ごく個人的な反証 02
11月19日追記:記事に関する注意事項
まず、純粋に作品へ興味から、考察・批評を読みたくて検索してこられた方へ。
この記事は作品の考察をすることが本来の目的ではありません。なので読まれる場合は、前述通りこちらの記事を読まれてからにして下さい。
個人的には、これらの記事を読まずに今すぐブラウザの”戻る”をクリックして戻ることをお勧めします。
もし、あなたが作品の純粋なファンである場合は特に。
次にDrif'78さんのブログからTBで来られた方へ。
まず、この記事はDrif'78さんのブログに載せられている作品の考察への反証になります。
元々この記事は、あちらの意見がどれだけ真剣なものなのか確かめるために書かれました。もし真剣な姿勢からの意見であるのなら、ピクシブ百科事典でDrif'78さんがやったことを安直に批判すべきではないと思ったからです。
しかし、あちらのその後の態度や姿勢、ブログやTwitterでの発言から、今では到底そういう風に捉えることができなくなりました。率直に言えば、あちらの考察には真剣に反証する価値が無いと考えています。なので10月3日に一度非公開にしました。
しかし、非公開にしたのをいいことに、Drif'78さんが自身のブログで「このブログが荒れた」だの、「都合の悪い記事・コメントを削除している」だの、ありもしないことを平然と言い出したので、しかたなく10月23日に再び公開しました。
非公開にしていた記事に関しては全てこちらのカテゴリーにまとめてあります。
記事を非公開にした理由について。
詳しくはこちらの記事でも述べていますが、一応ここでも簡単に触れておきます。
記事を非公開にしたキッカケは、Drif'78さんがこの作品の脚本担当である虚淵氏をTwitterで直接批判していたことを見たことです。その批判というのが、ほとんど個人の勝手な主観・趣向に基づいたもので、批判と呼ぶにはあまりにも幼稚な内容でした。作品の制作者の発言を偏りなく読んでいるのならば、そのような批判はできないだろうと思われる発言も多々ありました。
正直Drif'78さんの言い分については、「無いとわかっていてやっている無い物ねだり」とでも言うか、自分の思い通りにならなかった原因を他人に求めて当たり散らしているようにしか見えないわけです。個人的に。
このような発言は、場違いであるだけでなく、マナーを守って普通に利用している人には甚だ迷惑なことですし、ほとんどの人からは「荒らし」と見なされます。
誰にでも発言の自由はありますが、どんな自由にも責任が伴います。
Twitterとは本来誰にでも読める自由でオープンな場所です。(それでも使用できる機能を用いて、それらの発言を読む人を制限することもできますが。)私が問題だと思うのは、Drif'78さんがそれらの発言をハッシュタグだけでなく、わざわざ@を使ったリプライを用いて投稿していたことです。
有名人のTwitterにはアンチによる荒らしはつきものではありますが、当人にはブロックされて相手にされていないような発言でも、その作品や人物に興味を持って検索した人なら誰でも読むことができます。つまりTwitterの場合、個人を標的にしているつもりでも、実際に被害を被っているのは、本来なんの関係もないファンの人々なんです。これは、ピクシブ百科事典での件でも同じことが言えます。果たしてDrif'78さんの考えがそこまで及んでいたのかはわかりませんが。ひょっとしたら、そのファンですら攻撃の範囲内だったのかもしれません。自分の価値観と相容れないものを楽しんでいる人々が存在するのが許せないのかもしれません。あるいは本人は正当な批判だと思っているのかもしれません。しかし思惑はどうあれ、やってることは所詮アンチの荒らし程度のことでしかないわけで、普通に利用している人を不愉快にしてるだけに過ぎません。そんなことをしたところで、その作家さんのスタイルが変わるわけではないでしょう。結局気に入らないなら見なきゃいいだけの話です。
ていうか、この作品について言えば、本来脚本家とキャラクターデザイナーは企画のコンセプトに沿って登用された立ち場であり、それについて脚本家を批判するのは筋違いでしょう。批判するなら本作品のコンセプト、あるいは本作品を企画・登用した制作スタッフを批判すべきです。
今までDrif'78さんが否定的な視点から作品を考察している真剣なファンなのか、それとも自身の勝手な価値観を周りに押し付けたいだけのアンチなのか判断しかねていましたが、しかし、あれらの発言を読んでどうやら後者だったようだと判断せざるを得ませんでした。
Drif'78さんをよく知る人か、あるいはDrif'78さんと同じ”ディープなファン”なら、Drif'78さんのやってることを弁護できるのかもしれませんが、作品のファン全てがそういう”ディープなファン”であるわけではないし、そういうファンの方が「作品を重く扱っている」とか、全てのファンがそうあるべきだとは個人的に全然思いません。なによりその程度の理由で自分の価値観と相容れないものを攻撃していいとも思いませんし。繰り返しますが、それは結局信者・アンチの考えです。
本来このことについて触れる気はありませんでしたが。しかし記事を非公開にした途端ああいう根も葉もないことを書かれるとは予想外だったし、こちらがはっきりと言わない限りあちらはそれにつけ込んでくるので致し方ありません。
以上のことを踏まえた上で、この記事の本文を読むか判断していただけたらと思います。
前述の通り、今の私はあちらの考察を真剣な姿勢からのものとは捉えていないので、できればこの記事は読んでほしくないですが、一応記事本文はそのまま残してあります。
※記事本文を読むには記事の続きをクリックして、記事全体を反転させて下さい。
まどかの魔法少女への羨望について。
Drif'78氏の考察における、まどかの選択に関する部分を読んでみると「結果的にさやかを救わなかったのだから、さやかに友情なんか感じてなかったんだろう」と言わんばかりです。この考察のなかでのまどかは「自分の憧れとコンプレックスの為に命をなげだした、傲慢な少女」とされています。他人に対してちょっと臆病で、優しそうに気遣っていたのも、全ては自身の目的を達成するための口実を得るためだったという……したたかすぎます。
そもそも「まどかは自分の命を投げ出してまで解消したいようなコンプレックスがある」という描写なんてありませんが……「取り柄もないし、他人の役にも立てそうにない」と自らを語っていますが、それについて深刻に悩んでいるような描写もありません。それは「誰かを助ける存在」という、自分が憧れとする存在の視点から見た、自分自身のイメージにすぎないのだと思います。だから、ほむらの言動によってそのコンプレックスが強化されたというのもないです。
だいたいDrif'78氏は考察の中で、まどかは一度も魔法少女そのものを否定していないと述べていますが、これは間違いです。4話で明確に「嫌だよ」と至極明確に否定しています。結果キュぅべぇも一度は納得(?)してまどかの元を去っています。しかし、この考察の中では、なぜかその部分はすっぽりと抜け落ちています。この部分があるか、ないかだけで、まどかの印象も随分変わってしまうはずなのですが……
この時ばかりは、まどかは魔法少女になることを諦めていたはずですし、この時はもう本当に自分はもう魔法少女にはならないと考えていたから、マミの死にあれほど引け目を感じていたのではないでしょうか?
だいたい氏の考察を通したまどかは「ただの憧れのために命を投げ出そうとしている少女」だったり、「死ぬのが怖いだけの普通の少女」だったりと、一貫性がありません。それにほむらの存在が、まどかに「魔法少女になっても大丈夫だという印象を与えている」というのも、おかしいです。まどかはほむら以外の3人の魔法少女の破滅を目の当たりにしているのですから、ほむら一人だけが無事というだけでそう考えるだろうと捉えるのは、いくらなんでも無茶苦茶な考えではないかと思います。
まどかは単なる憧れで魔法少女になりたかったわけではないはずです。契約する口実が欲しかっただけというのも違います。まどかは普通に「死ぬのが怖くて」一度は魔法少女になることを諦めたのですから。まどかはさやかのために何度か契約を試みますが、それは魔法少女にならなければさやかを救えないと思ったからではないでしょうか?親友のためなら命を捧げてもいいと思ったからではないのでしょうか?それとも、それもただの口実だったのでしょうか。
しかし、やはり「まどかは魔法少女になる口実を探しているだけ」という論調のまま、考察はこう続きます。
それを特に端的に現しているシーンが、実はこれまた第8話のほむらがヒステリックに叫んだ台詞の場面なのである。
「いい加減にしてよ。あなたを失えば、それを悲しむ人がいるってどうしてそれに気付かないの? あなたを守ろうとしてた人はどうなるの」
この時、まどかが本当にさやかのことを心配しているのなら、ほむらに対して即座にこう言い返せたはずである。
「それは、さやかちゃんだって一緒だよ」と。
それこそ、小学生でも考え付くだろう。
そうでしょうか。普通は「なに言ってんだこいつ?」と思わないでしょうか。「ただでさえ親友が大変なのに、それを救える可能性を潰しておいて、あまつさえ突然こんなことを言いだす、こいつはなんなんだ」とは思わないんでしょうか。実際まどかの反応もそんな感じだし。全話が明かされた後だからこそ、ほむらの意図を視聴者は知っていますが、突然こんなことを言われて、その時のまどかの状況でそれをとっさに理解できるはずがありません。ほむらがなんのために自分を守ろうとしているのか、全く理解できていないのですから。言葉の内容だけとりあげて、「なぜさやかを心配しない!?」と批難するのは、はっきり言ってお門違いです。言葉というのは、言った人間や言われた人間、その時の状況の違いによっていくらでも受け取り方が変わってくるのですから。この時点ではまどかにとって、ほむらはただの電波女にすぎません。実際まどかもほむらの言葉の真意やキュゥべえの安否を確認するより、さやかを探す方を優先しています。
ていうか、本当にまどかの目的が「魔法少女になることそのもの」だったのなら、キュゥべえを目の前で撃ち殺されて取り乱さないのは、おかしいんじゃないかと思いますが。この時点では、まどかはキュゥべえが復活することを知りませんし、そのキュゥべえが目の前で撃ち殺されたとあっては、魔法少女への可能性を永遠に葬られたと考えるはずです。しかし、この後キュゥべえが復活したことを知っても、特に喜んでいるようには思えません。それとも、キュゥべえが復活することも見越していたのでしょうか。
9話での消耗品の件でも、まどかは別に「自分が魔法少女になることは既定路線」としていた上で「わたしたち」と言ったわけではないでしょう。この場合「わたしたち」とは「第二次成長期の少女」のことだと解釈するのが妥当かと思いますが。ていうか文脈的に考えたら普通そうでしょう。ここでも言葉の内容を恣意的に捉えていますが、正直ここまでくると、単なる言いがかりにしか見えないです。
オクタヴィア≠さやかの件に関しても、それはDrif'78氏の勝手な見解でしょうに(個人的には興味深いですが)、その見解を作中の杏子やまどかに求めるのは見当違いでしょう。視聴者なら放送終了後にその関連性についていくらでも議論できるでしょうが、2人は魔法少女と魔女の関連性について、身近な人間に起こった出来事として思い知ったばかりなのですから。友人が死んだことを受け入れた上で、まともにそれについて検証できたとしたらキュゥべえ並に冷静過ぎますよ。
どうにも、まどかに関する考察は、ほむら以上に破綻しまくっています。
氏の考察を通して語られるまどか像は、なんというかしたたかすぎるように思います。そして、したたかなわりには、行動が回りくど過ぎます。
奇跡によってキュゥべえは排除できるのか
「魔法少女がいらない世界にしてほしい。過去も、未来も、全ての宇宙で」とまどかが願うこと。これは誰もが真っ先に考え、そして真っ先に切り捨てる考えでしょう。こうすれば簡単だ、とDrif'78氏は言いますが、全然簡単じゃないですよ。これでは明らかに人類……というか地球の歴史において矛盾・パラドックスが生じてしまいます。(余談ですが、ほむらの場合繰り返している時間は1ヶ月分だけなので、歴史的に見れば大したパラドックスは起こりようがありません。なので、氏の考察にある「大戦が云々の時間軸」というのは、本来起こりようがないです。)
よく考えなくてもわかるかと思いますが、奇跡を起こすには「キュゥべえと契約して魔法少女になること」が絶対条件なんです。「魔法少女になること」、この願いはいきなりその条件をすっ飛ばしています。「魔法少女の存在をなかったことにして。その代わり魔法少女になるから」、そんな願いが契約として成り立つはずがありません。これはキュゥべえの意思の問題ではなく、契約として理論的に成り立たないということです。それが全ての時間軸に及んでいる場合は尚更。
では、その契約にまどかを含まなかった場合はどうか?「わたし以外の全ての魔法少女を契約しなかったことにしてほしい」とまどかが願った場合、まどか一人の犠牲で他の魔法少女は救えるのか?これなら一見うまくいきそうですが、しかし、これでは最終的に最悪の魔女が生じることは避けようがなく、結局地球は滅亡してしまうでしょう。
私も一度キュゥべえを排除する方法が無いものか考えましたが、キュゥべえは人間を超えた存在ですし、それを排除しようと思ったら結局はキュゥべえとの契約による奇跡の力に頼らなければならないという本末転倒なことになってしまいます。「人類の文明に与えた影響云々」という理由がなかったとしても、契約によってキュゥべえを排除することは不可能ではないかと思います。
考えられる手段としては「キュゥべえの存在をなかったことにする」か、「人類がキュゥべえに出会わなかったことにする」ことぐらいでしょうが、もしそれが契約によって実現できたとしたら都合が良すぎるんですよね。キュゥべえが存在しなかった、あるいはキュゥべえと出会わなかったことにしてしまったら、そもそも契約による奇跡なんて起こりようが無くなるということなので。
これはいわゆる親殺しのパラドックスという問題で、過去の自分、あるいは過去に生きていた自分の先祖を殺した場合、自分という存在はなかったことになる。しかし、自分の存在がなかったことになってしまったら、殺した犯人も存在しなかったということになり……という問題です。
まどかの願いが実現できたのは「キュゥべえが奇跡を対価に魔法少女と契約する」という最低限のルールが守られている上での願いであったからで、それに関係のない部分であるキュゥべえの記憶自体は問題なく書き換えることができたというわけです。単にまどかの素質がずば抜けていたからという理由だけではありません。
ひょっとしたら、まどかが概念となったことで誤解しているのかもしれませんが、概念となったまどかも一応魔法少女です。だから、一旦魔女が生まれたんでしょうに。
「キュゥべえも魔法少女も存在しない平行世界に移行すればいいのでは?」と考えるとしたら、それは平行世界を都合よく解釈しすぎです。言うなればそれは「自分の家族や先祖が存在しない平行世界へ移行する」ようなもので、そこに移動した人間はその時間軸にとってその存在自体が矛盾することになってしまうからです。存在理由のない時間軸に存在することはできないのです。
つまり、キュゥべえと魔法少女がお互いの存在理由となっている以上、契約の奇跡によってどちらかを、あるいは両方を排除することはできないということです。
結末について
正直、どうしてDrif'78氏がこういう見解に拘っているのかは、読んでてだいたい伝わってきました。この作品の結末について否定的な人自体は、そこそこいますから。
「死んでしまうよりは、生きている方が良いに決まっている」という意見には概ね賛成ですし、共感できます。それについては全く否定できません。
しかし、だからといって。結末に納得ができないからといって、その結末を導きだすに至ったキャラクターの内面や過程を一切無視し、その行動からキャラクターの思惑をことごとく邪推して決めつけてかかるのは、どう考えても理性的ではありません。
正直、それはDrif'78氏が救済しようとしているキャラクターに対しても同様で、そのキャラクターの心情や内面を一切無視した行為に思えます。そしてそれは、考察の中で批判している氏のほむら像と大して違いません。
いくら生きていてほしいからといって、「だれかを助けたい」というその人の思いを曲げさせるのが果たして正しいのかどうなのか、私にははっきりとはわかりません。結局それは、どちらのエゴを優先させるかという問題にしかならないと思います。それについてはもう人それぞれです。
「大切な人のために命を捧げた人々」というのは実際にも存在するし、そういう人たちがいたからこそ、今の私たちの生活と世界があると思うんですけどね。作品の中でも描かれているその精神自体は、安直に否定すべきではないと、個人的には思います。
ずるい表現かもしれませんが、この作品の”奇跡”はある意味メタファーにすぎないのではと思います。仮にキュゥべえも魔法少女も奇跡も存在しなくても、なんの落ち度もない人に、ひどく理不尽な出来事さえ降り掛かりかねないのが我々の生きている世界の現実だと思うので。
しかし、これもあくまでも私の個人的な意見にすぎません。
8/14追記:この反証に対する、Drif'78氏からの反証を頂きました。トラックバックからご覧頂けます。
- コメント
- こんばんわ。ブログにコメントどうもです。事情をよく把握していなかったとはいえ、厨扱いして、不快にさせて申し訳ありませんでした。
-
- はらだいこ
- 2011.08.19 Friday 23:17
- いえ、こちらこそ個人的な内容をコメントでお知らせしてしまい、申し訳ないと思っています。
-
- tHruSh_02
- 2011.08.20 Saturday 06:51
- あと、コメントがまだ承認制になってしまっていました。コメントがすぐに反映されなくて申し訳ありません。承認機能ははずしました。
当ブログを読んで気づいたことや、間違っていると思ったことがあれば、どんどん指摘していただけたらと思っています。 -
- tHruSh_02
- 2011.08.20 Saturday 06:56
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- 魔法少女まどか☆マギカを読み解く 番外編(2011-08-13 20:57:32・追記改訂)
- この記事は、「魔法少女まどか☆マギカ」に関する、私個人としての考察を紹介するものです。文中、キャラクターに対して悪意的な表現も含まれますので、そういう表現が許せない方は、お読みにならないようお願いします。
-
- ( ゚д゚)の物置
- 2011/08/13 9:23 PM