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[30579] 【習作】パダライム・パラライズ・パラダイス【オリジナル】
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2011/11/19 19:28
こんにちは、OXと申します。
以前チラシ裏で掲載していたものを、完全オリジナルとして独立させました。
至らない点、多々あるかと思いますが、どうぞよろしく。



[30579] 1993年編その1
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2011/11/19 18:56
 村上春奇は小学生にして
「自分には誰一人として真に気持ちが通い合う人間はいない」と思っていた。

 彼の孤独を生み出したのは、違和感である。
この街、トーキョーAXYZは何かがおかしい。
新潟の町から引っ越してきてから常に違和感がある。

例えば、人が数十メートル吹っ飛んだり、体育の時間に世界新記録が出まくったり、
骨が折れ血まみれになっても数分後に治っていたりする。

それら異常見たとき、うろたえ驚き、平然とそれらを当然としているクラスメイトに、
なぜ驚かないのかと詰め寄った。

だが、実際に異常かどうかよりも、彼らにとって当たり前の事にいちいち驚き、
喚きたてる村上は嘘つき扱いされ、孤立した。

それは彼に深いトラウマを残した。
懐疑主義者の誕生である。



 なにかろくでもない、禍々しい事が起こっている。
 そして誰もそれに気づいていない。
 彼にはそんな予感がした。
 彼の疑問はいくつかの映画を見たときに氷解した。

 よくある宇宙人はすでに来ている、とか、
 冷戦下での秘密兵器とか、そういった類のものだ。


 世界には何か秘密があって、それを知るものは消されていくのだと。
 そう考えると、何もかもが不気味に思えた。

 
 そして、腑に落ちない事があった。こっちは個人的なことだ。
「この街に引っ越してきた時の記憶がない」
 引っ越してきた理由は父の転勤でカタがつくが、
引っ越す前の土地の名前と、引っ越した当時の記憶がない事、
なぜか引っ越す前に友達だった奴等とも一緒に引っ越してきている事。
(ちなみにこいつらはさっさと村上を見捨ててパーの仲間に入った)
 これらは明らかに不自然だ。

 そして・・・夜毎に見る悪夢。

 怪物の跋扈する自分が住んでいた街。
 かつての家の中。
 人間の顔をした恐ろしい怪物に食われる妹。
「おにいちゃん・・・逃げて」
「ハルカ!いやだハルカ!」

 怪物の、見下すような嫌な笑顔。

「能力は回収した。次に行かねばならない。
運がいいな小僧、妹一人だけで済んだ
だがまあ、ここから生き残れるかは別だろうな」

 倒れ付す両親。
 轟音と共に壊れる家。

「そうはいかないの!■■■の魔術師。
あなたには死んでもらうのよ」

 空を飛ぶ白い少女。
 爆撃の記憶。
 殺される妹の仇。
 近づく少女、腰が抜けて動けない自分。

「ごめんね、君はすべて忘れてやり直して・・・・・・」

 目の前に広がる赤い光。

「いやだ・・・・・・嫌だ!!」


 そこで夢は終わる。


 起きれば村上は殆ど覚えていない。
 ただなんとなく廃墟になった故郷のイメージ、殺される「知らない」妹。
 魔法使いとしか言いようのない奴等の戦い。
 そのくらいしか覚えていない。

「つまり、だ・・・全部一つなぎにして考えれば、
僕には妹がいて、故郷があった。でも何かの戦いで街は滅んで妹は殺された。
そして僕達は記憶を消されてこの町に引越してきて・・・・・・
多分あの時街を滅ぼした奴等は超能力者か、魔法使いか何かで、
このAXYZはそいついらに支配されてる。
奴等の存在を知れば、記憶を弄られる」

 まるで村上が好む三流ライトノベルだ。

「すべては僕の妄想なんだろうか?」


 だが、傍証はいくつもあった。
 家にはアルバムが少ない。明らかにいくつか欠けてる写真がある。
 「妹」は存在したのだろうか?

 両親に尋ねてみたら、やはり知らない、妹などいないと返された。
 家具も見覚えのない物ばかりだ。
 引越しだからってここまで買い換える必要があるだろうか?


 すべてがあやふやだ。
 自分が住んでいる町も、自分自身の記憶も。

 村上は悩む。
 自分自身に、自分自身が置かれた環境に。
 その答えは、すぐ間近に迫っていた。



[30579] 1993年編その2
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2011/11/19 18:57
村上が自分自身の現実に悩んでいる頃、
 九州の片隅で、沢渡健一(サワタリケンイチ)は一つの出会いを果たしていた。


 沢渡はトーキョーAXYZの「警備員」にして「教員」だった。
 AXYZは、おおよそところ、村上の予想通りの場所だ。

 魔術師達の巣窟で、彼らは一般人にその存在を秘匿している。
 この世界には、ファンタジーに出てくるようなモンスターが存在し、
 彼ら魔術師はそれを狩ったり、時に利用したりしている。

 1950年代、戦後すぐから高度経済成長の間、
 魔術師は暗躍し尽くした。

 海外からの外圧として入ってきたメスメリストが、ハイ・マジックが、
 忍術や陰陽道、密教と争いあった。

 暗殺術の結社同士が争いあい、滅びては新しい結社が立ち上げられた。
 その抗争は街を焼き、ついには魔術師たち自身の存亡にも関わった。

 単に、殺し合い過ぎて組織としての形を成さないほどに数が減ったのだ。


 そこに魔術界の重鎮パトリック・R・ハルマンが鶴の一声をかけた。
 それは長い声明だったが一言でまとめれば簡単なものだ。
<いい加減にしろバトル馬鹿共。休戦地帯を造ったからそこで仲良く暮らせ>

 何かあれば、いい加減にしろ、と出てくるのがこの老人の癖なのだ。
 AXYZは1960年代にハルマンが造った中立地帯にして休戦地帯だ。
 1993年の今、AXYZはハルマンの目論みどおり中に抱える魔術結社が一つにまとまりAXYZそのものが一大勢力として成立している。

話を戻そう。


 沢渡健一はそんなAXYZの魔術師の一人だ。
 「教員」という表向きの顔は、珍しいものではない。
 都市を支配しようとするならば、教師という職業は組織にとって便利なのだ。
 彼は魔術師としての仕事、この物語にはさほど関係の無い、
 単なる物品購入を済ませ、のんびりと夜の海岸を観光していた。

「ガンドールさんなら、こう言うだろうな。
『こんな夜には何かが起こる。それが世の常だ』って。
夜勤が苦手なのかな、あの人」

 沢渡は先輩の言葉を思い返す。
 彼はその言葉を信じていなかったが、
 この夜、この時、この瞬間においてはそれは真実だった。

  それは夜の砂浜では白い点のように見えた。
「あれは?」
 沢渡はポケットから小さな箱型の装置を取り出した。
 後の世ならばスマートフォンと呼ばれるものに酷似している。
 MAOS。魔術の発動と魔力の補給をほぼ自動でやってくれる装置。
 魔術による抗争を憎むハルマンの最終傑作。
「魔法を終わらせた最後の魔法」
 ラストマジックの銘を持つ、最新の魔法の杖だ。

 沢渡は身体強化の魔法を選択して視力を強化し、その白い点を見つめる。
 彼の眼に映ったのは女性の裸体だ。

 沢渡は善良な男だった。
 大それた事ができるような男ではなかったし、
悪意にも無縁とまでは行かないが、避けようとする男だった。
 人を殴るくらいなら逃げる、つまりはただのいい人だった。

 よって、いいひとである彼は女性を助けようと行動した。
 夜中、砂浜、裸体の女性、というキーワードではどう考えても不穏な予想しか出てこない。
 そうでなくてもトラブルに巻き込まれているはずだ。

 彼はAXYZのモットー「善を成すために力を振るえ」に忠実に従った。
 身体強化を眼球から脚部に切り替えて走る、走る。

「君、大丈夫かい?」

 砂浜に打ち上げられた女性の年の頃は15、6ほど。
 色が白く透き通るようだ。
 やや怜悧と思える顔立ちをしているが、今は目を閉じている。
 髪はまるで数日前まで丸坊主だったかのようにベリーショートにされている。

 彼が声をかけた瞬間、ばねのように女性がとびあがり、
 沢渡の首をつかんで押し倒し馬乗りになった。

「これは良き供物を見つけたり。捕りて食おう」

 この時点で「魔術師」としての沢渡が目覚めるはずだった。
 だが、彼は一瞬彼女に目を奪われた。
 亡くした女(ひと)にあまりに似ていたから。
 それが彼の窮地を作った。

 彼は本来ならば使う討伐用の魔術ではなく、洗脳用の暗示の魔術を選択した。
 その魔術の効果はリラックス。
 暴力を振るう相手から殺気を削ぎ、交渉の場に立たせるための強力な暗示だ。

「お前、何故に笑いつるか」
「LUXから来たんだね・・・大丈夫、全部大丈夫だよ」

 彼は続いて「幻触」の魔法を選択する。
 そして、その怪物の丸い肩をイメージの腕で触る。
 やさしく、宝物を扱うように、凶器そのもののパワーを秘めた身体を。
 彼が触れる肩には、あるマークとナンパー、バーコードが刺青されていた。

 太陽のような円環。
 AXYZに並ぶ大魔術都市、リュウキュウLUXの紋章。
 ナンバーは実験体である事の烙印。

 リュウキュウLUX。
 AXYZと同じく魔術師が隔離される地として造られた都市ではあるが、AXYZとはかなり毛色が違う。

 AXYZが魔術師の社会復帰のためのゆるいリハビリ施設であるならば、
 LUXは蟲毒。どうしようもない奴等をとりあえず隔離するためだけに作られた、
 日本版、アーカムアライサム。

 そもそも成り立ちからして、AXYZはハルマンが日本の魔法使いを纏め上げたものだが、
 LUXは米軍の実験施設に次々とマッドな研究者や危ない殺人者や、ろくでもない魔術師が自分を売り込んで入り込み沖縄のある島が、島ごとわけのわからないマッド極まる実験私設になってしまったのが始まりだ。
 マッドによるマッドのための、実験体の悲鳴の鳴り止まぬ魔窟。
 それがLUXだ。

 この少女はそこから逃げてきた実験体なのだ。
 そんな「哀れな」被害者たちを救うのもまたAXYZの日常のアブノーマルな事業の一つ。
 九州のAXYZ支部ではよくあること。

 沢渡はゆっくりと怪物を撫でる。
 それは暗示の効果と相まって怪物を宥める。

「イエスかノーかだけでいい。君の事が知りたい。
君はLUXの実験体で、そこから逃げてきたんだね」
「・・・そうだ。お前、なぜ私を恐れない?」
「君が好きだからさ」

 彼女はややたじろぐが、すぐに残虐に顔をゆがめる。
 だが、それさえも沢渡を喜ばす。

 ああ、彼女のこんな顔が見たかった。
 これを僕の物にしたい。
 そして、そのためのツールなら、すでにある。

 思考誘導をさらに強める。こちらに興味をひくように。
「会話している」という現在の状況を好ましく思うように。

「ならば私の贄となれ」
「僕は君にならば、いくらでも贄を捧げよう。
自由も、安全も捧げよう」
「お前は何者だ?」
「僕はAXYZの魔術師だ。向こうではなんて言われてるかしらないけど。
僕達は君みたいな人たちを保護している。
安全を保障するよ。僕は君の手助けがしたいんだ」
「・・・・・・」

 やがて、沢渡の魔術は恋を掴むだろう。
 そこに、もはやかつての「いいひと」はどこにもいなかった。
 黒い魔術師がまた一人誕生した。



[30579] 1993年編その3
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2011/11/19 19:05

 あの海岸での出会いから数週間後のある日の事。
 海岸で拾われた彼女は「恵比寿宇津保」と名づけられ、AXYZで沢渡の保護観察下にはいるという処分となった。
 主に沢渡の熱烈な申請によって。

「AXYZには馴染めたかい?宇津保」

 清清しい朝だ。
 沢渡が「彼女」の前にユッケを置く。
 見慣れない色の肉でできたそれは代用人肉だ。

「ええ、噂とは大違い。平穏って、こんなにいいものなのね」
「そうさ、君には幸せになる権利がある」

 よく冷やされた紅茶を沢渡はうれしそうに注ぐ。
 よくできた従者のように。

「それにしてもこの肉は、不思議ね。
人肉を食べているのと全く同じ感覚だわ」

 清潔なナイフとフォークで、令嬢の如く上品に宇津保は肉を切り分けたべる。
 かつての獣の美はそこにない。
 それが沢渡を喜ばせる。

「ああ、それはね。うちのスポンサーをやってるハルマン博士が作ったものなんだ。
すごい魔術師だよあの人は。
妖怪と人間が共存できるようにって、
人を食べる種族に必要な栄養素が全部入ってるらしい」
「だから、私も人を襲うというリスクを背負わなくてもいい。
よく考えられてるわね」

 ハルマンの活動の一環には人と妖怪、魔物の共生を目指すプロジェクトもある。
 人食いの妖怪も少なくはなかったが、ハルマンはまるで用意していたように、
(まさに彼は長い時間をかけて用意をしていたが)
 人食いの妖怪でも人を食わなくて済む、人肉を食う者にとって必要になる栄養素を合成した代用人肉を作り上げていた。

 実際に作ったのは彼自身だけではなく、
 彼の投資する遺伝子改良プロジェクトチームの功績も大きかったのだが。

 それ以外にも、妖怪や半魔を受け入れる社会活動はハルマンの属する「組織」によって、徐々に成功しつつあった。
 例えば吸血鬼は日光アレルギーと血液嗜好症(ヘマトフィリア)の複合症として広く認知され、「治療薬」として輸血血液を保険で買う事ができるようになった。
 獣人は単なるそういう奇形の出やすい家系として、保護される事となった。
 健康上の問題はなく、むしろ頑強になりやすいと再三宣伝されて。
 AXYZとそれにつらなる都市は今や、人外の楽園と化しつつある。

 宇津保もいまや、その恩恵を受ける一人となっていた。
 AXYZは、このようにさ迷う怪物を人間社会に飼いならす施設の一つでもあった。

 だがたった一つイレギュラーな部分、
 保護者が怪物に恋愛感情を抱くと言う事は対応マニュアルが設定されていたものの、
すでに過去のものとなっていた。
ここ十年、人妖間で恋愛をしたものはそれほど問題を起こさなかったからだ。

 いや、AXYZに張り巡らされた感情統制の結界が人間関係を円滑にしていたからだ。
 深く物事を考えないということは時に、いや往々にして幸福の秘訣である。

「まあ、難しい話は置いておいて・・・・・・朝食を楽しもう。
折角の日曜日なんだし」
「そうね、まだLUXでの癖が抜けていないのかもしれないわ」
「それはゆっくり治していけばいいさ。皆解ってくれるよ」

 沢渡が宇津保の肩に手を置く。
 宇津保もまた愛おしそうにその手を抱く。
 穏やかな時間はこの瞬間は確かに存在した。

                ◆

 その日の夜。
 AXYZの夜に動く影があった。

 隙のない、それでいて時速60kmという人体ではありえない速度で走る人影。
 それは一直線に沢渡の家に向かって進んで行く。

「急がなきゃいけない。いつアレが発症してもおかしくない。
やっぱ、助けられるもんは助けておきたいし。
原作介入か・・・・・・声はかけたけど、どれだけ集まってくれるかだよな」

 まだ十代にようやくなったばかりの少年の声だった。

「それは駄目だよ。あれは僕の玩具なんだから」

 時速60kmの空間に囁くものがいる。
 中学生ほどだろうか、赤い革ジャンにGパン、古臭いサングラスの少年が、
 時速60kmで走る小学生に悠々と着いて来る。
 小学生の顔は驚愕で固まり、急停止する。

「げえっ天野黒星、なんでここに、つくづくなんでもアリだな。最悪だ」

 天野黒星とよばれたロックスター気取りの中学生は、
 にやりと、黒い、どこまでも黒い、悪意を煮詰めたような、
 しかしどこまでも爽やかな笑顔で小学生の近くを浮遊しながら喋り捲る。

「僕は最悪じゃないさ。
最悪っていうのはイドリースや五十六ちゃんや多聞君みたいなのを言うんだ。
あれは理屈抜きに無敵無敗で絶対勝てない存在なんだから。
僕はせいぜい悪知恵が働くくらいさ。
まあ、その悪知恵のおかげで君をひっかける事ができた。
君は転生者って扱いでいいのかな?」

 小学生はナイフを抜き放ち、問答無用で切りかかるが、
 ごくごく自然な動き、たった一歩の回避動作で避けられる。

「なんで原作キャラの僕がいて、こんな事を知ってるかって?
おいおい、読者なら僕がどれだけえげつない事が好きかよく知ってるはずだぜ。
そもそもあの、なんだっけ、そうそうエビスウツホ?
あれは僕が作った玩具なんだから僕が遊ぶのを邪魔されたくないんだよね。
だからあえて趣向を変えて、邪魔しに来るだろう君たちを邪魔する為に、
君たちを釣るエサにしてみたわけさ」

 小学生の太刀筋が変わり、おぞましい死の気配を伴って一閃を放つ。
 天野黒星の頭部が粉々に粉砕され、一瞬後にすぐ戻る。
 新しいサングラスをなんでもない事のようにポケットから出してかけなおす。

「あいた、一回死んじゃったよ。参ったな、たかだか10年かそこらくらいしか
この世界にいない君にやられるなんて僕はやっぱり弱いなあ。
まあ、君は強いしここに来れたってことは捜査能力もそれなりにあるんだろ?
背景だって仲間だってあるんだろうし。
たぶん僕のストックにある能力だと思うけどさ。
とりあえずちょっと能力全部僕にくれよ」

「カツアゲかよ!相変わらず、しょぼい癖に致命的な事ばかりしやがって!」

「気は済んだかな?じゃあそろそろぶちのめしていい?」

 ゆらり、と天野黒星が一歩前に出る。
 ば、と小学生は20mも下がる。

「いいよ逃げれば。誰も君を責めやしないさ。
かわいそうな女の子を悪漢から守れずに黙ってみているのは普通だ。
たまたま力をもっちゃったんだろ?何かできると思ったんだろ?
準備もいろいろしてきたんだろ?
でも、僕に邪魔されたから仕方ないさ。
君は悪くない」

「うるせえ、黙れクソ野郎」

 小学生が、虚空から無数の刀剣を呼び出し、乾坤一擲の突撃をかける。
 その一本一本が最強無敵、凶悪無比の必殺の一本、
 その一撃一撃が必中必殺の最適の一撃。

 だが、黒星が軽く腕を上げただけで発生した半透明の障壁に半数の攻撃は消滅させられ。

 続いて繰り出された無数のラッシュにその攻撃がいなされ、解かされ、凍らされ、燃やされ、悉く粉砕される。

 そして、ただ攻撃をいなされただけであるのに、少年の身体には無数の傷が与えられその顔は恐怖に染められていく。

「この世界じゃ、切れて突撃するのは負けフラグだって知ってるくせに。
駄目だなあ。じゃ、そろそろもらおうか」

 さらに天野が一歩踏み出した瞬間、少年の姿が消えた。

「あ、転移系の仲間がいたのか。うっかりうっかり。
でもこれでだいたいの目的は達成できたかな?
この欲求不満はそのへんの一般市民でなんとかするとして・・・・・・
ああ、楽しみだ。
僕の遊びがライブでみんなに見てもらえるなんてね
宇津保ちゃんはあと何日で発症するのかな?
知ってるけど言ってみただけさ。わかるかい?読者のみんな」

 天野黒星は笑う、笑う。
 夜の中に、街中をあざけるように。
 その姿だけは、彼の憧れるロックミュージシャンに良く似ていた。



[30579] 1993年編その4
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2011/11/19 19:26

 AXYZの中心部地下20階AXYZ交通管制局「ユグドラシル」中心部。
 そこの一室。
 ホテルのバーのような高級感溢れる一室に、二人の老人が対面して座っている。
 一人はパトリック・R・ハルマン。魔術名HAL9000
 トーキョーAXYZとオーサカMAZEの実質的な支配者。
 魔術会の重鎮にして政界のフィクサーの一人だ。

 もう一人は藤原光乃介。
 トーキョーAXYZの管理をHALに任されたHALの傀儡の一人、ということになっている。
 しかし実際は藤原はHALの手を離れ、独立しつつある、

 いまや二人の関係は拮抗していた。
 傀儡が寝首を掻くか、それともそれすらも人形師の差し金か。
 もはや本人同士ですらわからないだろう。

「始まりましたな、新しい物語が」

 藤原がHALに水を向ける。

「ええ、あちらこちらで同時多発的にね。
99人の人食いは救えるでしょう。ですが1匹はどうしても取り零してしまう。
そして先方の勝利条件は、一匹でも通せばそれでいい。
こちらにはやや不利な条件ですね」

 テーブルの上のシート型液晶モニタには無数の光点が点っている。
 HALはそのうちのいくつかをクリックして拡大する。
 それは恵比寿宇津保に似た少女達であり、恵比寿宇津保本人でもあった。

「それに、あちらからの差し金もありますぞ」

 モニタに映し出されるのは天野黒星。
 剣使いとの戦いが一方的に進んでいる。

「ああ、あれは困ったものですね。撃破するとなるとどうしてもこちらに損害が出ます。
いえ、現在の戦力では撃破そのものが難しいでしょう」

 こればかりは策略の入る余地のない事実だ。
 現在のAXYZでは天野黒星一人に勝てない。

 勝てたとしても物量で消耗戦を続けなければ不可能だ。
 ハルマン自身も周囲の被害を鑑みず、尚且つ切り札を切れば勝てないことはないだろう。

 だが、メリットとデメリットを考えれば、収支決算は赤字になる。
 まだ切り札を切るべき時ではない、という判断をするにはそれだけで充分だった。

 「しかし捨て置くわけにもいきますまい」

 それもまた事実だった。
 一都市が一個人に屈する、AXYZは総員でかかってもLUXの切り札一人に勝利できない。

 その事実を「公に」認めるわけにはいかないのだ。
 認めれば足元を見られ、吸い尽くされるのが世の習いだ。

 そもそも、その気になれば都市ごと崩壊させられる駒が、
 AXYZを射程圏内に納めている。
 その危機をこの都市の支配者たちは看過することができない。

 「あれは満足すれば勝手に帰るでしょう。
 詰めの甘い男ですな。
 情報を持ち帰りもしない気分屋だ。
 あれが盤面を荒らすだけ荒らした後に、
 こちらが全てをなかったことにする。そういう形で行きましょう」

 その上でHALは、天野黒星が侵入したと言う事実そのものをもみ消す事にした。

「となるとあなたの仕分け仕事ということで構いませぬな」

 だが、HALがもみ消す以上、
 HALには天野の齎した被害をなかったことにする責任が生じる。
 具体的には、物理的被害の補填。
 早い話が金はHAL持ちとなる。

「構いませんよ。
 元より、あなたのプランでは捨て置く予定だったのではありませんかな?」
「貴方のようにイレギュラー一人ひとりにフォローを入れるほど余裕はありませんでな。
 いやはや、分霊法とは、凄まじいものですな。できる事が増えすぎてしまう」

 LUXの切り札が目の前に迫っていて、都市を射程圏内に入れている状況で、
 彼らはあえて動かない。

 LUXもまた、「まだ」いきなりAXYZを灰塵に帰すわけにはいかない状況であるのを知っているからだ。

 そして、AXYZの人員を大量に消費するか、
 ハルマンが周囲を気にせず、そして後の領収書を気にせず大盤振る舞いすれば、
 天野という駒を取れることもまた、ゆるがせない事実であるのだから。

 彼らは部下大勢の命と、天野によって齎されている被害を両天秤にかけられる。
 その選択をするだけの余裕と実力があるのだ。

 そして、その天秤にかけた挙句の結論が、藤原は放置であり、
 ハルマンは被害を最小限に食い止めるだけの介入をする、要は金の用意をする事だった。
 
 もし黒星を本気で討ち取る気ならば、潜入前に全力で叩くしかなかっただろう。
 陣中に走狗を入れた時点で散地である不利はくつがえせないものとなっていた。

「いえいえ、好きでやっていることですからね。
まあ、これが落とし所でしょう」

「やれやれ、通常業務内のやり方をすればよろしいものを」

 この場合の通常業務内とは・・・・・・早い話が、天野に殺される被害者全員を見捨てる事だ。

 だが、あえて自腹を切ってハルマンは被害を食い止める。
 それが彼の責任だからだ。

「まあ、其方の方が効率がはるかに良いのはわかっているのですがね。
できるだけ、やれることはやっておきたいのですよ。
なにより、NILはそれが誰であってもいいんですよ。
ふさわしい実力と、私の信念と合致する目的があれば」

 「正史」においてNULLは天野の、恵比寿宇津保の被害者であると記されている。
 だが、NULLの性格、境遇、能力はこの時代においてありふれたものだった。
 それ故、「正史」に登場するNULL本人である必要はないのだ。

 NULLがここで死んだとしても、あるいは被害にあわず平穏に過ごし、
 結果としてNULLという革命家にならなかったとしても、同じような境遇の誰かをその地位にすえればいい。

 ここで「正史」どおりに大勢の犠牲者を費やしてまで、
 NULLが革命家の道を歩む切欠を成立させなくても良い。
 それがハルマンの選択だった。

「私の頚木は外れておりますぞ。約束は果たしましたからの」

 NULL。ポスト・ハルマンを担う次代の革命者。
 その誕生には天野によって齎される一般人の被害が必要「かも」しれず、
 NULLの目的が成就することは藤原の破滅を意味する。

 そして藤原は座してそれを待つ気はさらさらない。
 そのためにハルマンという駒(キング)を殺る必要があったとしても。

「もちろん、それはそれで構いません。
私のプランが破綻した時に貴方は必要になるでしょうから」

 そして、その全てを解っていて、あえてHALは自分の後継者として、
 自分を殺る可能性のある人材を育成する。
 それが藤原でありNULLなのだ。

 NULLという英雄が生まれるには、それに見合っただけの悲劇が必要だ。
 英雄は悲劇を打ち砕くからこそ英雄であり、
 革命家は倒すべき体制があるからこそ革命家なのだから。

 しかし、その革命家が必ずしもNULLという、「正史」に記されたその本人である必要もない。

 NULLとは、他の人物でも代換可能な存在だ。
 だからこそHALはNULLがNULLとして成立するだけの悲劇を、被害をあえて打ち砕く。
 あらかじめなかった事にする。

 それでいてHALは本気でNULLの到来を待ち望んでいるのだ。

 そして、NULLが現れず、自分もまた志半ばで倒れた時の為に、
 あえて自分の首を狙う目の前の傀儡、藤原の行動を止めない。

 HALの行動は単純でありながら屈折している。

「この老骨、そのような事を言われますと、なにやら天下をとりとうなってしまいますな」

 藤原もまた、そんなHALの思いを知っていながら、
 飄々と本人の前で殺害予告をする。
 あくまで冗談という形で。

「こちらとて、最初から負ける気ではありませんよ。
それに、イドリースが来る可能性に比べればこれなど嵐の前の小雨でしかありません」

 HALもまた、それに平然と返す。
 どうやっても、それこそどれだけハルマンが本気になろうとも、
どれだけ都市の金と血を費やしても勝てないであろう、
 蹂躙されるだけしかないであろう存在を敵に回しながら。

「願わくば、嵐が来るのは当分先であって欲しいものですな」
「まったくですな」

 国士と言う、どうしようもなく屈折した生き様を生きる、
二人の老人の夜は陰謀と共に更けていく。



[30579] 1993年編その5
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2011/11/19 19:27
 裏の社会のさらに裏でいくつかのやり取りがあったその数週間後、
 沢渡の家にひとり呆然とたたずむ恵比寿宇津保の姿があった。
 
 フローリングのしゃれた床には、一人の少女の死体がある、
そして血まみれの手を呆然と見ている宇津保。
 
 つまり、犯人は彼女でしかなく、実際に手を下したと言う意味ではその通りだった。

 数日前から理解不能の焦燥感のようなものが宇津保にはあった。
 それは、魔法を使っている少女をみた瞬間に爆発した。
 
 宇津保はその強化された力で少女を浚うと、自分の家で解体してしまった。
 へし折り、千切り捻じ切った。
 そしてその作業はすべて素手で行われた。
 すべては無我夢中で悪夢のようなできごとだった。

 ふと宇津保が正気に返ったら、殺人者になってしまった自分と、被害者である死体が、自分の住む家に転がっていた。

「違う・・・私は、人食いじゃない、バケモノじゃない!
嫌!もうこんなのは嫌!」

 逃げたはずの修羅場が暖かい我が家に突っ込んできた。
 しかし、食欲からではない。
 実際に新鮮な人肉を目の前にしても、今の宇津保には吐き気しかなかった。

 もはや人食いのバケモノであるから、という事は理由に成っていなかった。
 それが少し安心する要素であり、
 それでも、衝動に急かされるように殺人をしてしまったという事実は、とてもではないが落ち着いていられない要素であった。

「どうしたらいいの・・・死体、死体を隠さなきゃ」
 そしてなにより、自分はどうにかしてこの状況を片付けなければならない。
 まずは死体の隠蔽をしなくては。

「ただいま宇津保」

 ドアのひらく音がして、足音が聞こえる。
 宇津保は銃撃を受けたようにおびえ、ただ震えるしかない。
 そして、そのドアが開かれた。

「宇津保・・・?」

 血まみれの人間だったもの、すわりこむ愛する人。
 いつもの我が家。

「違う・・・違うの」

 悲しいほどに狼狽する宇津保。
 血まみれになった手を背中に隠し、怯えたように後ずさる。
 その姿を見て・・・・・・沢渡はとてもいい笑顔をした。

「健一さん・・・?」

 宇津保は戸惑う。
 沢渡は自然に距離をつめ、そっと宇津保をだきしめる。

「いいんだ」

 こんな彼女が見たかった。
 健やかに幸せになっている姿もそれはそれでよかったが、
 堕ちて行く彼女と堕ちていきたかった。
 どこまでも、どこまでも。
 いずれ狩られるその時まで。

「いいんだ、僕がなんとかするよ。大丈夫だから」
「けんいち、さん」

 地獄の扉はとっくに彼の心に開いていたのだ。

                ◆

 とはいえ、沢渡もただ手をこまねいているわけではなかった。
 死体を始末したあと、魔術師にのみ閲覧がゆるされたデータベースにアクセスし、
 宇津保の症状を調べてみる事にした。
 しかし、調査は一向に進まず、治療のみこみは現段階ではなかった。
 にたような症状がありすぎるのだ。
 
 特定するには、専門の技術者の手を借りなければならず、
 そして宇津保の微妙な立場では、診断をうけるために殺人を告白する事はできなかった。

「どうすればいいの・・・このままじゃ、私は」
「大丈夫だよ宇津保。治療法ができるまでは「獲物」には当てがあるんだ」
「でも」

 それは手を血に染める事そのものの嫌悪だったのか、
 それとも事態が発覚してしまう事への恐怖だったのか。
 
「突然発症したら困るよね?焦燥感があったってことは、
これは殺人欲がたまったら、衝動的に殺してしまうってことだと思う。
だから、事前に隠蔽が確実にできる用意をして定期的に殺せばいい。
それも治療法がわかるまでだよ。僕が治療ができる奴をなんとか探して脅してみるよ
それでその症状を治せばいいんだ」

 宇津保はしばらく眼を泳がせ考えた後、暗い決意をもってうなづく。

「そう・・・そうね、私達は生き延びなきゃいけないんだわ」
「そうさ、どこまでだって逃げ延びてやろう」

 沢渡は暗い愉悦を称えた笑顔で微笑む。

                ◆

 その会話を聞いて嘲り笑う者が一人。
 天野黒星だ。
 夜の廃墟の中、積み上げられた死体を目の前に。

「予想以上に駄目になったねえ!素晴らしい素敵だ!
全部LUXのプログラム通り過ぎて笑えてくるよ。
ねえ、「原作」を知っているなら僕に教えてくれるかな?
あれをどうする気だったのか、どこまで知ってるのか」

 数週間前の剣士とおなじように小学生ほどの少女を足蹴にしながら黒星は嗤う。
 金髪碧眼の白人少女だ。服装は白いスーツである。

「さて、私にはアレがハニー・マイン計画の亜種、ハニー・ニダスだとしか」

 ハニー・マイン計画。
 それを誰が始めたのかは解っていない。

 だが、その計画が作り出した「プログラム」は凶悪無比だ。
 その暗示にかかったものは「世界に影響をおよぼす人物」と判断した人間に出会うと、
無意識に殺してしまうのだ。

 ハニー・マイン計画は、その暗示を無差別にまきちらし、
要人や英雄候補となる者たちが親しい者の手によって暗殺されるはずだった。

 計画そのものは数人の犠牲者が出た時点でLUXのトップ、シモン・マグスやHAL、さらには海外の同じような権力者たちによって防がれた。


 彼らが全力でワクチンプログラムを作ったからだ。
 しかし、ハニー・マイン計画はむしろそこからが本当の惨劇だった。
 
 プログラムを解析した権力者達は、互いに相手がハニー・マインを使うのではないかと疑心暗鬼になった。
 そして実際にその亜種は開発されていた。
 より簡単に、より凶悪に。より目的に合致した形に。
 それは開けてはいけないパンドラの箱だった。

 少なくない犠牲の後、ハニー・マイン関連の技術は封印された。
 あらゆる記録から抹消された事になった。

 それ故、沢渡は宇津保の症状が何か知る事ができなくなったわけだが。
 だが、LUXの最深部まではその削除の手も届かなかった。
 宇津保がかかっている暗示、ハニー・マインの亜種、ハニー・ニダスは、

「かかった者の周囲の人間が狂気に染まり、本人は無差別に殺人を犯す」
と言う代物だ。

 対組織向けネガティブキャンペーン用暗示プログラム。
「うんうん、100点満点だ。三桁単位で送り込んだんだけど、
僕がカバーしてる原作キャラのアレ以外は全部処理されちゃったみたいだね。
さて、どうしてくれようか。ああ、治したのを全部殺しちゃおうかな」

 君はどうすればいいと思う?と少女に尋ねる天野黒星。

「黙れモノマネ歌手。悪ぶってる餓鬼が」
 少女は驚くほど老獪な声を出した。

「なんだと」

 黒星の声は怒りに震えていた。
 彼が悪にいたる切欠となった挫折。
 それは彼が模倣しかできない事だった。
 なんでもできる天才という自己認識は誤りだった。
 そして、彼が生き様を模倣してしまったのは最悪の悪党だった。
 だからこそ、彼にとって模倣者であるというのはトラウマなのだ。

「何が!オリジナルだ!お前等だって!クソが!」
 黒星の蹴りが少女を粉々にして行く。
 乱れ飛ぶ血が、黒星が築き上げた死体の山に降りかかって、一筋の流れとなる。

「くそっ・・・」
 興奮に荒い息をつく黒星が廃屋の壁を叩く。
 その顔は帰り血で真っ赤に染まる。

「そんなこと解ってるんだよ畜生が・・・・・・」
 その声は酷く殺伐として潤いが無かった。
 流れる血は、黒星がトラウマに手一杯になっている隙に、
 壁の隙間からそとへと流れ出し、一方向に向かっていった。

                ◆

 斉藤平太は小学生の魔術師生徒だ。
 AXYZは魔術師達の休戦地帯。
 そのため、魔術、武術の各派閥の子供達が交流をする場であり、それぞれが技術交流をしてコンセンサスを得る場でもある。
 魔術師生徒とは、AXYZにひそむ各結社の教えを統合的に学ぶ、それぞれの結社の子供達だ。
 つまりは、世襲する予定の魔術師候補。
 その英才教育の場がAXYZである。


 そしてその教育には当然模擬戦もある。
 斉藤平太はいつもどおりに教師との模擬戦に来ただけだ。

 ただし、いつもと違い、他に生徒はおらず、
 模擬戦相手も戦闘向きではない担任教師だ。
「なんスか急に模擬戦って」
 教室2つ分ほどもある広い空間に斉藤の幼い声が響く。
 床も壁もリノリウムに似た白い床材で覆われている。
 模擬戦演習室は、丁度ダンススタジオのような造りの部屋だった。

「いや、その、君は座学のほうがあまりよくないよね?
だからその分の単位を実技の補習授業として補える制度があるんだ。
試してみないかい?」
 矛盾した発言だが、小学生でしかもお世辞にも頭がいいとは言えない斉藤はころりと騙される。

「マジで?いいっすよ、これで勉強しなくて済むんなら大歓迎っす」
 斉藤は背中の鞘からすらりと長剣を抜き構える。
 その声には、明らかに弱い教師と当たって幸運であると言う楽観的な響きがあった。

「それは良かった、じゃあ、楽しんでくれ『宇津保』」
 唐突に天井に今まではりついていた恵比寿宇津保が、
 獣のような速さで斉藤に襲い掛かる。

「うわっなんだこいつ、先生、なんなんだよこれ」
 宇津保の爪を受け止め、スウェーバックし、剣で応戦する斉藤。
 しかし突然の展開に混乱を隠し切れない。
 だが、沢渡はいつもどおりの気弱そうな笑顔のままだ。
 それが恐ろしい。

「「狩り」だよ、君は狩人じゃない、獲物だ」
「先生・・・?くそ、なんなんだよ!」
 斉藤は見る間に追い詰められる。
 未だ未熟な剣士では、生物兵器には対応できない。
 なにしろ、相手はタンパク質でできたサイボーグも同然なのだから。

「降参!降参だよ、なんなんだ反則じゃねえか」
 宇津保が馬乗りになる。
 沢渡は哀れむように薄く笑う。この期に及んでも状況を理解していない子供に。


「安心して欲しい。君は最初からいなかったことになるから、
ご両親は悲しまずに済むよ。訓練中の事故っていうのはこの先を考えるとまずいしね。
なら、僕の裁量でなかったことにしてしまえばいい。君の存在も」

 沢渡は穏やかに話す。
 科学者がモルモットに実験の価値を語るかのように。

「君は知らないだろうけど、そういう権限が僕等魔術教師にはあるんだ。
生徒の死を隠蔽するスキルと権利がね。
そのほうが藤原さんにはいろいろ都合が良かったんだ」

「何言ってんだよ!早くやめてくれ!」

「ねえ、健一さん、これもう殺しちゃっていい?」

「ああ、君の好きなようにすればいい。それでこそ君の為になるんだ」
 馬乗りになった宇津保はだんだんと首を絞める力を強くしていき、やがて斉藤の首をもぎ取った。
 彼は何もわからずに死んだ。

「どうかな、衝動は軽くなったかい?」
 沢渡は日常と変わらぬ幸せそうな口調で話しかける。

「ええ、でも次はもっと生き足掻く奴じゃなきゃいけないと思うわ。
抵抗が少ないとすっきりしないもの」
 宇津保は何かを吹っ切った清清しさで話す。

「大丈夫さ、獲物はまだまだいるんだ。焦らずに消費していこう」
 沢渡は、すでに人間として致命的なレベルにまで壊れていた。
 たしかに教師には子供達を抹殺する権限があったが、それはぬかれる事のない伝家の宝刀であり、通常は魔術の封印か、記憶の封印、それでなければ反省室行きだった。
 一人の教師が何人も生徒を「処分」するなどありえない。

 沢渡健一の策は、策ともいえない自殺行為だった。
 到底正常な判断とはいえない。
 しかしハニー・ニダスの毒に、頭のてっぺんまでつかった沢渡にはそれが自覚できない。
 破滅は間近に迫っていた。



[30579] 1993年編その6
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2011/11/21 18:41

 村上春奇はいよいよもって自分の参加している世界、
つまりは学校のクラスが異常になってきたのを感じていた。
 いや、村上でなくとも、正常な判断力をもっていれば、誰でも異常だと思うだろう。

 週に一人は「ご家庭の都合」で生徒がいなくなるし、学級崩壊はきわまり、堂々と授業をエスケープする生徒も少なくない。
 そして、態度が不真面目に成った者から、「ご家庭の都合」でいなくなる。
 おまけに、いなくなった生徒のことを誰も覚えていない。
 顔も、名前すらも。
 いなくなったことを気にしすらしない。
 自分達の記憶の齟齬にも気づかない。
 つい数日前に顔を合わせていたにも拘らずだ。

 何かひどく禍々しかった。
 今まで隠れていたAXYZの悪意がむき出しになったかのようだった。

 むろんそれらは全て沢渡の魔術による記憶操作と印象操作だった。
 しかし村上にとってはAXYZの総意であろうと、
沢渡の暴走であろうと、たいして変わりはしないのだが。

「どうなってるんだ畜生、狂ってるよ。何もかも」

 村上が一人誰にも聞こえないように教室の中、机に伏せながら呟く。
 こうしていると落ち着く。外界の出来事を気にしなくてもいいから。
 今空にUFOが群れを成して飛んでいようと、もはや知ったことか。
 狂った教室の出来事はシャットアウトする。
 何、今更自分一人が寝ていても誰も気にしないだろう。
 だが、村上の自暴自棄な現実逃避は、やはり叶わない。
 耳元で女子の声がする。

「気づいているのかい、どうやらこの教室でまともなのは僕等だけのようだぜ」

 ちらと見ると、遠くの席の女子がケータイのようなものをこちらに向けて、寝ている。
 たしか、やたら科学の成績が良い、野井とか言う奴だ。
 噂じゃいろんなメカを自作しているらしい。
 あの機械もそういったものの一つなのだろうか。

「これは、指向性マイクとスピーカーだ。要は高性能なものだと思ってくれればいい。
聞こえたならば、何か言ってくれ」

 確かに教室の連中のようにおかしくはなってはいないが、
これはこれでまともじゃない。
 そもそも、話が通じるかどうか疑問だ。
 一見正気のようでいて、実はおかしいというのはなんども体験してきた。
 しかし、現状を打開するのに、一人ではどうしようもないのもまた事実だ。

「ああ、聞こえてるよ」
「OK、感度は良好のようだ。
君は今、クラスの連中がおかしくなっているのは解るよね?」
「ああ、まあな」

 両者、机につっぷしたままの会話である。

「僕ならある程度説明がつけられるかもしれない。信用してくれとは言わないよ。
ただ、知りたいだろう?」
「あんまり知りたくねえな・・・・・・知らなかったらヤバイのか?」

 実際、村上はあまり知りたくなかった。この禍々しい出来事に関わりたくなかったし、
 できれば嵐が過ぎ去るのを頭を低くして待っていたかった。

「それなりにやばいだろうね。君も「転校」してしまうかもしれない」

 村上は必要な点だけ質問する事にした。

「これはほっとけば収まってくれるのか?そもそもこの状況はいつかなんとかなるのか?」
 村上にとってはそれが重要だった。真相を覗く勇気はなかった。
「そりゃ、ある程度時間があればね。でも、それまでに僕等が無事である保証はないよ」
「じゃあ、お前ならなんとかしてくれるのか?」

 真相を知ったとしよう、だがどうにもできないのであれば、知らなかったことと大して変わりはない。

「この問題が収まるまで、無事にいられる方法を教える事くらいはね」
「じゃあ、教えてくれ。事の真相って奴を」

 村上は、結局足を踏み入れる事にした。
 嵐が過ぎ去るのをただ待っていればいい状況ではなくなった。
 放っておいても、天気はよくならない、ならば進むしかないのだ。

「じゃあ、放課後にモスドカフェで会おう」

 小学生には随分とハイカラな場所であったが、彼女の雰囲気には似合っていた。
 しれっと、オシャレな喫茶店にいてもおかしくない図太さがある。

「解った。俺は寝る」
「お休み、村上君」

 とりあえずこの場では、道しるべを得た。だが次はどうか解らない。

                ◆

 地下街を歩き、二人はモスドカフェに入った。

「さて、場所を移したわけだが、聞かせてくれよ、事の真相って奴を」

 モスドカフェはそこそこ上等なコーヒーを出すファーストフード店だ。
 全体的に、垢抜けてはいるが、どこか冷たい都会らしいたたずまいである。
 店内には窓は一つもなく、熱帯魚の泳ぐ水槽や、代わりに薄暗い間接照明、ほの暗く発光するネオンがあった。
 この薄暗い店内の様子は、AXYZでは商店は全て地下にあり、ここのカフェも同様であるからだ。
 野井はとりあえず先に出されたアイスコーヒーを一口飲んで滑らかに事実を羅列する。

「めんどくさいから一気に言うよ。
まず、あの学校だけどね、裏社会に関わっているんだ。
平らたく言えば、傭兵育成学校なのさ。表向きは君みたいな普通の子もいるけどね。
今起こっている事は、裏に絡んだ事件に君がたまたま巻き込まれたってだけさ。
先生が敵の工作員にたぶらかされて、
催眠術じみた裏の技術って奴を使って生徒に暗示をかけてるんだ
まあ、背景では権力闘争とかいろいろあるんだけど、その辺は気にしなくてもいいよ」

 野井の主観が入った意見ではあるが、概ね事実である。
 あえて、信じ難いであろう魔術関係、AXYZとLUXの関係ははぶいている。
 彼女は、自分自身のスキルである電子機器による盗聴、盗撮によりそれらを知りえた。
 村上はじっと野井を観察し、嘘は無いと判断して、ただ聞く側に回る。

「・・・続けろ」

 重々しく野井を観察する村上、

 それを面白そうに観察する野井。
「おや?動揺しないね。まあ、そうかもしれないね。
多分、前々から何か違和感を感じてたんじゃないかな?」
「まあな」

 事実であり、内面に秘めていた事を言い当てられ、村上は動揺するが、
 全ての判断は後回しにして、今は与えられた情報を吟味する。
 村上はここまでの情報で、野井がかなりの情報収集スキルを持っていると分析していた。
 違和感しか感じない世界の中で、彼はただひたすら平凡を装って生きてきた少年だ。
 動揺も、悲しみも、苦痛も、顔に出しても意味が無いと思っている。
 それで状況がよくなった事はなかったし、これからなんて解りはしない。
 ただ、こんな時、「普通」ならどう反応するだろうか、
 どう反応するのがより自分に有利か掴みかねていた。

「それはね、君が犯罪に近い体質だからだ。
より正確に言えば、
裏社会の奴等は、一般人を巻き込んでしまった場合、
その記憶を消去してもとの日常に戻らせるし、
そもそも、一般人はうかつに裏に関わらないようにしてるんだ。
さりげない交通規制とか暗示とかも使って違和感を感じないようにしてね。
でも、君はそういうのが効かない体質らしい」

 なるほど、周囲はおかしかった、
 しかし自分も気づかぬうちに同じくらいおかしくなっていたらしい。
 全力で逆方向に走っていたら、ベクトルは逆でも、絶対値は同じになっていたのだ。
 だが、今までの話は全て前提条件、枕に過ぎない。
 彼としては、状況を把握したならば、その上でどう対処すべきかを話したかった。
 このへヴィな状況で、ノーリアクションはありえないだろう、村上は静かに計算する。

「それで?前置きはそろそろ終りにしようぜ。
俺はどう身を振ればいい?」

 そんな村上の寒々しい心を見抜いた上で野井は悠々と選択肢を提示する。

「そう、結局はそこが問題だ。
君には二つの選択肢がある。
裏に関わるか、全てを見なかった事にして関わらないか。
裏に関わるなら、戦場に迷い込まないくらいには処世術を教えるよ」

 野井は平然と、村上はため息をはきながら、お互いに解っていた選択肢を吟味する。

「見なかった事にしてこっちから関わらなくても、どうせそのうち巻き込まれる。
どっちにしろ、関わるしかないんじゃねえか。
関わったら平穏なんてなさそうだし、これで俺の人生計画は白紙だよ、凹むぜ・・・・・・」

 村上の言葉は嘆きはあったが、動揺はなかった。
 むしろ来るべき時が来てしまった、と思った。
 いつか自分は、この違和感だらけの状況に対し、
 どう対応するのか、決定しなければならないだろうと思っていた。
 その時に、導いてくれる者がいるだけマシだと思うことにした。
 元より誰かが導いてくれるとは期待していなかったから。
 ネオンがじわり、と色を変える、青から緑へ、緑から白へ。

「別に選択を強要したわけじゃないんだけどね。
つまり関わるって事でいいのかな?
まあ、関わるって言っても、戦場にでないあり方だってあるさ。
ひょっとしたら、平穏に暮らせるかもしれない。
どういうスタンスをとるのかは、君次第だ。
言っておくが、僕はデメリットを隠さないし、嘘だって言わないぜ。
騙し無しの限りなくフェアな取引だ」

 ここで、野井の頼んだドーナツが届き、飲み下すように野井は平らげる。
 村上はコーラをすすると、息を大きく吐き、同意のジェスチャーをする。
 ごぼり、と水槽に泡が立ち、色鮮やかな熱帯魚が水中に舞う。
 暗い室内に開けられた水槽の窓は、どこか潜水艦を感じさせた。
 冷たく静かな海に潜っていく感覚、冷えた二人。

「OKOK、俺だってそこまで話のわからない男じゃない。
ここでお前が『嘘はついて無いから悪く無いもん』とかふざけた事を言い出す奴なら、
俺は喜んでフェミニストの敵になっただろうよ。
だが、あんたはわざわざ手間をかけて話してくれた。
俺はもう巻き込まれてんだ。逃げようが無いくらいにな。
事ここに至ったなら、もう見なかったことにはできねえよ。
なにより今のままじゃ、ジリ貧だ。
今はとにかく力が欲しい。
良い様に振り回されないような力がな」

 村上の言葉には熱がともりだしていた。
 この閉塞感と違和感を打ち破る手掛かりを得たのを彼は感じた。

「そのへんのアフターサービスはするよ。
とりあえず自分の身は自分で守れるくらいになってもらう」
「ああ、よろしく頼む」
 やがて、暗い潜水艦の中のようなカフェから二人は出るだろう。



[30579] 1993年編その7
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2011/11/21 18:42
AXYZ、「学園」職員用喫煙室。

 全てが地下に作られ、地上は広大な森林となっているAXYZでは喫煙室の存在は必須だ。
 そして、喫煙室の存在は職場の愚痴に必須だ。
 ここでも、スーツ姿の男たちが肺をいたぶり、脳にニコチンの気合を補給していた。
「やばいっしょ、あれ・・・」
 椅子に座って液晶画面の青空を見つめるのは三年目の新人、山本五郎だ。
 20代の若さが抜け切っていない青年だ。
「沢渡か?」
 答えるのはブライト・ガンドール。
 無難に闘争と犯罪の世界を渡りきる50代の教師だ。
「LUXの奴等、カチこんできたんでしょ?
なんか若い娘やら美形の餓鬼やら、三桁くらい。
あんなハニートラップ、あるんですかね、
なんすかこれ、強行潜入ハニートラップって。
どんだけ開き直ってるんですか」
 この時点で、百数十人の恵比寿宇津保のような
『LUXから亡命してきたと本人が思い込んでいる自覚なしのハニートラップ』はHALによって恵比寿宇津保以外全てが捕獲され、ハニー・ニダスという疫病を治療され、無害な一般人にされていた。
 このLUXによる大量亡命偽装事件はすでにAXYZの裏では周知の出来事となっている。
 ただし、その情報の中に、天野黒星の名前は存在していない。
 それだけは侵入の事実をもみ消された。
 士気と信頼に関わるからだ。
「上の連中が動いた。その三桁は一桁から一人までに減らされたらしい。
あれが残ってるのは・・・・・・転生者がらみの案件だ。
安易に関わるな」
 転生者。
 成人の人格と、未来の知識を兼ね備えたイカサマ存在。
 それの存在自体は、公然の秘密となっている。
 成人の眼をした子供など、見れば違和感に気づく。
 しかし、あえてそれを言う者はいない。
 転生者は、即戦力となりうる戦闘能力をなにかしら生まれ持っているのが大半だが、
 真に彼らの存在をアンタッチャブルにさせているのは、未来の知識。
 物語として現実を俯瞰した(原作)知識だ。
 彼らは誰が歴史上のキーマンになるか知っている。
 それ故に、厳重な監視下に置かれている。
 未来の偉人と知り合えるというのは、人の野心を刺激しすぎる。
「その一人はアレでしょ、例のクラスを狩場にしてるんでしょ?
上が動くなっていってんすか?責任、丸投げしちゃっていいんですかね。
僕等もなんか動いとかなきゃまずいんじゃないですか」
 しばらく沈黙が流れ、紫煙が空中に遊ぶ。
 空気は、重たかった。

「責任取らされるってリスクで動くな、
プロ意識っていうのはそんなんじゃないだろう。
必要だと思ったら相談してからやれ」
「だから、今相談してんじゃないすか・・・職員会議じゃちょっと言いづらいでしょ」
 視線は交わる事無く、紫煙を追っている。
 じゅ、と灰皿に吸殻が落とされた。

「・・・・・・準備はしておけ、多分、そう遠くなく、狩りになる」
 ガンドールは遠くを見てぽつりと言った。
「なりますか、やっぱり。それは引率で?それとも僕等だけで?
いや、上の連中が出張ってくるのかな・・・・・・
やっぱり、どれも考えて準備しといたほうがいいんですかね」
 どちらともなく吐き出された紫煙がコンクリートに染み渡る。
「上はこの件で、俺等に花を持たそうって考えかもしれん。
いや、勘だな。この食べ残しは、俺等が処理しそうな気がする」

 山本は活気を取り戻したかのように事務的に語る。
「ガンさんの勘なら当たるでしょ。
とりあえず、見つからん程度に、準備しときますわ。
グールハントの感じでいいんですかね」
「レベル30代は見ておけ。多分パーティーは3PT以上、遠距離戦だろう」
 ガンドールの口調は断定的だった。
 それは実際には、幾多の経験とそこから育まれた直感によるものだったが、
 山中にとっては確信を抱かせるに十分だった。
「ガンさん、なんかつかんでるんですか?」
「言えると思うか?」
 視線が交錯する、ジジ、と安物の蛍光灯が点滅した。
「そうですよね・・・・・・」
 重い、重い沈黙。
 それを破ったのはケータイの着信音だ。
『もしもし、ガンドール先生かな?
<新世代>として頼みたい事があるんだ』
 野井である。
 自らがHALの直参であると示した上で、彼女はガンドールに連絡をした。
 彼女の権限は、この瞬間、大幅に増大する。
「動いたぞ、山中」
 ガンドールが静かに告げる。

               ◆

 恵比寿宇津保と同時期にLUXから亡命した少年少女たちが捕獲されたと、
沢渡が知るのは喫煙室での会話の少し前である。
 職員室の噂話を盗み聞きしたのだ。
 いまや彼は職員の間で孤立していた。
 そして、その事を自覚できる程度にはまだ彼の頭は働いていた。
「宇津保、そろそろ感づかれたかもしれない」
 彼は帰宅するなりそう言った。
 ひやり、とした空気が小洒落たマンションに走った。
 来るべき時が来た、そういう認識が二人にはあった。
 人形のように白く硬質な顔で宇津保は手早く切り出した。
「荷物は用意してあるわ。脱出は地上ルートから?」
「そうしよう、地下はもう張られているかもしれない
 沢渡が空虚に呟く。
「すまない、治療法を見つけられなくて」
 宇津保はただ優しく答える。
「いいの、言わないで」
 そうして二人は日が落ちるのを待って逃亡を開始した。

               ◆

 同時刻、裏の生徒たちのケータイに一斉にメールが配信された。
クエスト受注メールである。
彼ら、魔術や戦闘術を学ぶ学生達は、時折こういった任務の依頼が出され、
クリアすれば相応の金銭や装備といった報酬がもらえる。
 クエストは志願制で、装備も貸与される。
「学園」と「生徒」は丁度、冒険者とギルドのような関係なのだ。
「依頼」を受けるかは本人次第。
 報酬は金銭や装備のみで、学業にはあまり影響しない。
 この辺りのレギュレーションには、HALの意志が絡んでいる。
 LUXでは露骨に戦闘力と成績が同一視されているからだ。
 HALは脳筋人間を量産する気はさらさらない。
 むしろ、戦闘を生業とする一族を何世代もかけて堅気に戻すためだけにAXYZを造ったのだ。

 学園の近くの地下通路で結ばれた巨大なホール、
そこに数十人の学生、教師達が集まっている。

 それは壮観な光景だった。多種多様な武装をした学生達が巨大なホールに集まっている。
大半の者が、アサルトライフルやショットガンを持っている。
中にはわけのわからない刀剣類や槍を持つ者も少なくない。
 手にはスマートフォンのような「魔法の」装置、MAOSがくくりつけられている。
 魔力も祭壇も呪文すらいらないたった一つの魔法発動体。
 まさに悪魔の発明。
 それがAXYZの専売特許だった。
 防具はドラゴンスキンと呼ばれる最新の防弾チョッキをつける者から、
儀礼用と一目で解るローブや袈裟、巫女服、道師のつける衣装などを着るものもいる。
 中には全身が装甲に覆われ、フルフェイスヘルメットを被った、変身ヒーローのような者もいる。
 世界観から時代までバラバラな、ゲームの中の装備のようだった。

               ◆

 その光景をやや上の席から見る野井と村上。
「壮観だろう?これがこの学園の正体さ」
 村上は呆れたように野井に言う。
「なんでもありだなオイ。銃刀法とかはどこにいった?」
 実際、銃刀法にはモロに違反している。
装備そのものは免許さえあれば所持が可能なものだが、
彼らはまだ免許を取れる年齢ではない。
「超法的措置って奴さ。ここは非公式な治外法権なんだ。
街一個ヤクザの事務所みたいなものなんだよ」
「最悪だ」
 その治外法権の根拠はHALの根回しによって行われた、いくつかの法案にある。
AXYZやLUXのような「学園都市」を「特区」として扱い、
その中の条例の権限を強くするといったものだった。
 しかし、その条例から言っても、ギリギリで黒のラインだ。
「でも、実際にあのくらいの火器で追い詰めないと勝てないだろうね」
 彼らの持つ銃器は多く警察や軍隊、狩猟用のものだ。
 つまりは、マンハント専用の代物ばかり。
 M14といった米軍払い下げのアサルトライフル、
ウェザビーマークV、狩猟用の象撃ちライフル、
レミントンM870、警察用ショットガン、etc、etc。
 どれも猛獣や犯罪者を相手にするような代物ばかり。
「どんなバケモノだよ。シーハルクか?」
「そこはそれ、最近の流行と同じさ。見た目は美少女らしいよ」
 野井と村上はスタジアム席でコーラを飲みながら談笑する。
「そりゃすごい、笑えないな」

「君が野井君がスカウトした「新規加入者」か?村上」
 スタジアムの後ろの席から、バリトンの声がする。
 村上はぎょっとしながらゆっくりと振り向く、極自然に。
 角刈りにした背の高い黒人、ブライト・ガンドールだ。
「ガンドール先生ですか。先生もあっち側だったんですね」
 村上はYesともNoとも言わず、ただ確認をする。
「まあ、そういうことだ。今回は見学だけしとくといい。
さわりだけでも感じる事はできるだろう。
詳しい事は、落ち着いた後に話し合う。
それまでパンフレットに目を通しておけ」
 ガンドールもあえて深く追求はしない。
 堅気からこの世界にいきなり放り込まれた者には珍しくない反応だからだ。
 村上の銃と魔法の世界に対する忌諱感がガンドールには透けて見えた。
 村上はガンドールから差し出された薄いパンフレットを手に取り、流し見る。
 表面にはポップなイラストが描かれており、それだけならば、
新作MMORPGの宣伝冊子のように見えた。
 実際に、「依頼」や「魔法」「戦闘技能」についてのページは、RPGのようなシステムで成り立っている。
 表向きは部活という事にして、「剣士」や「魔法使い」「格闘家」「バード」といった「クラス」を取得するという仕組みだ。
 「依頼」についても部活動の一部という扱いになっている。

               ◆

 ちらほらと村上にも見覚えのある顔たちが話している。
 学校で見知った顔だ。それが今や銃を持ち、民兵のように振舞う。
「今回はマンハントかー、相手は二人だっけか?大掛かりだな。ボスクラスなのか?」
「アデプト(達人)級なのは間違いないらしいぜ。もう一人はLUXの洗脳型だって話だ。
装備はこっちのをかっぱらってるから、多分銃は撃ってくるだろうな。
魔法も能力もありだろ。
近接戦闘が都市殲滅級らしいから、前衛は先行しないほうがよさそうだ」
「で、お前装備はどうするよ。今のスキルで装備できるのはMAOSとライフルくらいしかねえよ俺」
「お前それ初期装備じゃねえか、大丈夫か?
経車弾がオススメだな、フルメタルジャケットにしとけ」
「何、弾選ぶの?ならショットガンだよ。ライフル持ってるならできるだろ。
貸してやるから。支給されたばっかで依頼でるなんて冒険しすぎだろ。
とりあえずスラッグとバックショットがあればなんとかなる」
「いや、とりあえず弾をばらまけば勝てる」
「だーかーらーそれは分隊支援火器の話だっつってんだろ。ライフルの話してんの俺等」
「やんのかコラァ!」
「おーい、魔法売ってくれよ。俺ヒーラーなんだ。加護系が欲しい」
「まずどの系統のをやってるか言ってくれんとわからん。神道系と陰陽道系ならある」
「あー、道教系とは互換性ないか?」
「あるけど食い合わせ悪いぞ、っていうか道教ヒーラーって仙人目指してるのお前」
「エンチャントやるよー、多神教系集まれ」
「カソリックとハイ・マジックはこっちな。儀式魔術(リチュアル)やるぞ」
「種無しパンってほんと味無いのな・・・」
「俺洗礼受けて無いから食えねえわ。見た目旨そうなのにな」

               ◆

「軽いノリだな、こりゃクラスの奴等がぶっとんでもおかしくないぜ」
 彼らには、日常と戦場の区別が曖昧になっているのだ。
 戦場のポテンシャルで、日常を過ごす。それはどうしても堅気との差異を生み出す。
 いずれ誰かが『日のあたる場所で魔法を使いたい』と言い出すように仕組んだ罠。
 いずれ誰かが『何かを隠している』と叫びだすように仕組んだ罠。
 それはHALの政策であり、希望だった。
 AXYZは魔術師にしぶとく根付く隠匿意識を減退させるために造られた罠なのだ。
 野井はそれを知った上で答える。
「まあね、デオドラントされた戦場では、日常との区別が曖昧なのさ。
でも、やたら剣呑でいかつい奴等ばっかりよりはましだと思うけどね・・・・・・
治安維持という面では不安しかないけど、
彼らは放っておけば暗殺者のように育てられたはずさ。
教義で頭がパーになったアサシンと、ごっこ遊びの戦場、どっちがマシかって話なんだよ。
ちなみに、上層部は後者を選んだらしいね。
『子供に殺しを教えるよりはマシ』なんだってさ」
「いや、客観的に見て今でもパーだぞあいつら」
「まあ、そうだよね。でも今は過渡期らしいよ?
彼(HAL)はいまいち気が長すぎるんだ」
 ん、ん。と背後で咳払いがする。ガンドールだ。
 彼は声を潜めて野井に囁く。
「HALの秘蔵っ子か何か知らないが、あんまり横紙破るような真似はするなよ。
何をする気だ?何を見ている?」
「僕なりのヴィジョンだよ。あとはちょっとしたヴィジランテの真似かな」
「バットマン気取りか。好きにすればいい。
正直に言えば、私はこの国の未来だの、真理の世界だのわけわからんものには興味が無い。
私の興味と言えば、退職後の楽園と、今日の仕事だけだ。
それが保障されれば何も言う事は無い。お前の政争に巻き込むな。
私の言いたいことは解るな?」
「迷惑はかけないさ。でも、やらなきゃいけない時もある」
「お前はだいたい命がけの上自己責任でやるから文句はつけづらいが・・・・・・控えろよ」
「必ず、とはいえないね」
 チッとガンドールは舌打ちして離れる。これ以上は言っても無駄だと感じたらしい。

               ◆

 村上は温度の下がった目で野井を見る。
「お前、なんか背景(バック)があるのか?」
 違和感が明らかになった。
 村上は野井が特別な位置、下にいる生徒達とは違う位置にいると確信した。
「まあ、スポンサーって所かな。
いろいろ協力してもらう代わりに、こっちは発明品を売ってる関係だよ。
ただ使い走りになる気は無いけどね」
 野井は当たり前のように返す。
 今更過ぎると言わんばかりに。
「発明品・・・ってどんな」
「最近じゃ、劣化世界樹(アルラウネ)とかかな、
品種改良から機械製作までなんでもやるよ。
そういうのが僕の売りなのさ」
 劣化世界樹。
 土壌改良を行い動物達の餌となる実をつけ、さらには魔力を生産する。
 里山維持用の樹木、つまりは生きたテラフォーミングマシン。
 そんな非常識な発明がAXYZの企業から発表されたのはつい半年ほど前だ。
 そしてAXYZ地表部の森林には数年前からすでに植えられていた。
 つまりは、そういう事情だ。
「お前もあっち(非常識)側なのか・・・・・・」
 魔法も殺人技術も無い、しかし世界を異形化させる発明品を生み出すものは
 もはや一般人ではない、異能者だ。
 少なくとも村上はそう思う。
「ちょっと頭が回るだけさ。パワーバランス(勢力図)ではまた別だよ」
能力で言えば、まさに魔法使い(ウィザード)だが、
野井は彼らとはまた違う地位(ヒエラルキー)、
派閥(ポジション)にいるのもまた確かな事だった。
「まあいいか、それより、俺は何をすればいい?見てりゃいいのか?
そもそも、俺もあれにそのうち参加する事になるのか?」
 村上はそれ以上の深入りを止め、話を切り替えた。
 知ってもどうしようもない。
 知っても意味が無い。
 野井の言ったその言葉の意味をよく理解したからだ。
「今回は見てればいいよ。どんな感じか解ると思うから。
チュートリアルって奴だね。
参加するかどうかは君次第だけど、訓練は受けてもらう事になる。
安心して欲しい、ハートマン軍曹みたいなのはないから」
 村上は多少達観した精神があるとはいえ、まだ子供である。
 体育会系のしごきはごめんこうむりたかった。
「それを聞いて安心したよ。まあ、身を守れるようにならなきゃだからな。
覚悟はしてたさ」
「いい心がけだね。さ、始まるよ。僕等も行こう」
ざわざわとした講堂の喧騒は静まり、隊列が組まれる。
 狩りが始まるのだ。

               ◆

・茶番
 隊列の先、講談の上に美少女が立っている。
 長い黒髪に眼鏡、黒いスーツ姿だ。
「みなさんお集まりいただき、ありがとうございます。
現在判明した情報によると、敵主戦力は二人。
彼らは2-Dの生徒16名に対して、殺害を企てている可能性が濃厚です。
また、彼らは男女二名。20代後半の青年と十代後半の少女です」
 ここでプロジェクターに沢渡と宇津保の姿が写される。
「彼らは男爵級悪魔の憑依により不可逆の洗脳を受けており、
救助は不可能です。よって制圧を前提にして作戦を行ってください。
予知によれば援軍は無く、彼らのみで16名の殺害を行うとされています。
手段は、催眠の可能性が高いでしょう。
彼らは、学園の教師に扮して、生徒を襲うというヴィジョンが見えました。
そのことから、MAOSをすでに強奪している可能性が高いでしょう。
足止めとして使い魔の使役や、重火器による遠距離攻撃が予測されます」
 全てはフィクションだ。
 隠蔽用のカバーストーリーに過ぎない。
 学園では、予知能力者による予知という形で依頼を出す。
 犯罪が未然に起こる前に食い止める、あるいはすでに起こってしまったことを遠隔視で知りえたなどと誤魔化す。
 そして大概がもうすでに取り返しのつかない事態であり、もはや殺害しかない。
 それが決まり文句のように付け加えられる。
 哀れにも操られてしまった被害者を助けようなどと考える者から、
 事態の馬鹿馬鹿しさを悟って辞めていく。
 情報源が曖昧である事は、時に質問を許さない最強の切り札(ワイルドカード)となる。
 特に「権限を握る当局」にとっては。
 同じことを野井は村上に説明する。
「そういうことなのさ。全部カバーストーリーだよ。
予知能力なんてのも大嘘だ。単に監視カメラの情報をツギハギしただけさ。
とりかえしのつかない洗脳を受けてるとかそんなんも、大概は嘘だよ。
本気を出せば大体何とかなる範囲だ。
まあ、どっちを信じようが、真実が何であろうが、公式にはあれが真実になるのさ」
 野井はあまりにもあっけらかんと、諦観さえ混じった口調で語る。
 それに対し、村上は嫌悪感を隠さない。
「茶番だ。何もかも馬鹿らしい。
何が裏の世界だ、何が魔法だ。ただの詐欺師じゃねえか。
街全部を騙して、俺からも真実を騙し取った詐欺師だ」
 彼以外のすべてが騙されていた、それ故に彼は孤立した。
 彼の孤立も、孤独も、喪失も、全てが「隠蔽」によって引き起こされたものだった。
「それは彼らにとって誉め言葉にしかならないよ」
 だが、その事実こそが、AXYZの力を裏付けるものでしかないと野井は告げる。
「冷めちまったよ。馬鹿らしい。関わる意味なんてあるのか?
お前の言う事が本当ならな」
 街全てを騙して作り上げたものが、正義の味方ごっこだった。
 そんなものに関わる価値はあるのだろうか?
「少なくとも、彼らの暴力と、情報操作能力だけは本物さ。
君にかかる被害だって、本物だよ。君が味わった違和感も疎外感も本物だ。
そこを間違えちゃいけない」
 世界は張りぼてだった。日常は書割だった。演出家はその権限を持って存在する。
 しかし、そこで体験した苦痛だけは事実だ。
「俺は茶番につきあって一生を終えるのか?もううんざりだよ。うんざりなんだ」
 武力を背景にした壮大な茶番。
 その中で生きていかねばならない。
 村上はそれを理解した。
 理解したが故に、彼には多大なる徒労感しか残らない。
「でも、君には自衛の手段が必要になる。
まあ、これから行われる事を見れば解るさ。
話はそれからでも遅くは無い」
 野井は茶番も欺瞞も含めた上で、確かに存在する脅威を語る。
 現実と言う刃を傷口に押し当てる。
「帰りてえよ」
 村上は、今ひたすらに暖かい布団(パラダイス)に焦がれていた。

               ◆

 その後も「予言」者を称する少女の説明と質疑応答が続くが、
 敵戦力と戦法以外はすべて情報が伏せられていた。
 当局に尋ねても無駄。
 それが彼らにとって当たり前となっている。

 その諦めが、村上にはたまらなく嫌だった。
 真実があると思った先には欺瞞があった。
 裏の世界の住民がいると思ったところには、
 欺瞞を唯々諾々と受け取る大衆がいるだけだった。
 嘘だ、全て嘘だらけだ。

 こうやって、「妹」も存在ごと消えたのだろうか。
 16人のクラスメイトも消えたのだろうか。
 いずれ自分もこうやって消されるのだろうか。

 それだけは嫌だった。
 俺はここにいる。
 誰が何と言おうと、誰も認めなかろうが、俺は俺だ。
 俺はここにいるんだ。
 俺を見ろ、侮るな。
 無視できる存在と思うな。
 処理できる数字と思うな。
 俺を駒と思うな。
 いつか、お前の喉笛に噛み付いてやる。
 お前の眼に俺を焼き付けてやる。
 眼が乾くほど見せてやる。

「俺はな、ずっとこいつらの嘘の中で生きてきた。
こいつらが自分の都合で造った嘘の中でな。
それで、どうなったか知ってるよな。
ずっと隠し事をされて、挙句邪魔者扱いだ。
本当のことを言えば、なかったことにされる、俺の言葉が嘘にされていく」
 村上は自分自身の過去を語る。野井に知られているのは解っていたが、
 それでも今は語るときだった。
 野井は黙って聞いている。その瞳に笑いがあったのは気のせいか。
「それで、俺の私生活を無茶苦茶にしてついた嘘の先がこれか?
さらに騙されてるだけか?
ふざけんな。
俺が、死ぬほど求めてやまなかったものを盗んでいった奴は、
俺が欲しかったものを簡単に屑篭に入れるのか?
そうさ、俺はただの一市民だよ。納税もして無い餓鬼だよ。
だからなんだ?だから何だってんだ?
俺が、俺に何も力がないから、なにしたっていいってのか?」
 村上の血反吐を吐くような青い怨嗟に、
 野井は穢れが無い程に邪悪な瞳で答える。
「そうだよ」
 その一言は呪詛だった。
 村上は冷や水を浴びせられたように黙る。
「力が無きゃ、言いたいことなんて通せないよ。
だから、僕がきっかけはつくってあげる。
通したい筋があるなら、相応の実力を身につけるんだ。
・・・・・・使えない奴が何言っても、負け犬の遠吠えさ」
「くそっ」
 村上は膝を打つ。
 だが、その瞳には暗い炎が点っていた。
 彼を生涯かけて自由へと駆り立てる炎がこの時点火した。
 そして、その炎を見て、野井は計画が順調に行ったと満足する。
 彼女の煽りは存分に炎を燃え立たせる事だろう。
 そして、その炎はこの都市をいずれ焼き尽くすだろう。

               ◆

黒星の撤退
 黒星は駅のホームにあるベンチに座っている。
 地表部のほとんどが原生林であるAXYZと、東京を別ける、
 この「境目」にはAYXZへと通じる地下道の入り口と、
 東京へと繋がっている悲しいほど小さな寂しい駅が一つあるだけだ。
「うん、狩りが始まったようだね。これでスケジュールは完了した。
彼らは狩られて、運命は変わらない。
とりあえず相手の敗北条件は満たしたかな」
 黒星はその能力の一つで、
 学生達が、宇津保と沢渡を「狩る」様子を見ている。
 あの白い地下の講堂で嘘に塗れた説明によって殺害が決められた様子も、
 沢渡たちが荷物を纏めてどこへとも知れぬ逃走劇を始めた様子も彼の脳裏には写っている。
 黒星のAXYZへの潜入の目的は、これが歴史上のターニングポイントになると知っていたからだ。
 だからこそ、転生者たち(つまりは未来の歴史を知る者たち)は宇津保たちの殺害を阻止しようとした。
 宇津保と沢渡が、何の問題も無くただ普通に幸福に暮らせるようにと願い行動した。
 しかしそれらの試みは天野黒星に、
この革ジャンにサングラス時代遅れのロックかぶれの男に物理的に阻止された。
 かくして、脚本どおりに宇津保は死ぬ。
「さあ、帰ってカラオケにでも行こうかな。
またね、AYXZ」
 黒星は日常と非日常の境界を歩き、AXYZに背を向けた。

               ◆

栗実麻美のブリーフィング
「繰り返しになるけど、最終確認を行っておくわ」
整列した生徒の前に若い女教師が出てくる。
 たっぷりと時間と金を美容にかけたと解る、
 卵のようにつるんとした肌、プレイメイトのような体形、
おっとりとした顔の三十路前の女性だ。
 髪は栗色、服装はAXYZ魔術師の制服である迷彩服姿だ。
 折り目正しく銃をスリングベルトにかけて支え持っている。
「じゃ、現場レベルでの指揮を担当するのは私、栗見麻美よ。
よろしく」
 マム、イエス、マムと愛想笑い混じりに生徒が返す。
 そこそこ親しみやすいと思われているようだ。
「今回の作戦目標は、標的の無力化よ。
この二人を倒して回収した時点で任務達成となります。
参加報酬50ポイント。殺傷許可はでてるわ。
ここまでで質問はない?」
 提示された報酬額に満足したのか、生徒は無言で先を促す。
 ぽつぽつと、マム、ノー、マムという声も上がる。
 栗見はそれに満足したのか、とろけるような柔らかい笑みで先を続ける。
「二人組みの装備は男性が、M14にガバメント。女性が、グロッグのフルオート。
MAOSは男性のみ所有。内蔵魔法は不明。
MAOS管理権限によるトリガーロックは間に合うと思うわ。
でも、MAOSなしでも魔法は使えると思っておいて。
主犯の現在地がここ、N17地区の5番通路。
逃亡ルートは3つ、地上のヘリポート、D6出口。
国道へ通じるN5駐車場、地下鉄へ通じる九十九通り5番街。
隔壁閉鎖によってN3までおびき寄せるから、ここ、N5の通路で迎撃。
火災という事で、一般人の避難は完了しているから安心してね。
部隊展開はこれね」
 スクリーンに次々と情報が提示され、
 栗見の指先によってそこにいくつも注釈が書き加えられる。
 それらの情報は生徒達全員が身につけているMAOSに転送され、共有される。

 その情報は野井の持つ端末にも送られ、参加者である生徒達の様子を映し出す。
「この画面で見るといいよ。一部始終はこれで見れるはずだから」
「あいつらについていくんじゃないのか?」
「非戦闘員をつれていくわけないじゃないか。でもまあ、この端末は高性能だからね。
現場にいるような臨場感が味わえるはずさ」
 野井はプラスチックで作られた板切れのように見えるMAOSを操作していく。
 テレビ以上に高画質で、音はさながら映画館だ。
「なんだかなぁ」

 ブリーフィングが終り、生徒達は班に別れて驚くべき素早さで進軍する。
 蟻の列のように並び、滑る様に走る。
 通路を水が流れるように満遍なく制圧し、進軍する。
 その様子を村上は一兵士の眼線でモニタ上から見ている。
 生身の人間にはおおよそ不可能なほどの速さで景色が流れていく。
 ほどなく、手に手を取って逃げる男女二人が目に入った。
「対象を発見。戦陣の展開を開始」
 モニタに短くメッセージが表示される。
「了解、断界結界発動カウントダウン。5、4、3、2、1、ナウ。
発動確認・・・・・・クリア。リスポンポイント、設置クリア。動作確認クリア」
 モニタの中の声が答える。意外と年若い少女の声だった。
「配置の完了を確認、発砲を許可するわ。ライフル隊撃ちなさい」
 これは先ほどの教官、栗見麻美。
 続けざまの破裂音。
 少女の方が目視できないほどのスピードで動き、男を庇う。
 おお、と雄たけびを上げて男がこちらに発砲してくる。
「魔術師、障壁発動。陰陽師、式神発動。道士、宝貝準備、道術砲撃準備。
僧兵、ライフルを援護射撃に。その場に足止めしなさい」
 画面の中でいくつもの呪文が紡がれる。
 ある所では光が生徒の上に現れ、銃弾を防御する。
 異形としか思えない怪物が男女に向かい挑みかかる。
 銃弾が退路を塞ぐ。
 あまりにも一方的な蹂躙だった。
 男が呪文を唱え、生徒の一人を指差し、印を切る。
 鼻を突く腐敗臭と共に黒い影が生徒達に襲い掛かる。
 数秒のうちに男がイメージから作り出した霊体の使い魔だ。
「おいMAOSは使えないんじゃないのか!」
「あわてるな!アデプトだぞ、素で使えて当たり前だ。返りを準備しろ、早くだ!」
「銃弾装填。孔雀明王真言呪。援護射撃します」
 モニタの中の誰かが言った。
 弾丸が打ち出され、その後ろから巨大な孔雀が出現し、
 黒い使い魔を食らい尽くす。
 一切の不浄を払うという孔雀明王の力を、弾丸に掘り込まれた経文によって借りたのだ。
 男は次々に使い魔を出し、少女は人外の動きで援護射撃し、それ以上の接近を拒む。
「篭城戦をする気はないはずよ。これは時間稼ぎ。門の魔法で強引に地上に出る気のようね。魔術師は儀式魔術、法の書12巻22Pの193番の儀式をやって門を封じ込めて。
禰宜と陰陽師は神道で全体の穢れを除去。道士は宝貝と道術を撃って。
僧兵は不動明王の懲伏を。不動金縛りも出来る人がお願い。
相克やコンクリフトには注意。いけるわね?」
 司令官である栗見が次々に指示を飛ばし、生徒達は一つの生き物のように動く。
 男が抑揚をつけて呪文を唱えると、空間が割れ、地上へとテレポートする門が開く。
 しかしそれはMAOSというたった一つの魔法発動体によって封じられる。
 MAOSによる自動詠唱が輪唱となり、立体映像が祭壇を造り、その場をあっという間に二人を閉じ込め、屠るための神殿と変じさせる。
 数の暴力により、あっというまに二人に何重にも呪がかかり、倒れ付す。
 そこに銃弾と魔法が降りかかり、男は身体を吹っ飛ばされる。
 少女の絶望的な叫びが響いた。全てを奪われたものの叫びだった。
 生きる目的を失った慟哭だった。
 まるで死を望むかのように、
少女はのしかかる呪いを抱えたまま崩壊していく体を引きずって、仇を討ちにいく。
 しかし彼女は迫り来る爆炎に吹き飛ばされ、男の下へと舞い戻った。
 もはや助からない身体だった。
 少女は男の手を握り、抱き合って死んだ。
 その時、彼女が呟いた一言をMAOSのマイクはしっかりと拾っていた。
「愛してくれて、ありがとう」
 駄目押しの銃弾が降りかかり、何がなんだかわからない赤い塊になった。
「作戦終了。回収と清掃は別部隊がやるわ。儀式を終了させて、帰投して。
おつかれさま」
 栗見の淡々とした声が戦闘の終了を告げると、モニタの画面も切れた。

               ◆

「えげつねえな・・・・・・」
「これがAXYZの武力さ。ちゃらんぽらんなだけじゃないんだ」
「でもお前、これ殺人だろ」
 血の気の引いた顔で村上は言う。
「そうだね、でも、君以外にはね、彼らは異形に見えてたりするんだ。
そういうフィルタリング機能がこの都市そのものにある。
ついでにいえば、建前は「どうせもう助からない人」だしね。
だからこれほどまでの暴力が存在するんだよ。
当然、敵はもっとなりふり構わないでやってくる。
アレは数の差がおかしかっただけで、同じ真似は他の都市の奴等にだってできるんだ。
どことは言わないけどね。
裏の世界っていうのはそういう所なのさ」
「だから自衛しろって?ああなれと?」
 村上の声はもはや叫びに近い。
「ああなれとは言わないけど、最低限の護身はできなきゃ駄目だ。
必要性はよくわかったよね?」
 野井はただため息をついて同意を求める。
「あんなんに狙われるかもって考えりゃな。おいこりゃ脅迫だぜ」
「そうだよ。でもそうでもしないと、君は死地につっこんでいくだろうからね」
「ありがたくて涙が出るわ」
 あまりにも身も蓋もない、むき出しの疲労がそこにあった。


               ◆


HALの魔術
 狂乱の一夜が終わり、夜は静けさを取り戻した。
 AXYZの地下、その深くにある広大なプール。
 極めて純水に近い清められた水に浮かぶのは無数の人体だ。
 プールサイドには、手に銀色の杖、黒いインバネス、堀の深い顔の老人。
 AXYZの黒幕、HALだ。
 見れば、プールには一面、魔方陣が描かれ、暗い照明と相まって、
 そこはまさに悪魔の実験場か、魔術師の神殿といった有様だ。
 HALは重々しく呪文を唱え、儀式を始めていく。
 彼は片手に短刀を持ち、驚くほど鮮やかな仕草で自らの手首を切る。
 手首から、インクを思わせる、黒い液体が流れ落ちる。
 それは彼がもはや人ではないことを表していた。
 その「血」は、ゆっくりとプールに落ち、波紋を広げながら拡散していく。
 呪文がひときわ高く響き、HALが鈴を鳴らす。
 すると、プールの水が盛り上がり、人の形を成していく。
「お帰りなさい、「私」よ」
 老人がその人型に向かって言う。
 人型は少女の形となり、老人とおぞましいほど似通った笑みで答える。
「帰りましたよ、「私」よ」
 少女は金髪碧眼、黒星に殺された少女と同じだった。
 彼女はHALの分身であり、その身体は人に極めて似せて造られた人形だ。
「確認しますが、彼らの魂は確保できましたか?
こちらは沢渡教諭たちに殺された分は回収できましたが」
 老人のHALが少女のHALに向かって言う。
「ええ、問題なく転生者たちの魂は回収できました。
人格データの方はすでにバックアップがありましたよね。
こちらでも最新の物は確保していますが」
 少女のHALが老人のHALに向かって言う。
 彼らは言うなれば、別け木によって、折った枝から、元と同じ木が出来るように、
 蝋燭から別の蝋燭に火を移すように、魂を分裂増殖させた存在だ。
 外の身体は人形であり、「中の人」は実際は同じなのだ。
 これがHALが人を辞めた魔術、不死の存在となった証、「分霊法」である。
「結構。では次の儀式を始めましょう」
 そして、HALの魔術であれば、自らの命と魂を流れ出る鮮血に移して逃げる事も、
 その場にいた黒星に殺された少年少女たちの魂も掠め取って逃げる事も、
 もはや問題なくできる技術の一つに過ぎない。


 少女型ボディのHALが再び水に溶け出し、プール一面に広がっていく。
 プールに浮かぶのは、この事件によって死んだ者の生前と全く同じ肉体である。
 つまりは、宇津保によって殺された16名の彼の生徒達、宇津保に最初に殺された女生徒、黒星によって殺された転生者達。
 そして沢渡と宇津保本人達の身体も存在する。
 プールの色が透明から赤へと変わっていき、生無き肉体たちに魂が宿る。
 プールサイドにはいつのまにか白衣の男たちが揃っている。
 全て同じ顔、それもHALを若くしたような顔である。
 彼らはプールにざばざばと入っていくと、生き返った順に少年少女たちを担ぎ上げ、
 あっというまに担架にのせて運んでいく。
 まるで蟻の様に、機械の様に、同じ人間が複数の肉体を動かすかのように。

「これが、あなたの仕分けですかのう?HAL殿」
 AXYZの「学園長」藤原が白髭を撫でながら言う。
 その姿はあくまで穏やかに笑う好々爺そのものだ。
 置物のような不吉さがある。
「ええ、悲劇など、全て茶番で良いではありませんか。
本当に死んだり、悲しんだりするよりはましかと思いますよ」
 そこには生命を弄ぶ事への忌諱も、右往左往した者たちに対する慈悲も、一片たりとも無かった。
「ふむ、それで利益を得た私としては、何とも。
では、手はずどおりに済ましておきますわい」
 学園長は、HALよりも深い陰謀に満ちた梟の如き瞳でそれに返した。

 殺害された者たちは数ヶ月のあいだ昏睡に陥っていた事にされ、元通りに社会へと組み込まれる。
 犯人である宇津保と沢渡は、いくつかの処置が必要であるが、
やがてハニー・ニダスという「毒」がなかった、
本来あるべきただの魔術師とただの少女となり、
普通に幸福に、そして正気のままで、日常と言うまどろみの中で暮らすのだろう。

 こうして、この事件は死者を生き返らせることで、
 死者が出た事実すらもなかった事にして、全てが終わった。

 ここで起こった事は、ひどく単純だった。
 恋に堕ち、罪を犯した二人が、追い詰められ惨めに狩られた。
 しかし、それは老魔術師によって、「なかったこと」にされ、
 誰もが幸せになれるように魔法をかけられた。
 たったそれだけの事にいろいろな事情が付随しただけである。
 村上は今の時点で、ただの目撃者に過ぎない。
 だが、いずれ彼も輪の中に入る時が来るだろう。



 暗い闇の中、HALはあなたを見つめ、こう言う。
「あなたは、どちらが正しいと思いますか?」
 その目には迷いは無く、自らの道を貫き通す意志がある。
 夜明けは近い、しかし、まだ空は暗い。


1993年編、了


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