日本物理学会四国支部・愛媛大学理学部共催
市民講座『原発事故が私たちに教えてくれたもの』
今中哲二・京都大学原子炉実験所
皆さんにお見せしているのは、上が25年前のチェルノブイリ事故、下が福島。これからもっと悪い状態になるとは思っていないが、終息したとは言えない状態が続いている。どこに本当のところがあるのか、分かりづらいところがあるだろうと思う。今日は、これまで考えてきたこと、勉強したことをお話ししたい。
専門家でない人には分かり難いところがある。その辺の謎解き、原子力開発が進められてきたバックグラウンドをお話しして、最後は、自分自身が考え、判断していかざるを得ないところにいる。皆さんの判断する材料になればと思う。
自己紹介がてら、1950年に広島に生まれ、69年大阪大学へ、その後東大大学院を経て、76年に現職場。大学に入ったのが、日本の原子力開発が始まったころ。大学院時代におかしいと思ったのは、地元が反対、かなり強力な反対活動をしていた。大学院時代に新潟の柏崎刈谷によく行った。国や電力会社は「原発は絶対安全、お金も落ちるから作らせて」といい、地元の人は「そんなにいいものならなぜこんな辺鄙なところに作るのか。東京に作ればいい。うさん臭い」と反対していた。そういう人々をカネと力で潰して日本の原発は増えてきた。そういう構造が大学院時代に見えてきた。
京大ではデメリットの側面を明らかにすることを仕事にしようと40年近くやってきた。仲間たちと伊方原発裁判(伊方原発1号機設置許可取り消し訴訟)をお手伝いした。初めは机の上の安全論争だったのが、現実に起こることを確信したのは1979年のスリーマイル島事故。最悪は逃れたが、燃料の半分が解けたが、格納容器の破損には至らなかった。放射能が外に漏れることはなかった。ただ一つ間違ったら、そうなる可能性はあった。
1979年が私にとって安全神話が完全になくなった年。それ以降、(原子力発電が)どの程度危険なのか、どの程度危険を受け入れられるかという問題の立て方をしてきた。1986年にチェルノブイリ事故。20数年追いかけてきた。定年が見えてきたときに福島。最初は何が起きているか分からなかった。
原発が怪しいと11日夜に聞き、翌日の新聞1面の大きな震災記事の横に「福島原発冷却できず」の記事があった。その日は休日だったが、朝職場に行った。どうも全電源喪失が起きているらしい。地震が起こり、送電線が倒れ、外部電源が喪失。その後非常用ディーゼルが動くも45分で完全喪失となった。
話は今に飛ぶが、左の図はチェルノブイリ周辺の立ち入り禁止区域。ひかれた同心円は30㎞、60㎞で、3700平方キロメートルがいまでも立ち入り禁止区域。右は現在の福島。原発から30~40㎞離れた飯館村。原発の周辺30㎞で村や町が消滅する危機。チェルノブイリと福島では同じことが起きている。
チェルノブイリから学んだこと。まず、原発で大事故が起こると、周りの村や町がなくなり地域社会が消滅する。次に、放射線被曝は健康影響の原因の一つにすぎない。また健康影響は被害全体の一部にすぎない。福島でも避難者は、自主避難者を含めると数十万人が「難民化」している。
3月11日に地震が起き、翌12日に全電源喪失。職場でテレビを見ながら「福島でスリーマイル島事故が起きているな」と感じた。外部電源も非常電源もなくなり、原子炉を冷やすことができなくなっている状態。原子炉そのものは地震で停まる。大事なことは、①停める、②原子炉を冷やす、③放射能を閉じ込める、の3つ。運転を止めても、放射能を出し続けている、発熱し続けている。1号機は出力46万キロワット、原発の発電効率は3分の1だから、その3倍の140万キロワットが原子炉の真ん中では起きている。核分裂反応を停めたとき、つまり制御棒を入れても、7%の反応が続く。それを冷却し続けないと、高温・高圧になる。とにかくポンプをまわして冷却しなければならない。
3月12日午後4時、1号機が爆発。水素爆発、水蒸気爆発か?どうも水素爆発だ、水素爆発で格納容器は残っているだろう、が、スリーマイル島事故を超えてしまった、と思った。燃料を包んでいるジルコニウムと水が反応し、水素が発生、これが漏れ出し、天井にたまって爆発。水蒸気爆発は溶けた燃料が下に落ちる、その時に下に水が貯まっていたら爆発する。その時点でチェルノブイリ。幸い12日は水素爆発で済んでいる。
3月14日、3号炉爆発。3月15日午前11時、菅首相と枝野官房長官が「2号炉で水素爆発して、格納容器が壊れた」というのを聞いて、福島はチェルノブイリになった、最悪の事態だ。中の放射能がそのまま外に流れていく。放射能の気流は最初は南、関東に行った。この時東京が幸いだったのは、雨が降らなかった。この後方向を変え、北西方向に。飯館村方向。不幸にもこの時雪が降り、大変な汚染が起きた。
福島原発の奇奇怪怪、その1。「周辺のモニタリングデータが出てこない」の怪。1号機爆発で半径10キロメートル、2号機爆発で半径20キロメートルに避難指示。しかしその人たちがいるところの放射線は大丈夫か、2週間ほど全くデータが出ない。そこに茨城の友人からメールでデータが届く。これを分析すると、すごいホットスポットができている。で、3月20日に飯館村へ行った。
飯館村曲田では空間線量毎時30マイクロシーベルトを観測した。これがどれくらい高いかというと、私の職場で危険を示す表示を立てて管理する放射線管理区域の基準は毎時20マイクロシーベルト。そういう中で、おじいちゃんやおばあちゃんが普通に暮らしていた。国なり対策本部にデータがあると調べたら、9月にネットで見つかった。(手書きの緊急調査記録を示す)3月13日のモニタリングデータ。浪江の○○では「30マイクロシーベルト<」。計測能力を超え、計測できなかったということ。3月15日の葉物野菜のデータでは、ヨウ素131が125万ベクレル、セシウム137が10万ベクレルなどとった数字が並ぶ。
2号炉が爆発した時に、放射能がどの方向にどれくらい漏れているか、彼らは知っていた。このとき、相馬の人たちは飯館に逃げていた。飯館の人たちは避難者のために炊き出しをしていた。しかしその人たちはそれを見て知っていたが、何もしなかったということ。事実としてあったと思う。ヨウ素131が100万ベクレル、これをもし乳児が食べたらどうなるだろう?等価線量は280ミリシーベルト。(キエフなどの甲状腺被曝と甲状腺ガン発生との図を示し)チェルノブイリでは事故の4年後くらいから甲状腺ガンがどんどん増えた。280ミリシーベルトはこのあたり。福島の子どもたちは将来甲状腺がんになる可能性がある。大切なのは、彼らの被曝状況を把握しておくこと。
3月21日にようやくSPEEDIが公表された。SPEEDIはどこへどのように放射能が流れ、それくらい被曝するかを迅速に予測し、対策に役立てるもの。何十年もかけて作ってきた。それが、事故の直後どこに消えたのか、不思議でならなかった。SPEEDIはちゃんと動いていたが、何の役にも立たなかった。
福島事故の奇奇怪怪、その2。まず、菅首相、現場視察3月12日の怪。菅首相と安全委員会の斑目氏がヘリで福島へ行った。これは驚いた。地震被害の情報が続々と集まる、それに的確に対応しなければならないのに、状況を掴んで、日本の総力を持って対策しなければならない時に、指揮官が火事場のような現場へ。現場はさぞ迷惑だったろう。それに海水注入など、現場で判断すべき時に、東電社長が口を出した。
どうやら、日本政府の中枢もメルトダウンしていたようだ。意思疎通が全くできてない。SPEEDIで(放射能が)漏れているのも、方向も分かっていたが、どうすればいいか判断する人間がいなかった。リーダーがいなかった。これが事実だろう。
最も驚いたのは、東京電力、経産省、保安院、原子力安全委員会のいずれもが「原子力時とは起きないと信じていた」という怪。
ここで原爆と原発の違いを。中性子が、ウラン235にぶつかると、中性子が2~3個と複数の核分裂でできた原子核、核分裂生成物が生まれる。更にその中性子がウラン235にぶつかり、と連鎖反応が起きる。1938年12月にウランが核分裂することがドイツの研究者によってわかった。当時は第二次世界大戦前、物理学者は爆弾ができるだろうと考えた。アメリカのマンハッタン計画。
原爆は、連鎖反応を瞬時に行う。100万秒分の1という速さ。このエネルギーを爆発に利用。
原発は、制御棒を用いて、連鎖反応を制御する。瞬間的に行うと壊れてしまう。中性子を吸収する物質を原子炉の中心に入れる。ただ、核分裂生成物が強い放射能を持つのが問題。原子核の割れ方は決まっていない。割れ方により、様々な放射能、核分裂生成物ができる。ウラン238が中性子を吸収すると、プルトニウムになる。中性子がウラン238を吸収するとガンマ線を発してウラン239になり、ベータ崩壊でネプツニウム239、更にベータ崩壊してプルトニウム239に。ちなみに原子番号はウラン92、ネプツニウム93、プルトニウム94。このプルトニウムを使ったのが長崎の原爆。
(原子力発電の構図を示しながら、仕組みの説明)沸騰水型炉(BWR)は福島と同じ型。蒸気でタービンを回す仕組み。70気圧で280℃。これに対し加圧水型炉(PWR)、伊方はこの型、は沸騰水型炉よりももっと高温高圧。?気圧で320℃。
広島、長崎は約1㎏のウランやプルトニウムが核分裂。100万キロワットの原発では、1日に約3キログラムのウランを使う。1年で約1000キロ、1トン。それだけの死の灰が貯まっている。原発事故は二種類。①原子炉の冷却に失敗する。スリーマイル島や福島がこれ。②制御に失敗する。チェルノブイリがこれ。
伊方原発1号機設置許可取り消し訴訟に参加した。初めからうさん臭かった、日本の原子力開発。大きな事故の原因となるような事象が、国の安全審査では認められていない。都合の悪いことは、初めから考えない。(このあたり法令について重要なことだったのですが、早すぎてメモできず)そして原発事故が起きれば、とんでもないことになるのは始めからわかっていた。1960年の日本原産怪報告書を見ると、損害評価額約1兆円、当時の日本の国家予算は1.7兆円(ちなみにその出力は16万キロワット)。民間の保険絵は目関事項。結局、事故を起こしたらとんでもなく危ないものを「どんなことが起きても安全です」「原発ができたら地元が繁栄します」といって、カネと力で無理やり田舎に押し付けてきた。
では、誰が、何が、何のために日本の原子力を進めてきたのか。
利権。(新聞記事を示しながら)柏崎原発の用地買収で田中角栄へカネが流れた。地元の人はみんな知っていた。しかも田中角栄は、表の(カネの流れる)仕組みとして、電源三法も作った。原子力予算は特別会計(電源特会)が主。もんじゅ、六ヶ所村再処理工場、高レベル廃棄物処理など。しかし、どれも役に立っていない。
これらの裏には、日本の核オプションがあった。1968年の『日本の技術政策に関する基礎的研究』(内閣調査室)。当時日本が核を持つということは得策ではないが、いざという時使える能力を備えておくのが重要と。それで核燃料サイクルと裏表だった。
日本も、東京から東は、放射能と向かい合う時代になった。後々になってガンや白血病が出てくる。今受けた(遺伝子の)傷は修復されるが、治らなかったものが後々ガンに。
私たちはどこまでの被曝を我慢するのか、どこまでの被曝を受け入れるのか。少なくとも影響は受ける。一般的な答えはない。飯館村には何度も行った。福島原発の何の恩恵も受けていないところ。ベクレル、シーベルトに馴染んでください、と言っている。
スライド:
<参考>
通常時の一般公衆の基準:年間1ミリシーベルト
放射線作業従事者の線量限度:年間20ミリシーベルト
自然放射線による年間1ミリシーベルトの被曝を受けている
「年1ミリシーベルト」が我慢の目安の耳順であろう
しかし、子どもは感受性大きく将来がある!!
子どもの被曝はできるだけ少なくすべきである!!」
今が原発を止める絶好の機会。停めてみれば、要るかどうかわかる。個人的には1970年ころのエネルギーはいいのではないかと思っている。1軒の家に車が2台も3台もあるのはやりすぎ。何が本当に大事なのか、もう一度考えてみよう。
【質疑】
Q:脱原発ということだが、代替エネルギーをどう考えているのか?
A:正直殆ど考えていない。多分何とかなるというのが判断。電気が止まるとか、無くなることはない。心配することはない。専門家としてどういうエネルギーに依存すべきか言えないが、使い過ぎというのは確信している。生活していく条件として、原発なしでもやっていくと言うオプションをとりたい。
Q:脱原発ならば、これから原子力工学を学ぶことを若者が志望するだろうか?もう一つ、低線量被曝について。配布された資料のスウェーデンの論文はあてになるのか?私は医師だが、医師の集まりで、山下先生は「医師の使命は福島の人に安全だということ」と本気でおっしゃっていた。これについてはどうか?
A:脱原発しようとして原子力工学を学ぶ人はいない。原子力工学は、前提として原発を進めること。私はひねくれ者。しかし、もし原発を止めたとしても、核廃棄物の問題は残るので、これをお守してくれる人を確保しなければならない。国や電力会社が責任を持って確保すべき。
トンネルの追跡情報量はすごい。100万人。ただ、因果関係については議論が残っているが、相関関係についてはいい。
山下教授については紙面に書いた。(*『科学』2011年11月号掲載)
Q:この原発予算の根拠は?
A:日本国の原子力白書から拾い出した。ネットでも出てくる。
Q:使用済み核燃料はどれくらい危険なのか?処理の方法は穴を掘って埋めると言った原始的な方法しかないのか?
A:政府方針としては、カラス固化して地下に埋めようと。しかし、再処理工場自体動いていない。立候補しただけで20億出すと言っても、候補地がない。本当にどうしようもない状態になっている。本来は電力会社の敷地の死かに埋めるべきだが、現実的には原発の敷地内に保管して監視を続けていくしかない。
Q:SPEEDIの網の目は全国的か?また、バクテリアがセシウムを食べるという記事が出ていたが、どうか?
A:SPRRDIはネットワークになっている。今回活用されなかったことに対し、裁判でも起こしてしかるべき。生物のことは分からないが、いるだろう。しかし、本当に(自然環境で)セシウムを吸収してくれるかは別。植物学ではひまわりは土壌ではダメというデータがある。水溶液中では確かにセシウムを吸収するが。
Q:チェルノブイリでもいまだ帰れないと言うが、福島ではいつになったら住めるのか?
A:汚染のレベルによる。チェルノブイリに比べれば、福島は相手にしやすいと思っている。プルトニウムやストロンチウムの量が格段に少ない。セシウムは比較的体から出ていく。帰るかどうか、どこまで被曝を我慢するか。帰れる、村が復活するというのは、家族で帰るということ。チェルノブイリの場合は年寄りばかりで、村があるというのとは違う。帰れるところは除染する価値はある。
Q:福島の農産物はだめだと思うが、工業製品は大丈夫か?
A:飯館村に工場があり、働いている。働く人はガラスバッチで放射線管理をしている。農産物はブランドとしては厳しいだろう。
Q:しきい値以下でもダメとあるが?
A:福島については放射能放出プロセスが違う。チェルノブイリでは中にたまっていたものがそのまま出た。福島はメルトダウン。ガス状の揮発性のものが出た。飯館村のサンプルではプルトニウムは100万分の1、ストロンチウムは1%足らず。当面はセシウムを考えておけばいいだろうと思う。
1986年4月26日、チェルノブイリ事故では、プルトニウム、ストロンチウムは30~40キロまで、セシウム、ヨウ素はさらに広く拡散した。代表的なヨウ素131は8日が半減期で、3カ月経つとだいたい無くなる。被曝はこの間に起きた。チェルノブイリの場合は牛乳が主江だった。それがガンになって現れ始めたのが4年後から。晩発性障害の影響の主なデータは広島、長崎の追跡調査。この2つは一瞬のうちに被曝。チェルノブイリ、福島は違う。ここで言いたいのは、被曝しなくてもガンになる。そこに被曝したからと言って発症が増えてもよく分からない。100ミリシーベルトで増加が観察されて。ただ山下先生は、JCO事故のときは50ミリシーベルトと言ってたのだが。
Q(高校生):街中でも原発デモが増えているが、私はこれに反対。なぜならマザーテレサが戦争反対には同調しないと言ってたから。(趣旨把握できず)今中先生にとって正しいと思うことは?
A:原発をするならすればいい。ただ絶好の機会なので、一度止めてみるといい。やる、やらないじゃなく。そして原発を続けるなら、東京電力なら東京で、中国電力なら広島で。何に価値を見出すかというと、私は単なる学者。これまでやってきた仕事に対してプライドを持っているので、それをやっていくと言うこと。自分の置かれた立場で、自分のやるべきことをきちんとやっていくことが大事だと思う。そういう意味で、政府や霞が関は責任を取っていない。
Q:放射能を我慢するというのは、松山含めて日本全国でか?
A:そうだが、切実さが違う。私のところも電話相談室状態。ものすごく神経質になっている母親たちがいる、しかしほんの少しの放射能をどこまで気にするか?それぞれがベクレル、シーベルトを理解することが大切。私の庭は何とかシーベルトとか、福島の人たちは馴染んでいる。どう向き合うかということ。ゼロにはできない。どこまで我慢するか。知識は提供できるが、判断は自分で。松山の場合だと、東北の野菜に対してどう対応していくかが問題になっていくだろう。
Q:3号機は水素爆発ではなく、核爆発ではないかという報道に対してどう考えるか?プルサーマルもあり疑念を持っているが、政府発表のデータを信じるのか?
A:ガンダーセン氏のセオリーは見たが、あまり考えにくい。即発臨界ならプールが壊れているだろう。あえて言うなら核暴走。核爆発でないのは物理的学的に言える。
プルトニウム、ストロンチウムはデータ出さなかった。(私の考えは)自分が飯館村で採取したサンプルで測ったものにたっている話。国からも出たが、そんなに違いはない。国はデータはなかなか出てこないが、滅多なことでは偽物は出さない。プルトニウム濃度を見る限り、福島周辺で福島事故の影響で気になるほどのものはない。この辺だって過去の核実験の影響でプルトニウムはある。もちろん私の見解を覆すデータが出れば、考えは変わる。
Q:キセノンが出たりしているが、再臨界の可能性は?今後悪化しないということだが、危険性は?
A:自発核分裂が起きることを、東電や政府が考慮していないことに驚いた。自発核分裂は続いているはず。私は6月に計算した。なぜ東電が知らないのか。
危険性はゼロとは言わないが、爆発的核分裂が起きるとすれば、使用済核燃料プール。4号機プールが壊れたら大変なことになる。政府が警戒区域を解除しないのも、絶対大丈夫と言えないからだろう。
【閉会後個人的に質問】
Q:福島の除染の効果はあるのか?
A:あまり大きな期待はしない方がいい。良くて70%。帰れるか、帰れないかというところをまず除染すべき。森を除染するとかはできない。飯館村や浪江は今しても効果がない。自然に線量が下がってきたときに除染を。
Q:除染の際に被曝の恐れは?
A:ちゃんとしたマスクとレインコートでいい。
Q:福島原発事故の原因は全電源喪失とのことだったが、その前に地震で壊れていたのではないかという指摘もあるが?
A:田中光彦氏の配管にひびが入って漏れていたのではという指摘は知っているが、分からない。
Q:加圧式の伊方原発でも配管遮断の恐れがある。同じ型の玄海原発では予想以上に格納容器の劣化が進んでいる。本当に耐えられるのか?
A:分からない。とにかく原発を止めるしかない。
(以上)
*文責は私にあります。
*今中哲二氏監修、ウラジミール・バベンコ・ベルラド放射能安全研究所副所長(ベラルーシ)著『自分と子供を放射能から守るには』。たまたま講演会の前に購入しました。実践的かつ具体的です。
来日したバベンコ氏の言葉「本にはチェルノブイリ事故の教訓がたくさん盛り込まれている。大人には子どもの健康を守る責任がある。いたずらに恐れずに、問題は解決できると考えてほしい」
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