ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  RECOMMEND  LINK  PROFILE  OTHERS
<< November 2011 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< ネット上の議論と考察、個人の趣向と棲み分け | main | ごく個人的な反証 02 >>
2011.08.11 Thursday

ごく個人的な反証 01

 ※この記事は、前回の「ネット上の議論と考察、個人の趣向と棲み分け」を読んでいない方は、絶対に読まないで下さい。



11月19日追記:記事に関する注意事項




まず、純粋に作品へ興味から、考察・批評を読みたくて検索してこられた方へ。


この記事は作品の考察が本来の目的ではありません。なので読まれる場合は、前述通りこちらの記事を読まれてからにして下さい。

個人的には、これらの記事を読まずに今すぐブラウザの”戻る”をクリックして戻ることをお勧めします。


もし、あなたが作品の純粋なファンである場合は特に。






次にDrif'78さんのブログからTBで来られた方へ。


まず、この記事はDrif'78さんのブログに載せられている作品の考察への反証になります。


元々この記事は、あちらの意見がどれだけ真剣なものなのか確かめるために書かれました。もし真剣な姿勢からの意見であるのなら、ピクシブ百科事典でDrif'78さんがやったことを安直に批判すべきではないと思ったからです。


しかし、あちらのその後の態度や姿勢、ブログやTwitterでの発言から、今では到底そういう風に捉えることができなくなりました。率直に言えば、あちらの考察には真剣に反証する価値が無いと考えています。なので10月3日に一度非公開にしました。


しかし、非公開にしたのをいいことに、Drif'78さんが自身のブログで「このブログが荒れた」だの、「都合の悪い記事・コメントを削除している」だの、ありもしないことを平然と言い出したので、しかたなく10月23日に再び公開しました。


非公開にしていた記事に関しては全てこちらのカテゴリーにまとめてあります。






記事を非公開にした理由について。


詳しくはこちらの記事でも述べていますが、一応ここでも簡単に触れておきます。


記事を非公開にしたキッカケは、Drif'78さんがこの作品の脚本担当である虚淵氏をTwitterで直接批判していたことを見たことです。その批判というのが、ほとんど個人の勝手な主観・趣向に基づいたもので、批判と呼ぶにはあまりにも幼稚な内容でした。作品の制作者の発言を偏りなく読んでいるのならば、そのような批判はできないだろうと思われる発言も多々ありました。


正直Drif'78さんの言い分については、「無いとわかっていてやっている無い物ねだり」とでも言うか、自分の思い通りにならなかった原因を他人に求めて当たり散らしているようにしか見えないわけです。個人的に。


このような発言は、場違いであるだけでなく、マナーを守って普通に利用している人には甚だ迷惑なことですし、ほとんどの人からは「荒らし」と見なされます。


誰にでも発言の自由はありますが、どんな自由にも責任が伴います。


Twitterとは本来誰にでも読める自由でオープンな場所です。(それでも使用できる機能を用いて、それらの発言を読む人を制限することもできますが。)私が問題だと思うのは、Drif'78さんがそれらの発言をハッシュタグだけでなく、わざわざ@を使ったリプライを用いて投稿していたことです。


有名人のTwitterにはアンチによる荒らしはつきものではありますが、当人にはブロックされて相手にされていないような発言でも、その作品や人物に興味を持って検索した人なら誰でも読むことができます。つまりTwitterの場合、個人を標的にしているつもりでも、実際に被害を被っているのは、本来なんの関係もないファンの人々なんです。これは、ピクシブ百科事典での件でも同じことが言えます。果たしてDrif'78さんの考えがそこまで及んでいたのかはわかりませんが。ひょっとしたら、そのファンですら攻撃の範囲内だったのかもしれません。自分の価値観と相容れないものを楽しんでいる人々が存在するのが許せないのかもしれません。あるいは本人は正当な批判だと思っているのかもしれません。しかし思惑はどうあれ、やってることは所詮アンチの荒らし程度のことでしかないわけで、普通に利用している人を不愉快にしてるだけに過ぎません。そんなことをしたところで、その作家さんのスタイルが変わるわけではないでしょう。結局気に入らないなら見なきゃいいだけの話です。


ていうか、この作品について言えば、本来脚本家とキャラクターデザイナーは企画のコンセプトに沿って登用された立ち場であり、それについて脚本家を批判するのは筋違いでしょう。批判するなら本作品のコンセプト、あるいは本作品を企画・登用した制作スタッフを批判すべきです。


今までDrif'78さんが否定的な視点から作品を考察している真剣なファンなのか、それとも自身の勝手な価値観を周りに押し付けたいだけのアンチなのか判断しかねていましたが、しかし、あれらの発言を読んでどうやら後者だったようだと判断せざるを得ませんでした。


Drif'78さんをよく知る人か、あるいはDrif'78さんと同じ”ディープなファン”なら、Drif'78さんのやってることを弁護できるのかもしれませんが、作品のファン全てがそういう”ディープなファン”であるわけではないし、そういうファンの方が「作品を重く扱っている」とか、全てのファンがそうあるべきだとは個人的に全然思いません。なによりその程度の理由で自分の価値観と相容れないものを攻撃していいとも思いませんし。繰り返しますが、それは結局信者・アンチの考えです。


本来このことについて触れる気はありませんでしたが。しかし記事を非公開にした途端ああいう根も葉もないことを書かれるとは予想外だったし、こちらがはっきりと言わない限りあちらはそれにつけ込んでくるので致し方ありません。




以上のことを踏まえた上で、この記事の本文を読むか判断していただけたらと思います。


前述の通り、今の私はあちらの考察を真剣な姿勢からのものとは捉えていないので、できればこの記事は読んでほしくないですが、一応記事本文はそのまま残してあります。




※記事本文を読むには記事の続きをクリックして、記事全体を反転させて下さい。

こちらは内容的にはDrif'78氏による考察「魔法少女まどか☆マギカを読み解く」に対する反証という形になっています。前の記事より、かなり考察の内容に突っ込んでいます。なのでその考察を読んでいない方は読む必要はないですし、この記事を読むためにその考察をを読む必要もないです。


最初は作品やキャラクターのアンチスレなどにあげられている批判を元に反証を行おうと思いましたが、(なぜほむらに批判が集中しているかなど)こちらの考察の方にすでにそれらの大まかな批判が述べられており、批判としてまとまっている上に、否定するだけでなく「こうすればどうだったのか」という部分が述べられているので、反証もしやすいと思いました。


本当なら、他の人の意見に口出しするなんて個人的にもっともやりたくないことなんですが……しかし今回の場合、私がなぜピクシブ百科事典の件でそこまでショックを受けたのか明らかにしておきたいと考え、あえて書いてみたいと思います。それに仮にも考察ならば、それに反証してみるのもアリだろうと思うので。それでもあくまで個人的な意見として捉えて下さい。


ほむらについて


見たところキャラクターの中で一番批判が集中しているのが暁美ほむらです。個人的にはこれがなぜなのかさっぱりわからないんですが。恐らくこの作品のキーパーソンであるが故に、叩かれやすい立ち位置にあるということでしょうか。現にほむらに絡んだ批判というのは作品の脚本そのものの批判に及んでいるものも多々あります。

そのほむらの批判の中で一番多いのが、時間遡行と平行世界に絡んだ彼女の行動に言及したものです。しかし、これこそ安易に言及していい問題ではないと個人的には考えます。なぜなら時間遡行と平行世界の概念は突き詰めて考えていくと、とてもややこしい概念であるので。実際ネット上の考察を読んでみると、時間遡行と平行世界の設定に関する解釈にしても、人によって捉え方が結構違っていたりすることが多々あります。

個人的にこういう時間のが概念や構造にはとても興味があり、よく考えたりするのですが「でも、こういう考察をウザいと思う人もいるだろな」と考えて、あんまし発言することがなかったんです。別にこういうのを深く考えなくても楽しめるし。ややこしいし。しかし、作品やほむらを批判したい人たちに限って、こういうところに安易に突っ込んで引っ掻き回すから、端から見ているとイライラするわけです。そして、ほとんどの人が平行世界や時間遡行の設定を自分の都合のいいようにしか解釈できていません。


確信犯の悪党とすることの問題点


例えば、私がどこかのオンライン百科事典に載っている「バットマン」の記事の概要を、「コウモリのコスプレをしたキチガイが、自身の個人的なトラウマを理由に犯罪撲滅を掲げて暴れ回り、結果的に悪や犯罪を増長させ、身内や大勢の無関係な人々を死や破滅に追いやった」と編集したら、どうなるでしょう。(この表現はあくまでも例えですよ。私もバットマンのファンなんです。)「悪意的な表現だけど、わりとあたってね?」と思われるでしょうか。まあ、そうかもしれません。ただ私は間違いなく世界中に存在するバットマンのファンの方々のうちの誰かの手によって殺されるでしょうね(……繰り返しますけど、あくまで例えですからね。)


今なんとなくバットマンを例に出したんですが、考えてみればバットマンもほむらもそんなに違いませんね。2人とも自身の望む理想の世界を求めて闘い続けますが、その動機は極めて個人的なもので、結果的にはその世界の状況をさらに悪化させてしまいます。基本的に他人に頼ることができないところも共通していますね。


しかし、これは本当に基本的なことですが、例え周りに悪い結果を招いたとしても、その人自身に悪意があったということになるでしょうか?その人が確信犯だったということになるでしょうか?「悪い結果を招いたんだから、そいつが悪人だ!最初から確信犯だったんだ!」と批判するのは、あまりにも短絡的すぎると思います。それは、全く冷静ではありません。全ての元凶を求めるのは、その方が簡単で、そのキャラクターを理解する必要もなくなるからです。あるいはそういうレッテルを貼ることで、そのキャラクターを理解していると自分に思い込ませるためです。


考察の中でDrif'78氏は、ほむらをヒトラー以上の大罪人としていますが、正直Drif'78氏はほむらを買いかぶり過ぎているように思えます。

ヒトラーは確信犯でした。ヒトラーはそれを望んでいたのですから。しかし、世界を滅ぼすキッカケを作ったと言うだけで、ほむらがそれを望んでいたと決めつけてしまうのは、全く論理的ではありません。それなら、第二次大戦時にアメリカ大統領の手紙に署名したアインシュタインも同じ大罪人になってしまいます(いやらしい例えですが……)。結果だけあげつらって、動機を決めつけてしまうのは短絡的すぎます。それとも「そうじゃない、悪い結果だけ残して自分だけ逃げてるのが問題なんだ」と反論されるでしょうか。しかし、この時ほむらは、ループとまどかの因果関係も知らなかったはずだし、平行世界については、その世界がその後も続くかどうかも知らなかったはずなのです。(それについては後述。)


「先が読める」ことで生じる盲点


この作品のループ構造に影響を与えた作品として、脚本家の虚淵玄氏は2000年のクリストファー・ノーラン監督の映画「メメント」をあげています。「意外な作品だな」と個人的に思いました。私はもとより映画好きなので、こういう映画からの影響については敏感です。虚淵氏のような無類の映画好きが書いた脚本ならば尚のこと。


しかし、個人的真っ先に思い浮かんだのは、2004年のアメリカ映画である「バタフライ・エフェクト」という作品。過去に遡って歴史を書き換える能力に目覚めた主人公が、恋人を救おうとするストーリーで、まどか☆マギカと結構類似点が多いです。脚本が緻密で完成度が高く、ループものの作品としては1つの頂点を極めた作品だと思います。


「バタフライ・エフェクト」では、主人公は現在で死んでしまった恋人を救うため、過去に遡り歴史を変更しますが、そのために現在で思わぬ事態を招き寄せてしまいます。そこで主人公は再び歴史を修正しますが、現在では今度は違う人物が犠牲になってしまいます。あっちが立てばこっちが立たず。「みなが幸せな世界があるはずだ」と主人公は懸命に努力しますが、その度に運命は予想外な方向へと転がっていき、結果的に事態はどんどん悪化してしまいます。


「最善を尽くしてるのに、最悪の事態を招き寄せる」とは、まさにまどか☆マギカにも共通するテーマです。


さて、この作品の主人公とほむらの共通点、それは「時間をやり直す度に周りの人間の思惑が見えなくなってしまう」ということです。しかし、それはこの彼らが自己中だからという安直な理由ではないと私は考えます。「先のことを知っている」ということは、ほとんどの人はメリットしかないと考えるでしょうが、タイムトラベルを扱った作品では、これが逆に盲点になる場合が殆どです。どういうことかというと、彼らの場合、意識が常に「来るべき最悪の未来」に向かってしまっているのです。とにかくそれを避ける方法しか頭になく、その時点での周りの人間の思惑に意識が向くことが少ない。その未来がトラウマになってしまっている場合はなおさら。あるいは「一度経験したことだから、周りの人間の思惑もちゃんと理解できている」と思い込んでしまうのでしょう。結果その「最悪の未来」をクリアしたとしても、周りの人間の思惑や行動を把握しきれなかったばっかりに、別の「最悪な未来」を招いてしまうのです。そしてその「最悪な未来」が増えるたびに、彼らは行動的にも精神的にもどんどん追いつめられていきます。ほむらに限らず、他の作品のタイムトラベルの能力をもったキャラクターというのは、大抵こういう状況に陥りがちです。彼らは自分がその結末を変えなければならない状況に置かれているため、なおさらその「結末」に気を取られてしまうのです。それでも、ほむらはわりと冷静な方だと個人的には思います。


こういう盲点は、われわれの生活の中でも割と頻繁に起こりえるんですよ。

例えばテレビ番組の再放送などを見ていて、先のあらすじを知っている視聴者がテレビの中のキャラクターに向かって「バカだなこいつ、このあとああなるのに」とか言ったりしますが、それこそ先が読めているがために、その時点でのそのキャラクターの思惑が見えなくなっているということに他ならないのです。


しかし、神でもない限り他人の思惑や行動を完全に把握できるわけもなく(これはコミュニケーション能力は関係ありません。どんなに親しい人でもその人の考えが一から十までわかるというわけではないので)、さらにその思惑や行動も状況によっていくらでも変化します。さらに関わる人間が増えれば増えるほどその思惑や思考パターンも増えていき、さらにその思考も他人の影響によっていくらでも変化していくことを考慮していくと……つまり、「”運命”とは関わる人間が増えれば増えるほど複雑化していくし、神でもない一人の人間がコントロールすることはできない」と、言うことです。RPGみたいに、セーブする前のデータから選択肢を1つずつ潰していくような簡単な作業とはわけが違います。ほむらがある時点で、「誰にも頼らない」と決意したのも、関わる人間が増え状況が複雑化すると、自分一人では状況をコントロールしきれないと悟ったからではないでしょうか。未来に起きることを伝えたところで、信用されないし、仮に信用されたところで、その人間が未来に対して適切な行動をとれるかどうかは別問題です。実際に時間遡行を経験しているのはほむらだけで、他人が経験しようがない状況を口頭だけで伝えて把握させるのは困難でしょう。逆に「先のことに気を取られる人間」が増えたことによって、現時点での状況を見誤り、さらに予想外の出来事が起きるかもしれません。


そもそも時間遡行者と他の人との認識のすれ違いこそ、ループもの・タイムトラベルものの醍醐味であるはずなのに、批判している人たちはそれを見落としがちです。虚淵氏が厳密にはタイムトラベルものではない「メメント」という作品からの影響をあげていることから考えても、この「過ごした時間の違いによる認識のずれ」というのは重要なテーマであるはずなのです。

(「メメント」は前向性健忘症を患い記憶が10分しか保てない男が、妻を殺した犯人を見つけ出し、復讐しようとするストーリーで、厳密にはタイムトラベルものではありません。主人公は記憶が10分しか保てないために、周りの人間との間には、認識のすれ違いがしょっちゅう起こってしまいます。さらにこの映画では観客に「記憶が10分しか保てないこと」を体感してもらうために、物語の時間軸を終わりから始まりに向かって、10分ごとに遡りながら描いていくという手法がとられています。これにより、観客は10分ごとにそれ以前に何が起こったか思い出し、頭の中で組み立て直しながら見なければならないのです。)


時間遡行と平行世界の設定について


時間という概念においては、その時間を体験している「視点」が重要な要素となります。例えば同じ1時間でも、ゾウとアリでは時間のながれるスピードが違うと言われています。つまり「視点」が異なれば、時間の捉え方も異なってくるということです。この「視点」の重要さも、ほとんどの人は見落としがちです。


作品のループ構造そのものを分析した批評では「もし、ほむらが平行世界の設定や構造を全て認識していたのだとしたら、その時点でほむらは『メタ次元的な視点』を得ていたということになる。しかし、もしそうならほむらはその視点から自分にとって最も都合の良い時間軸を選択できるはずなので、そうなると、なんども同じ時間軸をやり直す必要がなくなってしまう」と指摘されています。メタ次元的な視点というのは作中でいえば、最終話での概念化したまどかのような視点です。平行世界について作中ではじめて言及したキャラクターはキュゥべえですが、キュゥべえの場合は人間より遥かに高度な知性と知識によって平行世界を理解していたのでしょう。つまり時間遡行と平行世界の関係というのはそのぐらいの視点を持ってして、初めて理解できる概念であるということです。ほむらの視点では「ただ同じ時間軸を何度も巻き戻しているだけ」ということしか認識してなかったはずです。結局ほむらに与えられているのは「時間を巻き戻す」という能力だけで、ほむら自身には平行世界を理解できるほどの知性も知識もありませんから。実際、視聴者自身が平行世界の設定(平行世界がその後も続いていく)を知り得たのだって、虚淵玄という脚本上の神がそう語っていたからにすぎません。


まあ、こんなややこしいな理論を持ち出さなくとも、ほむらが確信犯の悪党ではないことは、実はわりと簡単に否定できます。そもそも「平行世界がその後も続いていく」というのは、厳密には公式設定ではありません。

以下はオトナアニメでの虚淵玄氏のインタビューです。




「ほむらの盾に見えている武器が砂時計で、その砂の流れを遮断することで時間をとめているんです。で、砂時計の上部分の砂が全部なくなった時点でひっくり返すと1か月分の時間が戻る。それまでは止める事しかできない。つまり、砂時計の1か月分の砂をやりくりする能力がほむらの特殊能力なんです。まき戻った時間は…そこが主題の作品ではないので厳密には考えていませんが世界は平行して分岐しているのかな、と思っています。 」




読んでみるとわかりますが、巻き戻った時間については、これはあくまで虚淵氏の個人的な意見であって、作品としての公式設定ではありません。本人が「そこは厳密には考えていない」と語っているので、公式設定として採用されていたはずがないんです。平行世界は分岐して存在しているかもしれないし、時間をリセットした時点でなかったことにされるのかもしれない。詳しいことははっきりとはわからない。その程度の設定にすぎません。


たとえば漫画「Death Note」の作者、大場つぐみはDeath Noteの最終回について「実はデスノートの最後の一冊は月によって事前にすり替えられており、本物はまだ人間界に残っているのかもしれない」みたいなことを言っていましたが、仮にこれを根拠に「デスノートはまだ人間界に残っている」ようなことを公式設定として持ち上げても、誰も相手にしないでしょう。こちらも、「その可能性もある」という程度の見解にすぎません。「作者がそう仄めかした」程度では、作品の公式設定ということにはならないんです。まあ、こういうのを利用したい連中に限って「作者がそう言ったんだ」と言い張るわけですが。


だいたい平行世界とタイムとラベルに関する考え方も、様々な考え方が存在します。平行世界を移動するだけでは、元の時間軸には影響を及ぼさないという説。平行世界とは枝分かれしていて、選択されなかった時間軸は無かったことになるという説。そもそも時間軸の進行方向は一歩通行ではないとする説などなど……これらの考え方は「ターミネーター」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」といったタイムトラベルものの作品に登場しますが、それらの作品ですら、それが厳密にどういうものなのかは設定されていません。タイムトラベルを絡めた平行世界の概念というのは、突き詰めて考えていくと、そのぐらいややこしい概念なのです。なので虚淵氏が「厳密には考えていない」と答えているのも当然と言えば当然です。公式設定として定まってすらいないのに、平行世界がその後も続くかどうか、作中のほむらが知っていたわけがありません。なので、ほむらが「数多の平行世界を確信犯的に見捨てた」という批判は成立しません。


神の視点と結果論


ここで、このDrif'78氏の考察に置ける根本的な問題に触れておきます。

まずこの批評は、表現が悪意的というより、視点そのものが悪意的です。その悪意的な視点というのは、恐らく意識的な部分と無意識的な部分の両方が含まれています。


この批評が考察として致命的であるのは、作品のキャラクターたちを視聴者からの目線……つまり、神の目線からしか見ていないということです。ほむらの項目でもちょっと触れましたが。

どういうことかというと、たとえば全話を見た視聴者は、作中のキャラクターよりも遥かに多くの情報を持っています。各キャラクターの思惑や目的、物語の展開など。作品の設定なんかでも、放送終了後に声優や脚本家からさまざまな裏設定が語られました。この作品には、作中のキャラクターたちも知り得なかった情報が多々あります。

しかし、なぜかこの考察では、その物語の展開や作品の裏設定、さらには個人的な解釈にすぎないような設定まで、作中のキャラクターたちが知っていることを前提に考察している部分が多々あります。この時点ですでに、考察としては破綻しているのですが、それにも気づかず、キャラクターが自分の意に背く行動をとると、そのキャラクターたちの内面をその神の視点からことごとく邪推し、悪意あるものと決めつけているのだからなおさら質が悪いのです。


ほむらを確信犯としているのも、まどかを自惚れやとしているのも、それはDrif'78氏がキャラクターを理解する努力をせずに、自身にとって都合のいい部分だけ邪推して繋ぎ合わせ、自身にとって都合のイメージを作り上げているために他ならず、それは自身が受け入れられなかった物語の結末の責任を、この2人に押し付けたいからにすぎません。少なくとも私にはそうとしか思えません。要するに論調が「結論先にありき」になってしまっているのです。確かに物語が全て終わってからでないとこういう考察はできませんが、論理の骨格はかなり貧弱で、その理論は詳しく検証するまでもなく穴だらけです。


それが一番顕著なのが、まどかのキャラクターに関する考察です。


<02へ続く。>




コメント
コメントする








 
この記事のトラックバックURL
トラックバック
魔法少女まどか☆マギカを読み解く 番外編(2011-08-13 20:57:32・追記改訂)
この記事は、「魔法少女まどか☆マギカ」に関する、私個人としての考察を紹介するものです。文中、キャラクターに対して悪意的な表現も含まれますので、そういう表現が許せない方は、お読みにならないようお願いします。
  • ( ゚д゚)の物置
  • 2011/08/13 9:23 PM
Powered by
30days Album
PR