ睥睨してから―――
 
「……ったく、解ったよ」
 
 ユーリは、苦笑混じりにリタに応えた。その脇を………
 
「そーそー。ちょっとズル賢くなるだけで、やれる事なんていくらでも増えちゃうんだから」
 
 さも“一緒に突入しました”といった体を装ったレイヴンが、小走りに擦り抜けた。ちゃっかりラピードも一緒にいる。
 
「……おっさん、今までどこで何してやがった」
 
「苦情はあとあと! リタっち、あっちのカベ壊しちゃって〜」
 
「あたしに命令すんな!」
 
 諦め気味に突っ込むユーリにウインクを一つよこして、リタに物騒な指示を出すレイヴン。
 
 リタは当然 文句を言いながらも……意外なほど素直にクルクル回りだした。
 
「『スパイラルフレア』!!」
 
 リタの広げた赤の術式から、特大の火球が大砲よろしく撃ちだされる。解き放たれた炎弾はいとも容易く屋敷の壁を屋根を爆砕し……その先に見事な青空を開けさせた。
 
 天操魔導器の特性ゆえか、この部屋は最も外側に位置していたようだ。
 
「なるほど、そういう事か」
 
「ワンッ!」
 
 リタに指示したレイヴンの意図を読んで、ユーリが壁を走って跳び上がり、ラピードが素早く地を駆ける。
 
 同時に放たれた二筋の剣閃が、柱から天操魔導器を筐体ごと斬り離す。その間に、レイヴンは既に詠唱を終えていた。
 
「『ハヴォックゲイル』!」
 
 エアルがマナに変わり、マナが風に変わり、風が竜巻へと昇華する。魔術によって室内に生まれた暴風は、ユーリを、リタを、レイヴンを、ラピードを、そして天操魔導器を外へと運ぶ。
 
「待ておっさん! ガキがまだ残ってる!」
 
「いーのいーの。後は正義の味方に任せましょ」
 
 暴風に攫われながら、ユーリは取り残されたポリーに目を向ける。ここから盗み出してやる、という約束は、果たされたのかも知れない。
 
 しかし……
 
「ありがとう! おにーちゃんたちー!」
 
「………俺の真似はすんなよ! ロクな大人になんねーから!」
 
 何も知らない無邪気な呼び声に、ユーリはいつもの軽口を返した。
 
 ……らしくない。
 
 そんな風に、今日の自分を振り返りながら。
 
 
 
 
 ――――竜巻が数多の暴虐を連れ去った屋敷に…………
 
「そこまでです! 連続食い逃げ犯・ゾルフ! わたしが来たからには、もう逃げられ………あれ?」
 
「エステリーゼ様! 勝手に屋敷の中に入っては………!」
 
「な、何で人がいっぱい倒れてるの……!」
 
 見覚えのある客人があった事を、ユーリはまだ知らない。
 
 
 
 
(おまけ)
 
 本編中にも書いてはいますが、一応現在の何人かの衣装を、原作風に。
 
ユーリ:黒衣の断罪者
リタ:求道者
レイヴン:初期衣装
ラピード:初期衣装
ジュディス(初登場時):華やかな夜への誘い
 



[29760] 7・『パティ』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:4abbb7e4
Date: 2011/10/21 17:15
 
「イヤァアーー!! 落ちる落ちる落ちる落ちるってばーー!!」
 
 火球によって穿たれた屋敷の大穴から、『漆黒の翼』を乗せて竜巻が立ち上る。
 
 天操魔導器(メテオラ・ブラスティア)もろとも高々と空に放られて、リタはひたすら悲鳴を上げる。その放物線が描く先には、青々と揺らめく海。
 
「(いや、あれは……)」
 
 こんな時でも何処か達観しているユーリは気付く。自分たちが落ちる先に、一隻の船が進んで来ている事に。
 
「帆を張るのじゃーー!!」
 
 突如、落下地点を見ていたユーリらの視界を、純白が埋め尽くす。それは……屈強な海の漢たちの広げる美旗。
 
(バリッ!)
 
 もっとも、そんな事で巨大魔導器を受けられるはずもなく、仲良く揃ってダイブを果たしたユーリ達は、折り重なるように船の甲板に貼りついた。
 
 一番下にレイヴン、その上に天操魔導器、ユーリ、リタ、一番上に不時着したラピードが雄々しくお座りしている。
 
「犬……早くどきなさいよ」
 
「お前もな……」
 
「…………………」
 
 二度目のダイブでやや腰砕け気味のリタ。そんなリタに苦情を言うユーリ。屍よろしく無言のレイヴン。何とも締まらない『漆黒の翼』の前に、一人の少女が歩み寄る。
 
「どうやら、縁があったようじゃの」
 
 三つ編みの金髪。大きすぎるフロックコート。アンバランスな海賊帽。忘れるはずもない、『ウミネコの詩』の頭・パティだ。
 
「……よく言うぜ。どうせおっさんとグルだったんだろ」
 
「ふふん♪ ショーに興じるイルカよりも芸術的な手並みじゃろ?」
 
 ジト目のユーリに向けて、パティは手で銃を真似てパンッ! と撃つ。撃った後に人差し指の先を一息する事も忘れない。……お茶目である。
 
 しかし実際、レイヴンとの打ち合わせがあったとしても、あのタイミングの良さで船を操るのは尋常ではない。
 
 この程度の船で嵐を越えて来た事といい、やはりただ者ではないようだ。
 
「恩に着る必要はないぞ。海を荒らす輩を見過ごせん気持ちは、むしろ うちらの方が上なのじゃ」
 
「そうかい、ありがとよ」
 
 しかし、そうは言っても子供は子供。リタの時もそうだったが、ユーリにとって子供の実力はあまり関係がない。
 
「あぅ」
 
 ようやく人間サンドイッチから抜け出して、帽子ごとパティの頭を撫でた。ユーリの手に合わせて、パティの小さな体が左右に揺れる。
 
「それはいいけど、さっさと港から離れた方がいいんじゃない。あんまり長居すると面倒な事になるわよ」
 
「おお! そうだったのじゃ」
 
 リタの指摘を受け、パティが跳ねる。跳ねて……反転し、右腕を力強く広げた。
 
「面舵いっぱい! トリム港まで急ぐのじゃ!」
 
『へい、お頭!!』
 
 小さな船長の指示に応えて、船員が、そして船が動き出す。
 
 リタは追っ手を防ぐ為にラゴウの私有船を爆破し、パティは常の習慣として船首の先で双眼鏡を構えた。元気な少女らを眺めながら、ユーリは縁に背をもたせて空を仰ぐ。
 
 色々と気になる事も無くは無いが、とりあえず一仕事を終えた。
 
 ―――ユーリは、そんな風に油断していた。
 
「お?」
 
 カプワ・トリムに向かうフィエルティア号の船首。そこで前方に双眼鏡を向けていたパティの、怪訝そうな声に、まだ誰も気付かない。
 
「(鳥?)」
 
 自分の視界に映るそれを、パティは初め そう思う。
 
 しかし、フィエルティア号の進路方向から向かって来るそれは、互いが接近しているが故に瞬く間に大きくなり―――
 
「おぉ!?」
 
 その全容を、パティに晒した。
 
 群青色の体毛、後方に伸びる二本の角、宙を掻くヒレ………
 
「スカイ・アオクジラなのじゃ!!」
 
 パティのやや的外れな歓声が、ユーリの耳に届いた。
 
 
 
 
「……クジラ?」
 
 パティの叫びに、何事かと船の前方に駆け付けたユーリの第一声がそれだった。
 
 確かに形態としてはクジラに見えなくもないが、些か以上に小さ過ぎる。何より、空を飛んでいる。
 
 しかし それ以上にユーリの目を惹いたのは……“その上”だ。
 
「何だ、あれ?」
 
 空を泳ぐ魔物。それに跨って、純白の騎士がそこにいた。
 
 衣、鎧、ガントレット、レギンス、仮面で顔まで すっぽり隠す円錐のフード、その全てが純白。そんな怪しい風貌の騎士が魔物に跨り、槍を携えて………フィエルティア号に近づいて来る。
 
「何よ、あれ………」
 
 いつの間にか、リタがユーリの隣に来ていた。真っ先にパティが咆える。
 
「あれはクジラなのじゃ! 独特の味わいで、唐揚げにすると旨いのじゃ!」
 
「クジラにしちゃ小せーだろ。せめてサメとかイルカとか」
 
「世の中には小さいクジラだっているのじゃ。ユーリは海を解っとらんの」
 
「なら飛んでんのは どう説明すんだよ」
 
 ユーリとパティの能天気な会話に―――
 
「………違う」
 
 リタが……小さな声を差し挟む。少し様子がおかしい。
 
「クジラでもイルカでもなくて、竜だって……これって、シゾンタニアの時と同じ……」
 
「リタ………?」
 
 うわごとの様に呟くリタの、様子を窺う―――
 
「っ……来るのじゃ!」
 
 暇もなく、状況が動き出す。まるで肉食獣が獲物に飛び掛かる瞬間の様に、クジラ……否、竜が、急激に速度を増した。
 
 ―――ユーリ達の乗る、フィエルティアに向かって。
 
 
「野郎ども! 一本釣りにするのじゃ!」
 
『へい、お頭!』
 
「だから違うだろ」
 
 ユーリは反射的に、敵意を感じ取る。パティと、パティに従う野郎どもに律儀にツッコミを入れてから、船室の壁を蹴り、屋根を踏んで―――
 
「よう、面白ぇファッションしてんな」
 
「…………………」
 
 高々と跳躍し、飛来する竜の前方へと踊り出た。―――刹那、彼の視線と仮面の奥の視線が交錯し………
 
(ギィン!!)
 
 次の瞬間、剣と槍とが噛み合った。跳躍による寸暇の接触を経て、ユーリは伸身で一回転してから再び船室の屋根に着地する。
 
 その一瞬の攻防が、ユーリの確信をさらに深いものにした。あれは敵だ、と。
 
 仕事柄、恨みなら星の数ほど買っているから、こういう事にも別に驚きはしないが………
 
「流石に魔物に乗った知り合いはいねーんだけどな」
 
 ユーリの軽口に、竜使いは応えない。ただ窺うように船の周りをゆっくりと旋回する。
 
 ユーリは抜き身の剣を片手に下げて、視線を竜使いから外さない。ラピードは船の真ん中で「ふん、俺が出るまでもない」という顔でぷるぷると震えている。レイヴンは未だにピクリとも動かない。
 
 リタは………
 
「“揺らめく焔 猛追”!」
 
 既に――詠唱を終えていた。
 
「『ファイアボール』!!」
 
 天に向けられた掌から、数多の炎弾が迸る。それらは一直線に空を駆け、竜使いへと襲い掛かる。
 
 ―――が、当たらない。迫り来る火の雨を縫うように、竜は鮮やかに空を泳いでみせた。
 
「甘過ぎ!!」
 
 リタはそんな竜使いを掴み取るように、右の掌を差し向ける。途端――目標を見失ったはずの炎弾の軌道が、変わる。
 
「っ……!」
 
 竜使いを中心に数多の円が折り重なった、火炎の鳥籠へと。
 
「燃えろ!!」
 
 リタが掌を握りこむ。その動きに連動して、全ての炎弾が一斉に爆ぜた。
 
(――――――ッ!!)
 
 大気を震わせ、紅蓮の炎が膨れ上がる。上空に広がる炎の雲に、パティがパチパチと拍手を贈る。
 
「ユーリ、ふん縛って! あいつには訊きたい事が………」
 
 その気になれば、全ての炎弾を破裂させずに直撃させる事も出来た。だが……リタは手加減をした。
 
 ―――それがいけなかった。
 
「っ、まだだ!」
 
「え―――」
 
 燃え盛る炎を斬り裂いて、竜使いが飛び出して来る。咄嗟にユーリは地を蹴って、無防備なリタの前で剣を構えて………
 
「!?」
 
 驚愕した。
 
 リタの背後から強襲を掛けると思われた竜使いは、襲い掛かるどころか……ユーリを見向きもせずに素通りしたのだ。
 
「何を――――」
 
 横切った影を眼で捉えた時には、既に手遅れだった。
 
「っ……やめてぇ!!」
 
 リタの叫びを非情に無視して―――
 
(バギィ……ン!!)
 
 竜使いの槍は―――天操魔導器の魔核を粉砕した。
 
「ちぃ……!」
 
 このタイミングで襲ってきた敵。奇襲に気を取られてその狙いに気付けなかった事が悔やまれる。
 
 ユーリが舌打ちを鳴らし、リタが怒りに震える中で、竜使いは「用は済んだ」とばかりに背を向けて空へと逃げた。
 
 当然、逃がさない。
 
「『蒼破追蓮』!!」
 
 ユーリの連斬が蒼い衝撃波を飛ばす。一発は躱され、一発は槍に弾かれる。その機を逃さず、リタは帯を引いて回っていた。
 
「“灼熱の軌跡を以て野卑なる蛮行を滅せよ”」
 
 詠唱が火の術式を広げ、術式が大気を焦がす。
 
「『スパイラル・フレア』!!」
 
 展開された魔方陣から、先の炎弾とは比較にならない特大の火球が撃ち放たれた。
 
「(当たる……!)」
 
 拳を握って確信するリタの目の前で―――
 
「―――ォォォ」
 
 竜が、大きく息を吸い込んだ。
 
「伏せろ!!」
 
 ユーリの叫びに、一拍遅れて―――
 
『ッ!!?』
 
 リタの火球と竜の吐き出した炎の吐息が、ぶつかり、混ざり、弾けて、先の爆発に倍する煉獄を空に撒き散らす。
 
「逃がさないわよ!」
 
 肌に痛い高熱を浴びながら、リタが未だ健在の竜使いに次なる魔術を繰り出そうとした。
 
 その時―――
 
「よし、何か知らんがウチも手伝うぞ」
 
 ウミネコの詩のボスが、両手を腰に当てて立ち上がる。
 
「“波瀾万丈 塞翁が馬 幸運の波うち寄せる”!」
 
 何やら やけに個性的な詠唱を紡ぎ、パティは勇ましく人差し指で天を差し―――
 
「『クリティカルモーメント』!!」
 
 
 
 
 その時なにが起こったのか、当のユーリ達にも良く判っていない。
 
 ただ、パティを含めた船上の誰もが、突然転んだ。
 
 それはもう、フィクションでバナナを踏んだ時のように盛大に転んだ。
 
 何も無い場所で、何の前触れもなく、冗談のように。
 
 ただ、爆炎や嵐を伴わない平和な青空が………戦いの終わりを告げていた。
 
「あんたのせいで逃がしちゃったでしょーがー!!」
 
「痛いのじゃー! ごめんなのじゃー!」
 
 リタは、とても悔しい。
 
 
 



[29760] 8・『特訓』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/10/23 10:44
 
 学術都市・アスピオの簡易拘留所。その片隅の一室に、先刻から一人の男が監禁されていた。
 
 全身をくまなく包帯で巻かれ、一見しただけでは判らないが……カプワ・ノールにて暴政と呼ぶのも生温い非道を重ねた執政官、評議会の一人にもその名を連ねるラゴウだった。
 
「ここから出しなさい! 私は評議会の人間ですよ!? こんな扱いが許されると思っているのですか!!」
 
 彼は権力を過信して増長を重ね、天候を左右する魔導器(ブラスティア)にまで手を出した。それが結果として盗賊ギルド・『漆黒の翼』を呼び込む事になった。
 
 魔導器を狙って殴り込んで来た盗賊に屋敷を半壊させられ、雇った傭兵も残らず倒され、魔導器も盗まれ、彼自身も全身に火傷を負わされた。
 
 これだけでも並々ならぬ屈辱ではあるのだが、問題なのはその後。
 
「おのれ、あんな小娘と青二才に……!」
 
 盗賊が大暴れしたラゴウの屋敷に、あろう事か騎士団の人間が乗り込んで来たのだ。
 
 騎士団は有事に際してあらゆる状況への介入が認められている。流石のラゴウも自分の悪事を隠す事など出来ず、こうしてお縄に就いているのだ。
 
「……見ていなさい。必ずあの騎士の小僧に厳罰を下し、忌々しい盗賊どもを潰してやります」
 
 ラゴウには自信があった。たとえこのまま帝都に連行されて罪を裁かれたとしても、評議会の人間たる自分なら罰を免れ得る事に。
 
 事実、理不尽な格差社会を体現する今の帝国では、その認識は決して間違いではない。ラゴウに下される罰則など、多少地位を下げられる程度のものだろう。
 
 ………そう、今までならば。
 
「お久しぶりですね。ラゴウ殿」
 
 格子にしがみついて呪咀を並べていたラゴウは、突然かけられた声に顔を上げた。
 
 そこに、いつの間にか一人の男が立っている。
 
「何を呑気な……私をこんな所に押し込めるなど、一体何を考えているのです!」
 
「これは失礼。部下の方で伝令が上手く伝わっていなかったようでして」
 
 男は悪びれもせずに肩を竦めた。その仕草がまたラゴウを苛立たせる。
 
「だったら今すぐ私をここから出しなさい! 連行中とは言え、私は評議会の人間ですよ! 相応の扱いというものがあるでしょう!」
 
「ええ勿論。すぐにでも貴方に相応しい待遇を用意させて頂きます。ですが………その前に一つだけ応えては貰えませんか?」
 
 眼鏡を軽く指先で押して、男の視線が真剣味を増した。
 
「あの『天操魔導器(メテオラ・ブラスティア)』は、今どこに?」
 
「卑しい盗賊に盗まれてしまいましたよ。まったく、身の程知らずなネズミどもめ」
 
 このカビ臭い拘留所から早く出たい。そう思って、ラゴウは男の質問に即答する。実際、知られて困る質問でもない。
 
「そうですか、困りましたねぇ……試作品とは言え、あの技術をあまり流出させたくはないのですが……」
 
 それきり興味を失ったように、男は踵を返した。小さく漏らされた言葉も、ラゴウに向けられているわけではなく独り言に近い呟きだ。
 
 当然、ラゴウが黙ってそれを見送るわけがない。
 
「待ちなさい! 私をこんな場所に残して何処に行くつもりです!」
 
 質問に応えたら相応しい待遇を用意する。その約束だったはずなのだから。
 
「ん? ああ、これは失礼しました」
 
 呼び止められて、完全に「いま思い出した」という顔で男は振り返った。
 
 振り返って……自然な動作でパチンッと指を鳴らした。
 
「相応しい待遇、でしたね」
 
 それが―――ラゴウがこの世で見る最後の光景となった。
 
「え―――――」
 
 ボッ! と可燃ガスに火が点いた様な音を立てて、まずラゴウの首から上が黒く燃え果てる。
 
「ゴミはちゃんと処分しなくてはいけませんでしたね。どうも私は私生活が だらしないようで、お恥ずかしい」
 
 既に聞こえているはずがないラゴウの胴体に話し掛けて、男はもう一度指を鳴らす。
 
 今度は残された全身が、黒い炎に飲み込まれて塵も残さず消滅した。
 
 格子にも、地面にも、焦げ跡一つ残ってはいない。残っているのは、まるで初めから そこには誰もいなかったような寂しい牢だけ。
 
「この分だと傭兵団の方も疑わしいですね。やれやれ、忙しくなりそうだ」
 
 言葉とは裏腹に、男は口の端を不気味に引き上げた。
 
 
 
 
 港街・カプワ・ノールからほど外れた岬の先にて、リタは一人で準備体操に励んでいた。
 
 無造作に放り投げたパーカーの下から、セパレートタイプの赤い水着が眩しく光る。
 
「何かあったらすぐに救けなさいよ、救助犬(いぬ)」
 
「………フン」
 
 その傍らで青いボーダースーツを着せられたラピードが、気の無い様子で鼻を鳴らす。水は苦手なのだ。
 
「………………」
 
 水が関わるとイマイチ頼りない犬に失望の視線を送ってから、リタは小さく息を飲む。
 
 やや引けた腰で岬の先から下を覗き込めば、遥か下方に青々とした海が広がっていた。
 
 死ぬほどではないが、とても高い。
 
「だ、だいじょぶだいじょぶ……要は落ちなきゃいいのよ、落ちるな あたし」
 
 一時撤退して、慎ましやかな胸に手を当てて自分に言い聞かせるリタ。
 
「犬! ホントに何かあったら救けなさいよ!?」
 
「………わぁふ」
 
 カプワ・ノールでの一連の騒動を振り返って、リタは思った。
 
 落とし穴に落ちては涙ぐみ、竜巻で船にダイブすると喚き散らす。……あれは、あまりにもカッコ悪いのではないか、と。
 
 そしてリタは誓う。次に会ったら あの竜使い……否、バカドラは必ずぶっ飛ばすと。
 
「よ、よし……三つ数えたら行くからね」
 
 術式は完璧。リハーサルでも成功だった。
 
「1、2……」
 
 理論的には何の問題もないはずだ。怖れるものなど何も無い。
 
「3!」
 
 後はやるだけ。一歩を踏み出すだけ。
 
「い、行くわよ」
 
 一度成功すれば、克服できるはずなのだ。
 
「ホントの、ホントに、行くからね!?」
 
 しつこい位に決意表明ばかり繰り返すリタの足を―――
 
「ガゥ!」
 
「あ」
 
 早よ行け、と言わんばかりにラピードの尻尾が払った。
 
「ひゃわぁあああぁあ゛ーーー!!!」
 
 絹を裂くような奇声を発して、リタは頭からまっ逆さまに青い海へと落ちていく。
 
 
 
 
「なら、あれは聖核(アパティア)ではなかったんじゃな」
 
「そうみたいねぇ、何か術式を無茶苦茶に組み合わせてたとか、リタっちが言ってたわよ」
 
 カプワ・ノールとは対称的に、ギルドの力によって賑わうトリム港のオープンカフェにて、小さな子供と胡散臭い中年というアンバランスな二人がお茶していた。
 
「声がどうとか言っとったようじゃが、あれは何なのじゃ?」
 
 一人は『ウミネコの詩』の頭・パティ。
 
「いやー、おっさんにも良く解んないんだけど、あの子、魔導器の声が聞こえるらしいのよ。……そのせいで、アスピオに居た頃は変人扱いされてたみたいだけどねぇ」
 
 一人は、『漆黒の翼』のボス・レイヴン。見る者が見れば 注目せざるを得ない顔ぶれだが……普通に見れば単なる子連れである。
 
「言いたい奴には言わせておけばいいのじゃ。うちだって、貝殻を耳に当てたら海の声が聞こえるぞ」
 
「それはまたちょっと違うような………」
 
 パティは何故か自慢気に両腕を組んで首肯を繰り返す。レイヴンのツッコミも聞こえていない。
 
「魔導器の事は残念だったけど、俺様的には仕事の“過程”の方が気になるのよね」
 
「『紅の絆傭兵団(ブラッド・アライアンス)』の事か。確かに、少し らしくない感じはするの」
 
 少し考え込むようにシーフードパスタをつつくレイヴンを見て、パティはミックスジュースを飲み干した。
 
 依頼を受けて報酬を貰えば、相手が誰だろうと仕事をこなすのがプロというものだが………帝国評議会の人間と、五大ギルドの『紅の絆傭兵団』、どうにもキナ臭い。
 
「海が荒れる前兆の様な気がするのじゃ。……今のホワイトホースには、ちと荷が重い事になるかも知れんの」
 
「手厳しいねぇ。ドンだって頑張ってユニオンを育てて来たってのに」
 
「引っ張ってやるだけが頭の務めではないのじゃ。いつまで経っても一人でカッコばかりつけとるから こういう事になる」
 
 ここにはいない豪傑に呆れまじりの説教をくれて、パティは徐に立ち上がる。船に仲間を待たせているのだ。
 
「ごちそうさまなのじゃ。いざとなったら手を貸してやると、ホワイトホースに伝えてくれろ?」
 
 元気よく手を上げてサバサバと別れを告げる小さな背中を………
 
「………前から思ってたんだけど、パティちゃんってホントは何者なわけ?」
 
 レイヴンは、一度だけ呼び止める。パティもまた一度だけ振り返って―――
 
「ヒ・ミ・ツ♪ なのじゃ!」
 
 可愛らしくウインクを寄越して、小走りに駆けて行った。
 
 
 



[29760] 9・『救児院』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:ef78e215
Date: 2011/10/25 14:27
 
「………………」
 
 港の端に腰を下ろして、ユーリは一人 釣糸を垂らしていた。
 
 リタは「ちょっと野暮用」と言ってラピードを引っ張って行ったし、レイヴンに到っては普段から動向が掴めない。
 
 三年も同じギルドにいるのに、ユーリはレイヴンの自宅すら知らないのだから相当なものである。
 
 そんなこんなで、今日ばかりは子供のお守りとも おっさんの迷言とも無縁に、穏やかに過ごそうと考えていたのだが………
 
「ねー、つれるー?」
 
「うわ、変な魚ー」
 
「髪なげー」
 
 何故か、ユーリは今も子供に囲まれていた。特に何をしたというわけではない。釣糸を垂らして座っていたら勝手に集まって来たのだ。
 
 無邪気で無用心で好奇心な幼児の性質と、ユーリの珍しい格好が呼んだ現象と言える。
 
「(ったく、どこのガキ共だよ)」
 
 バケツを覗かれ、釣竿を掴まれ、髪の毛を引っ張られながら、ユーリは小さく溜め息を吐く。
 
「ねー、おっきいの釣ってー!」
 
「クジラがいい、クジラ!」
 
「無茶言うな。けどま……マグロくらいなら狙ってやるよ」
 
 そうやって自分自身に“ポーズ”を取りつつも万更ではないのか、ユーリは得意気に鼻を鳴らす。本気でマグロを釣れると思っているあたり、かなり馬鹿である。
 
「変なかっこー」
 
「全身まっくろでドロボーみたい」
 
「将来有望だぞ、お前。けど、警戒するなら黒より紫だ」
 
「けーかいって何?」
 
「ママに訊きな。きっと『知らないお兄さんと遊んだらいけません』って言われるから」
 
 下町にいた頃から子供の相手は慣れっこなユーリの、他愛ない会話に………
 
「その子たちに、両親はいないんです」
 
 穏やかな声が、割って入った。「せんせー!」と嬉しそうに駆け出す子供らを目で追って、ユーリも後ろを振り返った。
 
 そこで……如何にも人の良さそうなおばさんが、子供らに引っ張りだこにされている。
 
「救児院の先生ってトコ? ダメだぜ、子供はちゃんと観とかねーと」
 
 先ほどから聞いていた幾つかの単語から、ユーリは連想して問い掛けた。
 
 流石に、「賞金首に話し掛けちまうぞ」とまでは言わない。
 
「いえ、ほとんど最初の方から観てはいたんですが……楽しそうにしている子供たちを見ていると、つい」
 
「いや、ガキが楽しそうかどうかじゃなくて、俺が怪しいかどうかだろ、そこは」
 
 あまりに のほほんとした先生にややの心配を抱くユーリは………
 
「ええ……ユーリ・ローウェルさん、ですよね?」
 
 ―――何故か、唐突に名前を呼ばれた。
 
 
 
 
「うあー、ベタベタぁ……」
 
 海を夕焼けが鮮やかに染める頃、リタは岩場の陰で身体に付いた潮の不快感に眉を潜めていた。
 
 なぜ岩場の陰なのか? 人気の無い岬とはいえ、誰かが来ないとも限らないからである。
 
「“汚れなき汝の清浄を彼の者に与えん”『スプラッシュ』」
 
 ピッと立てた人差し指に釣られるように、魔法の水瓶が何も無い所から飛び出した。
 
 水瓶は宙をくるくると回った後、リタの上から純水のシャワーを降らせ、ベタつく潮を洗い流していく。
 
 タオルで拭く必要もない。リタの体を濡らす魔術の水は、ほどなくしてエアルへと還元された。
 
「犬ー、誰も来てないでしょうねー!」
 
 見張り犬からの返事はない。必要以上に周囲を警戒して、リタは水着を脱ぎ去り、素早く下着と衣服を身に付けた。
 
 と言っても、黄のタンクトップTシャツにホットパンツ、しかもサンダルという……えらく適当な格好ではあるが。
 
「ちょっと犬? まさか先に帰ったとか言うんじゃ………」
 
 バッグを片手に岩陰から出てきたリタは、そこで思わず言葉を止めた。
 
「………………」
 
「………………」
 
 ラピードはまだそこにいた。ただし、一匹で、ではない。桜色の髪を襟元で切り揃えた少女と、無言で向かい合っていたのだ。
 
 リタの登場に気付いていないのか、両者 無言の対峙は続く。
 
「(どっかの貴族?)」
 
 甲冑を思わせる白いジャケットや手首に光る魔導器、という装いもそうなのだが、顔立ちや雰囲気にどことなく気品のようなものが漂っている。
 
 ………が、今の彼女にはそんなものを吹き飛ばして余りある気迫があった。
 
「…………………」
 
 瞬きもせず一心にラピードを見つめる瞳の中に、何故か炎の様なものが見える。
 
 何となく邪魔をしてはいけない気がして、リタは後頭で手を組んで成り行きを見届ける体勢に入った。
 
「行きます……!」
 
 誰にか何にか そう告げて、少女は緩やかな動作で膝を折る。
 
 そして、意を決したにしては やけにゆっくりと伸びた手がラピードの頭に向かい―――
 
「フンッ」
 
 あっさりと、鼻で払われた。
 
「そん……な……っ」
 
 空気そのものが重くなったかのように地面に手を着いて うなだれる少女のポーズが、一応の決着を表している。
 
「馬鹿っぽい……。要するに、犬の頭を撫でたかったわけね」
 
 大げさに挑み、大げさに敗れ、大げさに沈み込む少女に、リタは上から呆れ混じりに声を掛けた。
 
 そんな事の為に時間を取られていた自分まで馬鹿っぽい。
 
「あれ? どちら様です?」
 
「誰でもいいでしょ。あたし もう帰るから。行くわよ犬」
 
 顔を上げた少女に取り合わず、リタはラピードを伴ってトリム港に足を向け………
 
(ガッシ!)
 
 ようとして、手首を掴まれた。瞬間―――リタの脳裏に、手配書の存在が過る。
 
「………何か用?」
 
「『何か用?』じゃありません! そんな はしたない格好で、変な人に襲われたらどうするんです!」
 
 ………いっそ清々しいまでに、リタの懸念を砕いてくれた。
 
「どうするって……ぶっ飛ばすけど?」
 
「『ぶっ飛ばす』じゃありません! 年端もいかない女の子が何言ってるんです!」
 
「ウザい……何この子」
 
 本気で心配してくれているらしいが、ハッキリキッパリ余計なお世話だ。このテのタイプは無碍にしにくい分タチが悪い。
 
「わかりました」
 
 またも何やら静かに決意して、少女は右の拳で力強くガッツポーズを取る。
 
「わたしが街までワンちゃ……あなたを護衛してあげます! 大丈夫、剣の扱いなら心得てますから!」
 
「………何か、いま本音が見えたんだけど」
 
 夕日に向かって毅然と立つ少女の背中に、リタは「めんどくさいのに捕まった」と 心中で嘆いた。
 
 
 
 
「カウフマンさんから、皆さんのお話は伺っています。盗賊と言っても、悪人のお金や魔導器を貧しい人たちに配って回る義賊だとか」
 
「ふぅん……ま、俺は自分で義賊なんて名乗った覚えは無いんだけどな」
 
 遊び回る子供を眺めながら、ユーリは公園のベンチに腰掛けている。
 
「にしても、よくあんな数 養えるよな。……当然、帝国の援助なんて受けてないんだろ」
 
 その隣で、救児院の先生もまた子供らを見守っていた。
 
「『遺構の門(ルーインズ・ゲート)』のラーギィ様が、定期的に資金援助をしてくれるんです。それに……昨日は帝国の方からも救済の手を頂きました」
 
「帝国が? 珍しい事もあるもんだな」
 
 『遺構の門』のラーギィ。名前を知っている程度のギルドの人間は聞き流して、ユーリは後半の部分に反応した。
 
 ラゴウの一件に限らず これまでの経験上、帝国が救児院に資金援助など俄かには信じられない。
 
「帝国というより、一個人だったのかも知れません。貴族の令嬢なのは間違いなさそうでしたから。………会って行かれますか?」
 
「冗談。確かにちょっと興味あるけど、盗賊ってのはお偉いさんが苦手でね」
 
 肩を竦めて、ユーリは徐に立ち上がった。帝国のお偉方が来ていると言うなら、あまり白昼堂々 歩き回ると面倒な事になりかねない。
 
 今日は宿に帰って昼寝でもしようと考えたユーリの耳に―――
 
「先生!」
 
 随分と懐かしい。……付け加えるなら、嬉しくない声が届いた。
 
「あら、どうしたの? そんなに慌てて」
 
「突然すみません。こちらにエステリーゼ様が来てらっしゃらないかと思ったのですが………」
 
「いえ、今日は来ておられませんけど」
 
 背後に先生と誰かの会話を聞きながら、ユーリは顔を後ろに向ける事なく歩きだした。
 
 確認はしたい。しかし、『顔を向ける』という行動が非常に危険だと、彼の直感が告げている。
 
 何も言わずに立ち去ろうとしているユーリに、先生が声も掛けないという事実が、より確信を強めていた。
 
 いきなり走れば余計に怪しい。さりげない仕草でその場を離れるユーリの背後で――――
 
「…………………」
 
 唐突に、会話が止んだ。
 
 直後、後ろから何者かに肩を掴まれる。
 
「そんなに慌てて何処に行くんだ? もう少しゆっくりしていけばいいだろう」
 
 どこか達観した自分の気持ちを自覚しながら、ユーリはゆっくりと振り返る。
 
「悪ぃな、フレン。これからデートの待ち合わせだからよ」
 
 然る後に、全速力で走りだした。その後ろに、金髪碧眼の騎士を連れて。
 
 
 



[29760] 10・『黄昏』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/10/27 18:39
 
「めんどくせーのに見つかったなぁ………」
 
 全力疾走でトリムの街を駆けながら、ユーリは後ろをチラリと確認する。
 
 金の短髪、青の瞳。青いジャケットに黒の脚衣。シゾンタニアで別れてから、実に三年ぶりの昔馴染み、フレン・シーフォ。
 
 そのフレンが、背中の剣の柄に指先を掛けながら、あちらも全力疾走で追い掛けて来る。
 
 別に元から仲良しだったわけでもないが、昔と今とでは立場が違う。
 
「噂は聞いてる、昔以上に元気そうだな。……迷惑な限りだよ」
 
「こっちのセリフだよ。おまえ私服じゃん、オフじゃん。休暇くらいゆっくり過ごせねーのかよ」
 
「四六時中オフのユーリに言われたくないね」
 
 盗賊と騎士。知り合いだからと見逃してくれるほど、フレンは頭の柔らかい人間ではない。
 
「『世界を見てくる』とか偉そうな事を言っておいて、一月も経たない内に賞金首になっていた時は自分の目を疑ったよ」
 
「おう、アレには俺もびっくりした」
 
 道の脇にあった樽を踏み台にして、ユーリは一足跳びに廃屋の屋根に登る。
 
 そのまま屋根の上を飛び石の様にニ、三回跳ねてから振り返れば……フレンは平然とついて来ていた。
 
「お前こそ随分な大出世じゃねーか、“フレン隊長”? たまの休暇に旅行たぁ、隊長ともなると優雅なもんだなぁ。どうせなら新鮮な海の幸でも食いに行けよ」
 
「………馬鹿にしているのか。ラゴウの屋敷に僕らを誘き寄せ、後始末をさせたのは君たちだろ」
 
「ん? ……ああ、そういう展開だったわけね」
 
 ユーリは一度足を止め、剣を振るって衝撃波を鶴瓶撃ちに放つ。フレンは背中の剣を抜き、それを残らず斬り払う。
 
 倒せないまでも、屋根から落とすくらいは出来るかもと思ったのだが、フレンの腕も三年前とは違う。
 
 当たらないどころか………
 
「そういえば、魔導器(ブラスティア)を装備して手合わせするのは初めてだな」
 
 足止めにもならない。フレンはユーリの衝撃波を“全て弾きながら向かって来る”。
 
 あっという間に二人の距離は詰まり―――
 
「どちらが上か、比べてみるか」
 
「っ!」
 
 刃と刃が、硬い音を響かせて噛み合った。
 
「上等だ。騎士団長殿に気に入られて出世したお前に、俺の相手が勤まるか?」
 
「否定はしない。……だが、泥棒に成り下がった今の君よりはマシだ」
 
 刃越しにフレンを睨むユーリの口元に、薄い笑みが浮かぶ。フレンは笑わない。ただ怖いくらい真剣な表情を崩さない。
 
「行くぞ!」
 
 柄を握る手に全身の力を乗せて、フレンは合わせた剣を強引に振り切った。
 
「泥棒じゃねっての、盗賊だ」
 
 ユーリはその力に逆らわず、左手に握る剣を後方に薙いで剣閃を泳がせた。
 
 同時に一歩踏み込み、互いの剣の内側に入ってから―――
 
「『三散華――」
 
 一瞬三撃。目も眩む速度で拳を突き出した。上体を反らしてそれを逃せ、しかし体勢を崩したフレンに………
 
「――追蓮』!」
 
 容赦なく剣を突き出す。フレンが上体を引いた事で生まれた空間を、ユーリの刺突が貫いた。
 
「くっ!」
 
 止むを得ず、尻餅をつく形で躱したフレンに向かって、ユーリは剣を大きく振りかぶり―――
 
「『爆砕陣』!」
 
 全体重を乗せて叩きつけた。魔導器の力によって炎を帯びた剣先が、衝突と同時に爆発を呼ぶ。
 
 ………が、手応えは無い。
 
「(どこに―――)」
「ここだ!!」
 
 爆発で生まれた土煙に紛れて、フレンがユーリの斜め後方に跳躍している。
 
 予想以上の反応の速さに驚愕しながら振り返るユーリに、今度はフレンの剣が奔る。
 
「『紅蓮剣』!」
 
 差し向けられた剣先から、灼熱の炎が矢の様に飛ぶ。
 
「『蒼牙刃』!」
 
 振り向きざまに、ユーリは衝撃波を纏った一閃で炎を弾く。その大振りを、フレンは見逃さない。
 
 着地と同時に間合いを詰めるフレン。それに気付いて、振り抜いた勢いそのままに体を捻るユーリ。
 
「「『爪竜連牙斬』!!」」
 
 全くの同時。回転を主とした二人の連斬が、真っ正面からぶつかり、せめぎ合い、そして綺麗に相殺した。
 
「「…………………」」
 
 驚愕と称賛の交じり合った奇妙な沈黙が二人を包む。
 
「本当に容赦ないな、君は。その思い切りの良さだけは評価するよ」
 
 ……だが、互角というわけではない。
 
「お前もそろそろ本気で来いよ。いつまでも手ぇ抜いてっと足下すくわれるぜ」
 
 先ほどの『爪竜連牙斬』。一応は騎士団の剣術だが、ユーリは独自にアレンジを加えて蹴撃を織り交ぜている。
 
 その蹴撃を、フレンは攻撃の最中に苦もなく躱して見せた。
 
 ユーリも実力の全てを見せてはいない………が、やはり分が悪いようだ。
 
「こんな風に、な!」
 
 分が悪いと知りつつ、ユーリは自ら猛然と襲い掛かった。
 
「(こんだけ派手に動き回ったんだ。きっと来てる)」
 
 騎士団ではありえない変則的な動きから、圧倒的な手数で剣撃がフレンを襲う。
 
 フレンはそれを紙一重で、しかし一つ残らず凌ぎ続ける。
 
 それでも構わず、ユーリは全力の攻撃を間断なく続ける。
 
 その攻勢が、フレンの意識を完全にユーリの剣に集中させた。
 
 正にその瞬間―――
 
「なっ!?」
 
 唐突に、フレンの足下が炎を撒いて崩れ落ちた。ユーリの剣を捌くのに必死だったフレンは、ひとたまりもなく落下して―――
 
「ぐぅ!?」
 
 積み上げられていたペンキ缶の山に墜落した。何とも無様な落ちっぷりを上から見下ろして、ユーリは実に満足そうにニヤリと笑う。
 
 笑って、掛けた期待に予想以上の形で応えてくれた相棒を見る。
 
「相変わらず美味しいヤツだな、助かったぜ」
 
「フンッ」
 
 褒められて照れるガラでもない。彼はただ小さく鼻を鳴らすだけだ。
 
「い、犬………?」
 
 ペンキでいい感じにカラーリングされたフレンが、よろよろと見た先には、一匹の犬。
 
 鋭い隻眼と短刀を携えた、藍色の犬。鮮やかな毛並みと纏う空気に、確かな“面影”がある。
 
「まさか………」
 
「ああ、ラピードだ」
 
 まだ立ち上がってもいないフレンに言って、ユーリは穴を覗いて身を下げていた体勢から立ち上がる。
 
「ま、待て!」
 
「ラピードは一応おっさんに知らせてやってくれ。俺もリタ拾って逃げる」
 
「ワン!」
 
 慌てて身を起こすフレンに構わず、ユーリとラピードはそれぞれに逃走を開始する。
 
 この場に於いて、フレンの目的はユーリを捕まえる事だが、ユーリらの目的は違う。
 
 まんまと逃げおおせる事こそが勝利なのだ。
 
「…………………」
 
 ユーリは屋根の上。ラピードはユーリ以上……そしてフレン以上のスピードで駆け去ってしまった。
 
 その後ろ姿を呆然と見送って、フレンは大の字に寝転んだ。
 
「義賊、か………」
 
 天井に空いた穴を見つめながら、不透明な呟きが口を突いて出る。
 
「……君らしいね」
 
 何を思ってか、フレンは今さらの様に薄く笑った。
 
 
 
 
「わぁ♪ このアイス、おいしいですね」
 
「まーね」
 
 黄昏に沈むトリム港の海岸通りで、リタ(着替えた)は一人の少女と一緒にアイスを食べていた。
 
 岬で出会い、一応は街までの護衛という建前だったはずなのだが、やたらと楽しそうな少女の勢いに巻き込まれ、すっかり単なる遊びになってしまっている。
 
 一緒にいたラピードに到っては、付き合いきれなくなったのか、服屋の前で待たせていたら いなくなってしまった。
 
「(馬鹿っぽい)」
 
 初対面の人間を引っ張り回して、心底楽しそうにはしゃぐ少女……エステリーゼの横顔に、リタは大げさな溜め息を吐いて見せる。
 
「随分楽しそうね」
 
「はい! わたし、同年代の友達って初めてなんです」
 
 いつの間にやら友達にされてしまったらしい。コウノトリを信じる子供の様に眩しい笑顔に、反論が出てこない。
 
「リタは、楽しくなかったんです?」
 
「んー……そんな事、ないけど……」
 
 質問を返されて、リタは曖昧に否定を口にする。。
 
 そう、リタの性格であれば、いくら人が良さそうな相手であっても嫌々相手に合わせたりはしない。
 
 本気で嫌なら、一緒にウインドウショッピングに興じたりはしないし、服屋で着せ替え人形にされたりもしない。
 
 そして、リタも自分のそんな性質を自覚している。……詰まる所、リタも結構楽しんでいたのである。
 
「(同年代の友達、か………)」
 
 先ほどのエステリーゼの言葉を振り返って、自分にも当てはめる。
 
 生まれ故郷のアスピオでは変人扱いされていたし、そもそも同年代の子供がほとんどいなかった。
 
 ダングレストに住むようになってからも、基本的に旅をしている事が多い上に、お世辞にも社交的とは呼べないリタの性格もあって、やはり友達と呼べる人間は皆無。
 
 自分の意志で決めた生き方に、不満を覚えた事はない。特に“それ”が必要だと感じた事もない。
 
 …………が、
 
「…………………」
 
「リタ?」
 
「……何でもない」
 
 昔なら……三年前なら考えられなかった心の動きに、リタは不透明な呟きを溢した。
 
「暗くなって来たし、そろそろ帰った方がいいわよ。一人でこの街に来てるわけじゃないんでしょ?」
 
 自分でも不自然だと思ったのか、リタは誤魔化す様に話題を逸らす。
 
「あ……そういえば、フレンはどこに行ったんでしょう?」
 
 予想の斜め上を行く応えが返って来た。
 
「………あんたの連れも大変ね」
 
 内心で「あたしほどじゃないけど」、と付け足す。エステリーゼも確かに少し面倒な天然娘だが、どこぞのロン毛やおっさんに比べたら可愛いものだ。
 
「女の夜歩きは危ないし、送ってってあげるわよ」
 
「ダメです! そんな事したら、帰り道にリタが一人になってしまいます!」
 
「あのね……見れば判ると思うけど、あたしは魔導士なの。あんたの護衛なんて必要ないわ」
 
 案の定な反応をするエステリーゼに、リタは自分の魔導服を摘んで見せる。
 
 ……が、やはりと言うか、エステリーゼにはあまり効果が無い。
 
「そんなの関係ありません。後ろから口を塞がれたら………」
 
 エステリーゼの抗弁を聞き流すリタの肌に―――
 
「ッ!!?」
 
 刃物を刺される様な感覚が、唐突に走った。盗賊をやっていれば嫌でも経験する……鋭い敵意。
 
 だが―――
 
「………誰よ、出て来なさい!」
 
 これまで感じてきた敵意とは、まるで別物。
 
「何だ、女だけか」
 
「っ……」
 
 建物の影から、一人の男が現れる。前髪のみを黄と黒に染め分けた、桜色の髪の男。全身に張り付くような血色のスーツを身に纏い、その両手には異形の双剣が握られている。
 
「まあいい、お前の首を目立つ場所に捨てとけば、その隊長もその気になるだろうぜ」
 
 だが、何より目につくのは、暗がりでもハッキリ判る、狂気を帯びた眼。
 
「俺の刃の餌になれ」
 
 ―――紅い影が、闇を駆ける。
 
 
 



[29760] 11・『ザギ』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/10/29 14:56
 
「(疾……っ)」
 
 暗闇の中で揺れていた影が、一瞬にして眼前に迫る。
 
 一切の躊躇なく心臓を狙う刃先を―――
 
「か……はっ」
 
 リタは間一髪、体との間に帯を滑り込ませて防いだ。エアルを通した帯越しに尖った先端が胸を突いて、リタは呻き声を上げて たたらを踏む。
 
「(こいつ、強い……!)」
 
 ただの一撃で目の前の敵との体術の差を痛感し、大きく跳びすさるリタと敵の―――
 
「ッ!?」
 
 距離が開かない。リタのバックステップに合わせて、男は前に踏み込んでいる。
 
「じっとしてろ。斬り刻んでやるからよォ!」
 
 紅い凶刃が、リタの首を狙って突き出される。避けられない、そう思った直後に―――
 
(ガキィッ!)
 
 横から伸びた細い刀身が、男の刃をリタに届く寸前で止めていた。
 
「『ファイアボール』!!」
 
 何かを思う暇もない。リタは反射的に詠唱無しで火炎弾を男の顔面にぶっ放して……躱された。
 
 宙をクルクルと回転して、男は離れた距離に着地する。
 
「(あの距離で避けるか……)」
 
 目の前の男の脅威を冷や汗と共に実感して、リタは確かめる様に帯を振る。
 
 そして、視線は敵から離さぬままに、先ほど良いタイミングで横槍を入れてくれた少女に声を掛ける。
 
「剣が使えるってのも、あながち強がりじゃないみたいね」
 
「……この人の狙いはわたしです。リタは早く逃げて下さい」
 
「おあいにく。もうあんただけの問題じゃないのよ。誰にケンカ売ったか解らせてやるわ」
 
 ほんの半瞬、リタとエステリーゼの視線が交叉する。それが戦闘再開の合図となった。
 
「『ディバイドエッジ』!!」
 
 全身を、細剣を穂先とした一本の槍に変えた様なエステリーゼの刺突が、猛スピードで男を狙い、しかし止められた。
 
 リタは帯を引いて踊るように、回る。エステリーゼが時間を稼いでくれる間が勝負だ。
 
「『ピアズクラスター』!!」
 
 エステリーゼは止まらない。続け様に刺突の雨を連ねるが……或いは躱され、或いは弾かれる。
 
「“無慈悲なる劫火は汝らの心をも燃やし尽くす”」
 
 幾重にも紡がれる火の術式が、リタを包む珠の様な軌跡を描く。逆撃を受けたエステリーゼの剣が、中空へと跳ね上げられた。
 
 ―――だが、もう十分。
 
「『クリムゾンフレア』!!」
 
 リタの右手が天を差す。その先……男の頭上で、赤い術式が球状に絡み合い、擦れ、燃えて―――上空に浮かぶ巨大な大火輪へと結晶した。
 
「よくやったわよ、エステリーゼ!」
 
 それに対応するリタの魔術障壁が、男の至近にいるエステリーゼを守る。
 
「(逃げ場なし、避けられっこない!)」
 
 必殺の確信を持って、天から焔の滝を降らせようとした、その時………
 
「(え――――)」
 
 リタの視界を紅い光が奔り……空を燃やす紅蓮の華が、あまりにも儚く散った。
 
「…………痛」
 
 首に巻いていた魔導器(ブラスティア)が音を立てて路面に落ちる。そっと首に触れた掌を、べったりと血が染めた。
 
 男の投げ放った凶刃に首を裂かれたのだと、今さらの様にリタは知る。
 
「くっ!!」
 
「遅ぇ!!」
 
 エステリーゼが先ほど弾かれた細剣を拾い、男に斬り掛かるも……一拍早く男の斬撃がエステリーゼを捉えた。
 
 剣は中途から砕かれ、エステリーゼは石の路面に叩きつけられる。
 
「思ったよりは愉しめたぜ。ククッ、前菜にしてはだけどなぁ」
 
 そして、狂気に満ちた男の瞳が……リタに向く。
 
「油断してると……足下、掬われるわよ……」
 
 首が痛い。視界が霞む。血を失い過ぎている。立っているのもやっとな状態で、それでもリタは下を向かない。
 
 男の顔を正面から睨んで、挑発的に不敵な笑みを浮かべて見せる。
 
「ザギだ。俺の名を覚えて死ね」
 
「……お断りよ」
 
「待ちなさい!」
 
 男が迫る。エステリーゼの魔術が間に合わない。リタは……魔導器を拾う事も出来ない。
 
「(こんな、所で……!)」
 
 苦し紛れに帯を振り上げて、空を切る。悔しさに歯を軋ませて、迫る刃に目を閉じたリタ。
 
「え………?」
 
 その体が、唐突に浮かぶ。何かが支えてくれている。
 
 残る力で薄く開いたリタの視線の先で―――
 
「ユー、リ………?」
 
 ―――長い黒髪が、揺れた。
 
 
 
 
「…………………」
 
 血の気を失くした顔で、瞼を閉じて眠るリタの……首筋にそっと触れる。
 
 派手に血が出てはいるが、脈には届いていない。首に巻いていた魔導器が上手く楯になってくれたらしい。
 
「リタ!!」
 
 見覚えのある桜色の少女が駆け寄って来る。なぜリタと一緒にいるのか知らないが、今はそんな事はどうでもいい。
 
「“命を照らす光よ ここに来たれ”」
 
「……治癒術使えんのか。なら、こいつ頼むな」
 
 返事もせず、少女は両手をリタへと向ける。その姿勢に安心して、ユーリはリタを横に寝かせる。
 
 そして、“先ほど殴り飛ばした”男を見た。
 
「クククッ、お前がフレンか?」
 
「違ーよ。ただのセコい盗賊だ」
 
 強い。見ただけでそれが判る。だが………
 
「テメェは、殺すぞ」
 
 静かな声に底冷えする様な圧力を乗せて、ユーリは剣を納める鞘を無造作に放り出す。
 
「来いよ。まだ上り詰めちゃいないんだからなぁぁ!!」
 
 男……ザギが、狂気に満ちた哄笑を上げる。
 
「「ッ!!」」
 
 二つの殺意が闇を斬り裂き、無数の光が火花を散らす。
 
「ヤロ……ッ!」
 
 間合いの差を苦にもせず踏み込んで来るザギの双刃を躱して、ユーリは右の拳をザギの顔面に叩き込む。
 
 剣士と呼ぶには型破りな一撃を、ザギはモロに受けて………
 
「ヒャハハッ!」
 
 あろう事か、頬に拳をめり込ませながら歓喜の悲鳴を上げた。
 
「うおっ!?」
 
 怯みもせずに振り上げられたザギの刃が、ユーリの二の腕を裂く。
 
「この………」
 
 目の前で剣を振りかぶられて、ザギは双刃を上に構えて防御の体勢を取る。
 
 しかしユーリは、背面で左の剣を右に持ち換えて―――
 
「イカレ野郎が!!」
 
「ぐはぁ!?」
 
 “下から”、がら空きの胴を思い切り斬りつけた。
 
 大きく跳びすさったザギに、ユーリは小さく舌打ちをする。
 
「(後ろに跳んで、致命傷を避けやがった)」
 
 ザギはユーリに斬られて吹き飛んだわけではない。自分から後ろに跳んだのだ。
 
 おまけに、剣を握るユーリの手に残る手応えは、何か硬い物を斬った感触。服の下に何か仕込んでいるのだろう。
 
 完全に虚を突いたつもりだったが、必殺には程遠い。
 
「くっ、クククッ……」
 
「?」
 
 斬られた胴を押さえながら、ザギの体が小さく震える。
 
「ひゃははははははは!!」
 
 堪えきれない様な笑い声は、数秒持たずに喜悦の爆発へと変わる。
 
「いいな、お前……上がってキタ、上がってキタぁ!! いい感じじゃないか!!」
 
「……斬られて笑うなよな」
 
 手に付いた自分の血を舐めて高笑いを上げるザギに、ユーリは内心で腹を括る。
 
「簡単に終わらせるなよ。こんな戦いは久しぶりなんだからなァ!!」
 
「……悪ぃな。こっちには そんな時間ねーんだよ」
 
 戦いを貪り、己の血肉とする戦闘狂。ユーリはザギをそう評した。
 
 長引けば手の内を曝す上に、ザギは戦闘中にでも強くなる。それはそれで面白そうだが、リタがこんな状態ではそうも言っていられない。
 
「一瞬で終わらせてやる」
 
 風より疾く、真っ正面からユーリは突っ込む。ザギもまた、あまりに無鉄砲なユーリの突撃を受けて立つ。
 
「『天狼滅牙』!!」
「『空破特攻弾』!」
 
 黒狼が牙を剥き、死神が鎌を薙ぐ。二つの影が交錯する刹那に時を凝縮させたように、剣光が絡み合う嵐となって鮮やかな火花を散らせた。
 
「………………」
 
「………………」
 
 斬撃の応酬を経て、ただ立ち尽くす二人の沈黙を――――
 
「っ…………」
 
 声にならないザギの呻きが、破った。それを待っていたかのように、何かがボトリと地に落ちる。
 
 ―――先ほどまでは確かに腕に付いていた、ザギの左手が。
 
「ぐ……っ……あぁあアアアァア゛!!」
 
 失った左手から鮮血を撒き散らして、ザギの絶叫が響き渡る。
 
 その苦痛をもたらした青年は、ゆっくりと、“無表情に”振り向いた。
 
「俺が、敗けた……?」
 
 失った左手を押さえながら、自失するザギ。
 
「お前、名前は?」
 
「……ユーリ・ローウェル」
 
 だが、彼は苦痛に藻掻いているわけでも、絶望に震えているわけでもない。
 
 不気味なほど平静に、ただユーリだけを見ている。
 
「クククッ………アァーハッハッハッハッハッ!!」
 
 が、次の瞬間には叫びように笑いだす。その声には、抑えるつもりの全く無い歓喜が溢れていた。
 
「憶えた! 憶えたぞ!! 強い……強い!! ユーリ……ユゥリィィ!!」
 
 手にした至上の幸福を確かめるように、繰り返しザギは叫ぶ。
 
「待ってろよ。俺に殺される為に生き延びろ! 骨までしゃぶり尽くしてやるからよォ!!」
 
 一方的に言い放って、ザギは夜の闇に消えて行った。
 
「……随分、気に入られたみたいじゃない」
 
「冗談じゃねーって」
 
 ―――いつもの軽口が戦いの終わりを告げて、ユーリもまた、笑いながら応えた。
 
 
 



[29760] 12・『気障』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/10/31 17:23
 
 ついさっきまで叫びと剣戟に満たされていたトリム港の海岸通りが、嘘の様に静まり返る。
 
 息の詰まる緊迫の切れた安堵が、皆を一様に包んでいた。
 
「すみません。お二人を巻き込んでしまって」
 
 先ほどの体勢から動かないユーリと、体の具合を確かめるように拳を開閉するリタに対して、エステリーゼは深く頭を下げた。
 
「別にいいって。つーか、そもそも狙いはこっちだったのかも知れねーしな」
 
「心当たりなら掃いて捨てるほどあるしね」
 
 こちらの方を見もせずにパタパタと片手を素っ気なく振る仕草が、二人ピタリと揃う。それが何だか可笑しくて、エステリーゼは小さく吹き出した。
 
 ザギがフレンの名を出した以上、そんな可能性は皆無なのだが……互いに、そこには敢えて触れない。
 
 ………それはそれとして。
 
「あなた」
 
「何だよ」
 
 ピシリと、エステリーゼの人差し指がユーリを差す。
 
「やっぱり泥棒さんだったんじゃないですか! 忘れませんよ、ローリ・ユルフェス!!」
 
「……忘れてんじゃねーか。つーか、その間違え方やめてくんない?」
 
 うろ覚えな癖に自信満々なエステリーゼに、ユーリはわざとらしく呆れて見せた。とはいえ、ユーリも名前を思い出せないのだからおあいこと言える。
 
「…………………」
 
 二人の馬鹿っぽいやり取りを見て、面識があったのか……とぼんやり思いながら、リタは自分の首にそっと触れる。
 
 塞がるどころか、傷口すらも綺麗さっぱり無くなっている。大量に失血したはずの体も、嘘の様に全快だ。
 
「(治癒術なんてレベルじゃない。この子、一体………)」
 
 自身の身体に受けた異常に、魔導士として疑問を覚えて、リタは小さく首を振る。
 
 それを訊くのは後でも出来る。今は………
 
「…………あ、ありがと」
 
 言い合う二人のどちらに向けてか、リタは聞こえない様に呟いた。
 
 エステリーゼはともかく、ユーリには……今さら改めて礼など言うのは恥ずかしい。
 
「お礼なんて要りません。友達を助けるのは当たり前の事ですから」
 
「友達って……まあ、いいけど」
 
 それを目ざとく聞き分けて、エステリーゼは嬉しそうに笑顔を浮かべた。決まりが悪くなって、リタは曖昧に言葉を濁す。
 
 こちらがエステリーゼの謝罪を受けなかった以上、お互い様と言えなくもないが……どうにもこうにも照れくさい。
 
「へ~………」
 
 完全に他人事なユーリの含み笑いが異様に腹立たしい。いっそ爆撃してやろうかと考えて…………止めた。今回だけは特別に。
 
「あんた、あのヘンタイ逃がしちゃって良かったの。多分また来るわよ」
 
「もしかして……わたしじゃなくて、ローリさんの方にです?」
 
 誤魔化す様に話題を逸らすと、エステリーゼもそれに乗って来た。
 
『テメェは、殺すぞ』
 
 何気なく振った話題だったが、よく考えたら妙なのだ。あれだけ怒っていたユーリが、いとも簡単にザギの撤退を許した事が。
 
「あー……いや、何つーか……」
 
 頬を掻きながら、ユーリが言いにくそうに切り出す。
 
 ―――その、寸前だった。
 
『っ!?』
 
 夜闇に慣れたユーリ達の眼を、突然の眩しい光が灼いた。それは四方から放たれる、光照魔導器(ルクス・ブラスティア)の光。
 
「(囲まれてる! ……いつの間に……)」
 
 戦いの後で気が緩んでいた。暗闇を利用されての事とはいえ、敵の包囲に全く気付かないとは。
 
「盗賊・『漆黒の翼』、あなた達は完全に包囲されている! 彼女を解放して、、大人しく投降しなさい!」
 
「ヒスカとシャスティルか……ったく、今日は千客万来だなオイ」
 
 響く声が、逆行の向こうの敵が誰なのかを知らせている。だが……確かに油断していたとは言え、騎士団の包囲など別に珍しくもない。
 
「ユー……っ」
 
 いつもの様に一暴れして逃げよう。そう思って振り返ったリタは――そこに見えたものに目を見開いた。
 
 黒衣と暗闇のせいで今まで気付かなかったが……光に照らされたユーリの足下に、彼から流れ出た血液が水溜まりを作っていた。
 
「……四回斬られた。ちょっと不味いかな」
 
 リタは悟る。ザギを追わなかったのではなく、追えなかったのだと。
 
 そして、キレた。
 
「あんた馬っ鹿じゃないの!? 怪我してんなら何でさっさと言わないのよ!!」
 
「そうです! 言ってくれたらすぐに治したのに!」
 
「痛くて我慢できねーみたいでカッコ悪いだろーが!」
 
「それが馬鹿っぽいって言ってんの!」
 
「男はカッコつけてねーと死んじまう生き物なんだよ! 文句あんのか!?」
 
「大ありです!!」
 
 大声でぎゃあぎゃあと喧嘩し始めるリタとユーリ、エステリーゼ。面白くないのは、この状況で完全に無視されている騎士団。
 
「っ……~~~~」
 
「……ヒスカ、落ち着いて」
 
 というより、赤い髪を後頭で束ねた一人の女騎士だった。
 
「ユーリ、いい加減に観念しなさい! ここが年貢の納め時よ!!」
 
 屈辱、雪辱、その他諸々を込めて、ヒスカは“元後輩”に勇ましく剣を向けた。
 
 その視界を―――
 
「『ヴァンジーロスト』」
 
「うっ……!」
 
 唐突に、光が埋めた。咄嗟に目を閉じたヒスカとシャスティルの耳に聞こえるのは、風を切る無数の音と、何かが細かく地を蹴る足音。
 
「(矢と、ラピード!)」
 
 幾度となく煮え湯を飲まされて来た経験から、ヒスカは音だけで看破する。そして、これが単なる目眩ましではない事も知っていた。
 
「っ………」
 
 意識を掻き乱す不快な感覚に、ヒスカは舌を強く噛む。もたらされた痛みが、攫われそうな意識を現実に繋ぎ止めた。
 
「シャスティル!」
 
「大丈夫!」
 
 同様に凌いでいたらしい双子の姉の返事を聞きながら、ヒスカは閉じていた目を開けた。
 
 光に馴らされた視界を夜の闇が暗く閉ざす。先ほど音が聞こえた矢のせいだろう。光照魔導器も一つ残らず稼働を止めていた。
 
「あ・い・つぅ~~~!!」
 
 目が見えなくても判る。既にユーリ達は姿を消しているだろう。ヒスカとシャスティル以外は錯乱状態に陥っていて、既に包囲は意味を為していないはずだ。
 
「また逃げられたー!」
 
「……何でユーリが、エステリーゼ様と……」
 
 ヒスカのいつもの嘆きを耳にしながら、シャスティルは深く考え込む。
 
 
 
 
「ホント……タイミング良いよな、おっさんもラピードも……」
 
 夜の闇に紛れて走り、迫る騎士団を逃れて街から出る。
 
「もぉ勘弁してよー。何で俺様が男に肩貸したげなきゃなんないの。おんぶだけは絶対やんないわよ?」
 
 ユーリ、リタ、レイヴン、ラピード。ここまでなら、いつもの事。
 
「わふっ!」
 
 ユーリが負傷しているのは少し珍しいが、まぁその程度である。
 
「とにかく街を出ましょう。追っ手の気配が無くなったら、わたしが治癒術で治します!」
 
 騎士団も、よもや結界の外まで追って来る事はないだろう。
 
「って言うか………」
 
 しかし、見馴れたはずの光景に、僅かな違和感。
 
「何でアンタまでついて来てんのよ!!」
 
「えっ?」
 
 そう、一行の先頭を……何やらピンクい少女が、当たり前な顔をして疾走しているのだ。びっくりされても困る。
 
「もう解ってんでしょ! あたしもユーリも犬もおっさんも盗賊なの!」
 
「それは解ってますけど……わたしも、いま騎士団に見つかると困った事になるんです」
 
「………だからって、盗賊について来るかね、普通」
 
 リタが喚き、レイヴンが呆れるのを小耳に聞きながら、ユーリは懐かしい記憶を思い返していた。
 
 まだ盗賊と名乗る前、王都の城内で世間知らずのお嬢様に出会った時の事を。
 
「また会う事になるなんてな………」
 
 誰にも聞こえないほど小さく、ユーリは遅めの再会を飲み込んだ。
 
 名前こそ忘れてしまっていたが、起こった事は鮮明に憶えている。それだけインパクトが強かった。
 
「(あん時も、泥棒に変なレッテル貼りつけてやがったよな。……まさか、今でも勘違いしてねーだろうな)」
 
 その時は泥棒ではなかったが、今では立派な盗賊ギルドの一員。奇妙な巡り合わせに苦笑しか出てこない。
 
「(結局オレは断って、さっさと置いてきちまったんだよな)」
 
 ふと、思い出す。
 
『護衛ならもっと真面目なナイト様に頼みな。下町出身の石頭なんかオススメするぜ』
 
 この世間知らずのお嬢様から連想される、なるべく思い出したくない昔馴染みを。
 
「! ……何、あいつ」
 
 街を飛び出し、結界を抜けて……漸く一心地つけるかと思われた所。街道の開けた一画の真ん中に、一人の男が立っていた。
 
 噂をすれば影が差す、とはこの事だろうか。正確には、まだ噂にしたわけではないのだが―――フレン・シーフォは、確かにそこで待ち構えていた。
 
 ちゃっかり着替えている。しかも、汚された服と全く同じ物に。
 
「来ると思っていたよ、ユー……エステリーゼ様!?」
 
 剣を手に優雅な構えを取る寸前で、先頭を走るエステリーゼの姿に表情を崩すフレン。イマイチきまらない。
 
「もうっ! 今までどこに行っていたんです!? わたし達は大変な目に遭ってたんですよ!」
 
「わ、わたし達って………エステリーゼ様、彼らが何者か解っておられま――」
「今はそんな事 言ってる場合じゃないんです! 行きますよ!」
 
「エエ、エステリーゼ様!?」
 
 ノンストップでエステリーゼに首根っこを掴まれ、そのまま連行されるフレン。
 
「………あいつも大変だな」
 
 同情の欠片も含まない楽しそうな呟きが、不思議なほどハッキリとフレンに届いた。
 
 
 



[29760] 13・『ネコパンチ』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/11/02 12:59
 
 優雅と神秘の街・カルボクラム。港街カプワ・トリムとギルドの巣窟・ダングレストの間に位置するこの街は、流通の要として大きく栄えていた。
 
 もっとも、それも数年前までの話。かつては五大ギルドの一つが治める活気のある都市だったが……今はトルビキア大陸では異質な帝国の街となってしまっている。
 
 そのカルボクラムとトリム港の間、自前で組み立てた野営テントの前で、ユーリ達は焚き火を囲んで座っていた。
 
「えっと……何からお話しましょうか」
 
 何とも異色な面々が集う中で、まずはエステリーゼが切り出した。……が、その機先をユーリが制する。
 
「まずは自己紹介からじゃねーの? フレン隊長殿が直々に護衛してるとなると、単なる貴族のお嬢様ってわけじゃないんだろ、お前」
 
 盗賊と騎士。頭から“敵”なつもりで話し掛けるユーリ。その不遜極まる態度に、フレンは露骨に眉を顰めた。
 
「君にそんな事を教えると思」
「はい、お城では一応プリンセスって事になってます」
 
 ……が、清々しいくらいに気にしてないエステリーゼに遮られて黙る。
 
「ふ~ん。で? そのお姫様が何でこんな所うろついてんの?」
 
 リタ達もさして驚きはしない。可能性の一つとして、あり得る話だとは思っていた。
 
「順を追ってお話します」
 
「お話してはいけません!」
 
 うるさいフレンを木に縛ってから、エステリーゼは得意気に人差し指を立てる。
 
「平たく言うと、定番の御家騒動というやつです」
 
 順を追う、と言ったわりには、随分ストレートなエステリーゼだった。
 
「……三年前、人魔戦争終結十周年式典の会場が、謎の武装集団に襲われたんだ。初めは、帝国の要人が集まる式典だから狙われたのだと考えられていたが……事件はそこで終わらなかった」
 
 もはや諦めたのか、エステリーゼに妙な説明をされるよりマシと考えたか、フレンが代わりに渋々く語りだす。
 
 不満そうな顔のエステリーゼには、とりあえず気付かないフリをして。
 
「その日を境に、エステリーゼ様は幾度となく命を狙われるようになった。……考えてみれば、最初からおかしかったんだ。あの式典は要人が集まると判っていたからこそ、万全の体勢が整えられていた。それなのにあんな襲撃を許してしまったのは、“内側”からの手引きがあったとしか思えない」
 
 苦渋に満ちた顔で、フレンは無念そうに唇を噛んだ。そのタイミングを見計らって、エステリーゼが再び説明権を奪取する。
 
「そのお姫様は遠縁にも関わらず、国の政治を司る評議会から、次の皇帝の候補として推薦されていました。しかし、皇帝の候補は一人だけではありません。お姫様が皇帝になる事を、邪魔したいと思う人がいたのです」
 
 奪取して、何やら語りだした。
 
「来る日も来る日も暗殺者に狙われるお姫様。それを見兼ねた騎士団長・アレクセイは、このままではいけないと思い、なんと、お姫様を帝都から逃がしてしまう事に決めたのです」
 
 えらく、真剣だ。
 
「これ幸いと、お姫様はその提案に飛び付きました。かくて、アレクセイの密命を受けた騎士・フレンを伴い、エステリーゼ姫の冒険の幕が切って落とされたのでした」
 
 ホゥ、と、何かを成し遂げた様な満足そうな溜め息をついて、少し身を乗り出していたエステリーゼは行儀よく座りなおした。
 
「つづく」
 
「続くな!」
 
 間髪入れず、リタのツッコミがエステリーゼを射ぬく。わざわざ話が終わるのを待っていたのはご愛嬌。
 
「何でガキんちょに絵本 読んであげてるみたいな喋り方なのよ! てゆーか、お姫様ってあんたの事でしょうが!!」
 
「あ! わかります? わたし絵本作家志望なんです。いつか、自分の冒険をこんな風に子供たちに読み聞かせたい」
 
「知らないわよ!」
 
 別にふざけているわけでも、おちょくっているわけでもない。終始大真面目な様子のエステリーゼに、ユーリは小さく吹き出した。
 
 天晴れなまでに空気を読まない語り口はともかくとして、なかなか肝の据わったお姫様のようだ。
 
 今も自分に降り掛かっている悲惨な運命を、こんな風に笑い話に出来てしまうのだから。
 
「こりゃ責任重大だなぁ、フレン隊長?」
 
「からかわないでくれ。こっちは君と違って気楽じゃないんだ」
 
 ユーリの軽口に対するフレンの反撃も、些か以上にキレが悪い。
 
 言葉の端々に見え隠れする“重さ”が、彼の日頃の苦労を窺わせる。
 
 ―――しかし、ユーリ達が本当に知りたい事は別にあった。
 
「嬢ちゃんのプロフィールは判ったけどさ。だからって おっさん達についてくる理由にはならないんでないの?」
 
 それまで言葉少なに様子を窺っていたレイヴンが、とぼけた目付きで確信を突く。
 
 そう、エステリーゼの素性が気にならないと言えば嘘になるが、しかし……あくまでも他人事だ。
 
 問題なのは、そのエステリーゼが盗賊と判っている輩について来ている理由の方である。
 
「自己紹介は対人関係の基本です。素性の知れない相手の話なんて、まともに聞いては貰えませんから」
 
 と、エステリーゼは前置きを一つ置いてから、コホンと小さく咳払いをする。
 
 そして、俄かに真剣さの増した瞳で、真っ直ぐにリタを見つめた。
 
「盗賊ギルド『漆黒の翼』に、エステリーゼ・シデス・ヒュラッセイン個人として、正式に依頼したい事があります」
 
「ッ、エステリーゼ様、今度は何を!?」
 
 帝国の姫君が、盗賊に依頼をする。そのあまりに非常識な発言に驚愕の声を上げたのは……フレン一人。
 
「ふぅん」
 
 リタを始めとした『漆黒の翼』は、むしろ面白そうに口の端を少し上げた。
 
 エステリーゼのここまでの言動のためか、不思議と驚きは少ない。
 
「わたしは、いま帝国に起きている事から目を背けたくない。逃げ出したまま終わりにする気は無いんです」
 
 エステリーゼは右手を胸の前に持ってきて、力強くグッ! と握り拳を作る。
 
「城の中に居たら解らなかった事を、外に出てから知りました。……それを、変えなければいけない事も」
 
 そこで深く目を瞑り、エステリーゼは固い表情を解く。
 
「立ち向かう為に、変える為に、勝つ為に……どうか、皆さんの力を貸して下さい」
 
 勇ましい姫君は、穏やかな笑顔でそう告げた。
 
 
 
 
「しっかし、驚いたぜ」
 
 星明かりの美しい夜空の下で、両掌を枕にしてユーリは寝転がる。
 
 リタも、エステリーゼも、レイヴンも、テントの中にいる(レイヴンは別のだが)。ラピードも丸くなって寝息を立てていた。
 
 寝ずの番で今も起きているのは、ユーリと―――
 
「エステリーゼ様の依頼が、かい?」
 
 フレンのみ。二人も見張りが必要かは疑問だが、互いに思う所があるのだろう。
 
「いや……。それをお前が許した事の方だよ。あれ、絶対その場の思いつきだぞ?」
 
 エステリーゼの真剣な表情を思い出して、ユーリは楽しそうに笑う。ついさっきまで名前も知らなかった相手に、計画も何も無いあるわけがない。
 
 よくもまあ、突発的な発想だけであんな大胆な提案が出来るものだ。
 
「エステリーゼ様はいつもああだよ。でも……それで失敗した試しが無い。物事の本質を、直感だけで見抜いているんだろう」
 
 だが、ユーリが驚いたのはフレンの判断の方だ。『盗賊の手など借りられない』。ユーリの知っているフレンならそう言ったはずだし、子供の頃からそういう所はずっと変わらなかった。
 
「……随分と頭が柔らかくなったな。女の影響か?」
 
「まさか。……不器用なままでは、平民が三年で隊長になるなんて出来ない。それだけの事だ」
 
 からかうつもりで叩いた軽口に、予想外に重いセリフが返って来た。
 
 そこに、自分の知らないフレンの三年を感じて、ユーリは何となく続く言葉を失った。
 
 今度は逆に、フレンがユーリに笑いかける。
 
「そういう君は……変わらないな。元々、半分以上ならず者みたいなものだし」
 
「そりゃどーも。お前に褒められるとか、何か気持ち悪ぃんだけど?」
 
「褒めてなんてない。成長してないと言ってるんだ」
 
 笑い掛けてはいるが、目が笑っていない。ユーリは、のんびりと気だるそうに身を起こす。
 
「へっ、ガキの頃から『帝国を内側から変えてやる~』とか言ってた奴が、今じゃ天然娘のお守りかよ。完全に出世コース外したなぁオイ」
 
「今でも変わってないさ。エステリーゼ様を護り抜く事が、帝国を変える一番の近道なんだ。道を踏み外したのは君の方だろ」
 
 ユーリの長い前髪の下で、薄らと青筋が浮かび上がる。何が……とは言わないが、どうにもフレンの言い回しは いちいち鼻に付く。
 
 結局のところ、ソリが合わないのだ。それはもちろん、フレンも同じ。
 
「……野郎二人で焚き火囲んでても つまんねーな。久々に一丁やるか」
 
 ユーリが立ち上がり、無造作に逆手に持った剣から鞘を飛ばす。
 
「いいね。実戦以外では、暫く自主鍛練しか出来ていなかったし」
 
 フレンもまた、傍らの剣の柄に手を掛けた。
 
 だが、そこに純粋な向上心以外の邪念が混ざっている事に、疑いの余地はない。
 
「行くぞ!」
 
 フレンが剣を抜き、地を蹴る。
 
「泣かす!」
 
 ユーリがマフラーを靡かせて踊りかかる。
 
 そして―――
 
「うっさい! 『デカルト』!!」
 
「「ぐっは!?」」
 
 テントから伸びた、“文字通りのネコパンチ”が、衝突寸前の二人を、仲良く地面にめり込ませた。
 
「………フンッ」
 
 不器用極まりない二人の無様を横目に、ラピードは小さく鼻を鳴らした。
 
 
 



[29760] 14・『エステル』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:ef78e215
Date: 2011/11/05 13:45
 
 トリム港からの慌ただしい逃走劇の翌朝。近くに川があるという以外には大した特徴も無い簡易テントの前で………
 
「だから、僕が今日の当番だって言ってるじゃないか!」
 
「いいから俺に任せて休んどけって! お前が頑張ってんの知ってるから! 全力で労うから!」
 
「気持ち悪いぞ! 君が僕の苦労の何を知ってるんだ!?」
 
 二人の田舎者が、包丁やら鍋やらの奪い合いを勃発させていた。
 
「……何あれ、馬鹿っぽい」
 
 昨晩から喧しい二人……特にユーリに対して、リタは呆れた風に呟いた。
 
 確かに普段の旅暮らしでも料理はユーリの担当だし、『天を射る重星』のアルバイトでも、ユーリは厨房で働く(リタはウエイトレス)。
 
 が、そこまで料理好きだったなどというのは初耳だ。何をムキになっているのか。
 
「フレンはその……舌がちょっとアレなんです」
 
「あー……幼馴染なんだっけ? そう言えば」
 
 横から小声で密告してくるエステリーゼに、リタは割とどうでもよさそうに相槌を打った。
 
 実のところ、リタも三年前のシゾンタニアでフレンに会っているのだが、当の本人はさっぱり覚えていない。
 
「(って言うか、いくら何でも大袈裟じゃないの)」
 
 自慢ではないが、リタも料理は全然できない。元々、食事など栄養が摂取出来れば何でもいいという考え方で、腕前以前にやる気がない。
 
 “パンに生卵を挟んだだけのサンドイッチ”という恐ろしい代物を平然と振る舞った事もある。……当然、その代物をユーリも食べた経験があるはずだが……あの必死さは……。
 
「(………まさか、あたし以下?)」
 
 ユーリが断固として拒否するフレンの料理。その言い知れない不安に、リタは冷や汗を一雫垂らす。
 
「おっさん、朝ご飯つくっ………」
 
 間を取って、一人いびきをかいて眠りこけているレイヴンを頼ろうとするリタ……を遮って―――
 
「フレンもユーリも! 朝から喧嘩しないで下さい! こうなったら、朝食はわたしが作ります!!」
 
 元気よく立ち上がったエステリーゼが、ポンッ! とコミカルな音を立てて胸を叩いた。
 
 
 
 
「…………………」
 
 箸で摘んだ明らかに大きなネギを、リタは数秒眺めてから口に入れる。……生っぽい。おまけに味噌が多過ぎる上に溶け切っていない。
 
 わざわざ食べなくても見た目だけで判っていた事ではあるが………
 
「「まずい(ワン)」」
 
「!!?」
 
 ユーリとリタ、そしてラピードの酷評が綺麗に揃った。酷評された味噌汁の製作者たるエステリーゼが、目を衝撃に見開かせたまま石の様に固くなる。
 
「何だコレ。野菜の大きさバラバラだし、味噌多過ぎだし、そもそも十分煮えてねーし」
 
「っユーリ! エステリーゼ様が作ってくれた物に! 大体、味噌はむしろ少な過ぎるくらいだろ!?」
 
「ま、今までモニターが味覚兵器しかいなかったんじゃ、上達しなくても無理ねーか」
 
 遠慮容赦一切無用のユーリと、ついでに侮辱されたフレンが、飽きもせずに箸と箸で激闘を開始する。
 
「そんな……ラピードまで……」
 
 そんな死闘に気付く様子もなく、エステリーゼは両手を地に着いて絶望していた。
 
 その肩を、ぽんぽんとレイヴンが叩く。
 
「て言うか、今まで自分で食べてて気付かなかったわけ?」
 
「……わたし、城やお店の以外は自分とフレンの料理しか食べた事なくて……素人の料理は皆こんな物なのかなって……」
 
 文句を言いつつも味噌汁を啜りながら、リタが根本的な疑問を投げた。エステリーゼは半ば放心状態で返す。どんだけ料理人を過大評価してたのかと。
 
 …………………
 
「美味しい……」
 
 しばらく後、エステリーゼたっての希望でレイヴンによってリメイクされた味噌汁を食す一同の姿があった。
 
 いつも通りの出来栄えに文句の無い『漆黒の翼』、一人だけ自分の器に味噌の塊をぶちこんでいるフレンを脇に置いて……エステリーゼは自分の世界に浸っている。
 
「こんな……こんな料理を、素人が作れるなんて……!」
 
「大袈裟な嬢ちゃんねぇ。城に住んでたなら、もっと美味しい物いっぱい食べてたでしょうに」
 
 レイヴンの言葉をそよ風の様に聞き流して、エステリーゼは、やおら勇ましく立ち上がる。
 
「決めました!」
 
 立ち上がって、ビシッ! と朝日を指差した。何故か。
 
「わたし、これからはお料理も頑張ります! 皆さん、文句があったらビシバシ言って下さい! わたしはそれを糧に強くなる!」
 
「やめとけば? 才能なさそーだし」
 
「!!?」
 
 言われた通り、しかし違うベクトルでビシバシ言われて、エステリーゼは再び石化した。
 
 
 
 
 ……という、非常にしょうもない朝食を終えた後、一行は一路、カルボクラムを目指していた。
 
「現在、帝国には有力な皇帝候補が二人います。それぞれ、評議会と騎士団に選ばれた代表として」
 
 そこを目指す理由を、歩きながらエステリーゼは語る。
 
「評議会が担ぎ上げたのがわたし。そして騎士団が担ぎ上げているのは、先帝の甥・ヨーゼフです」
 
「………エステリーゼ様、ヨーデル殿下です」
 
 フレンの律儀な訂正は一先ず放置。
 
「で、そのヨーデル殿下が軟禁されてるのが、カルボクラムの執政官邸ってわけ」
 
 そして、説明を省く様にあっさりと言ってのける。エステリーゼでもフレンでもなく、レイヴンが。
 
「……何でおっさんがそんな事 知ってんのよ」
 
「お? 見直してくれた?」
 
「馬鹿っぽい……」
 
 訊いても無駄と知りつつ訊いてみたリタは、その場でクルリと宙返りしたレイヴンから面倒くさそうに そっぽを向く。
 
 レイヴンに関しては、もう色々と諦めるべきだろう。
 
「というわけで、今からカルボクラムにヨーゼフを助けに行きましょう」
 
 何が『というわけ』なのか解らないが、エステリーゼは意気揚々と北に向かって剣を差し向けた。
 
「要するに、皇帝候補のライバルをわざわざ助けてやろうって事? それこそ、あんたを狙ってる連中に塩おくる様なもんじゃない」
 
 これまでの会話から推察するに、エステリーゼを狙っているのはヨーデルを擁立する騎士団の誰かだろう。
 
 そして、おそらく似た様な理由でヨーデルを軟禁しているのは、評議会の誰か。こう言うのも抵抗があるが、言うなればエステリーゼの味方である。
 
「正直な話、わたしが皇帝になる必要は無いんです。今の複雑な立場を逆手に取って、帝国を変える切っ掛けさえ掴めれば」
 
 が、リタの疑問もエステリーゼの前では意味を為さない。「むしろ、わたしは絵本作家になりたい」と続けた。
 
「(なるほどね……)」
 
 そこで、ユーリは合点がいった。評議会の御輿たるエステリーゼが邪魔なのは、フレンや騎士団長アレクセイとて同じはず。
 
 それが何故いまの様な状況を作り出したのか疑問だったが……全ては、エステリーゼの目的あってこそだった。
 
『エステリーゼ様を護る事が、帝国を変える一番の近道なんだ』
 
 フレンがあそこまで言うのも解る。
 
「それに、ヨーゼフも権力争いに巻き込まれただけの被害者。放っておくなんて出来ません」
 
「……ったく、とんだお人好しだぜ」
 
 言葉は悪い。しかしユーリの声はどこか明るかった。それに気付いて、エステリーゼもニッコリと笑う。
 
「じゃ、このままカルボクラム直行ね。行くわよ、エステル」
 
 話が一段落ついたと見て、リタがトコトコと歩を進める。
 
 ………が、足音がついて来ない。振り返って見れば、エステリーゼは少し惚けて立ち尽くしていた。
 
「何してんの?」
 
「エステル……って、わたしの事です?」
 
「ああ、それ。だって『エステリーゼ』って呼びにくいじゃない。気に食わないなら止めるけど?」
 
 リタからすれば、別に大した意味があってそう呼んだわけではない。軽い気持ちで渾名をつけただけだったのだが………
 
「エス、テル……エステル……」
 
 当のエステリーゼ……否、エステルは、呼ばれた愛称を噛み締める様に反芻している。
 
 然る後に、花が咲く様にパァッと笑った。
 
「はい、行きましょう! リタ!!」
 
「ちょっ!? ちょっと引っ張んないでよ!」
 
 リタの手を引っ付かんで無駄に駆け足で街道を行くエステルの背中を見ながら―――
 
「………ワフ」
 
 ヨーゼフとか呼ばれなくて良かったぜ、な顔で、ラピードは人知れずマーキングをしていた。
 
 
 
 
「はっ!!」
 
 カルボクラムを目指して街道を進み、渓谷に架かる橋を越えた辺りで、整備された街道は森に囲まれた林道へと姿を変える。
 
 当然、魔物も増える。
 
「そろそろ休憩にしましょーよー」
 
「さっき休んだばかりじゃないですか!」
 
「ガウッ!」
 
「……そんな怒んなくてもいいじゃない。若人たちと違って、おっさんにはスタミナが無いの」
 
 とはいえ、いつも結界の外を歩き回っているユーリ達にとって、魔物の相手など日常茶飯事。文句を言ってはいるが、レイヴンも地味に援護射撃に精を出している。
 
「『スターストローク』!」
 
 その意味で、賞賛されるべきはエステルだろう。他の面子に比べて実戦経験も浅いだろうに、しっかりと戦力の一端を担っている。
 
「『ストークス』!」
 
 リタの帯が大蛇の様に伸びて奔り、群がる虫の魔物をバラバラに斬り散らす。
 
 一先ず、そこで戦闘は終了かと思われた矢先―――
 
「ゲコッ!」
 
「お、まだいたのか」
 
 草むらから もう一匹、丸々と太ったカエルが現れた。
 
 こんな魔物は別に珍しくもないが、それに続くエステルとフレンのリアクションは妙だ。
 
「カロル!?」
 
「……エステリーゼ様、それは本物のカエルです」
 
 何故かカエルに歩み寄ろうとするエステルと、カエルに本物も偽物もあるかとツッコミを入れたくなるフレン。
 
「そういえば……フレン! わたし、トリム港からカロルの姿を見ていません!」
 
「ええ、彼なら―――」
 
『???』
 
 何やら取り乱した様子のエステル(+1)に、ユーリ達は完全に置いてきぼりを食らうのだった。
 
 
 
 
「カーロル! 働かざる者食うべからず! サボっとると晩飯を抜きにするぞ?」
 
「はいぃ!」
 
「うむ、その意気なのじゃ!」
 
 大海原を往く海船の上で、二足歩行の両生類が、その肌に潮の湿り気を帯びていた。
 
「お姫様とフレン隊長……大丈夫だったかな。ちゃんとお別れ出来なかったけど……」
 
 船は外海を渡り、ギルドの巣窟へと向かう。
 
 
 



[29760] 15・『カルボクラム』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/11/07 11:24
 
「カロル?」
 
 何やら騒がしいエステルとフレンの話を聞く所によると、ハルルの街で出会った『魔狩りの剣』の少年と、トリム港まで一緒に旅をしていたのだが、いつの間にか姿を消してしまったらしい。
 
 エステルがリタと最初に出会った時、あんな街外れの岬にいたのも、そもそもはカロルらしき後ろ姿を追い掛けていたから、という事だった。
 
 エステルとはぐれていたフレンの話によれば、そのカロルという少年は、故郷たるダングレストに向かう『ウミネコの詩』の……つまりはパティの船に乗せてもらった………という書き置きが、宿にあったそうだ。
 
 短い間とはいえ、一緒に旅をしていたエステル達に挨拶も残さなかったあたり、かなり急な話だったのだろう。
 
「ふーん」
 
 一通り話を聞いて、リタは興味なさそうにナコト新書を開く。エステルらの様子が可笑しかったから気になりはしたが、蓋を開けて見れば特に面白い話でもなかった。
 
 ―――が、
 
「カロルって、あのカロルか?」
 
 ユーリも、
 
「間違いないんじゃないの? 確か、今は『魔狩りの剣』だったと思うし」
 
 レイヴンも、予想外にリアクション豊富である。リタにはわけがわからない。
 
「ちょっと、ユーリもおっさんも、そいつ知ってんの?」
 
「あのなぁ……うちにも一時居たろーが、すぐ辞めちまったけど」
 
「………そーだっけ?」
 
 心底不思議そうなリタに、ユーリは大きく肩を落とす。確かに、カロルが『漆黒の翼』に所属していたのは三日足らずだが……その最たる原因は“初仕事”だろう。
 
 ダングレストの悪徳商人の屋敷への潜入。レイヴンに警備への囮にされ、警備もろともリタの魔術で吹き飛ばされ、最終的にはユーリに助けられて離脱できたカロルだが……次の日にはギルドを抜けていた。
 
 その前も後も色んなギルドを転々としていたようだが、レイヴンによれば今は『魔狩りの剣』にいるという。
 
 ………ならば、何故に一人でエステル達に同行していたのか。どこぞのおっさんじゃあるまいし、『魔狩りの剣』と言えど、結界の外で単独行動など普通はしないはずだが。
 
「仲間とはぐれてしまったみたいなんです。ダングレストに帰りたいって言うから、方向も同じだし、一緒に行こうって事になってたんですけど………」
 
「トリム港で勝手にいなくなったってわけか」
 
 何やら気落ちしているエステルの言葉尻を、ユーリが引き継いだ。心配するのも判らなくもないが、この場合はカロルが正解だろう。確実にダングレストに帰れる手段が見つかった上に、もしあのままエステルと一緒にいたら、アイヒープ姉妹に捕まっていたかも知れないのだから。
 
「ま、パティちゃんと一緒なら心配要らないでしょ。カロル少年も、早くダングレストに着いた方が良いに決まってるしねぇ」
 
「いや……余計に不安な気がすんだけど」
 
 しかし、だからと言って何がどうなるものでもない。ダングレストに向かう事になるなら、一応気に掛けておく位しかないだろう。
 
「ワン!」
 
 先頭を進むラピードが、見えて来たぞ、な顔で吠える。
 
 林道を抜けた先……優雅で高貴なカルボクラムの街並みが、彼らを出迎えていた。
 
 
 
 
「うわぁ♪ この街並み、後期エルカリズム様式です! 古くからの文明が今もこうして引き継がれているなんて、歴史を感じますよねぇ♪」
 
「うわぁ♪ この街、転送魔導器(キネス・ブラスティア)だらけじゃない! 帝国の研究所にだって、こんなに数揃ってないのに♪」
 
 到着早々、似たようなリアクションではしゃぐリステル。……もっとも、その興味を引く対象はまるで違うのだが。
 
「目立つなってのが判んないかねぇ、あいつらは」
 
「二人も、君にだけは言われたくないだろう」
 
「面倒事に首突っ込むの、大抵いつも青年だもんねぇ」
 
「ワン」
 
「……ラピードもかよ」
 
 その賑やかな後ろ姿を眺める男性陣は、誰からともなく“ついさっき乗り越えた城壁”を見やる。
 
「……トルビキアにこんな街があったなんてな」
 
 正門からは入れなかった。悪趣味な紫の鎧を着た騎士たちが、“内側と外側に”待機していたからだ。
 
 魔物の襲撃を警戒して見張りを置く事は珍しくもないが、あの体制は違う。あれは……街に誰も入れず、また、街から誰も出さない為の配置だ。
 
「こりゃ相当キナ臭ぇぞ。皇帝候補を拉致監禁って話も、あながちガセじゃなかったりしてな」
 
「……今まで信じてなかったのか」
 
「そりゃ、情報元が情報元だしなぁ」
 
 懲りもせずにユーリとフレンが撒き散らすギスギスした空気を、レイヴンがパンパンと手を叩いて払う。
 
 何度この低レベルな喧嘩を仲裁せねばならないのかと。
 
「はい、喧嘩はあとあと。とりあえず情報集めましょ。目立たないように、ね」
 
 今のユーリ達は、執政官邸の場所すら知らない。街の構造、ヨーデル軟禁の真偽、敵の規模、屋敷への侵入ルート、探るべき情報はいくらでもある。
 
 そもそも、この街はユーリが言うように怪し過ぎるのだ。
 
「………そうですね。なら、ここは適所に人材を分けましょうか」
 
 その提案に、基本的には聞き分けの良いフレンが、少し考えてから賛同し、そして――――
 
「…………………」
 
「…………………」
 
 五分後、カルボクラムの路地を歩く……レイヴンとフレンの姿があった。
 
「ねぇ~、ユーリ君に大事な お姫様 預けちゃって良かったわけ?」
 
 ユーリとラピードはエステルとリタの護衛。レイヴンはフレンと一緒に情報収集。……納得出来るわけがない。これなら一人の方が全然マシだ。
 
「相手が騎士なら、むしろ僕より彼の方が適任でしょう。騒ぎは起こすかも知れませんが、それでエステリーゼ様が傷つくとは思いません」
 
「喧嘩ばっかしてる割りには信用してるのね」
 
 無駄と知りつつフレンを追っ払おうというレイヴンの目論見は、予想通りに呆気なく崩れ去った。
 
 半歩下がって歩くフレンの視線が、ずっとレイヴンの背中に突き刺さっている。
 
「………………はぁ」
 
 つまりは、そういう事なのだろう。
 
 レイヴンはフレンを見ないまま、観念したように溜め息を吐いた。
 
「おっさん、青年や魔導少女みたく派手に暴れたりしてなかったんだけどねぇ?」
 
「……貴方が逃走の際に多用する魔術は、限られた者しか存在を知らない騎士団の奥義です。逆に、奥義の存在を知っている者から見れば、貴方にしか結びつかない」
 
「あらそ………」
 
 心底イヤそうにぼやいて、レイヴンは両手を後頭で組む。
 
 ラゴウの屋敷では上手く利用できたが、当然その後に関わり合うつもりなどなかった。エステルの行動を読めなかった事が、一番のミスだった。
 
「アレクセイ閣下は、一度も貴方の生存を疑った事はありませんでしたよ」
 
「……勘弁してよ。人にあんな化け物あてがっといて、どんだけおっさんを過大評価してくれてんの」
 
 フレンの言葉が意味するところを知って、レイヴンはその場で がっくしと深く深く肩を落とす。
 
「……後悔は、ないんですか」
 
 足を止めた丸い背中に、フレンの声が届く。責めるように、或いは……惜しむように。
 
「何が貴方を変えたんですか……シュヴァーン隊長……」
 
 ―――冷たい風が、二人の間を過ぎた。
 
 
 
 
「………こっちもダメ」
 
 高低差の激しいカルボクラムの街。至る所に設置された転送魔導器。
 
「この子も」
 
 その一つ一つを、リタは調べて回っていた。
 
「この子も」
 
 一つの転送魔導器の前で数秒、瞑想するかのように目を閉じて、またすぐに別の転送魔導器目がけて疾走を開始する。
 
 二手に分かれてから、ずっとこの調子だ。
 
 その脳天に―――
 
(ゴツン!)
 
 拳骨が見事に炸裂した。
 
「ッ!? っ~~~イッタイわね! いきなり何すんのよ!!」
 
「そりゃこっちのセリフだ。二人同時にチョロチョロしやがって、俺にどうお守りしろってんだよ」
 
 ぶたれた所を両手で さすりながら振り返れば、いつの間にか置いてきぼりにしたはずのユーリ。
 
 何はさておき、いきなり頭をぶたれて黙っているリタではない。
 
「子供扱いすんなってっ………いつも……言っ、て……」
 
 激情任せに怒鳴りつけるリタの声が……尻すぼみに擦れて、止まった。
 
「あ、あの……ユーリ? その……」
 
「あ?」
 
 ユーリの右手が、頬を赤らめたエステルの左手に、しっかりと繋がれていたからだ。
 
「男の人に手を握られた事なんて初めてだから……その……ちょっと恥ずかしいかな、って……」
 
「お前が目ぇ離すとすぐ どっか行っちまうからだろうが。……しゃーねぇな」
 
 見えているのに見えていない。そんな不思議な視界の中で、ユーリがラピードの首輪に紐を付けて、エステルに握らせている。
 
「………はっ」
 
 そして、些か以上に遅れた再起動を果たすリタ。その心中には、未だ“頭をぶたれた怒り”がしっかりと燻っている。
 
「で? 魔導器に何か変なトコでもあったのか?」
 
 やられたから、やり返すだけ。十倍返しで。
 
 ユーリの質問など そよ風の様に聞き流して、リタは自分の拳にハァ~~っと熱い吐息を当てる。
 
「『噛裂襲』ーー!!」
 
 見よう見まねで繰り出された拳撃の十連弾が、一人の青年を花火へと変えた。
 
 
 



[29760] 16・『キュモール』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/11/09 16:33
 
「はぁ……何であたし達がこんな真似……」
 
 城壁の上からザイルを伝って滑り降りたヒスカは、今の自分の……とても胸を張れない姿に深く落胆する。
 
 それもこれも、同じ騎士団に門前払いを食らわせたキュモール隊の連中のせいだ。
 
「仕方ないでしょ。街の外で大人しくしてたら、いざって時に介入できないし……って言うより、揉み消されちゃうよ」
 
 気持ち的にはヒスカと同じながらも、シャスティルは柔らかく妹を宥める。
 
 無理もない。人目を逃れてコソコソと街に侵入するなど、とても騎士のする事ではないのだから。
 
「……あいつ、ホントに来てるかな」
 
「うん……。ガリスタさんの情報だから、間違いないと思う」
 
 彼女らの不審な行動は、全て盗賊・『漆黒の翼』に因るものだ。彼らがここに来ている、という前提があるから、こんな“らしくない”行動に出ている。
 
 かつての後輩だから……そして幾度となく対決してきたから解る。彼らがこういう街に居たら、どんな行動を取るか。
 
「(絶対、暴れるに決まってる)」
 
 男女三人組という以外には一切の情報が不明。どこからともなく現れ、姿も見せず標的を盗み、痕跡も残さず消える。神出鬼没の盗賊ギルド・『漆黒の翼』。
 
 ……と囁かれていたのは三年前までの話。ユーリとリタが加入してからの『漆黒の翼』は、それまでとは真逆のド派手な活躍で知られている。
 
「ユーリが暴れ始めたら、騎士団権限を使って乗り込める。後は証拠さえ掴めば、いくら貴族でも言い逃れ出来ないわ」
 
「……ヒスカ、解ってると思うけど、ユーリの逮捕は二の次だからね? 優先順位を忘れない事」
 
「っ、わかってるよ!」
 
 さっきから発言がユーリ個人しか指していないヒスカに、シャスティルが半眼で念を押す。
 
 最優先されるのは、軟禁されていると思われるヨーデル殿下の救出。次に優先されるのは、彼女ら本来の任務。この二つをこなしながら『漆黒の翼』を捕えるというのは……はっきり言って不可能だ。
 
 何しろ、今は二人しかいないのだから。
 
「怖いのは……実力行使かな。証拠を押さえられた後で、口封じしようとするかも」
 
「結局は出たとこ勝負よね……あいつのペースに合わせると疲れるわ」
 
「「はぁ………」」
 
 ユーリやリタほど突き抜けた感性を持ち合わせていない双子は、これから起こるだろう荒事を思い浮かべて、面白いほどピッタリ揃ったタイミングでうなだれた。
 
「その心配なら無用です!」
 
「「っ!?」」
 
 完全に油断しきっていた所に背後から声を掛けられて、二人は弾かれる様に振り返る。
 
 そこで――――
 
「フレン………」
 
「と……エステリーゼ様………?」
 
 空樽の上に勇ましく立つ姫君と、その空樽を律儀に支える青年を、見つけた。
 
「―――ォォーン―――」
 
 どこか遠くで、遠吠えが響いた。
 
 
 
 
 僅か時を、遡る。
 
 二手に分かれてカルボクラムの街を調べていたユーリ達は、街外れの空き家の地下室に集合していた。
 
 何故、宿屋ではなく そんな場所なのか? 簡単に言えば、入れなかったからだ。
 
 街に侵入する前の予想通り、この街は内外の出入りを厳しく制限しているらしい。
 
 当然、余所者を泊める為の宿屋など開いているはずもなく、そうでなくても出入りを禁じられている以上、余所者がいると知れた時点で捕まってしまう。
 
 あれだけ騒いだリタやエステルが捕まらなかったのは、一重に騎士らの怠慢だろう。
 
 とにもかくにも、人気の少ない空き家に集まった一同は、それぞれに情報を交換しあった。
 
 と言っても、ヨーデル軟禁の核心に近い情報までは掴めず、街の状態は見ての通り。判ったのは執政官邸の場所、侵入経路、そして―――
 
「……キュモール?」
 
 執政官の、名前である。
 
「そ。ミムラ・フォン・キュモール。ユーリやフレン君もご存知の、キュモール隊長のお姉様よ」
 
「……なーんか見覚えあると思ったんだよな、あの悪趣味な鎧」
 
 アレクサンダー・フォン・キュモール。騎士団隊長の一人で、絵に描いた様な高慢貴族。三年前、ユーリとリタを牢獄にぶちこんだ男だ。
 
 その姉が今、このカルボクラムで皇帝候補の片割れを軟禁している……かも知れない。
 
「……それ、何かおかしくない? 評議会じゃなくて、騎士団って」
 
 これまでの推察を覆す名前に、リタが真っ先に気付いた。
 
 そう……ヨーデルは“騎士団が擁立する候補”なのだ。彼がいなくなって得をするのは評議会の方であり、ユーリ達も誘拐犯はそちらだと睨んでいたのだが………実際は逆だった。
 
「どっちでもいいって。後ろ暗い事やってんのは間違いなさそうだし、叩けば色々出てくんだろ」
 
 そんなリタの困惑を、ユーリが単純明快にぶち壊す。基本的に考えるのが苦手で、直感で動くタイプなのだ。
 
 しかしまぁ……行動がストレートなのはリタも同じ。
 
「そうね。ここで考えてても埒明かないし、殴り込んで締めあげれば何か吐くでしょ」
 
 作戦会議終了、とばかりに腰を上げる三人に、思わず声を張り上げたのは……やはりと言うか、フレン。
 
「ちょっと待ってくれ! まさか、今から殴り込むつもりなのか!?」
 
「? そだけど?」
 
「このまま街うろついてたって、状況が良くなるとも思えねーしな」
 
 それが何? と言わんばかりのユーリとリタに、フレンは完全に言葉を失う。
 
「ちょっと待ってください!」
 
 そこへ、声を張り上げる二人目……エステルだ。
 
「だったら、カプワ・ノールの時と同じ作戦で行きましょう。ユーリ達が暴れてる所に、わたしとフレンが乗り込むアレです!」
 
「エステリーゼ様ぁぁ!?」
 
 しかし、難色を示すどころかノリノリである。この場に於いて、フレンは自分が少数派だと自覚せざるを得ない。
 
「つまり何か? 俺たちを口実作りの為にあごで使おうってか」
 
「はいっ!」
 
 眩しい笑顔で元気よく返事するエステルの頭を、ユーリの両拳がグリグリとプレスする。「痛い痛い痛いです!」と騒いでいるが、もちろん無視して。
 
「いざ、出陣です!」
 
 その後、エステルにグリグリしたユーリにフレンがキレたり、喧しい二人をリタのネコパンチが殴り飛ばしたりと、他愛ない騒動を経て、エステルが凛々しく人差し指で天を指した。
 
 それぞれが それぞれの役割を持って、カルボクラムの街を往く。
 
 
 
 
「やっぱり声が聞こえない………」
 
 執政官邸に向かう道すがら、自分たちが乗り込んだ転送魔導器(キネス・ブラスティア)を覗き込むリタ。
 
「たまにあるよな、リタが声聞けない魔導器」
 
「ここのは異常よ。全部の転送魔導器が無反応だなんて」
 
 魔導器の声が聞こえる、というのは三年前に出会った時から主張し続けているリタの言。
 
 ダングレストに住み、盗賊ギルドに入り、リタは研究所を抜けても魔導器に携わって来た。
 
 そんな生活の中で、“声”が聞けない魔導器に出会う事もあったが、それほど多いわけでもない。
 
「声が聞こえない魔導器の共通点は、大きく分けて二つ。近年になってから持ち込まれたって事と、あたしでも知らない術式が刻まれてるって事」
 
 もっとも、それは“魔核(コア)が在る魔導器”に限られる。リタは魔核を失った魔導器の声は、一つの例外もなく聞けないのだ。
 
「確かに……ここが帝国の支配下に置かれる前は、こんなに転送魔導器なかったわねぇ」
 
 珍しく、どこか考え込むような顔でレイヴンが呟いた。
 
「支配下に置かれる前?」
 
「そ。ここ、何年か前まではギルドの街だったのよ。ユニオンでも最強クラスの連中だったんだけど……あっさり騎士団に街を明け渡しちゃってね」
 
 ギルドが街を見捨てる。ダングレストに住む者としては信じがたい言葉に僅か目を見開いて、ユーリは重ねてレイヴンに問う。
 
「そのギルドの名前は?」
 
「『紅の絆傭兵団(ブラッド・アライアンス)』」
 
「……どっかで聞いた名前だな」
 
 点と点が、嫌な線で結び付くような感覚に、ユーリは眉を顰める。
 
 評議会のラゴウに雇われていた『紅の絆傭兵団』。その『紅の絆傭兵団』が放棄した街で軟禁されている皇帝候補。不自然なほど配備された転送魔導器。
 
 これら全てが、偶然だとは思えない。
 
「ま、“そっち”はいつも通りおっさんに任せるわ。セコいの性に合わないし」
 
 『漆黒の翼』は痛快豪快に暴れ回るスタイルにシフトした。世間ではそう言われているが、実際には少し違う。
 
 ユーリやリタが表立って暴る騒動に紛れて、レイヴンはそれまで通りに裏で暗躍する。
 
 それが『漆黒の翼』の知られざる実態であり……もちろん、それは今回も変わらない。
 
「はいよ。執政官殿の目的、魔導器の入手経緯、ついでにお宝の在処。おっさんが丸裸にしてあげましょう」
 
 単なる人助けで終わるつもりなど、初めからさらさらなかった。
 
 
 



[29760] 17・『ミムラ』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/11/11 17:14
 
「エステリーゼ様の噂は、道中で度々耳にしていました。まさか、そんな事になっていたなんて………」
 
 人気の無い路地裏の片隅で、三人の騎士と一人の姫君が神妙な顔を並べていた。
 
 片やユーリ達の行動を待つエステルとフレン。そして、偶然にも同じ狙いを持ってカルボクラムに侵入していたアイヒープ姉妹。
 
「御家騒動に暗殺未遂……あのザギまで。心中お察し致します」
 
 表向きは行方不明とされているエステルは、普段は騎士団から身を隠している。そんな彼女がアイヒープ姉妹を見掛け、隠れるどころか名乗り出たのは……ユーリやフレンから双子の話を聞いていたからだ。
 
 問答無用でエステルを連れ帰るようなタイプではなく、エステルの意思を極力尊重してくれるだろう人物。交渉次第では連携できる。
 
 ………とまあ、とどのつまりは思いつきだ。
 
「そんな事は脇に置きます。今のわたし達には時間が無いんです」
 
 シャスティルの同情をまるっと無視して、エステルは事の顛末と作戦を双子に説明しだす。もちろん、ユーリ達と手を組んだ事は言葉巧みに誤魔化して、だ。
 
 ……しかし、アイヒープ姉妹も馬鹿ではない。
 
「(フレン……何で姫様がユーリとつるんでるの?)」
 
「(僕にもよくわかりません。エステリーゼ様に訊いて下さい)」
 
 張り切って喋るエステルに見えない様に、小声でシャスティルがフレンに訊くが……返答は芳しくない。『嘘でしょ』などと言えるわけがないのだから。
 
 帝国の御家騒動、『漆黒の翼』の襲撃、ヨーデルの救出。どれも嘘ではないだろう。………だが、カプワ・トリムで『漆黒の翼』と一緒に居た理由が抜けている。
 
「(まあ、大体 想像はつくけど………)」
 
 どこか面白くない成り行きに、ヒスカは額に手を当ててうなだれる。
 
 ユーリは……行動こそ破天荒で無鉄砲で常識外れな犯罪者だが、世間では義賊などと呼ばれる類の人間だ。
 
 一緒にいた経緯までは解らないが、共に居る内に信頼される様になっていたとしても不思議は無い。……特に、今のエステルの様に味方に乏しい立場の人間なら尚更だろう。
 
 フレンを数少ない例外としても、騎士団こそが彼女にとって脅威なのだから。
 
「……お話は解りました。もちろん、我々も同行させてもらいます」
 
 そんな中で、上辺だけでも頼られている。その事を胸に刻んでヒスカは頷いた。
 
 協力を仰ぐほどには信頼されている。しかしユーリ達の事を話せない程度には警戒されている。
 
 自分たちに対するエステルの認識を過不足なく理解して………当然そこで終わらない。
 
「ですが、余力があれば勿論 『漆黒の翼』も逮捕します。……よろしいですね?」
 
 たとえ帝国の姫が盗賊と結託していたとしても、騎士として……そして彼女自身として、ユーリを見逃す事は出来ない。
 
 これが、自分に出来る最大限の譲歩。ややの緊張を伴う宣言をヒスカは告げて―――
 
「はいっ! 絶対に捕まえてやりましょう!」
 
(がくっ!)
 
 予想の斜め上を行かれて、転けそうになった。見れば、エステルは一片の曇りも無いキラキラとした瞳でガッツポーズなど取っている。
 
「(あたし達に捕まえられるわけない、とか思ってる? それとも……ホントにユーリを利用してただけ?)」
 
 どちらにせよムッと来る推測を頭の中で転がしつつ、ヒスカはエステルをじっと見つめる。
 
 ……満面の笑顔だ。何を考えているのか解らない。
 
「では、今のうちに登場する時のポーズを決めておきましょう」
 
「ポーズて……いや、それより姫様まで来る気ですか!? 安全な場所で待ってた方が……」
「ヨーゼフを救うのに、わたしが行かなくてどうするんですか!」
 
 さも名案! とばかりに手を合わすエステル。すっかりペースを乱されてしまっているヒスカ。
 
「……エステリーゼ様って、いつもああなの?」
 
「ええ、まあ、大体」
 
 そんなヒスカの姿に、逆に諦観の姿勢を決め込むシャスティルとフレン。
 
 奇しくも出会ったフェドロック隊の三人+1の耳に―――
 
(ドオォン!)
 
 まず一つ目の、爆発音が届いた。
 
 
 
 
「“蒼き命を湛えし母よ 波断し 清冽なる産声を上げよ”」
 
 舞の様に軽やかに回ったリタが、右掌で大地を叩く。
 
「『アクアレイザー』!!」
 
 途端、そこから一直線に水の波濤が噴出し、その先にいる紫の一団を大水圧で以て空に弾き飛ばした。
 
「思ったほど数いないわね」
 
「雑魚ばっか湧いて来やがって。ま、キュモール隊じゃしゃーねぇか」
 
「フン」
 
 ユーリが、リタが、ラピードが、執政官邸の庭のど真ん中に乗り込んだ。
 
 白昼堂々。誰憚る事もなく、真っ正面から、名門貴族の別荘に大胆と呼ぶも生温い強襲を掛けて。
 
「反乱か!」
 
「平民が身の程知らずな!」
 
「生きて出られると思うなよ!」
 
 騒ぎを聞きつけた騎士団がぞろぞろと現れていると言うのに、逃げる素振りも隠れる素振りも見せない。
 
 目の前で敵が綺麗な包囲を作るのに、まるで気付いていないかの様な棒立ちを見せる。
 
 降参して無抵抗なのかと思い、一人の騎士が最終警告を告げようとした……出鼻を挫いて―――
 
「犬、伏せ」
 
 リタが帯を引いてクルクルと回りだした。先ほどの魔術を思い出し、騎士が叫ぶ。
 
「かかれ!!」
 
「俺には一言もなしかよ」
 
 八方から長槍が迫る。ラピードは素早く伏せる。ユーリが文句を一つ残して高々と跳躍する。
 
「“尊貴なる光の斬撃 不滅の悪も圧倒する”」
 
 穂先が届くよりも速く、リタのステップが止まった。そして―――剣が生まれる。
 
「―――――――」
 
 長槍の数倍はあろうかという、巨大な光の剣。それが、リタを軸にした鮮やかな円を描き―――
 
「『ブレードロール』!」
 
 一閃。光の軌跡が、リタを包囲していた全ての騎士を、叫ぶ事すら許さずに蹴散らした。
 
「お見事」
 
「ワン」
 
 光剣がエアルに還ると同時に、ユーリが着地し、ラピードが身を起こす。
 
 褒められたリタは何でもなさそうに小さく鼻を鳴らして、勇ましくキュモール邸を指さした。
 
「一気に乗り込むわよ! この街の魔導器の秘密、洗い浚い吐かせてやるんだから!」
 
「はいはい」
 
 号令に合わせて、二人と一匹は猛然と走りだす。肩に剣を担いで、口に短刀を咥えて、掌に火球を乗せて。
 
 その突撃と、地面に転がって動かない仲間達の姿は………
 
『う……うわぁああ!!』
 
 後続の騎士たちに回れ右をさせるには、十分だった。
 
 
 
 
「『スパイラルフレア』!」
 
 火球の生み出す大爆炎が、屋敷の外壁を抉り飛ばす。ついでの様に焼かれた騎士らを睥睨しながら、リタらは屋敷に足を踏み入れた。
 
 そこで………
 
「キーッ! 何なのよアンタ達! ここがキュモール家の屋敷だって解ってるんでしょうね!?」
 
 優雅なティータイムを楽しんでいたらしい女が、金切り声を上げていた。
 
 赤にピンクに紫、とにかく派手なカラーリングのドレスに厚化粧、ついでにライトブルーの髪。ユーリは一目で気付く、こいつがキュモールの姉だと。
 
「こんにちは~お邪魔してますよ~」
 
「これでいい?」
 
 白々しい棒読みですっとぼけるユーリとリタに、ミムラは顔を真っ赤にして立ち上がる。
 
「キーッ! 下民の分際で貴族を馬鹿にするなんて……死んでしまいなさい!」
 
 爆発音を聞きつけて、おそらくは「部屋の中には入るな」とでも言われていたのだろう増援が、次から次へと湧いて出る。
 
 ……が、あの悪趣味な紫鎧の騎士どもではない。頭にバンダナを巻いた盗賊紛いの男。上半身裸で大剣を担いだ兜の男。露出の多い黒衣を揺らす女魔導士。
 
 およそ貴族の館に似つかわしくない荒らくれ者たち。
 
「『紅の絆傭兵団(ブラッド・アライアンス)』か………」
 
 剣を構えて呟くユーリからは目を離さず、男の一人が執政官……ミムラへと声を掛けた。
 
「執政官殿……“これ”は契約から些か外れた仕事になりますが?」
 
「卑しい要求などしなくても、金ならいくらでも出してあげるわ。下民は黙って貴族の言う事に従っていればいいのよ」
 
「了解」
 
 ユーリどころか、味方なはずの『紅の絆傭兵団』までも下民呼ばわりするミムラにも顔色一つ変えない傭兵。
 
 その眼は……ずっとユーリを捉えたまま。
 
「見捨てた街にノコノコ戻ってきて貴族の飼い犬か? 最強の傭兵団も落ちたもんだぜ」
 
「好きにほざけ。最初から地を這う盗賊風情に何を言われようと痛くも痒くもない」
 
「そりゃ ごもっとも」
 
 挑発を躱されたユーリが肩を竦める。全くの無感動だった男の眼が、ほんの僅かだけ細められる。
 
「……………………」
 
 男が片手を軽く上げ、振るう。それに合わせて、数人の傭兵が床を蹴る。
 
「『ファイアボール』!!」
 
 後の先を狙ったリタの火炎弾が、戦闘再開の合図となった。
 
 
 
 



[29760] 18・『ミニスカート』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/11/14 22:03
 
 突然の急襲を受け、前代未聞の大混乱に陥る、カルボクラムのキュモール邸。騎士や傭兵が駆けずり回り、使用人が慌てふためき、屋敷の主・ミムラが奇声を上げている頃―――
 
「(ふぅん……やっぱりそういうルートなわけね)」
 
 まるで自分の家が如き自然な仕草で、レイヴンがとある一室を物色していた。
 ちなみに部屋の主たる執事長・セバスは、床に転がって静かな寝息を立てている。背後から一撃、自分が何をされたかも判っていないだろう。
 
「(出所は帝国魔導研究所……権力に物言わせたか、誰かさんの掌の上で踊ってるかは判んないけど、噂が本当だってのは間違いないか)」
 
 セバスが書類整理に使っている棚から一枚の書簡を手に取り、レイヴンは似合わないシリアス顔で無精髭の生えた顎先を撫でた。
 
「(帝国魔導研究所が魔核(コア)の復元に成功、ね。新しく聖核(アパティア)を手に入れたか、それとも……)」
 
 断続的に響く爆発音すら気にも留めずに物色を続けるレイヴンの耳が―――
 
「(ん?)」
 
 こちらに向かって近づいてくる靴音を、尋常ならざる集中力で正確に拾い上げる。
 
「(可愛いメイドさんとかだと良いなぁ~)」
 
 もしそうならアプローチ、と密かに誓うレイヴンは“少し重くなった”体を動かし―――
 
「セバスちゃん!!」
 
 ほどなくして、部屋の扉が勢いよく開かれた。現れたのは悪趣味なドレスと厚化粧で身を飾った年配の女性……ミムラ・フォン・キュモール。
 
「すぐにバルボスを……って、何を暢気に寝ているの! この非常事態に!」
 
 ミムラは部屋に入るなり、“ベッドに横たわる”セバスに金切り声を張り上げた。もちろん、部屋にはセバス一人しかいない。ただし………
 
「(……0点)」
 
 屋根裏を除けば。
 
 シャンデリアの近くに開けた穴からミムラの姿を覗き見て、レイヴンは音もなく落胆の溜め息を溢した。
 
 ミムラがヒステリックに喚きながらベッドを蹴るが、セバスは起きる気配がない。すぐには目覚めない程度の一撃を入れたのだから、当然なのだが。
 
「忌々しい下民がっ……屋敷どころか この私にまで火の玉を投げつけてくるなんて!!」
 
 よほどヒートアップしているらしい。セバスが起きないイライラも手伝ってか、ミムラは爪を噛みながら一人で恨み節を並べ立て始めた。
 
「それもこれも、ギルドなんて汚らしい下民の集団の存在を許しているからよ! アレクサンダーは何をモタモタしているのかしら!」
 
「(おっ)」
 
 レイヴンからすれば、願ってもない展開である。密会の盗聴を画策したわけでもないのに、勝手にべらべらと喋っている。
 
「この事を殿下に突き付けてあの甘ったれた考えを改めさせてやる! そうすれば、堂々とユニオンを…………」
 
「(ユニオンを?)」
 
 棚から出てきたぼた餅を、身を乗り出して聞き入るレイヴン。
 
 その耳に―――
 
「そこまでだ」
 
「――――――」
 
 凄みのある低い声が、“すぐ真後ろで”聞こえた。レイヴンは振り返らない。声も上げない。ただ背筋を冷やす直感に従って、転げる様に前方に跳んだ。
 
 直後―――
 
「うわぉ!?」
 
「きぃいい!?」
 
 重々しい轟音を立てて、部屋の屋根が崩れ落ちる。その裏に隠れていたレイヴンと、破壊をもたらした張本人ごと。
 
「小狡いネズミのわりには良い反応だな」
 
 難なく着地したレイヴンは、その声の主に目を向けた。
 
 ガッチリとした赤いコート。鉄球の様な金の義手と、同色の義眼。威厳という言葉が服を着て歩いている様な大男。
 
 見覚えがある。否、ダングレストに住む者ならば、知らない者の方が珍しい。
 
「おたくこそ、意外と狭い場所が好きみたいね。後ろ取られるまで気付かなかったわよ」
 
 『紅の絆傭兵団(ブラッド・アライアンス)』のボス、バルボス。己が力一つで、最強の傭兵団まで作り上げた男。
 
「カプワ・トリムでは子分どもが世話になったらしいな。身の程を知らぬ馬鹿は長生き出来んぞ」
 
「ご忠告どうも。親切ついでに、旦那のらしくない仕事っぷりの理由も聞かせてくれると嬉しいんだけど」
 
 キーキーと騒いでいるミムラに構わず、レイヴンは畳んでいた弓を展開する。バルボスもまた、身の丈ほどもあろうかという大剣を握る手を強めた。互いに、既に臨戦体勢に入っている。
 
「プライドの高いアンタが、騎士団にビビってカルボクラムを明け渡すわきゃない。……“いくらで売ったのよ?”」
 
「………フン」
 
 人を食ったレイヴンの物言いに、バルボスは答えず、ただ面白そうに口の端を引き上げる。
 
 レイヴンも、素直に答えてくれるとは思っていない。バルボスがここにいるという事実だけで、十分な判断材料にはなる。
 
「バルボス! 無駄口を叩いてないで、さっさとこの下民を………」
 
 蚊帳の外から張り上げたミムラの罵声を遮る形で―――
 
「シッ!」
 
 最初の一矢が、弓から放たれた。
 
 
 
 
「っと!」
 
 背後から迫る刃の腹を裏拳で叩いて軌道を逸らし、振り返りざまに斬撃を繰り出す。
 
 薄皮一枚裂いただけの浅過ぎる手応えに、内心で敵の反応の速さを素直に認める。
 
「(……妙だな)」
 
 ユーリがそう感じると時を同じくして、リタも同様の違和感を覚えていた。
 
「『ストーンブラスト』!!」
 
 直下から撃ち出される“弾岩”の雨が、防御すら許さずに傭兵たちを昏倒させる。……しかし狙った内の一人は、リタの魔術を事前に察知して回避した。
 
 似た様な服装で似た様な素振りを見せてはいるが……明らかに動きの違う使い手が、三、四人ほど混じっている。
 
「これが私の実力、見るがひん!?」
 
 詠唱を始めた敵の女魔導士の腹に、「俊迅犬!」な顔をしたラピードが鋭く頭突きをかます。それに追い打ちを掛ける形で、リタの魔導書が女の顎を強打し、気絶させる。
 
「ギルドの魔導士があたしにケンカ売ろうなんて、いい度胸してんじゃないの」
 
 強気に言い放ち、リタは次なる魔術に備えて帯を引いて回りだす。帯に描かれた術式が彼女を球状に包み込んだ。
 
 ―――その時、
 
「そこまでです!!」
 
 ユーリを、リタを、ラピードを、そして傭兵団を指して、勇ましい声が降って来た。
 
「な、何ぃ!?」
 
「どこだ!」
 
「あそこよ!」
 
 定番のリアクションを取ってくれた律儀な傭兵らが指差す先……大広間の二階の手摺りの上に………
 
「世を騒がす盗賊ギルド・『漆黒の翼』よ! 欲に任せて貴族の屋敷に攻め入ったが運の尽き、今こそ罪を裁かれ、悔い改める時です!!」
 
 打ち合わせ通りのピンク頭が、自己陶酔に酔い痴れた顔で細剣を差し向けていた。
 
 わざわざそこまで登ったのか、とか、その若干イラッと来るどや顔は何なのか、とか、言いたい事は他にもあるが……
 
「「………………」」
 
 とりあえず、何故に瓜二つの赤毛ポニーテイルが、一緒になって手摺りに並んでいるのかが、一番のツッコミ所だ。
 
 左からヒスカ、エステル、フレン、シャスティルの順に、エステルと同じポーズを左右対称に取っている。ただし………エステル以外は、赤い顔で恥ずかしそうに視線を逸らしているが。
 
「馬鹿っぽい……」
 
「したくてやってるんじゃないわよ!」
 
 リタに呆れられてヒスカが叫ぶ。そんなヒスカの“腹より下”を、ユーリがジッと見つめていた。
 
「どーでもいいけど……お前、パンツ見えてんぞ」
 
「ウソ!?」
 
 ユーリに指摘され、咄嗟に両手でミニスカートの裾を押さえたヒスカは………
 
「嘘」
 
「きゃふ!?」
 
 『蒼破刃』で狙い撃たれて、ものの見事にひっくり返った。哀れである。
 
 そんな茶番を、表情一つ変えずに傍観していた傭兵の一人が、やはり無感動に呟く。
 
「騎士団まで乗り込んで来るとは……潮時だな」
 
 その呟きに応える様に、三人の傭兵が素早く身を翻す。いずれも、先の戦闘で動きが違っていた“別物”だった。
 
「え? で、でも……」
 
「お前ら、なに言って?」
 
 他の傭兵らが戸惑う中で、彼らの動きは迅速の一言だった。一人がボウガンで窓ガラスを粉砕し、一人が何か丸い物体をユーリ達に投げつけて……それが、床に着弾すると同時に黒い煙幕を吹き上げる。
 
「逃がしません! “煌めいて 魂揺の力”」
 
 上から全体の動きを見下ろしていたエステルが、素早く詠唱を終えて、細剣を男に差し向ける。またフレンも、剣を振り上げて男を狙う。
 
「『フォトン』!」
 
「『魔神剣』!」
 
 光弾と斬撃が空間を切り裂き、今まさに逃走を始めている男の背中へと伸びて―――
 
「ハアッ!」
 
 跡形も無く、霧散した。男の持つ直剣の、ただの一振りに払われて。
 
「…………………」
 
 背を向ける男の横顔が、一瞬、笑っているように見えた。それを確信する間もなく、その姿は黒煙の向こうに隠される。
 
「……傭兵じゃ、ねーな」
 
 何とも言えない不気味な存在感を刻みつけられて、ユーリは口に出してそう言った。
 
 ラピードの鼻なら追えない事もないかも知れないが、そこまでする理由がない。……というより、出来れば二度と関わりたくない。
 
「ユ~ゥ~リ~!!」
 
「っと、俺らも退散するとしますか」
 
 何やら燃え盛る炎を揺らめかせたヒスカが、片手に剣をぶら下げて立ち上がる。
 
 長居は無用。ユーリとリタ、ラピードもまた、先人に倣って黒煙の中に姿を消した。
 
「待ちなさい! 『魔神連牙斬』!!」
 
 ヒスカの剣が唸りを上げて、黒煙に向かって数多の斬撃を衝撃波として奔らせる。
 
「………あいつっ、馬鹿にして!」
 
 が、硬い衝突音に遅れて黒煙が吹き散らされた後に残っているのは、逃げるタイミングに乗り遅れた挙げ句、ヒスカの攻撃に打ちのめされた『紅の絆傭兵団』のみ。
 
 先ほどの傭兵紛いはもちろん、ユーリ達の姿も無い。
 
「くっ、見失ってしまいました。すぐに後を追わなければ!」
 
 悔しげに拳を握り締めて唇を噛んだエステルは、“迷う事なく”屋敷の奥へと突撃を開始する。
 
 ユーリ達が外に逃げた可能性を完全に度外視して、だ。その意味するところを、フレンはもちろん、アイヒープ姉妹も気付く。
 
「……ヒスカ、行くよ?」
 
「わかってる」
 
 シャスティルにそっと肩を叩かれて、ヒスカは名残惜しげに窓の外から目を離した。
 
 
 
 
 ……その頃、ユーリ。
 
「何で建物の中に逃げるんだよ」
 
「あのオバハン、一発殴ってやんないと気が済まないのよ!」
 
「わんっ!」
 
 ホントに屋敷の中にいたりする。
 
 
 



[29760] 19・『招き猫』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:ef78e215
Date: 2011/11/16 19:35
 
「っ!」
 
 砲弾の様に撃ち出された金色の義手が眼前の空間を貫き、その先にあった柱の一本をも粉砕する。
 
 太いワイヤーで繋がれた義手は尋常ならざる豪腕に振るわれ、そのまま破壊の嵐を撒き散らす。
 
「ちょっとちょっと、依頼人のお家でしょ。もっと控え目に出来ないの?」
 
「構うものか。こうなった以上、むしろ執政官殿には退場してもらった方が都合が良いのでな」
 
「あらま、カワイソ」
 
 バルボスの暴撃を、レイヴンは捉え所の無い独特の動きで躱して、弓から矢を釣瓶射ちに飛ばした。
 
 一瞬で放たれた五本の矢。その内の二本はバルボスに軽く躱され、残る三本は天井に突き刺さる。
 
 そう、バルボスの真上の天井に。
 
 刺さった矢から、鏃を中心に火の術式が三つ展開され―――
 
「どかーん」
 
「むっ!」
 
 直後、炎を捲いて爆発した。爆破された天井が瓦礫となって降り注ぐ。それにバルボスが気を取られた一瞬を突いて………
 
(カッ!)
 
 バルボスの足下に、さらにもう一本の矢を射る。そして、爆発。
 
「おおおっ!?」
 
 爆発と衝撃が床を砕き、バルボスは瓦礫と共に階下へ落ちていく。
 
「んじゃ、これで失礼しますよっと」
 
 レイヴンは誰もいなくなった廊下に恭しく一礼し、すたこらと踵を返して逃げていくのだった。
 
 
 
 
「(キーッ! どうして、何でこんな事に!?)」
 
 ミムラ・フォン・キュモールは焦っていた。これまでの人生で、これほどの焦燥を感じた事はない。
 
 ………いや、もっと言えば、それは恐怖とも呼べる感情だった。
 
 帝国有数のキュモール家に生まれ、どんな願いも思うままに叶えてきた。今回の計画もその一つ、何の問題もなく全ては遂行されるはずだった。
 
 少なくとも、彼女の中では………。
 
「おまえ達! 何をしているの、早く曲者を八つ裂きに……」
「うるせぇ! どけ!」
 
 だと言うのに、これは一体何なのだろうか。
 
 たった三人の盗賊に騎士団を蹴散らされ、屋敷を散々に破壊され、金で雇った傭兵は命令を聞きもしない。首領のバルボスに到っては、ミムラが近くにいたにも関わらず大剣を振り回す始末。
 
「どいつも……こいつも……名誉ある貴族を何だと思っているのよ!」
 
 名誉ある貴族。縋る様な気持ちで口に出したその言葉は、ミムラ自身の心に全くと言っていいほど響かない。
 
「………あ」
 
 焦燥が、恐怖が、見たくもない未来をミムラに見せた。“このまま、どうなってしまうのか”。
 
 小耳に挟んだ傭兵どもの話からすると、既に屋敷には数人の騎士が入り込んでいる。もし、もしも……このまま事態を揉み消す事が出来なかったとしたら?
 
 騎士団長アレクセイは、絶対にミムラを許しはしないだろう。評議会もまた、この件を“騎士団の失態”として利用するに違いない。
 
 そうなれば、いくらキュモール家と言えども……
 
「(何も、残らない)」
 
 飲み込むと同時に、戦慄する。この……誰も頼れる者のいない状況で、そうならないと誰が言える?
 
「か、金………」
 
 もはや権力は頼りにならない。信じられるのは、目に映る物だけ。
 
「金を、私の金を、誰か………!」
 
 しかし、それを自分が運ぶという選択を採れない。極限の精神状態の中で、うわごとの様に呟くミムラの耳に―――
 
「そんなに金が欲しいなら、くれてやるわよ」
 
 妙に凄みのある高い声が、届いた。
 
「あ…あ……」
 
 振り返る。そこにいるのは、ゴーグルを掛けて帯を振るう、うら若き黒魔導士。
 
「“幸運招きし金色の雨降らし 汝の名は”」
 
 その小さな右手が、高々と差し上げられ、そして―――振り下ろされた。
 
「『ゴルドカッツ』!!」
 
「キアアアアアーーー!!」
 
 頭上に迫る巨大な金塊。それが、ミムラが貴族として見る、最後の光景となった。
 
 
 
 
「……もったいな」
 
 潰れたカエルよろしく下敷きになったミムラに乗っている物を見て、ユーリは思わずそう呟く。
 
 何やら意地悪そうな笑みを浮かべている、一概に可愛いとは言いづらい金の招き猫。像のセンスは置いておくとしても、これだけの金塊を敵にくれてやるのを惜しいと思うのはごく自然な感情だろう。
 
 だが、それは普通の人間の思考回路。魔導士たるリタは、やや呆れた顔でユーリを見る。
 
「なに言ってんだか。このネコも魔術で構築した物なんだから、またすぐエアルに還元されるに決まってんでしょ」
 
「そりゃ残念。気が済んだなら逃げんぞ。後はエステルが勝手にやんだろ」
 
 あまりモタモタしていたら、またエステル達と鉢合わせてしまう。ユーリに手を掴まれ、ラピードに足を頭で突つかれ、リタは急かされる。
 
「でも、まだ魔導器(ブラスティア)の情報が……」
「だいじょーぶ。おっさんがちゃーんと盗みだしてあげたわよ」
 
 渋るリタの頭上から、いつから隠れていたのか、レイヴンが屋根裏から降りて来た。
 
 着地に合わせて、レイヴンの体からジャラジャラと良い音がする。いつもはゆったりとしている羽織も、今は少し下に引っ張られ気味である。
 
「ホントに大丈夫なんでしょうね」
 
「あんまり愚図るなって。後でアイス買ってやるから」
 
「だーかーら! 子供扱いすんなって言ってんでしょーが!」
 
 敵地とは思えぬ和やかさで、盗賊たちが窓の外へと飛び出している頃―――
 
「ヨーゼフ! ヨーゼフしっかり! 誰にやられたんです!」
 
「エステ、リーゼ? 助けに来て……くれたん、ですね……」
 
「眼を閉じちゃ駄目、ヨーゼフ! 絶対、二人でルーベンスの絵を見るんです!!」
 
「……エステリーゼ様、パトラ……ヨーデル殿下です」
 
 瓦礫の破片を受けて倒れていたもう一人の皇帝候補は、無事……に、救出されていた。
 
 
 
 
「で、そのバルボスってのはまだ追ってんのか?」
 
 鉄柵を斬り裂き、
 
「ぜえっ……あれ、で……ダウンはしてくれないでしょ。室内だから……上手くハメれたけど……ガチで戦るのは勘弁して欲しいわ……!」
 
 外壁を乗り越え、
 
「ヒスカとシャスティルさえ居なけりゃ、手合わせしたかったトコだけどな」
 
「出た、戦闘狂発言。アンタもあのザギって奴と一緒ね」
 
「あんな変態と一緒にすんな。俺の方が大分健全だっての」
 
「どーだか」
 
 街道を駆けて『漆黒の翼』が風となる。仕事柄、逃げる事に関しては彼らの右に出る者はない。
 
「ぜえっ…ぜえっ…! ねえ、そろそろいっぺん休憩にしない?」
 
「出来るわけないでしょ。休みたかったら おっさん一人で休んで捕まれば?」
 
「あのねぇ、俺様だけに重い物持たせといて そりゃないんじゃない?」
 
「ガウッ!!」
 
「うわっと! 何よわんこ、んな怒る事ないでしょ」
 
 キュモール邸で些か“失敬”して重くなったレイヴンがややバテ気味だが、それでも追手の姿はまだ見えない。
 
「ほれ頑張れおっさん。今回はいつもより少しだけ楽できるぜ」
 
 先頭を走るユーリが、首だけ振り返ってレイヴンをからかいながら、前方を指差した。
 
 そこには、最早カルボクラムの特色とさえ言える転送魔導器(キネス・ブラスティア)………が―――
 
「……あれ?」
 
 黒い煙を噴き上げていた。
 
「何よあれ!?」
 
 それを眼にした瞬間、リタが爆発的に加速した。あっという間に皆を置き去りにして、砂煙が晴れる頃には転送魔導器に辿り着いている。
 
「……リタっち、かなり体力ついたよね」
 
「おっさんに比べりゃな」
 
 ユーリに持たれていた方が速かった三年前を知っている身としては、感慨深いものがある。
 
 ………などと、言っている場合ではない。
 
「どうだ?」
 
「……ダメ。魔核(コア)が完全に砕けてる」
 
 目を臥せて俯いたリタが、悲しそうに首を振る。修復は不可能、という事だろう。
 
 ―――だが、事態はそれのみに収まらない。
 
「……おいおい、マジか」
 
 不穏な音に顔を上げれば、煙を上げているのはこの魔導器だけではなかった。高低差の激しいカルボクラムを見下ろせば、街中に設置された転送魔導器が……軒並み黒い煙を上げている。
 
 そして、空に立ち上る数多の黒煙の先を眼で追えば、天空を泳ぐ一匹の竜の姿。
 
「あいつ、バカドラ!!」
 
 魔導器の破壊。空を泳ぐ竜。これらのキーワードから導き出される解は一つだ。この角度からは見えないが、竜の上にはあの白い槍使いが跨っているに違いない。
 
「くぅ、うぅ~~~っ!!」
 
 焼きたい。今すぐに魔術で爆破したい。そう思うリタだが、いくら何でも距離がありすぎる。たとえ届いても、100%躱される。
 
「降りて来なさいよ! 情けないわね、あたしが怖いの!?」
 
「……怖いよ、普通に」
 
 余計な口を挟んだレイヴン、脛を蹴られてのたうち回る。
 
 しかしまぁ、レイヴンの言にも一理ある。『漆黒の翼』が屋敷に乗り込む機に乗じたのも、今あんな大空に逃げているのも、偶然ではないだろう。
 
 あの竜使いは海の上で一度、『漆黒の翼』と戦った事があるのだから。
 
「今は逃げるぞ。借りは返せる時にまとめて返せばいい」
 
「うぅ~~~!」
 
 言葉にならない唸り声を上げるリタを脇に抱えて、ユーリは屋根から屋根へとジャンプする。
 
 元より、転送魔導器など必要ないのだった。
 
 
 
 
「騒がしい連中ですね」
 
 灰色の髪を揺らして、一人の傭兵が高台から街を眺めている。その視線の先には、屋根から屋根に跳び移る長髪の青年の姿。
 
「どうされますか?」
 
「彼が現れた以上、バルボスの計画がスムーズに進む事はないでしょう。まあ……少し様子を見ましょうか」
 
 黒いレインコートを被った赤ゴーグルの部下に軽く応えて、男は右手で前髪を掻き上げた。
 
 はっきり言って、バルボスの計画が成功しようが失敗しようが、彼にとってはどうでもいい。肝心なのは、計画が遂行された後のユニオンの……そして騎士団の動向。
 
「数多の意志が折り重なり、絡み合い、巨大な渦を形作っていく。武器商人としての勘が、それを感じ取っていまーす」
 
 武骨な革服が、削ぎとられる様に解けていく。服だけではない。顔も、肌も、声色すらも。
 
「ミー達も、パーティーのスタンバイを始めるとしまショウカ」
 
 紳士的な燕尾服に身を包んだ伊達男が、道化の様に笑った。
 
 
 



[29760] 20・『ダングレスト』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/11/18 07:37
 
 ヨーデルが軟禁されていた部屋のさらに下。絨毯で隠されていた地下への階段を、双子の女騎士が降りていく。
 
「エステリーゼ様、不思議な人だったね。何を考えてるんだろ」
 
 エステルは既に、カルボクラムにはいない。自分たちの介入を誰にも話さないようシャスティルに告げて、いち早く姿を消してしまった。
 
 今回の件を正式に公表すれば、騎士団の失態を演出すると同時に、自分の存在を内外に示せるにも関わらず。
 
「命を狙われてるからってのもあるんだろうけど、どっちかって言うと、権力争いに興味無いって感じかな」
 
 その後、ミムラとキュモール隊の騎士を拘留したヒスカとシャスティルは、捕えた罪人を引き取って貰う為の要請を出し、カルボクラムに待機している。
 
「……エステリーゼ様への襲撃、ヨーデル殿下の軟禁、ホント……帝国はこれからどうなっちゃうんだろ」
 
 元々、帝国の全てが正しいと思っていたわけではない。だが、それでも、エステルの口から聞かされた真実は、二人に小さくない衝撃を与えた。
 
「それを何とかする為に、騎士団長が動いてる。わたし達は、わたし達の役目を果たさないと」
 
 階段を降りて、通路を抜け、その先にある扉を開く。
 
「判ってるわよ。……けどま、今回はユーリに助けられたかな。貴族の私物だし、手に入れるの難しいと思ってたんだけど」
 
 広くは無い、しかし小綺麗な一室の奥に……一振りの剣が飾られていた。
 
「これで三つ目、まだまだ先は遠いわね」
 
 本来なら鍔の在る場所に、不気味に揺れる勾玉を備えた、血よりも紅い魔剣。
 
「紅蓮剣、『アビシオン』」
 
 
 
 
 カルボクラムでミムラと騎士団をぶっ飛ばし、『紅の絆傭兵団(ブラッド・アライアンス)』に喧嘩を売り、最後の最後で竜使いにしてやられた盗賊ギルド・『漆黒の翼』。
 
 仕事の後、全身全霊で逃走を開始した彼らは、最短ルートでダングレストを目指していた。
 
 理由は二つある。一つは、ギルド同盟・ユニオンの街ダングレストでは、騎士団と言えど軽々しく手出しが出来ない事。もう一つは、五大ギルドの一柱たる『紅の絆傭兵団』の不穏な動きを、ドン・ホワイトホースに伝える事。
 
 そして、アイヒープ姉妹がカルボクラムで足止めを食うだろう事を見越した上で超急いでる理由は―――
 
「逃がすなー!」
 
「奴らを捕まれば貴族になれるんだ!」
 
「絶対に街から出すなー!」
 
 “こうなる”事を避ける為……だったのだが、少々手遅れだったらしい。
 
 カルボクラムとダングレストの間で、近年になって開発が進められている新興都市・ヘリオード。
 
 ここの執政官が、騎士団隊長のキュモール。カルボクラムでユーリらが成敗したミムラの弟なのだ。カルボクラムの一件が彼に伝わり、目の敵にされない内に通過したかったのだが………このざまである。
 
 騎士団どころか、「漆黒の翼を捕えた者は貴族にしてやる」というエサに釣られた一般人までが武器を手に立ち上がり、今や街全体が敵。
 
「あーもう、ウザい! 『ファイアボール』!」
 
 何食わぬ顔で門を抜け、人目につかない様にさっさと宿屋に泊まったその晩、部屋に数人の騎士が奇襲を掛けて来た。それを撃退して外に出てみれば、いつの間にやら四面楚歌というわけだ。
 
「おいおい、あいつら只の民間人だぞ」
 
「あたしにケンカ売った奴は例外なく敵よ」
 
「おー怖」
 
 息つく暇もありやしない。結局はこうなるのかという思いをひしひしと抱きながら、『漆黒の翼』は駆け足でヘリオードから逃げて行く。
 
 
 
 
 そんなこんなで二日後―――
 
「ただいまー」
 
 ダングレスト、到着。長いようで短い旅路に一時の休息を見て、リタは挨拶もそこそこに二階へと上がる。
 
 もちろん彼女の借り宿たる『天を射る重星』の、だ。
 
「ただいま、みんな」
 
 机に並ぶ魔導器に笑顔で挨拶した後、崩れる様にベッドにダイブ。頬擦りの要領で枕に抱きつく。
 
 旅に出るのはいつもの事だが、今回は何か精神的に疲れた。
 
「…………………」
 
 ユーリは一階で酒を呑んでいる。レイヴンは、ダングレストに着いてすぐ姿を消してしまった。ラピードは恒例のパトロール。どいつもこいつも、無駄にタフである。
 
「…………はぁ」
 
 自分しかいない部屋の中で、リタは不透明な溜息を漏らした。
 
 レイヴンから聞いた、カルボクラムの転送魔導器(キネス・ブラスティア)の出処。それは、リタの古巣である帝国魔導器研究所だと言う。
 
 研究所が魔導器を不正に横流ししていたとしても、別に驚きはしない。それくらいは当たり前にする連中だ。気になるのは、どうやってそれだけの転送魔導器を用意できたのか、という事。
 
「魔核(コア)の復元、か」
 
 現在の技術では、魔導器の筐体(コンテナ)は作れても魔核は作れない。遺跡から発掘された物を利用、転用するしかない……はずだったのだが。
 
「(何やってんだろ、あたし……)」
 
 もし、帝国魔導器研究所が魔導器を一から造ったのだとしたら、エアルを結晶化して魔核を造る技術を蘇らせたという事だ。
 
 アスピオを離れて三年、自らの力で『リゾマーマの公式』に辿り着くと誓ったと言うのに……結果的には帝国が一歩も二歩も先を行っている。
 
「(……まさか………)」
 
 エアルの結晶化。その言葉から、リタはある光景を思い出す。
 
 あっという間に怪物に破壊されてしまったが、リタは鮮明に覚えている。声の聞こえない、魔核を持たない魔導器。地下から吸引して濃度を極限まで上昇させたエアルを、魔核の代わりとしていた魔導器。
 
 挙げ句、高濃度のエアルで一帯の生命全てを脅かす事態にまで発展した。
 
「(シゾンタニアの魔導器って……)」
 
 あれを、最後に回収したのは誰だった? そもそも、あの魔導器を誰が仕掛けたのかさえ、謎のままではなかったか?
 
「(……エステルの依頼、受けて正解だったわね)」
 
 エステルはここにはいない。カルボクラムで別行動を取って、それっきりだ。そもそも護衛を頼まれたわけでもなし、必ずしも一緒に行動する必要はない。
 
 エステルが『漆黒の翼』に依頼したのは、あくまでも“盗み”だ。
 
『皇族と言っても、遠縁で、評議会とコネクションも無かったわたしが、皇帝候補として擁立されている。この状況自体が、まず不自然だと思うんです』
 
 エステルが語る背景。リタが興味を惹かれたのは、正にその内容にある。
 
『考えられるとしたら、わたしの力。“魔導器なしで発動できる魔術”です』
 
 普段 武醒魔導器(ボーディ・ブラスティア)を装備しているのはカモフラージュだと、エステルは秘密をあっさりと暴露してきた。
 
 エステル自身、なぜ自分にそんな力があるのか、それがどういう力なのか解っていないらしい。
 
 『漆黒の翼』が依頼されたのは、それを含めた帝国の真実を盗みだす事。盗賊と言うか探偵の仕事な気もするが、物は言い様である。
 
 リタはもちろん、知的探求心から一も二も無く頷いた。レイヴンまでがこんな面倒そうな依頼を承諾したのは意外ではあったが、あのオッサンが何を考えているのか解らないのは いつもの事だ。
 
 ユーリは……
 
『肝の据わったお姫様だな、気に入ったぜ』
 
 などとのたまっていた。こっちも いつもの事なのだが、何故だか無性に腹立たしい。
 
「コゴール砂漠で見つけた自律術式も試してみたいし、忙しくなりそうだわ」
 
 ムカッと来た気分を振り払うべく、わざわざ口に出して話題を逸らすリタ。
 
 風呂に入るのも面倒になって、このまま泥の様に眠ってしまおうとして――
 
「あ」
 
 ふと、思い出す。カプワ・トリムでエステルに着せ替え人形にされた時、パジャマを一着もらった事を。
 
 荷物を漁り、目当ての物を広げて見る。真っ白でふわふわした、小動物なナイトキャップまで備えた可愛らしいパジャマ。あれから野宿ばかりで着る機会が無かったが………
 
「(も、貰った物は使わないと悪いし、ね)」
 
 自分のキャラじゃないと思いつつ、だからこその憧れめいた感情も抱きつつ、リタは自分に言い訳しながら服を脱ぐ。
 
「(どうせ起きたら着替えるし、誰にも見られないし……うん……)」
 
 自室のみで着るパジャマなのだから問題ない。そんな安心を感じながら、リタが下着を捲った―――直後、
 
「おーい、風呂空いたって………」
 
 ノックも無く、声も掛けられず、あまりに無遠慮にドアが開いた。
 
「………………」
 
「………………」
 
 キャミソールタイプの下着をたくし上げたまま、石の様に固まるリタ。
 
 ドアノブから手を離す事も忘れて、こちらも石の様に固まるユーリ。
 
 時すら忘れる長い沈黙を経て………
 
「――――き」
 
 リタの全身が、一瞬にして朱に染まる。耳も頬も顔も、とにかく何もかもを真っ赤にしてリタは胸元を隠す。
 
「きゃああああぁぁーーーー!!」
 
「悪ぃ……!」
 
 命の危機を感じてドアを閉めたユーリが、壁ごと吹き飛ばされるまで……あと一秒。
 
 
 



[29760] 21・『魔狩りの剣』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2011/11/21 05:54
 
「『天狼滅牙・風迅』」
 
 白刃を鋭く閃かせて、ユーリが戦場を縫う様に駆ける。斬撃と共に繰り出された真空の刃が、間合いに入った全ての魔物をバラバラに斬り裂いた。
 
「“燦然たる神秘”『ミスティック・ドライブ』!」
 
 リタの帯が巨大な魔法陣を敷き、そこから噴出した光の柱に呑まれ、魔物の群れが塵も残さず消滅する。
 
「キリねーな、どっから湧いて来んだコイツら」
 
 蜂、猪、蟹、猛禽、螳螂、蛙、蜥蜴、狼、種々雑多な魔物が、とにかく際限なく襲い掛かって来る。
 
 押し寄せた端から殲滅されているのに、お構い無しに、だ。
 
「シゾンタニアの時と似てるわね。エアルで暴走してる可能性は高いと思う」
 
 何の前触れも無い出来事だった。朝食を採っている最中に、恐慌染みた悲鳴を聞き付けて『天を射る重星』を飛び出せば……ダングレストの結界が消えていた。
 
 避難する人々の流れを逆走した先……街の入り口で、屈強なギルドの戦士たちが魔物の群れに抗戦しているのを見掛けて、そのまま済し崩し的に参戦して今に到る。
 
「ユーリィ! テメェ今度は何しでかしやがった!」
 
「何でもかんでも俺のせいみたく言うんじゃねーっての。ジジィ」
 
 街を防衛する一団の先頭に、軽々と大太刀を振るう巨躯の老人の姿もある。ギルド同盟ユニオンの頂点に立つ大首領、ドン・ホワイトホース。
 
「がうっ!」
 
 一方で、ラピードもユーリやリタに劣らぬ犬奮迅な立ち回りを見せていた。小柄な体躯と俊敏な機動力を誇る彼は、集団戦に措いても縦横無尽に戦場を駆け回る。
 
「ウッ……!」
 
 俺の縄張りで好き勝手させるかよ、な顔で一旦 足を止めたラピード。背後に敵意を感じて、四肢を僅か沈ませる。
 
「ボボ、ボクだってぇ!」
 
「フン」
 
 そして、背後からの大斧が届くより疾く、体ごと一回転させた尻尾の一撃をお見舞いした。
 
「ゲロ!?」
 
 奇妙な呻き声に目を向ければ、二足歩行のカエルが斧を握ったまま引っ繰り返っている。だが……ラピードの鼻が告げている。この匂いは、魔物ではなく人間の匂いだと。
 
「ギャー! 食われるー! 僕なんか食べても美味しくないってー!」
 
「………何だコイツ」
 
 甲高い悲鳴を聞いて駆け付けたユーリが、呆れ顔でカエルを見下ろした。この非常事態でラピードに襲い掛かり、返り討ちに遭う着ぐるみ。何ともシュールである。
 
「よく見ろよ、魔物じゃなくてラピードだ。つーか、お前の方が よっぽど紛らわしいんだけど」
 
 ラピードを狼型の魔物と間違えたのだろう、と察して、ユーリは着ぐるみを摘み上げた。……ちっこい。声から予想はついていたが、やはり子供だ。
 
「え? ラピード? ってユーリ!?」
 
「忙しいガキだな。家ん中 入ってろよ」
 
 掴まれていた手を放されて、カエルは地面に尻餅を着いた。ユーリやリタは“良くも悪くも”有名人だ。住まいであるダングレストで一方的に名前を知られていた位でイチイチ突っ込みはしない。
 
「そ、そうはいかないよ! 僕だってダンッ!?」
 
 既にこちらを見てもいないユーリに食い下がろうとしたカエルが、後ろから拳骨を食らってうつ伏せに倒れた。
 
 何事かと思ったユーリが振り返って見れば、カエルと似た様な背丈の少女が一人。
 
 ただし、明らかに普通の少女ではない。厚手の装束を肩に掛けず雑に着こなし、身の丈を越える三日月型の刃を携え、おまけに側頭で髪を括っているのは武醒魔導器(ボーディ・ブラスティア)。
 
 いかにギルドの巣窟と言えど、これほど戦士然とした子供(しかも女)はそういない。
 
「ナ、ナン……」
 
「意気地を見せろとは言ったけど、一人で先走れとは言ってない。邪魔するくらいなら帰って」
 
 ナン、と呼ばれた少女の冷た過ぎる視線が、半身を起こしたカエルを見下ろす。ヘビに睨まれたカエル、という言葉を、これほど的確に表している構図も珍しい。
 
「つーか、さっさと帰ってくんない? 戦いにくくてしゃーねーんだけど」
 
 戦場の真ん中で説教など始められても困る。ユーリはラピードと並び、子供二人の前に立つ形で剣を構えた。
 
「『戦迅………」
 
 子供を逃がす為の時間を作る為、迫りくる魔物の一群を蹴散らさんと闘気を練り上げるユーリ。
 
 その目の前で―――
 
「ギェエエッ!?」
 
 ユーリの剣より一拍早く、横合いからの斬撃が螳螂を両断した。
 
 が、横から誰かが斬り込んで来たわけではない。“それ”は敵を稲穂の様に刈り飛ばしながら、円を描いて“ユーリの背後”に戻る。
 
「……おいおい、何つーお子様だよ」
 
 軌跡を追って後ろを見れば、今しがた投げた三日月型の曲刀を掴んでいる少女……ナン。
 
「子供だからと侮るなよ? ナンはオレ様のギルドでも三指に入る実力者だからな」
 
 まるで登場のタイミングを見計らっていたかのように、ナンの後ろから男が二人、現れた。
 
「盗賊風情の出る幕ではない。魔物の相手なら任せて貰おう」
 
 一人はフードを目深に被った蛇の様な細身の男。もう一人は、ドンにも負けない体格の、大剣を持った大男。
 
「我ら、『魔狩りの剣』にな」
 
 大男を中心に、右に蛇男、左にナン。威風堂々と立つ雄姿の端に……カエルが小さく紛れ込んでいた。
 
「(………強ぇ、な)」
 
 『魔狩りの剣』。その名の通り魔物退治を生業とし、五大ギルドにも劣らぬ知名度と実力を誇る。
 
 メンバーが団体行動を好まない、という特色もあって、ユーリはこれまで接触を持った事はなかったが………こうして目の前で対峙して見ると良く解る。
 
 纏う空気が尋常ではない。大口を叩くだけの実力があると。
 
「そりゃどーも。けど、アンタらだけに任せてられ―――」
「『ファイアボール』!!」
 
 任せてられるかよ。そう言おうとしたユーリ、魔物もろとも爆発する。
 
「いつまでもサボってんじゃないわよ! 痴漢! 変態! 覗き魔!」
 
「人聞き悪い単語連発すんじゃねーよ! まだ根に持ってんのかテメーは!」
 
 やったのは、言わずと知れたリタ。ユーリがカエルや『魔狩りの剣』とお喋りしている間、彼女はずっと戦い続けていたのだから、怒るのも当然だ(因みに、ラピードはさりげなく戦線に復帰している)。
 
「ゴチャゴチャうるせぇーーー!!!」
 
 そして、リタに便乗するようなタイミングで、轟音染みた怒号がダングレストを震わせた。それと同時に、ドンの大太刀が魔物の群れを紙切れの様に千切り飛ばす。
 
「ユーリ! オメェはお嬢連れて結界魔導器んトコに向かえ! 臭ぇ物は蓋を閉めなきゃ収まらねぇ!」
 
「向かえって………ここはどうすんだよ! ちょっとでも手ぇ抜いたら街に魔物が入り込んじまうぞ!?」
 
「さっきまでサボり倒してたヤツが何言ってやがる! オメェに心配なんぞされなくても、俺たちが街にゃ指一本触れさせねぇよ!!」
 
 ユーリの抗弁を完全に封じ込めて、白髪の獅子が地鳴りの如く咆哮する。
 
 その時――――
 
「その通りです!!」
 
 どこからともなく、勇ましい声が降って来た。見上げた先……宿屋の屋根の上で、剣を高々と差し上げるピンクが一人。
 
「たとえ万の敵が押し寄せて来ようと、信じ合う者たちが力を合わせて立ち向かえば、必ず打ち破る事が出来るはず! さあ、今こそ絆の力を見せる時!」
 
 赤い衣装に白い手甲とレギンス、胸元には水色の水晶。全体的に賑やかなカラーリングの鎧姿で、高々と少女は叫ぶ。
 
 ……いつの間に追い付いて来たのだろうか。と言うか、いちいち高い所に登らなければ登場出来ないのだろうか。
 
「………おい、何だ? あの痛々しいのは」
 
「見りゃ解んだろ、勇者だ」
 
 呆気に取られるドンの横で、ユーリは小さく肩を竦めて見せた。
 
「“聖なる雫よ 降り注ぎ 我に力を”!」
 
 勇者という名のエステルは止まらない。「とうっ!」と芝居掛かった掛け声一つ、屋根から大きく跳躍する。
 
 跳躍して―――
 
「『ホーリィ・レイン』!!」
 
 無数に生まれた光の雨と共に、戦場へと降って来た。
 
「うおっ!?」
 
 広範囲に降り注ぐ光が、眼に移る全ての魔物の群れに突き刺さり、蹂躙していく。何とも恐ろしい勇者様だった。
 
 その先制を逃さぬべく、ドンが、そして『魔狩りの剣』が、一斉に地を蹴った。
 
「……ったく、解ったよ。リタ、ラピード、行くぞ!」
 
「了解!」
「わんっ!」
 
 頼もしい味方がいる。その事を噛み締めて、ユーリらは踵を返して走りだす。
 
 
 
 
「(……もう、ここにはいないだろうな)」
 
 ミムラとキュモール隊の一部の身柄を、帝都から来てくれたルブラン小隊に預けたアイヒープ姉妹は、カルボクラムを後にして出発した。
 
 そして辿り着いたのが、ここ。新興都市・『ヘリオード』。
 
「何か……街中が疲れ切ってるみたい」
 
 もちろん、『漆黒の翼』を追い掛けて来たわけではない。彼女らなりに、帝国に渦巻く不穏な空気を感じ取っての事だった。
 
「……キュモール隊長に会う前に、聞き込みしてった方がいいかもね」
 
 カルボクラムでヨーデルを軟禁していたミムラは、ヒスカらの質問に頑として答えなかった。相手が有力な貴族な事もあり、正式に法廷で裁かれるまで、あまり手荒な真似も出来ない。
 
 しかし……ヒスカとシャスティルは思った。
 
 ミムラを帝都まで連行し、法廷で裁いてから罪人として取り調べる。……それでは、時間が掛かりすぎるのではないか、と。
 
 カルボクラムにいたミムラの弟が、ヘリオードで執政官をしている騎士団隊長。
 
 何か、今にもとんでもない事が起こりそうな、不気味な予感があった。
 
 二人は街を練り歩き、騎士ではなく住民の話からヘリオードの状況と、キュモールの陰謀を探る事にした。
 
 そうして、四時間後―――。
 
「……やっぱり、怪し過ぎる」
 
 二人が出した結論は、やはりクロ。
 
 ヘリオードの住民は、「街の建設に尽力した者は貴族になれる」と言われて重労働をさせられているが、貴族の位を与える権限は皇帝にしかなく、キュモールにそんな事が出来るわけがない。……つまり、住民を騙している。
 
 更に、昨今で続発している住民の失踪事件。
 
「帝国騎士団小隊長、シャスティル・アイヒープよ。通してもらうから」
 
 騎士団以外は立ち入りを禁じている労働者キャンプ。それに目をつけた二人は、少し強引に見張りを突破し、昇降機に乗り込んだ。
 
 証拠さえ掴めば、現行犯逮捕にする事も可能だからだ。
 
「…………フ~ン」
 
 昇降機で労働者キャンプに降りていく双子の女騎士の姿を………
 
「仕方ありませんネ」
 
 燕尾服の伊達男が、見下ろしていた。
 
 
 



[29760] 22・『ケーブモック大森林』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:78a5bfec
Date: 2011/11/23 08:49
 
「お――――」
 
 突き出した剣先が、敵の右腕の刃に柔らかく往なされる。懐に潜り込んだ敵は、左腕に仕込んだ刃を突き出し………
 
「っらぁ!!」
 
 次の瞬間、ユーリの右拳が赤眼の男を殴り飛ばした。躱しきれなかった刺突の証として、ユーリの頬に一筋の浅い傷痕が残される。
 
「ったく、何だってんだよ」
 
 地面に転がる強敵らを見下ろして、ユーリは雑な仕草で頬を拭った。黒のレインコート、腕に仕込んだ凶刃、ボウガン、そして赤いゴーグル。皆一様に、同じ姿をしている。
 
 その全てが、あの屈強な傭兵をも優に越える実力を備えていた。
 
「……『紅の絆傭兵団(ブラッド・アライアンス)』じゃ、ないよな」
 
 まるで、カルボクラムで戦った部隊の中に混じっていた、数人の傭兵のように。
 
「どうだ、リタ?」
 
「大丈夫。これくらいなら、すぐに治してあげられる」
 
 解けぬ疑問はそのままに、ユーリは階段の上……結界魔導器(シルト・ブラスティア)の前のリタを見る。
 
 ダングレストの結界魔導器。この場所に辿り着いた時には、既に見張りは殺されていた。代わりに居たのは、今ここに転がっている赤眼の一団。
 
 疑いの余地もない。こいつらが結界を解除したのだろう。
 
「ごめん。ちょっと痛いかも知れないけど、我慢してね」
 
 ピアノで激しい旋律を奏でる様に、リタの指先が制御術式の上を滑る。やがて、ダングレストそのものを囲うほど巨大な二つの光輪が空に描かれ―――
 
「ラスト!!」
 
 パチンッと、リタの指先が術式を叩くのを合図に、巨大な結界がダングレストを包み込んだ。
 
「流石」
 
「当然でしょ」
 
 軽く賛辞を贈るユーリ。強気に頬笑むリタ。やや低いハイタッチを交わす二人。これで、少なくとも街の中に魔物が入り込む心配はなくなった。
 
「どうする? じーさんの加勢はともかく、エステル放っとくと面倒な事になりそうだけど」
 
 結界を展開した瞬間に内側に取り込まれた魔物は掃討する必要があるだろうが、その程度ならドン一人でも容易いはずだ。
 
「それもあるけど、その前に………」
 
 ユーリはリタの問いに、視線をそっと地面の男達に移す。指先をほぐすよう、パキパキと音を立てながら。
 
「こいつらに、訊きたい事があるんだよ」
 
 油断なく剣を握り締めて、ユーリが一歩を踏み出した。
 
 その時―――
 
「ワンッ!」
 
 誰より早く、ラピードが動いた。素早く地を蹴り、頭突きでリタを突き飛ばす。そのラピードの必死さが、ユーリへの合図にもなった。
 
 鼻腔に漂う微かな火薬の匂い。何かが燻る様な小さな音。
 
「っ!」
 
 ユーリが、尋常ならざる跳躍によって上方に逃れると同時………
 
(ドオォン!!)
 
 大気を震わせて、漠焔が半径数メートルを呑み込んだ。……先ほどの男達から湧き上がった、爆発が。
 
「自、爆……?」
 
 ひらひらと宙を舞うレインコートの切片を、ラピードに突き飛ばされて転んだ姿勢のまま、リタは茫然と眺める。
 
 焼け焦げた肉塊とリタの間に、ユーリが自分の体を割り込ませて視線を阻んだ。
 
「……厄介な事になりそうだな」
 
 明確な形を成さない漠然とした予感を、ユーリは誰に向けるでもなく虚空へと零した。
 
 
 
 
「………何か、前より酷くなってねーか?」
 
 それから二時間後、ユーリ、リタ、ラピード、そしてエステルは、不可思議な森の中にいた。
 
 結界を復活させ、魔物の侵入こそ防げたものの、なぜ魔物が突然暴走を始めたのかは謎のまま。今も魔物は、入れもしないダングレストに押し寄せている。
 
 ドンは事態の沈静化の為にダングレストに残らざるを得ず、『魔狩りの剣』に到っては、向かって来る魔物を根絶やしにするつもりらしい。
 
 根本的な問題を解決すべく、ユーリ一行は魔物に攻められているのとは別の出口から街を出て、魔物の足跡を辿った。
 
 そうして到着したのが ここ、ケーブモック大森林。
 
 巨大な虫、巨大な植物、巨大な獣、巨大な蛙。とにかく何もかもが異常な成長を遂げている森。その異形は、訪れた人間に、まるで自分が小人にでもなってしまったかのように錯覚させる。
 
「何か……胸の辺りがモヤモヤします」
 
「軽いエアル酔いね。植物が巨大化したり、魔物が暴走したりする位だもん。人間にだって影響が出て当たり前よ」
 
 無論、ダングレストに住むリタは、近隣にあるこの森を調べた事がある。……が、以前に調べた時は、これほど異常な成長をしてはいなかったはずだ。
 
「これがエアル……わたし、初めて見ました!」
 
 蛍の様に漂う緑色の光の粒に、エステルが指先で軽く触れる。通常、エアルを肉眼で見る事は出来ない。だが、今はこの森全体が視認出来るほど濃いエアルを放っている。
 
「つくづくシゾンタニアの時と同じだな。……ラピード、調子悪くなったらすぐ言えよ」
 
「ワゥ」
 
 暴走する魔物、視界に漂うエアル、その中に突入する自分たち。ユーリの脳裏に……その手で殺めた……ラピードの父・ランバートの最期が過った。
 
 結果まで、再現するわけにはいかない。
 
「ここにその、“えあるくれーね”があるんです?」
 
「そうよ。……しかも、間違いなく活性化してる」
 
 エステルの言葉に、リタが軽く眉間を押さえた。
 
 エアルクレーネ。それは、世界に点在するエアルの源泉。以前この森を調べた際に、リタはその存在を確認していた。
 
 大自然の産物。言うなれば火山の噴火口の様な物。もしエアルクレーネ自体が活性化しているとしたら、もはや人間の力ではどうする事も出来ない。
 
 しかし、リタには何とか出来る自信があった。
 
 結界の消失、魔物の暴走、そして赤眼の一団。全てが偶然などとは考えられない。人為的な行いならば、原因を排除する事も出来るはずだ、と。
 
 ―――それはそうと。
 
「お前、何でダングレストに来たんだ。つーか、フレンはどうした?」
 
 未だに勇者なエステルを、全く今更ながらにユーリが見る。
 
 依頼を受諾したとは言え、エステルと同行する理由はカルボクラムの時点で既に無くなっている。
 
 エステルの性格からして「わたしもやります!」とか言い出しても不思議には思わないが、一人だというのが気に掛かる。
 
「フレンなら、ヨーデルを帝都に送り届けてますよ。あんな事があったんですから、それくらいは当たり前です」
 
 なるほど。……ちょっと待て。
 
「あいつ、お前の事ほったらかして帝都に帰りやがったのか!?」
 
「フレンの立場なら、わたしよりヨーデルを優先するのは当然です。って言うか、わたしがお願いした事ですから♪」
 
 唖然とするユーリの気を知ってか知らずか、エステルは眩しい笑顔で楽しそうに笑う。
 
「今回の件で、騎士団でもヨーデルに手を出さないとは限らないと判りました。それに、わたしはそれなりに自衛手段もありますし」
 
 言って、エステルは瞳をキラキラと輝かせながら、両手で柔らかくユーリの手を包んだ。……それは、自衛とは言わん。
 
「で!」
 
 その二人の間に、リタが両手で目一杯押しながら割り込む。割り込んで、半眼でエステルを睨む。
 
「そもそも、何でアンタはここに居んのよ。アンタも皇子様も、まとめて金髪に護衛してもらえば良い話じゃない」
 
「あ、そっか」
 
 リタの指摘を横目に聞いて、ユーリはポンッと手を叩く。どちらかしか護れない、という前提自体がおかしい。エステルが帝国の何者かに命を狙われているとしても、やり方などいくらでもあるはずだ。
 
 当のエステルは、少しだけ真剣な表情になった。
 
「ドン・ホワイトホースに、話を伺おうと思ってるんです。ギルドの長として、彼が今の帝国の動きをどう捉えているか。……もしかしら、わたしの力についても、何か心当たりがあるかも知れません」
 
「ふぅん」
 
 ある程度は納得できる答えに、リタは生返事で応えた。フレンと違って、ユーリやリタはエステルを特別扱いする理由は無い。「だからと言って、エステリーゼ様自らが行かなくても……!」とか言わない。
 
「そう言うユーリ達こそ、レイヴンはどうしたんです?」
 
「知らねーよ。いつもの事だ」
 
「肝心な時に居ない癖に、呼んでもないのに ひょっこり現れる。それがおっさんよ」
 
「あははっ、皆さん大変なんですね」
 
「……それ、あんたが言うんだ」
 
「? はい?」
 
 巨大な樹木の生い茂る異形の森を、盗賊と姫君は進み行く。
 
 その最後尾、殿を勤めながら、キセルを上下に揺らすラピードは……
 
 ……名前、覚えて貰えて良かったな。な顔で、会った事もない少年の面影を、青空に思い描いた。
 
 
 


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.705437898636