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オウム真理教をめぐる一連の刑事裁判がすべて終わった。教団暴走の原点ともいうべき坂本弁護士一家殺害事件から22年。教祖の逮捕・起訴からも、16年の月日が流れた。[記事全文]
東日本大震災からの復興対策を柱とする、政府の第3次補正予算がきのう成立した。時間はかかりすぎたものの、復興財源の確保をめぐって、民主、自民、公明3党が修正協議で合意した[記事全文]
オウム真理教をめぐる一連の刑事裁判がすべて終わった。
教団暴走の原点ともいうべき坂本弁護士一家殺害事件から22年。教祖の逮捕・起訴からも、16年の月日が流れた。
地下鉄にサリンがまかれたあの日。自分が何をしていたか、覚えている人は多いだろう。一方で、ある年齢より下の若者の目には、遠い世界の出来事と映っているのではないか。
事件を風化させるな。いつも語られる言葉だが、日本だけでなく世界に及ぼした衝撃を思うと、その感はいっそう深い。
豊かで安全と思っていた社会に、殺人を正当化する集団が生まれ、その中で多くの青年が自分を見失って、破滅の道を歩んだ。明日を担う層にこの事実を伝え、過ちを繰り返させない。オウムと同じ時代を生きた世代の務めといえる。
入信の動機や犯行のいきさつなど、これまでの審理で分かったこともあれば、なお霧の中のものもある。個々の信徒の刑事責任を追及する裁判にはおのずと限界がある。裁判の成果を引き継ぎつつ、「オウム」について考え続ける環境を整えていくことが大切だ。
学者やメディアなど「民」の取り組みが中心になろうが、たとえば国会が、関係者からの聞き取りや記録の収集・分析を研究チームに委託し、その結果をみんなで共有する。そんな作業も必要ではないか。
「これからも当時の自分に向き合って、考えを深めていきたい」と話す元信徒は多いという。社会の側もその答えや思いを受けとめ、意見を交換する。地道な営みが、再発の防止につながることを願いたい。
オウム事件は日本の姿を大きく変えた。刑事司法の分野を見ても、長すぎる裁判をなくすことや、犯罪被害者の権利の確立を目的に、法律や制度の見直しが進んだ。一方で組織的な犯罪に立ち向かう体制づくりは、世界標準に照らして、なお遅れているとの指摘がある。
いきすぎた捜査・摘発に歯止めをかけつつ、人びとが安心して暮らせる世の中をどうやって築くか。合意に向けた議論を、これからも丁寧に積み重ねていかなければならない。
もうひとつ見逃せないのは、死刑に対する抵抗感が社会全体から薄れたことだ。世論が厳罰を求め、それを受けた司法の判断が世論をさらに強固にする。少なくとも国際的な潮流と異なる方向に日本は進んできた。
このままでいいのか。これもまた、オウムが私たちに突きつけた重く厳しい課題である。
東日本大震災からの復興対策を柱とする、政府の第3次補正予算がきのう成立した。
時間はかかりすぎたものの、復興財源の確保をめぐって、民主、自民、公明3党が修正協議で合意したことで、復興への対応は半歩すすんだ。
これからも与野党が協調すべき課題は多い。たとえば、復興庁の設置はもちろん、公務員給与の引き下げも、その減額分を復興財源にあてるのだから、先送りはできない。
だが、永田町の雲行きは怪しくなってきた。自民党が「復旧復興には協力する」と言ってきた谷垣禎一総裁の言葉どおり、3次補正の成立を機に対決姿勢を強めつつあるのだ。
公明党も衆院小選挙区の候補者を決めて、総選挙をにらみ始めている。両党は不人気な民主党政権を追い込み、総選挙に持ち込むつもりらしい。
野党には、マルチ商法業者の集まりであいさつした山岡賢次消費者相の問責決議案を出す動きもあり、激突ムードが高まりつつある。
もちろん、政府・与党の問題点をただすのは、野党の大切な役割である。追及すべきところは徹底的にやって、理非曲直を明らかにすればいい。だが、それで国会全体を停滞させてはならない。
問責決議をするとしても、そのまま審議拒否をする無責任な対応は断じて認められない。
法案の審議は粛々とすすめ、合意すべきは合意する。そんな節度を、私たちは野党、とりわけ自民党に期待する。
同時に、政府・民主党には譲るべきは譲る度量を求める。
そもそも、復興庁や公務員給与について、政府・民主党と自民党の主張に乗り越えられない壁があるとは思えない。復興庁が持つ権限は違っても、設立に争いはない。公務員給与も引き下げ方は異なっても、約8%削るのは同じではないか。
知恵を絞れば、小異を捨てて大同につけるはずだ。
さらに国会は、まもなくもっと難しい局面を迎える。消費税の増税問題である。
ギリシャに端を発した政府債務危機は、はるかに巨額の財政赤字を抱える日本にとって、対岸の火事であるはずがない。
この現実から目をそむけるような言動が、与野党から出る現状では、日本政治に危機を乗り越える能力がないと、市場からレッテルを貼られかねない。
いま与野党が示すべきは、妥協して、合意して、政治を動かす器量だ。決して、政争にのめり込むことではない。